カテゴリー「広上淳一」の46件の記事

2017年9月25日 (月)

コンサートの記(319) 広上淳一指揮京都市交響楽団 「第21回京都の秋音楽祭開会記念コンサート」2017

2017年9月17日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで「第21回京都の秋音楽祭開会記念コンサート」を聴く。広上淳一指揮京都市交響楽団による演奏。
天候不良の場合は公演中止もあり得るということだったが、台風もまだ遠いということでGOサインが出た。なお、京都コンサートホールは今月の頭からTwitterとFacebookを始めており、公演決行はTwitterで確認することが出来た。

曲目は、すぎやまこういちの序奏MIYAKO、ショパンのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:ルーカス・ゲニューシャス)、ラフマニノフの交響曲第2番。
広上淳一と京都市交響楽団は2015年にサントリー音楽賞を受賞しており、明日はサントリーホールで受賞記念コンサートを行う予定である。


演奏開始前に門川大作京都市長による京都の秋音楽祭の開会宣言がある。門川市長は文化庁の京都移転に触れ、サントリー音楽賞については、「明日、京響は台風と共に東京・サントリーホールに向かいます」と冗談も言っていた。


客演コンサートミストレスとして会田莉凡(あいだ・りぼん)を起用。フォアシュピーラーは泉原隆志。


すぎやまこういちの序奏MIYAKOはいかにもすぎやまこういちらしい明快な調性音楽である。途中、スネアが雅楽のリズム(「越天楽」がモチーフのようだ)を奏でるのも楽しい。


ショパンのピアノ協奏曲第2番。ソリストのルーカス・ゲニューシャスは、1990年モスクワ生まれの若手ピアニスト。祖母はモスクワ音楽院の高名な教育者であったヴェーラ・ゴルノスターエワで、ゲニューシャスは幼少時から祖母についてピアノを習う。ジーナ・バッカウアー国際コンクールで優勝後、ショパン国際コンクールとチャイコフスキー国際コンクールで共に2位に入って頭角を表している。
ゲニューシャスはプロフィール写真とは違うひげもじゃ姿で登場。かなり大柄なピアニストである。

ゲニューシャスのピアノであるが、硬質にしてリリカル。美音家である。音の粒立ちを優先させた演奏で、若き日のショパンのメランコリーは余り感じられないが、甘美で冴えたピアノを奏でた。
ショパンのピアノ協奏曲の伴奏は、彼が管弦楽法を習熟していなかったということもあり、「響かない」というのが定評であるが、広上指揮の京響はそれでも立派な響きを生み出していた。

ゲニューシャスのアンコール演奏は、デジャトニコフの「エコーズ フロム ザ・シアター」より「Chase Rondo」。マジカルな曲であり演奏であった。


メインのラフマニノフの交響曲第2番。極めてハイレベルな演奏であった。
音の密度が濃く、渋さ、甘美さ、輝き、ボリュームどれをとっても最高レベルである。あたかも10年以上前に同じ京都コンサートホールで聴いたロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏を聴いているかのような気分にさせられる。
広上の神経は細部まで行き渡っており、あるべき場所にあるべき音が理想的な形でしっかりと填まっていく。見事というほかない。
推進力抜群で、京響の楽団員も乗りに乗っており、威力も十分。広上の音のデザイン力も卓越している。
広上と京響の9年の歴史の中で「ベスト」と呼べる出来となった。実演で聴いたラフマニノフの交響曲第2番の中でも間違いなくナンバーワンである。


拍手はなかなか鳴り止まず、最後は広上が客席に向かって、「アンコールありませんので」と言ってお開きとなった。

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2017年9月23日 (土)

NHK交響楽団学生定期会員時代のこと

 東京時代にNHK交響楽団の学生定期会員を2年ほどやっておりました(1997年-99年)。定期会員としての最初のコンサートの指揮者は、現在、京都市交響楽団の常任指揮者を務めている広上淳一でした。因縁を感じます。メインはグリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番&第2番で、広上さんったら「アニトラの踊り」では指揮台の上でステップ踏んで踊ってました。

 定期会員の1年目は良かったのですが、2年目にはきつくなりました。渋谷のNHKホールまでは片道2時間。そして毎回聴きたい指揮者や曲目とは限らない。というわけで「今日は気が進まないなあ」と思いながら通うこともありました。「聴きたい」から「聴かなければならない」に変わってしまったのです。日本では評価が低いドミトリ・キタエンコが実は名指揮者だったという発見もありましたけれども。というわけで社会人になってからはN響の定期会員も辞め(N響のシーズンは9月ー6月なので、「なると同時に」ではありません)、以後もオーケストラの定期会員にはなっていません。

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2017年7月29日 (土)

コンサートの記(313) 広上淳一指揮京都市交響楽団第614回定期演奏会

2017年7月15日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第614回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

チラシなどには「広上淳一のブラームス讃 第1弾」と銘打たれたコンサート。曲目は、ブラームスの大学祝典序曲、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:ピンカス・ズーカーマン)、ブラームスの交響曲第3番。


開演20分前からプレトークがある。お昼の公演なのだが、広上淳一は「こんばんはー」と言ってステージに登場。京都市交響楽団第2ヴァイオリン奏者の後藤良平と京都市交響楽団シニアマネージャー兼チーフマネージャーの柴田智靖も広上に続いて現れる。

まずベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のソリストを務めるピンカス・ズーカーマンの話。後藤良平は、イツァーク・パールマンなどの優れた弦楽奏者と共演したことがあるという話をし、広上と二人で、ズーカーマンは、パールマンやアイザック・スターンと同じユダヤ系ヴァイオリニストだという話になる。ズーカーマンが京響と共演するのは今日が初めてだそうである。

続いて、広上がブラームスの交響曲第3番を指揮するのは今日が3回目だという話をする。難しい曲なので取り上げにくいらしい。広上がまだ駆け出しの頃、受けた指揮者コンクールでブラームスの交響曲第3番が課題曲だったのだが、「ロマンの塊」のようで、「これは難しいぞ」と感じた思い出などを語る。

ブラームスの大学祝典序曲。広上や後藤は「旺文社の大学受験ラジオ講座」のテーマ曲として知ったそうで、広上は大学浪人時代にずっと「旺文社の大学受験ラジオ講座」を聞いていたのだが、テーマ曲がブラームスの大学祝典序曲であるということは知らず、大学に入ってから曲名を知ったそうである。
後藤は、「京都は大学生の比率が日本一多い街、だいたい10人に1人で京都市の人口が150万弱だから14万人」と語り、この曲が京都で演奏するのに相応しい曲だと述べた。
その他、祇園祭の話も出たのだが、広上は幼い頃に父親に連れられて祇園祭を見たものの(山矛巡行だと思われる)人ばかりで何も見えなかったという思い出があるそうだ。


今日のコンサートマスターは客演の豊嶋泰嗣、フォアシュピーラーに泉原隆志。今日はソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積も出演する。管は多くの首席奏者がブラームスの交響曲第3番のみ登場した。


ブラームスの大学祝典序曲。最近では演奏が良くても心揺すられることは余りないのだが、広上のブラームスには感心させられた。明晰で美しく、繊細で上品な演奏。特筆すべきは日本人ならではの細やかな感性が十全に生きていることで、日本人指揮者と日本のオーケストラがなし得るものとしては最上レベルの演奏と書いて間違いないと思う。


ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。
ソリストのピンカス・ズーカーマンはユダヤ系のヴァイオリニストらしく磨き抜かれた美音と高度なメカニックを披露。音に張りがあり、明るい。ステージ上が明るくなったかのように錯覚するほどだ。ポルタメントの使い方も味わい深い。
広上指揮の京都市交響楽団も充実した伴奏を聴かせる。丁寧で構築感抜群の演奏であり、第3楽章のオーケストラのみの演奏場面ではズーカーマンはオーケストラの方を振り向いて満足げな表情を見せる。ズーカーマンは京響のことが大分気に入ってしまったようだ。

大曲であるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ということでアンコール演奏はなし、最後はズーカーマンは手ぶらで現れ、アンコールを演奏しないことを示した。


ブラームスの交響曲第3番。大学祝典序曲同様、日本人の美質が十全に発揮された演奏である。立体感もあり、音色は澄んで、旋律の歌い方にも日本人好みの小粋さがある。各楽器の奏者達の技術も高く、世界中でこのコンビだけが再現できるブラームスであったと思わせる快演であった。

なお、今日と明日の演奏会はハイレゾによる収録が行われ、後日配信される予定である。

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2017年5月 5日 (金)

コンサートの記(297) 広上淳一指揮京都市交響楽団大阪特別公演2017

2017年4月16日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで京都市交響楽団大阪特別公演を聴く。今日の指揮者は、京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。
曲目は、ベートーヴェンの交響曲第5番、ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」(1919年版)。
今日のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏である。管楽器の首席奏者は前半のベートーヴェンにはほとんど出演せず、ベートーヴェンのオーボエは客演の岡北斗が吹いた。


広上は節目節目でベートーヴェンの交響曲第5番を取り上げており、十八番としている。

今日は二つ指揮棒を軽く振ってから演奏スタート。フェルマータはいつもよりも少しだけ短めにしているようである。ピリオド・アプローチによる演奏であり、音の末尾を伸ばすことはない。
音の密度が高く、弦、管共に充実した演奏を展開する。フルートの浮かび上がらせ方の上手さも目立つ。
第4楽章突入部分の輝かしさは特筆事項で、真の勝利をつかみ取った心の震えまでもが伝わってくるかのようだ。
ベーレンライター版の譜面を使っていたようで、第4楽章ではピッコロの活躍が目立つが、一番浮き上がるところのピッコロは採用しておらず、交ぜて使っているようである。ラストではピッコロを思う存分吹かせていた。
広上は、ジャンプをしたかと思えば、振りかぶって指揮棒を下げ下ろしたり、指揮棒を両手で持って剣道の「面!」のように払い下げたりする。


休憩を挟んで後半。ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」。しなやかにしてソリッドな演奏が展開される。夜想曲やロマンスの可憐さも見事だ。夜想曲ではコンサートマスターの渡邊穣が美しいヴァイオリンソロを奏でた。


ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」(1919年版)。京響の技術の高さと、明るい音色が十全に発揮された演奏である。広上の弦と管のバランスの取り方も最上であり、ティンパニなどの打楽器の思い切った強打も効果的である。音の百貨店のようにどんな音でも出せる万能系の演奏である。
広上のピョンピョンと跳ねる指揮姿も面白かった。


カーテンコール。広上は客席に向かって、「また来ます」と挨拶。「皆さんのご多幸を祈って」ということで、ビゼーの「アルルの女」第1組曲よりアダージェットがアンコールとして演奏される。瑞々しい出来であった。

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2017年2月14日 (火)

コンサートの記(275) 広上淳一指揮 第12回・京都市ジュニアオーケストラコンサート

2017年2月5日 京都コンサートホールにて

午後2時から第12回京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。指揮は、京都市ジュニアオーケストラ・スーパーヴァイザーの広上淳一。

2016年4月1日時点で満10歳以上22歳以下の京都市在住・通学の青少年を対象に、オーディションで選ばれたメンバーから構成される京都市ジュニアオーケストラ。誕生日を迎えて、23歳になったメンバーも何人もいる。最年少は誕生日を迎えて11歳である。京都市交響楽団のメンバーが演奏指導を行い、若手指揮者の喜古恵理香(きこ・えりか)と鈴木衛(すずき・まもる)が合奏指導を行った。

オール・フランス・プログラムで、ビゼーの「アルルの女」第1組曲と第2組曲(エルネスト・ギロー編曲)、ベルリオーズの幻想交響曲が演奏される。


開演30分前からロビーコンサートがある。ヘルマンの「3つのヴァイオリンのためのカプリッチョ」、ルクレールの「2つのヴァイオリンのためのソナタ」、ドヴォルザークの「弦楽セレナード」から第1楽章と第2楽章が演奏された。
井伊さんという苗字の女の子が出ていたが、あの彦根井伊氏の家系なのだろか。


ビゼーの「アルルの女」第1組曲、第2組曲。広上は「行きまーす!」というような言葉を発しながらステージに登場(実際になんと言っていたのか聞き取れなかった)。
京都市ジュニアオーケストラは毎年メンバーが異なる。今年は、弦は厚みはないものの輝きがあり、木管も整っているが、金管はちょっと粗めである。
広上は生き生きとした音楽を京都市ジュニアオーケストラから引き出す。自在な指揮をする広上だが、今日は「カリオン」の冒頭を3つにきっちり振るなど、青少年オーケストラ相手ということで、普段よりはわかりやすい指揮をしていたようだ。
「ファランドール」では、広上はラストに向けて金管を煽り、興奮度満点の演奏を生み出していた。


ベルリオーズの幻想交響曲。弦が燦々と輝き、怪しい響きも生む。ただ、厚みは十分ではないため、第1楽章のクライマックス、第4楽章、第5楽章などでは管の勢いに負けてバランスは悪くなっていた。
第1楽章では、コントラバスのピッチカートの後にパウゼを長く取ったのが印象的。第2楽章はコルネット入りの編成で華やかである。

第3楽章のコーラングレ(イングリッシュホルン)とオーボエの掛け合いでは、オーボエはポディウムの後方、パイプオルガンの横に立って吹いた。

第4楽章と第5楽章では、ティンパニが独特の響きを出す。おそらく皮の張り方を変えているのだろ。広上はジャンプを繰り出すなどダイナミックな指揮。第5楽章でクラリネットとフルートがグロテスクに変わった「恋人の主題」を吹く際に、頭の上で両手を広げ、頭頂部に耳のある化け物の姿を真似ているようなおどけた指揮をしていた。打楽器の強打とと金管の強烈な咆哮もあり、迫力満点の演奏である。青少年オーケストラの演奏としてはかなりの上出来だと思う。
なお、第5楽章の鐘は、舞台袖ではなく、舞台上下手奥寄りで叩かれた。


カーテンコールでは、広上は合奏指導の鈴木衛と喜古恵理香(二人とも東京音楽大学指揮科卒で、広上の弟子である)を連れて登場。広上は「セコムちゃん、喜古ちゃん」と呼ぶ。鈴木は名前が衛(まもる)なので、「衛=守る=セコム」というあだ名になったと広上は語る。更に「キコというのは下の名前ではなくて苗字です。喜古恵理香」と喜古を紹介する。

鈴木は、「客席で聴いていたのですが、感動しました」と語り、喜古は、「8月から練習していて、上手くいく日もいかない日もあって。でも今日演奏する姿を見たら涙が止まりませんでした。隣の席の方、すみません」と語った。

広上は、「プロ顔負けの演奏で、『まいったな』と思いながら指揮してました。元々は聴衆を増やそうという目的で始めたのですが、10年ぐらいやれば演奏していた子が音楽好きになって京都市交響楽団の定期会員が増えるんじゃないかと思って」と鮭の稚魚放流のような話をしていた。
更に、「ヨーロッパでは、きちんとした都市には必ずオーケストラがあるわけです。オーケストラは文化都市の顔。日本で今、一番それに近いのが京都だと思います」と広上は述べる。


アンコールは、アンダーソンの「フィドルファドル」。前半を鈴木が、後半を喜古が指揮する。広上は舞台下手でピアニカを演奏していた。
管楽奏者は全員起立しての演奏。鈴木の指揮も喜古の指揮も拍を刻む端正なもの(リハーサルの時間が取れなかった可能性もある)。広上の吹くピアニカの音もよく聞こえた。

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2016年12月29日 (木)

コンサートの記(263) 京響プレミアム「岸田繁 交響曲第一番初演」

2016年12月4日 ロームシアター京都メインホールにて

午後4時から、ロームシアター京都メインホールで、京響プレミアム「岸田繁 交響曲第一番初演」を聴く。京響プレミアムはこれまで京都コンサートホールで行われて来たが、今回はロームシアターで行われる。

立命館大学出身のバンド、くるりの岸田繁がクラシックの楽曲に挑戦した演目である。岸田はかなりのクラシック通だそうだ。

指揮は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。広上はピアニカ独奏も行う。

曲目は、「Quruliの主題による狂詩曲」と、交響曲第一番。交響曲第一番のオーケストレーションは三浦秀秋によって行われている。

今日のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーに尾﨑平。「Quruliの主題による狂詩曲」は、室内オーケストラを少し大きくした規模で演奏され、管楽器はホルンやフルートを除いて単管編成。オーボエ:髙山郁子、クラリネット:小谷口直子、トランペット:稲垣路子、トロンボーン:岡本哲である。


今日は2階席正面での鑑賞。ロームシアター京都メインホールの2階正面席は傾斜も緩やかでステージが見やすい。弦楽器の音が直接飛んでくる角度にあるため、今日は京都市交響楽団の磨き抜かれた弦の音を堪能することが出来た。残響こそ短いが(多分、1秒もない)、音の通りは良い。


「Quruliの主題による狂詩曲」。岸田は広上と共に登場。曲のラストでは歌が入るため、ステージの中央に立つのだが、それまでは第一ヴァイオリンの最後部の後ろの席に腰掛けて演奏を聴く。
「Quruliの主題による狂詩曲は、くるりが発表したポップソングの数々をクラシックコンサート用に纏めたもので、完全な調性音楽である。古典的構築の中に現代らしさを吹き込むという、ストラヴィンスキーの「プルチネルラ」のような趣がある。「幻想曲」「名も無き作曲家の少年」「無垢な軍隊」「京都音楽博覧会のためのカヴァティーナ」の4作からなる組曲。「京都音楽博覧会のためのカヴァティーナ」に歌(「宿はなし」)が入る。歌詞は日本情緒とノスタルジアに溢れたもの。余り詳しくは言えないことだけれど、メロディーは桑田佳祐作曲のとある楽曲に少しだけ似ている。「京都音楽博覧会のためのカヴァティーナ」はまず導入部を広上がピアニカで奏でる。この歌入りの曲はアンコール2曲目としてもう一度演奏された。
ポピュラーが元とはいえ、そこはクラシック通の岸田。グリーグの「ホルベアの時代から」や、マーラーの交響曲第1番「巨人」第2楽章を思わせるような場面が出てくる。
交響曲第一番。この曲はフル編成で演奏される。管は三管編成になり、トランペットは、ハラルド・ナエス、早坂宏明、西馬健史の三人に変わる。他は人員が増えただけである。この曲も基本的には調性音楽で、響きの美しさを優先させている。
ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、ミニマル・ミュージック(スティーヴ・ライヒに一番近いかな?)、シャンソン、黛敏郎などの影響が感じられ、アカデミックな作風という印象を受ける。岸田がクラシック音楽にかなり精通していることがわかる。

舞台上方にデッカツリーが下がり、舞台上にもマイクが乱立、というほどではないが各所に配置されているため、ライブ収録が行われることがわかる。岸田繁の交響曲第一番は録音されてリリースされることがわかっているため、そのためのレコーディングだと思われるが、放送用、記録用の可能性があるためレセプショニストさんに確認する。「記録用」とのことだった。明後日、東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”でも同一演目の演奏会が行われるため、出来いかんによっては京都での録音が採用されない可能性もある。ただ今日も素晴らしい演奏が展開されたため、不採用ということはないと思われる。


演奏終了後、岸田がステージ上に呼ばれ、広上に促されて感想を述べる。「いっぱいいっぱいで感想を述べる余裕がないのですが、広上淳一先生と京都市交響楽団によって素晴らしい演奏になりました。ありがとうございます」「沢山の方にお聴き頂き、嬉しく思います」「私も小学生の頃から京都市交響楽団の演奏会を見ていたのですが、京都市の皆さん、京都市に京都市交響楽団があって本当に良かったですね」というスピーチを行った。


アンコールは2曲。2曲目は先程紹介したが、1曲目は、岸田の「管弦楽のためのシチリア風舞曲」。この曲は、岸田繁自身がオーケストレーションを行っているようである。「グリーンスリーブス」に少し似た旋律が登場するが意識したものではないと思われる。この曲は会場限定でCDが700円で発売されていた。

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2016年12月13日 (火)

楽興の時(12) 「京都市交響楽団の指揮者による音楽ワークショップ 指揮者のお仕事!ハーモニーって?」

2016年12月1日 北大路の京都市北文化会館にて

午後6時から、京都市北文化会館で、「京都市交響楽団の指揮者による音楽ワークショップ 指揮者のお仕事!ハーモニーって?」を見学する。事前予約不要、無料である。先日行われた京都市交響楽団の第607回定期演奏会で配られた公演宣伝用チラシの中に、今回のワークショップのチラシが含まれていたために知ったのだ。

演奏は、立命館大学交響楽団。指導は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーで、東京音楽大学指揮科教授、京都市立芸術大学指揮科客員教授でもある広上淳一が行う。立命館大学交響楽団は、再来週に第116回定期演奏会を行うのだが、指揮を担当するのは広上ではなく阪哲朗であり、広上は今回の催しのために特別に指揮することになる。

リハーサル形式ではなく、学生指揮者のY君が指揮をして、広上が駄目出しをするという授業形式のワークショップである。ワークショップのタイトルにある「ハーモニー」というのは、「和音」や「和声」ではなく、「調和」という程度の意味であるようだ。

立命館大学交響楽団のメンバーは、みな私服であるが、お揃いの黒のパーカーを羽織っている。パーカーの背中の部分には、立命館交響楽団の略称である「立響」という文字が白抜きで入っている。

ワークショップは、広上による学生指揮者のY君への指導と、Y君とコンサートミストレスであるKさんへのインタビューを軸に行われる(音楽家志望でない大学生であるため、名前はイニシャルのみの表記とさせて頂く)。


進行役はマスダさんという女性。広上は彼女のことを「アナウンサー」と紹介していたが、私は寡聞にして知らないため、漢字表記まではわからない(「増田」、「枡田」、「益田」など、同じ「マスダ」さんでも色々な表記がある)。

マスダさんは、挨拶を終えた後で、「ヒロガミ淳一先生にご登場頂きましょう」と言うが、出てきた広上に、「あなた、口調が堅い」と言われ、更に「私はヒロガミじゃなくて、ヒロカミなんですが」と駄目出しされる。マスダさんは、ワークショップ終了後にも、「広上先生、ありがとうございました」とお堅い挨拶をして、広上に「面白かったとかそういうこと言えばいいのに」と言われていた。

広上は、黒の長袖の上にサーモンピンクの半袖シャツという出で立ちである。ピアニカを片手に登場し、少しだけだが演奏も行った。

まずは、Y君の指揮で、ビゼーの「カルメン」より第1幕の前奏曲の前半(通称「闘牛士」の前奏曲)が演奏される。Y君の指揮は基本的にビートを刻むだけであり、どのような音楽を創りたいのかは皆目わからないという状態である。広上は「闘牛士」の主題に合わせてピアニカを演奏した。

まず、広上は立命館大学の学食について、「ドキュメンタリーで見たのですが、とても立派で、100円朝食があるそうで」という話をする。学生は朝食を抜くことが多く、それでは健康に悪いというので、安くてボリュームのある朝食を立命館大学の学食は提供するようになったとのこと。広上は、「あれを見て、うちの大学(東京音楽大学)の学食がいかに貧弱か知りました」と述べる。「是非、一度(学食に)お伺いしたい」と広上。

それから広上はY君に学部を聞き、Y君が「生命科学部」と答えると、「何を勉強しているの?」と聞くがY君が返答に詰まったため、「え? 勉強してないの?」と言う。「どうして人間に雄と雌があるのかとか、どうしてゲスな不倫ばっかりしちゃうのとか研究してないの?」

広上は続いて、「この曲は誰が作曲したか知っている?」とY君に聞き、Y君が「ビゼーです」と返すと、「ビゼーってどんな人?」と更に聞く。Y君が「真面目な人」と答えると、「え? 会ったことあるの?」と突っ込む。「ビゼーは、モーツァルトもそうですが、余り真面目な人じゃなかった。不真面目な人だった」「真面目で不真面目な人だった」という風に広上は続ける。作曲家というのは基本的にボヘミアン気質である。
オペラ史上最大のヒット作である「カルメン」の作曲者であるジョルジュ・ビゼーは、実は生前は音楽的な成功に浴することがなかった人である。歌劇「カルメン」の初演は歴史的大失敗であった。ビゼーは失意のうちに亡くなるのだが、皮肉なことにビゼーが没した直後に「カルメン」は大当たりを取り、今に至るまで「傑作」の評価を確たるものにしている。

ビゼーは、「音楽は素晴らしいものだが、それを職業にしようというのは怖ろしいことである」という言葉を残しているが、それを踏まえたのか、広上は、「指揮者は棒を振るでしょ。それで、『人生を棒に振る』と我々は言う」と語る。

広上は、コンサートミストレスのKさんに、「彼の指揮を見て演奏してどうでした?」と聞き、Kさんは「もっと盛り上げるところは盛り上げて欲しい」と答えた。

広上はY君に、「指揮者になりたくて指揮やってるの? それとも誰かに勧めれて?」と聞く。Y君は元々はヴァイオリンを弾いていたそうだが、「みんなで話し合って、じゃあ僕がやろうと」「格好いいので」と答える。広上は、「自分からやりたいと言った割りには見ていて全然楽しそうじゃない」と言う。「楽しいことなんかないの? 彼氏、じゃなかった、彼女はいるの?」、「彼氏はいません」「(彼女も)いないです」というやり取りの後に、チェロ奏者の女子学生にも話を聞いて、やはり「彼氏はいない」ということで、まあ、ということではないわけだが、恋愛をしている時のような笑顔を作って指揮するように指導する。Y君を客席の方に向かせて、思いっきりの笑顔を見せるように言ったのだが、Y君は、「恥ずかしいです」
そこで、広上はKさんに、「ねえ、あなた。今から一人で水着になってというのは恥ずかしいだろうけれど、全員水着になって演奏したら大丈夫なんじゃない?」と聞く。Kさんは、「夏なら」と答えるが、広上は、「冬でもいいでしょ。この間、うちの学生に同じ質問したら、『最低!』と言われた」と語って、客席から笑いが起こる。
「恥ずかしいという気持ちは誰にでもある。だだ状況に寄るんです」と広上はいう。指揮者というのは、100人ほどの楽団員の前に立って様々な仕草をするため、恥ずかしさを抱えたままだと出来ない。

広上は鉄道が好きで、小さい頃は運転手になりたかったと語り、「朝比奈隆という先生が、京都の大学(京都帝国大学法学部)を出て、阪急に入って、車掌と運転手をして、それから阪急で偉くなった(厳密にいうと偉くなったのではなく阪急百貨店に出向したのである。朝比奈は偉くなる前に阪急を辞めて、京大文学部に再入学している)。朝比奈先生に聞いたら、『鉄道好きなのは俺と秋山(和慶)だけだよ』と仰ってましたが」
命館大学交響楽団楽団員の中にも鉄道好きが一人いるそうだが、そうした鉄道好きが本当に運転手になった時のようにウキウキとした気分で指揮するのが重要ということである。


広上はY君に、「さっき、ビゼーが真面目だって言ったけど、真面目ってどういうこと?」と聞く。Y君が「成績がいい」と答えると、広上は「嫌なこというね。私は成績悪かったんです。あなたは成績いいの?」と聞く。Y君が「悪いです」と答えると、「じゃあ仲間だ」と握手して、「将来、指揮者になれるかも知れないよ」と続ける。

再度、「カルメン」の第1幕の前奏曲前半。広上はY君に、左手でシンバルに指示を送るように指導する。


今度は、「カルメン」の第1幕の前奏曲後半。悲劇的な曲調である。Y君が棒を振って、弦楽が音を刻み始めるが、広上はすぐに止めて、見ていて意図がわからないというようなことを言う。「悲劇とは何か」をY君とヴィオラ首席の位置に座った男子学生にも聞く。ヴィオラの学生は、「辛いとか、出来れば避けたいこと」と答える。
広上はY君に、「失恋したことある?」と聞き、Y君が「あります。三、四回」と答えると、「三、四回? まだまだ修行が足りない。私は十二回ある。それも大人になってから失恋した。『絶対に無理!』と言われて。『絶対に無理!』って言われたんだよ」
Y君に失恋したときの痛手を思い出して貰うべく、頭を抱えてうずくまって貰う。それからそのままのポーズで指揮するよう言ったのだが、上手くいかない。そこで、広上は背後からY君の右手を取って、傀儡師の要領で指揮をする。広上が振り付けた指揮は、拍を刻むのではなく、音型を示すエモーショナルなものである。
広上は、「指揮者は楽団員を鼓舞する。鼓舞するってわかる?」とY君に、聞き、Y君が「盛り上げるとかそういう」と答えると、「流石、立命館の学生。頭が良い。うちの学生は、『鼓舞するってわかる?』と聞くと、『昆布ですか?』と返ってくる。漢字から教え直さないといけない」

広上は、Y君に、「卒業後どうするの?」と聞き、「東京音大か京都市立芸大に来ない?」とスカウトする。Y君は進路について「サラリーマン」と答え、「安定してるから」と述べるが、広上は「この間会ったお役所の人、公務員の人もそう言ってた。安定してるから。大した仕事しなくても威張れるからって」
広上はKさんにも進路を聞き、Kさんはやはり「サラリーマン」と答える。理由は、「ヴァイオリンを続けるのは大変」だからだそうだが、広上は「OLだって大変だよ。電通の子、『苦しいよお』って自殺しちゃった」「大変じゃない、楽な仕事なんてないんだよ」
広上は、会社員になっても音楽を続けて欲しいとも語る。

更に広上は、自身で前奏曲後半冒頭部分を指揮する。音の密度が大きく違うのがわかる。

悲劇的な曲調の音楽であり、広上は、「これを書く人は大変。ビゼーも31歳で亡くなった」と述べる。「ただ、音楽は苦しいときに必ず助けてくれます」と断言し、「ねたみだとかやっかみだとか誰にでもあるんです」「バカリズム、升野さんといったかな? 『アイドリング!!』の司会をしていた。彼は売れてない頃、自分よりも実力のない芸人がテレビで活躍しているのを見て、『バカ! バカ!』とやっかんでいたそうです」と語り、「ただ、そのマイナスの気持ちをプラスの方に振り向けたところ途端に売れるようになった」と言って、マイナスをプラスに持って行くのが表現者には重要だと述べる。
「どうすれば上手くプラスに持って行けるのかよく考えて、あんまり考えすぎると自殺しちゃうので、適度によく考えて」音楽を作るよう諭す。

音楽教育というのは本来は楽しいものであり、ポピュラー音楽(福山雅治、SMAP、広上が好きな桜田淳子の名前も挙げていた。広上の娘さんはユーミンが好きだそうである)もクラシック音楽のイディオムを踏襲して作られているのだが、「(クラシック音楽の)楽しさを知らない音楽教師に教わると大変なことになる。隣の市長さん(前大阪市長の橋×さん)も多分、間違った音楽教育を受けてクラシック音楽が嫌になってしまったんでしょう」

哲学の話になり、哲学専攻の女子学生が第2ヴァイオリンにいたので、「哲学者は誰が好き?」と広上は聞き、女子学生は迷ったものの「ヘーゲルとカント」と答え、カントの思想について、「規律正しく生きるのが重要」と説明するが、広上は、「そんなこと出来るわけないだろ!」。ちなみに、私が学生の頃はまだ、デカルト、カント、ショーペンハウエルのいわゆる「デカンショ」という言葉はまだ生きていて、少なくとも文学部の学生の間では、「デカンショぐらい読んでおかないと」という気風があったのだが、今の学生もそうなのかは不明である。
Kさんは、日本史専攻だそうで、真田信繁(幸村)も好きで(前の日曜日の「真田丸」に広上の弟子である下野竜也が出ていたという話をし、広上はやはりというか「私も出たかった」と語った)「義を貫くところが良い」そうだ。広上は、「でも、死んじゃうよ」、Kさん「死んで名を残すところが格好いい」、広上「嫌な女だね! 私は死にたくないです」。更に、「義という考えは、儒教に基づくものなのですが、真田信繁が生きていた時代にはなかった考え方でして、真田信繁のお父さん、草刈正雄さんが演じていましたが、真田昌幸は真田家を守るために考えをコロコロ変えた。義というのは、江戸時代に広まったものです。だから『忠臣蔵』とか」と解説する。儒教は古くから日本に入って来ていたが、本格的に広まるのは徳川家康のブレーンの一人、林羅山の時代からである。儒教を広めるのに一役買ったのは、赤穂浪士の討ち入りがあった時代の将軍、徳川綱吉である。徳川綱吉というと、「生類憐れみの令を作った馬鹿殿」というイメージだが、こと学問に関しては徳川十五代将軍の中でトップクラスであり、儒学の大家で、当代一流の儒学者に自ら儒学を教授していたほどのインテリであった。
Kさんは、近現代史を専攻しており、古関裕而の研究をしているそうである。Y君は古関裕而を知らなかったそうだが、Kさんは「東京オリンピックの」と語る。広上は、「古関裕而という人は、東京オリンピック(1964年夏季五輪)のファンファーレを作曲した人です。それからNHKのスポーツ番組のテーマ(なお、こんな曲あんな曲の作曲者でもある。こちらの曲もかなり有名)。ちなみに、日本テレビ、こちらでは読売テレビのスポーツ番組のテーマを作曲したのは誰かご存じ?」とKさんに聞く。Kさんは知らなかったが、広上は「黛敏郎という人」と答えを教える。黛敏郎が日テレのスポーツテーマの作曲者だということは、我々の世代は、黛が司会を務めた「題名のない音楽会」で何度か取り上げられたので知っているのだが、考えてみれば今の学生は黛司会の「題名のない音楽会」をリアルタイムでは知らないのである。日テレのスポーツテーマのことも知らなくて当然といえば当然である。
これらの話は直接には音楽には関係がないのだが、音楽は「(好きなことを)ベートーヴェンの第九に出てくるように、みんなで手を取り合って一緒に作ることが重要」であると広上は語る。


広上の指揮による、「カルメン」第1幕の前奏曲(「闘牛士」)の演奏。広上はノンタクトでの指揮である。メリハリが学生指揮者とは桁違いだが、一番違うのはシンバルの響きである。シンバルはただ打ち合わせるだけの楽器なのだが、これほど響きが異なるということは、指揮者の安定感と同時に、他の楽器の音の密度が濃くなるため、心に開放感が生まれて良い音を出せるようになったのだと推測する。指揮者は棒のテクニックも重要だが、楽団員の心理面の掌握も重要なようだ。


指揮者が「格好いいから」「何の楽器も演奏していないのに偉そうに出来るから」(広上曰く「大したことない人ほど威張る」そうである。もっとも、誰しも一人は、そうした人は頭に浮かぶでしょう)という理由で東京音大の指揮科に入ってくる学生もいるそうだが、指揮者は楽器こそ演奏しないが、奏者達に演奏するよう仕向けなければならないし、そのためには先読みして振る必要があるし、体で伝達する技術が必要。山のように勉強しなくてはならないと広上は語る。「実は(指揮者が)いなくても今のオーケストラは演奏出来るのですが」とも言うが、それは単に「演奏は出来る」だけであって面白い音楽を生むことは出来ないだろう。そして良いオーケストラを育てるには、また良い指揮者になるには時間が掛かるということを強調する。「『京都市交響楽団は良いオーケストラですね』と言われますが、そうなるのに9年ほど掛かった」


広上さんは今度、シュトックハウゼンの曲を指揮する。シュトックハウゼンというのは変わり者で、広上もシュトックハウゼンについては、「×××い(放送禁止用語です。ジャン・リュック・ゴダール監督の映画タイトルに使われています)」と語っている。
カールハインツ・シュトックハウゼン(1928-2007)は、20世紀のドイツを代表する作曲家なのだが、自身のレーベルを立ち上げて、法外な高値で自作のCDを発売するなど、とにかく変わった人であった。彼の作品の中では、私は「ヘリコプター弦楽四重奏曲」というのが好きである。音楽的にはとても優れた弦楽四重奏なのだが、実は一人一台ずつヘリコプターに乗り、四台のヘリコプターを使って演奏される曲である。ストリングカルテットのメンバーはヘッドホンを付けて他の奏者の音を聴く。わけがわからん。


行きはバスで来たが帰りは歩いて帰る。家から京都市北文化会館までは、京都コンサートホールよりはちょっと遠いという程度である。

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2016年11月23日 (水)

コンサートの記(259) 広上淳一指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2016 「オーケストラ・ミステリー」第3回「名曲の秘密~とっておきの名曲ミステリー~」

2016年11月13日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、「京都市交響楽団オーケストラ・ディスカバリー ~こどものためのオーケストラ入門~ オーケストラ・ミステリー」第3回「名曲の秘密      ~とっておきの名曲ミステリー~」を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。ナビゲーターはロザンの二人。

「こどものためのオーケストラ入門」というサブタイトルが付いているが、「子供連れ歓迎」という風な意味であり、実際は大人だけで来ている人の方が多い。曲目自体がそもそも子供向けではない。


曲目は、前半が、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」(ヴァイオリン独奏:三浦文彰)、ムソルグスキー作曲(ラヴェル編曲)の組曲「展覧会の絵」から「キエフの大きな門(キエフの大門)」、後半がドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」から第2楽章とチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」から第4楽章。


今日のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーに尾﨑平。木管楽器の首席奏者は今日は全編に出演。フルートのみは現在も首席不在である。トランペットは、前半が西馬健史と稲垣路子、後半がハラルド・ナエス(首席トランペット奏者)と早坂宏明であった。


まず、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」の演奏がある。広上は今日は老眼鏡を掛けて、総譜を見ながらの指揮である。
主部に入ってからはテンポを落として優雅さを強調する演奏。後半はテンポをしっかり刻んで更に雅やかになる。

演奏が終わってから、広上がマイクを手にしてトークとなる。広上は、「昨日は浜松で、この『オーケストラ・ディスカバリー』をやったのですが、私、色々話過ぎて自己紹介をするのを忘れていまして、ロザンの二人に紹介して頂きました。今日は忘れないうちに言います。指揮、広上淳一です」と自己紹介する。そしてロザンの二人が登場。宇治原史規は広上に、「今日、ちゃんと名前言えましたね」と言う。
広上は、「宇治原ちゃん、菅さん。この曲聴いたことある?」と聞き、宇治原は「あります」と返すが、菅広文は「昨日、聴きました」とボケる。広上は、「お正月の番組はどうしてるの?」と聞き、宇治原が「お正月の番組は事前に収録しているので、元日は普通にテレビ見てたりします」答える。広上は、「この曲は、ヨハン・シュトラウスのⅡ世、お父さんが同じ、ヨハン・シュトラウスという名前だったのでⅡ世、私の父親が広上淳一という名前だったら私は広上淳一Ⅱ世ということになるわけですが、ヨハン・シュトラウスの子供の方が作曲しまして、元日に衛星中継でやるニューイヤーコンサートのアンコールで必ず演奏されます。ただ、実は、この曲は最初はおじさん達の合唱団に書かれた曲だったんです」、宇治原「僕らはウィーン少年合唱団のメンバーが歌っているイメージがありますが」、広上「はい、ただ、依頼したのは平均年齢が50歳から70歳ぐらいのおじさん達でして、ヨハン・シュトラウスⅡ世も作曲に余り乗り気じゃなかったそうです。『若い女の子からじゃないのか。嫌だな』と思ったのかどうかはわかりませんが、おじさん合唱団のメンバーとメロディーを口ずさみながら嫌々作曲したそうです」、宇治原「あの曲が嫌々作曲されたわけですか」、広上「歌詞も、幕末に『ええじゃないか』というのがありましたが、あんな感じで、ステージではいえないような下品な歌詞だったそうです。オーストリアが戦争に負けたので、無理矢理盛り上げようというので」
広上は、出だしの歌詞を関西弁で、「どうでもええやん、どうでもええやん、わしらもうちょい頑張ろうやないか」とメロディーなしで口にする。
ちなみに、広上は自身の身長について、「164cmです」と語ったことがあるが、おそらくそれは若い頃の数字であって、最近は身長を測っていないのだと思われる。今日も、公称162cmの菅ちゃんよりも広上が小柄であることは見てわかった。


2曲目、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」。ソリストの三浦文彰が現れると、ロザンの二人は口を揃えて、「イケメンですね」と言うが、菅ちゃんは、「僕と同じぐらい」とボケる。宇治原に突っ込まれるが、菅ちゃんは、「宇治原とは比較にならない」と続ける。
広上が、「今日、8時からの『真田丸』のソリスト」と紹介すると、菅ちゃんは、「皆さん、分かりますか? あの『パッパッパ』ってやつ」と言い、宇治原に、「このステージでよくそんないい加減な紹介できるな」と突っ込まれる。

三浦はまずパガニーニの曲を演奏する。メロディーを奏でながら左手でピッチカートの旋律を奏でるという見るからに難しそうな曲である。ラストではピッチカートの連続になるのだが、その間、広上はずっと頭を左右に振っておどけていた。

菅ちゃんが例によって、「楽器はおいくらぐらい?」と聞くので、三浦は乗り気ではなかったが、「億は行くと思います。自分のものではないので詳しくはわからないのですが」と答える。広上が、「名器は財団などが所有していて、『この楽器は三浦さんだったら貸すよ』というので、貸与されることが多いです」と補足する。
菅ちゃん「この楽器で煙草が何箱買えますか?」
三浦・広上「…………」
宇治原「なんで煙草やねん!」

三浦は演奏の準備のためにいったん退場。広上がピアニカを取り出して、「ツィゴイネルワイゼン」の出だしは、ソドレミなのですが、ソドレミで始まる曲はヒット曲が多い」というので、宇治原に楽譜を渡して、「千の風になって」、「この道」、「ドラゴンクエスト」のテーマ(ロザンの二人は、「ドラクエ?」と驚いていた)、SMAPの曲(曲名はわからず)、中島みゆきの「地上の星」(二度ほど間違える)の出だしを演奏する。
菅ちゃんが、「ピアニカってそんなにいきなり吹き始めるものなんですか?」とボケるが、広上は「柔らかい音色だから、本番前に吹くのに良い」と語る。「手元が見えないので楽譜を見ながら吹くので良い」と続け、菅ちゃんが、「あ、手が見えないんだ。それでさっき間違えたんですね」返し、広上は「欠点は間違えやすい」と述べる。

「ツィゴイネルワイゼン」本番。三浦は高音は磨き抜かれた輝かしい音を出すが、全般としては年に似合わず、渋い音楽を奏でる。
広上は途中、体を左右に振るだけで指揮し続けるなど、相変わらずユーモラスである。

三浦君は、後半は客席でコンサート聴いていた。


ムソルグスキー作曲、ラヴェル編曲の組曲「展覧会の絵」から「キエフの大門」。
広上は、「『展覧会の絵』というのは、実は元々はピアノ曲でして、ムソルグスキー先生本人も、オーケストラで華々しく演奏されるとは予想していませんでした」、「作曲から50年ほど経ってからラヴェル先生がオーケストラ用に編曲しまして、それでムソルグスキー先生のピアノ曲も有名になった」、「ムソルグスキー先生というのは、元々、陸軍士官学校を出まして、軍人をやっていました。音楽は趣味で勉強していました。その後、今でいう官吏、国家公務員になりまして、休みの日に作曲をしていました」、「『展覧会の絵』は友人の亡くなった画家を偲んで書かれたものです」と説明する。
宇治原「言ってみれば、官僚が休みの日に作曲したのが『展覧会の絵』だと」、広上「そういうことです。ムソルグスキー先生はオーケストラによる『展覧会の絵』は聴いたことがないんです」、菅「作曲者が聴いたことがない音楽を今から聴けると」、広上「はい。ムソルグスキー先生は、オペラも作曲していまして、『ボリス・ゴドノフ』、それから『ダッタン人の踊り』なども作曲しています」(おーい、広上さん、「ダッタン人の踊り」を作曲したのは、ムソルグスキーじゃなくてボロディンだぞ)

ということで、組曲「展覧会の絵」より「キエフの大門」の演奏。通常は前曲である「バーバー・ヤーガ」が盛り上がってからアタッカで入るのだが、前曲の部分は演奏せずに「キエフの大門」の冒頭から入る。ということで多少唐突な印象は受ける。
スケール雄大で、輝かしい演奏。今日もステージを擂り鉢状にしているが、チューブラーベルやグロッケンシュピールの音などは天井から降り注いでくるようで、理想的な音響である。


後半。広上とロザンの二人が揃って登場。宇治原が、「『キエフの大門』でしたね」と言い、広上は、「ごめんなさい、『展覧会の絵』の話ばかりして、肝心の曲名を言うのを忘れていました」と続ける。菅ちゃんが、「『展覧会の絵』は組曲ですね」と言い、広上は、「そうです。10曲ぐらいからなる組曲でして、『キエフの大門』は最後の曲です」と答える。
宇治原「でもお客さんも全曲やるとは思ってなかったでしょう?」
広上「いや、思っていた人もいたかも知れません。『《展覧会の絵》全曲やるの? 40分ぐらい掛かる』って。別にやってもいいのですが」
ということで(?)、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」から第2楽章。
広上「宇治原ちゃん、この曲はご存じ?」
宇治原「学校から帰る時の音楽ですね」
広上「そう、『家路』という曲がありまして、私も最初は、この曲は『家路』というタイトルだと思っていたのですが、ドヴォルザーク、彼はチェコの作曲家なのですが、晩年に2年ほどアメリカで音楽大学の校長先生をしていた時に、祖国であるチェコのことを思って作曲したのがこの曲です」
宇治原「学校の音楽の教科書にも載ってますね」
広上「そう、『家路』というタイトルがピッタリの。故郷を思う気持ちは万国共通ということだと思います」
宇治原「この『新世界から』の新世界というのはアメリカのことですね。アメリカとチェコの旋律を取り入れつつ故郷を思うという」
広上「そうです。アメリカでもチェコでも日本でも同じイメージが浮かぶ。私などは夕方に、カレーライスの匂いがしたり、おでんの匂いがしたり、豆腐屋さんの、チャルメラ、じゃないか。プーと音のする。そういうイメージです。宇治原ちゃんは?」
宇治原「僕は、小学校が山の上にあったので、放課後、坂を下るイメージが」
広上「夕日が差して?」
宇治原「そうです」
広上「菅ちゃんは?」
菅「僕は、団地に住んでいたので、団地のエレベーターに乗っている時のイメージが」
広上「え? エレベーターあったの? 当時? じゃあマンションだ。私は団地族だったもので、団地というと4階建てぐらいで階段のみのイメージが」
菅「うちは7階建ての6階でした」
広上「6階? じゃあマンションだ」
宇治原「もうええわ! 団地・マンション論争いらん!」

広上は速めのテンポを採用。スッキリとした出来である。ノスタルジアよりも音の美しさが印象に残る。


チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」より第4楽想。
宇治原は、チャイコフスキーについて、「バレエ音楽を沢山書いているイメージがあります」と述べる。広上は、「『くるみ割り人形』、それから『白鳥の湖』などを作曲しています。『くるみ割り人形』は(クリスマスが舞台なので)、ヨーロッパでは毎年、12月に必ず上演されます。バレエ音楽が有名なので明るくて元気なイメージがあるかも知れませんが、これから演奏する曲は重いです。初演から9日後に作曲者が死去するという」、宇治原「それは本当にミステリーですね」

広上はチャイコフスキーの死因について、「色々な説があって、今、研究が進んでいることです。チャイコフスキーの日記には、『死を意識する』という意味深なことが書かれています。それから、『自分は同性愛者なので、王朝から追われているかも知れない』と書かれていたりします」と述べる。菅ちゃんが「追われている?」と聞くと、広上「宇治原ちゃん、(高校時代の)専攻は世界史?」、宇治原「僕は日本史です」、広上「私も余り詳しくないのですが」というやり取りがあった後で、「当時、同性愛は重い罪で、死に値するかも知れないということです」と説明する。

しかし、子供に、「どうせいあいってなあに?」と聞かれても返答に困るな。

広上は楽曲について、「最後にコントラバスが、宇治原ちゃんの心臓のように、トントンと鳴って止まる」、宇治原「広上さん、縁起悪いですよ」、「あ、間違えました。トントンじゃなくてトクトクでした」というどちらでもいいような会話があった後で演奏スタート。

清澄な弦が印象的な演奏である。この楽曲も過去を回想するような趣があるのだが、それはとても良く出ている。ゲネラル・パウゼのところで拍手をしたお客さんが2名ほどいたのが謎だったが。
盛り上げ方も上手く、全曲の演奏が聴きたくなる。
今日は、ドイツ式の現代配置での演奏だったので、冒頭の旋律を第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが交互に弾くというステレオプレゼンツは分からなかった。

演奏終了後、菅ちゃんは自分が演奏の立役者のように右手を挙げて登場。宇治原に仕草で「お前ちゃう」と突っ込まれる。

宇治原が、「重かったのでアンコールを。ブラームスのハンガリー舞曲第5番だそうで」と言い、広上がブラームスの「ハンガリー舞曲」について説明する。「この曲は、ブラームスがお金を稼ぐために書いたの(文字だけだとお姉口調に感じられるが実際はそういう響きではない)。連弾のための曲として書いて、ドンドン売れたという」
宇治原「当時は、CDの代わりに楽譜が売れるのがベストセラーだったと」、広上「そういうこと」

ハンガリー舞曲第5番。広上は出だしは平均的なテンポで演奏するが、中間部ラストで速度をぐっと落とす。また弦楽は一音ごとに音を切って演奏する。
再現部は出だしはかなり遅く、その後、急速にテンポアップするということが繰り返される。舞曲ということが強調された面白い演奏であった。

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2016年11月17日 (木)

コンサートの記(258) 広上淳一指揮 「京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2013(年度)」 第4回「ポップス?クラシック!」

2014年3月23日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都府立植物園の東隣にある京都市コンサートホールで京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2013 第4回「ポップス?クラシック!」を聴く。2013-2014のシーズンに4回行われるオーケストラ・ディスカバリーの2013年度最後の公演である。

今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者の広上淳一。

オーケストラ・ディスカバリーは、子供から大人まで楽しめるコンサートを念頭に置いたプログラムで構成されており、ホワイエには今日は、「クラシック博士」という子供向けのクイズパネルが並んでいた。その中に「これは誰の手形でしょう?」というパネルがあり、「A.京都交響楽団指揮者の広上淳一さん、B.ピアノの詩人ショパン、C.京都市交響楽団のコンサートマスター渡邊穣さん」という選択肢があった。手の大きさを私のものと比べてみると私の手と大きさがさほど変わらない。私は身長に比べて手がかなり小さい方なので、手形が小柄な人物のものであることがわかる。それに紙に直接押した手形なのでショパンは絶対にあり得ない。終演後に張り出された正解にはやはり広上淳一の手形であると記されていた。ちなみに私も広上も、手を思いっ切り広げてもピアノの1オクターブがやっとという大きさである。
オーケストラ・ディスカバリーには、ナビゲーターとして吉本の芸人が呼ばれるのだが、今日は出演回数最多のロザンの二人が登場する。ちなみにオーケストラ・ディスカバリーは始まった当初は毎回ロザンがナビゲーター役を務めていたのだが、その後、ガレッジセールの二人も加わり、2014年度には、ぐっさんこと山口智充も参加することが決まっている。

曲目は、前半が、ハチャトゥリアンのバレエ組曲「ガイーヌ」より“剣の舞”、モーツァルトのホルン協奏曲第1番から第1楽章&第2楽章(ホルン独奏:垣本昌芳)、プロコフィエフのバレエ組曲「ロメオとジュリエット」より“モンタギュー家とキャピュレット家”、そして当初は後半に演奏される予定だったワーグナーの「ワルキューレの騎行」も前倒しで演奏される。

後半は、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲、ブラームスの交響曲第1番より第4楽章。

「剣の舞」は、やや遅めのテンポで堂々と演奏される。広上の踊るような指揮姿も特徴的だ。なお、「剣の舞」と「モンタギュー家とキャピュレット家」ではサックスが演奏されるので、岩田瑞和子が客演奏者として参加している。今日のコンサートマスターは渡邊穣であるが、泉原隆志は降り番で、アシスタント・コンサートマスターの尾崎平がフォアシュピーラーを務める。フルート首席奏者の清水信貴は前半、後半ともに出演。クラリネット首席奏者の小谷口直子は前半のみ参加。オーボエは、前半がフロラン・シャレール、後半は首席オーボエ奏者の高山郁子が吹いた。

「剣の舞」の演奏が終わり、広上がマイクを手に聴衆に挨拶した後で京響のTシャツの上にグレーのジャケットを羽織ったロザンの二人が登場。広上が「ちゃんと京響のTシャツを着て」と言うと、宇治原史規が、「ちゃんとってなんですか。好きで着てきてるんですから」と突っ込んだ。
広上が「運動会で聴いたことあるでしょ?」というと二人とも同意し、管広文が「玉入れの時に使ったような記憶がある」と述べた。

ハチャトゥリアンは1963年に来日し、同年2月に京都市交響楽団の第52回定期演奏会で指揮をしたことが無料パンフレットに書かれているのだが、広上もそのことを紹介する。

広上は、「AKBやSMAPも100年経てばクラシックになる」と語る。菅ちゃんが「『ヘビーローテーション』なんかも100年後にはオーケストラで演奏されてるんでしょうか?」と聞くと、「オーケストラの演奏スタイルも変わっているかも知れない」と広上は返す。菅ちゃんは「おじさん達が足を上げながら弾いてるんでしょうか」と語る。

次はモーツァルトのホルン協奏曲第1番より第1楽章&第2楽章。ホルン独奏は京都市交響楽団首席ホルン奏者の垣本昌芳。垣本はプロのソリストではなく京響の楽団員であることから、ロザンに「大丈夫ですか?」と心配される。

そのホルン協奏曲第1番からであるが、室内オーケストラ編成で演奏される。その他の曲は第1ヴァイオリン12名のフルサイズであったが、モーツァルトは第1ヴァイオリン6名で、約半分の人数である。

垣本は安定したソロを聴かせ、京響も雅やかな音色を奏でる。広上はピリオド・アプローチも得意としているが、今日はピリオドの影響は余り感じられなかった。なお、広上はこの曲だけはノンタクトで指揮した。

演奏が終わり、菅ちゃんが「良かったですね。AKBでいうとセンターですね。大島優子のような」というと広上さんは「(大島優子は)もうすぐ辞めるでしょ」と応える。広上さん、AKBに詳しすぎである。ちなみに2014年度のオーケストラ・ディスカバリーの案内パンフレットに広上さんは「オーケストラもAKBと同じように楽しいよ!」と書いている。

続いて、プロコフィエフのバレエ組曲「ロメオとジュリエット」から“モンタギュー家とキャピュレット家”。
広上淳一は、「ソフトバンクのCMでお馴染みの曲」と紹介する。

広上「今は堺雅人が、『なんで犬が喋ってるんだ』というコマーシャルですが」
菅「今、(堺雅人の)物真似したでしょ!」
広上「いや、してません(実際はしていた)。以前に、みんなが集まって、犬のお父さんが『何をやってるんだ!』という場面で」
菅「今、(北大路欣也の)物真似したでしょ!」

というやり取りの後で、「モンタギュー家とキャピュレット家」が演奏される。広上の巧みなオーケストラドライブが発揮され、弦も管も威力十分で透明感もあり、ノリの良い演奏が展開された。
 

ワーグナーの楽劇「「ワルキューレ」から“ワルキューレの騎行”。
広上はワルキューレという「肉食女性」について語り、「大学で教えていても、元気のあるのはみんな女の子」だという。女性が活躍する時代と景気とは連動しているという説もあるそうですと広上は語る。
楽劇というのは、ワーグナーが独自に発展させたオペラのことである。同じ舞台でも演劇はあらすじが複雑で書き記すのに時間が掛かるが、オペラというのはあらすじが基本的に単純である。セリフを話すのではなく歌うので時間が掛かり、複雑な展開になると何時間かかっても終わらないという羽目になってしまう。「ワルキューレ」も上演時間約4時間の大作であるが、あらすじは簡単に書くことが出来る。「まず夫婦げんかをして、次に親子げんかをする」。これだけで大体合っている。
広上は、「ワルキューレの騎行」について、「車を運転している時に聴くと必ず事故を起こす曲」と紹介する。「興奮するので、カーブでも150キロ、160キロ出るほどアクセルを踏み込んでしまうらしい」とのこと。

その「ワルキューレの騎行」であるが、堂々として扇情的であり、広がり豊かな演奏となる。京響の金管群はやはり関西のプロオーケストラの中でナンバーワンであろう。

後半、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲。
広上は、オペラについて「90%以上が悲劇」と述べ、「『白夜行』というのがあるでしょう。テレビでは綾瀬はるかが主演して、映画では堀北真希がやった」、宇治原「ああ、東野圭吾の」、広上「ああいったドロドロの劇がオペラには多いんです。今日は若いお子さんも多いので大きな声では言えませんが、不倫ですとか、三角関係ですとか」、菅「不倫。子ども達の中で不倫って知ってる人。不倫というのはね、お父さんとお母さんの他に」などというやり取りがある。なお、「カヴァレリア・ルスティカーナ」の原作はかなり短い短編小説であり、岩波文庫から出ているので日本語で読むことも出来る。どってことない小説である。ロルカの戯曲「血の婚礼」も同じような事件を題材にしているが、ロルカはやはり天才。「血の婚礼」と「カヴァレリア・ルスティカーナ」では比較にさえならない。

歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲で広上は、速めのテンポによる、過度の甘さを避けたすっきりとした演奏を行う。
演奏終了後に、広上とロザンの二人が、この曲が様々な映画やドラマに使われているという話になる。故十八代目中村勘三郎が襲名披露公演でも行った歌舞伎「野田版・研辰の討たれ」では、ラストで邦楽器が「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲を奏でていたりした。

ラストはブラームスの交響曲第1番より第4楽章。
広上はロザンの二人に「ブラームスという作曲家をご存じですか?」と聞くと、宇治原が「ドイツ三大Bの」と答えて、広上から「流石、クイズ王!」と誉められる。宇治原によると「ドイツ三大Bという問題が出たら、答えは絶対にブラームス。バッハやベートーヴェンが答えになることはない」と言う。確かにブラームスは有名作曲家であるが、大バッハやベートーヴェンほどではない。「バッハやベートーヴェンが書いたメロディーを口ずさんで下さい」と聞くと、バッハなら「トッカータとフーガニ短調」(「タラリー、鼻から牛乳!」というやつである)や「G線上のアリア」、「小フーガト短調」など、ベートーヴェンなら「運命」こと交響曲第5番の冒頭「ジャジャジャジャーン!」や第九の「歓喜の歌」などを歌える人は多いが、ブラームスの作品を口ずさめる人は少数派であると思われる。ただ、「ドイツ三大Bの中で交響曲を最も沢山書いたのは誰でしょう?」(答え:ベートーヴェン。バッハ0曲、ベートーヴェン9曲、ブラームス4曲)や、「ドイツ三大Bの中で唯一結婚したのは?」(答え:バッハ。バッハは子供20人という子だくさんでもある。ベートーヴェンは醜男であったがピアノの演奏技術が抜群だったため若い頃はモテモテで、女遊びも盛んだったらしいが、耳の疾患が進むにつれて人付き合いを避けるようになり、生涯独身であった。ブラームスは若い頃は美青年で、やはり女にもてたようだが、シューマンの妻・クララに恋をし、シューマンの没後も付かず離れずの関係を続けた結果、誰とも結婚することはなかった)などの変則問題が出題されることも十分に考えられる。
ブラームスが交響姉弟1番を書くのに20年以上掛けたと広上が話すとロザンの二人が驚く。

ブラームスの交響曲第1番第4楽章は、歓喜の主題がベートーヴェンの第九の「歓喜の歌」のメロディーに似ていることが指摘されている作品である。ブラームスも敢えて似せたようである。
広上と京都市交響楽団は重厚且つ推進力に富んだ演奏を展開する。今日は京都コンサートホールの3階席に座ったのだが、京都コンサートホールの3階席は音が良いということもあり、昨年、八幡市文化会館で同コンビが演奏したブラームスの交響曲第1番よりも味わい深かった。

アンコール演奏は、クラウス・バテルト&ハンス・ジマー作曲による映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」のテーマ曲。今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」のオープニングテーマ曲も指揮している広上だけに、映像のために書かれた音楽の指揮にも強い。

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2016年7月10日 (日)

コンサートの記(247) 京都市交響楽団みんなのコンサート2016「夏だ祭りだ! ワクワク・クラシック」

2016年7月3日 京都市伏見区丹波橋駅前の京都市呉竹文化センターにて

午後2時から、丹波橋にある京都市呉竹文化センターで、京都市交響楽団みんなのコンサート2016「夏だ祭りだ! ワクワク・クラシック」を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。
京都市内各所にある文化施設で京都市交響楽団が演奏会を行う「みんなのコンサート」。年に3度あり、今回は2度目。同一演目2回公演で、昨日は右京ふれあい文化会館で演奏会が行われ、今日は伏見区の呉竹文化センターでの公演となる。

曲目は、前半が、ファリアの「恋は魔術師」から“火祭りの踊り”、ドヴォルザークの序曲「謝肉祭」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ「花祭り」、オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」から“カンカン”、サティの「2つのジムノペディ」から第3番(ピアノ版第1番。ドビュッシー編曲)、ブラームスのハンガリー舞曲第1番。
後半は全てチャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」からで、「行進曲」、「こんぺい糖の踊り」、「ロシアの踊り(トレパック)」、「中国の踊り」、「あし笛の踊り」、「花のワルツ」

今日の京都市交響楽団のメンバーは全員、創設60周年記念Tシャツの白バージョンを来て登場。広上淳一も同じTシャツを着て指揮をした。京響のスタッフは創立60周年で人間に例えると還暦であるため、赤に背番号60の白抜きのあるもう一つのバージョンのTシャツを着ている。

今日は16列目だったため、後ろの方の席かと思ったが、呉竹文化センターは後ろの方の番号が若いため、実際は前から2列目であった。

今日のコンサートマスターは渡邊穣、泉原隆志は降り番でフォアシュピーラーには尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏。チャイコフスキーではコンサートマスターとヴィオラソロの掛け合いがあるため、コンサートマスターとヴィオラソロが向かい合うドイツ式現代配置の方が効果的である。


京都市呉竹文化センターに来るのは3度目。前2回はいずれも観劇であったため、コンサートを聴くのは初めてである。

呉竹文化センターは平成2年竣工と比較的新しいが、音響設計はされておらず、残響はほぼゼロ。ということで、クラシックの演奏会を聴くには余り適していない。
今日は前から2列目であったため、音量は十分であったが、直接音が間近から聞こえるので、鈍重な印象を受けてしまうが仕方ない。なお、ステージが狭いため、フルオーケストラが配置された場合にグランドピアノを置くスペースがないようでキーボードで代用されていた。

指揮台のそばにマイクが置かれ、広上が演奏の合間にスピーチを挟みながらのコンサート。ライブラリアンがスコアと共にファーバーグラス製の指揮棒を広上の譜面台の上に置いたが、広上は木製の指揮棒を持って登場。最初のうちは木製の指揮棒で指揮していたが、オッフェンバック以降はファイバーグラス製の指揮棒に持ち替えて指揮を行っていた。

今日は前の方の席だったため、管楽器奏者の顔はほとんど見えず、誰が吹いているのかはわからない。オーボエ首席奏者の髙山郁子は前半から吹いており、クラリネット首席の小谷口直子は後半には登場していたのは確認出来た。トランペットとして出演していたのは早坂宏明と稲垣路子、西馬健史で、首席奏者のハラルド・ナエスは降り番のようだった。
首席フルートは男性の客演奏者だったが誰だったのかは不明。


ファリアの「恋は魔術師」から“火祭りの踊り”。ホールの音響が良くないため、色彩は今一つだったが、それでも怪しげな雰囲気は十分に伝わってくる。
演奏終了後、広上はマイクを手に、曲の紹介をするが、“火祭りの踊り”の日本語名を忘れてしまい、手元に用意してあったパンフレットを確認して曲名を読み上げた。

その後、ドヴォルザークが大鉄道好きで、汽車の煙を見たり、列車の走る音を聴きながら作曲をするのが好きだったということを広上は紹介し、序曲「謝肉祭」を聴いて「ああ、なるほどと思われるかも知れません」と語った(推進力のあるところは鉄道的かも知れない)。謝肉祭は「カーニバル」のことだが、キリスト教の行事で、悪霊払いをしたり、自然や農作物の恵みに感謝する祭りであったという。

京都市交響楽団によるドヴォルザークの序曲「謝肉祭」は、京都コンサートホールでの演奏を何度も聴いているのだが、音響設計のされていないホールで聴くと立体感に欠ける。音響の評判が良くない京都コンサートホールであるが、こうして聞き比べると普段はかなりのアドヴァンテージを得ていることがわかる。
ただ、音の迫力自体は流石。弦の厚み、管の輝き共に十分である。

ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ「花祭り」。ウィーンの市民庭園には有名なバラ園があるそうで、そこで行われた祭りを描いた曲だそうである。余り演奏されることはないが、広上は「ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでは指揮者によっては必ず取り上げられる曲です」とも語る。
この曲では身を縮めるような仕草で指揮をした広上。今日もジャンプをしたり、指揮台の上でステップを踏んだりと楽しい指揮姿を見せる。
チャーミングな曲と演奏である。


ここで、京都市交響楽団のインスペクター(パーソナル・マネージャー)である森本芙紗慧が呼ばれる。広上はインスペクターについて、「学校で例えるなら学級委員長。いや、風紀委員。日直、は違うな。やっぱり学級委員かな。リハーサルが始まる前に、オーケストラメンバーに開始時間を教えたり、指揮者にそろそろ出番ですよと教えに来たりする人です」というように紹介。

森本は、今日のコンサートのサブタイトルや前半の曲が祭りにまつわっていることに触れるのだが、「お祭りというと屋台が好きなのですが、広上さんは子供のころ何の屋台が好きでしたか?」と音楽に余り関係のない質問。広上は、「私は焼きそばが好きでした。それから綿飴も必ず買ってました。金魚すくいが大好きでしたね。いつも失敗してましたが」と応える。ちなみに、森本は金魚すくいで獲得した金魚を一年間生き延びさせることに成功したそうである。
ここで森本は、屋台の中で体に良いものの話をする。イカが良いそうである。広上が「イカすって言いますからね」と言ってすべるがお客さんは優しいので拍手を貰う。
イカには疲労回復に効くタウリンが多く含まれており、更にダイエットにも良いらしい。広上は高血圧で悩んでいるそうだが、高血圧にも効果的なようだ。
更に綿飴であるが、一見すると砂糖の塊のようで健康に悪そうだが、ほとんどは空気なので、カロリーはかなり低いらしい。
ちなみに次の曲目は、「天国と地獄」なのだが、森本によると「私にとっては今の時間が地獄です」とのことで笑いを取った。

その「天国と地獄」より“カンカン”。演奏も小粋だが、広上の首を振りながらの指揮姿も面白い。ちなみに広上は右利きのはずだが何故か右手に腕時計をはめている。何故なのかは不明。


サティとブラームスが演奏される前に、今度は京都市交響楽団ヴィオラ奏者の多井千洋(たい・ちひろ。男性)が呼ばれ、ヴィオラという楽器の紹介をする。広上によるとヴァイオリンとヴィオラは兄弟関係にあるのだが方向性がちょっと違うそうで、「おすぎとピーコのような」という例えをして笑いを誘う。多井はヴィオラの魅力について語り、要約してしまうが「名脇役」のようなところが魅力的だそうだ。多井はサティについても語り、「自分は(音楽家としては)余りピアノが弾けないのですが、サティの曲には弾けるものが多くて親しみが持てます」と語る。またブラームスはヴィオラを愛しており、美味しい旋律をヴィオラに与えたりするのだが、そのためブラームスという作曲家自体が好きだそうである。多井は「ブラームスが好きでないとヴィオラ奏者になれない」と言われていると紹介する。確かにブラームスは作品自体がヴィオラの音域によく合うような作品が多い。程良い渋さが魅力である。

サティ作曲、ドビュッシー編曲の「ジムノペディ第3番」(ピアノ版1番)。サティはジムノペディという小品3つ書いたが、そのうちの第1番と第3番をドビュッシーがオーケストラ用に編曲している(ドビュッシーの意思により番号は入れ替えられている)。
フランスのオンフルールに生まれたエリック・サティは、13歳でパリ音楽院に入学するなど早熟であったがアカデミズムを嫌い、軍隊に入り、その後復学するが、結局音楽院を中退し、バーのピアノ弾きになったり、信者が一人だけ(つまりサティだけ)の新宗教の教祖になったり、何故か中年になってからパリ音楽院のライバル校であるスコラ・カントルムに入学して優秀な成績で卒業したりと、様々な変わったことをしながら過ごした。ドビュッシーの才能に惚れ込み、「同性愛?」とも受け取られかねない手紙を残していたりする(そういう関係ではなかったらしいが)。その後、反ドビュッシーを掲げるフランス六人組の頭目に担がれたりするが、サティのドビュッシーに対する友情は生涯変わらなかった。

ホールの残響がないということもあってか、少し速めのテンポ設定。直接音が強いため、洗練されたタイプのフランス音楽を聴くにはこのホールのこの席では厳しいようだ。
弦は情感が出ていなかったが、管の洗練された歌い方は十分に伝わってくる。


前半最後となるブラームスの「ハンガリー舞曲第1番」。広上は「最初はそれほど売れるとは思わず、ピアノ連弾用の楽譜で出したところ大ヒット」と語る。「大ヒット、今でいうと乃木坂46ですとか」と広上は語る。広上さん、相変わらずアイドル大好きのようである。ただブラームス本人による管弦楽曲編曲がなされたのは第1番含めて数曲だけで他の曲は別の作曲家により様々な編曲が施されている。ブラームスの「ハンガリー舞曲」というと以前は第5番が圧倒的に有名であったが、90年代以降は作曲者によって編曲がなされている第1番の方が人気となっている。
スウィング感がなかなかの演奏。広上の上半身を揺らせながら行う指揮も見ていて楽しい。


後半、チャイコフスキーの「くるみ割り人形より」。この手の音楽は広上の十八番である。叙情味、ロマンティシズム、愛らしさ、華麗さ、躍動感、ユーモアなど、全てが高い次元で統合されたチャーミングな演奏である。


アンコールとして演奏したのは、和田薫の「土俗的舞曲」。伊福部明の高弟である和田薫。先日、ロームシアター京都で行われた伊福部明のゴジラコンサートの指揮も手掛けている(チケットを入手しながら行けなかったが)。和田と広上は同じ東京音楽大学出身ということもあって若い頃からの友人だそうで、広上は和田の作品をスウェーデンのマルメ交響楽団とレコーディングしているそうだ。

「土俗的舞曲」は元々は吹奏楽のために書かれた作品のオーケストラ用編曲。一聴しただけで、和田が伊福部の弟子だとわかる面白い作品である。

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