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2018年8月16日 (木)

コンサートの記(411) 広上淳一指揮 大阪シンフォニカー交響楽団(現・大阪交響楽団)第129回定期演奏会

2008年11月7日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から大阪のザ・シンフォニーホールで大阪シンフォニカー交響楽団の第129回定期演奏会に接する。今日の指揮は広上淳一。

オール・メンデルスゾーン・プログラムで、序曲「静かな海と楽しい航海」、「ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲」(ヴァイオリン独奏:米元響子、ピアノ独奏:河村尚子)、交響曲第1番という無名曲が揃う。広上の指揮でなかったら客はまず入らないだろう。
広上の指揮でも客席は満員にならなかったが、超絶的に地味なプログラムの割には入りはそこそこ。ただし、パイプオルガン側の席は発売されていない。

モーツァルトと並ぶ神童作曲家として知られる、フェリック・メンデルスゾーン=バルトルディ。幼き日にはゲーテから「君に比べればモーツァルトでも子供同然」と絶賛を受けた(ただし当時は今とは違い、モーツァルトの評価はそれほど高くなかったことは意識しておく必要はある)。
38歳と、早世ながらモーツァルトよりは3年長く生きたメンデルスゾーンだが、作曲家としてはモーツァルトには遠く及ばず、多作だったにも関わらず、今でもコンサートプログラムに頻繁に乗るのは、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第3番「スコットランド」、交響曲第4番「イタリア」、序曲「フィンガルの洞窟」、「真夏の夜の夢」序曲と劇付随音楽「真夏の夜の夢」、弦楽八重奏曲、ピアノ曲「無言歌」集、オラトリオ「エリア」などで十指にも満たない。いずれも名旋律を持ち、メンデルスゾーンが旋律の人だったことがわかる。
今日のプログラムの曲も、序曲「静かな海と楽しい航海」はいくつか録音が出ている程度。ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲はこれまで私はその存在すら知らなかった。交響曲第1番も「メンデルスゾーン交響曲全集」には入っているが、全集にするために録音がされたものがほとんどで、単体でのCDは発売されていないはずである。発売されたとしても買う人はいないだろう。

無名曲を広上がどう聴かせるのかが注目である。

序曲「静かな海と楽しい航海」は、演奏が始まってすぐに弦楽パートの絶妙のハーモニーにより別世界に連れて行かれる。大阪シンフォニカー交響楽団の演奏会にはこれまで何度か接しているが、これまでに聴いてきた指揮者とは広上は格が違うのがわかる。
ただ、曲自体はやはり出来が良くない。聴いている間は引き込まれるのだが、曲が終わると途端に醒めてしまう。

ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲。米元響子は2008年度の出光音楽賞を受賞した若手ヴァイオリニスト。ピアノの河村尚子は2007年にクララ・ハスキル国際コンクールで優勝したこちらも将来を期待される若手である。
河村尚子の実演には、小林研一郎指揮京都市交響楽団の定期演奏会で接したことがある。モーツァルトのピアノ協奏曲の演奏だったが、河村が実に楽しそうにピアノを弾くのが印象的だった。
今日も河村は楽しそう。ソロが始まるまでのオーケストラのパートが長かったのだが、その間、河村は微笑みながら音楽に浸っている。ソロが始まってからも、顔の表情は豊かであり、全身もノリノリで、この人が本当に音楽好きだということがわかる。
ヒンヤリとした独自の音色が個性的。技術も高い。時に勢い任せの演奏になるのが玉に瑕である。
河村は、演奏開始前にコンサートマスターだけでなく、フォアシュピーラー(コンサートマスターの隣で弾く人のこと。次席奏者とも訳される)とも握手をし、演奏終了後には、譜めくりの人の肩にそっと手を乗せて労うなど、心配りの出来る人であることがわかる。音楽家も人間なので、河村のような人とはまた共演したくなるだろう。
ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲の弦楽パートは、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番のそれとよく似た開始を見せる。というよりは、メンデルスゾーンは、おそらくモーツァルトを意識している。第1楽章は悲劇的な色彩が強く、広上はオーケストラから悲しげな音色をよく引きだしていた。
しかし、この曲はやはり駄作だと思う。曲全体が色々なところから楽想を引っ張ってきた借り物のようであるし、第3楽章のピアノパートは音がただ上下行を繰り返しているだけで、スケール練習のよう。河村も暗譜はせずに、譜めくり人を置いていたが、この曲のピアノパートを暗記するのは時間と労力の無駄なので賢明な選択だと思う。
ヴァイオリンの米元響子は全ての音が磨き抜かれていた。個性が弱いのが今後の課題だろう。

メインである交響曲第1番。コンサートステージに上がることはほとんどない曲で、やはりその程度の曲ではあるが、広上が振ると、演奏している間は「イタリア」交響曲に匹敵する作品に聞こえる。
第1楽章の情熱、第2楽章の青春の息吹、第3楽章の熱いダンス、第4楽章の勢いなど、いずれも曲の弱さは補って余りある出来。メンデルスゾーンの交響曲第1番でこれほど聴かせるのだから、さすがは広上といったところか。
広上は右手を高く突き上げるなど、時に外連も見せるが、それさえも音楽と一体化しているため、外連であっても外連のみとは感じられない。
シンフォニカーもチェロのゴウゴウとした鳴りなどは普段とはまるで異なり、全体の響きも情熱的でありながら爽やか。情熱的で爽やかという両極端にあるものを同時に出した響きと、こうして文章にしてもうまく伝わらないと思われるが、広上はそうした響きを出す。言葉や概念を超越した響きが今日はホールを満たしていた。

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