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2018年10月の34件の記事

2018年10月31日 (水)

コンサートの記(447) パスカル・ロフェ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第522回定期演奏会

2018年10月26日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第522回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はフランス出身のパスカル・ロフェ。

日本のオーケストラへの客演も多いパスカル・ロフェ。現在はフランス国立ロワール管弦楽団の音楽監督である。パリ国立音楽院を卒業後の1988年にブザンソン国際指揮者コンクールで2位入賞。1992年からはアンサンブル・アンテルコンタンポランの指揮者として活躍。ピエール・ブーレーズの影響からなのかノンタクトで指揮する。経歴からわかる通り現代音楽の演奏を得意としており、NHK交響楽団の京都公演でチャイコフスキーの交響曲第4番を指揮した時には現代音楽仕込みの明晰なアプローチによってチャイコフスキーの苦悩を炙り出す名演を繰り広げている。


曲目は、フォーレの「レクイエム」(1893/1984 ラター版)とストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」全曲(1910年原典版) 。


フォーレの「レクイエム」は人気曲であり、大阪フィルは今年の夏に大友直人の指揮で演奏したばかりであるが、重複を避けるためか、イギリスの指揮者で宗教音楽の作曲家としても知られるジョン・ラターがフォーレの第2稿をまとめたラター版の楽譜を用いての演奏となる。
フォーレの「レクイエム」は元々はフォーレが両親を悼むための私的な楽曲として作られている。その後にフォーレ自身が手を加えた第2稿が完成。今回はこれを基にした楽譜で演奏される。
今日一般的に演奏されるのはその後に改訂された第3稿である。フォーレ自身はこの改訂に乗り気ではなく、作業も弟子のジャン・ロジェ=デュカスに任せている。第3稿は1900年のパリ万博で初演されている。というより、パリ万博で披露するために校訂されたのであろう。

まだ大阪フィルがザ・シンフォニーホールを定期演奏会の会場にしていた頃、大植英次指揮の演奏会の前半のプログラムがフォーレの「レクイエム」だったのだが、開演直前に大植英次がドクターストップによって緊急降板となり、合唱指揮者である三浦宣明が急遽代役を務めたことがあった。大フィルによるフォーレの「レクイエム」を聴くのはそれ以来である。

ラター版は第2稿に基づいているが、フォーレの自筆譜が散逸してしまったため、ラターが研究によって復元している。弦楽はヴァイオリンがなく、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの編成。通常、ヴァイオリンが陣取る舞台下手側にヴィオラが並び、コンサートマスター(でいいのかな?)はヴィオラの井野邉大輔。今日の演奏会全体のコンサートマスターである田野倉雅秋は、この曲ではヴァイオリンソロとして「サンクトゥス」と「イン・バラディスム」で演奏に加わる。田野倉はヴィオラ陣の背後に控え、「サンクトゥス」ではその場で立って、「イン・バラディスム」では更に後ろ、ハープの横に下がって演奏した。歌手の配置も独特で、バリトン独唱の萩原潤は指揮台の上手横だが、ソプラノ独唱の市原愛は、下手側、田野倉の最初の持ち場の一つ後ろに座って出番を待つ。

管楽器の編成も特殊で、金管は普通だが、木管のフルート、オーボエ、クラリネットといった花形は出番なしでファゴットのみが登場する。

ロフェは音の輪郭をクッキリと浮かび上がらせた立体的な音響を築く。やはりロフェという指揮者は相当な実力の持ち主のようである。

ホワイエで行われたプレトークで、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局次長の福山さんが語っていたが、フォーレの意図をロフェに聴いたところ、「合唱を生かすために高音の楽器を除いたのだろう」という答えが返ってきたそうだが、実際に耳にすると音色が渋く、普段聴いている第3稿とはかなり印象が異なる。大阪フィルはドイツ的な低弦の強さが売りの一つだが、この印象は大フィルだからではないだろう。フォーレがイメージした元々の響きが渋めのものだったのだと思われる。一般にフォーレというとノーブル、ザ・フレンチテイストの音楽家で、「レクイエム」はその中でもフランス的というイメージがあるが、それはフォーレが乗り気でなかった第3稿によって作られたものだったようだ。異国からの来訪者が集うパリ万博でのお披露目ということで、意図的にフランス的な響きが加えられたのだろう。作曲者が望まない形が後世に残ってしまうというのは良くあることである。

ソプラノは最も有名な「ピエ・イエス」が唯一の出番なのだが、市原愛の歌唱は歌い出しの音程が不安定であった。1曲勝負であるため後で取り返せないのがこの曲の怖いところである。

大阪フィルハーモニー合唱団の水準は高い。


ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」全曲(1910年原典版)。演奏会用に編まれたものや組曲版が演奏されることが多いが、今回はパリ・オペラ座で初演された時のバレエ全曲の演奏である。とはいえ、初めて生で聴いた「火の鳥」の演奏も全曲版だった記憶がある。1994年の春に、千葉県文化会館で行われた東京交響楽団のマチネーの演奏会。指揮は秋山和慶で、その時は朗読付きの上演であり、ナレーションを裕木奈江が務めていた。当時、東京交響楽団は「ぴあ」での表示をTOKYO SYMPHONYにしていたんだっけ。懐かしい。

「火の鳥」でもロフェは、優れた聴覚バランスと巧みな音楽設計を生かした秀演を描く。冒頭の金管のソロが散らかった感じだったのは残念だが、ソロでは今一つでも合奏になると力を発揮するのが日本のオーケストラの良さで、その後は安定、輝かしい音を出す。
弦楽は最初から最後まで煌めきのあるマジカルな音色を奏でる。ここぞという時の力強さは大フィルの真骨頂だ。

今回が大フィルとの3回目の共演となるパスカル・ロフェ。もっと聴きたくなる指揮者である。京響にも客演して欲しい。


 

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2018年10月30日 (火)

観劇感想精選(263) 宮本亜門演出「三文オペラ」

2009年5月4日 大阪厚生年金会館芸術ホールにて観劇

午後5時より、大阪厚生年金会館芸術ホールにて「三文オペラ」を観劇。作:ベルトルト・ブレヒト、テキスト日本語訳:酒寄進一、音楽:クルト・ワイル(ヴァイル)、音楽監督:内橋和久、演出:宮本亜門、主演&訳詞:三上博史。出演は他に、安倍なつみ、秋山菜津子、松田美由紀、明星真由美、米良美一、田口トモロヲ、デーモン小暮閣下など。

「三文オペラ」は、一昨年に白井晃演出のものを観ており、更に昨年には「三文オペラ」の原作である、ジョン・ゲイの「乞食オペラ」も観ているので、それとの比較になる。

まず、音楽はアンプを使った大音量の生演奏で、いかにもエレキな感じ。
舞台装置はベニヤ板を使った巨大ボードがスクリーン代わりに使われたり(客席の映像やアニメーションなどが投射された)、幕の代わりになったりと効果的に用いられている。

主な登場人物は、デーモン小暮閣下は勿論、全員顔を白塗りにして登場、役者のイメージの切り離しを行う。また、出番を待っている役者を舞台端に、客席から見えるように座らせているのも、劇と舞台とを切り離す効果を狙っているようだ。

白井晃演出の「三文オペラ」に比べると、ブレヒトの戯曲本来の泥臭さがそのまま生かされており、解釈そのものはオーソドックスだ。

安倍なつみやデーモン小暮閣下といったプロの歌手陣の歌は流石の出来。安倍なつみはちょっと頭の足りない娘としてポリーを演じており、予想以上の好演である。

口上役として客席に話しかけるという米良美一の役割の与え方も効果的で、客席を告発するかのような戯曲のどぎつさを中和させることに成功しており、全体として見応えのある舞台になっていた。

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2018年10月29日 (月)

コンサートの記(446) 「時の響」2018楽日 アンサンブルホールムラタ第3部 京都フィルハーモニー室内合奏団×辻仁成 「動物の謝肉祭」

2018年10月21日 京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタにて

「時の響」2018楽日。午後4時から、京都コンサートホール小ホール アンサンブルホールムラタ(通称:ムラタホール)で行われる第3部コンサートを聴く。大ホールでは第3部の演奏会は行われないので、これが「時の響」2018最後の催しとなる。

出演は、京都フィルハーモニー室内合奏団。語りは辻仁成(つじ・ひとなり)。辻仁成は、昨日今日とムラタホールに出演。ギター弾き語りなども行ったようだ(ミュージシャンの時は「つじ・じんせい」名義である)。
司会を舞台俳優の福山俊朗が務める。

曲目は、フォーレの「パヴァーヌ」、ドビュッシーの「ゴリウォーグのケークウォーク」と「夢」(いずれも室内オーケストラ編曲版)、ラモーの「タンブーラン」、サン=サーンスの組曲「動物の謝肉祭」朗読付き(台本&朗読:辻仁成)。


フォーレの「パヴァーヌ」。人気曲である。京都フィルハーモニー室内合奏団も典雅さを意識した演奏を行う。

ドビュッシーの「ゴリウォーグのケークウォーク」と「夢」は、いずれもピアノ曲を室内オーケストラ用に編曲したものの演奏。編成にピアノは含まれていない。
ピアノ向けの曲なので、室内オーケストラで演奏すると音が滑らかすぎて流れやすくなるようだが、なかなか聴かせる演奏になっていたように思う。


ラモーの「タンブーラン」は、太鼓とタンバリンが活躍。弦楽はピリオド不採用であったが、古楽の雰囲気を良く表したものになっていた。


メインであるサン=サーンスの組曲「動物の謝肉祭」。朗読を担当する辻仁成が、この日のために書き下ろしたオリジナルテキスト版を自ら初演する。

辻仁成で京都というと、「やっと会えたね」という言葉がよく知られているが、それももう過去のこととなった。

その後、中性を意識したスタイルへと変わった辻仁成。今日もそんな感じである。

辻仁成はまずミュージシャンとしてデビューし、その後に詩人として文壇に登場。小説家に進んだのはその後である。

辻が書いたテキストは、小説家・辻仁成よりも詩人・辻仁成の要素を強く出したものである。動物たちの集まったカーニバルの日の夜明けから日没までを舞台に、「人生」をテーマとした語りが行われる。
辻は、京フィルの団員や客席を笑わせることを第一としているようだが、慣れていないということもあって空回りする時もある。他は冗談音楽だから良いのだけれど、「白鳥」の時にテーマを歌うのは流石にやり過ぎである。チェロの旋律美を楽しみにしていた人もいるだろうし。
ともあれ、ラストは「悩みのない動物=人間の本能的部分」の礼賛で締め、メッセージにはなかなか良いものがあったように思う。

京フィルの演奏のレベルもなかなか。
ピアノは佐竹裕介と笹まり恵の二人が担当したのだが、「ピアニスト」では二人とも楽譜も満足に読めないレベルのピアノ初心者演技入りでたどたどしく弾き、かなりの効果を上げていた。サン=サーンスもこうしたものを望んでいただろう。

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2018年10月28日 (日)

コンサートの記(445) 「時の響」2018楽日 大ホール第2部 広上淳一指揮京都市交響楽団 広上淳一リクエスツ「思いをはせた『西洋』の音楽文化」

2018年10月21日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールで行われている「時の響」2018の楽日。大ホールでの第2部は、広上淳一リクエスツ「思いをはせた『西洋』の音楽文化」というタイトルのコンサート。日本の幕末明治維新期に初演された曲2曲を並べる。広上淳一指揮京都市交響楽団の演奏。司会も引き続き慶元まさ美が務める。午後2時開演。

演目は、岸田繁の「ほんの小さな出来事のためのファンファーレ」(管弦楽版)、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲)


まず、くるりの岸田繁の新曲が演奏される。昨日、同曲の吹奏楽版が西村友指揮オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラによって初演され、今日は管弦楽版の初演である。

「大脱走」のテーマを連想させる作品。広上も楽しげな音響を築く。
演奏終了後、広上は客席の方に向かって「作曲者の岸田さん、いらっしゃいますか?」と聞き、岸田繁が立ち上がって拍手を受けた。


ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。京響首席フルート奏者の上野博昭の妙技が披露される。
広上は見通しの良いクリアな音作りと、おぼろげでアンニュイな雰囲気の両方を上手く出し、理想的なドビュッシー演奏となった。


ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」。演奏前に、慶元が、「『プロムナード』が流れる時に、スクリーンに京都市内各所の今と昔の映像が流れます」と説明。三条大橋、新京極、堀川通、四条通、烏丸通、八坂の塔(法観寺)、大原道(鯖街道)などの現在と1910年代の映像が対比される形で投影された。八坂の塔だけは東山に近く景観保存がなされているため今とほとんど変わらない。

演奏は素晴らしい。ハラルド・ナエスの吹く冒頭のトランペットから抜群の造形美を誇り、美しさとパワーの両方を兼ね備えた演奏が繰り広げられる。

広上指揮京都市交響楽団の演奏による「展覧会の絵」は以前にも聴いたことがあるが、より引き締まりつつも柔軟性のある演奏が行えるようになっている。
ラストの「キエフの大門」の迫力も圧倒的。小柄な広上が京響から豊かなスケールを引き出すのも面白い。小さなものが大きな力を生み出す様は、視覚的にも効果的だ。



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2018年10月27日 (土)

コンサートの記(444) 「時の響」2018楽日 大ホール第1部 広上淳一指揮京都市交響楽団 広上淳一リクエスツ「音楽維新 NHK大河ドラマテーマ音楽で聴く歴史の波形」

2018年10月21日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールで行われている「時の響き」2018。大ホールでの第1部と第2部の出演は、広上淳一指揮京都市交響楽団。
コンサートマスターは今日も渡邊穣で、第1部の木管楽器の首席奏者はオーボエの髙山郁子のみ、第2部では勢揃いという顔触れである。

午前11時開演の第1部は、広上淳一リクエスツ「音楽維新 NHK大河ドラマテーマ音楽で聴く歴史の波形」と題されたコンサートで、幕末を舞台とした大河ドラマのメインテーマ曲を中心にした曲目が編まれており、

谷川賢作の「その時歴史が動いた」エンディングテーマ、坂本龍一の「八重の桜」、川井憲次の「花燃ゆ」(ヴォーカル:平野雅世&迎肇聡)、湯浅譲二の「徳川慶喜」、吉俣良の「篤姫」、佐藤直紀の「龍馬伝」(ヴォーカル:平野雅世)、林光の「花神」、富貴晴美の「西郷どん」が演奏される。

司会は、FM京都 a-stasionのDJである慶元まさ美(けいもと・まさみ)が務める。

NHK職員の息子であり、子どもの頃から大河ドラマを見ていて、自称「大河フェチ」の広上淳一の解説も聞き物である。


現在は「歴史秘話ヒストリア」となっている枠で流れていた「その時歴史が動いた」。詩人の谷川俊太路の息子で、作曲家の谷川賢作の作品である。
広上によると、「ラストで、取り上げられた人物の金言といいますか、箴言、まあ金言ですね。それが松平さん(松平定知アナウンサー)のアナウンスで流れて、最後にトランペットが鳴るところで涙を流す」と「自分自身の体験なってしまいましたが」語る。広上はよく泣く人のようである。

午前中にスタートするということで、広上は「おはようございます」と挨拶していた。


「八重の桜」。慶元が、同志社大学の創設者である新島襄の妻となった新島八重(山本八重)を紹介し、広上は「私の頭の中では綾瀬はるかになっています」と語る。
八重の兄である山本覚馬が西郷隆盛と仲良くなり、御所の北にあった二本松の薩摩藩邸跡地を安値で譲られて、新島襄の同志社が出来たという話を広上はする。

「八重の桜」のテーマ曲は、放送中であった2013年に、坂本龍一のピアノと栗田博文指揮東京フィルハーモニー交響楽団の演奏で聴いてことがある。新しくなったフェスティバルホールで聴いた初のコンサートであった。
尾高忠明指揮NHK交響楽団による本編用の音源でも、坂本龍一&栗田指揮東京フィルの演奏でも最初から壮大でドラマティックな展開となっていたが、今日の広上はそれらとは違い、一瞬一瞬の光の明滅を描いたかのような儚げなものであった。尾高や坂本&栗田が咲き誇る桜を描いたのとは対照的に、散りゆく花びらを音の変えたかのような演奏である。


「花燃ゆ」。吉田松陰の妹である杉文を主人公にした作品。広上は「私にとっては井上真央」。井上真央もこの作品の低視聴率があだとなったのか、最近はいい噂が聞こえてこない。
本編で指揮を行っていたのは、広上の弟子である下野竜也。下野竜也はNHKに気に入られているようで、その後も何度も大河ドラマのテーマ曲指揮を手掛けており、「真田丸」では謎の商人役(真田信之役の大泉洋に「誰?」と言われる)で出演までしてしまっている。「RAMPO」などの作曲家である川井憲次のメインテーマはドラマティックで良かったのだが、本編自体は脚本家を4人も注ぎ込むも音楽に負ける出来となってしまっていた。


「徳川慶喜」。作曲は20世紀の日本を代表する作曲家の一人であった湯浅譲二。現代音楽の要素を取り入れており、大河ドラマのメインテーマの中では取っつきやすい方ではない。広上は、徳川慶喜については「昔は余り好きじゃなかった」と語り、「軍事力は負けないだけのものを持っていたのに、兵を見殺しにして逃げて謹慎しちゃって情けない人だと思っていた」
ただ、「当時の列強に日本を乗っ取られる」危険性を避けるためと知ってからは見る目が変わったようである。
演奏前に、大政奉還の舞台となった二条城のCGがスクリーンに映る。
本編でもオープニングタイトルは個性的であり、江戸の写真や絵と共に縦書きの字幕が左から右へと流れていくという絵巻物手法が取られていたのを覚えている。


吉俣良の「篤姫」。21世紀に入ってからの大河の中では平均視聴率が最高を記録した作品である。広上は、「まさか岡田准一と結婚するとは思わなかった」と宮﨑あおいについて語る。
ちなみに影の脚本家を巡る噂のある作品でもある。
広上は、「地味だけど」と前置きしつつ、曲に関して褒める。
本編での指揮は井上道義で、耽美的な演奏を行っていたが、広上の指揮する「篤姫」は井上のものに比べるとスタイリッシュである。


佐藤直紀の「龍馬伝」。本編を指揮したのも広上淳一である。
佐藤直紀は、広上の東京音楽大学の後輩であり、教え子でもあるそうだが、「彼は私の授業には出ませんで」と広上は語る。「龍馬伝」のレコーディングの時に、佐藤は「あの時はお世話になりました」と言いに来たそうだが、広上が「そんなにお世話したっけ?」と返すと、「いや、最初の1回しか授業に出ていませんで、それで、『単位あげるよ』と言われたので、もう出ませんで」だそうである。広上は単位はあげたが、大学から授業に出ない学生に単位をあげたのが問題視されたそうで、翌年からは当該授業からは外されてしまったそうである。
佐藤は、インドやネパールなどの南アジアの「エキゾチックな」民族音楽を学ぶのが好きな人だそうである。

本編ではオーストラリアのミュージシャンであるリサ・ジェラルドがヴォーカルを担当していたが、今回は平野雅世がマイクなしのソプラノで歌う。
ただこの曲は、マイクありのヴォーカルで歌った方が効果的なように思えた。


林光の「花神」。大村益次郎こと村田蔵六を主人公にした作品である。「花神(かしん)」は「花咲か爺さん」の中国での呼称。自分は去ってしまうけれど咲かせた花は残るという姿を司馬遼太郎が花神に例えたものである。

広上は林光について「大天才」と最大級の賛辞を送る。林光は尾高尚忠の弟子であり、十代の頃からすでに尾高に認められていて鞄持ちなどをしており、東京芸大に入るも学ぶものが何もないため1年で中退して作曲活動に入ったという早熟ぶりについても話す。
基本的にオプティミスティック人であり、どんな時でも明るかったという。

「花神」は、現在は総集編のVTRのみが残っている。私も総集編のみDVDで見た。
林光は、作風が比較的平易なことでも知られ、どの作品でも明快な旋律を一番大事にしている。曲と広上の相性も良いようだ。


現在放送中の大河ドラマ「西郷どん」のオープニングテーマ。一昨日、岩村力指揮京都市交響楽団の演奏で聴いているため、聞き比べが出来る。
広上の指揮する「西郷どん」は、岩村のそれと比べて重層的であり、より多くの音が聞こえる。劇伴としては主題が明確に浮かぶ演奏が好まれる傾向にあるのだが、広上の解釈はクラシック作品に対するのと変わらないスタイルが貫かれているようだ。

全般を通していえることだが、広上の奏でる大河のメインテーマはどこか儚げで移ろいやすく、どんなに明るいメロディーや和音にも憂いが影に潜んでいるという日本人的美質が聴き取れる。まるで「桜」の美意識だ。

広上の大河指揮デビュー作も幕末ものの「新選組!」なのだが、残念ながら演奏はなし。「時の響」は時間の関係でアンコール演奏も一切なしのようである。


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2018年10月26日 (金)

コンサートの記(443) 「時の響」2018初日 大ホール第3部 松尾葉子指揮オーケストラ・アンサンブル金沢 岸田繁リクエスツ「フランス音楽」

2018年10月20日 京都コンサートホールにて

「時の響」2018初日、大ホールでの第3部、岸田繁リクエスツ「フランス音楽」を聴く。演奏は第2部に引き続き松尾葉子指揮のオーケストラ・アンサンブル金沢が行う。クラシック音楽愛好家としても知られる、くるりの岸田繁が選んだフレンチクラシックの演奏。

曲目は、ビゼーの「アルルの女」第1組曲、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」、サン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」(ヴァイオリン独奏:坂口昌優)、ラヴェルの「クープランの墓」より“リゴードン”。


ビゼーの「アルルの女」第1組曲での迫力や熱狂、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」の抒情美などいずれも見事である。

「亡き王女のためのパヴァーヌ」を演奏終了後、松尾はマイクを手にスピーチを行う。「フランス音楽って(他の国の音楽と)どこが違うですか?」と聞かれることがあるそうだが、フランス人は最後まで説明するのを嫌うそうで、「亡き王女のためのパヴァーヌ」もタイトルからしてもそうだが、聴き手の想像に委ねられているという。松尾は、フランス映画「太陽がいっぱい」のラストを相手に委ねる例として挙げていた(「太陽がいっぱい」では、主人公のリプレーが今後どうなるのかは具体的に描かれていないが、画面に映ったあるものでその後が予想出来るようになっている)。


サン=サーンスの「序奏とロンド、カプリチオーソ」。ソリストの坂口昌優(さかぐち・まゆ)は、桐朋女子高校音楽科、桐朋学園大学を経て、同大学研究科を修了。2008年より文化庁新進芸術家海外研修員としてブリュッセル王立音楽院に留学し、2011年に帰国。
ナポリで行われた第14回アルベルト・クルチ国際ヴァイオリンコンクールでは第2位に入っている。

短い曲であるが、坂口は高音の切れが印象的な演奏を聴かせた。


松尾のスピーチ。フランス語は単語数が多く、後ろから修飾している言葉であるため、フランス人はみな早口だそうである。松尾もそれに影響されて早口になったそうでだが、早口なフランス人が描かれた曲として、ラヴェルの「クープランの墓」から“リドーゴン”が演奏される。すっきりとした都会的な演奏であった。



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コンサートの記(442) 「時の響」2018初日 大ホール第2部 羽田美智子×松尾葉子×オーケストラ・アンサンブル金沢 プロコフィエフ 「ピーターと狼」朗読付き公演ほか

2018年10月20日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールで行われる「時の響」2018初日。
今日は午後3時開演の大ホール第2部「親子で楽しむ『朗読』付きコンサート」から聴く。出演は、松尾葉子指揮のオーケストラ・アンサンブル金沢。朗読:羽田美智子。

曲目は、ラヴェルの「マ・メール・ロア」より3曲とプロコフィエフの「ピーターと狼」


日本における女性指揮者の草分け的存在である松尾葉子。1982年のブザンソン国際指揮者コンクールで、コンクール史上初の女性覇者となる。日本人としても小澤征爾に次ぐ二人目の優勝者であった。
教育者としても著名で、30年に渡って東京藝術大学指揮科教官を務め、芸大出身の中堅から若手の指揮者のほとんどは松尾の弟子である。現在は愛知県立芸術大学客員教授、セントラル愛知交響楽団特別客演指揮者の座にある。


日本初のプロの常設室内管弦楽団として組織されたオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)。今や日本を代表する音楽団体の一つである。幼少期を金沢で過ごしたこともある岩城宏之を音楽監督として発足し、2代目の井上道義時代を経て現在はマルク・ミンコフスキが芸術監督を務めている。
日本で最も外国籍楽団員の割合の多いプロオーケストラとしても知られ、今日は第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのトップが白人である。

ドイツ式の現代配置での演奏であるが、ホルンが上手に来るなど、独自色が強い。


ラヴェルの「マ・メール・ロア」。雅やかでしなやかなアンサンブルが印象的。彩りも鮮やかであり、日本における理想的なラヴェルが聴ける。


プロコフィエフの「ピーターと狼」朗読付き上演。
羽田美智子は、今日は第1部のオオサカ・シオン・ウインド・オーケストラのオープニングMCと務め、第2部では朗読担当として参加する。

羽田美智子は、子どもの頃はピアニストになるのが夢で、小学校の卒業文集には「ピアニストになって大きなホールで演奏する」と書いたそうだが、大人になるに連れて「あのレベルまで行くのは難しい」と気づき、演技の道に進んだそうだ。
以前、ドラマでヴァイオリニストの役をしたことがあり、ホールで弾く真似だけしたことがあったそうだが、音楽会の本番に出演者として参加するのは初めてであり、「夢が叶った」と嬉しそうに語った。

羽田美智子の朗読は明るめの声で行われ、親しみやすい。そのためプロ女優の凄みは感じないが、「ピーターを狼」ということもあり、これで良いと思う。今は「ピーターと狼」の朗読にこれといったものはないので、色々な人に挑戦して貰いたいとも思っている。小澤征爾が朗読を務めたCDはあるが、小澤さんは朗読は素人なのでね。

松尾葉子指揮のOEKは温かみのある愛らしい演奏を行った。


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2018年10月25日 (木)

ドラフト会議で指名されました(嘘です)

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右投げ左右打ち。MAX98キロ(終速)。球種:カーブ、スライダー(2種類)、シュート、カットボール、スプリット、ツーシーム、チェンジアップ、パームボール、ナックルボール、シンカー、ナックルカーブ。特性:ノーコン(そのためセカンドを守ることが多い)、右打席では流し打ち左打席では引っ張りを得意とする。

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2018年10月24日 (水)

コンサートの記(441) 「時の響」2018 前夜祭コンサート

201810月19日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、「時の響」2018 前夜祭コンサートを聴く。

昨年から始まった「時の響」。もっとも昨年は、1日2回公演の特別コンサートで、音楽祭形式になったのは今年からである。京都コンサートホールでは現在「京都の秋音楽祭」が行われており、音楽祭内音楽祭という位置づけになる。今日明日明後日の3日間に渡って行われ、京都市交響楽団のみならず、大阪シオン・ウィンド・オーケストラ、オーケストラ・アンサンブル金沢の各オーケストラのコンサートが大ホールで、京都フィルハーモニー室内合奏団と室内楽による演奏会とサイレント映画の上映会がアンサンブルホールムラタで行われる。


前夜祭に当たる今日は、ソワレのコンサート。明日明後日は午前中から演奏会が行われる。


出演は、岩村力指揮の京都市交響楽団。ヴォーカル&ヴァイオリンソロはサラ・オレイン。

曲目は、第1部「明治期の世界の音楽 ジャポニズム・クラシック」が、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」よりハミングコーラス、ラヴェルの「海原の小舟」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」。第2部「明治期の思想が描かれたドラマ、生まれたミュージカル作品」が、ロイド=ウェッバーの「オペラ座の怪人」セレクション、シェーンベルクの「レ・ミゼラブル」より“夢破れて”と“オン・マイ・オウン”(ヴォーカル:サラ・オレイン)、サラ・オレインの「ANIMAS」(ヴァイオリン独奏:サラ・オレイン)、久石譲のオーケストラのための「坂の上の雲」、久石譲のオーケストラのための「スタンド・アローン」~「坂の上の雲」より(ヴォーカル:サラ・オレイン)、富貴晴美の「西郷どん」オープニングテーマ曲。


通常のホワイエでは他に催し物があるため、チケットのもぎりは客席に入る直前で行われる。

今日と明日は、ホワイエで鍵盤男子によるオープニングアクトがあり、今日は、「ツァラトゥストラはかく語りき」&「ラプソディ・イン・ブルー」、ラヴェルの「ボレロ」や鍵盤男子によるオリジナル曲がピアノ連弾で行われた。


フェスティバルホールでの「映像の世紀」コンサートでもタクトを任されていた岩村力。クロスオーバーものは得意なようで、瞬発力の高いアスリート系音楽作りを見せる(いわゆる古典ではこのスタイルが足枷になっている可能性もある)。岩村はトークも達者であり、やはり今の時代は「話せる指揮者」が有利なようだ。

今日は1階席のみの発売。パイプオルガンの前にはスクリーンが下がっており、明治以来150年の歴史を語る国内外の写真、20世紀の画家による絵画作品、小説家や芸術家が残した言葉などが投影される。


明治150年、パリ市と京都市の友情盟約60周年を祝い、日本とフランスをテーマにした音楽とイベントが中心になる。

今日は特別に渡邊穣がコンサートマスターに入る。


1曲目はワーグナーの作品だが、岩村によると、第2回パリ万博が行われた1867年に「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が初演されたというで選ばれたそうだ。岩村は「日本史が苦手」だったそうで、事前に知識を入れてきたそうなのだが、「あれ? 明治の前なんでしたっけ? 慶応?(慶応で合っている) ケイなんとか」と楽団員に聞くも、楽団員も知らなかったりする(今は芸術大学の音楽学部や音大受験に地歴の知識は必要ない)。

マスカーニの「イリス」も同じ頃に初演されたというが、「イリス」を演奏するわけにもいかないので、「マスカーニといえば」の作品である「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲を演奏したそうだ。

日本を舞台にしたオペラということで「蝶々夫人」、葛飾北斎の富嶽三十六景より「神奈川沖浪裏」に影響された作品としてラヴェルの「海原の小舟」、祝祭的な雰囲気をということでヨハン・シュトラウスⅡ世の「美しく青きドナウ」が演奏される。ウィーン人の気質は京都人のそれに似ているとはよく言われることだが、ウィーンは残念ながら京都の姉妹都市ではない。

「蝶々夫人」のハミングコーラスではヴィオラダモーレがソロを取るため、演奏前に首席ヴィオラ奏者の小峰航一がヴィオラダモーレの紹介を行った。


第2部に出演するサラ・オレインは、オーストラリアの出身。シドニー大学を卒業後、東京大学に留学。2012年にメジャーデビューを果たしている。英語、日本語に堪能で、ヴァイオリニストや作曲家としても活躍。現代の日本における才女列伝のトップクラスに数えられる人である。今日は白のドレスで登場。
フランス語は話せはしないが読みは結構出来るそうである。なお、現在使っている楽器はフランス製で、オーストラリア生まれであるが「メイド・イン・パリ」だそうで、「余り深くは掘り下げないで下さい」とのことだった。坂本美雨が青森生まれながらロンドン生まれも名乗っているのと一緒だと思われる。

ちなみにサラ・オレインは、京都には留学生時代から何度も来ているそうで、「街並みが美しい」と感じており、そもそも日本に留学するきっかけとなったのは、「三島由紀夫の『金閣寺』を読んで感動して」だそうである。

「レ・ミゼラブル」からの2曲は低めの声、英語歌唱で行う。英語圏出身ということもあって、歌詞の内容を十全に把握した歌唱。歌い崩しも様になっている。
「スタンド・アローン」は一転して高めのシルキーヴォイスで歌う。とても心地よい声だ。

サラ・オレインが作曲し、ヴァイオリン独奏も務める「ANIMAS」。ドラマティックな作風で、劇伴作曲家としても成功出来そうである。ヴァイオリンの腕であるが、聴く分には申し分ないといったところ。協奏曲のソリスト達に比べるとダイナミックレンジの幅や細部の表現力で及ばないが、朝から晩まで攫っている人達と他の仕事もこなしながらヴァイオリン独奏もする人とでは違いが出るのは仕方ない。

現在放送中の大河ドラマ「西郷どん」オープニングテーマが演奏された後、アンコールとしてサラ・オレインのスキャット、オーケストラ伴奏による「西郷どん」より“わが故郷”が演奏される。
サラ・オレインの声からは、高い空、白い雲、川のせせらぎ、子どもの頃の声、田園の広がりといった日本の原風景が浮かんでくる。



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2018年10月22日 (月)

京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT 2018 セシリア・ペンゴレア&フランソワ・シェニョー 「DUB LOVE」

2018年10月18日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて

午後8時から、ロームシアター京都ノースホールで、京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT 2018 セシリア・ベンゴレア&フランソワ・シェニョーの「DUB LOVE」を観る。

セシリア・ベンゴレアとフランソワ・シェニョーはフランスのパリを拠点に活動しているダンサー兼振付家である。先日、ロームシアター京都サウスホールで公演を行ったロレーヌ国立バレエ団の「トリプルビル」第1作目「DEVOTED」の振付も担当している。

コンセプト:セシリア・ベンゴレア、アナ・ピ、フランソワ・シェニョー。構成・出演:セシリア・ベンゴレア、フランソワ・シェニョー、アレックス・マグラー(役割構成:アナ・ピ)。ヒップホッフ振付コラボレーション:アンジェ・クエ。ダブルプレートプレーヤー:DJ High Elements。

ジャマイカの音楽に乗せて行われるコンテンポラリーダンスである。
タイトルにもある「DUB」というのはレゲエの音響加工技術だそうで、様々な音を加工する。
1950年代のジャマイカで興り、60年代にはスカ(東京スカパラダイスオーケストラでも知られる裏打ちの高速テンポを特徴とする音楽)の要素も取り入れて、その後もロックやミニマルの影響を受けつつ発展したという。


上手側に鏡が張られており、下手から照明を照らすことで、反射した光が下手の壁に影を作る。舞台上のダンサー、上手の鏡像、下手の影の3つが平行して進む形になる。

8分の6拍子の音に合わせてまずフランソワ・シェニョーが登場。 2番手がアレックス・マグラー、ラストがセシリア・ベンゴレアという順に登場。
思い思いの振りで踊った後で、同じ仕草で踊り始める。

その後、3人とも爪先立ちでバランスを取った後で、3人が肩を組み、しゃがんで右足を上げたり、男性ダンサー2人の支えで、セシリアが上体を反らせつつ移動したりするなど、バランスの芸が行われる。

バランスを取るには相手に合わせる必要があるため、この時点で「愛」である。

ちょっとした休憩タイムの水入り後で、3人のダンサーがDJに合わせて歌う。メロディーよりリズム優先で、即興性に富む。

その後も、4分の4拍子のスカのリズムに合わせてダンスが行われ、やがてスカが後退すると全員同じ振付になり、バランス芸が再び現れた後で、爪先立ちで肩を組んだ3人がソロリソロリと退場して終わる。あたかも鏡像のように、あるいはバッハの音楽のように遡行されて。


描いているものはシンプルなのであるが、演劇にしろ音楽にしろ映画にしろ、単純なものを単純に描くのは案外難しい。その点、コンテンポラリーダンスは簡単なものを簡単に表現することに長けている。それがダンスの強みでもある。

今日は満員札止めの観客がDJも含めた4人を大いに称えた。



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2018年10月21日 (日)

観劇感想精選(262) 京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT 2018 ウースターグループ 「タウンホール事件」

2018年10月14日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後2時から京都芸術劇場春秋座で、ニューヨークの前衛劇団であるウースターグループの「タウンホール事件」(クリス・ヘジダスとD・A・ペネベイガーによる映画「タウン・ブラッディ・ホール」に基づく)を観る。英語上演日本語字幕付。上演時間約65分の中編である。演出:エリザベス・ルコンプト。

1971年にニューヨークのタウンホールで行われたフェミニズムのためのパネルディスカッションの様子を収めたドキュメンタリー映画「タウン・ブラッディ・ホール」の映像を流しながら演劇も同時に上演される。

開演の15分前開場であったが、開演するまでの間、ヘッドホンを装着した若いアジア系スタッフ役の若い女性が舞台と客席の間をうろうろするなど臨場感を演出している。

パネルディスカッション(討論会)出席者の後ろにモニターがあり、そこに1971年のタウンホール内での模様が映し出される。

1971年の討論会に出席したのは、自称フェミニストだが実際は男性至上主義的なノンフィクション作家、ノーマン・メイラー、ウーマン・リブ運動の王道を行くような思想の持ち主である作家のジャーメイン・グリア、レズビアンである作家のジル・ジョンストン、女性という言葉で一括りにされるのを嫌う文芸評論家のダイアナ・トリリングらである。

今回の上演では、アリ・フリアコスとスコット・シェパードという二人の男優がノーマン・メイラーを交互に演じる。どちらかが出演出来なくなる可能性を考えて、二人に台本を送ったのだが、二人とも出演可能になったため二人一役にしたそうである。もっとも、男優一人対複数の女優という構図にした場合、誤解を招く恐れもあったため男優二人システムを採用したとも考えられる。男優二人が取っ組み合いの喧嘩をする挿話(ノーマン・メイラーが手掛けた映画のワンシーンらしい)を入れているが、これも男優二人でないと成立しないことだろう。

女性達はウーマン・リブだのフェミニズムだので一括りにされがちだが、主張や立場はそれぞれ異なる。

芝居はまずジルの一人語りで始まるのだが、これはジルが書いた『レズビアン・ネーション』に出てくるタウンホールでの討論会の記憶に忠実に基づいているようだ。ジルは自分がいかにアピール出来るかに掛けており、最初から場の空気を乱す気満々である。
「女は全員レズビアンだ」という主張を繰り広げる。

ジャーメイン・グリアは『去勢された女』という本で成功を収めたのだが、彼女を引き立てようとしたのが他ならぬノーマン・メイラーだったようである。
男性の詩人と女性の詩人を比較し、男性詩人はその活動が名誉に繋がるが、女性詩人の場合は逆に男性から敬遠されるということで、成功する女性詩人が生まれるためには女性の立場の向上が必須であると考えている。
また女は聖女か侍女のどちらかにしかなれないことを問題視している。

ノーマン・メイラーは、女性の人権を認めてはいるが、それは天賦のものではないと考えているようで、「努力で勝ち取るべき」としている。

ダイアナ・トリリングを演じているのは男優のグレッグ・マーテン。ダイアナは、オーガズムが一人一人違うように同じ女性でも思想が個々に異なるとして、安易に女性の立場を代表するようなスタンスを取ってはならないと考えている。また彼女は左翼思想の持ち主だが、ノーマンは「左翼全体主義は地獄」と考えており、思想面でまず対立している。

俳優のみが見られるモニターが3つほどあり、そこに流れる映像や字幕、俳優がつけているイヤホンなどを通して聞こえるセリフなどの情報の中から俳優が適宜選択をして表現していくという手法を取っている。効果的なのかどうかは見た限りでは判然としない。
ドキュメンタリー映画の映像と目の前にいる俳優が同じ仕草をしたり、声が重なったりするのは視覚的には面白いが、それだけといえばそれだけのような気がする。今目の前で起こっているという感覚にはどうしてもなれなかった。


この作品は基本的にジルの視点を主体に描かれており、女対男、女対女、急進派対伝統主義の構図で争いが起こってる間にもジルは女性同士で愛し合うなど、一人だけ上のステージにいるような立場にあるのは当然ともいえる。ジルにだけは自己愛でない愛があるようだ。実際にどうだったのかはわからないが。

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パネルディスカッション「About The Wooster Group」@ロームシアター京都

2018年10月8日 ロームシアター京都3階共通ロビーにて

午前11時から、ロームシアター京都3階共通ロビーで、パネルディスカッション「About The Wooster Group」に参加する。今週末に京都芸術劇場春秋座で上演される京都国際舞台芸術祭「タウンホール事件」のプレイベントである。事前申し込み制無料。

午前10時10分頃にロームシアターに到着し、今後の公演のチケットを受け取ってから、3階にあるミュージックサロンへ。今日は新国立劇場オペラの映像が流れている。


「About The Worcester group」の出演者は、ウースターグループの創設者であるエリザベス・ルコンプトと創設メンバーのケイト・ヴァルク。モデレーターは、パフォーマンス研究者・劇評家の内野儀(ただし)。

ウースターグループは、1975年創設のアメリカ・ニューヨークのパフォーマンス団体。独自の演劇観を持った作品を上演し続けている.

「タウンホール事件」は、1971年にニューヨークのタウンホールで行われたウーマン・リブの討論会での騒動を記録した映画「タウン・ブラッディ・ホール」の映像を使いながら行うパフォーマンスである。


インターネットで申し込みをした人にはパスワードが送付され、ウースターグループが配信している映像を見ることが出来る。
ただ、未見の人のことを考えて、最初の20分間は、同じ映像をモニターで視聴することに費やす。

まずは、2004年に上演された「Poor Theater」という作品について。この作品から、デジタル技術が本格的に導入され、ドキュメンタリー映像の編集速度が格段に速くなったため、表現が広がったという。グロトフスキーの「アクロポリス」を題材にしたものだが、過去の様々な映像を鏤められるようになったそうだ。

ウースターグループの俳優達は、事前に台本を読んでセリフを暗記してくるのだが、上演中にイヤホンから流れてくるセリフを耳にしながら、イヤホンの声をなぞるかなぞらないかの選択から始まり、流れてくる声の抑揚に近づけるか否かといった選択肢をその場その場で選ぶという即興性が重視されているようである。今では演者のみが見ることの出来るモニターも使用しているそうで、動きに関しても選択が行われるようである(「チャネリング」や「トランスダクティング」と呼ばれるようだ)。
日本にも書道などで同じ字を何度も練習して身につける技法があるが(型のことのようである)それに通じるものがあるという。

「ハムレット」を上演したときには、リチャード・バートン主演の映画「ハムレット」を流し、ハムレット役の俳優がバートンに近づけるのか近づかないのかという試みを行ったという。

その他、コンテンポラリーダンスの鬼才、ウィリアム・フォーサイスの動きを研究したり、西部劇などの影響を受けながらモダリティ(即興技術)の表現を拡げる試みを行ったそうだ。

またテレビの模倣も取り入れ、映像では可能な一回でそれそのものに成り切る表現(舞台の場合は稽古を重ねる必要があるので不可能である)を追求し、その場その場で「ゲームのように」「ノンロジカル」な取捨選択を行うという。その場で流れる映像や音声であるが、稽古場で録られたものが任意に選ばれるそうで、そのために稽古の模様は全て録画しているそうである。
勿論、稽古場でNGを出すこともあるのだが、これは「神聖な事故」(なんかジャン・コクトーみたいだな)として採用テイクに加えることもあるという。
意識と動きを乖離させる行為は、岡田利規とニューヨークで一緒に仕事をしたときに興味を覚えて取り入れたそうである。

テクノロジーとニューメディアアートの導入については、虚仮威しの意図は全くない。
最初は、エリザベスは学生時代には演劇に特に興味を持っていたわけではなく、共にウースターグループを立ち上げたスポルティング・グレイが、母の自殺をきっかけに、父親や祖母へのインタビューを試みて、視覚と聴覚のデザイニングを行い、作品にまとめ上げたことに端を発するという。
スタニスラフスキーやストラスバーグのリアリズム演劇と違った「奇妙さ」を追求した結果だそうだ。
アジアの演劇、能などがそうだが、西洋の演劇とは焦点の置き方が異なっており、目の前にいない人に話しかけることがる。それを理解してかみ砕くためにも映像やメディアを使うことが有効だそうだ。

ヨーロッパの男性演出家は、一般にだが、台本を理詰めで読み解き、理屈で演出を構築することが多い。ただ、「タウンホール事件」の演出はそれとは異なり、解釈は行わず、そこにあったことだけを再現するよう努めたそうだ。「タウンホール事件」に関してはウースターグループのモーラ・ティアニーの提言によってプロジェクトとして進められたものだが、最初はケイトなどは「タウン・ブラッディ・ホール」を舞台化することに難色を示したそうである。ただ当初取り上げる予定だったハロルド・ピンター作品の上演がボツになってしまったことで、「やりたい」という気持ちになって作り上げたという。

アジア系の学生から何人か質問があったが、Me too運動などが起こったから「タウンホール事件」を上演するのではなく、「タウンホール事件」のプロジェクトがスタートしてしばらくしてからMe too運動が盛り上がってきたのだそうで、シンクロシティのようなものかも知れないが、ウースターグループとしては「やりたいものをやる」を信条としており、時代に流されたりはしないそうである。

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2018年10月20日 (土)

観劇感想精選(261) 加藤健一事務所 「Out of Order ~イカれてるぜ!~」

2018年10月13日 京都府立府民ホールALTIにて観劇

午後2時から、烏丸迎賓館通りにある京都府立府民ホールALTIで、加藤健一事務所の公演「Out of Order ~イカれてるぜ!~」を観る。作:レイ・クーニー、テキスト日本語訳:小田島恒志、演出:堤泰之。出演:加藤健一、浅野雅博(文学座)、さとうこうじ、坂本岳大、阪本篤(温泉ドラゴン)、加藤忍、日下由美、頼経智明子(文学座)、はざまみゆき(ハイリンド)、新井康弘。
1990年初演の作品。レイ・クーニーはこの本でローレンス・オリビエ賞最優秀コメディ賞を受章している。

イギリス・ロンドンのウェストミンスター・ホテルのスイートルーム648号室が舞台である。

与党・保守党の副大臣であるリチャード(加藤健一)が妻(日下由美)に電話をしている。リチャードは、野党・労働党の議員秘書であるジェーン(加藤忍)と不倫を楽しもうとしており、妻には電話で「今、大英博物館の資料閲覧室にいる」 と嘘をついた。
ところが、カーテンを開けるとそこにはなんとも異様なものが。このままでは警察沙汰になって二人の関係がばれると気づいたリチャードは必死の隠蔽工作を試みる。


文学の手法に「妨害」というものがあるが、それを徹底させたシチュエーションコメディーである。ここで来たら最悪という時に誰よりも来て欲しくない人が現れたり、今なら大丈夫という時に何も起こらなかったりというバッドタイミングに人々は翻弄される。

レイ・クーニーは三谷幸喜が最も影響を受けた劇作家の一人であり、「Out of Order」の中にも「これはあの作品の元ネタ」と思えるものがちりばめられている。まさに笑いのジェットコースターであり、三谷作品が好きな人は是非観るべき、といっても今日も知り合いには出会わなかったけれど。

政治への揶揄もあり(国会議事堂に戻れというリチャードにジェーンは「あんなところじゃ眠れないわ」と反論するも、リチャードに「どうして? みんないつも居眠りしてるじゃないか」と返されるなど)、ブリティッシュ・コメディーらしいどぎつい内容もあったりするが、出演者のレベルが高いということもあって心から笑える内容になっていた。



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コンサートの記(440) 「寺内タケシとブルージーンズ キャンパスコンサート」@京都芸術劇場春秋座2009

2009年4月19日 京都芸術劇場春秋座にて

午後2時から、京都芸術劇場春秋座で、「寺内タケシとブルージーンズ キャンパスコンサート」を聴く。

さて、寺内タケシとブルージーンズは、「ハイスクールコンサート」を積極的に行っており(間もなく1500校に達する)、私も高校2年生の時の芸術鑑賞会で、千葉県文化会館において演奏に接している。当時私は17歳、今から18年前のことである。
18年ぶりに聴く寺内タケシ、懐かしい。
18年前と同じく、「ツァラトゥストラはかく語りき」(「テリーのテーマ」ということになっている)に始まり、「涙のギター」、ベンチャーズの「ダイヤモンドヘッド」、加山雄三の「夜空の星」と「君といつまでも」、映画音楽として、「追憶」、「ゴッドファーザー」愛のテーマ、「ひまわり」、「マイウェイ」などが演奏される。
寺内タケシのジョークを交えたMCも楽しい。

最近のヒット曲を奏でるコーナーがあり、寺内タケシとブルージーンズ最年少のバンドシンガー、岩澤あゆみが登場する。この岩澤あゆみ、話す声と歌声が極端に違うのがユニークだ。岩澤あゆみは、小学生の時に寺内タケシに弟子入りし、もう10年も寺内タケシとブルージーンズのメンバーとして活躍しているという。でも私が以前に寺内タケシとブルージーンズの演奏に接したのは18年まえだから、岩澤あゆみを見るのは初めてである。
「もらい泣き」「花」「さくらんぼ」の3曲が歌われる。
ハイスクールコンサートでは、ここ10年ほど、アンケートで演奏して貰いたい曲を調査しているとのことだが、そこで1位になった曲として、ゆずの「栄光の架橋」が岩澤あゆみのヴォーカル、寺内タケシとブルージーンズにより演奏される。
そして、ベートーヴェンの交響曲第5番の編曲、津軽じょんがら節の編曲が演奏された。

アンコールは、「慕情」、そして寺内タケシのヴォーカル曲「青春へのメッセージ」。楽しい2時間であった。

私が高校生の時のコンサートでは、寺内タケシは最後に、「学校の成績ほど当てにならないものはないぞ!」というメッセージを叫んだ。寺内タケシ自身は、中学の時は成績は最底辺。政治家だった父親が寺内タケシのためだけに高校を設立するという荒技を使って寺内を高校に入れる。高校時代はマンドリンに熱中し、マンドリンが盛んだった明治大学の古賀政男の推薦で明治大学に無試験入学するが、勉強のために明大に入ったのではないと知った父親に言われて1週間で退学、やはりマンドリンで誘われた関東学院大学に入り直して、そこではきちんと勉強をしたそうだ。ちなみに関東学院大学の入試では、名前と「へのへのもへじ」しか書かなかったが、推薦なのでそれで通ったという。その寺内が「エレキの神様」と呼ばれ、緑綬褒賞を受けた。説得力がある。

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2018年10月19日 (金)

コンサートの記(439) ヨエル・レヴィ指揮 京都市交響楽団第628回定期演奏会

2018年10月12日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第628回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はヨエル・レヴィ。

曲目は、モーツァルトの交響曲第32番、ブラームスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏;ヴィヴィアン・ハーグナー)、バルトークの管弦楽のための協奏曲。


ヨエル・レヴィはルーマニア生まれ、イスラエル出身の指揮者。テル・アヴィヴ音楽院を経てエルサレム音楽院でも学ぶ。イタリアに留学し、シエナとローマでフランコ・フェッラーラに師事。その後、オランダでキリル・コンドラシンに師事し、ロンドンのギルドホール音楽院でも学んでいる。1978年にブザンソン国際指揮者コンクールで第1位を獲得し、クリーヴランド管弦楽団でロリン・マゼールのアシスタントと常任指揮者を務めている。

レヴィの名が一躍上がったのは、アトランタ交響楽団の音楽監督時代である。1988年に就任後、アメリカ国内外で評判となり、日本でも音楽誌に「アトランタの風」というタイトルの音楽エッセイが連載された。ただそれが良くなかったのか、その後は「風と共に去りぬ」状態となり、ヨエル・レヴィの名を聞くことすら日本ではなくなった。ところで今日のソリストのファーストネームがヴィヴィアンなのはわざとなのか? 冗談だけど。

21世紀に入ってからは、ブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団と、イル・ド・フランス国立管弦楽団の首席指揮者を務め、2014年からは韓国のKBS交響楽団の音楽監督兼首席指揮者となっている。韓国版NHK交響楽団ともいうべきKBS交響楽団は、かつてのN響のように「知名度は今ひとつだが実力派」の指揮者を見つけるのが上手いため、期待出来るのかも知れない。


プレトークでは、レヴィは自分のことを話すのではなく、聴衆から質問を受けてそれに答えるという形を取る。「ルーマニア生まれ」に関してだが、生まれてから1ヶ月でイスラエルに転居してしまい、それ以降は今に至るまでルーマニアを訪れたことはないので何も知らないそうだ。ただ生まれたのはルーマニアとハンガリーの国境付近で、母親はハンガリー系、イスラエル時代に師事したのもハンガリー系の音楽家ばかりだったそうで、音楽的ルーツには繋がっているかも知れないとのこと。
「なぜ指揮者の道に進もうと思ったのか?」という質問には、「これは自分で決めたのではないのです。両親とも音楽好きで私も幼い頃から音楽好き。私を見た両親が『才能あるんじゃないのか?』と気づいて」レールに載せてくれたようだ。才能に関しては、「上の方から降りてきた」ようだという。
「京響に日本的な要素を何か感じますか?」には、「ジャパニーズテイストが何かわからない」
今日のプログラムに関しては、京都市交響楽団の年間プログラムを見てバルトークの管弦楽のための協奏曲をレヴィが選び、ブラームスのヴァイオリン協奏曲はソリストのヴィヴィアン・ハーグナーが選んだそうだ。


今日はいつもと違い、チェロが上手手前に来るアメリカ式の現代配置(ストコフスキーシフト)での演奏である。
コンサートマスターは客演の豊嶋泰嗣。フォアシュピーラーに泉原隆志。チェロの客演首席にはルドヴィート・カンタが入る。


モーツァルトの交響曲第32番は、3つの部分からなる8分程度の作品で、実際に交響曲として書かれたのかはわかっていない。モーツァルトの交響曲全集では録音されることが多いが、後期交響曲集になると省かれることが多い。舞台作品の序曲だったという説もある。
モダンスタイルによる演奏。鋭さこそないが、豊穣なモーツァルトを聴くことが出来る。

レヴィの指揮は拍を刻むことが多いオーソドックスなものだ。


ブラームスのヴァイオリン協奏曲。
スカーレット(ん?)のドレスで登場したヴィヴィアン・ハーグナーは、ミュンヘン生まれのヴァイオリニスト。12歳で国際デビューしている。2013年からはマンハイム音楽・舞台芸術大学の教授職を務めている。

ハーグナーの音であるが、今まで聴いたことのない種類のものである。水も滴るような美音で、表現の幅も広い。どうやってこの音を出しているのかは見ていてもよくわからない。

レヴィ指揮の京都市交響楽団は、金管がばらつく場面があったが、全般的には充実した伴奏を奏でる。


ハーグナーのアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番よりアダージョ。染みる系の演奏であった。


バルトークの管弦楽のための協奏曲。レヴィが摩天楼型のバランスを取ったこともあり、都会的な演奏となる。
構造表出に長けている、聴き手にも内容把握が容易となり聴きやすい。
民族楽器的な響き、民謡的な旋律と音楽理論の対比が鮮やかに表出され、力強くも華麗な音絵巻を描き上げた。



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2018年10月18日 (木)

観劇感想精選(260) アルテ・エ・サルーテ 「マラー/サド」@クリエート浜松

2018年10月11日 浜松市のクリート浜松 ホールにて観劇

午後5時30分から、クリエート浜松のホールで、アルテ・エ・サルーテの「マラー/サド(原題は「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院の患者たちによって演じられらジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」)」を観る。フランス革命時のジャコバン派首領であるジャン=ポール・マラーと、サディズムの語源として知られ、後世に多大な影響を与えたマルキ・ド・サド(サド侯爵)を軸にした芝居である。

アルテ・エ・サルーテは、浜松市の音楽文化交流都市であるイタリア・ボローニャに拠点を置く非営利協会。エミリア・ロマーニャ州立地域保健機構ボローニャ精神保険局の精神障害者80名以上が通っており、そのうち41名がプロの俳優として、散文劇団(コンパニィア・ディ・プローザ、児童向け劇団(コンパニィア・ディ・テアトロ・ラガッツィ)、人形劇団(テアトロ・ディ・フィーグラ)、精神を題材とした放送局であるサイコラジオに所属している。
今回来日したのは散文劇団のメンバーである。2000年の創設で、ボローニャに本拠を置く劇団としては最古参になるという。

イタリアからはエミリア・ロマーニャ州の州知事代理やアルテ・エ・サルーテの主治医が同行しており、上演前にスピーチを行う。イタリア語通訳の方が頼りなく、州知事代理の方が遠州方言である「やらまいか」を観客達とやりたいと申し出るも上手く通じる、バラバラになってしまう。スタッフも演劇上演には明らかに慣れていないが、地方都市であるだけにこれは仕方がない。

今回の浜松上演は、静岡文化芸術大学の名誉教授&理事で、イタリア語・イタリア演劇を専門とする高田和文の招聘によって実現したものであり、高田氏が真っ先にスピーチを行った。

舞台後方の白い壁には、「じゆう」「障害はあるけど奴隷じゃない!」「革命しよう 拘束反対」「自由 平等 友愛」「マラー万歳!」といった言葉が赤と青の文字で記されている。


「マラー/サド」。作:ペーター・ヴァイス。脚色・演出:ナンニ・ガレッラ。オリジナル音楽:サヴェルオ・ヴィータ。制作はエミリア・ロマーニャ演劇財団、NPOアルテ・エ・サルーテ、エミリア・ロマーニャ州立ボローニャ地域保健連合機構精神保険局。
1964年に初演が行われたドイツ演劇作品で、1967年にはピーター・ブルックによって映画化されている。

イタリアには1978年まで精神科の閉鎖病棟があり、多くの人がそこに強制入院させられていたが、今ではそうした押し込め型の精神病院はなくなっているという。


シャラントン精神病院に収監されたマルキ・ド・サド(演出であるナンニ・ガレッラが演じている)が、患者達を使ってマラーの人生を描いた芝居を上演する模様を上演するいう劇中劇の入れ子構造になっている。

出演は、布告役(口上役。劇中劇では窃盗罪と境界例があるという設定):ミルコ・ナンニ、サド侯爵(ここには殺人の罪で入っている。偏執狂の持ち主):ナンニ・ガレッラ、ジャン=ポール・マラー(過激派、妄想型統合失調症):モリーノ・リモンディ、シャルロット・コルデー(嬰児殺人罪、躁鬱病、ナルコレプシー):ロベルタ・ディステファノ、シモンヌ・エヴラール(家庭虐待、ヒステリー):パメラ・ジャンナージ、デュペレ(強制性交等、錯乱性色情症):ロベルト・リジィ、ジャンヌ・ルー(破壊行為、誇大妄想症虚言癖):ルーチォ・パラッツィ、ロッシニュール(売春、強迫性窃盗症):イレーオ・マッツェティ、キュキュリュキュ(放火魔):増川ねてる 、ポルポック(麻薬密売、強迫症):デボラ・クインタバッレ、ココル(麻薬常用、境界例):ルカ・ファルミーカ、患者1(殺人により強制措置):ファビオ・モリナーリ、患者2:ニコラ・ベルティ、女医(医院長):マリア・ローザ・ラットーニ、看護士:ロレッタ・ベッキエッティ&カテリーナ・トロッタ、看守:ダビデ・カポンチェッリ。


まず、医院長からの挨拶で芝居が始まる。舞台は鉄格子の向こうであるが、医院長だけは客席側に出て、芝居を観る(これも演技の内)ことが出来る。クリエート浜松ではなく、シャラントン精神病院での院内上演という設定で、観に来ているのも同じ入院患者として劇の紹介を行う。

フランス革命直後のフランス。貴族階級が否定され、この世の春を謳歌していた貴族達は次々とギロチン送りにされている。庶民達は自分達の時代を築こうとしているが、そちらの方は順調には進んでいない。血気盛んな庶民達は自由を望み、決起を、というところで医院長からストップが掛かる。「熱くなりすぎる! もっと冷静に」との注文を受けて芝居再開。

多数の貴族をギロチン送りにしているマラー。だが重度の皮膚病に苦しみ、症状を和らげるために常に浴槽に水を張って浸かっていないと症状が悪化してしまう。身の回りのことは家政婦のシモンヌに全て任せていた。
理想に燃えるマラーであるが、浴槽に幽閉されたような状態である。

パリに出てきたばかりのカーン出身の少女がマラーの命を狙っている。シャルロット・コルデー。後に「暗殺の天使」として世界に知られることになる下級貴族出身のこの女性も閉鎖的な修道院から出たばかりで、自由と理想を追求していた。
ちなみにコルデー役の女優さんが一番症状が重いという設定であり、常に眠気に襲われている上に重篤な鬱状態ということで、自分の出番が来るまでは看護士の膝を枕にして眠っている。
シャルロットは1日に3度、マラーを訪問し、3度目に刺し殺すのであるが、気が昂ぶったシャルロッテは最初の訪問でいきなりマラーを殺そうとしてサドから注意を受ける。

反体制派のマラーと貴族階級出身のサドの意見は対立する。このマラーとサドのディベートが一つの軸になっている。
サドは自然を嫌う。自然は偉大なる傍観者、弱者が滅びるのを観察しているだけ。あたかも「沈黙の神」に対するかのような姿勢だ。一方のマラーは自然がもたらすことには意味があり、それを超克したいという希望がある(西洋においては自然の対語が芸術である)。

マラーは急速に革命を推し進めようとするが、サドに革命が起こっても何も変わっていないと指摘される。下層階級は革命の前も後も苦しみのただ中にいると。

マラーを支持する下層階級のグループは自分達の改革の邪魔になりそうな人物の名を挙げて、血祭りに上げようと騒ぐ。ラファイエットやビュゾー、ロベスピエールの名が挙がるが、そのうちに医院長や医師の名前が挙がったため医院長に芝居を止められる。そもそもカットされたはずの部分が上演されてしまっていたらしい。

マラーは貴族階級を憎み、下層階級に与えられた苦しみに比べれば、貴族階級の苦悩などまだまだ浅いと考えており……。

音楽が流れ、歌い、隊列を作って行進しと様々な要素を取り入れた芝居である。
イタリアでは1978年にバザーリア法により精神病院と閉鎖病棟の制度は廃止されたが、日本では精神障害者のうち重度の患者は何十年にも渡って精神病院に閉じ込められているという現実がある。そこに精神障害者の自由はない。
登場人物の多くも幽閉されている。現実の精神病院にだけではなく、あるいは病気に、あるいは階級に、あるいは年齢に、あるいは修道院に代表される宗教に。

芝居は、コルデーが意識の解放を遂げた後で、フランス国歌にしてフランス革命歌「ラ・マルセイエーズ」を全員で歌って終わる。「marchons,marchons(進め! 進め!)」の部分を「マラー、マラー」に変えられ、その後の歌詞もマラーへの応援歌となり、「障害はあるけど奴隷じゃない!」と希望を望む言葉で締めくくられる。

最後は、「ラ・マルセイエーズ」をファンファーレとして使用したビートルズの「愛こそはすべて(All you need is love)」が流れる中を出演者が踊って大いに盛り上がる。
「自由」そして「解放」を訴える芝居だけあって、革命期の高揚を伴う展開に説得力があり、病気や環境によって真に抑圧されてきた経験のある俳優が演じているだけあってオーバーラップの効果は大変なものである。
ラストの選曲も実に上手かった。


芝居の上演の後に、ティーチインのようなものがあり、浜松市内のみならず日本全国から集まった当事者、医療関係者によって様々な質問がなされ、演出家のナンニ・ガレッラや劇団員達が答えていた。


精神障害者が精神障害から完全に抜け出る日は、あるいは来ないのかも知れない。来るとしてもまだまだ先なのかも知れない。ただ、演じることで苦しみのある現実から一瞬でも抜け出すことは可能であるように思われる。自分ではない他者として生きる経験を持つということ。この点において演劇は有効だ。



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2018年10月17日 (水)

コンサートの記(438) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第427回定期演奏会

2009年4月16日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第427回定期演奏会に接する。指揮は音楽監督の大植英次。

曲目は、ブラームスの交響曲第3番、レナード・バーンスタインの組曲「キャンディード」、ストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」(1919年版)。
開演時間に、すっかり痩せた大植英次が登場する。痩せたとは元気そうではある。

ブラームスの交響曲第3番は、古典配置を基本に、コントラバスだけを最後列に並べたスタイルでの演奏。
第1楽章と第4楽章の熱気を帯びたドラマティックな演奏と、第2楽章、第3楽章のしっとりとした弦の音色を引き出した抒情的な部分との対比が素晴らしく、まずは名演といっていいだろう。第4楽章でホルンがこけたのが惜しいといえば惜しかった。
なお、大植は、第1楽章の後は休止を入れたが、第2、第3、第4楽章は間を置かずに演奏した。おそらく、スタイル的に第1楽章は独立したような形になっているとの解釈なのだろう。

後半の、組曲「キャンディード」と組曲「火の鳥」は、ドイツ式の現代配置での演奏であった。
レナード・バーンスタイン(愛称:レニー)の組曲「キャンディード」は、レニーが弟子である大植のためにオペラ(若しくはミュージカル)「キャンディード」の音楽を演奏会組曲に組み直すことを許可したものである。
師が自身のために編曲を許してくれた作品の指揮ということで、大植は思い入れタップリの演奏を聴かせる。特に“Make Our Garden Grow”の部分は、「神々しい」と形容したくなるような秀演。レニーの音楽に「神々しい」という言葉は合わないが、他に適当な表現が思いつかない。

ストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」も、威力のある金管と立体感ある弦が素晴らしい。音符の一つ一つに翼が生えて飛び立っていくような、音楽の生命力も圧倒的。
ブラームスも名演だが、バーンスタインとストラヴィンスキーはそれを上回る文句なしの名演。大植はロマン派が得意だと思っていたが、近現代ものはそれ以上に得意としているようである。

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2018年10月16日 (火)

コンサートの記(437) フォーレ四重奏団来日演奏会2018大津

2018年10月7日 びわ湖ホール小ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール小ホールでフォーレ四重奏団の来日演奏会を弾く。

フォーレを名乗っているが、ドイツ・カールスルーエ音楽大学出身者のドイツ人達によって結成された団体であり、弦楽四重奏団ではなくピアノ四重奏団である。常設のピアノ四重奏団は世界的にもかなり珍しい。

マルタ・アルゲリッチを始めとする多くの音楽家から高く評価されており、2006年には名門ドイツ・グラモフォン・レーベルと契約し、リリースしたCDはいずれも好評を得ている。

メンバーは、エリカ・ゲルトゼッツアー(ヴァイオリン)、サーシャ・フレンブリング(ヴィオラ)、コンスタンティン・ハイドリッヒ(チェロ)、ディルク・モメルツ(ピアノ)。

曲目は、フォーレのピアノ四重奏曲第1番、シューマンのピアノ四重奏曲変ホ長調、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(グレゴリー・グルズマン&フォーレ四重奏団編曲)。

びわ湖ホールは大ホールにも中ホールにも何度も来ているが、小ホールに入る機会は余り多くない。幸田浩子のソプラノリサイタルと、平田オリザやペーター・コンヴィチュニーが参加したオペラに関するシンポジウムで訪れたことがある程度である。

フォーレのピアノ四重奏曲第1番。フォーレ四重奏団が自らの団体名に選んだ作曲家であり、思い入れも強いと思われる。
ディルク・モメルツのフォーレによくあったピアノの響きが印象的である。フォーレというと「ノーブル」という言葉が最も似合う作曲家の一人であるが、それ以外の影の濃さなども当然ながら持ち合わせている。フォーレ四重奏団は音の輪郭がシャープであり、音楽の核心を炙り出す怜悧さを持っているが、アルバン・ベルク・カルテットに4年間師事していたそうで、「道理で」と納得がいく。

シューマンのピアノ四重奏曲変ホ長調。ノスタルジックな曲調であり、フォーレ四重奏団の叙情味溢れる演奏を行う。ヴァイオリンとヴィオラがハーディ・ガーディを模したような音型を奏でるところがあるのだが、少年時代の憧れが蘇ったような、なんともいえない気持ちになる。

メインであるムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」。ピアノ奏者のディルク・モメルツが、師であるグレゴリー・グルズマンによる同曲のピアノ三重奏版を再編曲したものである。
ピアノのパートもムソルグスキーの原曲とは異なるが、かなり意欲的な編曲となっている。ピアノ独奏による「プロムナード」が雄々しく奏でられ、「こんなに意気揚々と美術館に向かう人などいるのだろか?」と思うが、ある意味、自身の編曲に対する自信の表れなのであろう。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロなどが一音ずつ奏でられたり、ピッチカートの多用、コルレーニョ奏法、ヴァイオリンをミュートにしてのノンビブラート演奏で奏でることで弦楽器らしからぬ響きを出させるなど、特異奏法やヴィルトゥオーゾ的要素、諧謔精神に富んだものとなっている。時代が変わったということもあり、クラシック界でも音楽だけでなくユーモアの精神などで楽しませることの出来る人が多くなった。良い傾向であると思う。頑固な職人タイプの音楽家には逆に生きにくい時代かも知れないけれど

アンコール演奏。まずはフーベルト作曲の「フォーレタンゴ」。弦を強く止めることでギロような音を出すという特殊奏法が用いられている。演奏もノリノリである。

最後は、N.E.R.Oの「ワンダフルプレイス」。チェロのコンスタンティン・ハイドリッヒが英語で客席に話しかけ、口笛で演奏に加わることを聴衆に求める。まずフォーレ四重奏団が4小節ほどの短いメロディーを奏で、聴衆に口笛で吹いて貰う。ハイドリッヒは「僕が左足を上げたら口笛スタートでもう一度左足を上げたらストップね」ということで演奏スタート。私も口笛は得意なので参加。吹けない人は当然ながら聴くことしか出来ない。ハイドリッヒが左足を上げて、聴衆の口笛スタート。良い感じである。ハイドリッヒがもう一度左足を上げて口笛ストップ。良い感じである、と思ったが、なぜか一人だけ吹き続ける人がいて、ハイドリッヒも苦笑いである。終盤になるとハイドリッヒがマイクを持ってボイスパーカッションも披露。ラストは聴衆達の口笛を何度もリピートさせて終わる。

とても楽しいコンサートであった。



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2018年10月15日 (月)

コンサートの記(436) 沼尻竜典オペラセレクション NISSAY OPERA 2018 モーツァルト 歌劇「魔笛」@びわ湖ホール

2018年10月6日 びわ湖ホール大ホールにて

午後3時から、びわ湖ホール大ホールでモーツァルトの歌劇「魔笛」を観る。指揮はびわ湖ホール芸術監督の沼尻竜典。日本センチュリー交響楽団の演奏、佐藤美晴の上演台本と演出で、歌はドイツ語歌唱で日本語字幕付き。セリフは日本語で語られる。今年の6月に日生劇場で行われた公演のキャストを一部変更しての上演である。

元々高校生のためのオペラ作品として作成されたものであり、びわ湖ホールでもまず高校生限定公演が行われ、今日は一般向けの上演となる。

出演は、伊藤貴之(ザラストロ)、山本康寛(タミーノ)、砂川涼子(パミーナ)、角田祐子(夜の女王)、青山貴(パパゲーノ)、今野沙知惠(パパゲーナ)、小堀勇介(モノスタトス)、田崎尚美(侍女Ⅰ)、澤村翔子(侍女Ⅱ)、金子美香(侍女Ⅲ)、盛田麻央(童子Ⅰ)、守谷由香(童子Ⅱ)、森季子(童子Ⅲ)、山下浩司(弁者&僧侶Ⅰ)、清水徹太郎(僧侶Ⅱ)、二塚直紀(武士Ⅰ)、松森治(武士Ⅱ)。合唱はC.ヴィレッジシンガーズ。
ドラマトゥルク:長島確、衣装:武田久美子。

演出の佐藤美晴は、慶應義塾大学大学院修了後、ウィーン大学劇場学科に留学し、シュトゥットガルトオペラ、アン・デア・ウィーン劇場、イングリッシュ・ナショナル・オペラで研鑽を積んでいる。ハンブルク歌劇場で演出助手を務め、現在は東京藝術大学社会連携センター特任准教授と東京大学先端科学技術センター人間支援工学客員研究員を務めている。 第23回五島記念文化オペラ新人賞(演出)を受賞。最近は、東京芸術劇場と石川県立音楽堂の「こうもり」、NHK交響楽団の「ドン・ジョヴァンニ」の演出を担当した。

開演前にオーケストラピットを確認し、バロックティンパニが用いられることを知る。

ピリオド・アプローチを用いた演奏である。びわ湖ホール大ホールは空間が大きいので、ピリオドだと弦楽が弱く感じられ、序曲などは聞こえにくいという難点があったが、オペラの場合は声が主役であるため、全般的には問題なしである。バロックティンパニの強打はかなり効果的であった。

幕が上がる前、舞台の最前列にグランドピアノの小型模型が置かれている。序曲の途中で、三人の童女が次々に幕から顔を覗かせ、五線紙に羽根ペンで音符を書き込みながら戯れる。モーツァルトの化身のようであり、音楽そのものの擬人化のようでもある。

タミーノがスマートフォンを使って今いる場所を検索しようとしたり、「ヘイトやデマ」など、最近はやりのものが色々と登場する。

日本語でのセリフであるが、やはりオペラ歌手達は日本語の演技に慣れていないため、ストレートプレーやミュージカルの俳優に比べると言い回しに拙さは感じられてしまう。またセリフと歌の声のギャップがみな結構凄い。歌のレベルは日本人のみによるオペラとしては高く、満足のいく出来である。

ザラストロの館は、女人禁制のフリーメイソンを露骨に描写したものといわれるだけに、男性キャストしかいないのが普通だが、今回の演出では女性もかなり大勢いるという設定になっている。教団というよりは大企業という感じであり、そのために女性もいてタミーノと引き離されるパミーナにの肩に手を置いて同情的な仕草も見せるのであるが、朝の始業前の掃除をするのは女性だけ、第2幕冒頭に設けられた会議の場で机に座って参加しているのは男性だけで、女性は後ろの方に立ちっぱなしで雑用係(もしくは非正規社員)のようであり、発言権もないようだ。

男と女の対比は、「魔笛」においては重要なので、ザラストロとその配下の男という強者とその他の弱者という対比で行くのかと思われたが、それほど徹底してはいないようであった。音楽そのものが主役という解釈を取っているようなところがあるのだが、「音楽」という言葉は基本的に西洋の言語では女性名詞であることが多く、そこをザラストロと対比させるのも面白いとも思ったが、観念的なことは敢えて避けたのかも知れない。

ただ、倒された夜の女王と三人の侍女の亡骸が幕が下りるまで打ち捨てられたままだったり、やはり倒されたモノスタトスが後方へと去って行くザラストロににじり寄ろうとして力尽きるところなどは、女性や有色人種が置かれている状況を冷徹に描いているともいえる

沼尻の作り出す音楽はいつもながらややタイトであり、モーツァルトだけにもっと膨らみのある音が欲しくなるが、日本センチュリー響のアンサンブルの精度も高く、歌手達の魅力も十分に引き出していた。


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楽興の時(25) 京都コンサートホール×ニュイ・ブランシュ KYOTO 2018「瞑想のガムラン――光と闇に踊る影絵、覚醒の舞」

2018年10月5日 京都コンサートホール1階エントランスホールにて

京都コンサートホール1階エントランスホールで行われる、京都コンサートホール×ニュイ・ブランシュ KYOTO 2018「瞑想のガムラン――光と闇に踊る影絵、覚醒の舞」という公演が午後9時半からあるので参加する。1階エントランスホールはそう広くはないし、西川貴教の出演するコンサート帰りの客が参加したら入りきらないのではないかと懸念されたが、西川貴教ファンでガムランにも興味があるという人はほとんどいないようで、一杯にはなかったが移動にも苦労するというほどではない。ただカーペット席や椅子席は満員で、多くの人が立ち見ということになった。私も立ち見である。

パリ市が毎年秋に行う現代アートのイベント、ニュイ・ブランジェ(白夜祭)。今年は京都・パリ友情盟約締結60周年ということで、今日10月5日に京都市内各所でもニュイ・ブランジェの催しが行われ、京都コンサートホールではフランスを代表する作曲家であるドビュッシーの没後100年を記念して、ドビュッシーに多大な影響を与えたガムランの演奏が行われることになった。

ガムラン演奏と影絵芝居(ワヤン)の上演を行うのは、インドネシア伝統芸能団ハナジョスのローフィット・イブラヒム(男性)と佐々木宏美の二人。
インドネシア伝統芸能団ハナジョスは、2002年11月にジャワ島ジョグジャカルタで結成されたジャワ芸能ユニット。ガムランの演奏、影絵芝居ワヤンの上演、ワークショップ、作曲、演奏指導などを行っている。2005年に京都に拠点を移し、2009年からは大阪を中心とした活動を行っている。

ローフィット・イブラヒムは、1979年ジョグジャカルタ生まれ。インドネシア芸術高校を経てインドネシア芸術大学伝統音楽科を卒業。同大学の芸術団のメンバーとなる。2005年から日本在住。
佐々木宏美も1979年の生まれで、イブラヒムと同い年である。神戸大学発達科学部人間行動表現学科音楽コース在学中にガムランと出会い、2002年からインドネシア政府国費留学生としてインドネシア芸術大学パフォーミングアーツ学部伝統音楽学科に2年留学。帰国後にインドネシア伝統芸能団ハナジョスに参加している。

鐘を叩き、歌いながら二人が登場。まずは打楽器演奏を行った後で、金属製の楽器や胡弓のような楽器を演奏し、歌う。

その後、影絵芝居ワヤンの上演がある。佐々木宏美が「インドネシアの影絵は表からも裏からも見ることが出来る」と語ったので、まずはスクリーンの背後から見ることにする。影絵に使う人形に彩色が施してあり、裏からは人形劇として見ることが出来ることがわかる。ただ、影絵の効果はこれでは十分にわからないので表の方へと回り、結局エントランスホールを一周する。

「ワヤン・クリ 太陽神の子カルノ」
ストーリー自体はフォークロアに良く出てくる類いのもので、太陽神スルヨの子どもを宿したマンドゥロ国王女のクンティが、王様の怒りを買い、生まれたカルノという男の子を川に流すことから始まる。優しい老夫婦(多少、ボケが始まっているようだが)に拾われたカルノは大事に育てられ、17歳になる頃には特別な若者へと成長していた。太陽神スルヨはカルノを見て自身の子どもと確信し、超能力を持つ弓矢を与える。弓矢の名人として武芸の大会で活躍するカルノ。そのカルノを見て、アスティノ国の王子であるドゥルユドノはカルノをアスティノ国の将軍に迎え入れることに決める。
ラストは影絵の上演を離れ、イブラヒムが紙の馬にまたがっての馬術を見せる。表現が多彩である。


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2018年10月14日 (日)

コンサートの記(435) 「京響プレミアム スピンオフ ラジオタイムス ~ことばが結ぶシンフォニー~ 西川貴教×大島こうすけ オーケストラコンサート」

2018年10月5日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、「京響プレミアム スピンオフ ラジオタイムス ~ことばが結ぶシンフォニー~ 西川貴教×大島こうすけ オーケストラコンサート」を聴く。
指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

日本を代表するシンガーの一人である西川貴教と作曲家・編曲家・ピアニストの大島こうすけが、ラジオDJのようにクラシックとポップスをミクスチャーさせるという趣向のコンサート。
一番高いところまで上げた舞台下手奥の段の上にラジオブースに見立てたものを置き、西川と大島がそこでトークを行う。

曲目は前半が、ラジオタイムスのオープニングテーマである「Timeless Journey」(大島こうすけ作曲)、ホルストの組曲「惑星」より“木星”、西川貴教が歌う「awakening」と「Roll The Dice」のオーケストラ伴奏版。後半が、菰口雄矢のギターソロとオーケストラによる「熊蜂の飛行」(リムスキー=コルサコフ)、そして西川貴教がヴォーカルと務める「Prisoner」、「さよならのあとで」(原曲はヘンデルの「私を泣かせてください」)、「インスタント・アンサー」(モーツァルトの交響曲第25番第1楽章による)の3曲である。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。今日はクラリネット首席の小谷口直子が降り番だったようだが、その他の管楽器首席奏者の多くは前後半ともに出演していた。
なお、ニコニコ動画での生配信があるようで、舞台上に本格的なマイクセッティングが施され、テレビカメラも何台も回っている。ポディウムは発売されておらず、2階ステージサイド席の後ろ半分もスピーカーを設置するために空けられている。スピーカーはステージ両脇にも本格的なものが置かれている。

まず「timeless Journey」。余り京響が演奏しないタイプの楽曲であるが、それだけに新鮮ともいえる。

ホルストの組曲「惑星」より“木星”。大島こうすけのリクエスト曲だそうである。宇宙を描いた曲ということで大島は興味を持ったそうだ。中間の部分は平原綾香が「Jupiter」という曲として歌っていることでも有名だが、「ご存じない方のために」とまず西川貴教が「Jupiter」のカバーを歌い。それから「木星」の演奏が行われる。
井上道義の指揮で「木星」を演奏したばかりの京響だが、曲全体の美しさ見通しの良さ、そしてバランスと典雅な雰囲気全て広上の方が上である。
ホルストの組曲「惑星」について広上は、「『土星』という曲があるのですが、暗くて重くて後で鬱になる」と語る。

「awakening」と「Roll The Dice」。「awakening」は西川が以前に出したシングルのカップリング曲だそうだが、「Roll The Dice」は今年の11月に発売される予定の曲だそうで、

西川 「オリジナル発表の前にオーケストラ版を歌う」
大島 「豪華ですね」
ということだそうだ。

「awakening」(作詞:神前暁、作曲:毛蟹)は、三拍子を基調にした楽曲で、広上は例によって指揮台の上でステップを踏んでいた。この曲では、ギタリストの菰口雄矢が参加したのだが、緊張のため、現れてすぐに着座してしまい、西川貴教から「ソリストなので普通は指揮者の方と握手したりするものなんですが」と突っ込まれる。更に広上の方から指揮台を降りて握手することになったため、「馬鹿ですね」と西川に言われていた。演奏終了後もすぐに下手にはけてしまったため、客席から笑いが起こる。
「Roll The Dice」は、ロックナンバーということで、打楽器群が大活躍する編曲となっている。

後半。リムスキー=コルサコフの「熊蜂の飛行」は、西川がリクエストした曲である。ちなみに、今日の客層は西川貴教が出ると言うことで、いつもの京都コンサートホールとは異なり、30歳前後の女性がメイン。西川が「熊蜂の飛行を知ってる人」と聞いても反応がなく、クラシックファンはほとんど来ていないことがわかる。
「熊蜂の飛行」の早弾きを菰口雄矢のギターソロと京響とで競うことになるのだが、西川は菰口について、「出来ますかね? 前半の段取り、全て忘れた男ですよ?」
ちなみに、菰口には一度間違うことに千円の罰金が科せられるという。
大島による独特の編曲で演奏が行われる。広上が下手から登場し、指揮台に上がる前に自分から菰口と握手をして笑いが起こる。
西川と大島は舞台袖のモニターで確認していたそうだが、菰口は4回間違えたということで四千円の罰金となるそうである。演奏を終えた菰口に西川が感想を聞くと、「緊張で口の中がパサパサになりました」と返ってきた。

「Prisoner」は大島こうすけが今回の演奏会のために書き下ろした新作。歌詞は山崎あおいが担当しているが、大島は、「悪い女を描いている」と紹介する。作曲に当たっては楽曲の再構築という手法を取ったそうだ。

ヘンデルのアリア「私を泣かせてください」を日本語歌詞にした「さよならのあとで」。山崎あおいの歌詞は、ヘンデルのアリアとは全く違ったものになっている。通常はソプラノによって歌われる曲であり、西川は男性としては声が高い方だがソプラノ同様に歌うには無理なため、メロディーも少しいじっているようだ。

プログラム最後の曲である「インスタント・アンサー」。モーツァルトの交響曲第25番第1楽章をモチーフにしたものである。まずはモーツァルトの交響曲第25番第1楽章を広上と京響が演奏する。カットありの演奏だったが、水準としては見事なもの。ただ、演奏終了後に広上が語ったところでは、全曲を演奏したことは1回しかないそうで、この曲を演奏することも生まれて2度目。モーツァルトの交響曲第25番について広上は「暗い」とだけ語ったが、「モーツァルトという人は、人を楽しませることが大好きな人だったと思うんです。西川さんのように(西川は「???」という顔)。ただとても繊細だった。短調の交響曲は2曲しかないんですが、人を楽しませる心遣いの出来る人が書いた本音のような部分。といっても会ったことないんですけどね」というようなことを言う。
「インスタント・アンサー」は、交響曲第25番第1楽章とは調が違うようである。ト短調という調性は歌いにくいだろう。メロディーも特にモーツァルトをなぞっているわけではない大島独自のものである。昔、シルヴィ・ヴァルタンがモーツァルトの交響曲第40番ト短調を伴奏にした曲を歌っており、それを参考にしたのかと思っていたが、この曲はモーツァルト作曲の部分もかなり変えているため、そういうわけではなさそうである。

西川は、「皆様、本日はこの曲をもって終わり、というわけには参りません」と言って、このコンサートのために作った「Hikari」という曲をアンコールとして歌うことを客席に伝える。西川は広上にも「Hikari」のリハーサルを行った時の感想を聞き、広上は「とても良い曲。美しい。曲だけじゃなくて歌詞も良い。ヒットしそう」というが西川に「ヒットもなにも発売するかどうかも決まってないんですが」と突っ込まれていた。
広上によると、このコンサートのリハーサル中に自身の弟子がとんでもない粗相をしたそうで激怒し、「もうクビだ!」宣言をしたのだが、この曲を聴いている内に気分が落ち着いて許すことにしたそうである。ただ、そのお弟子さんは会場に残ることは出来なかったようで、「今、動画を見てると思います」とのことだった。
歌詞がいいのかどうかは一度聴いただけではわからなかったが、メロディーは優しくて良い感じだったと思う。
拍手は鳴り止まず、最後はオールスタンディングとなる。もっともオールとは書いたが私自身は最後まで立たなかったのだけれど。


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2018年10月13日 (土)

楽興の時(24) 真宗大谷派岡崎別院「落語とJAZZの夕べ」2018

2018年10月3日 左京区岡崎の真宗大谷派岡崎別院にて

午後7時から、真宗大谷派岡崎別院本堂で、「落語とJAZZの夕べ」を聴く。いつもは空いている催しのようだのだが、今日はどうしたわけか超満員。本堂に入りきれないほどの人が集まった。

司会を務めるのは仏教イベントでは余り見かけないような可愛らしい女性であったが、フリーアナウンサーやタレント、女優などをしていて、現在放送中の朝の連続テレビテレビ小説「まんぷく」にも、主人公の今井福子(安藤サクラ)が務めるホテルのフロント係役として出演しているという。「まんぷく」は録画しているので見直したところ、確かにそれとわかる女性が出演していた。

第1部がJAZZの演奏会。ヴォーカルの麻生優佳、アルトサックスの本並ともみ、キーボードの須田敏夫、ダブルベースのマキアキラ、ドラムスの辻川郷という編成。
全10曲が演奏され、そのうち6曲にヴォーカルの麻生が参加する。

曲目は、「It's only a paper moon」、「Autumn leaves(枯葉)」、「星に願いを」、「Caravan」、「ムーンリヴァー」、「Smile」、「Fly me to the moon」、「中国行きのスロウボウト」、「ムーンライトセレナーデ」、「Moanin'」という超王道レパートである。

「It's only a paper moon」が本並ともみを中心としたサックスカルテットで演奏されてスタート。2曲目の「枯葉」から「Fly me to the moon」までは麻生優佳のヴォーカルが入る。伴奏が合ってるのか合ってないのかよくわからないところがあったりしたが、楽しむには十分な水準である。客席は白髪の人中心で、音楽にうるさい人も余りいないようであるし。
反応が本当にNHKの公開収録のそれそのままであり、お年の方は本当にああした反応を見せるようである。

第2部が落語、四代目桂塩鯛(しおだい)が登場する。岡崎別院本堂内には高座がないため、ビールケースを三つ重ねたものを7つほど置き、上に板を敷いて特設の高座とした。

桂塩鯛は、昭和33年、京都市生まれ。立命館大学中退後に桂朝丸(現・桂ざこば)に入門し、現在はざこばの筆頭弟子である。若い頃にABC落語・漫才新人コンクールで最優秀賞を受賞したことがあり、平成10年に文化庁芸術祭優秀賞を受賞している。

塩鯛は、まず一目でその筋とわかる人が最近いなくなったという話をし、新幹線で組の人(3年1組と冗談を言っていた)と出会った時のことを話す。東京から大阪に帰る新幹線の3人掛けシート、窓側に塩鯛は座っていたのだが、京都から組の人らしき人物が乗ってきた。3人掛けシートの通路側の席には、サラリーマンと思われる人が疲れて寝ていたのだが、組風の男はサラリーマンの足を思いっ切り踏んだため、「お前、なにすんねん! 足踏みよってからに」と怒る。起きていたら、組風の姿を見て遠慮したと思われるのだが、目を開けてすぐに怒鳴ったため、相手の風体に気づく暇がなかったようだ。組風の男はのうのうと「足踏んだからなんやねん?」と返答し、サラリーマンも「なんやねん」と言い返すが、組風の男も「なんやねん」と言い返し、サラリーマンも「なんやねん」と返し続けるが、そのたびの顔色が悪くなっていく。塩鯛が止めに入ろうとしたが、前の席に座っていたおっさんが、「お前、関係ないのになんやねん?」と苦情を言ってきたため、塩鯛も組風の男と前のおっさん二人に延々と「なんやねん」を返して、そのしているうちに新大阪に着いてしまったという話である。
これを枕に、チンピラの「らくだ」を巡る話である古典落語「らくだ」全編上演に入っていく。長屋に住む「らくだ」(役立たずという意味がある)というあだ名の男、卯之助。この男がどうしようもないろくでなしで、3年もの間、長屋の家賃を一度も払ったことがなく、長屋で祝儀を出すことになっても「立て替えておいてくだせえ」と言ったきり、結局、今に至るまで金を払ったことがない。
らくだの親分である脳天の熊五郎がらくだの長屋を訪ねてくる。らくだが寝坊をしていると思ってしばらく話しかけていた熊五郎だが、らくだの体が冷たくなっていることに気づく。どうもフグを食って毒に当たり、死んでしまったらしい。
やはりやくざ者である熊五郎は、長屋の前を通りかかったくず屋を呼び止め、らくだの死を利用して、ただで酒と肴を楽しもうと企てて……。

噺家なので、登場人物の演じ分けが巧みなのは当然なのだが、クシャミやしゃっくりを入れるタイミングが絶妙であり、自然に出てしまったかのように聞こえる。人間の生理現象は意識して出るものではないので、真似るのは難しいのだが、そこは十全のようである。



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2018年10月11日 (木)

観劇感想精選(259) 「チルドレン」

2018年10月3日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後1時から、西梅田のサンケイホールブリーゼで、「チルドレン」を観る。1984年生まれのイギリスの若手劇作家、ルーシー・カークウッドが2016年に手掛けた戯曲の翻訳上演。イギリスを舞台にした作品であるが、モチーフとなっているのは2011年3月11日に日本の福島で起こった原発事故である。
演出:栗山民也、テキスト日本語訳:小田島恒志、出演:高畑淳子、鶴見辰吾、若村麻由美。

イギリスの東沿岸沿いの田舎町。地震と津波を原因とする原子力発電所の事故があり、一帯は立ち入り禁止区域となっている。そこから少し離れた家にヘイゼル(高畑淳子)とロビン(鶴見辰吾)の夫妻が移り住んでいる。二人は以前は原子力発電所に勤める科学者で原発の近くに住んでいたのだが、放射能の影響で家を離れ、ロビンの持ち物だったこの家に今は住んでいる。

幕が上がると、ローズ(若村麻由美)が鼻から血を流して立っている。ローズはヘイゼルとロビンの元同僚であり、3人とも原子力発電所の建設に一から携わってきたのだが、ローズはその後、アメリカのマサチューセッツ州に移り住んでいた。ヘイゼルの耳には「ローズが自殺した」という噂が届いており、それを信じていたため、突然、目の前に現れたローズを幽霊か死神かと勘違いして咄嗟に手が出てしまったのだ。
実は最初はローズがロビンの恋人だったのだが、二人が別れてすぐにヘイゼルがロビンといい仲になり、ヘイゼルが妊娠したことで敗北を悟ったローズがアメリカへと逃げていたことがわかる。ヘイゼルは完璧主義者であり、つい避妊を忘れたなどということはあり得ない。妊娠したということは、計画通りだったということである。

科学者であったヘイゼルとロビンは、今ではパソコンも使わず、計画停電があるため電気にも頼らず、オーガニックの野菜を育て、牛を飼いというアーミッシュさながらの生活を送っている。あたかも科学者だった時代の反動でもあるかのように。
ヘイゼルはヨガに凝り、若さを保つことにもこだわっている。
ロビンが牛を飼っている牧場は、今では立ち入り禁止区域内にある。だが、ロビンは牛たちのために、毎日朝から晩まで牧場で過ごしていた。

ローズが突然この家にやって来たのには、当然ながら訳があった。原発の廃炉作業に携わることに決めた彼女は、行動を共にしてくれる60歳以上の科学者をスカウトしていたのだ。計画では20人以上を集める予定だが、現時点で集まっているのは18人である。つまりそういうことだった。ヘイゼルがローズを見た時に感じた不吉さは実は正しかったということになる。
ローズは言う。「原発で働いているのは私たちの子どもの世代」。未来ある若者達に代わり、自分達、原発を生んだ科学者が責任を取るのは当然だという思いがローズにはあった。ローズは乳がんを患っており、もう先は長くない。
だが、ローズと違い、ヘイゼルとロビンには実の子どもがいる。特に長女は障害を抱えており、38歳で今も独身。ヘイゼルは自分がいなくなった時のことを考えてためらう。

原発で働く自分達の子ども世代の若者達、実の子ども達、そして自分達が生み出した原発、それら全てが「みんな我が子」であり、等しく責任を取らなくてはいけない。あちらが立てばこちらが立たぬ状態であるが、それが冷酷ではあるが現実であり、人としてなすべきこと。

はっきりとは口に出さないが、皆、自罰の意識を持っており、贖罪の思いを常に抱いていたことがうかがわれる。ロビンは牛たちのために立ち入り禁止区域に入って作業をしているということになっているが、実際は緩慢な自殺の手段として放射線を大量に浴びるために敢えて立ち入っているのではないかと思える節もある。ロビンとヘイゼルが元科学者でありながら科学に背を向けた生活を送っているのもある種の贖罪なのではないか。

福島第一原発事故から7年が経過したが、今なお誰も責任を取ろうとはしていない。いや、原発事故だけではない。あらゆる事柄について「なかったことにしたい」という空気が蔓延し、この国は自家中毒に陥っているとしか思えないような状況が続いている。「気に入らないことはないことにしてしまっても構わない」という幼稚なナルシシズムが服を着て大手を振って歩いているかのような。
だが自己愛だけではどこにも行けないのである。とにかく受け入れ、呑み込むこと。「敢然と」。それは幸福なことではないかも知れないが、生きるということの実相でもある。

若村麻由美も鶴見辰吾も大好きな俳優で、実力も文句なしなのだが、やはり高畑淳子の凄さは目立つ。空間に溶け込める俳優は何人もいるけれど、存在するだけで空間を作り出せる俳優はそう多くはない。息子さんのことで色々あったけれど、やはり彼女は女優であり続けるべきだと強く思う。


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2018年10月10日 (水)

YMO 「Be A Superman」

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2018年10月 9日 (火)

観劇感想精選(258) ミュージカル「シティ・オブ・エンジェルズ」

2018年9月29日 大阪・上本町の新歌舞伎座にて観劇

午後5時30分から、大阪・上本町の新歌舞伎座で、ミュージカル「シティ・オブ・エンジェルズ」を観る。1940年代のロサンゼルスとハリウッドを舞台としたサスペンス・コメディ。トニー賞6部門に輝き、ローレンス・オリビエ賞なども受賞した評価の高い作品である。
脚本:ラリー・ゲルバート、上演台本・演出:福田雄一。出演:山田孝之、柿澤勇人(かきざわ・はやと)、渡辺麻友、瀬奈じゅん、木南晴夏、勝矢、山田優、佐藤二朗ほか。作曲は「スウィート・チャリティ」(大阪でも玉置成実主演で上演されたことがある)のサイ・コールマン。

スタイン(柿澤勇人)は、ハリウッドの駆け出し脚本家。自身の分身ともいうべき存在のストーン(山田孝之。スタインもストーンも共に「石」という意味である)を主役にしたハードボイルドサスペンス「シティ・オブ・エンジェルズ」が映画化されることが決まり、希望に燃えている。しかし、プロデューサーで映画監督のバディ・フィドラー(佐藤二朗)から再三にわたる脚本へのダメ出しを受け、書き直しを余儀なくされる。駆け出し脚本家だけにスタインの本は拙いところも多いが、バディからの指示を受けるごとに更に酷いものへと変わっていく。

本の中ではロサンゼルスの私立探偵ストーンが、アローラ・キングズリー(瀬奈じゅん)という富豪夫人から、家出した義理の娘のマロリー(渡辺麻友)を探して欲しいという依頼を受けている。その後、元警官だったストーンの回想シーンになるのだが、警察時代の同僚であったムニョス(勝矢)との間で白人対有色人種を巡る諍いとなった場面がアーヴィングからダメ出しを受け、イケメン対非モテの対立に変えざるを得なくなってしまう。
納得がいかないスタインだが立場が弱いため、ハリウッドの大物であるバディに逆らうことは出来ず、作品中にバディをモデルにしたプロデューサーのアーウィン・S・アーヴィングを登場させて抵抗するのが精一杯で……。

比較的制作されることの多いハリウッドものである。新歌舞伎座でもフランシス・スコット・キー・フィッツジェラルドを主役にしたミュージカル「スコット&ゼルダ」が上演されたことがあり、それ以前にも筒井道隆と長塚京三が主演した「グッドラック、ハリウッド」という同傾向の作品を観たことがある。

ラストで「フィクションとリアルの合体」が語られるのだが、「フィクションの力」が全面に押し出されており、爽快な仕上がりとなっている。

山田孝之と柿澤勇人以外は、基本的に一人の俳優が現実世界での役とフィクション内での役の二役を演じる。

山田孝之は本当に器用な役者で、パントマイム、アクション、歌にダンスと何でもこなす。チョイ抜けイケメンのストーンの存在にリアリティーを持たせることが出来ているのは彼の実力の高さ故だろう。

大阪府出身の木南晴夏。デビューから数年はヒロイン役を射止めることが出来ずにいた苦労人である。美人タイプではないが、深夜の連続ドラマ「家族八景」で主役の火田七瀬を務めて以降は順調で、今年の6月には玉木宏と結婚している。
この芝居では時事ネタ(ZOZOTOWNの前澤社長と剛力彩芽、「万引き家族」など)がアドリブやオリジナルのセリフとして語られるのだが、木南が演じるウーリーが恋人について語る場面では、「カンタービレを奏でるのが上手いイケメンの指揮者」と玉木のことを示唆するセリフを言って客席から拍手を貰っていた。

佐藤二朗はとにかくアドリブを飛ばしまくる。おそらく演出家から「佐藤が笑わせるようなことを言い、他の出演者は絶対笑わないようにする」と指定された場面では、徹底して他の出演者を笑わせにかかっていた。

一線級の俳優を揃えているため、演技の水準は高いのだが、やはり本職のミュージカル俳優である柿澤勇人の歌とダンスの実力は図抜けており、彼という柱がいたからこそ、他の俳優も生きるという結果になっていたように思う。

最後は、出演者全員が1階席客席通路を通ってのハイタッチ会となり、私も通路に近い席にいたため、全員とハイタッチを交わすことが出来た。



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2018年10月 8日 (月)

観劇感想精選(257) シス・カンパニー公演 ジャン=ポール・サルトル「出口なし」

2018年9月27日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後6時30分から、西梅田のサンケイホールブリーゼで、ジャン=ポール・サルトルの「出口なし」を観る。サルトルの代表戯曲の一つ。演出・上演台本:小川絵梨子。出演:大竹しのぶ、多部未華子、段田安則、本多遼。

「出口なし」というと、1994年の三谷幸喜の「出口なし」をBSで観ており(パルコ劇場での収録)、これはビデオに録画して繰り返し繰り返し観ているが、サルトルの「出口なし」は全くの別物である。もっとも、三谷幸喜はサルトルの「出口なし」からタイトルを借りていると思われる。
私自身はサルトルの「出口なし」を観るのは初めてである。

サルトルの哲学を戯曲化したものといわれることもあるが、それを別にしても興味深い作品である。

「地獄」が舞台なのだが、ここで描かれる地獄はいわゆる地獄とは似ても似つかないものである。そこは「一室」であり、出入り口が一つあるだけで窓も鏡もない空間である。ソファーが三脚、美術室にはよくあるアグリッパの胸像、そして紙はないがなぜかペーパーナイフはある。

ボーイ(本多遼)に案内されて、ガルサン(段田安則)がまずこの地獄にやってくる。ガルサンは地獄には拷問道具があるものだと思い込んでいるが、そんなものはない。壁には呼び鈴があるが、ボーイによると「当てにならない」という。実際、ボーイがいるときには呼び鈴は鳴ったが、その後はウンともスンともいわなくなる。
ガルサンはジャーナリストで、反戦記事を書く新聞社に勤めていたのだが、徴兵を拒否して逃亡し、国境付近で捕まって銃殺刑に処されたのだ。

続いて現れたのは、郵便局員だったイネス(大竹しのぶ)。恋人との別れ話から部屋のガス栓を捻られて殺されたそうである。

最後にやってきたのは、人妻のエステル(多部未華子)。年の離れた富豪の夫と幸せに暮らしていたが、若い男と不倫の末、子を宿し、生まれた子供をスイスの湖に投げ殺している。

三人とも今日が初対面である。なぜこの三人なのかも明白でなく、そもそもキャラクターからして気が合いそうにない組み合わせである。イネスは「互いが互いの処刑人」と唱える。

喧嘩の末、ガルサンは扉を開けて出ようとするが、押しても引いても開かない。「出口なし」である。

そうしてバリエーションを変えながらの諍いが続く中、ガルサンが手を掛けた扉が突然開く。今まで出たい出たいと思っていたこの空間だが、扉が開いた途端にガルサンもイネスも怖じ気づいてしまい……。

ガルサンが、反戦に殉じた英雄なのか、戦争に怯えた臆病者なのかで解釈が分かれる場面があるが、いずれにせよ、それは他者が決めることである。地獄からは現世の様子が見えるのだが、現世の人間は地獄にいる者のことを恣意的に思い出している。

ガルサンの「地獄とは他人のことだ」というセリフが「出口なし」の最も有名にしてキーになる詞であるが、地獄とはいうがそれは「良い奴ばかりじゃないけど悪い奴ばかりでもない」この世界において、他者の目にさらされ、関係を築いていく、もしくはいかねばならないことの喩えであると思われる。生きにくい世の中であるが、「それならお一人でご自由に」と扉が開けられたとして、そこから出られる勇気のある人がそうそういるとも思えない。孤独と自由が好きな私でも扉が開いた瞬間には凄まじい恐怖を感じた。もちろん、「出口なし」を読んだことはあるが、これほどゾッとするシーンだとは想像出来なかった。サルトル恐るべし。

大竹しのぶ、段田安則、多部未華子という実力派の三つ巴は見応え十分である。エステルは多分、多部未華子本人の性格から最も遠いキャラだと思われるが、実在感のあるエステル像を築いている。
出番の短いボーイ役の本多遼はセリフのリズムが今ひとつだったが、まだこれからの若い俳優であり、三人との共演は大いに刺激になったと思われる。

小川絵梨子の演出であるが、ガルサンが発するラストのセリフに肯定的なメッセージを込めるべく、逆算して作り上げているようである。


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2018年10月 6日 (土)

コンサートの記(434) ジャン=マルク・ルイサダ ピアノ・リサイタル2018京都

2018年9月25日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、ジャン=マルク・ルイサダのピアノ・リサイタルを聴く。

現役屈指のショパン弾きとして知られるルイサダ。今回はショパンと今年が没後100年に当たるドビュッシー、そしてシューマンの作品を並べたプログラムである。
前半が、ショパンの4つのマズルカ作品49、シューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」。後半が、ショパンの「幻想曲」ヘ短調、ドビュッシーの「映像」第1集&第2集。

ルイサダは、1958年、フランスから独立して間もないチュニジアに生まれている。広上淳一とは同い年。2歳の時に一家でフランスに移住し、12歳の時にイギリスのユーディ・メニューイン音楽院に入学。イギリス時代にはメニューイン、ナディア・ブーランジェ、ベンジャミン・ブリテンらの知遇を得た。16歳でパリ国立高等音楽院に移り、卒業後の1983年にディーノ・チアーニ記念コンクールで2位に入賞、1985年のショパンコンクールでは5位に入賞している。日本では教育テレビで放送された「スーパーピアノレッスン ショパン編」の講師としても知名度を上げている。

譜めくり人を置き、常に譜面を見ての演奏。ただ多くの部分は暗譜しており、確実性を求めるために譜面を見ていることがわかる。少し前まではピアニストは暗譜で弾くのが当たり前だったが、最近ではイリーナ・メジューエワなど、常に譜面を見ながら弾くピアニストも増えてきている。

ショパンの4つのマズルカ。独特の奥行きのある音が特徴的で、十分にロマンティックであるがセンチメンタルではなく、「軽み」で聴かせる。

シューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」ではロマンティシズムと即興性を上手く融合させたタイプの演奏を聴かせる。

ショパンの「幻想曲」ヘ短調。序奏では浮遊感と沈痛さを統合した響きを奏で、後半の情熱的な展開へと繋げていく。耳や頭でなく、心に直接触れるタイプの演奏である。

ドビュッシーの「映像」第1集&第2集。ショパンやシューマンとは異なり、細やかな音による描写力の高さが特徴的である。抒情と詩情とモダニズムを音の画家のようにルイサダは描く。どれも油絵ではなく淡彩画の趣。日本の漆絵からインスピレーションを得たという「金色の魚」からは異国情緒と光の移ろいを感じ取ることも出来る。

アンコールは3曲。まず、エルガーの「愛の挨拶」。穏やかで愛らしい表現である。
2曲目、ショパンのワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」では、一転して生き生きとして少しコケティッシュでもあるショパンを聴かせる。
3曲目は、リストの「コンソレーション(慰め)」第3番。限りなく透明に近い音色による純度の高いピアニズムを聴かせた。

京都コンサートホールから出ると、満月がホールの上に浮かんでいるのが見える。そのまま月に向かって歩いて帰る。


京都コンサートホールの満月

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春秋山荘観月祭2018 山田せつ子ソロダンス 「月を聴く 竹に舞う」

2018年9月24日 山科区の春秋山荘にて

山科区の山奥にある春秋山荘というところで行われる観月祭で、山田せつ子のダンス公演が行われるというので出かけてみる。山科の北の果てともいうべき場所にあるのが毘沙門堂だが、春秋山荘は更にその奥にある。

山科川に沿って北西に進む。右手、やや高いところに建つのが春秋山荘である。
午後5時過ぎに到着。山田せつ子のダンス公演は午後7時頃の開演で、しばらく時間があるので、辺りをぶらぶらする、といっても特筆すべき何かがあるわけではない。
庭で絵画の制作が行われており、山の上ではかがり火が焚かれているのが見えるが、ダンス公演はかがり火の付近で行うようだ。

山田せつ子ソロダンス「月を聴く 竹に舞う」は裏山の中腹にあるスペース(月逍台という名が付いているようだ)で行われる。急坂を上り下りする必要があり、注意していないと足を取られる可能性がある。

竹林の中、竹を横に並べた木琴(竹琴?)状の舞台の上で舞踏が行われる。音楽は用いられず、秋の虫の声のみが通奏低音となる。
木琴状の竹舞台の上で山田が仰向けになった状態から公演スタート。竹の上でステップを踏んだり、立っている竹に抱きついたりした後で、公演を観に来ていた岩下徹と手でサインを交わす。その後、竹舞台から降りた山田がかがり火に近づいてから再び岩下と手で会話を交わす。そして岩下もダンスに参加。山田と岩下二人の関係性の変容が繰り広げられる。最後は、山田一人のダンスに戻って終了したが、その後、中庭で第2部が展開される。山田と岩下による陣取りゲームのようなダンスで、幣に見立てた小枝の受け渡しが行われたりする。ラストは石の上に老男女にように寄り添って公演は終わった。投げ銭制の公演であり、スタッフが持った籠に観客達がお金を投じる。参加者となったはずの岩下徹もお金を入れていて、ちょっとした笑いを誘っていた。

その後、月の出を待つが、雲が多く、主役は姿を現さない。
春秋山荘を後にし、毘沙門堂の前まで来たところで月がようやく顔を覗かせる。その後、山科駅まで月と一緒に歩いた。


十五夜 山科にて

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2018年10月 5日 (金)

コンサートの記(433) 準・メルクル指揮 京都市交響楽団第627回定期演奏会

2018年9月22日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第627回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は準・メルクル。

日独ハーフの準・メルクル。NHK交響楽団を始め日本各地のオーケストラに客演しており、お馴染みの存在である。1959年、ミュンヘン生まれ、ハノーファー音楽院でヴァイオリン、ピアノ、指揮を学び、セルジュ・チェリビダッケ、グスタフ・マイヤーらに師事する。1986年にドイツ音楽評議会の指揮者コンクールで優勝。その後、タングルウッド音楽祭でレナード・バーンスタインと小澤征爾に師事。ザールラント州立劇場とマンハイム国立劇場の音楽監督を務める。
リヨン管弦楽団音楽監督の時代には、NAXOSレーベルに「ドビュッシー管弦楽曲全集」を録音。ライプツィッヒのMDR交響楽団(中部ドイツ放送交響楽団。旧ライプツィッヒ放送交響楽団)の首席指揮者としても活躍した。
1997年にNHK交響楽団を指揮して日本デビュー。N響の年末の第九でおそらく初めてピリオド・アプローチを用いた指揮者である。N響とは「シューマン交響曲全集」を作成。現在は国立音楽大学の招聘教授も務めている。2012年にフランス芸術文化勲章・ジュヴァリエを受章。

曲目は、ワーグナーの歌劇「タンホイザー」から序曲とヴェヌスベルクの音楽、グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番、ブラームスの交響曲第4番。

今日もコンサートマスターは客演で、豊嶋泰嗣が入る。フォアシュピーラーに泉原隆志。ヴィオラの首席には店村眞積。今日は木管楽器の首席奏者は大半がブラームスのみの出演である。

ワーグナーの歌劇「タンホイザー」から序曲とヴェヌスベルクの音楽。
メルクルはワーグナーを得意としており、豊かなスケール、堂々とした音楽作り、各楽器のバランスの妙など、いずれも感服に値するレベルの音楽を聴かせる。ヴェヌスベルクの音楽のマジカルな味わいも最上級だ。

グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番。リリカルな「朝」、厳しく重い「オーセの死」、蠱惑的な「アニトラの踊り」、怒濤の迫力を見せる「山の魔王の宮殿で」、全ての曲で表情豊か且つ詩情にも富んだ音楽作りで聴く者を魅了する。

メインであるブラームスの交響曲第4番。管楽器に首席奏者が揃っただけあって、音圧と音の厚みが加わり、ドイツ的な味わいの濃いブラームスとなる。ブラームスの感傷性には流されず、暑苦しくなりすぎないよう音の流れを丹念に追った演奏。京響の響きも輝かしさと渋さを併せ持ち、オーケストラ演奏の王道を行く佳演となった。


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2018年10月 4日 (木)

ロレーヌ国立バレエ団 「トリプルビル」@ロームシアター京都サウスホール

2018年9月21日 ロームシアター京都サウスホールにて

午後7時から、ロームシアター京都サウスホールで、ロレーヌ国立バレエ団の「トリプルビル」を観る。「DEVOTED」「STEPTEXT」「SOUNDDANCE」という3つの短編からなる連作。

ロレーヌ国立バレエ団は、フランス・ロレーヌ地域圏ムルト・エ・モゼル県のナンシーに本拠地を置くバレエ団。1980年代にフランス全国19カ所に設けられた国立振付センターの一つであり、劇場と教育機関を併せ持つロレーヌ国立バレエの専属バレエ団である。
正式名称は国立振付センター・ロレーヌ・バレエ団。コンテンポラリー・バレエ作品の制作を中心に据えている。現在の所属ダンサーは26人。2011年7月以降、ピーター・ヤコブソンが芸術監督として指揮を執っている。

「DEVOTED」。セシリア・ペンゴレア&フランソワ・シェニョーの振付である。
緑のレオタードに身を包んだ女性バレリーナ達のダンス。フィリップ・グラスのミニマルミュージック、「Another look at Harmony part Ⅳ」が流れる。パイプオルガンが繰り返され、その後、合唱が加わる。
まずは回転したり足を上げたりと、いかにもクラシックバレエといった感じの振りから入るが、ダンサーの数が徐々に減っていき、ソロダンサー(オオイシ・サキコという日本人のようだ)の舞踊が始まってからコンテンポラリーの要素が加わり、その後も群舞でもクラシックとコンテンポラリーの合わさったダンスが繰り広げられる。
フィギュアスケートでもそうだったが、以前は東洋人は白人に比べてプロポーションの面で大きく見劣りがしていた。だがそれも昔のこと、食習慣の影響もあり、今はそうしたハンディはほとんどない。
一度溶暗してから、3人のダンサーがつま先で立ち続ける中、一人のダンサーが後ろ向きに進むという場面がある。つま先であるため、バランス面でも体力的にもかなりきつそうである。ただそれがその後の踊りの開放感にも繋がっているようである。

「STEPTEXT」。鬼才ウィリアム・フォーサイスの振付。音楽はJ・S・バッハのヴァイオリン・パルティータ第2番より“シャコンヌ”だが、最初のうちは細切れに用いられる。
まず黒い衣装の黒髪の男性ダンサーが舞台下手前方へと歩み出て、円を描くようなダンスを行う。ダンサーが引っ込んでから、今度は黒人系の男性ダンサーが現れて、やはり同じようなダンスをする。
その後、舞台上手から髪を茶色に染めた男性ダンサーと赤い衣装の女性ダンサーが現れて、パ・ド・ドゥを行う。最初に出てきたダンサーと二番目に登場したダンサーをもデュオを行ってたり、別々に踊ったりする。やがて女性ダンサーの相手が次々に入れ代わる。パ・ド・ドゥの時はシャコンヌが鳴り続けて、一段落してソロやデュオが始まると音楽が止まる。
男女の関係性と人生の移ろいを描いているような作品である。

「SOUNDDANCE」。ジョン・ケージのパートナーとしても知られたマース・カニンガムの振付。来年、2019年はカニングハム生誕100年に当たり、来年行われる予定の記念公演でも本作品が取り上げられるという。
舞台上3mぐらいの所から金色のカーテンが降りており、背面を覆っている。中央下に穴があり、そこからダンサーが出入りする。ダンサーはオレンジのシャツを着ており、まずは男性ダンサー一人の踊りでスタートするが、踊り手がどんどん増えていく。
音楽は、デイヴィッド・チューダーの「無題」(1975/1994)。電子音による音楽である。
女性ダンサーが持ち上げられることが多く、アクロバティックな動きも多用される。音そのものを身体によってデッサンしたような作品であり、祝祭生が高い。終盤にはダンサーが一人一人去って行き、最初に登場したダンサーが舞台を後にして幕となる。

終演後にアフタートークがある。出演は、ロームシアター京都の橋本裕介とロレーヌ国立バレエ団芸術監督のピーター・ヤコブソンとリハーサルディレクター&コーディネーターリサーチのトーマス・キャレイ。ピーターとトーマスは英語で話し、千代その子が通訳を務める。

ピーター・ヤコブソンは、「ダイバーシティ(多様性)」を大切にしているそうで、ロレーヌ国立バレエは、クラシックバレエに固執せずにあらゆるジャンルのバレエやダンスに取り組んでおり、またバレリーナやダンサーもクラシックバレエの技術のみを見るのではなく、それぞれの哲学や創造性などを重視して採用を決めるそうである。
またロレーヌ国立バレエは毎年テーマを掲げており、一昨年のテーマは「ラ・バレエ」。フランス語では「ラ」は女性名詞に付く冠詞だそうで、バレエは女性名詞ということになるのだが、本当にそうなのかを問うために女性バレリーナのみによるプログラムを組んだりしたそうだ。その他にも、ダイバーシティとしてあらゆる時代のバレエを一年で取り上げたり、表現のダイバーシティとして、パリのポンピドゥーセンターの前庭で「ディスコフット」という作品を上演したこともあるという。ダンサーがディスコを踊りながらフットボール(サッカー)を行うという作品で、実際にゴールマウスがあり、ボールを蹴り込むと1点が入るのだが、その他にも審判へのアピールも得点要素になるそうである。審判はサッカーの審判ではなく審美眼の持ち主として存在しており、優れたディスコダンスを行うと1点入るという仕組みなのだそうだ。
ピーターもトーマスも今後も様々な作品に取り組みたいと語っていた。


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2018年10月 2日 (火)

美術回廊(16) 美術館「えき」KYOTO 「フランス国立図書館版画コレクション ピカソ 版画をめぐる冒険」

2018年9月25日 JR京都駅ビルの美術館「えき」KYOTOにて

京都駅の近くで用事があったので、ついでに美術館「えき」KYOTOで、「フランス国立図書館版画コレクション ピカソ 版画をめぐる冒険」を観に行く。

パブロ・ピカソが残した版画作品と、影響を受けた版画作品などを紹介する展覧会。ピカソがレンブラントの作品を再構成した作品なども展示されている。

ピカソというと、デフォルメされた人物が特徴的だが、極限までデフォルメするまでの中間地点を描いた作品もあり、ピカソがどこを強調したのかを知ることが出来る(目が特に誇張されている)。

祖国であるスペインの闘牛を題材にした版画がいくつかあるが、闘牛そのものを描いた作品からは不吉な印象を受けるものの、ピカドールと闘牛の戦いを描いたものから受けるのはピカドールの軽やかさと躍動感の方であり、闘牛は脇役に過ぎないように見える。

ピカソはスペイン出身者である自身のリビドーの象徴としてミノタウルスを描いており、画面全体を揺るがすような迫力を与えている。

またミノタウルスの時代である古代ギリシャの影響を受けた作品も残していて、シンプルな裸体画や、牧神やディオニソスの巫女、ケンタウルスといった想像上の生き物を題材としたリトグラフなどを観ることが出来る。

マネの「草上の朝食」をヴァリエーションとして描いたり(エロスへの転換が見られる)、レンブラントの「エッケ・ホモ(この人を見よ!)」の主役をイエスではなく自分に置き換えてしまったりと、やりたい放題なのがいかにもピカソらしい。

ピカソの肖像画は、モデルのみでなく自分を含めた画家を作品の中に登場させるというのも特徴だそうで、一人真面目くさった画家を登場させるという皮肉を効かせたものもある。


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スタジアムにて(6) 2009年開幕戦 阪神タイガース対東京ヤクルトスワローズ@京セラドーム大阪

2009年4月3日 京セラドーム大阪にて観戦

京セラドーム大阪で、セリーグの開幕戦、阪神タイガース対東京ヤクルトスワローズの試合を観戦する。
昨日まで、タイガースの本拠地である甲子園球場で春の選抜高校野球大会が行われていたということもあって、京セラドーム大阪での開幕となった。阪神電車が京セラドーム大阪の近くの九条駅に乗り入れたということもあって、その宣伝にもなる。

阪神の先発は安藤。ヤクルトの先発は石川。ともに予想通りの先発である。

ヤクルトの石川は乱調で、3回までに5点を許し、4回を投げきるが、5回表に代打を送られてここで降板となった。ヤクルトは2番手の佐藤、3番手の押本、4番手の丸山は好投で阪神打線を抑える。
今日が41歳の誕生日となる金本は、初回にタイムリーツーベースを放ち、3回にはソロホームランを打って、自分のバースデーを自分で祝福した。

ヤクルトはガイエルが5回にライトスタンドにアーチを架け、7回に相川がタイムリーヒットを放つが、奪ったのはこの2点だけ。
9回には藤川球児がマウンドに立ち、ちょっとしたピンチを迎えるが0点に抑えて、5-2で阪神が勝った。

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2018年10月 1日 (月)

観劇感想精選(256) 松竹大歌舞伎「義経千本桜」“道行初音旅”&“川連法眼館” 片岡愛之助、中村壱太郎、市川猿弥ほか@びわ湖ホール

2018年9月23日 びわ湖ホール中ホールにて観劇

午後5時から、びわ湖ホール中ホールで、松竹大歌舞伎「義経千本桜」“道行初音旅”&“川連法眼館”(通称:四の切)を観る。

「仮名手本忠臣蔵」、「菅原伝授手習鑑」と並び、歌舞伎の三大演目の一つに数えられる「義経千本桜」。中でも「川連法眼館」は四段目の終わりということで「四の切」の別名でも呼ばれ、単独で上演されることも多い。今回はその前段である「道行初音旅」と続けての上演が行われる。

出演は、片岡愛之助、中村壱太郎(かずたろう)、市川猿弥、中村寿治郎、上村吉弥(かみむら・きちや)、中村松江、市川門之助ほか。

愛之助の佐藤忠信&狐忠信である。

「道行初音旅」は舞踊が中心になるが、愛之助の忠信は動きに無駄がなく、指先に至るまで神経が宿っている。要所要所で飛ばされる「気」のようなものも効果的で、流石は花形歌舞伎俳優である。
静御前を演じる中村壱太郎も細やかな仕草が印象的で、女形としての実力を感じさせる。
三枚目、トリックスターである逸見藤太を演じる市川猿弥の味も良い。「こんなところで愛之助」、「とっとと寄こせば猿弥」という駄洒落も笑える。

「川連法眼館」。歌舞伎対応劇場ではないということもあってか、川連法眼を演じる中村寿治郎のセリフが少し聞き取りにくかったが、進行の上で支障があるというほどではない。愛之助演じる佐藤忠信の凜々しさと、狐忠信の怪しさとコミカルな部分の演じ分けが見物である。

先代と当代の猿之助が演じる宙乗りありの澤瀉屋バージョンが有名だが、今回は別の版(音羽屋版だと思われる)での上演。途中で佐藤忠信が屋敷の奥に姿を見せる場面はなく、ラストも宙乗りではない。愛之助の狐詞も先代と当代の猿之助ほどではないかも知れないが、ユーモラスで愛嬌があり、惹かれる。親を慕う哀切な場面での表現も巧みであり、外連で見せる澤瀉屋版とここで差別化を図っているように思われる。

壱太郎演じる静御前の仕草も美しく、愛らしい。

義経を演じる市川門之助も堂々としており、貫禄と迫力と存在感があった。

ラストでは狐忠信は宙乗りの代わりに舞台中央やや上手側に聳える桜の木に登る。桜の名所である吉野の、今が盛りと咲く華やかさとすぐに散るという儚さを併せ持つ桜と一体になる忠信の構図が、義経を中心とする登場人物達の運命を象徴しているようでもある。

今日は歌舞伎専用の劇場での上演ではないということもあってか、大向からの声はほとんど掛からず、いつもとは違った雰囲気の中での歌舞伎見物となった。



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笑いの林(105) よしもと祇園花月 「よしもと滋賀県人会」

2018年9月22日 よしもと祇園花月にて

午後7時30分から、よしもと祇園花月で「よしもと滋賀県人会」という公演を観る。その名の通り、滋賀県出身のよしもと芸人が一堂に会する催し。だが、ひょっこりはんや宮川大輔など東京で活躍している芸人は参加していない。

出演は、大木ひびき(彦根市出身)、横木ジョージ(高島市出身)、桂三風(草津市出身)、シンクタンク・近江のこかじろう(東近江市出身)、野性爆弾・ロッシー(守山市出身)、ファミリーレストラン(滋賀県住みます芸人。しもばやしは大津市出身)、ダイアン(愛知郡出身)、きみどり・古田敬一(大津市出身)、月亭八織(大津市出身)。

まずは、シンクタンク・近江のこかじろうと桂三風によるオープニング。
近江のこかじろうは、「イナズマロック祇園支部へようこそ」と言い、滋賀県出身の有名人はこれまで余りいなかったが、野球選手などには増えているという話をする。
桂三風は、草津市の出身なのだが、生まれたのは大津市内で2歳まで大津にいたため、大津出身と名乗りたいそうである。大津商業高校の出身で、当時の大津商業は荒れていたそうだが、商業高校ということで女子が8割を占めていたということもあり、モテモテだったそうである。その後、「京都大学へ進学」と言い、近江のこかじろうに「京大?」と聞かれて、「京都ほにゃほにゃ大学」と誤魔化す。京都学園大学(近く校名変更予定である)の出身だそうだが、在学中に桂三枝(現・文枝)に弟子入りして落語家への道を歩み始めている。

その後、出演者が次々に呼ばれる。ファミリーレストラン・原田だけが現在は大津市在住であるものの、滋賀県ではなく京都市出身である。
きみどり・古田敬一は、良いとこの子だそうで、父親はパナソニックの重役。実家のある場所はパナソニックの重役と医者しか住んでいないような高級住宅地だそうである。
大木ひびきは花道のセリから五木ひろしのナンバーを歌って登場する。

ファミリーレストラン、ダイアン、桂三風によるネタのコーナー。

きみどり・古田敬一と月亭八織が毎回、前説のようなことを行う。
古田敬一によると、ファミリーレストラン・原田は、赤いベンツに乗っているのだが、よくわからないメーカーのタイヤを使っており、中古車で28万円のものという紹介をする。

ファミリーレストラン。原田は、「新車買ったわ、国産の。120回ローンで」と語る。
原田のギャグである「いらっしゃーませー」を観客と一緒に行ってスタート。
しもばやしが、「滋賀のPRソングをTM Revolution」の替え歌で作ろうと提案する。
だが、「体を夏にして」は「琵琶湖のおかげで、ギリギリ耐えてる」、「凍えそうな季節に君は」は「凍えそうな長浜の冬」になる。滋賀県内でも長浜は別格級に寒いそうで、道路が氷結しないよう水を流しており、「あんなん関西じゃない。北陸」だそうである。
「妖精たちが夏を刺激する」は「京都の人が滋賀を刺激する。大阪府からは無視される。こうなったなら最後の手段だ。琵琶湖の水を止めたろかい!」と滋賀県人あるあるネタを繰り出す。

原田がしもばやしにバス釣りの仕方を習うというネタ。何故か原田がブラックバス役をやる。ブラックバスがルアーに釣られそうになった時、「騙されちゃ駄目!」という声がする。声の主は同じ外来魚のブルーギルで、駆除される運命にあることを告げる。ここでルアーが何故か人格を持ち、悪役のセリフを原田が発し始める。ルアーの原田がしもばやしの下部として振る舞うため、しもばやしは、「俺が一番の悪役みたいやないか!」と突っ込む。
ハチャメチャな展開になったのに、原田が「バス釣りって面白いな」とボケたところで終わる。

きみどり・古田敬一が、ダイアン・西澤が男なのに短大卒(嵯峨美術短大)という話をするが、古田も短大に進んでおり、しかも中退したという話をする。指定校推薦で短大に進学したのに中退してしまったため、古田の出身校からの指定校推薦進学枠が半永久的に取り消しになってしまったそうだ。

ダイアン。喫煙のマナーが悪い人も多いということで、津田が禁止区域で煙草を吸う人、西澤がそれを注意する人を演じる。
西澤は、いきなり煙草を取り上げて津田の額に火を押し当てたり、注意しているのに自分は煙草を吸っていたり、注意しながら実は立ちションをしているという変な人を演じる。

桂三風。高校生の頃に落語研究会に所属しており、学校内でかなり受けたことから素人大会にも参加。大賞は貰えなかったが奨励賞などは受章出来たということで落語家を目指し、桂三枝の才能に惚れ込んで弟子入りをしたという。漫才師を目指すにはNSCに行けばいいが、落語の場合は今も弟子入り制度。「新婚さんいらっしゃい」のスタジオに押しかけて弟子入りしたそうだ。三枝の場合は、「いらっしゃーい」と言ってすぐに弟子にしてくれたそうである。
三枝は創作落語を得意としており、三風も独自の落語を行おうということで、参加型落語というのを編み出したそうである。要はお客さんに声を入れて貰うのである。
テレビショッピングという設定で、三風が腕を押し出す仕草をした時に観客が「オー(感嘆)」と言い、腕を引いた時には「エー!(驚き)」という言葉を発して貰う。
テレビショッピングのはずなのだが、実は押し売りネタである。最後は警察も「押し売り判定機」なるものの押し売りを始めてしまう。

コーナー。大喜利である。「あいうえお作文」を行い、しかも滋賀県絡みにするというもの。
出演は、きみどり・古田敬一、月亭八織、大木ひびき、近江のこかじろう、野性爆弾・ロッシー。司会は桂三風が務める。お客さんに行を指定して貰い、あいうえお作文を行う。
指定されたのは「かきくけこ」
きみどり・古田「観光に行って」、月亭八織「きれいな景色を見て」、大木ひびき「苦労人が多い」、近江のこかじろう「景色がきれい」、野性爆弾・ロッシー「今年もよろしくお願いします」で、ベスビオ火山噴火級の大惨事。大喜利をやるなら、慣れているか、頭の回転の速い人を集めないと無理なようである。
ということで、「忘れて下さい」ということになってしまった。

近江のこかじろう、横木ジョージ、大木ひびき、桂三風による滋賀トーク。
大木ひびきが子供の頃には、彦根市内を馬が歩いていたそうで、国鉄彦根駅の駅舎の一部に馬を繋いでおくところがあったそうである。横木ジョージの生家は、以前は馬を飼っていたそうである。桂三風が子供の頃は草津線はまだSLだったという。
横木ジョージは、若い頃は滋賀銀行に勤めており、奥さんとも滋賀銀行での職場結婚だったという。小学校5年生の時に、ハンカチを使ったマジックを見て、「将来、マジシャンになる」と決めたものの、「安定した仕事に就きなさい」と言われて銀行員へ。しかし、30歳になったら辞めてマジシャンになると決めていたという。横木ジョージは昭和29年生まれで、30歳になった昭和59年はバブルが始まった頃でマジックの仕事も多かったそうだ。ちなみに、マジシャンの場合は、師弟関係ではなく、今でも先生と生徒の間柄になるという。
若い頃の大木ひびきは、彦根駅前にあった「岡部」というラーメン屋を気に入っており、「ここより美味い店はどこにもないだろう」と思っていたが、大阪に出たら岡部より美味しい店はいくらでもあったそうである。
大木ひびきは、最初は歌手に憧れて大阪に出たものの、オーディションにはかすりもしなかった。だが、その帰り道に寄った花月で中田ダイマル・ラケットの漫才を見て、背中に稲妻が走ったかのような衝撃を受け、その場で漫才師になることに決めたそうだ。

ラストは、「琵琶湖モーターレース」。ローラーの付いた可動式の椅子の両面にモーターボートの絵を貼り付け、一人がそれに乗り、一人が押して、コーンの置かれたところを回って戻ってくるというリレーゲーム。全員のタイムが1秒半を切れば成功なのだが、結果は1分56秒。道具もチャチだし、今ひとつ締まらない終わり方となった。


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