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2018年12月の64件の記事

2018年12月31日 (月)

コンサートの記(488) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会Ⅴ」第九

2018年12月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後5時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会Ⅴ」を聴く。年末の第九が、今年はチクルスの一環を兼ねての演奏となる。

今日は1階席7列6番という席。ステージ上に合唱が乗るためせり出し舞台となり、前5列は潰れたため、前から2列目である。
フェスティバルホールの前の方の席は音が上に行ってしまうため音響は余り良くない。まだ3階席の方が良いくらいである。下手側であるため、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの直接音が強く聞こえ、バランスも悪く、全体としての音像を把握しにくい。更に第1ヴァイオリンの陰に隠れて指揮者である尾高忠明の姿はほとんど見えない。10年前の旧フェスティバルホール最終公演となった大植英次指揮大阪フィルの第九を最前列で聴いた時も丁度こんな感じだった。

今日のコンサートマスターは田野倉雅秋、フォアシュピーラーに須山暢大。
独唱者は、安藤赴美子(ソプラノ)、加納悦子(メゾソプラノ)、福井敬(テノール)、与那城敬(バリトン)。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。

昨年のミュージックアドヴァイザーを経て、今年の4月から大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督となった尾高忠明。カリスマ性のあるタイプではないが、大フィルとの相性はかなり良く、ずっしりとした大フィルの音響に見通しの良さが加わった。


全般を通してテンポは中庸。ところどころ遅くなったり速くなったりでインテンポではないが、大言壮語しない堅実な第九という印象を受ける。ある意味、最もドイツ的なスタイルである。

昨年の尾高指揮の第九では、ホルンが第2楽章のソロを一度もまともに吹けないという惨状を呈していたが、今日もホルンはキークスが多い。元々、音を外しやすい楽器ではあるが、他の楽器が好調だっただけによりいっそう目立つ。

「光輝満つ」といった感じの弦楽と冴え冴えとした木管の響きが印象的な第九である。

第2楽章の緻密なアンサンブルによって浮かび上がる音楽は、あたかも「歓喜の歌」に出てくる天体の動きの描写のように感じられる(実際は、ベートーヴェンは第2楽章を作曲時には、第4楽章には別の音楽を入れる予定だったとされ、直接的な繋がりがあるわけではないと思われる)。壮大な音楽と演奏だ。

バリトンの与那城敬は調子が今一つのようにも感じされたが、独唱者と大フィル合唱団も力強い歌を披露する。

前の方で聴いていると、全曲のラストが天井へと吸い込まれていく音楽のように聞こえる。これは前の方に座った者だけが味わえる興趣だったかも知れない。


尾高と大フィルによる「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会」には、第2回の交響曲第3番「英雄」と第4番の演奏会を除く全てに参加したことになる。余り達成感はなし。皆勤だったら違った気分になったのだろうけれど。


今年も恒例の「蛍の光」の合唱がある。指揮は福島章恭。溶暗した中で、指揮者と合唱団がペンライトを手にしての歌である。過ぎゆく月日と平成の時代をしみじみと感じる。


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2018年12月30日 (日)

コンサートの記(487) 下野竜也指揮 京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」2018

2018年12月27日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」を聴く。今日の指揮者は、京都市交響楽団常任首席客演指揮者の下野竜也。

シェーンベルクの「ワルシャワの生き残り」(語り:宮本益光)との組み合わせである。ホワイエには、曲間の拍手を控えるよう、張り紙がしてある。

独唱は、吉原圭子(ソプラノ)、小林由佳(メゾソプラノ)、小原啓楼(テノール)、宮本益光(バリトン)。合唱は、京響コーラス。

今日のコンサートマスターは、客演の西江辰郎(新日本フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。
第2ヴァイオリンの客演首席には瀧村依里が入る。


「ワルシャワの生き残り」が上演されるということで、ポディウムの左右端には日本語字幕表示装置が据えられている。


「ワルシャワの生き残り」は、アーノルト・シェーンベルクのアメリカ時代の作品である。ユダヤ人であったシェーンベルクは、ナチス・ドイツの台頭により、プロイセン芸術アカデミー教授の座を追われ、アメリカへと亡命することになったのだが、その後のナチスの動向は把握出来ず、戦後になってからユダヤ人虐殺の実態を知ることになる。ワルシャワのゲットーから生還し、アメリカに渡った男性の体験談を聞いたシェーンベルクは、ワルシャワでの話を英語のテキストとして、語りと男声合唱のための曲として発表。これが「ワルシャワの生き残り」である。

ワルシャワのゲットーで意識を失ったユダヤ人の男は、朧気な意識の中で軍曹の罵声や殺害命令を聞くことになる。

鮮烈な響きによる音像が上手く纏められているのが下野らしい。宮本による語りもドラマティックだ。ガス室に送られていくユダヤ人達の合唱を担う京響コーラス男声合唱も迫力ある声を発する。


ほぼ間を開けずに、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」に突入。速めのテンポでスタート。一貫してテンポは速く、部分によっては特快となる。指揮者のプロポーションとは対照的な(?)スマートでアポロ芸術的な第九である。

第2楽章のラストを羽根のようにふわっと柔らかくするのは、広上と広上の弟子達の特徴であり、下野もそれを踏襲する。

例えるならパールのような、乳白色の優しい輝きを持つ音色も特徴。純度も高く、ティンパニの強打も特徴だが、それをも包み込むような柔らかさがある。癒やし系の第九というべきか。

「歓喜の歌」も速め。登場の拍手が起こらないよう、独唱者達はオーケストラが奏でる歓喜の主題が第2ヴァイオリンに移る頃に、舞台上手奥側からおもむろに現れる。

「ワルシャワの生き残り」と繋げることで、殺した側と殺された側とに引き裂かれた(テキストを引用すると「世の流れに厳しく分けられていた」)人類の和解と救済の「歓喜の歌」となった。


清々しい気分で、京都コンサートホールを後にする。



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コンサートの記(486) 「Chidoriya Rocks 69th」

2018年12月26日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後6時から、ロームシアター京都メインホールで、「Chidoriya Rocks 69th」を聴く。
芸舞妓ご愛用の化粧品、和小物、美容雑貨などを扱う、京都ちどりやの創立69年目を祝うライブ。伝統芸能を体現している芸舞妓とミュージシャンのコラボレーションが行われており、2009年からの不定期開催で、今回で4度目の公演となる。

出演は、屋敷豪太、奥田民生、Mannish Boys(斉藤和義×中村達也)、KenKen、佐藤タイジ、小原礼、佐橋佳幸、西慎嗣、斎藤有太、山本拓夫、宮川町舞妓・芸妓。


4部構成からなっており、1部が宮川町の芸舞妓の舞披露、第2部が屋敷豪太のニューアルバム全曲演奏会、第3部がMannish Boysのライブ、第4部が奥田民生のライブである。


開演前に、今年の災害で亡くなった方のための黙祷が捧げられる。


宮川町の舞妓と芸妓の舞からスタート。粋で儚げな「宮川音頭」に始まり、春夏秋冬それぞれの舞を披露する。


屋敷豪太のニューアルバム全曲演奏。アルバムタイトルは、「Made in Kyoto」で、黒谷和紙による生産限定版も出る予定であり、現在、予約を受け付けていて、先行で会場でも手に入る。
英語を中心とした歌詞であり、ボーカルは数人が担当。背後のスクリーンに映像も投影される。なかなか良い音楽である。


15分の休憩を挟んで第3部、Mannish Boysのライブ。斉藤和義は、ロームシアター京都メインホールでのコンサートを行ったことがあり、中村達也もサウスホールで行われた田中泯のダンス公演にドラマーとして参加していた。

斉藤和義のファンはやはり多いようで、それまでとは客席の空気が異なる。

新曲の披露があり、「ヒッチハイク」という曲が歌われた。


第4部の前に、京都ちどりや代表取締役で、屋敷豪太夫人である屋敷朋美が舞妓を引き連れて登場し、挨拶を行う。更に屋敷豪太の出身地で、台風災害などに遭った綾部市の農家向けの募金も呼び掛けていた。


第4部、奥田民生ライブ。
サングラスを掛けた奥田民生は、「あー、どうも奥田民生です」と挨拶する。それから「待ち時間が、」と言って、トリだけに待ち時間が長く、楽屋で時間を潰すのに苦労した「地獄のような」待ち時間だったことを述べる。

「マシマロ」でスタート。その後、「奥田民生の歌をうたいます。結構有名な曲だと思います。比較的」と言って、「イージューライダー」が歌われる。生で聴くと疾走感が出て格好良い。

屋敷豪太の新曲も披露される。舞妓のことを歌ったもので、舞妓達も特別にステージ上に現れて手拍子を行う。舞妓達の登場はサプライズで、屋敷以外のメンバーは本番まで知らなかったそうだ。

屋敷豪太が、中学生の頃に福知山までキャンディーズのコンサートを聴きに行き、紙テープを投げたら、当時、キャンディーズのバックでギターを弾いていた西慎嗣の頭に当たったという話から、西が所属していたスペクトラムというバンドでギターを回していたという話になり、奥田民生が、「YouTubeに載っているよ。今日、帰ったら(お客さん)全員、YouTube見るよ」と言う。

更に、屋敷豪太からのリクエストで、レッド・ツェッペリンの「ロックンロール」が歌われる。高音が連続するため、歌うのに体力がいりそうであるが、奥田民生は「lonely」が連続する歌詞をソウルを込めて歌い切る。


アンコール。奥田民生と斉藤和義のツートップ布陣というかなり豪華なものだが、まず宮川町の芸舞妓による「祇園小唄」の演奏と舞があり、左右に分かれて踊る芸舞妓をミュージシャン達が近くに突っ立ってボーッと見ているというシュールな光景に笑いが起こる。
2番からは、ミュージシャン達の演奏と歌による舞が行われる。最後は上手側の芸舞妓3人だけの踊りとなり、可憐さと幻想的な美しさに溢れる。

屋敷豪太の提案で、ステージ上でのお座敷遊び「とらとら」が行われる。衝立が運ばれ、まず、一番興味を示したというKenKenと芸妓さんの「とらとら」。芸妓さんが「とらとら」のルールを説明する。要はジャンケンなのだが、体を使ったジャンケンで、グーチョキパーではなく、「虎」「槍」「老婆」の三すくみとなる。「虎」と「槍」では「槍」が勝ち、「虎」と「老婆」では「虎」が勝つが、「槍」を持った若者は実は「老婆」の息子ということで、「槍」と「老婆」では「老婆」の勝利となる。

KenKenと芸妓さんとでは、KenKenが「老婆」で引き分けの後、「槍」で勝つが、勝った方が罰ゲームということで、奥田民生が持ってきていた朝鮮人参酒の一気飲みをする。コールは芸妓さんが行う。

更に、斉藤和義が芸妓さんと行って「老婆」で負け、負けの罰ゲームで一気飲み。斉藤は「まずい」と言い、奥田に「健康には良いから」「馬鹿! これ高いんだぞ!」と言われる。

その後、奥田も「とらとら」を行って「老婆」で、勝って罰ゲーム。自分が持ってきた朝鮮人参酒だが、「自分で飲むのと飲まされるのとでは違う」と語っていた。


奥田民生と斉藤和義のツインボーカルによる、「さすらい」と「ずっと好きだった」というヒット曲が立て続けに歌われ、客席もステージ上も大いに盛り上がる。


最後は、出演者全員が客席をバックに集合写真を撮ってお開きとなった。

なお、「Chidoriya Rocks」は、今年から毎年開催される予定だそうである。



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2018年12月29日 (土)

これまでに観た映画より(117) 「ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~」

DVDで日本映画「ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~」を観る。太宰治の小説の映画化。根岸吉太郎監督作品。出演:松たか子、浅野忠信、室井滋、伊武雅刀、妻夫木聡、広末涼子、堤真一ほか。

昭和21年、厭世的な小説家、大谷(浅野忠信)は、中野の小料理屋「椿屋」で5千円を盗む。椿屋の主(伊武雅刀)と女房(室井滋)は大谷の家まで押しかけてくるが、大谷はナイフを振りかざし、逃げてしまう。翌日、大谷の妻である幸(松たか子)は椿屋で働き始める。そこへ大谷がやってきて、盗んだ5千円を何とか返す。聞くところによると、京橋のバーで大宴会を繰り広げ、それを心配したママに5千円建て替えて貰ったというのだ。

生きるのが嫌で嫌でたまらない小説家と、それに寄り添い、振り回される妻の切ないドラマが繰り広げられる。

昭和21年当時を再現したセットや映像美が見事だが、ラストの生への力強いメッセージが、何にも勝って心に響いた。

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コンサートの記(485) 秋山和慶指揮 京都市交響楽団第534回定期演奏会

2010年4月18日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第534回定期演奏会を聴く。今日の指揮は秋山和慶。

曲目は、ストラヴィンスキーの幻想曲「花火」、カバレフスキーの交響曲第4番、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」というオールロシアものである。


ストラヴィンスキーの幻想曲「花火」。浮遊感と色彩感のあるオーケストレーションを特徴とする小品だが、秋山はこれを彩り豊かに再現する。秋山は主に北米大陸でキャリアを築いてきた指揮者だが、その影響があるのか、管の華やかな響かせ方などはアメリカのオーケストラ的な処理である。


カバレフスキーというと、組曲「道化師」よりの“ギャロップ”が運動会の音楽の定番になっていることからもわかるように、平易な作風で知られるが、今日演奏された交響曲第4番も旋律が明確で、曲調が把握しやすい。カバレフスキーの音楽には彼がソビエトの体制派の作曲家であったことと無縁ではなかったという背景があるのだが、それは置いておいてもわかりやすさを主眼とした作品であることは明らかだ。ただ、そのわかりやすさが音楽の面白さに繋がっているかというと正直微妙であるように感じされる。


メインであるムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」。予想通り安定感のある演奏であった。秋山は、他の指揮ならテンポを上げて盛り上げるであろうところでもしっかりと足をつけた着実な音運びを続ける。“ブィドロ”では遅いテンポでじっくりと攻め、“キエフの大門”も徒にスケールを拡げない渋いものであった。

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コンサートの記(484) 広上淳一指揮京都市交響楽団スプリングコンサート2010

2010年4月11日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団のスプリングコンサートを聴く。指揮は広上淳一。司会は豊田瑠衣(フリーアナウンサー)。

「ヒーロー」をテーマにしたコンサート。前半は歴史のヒーローということで、NHK大河ドラマのテーマ曲がずらりと並ぶ。「龍馬伝」、「赤穂浪士」、「元禄太平記」、「花神」、「翔ぶが如く」、「利家とまつ」、「篤姫」、「天地人」

大河ドラマのテーマをフルオーケストラで聴けるというのは贅沢である。「龍馬伝」のボーカルソロは京都市立芸大大学院生が務めており、プロには比ぶべくもなかったが、スプリングコンサート自体が新しく学生や社会人になった人のためのコンサートなので、こうした人選になったことに文句はない。


後半は、クラシック界のヒーローということで、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」が演奏された。最近の演奏は、ピリオド奏法を意識した速めのテンポによる「田園」が多いが、広上と京響は中庸のテンポで、「田園」の美しい旋律を瑞々しく歌い上げていた。

アンコールとして、ジョン・ウィリアムズの「スーパーマン」のマーチが演奏された。

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コンサートの記(483) 下野竜也指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第436回定期演奏会

2010年3月18日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第436回定期演奏会に接する。今日の指揮は下野竜也。

プログラムは、ベートーヴェンの「アテネの廃墟」序曲、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番(ヴァイオリン独奏:ルノー・カプソン)、ブルックナーの交響曲第1番(ウィーン稿)。


1969年生まれの下野竜也は指揮者としてはまだ若いが、年に似合わぬ熟した音楽を作る指揮者である。

ベートーヴェンの「アテネの廃墟」序曲とモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番の伴奏は室内オーケストラ編成での演奏。

「アテネの廃墟」序曲は見通しの良い演奏であった。

もともと今日の協奏曲はモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」の予定であったが、ソリストの強い希望により、曲目が変更になった。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番のソリストである、ルノー・カプソンのヴァイオリンは、音が磨き抜かれており、スケールも大きい。

下野指揮の伴奏は風通しが良く爽やかで、典雅さにも欠けていない。


メインのブルックナーの交響曲第1番。

ブルックナーの交響曲第1番は演奏会のプログラムに載ることが極めて少なく、載ることがあっても通常はリンツ稿が用いられ、今日のようにウィーン稿が演奏されるのは珍しい。

ちなみにリンツ稿は初演に用いられた版で、1935年にハースの校訂による楽譜が出版されている。それに対してウィーン稿は1890年から91年にかけてブルックナー自身が改訂した版で、楽譜が出版されたのは1979年と比較的最近であるようだ。普通に考えればブルックナー自身が改訂したウィーン稿が演奏される機会が多そうだが、楽譜が出版されたのが比較的新しいということもあってか、演奏に使われるのはリンツ稿が圧倒的に多いようだ。

当然ながら大編成による演奏。大編成であるだけに下野のオーケストラコントロールの巧みさが際立つ。

大阪フィルの音は輝かしく、下野の指揮に導かれて巧みな演奏を繰り広げる。ブルックナーの交響曲第1番は失敗作とはいわれないまでも、賞賛されることは少ない曲だが、それでも聴かせる。第1楽章の行進曲風の楽章は推進力に富み、第2楽章は澄み切った青空のような爽快な演奏が展開される。第3楽章の野人風のダンスや、第4楽章の歌も見事で名演となった。

下野竜也の統率力が際立った演奏会であった。

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2018年12月28日 (金)

これまでに観た映画より(116) 「オーケストラ!」

MOVIX京都まで映画を観に出かける。今日観るのはフランス映画「オーケストラ!」。

かつてはボリショイ劇場の名指揮者であったアンドレイ(アレクセイ・グシュコブ)は、30年前にブレジネフ政権のオーケストラからのユダヤ人追放政策に反対して失職。現在はボリショイ劇場の清掃員として冴えない日々を送っていた。そんなある日、理事長室の掃除をしていたアンドレイはパリのシャトレ劇場から送られてきた公演以来のFAXを手に入れ、自身がボリショイ劇場管弦楽団の指揮者になりすましてパリ公演を行うことを計画。かつてオーケストラを追われたユダヤ人楽団員らを集めて、渡仏公演を行ってしまう……。

筋書きだけを見ると無理があるように思えるし、実際に無理もあるのだが、ソ連時代の暗い歴史をユーモアを交えつつ描くなど、奥行きもあり、演奏会のシーンにはなかなか感動させられる。

俳優達の質も高く、映像も綺麗で、リアリティにさえ拘らなければ名画といってもいいだけの仕上がりになっていたように思う。

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観劇感想精選(280) 「なにわバタフライN・V」

2010年3月13日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後4時から、京都芸術劇場春秋座で「なにわバタフライN・V」を観る。三谷幸喜:作・演出の戸田恵子による一人芝居。2004年の初演以来6年ぶりの再演である。N・VはNEW VERSIONの略であり、その通り、観た印象はずいぶんと異なる、といっても初演を観たときの私の記憶はすっかり飛んでしまっていたのだが。

会場に入ると、舞台上に巨大な風呂敷包みがある。初演時のセットは楽屋風のものだったが、今回のニューバージョンではセットらしいセットはなく、背後に幕が下りるだけのものになっていた。

上手袖から戸田恵子がひょっこりと顔を出して上演開始。まず戸田が客席に語りかけ、お客さんに手伝って貰いながら風呂敷を由佳に敷きつめる作業を行う(作業を手伝ったお客さんには握手とお菓子のプレゼントがあった)。

ミヤコ蝶々をモデルにした女芸人の一代記。女芸人が見えない記者に自分の人生を物語るというスタイルで一人芝居が進められていく。

女芸人の人生を彩る男達は折りたたみ式の額縁で表現され、戸田恵子は部分的に例外はあるものの、女芸人一人を演じていく。

照明と音響による場面転換もわかりやすく、三部形式の幕間には戸田が客席に語りかけるなど、親しみやすさが増しているように思えた。

ユーモラスでチャーミングな戸田の演技も素晴らしく、初演時にあったやらずもがなの演出も整理されていて、楽しくも説得力のある芝居になっていたように思う。

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コンサートの記(482) 望月京 新作オペラ「パン屋大襲撃」

2010年3月12日 大阪・京橋のいずみホールにて

大阪・京橋の、いずみホールで、望月京(もちづき・みさと)の新作オペラ「パン屋大襲撃」を観る。

村上春樹の短編小説「パン屋襲撃」(糸井重里との共著『夢であいましょう』収録)と「パン屋再襲撃」(同名の短編集に収蔵)を原作に、イスラエル人のヨハナン・カルディが英語でテキストを書き、それをラインハルト・パルムがドイツ語に訳したテキストを用いる。

演出はイタリア育ちの粟國淳。出演は、飯田みち代、高橋淳、大久保光哉、畠山茂、太刀川昭、吉原圭子、井上雅人、7人組のヴォーカルグループであるヴォクスマーナ。演奏はヨハネス・カリツケ指揮の東京シンフォニエッタ。舞台後方にオーケストラボックスがあり、歌手達の指揮は副指揮者である杉山洋一が行う。

上演前に、作曲者の望月京と、演出の粟國淳によるトークがある。初めてオペラを手掛けた望月はこれまで用いてこなかった音楽の引き出しを開けるような感覚があり、「音のコスプレをしているような」感じがあったという。日本語とイタリア語両方のテキストを読んだという粟國が、日本語で村上春樹の作品を読むとグレーの部分が多いが、アルファベットで村上作品を読むと白と黒に分かれるよう感覚になるということと、日本人作家の作品をイスラエル人がオペラ台本化し、ドイツ人がドイツ語に訳したテキストを日本人キャストがドイツ語で歌うというインターナショナルなところが面白いと語った。

オペラ「パン屋大襲撃」の音楽は聴きやすいものであったが、現代作品にはよくあるように成功作なのか失敗作なのかわからない。

ドイツ語の作品ということで、字幕スーパーが両袖に表示されたが、私は前方の中央の席に座っていたので、演技と字幕を同時に見ることが出来ず、作品を十全に味わうことは叶わなかった。

「パン屋襲撃」と「パン屋再襲撃」は村上春樹の作品の中でも比較的解釈のしやすい作品であるが、それぞれのキーとなるワーグナー(ナチスドイツのプロパガンダ音楽であった)と、マクドナルドとコーラ(アメリカ型資本主義の象徴)の対比を音楽でもっとわかりやすく示せれば、より面白いものになったかも知れない。

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コンサートの記(481) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第435回定期演奏会

2010年2月17日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第435回定期演奏会を聴く。今日の指揮は音楽監督の大植英次。

曲目は、ロベルト・シューマンのピアノ協奏曲イ短調(ピアノ独奏:フランチェスコ・ピエモンテーシ)と、リヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲。


1983年生まれの若いピエモンテーシのピアノは音が軽く、技術は達者だが、技術ばかりが目立って音の背後のドラマを感じさせてはくれない。

大植指揮の大阪フィルは、ところによりダレ気味であり、もっとキレの良さが欲しくなる。
全体的にいって、無難な演奏という感想が正直なところ。ピエモンテーシはアンコールで、シューベルトのピアノ・ソナタ第13番より第2楽章を弾いたが、こちらの演奏は若々しいロマンティシズムに溢れていて魅力的であった。あるいはコンチェルトよりもピアノ独奏や室内楽に向いたピアニストなのかも知れない。


後半のアルプス交響曲は一転して名演となった。

冒頭から音がずれるなど、傷もあったが、「夜」の場面の神秘感の表出に始まり、「夜明け」における音の輝き、「滝で」の霊感に満ちた響き、「山の牧場で」のイメージ喚起力の高さ、「山頂で」の爽快感、「雷雨、嵐、下山」での圧倒的な迫力、「日没」の弦の煌めき等、いずれも抜群の仕上がりで、大植の指揮者としての優れた資質が感じられた。

いつもはちょっと頼りない大阪フィルのブラス陣の健闘も讃えておきたい。

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2018年12月27日 (木)

コンサートの記(480) 第54回 全同志社メサイア演奏会 山下一史指揮同志社交響楽団ほか

2018年12月24日 京都コンサートホールにて

午後6時から、京都コンサートホールで、第54回全同志社メサイア演奏会を聴く。

ホワイエでは、同志社グリークラブと同志社交響楽団弦楽メンバーによるオープニングコンサートがあった。


ヨーロッパなどでは、クリスマスに演奏されることが慣例となっている、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(ジョージ・フレデリック・ハンデル)の「メサイア」。神の予言とキリストの降誕、キリストの受難と人々の贖罪、キリストの復活と永遠の生命を描いた宗教曲であり、第45曲の「ハレルヤ」コーラスが特に有名な作品である。台本作成は、チャールズ・ジェネキンズ。ヘンデルのイギリス移住後の作品で、英語のテキストが用いられており、初演は1742年にアイルランドのダブリンで慈善演奏会として行われている。
私は、この曲のCDをチャールズ・マッケラス指揮イギリス室内管弦楽団ほかによるEMI盤1枚しか持っていない。全曲を生で聴くのは今回が初めてとなる。

同志社交響楽団は、同志社大学と同志社女子大学の学生を主体としたオーケストラだが、 他大学からの参加、いわゆるインカレも多く、京都大学、京都女子大学、京都学園大学、京都外国語大学、立命館大学、関西学院大学、京都工芸繊維大学の学生もメンバーとして加わっている。コンサートミストレスは同志社女子大学のTさんである。同志社女子大学は音楽専攻があるため、技術的には他大学の学生よりも上なのかも知れない。

同志社グリークラブは、同志社大学の男声合唱団。インカレはいないようで、規定があるのかも知れない。
メサイアシンガーズは、年末の「メサイア」上演のために結成された女性合唱団で、こちらは所属を問わないようである。指導には、同志社女子大学声楽科出身の歌手や音楽トレーナーが中心となって当たっているようだ。


指揮は、千葉交響楽団の音楽監督でもある山下一史。関西で山下指揮の演奏を聴くのはこれがおそらく3度目となるはずである。山下は、関西では、大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団の音楽監督として2002年から2008年まで活躍していた。
桐朋学園大学卒業後にベルリン芸術大学に留学。1986年にニコライ・マルコ国際指揮者コンクールで優勝。晩年のカラヤンのアシスタントとして活動しており、急遽、ジーンズのままベルリン・フィルの本番の指揮台に上がったこともある。現在は東京藝術大学指揮科招聘教授も務めている。
全曲、ノンタクトでの指揮である。

ソプラノ独唱は松下悦子(同志社音楽大学声楽専攻卒)、アルト独奏は渡辺敦子(同志社女子大学音楽科卒)、テノール独唱は小貫岩夫(同志社大学OB。卒業後に大阪音楽大学に進んで首席卒業)、バス独唱は井原秀人(同志社女子大学教授)。

チェンバロは井幡万友美(同志社女子大学チェンバロ専攻卒)、パイプオルガンは大代恵(同志社女子中学校、高校を経てエリザベト音楽大学オルガン専攻卒)。

オーケストラトレーナーは元京都市交響楽団団員の後藤良平。後藤は第1部では第2ヴァイオリンの、第2部と第3部では第1ヴァイオリンのいずれも最後列で演奏に加わる。
合唱トレーナーは伊東恵司。


同志社総長・理事長の八田英二(はった・えいじ)による開会の辞の後で、まず、オーケストラと合唱のみによる「同志社カレッジ・ソング」が演奏され、その後、指揮の山下と独唱4人が登場して、「メサイア」の上演となる。

同志社交響楽団は、学生団体ということもあってややパワー不足だが、曲に相応しい典雅で精緻な演奏を聴かせる。学生オーケストラとしてはかなり上質の団体である。

同志社グリークラブとメサイアシンガーズの歌唱は見事。声のコントロールの行き届いた充実した出来映えであった。京都コンサートホールは残響が長いということもあり、宗教曲の上演にはかなり向いている。毎年8月に京都市交響楽団が宗教曲の演奏を行うことが恒例化した理由の一つでもあるだろう。

山下の強弱を丁寧につけた指揮も素晴らしく、全同志社の恒例行事に相応しい優れた「メサイア」演奏となる。

「ハレルヤ」コーラスは、初演時に王がこの曲の演奏終了後にスタンディングオベーションを行ったという史実にちなみ、聴衆も立ち上がって合唱に参加するのが全同志社メサイアの慣例となっている。ヴォーカルスコアはパンフレットに挟んである。毎年、「ハレルヤ」コーラスに加わるのを楽しみにやって来ていると思われるお年寄りの姿も見られた。

コンサートパンフレットは上質の紙を使った豪華なもの。同志社がこの演奏会に力を入れていることがうかがえる。


「メサイア」演奏終了後に、「きよしこの夜」のキャンドルサービスがある。毎年、恒例のようである。全ての照明が落ち、合唱団とオーケストラ団員全員が電子キャンドルを灯して、「きよしこの夜」を歌い始める。指揮者と独唱者4人もそれに加わり、その後、一人ずつステージを去って行く。ハイドンの「告別」交響曲的趣向である。

最後は、弦楽カルテットが残り、「アーメン」音型が演奏されて終了となった。



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コンサートの記(479) 京都新聞トマト倶楽部 京響バレンタインコンサート「ミュージカル界のシンデレラガール新妻聖子を迎えて!」

2010年2月11日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、京都新聞トマト倶楽部 京響バレンタインコンサート「ミュージカル界のシンデレラガール新妻聖子を迎えて!」を聴く。

タイトル通り、ミュージカル俳優の新妻聖子を迎えてのコンサート。新妻聖子はデビューが鮮烈で、ミュージカル界のシンデレラガールと騒がれたが、現在は日本を代表するミュージカル俳優となっており、シンデレラガールというのは今はちょっと違うような気がする。

指揮は井村誠貴(いむら・まさき)。オペラを中心に活躍している指揮者で、小さくまとまっているようなところがあるが、旋律を歌わせるのは得意なようである。

まずオーケストラだけでレナード・バーンスタインの「ウエストサイド物語」セレクション(編曲者不明)が演奏され、その後で、濃いピンク色のドレスを纏った新妻聖子が登場、「マイ・フェア・レディ」より“踊り明かそう”、「レ・ミゼラブル」より“夢破れて”、「キャッツ」より“メモリー”が歌われる。新妻の歌は伸びやかで力強さもあり、聴いていて心地良い。

ヨハン・シュトラウスⅡ世の歌劇「千夜一夜物語」間奏曲が演奏された後、再び新妻が登場して、「エリザベート」より“私だけに”を歌った。


休憩後の第二部。まずラフマニノフの交響曲第2番第3楽章が演奏される。ややスケールが小さいが、歌は美しい。

そして、今度は紫色のドレスに着替えた新妻聖子が登場し、映画「ボディーガード」より“I will always love you”、「ある愛の歌」から同名主題歌、NHKドラマ「陽炎の辻」の主題歌で、新妻の持ち歌である「愛をとめないで」が歌われる。言うことなしである。

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2018年12月26日 (水)

コンサートの記(478) 園田隆一郎指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2018 「Bravo!オーケストラ」第3回「ファンタジック!オーケストラ」

2018年12月23日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールでオーケストラ・ディスカバリー2018「Bravo!オーケストラ」第3回「ファンタジック!オーケストラ」を聴く。午後2時30分開演。今日の指揮者は園田隆一郎。

ロビーでプレイベントがあり、園田隆一郎と京響の楽団員達が、ちびっ子からの質問に答える。質問は事前に募集し、スタッフが選んだものをシニアマネージャーの柴田さんが読み上げる。

京響の出演者は、泉原隆志(ヴァイオリン)、上野博昭(フルート)、小谷口直子(クラリネット)、ハラルド・ナエス(トランペット)、宅間斉(たくま・ひとし。打楽器)、松村衣里(まつむら・えり。ハープ)。

小谷口直子が、「小さいお友達、こんにちは! 聞こえないな。こんにちは! 大きなお友達もこんにちは!」とクラリネットのおば……、じゃなかったお姉さん風の口調で挨拶をしていたりする。

泉原隆志は、7歳と5歳のお子さんがいらっしゃるそうだが、子ども達が出場しているサッカーの試合などを観戦しているのが、「至福の時」だと述べていた。
上野博昭は、料理が趣味だという。
ハラルド・ナエスは多趣味で、車やラジコンなども好きだという。

「いつも何時間ぐらい練習してるんですか?」という質問には、上野博昭が、「全体の練習が午前10時半から4時頃まであるので、それがある日は、それほど練習出来ないです。長くても3時間くらい」と答えるが、小谷口直子は、「私は多分、上野さんより長く練習していると思います。何時間練習すれば良いというものではなく、プロの演奏家というのは出来るまでやらなければいけないと思ってます。なので私はイライラいながら長く練習してます。すぐ出来ちゃう人は短くていいと思うんですけど」と語っていた。

宅間斉は、「打楽器の場合は練習に困る」と言っており、自宅に置けない打楽器が多いので、「練習場で練習するようにしてます」と答えていた。

「旅先での練習はどうしているんですか?」という質問には、ハラルド・ナエスと泉原隆志がミュートをつけた演奏をやってみせる。トランペット場合はマウスだけで吹く練習をすることがあるそうだ。ホテルでは大きな音は立てられないため、ヴァイオリンも一番強いミュートを使って練習するそうである。

園田隆一郎には、「どうやったら指揮者になれるんですか?」という質問があり、「ピアノやヴァイオリンなんかは、3歳からやってます、6歳からやってますという方がいらっしゃると思いますが、6歳で指揮をやってますという方はいらっしゃらないだろうし、いると困る。人間性に問題が出る可能性がある」ということで、「音楽大学に指揮科というものが一応あるので、そこに入って勉強するのが良いと思います。というより、それ以前にはやらない方がいいと思います。自分がやっている楽器を極めて、それから指揮をどうしてもやりたいと思っても遅くない」
「指揮棒を使う時と使わない時の違いは?」という質問には、「使う時、使わない時というより、指揮棒を使う人と使わない人がいると思います。僕はいつも使います。大きいホールでやる時、あるいはオペラなんかでは白くて細いものが動いてた方が見やすい」と語っていた。


曲目は、前半が、チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」から「花のワルツ」、フンパーディンクの歌劇「ヘンゼルとグレーテル」序曲、ルロイ・アンダーソンの「舞踏会の美女」、ロジャースの「サウンド・オブ・ミュージック」から「エーデルワイス」「サウンド・オブ・ミュージック」「ドレミの歌」(合唱:京都市少年合唱団)、後半がオーケストラ・ライブ演奏によるアニメーション・フィルムの上映で「スノーマン」(作曲:ハワード・ブレイク)。

「スノーマン」の上映があるということで、ステージ後方に巨大スクリーンが下りており、前の席のお客さんから映像が見えないと困るというので、オーケストラも奥の方に詰めて配置、ステージも平らになっている。


まずはチャイコフスキーの「くるみ割り人形」より「花のワルツ」。「くるみ割り人形」は、クリスマスが舞台になっているということで、この時期によく演奏される。
園田隆一郎はこの手の音楽はお手の物である。
今日は舞台を平らにしているため、やはり音が上に行く感じはある。音響的には今日はいまいちのようだ。

演奏終了後に園田は、「この方達にコンサートを仕切っていただきましょう。がレッジ-セールのお二人です」と紹介。出てきたゴリは、「俺らコンサート仕切るの無理です」と言う。
ゴリは、「川田からの質問なんですけど、園田さん、(コンサートマスターとフォアシュピーラーの)お二人としか握手しないのは?」と聞く。今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーは尾﨑平である。園田は、「いつものことなので」「みんなそうなので気にしたことない」「心は全員とやっているつもりで」と述べる。
ゴリは、「言ってみれば、この方(泉原)がボス、リーダーで、こちら(尾﨑)がサブリーダー」と語る。コンサートマスターはドイツでの言い方で、英語圏では「リーダー」と言うのが普通である。川田は、「人間関係が悪いのかと思いました」

「花のワルツ」に関しては、ゴリが「CMで聞いたことあります」と言い、園田も「僕が子どもの頃、車のCMで流れてました」と語る。それから、「今、丁度、映画でやってます」と園田が言い、ゴリが客席に「観たっていう人」と聞くが数名しか手が上がらず、ゴリは「これは、観てない方が多いか、四十肩の方が多いか」


フンパーディンクの歌劇「ヘンゼルとグレーテル」序曲。歌劇「ヘンゼルとグレーテル」も西洋ではクリスマスの上演が慣習化している作品である。
ゴリが、「ヘンゼルとグレーテルという兄妹が、森の中に行ったら、お菓子の家があるのを発見します。ですが、なんとあろうことかお菓子の家は魔女の家で、捕まって食べられそうになったところを、二人で作戦を練って、魔女を釜に落として焼いて、って残酷ですね」と内容を説明する。
色彩感豊かな精緻で優れた演奏である。

演奏終了後、川田が「映像が見えました。内容想像してたら魔女が迫っているところわかりました」と言い、ゴリも「音と想像で映像が」と語る。


ルロイ・アンダーソンの「舞踏会の美女」。園田は、「小学校の音楽の時間に、ベートーヴェンとかモーツァルトとかバッハとか、シューベルトも紹介されるかな? ヨーロッパの作曲家、だいたい200年ぐらい前の人を教わって、アメリカはその時代、有名な作曲家はいませんが、100年ぐらい前になると、アンダーソンとかバーンスタインとか有名な人が出てきます」と紹介。ゴリに「舞踏会というとヨーロッパのイメージがありますが、園田さん、舞踏会って行かれたことあります?」と聞かれた園田は、「イタリアに15年ぐらい住んでましたが、イタリアでは舞踏会はあんまりやらない。ウィーンとか北の方でよくやられてます」と話す。
舞踏会は、寒い冬を乗り切るため、体を寄せ合って温め合うことを目的としているという説もある。
ゴリは、「でも日本人じゃ恥ずかしいですよね」と言い、園田に聞くと、「私は無理です」と断言で返ってきたため、「でも断ると失礼なんでしょ?」と続けたが、「私は断るのが精一杯」と返される。

「舞踏会の美女」は、藤岡幸夫と関西フィルハーモニー管弦楽団がテーマ音楽のように使っており、藤岡が司会を務める「エンター・ザ・ミュージック」でもオープニングテーマとなっている。京都市交響楽団の明るめの音色はアメリカ音楽に合っている。
演奏終了後に、園田は、「ヨーロッパとは違ったアメリカ的な華やかさ」とルロイ・アンダーソンの作風を評する。


ロジャースの「サウンド・オブ・ミュージック」には、京都市少年合唱団の団員が参加する。小学校3年生から中学校3年生まで入団可能であり、今日は小学校4年生から中学校3年生までのメンバーが登場する。身長180㎝の男子がいるのだが、中学校2年生であり、「君、中3じゃないの?」とゴリに言われる。入団テストでは、課題曲と自由曲を歌うのだが、自由曲は映画音楽などを選ぶ人が多いようだ。ゴリは、「B'zとか歌う人はいないんだ?」と聞いて、身長180㎝の男の子に、「いないです!」と即答されていた。

今時の子ということで、名前も今時であり、メンバー表を見ると、瑠月(るる)という女の子がいたり、「風凜(ふうりん)」という名の子がいたり、「瑚琳(こりん)」という子もいるが、両親が小倉優子かコリン・デイヴィスのファンなのだろか? 「織温(おりおん)」という子もいるが、男の子だよね? 「真心子(まみこ)」「心音(みお)」「奏心(かなみ)」など、「心」と書いて「み」と読ませる名前も目立つが、漢字から察するに「心音」さんと「奏心」さんは、ご両親が音楽家か音楽好きである。

中央通路で、京都市少年合唱団の津幡泰子(つばた・やすこ)が指揮をする。

「エーデルワイス」には、ギターとして猪居亜美が参加するのがさりげなく豪華である。

日本語での歌唱。やはり少年合唱団の声は心に響く。「ドレミの歌」ではラストで皆が手を繋ぎ、ポーズを決め、客席から拍手喝采。鳴り止まないため、ゴリに、「この拍手、あと2時間続きます」と言われる。更にゴリから「感動した!」「最後良いね!」「男女で手を繋ぐのが、俺らフォークダンスの時」などと言われていた。


後半、サイレントアニメーション映画「スノーマン」の上映。上映時間は26分である。ボーイソプラノとして、京都市少年合唱団の団員である北岸慶が参加する。
原作:レイモンド・ブルッグス、監督:ダイアン・ジャクソン、音楽:ハワード・ブレイク。

ガレッジセールの二人も、中央通路のすぐ後ろの席に座って映画を観る。ゴリの隣に座った若い女性はマネージャーさんだと思われる。

老年に達している父親(総入れ歯である)とまだ若い母親の間に生まれた少年が、ある雪の日にスノーマン(雪だるま)を作る。その日の夜、真夜中過ぎに目覚めた少年は、スノーマンが動き出すのを目撃、一緒に遊び、部屋の中で踊ったりしたりして楽しんだ後、外に出てバイクに二人乗りして(多分、スノーマンは無免許運転)から、北極を目指して旅立ち、その後、スノーマンの国で本物のサンタクロースと出会う。幸福感に満ちて帰途に就き、眠りに落ちた少年だったのだが……。

佐竹裕介が弾くピアノでスタート。アニメーションに合わせての演奏ということでかなり難しそうである。灯りをつけたり消したりも音楽で行うため、難度が高いが、園田と京響はクリアしていく。

スノーマンと少年が空を飛ぶシーンで、ボーイソプラノが入る。

演奏終了後、ステージに戻ったゴリから園田は「いかに大変だったか、汗の量を見てわかります。サウナ帰りじゃないですか」と言われる。
園田は、「オペラとかバレエとか相手が人間なので、1秒ぐらいずれても合わせてくれるじゃないですか。ただ相手が機械なので、いい勉強になりました」と語る。

ゴリは、ボーイソプラノ独唱の北岸慶に、「次の消臭力のCMに出るのは君だよ」と言っていた。


アンコール演奏は、アンダーソンの「そり滑り」。ノリは万全ではなかったかも知れないが、よく整った演奏であった。



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コンサートの記(477) アレクサンダー・リープライヒ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団 「第9シンフォニーの夕べ」2009

2009年12月29日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の「第9シンフォニーの夕べ」という演奏会に接する。ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の演奏。午後7時開演。

タクトを執るのは1968年生まれの中堅、アレクサンダー・リープライヒ。今日手元に届いた音楽之友社の「世界の指揮者名鑑866」にはその名が記されておらず、国際的にはまだ無名だが、昨年、大阪フィルの定期演奏会で指揮し、マーラーの交響曲第4番で好演を示したことから個人的に注目している指揮者である。

ソプラノ・安藤赴美子、アルト・竹本節子、テノール・福井敬、バリトン・青山貴、合唱は大阪フィルハーモニー合唱団という編成。

冒頭のホルンがいきなりずれたり(ホルンはその後も誰でもわかるミスを犯すなど今日も不調であった)、指揮者の手元から指輪がステージ上に飛んでいったりとハプニングもあったが、全体的には透明感溢れるスマートな演奏。テンポは速め、見通しが良く、強弱の変化、表情のつけ方がともに細やかで、ピリオド・アプローチを採用しており、時に硬めの音で強奏されるティンパニが効果的。躍動感があり、新鮮な息吹を感じる。


大阪フィルの第九には昨年も大植英次指揮の演奏に接しているが、同じ日本人として残念ながらリープライヒの方が大植よりも格上、ものが違うという気がする。結果として「才能とは何なのか?」と考えさせられることにもなった。

大阪フィルハーモニー合唱団とソリスト陣も好調で、印象的な第九演奏会であった。

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これまでに観た映画より(115) 「最高の人生の見つけ方」

DVDでアメリカ映画「最高の人生の見つけ方」を観る。原題は「バケットリスト(棺桶リスト)」。ロブ・ライナー監督作品。主演:ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン。

病院経営者のエドワード(ジャック・ニコルソン)は癌の症状が出て、自身が経営する病院に入院することになる。同室になったのはやはり癌を患っている自動車修理工のカーター(モーガン・フリーマン)。ともに余命は長くない。同室ということでいつしか仲良くなった二人は、カーターが大学時代に哲学の教師に教わったという「棺桶リスト(棺桶に入るまでにやっておきたいことをリストアップしたもの)」を実行しようということになる……。

スカイダイビングやカーレース、世界旅行などやりたいことをやるうちに人生の本当の喜びを見つけていくというストーリーで、これだけ書くとありきたりの物語のように思えるが、見終わった後で心の底にほのかな灯が点ったような感動がある。
人生というものを最後の数ヶ月に凝縮してみせるという技法も優れており、主演の二人が何しろ巧い。

エドワードが金持ちだったからこそ様々なことが可能だったという側面は否めないのだが、金を追い求め、欲深く生きるよりも皆の中の一人として大切な人と出会い、触れ合いながら生きることの方が大切だということを教えてくれる作品である。

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観劇感想精選(279) 野村萬斎主演&演出 「国盗人(くにぬすびと)」2009@兵庫県立芸術文化センター

2009年12月16日 兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後7時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「国盗人(くにぬすびと)」を観る。シェイクスピアの「リチャード三世」を河合祥一郎が日本を舞台に翻案した、現代狂言ともいえる舞台。主演&演出:野村萬斎。出演は他に、白石加代子、山野史人、泉陽二、小田豊、大森博史、石田幸雄、若松力、中村美貴、じゅんじゅん等。

「国盗人」は2年前にやはり兵庫県立芸術文化センター中ホールで行われた初演版を観ている。その時は、今井朋彦が重要な役割を演じていたが、今回は今井が出演しないということもあって、テキストも大幅に書き換えての再演となった。
ヨーク家とランカスター家の戦いである薔薇戦争を背景にした「リチャード三世」を、白薔薇一族と赤薔薇一族との戦に置き換え、登場する主要な4人の女性を白石加代子が一人四役で演じ分ける。


白薔薇一族と赤薔薇一族との戦いが白薔薇一族の勝利に終わり、殺害された白薔薇一族の長の長男である一郎(山野史人)が王座に着く。しかし、三男の悪三郎(野村萬斎)は自身が王の座に就くことを密かに狙っていた。次兄の善二郎が入牢した機を狙って善二郎を暗殺し、長兄の一郎も心労によって崩御すると、次の王になるはずだった一郎の王子を退けて、悪三郎が戴冠する。更に悪三郎は自らの地位を盤石のものとするために一郎の王子を自ら殺害するなど悪事を重ねていく……。


初演の際にはあった笑いの部分が少し削られて、スッキリとした台本になっている。本がより整ったといえばいえるし、笑いが少なくなって物足りなくなったともいえる。
初演の時のインパクトが、こちら側の慣れにより薄まってしまったのも確かだ。
それでも現代狂言として「リチャード三世」を再現する試みとしては大変優れたものであることに違いはない。


主演の野村萬斎の演技は、劇の始まりこそ狂言の言い回し的なセリフが大仰に思われたが、劇が進むにつれてそれも気にならなくなり、生来の気品と、子供の頃から鍛え上げられた表現力で、魅力的な悪役である悪三郎を見事に演じきる。

萬斎による演出もスピード感があり、能の囃子方を使った音楽も効果的で、見応え十分であった。

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2018年12月25日 (火)

観劇感想精選(278) 下鴨車窓 「人魚」

2009年12月13日 下鴨のアトリエ劇研にて観劇

午後7時から、アトリエ劇研で下鴨車窓の公演「人魚」を観る。作・演出:田辺剛。出演:平岡秀幸、森衣里、豊島由香、宮部純子。

例によっていつとも知れぬ時代のどことも知れぬ場所が舞台である。「人魚」といっても、アンデルセンの「人魚姫」に出てくるような可憐な存在ではなく、シレーヌ(セイレーン)伝説に出てくるような、人肉を漁る邪悪な存在として人魚が登場する。

沖で歌を歌い、若い漁師を惑わせ、食い殺していた人魚が捕獲される。人魚は棺桶のような水槽に入れられ、首を縄で繋がれている。

人魚の面倒は一組の親娘が見ているのだが、人魚は口が悪い上に、臭いによって蝿が集まるという不快な存在である。

人魚が殺されないでいるのには理由があった。人魚はこの世のものとは思えないほど甘い歌を歌うのである。村の長老達がその人魚の歌を聴きたがっているのだ。しかし人魚はその求めに応じようとはしない。

一日に数時間、人魚は海の中で泳ぐのを許されるのだが、そんなある日、面倒をみていた娘が恋している若い漁師が溺れて人魚に近づきすぎてしまったために、食い殺されるという事件が起きる。それでも親娘は人魚の面倒を見続け……。


最近の田辺剛が好んで用いる寓意の手法による作品だが、これまで以上に寓意と物語の調和が高まり、完成度も同時に上がっているのが感じられる。

若い漁師達の誘惑して食らうという邪悪な存在でありながら、美しい声で歌うために生かされている人魚。美と悪という二つの要素を抱えた存在と人間との在り方が描かれており、興味深い。

役者陣は、時折、台詞に喋らされているような印象を受けることもあったが健闘していたと思う。

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キエフ・バレエ 「白鳥の湖」@ロームシアター京都

2018年12月16日 ロームシアター京都メインホールにて

午後3時から、ロームシアター京都メインホールで、キエフ・バレエ(タラス・シェフチェンコ記念ウクライナ国立バレエ)による「白鳥の湖」を観る。文字通り、ウクライナの首都キエフにある国立バレエ団の来日公演。創設は1901年で、100年以上の歴史を誇っている。キエフは京都市の姉妹都市ということで、優先的に公演が行われるのだと思われる。

指揮は日本でも知名度のあるミコラ・ジャジューラ。演奏はウクライナ国立歌劇場管弦楽団。

出演は、エレーナ・フィリピエワ(オデット/オディール)、デニス・ニェダク(ジークフリート王子)、ヴィタリー・ネトルネンコ(ロットバルト)、オクサーナ・グリャーエワほか。

ヨーロッパで2番目に大きな国であるウクライナ。1位はロシアであり、旧ソビエト連邦がいかに広大な国であったかがわかる。

ミコラ(ニコライ)・ジャジューラは以前に、キエフ国立フィルハーモニー管弦楽団を率いて京都コンサートホールでの公演を行っているが、キエフ国立フィルとウクライナ国立歌劇場管弦楽団は同一母体のようである。

世界で最も知名度の高いバレエであるチャイコフスキーの「白鳥の湖」。私は、シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団による全曲盤を聴いたり、ワレリー・ゲルギエフ指揮サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場管弦楽団ほかによる映像を観ていたりするが、劇場で観るのは初めてとなる。

今日は4階席の3列目下手側の席だったのだが、前列には1人も座らず、1列目も1人座っているだけ。前の方は値段がワンランク上がるため、チケットが余ったようである。


ウクライナは美人の出所として知られており、女性バレリーナも男性バレリーナもみなスタイルが良い。体格面では日本人はルックス、パワー共に勝てないと思われる。

芸術に力を入れていた旧東側の団体だけに、レベルも高い。女性バレリーナの可憐さ、男性バレリーナのダイナミックさなど、優れたところはいくらでも上げられる。人海戦術も効果的であり、一糸乱れぬ群舞は見事というほかない。


ジャジューラはかなり速めのテンポを採用。実践的な音楽作りである。ウクライナ国立歌劇場管弦楽団は、金管の音が特に豊かであり、粗めのところもあるがパワーと秀でた美的感覚で押し切る。躍動感では理想的なバレエ伴奏といえる。

途中、ジークフリート王子役のデニス・ニェダクの出がなぜか遅れて間が開いてしまうという場面があったが、それ以外は高水準の展開。

オディールに扮した時のエレーナ・フィリピエワや、ロットバルト役のヴィタリー・ネトルネンコの動きが大きく、おどろおどろしさを出す必要から悪役の方が運動量が増える傾向のあることが見て取れた。

2度の休憩を含めて約2時間50分の長丁場であるが、高い集中力で乗り切るキエフ・バレエ。優れた団体だ。


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2018年12月24日 (月)

コンサートの記(476) 鬼束ちひろ 「BEEKEEPER」大阪公演

2018年12月19日 谷町4丁目のNHK大阪ホールにて

午後7時から、谷町4丁目のNHK大阪ホールで、鬼束ちひろのライヴ「BEEKEEPER」に参戦。今年2度目の鬼束ライヴである。

今日は、C2-25という席。一番前の部分がF席で、その後ろがC席。総合で前から9列目と、「とちり」席である。音響も含めて抜群の環境だ。

熱心なファンと思われている人達が、早めに詰めかけて交流しているのも微笑ましい。

黒とグレーのロングドレスで登場した鬼束ちひろ。インスタグラムには、「なんか今日メチャクチャ疲れてる」と投稿しており、体調面が気になるところである。


1曲目は今日もデビュー曲の「シャイン」が選ばれる。今回は、冒頭にスキャットを入れる編曲が多いのだが、「シャイン」の冒頭などは今一つ。本人も気になったようで、歌い終わってから、「すんごい緊張してる。ごめんね」とエクスキューズを発していた。

「青い鳥」では歌詞が飛び、なかなか調子が上がらないが、「漂流の羽根」、「edge」辺りから徐々に上向きになる。
今日も、「月光」、「流星群」、「私とワルツを」の「トリック」の主題歌3曲は全て歌われるという豪華なセットリスト。全体的に今日も鬼束名曲ラインナップである。
鬼束ちひろの出世作にして代表曲、代名詞的存在、そして今やスタンダードナンバーの「月光」はやはり良い。歌詞が飛び気味だったのは残念だが、鬼束本人の歌唱による「月光」が生で聴けるというのは、幸せ以外の何物でもないだろう。

他にも、「MAGICAL WORLD」、「僕等、バラ色の日々」、「Twilight Dreams」などが歌われる。

鬼束の最高傑作に挙げる人も多い、「King of Solitude」は、クリスマスソングではないが、今の時期にピッタリの曲である。NHK大阪ホールのホワイエにはクリスマスツリーが飾られていたが、まことに似つかわしく、今日という日を思い出深い日に変えてくれる一曲であった。
どうやら最前列の人が曲に感動して号泣していたようで、鬼束は、「ちょっと、泣きすぎじゃない? 大丈夫?」と突っ込みを入れていた。

初期の名曲である「CROW」が歌われた後で鬼束は、「歌詞飛ばしてごめんなさい。すんごく緊張してる。あばらが」と語る。あばらにひびが入っているそうで、やはり調子は良くないようだ(そのため、予定されていたフランスでの公演はキャンセルとなった)。ただ、発声などは夏に比べると聞き取りやすくなっており、歌唱全般に関しては満足のいく方である。

これも傑作の一つである「infection」を歌い終わってから、鬼束は、「鬼束ちひろです」と挨拶。「それはわかっている」の突っ込み希望の挨拶である。
バンドメンバーの詳しい紹介はせず、「と、バンドです」と言って済ませていた。

その後、「インスタ見た人?」と客席に聞き、「あばらが治ってない」と明かす。それから、「『蛍』という歌、知ってる人?」と聞くも、慌てて「今日は歌わないよ!」と続け、「『蛍』という歌は、人の人生を歌った曲だけれど、一つだけ、自分のことを歌った歌」として、「VENUS」が歌われる。

そして、「最後の曲。新曲」として、「ヒナギク」が歌われる。鬼束の王道を行く楽曲。レコーディング時には調子が上がらなかったようで、シングルCDに収められたものも発音がぼやけていたりするのだが、今日はそれほど気にならない出来になっていた。良い歌である。

事前に体調が不十分であることを発表していたということもあって、今日はアンコールはなし。ほとんどの人が事情を知っているということもあって、アンコールを求める拍手も起こらなかった。

「ヒナギク」を歌い終えてから、バンドのメンバーを前に集めて、「礼!」と言って頭を下げ、両手でVサインを作った後で、鬼束はチョコチョコ走って逃走、じゃなかった退場し、笑いを誘っていた。


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鬼束ちひろ 「King of Solitude」

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観劇感想精選(277) 「海をゆく者 ーThe Seafarerー」2009

2009年12月11日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後7時より、大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼで「海をゆく者 ─The Seafarer─」を観る。作:コナー・マクファーレン、テキスト日本語訳:小田島恒志、演出:栗山民也。出演:平田満、吉田鋼太郎、浅野和之、大谷亮介、小日向文世。

アイルランドの劇作家、コナー・マクファーレンの戯曲による公演である。

アイルランド。目が不自由になったリチャード(吉田鋼太郎)の家で、弟のシャーキー(平田満)は兄の面倒をみている。クリスマスイブの夜。リチャードの家にカードをやるために男達が集まってくる。

ニッキー(大谷亮介)が連れてきたのはロックハートという紳士(小日向文世)。ロックハートはシャーキーの過去をよく知っていた。監獄で出会ったと語るロックハートの正体は実は悪魔であり……。

アイルランド特有の風習や、店の名前などの固有名詞が数多く出てくるため、こちらの理解が追いつかない場合もあったが、大筋は理解できた。

味のある男優達による味のあるドラマ。基本的には下層の人々による薄汚い話なのだが、見終わった後に理由のよくわからない感動がある。それは悪魔に勝ったという感慨なのか、人間が神に祝福された存在であるという幸福感なのか。とにかく、この俳優陣だからこそ感じられた感動であることは間違いないようだ。

栗山民也の演出はパーツパーツが全て見事にはまった大変優れたものであった。

終演後、拍手は鳴り止まず、出演者は4度、ステージに呼び戻された。

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2018年12月23日 (日)

コンサートの記(475) ダニエル・ハーディング指揮パリ管弦楽団来日演奏会2018京都

2018年12月14日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都・パリ友情盟約締結60周年/日仏友好160周年記念 ダニエル・ハーディング指揮パリ管弦楽団の来日演奏会に接する。パリ管弦楽団の来日演奏会を聴くのは今日で3度目。全て京都コンサートホールにおいてである。3回聴いたことのある海外オーケストラは、ドイツ・カンマーフィル、バーミンガム市交響楽団などいくつかあるが、3度とも同じ会場というのはパリ管弦楽団だけである。パリ市と京都市は姉妹都市ということで京都公演が多いのかも知れない。前2回はともにパーヴォ・ヤルヴィの指揮であり、ベルリオーズの幻想交響曲がメインの最初の演奏会は、これまで私が接した全てのコンサートの中でナンバーワンである。

まともなコンサートホールが一つもないといわれたパリだが、3年前に最新の音響を誇るフィルハーモニー・ド・パリが完成し、パリ管弦楽団もそこを本拠地とするようになった。
なお、ハーディングはすでにパリ管弦楽団の音楽監督から離任することを決めており、これが日本では最後の組み合わせになる可能性も高い。


曲目は、ベルリオーズのオペラ「トロイ人」から“王の狩りと音楽”、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ニ長調(ヴァイオリン独奏:イザベル・ファウスト)、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」


ハーディングは今月11日行われた札幌公演の直前に転倒して右足首を骨折。札幌の演奏会には車椅子を使って登場し、指揮した。このことはSNSで拡散されて話題になっていたが、今日も演奏会の前にマイクを手にした男性が登場し、「マエストロが札幌で転倒して右足首を骨折した」「ただ、マエストロは指揮には全く影響がないとおっしゃっていて」「椅子に座って指揮することをご了承下さい」とアナウンスした。

ダニエル・ハーディングの指揮には、以前、マーラー・チェンバー・オーケストラの京都公演で接したことがある。それ以来、2度目である。

古典配置での演奏。舞台最後列にはモダンティンパニが並び、ベルリオーズではこれが使われる。舞台上手にはバロックティンパニが置かれていて、ベートーヴェンではこちらが用いられる。


ベルリオーズのオペラ「トロイ人」から“王の狩りと音楽”。冒頭の弦楽の妙なる響きに魅せられる。オーケストレーションの名人であったベルリオーズの華麗な響きが堪能出来る演奏。ただクライマックスでは京都コンサートホールの特性上、音が散り気味となる。ホルンの音が豊かで色彩が濃く、フランスのオーケストラの美質が感じられるのが良い。


ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。ソリストのイザベル・ファウストは、現代を代表する名手の一人である。

ハーディング指揮のパリ管は速めのテンポでスタート。
ファウストのヴァイオリンは、音に張りがあり、パリ管共々弱音が極めて繊細で美しい。第2楽章のきめ細やかな音楽作りは白眉。全般を通して精緻な音楽性が印象的な美演となる。
なお、第1楽章のカデンツァではティンパニが大活躍。ベートーヴェン自身がピアノ協奏曲に編曲したものからの再アレンジ版だと思われる。ファウストとティンパニ奏者(Eric Sammutだと思われる)が息を合わせた好演であった。

ファウストのアンコール演奏は、クルターグの「ヴァイオリンのためのサイン.ゲーム.メッセージ ジョン・ケージへのオマージュ」より“Fur den.der heimlich lauschet”微妙に表情を変えていく音型が魅力的な短い作品である。ファウストの繊細な持ち味はこの曲でも有効であった。


ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。単なる巡り合わせだと思うが、この曲の実演で優れたものに出会った記憶がない。有名な割りにコンサートで取り上げられる回数が余り多くないということもあるが、日本人指揮者の場合は情に流れやすいのかも知れない。

ハーディングは、この曲はノンタクトで振る。

冒頭の広がりのある響きからとても魅力的である。テンポは中庸。ピリオド奏法によるノンビブラートの弦楽が効果的であり、描写力が豊かである。木々のざわめきや光の移ろいが音の中から拡がっていくかのようだ。
新鮮さ溢れる第2楽章と第3楽章、ティンパニの強打が効果的な第4楽章「嵐」、そして第5楽章の清々しさなど、万全の音運びで、貫禄の名演奏となった。

「田園」演奏終了時が9時20分頃ということもあり、アンコールはなし。「田園」が優れた出来だっただけにそれも良い選択である。

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楽興の時(26) 伏見交通安全協会・京都府伏見警察署主催「交通安全!X'mas Concert」2018

2018年12月20日 伏見区の京都市呉竹文化センターにて

午後2時30分から、丹波橋駅前にある京都市呉竹文化センターで、伏見交通安全協会・京都府伏見警察署の主催による「交通安全!X'mas Concert」を聴く。一日警察署長・エレクトーン演奏は、エレクトーン奏者の小椋寛子。吹奏楽演奏は、京都聖母学院中学校・高等学校吹奏楽部。合唱は、伏見老人福祉センターコーラス同好会。

小椋寛子が、Twitterで情報を流したのを受けて聴きに来たもの。小椋寛子は昨年に続き、2年連続の参加になるようだ。


開演5分前から準備に入るなど、余り慣れた感じはしない。

無料コンサートということもあり、赤ん坊が叫んでるし、お爺ちゃんも叫んでるしという環境である。

開会セレモニーとしてして、まず京都聖母学院中学校・高等学校吹奏楽部のトランペット奏者によるファンファーレがあり、主催者として伏見警察署の署長が挨拶を行う。
京都府内での交通事故は、減少傾向にあり、昨年の同時期に比べると31%減となっているそうだ。なお、年末年始は交通事故が増える時期だそうである。

続いて、馬屋原伏見区長による来賓挨拶がある。実は小椋寛子とは高校の先輩後輩だという明かされる。


その後、一日警察署長である小椋寛子が、女性警察官の格好で登場。なお、京都府警のゆるキャラであるポリスまろんとみやこがエスコートしていたが、フラフラとした足取りで逆に心配される。


京都聖母学院中学校・高等学校吹奏楽部による演奏。部員は総勢で70名ほどいるそうだが、今日が終業式で、この時間はまだ授業を受けている生徒もいるということで、45名での参加となる。中学校1年から高校2年生までの参加である。
全員が21世紀生まれということで、いわゆる懐メロはピンとこないそうだが、まず、西城秀樹の「ヤングマン」が演奏される。西城秀樹が今年他界したということで選ばれた曲だそうである。

続いて、京都聖母学院はカトリックの学校ということもあって、「クリスマス・キャロル・ファンタジー」が演奏される。

お年寄りのための「青い山脈」の演奏。生徒達は映画を観たことがないため、「山脈が青いからなんなん?」という反応もあったそうである。

今年流行った、DA PUMPの「U.S.A」がその次に演奏される。客席にはお年寄りが多いということで、よくはわからないようだったが、「軽快な曲やったなあ」という声は聞こえた。ちなみに顧問の先生も今年47歳だが、松田聖子より新しい歌手の曲はよく知らないそうである。

最後は、加山雄三メドレー、「君といつまでも」「お嫁においで」「サライ」が演奏される。

更にアンコールとして、ディズニー映画「ズーラシア」より“Try Everything”の演奏もある。

京都聖母学院中学校・高等学校吹奏楽部は、高校の大会で京都府の金賞を受賞した強豪だそうである。


続いて、伏見老人福祉センターコーラス同好会による合唱。メンバーの中で男性は2人しかおらず、ちょっと寂しい。女性と違って男性は余り催しに参加したがらないようである。

「冬のメドレー」(「雪」「冬の星座」「ペチカ」「雪の降る町を」など)、「いい日、旅立ち」、「上を向いて歩こう」、「きよしこの夜」が歌われる。
お爺ちゃんお婆ちゃんによるアマチュア合唱団で、練習は月2回だけということもあり、声が合っていない。更にお爺ちゃんがどこを歌っているのかわからなくなり、楽譜をごそごそし始め、更には譜面を落としてしまうなどしっちゃかめっちゃかになっていた。
無料コンサートというだけあってこんなものだろうし、こうしたハプニングも面白さのうちである。


そして、小椋寛子によるエレクトーンの演奏。いつも小椋が使っているYAMAHAのSTAGEAのエレクトーンを使っての演奏である。グレーのドレスに着替えて登場した小椋はまず「美女と野獣」序曲を演奏。その後、「最近のエレクトーンは声を出せるってご存じですか?」と聞いてから、スキャットの音を出したガーシュウィンの「アイ・ガッタ・リズム」を演奏する。

小椋は、ABCテレビの「おはよう朝日土曜日です」のジングルや、BGMを演奏しているということで、その演奏も行う。

大阪音楽大学ピアノ学科在学中にオーディションを受けて、「おはよう朝日土曜日です」のエレクトーン奏者に採用された小椋寛子。第4次審査で、「鍵盤を見ずに、カメラを見ながら笑顔で弾いて下さい」と注文されて戸惑いながら弾いたいう「魔法にかけられて」より“真実の愛のキス”も弾く。

最後は、「サウンド・オブ・ミュージック」メドレー。エレクトーンでは動物たちの鳴き声も出せるようだ。表題作のほか、「ドレミの歌」「私のお気に入り(マイ・フェイバリット・シングズ )」「エーデルワイス」「もうすぐ17歳」「すべての山に登れ」などが演奏された。そういえば、高校1年の時の音楽の授業で、「サウンド・オブ・ミュージック」の1場面を選び、何組かに分かれて演じて歌うという課題があり、私は「すべての山に登れ」の組に入って演じて歌った。

その後、ヤマハ音楽教室に通っているちびっ子達が参加して、小椋とのコラボレーションを行う。ちびっ子達は、「あわてん坊のサンタクロース」、「池の雨」(ヤマハ音楽教室のCMでやっている「ドレミファソラファミレド」というあれである)、「大好き」を歌う。


閉会の挨拶で、小椋寛子がなぜか名前を「小林寛子」と間違えられるなどハプニング続きであったが、小椋寛子はプロのエレクトーン奏者ということもあって楽しい時間を過ごすことが出来た。

入場者全員に、箸とタオルがプレゼントされる。


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2018年12月22日 (土)

コンサートの記(474) 広上淳一指揮京都市交響楽団第530回定期演奏会

2009年11月28日 京都コンサートホールにて

午後2時30分開演の京都市交響楽団第530回定期演奏会に接する。今日の指揮は常任指揮者の広上淳一。京都コンサートホールは満員の盛況である。

曲目は、モーツァルトの「魔笛」序曲、ベートーヴェンの三重協奏曲(ヴァイオリン:堀米ゆず子、チェロ:宮田大、ピアノ:アブデル・ラーマン・エル=バシャ)、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」(オルガン:桑山彩子)。

午後2時10分から広上によるプレトークがある。眼鏡をかけて登場した広上は来シーズンのコンサートプログラムが決まったことを告げたが、「12月18日に正式に発表になるので、その前に発表してしまうとお楽しみが減ってしまう」ということで、内容は公表されなかった。
今日の演奏会の曲目についての話となり、ヴァイオリンの堀米ゆず子やオルガンの桑山彩子もステージに呼ばれて話す。ベートーヴェンの三重協奏曲のヴァイオリンパートは梯子を登るように難しいと堀米談。


モーツァルトの「魔笛」序曲。広上が振ると京響はまろやかな響きを出す。推進力もあって良い演奏だ。


続いてベートーヴェンの三重協奏曲。

今月、ロストロポーヴィチ・コンクールで優勝を勝ち取ったばかりの宮田大のチェロは実に滑らか。堀米のヴァイオリンは陽光を浴びたような明るい音を出し、エル=バシャの立体感のあるピアノも印象的である。
広上指揮の京響は燃焼度の高い音を出して、これも印象深かった。


サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」。

冒頭は実に繊細。主部に入るとあらゆる音が鮮明に聞こえる。弦は時に透明で時に色彩豊か、金管は輝かしい。洒落た味わいにも富んでいて、これは間違いなく国際クラスで通用する演奏となった。桑山の奏でるオルガンも朗々と鳴り、広上の体全体から音楽が放射されたかのようなクライマックスの高揚感は言葉では表現出来ないほどである。

演奏終了後の盛んな拍手の後で広上がスピーチ。「京響はオーケストラ道の王道を歩みつつあり、白鵬のように連勝していきたい」とのこと。更に「一曲プレゼントします」ということで、グリーグの「過ぎた春」が演奏された。

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コンサートの記(473) 広上淳一指揮京都市交響楽団 「廣瀬量平の遺産」

2009年11月19日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールで午後7時開演の「廣瀬量平の遺産」という音楽会に接する。京都市交響楽団の演奏、広上淳一の指揮。

まず最初に弦楽四重奏(といっても編成は通常の弦楽四重奏とは異なり、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ2台という編成である)で、「高雅な猫のための組曲」が演奏される。猫の鳴き声を思わせる音程のずり上げが印象的だ。

続いて広上の指揮、室内編成のオーケストラにチェンバロ入り、清水信貴のフルート独奏で、「午後のパストラル」が演奏される。
フルートの独奏による開始は渋いが、オーケストラが加わるとメロディアスな曲調に変化する。CMで使用されたこともあるだけあって聴きやすい。

その後、喜劇的序曲「王様と恐竜」、「カラヴィンカ」、「シンフォニア京都」という大編成による3曲の演奏がある。それぞれに面白さを持った曲であるが、現代の作品だけに、今日も体調が良いとはいえない私にとってはちょっときついところがあった。大音量や不協和音がやはり耳に障るのである。

アンコールとして「朝のセレナード」が演奏される。演奏の前に広上がスピーチし、「セレナードは日本語で小夜曲といって夜の曲なんです。なのに朝というわけですが」と語って笑わせる。
「朝のセレナード」は弦楽のための作品。第2楽章と第3楽章が演奏されたが、これは聴きやすい曲であった。

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2018年12月21日 (金)

コンサートの記(472) パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2018西宮

2018年12月15日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後2時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会を聴く。名古屋公演と同一プログラムである。
今日は1階席で聴くことになる。ただ、1階席とはいえ、補助席の前の最後列であり、頭の上に2階席が張り出しているため、音響的には余り良くない場所である。

兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール(兵庫芸文大ホール)でパーヴォ指揮の演奏を聴くのは2度目。前回は、シンシナティ交響楽団の来日演奏会を聴いている。


曲目は、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」、シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」

同一演目を聴くということで、ホールの音響の違いがよくわかる。


モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲は、名古屋で聴いたときよりも濃い陰影が感じられたが、愛知県芸術劇場コンサートホールはもともと響きが明るいため、ホールの響きで生まれた印象の違いであろう。もっとも、演奏者もホールの音響に合わせて演奏を微妙に変えるのが普通である。


モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」。独奏者のヒラリー・ハーンは、兵庫芸文大ホールがお気に入りのようで、関西公演時にはここを使うことが多い。

音響の影響もあり、オーケストラのデュナーミク、パースペクティブ共に名古屋の時よりも狭く感じられ、第1楽章の優しい終わり方なども視覚ではわかるのに、音として十分に捉えられない憾みがある。第3楽章でも音が余り飛んでこない。
一方で、ヴァイオリンの響きは良く届く。過ぎていく今この時を愛でては儚むような、日本人の琴線に触れるヴァイオリンである。純度は高く、歌には淀みがない。これぞヴァイオリンの「至芸」である。


アンコール演奏が今日は2曲ある。まず、ヒラリー・ハーンが「バッハのプレリュードです」と日本語で言って演奏開始。自在感溢れる才気煥発のバッハである。
続いて、「バッハのサラバンドです」とやはり日本語で告げてからスタート。今度は精神的な深みを感じさせる「祈り」のようなバッハであった。


シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」。兵庫芸文大ホールでは、ジャナンドレア・ノセダが兵庫芸術文化センター管弦楽団を指揮した「ザ・グレイト」を聴いたことがある。

残響は短めであるため、ゲネラルパウゼなどには間が感じられるが、全体的に速めのテンポであり、一瀉千里に駆け抜ける。「天国的な長さ」と評される曲であり、演奏によってはしつこさを感じさせるものなのであるが、パーヴォとドイツ・カンマーフィルの演奏は、そうしたものを一切感じさせない爽快感溢れるものである。
速いだけなら味気ないものになってしまうが、パーヴォの抜群のコントロールによって各声部が浮き上がるために楽曲の構造把握が容易になり、発見が多く、新鮮な息吹をこの曲に与えている。
兵庫芸文大ホールの響きは愛知県芸よりも広がりと潤いがないが、その分、スケールが大きく感じ取れたように思う。ただ、細部に関してはステージと私の席との間に目に見えない巨大なカーテンが下りているような感じで、臨場感を欠きがちではあった。悪い音ではないのだが。

同じコンビによる「ザ・グレイト」を2度聴いたことになるが、実演に接した「ザ・グレイト」の中ではパーヴォとドイツ・カンマーフィルのものが総合力で1位になるだろう


アンコール演奏は、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。シベリウス・ファンに「好きなシベリウスのアンコール曲」を聞いたら1位になると思われる曲である。どこまでも清澄で優しい「親愛なる声」に接しているかのような演奏であった。



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これまでに観た映画より(114) 「歩いても歩いても」

DVDで日本映画「歩いても歩いても」を観る。是枝裕和監督作品。出演:阿部寛、夏川結衣、樹木希林、YOU、高橋和也、原田芳雄ほか。

事故で亡くなった長男の17回忌に集まった家族の一日を淡々と描きながら、その中に登場人物達の様々な感情が交錯するという作品。

役者達の演技がリアルで、演出がよく練られていることがわかる。おそらくリハーサルも何度も繰り返しているのだろう。

無駄を削ぎ落とした日本映画らしい映画といえる。

「結婚出来ない男」で共演した阿部寛と夏川結衣がこの映画では夫婦役で出ており、キャラクターは違うものの、ドラマの続きを観ているような面白さもあった。

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2018年12月20日 (木)

コンサートの記(471) パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2018名古屋

2018年12月13日 名古屋・栄の愛知県芸術劇場コンサートホールにて

午後6時45分から、愛知県芸術劇場コンサートホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマ―フィルハーモニー管弦楽団(ドイツ・カンマ―フィルハーモニー・ブレーメン)の来日演奏会を聴く。午後6時45分開演というと他の地方では中途半端な時間帯のように思えるが、名古屋では主流の開演時間である。

曲目は、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」(ヴァイオリン独奏:ヒラリー・ハーン)、シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」


改修工事が終わったばかりの愛知県芸術劇場コンサートホール。パイプオルガンの工事が行われたほか、ホワイエのカーペットが全面的にブルーものに変更され、内部も白木の香りが漂っていて新鮮な空気である。詳しい改修部分についてはホームページで発表されているようだ。


名古屋では何度も聴いているパーヴォとドイツ・カンマーフィル。以前、パーヴォが舞台上手から登場したことがあったのだが、今日は下手袖から登場する。ドイツ・カンマーフィルはお馴染みとなった古典配置での演奏。無料パンフレットにメンバー表が載っており、第1ヴァイオリンにHozumi Murata、ヴィオラにTomohiro Arita、ファゴットにRie Koyamaと、日本人が3人参加していることがわかる。


モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲。パーヴォは冒頭で低弦を強調し、他の弦よりわずかに長めに弾かせるなどして迫力を十分に出す。ただ、主部はドラマ性よりも煌びやかで快活な雰囲気をより前面に出している。
ナチュラルトランペットとバロックティンパニを使用し、弦がビブラートをかなり抑えたピリオド・アプローチでの演奏である。


モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」
現代最高クラスの天才ヴァイオリニストであるヒラリー・ハーン。以前に名古屋で、パーヴォ指揮ドイツ・カンマーフィルと共演したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を聴いている(諏訪内晶子の代役)。

極めて純度の高いヴァイオリンの響きをヒラリーは奏でる。美と悲しみが寄り添い合い、一瞬混ざり合っては儚げに散っていくという、桜のようなモーツァルトだ。時折、聴いていて胸が苦しくなる。
パーヴォ指揮のドイツ・カンマーフィルは、楽章の末尾をふんわりと柔らかく演奏したり、急激な音の増強を効果的に用いるなど、効果的な伴奏を奏でる。第3楽章のトルコ風の堂々とした響きも見事だ。

アンコール演奏。ヒラリーは、「バッハのジークです」と日本語で紹介してから弾き始める。彼女が15歳でデビューした時の曲がバッハの無伴奏である。この程、続編が出て、全曲がリリースされたが、「聖典」と呼ばれてベテランヴァイオリニストでさえ演奏することをためらう作品に、若い頃から取り組んで発表していたことになる。というわけで万全の演奏。技術、表現力ともに満点レベルである。


シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」。この曲ではトランペットはモダンを用いているが、ピリオドのスタイルは貫かれている。

冒頭から速めのテンポを採用。この曲でもロッシーニ・クレシェンドのような音の急激な盛り上がりが効果的である。やはりパーヴォのオーケストラコントロールは最上級で、タクトで描く通りの音がオーケストラから引き出される。まるでベーゼンドルファーを華麗に弾きこなすピアニストを見ているかのようだ。
また、各楽器を巧みに浮かび上がらせ、普通の演奏では渾然一体となってしまう部分を重層的に聴かせることに成功している。古典的なフォルムを構築しつつロマン的内容を詳らかにするという理想的演奏の一つである。
「天国的な長さ」といわれる「ザ・グレイト」であるが、テンポの速さに加えてパーヴォとカンマーフィルの巧みな語り口もあり、全く長く感じなかった。
美しい音型が蕩々と続く「ザ・グレイト」。この演奏を聴いていると、ブルックナーの初期交響曲がシューベルトに繋がっていることがよくわかる。


アンコールは、パーヴォの定番であるシベリウスの「悲しきワルツ」。いつもながらの超絶ピアニシモが聴かれる。
以前に比べると随所でテヌートが聴かれるのが興味深かった。



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コンサートの記(470) トゥガン・ソヒエフ指揮トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団来日公演2009京都

2009年11月7日 京都コンサートホールにて

午後3時から京都コンサートホールで、トゥガン・ソヒエフ指揮トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の来日演奏会を聴く。

トゥールーズはフランス南部の都市で、「バラ色の街」の異称でも知られている。

トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団はフランスのローカル色をよく残したオーケストラとして世界的に著名なオーケストラである。長くミシェル・プラッソンとコンビを組んで成長を遂げてきた。当初は市立のオーケストラであったが、のちに県立、更に国立オーケストラへと格上げされた。

トゥガン・ソヒエフは現在のトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の音楽監督。まだ30そこそこという若い指揮者だ。今年、ウィーン・フィルへのデビューを飾っている。

曲目は、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、ブラームスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:諏訪内晶子)、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」

トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団は濃厚な弦と、思いっ切り吹かれる管楽器群が個性的。一方、アンサンブルの精度は、先週聴いたシンシナティ交響楽団に比べると大雑把で、「細かいことは気にしない」といった気質が窺える。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲の独奏者である諏訪内晶子は真っ赤なドレスで登場。予想よりも情熱的な演奏を展開する。情熱的でありながら気品にも溢れており、アンコールで弾かれたバッハは「高雅」の一言で表せる演奏であった。

メインの「展覧会の絵」は、冒頭からトランペットが思いっ切り吹かれるなど、フランス的な個性が全開の演奏である。この曲はノンタクトで振ったソヒエフのテンポはかなり速め。テンポの速さに金管奏者の指が追いつかず、音が飛ぶ箇所も散見される。
技術的には完璧とはいえないが、個性で聴かせるユニークな演奏であった。

アンコールは、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」より“こんぺい糖の精と王子のパドドゥ”と、ビゼーの「カルメン」前奏曲。「カルメン」前奏曲は快速テンポの若々しい演奏であった。

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2018年12月19日 (水)

美術回廊(21) 名古屋市美術館 「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」

2018年12月13日 名古屋市美術館にて

名古屋へ。名古屋駅から地下鉄で伏見(京都の伏見とは異なり、語尾にアクセントが来る)まで出て、白川公園内にある名古屋市美術館へ。フィンランドの建築家・デザイナーとして活躍したアルヴァ・アアルト(アールト)の特別展「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」が開かれている。

北欧デザインの祖とも呼ばれているアルヴァ・アアルト。1898年生まれ、1976年没。ヘルシンキ工科大学で建築を学び、隣国スウェーデンに渡ってアルヴィート・ビヤケルの事務所で働いた後に独立。ファーストネームはフーゴであったが、フィンランドの建築家リストのトップに載るために、セカンドネームのアルヴァを用いてアルヴァ・アアルトと名乗る。建築、インテリアデザイン、都市計画(ヘルシンキ・オリンピック選手村など)といった仕事を行っており、建築家としてはヘルシンキのフィンランディア・ホールの設計を行っている。フィンランドを代表するこのホールは、白亜の美しい外観と同時に音響の悪さで知られており(音響設計に関しては建築家の責任ではない)、1971年竣工とそう古くはないのであるが、「音響改善の見込みなし」として、2011年にヘルシンキ音楽センターが建てられ、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団とフィンランド放送交響楽団が本拠地を移している。

アアルトはシベリウスと同時代を生きた人であり、二人の間には共通点も多い(スウェーデン系フィンランド人である、自然と人間の調和を志向、奥さんの名前がアイノなど)。アアルトは建築家をあらゆる芸術の指揮者と位置づけていたようだ。

インテリアデザイナーとしてのアアルトは、シンプルさと自然そのものの優美な曲線を特徴としており、「北欧のインテリア」と聞いてパッと思いつくようなものはアアルトが最初に提案したもののようだ。椅子に関しては腰掛ける部分と背もたれ、更には手すりなどの部分を全て緩やかに曲がる「L字」で手掛けているのが特徴である。

母校であるヘルシンキ工科大学は、ヘルシンキ経済大学、ヘルシンキ美術大学と合併し、現在ではアアルト大学を名乗っている。まさに国民的建築家とされているようだ。


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CHAGE and ASKA 「PRIDE」

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2018年12月18日 (火)

コンサートの記(469) 「ASKA PREMIUM SYMPHONIC CONCERT 2018 -THE PRIDE-」京都公演

2018年12月10日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後7時から、ロームシアター京都メインホールで、「ASKA PREMIUM SYMPHONIC CONCERT 2018 -THE PRIDE-」を聴く。ASKAの復帰コンサートツアーである。毎回、オーケストラと共演しており、今日の京都公演は、大阪フィルハーモニー交響楽団がバックを務める。指揮は藤原いくろう。ピアノは澤近泰輔、パーカッション:小野かほり。
トロンボーンに京都市交響楽団首席の岡本哲が入っていることが確認出来る。

登場した大阪フィルの団員達に、クラシックコンサートでは考えられないほど熱心な拍手が送られる。まず、オーケストラのみによる序奏(「On Your Mark」)が奏でられた後でASKA登場。爆発的な拍手と歓声が出迎える。

今日は2階下手側のバルコニー席。2L1-3という席である。スピーカーの近くということもあるのだろが、ASKAの声の通りが悪く聞こえる。高音も年齢のためかブランクが影響しているのか、苦しそうで音程も不正確だが、徐々にペースを掴んでいく。

「お待たせしました。京都に来られて良かった」とトークも入れる。チャゲ&飛鳥として活動していた頃は、ステージセットを組んでコンサートを行っていたのだが、「京都会館はステージが狭かったので、ステージセットが置けない。最後は客席をつぶして無理矢理ステージを拡げてやった」そうである。

澤近のピアノが、ショパンの「雨だれ」の前奏曲を奏で、「はじまりはいつも雨」が歌われる。

「僕は、自分では坂本龍馬に縁があると思っている」という話を始める。年末ドラマ「新撰組」への主題歌提供と同時に出演が決まり、自分ではちょっと映っただけで去るカメオ出演のつもりで、「誰か見つけてくれたらいいな」ぐらいに思ったのだが、いざ、太秦撮影所に行ってみるとセリフがある。「セリフ作りました」と言われたそうである。その時は伊藤俊輔のちの伊藤博文の役で、様々なセリフが用意されていたそうだが、怒りの場面以外は全てカットされてしまい、「怒ってばっかりいる人」になってしまったそうだ。自分でも演技は良いとは思えず、「あの時代、ネットがあったら大変だったね」と語った。その後、年末ドラマとして「坂本龍馬」が放送されることになるのだが、その予告を見ていたASKAは、マネージャーに、「あ、この主題歌、俺来るね」と語ったそうである。そうしたら3日後に本当にオファーがあったそうだ。
今日のライブのために昨日京都入りし、今日は朝の10時頃に指揮の藤原とイノダコーヒーに行ってから、坂本龍馬の墓に行ったそうだ。霊山護国人神社に龍馬と中岡慎太郎の墓があるのは知っていたが、その先に、最初に龍馬が葬られた墓があるというので訪ねたという。タクシーで向かい、霊山護国神社を過ぎてから、「何かを感じて」運転手さんに車を停めて貰い、坂を上っていったという。その先にお寺があり、そのお寺は坂本龍馬の遺骸を最初に弔ったところであり、伊藤博文を祀る場所だというので、「僕、伊藤博文を演じたことがあるんです」と住職に言うと、「あれ? ASKAさん?」と気づかれた話をする。
ちなみに坂本龍馬が亡くなったのは西暦でいうと、1867年12月10日ということで、今日が命日に当たるのだが、ASKAはそのことは知らないようだった。

「ブレードランナー」に触発された「迷宮のReplicant」なども披露される。

今回は休憩を挟んでの二部構成である。

第2部で、「京都って凄いですよね」という話から始める。「京都は歴史上重要な人が何人も出てる」「京って書いて『みやこ』って読むでしょ、都も『みやこ』って読むでしょ。『みやこみやこ』」という話から自身の出身地である福岡の話になる。若い頃は福岡に帰ってライブを行うといつも上手くいかなかったのだが、「自分は東京に住んでいるから、もう東京人だ。福岡は他の地方都市の一つに過ぎない」と思うようになってからは福岡公演も成功するようになった。そうした経緯で、「福岡は生まれた場所だし、友達も多いがそれだけ」と思うようになっていたのだが、「一番苦しかった頃は、レコーディングスタジオが使えず、何も出来ない。そうしていた時に福岡から声が掛かった」そうで、福岡でレコーディングを行っていた時、ギターを弾いていたら優しいメロディーが生まれた。そうして作り上げた曲である「FUKUOKA」が歌われた。

「僕が子どもの頃はまだ戦争をやってたんだよ」ということで、その流れから1990年のイラクによるクウェート侵攻と湾岸戦争が起こった際の話になる。その時、自分は無力だと感じて作られたのが「君が愛を語れ」だそうだ。作曲の経緯には色々あって、シブがき隊の布川敏和がASKAの家に遊びに来た際に、「曲作ってよ」と言われて、初めて事務所を通さずに曲作りをしたこともあるそうだ。ASKAは光GENJIの曲なども多く手掛けていたが、そうしたことと関係があるのかも知れない。

最後から2曲目は、「YAH YAH YAH」では聴衆の合唱も加わって大いに盛り上がり、本編ラストの曲目はツアータイトルにもなっている「PRIDE」。チャゲアス最初のヒット曲は「万里の河」なのであるが、「あれはヒットしただけだったね」とASKAは語る。曲として最も一人歩きしている曲がこの「PRIDE」だそうで、「目の前で(本人がいると気づかずに)カラオケ入れられたこと何度もある」そうだ。「横から出ていってやろかな。『モニタリング』です」
ASKAも思い入れのある楽曲。熱唱であった。

拍手に応えたASKAは、「今日はこれで終わり。終了」と言うが、「どうせアンコールあるでしょ?」と行って去る。

アンコールで登場したASKAは、「まさかこんな展開になるとは」とおどけていた。
「『YAH YAH YAH』をやったんだから、次はこの曲でしょ」と言って、「SAY YES」が歌われる。その後、ASKAは、「『何ですか?』『何ですか?』。似てない。『僕は死にましぇん!』」と「SAY YES」が主題歌になった「101回目のプロポーズ」主演の武田鉄矢の物真似をする。
今日最後の曲は、「考えてみれば20年ぐらい前からの口癖」という「今がいちばんいい」。歌い終わってからASKAは、「これまでずっと待ってくれていて本当にありがとうございました」と言って深々と頭を下げた。


その後、ASKAは、今年の仕事納めが静岡でのツアー最終公演になること、来年は国内ツアーと海外ツアーがあることを語り、「(来年の)年末は開けといて」と言って、喝采の中を去って行った。



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2018年12月17日 (月)

コンサートの記(468) 京都オペラ協会定期公演 ベッリーニ 歌劇「カプレーティ家とモンテッキ家 ~ロミオとジュリエット~」

2018年12月9日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後2時から、ロームシアター京都サウスホールで、京都オペラ協会定期公演・歌劇「カプレーティ家とモンテッキ家 ~ロミオとジュリエット~」を観る。作曲:ヴィンチェンツォ・ベッリーニ。総監督・演出:ミッシェル・ワッセルマン。森香織指揮京都オペラ管弦楽団(特別編成。協力:公益社団法人アンサンブル神戸)の演奏。合唱も特別編成の京都オペラ合唱団。出演は、黒田恵美(ジュリエッタ)、森季子(ロメオ)、竹内直紀(デバルド)、東平聞(カペッリオ)、迎肇聡(ロレンツォ)。

いわゆる「ロミオとジュリエット」の話だが、シェイクスピアの戯曲ではなく、シェイクスピアも題材にしたヴェローナの故事から直接書かれた台本によっている。

シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」との異同は多く、まず、ジュリエッタ(ジュリエット)の婚約相手がパリスではなくデバルド(ティボルトに相当)であり、ロレンツォ(ロレンスに当たる)は神父ではなく、カペッリオの親類の医師ということになっている。
また、ロメオ(ロミオ)は最初からジュリエッタと恋仲であり、戦いの中でカペッリオの息子を殺して追放されたという選定である。

このオペラでは、ロメオ役をメゾ・ソプラノの歌手が担うのも特徴。そのため、梅田芸術劇場メインホールなどで行われている、宝塚歌劇出身の女優と男性ミュージカル俳優とのコラボ上演に雰囲気がよく似てる。

今日は2階席の2列17番というほぼ真ん真ん中での鑑賞。サウスホールの2階席には何度も座ったことあるが、いずれも端の席であり、中央列に座るのはほぼ初めて。座席間が狭いため、席にたどり着くのに難儀する。サウスホールは内部改修で天井の高さに限界があるため、こうした無理なことになっているようだ。

ホール自体が余り大きなものでないため、音は良く聞こえる。残響が短めなのもオペラには適性があり、歌手が声を張り上げても音が割れることがない。森香織指揮の京都オペラ管弦楽団の音もクリアに響く。ただその分、強弱のニュアンスは余り出ないかも知れない。

今回は、演出のミッシェル・ワッセルマンに発案により、舞台をアル・カポネらが暗躍していた1920年代のシカゴに移した上演が行われる。名家同士ではなく、マフィアの諍いという設定に変わり、服装は現代的で、武器も短剣ではなくナイフだ。


「夢遊病の女」などで知られるヴィンチェンツォ・ベッリーニ(1801-1835)。シチリア島に生まれ、ナポリ王立音楽院に学び、20代前半にオペラ作曲家としてデビュー。「天才」と謳われたが33歳で早世している。
丁度、モーツァルトと入れ代わるようにして現れた世代であり、古典派と初期ロマン派の特徴を兼ね備えた作風である。メロディメーカーとして知られただけあって旋律はいずれも美しい。そのため圭角が取れすぎていて印象に残りにくいという贅沢な欠点にもなっている。

会場が小さいということもあって歌手達の声も良く通り、歌唱を存分に味わうことが出来た。

演出のワッセルマンは歌舞伎研究の専門家だが、この演出では特に奇をてらったところはないように感じた。

ラストで、ジュリエッタはナイフで胸を突いて死ぬのかと思いきや、右手を伸ばしたまま絶命。ショックで死んだということなのか、それともナイフを使ったが私の席からははっきりと見えなかったということなのか。折角、短剣をナイフに替えたのだから、もっと効果的な演出があっても良いと思う。



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2018年12月16日 (日)

観劇感想精選(276) shelf 「私たち死んだものが目覚めたら」

2009年10月25日 下鴨のアトリエ劇研にて観劇

午後2時からアトリエ劇研で東京の劇団、shelfの公演「私たち死んだものが目覚めたら」を観る。原作:ヘンリック・イプセン、構成・演出:矢野靖人。出演:阿部一徳、桜井晋、山田宏平(山の手事情社)、秋葉要志、片岡佐知子、川渕優子、大川みな子。

「私たち死んだものが目覚めたら」はイプセン最後の作品である。

彫刻家のルーベック(阿部一徳)は若い頃に「復活の日」という傑作彫刻をものにしたが、それ以来創作意欲は衰えてしまっている。その「復活の日」のモデルを務めたイレーネ(川渕裕子)もまた、「復活の日」の完成後に魂の抜け殻となり、不幸な人生を歩んでいた。そんな二人がフィヨルドの前の温泉保養地のホテルの一角で再会する……。

大変優れた戯曲であり、それを再現する演出の力も高かったように思う。役者達の水準も高く、舞台は絵画として観てもきちんと絵になっていたし、イプセンのエクリチュールを的確に抑えていたように思う。

芸術と芸術家というものの在り方を追求するイプセンの視線は鋭い。芸術家が芸術を生み出す行為とは果たして本当の人生といえるのか。私も芸術家の端くれではあり、戯曲なり詩なりを書いているときには確かに充実感がある。しかしそれを一歩離れてみた場合、それが本当の人生といえるのだろうかという疑問を抱いてしまうのである。何もしていないのではないかという気にさせさせられてしまうのだ。イプセンもまたそうした思いに駆られたことがあるのではないだろうか。
真に充実した人生。だがそれは本当に存在するのかしないのか。

芸術の傑作をものにした日から、二人の人物が生ける屍になってしまったという下りからは、村上春樹の長編小説『ねじまき鳥クロニクル』の本多老人の話が思い浮かんだ。強烈な光を目にした時に自分の人生は終わってしまったのだという。
そうした特別な体験をする人がいるであろうことは想像出来る。体中が激しく揺さぶられるような体験。幸福の絶頂であると同時にその後の人生を台無しにしてしまう特別な経験。そうした体験をすることは果たして幸福なのか不幸なのか。

優れた戯曲による優れた公演であったように思う。

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観劇感想精選(275) KAAT神奈川芸術劇場プロデュース 「セールスマンの死」

2018年12月8日 兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後5時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「セールスマンの死」を観る。アーサー・ミラーの代表作の上演。テキスト日本語訳:徐賀世子、演出:長塚圭史。出演は、風間杜夫、片平なぎさ、山内圭哉(やまうち・たかや)、菅原永二、伊達暁(だて・さとる)、加藤啓(かとう・けい)、ちすん、加治将樹、菊池明明(きくち・めいめい)、川添野愛(かわぞえ・のあ)、青谷優衣(あおや・ゆい)、大谷亮介、村田雄浩。

プロローグ的に、主人公のウィリー・ローマン(ウィリアム・ローマン。風間杜夫)の家族と友人が喪服を来て横一列に並ぶというシーンがある。一同が振り返ると、後ろからウィリーが大きな鞄を提げて歩いてくる。全編が追憶ということになっているようだ。

若い頃は敏腕セールスマンとして、ニューイングランド中で尊敬を勝ち得ていたウィリーだが、60を過ぎた今では、かつてのお得意様がすでに鬼籍に入るなどして売り上げが激減。全く売れないことも珍しくはない。
妻のリンダ(片平なぎさ)との間に二男を設けたウィリーだが、期待していた長男のビフ(山内圭哉)は、稼げる職に就けておらず、自立もしていない。次男のハッピー(本名はハロルド。菅原永二)も仕事の不満ばかり言っているつまらない男にしかなれていないのだが、全員、プライドだけは高く、他の人間を「カス」呼ばわりする。

ビフは、ハイスクール時代はアメリカンフットボールの名選手としてクラスの英雄であり、名門大学3校から誘いが来て、ヴァージニア大学を選択するも、数学のテストで落第点を取り、進学どころか卒業にすら辿り着けなかった。通信教育を受けるもどれもものにならず、仕事も転々。直前までは、安月給ではあるが牛飼いの仕事に就いていたが、それも辞めて家に戻って来ている。

ハッピーは、女癖が悪く、社会的な信用を勝ち得ていない。

ビフは、数学のテストで65点取れば良いところを61点で失格。それでもサマースクールでの補講を受ければ卒業は間違いなかったのだが、ビフは出席を拒否していた。その原因はウィリーにあり、ウィリーはビフが自分を恨んでいるに違いないと思っているのだが……。


1949年の初演、アメリカンドリームの終焉の時期に発表された本作は、ピューリッツァー賞を受賞している。

「セールスマンの死」は、ハヤカワ演劇文庫の第1巻(第1回発売)だったはずで、私も大分以前に読んでいる。
成功者が時の流れに置いていかれ、失墜する様を冷徹な筆致で描いた作品なのであるが、読んだ時と、実際に舞台を観た時とでは印象が異なるのも事実である。悲劇は悲劇なのだが、それは死ではなく理解し合えないことにあるのではないだろか。そしてそれは単純な破滅よりももっと深刻で悲しいことなのではないかと思える。

自分自身が最大の売りものというセールスマンの特徴は、そのまま現代人、就中、俳優に当てはまるものがある。出演者達は当然それは自覚しながら演じているだろう。その哀感が胸に迫ったりもする。


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2018年12月15日 (土)

笑いの林(107) 「タナからイケダから学天即」2018年12月9日

2018年12月9日 よしもと祇園花月にて

午後7時から、よしもと祇園花月で「タナからイケダから学天即」を観る。

まず、2組4人が揃ってのトーク。年齢順に並びが変わったり、誕生日の発表を行ったりする。
タナからイケダ・池田の誕生日が9月22日で今井絵理子と一緒。タナからイケダ・田邊が今井絵理子のファンだったということで、SPEEDでは誰が好きだったかという話になったりする。なぜか新垣……、まあこれはいいか。


タナからイケダの漫才。
田邊が、「ディベートの番組に漫才コンビから1人ずつ出られる」というので出ようとするも、池田は、「ディベートは俺の方が得意」と言い張る。田邊に、「お前、語彙少ないやんか」言われて否定するが、「語彙って何?」。そもそも「ディベートって何?」の状態である。
そして、二人で論争することになるのだが、「好きな動物は?」→二人同時に「犬」、「好きな色は?」→「黒」といつも重なってしまい、コンビ仲良し度測定ゲームのようになってしまう。
「好きな野菜は?」→「キャベツ」、「好きな肉は?」→「豚」、「好きな料理は?」→「中華」、「好きな食べ物は?」→「回鍋肉! そら、キャベツに豚肉に中華じゃそうなるよ!」という風に回る。
しかし、どちらがタナからイケダのリーダーかということになると互いに相手を推薦して褒め合い、「これディベートちゃう! キショい!」と自分から言う状態になってしまう。


学天即の漫才。
四条が、「俺、なりたい、宇宙飛行士」のように倒置法を使った言い方で夢を語るのだが、宇宙飛行士になれるだけの資質は全くないという展開である。四条は虚弱体質なのでそもそも無理らしい。


今日は、若手の女漫才師が3組登場する。花鳥風月、エルフ、ねこ屋敷の3組である。
皆、芸歴が浅いので(ねこ屋敷は1年目だという)どこで笑っていいのかわからない。やはりキャリアはものをいう。


タナからイケダの漫才、2周目。
高校卒業を控えた二人がキャッチボールをしながら卒業後の予定を語るのだが(池田は右利きなのに左手でボールを捕って左手で投げ返す)、池田が「取りあえずフリーター。でもアルバイトの初日、めっちゃ緊張する」と言ったところから、池田が突然、新人アルバイトに扮し始めたため、田邊も勢いで先輩店員として付き合うことになる。池田がたびたび設定を変えるために田邊もそのたびに振り回され、強盗に入られたコンビニの店員と犯人と警官の一人三役をやる羽目になったりする。
コロコロ状況と設定が変わるという芸はありそうで余りないので、新鮮である。


学天即の漫才、2周目。
自分が薦めた歯医者に奥田が行っていないというので、四条が怒るのだが、そもそも必要もないのに四条が勝手に薦めてきたそうで、奥田には子どもの頃から通ってある歯科医がすでにある。それでも四条が執拗に薦めるので、奥田は、「楽天カードか?」と訝る。
四条は、「診察券が印鑑なし、即日発行ですぐ作れる」というも奥田は「当たり前やん!」
それでも薦めるので、「ポイントが貯まるのか?」と奥田は聞き、四条は否定するも、更に追求すると「楽天やん!」という謎のポイント制度があったりする。


女芸人達も参加する。コーナー「クリスマスパーティー」。なのだが、小道具がちゃち。上手に置かれたクリスマスツリーはよく見ると笹に飾りを巻いただけで、前回の七夕の会の使い回しらしい。

まず、ジェンガを使ったゲーム。司会は奥田が務める。ここで特別ゲストが登場。といってもこのところよく出演しているらしい、たわたである
ジェンガを男性芸人が口にくわえた箸でつつき、女性芸人がそのまま口でくわえて引き出すというもので、奥田曰く「ハラスメントぎりぎり」を狙ったものらしい。
崩した人が罰ゲームということで、エルフ・荒川が顔面パンストの罰ゲームを受けた。

風船割りゲームではねこ屋敷・山﨑が、ロシアン辛子シュークリームでもやはり山﨑がアウトとなり、ケツバットやタライ落しの罰ゲームを受ける。ケツバットの際に、四条は右利きだが実は左打ちであることが判明、相方の奥田もそのことは初めて知ったそうだ。田邊が、「右投げ左打ちって、監督めっちゃ欲しがるやん」という。
ちなみに、たわたはケツバットの際に、受ける側を希望し、2回打たれて喜んでいた。

ティッシュペーパーを使ったゲームも行われるのだが、たわたの番になる前に、「エロ過ぎる」という理由で打ち切りになり、たわたが怒る。

最後は、洗面器に顔を着けて、7人合計で4分以上になればクリアというゲームを行う。女芸人6人にたわたが加わったメンバー。猫屋敷・山﨑は潔癖症であるため、他の人が顔を着けた洗面器が嫌だということでトップバッターとなる。
7人目は、たわただったが、すぐに顔を上げてしまい、「中途半端なボケをしました。飲んだ」という。今日は最前列に座っていたため、後ろを振り返ってみたのだが、女性客が本気で顔をしかめているのが目に入った。


おまけとして、クリスマスプレゼント椅子取りゲームが行われる。男性芸人が選んだプレゼントを椅子の上に置き、椅子取りゲームの要領で女性芸人がその周りを回ってプレゼントを取るというもの。プレゼントが6つ、たわたも参加した7人が挑戦するので、1人余ってしまうことになるが、たわたは座るも譲ってあげる。
6つのプレゼントの内、1つはダミーで、それを手にした人は罰ゲームを受ける。花鳥風月のナスエとたわたも頭に巻いた風船を破裂させられるという罰を受けていた。



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2018年12月14日 (金)

観劇感想精選(274) KUDAN Project「真夜中の弥次さん喜多さん」2018伊丹

2018年12月7日 伊丹市立演劇ホール・AIHALLにて観劇

午後7時30分から、伊丹AIHALLで、KUDAN Projectの「真夜中の弥次さん喜多さん」を観る。原作:しりあがり寿、作・演出:天野天街。出演は、小熊ヒデジ(てんぷくプロ)と寺十吾(tsumazuki no ishi)の二人。

天野天街の「真夜中の弥次さん喜多さん」は、2005年に大阪公演が行われ、私も観に行ったのだが、関西で上演が行われるのはそれ以来、13年ぶりとなる。出演者とスタッフもほとんど変わっておらず、タイムマシンに乗ったような感覚を味わうことになった。
そうしたノスタルジアも天野演劇の特徴でもある。

「真夜中の弥次さん喜多さん」は、宮藤官九郎の脚本・監督によって映画化されているが、それとは全く異なる話が展開される。

何しろ13年ぶりである。いくつかの印象深い場面を除いてほぼ内容は忘れてしまっている。タイムマシンに乗ったような感覚とはいえ、俳優二人も13年分年を取っており、頬や体の線は緩んで、頭髪も以前より薄くなった。
2005年の大阪公演は、精華小劇場のオープニングシリーズとして上演されたものだったのだが、その精華小劇場は今はもう存在しない。


天野天街の舞台を観ること自体が久しぶり。天野は「演劇界の魔術師」と呼ぶべき鬼才だが、作品は基本的には若者向けであり、40過ぎの男はもう卒業が迫っているようにも思う。


喜多八が、「リアルじゃねえ。江戸はエセばかり」と掛詞で言い、「エセじゃなくて伊勢」というだけの理由で伊勢参拝を目論むのだが、色々あってなかなか出発しないし、旅先の宿屋でも雨に降られて足止めを食らってばかりである。

待ち続けたり、夢の中で語り合ったり、不思議なことが起こったり、歌ったり、自殺しようとしたり、薬に溺れそうになったりと色々あるのだが、基本的にはそこにいるだけに前には進めない二人である。幸いなのはすぐそばに友達(よりも深い仲なのだが)がいるということだ。

ということで、この作品は、正統的な「ゴドーは待ちながら」の後継作品の一つである。
リアリズムを求める二人なのだが、そもそもが天野天街自体がリアリズムから最も離れた作風を持つ人である。彼が描くのは幻想や非日常、物語の中の世界であることが多い。
そしてミニマル的要素をふんだんに取り入れた、終わりのない世界が提示されるのである。
そもそも、「リアルじゃねえ」に続くセリフが弥次郎兵衛による喜多八の描写台詞からの支離滅裂な展開であり、リアルなど最初から求めていない。そもそも舞台芸術自体がリアルとはほど遠いものである。そこはフィクションの世界が最も豊穣になり得る場なのではないか。そもそもドラマ=Dreamなので、混沌としている方が正統ともいえる。世の東西を問わず、古典や民話といったものはかなりの確率で展開がカオスである。

ゴドー同様、ラストに至ってもほとんど何も解決していないし、江戸から旅先の旅籠の一室に移っているが、そこから全然動けない。リアリズムを得たわけでもないどころか、リアリズムはリアリズムでもマジック・リアリズム的手法で紡がれており、リアルから更に隔たったようにすら感じられる。。
弥次喜多は、五十三次の旅には出ているが、人生の旅の中では迷っている。そしてたびたび振り出しに戻る。生きることそのもののように。

そもそも人生って、リアルか? 自分が関わらないところで勝手に進んでいることも多いのだけれど。

てめえのリアルがあっちのリアルだと思ったら大間違いだ。


初演の時には、「層の演劇」という言葉が浮かんだが、13年ぶりに観ると、「そうはソウでも躁の演劇」と名付けたくなる。そもそも薬で躁状態になって起こった幻影の世界が舞台となっているということもある。「層」だと縦に積み上げられている感じだが、「躁」だと横の広がりが出る。これは個人的な感覚によるものなので、どうでもいいといえばどうでもいいことなのだが、そうして視点を違えても成り立つ大きな作品であるということでもある。


歌のシーンでは、北京語の歌詞が登場。ラストの字幕も「END」ではなく、中華圏の映画で見られる「劇終」表示である。天野天街が主宰する少年王者舘には中華系の俳優やスタッフもいるので、これも自然といえば自然である。多分であるが、エヴァンゲリオンは関係ない。


二人は、伊勢に辿り着ける気配すらないのだが、生きるということ自体がそう簡単なものではない。



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2018年12月12日 (水)

コンサートの記(467) 川瀬賢太郎指揮 日本センチュリー交響楽団第231回定期演奏会

2018年12月6日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで日本センチュリー交響楽団の第231回定期演奏会を聴く。今日の指揮は若手の川瀬賢太郎。

今日はオール米英プログラムで、アイヴズの「答えのない質問」、バーバーの「弦楽のためのアダージョ」、マイケル・ナイマンのチェンバロ協奏曲(チェンバロ独奏:マハン・エスファニハ。日本初演)、アイヴスの交響曲第2番が並ぶ。

アメリカを代表する作曲家の一人であるチャールズ・アイヴズ。ただ彼は日曜作曲家であった。イエール大学で作曲を学び、大作を書き上げたりしているのだが、卒業後は保険会社に勤務し、作曲はその傍らで行っていた。これについては、「自身の作風を認められるのは難しいと悟り、生活を優先させた」といわれている。売れることを考えなかったために個性的な音楽を作曲することが出来たと考えることも出来るだろう。その後、自身で保険会社を興し、副社長になるなど、ビジネスマンとして有能だったようだ。
アイヴズもまた、レナード・バースタインによるアメリカ音楽の積極的な紹介によって知名度を上げた作曲家の一人である。ただその時にはアイヴズは心臓病を患って作曲からは引退状態であり、複雑な感情を抱いていたようだ。「今更」という思いもあっただろう。アイヴズリバイバルはバーンスタインの弟子に受け継がれ、マイケル・ティルソン=トーマスはアイヴズの交響曲全集を制作している。

今日のコンサートマスターは荒井英治、フォアシュピーラーに松浦奈々。

今日、タクトを振る川瀬賢太郎は、東京音楽大学で指揮を広上淳一らに師事。東京音大における広上の一番弟子的存在である。広上はバーンスタインの弟子であるため川瀬は孫弟子ということになり、師である広上同様、アメリカ音楽にも積極的に取り組んでいる。

アイヴズの「答えのない質問」。バーンスタインが行ったレクチャーのタイトルにも転用されていることで有名である。
神秘的な弦の流れの上を、管が公案的な問いを発していくという展開。舞台裏でのトランペット独奏は水無瀬一成が務め、「弦楽のためのアダージョ」演奏終了後にステージに登場して拍手を受けた。
センチュリーの響きは輪郭がクッキリとしており、合奏能力が高いことがわかる。

バーバーの「弦楽のためのアダージョ」。川瀬は「答えのない質問」とこの曲をアタッカで繋ぎ、単一楽曲の裏表のような表現を行う。

サミュエル・バーバーの「弦楽のためのアダージョ」は、ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された時にバーンスタインが追悼曲の1曲として演奏したことで知名度が増したが、それ以前からラジオの追悼番組のBGMとして流れており、この1曲だけが飛び抜けて有名になってしまったため、バーバー本人は「僕は葬送曲の作曲家じゃないんだけどね」と不満を述べることもあったという。
私自身がこの曲を初めて知ったのは、実はクラシックにおいてではない。坂本龍一が「Beauty」というアルバムで、ピアノと二胡、エレキギターのための編曲で「Adagio」として発表したものを聴いたのが初である(エレキギター演奏は、アート・リンゼイ。二胡は姜建華)。その後、レナード・スラットキン指揮セントルイス交響楽団の来日演奏会の模様がNHKで流れ、第1曲として「弦楽のためのアダージョ」が演奏されたのを視聴している。

川瀬は少し速めのテンポで歌い上げる。クライマックスでのゲネラルパウゼを長めに取ったのも印象的であった。

マイケル・ナイマンのチェンバロ協奏曲(チェンバロと弦楽オーケストラのための)。チェンバロ独奏のマハン・エスファニハはイラン出身のチェンバロ奏者、指揮者。スタンフォード大学に学び、アメリカとイタリアでチェンバロの修行を続けた後で渡英。オックスフォード大学ニュー・カレッジのレジデンス・アーティストに就任している。2015年に30歳でギルドホール音楽演劇学校の教授に就任しているというから、川瀬とは同年代ということになる。

ミニマル・ミュージックの提唱者として知られるマイケル・ナイマン。ピーター・グリーナウェイの映画音楽では自身がチェンバロを弾いて参加しているということもあり、チェンバロを自身の楽器としている(学生時代はバロック音楽の研究も行っていた)。ちなみに、私がザ・シンフォニーホールで初めて聴いたコンサートはマイケル・ナイマン・バンドの来日公演であった。

短調によるミステリアスな響きによってスタート。その後、長調に転じ、変拍子による音楽が繰り広げられる。繰り返しの快感と開放された時の爽快感というナイマンの良さが出ている。面白いのはチェンバロによるカデンツァ。左手のエイトビートのリズムと右手の煌めくような響きは、コンピューターゲームのBGMを連想させる。そうした音楽が多いためだ。リズムもチェンバロ曲としては異例だが、響きがコンピューター音にように聞こえるというのが興味深い。チェンバロの表現の幅が明らかに拡がっている。

アンコール演奏。エスファニハは、”This piece composed by English composer Henry PURCELL.”と英語で紹介。「グラウンド」という曲が演奏される。左手で奏でられる下段の鍵盤の音がギターのように響くのが面白い。ハンマーで弦を叩いて音を出すピアノと違い、ハンマーに付いた爪で弦を弾くというチェンバロならではの音色だ。

メインであるアイヴズの交響曲第2番。初演の指揮を担ったのはレナード・バーンスタインであった。アメリカ民謡やフォスターのメロディーなどが随所に鏤められた曲である。

イギリスの楽曲のようなジェントルな響きで始まるが、アメリカの旋律が加わることによってアメリカ的なローカリズムとユーモラスな味わいが生まれる。更にリヒャルト・シュトラウスにような燦々たる音色の金管が登場して壮大なアマルガム形成、かと思いきや、ラストは「なーんてね」といった感じの不協和音で締めくくられる。一種の冗談への転化である。初演の際に作曲者自身によって改訂されたということだが、大真面目な感じにしたくなかったのだろう。

川瀬指揮のセンチュリー響は中編成ということもあって響きが拡がらない部分もあったが、第5楽章における狂騒感の表出は優れていた。まだ三十代前半の指揮者ということもあって指揮棒も振りすぎで、却ってオーケストラコントロールが行き届かない場面があったりもしたのだが、この年齢でアメリカ音楽をこの出来まで持って行けるのなら大したものである。

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2018年12月11日 (火)

観劇感想精選(273) 「南座発祥四百年 南座新開場記念 白井松次郎 大谷竹次郎追善 當る亥歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部

2018年12月4日 京都四條南座にて観劇

午後4時50分から、京都四條南座で、「南座発祥四百年 南座新開場記念 白井松次郎 大谷竹次郎追善 當る亥歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部を観る。

演目は、「義経千本桜」より“木の実”“小金吾討死”“すし屋”、「面かぶり」、「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ」“浜松屋見世先”より“稲瀬川勢揃い”まで、「三社祭」


「義経千本桜」より“木の実”“小金吾討死”“すし屋”は、「いがみの権太」として知られる作品である。“すし屋”が最も有名で且つ上演時間も長いため単独で上演されることも多いが、今回は3つの場が上演される。

まず“木の実”。壇ノ浦で討死したと思われていた三位中将維盛が生きており、吉野山に潜んでいるという設定である。
維盛の御台所である若葉の内侍(片岡孝太郎)と維盛の家来である主馬(しゅめの)小金吾(片岡千之助)が維盛の幼い子を連れて大和国下市村にやって来る。維盛の行方を尋ねに来たのだ。
峠の茶屋の女房・小せん(片岡秀太郎)が出掛ける間、若葉の内侍一行は木の実拾いに興じている。
そこに通りかかった権太(片岡仁左衛門)は、石を投げて木の実を次々に落としていく。そうして立ち去る権太だったが、実は小金吾の荷物と自分の荷物をわざと入れ替える。
荷物が自分のものではないと気づいた小金吾は、権太が盗人だと思うが、そこに権太が戻ってくる。荷物を間違えたと言って取り替える権太であったが、自分が行李に入れておいた20両がなくなったと騒ぎ始め、小金吾に金を返せと詰め寄る。

いがみの権太には、江戸の演出法と上方の演出法とがあるそうだが、今回は片岡仁左衛門の権太ということで、上方の演出となる。語り口調も上方言葉であり、江戸の粋(いき)よりも上方の粋(すい)が強く感じられる。ちなみに上方では権太の悪党ぶりを強調するようだ。

“小金吾討死”は、その名の通り小金吾の討死がだんまりを交えて演じられ、ラストで弥左衛門(市川左團次)が登場する。

“すし屋”は、吉野の釣瓶鮓屋の一杯飾りで演じられる。鮓屋の看板娘であるお里(中村扇雀)は、下男の弥助(市川時蔵)と祝言を挙げることが決まっている。弥助はお里を目上として扱うが、実はその正体は平維盛。お里の父親である弥左衛門は維盛の父親である小松内府平重盛に恩があり、維盛を下男と偽って匿っていたのだ。お里はそのことを知らない。
やがて、お里に兄である権太が帰ってくるのだが……。

寿司桶の取り違えが見せ場となり、前半は喜劇路線なのだが、ラストで心を入れ替えた権太の忠義話となる。
お里を演じる扇雀が実に可愛らしい。リアリズムで考えるとおかしなところが多々あるのだが、作品の魅力の前にはリアリズムなどはただのでくの坊である。


「面かぶり」。中村鴈治郎による長唄舞踊である。初演は明和4年(1767) に江戸の市村座で行われている。名刀鬼切丸の精霊が踊る様を描いたもの。
衣装や仕掛けが鮮やかであり、強靱な足腰を感じさせる鴈治郎の舞も一つ一つが決まっている。


「弁天娘女男白浪」。「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」(「白浪五人男」)の“浜松屋見世先”と“稲瀬川勢揃い”のみを上演する場合はこの名になるという。

“浜松屋見世先”。鎌倉雪の下にある呉服屋・浜松屋の見世先が舞台。二階堂家家臣・早瀬主水の娘(片岡愛之助)が四十八(市川右團次)に連れられて浜松屋にやって来る。娘と四十八が去ろうとした時に浜松屋の番頭である与九郎(中村梅蔵)が娘の万引きを見とがめる。番頭は娘の額を算盤でしたたかに打ち付けて傷を負わせるのだが、娘が万引きしたと思われた布は実は山形屋という店で買ったものだった。結局、弁償ということになる。だが実は娘の正体は白浪・弁天小僧菊之助、四十八は同じく南郷力丸であった。そこへ店の奥から二階堂家家臣を名乗る玉島逸当なる人物(中村芝翫)が現れ、二人を白浪と見抜くのだが……。

歌舞伎の演目の中で最も有名なセリフの一つである「知らざあ言って聞かせやしょう」が出てくるのがこの“浜松屋見世先”である。元々は尾上菊之助のために書かれたセリフであり、弁天小僧菊之助の名は尾上菊之助に掛けたもの。その他にも、「寺島」(尾上菊之助の本名)、「音羽屋」(尾上菊之助の屋号)がセリフに登場する。愛之助の「知らざあ言って聞かせやしょう」は義太夫節の影響の薄い、自然なもの。やはり江戸と上方の俳優とでは異なるのであろう。
ちなみに、中村梅蔵が、「南座の顔見世が初日から満員御礼続き」というネタをやる時に愛之助の屋号を何故か「高嶋屋」と言い間違えていた(最初は自身の屋号である「高砂屋」と言おうとして嶋だけ戻したのだが間に合わず)。本職でも屋号を言い間違えることはあるようだ。

“稲瀬川勢揃い”はその名の通り、白浪五人男(中村芝翫演じる日本駄右衛門、片岡愛之助演じる弁天小僧菊之助、中村鴈治郎演じる忠信利平、片岡孝太郎演じる赤星十三郎、市川右團次演じる南郷力丸)が「志ら浪」と書かれた傘を持ったいなせな格好で勢揃いし、捕り方の前で掛詞を使った名乗りを上げるというものである。それだけで歌舞伎として実に絵になる演目である。


「三社祭」は、若手の中村鷹之資(たかのすけ)と片岡千之助による歌舞伎舞踊。
若い二人の持つエネルギーがはち切れんばかりに躍動する。一方で、若さが余って軸がぶれることもあるが、今日最後の演目としては二人の持つ力強さは好ましく思われた。


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2018年12月10日 (月)

これまでに観た映画より(113) 「フラガール」

DVDで日本映画「フラガール」を観る。李相日監督作品。出演:松雪泰子、豊川悦司、蒼井優、山崎静代、池津祥子、徳永えり、三宅弘城、寺島進、高橋克実、富司純子ほか。

常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)創設に至るまでのストーリーを描く映画である。

昭和40年、福島県いわき市。炭坑の街であるいわきであるが、石炭産業は斜陽に向かっていた。常磐炭坑で人員整理が行われる中、常磐ハワイアンセンターの構想が持ち上がる。フラダンスを踊るダンサーを炭坑の娘の中から生み出そうという計画も同時に出来る。ダンサーを教えるためにやって来た元SKDのダンサー、平山まどか(松雪泰子)は、炭坑の街の余りの貧しさに仰天。炭坑の少女達もダンスの経験はなく、計画はいきなり難局にぶち当たることになる……。

ダンス未経験の少女達が上達してプロのダンサーになるまでの、一種のスポ根ものの要素もはらみ、友情と別れ、親族の死なども描かれて、感動の秀作となっている。

豊川悦司が普段の知的なイメージとは180度異なる役に挑んでいるのも面白い(それでも知的な部分が残っているのがいいのだが)。

それにしても役者というのは凄い。作品の良さもさることながら役者の凄さを感じる映画であった。

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コンサートの記(466) 岡山大学交響楽団第65回記念定期演奏会大阪公演

2018年12月3日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後6時30分から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、岡山大学交響楽団第65回記念定期演奏会大阪公演を聴く。指揮は吹奏楽ではお馴染みの保科洋。

旧制第六高等学校や旧制岡山医科大学などを前身とする岡山大学。旧制第三高等学校である京都大学とは同じナンバースクールで、更に岡山医科大学(現在の岡山大学医学部)は元々は第三高等学校の医学部だったということで、京都大学と交流があり、5年ごとに京都大学交響楽団とのジョイントコンサートを行うのが恒例だそうで、今回も第1曲目であるワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲は岡山大学交響楽団と京都大学交響楽団の合同演奏となる。


曲目は、前記ワーグナー作品の他に、保科洋の「饗宴 Deux Paysanges Sonores Ⅰ,Ⅱ」とブルックナーの交響曲第7番。


岡山大学交響楽団(通称:岡大オーケストラ、岡大オケ)はその名の通り岡山大学の交響楽団なのだが、オフィシャルホームページの「岡大オケ概要」にもある通り「岡山大学の学生、及び周辺の大学の学生で構成されるオーケストラ」であり、岡山理科大学、ノートルダム清心女子大学、川崎医療福祉大学、就実大学の大学生、更に岡山理科大学専門学校と岡山科学技術専門学校の専門学校生も入っている。今回の公演だけなのかどうかはわからないが、岡山大学のOBやOGも参加していることがわかる。
京都大学交響楽団も俗にいうインカレは多いようで、メンバー表を見ると、同志社大学、京都工芸繊維大学、京都産業大学、京都薬科大学、京都女子大学、京都府立大学、龍谷大学、立命館大学、滋賀大学の学生が加入していることがわかる。

大学オーケストラと一口に言っても、早稲田大学交響楽団のようにカラヤン・コンクールで何度も優勝している本格志向の楽団から単なるオーケストラサークルに至るまで幅広いが、岡山大学交響楽団の場合は約半数が入団時初心者であるものの、個別指導やプロの指導、保科洋による「岡大オケ・システム」という独自の養成方法の確立などもあり、かなり本格的に取り組んでいることがうかがえる。


岡山大学交響楽団常任指揮者の保科洋は、1936年生まれ。小澤征爾の1つ下、シャルル・デュトワやズービン・メータ、エリアフ・インバルと同い年ということになる。東京芸術大学作曲科出身。卒業作品で第29回毎日音楽コンクール作曲部門(管弦楽)で1位を受章。その後、東京音楽大学、愛知県立芸術大学、兵庫教育大学で教鞭を執ると同時に作曲活動を続け、特に吹奏楽曲では日本の第一人者と目されるまでになっており、「風紋」は最も有名な吹奏楽曲の一つとなっている。
保科は、昨年の4月に脳出血で入院。6月に退院したが、健康上の不安はあるようで、今日は杖をついて登場。ブルックナーの交響曲第7番では指揮台上に椅子が置かれ、楽章間にそれほど長い間ではないが腰を下ろして休憩を取っていた。

ワーグナーとブルックナーは保科が指揮するが、保科作曲の「饗宴」は秋山隆がタクトを執る。
秋山隆は保科洋の弟子で、現在は川崎医科大学病理学教室に勤務する現役の病理専門医である。中学時代に吹奏楽を始め、岡山一宮高校時代には学生指揮者として賞を得ている。岡山大学医学部入学と同時に岡山大学交響楽団にトランペット奏者として入部し、保科の指導の下で演奏。学生指揮者としても活動を始め、岡大オケを第2回全日本大学オーケストラコンクール1位獲得に導いている。卒部後は、岡山大学交響楽団サブコンダクターとして保科を支えている。


ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲。京都大学交響楽団との合同演奏で、コンサートマスターは京都大学農学部4年のM君が務める。
弦楽の輪郭がクッキリとせず、主旋律がどこに行ったのかわからなくなるなど、混沌とした演奏であるが、臨時特別編成の学生オーケストラということもあり、こんなものだろうとも思う。


保科の「饗宴」以降は岡山大学交響楽団の単独演奏で、コンサートミストレスは教育学部4年のNさんが担う。無料パンフレットを読むとNさんのニックネームが「ラムエル」らしいことがわかるのだが、何の説明もないため由来は不明。執筆者は新日本フィルハーモニー交響楽団のヴァイオリン奏者で岡大オケ第1ヴァイオリントレーナーの篠原英和であるが、聴きに来るのは全員身内という前提で書かれていると思われ、端折ったのであろう。

「饗宴」は、下野竜也指揮広島ウインド・オーケストラによる吹奏楽版のCDは出ているが、管弦楽曲版の音源はないようで、貴重な体験となる。岡大オケのメンバーも保科の作品ということもあってか全身全霊での演奏。繊細な味わいのある見事な仕上がりとなった。下手側の席で聴いていた保科は演奏終了後に秋山に促されて立ち上がり、喝采を受けた。


ブルックナーの交響曲第7番。ワーグナーと保科作品はチェロが上手手前に来るアメリカ式の現代配置での演奏であったが、ブルックナーはドイツ式の現代配置で演奏される。

パート別では木管楽器が最も安定しており、冴え冴えとした音を響かせる。弦楽器はやはり輪郭がやや曖昧であり、金管もずれが目立つ場面があるが、アマチュアオーケストラとしてはまずまずの水準に達しているように思われる。ブルックナーの交響曲はそのまま演奏してもブルックナーの音楽にならないところがあり、難度は高いのだが、交響曲第7番はメロディー主体ということもあり、ブルックナーを得手としていない指揮者やオーケストラでも聴かせる演奏を行うことは可能である。音楽を聴く喜びを感じることが出来た。

こうしてブルックナーの交響曲を聴いてみると、ブルックナーが誰よりもキリスト教的な音楽を書いているということがわかり、その点で最もヨーロッパ的な作曲家だということが確認出来る。

思い出されるのは、朝比奈隆と大阪フィルハーモニー交響楽団が、ブルックナーの眠る聖フローリアン教会で交響曲第7番を演奏しようとした際、本番前に現地の老人が朝比奈の楽屋を訪れて、「キリスト教徒でない者にブルックナーが演奏出来るはずがない」と抗議のようなものを行ったという、比較的よく知られた話である。ブルックナーがキリスト教の精神そのものを音楽に昇華したというわけではないため、キリスト教徒でもない日本人でもブルックナーの交響曲を見事に再現することは可能であるように思われるのだが、楽曲から受け取るものはヨーロッパ人とは大きく異なるのも事実であるように思われる。ブルックナーは日本人にとって奥の院の音楽だ。

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2018年12月 9日 (日)

観劇感想精選(272) ブロードウェイ・ミュージカル「SPELLING BEE(スペリング・ビー)」

2009年8月5日 西梅田のサンケイホール・ブリーゼにて観劇

午後7時から大阪・西梅田のサンケイホール・ブリーゼで、ブロードウェイ・ミュージカル「SPELLING BEE(スペリング・ビー)」を観る。翻訳・訳詞・演出:寺崎秀臣、翻訳:佐々木真美、出演:藤井隆、新妻聖子、梶原善、高田聖子、坂元健児、風花舞、安寿ミラ、村井国夫、今井清隆。

アメリカで毎年行われている、スペリングを競う小学生のための競技「スペリング・ビー」を題材にした、というかそのまま舞台に乗せてしまった作品。それだけといえばそれだけなのだが、役者が良いからだろう、観ていて楽しかった。安寿ミラ、村井国夫、今井清隆の3人を除くキャストは子どもを演じるのだが、それぞれに個性を生かして達者な演技を見せる。本当に子どもに見えるのだから大したものだ。

問題があるといえば、英語のスペリングについて、私は何の知識もないので(平均的な日本人もそう大した知識はないだろうが)そちらの方面の楽しみが持てないことである。何かよくわからないことをやっているなあ、と醒めた感情を持ってしまう。それでも別に構わないのだけれど。

ミュージカルを本職とする新妻聖子の歌唱がやはり印象的。他の役者の歌とダンスの水準も高い。坂元健児が客と交流したり、高田聖子がWikipediaをネタにしたりして場を盛り上げるのも楽しい。

開演前にロビーでスペリング・ビーのエントリー希望者を募っており、応募した人は名前を呼ばれて客席から舞台に上がり、スペリングのクイズに答えていた。易しい問題もあれば(問い「USJのスペルを言いなさい。意味、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」、答え「USJ」。問い「次の単語のスペルを言いなさい。『EXILE』。意味、追放者、亡命者」など)、難しい問題もある。

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これまでに観た映画より(112) 北野武監督作品「アキレスと亀」

DVDで日本映画「アキレスと亀」を観る。北野武監督作品。出演、ビートたけし、樋口可南子、柳憂怜、麻生久美子、中尾彬、伊武雅刀、徳永えり、大杉漣、筒井真理子、大森南朋ほか。

芸術を志した倉持真知寿という男の悲喜こもごもの人生を描く。

群馬県の富豪の家に生まれた真知寿は、絵画好きの父親(中尾彬)の影響もあって幼い頃から絵を描き始める。やがて真知寿の父親の会社は倒産。父親は自殺し、父親の弟(大杉漣)の家に預けられた真知寿は冷たい仕打ちを受け、やがて養護施設に引き取られる。

成人した真知寿(柳憂怜)は印刷会社で働きながら絵の学校に通うが、志を同じくする仲間が一人また一人と減っていく。そんな中で真知寿は幸子(麻生久美子)という伴侶を得た。

中年になった真知寿(ビートたけし)は幸子(樋口可南子)とともに制作を続けるのだが、絵はやはり売れない……。

少年時代の真知寿は哀しく、青年時代の真知寿は寂しげだが、中年になって幸子と共に制作を続ける真知寿の姿はまるでコントのよう。ここのペーソスとユーモアの対比とバランスは見事である。

そして、ほっとさせられるラストシーン。真知寿は芸術を必死で追い続けていたが、それよりも大切なものをすでに見つけていたのだ。

見終わって少し温かい気持ちにさせられる作品である。

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美術回廊(20) 生誕100年「いわさきちひろ、絵描きです。」@美術館えきKYOTO

2018年12月6日 美術館えきKYOTOにて

美術館えきKYOTOで、「生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。」展を観る。

童話などの愛らしい挿絵でもお馴染みの、いわさきちひろ(1918-1974)。55歳と若くして亡くなっている。

福井県武生市(現・越前市)に生まれ、東京で育つ。東京府立第六高等女学校(現・都立三田高校)卒業後は東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)に進学したいという意志を持っていたが、両親に反対されて断念している。その後、意に染まぬ結婚したが、これは夫の自殺によって幕を下ろした。戦時中は満州などで過ごし、敗戦の衝撃から共産主義へと傾倒。日本共産党の党員となり、共産党宣伝部の芸術学校でも学んでいる。ソ連に渡った経験もあり、同地で描かれたスケッチなども展示されていた。二人目の夫は日本共産党の幹部。

「愛らしい、わかりやすい、色彩豊か」として愛されているちひろの絵だが、こうしたものが共産主義の理想とする芸術に近しいことは確かである。「共産党員なのになんでこんなに可愛らしい絵が描けるんですか?」と聞かれたちひろが「共産党員だから描けるんです」と答えたというエピソードがあるが、ある意味、的確な答えになっている。

絵画の他に書道にも親しんだちひろ。ちひろは左利きだが字は右に矯正している。一方で、絵筆は左手で握ったため、左手で絵を描きながら書を記すということも行っていたそうだ。

和服を着た少女の顔の横に百人一首の歌(「あまつかぜ雲の通い路吹きとじよ乙女の姿しばしとどめむ」と「あいみての後の心に比ぶれば昔はものも思わざりけり」)を書いた絵や、東歌の「多摩川にさらす手作りさらさらになんぞこの子のここだかなしき」より多摩川に布をさらす少女の絵なども展示されている。気に入ったのだが、絵葉書などにはなっておらず。残念。

高畑勲が、この展覧会の監修を務める予定だったそうだが、実現する前に逝去している。ただ高畑の発案により、ちひろの絵である「子犬と雨の日の子どもたち」を大きく引き延ばしたものが展示されている。淡い色彩のちひろの絵は、水滴から拡がる波紋のように無限の拡張を続けているかのように見える。



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2018年12月 8日 (土)

コンサートの記(465) 「情熱大陸スペシャルライブ SUMMER TIME BONANZA2009」

2009年8月1日 大阪府吹田市の万博記念公園もみじ川芝生広場にて

午後1時開演の「情熱大陸スペシャルライブ SUMMER TIME BONANZA2009」に接する。葉加瀬太郎プロデュースのライブ。出演は、葉加瀬太郎、秦基博、柴田淳、SOLT&SUGAR(塩谷哲、佐藤竹善)、クリスタル・ケイ、西村由紀江、中孝介、CHEMISTRY、押尾コータロー、一青窈、藤井フミヤ、森山直太朗、小田和正、一十三十一。オープニングアクト、カサリンチュ。
会場は大阪府吹田市の万博記念公園もみじ川芝生広場。野外公演である。天気は曇り。時折太陽が顔を覗かせる。幸い、雨は降らなかった。

豪華な出演陣による6時間ぶっ通しのライブである。数万単位の人が万博記念公園もみじ川芝生広場を埋め尽くす。私は遅く行ったために余り良い席が取れず、ステージよりもスクリーンに映された映像を眺める時間が多かった。聴ければいいやというわけである。
オーディエンスも集中している人もいれば、音楽そっちのけで仲間同士で喋っている人まで様々である。
その様々な聴衆が小田和正の出番では一斉に音楽に集中する。ネームバリューと実力がものをいうようだ。小田和正は、「ラブストーリーは突然に」を歌いながら、ステージを降り、ステージと客席の間を右に左に走り、時には聴衆にマイクを向けて歌わせる。さすが大御所のパフォーマンスである。

蝉が鳴き、風が吹き、人の熱気がする広場に座りながら時を過ごしている間に様々な思念が浮かぶ。気分が高揚したり内省的になったりする。

柴田淳、佐藤竹善、藤井フミヤは今日発表するのが初めてという新曲を披露する。そういう場に立ち会えるのも嬉しい(注・柴田淳の新曲は、2018年現在、彼女最後のシングルリリースとなっている代表曲「Love Letter」である)。

最後は葉加瀬太郎の「情熱大陸」の音楽で締めくくられ、出演者全員が「情熱大陸」の青いTシャツを着て登場し、お開きとなった。

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観劇感想精選(271) 椎名桔平主演「異人たちとの夏」

2009年7月28日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

大阪へ。梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで行われる「異人たちとの夏」を観るためである。

「異人たちとの夏」は午後7時開演。原作:山田太一、脚本・演出:鈴木勝秀。主演:椎名桔平。出演は、内田有紀、甲本雅裕、池脇千鶴、羽場裕一ほか。ほかといっても他には女優が一人出ているだけなのだが、パンフレットを買わなかったので名前はわからない。

映画「異人たちとの夏」は結構好きな作品で、これまで何度も観ている。

ライターの原田(椎名桔平)は都心のマンションで一人暮らし。離婚したばかりで、家を引き払い、仕事場だったマンションの一室に今は住んでいるのだ。原田が住んでいるマンションには企業が多く入っており、深夜になると静寂に支配される。ある夜、同じマンションに住む藤野桂(内田有紀)という女性が原田の部屋を訪ねてくる。シャンパンがあるのだが、一人では飲みきれないので一緒にどうかと桂はいうのだった……。

場面が移動するために、暗転が多くなるのが舞台版の欠点ではある。でもそれは舞台用に作られた作品ではないので仕方のないことだ。脚本、演出ともに良く工夫されており、物語を楽しむ上では何の問題もなかった。

主演の椎名桔平は出ずっぱり。ということもあってか、上演時間約2時間の作品であったが途中に休憩が入った。

役者陣は全員、熱演。前の方の席だったが、椎名桔平と池脇千鶴は細やかな表情の演技をする。内田有紀は大変な熱演だったが、セリフの間をもう少し開けるとより自然だったように思うのだが。彼女もブランクをまだ埋め切れていないのかも知れない。

特に新しい発見はなかったが、安定感のある舞台だったと思う。

ちなみにすき焼きを囲むシーンだが、その場で本当に煮て作っており、芳香が漂っていた。

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映画「告白」より

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2018年12月 7日 (金)

コンサートの記(464) 京響プレミアム「岸田繁 交響曲第二番初演」@京都コンサートホール

2018年12月2日 京都コンサートホールにて

午後4時から京都コンサートホールで、京響プレミアム「岸田繁 交響曲第二番初演」に接する。京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一の指揮。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーは尾﨑平。今日はオーボエ首席の髙山郁子とクラリネット首席の小谷口直子が全編に出演する。


曲目は、第1部「世界音楽~響きのインスピレーション 『フォークロア・プレイリスト①』」が、岸田繁の弦楽五重奏のための古風な舞曲「あなたとの旅」(管弦楽版)、バルトークの「ルーマニアンフォークダンス」、ショスタコーヴィチ(バルシャイ編)の室内交響曲第1番第1楽章、ヴィラ=ロボスのブラジル風バッハ第4番から第2曲、岸田繁のオーケストラのための序曲「心の中のウィーン」。第2部が岸田繁の交響曲第二番(世界初演)。

岸田の交響曲第一番はロームシアター京都メインホールで初演されたが、第二番は京都コンサートホールでの初演となる。


まず、岸田繁と広上淳一がマイクを手に登場する。
岸田繁は、「作曲『家』と言うのは慣れていないのですが、作曲家の岸田繁です」と自己紹介する。そして広上を「広上淳一マエストロです」と紹介し、「広上先生」と呼びかけるが、「先生はやめて」「マエストロもやめて」「広上さんでいい」と返される。

第1部のタイトルにフォークロアと入っていることについて、岸田は、「フォークというと『神田川』とか高石ともやとかを思い浮かべるかも知れませんが、フォークロアということで民族音楽」と説明する。

岸田は、「広上さんは、本番前に緊張したりすることはありますか?」と聞き、広上は、「ある。今も心臓がばっこんばっこんいってる」と答え、「若い頃は、年取ったら緊張もしなくなって楽にやれるんだろうな、と思っていたが、年を取れば取るほど怖くなる」と語り、「指揮者の仲間にも『年取った方が怖くならない?』と聞いたらみんな『なる』って」
岸田も、「今、心臓が飛んで行ってあのパイプオルガンの上にいるような」と言うと、広上は、「やっぱり眼鏡を掛けてるの?」と冗談を言う。
広上は、「クラシックを料理店に例えるとどんな感じ? 僕もあなたも居酒屋大好きだけど」と聞き、岸田は迷ってから「めっちゃ美味い中華料理店」返す。広上は「今日はどんなお客さんが来ているのかわかりませんが」と前置きしてから、「めっちゃ美味い中華料理店に年に2回は行きたくならない?」と言い、それをクラシックに例えて、「垣根が高いかも知れないけれど」と言いつつ、その後にクラシックオーケストラのコンサートに通う重要性を述べていた。

岸田 「オーケストラのある人生とオーケストラのない人生、どっちが良い悪いということではないと思いますが、僕はある人生を選んで正解だったと思います」


まず、岸田繁の弦楽五重奏のための古風な舞曲「あなたとの旅」(管弦楽版)。
3部形式で、中国の国歌のような歌い出しの第1部&第3部とチャイコフスキー風のトリオを持っている。
今日も京響は好調で輝かしい音を奏でる。

バルトークの「ルーマニアンフォークダンス」
京響の力強い弦楽パートが魅力的な音を奏で、広上の生み出すリズム感と巧みなローカリズムが面白い演奏を生む。

ショスタコーヴィチ作曲、バルシャイ編曲の室内交響曲第1番より第1楽章。
以前、編曲者であるバルシャイの指揮による音盤を聴いたことがあるのだが、交響曲第6番第1楽章のような深い美しさを持つ曲である。広上の曲の掘り下げ方が巧みだ。

ヴィラ=ロボスのブラジル風バッハ第4番第2曲。元々はピアノ曲で、完成後すぐの1941年にオーケストラ編曲がなされている。
ブラジルクラシック界を代表するヴィラ=ロボス。ブラジル音楽とバッハ風様式の高い次元での統合を企図した作曲家だ。ただ、この曲のメロディーはどことなくお洒落でシャンソンを連想させるところがある。京響の磨き抜かれた音が印象的だが、美しすぎてムード音楽のように聞こえるところがある。この辺は好みが分かれそうだ。

岸田繁のオーケストラのための序曲「心の中のウィーン」
ウィーンということでワルツが奏でられる。明快な旋律によるわかりやすい楽曲である。広上と京響が作る音楽は上品だ。


岸田繁の交響曲第二番初演の前に、岸田と広上がまたマイクを手に登場。広上は、「くるりでやる時と映画音楽を作る時、交響曲の時で作る姿勢は違うの?」と聞き、岸田が「一緒だと思います」と答える。

広上は指揮の師でもあるレナード・バーンスタインの話をする。バーンスタインは元々は作曲家志望で、指揮者としてはそれほど野望を持っていなかったのだが、インフルエンザで指揮台に立てなくなったブルーノ・ワルターの代役としてニューヨーク・フィルハーモニックを指揮して大成功。指揮者として売れっ子になる。
「バーンスタイン先生は、作曲をしている時には自己否定が多くなるのだが、指揮者として発散することでバランスが取れる。演奏するのも作曲するのも音楽をするということでは一緒だから」ということで指揮者としての活動を増やすのだが、岸田が作曲するときの精神状態についても聞く。やはり自己否定は増えていくそうではある。
広上が「ここで『俺(指揮)やーめた!』って言ったらどうする?」と冗談を言い、岸田も「僕が全曲アカペラでやります」と冗談で返していた。


岸田繁の交響曲第一番は5楽章で出来ていたが、交響曲第二番は、オーソドックスな4楽章からなる。全編を通してロシアンな雰囲気があり、ロシアの作曲家を意識した作品であることがうかがえる。

全体的にロマンティックな調性音楽で、映画音楽にも通じるところがある。なお、作曲はDAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)を使って行われ、スコア編集は徳澤青弦が務めている。

チャイコフスキーの「悲愴」交響曲第3楽章のような音楽が冒頭とラストに配され、ラフマニノフ、プロコフィエフ、リムスキー=コルサコフ、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチなどを思わせる響きが随所に顔を出す。ラストはチャイコフスキー風に「ジャジャジャジャン」の運命動機で締められた。
広上指揮の京響は、「ブリリアント」そのものの演奏を展開。オーケストラを聴く楽しみを存分に味わわせてくれる。


演奏終了後に、広上が岸田に自作を聴いた感想を聞き、岸田は、「生まれて初めて鏡を見たような」と答える。「こいつ案外やるやん! といったような」だそうである。

岸田は、「京都市の皆さん、京都市に京都市交響楽団と広上淳一がいて良かったですね」と語る。


アンコールとして、くるりの代表曲である「宿はなし」の管弦楽版が演奏される。
演奏前に広上が「『宿はなし』って、昔、貧乏だったの?」と聞き、岸田は「学生時代は貧乏だったので、寝ちゃいけない場所で寝たり」
広上 「でも、これから12月1月と寒くなってくるけど」
岸田 「宿はあった方がいいと思います」
と、漫才のボケ同士の会話にようになっていた。

広上は遅めのテンポで旋律を揺らしながら歌い、曲が持つノスタルジアをいや増しに増していた。



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2018年12月 6日 (木)

観劇感想精選(270) 市村正親主演「炎の人」

2009年7月18日 大阪・京橋のシアターBRAVA!にて観劇

午後5時30分から、大阪・京橋のシアターBRAVA!で、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの生涯を描いた舞台「炎の人」を観る。作:三好十郎、演出:栗山民也。1951年に劇団民藝で初演されて大ヒット。日本におけるゴッホブームを生んだともいわれる名作である。

ゴッホを演じるのは市村正親。出演は他に、益岡徹、荻野目慶子、今井朋彦、原康義、さとうこうじ、渚あき、斎藤直樹、荒木健太朗、野口俊丞、保可南、大鷹明良、中嶋しゅう、銀粉蝶。


ベルギーで宣教師をしていたゴッホ(市村正親)は坑夫達のストライキに荷担して、宣教師の資格を剥奪される。画家になることを志したゴッホはオランダの政治都市ハーグで修業し、パリでゴーガン(益岡徹)やロートレックらと交際。ゴーガンにはその絵を「乱暴だが本物だ」と評価されるが、絵は一枚も売れなかった。弟のテオことテオドール(今井朋彦)の援助を受けながら生活し、アルルでゴーガンと共に暮らすようになるゴッホ。しかし、その精神は徐々に異常を来していく……。

ベルギーの場面ではくすんだ色の背景。それがハーグ、パリ、アルルと舞台が変わる毎に背景色は鮮明さを増していく。

劇場の構造故か演技のスタイルのためかセリフがやや聴き取りにくいところがあり、そのことも含めて観るのに集中力を必要とする作品である。

ゴッホになりきった市村正親の演技は、「見事」の一言。

ゴーガンに画才を認められるも絵は一枚も売れず、それでも憑かれたようにキャンバスに向かい続けるゴッホの姿、そしてゴッホを襲う悲劇に心を動かされる。

絵の世界を舞台とする作品ではあるが、認められないまま続ける時代が長く続くということは他の芸術においても、また純粋に人生においても良くあることである。それでも生き続けようという勇気をこの作品から貰った気がする。

第2幕の冒頭で、ゴッホの絵が映像で大写しになる場面があるのだが、アルルの田園風景の陽光のまぶしさが伝わるような、またアルルの跳ね橋の上にいる女性が今にも動き出しそうな、川に拡がる波紋が更に拡がっていきそうな、そうした絵を観ていると、なぜゴッホが生前認められなかったのか不思議に思えてくる。それは運命なのか、神のいたずらなのか。つまるところ、絵画とはエネルギーを描くものだという発想がその時代にはまだなかったということなのだろうか。

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「破壊の子ら ―演出家・筒井潤とダンサー4人の野望」

2018年12月1日 京都芸術劇場春秋座にて

午後3時30分から、京都芸術劇場春秋座で、ダンス公演「破壊の子ら ―演出家・筒井潤とダンサー4人の野望}を観る。演出家の筒井潤が、演出と振付を行う公演。企画:山田せつ子。出演:倉田翠(akakilike)、野田まどか、福岡まな実、松尾恵美。

春秋座の舞台上に設けられた仮設席が上手と下手から空間を挟むように設置されている。両サイド(本来の客席側と舞台奥側)からカーテンが下りており、演じるスペースは細長(短冊形)になっている。開演30分前からロビー開場が行われ、客席入場は10分前から整理番号順に行われる。

午後3時30分になると、客席側にダンサー4人の舞台奥側に男性の影絵が現れる。男性がレバーを回すと回り舞台が回転を始め、女性ダンサー達の影が大きくなってから左右に分かれ始める。

ダンサーが1人ずつ回転舞台に運ばれるようにして登場し、ダンスが始まる。

「破壊の子ら」というタイトルに従って物語を読み取ることは前半に関しては出来る。女性しかわからない下ネタは、生殖行為に繋がり、女性に取っては人生で最も大切なことの一つなのだが、リアルに男と女とでは洒落にならない。しかし、女性同士なら笑いになるのである。途中で、稽古中に取られた声が入り、筒井が「何で笑ってるの?」と言っていたりする。
そして突き破って出てくるという行為は「破壊」と見ることも出来るだろう。昔は出産は死に繋がりやすく、3人が横になった1人を担ぎ上げて歩く様を「葬送」に見立てることはたやすい。動きの類似性と象徴性に鑑み「生死」を描いた、そう取ることも可能である。
ただ、後半は特にストーリー性はなく、ダンスの動きそのものに焦点を当てている。前半も物語めいたことはあったが、それも「そう見えた」というだけの可能性も高い。

私自身は、「ダンスは音楽と物語から自由になるべきだ」と考えており、ダンスの独立性を支持しているため、夾雑物になりかねない物語と音楽を排した公演であるということも納得がいく。ただ、動きのみでどれだけ見る者を魅了出来るかということでもあるのだが。


そしてこれを観た後で、「ダンス批評というのは果たして本当に必要か?」という疑問が浮かぶ。私もダンスはそれほど好きではないが、観て感想は書くし、文章として残しておくことも重要だと思っている、記録としてなら。ただダンスそのものを言葉で置き換えることは出来ないし、する意味もないとは思っている。そもそもダンスというのは他者に伝達するために始まったものではないだろう。
ダンス批評なるものを読むと、単なる公開自慰に陥ってるものがあり、薄気味悪かったりするのだが、彼らはダンスを感覚的で自己完結的な文章に置き換えることに対してなんの羞恥心も感じていないように思える。


終演後に、ポスト・パフォーマンス・トークがある。出演者は筒井潤と演劇批評家の高橋宏幸。高橋は名前をひっくり返すとミュージシャンの高橋幸宏と同姓同名になるが、今日も「高橋幸宏さん」と紹介されるも頷いていた。多分、間違えられることがかなり多いのだろう。

筒井潤は、コンテンポラリーダンスで「強度」が求められることに対して疑問を抱いたそうで、それとは違うダンスを指向したという。コンテンポラリーダンスにおける「強度」という言葉の用い方は人によって違うだろうが、動きのシャープさや迫力などを指していることが多いだろう。そうした密なものに対するある種の緩さを求めたそうだ。

筒井はダンスの経験はほとんどないため、振付自体も変なものになるそうで(本格的なダンスはしたことがないので身体的な発想が出来ない)、4人のダンサーが独自に変えたり進化させたりという作業が必要になる。ただ、そうした一種の翻訳作業を演出家である自分には教えないよう筒井は求めたそうで、そこに一種の化かし合いが起こることになる。

いわゆる「境界」にあるダンス作品である。

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2018年12月 5日 (水)

これまでに観た映画より(111) 「ペルセポリス」

DVDでフランスのアニメーション映画「ペルセポリス」を観る。テヘラン生まれでパリ在住のマルジャン・サトラビの半自伝的作品。監督:ヴァンサン・パルノー&マルジャン・サトラビ。

イランのテヘランに生まれたマルジャン。時代は国の王制が廃されて共和制に移行しようという時だった。その後、共産主義者の粛正があり、イラン・イラク戦争が始まる。マルジャンは戦災を恐れた両親によってウィーンに留学させられる。しかし、マルジャンはそこで居場所を発見出来なかった……。

イランの近現代史を知る上でも興味深い映画。マルジャンとマルジャンの祖母が「ゴジラ」を映画館で観るシーンがあり、日本との接点が見つかるのも面白い。

それにしても、映画に描かれる粛正の多いこと。戦後の平和な日本から見ると、イランという国は同じ時代に壮絶な歴史を辿っていることがわかる。そういう国で生まれ育つというのはどういうことなのだろうか。国家と国民、政治や風習と市民というテーマについても深く考えさせられる作品であった。

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コンサートの記(463) ミハイル・プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団来日公演2009大阪

2009年7月11日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、ザ・シンフォニーホールで、ミハイル・プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団の来日公演を聴く。曲目は、リムスキー=コルサコフの歌劇「雪娘」組曲、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:川久保賜紀)、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」というオール・ロシア・プログラム。

ロシア・ナショナル管弦楽団は、1990年にプレトニョフが興したロシア初の民間オーケストラ。結成する際に、既成のオーケストラから人材が流れるなどして問題となったこともある。


リムスキー=コルサコフの歌劇「雪娘」組曲は、知名度は低いが愛らしい作品。ロシア・ナショナル管弦楽団は管楽器の音のエッジが立っており、中でも金管の輝かしい音は日本のオケのそれとは別次元にある。


チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のソリストを務めるのは川久保賜紀。2002年のチャイコフスキー国際コンクールのヴァイオリン部門で1位なしの2位に輝いた逸材である。
プレトニョフとロシア・ナショナル管のゆったりとした序奏に続いて、川久保のソロが始まる。線の太さはないが、音は磨き抜かれ、気品すら漂う。技術も高く、評判に違わぬ優れたヴァイオリニストであることがわかる。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、この1年の間に何度か生で聴く機会があり、木嶋真優、南紫音ともに今一つであったが、川久保賜紀はさすがというか、格の違いは明らかである。

川久保はアンコールにJ・S・バッハの無伴奏パルティータ第3番より“ブーレ”を演奏する。


チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。冒頭はゆっくりとしたテンポで始まるがすぐに加速し、オーケストラの機能美を発揮した演奏が展開される。第1楽章の第2主題を歌わずに流したり、第2楽章を速めのテンポで駆け抜けたりと、即物的な印象を受ける。

第3楽章も健康優良児的演奏。しかし、ここまでが伏線であった。
第4楽章は一転して、繊細な表情で嘆きの歌を歌い上げる。第3楽章までは第4楽章とのコントラストをつけるために敢えて暗い表情を抑えた演奏をしていたのである。第3楽章までで表現された凛凛たる英雄像が第4楽章で打ち崩される。プレトニョフ、意外に演出が巧みである。
葬送の雰囲気すら漂う打4楽章が終わった後、長い沈黙があり、やがて拍手が起こる。優れた解釈による演奏であった。

悲劇的な解釈による演奏でプログラムが終わったためか、アンコールはなし。これもまたプレトニョフの巧みな演出であり、こちらも不満はなしである。

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これまでに観た映画より(110) 「紙屋悦子の青春」

DVDで日本映画「紙屋悦子の青春」を観る。原作:松田正隆、監督:黒木和雄。出演は、原田知世、永瀬正敏、本上まなみ、松岡俊介、小林薫ほか。

昭和20年3月末から4月半ばまでの鹿児島県の田舎を舞台にした映画。

紙屋悦子(原田知世)のところに縁談が来る。相手は長与長政という青年(永瀬正敏)。明石という男(松岡俊介)の紹介である。悦子と明石とは旧知の仲で、悦子には明石のことを好いている節がある。しかし明石は出征が近く、長与に悦子のことを任せるつもりでいた……。

演劇的な手法が目立つ映画である。脚本は松田正隆ではないが、せりふ回しから間から何から演劇的な色合いが濃い。

淡々と進む中におかしみと悲しみが交錯する佳編と呼ぶに相応しい出来。小津安二郎が好きな人には薦められる作品である。

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史の流れに(5) 京セラ美術館 鳥羽伏見の戦い150年記念展「維新の夜明け」

2017年12月3日 伏見区の京セラ美術館にて

伏見区の京セラ本社1階にある京セラ美術館で、鳥羽伏見の戦い150年記念展「維新の夜明け」を観る。

京セラ美術館は比較的小規模な美術館であるが、入館は基本的に無料である。

現在、大和大学准教授を務める友人の竹本知行氏(愛称は「竹ぽん」)も監修の一人として名を連ねており、映画「隠し剣鬼の爪」の特典映像として撮られた幕末という時代と武器の解説映像(竹本氏は武具や兵器の専門家である)も流れていた。上映時間53分ということで見ている時間はなかったが、竹本氏は声に特徴があるので、どこに出演しているのかはすぐにわかった。

展示数は余り多くないが、鳥羽伏見の戦いの戯画が数点、銃器や砲弾に銃弾、当時の伏見の図面、17歳で討ち死にした阿多孫二郎の鉢振や家族宛の書簡などが展示されている。阿多孫二郎は、17歳にして死を覚悟しており、両親と祖父母に向けて別れの書状をしたためている。その文には「さんずの川で会いましょう」や「もう(故郷に)帰ることはありません」「討ち死に以外の道は考えていません」という決意が述べられていた。

伏見奉行所跡地の近くにある魚三楼に今も銃弾の通り抜けた跡が残っており、鳥羽伏見の戦いの痕跡と伝わるも「伏見に師団があった頃に、その辺の若いのが発砲してつけたのではないか」という話もあるが、弾の大きさからいって銃弾ではなく伏見の戦いで使われた四斤山砲破裂砲弾の鉄弾子とみるのが適当なのだそうである。

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2018年12月 4日 (火)

コンサートの記(462) Ensemble FOVE presents “TRANS”@京都芸術センター

2018年11月28日 京都芸術センター講堂にて

午後7時30分から、室町通錦小路上ルにある京都芸術センターの講堂で、Ensemble FOVE presents “TRANS”という公演を聴く。

Ensemble FOVEは、作曲家の坂東祐大を主宰として結成された気鋭の若手演奏家による団体。2016年に発足したばかりである。
今日の出演メンバーは、上野耕平(アルトサックス)、荒木奏美(オーボエ)、中野日出鷹(ファゴット)、伊藤亜美(ヴァイオリン)、安達真理(ヴィオラ)、地代所悠(男性。コントラバス)、宮下和也(エレクトロニクス&テクニーク)。他に録音による演奏参加者が15人。更にグラフィックデザインとして稲葉英樹が参加している。

“TRANS”は全曲、坂東祐大が作曲したもので、「Bubbles&Scales」、「Etude」、「Poly Clock Etude」、「Transform and Deform」、「Trance homage to Jonann Johannsson」、「Seesaw」、「Melting dance」、「Untitlid/fantasitc」の8曲(8部)からなる。

講堂内部は、中央にコンピューターと音響操作スペースになる平台が置かれており、その周りに椅子が無作為無指向に置かれている。その外縁に上にアルミホイル状のもの(被災地などで使う防寒具らしい)を敷き詰めた平台が6つ、客席を取り囲むようにして配されている。中央が宮下和也のスペース、他は各奏者一人ずつにあてがわれた演奏スペースとなる。
不思議な空間である。

客席の外周にはスピーカーも置かれており、開演前から泡がはじけるような音が聞こえているが、演奏者はみな楽器にマイクを取り付けたプラグド状態であり、直接音と同時にマイクが捉えた音も四方八方から飛び出してくる仕掛けとなっている。録音による参加者の音もここから流れて来る。生演奏と録音のコラボも当然ながら多い。

照明も演奏家の真上から当たったり、場内を回転したりと多彩だ。


坂東の書いた音楽であるが、スマートでクールである。メロディーではなく、その瞬間瞬間の響きを聴かせる作品であり、特殊奏法も用いられていて、シャープな印象を受ける。
響きと光の動く様を見聞きしていると、あたかも深海にいるような、あるいは360°水槽に囲まれた水族館にいるような錯覚に陥る。音の遊泳だ。
つかもうとすると逃げてしまう逃げ水のような音楽でもある。現代音楽ならではの面白さだ。
中川日出鷹が長いソロを取る、4曲目の「Transform and Defort」が特に印象的だが、「ドレミファソラシド」の音階を青葉市子のヴォーカルが辿る1曲目「Bubbles&Scales」(楽器演奏者は始めから半音進行となる)や、伊藤亜子がソロヴァイオリンを奏でる8曲目の「Untitled/fantastic」なども特徴的である。

出演者の中では、「題名のない音楽会」の常連でもある上野耕平が最も有名だと思われるが、全員が高い評価を受けている音楽家であり、クオリティは申し分ない。


終演後に、出演者達によるアフタートークがある。フルートの荒木奏美のように「よくわからない」と正直に言う人もいたが、「自然に出来てしまうのだな」と感じさせる発言もあった。
作者の坂東祐大は、「不快と快感の間を狙った作品」だと説明する。ジェットコースターを例えとして挙げて、「ジェットコースターって、不快の塊ですけど、それにあれほど乗る人がいるということはスリルや何かを求める人がいて、快感に変わる」というようなことを話す。
今日は照明が点滅する上に、聴き慣れない現代音楽ということで、上野が「不快さに耐えきれず、出て行ってしまった方が3名ほどいましたが」と言い、坂東は「あそこから快感へと変わるのに、不快なままにさせてしまって申し訳なかった」と語っていた。

安達真理によると、Ensemble FOVEのメンバーは仲がとても良いそうで、プライベートでも和気藹々とやっているそうである。


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2018年12月 3日 (月)

コンサートの記(461) アントニ・ヴィット指揮ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2009京都

2009年6月26日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールでワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団の来日公演に接する。指揮者は芸術監督・首席指揮者のアントニ・ヴィット(ヴィト)。
曲目は、モニューシュコの序曲「おとぎ話」、ショパンのピアノ協奏曲第1番、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。

ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団はポーランドのトップオーケストラ。
指揮者のアントニ・ヴィットはポーランド第二のオーケストラといわれるカトヴィツェのポーランド国立放送交響楽団の音楽監督を務めた後でワルシャワ国立フィルのシェフの座に就くという、いわばポーランド人指揮者のエリートコースを歩んでいる指揮者である。NAXOSレーベルの看板指揮者の一人でもあり、チャイコフスキーの「悲愴」はNAXOSにポーランド国立放送響を指揮して録音しており、情熱に溢れた演奏であった。

モニューシュコの序曲「おとぎ話」とショパンのピアノ協奏曲第1番は中編成での演奏である。

モニューシュコの序曲「おとぎ話」は悪い曲ではないが良い曲でもないという印象の薄い曲であった。ワルシャワ国立フィルの音は楽器が余り良くないためか痩せ勝ち乾き勝ちであったが、ホールは良く鳴っていた。なぜなのかはよくわからない。あるいはホールを響かせる演奏技法というものを楽団員達が身につけているのかも知れない。


ショパンのピアノ協奏曲第1番のソリストは日本でもおなじみのスタニスラフ・ブーニン。登場した時から前屈みで歩いており、演奏中も猫背で神経質な印象を受ける。しかし、ピアノの音はそんなブーニンの気質を良い方に反映してか極めて繊細で輝かしい。
ブーニンの指の回りは必ずしも良くなかったが、それを磨き抜かれた音で補うという個性的な演奏。ヴィット指揮のワルシャワ国立フィルもブーニン同様、繊細さに溢れた伴奏を奏でる。


チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」はフル編成での演奏。ヴィットはNAXOSへの録音と同じく情熱的な演奏を聴かせる。なお、前半の2曲では指揮棒を手にしていたヴィットだが、この曲はノンタクトで振る。ワルシャワ国フィルの音は相変わらず乾き気味だが、第1楽章第2楽章などには独特の艶があって美しい。
第3楽章は情熱全開の演奏で、終わると同時に大きな拍手が起こった。続く第4楽章の嘆きの表情も堂に入っていて、好演といえる。

アンコールは2曲。ドヴォルザークのスラヴ舞曲第1番とプロコフィエフの古典交響曲より“ガボット”。
ドヴォルザークのスラヴ舞曲第1番は縦の線が合っているんだが合っていないんだかわからないような演奏であったが、威勢は良く、会場を盛り上げた。

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表裏

強さは想像力の欠如に繋がる。

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2018年12月 2日 (日)

コンサートの記(460) 河村尚子ピアノリサイタル2018京都 オール・ベートーヴェン・プログラム

2018年11月27日 京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタにて

午後7時から、京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタで河村尚子のピアノリサイタルを聴く。オール・ベートーヴェン・プログラム。

演目は、ピアノ・ソナタ第18番、ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」、ピアノ・ソナタ第24番「テレーズ」、ピアノ・ソナタ第23番「熱情」


今日は最前列下手寄りで聴く。河村の手の動きがよく見える席である。

今年はシリーズでベートーヴェンのピアノ・ソナタに取り組んでいる河村尚子。出身地の西宮にある兵庫県立芸術文化センターではKOBELCO大ホールと神戸女学院小ホールで複数回の公演を行う。西宮での第1回のリサイタルは私もチケットを取ったのだが、風邪のために断念した。

広上淳一のお気に入りということもあり、京都市交響楽団の定期演奏会のソリストとしてよく京都コンサートホールに登場する河村尚子。ムラタホールでもチェロのホルヌングとのデュオリサイタルを行っているが、ソロでのピアノリサイタルとなると久しぶりである。


いつも通り満面の笑顔で登場した河村。堅固な構築美、強靱なタッチ、雄渾なスケール、温かさと若々しさを兼ね備えた音色、抜群のリズム感、繊細な弱音の妙技、横溢するエネルギー、多彩な表情など、優れたところを挙げれば切りのない理想的なベートーヴェン演奏を繰り広げる。日本人女性ピアニストが弾いているとは思えないどころか「とんでもない」と形容したくなる出来である。
「ワルトシュタイン」では第1楽章で雄々しさ溢れる演奏を展開。演奏終了後に白人女性が思わず感嘆の声を上げていた。第2楽章と第3楽章では愛らしいメロディーが奏でられるのだが、河村は可憐な音色で歌い上げ、喜びに溢れたベートーヴェン像を彫刻した。

「熱情」ソナタ第1楽章では、絶妙の間合いと強弱の交代で「運命主題」との相克のドラマを巧みに描く。
そして第3楽章では透き通った音色を奏で、「透明な悲しみ」と名付けたくなるような独自の演奏に仕上げていた。


全てのプログラムが終了した後で、河村はマイクを片手に登場。ベートーヴェンの思い出を語る。ベートーヴェンのピアノ・ソナタはピアニストには付きもので、好きと嫌いとに関わらず取り組まなければいけないもの、という話から入る。河村は、「若い頃から好きで、弾いて来た方だとは思いますが、思い返してみると余りよくわかっていなかったような」と振り返る。ピアノ・ソナタ第24番「テレーズ」は、「子どもでも弾いて良いよ」という内容だそうで、河村は第1楽章を9歳で、第2楽章を10歳で勉強したというが、「録音も参考にしよう」というので、CDは当時出たばかりで余り数がなかったそうだが、ヴィルヘルム・ケンプのものをカセットテープにダビングして、車で移動する時などに良く聴いていたそうである。自宅でもケンプのカセットテープをラジカセで聴き、聴いては弾き聴いては弾きを繰り返していたそうだが、ある時、再生ボタンを押しても音が出ない。「あれ?」と思ってしばらく待ったがやはり何も言わない。「再生ボタンじゃないところ押しちゃったかな? でも再生ボタン押してるよね?」と独り言を言いつつよく見てみると赤いボタンも押してしまっている。再生すると自分の声が聞こえたそうである。カセットテープは爪の部分を折ると録音されなくなるのだが、それはしていなかったようだ。ということでケンプの録音が消えてしまい、「どうしよう! お母さんに怒られる!」と思った河村は自分の演奏を上書きして誤魔化そうとしたのだが、「ラジカセの録音ボタンを押してピアノに向かうまで何歩か掛かる。足音は入ってしまうわけですよ」というわけで、「絶対にばれる!」と思っていたのだが、母親にそれとなく聞いても全く気づいていなかったという話である。

「テレーズ」の第2楽章に16分音符の主題が出てくるのだが、それが「エリーゼのために」の元になったのではないかと河村は推測する。「エリーゼのために」は実は「テレーゼのために」なのではないかという説もあるのだが、「今日は『エリーゼのために』として演奏します」

比較的遅めのテンポで歌い出す「エリーゼのために」で、音に拡がりが生まれており、個性に溢れている。そんじょそこらの「エリーゼのために」とはやはり格が違うようだ。



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本当は余計なもの

自信なんてあるからみんな勘違いするんじゃないのか?

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2018年12月 1日 (土)

コンサートの記(459) 遊佐未森 「mimori yusa concert tour 2009“銀河手帳”」@なんばHatch

2009年6月23日 大阪・港町のなんばHatchにて

午後7時から大阪のなんばHatchで遊佐未森のライブ「mimori yusa concert tour 2009“銀河手帖”」を聴く。遊佐の最新アルバム「銀河手帖」を携えてのライブである。

未森さんは、前半は水色の、後半は赤のワンピースで登場。「銀河手帖」の収録された曲を始め、「クロ」「瞳水晶」「冬の日のW」などを歌う。

飛び入りゲストの参加がある。ミュージカルソー奏者のサキタハヂメである。前日、遊佐のところにサキタから「見に行きます」とメールがあり、その際「良かったノコギリ持っていきます」と書いてあったため、急遽ゲスト参加して貰うことになったという。
「銀河手帖」に収録されたインストゥルメンタル曲「五月、エニシダ」(遊佐未森はピアノを担当)と「ripple」でサキタはミュージカルソーを演奏。混じり気のない美しい音を披露した(IMEは「疲労した」と変換した。美しい音は疲労するのか?)。

未森さんの歌声は包み込むような優しさを持ち、聴いていて頭のてっぺんからつま先まで癒されるかのよう。また「ショコラ」ではマジックの要領で手から紙の花を次々に取り出すなど、エンターテインメントの精神に溢れていた。

アンコールでは、昨年のライブで受けが良かったということで、「ミネソタの卵売り」も歌う。実はこの歌を唄いながら、遊佐は踊りまくるのであるが、それが好評だったらしい。

とにかく約2時間半、幸福感に満ちたライブに浸ることが出来た。

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これまでに観た映画より(109) 三谷幸喜監督作品「ザ・マジックアワー」

DVDで日本映画「ザ・マジックアワー」を観る。三谷幸喜:脚本&監督作品。出演は、佐藤浩市、妻夫木聡、深津絵里、西田敏行、戸田恵子、浅野和之、小日向文世、伊吹吾郎、寺島進、香川照之ほか。有名俳優がカメオ出演で多数登場している。

ホテルの支配人の備後(妻夫木聡)がマリ(深津絵里)と関係を持ったことがボス(西田敏行)にばれた。殺されそうになる備後とマリ。だが、ここで備後は機転を利かせてボスを狙った殺し屋のデラ富樫と知り合いであり、富樫を連れてくることが出来るとボスに告げる。

何とか命拾いした備後だが、富樫と知り合いというのは全くの嘘。そこで、映画ということにして売れない俳優の村田(佐藤浩市)にデラ富樫を演じさせることにする……。

と、筋書きだけ書くと荒唐無稽に思えるが、セリフのすれ違いの妙など、三谷幸喜の得意技を生かした面白い仕上がりの映画になっている。

三谷幸喜はもともと映画作家志望であったが、演劇での仕事が長かっただけに、映画を撮っても本当の意味での映画的でなく、どこか演劇的な要素を持った映画になっていたが、この「ザ・マジックアワー」は真の意味で映画的な映画になっていると思う。三谷がこれまでに撮った映画の中で一番の出来であろう。

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これまでに観た映画より(108) 「レインマン」

DVDでアメリカ映画「レインマン」を観る。ダスティン・ホフマン、トム・クルーズ主演作。

車のディーラーであるチャーリー(トム・クルーズ)の元に疎遠な関係にあった父の訃報が届く。葬儀に出たチャーリーだが、300万の遺産は父の遺言によって相続できず、車と父の自宅のバラ園だけを相続することに。納得のいかないチャーリーは300万の遺産を相続することになる人物を探す。見つかったのは今まで存在すら知らなかった年の離れた実の兄・レイモンド(ダスティン・ホフマン)。レイモンドは自閉症(サヴァン症候群でもある)を持っており、金銭の価値がわからないという。そんな兄に遺産を全て持って行かれては堪らないと、チャーリーはレイモンドを誘拐同然にして収容されていた施設から連れ出してしま う……。

遺産にとらわれていたチャーリー、自己が規定する世界にとらわれているレイモンド、互いがとらわれを超えて心の交流が行えるまでになる過程を描くヒューマンドラマである。レイモンドの姿はチャーリーの合わせ鏡に映った姿でもある。他者と接することで新たなる自分に出会うという二重の意味において。

ダスティン・ホフマンの自閉症者になりきった高い演技力には脱帽させられる。余りにリアルすぎて私もチャーリーのようにイライラさせられてしまった。それが本来なら感動させられるはずの場面が取って付けられたように感じられるというマイナス面にも繋がったのだが。

近くない将来、自分がもう少し成長できたら見返してみたいドラマだとも思った。

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コンサートの記(458) ドビュッシー没後100年スペシャル・シリーズ 光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー 第3回「ドビュッシーが見た風景」 パスカル・ロジェ・ピアノ・リサイタル

2018年11月23日 京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタにて

午後2時から、京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタで、ドビュッシー没後100年スペシャル・シリーズ 光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー第3回「ドビュッシーが見た風景」パスカル・ロジェ ピアノ・リサイタルを聴く。

レクチャーとコンサートによるスペシャル・シリーズ 光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー。今日は、午後1時20分から鶴園紫磯子(つるぞの・しきこ)によるプレトーク「ドビュッシーが愛した画家たち~ターナー、モネそして北斎」が20分ほどあり、その後にパスカル・ロフェのピアノ演奏がある。

スクリーンにターナーやモネ、北斎の絵画が投影され、それらを鶴園が解説していく。印象派に大きな影響を与えたイギリスの画家、ターナー。初期のターナー作品は輪郭のはっきりしたものだが、晩年になるにつれて光度が増し、描写というよりも光の印象を表したものへと変わっていく、これに影響を受けたのがクロード・モネで、モネも最初の内はコントラストのはっきりした絵を描いていたのだが、次第に輪郭がおぼろになっていく。ドビュッシーはモネの絵を愛し、影響を受けたとされるが、どの程度なのかは推測に任せるしかない。モネが多大な影響を受けたもう一人の画家、葛飾北斎。有名な「神奈川沖浪裏」は、ドビュッシーの「海」の表紙にも用いられている。北斎もリアリズムの画家ではなく、イメージを強固に打ち出している。そこに通底するのは反リアリズムであり、これが音楽に於いても重要な潮流となっていく。


パスカル・ロジェのピアノ・リサイタル。曲目は、ドビュッシーの「前奏曲」第1集と第2集である。

フランスを代表するピアニストとして日本でも知名度の高いパスカル・ロジェ。以前は英DECCAレーベルのフランスピアノ音楽をほぼ一人で背負って立っていた。ドビュッシー、ラヴェル、サティ、プーランクなどのピアノ曲のほぼ全てをレコーディングしている。
パリの音楽一家に生まれ、パリ国立高等音楽院を首席で卒業。その後、J・カッチェンに師事。1971年のロン=ティボー国際コンクール・ピアノ部門で優勝している。2014年のジュネーヴ国際音楽コンクールのピアノ部門では審査委員長も務めた。


フランス人らしいシャープなピアノを持ち味とするロジェ。ドビュッシーの前奏曲でもまず何よりも音楽の核になる部分を見つけ出し、十指で的確に捉えていくような演奏を行う。ドビュッシーの前奏曲は、1曲を除いて全てに象徴的なタイトルが付いているが、そうしたイメージに左右される前にまず音楽的に重要な要素を取り出して堅実に築き上げた音響自体に作品を語らせていく。物語的というより真に詩的ピアニズムであるともいえる。
余計なものを削ぎ落として核を取り出すのであるが、音楽が細くなることはなく、むしろ線は太く男性的である。長年に渡ってフランスのピアノ音楽と向き合って来たロジェだからこそ可能な至芸といえるだろう。


アンコールは2曲。いずれもドビュッシー作品で、まずは「喜びの島」が豊かな色彩によって歌われる。
最後は、「ベルガマスク組曲」より“月の光”。ロジェだけに構築感を優先させた音楽になるだろうと思いきや、思いのほか物語性豊かな演奏で、耳に馴染みやすい演奏であった。音も煌びやかで親しみやすい。

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