カテゴリー「ピアノ」の34件の記事

2018年6月30日 (土)

コンサートの記(398) 来日50周年特別公演 エリック・ハイドシェック with ザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブル

2018年6月26日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時からザ・シンフォニーホールで、来日50周年特別公演 エリック・ハイドシェック with ザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブルのコンサートを聴く。

個性派ピアニストのエリック・ハイドシェック。1936年、フランス・シャンパーニュ地方のランスの生まれ。フランスを代表するシャンパンメーカーであるシャルル・エドシークの御曹司である。苗字のHEIDSIECKはフランス語ではエドシークに近い発音となるが、先祖がドイツ系ということでドイツ風のハイトジークを名乗る(日本ではハイドシェック表記が一般的である)。
フランスを代表するピアニストであり教育者としても名高いアルフレッド・コルトーの高弟の一人。6歳から本格的な音楽教育を受け、9歳でリサイタルデビュー。パリ高等音楽院に入学して2年後に首席で卒業。エコール・ノルマルではコルトーに師事している。その後、イタリアでヴィルヘルム・ケンプにも師事した。
1950年代後半にモーツァルトのスペシャリストとしてEMIからデビュー。その後、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集、フォーレの夜想曲全集を録音している。ベートーヴェンとフォーレはその後、廉価盤CDとして再発された際に私も聴いているが、かなり充実した演奏であった。
1980年代は主にリヨン国立高等音楽院のピアノ科教授として過ごすが、音楽評論家の宇野功芳と宇和島在住の公務員にしてミステリー作家の宇神幸男の後押しで行われた宇和島での演奏会(なんか「宇」ばかり出てくるな)が評判となり、ライブCDがテイチクから発売されてベストセラーとなった。ベートーヴェンの三大ソナタ(「悲愴」、「月光」、「熱情」)を収めたCDは私も聴いたが、とにかく個性的な演奏であった。あたかも19世紀のピアニストが突然バブル期の日本に降り立ったかのような趣があった。その後、ハイドシェックは日本ビクターと契約し、モーツァルトのピアノ・ソナタ全集や協奏曲集をリリースしている。1998年にリヨン国立高等音楽院での教職を辞し、コンサートと録音中心の活動を行うようになった。近年では作曲家としても活動している。

日本クラシック音楽界の名物評論家として名を馳せた宇野功芳のバックアップを受けたのだが、宇野功芳という人は歯に衣着せない人で、名演奏家でも不出来と見做すや一刀両断にするためアンチも多く、日本におけるハイドシェックの評価にも毀誉褒貶合わせて相当な影響を与えている。


曲目は、オール・モーツァルト・プログラムであるが、前半がピアノ協奏曲第14番第2楽章、ピアノ協奏曲第16番第2楽章、交響曲第29番第2楽章、後半が交響曲第41番「ジュピター」第2楽章、ピアノ協奏曲第21番「みじかくも美しく燃え」第2楽章という、第2楽章ばかりが並んだかなり珍しいものである。ここにもハイドシェックの独特のセンスが表れている。


伴奏は、田部井剛(たべい・つよし)指揮のザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブル。
田部井剛は、早稲田大学商学部を卒業後、東京音楽大学指揮研究生修了(広上淳一に師事)、更に東京芸術大学指揮科を卒業している。芸大在学中の1999年に日本フィルハーモニー交響楽団との演奏会でハイドシェックと初共演し、ハイドシェックから「ヤング・トスカニーニ」との賛辞を得たという経歴を持つ。その後、ハイドシェックとたびたび共演している。

ザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブルは、その名の通り、ザ・シンフォニーホールでの演奏を念頭において結成された団体である。関西のプロオーケストラ4団体のメンバーで構成されている弦楽アンサンブルであるが、今日は管楽器奏者も計7名参加している。
今日のコンサートミストレスは、日本センチュリー交響楽団のコンサートミストレスである松浦奈々。弦楽器はセンチュリー響のメンバー10名と関西フィルハーモニー管弦楽団の団員2名からなる。管楽器の参加は、フルートの杉山佳代子、オーボエの中根庸介と高橋幸子(オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ)、ファゴットの首藤元(京都市交響楽団)と日比野希美(大阪フィルハーモニー交響楽団)、ホルンの水無瀬一成(日本センチュリー交響楽団)と中川直子(関西フィルハーモニー管弦楽団)。


このハイドシェックはかなりボヘミアンなピアニストで、コンサートホールでの演奏なのにプライベートなサロンにいるかのように振る舞う。良家のボンボンであり、ピアノを弾いていれば幸せというタイプでもあったのだろう。ソロリサイタルならともかくとして共演するにはかなり難しい性格のようである。


ハイドシェックは登場すると、まずテキストを手に英語でのスピーチを行う。よくは分からなかったが、「インメモリアム」という言葉が聞き取れたため、大阪北部地震の犠牲者のための演奏を行うことがわかる。演奏されたピアノ曲はメシアンを甘口にしたような作風である。休憩時間に分かったが、ハイドシェックの自作曲で前奏曲「愛の痛みを愛せよ」というものであった。ハイドシェックは途中で間違えて止まってしまい、「Sorry!」と頭を抱えて続きから弾き直す。


さて、モーツァルトのピアノ協奏曲であるが全て第2楽章ということで、緩徐楽章の演奏となる。基本的には技術よりもリリシズムが重視される。
田部井とザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブルが演奏を開始するが、ピアノのパートになるとハイドシェックは伴奏を無視するかのような独自のテンポで弾き始めてしまう。遅い上に歌い崩すため、オーケストラでの伴奏が四苦八苦するという状態。協奏曲なのにハイドシェックは端っから合わせるつもりはないようである。
メカニックは控えめにいって上質とはいえないもので、アマチュア的なピアニズムである。師であるアルフレッド・コルトーもヴィルヘルム・ケンプも共に技術的には十分に評価された人ではなかったからか、気にしていないようにも見える。
田部井剛も自身を持ち上げてくれた人だから伴奏指揮もするが、そうでなかったら付き合い切れないかも知れない。
指揮者でもあった宇野功芳がハイドシェックを共演した際、ハイドシェックが余りに自在なテンポで演奏するため、終演後に大喧嘩になったという噂があるが、本当だったとしても頷ける。

田部井剛指揮のザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブルの演奏であるが、単独で演奏した交響曲第29番と「ジュピター」の表現では管のバランスが強いという難点が確認出来る。ハイドシェックは表現主義的だが、田部井はそうではない。

ピアノ協奏曲第21番の第2楽章は、同曲が全編で用いられたスウェーデン映画「みじかくも美しく燃え」のタイトルが無料パンフレットに書き込まれている。俗っぽくなるのでタイトルを付けない場合が多いが、ハイドシェックの演奏は音が濃く、表現もロマンティックであり、映画の音楽としても相応しいものとなっていた。
フランスの映画監督にルイ・マルという人物がいた。「死刑台のエレベーター」などで有名な人だが、この人は富豪の息子で、道楽で映画を撮っていたら世界的な映画監督になってしまったという幸運児である。ハイドシェックもルイ・マルと同類であるように思われる。上流階級出身のディレッタントタイプだ。

後半のプログラムが短いが、これにはわけがある。ハイドシェックは好きなだけアンコール演奏を行うというピアニストであるため、意図的に後半が早く終わるよう設定してあるのだ。

アンコール演奏は、ヘンデルの組曲第3番、J・S・バッハのフランス組曲第5番、ドビュッシーの前奏曲第1集より「雪の上の足跡」、ドビュッシーの前奏曲第2集より「ヒースの荒野」、ドビュッシーの「子供の領分」より“小さな羊飼い”、ヘンデルの組曲第2番より前奏曲。ハイドシェックは自分で曲紹介を行い、鼻歌まじりで楽しそうに弾いていく。

ヘンデルやバッハではミスしても気にせず弾き直すというシーンがあったが、音色は高貴であり、ハイドシェックが高度のエスプリ・クルトワの持ち主であることが感じられる。
そしてドビュッシーは最上級の演奏。和音の作り方がお洒落であり、音色は濃厚かつ色彩豊か。物語性にも優れている。流石はコルトーの愛弟子と実感させられる至芸であった。

ハイドシェックは、ザ・シンフォニーホールの花道に出たり、ピアノの前を横切ったりといったユーモアを見せる。真の自由人である。
最後は指揮の田部井に話しかけて首を大きく振られるというシーンがあったが、「今日やった協奏曲のどれかをもう一度演奏しようよ」といったか、「オーケストラもアンコールしてよ」といったかのどちらかだと思われる。他の人はハイドシェックほど自由人ではない。

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2018年5月27日 (日)

コンサートの記(390) 広上淳一指揮京都市交響楽団第623回定期演奏会

2018年5月20日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第623回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

演目は、レナード・バーンスタインの交響組曲「波止場」、ショスタコーヴィチの交響曲第9番、バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」(ピアノ独奏:河村尚子)。バーンスタイン生誕100年記念といってもいいプログラムである。

開演30分前から広上淳一と京響シニアマネージャー代行兼チーフマネージャーの柴田智靖によるプレトークがある。4月からオーケストラの登場の仕方が変更になったため、プレトークの開始も10分早くなったそうである。アムステルダム・コンセルトヘボウでバーンスタインの助手を務めたこともある広上淳一。レナード・バーンスタイン(愛称:レニー)の弟子はとても多く、広上も、小澤征爾、大植英次、佐渡裕、大野和士らがレニーの弟子であることを紹介する。

ショスタコーヴィチの交響曲第9番であるが、交響曲第9番というのは作曲家にとって運命の数字でもある。ベートーヴェンが交響曲を9曲書いて他界したが、今では7曲ということになったものの以前の解釈ではシューベルトも9番まで、そしてブルックナーも9番まで書いて亡くなった。ドヴォルザークも今では初期交響曲にも番号が付けられて9曲までとなっている(私が小学生の頃の音楽の教科書には「新世界」交響曲の番号がまだ5番であった)。マーラーは交響曲第9番を書いたら死んでしまうのではないかと怖れ、9番目の交響曲には番号を付けず「大地の歌」とした。だが、結局は交響曲第9番を書くことになり、悪い予感が的中して、第9番が遺作となった。ということで特別な番号であり、ソビエト当局はショスタコーヴィチにベートーヴェンの第九に匹敵する曲を期待したのだが、ショスタコーヴィチはどちらかというとおちゃらけた感じの曲を書いてしまう。先にショスタコーヴィチとリヒテルによるピアノ2台版の試演会が行われ、放送によって世界配信されたのだが、ソビエトのみならず世界的な失望を買ってしまった。それでもエフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団による初演は好評だったが、ジダーノフ批判を受けて、以後しばらくの間はショスタコーヴィチ作品のソビエト国内での演奏が禁じられてしまう。
広上によるとレニーはこの曲をしばしば取り上げていたそうで、その理由を「この世のあらゆるものが含まれているから」と説明していたそうである。なお、バーンスタインはこの曲をウィーン・フィルハーモニーを指揮してドイツ・グラモフォンにライブ録音しているが、今に至るまでこれを凌ぐ録音は出ていないと断言していいほどの名演である。

バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」の解説にはピアノ独奏の河村尚子も加わる。河村はこの曲の性質を「トリッキー」と語り、「常に黄色信号が出ていて、よそ見をしていると落とし穴に嵌まってしまう」と話す。日本人ピアニストの河村だが身振り手振りが大きく、ドイツで育ったことが現れていた。
河村と広上は7年前にオーケストラ・アンサンブル金沢の定期演奏会で、ヒンデミットの「四つの気質」で共演したのだが(私も金沢まで聴きに行った。調べたら6年前だったが、もうそんなになるのか)、バーンスタインはヒンデミットの音楽を高く評価しており、ヒンデミット的な要素をこの曲で取り入れたのではないかと河村は推理していた。

今日のコンサートマスターであるが、客演の須山暢大(大阪フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター)が務める。フォアシュピーラーは泉原隆志。4月から京響のコンサートマスターは泉原の一人体制になったのだが、2度目の定期にして早くも客演コンサートマスターが入ってしまうという異様な事態になってしまっている。

バーンスタインの交響組曲「波止場」。エリア・カザン監督の映画のための音楽として書かれたものをコンサート用に編み直したものである。私が持っているレニー自作自演の「ウエストサイド・ストーリー」全曲版のフィルアップに交響組曲「波止場」自作自演(オーケストラはイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団)が入っているのだが、今もこの組み合わせで出ているのかどうかはわからない。
広上はバーンスタインについてクリーニング屋の息子で余り裕福ではなかったと語ったが、文献に基づくとバーンスタインの父親のサミュエル・バーンスタインは理髪店を営み、パーマネントのための機器を独自に発明した発明家でもあった。サミュエルは特許料で稼ぎ、アメリカン・ドリームの体現者となる。息子にも家業を継がせたいと考えていたサミュエルだが、息子のレナードは意に反して音楽家への道を歩むことになる。ハイスクールを卒業したレナードはカーティス音楽院かジュリアード音楽院に進みたかったのだがサミュエルがそれを許さず、妥協の結果、レナードはハーバード大学音楽学部に進学する。世界最高の大学ともいわれるハーバード大学だが音楽学部に関してはカーティスやジュリアードより格下。レナードは満足出来ずに、その後、カーティス音楽院で学ぶことになる。バーンスタイン親子の関係はその後も複雑であったようだ。
いかにも映画音楽的な楽曲である。最初のホルンで示されるテーマがその後、様々な楽器で繰り返される。盛り上がりの部分はこの楽曲の冒頭部分によく似ているが、偶然だと思われる。
広上と京響のコンビの充実が確認出来る好演であった。

ショスタコーヴィチの交響曲第9番。全曲の演奏時間が5楽章で25分程度と短いこともあり、軽めの楽曲と目されているが、ユーモラスな感じがするのは第1楽章と第5楽章のみであり、他はシリアスな音楽が続く。
古典的な造形といわれることもある。そういえば、ショスタコーヴィチと犬猿の仲といわれたプロコフィエフの交響曲第1番「古典」は古典的造形そのものだが、多分、関係はない。
レニーとウィーン・フィルによる演奏はスケール豊かな、悪くいうと肥大化した音楽であったが、広上と京響はタイトにしてパワフルというこの曲本来のスタイルを採用。推進力にも富んでいたが、この曲の苦み走った面を強調するのが広上らしい解釈である。

バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」。イギリス出身でアメリカに帰化した詩人のW.H.オーデンの長編詩に基づく交響曲である。オーデンの長編詩「不安の時代」は邦訳も出ており(日本語で読むと詩というより完全な物語文という印象を受ける)私も読んでみたことがあるのだが、長い上に余り面白くなかったので途中でリタイアしてしまった。
ピアノ独奏と含む交響曲という比較的珍しいスタイルを取っているが、宗教や思想の影響の強い交響曲第1番「エレミア」や交響曲第3番「カディッシュ」よりはわかりやすく、バーンスタインの交響曲の中ではおそらく最も演奏される機会が多いと思われる。初演はクーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団によって行われ、バーンスタインはピアノソロを受け持った。
この曲は、レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団盤(ピアノ独奏:ルーカス・フォス)、ジェイムズ・ジャッド指揮フロリダ・フィルハーモニー管弦楽団盤(ピアノ独奏:ジャン=ルイ・ストイアマン)などで聴いており、「いかにもアメリカ的な交響曲」という印象を受けたが、広上と京響の生む音色はどちらかといえばヨーロッパのオーケストラに近く、マーラーやショスタコーヴィチとの類似点が確認出来るのが興味深いところである。またそれによってシリアスで痛烈な印象も強まる。

日本の若手としてはトップクラスのピアニストとなった河村尚子(ただし音楽教育は全てドイツで受けている)。ハノーファー国立音楽演劇大学大学院ソリスト課程を修了。ミュンヘン国際コンクールで2位入賞、クララ・ハスキル国際コンクールでは優勝に輝く。今年は出身地の西宮市にある兵庫県立芸術文化センターでベートーヴェン・シリーズを行い、京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタでもオール・ベートーヴェン・プログラムによるリサイタルを行う予定である。現在はドイツ・エッセンのフォルクヴァング芸術大学教授。東京音楽大学ピアノ科の特任講師として現在も大学のホームページに名前があるが、ページ自体が更新されていないので今はどうなっているのかわからない。
今日はピアノは蓋を取り払って指揮者と対峙する位置に据えられている。
色彩感豊かなピアノを弾く人であるが、今日は高音の豊かさに魅せられる。ピアノを弾いたことがある人ならわかると思うが、鍵盤の右端に近い高い音は基本的に痩せた音しか出ない。ただ、今日の河村の弾く高音はボリュームがあって美しいのである。どうやったらああした音を出せるのかわからない。
この曲ではジャズテイストの旋律が登場するのが特徴であるが、その語り口が上手くいっているのかは私にはよくわからない。私もジャズピアノは聴くが、いずれもクラシカルな要素が強いピアニストばかりだ。プレトークでの河村本人のコメントによると「ジャズは好きだがジャズを弾くのは初心者」だそうである。

ちなみに第1部おける変奏曲の主題はグレゴリオ聖歌の「怒りの日」の模倣のように思われるのだが、そういう指摘は今まで行われていないようである。


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2018年3月29日 (木)

没後100年 ドビュッシー アニメーション「月の光に乗せてたどるその生涯」(ピアノ:チョ・ソンジン、アニメーション制作:アンディ・ポッツ)

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2018年3月25日 (日)

コンサートの記(365) 舘野泉ピアノリサイタル2006京都

2006年9月16日 京都コンサートホール アンサンブルホールムラタにて

午後2時から京都コンサートホール アンサンブルホールムラタで、舘野泉のピアノリサイタルを聴く。

舘野泉(男性です)は1936年、東京に生まれたピアニスト。東京藝大を首席で卒業し、1964年からは拠点をフィンランドに移している。
特に北欧ものを得意として数々のコンサートや録音で活躍。フィンランドでは最も有名な日本人の一人となっている。

しかし、2001年、コンサートでの演奏中に脳溢血を起こし、そのコンサートは弾き終えたものの、直後に倒れ、右半身不随となった。その後、2年半におよぶリハビリを行い、右半身は何とか動くようにはなったが、右手はピアノを弾けるまでには恢復しなかった。
舘野が選んだのは引退ではなく、左手一本のピアニストとして演奏活動を続けることだった。左手一本のピアニストに先達がいたことも励みになったのだろう。
今日演奏される演目も全て左手で演奏されるために書かれたピアノ曲。全5曲中、3作は舘野のために書き下ろされた新作である。

まずはJ・S・バッハが作曲した『無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ』よりパルティータ第2番最終楽章「シャコンヌ」をブラームスが左手のためのピアノ曲に編曲したものが演奏される。
テクニックは完璧とはいかず、ミスタッチも多いが、骨太で情熱的な演奏に圧倒される。
続いて、スクリャービンの「前奏曲・夜想曲 左手のための2つの小品」が演奏される。スクリャービンはモスクワ音楽院在学中にピアノの練習をし過ぎて右手を故障したことがあり、その時期に左手一本で弾けるよう作曲したのがこの曲だという。
舘野のピアノは立体感に富み、タッチもクリアで爽快な気分にさせてくれる。

前半ラストは吉松隆が舘野のために書いた「タピオラ幻想」(館野泉に捧ぐ)。メロディアスでポピュラリティーもあるリリカルな作品。隆は隆でも加古隆の曲のようでもある。日本人ピアニストとして最高のリリシストの一人である舘野の魅力を最大限に生かす曲であり、舘野の演奏も吉松の期待に十二分に応えるものになっていた。

後半は林光の「花の図鑑・前奏曲集 ピアノ(左手)のために」(館野泉に捧ぐ)、とフィンランドの若手作曲家であるヴェリ・クヤラの「左手のための3つの舞曲集」(館野泉に捧ぐ)が演奏される。副題からもわかるとおり、いずれも舘野のために書かれた作品。
林光作品の語り口の上手さ。クヤラ作品で見せる情熱。舘野のピアノの素晴らしさを堪能することが出来た。

アンコールは谷川賢作の作品と、チェコ出身で第二次大戦期に強制収容所で亡くなった作曲家(舘野さん自身がマイクを手にして紹介を行ったが、作曲家の名前は出さなかった)の「アリア」という曲が演奏される(あとで調べたところ、シュールホフという作曲家の作品であることがわかった)。
ピアノ演奏の素晴らしさを堪能すると同時に、希望を持つことと情熱の大切さを教えられたような演奏会であった。

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2018年3月24日 (土)

コンサートの記(364) アレクサンドル・タロー ピアノ・リサイタル2018京都 J・S・バッハ 「ゴルトベルク変奏曲」

2018年3月22日 京都コンサートホール小ホール アンサンブルホールムラタにて

午後7時から、京都コンサートホール小ホール アンサンブルホールムラタで、アレクサンドル・タローのピアノ・リサイタルを聴く。J・S・バッハの「ゴルトベルク変奏曲」1曲勝負。

1968年、フランス生まれのピアニストであるアレクサンドル・タロー。日本デビュー時には「フランス人だけどタローです」という親しみやすい苗字を売りに出したコピーが用いられていたが、今やフランスの中堅を代表するピアニストに成長している。出身地であるフランスものを始め、バッハ、ショパン、モーツァルト、ラフマニノフといったCDを発売している。

J・S・バッハの「ゴルトベルク変奏曲」は、タローの最新アルバムに収録されている楽曲である。

譜めくり人を使用し、楽譜を見ながらの演奏を行う。

冒頭のアリアで端正な演奏を行い、変奏に入ってからは高い技術を前面に出していく。かといってヴィルトゥオーゾ的ではなく、見通しのよい涼やかな演奏を行うところがフランス人ピアニストらしい。スケールは大きめで、時にはバッハ的領域をはみ出したロマンティックなものになるが、それはそれで説得力がある。バッハだからバッハ的スタンスに止まらなければならないというわけでもないのであるし。
第25変奏の痛切さも良く出ているが、音の光を失わないのがタローらしいところである。
ラストの「アリア」も穏やかさと懐かしさに溢れた味わい深いものになっている。

アンコールはラモーのクラブサン組曲より「野蛮人たち」。典雅な演奏であった。



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2018年3月 9日 (金)

コンサートの記(356) 坂本龍一ソロピアノコンサート「/05」大阪

2005年12月15日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

京阪七条駅から特急に乗って大阪へ。フェスティバルホールで坂本龍一のソロピアノコンサート「/05」を聴くためである。他のコンサートに比べると、年齢層が幅広いことがわかる。10代からお爺さんお婆さんまで。
私の左隣にはお婆さん(といっても50代半ばぐらい)が座ったのだが、まるでヨン様を見る韓流ファンように、坂本龍一を憧れの眼差しで「龍様」と言わんばかりに見つめていた。

10分押しで午後7時10分にコンサートが始まる。章子怡出演のCMでおなじみの「アジエンス」に始まり、「戦場のメリークリスマス」、「ラスト・エンペラー」といった映画音楽から、「美貌の青空」のように歌をピアノ用にアレンジしたもの。「アモーレ」、「エナジー・フロー」などCMでお馴染みのもの。そしてアルバムに収録された曲など、バラエティーに富んだ選曲。
客席からの「教授! 『シェルタリング・スカイ』を弾いて下さい!」というリクエストに応じるという場面もあった。

私が坂本龍一の音楽を本格的に聴き始めたのは中学生の時だから、なんやかんやでファン歴は15年以上になる。坂本のピアノを聴きながら、流れた月日を思い起こしたりもする。「89年のクリスマスにテレビ朝日の番組で坂本がピアノを弾いていたっけ」、「高校の頃、ヨーロッパツアーの模様がテレビで流れていたな」、「高校2年の時に音楽の授業のピアノ発表会で『シェルタリング・スカイ』を弾いたよな」、「YMO再結成の時は興奮したな」という風に。勿論、それに付随して、坂本とは直接には関係のない「当時の記憶」も蘇ってくる。

坂本のMCも聞きもので、「ええと、業務連絡になってしまうのですが、ちょっと(ステージ上の温度が)寒いんですけれど。2℃ほど上げてもらえますか」、「こう見えても気が弱いので、緊張を和らげるために、開演前にワインを飲むことにしていたのですが、昨日、飲み過ぎて失敗してしまったので今日は飲んでません」、「2年前に煙草をやめたのですが、煙草の匂いは好きなので、今はシガー、葉巻ですね。を楽しんでいます」など、坂本ファンには興味深い話を聴くことが出来た。

アンコールも拍手に応えて何曲も何曲もやる。それでも拍手は鳴りやまない。最高のコンサートである。坂本の音楽とそれにまつわる私自身の記憶が重なり、溶け、脳内麻薬のように気分を高揚させる。「今、ここで死んでしまっても構わない」とまで思う。
実際は私も責任ある立場なので、ここで死んだら多くの人に迷惑をかけることになり、死ぬわけにはいかないのだけれど。

終演後、隣りの龍様お婆さんが「良かったなあ」と私に語りかける(自分の好きなアーチストに向かって、私が熱心に拍手しているのが嬉しかったのだろう)、「素晴らしかったですねえ」と私は応える。一瞬だけど心が、坂本龍一という存在を媒介にして、通い合う。

スタンディングで拍手したときは、同じくスタンディングオベーションを送る人々と目が合い、「同志ですね」と目で語り合うことが出来る。
演奏家との、そして聴衆同士の言葉によらない交信と交流。コンサート会場に来なくては、CDを聴いていただけでは絶対に得られない経験と喜びがここにある。

人は生まれる場所も時代も選べない。しかし私と、今日コンサート会場にいた多くの人が、「今、この時代にこの国に生まれ、坂本龍一と同じ時代を生きて、彼の音楽をリアルタイムで楽しめる。良かった」という幸せと、自己肯定のようなものを獲得したはずだ。そしてそういう気持ちにさせてくれる坂本龍一という存在は私にとってやはり特別なのである。

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2018年3月 8日 (木)

コンサートの記(354) 小山実稚恵&広上淳一指揮京都市交響楽団「ピアノ3大協奏曲の夕べ」2005

2005年11月3日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールまで、京都新聞社が主催する「トマト倶楽部コンサート」を聴きに行く。
今回は、ピアニスト・小山実稚恵のデビュー20周年記念演奏会を兼ねる。

トマト倶楽部コンサートは、安い値段で良質の演奏を聴くことが出来るのが特徴。しかし、その分、コンサート初心者が多く、マナーを知らない人も多いので、冷や冷やもする。今日もビニール袋をくしゃくしゃとさせる音が頻繁に聞こえたり、演奏中にドカドカと足音を鳴らして退場するおばちゃんなどがいて、集中力が殺がれる。

プログラムは、ピアノ協奏曲3曲という、豪華というか豪勢というか、とにかくボリュームある内容だ。
「ピアノ3大協奏曲の夕べ」と題されているが、ショパンのピアノ協奏曲第1番、チャイコフスキーの同第1番は当然として、一般的には知名度の低いスクリャービンのピアノ協奏曲を3大協奏曲の中に入れたのが小山らしい。
指揮は才人・広上淳一。広上の演奏を生で聴くのは8年ぶりである。

ショパンのピアノ協奏曲第1番は、ショパン自身が書いたオーケストラ伴奏の鳴りが悪いことで知られる。20世紀半ばまでは、指揮者がショパンのスコアに手を加えた独自の楽譜で演奏するのが常であったが、最近はそういうことをする指揮者は減った。
3階席、左のかなり後ろの方で聴いたのだが、視覚的にも聴覚的にも難のある席。ステージの左半分は見えないし、オーケストラの音も直接音が届き難い。ただでさえ響きにくいショパンの伴奏なのに、更にハンデがある。
ただ、ピアノは驚くほど良く聞こえる。というわけで、目を閉じて聴くと、ピアノとオケが10メートルぐらい離れて演奏しているように感じてしまう。
小山のピアノは表情が豊かで、強弱の付け方も理想的。ミスタッチがあり、完璧ではなかったが、私は完璧さなど求めていないので満足。

スクリャービンのピアノ協奏曲では一転して、オケが良く鳴る。広上は指揮姿がユニークなことで知られるが、今日もメトロノームの針や自動車のワイパーを連想させる体の揺らし方など、見ていて面白い。ただ、指揮棒や腕のちょっとした動きでオーケストラを自在に操っているのがわかる。音色が魔術でもかけられたかのように、めくるめく変化を遂げる。広上を高く評価する人が多いのも納得がいく。
スクリャービンを得意とする小山のピアノが悪いはずがない。

ショパンとスクリャービンを演奏するときはエメラルドグリーンのドレスを着ていた小山だが、ラストのチャイコフスキーではローズピンクのドレスで登場し、ハレの舞台を演出してみせる。女性奏者は得である。
男性奏者はこうはいかない。着替えても嫌みに見えるだけだ。色つきの衣装に着替えでもしたら、漫才師の登場の見えてしまう。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。広上はオケを豪快に鳴らし(といっても日本のオケだけに限界はあるのだが)、小山は女性ピアニストとは思えないほどの強靱なタッチで立ち向かう。京都市交響楽団は特に金管が優秀で、音の輝きは最上の部類に入るだろう。
一音一音がジャンプしているような活きの良い小山のピアノと、それを受け止めて、更に個性豊かにして返す広上の才能が止揚を生む。
秀演であった。

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2018年3月 1日 (木)

Happy Birthday! ショパン 「24の前奏曲」より第24番(ピアノ:園田高弘)

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2018年1月20日 (土)

コンサートの記(338) 「渾身!!ラフマニノフ 長富彩 ピアノ・リサイタル vol.2」

2018年1月13日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、「渾身!!ラフマニノフ 長富彩 ピアノ・リサイタル vol.2」を聴く。埼玉県出身で、結婚後は神戸市在住のピアニスト、長富彩のザ・シンフォニーホールでの2度目のリサイタルである。タイトル通りオール・ラフマニノフ・プログラム。当初は聴く予定がなかったのだが、全曲ラフマニノフのピアノリサイタルを聴く機会はそうそうないだろうし、長富彩の新譜も出たのでサインでも貰うか、ということで出掛けてみる。前回の、ベートーヴェン&リストのリサイタルで、細部をしっかり描いていたというのも好印象であった。

今回もザ・シンフォニーホールの1階席のみの利用で、2階席は開放していない(録画スタッフがカメラを構えているのが確認出来る)が、入りは上々である。

曲目は、絵画的練習曲「音の絵」Op.33-1よりヘ短調とOp.39-1ハ短調、6つの歌より「ひなぎく」、楽興の時Op.16、パガニーニの主題による狂詩曲より第18変奏、幻想的小品集より第1曲「エレジー」、第2曲「鐘」、ピアノ・ソナタ第2番。


長富は、上が金色のラメ、下が深紅というドレスで登場。弾き始める前にちょっと神経質な仕草を見せる。

演奏であるが、音を一切流すことなく、一音一音を丁寧に積み上げて堅固なフォルムを作り上げていく。この方法はラフマニノフだけに極めて有効である。また音楽を横の流れでとらえるのではなく、音像の縦の線を編みだし続けているという印象を受けた。流れの人、例えば指揮者でいうと広上淳一とは真逆の音楽性である。
こうしたことをどこまで自覚的にやっているのか気になったので、終演後のサイン会の時にそれとなく探りを入れてみたのだが、「この人はどうやら自分のピアノスタイルをよく把握していないようだ」ということがわかったため、自覚していなくても才能で出来てしまうということであるらしい。YouTubeやサイン会での話し方を見ると、長富彩はけっこうな不思議ちゃんである。同い年の萩原麻未もインタビューで「何言ってんのかわからない」ことがあるため、女性ピアニストとして珍しいことではないのかも知れない。

パガニーニの主題による狂詩曲より18変奏でのリリシズムの表出も上手いし、有名曲となった「鐘」(ラフマニノフの生前は有名で、20世紀最高のピアニストでもあったラフマニノフのリサイタルでは、聴衆がアンコールで「鐘」を弾くまで帰ろうとしなかったらしい)の哀感の描き方も巧みである。

ラフマニノフというと甘美だの映画音楽的だのと言われるが、彼の音楽の本質は「苦悩の果てでギリギリ踏みとどまっている」もののように思える。


アンコールは、リムスキー=コルサコフの「くまんばちの飛行」(ラフマニノフ編曲)。高度なメカニックを味わうことが出来た。

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2018年1月17日 (水)

三善晃 こどものピアノ小品集「海の日記帳」 ふたたび

三善晃は私にとって特別な作曲家である。

東京大学文学部仏文科在学中にパリ国立高等音楽院(パリ音楽院。コンセールヴァトワール・パリ)に留学した三善は、東京芸術大学や桐朋学園大学の教員を務めながら作曲活動を開始、支倉常長を主人公にした歌劇「遠い帆」(余談であるが、初演の総監督を務めた故・観世榮夫は私の師の一人であり、2013年の上演で演出を務めている岩田達宗とは知り合いである)、交響三章などのほか、札幌オリンピックのファンファーレやNHK大河ドラマ「春の坂道」の音楽なども作曲している。

そんな三善の作品の中から、今日はピアノ曲集「海の日記帳」を紹介しようと思う。

楽譜「海の日記帳」

「海の日記帳」は、子供のために書かれたピアノ曲集であり、技巧的には平易なものが多い。ただ、「子供のためのピアノ曲は退屈なものが多い」と考えていた三善はこうした楽曲にも本気で取り組み、弾くのは平易で聴き映えのする音楽を作曲。子供たちに親しまれるだけでなく、プロのピアニストもこの曲集の音楽をコンサートで取り上げるほどのクオリティの高さを誇るものを書き上げた。

下にYouTubeの映像を張ってあるので、それをお聴きいただくとして、音楽以外のこの曲集の特徴としては、詩的なタイトルが挙げられる。「海のゆりかご」、「波が二人で……」、「シシリー島の小さな貝がら」、「海の弔列」、「沈んでいった鍵盤」、「シレーヌの機織り歌」、「手折られた潮騒」、「磯波のキャプリス」、「波のアラベスク」など題名を見ただけでどんな曲なのか聴きたくなる楽曲が目白押しであり、曲の内容もそれに十二分に応えるものである。

子供にピアノを教えるならバイエルやブルグミュラーよりも「海の日記帳」を用いたレッスンの方がずっと効果的であるように思われる。

このピアノ曲集には、三善晃が演奏したCDが出ており、三善のピアノ演奏の記録という意味でも貴重なものになっている。

実は私の戯曲「海のソナタ」は、「海の日記帳」に大いにインスパイアされたものである。劇中で実際に主人公が「海の日記帳」の曲を奏でるシーンも存在する。

 

 

 

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