« 2018年12月 | トップページ

2019年1月の35件の記事

2019年1月20日 (日)

笑いの林(108) よしもと祇園花月 「祇園ネタ」&吉本新喜劇「妖怪村へようこそ!」2011年9月23日

2011年9月23日 よしもと祇園花月にて

午後4時から、よしもと祇園花月での公演を観る。二部構成で、前半が漫才とコントの「祇園ネタ」、後半が吉本新喜劇「妖怪村へようこそ!」である。一日二回公演で、内容は一緒。私が観たのは二回目の公演である。


「祇園ネタ」のトップバッターは、ソーセージ。以前もやったレストランネタ。出された料理に虫が入っていて、客が苦情を言うのだが、店員がぼけまくるという内容である。


桜 稲垣早希。「おねえさんといっしょ」をやる。今年の5月から6月にかけて行われた「桜 稲垣早希ネタイヴェント新劇場版:弐 ~YOU ARE(NOT)THE BEAST~」で披露されたネタである。

早希ちゃんはオーバーオールにツバの短い丸帽子という、Eテレの子供番組のおねえさんのような格好で登場。まず、フリップを出し、「太郎君は林檎を12個持っています。(フリップをめくり)これを二人にわけます。(またフリップをめくり)更に四人に分けます。でもみんな三十代や四十代だから林檎なんていらないよね」と言って、液体クリーナーを取り出し、「そこでこれ、一人が三人に売るとお金がどんどん入って来ます」とネズミ講の持ちかけである。早希ちゃんは「幸せなら手を叩こう」の替え歌(「幸せになりたいか、お金持ちになりたいかい」)を歌いながら、ステージを右へ左へ。

次いで葉書を読む。相談のお便りである「『人気アーティストのチケットが取れないんですけど、どうしたらいいですか?』 簡単だよ。とにかくチケットがなくても会場に行ってみよう。気さくなおじさんが『チケットあるよ』と言ってるからそこで買えばいいよ」とダフ屋の宣伝である(「新劇場版:弐」ではこれにYahoo!オークションも加わった)。
「ドレミの歌」の替え歌を歌い、次は紙芝居。「おばあさんは悲しみの余り泣き続けました。そして涙は岩になりました」「そのかけらがこれ、パワーストーン。今なら数珠も付いてくるよ」と今度は霊感商法である。「あなたにはこのネックレスがいいかな。このネックレスが(後ろを向き、声音を変え、声を小さくして)16万8000円」

次は声音を自由に操る早希ちゃんの特技を生かして、人形劇。右手にクマ、左手にウサギのぬいぐるみをはめ、台の後ろに姿を隠して手にはめた人形と声で演技。

クマ「僕、旅が趣味なんだけど、彼女がいないからいつも一人旅なんだよね」
ウサギ「そんな時はこのサイト」(ここでケータイを手にした早希ちゃんが出てきて)
早希「このサイトには女の子情報が沢山。北○景子、上○彩なども登録(○は伏せ字です一応。実際は実名を出してました)。2000万人の会員がいるよ。きっと彼女が見つかるよ」と出会い系サイトの紹介である。そして「アイアイ」の替え歌(アイアイ、アイアイ、愛はお金で買える)を歌う。

最後は「グーチョキパー」の替え歌で、歌詞にオレオレ詐欺や闇金などの内容を入れる。
最初から最後までブラックなネタであった。


次は京都出身のサバンナの二人。サバンナ高橋が、「これから八木がギャグをやります」と言い、八木がやりかけたところで、「『ブラジルの皆さん、元気ですか』とね」とネタばらし。それでも高橋は「ブラジルの皆さん、元気ですか」とやる。

サバンナ八木は、高橋がピンでの仕事を増やしていることに文句を言う(高橋はピンで、「アメトーク!」運動神経悪い芸人、お腹ピーピー芸人などに出演)。それに対して高橋は八木の失敗談を語る。八木が「胴上げしよう」と言ってみんなを集めるが、「せーの、万歳!」と八木が言ってしまい、みんなどうしたらいいかわからなかったとのこと。高橋は八木に「トミーズ雅さんですか」と聞き、八木は「顔が似てるだけじゃ!」と答える。

中学の卒様式の話に移り、中学では優等生と不良に二分されるという話になる。「不良になったら大変ですよ」。ということで、道で肩がぶつかった中学生の不良同士の喧嘩ネタ。肩がぶつかり、八木が「どこみて歩いてるんじゃ。どうなるかわかってるのか」と高橋にいちゃもんを付ける。「何だと」と高橋も八木の首根っこを掴むと八木が「37歳じゃ」と年齢を言う。「中学生の喧嘩じゃないのか、実年齢を言うのか」と高橋が突っ込む。高橋が再び、八木のシャツの首の部分を引っ張ると「37歳じゃ」と八木はまた答える。


Wヤングが登場。ヤングというが、平川は69歳である。佐藤が「若く見えるけど、69歳ですよ」と紹介する。平川は「そんなことあらへんがな」と言うが、「年金貰ってます」、「偶数月の15日に振り込まれます」と具体的なことを喋ってしまう。

平川が「アホちゃうか」というネタを紹介する。まず、左手を甲を上に向けて出す。それを右手の甲でピシッと叩いた後、右手をグルリと回して甲を上に向け、両手を内側に捻る。この動作をしながら「アホちゃうか」と言う。これを観客と一緒にやる。

次いで、平川が子供に扮し、父親役の佐藤におねだりする。
平川「パパ、UFJに行きたい」
佐藤「UFJいうたら銀行やがな」
平川「じゃなんていうの?」
佐藤「USJじゃ」
平川「じゃ、USJ行こう」
USJのお菓子売り場について、
佐藤「何が欲しい?」
平川「コンパニオン」
ここで佐藤が平川をはたくが、
平川「パパは何が欲しいの?」
佐藤「コンパニオン」
となる。

次は遊園地のジェットコースターネタ。横に並んで歩き、ジェットコースターに共に乗っているポーズをするが、途中でなぜが向かい合わせになってしまう。
最後は居酒屋ネタ。「乾杯!」と言って二人で酒を飲むが、平川が一息でいつまでも飲み続けたり、相手のコップで酒を飲んだりする。


「祇園ネタ」のトリは、オール阪神・巨人。24年前に京都花月が閉鎖された時の話をする。「京都花月は場所が悪かった。横がお寺で裏が墓地です。そりゃ人は集まりません」「京都花月の最後の公演、客が3人しかいませんでした。こちらも気を使うんですね。そしたら二人帰りましたわ。おばちゃんが一人だけ残りました」と語る。

次いで老人の話。巨人が「老人のお客さんは色々な匂いがしますね。樟脳とか、死臭とか」、ここで阪神が「死臭はせえへんがな」と突っ込む。

巨人「日本人の平均寿命が延びてます。今、85歳。2年に1歳増えてますから、ですから、50年後、今年が2011年ですから、2061年には110歳になるんですな」
阪神「そしたら、『あそこのおじいさん、85歳で若死にしはった』となりますな」
巨人「あそこのおじいさんは75歳で再婚しはったとなりますね」
阪神「仕事も変わってきますね」
二人で「80歳で受付嬢」

巨人が、「うちの母親は90歳になりました。ピンピンしてます。虫歯が一本もありません。総入れ歯です」とぼける。「若いイケメンの介護士さんにお世話して貰ってます」とも言う。

阪神「ポータブルって知ってますか? 今、おまるのことポータブルいいますねん」
巨人「母親も一句詠みます。『イケメンに抱かれて座るポータブル』」

巨人「老人ですから、おしっこのことも上品に言わないけませんね。お小水を放尿なされました」
この、「お小水を放尿なされました」を阪神が、デパートのアナウンス風、パチンコ屋の呼び込み風など様々にアレンジして披露する。

巨人が、「まだ暑いですから。お化け屋敷なんかいいですね」といい、阪神が下ネタ満載の妖怪を演じる。
最後は子供ネタ。二人で子供に「高い高い」とやるが、巨人は阪神に「お前がやると低い低いや」と言って終わる。


小休憩を挟み、次は吉本新喜劇の公演「妖怪村へようこそ!」。京都が舞台で、背景には大文字や八坂の塔などが描かれている。民宿「ふしみ屋」とその前にあるニシンそばの店のセットの前で演技が展開される小演劇。上演時間約40分。作・演出:三栗雅子。

吉本新喜劇を生で観るのは私は初めてである。

大学で民俗学、特に妖怪の研究をしている学生・清水けんじが民宿「ふしみ屋」を探している。清水けんじは「ふしみ屋」の看板に目をやるが、再び「ふしみ屋はどこやろ」と言って、ニシンそば屋の信濃に「今、看板、目に入ったやろ」と突っ込まれる。清水は「いや地図が大雑把でね」と地図を見せるが、日本地図の京都の場所を矢印が指して、「ここ」と書いてあるだけ。信濃は「大雑把過ぎるがな」と突っ込む。

「ふしみ屋」は今、女将もその娘も出ているという。そこへ「ふしみ屋」の娘、島田珠代が帰ってくる。珠代は清水に甘えるが、そこで客席から赤ん坊の泣き声が。島田珠代は「子供が泣いた」とアドリブを入れる。珠代は清水けんじを部屋に案内する。

珠代「(部屋は)10キロ先です」
清水「どんな宿や」
珠代「すぐそこです」

清水が妖怪の研究をしていると知って心配する珠代と信濃。実は彼らは妖怪の子孫なのだ。そこへ「ふしみ屋」の老女将である桑原和男(女装)が帰ってくる。三人で話した後、桑原は「こんな時、昔は救世主が現れたもんだ」と話し始める。そこへ雪女・井上安世(当初は酒井藍が出るはずだったが、代役である)が「大変、大変、吉本不動産の人達が」と駆け込んでくるが、珠代が、「あの、雪女さん、出るの早くありません?」と聞く。出を間違えたということで井上退場(終演後に話したが、井上が間違えたのではなく、信濃がきっかけ台詞を間違えたのだという)。島田珠代は客席に「なかったことにして下さい」と頼む。桑原は「なんかあったけど、こんな時、昔は救世主が現れたもんだ、胸に『HERO』の文字の刻まれた」と話したところで、清水けんじが、胸に「HERO」の青文字の入ったTシャツを着て「ふしみ屋」から出てくる。三人は自分達が妖怪の子孫であることを打ち明けるが、清水けんじは「祇園花月にソーセージを観に行ってくる」と出かけてしまう。

吉本不動産の宮崎と新名(にいな)が現れ、「この土地を買収して妖怪のテーマパークを作りたい」という。「その名も『水木しげるロード』」と言うが、信濃が「いや、もうそれあります」と突っ込む(終演後の話だと、ここでも信濃の突っ込みが遅れたという)。

吉本不動産の二人が帰ったところで、雪女がぐったりとした清水けんじを抱えながらやって来る。けんじは事故に遭ったという。ここで雪女・井上のかつらが取れてしまう。井上はいったん捌けて、かつらを直して再登場。

桑原が妖術を使い、舞台が暗くなってから明るくなるが、清水けんじの怪我は治っていない。「今のは暗くして明るくなる術です」と桑原。桑原は負傷した清水けんじの膝にメンタームを塗る。すると清水けんじの怪我は治る。桑原ら四人は改めて、自分達が妖怪の子孫であることを打ち明ける。珠代は猫娘、桑原は砂かけ婆、信濃は河童だという。清水けんじが珠代を見て、「いや、僕の知ってる猫娘とは違います。猫娘には耳があります」というと珠代はニシンそば屋の裏手に行って、猫耳の飾りを付けて出てくる。信濃は料理人の帽子を取ると頭頂部が皿になっている。

雪女・井上は「私は雪女、あらゆるものを凍らすことが出来ます」と言い、舞台前方に出てきて、「さっきはすみませんでした」と言って、しばらく立っている。客席が寒くなったので、「ほら寒くなりました」と雪女。「いや、寒くなるの意味が違うがな」と清水けんじ。

桑原は清水けんじに「吉本不動産をやっつけてくれたら、村一番の美女を君にあげよう」という。「人魚だ」という。だが、呼ばれて出てきたのは魚の着ぐるみを着た清水啓之。

清水けんじは、妖怪を使って、吉本不動産の人間を脅かそうと提案。珠代がシーツを被って妖怪になりすまし、雪女が「ここは妖怪の土地、出ていけ!」と叫ぶことにする。吉本不動産の新名が現れ、作戦はいったんは成功するが、仕掛けを知った新名は怒り出す。そこへ吉本不動産の宮崎がやってくる。宮崎は清水けんじに向かって「坊ちゃん」という。清水けんじは吉本不動産の社長の息子なのだった。ということで、清水けんじの話を受けて吉本不動産が引き下がって大団円となった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月19日 (土)

コンサートの記(509) 京都外国語大学・京都外国語短期大学 第52回教養講座 京都フィルハーモニー室内合奏団「新春コンサート」2019

2019年1月16日 右京区の京都外国語大学 森田記念講堂にて

午後6時半から、京都外国語大学森田記念講堂で、京都フィルハーモニー室内合奏団の「新春コンサート」を聴く。京都外国語大学・京都外国語短期大学の第52回教養講座として行われるもので、事前申し込み不要の無料公演である。中央列は招待客エリアとなっているが、その他は自由席である。


森田記念講堂に来るのは初めてだが、木の温もりが感じられる内装で響きも素直。好感の持てるホールである。京都フィルハーモニー室内合奏団は、森田記念講堂を練習場として使用しているそうだ。


曲目は、前半がクラシック作品で、シャンパンティエの「テ・デウム」より前奏曲、ヴィヴァルディのファゴット協奏曲ホ短調より第1楽章、モーツァルトの弦楽四重奏曲第14番「春」より第1楽章、モーツァルトのクラリネット五重奏曲より第2楽章、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「春の声」、ヨーゼフ・シュトラウスの「鍛冶屋のポルカ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「山賊のギャロップ」、オッフェンバックの歌劇「ホフマン物語」より人形の歌、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」。後半はポピュラーと映画音楽で、ビートルズの「オブラディ・オブラダ」、ロッド・スチュワートの「セイリング」、ジェスロ・タルの「ブーレ」、エンニオ・モリコーネの「ガブリエルのオーボエ」、坂本龍一の「ラストエンペラー」、チャック・マンジョーネの「フィール・ソー・グッド」、ジャニス・ジョプリンの「ジャニスの祈り」、フレデリック・ロウのミュージカル「マイ・フェア・レディ」より踊り明かそう。

司会はソプラノ歌手の四方典子(よも・のりこ)が務める。四方はオッフェンバックの歌劇「ホフマン物語」より人形の歌とミュージカル「マイ・フェア・レディ」より踊り明かそうではソプラノ独唱も担う。司会には慣れていないようで、トークも得意とはしていないようである。


名前からもわかる通り、京都フィルハーモニー室内合奏団は編成が小さいので、音の足りないところをピアノで補ったり、小編成用のアレンジを用いたりして演奏を行う。室内楽の定期演奏も行っているが、常設の室外楽団体ではないので、カルテットでの演奏などは本職に比べると典雅さや緻密さで後れを取るのは致し方ない。

各々のメンバーがソロを務め、楽器紹介を行うなど、家庭的な楽しさに溢れる演奏会である。

四方典子は、「人形の歌」では機械仕掛けのオランピアの歌唱を巧みに歌い(ねじ巻き係はトランペットの西谷良彦が務める)、「踊り明かそう」では英語と日本語で伸び伸びとした歌声を聴かせる。ただ、「踊り明かそう」はクラシカルな歌唱よりもミュージカル風に歌った方が効果的であるように感じる。クラシックの歌唱法では声に感情が乗りにくいのである。

後半の楽曲では、坂本龍一の「ラストエンペラー」が演奏されたのが嬉しい。二胡を独奏とする曲だが、今回はヴィオラを独奏とする編曲を採用し、京フィルヴィオラ奏者の松田美奈子がソロを務めた。


アンコールは、ヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」。勿論、聴衆も手拍子で参加した。


なお、開会の挨拶と終演後の挨拶は京都外国語大学の女子学生が行ったが、自身のこと「1年次生」と紹介し、終演後の花束贈呈で現れた男子学生を「2年次生」と紹介していたため、京都外大では関西で主流の○回生やその他の地域で一般的な○年生ではなく、○年次生という独自の表現を行うことがわかった。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月18日 (金)

コンサートの記(508) 広上淳一指揮 広島交響楽団第312回定期演奏会

2011年9月22日 広島市文化交流会館にて

京都から広島に向かう。

午後6時45分に始まる、広島交響楽団の第312回定期演奏会に接する。会場は広島市文化交流会館。多目的ホールである。指揮は京都市交響楽団常任指揮者の広上淳一。実は広上さんが広島交響楽団で魅力的なプログラムを演奏するので、広島までやってきたのだ。

その魅力的なプログラムとは、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」とマーラーの交響曲第1番「巨人」。
広島交響楽団のコンサートマスターは、以前、大阪フィルハーモニー交響楽団にコンサートマスターとして客演した田野倉雅秋である。

広島文化交流会館舞台の側面には、上手、下手ともに鳩のマークがライトアップされている。多目的ホールなので、残響はほとんどなかった。


モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。広響は京響に比べると音色が洗練されていないが、聴いているうちに気にならなくなる。広上の指揮は堂々とした冒頭から素晴らしい。テンポは中庸。音色は美しく、フォルテシモからピアニシモまで、自在にオーケストラを操る。第3楽章では広上は指揮棒を譜面台に置いて、ノンタクトで指揮。繊細で優美な仕上がりであった。第4楽章をノンタクトで開始した後、すぐに広上は指揮棒を手にして振る。広島交響楽団の洗練度不足は否めないが、それでも優秀な演奏。終わりが近くなり、広上はまた指揮棒を譜面台に置いてノンタクトで指揮する。こんなに素晴らしい音楽、終わって欲しくないが、須く終わってしまう。最高の「ジュピター」であった。


後半の、マーラー交響曲第1番「巨人」。マーラー没後100年周年記念演奏である。

冒頭の弱音が美しい。テンポはやはり中庸で、広響のアンサンブルもしっかりしている。第1楽章のラストでは広響のパワー不足で、音量が思ったほど上がらないが、広上はその代わりに猛烈なアッチェレランドをかけ、迫力を出していた。

第2楽章も迫力のある出来。広響は弦も管もアンサンブルは優秀だ。

第3楽章は葬送の曲であることを強調した仄暗い演奏。ただ時折見せるしなやかな表情が魅力的である。

「巨人」の最終楽章は冗長であることで有名だが、広上の手に掛かると、そんなことは感じさせられない。広上はトランペットが演奏するときに、左手を上に突き上げたり、ジャンプしたりと、今日もユニークな指揮だが、引き出される音楽は本物だ。時折、楽譜にないはずの間を取るのも個性的である。

最終楽章も終わりが近づく。やはり終わって欲しくない。終わって欲しくないが終わってしまう。
良かった。本当に良い演奏だった。ライバルでマーラー指揮者の大植英次指揮の「巨人」よりも数段上だった。広響も目立ったミスはなく、名演に貢献した。


モーツァルトもマーラーも「こういう演奏が聴きたい」と私が理想に描いていた演奏が、今、まさに目の前で繰り広げられたのだ。幸せである。広島まで聴きに来て心から良かったと思った。

広上は広響のメンバーを立たせようとするが、広響の団員は広上に敬意を表して立ち上がろうとしない。広上さんは、指揮台を足でドンと踏みつけて「立て!」と指示。広響の楽団員も立ち上がる。拍手は鳴り止まず、広上は何度も指揮台に呼び戻された。

最高の夜であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月17日 (木)

2346月日(6) 龍谷ミュージアム 「仏教の思想と文化 ―インドから日本へ― 特集展示・仏教美術のいきものがかり」

2019年1月9日 龍谷ミュージアムにて

龍谷ミュージアムで今日から始まった「仏教の思想と文化 ―インドから日本へ― 特集展示・仏教美術のいきものがかり」を観る。
生き物を描いた仏画などを特集展示したものだが、それは3階展示スペースの半分ほどに留まり、ガンダーラ周辺の仏教美術が主となる。

2階展示室の、第1部「アジアの仏教」では、仏立像、仏坐像などの仏像、碑文やサンスクリット語の経典、仏画、中国仏教などの展示があり、3階展示室では第2部の「日本の仏教」と題した日本仏教関連の美術が並んでいる。面白いのは、室町時代や江戸時代に描かれた聖徳太子絵伝に出てくる人々の格好が平安時代風(国風)であることだ。まだ衣装の研究が進んでおらず、往時の装束がわかっていなかったのだと思われる。

龍谷ミュージアムは、浄土真宗本願寺派の龍谷大学の美術館。ということで、浄土宗や浄土真宗の展示が幅を占めている。中でもお家芸である浄土真宗の展示は充実していて、親鸞聖人の坐像(真如苑真澄寺像)や、蓮如筆による「南無阿弥陀仏」の六字名号が展示されていた。

午後3時から、映像スペースで、西本願寺の障壁画に関する約12分の映像が上映される。安土桃山時代に建てられた西本願寺。当初描かれた狩野派の障壁画を、江戸時代中期に円山派が修復した絵が映される。一方、修復されることなく、今ではほとんど判別が出来なくなってしまった「竹虎図」をコンピューター処理で解析し、往時の姿を復活させるプロジェクトも進んでいる。現在は「竹虎図」は修復中で、その姿はCGでしか見られないようだが、今後も作業は進んで、全てが復活する日も来るようである。

特集展示「仏教美術のいきものがかり」。桃山時代に描かれた涅槃図では多くの動物が釈迦の最期を看取っていることが確認出来る。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンサートの記(507) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第450回定期演奏会

2011年7月15日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団第450回定期演奏に接する。今日の指揮者は音楽監督の大植英次。全曲、ドイツ式現代配置での演奏であった。

曲目は、オットー・クレンペラーの「メリー・ワルツ」(日本初演)、ベートーヴェンの三重協奏曲(ヴァイオリン:長原幸太、チェロ:趙静、ピアノ:デニス・プロシャイエフ)、ラヴェルのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:デニス・プロシャイエフ)、リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」組曲。

今日の大植は、燕尾服ではなく、スキー服というか人民服というか指揮者独特のいでたち。左胸のポケットに汗拭き用のハンカチーフを入れている(舞台上で汗を拭くことはなし。なお、前半は赤、後半はオレンジと色を変えていた)。


「メリー・ワルツ」。20世紀を代表する指揮者の一人、オットー・クレンペラーの作品である。

クレンペラーはマーラーの弟子の一人で、若い頃はベルリンを拠点に現代音楽のスペシャリストとして活躍。ユダヤ系ドイツ人だったため、ナチスの手から逃れるためにアメリカの亡命。その後、脳腫瘍を患い、それが元で演奏のテンポが遅くなり、巨匠風の演奏をするようになっていった。その後、EMIのプロデューサーであったウォルター・レッグがロンドンに創設したフィルハーモニア管弦楽団の指揮者となり、数々の名演を展開、録音にも残している。レッグが越権行為でEMIを去るのと同時にフィルハーモニア管弦楽団も解散されるところだったが、楽団員がクレンペラーを担ぎ上げ、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を創設、自主運営を始める。レッグはフィルハーモニア管弦楽団の名称をよそのオーケストラに売ってしまったが、1970年代後半にニュー・フィルハーモニア管弦楽団はフィルハーモニア管弦楽団の名称を買い戻し、今もフィルハーモニア管弦楽団の名で活動を続けている。

クレンペラーは脳腫瘍の後遺症もあり、数々の奇行で知られたが、フィルハーモニア(ニュー・フィルハーモニア)の楽団員からは音楽の神様と尊敬され、ロンドン市民からも絶大な支持を受けた。
余技として作曲をする指揮者も多いがクレンペラーもその一人。6つの交響曲、9つの弦楽四重奏曲、ミサ曲など多数の曲を書いているが、自身を「指揮もする作曲家だ」と認識していたレナード・バーンスタインなどとは違い、作曲は余技と決めていたため、生前、自らの手で指揮することも、他者に演奏して貰うこともほとんどなかったという。

「メリー・ワルツ」は、クレンペラーが生前演奏した数少ない曲として知られる。演奏会での演奏ではなく、リヒャルト・シュトラウス作品のレコーディングの余白におまけのように挿入された。

今日は大阪フィルハーモニー交響楽団の首席コンサートマスターである長原幸太がソリストを務めるため、コンサートマスターを外れ、客演首席コンサートマスターの崔文洙も他のオーケストラと兼任のため都合が付かなかったようで、特例として田野倉雅秋が客演コンサートマスターを務める。

「メリー・ワルツ」は20世紀を生きた、しかも若い頃に現代音楽の演奏で鳴らした人が作曲したとは思えないほどチャーミングで時代がかったメロディーを持つ。旋律はどこか素人くさい。和音は比較的鋭いものが使われていて、そこだけが20世紀の作品であることを感じさせる。美しいメロディーの第一部、ややせわしくなる第二部、最初のメロディーが戻ってくる第三部の三部構成からなる作品。

大植指揮の大阪フィルの演奏は安定したものだったが、曲自体が魅力的とは思えない。これまで日本で演奏されてこなかったのもわかる気がする。多分、今後もコンサートで聴くことはないだろう。それでも大植は「メリー・ワルツ」を高く評価しているようで、演奏終了後に楽譜を掲げて見せた(大植は全曲暗譜で譜面台も楽譜もないのでコンサートマスターの譜面を使った)。


ベートーヴェンの三重協奏曲。ヴァイオリン、チェロ、ピアノの3人をソリストにするという珍しい作品である。ベートーヴェンがなぜこうした珍しい編成の協奏曲を書いたのかわかっていないが、ソリストの中ではチェロの比重が比較的大きく、チェロの名手を想定して書いた可能性が高い。

チェロの趙静は中国生まれで日本でも教育を受けたことのあるチェリスト。比較的人気も高い。ヴァイオリンの長原幸太は大阪フィルの首席コンサートマスター。ピアノのデニス・プロシャイエフは1978年にベラルーシで生まれ、ウクライナのキエフで音楽を習った後に、ドイツのハノーファー音楽大学でピアノを専攻するが、同時に同大学の終身教授である大植英次に指揮も習っているという。

余り演奏されない曲であるため、ソリスト3人は楽譜を見ながらの演奏であったが、大植は暗譜でノンタクトで指揮する。大植の音楽に関する驚異的な記憶力はよく知られており、これまで楽譜を見て指揮したことはほとんどなし。大阪フィルのリハーサルでは暗譜の上、リハーサル終了後には奏者が間違えた箇所に全て正確に付箋を貼った楽譜を持ってきて、大フィルのメンバーから驚嘆されたという。

大植が大フィルのチェロから暖かな音を引き出して演奏開始。上々のスタートである。チェロの趙静が安定した渋い音色を奏でる。ヴァイオリンの長原幸太は音は艶やかだが、やや線が細く、オーケストラのコンサートマスターがソリストを務める限界を感じさせる。プロシャイエフのピアノは音が丸味を帯びており、コロコロとした独特の響きが特徴的である。


後半、ラヴェルのピアノ協奏曲。もとから人気曲であるが、「のだめカンタービレ」において重要な役割を果たした曲として一層ポピュラーになった。

ピアノソロのプロシャイエフはベートーヴェンの時と同じスタイルで来るかと思いきや、渋くて深みのある音を奏で、芸風の広さを感じさせる。大フィルは冒頭でトランペットが引っかかりそうになるが、何とか上手くごまかす。

ラヴェルの第2楽章は、甘酸っぱい音楽であるが、プロシャイエフが弾くと哀愁たっぷりの音楽に聞こえる。大植指揮の大フィルもプロシャイエフに合わせた演奏を展開。新しい解釈だが、映画音楽そのものに聞こえてしまうのが難点である。

第3楽章はプロシャイエフのテクニックの冴えが印象的であった。


リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」組曲。大植はリヒャルト・シュトラウスを得意としているが、今日も冒頭から思い入れたっぷりの演奏をする。弦も管も音色が美しく、音の一つ一つに生命が宿っている。最近は余り大きな動きをしなくなってきていた大植であるが、今日は指揮台の上で大暴れ。腕が素早く、ダイナミックに動く。
日本人指揮者と日本のオーケストラの組み合わせとしては間違いなくトップクラスの名演であった。

演奏終了後の拍手もいつもよりも大きく、大植と大フィルを讃える。普段は大植が指揮台の上に立って客席をぐるりと見回すと演奏会終了の合図なのだが、それでも拍手は鳴り止まず、大植が再び登場し、コンサートマスターの腕を無理矢理引っ張って一緒に退場させて演奏会の終了を告げた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月16日 (水)

コンサートの記(506) 大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別公演「大植英次スペシャル」2011

2011年4月19日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別公演「大植英次スペシャル」を聴く。

曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノム」(ピアノ独奏:小曽根真)、マーラーの交響曲第1番「巨人」。

本業はジャズピアニストの小曽根真は先週の大植英次指揮大阪フィルの定期演奏会にも出ていたし、日曜には音楽劇にピアニストとして出演(セリフはないがちょっとした演技はあり)、そして今日は大阪フィルの京都演奏会に登場と忙しい。

モーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノム」。モーツァルトのピアノ協奏曲というと、アシュケナージのように鍵盤を舐めるような美音を奏でるピアニストも多いが、小曽根のピアノは芯のしっかりしたものだ。この協奏曲には3楽章ともにカデンツァ(オーケストラなしでピアニストが弾く部分。かつてはピアニストが即興演奏を行う部分だった)があり、第1楽章、第2楽章は格調の高いカデンツァだったが、第3楽章のカデンツァ(ここだけはモーツァルト自身が作曲している)は、ジャジーな弾き方に聞こえた。「ジュノム」に関しては数度しか聴いたことがないので、実際はどう弾かれることが多いのか私にはわからない。よって意図的にジャジーな演奏にしたのか結果的にそうなってしまったのかもわからない。

大植指揮の大阪フィルは典雅な演奏を繰り広げるが、京都コンサートホールの音響は、ザ・シンフォニーホールに比べると不利なことは明らかで、モヤモヤとした響きに聞こえてしまう。

演奏終了後、大植英次が、大阪(豊中市)の小曽根小学校の校歌の楽譜を持って登場。小曽根真に歌詞を読ませる。大植は、小曽根小学校のみんなが小曽根真を応援しているとして、小曽根真に小曽根小学校の校歌で即興による変奏曲を弾いて欲しいようで、自らピアノで小曽根小学校の校歌を弾いてみせる。小曽根真は校歌を変奏するのはやはり心情的に憚れるのか、それとも校歌の曲調が即興に合わないとみたのか、校歌を弾くことはせず、代わりにショパンの「子犬のワルツ」の編曲版を弾いた。


マーラーの交響曲第1番「巨人」。

交響曲第6番「悲劇的」の演奏が忘れられない大植のマーラーだが、最近の大植のマーラーは交響曲第5番にしろ第9番にしろ、極端に遅いテンポを採って賛否両論を巻き起こしている。

第1楽章は総体としてテンポは平均的だが、遅いところはかなり遅く、速いところはオーケストラが付いていけないほど速いテンポを採用。かなりメリハリのはっきりした演奏で、やはり異色である。特に終結部の加速はこれまで私が聴いてきた同曲の演奏の中でも間違いなく最速であった。

第2楽章は立体感のある演奏で、情熱にも富み、大植の本領が発揮された演奏である。

第3楽章。大植は、棒を振らず、顔のみで指揮。テンポは真っ先に演奏するティンパニ奏者とコントラバス奏者に完全に任せているようで、主部に入って棒を振るようになってもそのテンポを守った。冒頭がかなり遅いテンポだったので、全体としてもゆっくりとした演奏になった。

最終楽章はなかなかの出来であったが、京都コンサートホールの音響によって、響きが抑制されて聞こえるのが残念である。


終演後、大植は、レナード・バーンスタイン作詞による「キャンディード」(原作はヴォルテール)より“メイク・アワ・ガーデン・グロウ(「自分の畑を耕そう」。出光のCMで流れている曲である)”を朗読した後、その“メイク・アワ・ガーデン・グロウ”(作曲もレナード・バーンスタイン)をアンコールとして演奏した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月15日 (火)

コンサートの記(505) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第447回定期演奏会

2011年4月15日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪まで出かける。大阪フィルハーモニー交響楽団の第447回定期演奏会があるのだ。午後7時開演。今日の指揮者は音楽監督の大植英次。大阪フィルの音楽監督としてのラストシーズン、定期初登場である。

曲目はレナード・バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」(ピアノ独奏:小曽根真)とシベリウスの交響曲第2番。


演奏前に、大植英次がマイクを持って登場して東日本大震災に哀悼の意を示し、災害の時に音楽を奏で続けて亡くなった例があり、それがタイタニック号沈没の時の楽士達だったと述べる。大植はコンサートマスターの長原幸太に指示して、指揮者なしでタイタニック号沈没の際に楽士達が弾いていたという「讃美歌320 主よみもとに近づかん」を最初は弦楽四重奏で、次いで弦楽全員で奏でる。


レナード・バーンスタインは大植英次の師。佐渡裕が「レナード・バーンスタイン最後の弟子」を自認していて、実際、その通りなのだが、レナード・バーンスタインの最晩年にアシスタントをしていたのは実は佐渡ではなくて大植である。

最近、急速に再評価が進んでいるレナード・バーンスタイン(愛称:レニー)の作品。レニーは交響曲を3曲残しているが、純粋な器楽交響曲はこの「不安の時代」のみ。ただ、「不安の時代」は交響曲でありながら、ピアノ協奏曲的な面も強い。

私自身は、「不安の時代」をCDで何度か聴いており、一部を佐渡裕指揮京都市交響楽団の演奏で聴いているが、今日は体調が悪いということもあって音楽が自然に体に入ってこない。ただ演奏がいいというのはわかる。小曽根のピアノは技術も表現も見事だし、大植指揮の大フィルも熱演であった。ただやはりホルンは今日も問題ありだし、今日はファゴットも不調だった。

小曽根はアンコールに応えて1曲弾く。最初は何の曲かわからなかったが、次第にレニーの「ウェストサイド物語」より「トゥナイト」のメロディーが浮かび上がってくる。ラストは同じく「ウェストサイド物語」の「クール」をアレンジした旋律で締めくくる。


シベリウスの交響曲第2番。本質的にはマーラー指揮者である大植のシベリウスということで興味深い(ちなみにシベリウスとマーラーは仲が悪かった)。

第1楽章。自然な感じで入る指揮者が多いが、大植は大きめの音でスタート。続くオーボエの音も明るく朗々としている。シベリウス指揮者の演奏で聴くと自然に理解できるところでも大植の指揮だと難渋に聞こえるところがあり、やはり大植とシベリウスは余り相性が良くないようだ。

第2楽章は、シベリウスの音楽よりも、その悲劇性を際立たせたような演奏。

勢いのある第3楽章を経て、最終楽章では大植らしいヒロイズムが勝った演奏になる。朗々とした凱歌(大植が振ると凱歌以外の何ものにも聞こえない)と、それまでの忍従を思わせる旋律の対比も上手く、交響曲第2番だけにこうした演奏もありだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月14日 (月)

コンサートの記(504) 遊佐未森 「cafe mimo ~桃節句茶会~ Vol.11」大阪

2011年4月10日 umeda AKASOにて

遊佐未森の「cafe mimo ~桃節句茶会~ Vol.11」を聴く。

「cafe mimo ~桃節句茶会~」は、遊佐未森がギターの西海孝とドラムス・パーカッションの楠均と3人で、毎年春に行っている公演で、今年で11回目になる。毎回ゲストを呼んでおり、今回の大阪公演のゲストは鈴木重子。東大法学部卒で、ニューヨークのブルーノートに日本人として初めてステージに立ったという異色の実力派ジャズシンガーである(勉強が出来たので何となく東大法学部に行ったが、法律の勉強に興味が持てず、そのため司法試験も何度も受けるが通ることが出来ず、ジャズシンガーに転向したとのことだ)。

元祖癒し系シンガーの未森さんの歌は、聴いているだけで気分が良くなってくる。

カバー曲である「プリーズ・ミスター・ポストマン」では、ドラムス&パーカッションでバンマスの楠均がポストマンとなり、客席に飴の袋を配って回るというパフォーマンスがあった。

ゲストの鈴木重子と未森さんとは、「レイン・フォール」、「蘇州夜曲」、「Kiss for the earth」をデュエット。それから鈴木重子が未森さんの「道標」を、未森さんのピアノを含めた3人のバックで披露する。鈴木重子の声質は落ち着いた渋いもので音域でいうとアルト。未森さんはソプラノなので、「蘇州夜曲」は音が五度も違うという異色のデュエットになった。

未森さんとのトークで、鈴木重子が花粉症で鼻水が止まらないという話をし、それを重症の花粉症患者である未森さんが受けるという形になる。未森さんは9年前に花粉症になってしまったそうで、公演前に目がお岩さんのように腫れて慌てて病院に行ったこともあるそうだ。今年の2月には花粉症のせいで声が出なくなってしまい、ラジオのレギュラー番組でも毎回、声が出なくなっていき、斎藤由貴とのデュエットコンサートではドクターストップで歌うことが出来なくなってしまい、急遽、ピアニストとしての参加に切り替え、筆談で斎藤由貴と会話したという(斎藤由貴のマネージャーが未森さんが書いたものを読み上げてくれたとのこと)。なお、その後、未森さんは復調し、斎藤由貴とは3月の公演で無事、デュエット出来たそうだ。

アンコールで未森さんが出てくる前に、西海孝と楠均が登場して、桃節句茶会11回目のTシャツを紹介する。背番号に「11」が入っており、キング・カズ(三浦知良)を意識したデザインだ。

更に、西海孝と楠均による「きゅうけいダンス」も行われる。

アンコールではまず、「いつでも夢を」の橋幸男のパートを未森さんが、吉永小百合のパートを楠均が担当するという男女逆転デュオが披露される。

最後は、鈴木重子が登場し、未森さんのシングル曲「I' m here with you」を未森さんと二人で歌う。

終演後、未森さんが一人で、自らの出身地である宮城県出身の芸能人で作る「みやぎびっきの会」が「みやぎびっきこども基金」を設立したこと、会場で義援金を募り、募金してくれた方にはお礼として、未森さんの友人で「クロ」のアニメーションも担当した、おーなり由子がデザインした「I'm here with you」のステッカーが配られた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンサートの記(503) 広上淳一指揮京都市交響楽団第544回定期演奏会

2011年3月26日 京都コンサートホールにて

午後2時30分より、京都市交響楽団の第544回定期演奏会に接する。今回は東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)があったため、一時は演奏会を中止しようかと検討されたこともあったようだが、通常通り行うことで意見がまとまったようだ。

午後2時30分の開演に先立ち、今日の指揮者である広上淳一(京都市交響楽団常任指揮者)によるプレトークがある。まず、4月からのシーズンの出演者と曲目の紹介があり、それから今日の演奏曲目とソリストの話題に触れる。


今日のプログラムは、ショスタコーヴィチのバレエ組曲第1番、ブルッフのスコットランド幻想曲(ヴァイオリン独奏:シン・ヒョンス)、ヒンデミットの交響曲「画家マチス」。


ショスタコーヴィチのバレエ組曲第1番は、第二次大戦後に、ショスタコーヴィチの友人であるレヴォン・アトヴミヤンがショスタコーヴィチの「明るい小川」を題材に編んだものである。「明るい小川」はプラウダ批判(1936年)の標的となり、長い間演奏禁止になっていた曲で、それをアトヴミヤンが復活させたのだという。

引きつった笑顔のような美しさを持つ作品群で、時に哀感に満ち、時に耽美的で、時に前衛的だ。
広上と京響は、音響がお世辞にもいいとはいえない京都コンサート-ホール大ホールを響きすぎにならない程度に盛大に鳴らす。鳴らないホールだから大きな音を出すのではなく、ホールの特性を把握して逆に生かしているのである。これまでの経験が生かされていることが実感される。滑らかな弦、パワフルな管楽器、いずれも好調だ。


ブルッフのスコットランド幻想曲。幻想曲という名が付いているが実態はヴァイオリン協奏曲である。ソリストのシン・ヒョンスは1987年生まれの韓国の若手女流ヴァイオリニスト。プレトークで広上さんが紹介していたが、日本、韓国、中国問わず、東アジアの国々の演奏家は欧米に留学することが多いが、シン・ヒョンスは一貫して韓国で音楽教育を受けた珍しいヴァイオリニストとのこと。現在も韓国国立芸術大学大学院にて研鑽を積んでいるそうだ。2008年、ロン=ティボー国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門優勝。その他のコンクールではパガニーニ国際コンクールで第3位(2004年)、チャイコフスキー国際コンクールヴァイオリン部門で5位入賞(2007年)などの成績を修めている。

そのシン・ヒョンスのヴァイオリンは、音に太さがあり。独特の艶を持つ。

広上指揮の伴奏も見事。音が沸いて出る瞬間が見えるかのようだ。


シン・ヒョンスはアンコールで、京響のヴァイオリン群にピッチカートの伴奏を頼んで、パガニーニの「ヴェニスの謝肉祭変奏曲」よりを披露。この時はスコットランド幻想曲とは違い、音の太さよりも軽やかさが目立つ。曲調によってスタイルを変える器用さも持ち合わせているようだ。


ヒンデミットの交響曲「画家マチス」。マチスとは有名なアンリ・マチスではなく、16世紀に活躍したマティアス・グリューネヴァルトのこと。ドイツ農民運動にも参加したこの画家を題材に、ヒンデミットが台本と音楽を手掛けた歌劇「画家マチス」の紹介として編まれたのが今日演奏される交響曲「画家マチス」である。ヒンデミットはその作風およびユダヤ人との気兼ねのない交際(奥さんはユダヤ人である)をヒトラーに嫌われており、交響曲「画家マチス」も非難。これを受けて立ったのが、交響曲「画家マチス」の初演指揮者であったヴィルヘルム・フルトヴェングラーで、新聞に論文「ヒンデミットの場合(ヒンデミット事件)」を寄稿。これが元でドイツ楽壇は騒然となり、危機を感じたヒンデミットは亡命した。フルトヴェングラーはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とベルリン国立歌劇場の音楽監督を辞任することになるが、その後もドイツ国内に留まり、数年後にはベルリン・フィルの指揮者に戻っている。しかし、それがフルトヴェングラーがナチス寄りだとの誤解を生むことにもなった(フルトヴェングラーは一貫してナチスには否定的であり、ベルリン陥落の2ヶ月前にスイスに亡命しているが、亡命するのが遅すぎるとみなされ、戦後にナチ加担者として尋問を受けることになる。処分は2年間の演奏活動禁止であった)。

それはともかくとして、今日演奏された交響曲「画家マチス」はとにかく音が美しかった。ステージ上で楽器が鳴らしているというよりも、地の底から浮かび上がってくるかのような豊潤な音色。弦も管も絶好調で、広上の棒の通りに音楽が彩られていく様は、まるで魔法を見ているかのようだった。そしてこの曲でも京都コンサートホール大ホール自体を楽器として鳴らせることに成功する。京都コンサートホール大ホールの音響を知らない方には上手く伝わらないだろうが、京都コンサートホール大ホールを楽器として鳴らすことは、楽器を手にしたばかりの三歳児がヴァイオリンをスラスラと奏でるほど難しいことなのだ(2011年時点での音響の感想)。


終演後に、卒団するトロンボーン奏者の間憲司と、異動によって京響から外れる山岸吉和に花束が渡される。

そして、被災地の祈りを込めた、J・S・バッハの「アリア(G線上のアリア)」が演奏された。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月13日 (日)

観劇感想精選(283) 紺野美沙子の朗読座「新春公演2019 源氏物語の語りを愉しむ ―紫のゆかりの物語」@びわ湖ホール

2019年1月5日 びわ湖ホール中ホールにて観劇

午後2時30分から、びわ湖ホール中ホールで、紺野美沙子の朗読座の公演「新春公演2019 源氏物語の語りを愉しむ ―紫のゆかりの物語」を観る。出演は、紺野美沙子(朗読とおはなし)、陣野英則(解説。早稲田大学文学学術院教授)、中井智弥(二十五絃箏、箏)、相川瞳(パーカッション)。演出は篠田伸二。

『源氏物語』から、第一ヒロイン的存在である紫の上(紫式部という通称の由来とされている)を中心とした恋物語のテキスト(早稲田大学名誉教授である中野幸一による現代語訳である『正訳 源氏物語』を使用)を用いた朗読公演である。


まずオープニング「新春を寿ぐ」と題した演奏がある。中野智弥作曲・演奏による箏曲「プライムナンバー」という曲が演奏され、その後、主役である紺野美沙子が現れて、中野とトークを行う。紺野美沙子は『源氏物語』ゆかりの帯を締めて登場。その写真が後方のスクリーンに映される。昨日、西宮の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで公演を行ったのだが、「もっと近くで帯の柄を見たい」という声があったため、今日は写真をスクリーンに投影することにしたそうである。前側が「浮舟」、後ろ側がおそらく葵祭の車争いの場面の絵柄である。着物の柄も平安時代を意識したもので、貝合の貝を入れる貝桶の絵が鏤められている。紺野は、『源治物語』の現代語訳を多くの人が行っているという話をするが、瀬戸内寂聴の紹介は物真似で行っていた。
中野が、「プライムナンバー」という曲名の解説を行う。「プライムナンバー」は「素数」という意味で(紺野美沙子はにこやかに、「素数。ありましたね」と語る)、4分の2拍子、4分の3拍子などの2や3が素数であると語り、素数の拍子を用いたこと、また箏は13弦で13は素数であることなどを語る。

ちなみに、『源氏物語』の主人公である光源氏は箏の名手であり、演奏を聴いた女性達が涙を流して感動したという話を中野がすると、紺野は、「あら? じゃあ、中野さんは、平成の光源氏?」と冗談を言い、中野も「そうだと嬉しいんですが。ローラースケートを履いてる方(光GENJI)じゃなく」と冗談で返す。紺野は、「次の時代もご活躍を」と更に畳みかけていた。

それから、二十五絃箏の紹介。邦楽は通常はペンタトニック(五音階)であるが、二十五絃箏は西洋のドレミの十二音階を奏でることが出来るそうである。

その後、パーカッショニストの相川瞳も登場。今日は25種類の打楽器を使うそうで、日本生まれの打楽器として木魚と鳥笛を紹介していた。

紺野美沙子は、有閑マダム層が使うような言葉遣いであったが、意識していたのかどうかはわからない。


その後、第1部のトークセッションに移る。ゲストは早稲田大学文学学術院教授の陣野英則。今日使用するテキストの現代語訳を行った中野幸一の弟子だそうである。
陣野は、『源氏物語』を長編大河小説と位置づける(紺野美沙子 「橋田壽賀子もびっくり」)。1000年前にこれほど大部の恋愛フィクションが書かれた例は海外にも存在せず、しかも作者が女性というのが凄いという話になる。海外ではこの時代、歴史書や叙事詩、戦争物や回顧録、エッセイ、日記文学などは書かれていたが、大部のフィクションの名作が現れるのはずっと後になってからである。

『源氏物語』がわかりにくいのは、古文ということもあるが、人間関係が入り組んでいるということを上げる。登場人物は450名ほどに上り、主人公の光源氏があちらと関係を持ち、こちらとも契りを結びということをやっているため、男女関係が滅茶苦茶になっている。ただ、陣野によると光源氏が素晴らしいのは、関係を持った全ての女性の面倒を見ることだそうで、ドン・ファンなど他の好色家には見られないことだとする。
スクリーンに人物関係図や男女関係図を投影しての説明。わかりやすい。
紺野美沙子は、「私、慶應義塾大学文学部国文科卒ということで、色々わからないといけないんですが、資料が多いもので、大和和紀先生の漫画『あさきゆめみし』で読んだ」と伝えると、陣野は、「今の学生は、ほぼ全員、『あさきゆめみし』から入っています」と答えていた。


第2部が今日のメインとなる「朗読と演奏」になる。

二十五絃箏の中井智弥は、東京藝術大学音楽学部邦楽科卒。伝統的な箏や地歌三絃の演奏も行いつつ、二十五絃箏の演奏をメインに行っている。2016年には三重県文化奨励賞を受賞。

パーカッションの相川瞳も東京藝術大学音楽学部出身。2007年にブルガリアで開催されたプロヴディフ国際打楽器コンクールDuo部門で2位入賞(1位なし)。大友良英 with あまちゃんスペシャルビッグバンドのメンバーとして紅白歌合戦に出場したこともあり、2019年の大河ドラマ「いだてん」オープニングテーマの演奏にも加わっている。

「いづれのおんときか女御更衣あまたさぶらいける中に、いとやんごとなききわにはあらねど、すぐれてときめきたもふありけり」の出だしからスタート。
光源氏と紫の上の出会い(といっていいのかな?)である「若紫」、光源氏と紫の上との初枕が出てくる「葵」、光源氏が須磨へと下り、紫の上と離ればなれになる「須磨」、源氏と結ばれた明石の君と、明石の姫君が大堰へと上る「松風」、光源氏と帝の娘である女三の宮が結婚することになるという「若菜上」、紫の上がみまかる「御法」と光源氏の死が暗示される「幻」の各帖から選ばれた文章が読まれ、和歌とその現代語訳が読み上げられる。映像も多用され、想像力の補完を行う。

紺野美沙子の朗読に凄みはないが、的確な読み上げは流石は一流女優の技である。テキストの背後にある心理をもさりげなく炙り出してみせる。

紫の上という女性の「女であることの哀感」と、光源氏の紫の上への愛と、愛するが故の切なさがありありと伝わってくる朗読であり、聞いていて一途に悲しくなったりもする。これが大和心の真髄の一つである「もののあはれ」だ。
哀しみと同時に、日本という国で生まれ育ったことの喜びが胸を打つ公演でもあった。


バラ色に彩られた雲が覆う琵琶湖の湖畔を歩いて帰途に就く。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月12日 (土)

その日(1) 2011年3月11日~15日 東日本大震災発生当日からの5日間

2011年3月11日

午後2時46分頃、三陸海岸沖で、マグニチュード8・8という、観測史上最大の地震が発生(その後、マグニチュード9・0に修正)。宮城県栗原市では震度7を観測。

テレビで、津波により、仙台市名取川が氾濫し、民家や自動車が流されていくのを確認。悲劇をリアルタイムで確認し、呆然となる。

今日は、大阪・京橋のシアターBRAVA!で観劇の予定があるので、気になりつつもモニターを離れる。
京阪電車の車内でも、岩手沖、茨城沖で大規模な余震が発生したとのニュースが入る。

京橋のTWIN21の大型モニターで地震の模様を確認。仙台市では各地で火の手が上がっており、まるで地獄絵図のよう。

私の出身地の千葉市でもコスモ石油の製油所で火災が発生しているのを確認。午前2時現在、消火活動は行えていない状況。


午後10時過ぎになって、仙台市若林区で200人から300人の遺体(おそらく津波による水死体)が発見されたという情報が携帯電話に入り、唖然とする。

帰宅してテレビを確認。宮城県気仙沼市では広範囲に渡る火災が発生しており、闇を赤く染めている。震源地から離れた北海道函館市でも大規模な津波が発生している。

陸前高田市の津波の映像も流される。かなりの被害が予想されるが、確認は取れていないという。

岩手県釜石市では、津波が引く際に、自動車が次々と流されていくのが確認される。無人の車ということではないだろう。大変なことになった。

東北地方、関東地方の交通は完全に麻痺。都内では各・高校を開放することを決定。その他、明治大学リバティタワー、新宿高島屋タイムズスクエア、立教大学11号館と14号館、品川プリンスホテル、築地本願寺、新橋第一ホテルロビー、青山学院大学体育館が帰宅難民のために開放されている。
横浜市内では港北スポーツセンター、関内ホールが無料開放されているとのこと。

津波は計測出来る範囲を大幅に超える大規模なものが発生しており、実態が把握できない。また、海岸近くは大津波警報が発令されているため、誰も近づくことが出来ず、被害の実態はわかっていない。

京都も寒いが、東北はもっと寒い。最低気温は氷点下になるそうだ。午後1時現在の気仙沼からの中継映像では雪が降っているのが確認された。


午後10時半に東京メトロ銀座線と半蔵門線が運転を再開。しかし大変な混雑が予想されるため、無理な帰宅は避けるようにと政府は呼びかけている。

福島県南相馬市の約1800世帯が壊滅状態とのこと。ああ。

仙台港のコンビナートでも火災が発生、津波が続いているため消防車が近づけず、消火活動は不可能。隣の多賀城市でも火災が発生しているという。

長野県北部、新潟県中越地方でも大きな地震があった。




2011年3月12日

東北地方太平洋沖地震から一夜明け、悲惨な光景が明らかになる。陸前高田市などはほぼ壊滅状態。宮城県南三陸町では1万人の行方がわからなくなっているという。

釜石港での津波の映像も入ってくる。防波堤を超えて、見る間にビルの3階部分まで波が高くなる映像に言葉も出ない。

福島第一原発で、1号機で爆発がある。原子炉の崩壊という最悪のシナリオは避けられたが、放射能は漏れ、東京電力と協力会社の社員、そして一般人にも被曝者が出た。

午後10時過ぎに福島県浜通で震度5弱の地震がある。




2011年3月13日

東北地方太平洋沖地震が東北関東大震災と名が変わる(引き続き東北地方太平洋沖地震や、新たに東日本大震災の名称を用いているメディアもある)。

宮城県東松島市で200人を超える遺体が収容される。竹内直人宮城県警本部長は「犠牲者は万単位になることは間違いない」との見解を示した。

岩手県大槌町では町長を含む約1万人が行方不明になっている。

津波により取り残された仙台空港では体調不良者が相次ぎ、死者も出ている模様。

菅直人首相は、14日より東京電力の計画停電を実施することを発表した。


被災地にいるケータイサイトの仲間から電力、乾電池などが不足との情報を得て、乾電池を送ろうとするが、配送の手段がないということで断念する。




2011年3月14日

昨日はフジテレビで誤報があった上に、今日はNHKでも先走った情報が流れた。誤報を流すのが一番危険である。自分のやっていることが正しいのかわからなくなる。




2011年3月15日

福島第一原発では次々と炉が崩壊する。一方で福島第二原発は安全に停止した。

夜になって、静岡県東部と山梨県を中心に大規模な地震が発生。静岡県富士宮市では震度6強を観測した。直下型の地震で津波の心配はないという。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

これまでに観た映画より(123) 中島哲也監督作品 松たか子主演作 「告白」

ブルーレイで日本映画「告白」を観る。わが家初のブルーレイディスク。「告白」は映画館でも観ているが、気に入ったのでブルーレイディスクを購入したのだ。湊かなえ:原作、中島哲也:脚本・監督作品。出演は、松たか子、木村佳乃、岡田将生、新井浩文、山口馬木也ほか。

映画ファンから絶賛される一方で、映画の作り手側からは、「あんなの映画じゃない」「説明過多だ」(説明不足でわけがわからないという意見もあるのが面白い)「PVみたいだ」「途中で寝た」などと酷評された問題作。日本で最も権威があるとされるキネマ旬報の2010年度ベストテン邦画の第2位、最も華やかな(しかし大手映画会社の持ち回りとの悪評も高い)2010年度の日本アカデミー賞最優秀作品賞、脚本賞、監督賞、編集賞を受賞しているが、その一方で映画芸術誌ではワースト1に選ばれてもいる。

体育館や校舎など撮影は栃木県の廃校を利用して行われたという(教室はセット撮影)。松たか子は実は泳ぐことが出来ず、劇中でプールに飛ぶ込むシーンがあるので、脚本を読んで「どうしよう」と思い、中島監督に「私、泳げないんですけど」と告白。中島監督は落胆しつつも「大丈夫」と答えたそうである
いざ、本番になるとプールの水は腰の高さまでしかなく、水中を歩いていけるので問題なかったそうだ。

ある中学校が舞台。教師の森口悠子(松たか子)が、幼い娘の愛美(ドラマ「Mother」の演技で世間を驚かせた芦田愛菜が演じている)の死にまつわる告白を始める。愛美は事故死として処理されたが、実はクラスの生徒二人に殺されたのだという。ここから森口悠子の静かで冷酷な復讐劇が始まる。

ほぼ全編に渡って音楽が流れており、PVを多く手掛けた中島哲也監督らしい作品だ。セリフの量も膨大で、セリフに寄りかかりすぎと思う人がいてもおかしくないほどである。

「命」がテーマの重い作品であり、軽々しいところは一切ない。人間の重みの軽重を問う一方で、罪を犯した人間の命の重み、被害者の命の重みなどがケースとして扱われ、生きるとは、生きさせるとはどういうことなのかも問いかけてくる。そしてそうしたことを考えること自体が人間の傲慢さであり、病んだ部分なのではないかとさえ思えてくる。

キーを握る二人の女優、松たか子と木村佳乃(かつてライバルとして良く比較された二人だ)の演技にともに凄みがあり、特に松たか子の演技はこれまで出演した映画の中でも最高だろう。

独特の映像美も相まって、他では余り観たことのない世界が広がっている。あるいは賛否両論ということ自体がこの映画の成功を物語っているのかも知れない。


ブルーレイディスクは特別版で、DVDがもう一枚ついており、そこにはメイキング映像、中島監督と主演の松たか子へのインタビュー、重要な生徒を演じる橋本愛(北原美月役)、西井幸人(渡辺修哉役)、藤原薫(下村直樹役)の3人へのインタビュー、生徒37人からの一言メッセージ、劇団ひとりによる「告白」特別講義、各劇場による舞台挨拶や品川女学院(広末涼子の母校として知られる)における中島監督と松たか子による特別授業、TVスポットなどが収められている。TVスポットではパガニーニの「24の奇想曲」より第24番のピアノ編曲版とドヴォルザークの「新世界」交響曲が用いられているが、本編にはそれらは用いられておらず、主題歌はRadiohead、音楽は日本のインディーズバンド、エンディングはヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」のピアノ編曲版が使われている。



「スクリーンで観た時の感想」 2010年8月26日

TOHOシネマズ二条で日本映画「告白」を観る。湊かなえ原作、監督・脚本:中島哲也、主演:松たか子。

愛娘を殺害された中学校の女性教師が犯人である教え子に復讐を図るという物語である。

直接手を下さず、ジワジワと犯人を追い詰めていく女教師の復讐の姿が怖ろしい。

重たいがそれだけ見応えのある作品であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

これまでに観た映画より(122) ケラリーノ・サンドロヴィッチ監督作品 「罪とか罰とか」

DVDで、日本映画「罪とか罰とか」を観る。成海璃子主演作。ケラリーノ・サンドロヴィッチ監督作品。出演は他に、永山絢斗(ながやま・けんと。瑛太の弟)、段田安則、奥菜恵、犬山イヌコ、大倉孝二、山崎一、安藤さくら、入江雅人、市川由衣、佐藤江梨子、六角精児、田中要次(BOBA)、緋田康人、広岡由里子、高橋ひとみ、石田卓也、森若香織、行定勲、玉置孝匡、串田和美、徳井優ほか。いなくてもいい役で「時効警察」つながりの麻生久美子がカメオ出演している(当初は脚本になく、特別に出てくれることになったので、役を作ったとのこと)。

重層構造の映画で、様々なシーンが一つにまとまっていくという構造を持つ。文学における意識の流れ的な手法も用いられる。

売れないグラビアアイドルの円城寺アヤメ(成海璃子)が、自身が映っているグラビアが逆さまに印刷され、鼻の下に変なシミまでつけられていることに怒る。コンビニで雑誌を確認したアヤメは、「立ち読み禁止」を示す店長(徳井優)に「買いますから」といいつつ、お金がないことに気付き、万引きしてしまう。マネージャーの風間涼子(犬山イヌコ)に連れられてコンビニに謝罪に訪れるアヤメ。取り調べに来た警官に一日署長の話を持ちかけられたアヤメは、やむなく一日署長を務めることに。アヤメが一日署長を務める警察署にはアヤメの元彼である春樹(永山絢斗)がいた。この春樹というのが連続殺人を犯している殺人鬼であるが、アヤメは春樹が殺人鬼であることを隠し、付き合ってきたのだった。

演劇を主舞台とするケラリーノ・サンドロヴィッチらしい作品。緻密な構造が印象的だが、その分、出来すぎの印象を受け、現実感が乏しいような印象も受ける。私は高く評価したいが、嘘くさいと感じる人も出てくるだろう。


レンタルDVDだが、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、成海璃子、犬山イヌコの3人によるコメンタリーが全編に渡って入っている。内容よりも、注文したケーキが大変なことになって大騒ぎになったりしていて笑える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンサートの記(502) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第445回定期演奏会

2011年2月18日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪のザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第445回定期演奏会に接する。今日の指揮は音楽監督の大植英次。
大植英次が、大阪フィルの音楽監督を辞任することを発表してから初の定期演奏会出演である。

曲目は、ショスタコーヴィチの交響曲第9番と、ブルックナーの交響曲第9番という二つの第九が並ぶ意欲的なプログラミングである。

大植さんが大阪フィルを辞任されるということで、大植&大フィルの時代を偲ぶよすがとして、大植人形(小)を購入する。辞任した後ではもう手に入らないから。
今日は、コントラバスを舞台後方に一列に並べる、変則古典配置での演奏であった。


ショスタコーヴィチの交響曲第9番。交響曲第9番はベートーヴェンに代表されるように特別なナンバーの交響曲とされ、ベートーヴェンを始め、シューベルト(現在では8曲までが定説になりつつある)、ブルックナー、マーラーが交響曲第9番まで書いて亡くなっている。ソビエト当局もショスタコーヴィチが交響曲第9番を書くというので、特別な交響曲を期待していたそうだが、ショスタコーヴィチはその裏を掻き、おどけた感じの小さな交響曲を書いた。ソビエト幹部にはそれを怒った人もいたという。

大植はスロースターターなので、最初のうちは「大人しいなあ」という印象だったが、トロンボーンの二度目の吹奏の後から、エンジンに火がつき、堂々とした立派なショスタコーヴィチの演奏となる。おどけた風の金管の旋律も、大植の手にかかると誰かへの抗議のように聞こえてくるから不思議だ。

第2楽章は、クラリネットのソロに始まり、クラリネットのハーモニー、フルートとオーボエの合奏と、木管楽器が旋律を引き継ぐのだが、その手際が見事。大阪フィルがここまでのアンサンブルに成長しているとは正直言って思っていなかった。これも大植のトレーニングの賜物だろう。

第3楽章以降は、情熱全開の演奏が続く。弦にも管にも威力があり、異常なほど集中力の高い大植と大フィルによって、喜怒哀楽全てがない交ぜになった音楽が適切な表現で語られていく。ピアニッシモからフォルテシモへの変換の場面などは、鳥が大きく翼を拡げて羽ばたく姿が目に浮かぶかのよう。これだけ立派なショスタコーヴィチの交響曲第9番を日本人の指揮者とオーケストラで聴ける機会は滅多にないだろう。


ブルックナーの交響曲第9番。楽譜はノヴァーク版を使用。

大阪フィルのブルックナーというと、前任者である、御大こと朝比奈隆が看板としていたことで有名である。大植も以前に、定期以外でブルックナーの交響曲第9番を指揮したことがあり、録音されてCDにもなっているが、音楽評論家で生前の朝比奈と親交のあった宇野功芳氏から酷評されている。

弦の刻みによるブルックナー開始でスタート。最初はホルンだが、このホルンの音がやや大きい上に音色がリアルに過ぎる。続く、アッチェレランドも徒にスケールを小さくしているだけ。最初の強奏も、音が大きいだけでスケールが広がらない。ここで私は、朝比奈のブルックナーと大植のブルックナーを比較することをやめる。シカゴ交響楽団のマネージャーから目をかけられ、客演指揮者として招待されたブルックナーのスペシャリストである朝比奈隆と、指揮者としてはまだ中堅でどちらかといえばマーラー指揮者の大植英次を比較しても、勝負にならない。

そこで、朝比奈のブルックナーは頭から追い払い、大植の演奏だけに集中することに決める。そうすると、短調から長調に変わる場面で、青空が眼前にパッと広がるように思えたり、峻険な山道を思わせるような厳しい表情など、優れたところが聞こえるようになる。

朝比奈隆のことを思わないように決めたということもあってか、二度目の強奏はスケールが広がったように聞こえた。

第2楽章。神秘感こそないが、アンサンブルは見事。中間部ではブルックナー・ユニゾンが威力満点。特に弦の響きが素晴らしい。再現部における大植と大フィルの集中力はやはり尋常でないレベルに達している。

第3楽章は冒頭の第1ヴァイオリンにやや濁りが生じたのが残念。それから再現部に入る直前のホルンのアンサンブルに覇気が感じられなかった。ホルンは更にもう一度、気の抜けた音を出し、ラストでも音をやや外した上に、息も続かないなど問題がある。朝比奈時代から大フィルのホルンは弱さが目立ったが、大植の特訓でも向上は難しいようだ。

一方で大フィルの弦楽群の音色は素晴らしい。日本のオーケストラとしてはこれ以上は無理なほど美しい音を響かせる。

朝比奈隆に比べなければ、大植のブルックナーも十分に名演であった。これほどの指揮者が大阪フィルから去ってしまのはやはり惜しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンサートの記(501) 井上道義指揮 京都市交響楽団第543回定期演奏会

2011年2月13日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第543回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は元・京響音楽監督の井上道義。

オール・モーツァルト・プログラムで、歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、セレナード第10番「グラン・パルティータ」より、交響曲第41番「ジュピター」の3曲が演奏される。

今回も、舞台奥のセリを一番上まで上げてしまっているが、二段だけなので、ステージが狭くなったという感じはそれほどしない。

井上は最近、ピリオドアプローチに凝っているので、今回もピリオドで来るかと思われたが、全体的にスッキリとしたスタイルではあったものの、弦はビブラートを思い切りかけていたし、ティンパニの音も柔らかく、大時代的な演奏では全くないが、ピリオドでもなかった。配置もドイツ式の現代配置。ティンパニは「ドン・ジョヴァンニ序曲」では上手奥に、「ジュピター」では下手奥に置かれた。

今日は、井上は指揮台を用いず、全曲、ノンタクトで指揮をする。


歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲は冒頭から迫力があり、怖ろしげな雰囲気作りが上手い。主部に入ってからの活気も見事で、特に第1ヴァイオリンが美しい。バランスも見事で、「流石、井上」である。


セレナード第10番「グラン・パルティータ」は、管楽器とコントラバスのためのセレナード。今回は第1、3、6、7の4つの楽章が演奏された。演奏者は、オーボエ:高山郁子(首席)、土井恵美/ファゴット:中野陽一郎(首席)、首藤元/クラリネット:小谷口直子(首席)、筒井祥夫/バゼットホルン:鈴木祐子、玄宗哲/ホルン:垣本昌芳(首席)、小椋順二、澤嶋秀昌、中川慎一/コントラバス:星秀樹(首席客演)。

管楽器によるアンサンブルは見事で、特にステージ下手最前列に座ったオーボエ首席の高山郁子と、ステージ上手最前列に座ったクラリネット首席の小谷口直子が素晴らしい。井上の指揮は、腕をぐるぐる回して踊ったり、腹を叩いたりするユーモラスなもので、「やはり、井上」である。


メインの交響曲第41番「ジュピター」。やはり第1ヴァイオリンが美しく、一番ものをいっている。第1楽章は柔らかな迫力があり、第2楽章や第3楽章は典雅で、最終楽章は緻密なアンサンブルが見事。「これぞ、井上」である。

管楽器は世界レベルでも通用し、弦も音にもっと強さと張りと透明感があれば、世界クラスに届くのではないだろうか。いずれにせよ見事なモーツァルトであった。


演奏終了後に、井上道義が、京都市交響楽団の発展に尽力したことにより京都市功労賞を授与した旨が、事務局の方から伝えられ、コンサートマスターの渡邊穣から井上に花束が贈られる。井上は花束を客席に投げ入れる真似だけしてスピーチ。「『こうろうしょう』ということで老人の「老」の字が入るので嫌だなと思っていたら別の漢字の賞でした」と冗談を言い、「『グラン・パルティータ』の管楽器は素晴らしい。ニューヨークでもミラノでも世界中どこに行っても通用すると思います」と喋ったあとで、「ここのオーケストラ(京都市交響楽団)には広上君という指揮者がいます。ハチャメチャなイメージがありますが、彼は私より人格者です。功労賞を受けるときも『そんなものいらないなんて言っちゃ駄目だよ』とアドバイスしてくれました」と語った。最後に「私はオーケストラ・アンサンブル金沢という40人ぐらいの小さなオーケストラの指揮者をしているのですが、もっと大きなオーケストラをやりたいということで、オーケストラ・アンサンブル・金沢の定期演奏会に京都市交響楽団を呼びました。逆はまだないので、是非お願いしたいと思います」と述べた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月11日 (金)

コンサートの記(500) 京響クロスオーバー「バレエ×オーケストラ」New Year Gala

2019年1月6日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後3時から、ロームシアター京都メインホールで、京響クロスオーバー「バレエ×オーケストラ」New Year Galaに接する。指揮者は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の下野竜也。今日のコンサートマスターは泉原隆志。少し浅めにしたオーケストラピット内での演奏である。

出演は、首藤康之(しゅとう・やすゆき)、中村恩恵(なかむら・めぐみ)、イ・ドンタク、カン・ミソン、福岡雄大(ふくおか・ゆうだい)、渡辺理恵、山井絵里奈全京都洋舞協議会メンバー。演出・振付:中村恩恵。

曲目は、第1幕が、チャイコフスキーのバレエ組曲「眠れる森の美女」よりワルツ(出演:山井絵里奈全舞踏協議会メンバー)、シベリウスの「悲しきワルツ」(福岡雄大のソロ)、プロコフィエフのバレエ「シンデレラ」第2幕より(イ・ドンタクとカン・ミソンのパ・ド・ドゥ)、シベリウスの交響詩「4つの伝説」よりトゥオネラの白鳥(首藤康之と中村恩恵のパ・ド・ドゥ)、チャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女」第3幕より(福岡雄大と渡辺理恵のパ・ド・ドゥ)、プロコフィエフのバレエ「シンデレラ」第1幕よりワルツ(全員)。第2幕が、ベルリオーズの幻想交響曲より第2楽章(オーケストラ演奏のみ)、マーラーの交響曲第5番より第4楽章「アダージェット」(首藤康之と中村恩恵のパ・ド・ドゥ)、マスネの「タイスの瞑想曲」(福岡雄大と渡辺理恵のパ・ド・ドゥ)、フォーレの「パヴァーヌ」(渡辺理恵のソロ)、チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」第2幕より(イ・ドンタクとカン・ミソンのパ・ド・ドゥ)、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」(全員)。


下野竜也指揮の京都市交響楽団は、華やかで分厚く、密度の濃い響きでメインホールを満たす。下野竜也、流石のオーケストラ操縦術である。京響も予想を上回る力強さだ。

新春公演ということで、華やかな演目も多いのだが、人間の根源的な孤独やすれ違いを描いたものが複数ある。

シベリウスの「悲しきワルツ」は元々は「クオレマ」という劇付随音楽の中の1曲で、病の床に伏せる若い女性が、現れた紳士の正体が死神だと気づくことなく一緒にワルツを踊るという場面の音楽である。
今回のバレエ公演では、福岡雄大のソロで、何かを求めて思索し、彷徨うも、結局どこにも辿り着けずに戸惑う男性を描いているように見える。

プロコフィエフの「シンデレラ」第2幕よりの、イ・ドンタクとカン・ミソンのパ・ド・ドゥも、踊るときは息が合っているが、去り際にはもう心が離れてしまっている男女のようで、バラバラに退場する。「タイスの瞑想曲」のパ・ド・ドゥでも同様で、ラストでは互いの姿が確認出来ないようであり、「パヴァーヌ」のソロへと続く。

マーラーの交響曲第5番より第4楽章「アダージェット」は、レナード・バーンスタインがJ・F・ケネディ大統領追悼の1曲としてこの作品を選んだことや、映画「ベニスに死す」のテーマ音楽となったことにより「死」に結びつけられることが多い。今回の公演でも、彼女を亡くした男声が、思い出の中の彼女と共に踊るも、ラストは蘇生することはないと悟って悲嘆に暮れるという筋書きになっていたようだ。かなり印象深い舞である。

最後の「美しく青きドナウ」では、白い衣装を纏ったバレリーナ達が愛らしくも幻想的な舞で魅せ、華やかに幕を下ろす。


アンコール曲目であるヨハン・シュトラウスⅡ世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」が演奏される中、カーテンコール。演奏終了後は下野竜也もステージに上がり、喝采を受けた。上質の公演である。京都市交響楽団も幸先が良い。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月10日 (木)

これまでに観た映画より(121) 「白夜行」

2011年3月1日 MOVIX京都にて

一日ということで、映画を観に行くことにする。今日観るのは日本映画「白夜行」。綾瀬はるか主演でドラマ化もされている、東野圭吾の代表作の一つである。MOVIX京都での鑑賞。原作:東野圭吾。脚本:入江信吾、山本あかり。脚本&監督は33歳の若手、深川栄洋。

出演:堀北真希、高良健吾、田中哲司、戸田恵子、姜暢雄(きょう・のぶお)、粟田麗(あわた・うらら)、緑友里恵、斎藤歩、長谷川愛、小池彩夢(こいけ・あやめ)、吉満亮太、宮川一郎太、山下容莉枝、中村久美、黒部進、船越英一郎ほか。

昭和55年、廃ビルの一室で、質屋を営む桐原洋介(吉満亮太)の他殺体が発見される。第一発見者は小学生達で、ビルは入り口が塞がれており、密室状態であった。桐原の家内である弥生子(戸田恵子)と、質屋の従業員で弥生子と不倫の関係にあった松浦勇(田中哲司)が容疑者として浮かぶ。桐原家の二階は戸が閉まるようになっており、階上には桐原の息子の亮司がいた。弥生子にも松浦にも確固としたアリバイはないが、どうやらホシである可能性は低いようだ。

事件を担当する笹垣潤三(船越英一郎)のもとに、桐原が当日、西本文代(山下容莉枝)という女の家に行っていたという情報が入る。文代のもとに聞き込みに行く、笹垣と古賀久(斎藤歩)。文代は留守で、文代の娘の雪穂が対応に出る。やがて文代は戻ってくるが、アリバイを話せない。しかし、聞き込みを続けたところ、文代は事件のあった時間に公園のブランコに乗っているところを目撃されていた。文代には寺崎忠夫(宮川一郎太)という恋人がいた。文代とともに寺崎にも容疑がかかるが、寺崎は車を運転中に事故死してしまう。更に文代もガスが充満した自室で亡くなっているのを発見される。事件は容疑者不在のまま迷宮入りしようとしていた。

文代の娘の雪穂は、遠縁の唐沢礼子(中村久美)の幼女となる。やがて高校生となった唐沢雪穂(堀北真希)。学校では模範的な生徒で、いじめられっ子の川島江利子(緑友里恵)と交流するなど、優しさも見せる女性へと成長していた。一方、桐原の息子である亮司(高良健吾)は女遊びをするなど危険な道を歩んでおり、ずっと年上で薬剤師の免許を持ちながら今はホステスに身を落としている栗原典子(粟田麗)と同棲していた。殺人の被害者の息子と、容疑者の娘。二人には何の接点もないように感じられたのだが……。

内面に怖ろしい一面を隠しながら美貌でのし上がっていく雪穂。そんな雪穂を演じる堀北真希がこの映画の主役である。しかし堀北は抑制された演技で内面の怖ろしさを表現しようとしているものの、どうしても優等生的なイメージが強く出てしまい、悪女にはなりきれていない。

しかし、そんな堀北が主役であることで、脇の役者達の演技が光って見える。偶然の産物かも知れないが、結果的には良かったのかも知れない。特に、二時間ドラマの帝王こと船越英一郎は、「こんな良い役者だったっけ?」と思うほど優れた演技を見せ、事件を粘り強く追い続ける刑事を好演していた。

怪しげな魅力が光る亮司を演じる高良健吾もはまり役である。

そして、木村多江をも凌ぐかと思うほどの薄幸ぶりで、濡れ場も演じる典子役の粟田麗(同じ1974年生まれということもあり、私は密かに彼女を応援している)は出番は短いながらも強烈なイメージを残した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月 9日 (水)

コンサートの記(499) プラハ国立劇場オペラ モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」@フェスティバルホール

2019年1月3日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、プラハ国立劇場オペラによる公演、モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」を観る。

モーツァルトが愛し、またモーツァルトを愛した街・プラハを代表する劇場の来日公演。プラハ国立劇場オペラ(The Estate Theatre)は、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」を初演したスタヴォフスケー劇場で公演を行う名門である(プラハ国立劇場とは同一運営で、プラハ国立歌劇場とは別団体)。歴史あるスタヴォフスケー劇場は手狭ということもあって大規模オペラは他に譲り、現在はモーツァルトのオペラを中心とした上演を行っているようだ。


指揮はエンリコ・ドヴィコ、演奏・合唱はプラハ国立劇場管弦楽団・プラハ国立劇場合唱団、演出はマグダレーナ・シュヴェツォヴァー、舞台装置はアンドレイ・ドゥリーク、衣装はカテリーナ・シュテフコヴァー、照明デザインはプシュミスル・ヤンダと現地のスタッフが中心である。舞台監督や技術スタッフは日本人が担っているようだ。

主要登場人物はダブルキャストやトリプルキャストで、今日の出演は、ミロシュ・ホラーク(フィガロ)、ヤナ・シベラ(スザンナ)、ロマン・ヤナール(伯爵)、エヴァ・メイ(伯爵夫人)、アルジュベータ・ヴォマーチコヴァー(ケルビーノ)、ヤナ・ホラーコヴァー・レヴィツォヴァー(マルチェッリーナ)、ヤン・シュチャーヴァー(バルトロ)、ヤロスラフ・ブジェジナ(バジリオ)、ヴィート・シャントラ(ドン・クルツィオ)、ラジスラフ・ムレイネク(アントニオ)、エヴァ・キーヴァロヴァー(バルバリーナ)ほか。
世界的な名声を得ているエヴァ・メイのみ客演で、他はプラハ国立劇場とプラハ国立歌劇場の所属メンバーが中心のようである。

今回の指揮者であるエンリコ・ドヴィコは、現在、ウィーン・フォルクスオーパーの首席客演指揮者を務めている。ライン・ドイツ・オペラ、ベルリン国立歌劇場で定期的に指揮を務めるほか、ヘッセン州立歌劇場の第一楽長を務めていたこともあるそうだ。現在はプラハ国立劇場とプラハ国立歌劇場で継続的に活動を行っている。

演出のマグダレーナ・シュヴェツォヴァーは、ウィーンとプラハでヴァイオリンを専攻した後で、ブルノのヤナーチェク音楽アカデミーなどで演出を学び、プラハとブルノを中心にチェコ国内のオペラ演出で活動。現在は、ピルゼン音楽学校で演技指導なども行っているそうだ。

今回の上演では、ケルビーノ役が二人おり、歌のある場面はアルジュベータ・ヴォマーチコヴァーが務めるが、それ以外の場面は男優が演じる。男優が演じている方が道化的な部分が強調されるように感じた。


今日も3階席で、オーケストラピット内がよく見えるが、プラハ国立劇場管弦楽団は室内オーケストラ編成である。そしてピリオド・アプローチで演奏するため、序曲などは音が弱く聞こえたが、本編になると生き生きとした音楽を奏で始める。硬めの音によるティンパニの強打や、うなるような金管の響きが功を奏し、脈打つような音楽が生まれる。

歌手達も素晴らしく、全てのものがあるべき場所に嵌まっていくようなジャスト・フィットなモーツァルトである。これは長年に渡って毎日のようにオペラを上演し続けてきた団体だから生み出せる味わいであり、日本のように単発上演のみの環境では紡ぐことが出来ない響きである。

セットもシンプルながら効果的であり、上演のちょっとしたところに高雅さや上品さが窺える。超一流ではないかも知れないが、欧州の一流の品質の高さと幅広さが随所に感じられる上演であった。

売れっ子のエヴァ・メイだけでなく、全ての歌手がチャーミングな歌と演技を披露。漫画的な動きも様になっていた。

多分、プラハの人々は今でもモーツァルトのことを親友のように感じているのだろう。素晴らしい街である。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月 8日 (火)

これまでに観た映画より(120) 「ノルウェイの森」

2011年2月1日 TOHOシネマズ二条にて

TOHOシネマズ二条で上映されている「ノルウェイの森」を観に出掛ける。原作はもちろん村上春樹。ベトナム生まれでフランス育ちのトラン・アン・ユン監督作品。出演は、松山ケンイチ、菊地凛子、水原希子、霧島れいか、初音映莉子、玉山鉄二ほか。なお、YMOのメンバーの内、主人公ワタナベ(松山ケンイチ)がアルバイトをするレコード店の店長として細野晴臣が、直子(菊地凛子)が入寮(実質的には入院)することになる阿美寮の門番として高橋幸宏が出演している。村上春樹と交流があるはずの坂本龍一は出演していないが、まあ、オファーがあっても教授は出演しないだろうな。

村上春樹の小説は映像化が困難であり、過去に村上春樹の中学の先輩である大森一樹が監督した「風の歌を聴け」があるのみ。それも不評だった(短編では「パン屋再襲撃」も映像化されている)。

「ノルウェイの森」は村上春樹の長編としては、ほぼ唯一といっていいリアリズムに書かれた小説であるが、それでも作品の魅力は繊細な心理描写の筆致にあり、映像化は困難である。今回の映画でも村上春樹作品の映像化として成功かというと否だろう。「ノルウェイの森」は村上春樹の作品の中でもとりわけリリカルなので、抒情派のトラン・アン・ユン監督がそれを映像化すると綺麗すぎるという結果になっていて、それを批判する人があるかも知れない。ただ、興味深いのは映画を観ているうちに、それが村上春樹を原作にしたものではなく、夏目漱石作品を映像化したものに思えてくる点である。「現代の夏目漱石」といわれることもある村上春樹だが、映像化されたものを観てそれを再確認することになった。
というわけで、村上春樹ファンよりも夏目漱石ファンにお薦めしたい映画である。

役者では、当初、ユン監督から「直子のイメージではない」と断られるも粘り勝ちで直子役を勝ち取った菊地凛子が、まるで直子が憑依したかのような演技を見せるのが印象的。ただ、直子に対する思い入れが強すぎるためか、キズキ(高良健吾)との関係をワタナベと草原で語るシーンでは感情表現が激しすぎて逆に観客に訴えかける力が弱まってしまっている。あそこはもっと淡々とやった方が効果的だし、村上春樹らしくもある。ただ、菊池凛子の直子は予想を遥かに超えて良かった。

主役のワタナベ(原作ではワタナベトオル。村上春樹はテレビを見ない人なので俳優の渡辺徹を知らなかったのだろう)を演じる松山ケンイチも細やかな演技を見せてで好演。ワタナベ役として最適だったのではないだろうか。

残念なのはミドリを演じた水原希子。演技未経験で、ユン監督から厳しい演技指導を受けたそうだが、それでも他の役者に比べると演技力の不足は顕著であり(ユン監督が日本語を理解出来たならOKを出さなかっただろうと思われるテイクも用いられている)、外見もキャラクターも直子と被ってしまっているので、ミスキャストだろう。ミドリはもっと元気溌剌としたタイプの女優がやらないと直子との対比が生まれない。


原作にない部分では永沢(玉山鉄二)とワタナベが女遊びをした話をしてハツミ(初音映莉子)を傷つける場面、雪の日のワタナベと直子の激しいやり取りとその直後の屋外でのシーン、直子がキズキの幻影を見る(実際はキズキは現れず、代わりにレイコ<霧島れいか>が直子を探して駆けてくる)情景などは効果的であった。

逆に私が原作の中で気に入っている、ワタナベとミドリがミドリの実家から火事を眺めるシーン(二人の感情の燃え上がりを象徴している)や、直子の葬式の場面(自殺者の葬儀ということで冷たさに満ちている)、レイコとワタナベによるギターを用いた音楽葬の話などはなく、残念である。ラストシーンは原作の通りだが、原作のままあれをやってしまうと、小説を知らずに映画を観に来た人には意味がわからないものになってしまっていたのではないだろうか。もう一工夫欲しかった。

ただ、村上春樹原作ということを意識せず、一つの映像作品として観た場合は出来は悪くはない。もしDVDやブルーレイが発売されたなら私は購入すると思う(その後、実際にブルーレイを購入した)。

原作は36歳になったワタナベがハンブルクの空港に着陸した旅客機内で「ノルウェイの森」を聴いてパニックに襲われるというシーンから始まるのだが、それはカットされている。ただ、私が今36歳で、その時に「ノルウェイの森」が映画化されるというのはタイミングが良かった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンサートの記(498) 広上淳一指揮 「京都の秋 音楽祭開会記念コンサート」2010

2010年9月12日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサート-ホールで、京都の秋音楽祭開会記念コンサート、広上淳一指揮京都市交響楽団の演奏を聴く。


開演時、ホール内の照明が全て消され、パイプオルガンの横のボックス席に横一列に並んだ金管楽器奏者達がスポットライトを浴びて、デュカスの「ラ・ペリ」よりファンファーレを奏でて、京都の秋音楽祭が開幕。その後、門川大作京都市長の開会宣言と挨拶があった。


プログラムは、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:野原みどり)とドヴォルザークの交響曲第8番。


チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のソリストである野原みどりは派手さこそないが、堅実な技術で弾き進めていく。バックの京響も冒頭で金管がやや不安定になった他は盤石の出来であった。


ドヴォルザークの交響曲第8番。密度の濃い、緊張感溢れる演奏であった。弦も管も熟した音で鳴り、広上と京響のコンビがいよいよ成熟期に入ったことが実感される。

第4楽章のラストの追い込みは実にスリリング。世界のどこに出しても恥ずかしくない演奏であったように思う。


アンコールとして、ドヴォルザークの「スラブ舞曲」より第14番が演奏された。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンサートの記(497) 広上淳一指揮京都市交響楽団大阪特別公演2010

2010年7月19日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時からザ・シンフォニーホールで、京都市交響楽団の大阪特別公演を聴く。指揮は常任指揮者の広上淳一。

前半は京響の7月定期と同じで、シベリウスの交響詩「フィンランディア」とグリーグのピアノ協奏曲イ短調(ピアノ独奏:アリス=紗良・オット)。

メインはシベリウスの交響曲第2番である。


前半は、一昨日聴いた印象とほとんど変わらないが、やはりザ・シンフォニーホールで聴くと音が良い。
一昨日は赤いドレスで登場したアリス=紗良・オットは、今日は緑のドレスを纏っていた。アンコールとして、ショパンの夜想曲第20番とリストの「ラ・カンパネラ」を弾く。


シベリウスの交響曲第2番。広上指揮のこの曲は京都市ジュニアオーケストラの演奏で聴いているが、やはり京都市交響楽団の方が何といってもオーケストラの質が格段に良い。シベリウス的な演奏ではないかも知れないが、力強く、輝かしい演奏が展開されていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月 7日 (月)

コンサートの記(496) 広上淳一指揮京都市交響楽団第537回定期演奏会

2010年7月17日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第537回定期演奏会に接する。今日の指揮は常任指揮者の広上淳一。

曲目は、シベリウスの交響詩「フィンランディア」、グリーグのピアノ協奏曲イ短調(ピアノ独奏:アリス=紗良・オット)、レナード・バーンスタインの交響曲第1番「エレミア」(ソプラノ独唱:富岡明子)。

「フィンランディア」は京響のブラスの強さが生きた好演であった。

グリーグのピアノ協奏曲イ短調。ソリストのアリス=紗良・オットのピアノは清冽でテクニックも申し分ない。広上指揮の京響も清々しい演奏を示した。

レナード・バーンスタインの交響曲第1番「エレミア」。滅多に演奏されない曲だが、今年はバーンスタイン没後20年ということもあってか取り上げられた。バーンスタイン指揮の自作自演盤でも聴いているが、こうして実演で聴くと、CDで聴いた以上に優れた作品に聞こえる。富岡明子のソプラノも声量豊かで優れた演奏であった。今日のような演奏が各所で行われるのなら、今後この曲が演奏会の定番になる日もいつの日か来るのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンサートの記(495) 井上道義指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2010「吹奏楽VSオーケストラ」

2010年6月13日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団「オーケストラ・ディスカバリー ~こどものためのオーケストラ入門」というコンサートに接する。基本的には子供のためのコンサートであるが、指揮が井上道義であり、プログラムが魅力的なので聴きに来てみた。

そのプログラムは、ジョン・ウィリアムズの「オリンピック・ファンファーレ」、スーザの「星条旗よ永遠なれ」、リードの「アルメニアン・ダンス パートⅠ」(吹奏楽)、ショスタコーヴィチの「祝典序曲」の吹奏楽版とオーケストラ版、モーツァルトのセレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」よりから第3楽章と第1楽章、レスピーギの交響詩「ローマの松」というもの。


「吹奏楽VSオーケストラ」がテーマの演奏会であり、京都市交響楽団のほかに、京都市ジュニアオーケストラの選抜メンバーと京都府吹奏楽連盟高校生選抜メンバーが参加する。ナビゲーターはロザン。

時折、おふざけも交えながら、井上はオーケストラから華麗なサウンドを引き出す。ちなみに井上は「吹奏楽は好きではない」そうで、オーケストラの弦楽器は人間に例えると背骨に当たり、管楽器は顔や服装に該当する。吹奏楽だと背骨がないような気がするのだそうだ。

モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」では、弦楽の各パート毎に演奏させたり、管楽器でのアンサンブルを行ったりとレクチャーコンサート的な一面も見せた。

レスピーギの「ローマの松」は京都市ジュニアオーケストラの選抜メンバーを交えての演奏。だからかどうか、演奏は一定水準に達していたが、ホルンが弱かったり、普段の京響の演奏に比べると音の彩りは幾分減退気味であった。「ローマの松」ではバンダをどこに配するかも興味を引かれるところだが、普通にパイプオルガンの前に横一列になって吹いていた。視覚的な面白さがもっと欲しくなる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月 6日 (日)

観劇感想精選(282) シアターコクーン・オンレパートリー2018 「民衆の敵」

2018年12月30日 森ノ宮ピロティホールにて観劇

12時30分から、森ノ宮ピロティホールで「民衆の敵」を観る。ヘンリック・イプセンの代表作の一つの上演。テキスト翻訳:広田敦郎(シャーロット・バースランドの英語逐語訳による)。演出:ジョナサン・マンビィ。出演:堤真一、安蘭けい、谷原章介、大西礼芳(おおにし・あやか)、赤楚衛二(あかそ・えいじ)、外山誠二、大鷹明良(おおたか・あきら)、木場勝己、段田安則ほか。

ノルウェー南部の港町が舞台。市長のペテル・ストックマン(段田安則)と弟で医師兼科学者のトマス・ストックマン(堤真一)の兄弟は、街を温泉保養地として栄えさせることに成功しつつある。トマスが提案し、ペテルが計画を推進しているものだ。ペテルは上流階級の人々を湯治客として招くべく、更なる宣伝を進めようとしている。
しかし、弟のトマスは、温泉が汚染されていることを突き止める。湯治客の間で、感染症が流行ったのだが、その原因が、工場からの廃液が原因である水質汚濁であることがわかったのだ。
トマスは、源泉から湯治場までの配管を変えるよう提案するのだが、ペテルはそのために要する莫大な費用と風説を恐れ、工事そのものに反対する。

トマスは、真実を伝えるべく、新聞社の「民衆の声」編集長であるホヴスタ(谷原章介)に話を持ち込む。貧しい農家の出であるホヴスタは、トマスが持ち込んだ報告書を新聞に掲載し、自らを蔑む上流階級に一泡吹かせてやろうと乗り気だったのだが、配管変更工事のための費用に税金が使われると知ると、勝ち目はないと見て身を翻す。一見、正義の徒と思えるホヴスタだが、実は民衆に取り入るための工作に熱心であることにトマスの娘であるペトラ(大西礼芳)は気づく。

自分には「絶対的な多数派」が味方になるはずだと考えていたトマスだが、形勢不利だと気づく。トマスは民衆相手に真実を訴えるための集会を開くのだが……。


多数派の危うさに切り込む作品である。
温泉の水質汚濁は深刻な問題のはずなのだが、それよりも街の経済状態や評判が優先される。人々は保身第一で動き、生活を優先させ、利他的な行動に出ようとはしない。「家庭の幸福は諸悪の本」という太宰治の言葉が浮かぶ。

民衆は流されやすいが、理性がないのではない。理性があるからこそ打算的になるのだ。集会の場で、酔っ払って判断力をなくした男一人が他人とは異なる行動に出る場面が必要以上に丁寧に描かれるのは、それを暗示しているのだと思われる。

今回の上演は、1960年代に舞台を移して行われる。1960年代は日本においては公害が問題視された時代である。
水俣病を例に取る。水俣病は、チッソ水俣工場が排水を水俣湾に流していたことが原因で起こった人災である。しかし、原因がチッソが流した排水にあるとわかっても、工場責任者は公表を禁じている。更に大学によって原因が発表されてからもチッソは反論、別の説を出し、結論が出るのが遅れてしまう(水俣病が確認されたのは1956年、公害認定は1968年)。会社は勿論、チッソの恩恵を受けた地域住民も保身に走っており、また社会自体も企業利益を優先させる風潮があり、「民衆の敵」そのままの状態が生まれてしまっている。「民衆の敵」自体もノルウェーで実際の起こったコレラ発生事件が元になっているといわれている。
また、公害とは認識されていないものの、福島での原発事故にも演出のジョナサン・マンビィはパンフレットで触れており、見えないフリをして突き進みたい現代の日本の群集心理も投影されていることがうかがえる。そもそも今の時代の日本で「民衆の敵」を上演するのなら、それを避けることは出来ない。


終演後、拍手は鳴り止まず、上演終了のアナウンスが流れても拍手は続き、総立ちの観客が出演者を称えた。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月 5日 (土)

これまでに観た映画より(119) 「書道ガールズ!! わたしたちの甲子園」

2010年6月4日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で日本映画「書道ガールズ!! わたしたちの甲子園」を観る。

日本一の製紙の街・四国中央市。しかし不況のため、商店街のシャッターを下ろす店が増えていた。愛媛県立四国中央高校書道部では新入部員達が次々とやめていくという事態に。そんな中、新たに赴任してきた臨時教師の池澤(金子ノブアキ)が書道部の顧問を務めることになり、音楽をかけながら書道をするというパフォーマンスを行う。書道部部長の里子(成海璃子)は池澤に反発するが、部員の清美(高畑充希)は池澤に影響を受け、書道パフォーマンスを始める。里子らは清美に反発を覚えるが、やがてその書道パフォーマンスを競う「書道パフォーマンス甲子園」を企画し、全国に募集をかけて、その「書道パフォーマンス甲子園」を実現させる。

実話を基にした映画。特別に面白いという印象は受けなかったが、書道パフォーマンスに青春をかける高校生の熱演ぶりには感動を覚える。地味な映画かも知れないが、静かな感動を呼ぶ良質の映画といって良さそうである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンサートの記(494) 「京都市交響楽団 at 円山公園音楽堂!」

2010年6月6日 円山公園音楽堂にて

円山公園野外音楽堂で京都市交響楽団が演奏する、「京都市交響楽団 at 円山公園音楽堂!」という音楽会に接する。指揮は京都市交響楽団常任指揮者の広上淳一。司会はαステーションのDJである秋田美幸。午後3時開演。

午後1時40分頃に円山公園音楽堂に着くと京響がリハーサルしている音が聞こえた。

欧米では盛んである野外でのピクニックコンサート。京都市交響楽団も今年から野外でのコンサートを始めた(結果的のこの1回のみであった)。会場となる円山公園音楽堂は3000人収容の野外音楽堂。1956年、京響の第1回定期演奏会が開かれた場所でもある。

曲目は、レナード・バーンスタインの「キャンディード」序曲、ルロイ・アンダーソンの「舞踏会の美女」、「タイプライター」、「トランペット吹きの休日」、ハイマンの「ポップスホウダウン」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」とポルカ「雷鳴と電光」、ヴェルディの「アイーダ」凱旋行進曲」、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲。

ウグイスや烏が鳴き、蝶々が舞う野外音楽堂でのコンサート。揃いのTシャツで登場した京響のメンバーもリラックスしたムードで楽しい演奏を繰り広げる。コンサート会場で接したなら緊張感に不満があるかも知れないが、そこは野外でのピクニックコンサート、そうしたちょっとした緩さも爽快さに繋がって良い気分である。

ちなみに指揮の広上淳一は雨男だそうだが、幸い、天候にも恵まれた。

アンコールとして、「宇宙戦艦ヤマト」が演奏されたのも野外コンサートならではの楽しいセレクトであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月 4日 (金)

観劇感想精選(281) ロームシアター京都「能楽チャリティ公演 ~被災地再興、京都からの祈り」2017 第2部

2017年8月24日 ロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後6時から、ロームシアター京都サウスホールで、「能楽チャリティ公演 ~被災地再興、京都からの祈り」第2部を観る。今日の午前中に第1部公演があり、ソワレが第2部である。演目は異なる。

演目は、能「花月」(出演:大江広祐ほか)、能「雪」(出演:金剛永謹ほか)、狂言「梟」(出演:茂山茂ほか)、能「一角仙人」(出演:松野浩行、浦田親良、河村紀仁、梅田嘉宏ほか)。

外国人の観客も多いということで、豊嶋晃嗣(てしま・こうじ)が上演前に作品の解説を行い、それを通訳の女性が英訳した。


能「花月」。京都の清水寺(「せいすいじ」と読まれる)が舞台。筑紫国出身の僧侶が花月と呼ばれる少年芸人(見た目は少年に見えない)を見かけ、花月こそ自分の子であると僧侶が気づくという話である。


能「雪」。ストーリーのない能である。摂津国野田(現在の大阪市北区野田)が舞台。僧侶が正体不明の女性と出会い、女性の正体が雪の精だとわかり、雪の精が舞う。


狂言「梟」。弟が山に行って何かにとりつかれた状態になったため、兄は山伏に祈祷を求める。だが、最後はミイラ取りがミイラになるという狂言である。弟を島田洋海が、兄を茂山逸平が演じているのだが、それぞれ「ひろみ」、「いっぺい」と本名で呼ばれていた。

能「一角仙人」。ちょっとした大道具が用いられる。釣り鐘のようなものは洞窟、小さな牢屋のものは一角仙人の住まいである。一本の角を持っている一角仙人が龍神を洞窟に閉じ込めてしまい、日照りになる。そこで村の美女が一角仙人を訪ねてきて、仙人に酒を飲ませて神力を弱めようとする。「桂の葉に溜まった露を飲んでいるので酒はやらない」という仙人だったが美女の踊りを見て調子に乗り、酒をあおって結局は雨が降り始める。ラストは仙人と龍神二人が戦うことになるのだが、赤い髪の龍神は佇まいからして迫力に溢れていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

これまでに観た映画より(118) 「Kー20 怪盗二十面相・伝」

DVDで日本映画「K-20 怪盗二十面相・伝」を観る。原作:北村想、脚本・監督:佐藤嗣麻子、出演:金城武、松たか子、仲村トオル、國村準、本多奏多、益岡徹、高島礼子、鹿賀丈史ほか。

第二次大戦が避けられた後の日本というパラレルワールドで繰り広げられる冒険活劇。


1949年・帝都。華族制は今なお堅持され、身分の差は厳しく、人々は自分の職業を選ぶことも禁じられているという格差社会が続いている。上流階級を狙った窃盗も少なくなく、特に怪人二十面相なる男が暗躍している。怪人二十面相は新たなエネルギーとして開発されたテスラ装置を盗むと予告。軍警(警察)はそれを拒もうと躍起になっている。

サーカス団の花形俳優・遠藤平吉は(金城武)は、あるカストリ雑誌(三流写真誌)の男(鹿賀丈史)から、近く執り行われる、男爵で名探偵の明智小五郎(仲村トオル)と羽柴公爵家の令嬢・葉子(松たか子)との結納の儀の写真を撮ってくれないかと頼まれる。羽柴公爵家はテスラ装置を未来のエネルギー源として開発を推進してきた羽柴財閥のトップだ。

結納の儀の当日、平吉が、写真を撮ろうとすると、カメラのシャッターが起爆装置となり、爆発が起こる。すぐに平吉は怪人二十面相として逮捕されるのだった。


脚本も演出もよく練られており、楽しめる映画になっている。

俳優では、盗みを稼業とする源治を演じる國村準の演技が渋く、一番印象的。松たか子は、大きな悲鳴の上げ方、令嬢としての気位の高さ、コメディーの要素などを自然に演じきっているが彼女ならまだ出来るような気もする。金城武と仲村トオルの演技は熱演だがまずまずといったところだ。

美術もしっかりとしているし、娯楽作として観るには十分な映画だろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンサートの記(493) 広上淳一指揮京都市交響楽団第535回定期演奏会

2010年5月21日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第535回定期演奏会に接する。今日の指揮は常任指揮者の広上淳一。

曲目は、シューマンの交響曲第3番「ライン」、チャイコフスキーの幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」、ブラームスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:ボリス・ベルキン)。


午後6時40分頃から、広上淳一によるプレトークがある。グリーンの地に「京響」と白文字の染め抜かれたTシャツで広上さんは登場、シューマンの交響曲第3番「ライン」が、京都市交響楽団定期演奏会史上初めてプログラムに載る曲だということを告げる。交響曲第3番「ライン」は、かなりポピュラーな交響曲だが、それがなぜか京都市交響楽団の定期演奏会の演目には載ってこなかったのだそうだ。


その交響曲第3番「ライン」。広上の「ライン」は大阪フィル(大フィル)を指揮した演奏を生で聴いており、燦々と輝くような演奏であったことを記憶している。
今日の「ライン」は大フィルを指揮した時とは一味違い、やや渋めの音色を基調とし、構造を重視した演奏になっていた。第1楽章からパワーはあるが、それを爆発させることなく抑え気味にした大人の演奏である。爽やかな第2楽章、厳かな美しさのある第4楽章なども印象的。第5楽章はテンポの良い演奏であったが、いささかスポーティーであったのが残念なところだ。


休憩後の、「フランチェスカ・ダ・リミニ」。大編成による曲だが、広上の統率力は抜群であり、オケが朗々と鳴り響く。完成度の高い演奏であった。


ブラームスのヴァイオリン協奏曲のソリストであるボリス・ベルキンは、旧ソ連の出身。7歳でデビューしたという神童で、1973年にソヴィエト連邦ヴァイオリンコンクールで優勝。翌1974年に西側に移住し、活躍を続けている。広上淳一曰く、「世界で五本の指に入る」ヴァイオリニストである。

そのベルキンのヴァイオリンは、雄々しく、スケール雄大でありながら音は大変甘く美しいという、独特のもの。テクニックは抜群であり、歌も素晴らしく伸びやかだ。

広上指揮の京都市交響楽団の充実も特筆もので、世界レベルでも通じるような、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の演奏であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンサートの記(492) イオン・マリン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第438回定期演奏会

2010年5月20日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第438回定期演奏会を聴く。今日の指揮は大阪フィル初登場となるイオン・マリン。

イオン・マリンはルーマニアの生まれ。ブラレストのジョルジュ・エネスコ音楽院で学んだ後、ザルツブルク・モーツァルティウム音楽院、イタリアのキジアーナ音楽院に学び、その後西側へ亡命。クラウディオ・アバドが音楽監督を務めていたウィーン国立歌劇場の常任指揮者となり、オペラやコンサートで活躍、知名度を上げている。

曲目は、ムソルグスキーの交響詩「禿げ山の一夜」、ラヴェルの組曲「クープランの墓」、ムソルグスキー作曲ラヴェル編曲の組曲「展覧会の絵」。


「禿げ山の一夜」は大フィルが洗練された音を出す。普段のもっさりした大フィルと同じオーケストラとは思えないほどだ。曲のラストは通常とは異なり、リムスキー=コルサコフ版のままではなく、ムソルグスキーの原典版を使用。いつも終わるところで終わらず、聴き慣れない音型が続くが、一貫して洗練された演奏スタイルのためか違和感はなかった。

ラヴェルの「クープランの墓」も洗練を極めた演奏。設立当初から一貫としてドイツものを手掛けてきた大阪フィルに、フランス音楽が馴染むという印象はないが、今日はオーケストラが大フィルなのだということを忘れて音楽を楽しむことが出来た。


メインの「展覧会の絵」。冒頭のトランペットに始まり、金管群によるプロムナードが奏でられるが、ハーモニーの感覚が抜群である。リハーサルでかなり鍛えられたのだろう。マリンの指揮は実にセンスが良く、テンポを速めても軽くは鳴らないし、遅くしても重々しい感じはしない。大阪フィルもチューバが若干音楽的弱さを感じさせた他は大健闘で、優れた「展覧会の絵」の演奏となった。

「展覧会の絵」は京都市交響楽団の4月定期のプログラムにも載っており、私も聴いたが、今日の大フィルの演奏の方が優れた出来映えだったように思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月 3日 (木)

コンサートの記(491) 読売日本交響楽団「シルヴァン・カンブルラン第9代常任指揮者就任披露演奏会」2010大阪

2010年5月3日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後6時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、読売日本交響楽団のコンサート、「シルヴァン・カンブルラン第9代常任指揮者就任披露演奏会」を聴く。タイトル通り、シルヴァン・カンブルランの読売日響第9代常任指揮者就任お披露目コンサートである。

フランス生まれのシルヴァン・カンブルランは特に近現代音楽の演奏に関しては当代屈指とされる名指揮者である。

曲目は、バルトークの「二つの映像」、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」というもの。名指揮者による興味深いプログラムのコンサートということで、ザ・シンフォニーホールは補助席まで出る盛況であった。


読売日本交響楽団は、私が初めて生で聴いた東京のオーケストラである。だが、久しくコンサートに接する機会がなく、実演に接するのは今日が18年ぶり2度目となる。

バルトークの「二つの映像」は、この作品のもつ諧謔性を着実に示した演奏であった。

モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。ほぼフル編成での演奏であったが、カンブルランは弦を弱めにし、スマートなフォルムを築くなど、大時代的な演奏とは一線を画す「ジュピター」を披露する。ただ、カンブルランが本当にやりたい演奏をするためには、読売日響の弦楽群に更なる洗練と透明さが必要な気がした。


メインのストラヴィンスキー「春の祭典」。
演奏開始早々、客席から巨大な鼾声が響き渡るというハプニングがあり、読売日響の金管奏者はそれに気落ちしたのか、精度は今一つ。ただ尻上がりに調子を上げ、重厚な名演となった。各楽器にはキレがあり、カンブルランの演出も巧みだ。ただ、一つ欲を言えば、弦に更なる力強さを望みたくなる。それが実現されれば、もう一段高いレベルに到達可能となるだろう。

アンコールは、ストラヴィンスキーの「サーカス・ポルカ」。鮮烈な演奏であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コンサートの記(490) 大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会「大植英次スペシャル」2010

2010年4月20日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールでの、大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会「大植英次スペシャル」を聴く。指揮はもちろん大植英次である。午後7時開演。

曲目は、ロッシーニの「泥棒かささぎ」序曲、ショパンのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:菊池洋子)、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。

古典的配置での演奏である。


ロッシーニの「泥棒かささぎ」序曲では舞台の両袖にスネアドラムをおいての演奏。大植はほとんど手を振らなかったり、背もたれに手を置いて目だけで指揮したり、かと思えば大袈裟に腕を振り回したりと、変幻自在の指揮ぶり。音楽も極端に音を引き延ばす箇所があるなど自在な作りであった。


ショパンのピアノ協奏曲第2番。ソリストの菊池洋子のピアノはマイルドな音が特徴。第2楽章のリリシズムも印象的だが、強奏の部分に少々乱暴さが感じられたのが玉に瑕だった。

大植に促され、菊池はアンコールとして、「子犬のワルツ」を弾いた。


チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。コントラバスを最後列に横一線に並べるという配置である。ゆったりとした冒頭は、真横に並べられたコントラバスが効果的。そこから加速するが、金管の精度がいかにも低い。第2主題も熱を帯びてはおらず、大植は相変わらずエンジンのかかりが遅いようだ。

最強音の部分に達してようやく大植にもエンジンが掛かり、巧みなオケ捌きが繰り広げられる。

第2楽章はたびたびテンポが変わるという、ロマン的な解釈だったが、不自然な感じはしなかった。

第3楽章は熱い演奏。今日は金管の出来が悪いが、それでも盛り上がる演奏で、楽章の終わりに拍手が起こった。

第4楽章も金管の精度の低さが気になったが、それなりに熱い演奏が展開される。ただ、大植ならもっと熱い演奏をするかと思ったが、案外、冷静さが保たれていた。最後のコントラバスのピッチカートは、コントラバス群が横一列に並んでいるだけに視覚的にも効果的であった。


アンコールとして、レナード・バーンスタインの「管弦楽のためのディヴェルティメント」より“ワルツ”が演奏された。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月 2日 (水)

コンサートの記(489) 漆原朝子&ベリー・スナイダー ロベルト・シューマン ヴァイオリン・ソナタ全3曲と3つのロマンス

2018年12月21日 京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタにて

午後7時から、京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタで、漆原朝子とベリー・スナイダーによるロベルト・シューマンのヴァイオリン・ソナタ全3曲と3つのロマンスを聴く。

漆原姉妹の妹さんである漆原朝子。以前、大阪倶楽部4階ホールで室内楽の演奏会を聴いたことがある。茂木大輔のエッセイに飛行機を止めたという話が載っていたっけ。

ベリー・スナイダーは、1966年にヴァン・クライバーン国際コンクールで3つの賞を獲得したことがあるというピアニスト。1970年よりイーストマン音楽院ピアノ科教授を長年に渡って務めたほか、マンチェスターのロイヤル・ノーザン・カレッジ・オブ・ミュージック、ロンドンのトリニティ・カレッジとギルドホールスクール、ポーランドのアカデミー・オブ・ミュージック、フライブルク音楽学校、ニューヨークのマンハッタンスクール・オブ・ミュージック、ミシガン大学、ヒューストン大学でマスタークラスを行っている。


曲順は、ヴァイオリン・ソナタ第1番、ヴァイオリン・ソナタ第3番、3つのロマンス、ヴァイオリン・ソナタ第2番。


ヴァイオリン・ソナタ第1番。ムラタホールの音響がシューマンをやるにはや乾き気味なのが難点だが、その後は耳も慣れて特に気にならなくなる。
最終楽章のドラマティックな展開が印象的である。


ヴァイオリン・ソナタ第3番。この曲では、漆原の高音の美しさが特に気に入った。


3つのロマンス。オーボエあるいはクラリネットもしくはヴァイオリンと伴奏ピアノのために書かれた作品である。ロマンスと聞いて想像するような愛らしさよりも深い思索を感じされる作品であるが、漆原は丁寧な演奏で聴かせた。


ヴァイオリン・ソナタ第2番。シューマンのヴァイオリン・ソナタの中では最もスケール豊かな作品である。第3楽章冒頭ではピッチカートが連続する部分があるなど、表現の幅も広い。漆原のヴァイオリンはスケールの大きさを感じさせ、展開も巧みである。

ベリー・スナイダーは、ソリストとしても活躍しているようだが、伴奏ピアニストとしてかなりの実力者のようで、上手く漆原を立てて丸みのある音できちんとした設計を行っていく。

音で読む叙事詩のような演奏会であった。


アンコール演奏。漆原は、「今日はお越し下さってありがとうございました。クララ・シューマンの3つのロマンスから第1曲」と言って演奏を始める。可憐な作品で、ロベルトとの作風の対比がよい効果を生む。

その後、「リーダークライス」第2集から第1曲と第12曲の編曲版が演奏された。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月 1日 (火)

初詣に行ってきました

初詣 豊国神社

今年も東山七条(より正確にいうと大和大路正面)の豊国神社へ。三が日だけは伏見城遺構と伝わる国宝の唐門をくぐって、拝殿の前まで進めます。このことは、次第に有名になってきたようで、お昼頃になると拝殿前に行列が出来ますが、今回は午前10時前に参拝したので空いていました。

祭神は、ご存じ豊臣秀吉公。奥さんである高台院(北政所、豊臣吉子、寧々、お寧、寧)さんを祀る摂社の貞照神社にも直接参拝出来ます。

その後、明治時代に豊国神社が復興するまでの間、密かに秀吉を祀っていたという新日吉神宮(いまひえじんぐう)へ。

徳川幕府によって豊国廟が廃された後、参道を塞ぐように移転した新日吉神宮。しかし、日吉という名(豊臣秀吉の幼名が「日吉丸」とされているが、秀吉は幼名をつけるような階級の出ではない)、お使いが「猿」であること、また秀吉が祀られたのが木下に繋がる樹下社であるということが符丁となっており、わかる人にはわかる目印となっていました。徳川幕府も気づいていたでしょうが、そこまで取り締まると島原の乱のような暴発になりかねないとわかっていたため、対策はしなかったのだと思われます。

樹下社は昨年の台風21号によって倒壊。今は復旧しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

あけまして

おめでとうございます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2018年12月 | トップページ