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2019年6月25日 (火)

コンサートの記(566) 下野竜也指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2019「オーケストラへようこそ!」第1回「オーケストラってなあに?」

2019年6月16日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2019 「オーケストラへようこそ!」第1回「オーケストラってなあに?」を聴く。指揮は京都市交響楽団の常任首席客演指揮者の下野竜也。
京都市交響楽団は、広上淳一、高関健、下野竜也のトロイカ体制が続いていたが、少なくとも今の体制は今シーズン限りで終わりとなるようだ。

曲目は、J・S・バッハの「小フーガ」ト短調(ストコフスキー編曲/下野竜也補編。オルガン独奏:桑山彩子)、ヴィヴァルディの「四季」より「冬」第2楽章(ヴァイオリン独奏:泉原隆志)、モーツァルトの交響曲第29番第1楽章、ベートーヴェンの交響曲第5番から第3&第4楽章、ベルリオーズの幻想交響曲から第4楽章「断頭台への行進」、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、ウェーベルンの管弦楽のための6つの小品から第4曲、交響詩「ローマの祭り」から「主顕祭」


開演前にロビーコンサートがある。今回は井幡万友美のチェンバロコンサート。チェンバロの音は小さいので、聴衆に近づいて聴いて欲しいと井幡が言ったため、チェンバロの周りに人々が密集して聴いているという珍しい光景が見られた。


バッハの「小フーガ」ト短調。まずオルガン独奏の桑山彩子が出だしを弾き、第1フーガが終わったところで下野指揮の京響の演奏に交代。その後、再びオルガンソロに戻った後で、オルガンとオーケストラの共演となる。オーケストラはストコフスキー編曲版を演奏するが、オルガンとの交代時の音色が自然であり、ストコフスキーの編曲家としての腕の高さが実感される。

演奏終了後に下野はコンサートマスターの泉原隆志に握手を求めたのだが、下野が小柄ということもあって泉原は下野がそばに来ているということに気がつかず、握手が遅れる。
下野は、「無視されちゃいました。嫌われてるのかなあ」と語り、泉原が首を振る。

ナビゲーターのガレッジセールが登場。ゴリは「オーケストラに疎い二人がやって参りました」と言う。場面転換のため、京響の楽員が席を立ったのだが、ゴリが「ここで一斉に帰り始めましたが、ストライキですか?」、川ちゃん「皆さん、ガレッジセールはお嫌いですか?」

下野はまずオーケストラの語源を二人に説明。オーケストラとは場所の名前が語源であり、古代ギリシャの劇場には、ステージと客席の間にオルケーストラ(踊る場所)と呼ばれる場所があり、そこで歌や踊りが行われていたのだが、主役は舞台上にいる歌手や俳優で、オーケストラは脇役であったと語る。

ヴィヴァルディの「四季」より「冬」第1楽章は、第1ヴァイオリン6人の小編成での演奏。ヴィヴァルディの時代は専業の指揮者がいなかったということで、下野は「目と心で合わせていた」と語る。この曲では指揮なしでの演奏となるため、ゴリ「ヴィヴァルディの時代だと下野さん、失業ですか?」、下野「失業です」というやり取りがある。下野は、「さっき私を無視したコンサートマスターが出てきて、中心にやります」と言ったため、ゴリも「コンサートマスターは人を無視する泉原隆志さん」と紹介する。
登場する泉原と退場する下野がステージ上ですれ違うときに、「冗談きついよ」「いやいや」といった感じで手でやり取りしていた。
桑山彩子のポジティブ・オルガンを加えての演奏。下野がポジティブ・オルガンを紹介した際に、ゴリが「前向きなオルガン」と言って、下野に「そのポジティブじゃない」と返されていた。
温かな音色による親密な演奏である。


モーツァルトの交響曲第29番より第1楽章。モーツァルトの初期の交響曲であるため、管楽器が少ない。モーツァルトがクラリネットを取り入れたのは彼の後期になってから。トロンボーンをオーケストラに加えたのは通説によるとベートーヴェンで、交響曲第5番が最初になると下野は紹介する。ただ、調べるとベートーヴェンより先にトロンボーンを加えた人はいるにはいるそうだ。トロンボーンはそれまでは教会で合唱と共に宗教曲を演奏しており、それが世俗のコンサートにも加わるようになる。

音色はモダンスタイルであるが、ボウイングはHIP風という折衷スタイルでの演奏。スケールは大きくないが典雅なモーツァルトが奏でられる。


ベートーヴェンの交響曲第5番より第3&第4楽章。2つの楽章には切れ目がない。トロンボーンが加わるのは第4楽章の頭からである。
下野は学校の音楽室に飾られた作曲家の肖像画(ちなみに下野によると瀧廉太郎がいるのは何かの間違いらしい)で、バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトと来て、ベートーヴェンから変わることは何かとガレッジセールの二人に聞き、川ちゃんが「夜になると目が動く」と答えて、下野に「それは都市伝説」と一蹴される。答えは「かつらをかぶっていない」である。当時は貴族の前ではかつらをかぶるというのが音楽家の身だしなみであった。ベートーヴェンは貴族に仕える身分でしかなかった音楽家の地位を向上させた人といわれている。
下野指揮のベートーヴェンの5番は、昨年、びわ湖ホールで行われたNHK交響楽団の演奏会で聴いており、しっかりとした演奏であることを確認している。
今回も確かな構築力を感じさせる好演だったが、スケールをかっちり決めた上で細部を整えていくというスタイルの演奏であるため、自在感や奔放さはない。朝比奈隆スタイルのベートーヴェンと書くとクラシックファンにはわかりやすいだろうか。個人的にはもっと暴れまくるベートーヴェンが好きである。


後半。ベルリオーズの幻想交響曲より第4楽章「断頭台への行進」。ベートーヴェンの死からさほど立っていない時期に初演された作品だが、大編成であり、後のロマン派へと繋がっていく楽曲である。
ゴリが、「当時、これだけ入れる会場ってあったんでしょうか?」と聞く。下野は、「当時の会場で演奏している映像(ジョン・エリオット・ガーディナー指揮オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティークのものだろうか)を見たことがあるのですが、ステージ上ぎっしりでした」と答えていた。
幻想交響曲の背景についても下野は語り、「イギリスから来ていた大女優(ハリエット・スミスソン)に恋をしてしまうわけです。凄いと思うのは楽屋に行って『結婚して下さい』と言ったこと」。無名の作曲家であったベルリオーズは当然ながら相手にされず、その時の屈辱感を幻想交響曲への昇華させる。面白いのは、幻想交響曲の初演をスミスソンが聴きに来ており、結果、二人は結婚に漕ぎ着けるということだ。川ちゃんが、「まさに、山ちゃん(蒼井優と結婚した山里亮太)」、ゴリ「山ちゃん、僕らの後輩ですけども」
下野は楽器編成についても語り、「ティンパニの中山(航介)さんはいつもいます。だけど今回は横に宅間(斉)さんが、『宅間さん』って楽器じゃないですよ」と言って、
ゴリ「それぐらいはわかります」
川ちゃん「僕らなんだかんだで47ですので」

下野は、テューバ奏者二人に、「楽器持ち上げてみて、ジャンプ!」と無茶ぶりして、ゴリに「絶対、きついですよね」と言われる。
下野「強権濫用(ママ)」

下野指揮の「断頭台への行進」であるが、極めて上品である。狂気がほとばしるような演奏をする指揮者も多いが、下野の場合は常に節度と美観を保ち、「ノーブル」ともいえるような仕上がりになっている。この曲がノーブルである必要があるのかどうかは意見が分かれるだろうが。


ドビュッシーの交響詩「牧神の午後への前奏曲」。下野はドビュッシーについて、「それまでとは違った和音を使って作曲した、人によっては『それ間違ってるんじゃないの?』と言われそうなギリギリのところを狙った」と語る。「輪郭のはっきりしない、揺れるような朧な」音楽である。下野はモネなど印象派の画家の名前を挙げながら、共通点についても語っていた。
下野の指揮する「牧神の午後への前奏曲」であるが、丁寧で美音を存分に生かしつつ浮遊感も忘れないという理想的なものである。下野というとブルックナーやドヴォルザーク、リヒャルト・シュトラウスなどを得意とするイメージがあるが、それ以上にフランスものが合っているのではないだろうか。少なくともこれほど美しいドビュッシーを生み出せる日本人指揮者は稀である。

下野の指揮した「牧神の午後への前奏曲」についてゴリは、「水の上をグルグル漂っているような」と表現した。


ウェーベルンの管弦楽のための6つの小品から第4曲。管楽器と打楽器のための作品である。下野は、「今日の客席の150%の人が『何これ?』というような曲」と紹介する。
アントン・ウェーベルンについては、「先輩方には叶わない、それよりも新しい音楽を生み出そうというシェーンベルクと一緒に活動してた作曲家」と紹介する。
演奏前に下野は、「最初は恐ろしく小さい音、空調の音が聞こえるような小さな音で始まり、それが……、内緒!」といって指揮を始める。
ドビュッシーは和音を飛躍させたが、ウェーベルンら新ウィーン学派になるともう和音が破壊されてしまっており、それまでの常識では計り知れないような音楽となる。この曲は元々は葬送行進曲として作曲されたといわれており、クライマックスでは破滅的な響きに至る。


レスピーギの交響詩「ローマの祭り」から「主顕祭」。
オーケストレーションの達人として、管弦楽の色彩感を極限まで推し進めたレスピーギ。「ローマの祭り」は、その後の映画音楽にも貢献することになった描写力抜群の音楽である。
下野指揮の京響の表現力はまさに一級品。日本人指揮者と日本のオーケストラによるものとしては最高レベルの演奏である。京響の明るめの音色もこの曲にジャストフィットだ。

アンコール。下野「我々がクラシックしか演奏出来ないと思わないで下さい!」、ゴリ「なんですか突然?」ということで、「ローマの祭り」に掛けた「お祭りマンボ」が演奏される。打楽器とオルガン、トランペットのための編曲(編曲:野本洋介)。楽団員が「ワッショイワッショイ!」とかけ声を出すなど、ノリノリの演奏となった。

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