« 観劇感想精選(268) 南座発祥四百年 南座新開場記念 當る亥歳「吉例 顔見世興行 東西合同大歌舞伎 二代目松本白鸚 十代目松本幸四郎 八代目市川染五郎襲名披露」夜の部 | トップページ | 同志社大学神学館礼拝堂 「みんなで讃美歌を歌いましょう ―歌う門には福来る―」 »

2018年11月22日 (木)

史の流れに(4) 京都府立京都学・歴彩館展示室 平成30年度「東寺百合文書展」

2018年10月25日 下鴨の京都府立京都学・歴彩館展示室にて

京都府立京都学・歴彩館展示室で、平成30年度「東寺百合文書展」を見る。
その中に、足利義政が長禄3年(1459)11月18日に花の御所に引っ越す際の祝いをどうするかの文書が展示されている。その頃、京の都は飢饉だったそうだが、上の階級は呑気なものである。「寺奉行加賀守に談合あるべく」とあるのだが、この加賀守とは誰だろう?

8年後に応仁の乱が始まるという年である。官職として名乗るならその資格があるのは冨樫氏か斯波氏である。ただ通称の場合はその限りではない。

スタッフに聞いたところ、学芸員の方が来てくれることになった。調べて貰ったところ、通称としての使用で、飯尾清房という人物のようである。残念ながら本保家の主君である冨樫氏ではないことが判明したが、ここで年代的に飯尾彦六左衛門尉と重なることに気づく。ただ関係があるのかはわからないという。

後で調べてみたところ、飯尾彦六左衛門尉の諱は常房もしくは清方というようで名前はよく似ている。渡来系氏族である三善氏の流れが飯尾氏であり、代々事務官僚を務めた家だとされる。一族ではあるようだが二人の関係はよくわからない。飯尾彦六左衛門尉は細川氏の家臣で、飯尾清房は反細川とのことなので、一門ながら対立していた可能性もある。今のところ、書籍に載るレベルの話はWeb上には見つからないのである。

戦国時代には、飯尾氏は現在の浜松に移り、引馬城主となったというから、先日訪れた浜松東照宮(元城町東照宮)のところに拠点を置いていたということになる。

|

« 観劇感想精選(268) 南座発祥四百年 南座新開場記念 當る亥歳「吉例 顔見世興行 東西合同大歌舞伎 二代目松本白鸚 十代目松本幸四郎 八代目市川染五郎襲名披露」夜の部 | トップページ | 同志社大学神学館礼拝堂 「みんなで讃美歌を歌いましょう ―歌う門には福来る―」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 史の流れに(4) 京都府立京都学・歴彩館展示室 平成30年度「東寺百合文書展」:

« 観劇感想精選(268) 南座発祥四百年 南座新開場記念 當る亥歳「吉例 顔見世興行 東西合同大歌舞伎 二代目松本白鸚 十代目松本幸四郎 八代目市川染五郎襲名披露」夜の部 | トップページ | 同志社大学神学館礼拝堂 「みんなで讃美歌を歌いましょう ―歌う門には福来る―」 »