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2018年1月18日 (木)

筒井筒

「筒井筒井筒にかけしまろが丈 過ぎにけらしな妹(いも)見ざるまに」(在原業平)

この歌は、現在の奈良県天理市の在原神社境内にある井戸(筒井筒)について詠まれたものと言われています。昔、当地には在原氏の屋敷がありました。

一組の男女の歌です。子供の頃、男女はいつも仲良く遊んでいました。そしてこの筒井筒で背比べをし、背の高さをこっそりと刻んでいたりもしました。

しかし、やがて思春期が訪れ、男女は互いを意識し始めてなかなか会わないようになってしまいます。

そうこうするうちに、結婚適齢期となった(といっても当時は十代半ばですが)女のもとに結婚話が舞い込みます。男女は今も相思相愛なのですが、横槍が入りそうになったわけですね。

男は女に筒井筒の歌を送ります。「昔は筒井筒の横に立って背の高さを測ったものでしが、あなたと会わないでいる間に、筒井筒の井桁よりも背が高くなってしまいました」

これに対して女は、「くらべこし振り分け髪も肩過ぎぬ君ならずしてたれか上ぐべき(あなたと比べてきた振り分けの髪も肩を過ぎる長さになりました。この髪をあなた以外の誰のために結い上げるべきでしょう)」と返し、二人は親の反対を振り切って結ばれることになりました。

 

これだけなら物語として特に珍しい展開にはならないのですが、この男というのが稀代のプレイボーイである在原業平であるため、当然、浮気に走ってしまうということになるのです。しかし、妻の夫思いの様子に気づいた男が浮気をやめるという展開が続きます(浮気をする業平に妻は「風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君がひとり越ゆらむ 」と詠んで夫の身の上を心配した)。

 

さて、能の大成者として知られる世阿弥(観世元清)が、「筒井筒」を題材にした「井筒」という能の演目を作っています。世阿弥の自信作の一つです。

ここでは歌が、「筒井筒井筒にかけしまろが丈 生いにけらしな妹見ざるまに」に変わっています。「生い」は「老い」に掛かっています。

設定は、「筒井筒井筒にかけしまろが丈 過ぎにけらしな妹見ざるまに」という歌が詠まれてから100年ほど経った時代。亡き在原業平の邸宅の後は在原寺という寺院になっていたのですが、すっかり荒廃しています。夜、旅の僧が、筒井筒のところにやってきて、業平とその妻を弔います。

そこへ在原業平の妻である紀有常の女(むすめ)の幽霊が現れて、自身と業平との往時の逢瀬を語ります。「筒井筒井筒にかけしまろが丈 生いにけらしな妹見ざるまに」という恋の歌を思い出した女は、自身がもう老いてしまったことに気づき、浮き立つような恋を重ねた若い頃には戻れないのを嘆くのでした。

能「井筒」では、業平と紀常有の女のその後がどうなったのかについての直接的な説明はありません。幽霊になって出るくらいですから、何らかの妄念はあるのでしょうが、僧に回向を頼むという能のお決まりのパターンはありません。女はただ業平との在りし日を偲び、業平の格好をして舞うだけです。

あるいは、女と業平との最上の日々を、疑問の余地もなく愛し合っていた二人のことを伝えたかったのかも知れません。ただ正確な答えは用意されないまま、能は夢幻のうちに終わっていきます。

何年か前に、夜の筒井筒を訪れたことがあります。在原神社があるのは天理市の外れ。とても寂しいところでした。闇の中に浮かぶ筒井筒は不気味でもありましたが、同時に歴史の証人としての貫禄が備わっていました。

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