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2019年1月16日 (水)

コンサートの記(506) 大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別公演「大植英次スペシャル」2011

2011年4月19日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別公演「大植英次スペシャル」を聴く。

曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノム」(ピアノ独奏:小曽根真)、マーラーの交響曲第1番「巨人」。

本業はジャズピアニストの小曽根真は先週の大植英次指揮大阪フィルの定期演奏会にも出ていたし、日曜には音楽劇にピアニストとして出演(セリフはないがちょっとした演技はあり)、そして今日は大阪フィルの京都演奏会に登場と忙しい。

モーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノム」。モーツァルトのピアノ協奏曲というと、アシュケナージのように鍵盤を舐めるような美音を奏でるピアニストも多いが、小曽根のピアノは芯のしっかりしたものだ。この協奏曲には3楽章ともにカデンツァ(オーケストラなしでピアニストが弾く部分。かつてはピアニストが即興演奏を行う部分だった)があり、第1楽章、第2楽章は格調の高いカデンツァだったが、第3楽章のカデンツァ(ここだけはモーツァルト自身が作曲している)は、ジャジーな弾き方に聞こえた。「ジュノム」に関しては数度しか聴いたことがないので、実際はどう弾かれることが多いのか私にはわからない。よって意図的にジャジーな演奏にしたのか結果的にそうなってしまったのかもわからない。

大植指揮の大阪フィルは典雅な演奏を繰り広げるが、京都コンサートホールの音響は、ザ・シンフォニーホールに比べると不利なことは明らかで、モヤモヤとした響きに聞こえてしまう。

演奏終了後、大植英次が、大阪(豊中市)の小曽根小学校の校歌の楽譜を持って登場。小曽根真に歌詞を読ませる。大植は、小曽根小学校のみんなが小曽根真を応援しているとして、小曽根真に小曽根小学校の校歌で即興による変奏曲を弾いて欲しいようで、自らピアノで小曽根小学校の校歌を弾いてみせる。小曽根真は校歌を変奏するのはやはり心情的に憚れるのか、それとも校歌の曲調が即興に合わないとみたのか、校歌を弾くことはせず、代わりにショパンの「子犬のワルツ」の編曲版を弾いた。


マーラーの交響曲第1番「巨人」。

交響曲第6番「悲劇的」の演奏が忘れられない大植のマーラーだが、最近の大植のマーラーは交響曲第5番にしろ第9番にしろ、極端に遅いテンポを採って賛否両論を巻き起こしている。

第1楽章は総体としてテンポは平均的だが、遅いところはかなり遅く、速いところはオーケストラが付いていけないほど速いテンポを採用。かなりメリハリのはっきりした演奏で、やはり異色である。特に終結部の加速はこれまで私が聴いてきた同曲の演奏の中でも間違いなく最速であった。

第2楽章は立体感のある演奏で、情熱にも富み、大植の本領が発揮された演奏である。

第3楽章。大植は、棒を振らず、顔のみで指揮。テンポは真っ先に演奏するティンパニ奏者とコントラバス奏者に完全に任せているようで、主部に入って棒を振るようになってもそのテンポを守った。冒頭がかなり遅いテンポだったので、全体としてもゆっくりとした演奏になった。

最終楽章はなかなかの出来であったが、京都コンサートホールの音響によって、響きが抑制されて聞こえるのが残念である。


終演後、大植は、レナード・バーンスタイン作詞による「キャンディード」(原作はヴォルテール)より“メイク・アワ・ガーデン・グロウ(「自分の畑を耕そう」。出光のCMで流れている曲である)”を朗読した後、その“メイク・アワ・ガーデン・グロウ”(作曲もレナード・バーンスタイン)をアンコールとして演奏した。

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