カテゴリー「追悼」の34件の記事

2018年3月 5日 (月)

コンサートの記(352) ヘスス・ロペス=コボス指揮 日本センチュリー交響楽団第187回定期演奏会

2013年12月3日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、日本センチュリー交響楽団の187回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はスペインを代表する名匠ヘスス・ロペス=コボス。「ス」で韻を踏んだ(?)粋な名前(??)の指揮者である。スペインは、器楽演奏などにはパブロ・カザルス(チェロ。晩年は指揮者としても活躍))、ナルシソ・イエペス(ギター)など世界最高と謳われた名手も多く(特にクラシックギターでは他国の追随を許さない)、作曲家にもファリア、アルベニス、グラナドス、ロドリーゴ、モンポウなど大物がいるが、指揮者に関しては、ヘスス・ロペス=コボスとラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスの二人が突出した存在で、他に巨匠クラスはおらず、指揮者大国というわけではない。スペインの若手指揮者で、京都市交響楽団に客演したパブロ・ゴンザレスがおり、彼はなかなかの実力者であると思われる。

曲目は、レスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」第3番、レスピーギの交響詩「ローマの噴水」、ファリアのバレエ音楽「三角帽子」。

安めのチケットを買ったら、1階席の最前列であった。最前列は演劇なら特等席であるが、クラシック音楽の場合、指揮者の動き、特に手の動きがほとんど見えず、音響もオーケストラ奏者に近すぎてバランスが悪いため、安い値段で売られることがある。場合によっては発売すらされない。
だが、そこは世界に名高いザ・シンフォニーホール。視覚的には今一つであったが、響きは最前列であってもバランス良く響く。

ロペス=コボスの指揮であるが、極めて丁寧であり、澄み切った美しい響きをセンチュリー響から引き出す。立体感もあり、極上のサウンドだ。

レスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」第3番は弦楽のみの作品。バロック以前の作曲家がリュート(ギターの先祖のようなもの)のために作曲した作品の主題を基にオーケストラのために書いたものである。
ロペス=コボスは韻を踏んだ(??)風流な名前(???)の通り、風通しの良い、雅やかな演奏を展開する。

レスピーギの交響詩「ローマの噴水」。川の源流のように澄み切った音をロペス=コボスはセンチュリー響から掬い上げる。繊細な演奏であり、強弱の付け方も細やか且つ自然である。

メインであるファリアのバレエ音楽「三角帽子」。ソプラノの歌が入る曲が2曲あり(そのうち1曲は作曲者の指定で、舞台袖で歌い、姿は見せない)福原寿美枝が歌う。
「三角帽子」はストラヴィンスキーの作風に影響を受けていることがよくわかり、変拍子も多用される。ただ、旋律や響きは紛れもないスペインのものである。第1曲はオーケストラ団員による手拍子と掛け声付きである。
ファリア自身も他の作曲家の作風に影響されすぎたという自覚があったのか、ベートーヴェンの交響曲第5番の冒頭を敢えてパクる場面もある。
ロペス=コボスの指揮であるが、やはりスペインものは十八番、音の美しさとスペイン的な土俗感を止揚して、ローカル且つ普遍的という高度な技を成し遂げる。やはり世界的な指揮者にお国ものを振らせると、第一級の音楽が生まれることを再確認する。センチュリー響もパワフルな演奏で、ロペス=コボスの指揮に応え、福原寿美枝の歌も表情豊かで良かった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月22日 (木)

久石譲 「HANA-BI」メインテーマ


R.I.P.

太田省吾という人について何も知らなかったなら大杉漣について色々書けたのだが、それが出来ないのが残念である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月17日 (水)

クランベリーズ 「Dreams」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 6日 (土)

追悼 星野仙一

2018年1月4日、元中日ドラゴンズの投手で、中日ドラゴンズ、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルス、北京オリンピック野球日本代表などの監督を務めた星野仙一が死去。70歳。明治大学の大先輩である。

現在の岡山県倉敷市に生まれた星野仙一。小学生の頃は足が不自由な同級生を毎日背負って登校したという話が有名である。また子供の頃は指導者に恵まれた環境にはなかったそうで、野球の指南書などを読み漁って独学で多くの技術を身に着けたそうである。

倉敷商業高校に進んだ星野は好投手として注目されるようになる。この時代の岡山県にはプロで通算201勝を挙げた平松政次が岡山東商業に、東映フライヤーズで活躍する森安敏明が関西(かんぜい)高校にいるなど激戦区だったが、倉敷商業は岡山県予選を突破。ただ当時は1県1代表ではなく東中国地方大会を勝ち抜く必要があり、星野の甲子園出場は叶わなかった。

倉敷商業卒業後に明治大学に進学。当時の東京六大学野球には、法政大学に田淵幸一、山本浩二、富田勝の「法政三羽烏」がおり、早稲田大学にはのちにチームメイトになる矢沢健一らがいるという華やかな時代。星野は明治大学のエースとして活躍。優勝とは縁がなかったものの大学野球屈指の好右腕という評価を勝ち得る。

六大学野球の野球部というと、例えば法政の田淵幸一のように、大学に行くような素振りをして寮を出るもそのまま映画館に入り、映画三昧で帰ってくるというような不真面目な学生も多いが、星野は真面目に授業に出ており、成績も優秀であった。

大学4年時には、巨人のスカウトから「ドラフト1位は田淵幸一で行くが、外した場合は君を指名する」という確約を貰っていた星野。だがいざドラフト会議が始まると、巨人は無名の高校生投手である島野修(プロ野球選手としてよりも阪急ブレーブスやオリックス・ブルーウェーブのマスコットの「中の人」として有名)をドラフト1位で指名。その報を知った星野は、「シマ野? ホシ野の間違いではないか?」と訝ったという。巨人は「星野は肩を痛めている」という情報を得ており、そのことが指名回避に繋がったようだ。実際、星野は肩を痛めたことがあったという。

巨人の代わりにドラフト1位指名した中日ドラゴンズに入団。チーム事情で当初はリリーフに回ることが多かったが、その後は中日のエースナンバーである20を獲得し、先発にリリーフに大車輪の活躍を見せるようになる。

長嶋茂雄や王貞治が語る星野は、「普段は礼儀正しい奴なのに、グラウンドでは人が変わる」
闘魂を剥き出しにした投球スタイルから「燃える男」の異名を取るようになった。

自身を裏切った読売ジャイアンツ戦に強く、「巨人キラー」と呼ばれた。また阪神タイガースにも強く、阪神の監督に就任する際の会見で飛び出した「現役の頃から阪神が大好きでした。沢山勝たせてくれましたから」という言葉は有名である。

星野は快速球で知られたわけでも代名詞になる変化球があったわけでもない。気で抑え込む投手である。そのため現役を離れて以降は投手としてのスタイルが不明瞭になってしまったきらいがある。「星野仙一ってどんな投手だったの?」と聞かれても上手く答えられないのである。

 

現役引退後は、NHKの野球解説者となる。グラウンドを離れるとやはり温厚な性格で、「仏の星野」とまで見られたが、中日ドラゴンズの監督に就任するや「鬼の星野」に激変。鉄拳制裁で知られるようになる。山本昌によると、「山崎武司やら今中やらが監督室に呼ばれて、口から血を流しながら出てくる」そうで、噂は本当のようだ。

中日の監督として優勝2回、11年間でAクラス8度という監督としては優秀な部類に入る成績を残す。選手時代同様の熱い指揮姿により「闘将」と呼ばれた。

その後、2001年に阪神タイガースの監督に迎え入れられる。星野を阪神の監督に推薦したのは前任者の野村克也だった。当時の阪神の選手たちには甘えが見られたようで、野村の著書『阪神タイガースの黄金時代が永遠に来ない理由』(宝島社新書)によると、「ヤクルトの選手はミーティングで話をよく聞いてくれた。楽天の選手もまあ聞いてくれたが、阪神の選手は聞いてくれない。しきりに時計を気にしていたりするが、この後、タニマチとの待ち合わせでもあるのか」という惨状。後任には「怖い人がいい」ということで星野を推したのだった。

阪神タイガースの監督として2年目になる2003年に星野は胴上げ監督となった。

北京オリンピック野球日本代表監督としては、大学時代からの付き合いである田淵幸一と山本浩二をコーチとして招き、結果が出せずに「お友達内閣」などと揶揄されたが、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督としては3年目の2013年に、この年24勝無敗という空前絶後の成績を残した田中将大などを擁してリーグ制覇。それまでは選手としても監督としても日本シリーズを制した経験がなく、「日本一とは無縁の男」と見る向きもあったが、この年の日本シリーズでは田中将大の熱投で相手の読売ジャイアンツをねじ伏せ、日本一を味わうことにも成功した。

 

私自身は現役時代の星野のピッチングをリアルタイムで見たことはなく、せいぜい珍プレーとして知られる宇野勝のヘディング時のピッチャーとしての認識しかない。そのため、「星野仙一=監督」というイメージである。中日ドラゴンズの監督時代には自身の母校である明治大学の選手を積極的に獲得。中日における明大閥を更に進めたことには賛否両論あるだろう。ただ巨人の独走を阻むために、巨人移籍が濃厚とされていた落合博満を獲得したり、高卒ルーキーの近藤真一(現・近藤真市)の初登板を初先発で飾らせ、ノーヒットノーランまで達成させる、楽天監督時代にはルーキーの則本昂大を開幕投手に指名するといった大胆且つ耳目を引く起用が多く、球界を沸かせた。とにかく話題を生み出せる人だった。そして多くの人から慕われる人物であった。

 

2004年に、星野仙一は母校である明治大学のイメージキャラクターの一人として広告に登場している。慕われるパーソナリティーを買われてのことだった。

そんな星野が好んで揮毫する文字は「夢」。夢を見続け、夢に挑み続けた生涯であった。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年2月22日 (水)

さよならミスターS

現役の主要指揮者としては世界最長老であったスタニスラフ・スクロヴァチェフスキが死去。93歳であった。名前が長いため、ミスターSの愛称でも親しまれた。
1923年(日本の年号では大正12年。関東大震災のあった年である)、ポーランドのルヴフ(現在はウクライナ領)生まれ。
若い頃はピアニストを志していたが、第二次大戦中に手を負傷し、指揮者に転向する。指揮は同じくポーランド出身であったパウル・クレツキに師事した。
作曲家としても活動しており、自作自演盤もリリースされている。
 
アメリカのミネアポリス交響楽団(現・ミネソタ管弦楽団)の音楽監督として活躍。この時期にアメリカ国籍を得ている。
録音も行ったが、マーキュリーというマイナー・レーベルが主だったため、日本にまでは評判が伝わってこなかった。
状況が変わるのは1990年代に入ってからである。マーキュリー・レーベルのCDが国内盤としてもリリースされ、筋骨隆々としたフォルムと怒濤のようなエネルギー放射による演奏が一部で評判になる。
 
そしてスクロヴァチェフスキは、1996年にNHK交響楽団の定期演奏会に客演する。私も土曜日のマチネー公演で聴いた。メインはチャイコフスキーの交響曲第5番。
「ムラヴィンスキーもかくや」と思われる厳格にして力感溢れる演奏であり、終演後、客席が大いに沸いたのが思い出される。これが日本におけるスクロヴァチェフスキ・リバイバルの始まりであった。
その後もスクロヴァチェフスキはN響への客演を続け、2004年には京都コンサートホールでN響を指揮したコンサートも行っているが、その後は読売日本交響楽団に招かれて指揮する機会が増え、2007年から2010年まで読響の第8代常任指揮者を務め、その後は同楽団の桂冠名誉指揮者に就任していた。
 
廉価盤レーベルであるアルテ・ノヴァにザールブリュッケン放送交響楽団を指揮していれた「ブルックナー交響曲全集」が世界的な話題になり(その後、同全集はエームス・クラシックスに移管)、やはりザールブリュッケン放送交響楽団を指揮した「ベートーヴェン交響曲全集」もリリースした。21世紀に入ってからのスクロヴァチェフスキは演奏スタイルを変えており、兵庫県立芸術文化センター大ホールで聴いた、ザールブリュッケン放送交響楽団とのベートーヴェン交響曲第6番「田園」と交響曲第5番(スクロヴァチェフスキ指揮の第5を聴くのは3度目だった)でも強靱な構築感ではなく、内容の新規さで勝負しており、「ああ枯れたのか」と聴いていて悲しくなった。だが、スクロヴァチェフスキの凄いところはそこから更に体制を立て直して若い頃のようなスタイルへと再変貌を遂げたことにある。
 
読売日本交響楽団といれた最近のライブ録音では楽曲の新たな発見とともに高齢の指揮者とは思えないほどの瑞々しさで聴かせる演奏が展開されていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年2月 9日 (木)

私立恵比寿中学 「サドンデス」

運命なのか予言なのか暗示なのか。なんというタイトルなのだろう。哀悼の意を表します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月28日 (水)

「スター・ウォーズ」より“レイア姫のテーマ”

キース・ロックハート指揮BBCコンサートオーケストラの演奏。BBCプロムスでの映像です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月14日 (土)

コンサートの記(240) 「ラ・フォル・ジュルネびわ湖2016」 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 リヒャルト・シュトラウス アルプス交響曲

2016年4月30日 滋賀県大津市のびわ湖ホール大ホールにて

午後4時から、びわ湖ホール大ホールで大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団によるリヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲を聴く。
考えてみれば、びわ湖ホール大ホールで純粋なオーケストラのコンサートを聴くのは始めてかも知れない。

今日の大阪フィルのコンサートマスターは田之倉雅秋。大編成の曲であるためエキストラも多く入っていると思うが、編成表はないので何人ほど入っているのかはわからない。ドイツ式の現代配置での演奏。

アルプス交響曲ではバンダが活躍し、最近ではカメラとモニターを使用して、指揮者の指示をバンダのメンバーがモニターで見て演奏ということも多いのだが、今日の演奏では副指揮者として金丸克己を置き、バンダを指揮させた。バンダはホール上手袖での演奏となった。


大植はまずマイクを手にスピーチ。大植英次は滑舌の悪い人なので心配されたが、びわ湖ホール大ホールはポピュラー音楽対応で立派なスピーカーがあるため、噛み噛みではあったがスピーチの内容は伝わってきた。
大植は熊本地震について触れ、「被災者の方々のために、余り有名な曲ではないのですが熊本の曲で『五木の子守唄』という曲を演奏したいと思います。拍手はご遠慮下さい」というようなことを語る。「五木の子守唄」は実際はかなり有名な曲だったのだが、一時期放送禁止曲だったこともあり、その時期に大植が日本を離れたため、大植と現在の日本人との間に意識の乖離があるのかも知れない。

弦楽合奏のための編曲。「五木の子守唄」の歌詞内容自体は暗すぎて哀歌には似つかわしくないのだが、メロディーは日本的な哀感がインメモリアムに相応しいものになっている。

メインであるリヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲。
びわ湖ホール大ホールの音響はなかなか良いが、ザ・シンフォニーホールやフェスティバルホールには及ばないように思う。
弦も管も渋めという、大フィルの特製を生かした演奏であり、技術も高い。

最近では抑えた指揮をすることも多い大植であるが、今日は指揮台の上で大暴れ。激しいアクションを次々と繰り出す。

「滝」のリリシズム、「頂上にて」の開放感、「雷雨と嵐、下山」の迫力、「日没」の輝き、始まりとラストの「夜」の仄暗さなど、優れた表現力の発揮された演奏である。

ただホールの音響のせいかも知れないが、全体の造形は大植としては今一つだったかも知れない。パワフルに過ぎたともいえる。
とはいえ、これだけの演奏が安い値段で聴けるというのはありがたいことである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月13日 (金)

蜷川幸雄様江

 
蜷川幸雄様
 
 残念ながらあなたにお目にかかる機会はありませんでした。ですので手短に申し上げます。
 あなたと過ごしたいつくかの濃密な時間は私にとって今でもかけがえのないものとなっております。沢山のご教示をありがとうございました。
             敬白

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月12日 (木)

追悼・蜷川幸雄 観劇感想精選(182) 三島由紀夫:作、蜷川幸雄:演出 「我が友ヒットラー」

2011年3月11日 東日本大震災発生当日 大阪・京橋のシアターBRAVA!にて観劇

午後7時から、大阪・京橋のイオン化粧品シアターBRAVA!で、ミシマダブル「我が友ヒットラー」を観る。演出:蜷川幸雄。

三島由紀夫の書いた戯曲で一対の作品とされる「我が友ヒットラー」と「サド侯爵夫人」を同一キャストで行おうという試み。いずれも小説家の書いた戯曲らしく膨大な量のセリフのある作品で、一作品の上演だけでも大変なのに二作品をそれも同一キャストで行おうという大胆な企画である。蜷川幸雄も相当来てしまったのか、余命少ないと見て勝負に出たのか。

 

「我が友ヒットラー」。ナチスドイツの独裁者アドルフ・ヒットラーの冷酷さのみならず、人間的な側面にも迫った作品である。ヒットラーを演じるのは生田斗真。出演は、その他に東山紀之、木場勝巳、平幹次郎。

 

平舞台にシャンデリアが吊られているだけの舞台。開演と同時に最近の蜷川演出ではおなじみになった巨大な鏡と、バルコニーのセットが運ばれてくる。

 

3幕からなり、第1幕ではヒットラー(生田斗真)が演説する首相官邸のバルコニーの背後の部屋で、武器商のクルップ(平幹二郎)がエルンスト・レーム(東山紀之)と対談している。ヒットラー首相の友人であるエルンストはヒットラーとの思い出を語り、ヒンデンブルク大統領から大統領の座を奪う気合いを見せる。エルンストは自らが率いる300人の突撃隊がその鍵を握ることになるだろうと自信満々だ。

演説を終えたヒットラーだが、この劇でのヒットラーは人間的な弱さを見せ、不安を口にする。

 

第2幕ははヒットラーとエルンストの談笑場面から始まり、ヒットラーはエルンストに夏の間の休暇を持ちかけ、エルンストもそれを了承する。

ヒットラーが去った後で、ナチス左派のシュトラッサー(木場勝巳)がエルンストにヒットラーと離れて自分と組まないかと持ちかける。シュトラッサーは「ヒットラーはエルンストと突撃隊を裏切ることになるだろう」と断言するが、エルンストは「ヒットラーは自分の親友で裏切ることなどあり得ない」とシュトラッサーをなじる。しかし、ヒットラーはエルンストを怖れていた。

 

第3幕。エルンスト・レームとシュトラッサーらが粛正され(長いナイフの夜事件)、クルップとヒットラーとの対談の場面となる。クルップはヒットラーに犠牲者の銃殺される音が聞こえるといい、ヒットラーにその音を聞くように勧め、彼を誉める。ヒットラーは「政治は中道を行かねばなりません」と宣言して幕を迎える。

 

文学的修辞の多用された作品で、一つのセリフの始まりから終わりまでがかなりの紆余曲折を経るため、集中力をかなり使わないと筋が終えなくなるやっかいな作品である。

膨大な量のセリフを的確にリズム良くハキハキと発するエルンスト・レーム役の東山紀之の演技は一回セリフを噛んだだけでほぼ完璧の出来。非常に理知的な演技で、長ゼリフを次々と繰り出す様は人間業とは思えないほどだ。生田斗真は東山紀之とは正反対の憑依タイプの優れた演技を見せ、一カ所で演技が過多になった他は(あの場面は本人も納得がいっていないだろう)傷が見られない。ジャニーズ事務所の指導の厳しさとジャニーズタレントの並々ならぬプロ根性が伝わってくる。

膨大な量のセリフを聞いていると、言葉という化け物に呑み込まれそうな気がする。その言葉の魅力は妖しく強烈だ。ヒットラーは演説の天才だったが、やはりこのような言葉の魔術の使い方に長けた人物だったのだろう。言葉の怖さが伝わってくる演劇でもある。

ヒットラーは元々は画家志望だった。才能は十分ではなかったが芸術家の気質はあったのだろう。あるいは演劇的な才能もあったのかも知れない。演劇と演説の巧みさとは隣接している。言葉と同時に演劇の怖ろしさも伝わってくる上演であった。

 

東北地方太平洋沖地震の起きた日の上演である。出演者は芸能人だけに東北地方の知り合いも多いだろうが、プロの演技を見せてくれた。感謝したい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

2346月日 | DVD | YouTube | …のようなもの | おすすめCD(TVサントラ) | おすすめサイト | おすすめCD(クラシック) | おすすめCD(ジャズ) | おすすめCD(ポピュラー) | おすすめCD(映画音楽) | お笑い | アニメ・コミック | アメリカ | アメリカ映画 | イギリス | イギリス映画 | イタリア | ウェブログ・ココログ関連 | オペラ | カナダ | グルメ・クッキング | ゲーム | コンサートの記 | コンテンポラリーダンス | コンビニグルメ | サッカー | シェイクスピア | シベリウス | ショートフィルム | ジャズ | スペイン | スポーツ | ソビエト映画 | テレビドラマ | トークイベント | ドイツ | ドキュメンタリー映画 | ニュース | ノート | ハイテクノロジー | バレエ | パソコン・インターネット | パフォーマンス | パーヴォ・ヤルヴィ | ピアノ | ファッション・アクセサリ | フィンランド | フランス | フランス映画 | ベルギー | ベートーヴェン | ミュージカル | ミュージカル映画 | ヨーロッパ映画 | ラーメン | ロシア | 中国 | 中国映画 | 交通 | 京都 | 京都市交響楽団 | 伝説 | 余談 | | 動画 | 千葉 | 占い | 台湾映画 | 史の流れに | 哲学 | | 大河ドラマ | 大阪 | 大阪フィルハーモニー交響楽団 | 学問・資格 | 室内楽 | 小物・マスコット・インテリア | 広上淳一 | 心と体 | 意識について | 携帯・デジカメ | 政治・社会 | 教育 | 散文 | 文化・芸術 | 文学 | 文楽 | 旅行・地域 | 日本映画 | 日記・コラム・つぶやき | 映画 | 映画音楽 | 映画館 | | 書店 | 書籍・雑誌 | 書籍紹介 | 朗読劇 | 来日団体 | 東京 | 楽興の時 | 歌舞伎 | 正月 | 歴史 | 海の写真集 | 演劇 | 無明の日々 | 猫町通り通信・鴨東記号 | 祭り | | 笑いの林 | 第九 | 経済・政治・国際 | 絵画 | 美容・コスメ | 美術回廊 | 習慣 | 能・狂言 | 花・植物 | 芸能・アイドル | 落語 | 街の想い出 | 言葉 | 趣味 | 追悼 | 邦楽 | 野球 | 関西 | 雑学 | 雑感 | 韓国 | 韓国映画 | 音楽 | 音楽劇 | 食品 | 飲料 | 香港映画