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2018年7月23日 (月)

コンサートの記(404) 「江藤ゆう子 昭和を歌う」2018@アンサンブルホールムラタ

2018年7月14日 京都コンサートホール・アンサンブルホールムラタにて

午後2時から、京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタで、「江藤ゆう子昭和を歌う」と題されたコンサートを聴く。

京都市出身である江藤ゆう子。これまで昭和歌謡を150曲歌ってきており、2年前にロームシアター京都オープニングイベントの一つとしてサウスホールで総集編のコンサートが催された。今回はプランツ・コーポレーションの武部宏のリクエストによって開催されたものである。

昭和は64年まであり(厳密には62年+昭和元年が1週間+昭和64年が1週間)元号の中で最長。しかも昭和モダニズムがあり、大戦があり、高度経済成長があり、安保などを巡る学生運動があり、マスメディアの発達があり、音楽に関してもレコードやカラオケの台頭がありと、政治経済文化全てにおいて激動の時代であった。ただ良い歌と売れる歌が一致していた幸福な時代と見ることも出来る。

平成に入ると歌謡曲という言い方自体がされなくなり、呼び方はJPOPに。音楽のジャンルは細分化され、特定のジャンルのみ詳しい人も増えた。というよりカラオケが発達しすぎて、音楽は聴くものではなく歌うものになった。それ自体は良くも悪くもないのだろうが、聴くという行為が「カラオケで歌うために覚える」に転換されてしまい、聴いて楽しむ何かを聴き取るという行為は残念ながらないがしろにされつつあるように思う。「平成歌謡(平成ポップス)」が今度どう評価されるかにも興味があるが(日本でブラックミュージックが本格的に広まるのは平成以降である)、今日はとにかく昭和歌謡を聴く。

曲目は第1部が、「私の青空」、「東京ラプソディー」(以上、戦前)、「テネシーワルツ」、「東京ブギウギ」、「港が見える丘」(以上、昭和20年代)、「星のフラメンコ」、「いつでも夢を」、愛の讃歌(以上、昭和30年代)、「真っ赤な太陽」、「喝采」、「二人でお酒を」、「街の灯り」、「虹と雪のバラード」(以上、昭和40年代)。第2部が、「聖母(マドンナ)たちのララバイ」、「赤いスイートピー」、「恋人よ」(以上、昭和50年代)、「天城越え」、「愛燦燦」(以上、昭和60年代)、みなさんで歌うコーナーに「りんごのうた」、「見上げてごらん夜の星を」、「青春時代」、「川の流れのように」の4曲があり、ラストは江藤ゆう子のオリジナルナンバーである「愛のうた」で締められる。

参加ミュージシャンは、小松尚人(ドラムス&パーカッション)、中嶋明彦(ベース)、黒田かなで(ヴァイオリン)、井上弘道(サックス)、笹井順子(ピアノ)。
小松、中嶋、笹井の順でステージに登場。黒田と井上は後方から客席通路を通ってステージの上がる。最後に江藤が登場したが、ワイヤレスマイクが最初、オンにならないというハプニングがあった。その後も、ワイヤレスマイクがオンにならない場面があったため、第2部ではワイヤーのついたマイクに切り替えられた。

客席はご年配の方が目立つが、「昭和」に特別な思い入れのある若い人も多いため、若者の姿もあった。

昭和歌謡にはバックのミュージシャンの技量に問題があったりするが、勢いや熟成がない交ぜになった面白さがある。戦後直後は「俺たちは音楽で復興を盛り上げるんだ」という気概があり、後年になる毎に衣食住完備の成熟した社会の中でのラブソングが増えるようになる。

私は遊佐未森の「檸檬」や「スヰート檸檬」といった昭和歌謡カバーアルバムを愛聴しており、テレビドラマなどで使われた昭和歌謡を拾っていくことで、まずまず多くのナンバーを知ることが出来ている。今回取り上げられた曲で「全く知らない」聴いたこともないという曲は1曲もない。今はYouTubeなどで古い曲を気に聴くことが出来る時代である。

「テネシーワルツ」は、テネシー州の州歌。日本には都道府県を代表する歌が全ての自治体にあるわけではないが、○○の国歌などといわれる曲が存在してる場合もある(例えば、「青葉城恋歌」は仙台の国歌、「いざゆけ若鷹軍団」が福岡の国歌といったように)。ポップスが自治体の歌というのは素晴らしいことであるように思われる。

「港が見える丘」の舞台は神戸であるという説があるが、今、横浜にある港の見える丘公園は、「港が見える丘」に触発されて生まれたものである。歌が施設を生んだという興味深い例である。今回は1番と3番のみの歌唱であった。

「星のフラメンコ」は、私にとっては関根勤が西郷輝彦を真似して歌っていたナンバーである。「いつでも夢を」は橋幸夫と吉永小百合のオリジナルよりも桑田佳祐と原由子夫妻のバージョンを聴く機会が多かったような気がする。

「虹と雪のバラード」は、小学生の時に上級生が合唱していた記憶がある。なんのために歌っていたのかは忘れてしまったが。

第2部。武部宏のスピーチでスタート。私は昭和49年生まれなので、リアルタイムで知っているのは第2部の歌からになる。

「聖母(マドンナ)たちのララバイ」。岩崎宏美は私と誕生日が同じ(11月12日)である。この曲は「火曜サスペンス劇場」のエンディングテーマとして初のヒット作となったものである。今の社会はもう「女もみんな傷を負った戦士」になってしまっており、男も女も互いを癒やせない。時の流れは残酷だ。

「赤いスイートピー」は、綾瀬はるかがカバーしていることでも知られる。作曲は呉田軽穂(くれた・かるほ。女優のグレタ・ガルボのもじり)名義の松任谷由実。「時をかける少女」同様、前奏がユーミンしている。ちなみに、江藤によると赤いスイートピーは当時は実在していなかったそうだが、この曲がきっかけになって品種改良によって生まれているそうだ。
「恋人よ」は、千葉にいた頃、ピアノでよく弾き語りした曲である。ちなみに、カラオケで「恋人よ」を入れようとすると、優先候補に工藤静香の「恋一夜」が出てきてしまうことがあるので要注意。

「天城越え」。石川さゆりの代表曲である。「津軽海峡冬景色」と並ぶ二大ヒットなのだが、そのせいで石川さゆりは紅白歌合戦ではこの2曲しか歌わせて貰えなくなっている。「ルパン三世」のテーマ曲である「ちゃんと言わなきゃ愛さない」が話題になった時には、石川本人がNHKに掛け合ったそうだが、棄却という形になっている。

「愛燦燦」。父方の祖母が小椋佳のファンだったような記憶がある。

みなさんで歌うコーナー。無料パンフレットの裏に歌詞が記載されている。大阪だともっと歌って貰えると思うのだが、京都にしては歌ってくれていた方だと思う。
以前、木屋町・龍馬で白人の団体客に、「日本の代表的な曲を歌って欲しい」とリクエストされて、「ジャパニーズ・スタンダードナンバー、スキヤキ」として「上を向いた歩こう」を歌ったら大盛り上がりになってしまったことがあるのだが、「見上げてごらん夜の星を」の坂本九の死はショッキングであった。普段は全日空機しか使わない坂本九が、空きがないためやむなくJAL123便に乗った、また明石家さんまが当日JAL123便に乗る予定が仕事が早く終わったので先に出る飛行機を使って難を逃れたという運命の交差点である。
ちなみに「川の流れのように」は原曲だとサビが超高音になり、普通の人は歌えないため、キーを下げたものに変えられていた。最晩年(とはいえまだ50代前半だが)にこの曲を歌い上げていた美空ひばりの凄さがわかる。

アンコールでは「三百六十五歩のマーチ」と童謡「ふるさと」が江藤ゆう子と聴衆とで歌われた。

私は、中高生の頃に久保田利伸などのブラックミュージックに影響を受けたミュージシャンなども良く聴いたが、父親に言わせると「なんだこれ? 音楽か?」であり、一世代差なのに断絶を深く感じる。ラップなどが当たり前になり(旋律が「線」から「点」に変わる)、オルタナティブ・ロックなどももう過去のポップミュージックとなってしまっている。親子でテレビを見て楽しめるのが昭和歌謡的であるとすれば、平成はiPodやネットで個人が音楽を楽しむようになっており、広く親しまれるポップスを生む土壌がないともいえる。



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