カテゴリー「能・狂言」の30件の記事

2019年7月 2日 (火)

観劇感想精選(308) 野村万作・萬斎狂言公演「萩大名」「木六駄」@びわ湖ホール2014

2014年12月14日 びわ湖ホール中ホールにて観劇

午後5時から、びわ湖ホール中ホールで、「野村万作・野村萬斎狂言公演『萩大名』『木六駄』」を観る。タイトル通り野村万作と野村萬斎の親子による狂言公演である。今日は午後1時からと午後5時からの2回公演で、シテ方が交代する。午後1時からの「萩大名」のシテ方を務めるのは野村万作、午後5時からの「萩大名」のシテ方は野村萬斎である。「木六駄」では逆に午後1時からのシテ方は野村萬斎、午後5時公演のシテ方は野村万作である。

上演前に野村萬斎が登場し、作品の解説を行う。「萩大名」(毛利氏ではない)について。作品が作られた室町時代の頃の大名というのは名田を多く持っている人のことで、いわゆる守護大名や戦国大名、1万石以上の大名ではないという。田舎から京に上ってきた田舎大名が将軍(足利氏)から所領を安堵された上に新たに領地を加増された。しかもすぐに国元に戻って良いというので大喜びである。大名は都で物見遊山して国に帰ろうと太郎冠者に言う。
萬斎は「大名というのはプライドが高いので、舞台の前方まで出ていくんです。普通は中間ぐらいで止まるんですが、かなり前まで出てしまう」と解説する。
お付きの太郎冠者は大名の出世を願って清水寺の観音菩薩に日参していたという。
「『ニッサン』聴き慣れない言葉ですね。車の会社ではないですよ。私はHONDAのテレビCMに出ていますので、ライバル会社の宣伝をするわけには参りません。HONDA、HONDA、HONDA。これぐらい言っておけば宜しいでしょうか」と萬斎。「日参というのは毎日参拝することです。太郎冠者が熱心に祈っていたんですね」
その太郎冠者が清水寺の参道に茶屋があり、庭園の萩が見事なので国元に帰る前に見物することを進める。ただ、その茶屋の主というのが少々お堅い風流人であり、来客に和歌を一首求めるのだという。
萬斎は、「この大名というのは武人。政治家なんですね。ところで投票行きましたか?(この日は衆議院選挙の投票日であった)」と客席に聞き、「武人なので文化系のことは苦手なので和歌は詠めない。そこで太郎冠者がその辺で聞いた和歌が相応しいのでそれを詠めば良いということになります。しかし大名は和歌が覚えられない。そこで太郎冠者がブロックサインを出すわけです」と萬斎は続ける。
萬斎は太郎冠者がすねを出すところに注目して欲しいとも解説する。

「木六駄」について萬斎は、「普通は『き・ろくだ』という風に読むのですが、狂言では『きろくだ』と読むわけです。オリンピックかなんかの『記録だ』みたいですが」
「この狂言は珍しいんです。普通の狂言は『この辺りに住まいいたす者でござる』と始まるのですが『木六駄』では、『奥丹波に住まいいたす者でござる』とこう言うんですね。東京でやると奥丹波と言ってもわかって貰えないのですが。駄というのは荷物の単位でありまして、木の束六駄と炭六駄を牛に一頭に一つずつ、全部で12頭に乗せまして雪の中を都まで引いていくわけです。野性の牛を見たことがあるという方はいらっしゃいますでしょうか。私はイギリスに留学していた時に、ロンドンから郊外まで車を運転していますと田舎に入るや牛と遭遇するわけです。牛というのがなかなか動かない。ただイギリス人というのはそういうことには鷹揚なわけです。クラクションを鳴らしたりしない。牛が通過するまで10分ぐらい待っていたりします。このなかなか動かない牛を動かすという演技を父がやります」
「最初から真ん中に人が座っていますが、狂言というのは人が出たり入ったり忙しいのを嫌いますので、座っていたとしても動いてなかったらいない。見えていても見えないというお約束でございます。今度は紛らわしいのですが、牛はいないのですがいると、想像力を働かせる必要があります。狂言を見るには想像力が必要です」と語り、「見えないものが、さもあるかのように演じるのを父は得意としておりまして、この場にいらっしゃる方は幸運でございます」と父親を立てた。

狂言の前に小舞が二曲、「貝づくし」と「海人」である。
「貝づくし」を舞うのは岡聡史。地謠により様々な貝の有様が描かれる。
「海人」は、母親が竜宮城に奪われた玉を取り返すために海獣達と戦うという、よく演じられる内容のものである。深田博治が舞った。

「萩大名」。大名を演じる野村萬斎は、やや大袈裟にサーッと舞台の前方まで早足で出て来て、解説を聞いていた観客を笑わせる。
見事な萩を持つ庭園を見に行くことにした大名であるが、和歌が詠めない。そこで太郎冠者(内藤進)が「七重八重九重とこそ思ひしに十重咲きいづる萩の花かな」というどこかで聞いた和歌を知っているのでを用いれば良いという。しかし大名は物覚えが悪いので、「そんなものを諳んじるには三年はかかる」と言う始末。そこで、太郎冠者がヒントを与えることにする。扇を開き、七本目八本目を出して「七重八重」とし、九本目で「九重ばかりと思いしに」、十本全部を開いて「十重に咲きいずる萩の花かな」と示す。萩は太郎冠者が向こうずねを出して、それを「脛(はぎ)」として覚えることにする。
早速、茶屋にやって来た大名と太郎冠者。茶屋の亭主(月崎晴夫)が出迎え、庭を見せる。大名が「あの白い砂はなんじゃ?」と聞くので亭主が「備後砂」でございます」と答えると、大名は「道明寺干し飯(河内国道明寺で作り始めた乾燥してたくわえる飯のこと)のようじゃ」と無粋なことをいって太郎冠者に制せられる。赤い萩の花と白い砂を見て、「赤飯のようじゃ」とまた食べ物に例えた発言をして田舎者丸出しの大名。
亭主に和歌を詠むよう求められ、太郎冠者の助けを借りる大名。しかし扇子の姿そのままに「七本八本」と言って亭主を不思議がらせる。大名は太郎冠者にそっと言って貰って「七重八重」と本来の言葉を継げる。その後も「九本」と言ってしまい、扇子を開いて出すと「はらり」などと言ってしまう大名に太郎冠者は愛想を尽かし、一人で茶屋から帰ってしまう。太郎冠者の助力で「七重八重九重とこそ思いしに十重咲きいずる」までは詠めた大名であるが、振り返ると太郎冠者がいない。そこで、「さらば」とそらっとぼけて帰ろうとするが、亭主がそれを許さない。大名は太郎冠者がやっていたことを思い出すが、「七重八重九重とこそ思いしに十重咲きいづる太郎冠者の向こうずね」と言ってしまい、不調法者として亭主に追い出されるのだった。
野村萬斎は華があって良い。あの華は持って生まれたもので出そうとしても出せないものである。

「木六駄」。野村万作がシテである太郎冠者を演じるのだが野村万作は太郎冠者をやるには年を取り過ぎている感がなきにしもあらず。ただ演技は流石にしっかりしている。
丹波国の山奥。主(中村修一)から、木六駄、炭六駄を牛に載せて都の親戚の家まで運ぶよう命じられた太郎冠者。最初は嫌がるが、布子(詰め物のある麻の着物)をやるからと主に言われて喜んで引き受けてしまう。主からは都の親戚に手酒を持って行くよう命じられ、左手に手酒を提げ、右手で牛を鞭打って進むことになる。主からは文も預かった。
いうことを聞かない牛をなだめすかしながら雪道を進んできた太郎冠者は、峠に茶屋があるのを見つける。茶屋の主(高野和憲)は、茶屋の中に太郎冠者を案内する。体が冷えたので酒を所望した太郎冠者であるが、茶屋には生憎酒はないという。茶屋の主は太郎冠者が手酒を持っているのを見て「それを飲めば良いではないか」と言い、太郎冠者も「濃い酒なので減った分を水で埋めればばれまい」として、手酒を飲んでしまう。そうこうしているうちに杯が進み、手酒を全て飲み干してしまった太郎冠者と茶屋の主。太郎冠者は世話になったと木六駄も茶屋の主にあげてしまう。
太郎冠者は茶屋の主の掛け声に合わせて「鶉舞」を舞う。酔いながらちょこちょこと踊る舞である。
都についた太郎冠者は主の伯父(石田幸雄)の家に行くのだが、酔っているということもあり「何をしに来たのかわからない」と言う。そこで太郎冠者は主から授かった文を主の伯父に渡す。文には手酒と木六駄を太郎冠者に託したと書いてあったのだが、手酒も木六駄もない。我に帰った太郎冠者は逃げだし、それを主の伯父が追うというところで話は終わった。

今日は2階席からの観劇であった(1階席は満席であったが2階席はガラガラであった)が、きめ細やかな表現を味わうことが出来、満足であった。

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2019年6月20日 (木)

観劇感想精選(306) 京都観世会館 第254回市民狂言会

2019年6月7日 左京区岡崎の京都観世会館にて観劇

午後7時から、岡崎にある京都観世会館で、第254回市民狂言会を観る。茂山千五郎家と茂山忠三郎家の出演。演目は、「舟船(ふねふな)」、「惣八(そうはち)」、「梟(ふくろう)」、「塗師(ぬし)」


「舟船」。西宮の神崎川周辺が舞台となっている。出演は、茂山千作、茂山七五三。
主人(茂山七五三)が太郎冠者(茂山千作)と共に久しぶりに遊山に出掛ける。近所は散々散策したので遠出をしたいと思った主人は太郎冠者の勧める西宮へ。神崎川に出た二人は川を渡ろうと渡し船を求める。だがそこで太郎冠者が船を「ふな」と読んだことから、「ふね」か「ふな」かで争うことに。和歌に出てくる「ふね」と呼ぶ例と「ふな」と読む例を挙げるが、和歌の知識は太郎冠者の方が優勢のようで……。


「惣八」。つい先頃まで料理人だった出家と、駆け出しの料理人である元僧侶の話である。出演は、茂山あきら、茂山忠三郎、茂山宗彦(もとひこ)。茂山千五郎家と茂山忠三郎家は今では同じ茂山を名乗るが、江戸幕府から茂山姓を貰う前は、千五郎家が佐々木、忠三郎家が小林という苗字で別の家である。
有徳者(金持ちのこと。茂山忠三郎)が、料理人と僧侶を召し抱えることにする。高札を見てやって来た出家(茂山宗彦)は、元料理人。生類の命を取ってばかりの仕事に嫌気が差して出家したのだが、経文も満足に読めないという状態であり、高札を見て禄を貰おうと考えたのだ。もう一人応募してきた料理人(茂山あきら)はこれまで僧侶として生きてきたのだが、「俗なことをしたい」と考え、料理人に転身。しかし、精進料理以外の心得はない。料理人仲間が大勢出来るので教えて貰おうと応募したのだが、今のところ料理人として雇われたのは彼一人である。料理人は自己紹介の時に「愚僧は」と発言してしまったため、取り繕うために「惣八」と名を偽る。
有徳者は、出家に法華経を読むよう、料理人には魚を捌くよう命じて奥に引っ込むが、二人とも心得がないので、手も足も出ない。出家は法華経のことも知らず、「ホケキョ」なのでウグイス経だと勘違い、惣八は包丁すらなんなのかわからないという有様である。だが、互いの前職があべこべだと知り、役割を交代しようと目論む。
惣八は、元僧侶という設定だが、笑いを取るため法華経の読みは出鱈目に進める。
殺生を生業とする料理人とそれを戒める立場にある出家の交代の妙味もある狂言である。妙味と書いたが、取りようによっては厭世的とも言える。


「梟」。この演目は、2年前の夏にロームシアター京都サウルホールで観たことがある。出演は、茂山千三郎、井口竜也、丸石やすし。
山奥で梟の巣を取ったために気の病にかかってしまった男(丸石やすし)を案じてその弟(井口竜也)が法印(山伏のこと。茂山千三郎)を喚び、祈祷をして貰うという話で、最後はミイラ取りがミイラになる。
笑える演目であるが、昔は気の病の研究がほとんど進んでいなかったため、加持祈祷に頼るしかなかったという背景がうかがえる。昔はと書いたが、精神病への関心が高まったのはここ20年ほどのことである。


「塗師」。出演は、茂山千五郎、茂山茂、茂山逸平。
京で活躍していた塗師(茂山茂)が仕事にあぶれ、弟子のいる越前に落ちていくという話であり、設定からして切ない。
京では流行の塗り物がもてはやされており、昔気質の塗師は生活していけないようになった。塗師の弟子である平六(茂山千五郎)が越前国北之庄(現在の福井県福井市。柴田勝家の居城である北之庄城があったことで知られるが、北之庄の名が「敗北」に繋がるとして江戸時代初期に縁起の良い福井に改められている)で塗師をしており、「困った時はいつでも越前へお出でなさい」と言ってくれていたため、その言葉に甘えることにしたのだ。京の塗師は、平六の家を訪ね、女房(茂山逸平)に仔細を話すのだが、女房は「師匠というからには腕が立つのだろう。平六の仕事を奪われかねない」と考え、平六はすでに他界したということにして追い返そうとする。だがそこへ平六の声が。女房は席を外して平六に状況を説明する。どうしても師匠に会いたいと言う平六に女房は幽霊となって現れる狂言を提案する。
ということで、狂言の中で狂言を行うという入れ子構造になるのだが、狂言内狂言となる部分は餓鬼道に落ちたことを歌うシリアスな能舞であり、笑いを取るためのものではない。見ようによっては、京の塗師がもう一人の自分と対面しているようでもある。
今現在はちょっとした狂言ブームが続いており、人気の狂言方も多いが、ある意味、狂言の歴史は為政者の胸三寸に左右されたり人気を他の芸能に奪われ続けるという敗北の歴史であり、零落した京の塗師に狂言そのものを重ねることも出来るだろう。狂言への愛や師弟愛といった伝統芸能の担い手ならでは思いが交錯するのを見るようでもある。

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2019年6月18日 (火)

観劇感想精選(305) 第70回京都薪能「新しき御代を寿ぐ」2日目

2019年6月2日 左京区岡崎の平安神宮にて観劇

午後6時から平安神宮で、第70回京都薪能「新しき御代を寿ぐ」2日目を観る。
2日連続で行われる第70回京都薪能。昨日は晴天だったが、今日は曇り。ただ雨は降らず、空は明るめである。

今日の演目は、能「絵馬」(観世流)、能「羽衣」(金剛流)、狂言「仁王」(大蔵流)、能「石橋」(観世流)。


昨年は体調不良の中、出掛けた京都薪能。結局、1曲だけ観ただけで薪に火がつく前に平安神宮を後にしており、薪能と言われる状態を目にしていない。薪能を観るのは今回が実質初めてである。


能「絵馬」。伊勢神宮を訪れた勅使が、日照りの絵馬と雨の絵馬を掛けようとする老人と老婆の見かける。やがて二人の正体が二柱の神であることがわかり、天照大神と天鈿女命と手力雄命が天岩戸を再現する。出演:杉浦豊彦、梅田嘉宏、大江泰正ほか。
元号が変わったということで、まず皇祖である天照大神が登場する演目が行われる。残念ながら今日は太陽は顔をのぞかせなかったが、日照りの絵馬と雨の絵馬の中間の天気ということで良かったのではないかと思う。


能「羽衣」上演の前に薪に火をつける儀式がある。煙があたかも霞のようにたなびき、今日の演目に相応しい仕掛けが出来上がった。
能「羽衣」はずばりそのまま羽衣伝説を題材にした能である。出演:金剛永謹、小林努、有松遼一ほか。
漁師の白龍は、三保の松原で羽衣を見つける。羽衣を持ち帰ろうとした白龍だが、そこに天女が現れ、羽衣を返してくれるよう頼む。白龍は羽衣を返す代わりに天女の舞を観たいと申し出る。
前半は白龍と天女のやりとりであり、後半は能舞となる。
動きの少ないゆるやか舞であり、これは舞手の動きと観る者の想像力が合わさって初めて完成する舞である。西洋の舞踏のように観る者を圧倒して引きつけるのではなく、観る側が舞に加わる余地を敢えて残しているように思われる。


狂言「仁王」。茂山千五郎家による上演。茂山千五郎家による「仁王」は数年前に金剛能楽堂で観たことがある。出演は、茂山宗彦(もとひこ)、茂山あきら、茂山千五郎、丸石やすし、茂山千作ほか。
財産を失った男が悪党にそそのかされて仁王像に扮し、供物を受け取ろうと企む話である。仁王像(に扮する男)に対して行う願掛けは、各人が即興で行う。今回も広島カープの日本一を願ったり、頭頂部からはげてきたので良いカツラが欲しいと言ったり、目が悪くなって犬と孫を間違えたので視力回復を願ったりと、それぞれの希望を語る。京都薪能が100回まで続くこと、それも「晴天の下」で続くことを願う人もいた。


能「石橋」。目出度い時の定番の演目である。要は獅子舞なのだが、1頭の白獅子(味方團)と3頭の赤獅子(松野浩行、宮本茂樹、大江広祐)が気のようなものを発し、迫力満点の舞が披露された。

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2019年5月 4日 (土)

観劇感想精選(299) 野村萬斎構成・演出・主演「マクベス」2014西宮

2014年7月1日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後7時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、野村萬斎構成・演出・主演の「マクベス」を観る。シェイクスピアの四大悲劇の一つ「マクベス」を出演者5人のみで上演するというもの。
野村萬斎は、シェイクスピアの「リチャード三世」を基にした「国盗人」で優れた出来を示していただけに期待が高まる。
出演:野村萬斎、秋山菜津子、高田恵篤(たかた・けいとく)、福士惠二、小林桂太。野村萬斎がマクベスを、秋山菜津子がマクベス夫人を演じる。他の三人は、魔女役とされているが、バンクォーやマクダフなどの主要登場人物も兼任する。
「国盗人」では、舞台を日本に移していた野村萬斎であるが、「マクベス」ではスコットランドのままである。ただ着物に日本刀、長刀など、様式は全て和風である。今回の上演では能の謡や笛、鼓の音などが要所要所で流れる。上演時間90分、途中休憩なしである。上演終了後に野村萬斎によるポストトークがある。

舞台中央には、〇がくり抜かれた衝立が一つ。〇は地球を表現していると野村萬斎はポストトークで打ち明けた。
「きれいは汚い、汚いはきれい」という魔女達の言葉が有名な「マクベス」であるが、登場人物が現れる前に、「森羅万象」という言葉で始まる役者達によるセリフが流れる。「地球の屑、屑の地球、大地のゴミ、ゴミの大地、空気の澱(おり)、澱の空気、人間のクズ、クズの人間」という、逆にすると意味の変わる言葉で、「きれいは汚い、汚いはきれい」を模したものである。この世界が持つ両義性を表現しようという意図のようだ。
野村萬斎の演出は、幕を効果的に使ったもので、日本の伝統演劇を良い形で取り入れており、オリジナリティのある「マクベス」に仕上がっている。今回のツアーでは日本で上演する前にルーマニアやフランスなどを回ったというが、当地での評価はかなり高かったようだ。
バンクォーの亡霊の場では、血糊の付いた能面を使っており、狂言師である野村萬斎ならではの効果を上げている。
マクベスとマクベス夫人が即位する場以降、背後の幕には蜘蛛の巣を描いたものが用いられるが、これは「マクベス」を基にした黒澤明の映画「蜘蛛巣城」へのオマージュであろう。

 

運命に操られているのか、運命を切り開いているのか、どうとも取れる「マクベス」という作品は人間という存在の矛盾というものを描いているようでもある。恐妻として知られるマクベス夫人も最後は精神を侵されて自殺することになるという強いのか弱いのかわからない女性である。マクベスも王の座を勝ち取ったようでありながら、実際は魔女の手の上で転がされているだけのように思える。

 

高田恵篤、福士惠二、小林桂太らは、寺山修司の天井桟敷などで活躍していた俳優達で、アングラ第一世代。還暦越えの役者もいる。その世代の特性を生かして、暗黒舞踏などを披露。魔女の持つ異様さを表現する。

 

野村萬斎の演技は、狂言をイメージした形式的なものだが、相手役の秋山菜津子が新劇スタイルの優れた演技をしているということもあっていささか不自然さが目立つのが難。大河ドラマの「軍師官兵衛」で片岡鶴太郎が、暗君・小寺政織をかなりデフォルメして演じていたが、丁度あれに似た印象である。だが、構成力と演出力は確かなものがあった。

 

大量の紙吹雪などを用いた耽美的な演出であり、絵になる芝居であった。「国盗人」の方が出来はずっと上であるが、「マクベス」もなかなか見応えがある。

 

ポストトークで、野村萬斎は、まず今回の「マクベス」が朗読劇スタイルに始まり、今回の形に仕上がるまで大分時間を要したことを語る。上演スタイルの初演時には、萬斎は地球をイメージした球形のセットを組ませたそうだが、大掛かりな装置であったため東京でしか上演出来なかったという。海外で上演したいという希望を持っていた萬斎は、狂言のような簡素な舞台装置にすれば簡単に持って行けるということで、再演時からは布を主体にした今回のようなスタイルに変えたという。そして、ルーマニアで上演することが決まった今回の再々演では、東欧は電気が不安定だということで照明効果の代わりに、能の謡いなどを入れることで場の雰囲気を変えることにしたという。
マクダフ一家皆殺しの場はカットされていたが、これについて萬斎は「マクベスを悪人と決めつけたくなかったから」と述べる。
最後に萬斎は、「パリで上演を行ったので、次回はもうドーバー海峡を越えて、本場であるイギリスに討ち入るだけじゃないかと、舞台になったスコットランドのエディンバラ演劇祭でやってみたいなと思っております」という抱負を語って締めた。

 

野村萬斎構成・演出・主演「マクベス」2016西宮

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2019年4月30日 (火)

観劇感想精選(298)「伝統芸能の今」2014

2014年5月11日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後3時30分から京都芸術劇場春秋座で、「伝統芸能の今」2014を観る。「ゴールドリボン+世界の子どもにワクチンを」チャリティー企画である。今回は三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)に続き、春秋座の二代目芸術監督に就任した四代目市川猿之助によるプログラムである。出演は、市川猿之助の他に、上妻宏光(三味線プレイヤー)、茂山逸平(能楽師狂言方)、亀井広忠(能楽師囃子方)、田中傳次郎(歌舞伎囃子方)ら。

開演前に出演者がホワイエで、パンフレットを売ったり募金を募ったりしている。

まず、上妻宏光による津軽三味線独奏で、「津軽じょんがら節」、上妻の作曲による「紙の舞」(スパニッシュギターからの影響が感じられる曲である)。上妻の津軽三味線であるが、クラシックギター奏者でさえも凌ぐほど左手の動きが大きく、速い。人間の指の動きとは思えないほどに迅速である。
続いて、茂山逸平の舞と上妻宏光、亀井広忠、田中傳次郎によるコラボ奉納舞「三番三(さんばそう)」。茂山逸平の動きは極めてスムースであり、メリハリもくっきりしている。

次は、市川猿之助と上妻宏光、田中傳次郎による舞「空破(くうは)」。猿之助のしなやかな舞を堪能できた。

前半最後は、猿之助が二代目市川亀治郎時代に武田信玄役で出演した大河ドラマ「風林火山」にインスパイアされて、猿之助自身が振付を行った創作舞踊「風林火山」。上妻宏光の津軽三味線生演奏と、オーケストラ演奏の録音による大河ドラマ「風林火山」メインテーマ(作曲は、京都芸術劇場春秋座を持つ京都造形芸術大学の先代の学長だった千住博の実弟・千住明である)に乗せて猿之助が舞う。甲斐武田氏というと騎馬武者軍団が有名であり、荒事を取り入れた勇壮な踊りになるかと予想したが、実際はそれとは正反対のたおやかな舞いであった。

10分の休憩を挟んで、メインの4人によるトーク。福山雅治から贈られた襲名披露記念幕をバックに、会話が行われる。春秋座では、四代目猿之助の芸術監督襲名に当たり、イメージキャラクターを作ろうと企画が立ち上がり、瓜生山学園(京都造形芸術大学+京都芸術デザイン専門学校)の学生が描いたキャラクターの中から事前に11点が選ばれ、観客に投票用紙が配られて、良いと思ったキャラクターに投票して貰い、得票数の多かったキャラクター3つの中から猿之助自身が採用するものを決める。キャラクターというと可愛らしい画が採用されやすいので、造形大のマンガコースの学生が描いたものが多い。

トップ3は、エントリーナンバー1の源九郎狐をキャラクターにしたもの、エントリーナンバー5の鼓に猿の顔を描いたもの、エントリーナンバー10の猿之助が舞う姿をマンガタッチで描いたもの(マンガコースの学生の作品である)であった。
ドラムロール後に猿之助から発表が行われるのであるが、ドラムロールが太鼓によるもので、猿之助は「これじゃお化けだよ」と言う。
選ばれたのは情報デザインコースの女学生二人組の作成によるエントリーナンバー1の源九郎狐をモチーフにしたものであった。人間らしさが一番希薄なキャラクターではあるが、猿之助は「京都には伏見稲荷もあり、これが一番京都らしい」と選定理由を述べた(実際は、京都人の意識としては伏見稲荷はあくまで伏見のもので京都とは別というものも根強いようである)。

邦楽というものは、ミニマルミュージックに近いものがあり、同じ音型が何回も繰り返されるため、演奏する側も舞う側も「どこで終わるんだろう」と勘定を付けるのが難しいという。茂山逸平は笛の音型でどこまで進んだかを把握しているそうだ。上妻宏光は劇伴の経験は少ないが、「三番三」のラスト近くで狂言方が飛び上がる場面があるので、そこから推測しているようである。
ちなみに、チャリティーのために集まった募金額は、初日である昨日が48万円台、今日の第1回目の公演が47万円ちょっとであるが、今日2回目の公演となる今回は26万円程度しか集まっておらず、田中傳次郎は、「あと20万円ぐらい集まらないと、この後、猿之助さん出てきません」と言う(昨日と今日の1回目の公演は、休憩時間と終演後に行われた募金も多いだろうから、この回だけ吝嗇家が集まったというわけではないと思われる)。

後半、歌舞伎と狂言による「石橋(しゃっきょう)」。「石橋」は狂言と歌舞伎の両方であるが、内容は少し違う。今回は前半が茂山逸平による仙人を主人公にした狂言、後半が猿之助による浄土の獅子の舞となる。前半と後半に関連性が余りないが、ストーリーで魅せる作品ではないので特に気にはならない。
天竺から来た仙人(茂山逸平)が、唐の清涼山にある文殊菩薩の浄土の入り口に辿り着く。現世と清涼山の間にあるのが、自然が作り上げた石橋(しゃっきょう)だ。幅は一尺(約30cm)ほどしかなく、橋の上は苔むしていて鳥でさえ滑って留まることは出来ないという。仙人は石橋に挑もうとするが結局諦める。
その後、清涼山に住む獅子(市川猿之助)が現れ、蝶二匹(猿之助の弟子が務める)を従えながら舞う。春秋座は歌舞伎用の劇場なのでセリがあり、今回の「伝統芸能の今」2014ツアーの中で唯一、春秋座でだけ猿之助はセリを使って現れる。「石橋」は「連獅子」のモチーフになった作品だけに、猿之助は首を何度もグルグルと回して観客からの喝采を浴びた(猿之助自身が以前、テレビ番組で話していたことだが、「連獅子」をやると目が回ってしまい、終演後に嘔吐してしまうことも珍しくないという)。

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2019年2月14日 (木)

観劇感想精選(290) シリーズ 舞台劇術としての伝統芸能vol.2 能楽「鷹姫」

2019年2月3日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後2時からロームシアター京都サウスホールで、シリーズ 舞台芸術としての伝統芸能vol.2 能楽「鷹姫」を観る。

イェーツが能に触発されて書いた舞踊劇「鷹の井戸」を横道萬里雄が新作能「鷹の泉」として改作・翻案したものを観世寿夫が新たに「鷹姫」としたもの。1967年に初演されている。

出演:片山九郎右衛門(鷹姫)、観世銕之丞(老人)、宝生欣哉(空賦麟)。岩:浅井文義、味方玄、浦田保親、吉浪壽晃、片山伸吾、分林道治、大江信行、深野貴彦、宮本茂樹、観世淳夫。
囃子方:竹市学(笛)、吉阪一郎(小鼓)、河村大(太鼓)、前川光範(太鼓)。
後見:林宗一郎。

空間設計は、dot architects(ドットアーキテクツ。家成俊勝&赤代武志)が手掛ける。


絶海の孤島が舞台である。その島には、鷹の泉と呼ばれる、飲めば永遠の命を得られるという霊水が湧き出ている。鷹の泉を守るのは鷹姫と呼ばれる謎の乙女だ。

島には、鷹の泉の霊水を求めて長年住み着いている老人がいる。鷹の泉はもう何十年を湧き出ておらず、いつ湧き出るのかも不明である。

島に一人の若者がやって来る。王の第三王子である空賦麟(くうふりん)である。空賦麟も霊水である鷹の泉を求めてきたのだが、老人に泉の由来を聞かされ、早く帰るように言われる。
その時、鷹が鳴く。老人は、泉を守る鷹姫の声だと空賦麟に告げる。やがて姿を現した高姫に空賦麟は戦いを挑むのであるが……。


「岩」と呼ばれる謡い達がずらりと並ぶ様は異様であり、異界での物語であることを印象づけられる。「岩」は元々は地謡が務めていたらしいのだが、装束と面をつけて「岩」として舞台上に現れるようになったようだ。物語の語り手であり、ある意味、島と鷹の泉の状況そのものともいうべき存在である。泉そのものを演じていることから主役とする見方もあるようだ。

赤い着物の鷹姫は居ながらにして高貴にして畏るべき存在であることが伝わってくる。空賦麟と対決した後、背後の坂を上って消えていく様は、霊的であり、鷹の泉の霊力は鷹姫の存在あってのことであることを告げる。泉は湧くには湧くのだが、鷹姫去った後では……、ということで悲しい結末が待っている。


老人を演じる観世銕之丞の威厳、鷹姫役の片山九郎右衛門の可憐さ、空賦麟役の宝生欣哉の凜々しさなど、配役は絶妙であり、能の幽玄な味わいが存分に発揮されている。
dot architecsのセットも効果的であった。


第2部としてディスカッションが設けられている。出演は、西野春雄(法政大学名誉教授・能楽研究所元所長)、観世銕之丞、片山九郎右衛門。

西野春雄は、「鷹姫」の初演を観ているそうで、当時、西野は22歳。それから50年以上が経ったことを紹介する。
能の存在をイェーツに紹介したのは、イェーツの秘書で詩人でもあったバウンズである。バウンズは、フェノロサの遺稿の翻訳を手掛けた人であり、それを通して能を知り、イェーツにも紹介することになった。イェーツは「能こそ私の理想とする演劇だ」と感激し、「鷹の井戸」を書いたそうである。


観世銕之丞は、dotarthitecsによるセットが、緩やかで短いが上り下りのあるものであり、稽古はしていたが、馴染むのに時間が掛かり、今日の本番でようやく間に合ったことを明かす。「鷹姫」の初演時にはまだ子どもであり、客席で観ていたそうだ。また、「鷹姫」に関しては何度も観てはいるが教わったことはないそうで、観た時の記憶を頼りに自己流で行ったものであることを語る。

片山九郎右衛門は、2年前の2017年が「鷹姫」初演50周年に当たるということで、周囲で話題になっており、自分もやってみたいということで今回の上演に漕ぎ着けたことを語った。また、dot architecsへの感謝も片山から述べられた。



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2019年2月 3日 (日)

観劇感想精選(287) 「春秋座 能と狂言」2019

2019年1月27日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後2時から、京都芸術劇場春秋座で、「春秋座 能と狂言」を観る。今年で10年目を迎える、春秋座お馴染みの企画。

今年の演目は、狂言が「二人袴」、能が「自然居士(じねんこじ)」である。


上演の前に、片山九郎右衛門(観世流シテ方)、渡邊守章(演出家、東京大学名誉教授)、天野文雄(能楽研究、京都造形芸術大学舞台芸術研究センター所長)によるプレトークがある。
能「自然居士」の解説が主になる。自然居士は鎌倉時代に実在した禅僧で、南禅寺開山の大明国師の弟子に当たる。あえて破戒ともいえる芸能者まがいの言動を取る僧侶だったそうだ。演じるに当たっては、喝食(かつじき)の面という前髪の垂れた美少年の面が用いられるのだが、これは非僧非俗をも表しているそうだ。

能「自然居士」は、観阿弥の作。観阿弥の作品を「春秋座 能と狂言」で取り上げるのは初になるそうだ。「自然居士」は、足利義満の前に観阿弥によって演じられ、義満からの絶賛を受けたと伝わっている。
片山九郎右衛門は、父親からと観世静夫の二人から「自然居士」を教わっているのだが、それぞれが異なった自然居士像を持っていたために戸惑っていたという話をし、演じられる自然居士の年齢を16、7歳ではないかと述べる。若い僧侶の話なのである。
片山は、自然居士を室町時代の人だと思い込んでいたそうだが、実際は鎌倉時代の人物。ということで、破戒僧として知られた一休宗純の先輩格に当たる人だということを天野文雄が述べていた。

狂言の「二人袴」は、三段之舞としての上演。通常の狂言では鳴り物は入らないのだが、三段之舞と書かれている場合は、能楽が入る。ただ、三段之舞とした場合は、普通は上演時間が長くなるのだが、渡邊守章によると野村萬斎が工夫を行ったそうで、通常の狂言と同じぐらいの上演時間にまとめられているという。

ちなみに、野村万作は、今回は狂言ではなく能「自然居士」のアイとしての参加。渡邊守章によると、野村万作が能のアイをやるのは久しぶりなので、かなり張り切っていたそうである。


狂言「二人袴」三段之舞。出演:野村萬斎(シテ)、石田幸雄(アド)、高野和憲(小アド)、中村修一(小アド)。太鼓:亀井広忠、太鼓:前川光範、小鼓:大倉源次郎、笛:竹市学。

聟(中村修一)が、舅(石田幸雄)に挨拶に行くのだが、心細いので父親(野村萬斎)についてきて貰うという話である。この聟というのが世間知らずで、袴を履いたことがない。そこで、父親に袴を着けて貰うのだが、紐を胸の前で結ぼうとするなどとんちんかんである。そして履いたら履いたで上手く歩けない。結局、舅の家の前まで親についてきて貰った聟。そのため、親も舅に呼ばれるのだが、袴が一つしかないため、履き替えていく。そして遂には二人いっぺんに呼ばれたため、袴を二つに引き裂き、前掛けのようにして挨拶するという笑い話である。

見慣れた俳優だからということもあるのかも知れないが、野村萬斎は他の俳優に比べて才気というか、エネルギー量というか、とにかく違うものを発していることが感じられる。その正体はよくわからないのだが、彼が特別な存在だということだけはよくわかる。今の狂言界は野村萬斎なしには語れない。

「二人袴」に関しては、とにかく笑える作品なのだが、ラストは特にオチらしいオチはなく、普通に終わってしまう曲というところが惜しい。


能「自然居士」。出演は、観世銕之丞(シテ)、宝生欣哉(ワキ)、則久英志(ワキヅレ)、梅田晃煕(子方)、野村万作(アイ)。太鼓:亀井広忠、小鼓:大倉源次郎、笛:竹市学。地謡:観世淳夫、鵜澤光、分林道治、片山伸吾、味方玄、古橋正邦、片山九郎右衛門、河村博重。

東山雲居寺で説法をしている自然居士(観世銕之丞)の下に、少女(梅田晃煕)がやってくる。雲居寺門前の者(野村万作)が少女を見かけ、自然居士に少女から預かった文を渡す。少女は両親を弔うため、身を人商人に売り、布施を渡しに来たのだった。そこへ人商人(宝生欣哉)とその仲間(則久英志)がやって来て、少女を見つけて連れ去ってしまう。そこで自然居士は、説法を中断し、少女を連れ戻しに向かう。

自然居士は、少女を救うために様々な舞を行うのだが、仏法や仏道と能楽が重ね合わされており、大和国の地方芸能でしかなかった自身の能楽を義満が崇める禅に伍するまでに高めたいと願う観阿弥の心意気に感心させられる。

無料パンフレットには、「自然居士」の詞章の現代語訳が載っているのだが、今日は視覚中心に観たかったため、それに目を配ることはなし。セリフを聞き取るのは難しかったが、人商人と対峙する自然居士役の観世銕之丞が醸し出す静かな迫力を味わうことが出来た。



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2019年1月 4日 (金)

観劇感想精選(281) ロームシアター京都「能楽チャリティ公演 ~被災地再興、京都からの祈り」2017 第2部

2017年8月24日 ロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後6時から、ロームシアター京都サウスホールで、「能楽チャリティ公演 ~被災地再興、京都からの祈り」第2部を観る。今日の午前中に第1部公演があり、ソワレが第2部である。演目は異なる。

演目は、能「花月」(出演:大江広祐ほか)、能「雪」(出演:金剛永謹ほか)、狂言「梟」(出演:茂山茂ほか)、能「一角仙人」(出演:松野浩行、浦田親良、河村紀仁、梅田嘉宏ほか)。

外国人の観客も多いということで、豊嶋晃嗣(てしま・こうじ)が上演前に作品の解説を行い、それを通訳の女性が英訳した。


能「花月」。京都の清水寺(「せいすいじ」と読まれる)が舞台。筑紫国出身の僧侶が花月と呼ばれる少年芸人(見た目は少年に見えない)を見かけ、花月こそ自分の子であると僧侶が気づくという話である。


能「雪」。ストーリーのない能である。摂津国野田(現在の大阪市北区野田)が舞台。僧侶が正体不明の女性と出会い、女性の正体が雪の精だとわかり、雪の精が舞う。


狂言「梟」。弟が山に行って何かにとりつかれた状態になったため、兄は山伏に祈祷を求める。だが、最後はミイラ取りがミイラになるという狂言である。弟を島田洋海が、兄を茂山逸平が演じているのだが、それぞれ「ひろみ」、「いっぺい」と本名で呼ばれていた。

能「一角仙人」。ちょっとした大道具が用いられる。釣り鐘のようなものは洞窟、小さな牢屋のものは一角仙人の住まいである。一本の角を持っている一角仙人が龍神を洞窟に閉じ込めてしまい、日照りになる。そこで村の美女が一角仙人を訪ねてきて、仙人に酒を飲ませて神力を弱めようとする。「桂の葉に溜まった露を飲んでいるので酒はやらない」という仙人だったが美女の踊りを見て調子に乗り、酒をあおって結局は雨が降り始める。ラストは仙人と龍神二人が戦うことになるのだが、赤い髪の龍神は佇まいからして迫力に溢れていた。

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2018年12月26日 (水)

観劇感想精選(279) 野村萬斎主演&演出 「国盗人(くにぬすびと)」2009@兵庫県立芸術文化センター

2009年12月16日 兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後7時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「国盗人(くにぬすびと)」を観る。シェイクスピアの「リチャード三世」を河合祥一郎が日本を舞台に翻案した、現代狂言ともいえる舞台。主演&演出:野村萬斎。出演は他に、白石加代子、山野史人、泉陽二、小田豊、大森博史、石田幸雄、若松力、中村美貴、じゅんじゅん等。

「国盗人」は2年前にやはり兵庫県立芸術文化センター中ホールで行われた初演版を観ている。その時は、今井朋彦が重要な役割を演じていたが、今回は今井が出演しないということもあって、テキストも大幅に書き換えての再演となった。
ヨーク家とランカスター家の戦いである薔薇戦争を背景にした「リチャード三世」を、白薔薇一族と赤薔薇一族との戦に置き換え、登場する主要な4人の女性を白石加代子が一人四役で演じ分ける。


白薔薇一族と赤薔薇一族との戦いが白薔薇一族の勝利に終わり、殺害された白薔薇一族の長の長男である一郎(山野史人)が王座に着く。しかし、三男の悪三郎(野村萬斎)は自身が王の座に就くことを密かに狙っていた。次兄の善二郎が入牢した機を狙って善二郎を暗殺し、長兄の一郎も心労によって崩御すると、次の王になるはずだった一郎の王子を退けて、悪三郎が戴冠する。更に悪三郎は自らの地位を盤石のものとするために一郎の王子を自ら殺害するなど悪事を重ねていく……。


初演の際にはあった笑いの部分が少し削られて、スッキリとした台本になっている。本がより整ったといえばいえるし、笑いが少なくなって物足りなくなったともいえる。
初演の時のインパクトが、こちら側の慣れにより薄まってしまったのも確かだ。
それでも現代狂言として「リチャード三世」を再現する試みとしては大変優れたものであることに違いはない。


主演の野村萬斎の演技は、劇の始まりこそ狂言の言い回し的なセリフが大仰に思われたが、劇が進むにつれてそれも気にならなくなり、生来の気品と、子供の頃から鍛え上げられた表現力で、魅力的な悪役である悪三郎を見事に演じきる。

萬斎による演出もスピード感があり、能の囃子方を使った音楽も効果的で、見応え十分であった。

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2018年11月19日 (月)

観劇感想精選(267) 「野村万作・野村萬斎狂言公演『舟渡聟』『小傘』」@びわ湖ホール

2018年11月10日 びわ湖ホール中ホールにて観劇

午後5時から、びわ湖ホール中ホールで「野村万作・野村萬斎狂言公演 『舟渡聟(ふなわたしむこ)』 『小傘(こがらかさ)』」夜の部を観る。

野村万作と萬斎の親子がびわ湖ホールで毎年行っている狂言公演。今回は萬斎の長男である野村裕基(ゆうき)が参加し、三世代揃い踏みとなる。


舞台の上に背面が松の木の能舞台が再現されている。午後5時を過ぎると野村萬斎が一人で登場し、初心者でもわかるようにとプレトークを行う。萬斎が「ありがたいことに。びわ湖ホールがオープンしてから毎年来させて頂いております。ひょっとして毎回来ているという方いらっしゃいますか?」と聞くと手を挙げる猛者がいた。


まず、能舞台の紹介を行った(「こちらが橋懸りというものでして、こちらがミニステージのようなもの。“Bridge and Mini Stage.”、英語で言っただけです何も変わりません」)後で「舟渡聟」の解説。大津が舞台の曲であり、他の狂言では「この辺りに住まいいたす者でござる」というのが一般的だが、この曲では「これは矢橋の浦に住まいいたす船乗りでござる」と具体的な自己紹介を行うのが特徴である。ちなみに萬斎は、「この8月には北京で、9月にはパリで『この辺りに住まいいたす者でござる』と言ってのけた」そうである。
その他に、「狂言で座っている人は無視していい」などの約束事を解説する。
舟の操縦についてだが、「エア」という言葉を萬斎は強調。午後1時からの昼の部の公演でプレトークを行っている間に、「エアでもエアプレインとエアボートは違う」と思いついたそうで、「ハイジャックはパイロットを揺するが、エアボートは船頭が率先して揺する」ことを述べていた。
京都を拠点にしている狂言大蔵流にも「舟渡聟」はあるのだが、展開が違い、シチュエーションの面白さには乗らないものになっているそうで、「『舟渡聟』は和泉流の方が面白い」という。

「小傘」は、博打に溺れて一文無しになった男がニセ僧侶になるという話である。「僧侶になれば食えるんじゃないか」という発想で安易に僧になり済ましたところ、折良く堂守を募集している人と出くわす。往事はインターネットも何もないので、街道に出て目に付いた人をスカウトするのが一般的である。運の要素が今よりも強い。
僧侶になり済ましたはいいが、経典は読めない。そこで、男は賭場で覚えた「傘の小唄」をいかにも経を読んでいるように唱えることでやり過ごそうとするのである。
「そんな無教養な人でも念仏は知っている」ということで、「なーもーだー」という念仏を萬斎が謡い、
萬斎 “Repeat after me.”
で観客が後を追うというワークショップのようなものを行う。萬斎は、「歌に自信がある人は一緒に謡って欲しい」と言ったが、本編では謡うよりも観ている方が楽しいという類いのものだったので、謡う人はほとんどいなかったように思う。


「舟渡聟」。聟を演じるのが野村裕基である。公文式のCMで親子共演も果たしているので、お馴染みの存在になりつつある。見るからに「才子」といった感じの萬斎とは違って優男風であるが、声は父親によく似ている。
まだ19歳ということもあって狂言方としては駆け出しですらなく、「舟渡聟」も初役だそうである。
潜在能力はともかくとして、現時点では演じるどころか役に振り回されている感じだが、持って生まれた品の良さが強く感じられ、今後が楽しみな存在である、というより萬斎の息子なのだから将来の狂言界を背負って立つのは当たり前という世の認識もあるだろう。プレッシャーも凄まじいだろうな。

船頭を演じるのは祖父の野村万作。やはり芸の深さが違う。


「小傘」。野村萬斎は、僧の小唄を思いっ切りユーモラスに謡う。普通はばれそうなのに、疑うということを知らない田舎者達の素直さと滑稽さも見物となる。
学生時代はバンドを組んでいたこともあるという野村萬斎。踊り念仏の場面でのリズム感の良さは、そうした経験が生きているのかも知れない。知らんけど。
ちなみに、ニセ僧侶が言うことには、「小傘こそ最高の仏具」だそうで、後光を表しているのだという。勿論、口から出任せである。


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