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2019年4月の25件の記事

2019年4月30日 (火)

観劇感想精選(298)「伝統芸能の今」2014

2014年5月11日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後3時30分から京都芸術劇場春秋座で、「伝統芸能の今」2014を観る。「ゴールドリボン+世界の子どもにワクチンを」チャリティー企画である。今回は三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)に続き、春秋座の二代目芸術監督に就任した四代目市川猿之助によるプログラムである。出演は、市川猿之助の他に、上妻宏光(三味線プレイヤー)、茂山逸平(能楽師狂言方)、亀井広忠(能楽師囃子方)、田中傳次郎(歌舞伎囃子方)ら。

開演前に出演者がホワイエで、パンフレットを売ったり募金を募ったりしている。

まず、上妻宏光による津軽三味線独奏で、「津軽じょんがら節」、上妻の作曲による「紙の舞」(スパニッシュギターからの影響が感じられる曲である)。上妻の津軽三味線であるが、クラシックギター奏者でさえも凌ぐほど左手の動きが大きく、速い。人間の指の動きとは思えないほどに迅速である。
続いて、茂山逸平の舞と上妻宏光、亀井広忠、田中傳次郎によるコラボ奉納舞「三番三(さんばそう)」。茂山逸平の動きは極めてスムースであり、メリハリもくっきりしている。

次は、市川猿之助と上妻宏光、田中傳次郎による舞「空破(くうは)」。猿之助のしなやかな舞を堪能できた。

前半最後は、猿之助が二代目市川亀治郎時代に武田信玄役で出演した大河ドラマ「風林火山」にインスパイアされて、猿之助自身が振付を行った創作舞踊「風林火山」。上妻宏光の津軽三味線生演奏と、オーケストラ演奏の録音による大河ドラマ「風林火山」メインテーマ(作曲は、京都芸術劇場春秋座を持つ京都造形芸術大学の先代の学長だった千住博の実弟・千住明である)に乗せて猿之助が舞う。甲斐武田氏というと騎馬武者軍団が有名であり、荒事を取り入れた勇壮な踊りになるかと予想したが、実際はそれとは正反対のたおやかな舞いであった。

10分の休憩を挟んで、メインの4人によるトーク。福山雅治から贈られた襲名披露記念幕をバックに、会話が行われる。春秋座では、四代目猿之助の芸術監督襲名に当たり、イメージキャラクターを作ろうと企画が立ち上がり、瓜生山学園(京都造形芸術大学+京都芸術デザイン専門学校)の学生が描いたキャラクターの中から事前に11点が選ばれ、観客に投票用紙が配られて、良いと思ったキャラクターに投票して貰い、得票数の多かったキャラクター3つの中から猿之助自身が採用するものを決める。キャラクターというと可愛らしい画が採用されやすいので、造形大のマンガコースの学生が描いたものが多い。

トップ3は、エントリーナンバー1の源九郎狐をキャラクターにしたもの、エントリーナンバー5の鼓に猿の顔を描いたもの、エントリーナンバー10の猿之助が舞う姿をマンガタッチで描いたもの(マンガコースの学生の作品である)であった。
ドラムロール後に猿之助から発表が行われるのであるが、ドラムロールが太鼓によるもので、猿之助は「これじゃお化けだよ」と言う。
選ばれたのは情報デザインコースの女学生二人組の作成によるエントリーナンバー1の源九郎狐をモチーフにしたものであった。人間らしさが一番希薄なキャラクターではあるが、猿之助は「京都には伏見稲荷もあり、これが一番京都らしい」と選定理由を述べた(実際は、京都人の意識としては伏見稲荷はあくまで伏見のもので京都とは別というものも根強いようである)。

邦楽というものは、ミニマルミュージックに近いものがあり、同じ音型が何回も繰り返されるため、演奏する側も舞う側も「どこで終わるんだろう」と勘定を付けるのが難しいという。茂山逸平は笛の音型でどこまで進んだかを把握しているそうだ。上妻宏光は劇伴の経験は少ないが、「三番三」のラスト近くで狂言方が飛び上がる場面があるので、そこから推測しているようである。
ちなみに、チャリティーのために集まった募金額は、初日である昨日が48万円台、今日の第1回目の公演が47万円ちょっとであるが、今日2回目の公演となる今回は26万円程度しか集まっておらず、田中傳次郎は、「あと20万円ぐらい集まらないと、この後、猿之助さん出てきません」と言う(昨日と今日の1回目の公演は、休憩時間と終演後に行われた募金も多いだろうから、この回だけ吝嗇家が集まったというわけではないと思われる)。

後半、歌舞伎と狂言による「石橋(しゃっきょう)」。「石橋」は狂言と歌舞伎の両方であるが、内容は少し違う。今回は前半が茂山逸平による仙人を主人公にした狂言、後半が猿之助による浄土の獅子の舞となる。前半と後半に関連性が余りないが、ストーリーで魅せる作品ではないので特に気にはならない。
天竺から来た仙人(茂山逸平)が、唐の清涼山にある文殊菩薩の浄土の入り口に辿り着く。現世と清涼山の間にあるのが、自然が作り上げた石橋(しゃっきょう)だ。幅は一尺(約30cm)ほどしかなく、橋の上は苔むしていて鳥でさえ滑って留まることは出来ないという。仙人は石橋に挑もうとするが結局諦める。
その後、清涼山に住む獅子(市川猿之助)が現れ、蝶二匹(猿之助の弟子が務める)を従えながら舞う。春秋座は歌舞伎用の劇場なのでセリがあり、今回の「伝統芸能の今」2014ツアーの中で唯一、春秋座でだけ猿之助はセリを使って現れる。「石橋」は「連獅子」のモチーフになった作品だけに、猿之助は首を何度もグルグルと回して観客からの喝采を浴びた(猿之助自身が以前、テレビ番組で話していたことだが、「連獅子」をやると目が回ってしまい、終演後に嘔吐してしまうことも珍しくないという)。

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2019年4月29日 (月)

コンサートの記(551) ローム ミュージック フェスティバル 2019 「オーケストラコンサートⅡ 二大コンチェルトの饗宴~日下紗矢子・反田恭平 with 京都市交響楽団」&「リレーコンサートC 河村尚子ピアノ・リサイタル~偉大なるベートーヴェン~」

2019年4月21日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールおよびサウスホールにて

午後2時30分から、ロームシアター京都メインホールで、ロームミュージックフェスティバル2019 オーケストラコンサートⅡ「二大コンチェルトの饗宴~日下紗矢子・反田恭平 with 京都市交響楽団」を聴く。ロームミュージックフェスティバル2019の2日目にして楽日のオーケストラ公演。指揮は、2016年に行われたロームミュージックフェスティバルのタクトも執っている阪哲朗。ナビゲーターをフリーアナウンサーの朝岡聡が務める。反田恭平人気もあって、チケットは完売である。

曲目は、まずオッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲が演奏され、次いでメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番(原典阪)という二つのコンチェルトが登場する。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は「メンコン」の愛称で知られ、三大ヴァイオリン協奏曲の一つにも数えられる有名作だが、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番は取り上げられる機会が極めて希少な作品である。第1番から第3番までを収めた「チャイコフスキー ピアノ協奏曲全集」はいくつかあって、私はヴィクトリア・ポストニコワが夫君であるゲンナジー・ロジェストヴェンスキーの指揮で録音したものを千葉にいた頃に聴いているが、それでも聴いたのは2回程度、京都に来てからは聴いておらず、曲も忘れている。ということで事実上、初めて接することになる。YouTubeにはいくつか演奏がアップされていると思われるが、敢えて聴かずに出掛ける。


指揮者の阪哲朗は京都市出身。京都市立芸術大学音楽学部で作曲を専攻し、卒業後にウィーン国立音楽大学で指揮をレオポルド・ハーガーらに師事。1995年に第44回ブザンソン指揮者コンクールで優勝して一躍脚光を浴びている。欧州では一貫してオペラ畑を歩き、アイゼナハ歌劇場音楽総監督、レーゲンスブルク歌劇場音楽総監督などを務めている。コンサート指揮者としては客演が主で、これまで特にこれといったポストには就いていなかったが、この4月に山形交響楽団の常任指揮者となっている。


今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏である。どうも第2ヴァイオリンは今日は全員女性のようで、ありそうでなかなかない光景となった。小谷口直子は降り番だったが、それ以外は首席奏者が前半後半ともに顔を揃える。


オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲。阪哲朗はかなり細かな指示を京響に送る。指揮の動きがかなり細やかだ。
阪哲朗は若い頃はスケールが小さいという難点があったが、最近は音楽が徐々にではあるが拡がりを増しているように思われる。ただ、これまで何人もの指揮者を目にしてきたが、指揮棒を動かしすぎる指揮者は得てしてスケールが小さいように感じられる。楽団の自発性を引き出しにくいということが影響しているのだろうか。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストの日下紗矢子は、現在、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の第1コンサートマスターと読売日本交響楽団の特別客演コンサートマスターを務めている。

朝岡聡による楽曲の紹介があり、第1楽章の美しさ、第2楽章の希望、第3楽章の「天使が跳ねるような」快活さが語られる。

一週間前のスイス・ロマンド管弦楽団の来日演奏会で辻彩奈のソロによるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴いたばかりだが、日下のヴァイオリンは辻に比べて旋律を線として捉えることに成功しているように思われる。音色には艶があり、スケールが大きくて音の通りも良いが、ロームシアター京都メインホールは同じ永田音響設計が手がけた兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール同様、オーケストラよりもヴァイオリンの方が聞き取りやすいようである。
日下も京響も音色や曲調の変化の描き方に長けており、京都らしい雅やかな演奏となった。


チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番。まず朝岡聡が楽曲とソリストである反田恭平の紹介を行う。「今更申し上げるまでもないと思いますけれど」と前置きしての「今最も上り調子であるピアニスト」反田の紹介。高校在学中に第81回日本音楽コンクールで1位となり、チャイコフスキー記念モスクワ音楽院に首席で入学。現在はショパン音楽大学(旧ワルシャワ音楽院)で学んでいる。反田がTwitterやInstagramをやっているということで、このコンサートのために反田が書いた文章も朝岡は読み上げた。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番であるが、カデンツァがもの凄く、p(ピアノ)の指示が12個並ぶ。「pが弱く、ppがピアニシモ、pppがピアニシモシモ、12個だとなんと読むんでしょうか」。更にf(フォルテ)も9個並ぶことが紹介される。「このカデンツァを聴くだけでも来た甲斐がある」そうで、全曲を聴き終えたときには、「感動を通り越して衝撃。もしかしたら子孫末代に至るまでの語り草となる」というところで笑い声が起こったので、「いや、大袈裟じゃありません」と続けた。

その反田のピアノであるがとにかく巧い。巧すぎるといってもいいほどで、メカニカルな部分に関しては少なくとも実演に接したことのある日本人ピアニストの中では最高である。韓国人ピアニストのキム・ソヌクを京都市交響楽団の定期演奏会で初めて聴いた時も余りの巧さに驚いたのだが、それに匹敵するほどの超絶技巧の持ち主と見ていい。音にクッキリとした輪郭があり、いかなる時も音に淀みや歪みはなく、あるべき時にあるべき場所に音がはまっていく。シャープな感受性の持ち主であることも察せられ、まさに21世紀スタイルの日本人ピアニストの登場と書いても過言ではないほどだ。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番であるが、第1番とは違い、ニコライ・ルビンシテインから高く評価されている。初演もニコライがピアノを弾く予定だったのだが、それに至る前にニコライは逝去。初演はニコライの死の翌年にセルゲイ・タネーエフのピアノ、ニコライの兄であるアントン・ルビンシテインの指揮によってモスクワで行われ、大成功を収めた。ただ、その後、評価は落ちてしまったようである。
曲調や表情がコロコロと変わるため、作曲者の意図が今ひとつはっきりしないというのも理由の一つだと思われる。第2楽章でヴァイオリンとチェロのソロがピアノをそっちのけにして掛け合いを続けるというのもピアノ協奏曲としては奇妙である(第1楽章のカデンツァなどに超絶技巧が必要とされるため、ピアニストに休む時間を与えたと考えることも出来るように思う)。今日は泉原隆志とチェロの中西雅音(まさお)が情熱的なソロを奏でた。
反田の壮演に会場は沸きに沸き、スタンディングオベーションを行う人が多数。ポピュラー音楽のコンサート並みに盛り上がる。

最後に反田はピアノの蓋を閉じて、京響のメンバーの顔が見えるようにして拍手を送るというパフォーマンスを見せた。


次いで、午後5時30分から、サウスホールでリレーコンサートC「河村尚子ピアノ・リサイタル~偉大なるベートーヴェン~」を聴く。

曲目は、ピアノ・ソナタ第26番「告別」、ピアノ・ソナタ第27番、ピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」

現在、連続してベートーヴェンのピアノ・ソナタの演奏に取り組んでいる河村尚子。CDのリリースも始まっている。

今日は最前列。選んだのではなく、コンピューターが勝手に割り振った席である。クラシックのコンサートでは最前列は演奏者に近いがその割に音が飛んでこないので敬遠されることが多く、余り期待していなかったのだが、かなり音が良い。上からピアノの音が降ってくるような音響である。サウスホールはステージが高めなので、ピアノの蓋に当たった音が直接最前列に降りてきたのだと思われる。

河村尚子の描くベートーヴェンであるが、やはり凄い。壮絶である。反田恭平が天に羽ばたくようなピアノを弾くなら、河村尚子は地上を駆け抜ける駅馬車のような重厚なピアノで勝負する。表現の幅が広く、優れたピアニストが再創造者であることを確認させられるような優れたベートーヴェンであった。

今日はアンコールがある。河村が昨日一昨日とNHK交響楽団との共演で矢代秋雄のピアノ協奏曲を弾いたということで、矢代秋雄が書いた4手のためのピアノ曲「夢の舟」を岡田博美が2手のために編曲したものを弾く。友人であった三善晃の作品にも通じる穏やかな抒情美を讃えた作品であった。
 

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2019年4月28日 (日)

コンサートの記(550) ローム ミュージック フェスティバル 2019 「リレーコンサートB ローム ミュージック フレンズ 木管&弦楽スペシャル・アンサンブル」

2019年4月20日 ロームシアター京都サウスホールにて

午後6時30分からロームシアター京都サウスホールで行われるロームミュージックフェスティバル2019の室内楽公演「リレーコンサートB ローム ミュージック フレンズ 木管&弦楽スペシャル・アンサンブル」を聴く。前半が木管アンサンブルの演奏で、ロッシーニの歌劇「セビリャの理髪師」より「序曲」「第1幕アリア『陰口はそよ風のように』」「第1幕カヴァティーナ『私は町のなんでも屋』」(山本真編曲)とビゼーの「カルメン」組曲より「前奏曲」「セギディーリャ」「アルカラの竜騎兵」「闘牛士」「ハバネラ」「闘牛士の歌」「ジプシーの踊り」(山本真編曲)。後半が弦楽八重奏によるメンデルスゾーンのずばり八重奏曲変ホ長調。


前半の木管アンサンブルの演奏。出演は、濱崎由紀(クラリネット。東京藝術大学、上野音楽大学非常勤講師。藝大フィルハーモニア管弦楽団と横浜シンフォニエッタのクラリネット奏者)、吉岡奏絵(クラリネット。日本センチュリー交響楽団クラリネット奏者)、荒絵理子(オーボエ。東京交響楽団首席オーボエ奏者)、本多啓祐(オーボエ。東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団首席オーボエ奏者)、黒木綾子(ファゴット。ザルツブルク・モーツァルティウム管弦楽団ファゴット奏者)、岩佐政美(ファゴット。読売日本交響楽団ファゴット奏者)、高橋臣宜(たかはし・たかのり。ホルン。東京フィルハーモニー交響楽団首席ホルン奏者)、熊井優(ホルン・神奈川フィルハーモニー管弦楽団ホーン奏者)、そしてコントラバスの高橋洋太(東京都交響楽団コントラバス奏者)が加わる。

普段は別の楽団に所属している面々が、ロームからの奨学金を得ていたという繋がりで一堂に会して行う室内楽演奏会。各々が楽しそうに演奏しているのを見るのも喜びの一つである。


後半、メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲変ホ長調。出演は、島田真千子(ヴァイオリン。セントラル愛知交響楽団ソロコンサートマスター)、中島麻(ヴァイオリン。イルミナートフィルハーモニーオーケストラコンサートマスター)、青木調(あおき・しらべ。ヴァイオリン。NHK交響楽団ヴァイオリン奏者)、吉田南(ヴァイオリン。まだ学生だが、藤岡幸夫が司会を務める「エンター・ザ・ミュージック」に単独ゲスト出演して藤岡に絶賛されている)、金丸葉子(ヴィオラ。ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団ヴィオラ奏者)、須田祥子(ヴィオラ。東京フィルハーモニー交響楽団首席ヴィオラ奏者)、横坂源(チェロ。ソリストとして活躍)、渡邊方子(わたなべ・まさこ。NHK交響楽団チェロ奏者)。

メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲は、私が最も好きな室内楽曲の一つだが、弦楽奏者8人が必要ということで(編成も弦楽四重奏団2つ分である)実演に接する機会は余り多くない。
チェロ奏者2人以外は立ったままでの演奏である。
メンデルスゾーン16歳時の作品であるが、ほとばしるような旋律、陰影の濃さなど「モーツァルトを凌ぐ神童」といわれたメンデルスゾーンの才能が脈打っているのが感じられる。
実演ということで音の受け渡しを目で確認出来るのも面白い。

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2019年4月27日 (土)

コンサートの記(549) 秋山和慶指揮 京都市交響楽団第576回定期演奏会

2014年2月23日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第576回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はベテランの秋山和慶。1941年生まれで桐朋学園大学音楽学部を卒業(6歳年上の小澤征爾の時代には桐朋学園に四大はなく、短大しかなかったので、小澤の短大卒業直後に改組が行われたのだと思われる)、東京交響楽団を指揮してデビューし、その後、東響とは音楽監督・常任指揮者として40年以上に渡ってコンビを組むことになる。
一方、北米でも活動を行い、トロント交響楽団副指揮者を皮切りに、アメリカ交響楽団音楽監督、バンクーバー交響楽団音楽監督(現・桂冠指揮者)、シラキュース交響楽団音楽監督(現・名誉指揮者)など、カナダとアメリカで活躍している。
近年は、日本の地方オーケストラの涵養に力を入れており、広島交響楽団音楽監督・常任指揮者を務め(2008年に広島市民賞受賞)、ついこの間まで九州交響楽団の首席指揮者でもあった(現・桂冠指揮者)。中部フィルハーモニー管弦楽団という歴史の浅いオーケストラのアコースティック・ディレクター兼プリンシパル・コンダクターの座にもある。

プログラムは、メルキュールのオーケストラのための「トリプティーク」、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番(ピアノ独奏:児玉桃)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。「春の祭典」はいくつか版があるが、今日は短めの版を使っていたことだけは間違いない。


2時10分から、司会者と秋山和慶によるプレトークがある。映画「ファンタジア」や「オーケストラの少女」などでも知られる指揮者のレオポルド・ストコフスキーが来日して読売日本交響楽団を指揮した時のこと。本番を終えて、ホテルでテレビを見ていたストコフスキーがクラシックの番組に出て指揮をしていた秋山を発見。ストコフスキーは、一目で秋山の素質を見抜き、「こいつは誰だ? アメリカに呼んでこい」とお付きの人に命令したという。秋山はストコフスキーが創設したアメリカ・シンフォニー(アメリカ交響楽団のこと)に2、3度客演し、その後、ストコフスキーの後を襲ってアメリカ・シンフォニーの2代目の音楽監督に就任したという。ストコフスキーが秋山の映像を見て感服したのはわけがあり、秋山は齋藤秀雄の愛弟子であり、齋藤メソッドを本人から直接たたき込まれていて、無駄のない均整の取れた指揮をすることが可能だったのである。齋藤メソッドの教則映像は今でも出ているが、そこに秋山は出演しているそうだ。

 

メルキュールはカナダ人の作曲家である。秋山がバンクーバー交響楽団の音楽監督をしていた時代にその存在を知ったそうで、交通事故により38歳の若さで世を去った作曲家だという。1927年生まれで、現役の音楽家でいうと、ヘルベルト・ブロムシュテットと同い年ということになる。カナダのフランス語圏であるケベック州に生まれ育ち、ケベック音楽院の他にパリ音楽院でも学び(パリの水は合わなかったそうだ)、ニューイングランドのタングルウッドでは十二音技法も学んだが、懐疑的だったのか作曲に取り入れることはなかったという。だからといって保守的な作曲家というわけではなく、秋山によるとオーケストラのための「トリプティーク」は二部構成だが、一部と二部の間に鏡を置いたように、二部は一部の逆構成になっているという。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」について秋山は、「今はオーケストラのメンバーも素知らぬ顔で演奏していますが、初演のえらい騒ぎだった」と音楽史上に残る大スキャンダルについて触れる。「生卵がステージに投げ込まれたそうで、今日は生卵を投げつけられることはないと思いますが」と語る。
ストラヴィンスキー作曲のロシア・バレエ団による「春の祭典」は、セルゲイ・ディアギレフの主催、ヴァーツラフ・フォミッチ・ニジンスキーの振付、ピエール・モントゥーの指揮により、シャンゼリゼ劇場で行われたが、ストラヴィンスキーの音楽が始めると同時に客席がざわつきだし、やがて怒号や口笛、嘲笑などで劇場は満たされたという。ストラヴィンスキーの音楽についてサン=サーンスは「ファゴットの使い方を知らない奴が現れた」と不快感を示しており、音楽的にも型破りで理解されにくかったことがわかるが、音楽以上に原始時代を舞台にした生け贄の儀式を描いたストーリーが問題だったようで、オーケストラ演奏のみによる「春の祭典」初演は成功している。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。渡邊穣がフォアシュピーラーに回る。首席クラリネット奏者の小谷口直子は前後半共に出演。首席フルート奏者の清水信貴と首席オーボエ奏者の髙山郁子は後半のみの出演である。

 

メルキュールのオーケストラのための「トリプティーク」。冒頭は武満徹の作品を思わせる弦楽による美しいハーモニー奏でられ、それから伊福部昭のようなプリミティブな迫力に満ちた音楽となる。いずれも日本人作曲家の名前で例えることが出来るが、それだけ日本人のクラシックファンに取っては受けいれやすい音楽だということである。秋山も「これは日本でも受ける」と思って取り上げたのであろう。第二部は勢いよく始まり、徐々にディミニエンドして、冒頭の弦楽合奏で終わる。本当に鏡を真ん中に置いたような構成である。
秋山の指揮は端正で明快。どの楽器に何を望んでいるのかが手に取るようにわかる。齋藤メソッドの威力は伊達ではないようだ。

 

モーツァルトのピアノ協奏曲第23番。ピアノ独奏の児玉桃は、幼少時にヨーロッパに渡り、現在もパリ在住で、日本生まれで国籍も日本だが中身はヨーロッパ人という、かなりありがちな背景を持つ人である。ただ、近年は日本で演奏することも多く、ここ1年間でも何度も彼女のピアノをコンサート会場で聴いている。
児玉の武器は煌めくようなタッチであり、今日も輝かしいモーツァルト演奏が展開される。孤独感が滲む第2楽章も単にセンチメンタルなだけでなく、思索しながら歩いているような深みのある音楽を生み出していた。
秋山クラスなら、ピリオド・アプローチとは無縁だろうと思っていたが、弦楽の響きは旧来のロマンスタイルではなくタイトであり、秋山であってもピリオドに無関心ではいられないほどピリオドは世界的に広まっているようである。中編成での演奏であったが、ヴァイオリンは第1第2共に10人と多めなのに対し、ヴィオラとチェロは6、コントラバス3など、低弦はかなり刈り込んだ不思議な編成での演奏となった。

 

ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。安定感抜群の演奏が展開される。初演の際に聴衆に衝撃を与えた「春の祭典」も今では現代音楽の中の古典。エンターテインメント音楽である。
秋山は京響の威力を存分に発揮させつつ、力尽くにはならない上品な演奏を繰り広げる。輝かしく、美しく、迫力にも欠けない演奏であった。

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2019年4月25日 (木)

コンサートの記(548) 小林研一郎指揮 京都市交響楽団第575回定期演奏会

2014年1月24日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第575回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は今や日本人指揮者界の大御所的存在になった小林研一郎。熱狂的な信者と異端の指揮者扱いするアンチがいるという、一人AKBのような指揮者である。「炎のコバケン!」のキャッチコピーでお馴染みの情熱的な音楽作りをする人だ。東京藝術大学作曲科を卒業後、同大学指揮科に再入学。東京藝術大学には編入制度はないため、1年間、受験勉強をして一般入試を受けての再入学であった。というわけで、大学卒業時には27歳になっていた。当時は今よりも指揮者コンクールの受験資格が厳しく、25歳以上はお断りだったのだが、1974年に始まることになったブダペスト国際指揮者コンクールは25歳以上でもOKだったため、それを受けて優勝。以後、ハンガリーとは長い付き合いが始まる。ハンガリー国立交響楽団(現・ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)の音楽総監督を長きに渡って務め、1985年から2年間だけだが京都市交響楽団の常任指揮者も務めている(当時は出雲路にある練習場が出来る前で、廃校になった小学校を練習場にしていたのだが、冬になるとすきま風がとても寒かったと、小林は後に記している)、90年代には東京のオーケストラの中で財政的に最も苦しかった日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を引き受け、レベル・アップに貢献している。

プログラムは、ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(通称:メンコン。ヴァイオリン独奏:三浦文彰)、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」(パイプオルガン独奏:長井浩美)。

ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲。個人的には余り好きな曲ではないのだが、何故か京響のプログラムには良く載る曲である。小林は指揮棒を振るのではなく、右手を下からサッと差し出し、ホルンにスタートの合図を送る。
今日の小林は、握る箇所のかなりしっかりとした独自の指揮棒を使用。握る部分だけ見ると、ラケットのそれのようである。
京響は、クリアで立体感のある音を奏でる。まずは上々の滑り出しである。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストの三浦文彰は1994年生まれの若手。両親ともにヴァイオリニストという家庭に生まれ、3歳からヴァイオリンを始める。2006年にユーディ・メニューイン国際ヴァイオリンコンクール・ジュニア部門2位。2009年にはハノーファー国際コンクールに史上最年少で優勝。才能を買われて、NPO法人イエロー・エンジェルからJ.B.Guadagniniという名器を貸与されている。
その三浦のヴァイオリンであるが、音はゴージャスというかジューシーというか、華麗で肉厚でありながら決して重苦しくはならない。まだ頭の中にある楽譜をなぞって弾いている感じで、再創造の領域には達していないが、この若さでこれだけの音楽が生み出せるなら大したものである。
コバケンさんの演奏会には、コバケン信者も当然ながら詰めかけているので、普段の演奏会よりも盛り上がる。
三浦は、ヴュータンの「ヤンキードゥードゥル」を弾く。序奏の後で、「アルプス一万尺」の変奏曲が奏でられるというものである。メンデルスゾーンでは表現面で難しいものがある(メカニック面もそうだが、過去の大ヴァイオリニストが弾いていて録音もしているので、どうしても比較される)が、ヴォータンの作品では技巧一本勝負。三浦は聴衆を圧倒する。

サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」。京都コンサートホールにはパイプオルガンがついているので、この曲に接する機会も多い。
小林と京響は、オルガンなしで、オルガンに近い響きを作り上げる。その後、力強さが加わり、弦は熱演で少し濁るが、代わりに金管が透明感ある音を築く。
第1楽章第2部で、オルガンが入ると、弦も澄んだ感じを取り戻す。小林の歌は良く言うと日本的、悪く言うと演歌調である。彼個人の資質なのか、彼が生まれた年代の影響なのかはよくわからない。
第2楽章の入りも他の指揮者とは違う(第1部では唸り声もかなり聞こえた)。いずれにせよサン=サーンスよりは小林研一郎の存在を強く感じさせる演奏であった。

私の好みとは異なるサン=サーンスではあったが、コバケンさんの力演を堪能することが出来た。

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これまでに観た映画より(125) 「がんになる前に知っておくこと」

2019年4月18日 京都シネマにて

午後5時55分から京都シネマで「がんになる前に知っておくこと」を観る。がんの医療関係者などに女優でピアノ講師などもしている鳴神綾香がインタビューするスタイルで撮られたドキュメンタリー映画。三宅流監督作品。プロデューサーの上原拓治が4年前に義妹をがんで亡くしたことから制作を決めた映画である。
オープニングとエンディング曲は、J・S・バッハの「ゴルトベルク変奏曲」よりアリア。鳴神綾香が演奏しており、演奏風景を収めたシーンもある。

二人に一人がかかる癌。日本人の死亡率トップの病気である。でありながら癌に関する知識は十分という人を余り見かけないのが現状である。私自身も癌の家系ではなく癌で亡くなった親族が少ないということもあって、全くといっていいほど知識を持ち合わせていない。
数年前に胸にしこりを感じ、乳がんを疑った鳴神。幸い良性であったが、癌に対する恐怖を感じたということでナビゲーターに選ばれている。
癌の治療に携わる外科医、放射線腫瘍医、癌の専門医である腫瘍内科医、癌の研究医、癌治療の緩和ケアを行う緩和医療医、更にがん専門看護師、がん相談支援センター相談員、癌経験者によるピア・サポーター、癌経験者などに鳴神が話を聞いていく。癌をめぐる多くの人々の話を聞くことで複数の視座と立体感を得ることに成功しており、また順番も工夫されていて、例えば複数の人が口にする「緩和ケア」についての情報を観る者に十分に与えるため、まず緩和医療医の話を流すことで、他の人やほとんどの日本人が抱いている緩和ケアに対する誤解などがわかるようになっている。

正しい知識を伝えることの大切さも語っており、例えばインターネット上には様々な情報が乗っているが、国立がんセンターなど確かな情報を載せているサイトを閲覧することが重要で、そうでないと効果のない療法にはまってしまう危険性がある。また、がん相談支援センターというものが日本全国の病院に約400ほど設置されているそうで、その病院の患者でなくても相談出来るようになっている。

癌に携わる医師に共通することは、「治せばいい、生きられればいい」ではなく、「いかに癌と生きていくか」を考えているということである。癌になったら死ぬだけというのは30年前の考えだそうで、今は癌と共存する時代だそうである。癌の治療をしながら働いてい生きていけることが可能になっているそうで、今なお「癌になったら終わり」というイメージが流布してしまっているのはマスコミにも責任があるそうだ。
感じるのは、「癌と生きる哲学」。複数の治療法が提案可能な時代であり、敢えて治療をしないという選択肢もあるという。ただ、個人的に「もう年だから何もしなくていい」と考えても、家族と医師による話を聞くことで考えが変わったりもするようである。
治療しても他に影響が出てしまって、それがクオリティ・オブ・ライフ(QOL)が低下するようでは本末転倒でもあり、医師や医療従事者が「何を優先するか」を患者と話し合うことで決めるというスタイルが取られている。ちなみに「ライフ」は「生活」という意味でとらえられることが多いが、「人生」という意味もあり、「癌になってもいかなる人生を設計するか」がこれからの癌治療では重要になってくる。
癌を経験しても希望を捨てずに生きている人も何人も登場し、「癌=終焉」ではないことを教えられる。
どうも「癌患者は癌患者らしくしなければならない」という思い込みと押しつけがまかり通っているようで、本人が率先してそうした考えに囚われてしまうケースが大半のようなのだが(仏教でいうところの「無縄自縛」である)、「押し込められた人生観」から自由になることは癌に罹患していなくても重要であるように思われる、というよりそうした姿勢でいることが癌に対する心構えにも繋がっているようだ。


帰り道の四条通は華やいでおり、気候の良さも相まって夢の中を歩いているような気分になる。

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2019年4月24日 (水)

スタジアムにて(15) 日本女子プロ野球 京都フローラ対埼玉アストライア 2019.4.11

2019年4月11日 西京極のわかさスタジアム京都にて

日本女子プロ野球、京都フローラ対埼玉アストライアの試合を観戦する。午後6時30分プレーボール。

京都フローラの先発は、レイアを経てフローラに昇格したばかりの左腕、今井巴菜(はな)。埼玉アストライアの先発は、フローラから移籍した177㎝の長身、古谷恵菜。

ここまで7勝1敗と好スタートを切っているフローラ。1つぐらい負けても惜しくはないということではないだろうが、雨で中止となった昨日の先発である今井をスライド登板させている。
アストライアは昨日の先発であった水流麻夏(つる・あさか)をスライドさせることはなかった。

試合は、アストライアペースで進む。2回表にアストライアは先頭のみなみがショートへの内野安打で出塁。みなみはこれが通算100安打目となった。今井志穂へのフォアボールで一二塁となり、只埜の送りバントで一死三塁二塁。ここで山崎がタイムリーを放って先制。

3回表には先頭の田口紗帆がレフトラッキーゾーンに飛び込むホームランを放つ。

4回表には中田のタイムリーで3点目を挙げ、フローラ2番手の小西美加からも加藤がタイムリーを放って4-0とリードする。

今井巴菜は、MAX119キロながら大半は110キロ台前半で、コントロールも甘めであった。

一方、アストライア先発の古谷は、長身から投げ下ろすMAX121キロのストレートにチェンジアップとスローカーブを織り交ぜたピッチングで好投を見せるが、5回裏に4連打を浴び、4-3と1点差に追い上げられたところで降板。アストライアの2番手は、レイアから昇格の山口千沙季。日本女子プロ野球初のアンダースローのピッチャーである。
その山口であるが、流れを止められず、同点に追いつかれる。アンダーハンドとはいえ、ストレートが90キロ台で、変化球が70キロ台では球が遅すぎるようにも思える。

フローラは6回表を変則右腕の三輪で0点に抑える。
その裏、アストライアの3番手としてマウンドに上がったのは、野手としても活躍している「えびちゃん」こと海老悠(えび・はるか)。フローラの先頭、三浦伊織をサードゴロでアウトにするが、フローラの川口知哉監督からリプレイ検証のリクエストがあり、結果、ファーストの足が塁から離れていたということでセーフとなる。
今年から女子プロ野球でもリプレイ検証がスタートしたが、今日は3回にも三浦伊織の二盗を巡って、アウトの判定がリクエストで覆っており、今日はいずれも三浦伊織のプレーが絡むことになった。
続く厚ヶ瀬もヒットで続き、3番の松村珠希の当たりは左中間を破って仮設フェンスに達する2点タイムリーツーベース。フローラが6-4と勝ち越しに成功する。
3塁側のアストライアのブルペンでは、水流麻夏が慌てて投球練習を再開するが、今日の登板は見送られたようで、フローラの攻撃が終わる前にベンチに引き上げた。

最終7回裏のマウンドを任されたのは森若菜。今日のMAXは125キロ。あっさりと3人で片付け、京都フローラが逆転勝利を飾った

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2019年4月22日 (月)

観劇感想精選(297) パルコ・プロデュース2019「母と惑星について、および自転する女たちの記録」(再演)

2019年4月13日 左京区岡崎のロームシアター京都サウルホールにて観劇

午後6時からロームシアター京都サウスホールで、パルコ・プロデュース2019「母と惑星について、および自転する女たちの記録」を観る。作:蓬莱竜太、演出:栗山民也。出演:芳根京子、鈴木杏、田畑智子、キムラ緑子。
2017年に初演された作品であり、第20回鶴屋南北戯曲賞を受賞している。

長崎とトルコ・イスタンブールの場面を行き来しながら描かれる女優四人の芝居。いくつかの事例から、この作品が蓬莱竜太流「三人姉妹」の翻案であることが察せられる。

 

辻美咲(田畑智子)、優(鈴木杏)、シオ(芳根京子)は峰子(キムラ緑子)の娘である。父親は物心ついた頃にはすでに蒸発しており、不明だ。
長崎市内の自身が経営するバーで、庄野真代の「飛んでイスタンブール」をよく歌っていた峰子が死んだ。三人の娘は、母親の遺骨を散骨するためにイスタンブールに来ている。軍楽が響く街(実際にイスタンブールに行ったことはないが、おそらく今のイスタンブールでは実際に軍楽を聴くことはないと思われる)。
美咲はバザールで4000トルコ・リラの絨毯を買ったのだが、桁を一つ誤魔化されており、実際はクレジットカードで4万トルコ・リラ(約200万円)を支払っていた。雑誌にエッセイや旅行記などを書いているフリーライターの美咲は貯金が少なく、これでほぼ一文無しとなってしまう。
優はバンドマンで派遣社員をしている男と結婚したのだが、以前からの願いで専業主婦をしている。お相手は月一でバンドライブを行っているのだが、売れていないので儲かるどころかやるたびに借金が膨らんでいる。
美咲が東京の大学に進学し、優も東京を出て行った後も長崎に残って峰子の世話をしていたシオは、町の売店で働いているのだが、当然ながらお金になる仕事ではない。
三人の母親の峰子は、社会的には破綻した女性であり、三人の娘を生んだのも、自分が好きなところに飛んで行ってしまわないよう「重石」とするためだった。
峰子の遺骨を撒く場所を探して、三姉妹はイスタンブールを彷徨うのだが、そのうち、誰からともなく母親の幽霊を見たと言い出して……。

三女のシオを演じる芳根京子がストーリーテラーを兼ね、長女の美咲役の田畑智子や次女の優役の鈴木杏も峰子との思い出などを語ったり、録音された声がエッセイの題材や独り言として流れたりする。更に優は旦那にLINEを打って現状報告、ということで語りが多すぎるきらいはある。
内容もどちらかといえば映像作品にした方が映える種類のもので、最も見せ場の多い芳根京子の演技も表情をクルクル変えるなど映像向きである。そのため、「これが演劇である必要があるのか」という疑問も浮かばないではなかったが、ストーリー展開は好感の持てるものであり、四人の女優の熱演もあって満足のいくものに仕上がっていた。

次女が突然、「働く」と言い出したり、ラスト付近で行進曲が奏でられたりするのが、チェーホフの「三人姉妹」へのオマージュだと思われる。ロシアの田舎町からではなく母親から旅立って行く「三人姉妹」の物語だ。

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2019年4月21日 (日)

第70回京おどり 「夢叶京人形」全八景 2019

2019年4月15日 宮川町歌舞練場にて

第70回京おどりを観る。宮川町歌舞練場にて午後4時30分開演の回。
今年のタイトルは「夢叶京人形」全8景。作・演出:北林佐和子、作曲:今藤長十郎、作舞:若柳吉蔵。第1景から第4景までが「不思議の国の京人形」、第5景が「弥栄(いやさか)の春」、第6景が「天下(あめのした)祝い唄」、第7景が「秋の音色」、第8景がお馴染みの「宮川音頭」である。

「不思議の国の京人形」は、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』をベースに歌舞伎「京人形」を組み合わせた舞踊劇であるが、男と女が主人公になることや姿格好などから泉鏡花の『天守物語』(変換したら「店主物語」となった。なんだそりゃ?)を連想させる作品である。関係があるのかどうかは知らないが、第4景では姫路城の天守も現れる。
真夜中。城の中の人形の間で、太夫、藤娘、汐汲、娘道成寺の4人(?)の人形が舞い遊んでいる。そこへお小姓の仙千代がやってくる。仙千代は幼い姫とまりをついて遊んでいたのだが、まりをなくしてしまい、姫は大泣き。まりを見つけられなかった時は切腹と決まったため、この部屋に探しに来たのだ。人形たちは仙千代を哀れに思い、一緒に城内を探し回ることにする。

花札の絵から飛び出してきた小野道風なる人物と加留多遊びをすることになったり、チェシャ猫にあたる猫の君やまぼろし姫たちとまりの奪い合いをするというファンタジックな物語である。
巨大なまりが左右に揺れたり(あさま山荘事件とは無関係だと思われる)、加留多の絵の描かれた戸板返しが行われたりと、趣向も面白い。
物語のある舞は宮川町が本場であり、祇園甲部よりも見せ方が優れているように思われる。

「弥栄の春」では、芸妓たちが鈴を鳴らしながら平成と新元号・令和の御代を祝い、「天下祝い唄」に繋がっていく。日本地図の描かれた襖が現れ、「目出度の若松様よ」と「花笠音頭」の東北、祇園や清水という京名所、義経と静御前ゆかりの吉野の桜などがうたわれる。

舞妓たちが総登場の「秋の音色」。舞では芸妓には及ばないかも知れないが、場内の雰囲気をガラリと変える新鮮な空気が秋に繋がる。

「宮川音頭」。総踊りである。儚さを通り越して悲しさを感じるのは、五花街のおどりの中で京おどりだけかも知れない。
美しいが夢だとわかっている夢を見ているような気分になる。

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コンサートの記(547) 飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団特別演奏会「~輝かしい未来への序章~」

2014年1月9日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、日本センチュリー交響楽団特別演奏会「~輝かしい未来への序章~」を聴く。指揮は今年4月から日本センチュリー交響楽団の首席指揮者に就任する飯森範親。飯森の事実上のお披露目公演である。

曲目は、和田薫の「チェロのオーケストラのための祷歌(とうか)」(日本初演。チェロ独奏:新倉瞳)、シューマンのチェロ協奏曲(チェロ独奏:新倉瞳)、マーラーの交響曲第1番「巨人」

今シーズンまで日本センチュリー交響楽団の音楽監督を務めていた小泉和裕と同首席客演指揮者であった沼尻竜典は共に任期満了で退任する。二人とも悪い指揮者ではないが、中編成のオーケストラであるセンチュリー響の良さを生かすプログラミングが出来ていなかった。その点、飯森範親はピリオド・アプローチにも長けており、やはり中編成のオーケストラである山形交響楽団の音楽監督も務めているということで期待の出来る人選である。飯森とセンチュリー響は4月にブラームス交響曲チクルスを行い、その後も、マーラーをシリーズで取り上げるほか、いずみホールでは、J・S・バッハ、ハイドン、モーツァルトという「こういう曲をやって欲しかったんだよセンチュリーには」という曲に集中して取り組む。

また沼尻の後任としてアラン・ブリバエフが首席客演指揮者に就任。色彩豊かな作品を取り上げる。

演奏前に飯森範親によるプレトークがある。飯森は「演奏前のプレトークというのは私が山形交響楽団の演奏会前に始めたものでして、今では多くのオーケストラで行われている。私は真似されたわけですが」というユーモア混じりの言葉で語り出し、和田薫の「チェロとオーケストラのための祷歌(とうか)」が日本初演だということで、作曲家の和田薫もステージ上に招いて作品について語って貰う。ケルンのWDR交響楽団(西部ドイツ放送交響楽団、旧・ケルン放送交響楽団)の委嘱により作曲された曲であり、最初は「『五木の子守歌』のように日本情緒溢れる曲を書いて欲しい」という依頼だったというが、チェロの形は女性のボディに似ているということで、憑依した巫女の歌のようなシャーマニズムを意識して作曲したという。世界初演時は男性チェリストだったので、巫女という感じではなかったが、今日は女性奏者である新倉瞳がソリストということで期待しているとのことだった。

新倉瞳について飯森は大学(桐朋学園大学)の後輩で、今はスイスのバーゼルに住んでおり、優れたチェリストだと紹介する。


和田薫の「チェロとオーケストラのための祷歌(とうか)」。「祷歌」とは和田薫の造語である。ソリストの新倉瞳は鮮やかなピンクのドレスで登場。まず新倉が弾く、チェロの緩やかで繰り返される波のような音型でスタート。拍子木が打ち鳴らされるなど、日本的なテイストも十分である。曲調もわかりやすい。二部に入ると今度はチェロが同じ音型を繰り返し、それがチェロとオーケストラに受け継がれてスピード感あるミニマルミュージックとなる。面白い曲であった。


シューマンのチェロ協奏曲。交響曲の時は、ウィリアム・シューマンがいるため、ロベルト・シューマンと必ず書くが、その他の分野ではウィリアム・シューマンは余り活躍していないので、シューマン=ロベルト・シューマンでいいだろう。
チェロ協奏曲の中ではドヴォルザークのものが圧倒的に有名で、演奏されることも多いのだが、シューマンのチェロ協奏曲もそれに次ぐ人気ではある。ただドヴォルザークとシューマンの差は激しい。ドヴォルザークのチェロ協奏曲は演奏プログラムに載ることも多いし、録音も多い。おまけに「エヴァンゲリオン」シリーズで取り上げられており、「ロケみつ」でも毎週のようにチェロによる主旋律が奏でられる。一方で、シューマンのチェロ協奏曲はキャッチーなメロディーには欠ける。

シューマンのチェロ協奏曲は3つの楽章が切れ目なく演奏される。第2楽章はそれなりに魅力的だが、他の楽章はドヴォルザークに比べるとかなり旗色が悪い。比較以前に曲としての力も今一つのような気がする。
新倉瞳は良くも悪くも練られた美しい音を奏でるチェリストである。力強さもあり、今後に期待が持てる。


メインであるマーラーの交響曲第1番「巨人」。中編成のオーケストラである日本センチュリー交響楽団の利点を生かした見通しの良い演奏が展開される。
冒頭の張り詰めた弦の音色から雰囲気満点であり、その後も飯森のオーケストラドライブの巧みさが光る。飯森は盛り上がろうとするオーケストラに左手で「抑えて」という指示を出し、クライマックスに至る前までに力が出すぎてしまうのを避ける。
センチュリー響は弦、管ともに優れている。今日は特にホルンの出来が良かった。
第4楽章でトランペットがちょっともたついたところがあったが、それ以外は万全の合奏力。日本センチュリー交響楽団は大阪のオーケストラの中で間違いなくAクラスに入るオケであることを今日の演奏会でも示した。

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2019年4月20日 (土)

コンサートの記(546) ジョナサン・ノット指揮スイス・ロマンド管弦楽団来日演奏会2019大阪

2019年4月14日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、スイス・ロマンド管弦楽団の来日演奏会に接する。指揮はスイス・ロマンド管弦楽団の音楽・芸術監督で、東京交響楽団の音楽監督として日本でもお馴染みのジョナサン・ノット。

スイス・フランス語圏を意味するスイス・ロマンド管弦楽団。ジュネーヴに本拠地を置くオーケストラだが、最近ではローザンヌにも拠点を持っているようである。
エルネスト・アンセルメによって結成され、英DECCAにフランスものを中心とした録音を行い、一躍名声を得たスイス・ロマンド管弦楽団。ただアンセルメとの来日演奏会は不評で「レコード美人」などと叩かれたこともある。アンセルメの後は、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキの師として知られるパウル・クレツキの時代を経て、ウォルフガング・サヴァリッシュ、ホルスト・シュタインというNHK交響楽団の名誉指揮者が立て続けにシェフとなって日本でも親しまれたが、この時期は同オケの低迷期とされている。ただ、ドイツ人指揮者を続けて招いたことでレパートリーは広がり、演奏能力も大幅にアップしたそうである。
1985年から12年間に及んだスイス人指揮者であるアルミン・ジョルダンとのコンビは評価も高く、録音も数多く発表。アルミンはやや地味だったが、フランスものでの評判を取り戻している。ファビオ・ルイージ、ピンカス・スタインバーグ、マレク・ヤノフスキ、ネーメ・ヤルヴィといういずれも日本で活躍している指揮者の時代を経て2017年からノットの時代に入った。昨年、2018年には結成100周年を迎えている。

特にマーラーの解釈者として評価の高いジョナサン・ノット。ケンブリッジ大学で音楽学を学んだ後、マンチェスターの王立ノーザン音楽院で声楽とフルートを専攻し、ロンドンに出て指揮を学ぶ。ドイツの歌劇場でキャリアをスタートさせ、2000年にはバンベルク交響楽団の首席指揮者に就任し、レコーディングをスタートさせて各国で評判を得ている。
今から15年前になる2005年に、京都コンサートホールで行われたバンベルク交響楽団の来日公演でノットの指揮に接している。当時はCDも輸入盤しか出ていない状態でノットの知名度は低く、京都コンサートホールの客席は半分ぐらいしか埋まっていなかったが、マーラーの交響曲第5番の名演奏で聴衆を圧倒している。東響の指揮者となった今では日本で最も知名度の外国人指揮者の一人だ。


曲目は、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:辻彩奈)とマーラーの交響曲第6番「悲劇的」


弦はヴァイオリン両翼の古典配置を採用。管は現代配置が基本で、ティンパニが指揮者の正面に来るのもモダンスタイルである。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストの辻彩奈は現在売り出し中の若手ヴァイオリニスト。1997年、岐阜県生まれ。2016年のモントリオール国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門で1位となり、一躍有名となったシンデレラガールである。

辻は磨き抜かれた豊穣な音色を聴かせる。一音一音を大切に奏でるが、その分近視眼的になって、全体として一本調子になってしまうのが若さを感じさせる。

ノット指揮のスイス・ロマンド管は、木管を強めに吹かせるということもあって、ロマンティシズムを抑えてすっきりとした伴奏を聴かせた。


辻のアンコール演奏は、バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番よりガボット。同じ音型でも単調にならないよう微妙に表情を変えてくる丁寧な演奏であり、好感が持てた。


メインであるマーラーの交響曲第6番「悲劇的」。ノットの十八番の一つであり、期待が高まる。第2楽章がスケルツォ、第3楽章がアンダンテ・モデラートとなる版での演奏である。

テンポは速め。やはりオーケストラに適度な抑制を利かせた演奏で、大仰な表情になるのを防いでいる。いかなる戦きにも上品さがあり、単なる自己内のドラマに完結させずに人類共通のメッセージとして届けようという姿勢がうかがえる。

スイス・ロマンド管弦楽団の音は輝かしいが、アメリカのオーケストラのようなギラギラした感じとは異なり、やはりノーブルなヨーロッパ的な響きを持ち味としていることがわかる。

マーラーのグロテスクな面を出さず、品の良さを徹底させているだけに、最後の一撃の残酷さがより明確に伝わるという設計の演奏。ノットの演出の上手さが伝わってくる。

終演後、拍手は鳴りやまず、私は途中で帰ったが、楽団員がステージを後にしてからノットが一人で登場して拍手を受けるという、俗にいう「一般参賀」が行われたようであった。

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2019年4月18日 (木)

コンサートの記(545) 井上道義指揮 京都市交響楽団第633回定期演奏会

2019年4月12日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第633回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は井上道義。

オール・プロコフィエフ・プログラムで、組曲「キージェ中尉」、ピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:イリヤ・ラシュコフスキー)、「ロメオとジュリエット」組曲から(井上道義セレクション)が演奏される。

ショスタコーヴィチのライバルだったプロコフィエフ。二人は犬猿の仲であったと伝わるが、基本的にショスタコーヴィチ作品を得意としている演奏家はプロコフィエフ作品でも優れた出来を示すことが多い。

今日のコンサートマスターは客演の石田泰尚。フォアシュピーラーは泉原隆志。今日はチェロ客演首席にNHK交響楽団の首席チェロ奏者である「藤森大統領」こと藤森亮一が入る。第ヴァイオリンの客演首席は大森潤子。武貞茂夫が定年で抜けたテューバには北畠真司が客演で入る。
独自の配置が採用されており、ヴァイオリン両翼だが位置は現代配置のヴィオラと入れ替わり。コントラバスはヴィオラの背後の位置。通常は下手に陣取るホルンは今日は上手に回る。


午後6時30分から井上道義によりプレトークの予定だったが、6時40分からに変更になる。井上が癌の後遺症で唾液が余り出ないので、長い時間喋れないらしい(更にインフルエンザが治ったばかりだったようだ)。
井上はまず、「桜の咲く季節は大嫌いです」。「寒いから」ということなのだが、花見に行くにはということのようで、夜桜を見に行っても井上は「寒いから帰る」という方なので花見がそもそも嫌いらしい。
バレエ「ロメオとジュリエット」のラストをプロコフィエフが「死んだら踊れない」ということでハッピーエンドにしようとしたことを挙げて、「(プロコフィエフ)は希望を抱くロマンティストであったのだが変にリアリスト」であったと語る。
「アンティル諸島の娘たちの踊り」は、百合の花を持って踊られるのだが、百合の花は日本でいうところの菊の花に相当し、葬儀の意味があるのだそうである。


組曲「キージェ中尉」。元々は映画音楽として書かれたものを演奏会用にまとめたものである。映画そのものを観たことはないのだが、実在しないキージェ中尉を皇帝が気に入ってしまったため、周囲が振り回されるという筋書きはよく知られている。録音ではコダーイの組曲「ハーリ・ヤーノシュ」とカップリングされることが多い曲である。

拍手が止んですぐに、舞台袖で西馬健史がコルネットを吹き始めてスタート。プロコフィエフは意欲的な表現に取り組んだことで知られるが、この曲でも相反する要素が同時進行するなど、前衛的な表現が聴かれる(特に目立つ場所に置かれたコントラバスは変わったことをしているのが確認出来る)。
京響自慢のブラスは輝かしく、弦も鋭さと温かさを兼ね備えた優れた表現を聴かせる。
井上は体をくねらせて踊るユーモラスな指揮を見せた。


ピアノ協奏曲第3番。ソリストのイリヤ・ラシュコフスキーは1984年、シベリア・イルクーツク生まれの若手。5歳でピアノを始めて、8歳の時にはイルクーツク室内オーケストラと共演という神童系である。シベリア最大の都市であるノボシビルスクの音楽学校で学び、1995年にイタリアのマルサラ市で行われた国際コンクールで優勝。98年にはウラジミール・クライネフ国際コンクールでも優勝を飾り、2000年にハノーファー音楽学校(ハノーファー演劇音楽大学と同じ学校かどうかは不明)に入学して、そのウラジミール・クライネフに師事している。その後も多くのピアノコンクールで優勝や入賞を経験し、2012年に第8回浜松国際ピアノコンクールで優勝。この時から井上道義に評価されていたがなかなか共演の機会がなく、今日が初共演となるようである。

ラシュコフスキーは、渋みとリリシズムを兼ね備えたピアノを披露。高度な技術が印象的である。
京響はベストな響きではあったが、鋭さと音量共にこの曲の伴奏としては弱めである。それだけプロコフィエフの演奏が難しいということでもあり、プロコフィエフのピアノ協奏曲は演奏家泣かせであることでも知られている。

ラシュコフスキーのアンコール演奏は、ラフマニノフの「楽興の時」第4番。情熱と表現力を兼ね備えた秀演であった。


「ロメオとジュリエット」組曲より(井上道義セレクション)。演奏されるのは、「モンタギュー家とキャピュレット家」「朝の踊り」「ロメオとジュリエット」「情景」「メヌエット」「朝のセレナーデ」「アンティル諸島の娘たちの踊り」「タイボルトの死」「ジュリエットの死」

管楽器の冴えがやはり印象的である。今日は木管の首席は「ロメオとジュリエット」のみの参加であったが、技巧面でも表現面でもハイレベルである。打楽器群の力強い響きも見事だ。
井上の表現も巧みで、強弱や緩急の切り替え、甘美さとシニシズムの対比などプロコフィエフの面白さを十全に表していた。

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2019年4月17日 (水)

スタジアムにて(14) 日本女子プロ野球 京都フローラ対愛知ディオーネ@わかさスタジアム京都 2019.4.9

2019年4月9日 西京極のわかさスタジアム京都にて

わかさスタジアム京都で行われる、日本女子プロ野球、京都フローラ対愛知ディオーネの試合を観に出かける。
昼間は気温が上がったが、日が落ちてからは風が冷たい。

京都フローラの先発は2年目の龍田美咲、愛知ディオーネの先発は全日本のエースである里綾実。

日本女子プロ野球はシーズンオフのトレードで、各チームの顔ぶれがかなり変わっている

フローラ先発の龍田はMAX118キロのストレートがよく走り、100キロ台のスライダーとカーブ、100キロを割るスローカーブなどのコンビネーションを生かした投球。100キロちょっとの球が縦スライダーなのかスプリットなのかチェンジアップなのかはっきりとはわからなかったが、かなり有効であることは確認出来る。

ディオーネ先発の里はMAX117キロながら、今日は途中で失速しているのか、余り速くは感じられない。ブレーキがかからずに縦に割れるカーブが今日は武器になっていたが、コントロールが悪く、3回には四球2つをヒットで満塁のピンチを招くと、ディオーネから移籍の厚ケ瀬美姫に押し出しのフォアボールを与えてしまい、先制を許す。

一方の龍田は好投で、完封も見えてきたが、6回裏に西山にツーベースを許し、岩見のショートゴロの間に西山は三塁に進出。ここで星川にライト戦へのタイムリーを許して同点に追いつかれる。

7回表、先頭の三浦のファーストゴロを星川がファンブルし、ランナーを許す。
厚ケ瀬の当たりはライト前に抜ける。村松を迎えた場面で二塁ランナーの三浦が誘い出されてタッチアウトになるが、厚ケ瀬が二塁に到達。村松はセンター前へのヒットで、一死三塁一塁となり、勝ち越しのチャンス。4番の岩谷を迎えるが、ここは浅めのセンターフライでランナー帰れず。
だが、続く中村茜にライト前へのタイムリーが飛び出して、フローラついに勝ち越し。村松は三塁を狙うが、残念ながらアウトとなる。

7回裏、フローラの川口知哉監督は、ディオーネから移籍の速球派、森若菜をマウンドに送る。速いだけでなく球威を感じさせるタイプだ。

森は、自身が持つ日本女子プロ野球最速タイとなる128キロをマーク。ただ、124キロのストレートを先頭の太田にレフトに弾き返されるなど、女子でも力だけでは通用しないようだ。
送りバントの後、三振を奪ってツーアウトとするも代打の新人・金城比呂(きんじょう・ひろ)にセンター前へのヒットを許す。センターが前進守備だったため、ランナーは三塁で止まったが、返球が緩めだったため、あるいはホームに突っ込んでいれば同点だった可能性も高いと思われる。
救われた形の森は、入れ替わる形でフローラからディオーネに移籍した浅野桜子をショートゴロに打ち取り、京都フローラが勝利。これでフローラは開幕から7勝1敗となった。

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2019年4月16日 (火)

コンサートの記(544) クシシュトフ・ウルバンスキ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第474回定期演奏会

2013年12月5日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第474回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は1982年生まれという超若手、ポーランド出身のクシシュトフ・ウルバンスキ。
プログラムは、ペンデレツキの「広島の犠牲者のための哀歌」、ピアノ協奏曲第18番(ピアノ独奏:フセイン・セルメット)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」

ウルバンスキと大フィルの共演は3度目だそうだが、私はウルバンスキの指揮で聴くのは初めてである。ウルバンスキは毎回、祖国ポーランドの作曲家の作品を取り上げているそうだが、ポーランドの作曲家には、ショパン(フランス系であり、パリで活動はしたが)を始め、ペンデレツキにルトスワフスキ、グレツキなどがすぐに思いつく。ピアニストにクリスティアン・ツィマーマン、ラファウ・ブレハッチ、ワンダ・ランドフスカ、ミェチスワフ・ホルショフスキ、エヴァ・ポヴウォツカなどがおり、指揮者もスタニスラフ・スクロヴァチェフスキや、NAXOSに看板指揮者を務めるアントニ・ヴィトなどがいて音楽大国である。
音楽のみならず、映画監督の分野でもアンジェイ・ワイダ、ロマン・ポランスキー、クシシュトフ・キェシロフスキなど世界中の映画監督から尊敬されるほどの大物が輩出しており、芸術大国であるともいえる。
にしても、発音しにくい名前の人が多い。
ペンデレツキもファーストネームはクシシュトフであり、クシシュトフというファーストネームのポーランド人男性は多いことが察せられる。

ペンデレツキの「広島の犠牲者のための哀歌」は、もともとは「8分37秒」という即物的なタイトルの作品であり、その後、「哀歌8分37分」となった。日本初演の際に「広島の犠牲者に捧ぐ哀歌」とされ、その後、そのタイトルは揺るがぬものとなった。純音楽作品であり、広島の原爆を描いた作品ではないが、原爆投下後の広島の惨状を音楽にするとまさにこのようになるのではないかと思えるほどしっくりくる曲である。元のタイトルの「8分37秒」であるが、ジョン・ケージの「4分33秒」とは違い、ラヴェルの「ボレロ」の「17分ほど」という記述と同様、目安として書かれた程度で厳密に守らなければならないものではない。タイトル改訂と同時にタイム指定も外されたはずであり、私はこの曲の音盤を何種か持っているが、即興的な要素も多いこともあって、元のタイトルのタイムジャストで演奏しているものは作曲者自身が指揮した演奏も含めて多くない。アントニ・ヴィト指揮ポーランド国立放送交響楽団による演奏が当初のタイムに一番近いと思われる。詳しいサイトを調べたところ、平均演奏タイムは10分ほどだという。

クシシュトフ・ウルバンスキ登場。長身痩躯、男前、いかにも才子といった感じである。
指揮者と同じ、クシシュトフというファーストネームを持つペンデレツキの「広島の犠牲者に捧ぐ哀歌」。弦楽のための作品である。
トーンクラスターという、現代音楽ではよく使われる技法を特徴とする。近いが微妙に異なる音程の音を一斉に奏でることで、非常に力強く、衝撃的な響きを生むという手法である。ホラーやサスペンスの映画やドラマの、恐怖心を煽る場面での音楽でもトーンクラスターは多用される。というより、クラシック音楽よりも、映画音楽などで多用されている作曲法といった方が適当だろうか。
クラシック音楽の予備知識のない人がこの曲を聴いたら、「なんだこれは? 音楽か?」と思うかも知れない。
いつも通り、指揮者と対面する席に座ったので、弦楽奏者達の譜面を見ることが出来たのであるが、およそ楽譜らしくない譜面が並んでいる。隣接した音を弾くために五線譜が真っ黒になってしまい、あたかも塗り絵のようである。
指揮者の仕事は拍を刻むよりもどの音をどれだけ強調し、どれだけ延ばすか決定することにある。ウルバンスキはノンタクトで、強く響かせたい音に向かって手をかざす。曲が進むにつれて右手で拍を刻むこともあるが、基本的には、速度よりもバランスを取ることを心がけている。
大阪フィルの弦は思ったよりも力強くなかったが、納得のいく水準には達していた。

フセイン・セルメットを独奏者に迎えての、モーツァルト、ピアノ協奏曲第18番。大フィルは典雅な響きを奏でるが、第1楽章では例によってモッサリした感じが出てしまう。大植英次や、優れたベテラン指揮者が振ると、このある種の野暮ったさは顔を潜めるのだが、やはり指揮者が若いということもあって地の部分が出てしまうのであろう。
ただ、ピリオドを意識したのかはわからないが、若干ビブラートを抑え気味にした弦の響きは透明感もあって美しい。
ウルバンスキはこの曲では指揮棒を用い、腕の動きは余り大きくないが、スナップを利かせることで指揮棒は大きく動くという効率的な指揮を行っていた。
セルメットのピアノであるが、落ち着いた男性的なモーツァルトを奏でていく。一音一音を指で丁寧に押さえることでこうしたモーツァルト演奏が可能なのだろう。「タン・タララン」と軽やかに弾くと華やかなモーツァルトにあるが、セルメットはこれを「タン・タラ・ラン」と微妙に変えることで安定感のある音楽を生み出していた。

ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。
現在では屈指の人気曲であるが、初演時はバレエの内容と、斬新な音楽が一大スキャンダルになったことでも知られている。この曲はファゴットが通常では使わないような高い音を出して始まるのだが、これに関してサン=サーンスは「ファゴットの使い方を知らない奴が現れた」と書き記しており、その他にも、「これは音楽ではない」などとする批評もあった。その意味で、「広島の犠牲者のための哀歌」と「春の祭典」を同じ演奏会の曲目に載せたのは上手いと思う。
ウルバンスキは速めのテンポを基調とするが、時折、急激に速度を落としたり、急激な加速をしたりと、即興的な味わいが加わる。大阪フィルの合奏力も高く、たまに技術的に不安定な時もあるが、パワフルな演奏が展開される。
ウルバンスキの指揮は、右手で変拍子を処理しつつ、左手を音を出すべき楽器を掴むような手つきで出したりする。こうしたところはダニエル・ハーディングの指揮姿に似ている。
激しい部分になると、体をくねらせながら、ちょっとナルシストっぽい動きをしたりする。ここはハーディングには似ておらず、なよなよした印象も受けて、見ていてちょっと気にはなったが、音楽的には良いものを生み出していた。

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2019年4月15日 (月)

楽興の時(28) 「テラの音 Vol.25 ~歌とピアノの贈り物~」

2019年4月5日 中京区の真宗大谷派小野山浄慶寺にて

午後7時から真宗大谷派小野山浄慶寺での「テラの音 Vol.25」を聴く。今回はソプラノとピアノによる演奏会である。
ソプラノは、京都市立芸術大学音楽学部音楽学科声楽専攻2回生の高田瑞希。私が接したことのある「テラの音」の出演者としてはおそらく最年少になると思われる。京都市少年合唱団修了とあるから、広上さんとも仕事をしたことがあるのだろう。
ピアノの片山梨子も京都市立芸術大学出身。第3回ジュラ・キシュ国際ピアノコンクールで第1位獲得。ポーランド国立放送交響楽団の本拠地としても知られるカトヴィツェで行われた第9回ポーランド国際ピアノマスタークラスにも出演して演奏している。現在はショパンの演奏をライフワークとしているそうである。

曲目は、まず片山梨子のピアノ独奏でショパンの「子犬のワルツ」。2曲目に高田瑞希が登場してのベッリーニの「優雅な月よ」。ここまでをプロローグとして、第1部が、中田章の「早春賦」、瀧廉太郎の「花」、「早春賦」のモチーフとされるモーツァルトの「春への憧れ」より1番、トスティの「四月(Aprile)」、トスティの「春(プリマヴェーラ)」、スカルラッティの「すみれ(Violette)」、菅野よう子の「花は咲く」、山崎朋子の「空高く」。浄慶寺の中島住職の法話を経ての第2部が、トスティの「Sogno(夢)」、ロイド=ウェバーのミュージカル「CATS」よりメモリー(日本語歌詞版)、ピアノ独奏でシューマンの『子供の情景』より「見知らぬ国々と人々」と「トロイメライ」、吉田千秋の「琵琶湖周航の歌」より1番から4番まで、木村弓の「いつも何度でも」、瀬戸内寂聴作詞の「寂庵の祈り」、久石譲の「Stand Alone」

ピアノはローランドのキーボードを使用する。

第1部は春や花を題材とした曲目、第2部には夢や希望をモチーフにした楽曲が並ぶ。

高田瑞希はお喋りな子のようで、片山に「今日は清楚なイメージで行きたい」と提案するも、「5分でばれる」と言われたそうである。

モーツァルトの「春への憧れ」は曲そのものも有名だが、モーツァルトが自身最後のピアノ協奏曲となる第27番の第3楽章に転用していることで知られている。童心に帰ったかのようなモーツァルトの憧れが感じ取れる曲だ。

菅野よう子の「花は咲く」は、高田が京都少年合唱団在団中に京都コンサートホールでの演奏会で初めてソロパートを取った思い出の曲だそうである。

「琵琶湖周航の歌」は、高田が子供の頃に子守歌として聞かされていた曲で、個人的に夢と繋がっているのだそうだ。歌詞は6番まであるが、全部やると長いので、加藤登紀子カバー版と同じ4番までが歌われた。

 

中島浩彰住職の法話は、現在の福島県の様子を伝えるもの。中島住職は東日本大震災発生直後から今に至るまで何度も福島を訪れているが、福島第1原発からかなり離れた二本松市や郡山市でも放射線濃度が高いため、福島を離れる人と生活があるので残る人に分かれ、残った人の中でも意見が異なり、年を経るにしたがって乖離の度合いも甚だしくなってきているそうである。政府も当初は「年間1ミリシーベルトあれば避難」という見解だったのだが徐々に甘くなり、「年間20ミリシーベルトまでは大丈夫」とするも根拠がないのでみな不安だそうだ。ただ、「もう考えるのが面倒だ」「生活が優先」ということで集会に参加しなくなった人も増えているそうである。
政府は福島であっても地産地消を勧めてくるのだが、検査が年々甘くなっており「信じきれない」ということで、ミネラルウォーターを買い、被災地以外の場所で採れた野菜を食べるようにしている家も多いそうだが、子供が幼稚園に入ると、幼稚園では政府の地産地消政策に従って福島県産の作物を使った給食が出てくる。幼稚園では給食ではなく弁当を選ぶことも可能なのだが、小学校に上がると福島県産の食物を使った給食を食べなければならなくなる。ということで子供が幼稚園に入る年齢に達したり、小学生になるタイミングで福島を離れる人もおり、残った人も父親と母親の間で意見が分かれて喧嘩になったりもしているそうである。

 

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2019年4月14日 (日)

コンサートの記(543) 下野竜也指揮京都市交響楽団スプリング・コンサート2019

2019年4月7日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団のスプリング・コンサートを聴く。

曲目は、ヴィヴァルディの2つのトランペットのための協奏曲ハ長調(トランペット独奏:ハラルド・ナエス&西馬健史)、ベートーヴェンのヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲(ヴァイオリン:豊島泰嗣、チェロ:上村昇、ピアノ:上野真)、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」


全席完売だが、今日はポディウム席は発売されていない。
今日は6列目の真ん中で聴く。ステージから近いが、管楽器の奏者は顔がよく見えないため、誰が吹いているのかわからない場合もある。


ヴィヴァルディの2つのトランペットのための協奏曲ハ長調。京都市交響楽団の首席トランペット奏者であるハラルド・ナエスが第1トランペットを、西馬健史が第2トランペットを務める。
日本でも屈指の輝きを誇る京都市交響楽団のトランペット陣。今日も燦燦と輝くような音を響かせる。
京都市交響楽団は小編成での演奏。西脇小百合がチェンバロを奏でる。生き生きとした伴奏であった。
弦楽奏者のビブラートであるが、統一されてはおらず、思い思いに弾いている。


ベートーヴェンの三重協奏曲の演奏前に、下野がマイクを手にして登場。舞台の転換作業の間をトークで繋ぐ。「京都市交響楽団常任しゅせ……、間違えました。なんとか指揮者の下野竜也です」とユーモアと込めた自己紹介した後で、ナエスと西馬をステージに呼び、ヴィヴァルディの2つのトランペットのための協奏曲ハ長調の思い出について語って貰う。二人ともこの曲を演奏するのは人生で2回目だそうだが、ナエスは1回目はパイプオルガンとの共演、西馬もピアノとの演奏があるだけであり、オーケストラをバックに演奏するのは初めてだそうである。


ベートーヴェンのヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲。京都市交響楽団は近年、この曲を取り上げることが多い。
ピアノ三重奏にオーケストラ伴奏が付くという特異な協奏曲。ベートーヴェンがなぜこうした編成の曲を書いたのかは今でも謎であるが、チェロパートの比重が比較的大きく、演奏技術もチェロが最も高度であるため、チェロの名手から委嘱された可能性が高いとされている。
ヴァイオリンの豊島奏嗣、チェロの上村昇(京都市交響楽団首席チェロ奏者)、ピアノの上野真、更に指揮者の下野竜也も京都市立芸術大学の教員である。ということもあってか、室内楽的要素の強い親密な演奏が展開される。
下野指揮の京響であるが、渋めの音でスタートし、かなり豪快に鳴る。京響のパワーと下野のオケを鳴らす技術は想像以上であるようだ。


ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。人気曲だけに実演で聴く機会も多いが、思いのほか名演に当たる確率が低いような気もしている。

下野はベートーヴェンとは真逆の明るい音色を京響から引き出す。流石の手腕だが、第1楽章のクライマックスなどでは全ての音を鳴らし過ぎたため、輪郭や主旋律の把握が難しくなっていた。

第2楽章と第3楽章は秀演で、第2楽章の深々とした歌、第3楽章の覇気に満ちた音楽運びなどが印象的である。

第4楽章も迫力があるが、音が大きい割りには客席に届くエネルギーが必ずしも十分ではないように感じされる。音の密度がそれほど濃いわけではないということも影響しているのかも知れない。京響のブラス陣は優秀で、力強さと浮遊感を兼ね備えた優れた音楽性を示していた。


下野は、「京都市交響楽団史上、最も短いアンコール曲」と語って、ベートーヴェンの「フィデリオ」より行進曲が演奏される。古典的造形美が強調された演奏で、ベートーヴェンの優美な一面を楽しむことが出来た。

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2019年4月13日 (土)

これまでに観た映画より(124) 「翔んで埼玉」

2019年4月4日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で、関東人必見といわれるバカ映画「翔んで埼玉」を観る。東京人から蔑まれ、通行手形がないと都内に入ることすら出来ないという20世紀の架空の埼玉を題材とする、とんでも作品である。
原作は魔夜峰央の未完成の漫画作品。監督:武内英樹(千葉県出身)。出演:二階堂ふみ、GACKT、伊勢谷友介、中尾彬(千葉県出身)、ブラザートム(埼玉県育ち)、麻生久美子(千葉県出身)、島崎遥香(埼玉県出身)、麿赤児、益若つばさ(埼玉県出身)、竹中直人(神奈川県出身)、加藤諒、武田久美子、小沢真珠、成田凌(埼玉県出身)、京本政樹ほか。埼玉県出身の有名人が多数カメオ出演している。

 

夏暑いことで知られる埼玉県熊谷市に住む菅原夫妻(ブラザートムと麻生久美子が演じている)とその娘の愛海(島崎遥香)が、都内で行われる結納に参加するため車で向かっている。愛海の結婚相手は浦和に住んでいるのだが、都内に務める埼玉都民であり、都内に家を建てるつもりということで都内を会場に選んだのだ。愛海は埼玉暮らしにうんざりしており、都内に引っ越せるということでウキウキである。埼玉のFMであるNACK5からは、さいたまんぞうの「なぜか埼玉」が流れているが、その後、埼玉の都市伝説ラジオドラマが始まる。物語は、ラジオドラマ内と熊谷市に住む一家の間を行きつ戻りつしながら進む。

ラジオドラマ内では、都内の超一流私立高校の白鵬堂学院高校(旧東京府立第一高等女学校である都立白鴎高校に由来するのかどうかは不明)に、美男子である麻実麗(GACKT)が転校してくるところから始まる。麗はアメリカ帰り、英語だけでなくフランス語、スペイン語、北京語などを操る才子であり、宝塚の「ベルばら」さながらの白鵬堂学院高校の女子達は全員夢中になる。生徒会長で白鵬堂学院高校内唯一の男子である壇ノ浦百美(どう見ても女だが男という設定。二階堂ふみ)は、最初こそ麗に反発を覚えるが、その後、ボーイズラブへと発展していく。

ラジオドラマ内の埼玉県人は、縄文時代そのままの竪穴住居での生活を送っており、通行手形がないと都内に入ることは許されず、不法侵入が見つかった場合は即座に捕獲、追放が行われていた。ラジオドラマ内の東京都民は埼玉県人を毛嫌いしており、埼玉県人と関わったということがわかっただけで卒倒する有様である。
白鵬堂学院高校は、住所によって学級と待遇が変わり、都心がA組、周辺になるに従ってクラスが下になるというヒエラルキー構造で、最下級のZ組は埼玉県から引っ越してきた現都民が所属している。Z組の教室は離れの廃屋が割り当てられ、今もなお、ぽっとん便所の使用を強制されている。体調が悪くなっても医務室に入ることは許されず、百美からは「埼玉県人にはそこらへんの草でも喰わせておけ!」などと吐き捨てられる。
Z組の面々は埼玉県生まれであることを恥じており、差別されるのは当然として埼玉に恨みすら感じている。そんな埼玉県人に失望を感じる麗。実は麗は生まれは埼玉であり……。

 

埼玉あるある(浦和と大宮は仲が悪い、名産がない、出身地を聞かれて思わず「東京です」と答えてしまうなど)は勿論、千葉あるある(「東京」を冠するものがやたらと多い、茨城県と一緒の「チバラキ」扱いされると怒る、「とにかく海はあるぞ」など)、東京あるある(ブランドや箔付けが大好き。故郷と呼べるような場所を持たない)などの小ネタが満載であり、関東人ならクスリと笑える要素に溢れている。逆に他の地方の人達にとってはピンとこないことが多いかも知れない。ギャグなどは日本全国共通だと思われるが、東京都民と他の関東の県人の距離感などは上手く掴めないのではないだろうか。

役名からして非現実的だが、物語展開からは徹底してリアリズムが排除されている。映画の内容を考えれば当然で、ストーリー展開の面白さよりも、馬鹿馬鹿しさに徹底的に浸るべき映画となっている。埼玉、千葉(野田にはヌーが出るらしい)、神奈川(東京都の腰巾着。ヒーローは加山雄三)の南関東に隠れた形にはなっているが、群馬(謎の巨大生物が生息しているとしてニュースになる秘境)、茨城(名前を聞いただけで百美が卒倒)という北関東も登場する。栃木県だけ影が薄いが、クライマックスには那須塩原の栃木県民が参加していることが確認出来る。

余りにも馬鹿馬鹿しい差別を描いたおバカ映画であるが、世の中にはこれらと同等な差別が横行しており、差別の根っこがそもそも馬鹿なことであること考えると、「面白うてやがて哀しき」という言葉も浮かぶ。

 

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2019年4月10日 (水)

南座新開場記念 都をどり 「御代始歌舞伎彩」2019年4月5日

2019年4月5日 京都四條南座にて

午後4時30分から、京都四條南座で都をどりを観る。
祇園甲部歌舞練場が耐震対策工事中ということで閉鎖されており、昨年一昨年は北白川の京都芸術劇場春秋座で公演が行われた都をどり。今年は新開場記念も兼ねた南座での開催となる。南座はロビーが狭いということで、今年はお茶席はなく、お茶菓子の皿プレゼントもないが、その代わりパンフレットは無料で配布されている。

昨年の春秋座での公演では、CGを使ったり「アナと雪の女王」を題材にしたりといった新しい試みを行った都をどり。春秋座が京都造形芸術大学の劇場ということで、京都造形芸大の教授でもある井上八千代が若者の取り込みを図ったのかも知れないが、学生らしき人々の姿は客席には見えず、新演出は常連客から大不評ということもあり、今年は揺り戻しからか保守的な内容になっている。それが全体として平板な印象を生んでいたようにも感じられる。

チケットを取るのが遅かったため、今日は2階の上手サイドの席の2列目。前列はラテン系と思われる外国人の一家である。舞台はそれほど良くは見えないが、花道での踊りは楽しめるため、この席を選んだ。舞台下手端で、ジャケットを着たおじさんが鳴り物に指示を出していたり、鈴を鳴らして演奏しているのが見えるのがシュールで楽しかったりする。

演目は置歌に続き、「初恵美須福笹配」「法住寺殿今様合」「四条河原阿国舞」「藁稭長者出世寿」「桂離宮紅葉狩」「祇園茶屋雪景色」「大覚寺桜比」の計8景。今は会えぬ人を偲ぶ内容の曲がいくつかあり、それが「大覚寺桜比」での華やかさと表裏一体の儚さにも繋がっている。

「大覚寺桜比」は、舞台上に桜の樹が並ぶ、舞台上方からも桜の枝が垂れていて今の季節に相応しい飾りであるが、稽古を重ねることで上半身がぶれずに速足で移動することの出来る芸妓達を見ていると、人間というより桜の精に出会ったかのような不思議な感覚に陥った。

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2019年4月 8日 (月)

コンサートの記(542) 広上淳一指揮京都市交響楽団第574回定期演奏会

2013年11月30日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第574回定期演奏会を聴く。今日の指揮は京響常任指揮者の広上淳一。
来シーズンから、京響は、常任指揮者の広上淳一に加えて、首席常任客演指揮者に高関健を、常任客演指揮者に下野竜也を迎えるのだが、偶然であるが、私は今日は広上、昨日は下野、一昨日は高関と来シーズンからの京響指揮者陣の演奏を3日連続で聴くことになった。

曲目は、ショスタコーヴィチの「祝典序曲」、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番(チェロ独奏:エンリコ・ディンド)、ロベルト・シューマンの交響曲第2番。ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番とシューマンの交響曲第2番の、第2番コンビはいずれも暗い作風であり、楽しい音楽が好きな人からは避けられがちである。

唯一の明るい曲であるショスタコーヴィチの「祝典序曲」であるが、ショスタコーヴィチが無理して笑っているような印象を受ける曲である。薬で目一杯テンションを上げたような出だしであるが、次第に「祝典」というタイトルの割りには鋭い音楽となり、ベートーヴェンの俗に言う「運命動機」のようなものも聞こえる。
広上の指揮する京都市交響楽団だが、非常にクリアで、気品溢れる音を出す。

 

ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番。明るくなる場面がほとんどない曲である。ソリストのテクニックは極めて高度なものが求められる。初演が行われたのは1966年、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチのチェロ、エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮ソビエト国立交響楽団によってである。ロストロポーヴィチもスヴェトラーノフも私はよく知っている音楽家であり、スヴェトラーノフは実演にも接している。初演者が知っている人だと不思議と親しみもわく。
3楽章全てがエレジーのような曲であり、ソリストであるディンゴも漆器の輝きのような渋い音を出す。広上の指揮する京響も沈痛な音を奏でる。

ディエゴはアンコールとして、J・S・バッハの「無伴奏チェロ組曲」第6番より“アルマンド”を弾く。今度は明るく、滑らかな音による演奏であった。

 

メインであるシューマンの交響曲第2番。難解とされる曲である。私自身は難解だと思ったことはないのであるが、この曲はシューマンが梅毒が原因で精神を病んでいたときに作曲した作品であり、症状が重く、作業を途中で中断せざるを得ないなど深刻な状況で作曲された。そのため、そういう心理状態を無意識のうちに避けたい人もいるのかも知れない。

第1楽章。広上は通常の演奏よりも更に弱い音でスタート。そして徐々に音の大きさとスケールを膨らましていく。ヴァイオリンが普段より透明な音を出しているので確認すると、やはりビブラートを普段より抑えめにしているのがわかった。

広上の指揮であるが、実に多彩である。普通はある適度型は決まっているものなのだが、広上は同じ旋律がもう一度登場したときも違う振り方をしていることが多い。指揮棒でティンパニに指示を出していたかと思うと、主旋律が他の楽器に移ったために、今度は視線をティンパニに送って目で指揮したりする。指揮の意図が極めて明確な指揮者である。ただ今日はいつもよりオーバーアクション。これにはわけがあることが後にわかる。

第2楽章では、本来は楽譜にないはずのリタルダンドをかけたり、猛烈な加速を見せたりと、即興性溢れる仕上がりとなった。

悲しみと憧れの第3楽章であるが、広上は悲しみを強調する。旋律が憧れに行こうとすると、短調を奏でている楽器を強調して、再び涙色の響きへと戻してしまう。これもまた伏線である。

最終楽章。第3楽章では悲哀を奏でた旋律を長調に変えたものをヴィオラが弾くのだが、それがこれほどわかりやすく浮かび上がる演奏は聴いたことがない。ということで、第3楽章を悲しみ一色にしても良かったのである。広上はダイナミックな指揮で快活な演奏を展開する。シューマンの交響曲第2番が決して暗い曲ではないということを実証してみせたのだ。

 

定期演奏会は普通はアンコールがないのだが(そもそもアンコール曲を用意していない)、今日はヴェルディとワーグナーが今年で生誕200年を迎えるということもあり、ヴェルディの歌劇「椿姫」より第3幕への前奏曲が演奏される。リリカルで哀感に溢れる音楽が時間を刻む。

発見の多い演奏会であった。

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2019年4月 7日 (日)

コンサートの記(541) パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2013名古屋

2013年11月23日 名古屋の三井住友海上しらかわホールにて

三井住友海上しらかわホールへ。パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴く。
オール・ベートーヴェン・プログラムで、歌劇「フィデリオ」序曲、交響曲第4番、交響曲第3番「英雄」が演奏される。

三井住友海上しらかわホールは前を通ったことはあるのだが、中に入るのは今日が初めてである。

ピリオド・アプローチによる演奏を得意とするドイツ・カンマーフィル。トランペットはピストンのないナチュラルトランペット。二階席下手の席に座っていたので、舞台下手側に座るホルン奏者の姿は見えないが、間違いなくナチュラルホルンであろうと思う。実際に音を聴くとやはりナチュラルホルンであることがわかる。ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。

三井住友海上しらかわホールの内装は、壁が全て木目であり、とても美しい。天井はやや高めであるため、オーケストラが演奏するには残響がやや短い。室内楽やピアノのリサイタルなどでは残響は余り必要でないため、そういう風に音響設計されているのかも知れない。内装、音響共に、大阪の、いずみホールに似ている。


パーヴォ登場。今日は全曲暗譜で指揮をする。

歌劇「フィデリオ」序曲。出だしが実にリズミカルである。パーヴォのバトンテクニックは真に鮮やかで、あたかも指揮棒の先で音符を拾い上げて、オーケストラの方へすっと投げているかのような印象を受ける。本当に動いたとおりに音楽が生まれるのである。少なくとも実演に接したことのある指揮者の中でパーヴォほど高度なバトンテクニックを持っている人は他にいない。サー・サイモン・ラトルやマリス・ヤンソンス、ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団の先代音楽監督であるダニエル・ハーディングの指揮も見ているが、ここまで見事ではなかった。
ナチュラルホルンであるが、モダン楽器のホルンでも「ホルンといえばキークス(音外し)という言葉が思い浮かぶ」と言われるほど演奏が難しい楽器である。そのため、音程を外す場面があった。
交響曲第5番同様、ピッコロが1オクターブ上を吹いて浮き上がる場面があり、ベーレンライター版の楽譜を使っていることがわかる。これまでずっと使われてきたブライトコップ(ブライトコプフ)版の楽譜で演奏された歌劇「フィデリオ」序曲のCDを聴いてもピッコロが浮かび上がる場面に出会ったことはない。
躍動感あふれる演奏であった。


交響曲第4番。私はパーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニーの実演を横浜で聴いている。
今日も密度の濃い演奏である。楽章1つ演奏するだけで、並みの演奏の交響曲1曲分の聴き応えがある。
パーヴォは、CDにおいて、ベートーヴェンの交響曲第4番と第7番の演奏をカップリングでリリースし、アポロ芸術的と思われる交響曲第4番をディオニソス芸術的に、ディオニソス芸術の代表的存在であった交響曲第7番をアポロ芸術的に演奏するという真逆の解釈を示し、私は一聴して驚いたのであるが、パーヴォはそうした楽曲の光が当たらない一面を見つけるのが得意なようである。
緩急、強弱ともに自在な演奏であった。


後半、交響曲第3番「英雄」。同じ名古屋にある愛知県立芸術劇場コンサートホールで、パーヴォとドイツ・カンマーフィルによるこの曲の実演を聴いている。

ベートーヴェンのメトロノーム指示に近い速度を採用。そのためかなり速めの演奏である。ロマンティクな演奏になれている人は「速すぎる」と思うだろうが、20世紀後半の演奏から聴き始めた私などの世代にとっては、意気揚々と進軍する英雄の姿が目に見えるようなフレッシュな解釈である。
パーヴォは音のバランスを取るのが天才的に上手いため、クライマックスで、主旋律がトランペットから木管楽器に移る時にも、主旋律は行方不明にならず、木管が演奏しているのがきちんと聴き取れる。

第2楽章の葬送行進曲も白熱の演奏であり、哀感が強く胸に染み込む。

第3楽章。ティンパニの強奏が凄まじい。弦楽器であるが、各楽器の首席奏者だけが別の旋律を弾く場面が見られる。トリオにおけるナチュラルホルンの演奏も上手い。

最終楽章。序奏でパーヴォは歌い崩しをする。この楽章では、弦楽器の、コントラバスを除く各首席奏者のみが演奏し、弦楽四重奏になる場面がベーレンライター版の楽譜にはある。元々「solo」と書いてはあったようだが、「何かの間違いだろう」ということで採用されていなかったのだ。パーヴォの指揮するベートーヴェンは基本的にベーレンライター版の楽譜を用いているのだ、これが忠実に履行される。憩いの場ともいうべき印象を受ける。そして快速による凱旋行進。心躍る演奏であった。


アンコールは2曲。ブラームスの「ハンガリー舞曲」より第1番と、パーヴォのアンコールピースの定番であるシベリウスの「悲しきワルツ」。

ハンガリー舞曲第1番は、ブラームスがハンガリーの民謡や舞曲を収集して、まずピアノ連弾のための曲として纏められたもので、ブラームス自身もブラームス編曲として出している。舞曲であるため、目まぐるしく緩急が変化するのであるが、パーヴォは魔法のようにテンポを操り、「寄せては返す波のように激し」い演奏になった。

シベリウスの「悲しきワルツ」。超絶ピアニシモが今日も聴かれる。この時は会場内にいる全員が耳を澄ませるため、独特の張り詰めた空気がホール内を占拠する。

全て秀演。名古屋まで聴きに来るだけの価値のある演奏会であった。名古屋の聴衆は非常にマナーが良く、それも嬉しかった。

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2019年4月 6日 (土)

楽興の時(27) みやこめっせ桜まつり2019 さくらコンサート第3部

2019年3月30日 左京区岡崎の京都市勧業館みやこめっせウェルカムホールにて

午後2時30分から、みやこめっせ「さくらコンサート」第3部を聴く。前半が二胡奏者の尾辻優衣子の演奏、後半が松井るみ(ソプラノ)、井上元気(テノール)、澤田奈央子(ピアノ)による歌曲コンサートである。

尾辻優衣子の二胡。自身のアルバムに収められた楽曲を中心としたプログラムで、伴奏は録音されたものを流すという、カラオケ版での演奏。二胡は単音しか出せないため、独奏に向いた楽器ではない。元々は京劇の伴奏楽器で、楽器としての地位も低かったが、劉天華によって中国を代表する楽器となっている。
単音の楽器ということもあり、聴かせられるものになるかどうかは別として演奏すること自体はさほど難しくはない。私も半年ほど二胡を習っていたことがあるが、「十九の春」などはすぐ弾けるようになっている。ただ弦が切れやすいため、切れないよう適度に抑えて力強く弾くということは難しく思えた。
尾辻は「二胡はヴァイオリンと原理は同じで遠い親戚」と紹介して、ヴァイオリン曲である「情熱大陸」も奏でていた。
中国人作曲家によるクラシカルな二胡の曲として最後の最後に「賽馬(競馬)」が演奏される。ヴァイオリンでいうピッチカートも繰り出され、万全の迫力に富む演奏に仕上がっていた。

 

歌曲コンサート。さくらコンサートということで、まず松井るみと井上元気のデュオで「さくらさくら」が歌われる。その後、イタリアの作曲家であるレスピーギ、フランスの作曲家であるグノー、プーランク、ロザンタールの歌曲が歌われる。

レスピーギは、ベルリオーズやリムスキー=コルサコフとともに三大オーケストレーションの名手に数えられており、ローマ三部作がとにかく有名だがそれ以外の曲が取り上げられる機会は少ない。歌曲を聴くのは私は初めてとなる。

グノーやプーランクは比較的有名だが、ロザンタールは作曲家としてよりも指揮者やオッフェンバックの楽曲を集めてコンサートピースとしてまとめた「パリの喜び」の編曲者として有名な人物である。1904年生まれでありながらかなりの長生きであり、「パリの喜び」の自作自演盤をデジタル録音で収めている。松井るみ独唱によるロザンタール作品として取り上げられたのは「英国のねずみ」という歌である。イギリスで生まれ育ったねずみが船に乗り、たどり着いたのはフランス。そこで英国ホテルというホテルを見つけ、屋根裏部屋でジンやウィスキーといったイギリス名物を発見したねずみは歓喜。毎夜、PARTYを開くが階下にすむフランス人達の不興を買い、というストーリーである。松井は自作の紙芝居を用意し、めくりながら歌う。エスプリのお手本のような楽曲であり、紙芝居もわかりやすかった。なお、珍しい楽曲が並んでいるが、タブレット端末にダウンロードした電子楽譜を使っているため、譜面を探し出すのにさほど苦労はしていないようである。

その後、オーストリア出身のレハールが作曲した喜歌劇「メリー・ウィドウ」より「とざした唇に」の日本語版とグノーの歌劇「ロメオとジュリエット」より出会いの場のデュオが歌われ、アンコールのヴェルディの歌劇「椿姫」から「乾杯の歌」で華やかに閉じられた。

 

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2019年4月 3日 (水)

美術回廊(27) 名古屋市美術館 ハイレッドセンター「直接行動の軌跡」展

2013年11月23日 名古屋市美術館にて

名古屋市美術館でハイレッドセンター「直接行動の軌跡」という美術展を観る。ハイレッドセンターは、高松次郎(高でHigh)、赤瀬川源平(赤=Red)、中西夏之(中はCenter)の三人の芸術家が組んだグループであり、直接行動という手法で芸術表現を行ったそうだ。この中では作家でもあり、メディアにも登場機会の多かった赤瀬川源平が飛び抜けて知名度が高い。

名古屋市美術館はバブルの時代に出来たまだ比較的歴史の浅い美術館である。そのため、外観からして現代アートしている。

ハイレッドセンターの行った直接行動であるが、ロープを担いで、山手線の駅でそれを並べてそれを撮影したり(縦に、上がフレームアウトした「えの」と書かれた駅名が見えるので上野駅だと思われる)、変なメイクをして山手線の電車に乗って、それを写真に収めたり、道路を勝手に掃除して写真を撮ったりと、かなりはた迷惑なことをしている。冊子に「犯罪者同盟演劇」など書かれているが、「犯罪者同盟」というのはやはり芸術グループだそうで、赤瀬川源平と懇意であり、当時はこうした、時代にはっきりと「ノー」を突きつける芸術が確信犯として行われていたのがわかる。演劇の上演が実際に行われたのかはわからない。時は1960年代の初頭。高度経済成長が始まる時代である。

千円札(私が知っている最も古い千円札は伊藤博文の肖像画が用いられたものであるが、更にその前、まだ聖徳太子が千円札の肖像画であった時代である)を使った美術作品がある。贋千円札や(これはやはり裁判沙汰になったそうで、製造自体が禁じられているため有罪が確定したとのこと。「千円札裁判」という事件のようだ)、千円札にたかるクリップなど使った作品があり、これは拝金主義や「芸術の敵」と彼らが考えた法律などを揶揄したものであろう。千円札の肖像が聖徳太子から伊藤博文に変わるのは1963年であるが、「千円札裁判」を基にした「千円札有罪裁判」などという伊藤博文肖像の千円札に血糊を垂らした裁判記録を作ったりしている。

不自由芸術などという文字が書かれた冊子があり、ハイレッドセンターは座椅子や扇風機などを梱包したものを作品として表した。梱包されているが、それが故に解き放たれる未来があると感じられる仕掛けになっている。

「カーテンの非実在性」なる作品があり、白いカーテンから、黒い縄が出ている。「実在」の反対は、「架空」または「不在」である。哲学用語で「非在」という言葉もある。ただ、作品として実在するので架空は論外であり、また不在でも非在でもない。「非実在」という言葉を調べると、どうも法律の用語らしいことがわかる。東京都の青少年条例のようだ。確かに今回の展覧会の最初に展示された赤瀬川源平の作品タイトルには放送禁止用語が使われており、作品自体もどぎつさを持つ。彼らはこうしたショッキングな手法を敢えて用いることで、「日常」に揺さぶりを掛けようとしたのである。ただ、「カーテンの非実在性」からは性的なものは感じられない。解釈しようと思えば解釈出来るという程度である。ということで、ここで使われている「非実在性」なるものは、「作品それ自体が非日常である」という意味の方が強いように思われる。実際、彼らは現実ではあり得ないことを直接行動で表した。ただ、「非実在」なる言葉とそれが法律のための特殊用語であることを知っていたのなら、あるいは別の解釈が出来たのかも知れないと後になって思う。

続いて、ハイレッドシアターのメンバーの直接行動ではないアート作品が展示されている。高松次郎は名古屋駅の地下鉄に向かう道にも同様のものが展示されていた、一見、影絵のように見える作品を創作しており、これは面白かった。

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コンサートの記(540) ジャン=マルク・ルイサダ ピアノ・リサイタル2013京都

2013年11月21日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、ジャン=マルク・ルイサダのピアノ・リサイタルを聴く。

ジャン=マルク・ルイサダは、チュニジア生まれのフランスのピアニスト。自在なピアノ演奏で知られ、特にショパンの演奏には定評がある。今回は、後半にショパンのワルツ12曲が演奏される。


前半は、フォーレの夜想曲第11番(急遽プログラムに追加)とシューベルトのピアノ・ソナタ第21番。後半は、モーツァルトの「グラスハーモニカのためのアダージョ」に続き、ショパンのワルツ12曲が演奏される。前半、後半共に間を置かずに演奏する。つまり、前半はフォーレの夜想曲第11番とシューベルトのピアノ・ソナタ第21番で1曲、後半はモーツァルトの「グラスハーモニカのためのアダージョ」とショパンのワルツ12曲で1曲という解釈のようだ。珍しい解釈である。

演奏されるショパンのワルツの順番は、第1番「華麗なる大円舞曲」、第3番「華麗なる円舞曲」、第4番「華麗なる円舞曲」、第12番、第13番、第14番、第9番「別れのワルツ」、第6番「子犬のワルツ」、第7番、第8番、第11番、第2番「華麗なる円舞曲」

ピアニストは暗譜して弾くのが慣例だが、ルイサダの場合は全曲譜面を見ながらの演奏。譜めくり人(日本人女性)同伴である。ただ、曲を憶えていないわけではなく、ショパンのワルツを弾くときは、「ワルツ集」の楽譜を使っていたが、ワルツ第11番から第2番まで戻る時、譜めくり人がページを繰るのに時間が掛かったため、まだページを戻している最中に弾き始めてしまったりもした。
最近では、指揮者も暗譜を否定して譜面を見ながら指揮する人が多くなったが、ピアニストも同傾向なのかも知れない。必ず譜面を見ながら演奏するピアニストとして有名な人に、ロシア出身で、日本人男性と結婚し、日本在住となったイリーナ・メジューエワがいる。

前半のフォーレとシューベルトでは、ルイサダはウェットで哀感のこもった音をピアノから引き出す。これはフォルテシモであっても、明るい旋律であっても変わることはない。「顔で笑って心で泣いて」という感じである。
フォーレもシューベルトも抒情的な作風であり、間を置かず演奏されても特に違和感はない。
フォーレは高雅であり、シューベルトは右手の若々しい歌と左手で弾かれる低音の不吉な感じの対比が鮮やかだ。


後半の第1曲として弾かれたモーツァルトの「グラスハーモニカのためのアダージョ」は初めて聴く曲だが、チャーミングな作品であり、ルイサダもそれに相応しいロココ風の演奏を展開する。
ショパンのワルツは、緩急、硬軟共に自在の演奏。まろやかな音が奏でられるが、譜面には記されていないはずの強弱を付けたり、リタルダンドにアッチェレランドと、次々に表情を変えていく。その他にも、左手を強く弾いてワルツのリズムを強調したり、「別れのワルツ」では敢えて縦の線を崩し、左手と右手のリズムを別個にすることで即興的な印象を与えるような工夫が施されていた。またこの曲では前半に聴かれた哀愁漂う音色がかなり色濃く出ていた。
極めて表現主義的なショパンであり、ルイサダでなくては弾くことの出来ない個性的な音楽が創造されていく。

アンコールは3曲。ショパンのマズルカ遺作Opus67-1と同Opus67-2。バッハの「フランス組曲」より第5番“サラバンド”である。
まずショパンのマズルカ遺作Op67-1を弾いたルイサダ。おそらく続けてOp67-2を弾く予定だったと思うのだが、ルイサダはいったん袖に引っ込んでしまい、残されてしまった譜めくり人の女性は「え? え? 私どうしたらいいの?」という風に戸惑っている様が聴衆の笑いを誘う。
アンコール2曲目のマズルカ遺作Op57-2を弾く前は、ピアノの譜面台に楽譜が沢山あるので、なかなか弾くべき曲が見つからない。ルイサダは、「ちょっと待って下さい」と日本語で言い、前列にいた聴衆が日本語を話したことに拍手を送る(私は3階席にいたが、ルイサダの言葉は聞こえた)。
3曲目の、J・S・バッハ、「フランス組曲」より第5番“サラバンド”であるが、やはり楽譜が見つからない。ルイサダは右手を上げて、「待って」という仕草をする。それでもまだ見つからないので、今度は手の平を上に上げて「どうなってるんでしょう?」と示して聴衆を笑わせる。

ショパンの2曲はクリアな、バッハの曲は聴いてすぐにバッハの作品だとわかる端正な演奏であった。


終演後にCD購入者限定のルイサダのサイン会がある。ルイサダは全員に「ありがとう」と日本語で言い、握手を求める。ピアニストは手が命なので、握手を求められると逆にヒヤヒヤする。CDの盤面の白く空いたスペースにサインを貰おうとしたのだが、ルイサダ氏はそれでは物足りないようで、盤面一杯に大きくサインを書く。勢い余って、プラスチックケースにもマジックインクが付いてしまうほど大きく書いてくれた。

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2019年4月 2日 (火)

コンサートの記(539) オーギュスタン・デュメイ指揮関西フィルハーモニー管弦楽団第252回定期演奏会

2013年11月8日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、関西フィルハーモニー管弦楽団の第252回定期演奏会に接する。今日の指揮は、関西フィルハーモニー管弦楽団音楽監督のオーギュスタン・デュメイ。

デュメイは世界最高峰のヴァイオリニストとして知られているが、指揮者としての腕は未知数。2011年から関西フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任しているのだが、巡り合わせが悪く、指揮者デュメイの演奏を生で聴くのは私は今日が初めてである。
「レコード芸術」11月号の付属CDに、デュメイと関西フィルの演奏によるモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲と交響曲第35番「ハフナー」の演奏が収録されてる。それを聴いた限りでは、オーケストラの力はともかくとして、デュメイのオーケストラコントロールに問題はないようだった。
器楽の名演奏家でも、指揮者としては二流となってしまう人は多い。ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(本職はチェリスト)がその典型であったし、ウラディーミル・アシュケナージ(本職はピアニスト)も一流指揮者と認識している人は少ないのではないだろうか。もっとも、ロストロポーヴィチもアシュケナージも得意なレパートリー(ロストロポーヴィチであればショスタコーヴィチ、アシュケナージであればラフマニノフ)では高い評価を得ている。

演目は、J・S・バッハのヴァイオリン協奏曲第1番(デュメイによるヴァイオリン弾き振り)、ハイドンの交響曲第49番「受難」、シェーンベルクの「浄められた夜(浄夜)」(1943年版)。

アメリカ式の現代配置での演奏。日本ではドイツ式の現代配置を行ってる楽団が多いが、関西フィルだけは徹底してアメリカ式の現代配置を採用している。

今日も招待客が多いようである。


J・S・バッハのヴァイオリン協奏曲。バロック音楽だけにピリオド・アプローチは当然のように生かされる。ソリストであるデュメイもビブラートは抑え気味であるし、オーケストラ奏者もビブラートはほとんど用いない。テンポは普通で、ピリオドだからといって速めのテンポを採用したりはしないようだ。
長身から繰り出されるスケール豊かな音楽を武器とするデュメイであるが、今日はバッハの音楽だけに徒にスケールを拡げることなく、雅やかな音楽を奏でる。


ハイドンの交響曲第49番「受難」。
デュメイは身長が高いため、指揮台を用いる必要はなく、そのまま舞台上に立って指揮する。
指揮姿であるが、身長に比べると腕の動きはやや小さめ。またしっかりと拍を刻み、大きな音が欲しい時は振りを大きくし、特定の楽器の音を大きくしたいときにはその楽器に向かって手をかざしたり、その楽器の方を向いたりする。極めてオーソドックスな指揮である。ただ、分かりやすいと同時に面白味がない指揮姿ともいえる。デュメイは特定の人物に指揮を師事したことはなく、見様見真似で指揮を覚えたのだろう。だから、個性溢れる指揮は期待出来ないのかも知れない。レナード・バーンスタインが生きていて、今日のデュメイの指揮姿を見たらデュメイをどやしつけそうである。

ピリオド・アプローチを徹底した演奏。チェンバロを通奏低音として用いる。
ピリオド・アプローチを行うのは良いのだが、それが手段ではなく目標になってしまっている印象を受ける。ピリオドのために豊かな表情を殺しているような印象も受け、特に第2楽章では「疾風怒濤」期の交響曲と呼ばれるに相応しい悲劇的な旋律が押し殺されてしまったようで実に惜しい。全体としても殻を破れないもどかしさを感じた。


後半、シェーンベルクの「浄められた夜」。
バッハやハイドンのそれとは一転したエモーショナルな演奏で聴かせる。
関西フィルの弦楽は大阪フィルや日本センチュリー響などに比べるとあっさりしているが、今日はドイツ的な渋い音色を出すことに成功。それが曲が進みに従って、慈愛に満ちた柔らかな音色、救済を意味する明るい音色へと変化していく。
デュメイの指揮自体は特別な動きはしていないのだが、オーケストラから多様な音色を引き出す術には卓越したものがある。あたかも指揮棒を弓とし、関西フィルを巨大なヴァイオリンとして操るかのようだ。

名ヴァイオリニストであるオーギュスタン・デュメイ。指揮者としても名指揮者かというと、今日一回のコンサートだけでは判断できないが、少なくとも凡庸な指揮者でないことだけは確かなようである。

定期演奏会であるが、「浄められた夜」はメインプログラムとするには少し曲が短いということもあってか、アンコール演奏がある。ビゼーの「アルルの女」第1組曲より“アダージェット”。しなやかで優しさ溢れる佳演であった。

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2019年4月 1日 (月)

コンサートの記(538) 広上淳一指揮京都市交響楽団 モーツァルト連続演奏会 「未来へ飛翔する精神 克服 ザルツブルク[1776-1781]」第1回「溢れ出る管弦楽の力」@いずみホール

2013年10月31日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、いずみホールで、モーツァルト連続演奏会「未来へ飛翔する精神 克服 ザルツブルク[1776-1781]」第1回「溢れ出る管弦楽の力」という演奏会を聴く。いずみホールで今日から来年1月まで5回に渡って行われるオール・モーツァルト・プログラムによる演奏会の第1回である。トップバッターを務めるのは、広上淳一指揮の京都市交響楽団。

京都市交響楽団は、結成直後は今と違って中編成であり、初代常任指揮者であるカール・チェリウスによりアンサンブルが鍛えられ、緻密なモーツァルト演奏を売りとして、「モーツァルトの京響」と呼ばれたこともある。今は大編成のオーケストラとなり、「モーツァルトの京響」という言葉も半ば死語となりつつあるが、今も京響はオール・モーツァルト・プログラムによるコンサートを京都コンサートホール小ホール「アンサンブルホール・ムラタ」で連続して行っている。

曲目は、ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K.364(ヴァイオリン独奏:泉原隆志、ヴィオラ独奏:店村眞積)と、セレナード第9番「ポストホルン」K.320。

いずみホールは大阪を本拠地とする住友(屋号は泉屋)グループのホールである。住友生命保険相互会社の創立60周年を記念して1990年にオープンした中規模ホール。室内オーケストラや室内楽、ピアノリサイタルに適したホールである。内装は住友のホールらしく豪華。ただ音響はオーケストラ演奏を行うには今一つである。

 

今日は最前列上手寄りの席。演劇なら最前列は良い席なのだが、クラシック音楽の場合、音のバランスが悪くなるため、最前列はホールや演目によってはチケット料金が安くなることもある。

 

ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲のソリストは共に京都市交響楽団の首席奏者。若い泉原隆志(いずはら・たかし)が輝かしく軽やかなヴァイオリンを奏でるのに対し、店村眞積(たなむら・まづみ)は重厚で渋い音色を出す。好対照である。ヴァイオリンとヴィオラ、それぞれの楽器の個性が奏者によってより鮮明になった格好である。
指揮者の広上淳一は、指揮棒を持って登場したが、指揮棒は譜面台に置いたまま取り上げることはなく、結局、この曲はノンタクトで指揮した。
ワイパーのように両手を挙げて左右に振ったり、脇をクッと上げたり、ピョンピョン跳んだりする個性溢れる指揮だが、出てくる音楽はユーモラスな指揮姿とは全く異なる本格化。瑞々しくも力強い音楽が作られ、モーツァルトの音楽を聴く醍醐味を存分に味わわせてくれる。

 

後半のセレナード第9番「ポストホルン」。7つの楽章からなるセレナードであり、第6楽章で駅馬車のポストホルン(小型ホルン)が鳴らされることからタイトルが付いた。
広上はやはり指揮棒を手に登場するが、第1楽章はノンタクトで指揮する。豪華で生命力に満ちたサウンド。広上と京響の真骨頂発揮である。
広上は、第2楽章と第3楽章の冒頭では指揮棒を手に指揮を開始するが、合わせやすくするために指揮棒を使っただけのようで、合奏が軌道に乗ると、すぐに指揮棒を譜面台に置いてしまい、やはりノンタクトで指揮する。楽章全編に渡って指揮棒を使ったのは第5楽章だけで、メランコリックな曲調を潤んだような音色で表現したが、指揮棒を逆手に持って、ほぼノンタクトと同じ状態で指揮する時間も長かった。その前の第4楽章は快活でチャーミング。広上と京響の特性が最も生きたのは、この第4楽章であったように思う。
第6楽章では、ポストホルン奏者が指揮者の横に立ち、ポストホルン協奏曲のような形で演奏される。広上と京響はゴージャスな響きを作り出すが、ポストホルン奏者(ノンクレジットであるが、京響トランペットの紅一点である稲垣路子だと思われる)も負けじと輝かしい音を出す。
最終楽章となる第7楽章は堂々たる威容を誇る快演。非常に聴き応えのある「ポストホルン」セレナードであった。

 

アンコールとして、広上と京響は、「ポストホルン」セレナードの第6楽章を再度演奏した。

 

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