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2018年6月の16件の記事

2018年6月25日 (月)

吉田拓郎 「人間なんて」 1990年 日本武道館バージョン

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京都市の今の気温は

34度。かなりむっとします。

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2018年6月24日 (日)

観劇感想精選(246) 「ハングマン HANGMEN」

2018年6月15日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後7時から、ロームシアター京都サウスホールで「ハングマン HANGMEN」を観る。作:マーティン・マクドナー、テキスト日本語訳:小川絵梨子、演出・出演:長塚圭史、出演:田中哲司、秋山菜津子、大東駿介、宮崎吐夢、大森博史、市川しんぺー、谷川昭一朗、村上航、富田望生(みう)、三上市朗、羽場裕一。

「ビューティー・クイーン・オブ・リナーン」、「ウィー・トーマス」、「イニシュマン島のビリー」などで知られるマーティン・マクドナー。イギリスとアイルランドの二重国籍の劇作家であり、映画監督としても活躍。バイオレンス、ブラック・ユーモア、差別などを題材とした本を書いている。長塚圭史はマクドナーの作品を何度も演出しており、今回の「ハングマン」は、「ウィー・トーマス」、「ピローマン」、「ビューティー・クイーン・オブ・リナーン」に次いで4度目の演出となる。

開演前には舞台となる1960年代に流行ったブリティッシュロック(ビートルズなど)が流れている。出演者の平均年齢が高いことや京都ではマーティン・マクドナーの名前が余り知られていないこともあってか入りは「悲惨」の部類に入ると思う。

1963年、絞首刑執行人(ハングマン)であるハリー・ウェイド(田中哲司)が、ジェームズ・ヘネシー(村上航)という男を今まさに死刑にしようとしていた。ヘネシーは女性暴行犯として死刑を言い渡されたのであるが、最後まで無罪とアリバイを主張。ハングマンがハリーであることに関しても、「せめてピアポイント(最も腕が良いといわれた絞首刑執行人)を呼べ!」と言ったことからハリーを激高させる。ハリーがレバーを引き、死刑は執行された。

2年後。イングランドの北西部にある工業都市オールダムにあるパブ。ここはハリーの妻であるアリス(秋山菜津子)が経営する店である。絞首刑の執行が法律によって廃止になるその日、ハングマンをお払い箱になったハリーは、このバーでマスターのようなポジションとなり(この時代はビールを出すときにはカウンターにあるレバーを引いてグラスに注いでいたようである)馴染み客と飲んでいたのだが、そこに見知らぬ客が一人加わっている。マンチェスターから来た新聞記者のクレッグ(長塚圭史)である。クレッグは最後のハングマンであるハリーのインタビューを取ろうとやって来たのだが、ハリーは応じようとしない。ハリーは「2階で話すなら」と妥協案を出すのだが、ハリーは本質的にはお喋りであり、グレッグの口車に乗って、必要以上のことを話してしまう。ただこの記事のおかけで、ハリーは翌日にはオールダムの有名人となる。
店に新客がもう一人やって来る。金髪の若い男、ピーター・ムーニー(大東駿介)である。田舎の工業都市であり、教養も十分とはいえない(ニーチェという名前もキルケゴールの名も聞いたことがない)他の客とは違い、ムーニーはスマートではあるがミステリアスというより不気味な印象を抱かせる。
ハリーとアリスにはシャーリー(富田望生)という15歳の娘がいる。肥満気味で内向的なシャーリーは学校では浮いた存在のようで……。

ブラックな味わいのサスペンスである。ヘネシーが本当に犯人だったのか、またムーニーの正体は何者なのか、なぜムーニーは自らを危機にさらすような行動に出たのか(ニーチェの名前が出るのは伏線なのかも知れないが)、いずれにおいても最後まで解決はなされておらず、観る者の意識は死体さながらに宙づりになったまま。それこそがマクドナーの意図なのだろう。

マクドナー作品の特徴として不毛な恋愛という要素があるのだが、ハリーとアリスの娘であるシャーリーは異性にモテるどころか、学校も休みがちの存在であり、見た目と性格のハンディから今後も異性から相手にされるかどうかも怪しいという状態。それを見越したムーニーに付け込まれるのだが、当然ながら本物の恋愛に発展することはない。結局の所、ハリーもその家族も元の自分からは抜け出せず、未来は暗いままというマクドナーならではのラストが待っている。



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2018年6月23日 (土)

第25回記念 京都五花街合同公演「都の賑い」

2018年6月17日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時からロームシアター京都メインホールで、第25回記念 京都五花街合同公演「都の賑い」を観る。上七軒、先斗町、祇園甲部、宮川町、祇園東の五花街の芸舞妓達による共演である。

演目は、上七軒が長唄「風流寿三番叟(ふうりゅうことぶきさんばそう)」(立方出演:梅嘉、梅志づ、梅葉)、先斗町が常磐津「粟餅」(立方出演:久加代、亜弥)、祇園甲部が東明節「秋の七草 七福神」(立方出演:まめ鈴、つる葉、紗矢佳、美帆子、市有里、小扇、小愛)、宮川町が常磐津「廓八景」(立方出演:ふく葉)、祇園東が長唄「二人猩々(ににんしょうじょう)」(立方出演:美晴、涼香)。その後で、五花街合同による「舞妓の賑い 『京を慕いて』」と出演者総出演によるフィナーレ「祇園小唄」がある。

上七軒の長唄「風流寿三番叟」。個人的には「三番叟」というと野村萬斎が跳んだりはねたりしているようなイメージがあるが、今日は女性出演者による上演だけに跳んだりもはねたりもしない。基本的に優雅な舞である。

先斗町の常磐津「粟餅」。弘化2年(1845)に江戸の中村座で初演された作品だそうで、初演時は「今様道成寺」と対になっていたそうだが、今では「粟餅」のみが上演されているという。語りには年中の餅菓子や行事、六歌仙の名前などが登場する。
歌舞伎舞踊でも舞われる曲目だが、女性ということもあって歌舞伎俳優のような迫力はない。夫婦役での登場で、妻役はまだいいのだが、夫役の場合はどうしても物足りなく感じてしまう。また夫婦が言葉を発する場面があるのだが、ロームシアター京都メインホールの空間が大きいということもあってほとんど聞こえない。

祇園甲部の東明節「秋の七草 七福神」。タイトルの通り、秋の七草を七福神に見立てた演目である。元々は江戸歌で、東明流の創始者でもある平岡吟舟と三世井上八千代との交流から生まれた作品だという。出演者達が手にしている小道具で何の役か見分けがつくようになっている。七福神と七草の関係は、毘沙門天が紫苑、大黒天が吾亦紅、福禄寿が尾花、弁財天が朝顔、恵比寿が女郎花、布袋が葛ということになっているようである(今現在の秋の七草とは異同があるようだ)。

宮川町の常磐津「廓八景」。ふく葉による一人舞台である。この演目も江戸で作られたものだそうだ。江戸・新吉原の行事や風物が近江八景に例えられている。三井の晩鐘、瀬田の夕照、石山寺、粟津の晴嵐、唐崎、堅田、矢橋、比良の暮雪が新吉原の夕景や吉原大門、遊女との契りなどに掛けられている。
立方が、ふく葉一人だけということもあり、他の花街に比べると寂しい感じだが、ふく葉は第1回の「都の賑い」から毎回出続けているベテランだそうで、安定した舞を披露する。

祇園東の長唄「二人猩々」。これも歌舞伎の演目になっているものだが、女ゆえのパワー不足は動きの素早さとキレで補い、なかなか迫力のある舞になっていたように思う。

五花街合同による「舞妓の賑い 『京を慕いて』」。それぞれ4人の舞妓が参加する。今回のセンターポジションは祇園東。下手手前が先斗町、下手奥が祇園甲部、上手手前が上七軒、上手奥が宮川町。時計回りにポジションを移動するローテーションである。
五花街は全て踊りの流派が異なり、振付もバラバラである。ある花街が前を向いているところで他の花街は後ろを見ていたり、左の花街が立っている時に右の花街はしゃがんでいたり、普通に舞っている横で歌詞をなぞった動きをしていたりする。

ラストの「祇園小唄」も華やかであった。


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2018年6月18日 (月)

コンサートの記(397) 鬼束ちひろ CONCERT TOUR 「UNDER BABIES」大阪公演

2018年6月13日 ZEPP Nambaにて

午後7時から、Zepp Nambaで、鬼束ちひろ CONCERT TOUR 「UNDER BABIES」大阪公演を聴く。鬼束ちひろのコンサートに行くのは久しぶり、実に16年ぶりである。

鬼束ちひろの登場は、日本ポピュラー音楽史上においても大きなことだったと思うが、その後の彼女の音楽人生は順風満帆とはいえないものであった。

チケットを取るのが比較的遅かったので、2階席で聴く。ツアーグッズ売り場には長蛇の列が出来ていて、今もなお高い人気を誇っていることがわかる。
今回はピアノ三重奏(ピアノ:坂本昌之、ヴァイオリン:室屋光一郎、チェロ:結城貴弘)をバックに歌う。

デビュー曲である「シャイン」でスタート。「シャイン」はファーストアルバム「インソムニア」にもピアノ伴奏バージョンが収録されているが、今回のアレンジはシングルバージョン(もしくはPVで聴けるアンプラグド・バージョン)に近いものである。

鬼束らしい没入型の歌唱スタイル。発音に明瞭さを欠くように感じられたのだが、その原因らしきものが後に明かされることになる。
左手を動かしながらの歌唱は以前と変わらないが、昔とは違って女っぽい仕草を見せるようになった。三拍子の曲ではワルツを舞うような動きを見せたりもする。

「トリック」シリーズの主題歌となった、「月光」、「流星群」、「私とワルツを」の全曲が歌われるという豪華なセットリスト。その他にも、驚異的名曲として知られる「King of Solitude」、最高傑作の一つである「Infection」のほか、「CROW」、「青い鳥」、「edge」、「螺旋」、「僕等 バラ色の日々」などが歌われる。鬼束作品は内省的な歌詞を持つものが多いのだが、詞・サウンド共に伸びやかな「Sign」が印象に残る。「Infection」では“私に勝ち目などないのに”という歌詞を飛ばしてしまい、ハミングで切り抜けるという場面があるなど、結構ハラハラさせられたりもする。

ラストの曲の前に、「少し喋っていい?」と鬼束が語りかける。5月25日の最愛のお婆ちゃんが亡くなったそうで、怖くお葬式にも行けなかったそうだが、ずっと泣き明かしていたそうで、今回のツアーも出来るかどうかわからなかったほどだったという。多分、歌唱にも影響が出たのだろ。
祖母に捧げる曲として、「VENUS」が歌われる。

鬼束とバックメンバーが引っ込み、新曲である「ヒナギク」が流れ始めてからも拍手は鳴り続け、当人達も迷ったようだが、結局アンコールなしで終わりとなる。それでも客席からは温かい拍手が送られた。


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2018年6月17日 (日)

観劇感想精選(245) M&Oplays 「市ヶ尾の坂」2018大阪

2018年6月9日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後7時から梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、「市ヶ尾の坂」を観る。作・演出・出演:岩松了、出演:大森南朋、麻生久美子、三浦貴大、森優作、池津祥子。

1992年、横浜市青葉区市ヶ尾町にある坂の近くの三兄弟の実家が舞台。特筆すべき大きな出来事は起こらず(大きな動きは全て伝聞の形で登場する)淡々と進む会話劇にして心理劇である。

近くに住む朝倉家の専業主婦、カオル(麻生久美子)が次男の隼人(三浦貴大)と話している。内容はカオルの幼い頃の思い出だ。カオルは福岡県甘木市(現・朝倉市)の出身であり、そこには自宅から離れた大きな楠木のそばの隠れ家や三つ並んだ水車(三連水車)があった。カオルは水車のそばで撮った写真があることを話し、「今度持ってくる」と隼人に話す。三連水車は三兄弟の比喩になっている。
隼人の兄である司(大森南朋)と弟の学(森優作)は共に郵便局員(務めている郵便局は別)、隼人は渋谷にある会社に務めているサラリーマンだ。

カオルの夫は画家の朝倉(岩松了)。息子のヒロシはカオルの実子ではなく、朝倉と先妻・アズサとの間の子である。ヒロシの面倒を見る家政婦の安藤(池津祥子)も三兄弟の家に通っている。近所づきあいもあるようだが、会話の内容から情報がもたらされるだけである。

長ゼリフが多用され、言葉遣いや話し方の人物のキャラクターが投影されているが(カオルは上流階級出身者のような言葉遣いをする)テクニカルな印象も強く、今現在の演劇に比べると舞台に馴染んでいない印象を受けるのも事実である。「市ヶ尾の坂」は、私が宮沢章夫演出公演に出演したことのある「アイスクリームマン」の次に書かれた岩松の戯曲であるが、その場にいない人のことが延々と語られるなどといった共通点も窺える。

劇的なことは余り起こらないがじわじわとと染みこんでくるような味わいがある。

三兄弟の長男である大森南朋であるが、顔がだんだん父親の麿赤児に似てきているのが印象的である。

今月の17日で40歳になる麻生久美子。情感を殺しながら語る場面が秀逸。存在しているだけで場面を作ることの出来る人であり、彼女がアラフォー女優のトップランナーの一人であることは贔屓目ではなく疑いようがない。

池津祥子も出番は短いながらも印象深く、岩松了は今回はカツラをかぶって登場したが、それだけで笑いが起こっていた。

今日はカーテンコールで岩松了が、「特別に出演者から一言」と振る。麻生久美子が池津祥子と顔を見合わせて、「ほんとにー?!」と言っているのが口の動きでわかった。
池津祥子は、「昨日お好み焼きを食べ」て「粉ものが大好き」と語り、「今日は思いのほかお茶が掛かってしまい(ネタバレをするとカオルがお茶をかぶるシーンがある)、後で後ろの鏡を見たら目の下(のメイク)が……」ということで見た目が汚くなってしまったことを前方のお客さんに詫び、「大阪大好きです」ということも忘れなかった。大森南朋はまだ明日の当日券があることを語り、森優作は大阪出身であることを告げて「名前だけでも覚えて帰って下さい」と言った。三浦貴大は大森南朋から「お母さん(山口百恵)のことでも」と振られ、その話はしなかったが、兄弟役3人でカラオケに行き、やはり大森も森も三浦に山口百恵の歌をリクエストするそうで、三浦は「さよならのあれ(「さよならの向こう側」)を」歌ったそうである。大森は、「歌、めっちゃ上手い!」と言っていたが、芸能一家に育ち、実母も実兄も歌手ということでセンスは受け継いでいるのだろう。



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2018年6月16日 (土)

コンサートの記(396) 作曲家 平田聖子の世界 「親鸞が音楽で現代に甦る。」

2018年6月10日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、作曲家 平田聖子の世界 「親鸞が音楽で現代に甦る。」を聴く。

平田聖子は愛知県出身の作曲家。愛知県立芸術大学音楽学部作曲科で小林秀雄(著名な批評家とは別人)に作曲を師事。1995年より宗教音楽の作曲をライフワークに定め、親鸞の世界を作曲し始めている。

出演は、親鸞和讃を歌う会合唱団、大阪ゲヴァントハウス合唱団、波多野均、大田亮子、三輪陽子、伊藤公一、居福健太郎、垣内みどり、中西俊哉、中西雅音(まさお)、戸塚ふみ代、石橋直子、佐久間真理、羽塚知啓(はつか・ともひろ)、荒山淳。平田聖子は司会と指揮を務める。

演目は小品が並ぶ。「破闇(はあん)」(龍笛のための)、「弥陀の本願信ずべし」、「南無阿弥陀仏をとなるれば」、「金剛堅固の信心の」、「信は願より生ずれば」、「十方微塵世界の」、「白骨章」、清風宝樹をふくときは」、「桜の森の満開の下」(弦楽四重奏のための)、「天地いっぱい なむあみだぶつ」、「本願力のめぐみゆえ」

浄土真宗のコンサートということで関係者も多く、普段の京都コンサートホールとは雰囲気が異なる。出演者は名古屋に縁のある人が多く、名古屋にある真宗大谷派の同朋大学の教員が2名(佐久間真理、荒山淳)、名古屋芸術大学の教員が3人(波多野均、伊藤公一、石橋直子)、名古屋フィルハーモニー交響楽団の関係者が3名(中西俊哉、戸塚ふみ代、石橋直子)、愛知県立芸術大学関係者が平田聖子を含めて5名(波多野均、三輪陽子、垣内みどり、戸塚ふみ代)、そして真宗大谷派の名古屋音楽大学の出身である大田亮子に名古屋東照宮雅楽部所属の羽塚知啓(篳篥&コントラバス)という顔ぶれである。

平田聖子の作風であるが、メロディーよりも響きの作曲家であることが感じられる。弦楽の合奏を聴くと宗教音楽の作曲家であると同時に現代音楽の作曲家であることもわかり、仏教音楽、童謡、印象派、黒人霊歌風など幅広い作風を誇っていることも確認出来る。

合唱とメゾソプラノ、アルト、テノール、室内楽という編成による「清風宝樹をふくときは」は、フルートの旋律から察するにラヴェルの「ダフニスとクロエ」より日の出へのオマージュであるように思われる。


無料パンフレットの背面に、「弥陀の名号となえつつ」のボーカル譜が印刷されており、アンコールでは聴衆も一緒に歌う。関係者が多いということもあってか、みんな結構歌ってくれていた。

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2018年6月14日 (木)

田中泯 meets 中村達也/踊り場・叩き場「芒の植え付け」京都公演

2018年6月8日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後7時から、ロームシアタ-京都サウスホールで、田中泯(たなか・みん)meets中村達也/踊り場・叩き場「芒(のぎ)の植え付け」を観る。

大河ドラマ「龍馬伝」の吉田東洋役や映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」の貧乏神役でもお馴染みの田中泯とドラマーの中村達也のセッション。

小澤征爾との共演やウィーン・フィルとのコラボレーションなどで国際的に活躍している田中泯。そのためか今日は客席に白人の姿が目立つ。

舞台中央にドラムスセットが置かれているだけのシンプルなセットでの上演。

田中泯は長着を着て野球帽をかぶり、椅子を持って登場。中村達也のドラムに合わせて、まずはゆったりとした動きでスタート。時に呆けたような表情で、時には椅子を車いすに見立てて押すような仕草で、時には「「わー! わー!」と叫びを上げながら、多彩な動きを繰り出していく。
客席の通路も使用し、中央通路では最も速い動きになるなどバリエーション多彩である。
ステージに戻った田中は、スネアドラムを手に、叩きながら踊り出す。まるで一遍上人の念仏踊りのように。
最後は客席に手拍子を要求し、多くの手拍子が響く中で田中は舞う。音楽と肉体の交点の一歩外で踊るようなパンクでファンキーなパフォーマンスであった。

拍手が鳴り止まなかったため、田中と中村はショートサイズのアンコールパフォーマンスを行い、この時は田中は速いテンポで生き生きと踊った。



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2018年6月10日 (日)

AI・HALL 世界演劇講座番外編 「劇作家デーア・ローアーを迎えて」

2018年5月28日 伊丹市立演劇ホールAI・HALLカルチャールームBにて

午後7時15分から、AI・HALLカルチャールームBで、世界演劇講座番外編「劇作家デーア・ローアーを迎えて」に参加する。

デーア・ローアーはドイツの女性劇作家。バイエルン州・トラウンシュタイン生まれ、ミュンヘン大学(正式名はルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン)で哲学とドイツ文学を学んだ後、ベルリン芸術大学に入りハイナー・ミュラーに師事、在学中に上演台本を書き始める。主に劇作を行っているが、小説を1冊、エッセイを数冊、オペラ台本を2本書いているという。

「オルガの部屋」でデビュー後、次作の「タトゥー」(1992年)と「リバイアサン」(93年)で演劇専門誌テアター・ホイテの年間最優秀新人劇作家に選ばれる。「タトゥー」は2007年に東京で上演され、デーア・ローアーもその時に来日しているが、東京しか訪れる機会がなかったそうだ。93年にゲーテ賞、98年に劇作家賞、2006年にブレヒト賞受賞。

世界演劇講座は、演劇評論家の西堂行人(にしどう・こうじん)とエイチエムピー・シアターカンパニー所属の演出家・笠井友仁(かさい・とものり)によって行われる講座で、最初は西堂行人が所属していた近畿大学国際人文科学研究所の主催により大阪・日本橋の近大会館で行われていたが、研究所が閉鎖されたため、2014年からは伊丹AI・HALLに場所を移して開催されているようである。今年度は7月から来年2月まで5回の講座が行われる予定。西堂行人は昨年、近畿大学教授を退職し、新設された明治学院大学文学部芸術学科演劇身体表現コース教授に就任している。
世界演劇講座自体は受講料が1回につき1500円掛かるが、今回は番外編であるため無料である。

笠井友仁は、2011年にデーア・ローアーの「最後の炎」を演出し、AI・HALLと笠井の出身地である仙台などで上演しているという。

「最後の炎」のテキスト冒頭部が印刷されて配られたが、セリフに役は振られておらず、文脈から語り手が誰か明確でない場合は演出家に一任する場所もある。
7年前の8月19日の正午から物語は始まるのだが、8月19日という日付やその日の天気、正午だったことは短いスパンで何度も繰り返し提示され、ミニマル演劇の影響を受けていることがわかる。

またフラグメントを集合させるという手法を特徴としており、作品自体の集合性(コレクティブ)を大切にしているようである。視座を集合させることにより、共同体とその中での関係性を浮かび上がらせることを得意とするようだ。

「最後の炎」は、2007年に南米で実際に起こった交通事故をモチーフとして創作されたという。新聞記事で南米での交通事故を知った後で、デーア・ローアーはアフガニスタンに出掛けたのだが、悲惨な環境のアフガニスタンで悪いことにローアーは病気になってしまい、野戦病院のようなところで三日ほど横になっていたという。そうした経験から、アフガニスタンの兵士やアフガニスタンに派遣された国連軍の多くがトラウマを抱えており、しかもトラウマを人に伝達する言葉を持っていないことに気づき、記憶とトラウマを語るための言語を、ステージにおいて、観客も含めて模索するような作品を書こうと志したそうである。

またブレヒトなどの時代にはカテゴリーが今よりはっきりしていたとも語る。冷戦があり、東と西があり、レーゾンデートルもはっきりしていた。今ではそうしたものが曖昧になっており、はっきりわかるのはドナルド・トランプに代表される狂ったアメリカ人だけになってしまっているという。

「最後の炎」が役を振られていない文章であることに関して、西堂行人が日本の伝統演劇である語り物を踏まえつつ、対話というものを必要としているのは弱者なのではないかと唱える。確かにトランプ大統領のような人は対話をする必要がない。自分の思いつくままを語っておれば良く、人の話など聞かなくても問題ない。ローアーは、「弱者には発言力がない」ことを指摘する。発言を聞いて貰えるのは強者だけで、弱者はほとんど何も聞いて貰えない。そこでローアーは弱者のための言葉を見つけることにも腐心していると語った。

ちなみに日本ではリアリズム演劇が主流であるが、ローアーはアンチ・リアリズムの手法を貫いているようである。舞台とは芸術の空間であり、日常とは違った空間であるためそこにリアルを求めるのはおかしいと考えているようだ。



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2018年6月 9日 (土)

コンサートの記(395) ジョセフ・ウォルフ指揮 日本センチュリー交響楽団第225回定期演奏会

2018年5月31日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、日本センチュリー交響楽団の第225回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はイギリス出身の若手、ジョセフ・ウォルフ。

ジョセフ・ウォルフは、実はサー・コリン・デイヴィスの息子である。だが、親の七光りを嫌い、芸名で活躍している。ロンドンの王立音楽院と、ドレスデンのカール・マリア・フォン・ウェーバー大学でヴァイオリンをジョルジ・パウクらに師事。アマデウス弦楽四重奏団、ボロディン弦楽四重奏団、タカーチ・カルテットと共に室内楽の経験も積み、ウォルフ・カルテットを結成している。指揮は、コンラート・フォン・アーベル、ヨルマ・パヌラ、クルト・マズア、小澤征爾らに師事。カール・マリア・フォン・ウェーバー大学在学中にブランデンブルク・フィルの指揮者に就任している。その後、イギリスに戻り、ギルドホール音楽演劇学校でも学んでいる。


オール・ベートーヴェン・プログラムで、「コリオラン」序曲 作品62、ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品61(ヴァイオリン独奏:クロエ・ハンスリップ)、交響曲第4番 作品60。作品番号の並んだ作品をプログラミングしている。

今日のコンサートマスターは、後藤龍伸(たつのぶ)が務める。


ジョセフ・ウォルフ登場。口髭と顎髭を伸ばしており、写真とは大分イメージが異なる。


「コリオラン」序曲。ピリオドを援用した演奏で、燃焼度、ドライブ能力共に高い演奏である。


ヴァイオリン協奏曲ニ長調。ソリストのクロエ・ハンスリップは、1987年生まれの若手。ピアニストのダニー・ドライバーと共にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集を作成している。ロシア人教師のザハール・ブロンに10年間学び、クリスティアン・テツラフ、イダ・ヘンデル、サルヴァトーレ・アッカルドにも師事している。

ハンスリップは美音家。スケールはさほど大きくないが、磨き抜かれた音が心地よい。


交響曲第4番。ここではかなりピリオドを意識した演奏を聴かせる。急激な音の盛り上げ、典雅なピッチカートなど美しさと力強さを兼ね備えた音楽を生み出していく。
ウォルフの指揮はそれほどダイナミックではなく、指揮姿も個性的ではないが、音楽同様、イギリス的なエレガントさとドイツ的な堅固な構築感を感じさせるものであった。

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2018年6月 7日 (木)

コンサートの記(394) 京都フィルハーモニー室内合奏団 室内楽コンサートシリーズ Vol.66 「後期ロマン派の潮流」

2018年5月30日 京都文化博物館別館ホールにて

午後6時30分から、三条高倉の京都文化博物館別館ホール(旧日本銀行京都支店)で、京都フィルハーモニー室内合奏団 室内楽コンサートシリーズ Vol.66 「後期ロマン派の潮流」を聴く。京都フィルハーモニー室内合奏団が京都文化博物館別館ホールや京都府立府民ホールアルティで行っている室内楽のコンサート。京都フィルハーモニー室内合奏団は定期演奏会でも比較的珍しい曲目を取り上げることが多いが、室内楽コンサートでも他では聴くことの出来ない曲が並ぶ。

今日の曲目は、ツェムリンスキーの「ユモレスク」、マーラーのピアノ四重奏曲、マーラーの交響曲第5番より第4楽章アダージェット(室内楽版。Mr.Nurse編曲)、ヴォルフの「イタリアンセレナード」、ワーグナーの「ジークフリート牧歌」
今回のプログラムは、京都フィルハーモニー室内合奏団チェロ奏者の佐藤響がプロデュースしたものだそうで、トークも佐藤が中心になって務めていた。


ツェムリンスキーの「ユモレスク」。抒情交響曲や交響詩「人魚姫」が有名なツェムリンスキー。音楽教師としても活躍し、弟子であるアルマ・シントラーと恋仲になるが、実ることなく、アルマはマーラーと結婚することになる。
市川えり子(フルート)、岸さやか(オーボエ)、松田学(クラリネット)、小川慧巳(ファゴット)、御堂友美(ホルン)による演奏。「ユモレスク」というタイトルの通り、ユーモアを感じさせる曲だが、19世紀末生まれの作曲家らしいロマンティシズムも濃厚である。

さて、ツェムリンスキーの下を離れてマーラーと結婚したアルマ。芸術的才能に恵まれ、作曲をこなす才色兼備の女性であったが、自我が強く、虚言癖のある悪女としても有名でマーラーを手こずらせている。


マーラーのピアノ四重奏曲。マーラーが16歳の時に書いた作品である。この時、マーラーはウィーン楽友協会音楽院に在学中、同期生にハンス・ロットがいた。マーラーは交響曲を未完成のものも含めて11曲と歌曲を多く残したが、指揮者としての活動がメインとなったこともあり、室内楽曲や器楽曲などは若い頃に数曲書いただけである。
西脇小百合(ピアノ。客演)、中野祥世(ヴァイオリン)、松田美奈子(ヴィオラ)、佐藤響(チェロ)による演奏。
16歳で書かれたにしてはシリアスな楽曲である。陰気で沈鬱であり、マーラーの個性が表れているが、後年に書かれた彼の交響曲に聴かれるようなグロテスクな面はまだ表に出ていないようである。


マーラーの交響曲第5番より第4楽章アダージェット。ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「ベニスに死す」で用いられたことで有名になっている。ちなみにトーマス・マンの原作では主人公のグスタフ・アッシェンバッハは作家ということになっているが、トーマス・マン自身がマーラーをモデルにアッシェンバッハ像を作り上げており、映画ではアッシェンバッハは作曲家という設定に変えられている。
ちなみに、ワーグナーはベニスにおいて客死している。
アメリカの作曲家による編曲だそうである。西脇小百合(ピアノ)、森本真裕美(ヴァイオリン)、岩本祐果(ヴァイオリン)、松田美奈子(ヴィオラ)、佐藤響(チェロ)による演奏。
やや速めのテンポによる演奏だが、速度記号がアダージェットであるため、これが指示通りの速さであるともいえる。オーケストラがこの曲を比較的ゆっくり演奏するのは、レナード・バーンスタインがジョン・F・ケネディ追悼演奏で緩やかなテンポを採用したことが影響しているといわれている。
マーラー特有の農濃さが室内編成によって中和されたような印象を受ける。


ヴォルフの「イタリアンセレナード」。森本真裕美、中野祥世、松田美奈子、佐藤響のカルテットによる演奏。
梅毒を原因とする精神病に苦しみ、42歳の若さで亡くなったフーゴ・ヴォルフ。若い頃はやんちゃにして不真面目な学生で、ウィーン音楽院を退学になっている。熱心なワグネリアン(ワーグナー崇拝者)であり、歌曲の作曲家であったが、歌曲自体が余りお金になるジャンルではなく、収入面では恵まれなかったようである。
「イタリアン」とタイトルに付くことから分かるとおり、快活な楽曲である。歌曲の作曲家らしい伸びやかな旋律も特徴。


ワーグナーの「ジークフリート牧歌」。今日演奏される曲目の中で最も有名な楽曲である。トランペットの西谷良彦がトークを務め、ワーグナーが妻のコジマと生まれたばかりの息子のジークフリートのために書いた曲であること、コジマの誕生日の朝にワーグナー家の階段に楽士を並べて初演されたことなどが語られる。
その後、ワーグナーとコジマの関係についても話そうとしたのだが、楽団員が出てきたため、「詳しくはWikipediaなどにも書いてあります」と述べて終わりにした。
フランツ・リストの娘であるコジマは、史上初の職業指揮者でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の初代常任指揮者としても知られるハンス・フォン・ビューローと結婚したのだが、ワーグナーがコジマを略奪。ビューローはワーグナーを尊敬していたため文句も言えず、引き下がるしかなかった。ワーグナーは作曲家としては大天才だったが、人間的にはかなり異様なところがあり、積極的に友人にはなりたくないタイプであった。そのためベニスでの最期にも不審死説や他殺説があったりする。

市川えり子(フルート)、岸さやか(オーボエ)、小川慧巳(ファゴット)、松田学(クラリネット)、伊藤咲代子(クラリネット。客演)、御堂友美(ホルン)、垣本奈緒子(ホルン。客演)、西谷良彦(トランペット)、岩本祐果(ヴァイオリン)、中野祥世(ヴァイオリン)、松田美奈子(ヴィオラ)、佐藤響(チェロ)、金澤恭典(コントラバス)による演奏。

「ジークフリート牧歌」には名盤も多いが、京フィルのメンバーもしっかりとした美しい演奏を展開。京都文化博物館別館ホールの音響も分離こそ十分ではなかったが、残響も良く、また内装が生み出す雰囲気がクラシック演奏によく合っている。


アンコールは、ワーグナーの「ローエングリン」より“婚礼の合唱(結婚行進曲)”。温かな演奏であった。

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2018年6月 5日 (火)

「談ス」シリーズ第三弾「凸し凹る」京都公演

2018年6月1日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後7時から、ロームシアター京都サウスホールで、「談ス」シリーズ第三弾「凸し凹る」(正式な読み方不明)を観る。大植真太郎、森山未來、平原慎太郎の3人によるダンスパフォーマンスの3回目。思えば、ロームシアター京都サウスホールで初めて観た演目が、「談ス」の第一弾公演であった。

今回も開演前にユーモラスなアナウンスがある。携帯電話電波抑止装置の佐々木によるもので、答えが「きんし(菌糸、近視)」になるクイズを出したりしていた。

まず、森山未來が客席に背を向けて登場し、体の痒いところを掻いているうちに素早い動きのダンスとなる。
続いて大植真太郎が現れ、バレエのジャンプを繰り出そうとするが惜しいところで上手くいかない。
最後に平原慎太郎が丸机を手に現れ、大植真太郎にダメ出しをする。動きは「YES」とされるが顔が「NO」だったりする。

その後、三人が体を組み合わせて様々なポーズを作るが、森山未來がスライムに右手が付着して離れなくなる。その後、両手が付着。だが、最後は森山未來はスライムを両手で取り上げて、丸机の上に置く。そのスライムで即興的な形状が生み出され、他のダンサーがそれを模したポーズを取る。森山未來は縦長にして、「京都タワー」「金閣寺」と京都絡みのかなりイージーなものを作っていた。

やがて床にある全てのスライムが丸机の上に乗せられ、端からこぼれ落ちていく。森山未來がとあるものについて語り始める。それは「かつては健康にいいとされているが現在では健康に悪いとされているもの」である「ただ健康に悪いということが証明されているわけでもない」ものだ。それには境界があって隔てられているが、すぐに通り抜けることも出来る。「誰が決めたのかわからないもの」である。森山未來と平原慎太郎が誰が決めたのかについてやり合う。

その後も、三人がユーモアを交えた組み体操風アクロバットを行う(二人を馬にして立つと「奈良が見える」そうだ)のだが、意味を求めるまでもなく、純粋に動きが面白い。
森山未來がテニスのサーブを模し、大植真太郎が「レット!」ではなく「ネット!」という場面があるのだが、これは受け狙いではなく、単にテニスに関する知識が余りなかったのだろう。

その後、天井からスライムが蜘蛛の糸のように降りてきて、床に溜まっていく。森山未來と大植真太郎がスライムまみれになりながら組み合うようなダンスを行う。

丸机に手を置いて客席に背を向けていた平原慎太郎が振り向き、「えー」と古畑任三郎を演じる田村正和の真似をする。「古畑任三郎」が放送されてから、田村正和の物真似をする人は必ず古畑任三郎の真似をするようになってしまった。「最近、引退したんですが」と田村正和の近況について語り、「ジャッキー・チェンは一度引退したことがあるんです。すぐ戻ってきましたが。宮崎駿は引退3回、大仁田厚は8回」と引退するする詐欺をいじる。「役を演じている時に人はどうなっているんでしょう? 彼(平原自身)はどこに行ってしまったんでしょう」と語り、「皆さん、この作品のタイトルをご存じですか?」と客席に聞き、平原が口パクで本当のタイトルを言って上演は終わる。

メッセージ自体は、「区分されていない状態」について誰がどう画するのか、それが正解なのか、そもそも名を付けて区分する必要があるのかを問うもので比較的わかりやすい。ただそれ以上に三人によって形作られている体の動きやコンビネーション、ポーズ自体が面白く、日本の若手を代表するダンサーの才気に満ち溢れていた。

即興性に富む作品であるため、ラストの形状(机とスライム)が毎回異なる。リーダーの大植慎太郎が京都の面影として三人が退場した後でセットを撮影し、SNS(Instagram、Facebook、Twitter、Twitter社はTwitterがSNSであることを否定しているが)に掲載するよう観客に促していた。



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2018年6月 3日 (日)

成田達輝&萩原麻未デュオ


おめでとうございます。

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コンサートの記(393) 藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団第205回定期演奏会

2008年9月4日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪のザ・シンフォニーホールで、関西フィルハーモニー管弦楽団の第205回定期演奏会を聴く。今日の指揮は関西フィル首席指揮者の藤岡幸夫。

曲目は、ヴォーン=ウィリアムズの「タリスの主題による幻想曲」、吉松隆の左手のためのピアノ協奏曲「ケフェウス・ノート」(ピアノ独奏:舘野泉)、シベリウスの交響曲第5番。
藤岡幸夫は、日本におけるシベリウス解釈の泰斗であった渡邊暁雄の弟子であり、シベリウスの交響曲第5番は、藤岡が最も愛する曲とのことである。

午後6時40分頃に、例によって関西フィル事務局の西濱さんが出てきて、指揮者の藤岡を招いてのプレトークを行う。藤岡によると今日の演奏会は、今年の関西フィルが組んだ最も美しいプログラムであるとのことである。

ヴォーン=ウィリアムズの「タリスの主題による幻想曲」。プレトークで、藤岡は弦楽の別働隊(というものがこの曲では用いられるのである)にノンビブラートでの演奏をさせると語っていたが、その通り、徹底してビブラートを抑えた古雅な響きが美しかった。
関西フィルの音色は綺麗だが、私は数ヶ月前に「タリスの主題による幻想曲」を大植英次指揮の大阪フィルハーモニーの演奏で聴いており、大植が描いた異様なほど繊細な美しさや、弦楽別働隊と本隊との切り替えの巧みさが思い出されてしまった。
やはり現時点では、大植の実力が藤岡のそれの遙か上を行っていると断言していいだろう。


吉松隆の左手のためのピアノ協奏曲「ケフェウス・ノート」は、今日のソリストである舘野泉(男性です)のために書かれ、昨年、ドレスデン室内管弦楽団の来日公演時に舘野のピアノソロで初演された。
今回は、藤岡の要請を受けて、吉松隆自身が2管編成のフルオーケストラ用に改訂した版での演奏。改訂版での世界初演である。

会場には吉松隆の姿もある。

吉松隆と藤岡幸夫は慶應高校の先輩後輩であるが、実は舘野泉も慶應高校の出身であるという。吉松と藤岡はそのまま慶應大学に進んだが(吉松は大学を中退した)、舘野は東京藝術大学に進学している。

そんな慶應高校トリオ(?)による曲と演奏。まず吉松の曲であるが、これが世にも美しい佳編。朝靄の高原の中を歩いているかのような可憐な冒頭、小川のせせらぎのようなピアノの楚々とした音色。シベリウスを意識したと思われる(吉松も藤岡も舘野もシベリウス好きという共通点がある)オーケストレーション。今後、左手のためのピアノ協奏曲の定番になってもおかしくない秀麗さを持っていた。

演奏終了後に吉松もステージに呼ばれ、聴衆から喝采を浴びる。

脳溢血のため、右手が不自由になり、現在は左手のピアニストとして活躍している舘野泉。フィンランドに居を構え、日本シベリウス協会の会長でもある。舘野泉の父親が舘野泉に会うために一人でフィンランドを訪れたところ、フィンランドの空港でパスポートを見た税関の職員が、「オー、ピアニスト、TATENO!」と言ったため、父親に「お前はそんなに有名なのか」と驚かれたというエピソード(舘野泉本人が以前話していた)があり、おそらく存命中の人物としてはフィンランドで一番有名な日本人は舘野泉だと思われる。

現在もリハビリに励んでおり、いつの日か両手のピアニストとして復帰する夢を持っているという舘野。しかし、出てくる時は足を引きずる感じで、ピアノのもとまで行くのが難儀そうであった。それでも演奏は素晴らしく、彼らしいリリカルな音色が最大限に発揮されていた。

アンコール曲として、舘野はカッチーニの「アヴェ・マリア」を弾く。「左手独奏のための編曲は吉松だろうか?」と思っていたが、「アヴェ・マリア」の演奏が終わった後に吉松も登場したのでどうやらそうらしいことがわかる(後で確認したところ、やはり吉松の編曲であった)


シベリウスの交響曲第5番。藤岡のこの曲への愛情が滲み出ているかのような演奏。第1楽章ラストの追い込みが激しすぎるのでは、という疑問もあるが、全曲を通して透明感に溢れた美演を繰り広げた。第3楽章で金管の音型が崩れる場面が何度かあったのが残念であるが、良きシベリウス演奏であったと思う。

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コンサートの記(392) ダニエーレ・ルスティオーニ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第518回定期演奏会

2018年5月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第518回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はイタリアの若手、ダニエーレ・ルスティオーニ。

1983年生まれ、現在34歳のダニエーレ・ルスティオーニ。アンドレア・バッティストーニ、ミケーレ・マリオッティと共にイタリア若手三羽烏の一人に数えられる。昨年9月に大野和士の後任としてリヨン国立歌劇場の首席指揮者に就任したばかり。2014年からはイタリアのトスカーナ管弦楽団の首席指揮者も務めている。
日本では東京フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者を務めるバッティストーニの評価が高いが、イタリア国内ではルスティオーニの方が現時点では評価が上のようだ。
ミラノのジュゼッペ・ヴェルディ音楽院で学んだ後、シエナのキジアーナ音楽院でジャンルイジ・ジェルメッティに師事。ロンドンの王立音楽院でジャナンドレア・ノセダにも学ぶ。英国ロイヤル・オペラでサー・アントニオ・パッパーノのアシスタントを経て、サンクトペテルブルクのミハイロフスキー劇場の首席客演指揮者を2年間務めている。

曲目は、メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」とマーラーの交響曲第4番(ソプラノ独奏:小林沙羅)という4並びである。

今日のコンサートマスターは崔文洙。今日はフォアシュピーラーに須山暢大が入る。

メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」。冒頭から各楽器の分離が明瞭であり、大変見通しが良い。ジャンプを繰り出すなど若々しい指揮姿のルスティオーニだが、音捌きの腕は抜群。大フィルから輝かしくも生き生きとした音を引き出していく。熱さを感じさせつつ上品という理想的な演奏となった。

マーラーの交響曲第4番でも上質の音楽が展開される。マーラー独特のおどろおどろしさは後退し、チャーミングな音色による愛らしいマーラー像が描かれていく。第3楽章などは正に天国的というに相応しい気品溢れる美演であった。バッティストーニが「未来のトスカニーニ」ならルスティオーニは「未来のクラウディオ・アバド」であろう。
小林沙羅はリリカルソプラノではないので、この曲の独唱に合っているかどうかは微妙だったが、安定感のある歌声を聴かせてくれた。



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2018年6月 1日 (金)

笑いの林(103) よしもと祇園花月 「祇園ネタ」&祇園吉本新喜劇「空き巣犯を逮捕しろ!」 2018年5月26日

2018年5月26日 よしもと祇園花月にて

午後3時30分から、よしもと祇園花月で「祇園ネタ」と祇園吉本新喜劇「空き巣犯を逮捕しろ!」を観る。昨日、夜も遅くなってからチケットを取ったのだが、い列(2列目)3番という席であり、土曜日ではあるがチケットは余り売れていないようである。祇園花月ににとっては団体客が生命線であるようだ。


祇園ネタの出演者は、ニューヨーク、プリマ旦那、ガレッジセール、ティーアップ、桂文枝。

ニューヨーク。突っ込みの屋敷裕政は同志社大学の出身である。
憧れのドラマのシーンを演じるという設定で、黙って海外留学に出掛ける彼女を引き留めるという設定なのだが、ボケで引き留め役の島佐が滅茶苦茶なことを言って、結局止められないというものである。


プリマ旦那。例によって河野が「お笑いをやっていなかったら教師になりたかった」という話をし、河野が教師役を野村が不良生徒役を演じるのだが、野村が煙草を吸っているとみせて「人差し指と中指を近づけたり遠ざけたりしているだけ」だったり、煙草を吸っているという設定に変えると「留年を重ねて今24歳」という設定にしてしまったりする。
河野が「ちゃんとした不良やれ!」と言うと、野村は「はあ? ちゃんとした不良? 不良やぞ、良でないっていう。ちゃんとした不良がどこにおんねん?」と突っ込まれていた。


ガレッジセール。今日はコントをやる。川田が沖縄の不動産屋の主、ゴリが転勤で沖縄に来たサラリーマンという設定である。沖縄の音楽を掛けて踊りまくっている川田。ゴリは「沖縄の不動産屋さんってこんなにハイテンションなのか」と戸惑う。川田は契約がまとまったり洒落が成立した時は音楽を掛けて踊ることにしているという。
ゴリが「海が見える」物件を希望すると、川田はすぐに該当する物件を紹介するのだが、なぜか「インド洋に面した」部屋である。当然ながらインドにある。インドから沖縄までは通えないので別の物件にして貰うと、今度はユニットバスの物件を紹介される。ユニットバスは「UB」で表記されているのだが、「HB」表記の部屋もある。ハブのことだそうで、沖縄らしさの演出のよう。ゴリが「ハブはいらない」と言うと、川田は「ハブは省く」とだじゃれを言ってラジカセのスイッチを押して踊りだそうとしてしまう。今度は100ヘーベーの部屋を紹介されるが、よく見ると100ヘーベーではなく、100べーへーで、100人の米兵がガードにつくのだそうだ。セコムに入るよりも安心らしい。


ティーアップ。今日も長谷川が「女が男の裾持って歩いてる」と言って、前田に「裾いったら(ズボンの)ここや」といって、袖と直される。
車の当たり屋のネタをやるのだが、二人とも直前で止めたり避けたり当たったら謝ったりと、どうしても普通の人を演じてしまう。


桂文枝。西城秀樹が亡くなったという話から入り、「ローラ」の西城秀樹が63歳、「僕たち男の子」の郷ひろみが62歳、「改札口で君のこと」の野口五郎が62歳(「別に歌わなくていいんですが」と自身に突っ込んでいた)ということで時の流れの速さを感じるという。
年を取ると、耳鼻咽喉科に通うことが多くなるのだが、先日、ある耳鼻咽喉科で検査を受け、「もうそろそろ軽いのどうですか?」と言われたという。なんことかと訝しんでいると、「補聴器を付けてみないか」ということだったらしい。文枝はセカンドオピニオンということで別の医者に行き、検査でもずるをしようとしたのだが、結果はやはり「補聴器を付けた方がいい」、そこで3件目の耳鼻科に行き、検査の時に「音が鳴らなくてもボタンを押す」作戦に出たのだが、検査室のドアががらりと開いて、「まだ鳴らしてません」と言われたそうだ。吉本屈指の音楽好きである文枝だけに補聴器は嫌なのではないだろうか。
耳鼻科は耳の遠い人が多いので、呼び出しの声も「吉村さーん! 吉村さんいらっしゃいますか!」と他の科に比べて声が大きいそうだ。また文枝の横に座っていたおじいさんが、「今、中田って呼びませんでしたか?」と受付に聞いていたそうだが、「中田さーん!、中田さーん!」と呼び出しがあっても隣のおじいさんは動かない。そこで文枝が「中田さんて呼んでますよ」と教えたのだが、「わしゃ田中や」とわけのわからない展開になったそうである。
文枝も声が小さくなり、張りもなくなったように感じる。


祇園吉本新喜劇「空き巣犯を逮捕しろ!」。出演は、内場勝則(座長)、浅香あき恵、信濃岳夫、青野敏行、佐藤太一郎、鮫島幸恵(ゆきえ)、伊賀健二、前田真希、タックルながい、安尾信乃助、新名徹郎、カバ、チャーリー浜。

信濃岳夫が花月交番勤務の警官、内場勝則が新任の警官という設定である。内場の方が年上だが、内場は転職組なので階級は信濃の方が上だ。信濃には鮫島幸恵という彼女がおり、幸恵は毎日信濃にお昼ご飯のお弁当を届けてくれるのだが、内場は幸恵に「ほっともっとの方?」と勘違い発言をしてしまう。交番の向かいの喫茶店は浅香あき恵が、年配アルバイトの青野敏行と共に経営している。青野は若い頃放蕩者で、妻と息子を捨てて家を飛び出し、あちこちを転々としていた。
近くで空き巣事件が多発しているというので、県警の刑事である伊賀健二と前田真希が見回りにやってくる。内場は「刑事ってやっぱり渾名で呼び合うんですか?」と聞き、伊賀は「犯人を捕まえるのが早いのでハヤブサと呼ばれています」というが、内場は「もっと速い方がいい、顔もそんな感じだし、新幹線」と決めてしまう。前田真希は「潜入捜査が得意なので潜入の真希」と呼ばれているそうだが、内場は「貧乳の真希?」
青野の息子の名前だが、今は母方の苗字である佐藤を名乗って、佐藤太一郎であることがわかる。そこに佐藤太一郎を名乗る男が現れて……。

今回も台本は突っ込みどころだらけで、出演者の持ち味で見せる芝居であった。まあ、軽演劇だから台本が出しゃばってはいけないだろう。

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