カテゴリー「広上淳一」の51件の記事

2018年5月27日 (日)

コンサートの記(390) 広上淳一指揮京都市交響楽団第623回定期演奏会

2018年5月20日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第623回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

演目は、レナード・バーンスタインの交響組曲「波止場」、ショスタコーヴィチの交響曲第9番、バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」(ピアノ独奏:河村尚子)。バーンスタイン生誕100年記念といってもいいプログラムである。

開演30分前から広上淳一と京響シニアマネージャー代行兼チーフマネージャーの柴田智靖によるプレトークがある。4月からオーケストラの登場の仕方が変更になったため、プレトークの開始も10分早くなったそうである。アムステルダム・コンセルトヘボウでバーンスタインの助手を務めたこともある広上淳一。レナード・バーンスタイン(愛称:レニー)の弟子はとても多く、広上も、小澤征爾、大植英次、佐渡裕、大野和士らがレニーの弟子であることを紹介する。

ショスタコーヴィチの交響曲第9番であるが、交響曲第9番というのは作曲家にとって運命の数字でもある。ベートーヴェンが交響曲を9曲書いて他界したが、今では7曲ということになったものの以前の解釈ではシューベルトも9番まで、そしてブルックナーも9番まで書いて亡くなった。ドヴォルザークも今では初期交響曲にも番号が付けられて9曲までとなっている(私が小学生の頃の音楽の教科書には「新世界」交響曲の番号がまだ5番であった)。マーラーは交響曲第9番を書いたら死んでしまうのではないかと怖れ、9番目の交響曲には番号を付けず「大地の歌」とした。だが、結局は交響曲第9番を書くことになり、悪い予感が的中して、第9番が遺作となった。ということで特別な番号であり、ソビエト当局はショスタコーヴィチにベートーヴェンの第九に匹敵する曲を期待したのだが、ショスタコーヴィチはどちらかというとおちゃらけた感じの曲を書いてしまう。先にショスタコーヴィチとリヒテルによるピアノ2台版の試演会が行われ、放送によって世界配信されたのだが、ソビエトのみならず世界的な失望を買ってしまった。それでもエフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団による初演は好評だったが、ジダーノフ批判を受けて、以後しばらくの間はショスタコーヴィチ作品のソビエト国内での演奏が禁じられてしまう。
広上によるとレニーはこの曲をしばしば取り上げていたそうで、その理由を「この世のあらゆるものが含まれているから」と説明していたそうである。なお、バーンスタインはこの曲をウィーン・フィルハーモニーを指揮してドイツ・グラモフォンにライブ録音しているが、今に至るまでこれを凌ぐ録音は出ていないと断言していいほどの名演である。

バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」の解説にはピアノ独奏の河村尚子も加わる。河村はこの曲の性質を「トリッキー」と語り、「常に黄色信号が出ていて、よそ見をしていると落とし穴に嵌まってしまう」と話す。日本人ピアニストの河村だが身振り手振りが大きく、ドイツで育ったことが現れていた。
河村と広上は7年前にオーケストラ・アンサンブル金沢の定期演奏会で、ヒンデミットの「四つの気質」で共演したのだが(私も金沢まで聴きに行った。調べたら6年前だったが、もうそんなになるのか)、バーンスタインはヒンデミットの音楽を高く評価しており、ヒンデミット的な要素をこの曲で取り入れたのではないかと河村は推理していた。

今日のコンサートマスターであるが、客演の須山暢大(大阪フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター)が務める。フォアシュピーラーは泉原隆志。4月から京響のコンサートマスターは泉原の一人体制になったのだが、2度目の定期にして早くも客演コンサートマスターが入ってしまうという異様な事態になってしまっている。

バーンスタインの交響組曲「波止場」。エリア・カザン監督の映画のための音楽として書かれたものをコンサート用に編み直したものである。私が持っているレニー自作自演の「ウエストサイド・ストーリー」全曲版のフィルアップに交響組曲「波止場」自作自演(オーケストラはイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団)が入っているのだが、今もこの組み合わせで出ているのかどうかはわからない。
広上はバーンスタインについてクリーニング屋の息子で余り裕福ではなかったと語ったが、文献に基づくとバーンスタインの父親のサミュエル・バーンスタインは理髪店を営み、パーマネントのための機器を独自に発明した発明家でもあった。サミュエルは特許料で稼ぎ、アメリカン・ドリームの体現者となる。息子にも家業を継がせたいと考えていたサミュエルだが、息子のレナードは意に反して音楽家への道を歩むことになる。ハイスクールを卒業したレナードはカーティス音楽院かジュリアード音楽院に進みたかったのだがサミュエルがそれを許さず、妥協の結果、レナードはハーバード大学音楽学部に進学する。世界最高の大学ともいわれるハーバード大学だが音楽学部に関してはカーティスやジュリアードより格下。レナードは満足出来ずに、その後、カーティス音楽院で学ぶことになる。バーンスタイン親子の関係はその後も複雑であったようだ。
いかにも映画音楽的な楽曲である。最初のホルンで示されるテーマがその後、様々な楽器で繰り返される。盛り上がりの部分はこの楽曲の冒頭部分によく似ているが、偶然だと思われる。
広上と京響のコンビの充実が確認出来る好演であった。

ショスタコーヴィチの交響曲第9番。全曲の演奏時間が5楽章で25分程度と短いこともあり、軽めの楽曲と目されているが、ユーモラスな感じがするのは第1楽章と第5楽章のみであり、他はシリアスな音楽が続く。
古典的な造形といわれることもある。そういえば、ショスタコーヴィチと犬猿の仲といわれたプロコフィエフの交響曲第1番「古典」は古典的造形そのものだが、多分、関係はない。
レニーとウィーン・フィルによる演奏はスケール豊かな、悪くいうと肥大化した音楽であったが、広上と京響はタイトにしてパワフルというこの曲本来のスタイルを採用。推進力にも富んでいたが、この曲の苦み走った面を強調するのが広上らしい解釈である。

バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」。イギリス出身でアメリカに帰化した詩人のW.H.オーデンの長編詩に基づく交響曲である。オーデンの長編詩「不安の時代」は邦訳も出ており(日本語で読むと詩というより完全な物語文という印象を受ける)私も読んでみたことがあるのだが、長い上に余り面白くなかったので途中でリタイアしてしまった。
ピアノ独奏と含む交響曲という比較的珍しいスタイルを取っているが、宗教や思想の影響の強い交響曲第1番「エレミア」や交響曲第3番「カディッシュ」よりはわかりやすく、バーンスタインの交響曲の中ではおそらく最も演奏される機会が多いと思われる。初演はクーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団によって行われ、バーンスタインはピアノソロを受け持った。
この曲は、レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団盤(ピアノ独奏:ルーカス・フォス)、ジェイムズ・ジャッド指揮フロリダ・フィルハーモニー管弦楽団盤(ピアノ独奏:ジャン=ルイ・ストイアマン)などで聴いており、「いかにもアメリカ的な交響曲」という印象を受けたが、広上と京響の生む音色はどちらかといえばヨーロッパのオーケストラに近く、マーラーやショスタコーヴィチとの類似点が確認出来るのが興味深いところである。またそれによってシリアスで痛烈な印象も強まる。

日本の若手としてはトップクラスのピアニストとなった河村尚子(ただし音楽教育は全てドイツで受けている)。ハノーファー国立音楽演劇大学大学院ソリスト課程を修了。ミュンヘン国際コンクールで2位入賞、クララ・ハスキル国際コンクールでは優勝に輝く。今年は出身地の西宮市にある兵庫県立芸術文化センターでベートーヴェン・シリーズを行い、京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタでもオール・ベートーヴェン・プログラムによるリサイタルを行う予定である。現在はドイツ・エッセンのフォルクヴァング芸術大学教授。東京音楽大学ピアノ科の特任講師として現在も大学のホームページに名前があるが、ページ自体が更新されていないので今はどうなっているのかわからない。
今日はピアノは蓋を取り払って指揮者と対峙する位置に据えられている。
色彩感豊かなピアノを弾く人であるが、今日は高音の豊かさに魅せられる。ピアノを弾いたことがある人ならわかると思うが、鍵盤の右端に近い高い音は基本的に痩せた音しか出ない。ただ、今日の河村の弾く高音はボリュームがあって美しいのである。どうやったらああした音を出せるのかわからない。
この曲ではジャズテイストの旋律が登場するのが特徴であるが、その語り口が上手くいっているのかは私にはよくわからない。私もジャズピアノは聴くが、いずれもクラシカルな要素が強いピアニストばかりだ。プレトークでの河村本人のコメントによると「ジャズは好きだがジャズを弾くのは初心者」だそうである。

ちなみに第1部おける変奏曲の主題はグレゴリオ聖歌の「怒りの日」の模倣のように思われるのだが、そういう指摘は今まで行われていないようである。


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2018年3月29日 (木)

コンサートの記(366) 広上淳一指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2017(年度)「魔法のオーケストラ」第4回“音楽の魔法”

2018年3月25日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2017(年度)「魔法のオーケストラ」第4回“音楽の魔法”を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。ナビゲーターはガレッジセールの二人。

本番に先駆けてロビーコンサートがある。京響の各奏者が自分たちのパート以外の楽器に挑戦していたが、ラストに登場する出雲路橋カルテットのメンバーとして広上淳一が登場、モンティの「チャルダッシュ」でピアニカ(鍵盤ハーモニカ)でソロを取る。アゴーギク使いまくりのユーモラスな演奏。京響のメンバーもロビーにいて演奏を聴いており、私の近くには中山航介君(この間、出原さんに付き合って女装してコンサートに参加したらしい。京響も最近は飛んでるなあ)がいたのだが、ずっと笑いっぱなしだった。
スマホで映像を撮っている熱心な人がいるなあと思ってよく見たら大阪フィルハーモニー交響楽団の福山修事務局次長であった。大阪フィルでもこうした試みは行いたいだろう。


今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。京響の二人いるコンサートマスターのうちの一人である渡邊穣はこの3月で卒団。泉原も指の怪我から復帰して半年ほどで調子は十全ではないと思われる。尾﨑平のアシスタント・コンサートマスターからの昇格もなさそうである。ということで、新たにコンサートマスターを連れてくる必要がある。泉原が怪我で1年ほど抜けていた間に何人か客演のコンサートマスターが試されたが、合格者がいたのかどうかはまだわからない。


今日の演目は、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」よりメインタイトル、ベートーヴェンの交響曲第5番より第1楽章、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲より第1楽章(ヴァイオリン独奏:辻彩奈)、ブラームス(シュメリング編曲)のハンガリー舞曲第5番、チャイコフスキーの交響曲第5番より第4楽章。


先日、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団への客演で大成功を遂げた上淳一。すでに次回の客演も決まったという。


ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」よりメインタイトル。スケール豊かなシンフォニックな演奏であり、映画音楽というよりクラシックの音楽作品と捉えたような立派な出来である。リズムと響きのバランスにも広上らしい明晰さが見られた。

演奏終了後、ガレッジセールの二人が登場。ゴリが「あそこの窓から見てたんですが、広上さんがだんだんヨーダに見えてきた」と言うと広上は「ヨーダのようだ」と冗談を言って、ゴリに「先生、今日、最初から飛ばしますね!」と言われる。

広上が、「ゴリちゃん、川ちゃん、二人はなんで漫才師やってるの?」と聞き、川田が「僕らは楽しいからやってます」と言うもゴリが「正直、お金になるから」と言って、川田に「最低だな、お前!」と突っ込まれる。広上は、「舞台に出るのが楽しいからやってるんでしょ。僕らもそうなんです」と言う。

続いて、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」の楽曲解説。ベートーヴェンの父親がDVを行っていたという話から始まる。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの父親であるヨハン・ヴァン・ベートーヴェンは有能なテノール歌手だったのだが、「ここぞという時にいつも失敗してしまう」ということでうだつが上がらず(酷い上がり症だったという説もある)その不満を息子にぶつけていた。ベートーヴェンの祖父は同じ名前のルートヴィヒでボン市の音楽長を務めた名音楽家。そのためベートーヴェンの母親は息子がDVに遭うたびに祖父の話をして慰めたと広上は語る。ヨハンにしてみれば父親も名音楽家、息子も名音楽家でそのために余計ストレスが溜まったという話もあったりする。
「運命」の冒頭のジャジャジャジャーンは父親との決別を描いたものという説を広上は明かす。

ベートーヴェンの交響曲第5番は広上の十八番の一つであり、京響でも何度も取り上げているが、今日の演奏は三連符を強調するような、これまでに聴いたことのない解釈であった。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストの辻彩奈は、1997年生まれの新進ヴァイオリニスト。岐阜県大垣市に生まれ、2009年の第63回全日本学生音楽コンクールヴァイオリン部門小学校の部で全国1位を獲得。2013年の第82回日本音楽コンクールヴァイオリン部門でも1位を獲得。2015年の第11回ソウル国際音楽コンクールで第2位(最高位)、2016年のモントリオール国際音楽コンクールで優勝と若くして華々しいキャリアを誇っている。現在は東京音楽大学に特別特待奨学生として在学中。1年後にアンサンブルホールムラタでのリサイタル開催も決まっている。

真っ赤なドレスで登場した辻彩菜。話すのは余り得意ではないようで、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲に関しても、「誰でも一度は聴いたことあります。よね?」と広上に聞いて、ゴリに「なんで一々、広上先生を頼るんですか?」と突っ込まれていた。ゴリは辻を「恥ずかしがり屋さんですね」と評したが、広上は「ヴァイオリンはそうじゃない」と答える。

辻のヴァイオリンであるが、高音の切れ味と輝かしい音色、きっぱりとした歌い方が特徴である。二十歳にしてはかなり音楽性が高い。パウゼの取り方も独特である。


後半。ブラームスのハンガリー舞曲第5番。広上はガレッジセールの二人を指揮台のそばに立たせたまま序盤を指揮。ゆったりとしたテンポからアッチェレランドしていく演奏である。広上は左手でゴリの顔を撫でるように指揮しておどける。続いて、「ブラームス先生が書いたとおりに」ということでインテンポの演奏を行う。楽譜に全てが書けるわけではなく、解釈の余地があるということを示したのであるが、全曲演奏することなく次のチャイコフスキーの曲に進んでしまおうとする。京響の楽団員達は顔を見合わせていた。
実際にブラームスがどんな演奏を望んでいたかを知る術は最早なく、ブラームスがタイムマシーンに乗ってここにやって来たら、「広上! なに勝手なことやってんだよ!」と言われるかも知れないし、「よく理解してくれた」と褒められるかも知れないと語る。「我々はブラームス先生の思いを『忖度』して演奏するだけ」
ハンガリー舞曲第5番全曲の演奏であるが、まずは自然体でスタートし、再現部でタメにタメてアッチェレランドというスタイルであった。


チャイコフスキーの交響曲第5番第4楽章。広上は鞄を持ってきており、中から別のジャケットやらカツラやらサングラスやらを取り出す。まずは金髪アフロのカツラを被り、サングラスをしてロシア人指揮者「ヒロカミンスキー」に扮して疑似ラスト付近の部分を演奏する。本編の疑似ラストで拍手が起こるのを防ぐ狙いもあるだろう。だがサングラスをしたため楽譜が見えず、練習番号を確認していたりする。カツラやサングラスは昨日、LOFTで買ってきたそうだ。
ヒロカミンスキーの演奏。新即物主義的な解釈であり、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団の前身であるレニングラード・フィルハーモニー交響楽団に半世紀に渡って君臨したムラヴィンスキーを意識した演奏を行っていることがわかる(チャイコフスキーの交響曲第5番はエフゲニー・ムラヴィンスキーの十八番である)。
今度は、茶髪でロン毛のカツラを被り、「日本人指揮者、名前は言いませんが、こういう髪型をした」ということでコカミを名乗り、濃厚な演奏を行う。明かされることはなかったが、どう考えてもコバケンこと小林研一郎の物真似である(チャイコフスキーの交響曲第5番は小林研一郎の十八番でもある)。
同じ曲でもイメージが大きくことなることを示した後で、広上指揮京響のオリジナルの演奏。今日はどこかを強調するということはなく比較的端正な演奏であった。


アンコールはチャイコフスキーの「白鳥の湖」より「スペインの踊り」。比較的短い曲だが、曲調の変化を丁寧に描き分けた演奏となった。

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2018年3月15日 (木)

コンサートの記(360) 広上淳一指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第399回定期演奏会

2006年6月15日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪へ。ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴く。今回の指揮者は広上淳一。卓越した表現力が魅力の指揮者である。

プログラムは、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」、グヴァイドゥーリナのフルート協奏曲「希望と絶望の偽りの顔」(フルート独奏:シャロン・ベザリー。日本初演)、ロベルト・シューマンの交響曲第3番「ライン」。

「弦楽のためのレクイエム」はもとから予定されていた曲目だが、先日亡くなった岩城宏之氏と、今朝亡くなった佐藤功太郎氏という二人の指揮者のため、特別に追悼曲として演奏された。純粋なコンサートピースとしてではなく、追悼曲、鎮魂曲として演奏される曲は、前後に拍手をせず、死者の冥福を祈るというのがマナーである。
しかし今回は、プログラムに「弦楽のためのレクイエム」を追悼演奏とする旨が書かれた紙は挟んであったものの、事前のアナウンスがなかったため、広上氏が演奏の主旨を述べて指揮棒を振り始める前と演奏後に拍手が起こってしまった。会場には当然ながらコンサートビキナーもいる。マナーを知らない人のためにも事前のアナウンスは必須のはずなのだが。
10年前の3月。NHK交響楽団の定期演奏会で、その年の2月20日亡くなった武満徹追悼のために、やはり「弦楽のためのレクイエム」演奏された(ハインツ・ワルベルク指揮)。この時はアナウンスがあったため、演奏前にも後にも拍手は起こらず、日本を代表する作曲家の逝去を悼む雰囲気がNHKホールを満たしていた。

グヴァイドゥーリナはロシアの作曲家。現代の女流作曲家としては最も著名な人物である。フルート協奏曲「希望と絶望の偽りの顔」は2005年5月に世界初演が行われたばかりの新曲。今日、フルート独奏を務めるシャロン・へザリーのために書かれている。
フルートは通常のフルートの他に、アルト・フルート、バス・フルートの2本を加えた3本が交代で吹かれる。

まずティンパニを始めとする打楽器群がプリミティブな迫力に満ちた音で会場を満たす。日本人である私の耳にはまるで陣ぶれの太鼓のように聞こえる。そしてフルートの独奏が入るのだが、これも日本人である私には、戦を前にして、武将が一人、瞑想しながら吹いている笛の音に聞こえる。
現代音楽は一回聴いてわかるものは少ないので、こちらで勝手にイメージを膨らまして聴いた方が面白い。

そうするうちに、騎馬が疾駆しているようなリズムが現れる。広上の指揮姿も独特であり(指揮というより何かのスポーツをしているように見える)、こちらのイメージ展開に拍車をかける。

弦楽の響きはあたかも武満作品のよう、というより明らかに武満の影響を受けているのがわかる。広上さんもそれが故に、武満作品とこの曲をセットでプログラミングしたのだろう。

そして音が激しさを増し、あたかも戦いを描いているような音楽世界が拡がっていく。
音楽はその後、内省的になるが、これは夜になって休戦しているようにも聞こえるし、夜討ちの機会を窺っているようでもある。
夜が明け、城攻めが始まる(もちろん、これは私のイメージでしかない)。ラストのチェレスタの独奏は、炎上する天守の上を、地上のことは我関せずとばかりに優雅に舞う鳥を表現しているかのようだ。
と恣意的な想像をしてみた。作曲者の意図は別にあるのだろうが、音楽自体はイメージ喚起力豊かであり、独自の解釈で楽しむことの出来るものだった。映画好きや、小説を読んでイメージを膨らませることに慣れている人はこういう曲は好きだろう。
もちろん、そういう人ばかりではないので、演奏中眠っている人もいたし、演奏終了後にブーイングをする人もいた(奏者にではなく曲に対して起こったブーイングだろう)。

メインであるシューマンの交響曲第3番「ライン」は実に爽快な演奏であった。とにかくオケが良くなる。ロベルト・シューマンの交響曲というと「憂いに満ちた」だとか「神経質な」と形容されることが多いが、広上のシューマンはそんな固定観念をあっさりと打ち破ってみせる。
テンポが速く、音色も明るく、健康的な演奏だ。大阪フィルはいつもホルンがやや弱いのだが、今日のホルンは朗々と響き渡る。
広上の指揮も「ユニーク」という言葉では足りないほど独特だ。指揮棒を溌剌と振り回していたかと思うと、両手を上に上げて喜びの表情を見せたり、空手チョップのような動きをしたり、首を左右に振り、更には指揮棒を手放してダンスのような動きで指揮台でステップを踏む。
ここまでくると指揮とは思えないほどだが、表現力は確かであり、腕のちょっとした動きで音楽のニュアンスを変えてみたり、単純な音型を魅力的なものに昇華したりと、現役日本人指揮者最高峰とも言われる実力をいかんなく発揮してみせる。
何よりも、広上自身が、音楽が面白くて面白くてたまらないという表情を見せるのが良い。見ているこちらの頬も緩む。
広上を見ているうちに、何故か名馬を自在に操る騎手の姿が目に浮かんだ。広上は背が低く、ずんぐりむっくり体型で、燕尾服を着た姿はペンギンを連想させ、騎手からは遠いイメージなのに不思議である。

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2018年3月 8日 (木)

コンサートの記(354) 小山実稚恵&広上淳一指揮京都市交響楽団「ピアノ3大協奏曲の夕べ」2005

2005年11月3日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールまで、京都新聞社が主催する「トマト倶楽部コンサート」を聴きに行く。
今回は、ピアニスト・小山実稚恵のデビュー20周年記念演奏会を兼ねる。

トマト倶楽部コンサートは、安い値段で良質の演奏を聴くことが出来るのが特徴。しかし、その分、コンサート初心者が多く、マナーを知らない人も多いので、冷や冷やもする。今日もビニール袋をくしゃくしゃとさせる音が頻繁に聞こえたり、演奏中にドカドカと足音を鳴らして退場するおばちゃんなどがいて、集中力が殺がれる。

プログラムは、ピアノ協奏曲3曲という、豪華というか豪勢というか、とにかくボリュームある内容だ。
「ピアノ3大協奏曲の夕べ」と題されているが、ショパンのピアノ協奏曲第1番、チャイコフスキーの同第1番は当然として、一般的には知名度の低いスクリャービンのピアノ協奏曲を3大協奏曲の中に入れたのが小山らしい。
指揮は才人・広上淳一。広上の演奏を生で聴くのは8年ぶりである。

ショパンのピアノ協奏曲第1番は、ショパン自身が書いたオーケストラ伴奏の鳴りが悪いことで知られる。20世紀半ばまでは、指揮者がショパンのスコアに手を加えた独自の楽譜で演奏するのが常であったが、最近はそういうことをする指揮者は減った。
3階席、左のかなり後ろの方で聴いたのだが、視覚的にも聴覚的にも難のある席。ステージの左半分は見えないし、オーケストラの音も直接音が届き難い。ただでさえ響きにくいショパンの伴奏なのに、更にハンデがある。
ただ、ピアノは驚くほど良く聞こえる。というわけで、目を閉じて聴くと、ピアノとオケが10メートルぐらい離れて演奏しているように感じてしまう。
小山のピアノは表情が豊かで、強弱の付け方も理想的。ミスタッチがあり、完璧ではなかったが、私は完璧さなど求めていないので満足。

スクリャービンのピアノ協奏曲では一転して、オケが良く鳴る。広上は指揮姿がユニークなことで知られるが、今日もメトロノームの針や自動車のワイパーを連想させる体の揺らし方など、見ていて面白い。ただ、指揮棒や腕のちょっとした動きでオーケストラを自在に操っているのがわかる。音色が魔術でもかけられたかのように、めくるめく変化を遂げる。広上を高く評価する人が多いのも納得がいく。
スクリャービンを得意とする小山のピアノが悪いはずがない。

ショパンとスクリャービンを演奏するときはエメラルドグリーンのドレスを着ていた小山だが、ラストのチャイコフスキーではローズピンクのドレスで登場し、ハレの舞台を演出してみせる。女性奏者は得である。
男性奏者はこうはいかない。着替えても嫌みに見えるだけだ。色つきの衣装に着替えでもしたら、漫才師の登場の見えてしまう。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。広上はオケを豪快に鳴らし(といっても日本のオケだけに限界はあるのだが)、小山は女性ピアニストとは思えないほどの強靱なタッチで立ち向かう。京都市交響楽団は特に金管が優秀で、音の輝きは最上の部類に入るだろう。
一音一音がジャンプしているような活きの良い小山のピアノと、それを受け止めて、更に個性豊かにして返す広上の才能が止揚を生む。
秀演であった。

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2017年11月21日 (火)

コンサートの記(325) 「京都市交響楽団 meets 珠玉の東アジア」

2017年11月5日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、「京都市交響楽団 meets 珠玉の東アジア」を聴く。指揮は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。
日中韓3カ国の楽曲と出演者による音楽の祭典。


曲目は、第1部が、チェ・ソンファンの管弦楽曲「アリラン」、リュー・ツェシャン&マオ・ユァンの「瑶族舞曲」、外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」、第2部がビゼーの歌劇「カルメン」(ハイライト)。

今日のコンサートマスターは渡邊穣、フォアシュピーラーに片山千津子。ドイツ式の現代配置だが、今日は下手に打楽器が並ぶため、ホルンは下手ではなく上手奥に陣取る。「カルメン」の演奏会形式上演があり、歌手が出入りするため、すり鉢式のステージは用いず、弦は平土間の上での演奏である。
P席は第2部で合唱(京響コーラス)が用いるため、今日は販売されていない。


チェ・ソンファンの管弦楽曲「アリラン」。
チェ・ソンファンは朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の作曲家。管弦楽曲「アリラン」は朝鮮半島を代表する民謡をチェ・ソンファンが1976年にアレンジしたもの。現在では韓国と北朝鮮の両国で盛んに演奏されている。
広上指揮の京響は透明感のある音でムクゲの香りが会場を満たすかのような典雅な演奏を繰り広げる。


リュー・ツェシャンとマオ・ユァンの「瑶族舞曲」。中国南部の少数民族・瑶族(ヤオ族)の民謡を基にリュー・ツェシャンとマオ・ユァンが二人で作曲したものである。ヴァイオリンが二胡を模したレガート奏法を行うなど、中華的な色彩に富んだ楽曲である。
広上は音のパーツパーツを絶妙のタイミングで組み込んでいく。キビキビとした音運びと滑らかな歌も印象的である。


外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」。広上は冒頭をきっちりと三つに振る。今日はすり鉢状のステージを採用していないということもあり、低弦が弱めで音の重心も高いが、アンサンブルの精度は高く、リズム感も万全である。土俗感と叙情味の表出も上手い。


第2部。ビゼーの歌劇「カルメン」(ハイライト)。
上演曲は、第1幕より子どもたちの合唱、「前奏曲」、第1幕より「ハバネラ」、第1幕より「セギディーリャ」、第2幕より「ジプシー・ソング」、第2幕より「闘牛士の歌」、第2幕より「花の歌」、第3幕より「カルタの三重唱」、第4幕より「合唱行進曲」、第4幕よりフィナーレ。
出演は、池田香織(カルメン。メゾ・ソプラノ)、ユン・ビョンギル(ドン・ホセ。テノール)、ジョン・ハオ(エスカミーリョ。バス)、チョン・ヨンオギ(フラスキータ。ソプラノ)、谷口睦美(メルセデス。メゾ・ソプラノ)
宮本益光が構成とナレーションを手掛ける。

今回は、「カルメン」の原作であるメリメの小説を基に再構成したテキストを宮本益光が読み上げることで物語が進行していく。ちなみに、メリメの「カルメン」と歌劇「カルメン」とでは大きく設定が異なる場面があるため、辻褄が合わなくなっている部分もある(原作ではカルメンは山奥で殺害されるため、今日読み上げられたテキストにあった「そしてホセはカルメンの亡骸を誰の目にも触れないところまで運び、埋めた」で良いのだが、オペラではカルメンは闘牛場の前、つまり街中で殺されるため、誰の目にも触れないところまで運んで埋めるのは不可能である)。

まず京都市少年合唱団のメンバーが現れ、横一列に並んで合唱を歌う。当初ではハイライト上演では子どもたちの場面はカットする方向でプランが進んでいたのだが、せっかく良い少年合唱団がいるのに使わないのは勿体ない、折角だから第1曲で、ということで一番最初に子どもたちの合唱が来たようだ。

宮本益光が、メリメの小説「カルメン」の冒頭を読み上げて本編(でいいのかな?)スタート。歌手達はドレスアップして登場し、演技も行う。一部では客席の通路も用いられた。

広上は、ジプシー・ソングの終盤で加速し、興奮を誘う。また「闘牛士の歌」では冒頭を思いっきりためて歌い、演劇的な感興を生み出していた。

歌手達も声の通りが良く、優れた歌唱を聴かせる。エスカミーリョ役のジョン・ハオだけはステージに馴染んでいない気がしたが、歌い慣れていないのかも知れない。

宮本益光は抑えた調子でナレーションを行い、効果的であった。

P席に並んだ京響コーラスも威力抜群の歌唱を聴かせる(P席に合唱が陣取ると、音響的にソリストの歌がかき消されそうになるようである)。

広上指揮の京響はフランス的な濃厚な色彩を発揮。見事であった。

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2017年9月25日 (月)

コンサートの記(319) 広上淳一指揮京都市交響楽団 「第21回京都の秋音楽祭開会記念コンサート」2017

2017年9月17日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで「第21回京都の秋音楽祭開会記念コンサート」を聴く。広上淳一指揮京都市交響楽団による演奏。
天候不良の場合は公演中止もあり得るということだったが、台風もまだ遠いということでGOサインが出た。なお、京都コンサートホールは今月の頭からTwitterとFacebookを始めており、公演決行はTwitterで確認することが出来た。

曲目は、すぎやまこういちの序奏MIYAKO、ショパンのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:ルーカス・ゲニューシャス)、ラフマニノフの交響曲第2番。
広上淳一と京都市交響楽団は2015年にサントリー音楽賞を受賞しており、明日はサントリーホールで受賞記念コンサートを行う予定である。


演奏開始前に門川大作京都市長による京都の秋音楽祭の開会宣言がある。門川市長は文化庁の京都移転に触れ、サントリー音楽賞については、「明日、京響は台風と共に東京・サントリーホールに向かいます」と冗談も言っていた。


客演コンサートミストレスとして会田莉凡(あいだ・りぼん)を起用。フォアシュピーラーは泉原隆志。


すぎやまこういちの序奏MIYAKOはいかにもすぎやまこういちらしい明快な調性音楽である。途中、スネアが雅楽のリズム(「越天楽」がモチーフのようだ)を奏でるのも楽しい。


ショパンのピアノ協奏曲第2番。ソリストのルーカス・ゲニューシャスは、1990年モスクワ生まれの若手ピアニスト。祖母はモスクワ音楽院の高名な教育者であったヴェーラ・ゴルノスターエワで、ゲニューシャスは幼少時から祖母についてピアノを習う。ジーナ・バッカウアー国際コンクールで優勝後、ショパン国際コンクールとチャイコフスキー国際コンクールで共に2位に入って頭角を表している。
ゲニューシャスはプロフィール写真とは違うひげもじゃ姿で登場。かなり大柄なピアニストである。

ゲニューシャスのピアノであるが、硬質にしてリリカル。美音家である。音の粒立ちを優先させた演奏で、若き日のショパンのメランコリーは余り感じられないが、甘美で冴えたピアノを奏でた。
ショパンのピアノ協奏曲の伴奏は、彼が管弦楽法を習熟していなかったということもあり、「響かない」というのが定評であるが、広上指揮の京響はそれでも立派な響きを生み出していた。

ゲニューシャスのアンコール演奏は、デジャトニコフの「エコーズ フロム ザ・シアター」より「Chase Rondo」。マジカルな曲であり演奏であった。


メインのラフマニノフの交響曲第2番。極めてハイレベルな演奏であった。
音の密度が濃く、渋さ、甘美さ、輝き、ボリュームどれをとっても最高レベルである。あたかも10年以上前に同じ京都コンサートホールで聴いたロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏を聴いているかのような気分にさせられる。
広上の神経は細部まで行き渡っており、あるべき場所にあるべき音が理想的な形でしっかりと填まっていく。見事というほかない。
推進力抜群で、京響の楽団員も乗りに乗っており、威力も十分。広上の音のデザイン力も卓越している。
広上と京響の9年の歴史の中で「ベスト」と呼べる出来となった。実演で聴いたラフマニノフの交響曲第2番の中でも間違いなくナンバーワンである。


拍手はなかなか鳴り止まず、最後は広上が客席に向かって、「アンコールありませんので」と言ってお開きとなった。

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2017年9月23日 (土)

NHK交響楽団学生定期会員時代のこと

 東京時代にNHK交響楽団の学生定期会員を2年ほどやっておりました(1997年-99年)。定期会員としての最初のコンサートの指揮者は、現在、京都市交響楽団の常任指揮者を務めている広上淳一でした。因縁を感じます。メインはグリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番&第2番で、広上さんったら「アニトラの踊り」では指揮台の上でステップ踏んで踊ってました。

 定期会員の1年目は良かったのですが、2年目にはきつくなりました。渋谷のNHKホールまでは片道2時間。そして毎回聴きたい指揮者や曲目とは限らない。というわけで「今日は気が進まないなあ」と思いながら通うこともありました。「聴きたい」から「聴かなければならない」に変わってしまったのです。日本では評価が低いドミトリ・キタエンコが実は名指揮者だったという発見もありましたけれども。というわけで社会人になってからはN響の定期会員も辞め(N響のシーズンは9月ー6月なので、「なると同時に」ではありません)、以後もオーケストラの定期会員にはなっていません。

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2017年7月29日 (土)

コンサートの記(313) 広上淳一指揮京都市交響楽団第614回定期演奏会

2017年7月15日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第614回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

チラシなどには「広上淳一のブラームス讃 第1弾」と銘打たれたコンサート。曲目は、ブラームスの大学祝典序曲、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:ピンカス・ズーカーマン)、ブラームスの交響曲第3番。


開演20分前からプレトークがある。お昼の公演なのだが、広上淳一は「こんばんはー」と言ってステージに登場。京都市交響楽団第2ヴァイオリン奏者の後藤良平と京都市交響楽団シニアマネージャー兼チーフマネージャーの柴田智靖も広上に続いて現れる。

まずベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のソリストを務めるピンカス・ズーカーマンの話。後藤良平は、イツァーク・パールマンなどの優れた弦楽奏者と共演したことがあるという話をし、広上と二人で、ズーカーマンは、パールマンやアイザック・スターンと同じユダヤ系ヴァイオリニストだという話になる。ズーカーマンが京響と共演するのは今日が初めてだそうである。

続いて、広上がブラームスの交響曲第3番を指揮するのは今日が3回目だという話をする。難しい曲なので取り上げにくいらしい。広上がまだ駆け出しの頃、受けた指揮者コンクールでブラームスの交響曲第3番が課題曲だったのだが、「ロマンの塊」のようで、「これは難しいぞ」と感じた思い出などを語る。

ブラームスの大学祝典序曲。広上や後藤は「旺文社の大学受験ラジオ講座」のテーマ曲として知ったそうで、広上は大学浪人時代にずっと「旺文社の大学受験ラジオ講座」を聞いていたのだが、テーマ曲がブラームスの大学祝典序曲であるということは知らず、大学に入ってから曲名を知ったそうである。
後藤は、「京都は大学生の比率が日本一多い街、だいたい10人に1人で京都市の人口が150万弱だから14万人」と語り、この曲が京都で演奏するのに相応しい曲だと述べた。
その他、祇園祭の話も出たのだが、広上は幼い頃に父親に連れられて祇園祭を見たものの(山矛巡行だと思われる)人ばかりで何も見えなかったという思い出があるそうだ。


今日のコンサートマスターは客演の豊嶋泰嗣、フォアシュピーラーに泉原隆志。今日はソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積も出演する。管は多くの首席奏者がブラームスの交響曲第3番のみ登場した。


ブラームスの大学祝典序曲。最近では演奏が良くても心揺すられることは余りないのだが、広上のブラームスには感心させられた。明晰で美しく、繊細で上品な演奏。特筆すべきは日本人ならではの細やかな感性が十全に生きていることで、日本人指揮者と日本のオーケストラがなし得るものとしては最上レベルの演奏と書いて間違いないと思う。


ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。
ソリストのピンカス・ズーカーマンはユダヤ系のヴァイオリニストらしく磨き抜かれた美音と高度なメカニックを披露。音に張りがあり、明るい。ステージ上が明るくなったかのように錯覚するほどだ。ポルタメントの使い方も味わい深い。
広上指揮の京都市交響楽団も充実した伴奏を聴かせる。丁寧で構築感抜群の演奏であり、第3楽章のオーケストラのみの演奏場面ではズーカーマンはオーケストラの方を振り向いて満足げな表情を見せる。ズーカーマンは京響のことが大分気に入ってしまったようだ。

大曲であるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ということでアンコール演奏はなし、最後はズーカーマンは手ぶらで現れ、アンコールを演奏しないことを示した。


ブラームスの交響曲第3番。大学祝典序曲同様、日本人の美質が十全に発揮された演奏である。立体感もあり、音色は澄んで、旋律の歌い方にも日本人好みの小粋さがある。各楽器の奏者達の技術も高く、世界中でこのコンビだけが再現できるブラームスであったと思わせる快演であった。

なお、今日と明日の演奏会はハイレゾによる収録が行われ、後日配信される予定である。

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2017年5月 5日 (金)

コンサートの記(297) 広上淳一指揮京都市交響楽団大阪特別公演2017

2017年4月16日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで京都市交響楽団大阪特別公演を聴く。今日の指揮者は、京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。
曲目は、ベートーヴェンの交響曲第5番、ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」(1919年版)。
今日のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏である。管楽器の首席奏者は前半のベートーヴェンにはほとんど出演せず、ベートーヴェンのオーボエは客演の岡北斗が吹いた。


広上は節目節目でベートーヴェンの交響曲第5番を取り上げており、十八番としている。

今日は二つ指揮棒を軽く振ってから演奏スタート。フェルマータはいつもよりも少しだけ短めにしているようである。ピリオド・アプローチによる演奏であり、音の末尾を伸ばすことはない。
音の密度が高く、弦、管共に充実した演奏を展開する。フルートの浮かび上がらせ方の上手さも目立つ。
第4楽章突入部分の輝かしさは特筆事項で、真の勝利をつかみ取った心の震えまでもが伝わってくるかのようだ。
ベーレンライター版の譜面を使っていたようで、第4楽章ではピッコロの活躍が目立つが、一番浮き上がるところのピッコロは採用しておらず、交ぜて使っているようである。ラストではピッコロを思う存分吹かせていた。
広上は、ジャンプをしたかと思えば、振りかぶって指揮棒を下げ下ろしたり、指揮棒を両手で持って剣道の「面!」のように払い下げたりする。


休憩を挟んで後半。ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」。しなやかにしてソリッドな演奏が展開される。夜想曲やロマンスの可憐さも見事だ。夜想曲ではコンサートマスターの渡邊穣が美しいヴァイオリンソロを奏でた。


ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」(1919年版)。京響の技術の高さと、明るい音色が十全に発揮された演奏である。広上の弦と管のバランスの取り方も最上であり、ティンパニなどの打楽器の思い切った強打も効果的である。音の百貨店のようにどんな音でも出せる万能系の演奏である。
広上のピョンピョンと跳ねる指揮姿も面白かった。


カーテンコール。広上は客席に向かって、「また来ます」と挨拶。「皆さんのご多幸を祈って」ということで、ビゼーの「アルルの女」第1組曲よりアダージェットがアンコールとして演奏される。瑞々しい出来であった。

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2017年2月14日 (火)

コンサートの記(275) 広上淳一指揮 第12回・京都市ジュニアオーケストラコンサート

2017年2月5日 京都コンサートホールにて

午後2時から第12回京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。指揮は、京都市ジュニアオーケストラ・スーパーヴァイザーの広上淳一。

2016年4月1日時点で満10歳以上22歳以下の京都市在住・通学の青少年を対象に、オーディションで選ばれたメンバーから構成される京都市ジュニアオーケストラ。誕生日を迎えて、23歳になったメンバーも何人もいる。最年少は誕生日を迎えて11歳である。京都市交響楽団のメンバーが演奏指導を行い、若手指揮者の喜古恵理香(きこ・えりか)と鈴木衛(すずき・まもる)が合奏指導を行った。

オール・フランス・プログラムで、ビゼーの「アルルの女」第1組曲と第2組曲(エルネスト・ギロー編曲)、ベルリオーズの幻想交響曲が演奏される。


開演30分前からロビーコンサートがある。ヘルマンの「3つのヴァイオリンのためのカプリッチョ」、ルクレールの「2つのヴァイオリンのためのソナタ」、ドヴォルザークの「弦楽セレナード」から第1楽章と第2楽章が演奏された。
井伊さんという苗字の女の子が出ていたが、あの彦根井伊氏の家系なのだろか。


ビゼーの「アルルの女」第1組曲、第2組曲。広上は「行きまーす!」というような言葉を発しながらステージに登場(実際になんと言っていたのか聞き取れなかった)。
京都市ジュニアオーケストラは毎年メンバーが異なる。今年は、弦は厚みはないものの輝きがあり、木管も整っているが、金管はちょっと粗めである。
広上は生き生きとした音楽を京都市ジュニアオーケストラから引き出す。自在な指揮をする広上だが、今日は「カリオン」の冒頭を3つにきっちり振るなど、青少年オーケストラ相手ということで、普段よりはわかりやすい指揮をしていたようだ。
「ファランドール」では、広上はラストに向けて金管を煽り、興奮度満点の演奏を生み出していた。


ベルリオーズの幻想交響曲。弦が燦々と輝き、怪しい響きも生む。ただ、厚みは十分ではないため、第1楽章のクライマックス、第4楽章、第5楽章などでは管の勢いに負けてバランスは悪くなっていた。
第1楽章では、コントラバスのピッチカートの後にパウゼを長く取ったのが印象的。第2楽章はコルネット入りの編成で華やかである。

第3楽章のコーラングレ(イングリッシュホルン)とオーボエの掛け合いでは、オーボエはポディウムの後方、パイプオルガンの横に立って吹いた。

第4楽章と第5楽章では、ティンパニが独特の響きを出す。おそらく皮の張り方を変えているのだろ。広上はジャンプを繰り出すなどダイナミックな指揮。第5楽章でクラリネットとフルートがグロテスクに変わった「恋人の主題」を吹く際に、頭の上で両手を広げ、頭頂部に耳のある化け物の姿を真似ているようなおどけた指揮をしていた。打楽器の強打とと金管の強烈な咆哮もあり、迫力満点の演奏である。青少年オーケストラの演奏としてはかなりの上出来だと思う。
なお、第5楽章の鐘は、舞台袖ではなく、舞台上下手奥寄りで叩かれた。


カーテンコールでは、広上は合奏指導の鈴木衛と喜古恵理香(二人とも東京音楽大学指揮科卒で、広上の弟子である)を連れて登場。広上は「セコムちゃん、喜古ちゃん」と呼ぶ。鈴木は名前が衛(まもる)なので、「衛=守る=セコム」というあだ名になったと広上は語る。更に「キコというのは下の名前ではなくて苗字です。喜古恵理香」と喜古を紹介する。

鈴木は、「客席で聴いていたのですが、感動しました」と語り、喜古は、「8月から練習していて、上手くいく日もいかない日もあって。でも今日演奏する姿を見たら涙が止まりませんでした。隣の席の方、すみません」と語った。

広上は、「プロ顔負けの演奏で、『まいったな』と思いながら指揮してました。元々は聴衆を増やそうという目的で始めたのですが、10年ぐらいやれば演奏していた子が音楽好きになって京都市交響楽団の定期会員が増えるんじゃないかと思って」と鮭の稚魚放流のような話をしていた。
更に、「ヨーロッパでは、きちんとした都市には必ずオーケストラがあるわけです。オーケストラは文化都市の顔。日本で今、一番それに近いのが京都だと思います」と広上は述べる。


アンコールは、アンダーソンの「フィドルファドル」。前半を鈴木が、後半を喜古が指揮する。広上は舞台下手でピアニカを演奏していた。
管楽奏者は全員起立しての演奏。鈴木の指揮も喜古の指揮も拍を刻む端正なもの(リハーサルの時間が取れなかった可能性もある)。広上の吹くピアニカの音もよく聞こえた。

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