カテゴリー「コンサートの記」の346件の記事

2018年2月21日 (水)

コンサートの記(347) 日本センチュリー交響楽団特別演奏会「山田×樫本×センチュリー、“夢の饗宴”」

2018年2月13日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、日本センチュリー交響楽団特別演奏会「山田×樫本×センチュリー、“夢の饗宴”」を聴く。共に1979年生まれである指揮者の山田和樹とヴァイオリニストの樫本大進の共演。

日本人若手指揮者を代表する存在である山田和樹。東京藝術大学在学中にトマト・フィルハーモニー管弦楽団(現・横浜シンフォニエッタ)を結成して指揮活動を行い、2009年にブザンソン国際指揮者コンクール優勝という経歴から「リアル千秋真一」と呼ばれたこともある。現在は、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督兼音楽監督、スイス・ロマンド管弦楽団首席客演指揮者、日本フィルハーモニー交響楽団正指揮者、東京混声合唱団音楽監督兼理事長、横浜シンフォニエッタ音楽監督を務める。

ソリストとしてデビュー後、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターに就任した樫本大進。フリッツ・クライスラー国際音楽コンクールとロン=ティボー国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で優勝を飾っている。7歳で入学したジュリアード音楽院プレカレッジを経てフライブルク音楽大学に学んでいる。


曲目は、サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番とチャイコフスキーの交響曲第4番。

今日の日本センチュリー交響楽団のコンサートマスターは、首席客演コンサートマスターの荒井英治。


サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲。ソリストの樫本大進は日本人ヴァイオリニストとしては珍しくラテン気質のヴァイオリンを弾く人だが、今日は熱さと艶やかさの中にも、例えば第2楽章のラストに顕著な繊細さを備えた演奏を繰り広げ、日本人的な一面を見せる。スケールは大きく、構造力も確かである。

今日の山田和樹はアグレッシブな指揮。両腕を目一杯振り、ジャンプを繰り出す。日本センチュリー交響楽団は中編成ということもあり、元々輪郭のクッキリした音楽を生む傾向があるが、山田の指揮により立体感が増し、各パートが把握しやすい音作りとなっていた。

樫本はアンコールとして、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番より“ガヴォット”を演奏。速めのテンポによる流麗とした演奏であった。


チャイコフスキーの交響曲第4番。出だしのホルンが今ひとつ合わない。センチュリー響のホルン陣は在阪オーケストラの中ではレベルが高いが、今日は第1楽章に関しては不調が続く。
山田はゲネラルパウゼを長めに取ったり、冒頭では遅いテンポを取るなどの特徴があるが、次第にギアを上げ、チャイコフスキーの今にも溢れ出そうな絶望のうねりを音として描いていく。時にはフォルムを崩してまでも内容を重視。表現主義的なチャイコフスキーとなる。指揮姿にも特徴があり、一拍目だけを振ったり、全てを棒で示したり、ジャンプだけで表現を行ったりと仕草が多彩である。
第2楽章の孤独感の表出にも長けているが、寂しさだけではない若々しい叙情味も感じられる。
第3楽章冒頭では山田は顔の動きと表情のみで指揮。その後の動きもバラエティに富んでいる。それにしても山田は本当に立体感の表出が巧みである。
第4楽章では山田は外連を発揮。極端な減速と加速(アゴーギク)により、これまで聴いたことのない表情を生み出す。かなり個性的なチャイコフスキーである。そして意図的に皮相な表情を保ったまま、ラストへと突っ込んでいく。空転したままの勝利という解釈なのだろう。

チャイコフスキーの交響曲というと、「悲愴」や第5が取り上げられる回数が多いが、あるいはこの第4が最高傑作なのかも知れない。


アンコール演奏がある。山田は客席の方を振り返って、「日本初演であります」と言って演奏開始。弦楽によるリリカルな音楽である。ジョージア(旧グルジア)のアザラシヴィリという作曲家の「ノクターン」という曲だそうである。

山田の溌剌とした指揮姿を見てふと「若い頃の小澤征爾って今日の山田のような雰囲気じゃなかったのかなあ」という思いが浮かんだ。二人とも指揮姿に人を惹きつけるチャームがあるのである。

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2018年2月19日 (月)

コンサートの記(346) 京都フィルハーモニー室内合奏団室内楽コンサートシリーズ vol.65「ドラマチック・ロシア」

2018年2月15日 京都府立府民ホールALTIにて

午後7時から、京都府立府民ホールALTI(アルティ)で、京都フィルハーモニー室内合奏団室内楽コンサートシリーズ Vol.65「ドラマチック・ロシア」を聴く。

京都フィルハーモニー室内合奏団は、定期演奏会でも比較的珍しい曲を取り上げることが多いが、室内楽シリーズでは更にマニアックな曲をプログラミングしてくる。今日演奏される曲も実演でもCDでも聴いたことがないものばかりである。

曲目は、バラキレフの八重奏曲、グリンカの悲愴三重奏曲、エワルドの金管五重奏曲第4番、プロコフィエフの五重奏曲。曲目はトランペットの西谷良彦が監修したものだという。

出演メンバーは、岩本祐果(ヴァイオリン)、中野祥世(ヴァイオリン。契約団員)、松田美奈子(ヴィオラ)、佐藤響(チェロ)、金澤恭典(かなざわ・やすのり。コントラバス)、市川えり子(フルート)、岸さやか(オーボエ)、松田学(クラリネット)、小川慧巳(おがわ・えみ。ファゴット)、御堂友美(みどう・ゆみ。ホルン)、西谷良彦(トランペット)、白水大介(しろず・だいすけ。トランペット。客演)、村井博之(トロンボーン)、藤田敬介(チューバ。客演)、初瀬川未雪(はつせがわ・みゆき。ピアノ。客演)

バラキレフの八重奏曲。曲前のトークは中野祥世が受け持つ。バラキレフは早熟であり、この曲も13歳の時に書き始めている。ただバラキレフは遅筆であり、完成までに6年を要したそうである。
フルート、オーボエ、ホルン、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノという編成。
バラキレフは西欧の音楽を真似るのではなくロシアならではの音楽を書くことを目指し、ロシア五人組の頭目となった人物だが、初期作品ということもあり、西欧の古典派からの影響が濃厚である。ただ、木管の旋律などにはバラキレフの個性がすでに現れている。

グリンカの悲愴三重奏。クラリネット、ファゴット、ピアノの編成による曲。グリンカがイタリアに留学していた時代に書いた作品だそうで、松田学のトークによるとオペラ的な要素が感じられる曲だそうである。なお、2月15日はグリンカの命日だそうだが、これは偶然であり、曲目が決まってから会場を押さえるそうなのだがALTIが空いていたのがたまたま2月15日だったようである。
旋律が豊かであるが若書きということもあり、特に魅力的な作品とはなっていないような印象を受ける。

エワルドの金管五重奏曲第4番。トロンボーン奏者の村井博之のトーク。「エワルドという作曲家を知っている人は金管奏者に限られると思います」と語る。
トランペット2、ホルン、トロンボーン、チューバという編成。演奏時間30分の大曲である。
結構、高音を強調する傾向がある。金管の合奏だけに輝かしさがあり、旋律にも魅力がある。

プロコフィエフの五重奏曲。プロコフィエフだけは20世紀に活躍した作曲家である。1891年生まれだがこれはモーツァルトが死んでから丁度100年目に当たる。また逝去したのは1953年3月5日だが、全く同じ日にスターリンが他界している。ということで生年はモーツァルトの影に隠れ、没年月日はスターリンの方に注目が行くという不運の作曲家と見なされることもある。
ヴァイオリンの岩本祐果のトーク。ロシア革命を受けてアメリカへの亡命を決意したプロコフィエフはシベリア鉄道に乗って東へと向かう。アメリカへの途中に日本にも寄っているのだが、京都にも来ており、祇園に行ったそうである。五重奏曲は、オーボエ、クラリネット、ヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバスという編成で演奏されるが、こうした編成による五重奏曲は他にはほとんど例がないそうである。元々は「空中ブランコ」というサーカスのための音楽として書かれたものだが、今では室内楽曲として定着しているようだ。

個性的な音楽を書いたプロコフィエフ。五重奏曲もキュビズムの絵画の中に迷い込んだような趣を持つ。美しさ、崇高さ、野性的な部分、キッチュな要素などが渾然一体となった音世界である。

アンコールとして金澤恭典編曲による、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲より第2楽章が演奏された。

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2018年2月17日 (土)

コンサートの記(345) 山本祐ノ介指揮 京都市交響楽団 京都新聞トマト倶楽部コンサート「懐かしの映画音楽」2017

2017年4月28日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで京都新聞トマト倶楽部コンサート「懐かしの映画音楽」2017を聴く。演奏は山本祐ノ介指揮の京都市交響楽団。

山本祐ノ介は山本直純の息子である。1963年東京生まれ、東京芸術大学附属音楽高校を経て東京芸術大学卒、同大学院修了。本業はチェリストで、東京交響楽団の首席チェロ奏者などをしていたが、やはり山本直純の息子というと求められるものがある。ということで、指揮者、作曲家、編曲家としても活躍している。指揮者としてはミャンマー国立ヤンゴン交響楽団の指揮者を務めている。
山本直純はひげがトレードマークだったが、山本祐ノ介はひげは生やしていない。

「懐かしの映画音楽」というタイトルだが、最も新しい映画でも1972年制作の「ゴッドファーザー」。私が生まれる前の作品である。勿論、映像で観たことのある作品も多いが、ロードショーで観ているわけではない。私の場合リアルタイムで観た懐かしい映画というと1980年代の「E.T.」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、邦画でいうと「南極物語」辺りからとなる。

曲目は前半が、20世紀FOXのファンファーレ、「007は殺しの番号」~ジェームズ・ボンドのテーマ~、「避暑地の出来事」~夏の日の恋~、「個人授業」~愛のレッスン~、「ゴッドファーザー」~愛のテーマ~、「南太平洋」~魅惑の宵~、「アラビアのロレンス」~序曲~、「ドクトル・ジバゴ」~ラーラのテーマ~、「ベン・ハー」~序曲~。後半が、「80日間世界一周」~アラウンド・ザ・ワールド~、「悲しみの天使」~哀愁のアダージョ~、「誰(た)が為に鐘は鳴る」~メインテーマ~、「栄光への脱出」~メインテーマ~、「白い恋人たち」~白い恋人たち~、「ひまわり」~愛のテーマ~、「エデンの東」~メインテーマ~、「風と共に去りぬ」~タラのテーマ~。
「ゴッドファーザー」の愛のテーマと「ドクトル・ジバゴ」よりラーラのテーマの編曲は山本祐ノ介、「悲しみの天使」より哀愁のアダージョが佐野秀典の編曲で、残る曲は全て南康雄の編曲である。


今日のコンサートマスターは渡邊穣。

山本祐ノ介は前半が銀地に黒の模様入りのジャケット、後半は父親の山本直純譲りであると思われる真っ赤なジャケットで登場する。マイクを手にトークを入れながらの指揮。
ジェームズ・ボンドを演じていたショーン・コネリーは今は髪が薄くてひげが濃いだの、アラビアのロレンスを演じていたピーター・オトゥールの格好が忍者に見えただのというユーモアを交えながらのトークである。山本はミャンマー国立ヤンゴン交響楽団の演奏会ではベートーヴェンの交響曲なども指揮しているそうだが、ミャンマーではクラシック音楽が普及しておらず、ミャンマー人は「ベートーヴェン」と聞いても名前は浮かんでも曲は全く知らないという状態であるため、クラシックだけのコンサートを開いてもお客が入らない。ということで映画音楽なども取り上げるのだが、映画音楽も知名度にムラがある。「誰でも知っている映画音楽は何か?」とリサーチしたところ、「どうやら『ゴッドファーザー』の音楽はみんな知っているらしい」ということで自ら編曲して取り上げたそうである。日本でも「ゴッドファーザー」のメインテーマは暴走族の兄ちゃんでも知ってるからね。

京都市交響楽団は今日も好調。弦は滑らかで管は輝かしい。ピアノとして入った佐竹裕介の達者な演奏を聴かせる。

アンコール演奏は、「マイ・フェア・レディ」より“踊り明かそう”。
「マイ・フェア・レディ」は、オードリー・ヘップバーン主演のミュージカル映画だが、オードリー・ヘップバーンは歌が余り上手でなかったため、オードリーが演じているイライザのナンバーは全てマーニ・ニクソンが吹き替えを行っている。マーニ・ニクソンは吹き替え専門の歌手だったが、長年の功績が讃えられ、「サウンド・オブ・ミュージック」には修道女の一人として出演している。

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2018年2月14日 (水)

コンサートの記(344) 大阪フィルハーモニー交響楽団「Enjoy!オーケストラ ~オーケストラで聴く映画音楽の世界!~」

2018年2月9日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団「Enjoy!オーケストラ ~オーケストラで聴く映画音楽の世界!~」を聴く。指揮とお話は大阪フィルハーモニー交響楽団ミュージック・アドヴァイザーの尾高忠明。

大阪フィルハーモニー交響楽団は、フェスティバルホールを本拠地としているが、定期演奏会はフェスティバルホールで行い、その他の企画はザ・シンフォニーホールを使う傾向がある。音響だけとればザ・シンフォニーホールは日本一だと思われるため、使用しないと勿体ない。今回は武満徹とジョン・ウィリアムズという二人の作曲家の作品を取り上げる。

曲目は、第1部が武満徹作曲による、3つの映画音楽(「ホゼ・トレス」、「黒い雨」、「他人の顔」)、「夢千代日記」、「乱」、「波の盆」組曲。「夢千代日記」と「波の盆」はテレビドラマのための音楽である。 第2部がジョン・ウィリアムズ作曲の映画音楽で、「未知との遭遇」メインテーマ、「ハリー・ポッターと賢者の石」メインテーマ、「シンドラーのリスト」メインテーマ、「E.T.」よりフライングシーン、「ジョーズ」メインテーマ、「スター・ウォーズ」メインテーマ。

まず武満の3つの映画音楽。大フィルは元々音量は豊かだが音の洗練については不足気味の傾向がある。初代の音楽監督である朝比奈隆が「愚直」を好み、骨太の演奏を指向したということもある。2代目の音楽監督である大植英次は現代音楽も得意としたが外連を好む傾向にあり、首席指揮者を務めた井上道義に関しても同傾向であったことは言うまでもない。ということで、もっと緻密で繊細な音作りも望みたくなるのだが、洒脱さは出ていたし、まずまずの出来だろう。

演奏終了後、尾高はマイクを手に振り返り、トークを始める。「僕は桐朋学園に学びました。齋藤秀雄という怖い怖い先生に教わりましたが、『尾高! 良い指揮者になりたかったらあんまり喋るな!』」といういつもの枕で笑いを取る。「大阪フィルハーモニー交響楽団は人使いが荒くて、指揮だけでなく話もして欲しい」。ここから武満の思い出となり、「コンピューターゲームが大好きな人でした。うちによく遊びに来てくれて嬉しかったのですが、コンピューターゲームで自分がお勝ちになるまでお帰りにならない」「これは喜ばれると思うのですが阪神タイガースの大ファンでした。阪神が負けた日には話しかけない方が良さそうな」という話をする。雑誌のインタビューで読んだことがあるのだが、尾高はこの話を日本だけではなく海外でも行っており、海外のオーケストラ団員も「タケミツってどんな人?」と興味津々で、この話をすると喜ばれるそうである。

その後、次の「夢千代日記」の話になり、主演した吉永小百合が今でも「バレンタインデーにチョコレートを貰いたい有名人アンケート」で1位を取るという話もする。どちらかというと響きの作曲家である武満徹。世界で彼にしか書けないといわれたタケミツ・トーンは海外、特にフランスで高く評価され、フランス人の音楽評論家から「タケミツは日系フランス人作曲家である」と評されたこともある。ただ武満本人は、「ポール・マッカートニーのような作曲家になりたい」と望んでおり、メロディーメーカーに憧れていた。残念ながらメロディーメーカーとしてはそれほど評価されなかった武満であるが、「夢千代日記」や「波の盆」に登場する美しい旋律の数々は、武満の多彩な才能を物語っている。

「乱」に関しては、監督である黒澤明と武満徹の確執を尾高は話す。黒澤明は武満に作曲を依頼。レコーディングのためにロンドン交響楽団を押さえていた。「ロンドン交響楽団で駄目だったらハリウッドのオーケストラを使ってくれ。ゴージャスにやってくれ」と注文したのだが、武満は岩城宏之指揮の札幌交響楽団を推薦。黒澤は「冗談じゃない!」と突っぱね、ここから不穏な空気が漂うようになる。武満が想定した音楽は黒澤が想像していたものとは真逆だった。
よく知られていることだが、黒澤映画のラッシュフィルムにはクラシック音楽が付いており、黒澤は「これによく似た曲を書いてくれ」というのが常だった。「乱」に関してはマーラーの曲が付いていたことが想像される。黒澤はマーラーのようにど派手に鳴る音楽を求めていたようだ。武満も「強い人だったので」折れず、じゃあ一緒に札幌に行こうじゃないかということになり、札幌市の隣町である北広島市のスタジオで札幌交響楽団に演奏を聴く。黒澤は納得したようで、札幌交響楽団のメンバーに「よろしくお願いします」と頭を下げたそうである。実はこの後、武満と黒澤は更に揉めて、絶交にまで至るのだが、それについては尾高は話さなかった。ただ演奏終了後に、「この音楽はハリウッドのオーケストラには演奏は無理であります」と語った。

武満の映画音楽の最高峰である「乱」。色彩豊かなのだがどこか水墨画のような味わいのある音楽である。巨人が打ち倒されるかのような強烈な悲劇性と群れからはぐれて一人ヒラヒラと舞う紋白蝶のような哀感の対比が鮮やかである。タケミツ・トーンがこれほど有効な楽曲もそうはない。

「波の盆」。尾高は日系ハワイ移民を題材にしたストーリーについて語る。笠智衆、加藤治子、中井貴一が出演。日米戦争に巻き込まれていく姿が描かれている。「あんまり詳しく話すとDVDが売れなくなりますので」と尾高は冗談を言っていた。
叙情的なテーマはよく知られているが、いかにもアメリカのブラスバンドが奏でそうなマーチが加わっていたりと、バラエティ豊かな音楽になっている。武満自身がマニア級の映画愛好者であり、オーケストレーションなどは映画音楽の仕事を通して学んだものである。

ちなみに尾高は子供の頃は指揮者ではなく映画監督に憧れていたそうで、果たせずに指揮者となり「一生を棒に振る」と冗談で笑いを取っていた。


第2部。ジョン・ウィリアムズの世界。最初の「未知との遭遇」メインテーマでは、高校生以下の学生券購入者をステージ上にあげての演奏となった。演奏終了後に子供に話も聞いていたが、今の子供も「未知との遭遇」のテーマは「聴いたことがある」そうである。

尾高は、ジョン・ウイリアムズは武満を尊敬していたということを語る。

ジョン・ウィリアムズは、「ジュリアード音楽院、日本でいうと東京芸大のようなところ」で学び、カステルヌオーヴォ=テデスコに師事した本格派であり、スピルバーグもジョージ・ルーカスも「自分が成功出来たのはジョンの音楽があったから」と語っていることを尾高は紹介する。

「ハリー・ポッターと賢者の石」はスピルバーグ作品でもルーカスフィルムでもなく、クリス・コロンバス監督作品であるが、「ハリー・ポッター」シリーズは、イギリス人の魂そのものだと捉えられているそうである。ミステリアスな曲調を上手く現した演奏であった。そういえば、私が「ハリー・ポッターと賢者の石」を観たのはまだ千葉にいた頃で、富士見町にあるMOVIX千葉での上映を観たのだった。

「シンドラーのリスト」では、今日は客演コンサートマスターに入った須山暢大(すやま・のぶひろ)が独奏を担当。サウンドトラックでソロを受け持ったイツァーク・パールマンのような濃厚さはなかったが技術面ではしっかりした演奏を聴かせる。

「E.T.」よりフライングシーンの音楽。今日取り上げたジョン・ウィリアムズ作品の中で、この曲だけがメインテーマではない。CMでもよく使われる曲で、尾高はピザのCMに使われたものが印象的だったと述べた。大フィルの音楽性には武満よりもジョン・ウィリアムズ作品のようが合っているように思う。

「ジョーズ」メインテーマ。スピルバーグが「28歳ぐらいの時の映画だと思うのですが」「自分より1つか2つ上なだけの人間(尾高は1947年生まれ、スピルバーグは1946年生まれである)がこうした映画を撮るのか」と衝撃受けたそうである。演奏を見ているとかなり高度はオーケストレーションが用いられているのが確認出来る。

今日はチケット完売、補助席まで売り切れという盛況である。尾高によると満員というのが文化の高さの指標になるそうで、以前、新国立でベンジャミン・ブリテンの「ピーター・グライムズ」をやった時、二日とも満員御礼で初日は良かったのだが、二日目に1階席の真ん真ん中2列が空いてしまっていたという。そこはスポンサー関係者用の席で誰も聴きに来なかったようなのだが、2幕の始まりに、ビーター・グライムズ役のイギリス人歌手が尾高の所に飛んできて、「チュウ! チュウというのは僕のことです。『もう歌わない! あそこが空いてるじゃないか!』となりまして」と語った。

さらにチケット完売時の返券(キャンセル)の話になる。尾高がウィーン国立音楽アカデミー(現・ウィーン国立音楽大学)でハンス・スワロフスキーに師事していた時代のこと。ヘルベルト・フォン・カラヤンが毎年夏に自身が主催するザルツブルク音楽祭を開いており、「カラヤン指揮のオペラが聴きたい」と思った尾高はザルツブルク祝祭劇場(カラヤンが大阪の旧フェスティバルホールをモデルに自らも設計に加わって建てさせたもの)まで出掛けた。
帝王カラヤン指揮のオペラなので前売り券は当然ながら完売、尾高は返券を求めて、開場の1時間半ほど前から並ぶことにしたという。午前8時半頃にザルツブルク祝祭劇場の前に着くと、すでに100人ほどが列を作っている。「こりゃ駄目かな」と思いつつ尾高が列に並んでしばらくすると、黒塗りの豪華な車が劇場の前で止まり、いかにも上流階級といった風の男性が降りてきた。男は尾高に、「おい、君は何やってるんだ?」と聞く。尾高が「オペラを聴くために並んでます」と答えると、「そんなことはわかっている。なにをやっていて、どうしてこのオペラを聴こうと思ったのかを聞いている」。尾高がウィーンで指揮を学んでいることを話すと、男性はチケットをくれたという。なんとS席の中でも特等の座席であったそうだ。
男性はカラヤンの知り合いで、毎年、ザルツブルク祝祭劇場でオペラを観ていたのだが、この年はどうしても抜けられない仕事が出来てしまい、「チケットを無駄にしたくないから、音楽を学んでいる奴にやろう」と決めて、目的地に向かう途中で高速道路を下りて、わざわざザルツブルク祝祭劇場に車を横付けしたのだった。

ラストの「スター・ウォーズ」メインテーマ。輝かしい演奏で掉尾を飾った。

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2018年2月 8日 (木)

コンサートの記(343) 京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ・コンサートシリーズ 小谷口直子 室内楽演奏会 vol.2

2018年2月3日 京都コンサートホール アンサンブルホールムラタにて

午後2時から、京都コンサートホール アンサンブルホールムラタで、「京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ・コンサートシリーズ 小谷口直子 室内楽演奏会 vol.2」を聴く。京都市交響楽団の首席クラリネット奏者である小谷口直子が、京響の仲間達と繰り広げる室内楽シリーズの第2弾。出演は小谷口直子の他に、杉江洋子(ヴァイオリン)、上森祥平(うわもり・しょうへい。チェロ)、塩見亮(しおみ・たすく。ピアノ)。全員、東京藝術大学出身である。

曲目は、湯浅讓二の「クラリネット・ソリテュード」、武満徹の「カトレーンⅡ」、メシアンの「時(世)の終わりのための四重奏曲」。全て20世紀に書かれた作品である。

まずは小谷口直子のクラリネットソロによる湯浅讓二の「クラリネット・ソリテュード(孤独)」。無料パンフレットによると小谷口直子が大学4年生の時に卒業試験の曲として選んだ曲だそうである。演奏後に行われたトークによると、「昔は孤独に酔いしれることが出来た」そうだが、「今は仲間が欲しい」と思うようになったそうだ。
「クラリネット・ソリテュード」は、高い音色が駆使されており、倍音や和音の奏法も用いられている。メロディーラインは尺八で演奏するのに似つかわしいものであり、本当に尺八を念頭に置いて作曲されたのかも知れない。


武満徹の「カトレーンⅡ」。小谷口直子は、武満の著書である『音、沈黙と測りあえるほどに』に書かれた文章を無料パンフレットに載せているが、武満の音楽は本当に沈黙を埋めるように音が敷き詰められており、横への拡がりがある。フランス人から「日系フランス人作曲家」などとも賞された武満であるが、フランスの現代音楽作曲家でメシアンの「時の終わりのための四重奏曲」が音が佇立する傾向にあるのとは対照的である。またメロディーというよりも音の明滅に重点が置かれているようでもある。


オリヴィエ・メシアンの「時の終わりのための四重奏曲」。無料パンフレットに寄せられた小谷口直子の文章には、「“時の(世の)終わり”にあたる言葉が示すものは、戦争で破滅に向かうとか、長い抑留生活から連想されるようなものではなくて《過去や未来という概念の終わり、つまり永遠の始まりを表現したものだ》というメシアン自身の言葉」が紹介されており、おどろおどろしさよりも崇高な側面が強調されている。
小谷口がトークで、「演奏する方よりも聴く方がしんどいプログラムになっております」と発言したが、演奏時間50分、内容は難解ということで、聴きやすい音楽ではない。ただこの音楽の響きの美しさは伝わってくる。特に、クラリネット、チェロ、ヴァイオリンがソロを取る部分でそれは顕著であり、ラストのヴァイオリンとピアノのデュオはキリスト教的な「救い」の美に充ち満ちている。


アンコール演奏はなし。その代わりとして(?)出演者と聴衆による記念撮影がある。写真が後日、小谷口のブログに載せられるとのことだ。

アップされたブログはこちらである。

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2018年2月 5日 (月)

コンサートの記(342) 細川俊夫 オペラ「班女」2018広島

2018年1月28日 広島市のJMSアステールプラザ中ホールにて

午後2時から、JMSアステールプラザ中ホールで、細川俊夫のオペラ「班女(はんじょ)」を観る。2004年にフランスのエクスプロヴァンス音楽祭で初演されたもの。原作は三島由紀夫(『近代能楽集』より「班女」)、台本・作曲:細川俊夫、テキスト英語訳:ドナルド・キーン、演出:岩田達宗(いわた・たつじ)。川瀬賢太郎指揮広島交響楽団の演奏。出演は、柳清美(ユウ・チョンミ)、藤井美雪、折河宏治(おりかわ・ひろはる)。



私の初舞台は『近代能楽集』に収められている「綾の鼓」なのである。演出は観世榮夫と無駄に豪華であった。その時の観世榮夫はもう相当なお年だったのだが、鼓を投げ渡す時のアイデアなどは上手くはまり、「やっぱり凄いんだな」と皆で確認したものである。ちなみに私が演じた藤間春之輔は女形という設定だったのだが、どう考えても私に女形は無理なので、デフォルメして普通じゃない人を勝手に演じてしまった思い出がある。

三島由紀夫の「班女」は初演時には英訳したもので行われている。原典は世阿弥の「班女」。美濃国の遊女・花子が吉田少将なる人物と恋に落ち、扇を交換して別れたことに端を発する物語で、二人は京で再会することになる。この花子は狂言「花子」にも登場、更に歌舞伎舞踊「身替座禅」へと転じている。「花子」の主人公や「身替座禅」の山陰右京のモデルは後水尾天皇、怖ろしい奥さんのそれは東福門院和子といわれている。私は「身替座禅」は二度ほど観ている。

武満徹亡き後、海外で最も名を知られた日本人作曲家の一人となっている細川俊夫。広島市の出身で、国立音楽大学中退後、渡独。ベルリン芸術大学で尹伊桑(ユン・イサン)に師事。その後、フライブルク大学でも学んでいる。

能舞台を使用。橋懸りの下に広島交響楽団の楽団員が陣取る。開演前に本田実子(じつこ)役の藤井美雪が能舞台の上に現れ、新聞紙をハサミで切り刻んでいく。
下手から指揮者の川瀬賢太郎が現れ、演奏がスタート。この上演では冒頭と第4場で地下鉄の駅で録音された轟音が鳴り響く。騒音の暴力性と21世紀の環境を感じさせる音として細川が指定したものである。

細川俊夫は個性が強い作曲家であり、その作品には「細野節」ともいうべき音響が刻印されている。今回もキュルキュルと鳴る弦楽の音に細野らしさが宿っている。特徴なのはバスフルートの用い方で、尺八に似た音を出しながら随所で効果的に用いられていた(フルート:森川公美)。
日本センチュリー交響楽団を経て広響コンサートミストレスに就任した蔵川瑠美を始めとする弦楽群が鋭く且つきめ細かい響きを発し、夢と現の間を彷徨うかのような音像を作り上げていく。

英語による上演であるが、セリフの部分にはところどころ日本語が用いられており、対比の手法が用いられている。そういえば三島由紀夫と親交のあった観世榮夫も「もっと対比させろ!」と言っていた。

恋い焦がれて狂女となった元遊女の花子(柳清美)と彼女を独占しようと企む四十路の売れない画家・実子(藤井美雪)の名前からして「花と実」という好対照のものである。花のように咲いては散ってしまいそうな儚い花子と、毒々しい生命力を持つ実子のコントラストの妙である。

実子は夢見る存在の花子を囲って、いわば隠棲のような暮らしをしている。それが新聞報道によって掻き乱されるのだが、今回の上演では実子はラップトップパソコンを使って情報収集しているという設定である。また花子を「奪いにくる」吉雄(折河宏治)は タブレット端末を手に登場。あたかも「情報化社会」=「正義面した外界」の化身のようだ。

私個人の話になるが、インターネットを始める前、二十代前半の頃と今を比べると、情報が手軽に入るようになってからは便利になったが、人間の核になる部分が―「実」と言い換えてもいいかもしれないが―薄くなったようにも思えるのだ。ある意味、情報の洪水に押し流されて掻き乱されて、「間違えようがなく私個人である部分」 が不鮮明になったというべきか。前回、広島に来たときはまだガラケーを使っており、広島駅で降りてすぐに駅ビルの書店で広島の観光案内を買ったのだが、今回はスマートフォンでなんでも検索できてしまうので楽なのは楽なのだが、「生きている手応え」のようなものを感じにくくなっているような気もするのだ。 「自我が外部に浸食されている」。そして普段はそれを感じなくなってしまった恐怖が、こうした作品に触れることでふいに突きつけられたように思える。

岩田達宗の演出は、情報過多な世界と浸食される人間の内面の競り合い、つまり内外の戦いを前面に出したものだが、もし私が同様の演出をするなら(同様の演出はしないと思うが)、すでに半ばハイジャックされた形の内面における内々の葛藤、そして内部にいる「他」の排斥と自己の回復(内戦)を描いたと思う。そこが違いである。おそらく私がSNSを徹底して使い倒すタイプだからだろう。
藤井美雪演じる実子は感情の激しい人物として描かれており、三島のテキストから見てもこれは妥当なのであるが、これも私だったら氷のように凜然としている女として舞台に立たせたい。単純にクールな女が打ち崩されていく様が見たいということでもある。

そして自分が花子=「夢見ることを許されている存在」に肯定されていくのだ。

細川俊夫、岩田達宗、川瀬賢太郎によるアフタートークでは、ラストがハッピーエンドなのかどうかという話になっていたが、私が思うに実子に関しては「そこにしかいけないよね」という印象が強い。嵌まるべき場所に嵌まったということだと思う。社会的にはともかくとして文学的にはそれは大団円だと言えるのだろう。「許された存在」によって「許された」のだから。
柳清美の可憐さ、藤井美雪の恐ろしさ、折河宏治の存在感などもありキャストについては演劇的には満点である。なお、藤井美雪は福山市在住(広島市中区幟町にあるエリザベト音楽大学声楽科講師)、折河宏治は広島市在住(同じくエリザベト音楽大学准教授)で地元キャストが活躍している。昨日の上演でも吉雄役は広島市在住の山岸玲音(やまぎし・れおん)が歌っており、広島音楽界の充実がうかがえる。


アフタートークでは、細川俊夫が広島交響楽団の演奏について「これまで60何回演奏された(「班女の)演奏の中で最高」と褒め称え、賞賛を受けた指揮の川瀬賢太郎が冗談でガッツポーズを繰り出す場面があった。川瀬は「班女」がオペラ指揮デビューであり、同じオペラの再演で指揮を執るのも今回の「班女」が初めてだそうである。
演出の岩田達宗が川瀬と初めて一緒に仕事をしたのはモーツァルトの「フィガロの結婚」だそうだが、フィガロと「班女」の共通点についても語った。また能の仕草の内実についても語り、能舞台がキャストに与えた影響についても話していた。岩田は能や歌舞伎の要素を取り入れた演出を行うことが多いのだが(奥さんの影響らしい)、今回、能舞台を使った演出をすることで、「倒錯」ともいうべき状態が起こっていたことも明かされた。

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2018年1月25日 (木)

コンサートの記(341) ジェームズ・ジャッド指揮 京都市交響楽団第619回定期演奏会

2018年1月21日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第619回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はイギリスの名匠、ジェームズ・ジャッド。

曲目は、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番(ヴァイオリン独奏:木嶋真優)とホルストの組曲「惑星」


NAXOSへのレコーディングでもお馴染みのジェームズ・ジャッド。現在はイスラエル交響楽団の音楽監督とテジョン・フィルハーモニック管弦楽団の芸術監督、更にスロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督兼首席指揮者の座にある。これまでにフロリダ・フィルハーモニー管弦楽団とニュージーランド交響楽団の音楽監督を務め、録音も好評を博している。
ロンドン・トリニティ・カレッジ・オブ・ミュージックを卒業後、ロリン・マゼールの下、クリーヴランド管弦楽団のアシスタント・コンダクターを務め、クラウディオ・アバドの推挙によりヨーロッパ・コミュニティ・ユース・オーケストラの副音楽監督も経験している。
レナード・バーンスタインの弟子ではないのに、バーンスタイン作品を取り上げる指揮者としても知られる。純粋に作品として評価しているようである。

プレトークではジャッドは主に組曲「惑星」について解説。ホルストについて「ジーニアス(天才)」という言葉を用いながら楽曲の魅力を語った。


今日のコンサートマスターは渡邊穣、フォアシュピーラーに泉原隆志。


プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番。20世紀に作曲されたヴァイオリン協奏曲としては一二を争うほどの人気曲である。
2016年に第1回アイザック・スターン国際ヴァイオリン・コンクールで優勝した木嶋真優。これまでは「技術面は達者だが表現力がいまいち」という印象だったが見事に成長した。高音の美音はそのままに、女流としては厚めの音を特徴とする淀みのない演奏が繰り広げられる。音楽作りの面では甘さ控えめでリアルに徹している印象も受けた。

アンコールで木嶋は、自身のアレンジによる「ふるさと」を演奏。美しさと力強さを兼ね備えた演奏であった。


ホルストの組曲「惑星」。スケール豊かな演奏となる。第1曲「火星」では、天井の高い京都コンサートホールが飽和するほどの力強い音が鳴り響き、第2曲「金星」などでは神秘的で洗練された音を生み出す。楽曲ごとの対比も上手い。第4曲「木星」の立体感とノーブルさの表出も見事だった。
京都市交響楽団は、持ち前の金管の輝かしさが生きており、木管のクオリティも高い。弦は管に比べると押され気味のような気もしたが音自体は充実したものである。渡邊穣のヴァイオリンソロも味わい深い。
第7曲「海王星」に登場する京響コーラスの声も美しく、秀逸な「惑星」演奏となった。

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2018年1月24日 (水)

コンサートの記(340) ダーヴィト・アフカム指揮 NHK交響楽団神戸公演2018

2018年1月20日 神戸文化ホールにて

午後4時から、神戸文化ホールでNHK交響楽団神戸公演を聴く。指揮は世界的に注目を浴びている俊英、ダーヴィト・アフカム。
1983年、ドイツ・フライブルク生まれのアフカム。インド系の父親とドイツ人の母親を持つ。フライブルク音楽大学とワイマール・フランツ・リスト音楽大学に学ぶ。ベルナルト・ハイティンクによる「若い才能におくる基金」の最初の受賞者に認定され、ハイティンクのアシスタントに抜擢されている。2008年にドナティラ・フリック指揮者コンクールに優勝。2010年のネスレ&ザルツブルク音楽祭ヤング・コンダクターズ・アワード第1位も獲得している。グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラ・アシスタントコンダクターを務めていた2010年には同オーケストラを指揮してCDデビューも果たしている。このCDを私は聴いていて、年齢を考えれば優れた出来だと感じた。


曲目は、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番(ピアノ独奏:小山実稚恵)、リヒャルト・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」組曲、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」

今日のNHK交響楽団のコンサートマスターは、マロこと篠崎史紀。私のN響学生定期会員時代からいる奏者はマロの他に、首席オーボエ奏者の茂木大輔、第2ヴァイオリン首席の大林修子、チェロの藤森大統領こと藤森亮一など数えるほどしかいない。藤森亮一夫人である向山佳絵子も一時、N響首席チェロ奏者に就いていたのだが現在は退団したようである。その他の有名奏者としては、私と同い年の池田昭子(オーボエ&イングリッシュホルン、元京都市交響楽団の菊本和昭(首席トランペット)、神田寛明(首席フルート)らがいる。

神戸文化ホールは、東京・渋谷のNHKホールと同じ1973年の竣工。同時期の建築だけに内部がよく似ている。築40年が過ぎているため、神戸市はすでに2025年を目処に、廃館と機能の三宮移転を決めている。
神戸文化ホールに入るのは初めてだが、直接音は比較的良く聞こえる一方で残響はほぼなし。ということで音が生まれる端から消えていくような印象を受ける。そして困ったことに席が小さめで肩をすぼめて座る必要がある、更に客席前が狭く、移動に難儀する。ということで余程のことがない限り、もう聴きに行くことはないと思う。

さて、アフカム指揮のN響であるが、驚嘆すべき水準の合奏を聴かせる。世代交代が進み、更に首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィの手腕故か、音の威力が増し、今日の出来ならロンドン交響楽団に勝るとも劣らない(比較対象が微妙っちゃ微妙だが)レベルに達している。

1曲目の交響詩「ドン・ファン」では煌めくような快演を聴かせたアフカムとN響。ステージの光の加減もあって、一服の金屏風を眺めているような趣である。


モーツァルトのピアノ協奏曲第20番。アフカムとN響はピリオドによる伴奏を展開するが、残響のないホールであるため、場面によっては弦がスカスカに聞こえる。
ソリストの小山実稚恵は、純度の高いピアノを聴かせる。純度が高いためモーツァルトの愛らしさは後退してしまった嫌いがある。短調の曲だからそれでも良いのかも知れないが、何もかも上手くいくというわけにはいかないようだ。
アンコールとして小山はショパンのマズルカ作品67-4を弾く。ショパンの方が小山の個性にずっと合っているように感じた。
彼女の著書である『点と魂と スイートスポットを探して』は出てすぐに読んだが、いかにも音楽ばかりやって来た女性が書いたという感じの本であり、人に薦めるほどのものではないように思う。


リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」組曲、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」も立体的で充実した演奏。特に「ラ・ヴァルス」は音運びが上手い。
アフカム、将来が楽しみな指揮者である。

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2018年1月23日 (火)

コンサートの記(339) 小林沙羅ソプラノリサイタル2018西宮

2018年1月19日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター神戸女学院小ホールにて

午後7時から、兵庫県立芸術文化センター神戸女学院小ホールで、小林沙羅のソプラノリサイタルを聴く。ピアノ伴奏は河野紘子。

神戸女学院小ホールの名称はネーミングライツによるものであり、神戸女学院のホールというわけではない。
これまで兵庫県立芸術文化センターの大ホールと中ホールには何度も来ているが、小ホールに入るのは今日が初めてである。単純にこれまで訪れる機会がなかった。
神戸女学院小ホールは、コンタクトレンズのような形状の反響板が特徴的なホールである。天井が高い。今日はステージ下手の後方、斜めになった席で聴いたのだが、音はまずまず、悪くはないが特に良いというわけではない。このホールは使い勝手が悪いため、積極的に「また来たい」とは思えなかった。


曲目は、前半が日本の歌曲で、山田耕筰の「この道」、「あかとんぼ」、「からたちの花」、草川信の「揺籃(ゆりかご)の歌」、美智子皇后作詞・山本正美作曲の「ねむの木の子守歌」、別役実作詞・池辺晋一郎作曲の「風の子守歌」、中田喜直の「さくら横ちょう」、「髪」、「悲しくなった時は」、山田耕筰の「風に寄せてうたへる春のうた」、後半はドイツ語歌曲で、リヒャルト・シュトラウスの「矢車菊」、「夜」、「セレナーデ」、シューベルトの「子守歌」、ブラームスの「子守歌」、フリースの「モーツァルトの子守歌」、シュトルツの「プラーター公園の春」、レハールのオペレッタ「メリーウィドゥ」よりヴィリアの歌、カールマンのオペレッタ「チャルダッシュの女王」より“ハイヤ!山こそわが故郷”


2015年に兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで上演された、野田秀樹演出の「フィガロの結婚」にスザンナ(すざ女)役で見たことのある小林沙羅。「題名のない音楽会」への出演でもお馴染みである。東京藝術大学および大学院修士課程修了。2010年から2015年までウィーンとローマで研修と歌唱活動を行っている。

ピアノ伴奏の河野紘子は、桐朋学園大学卒業後、同研究科を修了。オーストリアでマスタークラスやサマーアカデミーなどに参加。「のだめカンタービレ」や映画「神童」で手の吹き替えも行っているそうだ。現在、二期会オペラ研究所ピアニストとして勤務。今日は温かみのあるピアノを聴かせてくれた。


小林沙羅は、フォルムのクッキリした美声を聴かせる。声としての質の高さが窺えるが、何よりも声で聴かせるタイプであるため、山田耕筰の歌などでは感情が十分に伝わってこないもどかしさも感じた。

子守歌が並んでいるが、小林沙羅の1歳半になる子供が、どんなに活発に活動していても子守歌を聴くとストンと眠ってしまうそうで、子守歌を歌う前に小林は、「眠くなったら眠っていいですよ」と冗談で言っていた。

中田喜直の「髪」については、学生の頃にずっと取り組んでいた曲なのだが今ひとつピンとこず、「どこが良いんだろう?」と思いながら勉強していたそうだが、年を重ねることで歌詞や曲の良さが感じられるようになってきたそうである。

レハールの「メリーウィドウ」よりヴィリアの歌では聴衆に協力をお願いして、合唱の部分を歌って貰うという無茶ぶりがある。ただそこは阪神間中心と思われる客層なので、男女ともに「我こそは!」と率先して歌ってくれる人がおり、大成功であった。

更に、カールマンの「チャルダッシュの女王」より“ハイヤ!山こそわが故郷”でも聴衆に手拍子を促し(楽譜に「手拍子をするように」と書いてあるそうである)、「楽譜に踊れって書いてあるので踊ります」と言って、ジプシー風のダンスを舞う。小林はバレエも習っていたので、踊るのも得意なのだろう。


アンコールは3曲。ジーツィンスキーの「ウィーン、我が夢の街」、リヒャルト・シュトラウスの「献呈」、小林沙羅自身の作詞・作曲である「えがおの花」
「ウィーン、我が夢の街」は前半をドイツ語詞で、後半を日本語詞で歌った。


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2018年1月20日 (土)

コンサートの記(338) 「渾身!!ラフマニノフ 長富彩 ピアノ・リサイタル vol.2」

2018年1月13日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、「渾身!!ラフマニノフ 長富彩 ピアノ・リサイタル vol.2」を聴く。埼玉県出身で、結婚後は神戸市在住のピアニスト、長富彩のザ・シンフォニーホールでの2度目のリサイタルである。タイトル通りオール・ラフマニノフ・プログラム。当初は聴く予定がなかったのだが、全曲ラフマニノフのピアノリサイタルを聴く機会はそうそうないだろうし、長富彩の新譜も出たのでサインでも貰うか、ということで出掛けてみる。前回の、ベートーヴェン&リストのリサイタルで、細部をしっかり描いていたというのも好印象であった。

今回もザ・シンフォニーホールの1階席のみの利用で、2階席は開放していない(録画スタッフがカメラを構えているのが確認出来る)が、入りは上々である。

曲目は、絵画的練習曲「音の絵」Op.33-1よりヘ短調とOp.39-1ハ短調、6つの歌より「ひなぎく」、楽興の時Op.16、パガニーニの主題による狂詩曲より第18変奏、幻想的小品集より第1曲「エレジー」、第2曲「鐘」、ピアノ・ソナタ第2番。


長富は、上が金色のラメ、下が深紅というドレスで登場。弾き始める前にちょっと神経質な仕草を見せる。

演奏であるが、音を一切流すことなく、一音一音を丁寧に積み上げて堅固なフォルムを作り上げていく。この方法はラフマニノフだけに極めて有効である。また音楽を横の流れでとらえるのではなく、音像の縦の線を編みだし続けているという印象を受けた。流れの人、例えば指揮者でいうと広上淳一とは真逆の音楽性である。
こうしたことをどこまで自覚的にやっているのか気になったので、終演後のサイン会の時にそれとなく探りを入れてみたのだが、「この人はどうやら自分のピアノスタイルをよく把握していないようだ」ということがわかったため、自覚していなくても才能で出来てしまうということであるらしい。YouTubeやサイン会での話し方を見ると、長富彩はけっこうな不思議ちゃんである。同い年の萩原麻未もインタビューで「何言ってんのかわからない」ことがあるため、女性ピアニストとして珍しいことではないのかも知れない。

パガニーニの主題による狂詩曲より18変奏でのリリシズムの表出も上手いし、有名曲となった「鐘」(ラフマニノフの生前は有名で、20世紀最高のピアニストでもあったラフマニノフのリサイタルでは、聴衆がアンコールで「鐘」を弾くまで帰ろうとしなかったらしい)の哀感の描き方も巧みである。

ラフマニノフというと甘美だの映画音楽的だのと言われるが、彼の音楽の本質は「苦悩の果てでギリギリ踏みとどまっている」もののように思える。


アンコールは、リムスキー=コルサコフの「くまんばちの飛行」(ラフマニノフ編曲)。高度なメカニックを味わうことが出来た。

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