カテゴリー「音楽劇」の16件の記事

2018年11月 5日 (月)

コンサートの記(448) 平成30年度 新国立劇場 高校生のためのオペラ鑑賞教室・関西公演 モーツァルト 歌劇「魔笛」

2018年10月29日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後1時から、ロームシアター京都メインホールで、平成30年度 新国立劇場 高校生のためのオペラ鑑賞教室・関西公演 「魔笛」を観る。

今年で3年連続となるロームシアター京都メインホールでの高校生のためのオペラ鑑賞教室・関西公演。今年は29日の公演の4階席のみ一般向け前売り券が発売されたため行ってみた。4階席ということもあって舞台が見えやすくはないが、チケット料金は全体的に安い。


今年はオペラ史上最高のヒット作といえる、モーツァルトの「魔笛」が上演される。もともとはアン・デア・ウィーン劇場の劇場主となったシカネイダー脚本のジングシュピール(音楽劇)として書かれたものであるが、現在は歌劇「魔笛」という表記と認識が一般的である。絵本の中の世界のような作品展開と、モーツァルトの魔術のような音楽は今も世界中の人々を魅了し続けている。

東京・初台の新国立劇場オペラの新作プログラムとして上演された公演の関西引っ越し版。指揮者とオーケストラは変更になり、園田隆一郎指揮の京都市交響楽団がオーケストラピットに入る。演出は南アフリカ出身のウィリアム・ケイトリッジ。再演演出は澤田康子が担当する。
出演は、長谷川顕(はせがわ・あきら。ザラストロ)、鈴木准(タミーノ)、成田眞(なりた・まこと。弁者・僧侶Ⅰ・武士Ⅱ)、秋谷直之(あきたに・なおゆき。僧侶Ⅱ・武士Ⅰ)、安井陽子(夜の女王)、林正子(パミーナ)、増田のり子(侍女Ⅰ)、小泉詠子(侍女Ⅱ)、山下牧子(侍女Ⅲ)、前川依子(童子Ⅰ)、野田千恵子(童子Ⅱ)、花房英里子(はなふさ・えりこ。童子Ⅲ)、九嶋香奈枝(パパゲーナ)、吉川健一(パパゲーノ)、升島唯博(ますじま・ただひろ。モノスタトス)。
合唱は新国立劇場合唱団。


ドローイングの映像を全編に渡って使用したことで話題となった演出である。


園田隆一郎は、びわ湖ホール中ホールで大阪交響楽団との上演である「ドン・ジョヴァンニ」を指揮したばかりだが、今回もモーツァルトのオペラということでピリオド・アプローチを採用。音を適度に切って演奏する弦楽と、硬めの音によるティンパニの強打が特徴である。また今回は雷鳴などを効果音を流すのではなく、鉄板を揺らすことで出している。
ピアノが多用されるのも印象的で(ピアノ演奏:小埜寺美樹)、オーケストラ演奏の前に、アップライトピアノの独奏が入ることが多い。

メインホールの4階席では、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場の引っ越し公演であるチャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」を観ており、独特の艶のあるオーケストラの響きに感心したものだが、それはオペラ経験豊かなゲルギエフとマリインスキーだからこそ聴けた音で、今日の京響の場合は音の密度がやや薄めに聞こえる。4階席は反響板のすぐ近くにあるため、舞台から遠いが音自体はよく聞こえるはずであり、これが現時点の京響のオペラでの実力ということになるのだろう。

序曲の演奏が始まると、紗幕に光の線が映り始める。紗幕はたまに透けて、三人の侍女がストップモーションで立っているのが見え、絵画的な効果を上げている。

数段になった舞台を使用し、前から2段目にはベルトコンベアが搭載されていて、上に乗った歌手などが運ばれるのだが、モーター音が少し気になる。

冒頭に出てくる蛇は、腕の影絵で表される。

ドローイングを使うことで、光と影の対比がなされたと話題になった公演であるが、そもそもが光と影の対比を描いた台本であるため、それを視覚面でも表現する必要があるのかどうかは意見が分かれるだろう。

視覚面では、光と影よりもむしろ火と水の対比がわかりやすく表現されていたように思う。この作品中で最も有名なアリアである夜の女王の「復讐の心は炎と燃え」で代表されるように、夜の女王側の人々は火のように燃えさかる心を持っている。ザラストロ側の人々は水のように平穏で豊かな心でもって火を鎮めるというのが一応の筋書きである(拝火思想の「ゾロアスター」とは対照的だ)。火は揺らめく影絵で効果的に、また水はドローイングと録音された水滴の音によってはっきりとわかるように表されている。ただ、日本のように水害の多い国では水が脅威であることは知られており、東日本大震災では映像に捉えられた津波の恐怖が世界中で話題になっている。ということで、水だから安全というわけではない。

もう一つは音楽の言葉に対する優位が挙げられる。実際、三人の侍女が魔法の笛を「宝石よりも大事」と歌い、タミーノ王子とパパゲーノは魔法の笛と三人の童子の歌声によってザラストロの城にたどり着くことが出来ている。タミーノとパミーナは笛が奏でる音楽によって恋路へと導かれ、パパゲーノも音楽の鳴る鈴によってパパゲーナと再会を果たした。
一方で、夜の女王の繰り出す言葉の数々はザラストロによって否定的に語られ、ザラストロの言葉もまた胡散臭く見えるよう演出がなされている。タミーノが吹く笛の音にサイの映像はウキウキと踊り出すが、ザラストロの語る言葉の背景に映るサイは悲惨な目に遭うのである。

不満だったのは夜の女王と三人の侍女、モノスタトスの最期で、余りにもあっさりとやられてベルトコンベアで運ばれてしまうためギャグのようにしか見えず、引いてはその存在自体が軽く見えてしまう。もうちょっとなんとかならんのか。

歌手陣は充実している。パミーナ役の林正子はパミーナよりも夜の女王が似合いそうな存在感だが、解釈としても元々そうした役と捉えられていたようであり、世間知らずの可憐なお嬢さんというより「夜の女王の娘」であるという事実に重きが置かれていたように見える。
ムーア人のモノスタトスを演じた升島唯博は、外見で差別される存在であることのやるせなさを上手く演じていたように思う。



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2018年10月30日 (火)

観劇感想精選(263) 宮本亜門演出「三文オペラ」

2009年5月4日 大阪厚生年金会館芸術ホールにて観劇

午後5時より、大阪厚生年金会館芸術ホールにて「三文オペラ」を観劇。作:ベルトルト・ブレヒト、テキスト日本語訳:酒寄進一、音楽:クルト・ワイル(ヴァイル)、音楽監督:内橋和久、演出:宮本亜門、主演&訳詞:三上博史。出演は他に、安倍なつみ、秋山菜津子、松田美由紀、明星真由美、米良美一、田口トモロヲ、デーモン小暮閣下など。

「三文オペラ」は、一昨年に白井晃演出のものを観ており、更に昨年には「三文オペラ」の原作である、ジョン・ゲイの「乞食オペラ」も観ているので、それとの比較になる。

まず、音楽はアンプを使った大音量の生演奏で、いかにもエレキな感じ。
舞台装置はベニヤ板を使った巨大ボードがスクリーン代わりに使われたり(客席の映像やアニメーションなどが投射された)、幕の代わりになったりと効果的に用いられている。

主な登場人物は、デーモン小暮閣下は勿論、全員顔を白塗りにして登場、役者のイメージの切り離しを行う。また、出番を待っている役者を舞台端に、客席から見えるように座らせているのも、劇と舞台とを切り離す効果を狙っているようだ。

白井晃演出の「三文オペラ」に比べると、ブレヒトの戯曲本来の泥臭さがそのまま生かされており、解釈そのものはオーソドックスだ。

安倍なつみやデーモン小暮閣下といったプロの歌手陣の歌は流石の出来。安倍なつみはちょっと頭の足りない娘としてポリーを演じており、予想以上の好演である。

口上役として客席に話しかけるという米良美一の役割の与え方も効果的で、客席を告発するかのような戯曲のどぎつさを中和させることに成功しており、全体として見応えのある舞台になっていた。

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2018年10月18日 (木)

観劇感想精選(260) アルテ・エ・サルーテ 「マラー/サド」@クリエート浜松

2018年10月11日 浜松市のクリート浜松 ホールにて観劇

午後5時30分から、クリエート浜松のホールで、アルテ・エ・サルーテの「マラー/サド(原題は「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院の患者たちによって演じられらジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」)」を観る。フランス革命時のジャコバン派首領であるジャン=ポール・マラーと、サディズムの語源として知られ、後世に多大な影響を与えたマルキ・ド・サド(サド侯爵)を軸にした芝居である。

アルテ・エ・サルーテは、浜松市の音楽文化交流都市であるイタリア・ボローニャに拠点を置く非営利協会。エミリア・ロマーニャ州立地域保健機構ボローニャ精神保険局の精神障害者80名以上が通っており、そのうち41名がプロの俳優として、散文劇団(コンパニィア・ディ・プローザ、児童向け劇団(コンパニィア・ディ・テアトロ・ラガッツィ)、人形劇団(テアトロ・ディ・フィーグラ)、精神を題材とした放送局であるサイコラジオに所属している。
今回来日したのは散文劇団のメンバーである。2000年の創設で、ボローニャに本拠を置く劇団としては最古参になるという。

イタリアからはエミリア・ロマーニャ州の州知事代理やアルテ・エ・サルーテの主治医が同行しており、上演前にスピーチを行う。イタリア語通訳の方が頼りなく、州知事代理の方が遠州方言である「やらまいか」を観客達とやりたいと申し出るも上手く通じる、バラバラになってしまう。スタッフも演劇上演には明らかに慣れていないが、地方都市であるだけにこれは仕方がない。

今回の浜松上演は、静岡文化芸術大学の名誉教授&理事で、イタリア語・イタリア演劇を専門とする高田和文の招聘によって実現したものであり、高田氏が真っ先にスピーチを行った。

舞台後方の白い壁には、「じゆう」「障害はあるけど奴隷じゃない!」「革命しよう 拘束反対」「自由 平等 友愛」「マラー万歳!」といった言葉が赤と青の文字で記されている。


「マラー/サド」。作:ペーター・ヴァイス。脚色・演出:ナンニ・ガレッラ。オリジナル音楽:サヴェルオ・ヴィータ。制作はエミリア・ロマーニャ演劇財団、NPOアルテ・エ・サルーテ、エミリア・ロマーニャ州立ボローニャ地域保健連合機構精神保険局。
1964年に初演が行われたドイツ演劇作品で、1967年にはピーター・ブルックによって映画化されている。

イタリアには1978年まで精神科の閉鎖病棟があり、多くの人がそこに強制入院させられていたが、今ではそうした押し込め型の精神病院はなくなっているという。


シャラントン精神病院に収監されたマルキ・ド・サド(演出であるナンニ・ガレッラが演じている)が、患者達を使ってマラーの人生を描いた芝居を上演する模様を上演するいう劇中劇の入れ子構造になっている。

出演は、布告役(口上役。劇中劇では窃盗罪と境界例があるという設定):ミルコ・ナンニ、サド侯爵(ここには殺人の罪で入っている。偏執狂の持ち主):ナンニ・ガレッラ、ジャン=ポール・マラー(過激派、妄想型統合失調症):モリーノ・リモンディ、シャルロット・コルデー(嬰児殺人罪、躁鬱病、ナルコレプシー):ロベルタ・ディステファノ、シモンヌ・エヴラール(家庭虐待、ヒステリー):パメラ・ジャンナージ、デュペレ(強制性交等、錯乱性色情症):ロベルト・リジィ、ジャンヌ・ルー(破壊行為、誇大妄想症虚言癖):ルーチォ・パラッツィ、ロッシニュール(売春、強迫性窃盗症):イレーオ・マッツェティ、キュキュリュキュ(放火魔):増川ねてる 、ポルポック(麻薬密売、強迫症):デボラ・クインタバッレ、ココル(麻薬常用、境界例):ルカ・ファルミーカ、患者1(殺人により強制措置):ファビオ・モリナーリ、患者2:ニコラ・ベルティ、女医(医院長):マリア・ローザ・ラットーニ、看護士:ロレッタ・ベッキエッティ&カテリーナ・トロッタ、看守:ダビデ・カポンチェッリ。


まず、医院長からの挨拶で芝居が始まる。舞台は鉄格子の向こうであるが、医院長だけは客席側に出て、芝居を観る(これも演技の内)ことが出来る。クリエート浜松ではなく、シャラントン精神病院での院内上演という設定で、観に来ているのも同じ入院患者として劇の紹介を行う。

フランス革命直後のフランス。貴族階級が否定され、この世の春を謳歌していた貴族達は次々とギロチン送りにされている。庶民達は自分達の時代を築こうとしているが、そちらの方は順調には進んでいない。血気盛んな庶民達は自由を望み、決起を、というところで医院長からストップが掛かる。「熱くなりすぎる! もっと冷静に」との注文を受けて芝居再開。

多数の貴族をギロチン送りにしているマラー。だが重度の皮膚病に苦しみ、症状を和らげるために常に浴槽に水を張って浸かっていないと症状が悪化してしまう。身の回りのことは家政婦のシモンヌに全て任せていた。
理想に燃えるマラーであるが、浴槽に幽閉されたような状態である。

パリに出てきたばかりのカーン出身の少女がマラーの命を狙っている。シャルロット・コルデー。後に「暗殺の天使」として世界に知られることになる下級貴族出身のこの女性も閉鎖的な修道院から出たばかりで、自由と理想を追求していた。
ちなみにコルデー役の女優さんが一番症状が重いという設定であり、常に眠気に襲われている上に重篤な鬱状態ということで、自分の出番が来るまでは看護士の膝を枕にして眠っている。
シャルロットは1日に3度、マラーを訪問し、3度目に刺し殺すのであるが、気が昂ぶったシャルロッテは最初の訪問でいきなりマラーを殺そうとしてサドから注意を受ける。

反体制派のマラーと貴族階級出身のサドの意見は対立する。このマラーとサドのディベートが一つの軸になっている。
サドは自然を嫌う。自然は偉大なる傍観者、弱者が滅びるのを観察しているだけ。あたかも「沈黙の神」に対するかのような姿勢だ。一方のマラーは自然がもたらすことには意味があり、それを超克したいという希望がある(西洋においては自然の対語が芸術である)。

マラーは急速に革命を推し進めようとするが、サドに革命が起こっても何も変わっていないと指摘される。下層階級は革命の前も後も苦しみのただ中にいると。

マラーを支持する下層階級のグループは自分達の改革の邪魔になりそうな人物の名を挙げて、血祭りに上げようと騒ぐ。ラファイエットやビュゾー、ロベスピエールの名が挙がるが、そのうちに医院長や医師の名前が挙がったため医院長に芝居を止められる。そもそもカットされたはずの部分が上演されてしまっていたらしい。

マラーは貴族階級を憎み、下層階級に与えられた苦しみに比べれば、貴族階級の苦悩などまだまだ浅いと考えており……。

音楽が流れ、歌い、隊列を作って行進しと様々な要素を取り入れた芝居である。
イタリアでは1978年にバザーリア法により精神病院と閉鎖病棟の制度は廃止されたが、日本では精神障害者のうち重度の患者は何十年にも渡って精神病院に閉じ込められているという現実がある。そこに精神障害者の自由はない。
登場人物の多くも幽閉されている。現実の精神病院にだけではなく、あるいは病気に、あるいは階級に、あるいは年齢に、あるいは修道院に代表される宗教に。

芝居は、コルデーが意識の解放を遂げた後で、フランス国歌にしてフランス革命歌「ラ・マルセイエーズ」を全員で歌って終わる。「marchons,marchons(進め! 進め!)」の部分を「マラー、マラー」に変えられ、その後の歌詞もマラーへの応援歌となり、「障害はあるけど奴隷じゃない!」と希望を望む言葉で締めくくられる。

最後は、「ラ・マルセイエーズ」をファンファーレとして使用したビートルズの「愛こそはすべて(All you need is love)」が流れる中を出演者が踊って大いに盛り上がる。
「自由」そして「解放」を訴える芝居だけあって、革命期の高揚を伴う展開に説得力があり、病気や環境によって真に抑圧されてきた経験のある俳優が演じているだけあってオーバーラップの効果は大変なものである。
ラストの選曲も実に上手かった。


芝居の上演の後に、ティーチインのようなものがあり、浜松市内のみならず日本全国から集まった当事者、医療関係者によって様々な質問がなされ、演出家のナンニ・ガレッラや劇団員達が答えていた。


精神障害者が精神障害から完全に抜け出る日は、あるいは来ないのかも知れない。来るとしてもまだまだ先なのかも知れない。ただ、演じることで苦しみのある現実から一瞬でも抜け出すことは可能であるように思われる。自分ではない他者として生きる経験を持つということ。この点において演劇は有効だ。



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2018年10月15日 (月)

楽興の時(25) 京都コンサートホール×ニュイ・ブランシュ KYOTO 2018「瞑想のガムラン――光と闇に踊る影絵、覚醒の舞」

2018年10月5日 京都コンサートホール1階エントランスホールにて

京都コンサートホール1階エントランスホールで行われる、京都コンサートホール×ニュイ・ブランシュ KYOTO 2018「瞑想のガムラン――光と闇に踊る影絵、覚醒の舞」という公演が午後9時半からあるので参加する。1階エントランスホールはそう広くはないし、西川貴教の出演するコンサート帰りの客が参加したら入りきらないのではないかと懸念されたが、西川貴教ファンでガムランにも興味があるという人はほとんどいないようで、一杯にはなかったが移動にも苦労するというほどではない。ただカーペット席や椅子席は満員で、多くの人が立ち見ということになった。私も立ち見である。

パリ市が毎年秋に行う現代アートのイベント、ニュイ・ブランジェ(白夜祭)。今年は京都・パリ友情盟約締結60周年ということで、今日10月5日に京都市内各所でもニュイ・ブランジェの催しが行われ、京都コンサートホールではフランスを代表する作曲家であるドビュッシーの没後100年を記念して、ドビュッシーに多大な影響を与えたガムランの演奏が行われることになった。

ガムラン演奏と影絵芝居(ワヤン)の上演を行うのは、インドネシア伝統芸能団ハナジョスのローフィット・イブラヒム(男性)と佐々木宏美の二人。
インドネシア伝統芸能団ハナジョスは、2002年11月にジャワ島ジョグジャカルタで結成されたジャワ芸能ユニット。ガムランの演奏、影絵芝居ワヤンの上演、ワークショップ、作曲、演奏指導などを行っている。2005年に京都に拠点を移し、2009年からは大阪を中心とした活動を行っている。

ローフィット・イブラヒムは、1979年ジョグジャカルタ生まれ。インドネシア芸術高校を経てインドネシア芸術大学伝統音楽科を卒業。同大学の芸術団のメンバーとなる。2005年から日本在住。
佐々木宏美も1979年の生まれで、イブラヒムと同い年である。神戸大学発達科学部人間行動表現学科音楽コース在学中にガムランと出会い、2002年からインドネシア政府国費留学生としてインドネシア芸術大学パフォーミングアーツ学部伝統音楽学科に2年留学。帰国後にインドネシア伝統芸能団ハナジョスに参加している。

鐘を叩き、歌いながら二人が登場。まずは打楽器演奏を行った後で、金属製の楽器や胡弓のような楽器を演奏し、歌う。

その後、影絵芝居ワヤンの上演がある。佐々木宏美が「インドネシアの影絵は表からも裏からも見ることが出来る」と語ったので、まずはスクリーンの背後から見ることにする。影絵に使う人形に彩色が施してあり、裏からは人形劇として見ることが出来ることがわかる。ただ、影絵の効果はこれでは十分にわからないので表の方へと回り、結局エントランスホールを一周する。

「ワヤン・クリ 太陽神の子カルノ」
ストーリー自体はフォークロアに良く出てくる類いのもので、太陽神スルヨの子どもを宿したマンドゥロ国王女のクンティが、王様の怒りを買い、生まれたカルノという男の子を川に流すことから始まる。優しい老夫婦(多少、ボケが始まっているようだが)に拾われたカルノは大事に育てられ、17歳になる頃には特別な若者へと成長していた。太陽神スルヨはカルノを見て自身の子どもと確信し、超能力を持つ弓矢を与える。弓矢の名人として武芸の大会で活躍するカルノ。そのカルノを見て、アスティノ国の王子であるドゥルユドノはカルノをアスティノ国の将軍に迎え入れることに決める。
ラストは影絵の上演を離れ、イブラヒムが紙の馬にまたがっての馬術を見せる。表現が多彩である。


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2018年9月23日 (日)

コンサートの記(427) 愛知県立芸術大学レクチャーコンサート「ブレヒト・詩と音楽の夕べ」―ナチ時代に亡命したユダヤ系の音楽家たち―

2018年9月11日 名古屋・伏見の電気文化会館ザ・コンサートホールにて

午後7時から電気文化会館ザ・コンサートホールで、愛知県立芸術大学レクチャーコンサート「ブレヒト・詩と音楽の夕べ」―ナチ時代に亡命したユダヤ系の音楽家たち―を聴く。愛知県立大学音楽学部准教授の大塚直(おおつか・すなお。専門は近現代ドイツ語圏の演劇・文化史)のレクチャーで進めていく音楽会である。

20世紀ドイツを代表する劇作家・演出家であるベルトルト・ブレヒトを縦軸に、彼と仕事をしたドイツのユダヤ人作曲家の作品を中心に演目は編まれている。

演奏されるのは、クルト・ヴァイルの「三文オペラ」より“海賊ジェニーの歌”と“バルバラ・ソング”、「マハゴニー市の興亡」より“アラバマ・ソング”、「ヴィナスの接吻」より“スピーク・ロウ”、パウル・デッサウの「セチュアンの善人」より“八頭目の象の歌”、「動物の歌」、ピアノ・ソナタ ヘ長調より第1楽章、ピアノによる「ゲルニカ」、ハンス・アイスラーの「マリー・ザンダースのバラード」、「小さなラジオに」、二つの悲歌「あとから生まれてくる者たちに」、ハンス・ガルのピアノのための三つの小品と無伴奏チェロのための組曲より第1曲。

電気文化会館ザ・コンサートホールに来るのは初めてである。地下鉄伏見駅の間近にあり、近くには御園座や三井住友海上しらかわホール、名古屋市美術館などの文化施設が集中している。
ステージは上から見て台形、白い壁には音響効果を高めるために起伏が設けられている。内装も響きも、最近出来た大阪工業大学・常翔ホールに似ているように思われる。


出演者は、当然ながら愛知県立芸術大学の関係者である。
レクチャー担当の大塚直は、先に書いた通り愛知県立芸術大学准教授で、名古屋大学や椙山女学園大学、名古屋市立大学の非常勤講師も務めている。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学後、ドイツ・コンスタンツ大学に留学し、帰国後に東京外国語大学大学院にて劇作家のボートー・シュトラウスに関する研究で博士号(学術)を取得。翻訳者・ドラマトゥルクとしても活躍しており、今回、無料パンフレットに挟まれた歌詞対訳も大塚が行っている。

ブレヒトが書いた詩の全てを歌うのは、愛知県立芸術大学OGのソプラノ・藤田果玲(ふじた・かれら)。愛知県立明和高校音楽科、愛知県立芸術大学音楽学部を経て、ハンブルク音楽院に学び、現在は州立シュトゥットガルト音楽演劇大学大学院現代音楽科2セメスター在学中である。第16回大阪国際コンクール歌曲コースAge-Uエスポワール賞、第7回東京国際声楽コンクール歌曲奨励賞などの受賞歴がある。

ヴァイル作品でピアノ伴奏を務める家田侑佳は、愛知県立明和高校音楽科と愛知県立芸術大学音楽学部を卒業。現在、同大学大学院博士前期課程鍵盤楽器領域2年在学中である。第32回日本ピアノ教育連盟ピアノオーディション東海地区で優秀賞を受賞している。

デッサウ作品でピアノソロを受け持つ野村七海は、名古屋市立菊里高校音楽科を経て愛知県立芸術大学音楽学部を卒業。同大学大学院博士前期課程鍵盤楽器領域2年在学中ということで、家田侑佳と同級生である。第15回ショパン国際ピアノコンクール in Asia 大学生部門アジア大会奨励賞、第18回日本演奏家コンクール大学生の部の特別賞及び芸術賞を受賞。第9回岐阜国際音楽祭コンクール一般Ⅰの部第2位入賞も果たしている。

チェロ独奏の向井真帆。広島県に生まれ、12歳からチェロを始めている。愛知県立芸術大学音楽学部を卒業し、現在は同大学大学院博士前期課程2年に在学。第11回ベーテン音楽コンクールで全国大会第1位を獲得。第10回セシリア国際音楽コンクール室内楽部門第3位にも入っている。

全員、大学院在学中であるが、すでに華麗な経歴を誇っていることがわかる。


まず、大塚直によるレクチャー。「愛知県立芸術大学でブレヒトが取り上げられることはまずないと思いますが」と挨拶したものの、休憩時間に愛知県立芸大の関係者から指摘を受けたそうで、「実際はブレヒトもちゃんとやっているそうです」と改めていた。
一般的に、芸術大学の音楽学部や音楽大学では、「高みを目指す」崇高な音楽が追究されることが多いのだが、ブレヒトや今日取り上げられる作曲家は、労働者階級などにも「拡げる」音楽を指向していたことを語る。


「三文オペラ」。ブレヒトの代表作である。ジョン・ゲイの「ベガーズ・オペラ(乞食オペラ)」を元に練り上げられており、「マック・ザ・ナイフ」はジャズのスタンダードナンバーにもなっている。
私自身が「三文オペラ」に最初に触れたのはCDにおいてである。ロンドン=DECCAから発売された、ジョン・モーセリ(マウチュリー)指揮RIASベルリン・シンフォニエッタの演奏、ミルヴァ、ルネ・コロ、ウテ・レンパーほかの歌唱によるもので、高校生の時に聴いている。このCDは当時発売されたばかりで大評判になっていたものだが、高校生で理解するのは無理であった。「三文オペラ」自体は、兵庫県立芸術文化センター中ホールで白井晃演出のものを、今はなき大阪厚生年金会館芸術ホールで宮本亜門演出のものを観ている。「ベガーズ・オペラ」も梅田芸術劇場メインホールでジョン・ケアード演出のものを観ている。
「三文オペラ」の名盤とされていたのは、クルト・ヴァイル夫人でもあったロッテ・レーニャが娼婦ジェニーを務めたものだが、これは録音後50年が経過したために著作権フリーとなっており、オペラ対訳プロジェクトの音源となってYouTubeで視聴することが出来る。

まず「海賊ジェニーの歌」。赤いドレス姿の藤田果玲は、銀色のハイヒールを手に持って登場。ドイツ語のセリフをつぶやき、ハイヒールを床に落としてから履き、ステージの中央へと歩み出る。
かなり良い歌唱である。他の演奏者も全員良い出来で、学部ではなく大学院レベルにおいてであるが、愛知県立芸術大学のレベルはかなり高いことがうかがわれる。
「海賊ジェニーの歌」は、娼婦のジェニーの夢想を歌ったものだが、破壊願望がかなり強く出ている。自分をこき使う男達が、最後は海賊に皆殺しにされるという内容である。

京都造形芸術大学在学中の2003年に、アメリカの演劇人であるジョン・ジェスランの作・演出で行われた授業公演の「バルド」で「海賊ジェニーの歌」の一部が使われていた。映画館内でカップルが「海賊ジェニーの歌」をデュエットするというあり得ない状況が描かれたのだが、劇自体が非現実性を狙ったものであった。曲の正体を知っていたのは間違いなく私だけだったと思われる。

おなじく「三文オペラ」から“バルバラ・ソング”。貞淑な乙女と思わせつつ実は、という内容の歌詞を持つ。「三文オペラ」のヒロインであるポリーのナンバーだが、白井晃演出の「三文オペラ」では実はポリーを演じていたのは篠原ともえ、ということでかなり異化効果が効いていた。

オペラ「マハゴニー市の興亡」より“アラバマ・ソング”。本能そのままというべきか、もはや中毒症の領域に達している欲望を歌っている。
そして「ヴィナスの接吻」より“スピーク・ロウ”は一転してメロウなナンバーであり、ヴァイルの作風の多彩さを知ることが出来る。

クルト・ヴァイルは、ドイツ・デッサウの生まれ。ベルリン音楽大学を中退後、前衛作曲家として活躍。ナチスの台頭によってパリへ、そしてアメリカへと亡命する。渡米後はブロードウェイ・ミュージカルの作曲家としてメロディアスな作風へと転換している。


パウル・デッサウは、ハンブルクの生まれ。1909年にベルリンのクリントヴォルト=シャルヴェンカ音楽院に入学し、ヴァイオリンを専攻。その後、オペラのコレペティートアを経て指揮者としての活動も始めている。ケルン歌劇場でオットー・クレンペラーの許、カペルマイスターとして活躍し、その後はブルーノ・ワルター率いるベルリン国立歌劇場の音楽監督にもなっている。作曲家としてはディズニー映画「アリス」の音楽などを担当。1939年にパリへと亡命し、十二音音楽に取り組むようになる。1939年にアメリカに渡り、1942年にニューヨークでブレヒトと再会して、「肝っ玉おっかあとその子供たち」や「セチュアンの善人」の舞台音楽を手掛けた。戦後は東ドイツの国立演劇学校の教授などを務めている。

デッサウの「セチュアンの善人」より“八頭目の象の話”。この曲では藤田はマイクを手にして歌う。
7頭の荒くれた象と従順な1頭の象。従順な1頭の象が7頭の象をどんどん抑圧していくという内容であり、藤田もきつめのアクセントで歌う。

「セチュアンの善人」は、新国立劇場中劇場で串田和美演出の「セツアンの善人」を観ている。出演は、松たか子、岡本健一ほか。舞台上が稽古場という設定での上演であり、また出演者全員が楽器も奏でる。松たか子がアコーディオン、岡本健一がギター、串田和美は「上海バンスキング」でもお馴染みのクラリネットを担当していた。

「動物の詩」。ブレヒトが1934年に息子のシュテファンのために書いた「童謡」に収められた動物を描いた詩にデッサウがブレヒトの死後にメロディーをつけて発表したものである。皮肉や諧謔に満ちたいかにもブレヒトらしいというかユダヤの世界観にも通じる詩である。「ワシ」「ウマ」「カラス」「ワラジムシ」「ハリネズミ」の5曲。ソプラノの藤田果玲は全曲タイトルをドイツ語で読み上げてから歌う。表情豊かな旋律と歌唱である。

ピアノ・ソナタ ヘ長調より第1楽章。1947年に完成し、その後に修正を加えられた曲である。まさにロマン派と前衛の境目にあるような曲である。

ピアノによる「ゲルニカ」。ピカソの「ゲルニカ」にインスパイアされた作品である。1937年のパリ万国博覧会スペイン館に展示された「ゲルニカ」を観たデッサウはすぐさま作曲に取りかかり、翌38年に完成させている。衝撃的な冒頭は予想されるような曲調だが、後半ではミステリアスというか不穏というか、十二音技法を取り入れた静かであるが不安定な曲調が顔を覗かせる。


ハンス・アイスラーは、彼の名を冠するハンス・アイスラー音楽大学の存在によっても有名である。ライプツィッヒの生まれ。家族でウィーンに移住し、独学で音楽を学び始める。シェーンベルクに師事し、ヴェーベルンやアルバン・ベルクらと並ぶ新ウィーン学派の作曲家としてスタート。その後、シェーンベルクとは袂を分かち、ドイツ共産党に入党するなど独自路線を歩み始める。1930年からブレヒトとの共同作業を開始するが、1933年にナチスが政権を取ると亡命を選び、38年にはアメリカに移住。南カリフォルニア大学で教鞭を執り、チャップリン映画の音楽顧問なども務めるようになる。ハリウッド映画の作曲も手掛け、アカデミー賞作曲部門にノミネートされたりもしているが、赤狩りにより国外追放となり、1950年に東ドイツに戻る。その後はベルリン音楽大学の教授などを務めた。

アイスラー作品では、野村七海がピアノ伴奏を務める。

「ユダヤ人相手の娼婦、マリー・ザンダースのバラード」。1935年にニュルンベルク法が成立し、ユダヤ人と非ユダヤ人との婚姻と婚外セックスの禁止が決定する。それまでユダヤ人相手の娼婦として生きてきた女性や法律を破った者は、見せしめとして頭を丸刈りにされ、肌着一枚で首からプラカードをぶら下げられ、市中引き回しの刑に処される。
その様子を描いた曲である。かなり直接的な表現が用いられているが、物価の高騰が同列に挙げられるなど、皮肉も効いている。

「小さなラジオに」。ハリウッドでブレヒトと再会したアイスラーが作曲した歌曲である。ナチスの電撃作戦が成功している様をラジオで聞く悲しみを歌った短い歌である。ラストではピアノが不協和音を奏で、ラジオが壊れる様が描写されている。

2つの悲歌「あとから生まれてくる者たちに」。ブレヒトが自身の人生を省察するかのような詩であり、ブレヒトらしくない言葉で綴られている。生きた時代の不遇を嘆きつつ、未来とそこに生きる人たちへの希望を語っている。
まず、大塚がテキストを朗読してから歌がスタート。単純に美しい曲である。いずれも詩の内容を的確にくみ取った秀歌で、もっと知られていても良いように思う。


ハンス・ガルは、作曲家として以上に音楽学者や教育者、楽譜の校訂者として高く評価されているようである。

ウィーン郊外の村ブルンで代々医者の家系のハンガリー系ユダヤ人の子として生まれる。父がオペラ好きであり、ギムナジウムでは指揮者となるエーリヒ・クライバーと親友であったということもあって、音楽を志す。ウィーン大学で音楽学を専攻し、師であるマンディチェフスキと共にブラームス全集の校訂などを行っている。その後、マインツ音楽院の院長公募試験に合格し、1933年まで院長を務めている。この時代に多くの音楽家を見いだしており、中でもヴィルヘルム・フルトヴェングラーを高く評価していた。

ナチスが政権を奪った当時のヒトラーと間近で会ったことがあり、「こんな奴の政権が長続きするわけがない」と思ったそうだが、予想に反してナチス政権が維持されたため、ユダヤ人であるガルは公職追放となり、ウィーンで指揮者としての活動を始めるが、38年にオーストリアがドイツに併合されると、イギリス・スコットランドのエディンバラに亡命。エディンバラ大学の講師として音楽理論や対位法、作曲などを教えるようになる。音楽書『シューベルト』や『ブラームス』を著しており、ドイツ語圏では名著として知られているという。

97歳と長寿であり、80代で自作のピアノ曲を暗譜で初演するなど、晩年まで軒昂であった。「音楽は美しくなくてはならない」というのが持論であり、メロディーや調整を重視する作風を保ち続けた。

ブレヒトと一緒に仕事をしたことはないようが、同時代の劇作家であるエデン・フォン・ホルヴァートと知り合い、「行ったり来たり」という舞台作品の音楽を手掛けている。

ピアノのための3つの小品。演奏は、前半はピアノ伴奏を務めた家田侑佳が務める。前半は黒の上下であった家田はこの曲では白のドレスで演奏。ウィーンの正統的な音楽性を感じさせるピアノ曲だが、時代を反映して響きの美しさも追求されている。

ラストは、無伴奏チェロのための組曲より第1曲。
ドイツ音楽の祖であるJ・S・バッハを意識して作曲されたものであろうと思われるが、古典的な造形美よりも自由な音楽性と追求しているようにも聞こえる。


アンコールは、マレーネ・ディートリヒが歌ったことで知られる「リリー・マルレーン」が歌われる。ソプラノの藤田果玲は、ピアノに寄りかかり、本を拡げながら、歌詞に出てくる街灯の下にいるような雰囲気で歌った。

ユダヤ人の芸術家は、ナチスによって「退廃芸術」家と名付けられ、祖国を追われ、作品は発禁処分となっている。時を経て、今また、訳知り顔の「正しさ」が跳梁跋扈し、表現は制限・規制され、排除の理論が大手を振って歩くようになり、芸術は本来持っていた豊かさを奪われつつある。
ブレヒトやユダヤ人作曲家達が残した作品は、高踏的な人々が好むものでは決してなかったが、そこには未来を希求し、分け隔てのない世界を目指した「心」がある。ブレヒトが尊敬したベンヤミンは「アクチュアリティ」の重要さを唱え、20世紀ドイツ最大の詩人であるパウル・ツェランは「芸術には日付がある」として同時代的であることを追求した。100年ほど前のラジカルではあるが、それは常に「今」を照射している。

良質のコンサートであり、気分が良いので地下鉄に揺られようという気分にならず、伏見から名古屋駅まで歩く。



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2018年4月22日 (日)

観劇感想精選(239) 白井晃演出 「三文オペラ」

2007年11月9日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター中ホールにて観劇

午後7時より兵庫県立芸術文化センター中ホールで、「三文オペラ」を観る。ベルトルト・ブレヒト作、クルト・ワイル音楽。酒寄進一による新訳テキストによる公演。演出は白井晃。音楽監督:三宅純。出演は、吉田栄作、ROLLY、篠原ともえ、銀粉蝶、佐藤正宏、大谷亮一、細見大輔、猫背椿、六角慎司、内田紳一郎ほか。

ブレヒトは演劇に「異化効果」を持ち込んだことで知られるが、現代の観客は安易に登場人物に同化せず、冷静に眺めていることが多いので、「異化効果」について特に気にする必要はない。
ただ、演出の白井晃がわかりやすい「異化効果」を用いているのでそれは参考になる。白井晃は主人公の悪党ミッキ・メッサーに恋する女性ポリーに篠原ともえをキャスティングしている(白井本人の希望によるキャスティング)。ポリーはセクシーで挑発的な歌や仕草をするのだが、篠原ともえがそれをやると予想されるとおりセクシーにも挑発的にもならない。むしろ可笑しい。これが「異化効果」の一例である。

ブレヒトの芝居は何本か観ているが「三文オペラ」を観るのは初めて。ただ戯曲は二十歳の頃に読んでいるし、同時期にジョン・モーセリ(ジョン・マウチュリー)指揮ベルリン放送交響楽団(現ベルリン・ドイツ交響楽団)、ウテ・レンパーほかによるクルト・ワイルの「三文オペラ」全曲盤を聴いているので、内容も歌も一応はわかっている。


通常はオーケストラピットとして使われる部分を平土間にし、そこに三階建てのセットを組み上げている。電光掲示の文字が浮かび上がり、いくつかのト書きが随時示される。

モーセリ盤などではチープなオーケストレーションによる演奏が行われているが、白井晃の音楽好きは有名なだけに、三宅純を招いてゴージャスなサウンドを築いた。


ジョン・ゲイの「ベガーズ・オペラ」を下敷きにした作品(なお、「ベガーズ・オペラ」も来年2月に大阪の梅田芸術劇場メインホールで上演された)。舞台はヴィクトリア女王即位直前のロンドンのソーホー。大英帝国時代初期よりソーホーには移民が多く移り住み、風俗店や貧民窟などが立つ雑多な街となっていた。
ジョナサン・ジェルマイヤ・ピーチャム(大谷亮一)は、ソーホーで乞食衣装屋を営んでいる。汚らしい衣装に身を包み、車いすに乗って身障者に見せかけたホームレスの男達に乞食をさせて金儲けをするという一種の詐欺商法である。ヴィクトリア朝のロンドンの乞食というと、サー・アーサー・コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズの一作「唇のねじれた男」が有名だが、当時のロンドンの乞食について研究したシャーロキアン(熱狂的なシャーロック・ホームズ信奉者)によると、実際、大英帝国では乞食は結構な稼ぎになったらしい。

ソーホーを根城にした盗賊団のキャプテン(リーダー)メッキ・メッサー(吉田栄作)。メッサーは、ピーチャムの娘であるポリー(篠原ともえ)と結婚式を挙げる。しかし、盗賊団のリーダーで殺人、強盗、放火、強姦などの常習犯であるメッサーとの結婚にピーチャム夫妻はポリーとメッサーの仲を裂こうとする。

実はメッキ・メッサーは、ロンドン警視庁(スコットランドヤード)のタイガー・ジャッキー・ブラウン総督とかっての戦友であり、またブラウンに盗んだ金の何割かを与えており、捕まる心配はまずないのだった。ところがピーチャムは、娘とメッサーの仲を裂くために、メッサーを逮捕させようと画策する……。

お洒落な演出で知られる白井晃だけに、「三文オペラ」であっても決して汚くはならない。そして悪党どもが次々出てくるシーンでも粗暴な感じは表にでない。だからこちらも安心して笑っていられる。

ブレヒトの劇作は敢えてギクシャクした方法を選択しているのだが、それは余り気にならなかった。


休憩時間に、演出ノートを手にした白井晃がロビーを一人で歩いていた。それを目ざとく見つけた女の子が白井晃に握手を求める。白井さんは快く応じていた。


2007年に「三文オペラ」を上演するに当たり、白井晃は現代社会の諸問題とのオーバーラップを狙っており、成功している。思い切って現代風の訳を施した酒寄進一のテキストの力も大きい。


一つ一つを書くほど野暮ではないが、ブレヒトの時代と現代とでは共通の点も多い。社会構造の根っこや人間の本質は当時と今とでもそれほど変わっていないのだから当然といえば当然なのだが、21世紀に入り、一時期の日本では忘れられていた(あるいは忘れるよう仕向けられていた)構造がより明確にわかるようになってきている。問題の直接の出発点はイギリスで起こった産業革命にあるのだからこれまた当然といえば当然なのだが、それを可視的にする演劇の力は今なお有効である。

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2018年3月 6日 (火)

コンサートの記(353) 龍角散Presents レナード・バーンスタイン生誕100周年記念 パーヴォ・ヤルヴィ&N響 「ウエスト・サイド・ストーリー」(演奏会形式)~シンフォニー・コンサート版~

2018年3月4日 東京・渋谷のBunkamuraオーチャードホールにて

午後3時から、渋谷のBunkamuraオーチャードホールで、龍角散Presents レナード・バーンスタイン生誕100周年記念 パーヴォ・ヤルヴィ&N響 「ウエスト・サイド・ストーリー」(演奏会形式)~シンフォニー・コンサート版を聴く。レナード・バーンスタインの弟子であり、現在NHK交響楽団首席指揮者の座にあるパーヴォ・ヤルヴィが師の代表作を取り上げる。

龍角散Presentsということで、入場者には龍角散ダイレクトのサンプルが無料配布された。

1957年に初演された「ウエスト・サイド・ストーリー」。まさに怪物級のミュージカルである。ミュージカルは一つでも名ナンバーがあれば成功作なのだが、「ウエスト・サイド・ストーリー」の場合は名曲が「これでもかこれでもか」とばかりに連なり、「全てが有名曲」といっても過言でないほどの水準に達している。とにかく世界的にヒットしたということに関していえば20世紀が生んだ舞台作品の最右翼に位置しており、超ドレッドノート級傑作である。

出演は、ジュリア・ブロック(マリア)、ライアン・シルヴァーマン(トニー)、アマンダ・リン・ボトムズ(アニタ)、ティモシー・マクデヴィット(リフ)、ケリー・マークグラフ(ベルナルド)、ザカリー・ジェイムズ(アクション)、アビゲイル・サントス・ヴィラロボス(A-ガール)、竹下みず穂(ロザリア)、菊地美奈(フランシスカ)、田村由貴絵(コンスエーロ)、平山トオル(ディーゼル/スノー・ボーイ/ビッグ・ディール)、岡本泰寛(ベビー・ジョン)、柴山秀明(A-ラブ)。東京オペラシンガーズ(ジェッツ&シャークス)、新国立歌劇場合唱団(ガールズ)

今日のNHK交響楽団はチェロ首席奏者の藤森亮一がステージ前方に来るアメリカ式の現代配置を基調とした布陣である。コンサートマスターは客演のヴェスコ・エシュケナージ。N響はステージ後方に陣取り、舞台前方に歌手が出てきて歌ったりちょっとした演技をしたりする。

久しぶりとなるオーチャードホール。中に入るのは2度目だが、実はここでコンサートを聴くのは初めて。前回は「カタクリ家の幸福」という映画の完成披露試写会で訪れている。忌野清志郎が「昨日」というタイトルのどこかで聴いたことがあるような曲をギターで弾き語りしていた。

オーチャードホールの音の評判は良くないが、今日聴いた2階席4列目には残響は少なめだが素直な音が飛んできていた。ステージは遠目だが思っていたほど悪くはない。

第1部が60分、第2部が35分という上演時間。合間に30分の休憩がある。

N響は音には威力があるが、余り慣れていないアメリカものということもあり、ジャジーな場面では金管などに硬さが見られる。パーヴォは打楽器出身であるためリズム感は抜群のはずなのだが、N響からノリを思うままに引き出せていないようにも感じられる。
一方でリリカルな音楽では弦の艶やかな音色が生き、歌も秀逸で、万全に近い出来を示していた。パーヴォの棒もやはり上手い。

歌手陣の大半はクラシック畑出身。トニー役のライアン・シルヴァーマンはブロードウェイを活躍の主舞台としており、三役で出演の平山トオルもミュージカル出身だが、他は純然たるクラシックの歌手かミュージカルにも出たことがあるクラシック歌手である。バーンスタイン自身がドイツ・グラモフォンにレコーディングした「ウエスト・サイド・ストーリー」に聴かれるように、クラシックの歌手が歌った場合は声が肥大化してしまって余り良い結果が出ないのだが、今回は歌手達は健闘した方だと思う。ただジェッツやシャークスが集団で出てきて歌う時は、ギャングなのに首を振って音楽を聴いているだけでそれらしさが出ず、違和感がある。かといってクラシックの歌手達が踊れるはずもなく、粋なパフォーマンスを繰り広げるというわけにもいかないのでどうしようもない。そういう上演なのだと思うしかない。

コンサート上演を前提にしたものであり、ストーリーは飛び飛びになっているが、それでもラストに感動していまうのは音楽の力ゆえあろう。

残念ながらBunkamuraオーチャードホールは渋谷のど真ん中にあり、JR渋谷駅に向かうためには道玄坂の人混みを突っ切る必要がある。コンサートの余韻に浸れる環境にはない。出来ることなら別の会場で、パーヴォ指揮の「ウエスト・サイド・ストーリー」を聴いてみたい。



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2017年4月 4日 (火)

観劇感想精選(208) 中華人民共和国建国60周年記念事業・京劇「覇王別姫~漢楚の戦い~」

2009年6月19日 大阪・谷町のNHK大阪ホールにて観劇

午後7時からNHK大阪ホールで、中華人民共和国建国60周年記念事業・京劇「覇王別姫~漢楚の戦い~」日本公演を観る。日本語字幕と数カ所の日本語ナレーションを加えての上演。演じるのは天津青年京劇団。

陳凱歌監督の映画「覇王別姫」(日本語タイトル「さらば我が愛 覇王別姫」)を観た人の中には、京劇というものには女形がいるのだと思っていらっしゃる方がいるかも知れないが、それは文革時代までの話で、今は女役は女優が演じている。今回の公演も虞姫(虞美人)を演じていたのは趙秀君という女優だった。

「覇王別姫」は映画の題材になったということもあり、京劇の中でも最も有名な演目である。覇王とは楚の項羽のことで、項羽と漢の劉邦との戦い、特に垓下の戦いが描かれている。

形勢は項羽にとって圧倒的に不利。漢の劉邦と参謀の韓信は項羽をおびき出して野戦に持ち込み、伏兵をしかけて一気に勝負を決しようとする。

漢の罠に嵌った項羽は垓下の砦に立て籠もるが、漢は砦を囲んで四方から楚の歌を兵士に唄わせ(四面楚歌である)、楚がすでに劉邦の手に落ちたと錯覚させる作戦に出る。「虞よ虞よ汝を如何せん」と項羽は嘆き、それをみた虞姫は項羽の剣を引き抜いて自害する。

予想していたよりも見応えのある公演であった。

京劇は日本の歌舞伎とよく比較されるが、立ち居振る舞いなどはむしろ狂言を思わせるところがある。虞姫の剣の舞の見事さや、二胡や銅鑼、太鼓などによる独特の音楽など見せ場も多く、虞姫の最期の場面などは感動的である。

京劇というと日本では余り馴染みがないためか、ホールは、特に私が座った2階席はガラガラであった。それだけが残念である。

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2017年3月20日 (月)

観劇感想精選(204) 「お気に召すまま」

2017年2月7日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時30分から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、「お気に召すまま」を観る。「人生は舞台、人はみな役者に過ぎぬ(今回の公演では、「この世界はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ」という訳であった)」というセリフで有名な作品である。昨年が没後400年に当たったウィリアム・シェイクスピア。今年は様々なシェイクスピア作品が上演される。
白水社から出ている小田島雄志翻訳のテキストを使用。演出:マイケル・メイヤー。出演:柚希礼音(ゆずき・れおん)、橋本さとし、ジュリアン、横田栄司、伊礼彼方(いれい・かなた)、芋洗坂係長、平野良、平田薫、入絵加奈子、古畑新之(ふるはた・にいの)、武田幸三、新井将人、俵木藤汰(たわらぎ・とうた)、青山達三、マイコ、小野武彦ほか。音楽:トム・キット。

舞台を1967年のアメリカに移しての上演である。ということで、オーランドー(ジュリアン)やオリヴァー(横田栄司)、フレデリック(小野武彦)、アダム(青山達三)などは背広を着て登場する。ロザリンド(柚木礼音)やシーリア(マイコ)も、最初はフラッパーのような格好で登場する。

元宝塚歌劇団男役トップの柚木礼音の主演ということで、客席には宝塚ファンの女性が多い。

セットは、パルテノン宮殿を思わせるエンタシスの柱数本に三角形の屋根。アメリカの首都ワシントンD.C.という設定だという。アーデンの森はヒッピー達の祭典サンフランシスコのヘイトアシュベリーを起点に起こったムーブメント「サマー・オブ・ラブ」に置き換えられており、ママス&パパスの「夢のカリフォルニア(カリフォルニア・ドリーミン)」が流れて、セットがサイケデリックなものに変わる。ギター、エレキベース、キーボード、チェロの生演奏があり、アミアンズ役の伊礼彼方はギターの弾き語りを行う。

「お気に召すまま」は、長兄のオリヴァーから冷遇され、ろくに教育も受けることが出来なかった末弟のオーランドー。フレデリックから追放された前公爵など、抑圧された存在が登場するのだが、なぜか皆、瞬く間に仲直りという、不思議な展開を見せる。

今回の舞台では、オーランドーとチャールズ(武田幸三)が戦うのは相撲やレスリングではなく、総合格闘技となっている。

父の追放を悲しんでいるロザリンド。親友でフレデリックの娘であるシーリアはロザリンドに従妹としてまた友人としての絶対的な愛を語り、慰める。格闘技の試合に勝ったオーランドーを見たロザリンドは一目で恋に落ち、銀のブレスレットをプレゼントする。オーランドーもロザリンドに惚れていた。

だが、オリヴァーの不興を買ったオーランドーは、今回はヘイトアシュベリーということになっているアーデンの森に執事のアダムと共に逃げ込む。アーデンの森にはロザリンドの父親である前公爵(小野武彦二役)もいた。フレデリックから追放を宣告されたロザリンドは自らもシーリアと共に森に行くことにする。ロザリンドは「女同士では危険。だが私は普通の娘としては背が高い方だから、男装しようと思う」としてギャニミードという男性名を名乗り、シーリアはギャニミードの妹であるアリーナということにして、道化のタッチストーン(芋洗坂係長)とを連れて森に向かう。

オーランドーは空腹で倒れたアダムのために、公爵が率いるヒッピーの一団を襲うが、彼らの落ち着いた態度に己の行為を恥じ、ヒッピー達と行動を共にするようになる。またオーランドーは森の木という木に、七五調と韻を駆使した恋文を紙に書いて張っていく。

森の別の場所では老いた羊飼いのコリン(俵木藤汰)が、若き羊飼いであるシルヴィアス(平野良)の女羊飼いフィービーへの思いを感じているのだが、フィービーはシルヴィアスを相手にしない。コリン達とシルヴィアスの姿を見たギャニミードとシーリア。ギャニミードは更にオーランドーの恋文も発見する。韻を踏んでいることに感心するギャニミードであったが、タッチストーンは「簡単だ」と言って、韻文を作ってみせる。
オーランドーが現れる。ギャニミードは男装していたので自分の正体が女のロザリンドだと知らせることはなく、「女の心に通じた男」としてオーランドーに女の口説き方をアドバイスし、「自分をロザリンドだと思って接して欲しい」と言って、シミュレーションをたっぷり味わう。だが、フィービーもギャニミードに恋してしまい……。

実は、オーランドーとロザリンドが妙なやり取りをしている一方で、アリーナに扮したシーリアとオリヴァーは一目で恋に落ち、タッチストーンはオードリーというおつむの少し弱い女(入絵加奈子)を見つけて恋仲になろうとしているのである。オーランドーとロザリンドの恋だけが回り道をしていることになる。恋について語る役割でもあるといえるのだが(オーランドーが「恋のために死にたい」というと、ロザリンドに扮したギャニミード正体はロザリンドというややこしい人物が、「人類の歴史は6000年あるが、これまで恋で命を落とした男はいない」と答えるなど)。

「この世界はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ」というセリフを語るのは、オーランドーの次兄・ジェークイズ(橋本さとし)である。オーランドーから「憂鬱病」と称される彼は、「お気に召すまま」の登場人物の中でかなり異色の存在である。恋の物語になぜ厭世家が紛れ込んでいるのか。ジェークイズを見ていると、「お気に召すまま」が単なる喜劇には見えなくなる。
時について語られる場面がいくつかある。オーランドーやギャニミードのセリフに出てくる。だが、時について最も語られるのがジェークイズの「この世界はすべてこれ」で始まるセリフの後半である。人間には7つの時代があるとされる。「赤ん坊」「子供」「恋する若者」「軍人」「裁判官」「老人」「そして再び赤ん坊。忘却へと帰る」。いずれも良いイメージでは語られない。これは何を意味するのか。
恋する人達の中で厭世家のジェークイズが滑稽に浮かぶ上がるという説もあるが、少なくとも今回の上演ではそうは思えない。ジェークイズは精神的に老いた男で恋する若者達を俯瞰で見ているのか。あるいはジェークイズは未来の視点からヒッピー達を見ているのか。
1967年のアメリカに設定が変わっていることを考えれば、その後のアメリカ史と重ねているという解釈も出来る。1969年のウッドストックで、音楽のムーブメントは変わり(イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」ではそのことが暗示されているとされる)、ベトナム戦争は1975年にアメリカ建国以来初の負け戦として終わる。

マイケル・メイヤーの演出は、俳優にかなり細かな演技をつけたもので、「カッチリした」という言葉が一番ピッタリくる。日本人がやっているとお堅く見えるレベルだ。
また音楽を多用して賑やかな舞台にしており、政治都市ワシントンD.C.から離れた理想郷(一種のカウンターカルチャー)を企図しているように思う。

ラスト(エピローグ)のロザリンドの口上は、柚木礼音が歌を加えて披露した。

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2017年3月17日 (金)

観劇感想精選(203) 第3回勘緑文楽劇場公演「エディット・ピアフ物語」

2017年3月5日 大阪・日本橋の国立文楽劇場にて観劇

午後4時30分から、大阪・日本橋(にっぽんばし)にある国立文楽劇場で、第3回勘緑文楽劇場公演「エディット・ピアフ物語」を観る。


勘緑文楽劇場は、元文楽協会技芸員で、現在は人形座「木偶舎(もくぐしゃ)」主宰である勘緑が人形浄瑠璃の新しい可能性を求めて、2012年1月に33年在籍した文楽座を辞して始めた新文楽である。勘緑は、現在、人形浄瑠璃とくしま座芸術監督、筑前艶恋座代表でもある。

洋服を着た人形が行う文楽を観るのは、今回が初めてである。シャンソン歌手の代名詞であるエディット・ピアフ(本名:エディット・ジョヴァンナ・ガション)の生涯を文楽で描こうという試み、文楽だけでなく、講談、シャンソン、フレンチジャズ、マジック、アクロバットなどあらゆる要素を取り入れたSHOWになっている。

講談師を務めるのは、4代目・玉田玉秀斎(たまだ・ぎょくしゅうさい)。2000年に大阪市立大学法学部を卒業後、司法浪人をしていたが、「講談師も弁護士も最後に“し”がついてるから一緒や」と旭堂南陵に言われて講談師になったという変わり種。日本語の他に英語、スウェーデン語をこなす。1993年から翌年にかけてスウェーデンへ交換留学に行っており、ストックホルムで行われたノーベル賞の授賞式にも参加しているという。昨年11月に4代目・玉田玉秀斎を襲名したばかりである。

今回の公演では、義太夫の代わりに玉田玉秀斎が全ての語りをこなす。

玉秀斎は舞台下手に陣取り、舞台上手がバンドスペースとなっている。演奏者は、川瀬眞司(ギター、音楽プロデューサー)、山本佳史(ギター)、中村尚美(ウッドベース)、かとうかなこ(クロマチックアコーディオン)、高橋誠(ヴァイオリン)。シャンソン歌手のZaZaがヴォーカリストとして参加し、パフォーマーのKAMIYAMAがマジックとパントマイム、吉田亜希がアクロバティックダンスを行う。

開演5分前に、勘緑が人形を使いながら舞台から客席に降りてくる。KAMIYAMAらパフォーマーもそれに従う。


まず、バンド陣が「シャレード」のテーマを引いてスタート。客席後方から、子供の人形が現れる。声は玉田玉秀斎が担当する。「おかーさん、もうすぐ会えるんだね! 色々歌って欲しいな」と子供は言いつつ舞台上に上がり、退場する。この人形は後にエディット・ピアフの娘、マルセルであることがわかる。

ラジオのチューニングの音が流れ、「歌手のエディット・ピアフさんが亡くなりました。享年47歳でした」と伝える。

そして、舞台上に今度現れたのはモヒカン刈の男。ピアフの父親であるルイスである。ルイスは己の惨めな境遇を全部人のせいにする。
ピアフは生まれてすぐに母親が逃げ出し、父親のルイスに育てられるのだが、ルイスも元々人間が悪く、実の娘を母親が営業する売春宿に売る。ルイスの母親も「娘を売るなんて、ろくでなし!」と言うが、結局、高値で引き取る。売春宿には仕事のしすぎでもう子供が産めない体になってしまった娼婦のティティーヌがいた。ティティーヌはピアフを実の子供のように可愛がる。ピアフが歌を覚えることが得意なのに気づいたティティーヌはピアフに歌を教える。フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」などを歌った。
だが、ピアフは目を病み、視力を失ってしまう。ティティーヌは様々な薬を試すが効果はなく、後は神頼みしかなくなる。聖地に巡礼するティティーヌとピアフ。すると不思議なことにピアフの目が見えるようになった。
だが、目が見えるなら役に立つということで、ルイスが自分が経営している見世物小屋にピアフを入れようと迎えに来る。ルイスの手下役のKAMIYAMAと吉田亜希もそれに従い、人形と人間が争うという珍しい場面が演じられる。

見世物小屋の場面。KAMIYAMAがブリーフケースを使ったパントマイムを行い、その後、マジックも披露する。そして舞台上から赤い布が2枚降りてきて、吉田亜希がそれを伝って上にあがり、サーカスのようなアクロバット芸を披露する。

そして、ピアフの初舞台。ピアフは「ラ・マルセイエーズ」を歌い(歌はZaZaが担当)、大反響を呼んで、歌手、エディット・ピアフが誕生するのだった。

パリの劇場で歌ったピアフは、小柄な体から放たれる圧倒的な歌で大成功。フランス語で雀を意味する俗語の「ピアフ」の名で呼ばれるようになる。


有名ナンバーは、「パリの空の下」、「バラ色の人生」、「愛の賛歌」、「パダム・パダム」、「群衆」、「水に流して」などが歌われる。

16歳になったピアフは、プティルイという男性と結婚。女の子が生まれ、マルセルとピアフは名付ける。だが、マルセルは病に倒れ、早世してしまう。嘆くピアフ(この場面ではアコーディオン奏者のかとうかなこが舞台の中央まで進み出てクロマチックアコーディオン(ボタン式アコーディオン)を弾き、ピアフがアコーディオンにすがろうとする。その後、マルセルは天国からピアフを見つめる役をする。

戦争が始まり、ピアフはパリを占領したドイツ将校のために歌うが、それでフランス人捕虜収容所に慰問に行く権利を手に入れる。ピアフは収容所に入っては、捕虜を逃がす作戦を決行した。

戦後、ピアフはボクサーのマルセル・セルダンと出会い、恋に落ちる。「なぜあなたは悲しい歌ばかり歌うのですか?」というセルダンにピアフは「本当に悲しいからよ」と答える。だが、歌うことが自分に出来ることと考えるピアフは歌い続ける覚悟もしていた。
ピアフとセルダンは、フランス民謡「月夜(月の光に)」のメロディーに合わせて踊る。

多忙ゆえに会えなくなったピアフとセルダンであるが、ピアフがニューヨークでコンサートを行う時期に、セルダンもニューヨークでタイトルマッチを戦うことになった。
ピアフはセルダンのために「愛の賛歌」を用意して待っていたが、セルダンを乗せた飛行機が墜落。ピアフは最愛の人を失った。関係者は当日のコンサートを中止にしようとしたが、ピアフは決行を決意し、全身を振り絞るようにして「愛の賛歌」を歌う。

セルダンの死によって抜け殻のようになってしまったピアフは、酒、煙草、ドラッグに溺れ、40代とは思えないほどに老け込んでしまった。そんなある日、ピアフはテオ・サポラという青年と出会う。「みんな自分を利用して金儲けをしているだけだ」と言うピアフに、テオはピアフの歌の素晴らしさを語る。復活したピアフはオランピア劇場でコンサートを行い、大成功。1時間半の本編が終わった後で、ピアフはアンコールとして「水に流して」を歌うのだった。

ピアフが亡くなり、ピアフの霊はマルセルの霊と再会する。ZaZaの「愛の賛歌」日本語版が歌われて劇は終わる。


大竹しのぶが舞台「ピアフ」にライフワークのように取り組んでおり、遂には紅白歌合戦にまで出場してしまったということで、観に来ていたおばあちゃんの多くが、「大竹しのぶ」の名を口にしていた。勘緑が終演後に、「勘緑文楽劇場公演は3回目にしてようやく満員になった」と言っていたが、多分、大竹しのぶ効果はあったと思われる。

人形と人形とがダンスを踊ったり、セリが頻繁に使われたり(「これでもか」というほど高くせり上がる場面もある)、回り舞台まで使うなど、国立文楽劇場で出来ることは全てやったという感じである。
構想から今日の舞台まで5年掛かったというが、まあ、色々な要素を取り入れているので時間は掛かるだろう。
木偶舎の座員は、全員、勘緑から「緑」の字を貰っているが、12人中10人が女性という、浄瑠璃上演集団としてはかなり異色のグループである。この後、木偶舎は、東北地方支援公演に向かうという。

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