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2018年1月21日 (日)

プロ野球 セントラル・リーグの愉しみ(1) ロビンス、ベイスターズ、カープ編

※ この記事は、2017年12月15日に書かれたものです。

 

1949年12月15日、セントラル・リーグが成立。それまで1リーグ制だった日本プロ野球は2リーグに分裂します。日本プロ野球への新球団参入を認めないチームがセントラル・リーグ(セ・リーグ)を立ち上げたわけですが、数合わせのためもあって、複数の新球団がセ・リーグに加わりました。

セ・リーグ結成時の球団は、読売ジャイアンツ、松竹ロビンス、中日ドラゴンズ、大阪タイガース(現・阪神タイガース)、広島カープ(現・広島東洋カープ)、大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)、西日本パイレーツ(1年限りで活動停止)、そして期限ぎりぎりで加入したのが国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)です。

国有会社である国鉄がプロ野球団を持っていたことを不思議に思う方もいらっしゃると思いますが、さすがに国鉄本体がプロ野球チームを持つことは許されず、国鉄の外郭団体である交通協力会を中心に、鉄道弘済会、日本通運、日本交通公社(現・JTB)などが親会社になっています。

 

1950年、第1回のセ・リーグ公式戦でチャンピオンに輝いた松竹ロビンスは、実は京都に本拠地を置く球団でした。フランチャイズは衣笠球場。この球場は現在・立命館大学衣笠キャンパスになっている場所にありましたが、今は往時をしのばせるものは何も残っていません。立命館大学衣笠キャンパスは今でも交通アクセスが不便なことで知られていますが、それは昔も変わらず、本拠地球場として登録されていながら、実際はロビンスは難波駅の目の前にある交通至便な大阪球場でホームゲームのほとんどを行っていました。
松竹ロビンスは後に大洋ホエールズと合併します。

その大洋ホエールズ。大洋漁業を親会社とするチームで、当初の本拠地は山口県下関市に置かれていました。ホエールズは3年間、下関市営球場(現存せず)でホームゲームを行っていましたが、松竹との合併により、本拠地を大阪球場に移転。更に川崎球場時代を経て、現在の横浜スタジアムを本拠地とするに至っています。
大洋ホエールズはとにかく弱い球団でした。1960年に、知将・三原修の三原マジックによりセ・リーグ制覇と日本一を達成しますが、その後は鳴かず飛ばず状態。カミソリシュートでお馴染みの平松政次が長年に渡ってエースを張り、通算201勝で名球会入りを果たしていますが、平松は優勝の経験がありません。名球会入りしている投手でリーグ優勝経験がないのは平松一人だけです。

今も記憶に新しい1998年。権藤博監督率いる横浜ベイスターズはマシンガン打線と呼ばれた強力打撃陣と、「ハマの大魔神」こと佐々木主浩を守護神とした投手陣の踏ん張りで38年ぶりのセ・リーグ制覇を達成。日本シリーズでも西武ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)を4勝2敗で下して日本一に輝きました。この1998年の横浜ベイスターズの快進撃は社会現象となり、1998年は「横浜ベイスターズの年」として記憶されているといっても過言ではないほどです。

横浜の市民球団を目指していた横浜ベイスターズですが、TBSが撤退し、DeNAが親会社となることで横浜市民球団としての色彩は後退しました。ただDeNAは野球に力を入れており、ファンも増加。今年、2017年にはリーグ3位ながらクライマックス・シリーズを勝ち上がって日本シリーズに進出。福岡ソフトバンクホークスに敗れはしたものの、健闘は称えられました。

大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズの名選手というと、先に挙げた平松政次が第一に挙がるでしょうが、「ハマの番長」として横浜ファン以外にも愛された三浦大輔、「ハマの大魔神」佐々木主浩、ウォーレン・クロマティに「メジャーでも通用する」と断言された遠藤一彦、打者ではスーパーカートリオと呼ばれた俊足の高木豊、加藤博一、屋敷要が有名です。

 

日本初の市民球団として知られるのが広島東洋カープです。広島市と広島県をフランチャイズとして、かつては広島市のど真ん中にあった広島市民球場、現在はメジャーリーグの球場を参考にしたマツダズZoomZoomスタジアム(新・広島市民球場)を本拠地としています。

創設に当たって樽募金が行われたことが有名ですが、この樽募金は実は今も続いています。

カープな長年に渡ってセ・リーグのお荷物扱いされていましたが、1975年に古葉竹織監督の下で初優勝。この広島カープ初優勝も社会現象になりました。ただ日本シリーズでは阪急ブレーブスに敗れています。

カープが日本一に輝いたのは、1979年のことです。3勝3敗で迎えた日本シリーズ最終戦。舞台は今はなき大阪球場ですが、ここで今も語り草になっている「江夏の21球」がありました。1点リードで迎えた9回裏、広島の守護神となっていた江夏豊がノーアウト満塁のピンチを招きながら一死後、スクイズをカーブの握りのまま外すという離れ業で三塁ランナーをタッチアウトとして二死。そして石渡茂を空振り三振に切って取り、日本を決めました。

広島東洋カープは1980年代には投手王国を築いて常勝球団となりましたが、1991年の優勝を最後にリーグ制覇から遠ざかり、2016年に実に四半世紀ぶりのセ・リーグ王者となっています。

広島の名選手というと、ともに名球会入り&永久欠番となっている「ミスター赤ヘル」山本浩二(背番号8)と「鉄人」衣笠祥雄(背番号3)が双璧でしょう。山本浩二はオールスターでのホームランが14本で歴代1位、衣笠祥雄は連続出場試合日本記録保持者です。

投手で鮮烈な記憶に残っているのは、「炎のストッパー」津田恒実(津田恒実)。全球ストレート勝負で三球三振に打ち取られたバースは、「津田はクレージーだ」という言葉を残しました。

投手王国と呼ばれた時代の広島には、その他にも「精密機械」北別府学、「月に向かって投げる」大野豊、「奪三振マシーン」川口和久ら錚々たるメンバーが揃っていました。比較的最近の選手として大きな業績を残した投手に、前田健太、黒田博樹(背番号15は永久欠番に)らがいます。

打者では、「天才」前田智徳、「曲者」達川光男、そして今では「史上最強のセカンド」菊池涼介や「神ってる」鈴木誠也がカープの顔となっています。

カープの野球は伝統的にディフェンス重視で、レベルの高い投手と守備陣で失点を最小限に抑える野球を行う傾向にあります。

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