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2018年7月の22件の記事

2018年7月30日 (月)

コンサートの記(408) ユッカ=ペッカ・サラステ指揮 N響「夏」2018 大阪公演

2018年7月21日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後4時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、N響「夏」2018 大阪公演を聴く。指揮はフィンランドを代表する指揮者の一人であるユッカ=ペッカ・サラステ。

1956年生まれのユッカ=ペッカ・サラステ。三つ年上のオスモ・ヴァンスカや二歳年下のエサ=ペッカ・サロネンと共に、フィンランド指揮界のアラ還世代(フィンランドには還暦もなにもないわけだが)を代表する人物である。ヴァイオリン奏者として世に出た後でシベリウス音楽院でヨルマ・パヌラに指揮法を師事。クラリネット奏者として活躍していたヴァンスカやホルン奏者としてキャリアをスタートさせたサロネンとは同じ時期に指揮を学んでいる。パヌラの教育方針として「オーケストラの楽器に精通すること」が重要視されており、指揮とピアノ以外の楽器を学ぶことはプラスになったようである。
1987年から2001年までフィンランド放送交響楽団の指揮者を務め、「シベリウス交響曲全集」を二度制作。フィンランディア・レーベルに録音した二度目の全集は今でも屈指の高評価を得ている。その後、スコットランド室内管弦楽団(スコティッシュ・チェンバー・オーケストラ)の首席指揮者、トロント交響楽団の音楽監督、BBC交響楽団の首席客演指揮者、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者と、主に北欧、イギリス、北米での指揮活動を行い、現在はケルンのWDR交響楽団の首席指揮者の地位にある。

曲目は、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」、シベリウスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:バイバ・スクリデ)、ブラームスの交響曲第1番。
無料パンフレットに寄稿している中村孝義は、シベリウスとブラームスの両者に奥手で思慮深く、自罰的という共通項を見いだしている。

N響配置ことドイツ式の現代配置での演奏。今日のコンサートマスターは伊藤亮太郎。
NHK交響楽団も若返りが進み、90年代後半に学生定期会員をしていた頃にも在籍していたメンバーは少なくなっている。有名どころでは第2ヴァイオリンの今では首席奏者になった大林修子、オーボエ首席の茂木大輔(『楽器別人間学』が大幅に手を加えて本日復刊である)、ティンパニ(打楽器首席)の久保昌一らがいるのみである。

シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。フィンランディアに録音した「シベリウス交響曲全集」では辛口の演奏を行ったサラステ。この「アンダンテ・フェスティーヴォ」でも痛切なほどに磨き上げられた弦の音色が印象的である。ただ単にツンとしているだけの演奏ではなく、彩りを自由自在に変え、さながらオーロラの揺らめきのようの趣を醸し出す。そうした音色で旋律を優しく歌い上げるという相反する要素を包含し共存させたかのような演奏である。
サラステの指揮は比較的振り幅を抑えた合理的なものであった。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲。ソリストのバイバ・スクリデは、1981年、ラトヴィアの首都リガ生まれのヴァイオリニスト。音楽一家に生まれ育ち、ドイツのロストック音楽演劇大学でヴァイオリンを専攻。2001年にエリーザベト王妃国際コンクール・ヴァイオリン部門で1位を獲得している。

N響の音は「アンダンテ・フェスティーヴォ」と同傾向である。輪郭のクッキリした音であり、アンサンブルの精度の高さが感じられる。
スクリデのヴァイオリンは優雅で色彩豊か。シベリウスを演奏するのに最適の音楽性を持ったヴァイオリニストである。

スクリデのアンコール演奏は、ヨハン・パウル・フォン・ウェストホフのヴァイオリン・ソナタ第3番より「鐘の模倣」。ヴィヴァルディにも共通したところのあるバロック期の技巧的一品。スクリデの優れた技巧が光る。

ブラームスの交響曲第1番。サラステは序奏を快速テンポで駆け抜ける。また表情を抑え、暑苦しくなるのを防いでいる。タクトはシベリウスを指揮するときよりも大きく振るし、情熱的な盛り上がりも見せるが、あくまで一音一音を丁寧に積み上げている演奏。N響の威力のある音と渋い音色もプラスに作用する。
第3楽章演奏後、ほとんど間を置かずに第4楽章に突入。この楽章ではパウゼの部分も詰めて演奏しているのが印象的であった。
フィンランドを代表する指揮者であったパーヴォ・ベルグルンドがヨーロッパ室内管弦楽団を指揮してブラームス交響曲全集の名盤を録音しているが、フィンランド人指揮者の分析的アプローチはブラームスに合っているのだと思われる。

アンコールとして、シベリウスの「クオレマ」より鶴のいる情景が演奏される。透明感に満ちた優れたシベリウスであった。



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2018年7月29日 (日)

コンサートの記(407) 下野竜也指揮京都市交響楽団第625回定期演奏会

2018年7月22日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第625回定期演奏会を聴く。午後2時30分開演。京都市交響楽団常任首席客演指揮者の下野竜也がタクトを執る。

曲目は、シューマンの「天使の主題による変奏曲」からテーマ(野本洋介編曲)、尾高惇忠のピアノ協奏曲(ピアノ独奏:野田清高)、ブルックナーの交響曲第1番(リンツ稿・ハース版)。
現代音楽とブルックナーの初期交響曲は不入りな演目の両巨頭(?)だが、今日は二つとも入っている。ということでチケットは売れず、下野も京響のFacebookページに載せられた映像でに「チケット売れてません。特に日曜日」と語っていたが、当日券売り場にもそれなりに人が並んでおり、演目からいえば入った方だと思える。

午後2時から下野竜也によるプレトークがある。下野は初演魔と呼ばれた岩城宏之の言葉を引用し、「昔に書かれたものは色々な録音が残っていて聞き比べが出来る。その面白さはあるが、今の時代に書かれたものを演奏することも演奏家の使命である」ということで、一昨年に書かれたばかりの尾高惇忠の曲を取り上げる意義について述べた。

ブルックナーの交響曲第1番は一般的に演奏される機会が比較的多いウィーン稿ではなくリンツ稿を今回は採用。リンツ稿は作曲された当時のスコアを基本にしたものであり、ウィーン稿は初演から四半世紀ほど経過してからブルックナー本人が加筆訂正を加えたものである。下野はスコアを文章に例え、「若い頃書いたものは未熟で文法的間違いがあり、月日が流れてから書き直すというのはよくあること」。ただし、若い頃の勢いで書かれた魅力も捨てがたいとしてリンツ稿を取り上げることにしたそうだ。ブルックナーは、「苦手な作曲家・嫌いな作曲家の1位の常連」と紹介し、同じようなことが繰り返されてドラマもないということで面白くないと取られることがあるが、そうしたものとは別の魅力、日々の細かな幸せが綴られたものというブルックナーの味わい方を説明していく。ハース版とノヴァーク版の違いであるが、ハース版の方がブルックナーのオリジナルの譜面に近く、ノヴァーク版の方が合理的に書かれていて採用する人も多いが、ブルックナー自身のスコアに近づけたいということでハース版を選んだと話した。

今日もコンサートマスターは客演で豊嶋泰嗣が入る。フォアシュピーラーに泉原隆志。第2ヴァイオリン首席も客演の長岡聡季が務める。オーボエの髙山郁子以外の管楽首席奏者はブルックナーのみの出演。

シューマンの「天使の主題による変奏曲」からテーマ。読売日本交響楽団の打楽器奏者である野本洋介の編曲である。下野竜也は読売日本交響楽団の正指揮者(下野のために特別に新設されたポスト。2006年から2013年まで務めた)と首席客演指揮者(2013-2017)を務めており、野本とは旧知ということで、下野が音楽総監督を務める広島交響楽団のために昨年書かれたもののようだ。
3分ほどの小品だが、シューマンらしいロマンティックな味わいがある。

尾高惇忠は、1944年生まれ。実弟は指揮者の尾高忠明、実父は作曲家で指揮者の尾高尚忠である。東京藝術大学作曲科を卒業。作曲を池内友次郎、矢代秋雄、三善晃に師事、ピアノを安川加寿子に師事している。1970年にパリ高等音楽院に留学し、作曲をモーリス・デュリュフレ、アンリー・デュティーユらに師事している。実父を顕彰する尾高賞を2度受賞したほか、別宮賞なども受賞している。
ピアノ協奏曲は、今日のソリストである野田清高のために書き下ろされたものである。
その野田清高は、東京藝術大学および大学院修士課程を修了後、ブラームスと20世紀作品を組み合わせたリサイタルを連続して行い、これが評価されて博士号を授与されている。現在は東京学芸大学准教授を務める。
ピアノ協奏曲は、2016年3月に野田のピアノ、広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団の演奏によりサントリーホールで初演され、同年7月には尾高忠明指揮札幌交響楽団、清水和音の独奏によりKitaraでも演奏されている。

チェレスタやジュ・ドゥ・タンブルなどを使った独特の大編成での演奏。ピアノ協奏曲ではあるが、ピアノも含めた全体の音響で聴かせる作品である。
第1楽章では低音がショスタコーヴィチ、高音がメシアンのような音楽で対比がなされ、第2楽章では武満徹にも通じるような音響とサティの「ジムノペディ第1番」を短調にしたような旋律が特徴的であり、第3楽章では同じ音型を繰り返すパワフルな音像が印象的な楽曲となっている。
ピアノの鍵盤を幅広く使う作品であり、野田清高のシャープな音楽性と力強い打鍵力が発揮されていた。

演奏終了後、客席にいた尾高惇忠がステージ上に呼ばれ、下野や野田と共に拍手を受けた。

ブルックナーの交響曲第1番。この曲のリンツ稿を聴くのはおそらく初めてになるはずである。
ブルックナーは若い頃はオルガン演奏の名手として鳴らし、特に即興演奏を得意としたが、交響曲に取り組んだのは比較的遅く、この第1番が完成したのは彼が42歳になる年であった。初演はその2年後にブルックナー本人の指揮によりリンツのプロアマ混成オーケストラのよってなされた。

ブルックナーというの素朴で野人というイメージであるが、初期の交響曲は当時のオーストリア楽団を意識した端正な趣もある。ただブルックナーの個性が従来の音楽の器をはみ出しており、そのことが如実にわかってしまうため、当時の聴衆に「異様」という印象を抱かれたことも想像される。
ブルックナーと得意とする下野竜也。ただ、今のところ、下野のブルックナーで名演と讃えられる水準に達したものはないように感じられる。堅固の構築力は感じさせるが柔らかさがなく、ミリタリー調になる傾向はある。
ただ今日の第1番は下野の個性に合っており、推進力やスケールの豊かさなどは十分で、秀演の領域には達したように思われる。曲も見通しの悪さはあるがブルックナーならではの発想があちこちで生きており、興味深い。京都市交響楽団の音色とパワーも十二分に発揮され、魅力的であった。

今日は客席にムスリムの女性、白人男性、北京語を話しているカップルなどがおり、国際色豊かである。



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2018年7月28日 (土)

コンサートの記(406) 萩原麻未ピアノ・リサイタル 2018@大和高田さざんかホール小ホール

2018年7月16日 奈良県大和高田市の大和高田さざんかホール小ホールにて

大和高田さざんかホール小ホールで、「萩原麻未ピアノ・リサイタル」を聴く。午後3時開演。奈良県に縁のある萩原麻未。7年ほど前に奈良県立桜井高校に眠っていたスタインウェイの復活プロジェクトのピアニストとして指名され、その後もやまと郡山城ホールでの「ならピ」などに出演している。

萩原麻未は、1986年広島生まれ。広島市安佐南区と呉市で育つ。5歳でピアノのレッスンを初めてすぐに地元のコンクールで賞を取るという神童系であるが、天然な性格でも知られている。
13歳で第27回パルマドーロ国際コンクールで史上最年少優勝。プロのピアニストを目指す場合、出身地は地方でも高校からは東京の学校に通う場合が多いが、萩原は地元の広島音楽高校(浄土真宗本願寺系。現在は閉校)に進学。高校2年の時に広島で行われたジャック・ルヴィエのマスターコースを受講したのが転機になり、パリ国立高等音楽院と同大学院ピアノ科でジャック・ルヴィエに師事。大学院修了後も室内楽クラスで学ぶ。平行してパリ地方音楽院でも室内楽をエリック・ル・サージュらに師事。その後、ザルツブルク・モーツァルティウム音楽演劇大学でもピアノを専攻。
2010年に第65回ジュネーヴ国際コンクール・ピアノ部門で優勝。同コンクール・ピアノ部門は8年に渡って優勝に値するピアニストが出ておらず快挙となった。
現在のところ、ソロでのピアノコンサートよりも協奏曲のソリストや室内楽での演奏を好んでいるようで、デビューアルバムも堤剛との室外楽演奏であった。

プログラムは前半が、J・S・バッハのフランス組曲第5番、ショパンのノクターン第1番と第2番、ショパンのワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」、第9番「別れのワルツ」、第6番「小犬のワルツ」、リストの愛の夢第3番、「ラ・カンパネラ(鐘)」。後半が、ドビュッシーの「月の光」、「喜びの島」、「小さな黒人」、ガーシュウィンの3つのプレリュードと「ラプソディ・イン・ブルー」。事前に発表されていたのはバッハとショパンだけだったが、かなり豪華な曲目となった。

萩原麻未は、春に行われたロームシアター京都での室内楽公演の時と同じ腕にスリットが開いた白のドレスで登場。椅子に座ってすぐによそ見をしながら弾き始め、首を揺らしながら上方へと目をやりキッとした目つきになって鍵盤を見下ろす。何者かに憑かれたかのような集中力の高い演奏が行われるが、その前に体の中に何かを下ろしたり籠めたりするような仕草であった。

非常に個性的な演奏を行うことの多い萩原麻未。経歴からもわかるが、堅固なフォルムを重視するドイツ流ではなくセンス優先のフランス風ピアニズムである。
バッハでは典雅且つ緻密な演奏を行った萩原。演奏後、マイクを手にトークを行う。今日の曲目は普段と違い、「親戚や家族の前で演奏するとしたら」という考えで組まれたものだそうである。

ショパンのノクターン第1番。痛切な表現が耳を奪う。ずっとアゴーギクを使いっぱなしといってもいい表現で、ショパンの文学性を徹底して歌い抜いた演奏である。
ノクターン第2番は、協奏曲のソリストとして登場した時にアンコールとして演奏されたものを聴いている。その時は左手をアルペジオにするなどかなり個性的な演奏であった。今日もアルペジオこそ使わなかったが、どう考えても音を足しているという表現。テンポも自由自在であり、予測不能の展開を見せる。他のピアニストによる穏やかな演奏とは大きく異なっていた。

ワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」では一転してヴィルトゥオーゾ的演奏を展開し、「別れのワルツ」では伸縮自在の煌びやかな「小犬のワルツ」ではスケール豊かな演奏を繰り広げる。
萩原はアルフレッド・コルトーが好きだそうだが、それは頷ける。

リストの愛の夢第3番と「ラ・カンパネラ」では、遅めのテンポでスタートして加速、二本の腕で弾いているとは思えないほどのメカニックを披露した。

後半。萩原の十八番であるドビュッシー。
「月の光」での詩情、「喜びの島」の色彩感と巨大なピアニズム、「小さな黒人」のエキゾチックな味わいなど文句なしである。

ガーシュウィンの演奏の前に、萩原が再びマイクを手にスピーチ。桜井高校でのスタインウェイの話などをする。その時の桜井高校の先生方は今でも赴任先が異なるそうだが、今日も駆けつけてくれたそうである。ガーシュウィンの曲は「ジャズとクラシックの融合」、「ラプソディ・イン・ブルーについては「『のだめカンタービレ』のエンディングで使われていた」と紹介。作風がこれまでものとは違って「ブイブイ言ってるような」と笑いながら紹介し、「ブイブイ言わせます」と言って演奏開始。

「3つのプレリュード」。ジャジーな要素を上手く取り入れた演奏。いずれも短い作品だが密度の濃い曲であり演奏である。プレリュード第2番は私も練習したことがあるのだが、短時間で弾けるような代物ではなかった。今度また練習できたら良いのだが。

「ラプソディ・イン・ブルー」。ピアノの蓋が揺れているのが確認出来るぐらいの力強い演奏である。3つのプレリュードの演奏でも感じられたことだが、パースペクティブの作り方がまことに巧みであり、それが故に奥行きと彩りが増す。チャーミングでアンニュイで高潔にしてにして親しみやすいという大満足のガーシュウィンであった。
ガーシュウィンはラヴェルに心酔して弟子入りしようとしたことがあり(「君は一流のガーシュウィンなのに、なんでラヴェルの二番煎じになろうなんてするんだい?」と断られた)、「パリのアメリカ人」という交響詩も書いているが、フランス音楽とジャズには相通じるものがあるような気がする。そもそもジャズ発祥の地であるルイジアナ州は元々フランスの領地だった場所だ。

アンコールは3曲。事前に決めていなかったそうで、その場で思いついた曲を演奏する。
まず、シャンソンの「四月にパリで」。「もう7月なんですけど」と言って演奏開始。シャルル・トルネの作曲、アレクシス・ワイセンベルク編曲版。洒落た演奏である。
2曲目は、バッハ=グノーの「アヴェ・マリア」。京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタでも聴いたことのある曲である。クリアな音色で崇高な憧憬を語るようなイノセントな演奏。
ラストは、「Over The Rainbow」。「普段、リラックスしたい時に一人で弾いている曲」だそうである。美音と伸びやかな音楽性を楽しむことが出来た。

大和高田さざんかホール小ホールは、シューボックス型をしており、天井はやや低めだがフォルテシモでも音が潰れることはない。ピアノや室内楽向けのホールとしては第一級の音響を誇ると思われる。Wikipediaにも載っていないような知名度の低いホールであり、ホームページも独自ドメインを取っていない状態であるが稼働率が低いままにしておくのは惜しいホールである。クラシックファンには音が良ければどこだろうが飛んでいくというタイプが多いのでもっとアピールしても良いと思われる。


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2018年7月27日 (金)

コンサートの記(405) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 ベートーヴェン交響曲全曲演奏会第3回

2018年7月20日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団によるベートーヴェン交響曲全曲演奏会Ⅲを聴く。Ⅰは聴いたが、Ⅱは同日にロームシアター京都で行われた田中泯のダンス公演を優先させたため接していない。

交響曲第6番「田園」と交響曲第5番という王道の組み合わせ。であるが、この時期に聴くにはちょっと重い。

今日のコンサートマスターは崔文洙。大フィルのスタンダードであるドイツ式の現代配置による演奏であるが、今日は第2ヴァイオリンが客演も含めて全員女性という、ありそうでなかなかない構成になっている。第1ヴァイオリン15名、第2ヴァイオリン14名というモダンスタイルでの演奏。


交響曲第6番「田園」。テンポもスタイルも中庸で、音の瑞々しさを優先させた演奏。空間の広いフェスティバルホールだが、編成が大きく、モダンスタイルということで良く響く。
優れた演奏ではあるが、特筆事項はこれといってないように思う。


交響曲第5番。出だしの運命動機ではフェルマータを短めに取り、流線型のフォルムを作り上げる。出だしで第2ヴァイオリンがわずかにフライングしたほか、クラリネット、ピッコロなどにミスがある。
面白いのは第4楽章のクライマックスの音型で、金管群が耳慣れない和音を築く。そういう譜面があるのかどうか。またクラリネットが二本ともベルアップによる演奏を行っている部分があった。ピリオドアプローチによる演奏で目にするが、そうではない演奏で見かけるのは初めてである。
尾高はラストも流さずにカッチリとした止めを行い、個性を刻印した。

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2018年7月26日 (木)

スタジアムにて(1) セ・パ交流戦 阪神タイガース対西武ライオンズ@西京極球場 2005.5.17

2005年5月17日 京都・西京極球場にて観戦

西京極球場にプロ野球セ・パ交流戦、阪神泰西武戦を見に行く。当日券で入ったが3塁側の比較的見やすい席を取ることが出来た。3塁側とはいえ周りは阪神ファンだらけ。3塁側どころかレフトスタンドも、おそらく観客の98%以上は阪神ファンだろう。西武ファンはほんのわずかな場所に固まっているだけ。ちなみに私はヤクルト・スワローズが好きなので中立の立場である。

阪神の先発は速球投手・福原忍。しかし今日は球にキレがない。バッテリーを真横から見る席だったのでそれははっきりとわかった。西京極球場にはスピードガン表示がないので、普段は150キロ前後を記録する福原のスピードが今日も出ていたのかどうかはわからない。しかし思ったよりは速く感じられない。2回表、福原は西武打線に連打を浴び、1点を献上。西武打線は明らかに右打ち狙いであり、福原の動揺を誘ったようだ。

西武の先発はサウスポーの帆足。交わすピッチャーというイメージがあるが、球は思ったよりも速く、手元で伸びており、本当に球がホップしているように見えた。2回裏、帆足はキレのある釣り球を生かし、四、五、六番バッターを三者三振に切って取る。速球は伸び、スライダーはコーナー一杯に決まり、カーブは低く沈む。これは打ちにくそうだ。

6回、西武カブレラがフルスイングするとバットが手を離れて一塁側スタンドに飛び込むという珍プレーがあった。カブレラはそれが心理的に影響したのか三振に終わる。しかしその後、西武打線は相手エラーにつけ込み、2点を追加。阪神は福原がピッチャーライナーを足に当てた後、一塁側へ悪送球。キャッチャー野口もパスボールをするなど守備が安定しない。

終盤になって帆足は高めのストレートに伸びが無くなる。9回裏、完封ペースであった帆足から阪神の三番シーツがセンターにホームラン。続く四番金本もツーベースヒット。スペンサーのヒットで金本が帰り1点差。一発出れば逆転サヨナラという場面で代打・桧山がバッターボックスへ。しかし西武の守護神・豊田のフォークにバットは空を切りゲームセット。3対2でライオンズの勝利。
見応えのある試合だった。

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2018年7月25日 (水)

フィリップ・ドゥクフレ/カンパニーDCA 「新作短編集」@びわ湖ホール

2018年7月15日 びわ湖ホール中ホールにて

午後3時から、びわ湖ホール中ホールでフィリップ・ドゥクフレ/カンパニーDCAの「新作短編集」を観る。2017年5月16日にフランスのラ・クールシヴで初演されたコンテンポラリーダンス作品。

フィリップ・ドゥクフレはパリ生まれの振付家・演出家。1983年にダンス・カンパニーDCAを立ち上げ、1989年のフランス革命200年祭ではシャンゼリゼ大通りでの記念パレードである「ブルー・ブラン・グード」のために「ラ・ダンス・デ・サボ」の振付を担当。1992年のアルベールビル冬季五輪では開会式と閉会式の演出を担当している。サーカス、映像トリック、ダンスなどを交錯させる作風が特徴。1994年に初来日。以後たびたび来日している。
2006年には単独公演「Solo」の日本公演を行う。シアター・ドラマシティでの来日公演を私は観ているが、ドゥクフレの出演作に触れるのはそれ以来12年ぶりとなる(振付作はミュージカル「わたしは真悟」を観ている)。

作品は5部の短編からなる。「デュオ」、「穴」、「ヴィヴァルディ」、「進化」、「日本への旅」という構成。「進化」と「日本への旅」の間に「R(エール)」という名の短編が挿入されている。
出演は、フラビアン・ベルヌゼ、アレクサンドル・カストル、メリチェイ・チェカ・エステバン、ジュリアン・フェランティ、スザンヌ・ソレール、ヴィオレット・ヴァンティ、アリス・ロラン、フィリップ・ドゥクフレ。
テキスト:アリス・ロラン、テキスト日本語訳:副島綾、日本語台詞:征矢(そや)かおる(文学座)。

「ソロ」では男女のダンサーがピアノを弾いたり、フルートを吹いたりする。フルートを吹きながらのダンスがあるが、本当にその場で吹いているのかは不明。ただ、ピアノは実際に弾いているようである。ドゥクフレはダンサーに対する要求が高いようだ。

「穴」では、穴にはまった男性の上半身と女性の脚による表現。その後、ドゥクフレが一人で穴から登場し、穴の開いたジャケットを使ったダンスを行う。

「ヴィヴァルディ」は、無料パンフレットによると、ドゥクフレが亡き母に捧げた作品。カウンターテナーを使ったヴィヴァルディ作品が流れる中、比較的クラシカルなスタイルのダンスが行われる。

要所要所でスクリーンや紗幕に映像が投影されるのだが、「進化」では、スピードカメラを用いたLoopingという技法を用いて、ダンスの動きが連続写真のようにスクリーンに投影される。この作品ではダンサーがカホンを叩いたり、歌をうたったりする。
続く「R」では、シルク・ドゥ・ソレイユ出身のスザンヌ・ソレールが宙乗りをした上でダンスを行う。ソレールの技はアクロバティックにしてスピーディ且つエレガント。人間離れしているようなところがあり、あたかも妖精を見ているかのような感慨にとらわれる。

「日本への旅」では、日本語の台詞が出演者によって語られ、録音された征矢かおるの台詞が流れる。12年前に観た「Solo」ではドゥクフレは吹越満の録音された台詞を使っていた。こうしたスタイルが好きなようである。
和歌や俳句(「百千鳥さえずる春はものごとにあらたまれども我ぞふりゆく」詠み人知らず 「淡雪の中にたちたる三千大世界またその中に抹雪ぞ降る」良寛 「春雨や檻に寝ねたる大狸」子規 「冬草も見えぬ雪野の白鷺は己が姿に身を隠したり」道元)がスクリーン投影され、日本のテレビCMや相撲中継などがザッピングのスタイルで流れる。また山手線の駅の到着のメロディーが流れたりもする。
どことなくサイケデリックな印象も受ける小品で、扇子や緋の和傘などが用いられ、フランス人の見たエキゾチックな日本を知ることが出来る。

上演時間は90分ほどだが、中身のぎゅっと詰まった多彩な表情を移ろわせていく作品であった。

ホワイエで、ポストトークがある。出演は、フィリップ・ドゥクフレ、ジュリアン・フェランティ、アリス・ロラン。テキストも担当しているアリス・ロランはパリ第七大学で現代文学と英語を学び、執筆や翻訳も行うなど多彩な才能に恵まれている一方でストリップダンサーとしても活躍しているという人だそうだ。ドゥクフレは日本文学については詳しくないので、全て彼女に任せたそうである。
ドゥクフレは日本の伝統芸能には興味津々な一方で、日本で爛熟期に達しつつあるアイドル文化に関しては「日本のテレビでよく見るけどストレンジだね」と答えただけで気にも留めていないようであった。日本政府はクールジャパンの一つとしてアイドルを推そうとしているのだが、日本人が考えるクールジャパンと海外で受けるそれとの間にはかなりの距離があるようである。



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2018年7月24日 (火)

観劇感想精選(248) 兵庫県立ピッコロ劇団第61回公演「蒲団と達磨」

2018年7月18日 尼崎・塚口の兵庫県立ピッコロシアター大ホールにて観劇

午後7時から、尼崎・塚口の兵庫県立ピッコロシアター大ホールで、兵庫県立ピッコロ劇団第61回公演「蒲団と達磨」を観る。作・演出:岩松了。
10年前からピッコロ劇団の代表を務める岩松了が30年前の自作を演出上演する。
1988年に初演された「蒲団と達磨」(当時は副題に「お父さんの性生活」というものがついていたそうだ)。1989年の岸田国士戯曲賞受賞作である。冒頭部分を「良い書き出しの例」として平田オリザが自著で挙げていることから知名度は高い。

出演:森好文、樫村千晶、平井久美子、堀江勇気、野秋裕香、山田裕、杏華、菅原ゆうき、今仲ひろし、風太郎、中川義文、岡田力。

ピッコロシアター大ホールの入り口にピッコロシアターの館長である大西裕士とピッコロ劇団代表の岩松了が立っており、お出迎えのお辞儀などをしていた。
私のようにチケットぴあの券で入る人は少数派のようで、取り置きチケットの机の前に人が並んでいる。チケットもぎりも今日は木全晶子さんらピッコロ劇団員が行っていた。

一人娘の結婚披露宴を終えた夜、夫(役名は野村春樹。高校の生物の先生である。演じるのは森好文)と妻(樫村千晶)が蒲団(田山花袋の「蒲団」は念頭に置いておいていいだろう)の上に座っている。背後には送迎の運転手(山田裕)が後ろを向いて寝転んでいる。
妻がお茶を入れ、二人でお手伝いの水谷(杏華)などのことなどを話している。ちなみに一番重要な役のはずの一人娘は一切舞台に登場しない。また夫妻の会話に登場する母親も姿を現すことはない。
夫の妹である久子(平井久美子)、妻の弟である和樹(堀江勇気)とその妻の時江(野秋裕香)なども集い、普段は心の奥に秘めている感情が不意に表に現れたり……。

会話劇であり、会話の情報量が多い。ただピッコロ劇団の団員は比較的抑えた発声を行っているため、肝心の場面でのセリフが上手く聞き取れないという憾みがある。
夫婦の部屋にはなぜかはわからないがカラオケの装置がある。1988年当時に使われていたものが復元されているのだが、モニターはなく、テープを差し込んで、歌詞本を見て歌うシステムである。ラスト近くで無口なコンちゃん(苗字は近藤らしい。演じるのは今仲ひろし)がこのカラオケを歌うシーンがある。コンちゃんの友人である新倉(風太郎)が「無口な奴の歌は本気だからな」と言うが、歌ったことでコンちゃんの感情のたがが外れてしまったことがわかる。
お堅い夫の秘密が露見したり、妻の前夫の小松(岡田力)が訪ねてきたり、久子が胸に秘めているものがさりげなく示されたりと、いくつかの大きな山のようなものはあるのだが、全体を通した起伏のようなものは抑えられており、ありがちな日常に波立ったちょっとした波紋のようなものを描く小津映画的手法が採られている。



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2018年7月23日 (月)

コンサートの記(404) 「江藤ゆう子 昭和を歌う」2018@アンサンブルホールムラタ

2018年7月14日 京都コンサートホール・アンサンブルホールムラタにて

午後2時から、京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタで、「江藤ゆう子昭和を歌う」と題されたコンサートを聴く。

京都市出身である江藤ゆう子。これまで昭和歌謡を150曲歌ってきており、2年前にロームシアター京都オープニングイベントの一つとしてサウスホールで総集編のコンサートが催された。今回はプランツ・コーポレーションの武部宏のリクエストによって開催されたものである。

昭和は64年まであり(厳密には62年+昭和元年が1週間+昭和64年が1週間)元号の中で最長。しかも昭和モダニズムがあり、大戦があり、高度経済成長があり、安保などを巡る学生運動があり、マスメディアの発達があり、音楽に関してもレコードやカラオケの台頭がありと、政治経済文化全てにおいて激動の時代であった。ただ良い歌と売れる歌が一致していた幸福な時代と見ることも出来る。

平成に入ると歌謡曲という言い方自体がされなくなり、呼び方はJPOPに。音楽のジャンルは細分化され、特定のジャンルのみ詳しい人も増えた。というよりカラオケが発達しすぎて、音楽は聴くものではなく歌うものになった。それ自体は良くも悪くもないのだろうが、聴くという行為が「カラオケで歌うために覚える」に転換されてしまい、聴いて楽しむ何かを聴き取るという行為は残念ながらないがしろにされつつあるように思う。「平成歌謡(平成ポップス)」が今度どう評価されるかにも興味があるが(日本でブラックミュージックが本格的に広まるのは平成以降である)、今日はとにかく昭和歌謡を聴く。

曲目は第1部が、「私の青空」、「東京ラプソディー」(以上、戦前)、「テネシーワルツ」、「東京ブギウギ」、「港が見える丘」(以上、昭和20年代)、「星のフラメンコ」、「いつでも夢を」、愛の讃歌(以上、昭和30年代)、「真っ赤な太陽」、「喝采」、「二人でお酒を」、「街の灯り」、「虹と雪のバラード」(以上、昭和40年代)。第2部が、「聖母(マドンナ)たちのララバイ」、「赤いスイートピー」、「恋人よ」(以上、昭和50年代)、「天城越え」、「愛燦燦」(以上、昭和60年代)、みなさんで歌うコーナーに「りんごのうた」、「見上げてごらん夜の星を」、「青春時代」、「川の流れのように」の4曲があり、ラストは江藤ゆう子のオリジナルナンバーである「愛のうた」で締められる。

参加ミュージシャンは、小松尚人(ドラムス&パーカッション)、中嶋明彦(ベース)、黒田かなで(ヴァイオリン)、井上弘道(サックス)、笹井順子(ピアノ)。
小松、中嶋、笹井の順でステージに登場。黒田と井上は後方から客席通路を通ってステージの上がる。最後に江藤が登場したが、ワイヤレスマイクが最初、オンにならないというハプニングがあった。その後も、ワイヤレスマイクがオンにならない場面があったため、第2部ではワイヤーのついたマイクに切り替えられた。

客席はご年配の方が目立つが、「昭和」に特別な思い入れのある若い人も多いため、若者の姿もあった。

昭和歌謡にはバックのミュージシャンの技量に問題があったりするが、勢いや熟成がない交ぜになった面白さがある。戦後直後は「俺たちは音楽で復興を盛り上げるんだ」という気概があり、後年になる毎に衣食住完備の成熟した社会の中でのラブソングが増えるようになる。

私は遊佐未森の「檸檬」や「スヰート檸檬」といった昭和歌謡カバーアルバムを愛聴しており、テレビドラマなどで使われた昭和歌謡を拾っていくことで、まずまず多くのナンバーを知ることが出来ている。今回取り上げられた曲で「全く知らない」聴いたこともないという曲は1曲もない。今はYouTubeなどで古い曲を気に聴くことが出来る時代である。

「テネシーワルツ」は、テネシー州の州歌。日本には都道府県を代表する歌が全ての自治体にあるわけではないが、○○の国歌などといわれる曲が存在してる場合もある(例えば、「青葉城恋歌」は仙台の国歌、「いざゆけ若鷹軍団」が福岡の国歌といったように)。ポップスが自治体の歌というのは素晴らしいことであるように思われる。

「港が見える丘」の舞台は神戸であるという説があるが、今、横浜にある港の見える丘公園は、「港が見える丘」に触発されて生まれたものである。歌が施設を生んだという興味深い例である。今回は1番と3番のみの歌唱であった。

「星のフラメンコ」は、私にとっては関根勤が西郷輝彦を真似して歌っていたナンバーである。「いつでも夢を」は橋幸夫と吉永小百合のオリジナルよりも桑田佳祐と原由子夫妻のバージョンを聴く機会が多かったような気がする。

「虹と雪のバラード」は、小学生の時に上級生が合唱していた記憶がある。なんのために歌っていたのかは忘れてしまったが。

第2部。武部宏のスピーチでスタート。私は昭和49年生まれなので、リアルタイムで知っているのは第2部の歌からになる。

「聖母(マドンナ)たちのララバイ」。岩崎宏美は私と誕生日が同じ(11月12日)である。この曲は「火曜サスペンス劇場」のエンディングテーマとして初のヒット作となったものである。今の社会はもう「女もみんな傷を負った戦士」になってしまっており、男も女も互いを癒やせない。時の流れは残酷だ。

「赤いスイートピー」は、綾瀬はるかがカバーしていることでも知られる。作曲は呉田軽穂(くれた・かるほ。女優のグレタ・ガルボのもじり)名義の松任谷由実。「時をかける少女」同様、前奏がユーミンしている。ちなみに、江藤によると赤いスイートピーは当時は実在していなかったそうだが、この曲がきっかけになって品種改良によって生まれているそうだ。
「恋人よ」は、千葉にいた頃、ピアノでよく弾き語りした曲である。ちなみに、カラオケで「恋人よ」を入れようとすると、優先候補に工藤静香の「恋一夜」が出てきてしまうことがあるので要注意。

「天城越え」。石川さゆりの代表曲である。「津軽海峡冬景色」と並ぶ二大ヒットなのだが、そのせいで石川さゆりは紅白歌合戦ではこの2曲しか歌わせて貰えなくなっている。「ルパン三世」のテーマ曲である「ちゃんと言わなきゃ愛さない」が話題になった時には、石川本人がNHKに掛け合ったそうだが、棄却という形になっている。

「愛燦燦」。父方の祖母が小椋佳のファンだったような記憶がある。

みなさんで歌うコーナー。無料パンフレットの裏に歌詞が記載されている。大阪だともっと歌って貰えると思うのだが、京都にしては歌ってくれていた方だと思う。
以前、木屋町・龍馬で白人の団体客に、「日本の代表的な曲を歌って欲しい」とリクエストされて、「ジャパニーズ・スタンダードナンバー、スキヤキ」として「上を向いた歩こう」を歌ったら大盛り上がりになってしまったことがあるのだが、「見上げてごらん夜の星を」の坂本九の死はショッキングであった。普段は全日空機しか使わない坂本九が、空きがないためやむなくJAL123便に乗った、また明石家さんまが当日JAL123便に乗る予定が仕事が早く終わったので先に出る飛行機を使って難を逃れたという運命の交差点である。
ちなみに「川の流れのように」は原曲だとサビが超高音になり、普通の人は歌えないため、キーを下げたものに変えられていた。最晩年(とはいえまだ50代前半だが)にこの曲を歌い上げていた美空ひばりの凄さがわかる。

アンコールでは「三百六十五歩のマーチ」と童謡「ふるさと」が江藤ゆう子と聴衆とで歌われた。

私は、中高生の頃に久保田利伸などのブラックミュージックに影響を受けたミュージシャンなども良く聴いたが、父親に言わせると「なんだこれ? 音楽か?」であり、一世代差なのに断絶を深く感じる。ラップなどが当たり前になり(旋律が「線」から「点」に変わる)、オルタナティブ・ロックなどももう過去のポップミュージックとなってしまっている。親子でテレビを見て楽しめるのが昭和歌謡的であるとすれば、平成はiPodやネットで個人が音楽を楽しむようになっており、広く親しまれるポップスを生む土壌がないともいえる。



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2018年7月21日 (土)

楽興の時(23) ジモン・ルンメル&伊藤えり 「浅酌低唱 笙と微分音ハーモニカの饗宴」

2018年7月14日 荒神橋のゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川にて

荒神橋のゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川へ。午後6時からドイツの若手作曲家であるジモン・ルンメルが作成した新楽器・微分音ハーモニカと東京楽所(とうきょうがくそ)所属の伊藤えりの演奏する笙のジョイントコンサート「浅酌低唱 笙と微分音ハーモニカの饗宴」を聴く。入場無料。

一週間前のトークイベントにも参加したジモン・ルンメル。1978年生まれ。ケルンでピアノと作曲、デュッセルドルフで美術を学び、様々なアイデアによる楽器を生み出している。
伊藤えりは東京藝術大学卒業後、武満徹作曲の雅楽演奏などで知られる東京楽所に参加。神社仏閣での笙奉納演奏、国内外でのワークショップなどでも活躍している。

ルンメルと伊藤が対面しての演奏。微分音ハーモニカであるが、机の下にふいごが二つ。左右の膝で交互にふいごに触れることで空気を送り込む。自転車を漕ぎ続けているような格好だ。ビニールの管を通して口からも空気を送り込む。机の上には鍵盤のようなものが並んでおり、これを抑えることで音程や和音を生み出す。鍵盤からはビニールチューブが伸びていて、試験管のようなものに繋がっている。試験管のようなものは糸で天井付近の板から釣り下げられている。詳しい仕組みや原理はちょっとわからない。

演奏されるのは、微分音ハーモニカと笙による和音を基調とした40分から60分の音楽。プレトークでルンメルは「和音が花のように咲いていく」という説明を行ったが、確かに花が咲き綻びていく様を見つめるような趣がある。音階らしい音階はラスト付近まで登場せず、ひたすら高音の和音が降り注いでくる。ドイツ的な「低音を築いて高音を乗せてレンジを広く」という発想がないため、アジア的な音楽性を感じたりもする。
微分音ハーモニカであるが、「高音しか出ないオルガンではないのか」という捉え方もあるだろうし、新しい楽器であると断定は出来ないだろう。

続いて、ルンメルが作った小さな吹奏楽器を聴衆数名に配っての短い作品の演奏。聴衆に配られた楽器は単音しか出ない。様々なところから単音が出て和音になって溶けていくという音響は面白いように思う。演奏終了後、ルンメルは参加してくれた人達を冗談交じりに「キョウト・ウインド・オーケストラ」と言って讃えた。



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2018年7月20日 (金)

観劇感想精選(247) 広田ゆうみ+田中遊 「耳で楽しむ古事記」上巻連続上演

2018年7月8日 京都・松原京極商店街のカフェギャラリー ときじくにて観劇

今日は特に予定はなかったのだが、松原京極商店街にあるカフェギャラリー ときじくで「耳で楽しむ古事記」というイベントをやっているのでそれに行くことにする。

「耳で楽しむ古事記」は、京都で活躍している田中遊と広田ゆうみによる朗読劇。「古事記」は原文は「漢文+万葉仮名」で書かれているのだが、そのままでは読めないので、書き下し文が読まれ、更に現代語訳が朗読される。適宜映像や小道具などを加えての上演である。今回は5部に分けての上演であり、この世の成り立ちから天孫降臨までを描いた上巻が朗読される。

記紀と呼ばれることもある「古事記」と「日本書記」。正史である「日本書紀」に対して、「古事記」は皇統の正当性を説く歴史物語であり、歴史そのものではなく様々な彩りのあるロマン溢れる物語となっているのが特徴である。まだ小説や物語文といった観念のない時代に生まれており、リアリズムからは外れた(後世から見ると)大胆な展開が見られる。地方の伝承なども多く取り入れているため、後代では何を指しているのか分からない部分も多く、「古事記伝」の本居宣長を始めとする多くの国学者や国文学者、日本史学者、民俗学者が訓詁注釈に挑む日本最古にして最大のミステリー書とも捉えられる。

失われた歴史書である「帝紀」と「旧辞(くじ)」の内容を諳んじている稗田阿礼という人物が暗唱したものを太安万侶が書き取ることで成り立ったと伝わる「古事記」。稗田阿礼は猿女(さるめ)氏の出身とされ、大和郡山の稗田環濠集落にある売太(めた)神社に主祭神として祀られているが、生没年も性別もわかっておらず架空の人物説もある。舎人なので男であると中世から近世に掛けては思われていたが、阿礼というのが女性の名前であること、稗田氏は代々女官が輩出する家だったこと、また暗唱するだけで自ら書き記さなかったのは読み書き教育を受けていない女だったからではないのかという理由により、国学隆盛期以降は女性とされることも多い。
売太神社には2012年に行ったが、古事記成立1300年ということで記念の幟が沢山立っていた。

太安万侶は奈良市内に陵墓が発見されており、実在の人物と見られている。

日本の歴史の面白いことは天地創造がないことで、天地は始めから存在し、「神」も性別も正体もよくわからないものであるが最初からいる。

イザナギとイザナミが柱の周りを巡り、この時、母系社会が父系社会に入れ替わった象徴的に描かれるのだが、描かれただけで、そう簡単に社会は変わらない。日本はアジアにおいては極めて異例というほど女性が活躍しており、女帝も何人もいる(中国王朝史においては女帝は則天武后ただ一人、朝鮮王朝史上は新羅時代に三人である)。日本の場合は連続して女帝が生まれたり、重祚した人までいる。

男女が入れ替わっているのではないかというケースも存在し、それを象徴するように、中巻においては日本武尊が熊襲を騙すために女装するシーンがある。更に下巻には史実とは逆に「女摂政が立った」という記述が存在する。

上巻は黛敏郎のドイツ語オペラ「古事記」で、中巻の神武東征は信時潔の交声曲(カンタータ)「海道東征」で描かれており、音楽との相性も良い。

2部ずつの上演であり、途中に1時間ほどの休憩がある。

様々な神が生まれるうちに、天照大神、月読命、素戔嗚尊の三姉弟が生まれる。それぞれ、昼間、夜、海を支配する神様である。月読命(ツクヨミ)だけは影が薄いが、太古の夜は今と違って真っ暗。何も出来ないし怖れの対象であるため、神としてドラマティックはエピソード生まれにくかったのかも知れない。それでも暦などは月を基本に設定されたため、重要な神様(性別不明)である。月が海に影響を及ぼすということも太古からわかっていたのだろう。読み方から「着く黄泉」と取れるのも面白い。伊勢神宮内宮から近鉄五十鈴川駅に向かう途中に月読宮があり、京都にも松尾大社の近くに月読神社がある。
ただ、この中に陸地の神様はいない。陸地の神様は大国主命だと考えられるが、この時点では大国主命は異朝の神であったと思われる。かつて出雲を中心とした地域に朝鮮渡来の民族が一大勢力を誇っており、吉備などを従えていた。大和王朝には青銅の剣しかなかったが、出雲王朝は大陸由来の鉄の精製技術を持っており、古代日本のヒッタイト状態で圧倒的に強い。というわけで、出雲王朝を倒すべく、古代の国盗り物語が始まる。神々に寿命がない時代にあって、大国主命だけは何度も死んでは甦っているが、大国主命の正体が何度が入れ替わっていることを暗示しているように思う。

大国主命が主人公となる第三部では行灯社による伴奏が加わり、終了後には行灯社によるミニコンサートがある。フルートとアイリッシュ・ハープによる女性デュオ、歌も唄う。イギリスと北欧の民謡を中心としたプログラム。いわゆる耳コピーで曲を覚えられるようだ。アイリッシュ・ハープを使っているからかどうかはわからないが、どことなくケルティックな印象を受ける。エンヤが加わって歌を歌い始めても違和感がないような。
アンコールは予定していなかったようだが、「1万マイル」という曲の弾き語りを行う。「500マイル」でも遠いのに「1万マイル」は比較にならない。メートル法に直すと1万6093キロ。地球の半径が約1万3000キロ、地球1周が約4万キロだからいかに遠いかがわかる。

第4部に少名彦命が登場する。その名の通り、名を問われても名乗らない神様である(言葉が通じなかったのかも知れない)。おそらく日本と朝鮮半島の間で通信のようなことをしていた部族が神格化されたものだと思われる。少名彦命の招待を当たる「山田のかかし」は、日本で最も有名な山田という地名に何があるかを思い浮かべるとわかる。伊勢山田には伊勢神宮外宮があり、ここの神官の家だった山田氏の本家は日本屈指の名家である。ということで豊受大神らしいことがわかるのだが、かかしとは何かという謎がある。「足が不自由だった」とあり、他の神のように動き回れないことがわかる。伊勢神道ではこれをもって天之御中主神と同一視しているのだが、果たしてそうか。天照大神はよく卑弥呼なのではないかという説が唱えられるが、だとすれば豊受大神は、すでに名前に「トヨ」という読みが入っていることからも分かる通り、台与ということになるのだが。
国譲りでは、鹿島神(タケミカヅチ)が大活躍する。藤原氏の氏神である春日大社では、タケミカヅチは藤原氏を補佐する軍神で東方よりやって来たとしている。ということは名付けるなら征北狄将軍的役割をしていたのは藤原氏の祖の中臣氏ということになる。中臣氏の根拠地は現在の京都・山科で、関門海峡から瀬戸内海、淀川、宇治川、琵琶湖(当時はまだ日本海側に通じている)を経て、北陸、丹後に至る「天安河ライン」の中枢に位置している。

「古事記」では、兄が政治を受け持つが上手くいかず、弟に位を譲ると大成功となるケースが執拗に語られている。これが何を意味するのかは、「古事記」の編纂を命じたのが天武天皇であることを考えれば明々白々で、「自分(天武)が兄である天智天皇の子である大友皇子を滅ぼして天皇となったのは皇位簒奪には当たらない」と主張したかったからに他ならない。「日本書紀」に天武天皇は天智天皇より6歳年上とあることを根拠に天智と天武は実の兄弟ではないとする説もあるが、「古事記」でここまで愚兄賢弟を描いていることを考えれば、天智と天武は実の兄弟で間違いないと思われる。
さて、最初の男兄弟同士の争いが海彦、山彦の間で起こる。日本のカインとアベルともいうべき存在だが、二人の間にもう一人、正体がよく分からない男の神がいる。正体不明ということを軸に考えると、聖徳太子のモデルになった人の可能性が浮かび、とすれば海彦・山彦は蘇我と物部という飛鳥時代の二大勢力に例えられる。ちなみに蘇我氏については渡来系氏族説の他に、有力皇族説もある。

そしていよいよニニギノミコトによる天孫降臨があり、猿田彦が登場し、天鈿女命が猿女に名を変え(猿女氏の子孫が稗田氏である)、玉依姫(下鴨神社の祭神)が登場し、日本の初代天皇である神武天皇が生まれる。この神武天皇家来というのが徹底して愚兄賢弟なのだが、それは中巻でのお話である。ちなみに太安万侶は神武天皇の子孫である多(おお)氏の出であるとされる。

正午にスタートして全てが終わったのは午後8時近く。帰る時にようやく広田さんにご挨拶。途中で「古事記」解釈の話をしてしまうとよろしくないので、意図的に話掛けなかったのである。


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2018年7月19日 (木)

コンサートの記(403) 高関健指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2018「Bravo! オーケストラ」第1回“華麗なるバレエの世界”

2018年7月1日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2018「Bravo! オーケストラ」第1回“華麗なるバレエの世界”を聴く。昨年度までのオーケストラ・ディスカバリーは午後2時開演だったが、今回からマチネーの定期演奏会と同じ午後2時30分開演に改められている。今日の指揮者は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。今回は桧垣バレエ団との共演で、ステージの奥部を上まで上げた二段舞台での上演となる。ということで今日はポディウム席、ステージ横席共に販売されておらず、最前列と2列目も奥で行われるバレエが見えないため空席となっている。ナビゲーターはガレッジセール。

演目は前半が、チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」から「小序曲」~「行進曲」~「子どもたちの小ガロップと親たちの登場」、チャイコフスキーのバレエ「白鳥の湖」から「情景」と第2幕「オデットと王子のグラン・アダージョ」。後半が、プロコフィエフのバレエ「シンデレラ」ハイライト。

桧垣バレエの出演者は、プリマバレリーナの小西裕紀子を始め、今井大輔、林杏香(はやし・きょうこ)、中尾圭子、蘆原絵莉子、中井高人(たかと)、福島元哉、榎本心、和田健太郎、中谷美咲、大久保真貴子ほか。


今年度はチケットの売れ行きが良く、油断して買うのが遅れたため、2階サイド席の最もステージから遠い場所の席になった。以前だったら音の通りが悪い席だったが、舞台をすり鉢状にして後部の反射板代わりにすることで、音響の改善に成功したようである。ステージからは遠いが音には問題はない。

今日もコンサートマスターは客演で、植村太郎が入る。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーは尾﨑平が務める。第2ヴァイオリンの首席も客演の小宮直に託された。


まずは「くるみ割り人形」。京響の好調は続いており、エレガントな響きが聴き手を楽しませてくれる。
桧垣バレエ団は予想していたよりも本格的な上演。後方ステージ上は賑やかで、多彩な踊りが展開された。

上演終了後、マイクを手にしゃがれた声で自己紹介。昨日まで風邪を引いており、今日治ったばかりだという。
ガレッジセールの二人が登場し、ゴリが「今日、お金掛かってるから京響の皆さんの給料が出なくなるなんてことはないでしょうか?」と冗談をいう。
その後、ガレッジセールと高関の3人がいったん退場して後方ステージに上がる。ゴリは「NGKより眺めが良い」といって、川ちゃんに「そんなこと言っちゃ駄目でしょ」とたしなめられていた。その後、小西裕紀子が後部ステージ上に呼ばれ、ガレッジセールの二人からの質問に答えていく。小西、それからその後に登場した小学6年生の団員二人は止まっている時も両つま先を外側に向けたバレエのポーズであり、いつでも踊りに入ることが出来るようこれを常に保つ必要があることを述べる。「オーケストラの皆さんは楽器を使いますが、私たちは体を楽器にして」常に磨き続けることを心がけているそうである。バレリーナは公演中の待ち時間も長いのだが、いつ本番になってもすぐに対応できるよう体を最善の状態に保ち続けているそうだ。

「白鳥の湖」。小西裕紀子と今井大輔のパ・ド・ドゥである。ダイナミックさと華麗さを併せ持ったバレエが展開される。高関指揮の京響も万全の演奏を聴かせた。


後半、プロコフィエフのバレエ「シンデレラ」ハイライト。この曲ではガレッジセールの二人が交互にナレーションを担当する。元々俳優志望だったゴリの方がナレーションは上手い。川ちゃんはちゃんと読もうとする気持ちが強すぎた結果、文を短く切りすぎて却って伝わりにくくなっていた。
物語性が強いということで、小西裕紀子によるユーモア溢れる演出が生きている。舞踏会に妖精が現れるところではストップモーションを採用。意地悪な継母(演じるのは蘆原絵莉子)とその娘達の踊りでは、若い娘達には男達がすぐに支えにくるのに、継母には誰も寄ってこないため、継母が床を踏みならして「誰か来なさい!」と強制する場面が加わっていた。継母はコミックリリーフ的な扱いであり、皆で客席中央通路に出て紙吹雪を撒くシーンでも一人でいつまでも紙吹雪を投げ続けるというわがままぶりを発揮して笑いを誘っていた。バレエのユーモラスなシーンはサイレント映画に通じるところがあり、観ていて、「ああ、チャップリンだ、バスター・キートンだ、ヒッチコックだ」と様々な無声映画を連想した。
高関指揮の京響もシャープで所々にわさびを利かせた演奏を展開し、プロコフィエフを聴く楽しみを十全に味わわせた。

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2018年7月17日 (火)

「Theatre E9 Kyotoオープニングプロジェクト・シンポジウム 民間劇場の公共性~京阪神の劇場~」

2018年7月4日 京阪なにわ橋駅アートエリアB1にて

午後7時から、京阪なにわ橋駅アートエリアB1で「Theatre E9 Kyotoオープンリサーチプロジェクト・シンポジウム 民間劇場の公共性~京阪神の劇場~」に参加する。京都の東九条に来年オープン予定のTheatre(イギリス式表記を採用しているようである)E9 Kyotoの現状報告と将来に向けてのシンポジウム。theatre E9設営計画の中心にいる、あごうさとし、蔭山陽太(共にアーツシード京都)と、大谷懊(神戸アートビレッジセンター館長、ArtTheater dbエグゼクティブ・ディレクター)、橋本匡市(ウイングフィールド)、繁澤邦明(シアトリカル應典院)といった大阪、神戸の劇場関係者らが参加する。


まず、京都の下鴨にあった小劇場・アトリエ劇研の閉鎖の経緯について説明がなされる。仏文学者の波多野氏の篤志によって1984年にアートスペース無門館としてオープンしたアトリエ劇研。ただ家主である波多野氏の高齢化により、昨年8月に閉鎖となった。ただ、波多野氏の年齢は90歳を超えているそうで、なぜ今の今まで新しい小劇場の建設が計画されて来なかったのか、強い疑問を感じる。アトリエ劇研自体、下鴨の高級住宅の中にあり、アクセス的には不便な場所である。近所に演劇人の拠点となる場所があるわけでもないため、アトリエ劇研は地域の住民から特に愛されたというわけでもないそうだ。演劇的には陸の孤島とでもいうべき側面があった。

小演劇は、日常生活において必要かといわれれば、必ずしもそうとは言い切れない。小演劇に限らず、生涯一度も演劇というものを観ずに過ごす人はかなりのパーセンテージを締めるはずである。そうした演劇から遠い人達に自分たちのやっていることを分かって貰うためには演劇人の方から歩み寄る必要があるのだが、そうしたことを積極的に行っている人を私は残念ながら知らない。

演劇が力を持つとすれば、日常の閉鎖性、牢獄的感覚を抱いている人に向けての場合である。「デンマークは牢獄だ」ではないが、「どこにも行けない日常」に倦み飽きている人々には、演劇の非日常性は「救済」である。私自身、詳しくは語らないが19歳の時にそれを強く感じる出来事があった。
日常と非日常が連続したものであるとして、ではその境目にあるものが重要なのかどうかについては、あるいは「YES」であり時には「NO」である。このことについては後で語る。

シンポジウムのタイトルが「民間劇場の公共性」であるため、まず出演者全員が「劇場もしくは演劇の公共性」についての意見を述べる。そもそも「公共性」とは何かという話からは入らないといけないが、「あまねく、全ての人のために」と定義すると、演劇は公共性から遠いものである。特に小演劇はキャパも小さく、そもそも万人向けにやりたいと思っていたら演じ手側からも小劇場は選ばれない。そして万人向けを狙えば間違いなく演劇の質は低下する。

神戸のArtTheater db(ダンスボックス)のディレクターである大谷懊がダンスボックスのある長田区について、「在日の方が多く、雑多である」ために劇場が受け入れられやすい場所であることを述べる。Theatre E9が出来る予定の東九条は戦後すぐにバラックが並び、京都0番地と呼ばれた場所であり、その後、京都市内のインフラ建設のための朝鮮半島出身の労働者が移り住み、コリアンタウンとなっている。そのために再開発の対象から外れ続け、京都市内でも飛び抜けて治安悪い場所となっている。そうした場所に観客を呼び込める勝算があるのかどうかというと微妙と言わざるを得ない。演劇人や演劇好きは来るだろうが、それではアトリエ劇研の時と何も変わらないか、むしろ悪くなる。日本は少子高齢化に入っているということもあって、演劇好き以外の人にも劇場に来て貰わないと発展は望めない。自閉的であっても鎖国的であってもなんとかなるということは昔からもなかったが今後はもっと通用しにくくなる。

ただ、多くの人を呼ぶという意味では公共性は勿論必要だが、それらは主題であってはならないとも思う。表現が社会におもねるようになったら終わりだ。我々は演劇が日常と地続きであることを求めない。公共性はあってしかるべきなのは通奏低音としてだと思う。

関西の劇場の現状について、毎日新聞大阪本社学芸編集部で演劇欄を担当した畑律江から報告がある。やはり阪神・アワジ淡路大震災の発生をきっかけに大きく変わっていったそうである。公立の劇場が多い関東に比べて、関西では私営の劇場が力を持っており、大阪ガスのOMS(扇町ミュージアムスクエア)や近鉄小劇場などでの演劇が盛んだったが、震災を機に本社を東京に移転する企業が増え、関西の企業のパワーも衰退して小劇場が次々閉鎖されていった。その後、なんばに精華小劇場が生まれ、大阪城ホールの倉庫がウルトラマーケットという劇場になって、大いに期待したそうだが、いずれの劇場も今は存在しない。
公立の劇場に関してであるが、演劇欄を担当した当初は、「基盤がしっかりしているので公立の劇場の方がいい」と思ったそうだが、職員が公務員であるケースが多いため、発案がなされても当の本人が異同のため数年でどこかに行ってしまうため軸のしっかりしたプロジェクトが生まれないという難点があることも語られる。そういう意味では、志やビジョンのしっかりした私営の劇場の方がまだ期待は出来るそうである。

そして劇場を運営されるための補助金の話になる。補助金を申請する際には、まず公共性が問われるそうだが、この公共性がやはり厄介だそうである。「そのことに税金を使うだけの理由」が問われるのだが、税金を使う理由を突き詰めていくとどうしても「上の人が望むもの」と作る必要が出てくる。果たしてそれが演劇にとって良いことなのか。
是枝裕和監督の映画「万引き家族」がカンヌでグランプリ(パルムドール賞)を取り、話題になったが、「助成金を受け取っていながら日本を貶める話を作った」という、「今、何時代?」と首をかしげたくなるような批判が起こった。公的な金を使うなら日本賛美の作品を撮るべきだということなのだろうが、こうなると完全にナチスとレニ・リーフェンシュタールの関係になってしまい、表現者の自殺を意味することになる。

日本センチュリー交響楽団のコミュニティ/教育プログラム担当マネージャーであり、豊中市立文化芸術センターのプロデューサーでもある柿塚拓真は、クラシックの音楽を演奏することにどう公共性があるのかを問われた場合、単に演奏を行うことを評価するのではなく、演奏をブラッシュアップすることで公共性が高まるという趣旨の発言をする。
「公共性」の中でも、どれだけ良い影響が与えられたのかについての「波及性」が問題になるそうだが、演奏の質が高まれば波及性が増すのはこれまでの例から見て確実であるように思われる。
演劇に関しても、上演を行うことにどう公共性があるのかというよりも、上演を続けることで公共性を生んでいくという考えを提示した方がいいようにも思う。

演劇制作者の若旦那家康は、演芸祭を行う際に、「補助金が取れそうな団体」と「面白いけど、どう考えても補助金は出ない団体」を混ぜて上演を行うことにしているそうである。
分かりやすい演劇をやる団体には補助金は出やすいが、果たしてそれで演劇文化は発達するのかというとそうでもないように思う。一般市民から遠い内容の表現を行う人々を遠ざけてしまった場合、観客の人生の幅もまた狭まり、社会は窮屈になる。「日常」と繋がるものはわかりやすいが、安易に受け取ることの出来るものはその程度でしかないものでもある。
「日常」と「非日常」を考えた場合、その隣接点を攻めるのが第一だと人は思いがちである。互いの最前線での攻防に力を注ぐ人も多いのだろうが、実は日常から最も遠い濃密な非日常によってこそあっさりと塗り変わっていくものである。あたかもオセロのように黒だったものが白へ、白だったものが黒へと。
「異質さこそが実は最強である」。異質さが公共を「作っていく」

街と劇場の関係に関して書くなら、「街があって劇場がある」のは理想的であるが、「劇場が街を創る」になると更に素敵である。今のところ絵に描いた餅でしかないが、文化が公共性を創造出来るなら、劇場には最大級の存在価値が与えられるようになるだろう。


京都ではホームグラウンド的な映画館は持っていないが、東京に通っていた頃は、テアトル新宿や渋谷のル・シネマといったお気に入りの映画館があり、よく通っていた。「そこに行けば面白い映画がやっている」もしくは「面白くないかも知れないけれど、たまにはこういう映画もいい」と思わせてくれる映画館中心の日常があった。
同じように「劇場が中心にあること」が誇りになり、あるいは「劇場があることが日常に変わるような」街が設計出来たなら、これに勝ることはない。今はまだ全ては夢だが。

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2018年7月15日 (日)

アニメ「フランダースの犬」オープニングタイトル

舞台はベルギー・フランドル(フランダース)地方。ウィーダ(イギリス人)の原作。

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2018年7月13日 (金)

ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川 カルチャートーク Creators@kamogawa 「新しい楽器の誕生」&「ドキュメンタリー演劇の力」

2018年7月7日 京都・荒神橋のゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ・鴨川にて

荒神橋の近くにあるゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川で、カルチャートーク Creators@kamogawaという催しがあるので出掛けてみる。午後3時開演で、第1部が「新しい楽器の誕生」、第2部が「ドキュメンタリー演劇の力」

ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川は日本に三つあるゲーテ・インスティトゥートの一つ(京都、東京、大阪というかつての三都にある)。以前は、京都ドイツ文化センターという名称であった。今から13年ほど前、朗読劇である「ラブ・レターズ」をやろうとしていた時に、劇場以外の良いホールを探していたのだが、京都ドイツ文化センターのホールは内装が木目でイメージが良かった(特別に見せて貰った)。ただ残念ながら貸し出しはしていなかった。90年代にNHK-BS2(今のBSプレミアム)で早朝に放送されていたクラシック音楽番組で、演奏本編に入る前に花組芝居の加納幸和が洋館で朗読を行っていたのだが、そのイメージに最も近い場所である。ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川になってから行くのは初めてである。

ゲーテ・インスティトゥートに入ろうとした時に見覚えのある男性が視野に入る。作曲家の三輪眞弘氏である。三輪さんは第1部に出演するのである。ということで同時に館内に入ることになった。

ホールはまだ開いていなかったので、館内にあるカフェ・ミュラーに入り、今では歌われることのないドイツ国歌第2番に出てくるドイツのワイン(ただしアルコール抜き。つまりただの赤葡萄ジュース)を飲む。私の席の隣に音楽関係者らしい男性とドイツ人の女性が座っていたのだが、そこに見覚えのある女性が近寄って挨拶をし始める。アンサンブル九条山のメンバーでもあるソプラノ歌手の太田真紀さんであった。


第1部「新しい楽器の誕生」。ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川に滞在している作曲家のジモン・ルンメルと三輪眞弘の対話。司会は小崎哲哉(おざき・てつや)。

ジモン・ルンメルは1978年生まれ。ケルンでピアノと作曲を学び、デュッセルドルフで美術を専攻する。自作の楽器のための作曲をしている他、生活のためにオルガン奏者やアマチュアコーラスの指揮者、劇伴の作曲などもしているという。ケルンではジャズピアノを専攻し、作曲は聴講という形で授業を受けたそうだ。

三輪眞弘は1958年生まれ。ベルリン国立芸術大学で尹伊桑(ユン・イサン)に師事。その後、デュッセルドルフのロベルト・シューマン大学でも学ぶ。入野賞、芥川作曲賞、芸術選奨文部科学大臣賞などを受賞、ルイジ・ルッソロ国際音楽コンクールで1位を獲得している。コンピューターを使った作曲を手掛ける他、独自の物語を持つ逆シミュレーション音楽の提唱者としても知られる。現在は岐阜県大垣市にある情報科学芸術大学院大学(IAMAS)の学長も務めている。

まず、ジモン・ルンメルが作成している新しい楽器の写真がスクリーンに投影される。片側の耳に掛けるタイプのイヤホンと繋がる小型の機械が椅子の上に置かれていて、それを通して同時通訳を聞くことが出来る。

まず上半身裸で紫の塗料を体に塗った男性ダンサーが手前にいて、その背後でルンメルが自転車に跨がり、その更に後ろに管のようなものが何本が飛び出ているという不思議な写真がスクリーンに映る。ダンサーの体に糸がついていて、糸の伸縮により音階が決まり、ルンメルが漕ぐ自転車の動力で音が出るという楽器らしい。
その後、女性の美術家とコラボレートした楽器の写真が映される。球体やその他のオブジェにピアノの弦が繋がれ、外枠と結ばれている。このオブジェは手動で一回転するそうで、その時に音楽が奏でられるらしい。ちなみにルンメルは7月14日にこのゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川のホールでコンサートを行うのだが、その宣伝写真に使われているのは、電源のようなものが貼られたジュースの紙パックから伸びる紙パックをくわえているルンメルの写真で、これも新しい笙のような楽器らしい。

司会の小崎が、「私が知っている楽器は三種類しかない。オーケストラで使われる西洋の楽器、高校生の頃に組んでいたバンドで使った電子楽器、そして三味線や尺八などの邦楽器」と言い、そのどれでもない楽器を作ろうとした意図をルンメルに聞く。ルンメルは美術を専攻したことで現代美術家との協働作業が増え、それが新しい楽器の興味へと向いたようである。新しい楽器は出来るしこれからも生まれるという考え方のようだ。
小崎や三輪は、ルンメルが比較的チープな素材(出町柳駅からゲーテ・インスティトゥートに向かう途中にあるケーヨーD2で買えるようなもの)で楽器を作っていることに注目して、「お金をいくらでも掛けられるとしたら豪華な楽器を作ろうと思うか」と聞き、ルンメルは「お金の問題ではないと思います」と否定する。

一方、三輪眞弘は、新しい楽器というものを信用していないそうで、IAMASの学生が「新しい楽器を作りました」と冗談で言ってくることもあるそうだが、そこはあくまでマテリアルも問題で、新しい楽器よりも世界中の民族楽器など、日本では余り用いられない楽器を使った方が音楽が豊かになるのではないかと考えているようである。三輪自身もビニールパイプに穴を開けて音階が出るようにしたり、カスタネットに工夫を凝らしたものを鳴らしたりはしているが、新しい楽器とは捉えていないようである。

三輪の逆シミュレーション音楽の解説。「またりさま」が取り上げられ、架空の信仰対象「またりさま」というものを創造し、それにまつわる過去からのエピソードが加わっているということが語られる。現実の別体験ではんく、別体験のようなものに肉付けしていくというものである。「またりさま」はコンピューターでプログラミングされたものが鈴などを鳴らし、音にしていくという音楽でもある。三輪の作品はコンピューターで作曲はするが、コンピューター音は出さず、演奏は実在する楽器で行われるという特徴がある。

ルンメルは数学者に分析をお願いして楽器を作ったことがあったり、3Dプリンターを使って楽器を作ったことがあるそうだが、アナログな楽器を作成しており、コンピューターや計算機などは手段に過ぎないと考えているようだが、三輪は「今の世界ではコンピューターは道具を超えたもの」であり「我々は機械世界の中にいる」と認識していて、「人間と機械の間の関わり方の変化」が起こったのだという考えを述べる。

ルンメルは、今後しばらくは新しい楽器を作るよりも作曲に時間を使いたいと思っているそうだ。14日に自らが演奏して発表される笙をモチーフにした微分音ハーモニカが現時点では最後の「新しい楽器」ということになる。

20世紀後半、ドイツはクラフトワーク、日本はYMOと喜多郎という電子音楽のアイコン的存在を生んだ。ただ音楽や新楽器の捉え方に関しては日独で少し差があるようにも思う。


休憩を挟まずに第2部「ドキュメンタリー演劇の力」が始まる。登壇者は演出家のハンス=ヴェルナー・クレージンガーと高山明。当初は女流映画監督で作家のレギーネ・ドゥーラも参加する予定だったのだが、大怪我をして入院中だそうで、「参加出来ないのがとても残念」というメッセージが読み上げられた。司会は引き続き小崎哲哉が受け持つ。
ハンス=ヴェルナー・クレージンガーは1962年生まれ。ギーセンで演劇を学び、ロバート・ウィルソンの演出助手やドラマトゥルクを務める。1993年からブレヒトが創設したベルリーナー・アンサンブルなどでの演出活動を開始している。
高山明は1969年生まれ。2002年にPortB(ポルト・ビー)を結成し、既存の演劇の枠組みを超えた活動を行っている。2016年より東京藝術大学大学院映像研究科准教授を務める。


クレージンガーは、「20世紀の暴力の歴史」に取材し、ドキュメンタリー演劇として発表を続けている。取材対象には様々なテロリズム、ドイツ赤軍派やルワンダでの虐殺、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争などがあるそうだ。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が起こったときに、NATO軍が介入することを決めたのだが、その際、政治家がその正当性や根拠などを説明してたり、NATTO軍の兵士にボスニアでの振る舞い方などが説かれていたそうだが、それがクレージンガーの目には「とても演劇的」と映ったそうである。そこは「摩擦する場所」だった。
ただドキュメンタリー演劇だから全てが本当のことというわけではなく、解釈の仕方、切り取り方によってフィクションが加わるそうで、ドキュメンタリー=事実というわけではないことに注意して欲しいとも述べた。

高山明は、自身が創造しているものがドキュメンタリー演劇ではないと考えているそうである。はとバスでのツアーを演劇上演として行ったこともあるが、最近ではドイツにおける難民を巡るマクドナルド放送大学という活動を行っているそうである。ドイツのマクドナルドに行くと客はほとんどが難民、店員にも難民出身の人が多いそうである。ドイツでは難民向けの教育が充実しているそうで、ドイツ語を始め、人文科学、社会科学、理数学、スポーツ学に至るまで学ぶことが出来るそうだが、高山自身が難民向けの教育を行おうと考えた際、「マクドナルドには難民がいるし、そこで行えばいいのではないか」と思いついたそうである。実は日本でも24時間営業のマクドナルドに行くと、若い人が沢山いてほぼ満員だそうである。彼らの正体は住む家のない日雇い労働者で、隠れた難民的存在であるようだ。東京では家を追い出された女子高生達がマクドナルドに集い、売春の拠点としていたという事例もあったそうである。実は高山も右翼に追われて家に帰れないという状況が2ヶ月ほど続いたことがあったそうで、その間、マクドナルドを天天としており、そこでそうした事実を知ったのだという。
フランクフルトのマクドナルドで、マクドナルド放送大学は立ち上がったのだが、教員も難民である。ただ、正規の教授職にいた人は一人だけ。他にもマラソン選手として活躍するも紛争で足に怪我を負った人がスポーツの素晴らしさを語る講義などを行ったそうである。ただ、ドイツでは教養のある層はマクドナルドには行かないそうで、マクドナルドのイメージが非常に悪い。マクドナルドは多国籍企業で資本主義の牙城、むしろ難民を生み出す側で、そんなところで難民向けの講義を行うのは趣味が悪いと、高山もドイツ人の友人に言われたそうである。

クレージンガーも、「演劇を観るような人はマクドナルドには行かない。またマクドナルドにいるような人は演劇は観ない」というドイツの社会地位的分断を語る。

高山は、トゥキュディデスの「戦史」やアイスキュロスの「嘆願する女達」の話をして、「嘆願する女達」はおそらく世界初の難民を扱ったテキストだと紹介する。そして「嘆願する女達」を難民達に読ませることで、一種の「迂回路」のようなものが生まれると語る。

クレージンガーが、PTSDを煩う兵士達に接したときの話をする。彼らにホメロスを読ませようとしたのだが、「俺たちには難しい話はわからない」と最初のうちは拒絶されていた。だが、美しい文章を通すことで、兵士達は自己を相対化することが出来るようになり、現実とは違った物事への向き合い方で出来るようになっていったという。これもまた一週の「迂回路」だと述べる。
「迂回路」は一見、遠回りのようであるが、有効な手段ともいえるだろう。

高山は、難民のいるバルカンルート全てのマクドナルドでマクドナルド放送大学を開こうというプロジェクト構想を持っており、バルカンルートを「知の道」にしたいという希望を語った。

クレージンガーは劇場を物事と正面から向き合える、集中出来る場所だと語り、そのことが演劇を観ること夫重要性だと語る。曰く「観客は能動的な解釈者であるべきだ」
高山はテアトロンが元々は「客席」という意味であったことを述べ、自らも客席にいて感動したことが演劇に入る契機だったことから「観客から(演劇を)始めた」として劇を観ることの意義を語った。
クレージンガーは、フォークナーの「歴史は死んでいるわけではない」という言葉を挙げ、「迂回路」である痕跡も舞台に取り上げることの重要性に触れた。
クレージンガーは、昨夜はサッカーワールドカップをテレビで見ようとしていたそうだが、結局、別の放送を見ることになったと語る。オウム真理教事件で7人の死刑囚の刑が執行されたというニュースである。クレージンガーは、「あれ(地下鉄サリン事件)もテロだと思う」と述べ、テロは痕跡を残すから、それに集中して向き合う必要がある、それには演劇は有効と説いた。

小崎哲哉が、日本にも赤軍派はいて、昔は大いに話題になったが今は影も形もない。難民も日本は年に20人程度しか受け入れていないから存在が可視化出来ないというようなことを語り、見えないことにも向き合う必要があるとして纏めた。

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2018年7月12日 (木)

コンサートの記(402) 飯守泰次郎指揮関西フィルハーモニー管弦楽団第206回定期演奏会 大澤壽人 交響曲第2番 復活初演

2008年10月8日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪のザ・シンフォニーホールで、関西フィルハーモニー管弦楽団の第206回定期演奏会に接する。指揮は、常任指揮者の飯守泰次郎。

曲目は、シャブリエの「いやいやながらの王様」より“ポーランドの祭り”、世界最高峰のヴァイオリニスト、オーギュスタン・デュメイを迎えての、ショーソンの「詩曲」とラヴェルの「ツィガーヌ」、神戸生まれの大澤壽人(おおざわ ひさと)の交響曲第2番。

ピアノがソロを奏でる演目はないはずだが、ステージ上にはピアノ協奏曲を奏でる位置にピアノが置かれている。
午後5時40分頃に、例によって関西フィル理事の西濱秀樹さんが登場し、プレトークが始まる。ステージ上に置かれたピアノは、指揮者の飯守泰次郎がピアノを弾きながら大澤壽人の交響曲第2番の解説を行うためのものであることがわかる。飯守は、各楽章のさわりを弾きながら大澤の意図、作曲の時代背景などについて語った。
ピアノはセリを使ってはけさせられた。

バイロイトで音楽助手を務め、バイロイト音楽祭の総監督ヴォルフガング・ワーグナーから「本当のカペルマイスター」と賞賛された飯守泰次郎。評価も高いが、この人、どういうわけか知名度が今一つである。ギクシャクとした独特の動きと唸り声を上げながらの指揮が特徴。

シャブリエの「いやいやながらの王様」より“ポーランドの祭り”。
飯守の奏でる音楽を聴いていると、譜面を設計図に、オーケストラ団員の出す音を材料にして指揮棒という金槌で音楽という建物をトントンと建てている職人の姿が浮かぶ。まさに職人芸といった感じだ。
だが、飯守より若くて知名度のある指揮者には、その指揮者自身の力の限界を超えた地点まで音楽が達する瞬間がままあるのだが、飯守にはそうしたものは一切求められない。手堅くて良い指揮者だが、人気が上がらないのはそこに理由があるのだろうか。
とはいえ、飯守の指揮するシャブリエは優雅で洒落っ気がある。

オーギュスタン・デュメイを迎えての2曲。大男のデュメイだが、数年ぶりに見る彼は少し太ったようである。
デュメイは関西フィルの首席客演指揮者に就任し、お披露目となった先日の神戸での演奏会は大好評だったという。
デュメイのヴァイオリンは音に厚みがあり、ヴァイオリン一挺で、オーケストラに匹敵するほどのスケールを誇る。というと物理的には大袈裟だが、感覚的には決して大袈裟ではない。今日も至芸を聴かせてくれたが、普通のヴァイオリニストならともかく、デュメイとしてはこの程度の出来は日常的なレベルのものだったように思う。感心させられるがそこ止まりであった。並のヴァイオリニストなら今日のような演奏でも上出来なのだけれど。

大澤壽人は、1907年生まれ(自己申告によるもの。戸籍上は1906年生まれだという)。神戸の生まれ育ちで、関西学院に学び、ボストンに留学してボストン交響楽団を指揮して自作を演奏し、大成功(大澤はボストン交響楽団を指揮した初めての日本人である。なおボストン交響楽団初の日本人音楽監督となったのは大澤ではなく小澤>征爾だが、偶然とはいえ面白い)。その後、パリに渡って、当時の最先端の音楽を吸収。交響曲第2番はパリで初演され、絶賛を浴びた。大澤は凱旋帰国した際に交響曲第2番を演奏したが、当時の日本は音楽の後進国中の後進国、というわけで、大澤の音楽を理解できた聴衆はほとんど一人もいないという有様だったという。それでもヨーロッパに帰れば味方は沢山いると考えた大澤だが、折悪しく、第二次世界大戦が勃発。日本に留まらざるを得ない状態になった。その後、大澤は当時の日本人のレベルに合わせた作品を書いて発表したが、それでも理解は得られなかった。生活のために放送用の音楽を書いたり、映画音楽を作曲したりするが、1953年に過労が元で46歳で早世。本格的なクラシック音楽の分野からは遠ざかっていたため、その後長く忘れ去られた存在となっていた。
そんな大澤に光を当てたのは、今日の関西フィルのプログラムも執筆している片山杜秀氏で、氏が監修を務めたNAXOSレーベルの「日本作曲家選輯」に大澤壽人の作品を抜擢。このCDを通して大澤壽人の名は再び知られるようになった。

大澤の交響曲第2番が、戦後、プロオーケストラによって演奏されるのは今日が初めてで(日本人作曲家の作品を演奏するために結成されたアマチュアオーケストラであるオーケストラ・ニッポニカが先に演奏してはいる)、事実上の復活初演となる。

洗練を極めた音楽であり、大澤の生前に注目を浴びていたフランス六人組の作品集に大澤作品が混じっていたとしても気がつかないほどである。
大澤の交響曲第2番のCDは、ドミトリ・ヤブロンスキー指揮ロシア・フィルハーモニー管弦楽団の演奏がNAXOSの「日本作曲家選輯」から出ており、私も聴いて感銘を受けたが、生で聴くとまた違った印象を受ける。
大澤の生前の聴衆と違い、私などが大澤作品を聴いても何とか着いていけるのは、大澤に影響を与えたラヴェルやフランス六人組や、より現代的な音楽も聴いているからだが、それでも十全に理解できたかというとそうでもない。十全な理解などどんな作品であっても不可能なのかも知れないが。
極度に洗練され、フランス音楽やジャズなど様々な音楽のイディオムが詰め込まれているが、時折、日本の民謡や田植え歌に似た旋律が入るのが、日本人作曲家としての個性と誇りを感じさせる。
関西フィルも、音にもっとパンチ力が欲しかったが、音は美しく、埋もれていた名作を見事復活させることに成功していたように思う。

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菅原洋一 「知りたくないの」

訳詞:なかにし礼

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2018年7月11日 (水)

コンサートの記(401) オリバー・ナッセン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第442回定期演奏会

2010年10月14日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の442回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は作曲家としても著名なオリバー・ナッセン。

曲目は、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、バルトークにピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:ピーター・ゼルキン)、ナッセンの自作自演となる交響曲第3番とドビュッシーの交響詩「海」。
現代音楽がプログラムに入っているためか、空席が目立つ。特に1階席の前の方はガラガラだった。
ナッセンは極端に太っており、歩くのが難儀そうだった。
今日は普段と違い、アメリカ式の現代配置による演奏である。

ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。ナッセンは細部まで目を配り、隅々まで良く彫刻された瑞々しい音を大フィルから引き出す。

バルトークのピアノ協奏曲第3番。ピーター・ゼルキンは譜面と譜めくり人をおいての演奏である。ゼルキンのテクニックは一流だが超一流というほどではない。しかし、クッキリとした音で、味わい深い音を奏でる。ナッセン指揮の大フィルも好演である。

ナッセンの交響曲第3番。指揮台の前に、チェレスタとハープ、ギター奏者が並ぶという独特の配置。神秘的な雰囲気で始まり、途中で巨大な音の塊と化した後で、再び神秘的で静かな音楽に戻っていく。

ドビュッシーの「海」。やはり細部まで配慮の行き届いた演奏であった。弦も管も洗練され、テンポも中庸で聴きやすい。

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2018年7月 5日 (木)

コンサートの記(400) 京都岡崎音楽祭 2018 OKAZAKI LOOPS タンブッコ・パーカッション・アンサンブル コンサート

2018年6月24日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて

午後1時から、左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールで、京都岡崎音楽祭 2018 OKAZAKI LOOPS タンブッコ・パーカッション・アンサンブル コンサートを聴く。

タンブッコ・パーカッション・アンサンブルは、1993年に結成されたメキシコの打楽器アンサンブル。アメリカのグラミー賞に4度ノミネートされるなど評価が高い。日本では2011年に国際文化交流基金賞を受賞しており、「題名のない音楽会」にも出演経験がある。

芸術監督のリカルド・ガヤルドが英語でのトークを行いながら演奏を進めていく。メンバーはリカルドと、アルフレッド・ブリンガス、ミゲル・ゴンザレス、ラウル・トゥドンの4人。

曲目は、グリフィンの「過去の化学作用の持続」、パーカーの「石の歌、石の踊り」、ラウル・トゥドンの「風のリズム構造」、ライヒの「マレット・クァルテット」、インファンソンの「エマトフォニア(あざのできる音楽)」、ブリンガスの「バランコ」
タイトルからわかる通り、現代音楽を中心とした演目である。

現代音楽といっても難解なものは少なく、ポップで心地よい作品が並ぶ。グリフィンの「過去の化学作用の持続」やライヒの「マレット・クァルテット」などは洗練されており、今日は演奏されなかったがグラハム・フィットキンなどが好きな人にも薦められる。

パーカーの「石の歌、石の踊り」は二つの石を打ち合わせたり、擦ったりして音を出す音楽。芸術監督のリカルド・ガヤルドが石を叩いて、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の冒頭を奏でたり、「石(ロック)を使ったから、これはロックコンサートだよ」と冗談を言うなど、ユーモアのセンスにも富んでいる。

メンバーの一人であるラウル・トゥドンの「風のリズム構造」には、先週、タンブッコ・パーカッション・アンサンブルのメンバーがワークショップを行った京都市立錦林小学校の児童が参加。録音された音楽が流れる中、様々な打楽器が空間を埋めるように打ち鳴らされる。偶然性の高い音楽であり、同じ演奏は二度と出来ないということで瞬間瞬間が貴重となる。

ライヒの「マレット・クァルテット」が演奏される前に、リカルドはマリンバでiPhoneの着信音を奏で、グロッケンシュピールでは新幹線の「間もなく」の時に流れるチャイムを再現する。

インファンソンはメキシコのジャズの作曲家だそうだが、彼が書いた「エマトフォニア(あざのできる音楽)」は、ボディーパーカッションによる音楽。体を叩くので、思わぬ所に痣が出来ることがあるという。各メンバーがソロを取るが、ラウル・トゥドンは頬を叩いて音を出し続けたため、顔が真っ赤になる。この曲では、聴衆も出演者に促されて手拍子をしたりタンギングを行ったりした。

ブリンガスの「バランコ」は、フラメンコなどで用いられるカホンをフィーチャーした作品。今日は東福寺の塔頭内にある遼天Cajon工房で作られたカホンを4人が用いるということで、遼天Cajon工房の石原守宏住職も客席に来ており、リカルドに紹介された立ち上がった。
この曲ではリカルド・ガヤルドが、「パーカッションではないんだけど」と前置きした上で導入部と中間部でギターを演奏していた。

アンコールとしてまず2台のマリンバでメキシコ民謡「泣き女」が演奏され、ラストにはライヒの「木片のための音楽」が演奏される。「泣き女」はメロディアス、「木片のための音楽」はノリノリで、客席も大いに盛り上がった。


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2018年7月 3日 (火)

サッカー日本代表へのオード

緑の波の上のサファイアとルビー
ルビーの方が大きいが、サファイアも煌めきでは負けない

こんなにも美しい負けは滅多になく
敗北がこんなにも胸を打つことも稀だ

二つの宝石の輝きは、永遠の我らの胸に刻まれることだろう
その一つが我々の国であることは
どれだけ誇っても過ぎたることにはなるまい

今月の誕生石を今は讃えよう
我々の宝石の季節は
まだ先だ

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「マイ・フェア・レディ」より“踊り明かそう”

サッカー日本代表とベルギー代表を讃えて

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2018年7月 2日 (月)

チャイコフスキー作曲 祝典序曲「1812年」

秋山和慶指揮洗足学園大学オーケストラによる演奏。

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2018年7月 1日 (日)

コンサートの記(399) 非破壊検査 Presents コルネリウス・マイスター指揮読売日本交響楽団第20回大阪定期演奏会

2018年6月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで読売日本交響楽団の第20回大阪定期演奏会を聴く。今日の指揮者は読響首席客演指揮者のコルネリウス・マイスター。マーラーの交響曲第2番「復活」1曲勝負である。

コルネリウス・マイスターは、1980年、ドイツ・ハノーファー生まれの若手指揮者。ハノーファー音楽演劇大学でピアノと指揮を学び、21歳でハンブルク国立歌劇場にデビュー。2005年には24歳の若さでハイデルベルク市立歌劇場の音楽総監督に就任し、2012年まで務める。2010年からはウィーン放送交響楽団の首席指揮者兼芸術監督の座にある。2014年に読響と初共演。今年9月からはシルヴァン・カンブルランの後任としてシュトゥットガルト市立歌劇場の音楽総監督に就任する予定である。

以前はザ・シンフォニーホールで大阪定期演奏会を行っていた読売日本交響楽団だが、よりキャパの大きなフェスティバルホールに会場を移している。来年の3月でシルヴァン・カンブルランが常任指揮者を退任することになり、次期常任指揮者にセバスティアン・ヴァイグレの就任が決まった読響。今年の4月に新練習場が神奈川県川崎市内に完成し、前練習場閉鎖以来の稽古場ジプシー状態が終わりを告げ、より充実した演奏活動が期待される。

今日のコンサートマスターは、長原幸太。ソプラノ独唱:ニコール・カベル、メゾ・ソプラノ独唱:アン・ハレンベリ。合唱は新国立劇場合唱団。

近年、セレモニアルな機会に演奏されることが増えたマーラーの交響曲第2番「復活」。大阪では大植英次が、大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督就任時(ザ・シンフォニーホール)と現在のフェスティバルホールこけら落とし演奏で同曲を取り上げており(いずれも接していない)、東京ではパーヴォ・ヤルヴィがNHK交響楽団首席指揮者記念として渋谷のNHKホールで演奏している。ただ、大編成による複雑な交響曲であるため、しょっちゅう聴けるというわけではない。

今日は1階席最後列で聴く。1階席は前の方でしか聴いたことがないが、直接音が飛んでこないという印象を受けた。今日も2階席が頭上にせり出しているため、残響を感じにくい。オペラをやると響きすぎて壁がビリビリいうフェスティバルホールだが、今日も合唱が壁を振るわせ、軋むような音が混じる。

コルネリアス・マイスターであるが、北部ドイツの出身らしい端正な音楽を作る。パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団の演奏では、パーヴォはオーケストラの威力を前面に出していたが、マイスターは音楽のフォルムを重視。だがそのため却ってマーラーの音楽の異質さがダイレクトに伝わってくるような印象を受ける。

マーラーの交響曲第2番「復活」は、交響詩「葬礼」を基とする第1楽章と第2楽章以降では性格が異なるとして、マーラー自身が第1楽章終了後に「最低5分の休憩」を挟むようスコアに書き込んでいるのだが、実演ではほとんど採用されていない。今日も少し間を開けだだけであった。

これまで、空間の広いフェスティバルホールを鳴らせていないように感じた読売日本交響楽団だが、今日は大編成による演奏ということで、納得のいく音響を作り出していたように思う。独唱、合唱ともに整っており、美しいマーラーが築かれていた。鳴らせたという点で、これまで接した読響大阪定期の中でも最上の部類に入ると思う。



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