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2018年12月 2日 (日)

コンサートの記(460) 河村尚子ピアノリサイタル2018京都 オール・ベートーヴェン・プログラム

2018年11月27日 京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタにて

午後7時から、京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタで河村尚子のピアノリサイタルを聴く。オール・ベートーヴェン・プログラム。

演目は、ピアノ・ソナタ第18番、ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」、ピアノ・ソナタ第24番「テレーズ」、ピアノ・ソナタ第23番「熱情」


今日は最前列下手寄りで聴く。河村の手の動きがよく見える席である。

今年はシリーズでベートーヴェンのピアノ・ソナタに取り組んでいる河村尚子。出身地の西宮にある兵庫県立芸術文化センターではKOBELCO大ホールと神戸女学院小ホールで複数回の公演を行う。西宮での第1回のリサイタルは私もチケットを取ったのだが、風邪のために断念した。

広上淳一のお気に入りということもあり、京都市交響楽団の定期演奏会のソリストとしてよく京都コンサートホールに登場する河村尚子。ムラタホールでもチェロのホルヌングとのデュオリサイタルを行っているが、ソロでのピアノリサイタルとなると久しぶりである。


いつも通り満面の笑顔で登場した河村。堅固な構築美、強靱なタッチ、雄渾なスケール、温かさと若々しさを兼ね備えた音色、抜群のリズム感、繊細な弱音の妙技、横溢するエネルギー、多彩な表情など、優れたところを挙げれば切りのない理想的なベートーヴェン演奏を繰り広げる。日本人女性ピアニストが弾いているとは思えないどころか「とんでもない」と形容したくなる出来である。
「ワルトシュタイン」では第1楽章で雄々しさ溢れる演奏を展開。演奏終了後に白人女性が思わず感嘆の声を上げていた。第2楽章と第3楽章では愛らしいメロディーが奏でられるのだが、河村は可憐な音色で歌い上げ、喜びに溢れたベートーヴェン像を彫刻した。

「熱情」ソナタ第1楽章では、絶妙の間合いと強弱の交代で「運命主題」との相克のドラマを巧みに描く。
そして第3楽章では透き通った音色を奏で、「透明な悲しみ」と名付けたくなるような独自の演奏に仕上げていた。


全てのプログラムが終了した後で、河村はマイクを片手に登場。ベートーヴェンの思い出を語る。ベートーヴェンのピアノ・ソナタはピアニストには付きもので、好きと嫌いとに関わらず取り組まなければいけないもの、という話から入る。河村は、「若い頃から好きで、弾いて来た方だとは思いますが、思い返してみると余りよくわかっていなかったような」と振り返る。ピアノ・ソナタ第24番「テレーズ」は、「子どもでも弾いて良いよ」という内容だそうで、河村は第1楽章を9歳で、第2楽章を10歳で勉強したというが、「録音も参考にしよう」というので、CDは当時出たばかりで余り数がなかったそうだが、ヴィルヘルム・ケンプのものをカセットテープにダビングして、車で移動する時などに良く聴いていたそうである。自宅でもケンプのカセットテープをラジカセで聴き、聴いては弾き聴いては弾きを繰り返していたそうだが、ある時、再生ボタンを押しても音が出ない。「あれ?」と思ってしばらく待ったがやはり何も言わない。「再生ボタンじゃないところ押しちゃったかな? でも再生ボタン押してるよね?」と独り言を言いつつよく見てみると赤いボタンも押してしまっている。再生すると自分の声が聞こえたそうである。カセットテープは爪の部分を折ると録音されなくなるのだが、それはしていなかったようだ。ということでケンプの録音が消えてしまい、「どうしよう! お母さんに怒られる!」と思った河村は自分の演奏を上書きして誤魔化そうとしたのだが、「ラジカセの録音ボタンを押してピアノに向かうまで何歩か掛かる。足音は入ってしまうわけですよ」というわけで、「絶対にばれる!」と思っていたのだが、母親にそれとなく聞いても全く気づいていなかったという話である。

「テレーズ」の第2楽章に16分音符の主題が出てくるのだが、それが「エリーゼのために」の元になったのではないかと河村は推測する。「エリーゼのために」は実は「テレーゼのために」なのではないかという説もあるのだが、「今日は『エリーゼのために』として演奏します」

比較的遅めのテンポで歌い出す「エリーゼのために」で、音に拡がりが生まれており、個性に溢れている。そんじょそこらの「エリーゼのために」とはやはり格が違うようだ。



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