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2018年2月の36件の記事

2018年2月27日 (火)

ベートーヴェン 交響曲第8番 レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

1814年2月27日、ベートーヴェンの交響曲第8番が初演されました。ベートーヴェンの交響曲の中でも飛び抜けて明朗な曲調を持つ曲です。ベートーヴェンの生前、この曲の評価は低めでしたが、ベートーヴェン自身は第8交響曲に自信を持っていたといわれています。
今年で生誕100年を迎えるレナード・バーンスタインの指揮でお楽しみ下さい。

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2018年2月26日 (月)

笑いの林(101) よしもと祇園花月 「祇園ネタ」&吉本新喜劇「バタヤンの伝統工芸と娘の秘密は奥が深いのだ!」2018年2月15日

2018年2月15日 よしもと祇園花月にて

12時30分から、よしもと祇園花月で、「祇園ネタ」と吉本新喜劇・川畑座長の京都伝統工芸新喜劇「バタヤンの伝統工芸と娘の秘密は奥が深いのだ!」を観る。

「祇園ネタ」の出演は、ヘンダーソン、ギャロップ、桜 稲垣早希、矢野・兵動、月亭八方(登場順)

ヘンダーソン。子安が氷川きよしに似ているという話(氷川きよしのバッタもんと紹介される)をしてから、中村も嵐の二宮和也に似ているという話をするのだが、客席からは微妙な反応。少なくとも「よく似ている」という印象を受ける人はほとんどいないと思われる。女性はジャニーズ似の判定には厳しいし。
子安が31歳なので結婚したいという話になるが、中村は「でも最近は不倫とか」と話して、子安が不倫をしている夫を中村が奥さんを演じることになるのだが、子安が「ただいま」と言って家に帰ってくると、中村は「ああ、どうも」と言ってすれ違い、出て行くという妙な設定で始まる。後に中村が演じていたのは奥さんの不倫相手だったとわかる。「不倫してるでしょう?」と言われて、「え? なんで?」と答えると確実に不倫しているので、子安は別の反応をするのだが、中村演じる奥さんは「お前こそ不倫してない」と言われて「え? なんで?」と答え、子安に「不倫してるやん!」と責められる。
続いて、中村が「学生時代は楽しかった。戻りたい」と言い、子安が「でも、受験勉強とか大変だった。集中出来なくて」ということで、子安が受験生を演じ、中村が集中を妨げる役をやる。中村は、「石焼き芋、お芋!」と焼き芋屋をやるのだが、「このときめき、好きも嫌いも、この出会いも、酸いも甘いも」と「いも」でライム(韻)を踏むラップにしてしまう。勉強に集中出来ないので子安が文句を言いに行くと、中村は子安を指さして「あ、変な奴来た!」という。だが実は中村の方がハンドルを持って歩いているだけというかなりおかしな人であった。

ギャロップ。林が例によって、「皆さん、生えすぎですね」というボケをやる。林も毛利も結婚していた子供もいるのだが、林は子供から「お父さんはどうしてそんなにツルツルなの?」と聞かれる日が来るのではないかと不安に思っている。毛利が、「これから生えてくるんだよ」と言えばいいと勧めるのだが、「そんなん、半年ですぐばれるやん。生えてくるどころか更に薄くなってる」。毛利が「ネズミに囓られたんだよ」という提案をすると、「お父さん、囓られてる間何してたの? って言われる」と否定する。毛利は今度は「ライオンに食べられたんだよ」という作り話をすると、「獰猛やろライオンは! なんでここ(頭)だけで助かってん? 傷一つなく」
最後は、「コウノトリが持っていたんだよ」という話を毛利がするが、「僕が生まれたせいでお父さん薄くなっちゃったの?」となると林は言い、「なんでお父さんだけ薄くなっちゃったの? 隣近所みんなフサフサなのに」ということになるというので、毛利が「お父さんだけ毛根が弱かったんだよ」と言うと林は、「だったら最初からそれでええやん!」
今日も林が「運動会に行きたい」という話をして、毛利に「そのまんまでか?」と言われる。ハゲ隠しのため、毛利は「帽子かぶれ」→「林「走ってる時に取れたら困る」、毛利「絶対に取れない帽子かぶれ」→林「水泳帽やろ! 水泳帽かぶってたら変やん。『お父さん、今日は陸上ですよ』って言われる」、毛利「バンダナ巻け。テニスの選手はバンダナ巻いてる。松岡修造とか」→林「ここ(頭頂部)丸出しやん! 生えてないとこ隠してる」、毛利「包帯巻け!」→林「6年間ずっと治らない頭の怪我ってなに?」、毛利「かつらでええやん!」→「幼稚園からの知り合いもいるんやで。『うわ、あの人、子供が小学校に入ってからはもともと生えてるってことにしたんや』」

桜 稲垣早希。ずっとアスカのコスプレをしており、矢野・兵動の兵動から、「早希ちゃん、ずっとその格好してるね。ぶれないね」と言われたという話をする。「ロケみつ」にアスカのコスプレをして出演してから10年が経ち、今は34歳。20代の頃は「ああコスプレ、可愛いね」と言って貰えたのだが、30代になると「痛い」と言われるようになったという(ただ早希ちゃんは現在、テレビのレギュラーを3本持っているが、いずれもコスプレはしていない)。ただし中途半端が一番痛いので、40や50になれば突き抜けられると考えており、その時はかつみさゆりのさゆり(尾崎小百合)の「ボヨヨーン!」を持ちネタにしようと考えているという。
ちなみに今日は桟敷席(中2階)のお客さんがいなかったからか、「あんたバカぁー?!」の掛け合いはやらなかった。
「関西弁でアニメ」をやる。今日は中国地方からのお客さんが二人いただけで、関東圏からのお客さんはいなかったようだ。
プロゴルファー猿が何故か関西弁キャラというネタがあるのだが、自分で「猿」と言ってしまうようなトリックスターは得てして関西弁だったりするものだ。

矢野・兵動。やはり東京と大阪の違いの話になり、東京では上品そうな中年の女性が、「兵動大樹さんですね。この間、『すべらない話』見ました。もっと色々お出になれるといいですね」と話しかけてくれるのだが、大阪では30mぐらい向こうからチャリンコに乗ったおばちゃんが、「ひょーどー!!」と叫びながら近づいてきたそうである。通天閣の下では、おじさんが転んで頭を怪我し、血を出しながら担架に乗せられた救急車で運ばれるという場面に出くわしたのだが、そのおじさんは兵動を知っていたようで、「おう! なにしとん?」と本来なら兵動が言うべき内容の言葉を掛けてきたそうである。
ただ東京でも変わったおじさんはいて、横断歩道で信号を待っていたおじさんが、後ろから自転車に突っ込まれ、大腿部にタイヤがめり込んだときに、「そうだと思った」と言ったそうである。
矢野も兵動も48歳だが、若い頃には想像していなかったほど老けたそうで、兵動が新幹線での移動を終えて、なんばグランド花月に向かうため新大阪から大阪市営地下鉄御堂筋線に乗った時のこと。リュックを持っていたので、防犯のためリュックを背負わずに前で抱えた。そして普段はリュックの紐を体に回すのだが、年のせいか無意識に地下鉄車内のポールに回してしまった。そして降りるとき。満員だったので周囲は人だらけ。ポールに紐を回していたので、同然ながらリュックは引っ張られ、兵動は「なんや!」と言ったのだが、人が少なくなると自分のミスだと気づいたそうである。大阪の人はそうした時でも、「すべらんかったな!」と声を掛けてきたそうである。

月亭八方。「京都は寒いですね。今日はこれでも暖かいそうですが風が冷たい。気温も違います。京都は12℃だそうですが、大阪は15℃。ところによっては18℃、あるいは20℃」と嘘の数字を言い始めてしまう。
平昌オリンピックの話から、浅田真央の引退の話になり、「26歳で滑れなくなったから引退する。落語だったら26歳で滑らなくなったら名人ですよ」という話をする。ゴルフの宮里藍の引退の話になるが、「英語なのでよくわかりません。(モチベーションのことを)餅がべたべたになったからということで」。卓球の福原愛については、「もう引退でしょう。ただ、旦那さんがイケメン。台湾のイケメンで。こう・こうけつ(江広傑)、日本語の読みでですよ。向こうの読みだと、ピン・ポンパン(実際は、ジャン・ホンジェである)」
安室奈美恵の引退の話にもなるが、安室奈美恵という名前をど忘れしてしまい、客席から教えて貰っていた。「安室奈美恵のCDの売り上げが642億円。ただケインズ経済の話をしますと、CDを買いに行くまでの交通費、出先での飲食代などを含めると数千億になる。ということは、安室奈美恵が引退することで、その数千億がなくなる。するとその分、消費税を上げなければならない。ということで、本来は安室奈美恵が引退していいかどうか国民投票をしないといけない(?)。で引退が決まったら消費税が上がる」と、バタフライ効果のような話になってしまう。
最後にいつもやる悪天候時の出雲空港までの旅客機内での話もしたが、今日は残り時間の関係か、途中までで終わった。

2月13日から18日まで行われる祇園吉本新喜劇は、京都国際映画祭連携企画として、よしもと祇園花月×伝統産業の日「川畑座長の京都の伝統工芸新喜劇」という特別な上演が行われる。京都市と吉本興業の連帯によって劇中で京都の伝統工芸に関する紹介がセリフに登場し、小道具として京提灯や京駒が用いられる。
その「バタヤンの伝統工芸と娘に秘密は奥が深いのだ!」。出演:川畑泰史、清水けんじ、金原早苗、西川忠志、前田真希、木下鮎美、帯谷隆史、白原昇(しろはら・のぼる)、今別府直之、いがわゆり蚊、山田花子、音羽一憲(おとわ・かずのり)、小寺真理(こてら・まり)。
影アナは、いがわゆり蚊が行ったが、先日、歯が欠けたとのことで、笑いながらのアナウンスであった。

花月うどんが舞台。店主の川畑には鮎美という娘がいるが実子ではない。今は亡き妻の連れ子なのだ。鮎美は高校生になっているが、亡き妻の姉である真希と西川忠志の夫妻が、鮎美を養子にしたいと申し出てくる。川畑はその申し出を断るのだが……。
音羽一憲と小寺真理のカップル、西川忠志と前田真希の夫婦はいずれも着物姿で登場。3月には着物で聴くコンサートがあることや、門川大作京都市長が着物姿で執務を行っていること、みやこめっせの地下1階にある京都伝統産業ふれあい館で現在、着物と展示が行われていることが紹介された。
暴力団・花月組の舎弟として登場した白原昇は新人だそうだが、演技が出来ていない上に挙動不審で、公開ダメ出しが行われ、終演後には川畑座長から「今日が最後の舞台」などと言われていた。


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2018年2月25日 (日)

観劇感想精選(230) 「喜劇 有頂天一座」

2018年2月18日 道頓堀の大阪松竹座にて観劇

午後4時から、道頓堀にある大阪松竹座で「喜劇 有頂天一座」を観る。原作:北條秀司(「女剣劇朝霧一座」より)、演出:齋藤雅文(「眠狂四郎 The Final」では脚本を担当していた)。出演は、渡辺えり、キムラ緑子、林翔太(ジャニーズJr/宇宙Six)、広岡由里子、村田雄浩、段田安則ほか。

前回の「喜劇 有頂天旅館」から3年ぶりとなる渡辺えり&キムラ緑子による有頂天シリーズの第2弾である。今回も北條秀司の本を齋藤雅文が演出する。

まずは二代目朝霧恵美子(渡辺えり)が率いる剣劇集団、朝霧恵美子一座の「国定忠治」のクライマックスが演じられる。1960年代前半、女剣劇は隆盛期にあり、朝霧恵美子一座も浅草松竹座での公演を行っている。しかし、それから5年が経ち、女剣劇ブームも終了。朝霧恵美子も地方のどさ回りで食いつなぐようになっていた。今回は群馬県赤城山の麓にある上州座の世話になりながら公演を打つ予定である。5年前に朝霧恵美子に弟子入りした小夜子(キムラ緑子)も稽古を重ね、それなりに良い役を貰えるようになっていた。食堂を兼ねた駅舎で朝霧恵美子一座が昼食を取っていると、かつて恵美子と恋仲だった舞台俳優で今は映画界に転身してスター俳優となっている嵐玉之介(段田安則)がやって来る。玉之介は国定忠治もの映画の続編を収録する予定であり、そのため作品の舞台となったこの地に来ていたのだった。
その夜、恵美子と玉之介は昔を思い出して再び深い仲に……、ところが強盗事件に遭ってしまう。犯人は玉之介の顔を知っており、妙な会話が交わされたりするのだが、犯人逃亡後に玉之介は刑事の尋問に答える羽目になる。映画スターと女剣劇の座長が恋仲となれば大スキャンダルになるのは必定。そこで少しでも被害を減らすべく、小夜子が恵美子の身代わりとなる。だが、その情報が新聞に出ると、劇場では詰めかけた客が「小夜子を出せ!」と要求するなど、事態は激変。そして小夜子は玉之介を利用して知名度を上げ、三代目朝霧恵美子を襲名(二代目朝霧恵美子は二代目朝霧菊扇となる)。興行師の浅倉(村田雄浩)も三代目朝霧恵美子となった小夜子をドル箱にするべく奔走を始める。だが実は小夜子は最初からある意図が持って朝霧恵美子一座に近づいていた。

渡辺えり演じる二代目朝霧恵美子を山形県出身に、キムラ緑子演じる朝霧小夜子=三代目朝霧恵美子を淡路島の生まれ育ちにと、演じている本人と同じ設定に変えてお国訛りでの応酬があるなど、遊び心のある上演である。剣劇ということで殺陣や立ち回りもあるのだが、そこは日本を代表する舞台女優である渡辺えりとキムラ緑子だけに全く問題を感じずに楽しむことが出来た。良い意味でいつも渡辺えりしている渡辺えりと、変幻自在の演技力を持ち味として今回の上演でも朴訥な女性から妖艶な悪女へと化けるキムラ緑子。好対照な個性だが、互いが互いを照らし出し輝かせるという相乗効果が働いていて演者としての相性の良さを感じる。
商業演劇であり、著名な俳優はみな好演であったが、セリフを少ししか貰っていない俳優は立ち姿からすでに不安を感じさせる人もいて、実力の差が激しい。

カーテンコールではホワイトタキシードに着替えて登場した渡辺えりとキムラ緑子が「有頂天ソング」(作詞:齋藤雅文、作曲:甲斐正人)を歌って華々しく終えた。

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コンサートの記(350) オリ・ムストネン指揮 京都市交響楽団第620回定期演奏会

2018年2月16日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第620回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はフィランド出身の才子、オリ・ムストネン。

1967年生まれのムストネン。90年代にまずピアニストとして注目を浴びる。表現力はもちろんのこと、J・S・バッハの平均律クラーヴィア集とショスタコーヴィチの「プレリュードとフーガ」を組み合わせて1つの曲集にするなど、斬新なプログラミング能力でも目立っていた。バッハとショスタコーヴィチの組み合わせで演奏会も行われ、私もサントリーホールに聴きに行っているが、CDならともかくとして実演でこれを聴くにはかなり体力と集中力がいったのを覚えている。途中休憩で帰る人も多いコンサートであった。
ピアニストとしての代表盤に、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団と録音した、ショパンのピアノ協奏曲第1番とグリーグのピアノ協奏曲イ短調がある。

その後、ムストネンは指揮者や作曲家としても活動を始めるようになっている。私もムストネンがヘルシンキ祝祭管弦楽団とレコーディングしたシベリウスの交響曲第3番とヒンデミットの「四つの気質」のCD(オンディーヌ)を持っている。

曲目は、ムストネンの自作自演で弦楽オーケストラのためのトリプティーク、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ムストネンの弾き振り)、シベリウスの交響曲第2番。

今日の京響は通常とは異なり、チェロがステージ前側に出るアメリカ式の現代配置での演奏である。コンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに渡邊穣。第2ヴァイオリン首席はなかなか埋まらないようで、今日も瀧村依里が客演首席奏者として入っていた。

プレトークで、ムストネンは(英語でのトーク。通訳は小松みゆき)、トリプティークがある学者からの依頼によって書かれたものであり、学者の亡き妻の思い出に捧げる曲として作られたものであることを述べる。原曲は3台のチェロのための曲だったのだが、後に弦楽オーケストラのための曲としてリライトされたそうである。最後が喜びで終わることも語られる。
ベートーヴェンはムストネンにとってはヒーローだそうで、その重層的な構造の作品に触れると、「森の中を彷徨う時のように」いつも新しい発見があるのだそうだ。また、ベートーヴェンの作品は暗いまま終わることなく最後が勝利になるのが常と語る。
シベリウスについては、いつも自然と一緒にいるような作曲家であり、その点においてベートーヴェンと似ていると述べた。

ムストネンの弦楽オーケストラのためのトリプティーク。3つの曲からなり、第1曲が「ミステリオーソ(神秘的に)」、第2曲が「フリオーソ(熱狂的に、激しく)」、第3曲が「アド・アストラ(天へ)」である。
例えばシベリウスの交響曲第5番の第3楽章のように、あるいはこの後演奏される第2番の第4楽章のように、反復する音型が用いられた作品である。シベリウスに限らず、フィンランド出身の作曲家は透明な音像を用いることが多いのだが、ムストネンの作品もこの例に漏れず、瑞々しくも透明感に溢れる音響を大事にしている。
ムストネンの指揮はノンタクトであり、動きだけを見ていると指揮者というよりは運動選手のようだが、生み出す音楽が軽くなるということはない。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。
ムストネンのピアノだが、入りではほとんどダンパーペダルを使わず、あたかもフォルテピアノで弾いているような音を生み出す。ただそれだけなら単なる個性的演奏なのだが、音に深味がある。ペダルを使わないために音の粒立ちが良く、ベートーヴェンが生きていた時代に聴かれたであろう演奏が説得力を持って現れる。一音だけ取れば乱暴に聞こえる表現もその後の展開をたどると緻密な計算の基づくものであったことがわかる。もう50代に入ったムストネンであるが今なおアグレッシブな表現に挑んでいることが聞き取れた。
京響もピリオドを意識した演奏。特にティンパニの硬い音と強打が効果的であった。

アンコールとしてムストネンは、バッハのインベンション第14番を弾くが、老眼鏡を持ってくるのを忘れたということで中断して退場。アイグラスを手に再登場して最初から最後まで弾いた。

シベリウスの交響曲第2番。ムストネンは京都市交響楽団から輪郭のクッキリとした音を引き出す。余り押しつけがましさのない演奏であり、シベリウスの交響曲の中でも叙事詩的とされるこの曲に対して叙景詩的なアプローチを行っているように思えた。
初演時から凱歌と受け止められた第4楽章に関しても物語的な演奏を行わず、フォルムのグラデーションを変えることで拡がりのある音の風景を描き出す。長調の部分は晴れやかな光景を、短調のところは風雪の日々を歌い上げているようであり、よくある「勝ちか負けか」の外にある解釈を示していたように思う。こうしたシベリウスの交響曲第2番を聴くのは初めてであり、ムストネンの怜悧さが際立っていた。

この一週間で、大阪フィルハーモニー交響楽団、大阪交響楽団、日本センチュリー交響楽団、そして京都市交響楽団を聴いたことになるが、やはり現在の実力でいえば京響がナンバーワンだと思える。音の密度が違う。



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2018年2月24日 (土)

コンサートの記(349) アンドレア・バッティストーニ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第515回定期演奏会

2018年2月17日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第515回定期演奏会を聴く。指揮は「未来のトスカニーニ」の異名を持つアンドレア・バッティストーニ。

1987年生まれ、まだ30歳という若さのバッティストーニ。「ロミオとジュリエット」の舞台としても知られるイタリア・ヴェローナの出身である。現在、東京フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者を務めており、「題名のない音楽会」に出演するなど、日本でも著名な存在になりつつある。

曲目はレスピーギの「ローマ三部作(交響詩「ローマの噴水」、交響詩「ローマの祭り」、交響詩「ローマの松」)。バッティストーニは東京フィルと「ローマ三部作」を録音しており、評価も高いが、私は今ひとつピンとこなかった。

今日のコンサートマスターは崔文洙。電気オルガンは関西ではお馴染みの桑山彩子が奏でる。

印象派の影響を強く受けているとされる交響詩「ローマの噴水」。音の陰影を微妙に変えていくレスピーギの手法をバッティストーニは巧妙な棒で解き明かしていく。大阪フィルの音色にはもっと洗練も求めたくなるが、音色の移ろいの浮かび上がらせ方などには優れたものを感じる。

映画音楽的な要素を持つ交響詩「ローマの祭り」。バンダは2回下手バルコニー席に陣取る。バッティストーニはオーケストラを鳴らす術に長けており、冒頭の音を目一杯鳴らす。そのためフェスティバルホールが壮大に鳴り、バンダのトランペットが聞こえにくくなっていた。
迫力のある「ローマの祭り」であるが、第4部の「主顕祭」の冒頭で打楽器奏者が一斉に立ち上がるなど、視覚面でも面白さがある。ただ大フィルの音はこの曲を演奏するにはやや重いようである。伝統的にドイツものに強い大フィルだが、ドイツの地方オーケストラが無理矢理イタリアものに挑戦したような感じになっていた。

ローマ三部作の中で飛び抜けて有名な交響詩「ローマの松」。1996年12月のNHK交響楽団定期演奏会で、今なにかと話題のシャルル・デュトワの指揮で聴いた「ローマの松」は実に鮮烈であった。あの不器用なN響が信じられないほど輝かしい音で鳴った。
バッティストーニの指揮する「ローマの松」は若手指揮者らしい瑞々しい音で奏でられる。バッティストーニは見た目もガッチリしているし指揮姿も激しいが、それは一種のフェイクであるように思える。実際は細部に至るまで丁寧に作り上げており、匂うような上品さがある。
いわゆる爆演が好まれる傾向にある「ローマの松」だが、バッティストーニは見た目とは裏腹に無闇な虚仮威しは好まないのだろう。トスカニーニやムーティといったイタリア人指揮者がよくやるような演奏ではなく、フランス系の指揮者が作り上げるような「ローマの松」になっていた。レスピーギがドビュッシーから受けた影響もよく分かる。
バンダは「ローマの祭り」の時と同様に下手バルコニー席と、更に上手の3階BOX席に配され、効果的な音響を生んでいた。


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2018年2月23日 (金)

コンサートの記(348) 角田鋼亮指揮 大阪交響楽団ほか フンパーディンク 歌劇「ヘンゼルとグレーテル」

2018年2月12日 びわ湖ホール中ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール中ホールで、フンパーディンクの歌劇「ヘンゼルとグレーテル」を観る。日本語訳詞での上演、日本語字幕付きである(訳詞:中山悌一・田中信昭)。指揮は角田鋼亮(つのだ・こうすけ)、演奏は大阪交響楽団。演出:栗山晶良。出演はびわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバー。ほどんどがダブルキャストだが、今日の出演は、吉川秋穂、飯島幸子(いいじま・ゆきこ)、五島真澄(男性である)、船越亜弥、増田貴宏、平尾悠(ひらお・はるか)、溝越美詩(みぞこし・みう)、川野貴之、内山建人。大津児童合唱団、滋賀洋舞協会。衣装:緒方規矩子。舞台美術:妹尾河童。

まず指揮者の角田綱亮による挨拶とワークショップのようなものがある。
関西でも活躍の場を拡げている角田綱亮。現在、セントラル愛知交響楽団と大阪フィルハーモニー交響楽団の指揮者を務めており、今年の4月からは仙台フィルハーモニー管弦楽団の指揮者にも就任予定である。1980年生まれ。東京芸術大学および同大学院修士課程修了後、ベルリン芸術大学国家演奏家資格課程を修了。2006年に第3回ドイツ全音楽大学・指揮者コンクールで最高位を獲得。2年後の第4回同コンクールでも2位に入る。2010年の第3回マーラー指揮コンクールでも最終選考(トップ6)に残っている。

角田は、挨拶と自己紹介をした後で、「ピットに入りますと後頭部しか見えないと思いますので、今のうちに表の顔を覚えておいて下さい」と冗談を言う。今回の上演ではラスト近くに出てくる「お菓子になった魔女の歌」をお客さんにも歌って貰いたいということで、予行練習を行うために出てきたのだ。びわ湖声楽アンサンブルのメンバーも登場し、先にテノールが歌って、同じ歌詞とメロディーの部分を観客だか聴衆だかが歌う。歌詞と譜面は無料パンフレットに載っている。角田はリハーサルでも本番でもここでは客席を向いて指揮を行った。
ワークショップでは結構歌ってくれる人はいたのだが、やはり大津のお客さんということもあってか本番では歌う人は余りいなかったようである。

角田の作り出す音楽はしなやかで躍動感がある。「若手指揮者はこうでなくては!」という演奏が出来ていたように思う。大阪交響楽団の鳴りも良い。

有名なグリム童話が原作。子供の頃には一度は接したことのある物語である。ただし残酷な面はカットされている。今回は子供に観て貰うために日本語詞による上演だが質は上々。妹尾河童のメルヘンに満ちたセットも効果的で、眠っていた幼心が呼び覚まされたかのような独特の快感がある。特に滋賀洋舞協会のバレエダンサーを起用した14人の天使の場面は本当に夢のような美しさをたたえていた。栗山晶良は、1980年にやはり妹尾河童と組んだ「ヘンゼルとグレーテル」でサントリー音楽賞を受賞しているそうである。
日本語詞による公演は、どうしても歌手達の演技力がネックになってしまうのだが、今回の上演では合格点に達していたと思う。増田貴宏演じる魔女がユーモラスで良かった。


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2018年2月22日 (木)

イ・ウンジュ 「Only When I Sleep」

サランヘヨ

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三浦環 プッチーニ 歌劇「蝶々夫人」より“ある晴れた日に”

三浦環(ソプラノ。1884年2月22日―1946年5月26日)

ちなみに、三浦環が東京音楽学校の教員だった時に、しょっちゅうからかってくる腕白坊主がいたが、それが後の大作曲家、山田耕筰である。

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久石譲 「HANA-BI」メインテーマ


R.I.P.

太田省吾という人について何も知らなかったなら大杉漣について色々書けたのだが、それが出来ないのが残念である。

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2018年2月21日 (水)

コンサートの記(347) 日本センチュリー交響楽団特別演奏会「山田×樫本×センチュリー、“夢の饗宴”」

2018年2月13日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、日本センチュリー交響楽団特別演奏会「山田×樫本×センチュリー、“夢の饗宴”」を聴く。共に1979年生まれである指揮者の山田和樹とヴァイオリニストの樫本大進の共演。

日本人若手指揮者を代表する存在である山田和樹。東京藝術大学在学中にトマト・フィルハーモニー管弦楽団(現・横浜シンフォニエッタ)を結成して指揮活動を行い、2009年にブザンソン国際指揮者コンクール優勝という経歴から「リアル千秋真一」と呼ばれたこともある。現在は、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督兼音楽監督、スイス・ロマンド管弦楽団首席客演指揮者、日本フィルハーモニー交響楽団正指揮者、東京混声合唱団音楽監督兼理事長、横浜シンフォニエッタ音楽監督を務める。

ソリストとしてデビュー後、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターに就任した樫本大進。フリッツ・クライスラー国際音楽コンクールとロン=ティボー国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で優勝を飾っている。7歳で入学したジュリアード音楽院プレカレッジを経てフライブルク音楽大学に学んでいる。


曲目は、サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番とチャイコフスキーの交響曲第4番。

今日の日本センチュリー交響楽団のコンサートマスターは、首席客演コンサートマスターの荒井英治。


サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲。ソリストの樫本大進は日本人ヴァイオリニストとしては珍しくラテン気質のヴァイオリンを弾く人だが、今日は熱さと艶やかさの中にも、例えば第2楽章のラストに顕著な繊細さを備えた演奏を繰り広げ、日本人的な一面を見せる。スケールは大きく、構造力も確かである。

今日の山田和樹はアグレッシブな指揮。両腕を目一杯振り、ジャンプを繰り出す。日本センチュリー交響楽団は中編成ということもあり、元々輪郭のクッキリした音楽を生む傾向があるが、山田の指揮により立体感が増し、各パートが把握しやすい音作りとなっていた。

樫本はアンコールとして、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番より“ガヴォット”を演奏。速めのテンポによる流麗とした演奏であった。


チャイコフスキーの交響曲第4番。出だしのホルンが今ひとつ合わない。センチュリー響のホルン陣は在阪オーケストラの中ではレベルが高いが、今日は第1楽章に関しては不調が続く。
山田はゲネラルパウゼを長めに取ったり、冒頭では遅いテンポを取るなどの特徴があるが、次第にギアを上げ、チャイコフスキーの今にも溢れ出そうな絶望のうねりを音として描いていく。時にはフォルムを崩してまでも内容を重視。表現主義的なチャイコフスキーとなる。指揮姿にも特徴があり、一拍目だけを振ったり、全てを棒で示したり、ジャンプだけで表現を行ったりと仕草が多彩である。
第2楽章の孤独感の表出にも長けているが、寂しさだけではない若々しい叙情味も感じられる。
第3楽章冒頭では山田は顔の動きと表情のみで指揮。その後の動きもバラエティに富んでいる。それにしても山田は本当に立体感の表出が巧みである。
第4楽章では山田は外連を発揮。極端な減速と加速(アゴーギク)により、これまで聴いたことのない表情を生み出す。かなり個性的なチャイコフスキーである。そして意図的に皮相な表情を保ったまま、ラストへと突っ込んでいく。空転したままの勝利という解釈なのだろう。

チャイコフスキーの交響曲というと、「悲愴」や第5が取り上げられる回数が多いが、あるいはこの第4が最高傑作なのかも知れない。


アンコール演奏がある。山田は客席の方を振り返って、「日本初演であります」と言って演奏開始。弦楽によるリリカルな音楽である。ジョージア(旧グルジア)のアザラシヴィリという作曲家の「ノクターン」という曲だそうである。

山田の溌剌とした指揮姿を見てふと「若い頃の小澤征爾って今日の山田のような雰囲気じゃなかったのかなあ」という思いが浮かんだ。二人とも指揮姿に人を惹きつけるチャームがあるのである。

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2018年2月20日 (火)

美術回廊(14) 京都国立近代美術館 「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」

2018年2月15日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

満足稲荷神社に参拝してから京都国立近代美術館に向かう。
京都国立近代美術館では現在、「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」が開催されている。フィンセント・ファン・ゴッホの作品と、ゴッホが影響を受けた浮世絵の展示である。
浮世絵を見て日本に憧れたゴッホ。南仏アルルを日本に見立て、浮世絵の影響を色濃く受けた作品を描いていく。

浮き世は西洋の絵画に比べると構図がかなり大胆であり、表現主義的な一面がある。ゴッホの絵を見ると、例えば「糸杉の見える花咲く果樹園」では、中央にかなりくっきりとした二等辺三角形の構図が見える。筆致以外でもこうした浮世絵からの影響が窺える。
中央に橋を描き、洗濯女を小さく描いた「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」も同様の構図がたびたび登場する歌川広重の「東海道五十三次」との接点が分かるように展示が行われていた。

波や木々のうねりは、例えば葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」などに見られるような誇張した表現の影響を受けているように思う。おそらくゴッホは対象物そのものよりも、それがもつエネルギーを描きたかったのだと思われる。静止した芸術に動的なものを持ち込みたかったのだろう。それは困難であり、異端でもある。ゴッホが生前に認められなかった理由の一因がそこにあるのかも知れない。

京都国立近代美術館の4階には、森村泰昌がゴッホの「寝室」という絵を立体化した展示物が飾られている。これは写真撮影可であり、SNS等に掲載して是非情報を拡げて欲しい旨が書かれていた。

「森村泰昌、ゴッホの部屋を訪れる」

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2018年2月19日 (月)

コンサートの記(346) 京都フィルハーモニー室内合奏団室内楽コンサートシリーズ vol.65「ドラマチック・ロシア」

2018年2月15日 京都府立府民ホールALTIにて

午後7時から、京都府立府民ホールALTI(アルティ)で、京都フィルハーモニー室内合奏団室内楽コンサートシリーズ Vol.65「ドラマチック・ロシア」を聴く。

京都フィルハーモニー室内合奏団は、定期演奏会でも比較的珍しい曲を取り上げることが多いが、室内楽シリーズでは更にマニアックな曲をプログラミングしてくる。今日演奏される曲も実演でもCDでも聴いたことがないものばかりである。

曲目は、バラキレフの八重奏曲、グリンカの悲愴三重奏曲、エワルドの金管五重奏曲第4番、プロコフィエフの五重奏曲。曲目はトランペットの西谷良彦が監修したものだという。

出演メンバーは、岩本祐果(ヴァイオリン)、中野祥世(ヴァイオリン。契約団員)、松田美奈子(ヴィオラ)、佐藤響(チェロ)、金澤恭典(かなざわ・やすのり。コントラバス)、市川えり子(フルート)、岸さやか(オーボエ)、松田学(クラリネット)、小川慧巳(おがわ・えみ。ファゴット)、御堂友美(みどう・ゆみ。ホルン)、西谷良彦(トランペット)、白水大介(しろず・だいすけ。トランペット。客演)、村井博之(トロンボーン)、藤田敬介(チューバ。客演)、初瀬川未雪(はつせがわ・みゆき。ピアノ。客演)

バラキレフの八重奏曲。曲前のトークは中野祥世が受け持つ。バラキレフは早熟であり、この曲も13歳の時に書き始めている。ただバラキレフは遅筆であり、完成までに6年を要したそうである。
フルート、オーボエ、ホルン、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノという編成。
バラキレフは西欧の音楽を真似るのではなくロシアならではの音楽を書くことを目指し、ロシア五人組の頭目となった人物だが、初期作品ということもあり、西欧の古典派からの影響が濃厚である。ただ、木管の旋律などにはバラキレフの個性がすでに現れている。

グリンカの悲愴三重奏。クラリネット、ファゴット、ピアノの編成による曲。グリンカがイタリアに留学していた時代に書いた作品だそうで、松田学のトークによるとオペラ的な要素が感じられる曲だそうである。なお、2月15日はグリンカの命日だそうだが、これは偶然であり、曲目が決まってから会場を押さえるそうなのだがALTIが空いていたのがたまたま2月15日だったようである。
旋律が豊かであるが若書きということもあり、特に魅力的な作品とはなっていないような印象を受ける。

エワルドの金管五重奏曲第4番。トロンボーン奏者の村井博之のトーク。「エワルドという作曲家を知っている人は金管奏者に限られると思います」と語る。
トランペット2、ホルン、トロンボーン、チューバという編成。演奏時間30分の大曲である。
結構、高音を強調する傾向がある。金管の合奏だけに輝かしさがあり、旋律にも魅力がある。

プロコフィエフの五重奏曲。プロコフィエフだけは20世紀に活躍した作曲家である。1891年生まれだがこれはモーツァルトが死んでから丁度100年目に当たる。また逝去したのは1953年3月5日だが、全く同じ日にスターリンが他界している。ということで生年はモーツァルトの影に隠れ、没年月日はスターリンの方に注目が行くという不運の作曲家と見なされることもある。
ヴァイオリンの岩本祐果のトーク。ロシア革命を受けてアメリカへの亡命を決意したプロコフィエフはシベリア鉄道に乗って東へと向かう。アメリカへの途中に日本にも寄っているのだが、京都にも来ており、祇園に行ったそうである。五重奏曲は、オーボエ、クラリネット、ヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバスという編成で演奏されるが、こうした編成による五重奏曲は他にはほとんど例がないそうである。元々は「空中ブランコ」というサーカスのための音楽として書かれたものだが、今では室内楽曲として定着しているようだ。

個性的な音楽を書いたプロコフィエフ。五重奏曲もキュビズムの絵画の中に迷い込んだような趣を持つ。美しさ、崇高さ、野性的な部分、キッチュな要素などが渾然一体となった音世界である。

アンコールとして金澤恭典編曲による、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲より第2楽章が演奏された。

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悪は悪を隠蔽するために

悪は悪を隠蔽するために悪を重ねる。そして原初の形を遥かに凌ぐ巨悪となるのだ。悪は自己防衛の仮面をかぶり、善良なる人達を取り込み、あるいはなぎ倒していく。悪はぱっと見には美人だが、その裏に蛇の顔を秘めている。毒牙を笑顔の奥に潜めて。

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2018年2月17日 (土)

コンサートの記(345) 山本祐ノ介指揮 京都市交響楽団 京都新聞トマト倶楽部コンサート「懐かしの映画音楽」2017

2017年4月28日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで京都新聞トマト倶楽部コンサート「懐かしの映画音楽」2017を聴く。演奏は山本祐ノ介指揮の京都市交響楽団。

山本祐ノ介は山本直純の息子である。1963年東京生まれ、東京芸術大学附属音楽高校を経て東京芸術大学卒、同大学院修了。本業はチェリストで、東京交響楽団の首席チェロ奏者などをしていたが、やはり山本直純の息子というと求められるものがある。ということで、指揮者、作曲家、編曲家としても活躍している。指揮者としてはミャンマー国立ヤンゴン交響楽団の指揮者を務めている。
山本直純はひげがトレードマークだったが、山本祐ノ介はひげは生やしていない。

「懐かしの映画音楽」というタイトルだが、最も新しい映画でも1972年制作の「ゴッドファーザー」。私が生まれる前の作品である。勿論、映像で観たことのある作品も多いが、ロードショーで観ているわけではない。私の場合リアルタイムで観た懐かしい映画というと1980年代の「E.T.」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、邦画でいうと「南極物語」辺りからとなる。

曲目は前半が、20世紀FOXのファンファーレ、「007は殺しの番号」~ジェームズ・ボンドのテーマ~、「避暑地の出来事」~夏の日の恋~、「個人授業」~愛のレッスン~、「ゴッドファーザー」~愛のテーマ~、「南太平洋」~魅惑の宵~、「アラビアのロレンス」~序曲~、「ドクトル・ジバゴ」~ラーラのテーマ~、「ベン・ハー」~序曲~。後半が、「80日間世界一周」~アラウンド・ザ・ワールド~、「悲しみの天使」~哀愁のアダージョ~、「誰(た)が為に鐘は鳴る」~メインテーマ~、「栄光への脱出」~メインテーマ~、「白い恋人たち」~白い恋人たち~、「ひまわり」~愛のテーマ~、「エデンの東」~メインテーマ~、「風と共に去りぬ」~タラのテーマ~。
「ゴッドファーザー」の愛のテーマと「ドクトル・ジバゴ」よりラーラのテーマの編曲は山本祐ノ介、「悲しみの天使」より哀愁のアダージョが佐野秀典の編曲で、残る曲は全て南康雄の編曲である。


今日のコンサートマスターは渡邊穣。

山本祐ノ介は前半が銀地に黒の模様入りのジャケット、後半は父親の山本直純譲りであると思われる真っ赤なジャケットで登場する。マイクを手にトークを入れながらの指揮。
ジェームズ・ボンドを演じていたショーン・コネリーは今は髪が薄くてひげが濃いだの、アラビアのロレンスを演じていたピーター・オトゥールの格好が忍者に見えただのというユーモアを交えながらのトークである。山本はミャンマー国立ヤンゴン交響楽団の演奏会ではベートーヴェンの交響曲なども指揮しているそうだが、ミャンマーではクラシック音楽が普及しておらず、ミャンマー人は「ベートーヴェン」と聞いても名前は浮かんでも曲は全く知らないという状態であるため、クラシックだけのコンサートを開いてもお客が入らない。ということで映画音楽なども取り上げるのだが、映画音楽も知名度にムラがある。「誰でも知っている映画音楽は何か?」とリサーチしたところ、「どうやら『ゴッドファーザー』の音楽はみんな知っているらしい」ということで自ら編曲して取り上げたそうである。日本でも「ゴッドファーザー」のメインテーマは暴走族の兄ちゃんでも知ってるからね。

京都市交響楽団は今日も好調。弦は滑らかで管は輝かしい。ピアノとして入った佐竹裕介の達者な演奏を聴かせる。

アンコール演奏は、「マイ・フェア・レディ」より“踊り明かそう”。
「マイ・フェア・レディ」は、オードリー・ヘップバーン主演のミュージカル映画だが、オードリー・ヘップバーンは歌が余り上手でなかったため、オードリーが演じているイライザのナンバーは全てマーニ・ニクソンが吹き替えを行っている。マーニ・ニクソンは吹き替え専門の歌手だったが、長年の功績が讃えられ、「サウンド・オブ・ミュージック」には修道女の一人として出演している。

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2018年2月15日 (木)

観劇感想精選(229) 「アンチゴーヌ」

2018年2月10日 ロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後6時から、ロームシアター京都サウスホールで、「アンチゴーヌ」を観る。「ひばり」のジャン・アヌイがソフォクレスの悲劇「アンティゴイネ」を翻案したものである。
テキスト日本語訳:岩切正一郎、演出:栗山民也、出演は、蒼井優、梅沢昌代、伊勢佳代、佐藤誓(さとう・ちかう)、渋谷謙人(しぶや・けんと)、富岡晃一郎、高橋紀恵(たかはし・のりえ)、塚瀬香名子、生瀬勝久。

サウスホールの舞台上に特設ステージと客席を設けての上演。2階席はそのままに生かすが、1階席は演者を目の前で観るような格好になる(私はDエリアの1列2番の席)。中央から十字架状に細長いステージが伸び、1階席の観客は四隅に座る。セットは椅子が2脚だけという簡素なものである。

アンチゴーヌはオイディプス王の娘である。オイディプスが実の父を殺し、実の母と交わって子をなし、ギリシャ・テーバイの王となってから、事実を知って自らの目を突いて放浪したその後の話。オイディプスの長男であるエテオークルと次男のポリニスが1年ごとに交代で王位に就くことが決まっていた。だが1年後、エテオークルが王座から降りることを拒否したことで、ポリニスとの全面戦争に突入。エテオークルとポリニスは刺し違えて死んだ。

プロローグで高橋紀恵演じるストーリーテラーがこのことを告げる。そして蒼井優が扮している女がアンチゴーヌの役割を受け持って芝居が進んでいくことになる。役というのはこの芝居においては重要だ。

現在、テーバイの王にはアンチゴーヌ達の親戚に当たるクレオン(生瀬勝久)が就いていた。アンチゴーヌはクレオンの息子であるエモン(渋谷謙人)と恋に落ちている。だが、エモンは以前はアンチゴーヌの姉であるイスメーヌ(伊勢佳代)と恋仲だったのだ。アンチゴーヌは死への思いを秘め、エモンもアンチゴーヌに導かれての死を覚悟しようとしていた。

アンチゴーヌが早朝に家を出てどこかに出掛けたことを乳母(梅沢昌代)が咎める。実はアンチゴーヌは次兄のポリニスに同情的であり、野ざらしにされているポリニスの遺体に弔いの砂をかけに行ったのだ。だが、クレオン王は、エテオークルを英雄としてその死を讃える一方で、ポリニスは反逆者として埋葬を禁じ、遺骸は風葬に任せるままだった。更にポリニスの亡骸に弔いの行為をすれば死罪に処すと厳命していたのだ。
アンチゴーヌ(二十歳とされている)は幼い頃からお転婆であり、聞き分けのない子だったが、それは訳知り顔で大人に従うことが嫌だったからだ。分からないことに対して分かった振りをしたくない(「わかりたくない」というセリフで表される)、したくないことは決してやらないという個の強いアンチゴーヌは、素直な姉のイスメーヌと対照的であった。二度目にポリニスの弔いに出たとき、アンチゴーヌは「想像力のない」衛兵(佐藤誓)に捕らえられる。アンチゴーヌは元より死は覚悟の上だったが、クレオンは「まだ若すぎる」としてアンチゴーヌを赦免しようとする。そこにはアンチゴーヌは義理の娘になるはずの存在であり、且つ死罪にすら値しないという考えの他に、政治のためにアンチゴーヌを死なせるわけにはいかないという事情もあった……。

堅牢な国家体制に対して「NO」を突きつけるアンチゴーヌの物語である。ライオスは「個」を主張するアンチゴーヌを国家としてのシステム脅かす者と感じていた。だが、その組織(システム)の頂上に君臨しているライオスでさえ組織は意のままにならない。

ライオスは王座に就くことを拒否することも出来たのだが、逃げるような真似はしたくないということで王の役割を引き受けることに決めたのだ。だが結局ライオスは国家体制の中に飲み込まれ、したくもないことをする羽目になっており、やむなく壮大な嘘もついていた。流れの中では個人がどうあがいても仕方がない。トルストイがナポレオン戦争について説いたように。ライオスは平凡な日常の中に生きる意味を見つけようとしていたが、アンチゴーヌはライオスに勧められた流される生き方を拒否し、「生」のために死を選ぶ。このあたりがジャン・アヌイらしい展開といえる。ライオスは小姓(塚瀬香名子)に「(組織の網に拘束された)大人になんてなるもんじゃない」「(システムを)知らないのが一番幸せだ」と語る。また3人の従者は何にも考えることなく「上が言ったからやる」を忠実に履行するだけの無知な歯車として描かれている。

人は組織(システム)に隷属するしかないのか? 自らが組織の成員であるにも関わらず、あるいは成員であるが故に。

時代に消されたアンチゴーヌだが、弔いの砂が天井から滝のように流れ続け、「アンチゴーヌを忘れない」という演出家のメッセージの中で劇は終わる。

蒼井優は決められたパーツパーツにきちんと嵌まっていくような演技を見せる。間近でこういう演技を見ていると結構気持ちが良いものである。あたかもコントロール抜群のエースピッチャーの投球を見ているかのように。
芸達者である生瀬勝久の重みのある演技も良かった。生瀬勝久は何でも出来るタイプである。

すぐそばで見ていたということもあり、「みんな思ったより演技演技してるなあ」と思ったのも確かであるが、ギリシャ悲劇の翻案劇であり、ある程度の型にはまっていることはテーマから考えても納得のいくことのように思う。見応えがあった。

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2018年2月14日 (水)

幻の沢村栄治

※ この記事は2017年12月2日に書かれたものです。

戦前の日本を代表する名投手、沢村栄治が、1944年の12月2日、乗船していた軍隊輸送船が撃沈されて戦死しました。享年27。

京都商業(現・京都学園高校)時代に山口千万石とバッテリーを組み、甲子園に出場。慶應義塾大学に進むかと思われましたが、京都商を中退してベーブ・ルースやルー・ゲーリックが来日した際の第2回日米野球に参加。トータルではいい成績は残せませんでしたが、1934年11月20日に草薙球場で行われた第10戦での好投で一躍名を挙げます(ただこの時、西日が邪魔してバッターボックスからボールが見にくかったという証言あり。ベーブ・ルースは沢村がドロップを投げる時に口を真一文字に結ぶ癖を発見。自分は倒れましたが、続くルー・ゲーリックにこの癖を教え、ゲーリックが沢村のドロップをソロホームランにして決勝点を挙げたといわれています)。

その後、大日本東京野球倶楽部に参加。1935年2月14日に横浜港から出帆したアメリカ遠征(大日本東京野球倶楽部は東京ジャイアンツというニックネームを名乗る)ではマイナーリーグ相手に登板。好投を披露し、「スクールボーイ・サワムラ」としてアメリカでも人気になります。ファンがサインを求めたので応じたところ、相手は実はファンではなく、サインしたのはメジャー球団の入団契約書だったという騒ぎがあったりもしました。

東京巨人軍に入団後、数々の賞を獲得。現在でも沢村の名はその年最高の先発完投型投手に与えらえる沢村賞に残されています。

さて、全盛時の並外れた快速球は今も伝説となっており、「150キロか160キロか」と話題になりますが、本格的な投球時の映像が残されておらず、沢村の投球と球速は幻となっていました。
近年、沢村栄治のものとされる投球映像が発見されました。

足を高々を挙げるフォームがトレードマークとされ、西本聖のような後継者を生みましたが、実際のフォームはそれほど足を高くは挙げていなったとされ、発見された映像でも足を自然に踏み出す姿が確認できます。

映像を解析したところ、「160キロ近く出ていた可能性がある」という結果が出ました。ただ、古い映像なのでコマ送りの速度が一定しておらず、映像だけで速度を断定することはできないというのが本当のところのようです。
今のところ、沢村の球速が何キロだったのかは、可能性しか語ることはできませんが、もう目にすることの不可能な幻だからこそ、その快速球へのロマンが無限に広がるような気がします。

沢村栄治よ永遠なれ。

中京大学スポーツ科学部・湯浅景元教授による沢村栄治の球速分析


巨人軍の同僚、千葉茂と青田昇による検証

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コンサートの記(344) 大阪フィルハーモニー交響楽団「Enjoy!オーケストラ ~オーケストラで聴く映画音楽の世界!~」

2018年2月9日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団「Enjoy!オーケストラ ~オーケストラで聴く映画音楽の世界!~」を聴く。指揮とお話は大阪フィルハーモニー交響楽団ミュージック・アドヴァイザーの尾高忠明。

大阪フィルハーモニー交響楽団は、フェスティバルホールを本拠地としているが、定期演奏会はフェスティバルホールで行い、その他の企画はザ・シンフォニーホールを使う傾向がある。音響だけとればザ・シンフォニーホールは日本一だと思われるため、使用しないと勿体ない。今回は武満徹とジョン・ウィリアムズという二人の作曲家の作品を取り上げる。

曲目は、第1部が武満徹作曲による、3つの映画音楽(「ホゼ・トレス」、「黒い雨」、「他人の顔」)、「夢千代日記」、「乱」、「波の盆」組曲。「夢千代日記」と「波の盆」はテレビドラマのための音楽である。 第2部がジョン・ウィリアムズ作曲の映画音楽で、「未知との遭遇」メインテーマ、「ハリー・ポッターと賢者の石」メインテーマ、「シンドラーのリスト」メインテーマ、「E.T.」よりフライングシーン、「ジョーズ」メインテーマ、「スター・ウォーズ」メインテーマ。

まず武満の3つの映画音楽。大フィルは元々音量は豊かだが音の洗練については不足気味の傾向がある。初代の音楽監督である朝比奈隆が「愚直」を好み、骨太の演奏を指向したということもある。2代目の音楽監督である大植英次は現代音楽も得意としたが外連を好む傾向にあり、首席指揮者を務めた井上道義に関しても同傾向であったことは言うまでもない。ということで、もっと緻密で繊細な音作りも望みたくなるのだが、洒脱さは出ていたし、まずまずの出来だろう。

演奏終了後、尾高はマイクを手に振り返り、トークを始める。「僕は桐朋学園に学びました。齋藤秀雄という怖い怖い先生に教わりましたが、『尾高! 良い指揮者になりたかったらあんまり喋るな!』」といういつもの枕で笑いを取る。「大阪フィルハーモニー交響楽団は人使いが荒くて、指揮だけでなく話もして欲しい」。ここから武満の思い出となり、「コンピューターゲームが大好きな人でした。うちによく遊びに来てくれて嬉しかったのですが、コンピューターゲームで自分がお勝ちになるまでお帰りにならない」「これは喜ばれると思うのですが阪神タイガースの大ファンでした。阪神が負けた日には話しかけない方が良さそうな」という話をする。雑誌のインタビューで読んだことがあるのだが、尾高はこの話を日本だけではなく海外でも行っており、海外のオーケストラ団員も「タケミツってどんな人?」と興味津々で、この話をすると喜ばれるそうである。

その後、次の「夢千代日記」の話になり、主演した吉永小百合が今でも「バレンタインデーにチョコレートを貰いたい有名人アンケート」で1位を取るという話もする。どちらかというと響きの作曲家である武満徹。世界で彼にしか書けないといわれたタケミツ・トーンは海外、特にフランスで高く評価され、フランス人の音楽評論家から「タケミツは日系フランス人作曲家である」と評されたこともある。ただ武満本人は、「ポール・マッカートニーのような作曲家になりたい」と望んでおり、メロディーメーカーに憧れていた。残念ながらメロディーメーカーとしてはそれほど評価されなかった武満であるが、「夢千代日記」や「波の盆」に登場する美しい旋律の数々は、武満の多彩な才能を物語っている。

「乱」に関しては、監督である黒澤明と武満徹の確執を尾高は話す。黒澤明は武満に作曲を依頼。レコーディングのためにロンドン交響楽団を押さえていた。「ロンドン交響楽団で駄目だったらハリウッドのオーケストラを使ってくれ。ゴージャスにやってくれ」と注文したのだが、武満は岩城宏之指揮の札幌交響楽団を推薦。黒澤は「冗談じゃない!」と突っぱね、ここから不穏な空気が漂うようになる。武満が想定した音楽は黒澤が想像していたものとは真逆だった。
よく知られていることだが、黒澤映画のラッシュフィルムにはクラシック音楽が付いており、黒澤は「これによく似た曲を書いてくれ」というのが常だった。「乱」に関してはマーラーの曲が付いていたことが想像される。黒澤はマーラーのようにど派手に鳴る音楽を求めていたようだ。武満も「強い人だったので」折れず、じゃあ一緒に札幌に行こうじゃないかということになり、札幌市の隣町である北広島市のスタジオで札幌交響楽団に演奏を聴く。黒澤は納得したようで、札幌交響楽団のメンバーに「よろしくお願いします」と頭を下げたそうである。実はこの後、武満と黒澤は更に揉めて、絶交にまで至るのだが、それについては尾高は話さなかった。ただ演奏終了後に、「この音楽はハリウッドのオーケストラには演奏は無理であります」と語った。

武満の映画音楽の最高峰である「乱」。色彩豊かなのだがどこか水墨画のような味わいのある音楽である。巨人が打ち倒されるかのような強烈な悲劇性と群れからはぐれて一人ヒラヒラと舞う紋白蝶のような哀感の対比が鮮やかである。タケミツ・トーンがこれほど有効な楽曲もそうはない。

「波の盆」。尾高は日系ハワイ移民を題材にしたストーリーについて語る。笠智衆、加藤治子、中井貴一が出演。日米戦争に巻き込まれていく姿が描かれている。「あんまり詳しく話すとDVDが売れなくなりますので」と尾高は冗談を言っていた。
叙情的なテーマはよく知られているが、いかにもアメリカのブラスバンドが奏でそうなマーチが加わっていたりと、バラエティ豊かな音楽になっている。武満自身がマニア級の映画愛好者であり、オーケストレーションなどは映画音楽の仕事を通して学んだものである。

ちなみに尾高は子供の頃は指揮者ではなく映画監督に憧れていたそうで、果たせずに指揮者となり「一生を棒に振る」と冗談で笑いを取っていた。


第2部。ジョン・ウィリアムズの世界。最初の「未知との遭遇」メインテーマでは、高校生以下の学生券購入者をステージ上にあげての演奏となった。演奏終了後に子供に話も聞いていたが、今の子供も「未知との遭遇」のテーマは「聴いたことがある」そうである。

尾高は、ジョン・ウイリアムズは武満を尊敬していたということを語る。

ジョン・ウィリアムズは、「ジュリアード音楽院、日本でいうと東京芸大のようなところ」で学び、カステルヌオーヴォ=テデスコに師事した本格派であり、スピルバーグもジョージ・ルーカスも「自分が成功出来たのはジョンの音楽があったから」と語っていることを尾高は紹介する。

「ハリー・ポッターと賢者の石」はスピルバーグ作品でもルーカスフィルムでもなく、クリス・コロンバス監督作品であるが、「ハリー・ポッター」シリーズは、イギリス人の魂そのものだと捉えられているそうである。ミステリアスな曲調を上手く現した演奏であった。そういえば、私が「ハリー・ポッターと賢者の石」を観たのはまだ千葉にいた頃で、富士見町にあるシネマックス千葉での上映を観たのだった。

「シンドラーのリスト」では、今日は客演コンサートマスターに入った須山暢大(すやま・のぶひろ)が独奏を担当。サウンドトラックでソロを受け持ったイツァーク・パールマンのような濃厚さはなかったが技術面ではしっかりした演奏を聴かせる。

「E.T.」よりフライングシーンの音楽。今日取り上げたジョン・ウィリアムズ作品の中で、この曲だけがメインテーマではない。CMでもよく使われる曲で、尾高はピザのCMに使われたものが印象的だったと述べた。大フィルの音楽性には武満よりもジョン・ウィリアムズ作品のようが合っているように思う。

「ジョーズ」メインテーマ。スピルバーグが「28歳ぐらいの時の映画だと思うのですが」「自分より1つか2つ上なだけの人間(尾高は1947年生まれ、スピルバーグは1946年生まれである)がこうした映画を撮るのか」と衝撃受けたそうである。演奏を見ているとかなり高度はオーケストレーションが用いられているのが確認出来る。

今日はチケット完売、補助席まで売り切れという盛況である。尾高によると満員というのが文化の高さの指標になるそうで、以前、新国立でベンジャミン・ブリテンの「ピーター・グライムズ」をやった時、二日とも満員御礼で初日は良かったのだが、二日目に1階席の真ん真ん中2列が空いてしまっていたという。そこはスポンサー関係者用の席で誰も聴きに来なかったようなのだが、2幕の始まりに、ビーター・グライムズ役のイギリス人歌手が尾高の所に飛んできて、「チュウ! チュウというのは僕のことです。『もう歌わない! あそこが空いてるじゃないか!』となりまして」と語った。

さらにチケット完売時の返券(キャンセル)の話になる。尾高がウィーン国立音楽アカデミー(現・ウィーン国立音楽大学)でハンス・スワロフスキーに師事していた時代のこと。ヘルベルト・フォン・カラヤンが毎年夏に自身が主催するザルツブルク音楽祭を開いており、「カラヤン指揮のオペラが聴きたい」と思った尾高はザルツブルク祝祭劇場(カラヤンが大阪の旧フェスティバルホールをモデルに自らも設計に加わって建てさせたもの)まで出掛けた。
帝王カラヤン指揮のオペラなので前売り券は当然ながら完売、尾高は返券を求めて、開場の1時間半ほど前から並ぶことにしたという。午前8時半頃にザルツブルク祝祭劇場の前に着くと、すでに100人ほどが列を作っている。「こりゃ駄目かな」と思いつつ尾高が列に並んでしばらくすると、黒塗りの豪華な車が劇場の前で止まり、いかにも上流階級といった風の男性が降りてきた。男は尾高に、「おい、君は何やってるんだ?」と聞く。尾高が「オペラを聴くために並んでます」と答えると、「そんなことはわかっている。なにをやっていて、どうしてこのオペラを聴こうと思ったのかを聞いている」。尾高がウィーンで指揮を学んでいることを話すと、男性はチケットをくれたという。なんとS席の中でも特等の座席であったそうだ。
男性はカラヤンの知り合いで、毎年、ザルツブルク祝祭劇場でオペラを観ていたのだが、この年はどうしても抜けられない仕事が出来てしまい、「チケットを無駄にしたくないから、音楽を学んでいる奴にやろう」と決めて、目的地に向かう途中で高速道路を下りて、わざわざザルツブルク祝祭劇場に車を横付けしたのだった。

ラストの「スター・ウォーズ」メインテーマ。輝かしい演奏で掉尾を飾った。

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2018年2月13日 (火)

断絶

常識のすれ違い、別々の世界の人間
知力によって隔てられたもの、見える像の差異
通じない言葉、自信という名の自惚れ
実績という思い込み、それによって生まれる遮蔽
幸福が生む驕り、便乗しているだけの優位性
全てから遠く離れ、自己完結した意志
呪われた恣意、汚れた矜持
誰かから与えられた人生、終わった場所から始まる擬態

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2018年2月11日 (日)

無類力士 雷電為右衛門

文政8年2月11日、「無類力士」と呼ばれ、史上最強の呼び声も高い雷電為右衛門が死去。

信濃国小県郡に生まれた雷電為右衛門。実家の関家は農家である。小諸に出稼ぎに出た際に怪力を見込まれ、相撲の世界へ。一方で学問にも秀でるという文武両道の人物であった。

角界入りした雷電は出雲国(雲州)松江松平家のお抱え力士となり、雲州にちなんだ雷電の四股名を名乗るようになる。

通算254勝10敗という驚異的な成績からもその強さはわかるが、「余りに強すぎるので突っ張りや閂といった得意技を封印させられた」という伝説(史実ではないようである)の存在が力士としてのカリスマ性に拍車を掛けている。

にも関わらず横綱にはなっていないという事実が雷電のミステリーとして人々の興味を惹くのだが、これはただ単に当時の横綱は名誉職的なものであり、通常の最強の位が大関だったというだけのことのようである。横綱は大老のようなもの、大関が老中のようなものと考えれば良いだろうか。

晩年がこれまたよく分かっていないということが雷電という人物をより魅力的にさせてもいるのだが、一応、私の出身地に近い千葉県佐倉市には「晩年の雷電はここで過ごした」という伝説が残っている。

そんな雷電為右衛門の墓は実は都心にある。東京都港区赤坂の報土寺の境内にである。

これが報土寺にある雷電夫婦の墓石
報土寺 雷電為右衛門の墓

生前の雷電と付き合いのあった報土寺に特別に墓石が建てられたといわれている。


また、江東区の富岡八幡宮(残念が事件があったが)の横綱力士碑には雷電為右衛門が「無類力士」の称号と共に横綱相当の力士として顕彰されている。
雷電為右衛門の銘


これはおまけになるが、YMO(イエローマジックオーケストラ)の「雷電(RYDEEN)」は、雷電為右衛門をイメージして作られた楽曲とされている(本当かどうかはわからない。元は高橋幸宏の鼻歌から生まれた曲である)。
 

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2018年2月10日 (土)

観劇感想精選(228) 中谷美紀&井上芳雄 「黒蜥蜴」

2018年2月1日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場メインホールで、「黒蜥蜴」を観る。原作:江戸川乱歩、戯曲:三島由紀夫、演出:デヴィッド・ルヴォー。出演は、中谷美紀、井上芳雄、相良樹(さがら・いつき)、朝海(あさみ)ひかる。たかお鷹、成河(ソンハ)ほか。

明智小五郎シリーズの一つである「黒蜥蜴」。耽美的傾向の強い江戸川乱歩の小説を、これまた耽美的傾向の強い三島由紀夫が戯曲化した作品の上演である。
歌舞伎の影響を受けたというデヴィッド・ルヴォー。今回も冒頭で移動するドアを戸板のように用いたり、船のシーンでの波の描写をアンサンブルキャスト数人が棒を手にすることで表現したりと、歌舞伎の影響が見られる。

まずは大阪・中之島のKホテルのスイートルームを舞台とするシーンでスタート。日本一の宝石商・岩瀬庄兵衛(たかお鷹)の東京の自宅に、「娘を誘拐する」という脅迫状が毎日のように届く。そこで岩瀬の娘の早苗(相良樹)は、Kホテルに匿われていた。岩瀬家の昔なじみである緑川夫人(中谷美紀)もたまたまKホテルに泊まっている。更に岩瀬庄兵衛は娘の警護として日本一の名探偵である明智小五郎(井上芳雄)を雇っており、ガードは鉄壁に思えた。だが緑川夫人の正体は女賊・黒蜥蜴であり、黒蜥蜴は部下の雨宮潤一(成河)を用いて、まんまと早苗を誘拐することに成功。だが明智は緑川夫人の正体が黒蜥蜴であることを見破っており、早苗を奪還。だが、明智も黒蜥蜴も互いが互いに惹かれるものを感じていた。敵にして恋人という倒錯世界が始まる……。

まずは圧倒的な存在感を示した中谷美紀に賛辞を。例えば井上芳雄の演技については、「井上芳雄が明智小五郎を支えている」で間違いないのだが、中谷美紀は、「中谷美紀が黒蜥蜴を支えると同時に黒蜥蜴が中谷美紀を支えている」という状態であり、観る者の想像を絶する強靱な演技体が眼前に現れる。どこまでが役の力でどこまでが俳優の力なのかわからないという純然たる存在。それはあたかも「黒蜥蜴」という作品そのもののようであり、余にも稀なる舞台俳優としての才能を中谷美紀は発揮してみせた。

「黒蜥蜴」には三島由紀夫らしいアンビバレントな展開がある。共に犯罪にロマンティシズムを見いだし、憎しみ合いながら同時に愛し合う明智と黒蜥蜴。黒蜥蜴は明智への愛情を感じながら、人を愛した黒蜥蜴自身を憎み、黒蜥蜴を抹殺するべく明智を殺そうとする。明智は犯罪者としての黒蜥蜴は憎悪しているが、一人の女性としての黒蜥蜴の内面を「本物の宝石」と呼ぶほど高く評価していた。明智から見れば宝石で儲ける岩瀬は俗物であり、真の美を極めようとしている黒蜥蜴には聖性が宿っているのであろう。

長椅子の中に潜んだ明智(乱歩の小説「人間椅子」を彷彿とさせる)と、黒蜥蜴のやり取りの場面は秀逸であり、愛とエロスの淫靡で清らかな奔流が観る者を巻き込んでいく。

黒蜥蜴の、人間の心に対する不信感と外観に対する賛美、女性の外見は好きだが内面には興味がないという、倒錯的な愛着に由来する迷宮的世界が上手く描かれていたように思う。

飄々としていながら同時に理知的な明智小五郎像を生み出した井上芳雄は流石の好演。可憐な令嬢を演じた相良樹と、黒蜥蜴に対する愛情と憎悪を併せ持つ雨宮潤一役の成河の演技も光っていた。

こうした耽美派傾向の文学作品は慶應義塾大学文学部の「三田文学」を根城にしている。私が出た明治大学文学部は早稲田大学文学部同様、自然主義文学と親和性があり、慶大文学部とは対立関係にある、というほどではないかも知れないが、少なくとも明大文学部では耽美派の作家を卒業論文の題材に選ぶことは歓迎されていない。というわけで私も耽美的な作品は余り好まないのだが、この作品は高く評価出来る。

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美術回廊(13) 細見美術館開館20周年企画展Ⅰ「はじまりは、伊藤若冲」

2018年2月8日 左京区岡崎の細見美術館にて

2月8日は伊藤若冲の誕生日とされている(正徳6年2月8日生まれ。西暦だと1716年3月1日。戸籍のない時代なので正確な誕生日なのかどうかは不明)。
左京区岡崎にある細見美術館では、「はじまりは、伊藤若冲」という展覧会が開催されているので観てみることにする。細見美術館の開館20周年記念展の第1回である。

細見美術館は日本画のコレクターであった細見古香庵の蒐集品の展示を基礎としており、日本画方面には強い。

水墨画においては輪郭は豪快に、細部は緻密にという特徴が見られる伊藤若冲であるが、色彩を用いた絵画では学者のような観察眼が感じられる。特に「糸瓜群虫図」などは牧野富太郎やファーブル並みの植物学者・昆虫学者の目で描かれている。富岡鉄斎がこの絵を高く評価し、自身の手紙に模写して推薦状としていることがわかる。
伊藤若冲は、錦市場の青物問屋の息子として生まれており、子供の頃から植物の観察には長じていたものと思われる。

その他では、愛らしい筆致で描かれた「鼠婚礼図」が面白い。ディズニー映画をも上回るほどの躍動感とユーモアが感じられる絵だ。

伊藤若冲の他に俵屋宗達や土佐光吉の絵もあり、日本画の面白さを味わうことが出来た。

細見美術館 「はじまりは、伊藤若冲」

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2018年2月 9日 (金)

これまでに観た映画より(98) ケネス・ブラナー監督&主演「オリエント急行殺人事件」

2018年2月7日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で、アメリカ映画「オリエント急行殺人事件」を観る。アガサ・クリスティの有名小説の映画化。監督&主演:ケネス・ブラナー。出演は他に、ペネロペ・クルス、ウィレム・デフォー、ジュディ・デンチ、ジョニー・デップ、ジョシュ・ギャッド、レスリー・オドム・ジュニア、ミシェル・ファイファー、デイジー・リドリーほか。オールスターキャストである。
製作:リドリー・スコット、マーク・ゴードン。脚本:マイケル・グリーン。音楽:パトリック・ドイル。

とにかく有名な作品であり、日本人キャストによる翻案も含めて何度も映像化されている。ということで犯人もトリックも分かっており、感心は「どう描くか」に向く。
すぐに気づく特徴は、真上からのアングル。ここまでのハイアングルを用いた映画というのもなかなかない。客室内のみならず、雪崩を山の山頂付近から俯瞰で捉えるなど、この手法は徹底されている。そもそもケネス・ブラナーは他の映画でも俯瞰の手法は用いていた。

エルキュール・ポワロというとどうしてもNHKで放送されていたデヴィッド・スーシェのイメージが強く、ケネス・ブラナー演じるポワロは怜悧に過ぎて「なんか違う」ように思えるのだが、慣れの問題だろう。声も熊倉一雄が念頭にあったため、「スマート過ぎやしないか」と感じるのだが、これも同様であると思われる。ともあれ全体的にソフィスティケートされた「オリエント急行殺人事件」に仕上がっており、ストーリーの収斂の仕方といい、映像といい、綺麗に過ぎる出来かも知れないが、エンターテインメインとしては上質と言っていいだろう。

最近は余り外国の映画を観ていないのだが、ミシェル・ファイファーの存在感やデイジー・リドリーの可憐さなどは印象に残った。

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美術回廊(12) ひろしま美術館「生誕220年 歌川広重の世界 保栄堂版東海道五十三次と江戸の四季」展

2018年1月28日 広島市のひろしま美術館にて

雪で寒いため、ひろしま美術館に入る。「生誕220年 歌川広重の世界 保栄堂版東海道五十三次と江戸の四季」展が行われていた。歌川広重こと安藤広重の代表作「東海道五十三次」の初摺版などの展示。版画であり、初めの頃に刷られたものと、増版されたものとでは色合いなどが異なっている。特に紅色に関してはその傾向が顕著で、後になればなるほど紅がくすんでいる。広重は遠近法も用いているほか、鷹や鶴などを額縁に見立てた構図にも個性と特徴が見られる。

本当ならゆっくり見たかったのだが、この後、用事があるため、ついつい早足になってしまう。個人的には東海道五十三次よりも上野や御茶ノ水などの見慣れた構図の出てくる江戸の四季の展示の方が興をひかれた。

特別展示の「根付展」を観た後で、常設展示も鑑賞する。フランスの絵画を中心とした展示。4つの展示室に、マネ、ルノワール、ドガ、クロード・モネ、ドラクロワ、ミレー、モディリアーニ、シャガール、レオナール・フジタ、ローランサン、ユトリロ、ピカソ、ラウル・デュフィ、マティス、ルドンなどの絵が並び、ロダンの彫刻「カレーの市民」なども置かれている。個人的にはやはりデュフィのエスプリ・クルトワに満ちた絵に惹かれるものがあった。

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2018年2月 8日 (木)

高関健指揮東京フィルハーモニー交響楽団 伊福部昭 「日本狂詩曲」


伊福部昭の忌日ということで、代表作の一つにして出世作の「日本狂詩曲」の映像を紹介します。高関健指揮東京フィルハーモニー交響楽団の演奏。
 
「日本狂詩曲」は、チェレプニン賞の第1席を獲得していますが、チェレプニン賞の審査員に敬愛するモーリス・ラヴェルがいることを知った伊福部が時間規定に合わせるため全3楽章のうちの第1楽章をカットした2つの楽章からなる作品として応募したという経緯があります(ただラヴェルは体調不良で審査員を降りてしまいました)。なお、伊福部作曲の「ゴジラ」のテーマはラヴェルのピアノ協奏曲へのオマージュだという説があります。

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松竹 「南座新開場ご紹介」映像ご紹介

松竹による京都四條南座の新開場公式案内映像です。

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Happy Birthday ジョン・ウィリアムズ 「スター・ウォーズ」メインテーマ ジョン・ウィリアムズ指揮ボストン・ポップス・オーケストラ


ジョン・ウィリアムズが手兵としていたボストン・ポップス・オーケストラを指揮した映像。ボストン・ポップス・オーケストラはボストン交響楽団の楽団員のうち、首席奏者を除いたメンバーで構成されたポップス・オーケストラ。アーサー・フィードラーに率いられて一時代を築き、ルロイ・アンダーソンの曲などを初演。ジョン・ウィリアムズはボストン・ポップス・オーケストラの2代目常任指揮者であった。

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コンサートの記(343) 京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ・コンサートシリーズ 小谷口直子 室内楽演奏会 vol.2

2018年2月3日 京都コンサートホール アンサンブルホールムラタにて

午後2時から、京都コンサートホール アンサンブルホールムラタで、「京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ・コンサートシリーズ 小谷口直子 室内楽演奏会 vol.2」を聴く。京都市交響楽団の首席クラリネット奏者である小谷口直子が、京響の仲間達と繰り広げる室内楽シリーズの第2弾。出演は小谷口直子の他に、杉江洋子(ヴァイオリン)、上森祥平(うわもり・しょうへい。チェロ)、塩見亮(しおみ・たすく。ピアノ)。全員、東京藝術大学出身である。

曲目は、湯浅讓二の「クラリネット・ソリテュード」、武満徹の「カトレーンⅡ」、メシアンの「時(世)の終わりのための四重奏曲」。全て20世紀に書かれた作品である。

まずは小谷口直子のクラリネットソロによる湯浅讓二の「クラリネット・ソリテュード(孤独)」。無料パンフレットによると小谷口直子が大学4年生の時に卒業試験の曲として選んだ曲だそうである。演奏後に行われたトークによると、「昔は孤独に酔いしれることが出来た」そうだが、「今は仲間が欲しい」と思うようになったそうだ。
「クラリネット・ソリテュード」は、高い音色が駆使されており、倍音や和音の奏法も用いられている。メロディーラインは尺八で演奏するのに似つかわしいものであり、本当に尺八を念頭に置いて作曲されたのかも知れない。


武満徹の「カトレーンⅡ」。小谷口直子は、武満の著書である『音、沈黙と測りあえるほどに』に書かれた文章を無料パンフレットに載せているが、武満の音楽は本当に沈黙を埋めるように音が敷き詰められており、横への拡がりがある。フランス人から「日系フランス人作曲家」などとも賞された武満であるが、フランスの現代音楽作曲家でメシアンの「時の終わりのための四重奏曲」が音が佇立する傾向にあるのとは対照的である。またメロディーというよりも音の明滅に重点が置かれているようでもある。


オリヴィエ・メシアンの「時の終わりのための四重奏曲」。無料パンフレットに寄せられた小谷口直子の文章には、「“時の(世の)終わり”にあたる言葉が示すものは、戦争で破滅に向かうとか、長い抑留生活から連想されるようなものではなくて《過去や未来という概念の終わり、つまり永遠の始まりを表現したものだ》というメシアン自身の言葉」が紹介されており、おどろおどろしさよりも崇高な側面が強調されている。
小谷口がトークで、「演奏する方よりも聴く方がしんどいプログラムになっております」と発言したが、演奏時間50分、内容は難解ということで、聴きやすい音楽ではない。ただこの音楽の響きの美しさは伝わってくる。特に、クラリネット、チェロ、ヴァイオリンがソロを取る部分でそれは顕著であり、ラストのヴァイオリンとピアノのデュオはキリスト教的な「救い」の美に充ち満ちている。


アンコール演奏はなし。その代わりとして(?)出演者と聴衆による記念撮影がある。写真が後日、小谷口のブログに載せられるとのことだ。

アップされたブログはこちらである。

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2018年2月 7日 (水)

これまでに観た映画より(97) 「坂本龍一 PERFORMANCE IN NEWYORK : async」

2018年2月5日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で、音楽映画「坂本龍一 PERFORMANCE IN NEWYORK: async」を観る。坂本龍一のニューアルバム「async」のリリースを記念して、ニューヨークのパーク・アヴェニュー・アーモニーで行われた限定ライヴを収録したもの。1時間ちょっとの映画であるが、2500円とチケット代は高めである。

坂本龍一はポップな作品も数多く作曲しているが、根源的には現代音楽指向の作曲家であり、「async」ライヴも音楽とノイズの境界線を探るような曲調が選ばれている。

アンドレイ・タルコフスキー監督の架空の映画のための音楽という設定である。ピアノの弦を棒で叩いたり、こすったりするというプリペイドな技法を始め、エレキギターの弦を金属製のサックをはめた指でなぞることでノイジーな音を生んだり、アクリル板を叩くことで音を出したりと、現代音楽的な試みが行われている。天井にモニターがあり、聴衆がたびたび上方を確認する姿が見られる。映画では映像だけの部分がスクリーンいっぱいに映し出される。森の映像や、水滴が拡がるデジタル画像などである。

わかりやすい内容ではなく、料金も高いので、現代音楽の素養がない人には全く薦められないが、抵抗がない人や坂本龍一の音楽が好きな人は観ておいて損はないだろう。坂本がピアノで奏でる旋律には、彼らしいメロディアスでセンチメンタルな味わいがある。

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2月7日の誕生花は勿忘草 尾崎豊 「forget me not」

個人的には、伊藤英明&仲間由紀恵主演の「LOVE SONG」という映画で主題歌として用いられたのが印象に残っています。

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2018年2月 6日 (火)

「港が見える丘」は何を語るのか

※ この記事は2018年1月4日に書かれたものです。


1919年(大正8)1月4日、歌手の平野愛子が生まれました。

平野愛子の大ヒット曲として知られているのが、「港が見える丘」です。横浜市に港の見える丘公園がありますが、この公園は「港が見える丘」という歌にインスパイアされて造設されたものです。それほどの影響力があった曲です。

発表後50年が経過していますので、歌詞を載せておきます。

横浜の海(5) 港の見える丘
横浜 港の見える丘公園から見た横浜港の風景



「港が見える丘」 作詞・作曲:東辰三

あなたと二人で来た丘は
港が見える丘
色あせた桜 唯一つ
淋しく咲いていた
船の汽笛 咽(むせ)び泣けば
チラリホラリと花片(はなびら)
あなたと私に降りかかる
春の午後でした

あなたと別れたあの夜は
港が暗い夜
青白い灯り 唯一つ
桜を照らしてた
船の汽笛 消えて行けば
チラリチラリと花片
涙の雫できらめいた
霧の夜でした

あなたを想うて来る丘は
港が見える丘
葉桜をソヨロ訪れる
しお風 浜の風
船の汽笛 遠く聞いて
ウツラトロリと見る夢
あなたの口許 あの笑顔
淡き夢でした


出会いと別れを描いた恋愛の王道曲ですね。ただ、この二人がなぜ別れたのかに思いを馳せると別の側面が浮かび上がります。

「港が見える丘」が発表されたのは、1947年(昭和22)。終戦後2年目のことでした。このことを考えれば、戦争が影響を与えているのはむしろ当然のことのように思われます。

このカップルの男性の方は、実は戦争に行ったのではないでしょうか。そして女性の方が、今も男のことを思っているということは、不可抗力の別れがあったことを暗示しているように思えます。つまり男性は、海外の戦地で戦死したのではないかという想像が出来ます。男性はこの港から船で戦地へと赴き、港に戻ってくることはなかった。そう考えれば、極めて悲劇的な楽曲と捉えることが可能です。というより1947年当時の人々はそう受け取ったのではないでしょうか。

桜というのは日本を象徴する花であり、咲いたと思ったらすぐに散る花です。戦地に散ったあの人を想うのに相応しい花のような気もします。

港が見える丘に佇む女性の姿は、あたかも映画「慕情」(封切りは「港が見える丘」よりも遅い1955年ですが)のラストシーンを想起させるものがあります。


戦争の悲劇を歌った曲だと思って聴けば、また別の感興が起こる曲です。


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2018年2月 5日 (月)

コンサートの記(342) 細川俊夫 オペラ「班女」2018広島

2018年1月28日 広島市のJMSアステールプラザ中ホールにて

午後2時から、JMSアステールプラザ中ホールで、細川俊夫のオペラ「班女(はんじょ)」を観る。2004年にフランスのエクスプロヴァンス音楽祭で初演されたもの。原作は三島由紀夫(『近代能楽集』より「班女」)、台本・作曲:細川俊夫、テキスト英語訳:ドナルド・キーン、演出:岩田達宗(いわた・たつじ)。川瀬賢太郎指揮広島交響楽団の演奏。出演は、柳清美(ユウ・チョンミ)、藤井美雪、折河宏治(おりかわ・ひろはる)。



私の初舞台は『近代能楽集』に収められている「綾の鼓」なのである。演出は観世榮夫と無駄に豪華であった。その時の観世榮夫はもう相当なお年だったのだが、鼓を投げ渡す時のアイデアなどは上手くはまり、「やっぱり凄いんだな」と皆で確認したものである。ちなみに私が演じた藤間春之輔は女形という設定だったのだが、どう考えても私に女形は無理なので、デフォルメして普通じゃない人を勝手に演じてしまった思い出がある。

三島由紀夫の「班女」は初演時には英訳したもので行われている。原典は世阿弥の「班女」。美濃国の遊女・花子が吉田少将なる人物と恋に落ち、扇を交換して別れたことに端を発する物語で、二人は京で再会することになる。この花子は狂言「花子」にも登場、更に歌舞伎舞踊「身替座禅」へと転じている。「花子」の主人公や「身替座禅」の山陰右京のモデルは後水尾天皇、怖ろしい奥さんのそれは東福門院和子といわれている。私は「身替座禅」は二度ほど観ている。

武満徹亡き後、海外で最も名を知られた日本人作曲家の一人となっている細川俊夫。広島市の出身で、国立音楽大学中退後、渡独。ベルリン芸術大学で尹伊桑(ユン・イサン)に師事。その後、フライブルク大学でも学んでいる。

能舞台を使用。橋懸りの下に広島交響楽団の楽団員が陣取る。開演前に本田実子(じつこ)役の藤井美雪が能舞台の上に現れ、新聞紙をハサミで切り刻んでいく。
下手から指揮者の川瀬賢太郎が現れ、演奏がスタート。この上演では冒頭と第4場で地下鉄の駅で録音された轟音が鳴り響く。騒音の暴力性と21世紀の環境を感じさせる音として細川が指定したものである。

細川俊夫は個性が強い作曲家であり、その作品には「細野節」ともいうべき音響が刻印されている。今回もキュルキュルと鳴る弦楽の音に細野らしさが宿っている。特徴なのはバスフルートの用い方で、尺八に似た音を出しながら随所で効果的に用いられていた(フルート:森川公美)。
日本センチュリー交響楽団を経て広響コンサートミストレスに就任した蔵川瑠美を始めとする弦楽群が鋭く且つきめ細かい響きを発し、夢と現の間を彷徨うかのような音像を作り上げていく。

英語による上演であるが、セリフの部分にはところどころ日本語が用いられており、対比の手法が用いられている。そういえば三島由紀夫と親交のあった観世榮夫も「もっと対比させろ!」と言っていた。

恋い焦がれて狂女となった元遊女の花子(柳清美)と彼女を独占しようと企む四十路の売れない画家・実子(藤井美雪)の名前からして「花と実」という好対照のものである。花のように咲いては散ってしまいそうな儚い花子と、毒々しい生命力を持つ実子のコントラストの妙である。

実子は夢見る存在の花子を囲って、いわば隠棲のような暮らしをしている。それが新聞報道によって掻き乱されるのだが、今回の上演では実子はラップトップパソコンを使って情報収集しているという設定である。また花子を「奪いにくる」吉雄(折河宏治)は タブレット端末を手に登場。あたかも「情報化社会」=「正義面した外界」の化身のようだ。

私個人の話になるが、インターネットを始める前、二十代前半の頃と今を比べると、情報が手軽に入るようになってからは便利になったが、人間の核になる部分が―「実」と言い換えてもいいかもしれないが―薄くなったようにも思えるのだ。ある意味、情報の洪水に押し流されて掻き乱されて、「間違えようがなく私個人である部分」 が不鮮明になったというべきか。前回、広島に来たときはまだガラケーを使っており、広島駅で降りてすぐに駅ビルの書店で広島の観光案内を買ったのだが、今回はスマートフォンでなんでも検索できてしまうので楽なのは楽なのだが、「生きている手応え」のようなものを感じにくくなっているような気もするのだ。 「自我が外部に浸食されている」。そして普段はそれを感じなくなってしまった恐怖が、こうした作品に触れることでふいに突きつけられたように思える。

岩田達宗の演出は、情報過多な世界と浸食される人間の内面の競り合い、つまり内外の戦いを前面に出したものだが、もし私が同様の演出をするなら(同様の演出はしないと思うが)、すでに半ばハイジャックされた形の内面における内々の葛藤、そして内部にいる「他」の排斥と自己の回復(内戦)を描いたと思う。そこが違いである。おそらく私がSNSを徹底して使い倒すタイプだからだろう。
藤井美雪演じる実子は感情の激しい人物として描かれており、三島のテキストから見てもこれは妥当なのであるが、これも私だったら氷のように凜然としている女として舞台に立たせたい。単純にクールな女が打ち崩されていく様が見たいということでもある。

そして自分が花子=「夢見ることを許されている存在」に肯定されていくのだ。

細川俊夫、岩田達宗、川瀬賢太郎によるアフタートークでは、ラストがハッピーエンドなのかどうかという話になっていたが、私が思うに実子に関しては「そこにしかいけないよね」という印象が強い。嵌まるべき場所に嵌まったということだと思う。社会的にはともかくとして文学的にはそれは大団円だと言えるのだろう。「許された存在」によって「許された」のだから。
柳清美の可憐さ、藤井美雪の恐ろしさ、折河宏治の存在感などもありキャストについては演劇的には満点である。なお、藤井美雪は福山市在住(広島市中区幟町にあるエリザベト音楽大学声楽科講師)、折河宏治は広島市在住(同じくエリザベト音楽大学准教授)で地元キャストが活躍している。昨日の上演でも吉雄役は広島市在住の山岸玲音(やまぎし・れおん)が歌っており、広島音楽界の充実がうかがえる。


アフタートークでは、細川俊夫が広島交響楽団の演奏について「これまで60何回演奏された(「班女の)演奏の中で最高」と褒め称え、賞賛を受けた指揮の川瀬賢太郎が冗談でガッツポーズを繰り出す場面があった。川瀬は「班女」がオペラ指揮デビューであり、同じオペラの再演で指揮を執るのも今回の「班女」が初めてだそうである。
演出の岩田達宗が川瀬と初めて一緒に仕事をしたのはモーツァルトの「フィガロの結婚」だそうだが、フィガロと「班女」の共通点についても語った。また能の仕草の内実についても語り、能舞台がキャストに与えた影響についても話していた。岩田は能や歌舞伎の要素を取り入れた演出を行うことが多いのだが(奥さんの影響らしい)、今回、能舞台を使った演出をすることで、「倒錯」ともいうべき状態が起こっていたことも明かされた。

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2018年2月 4日 (日)

京都の東照宮

※ この記事は2017年12月26日に書かれたものです。
 

天文11年12月26日(1543年1月31日)、三河国岡崎に後の天下人、徳川家康が生まれました。

家康は、伏見城を事実上の居城とした時期もあり、京都にも多くの足跡を残しています。

ただ一つ一つ辿っていくと膨大な時間を費やすことになりますので、今回は家康が死後に東照大権現の神号を贈られて成立した東照宮を二つ紹介することにします。

京都市内にある最も有名な東照宮は、南禅寺の塔頭、金地院にある金地院東照宮です。

金地院東照宮2017正月

金地院は、家康のブレーンで「黒衣の宰相」といわれた以心崇伝(金地院崇伝)の寺です。

金地院の東照宮は、家康の遺言によって建てられたものであり、創建当初は日光東照宮(家光が建てた現在のものよりは幾分地味だったと思われる)と比べられたと伝わります。

今も東照宮には楼門が残っていますが、現在は楼門をくぐって参拝することは出来ず、参拝するには必ず金地院の入り口から拝観料を払って入る必要があります。

経年により、今では往時の絢爛さは失われてしまっていますが、横から見るとはっきりとそれとわかる権現造の社殿は京都唯一のものであり貴重です。

拝観料は400円。金地院には他にも小堀遠州作庭の鶴亀の庭(特別名勝)、伏見城からの移築と伝わる本殿、崇伝の像がある開山堂など見どころは多くあります。

 

洛北一乗寺にあるのが、臨済宗圓光寺の東照宮。歩いて20分ぐらいの場所に真宗大谷派の圓光寺のもあるので注意が必要です。

臨済宗圓光寺 新しくなった東照宮

こちらの東照宮は実は出来たばかりです。以前は徳川家康公墓所のある山の麓に地味な感じの東照宮がありましたが、2017年の春に、家康公の墓所の隣に小さいながらも白木の立派な東照宮が建立されました。

臨済宗圓光寺の開基が実は徳川家康公。慶長6年(1601)に家康が下野国足利学校から三要元佶を開山に迎えて伏見に建てた圓光寺寺院および学校が源流です。圓光寺はその後、相国寺の山内を経て、寛文7年(1667年)に現在の地に移っています。一乗寺付近には茶屋四郎次郎の山荘、石川丈山の山荘(現在の詩仙堂)などもあり、大坂の陣で豊臣方主戦派となった一乗寺渡辺氏(渡辺綱の子孫)の監視強化の意味もあったのかも知れません。

臨済宗圓光寺は京都市内屈指の紅葉の名所であり、また水琴窟があることでも有名です。拝観料は500円とちょっとお高めですが、墓所には「花の生涯」で有名になった女隠密・村山たか女の墓があるなど、こちらも見ごたえ十分の寺院です。

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2018年2月 3日 (土)

楽興の時(20) 京都市交響楽団×京都芸術センター 「Kyo×Kyo Today」2018 京都しんふぉにえった「ウィンター&アレンジ・セレクション!」

2018年1月31日 京都芸術センター講堂にて

午後7時から、京都芸術センター講堂で、京都市交響楽団×京都芸術センター「Kyo×Kyo Today」というコンサートを聴く。今回は「ウィンター&アレンジ・セレクション!」と題して、京都市交響楽団のメンバーで結成された京都しんふぉにえったのメンバーが冬を題材にした曲を取り上げる。
京都しんふぉにえったのメンバーは、小田拓也(ヴィオラ)、中野志麻(第1ヴァイオリン)と中野陽一郎(ファゴット)の中野夫妻、片山千津子(第2ヴァイオリン)、渡邊正和(チェロ)、出原修司(コントラバス)、筒井祥夫(クラリネット)、ハラルド・ナエス(トランペット)、中山航介(ドラムス&パーカッション)。小田拓也が全曲編曲を手掛ける。

曲目は、ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」より“ワルツ”、リストの「愛の夢」第3番、フォーレの「シチリアーノ」、ドヴォルザークの「ユーモレスク」、ワルトトイフェルの「スケーターズ・ワルツ」、モンティの「チャルダッシュ」、ロシア民謡「黒い瞳」、ロシア民謡「二つのギター」、サン=サーンスの「死の舞踏」、ピアソラの「ブエノスアイレスの冬」

ヴィオラ&編曲の小田拓也が曲間にマイクを手にMCを担当する。今回の演奏会はチケット完売だそうである。小田拓也が「我々の演奏を聴くの初めてという方」と聞き、数人が手を挙げる。小田は「リフレッシュな方々」と言った後で、「間違えました。フレッシュな方々」と言い直す。
小田によると、京都市交響楽団は、今日は午前中と午後一に「小学生の音楽鑑賞教室」(高関健指揮)の本番があったそうで、京都しんふぉにえったのメンバー達がこれが今日3回目の公演であり、結構疲れているらしい。

ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」より“ワルツ”はフルオーケストラで聴かないと迫力やメリハリに欠けるため、同じ事を繰り返しているだけの曲に聞こえてしまうのが難点である。

リストの「愛の夢」第3番はまずクラリネットの筒井祥夫が活躍して主旋律を奏でていく。ピアノの原曲に比べてかなり柔らかい印象を受ける。
ハチャトゥリアンとリストは浅田真央がプログラムの音楽に選んだため冬のイメージがあるとして選んだそうである。

フォーレの「シチリアーノ」は京都アニメーション制作の「氷菓」というアニメで用いられたそうで、ドヴォルザークの「ユーモレスク」は映画「タイタニック」でタイタニック号が氷山にぶつかって沈んでいく時に流れていた音楽だそうである。「ユモレスク」は変ト長調に直したものが演奏された。

モンティの「チャルダッシュ」は、ヴァイオリンとトランペットのため二重協奏曲風に編曲されており、小田は「ヴァイオリンとトランペットが対決するかのように書かれております。先に言っておかないと、『この人達は何をやってるんだろう?』となる可能性がある」と事前に解説していた。中野志麻とハラルド・ナエスのソロ。二人とも巧者であり、聴き応えがあった。
演奏終了後に小田が中野志麻とハラルド・ナエスにインタビュー。中野志麻は、「ヴァイオリンをやって何十年と経つんですけど、トランペットと一緒にやるのは初めてだったので楽しかった」と言って、小田に「模範的な回答ありがとうございます」と言われていた。ナエスも「とっても楽しかった」と答えていた。

ロシア民謡「二つのギター」について小田は、「ヴァイオリンには、無理矢理というわけではないんですが、ギターを弾くような演奏をして貰います。『こんな綺麗な女性達にこんなことさせるなんて!』と思われちゃうかも知れませんけど」と解説。予想通り、中野志麻と片山千津子のヴァイオリン奏者二人はピッチカート奏法を行う。
ちなみに、ロシア民謡2曲は、「ロシアというと寒い国」ということで選ばれたそうである。

サン=サーンスの「死の舞踏」。骸骨の踊りを描いた曲であり、「骸骨というとお墓。お墓は寒い」という連想でのセレクト。原曲では木琴が活躍するのだが、今回の編曲では主旋律は主に第1ヴァイオリンとクラリネットが担当した。とはいえ、やっぱり木管の方が骸骨のカリカチュアという感じはする。

ピアソラの「ブエノスアイレスの冬」。京都しんふぉにえったのメンバーはピアソラをリスペクトしているそうで、思い入れたっぷりの演奏が聴かれた。

アンコール演奏は、ピアソラの「リベルタンゴ」。20年ほど前にチェリストのヨーヨー・マがサントリーウィスキーのCMで演奏して有名になった曲であり、小田の編曲でも歌い出しは渡邊正和手掛けるチェロが奏でるものになっていた。

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大瀧詠一 「夏のリヴィエラ」

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2018年2月 2日 (金)

楽興の時(19) 京都市交響楽団指揮者による音楽ワークショップ「指揮者のお仕事! ハーモニーって?」 高関健指揮墨染交響楽団リハーサル

2018年1月29日 京都・丹波橋の京都市呉竹文化センター ホールにて

午後7時から、丹波橋にある京都市呉竹文化センター ホールで、京都市交響楽団指揮者による音楽ワークショップ「指揮者のお仕事! ハーモニーって?」を見学。今回は京都市交響楽団常任首席客演指揮者である高関健が、アマチュアオーケストラである墨染交響楽団を指揮して、メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」第1楽章のリハーサルを行う。

墨染交響楽団は2006年の結成。京都市伏見区墨染に本拠を置き、京都市呉竹文化センターの指定団体にもなっている。

今回も女性司会者が登場し、いかにもお役所的なコメントで進めていく。京都市交響楽団と京都市呉竹文化センターの主催なのでこうなってしまうのだろう。広上淳一だったら突っ込みを入れていただろが、高関なのでとくにそういうこともない。

高関は半袖シャツで登場。「一人だけ季節が違って見えますが、指揮していると暑くなりますので」と述べ、「今日が初顔合わせ。リハーサルもしていないのでどうなるのかわかりません。マイクがあるので聞こえると思いますが、何を話すのかもわかりません」と語った。

高関はノンタクトでリハーサルを開始。後でわかったのだが、今日の午前と午後に京都市交響楽団を指揮して京都コンサートホールで「京都市の小学生のための音楽鑑賞教室」を行い、そこから呉竹文化センターに移る際に指揮棒を持ってくるのを忘れてしまったそうである。

まず冒頭から第2主題が登場した少し後まで通す。バランスは滅茶苦茶。各楽器ともぎこちない。この状態から指摘を加えて、発表出来る水準まで持って行く。持ち時間は1時間ほど。その後、第1楽章を通して発表演奏(のようなもの)を行う。

まず冒頭では、互いの音をよく聴くように指摘。「指揮者に合わせようとしても合いません」と語る。4拍子と16拍子合わせ方や、レガートの築き方など述べ、ピアノの指定では「ピアノでしょ、ピアニシモじゃないでしょ」と音が痩せ気味であることを指摘する。一方、第1ヴァイオリンがピアニシモの指定で洗練度の不足した音を出した時には小声で「ピアニシモなんですけど」と囁くように言って、きめ細かな演奏を促していた。

指摘が入った直後から墨染交響楽団の合奏がメキメキと上達。高関の指揮者としての確かな腕が感じられる。
その後、ヴィオラとチェロが同じメロディーを奏でる部分では、「チェロとヴィオラが合わせるときは一段階弱くしないといけない」と語り、「書かれた当時はそのままで良かった。多分、ヴィオラが弱かったんでしょう。今はヴィオラ上手いので」ということで譜面をそのまま演奏しただけでは上手くいかないこともわかる。高関はTwitterでスコアリーディングの結果を発表しており、様々な発見があることがわかる。

「急がない」ようにという指摘もあり、「ここは一番速い人が勝ちじゃありません」と語って、必要以上の加速でアンサンブルを乱さないよう要求し、別の場面では「自分の出番が終わっても気を抜かないように」「スーパーマリオと一緒。私は上手くないけれど。あなた達の方が上手いでしょう。一つ飛び越えたと思って油断してたらすぐやられる」

ちなみに「スコットランド」交響曲の思い出を語る場面もあり、「高校2年生の時、初めて第2ヴァイオリンとしてオーケストラで演奏したのがこの曲だったんです。先生に滅茶苦茶怒られた。『お前出て行け! 外でさらってこい』って言われた」そうである。

チェロがメロディーを歌う場面では、「ここがメンデルスゾーンが書いた一番美味しい旋律でしょ。クリームたっぷりにチーズが入った。だから(もっとはっきり弾かないと)勿体ない」「ここがチェロが一番美味しいところでしょ。ハンバーガーにアボカドとチーズを加えた。向こう(第1ヴァイオリン)は普通のハンバーガー。(客席に)ハンバーガーにアボカドとチーズを加えたってわかります?」「メンデルズゾーンのチェロ協奏曲だと思って」と指示していく。

そんなこんなで指摘するたびにアンサンブルの精度と音の密度が上がっていく。日本の第一線で活躍している指揮者の実力はやはり伊達ではない。

第1楽章のリハーサルを終えたところで質問コーナーが設けられ、ここで高関が指揮棒を忘れてきたことが明かされる。指揮棒を持っての指揮とノンタクトの指揮での違いだが、高関自身は「あまり変わらない」と思っているそうだが、「ただし合唱を指揮するときは指揮棒なしで振った方がやりやすいように思います。100人以上のオーケストラの時は、指揮棒があった方が見やすいようです」と語った。

ちなみに高関が指揮者を志したのは小学校5年生の時だそうで、楽譜を買ってきたため覚えているという。買ってきたのはカバレフスキーの「道化師」の総譜。運動会で良く流れる「ギャロップ」が有名な曲である。


メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」第1楽章の演奏。アマチュアオーケストラの演奏ということで、低弦が掠れたような音を出したり、木管が感興を欠いたような吹き方をしたりという欠点もあったが、リハーサル冒頭と同じ団体の演奏とは思えないほどの水準に達してはいた。これぞプロの指揮者の技である。

最後にまた女性司会者が登場して、お役所的な紹介(3月には下野竜也指揮による吹奏楽のワークショップがあること、スプリングコンサートのこと)がある。その間、高関も墨染交響楽団の団員も手持ちぶさたの様子。一々言わなくてもいいいような紹介なのだが、お役所なのでやらないと気が済まないのだと思われる。

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2018年2月 1日 (木)

笑いの林(100) よしもと祇園花月 「祇園ネタ」&吉本新喜劇「ファーザー、ファーザー」 2018年1月26日

2018年1月26日 よしもと祇園花月にて

12時30分から、よしもと祇園花月で、「祇園ネタ」と吉本新喜劇「茂造のファーザー、ファーザー」を観る。当初は今日は仕事のはずで、前売り券を買っていなかったのだが、早希ちゃんがTwitterで祇園公演の告知を行ったため、急遽、観に行くことに決める。窓口で当日券を買い(2階席す列9番の席であった)、八坂神社にお参りに行ってから、祇園花月に入る。今日は団体客が多く、どちらかというとお弁当を食べるのに熱心な客の方が多数派を占めている。

祇園ネタの出演者は、タナからイケダ、SPAN!、桜 稲垣早希、桂三風、西川のりお・上方よしお。

タナからイケダ。田邊が、「まだ漫才で食べて行けてないんですが」と言った後で、「結婚していて」「子供が3人いて」と続けて、相方の池田に止められる。
池田「『まだ漫才で食べて行けてない』ゆうたやん。『結婚してる』で、奥さん、可哀想ってなってるのに、『子供が3人いて』って、あ、こいつら終わったわ! 思われる」

いつもの野球部の女子マネージャーネタ。自転車に二人乗りのシーンはカットになっている。「忘れ物です」と「渡り鳥です」に変えるネタは今まで一度も受けたところを見ないのだが、なぜか続いているようである。
結構、良いネタだと思うのだが、今日は客層の関係か、タナからイケダとSPAN!の受けは今ひとつであった。


SPAN!は、水本が、「有名人になりたい、顔指されたい(顔を指で指されることを「顔指される」というらしい)」というので、水元が有名人、相方のマコトが顔指す人になるのだが、まことはスクーターで通り過ぎながら「水本!」と叫んだり、「SPAN!の水本さんですよね! SPAN!のマコトです」と相方そのままの設定にしてしまう。
ちなみにマコトとは帰りの京阪電車で同じ車両に乗り合わせたことがあるが、普通の兄ちゃんだった。

次いで、水本が提案する歌しりとり。歌詞でしりとりを行うというもの。まずマコトが「水本の、と」と決めると、水本が「とどまること知らない時の中でいくつもの」とMr.Childrenの「Tomorrow Never Knows」を歌う。水本は切りの良いところまで歌うのだが、マコトは3文字程度で終えてしまうので変になるという展開であった。


桜 稲垣早希。まず「あんたバカぁ~?!」を1階席、2階席、桟敷席の人に分けて言って貰う。ただ、下手側桟敷席の人達が完全なサボタージュを決め込んでいたため、早希ちゃんは、「右!」と突っ込んでいた。
今日は「関西弁でアニメ」をやる。「関東弁でやってるアニメを見ると、『ぷっ!』となる」そうだが、私は骨の髄まで関東人なのでピンとこない。
今日は客層が合うためか結構受けていた。「天空の城ラピュタムスカの「見ろ! 人がゴミのようだ」を変えた、「見ろ! おばはんがおっさんのようだ」はかなり受ける。やはり客は大事である。


桂三風。東京と大阪の比較ネタで、「東京で子供が、『お母さん、なんで電車こんなに混んでるの?』と聞くと、母親は『まだ会社が学校に行く人が沢山いるんでしょう』とお上品に返す。大阪だと、『なあなあ、おかん、なんで混でるん? なあ?』『知るか! アホ!』になる」という枕を語った後で、今時の子供に聞かせる昔話ネタ。
「もう寝なさいと言って、むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯にいきました。おばあさんが洗濯をしていると川上から大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこ、と話していると子供はスーッと。ただこれは昭和の子供です。今の子には通じません」
今の子供を寝かそうとしても、「眠くない。え? 眠くないのに寝なさいって君何を言ってるん? と上からの物言いになり、むかしあるところに、『むかしむかしっていつ? 元号あるでしょ、元禄文久明治昭和と。いつ?』『あるところってどこ? 摂津河内和泉丹波といっぱいあるでしょ?』」という風に理屈っぽく聞いてくるらしい。そして、「おじいさんおばあさんって、お父さんお母さんのことだよね。山と川というのは世の中には上と下があるということ」と解説を始めて、親が退屈して寝てしまうというオチであった。


西川のりお・上方よしお。のりおが「私が本当の津川雅彦です」と言ってスタート。よしおのことは「籠池理事長」と紹介していた。
今日も「最近は綺麗な女性が観に来てくれる。以前は、お笑い見に来る女性といったら漫才師よりも面白い顔をしていた。お金払って入るんですね、お金貰えるのに」と言って、「(綺麗な人)1列目、アウト! 2列目、全滅!」とやる。その後、メジャーリーグのネタになり、田中将大はメジャーに入ってから肘を怪我したと言いながらのりおは膝を押さえ、イチローのことをハチローと言い、「奥さんが綺麗。野球選手というと大体、奥さんが美人。その点、元中日の落合監督は立派」と言う。
その後はいつも通り時事ネタ。トランプ大統領のことをトランポリン大統領と言ったり、TPPのことを「おなか下してんの?」と言ったりする。


よしもと新喜劇「茂造のファーザー、ファーザー」。出演は、辻本茂雄(座長)、大島和久、伊賀健二、五十嵐サキ、谷川友梨(たにかわ・ゆり)、桜井雅斗、若井みどり、平山昌雄、奥重敦史、アキ、島田珠代、森田展義、玉置洋行。

例によって旅館が舞台であり、今日からアルバイトに入った茂造が無茶苦茶するという展開。五十嵐サキがまた随分と太ったのだが、年のせいかな? 谷川友梨は、新喜劇の中では新人であるが、芸歴は15年目。元々はまんてんという漫才コンビで活動していたが、解散後に東京・新宿のルミネ新喜劇の座員となり、昨年の3月に新喜劇の金の卵オーディションに合格して大阪に戻ってきたという。
辻本茂雄も東京に進出して2年ほど過ごしていた時があったのだが、水が合わなかったようで、「そん時の悪口ならずっと言える」そうである。

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