« 2018年10月 | トップページ | 2018年12月 »

2018年11月の32件の記事

2018年11月30日 (金)

コンサートの記(457) 金沢歌劇座 ヴェルディ 歌劇「リゴレット」

2018年11月25日 金沢歌劇座にて

午後2時から、金沢歌劇座でヴェルディの歌劇「リゴレット」を観る。原作はヴィクトル・ユゴーの『王は愉しむ』。鈴木織衛指揮オーケストラ・アンサンブル金沢による演奏。演出は三浦安浩。出演は、青山貴(リゴレット)、森麻季(ジルダ)、アレクサンドル・バディア(マントヴァ公爵)、森雅史(スパラフチーレ)、東園(ひがし・その。ジョヴァンナ)、藤井麻美(ふじい・あさみ。マッダーレナ)、李宗潤(イ・ジョンイン。モンテローネ伯爵)、藤井勇雅(ふじい・ゆうや。マルッロ)、原田幸子(はらだ・さちこ。チェプラーノ伯爵夫人)、近藤洋平(ボルサ)、石川公美(いしかわ・くみ。公爵夫人付きの小姓)、吉田大輝(金沢オペラ合唱団より。チェプラーノ伯爵)、国谷優也(金沢オペラ合唱団より。王宮の随行)。男声合唱は金沢オペラ合唱団、貴婦人達も金沢オペラ合唱団の選抜メンバーが務める。


「リゴレット」は、テノールのアリアである「女心の歌」がとにかく有名な作品。テノールの歌う曲としては一二を争う知名度を誇り、特に日本では藤原義江が十八番としていたことから「最も有名なオペラナンバー」と断言しても構わないほどよく知られている。
オーケストラ・アンサンブル金沢と金沢歌劇座はこれまで、国内のホールとの共同制作によるオペラを毎年上演してきたが、今回は初の金沢独自公演として、今日1回限りの上演を行う。


金沢歌劇座は、以前は金沢観光会館という名前で知られていた建物である。2001年に金沢駅前の石川県立音楽堂が出来るまでは、オーケストラ・アンサンブル金沢はここを本拠地にしていた。2007年に名称が金沢歌劇座に変わっている。
1962年竣工ということで、京都会館(現・ロームシアター京都)の2年後の完成。当時流行っていた扇形の広がりのある内観である。竣工からかなりの歳月が経っているが、内部は改装が行われているようで、それほど古いという印象は受けなかった。
音響であるが、構造からいって2階席の方が1階席よりも音が通るような感じである。ただオペラを上演するには響きすぎるようで音のクリアさは十分でなく、オーケストラ・アンサンブル金沢の演奏にしては濁りが感じられ、声も場面によっては十分に届いて来ない。2階席の出入り口横の席で観たのだが、この席は手すりが視覚の邪魔になり、舞台の一部がよく見えない。こちらも慣れているので、想像力でその欠点を補うことは比較的たやすいが、「この手すりは本当にいるのか?」と疑問に思う構造ではある。


指揮の鈴木織衛は、現在、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の専任指揮者を務めている。東京藝術大学指揮科卒業後、同大学院修了。藝大在学中より、中田喜直の薫陶を受け、中田とのジョイントコンサートでピアニストとしてデビュー。その後、二期会の指揮者やコレペティートゥアとしてキャリアを積み、2010年にOEKの専任指揮者に就任している。


好色家のマントヴァ公爵が、主人公である道化師リゴレットの主として登場する。好色ということで、ドン・ジョヴァンニを連想させる人物であり、老いたモンテローネ伯爵が「ドン・ジョヴァンニ」における騎士団長の役割をなぞっていることも見ていてわかる。ただ「ドン・ジョヴァンニ」とは違って「リゴレット」では好色家は地獄には落ちない。


歌舞伎の戸板を模したような舞台セットが用いられており、場面の転換や「戸板返し」などで効果を発揮する。

照明は、赤、白、緑のイタリアンカラーを基調としたもので、暗さが増すシーンでは不吉な青が用いられる。

もう一つ印象的なのが、キャットウォークから下りてくるゼルダのためのブランコで、これに乗って歌うことによりゼルダの心の揺れと無邪気さが強調され、ラストではその喪失感が見る者の胸に迫るような仕掛けになっている。

第2幕が始まる前に、総合プロデューサーの山田正幸がマイクを持って登場する。何かと思ったら、マントヴァ公爵役のアレクサンドル・バディアが体調不良だそうで、昨夜点滴を受け、今朝も点滴を行ったそうで、山田は代役も考えたそうであるが(ボルサ役の近藤洋平がマントヴァ公爵のアンダースタディとしても入っている)、バディアが「金沢のお客さんのために最後まで頑張る」と言っているため、最後まで任せることにしたそうだ。山田が退場した後で客席が少しざわついた。


バディアは「女心の歌」などでは流石に声の出が悪かったが、全般を通しては体調不良を感じさせない元気な振る舞いを見せた。

タイトルロールを歌う青山貴は、貫禄と安定感のあるリゴレットを聴かせる。

ゼルダ役の森麻季は最初のうちは技術偏重のように感じられたが、伸びのある高音ときめ細やかな声音の変化、そして音程も輪郭も全くぶれない歌唱で世評の高さを納得させる圧倒的存在感を示した。

金沢オペラ合唱団は、オーディションで選ばれたアマチュア団体。ということもあってか、ダンスのシーンなどではキレに欠けたりもしたが、一定の水準に達した歌唱を聴かせる。


ちなみに、第3幕にはヴェルディが作曲技術の限りを尽くした4重唱が登場するのだが、これはロナルド・ハーウッドの本に基づく黒柳徹子主演の舞台「想い出のカルテット~もう一度唄わせて~」のクライマックスで用いられている。「想い出のカルテット~もう一度唄わせて~」の種明かしになるのだが、この4重唱には「嘘」という言葉が繰り返し登場する。


鈴木織衛指揮のOEKも起伏に富んだ音楽作りで聴衆を魅了。オーケストラ、歌手、演出の三拍子が揃い、感動的なオペラ上演となった。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月29日 (木)

コンサートの記(456) ジョン・アクセルロッド指揮 京都市交響楽団第525回定期演奏会

2009年6月7日 京都コンサートホールにて

午後2時30分開演の京都市交響楽団の第525回定期演奏会に接する。指揮は、広上淳一風にいうと外国人の、もっと詳しくいうとアメリカ人の指揮者、ジョン・アクセルロッド。

曲目は、ガーシュウィンのキューバ序曲、リムスキー=コルサコフのスペイン奇想曲、トゥーリナの交響詩「幻想舞曲集」、ラヴェルのスペイン狂詩曲とボレロ。いずれもスペインにゆかりのある音楽である。
アクセルロッドによると、このコンサートのテーマは“Shall We Dance In Kyoto?”とのこと。プレトークで音楽評論家の鴫原眞一がそのことをアクセルロッドに訪ねると、「大好きな日本映画『Shall We ダンス?』から取った」と答えていた。

ガーシュウィンのキューバ序曲は私が大好きな曲。シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団のCDで何回も繰り返し聴いていたことがある。
アクセルロッドと京都市交響楽団のキューバ序曲であるが、やはりリズムが日本人奏者には難しいのか全体的に重めで闊達な感じが出ていない。しかしアクセルロッドの盛り上げ方は巧みで、抜けるような青空が目の前に拡がるような明るい演奏になっていた。
リムスキー=コルサコフのスペイン奇想曲でもリズムは重めだったが、活気溢れる演奏になっていたと思う。

演奏は後半の3曲がより優れていた。
まずトゥーリナの交響詩「幻想舞曲集」。初めて耳にする曲だが、スペインの田舎の光景が想起される穏やかさと華やかさを合わせ持った曲である。3つのパートからなるが、第3曲は日本の現代作曲家の作品を思わせるところがあるのが興味深かった。

ラヴェルのスペイン狂詩曲はゆっくりとしたテンポを採用することで、この曲の妖艶な一面を醸し出すことに成功していたように思う。

そしてボレロ。アクセルロッドは、ラヴェル自身がしていた17分という演奏時間に近いテンポを取る。このテンポで演奏した録音にはアンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団のものがあり、ラストが近づくにつれて魔術的な魅力にとらわれるという蠱惑的な演奏であったが、アクセルロッドと京響の演奏も、そうした独特の魔力を持つものとなった。遅いテンポで歌われる旋律が魅力的であり、それが様々な楽器によって歌い継がれる様は聴く者を惹き付け、終わりを願わない演奏となる。ずっとこの音楽に身を浸していたいと思うのだ。
演奏終了と同時に盛んな拍手と歓声が上がる。やはりボレロという曲は凄い。人を感激させる魅力を持っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンサートの記(455) 第35回ペトロフピアノコンサート―異国の情景― 河合珠江

2017年12月1日 京都芸術センサー講堂にて

午後7時から、京都芸術センター講堂で、第35回ペトロフピアノコンサート-異国の情景-を聴く。元明倫小学校が所蔵しているチェコのペトロフ社のピアノによるコンサート。演奏は河合珠江。

現在は京都芸術センターとなっている明倫小学校出身の日本画家、中村大三郎の屏風絵「ピアノ」(今日弾かれるピアノを描いたものだという)の原寸大のレプリカを制作することを企図してのコンサート。ということで、ピアノの河合珠江は絵に出てくる女性同様、着物を着ての演奏である。

曲目は、前半が、ショパンのワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」とノクターン第2番、リストのペトラルカのソネット第104番、シューマンの「蝶々」と「トロイメライ」。後半は、メシアンの「鳩」、ラヴェルの「悲しい鳥」と「水の戯れ」、松平頼則(まつだいら・よりつね)の「シャボン玉」と「リードⅠ」、ドビュッシーの「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」と「ゴリウォークのケークウォーク」(いずれも『子供の領分』より)、「亜麻色の髪の乙女」、「途絶えたセレナード」、アルベニスの「コルドバ」と「セギディーリャ」(「スペインの歌」より)。

前半は慣れない着物での演奏ということもあったのか、ミスタッチがあったり音型が崩れたりということもあって、後半の方が出来が良い。特にフランスものは河合のピアノスタイルに合っているように感じられた。ちなみに、松平頼則の「シャボン玉」の出だしは、先に弾かれたラヴェルの「水の戯れ」の冒頭を逆さにしたものだそうで、松平のラヴェルに対する愛情が感じられるという。「シャボン玉」はこれまで録音されたことがなかったのだが、河合珠江によって世界初録音が行われたそうで、会場では「シャボン玉」を収めたCDも販売されていた。

ペトロフのピアノは、まろやかな音で奏でられる。講堂ということもあって、響きはそれほど良くないが、「明倫小学校時代に、ここで奏でられ続けたのだ」という歴史が感じられる演奏会であった。
前回、河合珠江のピアノを聴いたのは、「妖怪」をテーマにした音楽会であり、その時、河合は猫娘の格好をしていた。今回は着物ということで、普通のピアニストがしない格好での演奏を聴くことが続いている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月28日 (水)

コンサートの記(454) 細野晴臣コンサートツアー京都公演@ロームシアター京都サウスホール

2018年11月22日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後7時から、ロームシアター京都サウスホールで、細野晴臣コンサートツアー京都公演を聴く。
チケットを買うのが2日ほど遅れたので、2階席の2列目下手端の席で聴くことになった。

細野晴臣は京都精華大学の客員教授であり、京都に拠点を持っている。

今日は、現在レコーディングを進めているという「HOSONO HOUSE」のリブート盤の曲を中心に行う。

メンバーが登場し、細野晴臣が最後に現れたのは良いのだが、タブレットがフリーズしてしまい、スタートが少し遅れて笑いが起こる。

英語歌詞の2曲でスタート。細野は、「僕は今、レコーディングを行っていて、えらい目に遭ってます。締め切りに追われる」と語り、「HOSONO HOUSE」をリブートすることについては、「若い人が聴いていて、『今の技術で録ったらいいんじゃないか』と言われた」からだそうである。
その後、スタンダードナンバーでもある「北京ダック」が歌われる。二十代前半の細野はラテンが好きだったそうで、「ラテンバンドにしようかと思ったんですが、そうも行かないでしょ? ブギも好きだし、何でもやる」。そして「北京ダック」に関しては、「二十代の男の書く曲ってのは難しい。ひねくれてる。今はこういう曲、好きじゃない」と語る。
その後、昨日配信シングルがリリースされたばかりの「薔薇と野獣」(ニューバージョン)、「住所不定無職低収入」、「冬越え」などが歌われる。「冬越え」は歌い出しで声が上手く出ず、「もう一度やろうか」と言って歌い直しになったが、ライブで歌うのは初めてだそうである。はっぴいえんど解散後すぐの曲なのだが、はっぴいえんどは「ライブが下手」という定評があったため、その近辺の時代の曲はライブでは余りやっていないらしい。はっぴいえんどのメンバーは「凄く上手い」のだが、「練習をしない」ためライブでは散々だったらしい。ただ、レコーディングでは万全の仕上がりを見せたそうだ。

73年にリリースの「HOSONO HOUSE」を今レコーディングしていることについて、「70年代の曲を今の機材を使って録音すると80年代の曲に聞こえるということを発見しました」と細野は語る。その理由について「メロディーがある。今の曲はメロディーないでしょ」ということで、メロディーが追求された時代は80年代で終わったということが示唆される。細野は生演奏にこだわってきたのだが、その間に時代は打ち込み中心へと移行してしまい、細野は取り残された格好になったそうだ。今は細野も打ち込みで作っているのだが、今のアルバム制作中にマックのパソコンの新しいものにしたりと色々変更があったため、作業が遅れているそうである。

「僕も今年で71です。もうリタイアの歳。後は若い人達に任せて(と後ろを振り返り)、若いったって(それほどでもないけど)」と細野は語る。確かにテレビで見ると細野は喋り方も遅くなっているし、すっかりお爺ちゃんだが、こうして生で見ると実年齢より若く感じられる。

細野さんの煙草休憩というものがあり、その間は、伊藤大地(ドラムス)と野村卓史(キーボード)のグッドラックヘイワによるルロイ・アンダーソンの「タイプライター」の演奏と、高田漣の「ハローフジヤマ」で繋ぐ。

本編最後の曲は、「The House of Blue Light」のカバー。その後、アンコールとして2曲が歌われる。
細野さんが最後に「良いお年を」と言ってコンサートはお開きとなった。ビンテージな味わいがあり、今はほぼ死語だが、「いかす!」という言葉がよく似合うライブであった。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月27日 (火)

コンサートの記(453) 小松長生指揮 関西フィルハーモニー管弦楽団第211回定期演奏会

2009年5月21日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、関西フィルハーモニー管弦楽団の第211回定期演奏会を聴く。上からのお達しで(注・前日に東京と川崎で新型インフルエンザの感染が報告されたため)、ホールスタッフは全員マスク着用、聴衆もマスク姿が目立つという中でのコンサート。さすがに楽団員はマスクはつけていない。というより管楽器奏者はマスクはつけられない。

今日の指揮者は小松長生。関西フィルの指揮台には久々の登場とのことだが、以前は関西フィルの正指揮者をしていたこともある。東京大学で美学を学んだ後、イーストマン音楽院で指揮法を勉強したという異色の経歴の持ち主。現在はコスタリカ国立交響楽団の芸術監督の座にある。コスタリカ国立交響楽団に着任早々、現地で路上強盗に遭ったことが話題になったりもした。

「オリエンタリズム」と題された今日のコンサート。プログラムは、今年が生誕100年となる夭逝の作曲家、貴志康一の大管弦楽のための「日本組曲」から“春雨”“祈り”“道頓堀”、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調(ピアノ独奏:河村尚子)、バルトークの「中国の不思議な役人」組曲、コダーイのガランタ舞曲。

日本人として初めてベルリン・フィルを指揮した人物としても知られる貴志康一は、1909年、大阪府吹田市に生まれ、兵庫県芦屋市で育った作曲家。神戸の甲南高等学校(旧制)を中退してヨーロッパに渡り、ジュネーブ音楽院とベルリン音楽院でヴァイオリンと作曲、指揮法を学んでいる。ヨーロッパでの作曲、指揮活動を行った後、帰国し、日本での活動をスタートさせるが、帰国から2年後の1937年、心臓麻痺により28歳の若さで他界している。
大管弦楽のための「日本組曲」は、1935年、貴志康一の「帰朝記念作品発表音楽会」で初演された作品。いかにも日本的なメロディーと東洋的な雰囲気に満ちた楽しい曲だ。ただ、この手の曲はどうしてもテレビドラマの音楽に聞こえてしまうのが難点。

ラヴェルのピアノ協奏曲のソリスト、河村尚子は、1981年、西宮市生まれの若手ピアニスト。父親の仕事の都合で、5歳の時にドイツ・デュッセルドルフに渡り、その後ずっとドイツで音楽教育を受けた。現在はハノーファー音楽芸術大学のソリスト課程に在学中。いつも楽しそうに演奏するピアニストである。
薄いオレンジ色のドレスで登場した河村は、立ち振る舞いがこれまでより堂々としている。自信をつけてきたのだろう。
今日は私は3階席のレフト側に座ったので河村の表情は見えなかったが、オーケストラだけの部分では首を振りながら音楽に浸っている河村は今日も楽しそうであった。
河村の技巧は凄い。ピアノを弾いている手を見ていると、人間業とは思えないほどだ。第1楽章、第3楽章の冴えはこれ以上を望めないほどである。
第2楽章のような緩徐楽章では、もっと洒落た表情をつけても良かった。とはいえ、まだ20代。これだけ弾ければ十分だろう。

バルトークの「中国の不思議な役人」組曲は同名のバレエ音楽をコンサート用組曲にまとめたもの。バレエの方は売春をテーマとした作品であり、非道徳的であるとして、1日で上演が打ち切られたという曰く付きの作品である。スラム街を舞台とした作品だけに、おどろおどろしい音楽となっている。
小松長生はスナップを利かせて指揮棒をブンブン振る。動きにキレがあり、オーケストラコントロールも抜群だ。
なお、演奏途中、小松の指揮棒が手から離れて後ろの客席に飛んでいくというシーンがあった。こうしたハプニングはそう珍しいことではないようで、本などにはよく書かれているが、私は生で見るのは初めて。指揮棒をなくした小松は、しばらくノンタクトで振ってから予備の指揮棒を取り出して指揮を続けた。
関西フィルは弦の音がやや鈍いが、それでも健闘した方だと思う。

コダーイのガランタ舞曲もノリの良い演奏で、オーケストラを聴く醍醐味を十分に味わわせてくれた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

相愛サクソフォンアンサンブル 「恩徳讃」旧譜~新譜


如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし

愚禿釈親鸞

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「シェルタリング・スカイ」テーマ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月26日 (月)

観劇感想精選(269) こまつ座第124回公演「母と暮せば」

2018年11月17日 びわ湖ホール中ホールにて観劇

午後2時から、びわ湖ホール中ホールで、こまつ座第124回公演「母と暮せば」を観る。山田洋次監督の同名映画の舞台化。原案:井上ひさし、作:畑澤聖悟(はたさわ・せいご)、演出:栗山民也。出演:富田靖子、松下洸平。

上演時間約80分の一幕もの二人芝居。舞台転換、休憩共になしである。


1948年8月9日の長崎。助産婦をしている母・伸子(富田靖子)が食事をしていると、亡くなったはずの息子・浩二(松下洸平)が現れる。幽霊と知りながら息子に接する母は、浦上にある官立長崎医科大学に通っていた息子の最期の様子などを知る。実は母は助産婦を辞めていた。その理由を息子に言い当てられ……。

戦争の悲惨さと、原子爆弾の残虐さを照射する作品である。戦争が終わり、長崎にやって来た米兵達は、被爆者を標本としてしか扱わず、自らの行いを虐殺とは思っていない。クリスチャンである信子は、原爆を運命だと受け入れようとするシスター達に反発を覚える。

世界から取り残されつつある母親に寄り添う息子、そして生きることと、生を司る助産婦として命のバトンを受け継ぐことを決意する母親の姿に心温まるものや清々しさを感じるのだが、「その後」を想像するとやりきれない思いも感じる(映画とはラストが異なる)。
長崎で起こったことを風化させないという意思が感じられる物語であり、被害者であるにも関わらず虐げられる被爆者達が、キリシタンの姿と重ね合わされ(親子は「耶蘇はおくんちにも精霊流しにも出るな!」と差別された経験があるそうだ)、人間の業を告発する。
そんな中にあって、母親役の富田靖子の声や雰囲気の温かさに心が和らいだ。


本編上演後にポストパフォーマンストークがある。出演は、こまつ座代表の井上麻矢(井上ひさしの三女)、富田靖子、松下洸平の3人。東京ではアフタートークという名称だったそうでで、松下は「パフォーマンスって、なんか踊ったり歌ったりしなきゃいけないみたい」と言っていた。

松下は琵琶湖を見るのは今回が初めてとなるそうで、大津港に大噴水があり、夜にはライトアップされている姿を見て「シンガポールみたい」と思ったそうである。
富田靖子は、舞台出演が7年ぶりということで、「次に舞台の仕事が来たらどんな舞台でも受けよう」と思っていたそうだ。
実は、前の公演からびわ湖ホール公演まで2週間開いたそうで、母と息子が久しぶりに会うという設定にピッタリだったのだが、松下は気がせいて、登場シーンから一気に語りかけてしまい、今回の上演が今までの最短上演記録となったそうだ。
松下は富田の第一印象について、「話しかけやすそう」と感じたそうだが、富田もそれは自覚しているそうで、よく道を聞かれるらしい。
富田は「母と暮せば」の物語について、「どうぞしっかり受け取って下さい」と観客に訴えかけていた。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月24日 (土)

2346月日(5) レクチャー「ポーランド演劇の歴史と現在~独立回復から100年」

2018年11月12日 ロームシアター京都パークプラザ会議室2にて

午後7時から、ロームシアター京都のパークプラザ会議室2で行われるレクチャー「ポーランド演劇の歴史と現在~独立回復から100年」に参加する。

芸術大国として知られるポーランド。音楽ではショパンを始め、現代音楽の両巨頭であるクシシュトフ・ペンデレツキとヴィトルト・ルトスワフスキ、「悲歌のシンフォニー」で知られるヘンリク=ミコワイ・グレツキ、指揮者のスタニスラフ・スクロヴァチェフスキにピアニストのアルトゥール・ルービンシュタイン、クリスティアン・ツィメルマン、ピアニストから首相にまでなったイグナツィ・パデレフスキという異色の人までいる。映画ではアンジェイ・ワイダ(「和井田」と変換されたがどなたですか?)、ロマン・ポランスキー、クシシュトフ・キィシェロフスキ、画家にモイズ・キスリング、ズジスワフ・ベクシンスキーなど、大物が多数輩出している。
団体としても、ポーランド国立ワルシャワ室内歌劇やワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団などがたびたび来日公演を行っており、なじみ深い国の一つである。

旧東側の国であり、往事は国内情勢などはなかなか伝わってこなかったが、近年では交流が活発になりつつある。

昨日、2018年11月11日がポーランド独立100年に当たるということで、ポーランド関連のイベントが国内でもいくつか行われている。


登壇者は、クラクフのヤギェウォ大学舞台芸術学部教授のダリウス・コシニスキと、俳優で演出家でプロデューサー業もこなすフィリップ・フロントチャクの二人。通訳はパヴェウ・パフチャレクが務める。パフチャレクは舞台関係にそれほど通じているわけではないようで、訳された日本語をこちらで脳内解析する必要がある。ちなみにエスペラントの生みの親であるザメンホフはポーランド出身の眼科医であるが、英語の文法が簡単なことに驚いて(日本人にしてみれば英語の文法も十分難しいが)エスペラントを作り始めたというから、ポーランド語というのはかなり複雑な言語のようである。


本当は作品作りの哲学のようなものを知りたかったのだが、今回はポーランド演劇史の概要と、補助金と劇場の現状が中心に語られる。


ダリウス・コシニスキの話。コシニスキの所属するヤギェウォ大学があるクラクフはポーランドの古都であり、「ポーランドの京都」によく例えられる街である。

独立前の分断統治時代はポーランド語による演劇の上演さえほぼ不可能だったというが、独立後はロマン主義の演劇と近代演劇のミックスされたものが主に上演されていたという。Leon Schiller演出によるシェイクスピアの「冬物語」の写真がプロジェクターを使って映し出されるが、キュビズムの影響を受けたセットに古典的様式を確保した上での上演だったそうである。「冬物語」にキュビズムは合わないような気がするのだが、そういう時代もあったということである。

モニュメンタル劇場が開設されてからは、ロマン主義を脱した新時代の演劇が指向されるようになり、その後、前衛劇の台頭があって、1933年にはワルシャワのzeromskeシアターが前衛の拠点となる。戦中はロマン主義よりもアバンギャルドが優位となったそうで、日本でも知られているタデウシュ・カントルなどが生まれる下地となった。ポーランドの前衛演劇を代表する人物にもう一人、ユージー・グロトフスキがいる。
カントルは、貧乏劇場を創設し、「世界と人間の関係の追求」を行っている。

その次の世代を代表するのがクリスティアン・ルーパ。ルーパはカントルの影響を強く受けているが、グロトフスキとは不仲で手厳しく批判したりもしているそうだ。ニーチェの「ツァラトゥストラ」を舞台化したり、マリリン・モンローを題材にした作品と作るなど、後進への影響力大だったようだ。
その下が今の若者達の世代になるのだが、彼らはポップカルチャーや映画のモンタージュ理論を取り込んだ新しい作品に取り組んでいるという。

ポーランドではシェイクスピア作品の上演も盛んなようで、ワリコフスキ演出の「ハムレット」の上演写真などが紹介される。一方で、サラ・ケインなども高く評価されているようで、幅が広い。

最も新しい演劇では政治問題も盛んに盛り込まれており、ヤン・クラタ、マヤ・クレチェフスカなどが代表格だという。クレチェフスカは恐怖を題材にした演劇を得意としているそうだ。
その他では、カバチェフスキの「ハムレット」の換骨奪胎作品が高く評価されたという。シェイクスピアの原典ではなく、「ハムレット」について書かれたテキストを編み込んでの上演だったという。

また、音楽を積極的に取り入れているのも特徴で、クラシックのみならずロックやポップス、コンテンポラリーダンスの要素なども取り入れている。

Michal Starkiewiczの「Come True」はステージ上が無人で、声のみを頼りとする演劇であり、評判になったそうだ。


休憩を挟んで、フィリップ・フロントチャクの話。ポーランドの劇場史が中心である。

1982年に、ポーランド政府によって「全ての劇場は国立とする」という決定がなされ、演目も政府が決定し、インディペンデント系の上演が極めて困難になったという。劇場はプロパガンダの場所となり、そのため経済的には潤沢で、大量採用を行っていたそうだ。その分、自由にものは言えず、比喩的手法に留まっていたという。俳優や劇場関係者のステイタスは高く、自由がない代わりに生活は豊かだったそうだ。
1989年に民主化がなされ、劇場にも変化が訪れる。政治利用の場所でなくなった劇場は表現の自由を得たが、政府の後ろ盾がなくなったため、観客動員は下降線となる。

1989年には、ポーランドにある劇場は全て国立だったが、その後数年で、州立、県立、市立、地方立のものが圧倒的となり、国立劇場は全体の3%にまで減った。文化への寄付も減る。共産時代は文化大臣による一括助成というシステムだったが、助成のシステムが多様化した。

ポーランドは旧東側であるため、芸術家になるのも認定制度であり、1989年以前は、国立の演劇映画学校が4つ(ウッチ映画大学など)、美術学校(ウッチ美術アカデミーなど)と音楽院(ショパン音楽院など)が共に9つ、高等バレエ学校が5つという体制であった。昔は大量採用を行っていたため、卒業後は多くの学生が芸術関係の職に就くことが出来たが、今はそうではないという。定員や卒業生の数はさほど変わっていないので、オフシアターに流れたり、新たに創設したりする人もいるようだ。

助成金に関してはEUから最も多く貰っており、その他にノルウェー、アイスランド、リヒテンシュタイン、オーストリア、ハンガリーからの助成、LOTOによる資金などもあるという。
政府からのものとしては、文化省大臣からのもの、文化省プログラムに基づく劇場からのもの、国立文化センターからのものなどがあり、地方からの助成金、各州の名誉基金、国際基金、私的基金、クラウドファンディングなども利用されているという。ちなみにフロントチャクは、アダム・ミツキェビッチ大学芸術学部の基金を利用して来日したという。
芸術の高等教育を受けた若者達の多くが基金を受けて仕事を探すそうである。

その後、芸術関連の様々なプログラムの写真が投影される。ポーランド独立100周年プログラムも勿論あり、子ども向け、若者向け、実験演劇など様々な試みがある。

その他に、女優のクリスティーナ・ヤンダが所有する劇場では、前衛演劇が盛んに行われており、政府の援助が受けられたなかった人々も非正規の団体を組織して地方を中心に活動しているようである。

また、マルタ・フェスティバルという演劇祭があり、「街のアカデミー」という名のワークショップやコンサート、パペット人形劇の上演などが行われているそうだ。

現在、ポーランドには支援を受けて運営されている劇場が309あり、674のNGOシアターがある。私立が117劇場と最も多く、次いで多いのが市立の70劇場。国立は現在は3劇場しかない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月23日 (金)

コンサートの記(452) アレクサンドル・ラザレフ指揮 京都市交響楽団第629回定期演奏会

2018年11月18日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第629回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はアレクサンドル・ラザレフ。

若い頃は、「ロシアのカルロス・クライバー」という異名でも知られたアレクサンドル・ラザレフ。モスクワ音楽院を首席で卒業後の1971年にソ連国際指揮者コンクールで1位を獲得。更に翌年のカラヤン指揮者コンクールでも1位に輝き、ゴールドメダルも受章。ボリショイ劇場の首席指揮者兼芸術監督として名声を高めるが、日本でラザレフが高く評価されることになったのはやはり、2008年に日本フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者に就任してからであろう。日フィルとはロシアの作曲家の交響曲シリーズを立て続けに行って大好評を博し、ラザレフと日フィルは「名コンビ」と謳われた。日フィルの首席指揮者を8年間に渡って務め、現在は同楽団の桂冠指揮者兼音楽顧問となっている。


曲目は、グラズノフのバレエ音楽「四季」全曲とボロディンの交響曲第2番というロシア・プログラム。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。今日はヴィオラ首席に店村眞積が入る。普段はオーボエ首席の髙山郁子は前後半共に登場するのだが、今回は木管の首席は後半のボロディンのみの登場である。チェレスタ&ピアニーノは佐竹裕介。


プレトークでラザレフは、グラズノフとボロディンについて解説を行う(通訳:小賀明子)。グラズノフはペテルブルク音楽院の教師として多くの後進を育てており、交響曲も8曲作曲(完成したのは7曲)。「四季」はストーリーのないバレエの音楽として委嘱されており、ロシアらしく冬に始まって秋に終わるという順番を辿る。
ロシア五人組の一人として知られるボロディンは、本業は化学者であり、作曲に多くの時間を費やすことは出来なかったが、同い年であるブラームス同様、無駄な音を1音も書かなかったとラザレフは高く評価する。交響曲第2番を「秀作」と断言した。
最後にラザレフは、「これから演奏がありますので帰らないようお願いします」と冗談を言っていた。


グラズノフのバレエ音楽「四季」全曲。慣習的にカットされることが多い場面も今回は全て音に変えて送る。
冒頭からヒンヤリとしてブリリアントな弦楽の響きが耳を引く。ロシア人指揮者は日本のオーケストラと相性が良いことが多いが、ラザレフもやはりその例に漏れないようだ。
力強い金木管の響きと自在に変化する全体の音色による、音の魔術が繰り広げられる。
ラザレフは時に聴衆の方に向き直って指揮するなど、独特の仕草を見せ、視覚面でも人々を別世界へと誘う。
広上のトレーニングにより、日本でも屈指の器用なオーケストラへと変貌した京都市交響楽団。今日もロシア音楽に相応しい響きを出し、ラザレフの指示に応える。

演奏終了後、ラザレフは「もっとオーケストラを称えるように」という仕草を客席に向かってする。


ボロディンの交響曲第2番。
グラズノフの時とは打って変わり、低弦を強調した重厚な響きを京響は奏でる。重戦車の歩みのような迫力であり、エフゲニー・スヴェトラーノフが指揮した時のNHK交響楽団の響きを思い出した。
関西ナンバーワンと断言しても構わない強力な金管群がものを言い、京都コンサートホールを揺るがすかのような巨大な音響が築かれる。これまで国内外のオーケストラの実演には多く接して来たが、ここまでスケールの大きな演奏にはそうそうお目にかかれるものではない。
とはいえ、第3楽章など抒情的な部分の表現力も高く、力で押すだけのタイプではないこともわかる。

ボロディンにしろグラズノフにしろ、余り実演で聴く機会のない曲であるが、十二分に満足させる快演となった。
これまでに接してきた京都市交響楽団の定期演奏会の中でも、今日の出来はかなり上位にランクすると思われる。

演奏終了後、ラザレフはサイド席やポディウム席の聴衆に投げキッスを送り、ガッツポーズも見せたのだが、常に京都市交響楽団の楽団員を先に称える仕草を見せ、気配り上手であることもうかがえた。
「リハーサルが厳格」といわれるラザレフだが、ロシア人指揮者に多い独裁者タイプではないようだ。


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンサートの記(451) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会Ⅳ」

2018年11月15日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団による「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会 Ⅳ」を聴く。今日演奏されるのは、交響曲第8番と第7番。

今日のコンサートマスターは、須山暢大。大フィルの基本ポジションであるドイツ式現代配置での演奏。第1ヴァイオリン16型という大編成である。ちなみに第2ヴァイオリンは客演5名を含めて今日も全員が女性となった。

交響曲第8番。ベートーヴェン自身が出来に自信を持っていた曲であるが、世間的な人気はベートーヴェンの交響曲の中でも下の方となっている。全編を通して明るい曲調であり、洒落っ気にも満ちている。

ピリオド・アプローチを援用した演奏で、弦のノンビブラートと独特のボウイングが確認出来る。ただ大編成であるため音が痩せることはなく、輝かしくも重厚というベートーヴェンに似つかわしい音が奏でられる。

尾高と大フィルは「等身大」という言葉がピッタリくる演奏。大風呂敷を広げることなく誠実な再現芸術が展開される。音色が明るいため、躍動感も生き生きと伝わってくる。もっと野性味があっても良いと思うが、これが尾高のスタイルなのだろう。


交響曲第7番。ベートーヴェンの交響曲の中で、初演時から今に至るまで一貫して高い評価を受けているという珍しい作品である。リズムを強調した、当時として斬新な曲想なのだが、一聴して「血湧き肉躍る」という言葉が浮かぶ作品であるため、受け入れられやすかったのだろう。

大フィルは金管パートがやや弱いが、弦の力強さがそれを補って余りあるだけの魅力となる。リズムを特に強調はしていないが、キレ味は鋭く、全楽章を通して端正なフィルムが耳を奪う。硬めの音によるティンパニの強打も効果的で、幅広い客層に訴えかける演奏になっていたと思う。

最後は尾高が指揮台の上から「あと1曲、お聴き下さい」と語ってお開きとなった。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月22日 (木)

同志社大学神学館礼拝堂 「みんなで讃美歌を歌いましょう ―歌う門には福来る―」

2018年11月13日 同志社大学今出川校地神学館礼拝堂にて

午後6時15分から、上洛している母を連れて、同志社大学神学部神学館礼拝堂で、「みんなで讃美歌を歌いましょう ―歌う門には福来る―」に参加する。事前申し込み不要無料である。歌う讃美歌は事前に行われたインターネット投票の上位5曲と「讃美歌を歌う会」が選んだ5曲の計10曲。同志社学生聖歌隊がその他に3曲を歌う。

曲目は、「ガラリヤの風かおる丘で」、「球根の中には」、「あら野のはてに」、「くすしきみ恵み(Amazing Grace)」、「いつくしみ深い」。同志社学生聖歌隊と木原活信のギターと金松美(キム・ソンミ)のフルートによる「主われを愛す」、「いつくしみ深き」、「ホザナ」の3曲を挟み、「ああ主のひとみ」、「まきびとひつじを」、「真実に清く生きたい」、「聞け、愛と真理の」、「主の招く声が」

神学館礼拝堂は普段は授業で使われており、一般人が入ることは出来ないが、今回は開放される。
この催しは、同志社女子大学で行われたジェイ・ルービンの講演会の前に、同志社大学の生協にノートを買いに行った時にたまたま掲示で見つけたものなのだが、その時の売り文句が「礼拝堂に入るチャンスです」だった。


前奏と後奏としてパイプオルガンの演奏がある。礼拝堂内部は、中央に演台があり、天井から茨の冠が下りている。向かって左手にパイプオルガンがあり、右手には肖像画が掛かっている。演台の背後はステンドグラスになっている。


実のところ、この10曲のうち、歌ったことがあるのは2曲だけ。歌ったことはないが知っているのも2曲だけ、他は聞いたこともない歌である。ただ、『讃美歌集21』(21は21世紀という意味らしい)というものが椅子の背後の部分に入っており、歌詞と五線譜が載っているのでなんとかメロディーもわかる。
「Amazing Grace」は英語版では聴いたり歌ったりしたことがあるが、日本語版は存在を知ることすら初めてである。クリスマスに歌う「あれ野のはてに」と「いつくしみ深い」は教会で歌ったことある。「まきびとひつじを」はCMでも流れているクリスマスソングであるが、歌うのは今日が初となる。
ちなみに「いつくしみ深い」は、『讃美歌21』に入っていて口語調、同志社学生聖歌隊が歌う「いつくしみ深き」は、『讃美歌20』に収められていて文語調の歌詞である。

讃美歌の解説を受けてから、全員で歌うのだが、一体感と高揚感があってなかなか良い。キリスト教が音楽の力で広まったということがよくわかる夜であった。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

史の流れに(4) 京都府立京都学・歴彩館展示室 平成30年度「東寺百合文書展」

2018年10月25日 下鴨の京都府立京都学・歴彩館展示室にて

京都府立京都学・歴彩館展示室で、平成30年度「東寺百合文書展」を見る。
その中に、足利義政が長禄3年(1459)11月18日に花の御所に引っ越す際の祝いをどうするかの文書が展示されている。その頃、京の都は飢饉だったそうだが、上の階級は呑気なものである。「寺奉行加賀守に談合あるべく」とあるのだが、この加賀守とは誰だろう?

8年後に応仁の乱が始まるという年である。官職として名乗るならその資格があるのは冨樫氏か斯波氏である。ただ通称の場合はその限りではない。

スタッフに聞いたところ、学芸員の方が来てくれることになった。調べて貰ったところ、通称としての使用で、飯尾清房という人物のようである。残念ながら本保家の主君である冨樫氏ではないことが判明したが、ここで年代的に飯尾彦六左衛門尉と重なることに気づく。ただ関係があるのかはわからないという。

後で調べてみたところ、飯尾彦六左衛門尉の諱は常房もしくは清方というようで名前はよく似ている。渡来系氏族である三善氏の流れが飯尾氏であり、代々事務官僚を務めた家だとされる。一族ではあるようだが二人の関係はよくわからない。飯尾彦六左衛門尉は細川氏の家臣で、飯尾清房は反細川とのことなので、一門ながら対立していた可能性もある。今のところ、書籍に載るレベルの話はWeb上には見つからないのである。

戦国時代には、飯尾氏は現在の浜松に移り、引馬城主となったというから、先日訪れた浜松東照宮(元城町東照宮)のところに拠点を置いていたということになる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月21日 (水)

観劇感想精選(268) 南座発祥四百年 南座新開場記念 當る亥歳「吉例 顔見世興行 東西合同大歌舞伎 二代目松本白鸚 十代目松本幸四郎 八代目市川染五郎襲名披露」夜の部

2018年11月11日 京都四條南座にて観劇

午後4時30分から、新装なった京都四條南座で、南座發祥四百年新開場記念「當る亥歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎 二代目松本白鸚 十代目松本幸四郎 八代目市川染五郎襲名披露」夜の部を観る。

耐震対策工事のため閉鎖されていた南座の新規オープン公演であり、今年は特別に2ヶ月続けて顔見世公演が行われる。11月の顔見世は、高麗屋3代の襲名披露公演でもある。

工事を終えてから初めて入る南座であるが、内装はいうほど変化はなし。椅子は替えたようだが、いうほど大きくなっておらず、少なくとも3階席は前後の座席間も詰まったままで、エコノミークラス症候群を避けるために幕間に歩いて血の巡りを良くする必要がある。
トイレはかなり綺麗になったが、それ以外は余り代わり映えしておらず、幕間には「がっかり」という声も聞こえてきた。「特別席も悪くなった」という話をしている人もいる。


演目は、「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」、「勧進帳」、「雁(かり)のたより」。「寿曽我対面」と「勧進帳」の間に、高麗屋3代の襲名披露口上が設けられている。


「寿曽我対面」。江戸歌舞伎では、毎年正月に曽我狂言を行っていたことから選ばれた縁起の良い演目(寿狂言)である。纏めたのは河竹黙阿弥。
出演は、片岡仁左衛門(松嶋屋)、片岡孝太郎(松嶋屋)、片岡愛之助(松嶋屋)、上村吉弥(美吉屋)、中村壱太郎(かずたろう。成駒屋)、中村亀鶴(八幡屋)、澤村宗之助(紀伊国屋)、片岡秀太郎(松嶋屋)ほか。

工藤左衛門祐経(仁左衛門)の屋敷が舞台ということで、工藤氏の定紋として知られる庵木工の家紋が背景の金箔の中に鏤められている。
源頼朝に味方して出世と遂げた工藤祐経に館に、宿敵だった河津三郎祐康の子である曽我十郎祐成(孝太郎)と曽我五郎時致(愛之助)の兄弟が対面を願い出てくる。

時致に扮した愛之助がかなりの外連を用いているのが印象的である。先日、びわ湖ホールで観た時とは違い、祝祭の場であるということを意識しているのだろう。


高麗屋3代による襲名披露口上。坂田藤十郎(山城屋)と片岡仁左衛門が引き立てを行う。
松本白鸚は2代目であるが、初代は南座の舞台に立ったことはなく、「松本白鸚」のまねきが上がるのは、今回が史上初となるそうである。
2代目白鸚は、67年前に南座でフィルムに収めるための上演に参加したそうだが、「流石にその時の演目を観たことがあるという方はこの場にいらっしゃらないと思います」と述べる。
松本幸四郎に関しては、仁左衛門が6年前の奈落墜落事故からの復活を称える紹介を行った。
市川染五郎は14歳ということで中学生なのだが、幸四郎が「学校を1ヶ月休んだ」ことを明かし、染五郎は、「(この後の『勧進帳』の義経役を)人生最大の緊張で」誠心誠意演じることを誓った。


「勧進帳」。歌舞伎の演目の中で一二を争う有名作である。
出演は、松本幸四郎(高麗屋)、市川染五郎(高麗屋)、大谷友右衛門(明石屋)、高麗蔵(高麗屋)、澤村宗之助、松本錦吾(高麗屋)、松本白鸚(高麗屋)。

加賀国安宅の関を舞台に、関守である富樫左衛門(白鸚)と東大寺大仏再興のための勧進を行う山伏に扮した武蔵坊弁慶(幸四郎)の丁々発止のやり取りが見物である。
すでに源義経(染五郎)と弁慶らの一行が山伏に扮しているという情報を富樫は得ており、何人もの山伏が処刑されている。
弁慶らが現れた時点で、富樫は怪しいと睨んでいるはずだが、弁慶の振る舞いの見事さに打たれて通すことに決める。
剛の者である弁慶と戦の天才義経をもってすれば、関を押し通ることも可能なはずで、それが武士の本道なのだが、その場合は鎌倉方に北陸路を行っているという情報が漏れてしまうため、技芸を持って堂々と通るという、ある意味、歌舞伎役者の姿そのものを描いている筋立てとなっている。弁慶は比叡山で修行したこともあるため、白紙の勧進帳読み上げや、山伏の装束や仏法に関する知識もあり、その場での思いつきではなく積み上げてきたものを披露しているという点でも伝統芸能的である。

染五郎は若いということもあり、役が体に染み込んでいない。14歳で大当たりを取ったら史上最高の天才レベルなので、これはこれで良い。
幸四郎の弁慶も「見事」と言える水準ではあるのだが、父親に比べるとまだまだである。白鸚の富樫は「見られるだけで嬉しい」類いのものである。


「雁のたより」。上方狂言である。出演は、中村鴈治郎(成駒屋)、中村亀鶴、中村壱太郎、片岡秀太郎、中村寿治郎(成駒屋)、松本幸四郎、片岡市蔵(松嶋屋)ほか。

有馬温泉が舞台である。さる大名の若殿である前野佐司馬(亀鶴)は、元新橋の傾城で今は側室としている司(壱太郎)を伴っているのだが、司は佐司馬につれない態度を取る。佐司馬は、司に「気に入った者に盃を差すよう」言うのだが、司は裏町にある髪結の三二五郎七(鴈治郎)に盃を与えたいと言い出し……。

三二五郎七の一人語りが役者の腕の見せ所である。一人語りは現代劇では「リアルでない」として避けられる傾向にあるのだが、伝統芸能の一場で役者が魅せるものと考えれば悪くはない。
ラストはとってつけたようなもので、これまでの過程から考えても不自然に思われるのだが、「理屈となんとかはどこにでもつく」ため、それも三二五郎七の演技の一つだったと考えることも出来る。あくまで「出来る」であって、現代人の目にはご都合主義に映るのは確かである。
面白いのはむしろ、鴈治郎と幸四郎のやり取りで、互いを贔屓の役者として褒め合うシーンなどは存分に笑うことが出来る。

夜の部は演目的はさほど魅力的ではなかったといえるだろう。勿論、役者は粒ぞろいなので、そこは見応え十分である。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月19日 (月)

観劇感想精選(267) 「野村万作・野村萬斎狂言公演『舟渡聟』『小傘』」@びわ湖ホール

2018年11月10日 びわ湖ホール中ホールにて観劇

午後5時から、びわ湖ホール中ホールで「野村万作・野村萬斎狂言公演 『舟渡聟(ふなわたしむこ)』 『小傘(こがらかさ)』」夜の部を観る。

野村万作と萬斎の親子がびわ湖ホールで毎年行っている狂言公演。今回は萬斎の長男である野村裕基(ゆうき)が参加し、三世代揃い踏みとなる。


舞台の上に背面が松の木の能舞台が再現されている。午後5時を過ぎると野村萬斎が一人で登場し、初心者でもわかるようにとプレトークを行う。萬斎が「ありがたいことに。びわ湖ホールがオープンしてから毎年来させて頂いております。ひょっとして毎回来ているという方いらっしゃいますか?」と聞くと手を挙げる猛者がいた。


まず、能舞台の紹介を行った(「こちらが橋懸りというものでして、こちらがミニステージのようなもの。“Bridge and Mini Stage.”、英語で言っただけです何も変わりません」)後で「舟渡聟」の解説。大津が舞台の曲であり、他の狂言では「この辺りに住まいいたす者でござる」というのが一般的だが、この曲では「これは矢橋の浦に住まいいたす船乗りでござる」と具体的な自己紹介を行うのが特徴である。ちなみに萬斎は、「この8月には北京で、9月にはパリで『この辺りに住まいいたす者でござる』と言ってのけた」そうである。
その他に、「狂言で座っている人は無視していい」などの約束事を解説する。
舟の操縦についてだが、「エア」という言葉を萬斎は強調。午後1時からの昼の部の公演でプレトークを行っている間に、「エアでもエアプレインとエアボートは違う」と思いついたそうで、「ハイジャックはパイロットを揺するが、エアボートは船頭が率先して揺する」ことを述べていた。
京都を拠点にしている狂言大蔵流にも「舟渡聟」はあるのだが、展開が違い、シチュエーションの面白さには乗らないものになっているそうで、「『舟渡聟』は和泉流の方が面白い」という。

「小傘」は、博打に溺れて一文無しになった男がニセ僧侶になるという話である。「僧侶になれば食えるんじゃないか」という発想で安易に僧になり済ましたところ、折良く堂守を募集している人と出くわす。往事はインターネットも何もないので、街道に出て目に付いた人をスカウトするのが一般的である。運の要素が今よりも強い。
僧侶になり済ましたはいいが、経典は読めない。そこで、男は賭場で覚えた「傘の小唄」をいかにも経を読んでいるように唱えることでやり過ごそうとするのである。
「そんな無教養な人でも念仏は知っている」ということで、「なーもーだー」という念仏を萬斎が謡い、
萬斎 “Repeat after me.”
で観客が後を追うというワークショップのようなものを行う。萬斎は、「歌に自信がある人は一緒に謡って欲しい」と言ったが、本編では謡うよりも観ている方が楽しいという類いのものだったので、謡う人はほとんどいなかったように思う。


「舟渡聟」。聟を演じるのが野村裕基である。公文式のCMで親子共演も果たしているので、お馴染みの存在になりつつある。見るからに「才子」といった感じの萬斎とは違って優男風であるが、声は父親によく似ている。
まだ19歳ということもあって狂言方としては駆け出しですらなく、「舟渡聟」も初役だそうである。
潜在能力はともかくとして、現時点では演じるどころか役に振り回されている感じだが、持って生まれた品の良さが強く感じられ、今後が楽しみな存在である、というより萬斎の息子なのだから将来の狂言界を背負って立つのは当たり前という世の認識もあるだろう。プレッシャーも凄まじいだろうな。

船頭を演じるのは祖父の野村万作。やはり芸の深さが違う。


「小傘」。野村萬斎は、僧の小唄を思いっ切りユーモラスに謡う。普通はばれそうなのに、疑うということを知らない田舎者達の素直さと滑稽さも見物となる。
学生時代はバンドを組んでいたこともあるという野村萬斎。踊り念仏の場面でのリズム感の良さは、そうした経験が生きているのかも知れない。知らんけど。
ちなみに、ニセ僧侶が言うことには、「小傘こそ最高の仏具」だそうで、後光を表しているのだという。勿論、口から出任せである。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

名曲紹介 明治大学校歌

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月18日 (日)

観劇感想精選(266) 第15回明治大学シェイクスピアプロジェクト(MSP)「ヴェニスの商人」

2018年11月9日 東京・神田駿河台の明治大学駿河台キャンパス・アカデミーコモン3階アカデミーホールにて観劇

午後5時30分から、明治大学アカデミーコモン3階にあるアカデミーホールで、第15回明治大学シェイクスピアプロジェクト「ヴェニスの商人」を観る。一休さんのとんち的な解決が有名な作品。

アカデミーコモンは、私の在学中にはなかった建物である。明治大学の旧5号館(ゼミ棟)、6号館(文学部が主に使用)、7号館(政治経済学部が主に使用)、大学院棟の跡地に建てられている。地下にある明治大学博物館や阿久悠記念館には入ったことがあるが、上階に入るのは今日が初めてとなる。
私が卒業してからの明治大学に関してはそれほど多くを知っているわけではないのだが、講義は主にリバティタワーで行っており、アカデミーコモンは生涯学習の拠点になっているらしい。

明治大学は、文学部文学科に演劇学専攻があるが、ここはあくまでも学問としての演劇を研究する専攻であり、実践は演劇サークルに任せられていた。ただ、ライバルである早稲田大学の演劇専修が実技方面にも力を入れ出していたということもあり、アカデミーコモン竣工と同時に遅ればせながら追随を始めた結果始まったのが明治大学シェイクスピアプロジェクト(MSP)である。
毎年1回、明治大学の学生のみの出演、演出、制作でシェイクスピア作品を上演するというもので、今回も原書テキストの日本語訳から学生が手掛けている。

監修に明治大学文学部兼任講師の青木豪、コーディネーターに文学部准教授の井上優、各部門の指導にはプロがスタッフが入るが、実際の上演に携わるのは学生のみである。

演出は文学部4年の山﨑心(女性)さん。プロデューサーは文学部2年の関口果穂さん。
テキスト日本語訳を手掛けているのはコラプターズという学生翻訳チーム。19名からなる団体で、既卒生や大学院生のメンバーも含まれる。今年度は、やはり文学部生が11名と圧倒的に多いが、国際日本学部(現在は中野キャンパス)、理工学部や農学部(いずれも生田キャンパス)、法学部の学生も名を連ねている。「ヴェニスの商人」では法律用語も重要になるので、法学部生の協力も必要になるだろう。
下訳チームと検討会チームに分かれて作業を行ったそうで、下訳に約半年掛け、その後、本公演のテキストを仕上げたそうである。シェイクスピアのセリフには掛詞が多いのだが、英語の掛詞を日本語に直訳しても単語が違うために掛詞にならない。ということで、かなり苦労したであろうことが察せられる。

バンドメンバーも全員明大生。楽器を演奏するということで、ここは所属学部がばらけている。オーケストラで使われる楽器を担当しているのは明治大学交響楽団のメンバーなのかも知れないが、パンフレットには書かれていないためよくわからない。

出演者は文学部在学生が最大派閥。そのほかの分野でも文学部在学生はやはり目立つ。所属専攻に関しては書かれていないためわからない。


舞台中央に一際高い台が設けられており、真ん中から階段が降りている。下手の高い場所はバンドスペース、上手の台はバルコニーに擬されている。セットは比較的シンプルだ。エリザベス朝演劇を意識しているのだと思われる。

舞台通路なども使った演出である。

まずは、バンドがエリザベス朝風の音楽を奏でる中、出演者全員のダンスでスタート。

アカデミーホールであるが、多目的の講堂であるため、声が通りにくかったり響きすぎて発声が不明瞭になったりするが、次第にこちらの耳も慣れてくる。
内観はロームシアター京都サウスホールの客席をやや多くしたようなものである。天井が高いため、出演者が声を飛ばすのは難しそうに感じた。

出演者であるが、俳優志望ではない学生達であるということを考えれば十分レベルは高い。配役に関してであるが、「見る目があるな」という印象を受ける。役が各々の演技にちゃんと合っている。
演技に関しては仕草が説明的すぎるところがあったり、漫画のキャラクター的動きになってしまっていることがあるが、無料公演でこれだけの仕上がりのものが出来上がるのだから大したものだ。明治大学というのはやはり凄い大学だと思う。客席には制服を着た高校生も多くいたが(女子ばかりだよね、やっぱり。高校時代は女子の方が優秀だから)、この人達にも是非明治大学に入ってMSPに参加して貰いたいと思う。

喜劇なので、ラストも大団円で本来は終わるのだが、今回の演出ではラストに悪夢のシーンが設けられている。
ユダヤ人の高利貸しシャイロックが悪役として有名な「ヴェニスの商人」であるが、シェイロックの憎悪を生んだのは他ならぬアントーニオの行いと、ヴェニスの人々による苛烈なユダヤ人差別であり、これを告発する意味があったと思われる。正直、やり過ぎだとは思うが、若いんだからこれぐらい暴れてくれるのは頼もしいとも思える。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月17日 (土)

美術回廊(19) 「ムンク展 ―共鳴する魂の叫び」@東京都美術館

2018年11月10日 東京・上野の東京都美術館にて

JR総武線と山手線を乗り継いで、上野へ。

東京都美術館で行われている「ムンク展 ―共鳴する魂の叫び」を観る。

「叫び」で知られるノルウェーの画家、エドヴァルド・ムンク。日本でも特に人気の高い画家の一人である。

ということで、多くの人が押しかけたため、ゆっくりと観る時間は残念ながらない。観ようと思えば観られないこともないのだが、今日は午後5時前に大津のびわ湖ホールに着いていなければならない。ということで、気に入った作品を重点的に観ていくことにする。

展覧会は冒頭と最後にムンクの自画像が置かれている。1枚目はモノクロの写実的なものだが、2枚目からはすでムンクらしい沈んだ雰囲気が出ている。北欧ノルウェーは冬が長く暗い。そうした地理的気候的な影響もあると思われるが、幼くして亡くなった姉の影響も無視出来ないだろう。「病める子」という連作からは死へ向かう幼子への悲哀が面に出ている。グリーグの「オーセの死」(オーセは幼子ではないが)が聞こえて来そうな絵である。
一方で、晩年の自画像は平明で色彩もシンプル。心境の変化が表れている。

「叫び」は有名なので説明は不要だと思われる。日本文学に例えると晩年の芥川龍之介作品的な世界である。

実は同じ構図による「不安」というこれまた有名な作品も横に飾られているのだが、そちらは余り注目されていない。


不吉さはその他の作品にも表れていて、生と死の境にいるような「マドンナ」、異世界へ旅立つ人を描いたかのような「二人、孤独な人々」などが挙げられる。

恋人の別れを描いた作品では、瀕死の表情を浮かべた男と平然としている女の対比が描かれているが、これはムンク自身が愛人に殺されそうになったという事件を背景にしている。
この事件を題材にした作品の中で最もよく知られているのが、「マラーの死」である。フランスのジャコバン派の領袖であったマラーと「暗殺の天使」ことシャルロット・コルデーを描いた作品は様々な画家が手掛けているが、多くの画家がシャルロット・コルデーは「暗殺は行ったが天使」というコンセプトに基づいているのに対し、ムンクは「天使だかなんだか知らないが暗殺者だ!」と告発している。そばで観ると分厚く塗られた絵の具が立体的であり、ある種の威圧感と異様さが観る者に迫ってくる。絵画作品が持つパワーを再認識させられる作品である。

代表作の一つである「生命のダンス」には人生の諸相が一気に迫ってくるような「邯鄲の夢」的テイストがある。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月16日 (金)

美術回廊(18) 三菱一号館美術館 「フィリップス・コレクション展」

2018年11月9日 東京・丸の内の三菱一号館美術館にて

東京駅で降り、丸の内にある三菱一号館美術館に向かう。

三菱一号館美術館では、「フィリップス・コレクション展」が開かれている。
俗に「三菱村」と呼ばれる三菱企業ビル集合体の一角に三菱一号館美術館はある。入り口は中庭側にあり、正面側は三菱一号館歴史資料館として公開されている。

三菱一号館は、帝国ホテルなどで知られるジョサイア・コンドルが設計したが、1968年に老朽化のために解体。その後、コンドルの設計図や解体時の実測図などを元に再建され、2009年に竣工、2010年に美術館などを含む複合施設としてオープンしている。

ダンカン・フィリップスがコレクションした作品を展示するするワシントンD.C.の私立美術館、フィリップス・コレクションが保有する作品の展示。ブラック、ピカソ、ゴッホ、セザンヌ、モネ、デュフィ、ドガ、スーラ、ユトリロ、ドラクロアなどの作品が並ぶ。
フィリップス・コレクションは、今年が開設100周年にあたるそうだ。

ペンシルバニア州の鉄鋼王の息子に産まれたダンカン・フィリップス。妻が画家だったということもあり、存命中の画家を中心に多くのコレクションを行い、私邸を増築した美術館を作り上げた。

フィリップスが最も愛した画家はジョルジュ・ブラックだったようである。全体をデザインし、ブロックを積み上げるよう再構成する画風が特徴である。ピカソにも通じるところのあるキュビズムの画家だが、ピカソのようなカオス傾向はなく、整然とした画面を好んでいるようだ。

ピカソの作品は、絵画と彫刻を展示。絵画からはピカソらしいダイナミズムが感じられる。

コレクションの中で少し違った雰囲気をまとっているラウル・デュフィ。「画家のアトリエ」という作品には明るい広がりがあり、密度の濃い作品が多い中で、一種のポップさが見る者を楽しませる。より日常的というべきか。私はこういう絵が好きだ。

ゴッホの「道路工夫」は大胆なエネルギー業者がある。木々が上へと体を伸ばし続けているかのようなダイナミズムが横溢している。
生前、ゴッホがなぜ評価されなかったかというと、「絵はエネルギーを表すもの」などという認識が全くなかったためだと思われる。ゴッホ一人がその可能性に気づいていたのだが賛同者がいなかれば理解はされない。ゴッホが理解されるようになったのは、その手法を更に推し進めたピカソなどが現れたということも大きいだろう。ピカソに比べれば、ゴッホもまだ穏健派だ。

私が好きな画家の一人であるモーリス・ユトリロの「テルトル広場」。乳白色を浮き上がらせつつ、落ち着いた感じが素敵である。普段着で接することの出来るような絵だ。

ワシリー・カンディンスキーの「連続」。案内表示には「楽譜のような」と記されていたが、象形文字的デザインの美しさと、原色を対比させた鮮やかさ、子ども心に満ちた表現力などが観る者を魅了する。

館内には複製を写真撮影出来るコーナーもあり、そこにある絵の中で私が最も気に入ったのが、ハインリヒ・カンペンドンクの「村の大通り」(下の写真を参照のこと)。立体を組み合わせたような意欲的な構図と童話の挿絵のような愛らしさ、温かさが同居している作品である。本物は思いのほか迫力がある。

今日、最も気に入った作品がシャイム・スーティンの「雉」。射殺された雉を描いたものである。スーティンにとって静物画とは単なる静態ではなく命を奪われたものという意味を持っていたそうで、死骸の冷たさが伝わってくるような描写が印象的である。「沈黙に満ちた迫力」と書くべきか。

同じくスーティンの「嵐の下の下校」は、1939年9月1日、ナチスドイツがポーランドに侵攻したその日に完成した作品だという。下校する二人の児童を描いたものなのだが、背後の森からからなんとも形容しようのない不吉さが漂っており、大嵐の前の静けさが切り取られているかのような絵である。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月15日 (木)

観劇感想精選(265) 兵庫県立ピッコロ劇団第62回公演「小さなエイヨルフ」

2018年11月6日 尼崎市塚口の兵庫県立ピッコロシアター大ホールにて観劇

午後6時30分から、尼崎市塚口のピッコロシアターで兵庫県立ピッコロ劇団の第62回公演「小さなエイヨルフ」を観る。作:ヘンリック・イプセン、テキスト日本語訳:原千代海、演出:鵜山仁(文学座)。出演は、岡田力、森万紀、今井佐知子、吉村祐樹、亀田妙子(声の出演)、橘義。

近代演劇の父といわれるイプセン。世界で上演される回数がシェイクスピアの次いで多い劇作家といわれている。日本でも近年、上演される回数は増加傾向にある。

ノルウェーのフィヨルドに面したアルメルス家が舞台である。著述家のアルフレッド・アルメルス(岡田力)が久しぶりに家に戻ってくる。家の中では妻のリータ(森万紀)がアルフレッドのトランクを開けて衣装を取り出し、匂いをかいで喜んでいる。リータはアルフレッドのことを心底愛していた。
二人の間には、足の不自由な9歳の息子、エイヨルフがいる。エイヨルフが人形で表され、亀田妙子が影アナを担当している。
それまで仕事一辺倒で、エイヨルフを顧みなかったアルフレッドだが、仕事よりもエイヨルフを大事にすることに決めていた。だが、アルフレッドの愛を独占したいリータはエイヨルフのことを疎ましく思い始めており……。
幼い頃にアルフレッドから「小さいエイヨルフ」と呼ばれていた妹のアスタ(今井佐知子)とアスタに気のあるボルグヘイム(吉村祐樹)も絡んで愛を求める心の迷宮が展開される。

鼠ばあさん(橘義)の登場で話が動き出すのだが、この話は「ハーメルンの笛吹き」の亜流である。「ハーメルンの笛吹き」では足の不自由な子だけが残されるのだが、ここでは足の悪い子だけが犠牲になる。

鵜山仁の演出だけに、かなり新劇した演技と展開である。舞台は二段になっており、上の舞台がアルメルス家の内部、その外の素の高さの屋外となる。屋外が舞台となる第2場では家具類が中空に吊されるという展開がある。上の舞台の床面はムンクの絵画のような毒々しい赤で塗られている(美術:加藤登美子)。「小さなエイヨルフ」のチラシもムンクの「生命のダンス」をモチーフにしたものだそうだ(チラシデザイン:チャーハン・ラーモン)。

愛を巡る展開が続いた後で、アルフレッドとリーダは愛よりも高い感情を追求するようになる。身分の低い人達に対する慈悲のまなざしがそれである。上手く組み立てないととってつけたようなラストになるところだが、それが自然な階梯に見えるのがイプセンの筆の巧みさだろう。やはりイプセンは最高である。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月14日 (水)

本質に先立つもの

高校時代の私は名前を持たない。誤謬にまみれた記号だった。私の影は実体と一致することがない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月13日 (火)

コンサートの記(450) 春秋座オペラ第9弾 「蝶々夫人」2018楽日

2018年11月4日 京都芸術劇場春秋座にて

午後2時から、京都芸術劇場春秋座で、春秋座オペラ第9弾、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」を観る。例年通りNPO法人ミラマーレ・オペラによる上演。指揮は樋本英一(ひもと・ひでかず)、演奏はミラマーレ室内管弦楽団。

これまでの春秋座オペラではエレクトーン入りの編成でオーケストラピットに入っていたミラマーレ管弦楽団であるが、今回はピット内下手端、花道の下にグランドピアノを置いた編成である。第1ヴァイオリン第2ヴァイオリン共に2人、ヴィオラ、チェロ、コントラバスが1人ずつという配置。管はフルート、クラリネット、ホルン、トランペットが2管編成である。Ettore Panizzaのリダクションによるオーケストレーションでの演奏。
全楽器が生の音ということで、小編成ながら迫力がある。

演出:今井伸昭。公演監督は松山郁雄。松山は字幕翻訳も手掛けている。出演は、藤井泰子(蝶々夫人)、マッシミリアーノ・ピサピア、片桐直樹(シャープレス)、糀谷栄里子(こうじたに・えりこ。スズキ)、大淵基丘(おおふち・もとく。ゴロー)、服部英生(ボンゾ)、萩原泰介(ヤマドリ/神官)、愛知智絵(ケイト)。合唱はミラマーレ・オペラ合唱団。所作指導:井上安寿子。公演プロデューサー:橘市郎。


指揮の樋本英一は、1954年生まれ。都立新宿高校を経て東京芸術大学卒という経歴は坂本龍一と完全に一緒である。東京芸大では声楽科を卒業した後に指揮科を卒業。芸大は中途編入を認めていないため、一から受験し直したのだと思われる。主に声楽の指揮者として活躍しており、母校の芸大を始め、桐朋学園短期大学、二期会オペラ研修所、日本オペラ振興会オペラ歌手育成部などの講師も務めている。
ドラマティックな音楽作りに長けており、耽美的な音も上手く引き出す。

演出の今井伸昭は、日本大学藝術学部写真科中退後、木村光一に演出を学び、更に栗山昌良に師事して演出助手も務めたということで、春秋座では「ラ・ボエーム」の演出を手掛けた岩田達宗の兄弟弟子になるらしい。現在は、東京音楽大学や桐朋学園大学の非常勤講師でもある。


タイトルロールを務める藤井泰子は、私やダブルキャストで蝶々夫人を演じた川越塔子と同じ1974年生まれ。広島県福山市出身。音楽好きの両親の元に生まれ、幼少時からピアノやフルートを習い、高校時代から声楽のレッスンを開始して、慶應義塾大学総合政策学部卒業後に日本オペラ振興会育成部を修了。政府給費にてイタリアのボローニャ元王立音楽院に学び、国際コンクールでの優勝経験もある。イタリアではYasuko名義でクイズバラエティーに出演して人気を博している。なんでも出題者としての登場で、イタリアの曲を日本語で歌ってなんの曲か当てさせるコーナー担当だったらしい。見たことはないので詳細は不明。
オペラデビュー作が「蝶々夫人」だったそうだ。

マッシミリアーノ・ピサピアはイタリアのトリノの生まれ。フランコ・コレッリらに師事し、「蝶々夫人」のピンカートン役でデビューしている。ピンカートンは十八番であるようだ。

回り舞台を使用。最初の場では、背後にアーチ状もしくは太鼓橋状の階段が掛かっており、初めてここに来る人は基本的にこのアーチの上を通る。
蝶々夫人は、親戚一同をあたかも運命のように引き連れながらやって来る。
この場では桜の木が中央で枝を拡げている。
回り舞台を使ったもう一つの場は、蝶々のように羽根を拡げた形の壁がある舞台セットである。この場では影絵が用いられる。特徴的なのは星条旗が見当たらないことである。星条旗が立っていそうな場所にはやはり桜の木があり、常に光を浴びている。

視覚面での特徴は、なんといっても第二幕で蝶々さんが洋装していること。鹿鳴館で山川捨松や陸奥亮子がしていそうな格好である。外見を洋風にするというのは時代の流れの表現でもあるだろうが、やはり気持ちがピンカートンと共にあるということを示しているのだろう。可能性は低いが、あるいはケイトが現れなければ、ピンカートンの横に収まっていたのかも知れない。少なくとも蝶々さんはそう望んだいたわけで、それだけに自分と同じ洋装のケイトが突然現れた衝撃はいや増しに増したことだろう。

今回は、蝶々さんが武家の娘であることが強調されており、親戚達も蝶々さんが芸者に身をやつしたことを嘆いている。ただ、彼女がそのことのプライドを持っていなければ最悪の事態は免れたのかも知れないと思える。
通常の演出なら星条旗のあるべき場所に桜の木があるということは、彼女がアメリカや帝国主義に裏切られたのではなく、日本では美徳とされている精神によって殺されたことを表していると取ることも出来る。潔く散るのをよしとする国でなかったならということである。今回の蝶々さんはピョンピョン跳ぶなど十代相応の幼さが表われているのも特徴であり、若さが招いた悲劇ともいえる。

ラストでは、自らの胸を刺した蝶々さんにピンカートンが抱きつき、蝶々さんが息子がケイトに懐いたのを見て安心しながらピンカートンに口づけしつつ息絶えるという演出がなされている。息子とケイト、そしてそれを見守るスズキの姿は、おそらくいまわの際の蝶々さんが見た幻覚であり希望なのだろう。


ピンカートン役のマッシミリアーノ・ピサピアは、朗々とよく響く歌唱を披露。日本人歌手とは体格や肺活量が違うということも大きいと思われる。

タイトルロールの藤井康子は、良く変わる表情と細やかな表現が魅力的であった。

その他の出演者では、バカ殿ような格好をしたヤマドリ役の萩原泰介が面白く、スズキを演じた糀谷栄里子の丁寧な心理描写も秀でていた。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

柴田淳 「缶ビール」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月11日 (日)

観劇感想精選(264) 白井晃&長塚圭史 「華氏451度」

2018年11月3日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後3時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで「華氏451度」を観る。レイ・ブラッドベリの有名小説を長塚圭史の上演台本、白井晃の演出で舞台化したもの。出演は、吉沢悠(よしざわ・ひさし)、美波、堀部圭亮、粟野史浩、土井ケイト、草村礼子、吹越満。ガイ・モンターグ役の吉沢悠を除いて、全員が複数の役を演じる。
長塚圭史の上演台本は、基本的に原作小説をパラフレーズしたもので、セリフやト書きも原作に忠実であることを心がけたそうである。

レイ・ブラッドベリの原作に関しては、個人的な思い出がある。1999年の秋に、藤沢と小田原に一泊ずつする神奈川県への小旅行に出たのだが、二泊目の小田原で『華氏451』を読了したことをなぜか覚えているのである。多分、感動したのだろう。その日は、藤沢のホテルを出て鎌倉文学館に行き、文学館前の公衆電話で小田原の宿を取り(まだ携帯電話を持っていない時代の話だ)、小田原文学館を訪ねた(近くに旧岸田国士邸の門あり)後で小田原駅前のビジネスホテルに泊まり。翌日は関白農道を上って石垣山一夜城を訪れてから静岡県の熱海と伊東を回りというコースであった。一連の旅の思い出と『華氏451度』が一体となっている。

ちなみに、「華氏451度」とは紙が発火する温度である(摂氏だと233度)。
『1984年』と『華氏451度』はディストピア小説の両輪ともいうべき有名作だが、今年は2本とも舞台化されることになった。

舞台上手下手奥の三方向にびっしり本で埋まった書棚が浮いている。役者はこの本棚のすぐ後ろでいて、出番が来るまで待機しているというスタイルである。
舞台が始まると、奥から出てきたファイアマン達が本を燃やし始める。近未来、建物の火事は最早なくなり、ファイアマンは消火ではなく焚書を仕事としている。近未来に於いては読書は有害なものとして禁止、思考力を働かせることすら忌避されている。「インテリ」というのは蔑称である。

ファイアマンの一人であるガイ・モンターグは本を燃やす仕事をしていることに何の疑いも持たず、「本が燃えるのは楽しかった」と述べ、本の発見と焼却に無邪気な誇りを持っていた。実は、モンターグの上司であるベイティー(吹越満)は、本の怖ろしさについて知悉していたようなのだが。
ある日、モンターグは、クラリスという少女(美波)と出会う。本の価値について語るクラリスにモンターグは戸惑う。帰宅したモンターグは妻のミルドレッド(美波二役)にクラリスのことを話すが、ミルドレッドは本を有害なものとしか思っていない。家庭内にはモニターが数台あり、そこに映り続ける「友達」の言うことを聞くのがコミュニケーションであり友情とされていた。「みな平等」という美名の下に、均質的な人間像が理想化され、異端者は静かに迫害されていた。そしてそれは「皆が望んだこと」なのだ。上や遠方から来るのではなく内側にいたものなのである。
ある老女(草村礼子)の自宅から本が発見され、ファイアマン達は焚書に向かう。ところが老女が本と共に焼かれることを選択したためにモンターグは困惑し……。

洗脳が常態化された世界にあって、知識と思考の有効性を述べた作品である。

フランソワ・トリュフォーが同作を映画化しており、私も観てはいるのだが、場面場面は思い出せても全体としての印象は忘却の彼方にある。ただ、小説はまあまあ覚えているということもあり、舞台としての「華氏451」を詳細まで楽しむことが出来た。

知識と思考と想像力を後世に伝えることの重要性と主体的な知者であり続けることの一種の義務が観客へと語られていく。

「1984年」と「華氏451度」の2作品が1年のうちに上演されるのは面白いことなのだが、演劇人達がそれほど切迫感を抱いているということでもあり、歓迎される状況ではないのかも知れない。

今日は、吉沢悠、美波、吹越満によるアフタートークがある。
開演前にホワイエでアフタートーク参加者への質問を募集しており、私も「本以外で記憶して語り継いでいきたいものはありますか?」と紙に書いており、質問として採用されたのだが、吉沢は「そんな立派なこと考えたことない」と戸惑い、色よい返事を貰うことは出来なかった。吉沢は初めて台本を貰ったときは何が書いてあるのかさっぱりわからなかったそうで、今も深くは理解していないのかも知れない。まあ、質問自体が悪かったのかも知れないが、そうご大層に捉えなくても、「記憶して語る」という行為はメタ的に考えれば演劇そのものであり、だからこそ長塚圭史もなるべく原作を尊重という姿勢を取ったのであろうし、演出の白井晃もそれを理解していてわかりやすい表現を意図的に避けたのだろう。白井は「抽象的な話なんだから具象的にやるな」とダメ出ししていたそうである。
意図は伝達の妨げと考えられる。意図はあるがままのものを認めずに歪め、誘導するのだ。
美波はその場では記憶と伝達には答えなかったが、アフタートークを締める最後のメッセージとして、舞台作品を記憶することと舞台経験の豊穣性について語り、一応は私の質問と呼応した形となった。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月10日 (土)

崔健 「假行僧(ニセ僧侶)」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月 9日 (金)

美術回廊(17) 没後50年「藤田嗣治展」@京都国立近代美術館

2018年10月30日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡崎の京都国立近代美術館で開催されている「没後50年 藤田嗣治展」を観に出掛ける。
藤田嗣治の展覧会を観るのは、今日で計3回目。そのうちの1度は名古屋で観たため、京都では2度目となる。

エコール・ド・パリを代表する画家の中で唯一の日本人であった藤田嗣治(ふじた・つぐはる)。乳白色を厚く塗った肖像画が人気を博している。

東京生まれ。幼少時を熊本で過ごし、11歳の時に帰京。高等師範学校(現・筑波大学)の附属小学校と中学校を卒業して、東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)に入学するも教師から作風を認められず、対立。卒業してから2年後にパリに渡り、同地の画家達と交流して、評価を得るようになる。

第二次大戦が勃発すると藤田は帰国し、請われて戦争画の仕事を始める。しかし戦後になると藤田は戦争協力者と見なされるようになり、日本に失望して再び渡仏。その後、キリスト教の洗礼を受け、憧れのレオナルド・ダ・ヴィンチに由来するレオナールという洗礼名をファーストネームとしてフランスに帰化し、日本に戻ることなく1968年に没した。「私は日本を捨てたのではない、日本に捨てられたのだ」という言葉がよく知られている。

この展覧会最初の絵は、藤田が東京美術学校時代に描いた自画像である。黒い背景に不敵な笑みを浮かべた藤田。自らの才気を隠そうとしない若者の姿がそこにある。

その後の藤田の絵だが、とにかく暗いのが印象的である。同じような構図で風景画を描いているユトリロと比較しても憂いの雰囲気が強く出ている。鬱窟とした心をそのままキャンバスに反映したかのような淀んだ印象を受ける。背景が全体的にグレーがかっているのがそうした感覚を生むようである。

パリ時代に描いた自画像が何枚かあり、その中にある赤と青の鉛筆を取り入れた乳白色の自画像は、さりげなくトリコロールを取り込んで「パリで生きる」という決意表明をしているように見える。

その後に、有名な乳白色の時代が来る。この頃に描かれた子どもをモチーフにした絵も何枚か展示されており、元々子どもが好きだったことも確認出来る。

徹底して乳白色を使った 裸婦の絵は、肉体が持つはち切れんばかりの生命力を表しているが、同時に体を陶磁器に置き換えたかのような非現実性も内包している。ある意味、これは理想化された肉体なのだ。
ただ、この裸婦の絵群も、背景を真っ暗にするなど、快活からはほど遠い作風である。

その後、藤田は中南米への旅に出る。メキシコの画壇の影響を多分に受けたようで、この頃に描かれた日本の力士像などは急に顔の彫りが深くなっており、明らかな作風の転換が見られる。メキシコの絵画らしい仄暗さを入れつつ、躍動感に富んだ絵を描いている。

この躍動感が存分に生かされたのが、有名な「闘争(猫)」という絵である。何匹の猫がベッドの上で暴れ回っており、猫達の叫び声が伝わってくるかのような生命力溢れる絵だが、この作品、複数の円を組み合わせた構図を取っており、葛飾北斎の「富嶽三十六景」に代表される浮世絵の手法を積極的に取り入れていることがわかる。この時代の絵には他にも人物を真ん真ん中に描くという、浮世絵的大胆さを持つ作品が存在する。

二次大戦により帰国した藤田。藤田は日記を詳細につけるタイプであったが、1941年から1947年までのものは見つからないか破棄されているという。

ドラクロアを始めとする歴代のフランス画家の影響を受けたダイナミックな戦争画は迫力満点だが、そのことが藤田にとって悲劇となった。

日本を離れ、パリへと向かう途中のニューヨークで描かれたという「カフェ」(下の写真を参照のこと)。この絵で藤田はいきなり作風を変える。藤田の作品に濃厚だった影が姿を消すのである。少なくとも表面上はそう見える。余りの大転換に異様さすら覚えるほどだ。その後の作品もバックライトを当てているような明るいものが続く。この急転は何を意味するのか?

「藤田は本音を封じ込めたのではないか?」

それまで藤田は絵に自己を投影していた。だが、祖国に裏切られたという失望と憤りから、絵には自己ではなく理想を託すようになったのだはないか。自らの本音を覆い隠すために乳白色を分厚く塗り込めたのではないか。そうした想像が出来る。

カトリックの洗礼を受け、レオナール・フジタとなった藤田は、宗教画を多く描くようになる。そこには子どもが多く登場する。「大人が信じられなくなった藤田は子ども達に夢を託した」、そういわれている。ただ、十字架を背景に不敵な笑みを浮かべている子どもは、若き頃の藤田そのものであり、自身が投影されていることがうかがえる。
ただ、日本のキリシタン殉教者を描いた作品を見ていると、藤田は日本を追われた自分をイエスを始めとする殉教者に重ねていたのではないかと思われるのである。
最後の絵である「礼拝」には藤田自身が登場する。奥行きのあるアーチを背景とした聖女の横に控えるのは藤田と妻の君代である。天使に祝福され、戴冠しようとしている聖女に藤田が何を祈ろうとしているのかははっきりとはわからない。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月 8日 (木)

フランシス・レイ 「ある愛の詩」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月 7日 (水)

コンサートの記(449) アラン・ギルバート指揮NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2018京都

2018年11月1日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、アラン・ギルバート指揮NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会を聴く。

この演奏会は、開催に至るまで紆余曲折があった。

ハンザ同盟の盟主として知られたハンブルクのオーケストラであるNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団。北ドイツ放送交響楽団時代にギュンター・ヴァントの手兵として知名度を上げている。初代首席指揮者は、ベートーヴェンなどの名演で知られたハンス・シュミット=イッセルシュテットである。近年は、ヴァントの時代を経て、ジョン=エリオット・ガーディナーが音楽監督に就任するが、古楽出身のガーディナーは自身が創設したイングリッシュ・バロック・ソロイスツなどとの演奏を優先させたため、名誉指揮者となったヴァントが引き続き事実上のトップとして君臨、その後にヘルベルト・ブロムシュテットが音楽監督となるが、ブロムシュテットはライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター就任を決め、3年契約のはずが2年で終了と、トップに恵まれない時期もあった。
クリストフ・エッシェンバッハ、クリストフ・フォン・ドホナーニの時代を経て、トーマス・ヘンゲルブロックが首席指揮者に就任すると現代音楽の演奏などで注目を浴びている。今回の来日演奏会も当初はトーマス・ヘンゲルブロックが指揮する予定であったが、同楽団の首席客演指揮者を務め、次期首席指揮者に就任することが決まったアラン・ギルバートとの組み合わせに変更になっている。

今回の来日ツアーには、エレーヌ・グリモーがピアノ独奏者として同行する予定であったが、グリモーが右肩の故障で来日不可となり、ルドルフ・ブッフビンダーが急遽代役を務めることとなった。


曲目は、ワーグナーの楽劇「ローエングリン」より第1幕への前奏曲。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(ピアノ独奏:ルドルフ・ブッフビンダー)、ブラームスの交響曲第4番。

ハンブルクが生んだ作曲家であるブラームスの作品をメインに置く、ドイツの王道プログラム。

日本でもお馴染みとなったアラン・ギルバート。日米ハーフの指揮者である。ニューヨーク・フィルハーモニックのヴァイオリン奏者を両親に持ち、ハーバード大学、ニューイングランド音楽院、ジュリアード音楽院、カーティス音楽院といった米東海岸最高レベルの音楽教育機関でヴァイオリン、作曲、指揮を学んでいる。2009年から2017年まで、かつて両親が在籍していたニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督を務めている。
日本ではまずNHK交響楽団への客演で名を知られるようになり、今年からは東京都交響楽団の首席客演指揮者に就任している。


弦楽はヴァイオリン両翼の古典配置を採用していたが、特にブラームスに於いてこの配置が功を奏する。

今日の公演はコンサートマスターが交代制で、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番だけ白髪が特徴の奏者がコンサートマスターを務める。


ワーグナーの楽劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲。繊細で輝かしい弦楽のテクスチュアが見事であり、「神宿るワーグナー」という言葉が浮かぶ。
日本のオーケストラも技術の向上が著しいが、流石に現時点ではここまでの音は出せない。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。
ウィーン楽壇の代表格として知られるソリストのブッフビンダーは、細部まで設計の行き届いたピアノを深々とした音で歌い上げる。深さと奥行きのある音は、ヨーロッパ以外のピアニストからは余り聴かれないものである。
ギルバート指揮のNDRエルプフィルは、躍動感溢れる伴奏を展開。特に第3楽章終結部では、アメリカの指揮者ということもあってロックのようなノリノリのテイストで聴かせる。それでいて安っぽくないのがギルバートとNDRエルプフィルの良さである。

ブッフビンダーのアンコール演奏は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第18番より第2楽章。ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスと受け継がれるウィーン情緒を前面に出した演奏であり、格調高くも軽快な響きが印象的である。


メインであるブラームスの交響曲第4番。ギルバートは第1楽章の冒頭を揺らすように歌い、繊細さ、悲哀感、堅固な構造力、旋律の美しさの全てを1本の指揮棒で浮かび上がらせる。

とにかくNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団の巧さが目立つ演奏であり、北ドイツのオーケストラらしく縦の線をきっちりと合わせながら切れ味の鋭い高い合奏力を聴かせる。ギルバートも指揮していてさぞ気持ちが良いだろう。
技巧面においては世界でも最高レベルであると思われ、音楽性においてもトップレベルを伺うだけの実力はある。
ブラームスの交響曲第4番は人気曲であるだけに演奏会で取り上げられる機会も多いが、この曲の凄さを表したという意味においては今日の演奏が第一席に挙げられると思う。快演だった。


アンコール演奏は2曲。
まずは、ブラームスの「ハンガリー舞曲」第6番。ギルバートらしいノリの良い演奏である。

最後の演目。オーケストラがドビュッシーの交響詩「海」を模した序奏を奏で、「浜辺の歌」の旋律が現れる。日本の楽曲ということで、客席からも拍手が起こる。それにしても凝った旋律である。誰が編曲したのか知りたくなる。
日本人の血を半分引くギルバート。日本的な抒情を存分に歌い上げた演奏となった。

とても良い気分で京都コンサートホールを後にする。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月 5日 (月)

コンサートの記(448) 平成30年度 新国立劇場 高校生のためのオペラ鑑賞教室・関西公演 モーツァルト 歌劇「魔笛」

2018年10月29日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後1時から、ロームシアター京都メインホールで、平成30年度 新国立劇場 高校生のためのオペラ鑑賞教室・関西公演 「魔笛」を観る。

今年で3年連続となるロームシアター京都メインホールでの高校生のためのオペラ鑑賞教室・関西公演。今年は29日の公演の4階席のみ一般向け前売り券が発売されたため行ってみた。4階席ということもあって舞台が見えやすくはないが、チケット料金は全体的に安い。


今年はオペラ史上最高のヒット作といえる、モーツァルトの「魔笛」が上演される。もともとはアン・デア・ウィーン劇場の劇場主となったシカネイダー脚本のジングシュピール(音楽劇)として書かれたものであるが、現在は歌劇「魔笛」という表記と認識が一般的である。絵本の中の世界のような作品展開と、モーツァルトの魔術のような音楽は今も世界中の人々を魅了し続けている。

東京・初台の新国立劇場オペラの新作プログラムとして上演された公演の関西引っ越し版。指揮者とオーケストラは変更になり、園田隆一郎指揮の京都市交響楽団がオーケストラピットに入る。演出は南アフリカ出身のウィリアム・ケイトリッジ。再演演出は澤田康子が担当する。
出演は、長谷川顕(はせがわ・あきら。ザラストロ)、鈴木准(タミーノ)、成田眞(なりた・まこと。弁者・僧侶Ⅰ・武士Ⅱ)、秋谷直之(あきたに・なおゆき。僧侶Ⅱ・武士Ⅰ)、安井陽子(夜の女王)、林正子(パミーナ)、増田のり子(侍女Ⅰ)、小泉詠子(侍女Ⅱ)、山下牧子(侍女Ⅲ)、前川依子(童子Ⅰ)、野田千恵子(童子Ⅱ)、花房英里子(はなふさ・えりこ。童子Ⅲ)、九嶋香奈枝(パパゲーナ)、吉川健一(パパゲーノ)、升島唯博(ますじま・ただひろ。モノスタトス)。
合唱は新国立劇場合唱団。


ドローイングの映像を全編に渡って使用したことで話題となった演出である。


園田隆一郎は、びわ湖ホール中ホールで大阪交響楽団との上演である「ドン・ジョヴァンニ」を指揮したばかりだが、今回もモーツァルトのオペラということでピリオド・アプローチを採用。音を適度に切って演奏する弦楽と、硬めの音によるティンパニの強打が特徴である。また今回は雷鳴などを効果音を流すのではなく、鉄板を揺らすことで出している。
ピアノが多用されるのも印象的で(ピアノ演奏:小埜寺美樹)、オーケストラ演奏の前に、アップライトピアノの独奏が入ることが多い。

メインホールの4階席では、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場の引っ越し公演であるチャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」を観ており、独特の艶のあるオーケストラの響きに感心したものだが、それはオペラ経験豊かなゲルギエフとマリインスキーだからこそ聴けた音で、今日の京響の場合は音の密度がやや薄めに聞こえる。4階席は反響板のすぐ近くにあるため、舞台から遠いが音自体はよく聞こえるはずであり、これが現時点の京響のオペラでの実力ということになるのだろう。

序曲の演奏が始まると、紗幕に光の線が映り始める。紗幕はたまに透けて、三人の侍女がストップモーションで立っているのが見え、絵画的な効果を上げている。

数段になった舞台を使用し、前から2段目にはベルトコンベアが搭載されていて、上に乗った歌手などが運ばれるのだが、モーター音が少し気になる。

冒頭に出てくる蛇は、腕の影絵で表される。

ドローイングを使うことで、光と影の対比がなされたと話題になった公演であるが、そもそもが光と影の対比を描いた台本であるため、それを視覚面でも表現する必要があるのかどうかは意見が分かれるだろう。

視覚面では、光と影よりもむしろ火と水の対比がわかりやすく表現されていたように思う。この作品中で最も有名なアリアである夜の女王の「復讐の心は炎と燃え」で代表されるように、夜の女王側の人々は火のように燃えさかる心を持っている。ザラストロ側の人々は水のように平穏で豊かな心でもって火を鎮めるというのが一応の筋書きである(拝火思想の「ゾロアスター」とは対照的だ)。火は揺らめく影絵で効果的に、また水はドローイングと録音された水滴の音によってはっきりとわかるように表されている。ただ、日本のように水害の多い国では水が脅威であることは知られており、東日本大震災では映像に捉えられた津波の恐怖が世界中で話題になっている。ということで、水だから安全というわけではない。

もう一つは音楽の言葉に対する優位が挙げられる。実際、三人の侍女が魔法の笛を「宝石よりも大事」と歌い、タミーノ王子とパパゲーノは魔法の笛と三人の童子の歌声によってザラストロの城にたどり着くことが出来ている。タミーノとパミーナは笛が奏でる音楽によって恋路へと導かれ、パパゲーノも音楽の鳴る鈴によってパパゲーナと再会を果たした。
一方で、夜の女王の繰り出す言葉の数々はザラストロによって否定的に語られ、ザラストロの言葉もまた胡散臭く見えるよう演出がなされている。タミーノが吹く笛の音にサイの映像はウキウキと踊り出すが、ザラストロの語る言葉の背景に映るサイは悲惨な目に遭うのである。

不満だったのは夜の女王と三人の侍女、モノスタトスの最期で、余りにもあっさりとやられてベルトコンベアで運ばれてしまうためギャグのようにしか見えず、引いてはその存在自体が軽く見えてしまう。もうちょっとなんとかならんのか。

歌手陣は充実している。パミーナ役の林正子はパミーナよりも夜の女王が似合いそうな存在感だが、解釈としても元々そうした役と捉えられていたようであり、世間知らずの可憐なお嬢さんというより「夜の女王の娘」であるという事実に重きが置かれていたように見える。
ムーア人のモノスタトスを演じた升島唯博は、外見で差別される存在であることのやるせなさを上手く演じていたように思う。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月 4日 (日)

スタジアムにて(7) 女子野球ジャパンカップ2018 準決勝第2試合 尚美学園大学対ハナマウイ&決勝戦 京都フローラ対尚美学園大学

2018年10月28日 西京極のわかさスタジアム京都にて

西京極のわかさスタジアム京都で行われている女子野球ジャパンカップの決勝戦を見に出掛ける。

女子野球ジャパンカップは、女子プロ野球3チーム、社会人・クラブチーム上位2チーム、大学上位2チーム、高校上位4チームが参加するトーナメント戦である。

準決勝第2試合、尚美(しょうび)学園大学対ハナマウイの試合の3回表の攻撃から観戦。日差しが強く、「暑い」と感じるほどの陽気である。

埼玉県川越市にキャンパスがある尚美学園大学。日本で初めて女子硬式野球部を置いた大学であり、日本女子プロ野球選手界最大の学閥を誇っている学校である。音楽専門学校が母体となって設立されたということもあり、大学も音楽の専攻のある芸術情報学部が看板であるが、女子硬式野球部の子達は全員もう一つの学部である総合政策学部の学生だと思われる。芸術関係はそもそも実技が出来ないと入学不可のところが多いし、進級や卒業も難しい。
監督を務めているのは、西武ライオンズや日本ハムファイターズでサイドの速球派として活躍した新谷博である。

ハナマウイ女子硬式野球部は昨年発足したばかりだが、元女子プロ野球選手が所属するなど急速に力をつけてクラブチーム1位となり、ジャパンカップ出場を決めている。
ハナマウイは、東京都江東区に本社を置く介護の会社である。この夏には松山市のマドンナスタジアムで行われた全日本選手権で尚美学園大学を下してアマチュア日本一になっている。
ハワイのハナマウイ島を企業イメージとしており、ユニフォームも水色を基調としたトロピカルなものである。

スタンドに足を踏み入れた3回表のスコアは1-1であった。
ハナマウイの先発である花ヶ崎衣利は今春、尚美学園大学を卒業してハナマウイに入社したばかりであり、母校と対戦することになる。

尚美学園大学の先発は、マドンナジャパンのメンバーとしてとして世界一にも貢献した田中露朝(たなか・あきの)。

試合は、4回表に尚美学園大が集中打で一挙5点を追加。尚美は5回にも2点を追加し、8-1とリードする。ジャパンカップは4回を終わって10点差、もしくは6回を終わって7点差の場合はコールドゲームとなるが、この時点で尚美学園大は6回コールド勝ちの権利を手にする。

尚美の先発である田中はスリークォーターから投げ込むMAX122キロのストレートを武器とする右腕。それも最大瞬間風速的に122キロを出したのではなく、122キロを何度も計時。コンスタントにスピードボールを投げ込める実力派である。ハナマウイの右打ち選手が球威に押されて、なんとかライト前に打球を運ぶも、女子野球はライトが浅く守っているためにライトゴロアウトになる場面が何度か見られた。
プロからハナマウイに移った六角彩子は、田中のストレートに合わせるために元々短く持ったバットを構える前に少し落としてより短くするという作戦で当てに来るが快音は聞かれず。

結局、尚美学園大学がハナマウイを8-1、6回コールドで下した。


決勝戦は、京都フローラ対尚美学園大学の顔合わせとなる。当初は午後3時プレーボールの予定だったが、コールドゲームがあったため、午後2時30分に早まる。

試合前には始球式があり、長岡京市にある長岡第二中学校の富田彩加さんが想像以上に速いボールを投げてスタンドを沸かせた。

京都フローラの先発は、今年、育成のレイアからフローラに昇格した龍田美咲。
尚美学園大学の先発は、左腕の山田優理。

フローラの龍田は切れのあるストレートで勝負。MAXは120キロを記録。
一方の山田は、初回の最速は119キロながら伸びていない感じはしたが、その後に球速が上がり、MAXはなんと129キロを計時。女子プロ野球最速記録である森若菜(愛知ディオーネ)の128キロを上回る。その他にも127キロが2球、126キロが1球あった。ただ速球で押すタイプではなく、全力投球をするのは「ここぞ」という時だけで、基本的にはスピードを抑えてコントロールを重視するタイプである。コーナーぎりぎりに決めて見逃し三振を奪うシーンも何度か見られた。

山田が129キロを出してからフローラの打者達の目の色が変わったように見えたため、逆にプロのプライドに火をつけることになってしまったかも知れない。

それでもゆったりとしたテイクバックから速球と変化球を投げ分ける山田を打ち崩せなかったフローラだが、6回表にみなみがピッチャー返しのヒットを放つと、三浦伊織が敬遠され(女子プロ野球は申告敬遠は採用していない)、更に「さこ」の愛称を持つ浅野桜子がフォアボールを選んで満塁とする。中村茜の当たりはライトへ。これが2点タイムリーツーベースとなり、フローラがようやく先制する。

フローラは5回表から、レジェンド・小西美加をマウンドに送る。今日の小西はストレートは余り投げず、カーブ、スライダー、スプリット、チェンジアップといった変化球で勝負。大学生レベルでも速球は打ち慣れているが、変化球ならプロと学生とでは差があるという読みなのかも知れない。

一方の尚美は、先程コールドながら完投勝利を挙げたばかりの田中を6回表からマウンドに送る。
田中はやはり疲れがあるようで、コントロールが定まらない。なんと2者連続で死球を与えて満塁のピンチを迎えるという乱調。ちなみに、泉由希菜への死球となったストレートは129キロを計時したが、その他の球はやはり最速で122キロであり、1球だけ7キロもアップしたということは考えにくいため、誤計測だと思われる。泉の代走として、今シーズンを最後に引退することを表明している岩田きくが入り、スタンドからの声援を受けた。

満塁ということで、尚美学園の内野はホームゲッツーを狙う超前身守備体制。ここで奥村奈美の当たりはピッチャーゴロ。田中はバックホームするが、キャッチャーの左上に抜ける悪送球となり、2点を献上。田中はがっくりとうなだれる。
その後も、中村茜にタイムリーを許すなど、田中はこの回4失点であった。

尚美は、6回裏に小西から1点を奪い、最終7回も無死二塁一塁のチャンスを作るが、浅田真有は三振に倒れ、小林夕衣はピッチャーゴロ。1-6-3のゲッツーとなって、6-1で京都フローラが勝利し、優勝を決める。

ジャパンカップの決勝にアマチュアのチームが駒を進めるのは7年ぶりのことだそうで、優秀選手の投手部門は尚美学園大学の田中(最優秀防御率、最多奪三振)と山田(最多奪三振)が独占し、田中はベストナインの投手部門にも選ばれた。
MVPには、京都フローラの中村茜が選ばれる。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月 3日 (土)

笑いの林(106) ファミリーレストラン 「ファミレスライブ in 滋賀 Vol.76」~秋の大運動会SP~

2018年10月27日 滋賀県野洲市の野洲文化ホール小ホールにて

人口約5万人の小都市、滋賀県野洲市へ。午後3時開演の、野洲文化ホール小ホールでのファミリーレストラン単独公演「ファミレスライブ in 滋賀 Vol.76」を観に来たのである。
来ている人の話から察するに、ほとんどの人が地元・野洲在住のようである。祇園花月でのファミリーレストランの公演には若い女の子がたくさん駆けつけるが、その子達は野洲まで追いかけてきたりはしないようだ。設備が大都市のものに比べると貧弱ということもあるのかも知れない。ファミリーレストランの二人がお客さんの名前を知っているため、常連の人が多いこともわかる。

入場時にくじ引きのようなことをする。しもばやしの一発ギャグを書いた紙が入っており、引いた紙に書かれたギャグと同じものをしもばやしがラストに行った場合は、ファミリーレストランの二人のサイン入り写真を貰うことが出来る。

今日は「秋の大運動会スペシャル」と銘打たれた公演。全席自由であり、しもばやしを応援したい人は中央の通路を挟んで上手に置かれたパイプ椅子席に、ハラダを応援したい人は同じく下手の席に座ることになる。私は下手側の席を選ぶ。

ファンの数であるが、しもばやし側が多い。しもばやし側が前の方から詰めて座っているのに対し、ハラダ側は前から2列目までは全て埋まってるが、それ以降は真ん中や端の席が空いている。

しもばやし側の前の方に座っている人の中にはサイリウムを振っている熱心なファンもいる。

というわけで、登場したしもばやしは喜び、ハラダは落ち込む。サイリウムを振っている人達は以前からいたが、全員しもばやしファンだったようで、ハラダはガックリのようである。客入り時の客席の映像を二人はモニターで確認していたのだが、しもばやし側が明らかに多いため、ハラダは構成作家さんにも「これが結果ですよ」などと言われたらしい。

まずは二人によるトーク。しもばやしが最近、久しぶりにハラダが出てくる夢を見たらしい。二人でライブに出ていたところ、突然、お客さん達がキョンシーと化し、襲いかかってくるという夢である。ハラダの掴みのギャグである「いらっしゃーせー!」をお客さんとやる時に、ハラダは「まず腕を前に伸ばして下さい」と言うのだが、お客さんの様子を見て「皆さんキョンシーみたいですね」ということがあるそうで、それが頭の片隅にあっての夢らしい。二人で建物の影に隠れて息を潜めていたが、キョンシーが襲ってきたため、ハラダが「ここは俺に任せてお前は逃げろ!」と言ったそうである。ハラダのキャラではないらしいのだが、夢の中での出来事なので違う性格になったらしい。地下室に逃げ込んだしもばやしは、何故かそこに麒麟の田村裕を見つけ、田村は「みんなここに段ボールあるで」と言って段ボールを食い始める、というのは田村の『ホームレス小学生』の影響らしいのだが、その後、地上に出たしもばやしは、街が廃墟のようになっているのを見て愕然。とそこに、キョンシーがただ一人(数詞は「人」でいいのかな?)ピョンピョンとこちらにやって来ることに気づく。それがキョンシーと化したハラダであり、ハラダは立ち止まって、両手を突き出し、「いらっしゃーせー!」って、どんな夢なんだそれ。

ハラダの方は最近夢を見ないらしいのだが、それは酒を飲んで寝るからだそうで、酒を飲んで落ちるのは寝入るのではなく失神するのと一緒であり、つまり寝ているわけではないので疲れが取れないそうだ。

漫才を二つやってからコーナーがある。今日のコーナーは大運動会で、ハラダが赤の、しもばやしが白のTシャツに着替えて様々な種目を競う。観客参加のものが多い。


漫才。
まずは、ハラダが「滋賀県を盛り上げるために知事選に立候補」するようしもばやしに提案する。ハラダは「お前のためならウグイス嬢でもなんでもやったる」と言うのだが、いざ、しもばやしを候補として紹介する段になると、ボートを漕ぐ真似をして、何故か琵琶湖の真ん中で候補紹介を始めようとしたり、サービスエリアを舞台にしようとしたり(滋賀県内のサービスエリアには人が多いが、大半は滋賀県外の人達だそうである)、街中でやるのはいいが「ライバルがいない時間にアピール」ということで深夜2時に行おうとする。
最後は集まった人に袖の下を使ったり、演説が終わったと思ったら園児達の前でのものだったりする。


二つ目の漫才も滋賀県ネタ。滋賀を盛り上げるためにご当地アイドルを作ろうとしもばやしが提案し、ハラダが具体的なプランを語るのだが、女性アイドルグループの名前がE-girls。しもばやしが「E-girlsというグループはもうあるやん」と言うが、ハラダは「字が違うねん。井戸の『井』に伊藤園の『伊』で『井伊ガールズ』」と彦根藩主ネタにしたり、男性アイドルグループ「近江米ふっくら2」とKis-My-Ft2のばった物を提案したり、「ここって近畿? キッズ」と言って、しもばやしに「バリバリ近畿や!」と突っ込まれる。
今度は滋賀県を舞台にしたドラマを作ろうとしもばやしが言い、有名なドラマの滋賀版のタイトルをハラダが挙げるのであるが、「花より男子」が「滋賀より京都」になり(ハラダに言わせると、「知名度」「人口」「観光名所の数」「都市としての規模」「都会度」など全て京都の方が上だそうだ)、「世にも奇妙な物語」が「とても微妙なものばかり」になるらしい。更に朝ドラ「半分、青い。」の滋賀版を「半分、琵琶湖。」と言って、「半分もないわ! 6分の1や!」としもばやしに突っ込まれる。「絶対零度」は「絶対京都」になるそうで、ただ「ひとつ屋根の下」は「ひとつ奈良の上」となり、滋賀は奈良よりは上らしいのだが、奈良県人は奈良県人で「滋賀よりは上」と思っているそうだ。歴史的に見ると天智と天武ということになるだろか。その後は、有名ドラマに似た名前を持つ滋賀県の施設が挙げられていく。
しもばやしがCMを作ろうと提案して、ハラダがCMの内容を演じてみるのだが、すでに廃業になったホテルのCMをやったり、滋賀県人を馬鹿にする京都人の様子が演じられ、「滋賀県人を見下す京都人へ、『琵琶湖の水止めるぞ!』」というACジャパンのCMになったりする。


コーナー「秋の大運動会スペシャル」。まずは客席から男性1人女性1人を選んで、1チーム3人でその場で1人10秒間ダッシュしてバトンを繋ぎ、バトンの先につけた万歩計の歩数を競うというもの。若い人や子ども達の方が有利である。その後も、プラスチックのバットを立てて頭に当て、10回回ってからパン食い競争を行ったり、4人で卓球のドリブルとラリーを行い、4人目が筒型のケースにボールを入れるという競技があったり(元卓球部の男性が出場したが、卓球を辞めてから19年が経過ということで活躍出来ず。というより卓球は基本的にドリブルは反則になるため、やった経験がないと思われる)、パンストの端と端をかぶって引っ張るパンスト相撲を行ったり(途中でDA PUMPの「U.S.A」が流れ、その時は競技を止めて踊る)と様々な種目が行われる。ファミリーレストランの二人ももう40代であるため、一つの種目が終わるごとにヘトヘトになり、水を飲んだり小休憩を入れたりする必要がある。

最後は、借り人競争。観客は事前にアンケート用紙に書かれた「ハイテンション『 』」の『』内を単語一つで埋めておき、茶封筒に入れておく。ファミリーレストランの二人がそれを受け取って舞台上で演じるというものである。
私も、「野洲といったら野洲高校の『セクシーフットボール』だよな」ということでそう書いておき、ハラダが演じることになったのだが、ハラダは「セクシーフットボール」が何か知らなかったようで、単なる「セクシーに行うフットボール」をやっていた。ファミリーレストランのネタに、ボクサーに扮したしもばやしにハラダが「ストレートをセクシーによける」と無茶ぶりするものがあり、それも念頭にあったので良かったりもするのだが、滋賀県住みます芸人であり、野洲で何度も単独ライブを行っていながら、野洲高校の「セクシーフットボール」を知らないというのはあってはならないこと、という程ではないがかなりまずいように思う。ハラダは京都人で、サッカーに詳しくない場合は「セクシーフットボール」がなにかわからなくても仕方ないのかも知れないが、お客さんは野洲の方々で意味は当然知っているだろうし。

結果は、しもばやしチームの勝利となり、しもばやしを応援する席に座ったお客さんが全員舞台上に上がって記念写真を撮るという特典が与えられた。これは嬉しいだろうな。

ラストは先に書いたとおり、しもばやしの一発ギャグ抽選。しもばやしもくじを引いて演じる。同じくじを持っていた5名の方にプレゼントが贈られた。


色々あったが、野洲サイズの都市で毎月こうしたライブが行われているというのは素晴らしいことだと思う。地方創生のモデルとして他の自治体の参考になることだからだ。おらが街の芸人がいて、毎月会うことが出来て、プレゼントも貰える。老若男女みんなで、あるいは家族ぐるみで応援出来る。こうしたことが本当の文化だと思える。ちょっと感動してしまった。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月 1日 (木)

2346月日(4) 同志社女子大学公開講演会 ジェイ・ルービン 「夏目漱石と村上春樹 翻訳家の告白」

2018年10月23日 同志社女子大学今出川キャンパス純心館S013教室にて

同志社女子大学で開催されるジェイ・ルービンの公開講演会に参加する。アルティであった加藤健一事務所の公演を観た帰りに同志社女子大学の前を通ってたまたま見つけた講演である。同志社女子大学今出川キャンパスの中で最も新しいと思われる純真館で行われる。


「夏目漱石と村上春樹 翻訳家の告白」と題された講演。
ジェイ・ルービンは、村上春樹の小説の翻訳で知られる翻訳家・文学者である。ワシントンD.C.に生まれ、シカゴ大学大学院で文学博士号を取得。ワシントンD.C.ではなくワシントン州シアトルにあるワシントン大学の教授を経て、ハーバード大学教授。2008年に退官して、同大学名誉教授の称号を得ている。『ねじまき鳥クロニクル』の英語翻訳で野間文芸翻訳賞を受賞。村上春樹の『ノルウェイの森』、『1Q84』などの他に夏目漱石や芥川龍之介、謡曲の英訳なども手掛けている。また『村上春樹と私 日本文化に心奪われた理由』という本を上梓している。

ジェイ・ルービンは基本的に日本語で話す。

まず、京都の思い出。京都では、1995年から96年までと2000年から2001年までの2度、桂にある国際日本文化研究センター(日文研)に1年間滞在して研究を行ったことがあり、今回も京都を訪れて大変懐かしく思うと語る。

そして以前、伏見稲荷大社を訪れた時の話になる。伏見稲荷大社には何本もの寄進された鳥居があり、様々な人が勝手に祠を建てたりしている。ジェイ・ルービンはその中にとても古いと思われる祠を見つける。文字が最早見えなくなっており、「これは江戸時代以前に建てられたものに違いない」と思ったのだが、実はそれは昭和に入ってからのもので、夏目漱石の時代よりもはるかに新しいものであった。昭和といっても文字が見えないほど古びてしまうものが存在するのだが、更に古い時代に活躍した夏目漱石は「今でも新しい作家」である。

その後、早稲田大学のゲストハウスに泊まった話もする。早稲田大学のゲストハウスは夏目漱石の生誕地や邸宅が構えられたというゆかりの地である。
ルービンは、早稲田界隈で撮った写真をプロジェクター(投影機)を使っていくつか見せる。漱石山房記念館、夏目漱石生誕の地の碑、夏目漱石の銅像など。早稲田には今も夏目漱石が息づいている。

そこから村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を翻訳した時の話になる。夏目漱石のような物故者には翻訳に関して意見を聞くことは出来ないが、村上春樹は存命中であるため、いくらでもやり取り出来る。ただ、やり取りをしすぎてしまったという話になる。

ジェイ・ルービンは翻訳に関しては細かいところまで詰めるタイプであるため、村上春樹に質問し続けて、朝から晩までやり取りをすることになってしまい、共に疲労困憊になったそうである。
『ねじまき鳥クロニクル』は、「水」が重要なテーマになっているため、ネクタイの柄である「水玉の」を「polka-dot」にすべきか水を強調できる「water-drop pattern」にすべきか村上に問い、村上は「polka-dotがいい」と答えたそうである。

「塀」も『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』以来、重要な村上文学のモチーフなのだが、ジェイ・ルービンは「wallとすべきかfenceとすべきか」迷い、村上は「fence」をベターとした。

「幸江」という名前の女性が出てくるのだが、ルビが振られていない。そこでルービンは、「さちえ」と読むのか「よしえ」か、はたまた「ゆきえ」なのかを聞く。村上の答えは「ゆきえ」であった。

出てくる登場人物が掛けている眼鏡の縁の色が最初は茶色だったのが途中で黒に変わっている。これについては村上は「最初から黒にすべきだった」、つまり編集者も見つけることが出来なかったミスであったことがわかった。

ということで、村上春樹もルービンとの翻訳作業を終えて、「どうせ小説というのはいい加減なものだ」(やれやれ)と発言したそうで、村上春樹自身も翻訳を行うが、自身が書いたテキストが英訳される際に気にするのは英文として面白いかどうかであり、子細に点検するタイプではないようである。村上自身は自作の小説を読む返すこともほとんどないことが知られているが、読む直すと「欠点ばかり目につく」からであり、仮に間違いがあったとしても致命的でない限りは気にしないことにしているようである。
デビュー作である『風の歌を聴け』でも、日付の辻褄が合わなくなっていることが知られているが、村上春樹本人は後でそれに気づくも今に至るまで修正したことはない。確かに小説を読み進める上では大して問題にならない部分ではある。

ちなみに、ルービンは『ノルウェイの森』を英訳した際、村上に訳の間違いを指摘されたことがあるのだが、それは、「かわって」を「わかって」と誤読したために起こったものだそうである。村上はその時も、「『かわって』を漢字で『代わって』と書くべき所を平仮名で書いてしまったため」としており、ルービンは村上について「とても優しい人」という印象を抱いたそうである。


その後、ルービンが『アメリカひじき』を翻訳した野坂昭如の話になる。ルービンは銀座の店で野坂と待ち合わせをしていたのだが、いつまで経っても野坂がやって来ない。1時間ほど待ったところで、実はスタッフが店を間違えていたことに気づき、ルービンは野坂が待つ店へと移動する。
到着した時には野坂はすでに酔っ払っており、店にゴキブリが出たとかで、「人間はゴキブリ以上の存在だと思い込んで疑わない『傲岸さ』について延々と語った」そうである。


ルービンは、澤西祐典(さわにし・ゆうてん)という日本の若い作家を紹介する。優れた作家なのだが日本人はほとんど誰も知らないそうだ。


話は漱石に戻る。『三四郎』を英訳した時のことだが、ルービンは「漱石の頭の中をよりよく理解したい」ということで、漱石自身が書いた『文学論』を読んで研究を行ったという。「漱石は直角的ではなく細かな描写を好む」ことにルービンは気づいていたのだが、『文学論』で漱石は視覚や聴覚といった五感に関する記述を行っており、その細密な分析に感心している。
漱石は、ヴィルヘルム・ブントが書いた色彩に関する記述を挙げ、「白色は華美、緑色は静けき楽を想起し、赤色は勢力に通じるものなり」として、『三四郎』でも色彩理論を発展させている。
なんとなく、共感覚を連想させる手法であるが、夏目漱石が共感覚の持ち主なのかどうかは私は知らない。

その頃、ルービンは、『夏目漱石』を著したことで有名な文芸評論家・文学者の江藤淳を訪ねている。当時、江藤淳は東京工業大学の教授であり、江藤の研究室に招かれたルービンは江藤から「ここにある書籍は自由に使っていい」と言われたそうで、「本当に親切な人だ」という印象を受けたという。
江藤の不在時に、ルービンは「漱石の幽霊が現れるのでは?」という願いを抱きつつ研究室に籠もっていたことがあるそうだが、ついぞ幽霊は現れず、「自分は幽霊を見たことはないし、信じてもいないので」当然ではあると思いつつも、それは漱石が説いた「還元的感化」や、漱石が東京帝国大学の教員を辞して朝日新聞に小説専業の嘱託社員として入社したときの「妙境」に通ずるものがあるのではないかという答えを導く。村上春樹の小説では高確率で、能には常に異界のものが出現する。

最後は、世阿弥の謡曲「雲林院」を巡る話題。在原業平の幽霊が、自身が主人公のモデルとなった『伊勢物語』を本を持って現れるという筋書きに、ルービンは「還元的感化」と「妙境」を感じたという話である。


講義の後で質疑応答の時間となる。質問の優先順位はまず同志社女子大学の学生(普通の講義としても行われており、同女の学生は出席票やレポートを出す必要があるようだ)、次いで同志社大学など単位交換をしている他大学の学生、最後が一般人となるようである。

まず、ジェイ・ルービンの翻訳以外の文学先品があるかどうかという質問であるが、『日々の光(The Sun gods)』という戦中の日本を舞台にした小説を英語で書いており、日本語訳はルービン自身ではなく柴田が行ったそうだ。

2つめは、日本文学に興味を持ったきっかけについて。ルービンは、日本語を選んだのは「大きな間違いでした」と冗談を言う。英語を母国語とする者にとって日本語は最難関言語として知られ、とにかく難しい。大学時代にたまたま「日本文学入門」という講義を取り、先生が「原語で読むとますます面白い」と言ったため日本語に取り組むことになったのだが、「それが元々の間違いでした」

3つめは、村上春樹の小説がアメリカでどう受け止められているか、またノーベル文学賞に関して。
ノーブル文学賞に関してはイギリスの賭け屋が勝手にやっていることで、ノーベル文学賞委員の意向は全く不明である。ノミネートされているのかどうかすらわからない。ただ、「今の日本人でノーベル文学賞を受賞するとしたら村上春樹しかいない」のは事実である。ノーベル文学賞委員の不祥事で、ノーベル文学賞委員が解散。後継の賞は出来たが、これに関しては村上春樹自身がノミネートすら断っている。
アメリカのメディアで日本文学がどう取り上げられているかだが、文学以前に日本文化自体が話題になることがほとんどないそうで、村上春樹はその中で唯一の例外だが、それもノーベル文学賞絡みのことである。アメリカでは夏目漱石すらほとんど知られていないそうである。

4つめは、作者と読者の関係について。同女の英文科の学生の質問であるが、英語の小説を読もうとしても現時点では没頭出来ず、やはり日本語訳で読む方を好むのだが、原語による文章の差異についてはどう思うかというものである。
ルービンの場合、ドストエフスキーが好きだがロシア語を学んだことはないので、英訳で読むそうだ、「本当に理解出来ているのかわからない」というのが本音だそうである。
それと矛盾するが、ルービン自体は「文学は原語で読むべき」という考えを持っているそうだ。ただ、世界中で村上春樹は読まれているが、翻訳で読んだ全員が村上春樹について誤解しているかというとそういうことはないだろうとも思っており、伝わることは伝わるだろうとも考えているそうだ。

5つめ。深読みの可能性について。ハンガリーからの留学生からの質問である。
深読みしすぎて間違うことは往々にしておるが、物故者の場合、その深読みが合っているのかどうかを確認する術はない。「too much」になった場合はどう思うのか?
村上春樹は、「You think too much」という言葉をよく使うそうで、ルービンのように細部まで訳語を詰めなくても伝わることが伝われば良いという指向のようだ。
またルービンは学者だからこそやり過ぎると考えているようで、自戒としてもいるようである。

6つめは、「翻訳するに当たって重視しているものは」
第一に考えているのは。「正確さ」だそうである。「忠実に」行うのだが、日本語を英語にそのまま転換することは出来ないので、「英語の読者になるべく日本語の読者と同じ経験を与える」よう心がけているそうだ。

7つめは、「テキスト翻訳の際に解釈は許されるのか?」
日本語と英語は構造から何から全てが余りに違うというのが事実である。「Thank you」を日本語に訳すと「ありがとう」だが、「ありがとう」の元々の意味は「滅多にないこと」であり、「あなたに感謝します」の「Thank you」とはそもそも成り立ちが違う。「こんにちは」であるが、英語にそのまま置き換えると「Today is...」になる。そのまま言っても英語圏の人には何を言っているのかがわからない。そこで意味が一緒になるよう置き換える必要がある。ということは「解釈を入れないと翻訳出来ない」ということでもある。

私自身、中国語の翻訳家を目指したことがある。1990年代前半には、関東と北海道ローカルであったが、cx系の深夜番組である「アジアNビート」で中国、台湾、韓国のポップスが中心に紹介されていた。大学の第二外国語で中国語を選択していたこともあり、中華圏のポップスは良く聴いたのだが、ライナーノーツに記載されている日本語訳歌詞が間違いだらけなのがかなり気になった。なぜ間違いが生じてしまうのかというと、翻訳者は中国語には通じているものの文学的素養に欠けるため、何を言っているのか把握出来ないまま訳してしまっているのである。訳しているとは書いたが、内容把握出来ないまま日本語に置き換える作業を訳とは本当はいわない。訳とは言葉ではなく内容を置き換えるのである。


8つめは、7つめに関連した質問が白人男性からなされる。「内容転換はするのか?」
答えは勿論、「書き換えは許されていない」

原文のテキストが作者だとすると、翻訳者は演出家に相当する。演出家にも変な人が多いので、勝手に解釈して内容を改竄してしまう人はいるのだが、私に言わせればその時点でアウトであって、人前で表現する資格すらない。


9つめは、夏目漱石の『三四郎』に関するもので、知り合いの翻訳家が『三四郎』を英語に訳する際、わかりやすくするための言葉を足したらどうかと提案したら「No」と言われたそうである。
ルービンもやはり「わかりやすくしてはいけない」という考えのようである。
私自身も「読者を信頼すべき」と考えている。わかりやすくした場合は、原典ではなく私自身の文脈に誘い込むということになってしまうからだ。とはいえ、信頼したからといっていい結果が出るわけでもなく、逆になるケースがかなりあるのだが。

最後は同志社女子大学の教員からの感想で、村上春樹はスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を自身で日本語訳しているが、かなり解釈を入れており、村上自身が「これは村上春樹の『グレート・ギャツビー』だ」と断言していて、本当の『グレート・ギャツビー』を読みたいなら原文で読むことを薦めている。
ここでこの方は勘違いして、「自分は翻訳の際、解釈を入れているのに、自分のテキストを英訳する時はかなり細かく言葉を選ぶの意外」と言っていたが、村上春樹が細かいのではなく、ルービンが子細に聞く人なのである。先に出てきた通り、村上の考えは「どうせ小説というのはいい加減なものだ」である(やれやれ)。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2018年10月 | トップページ | 2018年12月 »