カテゴリー「コンサートの記」の100件の記事

2019年3月15日 (金)

コンサートの記(531) ブルーノ=レオナルド・ゲルバー ピアノ・リサイタル2013京都

2013年10月22日 京都府立府民ホールALTIにて

午後7時から京都府立府民ホールALTI(アルティ)で、ブルーノ=レオナルド・ゲルバーのピアノ・リサイタルを聴く。

現役屈指のベートーヴェン弾きとして知られるブルーノ=レオナルド・ゲルバー。アルゼンチンの生まれ育ちである。ラテンアメリカはその名の通りスペイン系が主流だが、ゲルバー自身はスペインではなく、オーストリア、フランス、イタリアなどの血を引いているという。7歳の時に重い小児麻痺を患い、1年以上寝たきりの生活が続くが、5歳でリサイタルを開いた神童だけに「もったいない」ということで、両親はベッドの上でも弾けるようにピアノを改造し、幼いゲルバーも毎日ピアノのレッスンに励むことが出来たという。

小児麻痺の影響は現在も残り、歩行が少し不自由である。オーケストラの演奏会のソリストとして登場する時には指揮者に手を引かれて登場するのであるが、今日はソロ・リサイタルだけに、マネージャーに導かれて上手の客席入り口から登場した。

アルティは様々なステージを組むことが可能だが、今日はステージを平土間にし、ステージ上手脇と下手脇の両方にも席を設けている。下手側の席の人はゲルバーの背中を見ながら、上手側の席の人はゲルバーの顔を見ながらピアノを聴くことになる。私はステージ脇の席ではなく、8列目、下手側の席であった。ピアニストの手元がよく見える席である。
平土間にしてステージの両脇にも席を設けたので、通常のステージを使う際に設けられた出入口は使用出来なかったため、上手の客席入り口から現れたのである。


ゲルバーが得意とするオール・ベートーヴェン・プログラム。ピアノ・ソナタ第14番「月光」、ピアノ・ソナタ第3番、ピアノ・ソナタ第15番「田園」、ピアノ・ソナタ第23番「熱情」が演奏される。なお、当初発表されたプログラムとは、「月光」と「田園」の順番が入れ替わった。

ゲルバーの実演に接するのは久しぶり。まだ千葉に住んでいた頃に、東京・渋谷のNHKホールで行われたNHK交響楽団のソリストとして登場した時以来ではないだろうか。その時の演奏はかすかに記憶にあるが、指揮者が誰であったかなどは覚えていない。エリアフ・インバルであったような気もするが確かではない。
2010年に京都市交響楽団とも共演しているが、京都コンサートホールではなく、びわ湖ホール大ホールで行われた特別演奏会であり、私は耳にしていない。

ゲルバーは同性愛者としても知られるが、そもそもクラシック音楽界には同性愛者は多く、アメリカでは「ユダヤ人か同性愛者でないと指揮者として成功出来ない」といわれたこともあるほどだ。ただこれは当時、アメリカを代表する指揮者であったレナード・バーンスタインやジェームズ・レヴァイン、マイケル・ティルソン・トーマスなどがこぞってユダヤ系の、カミングアウトした同性愛者であったためで、かなり誇張されていると思われる。ユダヤ人でも同性愛者でもないのにアメリカで指揮者として成功した人物は沢山いる。

アルティは室内楽演奏に適した規模のホールであり、ゲルバーなら京都コンサートホール大ホールでもリサイタルが開けると思っていたが、ゲルバーも最近はレコーディングを全く行っていないためか日本での知名度に陰りが出てきたようで、アルティでも当日券は発売されていた。ステージの脇にも客席を設けるなど、いつもよりは席数は多く、9割以上は埋まっていたが、有名演奏家でもレコーディングを定期的に行っていないと忘れられる時代なのかも知れない。
歩くのにも不自由するということは、運動も十分には行えないということであり、ゲルバーも以前に見た時に比べると体のボリュームが大分増えている。


ピアノ・ソナタ第14番「月光」。遅めのテンポによるスケール豊かな演奏である。
タッチは力強いが、体だけでなく音にもボリュームがあり、音量が大きいだけでなく、音そのものにも広がりがある。ベートーヴェン自身は幻想的ソナタと名付けたこの曲。ドイツ語で「幻想的」というと、日本語の「幻想的」以上に「即興性に富む」という意味があるそうで、それ故に、盲目の少女にベートーヴェンが月光を輝きを教えるために即興でピアノを弾いてこの曲を作ったという話が創作されたりするわけだが(勿論、事実ではない。ベートーヴェンはピアノ即興演奏の名手であったが、「月光」ソナタはさすがに即興で作ったにしては完成度が高すぎる)、ゲルバーのピアノによる「月光」ソナタは「幻想的」でもあり、「即興的」でもある。また第1楽章は十字架を担いでゴルゴダの丘を登るキリストを描いたものという解釈を仲道郁代が披露していたが、そう考えた場合の哀感も良く出ている。
正攻法の演奏であり、河村尚子が弾いた「月光」ソナタのような天才的な閃きはないが、立派な演奏である。
ゲルバーのペダリングであるが、踏みかえは多いものの、ダンパーペダルを踏み続けていることもあり、音がややこもる。


ピアノ・ソナタ第3番。
ベートーヴェン初期のピアノ・ソナタであるが、だからといって、スケールを小さくしたりすることはない。むしろきっちりとした演奏を行うことにより、J・S・バッハなどにも通じる古典性を際立たせてみせた。
「月光」ソナタでもそうであったが、ゲルバーのピアノは左手がものを言っており、スケールを大きくしたり、立体感を与えたりしている。


休憩を挟んで、ピアノ・ソナタ第15番「田園」。
第1楽章も美しい演奏であったが、左手が受け持つ旋律を敢えて無表情に弾くことで古雅な趣を出した第2楽章の演奏は至芸ともいえるものであった。


ラストとなる、ピアノ・ソナタ第23番「熱情」。
ゲルバーは技術も高いが、最高レベルではなく、今日も何度かミスタッチがあったし、ゲルバーが思い描いているようには指が回らないという箇所もあったが、演奏会とは技術品評会ではなく、音楽を聴くための催しであり、。音楽性が高ければ技術に多少瑕疵があったとしても問題ではない。技術でゲルバーより上のベートーヴェンを弾くピアニストも多いであろうが、味わい深さはそれとは別問題である。

「熱情」というタイトルの曲だが、ゲルバーの演奏は実に情熱的。強音と弱音の幅も広く、表現は多彩である。好きなタイプのベートーヴェンかと聞かれれば、少し異なるかもしれないが(私が好きなベートーヴェンのピアノ・ソナタの演奏は、ルドルフ・ゼルキンのように極めて端正なものか、サンソン・フランソワや河村尚子のように独自の閃きに満ちた個性的なものかのどちらかである)聴きごたえは十分なベートーヴェンであった。


ピアノ・ソナタ4曲の演奏、また歩行が困難ということもあり、アンコール演奏は行わなかったゲルバー。それでもいったん退場した後に喝采に応えて、ステージの半ばまで歩いて一礼し、最後は、入り口を再び開けて、その場で深々とお辞儀をしてリサイタルを終えた。

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2019年3月10日 (日)

コンサートの記(530) 京都コンサートホール「オムロン パイプオルガンコンサートシリーズ」vol.63 “世界のオルガニスト” アレシュ・バールタ

2019年2月23日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、「オムロン パイプオルガンコンサートシリーズ」vol.63 “世界のオルガニスト”を聴く。今回のオルガニストは、チェコ出身のアレシュ・バールタ。

チケット料金1000円均一。全席時由ということで人気の「オムロン パイプオルガンコンサート」。ステージ上にリモートコントロール装置を置いて演奏することもあるが、今回はパイプオルガンに直についている鍵盤での演奏である。
ポディウム席は今日は席が取り外してあり、オルガニストに近い2階ステージサイド席が一番人気のようで早々に埋まる。私は今日は1階席の23列目、上手になる29番の席である。
京都コンサートホールに限らないが、1階の前の方の席は音が余り降りて来ない上に、今日はパイプオルガンと演奏家を思いっ切り見上げる形になるため、なかなか埋まらず、開演直前や開演に間に合わなかったお客さんがレシェプショニストに誘導されて前の方の席に向かうという光景が見られた。


アレシュ・バールタは、1960年チェコ生まれ。モラヴィアのブルノ音楽院でヨゼフ・ブルクに師事し、プラハ芸術アカデミーではヴァツラフ・ラバスに師事。1982年のアントン・ブルックナー国際オルガン・コンクールに優勝し、翌年のフランツ・リスト国際オルガン・コンクールで2位入賞、更に1984年の「プラハの春」国際音楽コンクール・オルガン部門で優勝している。スプラフォン、ポニー・キャニオン、オクタヴィア・レコードからCDをリリースしており、高い評価を受けている。


曲目は、前半がJ・S・バッハの名曲集で、「トッカータとフーガ」ニ短調、コラール「目覚めよと呼ぶ声あり」、「前奏曲とフーガ」ト長調、コラール「主よ人の望みの喜びよ」、「トッカータとフーガ」ホ長調。後半が、フランクの「前奏曲、フーガと変奏曲」、ボエルマンのゴシック組曲、リストのバッハの名による前奏曲とフーガ。

アシスタントは池田伊津美(いけだ・いずみ)が務める。


パイプオルガンはストップによる音色の変更が可能だが、今日は比較的優しくて柔らかい音が選ばれていたように思う。


バールタのオルガンは正攻法であり、パイプオルガンの音圧で推すことなく、誠実な演奏を聴かせる。高い音楽性で聴かせるタイプだ。
バッハのオルガン曲はオルガニストなら誰でも演奏する曲だが、バールタは己の技量をひけらかすことなくバッハの曲が持つ魅力を丁寧に提示していく。


後半の楽曲はいずれも初めて耳にするものである。

フランクの「前奏曲、フーガと変奏曲」。ロマン的な旋律と大らかな音色が噛み合った魅力的な曲と演奏である。


ボエルマンは、オルガニストの多くがレパートリーに入れている作曲家である。ゴシック組曲は4曲からなる作品であるが、第1曲である序奏―コラールで輝かしく始まり、様々な表情が紡がれていく。途中で、「ゲゲゲの鬼太郎」を思わせるようなパッセージが顔を覗かせるのが面白い。


ピアノのヴィルトゥオーゾとして知られるフランス・リストであるが、晩年には修道院に入るなど信心深く、オルガン曲や宗教曲も数多く手掛けている。
バッハの名による前奏曲とフーガは、「B→A→C→H」というバッハのファミリーネームに基づく音階で始まる前奏曲とフーガである。今日演奏された他の作曲家の作品に比べて音が多いというのがいかにもリストらしい。

前半と後半とではかなり趣が異なったが面白いコンサートであった。


アンコールは、バッハの「今ぞ喜べ、愛するキリストのともがらよ」。いかにもバッハらしい個性に満ちた楽曲であった。

最後は、バールタ自ら京都コンサートホールのパイプオルガンに拍手を送った。



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2019年3月 6日 (水)

コンサートの記(529) 広上淳一指揮京都市交響楽団大阪特別公演2013

2013年9月21日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、ザ・シンフォニーホールで、京都市交響楽団大阪特別公演に接する。指揮するのは京響常任指揮者の広上淳一。今日も全曲ノンタクトでの指揮である。

デュカスの交響詩「魔法使いの弟子」、ラフマニノフの「パガニーニの主題による変奏曲」(ピアノ独奏:山本貴志)、リムスキー=コルサコフの「スペイン奇想曲」、ラヴェルの「ボレロ」というプログラム。フランスものがロシア音楽を挟むという格好になっている。

今日の京響コンサートマスターは泉原隆志。渡邊穣がフォアシュピーラーに回るという形である。今日も首席フルート奏者の清水信貴と首席クラリネット奏者の小谷口直子は後半のみの登場。首席オーボエ奏者の高山郁子は今日は降り番のようで、「ボレロ」では実質的な京響次席オーボエ奏者扱いのフロラン・シャレールが首席の位置に陣取った。


デュカスの交響詩「魔法使いの弟子」。ゲーテのユーモア溢れる詩をモチーフにした交響詩で、ディズニー映画「ファンタジア」ではミッキーマウスがこの曲をバックに魔法使いの弟子役を務めたことでも有名である。
比較的遅めのテンポで入る。ザ・シンフォニーホールの音響を考慮に入れたためか、広上は「魔法使いの弟子」と「スペイン奇想曲」ではゆったりとした演奏をした。神秘感の強調こそないが、丁寧な仕上げが印象的であり、弦楽の透明感溢れる響きも心地よい。ただ、京都コンサートでも響く演奏になれてしまったためか、「ザ・シンフォニーホールなら素晴らしく響くに違いない」と考えていたほどには音は鳴らず、そこは拍子抜けであった。


ピアニストの山本貴志をソリストに迎えての、ラフマニノフ「パガニーニのための変奏曲」。山本貴志のピアノを聴くのは二度目。前回は山田和樹指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏会で、山本はラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を弾く予定だったが、体調不良のため、超絶技巧が必要とされるラフマニノフを弾くだけの余裕がないとして、急遽、曲目を変更し、モーツァルトのピアノ・コンチェルトを弾いている。

今日こそは得意のラフマニノフを決めてみせると、山本も気合い十分なはずだ。
山本の演奏は独特で、グレン・グールドに影響を受けたのかどうかは知らないが、猫背になり、鍵盤に顔を近づけてピアノを弾く。超絶技巧が必要とされる場面では背を伸ばして力強く弾くが、抒情的な部分ではペダルを駆使して、淡いトーンのピアノを奏でる。音の引き出しは多い。

広上指揮する京響の伴奏は彩り豊か。変幻自在の伴奏であり、特にラストの浮遊感は奇術か何かのようだった。


後半。リムスキー=コルサコフの「スペイン奇想曲」。前述通り、遅めのテンポで堂々と且つ華やかに始まる。
ソロを弾く場面もあるコンサートマスターの泉原隆志の技巧は優れており、クラリネットの小谷口直子やフルートの清水信貴もやはり上手い。二人の演奏を後半だけにしか聴けないというのは惜しい。
情熱的でパワフルな演奏に、聴衆も沸く。


ラヴェルの「ボレロ」。クラシックファンには大人気の曲であるが、演奏する側は「出来れば避けたい」と思っている曲の筆頭でもある。二つのメロディーを繰り返す曲であり、ちょっとでも失敗すれば目立ってしまうため、奏者達は怖れるのである。「スペイン狂詩曲」でもスネアドラムは使われたが、「ボレロ」ではより指揮者に近い位置にスネアドラム奏者は陣取る。

平均的は演奏時間は約15分であるが、広上が採ったのはそれよりやや遅めのテンポである。作曲家の指示通りインテンポであり、後半にアッチェレランドをかけるというようなことはしなかった。この曲では、最初のうちは広上は手を使わず、体をくねらせたり頭を振ったりして指揮をする。トロンボーン奏者がソロを取るときには、広上はトロンボーンとは正反対の方向を見て頭で指揮していた。オーケストラ奏者は指揮者と正対すると自然に大きな音を出す傾向があるようなので(NHK交響楽団首席オーボエ奏者の茂木大輔の証言による)、トロンボーンに強く吹かせないために敢えて視線をそらしたのだと思われる。

ヴァイオリンが主題を奏でるところから、広上は本格的に腕を振って指揮するようになり、トランペットが朗々と第1主題を演奏する部分で広上は大きく手を広げ、これまで溜めてきたエネルギーを一気に放出する。作為的ではあるが、そうした印象を上回る程の快感と開放感と興奮とが私の胸に押し寄せ、巻き込んでいく。広上は優れた指揮者であると同時に最高のエンターテイナーであり、千両役者である。

演奏終了後、興奮した多くの聴衆から「ブラボー!」の賞賛を受けた広上。広上はまずスネア奏者を讃えた後で、演奏順に奏者を立たせ、拍手を送る。いったん退場してから再度現れた広上はオーケストラメンバーを立たせようとしたが、奏者達も拍手をして立とうとしない。広上は一人、指揮台に上がり、喝采を浴びた。


広上は、「『半沢直樹』は明日が最終回です」と、今日もまたお気に入りのドラマである「半沢直樹」の話をした後で、「拍手への10倍返しということで」と、アンコール曲を演奏する。15日にも京都コンサートホールでアンコールとして取り上げた、ブラームスの「ハンガリー舞曲」第6番である。同一曲を同一コンビが違う場所で演奏するため、ホールの音響の違いがよくわかるのだが、ザ・シンフォニーホールは全ての楽器の音が京都コンサートホールよりも明らかに良く通る。流石は全世界のアーティストが憧れる名ホールである。

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2019年3月 4日 (月)

コンサートの記(528) 広上淳一指揮 読売日本交響楽団 読響サマーフェスティバル「三大交響曲」2013

2013年8月21日 池袋の東京芸術劇場コンサートホールにて

東京へ。池袋にある東京芸術劇場コンサートホールで、広上淳一指揮読売日本交響楽団の演奏会を聴くためだ。

今回のコンサートの曲目は、シューベルトの交響曲第7番(旧番号では第8番)「未完成」、ベートーヴェンの交響曲第5番、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」である。

広上の指揮するベートーヴェンの交響曲第5番は、彼が常任指揮者を務める京都市交響楽団の演奏会で二度聴いているが、他の曲目を広上の指揮で聴くのは初めてである。そもそも「未完成」交響曲は生で聴くことをも初めてなのではないだろうか。かつてはクラシックといえばベートーヴェンの第5交響曲とシューベルトの「未完成」交響曲が二大人気曲であったが、現在ではシューベルトの交響曲というと、第8番(旧番号では第9番)「ザ・グレイト」の方がコンサートでは人気である。


開演は午後6時30分。


京都芸術劇場は京都造形芸術大学内にある私営のホールであるが、東京芸術劇場は東京都の施設である。ということで、やはり都営である東京文化会館と共に東京都交響楽団の本拠地となっている。

音響であるが、東京の音楽専用ホールとしては良い方である。サントリーホールほどではないが、少なくともNHKホールよりはかなり上である(NHKホールも広さを考えれば良く聞こえると思うが「広さを考えれば」である)。今日は前から2列目の席。京都コンサートホールの2列目だと、音が上に行ってしまって直接音が余り届かず、歯がゆい思いをするのだが、東京芸術劇場コンサートホールの場合は音も良い。


広上は今日は3曲ともノンタクトで指揮した。京都市交響楽団とのベートーヴェンは指揮棒を振っていたので、ノンタクトによる広上のベートーヴェン交響曲第5番の演奏を聴くのは初めてとなる。


シューベルトの交響曲第7番「未完成」。広上は冒頭こそおどろおどろしい雰囲気は作らなかったが、第1楽章は曲が進むにつれてシューベルトの秘められた狂気が露わになっていく。弦楽器群の出す音などは聴いていて胸が苦しくなるほどだ。
夢見るような第2楽章。広上の指揮する読響は実に美しい音色を奏でる。だが、中間部ではやはり聴く者を戦慄させるような迫力があった。


ベートーヴェンの交響曲第5番。京都市交響楽団の演奏と比べるとホールの影響もあるだろうが(初めて聴いたのは兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール。二度目は京都コンサートホールである)まろやかな音による演奏であった。極めてドラマティックであり、広上とベートーヴェンの相性の良さが感じられる。
第3楽章から最終楽章までの切れ目なく繋がる場面で、広上さんは右手の肘を下げて、そこから砲丸投げのように上方に上を突き出す。外連味はあるが効果的な指揮法だと思う。
読売日本交響楽団は、最近では、シルヴァン・カンブルラン、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ、下野竜也という、偶然かどうかはわからないが、いずれも渋めの音色を引き出す指揮者にポストを与えており、そのせいか、今日の読響も京響のような燦々とした音色ではないが、最終楽章に突入するところではパッと光が差したかのような神々しい音で広上の指揮に応えた。


休憩を挟み、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。

広上は序奏こそ平均的なテンポで開始するが(音色はやはり渋めである)、徐々にリタルダンドして行き、展開部に入ることにはかなり遅くなる。だが、管楽器の一斉合奏の所でテンポを上げ、ドラマティックな演奏が展開される。管楽器群であるが、立体的な音を奏でており、オーケストラの力と共に広上の統率力および表現力の巧みさが感じられる。

第2楽章は実に抒情的。ノスタルジックな雰囲気を味わうことが出来た。

第3楽章は管だけでなく全ての楽器が立体的な音を奏でる。まさに広上マジックである。
そして最終楽章。推進力に富んだ演奏であり、力強いが、金管の咆吼の際も弦楽器などとのバランスは最良に保たれており、力任せの演奏にはなっていない。

これまで、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(ザ・シンフォニーホール)やパーヴォ・ヤルヴィ指揮シンシナティ交響楽団(兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール)による「新世界」交響曲の名演を聴いているが、広上淳一指揮読売日本交響楽団による「新世界」交響曲は、総合力ではそういった猛者をも凌ぎ、実演で聴いた「新世界」の中では文句なしにナンバー1である。

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2019年3月 1日 (金)

コンサートの記(527) 広上淳一指揮京都市交響楽団第571回定期演奏会 ドヴォルザーク 「スターバト・マーテル」

2013年8月11日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第571回定期演奏会に接する。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者の広上淳一。

プログラムは1曲のみ。ドヴォルザークの「スターバト・マーテル」である。総演奏時間が約1時間半という大作である。途中休憩は勿論なし。終演後にはレセプションが行われる。

4人の独唱者と、合唱を伴う宗教音楽。

独唱者は、石橋栄実(ソプラノ)、清水華澄(メゾ・ソプラノ)、高橋淳(テノール。当初は大槻孝志が歌う予定だったが、大槻が声帯疲労のため出演することが出来ず、急遽、高橋が代役に立つことになった。高橋は東京音楽大学の出身であり、現在は同大学の講師を務めている。東京音楽大学の出身で、今は同大学の教授である広上は師であり、先輩であり、同僚でもある)、久保和範(バスバリトン)。
合唱は京響コーラス(アマチュアの団体であるが、井上道義や広上淳一の指導も受けており、よく鍛えられている)。

開演20分前から、広上淳一によるプレトーク。京響は今年の1月からこの8月までの定期公演全てが完売御礼だそうである。今の京響は世界的に見ても高い水準にあり、これほど高いレベルに達している文化団体は京都市には他にないので、当然といえば当然ではあるのだが、京響のレベルをここまで高めた広上淳一の功績は大きいだろう。
それから、京響コーラスの合唱指揮者(たまに勘違いされるが、合唱指揮者とは、合唱のトレーナーのことであり、練習の際に指揮者も務める人のことで、本番でオーケストラとは別に合唱専門の指揮者がいるということではない)である小玉晃が呼ばれ、京響コーラスの歴史などについて語る。京響コーラスは、前身は井上道義が1995年秋に組織した京響第九合唱団であり、第九以外も歌うので京都市合唱団となった。昨年、京響との連結を強めるために京響コーラスと改名。現在、井上道義が創設カペルマイスター、広上淳一がスーパーヴァイザーとしてレベルアップのために尽力している。

ドヴォルザークの最高傑作といわれることもあるが、滅多に演奏されず、CDの数も少ないという「スターバト・マーテル」。生で聴けるだけでも貴重なことである。なお、ライヴ録音が行われ、演奏は後日、NHK-FMで放送されるという。

弦楽による出だし。広上の指揮する京響の弦は清澄を極めており、これほど透明で美しい音色というものはそうそう聴けるものではない。管もまろやかな音を出すが、京都コンサートホールでまろやかな音を出すのは極めて難しいことである。
4人の独唱者の出来も良く、京響コーラスもアマチュアとは思えないほど優れた合唱を聴かせる。
今日の広上は全編ノンタクトで指揮。非常にわかりやすい指揮である。

予習のために、フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮ロイヤル・フランダース・フィルハーモニー管弦楽団&コレギウム・ヴォーカレ・ヘントほかのCDを聴いたが、もし、広上淳一指揮京都市交響楽団&京響コーラスほかの演奏がCDとして発売されたなら、ヘレヴェッヘ盤はもう用なしになる。それほど高水準の演奏であった。広上淳一は音楽の神様に祝福された男である。

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2019年2月24日 (日)

コンサートの記(526) 秋山和慶指揮 京都市交響楽団第631回定期演奏会

2019年2月15日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第631回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は秋山和慶。

曲目はオール・ラフマニノフで、ピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:小山実稚恵)と交響曲第3番。


齋藤メソッドの正統的な継承者として、再評価も高まって来ている秋山和慶。長きに渡って東京交響楽団のシェフとして活躍し、私も1994年に秋山和慶指揮東京交響楽団の演奏を千葉県文化会館で聴いたことがある。
1998年から2017年まで、広島交響楽団の首席指揮者兼ミュージック・アドバイザーとしても活躍しており(現在は同団の終身名誉指揮者である)、広島東洋カープやサンフレッチェ広島とのコラボレーションを行い、カープ・シンフォニーやカープの応援曲の指揮を赤のユニフォーム姿で行っていたりする。
カナダやアメリカでもキャリアを築いてきたが、指揮者としてのポストを追い求めるよりも教育を重視する人であり、音楽大学のオーケストラなども良く指揮している。

今日のコンサートマスターは客演の石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志。第2ヴァイオリン首席も客演で長岡聡季。


ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。小山実稚恵の十八番の一つである。
小山は清冽な音色でキビキビとした音運びを行う。冴えたテクニックによる演奏で抜群の安定感がある。
普段は輝かしい音を奏でる京都市交響楽団だが、今日は荘重な響きによる演奏。渋さの光る美しさである。

小山実稚恵のアンコール演奏は、ラフマニノフのプレリュードト長調作品32の5。丁寧に作り上げた抒情美が胸に染み渡る。


ラフマニノフの交響曲第3番。彼のアメリカ時代の作品である。
3曲あるラフマニノフの交響曲の中では、第2番が飛び抜けて有名でプログラムに載ることも多い、というより第2番以外を聴く機会はほとんどない。
私自身は、シャルル・デュトワ指揮フィラデルフィア管弦楽団によるラフマニノフの交響曲全集を持っているが、交響曲第3番を聴いたことは1回か2回しかないはずである。
というわけでほぼ初体験に近い。

秋山は細かいところを幾つか抽出しては組み上げていくような音楽作り。構造がよく分かる。
第1楽章のロシア民謡のような旋律にラフマニノフのロシアへの望郷の念が浮かび上がり、それが都会的で洗練された響きによって彩られていく。ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」を想起させるような、ハイセンスな場面もある。
京都市交響楽団の奏者達も高度な技術と合奏能力を示し、マジカルな音響を何度も作り出していた。
かなり良い曲と演奏である。


今日はチケット完売御礼。終演後、多くの聴衆が秋山と京響を称えて盛んな拍手を送った。


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2019年2月19日 (火)

コンサートの記(525) 堺シティオペラ第33回定期公演 青島広志 オペラ「黒蜥蜴」

2019年2月2日 ソフィア・堺にて

午後3時から、ソフィア・堺(堺市教育文化センター)のホールで青島広志作曲のオペラ「黒蜥蜴」(原作小説:江戸川乱歩、戯曲化:三島由紀夫)を観る。オペラ「黒蜥蜴」は今回が関西初演となる。柴田真郁(しばた・まいく)指揮大阪交響楽団とピアノの關口康佑による演奏。演出は岩田達宗(いわた・たつじ)。ダブルキャストによる上演で、今日の出演は、渡邉美智子(黒蜥蜴/緑川夫人)、福嶋勲(明智小五郎)、総毛創(そうけ・はじめ。雨宮潤一)、西田真由子(岩瀬早苗)、北野知子(ひな)、片桐直樹(岩瀬庄兵衛)、森原明日香(岩瀬夫人)、植田加奈子(夢子、刑事、恐怖人形)、宮本佳奈(愛子)、糀谷栄理子(色絵、清掃員)、中嶌力(助演:刑事ほか)、浦方郷成(うらかた・きょうせい。助演:刑事、家具屋)、矢野渡来偉(やの・とらい。助演:刑事、家具屋、恐怖人形)、勝島佑紀(助演:刑事、恐怖人形)。振付は西尾睦生(女性)。


午後2時30分より、演出家の岩田達宗によるプレトークがある。まず、江戸川乱歩の原作小説について語り、黒蜥蜴は絶世の美女だが、美男美女を誘拐して剥製にして愛するという猟奇的な性格であることを語る。三島由紀夫は江戸川乱歩の作品を愛しており、「黒蜥蜴」を戯曲化。初代水谷八重子の黒蜥蜴、芥川比呂志の明智小五郎によって初演されている。三島の戯曲を基にした青島広志のオペラ「黒蜥蜴」は1984年の初演で、音楽はパロディやパスティーシュが多用されていることを紹介する。なぜ、そうした作品になったのかは、オペラ「黒蜥蜴」を観ているうちにわかってくる。モチーフになった作品は、ベートーヴェンの第九やレナード・バーンスタインの「ウエスト・サイド・ストーリー」、ビートルズの「オブラディ・オブラダ」など。
「変装」もまた重要であることを岩田は語る。明智小五郎も黒蜥蜴も変装の名人である。


スペード、ハート、ダイヤ、クラブというトランプの4つのマークを半分にした絵柄の描かれた4つのドアを駆使した演出である。原作小説では、黒蜥蜴は非合法のキャバレーに登場することから、それを思わせる格好の助演キャスト(全員、ダンサーではなく歌手である)達のダンスによってスタート。背後には巨大な黒蜥蜴の文様が半分だけ顔を覗かせている。

「黒蜥蜴」では反転の手法が多く用いられており、例えば、江戸川乱歩の小説では東京を舞台として始まり、その後、大阪へと舞台は移るのだが、三島由紀夫が戯曲化した「黒蜥蜴」では、大阪の場面で始まり、東京へと移っていくという真逆の舞台設定である。宝石の受け取り場所は原作では大阪の通天閣だが、三島の戯曲では東京タワーに変わっている。ちなみに今回の演出では舞台は現代に置き換えられており、登場人物達はスマートフォンを使用。東京タワーの場面では、「東京スカイツリーで待ち合わせをしたのに、間違えて東京タワーに来てしまった青年」がさりげなく登場していたりする。

舞台版「黒蜥蜴」は、中谷美紀の黒蜥蜴、井上芳雄の明智小五郎で観ているが、黒蜥蜴をやるには並の女性では無理である。ということで、男でも女でもない美輪明宏が当たり役にしていたりするのだが、渡邉美智子の黒蜥蜴は佇まいや振る舞いが黒蜥蜴に嵌まっている。勿論、中谷美紀には敵し得ないが、黒蜥蜴の魅力は十分に出ているように思われた。他のキャストも舞台版とは比べられないものの、かなりの健闘である。スリルや迫力もあったし、日本語オペラの上演としてハイレベルにあると思う。

外見を重視し、心を信じない黒蜥蜴と、世の中や人間の動きを楽しむ明智小五郎とでは思想が正反対であるが、互いが徐々に近づいていき、ある意味、逆転しそうになったところで己に破れた黒蜥蜴は死を選ぶ。思想だけでなく、あらゆる要素が倒錯し、逆転し、入れ替わり、成り代わりというパターンで貫かれており、音楽にパロディやパスティーシュが鏤められているのもこうしたことに起因するのだと思われる。言ってみれば、音楽が変装しているのだ。


柴田真郁はノンタクトでの指揮。大阪交響楽団の編成は、ヴァイオリン、チェロ、コントラバス、フルート、クラリネット、ホルン、トランペットの各ソロにパーカッションが2人、これにピアノの關口が加わるという室内楽編成だが、柴田は生き生きとした音楽を引き出していた。


今回の公演ではアフタートークもある。出演は、スピリチュアルカウンセラーでオペラ歌手としても活躍している江原啓之と岩田達宗。江原啓之は昨年、自身がプロデュースするオペラ「夕鶴」で運ずを演じており、その時の演出が岩田達宗であった。

江原は美輪明宏と一緒に番組をやっていたということで、美輪明宏からのメッセージも受け取っている。黒蜥蜴というと美輪明宏の当たり役であるが、自身が黒蜥蜴を演じられる理由として三輪は「本物じゃないから」と語っていたそうである。本物の女でも男でもない。黒蜥蜴が本物の宝石を求める理由も自身が本物ではないからだろうということだそうだ。ただ、江原や岩田によると、三輪も黒蜥蜴は内面の哲学などは本物で、明智が黒蜥蜴に惹かれる理由もそこにあるそうだ。

「黒蜥蜴」は、日本的な発想に貫かれているそうで、江原は神道の大学である國學院大學の別科で神職の資格を得ているのだが、國學院では神の定義を「畏ろしくかしこきもの」としているそうで、善悪は問題ではないそうだ(仏教もそうで、「無記」という善悪とは別の状態が重視される)。登場人物を神だと考えると納得がいくそうである。例えば、早苗は美輪明宏の舞台では「パッパラパー」な女性だそうだが、若さという美質がある。岩瀬庄兵衛は金のことしか頭にない男だが、それもまた一つの特徴である。

江原によると、岩田の演出は、「もっともっと」と求めるタイプのものだそうで、出演者達は大変なのだそうだが、岩田によると、19世紀まではこれは普通のことだったそうで、20世紀に入ると劇場が巨大化したため、それまでのように歌手が跳んだりはねたりしていた場合、過酷に過ぎ、歌がおろそかになってしまうため、動きを抑える必要が生じてきたのだそうである。

岩田は、オペラ「黒蜥蜴」が青島的な要素が強いというので、三島寄りに戻したそうだが、例えば、第2幕第1場の前に設けられた歌なしの場面は、青島広志の指定通りではなく、三島由紀夫が書いた東京タワーの人間と黒蜥蜴とのやり取りが一部設定を変えて再現されており、ここなどは元の戯曲を生かしたのだと思われる。



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2019年2月18日 (月)

コンサートの記(524) 柴田淳 「JUN SHIBATA CONCERT TOUR 2019 月夜PARTY vol.5 ~お久しぶりっ子、6年ぶりっ子~」大阪公演

2019年2月14日 大阪・新町のオリックス劇場にて

午後7時から、大阪・新町のオリックス劇場で、柴田淳の「JUN SHIBATA CONCERT TOUR 2019 月夜PARTY vol.5 ~お久しぶりっ子、6年ぶりっ子~」に接する。タイトル通り、柴田淳の6年ぶりとなり全国ツアーの大阪公演。ちなみに、しばじゅんはバレンタインデーが大嫌いのようである。

影アナのお姉さんが、「お久しぶりっ子、6年ぶりっ子」と真面目な声でアナウンスするのが妙に可笑しい。


オリックス劇場の3階には、ライブを行ったアーティストのサインが並んでいるのだが、それを確認すると柴田淳は、2013年7月15日にコンサートを開いていることがわかる。私も勿論、参加している。しばじゅんの公演に接するのはそれ以来だ。その間、柴田淳は、パシフィコ横浜国立大ホール(国立・大ホールである。横浜国立大学のホールではない)で公演を行っているが、私はその直前に神奈川県民ホールで歌劇「金閣寺」を2日間観ており、この公演は見送っている。
6年の間に、柴田淳は、病気で長期間入院したりと様々なことがあった。「6年の間、色々なものを奪われてきたな」と柴田淳は語る。

今回のツアーは、先月26日に東京でスタート。先に追加公演を行うという形になった。その後、名古屋、福岡を回り、今日の大阪公演である。今月27日に東京のNHKホールで千秋楽を迎える。

バックバンドは、五十嵐宏治(バンマス。ピアノ、アコーディオン)、石成正人(ギター)、松原秀樹(ベース)、江口信夫(ドラムス)、森俊之(キーボード)。衣装チェンジの時間には、ビートルズの「ノルウェイの森」のインストが演奏された。


6年の間にリリースされたアルバムに収められた楽曲のほか、「おかえりなさい。」、「melody」、「HIROMI」、「月光浴」、「桜日和」、「マナー」などが歌われる。柴田淳の調子はなかなか良いようだ。

今日は15列目の真ん中付近の席。視覚的には比較的良好だが、両端にあるスピーカーから聞こえる声は俗にいく「中空き」状態で、最初のうちは聴覚の調整に苦労する。


「おかえりなさい。」は、ダブルミーニングの歌詞が印象的であり、例えば「その優しいあなたが冷たくなるその日まで」の「冷たくなる」は感情的なものや態度の他に肉体的なもの、つまり「死」の意味が掛けられており、取り方を変えると情念のようなものが浮かび上がる。柴田淳は、こうしたところが巧みというか意地が悪い。

代表曲の一つである「月光浴」は、ライブで取り上げられる機会も多い。歌い終えた後、柴田淳は、「この曲は柴田淳の曲の中で唯一、振る歌」と解説。最近になって気がついたそうだ。

「桜日和」は、亡き愛犬のビビアンに捧げられた楽曲。そもそも「桜日和」が収められたアルバム『僕たちの未来』が全編レクイエムという異色構成である。これは柴田淳によって明言されてはいないが、構成を考えれば見えてくる。柴田淳は、「死」にまつわるアルバムタイトルをつけることが多いのだが、「僕たちの未来」も「行き着く先は死」と取れるタイトルである。こういうところも意地が悪い。


昨日、大阪入りして、夜中にちょこっと観光したのだが、「熟女クラブ」というお店の看板を見て、歌が駄目になったら転職しようかなと思ったらしい。そのことをInstagramに書くと某有名シンガーソングライターから、「予約させて下さい」とメッセージがあり、それに対して、「あーん! 来るの遅いからもう店閉めちゃった!」と書いて送ったのだが、後々読み返すと、熟女クラブというよりゲイクラブの人が書いたように見えるという話をする。ちなみにしばじゅんが考える熟女は50代や60代でまだ先のようだ。


アンコールとして、今回もライブ恒例のアカペラコーナーがある。聴衆のリクエストに応えて柴田淳が、アカペラで歌う。
まずは、「幻」なのだが、歌詞カードのタイトルが「幼稚園の『幼』になっている」そうである。
デビューシングル「僕の味方」では、キーを覚えていなかったため、最初は高めの声で歌ったが、「こんなに高かったですか?」とキーを下げてもう一度歌う。聴衆に「もっと高い」と言われて高めに歌い直すも、「嘘!」と言ってやめていた。
「蝶」をリクエストされたのだが、随分前の曲なので、歌詞を読み上げてもメロディーが浮かんでこない。なんとか思い出し、旋律を間違ったところもあったが、前半を歌った。

ファンの思い出の曲だという「あなたの手」も歌い、坂本真綾に楽曲提供した「秘密」もサビの一節を歌う。柴田淳の楽曲の大半はミディアムテンポのものだが、「秘密」はスピーディーなナンバーであり、柴田淳の作品としては異色である。


アンコールは3曲。まずは最新アルバム「ブライニクル」に収められた「嘆きの丘」。「ブライニクル」の中核をなす曲で、「『ブライニクル』はこの曲のために作られたんじゃないか」と話してからの歌唱。しばじゅんとしても自信のある楽曲のようである。

2曲目は、「なでなでしたい」と言う愛着のある曲「雨」。ロックバラードである。歌詞自体はしばじゅん特有のヒリヒリするものだ。

最後は、「科捜研の女」の主題歌にもなった「車窓」。この曲がラストというのも、柴田淳の心境を表してるようでとても良い。

過ぎ去った6年の歳月を慈しむかのような特別な時間であった。



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2019年2月16日 (土)

コンサートの記(523) 遊佐未森 「cafe mimo ~vol.13~」@心斎橋JANUS

2013年4月13日 心斎橋JANUSにて

午後6時から、心斎橋JANUSというライブハウスで、「cafe mimo ~vol.13~」を聴く。遊佐未森が毎年春に、ドラムス&パーカッションでバンドマスターの楠均と、ギターの西海孝のトリオで行っている全国公演の第13回目。今日の大阪公演はゲストとしてゴンチチのゴンザレス三上が出演する。

心斎橋JANUSは分かりにくい場所にあり、到着が開場時間に間に合わなかったが、私が心斎橋JANUSに着いた時にスタッフが「80番までの方、お入り下さい」と言い、私は整理番号79番だったので全く待たずに入場出来た。見方によってはついている。

今年の「cafe mimo」ツアーは今日が初日。今回も、ボーカル&ピアノ・遊佐未森、ギター・西海孝、ドラムス&パーカッション・楠均と編成は変わらなかったが、遊佐未森は「桃」という曲を歌う際にパンドという大型のピアニカのようなものも演奏した。栗コーダ-カルテットのメンバーから貰った楽器だという。「桃」は友人が第二子の女の子を産んだときに記念に作った曲だというが、その女の子は今はもう大学生であるという。

ちなみに未森さんはこれまでずっとロングヘアであったが、今日はショートにしていた。

デビュー曲の「瞳水晶」、「水無月」、「poetry days」、「欅 ~光の射す道で~」などが歌われた後で、パワフルな「カラフル」というナンバーが歌われ、未森さんの要望で、客席からも「カラフル」という言葉が出てくる部分は聴衆も一緒に歌う。

未森さんの歌声はそれ自体が透明なだけではなく、聴いているこちらの耳も漱がれるような、静かにして強力なパワーを持つ。

カバー曲は今回はバグルスの「ラジオスターの悲劇」が選ばれ、未森さんと楠均の二人により振り付きで歌われた。振付は未森さんの役目である。

ゴンザレス三上との共演は4曲。まず、沖縄民謡「安里屋ユンタ」。次いで「僕の森」、NHK復興ソングである「花は咲く」、アンコールの「デイジー、デイジー」であった。ゴンザレス三上は「安里屋ユンタ」について、「沖縄で演奏することになってコードを聞いたら『そんなものはない。適当にやって下さい』」と言われたとのこと。そこでコード進行を独自につけたところ、コード進行がないと言った人から「コードを教えて下さい」と要望されたそうである。また未森さんとゴンザレス三上の二人で、ある私立高校でコンサートを行ったことがあるのだが、高校の施設とは思えないほど立派なホールで「流石、私立高校。お金がある」感心したが、客席は共学のはずなのに男子高校生だけという謎の公演になったという。花束も頂いたが、厳つい柔道部員からの贈呈だったそうで、ゴンザレス三上は「(花束は)すぐ捨てました。嘘ですけど」と言って笑いを誘った。

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2019年2月11日 (月)

コンサートの記(522) 広上淳一指揮京都市交響楽団第566回定期演奏会

2013年3月24日 京都コンサートホールにて

午後2時30分より、京都市交響楽団の第566回定期演奏会に接する。今日の指揮者は常任指揮者の広上淳一。

プレトークでは坊主頭にした広上が司会を担当し、京響の女性ヴァイオリン奏者二人にヴァイオリンについて語って貰うという形式を取っていた。広上によるとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団はコンサートマスター以外の奏者は、その日によってバラバラであり、昨日前列で弾いていた奏者が今日は後列で弾くということもあるらしい。ただ普通のオーケストラは座る位置は大体決まっていて、京響もそうだという。
ヴァイオリンというと前列の前の方が腕利きというイメージがあるが、ヴァイオリン奏者によると、後列の方が音を合わせるのが難しいため、腕利きが後列になることも多いという。


ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲ニ長調(ヴァイオリン独奏:クララ=ジュミ・カン、プロコフィエフの交響曲第7番というプログラム。


ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」では、諧謔と歪んだエスプリに満ちた音楽を広上は存分に引き出す。変拍子を2回トントンと跳ねることで処理するなど指揮姿は今日も独特だ。フォルテシモは京都コンサートを揺るがさんばかりに響き渡る。


コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。コルンゴルトがアメリカに渡り、映画音楽を手掛けるようになってからの作品で、映画音楽からの引用が各所に散りばめられているという。

ヴァイオリン独奏のクララ=ジュミ・カンは韓国系ドイツ人。わずか4歳でマンハイム音楽院に入学し、5歳でハンブルグ交響楽団と共演したという神童系ヴァイオリニストである。
カンのヴァイオリンの音色は太からず細からず中道を行く。技術は非常に優れている。
ハリウッド風のやや大袈裟な伴奏を広上と京響はスケール豊かに奏でる。

アンコール。カンはバッハの無伴奏パルティータ第2番よりサラバンドでしっとりとした演奏を聴かせ、パガニーニの24の奇想曲より第17番で超絶技巧を披露する。


メインの交響曲第7番。冒頭の抒情的なヴァイオリンの歌の美しさから惹き付けられる。その後もプロコフィエフ特有のユニークでパワフルな音楽を広上と京響はクッキリとした輪郭で奏で続けた。文句なしの名演である。

定期演奏が9月から始まるのは日本ではNHK交響楽団などいくつかの団体だけで、大抵のオーケストラは3月でシーズンが終了する。ということで、今年も卒団者を送り出す。37年間、ヴィオラ奏者として在籍した北村英樹の退団式があり、北村は花束を受け取った。

その後、プロコフィエフの交響曲第7番のラストをアンコール演奏してコンサートはお開きとなった。

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