カテゴリー「コンサートの記」の403件の記事

2018年7月19日 (木)

コンサートの記(403) 高関健指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2018「Bravo! オーケストラ」第1回“華麗なるバレエの世界”

2018年7月1日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2018「Bravo! オーケストラ」第1回“華麗なるバレエの世界”を聴く。昨年度までのオーケストラ・ディスカバリーは午後2時開演だったが、今回からマチネーの定期演奏会と同じ午後2時30分開演に改められている。今日の指揮者は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。今回は桧垣バレエ団との共演で、ステージの奥部を上まで上げた二段舞台での上演となる。ということで今日はポディウム席、ステージ横席共に販売されておらず、最前列と2列目も奥で行われるバレエが見えないため空席となっている。ナビゲーターはガレッジセール。

演目は前半が、チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」から「小序曲」~「行進曲」~「子どもたちの小ガロップと親たちの登場」、チャイコフスキーのバレエ「白鳥の湖」から「情景」と第2幕「オデットと王子のグラン・アダージョ」。後半が、プロコフィエフのバレエ「シンデレラ」ハイライト。

桧垣バレエの出演者は、プリマバレリーナの小西裕紀子を始め、今井大輔、林杏香(はやし・きょうこ)、中尾圭子、蘆原絵莉子、中井高人(たかと)、福島元哉、榎本心、和田健太郎、中谷美咲、大久保真貴子ほか。


今年度はチケットの売れ行きが良く、油断して買うのが遅れたため、2階サイド席の最もステージから遠い場所の席になった。以前だったら音の通りが悪い席だったが、舞台をすり鉢状にして後部の反射板代わりにすることで、音響の改善に成功したようである。ステージからは遠いが音には問題はない。

今日もコンサートマスターは客演で、植村太郎が入る。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーは尾﨑平が務める。第2ヴァイオリンの首席も客演の小宮直に託された。


まずは「くるみ割り人形」。京響の好調は続いており、エレガントな響きが聴き手を楽しませてくれる。
桧垣バレエ団は予想していたよりも本格的な上演。後方ステージ上は賑やかで、多彩な踊りが展開された。

上演終了後、マイクを手にしゃがれた声で自己紹介。昨日まで風邪を引いており、今日治ったばかりだという。
ガレッジセールの二人が登場し、ゴリが「今日、お金掛かってるから京響の皆さんの給料が出なくなるなんてことはないでしょうか?」と冗談をいう。
その後、ガレッジセールと高関の3人がいったん退場して後方ステージに上がる。ゴリは「NGKより眺めが良い」といって、川ちゃんに「そんなこと言っちゃ駄目でしょ」とたしなめられていた。その後、小西裕紀子が後部ステージ上に呼ばれ、ガレッジセールの二人からの質問に答えていく。小西、それからその後に登場した小学6年生の団員二人は止まっている時も両つま先を外側に向けたバレエのポーズであり、いつでも踊りに入ることが出来るようこれを常に保つ必要があることを述べる。「オーケストラの皆さんは楽器を使いますが、私たちは体を楽器にして」常に磨き続けることを心がけているそうである。バレリーナは公演中の待ち時間も長いのだが、いつ本番になってもすぐに対応できるよう体を最善の状態に保ち続けているそうだ。

「白鳥の湖」。小西裕紀子と今井大輔のパ・ド・ドゥである。ダイナミックさと華麗さを併せ持ったバレエが展開される。高関指揮の京響も万全の演奏を聴かせた。


後半、プロコフィエフのバレエ「シンデレラ」ハイライト。この曲ではガレッジセールの二人が交互にナレーションを担当する。元々俳優志望だったゴリの方がナレーションは上手い。川ちゃんはちゃんと読もうとする気持ちが強すぎた結果、文を短く切りすぎて却って伝わりにくくなっていた。
物語性が強いということで、小西裕紀子によるユーモア溢れる演出が生きている。舞踏会に妖精が現れるところではストップモーションを採用。意地悪な継母(演じるのは蘆原絵莉子)とその娘達の踊りでは、若い娘達には男達がすぐに支えにくるのに、継母には誰も寄ってこないため、継母が床を踏みならして「誰か来なさい!」と強制する場面が加わっていた。継母はコミックリリーフ的な扱いであり、皆で客席中央通路に出て紙吹雪を撒くシーンでも一人でいつまでも紙吹雪を投げ続けるというわがままぶりを発揮して笑いを誘っていた。バレエのユーモラスなシーンはサイレント映画に通じるところがあり、観ていて、「ああ、チャップリンだ、バスター・キートンだ、ヒッチコックだ」と様々な無声映画を連想した。
高関指揮の京響もシャープで所々にわさびを利かせた演奏を展開し、プロコフィエフを聴く楽しみを十全に味わわせた。

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2018年7月12日 (木)

コンサートの記(402) 飯守泰次郎指揮関西フィルハーモニー管弦楽団第206回定期演奏会 大澤壽人 交響曲第2番 復活初演

2008年10月8日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪のザ・シンフォニーホールで、関西フィルハーモニー管弦楽団の第206回定期演奏会に接する。指揮は、常任指揮者の飯守泰次郎。

曲目は、シャブリエの「いやいやながらの王様」より“ポーランドの祭り”、世界最高峰のヴァイオリニスト、オーギュスタン・デュメイを迎えての、ショーソンの「詩曲」とラヴェルの「ツィガーヌ」、神戸生まれの大澤壽人(おおざわ ひさと)の交響曲第2番。

ピアノがソロを奏でる演目はないはずだが、ステージ上にはピアノ協奏曲を奏でる位置にピアノが置かれている。
午後5時40分頃に、例によって関西フィル理事の西濱秀樹さんが登場し、プレトークが始まる。ステージ上に置かれたピアノは、指揮者の飯守泰次郎がピアノを弾きながら大澤壽人の交響曲第2番の解説を行うためのものであることがわかる。飯守は、各楽章のさわりを弾きながら大澤の意図、作曲の時代背景などについて語った。
ピアノはセリを使ってはけさせられた。

バイロイトで音楽助手を務め、バイロイト音楽祭の総監督ヴォルフガング・ワーグナーから「本当のカペルマイスター」と賞賛された飯守泰次郎。評価も高いが、この人、どういうわけか知名度が今一つである。ギクシャクとした独特の動きと唸り声を上げながらの指揮が特徴。

シャブリエの「いやいやながらの王様」より“ポーランドの祭り”。
飯守の奏でる音楽を聴いていると、譜面を設計図に、オーケストラ団員の出す音を材料にして指揮棒という金槌で音楽という建物をトントンと建てている職人の姿が浮かぶ。まさに職人芸といった感じだ。
だが、飯守より若くて知名度のある指揮者には、その指揮者自身の力の限界を超えた地点まで音楽が達する瞬間がままあるのだが、飯守にはそうしたものは一切求められない。手堅くて良い指揮者だが、人気が上がらないのはそこに理由があるのだろうか。
とはいえ、飯守の指揮するシャブリエは優雅で洒落っ気がある。

オーギュスタン・デュメイを迎えての2曲。大男のデュメイだが、数年ぶりに見る彼は少し太ったようである。
デュメイは関西フィルの首席客演指揮者に就任し、お披露目となった先日の神戸での演奏会は大好評だったという。
デュメイのヴァイオリンは音に厚みがあり、ヴァイオリン一挺で、オーケストラに匹敵するほどのスケールを誇る。というと物理的には大袈裟だが、感覚的には決して大袈裟ではない。今日も至芸を聴かせてくれたが、普通のヴァイオリニストならともかく、デュメイとしてはこの程度の出来は日常的なレベルのものだったように思う。感心させられるがそこ止まりであった。並のヴァイオリニストなら今日のような演奏でも上出来なのだけれど。

大澤壽人は、1907年生まれ(自己申告によるもの。戸籍上は1906年生まれだという)。神戸の生まれ育ちで、関西学院に学び、ボストンに留学してボストン交響楽団を指揮して自作を演奏し、大成功(大澤はボストン交響楽団を指揮した初めての日本人である。なおボストン交響楽団初の日本人音楽監督となったのは大澤ではなく小澤>征爾だが、偶然とはいえ面白い)。その後、パリに渡って、当時の最先端の音楽を吸収。交響曲第2番はパリで初演され、絶賛を浴びた。大澤は凱旋帰国した際に交響曲第2番を演奏したが、当時の日本は音楽の後進国中の後進国、というわけで、大澤の音楽を理解できた聴衆はほとんど一人もいないという有様だったという。それでもヨーロッパに帰れば味方は沢山いると考えた大澤だが、折悪しく、第二次世界大戦が勃発。日本に留まらざるを得ない状態になった。その後、大澤は当時の日本人のレベルに合わせた作品を書いて発表したが、それでも理解は得られなかった。生活のために放送用の音楽を書いたり、映画音楽を作曲したりするが、1953年に過労が元で46歳で早世。本格的なクラシック音楽の分野からは遠ざかっていたため、その後長く忘れ去られた存在となっていた。
そんな大澤に光を当てたのは、今日の関西フィルのプログラムも執筆している片山杜秀氏で、氏が監修を務めたNAXOSレーベルの「日本作曲家選輯」に大澤壽人の作品を抜擢。このCDを通して大澤壽人の名は再び知られるようになった。

大澤の交響曲第2番が、戦後、プロオーケストラによって演奏されるのは今日が初めてで(日本人作曲家の作品を演奏するために結成されたアマチュアオーケストラであるオーケストラ・ニッポニカが先に演奏してはいる)、事実上の復活初演となる。

洗練を極めた音楽であり、大澤の生前に注目を浴びていたフランス六人組の作品集に大澤作品が混じっていたとしても気がつかないほどである。
大澤の交響曲第2番のCDは、ドミトリ・ヤブロンスキー指揮ロシア・フィルハーモニー管弦楽団の演奏がNAXOSの「日本作曲家選輯」から出ており、私も聴いて感銘を受けたが、生で聴くとまた違った印象を受ける。
大澤の生前の聴衆と違い、私などが大澤作品を聴いても何とか着いていけるのは、大澤に影響を与えたラヴェルやフランス六人組や、より現代的な音楽も聴いているからだが、それでも十全に理解できたかというとそうでもない。十全な理解などどんな作品であっても不可能なのかも知れないが。
極度に洗練され、フランス音楽やジャズなど様々な音楽のイディオムが詰め込まれているが、時折、日本の民謡や田植え歌に似た旋律が入るのが、日本人作曲家としての個性と誇りを感じさせる。
関西フィルも、音にもっとパンチ力が欲しかったが、音は美しく、埋もれていた名作を見事復活させることに成功していたように思う。

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2018年7月11日 (水)

コンサートの記(401) オリバー・ナッセン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第442回定期演奏会

2010年10月14日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の442回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は作曲家としても著名なオリバー・ナッセン。

曲目は、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、バルトークにピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:ピーター・ゼルキン)、ナッセンの自作自演となる交響曲第3番とドビュッシーの交響詩「海」。
現代音楽がプログラムに入っているためか、空席が目立つ。特に1階席の前の方はガラガラだった。
ナッセンは極端に太っており、歩くのが難儀そうだった。
今日は普段と違い、アメリカ式の現代配置による演奏である。

ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。ナッセンは細部まで目を配り、隅々まで良く彫刻された瑞々しい音を大フィルから引き出す。

バルトークのピアノ協奏曲第3番。ピーター・ゼルキンは譜面と譜めくり人をおいての演奏である。ゼルキンのテクニックは一流だが超一流というほどではない。しかし、クッキリとした音で、味わい深い音を奏でる。ナッセン指揮の大フィルも好演である。

ナッセンの交響曲第3番。指揮台の前に、チェレスタとハープ、ギター奏者が並ぶという独特の配置。神秘的な雰囲気で始まり、途中で巨大な音の塊と化した後で、再び神秘的で静かな音楽に戻っていく。

ドビュッシーの「海」。やはり細部まで配慮の行き届いた演奏であった。弦も管も洗練され、テンポも中庸で聴きやすい。

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2018年7月 5日 (木)

コンサートの記(400) 京都岡崎音楽祭 2018 OKAZAKI LOOPS タンブッコ・パーカッション・アンサンブル コンサート

2018年6月24日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて

午後1時から、左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールで、京都岡崎音楽祭 2018 OKAZAKI LOOPS タンブッコ・パーカッション・アンサンブル コンサートを聴く。

タンブッコ・パーカッション・アンサンブルは、1993年に結成されたメキシコの打楽器アンサンブル。アメリカのグラミー賞に4度ノミネートされるなど評価が高い。日本では2011年に国際文化交流基金賞を受賞しており、「題名のない音楽会」にも出演経験がある。

芸術監督のリカルド・ガヤルドが英語でのトークを行いながら演奏を進めていく。メンバーはリカルドと、アルフレッド・ブリンガス、ミゲル・ゴンザレス、ラウル・トゥドンの4人。

曲目は、グリフィンの「過去の化学作用の持続」、パーカーの「石の歌、石の踊り」、ラウル・トゥドンの「風のリズム構造」、ライヒの「マレット・クァルテット」、インファンソンの「エマトフォニア(あざのできる音楽)」、ブリンガスの「バランコ」
タイトルからわかる通り、現代音楽を中心とした演目である。

現代音楽といっても難解なものは少なく、ポップで心地よい作品が並ぶ。グリフィンの「過去の化学作用の持続」やライヒの「マレット・クァルテット」などは洗練されており、今日は演奏されなかったがグラハム・フィットキンなどが好きな人にも薦められる。

パーカーの「石の歌、石の踊り」は二つの石を打ち合わせたり、擦ったりして音を出す音楽。芸術監督のリカルド・ガヤルドが石を叩いて、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の冒頭を奏でたり、「石(ロック)を使ったから、これはロックコンサートだよ」と冗談を言うなど、ユーモアのセンスにも富んでいる。

メンバーの一人であるラウル・トゥドンの「風のリズム構造」には、先週、タンブッコ・パーカッション・アンサンブルのメンバーがワークショップを行った京都市立錦林小学校の児童が参加。録音された音楽が流れる中、様々な打楽器が空間を埋めるように打ち鳴らされる。偶然性の高い音楽であり、同じ演奏は二度と出来ないということで瞬間瞬間が貴重となる。

ライヒの「マレット・クァルテット」が演奏される前に、リカルドはマリンバでiPhoneの着信音を奏で、グロッケンシュピールでは新幹線の「間もなく」の時に流れるチャイムを再現する。

インファンソンはメキシコのジャズの作曲家だそうだが、彼が書いた「エマトフォニア(あざのできる音楽)」は、ボディーパーカッションによる音楽。体を叩くので、思わぬ所に痣が出来ることがあるという。各メンバーがソロを取るが、ラウル・トゥドンは頬を叩いて音を出し続けたため、顔が真っ赤になる。この曲では、聴衆も出演者に促されて手拍子をしたりタンギングを行ったりした。

ブリンガスの「バランコ」は、フラメンコなどで用いられるカホンをフィーチャーした作品。今日は東福寺の塔頭内にある遼天Cajon工房で作られたカホンを4人が用いるということで、遼天Cajon工房の石原守宏住職も客席に来ており、リカルドに紹介された立ち上がった。
この曲ではリカルド・ガヤルドが、「パーカッションではないんだけど」と前置きした上で導入部と中間部でギターを演奏していた。

アンコールとしてまず2台のマリンバでメキシコ民謡「泣き女」が演奏され、ラストにはライヒの「木片のための音楽」が演奏される。「泣き女」はメロディアス、「木片のための音楽」はノリノリで、客席も大いに盛り上がった。


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2018年7月 1日 (日)

コンサートの記(399) 非破壊検査 Presents コルネリウス・マイスター指揮読売日本交響楽団第20回大阪定期演奏会

2018年6月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで読売日本交響楽団の第20回大阪定期演奏会を聴く。今日の指揮者は読響首席客演指揮者のコルネリウス・マイスター。マーラーの交響曲第2番「復活」1曲勝負である。

コルネリウス・マイスターは、1980年、ドイツ・ハノーファー生まれの若手指揮者。ハノーファー音楽演劇大学でピアノと指揮を学び、21歳でハンブルク国立歌劇場にデビュー。2005年には24歳の若さでハイデルベルク市立歌劇場の音楽総監督に就任し、2012年まで務める。2010年からはウィーン放送交響楽団の首席指揮者兼芸術監督の座にある。2014年に読響と初共演。今年9月からはシルヴァン・カンブルランの後任としてシュトゥットガルト市立歌劇場の音楽総監督に就任する予定である。

以前はザ・シンフォニーホールで大阪定期演奏会を行っていた読売日本交響楽団だが、よりキャパの大きなフェスティバルホールに会場を移している。来年の3月でシルヴァン・カンブルランが常任指揮者を退任することになり、次期常任指揮者にセバスティアン・ヴァイグレの就任が決まった読響。今年の4月に新練習場が神奈川県川崎市内に完成し、前練習場閉鎖以来の稽古場ジプシー状態が終わりを告げ、より充実した演奏活動が期待される。

今日のコンサートマスターは、長原幸太。ソプラノ独唱:ニコール・カベル、メゾ・ソプラノ独唱:アン・ハレンベリ。合唱は新国立劇場合唱団。

近年、セレモニアルな機会に演奏されることが増えたマーラーの交響曲第2番「復活」。大阪では大植英次が、大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督就任時(ザ・シンフォニーホール)と現在のフェスティバルホールこけら落とし演奏で同曲を取り上げており(いずれも接していない)、東京ではパーヴォ・ヤルヴィがNHK交響楽団首席指揮者記念として渋谷のNHKホールで演奏している。ただ、大編成による複雑な交響曲であるため、しょっちゅう聴けるというわけではない。

今日は1階席最後列で聴く。1階席は前の方でしか聴いたことがないが、直接音が飛んでこないという印象を受けた。今日も2階席が頭上にせり出しているため、残響を感じにくい。オペラをやると響きすぎて壁がビリビリいうフェスティバルホールだが、今日も合唱が壁を振るわせ、軋むような音が混じる。

コルネリアス・マイスターであるが、北部ドイツの出身らしい端正な音楽を作る。パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団の演奏では、パーヴォはオーケストラの威力を前面に出していたが、マイスターは音楽のフォルムを重視。だがそのため却ってマーラーの音楽の異質さがダイレクトに伝わってくるような印象を受ける。

マーラーの交響曲第2番「復活」は、交響詩「葬礼」を基とする第1楽章と第2楽章以降では性格が異なるとして、マーラー自身が第1楽章終了後に「最低5分の休憩」を挟むようスコアに書き込んでいるのだが、実演ではほとんど採用されていない。今日も少し間を開けだだけであった。

これまで、空間の広いフェスティバルホールを鳴らせていないように感じた読売日本交響楽団だが、今日は大編成による演奏ということで、納得のいく音響を作り出していたように思う。独唱、合唱ともに整っており、美しいマーラーが築かれていた。鳴らせたという点で、これまで接した読響大阪定期の中でも最上の部類に入ると思う。



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2018年6月30日 (土)

コンサートの記(398) 来日50周年特別公演 エリック・ハイドシェック with ザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブル

2018年6月26日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時からザ・シンフォニーホールで、来日50周年特別公演 エリック・ハイドシェック with ザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブルのコンサートを聴く。

個性派ピアニストのエリック・ハイドシェック。1936年、フランス・シャンパーニュ地方のランスの生まれ。フランスを代表するシャンパンメーカーであるシャルル・エドシークの御曹司である。苗字のHEIDSIECKはフランス語ではエドシークに近い発音となるが、先祖がドイツ系ということでドイツ風のハイトジークを名乗る(日本ではハイドシェック表記が一般的である)。
フランスを代表するピアニストであり教育者としても名高いアルフレッド・コルトーの高弟の一人。6歳から本格的な音楽教育を受け、9歳でリサイタルデビュー。パリ高等音楽院に入学して2年後に首席で卒業。エコール・ノルマルではコルトーに師事している。その後、イタリアでヴィルヘルム・ケンプにも師事した。
1950年代後半にモーツァルトのスペシャリストとしてEMIからデビュー。その後、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集、フォーレの夜想曲全集を録音している。ベートーヴェンとフォーレはその後、廉価盤CDとして再発された際に私も聴いているが、かなり充実した演奏であった。
1980年代は主にリヨン国立高等音楽院のピアノ科教授として過ごすが、音楽評論家の宇野功芳と宇和島在住の公務員にしてミステリー作家の宇神幸男の後押しで行われた宇和島での演奏会(なんか「宇」ばかり出てくるな)が評判となり、ライブCDがテイチクから発売されてベストセラーとなった。ベートーヴェンの三大ソナタ(「悲愴」、「月光」、「熱情」)を収めたCDは私も聴いたが、とにかく個性的な演奏であった。あたかも19世紀のピアニストが突然バブル期の日本に降り立ったかのような趣があった。その後、ハイドシェックは日本ビクターと契約し、モーツァルトのピアノ・ソナタ全集や協奏曲集をリリースしている。1998年にリヨン国立高等音楽院での教職を辞し、コンサートと録音中心の活動を行うようになった。近年では作曲家としても活動している。

日本クラシック音楽界の名物評論家として名を馳せた宇野功芳のバックアップを受けたのだが、宇野功芳という人は歯に衣着せない人で、名演奏家でも不出来と見做すや一刀両断にするためアンチも多く、日本におけるハイドシェックの評価にも毀誉褒貶合わせて相当な影響を与えている。


曲目は、オール・モーツァルト・プログラムであるが、前半がピアノ協奏曲第14番第2楽章、ピアノ協奏曲第16番第2楽章、交響曲第29番第2楽章、後半が交響曲第41番「ジュピター」第2楽章、ピアノ協奏曲第21番「みじかくも美しく燃え」第2楽章という、第2楽章ばかりが並んだかなり珍しいものである。ここにもハイドシェックの独特のセンスが表れている。


伴奏は、田部井剛(たべい・つよし)指揮のザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブル。
田部井剛は、早稲田大学商学部を卒業後、東京音楽大学指揮研究生修了(広上淳一に師事)、更に東京芸術大学指揮科を卒業している。芸大在学中の1999年に日本フィルハーモニー交響楽団との演奏会でハイドシェックと初共演し、ハイドシェックから「ヤング・トスカニーニ」との賛辞を得たという経歴を持つ。その後、ハイドシェックとたびたび共演している。

ザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブルは、その名の通り、ザ・シンフォニーホールでの演奏を念頭において結成された団体である。関西のプロオーケストラ4団体のメンバーで構成されている弦楽アンサンブルであるが、今日は管楽器奏者も計7名参加している。
今日のコンサートミストレスは、日本センチュリー交響楽団のコンサートミストレスである松浦奈々。弦楽器はセンチュリー響のメンバー10名と関西フィルハーモニー管弦楽団の団員2名からなる。管楽器の参加は、フルートの杉山佳代子、オーボエの中根庸介と高橋幸子(オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ)、ファゴットの首藤元(京都市交響楽団)と日比野希美(大阪フィルハーモニー交響楽団)、ホルンの水無瀬一成(日本センチュリー交響楽団)と中川直子(関西フィルハーモニー管弦楽団)。


このハイドシェックはかなりボヘミアンなピアニストで、コンサートホールでの演奏なのにプライベートなサロンにいるかのように振る舞う。良家のボンボンであり、ピアノを弾いていれば幸せというタイプでもあったのだろう。ソロリサイタルならともかくとして共演するにはかなり難しい性格のようである。


ハイドシェックは登場すると、まずテキストを手に英語でのスピーチを行う。よくは分からなかったが、「インメモリアム」という言葉が聞き取れたため、大阪北部地震の犠牲者のための演奏を行うことがわかる。演奏されたピアノ曲はメシアンを甘口にしたような作風である。休憩時間に分かったが、ハイドシェックの自作曲で前奏曲「愛の痛みを愛せよ」というものであった。ハイドシェックは途中で間違えて止まってしまい、「Sorry!」と頭を抱えて続きから弾き直す。


さて、モーツァルトのピアノ協奏曲であるが全て第2楽章ということで、緩徐楽章の演奏となる。基本的には技術よりもリリシズムが重視される。
田部井とザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブルが演奏を開始するが、ピアノのパートになるとハイドシェックは伴奏を無視するかのような独自のテンポで弾き始めてしまう。遅い上に歌い崩すため、オーケストラでの伴奏が四苦八苦するという状態。協奏曲なのにハイドシェックは端っから合わせるつもりはないようである。
メカニックは控えめにいって上質とはいえないもので、アマチュア的なピアニズムである。師であるアルフレッド・コルトーもヴィルヘルム・ケンプも共に技術的には十分に評価された人ではなかったからか、気にしていないようにも見える。
田部井剛も自身を持ち上げてくれた人だから伴奏指揮もするが、そうでなかったら付き合い切れないかも知れない。
指揮者でもあった宇野功芳がハイドシェックを共演した際、ハイドシェックが余りに自在なテンポで演奏するため、終演後に大喧嘩になったという噂があるが、本当だったとしても頷ける。

田部井剛指揮のザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブルの演奏であるが、単独で演奏した交響曲第29番と「ジュピター」の表現では管のバランスが強いという難点が確認出来る。ハイドシェックは表現主義的だが、田部井はそうではない。

ピアノ協奏曲第21番の第2楽章は、同曲が全編で用いられたスウェーデン映画「みじかくも美しく燃え」のタイトルが無料パンフレットに書き込まれている。俗っぽくなるのでタイトルを付けない場合が多いが、ハイドシェックの演奏は音が濃く、表現もロマンティックであり、映画の音楽としても相応しいものとなっていた。
フランスの映画監督にルイ・マルという人物がいた。「死刑台のエレベーター」などで有名な人だが、この人は富豪の息子で、道楽で映画を撮っていたら世界的な映画監督になってしまったという幸運児である。ハイドシェックもルイ・マルと同類であるように思われる。上流階級出身のディレッタントタイプだ。

後半のプログラムが短いが、これにはわけがある。ハイドシェックは好きなだけアンコール演奏を行うというピアニストであるため、意図的に後半が早く終わるよう設定してあるのだ。

アンコール演奏は、ヘンデルの組曲第3番、J・S・バッハのフランス組曲第5番、ドビュッシーの前奏曲第1集より「雪の上の足跡」、ドビュッシーの前奏曲第2集より「ヒースの荒野」、ドビュッシーの「子供の領分」より“小さな羊飼い”、ヘンデルの組曲第2番より前奏曲。ハイドシェックは自分で曲紹介を行い、鼻歌まじりで楽しそうに弾いていく。

ヘンデルやバッハではミスしても気にせず弾き直すというシーンがあったが、音色は高貴であり、ハイドシェックが高度のエスプリ・クルトワの持ち主であることが感じられる。
そしてドビュッシーは最上級の演奏。和音の作り方がお洒落であり、音色は濃厚かつ色彩豊か。物語性にも優れている。流石はコルトーの愛弟子と実感させられる至芸であった。

ハイドシェックは、ザ・シンフォニーホールの花道に出たり、ピアノの前を横切ったりといったユーモアを見せる。真の自由人である。
最後は指揮の田部井に話しかけて首を大きく振られるというシーンがあったが、「今日やった協奏曲のどれかをもう一度演奏しようよ」といったか、「オーケストラもアンコールしてよ」といったかのどちらかだと思われる。他の人はハイドシェックほど自由人ではない。

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2018年6月18日 (月)

コンサートの記(397) 鬼束ちひろ CONCERT TOUR 「UNDER BABIES」大阪公演

2018年6月13日 ZEPP Nambaにて

午後7時から、Zepp Nambaで、鬼束ちひろ CONCERT TOUR 「UNDER BABIES」大阪公演を聴く。鬼束ちひろのコンサートに行くのは久しぶり、実に16年ぶりである。

鬼束ちひろの登場は、日本ポピュラー音楽史上においても大きなことだったと思うが、その後の彼女の音楽人生は順風満帆とはいえないものであった。

チケットを取るのが比較的遅かったので、2階席で聴く。ツアーグッズ売り場には長蛇の列が出来ていて、今もなお高い人気を誇っていることがわかる。
今回はピアノ三重奏(ピアノ:坂本昌之、ヴァイオリン:室屋光一郎、チェロ:結城貴弘)をバックに歌う。

デビュー曲である「シャイン」でスタート。「シャイン」はファーストアルバム「インソムニア」にもピアノ伴奏バージョンが収録されているが、今回のアレンジはシングルバージョン(もしくはPVで聴けるアンプラグド・バージョン)に近いものである。

鬼束らしい没入型の歌唱スタイル。発音に明瞭さを欠くように感じられたのだが、その原因らしきものが後に明かされることになる。
左手を動かしながらの歌唱は以前と変わらないが、昔とは違って女っぽい仕草を見せるようになった。三拍子の曲ではワルツを舞うような動きを見せたりもする。

「トリック」シリーズの主題歌となった、「月光」、「流星群」、「私とワルツを」の全曲が歌われるという豪華なセットリスト。その他にも、驚異的名曲として知られる「King of Solitude」、最高傑作の一つである「Infection」のほか、「CROW」、「青い鳥」、「edge」、「螺旋」、「僕等 バラ色の日々」などが歌われる。鬼束作品は内省的な歌詞を持つものが多いのだが、詞・サウンド共に伸びやかな「Sign」が印象に残る。「Infection」では“私に勝ち目などないのに”という歌詞を飛ばしてしまい、ハミングで切り抜けるという場面があるなど、結構ハラハラさせられたりもする。

ラストの曲の前に、「少し喋っていい?」と鬼束が語りかける。5月25日の最愛のお婆ちゃんが亡くなったそうで、怖くお葬式にも行けなかったそうだが、ずっと泣き明かしていたそうで、今回のツアーも出来るかどうかわからなかったほどだったという。多分、歌唱にも影響が出たのだろ。
祖母に捧げる曲として、「VENUS」が歌われる。

鬼束とバックメンバーが引っ込み、新曲である「ヒナギク」が流れ始めてからも拍手は鳴り続け、当人達も迷ったようだが、結局アンコールなしで終わりとなる。それでも客席からは温かい拍手が送られた。


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2018年6月16日 (土)

コンサートの記(396) 作曲家 平田聖子の世界 「親鸞が音楽で現代に甦る。」

2018年6月10日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、作曲家 平田聖子の世界 「親鸞が音楽で現代に甦る。」を聴く。

平田聖子は愛知県出身の作曲家。愛知県立芸術大学音楽学部作曲科で小林秀雄(著名な批評家とは別人)に作曲を師事。1995年より宗教音楽の作曲をライフワークに定め、親鸞の世界を作曲し始めている。

出演は、親鸞和讃を歌う会合唱団、大阪ゲヴァントハウス合唱団、波多野均、大田亮子、三輪陽子、伊藤公一、居福健太郎、垣内みどり、中西俊哉、中西雅音(まさお)、戸塚ふみ代、石橋直子、佐久間真理、羽塚知啓(はつか・ともひろ)、荒山淳。平田聖子は司会と指揮を務める。

演目は小品が並ぶ。「破闇(はあん)」(龍笛のための)、「弥陀の本願信ずべし」、「南無阿弥陀仏をとなるれば」、「金剛堅固の信心の」、「信は願より生ずれば」、「十方微塵世界の」、「白骨章」、清風宝樹をふくときは」、「桜の森の満開の下」(弦楽四重奏のための)、「天地いっぱい なむあみだぶつ」、「本願力のめぐみゆえ」

浄土真宗のコンサートということで関係者も多く、普段の京都コンサートホールとは雰囲気が異なる。出演者は名古屋に縁のある人が多く、名古屋にある真宗大谷派の同朋大学の教員が2名(佐久間真理、荒山淳)、名古屋芸術大学の教員が3人(波多野均、伊藤公一、石橋直子)、名古屋フィルハーモニー交響楽団の関係者が3名(中西俊哉、戸塚ふみ代、石橋直子)、愛知県立芸術大学関係者が平田聖子を含めて5名(波多野均、三輪陽子、垣内みどり、戸塚ふみ代)、そして真宗大谷派の名古屋音楽大学の出身である大田亮子に名古屋東照宮雅楽部所属の羽塚知啓(篳篥&コントラバス)という顔ぶれである。

平田聖子の作風であるが、メロディーよりも響きの作曲家であることが感じられる。弦楽の合奏を聴くと宗教音楽の作曲家であると同時に現代音楽の作曲家であることもわかり、仏教音楽、童謡、印象派、黒人霊歌風など幅広い作風を誇っていることも確認出来る。

合唱とメゾソプラノ、アルト、テノール、室内楽という編成による「清風宝樹をふくときは」は、フルートの旋律から察するにラヴェルの「ダフニスとクロエ」より日の出へのオマージュであるように思われる。


無料パンフレットの背面に、「弥陀の名号となえつつ」のボーカル譜が印刷されており、アンコールでは聴衆も一緒に歌う。関係者が多いということもあってか、みんな結構歌ってくれていた。

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2018年6月 9日 (土)

コンサートの記(395) ジョセフ・ウォルフ指揮 日本センチュリー交響楽団第225回定期演奏会

2018年5月31日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、日本センチュリー交響楽団の第225回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はイギリス出身の若手、ジョセフ・ウォルフ。

ジョセフ・ウォルフは、実はサー・コリン・デイヴィスの息子である。だが、親の七光りを嫌い、芸名で活躍している。ロンドンの王立音楽院と、ドレスデンのカール・マリア・フォン・ウェーバー大学でヴァイオリンをジョルジ・パウクらに師事。アマデウス弦楽四重奏団、ボロディン弦楽四重奏団、タカーチ・カルテットと共に室内楽の経験も積み、ウォルフ・カルテットを結成している。指揮は、コンラート・フォン・アーベル、ヨルマ・パヌラ、クルト・マズア、小澤征爾らに師事。カール・マリア・フォン・ウェーバー大学在学中にブランデンブルク・フィルの指揮者に就任している。その後、イギリスに戻り、ギルドホール音楽演劇学校でも学んでいる。


オール・ベートーヴェン・プログラムで、「コリオラン」序曲 作品62、ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品61(ヴァイオリン独奏:クロエ・ハンスリップ)、交響曲第4番 作品60。作品番号の並んだ作品をプログラミングしている。

今日のコンサートマスターは、後藤龍伸(たつのぶ)が務める。


ジョセフ・ウォルフ登場。口髭と顎髭を伸ばしており、写真とは大分イメージが異なる。


「コリオラン」序曲。ピリオドを援用した演奏で、燃焼度、ドライブ能力共に高い演奏である。


ヴァイオリン協奏曲ニ長調。ソリストのクロエ・ハンスリップは、1987年生まれの若手。ピアニストのダニー・ドライバーと共にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集を作成している。ロシア人教師のザハール・ブロンに10年間学び、クリスティアン・テツラフ、イダ・ヘンデル、サルヴァトーレ・アッカルドにも師事している。

ハンスリップは美音家。スケールはさほど大きくないが、磨き抜かれた音が心地よい。


交響曲第4番。ここではかなりピリオドを意識した演奏を聴かせる。急激な音の盛り上げ、典雅なピッチカートなど美しさと力強さを兼ね備えた音楽を生み出していく。
ウォルフの指揮はそれほどダイナミックではなく、指揮姿も個性的ではないが、音楽同様、イギリス的なエレガントさとドイツ的な堅固な構築感を感じさせるものであった。

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2018年6月 7日 (木)

コンサートの記(394) 京都フィルハーモニー室内合奏団 室内楽コンサートシリーズ Vol.66 「後期ロマン派の潮流」

2018年5月30日 京都文化博物館別館ホールにて

午後6時30分から、三条高倉の京都文化博物館別館ホール(旧日本銀行京都支店)で、京都フィルハーモニー室内合奏団 室内楽コンサートシリーズ Vol.66 「後期ロマン派の潮流」を聴く。京都フィルハーモニー室内合奏団が京都文化博物館別館ホールや京都府立府民ホールアルティで行っている室内楽のコンサート。京都フィルハーモニー室内合奏団は定期演奏会でも比較的珍しい曲目を取り上げることが多いが、室内楽コンサートでも他では聴くことの出来ない曲が並ぶ。

今日の曲目は、ツェムリンスキーの「ユモレスク」、マーラーのピアノ四重奏曲、マーラーの交響曲第5番より第4楽章アダージェット(室内楽版。Mr.Nurse編曲)、ヴォルフの「イタリアンセレナード」、ワーグナーの「ジークフリート牧歌」
今回のプログラムは、京都フィルハーモニー室内合奏団チェロ奏者の佐藤響がプロデュースしたものだそうで、トークも佐藤が中心になって務めていた。


ツェムリンスキーの「ユモレスク」。抒情交響曲や交響詩「人魚姫」が有名なツェムリンスキー。音楽教師としても活躍し、弟子であるアルマ・シントラーと恋仲になるが、実ることなく、アルマはマーラーと結婚することになる。
市川えり子(フルート)、岸さやか(オーボエ)、松田学(クラリネット)、小川慧巳(ファゴット)、御堂友美(ホルン)による演奏。「ユモレスク」というタイトルの通り、ユーモアを感じさせる曲だが、19世紀末生まれの作曲家らしいロマンティシズムも濃厚である。

さて、ツェムリンスキーの下を離れてマーラーと結婚したアルマ。芸術的才能に恵まれ、作曲をこなす才色兼備の女性であったが、自我が強く、虚言癖のある悪女としても有名でマーラーを手こずらせている。


マーラーのピアノ四重奏曲。マーラーが16歳の時に書いた作品である。この時、マーラーはウィーン楽友協会音楽院に在学中、同期生にハンス・ロットがいた。マーラーは交響曲を未完成のものも含めて11曲と歌曲を多く残したが、指揮者としての活動がメインとなったこともあり、室内楽曲や器楽曲などは若い頃に数曲書いただけである。
西脇小百合(ピアノ。客演)、中野祥世(ヴァイオリン)、松田美奈子(ヴィオラ)、佐藤響(チェロ)による演奏。
16歳で書かれたにしてはシリアスな楽曲である。陰気で沈鬱であり、マーラーの個性が表れているが、後年に書かれた彼の交響曲に聴かれるようなグロテスクな面はまだ表に出ていないようである。


マーラーの交響曲第5番より第4楽章アダージェット。ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「ベニスに死す」で用いられたことで有名になっている。ちなみにトーマス・マンの原作では主人公のグスタフ・アッシェンバッハは作家ということになっているが、トーマス・マン自身がマーラーをモデルにアッシェンバッハ像を作り上げており、映画ではアッシェンバッハは作曲家という設定に変えられている。
ちなみに、ワーグナーはベニスにおいて客死している。
アメリカの作曲家による編曲だそうである。西脇小百合(ピアノ)、森本真裕美(ヴァイオリン)、岩本祐果(ヴァイオリン)、松田美奈子(ヴィオラ)、佐藤響(チェロ)による演奏。
やや速めのテンポによる演奏だが、速度記号がアダージェットであるため、これが指示通りの速さであるともいえる。オーケストラがこの曲を比較的ゆっくり演奏するのは、レナード・バーンスタインがジョン・F・ケネディ追悼演奏で緩やかなテンポを採用したことが影響しているといわれている。
マーラー特有の農濃さが室内編成によって中和されたような印象を受ける。


ヴォルフの「イタリアンセレナード」。森本真裕美、中野祥世、松田美奈子、佐藤響のカルテットによる演奏。
梅毒を原因とする精神病に苦しみ、42歳の若さで亡くなったフーゴ・ヴォルフ。若い頃はやんちゃにして不真面目な学生で、ウィーン音楽院を退学になっている。熱心なワグネリアン(ワーグナー崇拝者)であり、歌曲の作曲家であったが、歌曲自体が余りお金になるジャンルではなく、収入面では恵まれなかったようである。
「イタリアン」とタイトルに付くことから分かるとおり、快活な楽曲である。歌曲の作曲家らしい伸びやかな旋律も特徴。


ワーグナーの「ジークフリート牧歌」。今日演奏される曲目の中で最も有名な楽曲である。トランペットの西谷良彦がトークを務め、ワーグナーが妻のコジマと生まれたばかりの息子のジークフリートのために書いた曲であること、コジマの誕生日の朝にワーグナー家の階段に楽士を並べて初演されたことなどが語られる。
その後、ワーグナーとコジマの関係についても話そうとしたのだが、楽団員が出てきたため、「詳しくはWikipediaなどにも書いてあります」と述べて終わりにした。
フランツ・リストの娘であるコジマは、史上初の職業指揮者でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の初代常任指揮者としても知られるハンス・フォン・ビューローと結婚したのだが、ワーグナーがコジマを略奪。ビューローはワーグナーを尊敬していたため文句も言えず、引き下がるしかなかった。ワーグナーは作曲家としては大天才だったが、人間的にはかなり異様なところがあり、積極的に友人にはなりたくないタイプであった。そのためベニスでの最期にも不審死説や他殺説があったりする。

市川えり子(フルート)、岸さやか(オーボエ)、小川慧巳(ファゴット)、松田学(クラリネット)、伊藤咲代子(クラリネット。客演)、御堂友美(ホルン)、垣本奈緒子(ホルン。客演)、西谷良彦(トランペット)、岩本祐果(ヴァイオリン)、中野祥世(ヴァイオリン)、松田美奈子(ヴィオラ)、佐藤響(チェロ)、金澤恭典(コントラバス)による演奏。

「ジークフリート牧歌」には名盤も多いが、京フィルのメンバーもしっかりとした美しい演奏を展開。京都文化博物館別館ホールの音響も分離こそ十分ではなかったが、残響も良く、また内装が生み出す雰囲気がクラシック演奏によく合っている。


アンコールは、ワーグナーの「ローエングリン」より“婚礼の合唱(結婚行進曲)”。温かな演奏であった。

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