カテゴリー「第九」の18件の記事

2018年12月31日 (月)

コンサートの記(488) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会Ⅴ」第九

2018年12月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後5時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会Ⅴ」を聴く。年末の第九が、今年はチクルスの一環を兼ねての演奏となる。

今日は1階席7列6番という席。ステージ上に合唱が乗るためせり出し舞台となり、前5列は潰れたため、前から2列目である。
フェスティバルホールの前の方の席は音が上に行ってしまうため音響は余り良くない。まだ3階席の方が良いくらいである。下手側であるため、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの直接音が強く聞こえ、バランスも悪く、全体としての音像を把握しにくい。更に第1ヴァイオリンの陰に隠れて指揮者である尾高忠明の姿はほとんど見えない。10年前の旧フェスティバルホール最終公演となった大植英次指揮大阪フィルの第九を最前列で聴いた時も丁度こんな感じだった。

今日のコンサートマスターは田野倉雅秋、フォアシュピーラーに須山暢大。
独唱者は、安藤赴美子(ソプラノ)、加納悦子(メゾソプラノ)、福井敬(テノール)、与那城敬(バリトン)。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。

昨年のミュージックアドヴァイザーを経て、今年の4月から大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督となった尾高忠明。カリスマ性のあるタイプではないが、大フィルとの相性はかなり良く、ずっしりとした大フィルの音響に見通しの良さが加わった。


全般を通してテンポは中庸。ところどころ遅くなったり速くなったりでインテンポではないが、大言壮語しない堅実な第九という印象を受ける。ある意味、最もドイツ的なスタイルである。

昨年の尾高指揮の第九では、ホルンが第2楽章のソロを一度もまともに吹けないという惨状を呈していたが、今日もホルンはキークスが多い。元々、音を外しやすい楽器ではあるが、他の楽器が好調だっただけによりいっそう目立つ。

「光輝満つ」といった感じの弦楽と冴え冴えとした木管の響きが印象的な第九である。

第2楽章の緻密なアンサンブルによって浮かび上がる音楽は、あたかも「歓喜の歌」に出てくる天体の動きの描写のように感じられる(実際は、ベートーヴェンは第2楽章を作曲時には、第4楽章には別の音楽を入れる予定だったとされ、直接的な繋がりがあるわけではないと思われる)。壮大な音楽と演奏だ。

バリトンの与那城敬は調子が今一つのようにも感じされたが、独唱者と大フィル合唱団も力強い歌を披露する。

前の方で聴いていると、全曲のラストが天井へと吸い込まれていく音楽のように聞こえる。これは前の方に座った者だけが味わえる興趣だったかも知れない。


尾高と大フィルによる「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会」には、第2回の交響曲第3番「英雄」と第4番の演奏会を除く全てに参加したことになる。余り達成感はなし。皆勤だったら違った気分になったのだろうけれど。


今年も恒例の「蛍の光」の合唱がある。指揮は福島章恭。溶暗した中で、指揮者と合唱団がペンライトを手にしての歌である。過ぎゆく月日と平成の時代をしみじみと感じる。


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2018年12月30日 (日)

コンサートの記(487) 下野竜也指揮 京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」2018

2018年12月27日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」を聴く。今日の指揮者は、京都市交響楽団常任首席客演指揮者の下野竜也。

シェーンベルクの「ワルシャワの生き残り」(語り:宮本益光)との組み合わせである。ホワイエには、曲間の拍手を控えるよう、張り紙がしてある。

独唱は、吉原圭子(ソプラノ)、小林由佳(メゾソプラノ)、小原啓楼(テノール)、宮本益光(バリトン)。合唱は、京響コーラス。

今日のコンサートマスターは、客演の西江辰郎(新日本フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。
第2ヴァイオリンの客演首席には瀧村依里が入る。


「ワルシャワの生き残り」が上演されるということで、ポディウムの左右端には日本語字幕表示装置が据えられている。


「ワルシャワの生き残り」は、アーノルト・シェーンベルクのアメリカ時代の作品である。ユダヤ人であったシェーンベルクは、ナチス・ドイツの台頭により、プロイセン芸術アカデミー教授の座を追われ、アメリカへと亡命することになったのだが、その後のナチスの動向は把握出来ず、戦後になってからユダヤ人虐殺の実態を知ることになる。ワルシャワのゲットーから生還し、アメリカに渡った男性の体験談を聞いたシェーンベルクは、ワルシャワでの話を英語のテキストとして、語りと男声合唱のための曲として発表。これが「ワルシャワの生き残り」である。

ワルシャワのゲットーで意識を失ったユダヤ人の男は、朧気な意識の中で軍曹の罵声や殺害命令を聞くことになる。

鮮烈な響きによる音像が上手く纏められているのが下野らしい。宮本による語りもドラマティックだ。ガス室に送られていくユダヤ人達の合唱を担う京響コーラス男声合唱も迫力ある声を発する。


ほぼ間を開けずに、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」に突入。速めのテンポでスタート。一貫してテンポは速く、部分によっては特快となる。指揮者のプロポーションとは対照的な(?)スマートでアポロ芸術的な第九である。

第2楽章のラストを羽根のようにふわっと柔らかくするのは、広上と広上の弟子達の特徴であり、下野もそれを踏襲する。

例えるならパールのような、乳白色の優しい輝きを持つ音色も特徴。純度も高く、ティンパニの強打も特徴だが、それをも包み込むような柔らかさがある。癒やし系の第九というべきか。

「歓喜の歌」も速め。登場の拍手が起こらないよう、独唱者達はオーケストラが奏でる歓喜の主題が第2ヴァイオリンに移る頃に、舞台上手奥側からおもむろに現れる。

「ワルシャワの生き残り」と繋げることで、殺した側と殺された側とに引き裂かれた(テキストを引用すると「世の流れに厳しく分けられていた」)人類の和解と救済の「歓喜の歌」となった。


清々しい気分で、京都コンサートホールを後にする。



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2018年12月26日 (水)

コンサートの記(477) アレクサンダー・リープライヒ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団 「第9シンフォニーの夕べ」2009

2009年12月29日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の「第9シンフォニーの夕べ」という演奏会に接する。ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の演奏。午後7時開演。

タクトを執るのは1968年生まれの中堅、アレクサンダー・リープライヒ。今日手元に届いた音楽之友社の「世界の指揮者名鑑866」にはその名が記されておらず、国際的にはまだ無名だが、昨年、大阪フィルの定期演奏会で指揮し、マーラーの交響曲第4番で好演を示したことから個人的に注目している指揮者である。

ソプラノ・安藤赴美子、アルト・竹本節子、テノール・福井敬、バリトン・青山貴、合唱は大阪フィルハーモニー合唱団という編成。

冒頭のホルンがいきなりずれたり(ホルンはその後も誰でもわかるミスを犯すなど今日も不調であった)、指揮者の手元から指輪がステージ上に飛んでいったりとハプニングもあったが、全体的には透明感溢れるスマートな演奏。テンポは速め、見通しが良く、強弱の変化、表情のつけ方がともに細やかで、ピリオド・アプローチを採用しており、時に硬めの音で強奏されるティンパニが効果的。躍動感があり、新鮮な息吹を感じる。


大阪フィルの第九には昨年も大植英次指揮の演奏に接しているが、同じ日本人として残念ながらリープライヒの方が大植よりも格上、ものが違うという気がする。結果として「才能とは何なのか?」と考えさせられることにもなった。

大阪フィルハーモニー合唱団とソリスト陣も好調で、印象的な第九演奏会であった。

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2017年12月30日 (土)

コンサートの記(336) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 「第9シンフォニーの夕べ」2017

2017年12月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」を聴く。指揮は大阪フィルハーモニー交響楽団ミュージック・アドヴァイザーの尾高忠明。

私が初めて第九の実演に接したのは1992年の12月、千葉市の亥鼻という場所にある千葉県文化会館においてだった。その時の指揮者が尾高忠明である。演奏は読売日本交響楽団。
それ以来、丁度、四半世紀ぶりとなる尾高指揮の第九である。

今日のコンサートマスターは、田野倉雅秋。独唱者は、森麻季(ソプラノ)、小川明子(アルト)、福井敬(テノール)、須藤慎吾(バリトン)。森麻季は裾を大きく引きずるグリーンのやたらと派手なドレスで登場。紅白の小林幸子みたいである。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。


尾高はノンタクトで指揮。テンポ設定はやや速めであるが、弦楽器がたまにノンビブラートの音を出す以外は完全なモダンスタイルによる演奏である。細部を丁寧に積み上げて全体を作り上げるという、尾高らしい堅固な構築が際立つ。

第1楽章は厳しい表情のまま展開され、やがて阿鼻叫喚の地獄絵図となる。ベートーヴェンの苦悩を前面に出した解釈だ。

第2楽章もアポロ芸術的な演奏となるが、ホルンのソロが絶不調。よちよち歩きが続き、結局1フレーズもまともに吹けないまま終わってしまった。思わず苦笑しそうになってしまう。

第3楽章も美しい演奏だったが、平均点は高いものの傑出した部分もないように思われる。大フィルの演奏は立体感が見事だった。

第4楽章。大阪フィルハーモニー合唱団は、やや粗めながら力強い合唱を披露する。女声独唱者は声の通りが今ひとつ。特に森麻季は声の美しさは確認出来たものの、フェスティバルホールのような大きな空間で歌うには声量が足りないように思われた。大フィルの演奏が力強く、音像が巨大だったということもあるのかも知れないが。

井上道義、尾高忠明という桐朋学園時代からの盟友が指揮する第九を2日連続で聴ける機会は、東京ならともかく関西ではそうないが、今年は味わうことが出来た。尾高指揮の第九の方が一般的なベートーヴェン像により近いように感じたが、共に個性的で面白い第九演奏だったように思う。また京響の煌びやかな音色と大フィルの渋い響きの対比が楽しめたのも大きい。


第九の演奏が終了し大フィルの楽団員が退場した後、照明が暗くなり、福島章恭の指揮の大阪フィルハーモニー合唱団による「蛍の光」が歌われる。福島章恭は緑に光るペンライトで指揮。大阪フィルハーモニー合唱団のメンバーも同様のペンライトを手に歌う。ステージの上に緑の明かりが蛍のように浮かび、印象的な合唱となった。

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2017年12月29日 (金)

コンサートの記(335) 井上道義指揮 京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」2017

2017年12月28日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」を聴く。指揮は元京都市交響楽団音楽監督兼常任指揮者の井上道義。
井上は今年の3月をもって大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者を辞したばかりだが、年内に同じ関西の楽団の指揮台に登場するということになる。普通はしばらくは遠慮しそうなものだが、それをしないのがいかにも井上らしい。大フィルのシェフだと京響を振れないのが嫌だったのかも知れない。

オーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督からも離れることを発表した井上。「地方創生の役割は果たし終えた」というようなことを話していたが、案外、NHK交響楽団の正指揮者の話があったりするのかも知れない。N響の定期演奏会からはしばらく遠ざかっていた井上だが、久しぶりに客演するや大好評。更にN響と密接関係を持つ指揮者が登用されるNHK大河ドラマテーマ音楽の指揮も「篤姫」と「平清盛」で担っており、N響からの信頼の高さが窺える。


今日は、第九の前にショスタコーヴィチのジャズ組曲第1番が演奏される。バンド編成での演奏である。今日の井上は全編ノンタクトでの指揮。
井上が楽団の方を振り返った時に照明が入れ替わり、ピンクと紫を基調とした絞った明かりになる。笑い声が起こり、井上も客席を振り返って「どうでしょう?」という仕草を見せる。
まず、テナーサックスを吹く井上ハルカの顔がなかなか可愛く……、じゃなかった。まず、メリハリをきちんとつけたブラスセッションの音が輝かしく、井上も外連に富んだ指揮を見せる。第3曲フォックストロットで増井一友によるハワイアンギターの演奏が始まると、井上道義は客席の方を振り返ってムード歌謡でよくあるような振り付けで踊って笑いを誘っていた。

場面転換の間、井上道義がマイクを手にトークを行う。「第九の前にこの曲をやるとは、なんとも……、悪趣味とかいわないでね」と語りだし、ショスタコーヴィチへの思いを語る。1990年代に井上は京都市交響楽団の音楽監督兼常任指揮者を務めていたのだが、「(当時、京響が本拠地にしていた)京都会館が響かなかった。全然ダメだった」。しかし、ショスタコーヴィチの交響曲をやると「オーケストレーションが素晴らしいので」京都会館が鳴り響いたそうで、それからショスタコーヴィチの交響曲に真剣に取り組むようになり、やはり響きが悪いことで知られる日比谷公会堂で、サンクトペテルブルク交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、広島交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団、千葉県少年少女オーケストラを振り分けたショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏会を行うことになる。
「ショスタコーヴィチは、暗い曲も書いていますが、全て本音を書いています。よく誤解されますが、社会主義におもねったとか、そういうことはありません」と井上は断言した。


ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」。弦楽の配置は独特であり、舞台下手手前から時計回りに、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンである。トランペットはヴィオラの後方に配される。
今日のコンサートマスターは客演の須山暢大(すやま・のぶひろ)。フォアシュピーラーに泉原隆志。

独唱者は、菅英三子(すが・えみこ。ソプラノ)、林美智子(メゾソプラノ)、笛田博明(ふえだ・ひろあき。テノール)、ジョン・ハオ(バス)。合唱は京響コーラス。

第4楽章に焦点を当てた演奏で、それまでの3つの楽章のスケールはおそらく意図的に小さく抑えられている。弦楽器などはピリオドを意識した音を出しているが、テンポ自体は速くはなく、中庸を行く演奏である。
京響は第2楽章の弦の音が洗練度不足のきらいがあり、今日はホルンにもミスがあったがそれ以外は堅調。
第4楽章では井上はテンポを大きく揺らす。なお、合唱が立ち上がるところでホール内の照明が増えるという演出があったが逆効果だったようにも思う。
合唱のラスト付近で井上は音を思いっきり伸ばす。一音一音を引き延ばすような歌わせ方であり、かなり個性的である。そのため、全編を通すと端正な演奏だったにも関わらず、「変な第九だったな」という印象が強くなった。とはいえ京響コーラスの出来も素晴らしく、第九の魅力を堪能できる演奏であった。

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2015年12月28日 (月)

コンサートの記(219) 上岡敏之指揮 読売日本交響楽団第13回大阪定期演奏会「第九」公演

2015年12月26日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後5時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで読売日本交響楽団第13回大阪定期演奏会「第九」公演を聴く。指揮は上岡敏之。

大阪公演を重視し、年3回の大阪定期演奏会を行うようになった読売日本交響楽団。来年度の大阪定期の指揮者と曲目もすでに決まっている。


録音の世界ではすでに有名になっている上岡敏之。指揮者としてデビューした後で、ピアニストとしてもCDデビューしているという異色の存在である(ピアニストが指揮者になるという逆のパターンは良くある)。
1960年、神奈川県生まれ。県下随一の進学校である湘南高校に進学。一学年上に大野和士がいた(同じ1960年生まれだが、大野は早生まれ)。ただ、上岡の入学当時すでに大野は校内のヒーロー的存在であり、湘南高校内では勉強が出来る方ではなかった上岡は引け目を感じたという。一方で、大野の方は上岡のピアノの腕を高く買っていたようで、合唱を指揮する際のピアニストに上岡を指名していたという。湘南高校卒業後は先輩である大野と同じく東京芸術大学の指揮科に入学するが、芸大時代の教師からの評判は散々だったようで、芸大の大学院進学を目指すも不合格。教授に紹介されて帝国ホテルのフロントとして1年間働く。

帝国ホテル勤務時代も音楽家への夢を諦めたわけではなく、深夜勤務の時間帯などには紙の鍵盤でピアノの練習をしていたことが確認されている。

1年の社会人生活を経た後でドイツ留学のための試験に合格し、渡独。ここから上岡の快進撃が始まる。ハンブルク音楽大学入った上岡は学生有志を集めてオーケストラを結成。その他にも、ちょっとした休み時間があった場合は知り合いの学生を誘ってアンサンブルの指揮。ピアノでも高く評価され、芸大時代の劣等生が一躍ハンブルク音楽大学のヒーローになる。その後、ドイツ各地の歌劇場でコレペティトール(オペラの伴奏ピアニスト)を務め、キール歌劇場ではソロ・コレペティトールとなり、同時にオペラ指揮者としての活動も開始。エッセンやヴィースバーデンの歌劇場の指揮者として働いた他、北西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に指名され、コンサート指揮者としてのキャリアもスタート。

2004年にヴッパータール歌劇場音楽監督およびヴッパータール交響楽団の首席指揮者となりヴッパータール市全体の音楽監督にもなる。この時代に上岡の名は日本でも知られるようになり、ヴッパータール交響楽団とはCD録音や来日演奏会を行っている。現在はザールランド州立歌劇場の音楽監督を務め、2016年9月からは新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任する予定である。

捲土重来の見本のような指揮者であるが、作り出す音楽はかなり個性が強く、賛否両論気味である。第九の演奏もヴッパータール交響楽団を指揮したものがライブ録音され、CDで出ているが、とにかくテンポの速い演奏で、音楽評論家や音楽ファンを戸惑わせている。全4楽章からなる第九を単一楽章の交響曲のように一気呵成に演奏している異色の演奏だ。


今日の読売日本交響楽団のコンサートミストレスは日下沙矢子(読売日本交響楽団にはコンサートマスターが日下も含めて4人いる)。合唱は新国立劇場合唱団。独唱者はイリーデ・マルティネス(ソプラノ)、清水華澄(アルト)、吉田浩之(テノール)、オラファ・シグルザルソン(バリトン)。


今日はステージ上手上方の2階席、RC席という、わかる人には「私らしい名前の席」と思われる席での鑑賞である。


読売日本交響楽団の月間無料パンフレットである「月刊オーケストラ12月号」に上岡敏之のインタビューが載っており(コンサートミストレスの日下沙矢子へのインタビューも載っている)、上岡はヴッパータール交響楽団と録音した第九について、「今ではあの解釈は良くなかったと思います」「全体的にはもう少しテンポを落とすでしょう」と書いているが、実際は今日も快速テンポの演奏であった。予定演奏時間は65分となっていたが、それより2~3分は短い。

ベーレンライター版の楽譜を使用(そのため第4楽章ではピッコロの大活躍が聴き取れる)。ドイツ式の現代配置での演奏だがピリオド・アプローチを採用。弦のビブラートは全般を通してみると、それほど抑えているというわけではなかったが、部分部分で徹底したノンビブラート奏法を用いることでメリハリを付けている。

冒頭から快速進行。「無調」といわれる部分が終わり、短調に変わる場面は余りドラマティックにしないが、全般を等して緊張感のある演奏である。音楽は「緊張」と「弛緩」からなっているのだが、上岡指揮の第九には「弛緩」する場所がない。そのため、一筆書きのような独特の第九を生む。弛緩する場面がないからといって一本調子かというとそんなことは全くない。
ピリオド・アプローチであるため弦は薄くなっているが、第1楽章では緊張に次ぐ緊張の連続であるため音楽が怒濤のように押し寄せ、聴く者を押し流さんばかりになる。

第2楽章は緻密なアンサンブルで森羅万象の鳴動を聴かせる。上岡の指揮(暗譜での指揮である)はビート幅は基本的に小さいが、ここぞというところで両腕を大きく使う。また上体の動きは機敏で、第1ヴァイオリンに指示していたかと思うとサッと180度回転してヴィオラを指揮する。この楽章ではヴィオラが突然それまでとは違う音色で鳴ったことに驚いた。他の弦楽器の音色は変えることがなかったのでヴィオラだけが浮かび上がる形になるが、一つの楽器だけ音色を変えるという発想がこちらにはなかったため、ハッとさせられる。
第2楽章のラストはピアノ(楽器ではなく音の強弱の方)で終わる。川瀬健太郎指揮大阪交響楽団の年末の第九演奏でもやはり第2楽章の締めを小さくしていたが、ベーレンライターにそうした指示があるのかも知れない(上岡と川瀬以外にピアノで終わった演奏は聴いたことがないが)。

第3楽章はノンビブラートの弦楽器が美しく鳴る。管楽器も好調で、テンポはかなり速めであったが、せわしない感じは受けない。また、第1楽章、第2楽章も含めて、反復記号を全て繰り返していたが、テンポが速いため、それでも繰り返しをカットしたモダンスタイルの演奏よりは楽章ごとの演奏時間は短い。「冗長」ともいわれる第3楽章であるが、上岡の指揮では「長い」とは少しも感じなかった。

第4楽章に入る前に独唱者や打楽器奏者、ピッコロ奏者がステージ上に現れるが、聴衆は上岡の意図を把握しており、拍手が起こることはなかった。

その第4楽章も快速テンポ。「歓喜の歌」のメロディーをチェロとコントラバスの低弦群が歌う前に間を開けるのが慣例であるが、上岡は間髪を入れずに歌わせる。逆にバリトンが歌い出すまでは間を置き、バリトンのシグルザルソンも慣れていないような仕草を見せていた。なお、西洋の歌手は第九を歌うことに慣れていないため、楽譜を手に歌うのが必要であるが、上岡のインタビューからリハーサルが徹底して行われたことが察せられ、また東京と横浜で数公演を行ってから大阪入りして今日が楽日ということもあってか、シグルザルソンもソプラノのマルティネスも暗唱であった。

テンポが速いことばかりを書いているが、インテンポではなく、緩急自在で即興的に聞こえるところがある。また強弱も自在だが、ちょっと神経質に思える箇所もあった。フェルマータを短くするのも特徴である。

新国立歌劇場合唱団も独唱者達も好調。読響の演奏も見事で、ラストの超快速テンポを見事に弾ききる。


インタビューで「僕が一番嫌いなのは、「定番」と言われるような演奏です」と答えている上岡。確かに感動させるような第九ではなく、聴く者を圧倒するような第九であり、これまで聴いてきた中で最も衝撃的な第九の演奏だった。深みがある演奏ではないかも知れないが、音の情報量が多く、濃密であり、鮮烈な印象を受ける。音楽は生き物であるということがヒシヒシと感じられた。第九に関しては、年末だけでなく、年がら年中CDで聴いており、よく分かっているつもりになっていたが、「つもり」に過ぎなかったことを思い知らされる。余りにもインパクトの強い演奏を聴いたため、終演後、梅田に向かって歩いている間は茫然自失の体であった。クラシックを聴いたのに未来の音楽に接したかのような不思議な気持ちで。

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2015年12月25日 (金)

コンサートの記(218) 広上淳一指揮京都市交響楽団ほか 「ベートーヴェン 第九交響曲の夕べ」大阪公演2015

2015年12月9日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、広上淳一指揮京都市交響楽団、大阪新音フロイデ合唱団ほかによる「ベートーヴェン 第九交響曲の夕べ」を聴く。
広上と京都市交響楽団による第九は京都でも公演があるが、その日はスケジュールが空いていないため、大阪で聴くことにした。京都コンサートホールよりザ・シンフォニーホールの方が響きが良いということもある。

独唱者は、石橋栄実(いしばし・えみ。ソプラノ)、福原寿美枝(メゾ・ソプラノ)、秋本靖仁(テノール)、三原剛(バリトン)。

第九の演奏の前に、ベートーヴェンの「アテネの廃墟」序曲の演奏がある。
今日の京都市交響楽団のコンサートマスターは泉原隆志、渡邊穣は降り番でフォアシュピーラーにはアシスタント・コンサートマスターの肩書きを持つ尾﨑平。
フルート首席奏者の清水信貴、オーボエ首席の高山郁子、クラリネット首席の小谷口直子はいずれも降り番である。


「アテネの廃墟」序曲。広上と京響はかなり徹底したピリオド・アプローチによる演奏を展開。弦楽はビブラートを抑え、ボウイングもモダン・スタイルの演奏時とは異なる。      

京響の響きに勢いがあり、溌剌とした演奏に仕上がった。


メインの交響曲第9番「合唱付き」。この曲でも「アテネの廃墟」序曲ほどではないが、ピリオド・アプローチを前面に出した演奏が行われる。音に立体感があり、弦も管も活きが良い。
テンポは平均的は演奏よりも速めであったが、繰り返し記号を忠実に履行したため、演奏時間は比較的長めとなった。

第1楽章のスケールの大きさ、第2楽章のあたかも宇宙を音楽で描いたかのような緻密にして奥の深さ、第3楽章の完熟した美しさなどを広上と京響は詳らかにしていく。
広上の指揮は今日も明快。広上の指揮スタイルは年を経るごとにオーソドックスなものへと近づきつつあるが、今日も第2楽章のティンパニ強打の場面で右手を高々と掲げてみたり、第4楽章ではジャンプを繰り返すなど、外連味も健在で見ていて楽しい。

第4楽章はオーケストラも雄弁であり、新音フロイデ合唱団も威力十分である。
今日はステージ下手横2階席で聴いていたので、合唱が強く聞こえすぎたが。広上の合唱指揮は拍や音型を指示するのではなく、音の強弱の指定が主となる。強弱自在であり、やはり広上は現役日本人の中では最高のベートーヴェン指揮者であろう(広上本人はベートーヴェンよりモーツァルトの方が好きなようだが)。

残念だったのはテノールの秋本靖仁。調子が悪かったのだと思うが声が小さく、他の独唱者に負け気味であった。

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2015年12月16日 (水)

第九あれこれ2015 アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団ほか ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱付き」

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2014年12月31日 (水)

コンサートの記(168) 大野和士指揮 京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」2014

2014年12月27日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」を聴く。指揮は日本人指揮者界の王貞治に例えられる大野和士。京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一はさながら日本人指揮者界の長嶋茂雄だ。

知的アプローチを特徴とする大野和士がいよいよ京都市交響楽団の年末の第九に登場である。今年の第九は2回公演で、初日の今日は第九の前にサミュエル・バーバーの「弦楽のためのアダージョ」が、明日はラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」が演奏される。

今日のコンサートマスターは、ソリストとしても活動している四方恭子が客演コンサートマスター(コンサートミストレス)として入る。フォアシュピーラーは泉原隆志。

大野和士は今年の6月にもリヨン国立歌劇場管弦楽団の来日演奏会の指揮で聴いているが、最近になって急速に外見が老けている。どうしたのだろう? 実は佐渡裕より一つ上なだけなのだが、とてもそうは見えない。

バーバーの「弦楽のためのアダージョ」。少し速めのテンポを採用。哀感を色濃く出しているが、ギリギリのところでセンチメンタリズムには陥らないバランスの良い演奏である。

ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」。
ソプラノは本来は松岡万希が歌う予定だったが体調不良により降板。中国人ソプラノのリー・シューインが代役を務める。
テノールの西村悟は、佐渡裕指揮ケルン放送交響楽団の第九に引き続いての登板。メゾソプラノは池田香織、バリトンは須藤慎吾。合唱は京響コーラス。

京都市交響楽団の音色は幾分あっさりしてるがアンサンブルは緻密であり、アポロ芸術的な第九となる。

大野の指揮は、指揮棒と左手を小刻みに揺らして、細部まで操ろうとするのが特徴。昔から安定感のある指揮姿でそれは変わらないが、棒をこれほど細かく動かすことはなかったのだが。

弦主導の演奏であり、フルートが目立つ場面でも大野は口に人差し指を当てて「小さく」と指示していた。

一方でティンパニは思いっ切り叩かせる。
ティンパニの中山航平はやや硬めの音色で力強い音を出し、大野の指事に応える。

ピリオドの影響であるが、たまに弦がノンビブラートで透明な音を出すぐらい。この程度ならピリオドの演奏でなくてもあり得るのでピリオドの影響はほぼなしと見ていいだろう。

ティンパニとピッコロが、普段聴き慣れた第九とは違う音を出していたので、楽譜はあるいはベーレンライターか、ベーレンライターを基に手を加えたものである可能性が高い。

テンポであるが中庸である。第3楽章の冒頭と中間部でやや遅くしたのと、第4楽章で速めの場面があっただけで、基本的に自然体の演奏であった。

合唱の場面になると大野は一緒に歌いながら(といっても口を動かしているだけだが)合唱を誘導。両手よりも口元で指揮しているという印象である。

非常にスマートで爽やかなベートーヴェン。私の好みとはことなるが満足した人も多いと思われる。

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2013年12月31日 (火)

コンサートの記(119) 川瀬賢太郎指揮大阪交響楽団特別演奏会「感動の第九」2013

2013年12月27日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪交響楽団特別演奏会「感動の第九」を聴く。タクトを託されたのは、今年29歳という若手、川瀬賢太郎。
川瀬家太郎は、1984年、東京生まれ。私立八王子高校芸術コースを経て、憧れの存在だった広上淳一が指揮専攻の教授を務める東京音楽大学に進学。指揮を広上の他に、汐澤安彦、チョン・ミョンフンらに師事。2006年の東京国際音楽コンクール指揮者部門(通称:東京国際指揮者コンクール)で1位なしの2位に輝き、注目を集めるようになる。2014年4月からは神奈川フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任する予定である。

広上の弟子だけに、広上が常任指揮者を務める京都市交響楽団にも何度も客演しており、私は2010年の京響ニューイヤーコンサートで聴いているが、川瀬の指揮に接するのはおそらくそれ以来で、思った以上に長い月日が流れた。

川瀬は、山田和樹、三ツ橋敬子と共に、誰言うともなく「日本人若手指揮者三羽烏」の一人ということになっている。この世代では他に、川瀬と同じ東京音大出身の船橋洋介などもいるが前記三人に比べると活動が目立っているとは言えない。

ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」は、欧米では難曲中の難曲とされ、滅多に演奏されることはない。「何十年もオーケストラの定期会員になっているんだけど、ベートーヴェンの第九だけは聴いたことがなくってね」という人は欧米には相当数いるといわれる。というわけで、欧米では二十代の指揮者がプロオーケストラで第九を振るなどということはまず考えられないのだが、第九が年末の風物詩のようになっている日本ではそれが実現するのである。とはいえ、私も二十代の指揮者がプロオーケストラを振った第九というものを聴くのは初めてである。

第九の前にラヴェルのピアノ協奏曲が演奏される。ソリストは、大渕雅子。大渕は東京藝術大学附属音楽高等学校を卒業したが、大学は京都市立芸術大学音楽学部に進み、同大学院を修了している。シュトゥットガルト音楽大学に留学し、卒業後は同大学の講師も務める。日本での活動の拠点はやはり関西に置いているようだが、主に室内楽や歌曲のピアノ奏者として活動しており、ピアノ協奏曲のソリストになることは余り多くないようである。
立体感のあるピアノを奏でる人で、癖のない、ストレートな音楽を作る。ジャジーな第1楽章、伊福部昭が「ゴジラ」テーマの元ネタとしたともいわれる快活な第3楽章の演奏はいずれも見事。エスプリ・クルトワの粋を集めたような第2楽章はもう少しロマンティックに弾いた方が映えるかも知れない。

在阪プロオーケストラの中で、台所事情が最も苦しいといわれる大阪交響楽団。ベテランでも年収200万円台の人がいるそうで、弦楽器なら100%実家がお金持ちだからまだいいが、管楽器は中学校の吹奏楽部に入り、そこで嵌まってという人が多いので、音楽教室の講師や家庭教師などを兼任しないとやっていけない人もいると思われる。

歴史が浅いということもあり、薄味の演奏も多い大阪交響楽団であるが、川瀬はやはり実力者。非常に洗練された響きを引き出す。

本編であるベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」。ソプラノ:老田裕子、メゾ・ソプラノ:谷田奈央(たにだ・なお)、テノール:二塚直紀(にづか・なおき)、バリトン:黒田まさき。全員、関西にある音楽大学や芸術大学、音楽学部で学んだ人達である。合唱は大阪交響楽団感動の第九特別合唱団2013(合唱指揮:中村貴志)。

川瀬の指揮は、以前、京響の演奏で聴いた時も統率力が若干弱い感じを受けたのだが、今日も第1楽章ではオーケストラドライブが軌道に乗らず、丁寧ではあるがスケールが余り拡がらない。
ピリオドであるが、弦楽のビブラートを控えめにし、ティンパニも硬い音を出すものを採用している、の二点だけ。大阪交響楽団はもともとパワー不足なので、ピリオドを徹底させると力感に欠ける演奏になってしまう。

第2楽章に入ると、川瀬の指揮の良さが十全に発揮される。緻密な音作りは、師である広上淳一指揮する第九同様、神秘的で奥行きのある宇宙的な響きを生み出す。神秘感の表出に関しては、今年の広上淳一指揮岡山フィルハーモニック管弦楽団の演奏をも上回る。
ちなみに第2楽章のラストは力強く終わるのが慣例、というより、そうした演奏しか聴いたことがないのだが、川瀬は柔らかめの音でフワッとした浮遊感を持って終わらせる。当然、このような演奏を聴くのは初めてであり、独自の楽譜を使っているのかどうか気になる(第4楽章でピッコロがかなり聞こえることから、ベーレンライター版がベースだと思われるが)。

川瀬の指揮姿であるが、広上の弟子だけあって(つまりレナード・バーンスタインの孫弟子となる)動きはかなり大きい。顔の表情は豊かすぎるほどである。川瀬の顔を見ていて「誰かに似てるなあ」と思ったが、すぐにテンダラーの浜本広晃に似ているのだと気付く。浜本も表情豊かな漫才やコントをする人である。

第3楽章も歌心満点で、美しい。ただ、ホルンが良いところで音を外しまくったのが惜しかった(ホルンは、「キークス(音外し)」という言葉が代名詞になるほど演奏の難しい楽器である)。

第4楽章は川瀬の若さが裏目に出て、オーケストラと合唱が二度ほど微妙にずれるなど万全とはいかなかったが、それでも立派な音楽となる。看板に偽りなしの感動の第九であった。

ラストに「蛍の光」の演奏と合唱が行われる。歌詞は第1番のみが歌われ、続きはヴォカリーズ(スキャット)となる。照明もそれに合わせて暗くなり、しみじみとした雰囲気を演出した。

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