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2019年5月13日 (月)

観劇感想精選(300) 大阪松竹座「七月大歌舞伎」2014昼の部 「天保遊侠録」「女夫狐」「菅原伝授手習鑑」より寺子屋

2014年7月21日 道頓堀の大阪松竹座にて観劇

午前11時から、道頓堀にある大阪松竹座で、「七月大歌舞伎」昼の部を観る。演目は、『天保遊侠録』、『女夫狐』、『菅原伝授手習鑑』より「寺子屋」。ちなみに夜の部も魅力的な演目が揃っているが、今年は観る予定はない。


『天保遊侠録』は、勝海舟の父親である勝小吉(正式な通称は勝左右衛門太郎。演じるは中村橋之助)が主人公である。小吉は男谷信友を生んだ男谷家の出であるが妾腹の生まれであるため、小身の御家人である勝家の養子となるが、学問嫌いで遊び好き。牢にも二度入ったことがあり、役にも就かないでいたが、長男の麟太郎(のちの勝海舟)が神童の誉れ高いというので、金子の用意のために御番入りをしようと思い、小普請方支配頭の大久保上総介(片岡市蔵)や鉄砲組添え番の井上角兵衛(嵐橘三郎)らに取り入るべく、宴席に招こうとしている。小吉の甥の松坂庄之助(中村国生)も宴会の準備を手伝っているのだが、二人とも遊び人であったため、こうした正式な場での振る舞い方がわからない。
井上が芸者・八重次(片岡孝太郎)を連れて宴会の行われる料亭にやって来る。だが、八重次は小吉と昔馴染みであったが小吉が牢に入ったのを知らず、捨てられたと勘違いしたままであるため、小吉を見るや、憎しみが募ってすぐにその場を立ち去ってしまう。

八重次の妹分の芸者である茶良吉(中村児太郎)が、八重次に言付けを頼まれてやって来る。小吉が宴の主催者では今日の宴席には上がれないというのだ。仕方なく小吉は宴会の主催者を降りることにし、衣服を改めるために奥へと引っ込む。

小吉が奥に引っ込んでいる間に、麟太郎(子役が演じている)が現れる。麟太郎は、小吉に似ず利発であり、小吉の境遇のみならず世の中の状況を子供ながらに良く見抜いていた。

麟太郎が風呂に入り、着替えるために離れへと入っていったところに、小吉が戻って来て、丁度、その場にやって来た八重次と鉢合わせ、口論になる。と、離れの二階窓が開き、麟太郎が顔を覗かせる。麟太郎は聡明ぶりを発揮。八重次も感心し、麟太郎のためになるのならと、宴席に出ることを承知する。

やがて、大久保上総介や井上角兵衛が料亭に入ってくる。しかし、こういった場に慣れていない小吉や庄之助は至らぬことばかりで、大久保らを怒らせてしまい……

主役の勝小吉を演じる中村橋之助が二度、セリフを噛んでしまうという瑕疵があったが、全体としては優れた舞台になっていたと思う。


『女夫狐』は、『義経千本桜』から「川連法眼の館」、通称「四の切り」のリメイクであり、内容はほぼ同じであるが、主君は源九郎判官義経ではなく、楠木正成の子、楠帯刀正行(くすのきたてわきまさつら)である。

鼓の皮にされた狐の子供がやって来て鼓を恋い慕うというあらすじは同じであり、塚本狐が化けた又五郎(中村翫雀)と千枝狐が化けた弁内侍(中村扇雀)が楠正行(尾上菊之助)の下にやって来て、正行の持つ鼓を所望する。弁内侍は正行の恋人であったが、今はこの世の人ではない。不審がる正行は、弁内侍に宮中の行事をそらんじてみろというが、弁内侍はこともなげに舞ながら挙げてみせる。
楠正行は、弁内侍が生きていたのかと驚き、正行と女夫の契りを交わしたいという弁内侍の申し出を快諾する。又五郎は喜びの舞を演じて見せるが、雪の上の足跡が人間ではなく狐のものであることに正行が気付くと、正体を現し、正行の鼓の皮は自分達の親狐のものなのだと打ち明ける。「四の切り」同様、早替え、欄干渡り、独特の節を持つ狐言葉での語りなどが行われる。

弁内侍こと千枝狐を演じた中村扇雀の舞や立ち居振る舞いは実に妖艶。中村翫雀の面を次々に変えるユーモラスな舞も良かった。


『菅原伝習手習鑑』より「寺子屋」。子役が沢山出てくる。舞台はその名の通り、武部源蔵(中村橋之助)が営む寺子屋である。子役が多い中に大人の役者が子供役として混じっている。中村国生演じる与太郎である。菅丞相(菅原道真)の子である菅秀才(子役が演じている)が与太郎をたしなめる。武部源蔵は菅丞相の元家臣であり、そのため菅丞相の子である菅秀才を預かっている。

ところが、菅丞相を太宰府へと追いやった時平公(藤原時平)の家臣が、菅秀才を討つよう源蔵に命じたのである。源蔵は秀才を討つことは絶対に出来ない。だが、身代わりになる子供を探すのも気が引ける。しかも、自身の寺子屋に通うものはどれも田舎育ちで、公達の子のような品を持ち合わせているものはいない。どうしたものかと寺子屋に帰ったところ、妻の戸浪(尾上菊之助)から新たに寺子屋に入った小太郎(子役が務める)を紹介され、小太郎が見るからに育ちが良さそうであったため、彼ならば菅秀才の身代わりになれると確信する。しかし、だからといって心が晴れるわけではなく、幼い命を奪わねばならない苦しみに夫婦共に沈痛な面持ちである。

そこへ、時平公の家臣である春藤玄蕃(片岡市蔵)と松王丸(片岡仁左衛門)がやって来る。源蔵と戸浪は菅秀才を押し入れの中に隠し、子ども達を寺子屋の奥へと下がらせる。

松王丸は、菅丞相の家臣、白太夫の息子で、菅秀才のことは子供の頃から知っている。そこで、今日は首実検役として訪れたのだった。
時平公の家臣一同は、寺子屋に通う子供の親を連れてきていた。そこで、親に子供を呼ばせ、一人一人顔をあらためることにする。六人出てきたが、誰も彼も山家の顔で、気品のあるものは一人もいない。春藤玄蕃と松王丸は、まだ奥に菅秀才がいるはずだと源蔵夫婦に迫り、源蔵は仕方なく「菅秀才の首を差し出す」と言って奥へ入っていく。寺子が六人出てきたのに、机が七つあるのを見つけた松王丸に、戸浪は菅秀才の机だと告げる。

小太郎の首を菅秀才の首だと言って源蔵は差し出す。首を検めた松王丸は、「菅秀才の首に相違ない」と断言し、病があるということで、早々に退散する。

春藤玄蕃も下がったところで、源蔵夫婦はがっくりと肩を落とし、身を震わせて、「何とか上手くいった」と手を取り合う。
そこへ、千代という女(中村時蔵)がやって来る。千代は小太郎の母であった。源蔵は隙を窺い、千代に斬りつけるが、千代は小太郎の文机で源蔵の刀を受け止め、退ける。そして「南無阿弥陀仏」と書かれた幡と経帷子を取り出す。
門口から、松の枝が投げ入れられる。松の枝に付けられた短冊には「梅は飛び桜は枯るゝ世の中に何とて松のつれなかるらん」という菅丞相の歌が記されていた。そして松王丸が寺子屋の中へ入ってくる。源蔵は「おのれ、幼き命を奪いし者」と松王丸に斬りかかるが、松王丸は刀を交わし、本当のことを話す。白太夫の三人の息子、梅王丸、竹王丸、松王丸は菅丞相の左遷後、それぞれ別々の主君に仕えることとなり、松王丸は不本意ながら時平公の家臣となったが、菅丞相との主従関係を思い出すにつれ心苦しく、病と称して時平公から遠ざかろうとしていた。しかし、時平公から「菅秀才の首を取るまでは隠居は認めない」と言われる。源蔵の気質を知る松王丸は、「源蔵が秀才の首を差し出すことは絶対にない」と思ったが、ならば他の者が犠牲にならねばならないというので、小太郎に白羽の矢を立てたのである。思惑の通りにことは運んだが、千代と松王丸は我が子を身代わりに立てざるを得なかった因果を嘆き、戸浪と源蔵も悲しみに暮れる。
そこへ、園生の前という貴婦人(片岡秀太郎)が寺子屋の前に輿で乗り付けるのだが、彼女が実は……。

歌舞伎の演目の中でも特に感動的といわれる場である。客席のあちこちからすすり泣きが聞こえた。悲劇ではあるが、大和心をくすぐる話であり、秀逸である。笑いの場面も取り入れられていることで、悲しみはいや増しに増す。

橋之助の繊細さと剛胆さを兼ね備えた演技、仁左衛門の善悪両面を巧みに演じ分ける技量に感心した。

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