カテゴリー「コンサートの記」の509件の記事

2019年1月19日 (土)

コンサートの記(509) 京都外国語大学・京都外国語短期大学 第52回教養講座 京都フィルハーモニー室内合奏団「新春コンサート」2019

2019年1月16日 右京区の京都外国語大学・京都外国語短期大学 森田記念講堂にて

午後6時半から、京都外国語大学森田記念講堂で、京都フィルハーモニー室内合奏団の「新春コンサート」を聴く。京都外国語大学・京都外国語短期大学の第52回教養講座として行われるもので、事前申し込み不要の無料公演である。中央列は招待客エリアとなっているが、その他は自由席である。


森田記念講堂に来るのは初めてだが、木の温もりが感じられる内装で響きも素直。好感の持てるホールである。京都フィルハーモニー室内合奏団は、森田記念講堂を練習場として使用しているそうだ。


曲目は、前半がクラシック作品で、シャンパンティエの「テ・デウム」より前奏曲、ヴィヴァルディのファゴット協奏曲ホ短調より第1楽章、モーツァルトの弦楽四重奏曲第14番「春」より第1楽章、モーツァルトのクラリネット五重奏曲より第2楽章、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「春の声」、ヨーゼフ・シュトラウスの「鍛冶屋のポルカ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「山賊のギャロップ」、オッフェンバックの歌劇「ホフマン物語」より人形の歌、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」。後半はポピュラーと映画音楽で、ビートルズの「オブラディ・オブラダ」、ロッド・スチュワートの「セイリング」、ジェスロ・タルの「ブーレ」、エンリオ・モリコーネの「ガブリエルのオーボエ」、坂本龍一の「ラストエンペラー」、チャック・マンジョーネの「フィール・ソー・グッド」、ジャニス・ジョプリンの「ジャニスの祈り」、フレデリック・ロウのミュージカル「マイ・フェア・レディ」より踊り明かそう。

司会はソプラノ歌手の四方典子(よも・のりこ)が務める。四方はオッフェンバックの歌劇「ホフマン物語」より人形の歌とミュージカル「マイ・フェア・レディ」より踊り明かそうではソプラノ独唱も担う。司会には慣れていないようで、トークも得意とはしていないようである。


名前からもわかる通り、京都フィルハーモニー室内合奏団は編成が小さいので、音の足りないところをピアノで補ったり、小編成用のアレンジを用いたりして演奏を行う。室内楽の定期演奏も行っているが、常設の室外楽団体ではないので、カルテットでの演奏などは本職に比べると典雅さや緻密さで後れを取るのは致し方ない。

各々のメンバーがソロを務め、楽器紹介を行うなど、家庭的な楽しさに溢れる演奏会である。

四方典子は、「人形の歌」では機械仕掛けのオランピアの歌唱を巧みに歌い(ねじ巻き係はトランペットの西谷良彦が務める)、「踊り明かそう」では英語と日本語で伸び伸びとした歌声を聴かせる。ただ、「踊り明かそう」はクラシカルな歌唱よりもミュージカル風に歌った方が効果的であるように感じる。クラシックの歌唱法では声に感情が乗りにくいのである。

後半の楽曲では、坂本龍一の「ラストエンペラー」が演奏されたのが嬉しい。二胡を独奏とする曲だが、今回はヴィオラを独奏とする編曲を採用し、京フィルヴィオラ奏者の松田美奈子がソロを務めた。


アンコールは、ヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」。勿論、聴衆も手拍子で参加した。


なお、開会の挨拶と終演後の挨拶は京都外国語大学の女子学生が行ったが、自身のこと「1年次生」と紹介し、終演後の花束贈呈で現れた男子学生を「2年次生」と紹介していたため、京都外大では関西で主流の○回生やその他の地域で一般的な○年生ではなく、○年次生という独自の表現を行うことがわかった。


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2019年1月18日 (金)

コンサートの記(508) 広上淳一指揮 広島交響楽団第312回定期演奏会

2011年9月22日 広島市文化交流会館にて

京都から広島に向かう。

午後6時45分に始まる、広島交響楽団の第312回定期演奏会に接する。会場は広島市文化交流会館。多目的ホールである。指揮は京都市交響楽団常任指揮者の広上淳一。実は広上さんが広島交響楽団で魅力的なプログラムを演奏するので、広島までやってきたのだ。

その魅力的なプログラムとは、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」とマーラーの交響曲第1番「巨人」。
広島交響楽団のコンサートマスターは、以前、大阪フィルハーモニー交響楽団にコンサートマスターとして客演した田野倉雅秋である。

広島文化交流会館舞台の側面には、上手、下手ともに鳩のマークがライトアップされている。多目的ホールなので、残響はほとんどなかった。


モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。広響は京響に比べると音色が洗練されていないが、聴いているうちに気にならなくなる。広上の指揮は堂々とした冒頭から素晴らしい。テンポは中庸。音色は美しく、フォルテシモからピアニシモまで、自在にオーケストラを操る。第3楽章では広上は指揮棒を譜面台に置いて、ノンタクトで指揮。繊細で優美な仕上がりであった。第4楽章をノンタクトで開始した後、すぐに広上は指揮棒を手にして振る。広島交響楽団の洗練度不足は否めないが、それでも優秀な演奏。終わりが近くなり、広上はまた指揮棒を譜面台に置いてノンタクトで指揮する。こんなに素晴らしい音楽、終わって欲しくないが、須く終わってしまう。最高の「ジュピター」であった。


後半の、マーラー交響曲第1番「巨人」。マーラー没後100年周年記念演奏である。

冒頭の弱音が美しい。テンポはやはり中庸で、広響のアンサンブルもしっかりしている。第1楽章のラストでは広響のパワー不足で、音量が思ったほど上がらないが、広上はその代わりに猛烈なアッチェレランドをかけ、迫力を出していた。

第2楽章も迫力のある出来。広響は弦も管もアンサンブルは優秀だ。

第3楽章は葬送の曲であることを強調した仄暗い演奏。ただ時折見せるしなやかな表情が魅力的である。

「巨人」の最終楽章は冗長であることで有名だが、広上の手に掛かると、そんなことは感じさせられない。広上はトランペットが演奏するときに、左手を上に突き上げたり、ジャンプしたりと、今日もユニークな指揮だが、引き出される音楽は本物だ。時折、楽譜にないはずの間を取るのも個性的である。

最終楽章も終わりが近づく。やはり終わって欲しくない。終わって欲しくないが終わってしまう。
良かった。本当に良い演奏だった。ライバルでマーラー指揮者の大植英次指揮の「巨人」よりも数段上だった。広響も目立ったミスはなく、名演に貢献した。


モーツァルトもマーラーも「こういう演奏が聴きたい」と私が理想に描いていた演奏が、今、まさに目の前で繰り広げられたのだ。幸せである。広島まで聴きに来て心から良かったと思った。

広上は広響のメンバーを立たせようとするが、広響の団員は広上に敬意を表して立ち上がろうとしない。広上さんは、指揮台を足でドンと踏みつけて「立て!」と指示。広響の楽団員も立ち上がる。拍手は鳴り止まず、広上は何度も指揮台に呼び戻された。

最高の夜であった。

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2019年1月17日 (木)

コンサートの記(507) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第450回定期演奏会

2011年7月15日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団第450回定期演奏に接する。今日の指揮者は音楽監督の大植英次。全曲、ドイツ式現代配置での演奏であった。

曲目は、オットー・クレンペラーの「メリー・ワルツ」(日本初演)、ベートーヴェンの三重協奏曲(ヴァイオリン:長原幸太、チェロ:趙静、ピアノ:デニス・プロシャイエフ)、ラヴェルのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:デニス・プロシャイエフ)、リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」組曲。

今日の大植は、燕尾服ではなく、スキー服というか人民服というか指揮者独特のいでたち。左胸のポケットに汗拭き用のハンカチーフを入れている(舞台上で汗を拭くことはなし。なお、前半は赤、後半はオレンジと色を変えていた)。


「メリー・ワルツ」。20世紀を代表する指揮者の一人、オットー・クレンペラーの作品である。

クレンペラーはマーラーの弟子の一人で、若い頃はベルリンを拠点に現代音楽のスペシャリストとして活躍。ユダヤ系ドイツ人だったため、ナチスの手から逃れるためにアメリカの亡命。その後、脳腫瘍を患い、それが元で演奏のテンポが遅くなり、巨匠風の演奏をするようになっていった。その後、EMIのプロデューサーであったウォルター・レッグがロンドンに創設したフィルハーモニア管弦楽団の指揮者となり、数々の名演を展開、録音にも残している。レッグが越権行為でEMIを去るのと同時にフィルハーモニア管弦楽団も解散されるところだったが、楽団員がクレンペラーを担ぎ上げ、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を創設、自主運営を始める。レッグはフィルハーモニア管弦楽団の名称をよそのオーケストラに売ってしまったが、1970年代後半にニュー・フィルハーモニア管弦楽団はフィルハーモニア管弦楽団の名称を買い戻し、今もフィルハーモニア管弦楽団の名で活動を続けている。

クレンペラーは脳腫瘍の後遺症もあり、数々の奇行で知られたが、フィルハーモニア(ニュー・フィルハーモニア)の楽団員からは音楽の神様と尊敬され、ロンドン市民からも絶大な支持を受けた。
余技として作曲をする指揮者も多いがクレンペラーもその一人。6つの交響曲、9つの弦楽四重奏曲、ミサ曲など多数の曲を書いているが、自身を「指揮もする作曲家だ」と認識していたレナード・バーンスタインなどとは違い、作曲は余技と決めていたため、生前、自らの手で指揮することも、他者に演奏して貰うこともほとんどなかったという。

「メリー・ワルツ」は、クレンペラーが生前演奏した数少ない曲として知られる。演奏会での演奏ではなく、リヒャルト・シュトラウス作品のレコーディングの余白におまけのように挿入された。

今日は大阪フィルハーモニー交響楽団の首席コンサートマスターである長原幸太がソリストを務めるため、コンサートマスターを外れ、客演首席コンサートマスターの崔文洙も他のオーケストラと兼任のため都合が付かなかったようで、特例として田野倉雅秋が客演コンサートマスターを務める。

「メリー・ワルツ」は20世紀を生きた、しかも若い頃に現代音楽の演奏で鳴らした人が作曲したとは思えないほどチャーミングで時代がかったメロディーを持つ。旋律はどこか素人くさい。和音は比較的鋭いものが使われていて、そこだけが20世紀の作品であることを感じさせる。美しいメロディーの第一部、ややせわしくなる第二部、最初のメロディーが戻ってくる第三部の三部構成からなる作品。

大植指揮の大阪フィルの演奏は安定したものだったが、曲自体が魅力的とは思えない。これまで日本で演奏されてこなかったのもわかる気がする。多分、今後もコンサートで聴くことはないだろう。それでも大植は「メリー・ワルツ」を高く評価しているようで、演奏終了後に楽譜を掲げて見せた(大植は全曲暗譜で譜面台も楽譜もないのでコンサートマスターの譜面を使った)。


ベートーヴェンの三重協奏曲。ヴァイオリン、チェロ、ピアノの3人をソリストにするという珍しい作品である。ベートーヴェンがなぜこうした珍しい編成の協奏曲を書いたのかわかっていないが、ソリストの中ではチェロの比重が比較的大きく、チェロの名手を想定して書いた可能性が高い。

チェロの趙静は中国生まれで日本でも教育を受けたことのあるチェリスト。比較的人気も高い。ヴァイオリンの長原幸太は大阪フィルの首席コンサートマスター。ピアノのデニス・プロシャイエフは1978年にベラルーシで生まれ、ウクライナのキエフで音楽を習った後に、ドイツのハノーファー音楽大学でピアノを専攻するが、同時に同大学の終身教授である大植英次に指揮も習っているという。

余り演奏されない曲であるため、ソリスト3人は楽譜を見ながらの演奏であったが、大植は暗譜でノンタクトで指揮する。大植の音楽に関する驚異的な記憶力はよく知られており、これまで楽譜を見て指揮したことはほとんどなし。大阪フィルのリハーサルでは暗譜の上、リハーサル終了後には奏者が間違えた箇所に全て正確に付箋を貼った楽譜を持ってきて、大フィルのメンバーから驚嘆されたという。

大植が大フィルのチェロから暖かな音を引き出して演奏開始。上々のスタートである。チェロの趙静が安定した渋い音色を奏でる。ヴァイオリンの長原幸太は音は艶やかだが、やや線が細く、オーケストラのコンサートマスターがソリストを務める限界を感じさせる。プロシャイエフのピアノは音が丸味を帯びており、コロコロとした独特の響きが特徴的である。


後半、ラヴェルのピアノ協奏曲。もとから人気曲であるが、「のだめカンタービレ」において重要な役割を果たした曲として一層ポピュラーになった。

ピアノソロのプロシャイエフはベートーヴェンの時と同じスタイルで来るかと思いきや、渋くて深みのある音を奏で、芸風の広さを感じさせる。大フィルは冒頭でトランペットが引っかかりそうになるが、何とか上手くごまかす。

ラヴェルの第2楽章は、甘酸っぱい音楽であるが、プロシャイエフが弾くと哀愁たっぷりの音楽に聞こえる。大植指揮の大フィルもプロシャイエフに合わせた演奏を展開。新しい解釈だが、映画音楽そのものに聞こえてしまうのが難点である。

第3楽章はプロシャイエフのテクニックの冴えが印象的であった。


リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」組曲。大植はリヒャルト・シュトラウスを得意としているが、今日も冒頭から思い入れたっぷりの演奏をする。弦も管も音色が美しく、音の一つ一つに生命が宿っている。最近は余り大きな動きをしなくなってきていた大植であるが、今日は指揮台の上で大暴れ。腕が素早く、ダイナミックに動く。
日本人指揮者と日本のオーケストラの組み合わせとしては間違いなくトップクラスの名演であった。

演奏終了後の拍手もいつもよりも大きく、大植と大フィルを讃える。普段は大植が指揮台の上に立って客席をぐるりと見回すと演奏会終了の合図なのだが、それでも拍手は鳴り止まず、大植が再び登場し、コンサートマスターの腕を無理矢理引っ張って一緒に退場させて演奏会の終了を告げた。

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2019年1月16日 (水)

コンサートの記(506) 大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別公演「大植英次スペシャル」2011

2011年4月19日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別公演「大植英次スペシャル」を聴く。

曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノム」(ピアノ独奏:小曽根真)、マーラーの交響曲第1番「巨人」。

本業はジャズピアニストの小曽根真は先週の大植英次指揮大阪フィルの定期演奏会にも出ていたし、日曜には音楽劇にピアニストとして出演(セリフはないがちょっとした演技はあり)、そして今日は大阪フィルの京都演奏会に登場と忙しい。

モーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノム」。モーツァルトのピアノ協奏曲というと、アシュケナージのように鍵盤を舐めるような美音を奏でるピアニストも多いが、小曽根のピアノは芯のしっかりしたものだ。この協奏曲には3楽章ともにカデンツァ(オーケストラなしでピアニストが弾く部分。かつてはピアニストが即興演奏を行う部分だった)があり、第1楽章、第2楽章は格調の高いカデンツァだったが、第3楽章のカデンツァ(ここだけはモーツァルト自身が作曲している)は、ジャジーな弾き方に聞こえた。「ジュノム」に関しては数度しか聴いたことがないので、実際はどう弾かれることが多いのか私にはわからない。よって意図的にジャジーな演奏にしたのか結果的にそうなってしまったのかもわからない。

大植指揮の大阪フィルは典雅な演奏を繰り広げるが、京都コンサートホールの音響は、ザ・シンフォニーホールに比べると不利なことは明らかで、モヤモヤとした響きに聞こえてしまう。

演奏終了後、大植英次が、大阪(豊中市)の小曽根小学校の校歌の楽譜を持って登場。小曽根真に歌詞を読ませる。大植は、小曽根小学校のみんなが小曽根真を応援しているとして、小曽根真に小曽根小学校の校歌で即興による変奏曲を弾いて欲しいようで、自らピアノで小曽根小学校の校歌を弾いてみせる。小曽根真は校歌を変奏するのはやはり心情的に憚れるのか、それとも校歌の曲調が即興に合わないとみたのか、校歌を弾くことはせず、代わりにショパンの「子犬のワルツ」の編曲版を弾いた。


マーラーの交響曲第1番「巨人」。

交響曲第6番「悲劇的」の演奏が忘れられない大植のマーラーだが、最近の大植のマーラーは交響曲第5番にしろ第9番にしろ、極端に遅いテンポを採って賛否両論を巻き起こしている。

第1楽章は総体としてテンポは平均的だが、遅いところはかなり遅く、速いところはオーケストラが付いていけないほど速いテンポを採用。かなりメリハリのはっきりした演奏で、やはり異色である。特に終結部の加速はこれまで私が聴いてきた同曲の演奏の中でも間違いなく最速であった。

第2楽章は立体感のある演奏で、情熱にも富み、大植の本領が発揮された演奏である。

第3楽章。大植は、棒を振らず、顔のみで指揮。テンポは真っ先に演奏するティンパニ奏者とコントラバス奏者に完全に任せているようで、主部に入って棒を振るようになってもそのテンポを守った。冒頭がかなり遅いテンポだったので、全体としてもゆっくりとした演奏になった。

最終楽章はなかなかの出来であったが、京都コンサートホールの音響によって、響きが抑制されて聞こえるのが残念である。


終演後、大植は、レナード・バーンスタイン作詞による「キャンディード」(原作はヴォルテール)より“メイク・アワ・ガーデン・グロウ(「自分の畑を耕そう」。出光のCMで流れている曲である)”を朗読した後、その“メイク・アワ・ガーデン・グロウ”(作曲もレナード・バーンスタイン)をアンコールとして演奏した。

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2019年1月15日 (火)

コンサートの記(505) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第447回定期演奏会

2011年4月15日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪まで出かける。大阪フィルハーモニー交響楽団の第447回定期演奏会があるのだ。午後7時開演。今日の指揮者は音楽監督の大植英次。大阪フィルの音楽監督としてのラストシーズン、定期初登場である。

曲目はレナード・バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」(ピアノ独奏:小曽根真)とシベリウスの交響曲第2番。


演奏前に、大植英次がマイクを持って登場して東日本大震災に哀悼の意を示し、災害の時に音楽を奏で続けて亡くなった例があり、それがタイタニック号沈没の時の楽士達だったと述べる。大植はコンサートマスターの長原幸太に指示して、指揮者なしでタイタニック号沈没の際に楽士達が弾いていたという「讃美歌320 主よみもとに近づかん」を最初は弦楽四重奏で、次いで弦楽全員で奏でる。


レナード・バーンスタインは大植英次の師。佐渡裕が「レナード・バーンスタイン最後の弟子」を自認していて、実際、その通りなのだが、レナード・バーンスタインの最晩年にアシスタントをしていたのは実は佐渡ではなくて大植である。

最近、急速に再評価が進んでいるレナード・バーンスタイン(愛称:レニー)の作品。レニーは交響曲を3曲残しているが、純粋な器楽交響曲はこの「不安の時代」のみ。ただ、「不安の時代」は交響曲でありながら、ピアノ協奏曲的な面も強い。

私自身は、「不安の時代」をCDで何度か聴いており、一部を佐渡裕指揮京都市交響楽団の演奏で聴いているが、今日は体調が悪いということもあって音楽が自然に体に入ってこない。ただ演奏がいいというのはわかる。小曽根のピアノは技術も表現も見事だし、大植指揮の大フィルも熱演であった。ただやはりホルンは今日も問題ありだし、今日はファゴットも不調だった。

小曽根はアンコールに応えて1曲弾く。最初は何の曲かわからなかったが、次第にレニーの「ウェストサイド物語」より「トゥナイト」のメロディーが浮かび上がってくる。ラストは同じく「ウェストサイド物語」の「クール」をアレンジした旋律で締めくくる。


シベリウスの交響曲第2番。本質的にはマーラー指揮者である大植のシベリウスということで興味深い(ちなみにシベリウスとマーラーは仲が悪かった)。

第1楽章。自然な感じで入る指揮者が多いが、大植は大きめの音でスタート。続くオーボエの音も明るく朗々としている。シベリウス指揮者の演奏で聴くと自然に理解できるところでも大植の指揮だと難渋に聞こえるところがあり、やはり大植とシベリウスは余り相性が良くないようだ。

第2楽章は、シベリウスの音楽よりも、その悲劇性を際立たせたような演奏。

勢いのある第3楽章を経て、最終楽章では大植らしいヒロイズムが勝った演奏になる。朗々とした凱歌(大植が振ると凱歌以外の何ものにも聞こえない)と、それまでの忍従を思わせる旋律の対比も上手く、交響曲第2番だけにこうした演奏もありだと思う。

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2019年1月14日 (月)

コンサートの記(504) 遊佐未森 「cafe mimo ~桃節句茶会~ Vol.11」大阪

2011年4月10日 umeda AKASOにて

遊佐未森の「cafe mimo ~桃節句茶会~ Vol.11」を聴く。

「cafe mimo ~桃節句茶会~」は、遊佐未森がギターの西海孝とドラムス・パーカッションの楠均と3人で、毎年春に行っている公演で、今年で11回目になる。毎回ゲストを呼んでおり、今回の大阪公演のゲストは鈴木重子。東大法学部卒で、ニューヨークのブルーノートに日本人として初めてステージに立ったという異色の実力派ジャズシンガーである(勉強が出来たので何となく東大法学部に行ったが、法律の勉強に興味が持てず、そのため司法試験も何度も受けるが通ることが出来ず、ジャズシンガーに転向したとのことだ)。

元祖癒し系シンガーの未森さんの歌は、聴いているだけで気分が良くなってくる。

カバー曲である「プリーズ・ミスター・ポストマン」では、ドラムス&パーカッションでバンマスの楠均がポストマンとなり、客席に飴の袋を配って回るというパフォーマンスがあった。

ゲストの鈴木重子と未森さんとは、「レイン・フォール」、「蘇州夜曲」、「Kiss for the earth」をデュエット。それから鈴木重子が未森さんの「道標」を、未森さんのピアノを含めた3人のバックで披露する。鈴木重子の声質は落ち着いた渋いもので音域でいうとアルト。未森さんはソプラノなので、「蘇州夜曲」は音が五度も違うという異色のデュエットになった。

未森さんとのトークで、鈴木重子が花粉症で鼻水が止まらないという話をし、それを重症の花粉症患者である未森さんが受けるという形になる。未森さんは9年前に花粉症になってしまったそうで、公演前に目がお岩さんのように腫れて慌てて病院に行ったこともあるそうだ。今年の2月には花粉症のせいで声が出なくなってしまい、ラジオのレギュラー番組でも毎回、声が出なくなっていき、斎藤由貴とのデュエットコンサートではドクターストップで歌うことが出来なくなってしまい、急遽、ピアニストとしての参加に切り替え、筆談で斎藤由貴と会話したという(斎藤由貴のマネージャーが未森さんが書いたものを読み上げてくれたとのこと)。なお、その後、未森さんは復調し、斎藤由貴とは3月の公演で無事、デュエット出来たそうだ。

アンコールで未森さんが出てくる前に、西海孝と楠均が登場して、桃節句茶会11回目のTシャツを紹介する。背番号に「11」が入っており、キング・カズ(三浦知良)を意識したデザインだ。

更に、西海孝と楠均による「きゅうけいダンス」も行われる。

アンコールではまず、「いつでも夢を」の橋幸男のパートを未森さんが、吉永小百合のパートを楠均が担当するという男女逆転デュオが披露される。

最後は、鈴木重子が登場し、未森さんのシングル曲「I' m here with you」を未森さんと二人で歌う。

終演後、未森さんが一人で、自らの出身地である宮城県出身の芸能人で作る「みやぎびっきの会」が「みやぎびっきこども基金」を設立したこと、会場で義援金を募り、募金してくれた方にはお礼として、未森さんの友人で「クロ」のアニメーションも担当した、おーなり由子がデザインした「I'm here with you」のステッカーが配られた。

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コンサートの記(503) 広上淳一指揮京都市交響楽団第544回定期演奏会

2011年3月26日 京都コンサートホールにて

午後2時30分より、京都市交響楽団の第544回定期演奏会に接する。今回は東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)があったため、一時は演奏会を中止しようかと検討されたこともあったようだが、通常通り行うことで意見がまとまったようだ。

午後2時30分の開演に先立ち、今日の指揮者である広上淳一(京都市交響楽団常任指揮者)によるプレトークがある。まず、4月からのシーズンの出演者と曲目の紹介があり、それから今日の演奏曲目とソリストの話題に触れる。


今日のプログラムは、ショスタコーヴィチのバレエ組曲第1番、ブルッフのスコットランド幻想曲(ヴァイオリン独奏:シン・ヒョンス)、ヒンデミットの交響曲「画家マチス」。


ショスタコーヴィチのバレエ組曲第1番は、第二次大戦後に、ショスタコーヴィチの友人であるレヴォン・アトヴミヤンがショスタコーヴィチの「明るい小川」を題材に編んだものである。「明るい小川」はプラウダ批判(1936年)の標的となり、長い間演奏禁止になっていた曲で、それをアトヴミヤンが復活させたのだという。

引きつった笑顔のような美しさを持つ作品群で、時に哀感に満ち、時に耽美的で、時に前衛的だ。
広上と京響は、音響がお世辞にもいいとはいえない京都コンサート-ホール大ホールを響きすぎにならない程度に盛大に鳴らす。鳴らないホールだから大きな音を出すのではなく、ホールの特性を把握して逆に生かしているのである。これまでの経験が生かされていることが実感される。滑らかな弦、パワフルな管楽器、いずれも好調だ。


ブルッフのスコットランド幻想曲。幻想曲という名が付いているが実態はヴァイオリン協奏曲である。ソリストのシン・ヒョンスは1987年生まれの韓国の若手女流ヴァイオリニスト。プレトークで広上さんが紹介していたが、日本、韓国、中国問わず、東アジアの国々の演奏家は欧米に留学することが多いが、シン・ヒョンスは一貫して韓国で音楽教育を受けた珍しいヴァイオリニストとのこと。現在も韓国国立芸術大学大学院にて研鑽を積んでいるそうだ。2008年、ロン=ティボー国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門優勝。その他のコンクールではパガニーニ国際コンクールで第3位(2004年)、チャイコフスキー国際コンクールヴァイオリン部門で5位入賞(2007年)などの成績を修めている。

そのシン・ヒョンスのヴァイオリンは、音に太さがあり。独特の艶を持つ。

広上指揮の伴奏も見事。音が沸いて出る瞬間が見えるかのようだ。


シン・ヒョンスはアンコールで、京響のヴァイオリン群にピッチカートの伴奏を頼んで、パガニーニの「ヴェニスの謝肉祭変奏曲」よりを披露。この時はスコットランド幻想曲とは違い、音の太さよりも軽やかさが目立つ。曲調によってスタイルを変える器用さも持ち合わせているようだ。


ヒンデミットの交響曲「画家マチス」。マチスとは有名なアンリ・マチスではなく、16世紀に活躍したマティアス・グリューネヴァルトのこと。ドイツ農民運動にも参加したこの画家を題材に、ヒンデミットが台本と音楽を手掛けた歌劇「画家マチス」の紹介として編まれたのが今日演奏される交響曲「画家マチス」である。ヒンデミットはその作風およびユダヤ人との気兼ねのない交際(奥さんはユダヤ人である)をヒトラーに嫌われており、交響曲「画家マチス」も非難。これを受けて立ったのが、交響曲「画家マチス」の初演指揮者であったヴィルヘルム・フルトヴェングラーで、新聞に論文「ヒンデミットの場合(ヒンデミット事件)」を寄稿。これが元でドイツ楽壇は騒然となり、危機を感じたヒンデミットは亡命した。フルトヴェングラーはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とベルリン国立歌劇場の音楽監督を辞任することになるが、その後もドイツ国内に留まり、数年後にはベルリン・フィルの指揮者に戻っている。しかし、それがフルトヴェングラーがナチス寄りだとの誤解を生むことにもなった(フルトヴェングラーは一貫してナチスには否定的であり、ベルリン陥落の2ヶ月前にスイスに亡命しているが、亡命するのが遅すぎるとみなされ、戦後にナチ加担者として尋問を受けることになる。処分は2年間の演奏活動禁止であった)。

それはともかくとして、今日演奏された交響曲「画家マチス」はとにかく音が美しかった。ステージ上で楽器が鳴らしているというよりも、地の底から浮かび上がってくるかのような豊潤な音色。弦も管も絶好調で、広上の棒の通りに音楽が彩られていく様は、まるで魔法を見ているかのようだった。そしてこの曲でも京都コンサートホール大ホール自体を楽器として鳴らせることに成功する。京都コンサートホール大ホールの音響を知らない方には上手く伝わらないだろうが、京都コンサートホール大ホールを楽器として鳴らすことは、楽器を手にしたばかりの三歳児がヴァイオリンをスラスラと奏でるほど難しいことなのだ(2011年時点での音響の感想)。


終演後に、卒団するトロンボーン奏者の間憲司と、異動によって京響から外れる山岸吉和に花束が渡される。

そして、被災地の祈りを込めた、J・S・バッハの「アリア(G線上のアリア)」が演奏された。

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2019年1月12日 (土)

コンサートの記(502) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第445回定期演奏会

2011年2月18日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪のザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第445回定期演奏会に接する。今日の指揮は音楽監督の大植英次。
大植英次が、大阪フィルの音楽監督を辞任することを発表してから初の定期演奏会出演である。

曲目は、ショスタコーヴィチの交響曲第9番と、ブルックナーの交響曲第9番という二つの第九が並ぶ意欲的なプログラミングである。

大植さんが大阪フィルを辞任されるということで、大植&大フィルの時代を偲ぶよすがとして、大植人形(小)を購入する。辞任した後ではもう手に入らないから。
今日は、コントラバスを舞台後方に一列に並べる、変則古典配置での演奏であった。


ショスタコーヴィチの交響曲第9番。交響曲第9番はベートーヴェンに代表されるように特別なナンバーの交響曲とされ、ベートーヴェンを始め、シューベルト(現在では8曲までが定説になりつつある)、ブルックナー、マーラーが交響曲第9番まで書いて亡くなっている。ソビエト当局もショスタコーヴィチが交響曲第9番を書くというので、特別な交響曲を期待していたそうだが、ショスタコーヴィチはその裏を掻き、おどけた感じの小さな交響曲を書いた。ソビエト幹部にはそれを怒った人もいたという。

大植はスロースターターなので、最初のうちは「大人しいなあ」という印象だったが、トロンボーンの二度目の吹奏の後から、エンジンに火がつき、堂々とした立派なショスタコーヴィチの演奏となる。おどけた風の金管の旋律も、大植の手にかかると誰かへの抗議のように聞こえてくるから不思議だ。

第2楽章は、クラリネットのソロに始まり、クラリネットのハーモニー、フルートとオーボエの合奏と、木管楽器が旋律を引き継ぐのだが、その手際が見事。大阪フィルがここまでのアンサンブルに成長しているとは正直言って思っていなかった。これも大植のトレーニングの賜物だろう。

第3楽章以降は、情熱全開の演奏が続く。弦にも管にも威力があり、異常なほど集中力の高い大植と大フィルによって、喜怒哀楽全てがない交ぜになった音楽が適切な表現で語られていく。ピアニッシモからフォルテシモへの変換の場面などは、鳥が大きく翼を拡げて羽ばたく姿が目に浮かぶかのよう。これだけ立派なショスタコーヴィチの交響曲第9番を日本人の指揮者とオーケストラで聴ける機会は滅多にないだろう。


ブルックナーの交響曲第9番。楽譜はノヴァーク版を使用。

大阪フィルのブルックナーというと、前任者である、御大こと朝比奈隆が看板としていたことで有名である。大植も以前に、定期以外でブルックナーの交響曲第9番を指揮したことがあり、録音されてCDにもなっているが、音楽評論家で生前の朝比奈と親交のあった宇野功芳氏から酷評されている。

弦の刻みによるブルックナー開始でスタート。最初はホルンだが、このホルンの音がやや大きい上に音色がリアルに過ぎる。続く、アッチェレランドも徒にスケールを小さくしているだけ。最初の強奏も、音が大きいだけでスケールが広がらない。ここで私は、朝比奈のブルックナーと大植のブルックナーを比較することをやめる。シカゴ交響楽団のマネージャーから目をかけられ、客演指揮者として招待されたブルックナーのスペシャリストである朝比奈隆と、指揮者としてはまだ中堅でどちらかといえばマーラー指揮者の大植英次を比較しても、勝負にならない。

そこで、朝比奈のブルックナーは頭から追い払い、大植の演奏だけに集中することに決める。そうすると、短調から長調に変わる場面で、青空が眼前にパッと広がるように思えたり、峻険な山道を思わせるような厳しい表情など、優れたところが聞こえるようになる。

朝比奈隆のことを思わないように決めたということもあってか、二度目の強奏はスケールが広がったように聞こえた。

第2楽章。神秘感こそないが、アンサンブルは見事。中間部ではブルックナー・ユニゾンが威力満点。特に弦の響きが素晴らしい。再現部における大植と大フィルの集中力はやはり尋常でないレベルに達している。

第3楽章は冒頭の第1ヴァイオリンにやや濁りが生じたのが残念。それから再現部に入る直前のホルンのアンサンブルに覇気が感じられなかった。ホルンは更にもう一度、気の抜けた音を出し、ラストでも音をやや外した上に、息も続かないなど問題がある。朝比奈時代から大フィルのホルンは弱さが目立ったが、大植の特訓でも向上は難しいようだ。

一方で大フィルの弦楽群の音色は素晴らしい。日本のオーケストラとしてはこれ以上は無理なほど美しい音を響かせる。

朝比奈隆に比べなければ、大植のブルックナーも十分に名演であった。これほどの指揮者が大阪フィルから去ってしまのはやはり惜しい。

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コンサートの記(501) 井上道義指揮 京都市交響楽団第543回定期演奏会

2011年2月13日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第543回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は元・京響音楽監督の井上道義。

オール・モーツァルト・プログラムで、歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、セレナード第10番「グラン・パルティータ」より、交響曲第41番「ジュピター」の3曲が演奏される。

今回も、舞台奥のセリを一番上まで上げてしまっているが、二段だけなので、ステージが狭くなったという感じはそれほどしない。

井上は最近、ピリオドアプローチに凝っているので、今回もピリオドで来るかと思われたが、全体的にスッキリとしたスタイルではあったものの、弦はビブラートを思い切りかけていたし、ティンパニの音も柔らかく、大時代的な演奏では全くないが、ピリオドでもなかった。配置もドイツ式の現代配置。ティンパニは「ドン・ジョヴァンニ序曲」では上手奥に、「ジュピター」では下手奥に置かれた。

今日は、井上は指揮台を用いず、全曲、ノンタクトで指揮をする。


歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲は冒頭から迫力があり、怖ろしげな雰囲気作りが上手い。主部に入ってからの活気も見事で、特に第1ヴァイオリンが美しい。バランスも見事で、「流石、井上」である。


セレナード第10番「グラン・パルティータ」は、管楽器とコントラバスのためのセレナード。今回は第1、3、6、7の4つの楽章が演奏された。演奏者は、オーボエ:高山郁子(首席)、土井恵美/ファゴット:中野陽一郎(首席)、首藤元/クラリネット:小谷口直子(首席)、筒井祥夫/バゼットホルン:鈴木祐子、玄宗哲/ホルン:垣本昌芳(首席)、小椋順二、澤嶋秀昌、中川慎一/コントラバス:星秀樹(首席客演)。

管楽器によるアンサンブルは見事で、特にステージ下手最前列に座ったオーボエ首席の高山郁子と、ステージ上手最前列に座ったクラリネット首席の小谷口直子が素晴らしい。井上の指揮は、腕をぐるぐる回して踊ったり、腹を叩いたりするユーモラスなもので、「やはり、井上」である。


メインの交響曲第41番「ジュピター」。やはり第1ヴァイオリンが美しく、一番ものをいっている。第1楽章は柔らかな迫力があり、第2楽章や第3楽章は典雅で、最終楽章は緻密なアンサンブルが見事。「これぞ、井上」である。

管楽器は世界レベルでも通用し、弦も音にもっと強さと張りと透明感があれば、世界クラスに届くのではないだろうか。いずれにせよ見事なモーツァルトであった。


演奏終了後に、井上道義が、京都市交響楽団の発展に尽力したことにより京都市功労賞を授与した旨が、事務局の方から伝えられ、コンサートマスターの渡邊穣から井上に花束が贈られる。井上は花束を客席に投げ入れる真似だけしてスピーチ。「『こうろうしょう』ということで老人の「老」の字が入るので嫌だなと思っていたら別の漢字の賞でした」と冗談を言い、「『グラン・パルティータ』の管楽器は素晴らしい。ニューヨークでもミラノでも世界中どこに行っても通用すると思います」と喋ったあとで、「ここのオーケストラ(京都市交響楽団)には広上君という指揮者がいます。ハチャメチャなイメージがありますが、彼は私より人格者です。功労賞を受けるときも『そんなものいらないなんて言っちゃ駄目だよ』とアドバイスしてくれました」と語った。最後に「私はオーケストラ・アンサンブル金沢という40人ぐらいの小さなオーケストラの指揮者をしているのですが、もっと大きなオーケストラをやりたいということで、オーケストラ・アンサンブル・金沢の定期演奏会に京都市交響楽団を呼びました。逆はまだないので、是非お願いしたいと思います」と述べた。

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2019年1月11日 (金)

コンサートの記(500) 京響クロスオーバー「バレエ×オーケストラ」New Year Gala

2019年1月6日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後3時から、ロームシアター京都メインホールで、京響クロスオーバー「バレエ×オーケストラ」New Year Galaに接する。指揮者は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の下野竜也。今日のコンサートマスターは泉原隆志。少し浅めにしたオーケストラピット内での演奏である。

出演は、首藤康之(しゅとう・やすゆき)、中村恩恵(なかむら・めぐみ)、イ・ドンタク、カン・ミソン、福岡雄大(ふくおか・ゆうだい)、渡辺理恵、山井絵里奈全京都洋舞協議会メンバー。演出・振付:中村恩恵。

曲目は、第1幕が、チャイコフスキーのバレエ組曲「眠れる森の美女」よりワルツ(出演:山井絵里奈全舞踏協議会メンバー)、シベリウスの「悲しきワルツ」(福岡雄大のソロ)、プロコフィエフのバレエ「シンデレラ」第2幕より(イ・ドンタクとカン・ミソンのパ・ド・ドゥ)、シベリウスの交響詩「4つの伝説」よりトゥオネラの白鳥(首藤康之と中村恩恵のパ・ド・ドゥ)、チャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女」第3幕より(福岡雄大と渡辺理恵のパ・ド・ドゥ)、プロコフィエフのバレエ「シンデレラ」第1幕よりワルツ(全員)。第2幕が、ベルリオーズの幻想交響曲より第2楽章(オーケストラ演奏のみ)、マーラーの交響曲第5番より第4楽章「アダージェット」(首藤康之と中村恩恵のパ・ド・ドゥ)、マスネの「タイスの瞑想曲」(福岡雄大と渡辺理恵のパ・ド・ドゥ)、フォーレの「パヴァーヌ」(渡辺理恵のソロ)、チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」第2幕より(イ・ドンタクとカン・ミソンのパ・ド・ドゥ)、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」(全員)。


下野竜也指揮の京都市交響楽団は、華やかで分厚く、密度の濃い響きでメインホールを満たす。下野竜也、流石のオーケストラ操縦術である。京響も予想を上回る力強さだ。

新春公演ということで、華やかな演目も多いのだが、人間の根源的な孤独やすれ違いを描いたものが複数ある。

シベリウスの「悲しきワルツ」は元々は「クオレマ」という劇付随音楽の中の1曲で、病の床に伏せる若い女性が、現れた紳士の正体が死神だと気づくことなく一緒にワルツを踊るという場面の音楽である。
今回のバレエ公演では、福岡雄大のソロで、何かを求めて思索し、彷徨うも、結局どこにも辿り着けずに戸惑う男性を描いているように見える。

プロコフィエフの「シンデレラ」第2幕よりの、イ・ドンタクとカン・ミソンのパ・ド・ドゥも、踊るときは息が合っているが、去り際にはもう心が離れてしまっている男女のようで、バラバラに退場する。「タイスの瞑想曲」のパ・ド・ドゥでも同様で、ラストでは互いの姿が確認出来ないようであり、「パヴァーヌ」のソロへと続く。

マーラーの交響曲第5番より第4楽章「アダージェット」は、レナード・バーンスタインがJ・F・ケネディ大統領追悼の1曲としてこの作品を選んだことや、映画「ベニスに死す」のテーマ音楽となったことにより「死」に結びつけられることが多い。今回の公演でも、彼女を亡くした男声が、思い出の中の彼女と共に踊るも、ラストは蘇生することはないと悟って悲嘆に暮れるという筋書きになっていたようだ。かなり印象深い舞である。

最後の「美しく青きドナウ」では、白い衣装を纏ったバレリーナ達が愛らしくも幻想的な舞で魅せ、華やかに幕を下ろす。


アンコール曲目であるヨハン・シュトラウスⅡ世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」が演奏される中、カーテンコール。演奏終了後は下野竜也もステージに上がり、喝采を受けた。上質の公演である。京都市交響楽団も幸先が良い。


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