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2018年1月12日 (金)

ヴィクトル・スタルヒン散る

その車は、世田谷区三宿の国道246号線を走っていた。そしてそのまま三宿駅に停車中の渋谷発二子玉川行きの列車に激突。運転していた男は病院に搬送されたが30分も経たないうちに死亡した。その男、ヴィクトル・スタルヒンは、東京巨人軍、パシフィック、太陽ロビンス、大映スターズ、高橋ユニオンズで活躍し、日本プロ野球初の300勝を挙げ、シーズン42勝の日本記録を持つ大エースだった。

スタルヒンは、白系ロシア人の子供だった。スタルヒンの両親は、ロシア革命から逃れるためにシベリアへ。さらに中国東北部のハルビンを経て北海道・旭川へと渡ってきた。スタルヒンは無国籍であった。

旧制旭川中学校時代に好投手として注目を浴びる。全国中等学校野球選手権(現在の全国高等学校野球選手権)北海道予選では決勝まで進みながら夏の甲子園に届かず。北海道時代に対戦したチームのスタルヒン評が残っているが、「ボールが見えない。煙にしか見えない」というものでスタルヒンの傑出したスピードをうかがい知ることが出来る。
その後、旭川中学校を中退して全日本東京野球倶楽部に参加。スタルヒン自身は旭川中学校に残りたかったが、全日本東京野球倶楽部は恫喝手段を用いてでもスタルヒンを手に入れたがっていた。

そして、東京巨人軍に入団。沢村栄治と共に二枚看板として巨人軍の投手陣を支えた。
無国籍の人間であるスタルヒンは兵隊に取られることはなく、徴兵に応じて戦地に赴いた沢村栄治に代わって巨人軍のエースとして奮闘するも、敵性外国人との評価を受けるようになり、その疑いを晴らすために須田博(すた ひろし)と改名。日本人になろうとするが、「どう見ても日本人じゃない」と申請を却下される。日本で育ち、日本語を母語とするスタルヒンにとってこの決定はショックであった。

その後、軽井沢に強制移住させられたスタルヒン。約2年間ほど野球から遠ざからざるを得なかった。
戦後の1946年。スタルヒンに巨人軍からの復帰の誘いがある。しかしスタルヒンはこれを断り、パシフィックに入団。この経緯については色々取り沙汰されるが、詳しいことはわかっていない。巨人軍とは確執があったらしいのだが、その内容については事実かどうか確認出来ないものもある。最も大きな要因としては実父のように慕っていた藤本定義が巨人から捨てられ、パシフィックの監督に就任したということが挙げられる。スタルヒンはその後も、一貫して地味なチーム、弱小球団を渡り歩くことになった。

沢村栄治に勝るとも劣らないといわれたスタルヒンのストレート。当時スピードガンがあったら何キロ出ていたのかということがやはり話題になる。巨人軍時代の同僚であった千葉茂や青田昇が、ピッチングマシンを使って、何キロの設定の時にスタルヒンのストレートと同等になるのかをマスコミの依頼で試してみたことがある。二人が「まあこんなもんやろ」と確認しあった時のピッチングマシンの設定は158キロであったといわれる。

運命の1957年1月12日、スタルヒンは旭川中学校の同窓会に出る予定だった。しかし彼が車を走らせたのは同窓会が行われる東中野方面とは真反対の道だった。最初は同じ会場に向かう同窓生を助手席に乗せていたのだが、途中で降ろし、同窓生に一人で向かうよう告げて車を走らせている。明らかにおかしかった。
そしてスタルヒンの運転する車は列車へと突っ込むのである。状況的にはどう見ても自殺だった。

愛されるキャラクターであったスタルヒンだが、生涯に渡って彼には孤独の影が付きまとう。アイデンティティとしては間違いなく日本人であると確信していたスタルヒンであったが、誰もそうは見てくれなかった。彼は日本人ではなく、外国人でもない無国籍人のデラシネであった。その死に際して、マスコミはスタルヒンの300勝という偉業を秘した。実績が数字になる野球というわかりやすい世界に生き、大記録を打ち立てたにも関わらず、最後まで日本人とは認められず日本人からも認められなかったのだ。

地面に白墨で300と書かれ、その横にしゃがんだスタルヒンが上にあるカメラに視線を送っている写真がある。300勝達成時の写真である。スタルヒンの現役最後のシーズンとなる1955年、高橋ユニオンズ時代に撮られたものだ。
満面の笑顔を浮かべているスタルヒンはとても幸せそうに見える。だがこの時から2年も経たないうちに彼は謎の死を遂げた。その胸に何が去来していたのか今となっては誰にもわからない。


旭川スタルヒン球場前に立つスタルヒンの像

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