カテゴリー「歌舞伎」の22件の記事

2018年12月11日 (火)

観劇感想精選(273) 「南座発祥四百年 南座新開場記念 白井松次郎 大谷竹次郎追善 當る亥歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部

2018年12月4日 京都四條南座にて観劇

午後4時50分から、京都四條南座で、「南座発祥四百年 南座新開場記念 白井松次郎 大谷竹次郎追善 當る亥歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部を観る。

演目は、「義経千本桜」より“木の実”“小金吾討死”“すし屋”、「面かぶり」、「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ」“浜松屋見世先”より“稲瀬川勢揃い”まで、「三社祭」


「義経千本桜」より“木の実”“小金吾討死”“すし屋”は、「いがみの権太」として知られる作品である。“すし屋”が最も有名で且つ上演時間も長いため単独で上演されることも多いが、今回は3つの場が上演される。

まず“木の実”。壇ノ浦で討死したと思われていた三位中将維盛が生きており、吉野山に潜んでいるという設定である。
維盛の御台所である若葉の内侍(片岡孝太郎)と維盛の家来である主馬(しゅめの)小金吾(片岡千之助)が維盛の幼い子を連れて大和国下市村にやって来る。維盛の行方を尋ねに来たのだ。
峠の茶屋の女房・小せん(片岡秀太郎)が出掛ける間、若葉の内侍一行は木の実拾いに興じている。
そこに通りかかった権太(片岡仁左衛門)は、石を投げて木の実を次々に落としていく。そうして立ち去る権太だったが、実は小金吾の荷物と自分の荷物をわざと入れ替える。
荷物が自分のものではないと気づいた小金吾は、権太が盗人だと思うが、そこに権太が戻ってくる。荷物を間違えたと言って取り替える権太であったが、自分が行李に入れておいた20両がなくなったと騒ぎ始め、小金吾に金を返せと詰め寄る。

いがみの権太には、江戸の演出法と上方の演出法とがあるそうだが、今回は片岡仁左衛門の権太ということで、上方の演出となる。語り口調も上方言葉であり、江戸の粋(いき)よりも上方の粋(すい)が強く感じられる。ちなみに上方では権太の悪党ぶりを強調するようだ。

“小金吾討死”は、その名の通り小金吾の討死がだんまりを交えて演じられ、ラストで弥左衛門(市川左團次)が登場する。

“すし屋”は、吉野の釣瓶鮓屋の一杯飾りで演じられる。鮓屋の看板娘であるお里(中村扇雀)は、下男の弥助(市川時蔵)と祝言を挙げることが決まっている。弥助はお里を目上として扱うが、実はその正体は平維盛。お里の父親である弥左衛門は維盛の父親である小松内府平重盛に恩があり、維盛を下男と偽って匿っていたのだ。お里はそのことを知らない。
やがて、お里に兄である権太が帰ってくるのだが……。

寿司桶の取り違えが見せ場となり、前半は喜劇路線なのだが、ラストで心を入れ替えた権太の忠義話となる。
お里を演じる扇雀が実に可愛らしい。リアリズムで考えるとおかしなところが多々あるのだが、作品の魅力の前にはリアリズムなどはただのでくの坊である。


「面かぶり」。中村鴈治郎による長唄舞踊である。初演は明和4年(1767) に江戸の市村座で行われている。名刀鬼切丸の精霊が踊る様を描いたもの。
衣装や仕掛けが鮮やかであり、強靱な足腰を感じさせる鴈治郎の舞も一つ一つが決まっている。


「弁天娘女男白浪」。「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」(「白浪五人男」)の“浜松屋見世先”と“稲瀬川勢揃い”のみを上演する場合はこの名になるという。

“浜松屋見世先”。鎌倉雪の下にある呉服屋・浜松屋の見世先が舞台。二階堂家家臣・早瀬主水の娘(片岡愛之助)が四十八(市川右團次)に連れられて浜松屋にやって来る。娘と四十八が去ろうとした時に浜松屋の番頭である与九郎(中村梅蔵)が娘の万引きを見とがめる。番頭は娘の額を算盤でしたたかに打ち付けて傷を負わせるのだが、娘が万引きしたと思われた布は実は山形屋という店で買ったものだった。結局、弁償ということになる。だが実は娘の正体は白浪・弁天小僧菊之助、四十八は同じく南郷力丸であった。そこへ店の奥から二階堂家家臣を名乗る玉島逸当なる人物(中村芝翫)が現れ、二人を白浪と見抜くのだが……。

歌舞伎の演目の中で最も有名なセリフの一つである「知らざあ言って聞かせやしょう」が出てくるのがこの“浜松屋見世先”である。元々は尾上菊之助のために書かれたセリフであり、弁天小僧菊之助の名は尾上菊之助に掛けたもの。その他にも、「寺島」(尾上菊之助の本名)、「音羽屋」(尾上菊之助の屋号)がセリフに登場する。愛之助の「知らざあ言って聞かせやしょう」は義太夫節の影響の薄い、自然なもの。やはり江戸と上方の俳優とでは異なるのであろう。
ちなみに、中村梅蔵が、「南座の顔見世が初日から満員御礼続き」というネタをやる時に愛之助の屋号を何故か「高嶋屋」と言い間違えていた(最初は自身の屋号である「高砂屋」と言おうとして嶋だけ戻したのだが間に合わず)。本職でも屋号を言い間違えることはあるようだ。

“稲瀬川勢揃い”はその名の通り、白浪五人男(中村芝翫演じる日本駄右衛門、片岡愛之助演じる弁天小僧菊之助、中村鴈治郎演じる忠信利平、片岡孝太郎演じる赤星十三郎、市川右團次演じる南郷力丸)が「志ら浪」と書かれた傘を持ったいなせな格好で勢揃いし、捕り方の前で掛詞を使った名乗りを上げるというものである。それだけで歌舞伎として実に絵になる演目である。


「三社祭」は、若手の中村鷹之資(たかのすけ)と片岡千之助による歌舞伎舞踊。
若い二人の持つエネルギーがはち切れんばかりに躍動する。一方で、若さが余って軸がぶれることもあるが、今日最後の演目としては二人の持つ力強さは好ましく思われた。


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2018年11月21日 (水)

観劇感想精選(268) 南座発祥四百年 南座新開場記念 當る亥歳「吉例 顔見世興行 東西合同大歌舞伎 二代目松本白鸚 十代目松本幸四郎 八代目市川染五郎襲名披露」夜の部

2018年11月11日 京都四條南座にて観劇

午後4時30分から、新装なった京都四條南座で、南座發祥四百年新開場記念「當る亥歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎 二代目松本白鸚 十代目松本幸四郎 八代目市川染五郎襲名披露」夜の部を観る。

耐震対策工事のため閉鎖されていた南座の新規オープン公演であり、今年は特別に2ヶ月続けて顔見世公演が行われる。11月の顔見世は、高麗屋3代の襲名披露公演でもある。

工事を終えてから初めて入る南座であるが、内装はいうほど変化はなし。椅子は替えたようだが、いうほど大きくなっておらず、少なくとも3階席は前後の座席間も詰まったままで、エコノミークラス症候群を避けるために幕間に歩いて血の巡りを良くする必要がある。
トイレはかなり綺麗になったが、それ以外は余り代わり映えしておらず、幕間には「がっかり」という声も聞こえてきた。「特別席も悪くなった」という話をしている人もいる。


演目は、「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」、「勧進帳」、「雁(かり)のたより」。「寿曽我対面」と「勧進帳」の間に、高麗屋3代の襲名披露口上が設けられている。


「寿曽我対面」。江戸歌舞伎では、毎年正月に曽我狂言を行っていたことから選ばれた縁起の良い演目(寿狂言)である。纏めたのは河竹黙阿弥。
出演は、片岡仁左衛門(松嶋屋)、片岡孝太郎(松嶋屋)、片岡愛之助(松嶋屋)、上村吉弥(美吉屋)、中村壱太郎(かずたろう。成駒屋)、中村亀鶴(八幡屋)、澤村宗之助(紀伊国屋)、片岡秀太郎(松嶋屋)ほか。

工藤左衛門祐経(仁左衛門)の屋敷が舞台ということで、工藤氏の定紋として知られる庵木工の家紋が背景の金箔の中に鏤められている。
源頼朝に味方して出世と遂げた工藤祐経に館に、宿敵だった河津三郎祐康の子である曽我十郎祐成(孝太郎)と曽我五郎時致(愛之助)の兄弟が対面を願い出てくる。

時致に扮した愛之助がかなりの外連を用いているのが印象的である。先日、びわ湖ホールで観た時とは違い、祝祭の場であるということを意識しているのだろう。


高麗屋3代による襲名披露口上。坂田藤十郎(山城屋)と片岡仁左衛門が引き立てを行う。
松本白鸚は2代目であるが、初代は南座の舞台に立ったことはなく、「松本白鸚」のまねきが上がるのは、今回が史上初となるそうである。
2代目白鸚は、67年前に南座でフィルムに収めるための上演に参加したそうだが、「流石にその時の演目を観たことがあるという方はこの場にいらっしゃらないと思います」と述べる。
松本幸四郎に関しては、仁左衛門が6年前の奈落墜落事故からの復活を称える紹介を行った。
市川染五郎は14歳ということで中学生なのだが、幸四郎が「学校を1ヶ月休んだ」ことを明かし、染五郎は、「(この後の『勧進帳』の義経役を)人生最大の緊張で」誠心誠意演じることを誓った。


「勧進帳」。歌舞伎の演目の中で一二を争う有名作である。
出演は、松本幸四郎(高麗屋)、市川染五郎(高麗屋)、大谷友右衛門(明石屋)、高麗蔵(高麗屋)、澤村宗之助、松本錦吾(高麗屋)、松本白鸚(高麗屋)。

加賀国安宅の関を舞台に、関守である富樫左衛門(白鸚)と東大寺大仏再興のための勧進を行う山伏に扮した武蔵坊弁慶(幸四郎)の丁々発止のやり取りが見物である。
すでに源義経(染五郎)と弁慶らの一行が山伏に扮しているという情報を富樫は得ており、何人もの山伏が処刑されている。
弁慶らが現れた時点で、富樫は怪しいと睨んでいるはずだが、弁慶の振る舞いの見事さに打たれて通すことに決める。
剛の者である弁慶と戦の天才義経をもってすれば、関を押し通ることも可能なはずで、それが武士の本道なのだが、その場合は鎌倉方に北陸路を行っているという情報が漏れてしまうため、技芸を持って堂々と通るという、ある意味、歌舞伎役者の姿そのものを描いている筋立てとなっている。弁慶は比叡山で修行したこともあるため、白紙の勧進帳読み上げや、山伏の装束や仏法に関する知識もあり、その場での思いつきではなく積み上げてきたものを披露しているという点でも伝統芸能的である。

染五郎は若いということもあり、役が体に染み込んでいない。14歳で大当たりを取ったら史上最高の天才レベルなので、これはこれで良い。
幸四郎の弁慶も「見事」と言える水準ではあるのだが、父親に比べるとまだまだである。白鸚の富樫は「見られるだけで嬉しい」類いのものである。


「雁のたより」。上方狂言である。出演は、中村鴈治郎(成駒屋)、中村亀鶴、中村壱太郎、片岡秀太郎、中村寿治郎(成駒屋)、松本幸四郎、片岡市蔵(松嶋屋)ほか。

有馬温泉が舞台である。さる大名の若殿である前野佐司馬(亀鶴)は、元新橋の傾城で今は側室としている司(壱太郎)を伴っているのだが、司は佐司馬につれない態度を取る。佐司馬は、司に「気に入った者に盃を差すよう」言うのだが、司は裏町にある髪結の三二五郎七(鴈治郎)に盃を与えたいと言い出し……。

三二五郎七の一人語りが役者の腕の見せ所である。一人語りは現代劇では「リアルでない」として避けられる傾向にあるのだが、伝統芸能の一場で役者が魅せるものと考えれば悪くはない。
ラストはとってつけたようなもので、これまでの過程から考えても不自然に思われるのだが、「理屈となんとかはどこにでもつく」ため、それも三二五郎七の演技の一つだったと考えることも出来る。あくまで「出来る」であって、現代人の目にはご都合主義に映るのは確かである。
面白いのはむしろ、鴈治郎と幸四郎のやり取りで、互いを贔屓の役者として褒め合うシーンなどは存分に笑うことが出来る。

夜の部は演目的はさほど魅力的ではなかったといえるだろう。勿論、役者は粒ぞろいなので、そこは見応え十分である。



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2018年10月 1日 (月)

観劇感想精選(256) 松竹大歌舞伎「義経千本桜」“道行初音旅”&“川連法眼館” 片岡愛之助、中村壱太郎、市川猿弥ほか@びわ湖ホール

2018年9月23日 びわ湖ホール中ホールにて観劇

午後5時から、びわ湖ホール中ホールで、松竹大歌舞伎「義経千本桜」“道行初音旅”&“川連法眼館”(通称:四の切)を観る。

「仮名手本忠臣蔵」、「菅原伝授手習鑑」と並び、歌舞伎の三大演目の一つに数えられる「義経千本桜」。中でも「川連法眼館」は四段目の終わりということで「四の切」の別名でも呼ばれ、単独で上演されることも多い。今回はその前段である「道行初音旅」と続けての上演が行われる。

出演は、片岡愛之助、中村壱太郎(かずたろう)、市川猿弥、中村寿治郎、上村吉弥(かみむら・きちや)、中村松江、市川門之助ほか。

愛之助の佐藤忠信&狐忠信である。

「道行初音旅」は舞踊が中心になるが、愛之助の忠信は動きに無駄がなく、指先に至るまで神経が宿っている。要所要所で飛ばされる「気」のようなものも効果的で、流石は花形歌舞伎俳優である。
静御前を演じる中村壱太郎も細やかな仕草が印象的で、女形としての実力を感じさせる。
三枚目、トリックスターである逸見藤太を演じる市川猿弥の味も良い。「こんなところで愛之助」、「とっとと寄こせば猿弥」という駄洒落も笑える。

「川連法眼館」。歌舞伎対応劇場ではないということもあってか、川連法眼を演じる中村寿治郎のセリフが少し聞き取りにくかったが、進行の上で支障があるというほどではない。愛之助演じる佐藤忠信の凜々しさと、狐忠信の怪しさとコミカルな部分の演じ分けが見物である。

先代と当代の猿之助が演じる宙乗りありの澤瀉屋バージョンが有名だが、今回は別の版(音羽屋版だと思われる)での上演。途中で佐藤忠信が屋敷の奥に姿を見せる場面はなく、ラストも宙乗りではない。愛之助の狐詞も先代と当代の猿之助ほどではないかも知れないが、ユーモラスで愛嬌があり、惹かれる。親を慕う哀切な場面での表現も巧みであり、外連で見せる澤瀉屋版とここで差別化を図っているように思われる。

壱太郎演じる静御前の仕草も美しく、愛らしい。

義経を演じる市川門之助も堂々としており、貫禄と迫力と存在感があった。

ラストでは狐忠信は宙乗りの代わりに舞台中央やや上手側に聳える桜の木に登る。桜の名所である吉野の、今が盛りと咲く華やかさとすぐに散るという儚さを併せ持つ桜と一体になる忠信の構図が、義経を中心とする登場人物達の運命を象徴しているようでもある。

今日は歌舞伎専用の劇場での上演ではないということもあってか、大向からの声はほとんど掛からず、いつもとは違った雰囲気の中での歌舞伎見物となった。



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2018年2月 8日 (木)

松竹 「南座新開場ご紹介」映像ご紹介

松竹による京都四條南座の新開場公式案内映像です。

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2018年1月18日 (木)

「将軍頼家」 頼朝の死、もう一つの説を描く

※ この記事は2017年12月27日に書かれたものです。

1198年12月27日、相模川で行われた供養から鎌倉に戻る途中の源頼朝が落馬し、これが元で翌1月13日に死去したとされます。武家の棟梁たる頼朝が落馬することは考えられず、「平家の呪いか」と噂されました。

しかし、この落馬は創作されたものとする話があります。源頼朝の死には異説が存在するのです。

それは女のもとに通う途中の頼朝が変質者に間違えられて斬られたというものです。

「英雄色を好む」とはよくいわれる言葉ですが、源頼朝も相当な色好みでした。正妻(北条政子)や側室もいましたが、それでも他の女性と逢瀬を重ねたい、ただ正妻の北条政子はご存知の通り怖い人でしたので、頼朝はいわゆる夜這いを重ねていたとされています。夜にこっそりと、しかも顔を隠すように歩いていたらそれは怪しまれても仕方ありません。というわけで斬殺されてしまったというのです。

この説を基に書かれた歌舞伎の演目が「将軍頼家」です。昭和7年初演の新作歌舞伎で、作者は真山青果(まやま せいか)。劇中では頼朝が北条政子お付きの女性に懸想して、女装して会いに生き、重臣の畠山重保に怪しまれて斬られたということになっています。将軍が変態に間違われて殺されたとあっては源氏末代までの恥。

次期将軍になる源頼家は、父の死の真相を知りたがりますが、誰も教えてくれません。息子であり、生まれながらの将軍でありながら父の死の模様を誰も語ってはくれない。そのことで頼家はやけになっています。

結局、源氏の誇りを守るために、北条政子も畠山重保も秘密を押し通し、将軍に対する扱いではないと嘆く頼家を政子(尼御台)は、「人は一代、家は末代」と切り捨てるのでした。

 

実はこの「将軍頼家」、私が初めて観た歌舞伎の演目です。1996年12月、東京・築地の歌舞伎座での上演でした(「将軍頼家」、「積恋雪関戸」、「新皿屋敷月雨暈」の3演目の上演)。頼家を演じたのは5代目坂東八十助(のちの10代目坂東三津五郎)。花のある八十助の容姿が、育ちの良い将軍である頼家の雰囲気をよく表していました。

三津五郎の演技は、京都に来てからも2011年暮れの四條南座での顔見世や現代劇などでも楽しみましたが、その三津五郎も2015年に他界しました。

三津五郎がまだ八十助で頼家の格好をしていたのが昨日のことのように思えるのに、時の流れは速いものです。

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2017年12月20日 (水)

観劇感想精選(224) 「當る戌歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部

2017年12月17日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて観劇

午後4時から、ロームシアター京都メインホールで、「當る戌歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部を観る。
南座が耐震強化工事中のため、顔見世は昨年はキャパの狭い先斗町歌舞連場で行われたが、今年は南座よりも大きいロームシアター京都メインホールで行われることになった。ただし4階席は使用しておらず、2階席3階席バルコニーのハイチェアシート(通常よりも高い場所に椅子があり、足かけも下にあるのだが長時間座ると疲れる)も前に衝立状の壁を置くことで隠してある。

夜の部の演目は、「良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)」、「俄獅子」、「人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)」、「大江山酒呑童子」
「人情噺文七元結」の途中で、八代目中村芝翫襲名口上がある。


「良弁杉由来」。通称の「二月堂」でも知られる演目。坂田藤十郎、中村鴈治郎の親子共演がある。東大寺の大僧正良弁(ろうべん。中村鴈治郎)と母親の渚の方(坂田藤十郎)の再会の物語。
良弁は幼い頃、大鷲に攫われ、東大寺の杉に落とされ、命を落とすところを師の僧正に助けられた。一方、滋賀の里に住んでいた良弁の母・渚の方は、息子がどうなったのかを知るために諸国を放浪、東大寺の大僧正が幼い頃に大鷲に攫われたという噂を聞き、「もしや我が子では?」と東大寺にやって来た。

藤十郎の細やかな心理表現が見物であるが、今日は3階席の最後部ということもあり、藤十郎の抑えた声が聞き取りにくかったりした。


「俄獅子」。中村時蔵が演じる芸者・お蝶と片岡孝太郎扮する芸者・お松のを中心とした俄舞である。中村芝翫と共に襲名した橋之助(国生改め)、福之助(宗生改め)、歌之助(宜生改め)の3兄弟が鳶頭3人を務める。
時蔵の舞は華やかで、孝太郎の舞は艶やかである。


「人情噺文七元結」。24年前に当時16歳の松たか子が初舞台を踏んだ演目でもある。今日は中村壱太郎(かずたろう)が演じたお久は女優が演じても問題ない役なのだそうである。番付によると、松たか子がお久を演じたのは、平成5年(1993)10月の歌舞伎座での公演である。主役の長兵衛を演じたのは中村勘九郎(のちの中村勘三郎)であった。記録によるとお久を演じた女優は波野久里子(波乃久里子)を始めとして、光本幸子、黒木悦子らがいる。

出演:中村芝翫、中村扇雀、中村亀鶴、中村壱太郎、中村魁春、中村梅玉、中村七之助、片岡仁左衛門ほか。

左官の棟梁である長兵衛(中村芝翫)は、腕は良いのだが酒と博打が大好きであるため常に金に困っている状態。今夜も博打で負けて身ぐるみ剥がれて本所達磨横町の家に帰ってきた。妻のお兼(中村扇雀)が長兵衛に娘のお久が出掛けたまま帰ってこないと告げる。長兵衛に愛想を尽かしたからではないかとお兼は考えていた。
そこに吉原の遊女屋・角海老の手代である藤助(中村亀鶴)がやって来て、お久が角海老にやって来ていると告げる。お久は自分が働いて金を拵え、長兵衛に心を入れ替えて貰いたいと思っていたのだった。
社会性は破綻しているが、鯔背なところのある長兵衛役は芝翫に良く合っている。中村扇雀はお兼はオーバーアクションで演じて客席から大いに笑いを引き出した。


「大江山酒呑童子」。中村勘九郎、七之助の兄弟共演がある。
丹波国大江山。鬼が出るといわれている場所である。この頃、都では大江山の鬼神が夜な夜な現れて女の肉を喰らうなどしていたため源頼光(中村七之助)は、「鬼を退治するように」との勅命を受けて、渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武の四天王と独武者として名高い平井左衛門保昌(中村橋之助)を連れて大江山にやって来た。
鬼は酒を好み、童の格好をしているため酒呑童子(中村勘九郎が演じる)と呼ばれている。頼光一行は、八幡神、住吉明神、熊野権現から賜った酒を持参しており、これで酒呑童子を酔わせて討ち取ろうと図っていた。

中村勘九郎の鮮やかな舞と茶目っ気のある演技が見物である。勘九郎の声が父親の勘三郎にどんどん似てきているのも面白い。

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2017年6月13日 (火)

観劇感想精選(215) 大阪松竹座「五月花形歌舞伎」 「野崎村」&「怪談乳房榎」

2017年5月17日 大阪・道頓堀の大阪松竹座にて観劇

大阪・道頓堀にある大阪松竹座で、「五月花形歌舞伎」を観る。午後4時開演の会で、演目は、新版歌祭文「野崎村」と「怪談乳房榎」

大阪松竹座の「五月花形歌舞伎」には、中村勘九郎、中村七之助の兄弟が出演。市川猿之助も出る。「怪談乳房榎」は、勘九郎・七之助兄弟がニューヨークで行われた平成中村座で大当たりを取った演目でもある。


「野崎村」は、近松半二が人形浄瑠璃のための書いた本を基にした世話物の義太夫狂言である。「心中」がキーワードになっている。
大坂の野崎村が舞台。百姓の久作(板東彌十郎)には一男一女があったが、息子の久松(中村歌昇)は実子ではなく、武士の家の出。訳あって実家が断絶し、久作に引き取られたのだ。久作には実の娘であるお光(中村七之助)がいて、久松とお光は将来を約束した仲だった。
久松は大坂の油屋に奉公に出ていたが、実家に戻ってくる。
冒頭に、久松の男っぷりとお光の容色を村人が褒めるセリフが加わっている。
七之助演じるお光は、久松が戻ってきて結婚も間近ということで浮き浮きとした様子。何度も鏡を見て、自らの容姿におかしなところはないかと確かめるが、どうやら少しナルシストの傾向があるようでもある。
大坂で久松と恋仲だった、油屋の娘・お染が久作の家を訪ねてくる。訪ねて来た人が噂に聞くお染だと悟ったお光は、つれなくして家に入れようとしない。

色々あって、久松とお染は心中しようとして久作に止められ、お光は身をひくため仏門に入る決意をするのだが、「身をひくために仏門に入る」という感覚は、正直、今ひとつピンとこない。現代では「身をひくために仏門に入る」ということはまずないということもあるのだが、身をひくような状況であるのかどうか。お光が幼かったとすればそれまでになるのだが。

七之助のお光は色気があってとても良い。


「怪談乳房榎」。三遊亭円朝の落語が原作である。中村勘九郎は、菱川重信、下男の正助、うわばみ三次の3役を早替りで演じる。

隅田川河畔の隅田堤。絵師の菱川重信の妻であるお関(七之助)が、桜の名所である堤の茶屋で休んでいると、従兄弟の松井三郎(市川猿弥)がやってくる。松井の主家である谷家で、金蔵に盗賊が押し入り、二千両が盗まれるという事件が発生。佐々繁(さっさ・しげる)という侍の羽振りが急に良くなったという話を聞いた松井の父親は佐々を捉えようとするが、佐々は逐電。事件を解決できないまま亡くなった父親の無念を晴らすため、松井は佐々の行方を追っていたのである。

松井が去った後、器量よしであるお関は、通りがかりの者に絡まれるが、深編み笠の浪人がお関を助ける。浪人の名は磯谷浪江(市川猿之助)。磯谷は、「絵師になりたい」ということで、菱川重信に弟子入りする運びとなったのだが、磯谷の正体こそ佐々繁であり……。

中村勘三郎は、正助役として下手に去ったかと思えば、うわばみ三次としてすぐに現れたり、うわばみ三次と正助が階段ですれ違う場面で、三次から正助へ瞬く間に化けたりする。
花道で他の役者と入れ替わるのだが、これがまた実に巧みで、どうなっているのかやはりわからない。勘九郎が早替りを行うたびに、客席から感嘆の声がもれる。歌舞伎の外連の極みである。

今回は、角筈十二社大滝の場では、本水が使用される。勘九郎は水を思いっきりはね飛ばして、客席から笑いが起こる(一階席前から5列目までの人には水よけ用のシートが予め配られていた)。
角筈という地名は現在では消滅しているが、西新宿の一帯であり、東京都庁の辺りである。角筈一二社(じゅうにそう)大滝は、現在の新宿中央公園内にあった人工の滝。淀橋浄水場建設の際に埋めたてられ、現在では影も形もない。

勘九郎は正助の剽軽ぶりがよくはまっている。勘九郎も七之助も実にいい役者である。実いい役者なのだが、二人合わせてもまだ父親の勘三郎には遠く及ばない。勘三郎は不世出の名優であり、超えるのは至難の業であると思われる。

猿之助が出演ということで、勘九郎は猿之助がテレビCMに出ているソルマックの話をしたり(「CMに出ているのがまたいい男」と言っていた)、キーになる印籠に「澤瀉」の家紋が入っているという設定にして笑いを取っていた。

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2017年4月 1日 (土)

観劇感想精選(207) UMEDA BUNRAKU うめだ文楽2017「義経千本桜」河連法眼館の場

2017年3月24日 グランフロント大阪北館4階のナレッジシアターにて観劇

午後7時から、グランフロント大阪北館ナレッジキャピタル4階にあるナレッジシアターで、うめだ文楽2017 「義経千本桜」より河連法眼館の段を観る。二代目竹田出雲ほかによる合作。
「仮名手本忠臣蔵」、「菅原伝授手習鑑」と共に三大傑作の一つに数えられる「義経千本桜」。歌舞伎でも有名だが、人形浄瑠璃としての方が先で、歌舞伎はいわゆる義太夫狂言として行われたものである。
「河連法眼館の段」は歌舞伎では四段目の切りであることから「四の切」という通称でも知られているが、文楽ではそういう表現はしないようである。歌舞伎の四の切は市川猿之助の先代と当代の十八番であり、私も京都四條南座などで歌舞伎版の「河連法眼館の段」を観ている。猿之助がラストで宙乗りを行うことで有名だ。

うめだ文楽は、大阪にある民放テレビ局5局の共同で制作されており、今回は読売テレビの担当で、司会は読売テレビアナウンサーの諸國沙代子(しょこく・さよこ)が務める。
毎回ゲストが招かれており、開演前のトークショーが行われる。今日のゲストはシンガーソングライターの嘉門達夫。替え歌でお馴染みの嘉門達夫だが、今日も新作替え歌である「森友の籠さん(原曲:「森のクマさん」)」を披露する。嘉門は、ナレッジシアターに来る前は、ラジオの仕事をしてきたそうで、「森友の籠さん」はすでにラジオで発表済みで、YouTubeにもすでにアップしたという。嘉門は「今日やれて良かったわ。明後日ぐらいになったらもうみんな忘れている」

嘉門は、歌舞伎は勘三郎と友人だったためよく観ていたが、文楽は3回ほど観たことがあるものの、いずれも居眠りしてしまったそうである。司会の諸國も1回観たことがあるだけだそうだ。うめだ文楽は文楽に馴染みのない人にも文楽をアピールするという目的もある公演であるが、嘉門が客席に「文楽を観るのは今日が初めてという人」と聞くと、手を挙げる人はまばらで、嘉門は、「今日はベテランばかりですね」と言う。文楽を観に来ない人は立地が良かろうが値段が安かろうが観に来ないので、まあ、当然といえば当然の結果である。うめだ文楽は国立文楽劇場と違って字幕は出ないので、わかりにくいという一面もある。

その後、静御前の人形を操りながら吉田簑紫郎、吉田簑太郎、桐竹勘次郎が登場し、トークを行う。吉田簑紫郎は今年42歳にして芸歴30年だそうだが、13歳の時に文楽を観たのがきっかけで人形に興味を持ち、楽屋に遊びに行くようになって、そのまま弟子入りとなったそうだ。吉田簑太郎は父も祖父も文楽の人形遣いであったため、高校生の頃には「自分もそうなるんだろう」と思っていたそうである。桐竹勘次郎は比較的遅く、大学生の時に授業の単位欲しさに観に行った文楽に惹かれてしまい、そのまま学生生活と平行して文楽の技芸員になるための見習いを始め、大学卒業後に本格的に文楽技芸員の世界に飛び込んだという。
国立文楽劇場には研修所があるため、そこ経由で来る人と弟子入りで来る人の二通りがあるそうだ。嘉門達夫は、「吉本でいってみれば、巨人師匠に弟子入りするか、NSC入るか」と例えていた。研修所に入ると、2年ある課程のうちの1年は、太夫、三味線、人形遣いの全てを学ぶ必要があるが、弟子入りだと一本で行けるそうである。ただどちらが良いかは人によるという。

人形遣いは、まず足遣いから始めて10年、左遣いに10年から15年掛かるそうである。だが簑紫郎は、「入門から21年間ずっと足遣いで、これは騙されたと。ただ自分は中学しか卒業していないので、潰しが利かない。だからこれをやるしかない」と腹をくくったそうである。また全員が主遣いになれるわけではなく、うだつが上がらないままに終わる人もいるそうである。

諸國沙代子が、「笑いたくなるときなんてないんですか?」と聞くと、簑紫郎は、「聞かないで下さい」と言う。実は下で介錯をしている人が、笑わせようとして変なものを出してくる場合があるそうだ。だが、人形遣いは何があっても動じてはいけないため、笑った方が悪いということになるそうである。

トークのラストでは、嘉門の代表曲である「鼻から牛乳」に合わせて、静御前の人形に動いて貰った。
なお、昨年、関西テレビの回のうめだ文楽トークゲストとして登場した兵動大樹は演目は観ずに帰ってしまったそうだが、嘉門達夫はちゃんと観劇していた。


「義経千本桜」より河連法眼館の段。字幕はないがその代わり、河連法眼館の段に至るまでの「義経千本桜」のあらすじがCG映像で説明された。
太夫は豊竹希太夫。三味線は鶴澤寛太郎と鶴澤燕二郎。出演は、吉田幸助(佐藤忠信、狐、狐忠信)、吉田簑紫郎(静御前)、吉田玉勢(源義経)、吉田簑太郎、桐竹勘介、吉田玉誉(よしだ・たまよ)、吉田簑之、吉田玉路(よしだ・たまみち)、桐竹紋吉(きりたけ・もんよし)、吉田玉延(よしだ・たまのぶ)、桐竹勘次郎、吉田玉彦ほか。

歌舞伎の河連法眼館の場は、狐忠信(源九郎狐。大和郡山市の源九郎稲荷神社に祀られている)の早替わりが見物であるが、文楽で狐忠信の主遣いを担当する吉田幸助も歌舞伎俳優と同等か、それ以上の早替わりを行う。人形を変えたり衣装を着脱させたりするだけでなく、自身の衣装の早替えも行う。主遣いの衣装の早替えは、春秋座で観た淡路文楽で観たことがあるが、それ以来である。
吉田幸助は顔を赤くしながらの熱演。障子を破ったり戸板返しを行うなど、想像力豊かな展開を見せる。

歌舞伎では猿之助の狐忠信が宙乗りで去るのだが、今回の文楽上演では、狐忠信が客席に降りてきて、中央通路を下手から上手へと移動し、ドライアイスの煙が漂う上手通路口から退場していった。

今回の公演ではカーテンコールがあり、狐忠信の主遣いを務めた吉田幸助がスピーチを行う。「ああ、しんど」と吉田幸助。歌舞伎の狐忠信も大変だが、文楽の狐忠信も激しく動きっぱなしの上に、移動距離も他の演目の人形より長く、早替えもあるということで、体力がないと務まらない役である。
吉田幸助は、「来月も国立文楽劇場の方で公演がございますが、19日だけお休みとさせて頂いております。19日にお越しになってもご覧いただけませんので、それだけはよろしくお願いいたします」とユーモアを込めて語っていた。

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2016年12月12日 (月)

これまでに観た映画より(84) 「大鹿村騒動記」

DVDで日本映画「大鹿村騒動記」を観る。阪本順治監督作品。原案:延江浩。出演:原田芳雄、大楠道代、岸部一徳、松たか子、佐藤浩市、三國連太郎、冨浦智嗣(とみうら・さとし)、瑛太、小野武彦、でんでん、石橋蓮司ほか。主題歌:忌野清志郎「太陽の当たる場所」

原田芳雄の遺作となった映画である。

長野県にある実在の村、下伊那郡大鹿村が舞台である。大鹿村では、300年の伝統を誇る村歌舞伎が行われているのだが、出演者達が村人に扮して、歌舞伎の景清もの(「六千両後日文章」)を演じる。

長年に渡って景清を演じてきた風祭善(原田芳雄)。18年前、妻の貴子(大楠道代)と友人の治(岸部一徳)が駆け落ちして村から出て行って以来、善は一人者を貫いている。かつては鹿牧場を経営した善だが、今は「ディア・イーター」という、店名そのままの鹿料理の店を一人で営んでいる。そこに、雷音(らいおん)というキラキラネームの青年(冨浦智嗣)がアルバイトの面接にやって来て即日採用される。雷音が声が高くて華奢だが、実は性同一障害を抱えており、姿形は男だが、内面は女だ。

治と貴子が大鹿村に18年ぶりに帰ってくる。実は貴子は前頭葉が萎縮するという、アルツハイマーとは別の認知症になり、治は自分では支えきれないとして、夫である善に貴子を帰しに来たのだ。

大鹿村にはリニア新幹線が通る計画があり、村民達は推進派と賛成派に分かれて意見が衝突、景清ものの上演が危うくなる。

実は戦中には、男達が出征したため、景清ものは女歌舞伎として上演されており、貴子は畠山重忠の妻の道柴を演じていた。記憶に障害のある貴子だが、道柴のセリフは覚えている。

そんな中、台風23号の上陸による土砂崩れにより、女形として道柴を演じていたバス運転手の一平(佐藤浩市)が負傷。舞台に出られなくなる。そこで、村役場の総務課に勤める織井美江(松たか子)が貴子に道柴を演じさせれば、昔のことも思い出せるのではないかと提案し……。

大傑作というわけにはいかないが愛すべき映画である。
歌舞伎というと、男が女を演じるという倒錯があるのだが、性同一性障害を抱える雷音が郵便配達夫の寛治(瑛太)に恋をして、一応受け入れられたりという歌舞伎的要素が持ち込まれている。高麗屋のお嬢さんである松たか子は村歌舞伎に出演せず、大楠道代が舞台に上がるのだが、大楠道代の役名は字こそ違えど「たかこ」であり(松たか子の「たか子」は漢字で書くと「隆子」である)、転倒が見られる。松たか子の役名は美江だが愛称は「みっちゃん」で、やはり大楠道代と逆転している。
歌舞伎の手法はこのほかでも用いられている。

三國連太郎と佐藤浩市の親子が出ているが、同じシーンには出演していない。三國連太郎も佐藤浩市も出演している場面はさほど多くないのだが、共に重要な役割を担っている。

原田芳雄の見事な歌舞伎役者ぶりと、大楠道代の「可愛らしいおばあちゃん」ぶりも見事である。

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2015年11月 4日 (水)

観劇感想精選(167) 新作歌舞伎「あらしのよるに」

2015年9月24日 京都四條南座にて観劇

午後4時から、京都四条南座で、新作歌舞伎「あらしのよるに」を観る。実は観る予定のなかった劇なのであるが、真宗大谷派東本願寺(真宗本廟)に礼拝に行った時、ブックストアで戸次公正の『親鸞の詩(うた)が聞こえる エッセンス・正信解』(東本願寺出版部)という本を買い、その本の最初の章に絵本『あらしのよるに』の話が出ているのだ。「『あらしのよるに』は、今、南座でやってるじゃないか!」ということで、チケットを取って観に行くことに決めたのである。偶然なのか回向なのか。それはおくとして、「あらしのよるに」は、歌舞伎としても現代劇としても面白い出来であった。

原作:きむらゆういち、脚本:今井豊茂、演出・振付:藤間勘十郎。出演:中村獅童、尾上松也、中村梅枝、中村萬太郎、市川橘太郎、市川竹松、市川月乃助、尾上徳松、片岡千壽、河原崎権十郎、市川萬次郎ほか。

狼たちと山羊たちの世界の話である。

まず狼たちの兄貴分である“ぎろ”(市川月乃助)らが山羊の群れを襲う計画を立てている。狼“ばりい”を演じる片岡千壽は何故かセリフが関西弁である。
狼たちの踊りは荒々しい荒事で、益荒男ぶりを見せつける。

今度は山羊たちの群れ。“おじじ”(市川橘太郎)、みい姫(市川梅枝)、“たぷ”(市川萬太郎)、“はく”(市川竹松)らが群れに加わり、舞が始まる。こちらは和事で、手弱女ぶりを発揮、と書きたいところなのだが、後ろの方の人達は明らかに稽古不足で、踊りがバラバラであり、優雅さが出ていない。セリフのほとんどないアンサンブルキャストが多いということもあるのだろうが、まがりなりにも歌舞伎俳優を名乗っているのだから舞はせめて見せられるものにして貰わないと。

山羊たちの群れを狼たちが襲う。逃げ遅れた雌山羊の“まつ”(尾上徳松)は、ぎろと一騎打ち。当然、敵うはずはないが、まつは不意を突いてぎろ右耳を食いちぎり、一矢報いて倒れる。右耳を失ったぎろは怒り心頭に発するが、そこの狼たちの長(おさ。お頭とも呼ばれる。澤村大蔵)が戦況を見舞いに来る。長と二人きりになったぎろは千載一遇のチャンスと思いつき、長を槍で突いて殺し、駆けつけた狼たちには、「長は山羊に殺された」と嘘を付く。そして、自身失われた右耳を山羊に襲われた証拠としてしまうのである。しかし、長の遺体のそばに落ちていた槍の穂先がぎろのものであることに気付いた“がい”(河原崎権十郎)は、ぎろに疑いの目を向け……。ここまでが「発端」とされる部分である。

主役である狼の“がぶ”(中村獅童)が登場するのは「発端」から長い月日が経ってからのことである。がぶはぎりに殺された狼の長の息子なのだが、出来が悪く、狼のみんなから馬鹿にされていた。父親は、がぶに「己を信じ、自分らしく生きていれば、必ず自分を信じて認めてくれる友達が出来る」と言い聞かせてきた。だが、今もがぶははぐれ狼である。

山羊の“めい”(尾上松也)が、嵐の夜に、風雨と雷を避け、粗末な小屋に閉じこもっている。めいは山羊たちが襲われる悪夢を見て、バッと跳ね起きる。夢だと気付いて一息ついたところで、やはり嵐を避けて小屋に飛び込んできた者がいる。狼のがぶなのであるが、小屋の中は真っ暗闇、がぶもめいも風邪を引いていて嗅覚ゼロ、ということでめいは相手が同じ山羊だと思っているし、がぶも先客は狼だと思い込んでいる。めいが「さわさわ山に住んでいる」と言うと、がぶは「あそこは良い食べ物が一杯あるでやんす」(語尾を「~でやんす」とするのが、がぶの口調の特徴である)と答える。めいは食べ物が「草」だと思っており、がぶは「山羊」のつもりで言ったのであるが、相手の正体がわからないため、誤解を誤解と気づけないまま話は進む。そして共に「風の歌」という歌が好きだということがわかり、意気投合。明日また会おうということになる。この小屋の前で、合言葉は「あらしのよるに」

暗闇の中で物事が進行する様子を見て、私は夏樹静子の傑作ミステリー小説『第三の女』を連想した。

翌日、小屋の前へとやって来ためい。台風一過で青空が広がっている。めいは相手へのプレゼントにするための四つ葉の幸福草(クローバー)を探しに行く。その直後にがぶが小屋の前にやって来る。相手への贈り物としてやはり四つ葉の幸福草を手にしている。しかし、「あらしのよるに」の合言葉で顔を合わせた二人は吃驚仰天。まさか相手が敵であるとは思いもしていなかったのだ。

がぶは山羊を食べるのが大好きなのであるが、めいとの昨日のやり取りを思い出し、「山羊は食べたことがない」と嘘を付いて、言葉を交わす。ちなみにめいはがぶの手土産である四つ葉の幸福草を食べてしまう(草食であるため)。その後、豊かな草場へとめいを案内したがぶは、めいを食べたいという気持ちを持ちつつもそれを抑えて、友達と接する。

なお、がぶの内面の声は謡(浄瑠璃:竹本蔵太夫、竹本司太夫)が担当するのだが、謡が「食べたい、食べたい」と繰り返すところで、獅童が「うるせーよ! いい加減にしろ!」と毒づき、謡は謡で獅童をおちょくるというシーンがある(今日は簾はなく、相手の姿がはっきりと見えるようになっている。ここは役者の入り口としても使われる)。歌舞伎というものを相対化してみせる面白いやり方である。

「発端」でも、狼や山羊が一階の客席通路が使って舞台に上がったが、がぶの中村獅童とめいの尾上松也も1階客席に降り、通路を使い、その後、おそらく通路ではなく客席と客席の間(南座は古い劇場なのでかなり狭い)を通って花道に戻る。私は今日も三階席に座っていたので、一階で何が起こっていたのかは正確にはわからないのだが、尾上松也が中村獅童に「迷惑なんじゃないですか」と言っていたため、客席と客席の間を通り抜けたと予想される。

ちなみに、中村獅童はたまにであるが、感情を切り替える場面などで、野田秀樹のような喋り方をする。おそらく意図的に野田の演技スタイルを参考にしているのだと思われる。

その後、話は暴君となった狼の新首領ぎろと、羊たちとの戦いへと発展していく。舞台奥の幕は細長い幕を縦に吊したものだが、これが狼たちが奥へと退場する時にくるりと回り、戸板返しの代わりになっている。その他にも、囃子方が上手と下手に分かれ、下手からは邦楽器だけではなく、シンバルなども盛大に鳴らされている。

山羊たちの集会の場面では散開の場面で、囃子方が「メリーさんの羊」を演奏し、「僕ら羊じゃなくて山羊なんですけど」と博学の山羊であるはくに突っ込まれる。

立場が違い、生まれ落ちた時点で天敵という「宿命」をどう乗り越えていくかという「人間」の物語でもある。中村獅童がバリバリにアドリブを入れるなど、コメディー的な要素が満載であり、重くなりすぎないよう、最後までファルスの精神は貫かれているが、テーマ自体は重いものである。

個々のあり方から国家間のスケールまで、我々は「わかり合えない」という業をほとんど生まれながらにして背負っている。もし異質でわかり合えないはずのもの同士が手に手を取って笑顔になれる日が来るとするのなら、そのために最も必要なのは……、存在というものを認めて一対一で対応していくしかないのかも知れない。一対組織、個対集団になってしまった場合、我々は永遠の誤解を繰り返すことになるであろうから。

演出としては、吹雪や雪崩に巨大な白幕を何枚も使うなど、迫力を出す事に成功していた。また役者がポールを伝って降りてくるという場面があり、古典歌舞伎にはまずないことなので、視覚的に面白かった。外連も多いが、歌舞伎とはそもそも外連を競うものであり、そこにはリアリズムを超えた「確固たるもの」が存在していた。

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