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2018年3月15日 (木)

コンサートの記(361) 團伊玖磨 歌劇「夕鶴」2018西宮

2018年3月10日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて

午後2時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、團伊玖磨の歌劇「夕鶴」を観る。作:木下順二、演出:岩田達宗(いわた・たつじ)。園田隆一郎指揮ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団の演奏。今日明日と公演があり、ダブルキャストだが、今日の出演は、佐藤美枝子、松本薫平、柴山昌宣、豊島雄一(とよしま・ゆういち)。児童合唱は夙川エンジェルコール。美術:島次郎。副指揮者に広上淳一の弟子で第2回ニーノ・ロータ国際指揮者コンクールで優勝した石﨑真弥奈の名前がクレジットされている。

日本のオペラとしてはトップクラスの上演回数を誇る「夕鶴」。木下順二の戯曲を「一字一句変えることなく」という条件でオペラ化したものだが、今では純粋な演劇公演として取り上げられることはほとんどなく、専らオペラ版で親しまれている。元の戯曲が子ども達の合唱で始まり、モノローグが多用されるなど、オペラ向きということもその一因だろう。

指揮者の園田隆一郎は関西でのオペラ公演で活躍することも多い。東京藝術大学音楽学部指揮科卒、同大学院修了。イタリア・シエナのキジアーナ音楽院に留学。その後、ローマでも学び、現在もローマ在住。指揮を遠藤雅古、佐藤功太郎、ジェイムズ・ロックハート、ジャンルイジ・ジェルメッティ、アルベルト・ゼッタらに師事。ロッシーニのオペラを十八番とし、現在は、藤沢市民オペラの芸術監督の座にある。

木下順二の原作は、助けた鶴と結婚して幸せに暮らしている与ひょうが、資本主義の権化のような惣どと相方のような運ずに唆されて妻に鶴の羽で出来た織物を作るよう命令し、更に機を織っている妻の姿をのぞいてしまったことで別れることになるという物語である。純粋な二人が資本絶対主義、第一主義によって引き裂かれるという解釈で良いだろう。木下順二もそうした想定で書いたはずである。ただ、「作者が意図した通りに読むのが正解」というわけでは必ずしもない。そもそも正解のある文学作品など面白くもなんともない。

民話の「鶴の恩返し」と違うのは、鶴が恩返しのために機を織るのではなく、人間に惚れて押しかけ妻になっているところであり、異種交際の物語となっているところである。最も古い形としては「日本書紀」にも登場する箸墓伝説(旦那の正体が実は蛇であったという話)に見られ、安倍晴明伝説(母親が信太狐の葛の葉)でも知られる。
岩田達宗の演出ノートによると、「本来全ての生き物は種を存続させるために生きている。だから種を超えた恋は、自然の摂理を犯す行為であり、生命の円環を破壊する恐ろしい行為だ(中略)「夕鶴」の主人公つうはその罪を犯した鶴だ」と述べられている。「葛の葉は」などの書き出すと話がややこしくなるので出さずにおく。とにかくそれは「人智を超え、自然の摂理を凌駕する激しい恋の物語だったのだ」(岩田達宗の演出ノートよる)
更に、つうが織る「鶴の千羽織」は、主人公二人の子供に見立てられた解釈がなされている。舞台の後半で千羽織を織り上げたつう(佐藤美枝子)が、千羽織二反を赤子を抱くように抱えているのを見れば、その解釈が徹底されているのがわかる。人間と鶴の間に子供は出来ないので(やはり葛の葉の件は棚上げとしておく)千羽織を代わりに生むのだ。そして千羽織を売り飛ばして金を得るという行為は人身売買にすら見立てられている。

とまあ、岩田さんの解釈を書いたが、ここからは私自身の考えを述べていく。与ひょうは千羽織を売ることで金銭を得ていた。昔は貧乏ながら働き者だったが、今は寝て過ごしていても苦労はしていない。少なくとも惣どや運ずのところにも話が伝わっているほどには大金を得ている。ただ、家を新築するというではなし、食べ物が豪勢になったということでもなく、妻のつうと二人で睦まじく暮らせればいいというだけの素朴な青年のように見受けられる。つうがもう千羽織は織れないと言っても特に文句はなく納得してしまっている。金にさほど執着はないのだ。つうが黄金を貯めた袋を開けて驚く場面があるが、与ひょうは金を貯めるだけで散財はしていないという見方も出来るわけで、与ひょうが金のために魂を売ったというつうの考えは勘違いなのかも知れないのである。与ひょうの態度も惣どに言われたままにやっただけで、本意からとは思えない。朴訥ゆえに上手く操られてしまったのだろう。

与ひょうとつうの関係は、所詮人間と鶴であり、そのそもの考え方にすれ違いが見られ、悲劇という形で終わるしかないものだったともいえる。
つうは、与ひょうが惣どにたぶらかされて千羽織を売った金で都に行っていまい、自分は捨てられると考えた。だが、実際は与ひょうが金を得たいと思った理由は、つうと二人で都に行きたい、そして二人で今よりも良い暮らしをしたいからであり、つうと別れる気は微塵もないのである。与ひょうが「つうのために」と思っていることがつうには伝わらない。そしてつうが千羽織のためにいかに苦痛に耐えているかを与ひょうは知らない。完全にすれ違いのドラマ、そう見た方が奥行きが出る。
つうは与ひょうと別れたくないがために最後の千羽織を織ることにするのだが、皮肉にもそのことが原因で自分から与ひょうの下を去る羽目になり、与ひょうはつうと幸せになりたいがためにつうを永遠に失うことになるのである。そしてそれはあくまで決定打であり、最初からすれ違っていた以上、破局は必定で、この時でなくともいつかは訪れるはずのものなのだ。

つうも与ひょうも望んでいるのはイノセントな幸福だ。二人とも子供が好きで子供達と仲良く遊んでいることからもそれはわかる。だが、そんなイノセントな夢がいつまでも続くのだろうか。まして人間と鶴の関係である。昔話なら「いつまでも幸せに暮らしましたとさ。目出度し目出度い」でいいのかも知れないが、リアリスティックに考えれば、この無邪気な喜びは、いつか破られることが決まっている。いつまでも子供のように生きてはいられない。惣どの功利的な考えやその存在が全く理解出来ない大人など存在しないだろう。汚れなき世界の喪失は、誰もがなんらかの形で経験することである。幸か不幸か良い年になっても王様や女王様でいられる人も皆無ではないが、大多数の人は痛みと共に夢幻の楽園を去って行く。

だからこのオペラは若い人にこそ観て貰いたい、若い人にこそ、喪失の痛切さがありありと分かるはず、なのだが若い人は余り来ていない。オペラはチケット料金がネックのようである。

ロームシアター京都では、毎年、新国立劇場の主催による高校生のためのオペラ鑑賞会教室を行っている。京都市交響楽団の演奏で、指揮は広上淳一や高関健といった京響の常任指揮者達が務めている。残席がある場合は一般向けの当日券が発売されるのだが、「(仮に行ったとしても)高校生ばかりの中でオペラを観ても居心地が悪い。みんな若い若い! オレ浮いてる浮いてる! 『なんや? あのおっさん?』と思われたらどうしよう?(実際、思われるだろうが)」という話を開演前に岩田さんと話した。
なお、今年ロームシアター京都で行われる新国立劇場 高校生のためのオペラ鑑賞教室・関西公演は園田隆一郎指揮の「魔笛」が予定されている。

解釈ばかり書いていても仕方ないので、作品自体をもっと具体的に語ると、島次郎による舞台は比較的シンプルなものである。つましく暮らしている夫婦なのでこれで十分であろう。余りセットに凝られると歌い手に目がいかない可能性もある。

つうを演じた佐藤美枝子は声も佇まいも良い。与ひょうとの別れの場面などは絵になっていた。
それこそ資本の権化のようないかめしい惣ど(つうの正体が鶴であることを知っても驚きも悪びれもしない)をいかめしく演じた豊島雄一も好演である。

園田隆一郎のしやなかにして浮遊感のある音楽作りも好感が持てるものだった。

阪急中ホールの音響だが、それほど空間が大きくないということもあり、声もオーケストラの音も良く通っていたように思う。



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