カテゴリー「パフォーマンス」の2件の記事

2017年7月20日 (木)

コンサートの記(309) 第55回大阪国際フェスティバル 井上道義指揮大阪フィルハーモニー交響楽団ほか レナード・バーンスタイン シアターピース「ミサ」

2017年7月14日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、第55回大阪国際フェスティバル2017 レナード・バーンスタイン作曲のシアターピース「ミサ」を聴く。

レナード・バーンスタインの「ミサ」は、1971年に、ワシントンD.C.に完成したジョン・F・ケネディ・センターの杮落とし演目として初演されたものであり、宗教曲でありながら反キリスト教的要素が濃く、音楽的にもロック、ミュージカルナンバー風、ジャズ、現代音楽を取り入れたアマルガム的なものになっている。

今回の上演は、日本初演以来23年ぶりの舞台上演。フェスティバルホールでの2公演のみであり、関西のみならず、日本中からファンが駆けつけたと思われる。

指揮は、「ミサ」の日本初演も手がけた井上道義。井上は、総監督、演出、日本語字幕訳も手がける。
演奏は大阪フィルハーモニー交響楽団。オーケストラピットに入っての演奏である。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。出演は、大山大輔(バリトン)、小川里美、小林沙羅、鷲尾麻衣(以上ソプラノ)、野田千恵子、弊真千子(へい・まちこ)、森山京子(以上メゾソプラノ)、後藤万有美(アルト)、藤木大地(カウンターテナー)、古橋郷平、鈴木俊介、又吉秀樹、村上公太(以上テノール)、加耒徹(かく・とおる)、久保和範、与那城敬(以上バリトン)、ジョン・ハオ(バス)、込山直樹(ボーイソプラノ)、ファルセットコーラスを担当するのは奥村泰徳、福島章恭、藤木大地の3人。
ボーイソプラノコーラスは、キッズコールOSAKA。
従者役は、孫高宏と三坂賢二郎の二人(ともに兵庫県立ピッコロ劇団)。
バレエダンサーは、堀内充バレエプロジェクト所属のバレエダンサー9人と大阪芸術大学舞台芸術学科舞踏コースの学生6人。
副指揮者は角田鋼亮(つのだ・こうすけ)。
ミュージックパートナーは佐渡裕(本番には出演せず)。

従者達が運んだジュークボックスから声が響き、エレキギターを奏でていた男(大山大輔。今回はレナード・バーンスタイン本人を演じるという設定である)が、祭服を纏い、司祭となることからストーリーは始まる。
司祭は、「神に祈ろう」、「神の言葉は絶対だ」と歌うのだが、神の存在をどうしても信じられないという人や、神の言葉の矛盾を突く人などが次々と現れ、司祭がついには信仰を投げ出してしまうという筋書きである。

ラストは、言葉のない歌(スキャット)や簡単な歌詞(「ラウダ、ラウデ」という言葉が繰り返される)による歌が歌われることになる。このラストの部分はとても美しいのだが、レナード・バーンスタインがそうなるように仕掛けたのだと思われる。

「はじめに言葉ありき」という聖書の言葉がある。この「ミサ」にも登場する有名な言葉なのであるが、音楽家としてはこの言葉に簡単には首肯できないのではないだろか。「音楽はともかくとして、音より先に言葉があるとはどういうことなのか?」
レナード・バーンスタインはここで音楽の言葉に対する優位性を唱えたように思う。言葉による神をめぐる思想は矛盾や争いを生み、地上に地獄をもたらす。一方、言葉のない音楽の世界は天上のように美しい。つまり音楽こそがレナード・バーンスタンの求める平和を体現するものだということだろう。こうした意思の表明は極めてわかりやすく提示されている。

日本初演も手がけた井上道義の指揮はノリが良く、大阪フィルハーモニー交響楽団の音色も鮮やかで、この曲を再現するのに最適の演奏となった。一方で井上の演出は余計なことが多いような。やはり音楽家が演出も兼務するには限界があるのだろう。

今日は3階席の後ろの方、ほぼ真ん真ん中で聴いたのだが、この席で聴くフェスティバルホールの音響は優れたものであった。

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2015年1月15日 (木)

観劇感想精選(143) カンパニー・フィリップ・ジャンティ 「忘れな草」

2014年11月1日 京都劇場にて観劇

午後3時から、京都劇場、カンパニー・フィリップ・ジャンティの公演「忘れな草」を観る。日仏文化交流90周年記念公演でもある。

セリフはほとんど用いられず、演者のパフォーマンスと小道具の使い方で見せる公演。特に人形と幕の使い方が特徴である。

舞台が明転すると、まず後ろを向いた女優がヘンデルの歌劇「リナルド」から“私を泣かせてください”を歌っている。ところが、この女優、舞台の方に向き直るとチンパンジーのフェイスマスクをしている。

そこへ、遠くの方から人間の集団らしい影絵が近づいて来るのが見える。チンパンジーはそれを追い返そうとするのだが、無駄骨に終わる。

続いて、男と女のいる舞台。だが、それぞれ、自分の顔に似せた等身大の人形を持っており、人間と人形が様々に交錯するという興味深い展開が行われる。「この辺で変わりそうだな」という予測は可能であり、当たることが多いのだが、急にチェンジするので、どうやったのかわからないところも何ヶ所かあった。

実は、男装した女優が一人紛れており、そのため数の勘定合わないよう錯覚させる工夫がなされていた。

舞台設定は北極か南極のようで、演者達は小さなスキーの模型を履いていたりする。そのため、温め合う男女という設定もあるのだが、これは良いところでブツ切りにされる。

チンパンジーにとっては人類が繁栄しないことこそが願いなので、人類のあれやこれやはあっても何事もなく去って貰うのが望ましい。

ラストシーンでは、チンパンジーの望み通り人類は去って行くかに見える(影絵で示される)のだが、途中で、一組のカップルが馬車を降り、恋愛が成就したことが暗示される。チンパンジーが悔しがる中、幕となる。

ストーリー自体は、言葉を使わないパフォーマンスの常として奥深さはあっても多彩とはいえないものだが、小道具の生かし方は見応えがあったように思う。

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