カテゴリー「ドイツ」の8件の記事

2017年6月16日 (金)

観劇感想精選(216) 白井晃演出 「春のめざめ」

2017年5月27日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後6時からロームシアター京都サウスホールで「春のめざめ」を観る。今日のロームシアター京都はメインホールで槇原敬之のコンサートがあるようで、賑わっている。
ドイツの作家、フランク・ヴェデキントの出世作である戯曲「春のめざめ」。ドイツのギムナジウムに通う、今年14歳を迎える少年少女を軸に展開される物語である。
ドイツの中等教育というと、ヘルマン・ヘッセの小説『車輪の下』を連想する方が多いかも知れないが、「春のめざめ」の初演と『車輪の下』の発表は同じ1906年である。「春のめざめ」の戯曲の方が出来たのは先で、1891年に書かれた戯曲であるが、その過激な内容ゆえ15年の間、発禁とされていたのだった。

KAAT 神奈川芸術劇場の製作。演出:白井晃。出演は、志尊淳(しそん・じゅん)、大野いと、栗原類、あめくみちこ、河内大和(こうち・やまと)、那須佐代子、大鷹明良(おおたか・あきら)ほか。音楽:降谷建志。

演出の白井晃に取って、京都は挫折と再生の地である。大阪生まれの白井晃は大阪府立天王寺高校時代には京都大学を目指していたが、入試に失敗。立命館大学には合格し、入学金と学費は払うが通うことはほとんどなく、京大のそばに下宿して翌年の京大受験に備えて勉強を続けていた。そんなある日、早稲田大学の演劇サークルが京都公演を行うこと知った白井は観に行って感激。「彼らと共に演劇がしたい!」と志望校を早稲田に切り替えて今に至るまで演劇活動を続けている。
だから京都公演を行うということではないかも知れないが、京都で上演を行ってくれるのはありがたいことである。


開場時からすでに客席通路には男性のアンサンブルキャストが立っており、劇場内全てがギムナジウムの中という設定であることがわかる。中央通路の上手側入り口(今日は一般客には閉鎖されている)付近には白井晃が立っているのも確認出来た。開演時間が近づくと、栗原類など主役クラスの俳優も客席通路に現れ、女子生徒役の女優も姿を見せる。

舞台は2階建て。背面にはアクリル板が立てられており、照明の当て方によって鏡の役割を果たしたり、透明になったりする。

出演者が横一列に並び、照明が変わると一様に激しく暴れ出す。青春期の疾風怒濤を表しているかのようだ。
なお、アクリル板には白い液体が塗りつけられるが、それがなんのメタファーかはすぐにわかるようになっている。
ポストトークで白井晃は舞台美術について、生徒達がガラスケースに閉じ込められた実験動物をモチーフにしたと明かしていたが、私にはそこは「出口のない戦いの場所」のように見えた。

ギムナジウムの女子部に通うヴェントラ(大野いと)は、「こんな丈の長いスカートはけない!」と母親(あめくみちこが演じている)に文句を言っている。ヴェントラは女に生まれた喜びを噛みしめているが、どうして子供が生まれるのかはまだ知らない。

一方、ギムナジウムの男子部に通うメルヒオール(志尊淳)は頭脳明晰でありながらそのエネルギーをどこに向ければいいのかわからず、悩んでいた。メルヒオールの親友であるモーリッツ(栗原類)は成績不振であり、進級できるかどうか微妙である。ギムナジウムは全員が進級できるわけではなく、落第者が一人は出る仕組みになっているようだ。モーリッツは競争に耐えられず、アメリカに渡ろうと考えている。
そんなモーリッツにメルヒオールは「子供の作り方」を教えるのだった。


青春の身もだえるような日々が、直截な表現で叩きつけるように描かれている。

若い出演者達の演技は十分とはいえないも知れないがエネルギーがあり、ベテラン陣には安定感がある。


私はもう、青春の日々からは大分遠ざかってしまったため、痛切さという意味では若い人達に比べると感じにくくなっているのかも知れないが(なんといっても14歳の子供がいてもおかしくない年であり、彼らを抑圧する親や社会の側に立つような年齢である)、第2次ベビーブーマーという抑制が多い世代を生きた者として、往時を思い返すとその「痛み」に胸が苦しくなるのをまだ思い出すことも出来る。

ラストには機械仕掛けの神を模したと思われる謎の人物が登場し、未来への希望と怖れを含みつつ芝居は終わる。

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2017年4月12日 (水)

コンサートの記(291) クシシュトフ・ウルバンスキ指揮NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2017大阪

2017年3月15日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、「東芝グランドコンサート2017」 NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会を聴く。

NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団は、ギュンター・ヴァントとのコンビで親しまれた北ドイツ放送交響楽団(NDR交響楽団)が、新本拠地ホールであるエルプフィルハーモニーの落成と共に改名した団体である。
一昨年に、北ドイツ放送交響楽団名義で、首席指揮者であるトーマス・ヘンゲルブロックと共に来日し、大阪のザ・シンフォニーホールでも演奏会を行っていて私も聴いているが、新しい名称になってからは初来日である。
今日の指揮者は、ポーランド生まれの俊英、クシシュトフ・ウルバンスキ。NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者である。昨年まで東京交響楽団首席客演指揮者を務めており、大阪フィルハーモニー交響楽団も数度客演していて、日本でもお馴染みの存在になりつつある。ワルシャワのショパン音楽アカデミーでは指揮をNAXOSの看板指揮者として知られるアントニ・ヴィトに師事。2007年にプラハの春国際音楽コンクールで優勝に輝いている。
シャープな指揮姿であるが、時折、ダンスのようなステップも踏む。


曲目は、ベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:アリス=紗良・オット)、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。オール・ドイツ・プログラムである。

ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。フェスティバルホールにはパイプオルガンはないので、「ツァラトゥストラはかく語りき」では、電子オルガンが用いられる。

一度楽譜を見ただけで全て覚えてしまう「フォトグラフメモリー」という特殊能力を持つウルバンスキ。今日も指揮台の前には譜面台はなく、協奏曲も含めて全て暗譜で指揮する。

ウルバンスキ登場。どことなくGACKTに雰囲気が似ている。もっとも、GACKTを生で見たことはないのだけれど。


ベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番。ウルバンスキは情熱を持っているのだろうが、それを表に出すことの少ない指揮をする。
全編、ピリオド・アプローチによる演奏だが、特筆すべきは弱音の美しさ。本当に息を飲むほどに美しい超絶ピアニシモである。そしてラストに向けて盛り上がっていく弦楽のエネルギーの豊かさ。爽快なベートーヴェンである。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。ソリストは日本でもお馴染みになったアリス=紗良・オット。日独のハーフであり、「美しすぎる」という奇妙な形容詞が流行った時には「美しすぎるピアニスト」などと言われた。ピアニストのモナ=飛鳥・オットは実妹。
個性的なピアニストであり、ウルバンスキとは異なって情熱を剥き出しにするタイプである。
「裸足のピアニスト」としても知られているアリス。今日は黒いロングドレスの裾を引きずりながらチョコマカ早歩きで登場したため足下は見えなかったが、ピアノを弾くときは素足でペダルを踏んでいるのが確認出来た。

アリスのピアノは、浮遊感、透明度ともに高く、冒頭ではちょっとした歌い崩しを行うなど、今日も個性がフルに発揮されている。
第1楽章終了後、第2楽章終了後とも、ウルバンスキは腕を下げず、アリスがピアノを弾くことで楽章が始まるというスタイルを採っていた。
第2楽章のリリシズム、第3楽章のパワーなどいずれも感心する水準に達している。アリスは右手片手弾きの場面では左手の掌を上に向けて左肩の付近で止めていた。科を作っていたわけではなく、単に癖なのだろう。

演奏終了後、喝采を浴びたアリス。聴衆からお花も貰う(許可がない場合は聴衆としてのマナー違反になりますので、真似しない方がいいです)。

ウルバンスキ指揮のNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団もピリオド・アプローチながら力強い伴奏を奏でた。

アンコールは2曲。まずは、昨年、「ピーコ&兵動のピーチケ・パーチケ」でも演奏していた、グリーグの抒情小曲集より「こびとの行進」。
20年近く前に、砧(きぬた)にある世田谷美術館講堂で、グリーグのピアノ曲演奏会(世田谷美術館の「ムンク展」関連事業)を聴いたことがある。演奏を行ったのは、グリーグ演奏の大家でNAXOSレーベルに「グリーグ ピアノ曲全集」も録音していたアイナル・ステーン=ノックレベルグ。「グリーグ本人の演奏にそっくり」といわれたピアノを弾く人だ。来日前に交通事故に遭ったそうで万全の体調ではなかったそうだが、ステーン=ノックレベルグは、「抒情の極み」とでもいうべき演奏を披露していた。
アリスの弾く「こびとの行進」は、ステーン=ノックレベルグのそれと比べると若々しいのは当たり前だが、リズム感の良さが際立っている。アリスは普段はクラシックは余り聴かず、ポピュラー音楽の方を好んで聴くそうだが、ポピュラーは「リズムが命」という面があるため、クラシック演奏にもプラスに働くのだろう。
メカニックが抜群なのは今更書くまでもない。

拍手を受けて椅子に腰掛けたアリスは、「皆様、今夜はお越し下さってありがとうございます。もうピアノが伸びてきてしまっていますので、最後にオーケストラのメンバーと皆様のためにショパンのワルツ遺作を弾きたいと思います」と言ってから、ショパンのワルツ19番(遺作)を弾く。テンポの伸縮自在の演奏だが、それが効果的であった。


後半、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。ウルバンスキはやや遅めのテンポでスタートする。冒頭に出てくる3つの音が全曲を支配する「ツァラトゥストラはかく語りき」。ウルバンスキの表現は見通しが良く、リヒャルト・シュトラウスの意図もウルバンスキ自身の意思もよく伝わってくる。
「ツァラトゥストラはかく語りき」は有名曲なので、コンサートで取り上げられることも比較的多いが、これほど楽曲構成の把握がわかりやすく示された演奏を聴くのは初めてである。
NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団であるが、弦も管も技術は極めて高い。この曲は弦楽のトップ奏者がソロを取る場面が何度もあるのだが、全体がそうした室内楽的な緻密さに溢れた好演となっていた。弦の音色は透明度が高く、明るい。輝きに関しては昨日聴いたプラハ交響楽団とは真逆である。管楽器も力強く、音楽性も高かった。
なお、舞台袖での鐘は、グロッケンシュピール奏者が自身のパートを演奏し終えた後で上手袖に下がり、兼任して叩いていた。


アンコール演奏は、ワーグナーの歌劇「ローエングリン」より第3幕への前奏曲。非常に洗練されたワーグナーであり、ドイツの楽団でありながら「ドイツ的」といわれる濃厚な演奏とは一戦を画したものになっていた。

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2017年3月 5日 (日)

これまでに観た映画より(93) ヒッチコック9「快楽の園」

2017年2月27日 新京極のMOVIX京都にて

午後7時から、MOVIX京都で、ヒッチコック9「快楽の園」を観る。

「快楽の園」はアルフレッド・ヒッチコックの監督デビュー作である。1925年(大正14年。日本ではラジオの放送が始まった年である)制作、1926年(大正15年=昭和元年)公開の作品。オリヴァー・サンディスの同名小説を翻案したものである。イギリス映画であるが、当時のイギリス映画界は不振が続いており、制作費が見込めないため、すでに映画大国であったドイツのミュンヘンに本社を置くエメルカ社と提携し、ドイツとイタリアで撮影が行われた。映画黄金期にあったドイツの映画資本は英国の実に10倍ほどはあったという。
ただ、映画が完成したのは良いが、制作会社が出来に難色を示したため、公開は1年ほど遅れている。

今日も古後公隆のキーボードとチェロによる即興生演奏付きでの上映。字幕の日本語訳は大野裕之ではなく、別の男性が読み上げた。


「快楽の園」というのは劇場の名前である。若い女性ダンサーを目当てに、多くの男性が「快楽の園」に通っている。タイトルバックではすでにダンサー1人が踊っており、妖艶な雰囲気を出している。
ヒッチコック映画というと螺旋階段が多く登場することで有名だが、最初の映画の最初のシーンが螺旋階段を駆け下りる女性ダンサー達を撮ったものである。

パッツィ(ヴァージニア・ヴァリ)は「快楽の園」で働くダンサーの一人。パッツィの美貌に惚れて言い寄る男性もいるほどだ。パッツィはウィットに富んだ話で言い寄ってきた男性を退ける。
本番が終わった後、若い女性が「快楽の園」を訪ねてくる。女の名はジル(カルメリータ・ゲラティ)。田舎での生活が耐えられなくなってロンドンに出てきたのだが、お金がない。そこで「快楽の園」の支配人であるハミルトン(ジョージ・スネル)への紹介状を持って「快楽の園」を訪れたのだ。だが紹介状は劇場に入る前にスリの男性に奪われてしまい、バッグを引っ繰り返しても出てこない。見かねたパッツィは、ジルを自分の下宿先に泊まらせる。ジルはパッツィに婚約者の写真を見せる。ヒュー(ジョン・スチュアート)というハンサムな男性だ。

翌日、ジルはハミルトンの前でダンスを披露。「何でも踊れる」と豪語するジルは言葉通り見事な身のこなしを示し、ハミルトンに気に入られる。「週給5ポンドでどうだ」と誘うハミルトンに、ジルは「20ポンドがいいわ」と強気に出て認められた。
ヒューがパッツィとジルの下宿を訪ねてくる。ヒューは東洋へ海外転勤するのだと告げる。同僚のレヴェット(マイルス・マンダー)も少し遅れてから海外に赴任するそうだ。

ハミルトンは、ジルを王子であるアイヴァン(イヴァン。演じるのはC・ファルケンブルク)と娶せることを画策。望み通りアイヴァンとジルは恋仲となり、上流階級の人々に囲まれることに慣れたジルはヒューの転勤先に向かうこともなく、パッツィとの部屋も「狭すぎる」という理由で出て行ってしまい、アイヴァン王子の屋敷で贅沢な暮らしを送るようになる。

一方、レヴェットはパッツィにプロポーズして成功。二人は結婚することになる。イタリアのコモ湖畔に新婚旅行に行った後で、「資金が出来たら迎えに来る」と言い残して出港したレヴェットだが、現地に着くなり現地妻(演じるのはニタ・ナルディ)を作り、パッツィが出した手紙にも返事を書かない。
やがて、レヴェットは「病気になったので返事が書けない」という手紙を寄こす。心配したパッツィは渡航しようと思い立つがお金がない。パッツィの様子を見かねた大家夫婦が棚の上からへそくりを取り出し……。

かくして海を渡ったパッツィ。だが、病気になったのは本当だったが、現地妻といちゃついているレヴェットを目撃したパッツィは失望する。レヴェットは現地妻を追い出そうとするが、パッツィの方から家を出て行った。
現地妻は、本国に本妻がいたことを知って入水自殺を図る(「蝶々夫人」のような展開である)。現地妻の元へと泳いでたどり着くレヴェット。助けに来てくれたのだと思い、笑顔を見せる現地妻だったが、レヴェットが彼女の顔を海へと沈め……。


監督処女作にしてスリラーの要素を取り込んだロマンスに仕上げており、まだ二十代半ばの映画監督が撮ったものとしては完成度はとても高く、後年のヒッチコックの監督としての大成功を早くも予見させるものとなっている。
モノクロ映画であるが、フィルムは彩色されており、セピア色、グリーン調、パープル調、ピンク調と様々な色が用いられているのも特徴である。

なお、この映画で監督補&スクリプターを務めたアルマ・レヴィとは、これが縁となってヒッチコックは後に結婚することになる。

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2016年11月14日 (月)

コンサートの記(257) ヘルベルト・ブロムシュテット指揮バンベルク交響楽団来日演奏会2016

2016年11月5日 京都コンサートホールにて

午後4時から京都コンサートホールで、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮バンベルク交響楽団の来日演奏会を聴く。
オール・ベートーヴェン・プログラムで、前半がヴァイオリン協奏曲ニ長調(ヴァイオリン独奏:諏訪内晶子)、後半が交響曲第5番。


バンベルク交響楽団の来日公演を聴くのは二度目。前回は同じ京都コンサートホールでジョナサン・ノット指揮の演奏会を聴いている。今でこそ東京交響楽団音楽監督として日本でも知名度の高いジョナサン・ノットであるが、当時は日本では無名に近く、CDも輸入盤のみの発売という状態であったため、京都コンサートホールには空席が目立ったが、今回はNHK交響楽団の名誉指揮者として知名度抜群のブロムシュテットの指揮であり、人気ヴァイオリニストの諏訪内晶子も登場とあって、ほぼ満員となった。


人口僅か8万人弱の小都市、バンベルクを本拠地とするバンベルク交響楽団は小さな街のスーパーオーケストラとして有名。「最もドイツ的な音色を奏でる楽団」という評価もある。ヨーゼフ・カイルベルト、ホルスト・シュタインといったNHK交響楽団ゆかりの指揮者が音楽監督を務めていたということもあり、日本でも親しまれている。
ジョナサン・ノットの後任として、東京都交響楽団の首席客演指揮者として知られるヤクブ・フルシャが首席指揮者に就任したばかりだ。


ヘルベルト・ブロムシュテットは、1927年にアメリカのマサチューセッツ州スプリングフィールドで生まれたスウェーデンの指揮者。現在ではアメリカ国籍である。現役の主要指揮者の中ではスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(1923年生まれ)に次ぐ長老指揮者である。両親はスウェーデン人の宣教師であり、布教先のアメリカで生まれている。両親と共に2歳の時にスウェーデンに帰国。北欧最古の大学として知られるウプサラ大学で哲学を専攻すると同時にストックホルム音楽院で学ぶ。その後に渡米し、ジュリアード音楽院で指揮法を修める。タングルウッド音楽祭では9歳年上のレナード・バーンスタインに師事している。
2、3年でコロコロと指揮者を変えることで知られるシュターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン国立歌劇場)の音楽監督を1975年から当時としては異例の10年間務めた後、1985年からサンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就任。同楽団とは「ニールセン交響曲全集」と「シベリウス交響曲全集」を作成し、いずれも好評を受けている。特に「ニールセン交響曲全集」は史上屈指の名盤に数えられる。1995年にサンフランシスコ交響楽団音楽監督を辞任し、同年、北ドイツ放送交響楽団(現・NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団)の音楽監督に就任。3年契約であったが、ブロムシュテットがライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター(楽団長。音楽監督兼首席指揮者を意味する)を受諾することを決めたため2年で契約は打ち切られた。ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターは1998年から2005年まで務めている。
 
現在は、NHK交響楽団名誉指揮者、シュターツカペレ・ドレスデン名誉指揮者、サンフランシスコ交響楽団桂冠指揮者、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団名誉指揮者、スウェーデン放送交響楽団名誉指揮者、バンベルク交響楽団名誉指揮者、デンマーク国立放送交響楽団名誉指揮者の称号を得ている(紛らわしいがNHK交響楽団の名誉指揮者だけ現役ポスト、他の楽団の名誉指揮者は退官もしくは栄誉ポストである)。
端正な造形の内に情熱の奔流を注ぎ込むという音楽スタイルを持つ。
ベートーヴェンとブルックナーの演奏には定評があり、いずれも現役指揮者の中では屈指の実力と認められている名匠である。

NHK交響楽団の名誉指揮者であるため、私も何度も実演に接している。京都に移ってからも、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の大阪公演(於:ザ・シンフォニーホール)やNHK交響楽団の大阪定期演奏会(於:NHK大阪ホール)で聴いているが、京都でブロムシュテット指揮の公演を聴くのは初めて。実は2度、聴く機会があったのだが、最初はインフルエンザのため、2度目も持病が思わしくなく諦めざるを得なかった。


ブロムシュテットは1990年代から基本的に古典配置での演奏を行っているが、今日も当然ながらそれを踏襲している。前半と後半でティンパニの位置が違い、前半は中央よりやや下手寄り、後半は指揮者の真正面にティンパニが配置される。前半のヴァイオリン協奏曲は室内オーケストラ編成、後半の交響曲第5番ではほぼフル編成での演奏。京都コンサートホールは今日もステージを擂り鉢状にしており、残響がかなり長い。

今日のブロムシュテットは全編ノンタクトによる指揮である。


ヴァイオリン協奏曲ニ長調。ソリストの諏訪内晶子は赤と紫を基調にしたドレスで登場。以前はオーソドックスなスタイルで演奏していた諏訪内であるが、数年前から良い意味で日本人的な繊細な味わいを持つヴァイオリンを奏でるようになっている。
今日も磨き抜かれた音を披露。とにかく音が濁らない。濁った場面は第2楽章の1箇所だけで、それ以外は見事な美音を奏で続ける。音は泉が湧き出る瞬間のようなフレッシュさを持つ。ブロムシュテット指揮のバンベルク交響楽団は細部まで明晰な伴奏を奏でたが、諏訪内のヴァイオリンもバンベルク響と一体になり、互いが互いを高め合う演奏となった。高貴にして清々しいベートーヴェンである。
ブロムシュテットとバンベルク交響楽団はかなり徹底したピリオド・アプローチによる演奏を採用。弦楽器がビブラートを掛ける部分はほとんどなかった。

諏訪内はアンコールとして、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番より「アンダンテ」を演奏する。諏訪内のバッハは「崇高」という言葉が最も似合うのだが、今日はそれとは少し違った典雅で聴き手の魂に直接染み通るようなバッハであった。違いを言葉で説明するのは難しい。


後半、交響曲第5番。ここでもピリオド・アプローチによる演奏が展開される。譜面台の上には総譜が閉じたまま置かれていたが、ブロムシュテットがそれを開くことはなかった。

冒頭の運命主題はブロムシュテットがシュターツカペレ・ドレスデンやライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と録音したものに比べてフェルマータが短めである。
テンポは特に速くはないがモダンスタイルとはやはり違う。
ブロムシュテットというと日本では何故か「穏健派」と目されることが多いが、実際はそれとは真逆の音楽性を持っている。今日も弦楽器を目一杯力強く演奏させる。特にヴィオラを強く奏でさせ、これによって全体が安定して聞こえるようになっていた。強奏させても全体のバランスが崩れないのは流石。オーボエをベルアップさせて吹かせることが多いのも特徴である。弦、管ともにクリアであるため、細部がよくわかる。
バンベルク交響楽団のクラリネット奏者は肺活量が日本人とは桁違いのようで長いパッセージも楽々吹いてしまうのに驚かされた。バンベルク交響楽団の首席クラリネットは二人体制のようで、今日のクラリネットがそのどちらなのかは残念ながらわからない。

ブロムシュテットの指揮は指先を少し動かすような細やかな動きがベースだが、ここぞという時には腕を大きく振る。90年代のブロムシュテットは指揮棒をビュンビュン振るという指揮スタイルであった。ここでもやはり「穏健派」とは無縁なのだ。ブロムシュテットが穏健派と見做されるのはジェントルな容貌に加えて、1970年代にブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデンの「ベートーヴェン交響曲全集」をドイツ・シャルプラッテンと共同制作したDENONのプロデューサーのブロムシュテットに対する姿勢に問題があったと思われる。私はブロムシュテットとシュターツカペレ・ドレスデンによる「ベートーヴェン交響曲全集」の国内盤は一切薦めない。輸入盤を聴かないと真髄はわからないと思われるからである。

第4楽章に入ると、弦楽器がビブラートを加えるようになる。第4楽章突入の音型は何度が繰り返されるが、最後にその音型が現れる時にブロムシュテットが少しテンポを落としたのだが印象的であった。楽譜はおそらくベーレンライター版だったと思われるが、ピッコロが浮かび上がったのはラストだけだったため断言は出来ない。
明るめの第5。物語性よりも曲の堅固な構築を詳らかにしており、この曲に相応しい評価なのかどうかはわからないが、とにかく面白いベートーヴェンであった。


アンコールはベートーヴェンの「エグモント」序曲。冒頭の仄暗さから終盤の高揚感まで表出が巧みである。ティンパニの思い切った強打も効果的であった。

全ての演奏が終わった後でも拍手は鳴り止まず、楽団員の多くが退出した後でブロムシュテットが一人再登場し、喝采を浴びた。

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2016年2月14日 (日)

コンサートの記(229) トーマス・ヘンゲルブロック指揮北ドイツ放送交響楽団(NDR交響楽団)来日演奏会2015大阪

2015年6月3日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、トーマス・ヘンゲルブロック指揮北ドイツ放送交響楽団(NDR交響楽団)の来日演奏会を聴く。

ギュンター・ヴァントとのコンビで世界的な名声を得た北ドイツ放送交響楽団はドイツ第二の都市であるハンブルクを本拠地とするオーケストラ。北ドイツ放送(NDR)はハノーファーにもオーケストラを持っているが、ハンブルクの北ドイツ放送交響楽団が第1オーケストラ的存在である。

戦後に西ドイツの政府の肝いりによって結成された放送オーケストラの一つであり、ハンス・シュミット=イッセルシュテットを首席指揮者に迎えて結成。1982年から始まったギュンター・ヴァントの時代に、特にブルックナーの名演で世界的に注目される。ただ、ヴァントとのコンビはヴァントが首席指揮者を退任後に更に名声が高まる。ヴァントは終身名誉音楽監督となり、ジョン=エリオット・ガーディナーが首席指揮者に就任したのだが、この古楽器出身の指揮者は自らが組織した古楽器オーケストラとの活動に忙しく、北ドイツ放送響を指揮することが少なかったため、ヴァントが代わりに指揮台に立つことが多かった。

ガーディナーとは契約を更新せず、今度はスウェーデンの名匠であるヘルベルト・ブロムシュテットを首席に迎えたが、ブロムシュテットがライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターに指名されたため兼任不可として3年契約を2年で打ち切る。90年代の北ドイツ放送響は名指揮者を迎えることに成功しながら自身の音楽以外の理由で不運が続いた。その後、クリストフ・エッシェンバッハ、クリストフ・フォン・ドホナーニを指揮者に迎えるが、レコーディングなどには恵まれなかった。トーマス・ヘンゲルブロックを首席指揮者に招いて以降はソニー・クラシカルへのレコーディングが行われるようになり、再び世界的な注目を浴びている。また今年から、期待の若手、クシシュトフ・ウルバンスキが首席客演指揮者に就任する予定である。

欧米のクラシック界ではハードよりもソフトにお金を掛ける傾向があり、演奏家が厚遇されている一方で、演奏会場などは日本でいう街の公会堂程度のものが利用されているのが普通である。北ドイツ放送響もその例に漏れなかったようだが、現在建設中の音楽専用ホール、エルプフィルハーモニー・ハンブルクのレジデンスオーケストラになることが決定している。

トーマス・ヘンゲルブロックは1958年生まれのドイツの指揮者。まずヴァイオリニストとして活動を開始。ニコラウス・アーノンクールが組織した古楽器オーケストラ、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスに参加。その後、アーノンクールを始め、ヴィトルド・ルトスワフスキ、アンタル・ドラティといった指揮者や作曲家の影響を受けて指揮者としても活動を開始。1985年に古楽器オーケストラであるフライブルク・バロック管弦楽団の設立に協力し、指揮者として活動。1995年にはドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンの初代芸術監督に就任。ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンはモダン楽器の室内管弦楽団だが、ここでヘンゲルブロックはピリオド奏法を取り入れたモダンオーケストラによる演奏に熱心に取り組み、その伝統はダニエル・ハーディングを経てパーヴォ・ヤルヴィにまで受け継がれている。

曲目はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:アラベラ・美歩・シュタインバッハー)とマーラーの交響曲第1番「巨人」(1893年ハンブルク稿)。

トーマス・ヘンゲルブロックと北ドイツ放送交響楽団ではブランド力が足りなかったのか、ザ・シンフォニーホールの入りは半分程度である。関西では、大植英次、井上道義、広上淳一、佐渡裕などマーラーを得意とする指揮者がオーケストラのポストを持っているため、「安い値段で良いマーラーが聴けるのに、良いかどうかわからない外来のオーケストラのマーラーを高い金を払って聴く必要はない」と考える人もいるかも知れない。実際、安い値段の席は埋まっていたが、料金の高い席は半分以上が空席である。

北ドイツ放送交響楽団であるが、一見、ドイツ式の現代配置に見えるが、よく見ると第1ヴァイオリンの隣りにいる奏者の楽器が一回り大きい。実は第1ヴァイオリンの隣りにいたのはヴィオラ奏者であり、通常のドイツ式の現代配置なら第2ヴァイオリンがいる場所にヴィオラが陣取り、第2ヴァイオリンとヴィオラの位置が入れ替わるという独特の配置による演奏であった。

トーマス・ヘンゲルブロック登場。CDジャケットなどではわからないが、頭髪がかなり禿げ上がっており、頭頂部はツルピカである。広上淳一と同い年なので禿げていても別に不思議はない。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏のアラベラ・美歩・シュタインバッハーは、日独ハーフの女性ヴァイオリニスト。ただ、ドイツの血が濃いのか、見た目からは余り日本的な要素は感じられない。同じ日独ハーフでありながら日本の血が濃いアリス=紗良・オットとは真逆のようである。
1981年、ミュンヘン生まれ。父親はドイツ人でバイエルン州立歌劇場のコレペティートル(オペラリハーサル初期におけるピアノ伴奏者)、母親は日本人の歌手である。ミュンヘン音楽院で学んだ後、イヴリー・ギトリスに師事。日本でも活動をしており、NHK交響楽団などの定期演奏会のソリストとして招かれている。

アラベラは緑色のドレスで登場。彼女の弾くヴァイオリンは音に艶と張りがあり、表情は優しげだ。聴いていて「慈愛」という言葉が浮かぶ。

ヘンゲルブロック指揮の北ドイツ放送響はピリオド・アプローチによる伴奏を行う。ピリオドは弦が音の最後を伸ばさずにサッと刈り上げるのが特徴であるが、ヘンゲルブロックは管楽器奏者にも音を伸ばさずに止めるよう指導をしているようで、かなり個性的な伴奏となる。
不満点を挙げると、ピリオドであるために、伴奏に威力が不足していること。ピリオドでも力強い伴奏を奏でるコンビもあるので、これはヘンゲルブロックの責任であろう。クラリネットが音を外したりしていたが、名門オーケストラとはいえミスは付きものなので気にするほどではない。

第3楽章をアラベラはかなり弱い音で開始。その影響もあったと思うが、アラベラが望んだテンポよりも北ドイツ放送響のテンポが遅くなり、アラベラとヘンゲルブロックがアイコンタクトを交わして速度の修正を行った。

アラベラのアンコール曲は、プロコフィエフの無伴奏ヴァイオリン・ソナタより第1楽章。プロコフィエフならではのキッチュな曲調を巧みに奏でていく。

マーラーの交響曲第1番「巨人」。今日は1893年にマーラー自身の手によって改訂されたハンブルク稿による演奏が行われる。
この曲が初演されたのは1899年、ブダペストにおいて。この時は「花の章」を含む5楽章であり、他の楽章にも全てタイトルが付いている。この譜面はブダペスト稿と呼ばれている。
ハンブルク稿は、初演の4年後に改訂されたもので、やはり「花の章」を含む5楽章の交響曲である。各楽章のタイトルは初稿に比べて長くなっており、「花の章」は第2楽章となっている。
「巨人」はその後、2度の改訂を経て、現在演奏会などで取り上げられている決定稿となった。なお、決定稿では「巨人」というタイトルも削除されているのだが、慣例としてタイトルは現在も生きている。

ヘンゲルブロックは譜面台を置かず、暗譜での指揮。指揮棒の振り幅は小さめのことが多く、指揮棒全体を動かすというより、先端でチョンチョンと突いていくようなスタイルである。腕を大きく動かすこともあるが、曲の表情付けなどは指揮棒を持たない左手で行うことが多い。

ヘンゲルブロックは音を一つずつ積み上げていくような丁寧な音楽作りを行う。北ドイツ放送響の音色からは、正統的なドイツの響きが聴き取れる。日本のオーケストラからは聴くことの出来ないドイツならではの音だ。メカニックに関していえば、日本のプロオーケストラも負けてはいない。今日の北ドイツ放送響もトランペットがミスを犯すなど技術的に完璧なわけではない。だが、ハーモニーに関する感性というものが、ドイツ人と日本人とでは決定的に違っているのだと思われる。悔しいが、ドイツ音楽の演奏に関しては日本のオーケストラがドイツの一流オケに追いつくには今後も相当の時間を要しそうである。

ハンブルク稿と決定稿とでは、旋律を受け持つ楽器が違い、第2楽章の「花の章」が入り、トランペット奏者がステージ下手に立ってソリストとして演奏する。また最終楽章に書かれた視覚的オーケストレーション「ホルン奏者、全員立ち上がれ!」は、ハンブルク稿ではまだ書かれていないようで、ホルン奏者達が立ち上がることはなかった。

ヘンゲルブロックは、第4楽章と第5楽章ではかなり速めのテンポを採用。素朴さは後退し、スマートな演奏となる。

アンコール曲は、ワーグナーの歌劇「ローエングリン」より第3幕への前奏曲。格好いい演奏であった。

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2015年8月27日 (木)

コンサートの記(201) 諏訪内晶子芸術監督 第3回音楽祭NIPPON名古屋公演 パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン演奏会

2014年12月8日 名古屋・栄の愛知県芸術劇場コンサートホールにて

名古屋へ。第3回国際音楽祭NIPPONの名古屋公演を聴くためである。

第3回国際音楽祭NIPPON名古屋公演は、午後18時開場の午後18時45分開演。名古屋は開場から開演まで45分間なのが普通であり、午後18時45分開演も普通の時間である。東京、大阪、京都では午後18時45分開演の公演は考えられないが。

国際音楽祭NIPPONは、ヴァイオリニストの諏訪内晶子を芸術監督に迎えて行われるようになった音楽祭である。今年は東日本大震災の被災地である福島県郡山市の郡山女子大学建学記念講堂大ホールでケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団によるチャリティコンサート(無料コンサート。諏訪内晶子は出演せず)や横浜みなとみらいホールで諏訪内晶子出演による室内楽が演奏されたりしている。12月の頭からは名古屋と横浜で諏訪内らによる公開マスタークラス(公開レッスン)も行われている。

今日はパーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンと諏訪内晶子の共演である。諏訪内はこの後も名古屋に残り、11日に室内楽のコンサートを行う。

開場1時間前に愛知芸術劇場コンサートホール(愛知芸術文化センター4階にある。)の入り口前に行くと、お爺さん二人が第3回国際音楽祭NIPPON名古屋公演の諏訪内晶子の写真入りポスターの前で立ち話をしていたのだが、いつしか私も会話に加わるという状況になっていた。二人は諏訪内晶子のCDは沢山持っているが実演は聴いたことがないという。私は私が思う日本人現役女性ヴァイオリニスト別格カルテット(凄い順に五嶋みどり(MIDORI)、諏訪内晶子、神尾真由子、川久保賜紀)を挙げたのだが、お爺さんの一人が「諏訪内さんはあれですね、美貌で得してますね」というので、私は「五嶋さんなんかはね、はっきり言いませんが、はい」と答えておいた。

パーヴォとドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン(名古屋ではドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団と表記される)は、韓国のソウルでブラームスの交響曲チクルスを行った後で日本に乗り込み、昨日は横浜、今日は名古屋でコンサートを開き、明後日からは東京でもブラームス交響曲チクルスを行う。同コンビは今後、RCAレーベルにブラームス交響曲全集を録音する予定である。

曲目は、ブラームスの大学祝典序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:諏訪内晶子)、ブラームスの交響曲第1番。

実は、パーヴォ・ヤルヴィと諏訪内晶子の共演は、8年前にここ愛知県芸術劇場コンサートホールで果たされるはずだったのだが、諏訪内晶子が体調不良のためにキャンセル(のちにそれが妊娠によるものであることがわかるのだが、そこから諏訪内の泥沼劇が始まる)、代役として何故か諏訪内さんよりも才能のあるヒラリー・ハーンが抜擢されている。

ドイツ・カンマーフィルハーモニーのカンマーは、英語でいうチェンバーであるが、今日は第1ヴァイオリン10名、第2ヴァイオリン8名という、室内オーケストラよりは少しだけ大きめの編成である。古典配置による演奏。

ブラームスの大学祝典序曲。ベートーヴェンの時と違い、ホルンやトランペットはモダン楽器を用いているが、弦楽はピリオドによる演奏である。ビブラートは抑え、旋律を歌い終えると弓を弦からサッと離す。

ピリオド奏法が功を奏したようで、弦楽は力強く弾いても暑苦しい響きにはならず、典雅さが増す。管楽器の楽しげな歌わせ方も面白い。

パーヴォの指揮であるが、指揮棒を動かした通りの音をドイツ・カンマーフィルから弾き出す。まるで指揮棒の魔術師のようだ。現役指揮者の中では、映像でしか見たことがない人も含めて、バトンテクニックはパーヴォがナンバーワンだと思われる、

音楽祭NIPPON芸術監督・諏訪内晶子によるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。

紫のドレスで登場した諏訪内は磨き抜かれた高雅な音で、メンデルスゾーンの哀愁溢れる旋律を歌い上げる。テンポの揺るぎはないが強弱の幅は広く、本来は同じ強さで弾くはずのところをスッと引いて弱音を出す独特の表情付けは哀感を増すが、発想が日本人的であり、諏訪内が日本人ヴァイオリニストであることを再確認させられる。
諏訪内はパーヴォは勿論、ドイツ・カンマーフィルの楽団員ともアイコンタクトをかなり多く取りながらの演奏。協奏曲は皆で作り上げるものという意識があるのであろう。以前の諏訪内はそうではなかったので、やはり芸術監督という責任あるポジションを任されたことで考え方が変わったのかも知れない。

見事な演奏であった。

アンコールは、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番からラルゴ。調子の良いときの諏訪内が神がかり的な演奏をすることがあるのだが、今日聴いたバッハも天井から慈愛に満ちた音が降り注いでくるかのような崇高なる音楽を生み出していた。

ブラームスの交響曲第1番。パーヴォはこの曲は譜面台を置かず暗譜で指揮する。速めのテンポでスタート。往々にして情熱が暑苦しい域に達してしまうブラームスの交響曲第1番の演奏であるが、ピリオド・アプローチの効果で弦が涼しく聞こえるため、いくら情熱的になっても、決して暴れ馬のようにはならない。ただピリオドの場合、愛知県芸術劇場コンサートホールの音響によるものか、私の座った席(今日はP席で聴いている)の問題だったのか、あるいはピリオドだとそうなってしまうのか、正確にはわからないが、コントラバスの音の刻みがが「ギシ、ギシ」というビニールラップを破っているような音に聞こえるという難点がある。

パーヴォはこの曲ではテンポをかなり操作する。第1楽章では思い切った減速が効果的である。

ブラームスの交響曲第1番は「ベートーヴェンの交響曲第10番」とも呼ばれているのだが、それには第4楽章で「歓喜の歌」に似た旋律が歌われるのと同時に、第1楽章で多くの「運命主題」に似た「ジャジャジャジャン」という音型が用いられていることにも由来すると思われるのだが、パーヴォとドイツ・カンマーフィルは極めて見通しと良い演奏を行っており、他の演奏よりも多くの「運命主題に似た音型」を曲中に聴くことが出来た。

ドイツ・カンマーフィルのメカニックは極めて高く、第4楽章でトロンボーンの入りが揃わないというミスがあったがそれ以外は緻密なアンサンブルを展開した。

第4楽章の喜びのメロディーも速めのテンポではあったが、上っ面の喜びではなく、真の心の高揚が伝わる優れたものであった。

アンコールは2曲。

交響曲第1番演奏終了後に、パーヴォはドイツ・カンマーフィルの第2ヴァイオリンの後ろの方の奏者に、親指と人差し指、中指で「3」と示したので、ハンガリー舞曲第3番をやるということがわかる。指揮台に立ったパーヴォはやはり先程と同じように「3」とカンマーフィルのメンバーに示し、ハンガリー舞曲第3番を演奏する。ハンガリー舞曲の演奏の中でもノーブルな部類に入る演奏であった。

ラストは有名なハンガリー舞曲第1番。テンポを揺らして迫力のある演奏を生み出したパーヴォ。特にオーボエやフルートが最初に演奏を始める中間部では、第1拍目を引き延ばして木管の旋律をよりはっきり聞こえるようにするという工夫を行っていた。クラシックの音楽の場合は格調高いものが良いとされる場合も多いのだが、ハンガリー舞曲はジプシー(ロマ)の旋律であり、彼らは拍子にとらわれない演奏をしていたため、或いは今日のような第1拍のみ長くというようなこともしていたかも知れない

パーヴォは客席に向かって何度かバイバイをしながらステージを去り、ドイツ・カンマーフィルの楽団員は通常「客席側」と聞いて思いつく側とP席側の両方にお辞儀をしてステージを終えた。

 

愛知県芸術劇場から外に出ると、栄の街の夜景が夢のように美しい。

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2009年2月 4日 (水)

これまでに観た映画より(39) 「ベルリン・天使の詩」

DVDで映画「ベルリン・天使の詩」を観る。ヴィム・ヴェンダース監督の代表作。西ドイツ&フランス合作。出演、ブルーノ・ガンツ、ソルヴェイグ・ドマルタン、オットー・ザンダー、クルト・ボワ、ピーター・フォークほか。 現在、認知症であることがわかったピーター・フォークがピーター・フォーク本人役で出演している。しかもピーター・フォーク自身が実は……という展開がある。

1987年、西ベルリン。天使のダニエル(ブルーノ・ガンツ)は、同じく天使のカシエル(オットー・ザンダー)とともに西ベルリンにいる。天使は様々な人の心の声を聴くことが出来る。人々は悩み、絶望し、苦しんでいる。

ダニエルは、サーカスでアクロバットを演じているマリオン(ソルヴェイグ・ドマルタン)に恋をする。マリオンが出演しているサーカスは、金が払えないということで、その日の演目を最後に解散することになった。マリオンは、またウェイトレスに戻るのかと嘆く……。

悩み多き人間世界にあって、天使が人間になろうと決める物語。天使は人間がこの世に現れる前から存在していて、悠久の時を知っているが、人間としての新しい歴史はこれから築き始める。これまでの長大な時間と、これからの未知の時間が同等に置かれることで、人間の生の時間の充実が示されている。

この映画は、小津安二郎、フランソワ・トリュフォー、アンドレイ・タルコフスキーへの賛辞で締めくくられる。

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2007年8月19日 (日)

コンサートの記(1) ジョナサン・ノット指揮バンベルク交響楽団来日演奏会2006京都

2006年5月28日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールで、1962年生まれの俊英指揮者であるジョナサン・ノットが音楽監督を務め、「ドイツの中でも最もドイツ的なオーケストラ」と称されるバンベルク交響楽団の来日演奏会がある。

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