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2018年11月 7日 (水)

コンサートの記(449) アラン・ギルバート指揮NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2018京都

2018年11月1日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、アラン・ギルバート指揮NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会を聴く。

この演奏会は、開催に至るまで紆余曲折があった。

ハンザ同盟の盟主として知られたハンブルクのオーケストラであるNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団。北ドイツ放送交響楽団時代にギュンター・ヴァントの手兵として知名度を上げたNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団。初代首席指揮者は、ベートーヴェンなどの名演で知られたハンス・シュミット=イッセルシュテットである。近年は、ヴァントの時代を経て、ジョン=エリオット・ガーディナーが音楽監督に就任するが、古楽出身のガーディナーは自身が創設したイングリッシュ・バロック・ソロイスツなどとの演奏を優先させたため、名誉指揮者となったヴァントが引き続き事実上のトップとして君臨、その後にヘルベルト・ブロムシュテットが音楽監督となるが、ブロムシュテットはライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター就任を決め、3年契約のはずが2年で終了と、トップに恵まれない時期もあった。
クリストフ・エッシェンバッハ、クリストフ・フォン・ドホナーニの時代を経て、トーマス・ヘンゲルブロックが首席指揮者に就任すると現代音楽の演奏などで注目を浴びている。今回の来日演奏会も当初はトーマス・ヘンゲルブロックが指揮する予定であったが、同楽団の首席客演指揮者を務め、時期首席指揮者に就任することが決まったアラン・ギルバートとの組み合わせに変更になっている。

今回の来日ツアーには、エレーヌ・グリモーがピアノ独奏者として同行する予定であったが、グリモーが右肩の故障で来日不可となり、ルドルフ・ブッフビンダーが急遽代役を務めることとなった。


曲目は、ワーグナーの楽劇「ローエングリン」より第1幕への前奏曲。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(ピアノ独奏:ルドルフ・ブッフビンダー)、ブラームスの交響曲第4番。

ハンブルクが生んだ作曲家であるブラームスの作品をメインに置く、ドイツの王道プログラム。

日本でもお馴染みとなったアラン・ギルバート。日米ハーフの指揮者である。ニューヨーク・フィルハーモニックのヴァイオリン奏者を両親に持ち、ハーバード大学、ニューイングランド音楽院、ジュリアード音楽院、カーティス音楽院といった米東海岸最高レベルの音楽教育機関でヴァイオリン、作曲、指揮を学んでいる。2009年から2017年まで、かつて両親が在籍していたニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督を務めている。
日本ではまずNHK交響楽団への客演で名を知られるようになり、今年からは東京都交響楽団の首席客演指揮者に就任している。


弦楽はヴァイオリン両翼の古典配置を採用していたが、特にブラームスに於いてこの配置が功を奏する。

今日の公演はコンサートマスターが交代制で、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番だけ白髪が特徴の奏者がコンサートマスターを務める。


ワーグナーの楽劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲。繊細で輝かしい弦楽のテクスチュアが見事であり、「神宿るワーグナー」という言葉が浮かぶ。
日本のオーケストラも技術の向上が著しいが、流石に現時点ではここまでの音は出せない。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。
ソリストのブッフビンダーは、細部まで設計の行き届いたピアノを深々とした音で歌い上げる。深さと奥行きのある音は、ヨーロッパの以外には余り聴かれないものである。
ギルバート指揮のNDRエルプフィルは、躍動感溢れる伴奏を展開。特に第3楽章終結部では、アメリカの指揮者ということもあってロックのようなノリノリのテイストで聴かせる。それでいて安っぽくないのがギルバートとNDRエルプフィルの良さである。

ブッフビンダーのアンコール演奏は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第18番より第2楽章。ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスと受け継がれるウィーン情緒を前面に出した演奏であり、格調高くも軽快な響きが印象的である。


メインであるブラームスの交響曲第4番。ギルバートは第1楽章の冒頭を揺らすように歌い、繊細さ、悲哀感、堅固な構造力、旋律の美しさの全てを1本の指揮棒で浮かび上がらせる。

とにかくNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団の巧さが目立つ演奏であり、北ドイツのオーケストラらしく縦の線をきっちりと合わせながら切れ味の鋭い高い合奏力を聴かせる。ギルバートも指揮していてさぞ気持ちが良いだろう。
技巧面においては世界でも最高レベルであると思われ、音楽性においてもトップレベルを伺うだけの実力はある。
ブラームスの交響曲第4番は人気曲であるだけに演奏会で取り上げられる機会も多いが、この曲の凄さを表したという意味においては今日の演奏が第一席に挙げられると思う。快演だった。


アンコール演奏は2曲。
まずは、ブラームスの「ハンガリー舞曲」第6番。ギルバートらしいノリの良い演奏である。

最後の演目。オーケストラがドビュッシーの交響詩「海」を模した序奏を奏で、「浜辺の歌」の旋律が現れる。日本の楽曲ということで、客席からも拍手が起こる。それにしても凝った旋律である。誰が編曲したのか知りたくなる。
日本人の血を半分引くギルバート。日本的な抒情を存分に歌い上げた演奏となった。

とても良い気分で京都コンサートホールを後にする。


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2018年10月18日 (木)

観劇感想精選(260) アルテ・エ・サルーテ 「マラー/サド」@クリエート浜松

2018年10月11日 浜松市のクリート浜松 ホールにて観劇

午後5時30分から、クリエート浜松のホールで、アルテ・エ・サルーテの「マラー/サド(原題は「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院の患者たちによって演じられらジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」)」を観る。フランス革命時のジャコバン派首領であるジャン=ポール・マラーと、サディズムの語源として知られ、後世に多大な影響を与えたマルキ・ド・サド(サド侯爵)を軸にした芝居である。

アルテ・エ・サルーテは、浜松市の音楽文化交流都市であるイタリア・ボローニャに拠点を置く非営利協会。エミリア・ロマーニャ州立地域保健機構ボローニャ精神保険局の精神障害者80名以上が通っており、そのうち41名がプロの俳優として、散文劇団(コンパニィア・ディ・プローザ、児童向け劇団(コンパニィア・ディ・テアトロ・ラガッツィ)、人形劇団(テアトロ・ディ・フィーグラ)、精神を題材とした放送局であるサイコラジオに所属している。
今回来日したのは散文劇団のメンバーである。2000年の創設で、ボローニャに本拠を置く劇団としては最古参になるという。

イタリアからはエミリア・ロマーニャ州の州知事代理やアルテ・エ・サルーテの主治医が同行しており、上演前にスピーチを行う。イタリア語通訳の方が頼りなく、州知事代理の方が遠州方言である「やらまいか」を観客達とやりたいと申し出るも上手く通じる、バラバラになってしまう。スタッフも演劇上演には明らかに慣れていないが、地方都市であるだけにこれは仕方がない。

今回の浜松上演は、静岡文化芸術大学の名誉教授&理事で、イタリア語・イタリア演劇を専門とする高田和文の招聘によって実現したものであり、高田氏が真っ先にスピーチを行った。

舞台後方の白い壁には、「じゆう」「障害はあるけど奴隷じゃない!」「革命しよう 拘束反対」「自由 平等 友愛」「マラー万歳!」といった言葉が赤と青の文字で記されている。


「マラー/サド」。作:ペーター・ヴァイス。脚色・演出:ナンニ・ガレッラ。オリジナル音楽:サヴェルオ・ヴィータ。制作はエミリア・ロマーニャ演劇財団、NPOアルテ・エ・サルーテ、エミリア・ロマーニャ州立ボローニャ地域保健連合機構精神保険局。
1964年に初演が行われたドイツ演劇作品で、1967年にはピーター・ブルックによって映画化されている。

イタリアには1978年まで精神科の閉鎖病棟があり、多くの人がそこに強制入院させられていたが、今ではそうした押し込め型の精神病院はなくなっているという。


シャラントン精神病院に収監されたマルキ・ド・サド(演出であるナンニ・ガレッラが演じている)が、患者達を使ってマラーの人生を描いた芝居を上演する模様を上演するいう劇中劇の入れ子構造になっている。

出演は、布告役(口上役。劇中劇では窃盗罪と境界例があるという設定):ミルコ・ナンニ、サド侯爵(ここには殺人の罪で入っている。偏執狂の持ち主):ナンニ・ガレッラ、ジャン=ポール・マラー(過激派、妄想型統合失調症):モリーノ・リモンディ、シャルロット・コルデー(嬰児殺人罪、躁鬱病、ナルコレプシー):ロベルタ・ディステファノ、シモンヌ・エヴラール(家庭虐待、ヒステリー):パメラ・ジャンナージ、デュペレ(強制性交等、錯乱性色情症):ロベルト・リジィ、ジャンヌ・ルー(破壊行為、誇大妄想症虚言癖):ルーチォ・パラッツィ、ロッシニュール(売春、強迫性窃盗症):イレーオ・マッツェティ、キュキュリュキュ(放火魔):増川ねてる 、ポルポック(麻薬密売、強迫症):デボラ・クインタバッレ、ココル(麻薬常用、境界例):ルカ・ファルミーカ、患者1(殺人により強制措置):ファビオ・モリナーリ、患者2:ニコラ・ベルティ、女医(医院長):マリア・ローザ・ラットーニ、看護士:ロレッタ・ベッキエッティ&カテリーナ・トロッタ、看守:ダビデ・カポンチェッリ。


まず、医院長からの挨拶で芝居が始まる。舞台は鉄格子の向こうであるが、医院長だけは客席側に出て、芝居を観る(これも演技の内)ことが出来る。クリエート浜松ではなく、シャラントン精神病院での院内上演という設定で、観に来ているのも同じ入院患者として劇の紹介を行う。

フランス革命直後のフランス。貴族階級が否定され、この世の春を謳歌していた貴族達は次々とギロチン送りにされている。庶民達は自分達の時代を築こうとしているが、そちらの方は順調には進んでいない。血気盛んな庶民達は自由を望み、決起を、というところで医院長からストップが掛かる。「熱くなりすぎる! もっと冷静に」との注文を受けて芝居再開。

多数の貴族をギロチン送りにしているマラー。だが重度の皮膚病に苦しみ、症状を和らげるために常に浴槽に水を張って浸かっていないと症状が悪化してしまう。身の回りのことは家政婦のシモンヌに全て任せていた。
理想に燃えるマラーであるが、浴槽に幽閉されたような状態である。

パリに出てきたばかりのカーン出身の少女がマラーの命を狙っている。シャルロット・コルデー。後に「暗殺の天使」として世界に知られることになる下級貴族出身のこの女性も閉鎖的な修道院から出たばかりで、自由と理想を追求していた。
ちなみにコルデー役の女優さんが一番症状が重いという設定であり、常に眠気に襲われている上に重篤な鬱状態ということで、自分の出番が来るまでは看護士の膝を枕にして眠っている。
シャルロットは1日に3度、マラーを訪問し、3度目に刺し殺すのであるが、気が昂ぶったシャルロッテは最初の訪問でいきなりマラーを殺そうとしてサドから注意を受ける。

反体制派のマラーと貴族階級出身のサドの意見は対立する。このマラーとサドのディベートが一つの軸になっている。
サドは自然を嫌う。自然は偉大なる傍観者、弱者が滅びるのを観察しているだけ。あたかも「沈黙の神」に対するかのような姿勢だ。一方のマラーは自然がもたらすことには意味があり、それを超克したいという希望がある(西洋においては自然の対語が芸術である)。

マラーは急速に革命を推し進めようとするが、サドに革命が起こっても何も変わっていないと指摘される。下層階級は革命の前も後も苦しみのただ中にいると。

マラーを支持する下層階級のグループは自分達の改革の邪魔になりそうな人物の名を挙げて、血祭りに上げようと騒ぐ。ラファイエットやビュゾー、ロベスピエールの名が挙がるが、そのうちに医院長や医師の名前が挙がったため医院長に芝居を止められる。そもそもカットされたはずの部分が上演されてしまっていたらしい。

マラーは貴族階級を憎み、下層階級に与えられた苦しみに比べれば、貴族階級の苦悩などまだまだ浅いと考えており……。

音楽が流れ、歌い、隊列を作って行進しと様々な要素を取り入れた芝居である。
イタリアでは1978年にバザーリア法により精神病院と閉鎖病棟の制度は廃止されたが、日本では精神障害者のうち重度の患者は何十年にも渡って精神病院に閉じ込められているという現実がある。そこに精神障害者の自由はない。
登場人物の多くも幽閉されている。現実の精神病院にだけではなく、あるいは病気に、あるいは階級に、あるいは年齢に、あるいは修道院に代表される宗教に。

芝居は、コルデーが意識の解放を遂げた後で、フランス国歌にしてフランス革命歌「ラ・マルセイエーズ」を全員で歌って終わる。「marchons,marchons(進め! 進め!)」の部分を「マラー、マラー」に変えられ、その後の歌詞もマラーへの応援歌となり、「障害はあるけど奴隷じゃない!」と希望を望む言葉で締めくくられる。

最後は、「ラ・マルセイエーズ」をファンファーレとして使用したビートルズの「愛こそはすべて(All you need is love)」が流れる中を出演者が踊って大いに盛り上がる。
「自由」そして「解放」を訴える芝居だけあって、革命期の高揚を伴う展開に説得力があり、病気や環境によって真に抑圧されてきた経験のある俳優が演じているだけあってオーバーラップの効果は大変なものである。
ラストの選曲も実に上手かった。


芝居の上演の後に、ティーチインのようなものがあり、浜松市内のみならず日本全国から集まった当事者、医療関係者によって様々な質問がなされ、演出家のナンニ・ガレッラや劇団員達が答えていた。


精神障害者が精神障害から完全に抜け出る日は、あるいは来ないのかも知れない。来るとしてもまだまだ先なのかも知れない。ただ、演じることで苦しみのある現実から一瞬でも抜け出すことは可能であるように思われる。自分ではない他者として生きる経験を持つということ。この点において演劇は有効だ。



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2018年9月23日 (日)

コンサートの記(427) 愛知県立芸術大学レクチャーコンサート「ブレヒト・詩と音楽の夕べ」―ナチ時代に亡命したユダヤ系の音楽家たち―

2018年9月11日 名古屋・伏見の電気文化会館ザ・コンサートホールにて

午後7時から電気文化会館ザ・コンサートホールで、愛知県立芸術大学レクチャーコンサート「ブレヒト・詩と音楽の夕べ」―ナチ時代に亡命したユダヤ系の音楽家たち―を聴く。愛知県立大学音楽学部准教授の大塚直(おおつか・すなお。専門は近現代ドイツ語圏の演劇・文化史)のレクチャーで進めていく音楽会である。

20世紀ドイツを代表する劇作家・演出家であるベルトルト・ブレヒトを縦軸に、彼と仕事をしたドイツのユダヤ人作曲家の作品を中心に演目は編まれている。

演奏されるのは、クルト・ヴァイルの「三文オペラ」より“海賊ジェニーの歌”と“バルバラ・ソング”、「マハゴニー市の興亡」より“アラバマ・ソング”、「ヴィナスの接吻」より“スピーク・ロウ”、パウル・デッサウの「セチュアンの善人」より“八頭目の象の歌”、「動物の歌」、ピアノ・ソナタ ヘ長調より第1楽章、ピアノによる「ゲルニカ」、ハンス・アイスラーの「マリー・ザンダースのバラード」、「小さなラジオに」、二つの悲歌「あとから生まれてくる者たちに」、ハンス・ガルのピアノのための三つの小品と無伴奏チェロのための組曲より第1曲。

電気文化会館ザ・コンサートホールに来るのは初めてである。地下鉄伏見駅の間近にあり、近くには御園座や三井住友海上しらかわホール、名古屋市美術館などの文化施設が集中している。
ステージは上から見て台形、白い壁には音響効果を高めるために起伏が設けられている。内装も響きも、最近出来た大阪工業大学・常翔ホールに似ているように思われる。


出演者は、当然ながら愛知県立芸術大学の関係者である。
レクチャー担当の大塚直は、先に書いた通り愛知県立芸術大学准教授で、名古屋大学や椙山女学園大学、名古屋市立大学の非常勤講師も務めている。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学後、ドイツ・コンスタンツ大学に留学し、帰国後に東京外国語大学大学院にて劇作家のボートー・シュトラウスに関する研究で博士号(学術)を取得。翻訳者・ドラマトゥルクとしても活躍しており、今回、無料パンフレットに挟まれた歌詞対訳も大塚が行っている。

ブレヒトが書いた詩の全てを歌うのは、愛知県立芸術大学OGのソプラノ・藤田果玲(ふじた・かれら)。愛知県立明和高校音楽科、愛知県立芸術大学音楽学部を経て、ハンブルク音楽院に学び、現在は州立シュトゥットガルト音楽演劇大学大学院現代音楽科2セメスター在学中である。第16回大阪国際コンクール歌曲コースAge-Uエスポワール賞、第7回東京国際声楽コンクール歌曲奨励賞などの受賞歴がある。

ヴァイル作品でピアノ伴奏を務める家田侑佳は、愛知県立明和高校音楽科と愛知県立芸術大学音楽学部を卒業。現在、同大学大学院博士前期課程鍵盤楽器領域2年在学中である。第32回日本ピアノ教育連盟ピアノオーディション東海地区で優秀賞を受賞している。

デッサウ作品でピアノソロを受け持つ野村七海は、名古屋市立菊里高校音楽科を経て愛知県立芸術大学音楽学部を卒業。同大学大学院博士前期課程鍵盤楽器領域2年在学中ということで、家田侑佳と同級生である。第15回ショパン国際ピアノコンクール in Asia 大学生部門アジア大会奨励賞、第18回日本演奏家コンクール大学生の部の特別賞及び芸術賞を受賞。第9回岐阜国際音楽祭コンクール一般Ⅰの部第2位入賞も果たしている。

チェロ独奏の向井真帆。広島県に生まれ、12歳からチェロを始めている。愛知県立芸術大学音楽学部を卒業し、現在は同大学大学院博士前期課程2年に在学。第11回ベーテン音楽コンクールで全国大会第1位を獲得。第10回セシリア国際音楽コンクール室内楽部門第3位にも入っている。

全員、大学院在学中であるが、すでに華麗な経歴を誇っていることがわかる。


まず、大塚直によるレクチャー。「愛知県立芸術大学でブレヒトが取り上げられることはまずないと思いますが」と挨拶したものの、休憩時間に愛知県立芸大の関係者から指摘を受けたそうで、「実際はブレヒトもちゃんとやっているそうです」と改めていた。
一般的に、芸術大学の音楽学部や音楽大学では、「高みを目指す」崇高な音楽が追究されることが多いのだが、ブレヒトや今日取り上げられる作曲家は、労働者階級などにも「拡げる」音楽を指向していたことを語る。


「三文オペラ」。ブレヒトの代表作である。ジョン・ゲイの「ベガーズ・オペラ(乞食オペラ)」を元に練り上げられており、「マック・ザ・ナイフ」はジャズのスタンダードナンバーにもなっている。
私自身が「三文オペラ」に最初に触れたのはCDにおいてである。ロンドン=DECCAから発売された、ジョン・モーセリ(マウチュリー)指揮RIASベルリン・シンフォニエッタの演奏、ミルヴァ、ルネ・コロ、ウテ・レンパーほかの歌唱によるもので、高校生の時に聴いている。このCDは当時発売されたばかりで大評判になっていたものだが、高校生で理解するのは無理であった。「三文オペラ」自体は、兵庫県立芸術文化センター中ホールで白井晃演出のものを、今はなき大阪厚生年金会館芸術ホールで宮本亜門演出のものを観ている。「ベガーズ・オペラ」も梅田芸術劇場メインホールでジョン・ケアード演出のものを観ている。
「三文オペラ」の名盤とされていたのは、クルト・ヴァイル夫人でもあったロッテ・レーニャが娼婦ジェニーを務めたものだが、これは録音後50年が経過したために著作権フリーとなっており、オペラ対訳プロジェクトの音源となってYouTubeで視聴することが出来る。

まず「海賊ジェニーの歌」。赤いドレス姿の藤田果玲は、銀色のハイヒールを手に持って登場。ドイツ語のセリフをつぶやき、ハイヒールを床に落としてから履き、ステージの中央へと歩み出る。
かなり良い歌唱である。他の演奏者も全員良い出来で、学部ではなく大学院レベルにおいてであるが、愛知県立芸術大学のレベルはかなり高いことがうかがわれる。
「海賊ジェニーの歌」は、娼婦のジェニーの夢想を歌ったものだが、破壊願望がかなり強く出ている。自分をこき使う男達が、最後は海賊に皆殺しにされるという内容である。

京都造形芸術大学在学中の2003年に、アメリカの演劇人であるジョン・ジェスランの作・演出で行われた授業公演の「バルド」で「海賊ジェニーの歌」の一部が使われていた。映画館内でカップルが「海賊ジェニーの歌」をデュエットするというあり得ない状況が描かれたのだが、劇自体が非現実性を狙ったものであった。曲の正体を知っていたのは間違いなく私だけだったと思われる。

おなじく「三文オペラ」から“バルバラ・ソング”。貞淑な乙女と思わせつつ実は、という内容の歌詞を持つ。「三文オペラ」のヒロインであるポリーのナンバーだが、白井晃演出の「三文オペラ」では実はポリーを演じていたのは篠原ともえ、ということでかなり異化効果が効いていた。

オペラ「マハゴニー市の興亡」より“アラバマ・ソング”。本能そのままというべきか、もはや中毒症の領域に達している欲望を歌っている。
そして「ヴィナスの接吻」より“スピーク・ロウ”は一転してメロウなナンバーであり、ヴァイルの作風の多彩さを知ることが出来る。

クルト・ヴァイルは、ドイツ・デッサウの生まれ。ベルリン音楽大学を中退後、前衛作曲家として活躍。ナチスの台頭によってパリへ、そしてアメリカへと亡命する。渡米後はブロードウェイ・ミュージカルの作曲家としてメロディアスな作風へと転換している。


パウル・デッサウは、ハンブルクの生まれ。1909年にベルリンのクリントヴォルト=シャルヴェンカ音楽院に入学し、ヴァイオリンを専攻。その後、オペラのコレペティートアを経て指揮者としての活動も始めている。ケルン歌劇場でオットー・クレンペラーの許、カペルマイスターとして活躍し、その後はブルーノ・ワルター率いるベルリン国立歌劇場の音楽監督にもなっている。作曲家としてはディズニー映画「アリス」の音楽などを担当。1939年にパリへと亡命し、十二音音楽に取り組むようになる。1939年にアメリカに渡り、1942年にニューヨークでブレヒトと再会して、「肝っ玉おっかあとその子供たち」や「セチュアンの善人」の舞台音楽を手掛けた。戦後は東ドイツの国立演劇学校の教授などを務めている。

デッサウの「セチュアンの善人」より“八頭目の象の話”。この曲では藤田はマイクを手にして歌う。
7頭の荒くれた象と従順な1頭の象。従順な1頭の象が7頭の象をどんどん抑圧していくという内容であり、藤田もきつめのアクセントで歌う。

「セチュアンの善人」は、新国立劇場中劇場で串田和美演出の「セツアンの善人」を観ている。出演は、松たか子、岡本健一ほか。舞台上が稽古場という設定での上演であり、また出演者全員が楽器も奏でる。松たか子がアコーディオン、岡本健一がギター、串田和美は「上海バンスキング」でもお馴染みのクラリネットを担当していた。

「動物の詩」。ブレヒトが1934年に息子のシュテファンのために書いた「童謡」に収められた動物を描いた詩にデッサウがブレヒトの死後にメロディーをつけて発表したものである。皮肉や諧謔に満ちたいかにもブレヒトらしいというかユダヤの世界観にも通じる詩である。「ワシ」「ウマ」「カラス」「ワラジムシ」「ハリネズミ」の5曲。ソプラノの藤田果玲は全曲タイトルをドイツ語で読み上げてから歌う。表情豊かな旋律と歌唱である。

ピアノ・ソナタ ヘ長調より第1楽章。1947年に完成し、その後に修正を加えられた曲である。まさにロマン派と前衛の境目にあるような曲である。

ピアノによる「ゲルニカ」。ピカソの「ゲルニカ」にインスパイアされた作品である。1937年のパリ万国博覧会スペイン館に展示された「ゲルニカ」を観たデッサウはすぐさま作曲に取りかかり、翌38年に完成させている。衝撃的な冒頭は予想されるような曲調だが、後半ではミステリアスというか不穏というか、十二音技法を取り入れた静かであるが不安定な曲調が顔を覗かせる。


ハンス・アイスラーは、彼の名を冠するハンス・アイスラー音楽大学の存在によっても有名である。ライプツィッヒの生まれ。家族でウィーンに移住し、独学で音楽を学び始める。シェーンベルクに師事し、ヴェーベルンやアルバン・ベルクらと並ぶ新ウィーン学派の作曲家としてスタート。その後、シェーンベルクとは袂を分かち、ドイツ共産党に入党するなど独自路線を歩み始める。1930年からブレヒトとの共同作業を開始するが、1933年にナチスが政権を取ると亡命を選び、38年にはアメリカに移住。南カリフォルニア大学で教鞭を執り、チャップリン映画の音楽顧問なども務めるようになる。ハリウッド映画の作曲も手掛け、アカデミー賞作曲部門にノミネートされたりもしているが、赤狩りにより国外追放となり、1950年に東ドイツに戻る。その後はベルリン音楽大学の教授などを務めた。

アイスラー作品では、野村七海がピアノ伴奏を務める。

「ユダヤ人相手の娼婦、マリー・ザンダースのバラード」。1935年にニュルンベルク法が成立し、ユダヤ人と非ユダヤ人との婚姻と婚外セックスの禁止が決定する。それまでユダヤ人相手の娼婦として生きてきた女性や法律を破った者は、見せしめとして頭を丸刈りにされ、肌着一枚で首からプラカードをぶら下げられ、市中引き回しの刑に処される。
その様子を描いた曲である。かなり直接的な表現が用いられているが、物価の高騰が同列に挙げられるなど、皮肉も効いている。

「小さなラジオに」。ハリウッドでブレヒトと再会したアイスラーが作曲した歌曲である。ナチスの電撃作戦が成功している様をラジオで聞く悲しみを歌った短い歌である。ラストではピアノが不協和音を奏で、ラジオが壊れる様が描写されている。

2つの悲歌「あとから生まれてくる者たちに」。ブレヒトが自身の人生を省察するかのような詩であり、ブレヒトらしくない言葉で綴られている。生きた時代の不遇を嘆きつつ、未来とそこに生きる人たちへの希望を語っている。
まず、大塚がテキストを朗読してから歌がスタート。単純に美しい曲である。いずれも詩の内容を的確にくみ取った秀歌で、もっと知られていても良いように思う。


ハンス・ガルは、作曲家として以上に音楽学者や教育者、楽譜の校訂者として高く評価されているようである。

ウィーン郊外の村ブルンで代々医者の家系のハンガリー系ユダヤ人の子として生まれる。父がオペラ好きであり、ギムナジウムでは指揮者となるエーリヒ・クライバーと親友であったということもあって、音楽を志す。ウィーン大学で音楽学を専攻し、師であるマンディチェフスキと共にブラームス全集の校訂などを行っている。その後、マインツ音楽院の院長公募試験に合格し、1933年まで院長を務めている。この時代に多くの音楽家を見いだしており、中でもヴィルヘルム・フルトヴェングラーを高く評価していた。

ナチスが政権を奪った当時のヒトラーと間近で会ったことがあり、「こんな奴の政権が長続きするわけがない」と思ったそうだが、予想に反してナチス政権が維持されたため、ユダヤ人であるガルは公職追放となり、ウィーンで指揮者としての活動を始めるが、38年にオーストリアがドイツに併合されると、イギリス・スコットランドのエディンバラに亡命。エディンバラ大学の講師として音楽理論や対位法、作曲などを教えるようになる。音楽書『シューベルト』や『ブラームス』を著しており、ドイツ語圏では名著として知られているという。

97歳と長寿であり、80代で自作のピアノ曲を暗譜で初演するなど、晩年まで軒昂であった。「音楽は美しくなくてはならない」というのが持論であり、メロディーや調整を重視する作風を保ち続けた。

ブレヒトと一緒に仕事をしたことはないようが、同時代の劇作家であるエデン・フォン・ホルヴァートと知り合い、「行ったり来たり」という舞台作品の音楽を手掛けている。

ピアノのための3つの小品。演奏は、前半はピアノ伴奏を務めた家田侑佳が務める。前半は黒の上下であった家田はこの曲では白のドレスで演奏。ウィーンの正統的な音楽性を感じさせるピアノ曲だが、時代を反映して響きの美しさも追求されている。

ラストは、無伴奏チェロのための組曲より第1曲。
ドイツ音楽の祖であるJ・S・バッハを意識して作曲されたものであろうと思われるが、古典的な造形美よりも自由な音楽性と追求しているようにも聞こえる。


アンコールは、マレーネ・ディートリヒが歌ったことで知られる「リリー・マルレーン」が歌われる。ソプラノの藤田果玲は、ピアノに寄りかかり、本を拡げながら、歌詞に出てくる街灯の下にいるような雰囲気で歌った。

ユダヤ人の芸術家は、ナチスによって「退廃芸術」家と名付けられ、祖国を追われ、作品は発禁処分となっている。時を経て、今また、訳知り顔の「正しさ」が跳梁跋扈し、表現は制限・規制され、排除の理論が大手を振って歩くようになり、芸術は本来持っていた豊かさを奪われつつある。
ブレヒトやユダヤ人作曲家達が残した作品は、高踏的な人々が好むものでは決してなかったが、そこには未来を希求し、分け隔てのない世界を目指した「心」がある。ブレヒトが尊敬したベンヤミンは「アクチュアリティ」の重要さを唱え、20世紀ドイツ最大の詩人であるパウル・ツェランは「芸術には日付がある」として同時代的であることを追求した。100年ほど前のラジカルではあるが、それは常に「今」を照射している。

良質のコンサートであり、気分が良いので地下鉄に揺られようという気分にならず、伏見から名古屋駅まで歩く。



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2018年7月21日 (土)

楽興の時(23) ジモン・ルンメル&伊藤えり 「浅酌低唱 笙と微分音ハーモニカの饗宴」

2018年7月14日 荒神橋のゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川にて

荒神橋のゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川へ。午後6時からドイツの若手作曲家であるジモン・ルンメルが作成した新楽器・微分音ハーモニカと東京楽所(とうきょうがくそ)所属の伊藤えりの演奏する笙のジョイントコンサート「浅酌低唱 笙と微分音ハーモニカの饗宴」を聴く。入場無料。

一週間前のトークイベントにも参加したジモン・ルンメル。1978年生まれ。ケルンでピアノと作曲、デュッセルドルフで美術を学び、様々なアイデアによる楽器を生み出している。
伊藤えりは東京藝術大学卒業後、武満徹作曲の雅楽演奏などで知られる東京楽所に参加。神社仏閣での笙奉納演奏、国内外でのワークショップなどでも活躍している。

ルンメルと伊藤が対面しての演奏。微分音ハーモニカであるが、机の下にふいごが二つ。左右の膝で交互にふいごに触れることで空気を送り込む。自転車を漕ぎ続けているような格好だ。ビニールの管を通して口からも空気を送り込む。机の上には鍵盤のようなものが並んでおり、これを抑えることで音程や和音を生み出す。鍵盤からはビニールチューブが伸びていて、試験管のようなものに繋がっている。試験管のようなものは糸で天井付近の板から釣り下げられている。詳しい仕組みや原理はちょっとわからない。

演奏されるのは、微分音ハーモニカと笙による和音を基調とした40分から60分の音楽。プレトークでルンメルは「和音が花のように咲いていく」という説明を行ったが、確かに花が咲き綻びていく様を見つめるような趣がある。音階らしい音階はラスト付近まで登場せず、ひたすら高音の和音が降り注いでくる。ドイツ的な「低音を築いて高音を乗せてレンジを広く」という発想がないため、アジア的な音楽性を感じたりもする。
微分音ハーモニカであるが、「高音しか出ないオルガンではないのか」という捉え方もあるだろうし、新しい楽器であると断定は出来ないだろう。

続いて、ルンメルが作った小さな吹奏楽器を聴衆数名に配っての短い作品の演奏。聴衆に配られた楽器は単音しか出ない。様々なところから単音が出て和音になって溶けていくという音響は面白いように思う。演奏終了後、ルンメルは参加してくれた人達を冗談交じりに「キョウト・ウインド・オーケストラ」と言って讃えた。



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2018年7月13日 (金)

ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川 カルチャートーク Creators@kamogawa 「新しい楽器の誕生」&「ドキュメンタリー演劇の力」

2018年7月7日 京都・荒神橋のゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ・鴨川にて

荒神橋の近くにあるゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川で、カルチャートーク Creators@kamogawaという催しがあるので出掛けてみる。午後3時開演で、第1部が「新しい楽器の誕生」、第2部が「ドキュメンタリー演劇の力」

ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川は日本に三つあるゲーテ・インスティトゥートの一つ(京都、東京、大阪というかつての三都にある)。以前は、京都ドイツ文化センターという名称であった。今から13年ほど前、朗読劇である「ラブ・レターズ」をやろうとしていた時に、劇場以外の良いホールを探していたのだが、京都ドイツ文化センターのホールは内装が木目でイメージが良かった(特別に見せて貰った)。ただ残念ながら貸し出しはしていなかった。90年代にNHK-BS2(今のBSプレミアム)で早朝に放送されていたクラシック音楽番組で、演奏本編に入る前に花組芝居の加納幸和が洋館で朗読を行っていたのだが、そのイメージに最も近い場所である。ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川になってから行くのは初めてである。

ゲーテ・インスティトゥートに入ろうとした時に見覚えのある男性が視野に入る。作曲家の三輪眞弘氏である。三輪さんは第1部に出演するのである。ということで同時に館内に入ることになった。

ホールはまだ開いていなかったので、館内にあるカフェ・ミュラーに入り、今では歌われることのないドイツ国歌第2番に出てくるドイツのワイン(ただしアルコール抜き。つまりただの赤葡萄ジュース)を飲む。私の席の隣に音楽関係者らしい男性とドイツ人の女性が座っていたのだが、そこに見覚えのある女性が近寄って挨拶をし始める。アンサンブル九条山のメンバーでもあるソプラノ歌手の太田真紀さんであった。


第1部「新しい楽器の誕生」。ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川に滞在している作曲家のジモン・ルンメルと三輪眞弘の対話。司会は小崎哲哉(おざき・てつや)。

ジモン・ルンメルは1978年生まれ。ケルンでピアノと作曲を学び、デュッセルドルフで美術を専攻する。自作の楽器のための作曲をしている他、生活のためにオルガン奏者やアマチュアコーラスの指揮者、劇伴の作曲などもしているという。ケルンではジャズピアノを専攻し、作曲は聴講という形で授業を受けたそうだ。

三輪眞弘は1958年生まれ。ベルリン国立芸術大学で尹伊桑(ユン・イサン)に師事。その後、デュッセルドルフのロベルト・シューマン大学でも学ぶ。入野賞、芥川作曲賞、芸術選奨文部科学大臣賞などを受賞、ルイジ・ルッソロ国際音楽コンクールで1位を獲得している。コンピューターを使った作曲を手掛ける他、独自の物語を持つ逆シミュレーション音楽の提唱者としても知られる。現在は岐阜県大垣市にある情報科学芸術大学院大学(IAMAS)の学長も務めている。

まず、ジモン・ルンメルが作成している新しい楽器の写真がスクリーンに投影される。片側の耳に掛けるタイプのイヤホンと繋がる小型の機械が椅子の上に置かれていて、それを通して同時通訳を聞くことが出来る。

まず上半身裸で紫の塗料を体に塗った男性ダンサーが手前にいて、その背後でルンメルが自転車に跨がり、その更に後ろに管のようなものが何本が飛び出ているという不思議な写真がスクリーンに映る。ダンサーの体に糸がついていて、糸の伸縮により音階が決まり、ルンメルが漕ぐ自転車の動力で音が出るという楽器らしい。
その後、女性の美術家とコラボレートした楽器の写真が映される。球体やその他のオブジェにピアノの弦が繋がれ、外枠と結ばれている。このオブジェは手動で一回転するそうで、その時に音楽が奏でられるらしい。ちなみにルンメルは7月14日にこのゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川のホールでコンサートを行うのだが、その宣伝写真に使われているのは、電源のようなものが貼られたジュースの紙パックから伸びる紙パックをくわえているルンメルの写真で、これも新しい笙のような楽器らしい。

司会の小崎が、「私が知っている楽器は三種類しかない。オーケストラで使われる西洋の楽器、高校生の頃に組んでいたバンドで使った電子楽器、そして三味線や尺八などの邦楽器」と言い、そのどれでもない楽器を作ろうとした意図をルンメルに聞く。ルンメルは美術を専攻したことで現代美術家との協働作業が増え、それが新しい楽器の興味へと向いたようである。新しい楽器は出来るしこれからも生まれるという考え方のようだ。
小崎や三輪は、ルンメルが比較的チープな素材(出町柳駅からゲーテ・インスティトゥートに向かう途中にあるケーヨーD2で買えるようなもの)で楽器を作っていることに注目して、「お金をいくらでも掛けられるとしたら豪華な楽器を作ろうと思うか」と聞き、ルンメルは「お金の問題ではないと思います」と否定する。

一方、三輪眞弘は、新しい楽器というものを信用していないそうで、IAMASの学生が「新しい楽器を作りました」と冗談で言ってくることもあるそうだが、そこはあくまでマテリアルも問題で、新しい楽器よりも世界中の民族楽器など、日本では余り用いられない楽器を使った方が音楽が豊かになるのではないかと考えているようである。三輪自身もビニールパイプに穴を開けて音階が出るようにしたり、カスタネットに工夫を凝らしたものを鳴らしたりはしているが、新しい楽器とは捉えていないようである。

三輪の逆シミュレーション音楽の解説。「またりさま」が取り上げられ、架空の信仰対象「またりさま」というものを創造し、それにまつわる過去からのエピソードが加わっているということが語られる。現実の別体験ではんく、別体験のようなものに肉付けしていくというものである。「またりさま」はコンピューターでプログラミングされたものが鈴などを鳴らし、音にしていくという音楽でもある。三輪の作品はコンピューターで作曲はするが、コンピューター音は出さず、演奏は実在する楽器で行われるという特徴がある。

ルンメルは数学者に分析をお願いして楽器を作ったことがあったり、3Dプリンターを使って楽器を作ったことがあるそうだが、アナログな楽器を作成しており、コンピューターや計算機などは手段に過ぎないと考えているようだが、三輪は「今の世界ではコンピューターは道具を超えたもの」であり「我々は機械世界の中にいる」と認識していて、「人間と機械の間の関わり方の変化」が起こったのだという考えを述べる。

ルンメルは、今後しばらくは新しい楽器を作るよりも作曲に時間を使いたいと思っているそうだ。14日に自らが演奏して発表される笙をモチーフにした微分音ハーモニカが現時点では最後の「新しい楽器」ということになる。

20世紀後半、ドイツはクラフトワーク、日本はYMOと喜多郎という電子音楽のアイコン的存在を生んだ。ただ音楽や新楽器の捉え方に関しては日独で少し差があるようにも思う。


休憩を挟まずに第2部「ドキュメンタリー演劇の力」が始まる。登壇者は演出家のハンス=ヴェルナー・クレージンガーと高山明。当初は女流映画監督で作家のレギーネ・ドゥーラも参加する予定だったのだが、大怪我をして入院中だそうで、「参加出来ないのがとても残念」というメッセージが読み上げられた。司会は引き続き小崎哲哉が受け持つ。
ハンス=ヴェルナー・クレージンガーは1962年生まれ。ギーセンで演劇を学び、ロバート・ウィルソンの演出助手やドラマトゥルクを務める。1993年からブレヒトが創設したベルリーナー・アンサンブルなどでの演出活動を開始している。
高山明は1969年生まれ。2002年にPortB(ポルト・ビー)を結成し、既存の演劇の枠組みを超えた活動を行っている。2016年より東京藝術大学大学院映像研究科准教授を務める。


クレージンガーは、「20世紀の暴力の歴史」に取材し、ドキュメンタリー演劇として発表を続けている。取材対象には様々なテロリズム、ドイツ赤軍派やルワンダでの虐殺、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争などがあるそうだ。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が起こったときに、NATO軍が介入することを決めたのだが、その際、政治家がその正当性や根拠などを説明してたり、NATTO軍の兵士にボスニアでの振る舞い方などが説かれていたそうだが、それがクレージンガーの目には「とても演劇的」と映ったそうである。そこは「摩擦する場所」だった。
ただドキュメンタリー演劇だから全てが本当のことというわけではなく、解釈の仕方、切り取り方によってフィクションが加わるそうで、ドキュメンタリー=事実というわけではないことに注意して欲しいとも述べた。

高山明は、自身が創造しているものがドキュメンタリー演劇ではないと考えているそうである。はとバスでのツアーを演劇上演として行ったこともあるが、最近ではドイツにおける難民を巡るマクドナルド放送大学という活動を行っているそうである。ドイツのマクドナルドに行くと客はほとんどが難民、店員にも難民出身の人が多いそうである。ドイツでは難民向けの教育が充実しているそうで、ドイツ語を始め、人文科学、社会科学、理数学、スポーツ学に至るまで学ぶことが出来るそうだが、高山自身が難民向けの教育を行おうと考えた際、「マクドナルドには難民がいるし、そこで行えばいいのではないか」と思いついたそうである。実は日本でも24時間営業のマクドナルドに行くと、若い人が沢山いてほぼ満員だそうである。彼らの正体は住む家のない日雇い労働者で、隠れた難民的存在であるようだ。東京では家を追い出された女子高生達がマクドナルドに集い、売春の拠点としていたという事例もあったそうである。実は高山も右翼に追われて家に帰れないという状況が2ヶ月ほど続いたことがあったそうで、その間、マクドナルドを天天としており、そこでそうした事実を知ったのだという。
フランクフルトのマクドナルドで、マクドナルド放送大学は立ち上がったのだが、教員も難民である。ただ、正規の教授職にいた人は一人だけ。他にもマラソン選手として活躍するも紛争で足に怪我を負った人がスポーツの素晴らしさを語る講義などを行ったそうである。ただ、ドイツでは教養のある層はマクドナルドには行かないそうで、マクドナルドのイメージが非常に悪い。マクドナルドは多国籍企業で資本主義の牙城、むしろ難民を生み出す側で、そんなところで難民向けの講義を行うのは趣味が悪いと、高山もドイツ人の友人に言われたそうである。

クレージンガーも、「演劇を観るような人はマクドナルドには行かない。またマクドナルドにいるような人は演劇は観ない」というドイツの社会地位的分断を語る。

高山は、トゥキュディデスの「戦史」やアイスキュロスの「嘆願する女達」の話をして、「嘆願する女達」はおそらく世界初の難民を扱ったテキストだと紹介する。そして「嘆願する女達」を難民達に読ませることで、一種の「迂回路」のようなものが生まれると語る。

クレージンガーが、PTSDを煩う兵士達に接したときの話をする。彼らにホメロスを読ませようとしたのだが、「俺たちには難しい話はわからない」と最初のうちは拒絶されていた。だが、美しい文章を通すことで、兵士達は自己を相対化することが出来るようになり、現実とは違った物事への向き合い方で出来るようになっていったという。これもまた一週の「迂回路」だと述べる。
「迂回路」は一見、遠回りのようであるが、有効な手段ともいえるだろう。

高山は、難民のいるバルカンルート全てのマクドナルドでマクドナルド放送大学を開こうというプロジェクト構想を持っており、バルカンルートを「知の道」にしたいという希望を語った。

クレージンガーは劇場を物事と正面から向き合える、集中出来る場所だと語り、そのことが演劇を観ること夫重要性だと語る。曰く「観客は能動的な解釈者であるべきだ」
高山はテアトロンが元々は「客席」という意味であったことを述べ、自らも客席にいて感動したことが演劇に入る契機だったことから「観客から(演劇を)始めた」として劇を観ることの意義を語った。
クレージンガーは、フォークナーの「歴史は死んでいるわけではない」という言葉を挙げ、「迂回路」である痕跡も舞台に取り上げることの重要性に触れた。
クレージンガーは、昨夜はサッカーワールドカップをテレビで見ようとしていたそうだが、結局、別の放送を見ることになったと語る。オウム真理教事件で7人の死刑囚の刑が執行されたというニュースである。クレージンガーは、「あれ(地下鉄サリン事件)もテロだと思う」と述べ、テロは痕跡を残すから、それに集中して向き合う必要がある、それには演劇は有効と説いた。

小崎哲哉が、日本にも赤軍派はいて、昔は大いに話題になったが今は影も形もない。難民も日本は年に20人程度しか受け入れていないから存在が可視化出来ないというようなことを語り、見えないことにも向き合う必要があるとして纏めた。

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2018年5月12日 (土)

観劇感想精選(242) 「夢と錯乱」

2018年5月6日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後3時から、京都芸術劇場春秋座で「夢と錯乱」を観る。27歳で夭逝したオーストリアの詩人、ゲオルク・トラークルの散文詩「夢と錯乱」を取り上げる上演。演出:クロード・レジ、テキストフランス語訳:ジャン=クロード・シュネデール&マルク・プティ。出演:ヤン・ブードー。フランス語上演、日本語字幕付き(テキスト日本語訳:中村朝子、字幕:浅井宏美)。特設座席を使っての上演である。

現在93歳のクロード・レジ。フランスの前衛演出家である。1960年代にはマルグリット・デュラスと共に仕事を行い、その後、ヨン・フォッセの「だれか、来る」やサラ・ケインの「4時48分サイコシス」などの演出を行っている。本作が最後の演出作になる予定。

ゲオルク・トラークルは、モーツァルトの街として知られるザルツブルクの生まれ。裕福な商人だった父親と芸術好きな母親の間に生まれた。ゲオルクは、幼少時から文学に興味を示し、音楽的な才能を発揮する。同様の気質を持つ妹が一人おり、彼女は後にピアニストになるのだが、ゲオルクと彼女は近親相姦の関係にあったといわれている。
ギムナジウムで文学仲間と共に同人誌を始めたゲオルクだが、飲酒や薬物に溺れるようになり、二度の落第を経験して学校を中退。その後、薬剤師になるための3年の実習を経てウィーン大学薬学部に入学し、薬剤師の免許を取ったが、薬剤師としての仕事に馴染めず、公務員になるも長続きせず、デカダンスな生活を送る。困窮したゲオルクは第一次大戦に志願。薬剤試官として前線に赴くも繊細な神経が戦場の地獄絵図に耐えられず、精神を病み、ピストルによる自殺未遂を経てコカインの過剰摂取により死亡。自殺とみられている。彼の死から3年後、妹もまたピストル自殺により世を去った。
悲惨な人生を歩んだゲオルクであるが、ヴィットゲンシュタインから「天才」と称されるほどの詩才を持ち、現在ではドイツ表現主義最大の詩人という評価を得ている。

ゲオルク・トラークルの散文詩「夢と錯乱」は、伝記的内容を持つ。

「すべては薄明のなかで」起こる。
闇の中、何かが光っている。その何かが徐々に揺れ出し、移動する。明度が上がると、その何かが俳優のヤン・ブードーであることがわかる。上部にアーチ。その下でブードーは絞り出すような声で、「夢と錯乱」のテキストを語っていく。ゲオルク・トラークルの言葉には「赤」や「青」を始めとする様々な色が散りばめられているのだが、照明は灰色であり、ラスト近くで黄昏の赤が入るほかはモノクロームの世界が展開される。
ゲオルクの後悔の言葉、過去に築き上げた思惟の城、青い色をした妹の影、旅立ちゆく父親と神経質な母親の像。ヤン・ブードーは哀れな狂人としてテキストを読み上げていく。
そして石のように彼は死へと落ちていく。
「呪われた種族」のことを彼は繰り返し語る。ゲオルク、彼の妹、彼の家族、これらは間違いなく呪われた種族に入る。そしてその外、今に至るまでの人間の歴史を呪いとして告発しているようでもある。

死の淵にある彼の姿に、演出のクロード・レジはおそらく自身を重ねているのだろう。イエスを始めとする「人類の苦悩を引き受けた」存在の一人として。

上演時間約1時間程度であるが、そこには濃密な時間が流れていた。



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2017年6月16日 (金)

観劇感想精選(216) 白井晃演出 「春のめざめ」

2017年5月27日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後6時からロームシアター京都サウスホールで「春のめざめ」を観る。今日のロームシアター京都はメインホールで槇原敬之のコンサートがあるようで、賑わっている。
ドイツの作家、フランク・ヴェデキントの出世作である戯曲「春のめざめ」。ドイツのギムナジウムに通う、今年14歳を迎える少年少女を軸に展開される物語である。
ドイツの中等教育というと、ヘルマン・ヘッセの小説『車輪の下』を連想する方が多いかも知れないが、「春のめざめ」の初演と『車輪の下』の発表は同じ1906年である。「春のめざめ」の戯曲の方が出来たのは先で、1891年に書かれた戯曲であるが、その過激な内容ゆえ15年の間、発禁とされていたのだった。

KAAT 神奈川芸術劇場の製作。演出:白井晃。出演は、志尊淳(しそん・じゅん)、大野いと、栗原類、あめくみちこ、河内大和(こうち・やまと)、那須佐代子、大鷹明良(おおたか・あきら)ほか。音楽:降谷建志。

演出の白井晃に取って、京都は挫折と再生の地である。大阪生まれの白井晃は大阪府立天王寺高校時代には京都大学を目指していたが、入試に失敗。立命館大学には合格し、入学金と学費は払うが通うことはほとんどなく、京大のそばに下宿して翌年の京大受験に備えて勉強を続けていた。そんなある日、早稲田大学の演劇サークルが京都公演を行うこと知った白井は観に行って感激。「彼らと共に演劇がしたい!」と志望校を早稲田に切り替えて今に至るまで演劇活動を続けている。
だから京都公演を行うということではないかも知れないが、京都で上演を行ってくれるのはありがたいことである。


開場時からすでに客席通路には男性のアンサンブルキャストが立っており、劇場内全てがギムナジウムの中という設定であることがわかる。中央通路の上手側入り口(今日は一般客には閉鎖されている)付近には白井晃が立っているのも確認出来た。開演時間が近づくと、栗原類など主役クラスの俳優も客席通路に現れ、女子生徒役の女優も姿を見せる。

舞台は2階建て。背面にはアクリル板が立てられており、照明の当て方によって鏡の役割を果たしたり、透明になったりする。

出演者が横一列に並び、照明が変わると一様に激しく暴れ出す。青春期の疾風怒濤を表しているかのようだ。
なお、アクリル板には白い液体が塗りつけられるが、それがなんのメタファーかはすぐにわかるようになっている。
ポストトークで白井晃は舞台美術について、生徒達がガラスケースに閉じ込められた実験動物をモチーフにしたと明かしていたが、私にはそこは「出口のない戦いの場所」のように見えた。

ギムナジウムの女子部に通うヴェントラ(大野いと)は、「こんな丈の長いスカートはけない!」と母親(あめくみちこが演じている)に文句を言っている。ヴェントラは女に生まれた喜びを噛みしめているが、どうして子供が生まれるのかはまだ知らない。

一方、ギムナジウムの男子部に通うメルヒオール(志尊淳)は頭脳明晰でありながらそのエネルギーをどこに向ければいいのかわからず、悩んでいた。メルヒオールの親友であるモーリッツ(栗原類)は成績不振であり、進級できるかどうか微妙である。ギムナジウムは全員が進級できるわけではなく、落第者が一人は出る仕組みになっているようだ。モーリッツは競争に耐えられず、アメリカに渡ろうと考えている。
そんなモーリッツにメルヒオールは「子供の作り方」を教えるのだった。


青春の身もだえるような日々が、直截な表現で叩きつけるように描かれている。

若い出演者達の演技は十分とはいえないも知れないがエネルギーがあり、ベテラン陣には安定感がある。


私はもう、青春の日々からは大分遠ざかってしまったため、痛切さという意味では若い人達に比べると感じにくくなっているのかも知れないが(なんといっても14歳の子供がいてもおかしくない年であり、彼らを抑圧する親や社会の側に立つような年齢である)、第2次ベビーブーマーという抑制が多い世代を生きた者として、往時を思い返すとその「痛み」に胸が苦しくなるのをまだ思い出すことも出来る。

ラストには機械仕掛けの神を模したと思われる謎の人物が登場し、未来への希望と怖れを含みつつ芝居は終わる。

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2017年4月12日 (水)

コンサートの記(291) クシシュトフ・ウルバンスキ指揮NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2017大阪

2017年3月15日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、「東芝グランドコンサート2017」 NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会を聴く。

NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団は、ギュンター・ヴァントとのコンビで親しまれた北ドイツ放送交響楽団(NDR交響楽団)が、新本拠地ホールであるエルプフィルハーモニーの落成と共に改名した団体である。
一昨年に、北ドイツ放送交響楽団名義で、首席指揮者であるトーマス・ヘンゲルブロックと共に来日し、大阪のザ・シンフォニーホールでも演奏会を行っていて私も聴いているが、新しい名称になってからは初来日である。
今日の指揮者は、ポーランド生まれの俊英、クシシュトフ・ウルバンスキ。NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者である。昨年まで東京交響楽団首席客演指揮者を務めており、大阪フィルハーモニー交響楽団も数度客演していて、日本でもお馴染みの存在になりつつある。ワルシャワのショパン音楽アカデミーでは指揮をNAXOSの看板指揮者として知られるアントニ・ヴィトに師事。2007年にプラハの春国際音楽コンクールで優勝に輝いている。
シャープな指揮姿であるが、時折、ダンスのようなステップも踏む。


曲目は、ベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:アリス=紗良・オット)、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。オール・ドイツ・プログラムである。

ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。フェスティバルホールにはパイプオルガンはないので、「ツァラトゥストラはかく語りき」では、電子オルガンが用いられる。

一度楽譜を見ただけで全て覚えてしまう「フォトグラフメモリー」という特殊能力を持つウルバンスキ。今日も指揮台の前には譜面台はなく、協奏曲も含めて全て暗譜で指揮する。

ウルバンスキ登場。どことなくGACKTに雰囲気が似ている。もっとも、GACKTを生で見たことはないのだけれど。


ベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番。ウルバンスキは情熱を持っているのだろうが、それを表に出すことの少ない指揮をする。
全編、ピリオド・アプローチによる演奏だが、特筆すべきは弱音の美しさ。本当に息を飲むほどに美しい超絶ピアニシモである。そしてラストに向けて盛り上がっていく弦楽のエネルギーの豊かさ。爽快なベートーヴェンである。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。ソリストは日本でもお馴染みになったアリス=紗良・オット。日独のハーフであり、「美しすぎる」という奇妙な形容詞が流行った時には「美しすぎるピアニスト」などと言われた。ピアニストのモナ=飛鳥・オットは実妹。
個性的なピアニストであり、ウルバンスキとは異なって情熱を剥き出しにするタイプである。
「裸足のピアニスト」としても知られているアリス。今日は黒いロングドレスの裾を引きずりながらチョコマカ早歩きで登場したため足下は見えなかったが、ピアノを弾くときは素足でペダルを踏んでいるのが確認出来た。

アリスのピアノは、浮遊感、透明度ともに高く、冒頭ではちょっとした歌い崩しを行うなど、今日も個性がフルに発揮されている。
第1楽章終了後、第2楽章終了後とも、ウルバンスキは腕を下げず、アリスがピアノを弾くことで楽章が始まるというスタイルを採っていた。
第2楽章のリリシズム、第3楽章のパワーなどいずれも感心する水準に達している。アリスは右手片手弾きの場面では左手の掌を上に向けて左肩の付近で止めていた。科を作っていたわけではなく、単に癖なのだろう。

演奏終了後、喝采を浴びたアリス。聴衆からお花も貰う(許可がない場合は聴衆としてのマナー違反になりますので、真似しない方がいいです)。

ウルバンスキ指揮のNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団もピリオド・アプローチながら力強い伴奏を奏でた。

アンコールは2曲。まずは、昨年、「ピーコ&兵動のピーチケ・パーチケ」でも演奏していた、グリーグの抒情小曲集より「こびとの行進」。
20年近く前に、砧(きぬた)にある世田谷美術館講堂で、グリーグのピアノ曲演奏会(世田谷美術館の「ムンク展」関連事業)を聴いたことがある。演奏を行ったのは、グリーグ演奏の大家でNAXOSレーベルに「グリーグ ピアノ曲全集」も録音していたアイナル・ステーン=ノックレベルグ。「グリーグ本人の演奏にそっくり」といわれたピアノを弾く人だ。来日前に交通事故に遭ったそうで万全の体調ではなかったそうだが、ステーン=ノックレベルグは、「抒情の極み」とでもいうべき演奏を披露していた。
アリスの弾く「こびとの行進」は、ステーン=ノックレベルグのそれと比べると若々しいのは当たり前だが、リズム感の良さが際立っている。アリスは普段はクラシックは余り聴かず、ポピュラー音楽の方を好んで聴くそうだが、ポピュラーは「リズムが命」という面があるため、クラシック演奏にもプラスに働くのだろう。
メカニックが抜群なのは今更書くまでもない。

拍手を受けて椅子に腰掛けたアリスは、「皆様、今夜はお越し下さってありがとうございます。もうピアノが伸びてきてしまっていますので、最後にオーケストラのメンバーと皆様のためにショパンのワルツ遺作を弾きたいと思います」と言ってから、ショパンのワルツ19番(遺作)を弾く。テンポの伸縮自在の演奏だが、それが効果的であった。


後半、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。ウルバンスキはやや遅めのテンポでスタートする。冒頭に出てくる3つの音が全曲を支配する「ツァラトゥストラはかく語りき」。ウルバンスキの表現は見通しが良く、リヒャルト・シュトラウスの意図もウルバンスキ自身の意思もよく伝わってくる。
「ツァラトゥストラはかく語りき」は有名曲なので、コンサートで取り上げられることも比較的多いが、これほど楽曲構成の把握がわかりやすく示された演奏を聴くのは初めてである。
NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団であるが、弦も管も技術は極めて高い。この曲は弦楽のトップ奏者がソロを取る場面が何度もあるのだが、全体がそうした室内楽的な緻密さに溢れた好演となっていた。弦の音色は透明度が高く、明るい。輝きに関しては昨日聴いたプラハ交響楽団とは真逆である。管楽器も力強く、音楽性も高かった。
なお、舞台袖での鐘は、グロッケンシュピール奏者が自身のパートを演奏し終えた後で上手袖に下がり、兼任して叩いていた。


アンコール演奏は、ワーグナーの歌劇「ローエングリン」より第3幕への前奏曲。非常に洗練されたワーグナーであり、ドイツの楽団でありながら「ドイツ的」といわれる濃厚な演奏とは一戦を画したものになっていた。

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2017年3月 5日 (日)

これまでに観た映画より(93) ヒッチコック9「快楽の園」

2017年2月27日 新京極のMOVIX京都にて

午後7時から、MOVIX京都で、ヒッチコック9「快楽の園」を観る。

「快楽の園」はアルフレッド・ヒッチコックの監督デビュー作である。1925年(大正14年。日本ではラジオの放送が始まった年である)制作、1926年(大正15年=昭和元年)公開の作品。オリヴァー・サンディスの同名小説を翻案したものである。イギリス映画であるが、当時のイギリス映画界は不振が続いており、制作費が見込めないため、すでに映画大国であったドイツのミュンヘンに本社を置くエメルカ社と提携し、ドイツとイタリアで撮影が行われた。映画黄金期にあったドイツの映画資本は英国の実に10倍ほどはあったという。
ただ、映画が完成したのは良いが、制作会社が出来に難色を示したため、公開は1年ほど遅れている。

今日も古後公隆のキーボードとチェロによる即興生演奏付きでの上映。字幕の日本語訳は大野裕之ではなく、別の男性が読み上げた。


「快楽の園」というのは劇場の名前である。若い女性ダンサーを目当てに、多くの男性が「快楽の園」に通っている。タイトルバックではすでにダンサー1人が踊っており、妖艶な雰囲気を出している。
ヒッチコック映画というと螺旋階段が多く登場することで有名だが、最初の映画の最初のシーンが螺旋階段を駆け下りる女性ダンサー達を撮ったものである。

パッツィ(ヴァージニア・ヴァリ)は「快楽の園」で働くダンサーの一人。パッツィの美貌に惚れて言い寄る男性もいるほどだ。パッツィはウィットに富んだ話で言い寄ってきた男性を退ける。
本番が終わった後、若い女性が「快楽の園」を訪ねてくる。女の名はジル(カルメリータ・ゲラティ)。田舎での生活が耐えられなくなってロンドンに出てきたのだが、お金がない。そこで「快楽の園」の支配人であるハミルトン(ジョージ・スネル)への紹介状を持って「快楽の園」を訪れたのだ。だが紹介状は劇場に入る前にスリの男性に奪われてしまい、バッグを引っ繰り返しても出てこない。見かねたパッツィは、ジルを自分の下宿先に泊まらせる。ジルはパッツィに婚約者の写真を見せる。ヒュー(ジョン・スチュアート)というハンサムな男性だ。

翌日、ジルはハミルトンの前でダンスを披露。「何でも踊れる」と豪語するジルは言葉通り見事な身のこなしを示し、ハミルトンに気に入られる。「週給5ポンドでどうだ」と誘うハミルトンに、ジルは「20ポンドがいいわ」と強気に出て認められた。
ヒューがパッツィとジルの下宿を訪ねてくる。ヒューは東洋へ海外転勤するのだと告げる。同僚のレヴェット(マイルス・マンダー)も少し遅れてから海外に赴任するそうだ。

ハミルトンは、ジルを王子であるアイヴァン(イヴァン。演じるのはC・ファルケンブルク)と娶せることを画策。望み通りアイヴァンとジルは恋仲となり、上流階級の人々に囲まれることに慣れたジルはヒューの転勤先に向かうこともなく、パッツィとの部屋も「狭すぎる」という理由で出て行ってしまい、アイヴァン王子の屋敷で贅沢な暮らしを送るようになる。

一方、レヴェットはパッツィにプロポーズして成功。二人は結婚することになる。イタリアのコモ湖畔に新婚旅行に行った後で、「資金が出来たら迎えに来る」と言い残して出港したレヴェットだが、現地に着くなり現地妻(演じるのはニタ・ナルディ)を作り、パッツィが出した手紙にも返事を書かない。
やがて、レヴェットは「病気になったので返事が書けない」という手紙を寄こす。心配したパッツィは渡航しようと思い立つがお金がない。パッツィの様子を見かねた大家夫婦が棚の上からへそくりを取り出し……。

かくして海を渡ったパッツィ。だが、病気になったのは本当だったが、現地妻といちゃついているレヴェットを目撃したパッツィは失望する。レヴェットは現地妻を追い出そうとするが、パッツィの方から家を出て行った。
現地妻は、本国に本妻がいたことを知って入水自殺を図る(「蝶々夫人」のような展開である)。現地妻の元へと泳いでたどり着くレヴェット。助けに来てくれたのだと思い、笑顔を見せる現地妻だったが、レヴェットが彼女の顔を海へと沈め……。


監督処女作にしてスリラーの要素を取り込んだロマンスに仕上げており、まだ二十代半ばの映画監督が撮ったものとしては完成度はとても高く、後年のヒッチコックの監督としての大成功を早くも予見させるものとなっている。
モノクロ映画であるが、フィルムは彩色されており、セピア色、グリーン調、パープル調、ピンク調と様々な色が用いられているのも特徴である。

なお、この映画で監督補&スクリプターを務めたアルマ・レヴィとは、これが縁となってヒッチコックは後に結婚することになる。

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2016年11月14日 (月)

コンサートの記(257) ヘルベルト・ブロムシュテット指揮バンベルク交響楽団来日演奏会2016

2016年11月5日 京都コンサートホールにて

午後4時から京都コンサートホールで、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮バンベルク交響楽団の来日演奏会を聴く。
オール・ベートーヴェン・プログラムで、前半がヴァイオリン協奏曲ニ長調(ヴァイオリン独奏:諏訪内晶子)、後半が交響曲第5番。


バンベルク交響楽団の来日公演を聴くのは二度目。前回は同じ京都コンサートホールでジョナサン・ノット指揮の演奏会を聴いている。今でこそ東京交響楽団音楽監督として日本でも知名度の高いジョナサン・ノットであるが、当時は日本では無名に近く、CDも輸入盤のみの発売という状態であったため、京都コンサートホールには空席が目立ったが、今回はNHK交響楽団の名誉指揮者として知名度抜群のブロムシュテットの指揮であり、人気ヴァイオリニストの諏訪内晶子も登場とあって、ほぼ満員となった。


人口僅か8万人弱の小都市、バンベルクを本拠地とするバンベルク交響楽団は小さな街のスーパーオーケストラとして有名。「最もドイツ的な音色を奏でる楽団」という評価もある。ヨーゼフ・カイルベルト、ホルスト・シュタインといったNHK交響楽団ゆかりの指揮者が音楽監督を務めていたということもあり、日本でも親しまれている。
ジョナサン・ノットの後任として、東京都交響楽団の首席客演指揮者として知られるヤクブ・フルシャが首席指揮者に就任したばかりだ。


ヘルベルト・ブロムシュテットは、1927年にアメリカのマサチューセッツ州スプリングフィールドで生まれたスウェーデンの指揮者。現在ではアメリカ国籍である。現役の主要指揮者の中ではスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(1923年生まれ)に次ぐ長老指揮者である。両親はスウェーデン人の宣教師であり、布教先のアメリカで生まれている。両親と共に2歳の時にスウェーデンに帰国。北欧最古の大学として知られるウプサラ大学で哲学を専攻すると同時にストックホルム音楽院で学ぶ。その後に渡米し、ジュリアード音楽院で指揮法を修める。タングルウッド音楽祭では9歳年上のレナード・バーンスタインに師事している。
2、3年でコロコロと指揮者を変えることで知られるシュターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン国立歌劇場)の音楽監督を1975年から当時としては異例の10年間務めた後、1985年からサンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就任。同楽団とは「ニールセン交響曲全集」と「シベリウス交響曲全集」を作成し、いずれも好評を受けている。特に「ニールセン交響曲全集」は史上屈指の名盤に数えられる。1995年にサンフランシスコ交響楽団音楽監督を辞任し、同年、北ドイツ放送交響楽団(現・NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団)の音楽監督に就任。3年契約であったが、ブロムシュテットがライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター(楽団長。音楽監督兼首席指揮者を意味する)を受諾することを決めたため2年で契約は打ち切られた。ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターは1998年から2005年まで務めている。
 
現在は、NHK交響楽団名誉指揮者、シュターツカペレ・ドレスデン名誉指揮者、サンフランシスコ交響楽団桂冠指揮者、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団名誉指揮者、スウェーデン放送交響楽団名誉指揮者、バンベルク交響楽団名誉指揮者、デンマーク国立放送交響楽団名誉指揮者の称号を得ている(紛らわしいがNHK交響楽団の名誉指揮者だけ現役ポスト、他の楽団の名誉指揮者は退官もしくは栄誉ポストである)。
端正な造形の内に情熱の奔流を注ぎ込むという音楽スタイルを持つ。
ベートーヴェンとブルックナーの演奏には定評があり、いずれも現役指揮者の中では屈指の実力と認められている名匠である。

NHK交響楽団の名誉指揮者であるため、私も何度も実演に接している。京都に移ってからも、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の大阪公演(於:ザ・シンフォニーホール)やNHK交響楽団の大阪定期演奏会(於:NHK大阪ホール)で聴いているが、京都でブロムシュテット指揮の公演を聴くのは初めて。実は2度、聴く機会があったのだが、最初はインフルエンザのため、2度目も持病が思わしくなく諦めざるを得なかった。


ブロムシュテットは1990年代から基本的に古典配置での演奏を行っているが、今日も当然ながらそれを踏襲している。前半と後半でティンパニの位置が違い、前半は中央よりやや下手寄り、後半は指揮者の真正面にティンパニが配置される。前半のヴァイオリン協奏曲は室内オーケストラ編成、後半の交響曲第5番ではほぼフル編成での演奏。京都コンサートホールは今日もステージを擂り鉢状にしており、残響がかなり長い。

今日のブロムシュテットは全編ノンタクトによる指揮である。


ヴァイオリン協奏曲ニ長調。ソリストの諏訪内晶子は赤と紫を基調にしたドレスで登場。以前はオーソドックスなスタイルで演奏していた諏訪内であるが、数年前から良い意味で日本人的な繊細な味わいを持つヴァイオリンを奏でるようになっている。
今日も磨き抜かれた音を披露。とにかく音が濁らない。濁った場面は第2楽章の1箇所だけで、それ以外は見事な美音を奏で続ける。音は泉が湧き出る瞬間のようなフレッシュさを持つ。ブロムシュテット指揮のバンベルク交響楽団は細部まで明晰な伴奏を奏でたが、諏訪内のヴァイオリンもバンベルク響と一体になり、互いが互いを高め合う演奏となった。高貴にして清々しいベートーヴェンである。
ブロムシュテットとバンベルク交響楽団はかなり徹底したピリオド・アプローチによる演奏を採用。弦楽器がビブラートを掛ける部分はほとんどなかった。

諏訪内はアンコールとして、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番より「アンダンテ」を演奏する。諏訪内のバッハは「崇高」という言葉が最も似合うのだが、今日はそれとは少し違った典雅で聴き手の魂に直接染み通るようなバッハであった。違いを言葉で説明するのは難しい。


後半、交響曲第5番。ここでもピリオド・アプローチによる演奏が展開される。譜面台の上には総譜が閉じたまま置かれていたが、ブロムシュテットがそれを開くことはなかった。

冒頭の運命主題はブロムシュテットがシュターツカペレ・ドレスデンやライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と録音したものに比べてフェルマータが短めである。
テンポは特に速くはないがモダンスタイルとはやはり違う。
ブロムシュテットというと日本では何故か「穏健派」と目されることが多いが、実際はそれとは真逆の音楽性を持っている。今日も弦楽器を目一杯力強く演奏させる。特にヴィオラを強く奏でさせ、これによって全体が安定して聞こえるようになっていた。強奏させても全体のバランスが崩れないのは流石。オーボエをベルアップさせて吹かせることが多いのも特徴である。弦、管ともにクリアであるため、細部がよくわかる。
バンベルク交響楽団のクラリネット奏者は肺活量が日本人とは桁違いのようで長いパッセージも楽々吹いてしまうのに驚かされた。バンベルク交響楽団の首席クラリネットは二人体制のようで、今日のクラリネットがそのどちらなのかは残念ながらわからない。

ブロムシュテットの指揮は指先を少し動かすような細やかな動きがベースだが、ここぞという時には腕を大きく振る。90年代のブロムシュテットは指揮棒をビュンビュン振るという指揮スタイルであった。ここでもやはり「穏健派」とは無縁なのだ。ブロムシュテットが穏健派と見做されるのはジェントルな容貌に加えて、1970年代にブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデンの「ベートーヴェン交響曲全集」をドイツ・シャルプラッテンと共同制作したDENONのプロデューサーのブロムシュテットに対する姿勢に問題があったと思われる。私はブロムシュテットとシュターツカペレ・ドレスデンによる「ベートーヴェン交響曲全集」の国内盤は一切薦めない。輸入盤を聴かないと真髄はわからないと思われるからである。

第4楽章に入ると、弦楽器がビブラートを加えるようになる。第4楽章突入の音型は何度が繰り返されるが、最後にその音型が現れる時にブロムシュテットが少しテンポを落としたのだが印象的であった。楽譜はおそらくベーレンライター版だったと思われるが、ピッコロが浮かび上がったのはラストだけだったため断言は出来ない。
明るめの第5。物語性よりも曲の堅固な構築を詳らかにしており、この曲に相応しい評価なのかどうかはわからないが、とにかく面白いベートーヴェンであった。


アンコールはベートーヴェンの「エグモント」序曲。冒頭の仄暗さから終盤の高揚感まで表出が巧みである。ティンパニの思い切った強打も効果的であった。

全ての演奏が終わった後でも拍手は鳴り止まず、楽団員の多くが退出した後でブロムシュテットが一人再登場し、喝采を浴びた。

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