カテゴリー「ピアノ」の41件の記事

2018年12月 3日 (月)

コンサートの記(461) アントニ・ヴィット指揮ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2009京都

2009年6月26日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールでワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団の来日公演に接する。指揮者は芸術監督・首席指揮者のアントニ・ヴィット(ヴィト)。
曲目は、モニューシュコの序曲「おとぎ話」、ショパンのピアノ協奏曲第1番、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。

ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団はポーランドのトップオーケストラ。
指揮者のアントニ・ヴィットはポーランド第二のオーケストラといわれるカトヴィツェのポーランド国立放送交響楽団の音楽監督を務めた後でワルシャワ国立フィルのシェフの座に就くという、いわばポーランド人指揮者のエリートコースを歩んでいる指揮者である。NAXOSレーベルの看板指揮者の一人でもあり、チャイコフスキーの「悲愴」はNAXOSにポーランド国立放送響を指揮して録音しており、情熱に溢れた演奏であった。

モニューシュコの序曲「おとぎ話」とショパンのピアノ協奏曲第1番は中編成での演奏である。

モニューシュコの序曲「おとぎ話」は悪い曲ではないが良い曲でもないという印象の薄い曲であった。ワルシャワ国立フィルの音は楽器が余り良くないためか痩せ勝ち乾き勝ちであったが、ホールは良く鳴っていた。なぜなのかはよくわからない。あるいはホールを響かせる演奏技法というものを楽団員達が身につけているのかも知れない。


ショパンのピアノ協奏曲第1番のソリストは日本でもおなじみのスタニスラフ・ブーニン。登場した時から前屈みで歩いており、演奏中も猫背で神経質な印象を受ける。しかし、ピアノの音はそんなブーニンの気質を良い方に反映してか極めて繊細で輝かしい。
ブーニンの指の回りは必ずしも良くなかったが、それを磨き抜かれた音で補うという個性的な演奏。ヴィット指揮のワルシャワ国立フィルもブーニン同様、繊細さに溢れた伴奏を奏でる。


チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」はフル編成での演奏。ヴィットはNAXOSへの録音と同じく情熱的な演奏を聴かせる。なお、前半の2曲では指揮棒を手にしていたヴィットだが、この曲はノンタクトで振る。ワルシャワ国フィルの音は相変わらず乾き気味だが、第1楽章第2楽章などには独特の艶があって美しい。
第3楽章は情熱全開の演奏で、終わると同時に大きな拍手が起こった。続く第4楽章の嘆きの表情も堂に入っていて、好演といえる。

アンコールは2曲。ドヴォルザークのスラヴ舞曲第1番とプロコフィエフの古典交響曲より“ガボット”。
ドヴォルザークのスラヴ舞曲第1番は縦の線が合っているんだが合っていないんだかわからないような演奏であったが、威勢は良く、会場を盛り上げた。

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2018年12月 2日 (日)

コンサートの記(460) 河村尚子ピアノリサイタル2018京都 オール・ベートーヴェン・プログラム

2018年11月27日 京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタにて

午後7時から、京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタで河村尚子のピアノリサイタルを聴く。オール・ベートーヴェン・プログラム。

演目は、ピアノ・ソナタ第18番、ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」、ピアノ・ソナタ第24番「テレーズ」、ピアノ・ソナタ第23番「熱情」


今日は最前列下手寄りで聴く。河村の手の動きがよく見える席である。

今年はシリーズでベートーヴェンのピアノ・ソナタに取り組んでいる河村尚子。出身地の西宮にある兵庫県立芸術文化センターではKOBELCO大ホールと神戸女学院小ホールで複数回の公演を行う。西宮での第1回のリサイタルは私もチケットを取ったのだが、風邪のために断念した。

広上淳一のお気に入りということもあり、京都市交響楽団の定期演奏会のソリストとしてよく京都コンサートホールに登場する河村尚子。ムラタホールでもチェロのホルヌングとのデュオリサイタルを行っているが、ソロでのピアノリサイタルとなると久しぶりである。


いつも通り満面の笑顔で登場した河村。堅固な構築美、強靱なタッチ、雄渾なスケール、温かさと若々しさを兼ね備えた音色、抜群のリズム感、繊細な弱音の妙技、横溢するエネルギー、多彩な表情など、優れたところを挙げれば切りのない理想的なベートーヴェン演奏を繰り広げる。日本人女性ピアニストが弾いているとは思えないどころか「とんでもない」と形容したくなる出来である。
「ワルトシュタイン」では第1楽章で雄々しさ溢れる演奏を展開。演奏終了後に白人女性が思わず感嘆の声を上げていた。第2楽章と第3楽章では愛らしいメロディーが奏でられるのだが、河村は可憐な音色で歌い上げ、喜びに溢れたベートーヴェン像を彫刻した。

「熱情」ソナタ第1楽章では、絶妙の間合いと強弱の交代で「運命主題」との相克のドラマを巧みに描く。
そして第3楽章では透き通った音色を奏で、「透明な悲しみ」と名付けたくなるような独自の演奏に仕上げていた。


全てのプログラムが終了した後で、河村はマイクを片手に登場。ベートーヴェンの思い出を語る。ベートーヴェンのピアノ・ソナタはピアニストには付きもので、好きと嫌いとに関わらず取り組まなければいけないもの、という話から入る。河村は、「若い頃から好きで、弾いて来た方だとは思いますが、思い返してみると余りよくわかっていなかったような」と振り返る。ピアノ・ソナタ第24番「テレーズ」は、「子どもでも弾いて良いよ」という内容だそうで、河村は第1楽章を9歳で、第2楽章を10歳で勉強したというが、「録音も参考にしよう」というので、CDは当時出たばかりで余り数がなかったそうだが、ヴィルヘルム・ケンプのものをカセットテープにダビングして、車で移動する時などに良く聴いていたそうである。自宅でもケンプのカセットテープをラジカセで聴き、聴いては弾き聴いては弾きを繰り返していたそうだが、ある時、再生ボタンを押しても音が出ない。「あれ?」と思ってしばらく待ったがやはり何も言わない。「再生ボタンじゃないところ押しちゃったかな? でも再生ボタン押してるよね?」と独り言を言いつつよく見てみると赤いボタンも押してしまっている。再生すると自分の声が聞こえたそうである。カセットテープは爪の部分を折ると録音されなくなるのだが、それはしていなかったようだ。ということでケンプの録音が消えてしまい、「どうしよう! お母さんに怒られる!」と思った河村は自分の演奏を上書きして誤魔化そうとしたのだが、「ラジカセの録音ボタンを押してピアノに向かうまで何歩か掛かる。足音は入ってしまうわけですよ」というわけで、「絶対にばれる!」と思っていたのだが、母親にそれとなく聞いても全く気づいていなかったという話である。

「テレーズ」の第2楽章に16分音符の主題が出てくるのだが、それが「エリーゼのために」の元になったのではないかと河村は推測する。「エリーゼのために」は実は「テレーゼのために」なのではないかという説もあるのだが、「今日は『エリーゼのために』として演奏します」

比較的遅めのテンポで歌い出す「エリーゼのために」で、音に拡がりが生まれており、個性に溢れている。そんじょそこらの「エリーゼのために」とはやはり格が違うようだ。



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2018年12月 1日 (土)

コンサートの記(458) ドビュッシー没後100年スペシャル・シリーズ 光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー 第3回「ドビュッシーが見た風景」 パスカル・ロジェ・ピアノ・リサイタル

2018年11月23日 京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタにて

午後2時から、京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタで、ドビュッシー没後100年スペシャル・シリーズ 光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー第3回「ドビュッシーが見た風景」パスカル・ロジェ ピアノ・リサイタルを聴く。

レクチャーとコンサートによるスペシャル・シリーズ 光と色彩の作曲家 クロード・ドビュッシー。今日は、午後1時20分から鶴園紫磯子(つるぞの・しきこ)によるプレトーク「ドビュッシーが愛した画家たち~ターナー、モネそして北斎」が20分ほどあり、その後にパスカル・ロフェのピアノ演奏がある。

スクリーンにターナーやモネ、北斎の絵画が投影され、それらを鶴園が解説していく。印象派に大きな影響を与えたイギリスの画家、ターナー。初期のターナー作品は輪郭のはっきりしたものだが、晩年になるにつれて光度が増し、描写というよりも光の印象を表したものへと変わっていく、これに影響を受けたのがクロード・モネで、モネも最初の内はコントラストのはっきりした絵を描いていたのだが、次第に輪郭がおぼろになっていく。ドビュッシーはモネの絵を愛し、影響を受けたとされるが、どの程度なのかは推測に任せるしかない。モネが多大な影響を受けたもう一人の画家、葛飾北斎。有名な「神奈川沖浪裏」は、ドビュッシーの「海」の表紙にも用いられている。北斎もリアリズムの画家ではなく、イメージを強固に打ち出している。そこに通底するのは反リアリズムであり、これが音楽に於いても重要な潮流となっていく。


パスカル・ロジェのピアノ・リサイタル。曲目は、ドビュッシーの「前奏曲」第1集と第2集である。

フランスを代表するピアニストとして日本でも知名度の高いパスカル・ロジェ。以前は英DECCAレーベルのフランスピアノ音楽をほぼ一人で背負って立っていた。ドビュッシー、ラヴェル、サティ、プーランクなどのピアノ曲のほぼ全てをレコーディングしている。
パリの音楽一家に生まれ、パリ国立高等音楽院を首席で卒業。その後、J・カッチェンに師事。1971年のロン=ティボー国際コンクール・ピアノ部門で優勝している。2014年のジュネーヴ国際音楽コンクールのピアノ部門では審査委員長も務めた。


フランス人らしいシャープなピアノを持ち味とするロジェ。ドビュッシーの前奏曲でもまず何よりも音楽の核になる部分を見つけ出し、十指で的確に捉えていくような演奏を行う。ドビュッシーの前奏曲は、1曲を除いて全てに象徴的なタイトルが付いているが、そうしたイメージに左右される前にまず音楽的に重要な要素を取り出して堅実に築き上げた音響自体に作品を語らせていく。物語的というより真に詩的ピアニズムであるともいえる。
余計なものを削ぎ落として核を取り出すのであるが、音楽が細くなることはなく、むしろ線は太く男性的である。長年に渡ってフランスのピアノ音楽と向き合って来たロジェだからこそ可能な至芸といえるだろう。


アンコールは2曲。いずれもドビュッシー作品で、まずは「喜びの島」が豊かな色彩によって歌われる。
最後は、「ベルガマスク組曲」より“月の光”。ロジェだけに構築感を優先させた音楽になるだろうと思いきや、思いのほか物語性豊かな演奏で、耳に馴染みやすい演奏であった。音も煌びやかで親しみやすい。

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2018年11月29日 (木)

コンサートの記(455) 第35回ペトロフピアノコンサート―異国の情景― 河合珠江

2017年12月1日 京都芸術センサー講堂にて

午後7時から、京都芸術センター講堂で、第35回ペトロフピアノコンサート-異国の情景-を聴く。元明倫小学校が所蔵しているチェコのペトロフ社のピアノによるコンサート。演奏は河合珠江。

現在は京都芸術センターとなっている明倫小学校出身の日本画家、中村大三郎の屏風絵「ピアノ」(今日弾かれるピアノを描いたものだという)の原寸大のレプリカを制作することを企図してのコンサート。ということで、ピアノの河合珠江は絵に出てくる女性同様、着物を着ての演奏である。

曲目は、前半が、ショパンのワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」とノクターン第2番、リストのペトラルカのソネット第104番、シューマンの「蝶々」と「トロイメライ」。後半は、メシアンの「鳩」、ラヴェルの「悲しい鳥」と「水の戯れ」、松平頼則(まつだいら・よりつね)の「シャボン玉」と「リードⅠ」、ドビュッシーの「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」と「ゴリウォークのケークウォーク」(いずれも『子供の領分』より)、「亜麻色の髪の乙女」、「途絶えたセレナード」、アルベニスの「コルドバ」と「セギディーリャ」(「スペインの歌」より)。

前半は慣れない着物での演奏ということもあったのか、ミスタッチがあったり音型が崩れたりということもあって、後半の方が出来が良い。特にフランスものは河合のピアノスタイルに合っているように感じられた。ちなみに、松平頼則の「シャボン玉」の出だしは、先に弾かれたラヴェルの「水の戯れ」の冒頭を逆さにしたものだそうで、松平のラヴェルに対する愛情が感じられるという。「シャボン玉」はこれまで録音されたことがなかったのだが、河合珠江によって世界初録音が行われたそうで、会場では「シャボン玉」を収めたCDも販売されていた。

ペトロフのピアノは、まろやかな音で奏でられる。講堂ということもあって、響きはそれほど良くないが、「明倫小学校時代に、ここで奏でられ続けたのだ」という歴史が感じられる演奏会であった。
前回、河合珠江のピアノを聴いたのは、「妖怪」をテーマにした音楽会であり、その時、河合は猫娘の格好をしていた。今回は着物ということで、普通のピアニストがしない格好での演奏を聴くことが続いている。

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2018年10月 6日 (土)

コンサートの記(434) ジャン=マルク・ルイサダ ピアノ・リサイタル2018京都

2018年9月25日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、ジャン=マルク・ルイサダのピアノ・リサイタルを聴く。

現役屈指のショパン弾きとして知られるルイサダ。今回はショパンと今年が没後100年に当たるドビュッシー、そしてシューマンの作品を並べたプログラムである。
前半が、ショパンの4つのマズルカ作品49、シューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」。後半が、ショパンの「幻想曲」ヘ短調、ドビュッシーの「映像」第1集&第2集。

ルイサダは、1958年、フランスから独立して間もないチュニジアに生まれている。広上淳一とは同い年。2歳の時に一家でフランスに移住し、12歳の時にイギリスのユーディ・メニューイン音楽院に入学。イギリス時代にはメニューイン、ナディア・ブーランジェ、ベンジャミン・ブリテンらの知遇を得た。16歳でパリ国立高等音楽院に移り、卒業後の1983年にディーノ・チアーニ記念コンクールで2位に入賞、1985年のショパンコンクールでは5位に入賞している。日本では教育テレビで放送された「スーパーピアノレッスン ショパン編」の講師としても知名度を上げている。

譜めくり人を置き、常に譜面を見ての演奏。ただ多くの部分は暗譜しており、確実性を求めるために譜面を見ていることがわかる。少し前まではピアニストは暗譜で弾くのが当たり前だったが、最近ではイリーナ・メジューエワなど、常に譜面を見ながら弾くピアニストも増えてきている。

ショパンの4つのマズルカ。独特の奥行きのある音が特徴的で、十分にロマンティックであるがセンチメンタルではなく、「軽み」で聴かせる。

シューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」ではロマンティシズムと即興性を上手く融合させたタイプの演奏を聴かせる。

ショパンの「幻想曲」ヘ短調。序奏では浮遊感と沈痛さを統合した響きを奏で、後半の情熱的な展開へと繋げていく。耳や頭でなく、心に直接触れるタイプの演奏である。

ドビュッシーの「映像」第1集&第2集。ショパンやシューマンとは異なり、細やかな音による描写力の高さが特徴的である。抒情と詩情とモダニズムを音の画家のようにルイサダは描く。どれも油絵ではなく淡彩画の趣。日本の漆絵からインスピレーションを得たという「金色の魚」からは異国情緒と光の移ろいを感じ取ることも出来る。

アンコールは3曲。まず、エルガーの「愛の挨拶」。穏やかで愛らしい表現である。
2曲目、ショパンのワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」では、一転して生き生きとして少しコケティッシュでもあるショパンを聴かせる。
3曲目は、リストの「コンソレーション(慰め)」第3番。限りなく透明に近い音色による純度の高いピアニズムを聴かせた。

京都コンサートホールから出ると、満月がホールの上に浮かんでいるのが見える。そのまま月に向かって歩いて帰る。


京都コンサートホールの満月

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2018年9月30日 (日)

コンサートの記(432) アリス=紗良・オット ピアノリサイタル「Nightfall」@フェスティバルホール

2018年9月18日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、アリス=紗良・オットのピアノリサイタル「Nightfall」を聴く。

曲目は、前半が、ドビュッシーの「ベルガマスク」組曲、ショパンのノクターン第1番、第2番、第13番、バラード第1番。後半が、ドビュッシーの「夢想(夢)」、サティのグノシェンヌ第1番、ジムノペディ第1番、グノシェンヌ第3番、ラヴェルの「夜のガスパール」
フランス人作曲家の作品と、フランス系ポーランド人でパリで活躍したショパンの楽曲を並べるという準オール・フランス・プログラムである。

フェスティバルホールでピアノのリサイタルを聴くのは初めてとなるはずである。約2700席のキャパシティーがあり、空間の大きなフェスティバルホールで純然たるピアノソロがどう響くのか興味があったが、音の通りが良いだけに3階席でもピアノの音が間近に聞こえる。音響はやはり優れている。問題は客の入りだが、人気ピアニストのアリス=紗良であるだけに上々であった。

黒のドレスで登場したアリス=紗良。まずマイクを片手に、椅子に腰掛けながら挨拶を行う。「こんばんは。本日は、こんな大きなホールで沢山の方々を前に弾くことが出来て幸せです」と語り、最新アルバムのタイトルでもある「Nightfall」については、「太陽が沈んでからしばらく経った時間(マジックアワー、黄昏時、逢魔が時である)のことで、色々なものがごっちゃになる。人間、誰でも良い部分と悪い部分があると思うんですが、そうしたものがはっきりとは分かれていない存在」であることを念頭にプログラムを組んだことを明かす。今年の2月には父親が病気で倒れ、今は快復したのだが、死が遠くにあるわけではないということを実感したともいう。

前半は、照明をピアノの周りだけに絞っての演奏。アリスは前半と後半で演奏スタイルを意図的に変えているようである。

ドビュッシーの「ベルガマスク」組曲。4曲からなる組曲で、第3曲の「月の光」がことのほか有名な楽曲である。
アリスは色彩を余り出さす、フォルムを重視した演奏を行う。個性あるピアノを弾くアリスだが、前半の曲目では端正な演奏を心がけているように思われた。

ショパンでも同傾向。スケールが大きく、文学性や心理的な側面を意図的に排したような演奏を聴かせる。ノクターン第1番などは痛切な表現を行っていた萩原麻未とは正反対のアプローチで、別の曲を弾いているかのように聞こえる。ただ、今日のアリスはこうした演奏を行うにはミスタッチが目立ち、必ずしも万全の表現にはなっていなかったようだ。
4曲演奏したショパンの曲の中では、堅牢な構築力を感じさせたバラード第1番の演奏が良かった。

後半はメインの照明を鍵盤付近だけに更に絞るが、その代わりに舞台の左右奥に青色の照明を光らせて、幻想的な演出を施す。
表現もアリスならではの個性的なものに変化。ドビュッシーの「夢想(夢)」では一音一音を際立たせるように弾き、立体感を出すような工夫がなされる。

サティのグノシェンヌ第1番、ジムノペディ第1番、グノシェンヌ第3番。今年はドビュッシーの没後100年に当たるが、気むずかしい性格が災いして友人の少なかったドビュッシーを親友として慕っていたのがサティである。フランス六人組に反ドビュッシーの旗頭ように担ぎ出されたこともあるサティだが、ドビュッシーが亡くなるまでその才能を愛し続けた。
北野武の映画監督デビュー作である「その男、凶暴につき」で印象的な使われ方をしたこどでも知られる。グノシェンヌ第1番。アリスは遅めのテンポを取り、引きずるような独特の歌い方をする。
ジムノペディ第1番とグノシェンヌ第3番ではアリスは、時の経過と音の明滅を感じさせる俳句のような表現を行っていた。日独のハーフだが、日本的な感性に秀でていることが感じられる。

ラヴェルの「夜のガスパール」。最高難度のピアニズムが要求される曲である。
第1曲「オンディーヌ」では瑞々しいピアノの響きが印象的。水の精(「みずのせい」と打ち込んだら「ミズノ製」と出たんですけど。確かにグローブはミズノ製のものを使っているけれど)を描いた曲であるが、水のしずくが飛び跳ねたり水紋になって広がっていくイメージが浮かぶような演奏である。
第2曲「絞首台」でも音の透明度の高さは目立ち、第3曲「スカルボ」では技巧の冴えと確かな楽曲分析能力と表現力も相まって秀逸な出来となる。
感性的には20世紀の演奏家とは異なり、ベルトランの詩のイメージをCGで描いて見せたようなデジタルな音楽性が発揮されているが、そうしたものの中では最上位に位置するようなラヴェルである。

アンコール演奏は、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。優しさと温もりのある音で奏でられ、哀愁とは一線を画しつつもウエットであるという独自性が光っていた。


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2018年7月28日 (土)

コンサートの記(406) 萩原麻未ピアノ・リサイタル 2018@大和高田さざんかホール小ホール

2018年7月16日 奈良県大和高田市の大和高田さざんかホール小ホールにて

大和高田さざんかホール小ホールで、「萩原麻未ピアノ・リサイタル」を聴く。午後3時開演。奈良県に縁のある萩原麻未。7年ほど前に奈良県立桜井高校に眠っていたスタインウェイの復活プロジェクトのピアニストとして指名され、その後もやまと郡山城ホールでの「ならピ」などに出演している。

萩原麻未は、1986年広島生まれ。広島市安佐南区と呉市で育つ。5歳でピアノのレッスンを初めてすぐに地元のコンクールで賞を取るという神童系であるが、天然な性格でも知られている。
13歳で第27回パルマドーロ国際コンクールで史上最年少優勝。プロのピアニストを目指す場合、出身地は地方でも高校からは東京の学校に通う場合が多いが、萩原は地元の広島音楽高校(浄土真宗本願寺系。現在は閉校)に進学。高校2年の時に広島で行われたジャック・ルヴィエのマスターコースを受講したのが転機になり、パリ国立高等音楽院と同大学院ピアノ科でジャック・ルヴィエに師事。大学院修了後も室内楽クラスで学ぶ。平行してパリ地方音楽院でも室内楽をエリック・ル・サージュらに師事。その後、ザルツブルク・モーツァルティウム音楽演劇大学でもピアノを専攻。
2010年に第65回ジュネーヴ国際コンクール・ピアノ部門で優勝。同コンクール・ピアノ部門は8年に渡って優勝に値するピアニストが出ておらず快挙となった。
現在のところ、ソロでのピアノコンサートよりも協奏曲のソリストや室内楽での演奏を好んでいるようで、デビューアルバムも堤剛との室外楽演奏であった。

プログラムは前半が、J・S・バッハのフランス組曲第5番、ショパンのノクターン第1番と第2番、ショパンのワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」、第9番「別れのワルツ」、第6番「小犬のワルツ」、リストの愛の夢第3番、「ラ・カンパネラ(鐘)」。後半が、ドビュッシーの「月の光」、「喜びの島」、「小さな黒人」、ガーシュウィンの3つのプレリュードと「ラプソディ・イン・ブルー」。事前に発表されていたのはバッハとショパンだけだったが、かなり豪華な曲目となった。

萩原麻未は、春に行われたロームシアター京都での室内楽公演の時と同じ腕にスリットが開いた白のドレスで登場。椅子に座ってすぐによそ見をしながら弾き始め、首を揺らしながら上方へと目をやりキッとした目つきになって鍵盤を見下ろす。何者かに憑かれたかのような集中力の高い演奏が行われるが、その前に体の中に何かを下ろしたり籠めたりするような仕草であった。

非常に個性的な演奏を行うことの多い萩原麻未。経歴からもわかるが、堅固なフォルムを重視するドイツ流ではなくセンス優先のフランス風ピアニズムである。
バッハでは典雅且つ緻密な演奏を行った萩原。演奏後、マイクを手にトークを行う。今日の曲目は普段と違い、「親戚や家族の前で演奏するとしたら」という考えで組まれたものだそうである。

ショパンのノクターン第1番。痛切な表現が耳を奪う。ずっとアゴーギクを使いっぱなしといってもいい表現で、ショパンの文学性を徹底して歌い抜いた演奏である。
ノクターン第2番は、協奏曲のソリストとして登場した時にアンコールとして演奏されたものを聴いている。その時は左手をアルペジオにするなどかなり個性的な演奏であった。今日もアルペジオこそ使わなかったが、どう考えても音を足しているという表現。テンポも自由自在であり、予測不能の展開を見せる。他のピアニストによる穏やかな演奏とは大きく異なっていた。

ワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」では一転してヴィルトゥオーゾ的演奏を展開し、「別れのワルツ」では伸縮自在の煌びやかな「小犬のワルツ」ではスケール豊かな演奏を繰り広げる。
萩原はアルフレッド・コルトーが好きだそうだが、それは頷ける。

リストの愛の夢第3番と「ラ・カンパネラ」では、遅めのテンポでスタートして加速、二本の腕で弾いているとは思えないほどのメカニックを披露した。

後半。萩原の十八番であるドビュッシー。
「月の光」での詩情、「喜びの島」の色彩感と巨大なピアニズム、「小さな黒人」のエキゾチックな味わいなど文句なしである。

ガーシュウィンの演奏の前に、萩原が再びマイクを手にスピーチ。桜井高校でのスタインウェイの話などをする。その時の桜井高校の先生方は今でも赴任先が異なるそうだが、今日も駆けつけてくれたそうである。ガーシュウィンの曲は「ジャズとクラシックの融合」、「ラプソディ・イン・ブルーについては「『のだめカンタービレ』のエンディングで使われていた」と紹介。作風がこれまでものとは違って「ブイブイ言ってるような」と笑いながら紹介し、「ブイブイ言わせます」と言って演奏開始。

「3つのプレリュード」。ジャジーな要素を上手く取り入れた演奏。いずれも短い作品だが密度の濃い曲であり演奏である。プレリュード第2番は私も練習したことがあるのだが、短時間で弾けるような代物ではなかった。今度また練習できたら良いのだが。

「ラプソディ・イン・ブルー」。ピアノの蓋が揺れているのが確認出来るぐらいの力強い演奏である。3つのプレリュードの演奏でも感じられたことだが、パースペクティブの作り方がまことに巧みであり、それが故に奥行きと彩りが増す。チャーミングでアンニュイで高潔にしてにして親しみやすいという大満足のガーシュウィンであった。
ガーシュウィンはラヴェルに心酔して弟子入りしようとしたことがあり(「君は一流のガーシュウィンなのに、なんでラヴェルの二番煎じになろうなんてするんだい?」と断られた)、「パリのアメリカ人」という交響詩も書いているが、フランス音楽とジャズには相通じるものがあるような気がする。そもそもジャズ発祥の地であるルイジアナ州は元々フランスの領地だった場所だ。

アンコールは3曲。事前に決めていなかったそうで、その場で思いついた曲を演奏する。
まず、シャンソンの「四月にパリで」。「もう7月なんですけど」と言って演奏開始。シャルル・トルネの作曲、アレクシス・ワイセンベルク編曲版。洒落た演奏である。
2曲目は、バッハ=グノーの「アヴェ・マリア」。京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタでも聴いたことのある曲である。クリアな音色で崇高な憧憬を語るようなイノセントな演奏。
ラストは、「Over The Rainbow」。「普段、リラックスしたい時に一人で弾いている曲」だそうである。美音と伸びやかな音楽性を楽しむことが出来た。

大和高田さざんかホール小ホールは、シューボックス型をしており、天井はやや低めだがフォルテシモでも音が潰れることはない。ピアノや室内楽向けのホールとしては第一級の音響を誇ると思われる。Wikipediaにも載っていないような知名度の低いホールであり、ホームページも独自ドメインを取っていない状態であるが稼働率が低いままにしておくのは惜しいホールである。クラシックファンには音が良ければどこだろうが飛んでいくというタイプが多いのでもっとアピールしても良いと思われる。


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2018年6月30日 (土)

コンサートの記(398) 来日50周年特別公演 エリック・ハイドシェック with ザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブル

2018年6月26日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時からザ・シンフォニーホールで、来日50周年特別公演 エリック・ハイドシェック with ザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブルのコンサートを聴く。

個性派ピアニストのエリック・ハイドシェック。1936年、フランス・シャンパーニュ地方のランスの生まれ。フランスを代表するシャンパンメーカーであるシャルル・エドシークの御曹司である。苗字のHEIDSIECKはフランス語ではエドシークに近い発音となるが、先祖がドイツ系ということでドイツ風のハイトジークを名乗る(日本ではハイドシェック表記が一般的である)。
フランスを代表するピアニストであり教育者としても名高いアルフレッド・コルトーの高弟の一人。6歳から本格的な音楽教育を受け、9歳でリサイタルデビュー。パリ高等音楽院に入学して2年後に首席で卒業。エコール・ノルマルではコルトーに師事している。その後、イタリアでヴィルヘルム・ケンプにも師事した。
1950年代後半にモーツァルトのスペシャリストとしてEMIからデビュー。その後、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集、フォーレの夜想曲全集を録音している。ベートーヴェンとフォーレはその後、廉価盤CDとして再発された際に私も聴いているが、かなり充実した演奏であった。
1980年代は主にリヨン国立高等音楽院のピアノ科教授として過ごすが、音楽評論家の宇野功芳と宇和島在住の公務員にしてミステリー作家の宇神幸男の後押しで行われた宇和島での演奏会(なんか「宇」ばかり出てくるな)が評判となり、ライブCDがテイチクから発売されてベストセラーとなった。ベートーヴェンの三大ソナタ(「悲愴」、「月光」、「熱情」)を収めたCDは私も聴いたが、とにかく個性的な演奏であった。あたかも19世紀のピアニストが突然バブル期の日本に降り立ったかのような趣があった。その後、ハイドシェックは日本ビクターと契約し、モーツァルトのピアノ・ソナタ全集や協奏曲集をリリースしている。1998年にリヨン国立高等音楽院での教職を辞し、コンサートと録音中心の活動を行うようになった。近年では作曲家としても活動している。

日本クラシック音楽界の名物評論家として名を馳せた宇野功芳のバックアップを受けたのだが、宇野功芳という人は歯に衣着せない人で、名演奏家でも不出来と見做すや一刀両断にするためアンチも多く、日本におけるハイドシェックの評価にも毀誉褒貶合わせて相当な影響を与えている。


曲目は、オール・モーツァルト・プログラムであるが、前半がピアノ協奏曲第14番第2楽章、ピアノ協奏曲第16番第2楽章、交響曲第29番第2楽章、後半が交響曲第41番「ジュピター」第2楽章、ピアノ協奏曲第21番「みじかくも美しく燃え」第2楽章という、第2楽章ばかりが並んだかなり珍しいものである。ここにもハイドシェックの独特のセンスが表れている。


伴奏は、田部井剛(たべい・つよし)指揮のザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブル。
田部井剛は、早稲田大学商学部を卒業後、東京音楽大学指揮研究生修了(広上淳一に師事)、更に東京芸術大学指揮科を卒業している。芸大在学中の1999年に日本フィルハーモニー交響楽団との演奏会でハイドシェックと初共演し、ハイドシェックから「ヤング・トスカニーニ」との賛辞を得たという経歴を持つ。その後、ハイドシェックとたびたび共演している。

ザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブルは、その名の通り、ザ・シンフォニーホールでの演奏を念頭において結成された団体である。関西のプロオーケストラ4団体のメンバーで構成されている弦楽アンサンブルであるが、今日は管楽器奏者も計7名参加している。
今日のコンサートミストレスは、日本センチュリー交響楽団のコンサートミストレスである松浦奈々。弦楽器はセンチュリー響のメンバー10名と関西フィルハーモニー管弦楽団の団員2名からなる。管楽器の参加は、フルートの杉山佳代子、オーボエの中根庸介と高橋幸子(オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ)、ファゴットの首藤元(京都市交響楽団)と日比野希美(大阪フィルハーモニー交響楽団)、ホルンの水無瀬一成(日本センチュリー交響楽団)と中川直子(関西フィルハーモニー管弦楽団)。


このハイドシェックはかなりボヘミアンなピアニストで、コンサートホールでの演奏なのにプライベートなサロンにいるかのように振る舞う。良家のボンボンであり、ピアノを弾いていれば幸せというタイプでもあったのだろう。ソロリサイタルならともかくとして共演するにはかなり難しい性格のようである。


ハイドシェックは登場すると、まずテキストを手に英語でのスピーチを行う。よくは分からなかったが、「インメモリアム」という言葉が聞き取れたため、大阪北部地震の犠牲者のための演奏を行うことがわかる。演奏されたピアノ曲はメシアンを甘口にしたような作風である。休憩時間に分かったが、ハイドシェックの自作曲で前奏曲「愛の痛みを愛せよ」というものであった。ハイドシェックは途中で間違えて止まってしまい、「Sorry!」と頭を抱えて続きから弾き直す。


さて、モーツァルトのピアノ協奏曲であるが全て第2楽章ということで、緩徐楽章の演奏となる。基本的には技術よりもリリシズムが重視される。
田部井とザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブルが演奏を開始するが、ピアノのパートになるとハイドシェックは伴奏を無視するかのような独自のテンポで弾き始めてしまう。遅い上に歌い崩すため、オーケストラでの伴奏が四苦八苦するという状態。協奏曲なのにハイドシェックは端っから合わせるつもりはないようである。
メカニックは控えめにいって上質とはいえないもので、アマチュア的なピアニズムである。師であるアルフレッド・コルトーもヴィルヘルム・ケンプも共に技術的には十分に評価された人ではなかったからか、気にしていないようにも見える。
田部井剛も自身を持ち上げてくれた人だから伴奏指揮もするが、そうでなかったら付き合い切れないかも知れない。
指揮者でもあった宇野功芳がハイドシェックを共演した際、ハイドシェックが余りに自在なテンポで演奏するため、終演後に大喧嘩になったという噂があるが、本当だったとしても頷ける。

田部井剛指揮のザ・シンフォニーホール チェンバーアンサンブルの演奏であるが、単独で演奏した交響曲第29番と「ジュピター」の表現では管のバランスが強いという難点が確認出来る。ハイドシェックは表現主義的だが、田部井はそうではない。

ピアノ協奏曲第21番の第2楽章は、同曲が全編で用いられたスウェーデン映画「みじかくも美しく燃え」のタイトルが無料パンフレットに書き込まれている。俗っぽくなるのでタイトルを付けない場合が多いが、ハイドシェックの演奏は音が濃く、表現もロマンティックであり、映画の音楽としても相応しいものとなっていた。
フランスの映画監督にルイ・マルという人物がいた。「死刑台のエレベーター」などで有名な人だが、この人は富豪の息子で、道楽で映画を撮っていたら世界的な映画監督になってしまったという幸運児である。ハイドシェックもルイ・マルと同類であるように思われる。上流階級出身のディレッタントタイプだ。

後半のプログラムが短いが、これにはわけがある。ハイドシェックは好きなだけアンコール演奏を行うというピアニストであるため、意図的に後半が早く終わるよう設定してあるのだ。

アンコール演奏は、ヘンデルの組曲第3番、J・S・バッハのフランス組曲第5番、ドビュッシーの前奏曲第1集より「雪の上の足跡」、ドビュッシーの前奏曲第2集より「ヒースの荒野」、ドビュッシーの「子供の領分」より“小さな羊飼い”、ヘンデルの組曲第2番より前奏曲。ハイドシェックは自分で曲紹介を行い、鼻歌まじりで楽しそうに弾いていく。

ヘンデルやバッハではミスしても気にせず弾き直すというシーンがあったが、音色は高貴であり、ハイドシェックが高度のエスプリ・クルトワの持ち主であることが感じられる。
そしてドビュッシーは最上級の演奏。和音の作り方がお洒落であり、音色は濃厚かつ色彩豊か。物語性にも優れている。流石はコルトーの愛弟子と実感させられる至芸であった。

ハイドシェックは、ザ・シンフォニーホールの花道に出たり、ピアノの前を横切ったりといったユーモアを見せる。真の自由人である。
最後は指揮の田部井に話しかけて首を大きく振られるというシーンがあったが、「今日やった協奏曲のどれかをもう一度演奏しようよ」といったか、「オーケストラもアンコールしてよ」といったかのどちらかだと思われる。他の人はハイドシェックほど自由人ではない。

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2018年5月27日 (日)

コンサートの記(390) 広上淳一指揮京都市交響楽団第623回定期演奏会

2018年5月20日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第623回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

演目は、レナード・バーンスタインの交響組曲「波止場」、ショスタコーヴィチの交響曲第9番、バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」(ピアノ独奏:河村尚子)。バーンスタイン生誕100年記念といってもいいプログラムである。

開演30分前から広上淳一と京響シニアマネージャー代行兼チーフマネージャーの柴田智靖によるプレトークがある。4月からオーケストラの登場の仕方が変更になったため、プレトークの開始も10分早くなったそうである。アムステルダム・コンセルトヘボウでバーンスタインの助手を務めたこともある広上淳一。レナード・バーンスタイン(愛称:レニー)の弟子はとても多く、広上も、小澤征爾、大植英次、佐渡裕、大野和士らがレニーの弟子であることを紹介する。

ショスタコーヴィチの交響曲第9番であるが、交響曲第9番というのは作曲家にとって運命の数字でもある。ベートーヴェンが交響曲を9曲書いて他界したが、今では7曲ということになったものの以前の解釈ではシューベルトも9番まで、そしてブルックナーも9番まで書いて亡くなった。ドヴォルザークも今では初期交響曲にも番号が付けられて9曲までとなっている(私が小学生の頃の音楽の教科書には「新世界」交響曲の番号がまだ5番であった)。マーラーは交響曲第9番を書いたら死んでしまうのではないかと怖れ、9番目の交響曲には番号を付けず「大地の歌」とした。だが、結局は交響曲第9番を書くことになり、悪い予感が的中して、第9番が遺作となった。ということで特別な番号であり、ソビエト当局はショスタコーヴィチにベートーヴェンの第九に匹敵する曲を期待したのだが、ショスタコーヴィチはどちらかというとおちゃらけた感じの曲を書いてしまう。先にショスタコーヴィチとリヒテルによるピアノ2台版の試演会が行われ、放送によって世界配信されたのだが、ソビエトのみならず世界的な失望を買ってしまった。それでもエフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団による初演は好評だったが、ジダーノフ批判を受けて、以後しばらくの間はショスタコーヴィチ作品のソビエト国内での演奏が禁じられてしまう。
広上によるとレニーはこの曲をしばしば取り上げていたそうで、その理由を「この世のあらゆるものが含まれているから」と説明していたそうである。なお、バーンスタインはこの曲をウィーン・フィルハーモニーを指揮してドイツ・グラモフォンにライブ録音しているが、今に至るまでこれを凌ぐ録音は出ていないと断言していいほどの名演である。

バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」の解説にはピアノ独奏の河村尚子も加わる。河村はこの曲の性質を「トリッキー」と語り、「常に黄色信号が出ていて、よそ見をしていると落とし穴に嵌まってしまう」と話す。日本人ピアニストの河村だが身振り手振りが大きく、ドイツで育ったことが現れていた。
河村と広上は7年前にオーケストラ・アンサンブル金沢の定期演奏会で、ヒンデミットの「四つの気質」で共演したのだが(私も金沢まで聴きに行った。調べたら6年前だったが、もうそんなになるのか)、バーンスタインはヒンデミットの音楽を高く評価しており、ヒンデミット的な要素をこの曲で取り入れたのではないかと河村は推理していた。

今日のコンサートマスターであるが、客演の須山暢大(大阪フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター)が務める。フォアシュピーラーは泉原隆志。4月から京響のコンサートマスターは泉原の一人体制になったのだが、2度目の定期にして早くも客演コンサートマスターが入ってしまうという異様な事態になってしまっている。

バーンスタインの交響組曲「波止場」。エリア・カザン監督の映画のための音楽として書かれたものをコンサート用に編み直したものである。私が持っているレニー自作自演の「ウエストサイド・ストーリー」全曲版のフィルアップに交響組曲「波止場」自作自演(オーケストラはイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団)が入っているのだが、今もこの組み合わせで出ているのかどうかはわからない。
広上はバーンスタインについてクリーニング屋の息子で余り裕福ではなかったと語ったが、文献に基づくとバーンスタインの父親のサミュエル・バーンスタインは理髪店を営み、パーマネントのための機器を独自に発明した発明家でもあった。サミュエルは特許料で稼ぎ、アメリカン・ドリームの体現者となる。息子にも家業を継がせたいと考えていたサミュエルだが、息子のレナードは意に反して音楽家への道を歩むことになる。ハイスクールを卒業したレナードはカーティス音楽院かジュリアード音楽院に進みたかったのだがサミュエルがそれを許さず、妥協の結果、レナードはハーバード大学音楽学部に進学する。世界最高の大学ともいわれるハーバード大学だが音楽学部に関してはカーティスやジュリアードより格下。レナードは満足出来ずに、その後、カーティス音楽院で学ぶことになる。バーンスタイン親子の関係はその後も複雑であったようだ。
いかにも映画音楽的な楽曲である。最初のホルンで示されるテーマがその後、様々な楽器で繰り返される。盛り上がりの部分はこの楽曲の冒頭部分によく似ているが、偶然だと思われる。
広上と京響のコンビの充実が確認出来る好演であった。

ショスタコーヴィチの交響曲第9番。全曲の演奏時間が5楽章で25分程度と短いこともあり、軽めの楽曲と目されているが、ユーモラスな感じがするのは第1楽章と第5楽章のみであり、他はシリアスな音楽が続く。
古典的な造形といわれることもある。そういえば、ショスタコーヴィチと犬猿の仲といわれたプロコフィエフの交響曲第1番「古典」は古典的造形そのものだが、多分、関係はない。
レニーとウィーン・フィルによる演奏はスケール豊かな、悪くいうと肥大化した音楽であったが、広上と京響はタイトにしてパワフルというこの曲本来のスタイルを採用。推進力にも富んでいたが、この曲の苦み走った面を強調するのが広上らしい解釈である。

バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」。イギリス出身でアメリカに帰化した詩人のW.H.オーデンの長編詩に基づく交響曲である。オーデンの長編詩「不安の時代」は邦訳も出ており(日本語で読むと詩というより完全な物語文という印象を受ける)私も読んでみたことがあるのだが、長い上に余り面白くなかったので途中でリタイアしてしまった。
ピアノ独奏と含む交響曲という比較的珍しいスタイルを取っているが、宗教や思想の影響の強い交響曲第1番「エレミア」や交響曲第3番「カディッシュ」よりはわかりやすく、バーンスタインの交響曲の中ではおそらく最も演奏される機会が多いと思われる。初演はクーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団によって行われ、バーンスタインはピアノソロを受け持った。
この曲は、レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団盤(ピアノ独奏:ルーカス・フォス)、ジェイムズ・ジャッド指揮フロリダ・フィルハーモニー管弦楽団盤(ピアノ独奏:ジャン=ルイ・ストイアマン)などで聴いており、「いかにもアメリカ的な交響曲」という印象を受けたが、広上と京響の生む音色はどちらかといえばヨーロッパのオーケストラに近く、マーラーやショスタコーヴィチとの類似点が確認出来るのが興味深いところである。またそれによってシリアスで痛烈な印象も強まる。

日本の若手としてはトップクラスのピアニストとなった河村尚子(ただし音楽教育は全てドイツで受けている)。ハノーファー国立音楽演劇大学大学院ソリスト課程を修了。ミュンヘン国際コンクールで2位入賞、クララ・ハスキル国際コンクールでは優勝に輝く。今年は出身地の西宮市にある兵庫県立芸術文化センターでベートーヴェン・シリーズを行い、京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタでもオール・ベートーヴェン・プログラムによるリサイタルを行う予定である。現在はドイツ・エッセンのフォルクヴァング芸術大学教授。東京音楽大学ピアノ科の特任講師として現在も大学のホームページに名前があるが、ページ自体が更新されていないので今はどうなっているのかわからない。
今日はピアノは蓋を取り払って指揮者と対峙する位置に据えられている。
色彩感豊かなピアノを弾く人であるが、今日は高音の豊かさに魅せられる。ピアノを弾いたことがある人ならわかると思うが、鍵盤の右端に近い高い音は基本的に痩せた音しか出ない。ただ、今日の河村の弾く高音はボリュームがあって美しいのである。どうやったらああした音を出せるのかわからない。
この曲ではジャズテイストの旋律が登場するのが特徴であるが、その語り口が上手くいっているのかは私にはよくわからない。私もジャズピアノは聴くが、いずれもクラシカルな要素が強いピアニストばかりだ。プレトークでの河村本人のコメントによると「ジャズは好きだがジャズを弾くのは初心者」だそうである。

ちなみに第1部おける変奏曲の主題はグレゴリオ聖歌の「怒りの日」の模倣のように思われるのだが、そういう指摘は今まで行われていないようである。


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2018年3月29日 (木)

没後100年 ドビュッシー アニメーション「月の光に乗せてたどるその生涯」(ピアノ:チョ・ソンジン、アニメーション制作:アンディ・ポッツ)

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