カテゴリー「トークイベント」の19件の記事

2018年10月21日 (日)

パネルディスカッション「About The Wooster Group」@ロームシアター京都

2018年10月8日 ロームシアター京都3階共通ロビーにて

午前11時から、ロームシアター京都3階共通ロビーで、パネルディスカッション「About The Wooster Group」に参加する。今週末に京都芸術劇場春秋座で上演される京都国際舞台芸術祭「タウンホール事件」のプレイベントである。事前申し込み制無料。

午前10時10分頃にロームシアターに到着し、今後の公演のチケットを受け取ってから、3階にあるミュージックサロンへ。今日は新国立劇場オペラの映像が流れている。


「About The Worcester group」の出演者は、ウースターグループの創設者であるエリザベス・ルコンプトと創設メンバーのケイト・ヴァルク。モデレーターは、パフォーマンス研究者・劇評家の内野儀(ただし)。

ウースターグループは、1975年創設のアメリカ・ニューヨークのパフォーマンス団体。独自の演劇観を持った作品を上演し続けている.

「タウンホール事件」は、1971年にニューヨークのタウンホールで行われたウーマン・リブの討論会での騒動を記録した映画「タウン・ブラッディ・ホール」の映像を使いながら行うパフォーマンスである。


インターネットで申し込みをした人にはパスワードが送付され、ウースターグループが配信している映像を見ることが出来る。
ただ、未見の人のことを考えて、最初の20分間は、同じ映像をモニターで視聴することに費やす。

まずは、2004年に上演された「Poor Theater」という作品について。この作品から、デジタル技術が本格的に導入され、ドキュメンタリー映像の編集速度が格段に速くなったため、表現が広がったという。グロトフスキーの「アクロポリス」を題材にしたものだが、過去の様々な映像を鏤められるようになったそうだ。

ウースターグループの俳優達は、事前に台本を読んでセリフを暗記してくるのだが、上演中にイヤホンから流れてくるセリフを耳にしながら、イヤホンの声をなぞるかなぞらないかの選択から始まり、流れてくる声の抑揚に近づけるか否かといった選択肢をその場その場で選ぶという即興性が重視されているようである。今では演者のみが見ることの出来るモニターも使用しているそうで、動きに関しても選択が行われるようである(「チャネリング」や「トランスダクティング」と呼ばれるようだ)。
日本にも書道などで同じ字を何度も練習して身につける技法があるが(型のことのようである)それに通じるものがあるという。

「ハムレット」を上演したときには、リチャード・バートン主演の映画「ハムレット」を流し、ハムレット役の俳優がバートンに近づけるのか近づかないのかという試みを行ったという。

その他、コンテンポラリーダンスの鬼才、ウィリアム・フォーサイスの動きを研究したり、西部劇などの影響を受けながらモダリティ(即興技術)の表現を拡げる試みを行ったそうだ。

またテレビの模倣も取り入れ、映像では可能な一回でそれそのものに成り切る表現(舞台の場合は稽古を重ねる必要があるので不可能である)を追求し、その場その場で「ゲームのように」「ノンロジカル」な取捨選択を行うという。その場で流れる映像や音声であるが、稽古場で録られたものが任意に選ばれるそうで、そのために稽古の模様は全て録画しているそうである。
勿論、稽古場でNGを出すこともあるのだが、これは「神聖な事故」(なんかジャン・コクトーみたいだな)として採用テイクに加えることもあるという。
意識と動きを乖離させる行為は、岡田利規とニューヨークで一緒に仕事をしたときに興味を覚えて取り入れたそうである。

テクノロジーとニューメディアアートの導入については、虚仮威しの意図は全くない。
最初は、エリザベスは学生時代には演劇に特に興味を持っていたわけではなく、共にウースターグループを立ち上げたスポルティング・グレイが、母の自殺をきっかけに、父親や祖母へのインタビューを試みて、視覚と聴覚のデザイニングを行い、作品にまとめ上げたことに端を発するという。
スタニスラフスキーやストラスバーグのリアリズム演劇と違った「奇妙さ」を追求した結果だそうだ。
アジアの演劇、能などがそうだが、西洋の演劇とは焦点の置き方が異なっており、目の前にいない人に話しかけることがる。それを理解してかみ砕くためにも映像やメディアを使うことが有効だそうだ。

ヨーロッパの男性演出家は、一般にだが、台本を理詰めで読み解き、理屈で演出を構築することが多い。ただ、「タウンホール事件」の演出はそれとは異なり、解釈は行わず、そこにあったことだけを再現するよう努めたそうだ。「タウンホール事件」に関してはウースターグループのモーラ・ティアニーの提言によってプロジェクトとして進められたものだが、最初はケイトなどは「タウン・ブラッディ・ホール」を舞台化することに難色を示したそうである。ただ当初取り上げる予定だったハロルド・ピンター作品の上演がボツになってしまったことで、「やりたい」という気持ちになって作り上げたという。

アジア系の学生から何人か質問があったが、Me too運動などが起こったから「タウンホール事件」を上演するのではなく、「タウンホール事件」のプロジェクトがスタートしてしばらくしてからMe too運動が盛り上がってきたのだそうで、シンクロシティのようなものかも知れないが、ウースターグループとしては「やりたいものをやる」を信条としており、時代に流されたりはしないそうである。

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2018年9月24日 (月)

2346月日(2) KYOTO CMEX10周年記念講演会 角川歴彦&荒俣宏

2018年9月14日 ホテルグランヴィア京都・古今(こきん)の間にて

午後3時30分から、京都駅ビルの一角を占めるホテルグランヴィア京都で、京都商工会議所主催のKYOTO CMEX10周年記念講演会に参加する。
KADOKAWAの取締役会長である角川歴彦と作家の荒俣宏の講演がある。

角川歴彦の講演は、「コンテンツの価値の劇的変化」と題されたものである。

21世紀に入ったばかりの頃、角川は当時のマイクロソフトの社長から「4スクリーンのイノベーションが起こる」と聞かされる。当時はなんのことか想像出来なかったそうだが、スマートフォン、パソコン、ダブレット、テレビの4つのスクリーンにより革命のことで、今ではこれらは定着した。当時はまだスマートフォンやタブレットは存在しない頃で、マイクロソフト社はその頃からそれらの登場を予見していたことになる。

これら4つのスクリーンの時代に覇権を争うのは、GAFAという4つの企業である。Google、Apple、Facebook、Amazonの4社だ。

これに動画配信で軌道に乗ったNetflixが加わる。これらの会社は、コミュニケーション、コミュニティ、メディア、コンテンツの4つを駆使して世界を拡げる。また、コミュニケーションがコミュニティを生み、コミュニティからはメディアやコンテンツが生まれるといった具合に相関関係がある。
Appleは、動画には自社が認めたコンテンツしか載せないという姿勢を見せており、「中国のようなところのある会社」だと角川は言う。
一方、Amazonは、提携する多くの会社が倒産に追い込まれている。ボーダーズ、トイザらス、タワーレコードなどで、これらの企業は顧客データがAmazonに使われたことで倒産しており、Amazonとの提携は「悪魔の契約」とも呼ばれているという。だが、Amazonの影響力は多大で無視出来ないため、KADOKAWAもAmazonと直接提携関係を結んでいるそうだ。KADOKAWAがAmazonと直接提携したことで、角川も散々に言われたことがあるという。

そして、イギリスのダ・ゾーンがJリーグの放映権を2100億で円買ったことから、日本のコンテンツが海外から重視されるようになったことがわかったという。ダ・ゾーンはスカイパーフェクTVの何倍もの金額を提示して、コンテンツをものにしているのである。
そして、動画配信を手掛けてきた企業が自社で映像コンテンツを作成するようになってきている。Netflixは映像コンテンツの制作に8500億円を掛け、Amazonは5000億円を計上。
中国のテンセントという企業は自社のゲーム利用者が全世界に1億3000万人いるという。コンテンツ作成にこれだけの金を使われ、利用者数を確保されたのでは、日本の企業には全く勝ち目はない。

更に映像関連会社の合併や買収も目立つ。ディズニーはFOXを7兆8千億円で買収。FOXのこれまで制作した全ての映像を使用する権利を得たため、その影響力は計り知れない。それはディズニーはFOXの全ての映像には7兆8千億をつける価値があると認定したことでもある。
AT&Tはtimeワーナーと合併。AT&Tは電話の会社であり、日本で例えるとNTTが映画会社と合併したようなものである。Webコンテンツにおける勝利を目指したものだろう。

日本のコンテンツに目を向けると、アニメ映画「君の名は。」は世界125カ国で公開、東野圭吾の小説『ナミヤ雑貨店の奇蹟』は中国で日本以上に売れ、バーチャルYouTuberキズナアイは北欧でヒット。crunchyrollという日本のアニメ・ドラマ・漫画配信サービスはワーナーの傘下に入ることになったという。

また、出版は不況で右肩下がりが続いているが、日本映画は逆に絶好調である。大半はアニメ映画の急成長によるものだが、日本のコンテンツ価値は高まっており、キャラクターを輸出することで勝負が可能な状況だそうである。

続いて、荒俣宏と角川歴彦による対談「日本のコンテンツが世界に広がる~妖怪からみるクールジャパン~」が行われる。

角川が、最近、ライトノベルで「異世界もの」というジャンルが流行っているという話をする。ライトノベルではないとした上で、宮部みゆきの小説が典型的な異世界ものの系譜にあるとする。

荒俣は、「化ける」が日本社会のキーワードであるとする。野球などで「大化け」という言葉は使われる。日本では変わるのが当たり前だと思われているが、日本以外ではそうとは限らない。妖怪などの「化ける」文化が最も良く残っているのが日本だそうである。

日本人の文化根源をたどっていくと、縄文人は山奥に住んでいて、そのため長野県の奥部などから縄文土器などが出てくるという。なんで縄文人は長野の山奥にいたのだろうと疑問に思った荒俣は、長野まで縄文土器の発掘に出かけたことがあるそうだ、行ってみたら「縄文人がここにいて当然」だと思ったそうで、「山があって川があって色々なものがある。逃げようと思えば逃げられる」と、縄文時代の文化に適した環境だったそうだ。さて、縄文時代の終わりに里人が出て、徐々に両者に関わりが発生するようになる。里人を代表する大和朝廷が、縄文人のいる山へと進出するようになるのだが、縄文人は「刃向かってこない。穏やか」な人たちであり和の精神があった。そこで融和政策が行われるようになる。
その中で、「タブーを犯さない」「変化(へんげ)する」ということが重要になる。タブーについては、「鶴の恩返し」が典型だそうで、「なんでもしてあげますけど、機を織ってるところは覗かないで下さい」と求め、そのタブーを犯してなにもかも失うことになる。

「変化(へんげ)」に関しては、貨幣の「貨」自体に「化」という字が入っており、貝の直接交換のシステムからリアリティーをなくした貨幣に化けていくという過程があるそうだ。

京都はヘンゲの話に事欠かない場所であるが、土蜘蛛と酒呑童子が典型的な例であり、山奥で京の都へのアンチテーゼを唱える人たちが滅ぶ姿がそこにはあるという。
平安末期。それまでの妖怪を陰陽道で封じ込めていた時代が終わり、武士が妖怪を退治する時代になる。土蜘蛛や酒呑童子の退治でも武士が活躍する。力と力で対峙するようになるのだ。

荒俣や角川が少年だった時代にはファンタジーは抑圧されていた。ファンタジーは教育上良くないとされ、漫画が学校内に持ち込み禁止になったりしていたそうだ。私が子供だった頃にも、教科書に「マンガを読むのは悪いか」という教材が載っていたことを覚えている。
荒俣はファンタジーや漫画への抑制の最前線で戦った人物であり、文化的な多様性や豊かさの擁護者でもあった。

日本のゲームについてであるが、角川はこれも内容が良いんだか悪いんだかわからないものであり、そういう意味ではヘンゲの特徴を持っているとする。

また、日本のSF映画の傑作である「ゴジラ」もいわば怨霊を描いたものであり、荒俣によると、ある勢力が権力と和解したか否かでその後の扱いがわかれるという。例えば、鴨氏は元々は奈良の葛城の豪族であり、京都に出て賀茂神社に祀られるようになるが、一方で、土蜘蛛は和解しなかったがために滅ぼされ、化け物になっている。出自自体は大して違わないのに、現在の扱いは180度違う面白さがあると述べた。

また、日本を代表する怨霊として平将門と菅原道真がおり、平将門については荒俣はもう『帝都物語』で書いた。そこで、角川は菅原道真の怨霊を題材にした小説を荒俣に書くように勧めるが、荒俣は「書いてもいいのですが、自分はもう2、3年しか生きられないと思っているので」他のことに時間を使いたいという希望があるそうである。



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2018年7月13日 (金)

ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川 カルチャートーク Creators@kamogawa 「新しい楽器の誕生」&「ドキュメンタリー演劇の力」

2018年7月7日 京都・荒神橋のゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ・鴨川にて

荒神橋の近くにあるゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川で、カルチャートーク Creators@kamogawaという催しがあるので出掛けてみる。午後3時開演で、第1部が「新しい楽器の誕生」、第2部が「ドキュメンタリー演劇の力」

ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川は日本に三つあるゲーテ・インスティトゥートの一つ(京都、東京、大阪というかつての三都にある)。以前は、京都ドイツ文化センターという名称であった。今から13年ほど前、朗読劇である「ラブ・レターズ」をやろうとしていた時に、劇場以外の良いホールを探していたのだが、京都ドイツ文化センターのホールは内装が木目でイメージが良かった(特別に見せて貰った)。ただ残念ながら貸し出しはしていなかった。90年代にNHK-BS2(今のBSプレミアム)で早朝に放送されていたクラシック音楽番組で、演奏本編に入る前に花組芝居の加納幸和が洋館で朗読を行っていたのだが、そのイメージに最も近い場所である。ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川になってから行くのは初めてである。

ゲーテ・インスティトゥートに入ろうとした時に見覚えのある男性が視野に入る。作曲家の三輪眞弘氏である。三輪さんは第1部に出演するのである。ということで同時に館内に入ることになった。

ホールはまだ開いていなかったので、館内にあるカフェ・ミュラーに入り、今では歌われることのないドイツ国歌第2番に出てくるドイツのワイン(ただしアルコール抜き。つまりただの赤葡萄ジュース)を飲む。私の席の隣に音楽関係者らしい男性とドイツ人の女性が座っていたのだが、そこに見覚えのある女性が近寄って挨拶をし始める。アンサンブル九条山のメンバーでもあるソプラノ歌手の太田真紀さんであった。


第1部「新しい楽器の誕生」。ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川に滞在している作曲家のジモン・ルンメルと三輪眞弘の対話。司会は小崎哲哉(おざき・てつや)。

ジモン・ルンメルは1978年生まれ。ケルンでピアノと作曲を学び、デュッセルドルフで美術を専攻する。自作の楽器のための作曲をしている他、生活のためにオルガン奏者やアマチュアコーラスの指揮者、劇伴の作曲などもしているという。ケルンではジャズピアノを専攻し、作曲は聴講という形で授業を受けたそうだ。

三輪眞弘は1958年生まれ。ベルリン国立芸術大学で尹伊桑(ユン・イサン)に師事。その後、デュッセルドルフのロベルト・シューマン大学でも学ぶ。入野賞、芥川作曲賞、芸術選奨文部科学大臣賞などを受賞、ルイジ・ルッソロ国際音楽コンクールで1位を獲得している。コンピューターを使った作曲を手掛ける他、独自の物語を持つ逆シミュレーション音楽の提唱者としても知られる。現在は岐阜県大垣市にある情報科学芸術大学院大学(IAMAS)の学長も務めている。

まず、ジモン・ルンメルが作成している新しい楽器の写真がスクリーンに投影される。片側の耳に掛けるタイプのイヤホンと繋がる小型の機械が椅子の上に置かれていて、それを通して同時通訳を聞くことが出来る。

まず上半身裸で紫の塗料を体に塗った男性ダンサーが手前にいて、その背後でルンメルが自転車に跨がり、その更に後ろに管のようなものが何本が飛び出ているという不思議な写真がスクリーンに映る。ダンサーの体に糸がついていて、糸の伸縮により音階が決まり、ルンメルが漕ぐ自転車の動力で音が出るという楽器らしい。
その後、女性の美術家とコラボレートした楽器の写真が映される。球体やその他のオブジェにピアノの弦が繋がれ、外枠と結ばれている。このオブジェは手動で一回転するそうで、その時に音楽が奏でられるらしい。ちなみにルンメルは7月14日にこのゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川のホールでコンサートを行うのだが、その宣伝写真に使われているのは、電源のようなものが貼られたジュースの紙パックから伸びる紙パックをくわえているルンメルの写真で、これも新しい笙のような楽器らしい。

司会の小崎が、「私が知っている楽器は三種類しかない。オーケストラで使われる西洋の楽器、高校生の頃に組んでいたバンドで使った電子楽器、そして三味線や尺八などの邦楽器」と言い、そのどれでもない楽器を作ろうとした意図をルンメルに聞く。ルンメルは美術を専攻したことで現代美術家との協働作業が増え、それが新しい楽器の興味へと向いたようである。新しい楽器は出来るしこれからも生まれるという考え方のようだ。
小崎や三輪は、ルンメルが比較的チープな素材(出町柳駅からゲーテ・インスティトゥートに向かう途中にあるケーヨーD2で買えるようなもの)で楽器を作っていることに注目して、「お金をいくらでも掛けられるとしたら豪華な楽器を作ろうと思うか」と聞き、ルンメルは「お金の問題ではないと思います」と否定する。

一方、三輪眞弘は、新しい楽器というものを信用していないそうで、IAMASの学生が「新しい楽器を作りました」と冗談で言ってくることもあるそうだが、そこはあくまでマテリアルも問題で、新しい楽器よりも世界中の民族楽器など、日本では余り用いられない楽器を使った方が音楽が豊かになるのではないかと考えているようである。三輪自身もビニールパイプに穴を開けて音階が出るようにしたり、カスタネットに工夫を凝らしたものを鳴らしたりはしているが、新しい楽器とは捉えていないようである。

三輪の逆シミュレーション音楽の解説。「またりさま」が取り上げられ、架空の信仰対象「またりさま」というものを創造し、それにまつわる過去からのエピソードが加わっているということが語られる。現実の別体験ではんく、別体験のようなものに肉付けしていくというものである。「またりさま」はコンピューターでプログラミングされたものが鈴などを鳴らし、音にしていくという音楽でもある。三輪の作品はコンピューターで作曲はするが、コンピューター音は出さず、演奏は実在する楽器で行われるという特徴がある。

ルンメルは数学者に分析をお願いして楽器を作ったことがあったり、3Dプリンターを使って楽器を作ったことがあるそうだが、アナログな楽器を作成しており、コンピューターや計算機などは手段に過ぎないと考えているようだが、三輪は「今の世界ではコンピューターは道具を超えたもの」であり「我々は機械世界の中にいる」と認識していて、「人間と機械の間の関わり方の変化」が起こったのだという考えを述べる。

ルンメルは、今後しばらくは新しい楽器を作るよりも作曲に時間を使いたいと思っているそうだ。14日に自らが演奏して発表される笙をモチーフにした微分音ハーモニカが現時点では最後の「新しい楽器」ということになる。

20世紀後半、ドイツはクラフトワーク、日本はYMOと喜多郎という電子音楽のアイコン的存在を生んだ。ただ音楽や新楽器の捉え方に関しては日独で少し差があるようにも思う。


休憩を挟まずに第2部「ドキュメンタリー演劇の力」が始まる。登壇者は演出家のハンス=ヴェルナー・クレージンガーと高山明。当初は女流映画監督で作家のレギーネ・ドゥーラも参加する予定だったのだが、大怪我をして入院中だそうで、「参加出来ないのがとても残念」というメッセージが読み上げられた。司会は引き続き小崎哲哉が受け持つ。
ハンス=ヴェルナー・クレージンガーは1962年生まれ。ギーセンで演劇を学び、ロバート・ウィルソンの演出助手やドラマトゥルクを務める。1993年からブレヒトが創設したベルリーナー・アンサンブルなどでの演出活動を開始している。
高山明は1969年生まれ。2002年にPortB(ポルト・ビー)を結成し、既存の演劇の枠組みを超えた活動を行っている。2016年より東京藝術大学大学院映像研究科准教授を務める。


クレージンガーは、「20世紀の暴力の歴史」に取材し、ドキュメンタリー演劇として発表を続けている。取材対象には様々なテロリズム、ドイツ赤軍派やルワンダでの虐殺、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争などがあるそうだ。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が起こったときに、NATO軍が介入することを決めたのだが、その際、政治家がその正当性や根拠などを説明してたり、NATTO軍の兵士にボスニアでの振る舞い方などが説かれていたそうだが、それがクレージンガーの目には「とても演劇的」と映ったそうである。そこは「摩擦する場所」だった。
ただドキュメンタリー演劇だから全てが本当のことというわけではなく、解釈の仕方、切り取り方によってフィクションが加わるそうで、ドキュメンタリー=事実というわけではないことに注意して欲しいとも述べた。

高山明は、自身が創造しているものがドキュメンタリー演劇ではないと考えているそうである。はとバスでのツアーを演劇上演として行ったこともあるが、最近ではドイツにおける難民を巡るマクドナルド放送大学という活動を行っているそうである。ドイツのマクドナルドに行くと客はほとんどが難民、店員にも難民出身の人が多いそうである。ドイツでは難民向けの教育が充実しているそうで、ドイツ語を始め、人文科学、社会科学、理数学、スポーツ学に至るまで学ぶことが出来るそうだが、高山自身が難民向けの教育を行おうと考えた際、「マクドナルドには難民がいるし、そこで行えばいいのではないか」と思いついたそうである。実は日本でも24時間営業のマクドナルドに行くと、若い人が沢山いてほぼ満員だそうである。彼らの正体は住む家のない日雇い労働者で、隠れた難民的存在であるようだ。東京では家を追い出された女子高生達がマクドナルドに集い、売春の拠点としていたという事例もあったそうである。実は高山も右翼に追われて家に帰れないという状況が2ヶ月ほど続いたことがあったそうで、その間、マクドナルドを天天としており、そこでそうした事実を知ったのだという。
フランクフルトのマクドナルドで、マクドナルド放送大学は立ち上がったのだが、教員も難民である。ただ、正規の教授職にいた人は一人だけ。他にもマラソン選手として活躍するも紛争で足に怪我を負った人がスポーツの素晴らしさを語る講義などを行ったそうである。ただ、ドイツでは教養のある層はマクドナルドには行かないそうで、マクドナルドのイメージが非常に悪い。マクドナルドは多国籍企業で資本主義の牙城、むしろ難民を生み出す側で、そんなところで難民向けの講義を行うのは趣味が悪いと、高山もドイツ人の友人に言われたそうである。

クレージンガーも、「演劇を観るような人はマクドナルドには行かない。またマクドナルドにいるような人は演劇は観ない」というドイツの社会地位的分断を語る。

高山は、トゥキュディデスの「戦史」やアイスキュロスの「嘆願する女達」の話をして、「嘆願する女達」はおそらく世界初の難民を扱ったテキストだと紹介する。そして「嘆願する女達」を難民達に読ませることで、一種の「迂回路」のようなものが生まれると語る。

クレージンガーが、PTSDを煩う兵士達に接したときの話をする。彼らにホメロスを読ませようとしたのだが、「俺たちには難しい話はわからない」と最初のうちは拒絶されていた。だが、美しい文章を通すことで、兵士達は自己を相対化することが出来るようになり、現実とは違った物事への向き合い方で出来るようになっていったという。これもまた一週の「迂回路」だと述べる。
「迂回路」は一見、遠回りのようであるが、有効な手段ともいえるだろう。

高山は、難民のいるバルカンルート全てのマクドナルドでマクドナルド放送大学を開こうというプロジェクト構想を持っており、バルカンルートを「知の道」にしたいという希望を語った。

クレージンガーは劇場を物事と正面から向き合える、集中出来る場所だと語り、そのことが演劇を観ること夫重要性だと語る。曰く「観客は能動的な解釈者であるべきだ」
高山はテアトロンが元々は「客席」という意味であったことを述べ、自らも客席にいて感動したことが演劇に入る契機だったことから「観客から(演劇を)始めた」として劇を観ることの意義を語った。
クレージンガーは、フォークナーの「歴史は死んでいるわけではない」という言葉を挙げ、「迂回路」である痕跡も舞台に取り上げることの重要性に触れた。
クレージンガーは、昨夜はサッカーワールドカップをテレビで見ようとしていたそうだが、結局、別の放送を見ることになったと語る。オウム真理教事件で7人の死刑囚の刑が執行されたというニュースである。クレージンガーは、「あれ(地下鉄サリン事件)もテロだと思う」と述べ、テロは痕跡を残すから、それに集中して向き合う必要がある、それには演劇は有効と説いた。

小崎哲哉が、日本にも赤軍派はいて、昔は大いに話題になったが今は影も形もない。難民も日本は年に20人程度しか受け入れていないから存在が可視化出来ないというようなことを語り、見えないことにも向き合う必要があるとして纏めた。

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2018年3月28日 (水)

ロームシアター京都 「いま」を考えるトークシリーズ Vol.4「AI(人工知能)と音楽の未来」

2018年3月24日 ロームシアター京都3階共通ロビーにて

午後5時から、ロームシアター京都3階共通ロビーで、「いま」を考えるトークシリーズ Vol.4 「AI(人工知能)と音楽の未来」を聞く。作曲家で情報科学芸術大学院大学(IAMAS)の教授である三輪眞弘と、ソフトウェア技術者でNTTデータセキスイシステムズに勤務する山崎雅史によるトーク。

三輪眞弘は1958年生まれ。東京都立国立高校を卒業後、ベルリン国立芸術大学に進学。子供の頃から音楽をやっていたというわけではなかったので日本の音楽大学に進める可能性はほぼなかったが、ベルリン国立芸術大学は実技必須ではなかったため入学できたという。ベルリン国立芸大では尹伊桑に師事。その後、ロベルト・シューマン音楽大学にも学ぶ。「あかずきんちゃん伴奏機」という作品集のCDでデビューしたが、「レコード芸術」詩で推薦も準推薦も得られず、がっかりコメントが載ったこともある。その後、芥川作曲賞、芸術選奨文部科学大臣賞などを受賞している。

山崎雅史は早稲田大学で西洋哲学を専攻。エマニュエル・レヴィナスを研究し、佐藤眞理人に師事するが、構造主義を減ることでコンピューターに魅力を感じ、NTTに入社。入社時はプログラミングの知識はなかったが、その後、コンピューター部門の第一線で活躍するようになる。また音楽にも造詣が深く、マーラーや現代音楽についての論評を行うほか、共感覚(音に色が付いて見えるという特殊能力。ランボー、シベリウス、スクリャービンなどが共感覚を持っていた)の持ち主でもある。

AIの技術だが、山崎によると、「5年前には囲碁でコンピューターが人間の名人を任すにはあと20~30年は掛かると言われていたのが、ついこの間、コンピューターが囲碁の名人に勝った」ということで日進月歩であることがわかる。
三輪はコンピューターを使って作曲しているのだが、プログラミングして作曲した作品を、必ず人間の体を通して発表する(例えば人間が演奏する)ことにしており、「逆シミュレーション音楽」と称して、コンピューターで作った音楽に物語を与え、架空の伝承などを作るなどして色づけを行っており、コンピューター音楽でありながらコンピューター音楽そのものに留めないような工夫を行っているようである。

山崎はずっとAIに携わってきたため、「AIは春の時代と冬の時代の繰り返し」だと述べる。今のAIに繋がるものが始まったのは1950年代。クセナキスなどはいち早く、コンピュータを取り入れた作曲を行っている。日本では1980年代に国家プロジェクトとしてAIに取り組んだが結果として上手くいかず、その後、冬の時代に突入。現在では情報を大量に取り入れるシステムを構築したことでまた春の時代になりつつあるそうである。

作曲に関しては、J・S・バッハの全ての宗教曲の全てのデータを読み込み、バッハらしい楽曲を作ろうと思えばすぐに出来る水準、またWaveNetでは音声そのものを認識して、譜面ではなく、音としてそれらしいものの作曲が可能になっているという。

ここまで発達したAIによる音楽だが、「AI芸術は可能か」という問いには二人とも否定的である。山崎はコンピューターはデータの取り入れと分析、楽曲の模倣は出来るが「意外性のあるもの」に弱いため、「次はもっと良い作品を書こう」といった意思や「新しい楽曲を書こう」という挑戦力に欠けるため、人間の作曲の水準にはならないというような結論を出し、三輪は「機械が音楽を聴く」ということ自体に否定的であった。
コンピューターは体を持たないため、寿命や死などという観念を持ち得ず、そのため過去や未来に対する想像力を欠きがちで、そのことが芸術的活動においてマイナスとなるようである。

囲碁でコンピューターが人間に勝ったというが、コンピューターは自身が囲碁をやっているという意識があるのかということ自体が問題だそうで、仮にコンピューターが独自に作曲をしたとして、その行為自体をコンピューターが作曲と認識するのかというのもやはり疑問になると思われる。

人間は、意識と無意識を巧みに使い分け(山崎が紹介したジュリアン・ジェインズによると、実は3000年ほど前のイーリアスの時代の西洋人の意識は現代人とは違ったものだったそうで、片方で神の言葉を聞きながら、もう片方で人間としての行動を司るという意識(二分心というそうだ)だったようだ。神の声というのは幻聴らしい)、無意識の要素を整序して意識化し、それを創造に生かしたりも出来るのだが、コンピューターにはそもそも意識も無意識もないため(無意識ということを意識できるのは意識というものが確固としてあればこそである)、人間並みの創造力を発揮するのはほぼ永久に不可能だということになるようだ。

意識・無意識というのはフロイトの提唱に始まった比較的新しい学問であり、科学のベースで人間の心を探究するにはまだ道半ばであり、フロイトやユングの考えもまだ十分に点検出来ているわけでもないようである。なお、コンピューターの意識・無意識の把握については三輪と山崎の間で相違が見られ、三輪が「音楽を聴いて感動するのは無意識によるものだがコンピューターには意識しかない」としたのに対して山崎は「コンピューターがやる囲碁のようなものは全て無意識」と認識しているようである。コンピューターには意識の顕在化というものがないという解釈のようだ。

人間個人が把握できない人間の意識と無意識の豊穣さが、ある意味、芸術活動に貢献しているような気もする。



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2018年1月 8日 (月)

『幸運な男 伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生』刊行記念「伝説の高速スライダー・伊藤智仁が関西凱旋! プロ野球人生25年をすべてぶっちゃける!」

2018年1月4日 大阪・宗右衛門町のLOFT PLUS ONE WESTにて

午後7時から、大阪・宗右衛門町のLOFT PLUS ONE WESTで、『幸運な男 伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生』刊行記念「伝説の高速スライダー・伊藤智仁が関西凱旋! プロ野球人生25年をすべてぶっちゃける!」というトークライブに参加する。『幸運な男 伊藤智仁 悲運のエースの幸福な人生』の主人公である伊藤智仁と著者である長谷川晶一による野球トークである。こちらも東京ヤクルトスワローズのホームレプリカユニフォームに「正装」して臨む。

客席の後ろの方は、伊藤智仁の古くからの知り合いが多いようで(後で知ったが伊藤の実兄も来ていたそうだ)、開演20分ほど前にステージに現れた伊藤智仁は、下手の階段を降りて、客席後方へと歩いて行った。


まず長谷川晶一が登場し、東京ヤクルトスワローズの応援歌「We are the Swallows」の流れる中、伊藤智仁が登場。「俺が歌うの?」とボケる。その後、昨日放送されたTBS系列「消えた天才」をモニターに映す際には、「俺が映すの?」とまたボケていた。


「史上最高の投手は誰か?」という問いに対する答えの中に必ず挙がっている伝説の最強エース・伊藤智仁。エースと書いたものの、実際には伊藤智仁がエースであったことはない。なったことがあるのはリリーフエースだが、それ以上に1993年のルーキーイヤーの輝きが鮮烈である。規定投球回数には足りなかったものの、防御率は驚異の0点台。実働3ヶ月ほどだったにも関わらず、松井秀喜を抑えて新人王を獲得している。
伊藤が三菱自動車京都在籍時代にバルセロナオリンピック壮行プロアマ交歓試合で対戦した古田敦也が「来るとわかっていても打てない」と語った高速スライダーと伸びのあるストレート、プロに入ってから覚えたフォークボールを武器にセリーグの並み居る強打者をなぎ倒して行く姿は、まさにヒーローそのものだった。ただ度重なる故障により、ヒーローは悲劇のヒーローに、エースはガラスのエース、幻のエースに変わっていく。
その悲劇性も相まって生きながら伝説となっている人物である。運動なら何をやっても超一流で「百獣の王」の称号を得ている武井壮は、ラジオ番組で「自分が思う史上最高の投手」として伊藤智仁を挙げており、高速スライダーがいかにして生まれたのかについても触れていた。

伊藤は昨シーズン、スワローズが球団ワースト記録となる96敗で最下位になった責任を取り、投手コーチを辞任。今年からはベースボールチャレンジリーグ(BCリーグ)の富山GRNサンダーバーズの監督に就任する。

まず伊藤のスワローズ入団の経緯。伊藤をドラフト1位指名したのは、ヤクルトスワローズの他に広島東洋カープ、オリックス・ブルーウェーブであった。その中で事前にスカウトが挨拶に来なかった球団がヤクルトだそうである。当時、スワローズフロントは松井秀喜を1位指名することで一本化されていたのだが、当時の野村克也監督が「何が何でも伊藤を獲れ」と厳命。ドラフト会議直前で方向転換している。
伊藤に声を掛けた球団は他にも西武ライオンズ、当時まだ福岡ダイエーだったホークスなどがあるそうだが、これらの球団は焼き肉をおごってくれたりしたそうである。当時からお金がないことで有名だった広島カープからはデニーズに呼ばれたそうで、カープらしいといえばカープらしい話である。それでも一番熱心だったのはカープだったそうで、「練習厳しい、(当時の広島市民)球場汚い、お金出ないという(皮肉を込めて)良い条件」のカープに伊藤は一番の好印象を抱いたようである。
巨人からは「うちはドラフト1位は松井秀喜で行くが、君が巨人にしか行かないと言えばドラフト2位で指名する」という条件(「球界の寝業師」こと根本睦夫がよく用いた手法である。根本は西武ライオンズ時代に目をつけた選手に「プロには行かない」と表明させ、大卒や社会人の選手はドラフト2位か3位、高卒の選手は下位指名で手に入れていた)が出されたが、「自分を高く評価してくれた球団の方がいい」ということで、巨人ファンではあったがこの話には乗らなかった。
スワローズに入団することになったが、神宮球場が東京にあるということも本気で知らなかったという。「三菱自動車京都というところにいたのですが、当時、神宮球場で投げてる」そうなのだが、「宿舎からバスに乗って目を閉じていたら(神宮球場に)着いてる」そうで土地勘が全くなかったらしい。「バルセロナオリンピック壮行試合も神宮球場で投げる」もののやはり神宮球場が東京にあるという認識はなぜかなかったらしい。プロアマ交歓試合で伊藤が投げている試合は私もテレビで見ている。

女房役であった古田敦也についてだが、プロの選手というよりもトヨタ自動車のキャッチャーという認識だったそうで、三菱自動車京都野球部入部して最初の年は予選で日本新薬に敗れてしまったそうだが、出来て間もない東京ドームを見に行きたいということで、新幹線に乗って日本新薬の試合を見に行ったそうである。その時の日本新薬の相手がトヨタ自動車だったそうで、古田ついては「ホームランを打ったんですけど、それ以外よく覚えていない」そうである。入団前の古田敦也の印象についても「打つのは特に凄いわけじゃない。スローイングだけは良い」と評して、長谷川に「なんでそんなに上から目線なんですか?」と突っ込まれていた。

長谷川は、古田にインタビューした際に、「僕が受けたことのあるピッチャーの中では伊藤智仁がナンバーワン」と古田が断言し、「特にスライダーは1番。スライダーという、プロのピッチャーなら10%投げる球の中で1番。松坂のスライダーも受けたことがあるけれど、伊藤のスライダーを見た後では松坂のスライダーも平凡に見えた」と言うのを聞いたそうである。
伊藤は、「松坂のスライダーもダルビッシュのスライダーも凄い」と語り、「ダルビッシュなんて、一度、春先に北海道でやったオープン戦で、春先だから仕上がってるじゃない、3イニング限定とかだし、本気で投げてきたら(ヤクルトのバッターが)打てない、掠りもしないんだもん」とコーチ時代のことを振り返っていた。

入団直後の思い出を語る。ユマキャンプでは古田と同室になったのだが、「古田さん、困ったことにあんまり寝ないんです」とのことで、年下で部屋子の自分が先に寝るわけにはいかないのだが、古田は「寝てていいよ」と言って出掛けてしまう。「寝てていいよ」とは言われたものの本当に眠るわけにもいかず、照明はつけたままにし、本を手にしてページの間に指を挟んで、あたかも「頑張って読書しながら起きてたんだけど寝てしまった」と見せかけて寝ていたそうである。古田も気づいていたはずだが何も言われなかったとのこと。
ユマでは十分に眠れず、日本に帰ってすぐに宮崎県でのキャンプが始まるということですっかり体調を崩してしまい、開幕1軍を逃すことになったそうだ。

ちなみに2軍でのデビューはイースタン・リーグ開幕戦の対ジャイアンツ戦だったのだが、ジャイアンツの1番バッターが松井秀喜という嘘のような顔合わせが待っていたそうだ。その試合なのだが、「松井にホームラン打たれたことしか覚えてない」という「カウントを取りに行ったスライダー」を打たれたそうである。ただ同期のドラフト1位ではあっても、伊藤の登板機会が少なかったということもあって、伊藤智仁と松井秀喜がライバルという感じはほぼない。「18歳だし、まだプロのスピードに慣れていないだろし」ということで伊藤も松井を特に意識してはいなかったようだ。


野村監督について。伊藤が野村監督に怒られたことは余りないそうだが、褒められたこともないそうで、一度、「(野村監督の真似で)『昨日、良かったな』と言われただけ」と語る。怒られるのはもっぱら古田敦也の役目だったそうで、古田はとにかく怒られていたらしい。伊藤の野球人生を象徴するような試合として語られる、1993年6月9日、石川県立球場での対巨人戦で、篠塚和典にサヨナラホームランを打たれた時には、野村が古田に対して激高したそうで、「ベンチ裏で古田さん、ずっと怒られてた。それを傍目で見ながら帰ったんだけど、こっちが引くぐらい怒られてた」そうである。その試合、伊藤は9回2死までにセリーグタイ記録となる16個の三振を奪っていたのだが、野村は「自分で新記録達成になるのを阻止するために篠塚は絶対当てに来る。そういうバッターに対してああいう配球をするとは」と怒り心頭に発したらしい。「誰が悪いって、打たれた僕が悪いんですけど」と伊藤は言う。「バッター篠塚か。ホームランは絶対にないな。せいぜいレフト前のヒットだろう」と舐めていたのも一因らしい。ただ篠塚のホームラン映像を見て、「球場、狭いですよね。70mぐらいしかない」と負け惜しみを言っていた(石川県立球場は確かに狭いしフェンスも低いが70mということはない)。
ドラフト指名以前の野村監督のイメージは、「陰気くさいおっさん」そして「怖そう」だったそうなのだが、入団してもイメージは変わらなかったそうだ。
「消えた天才」では、戸田市民会館で2時間ほどインタビューを受け(しかし使われたのはたった2分ほどだそう)、その後、スタッフに「(ヤクルト)戸田球場に行きましょう」と言われて、「え? なんで?」と思ったものの、行ってみると遠くに「あれ、野村監督じゃない?」という人影が見え、最初は別の取材かと思ったものの、「あれ? 野村監督ってTBSで解説持ってたよな」ということで、そういう番組だということに気づいたらしい。ただ、「僕も業界が長いので」どうやったらテレビ的に良いのかを考えながら「どうしたんですか?」などとしらばくれたそうである。

ルーキー時代のキャンプで、野村監督が打席に入って伊藤の投球を確認し、絶賛したということがあったのだが、伊藤はというと「当てたら困る」というので萎縮しがちになってしまい、野村監督のパフォーマンスを結構迷惑に感じていたそうだ。
また、松井秀喜が始球式で長嶋茂雄をバッターボックスに迎え、安倍晋三(ヤクルトファンとして有名である)が主審の位置に立った時のことを振り返り、「普通は投げられない。まともには投げられない。だからとんでもないとこ行ったじゃない」「よっぽどのアホでない限り投げられない」と語り、同じケースで始球式の話が来たらという振りに「俺だったら断る」と即答していた。


実は出演した時には、タイトルが「消えた天才」になるということも知らないままだったそうである。天才と言われることについては、「ありがたいとは思うけれども自分はそこまでではない」と思っているという。伊藤が「天才なのは自分ではなく」と言って挙げたのはスワローズ黄金期の左腕エース・石井一久である。
入団したばかりの伊藤は先輩の投手達、中でも岡林洋一や西村龍次といったエースピッチャーの投球を観察し、「自分が負けてる部分もあるが勝っている部分もある」と分析、石井一久に関しては「持っているものは凄いけど、荒削りに過ぎる」という印象だったという。「ただその潜在能力が嫉妬するぐらい凄い」そうである。とにかく球が速く、しかも左投手。最初の頃はストライクを取るのに汲々としている状態だったが、「うなりを上げるストレート」は驚異的だったという。「岡林さんや西村さんは真似しようと思えば真似られたけど、石井は真似出来ない、無理」だそうである。そして凄いのは球の速さよりも勢いや力強さだという。確かに90年代の絶好調時の石井一久の投球は相手がお手上げ状態になることがあり、ど真ん中のストレートでも空振り、バットに当たってもなかなか前に飛ばないという調子で、90年代のスワローズのエースといえば勝ち星からいっても石井一久だろうと思われる。1973年生まれの石井は、私と同い年の松井と1歳差であり、松井秀喜のライバルを敢えて挙げるならこれも石井一久ということになるのだろう。

伊藤と同学年のスワローズの投手にエースナンバー17を背負った川崎憲次郎がいた。伊藤曰く、川崎の「球自体はたいしたことない」そうだが、「シュートを覚えてから勝ち始めた。『お前、シュート覚えろ!』って言われてからすぐにものにした」そうである。伊藤はシュートは練習したが投げられなかったそうである。「こっち(スライダー)側に曲げる球は得意だったけど、こっち(シュート側)に曲げられなかった」と手振りを加えながら話す。
スワローズ現役のシュートピッチャーである原樹理と川崎憲次郎の比較になり、伊藤は「球の種類が違う。川崎のシュートはボール1個分しか曲がらない。だからバッターはストレートだと思って打ちに行って芯を外される。原樹理のシュートは結構曲がるが、バッターがシュートだと気づくから見逃す。見逃すとボールになる。ボールになったらいくらいい球でもただのボール。だから原樹理の場合はシュートでストライクが取れないといけない」のだが何度言ってもストライクが取れるようにはならないそうで、「コーチ(つまり伊藤本人)が悪かったんじゃないですか」と言っていた。

1990年代後半に、石井一久、川崎憲次郎と共に伊藤が三本柱に数えられた時には、互いに「あいつには負けない」というバチバチの空気を飛ばし合っていたそうである。

ちなみに野村時代からスワローズはストライクゾーンとその少し周りのボールゾーンを含めて9×9の81分割し、何番にボールを投げるかという作戦や指令があるそうである。ただ81分割というのはあくまで理想論で、実戦では2分割が4分割でやっていたそうである。「ヤクルトの場合は、アウトコースという指令は来ない。番号で来る」そうである。ストライクゾーン付近の81分割というと1個のマスは、「(人差し指と親指で輪っかを作って)これぐらい」だそうだが、「そこまでのコントロールはなかった」
長谷川が、「ライアン(小川)や原樹理も81分割で何番ってわかるんでしょうか?」と聞くと、伊藤は、「ライアンはわかってるだろけど、原樹理はどうかな? ミーティングに鉛筆持ってくるの忘れるような子だから」と答えて、客席から笑いが起こっていた。

野村監督のミーティングについてだが、練習後、午後6時から1時間ほど夕食の時間となり、午後7時からの1時間ほどがミーティングだったそうである。「ノートを見返すと凄いことが書いてある。コーチになってからも何度も見返すほど」だというが、「練習が終わって食事したら眠いじゃないですか」ということで、ノートにも「たまにミミズが這っている」。そして、「うちには、古田というキャッチャーがいたので」難しいことは古田に任せておけばいいかという空気があったという。もし野村ミーティングの凄さに当時気づいていたら「あと、2~3勝は出来た」と伊藤は言う。ちなみに通算で2~3勝である。伊藤曰く「野球は体でやるもので、頭で積み上げられるのはそんな程度」だそうである。


「怒り新党」の3大○○の映像も流れる。「消えた天才」は音声を消しての上映だったか、「怒り新党」は音声付きで、伊藤と長谷川、客席と共に映像を見る。「消えた天才」ではあたかも伊藤の現役生活が1993年の1年だけで終わってしまったかのような描き方だったが、「怒り新党」ではその後のリハビリや復活劇までもちゃんと描いているそうである。
石川県立球場での試合。伊藤の調子は決して良くなかったそうで、「三振でしかアウトが取れない」状態だったという。その証拠に16奪三振を記録したが、被安打は8と多い。
吉原孝介が打席に立っている映像が出たときに、長谷川が「(球数が多いので)バットに当たってとか思わなかったの?」と聞くと、「吉原風情じゃバットに当たらんって」と一笑に付し、伊藤が13イニングスを投げた甲子園での対阪神戦(ちなみに三塁側アルプススタンドはガラガラで笑い声が起こる。「あの頃、阪神弱かったからね」と伊藤)で新庄剛志を三振に打ち取った映像でも、「いっても新庄だよ。メジャーにも行ったけど」と一刀両断。ピッチャーらしい強気の性格は健在のようだ。
和田にヒットを打たれた場面で、伊藤が「後で聞いたら癖がわかってたみたい。だけど誰にも言わなかったって」と言い、長谷川が「いかにもプロという感じですが嫌らしい奴ですね」と話して、会場が爆笑に包まれる。その後も和田がヒットを打つ場面があり、解説の声が「和田、今日4本目の安打です」と言うのを聞いてまた爆笑が起こっていた。

ちなみにラスト登板となったコスモスリーグの対ジャイアンツ戦で伊藤は大胆不敵なことをやってのけるのだが、それは『幸運な男』を読んだ人だけのお楽しみとしておく。

伊藤は、由規のスライダーを「自分より上」と賞したが、「スライダーだけよ、他の球は屁みたいなもん」という。それでも「良くやってる方、あの野球音痴にしては」と言う。由規は入団当時は球の握り方も間違っているような状態であり、「キャッチボールが下手なピッチャーって結構いるけど、並外れて」下手だったそうである。「キャッチボールから教えなきゃいけない」選手だったそうだ。由規は左利きなのだが、右利きの兄のグローブをお下がりで貰って野球を始めたため右投げである(打撃は左で行う)。今はメジャーにいる岩隈久志も左利きだが右投げ、逆に右利きだが左投げの投手には今中慎二がいる。長谷川が「(由規は)左投げだったら良かったんじゃないか」と言うが、伊藤は、「いや、もっと駄目だったんじゃないの?」とつれなかった。


事前アンケートで客席からの質問を募集したのだが、長谷川が、「みんな優しい。『どうしてライアンを抑えに回したんですか?』という質問がない」と言って笑いを誘う。あの時点で「球に力があって、三振も取れて」というピッチャーがライアンしかいなかったため、抑えに起用したのだが、小川泰弘は怪我開けの上にリリーフの適性も欠き、七夕の夜のカープ戦で炎上して大逆転を許し、再び先発をやることになっている。

「寺島(成輝)、高橋(奎二)、梅野(雄吾)は今年活躍しますか?」という質問には伊藤は「今の時点では難しい」と答えた。「高橋は(龍谷大)平安高校から入って3年目かな。その間、怪我でほとんど出られない」という状態である。昨年のフレッシュオールスターなどでは好投したが、「そのうち体が大きくなるかなと思ってたけど、そうでもない」そうで、体力がまだまだのようだ。高橋は「左のライアン」といわれるほどダイナミックなフォームで投げるのだが、それを支えるだけのパワーがまだないのだろう。

「仲のいい外国人選手は誰ですか?」という質問に伊藤は「ハッカミー」と即答。「同い年」だそうである。ヤクルト在籍中は、「ブラット・ピット似の男前」といわれたハッカミーだが、伊藤は「今はデブのハゲだよ」という。
今も連絡を取ってる外国人選手については伊藤は、「ハッカミー、バーネット」と続けるが、最後に「オンドルセク」と言って、長谷川も「オンドルセク?!」とオウム返しになる。オンドルセクは味方の守備のミスに激高してベンチから謹慎を言い渡されるもアメリカに帰ってしまい、そのまま退団したという選手である。伊藤によるとオンドルセクは「ヤクルト球団はまだ怒ってるのか?」と聞いてくるそうで、「(アメリカの球団との)契約が取れないんじゃないですか」とのことだった。

外国人の話になったところで長谷川が、ヤクルトと横浜に在籍した投手で、スワローズ在籍中の2004年には開幕投手も務めたジェイソン・ベバリンの話をする。ベバリンは肘の怪我でヤクルトから自由契約になり、横浜に拾われたのだが肘は回復していなかった.。それでもベバリンは「投げたい」とベンチに直訴。当時の横浜の監督は投手出身の牛島和彦である。当然ながら無理はさせない方針だ。牛島は、「いいか、今投げたら今後投げられなくなるどころか、日常生活にも支障をきたすことになるかも知れないんだぞ。それでもいいのか?」と説き伏せようとしたが、ベバリンは、「いい! 僕は日本に遊びに来てるんじゃないんだ、投げに来てるんだ。投げる」と言って聞かなかったそうだ。
「投手コーチとして、そういう選手がいた場合、伊藤さんは投げさせますか?」と長谷川は聞く。「僕は、投げさせます」と伊藤は断言する。投手の投げたいという本能にあらがうことは出来ないそうだ。

もし怪我しなかったら、もしスポーツ科学の発達した現在、現役の選手だったら何勝出来るか、という話にも当然なるのだが、伊藤は「リハビリも含めて僕」、「勝ち星なんて自分の力でどうにかなるものでもない」ということで、「こだわりがあるのはイニング」だそうで、「200イニング投げたい」という話はしていたが、長谷川に「200イニング投げたら何勝出来ますか?」と聞かれ、「15勝ぐらいは」と答える。長谷川が、「15勝だったら今の時代なら最多勝じゃないですか」と話を振るも、伊藤は「たられば」の話には興味がなさそうな顔をしていた。

そしてヤクルトで一番凄いのは石川雅規だという話になる。伊藤は、「ローテーションをきっちり守ってくれる。投手コーチとしてこれほど頼もしい存在はない」と絶賛。確かに投手も野手も怪我人が多く、誰かしらいないという中で石川だけはいつもいる。無事これ名馬の見本のようである。


打者の話にもなり、伊藤は最も評価している現役のバッターとして読売ジャイアンツの坂本勇人の名を挙げ、「あの内角の捌き方は天才的」と評した。「ショートじゃなかったらもって打ててる」ということで、長年に渡ってスワローズのショートを守り続けていた宮本慎也の話にもなる。スローイングが上手かったそうで、「一場靖弘という出来の悪い子」よりも精密なコントロールを誇っていたという。ただ始めの頃はバッティングが苦手であり、「大体、宮本8番で、俺9番なのよ。その頃、俺、バントしたことない。宮本、塁に出ないから」


関西では初のイベント出演となった伊藤智仁。関西に帰ってきた印象を長谷川から聞かれる。「周り全て、関西弁。変な歩き方してる兄ちゃんがいる」ということで関西らしいと思ったそうだが、「大阪と京都じゃ全然違うんで。京都の方がはんなりしてる」と言って、「また京都の人は、はんなりとか曖昧な言葉使うんだから」と突っ込まれていた。

伊藤は最後に、「アウェーになるのかなと思っていましたが、こうしてみんな集まってくれて嬉しく思います。僕はもういなくなりますが、今年もヤクルトスワローズの応援を宜しくお願いします。そして、暇があったらたまに富山に……」というようなことを話した。

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2017年5月 6日 (土)

「京都文化力プロジェクト推進フォーラム」@ロームシアター京都サウスホール

2017年4月26日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後1時から、ロームシアター京都サウスホールで、「京都文化力プロジェクト推進フォーラム」を観る。ネットで申し込んで、葉書が届いた人が参加出来るというシステムになっている。
 
まず、茂山千五郎家による狂言「千鳥」が上演される。先日、フェスティバルホールでも茂山千五郎家によって上演されたばかりの演目であるが、演者が異なる。出演は、茂山千三郎、茂山逸平、鈴木実。背景なしでの上演である。
主人(鈴木実)が、金がないのに「お前、酒屋の主と顔見知りだからなんとかしろ」と太郎冠者(茂山千三郎)を酒屋に使いに出す。酒屋の主(茂山逸平)相手になんとか酒樽をものにしようと、酒樽を千鳥に見立てたり山鉾に見立てたりとあらゆる手を使い……。

終演後、茂山千三郎が司会のイワサキマキ(漢字は不明)に呼ばれて登場。イワサキの「なぜ『千鳥』を選ばれたんですか?」という問いに「なんででしょうね?」と答えるが、「この作品は京都が舞台で、京都から見た地方(尾張国津島神社)の姿が描かれているから」というようなことを語っていた。


続いて、主催者あいさつ。山田啓二京都府知事、門川大作京都市長、立石義雄京都商工会議所会頭の3人が挨拶を行った。


リレー対談「京都の文化力」。京都大学総長である山極壽一(やまぎわ・じゅいち)が進行役を担当して、大蔵流狂言師の茂山千三郎、料理研究家の杉本節子、京都国立博物館長である佐々木丞平の3人と、1対1でリレー形式で対談していく。

まず一人目の茂山千五郎と山極壽一の対談。山極壽一はゴリラ研究の専門家なのだが、狂言方の腰を落とした姿勢がゴリラを連想させると述べる。山極は、「西洋人は背筋を伸ばして胸を張ってという感じですが、日本人はお辞儀もこうやって(背をかがめて)しますし、なんかこう、縮まった感じ」と言う。茂山千三郎によると、西洋人相手に狂言のワークショップを行ったりもしているのだが、西洋人は足が長すぎて、日本人狂言方と同じような姿勢を取ることは「物理的に不可能」だそうである。実はチェコのプラハには白人のみによる狂言のプロ団体もあるそうだが、「腰が全体的に高い」そうである。茂山は、日本人は床に座り、部屋の中でも裸足になるということから、床の文化に着目しているという。
日本文化研究で知られるドナルド・キーンが1952年から2年ほど京都に滞在して狂言に入れ込み、「青い目の太郎冠者」と呼ばれたことなども話題として登場した。


二人目である杉本節子。四条室町にある重要文化財・杉本家住宅の出身である。町屋は軒が低いのだが、これは太陽の光が直接差さないようにということを山極が話して始まる。京都は夏暑く、冬寒いのだが、町屋は夏向けに特化した構造で、夏には涼しい風が家の中を抜けるようになっているそうである。京都の場合、夏は熱中症対策をしないと死に至るが、冬は寒くても凍死するほどではないということで、「冬は寒いけど我慢してくれ」ということなのだろう。北海道などの場合はこれとは真逆になる。
杉本家住宅の先代のご当主は、井上章一の『京都ぎらい』に登場するのだが、杉本節子の感覚だと、「京都」というと、「祇園祭で山鉾を出す山鉾町」というイメージだそうである。山極壽一は、「いろんな京都があっていい」と語った。


最後となる佐々木丞平。京都は人口約147万人であるが、首都のあった街としては人口が少ないという話から入る。ただ、これは悪いことではなくて丁度良いサイズだという風に話は進む。
自然も多くあり、山もあって車で30分も走ると山奥に着いてしまう。それでいて中心部は都会的である。そうした様々な要素が詰まっているのが京都というものなのだという。

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2017年4月 1日 (土)

観劇感想精選(207) UMEDA BUNRAKU うめだ文楽2017「義経千本桜」河連法眼館の場

2017年3月24日 グランフロント大阪北館4階のナレッジシアターにて観劇

午後7時から、グランフロント大阪北館ナレッジキャピタル4階にあるナレッジシアターで、うめだ文楽2017 「義経千本桜」より河連法眼館の段を観る。二代目竹田出雲ほかによる合作。
「仮名手本忠臣蔵」、「菅原伝授手習鑑」と共に三大傑作の一つに数えられる「義経千本桜」。歌舞伎でも有名だが、人形浄瑠璃としての方が先で、歌舞伎はいわゆる義太夫狂言として行われたものである。
「河連法眼館の段」は歌舞伎では四段目の切りであることから「四の切」という通称でも知られているが、文楽ではそういう表現はしないようである。歌舞伎の四の切は市川猿之助の先代と当代の十八番であり、私も京都四條南座などで歌舞伎版の「河連法眼館の段」を観ている。猿之助がラストで宙乗りを行うことで有名だ。

うめだ文楽は、大阪にある民放テレビ局5局の共同で制作されており、今回は読売テレビの担当で、司会は読売テレビアナウンサーの諸國沙代子(しょこく・さよこ)が務める。
毎回ゲストが招かれており、開演前のトークショーが行われる。今日のゲストはシンガーソングライターの嘉門達夫。替え歌でお馴染みの嘉門達夫だが、今日も新作替え歌である「森友の籠さん(原曲:「森のクマさん」)」を披露する。嘉門は、ナレッジシアターに来る前は、ラジオの仕事をしてきたそうで、「森友の籠さん」はすでにラジオで発表済みで、YouTubeにもすでにアップしたという。嘉門は「今日やれて良かったわ。明後日ぐらいになったらもうみんな忘れている」

嘉門は、歌舞伎は勘三郎と友人だったためよく観ていたが、文楽は3回ほど観たことがあるものの、いずれも居眠りしてしまったそうである。司会の諸國も1回観たことがあるだけだそうだ。うめだ文楽は文楽に馴染みのない人にも文楽をアピールするという目的もある公演であるが、嘉門が客席に「文楽を観るのは今日が初めてという人」と聞くと、手を挙げる人はまばらで、嘉門は、「今日はベテランばかりですね」と言う。文楽を観に来ない人は立地が良かろうが値段が安かろうが観に来ないので、まあ、当然といえば当然の結果である。うめだ文楽は国立文楽劇場と違って字幕は出ないので、わかりにくいという一面もある。

その後、静御前の人形を操りながら吉田簑紫郎、吉田簑太郎、桐竹勘次郎が登場し、トークを行う。吉田簑紫郎は今年42歳にして芸歴30年だそうだが、13歳の時に文楽を観たのがきっかけで人形に興味を持ち、楽屋に遊びに行くようになって、そのまま弟子入りとなったそうだ。吉田簑太郎は父も祖父も文楽の人形遣いであったため、高校生の頃には「自分もそうなるんだろう」と思っていたそうである。桐竹勘次郎は比較的遅く、大学生の時に授業の単位欲しさに観に行った文楽に惹かれてしまい、そのまま学生生活と平行して文楽の技芸員になるための見習いを始め、大学卒業後に本格的に文楽技芸員の世界に飛び込んだという。
国立文楽劇場には研修所があるため、そこ経由で来る人と弟子入りで来る人の二通りがあるそうだ。嘉門達夫は、「吉本でいってみれば、巨人師匠に弟子入りするか、NSC入るか」と例えていた。研修所に入ると、2年ある課程のうちの1年は、太夫、三味線、人形遣いの全てを学ぶ必要があるが、弟子入りだと一本で行けるそうである。ただどちらが良いかは人によるという。

人形遣いは、まず足遣いから始めて10年、左遣いに10年から15年掛かるそうである。だが簑紫郎は、「入門から21年間ずっと足遣いで、これは騙されたと。ただ自分は中学しか卒業していないので、潰しが利かない。だからこれをやるしかない」と腹をくくったそうである。また全員が主遣いになれるわけではなく、うだつが上がらないままに終わる人もいるそうである。

諸國沙代子が、「笑いたくなるときなんてないんですか?」と聞くと、簑紫郎は、「聞かないで下さい」と言う。実は下で介錯をしている人が、笑わせようとして変なものを出してくる場合があるそうだ。だが、人形遣いは何があっても動じてはいけないため、笑った方が悪いということになるそうである。

トークのラストでは、嘉門の代表曲である「鼻から牛乳」に合わせて、静御前の人形に動いて貰った。
なお、昨年、関西テレビの回のうめだ文楽トークゲストとして登場した兵動大樹は演目は観ずに帰ってしまったそうだが、嘉門達夫はちゃんと観劇していた。


「義経千本桜」より河連法眼館の段。字幕はないがその代わり、河連法眼館の段に至るまでの「義経千本桜」のあらすじがCG映像で説明された。
太夫は豊竹希太夫。三味線は鶴澤寛太郎と鶴澤燕二郎。出演は、吉田幸助(佐藤忠信、狐、狐忠信)、吉田簑紫郎(静御前)、吉田玉勢(源義経)、吉田簑太郎、桐竹勘介、吉田玉誉(よしだ・たまよ)、吉田簑之、吉田玉路(よしだ・たまみち)、桐竹紋吉(きりたけ・もんよし)、吉田玉延(よしだ・たまのぶ)、桐竹勘次郎、吉田玉彦ほか。

歌舞伎の河連法眼館の場は、狐忠信(源九郎狐。大和郡山市の源九郎稲荷神社に祀られている)の早替わりが見物であるが、文楽で狐忠信の主遣いを担当する吉田幸助も歌舞伎俳優と同等か、それ以上の早替わりを行う。人形を変えたり衣装を着脱させたりするだけでなく、自身の衣装の早替えも行う。主遣いの衣装の早替えは、春秋座で観た淡路文楽で観たことがあるが、それ以来である。
吉田幸助は顔を赤くしながらの熱演。障子を破ったり戸板返しを行うなど、想像力豊かな展開を見せる。

歌舞伎では猿之助の狐忠信が宙乗りで去るのだが、今回の文楽上演では、狐忠信が客席に降りてきて、中央通路を下手から上手へと移動し、ドライアイスの煙が漂う上手通路口から退場していった。

今回の公演ではカーテンコールがあり、狐忠信の主遣いを務めた吉田幸助がスピーチを行う。「ああ、しんど」と吉田幸助。歌舞伎の狐忠信も大変だが、文楽の狐忠信も激しく動きっぱなしの上に、移動距離も他の演目の人形より長く、早替えもあるということで、体力がないと務まらない役である。
吉田幸助は、「来月も国立文楽劇場の方で公演がございますが、19日だけお休みとさせて頂いております。19日にお越しになってもご覧いただけませんので、それだけはよろしくお願いいたします」とユーモアを込めて語っていた。

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2017年3月27日 (月)

しんらん交流館大谷ホール 山城地区同朋大会 節談説教「親鸞聖人御一代記」より

2017年3月11日 真宗大谷派東本願寺(真宗本廟) しんらん交流館大谷ホールにて

午後2時から、しんらん交流館にある大谷ホールで、節談(ふしだん)説教「親鸞聖人御一代記」よりを拝聴。大徳寺の東にある唯明寺の住職で、真宗大谷派山城第2組組長、元立命館常務理事である亀田晃巖(こうがん)による節談説教が行われる。節談説教は落語のルーツといわれ、江戸時代から昭和初期に掛けては積極的に行われたようだが、現在、真宗大谷派で行っているのは亀田晃巖のみであるようだ。山城地区同朋大会の中で行われるため、ポスターには「一般来聴歓迎」と書かれている。入場無料である。
以前、岡崎別院で亀田晃巖の節談説教を聞いたことがあり、内容はその時と同じである。

まず、真宗宗歌を皆で歌うのであるが、一応、真宗の歌はCDで買って聴いてはいるものの、伴奏が安っぽいので繰り返しては聴いていない。ということで歌えない。ただ音の進行は大概の楽曲においては決まっているので、適当に誤魔化すことも可能であり、そうした。

まず、関係者による挨拶があった後で、亀田晃巖による講義となるが、亀田は「講義なんてそんなものはしません」と言って、話を始める。今日はしんらん交流館に来る前に、以前に学校法人立命館の常務理事だったことから、立命館宇治高校に行ってきて挨拶もしたそうだが、その時とは「見える風景が違う」という話から始まる。若い人達は「前途洋々」「未来はこの手の中に」といった風で生き生きしているが、しんらん交流館大谷ホールにいる面々は、年を召した方が中心で、「老病死」の苦を十分に味わった人ばかりである。ただそういう方々も若者に「そう上手くはいかんよ」と教える必要があると亀田は語る。
東本願寺(現在の正式名称は真宗本廟)は、江戸時代に大火で4度も焼失している。徳川将軍家の保護を受けていたため、3度までは徳川将軍家が再建のための費用を負担してくれたが、4度目の大火は幕末の禁門の変による「どんどん焼け」によるもので、再建に取りかかろうとした時には徳川幕府の時代は終わっており、徳川将軍家そのものが亡くなっていた。ということで、門徒の協力によって再建された。亀田は「今、そんなことやろうと思っても出来ませんよ」と言う。今は熱心な門徒が減ってしまっている。

その後、節談説教についての説明。落語は新京極六角にある浄土宗西山深草派総本山誓願寺の安楽庵策伝が「醒睡笑」を表したのが始まりといわれ、安楽庵策伝という人はとにかく話の巧い人だったそうで、しかも話の最後に必ず落ちをつける(落ちをつけるので落語である)人だったそうだ。こうして落語の元となる節付説教と呼ばれるものが生まれ、真宗においては節談説教と呼ばれるようになる。ここから落語の他にも講談、説教浄瑠璃、説教節などが派生していく。
亀田晃巖の祖父である亀田千巖という人が節談説教の名人であり、元日と正月2日以外は説教師として日本中を飛び回っていて、追っかけがいるほどの大人気だったそうだ。
そして節談説教のために唯明寺が場所を移して再興され(東本願寺の近くにあったが、禁門の変で全焼。明治、大正を通して存在せず、昭和になって再興)、評判を聞きつけた小沢昭一や永六輔らが唯明寺にやって来て、小沢昭一は「節談説教」を覚えて録音し、レコードを残しているという。


休憩を挟んで、節談説教「親鸞聖人御一代記」より。亀田晃巖は高座に上がって語る。
まず「やむこをば預けて帰る旅の空 心はここに残しこそすれ」という和歌で入る。
京都へ帰ることを決めた親鸞。だが、親鸞を慕う関東の人達が京へと向かう親鸞の後をずっと付いてくる。次の村まで、次の村までと思うのだが、思い切れず、結局、箱根山まで付いてしまう。ここから先は関東ではない。ということで、親鸞も人々とお別れを言う。箱根山を下りたところで人々は「今生の別れ」とむせび泣く。そこで、親鸞は一番弟子の性信(しょうしん。性信坊という名で登場する)に関東に留まるよう告げる。親鸞は性信坊に道中仏を託し、「あの同行(どうぎょう。門徒のこと)の中から鬼の下に走る者が出ないよう、教えを貫くよう性信坊に伝える。涙ながらに関東に戻った性信は、関東での布教に励む。だが、その30年後、本尊である阿弥陀如来の顔が汗まみれになっているのを見て驚く。考えてみれば師の親鸞も齢すでに90。親鸞の身に何かあったに違いないと悟った性信は慌てて京に上るのだった。


最後は、「恩徳讃Ⅱ」を皆で歌って閉会となる。

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2017年3月21日 (火)

笑いの林(85) 「宮村優子×桜 稲垣早希プレゼンツ in 大阪!」

2017年3月4日 大阪・弁天町の世界館にて

JR弁天町駅から北へ。安治川沿いにある世界館という劇場で、「宮村優子×桜 稲垣早希プレゼンツ in 大阪!」の2回公演を観る。一帯は工業地帯で、それ以外のものはほとんどない。世界館も元々は倉庫だったものを改修し、入り口付近のファサードをお洒落にして、2004年に劇場としてオープンしている。プロレスの会場になってりしているようだ。
「宮村優子×桜 稲垣早希プレゼンツ」公演は今回が3回目。初回は昨年初めに、二人の出身地である神戸で行われ、2回目は東京で開催された。神戸公演では、みやみーこと宮村優子は旦那の悪口ばかり言っていたが、その後、離婚している。

第1部は正午開演の公演で、「みやむー&さきの部屋~お昼は楽しくおしゃべりの回」でトークショー。第2部が午後5時開演の公演で、「みやむー&さきの部屋~夜はわいわいゲームの回~」でゲームコーナーである。

第1部は、二人とも私服で登場。まずは早希ちゃんが、「3回目ですが、全部来ているという人」と聞く。結構いる。次いで、「今日が初めての人」と聞くとこれもまあまあいる。宮村優子が、「どうも宮村優子です」と自己紹介をし、早希ちゃんが、「それはみんな知ってます。知らないで来ている人がいたら頭おかしい」と突っ込む。

アスカのコスプレで来ている、早希ちゃん公演常連の女の子がいるのだが、早希ちゃんと宮村優子に発見して貰い、声を掛けられたので嬉し泣きしていた。

まずは「ババ抜きトーク」。二人とも相手に話して欲しい話題を5つ用意して紙に一枚ずつ書き、ババ抜きの要領で引いて、トークを行うというもの。
早希ちゃんが先攻で引く。お題は「ハマっているもの」。早希ちゃんはYouTubeにハマっているそうで、自身も公式YouTubeチャンネルを立ち上げて、有名YouTuberのHIKAKINさんを真似したサキキンというキャラクターを演じている。サキキンは極端なぶりっこ&ナルシストキャラなのだが、早希ちゃんを知らない視聴者から叩かれまくっているそうで、「ボケ、ブス、シネ!」と早希ちゃん曰く「覚えやすい」暴言で罵られているそうだ。アスカの子だと知っている人でも、「アスカじゃない時はこういう子なんだ」と思い込んで、「ぶりっこは嫌われますのでやめた方がいいですよ」と心配してメッセージを書き込んでいるという。
宮村優子は、いつも下に小さい文字で「本当に聞きたい質問」を書いており、「早希ちゃんの属性はSですか? Mですか?」と聞いている。宮村優子はずっと「自分はMだ」と思って生きてきたのだが、最近になって「あれ? Sじゃない?」と気づいたそうである。「早希ちゃんは、いじめるのが好き? いじめられるのが好き?」と聞かれた早希ちゃんは、「その言葉にゾクゾクしているのでMです」と言うも、「Mの女の方がモテる」とも言って、「一応M」ということにしておく。宮村優子は、「男性はMの方が多いらしい」と言っていたのが、そうなのか?
宮村優子が引いたのは、「最近、日本の焼きそばがおかしいので食べてみて」。カップ焼きそばの味が妙なことになっているそうで、昨年のクリスマスには「ショートケーキ味」、今年のバレンタインデーには「チョコレート味」、そして今は「納豆味」が出ているそうである。「ショートケーキ味」と「チョコレート味」は今は手に入りにくいそうで、わざわざ取り寄せたそうだ。
スタッフが、裏でカップ焼きそばを作っている間に、早希ちゃんに二つ目の質問、「何フェチですか?」。早希ちゃんは「首フェチ」だそうで、うなじを見るのが好きだそうである。男性が物を落として拾おうとして屈んだときに見える首の裏側をガン見するそうだ。女性のうなじが素敵なのはわかるのだが、男のうなじについてはよくわからん。「ホクロがあるとなおいい」と言っていたが、こちらはなんとなくわかる。南野陽子もホクロがなかったら魅力半減だろうし。泣きぼくろがチャームポイントという女性も多い。ついでに、「お風呂に入ったとき体のどこから洗いますか?」とも小さい字で聞いていた。
宮村優子は長風呂で1時間ぐらい入っており、体は洗わないそうである。彼女は現在もオーストラリア在住なのだが、オーストラリアのバスタブは浅くてすぐに冷めるのでずっとお湯を入れ続ける必要があるそうだ。子供二人も入れるので長くなるという。早希ちゃんが、「人妻」と言いかけて止め、宮村優子は「シングルマザー」と言った。

できあがったカップ焼きそばの試食。劇マズで、早希ちゃんは一口食べるのが精一杯だったが、みやむーは「まずくはない」と言って、全て一口以上食べていた。宮村優子は自分で、「バラエティーではおいしくないタイプ?」と言い、早希ちゃんも「ちょっとおかしいです」と言っていた。

宮村優子への質問2つ目は、「ハマっているもの」でかぶってしまう。みやみーはマンガが好きなのだが、オーストラリアでも買える電子書籍版は、以前は紙の書籍に比べると半年遅れで刊行されていたそうで、「ONE      PIECE」などは早く続きが読みたくなるため、日本に帰った際にまとめ買いしていたのだが、重いしかさばるので苦労していたという。だが、今は単行本と電子書籍がほぼリアルタイムで出るようになったそうだ。ちなみに宮村優子はアニメは見ないそうである。アニメを見ていると、声優さんがスタジオで今どんな作業をしているのか、スタッフがどう工夫しているのかがわかって映像が浮かんでしまうため、集中できないそうである。一種の職業病である。
なお、宮村優子が遠山和葉役で出演している「名探偵コナン」の最新映画が来月公開されるそうである。

早希ちゃんへの3つ目の質問。「他の芸人との関係」。後輩芸人の堀川絵美が「エヴァンゲリオン」もろくに見たこともないのに、綾波レイならぬデブ波レイをネタでやっているのだが、「知れ渡る前にやめさせます」と言う。吉本の女芸人は毎年ひな祭りの日に、今いくよ・くるよ師匠が開催するひな祭り会を開いているそうで、いくよ師匠が他界してからは、くるよ師匠一人が主催しているという。そこで、シルク師匠から、「癌にならない食事法」を伝授されたそうで、3つのものを避けると良いと言われたのだが、宮村優子が3つとも当ててしまったため(よく知られている種類のものである)「あれ? 私だけ知らんかったんかな? 結構みんな、『おー!』て言ってたのに」と訝しむ。まあ、フードファディズムになりかねないので信じるかどうかは自分で決めるしかない。
川絵美はまだ芸歴が浅いので、まだくるよ師匠に存在を知られておらず、ひな祭り会に呼ばれたことはないそうである。早希ちゃんは「(「くるよ師匠に)知られる前に(レイを)やめさせます」とも言う。

USJのエヴァンゲリオンに行ったことがあるかどうかという質問もある。みやみーは昨日、USJに行ってエヴァを体験してきたそうだ。早希ちゃんもみやみーに「一緒に行こう」と誘われたのだが、営業の仕事が1本入っていて行けなかったという。やはり職業病が出て、アスカのセリフが聞こえるとアスカモードになってしまい、ついセリフを口にしてしまうそうで、隣のお客さんは双方向からアスカの声がするため、「???」状態になっていたという。ちなみに、USJでは宮村優子本人だとは気がつかれなかったそうで、エヴァグッズを3つ買ったのだが、「『エヴァンゲリオン』、お好きなんですね」と笑顔で言われたとのこと。まさか本物の声優が目の前にいるとは誰も思うまい。

ここで、ラスト。「好きなタイプは?」を無理矢理「好きなたこ焼きのタイプは?」に変えて、舞台上にたこ焼き器が置かれ、タコではない具を入れたたこ焼き作りが始まる。宮村優子が「音楽はないのかな?」と言ったためBGMがかかるが、音源を用意していなかったため、たこ焼き作りには不似合いなビーチボーイズの「サーフィンU・S・A」が流れていた。
「よっちゃんイカ」、「サクランボ」、「グミ」(以上、みやむー持ち込み)、「ミニトマト」、「フリスク」、「グミ」(以上、早希ちゃん持ち込み)を入れたたこ焼き。当然、美味しくなるはずはないのだが、宮村優子は「まずいけど平気」だそうである。
ラストと言いつつ焼いている間に、宮村優子が質問に答えることになった。「これまでで一番笑ったことは?」。宮村優子はお笑い好きだそうで、和牛や銀シャリがお気に入りだという。大阪吉本と東京吉本の芸人についてであるが、テレビを見ていても東京の芸人なのか大阪の芸人なのかは意識せず、大阪で見ていた芸人が東京のお笑い番組で見ないのに気づいて、「ああ、大阪の芸人さんだったんだ」と思う程度だそうだ。
ちなみにアニメ芸人は大半が東京在住で、大阪にいるのは早希ちゃんと南斗水鳥拳のレイ(がっき~)だけだそうである。「レイ違い」だそうだ。なお、二人とも苗字は稲垣である。


第2部までの間、時間を潰さねばならないのだが、弁天町というのは本当にオーク200しか行く場所がない。取り敢えずオーク200にあるカフェで昼食を食べ(カサブランカという店名なのに、ギリシャのミコノス島の絵が飾ってあるという、コンセプトのよくわからない店であった)、書店やら映画のポスターが飾ってあるコーナーやらを見て回る。弁天町付近も少し歩いてみたのだが、「危険」という感じはしないものの、「夜はまずそうだ」という雰囲気がある。よく似た雰囲気の他の場所は思いつかないが、敢えて挙げるなら西池袋に少しだけ近いかも知れない。

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2017年3月 2日 (木)

これまでに観た映画より(91) ヒッチコック9「農夫の妻」

2017年2月25日 新京極のMOVIX京都にて

アルフレッド・ヒッチコック監督のサイレント時代の映画全9本をイギリス国営映画協会が2012年に最新デジタルマスターで1コマずつ復元した映像で日本初上映しようというヒッチコック9。ヒッチコックのサイレント映画は日本では映画館で上映されたこと自体が少なく、日本初上映となる作品も多い。
今日観るヒッチコック9は、ラブコメディーである「農夫の妻」。1928年の作品である。
「ふしだらな女」同様、この映画も戯曲が原作であり、イーデン・フィルポッツの大ヒット舞台を映画化したものだという。ヒロイン役は、「リング」でもヒロインを務めたリリアン・ホール=デイヴィス。ミュージカル映画「雨に唄えば」では、サイレント映画のスターがトーキーの時代になって通用しなくなる様が描かれているが、このリリアン・ホール=デイヴィスもトーキーに対応出来ずに精神を病み、この映画が作られたわずか5年後の1933年にガス自殺を遂げている。享年35。

イギリス南西部の農村が舞台。ヒッチコックは実際にイギリス南西部のマインヘッド郊外でロケを行っているが、主人公の家はロンドン市内に作られたセットで撮影されている。
サミュエル・スウィートランド(ジェイムソン・トーマス)の妻が亡くなる。妻は遺言と「早く再婚して」というメッセージを残していた。ただし、結婚相手は誰が良いのかは書かれていない。そこでサミュエルは、家政婦のアラミンタ(リリアン・ホール=デイヴィス)と協力して結婚候補のリストを作る。リストの載ったのは4人。いずれもサミュエルに対してその気があるような気配を見せていた女性達だ。
だが、「一人で生きていける」、「結婚相手には考えられない」、「年齢が離れすぎていて考えられない」などという理由で断ってくる。
ヒットした舞台の映画化であり、求婚される女性の一人、サーザ・タッパーを演じたモード・ジルは舞台版でも同じ役を演じていたそうである。
大傑作というわけにはいかないだろうが、愛らしい作品であり、俳優達の表情の演技も巧みである。リリアン・ホール=デイヴィスだけが飛び抜けた美女で、他は普通のおばさんであり、最初から結末はわかってしまうのであるが、納得出来る終わり方をするため、予定調和であるがハッピーエンドと感じられる。
気が変わってサミュエルと結婚する気満々でいたメアリー・ハーン役のオルガ・スレイドの錯乱を表す演技も面白い。

今日も英語の字幕の日本語訳を大野裕之が読み上げ、古後公隆がキーボードとチェロによる即興伴奏を生演奏した。


今日は映画監督を迎えたアフタートークがある。ゲストは映画「淵に立つ」で、第69回カンヌ国際映画祭・ある視点部門審査員賞を受賞した深田晃司(ふかだ・こうじ)監督。ヒッチコック9のディレクターである大野裕之と二人でトークを進める。深田は、ヒッチコック監督の「裏窓」という映画にサイレント映画の要素が見られると指摘する。「裏窓」では、足を骨折した主人公(ジェームズ・スチュアートが演じている)が裏窓から双眼鏡を使って向かいのアパートを眺めているうちに事件に巻き込まれるという展開をするのだが、向かいのアパートの住人達の仕草は見えるのに、声や音が聞こえてこないところがサイレント的であるという。
大野によるとヒッチコックはサイレント映画について、「最もピュアな映画の形」と形容していたそうで、サイレント映画こそが映像作品の究極形態の一つと考えていた節がある。
大野はチャップリン研究の専門家であるが、チャップリンもよく知られている通りトーキー映画に敵愾心のようなものを抱いており、「モダンタイムス」ではチャップリンは意味不明の言葉で歌ったことを挙げる。チャップリンがトーキーに本格的に乗り出すのは「自分の声でメッセージを伝えたかった」という理由で長大な演説シーンを盛り込んだ「独裁者」からである。
深田監督は、サイレント映画の中では、「イントレランス」、「裁かれたジャンヌ」、「ファウスト」が好きだそうである。サイレント時代には、英国には実は映画予算がなく、ドイツやアメリカの映画会社が資金潤沢だったそうで、ヒッチコックもアメリカの映画会社(のちのパラマウント)のロンドン撮影所に入社し、ドイツで最初の映画を撮っている。
チャップリンもバスター・キートンも喋る表情をしないサイレント映画を作っているが、「農夫の妻」では、声は聞こえないものの口は動いており、そこが他のサイレント映画の作家と違うところだと深田は指摘した。
また深田は、階段が効果的に使われていることについて述べ、左右だけでなく上下を有効に生かしていると語った。

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