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2018年2月15日 (木)

観劇感想精選(229) 「アンチゴーヌ」

2018年2月10日 ロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後6時から、ロームシアター京都サウスホールで、「アンチゴーヌ」を観る。「ひばり」のジャン・アヌイがソフォクレスの悲劇「アンティゴイネ」を翻案したものである。
テキスト日本語訳:岩切正一郎、演出:栗山民也、出演は、蒼井優、梅沢昌代、伊勢佳代、佐藤誓(さとう・ちかう)、渋谷謙人(しぶや・けんと)、富岡晃一郎、高橋紀恵(たかはし・のりえ)、塚瀬香名子、生瀬勝久。

サウスホールの舞台上に特設ステージと客席を設けての上演。2階席はそのままに生かすが、1階席は演者を目の前で観るような格好になる(私はDエリアの1列2番の席)。中央から十字架状に細長いステージが伸び、1階席の観客は四隅に座る。セットは椅子が2脚だけという簡素なものである。

アンチゴーヌはオイディプス王の娘である。オイディプスが実の父を殺し、実の母と交わって子をなし、ギリシャ・テーバイの王となってから、事実を知って自らの目を突いて放浪したその後の話。オイディプスの長男であるエテオークルと次男のポリニスが1年ごとに交代で王位に就くことが決まっていた。だが1年後、エテオークルが王座から降りることを拒否したことで、ポリニスとの全面戦争に突入。エテオークルとポリニスは刺し違えて死んだ。

プロローグで高橋紀恵演じるストーリーテラーがこのことを告げる。そして蒼井優が扮している女がアンチゴーヌの役割を受け持って芝居が進んでいくことになる。役というのはこの芝居においては重要だ。

現在、テーバイの王にはアンチゴーヌ達の親戚に当たるクレオン(生瀬勝久)が就いていた。アンチゴーヌはクレオンの息子であるエモン(渋谷謙人)と恋に落ちている。だが、エモンは以前はアンチゴーヌの姉であるイスメーヌ(伊勢佳代)と恋仲だったのだ。アンチゴーヌは死への思いを秘め、エモンもアンチゴーヌに導かれての死を覚悟しようとしていた。

アンチゴーヌが早朝に家を出てどこかに出掛けたことを乳母(梅沢昌代)が咎める。実はアンチゴーヌは次兄のポリニスに同情的であり、野ざらしにされているポリニスの遺体に弔いの砂をかけに行ったのだ。だが、クレオン王は、エテオークルを英雄としてその死を讃える一方で、ポリニスは反逆者として埋葬を禁じ、遺骸は風葬に任せるままだった。更にポリニスの亡骸に弔いの行為をすれば死罪に処すと厳命していたのだ。
アンチゴーヌ(二十歳とされている)は幼い頃からお転婆であり、聞き分けのない子だったが、それは訳知り顔で大人に従うことが嫌だったからだ。分からないことに対して分かった振りをしたくない(「わかりたくない」というセリフで表される)、したくないことは決してやらないという個の強いアンチゴーヌは、素直な姉のイスメーヌと対照的であった。二度目にポリニスの弔いに出たとき、アンチゴーヌは「想像力のない」衛兵(佐藤誓)に捕らえられる。アンチゴーヌは元より死は覚悟の上だったが、クレオンは「まだ若すぎる」としてアンチゴーヌを赦免しようとする。そこにはアンチゴーヌは義理の娘になるはずの存在であり、且つ死罪にすら値しないという考えの他に、政治のためにアンチゴーヌを死なせるわけにはいかないという事情もあった……。

堅牢な国家体制に対して「NO」を突きつけるアンチゴーヌの物語である。ライオスは「個」を主張するアンチゴーヌを国家としてのシステム脅かす者と感じていた。だが、その組織(システム)の頂上に君臨しているライオスでさえ組織は意のままにならない。

ライオスは王座に就くことを拒否することも出来たのだが、逃げるような真似はしたくないということで王の役割を引き受けることに決めたのだ。だが結局ライオスは国家体制の中に飲み込まれ、したくもないことをする羽目になっており、やむなく壮大な嘘もついていた。流れの中では個人がどうあがいても仕方がない。トルストイがナポレオン戦争について説いたように。ライオスは平凡な日常の中に生きる意味を見つけようとしていたが、アンチゴーヌはライオスに勧められた流される生き方を拒否し、「生」のために死を選ぶ。このあたりがジャン・アヌイらしい展開といえる。ライオスは小姓(塚瀬香名子)に「(組織の網に拘束された)大人になんてなるもんじゃない」「(システムを)知らないのが一番幸せだ」と語る。また3人の従者は何にも考えることなく「上が言ったからやる」を忠実に履行するだけの無知な歯車として描かれている。

人は組織(システム)に隷属するしかないのか? 自らが組織の成員であるにも関わらず、あるいは成員であるが故に。

時代に消されたアンチゴーヌだが、弔いの砂が天井から滝のように流れ続け、「アンチゴーヌを忘れない」という演出家のメッセージの中で劇は終わる。

蒼井優は決められたパーツパーツにきちんと嵌まっていくような演技を見せる。間近でこういう演技を見ていると結構気持ちが良いものである。あたかもコントロール抜群のエースピッチャーの投球を見ているかのように。
芸達者である生瀬勝久の重みのある演技も良かった。生瀬勝久は何でも出来るタイプである。

すぐそばで見ていたということもあり、「みんな思ったより演技演技してるなあ」と思ったのも確かであるが、ギリシャ悲劇の翻案劇であり、ある程度の型にはまっていることはテーマから考えても納得のいくことのように思う。見応えがあった。

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