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2018年5月20日 (日)

コンサートの記(387) 寺岡清高指揮大阪シンフォニカー交響楽団第125回定期演奏会 ハンス・ロット 交響曲第1番

2008年5月13日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時より、大阪のザ・シンフォニーホールで、大阪シンフォニカー交響楽団(現・大阪交響楽団)の第125回定期演奏会を聴く。指揮は大阪シンフォニカー響正指揮者の寺岡清高。

「ベートーヴェンと世紀末ウィーンの知られざる交響曲シリーズ」と銘打たれた4回公演の第1回目。前半がベートーヴェンの交響曲第2番、後半がハンス・ロットの交響曲第1番というプログラム。

寺岡清高は早稲田大学卒業後、桐朋学園大学で学び、更にウィーン国立音楽大学でも指揮を専攻した。その後もイタリアのキジアーナ音楽院やフィエゾーレ音楽院などで学んでいる。師はカルロ・マリア・ジュリーニ、ネーメ・ヤルヴィ、ヨルマ・パヌラなど。2004年に大阪シンフォニカーの正指揮者になっている。昨夏は、急病のネーメ・ヤルヴィの代役としてイギリス室内管弦楽団を指揮してロンドン・デビューを飾った。ところで本当にネーメさんは急病になったのだろうか。師が急病だと偽って弟子にチャンスを与えることはたまにある。

25歳で夭逝したハンス・ロット(1858-1884)の交響曲第1番が演奏されるというのが珍しい。

ハンス・ロットはウィーンの生まれ。16歳でウィーン音楽院に入ってアントン・ブルックナーに弟子入りし、その才能を認められている。2歳下のグスタフ・マーラーは同門であり、親友でもあった。

20歳で交響曲第1番の第1楽章を完成させるが、ブルックナー以外の教師には認められなかった。それでもその2年後には交響曲第1番を完成させ、憧れの存在であったヨハネス・ブラームスを訪問し、ブラームスが審査員を務めていたベートーヴェン大賞に交響曲第1番を応募するが、ブラームスから酷評されて精神を病み、精神病院に入院。回復することなく25歳で亡くなった。

ハンス・ロットの交響曲第1番が初演されたのは、ごく最近のこと。1989年、アメリカのシンシナティにおいてだった。

私が最も信頼している若手指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ(いうまでもなくネーメの息子)は、ハンス・ロットを高く評価していて、インタビューで「録音したい」とも語っていた(その後、フランクフルト放送交響楽団と同曲を録音、名盤となった)。ということで聴いてみたくなったのである。
寺岡はネーメの弟子なので、ハンス・ロットの交響曲第1番を取り上げるのも自然という気もする。

ベートーヴェンの交響曲第2番。寺岡がこの曲を前半に取り上げた理由は、後半のハンス・ロットの交響曲第1番を聴いてわかった。

大阪シンフォニカー交響楽団はアメリカ方式の現代配置を採用。日本のオーケストラとしては珍しい。
3階のステージ左手上の席に座ったということも影響しているのかどうか、ヴァイオリンの響きは実に艶やかだが、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの響きが鈍く聞こえる。

管はまずまず充実していたが、第2楽章でホルンの目立つキークスがあり。

寺岡の表現は中庸を行くもので、悪いところはないが、良いところも余り見つからない。活きの良さを強調するでもなく、音の美しさを追求するでもない。強弱のつけ方は、良く言うと大らか、悪く言うと大雑把である。安心して聴けるベートーヴェンであるが、その分、もの足りなさも感じる。

後半のハンス・ロットの交響曲第1番。
初めて聴く曲だが、青春の息吹が感じられる作品であった。ベートーヴェンの「青春の歌」ともいえる交響曲第2番と組み合わせられたのも納得。

清々しい響きの目立つ曲で、金管などの強奏に浅さが感じられたり、まとまりの悪い箇所もあるが、格好いい音型も多く、オーケストレーションも巧みで、聴かせる。また、鳥の鳴き声を模す音型があるなど、大自然の響きを感じさせる拡がりのある音楽が展開される。第3楽章は、マーラーの交響曲第1番「巨人」の第2楽章に似た舞踏の旋律である。オーストリアの田舎の舞踏をモチーフにしているので似たものになったのかと思いきや、どうもマーラーはハンス・ロットのオマージュとして似た旋律を敢えて書いたらしい。

ブルックナーやマーラーの影響と、ブルックナーやマーラーにも影響を与えたことが窺える作品だ。完成時のロットは22歳。早熟の筆による充実のシンフォニー。

だが、どうも妙なのである。4楽章からなる交響曲なのだが、全ての楽章が太陽の光を燦々と浴びているようで、陰影に乏しい。たまに影のある音型が出てきても、すぐに明るめの旋律で否定されてしまう。

ハンス・ロットの師のブルックナーにしても、友人のマーラーにしても陰影は濃厚である。マーラーの音楽の場合には更に激しい葛藤もある。なのにハンス・ロットの音楽にはそれが感じられないのだ。

明るい未来を夢見る若者の曲であるが、人間である以上、もっと葛藤があってもいいと思うのだがそれがない。全楽章を通して、夢見がちな若者の明るい未来を疑わない音楽に終始する。

そして、第4楽章では、明らかにブラームスの交響曲第1番第4楽章を意識した凱歌が流れ、ラストも自己讃美のように聞こえなくもない。葛藤もないのに凱歌を奏でていいものか。

ブラームスは実はハンス・ロットの音楽を否定したのではなく、人間性に疑問を持ったのではないだろうか。ブラームスはブルックナーと折り合いが悪く、ブルックナーの弟子のハンス・ロットに好感を抱いているはずはなかった。そのロットが賞に曲を発表する事前に自分を訪ねてきて、応募した曲に自己の楽曲の影響を受けたことの窺える部分があったのなら、「媚びを売っている」と思われても仕方がないような気もする。

実は、ハンス・ロットは、ブラームスに作品を酷評されてベートーヴェン大賞には落選するが、同時に応募した芸術家奨学金(審査員はやはりブラームス)が下りたのである。ブラームスが作品を全く認めていないのなら奨学金が下りるはずもない。更にブラームスを信奉していた評論家のハンスリックは、ロットのことを褒めているのである。

しかし、奨学金が下りることが決定した頃には、ハンス・ロットはすでに精神病院の中にいた。ロットはブラームスを尊敬していたようで、そのブラームスから酷評を受けたのがショックで発狂したという。ブラームスが自分を殺そうとしていると口走ったともいう。

これも妙だ。師であるブルックナーも、マーラーも、自作の交響曲の初演は失敗することが多かった。ブルックナーは憧れのウィーン・フィルに自身の交響曲を演奏して貰うべく奔走し、リハーサルにまで漕ぎ着けたが、そこでウィーン・フィルのメンバーに作品を否定されるという屈辱まで受けている。しかし、発狂はしなかった。ブルックナーもマーラーも強迫性障害を患ってはいたのだが。

ブラームスに作品を否定されたのがショックなのはわかるが、ブラームスだって神様ではないのである。あらゆる作品の出来を見抜けるとは限らないし、意図的に芸術作品を否定することもある。ブラームスの批評を鵜呑みにしてしまうとは22歳にしては無邪気すぎないか。発狂するほどブラームスに心酔していたということなのだろうが、余りにも冷静さを欠いている。ブラームスに自作を褒められて当然という意気込みがあったのか。ブルックナーには理解されていたのにそれでは駄目だったのか。自意識が強すぎやしないか。
それが夢見る交響曲第1番の作風に繋がっているように思えるのだ。

演奏は、金管がばたつく場面があったりしたが、全般的に見れば充実していた。

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