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2019年2月17日 (日)

観劇感想精選(291) 三浦春馬主演「罪と罰」

2019年2月9日 大阪の森ノ宮ピロティホールにて観劇

午後6時30分から森ノ宮ピロティホールで、「罪と罰」を観る。世界文学史上最も有名な小説の一つであるドストエフスキーの同名作の舞台化。上演台本・演出:フィリップ・ブリーン。テキスト日本語訳:木内宏昌。出演:三浦春馬、大島優子、南沢奈央、松田慎也、真那胡敬二(まなこ・けいじ)、冨岡弘、塩田朋子、粟野史浩、瑞木健太郎、深見由真、奥田一平、高本晴香、碓井彩音(うすい・しおん)、山路和弘、立石涼子、勝村政信、麻実れい。ミュージシャンとしての出演:大熊ワタル(クラリネット。バスクラリネットも演奏)、秦コータロー(アコーディオン)、新倉瞳(チェロ)。その他にチューブラーベルズなども演奏されるのだが、誰が担当しているのかはよく見えなかった。

残念なことに近くにいたおじさんが、第一幕の間ずっと大きないびきをかいて寝ていたことで(約1時間40分ほぼずっと休みなくである)、集中力が著しくそがれる。「こういう時こそ舞台上に集中」と思ったが、それが逆に良くなかったように思う。かなり大きないびきだったので、演じ手にも影響したかも知れない。少なくともやりにくくはあったはずである。

ドストエフスキーの『罪と罰』は、個人的には二十歳の誕生日を跨ぐ形で読んだことで記憶に残っている作品である。定番の一つである新潮文庫で読んだのだが、特に下巻は夢中で読んだことを覚えている。ただ、それ以降は一度も再読していない作品でもある。


キャストがほぼ総出演の中、ラスコーリニコフ(今回はラスコリニコフ表記が採用されている)が、己が何者かを問いながら登場する。特徴的なのは背後のアンサンブルキャストがいくつかの場面を除いて常にいて、ラスコリニコフの幻覚やサンクトペテルブルクの喧噪、暴力性、貧困などを表している点である。ブリーンは「欲望という名の電車」でも同じ手法を用いていたが、今回もラスコリニコフ個人ではなく、ロシアの引いては人間の業の物語として描く意図があるのだと思われる。

知性に自信を持つラスコリニコフ(三浦春馬)は、「特別な人間」であるとの自認を持っており、質屋の強欲老婆、アリョーナ(立石涼子)殺害を試みる。それ自体は許されることだと思っていたのだが、その場にアリョーナの義妹であるリザヴェータ(南沢奈央)が現れたため、計画外の二人目の殺人を犯すことに。そのため、ラスコリニコフは常に悪夢の中で過ごすような精神状態へと陥る。そんな時、ラスコリニコフは家族のための娼婦に身をやつしたソーニャ(大島優子)と出会い、心引かれていく。


ラスコリニコフの両手が常に血塗られているなど(彼自身の幻影であり、他の人からは見えないようである)、全面的に神経症的な匂いがするが、ラスコリニコフの内面を考えれば妥当な演出法である。

ドア1枚を用いて様々な部屋を描く手法が取り入れられている。ドアの陰に人が身を潜めている時もあり、さながら戸板のような使い方だ。後方に向かって段状に上っていくセットだが、机やマットレスなど、家具は最小限に留められており、そのことで瞬時に場面を転換出来るという良さがある。マットレスはアクロバティックな要素も含めて特に効果的に用いられている。


文学史上最も魅力的な悪役の一人であるラスコリニコフを演じた三浦春馬は、心の闇や奢り、意外な単純さといってラスコリニコフの魅力を過不足など描き出しており、熱演である。
今回最も良かったのは、つかみ所のない所のある国家捜査官、ポルフィーリを演じた勝村政信。倒叙ミステリーの要素を持つ原作でも重要な人物であるが、勝村は陽気さの背後に冷徹さを隠し、間抜けなんだか怜悧なんだかわからないポルフィーリ像を的確に立体化することに成功していたように思う。

久しぶりの女優復帰となった大島優子。佇まいは可憐で、声も輪郭がしっかりしているが、何故か密度不足で感情も乗り切らない。同世代の女優である南沢奈央がリザヴェータとドゥーニャの二役で熱演しており、分が悪いようだ。ただ身のこなしは軽く、セリフのないところの存在感はやはりAKBのセンターだっただけのことはある。

今回の演出では、有名な絵画作品に見立てられたのではないかと思われるシーンがいくつかあった。例えば「最後の晩餐」や「民衆を率いる女神」などである。「最後の晩餐」はストップモーションまで使って、それらしく見えるように工夫されている。
シベリア送りとなったラスコリニコフが十字架を背景にソーニャと向かい合うラストシーンは、マグダラのマリアとイエスに見立てられているように思われる。だとすればそこに暗示されているのは「再生」だろう。希望のあるラストで良かった。



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