カテゴリー「広上淳一」の60件の記事

2018年10月28日 (日)

コンサートの記(445) 「時の響」2018楽日 大ホール第2部 広上淳一指揮京都市交響楽団 広上淳一リクエスツ「思いをはせた『西洋』の音楽文化」

2018年10月21日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールで行われている「時の響」2018の楽日。大ホールでの第2部は、広上淳一リクエスツ「思いをはせた『西洋』の音楽文化」というタイトルのコンサート。日本の幕末明治維新期に初演された曲2曲を並べる。広上淳一指揮京都市交響楽団の演奏。司会も引き続き慶元まさ美が務める。午後2時開演。

演目は、岸田繁の「ほんの小さな出来事のためのファンファーレ」(管弦楽版)、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲)


まず、くるりの岸田繁の新曲が演奏される。昨日、同曲の吹奏楽版が西村友指揮オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラによって初演され、今日は管弦楽版の初演である。

「大脱走」のテーマを連想させる作品。広上も楽しげな音響を築く。
演奏終了後、広上は客席の方に向かって「作曲者の岸田さん、いらっしゃいますか?」と聞き、岸田繁が立ち上がって拍手を受けた。


ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。京響首席フルート奏者の上野博昭の妙技が披露される。
広上は見通しの良いクリアな音作りと、おぼろげでアンニュイな雰囲気の両方を上手く出し、理想的なドビュッシー演奏となった。


ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」。演奏前に、慶元が、「『プロムナード』が流れる時に、スクリーンに京都市内各所の今と昔の映像が流れます」と説明。三条大橋、新京極、堀川通、四条通、烏丸通、八坂の塔(法観寺)、大原道(鯖街道)などの現在と1910年代の映像が対比される形で投影された。八坂の塔だけは東山に近く景観保存がなされているため今とほとんど変わらない。

演奏は素晴らしい。ハラルド・ナエスの吹く冒頭のトランペットから抜群の造形美を誇り、美しさとパワーの両方を兼ね備えた演奏が繰り広げられる。

広上指揮京都市交響楽団の演奏による「展覧会の絵」は以前にも聴いたことがあるが、より引き締まりつつも柔軟性のある演奏が行えるようになっている。
ラストの「キエフの大門」の迫力も圧倒的。小柄な広上が京響から豊かなスケールを引き出すのも面白い。小さなものが大きな力を生み出す様は、視覚的にも効果的だ。



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2018年10月27日 (土)

コンサートの記(444) 「時の響」2018楽日 大ホール第1部 広上淳一指揮京都市交響楽団 広上淳一リクエスツ「音楽維新 NHK大河ドラマテーマ音楽で聴く歴史の波形」

2018年10月21日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールで行われている「時の響き」2018。大ホールでの第1部と第2部の出演は、広上淳一指揮京都市交響楽団。
コンサートマスターは今日も渡邊穣で、第1部の木管楽器の首席奏者はオーボエの髙山郁子のみ、第2部では勢揃いという顔触れである。

午前11時開演の第1部は、広上淳一リクエスツ「音楽維新 NHK大河ドラマテーマ音楽で聴く歴史の波形」と題されたコンサートで、幕末を舞台とした大河ドラマのメインテーマ曲を中心にした曲目が編まれており、

谷川賢作の「その時歴史が動いた」エンディングテーマ、坂本龍一の「八重の桜」、川井憲次の「花燃ゆ」(ヴォーカル:平野雅世&迎肇聡)、湯浅譲二の「徳川慶喜」、吉俣良の「篤姫」、佐藤直紀の「龍馬伝」(ヴォーカル:平野雅世)、林光の「花神」、富貴晴美の「西郷どん」が演奏される。

司会は、FM京都 a-stasionのDJである慶元まさ美(けいもと・まさみ)が務める。

NHK職員の息子であり、子どもの頃から大河ドラマを見ていて、自称「大河フェチ」の広上淳一の解説も聞き物である。


現在は「歴史秘話ヒストリア」となっている枠で流れていた「その時歴史が動いた」。詩人の谷川俊太路の息子で、作曲家の谷川賢作の作品である。
広上によると、「ラストで、取り上げられた人物の金言といいますか、箴言、まあ金言ですね。それが松平さん(松平定知アナウンサー)のアナウンスで流れて、最後にトランペットが鳴るところで涙を流す」と「自分自身の体験なってしまいましたが」語る。広上はよく泣く人のようである。

午前中にスタートするということで、広上は「おはようございます」と挨拶していた。


「八重の桜」。慶元が、同志社大学の創設者である新島襄の妻となった新島八重(山本八重)を紹介し、広上は「私の頭の中では綾瀬はるかになっています」と語る。
八重の兄である山本覚馬が西郷隆盛と仲良くなり、御所の北にあった二本松の薩摩藩邸跡地を安値で譲られて、新島襄の同志社が出来たという話を広上はする。

「八重の桜」のテーマ曲は、放送中であった2013年に、坂本龍一のピアノと栗田博文指揮東京フィルハーモニー交響楽団の演奏で聴いてことがある。新しくなったフェスティバルホールで聴いた初のコンサートであった。
尾高忠明指揮NHK交響楽団による本編用の音源でも、坂本龍一&栗田指揮東京フィルの演奏でも最初から壮大でドラマティックな展開となっていたが、今日の広上はそれらとは違い、一瞬一瞬の光の明滅を描いたかのような儚げなものであった。尾高や坂本&栗田が咲き誇る桜を描いたのとは対照的に、散りゆく花びらを音の変えたかのような演奏である。


「花燃ゆ」。吉田松陰の妹である杉文を主人公にした作品。広上は「私にとっては井上真央」。井上真央もこの作品の低視聴率があだとなったのか、最近はいい噂が聞こえてこない。
本編で指揮を行っていたのは、広上の弟子である下野竜也。下野竜也はNHKに気に入られているようで、その後も何度も大河ドラマのテーマ曲指揮を手掛けており、「真田丸」では謎の商人役(真田信之役の大泉洋に「誰?」と言われる)で出演までしてしまっている。「RAMPO」などの作曲家である川井憲次のメインテーマはドラマティックで良かったのだが、本編自体は脚本家を4人も注ぎ込むも音楽に負ける出来となってしまっていた。


「徳川慶喜」。作曲は20世紀の日本を代表する作曲家の一人であった湯浅譲二。現代音楽の要素を取り入れており、大河ドラマのメインテーマの中では取っつきやすい方ではない。広上は、徳川慶喜については「昔は余り好きじゃなかった」と語り、「軍事力は負けないだけのものを持っていたのに、兵を見殺しにして逃げて謹慎しちゃって情けない人だと思っていた」
ただ、「当時の列強に日本を乗っ取られる」危険性を避けるためと知ってからは見る目が変わったようである。
演奏前に、大政奉還の舞台となった二条城のCGがスクリーンに映る。
本編でもオープニングタイトルは個性的であり、江戸の写真や絵と共に縦書きの字幕が左から右へと流れていくという絵巻物手法が取られていたのを覚えている。


吉俣良の「篤姫」。21世紀に入ってからの大河の中では平均視聴率が最高を記録した作品である。広上は、「まさか岡田准一と結婚するとは思わなかった」と宮﨑あおいについて語る。
ちなみに影の脚本家を巡る噂のある作品でもある。
広上は、「地味だけど」と前置きしつつ、曲に関して褒める。
本編での指揮は井上道義で、耽美的な演奏を行っていたが、広上の指揮する「篤姫」は井上のものに比べるとスタイリッシュである。


佐藤直紀の「龍馬伝」。本編を指揮したのも広上淳一である。
佐藤直紀は、広上の東京音楽大学の後輩であり、教え子でもあるそうだが、「彼は私の授業には出ませんで」と広上は語る。「龍馬伝」のレコーディングの時に、佐藤は「あの時はお世話になりました」と言いに来たそうだが、広上が「そんなにお世話したっけ?」と返すと、「いや、最初の1回しか授業に出ていませんで、それで、『単位あげるよ』と言われたので、もう出ませんで」だそうである。広上は単位はあげたが、大学から授業に出ない学生に単位をあげたのが問題視されたそうで、翌年からは当該授業からは外されてしまったそうである。
佐藤は、インドやネパールなどの南アジアの「エキゾチックな」民族音楽を学ぶのが好きな人だそうである。

本編ではオーストラリアのミュージシャンであるリサ・ジェラルドがヴォーカルを担当していたが、今回は平野雅世がマイクなしのソプラノで歌う。
ただこの曲は、マイクありのヴォーカルで歌った方が効果的なように思えた。


林光の「花神」。大村益次郎こと村田蔵六を主人公にした作品である。「花神(かしん)」は「花咲か爺さん」の中国での呼称。自分は去ってしまうけれど咲かせた花は残るという姿を司馬遼太郎が花神に例えたものである。

広上は林光について「大天才」と最大級の賛辞を送る。林光は尾高尚忠の弟子であり、十代の頃からすでに尾高に認められていて鞄持ちなどをしており、東京芸大に入るも学ぶものが何もないため1年で中退して作曲活動に入ったという早熟ぶりについても話す。
基本的にオプティミスティック人であり、どんな時でも明るかったという。

「花神」は、現在は総集編のVTRのみが残っている。私も総集編のみDVDで見た。
林光は、作風が比較的平易なことでも知られ、どの作品でも明快な旋律を一番大事にしている。曲と広上の相性も良いようだ。


現在放送中の大河ドラマ「西郷どん」のオープニングテーマ。一昨日、岩村力指揮京都市交響楽団の演奏で聴いているため、聞き比べが出来る。
広上の指揮する「西郷どん」は、岩村のそれと比べて重層的であり、より多くの音が聞こえる。劇伴としては主題が明確に浮かぶ演奏が好まれる傾向にあるのだが、広上の解釈はクラシック作品に対するのと変わらないスタイルが貫かれているようだ。

全般を通していえることだが、広上の奏でる大河のメインテーマはどこか儚げで移ろいやすく、どんなに明るいメロディーや和音にも憂いが影に潜んでいるという日本人的美質が聴き取れる。まるで「桜」の美意識だ。

広上の大河指揮デビュー作も幕末ものの「新選組!」なのだが、残念ながら演奏はなし。「時の響」は時間の関係でアンコール演奏も一切なしのようである。


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2018年10月14日 (日)

コンサートの記(435) 「京響プレミアム スピンオフ ラジオタイムス ~ことばが結ぶシンフォニー~ 西川貴教×大島こうすけ オーケストラコンサート」

2018年10月5日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、「京響プレミアム スピンオフ ラジオタイムス ~ことばが結ぶシンフォニー~ 西川貴教×大島こうすけ オーケストラコンサート」を聴く。
指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

日本を代表するシンガーの一人である西川貴教と作曲家・編曲家・ピアニストの大島こうすけが、ラジオDJのようにクラシックとポップスをミクスチャーさせるという趣向のコンサート。
一番高いところまで上げた舞台下手奥の段の上にラジオブースに見立てたものを置き、西川と大島がそこでトークを行う。

曲目は前半が、ラジオタイムスのオープニングテーマである「Timeless Journey」(大島こうすけ作曲)、ホルストの組曲「惑星」より“木星”、西川貴教が歌う「awakening」と「Roll The Dice」のオーケストラ伴奏版。後半が、菰口雄矢のギターソロとオーケストラによる「熊蜂の飛行」(リムスキー=コルサコフ)、そして西川貴教がヴォーカルと務める「Prisoner」、「さよならのあとで」(原曲はヘンデルの「私を泣かせてください」)、「インスタント・アンサー」(モーツァルトの交響曲第25番第1楽章による)の3曲である。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。今日はクラリネット首席の小谷口直子が降り番だったようだが、その他の管楽器首席奏者の多くは前後半ともに出演していた。
なお、ニコニコ動画での生配信があるようで、舞台上に本格的なマイクセッティングが施され、テレビカメラも何台も回っている。ポディウムは発売されておらず、2階ステージサイド席の後ろ半分もスピーカーを設置するために空けられている。スピーカーはステージ両脇にも本格的なものが置かれている。

まず「timeless Journey」。余り京響が演奏しないタイプの楽曲であるが、それだけに新鮮ともいえる。

ホルストの組曲「惑星」より“木星”。大島こうすけのリクエスト曲だそうである。宇宙を描いた曲ということで大島は興味を持ったそうだ。中間の部分は平原綾香が「Jupiter」という曲として歌っていることでも有名だが、「ご存じない方のために」とまず西川貴教が「Jupiter」のカバーを歌い。それから「木星」の演奏が行われる。
井上道義の指揮で「木星」を演奏したばかりの京響だが、曲全体の美しさ見通しの良さ、そしてバランスと典雅な雰囲気全て広上の方が上である。
ホルストの組曲「惑星」について広上は、「『土星』という曲があるのですが、暗くて重くて後で鬱になる」と語る。

「awakening」と「Roll The Dice」。「awakening」は西川が以前に出したシングルのカップリング曲だそうだが、「Roll The Dice」は今年の11月に発売される予定の曲だそうで、

西川 「オリジナル発表の前にオーケストラ版を歌う」
大島 「豪華ですね」
ということだそうだ。

「awakening」(作詞:神前暁、作曲:毛蟹)は、三拍子を基調にした楽曲で、広上は例によって指揮台の上でステップを踏んでいた。この曲では、ギタリストの菰口雄矢が参加したのだが、緊張のため、現れてすぐに着座してしまい、西川貴教から「ソリストなので普通は指揮者の方と握手したりするものなんですが」と突っ込まれる。更に広上の方から指揮台を降りて握手することになったため、「馬鹿ですね」と西川に言われていた。演奏終了後もすぐに下手にはけてしまったため、客席から笑いが起こる。
「Roll The Dice」は、ロックナンバーということで、打楽器群が大活躍する編曲となっている。

後半。リムスキー=コルサコフの「熊蜂の飛行」は、西川がリクエストした曲である。ちなみに、今日の客層は西川貴教が出ると言うことで、いつもの京都コンサートホールとは異なり、30歳前後の女性がメイン。西川が「熊蜂の飛行を知ってる人」と聞いても反応がなく、クラシックファンはほとんど来ていないことがわかる。
「熊蜂の飛行」の早弾きを菰口雄矢のギターソロと京響とで競うことになるのだが、西川は菰口について、「出来ますかね? 前半の段取り、全て忘れた男ですよ?」
ちなみに、菰口には一度間違うことに千円の罰金が科せられるという。
大島による独特の編曲で演奏が行われる。広上が下手から登場し、指揮台に上がる前に自分から菰口と握手をして笑いが起こる。
西川と大島は舞台袖のモニターで確認していたそうだが、菰口は4回間違えたということで四千円の罰金となるそうである。演奏を終えた菰口に西川が感想を聞くと、「緊張で口の中がパサパサになりました」と返ってきた。

「Prisoner」は大島こうすけが今回の演奏会のために書き下ろした新作。歌詞は山崎あおいが担当しているが、大島は、「悪い女を描いている」と紹介する。作曲に当たっては楽曲の再構築という手法を取ったそうだ。

ヘンデルのアリア「私を泣かせてください」を日本語歌詞にした「さよならのあとで」。山崎あおいの歌詞は、ヘンデルのアリアとは全く違ったものになっている。通常はソプラノによって歌われる曲であり、西川は男性としては声が高い方だがソプラノ同様に歌うには無理なため、メロディーも少しいじっているようだ。

プログラム最後の曲である「インスタント・アンサー」。モーツァルトの交響曲第25番第1楽章をモチーフにしたものである。まずはモーツァルトの交響曲第25番第1楽章を広上と京響が演奏する。カットありの演奏だったが、水準としては見事なもの。ただ、演奏終了後に広上が語ったところでは、全曲を演奏したことは1回しかないそうで、この曲を演奏することも生まれて2度目。モーツァルトの交響曲第25番について広上は「暗い」とだけ語ったが、「モーツァルトという人は、人を楽しませることが大好きな人だったと思うんです。西川さんのように(西川は「???」という顔)。ただとても繊細だった。短調の交響曲は2曲しかないんですが、人を楽しませる心遣いの出来る人が書いた本音のような部分。といっても会ったことないんですけどね」というようなことを言う。
「インスタント・アンサー」は、交響曲第25番第1楽章とは調が違うようである。ト短調という調性は歌いにくいだろう。メロディーも特にモーツァルトをなぞっているわけではない大島独自のものである。昔、シルヴィ・ヴァルタンがモーツァルトの交響曲第40番ト短調を伴奏にした曲を歌っており、それを参考にしたのかと思っていたが、この曲はモーツァルト作曲の部分もかなり変えているため、そういうわけではなさそうである。

西川は、「皆様、本日はこの曲をもって終わり、というわけには参りません」と言って、このコンサートのために作った「Hikari」という曲をアンコールとして歌うことを客席に伝える。西川は広上にも「Hikari」のリハーサルを行った時の感想を聞き、広上は「とても良い曲。美しい。曲だけじゃなくて歌詞も良い。ヒットしそう」というが西川に「ヒットもなにも発売するかどうかも決まってないんですが」と突っ込まれていた。
広上によると、このコンサートのリハーサル中に自身の弟子がとんでもない粗相をしたそうで激怒し、「もうクビだ!」宣言をしたのだが、この曲を聴いている内に気分が落ち着いて許すことにしたそうである。ただ、そのお弟子さんは会場に残ることは出来なかったようで、「今、動画を見てると思います」とのことだった。
歌詞がいいのかどうかは一度聴いただけではわからなかったが、メロディーは優しくて良い感じだったと思う。
拍手は鳴り止まず、最後はオールスタンディングとなる。もっともオールとは書いたが私自身は最後まで立たなかったのだけれど。


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2018年9月20日 (木)

コンサートの記(425) 広上淳一指揮 第4回・京都市ジュニアオーケストラコンサート

2009年2月1日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、第4回京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。指揮・スーパーバイザー:広上淳一。
京都市ジュニアオーケストラは10歳から22歳までのメンバーによる若いオーケストラ(今回の出演者の最年少は13歳であった)。楽器が出来ることが入団の条件であり、音楽を専攻している若者だけではないとのことである。弦楽パートには京都市交響楽団の団員も加わっての演奏。

プログラムは、シャブリエの狂詩曲「スペイン」、グノーの「ファウスト」からのバレエ音楽、ベートーヴェンの交響曲第7番。

青少年のオーケストラということもあって、パワー不足は感じられたが、音は磨かれていて美しい。

狂詩曲「スペイン」では広上が普通は強調しないところを強調していたり、「ファウスト」からのバレエ音楽では指揮台狭しとばかりに動き回っていたり、例によって個性的な演奏を指揮姿で魅せる。狂詩曲「スペイン」では金管に肺活量の問題を感じたが、「ファウスト」からのバレエ音楽も含めて、弦楽パートはかなり充実している。音の厚みはないが、響きの美しさは相当なハイレベルである。

ベートーヴェンの交響曲第7番。リズムを重視して書かれたこの曲のリズムを広上は徹底して追求。普通の演奏なら流してしまうところも広上はじっくりと音を刻んでいく。京都市ジュニアオーケストラのメンバーが若いためか、音が明るく、溌剌としている。そのため、渋さには欠けるが、躍動感溢れる演奏になった。広上は楽譜に指定された反復を全て履行していたようで、長めの演奏になったが、聴き応えがあった。やはり広上のベートーヴェンは良い。

アンコールでは、京都市ジュニアオーケストラの合奏指導に当たった、京都市立芸術大学の秋山愛美さん(指揮科4回生)と、粟辻聡さん(指揮科2回生)が登場。広上と三人で、ブラームスのハンガリー舞曲第5番を演奏する。粟辻→秋山→広上の順に指揮台に上がる。
秋山さんの指揮は、実は3年前に京都市北文化会館の京都市立芸術大学の演奏会で接したことがある。その時と今と指揮姿はほとんど変わっていない。手先を動かしてオーケストラを整える感じ。まあ、そう簡単に進歩はしないわな。

広上の指揮になると、オーケストラの音の合間から突如として熱いものが噴き出すのがわかる。あれは一体何なのだろう。いつも不思議に思うのだが、指揮者の力というのは目に見えない部分の方が大きい。その力の正体は指揮者本人でもわからないようだ。色々な指揮者のインタビューを読んでもそう感じる。

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2018年9月16日 (日)

コンサートの記(424) 広上淳一指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2018 「Bravo!オーケストラ」第2回“オーケストラ・スペクタクル”

2018年9月9日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2018 「Bravo!オーケストラ」第2回“オーケストラ・スペクタクル”を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。広上は約1週間の間に3回京都市交響楽団の本番をこなすことになる。
ナビゲーターはロザンの二人。

午後1時半頃に京都コンサートホールの前に着いたのだが、楽屋口で京響シニアマネージャーの柴田さんが腕をグルグル回してタクシーを誘導しているのが眼に入る。タクシーからはロザンの二人が降りてきた。

曲目は、ワーグナーの歌劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲、J・S・バッハの管弦楽組曲第3番から「アリア」(「G線上のアリア」)、ビゼーの「アルルの女」からメヌエット、グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番から“山の魔王の宮殿にて”、ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1919年版)から“カッチェイ王の魔の踊り”、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」(ピアノ独奏:トーマス・エンコ)、チャイコフスキーの交響曲第4番から第4楽章。

今日のコンサートマスターは、客演の寺田史人(てらだ・ふみひと)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。

ワーグナーの歌劇「ローエングリン」から第3幕への前奏曲。ラストに「結婚行進曲」が加わる版での演奏である。
しなやかな弦楽と煌びやかな金管が印象的な演奏である。

広上は演奏が終わると、早速、ロザンの二人をステージ上に招き入れる。予定だと、もう少し経ってからロザンを呼ぶはずだったようだが、広上は、「一人じゃ寂しかったから」と語っていた。

この曲では金管が活躍するということで、広上は金管楽器の紹介を行う。「実は秘密がある」ということで、金管楽器はマウスピースを使うと語り、まずはマウスピースだけで鳴らして貰う。広上は、「ガッキーちゃん、鳴らしてみて」とホルン首席奏者の垣本昌芳に指示。広上は垣本のことを「京響のガッキーちゃん」と紹介する。続いて、トランペットの稲垣路子がマウスピースを鳴らす。広上は稲垣のことを「稲ちゃん」と呼ぶ。菅ちゃんは、「ガッキーちゃんよりいい音がする」とボケる。
ちなみに広上は、トロンボーン首席の岡本哲を「哲ちゃん」、テューバの武貞茂夫のことは「武ちゃん」と呼んでいるようである。

J・S・バッハの管弦楽組曲第3番から「アリア」。京響はこの曲を追悼曲として良く用いている。
ピリオド・アプローチを意識しており、すっきりとした音像の中に多彩な色合いが息づいている。

弦楽器の紹介。客演コンサートマスターの寺田史人は白髪であるため、菅ちゃんが「色々ご苦労が」と言う。広上が、「菅ちゃん、僕(髪)全部抜けちゃった」とボケたところ菅ちゃんが大笑いしたため、「受けすぎ!」と広上は突っ込む。
菅 「広上さん、今日テンション高いですね。ひょっとしてお酒召し上がってます?」
広上 「いや、飲んでませんが、今週はずっとここにいるもので」

弦楽器は楽器が大きくなればなるほど、弓は反比例して短くなるということも語られる。広上は、コントラバス首席の黒ちゃんこと黒川冬貴に「コントラバスは他の弦楽器と少し違うそうですが」と聞く。黒川は横にいた副首席奏者の石丸美佳に聞きつつ答えるが、最終的にはjuviちゃんこと出原修司が「ヴィオール属といって種族が違う」と答える。コントラバスは他の弦楽器より歴史が長いそうだが、広上の「いつ頃からあるの?」という問いに出原は、「ずっと昔から」と答えて、宇治原に「またずいぶんざっくりとした答えですね」と言われる。
広上は、「弦楽器奏者は、無理にと言われればですが、全ての弦楽器を演奏することが出来ます」と言うが、
宇治原「皆さん、首振ってはります」
菅 「ヴァイオリンの方々、『無理、無理』言ってはりました」

ビゼーの「アルルの女」第2組曲よりメヌエット。ハープとフルートが活躍する曲である。広上が「菅ちゃん、ハープ奏者というとどういうイメージ?」と聞く。菅が「人魚が弾いているような」と答える。
広上 「美人が弾いているイメージ?」
菅 「そうですね」
広上 「では京響の美人を紹介しましょう」
ということで、3人でステージ下手奥にいるハープ奏者の松村衣里のところへと歩いて行く。ステージを擂り鉢状にしているので、階段を上る必要がある。
松村によるとハープの弦は47本あり(日本の都道府県の数と一緒なので覚えやすい数字である)、半音は足で7つのペダルを踏んで出すために結構忙しいそうだ。広上は、「一見、優雅に見えても、あれです白鳥と一緒です」と語る。「白鳥は優雅に見えても水面下では必死で足を動かしている」というのはよく言われることであるが、実はあれは真っ赤な嘘である。白鳥はごく自然に浮いていて、足を動かすのは方向転換する時だけである。そもそも水鳥なので、必死で足を動かさないと浮いていられないというのでは、体の構造に欠陥ありということになってしまう。

フルート首席奏者の上野博昭にも話を聞く。フルートは現在では金属製のものを用いることが多いが、元々は木で作られていたため、木管楽器に分類される。
涼やかで通りの良いフルートの音色と、温かみに満ちたハープの音色の対比が心地よい。

グリーグの「ペール・ギュント」より“山の魔王の宮殿にて”。冒頭でファゴットが活躍するため、木管楽器の紹介が行われる。ファゴットは木管楽器の中で一番高値段が張るということである。菅ちゃんはファゴットについて「格好いいですね」というが、「なんど数ある楽器の中でファゴットをやろうと思われたんでしょうね?」と疑問も投げかける。ファゴット首席の中野ちゃんこと中野陽一郎は、純粋にファゴットが格好いいから始めたようだが、吹奏楽部などでは花形であるフルートやクラリネット、トランペットの選抜に落ちたから他の楽器に回るというのはよくあることである。
フルートを除く木管楽器はリードという芦を削ったものを用いるのだが、全て自分で削ったものを用いる。オーボエ首席の髙山郁子(広上は「郁ちゃん」と呼んでいるようだ)によると、1回のコンサートで用いるだけでリード1つが駄目になってしまうそうだ。ファゴットもオーボエほどではないが、リードを替える必要がある。
菅ちゃんが、客席に「ファゴットやってるぞ、という方」と聞く。3階席下手に座っていた高校生の集団の中の女の子が一人、手を挙げる。
菅ちゃんは、「ただでさえ楽器高いのに、リード代もかかる。止めるなら今のうちですよ」とボケていた。

造形がきちんと決まり、迫力、推進力ともに十分な演奏である。

ストラヴィンスキーの「火の鳥」から“カッチェイ王の魔の踊り”。打楽器奏者達が紹介される。広上は「打楽器奏者は打楽器は何でも出来る。例えばティンパニと大太鼓が入れ代わっても問題ない」と言うが、宇治原は「大太鼓の方、首かしげてますよ」

ストラヴィンスキーらしい鮮烈さを前に出しているが、端正さも同時に兼ね備えた演奏。迫力にも欠けていない。

ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」。ピアノ独奏のトーマス・エンコは、1988年、パリ生まれのピアニスト。音楽一家の出身で、3歳でヴァイオリンを始め、6歳でクラシックとジャズのピアノも習い始める。同じ時期には作曲も始めており、「ラプソディ・イン・ブルー」の演奏に必要なインプロヴィゼーション(インプロ。即興演奏)も得意としているようである。

演奏前に広上とロザンのトーク。広上はエンコについて「男前でしょ?」と聞き、宇治原は「楽屋で会ったんですけど、イケメンですね」と述べていた。

エンコのピアノはフランス人らしく無駄を減らしたタイトなものである。ピアノの微細な音色の変化も聞きものだ。

ガーシュウィンとチャイコフスキーの間に場面転換があるため、広上とロザンは再び下手の段上に上がってトークを行う。トーマス・エンコも広上に呼ばれて、広上とロザンの間でトークに加わる。
エンコがフランス出身ということで、菅ちゃんは、「I like エビアン」とボケる。
広上に日本の印象を聞かれたエンコは、「I love Japan」と英語で答えた後で、「日本はとても好きです」と流暢な日本語で話して、ロザンの二人を驚かせる。
京都の印象を広上に聞かれたエンコは、「京都はフェイバリットなプレースで、ウォークやサイクリングで観光をエンジョイしている」と答えていた。
菅ちゃんが、「Do you like ロザン?」とボケ、広上は、「He is very famous comedian in Japan」と紹介していた。

チャイコフスキーの交響曲第4番より第4楽章。広上と京響は丁度一週間前に大阪のザ・シンフォニーホールで全曲を演奏しており、チャイコフスキーの狂気をあぶり出すような解釈によるものであったのだが、今日は第4楽章だけということもあって大阪の時とは大分印象が異なる。弦はロシアものに最適なヒンヤリとした透明な音を出しており、管の煌びやかで抜けが良い。美的なフォルムを優先させたような演奏であった。

演奏終了後、菅ちゃんは例によって右手を掲げながら登場。宇治原に、「いや、あなたのおかげじゃない!」と突っ込まれていた。

アンコールとしてルロイ・アンダーソンの「忘れられた夢」が演奏される。イノセントでチャーミングな小品。オーケストラの中のピアノが活躍する曲で、演奏終了後に、ピアノの沼光絵理佳は単独で拍手を受けた。

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2018年9月10日 (月)

コンサートの記(421) 京響スーパーコンサート「ミッシャ・マイスキー×京都市交響楽団」

2018年9月5日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京響スーパーコンサート「ミッシャ・マイスキー×京都市交響楽団」を聴く。指揮は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

世界最高峰のチェリストの一人であるミッシャ・マイスキーと京都市交響楽団の共演である。マイスキーと京都市交響楽団は下野竜也の指揮によりベートーヴェンの三重協奏曲で共演しているが、それ以来3年ぶりの顔合わせである。

曲目は、いずれもドヴォルザークの作品で、交響曲第8番とチェロ協奏曲ロ短調。

コンサートマスターに泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。フルートが活躍する交響曲第8番では上野博昭が首席に入り、後半のチェロ協奏曲では中川佳子がトップの位置に入る。クラリネット首席の小谷口直子は全編に出演し、オーボエ首席の髙山郁子は後半のみの出演である。チェロ協奏曲の方が編成が小さいので、前半のみの出演者は結構いる。

広上は前半は長めの指揮棒を使って指揮。後半はノンタクトで振る。

まずは交響曲第8番。この曲は高校生の時にジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団によるEMI盤で何度も聴いた思い出がある。「イギリス」というニックネームを持つが、ドヴォルザークがそれまでに多くの自作の出版を委ねていたドイツのジムロック社の条件に納得せず、イギリスの出版社から譜面が出版されたという経緯によるもので(無料パンフレットを書いた竹内直は別の説を唱えている)、内容的にはイギリス的要素はほぼない。ということで「イギリス」という名称は最近では用いられないことが多い。

広上と京響による演奏は情報量が豊かである。音色に様々な風景、動物や鳥の声などが宿っており、想像が無限に拡がっていく。磨き抜かれた音とバランスも絶妙で、格好いいフォルム、叙情味、迫力、祝祭感の表出など、いずれもこのコンビのベストに近い出来である。渋みと華やかさを兼ね備えた演奏は日本では他に余り聴くことが出来ないはずである。
なお、京都コンサートホールは残響が長いため、広上はゼネラルパウゼをたっぷりと取っていた。

後半のチェロ協奏曲。
ソリストのミッシャ・マイスキーは先に書いたとおり世界最高峰のチェリストの一人であることは間違いないが、個性派であるため、好悪を分かつタイプでもある。旧ソ連時代のラトヴィアの生まれ。レニングラード音楽院附属音楽学校でチェロを学びチェリストとして活動を始めるが、ユダヤ系であり、実姉がイスラエルに亡命したために強制収容所送りとなる。その後、兵役にも送られそうになるが、佯狂によって回避。この事実がいらぬ先入観を抱かせることにもなっている。その後、アメリカを経てイスラエルに渡り、カサド音楽コンクールで優勝。西側での名声を得ている。
マイスキーは出だしでいきなりタメを作るが、その後の旋律の歌わせ方に関してはオーソドックス。ただ強弱はかなり細かくつけている。音色は深く、温かな輝きがある。
広上指揮の京響もマイスキー共々ノスタルジックな表出に長け、スケールも豊かである。

アンコール演奏は、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」。チェロ独奏と弦楽オーケストラのための編曲であるが、編曲者が誰かはわからない。マイスキーのチェロが常に主旋律を歌い、弦楽オーケストラがそれを彩るという趣である。ロシア民謡を主題としており、初演を聴いたトルストイが余りの美しさに涙したと伝わる「アンダンテ・カンタービレ」。涙こそ出なかったがトルストイの気持ちがよくわかるような演奏であった。

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2018年9月 7日 (金)

コンサートの記(420) 広上淳一指揮京都市交響楽団大阪特別公演2018

2018年9月2日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、広上淳一指揮京都市交響楽団の大阪特別公演を聴く。

オール・ロシア・プログラムで、プロコフィエフの組曲「3つのオレンジへの恋」から行進曲&スケルツォ、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:小林美樹)、チャイコフスキーの交響曲第4番が演奏される。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。第2ヴァイオリン首席には客演の有川誠が入る。チェロ首席にも客演のルドヴィート・カンタが入った。

プロコフィエフの組曲「3つのオレンジへの恋」より行進曲&スケルツォ。
京響は燦々と輝くような音色を発し、広上のキビキビとしたリードが生きる。鋼のように強靱なフォルムとメカニックがプロコフィエフの面白さを際立たせる。

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調。
ソリストの小林美樹(みき)は、1990年生まれの若手ヴァイオリニスト。アメリカのサンアントニオに生まれ、4歳の時にヴァイオリンを習い始める。2006年にレオポルド・モーツァルト国際ヴァイオリンコンクールで審査員特別賞を受賞。2011年にはポーランドのヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクールで2位になっている。桐朋女子高校音楽科を経て桐朋学園大学ソロディプロマコースを卒業。その後、ロームミュージックファンデーションの全額奨学金により、ウィーン私立音楽大学でも学んでいる。

ピンク色のドレスを着て登場した小林は長身の女性である。小柄な広上は、彼女の肩の部分までの身長しかない。

小林のヴァイオリンはスケールが大きく、技術力も確かである。少し単調なヴァイオリンなのが気になるところだ。時折、海老反りになってヴァイオリンを弾く小林。見せ方を知っているという印象を受ける。
広上指揮の京響も堂々としたシンフォニックな伴奏を聴かせる。

小林のアンコール演奏は、バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番よりジーク。華麗な演奏だったが、案外、記憶に残りにくい類いのものだったようだ。

チャイコフスキーの交響曲第4番。第1楽章では、チャイコフスキーの嘆きにさほどのめり込まず、俯瞰的なアプローチを展開する。客観視された悲劇性が音によって描かれることで却って深刻さが増す。
第2楽章でも第3楽章でも音色は明るめだが、その背後に陰鬱な表情があることを示唆させる演奏である。ちなみに広上は第3楽章をノンタクトで振り、応援団長がやる「フレーフレー」のような仕草をしていた。
第4楽章も音の見通しが良く、グロテスクなサーカスのような音楽が舞台上で繰り広げられる。あたかもロシア版の幻想交響曲のような描き方である。ラストで広上はギアを上げ、悪魔の高笑いのような音像を築く。文字通りデモーニッシュな解釈である。

演奏終了後、広上は、「一つだけ。皆様のご健康とご多幸を祈っております」と言って、モーツァルトのディヴェルティメントニ長調 K.136から第2楽章の演奏を行う。
広上と京響が共に十八番としているモーツァルト、の割には演奏会にプログラムに乗る機会は決して多くないが、透明で雅やかでチャーミングな理想的な出来となった。

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2018年8月16日 (木)

コンサートの記(411) 広上淳一指揮 大阪シンフォニカー交響楽団(現・大阪交響楽団)第129回定期演奏会

2008年11月7日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から大阪のザ・シンフォニーホールで大阪シンフォニカー交響楽団の第129回定期演奏会に接する。今日の指揮は広上淳一。

オール・メンデルスゾーン・プログラムで、序曲「静かな海と楽しい航海」、「ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲」(ヴァイオリン独奏:米元響子、ピアノ独奏:河村尚子)、交響曲第1番という無名曲が揃う。広上の指揮でなかったら客はまず入らないだろう。
広上の指揮でも客席は満員にならなかったが、超絶的に地味なプログラムの割には入りはそこそこ。ただし、パイプオルガン側の席は発売されていない。

モーツァルトと並ぶ神童作曲家として知られる、フェリック・メンデルスゾーン=バルトルディ。幼き日にはゲーテから「君に比べればモーツァルトでも子供同然」と絶賛を受けた(ただし当時は今とは違い、モーツァルトの評価はそれほど高くなかったことは意識しておく必要はある)。
38歳と、早世ながらモーツァルトよりは3年長く生きたメンデルスゾーンだが、作曲家としてはモーツァルトには遠く及ばず、多作だったにも関わらず、今でもコンサートプログラムに頻繁に乗るのは、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第3番「スコットランド」、交響曲第4番「イタリア」、序曲「フィンガルの洞窟」、「真夏の夜の夢」序曲と劇付随音楽「真夏の夜の夢」、弦楽八重奏曲、ピアノ曲「無言歌」集、オラトリオ「エリア」などで十指にも満たない。いずれも名旋律を持ち、メンデルスゾーンが旋律の人だったことがわかる。
今日のプログラムの曲も、序曲「静かな海と楽しい航海」はいくつか録音が出ている程度。ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲はこれまで私はその存在すら知らなかった。交響曲第1番も「メンデルスゾーン交響曲全集」には入っているが、全集にするために録音がされたものがほとんどで、単体でのCDは発売されていないはずである。発売されたとしても買う人はいないだろう。

無名曲を広上がどう聴かせるのかが注目である。

序曲「静かな海と楽しい航海」は、演奏が始まってすぐに弦楽パートの絶妙のハーモニーにより別世界に連れて行かれる。大阪シンフォニカー交響楽団の演奏会にはこれまで何度か接しているが、これまでに聴いてきた指揮者とは広上は格が違うのがわかる。
ただ、曲自体はやはり出来が良くない。聴いている間は引き込まれるのだが、曲が終わると途端に醒めてしまう。

ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲。米元響子は2008年度の出光音楽賞を受賞した若手ヴァイオリニスト。ピアノの河村尚子は2007年にクララ・ハスキル国際コンクールで優勝したこちらも将来を期待される若手である。
河村尚子の実演には、小林研一郎指揮京都市交響楽団の定期演奏会で接したことがある。モーツァルトのピアノ協奏曲の演奏だったが、河村が実に楽しそうにピアノを弾くのが印象的だった。
今日も河村は楽しそう。ソロが始まるまでのオーケストラのパートが長かったのだが、その間、河村は微笑みながら音楽に浸っている。ソロが始まってからも、顔の表情は豊かであり、全身もノリノリで、この人が本当に音楽好きだということがわかる。
ヒンヤリとした独自の音色が個性的。技術も高い。時に勢い任せの演奏になるのが玉に瑕である。
河村は、演奏開始前にコンサートマスターだけでなく、フォアシュピーラー(コンサートマスターの隣で弾く人のこと。次席奏者とも訳される)とも握手をし、演奏終了後には、譜めくりの人の肩にそっと手を乗せて労うなど、心配りの出来る人であることがわかる。音楽家も人間なので、河村のような人とはまた共演したくなるだろう。
ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲の弦楽パートは、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番のそれとよく似た開始を見せる。というよりは、メンデルスゾーンは、おそらくモーツァルトを意識している。第1楽章は悲劇的な色彩が強く、広上はオーケストラから悲しげな音色をよく引きだしていた。
しかし、この曲はやはり駄作だと思う。曲全体が色々なところから楽想を引っ張ってきた借り物のようであるし、第3楽章のピアノパートは音がただ上下行を繰り返しているだけで、スケール練習のよう。河村も暗譜はせずに、譜めくり人を置いていたが、この曲のピアノパートを暗記するのは時間と労力の無駄なので賢明な選択だと思う。
ヴァイオリンの米元響子は全ての音が磨き抜かれていた。個性が弱いのが今後の課題だろう。

メインである交響曲第1番。コンサートステージに上がることはほとんどない曲で、やはりその程度の曲ではあるが、広上が振ると、演奏している間は「イタリア」交響曲に匹敵する作品に聞こえる。
第1楽章の情熱、第2楽章の青春の息吹、第3楽章の熱いダンス、第4楽章の勢いなど、いずれも曲の弱さは補って余りある出来。メンデルスゾーンの交響曲第1番でこれほど聴かせるのだから、さすがは広上といったところか。
広上は右手を高く突き上げるなど、時に外連も見せるが、それさえも音楽と一体化しているため、外連であっても外連のみとは感じられない。
シンフォニカーもチェロのゴウゴウとした鳴りなどは普段とはまるで異なり、全体の響きも情熱的でありながら爽やか。情熱的で爽やかという両極端にあるものを同時に出した響きと、こうして文章にしてもうまく伝わらないと思われるが、広上はそうした響きを出す。言葉や概念を超越した響きが今日はホールを満たしていた。

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2018年8月 1日 (水)

コンサートの記(409) 京都ミューズ クラシック・シリーズ2018 第2回 7月例会 広上淳一指揮京都市交響楽団 フォーレ 「レクイエム」

2018年7月29日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都ミューズ クラシック・シリーズ2018 第2回 7月例会 広上淳一指揮京都市交響楽団によるガブリエル・フォーレの「レクイエム」を聴く。

オール・フランス・プログラムで、サティの「ジムノペディ」第1番と第3番(ドビュッシー編曲。ピアノ版の第1番が第3番、第3番が第1番と入れ替わっている)、ドビュッシーの「小組曲」(ビュッセル編曲)、フォーレの「レクイエム」(ソプラノ独唱:石橋栄実、バリトン独唱:大沼徹。合唱:京都ミューズ・フォーレ・レクイエム合唱団2018)。


今日もコンサートマスターは客演の須山暢大、泉原隆志は降り番でフォアシュピーラーには尾﨑平。

前半は今年没後100年を迎えたドビュッシーをフィーチャーしたものである。「ジムノペディ」において広上は、落ち着いて瀟洒で詩的な演奏を行う。フランスの都会の光景が目に見えるような洒脱な表現だ。

「小組曲」は広上が好んで取り上げる曲の一つ。細部まで神経の行き届いた軽やかで涼やかで儚げで快活で、とにかくありとあらゆる光景を指揮棒の先で描いてみせる。迫力、造形力、音捌き、全てが高い水準にある。


フォーレの「レクイエム」。合唱を担当する京都ミューズ・フォーレ・レクイエム合唱団2018は、今回の公演のために結成された市民団体。声楽経験者でない人も含まれているが、広上の指揮により、「リベラ・メ」での高揚感などは最高レベルのものを示している。プロや常設団体ではないので、声の粒立ちには問題があるが健闘したほうだろう。
広上の巧みな音運びにより、空間が一瞬にして清められるような印象を受ける。京響の発する音は色彩豊かで匂うように上品。管楽器も角の取れたまろやかさで、まさに天上の響きといった趣である。石橋栄実と大沼徹のソリストも優れた歌唱を聴かせ、技術的にはともかく音楽的には「完璧」の領域に達した「レクイエム」となった。

広上淳一は凄い。

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2018年5月27日 (日)

コンサートの記(390) 広上淳一指揮京都市交響楽団第623回定期演奏会

2018年5月20日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第623回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

演目は、レナード・バーンスタインの交響組曲「波止場」、ショスタコーヴィチの交響曲第9番、バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」(ピアノ独奏:河村尚子)。バーンスタイン生誕100年記念といってもいいプログラムである。

開演30分前から広上淳一と京響シニアマネージャー代行兼チーフマネージャーの柴田智靖によるプレトークがある。4月からオーケストラの登場の仕方が変更になったため、プレトークの開始も10分早くなったそうである。アムステルダム・コンセルトヘボウでバーンスタインの助手を務めたこともある広上淳一。レナード・バーンスタイン(愛称:レニー)の弟子はとても多く、広上も、小澤征爾、大植英次、佐渡裕、大野和士らがレニーの弟子であることを紹介する。

ショスタコーヴィチの交響曲第9番であるが、交響曲第9番というのは作曲家にとって運命の数字でもある。ベートーヴェンが交響曲を9曲書いて他界したが、今では7曲ということになったものの以前の解釈ではシューベルトも9番まで、そしてブルックナーも9番まで書いて亡くなった。ドヴォルザークも今では初期交響曲にも番号が付けられて9曲までとなっている(私が小学生の頃の音楽の教科書には「新世界」交響曲の番号がまだ5番であった)。マーラーは交響曲第9番を書いたら死んでしまうのではないかと怖れ、9番目の交響曲には番号を付けず「大地の歌」とした。だが、結局は交響曲第9番を書くことになり、悪い予感が的中して、第9番が遺作となった。ということで特別な番号であり、ソビエト当局はショスタコーヴィチにベートーヴェンの第九に匹敵する曲を期待したのだが、ショスタコーヴィチはどちらかというとおちゃらけた感じの曲を書いてしまう。先にショスタコーヴィチとリヒテルによるピアノ2台版の試演会が行われ、放送によって世界配信されたのだが、ソビエトのみならず世界的な失望を買ってしまった。それでもエフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団による初演は好評だったが、ジダーノフ批判を受けて、以後しばらくの間はショスタコーヴィチ作品のソビエト国内での演奏が禁じられてしまう。
広上によるとレニーはこの曲をしばしば取り上げていたそうで、その理由を「この世のあらゆるものが含まれているから」と説明していたそうである。なお、バーンスタインはこの曲をウィーン・フィルハーモニーを指揮してドイツ・グラモフォンにライブ録音しているが、今に至るまでこれを凌ぐ録音は出ていないと断言していいほどの名演である。

バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」の解説にはピアノ独奏の河村尚子も加わる。河村はこの曲の性質を「トリッキー」と語り、「常に黄色信号が出ていて、よそ見をしていると落とし穴に嵌まってしまう」と話す。日本人ピアニストの河村だが身振り手振りが大きく、ドイツで育ったことが現れていた。
河村と広上は7年前にオーケストラ・アンサンブル金沢の定期演奏会で、ヒンデミットの「四つの気質」で共演したのだが(私も金沢まで聴きに行った。調べたら6年前だったが、もうそんなになるのか)、バーンスタインはヒンデミットの音楽を高く評価しており、ヒンデミット的な要素をこの曲で取り入れたのではないかと河村は推理していた。

今日のコンサートマスターであるが、客演の須山暢大(大阪フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター)が務める。フォアシュピーラーは泉原隆志。4月から京響のコンサートマスターは泉原の一人体制になったのだが、2度目の定期にして早くも客演コンサートマスターが入ってしまうという異様な事態になってしまっている。

バーンスタインの交響組曲「波止場」。エリア・カザン監督の映画のための音楽として書かれたものをコンサート用に編み直したものである。私が持っているレニー自作自演の「ウエストサイド・ストーリー」全曲版のフィルアップに交響組曲「波止場」自作自演(オーケストラはイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団)が入っているのだが、今もこの組み合わせで出ているのかどうかはわからない。
広上はバーンスタインについてクリーニング屋の息子で余り裕福ではなかったと語ったが、文献に基づくとバーンスタインの父親のサミュエル・バーンスタインは理髪店を営み、パーマネントのための機器を独自に発明した発明家でもあった。サミュエルは特許料で稼ぎ、アメリカン・ドリームの体現者となる。息子にも家業を継がせたいと考えていたサミュエルだが、息子のレナードは意に反して音楽家への道を歩むことになる。ハイスクールを卒業したレナードはカーティス音楽院かジュリアード音楽院に進みたかったのだがサミュエルがそれを許さず、妥協の結果、レナードはハーバード大学音楽学部に進学する。世界最高の大学ともいわれるハーバード大学だが音楽学部に関してはカーティスやジュリアードより格下。レナードは満足出来ずに、その後、カーティス音楽院で学ぶことになる。バーンスタイン親子の関係はその後も複雑であったようだ。
いかにも映画音楽的な楽曲である。最初のホルンで示されるテーマがその後、様々な楽器で繰り返される。盛り上がりの部分はこの楽曲の冒頭部分によく似ているが、偶然だと思われる。
広上と京響のコンビの充実が確認出来る好演であった。

ショスタコーヴィチの交響曲第9番。全曲の演奏時間が5楽章で25分程度と短いこともあり、軽めの楽曲と目されているが、ユーモラスな感じがするのは第1楽章と第5楽章のみであり、他はシリアスな音楽が続く。
古典的な造形といわれることもある。そういえば、ショスタコーヴィチと犬猿の仲といわれたプロコフィエフの交響曲第1番「古典」は古典的造形そのものだが、多分、関係はない。
レニーとウィーン・フィルによる演奏はスケール豊かな、悪くいうと肥大化した音楽であったが、広上と京響はタイトにしてパワフルというこの曲本来のスタイルを採用。推進力にも富んでいたが、この曲の苦み走った面を強調するのが広上らしい解釈である。

バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」。イギリス出身でアメリカに帰化した詩人のW.H.オーデンの長編詩に基づく交響曲である。オーデンの長編詩「不安の時代」は邦訳も出ており(日本語で読むと詩というより完全な物語文という印象を受ける)私も読んでみたことがあるのだが、長い上に余り面白くなかったので途中でリタイアしてしまった。
ピアノ独奏と含む交響曲という比較的珍しいスタイルを取っているが、宗教や思想の影響の強い交響曲第1番「エレミア」や交響曲第3番「カディッシュ」よりはわかりやすく、バーンスタインの交響曲の中ではおそらく最も演奏される機会が多いと思われる。初演はクーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団によって行われ、バーンスタインはピアノソロを受け持った。
この曲は、レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団盤(ピアノ独奏:ルーカス・フォス)、ジェイムズ・ジャッド指揮フロリダ・フィルハーモニー管弦楽団盤(ピアノ独奏:ジャン=ルイ・ストイアマン)などで聴いており、「いかにもアメリカ的な交響曲」という印象を受けたが、広上と京響の生む音色はどちらかといえばヨーロッパのオーケストラに近く、マーラーやショスタコーヴィチとの類似点が確認出来るのが興味深いところである。またそれによってシリアスで痛烈な印象も強まる。

日本の若手としてはトップクラスのピアニストとなった河村尚子(ただし音楽教育は全てドイツで受けている)。ハノーファー国立音楽演劇大学大学院ソリスト課程を修了。ミュンヘン国際コンクールで2位入賞、クララ・ハスキル国際コンクールでは優勝に輝く。今年は出身地の西宮市にある兵庫県立芸術文化センターでベートーヴェン・シリーズを行い、京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタでもオール・ベートーヴェン・プログラムによるリサイタルを行う予定である。現在はドイツ・エッセンのフォルクヴァング芸術大学教授。東京音楽大学ピアノ科の特任講師として現在も大学のホームページに名前があるが、ページ自体が更新されていないので今はどうなっているのかわからない。
今日はピアノは蓋を取り払って指揮者と対峙する位置に据えられている。
色彩感豊かなピアノを弾く人であるが、今日は高音の豊かさに魅せられる。ピアノを弾いたことがある人ならわかると思うが、鍵盤の右端に近い高い音は基本的に痩せた音しか出ない。ただ、今日の河村の弾く高音はボリュームがあって美しいのである。どうやったらああした音を出せるのかわからない。
この曲ではジャズテイストの旋律が登場するのが特徴であるが、その語り口が上手くいっているのかは私にはよくわからない。私もジャズピアノは聴くが、いずれもクラシカルな要素が強いピアニストばかりだ。プレトークでの河村本人のコメントによると「ジャズは好きだがジャズを弾くのは初心者」だそうである。

ちなみに第1部おける変奏曲の主題はグレゴリオ聖歌の「怒りの日」の模倣のように思われるのだが、そういう指摘は今まで行われていないようである。


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