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2019年7月 2日 (火)

観劇感想精選(308) 野村万作・萬斎狂言公演「萩大名」「木六駄」@びわ湖ホール2014

2014年12月14日 びわ湖ホール中ホールにて観劇

午後5時から、びわ湖ホール中ホールで、「野村万作・野村萬斎狂言公演『萩大名』『木六駄』」を観る。タイトル通り野村万作と野村萬斎の親子による狂言公演である。今日は午後1時からと午後5時からの2回公演で、シテ方が交代する。午後1時からの「萩大名」のシテ方を務めるのは野村万作、午後5時からの「萩大名」のシテ方は野村萬斎である。「木六駄」では逆に午後1時からのシテ方は野村萬斎、午後5時公演のシテ方は野村万作である。

上演前に野村萬斎が登場し、作品の解説を行う。「萩大名」(毛利氏ではない)について。作品が作られた室町時代の頃の大名というのは名田を多く持っている人のことで、いわゆる守護大名や戦国大名、1万石以上の大名ではないという。田舎から京に上ってきた田舎大名が将軍(足利氏)から所領を安堵された上に新たに領地を加増された。しかもすぐに国元に戻って良いというので大喜びである。大名は都で物見遊山して国に帰ろうと太郎冠者に言う。
萬斎は「大名というのはプライドが高いので、舞台の前方まで出ていくんです。普通は中間ぐらいで止まるんですが、かなり前まで出てしまう」と解説する。
お付きの太郎冠者は大名の出世を願って清水寺の観音菩薩に日参していたという。
「『ニッサン』聴き慣れない言葉ですね。車の会社ではないですよ。私はHONDAのテレビCMに出ていますので、ライバル会社の宣伝をするわけには参りません。HONDA、HONDA、HONDA。これぐらい言っておけば宜しいでしょうか」と萬斎。「日参というのは毎日参拝することです。太郎冠者が熱心に祈っていたんですね」
その太郎冠者が清水寺の参道に茶屋があり、庭園の萩が見事なので国元に帰る前に見物することを進める。ただ、その茶屋の主というのが少々お堅い風流人であり、来客に和歌を一首求めるのだという。
萬斎は、「この大名というのは武人。政治家なんですね。ところで投票行きましたか?(この日は衆議院選挙の投票日であった)」と客席に聞き、「武人なので文化系のことは苦手なので和歌は詠めない。そこで太郎冠者がその辺で聞いた和歌が相応しいのでそれを詠めば良いということになります。しかし大名は和歌が覚えられない。そこで太郎冠者がブロックサインを出すわけです」と萬斎は続ける。
萬斎は太郎冠者がすねを出すところに注目して欲しいとも解説する。

「木六駄」について萬斎は、「普通は『き・ろくだ』という風に読むのですが、狂言では『きろくだ』と読むわけです。オリンピックかなんかの『記録だ』みたいですが」
「この狂言は珍しいんです。普通の狂言は『この辺りに住まいいたす者でござる』と始まるのですが『木六駄』では、『奥丹波に住まいいたす者でござる』とこう言うんですね。東京でやると奥丹波と言ってもわかって貰えないのですが。駄というのは荷物の単位でありまして、木の束六駄と炭六駄を牛に一頭に一つずつ、全部で12頭に乗せまして雪の中を都まで引いていくわけです。野性の牛を見たことがあるという方はいらっしゃいますでしょうか。私はイギリスに留学していた時に、ロンドンから郊外まで車を運転していますと田舎に入るや牛と遭遇するわけです。牛というのがなかなか動かない。ただイギリス人というのはそういうことには鷹揚なわけです。クラクションを鳴らしたりしない。牛が通過するまで10分ぐらい待っていたりします。このなかなか動かない牛を動かすという演技を父がやります」
「最初から真ん中に人が座っていますが、狂言というのは人が出たり入ったり忙しいのを嫌いますので、座っていたとしても動いてなかったらいない。見えていても見えないというお約束でございます。今度は紛らわしいのですが、牛はいないのですがいると、想像力を働かせる必要があります。狂言を見るには想像力が必要です」と語り、「見えないものが、さもあるかのように演じるのを父は得意としておりまして、この場にいらっしゃる方は幸運でございます」と父親を立てた。

狂言の前に小舞が二曲、「貝づくし」と「海人」である。
「貝づくし」を舞うのは岡聡史。地謠により様々な貝の有様が描かれる。
「海人」は、母親が竜宮城に奪われた玉を取り返すために海獣達と戦うという、よく演じられる内容のものである。深田博治が舞った。

「萩大名」。大名を演じる野村萬斎は、やや大袈裟にサーッと舞台の前方まで早足で出て来て、解説を聞いていた観客を笑わせる。
見事な萩を持つ庭園を見に行くことにした大名であるが、和歌が詠めない。そこで太郎冠者(内藤進)が「七重八重九重とこそ思ひしに十重咲きいづる萩の花かな」というどこかで聞いた和歌を知っているのでを用いれば良いという。しかし大名は物覚えが悪いので、「そんなものを諳んじるには三年はかかる」と言う始末。そこで、太郎冠者がヒントを与えることにする。扇を開き、七本目八本目を出して「七重八重」とし、九本目で「九重ばかりと思いしに」、十本全部を開いて「十重に咲きいずる萩の花かな」と示す。萩は太郎冠者が向こうずねを出して、それを「脛(はぎ)」として覚えることにする。
早速、茶屋にやって来た大名と太郎冠者。茶屋の亭主(月崎晴夫)が出迎え、庭を見せる。大名が「あの白い砂はなんじゃ?」と聞くので亭主が「備後砂」でございます」と答えると、大名は「道明寺干し飯(河内国道明寺で作り始めた乾燥してたくわえる飯のこと)のようじゃ」と無粋なことをいって太郎冠者に制せられる。赤い萩の花と白い砂を見て、「赤飯のようじゃ」とまた食べ物に例えた発言をして田舎者丸出しの大名。
亭主に和歌を詠むよう求められ、太郎冠者の助けを借りる大名。しかし扇子の姿そのままに「七本八本」と言って亭主を不思議がらせる。大名は太郎冠者にそっと言って貰って「七重八重」と本来の言葉を継げる。その後も「九本」と言ってしまい、扇子を開いて出すと「はらり」などと言ってしまう大名に太郎冠者は愛想を尽かし、一人で茶屋から帰ってしまう。太郎冠者の助力で「七重八重九重とこそ思いしに十重咲きいずる」までは詠めた大名であるが、振り返ると太郎冠者がいない。そこで、「さらば」とそらっとぼけて帰ろうとするが、亭主がそれを許さない。大名は太郎冠者がやっていたことを思い出すが、「七重八重九重とこそ思いしに十重咲きいづる太郎冠者の向こうずね」と言ってしまい、不調法者として亭主に追い出されるのだった。
野村萬斎は華があって良い。あの華は持って生まれたもので出そうとしても出せないものである。

「木六駄」。野村万作がシテである太郎冠者を演じるのだが野村万作は太郎冠者をやるには年を取り過ぎている感がなきにしもあらず。ただ演技は流石にしっかりしている。
丹波国の山奥。主(中村修一)から、木六駄、炭六駄を牛に載せて都の親戚の家まで運ぶよう命じられた太郎冠者。最初は嫌がるが、布子(詰め物のある麻の着物)をやるからと主に言われて喜んで引き受けてしまう。主からは都の親戚に手酒を持って行くよう命じられ、左手に手酒を提げ、右手で牛を鞭打って進むことになる。主からは文も預かった。
いうことを聞かない牛をなだめすかしながら雪道を進んできた太郎冠者は、峠に茶屋があるのを見つける。茶屋の主(高野和憲)は、茶屋の中に太郎冠者を案内する。体が冷えたので酒を所望した太郎冠者であるが、茶屋には生憎酒はないという。茶屋の主は太郎冠者が手酒を持っているのを見て「それを飲めば良いではないか」と言い、太郎冠者も「濃い酒なので減った分を水で埋めればばれまい」として、手酒を飲んでしまう。そうこうしているうちに杯が進み、手酒を全て飲み干してしまった太郎冠者と茶屋の主。太郎冠者は世話になったと木六駄も茶屋の主にあげてしまう。
太郎冠者は茶屋の主の掛け声に合わせて「鶉舞」を舞う。酔いながらちょこちょこと踊る舞である。
都についた太郎冠者は主の伯父(石田幸雄)の家に行くのだが、酔っているということもあり「何をしに来たのかわからない」と言う。そこで太郎冠者は主から授かった文を主の伯父に渡す。文には手酒と木六駄を太郎冠者に託したと書いてあったのだが、手酒も木六駄もない。我に帰った太郎冠者は逃げだし、それを主の伯父が追うというところで話は終わった。

今日は2階席からの観劇であった(1階席は満席であったが2階席はガラガラであった)が、きめ細やかな表現を味わうことが出来、満足であった。

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