カテゴリー「ピアノ」の20件の記事

2017年4月12日 (水)

コンサートの記(291) クシシュトフ・ウルバンスキ指揮NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2017大阪

2017年3月15日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、「東芝グランドコンサート2017」 NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会を聴く。

NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団は、ギュンター・ヴァントとのコンビで親しまれた北ドイツ放送交響楽団(NDR交響楽団)が、新本拠地ホールであるエルプフィルハーモニーの落成と共に改名した団体である。
一昨年に、北ドイツ放送交響楽団名義で、首席指揮者であるトーマス・ヘンゲルブロックと共に来日し、大阪のザ・シンフォニーホールでも演奏会を行っていて私も聴いているが、新しい名称になってからは初来日である。
今日の指揮者は、ポーランド生まれの俊英、クシシュトフ・ウルバンスキ。NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者である。昨年まで東京交響楽団首席客演指揮者を務めており、大阪フィルハーモニー交響楽団も数度客演していて、日本でもお馴染みの存在になりつつある。ワルシャワのショパン音楽アカデミーでは指揮をNAXOSの看板指揮者として知られるアントニ・ヴィトに師事。2007年にプラハの春国際音楽コンクールで優勝に輝いている。
シャープな指揮姿であるが、時折、ダンスのようなステップも踏む。


曲目は、ベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:アリス=紗良・オット)、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。オール・ドイツ・プログラムである。

ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。フェスティバルホールにはパイプオルガンはないので、「ツァラトゥストラはかく語りき」では、電子オルガンが用いられる。

一度楽譜を見ただけで全て覚えてしまう「フォトグラフメモリー」という特殊能力を持つウルバンスキ。今日も指揮台の前には譜面台はなく、協奏曲も含めて全て暗譜で指揮する。

ウルバンスキ登場。どことなくGACKTに雰囲気が似ている。もっとも、GACKTを生で見たことはないのだけれど。


ベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番。ウルバンスキは情熱を持っているのだろうが、それを表に出すことの少ない指揮をする。
全編、ピリオド・アプローチによる演奏だが、特筆すべきは弱音の美しさ。本当に息を飲むほどに美しい超絶ピアニシモである。そしてラストに向けて盛り上がっていく弦楽のエネルギーの豊かさ。爽快なベートーヴェンである。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。ソリストは日本でもお馴染みになったアリス=紗良・オット。日独のハーフであり、「美しすぎる」という奇妙な形容詞が流行った時には「美しすぎるピアニスト」などと言われた。ピアニストのモナ=飛鳥・オットは実妹。
個性的なピアニストであり、ウルバンスキとは異なって情熱を剥き出しにするタイプである。
「裸足のピアニスト」としても知られているアリス。今日は黒いロングドレスの裾を引きずりながらチョコマカ早歩きで登場したため足下は見えなかったが、ピアノを弾くときは素足でペダルを踏んでいるのが確認出来た。

アリスのピアノは、浮遊感、透明度ともに高く、冒頭ではちょっとした歌い崩しを行うなど、今日も個性がフルに発揮されている。
第1楽章終了後、第2楽章終了後とも、ウルバンスキは腕を下げず、アリスがピアノを弾くことで楽章が始まるというスタイルを採っていた。
第2楽章のリリシズム、第3楽章のパワーなどいずれも感心する水準に達している。アリスは右手片手弾きの場面では左手の掌を上に向けて左肩の付近で止めていた。科を作っていたわけではなく、単に癖なのだろう。

演奏終了後、喝采を浴びたアリス。聴衆からお花も貰う(許可がない場合は聴衆としてのマナー違反になりますので、真似しない方がいいです)。

ウルバンスキ指揮のNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団もピリオド・アプローチながら力強い伴奏を奏でた。

アンコールは2曲。まずは、昨年、「ピーコ&兵動のピーチケ・パーチケ」でも演奏していた、グリーグの抒情小曲集より「こびとの行進」。
20年近く前に、砧(きぬた)にある世田谷美術館講堂で、グリーグのピアノ曲演奏会(世田谷美術館の「ムンク展」関連事業)を聴いたことがある。演奏を行ったのは、グリーグ演奏の大家でNAXOSレーベルに「グリーグ ピアノ曲全集」も録音していたアイナル・ステーン=ノックレベルグ。「グリーグ本人の演奏にそっくり」といわれたピアノを弾く人だ。来日前に交通事故に遭ったそうで万全の体調ではなかったそうだが、ステーン=ノックレベルグは、「抒情の極み」とでもいうべき演奏を披露していた。
アリスの弾く「こびとの行進」は、ステーン=ノックレベルグのそれと比べると若々しいのは当たり前だが、リズム感の良さが際立っている。アリスは普段はクラシックは余り聴かず、ポピュラー音楽の方を好んで聴くそうだが、ポピュラーは「リズムが命」という面があるため、クラシック演奏にもプラスに働くのだろう。
メカニックが抜群なのは今更書くまでもない。

拍手を受けて椅子に腰掛けたアリスは、「皆様、今夜はお越し下さってありがとうございます。もうピアノが伸びてきてしまっていますので、最後にオーケストラのメンバーと皆様のためにショパンのワルツ遺作を弾きたいと思います」と言ってから、ショパンのワルツ19番(遺作)を弾く。テンポの伸縮自在の演奏だが、それが効果的であった。


後半、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。ウルバンスキはやや遅めのテンポでスタートする。冒頭に出てくる3つの音が全曲を支配する「ツァラトゥストラはかく語りき」。ウルバンスキの表現は見通しが良く、リヒャルト・シュトラウスの意図もウルバンスキ自身の意思もよく伝わってくる。
「ツァラトゥストラはかく語りき」は有名曲なので、コンサートで取り上げられることも比較的多いが、これほど楽曲構成の把握がわかりやすく示された演奏を聴くのは初めてである。
NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団であるが、弦も管も技術は極めて高い。この曲は弦楽のトップ奏者がソロを取る場面が何度もあるのだが、全体がそうした室内楽的な緻密さに溢れた好演となっていた。弦の音色は透明度が高く、明るい。輝きに関しては昨日聴いたプラハ交響楽団とは真逆である。管楽器も力強く、音楽性も高かった。
なお、舞台袖での鐘は、グロッケンシュピール奏者が自身のパートを演奏し終えた後で上手袖に下がり、兼任して叩いていた。


アンコール演奏は、ワーグナーの歌劇「ローエングリン」より第3幕への前奏曲。非常に洗練されたワーグナーであり、ドイツの楽団でありながら「ドイツ的」といわれる濃厚な演奏とは一戦を画したものになっていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年3月 6日 (月)

コンサートの記(278) 小菅優ピアノ・リサイタル@びわ湖ホール大ホール2017

2017年2月4日 びわ湖ホール大ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール大ホールで、小菅優のピアノ・リサイタルを聴く。


びわ湖ホールのロビーからは、雪を頂いた比良山系が見えた。

びわ湖ホール名曲コンサートの一環として行われた「小菅優 ピアノ・リサイタル」であるが、曲目はある程度クラシック通でないと内容がわからないものが多く、いわゆる通俗名曲によるコンサートではない。


プログラムは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番「月光」、同じくピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」、武満徹の「雨の樹 素描」と「雨の樹 素描Ⅱ~オリヴィエ・メシアンの追悼に」、リストの「巡礼の年 第3年」より“エステの噴水”、リストのバラード第2番、ワーグナー作曲・リスト編曲の「イゾルデの愛の死」

びわ湖ホール大ホールはキャパが大きいので、3階席と4階席は今日は使用されていなかった。入りは、プログラムが渋いことを考えればまずまずである。

小菅優は翡翠色のドレスで登場する。

日本を代表する若手女性ピアニストである小菅優は、1983年東京生まれ。東京音楽大学付属音楽教室で学んだ後、10歳の時にドイツに渡り、以後はドイツで音楽教育を受けている。
コンクール歴が一切ないピアニストとしても知られているが、今は札幌交響楽団の首席指揮者を務めているマックス・パンマーが京都市交響楽団に客演し、小菅優と共演したときに、プレトークで、「小菅優が子供だった頃に優勝したピアノ・コンクールで伴奏を務めていたことがある。成長した姿を見て嬉しく思う」と発言していたので、青少年のためのピアノ・コンクールで優勝したことがあるのかも知れない。
コンクール歴なしとされるヴァイオリニストのアンネ=ゾフィー・ムターも西ドイツ青少年音楽コンクールでは優勝経験がある。
小菅は同世代で共に東京音楽大学ピアノ科特任講師を務める河村尚子と親しいようで、東京では河村と二人でピアノ・デュオ・コンサートも行っている。
超絶技巧の持ち主であり、特にベートーヴェンやリストなどには定評がある。

グレン・グールドのように猫背になって弾くことも多い演奏スタイル。


ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番「月光」。一音たりとも蔑ろにしない、極めて集中力の高い演奏を展開する。
日本人女性ピアニストというと、音の線が細いことが多いのだが、小菅はそうした悪い意味での「細さ」や「軽さ」とは無縁である。音にボリュームがあり、情報がぎっしり詰まっている。
やや遅めのテンポで開始した第1楽章。幻想的(ドイツ語の場合は「即興的」というニュアンスも含むようである)というより悲しみを堪えつつもそっと語りかけてくるような趣がある。
立体感のある第2楽章の演奏に続く第2楽章は情熱の奔流。第一級のベートーヴェンである。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」。軽快さと推進力のある第1楽章も優れていたが、一番凄かったのは第3楽章。小川のせせらぎのように清らかな音が、巨大な流れとなり、最後は浮遊感のある演奏に変わる。マジカルである。

構造力と情熱と強靱なタッチ。良い例えなのかどうかわからないが、小菅は「女版エミール・ギレリス」のようなベートーヴェン弾きである。


休憩を挟んで、武満徹の「雨の樹 素描」と「雨の樹 素描Ⅱ~オリヴィエ・メシアンの追悼に」。繊細にして緻密な設計士の技による優れた演奏である。透明感のある音で、武満の神秘的な音楽を解き明かし、再構成してゆく。

リストの「巡礼の年 第3年」より“エステ荘の噴水”。村上春樹の小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』で知名度を上げたリストの「巡礼の年」だが、“エステ荘の噴水”は映画で用いられるなど、以前から有名であった。
清潔感と生命感に溢れるピアノである。

リストのバラード第2番。多彩な音のパレットが生かされる。仄暗い響きから、輝きを放つ音、官能的な音色まで自由自在である。メカニックも驚くほど高度である。

ワーグナー作曲・リスト編曲「イゾルデの愛の死」。びわ湖ホール大ホールは天井が高いのだが、その天井まで貫くような強烈な音がここぞという時に飛び出す。原曲が持つうねりをピアノで極限まで追求したような演奏。まだ30代前半のピアニストとは思えないほどの成熟した音楽であった。


アンコールはメシアンの「プレリュード第1番 鳩」。鳥の鳴き声に惹かれていたメシアンだが、それを不思議な音楽に仕上げている。この曲を聴くと、武満徹がメシアンから多大な影響を受けていることがわかる。
小菅は、ミステリアスにして美しい和音を巧みに紡ぎ出してみせた。


ブラーヴァ! 文句なしのコンサートであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年2月12日 (日)

これまでに観た映画より(85) 「戦場のピアニスト」

DVDで、ロマン・ポランスキー監督作品「戦場のピアニスト」を観る。フランス、ポーランド、ドイツ、イギリス合作映画。

実在のピアニストであるウラディスワフ・シュピルマンの戦中体験記を映画化した作品である。

1939年9月のワルシャワ。9月1日に、ナチス・ドイツはポーランドに何の布告もなく進軍する。
ウラディクという愛称で呼ばれていたユダヤ系ポーランド人ピアニストのウラディスワフ・シュピルマン(エイドリアン・ブロディ)はワルシャワの放送局で、ショパンの夜想曲第20番嬰ハ短調(遺作)を弾いていた。ラジオによる生中継である。しかし、演奏中に放送局はドイツ軍によって砲撃され、ウラディクも放送局から逃げ出さざるを得なくなる。
その時、ウラディクは、自分のファンだというドロタという若い女性(エミリア・フォックス)と出会う。ドロタはウラディクの友人であるユーレクの妹であった。ドロタは音大でチェロを学び、チェリストになりたいという夢を持っている。

ポーランド人もナチスに協力的であり、ウラディクがドロタと一緒に行った喫茶店には「ユダヤ人お断り」と書かれていた。ユダヤ人は公園に入ることが出来ず、ベンチに腰掛けることも出来ない。

状況は日増しに厳しくなる。ユダヤ人は所持できる金を制限され、ダビデの星のついた腕章をつけることを強要され、ついには居住区に強制移住させられる。居住区と他の地域は煉瓦の壁で仕切られ、ゲットーとなった。
ウラディク達が強制収容所に送られる日が来る。友人でユダヤ人警察の署長となったヘラー(ロイ・スマイルズ)によって、ウラディクはワルシャワに残ることが出来たが、家族は貨物車に詰め込まれ、死出の旅へと出かけていった。

ワルシャワでの強制労働生活を送るウラディク。だが、密かに拳銃などの武器を仕入れ、まだゲットーに潜んでいるユダヤ人達にドイツ兵に見つからないよう投げ送る。

労働している時に、知り合いの歌手・ヤニナ(ルース・プラット)と俳優のアンジェイ(ロナン・ヴィバート)の親切なポーランド人夫婦を見かけたウラディクは脱走し、彼らを頼ることになる。しかし、状況は更に悪化。ウラディクは、ヤニナの夫・アンジェイが逃げ場所として教えてくれたある家を頼る。そこにいたのはドロタであった……。

ユダヤ人というだけで、人間の権利が取り上げられるという。凄惨な歴史を描いた映画である。ユダヤ人達は、ドイツ兵達に無作為に選ばれて意味なく射殺される。ウラディクも「大晦日のお祝いだ」としてドイツ兵に殴られる。ナチスの手下達に取っては、ユダヤ人は虫けら以下の存在なのだ。

酸鼻を極めるワルシャワで、音楽だけがウラディクの救いとなるのだが、「音を立てたら危ない」ということで、アップライトのピアノがある家にいるにも関わらず、鍵盤に触れることは出来ず、鍵盤の上でエアピアノを奏でるしかない。

ワルシャワ蜂起などにより廃墟と化していくワルシャワの街。
やがて、ピアノがウラディクを救う日が来るのだが……。

人種が違うというだけで、低劣な存在とみなすという行為は、残念ながら現在進行形で行われている。人種差別だけではなく、「異なる」というだけで、人は人を貶め、自己満足に浸ろうとする。
そこには決定的に想像力が欠如している。

ポーランドの国民的作曲家であるショパンの音楽がキーになっているが、ポーランドは中世には強国だったものの、以後は何度も侵略されており、ショパンもまた11月蜂起計画に荷担したという疑いがあり、二十歳の時にポーランドを離れ、ウィーンへ。そして父親の祖国であるフランスのパリにたどり着き、生涯、祖国であるポーランドに帰ることはなかった。
ショパンの悲しみはポーランドの悲しみであり、心そのものを描くことの出来る唯一の芸術である音楽が、この映画でも観る者の胸に痛いほどに染み込んでくる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年2月11日 (土)

コンサートの記(273) 下野竜也指揮京都市交響楽団第608回定期演奏会

2017年1月21日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第608回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任客演指揮者の下野竜也。下野はこの4月から、高関健と並んで、京都市交響楽団の常任首席客演指揮者に昇格し、常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーである広上淳一と共にトロイカ体制をより強固なものにさせていくことが決まっている。

曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第25番(ピアノ独奏:パスカル・ロジェ)とブルックナーの交響曲第0番。
有名とはお世辞にも言えない曲が並び、今日と明日の2日公演なので入りが心配されたが、満員には遠かったものの、案外入りは良い。

モーツァルトのピアノ協奏曲第25番は、モーツァルトの20番台のピアノ協奏曲の中では取り上げられる回数が極端に少ない曲である。下野竜也もプレトークで、20番台のピアノ協奏曲のうちで第25番と第22番は余り取り上げられないと語っていたが、ピアノ協奏曲第22番は第3楽章が、映画「アマデウス」で流れていたため、聴いたことがある人は多いかも知れない。
一方、ピアノ協奏曲第25番は、ライブで聴くのは今日が多分初めてになる。実は、大友直人が京都市交響楽団の常任指揮者を退いてすぐの頃なので大分前になるのだが、大友直人指揮京都市交響楽団の定期演奏会でモーツァルトのピアノ協奏曲第25番がプログラミングされたことがあったのである。しかし、なんとソリストが演奏する曲目を間違えており、演奏会の直前になって大友直人に電話をしてきたそうで、暗譜しているポピュラーなピアノ協奏曲第21番に急遽変更という出来事があった。


開演20分前から下野竜也によるプレトーク。ラフな格好で登場した下野は、「こんにちは」と「遅ればせながら、あけましておめでとうございます」の挨拶を行った後で、曲目の紹介を行う。モーツァルトが好きな人も多いし、ブルックナーが好きな人も多いけれども、今日取り上げる曲は共に演奏される回数が少ないと言って、「だからといって悪い曲ではない」ということを強調する。

モーツァルトのピアノ協奏曲第25番はハ長調で書かれたピアノ協奏曲であるが、「悲しさ」を感じさせる曲だと下野は語る。ティンパニとトランペットが入っており、普通はこうした編成による曲はお祭りの曲なのであるが、モーツァルトは敢えて捻っているという。「人に寄っては」と下野自身の解釈ではないことを示しつつ、「戦後の不況、またモーツァルト自身がフリーメイソンに入れあげて問題になったという背景があるのではないかとも言われています」と下野は述べる。パスカル・ロジェのことを「世界屈指のピアニスト」と褒めたたえ、ロジェの演奏にも乞うご期待の旨を述べる。


ブルックナーの交響曲第0番は、特殊な曲である。普通は交響曲の番号に0などという数字は入らない。実は元々は交響曲第2番として書かれたのだが、後にブルックナーはタイトルをに「無効」と筆を入れ、習作として取り消してしまい、新たな交響曲第2番が書かれた。破棄された方の交響曲第2番であるが、ブルックナーはスコアを捨てずに終生持っていたそうで、死後に交響曲第0番として出版された。ブルックナーにはそれ以前に書かれたとされる交響曲第00番も存在する(プロ野球チームの背番号みたいだ)。下野がこの曲を知ったのは中学生の頃だそうで、テレビを見ていてたまたま知ったのだという。
作曲された時期であるが、当初は交響曲第2番とされていたことから、交響曲第1番より後に書かれたものだというのは確実で、「交響曲第1番より前に書かれたから第0番というわけではありません」と下野も言う。
「ブルックナーというと後期の交響曲が有名です。ドヴォルザークも『新世界』、第8番、第7番。第6番当たりになるとマニアックになります。ベートーヴェンは交響曲第1番から傑作でしたが、他の作曲家の場合、若い頃の交響曲というと未熟な場合が多いです。若い頃は、書きたいことは沢山あっても方法もわからなければ手段もわからない。ただ、若いが故の魅力というのもあるのです」と下野は語り、「ブルックナーの後期の交響曲を演奏するようには今日は演奏しません。ウィーンで学んでいた頃、先生から教わったのですが、後から書かれた曲をイメージしつつ演奏するということは私もしないことにします」と続ける。下野は、「この曲がシューベルトの時代のすぐ後に書かれたということに注目してください」とも語った。


今日のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーに尾﨑平。今日はフルートには首席客演奏者として榎田雅祥(えのきだ・まさよし)が入り、後半のみ出演した。トランペットはモーツァルトが稲垣路子と西馬健史、ブルックナーがハラルド・ナエス(首席トランペット奏者)と早坂宏明である。ホルンに見慣れぬ女性奏者がいたが、客演の中橋慶子のようだ。
第2ヴァイオリンにも今日は首席客演奏者として水鳥路が入る。


モーツァルトのピアノ協奏曲第25番。ピアノ独奏のパスカル・ロジェはフランスを代表するピアニスト。パリ国立音楽院を卒業後、英DECCAの専属アーティストとなり、ラヴェル、サティ、ドビュッシー、プーランク、フォーレなどのフランスものを次々に発表して売れっ子となる。シャルル・デュトワと多くの仕事を行っており、サン=サーンスのピアノ協奏曲全集や、プーランクのピアノ協奏曲などをレコーディングしている。
今世紀に入ってからも「ドビュッシー ピアノ曲全集」をonyxから発表し、話題となった。

モーツァルトのピアノ協奏曲というと、長調の曲にしろ短調の曲(2曲しかないが)にしろ、まろやかなピアノが奏でられるのが王道だが、ロジェはフランスのピアニストということもあってかシャープ且つタイトである。結晶化された美しい音色を奏で、いわゆるモーツァルト弾きといわれる人達とは別の魅力がある。

下野指揮の京響は輝かしい演奏を展開。ピリオド・アプローチを援用しているが、弦のビブラートを掛ける場所が奏者によって異なるなど(ノンビブラートの人もいた)、自然な感じを表に出していたように思う。

この曲は勢いよく始まるが、弦が不吉な印象を受けるメロディーを奏で、それを管楽器が明るい調に変えて演奏する。そのため不安定な印象を受け、モーツァルトの孤独が一瞬よぎるような印象を受ける。
第2楽章でもピアノは明るい音を出しているのに、管楽器が痛烈な音を出す場面がある。
そうした不安定な要素が好悪を分かつ要因なのかも知れない。
ロジェはアンコールとして、サティの「グノシエンヌ第5番」を弾く。実はこの曲は、私が千葉にいた頃、最も好んで良く弾いた曲の一つである(「グノシエンヌ第1番」や第3番もよく弾いた)。技巧的には平易であり、楽譜が読めれば初心者でも弾けるはずである(楽譜が読める時点で初心者ではない気もするが)。
世界で初めて「エリック・サティ ピアノ曲全集」を作成した故アルド・チッコリーニの2種類の演奏を良く聴いたものだが、チッコリーニはフランス国籍になったとはいえ元々はイタリア人であり、そのため甘い旋律を慈しむかのようなカンタービレを聴かせていたのだが、ロジェの弾く「グノシエンヌ第5番」はそれとは異なり、甘さも余り感じさせずスマートである。ロジェの弾く「グノシエンヌ第5番」は録音でも聴いたことがあるのだが、スタイルは全く変わっていない。他のフランス人ピアニストもロジェのようなサティを弾くので、フランスではロジェのようなスタイルが正統派なのかも知れない。

アンコール曲はホワイトボードに手書きで発表されるのだが、何の手違いか、「グノシエンヌ第3番」と発表されている。そこでスタッフさんに言って、正しい番号に訂正して貰った。
サティのグノシエンヌは第1番から第6番まであるのだが、サティの生前に出版されたのは第3番までである。「グノシエンヌ第1番」が最も有名であり、北野武初監督作品である「その男、凶暴につき」で、電子音などに編曲されたものがメインテーマとなっていた。
「グノシエンヌ第5番」も90年代に菊池桃子が出演していたCM(なんのCMかは忘れてしまった)で使われ、最近もまた別のCMで使われている。



ブルックナーの交響曲第0番。
野達也は大阪フィルハーモニー交響楽団とこの曲を録音しており、京都コンサートホールでも同曲を大阪フィルと演奏している。確か、それが下野の京都コンサートホールデビューであったはずである。
下野も大フィルとこの曲を京都コンサートホールで演奏した時は今よりも二回りぐらい巨漢だった。

ブルックナー初期の楽曲とはいえ、ブルックナーらしさは十分に発揮されている。第2楽章の澄み渡る空が目に浮かぶような音楽は、彼の交響曲第8番第3楽章を連想させる。ただブルックナーの後期の交響曲、特に第8番と第9番は「響き」と「音の構築感」に重きが置かれているのに対して、初期はまだメロディーで繋ごうという意図が強いように思う。下野はプレトークでシューベルトの名前を出していたが、旋律や構築感にはシューベルトの交響曲第4番「悲劇的」や交響曲第5番に相通じるものが感じられる。

大阪フィルを指揮した演奏では渋い独特の演奏を聴かせた下野だが、京都市交響楽団は大フィルに比べて音色が明るいため、趣がかなり異なる演奏となった。大フィルとの演奏はもう詳しくは覚えていないのだが、今日のような見通しの良さが感じられなかったのは確かなので、今日の方がより咀嚼された分かり易い演奏であったように思う。

カーテンコールで、下野は総譜を掲げて、曲への敬意を表した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年2月 1日 (水)

コンサートの記(270) ヤクブ・フルシャ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第504回定期演奏会

2016年12月8日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第504回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、チェコ出身のヤクブ・フルシャ。

曲目は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(ピアノ独奏:河村尚子)とショスタコーヴィチの交響曲第10番。


1981年生まれの若手指揮者であるヤクブ・フルシャ。東京都交響楽団首席客演指揮者として日本でもお馴染みである。今季(2016-2017)から名門バンベルク交響楽団の首席指揮者に就任。
プラハ芸術アカデミーで、イルジー・ビエロフラーヴェクとラドミル・エリシュカに師事し、チェコ国内で活躍。プラハ・フィルハーモニアの首席指揮者として知名度を上げ、現在では世界的な活動を行っている。
幸田浩子のアルバムにプラハ・フィルハーモニアと共に参加しており、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団や東京都交響楽団とも録音も行っている。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番でソリストを務める河村尚子(かわむら・ひさこ)はフルシャと同い年である。兵庫県西宮市生まれ。5歳の時に一家で渡独し、教育は全てドイツで受けている。最初のうちは日本人学校に通っていたが、後に自らの意思でドイツ語の学校に編入。ハノーファー国立音楽演劇大学大学院ピアノ・ソリスト課程を修了。エッセンのフォルクバング芸術大学の教授でもある。現在は、東京音楽大学ピアノ科の特任講師でもあり、同大学指揮科教授の広上淳一とも親しいようで、何度も共演しており、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」の広上指揮京都市交響楽団との演奏はCDにもなっている。


今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。ドイツ式の現代配置での演奏。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。赤いドレスで登場したソリストの河村尚子は今日も怖ろしいレベルの演奏を展開する。
高度なメカニックを誇る河村だが、今日の演奏は技術面で優れているだけでは絶対に弾けない類いのものである。曲が進む毎に輝きを増していくピアノの音色にも驚かされるし、右手と左手が別々の生き物のように鍵盤上で疾駆する様には唖然とさせられる。音は立体感を持ち、感情が宿っている。
第2楽章の哀しみの表現も秀逸であり、「とんでもないレベルのピアニストになってしまったな」という印象を受ける。

フルシャ指揮の大阪フィルは、編成を一回り小さくし、ビブラートを抑えめにしたピリオド・アプローチでの演奏。にも関わらず、広いフェスティバルホールでかなり鳴らす。
チェロやコントラバスをしっかりと弾かせるピラミッドバランスの演奏。古楽を意識したティンパニの硬めの音も特徴である。


河村はアンコールとしてスカルラッティのソナタヘ長調K.17を弾く。フルシャもホルン奏者の前に腰掛けて河村の演奏を聴く。
「玲瓏」そのものだ。


ショスタコーヴィチの交響曲第10番。エキストラを多数入れての大編成での演奏。

フルシャの指揮は、指揮棒を持っていない左手の使い方が巧みであり、雄弁でもある。この曲ではジャンプを繰り返すなど、若々しい指揮姿が印象的である。
オーケストラを鳴らす術に長けたフルシャ。今日も大フィルを盛大に鳴らす。フェスティバルホールの音響は、ショスタコーヴィチを演奏するには実は最適である。大阪市北区と福島区の間にあるザ・シンフォニーホールは優れた音響のホールだが、空間が小さく残響が長いため、最強音で鳴らすと音が飽和してしまうだろう。フェスティバルホールはその心配はない。

ラストもジャンプで決めたフルシャ。実は今日は客の入りはそれほどでもなかったのだが(日本では若い指揮者が振る演奏会は入りが余り良くないことが多い)、聴衆は盛んな拍手でフルシャと大フィルを讃えた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年1月29日 (日)

モーツァルト ピアノ・ソナタ第16番(旧15番)K.545 第3楽章

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年1月10日 (火)

コンサートの記(264) 小山実稚恵ピアノリサイタル@ロームシアター京都サウスホール2016

2016年11月27日 ロームシアター京都サウスホールにて

午後2時から、ロームシアター京都サウスホールで、「小山実稚恵ピアノリサイタル」を聴く。京都ミューズ(旧・京都労音)主催公演。

日本で生まれ育った女性ピアニストというと、どうしてもあっさりとしたピアノを弾く人が多く、それゆえ現状では、日本人ではあるがヨーロッパで育った女性ピアニスト、例えば内田光子や児玉姉妹、河村尚子などが優勢ではある。そんな中で小山実稚恵は一貫して日本で音楽教育を受け、海外への留学経験がないにも関わらず骨太の演奏を成し遂げることが可能な人である。1990年代に技巧派ピアニストとして注目を浴び、2000年の大河ドラマ「葵~徳川三代」では、シャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団と共にオープニングテーマを奏でている。


ロームシアター京都サウスホールでピアノリサイタルを聴くのは初めてである。旧京都会館第2ホールを内部改装したロームシアター京都サウスホールであるが、以前よりステージを広くし、結果、客席は面積が減ったため、2階席を急勾配にするなどして客席数をなるべく多くする工夫がなされている。今日はその2階席の最後列、いわゆる天井桟敷での鑑賞である。
2階席はステージを真上から見下ろすような形になるため、2階席後方から自分の席のある列まで降りていく人は口々に「怖い」「あー、こわ」「高所恐怖症にはきつい」などと言う。
      
2階席後方に向かう階段は狭く、人とすれ違うことが出来ない。これだけでも使い勝手の悪さは想像して頂けると思うが、開演時間に遅れた人は、ホワイエではなく2階席後方で1曲目が終わるまで待機することになる。ホワイエから席に向かうと時間が掛かるためである。ということで、2階席最後列に座っていると、遅れて来たお客さんが後ろで袋をゴソゴソやっているのが聞こえたりして、余り気分が良くない。
ホールの音響が出来上がるのには10年ほど掛かるとされるため、響きを断言することは出来ないのだが、アコースティックはまずまずである。ただ抜群にいい音がするというわけでもないので、使い勝手を考えれば、京都コンサートホール小ホール「アンサンブルホール・ムラタ」やALTIの方がリサイタル会場としては向いているように思われる。
ロームシアター京都は「前川國男が設計した京都会館の外観を生かす」という制約があるため、自由にデザイン出来ないのである。


曲目は、ブラームスの6つの小品から第2曲「間奏曲」、第3曲「バラード」、第4曲「間奏曲」、シューベルトの4つの即興曲作品90、ショパンのノクターン第20番(遺作)、ワルツ第7番、ワルツ第6番「小犬」、ワルツ第2番「華麗なる円舞曲」、ショパンの「アンダンテ・スピアーナと華麗なる大ポロネーズ」、ショパンのピアノ協奏曲第2番より第2楽章「ラルゲット」(ピアノ独奏版)、ショパンのポロネーズ第6番「英雄」

小山実稚恵は、薄紅色のドレスで登場。私の座った席からは鍵盤と手の動きがよく見える。


ブラームスの6つの小品からの3曲は、いずれも拡がりのある美演である。

シューベルトの4つの即興曲作品90。
シューベルトの作品は独特の毒を持っているのだが、小山はそうした不吉な気配を表には出さず、端正なシューベルトを奏でている。設計のきちんとなされたピアノである。
後半の第1曲であるショパンのノクターン第20番(遺作)。映画「戦場のピアニスト」で知名度を上げた曲である。
小山のピアノであるが、この曲では情感は今一つ。哀感が上手く出ず、旋律がサラサラ流れてしまう。小山はウエットな曲目は余り得意でないようだ。

一方で、ショパンのワルツでは優れたメカニックとスケールの大きさを発揮して、ゴージャスな演奏に仕上げた。

小山というと、情熱を鍵盤に叩きつけるようなスタイルが特徴であるが、「アンダンテスピアーナと華麗なる大ポロネーズ」でも、前半のリリックなアンダンテより後半の堂々としたポロネーズ演奏の方が優れている。

ショパンのピアノ協奏曲第2番第2楽章「ラルゲット」。オーケストラ伴奏もピアノ独奏で奏でるように編曲したものである。青春の夢の羽ばたきを華麗に描き出し、未来への不安も顔を覗かせているが、仄かに香る哀愁は控えめ。小山はメランコリーを表に出すのは余り好きではないように思える。

ラストのポロネーズ第6番「英雄」。
日本人女性ピアニストとしてはトップレベルのメカニックを持つ小山だが、この曲では指が思うように動かず、前半に2度ほど「グシャリ」と潰れた和音が出ていたが、その後は立て直して、壮大にして情熱的な英雄ポロネーズの演奏となる。


アンコールは4曲あり、2曲目が終わって、「もう終了かな?」と思ったら、小山がピアノに向かって弾き出す。「今度こそ終わりかな?」と思ったらもう1曲という感じで弾かれた。

アンコール演奏であるが、終演後の掲示がなく、レセプショニストさんにアンコール曲目が書かれた紙を見せて貰ったが、発表すると問題になる可能性があるので公表は控える。4曲とも素晴らしい出来だったので残念なのだけれど。
曲目は明かさないが、1曲目のアンコール演奏は、生まれたばかりの風を思いっきり吸い込んだ時のような爽快感に溢れる演奏であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年11月 3日 (木)

アルド・チッコリーニ(ピアノ) ドビュッシー 「アラベスク第1番」

イタリア出身でフランスに帰化し、エリック・サティのスペシャリストとしても知られたアルド・チッコリーニの演奏。
「アラベスク第1番」は私も昔、練習したことがあるのですが、残念ながら弾けるようにはなりませんでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月 3日 (水)

ラヴェル ピアノ協奏曲ト長調第3楽章

「ゴジラのテーマ」の元ネタともされる旋律が出てくるラヴェルのピアノ協奏曲より第3楽章。
本当に元ネタなのかははっきりしませんが、「ゴジラ」シリーズの作曲家である伊福部昭がモーリス・ラヴェルの大ファンだったことは周知の事実(フランスの作曲コンクールの伊福部が応募したのもラヴェルが審査員の一人だったため、「ラヴェルに自作のスコアを見て貰いたい」という一心からでした)であるため、オマージュとして捧げた可能性は高いと思われます。
 
圧倒的な技巧とチャーミングな容姿で人気上昇中のピアニスト、萩原麻未が世に出るきっかけとなったジュネーブ国際音楽コンクール・ピアノ部門の映像です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年7月 6日 (水)

コンサートの記(246) 山田和樹指揮 バーミンガム市交響楽団来日公演2016大阪

2016年6月26日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後2時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、山田和樹指揮バーミンガム市交響楽団の来日演奏会を聴く。

イギリスのEU離脱の中で行われる来日公演。時期がたまたま重なってしまった。

バーミンガム市交響楽団(City of Birmingham Symphony Orchestra。略称はCBSO)の来日演奏会を聴くのは通算で3度目。最初は1990年代後半に、東京・初台の東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”で、サー・サイモン・ラトル指揮の演奏会を聴いた。ラトルはすでにベルリン・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督への就任が決まっていたはずだが、前半に現代音楽が並んだということもあり、当日のタケミツホールは半分も入っていないというガラガラ状態。聴衆の現代音楽アレルギーを目の当たりにした格好だった。後半のベートーヴェン交響曲第5番の演奏は刺激的でとても面白かったが、それが「ピリオド・アプローチ」なるものによって演奏されたものだと知るのは少し経ってからのことである。

2度目は、2002年、京都コンサートホールにおいて。私が京都コンサートに初めて足を踏み入れたのがバーミンガム市交響楽団の来日演奏会だったのだ。指揮者は当時、CBSOの音楽監督を務めていたサカリ・オラモ。メインで演奏されたシベリウスの交響曲第2番が清心な出来映えであった。

ただ、前回聴いたのが2002年ということで、実に14年ぶりのバーミンガム市交響楽団体験となる。メンバーも大幅に変わったはずで、ファゴットの女性奏者はクラシックではまだ珍しい黒人である。

曲目は、ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:河村尚子)、ベートーヴェンの交響曲第7番。

日本人若手指揮者界のトップランナーともいうべき山田和樹は、1979年生まれ。東京芸術大学在学中にオーケストラ(トマト・フィルハーモニー管弦楽団。現:横浜シンフォニエッタ)を立ち上げ、2009年には第51回ブザンソン国際コンクールで優勝という経歴から、「リアル千秋真一」と呼ばれたこともある。今年の秋からは先日来日もしたモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督に就任することが決定している。その他に、スイス・ロマンド管弦楽団の首席客演指揮者、日本フィルハーモニー交響楽団の正指揮者、仙台フィルハーモニー管弦楽団とオーケストラ・アンサンブル金沢のミュージックパートナー、横浜シンフォニエッタの音楽監督など多くのポストを牽引している。現在はベルリン在住。

ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲。今日のメインはベートーヴェンの交響曲第7番だが、その初演を聴いて、「ベートーヴェンもついに気が狂ったか」と日記に記しているのが他ならぬウェーバーである。

アメリカ式現代配置での演奏。バーミンガム市交響楽団はラトルの時代から仄暗い響きを特徴としていたが、それは今も守られているようである。
弦はビブラートを抑えたピリオド奏法だが、盛り上がりを見せるようになるとビブラートを盛大に掛けるため折衷様式の演奏である。ティンパニが堅めの音出しているのが古楽風だ。
山田のオーケストラ統率力は極めて高い。

 

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。フェスティバルホールはステージが広いので、予めオーケストラを奥寄りに配置し、ピアノを下手奥から正面へと移動させることで、楽団員が退場しなくても場面転換が可能になっている。

真っ赤なドレスで登場した河村尚子(かわむら・ひさこ)。今、最も注目に値するピアニストの一人である。1981年、兵庫県西宮市生まれ、5歳の時の一家で渡独。ドイツで普通教育と音楽教育を受け、現在もドイツ在住である。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は、超絶技巧が必要なことで知られており、「弾き終わったら気が狂う」といわれるほど難しい。そのため、技巧を見せびらかすためにバリバリと弾くピアニストも多いのだが、河村尚子のスタートは慎重である。何かを探しながらためらいつつ進むという趣。技巧よりもラフマニノフの内面に光を当てたピアノである。
河村の特長であるヒンヤリとした音色を持つエッジの効いたピアノはラフマニノフにピッタリである。山田が指揮するバーミンガム市響も立体的な伴奏を奏でる。山田はスケールの的確さというものを理解しており、徒にスケールを拡げすぎることがない。

第2楽章を煌めきと不安とで彩った河村。その河村が第3楽章に入ると技巧を前面に出して、熱烈な凱歌を奏でる。ベートーヴェン的解釈と読んで良いのかはわからないが、第1楽章や第2楽章での憂鬱が圧倒的な音の波に呑み込まれていく。ラフマニノフの勝利を河村は鍵盤に刻みつける。決して、情熱をまき散らす様な演奏ではなく、今この時に刻印する。ただの「お祭り」に陥らない音楽を河村は創造する。本当に優れたピアニストだ。

山田指揮するバーミンガム市交響楽団の迫力も虚仮威しでなく、良かった。

河村のアンコール曲は、ラフマニノフの前奏曲変ト長調作品23の10。
音楽が底から沸き上がってくるような、不思議な曲であり、演奏であった。

ベートーヴェンの交響曲第7番。山田は以前、大阪フィルハーモニー交響楽団を指揮して同曲を演奏している。
アメリカ式の現代配置ではあるが、ティンパニは指揮者の正面でははく、上手奥に位置する。しかも古楽用のバロックティンパニでの演奏である。

ということで、このベートーヴェンでは徹底したピリオド・アプローチによる演奏が展開された。弦楽器がビブラートを用いることはほとんどない。ホルンはモダン楽器を使用していたが、トランペットは通常のものとはやや違うように見えた。ピストンが着いているようには見えないのである。ナチュラルトランペットにも見えないが、過渡期的な楽器を使ったのだろうか。

ピリオドによって様式は異なるが、演奏の出来不出来に影響はしない。山田の楽曲構造把握は抜群で、マスとしてのスケールをきちんと把握して演奏している。そのため、決して大言壮語のベートーヴェンにはならない。

ベーレンライター版の楽譜を用いてるため、通常とは異なるところがいくつかあったが、特に気にする必要はないだろう。第3楽章のティンパニとトランペットの強奏は意図が余り伝わってこなかったが。

第1楽章と第2楽章で一つの音楽、第3楽章と第4楽章でもう一つの音楽という昨今流行のスタイルでの演奏。
少し軽い気もしたが、爽快な演奏ではある。第3楽章と第4楽章ではジャンプも飛び出すなど、指揮姿も躍動感に溢れていた山田。金管の強奏、ティンパニの強打も効果的で迫力ある第7を生み出した。ただノリが良すぎてベートーヴェン的要素が後退してしまったのはマイナスかも知れない。

アンコール。まず山田のスピーチ。「イギリスではシェイクスピア没後400年ということで、コンサートでシェイクスピアにまつわる様々な楽曲が毎回のように演奏されています。それではウォルトンという作曲家による『ヘンリー五世』より“彼女の唇に触れて別れなん”」。山田がオーケストラの方に向き直って演奏スタート。弦楽合奏のための曲である。映画音楽だそうだが、気高い曲調で、演奏もエレガントであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

2346月日 | DVD | YouTube | …のようなもの | おすすめCD(TVサントラ) | おすすめサイト | おすすめCD(クラシック) | おすすめCD(ジャズ) | おすすめCD(ポピュラー) | おすすめCD(映画音楽) | お笑い | アニメ・コミック | アメリカ | アメリカ映画 | イギリス | イギリス映画 | イタリア | ウェブログ・ココログ関連 | オペラ | カナダ | グルメ・クッキング | ゲーム | コンサートの記 | コンテンポラリーダンス | コンビニグルメ | サッカー | シェイクスピア | シベリウス | ショートフィルム | ジャズ | スペイン | スポーツ | ソビエト映画 | テレビドラマ | トークイベント | ドイツ | ドキュメンタリー映画 | ニュース | ノート | ハイテクノロジー | バレエ | パソコン・インターネット | パフォーマンス | パーヴォ・ヤルヴィ | ピアノ | ファッション・アクセサリ | フィンランド | フランス | フランス映画 | ベルギー | ベートーヴェン | ミュージカル | ミュージカル映画 | ヨーロッパ映画 | ラーメン | ロシア | 中国 | 中国映画 | 交通 | 京都 | 京都市交響楽団 | 伝説 | 余談 | | 動画 | 千葉 | 占い | 台湾映画 | 史の流れに | 哲学 | | 大河ドラマ | 大阪 | 学問・資格 | 室内楽 | 小物・マスコット・インテリア | 広上淳一 | 心と体 | 意識について | 携帯・デジカメ | 政治・社会 | 教育 | 散文 | 文化・芸術 | 文学 | 文楽 | 旅行・地域 | 日本映画 | 日記・コラム・つぶやき | 映画 | 映画音楽 | 映画館 | 書店 | 書籍・雑誌 | 書籍紹介 | 朗読劇 | 来日団体 | 東京 | 楽興の時 | 歌舞伎 | 正月 | 歴史 | 海の写真集 | 演劇 | 無明の日々 | 猫町通り通信・鴨東記号 | 祭り | | 笑いの林 | 第九 | 経済・政治・国際 | 絵画 | 美容・コスメ | 美術回廊 | 習慣 | 能・狂言 | 花・植物 | 芸能・アイドル | 落語 | 街の想い出 | 言葉 | 趣味 | 追悼 | 邦楽 | 野球 | 関西 | 雑学 | 雑感 | 韓国 | 韓国映画 | 音楽 | 音楽劇 | 食品 | 飲料 | 香港映画