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2018年9月16日 (日)

コンサートの記(424) 広上淳一指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2018 「Bravo!オーケストラ」第2回“オーケストラ・スペクタクル”

2018年9月9日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2018 「Bravo!オーケストラ」第2回“オーケストラ・スペクタクル”を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。広上は約1週間の間に3回京都市交響楽団の本番をこなすことになる。
ナビゲーターはロザンの二人。

午後1時半頃に京都コンサートホールの前に着いたのだが、楽屋口で京響シニアマネージャーの柴田さんが腕をグルグル回してタクシーを誘導しているのが眼に入る。タクシーからはロザンの二人が降りてきた。


曲目は、ワーグナーの歌劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲、J・S・バッハの管弦楽組曲第3番から「アリア」(「G線上のアリア」)、ビゼーの「アルルの女」からメヌエット、グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番から“山の魔王の宮殿にて”、ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1919年版)から“カッチェイ王の魔の踊り”、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」(ピアノ独奏:トーマス・エンコ)、チャイコフスキーの交響曲第4番から第4楽章。


今日のコンサートマスターは、客演の寺田史人(てらだ・ふみひと)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。


ワーグナーの歌劇「ローエングリン」から第3幕への前奏曲。ラストに「結婚行進曲」が加わる版での演奏である。
しなやかな弦楽と煌びやかな金管が印象的な演奏である。

広上は演奏が終わると、早速、ロザンの二人をステージ上に招き入れる。予定だと、もう少し経ってからロザンを呼ぶはずだったようだが、広上は、「一人じゃ寂しかったから」と語っていた。

この曲では金管が活躍するということで、広上は金管楽器の紹介を行う。「実は秘密がある」ということで、金管楽器はマウスピースを使うと語り、まずはマウスピースだけで鳴らして貰う。広上は、「ガッキーちゃん、鳴らしてみて」とホルン首席奏者の垣本昌芳に指示。広上は垣本のことを「京響のガッキーちゃん」と紹介する。続いて、トランペットの稲垣路子がマウスピースを鳴らす。広上は稲垣のことを「稲ちゃん」と呼ぶ。菅ちゃんは、「ガッキーちゃんよりいい音がする」とボケる。
ちなみに広上は、トロンボーン首席の岡本哲を「哲ちゃん」、テューバの武貞茂夫のことは「武ちゃん」と呼んでいるようである。


J・S・バッハの管弦楽組曲第3番から「アリア」。京響はこの曲を追悼曲として良く用いている。
ピリオド・アプローチを意識しており、すっきりとした音像の中に多彩な色合いが息づいている。

弦楽器の紹介。客演コンサートマスターの寺田史人は白髪であるため、菅ちゃんが「色々ご苦労が」と言う。広上が、「菅ちゃん、僕(髪)全部抜けちゃった」とボケたところ菅ちゃんが大笑いしたため、「受けすぎ!」と広上は突っ込む。
菅 「広上さん、今日テンション高いですね。ひょっとしてお酒召し上がってます?」
広上 「いや、飲んでませんが、今週はずっとここにいるもので」

弦楽器は楽器が大きくなればなるほど、弓は反比例して短くなるということも語られる。広上は、コントラバス首席の黒ちゃんこと黒川冬貴に「コントラバスは他の弦楽器と少し違うそうですが」と聞く。黒川は横にいた副首席奏者の石丸美佳に聞きつつ答えるが、最終的にはjuviちゃんこと出原修司が「ヴィオール属といって種族が違う」と答える。コントラバスは他の弦楽器より歴史が長いそうだが、広上の「いつ頃からあるの?」という問いに出原は、「ずっと昔から」と答えて、宇治原に「またずいぶんざっくりとした答えですね」と言われる。
広上は、「弦楽器奏者は、無理にと言われればですが、全ての弦楽器を演奏することが出来ます」と言うが、
宇治原「皆さん、首振ってはります」
菅 「ヴァイオリンの方々、『無理、無理』言ってはりました」

ビゼーの「アルルの女」第2組曲よりメヌエット。ハープとフルートが活躍する曲である。広上が「菅ちゃん、ハープ奏者というとどういうイメージ?」と聞く。菅が「人魚が弾いているような」と答える。
広上 「美人が弾いているイメージ?」
菅 「そうですね」
広上 「では京響の美人を紹介しましょう」
ということで、3人でステージ下手奥にいるハープ奏者の松村衣里のところへと歩いて行く。ステージを擂り鉢状にしているので、階段を上る必要がある。
松村によるとハープの弦は47本あり(日本の都道府県の数と一緒なので覚えやすい数字である)、半音は足で7つのペダルを踏んで出すために結構忙しいそうだ。広上は、「一見、優雅に見えても、あれです白鳥と一緒です」と語る。「白鳥は優雅に見えても水面下では必死で足を動かしている」というのはよく言われることであるが、実はあれは真っ赤な嘘である。白鳥はごく自然に浮いていて、足を動かすのは方向転換する時だけである。そもそも水鳥なので、必死で足を動かさないと浮いていられないというのでは、体の構造に欠陥ありということになってしまう。

フルート首席奏者の上野博昭にも話を聞く。フルートは現在では金属製のものを用いることが多いが、元々は木で作られていたため、木管楽器に分類される。
涼やかで通りの良いフルートの音色と、温かみに満ちたハープの音色の対比が心地よい。


グリーグの「ペール・ギュント」より“山の魔王の宮殿にて”。冒頭でファゴットが活躍するため、木管楽器の紹介が行われる。ファゴットは木管楽器の中で一番高値段が張るということである。菅ちゃんはファゴットについて「格好いいですね」というが、「なんど数ある楽器の中でファゴットをやろうと思われたんでしょうね?」と疑問も投げかける。ファゴット首席の中野ちゃんこと中野陽一郎は、純粋にファゴットが格好いいから始めたようだが、吹奏楽部などでは花形であるフルートやクラリネット、トランペットの選抜に落ちたから他の楽器に回るというのはよくあることである。
フルートを除く木管楽器はリードという芦を削ったものを用いるのだが、全て自分で削ったものを用いる。オーボエ首席の髙山郁子(広上は「郁ちゃん」と呼んでいるようだ)によると、1回のコンサートで用いるだけでリード1つが駄目になってしまうそうだ。ファゴットもオーボエほどではないが、リードを替える必要がある。
菅ちゃんが、客席に「ファゴットやってるぞ、という方」と聞く。3階席下手に座っていた高校生の集団の中の女の子が一人、手を挙げる。
菅ちゃんは、「ただでさえ楽器高いのに、リード代もかかる。止めるなら今のうちですよ」とボケていた。

造形がきちんと決まり、迫力、推進力ともに十分な演奏である。


ストラヴィンスキーの「火の鳥」から“カッチェイ王の魔の踊り”。打楽器奏者達が紹介される。広上は「打楽器奏者は打楽器は何でも出来る。例えばティンパニと大太鼓が入れ代わっても問題ない」と言うが、宇治原は「大太鼓の方、首かしげてますよ」

ストラヴィンスキーらしい鮮烈さを前に出しているが、端正さも同時に兼ね備えた演奏。迫力にも欠けていない。


ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」。ピアノ独奏のトーマス・エンコは、1988年、パリ生まれのピアニスト。音楽一家の出身で、3歳でヴァイオリンを始め、6歳でクラシックとジャズのピアノも習い始める。同じ時期には作曲も始めており、「ラプソディ・イン・ブルー」の演奏に必要なインプロヴィゼーション(インプロ。即興演奏)も得意としているようである。

演奏前に広上とロザンのトーク。広上はエンコについて「男前でしょ?」と聞き、宇治原は「楽屋で会ったんですけど、イケメンですね」と述べていた。

エンコのピアノはフランス人らしく無駄を減らしたタイトなものである。ピアノの微細な音色の変化も聞きものだ。


ガーシュウィンとチャイコフスキーの間に場面転換があるため、広上とロザンは再び下手の段上に上がってトークを行う。トーマス・エンコも広上に呼ばれて、広上とロザンの間でトークに加わる。
エンコがフランス出身ということで、菅ちゃんは、「I like エビアン」とボケる。
広上に日本の印象を聞かれたエンコは、「I love Japan」と英語で答えた後で、「日本はとても好きです」と流暢な日本語で話して、ロザンの二人を驚かせる。
京都の印象を広上に聞かれたエンコは、「京都はフェイバリットなプレースで、ウォークやサイクリングで観光をエンジョイしている」と答えていた。
菅ちゃんが、「Do you like ロザン?」とボケ、広上は、「He is very famous comedian in Japan」と紹介していた。


チャイコフスキーの交響曲第4番より第4楽章。広上と京響は丁度一週間前に大阪のザ・シンフォニーホールで全曲を演奏しており、チャイコフスキーの狂気をあぶり出すような解釈によるものであったのだが、今日は第4楽章だけということもあって大阪の時とは大分印象が異なる。弦はロシアものに最適なヒンヤリとした透明な音を出しており、管の煌びやかで抜けが良い。美的なフォルムを優先させたような演奏であった。

演奏終了後、菅ちゃんは例によって右手を掲げながら登場。宇治原に、「いや、あなたのおかげじゃない!」と突っ込まれていた。


アンコールとしてルロイ・アンダーソンの「忘れられた夢」が演奏される。イノセントでチャーミングな小品。オーケストラの中のピアノが活躍する曲で、演奏終了後に、ピアノの沼光絵理佳は単独で拍手を受けた。

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2018年9月10日 (月)

コンサートの記(421) 京響スーパーコンサート「ミッシャ・マイスキー×京都市交響楽団」

2018年9月5日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京響スーパーコンサート「ミッシャ・マイスキー×京都市交響楽団」を聴く。指揮は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

世界最高峰のチェリストの一人であるミッシャ・マイスキーと京都市交響楽団の共演である。マイスキーと京都市交響楽団は下野竜也の指揮によりベートーヴェンの三重協奏曲で共演しているが、それ以来3年ぶりの顔合わせである。

曲目は、いずれもドヴォルザークの作品で、交響曲第8番とチェロ協奏曲ロ短調。

コンサートマスターに泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。フルートが活躍する交響曲第8番では上野博昭が首席に入り、後半のチェロ協奏曲では中川佳子がトップの位置に入る。クラリネット首席の小谷口直子は全編に出演し、オーボエ首席の髙山郁子は後半のみの出演である。チェロ協奏曲の方が編成が小さいので、前半のみの出演者は結構いる。

広上は前半は長めの指揮棒を使って指揮。後半はノンタクトで振る。


まずは交響曲第8番。この曲は高校生の時にジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団によるEMI盤で何度も聴いた思い出がある。「イギリス」というニックネームを持つが、ドヴォルザークがそれまでに多くの自作の出版を委ねていたドイツのジムロック社の条件に納得せず、イギリスの出版社から譜面が出版されたという経緯によるもので(無料パンフレットを書いた竹内直は別の説を唱えている)、内容的にはイギリス的要素はほぼない。ということで「イギリス」という名称は最近では用いられないことが多い。

広上と京響による演奏は情報量が豊かである。音色に様々な風景、動物や鳥の声などが宿っており、想像が無限に拡がっていく。磨き抜かれた音とバランスも絶妙で、格好いいフォルム、叙情味、迫力、祝祭感の表出など、いずれもこのコンビのベストに近い出来である。渋みと華やかさを兼ね備えた演奏は日本では他に余り聴くことが出来ないはずである。
なお、京都コンサートホールは残響が長いため、広上はゼネラルパウゼをたっぷりと取っていた。


後半のチェロ協奏曲。
ソリストのミッシャ・マイスキーは先に書いたとおり世界最高峰のチェリストの一人であることは間違いないが、個性派であるため、好悪を分かつタイプでもある。旧ソ連時代のラトヴィアの生まれ。レニングラード音楽院附属音楽学校でチェロを学びチェリストとして活動を始めるが、ユダヤ系であり、実姉がイスラエルに亡命したために強制収容所送りとなる。その後、兵役にも送られそうになるが、佯狂によって回避。この事実がいらぬ先入観を抱かせることにもなっている。その後、アメリカを経てイスラエルに渡り、カサド音楽コンクールで優勝。西側での名声を得ている。
マイスキーは出だしでいきなりタメを作るが、その後の旋律の歌わせ方に関してはオーソドックス。ただ強弱はかなり細かくつけている。音色は深く、温かな輝きがある。
広上指揮の京響もマイスキー共々ノスタルジックな表出に長け、スケールも豊かである。


アンコール演奏は、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」。チェロ独奏と弦楽オーケストラのための編曲であるが、編曲者が誰かはわからない。マイスキーのチェロが常に主旋律を歌い、弦楽オーケストラがそれを彩るという趣である。ロシア民謡を主題としており、初演を聴いたトルストイが余りの美しさに涙したと伝わる「アンダンテ・カンタービレ」。涙こそ出なかったがトルストイの気持ちがよくわかるような演奏であった。

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2018年9月 7日 (金)

コンサートの記(420) 広上淳一指揮京都市交響楽団大阪特別公演2018

2018年9月2日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、広上淳一指揮京都市交響楽団の大阪特別公演を聴く。

オール・ロシア・プログラムで、プロコフィエフの組曲「3つのオレンジへの恋」から行進曲&スケルツォ、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:小林美樹)、チャイコフスキーの交響曲第4番が演奏される。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。第2ヴァイオリン首席には客演の有川誠が入る。チェロ首席にも客演のルドヴィート・カンタが入った。


プロコフィエフの組曲「3つのオレンジへの恋」より行進曲&スケルツォ。
京響は燦々と輝くような音色を発し、広上のキビキビとしたリードが生きる。鋼のように強靱なフォルムとメカニックがプロコフィエフの面白さを際立たせる。


チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調。
ソリストの小林美樹(みき)は、1990年生まれの若手ヴァイオリニスト。アメリカのサンアントニオに生まれ、4歳の時にヴァイオリンを習い始める。2006年にレオポルド・モーツァルト国際ヴァイオリンコンクールで審査員特別賞を受賞。2011年にはポーランドのヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクールで2位になっている。桐朋女子高校音楽科を経て桐朋学園大学ソロディプロマコースを卒業。その後、ロームミュージックファンデーションの全額奨学金により、ウィーン私立音楽大学でも学んでいる。

ピンク色のドレスを着て登場した小林は長身の女性である。小柄な広上は、彼女の肩の部分までの身長しかない。

小林のヴァイオリンはスケールが大きく、技術力も確かである。少し単調なヴァイオリンなのが気になるところだ。時折、海老反りになってヴァイオリンを弾く小林。見せ方を知っているという印象を受ける。
広上指揮の京響も堂々としたシンフォニックな伴奏を聴かせる。

小林のアンコール演奏は、バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番よりジーク。華麗な演奏だったが、案外、記憶に残りにくい類いのものだったようだ。


チャイコフスキーの交響曲第4番。第1楽章では、チャイコフスキーの嘆きにさほどのめり込まず、俯瞰的なアプローチを展開する。客観視された悲劇性が音によって描かれることで却って深刻さが増す。
第2楽章でも第3楽章でも音色は明るめだが、その背後に陰鬱な表情があることを示唆させる演奏である。ちなみに広上は第3楽章をノンタクトで振り、応援団長がやる「フレーフレー」のような仕草をしていた。
第4楽章も音の見通しが良く、グロテスクなサーカスのような音楽が舞台上で繰り広げられる。あたかもロシア版の幻想交響曲のような描き方である。ラストで広上はギアを上げ、悪魔の高笑いのような音像を築く。文字通りデモーニッシュな解釈である。

演奏終了後、広上は、「一つだけ。皆様のご健康とご多幸を祈っております」と言って、モーツァルトのディヴェルティメントニ長調 K.136から第2楽章の演奏を行う。
広上と京響が共に十八番としているモーツァルト、の割には演奏会にプログラムに乗る機会は決して多くないが、透明で雅やかでチャーミングな理想的な出来となった。

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2018年8月16日 (木)

コンサートの記(411) 広上淳一指揮 大阪シンフォニカー交響楽団(現・大阪交響楽団)第129回定期演奏会

2008年11月7日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から大阪のザ・シンフォニーホールで大阪シンフォニカー交響楽団の第129回定期演奏会に接する。今日の指揮は広上淳一。

オール・メンデルスゾーン・プログラムで、序曲「静かな海と楽しい航海」、「ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲」(ヴァイオリン独奏:米元響子、ピアノ独奏:河村尚子)、交響曲第1番という無名曲が揃う。広上の指揮でなかったら客はまず入らないだろう。
広上の指揮でも客席は満員にならなかったが、超絶的に地味なプログラムの割には入りはそこそこ。ただし、パイプオルガン側の席は発売されていない。

モーツァルトと並ぶ神童作曲家として知られる、フェリック・メンデルスゾーン=バルトルディ。幼き日にはゲーテから「君に比べればモーツァルトでも子供同然」と絶賛を受けた(ただし当時は今とは違い、モーツァルトの評価はそれほど高くなかったことは意識しておく必要はある)。
38歳と、早世ながらモーツァルトよりは3年長く生きたメンデルスゾーンだが、作曲家としてはモーツァルトには遠く及ばず、多作だったにも関わらず、今でもコンサートプログラムに頻繁に乗るのは、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第3番「スコットランド」、交響曲第4番「イタリア」、序曲「フィンガルの洞窟」、「真夏の夜の夢」序曲と劇付随音楽「真夏の夜の夢」、弦楽八重奏曲、ピアノ曲「無言歌」集、オラトリオ「エリア」などで十指にも満たない。いずれも名旋律を持ち、メンデルスゾーンが旋律の人だったことがわかる。
今日のプログラムの曲も、序曲「静かな海と楽しい航海」はいくつか録音が出ている程度。ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲はこれまで私はその存在すら知らなかった。交響曲第1番も「メンデルスゾーン交響曲全集」には入っているが、全集にするために録音がされたものがほとんどで、単体でのCDは発売されていないはずである。発売されたとしても買う人はいないだろう。

無名曲を広上がどう聴かせるのかが注目である。

序曲「静かな海と楽しい航海」は、演奏が始まってすぐに弦楽パートの絶妙のハーモニーにより別世界に連れて行かれる。大阪シンフォニカー交響楽団の演奏会にはこれまで何度か接しているが、これまでに聴いてきた指揮者とは広上は格が違うのがわかる。
ただ、曲自体はやはり出来が良くない。聴いている間は引き込まれるのだが、曲が終わると途端に醒めてしまう。

ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲。米元響子は2008年度の出光音楽賞を受賞した若手ヴァイオリニスト。ピアノの河村尚子は2007年にクララ・ハスキル国際コンクールで優勝したこちらも将来を期待される若手である。
河村尚子の実演には、小林研一郎指揮京都市交響楽団の定期演奏会で接したことがある。モーツァルトのピアノ協奏曲の演奏だったが、河村が実に楽しそうにピアノを弾くのが印象的だった。
今日も河村は楽しそう。ソロが始まるまでのオーケストラのパートが長かったのだが、その間、河村は微笑みながら音楽に浸っている。ソロが始まってからも、顔の表情は豊かであり、全身もノリノリで、この人が本当に音楽好きだということがわかる。
ヒンヤリとした独自の音色が個性的。技術も高い。時に勢い任せの演奏になるのが玉に瑕である。
河村は、演奏開始前にコンサートマスターだけでなく、フォアシュピーラー(コンサートマスターの隣で弾く人のこと。次席奏者とも訳される)とも握手をし、演奏終了後には、譜めくりの人の肩にそっと手を乗せて労うなど、心配りの出来る人であることがわかる。音楽家も人間なので、河村のような人とはまた共演したくなるだろう。
ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲の弦楽パートは、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番のそれとよく似た開始を見せる。というよりは、メンデルスゾーンは、おそらくモーツァルトを意識している。第1楽章は悲劇的な色彩が強く、広上はオーケストラから悲しげな音色をよく引きだしていた。
しかし、この曲はやはり駄作だと思う。曲全体が色々なところから楽想を引っ張ってきた借り物のようであるし、第3楽章のピアノパートは音がただ上下行を繰り返しているだけで、スケール練習のよう。河村も暗譜はせずに、譜めくり人を置いていたが、この曲のピアノパートを暗記するのは時間と労力の無駄なので賢明な選択だと思う。
ヴァイオリンの米元響子は全ての音が磨き抜かれていた。個性が弱いのが今後の課題だろう。

メインである交響曲第1番。コンサートステージに上がることはほとんどない曲で、やはりその程度の曲ではあるが、広上が振ると、演奏している間は「イタリア」交響曲に匹敵する作品に聞こえる。
第1楽章の情熱、第2楽章の青春の息吹、第3楽章の熱いダンス、第4楽章の勢いなど、いずれも曲の弱さは補って余りある出来。メンデルスゾーンの交響曲第1番でこれほど聴かせるのだから、さすがは広上といったところか。
広上は右手を高く突き上げるなど、時に外連も見せるが、それさえも音楽と一体化しているため、外連であっても外連のみとは感じられない。
シンフォニカーもチェロのゴウゴウとした鳴りなどは普段とはまるで異なり、全体の響きも情熱的でありながら爽やか。情熱的で爽やかという両極端にあるものを同時に出した響きと、こうして文章にしてもうまく伝わらないと思われるが、広上はそうした響きを出す。言葉や概念を超越した響きが今日はホールを満たしていた。

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2018年8月 1日 (水)

コンサートの記(409) 京都ミューズ クラシック・シリーズ2018 第2回 7月例会 広上淳一指揮京都市交響楽団 フォーレ 「レクイエム」

2018年7月29日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都ミューズ クラシック・シリーズ2018 第2回 7月例会 広上淳一指揮京都市交響楽団によるガブリエル・フォーレの「レクイエム」を聴く。

オール・フランス・プログラムで、サティの「ジムノペディ」第1番と第3番(ドビュッシー編曲。ピアノ版の第1番が第3番、第3番が第1番と入れ替わっている)、ドビュッシーの「小組曲」(ビュッセル編曲)、フォーレの「レクイエム」(ソプラノ独唱:石橋栄実、バリトン独唱:大沼徹。合唱:京都ミューズ・フォーレ・レクイエム合唱団2018)。


今日もコンサートマスターは客演の須山暢大、泉原隆志は降り番でフォアシュピーラーには尾﨑平。

前半は今年没後100年を迎えたドビュッシーをフィーチャーしたものである。「ジムノペディ」において広上は、落ち着いて瀟洒で詩的な演奏を行う。フランスの都会の光景が目に見えるような洒脱な表現だ。

「小組曲」は広上が好んで取り上げる曲の一つ。細部まで神経の行き届いた軽やかで涼やかで儚げで快活で、とにかくありとあらゆる光景を指揮棒の先で描いてみせる。迫力、造形力、音捌き、全てが高い水準にある。


フォーレの「レクイエム」。合唱を担当する京都ミューズ・フォーレ・レクイエム合唱団2018は、今回の公演のために結成された市民団体。声楽経験者でない人も含まれているが、広上の指揮により、「リベラ・メ」での高揚感などは最高レベルのものを示している。プロや常設団体ではないので、声の粒立ちには問題があるが健闘したほうだろう。
広上の巧みな音運びにより、空間が一瞬にして清められるような印象を受ける。京響の発する音は色彩豊かで匂うように上品。管楽器も角の取れたまろやかさで、まさに天上の響きといった趣である。石橋栄実と大沼徹のソリストも優れた歌唱を聴かせ、技術的にはともかく音楽的には「完璧」の領域に達した「レクイエム」となった。

広上淳一は凄い。

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2018年5月27日 (日)

コンサートの記(390) 広上淳一指揮京都市交響楽団第623回定期演奏会

2018年5月20日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第623回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

演目は、レナード・バーンスタインの交響組曲「波止場」、ショスタコーヴィチの交響曲第9番、バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」(ピアノ独奏:河村尚子)。バーンスタイン生誕100年記念といってもいいプログラムである。

開演30分前から広上淳一と京響シニアマネージャー代行兼チーフマネージャーの柴田智靖によるプレトークがある。4月からオーケストラの登場の仕方が変更になったため、プレトークの開始も10分早くなったそうである。アムステルダム・コンセルトヘボウでバーンスタインの助手を務めたこともある広上淳一。レナード・バーンスタイン(愛称:レニー)の弟子はとても多く、広上も、小澤征爾、大植英次、佐渡裕、大野和士らがレニーの弟子であることを紹介する。

ショスタコーヴィチの交響曲第9番であるが、交響曲第9番というのは作曲家にとって運命の数字でもある。ベートーヴェンが交響曲を9曲書いて他界したが、今では7曲ということになったものの以前の解釈ではシューベルトも9番まで、そしてブルックナーも9番まで書いて亡くなった。ドヴォルザークも今では初期交響曲にも番号が付けられて9曲までとなっている(私が小学生の頃の音楽の教科書には「新世界」交響曲の番号がまだ5番であった)。マーラーは交響曲第9番を書いたら死んでしまうのではないかと怖れ、9番目の交響曲には番号を付けず「大地の歌」とした。だが、結局は交響曲第9番を書くことになり、悪い予感が的中して、第9番が遺作となった。ということで特別な番号であり、ソビエト当局はショスタコーヴィチにベートーヴェンの第九に匹敵する曲を期待したのだが、ショスタコーヴィチはどちらかというとおちゃらけた感じの曲を書いてしまう。先にショスタコーヴィチとリヒテルによるピアノ2台版の試演会が行われ、放送によって世界配信されたのだが、ソビエトのみならず世界的な失望を買ってしまった。それでもエフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団による初演は好評だったが、ジダーノフ批判を受けて、以後しばらくの間はショスタコーヴィチ作品のソビエト国内での演奏が禁じられてしまう。
広上によるとレニーはこの曲をしばしば取り上げていたそうで、その理由を「この世のあらゆるものが含まれているから」と説明していたそうである。なお、バーンスタインはこの曲をウィーン・フィルハーモニーを指揮してドイツ・グラモフォンにライブ録音しているが、今に至るまでこれを凌ぐ録音は出ていないと断言していいほどの名演である。

バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」の解説にはピアノ独奏の河村尚子も加わる。河村はこの曲の性質を「トリッキー」と語り、「常に黄色信号が出ていて、よそ見をしていると落とし穴に嵌まってしまう」と話す。日本人ピアニストの河村だが身振り手振りが大きく、ドイツで育ったことが現れていた。
河村と広上は7年前にオーケストラ・アンサンブル金沢の定期演奏会で、ヒンデミットの「四つの気質」で共演したのだが(私も金沢まで聴きに行った。調べたら6年前だったが、もうそんなになるのか)、バーンスタインはヒンデミットの音楽を高く評価しており、ヒンデミット的な要素をこの曲で取り入れたのではないかと河村は推理していた。

今日のコンサートマスターであるが、客演の須山暢大(大阪フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター)が務める。フォアシュピーラーは泉原隆志。4月から京響のコンサートマスターは泉原の一人体制になったのだが、2度目の定期にして早くも客演コンサートマスターが入ってしまうという異様な事態になってしまっている。

バーンスタインの交響組曲「波止場」。エリア・カザン監督の映画のための音楽として書かれたものをコンサート用に編み直したものである。私が持っているレニー自作自演の「ウエストサイド・ストーリー」全曲版のフィルアップに交響組曲「波止場」自作自演(オーケストラはイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団)が入っているのだが、今もこの組み合わせで出ているのかどうかはわからない。
広上はバーンスタインについてクリーニング屋の息子で余り裕福ではなかったと語ったが、文献に基づくとバーンスタインの父親のサミュエル・バーンスタインは理髪店を営み、パーマネントのための機器を独自に発明した発明家でもあった。サミュエルは特許料で稼ぎ、アメリカン・ドリームの体現者となる。息子にも家業を継がせたいと考えていたサミュエルだが、息子のレナードは意に反して音楽家への道を歩むことになる。ハイスクールを卒業したレナードはカーティス音楽院かジュリアード音楽院に進みたかったのだがサミュエルがそれを許さず、妥協の結果、レナードはハーバード大学音楽学部に進学する。世界最高の大学ともいわれるハーバード大学だが音楽学部に関してはカーティスやジュリアードより格下。レナードは満足出来ずに、その後、カーティス音楽院で学ぶことになる。バーンスタイン親子の関係はその後も複雑であったようだ。
いかにも映画音楽的な楽曲である。最初のホルンで示されるテーマがその後、様々な楽器で繰り返される。盛り上がりの部分はこの楽曲の冒頭部分によく似ているが、偶然だと思われる。
広上と京響のコンビの充実が確認出来る好演であった。

ショスタコーヴィチの交響曲第9番。全曲の演奏時間が5楽章で25分程度と短いこともあり、軽めの楽曲と目されているが、ユーモラスな感じがするのは第1楽章と第5楽章のみであり、他はシリアスな音楽が続く。
古典的な造形といわれることもある。そういえば、ショスタコーヴィチと犬猿の仲といわれたプロコフィエフの交響曲第1番「古典」は古典的造形そのものだが、多分、関係はない。
レニーとウィーン・フィルによる演奏はスケール豊かな、悪くいうと肥大化した音楽であったが、広上と京響はタイトにしてパワフルというこの曲本来のスタイルを採用。推進力にも富んでいたが、この曲の苦み走った面を強調するのが広上らしい解釈である。

バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」。イギリス出身でアメリカに帰化した詩人のW.H.オーデンの長編詩に基づく交響曲である。オーデンの長編詩「不安の時代」は邦訳も出ており(日本語で読むと詩というより完全な物語文という印象を受ける)私も読んでみたことがあるのだが、長い上に余り面白くなかったので途中でリタイアしてしまった。
ピアノ独奏と含む交響曲という比較的珍しいスタイルを取っているが、宗教や思想の影響の強い交響曲第1番「エレミア」や交響曲第3番「カディッシュ」よりはわかりやすく、バーンスタインの交響曲の中ではおそらく最も演奏される機会が多いと思われる。初演はクーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団によって行われ、バーンスタインはピアノソロを受け持った。
この曲は、レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団盤(ピアノ独奏:ルーカス・フォス)、ジェイムズ・ジャッド指揮フロリダ・フィルハーモニー管弦楽団盤(ピアノ独奏:ジャン=ルイ・ストイアマン)などで聴いており、「いかにもアメリカ的な交響曲」という印象を受けたが、広上と京響の生む音色はどちらかといえばヨーロッパのオーケストラに近く、マーラーやショスタコーヴィチとの類似点が確認出来るのが興味深いところである。またそれによってシリアスで痛烈な印象も強まる。

日本の若手としてはトップクラスのピアニストとなった河村尚子(ただし音楽教育は全てドイツで受けている)。ハノーファー国立音楽演劇大学大学院ソリスト課程を修了。ミュンヘン国際コンクールで2位入賞、クララ・ハスキル国際コンクールでは優勝に輝く。今年は出身地の西宮市にある兵庫県立芸術文化センターでベートーヴェン・シリーズを行い、京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタでもオール・ベートーヴェン・プログラムによるリサイタルを行う予定である。現在はドイツ・エッセンのフォルクヴァング芸術大学教授。東京音楽大学ピアノ科の特任講師として現在も大学のホームページに名前があるが、ページ自体が更新されていないので今はどうなっているのかわからない。
今日はピアノは蓋を取り払って指揮者と対峙する位置に据えられている。
色彩感豊かなピアノを弾く人であるが、今日は高音の豊かさに魅せられる。ピアノを弾いたことがある人ならわかると思うが、鍵盤の右端に近い高い音は基本的に痩せた音しか出ない。ただ、今日の河村の弾く高音はボリュームがあって美しいのである。どうやったらああした音を出せるのかわからない。
この曲ではジャズテイストの旋律が登場するのが特徴であるが、その語り口が上手くいっているのかは私にはよくわからない。私もジャズピアノは聴くが、いずれもクラシカルな要素が強いピアニストばかりだ。プレトークでの河村本人のコメントによると「ジャズは好きだがジャズを弾くのは初心者」だそうである。

ちなみに第1部おける変奏曲の主題はグレゴリオ聖歌の「怒りの日」の模倣のように思われるのだが、そういう指摘は今まで行われていないようである。


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2018年3月29日 (木)

コンサートの記(366) 広上淳一指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2017(年度)「魔法のオーケストラ」第4回“音楽の魔法”

2018年3月25日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2017(年度)「魔法のオーケストラ」第4回“音楽の魔法”を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。ナビゲーターはガレッジセールの二人。

本番に先駆けてロビーコンサートがある。京響の各奏者が自分たちのパート以外の楽器に挑戦していたが、ラストに登場する出雲路橋カルテットのメンバーとして広上淳一が登場、モンティの「チャルダッシュ」でピアニカ(鍵盤ハーモニカ)でソロを取る。アゴーギク使いまくりのユーモラスな演奏。京響のメンバーもロビーにいて演奏を聴いており、私の近くには中山航介君(この間、出原さんに付き合って女装してコンサートに参加したらしい。京響も最近は飛んでるなあ)がいたのだが、ずっと笑いっぱなしだった。
スマホで映像を撮っている熱心な人がいるなあと思ってよく見たら大阪フィルハーモニー交響楽団の福山修事務局次長であった。大阪フィルでもこうした試みは行いたいだろう。


今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。京響の二人いるコンサートマスターのうちの一人である渡邊穣はこの3月で卒団。泉原も指の怪我から復帰して半年ほどで調子は十全ではないと思われる。尾﨑平のアシスタント・コンサートマスターからの昇格もなさそうである。ということで、新たにコンサートマスターを連れてくる必要がある。泉原が怪我で1年ほど抜けていた間に何人か客演のコンサートマスターが試されたが、合格者がいたのかどうかはまだわからない。


今日の演目は、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」よりメインタイトル、ベートーヴェンの交響曲第5番より第1楽章、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲より第1楽章(ヴァイオリン独奏:辻彩奈)、ブラームス(シュメリング編曲)のハンガリー舞曲第5番、チャイコフスキーの交響曲第5番より第4楽章。


先日、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団への客演で大成功を遂げた上淳一。すでに次回の客演も決まったという。


ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」よりメインタイトル。スケール豊かなシンフォニックな演奏であり、映画音楽というよりクラシックの音楽作品と捉えたような立派な出来である。リズムと響きのバランスにも広上らしい明晰さが見られた。

演奏終了後、ガレッジセールの二人が登場。ゴリが「あそこの窓から見てたんですが、広上さんがだんだんヨーダに見えてきた」と言うと広上は「ヨーダのようだ」と冗談を言って、ゴリに「先生、今日、最初から飛ばしますね!」と言われる。

広上が、「ゴリちゃん、川ちゃん、二人はなんで漫才師やってるの?」と聞き、川田が「僕らは楽しいからやってます」と言うもゴリが「正直、お金になるから」と言って、川田に「最低だな、お前!」と突っ込まれる。広上は、「舞台に出るのが楽しいからやってるんでしょ。僕らもそうなんです」と言う。

続いて、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」の楽曲解説。ベートーヴェンの父親がDVを行っていたという話から始まる。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの父親であるヨハン・ヴァン・ベートーヴェンは有能なテノール歌手だったのだが、「ここぞという時にいつも失敗してしまう」ということでうだつが上がらず(酷い上がり症だったという説もある)その不満を息子にぶつけていた。ベートーヴェンの祖父は同じ名前のルートヴィヒでボン市の音楽長を務めた名音楽家。そのためベートーヴェンの母親は息子がDVに遭うたびに祖父の話をして慰めたと広上は語る。ヨハンにしてみれば父親も名音楽家、息子も名音楽家でそのために余計ストレスが溜まったという話もあったりする。
「運命」の冒頭のジャジャジャジャーンは父親との決別を描いたものという説を広上は明かす。

ベートーヴェンの交響曲第5番は広上の十八番の一つであり、京響でも何度も取り上げているが、今日の演奏は三連符を強調するような、これまでに聴いたことのない解釈であった。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストの辻彩奈は、1997年生まれの新進ヴァイオリニスト。岐阜県大垣市に生まれ、2009年の第63回全日本学生音楽コンクールヴァイオリン部門小学校の部で全国1位を獲得。2013年の第82回日本音楽コンクールヴァイオリン部門でも1位を獲得。2015年の第11回ソウル国際音楽コンクールで第2位(最高位)、2016年のモントリオール国際音楽コンクールで優勝と若くして華々しいキャリアを誇っている。現在は東京音楽大学に特別特待奨学生として在学中。1年後にアンサンブルホールムラタでのリサイタル開催も決まっている。

真っ赤なドレスで登場した辻彩菜。話すのは余り得意ではないようで、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲に関しても、「誰でも一度は聴いたことあります。よね?」と広上に聞いて、ゴリに「なんで一々、広上先生を頼るんですか?」と突っ込まれていた。ゴリは辻を「恥ずかしがり屋さんですね」と評したが、広上は「ヴァイオリンはそうじゃない」と答える。

辻のヴァイオリンであるが、高音の切れ味と輝かしい音色、きっぱりとした歌い方が特徴である。二十歳にしてはかなり音楽性が高い。パウゼの取り方も独特である。


後半。ブラームスのハンガリー舞曲第5番。広上はガレッジセールの二人を指揮台のそばに立たせたまま序盤を指揮。ゆったりとしたテンポからアッチェレランドしていく演奏である。広上は左手でゴリの顔を撫でるように指揮しておどける。続いて、「ブラームス先生が書いたとおりに」ということでインテンポの演奏を行う。楽譜に全てが書けるわけではなく、解釈の余地があるということを示したのであるが、全曲演奏することなく次のチャイコフスキーの曲に進んでしまおうとする。京響の楽団員達は顔を見合わせていた。
実際にブラームスがどんな演奏を望んでいたかを知る術は最早なく、ブラームスがタイムマシーンに乗ってここにやって来たら、「広上! なに勝手なことやってんだよ!」と言われるかも知れないし、「よく理解してくれた」と褒められるかも知れないと語る。「我々はブラームス先生の思いを『忖度』して演奏するだけ」
ハンガリー舞曲第5番全曲の演奏であるが、まずは自然体でスタートし、再現部でタメにタメてアッチェレランドというスタイルであった。


チャイコフスキーの交響曲第5番第4楽章。広上は鞄を持ってきており、中から別のジャケットやらカツラやらサングラスやらを取り出す。まずは金髪アフロのカツラを被り、サングラスをしてロシア人指揮者「ヒロカミンスキー」に扮して疑似ラスト付近の部分を演奏する。本編の疑似ラストで拍手が起こるのを防ぐ狙いもあるだろう。だがサングラスをしたため楽譜が見えず、練習番号を確認していたりする。カツラやサングラスは昨日、LOFTで買ってきたそうだ。
ヒロカミンスキーの演奏。新即物主義的な解釈であり、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団の前身であるレニングラード・フィルハーモニー交響楽団に半世紀に渡って君臨したムラヴィンスキーを意識した演奏を行っていることがわかる(チャイコフスキーの交響曲第5番はエフゲニー・ムラヴィンスキーの十八番である)。
今度は、茶髪でロン毛のカツラを被り、「日本人指揮者、名前は言いませんが、こういう髪型をした」ということでコカミを名乗り、濃厚な演奏を行う。明かされることはなかったが、どう考えてもコバケンこと小林研一郎の物真似である(チャイコフスキーの交響曲第5番は小林研一郎の十八番でもある)。
同じ曲でもイメージが大きくことなることを示した後で、広上指揮京響のオリジナルの演奏。今日はどこかを強調するということはなく比較的端正な演奏であった。


アンコールはチャイコフスキーの「白鳥の湖」より「スペインの踊り」。比較的短い曲だが、曲調の変化を丁寧に描き分けた演奏となった。

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2018年3月15日 (木)

コンサートの記(360) 広上淳一指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第399回定期演奏会

2006年6月15日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪へ。ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴く。今回の指揮者は広上淳一。卓越した表現力が魅力の指揮者である。

プログラムは、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」、グヴァイドゥーリナのフルート協奏曲「希望と絶望の偽りの顔」(フルート独奏:シャロン・ベザリー。日本初演)、ロベルト・シューマンの交響曲第3番「ライン」。

「弦楽のためのレクイエム」はもとから予定されていた曲目だが、先日亡くなった岩城宏之氏と、今朝亡くなった佐藤功太郎氏という二人の指揮者のため、特別に追悼曲として演奏された。純粋なコンサートピースとしてではなく、追悼曲、鎮魂曲として演奏される曲は、前後に拍手をせず、死者の冥福を祈るというのがマナーである。
しかし今回は、プログラムに「弦楽のためのレクイエム」を追悼演奏とする旨が書かれた紙は挟んであったものの、事前のアナウンスがなかったため、広上氏が演奏の主旨を述べて指揮棒を振り始める前と演奏後に拍手が起こってしまった。会場には当然ながらコンサートビキナーもいる。マナーを知らない人のためにも事前のアナウンスは必須のはずなのだが。
10年前の3月。NHK交響楽団の定期演奏会で、その年の2月20日亡くなった武満徹追悼のために、やはり「弦楽のためのレクイエム」演奏された(ハインツ・ワルベルク指揮)。この時はアナウンスがあったため、演奏前にも後にも拍手は起こらず、日本を代表する作曲家の逝去を悼む雰囲気がNHKホールを満たしていた。

グヴァイドゥーリナはロシアの作曲家。現代の女流作曲家としては最も著名な人物である。フルート協奏曲「希望と絶望の偽りの顔」は2005年5月に世界初演が行われたばかりの新曲。今日、フルート独奏を務めるシャロン・へザリーのために書かれている。
フルートは通常のフルートの他に、アルト・フルート、バス・フルートの2本を加えた3本が交代で吹かれる。

まずティンパニを始めとする打楽器群がプリミティブな迫力に満ちた音で会場を満たす。日本人である私の耳にはまるで陣ぶれの太鼓のように聞こえる。そしてフルートの独奏が入るのだが、これも日本人である私には、戦を前にして、武将が一人、瞑想しながら吹いている笛の音に聞こえる。
現代音楽は一回聴いてわかるものは少ないので、こちらで勝手にイメージを膨らまして聴いた方が面白い。

そうするうちに、騎馬が疾駆しているようなリズムが現れる。広上の指揮姿も独特であり(指揮というより何かのスポーツをしているように見える)、こちらのイメージ展開に拍車をかける。

弦楽の響きはあたかも武満作品のよう、というより明らかに武満の影響を受けているのがわかる。広上さんもそれが故に、武満作品とこの曲をセットでプログラミングしたのだろう。

そして音が激しさを増し、あたかも戦いを描いているような音楽世界が拡がっていく。
音楽はその後、内省的になるが、これは夜になって休戦しているようにも聞こえるし、夜討ちの機会を窺っているようでもある。
夜が明け、城攻めが始まる(もちろん、これは私のイメージでしかない)。ラストのチェレスタの独奏は、炎上する天守の上を、地上のことは我関せずとばかりに優雅に舞う鳥を表現しているかのようだ。
と恣意的な想像をしてみた。作曲者の意図は別にあるのだろうが、音楽自体はイメージ喚起力豊かであり、独自の解釈で楽しむことの出来るものだった。映画好きや、小説を読んでイメージを膨らませることに慣れている人はこういう曲は好きだろう。
もちろん、そういう人ばかりではないので、演奏中眠っている人もいたし、演奏終了後にブーイングをする人もいた(奏者にではなく曲に対して起こったブーイングだろう)。

メインであるシューマンの交響曲第3番「ライン」は実に爽快な演奏であった。とにかくオケが良くなる。ロベルト・シューマンの交響曲というと「憂いに満ちた」だとか「神経質な」と形容されることが多いが、広上のシューマンはそんな固定観念をあっさりと打ち破ってみせる。
テンポが速く、音色も明るく、健康的な演奏だ。大阪フィルはいつもホルンがやや弱いのだが、今日のホルンは朗々と響き渡る。
広上の指揮も「ユニーク」という言葉では足りないほど独特だ。指揮棒を溌剌と振り回していたかと思うと、両手を上に上げて喜びの表情を見せたり、空手チョップのような動きをしたり、首を左右に振り、更には指揮棒を手放してダンスのような動きで指揮台でステップを踏む。
ここまでくると指揮とは思えないほどだが、表現力は確かであり、腕のちょっとした動きで音楽のニュアンスを変えてみたり、単純な音型を魅力的なものに昇華したりと、現役日本人指揮者最高峰とも言われる実力をいかんなく発揮してみせる。
何よりも、広上自身が、音楽が面白くて面白くてたまらないという表情を見せるのが良い。見ているこちらの頬も緩む。
広上を見ているうちに、何故か名馬を自在に操る騎手の姿が目に浮かんだ。広上は背が低く、ずんぐりむっくり体型で、燕尾服を着た姿はペンギンを連想させ、騎手からは遠いイメージなのに不思議である。

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2018年3月 8日 (木)

コンサートの記(354) 小山実稚恵&広上淳一指揮京都市交響楽団「ピアノ3大協奏曲の夕べ」2005

2005年11月3日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールまで、京都新聞社が主催する「トマト倶楽部コンサート」を聴きに行く。
今回は、ピアニスト・小山実稚恵のデビュー20周年記念演奏会を兼ねる。

トマト倶楽部コンサートは、安い値段で良質の演奏を聴くことが出来るのが特徴。しかし、その分、コンサート初心者が多く、マナーを知らない人も多いので、冷や冷やもする。今日もビニール袋をくしゃくしゃとさせる音が頻繁に聞こえたり、演奏中にドカドカと足音を鳴らして退場するおばちゃんなどがいて、集中力が殺がれる。

プログラムは、ピアノ協奏曲3曲という、豪華というか豪勢というか、とにかくボリュームある内容だ。
「ピアノ3大協奏曲の夕べ」と題されているが、ショパンのピアノ協奏曲第1番、チャイコフスキーの同第1番は当然として、一般的には知名度の低いスクリャービンのピアノ協奏曲を3大協奏曲の中に入れたのが小山らしい。
指揮は才人・広上淳一。広上の演奏を生で聴くのは8年ぶりである。

ショパンのピアノ協奏曲第1番は、ショパン自身が書いたオーケストラ伴奏の鳴りが悪いことで知られる。20世紀半ばまでは、指揮者がショパンのスコアに手を加えた独自の楽譜で演奏するのが常であったが、最近はそういうことをする指揮者は減った。
3階席、左のかなり後ろの方で聴いたのだが、視覚的にも聴覚的にも難のある席。ステージの左半分は見えないし、オーケストラの音も直接音が届き難い。ただでさえ響きにくいショパンの伴奏なのに、更にハンデがある。
ただ、ピアノは驚くほど良く聞こえる。というわけで、目を閉じて聴くと、ピアノとオケが10メートルぐらい離れて演奏しているように感じてしまう。
小山のピアノは表情が豊かで、強弱の付け方も理想的。ミスタッチがあり、完璧ではなかったが、私は完璧さなど求めていないので満足。

スクリャービンのピアノ協奏曲では一転して、オケが良く鳴る。広上は指揮姿がユニークなことで知られるが、今日もメトロノームの針や自動車のワイパーを連想させる体の揺らし方など、見ていて面白い。ただ、指揮棒や腕のちょっとした動きでオーケストラを自在に操っているのがわかる。音色が魔術でもかけられたかのように、めくるめく変化を遂げる。広上を高く評価する人が多いのも納得がいく。
スクリャービンを得意とする小山のピアノが悪いはずがない。

ショパンとスクリャービンを演奏するときはエメラルドグリーンのドレスを着ていた小山だが、ラストのチャイコフスキーではローズピンクのドレスで登場し、ハレの舞台を演出してみせる。女性奏者は得である。
男性奏者はこうはいかない。着替えても嫌みに見えるだけだ。色つきの衣装に着替えでもしたら、漫才師の登場の見えてしまう。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。広上はオケを豪快に鳴らし(といっても日本のオケだけに限界はあるのだが)、小山は女性ピアニストとは思えないほどの強靱なタッチで立ち向かう。京都市交響楽団は特に金管が優秀で、音の輝きは最上の部類に入るだろう。
一音一音がジャンプしているような活きの良い小山のピアノと、それを受け止めて、更に個性豊かにして返す広上の才能が止揚を生む。
秀演であった。

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2017年11月21日 (火)

コンサートの記(325) 「京都市交響楽団 meets 珠玉の東アジア」

2017年11月5日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、「京都市交響楽団 meets 珠玉の東アジア」を聴く。指揮は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。
日中韓3カ国の楽曲と出演者による音楽の祭典。


曲目は、第1部が、チェ・ソンファンの管弦楽曲「アリラン」、リュー・ツェシャン&マオ・ユァンの「瑶族舞曲」、外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」、第2部がビゼーの歌劇「カルメン」(ハイライト)。

今日のコンサートマスターは渡邊穣、フォアシュピーラーに片山千津子。ドイツ式の現代配置だが、今日は下手に打楽器が並ぶため、ホルンは下手ではなく上手奥に陣取る。「カルメン」の演奏会形式上演があり、歌手が出入りするため、すり鉢式のステージは用いず、弦は平土間の上での演奏である。
P席は第2部で合唱(京響コーラス)が用いるため、今日は販売されていない。


チェ・ソンファンの管弦楽曲「アリラン」。
チェ・ソンファンは朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の作曲家。管弦楽曲「アリラン」は朝鮮半島を代表する民謡をチェ・ソンファンが1976年にアレンジしたもの。現在では韓国と北朝鮮の両国で盛んに演奏されている。
広上指揮の京響は透明感のある音でムクゲの香りが会場を満たすかのような典雅な演奏を繰り広げる。


リュー・ツェシャンとマオ・ユァンの「瑶族舞曲」。中国南部の少数民族・瑶族(ヤオ族)の民謡を基にリュー・ツェシャンとマオ・ユァンが二人で作曲したものである。ヴァイオリンが二胡を模したレガート奏法を行うなど、中華的な色彩に富んだ楽曲である。
広上は音のパーツパーツを絶妙のタイミングで組み込んでいく。キビキビとした音運びと滑らかな歌も印象的である。


外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」。広上は冒頭をきっちりと三つに振る。今日はすり鉢状のステージを採用していないということもあり、低弦が弱めで音の重心も高いが、アンサンブルの精度は高く、リズム感も万全である。土俗感と叙情味の表出も上手い。


第2部。ビゼーの歌劇「カルメン」(ハイライト)。
上演曲は、第1幕より子どもたちの合唱、「前奏曲」、第1幕より「ハバネラ」、第1幕より「セギディーリャ」、第2幕より「ジプシー・ソング」、第2幕より「闘牛士の歌」、第2幕より「花の歌」、第3幕より「カルタの三重唱」、第4幕より「合唱行進曲」、第4幕よりフィナーレ。
出演は、池田香織(カルメン。メゾ・ソプラノ)、ユン・ビョンギル(ドン・ホセ。テノール)、ジョン・ハオ(エスカミーリョ。バス)、チョン・ヨンオギ(フラスキータ。ソプラノ)、谷口睦美(メルセデス。メゾ・ソプラノ)
宮本益光が構成とナレーションを手掛ける。

今回は、「カルメン」の原作であるメリメの小説を基に再構成したテキストを宮本益光が読み上げることで物語が進行していく。ちなみに、メリメの「カルメン」と歌劇「カルメン」とでは大きく設定が異なる場面があるため、辻褄が合わなくなっている部分もある(原作ではカルメンは山奥で殺害されるため、今日読み上げられたテキストにあった「そしてホセはカルメンの亡骸を誰の目にも触れないところまで運び、埋めた」で良いのだが、オペラではカルメンは闘牛場の前、つまり街中で殺されるため、誰の目にも触れないところまで運んで埋めるのは不可能である)。

まず京都市少年合唱団のメンバーが現れ、横一列に並んで合唱を歌う。当初ではハイライト上演では子どもたちの場面はカットする方向でプランが進んでいたのだが、せっかく良い少年合唱団がいるのに使わないのは勿体ない、折角だから第1曲で、ということで一番最初に子どもたちの合唱が来たようだ。

宮本益光が、メリメの小説「カルメン」の冒頭を読み上げて本編(でいいのかな?)スタート。歌手達はドレスアップして登場し、演技も行う。一部では客席の通路も用いられた。

広上は、ジプシー・ソングの終盤で加速し、興奮を誘う。また「闘牛士の歌」では冒頭を思いっきりためて歌い、演劇的な感興を生み出していた。

歌手達も声の通りが良く、優れた歌唱を聴かせる。エスカミーリョ役のジョン・ハオだけはステージに馴染んでいない気がしたが、歌い慣れていないのかも知れない。

宮本益光は抑えた調子でナレーションを行い、効果的であった。

P席に並んだ京響コーラスも威力抜群の歌唱を聴かせる(P席に合唱が陣取ると、音響的にソリストの歌がかき消されそうになるようである)。

広上指揮の京響はフランス的な濃厚な色彩を発揮。見事であった。

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