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2018年10月 8日 (月)

観劇感想精選(257) シス・カンパニー公演 ジャン=ポール・サルトル「出口なし」

2018年9月27日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後6時30分から、西梅田のサンケイホールブリーゼで、ジャン=ポール・サルトルの「出口なし」を観る。サルトルの代表戯曲の一つ。演出・上演台本:小川絵梨子。出演:大竹しのぶ、多部未華子、段田安則、本多遼。

「出口なし」というと、1994年の三谷幸喜の「出口なし」をBSで観ており(パルコ劇場での収録)、これはビデオに録画して繰り返し繰り返し観ているが、サルトルの「出口なし」は全くの別物である。もっとも、三谷幸喜はサルトルの「出口なし」からタイトルを借りていると思われる。
私自身はサルトルの「出口なし」を観るのは初めてである。

サルトルの哲学を戯曲化したものといわれることもあるが、それを別にしても興味深い作品である。

「地獄」が舞台なのだが、ここで描かれる地獄はいわゆる地獄とは似ても似つかないものである。そこは「一室」であり、出入り口が一つあるだけで窓も鏡もない空間である。ソファーが三脚、美術室にはよくあるアグリッパの胸像、そして紙はないがなぜかペーパーナイフはある。

ボーイ(本多遼)に案内されて、ガルサン(段田安則)がまずこの地獄にやってくる。ガルサンは地獄には拷問道具があるものだと思い込んでいるが、そんなものはない。壁には呼び鈴があるが、ボーイによると「当てにならない」という。実際、ボーイがいるときには呼び鈴は鳴ったが、その後はウンともスンともいわなくなる。
ガルサンはジャーナリストで、反戦記事を書く新聞社に勤めていたのだが、徴兵を拒否して逃亡し、国境付近で捕まって銃殺刑に処されたのだ。

続いて現れたのは、郵便局員だったイネス(大竹しのぶ)。恋人との別れ話から部屋のガス栓を捻られて殺されたそうである。

最後にやってきたのは、人妻のエステル(多部未華子)。年の離れた富豪の夫と幸せに暮らしていたが、若い男と不倫の末、子を宿し、生まれた子供をスイスの湖に投げ殺している。

三人とも今日が初対面である。なぜこの三人なのかも明白でなく、そもそもキャラクターからして気が合いそうにない組み合わせである。イネスは「互いが互いの処刑人」と唱える。

喧嘩の末、ガルサンは扉を開けて出ようとするが、押しても引いても開かない。「出口なし」である。

そうしてバリエーションを変えながらの諍いが続く中、ガルサンが手を掛けた扉が突然開く。今まで出たい出たいと思っていたこの空間だが、扉が開いた途端にガルサンもイネスも怖じ気づいてしまい……。

ガルサンが、反戦に殉じた英雄なのか、戦争に怯えた臆病者なのかで解釈が分かれる場面があるが、いずれにせよ、それは他者が決めることである。地獄からは現世の様子が見えるのだが、現世の人間は地獄にいる者のことを恣意的に思い出している。

ガルサンの「地獄とは他人のことだ」というセリフが「出口なし」の最も有名にしてキーになる詞であるが、地獄とはいうがそれは「良い奴ばかりじゃないけど悪い奴ばかりでもない」この世界において、他者の目にさらされ、関係を築いていく、もしくはいかねばならないことの喩えであると思われる。生きにくい世の中であるが、「それならお一人でご自由に」と扉が開けられたとして、そこから出られる勇気のある人がそうそういるとも思えない。孤独と自由が好きな私でも扉が開いた瞬間には凄まじい恐怖を感じた。もちろん、「出口なし」を読んだことはあるが、これほどゾッとするシーンだとは想像出来なかった。サルトル恐るべし。

大竹しのぶ、段田安則、多部未華子という実力派の三つ巴は見応え十分である。エステルは多分、多部未華子本人の性格から最も遠いキャラだと思われるが、実在感のあるエステル像を築いている。
出番の短いボーイ役の本多遼はセリフのリズムが今ひとつだったが、まだこれからの若い俳優であり、三人との共演は大いに刺激になったと思われる。

小川絵梨子の演出であるが、ガルサンが発するラストのセリフに肯定的なメッセージを込めるべく、逆算して作り上げているようである。


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