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2019年6月17日 (月)

観劇感想精選(304) 加藤健一事務所 「Taking Sides ~それぞれの旋律~」

2019年6月1日 京都府立府民ホールアルティにて観劇

午後2時から、京都府立府民ホールアルティで、加藤健一事務所の公演「Taking Sides ~それぞれの旋律~」を観る。「戦場のピアニスト」「想い出のカルテット」「ドレッサー」のロナルド・ハーウッドが、20世紀最高の最高の指揮者であったヴィルヘルム・フルトヴェングラーのナチ裁判予備審問を描いた戯曲の上演。私は6年ほど前に、行定勲の演出、筧利夫、平幹二朗、福田沙紀、当時無名の鈴木亮平らの出演による上演(「テイキングサイド ~ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日~」)を観ている。
テキスト日本語訳は小田島恒志と小田島則子。演出は鵜山仁。出演は、加藤健一、今井朋彦(文学座)、加藤忍、小暮智美(青年座)、西山聖了、小林勝也(文学座)。

舞台上方に下側がちぎれた状態の星条旗が掛かっている。舞台下手にも星条旗が、あたかも歌劇「蝶々夫人」の上演時のように掲げられている。上手に上方に設けられたドームが崩れ落ちたままのドアがあり、登場人物はこのドアから入ってくる。
ベートーヴェンの交響曲第5番第4楽章の演奏が鳴り響いて上演開始。星条旗を吊り下げていた上手側の紐が切れ、舞台上に落ちかかる。後方の壁にはベルリン陥落の模様の映像が投影される。

灯りがつくと、エンミ・シュトラウベ(加藤忍)が指揮真似をしている。エンミはベートーヴェンの愛好家なのだが、連合軍取調局に所属しているアメリカのスティーヴ・アーノルド少佐(加藤健一)は、音楽には全く興味がなく、ベートーヴェンの交響曲第5番についても、「くその役にも立たないほど退屈」と感じている。エンミはベートーヴェンの交響曲第8番が最も好きなのだが、ベートーヴェン入門曲として第九を薦める。だが、アーノルドは「第5より短いのか?」と聴く気のない発言をする。

アーノルドは世界的な大指揮者であるヴィルヘルム・フルトヴェングラー(小林勝也)の予備審問を担当するのだが、フルトヴェングラーについては全く知らない。知らないからこそ選ばれたという側面もある。アメリカで活躍するアルトゥーロ・トスカニーニやレオポルト・ストコフスキーは知っているが、指揮者ではなくバンドリーダーという認識であり、フルトヴェングラーもバンドリーダーの一人だと思っている。
フルトヴェングラーは、ナチス政権化にあってナチ党員にならず、ユダヤ人音楽家の国外逃亡に手を貸していた。だが自身はドイツに留まってベルリン陥落の前年にようやくスイスへ亡命したため、「実はナチ協力者なのではないか?」という嫌疑をかけられていた。フルトヴェングラーと彼が指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏は、ナチがドイツ国民の優越性を示すためのプロパガンダとして用いていた。
新たにアーノルドの部下となったデイヴィッド・ウィルズ中尉(西山聖了)は、ハンブルク生まれのユダヤ系ドイツ人で今はフィラデルフィア在住という二重にも三重にも引き裂かれた経歴の持ち主である。精神的にはヨーロッパ寄りであり、ベートーヴェンは大好き。その点において同じアメリカ人でもアーノルドとは大きく異なっている。

典型的なアメリカ的合理主義的精神の持ち主であるアーノルドは、予備知識を徹底して廃してフルトヴェングラーやベルリン・フィルの第2ヴァイオリン奏者であったヘルムート・ローデ(今井朋彦)を追求していく。
途中、タマーラ・ザックスという女性(小暮智美)が闖入する。タマーラはドイツ人女性で旧姓は典型的なドイツの苗字であるミュラー。しかし、ユダヤ人ピアニストであるヴァルター・ザックスと結婚していた。ヴァルター・ザックスとタマーラはパリに亡命するが、ナチスによってパリが陥落したため、ヴァルターはアウシュヴィッツに送られて命を落とした。だが、二人がパリに亡命出来たのはフルトヴェングラーのお陰であるとして、彼の無罪を訴えに来たのである。

タマーラだけでなく、ローデ、エンミ、デイヴィッドら全員がフルトヴェングラーは偉大な芸術家だと擁護する中、アーノルドは後光効果(ハロー効果)を廃した追求を行おうとする。フルトヴェングラー本人にも脅威となった若きヘルベルト・フォン・カラヤンの存在や、愛人や隠し子が各所にいたというフルトヴェングラーの私生活に踏み込んで揺さぶりをかけていく。
やがて、ナチス高官ハンス・ヒンケルが残した様々なデータによってローデが実はナチ党員だったことがわかり……。

 

行定勲演出の「テイキングサイド」では、小林隆がヘルムート・ローデを演じており、最初から気弱で人におもねりそうなローデ像を作り上げていたが、今回の「Taking sides」は今井朋彦のローデということで印象は大きく異なり、同じセリフでも意図が異なって聞こえる。
「テイキングサイド」でアーノルドを演じた筧利夫は、異常なまでの映像記憶力の持ち主で、かなりの早口、非感情的という人物に扮していたが、加藤健一のアーノルドは異能者であることはセリフで示されてはいるものの、それを思わせる展開はほぼないため、同じ合理主義者のアメリカ人ではあっても異なった要素が表に出ているように思われる。行定演出ということあって、筧のアーノルドはかなり挑戦的でもあったようだ。

「テイキングサイド」では、平幹二朗演じるフルトヴェングラーの完全敗北という感じに見えたラストだが、今回はフルトヴェングラーの後悔のみに留められ、またラストに流れる第九第1楽章も「芸術はそんなことで負けも終わりもしない」というアーノルドへの忠告のように響いた。

アメリカの合理主義とドイツ引いてはヨーロッパの伝統主義、芸術至上主義の代理戦争の構図がこの劇には見て取れる。そして、戦前においてはドイツを、戦後はアメリカをモデルとして発展してきた日本において「Taking sides(どちらの側を取るか)」を上演する意味についても考えさせられる。

 

ロビー(というより普段は喫茶店として使われているスペース。喫茶店は今日は午後3時で閉店)でアフタートークがあり、出演者全員が登場する。

イギリスでは「Taking Sides」は「コラボレーション」との二本立て作品として上演されており、「コラボレーション」の方は、加藤健一事務所は2011年に上演している。加藤健一は、「Taking Sides」の台本も同時に読んでいたそうだが、その時はフルトヴェングラーという人物を知らなかったために上演を見送ったそうである。ただ、それから8年経って、「早くやらないと、どっち(アーノルドとフルトヴェングラー)を演るのかわからなくなってしまう」ということで取り上げることにしたそうである。
加藤健一は、普段は真逆の人間なので演じやすかったと言って笑いを取るが、「フルトヴェングラー好きはいっぱいいるものですから」、フルトヴェングラーファンから悪く見られるのが嫌なようで、東京公演の時も楽屋に来た今井朋彦のフルトヴェングラー好きの知り合いから、「段々段々、憎く憎く見えてきました」と言われてショボンとしたそうである。
小暮智美は、「福島県会津出身です。京都には色々な思いがあります」と自己紹介。演じたタマーラについてハーウッドは「タマーラはホームレスのように見える」と書いていたため、そう見えるように稽古の時から工夫をしており、お歯黒をしてきてみんなから「この人は何をしてるんだ?」と怪訝な顔をされたり、演出の鵜山仁から「いや、そういうんじゃない」と駄目だしされつつ、色々模索している最中だそうである。ちなみに今日のメイクは今井朋彦に「八ツ橋に見える」と言われたそうだが、言われた方はどんなだかわからないそうである。

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