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2019年1月27日 (日)

観劇感想精選(286) 神里雄大/岡崎藝術座 新作パフォーマンス「いいかげんな訪問者の報告」京都公演

2019年1月18日 京都芸術センターフリースペースにて観劇

午後7時から、京都芸術センターフリースペースで、神里雄大/岡崎藝術座の新作パフォーマンス「いいかげんな訪問者の報告」京都公演を観る。沖縄系ペルー移民の子である神里雄大が、自身のルーツである南米を訪れた時の様子をレクチャー形式で語るパフォーマンスである。神里はアサード(南米の焼き肉料理)を焼きながら映像をスクリーンに投影し、音楽をパソコンで出しつつ語りや説明を行う。

フリースペースの中央に長机が縦2横4になるよう向かい合わせで並んでおり、計24人が椅子に座る。それぞれの前には紙皿にフォークとナイフが置かれており、アサードが焼けたらこれに取り分けて食べる。その他におにぎりも用意されている。


まず、南米の地理関係の説明(「南米のチリ関係」と変換された。確かに正しいが)。南米は日本の真裏。つまり、日本から行くには最も遠い場所にあるということであり、南米から日本に来るのも同時に大変である。昔、宮沢和史が手掛けた南米を舞台にした歌詞に「たどり着いた地図の裏側 最果ての街」という一節があったのを思い出す。


日本人初のペルー移民が日本を旅立ったのは、今から120年前の1899年のこと。当時は、仕事にあぶれている者が多く、4年契約の出稼ぎ感覚で出掛けた人が多かったようだ。そのこともあってペルーに向かったのは全員男性だった。しかし、現地に着くや話が違うことがわかる。プランテーションでの仕事はきつく、賃金未払いは当たり前。衛生状況も悪く、死者も続出した。それでも日本に返すだけの金はないので、奥地にあるゴムの木の森に向かわせることになるのだが、そのうちの約半数はその後、行方がたどれなくなっているそうである。そもそもペルーが移民を募集したのは、1850年代に奴隷制度が廃止され、奴隷の代わりとなる労働力が必要となったからであり、労働条件は最悪に近いものであった。最初は中国人移民を募り、次いで日本人の移民を集めようとしたのだが、日本人を集めようとした理由は中国人と容貌が似ているというそれだけのことだったようだ。当時のペルーでは、日本人移民は見かけからして異物であり、「治安が悪くなる」という理由で排斥されたりもした。第二次世界大戦が始まると、日本人移民は敵性外国人として苦難の日々を歩むことになり、日本語の使用も自主的に控えたそうだ。
当時の日本政府は、ペルーに渡って苦心している移民のことを事実上、見捨てている。

昔のペルー移民の話だが、今の日本を巡る状況にも似ている。こうしたことをレクチャー形式のパフォーマンスで伝えるという発想力がまず良い。


戦後におけるペルーへの日本人移民(私の記憶違いがありました。神里雄大氏ご本人からのご指摘によるとペルーではなく南米各地への日本人移民で、ペルーへの移民は日系排斥運動が強かったために行われなかったとのことです)は戦後すぐに募集が行われ、日本社会が混乱していたということもあり、大人気で抽選が行われたところもあったそうだ。彼らは戦前の日本人移民とは違い、日本人というだけで抑圧される環境にあったわけではないので、日本語でのやり取りを今も行っている。


セリフはエッセイ風のもの、手記の一節、手紙類などを元にしたもので、スペイン語での語りもあった(スクリーンに日本語字幕が出る)。


後半には、長きに渡る滞在を経て、南米にいることの窮屈さを語ったりもする。


映像では沖縄県からの南米移民によるお祭りの映像が流れる。地球の裏側にあるもう一つの沖縄。先週観た「高丘親王航海記」に出てくる「アンチポデス」という言葉が浮かぶ。


ラストは、アルゼンチンの日本人学校(ここも私の記憶違いで、神里氏によると日本人学校ではなく日本語学校だそうです)での卒業式兼終業式の催しとして、皆がアサードとおにぎりを食べる中、神里が一人でパフォーマンスを行い、ビンゴゲームが行われる。私は1個差で1位通過はならず。1位通過者にはチョコボールがプレゼントされた。


独自のエンターテインメントだが、単なる消費になっていないところに好感が持てる。



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