カテゴリー「京都市交響楽団」の133件の記事

2019年5月 2日 (木)

コンサートの記(552) 近江の春 びわ湖クラシック音楽祭2019初日 葵トリオ&大西宇宙バリトンリサイタル&沼尻竜典オペラ・セレクション プーランク 歌劇「声」

2019年4月27日 びわ湖ホールにて

今日から明日までの二日間、びわ湖ホールで「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭2019」が開催される。今年は昨年とは違ってそれほど興味を惹かれなかったのだが、プーランクのモノオペラ「声」に出演予定だった砂川涼子が数日前、体調不良のために降板、急遽カバーキャストだった石橋栄実が代役として本番に挑むことを知り、聴きたくなったのである。砂川涼子も良い歌手で聴いてみたくはあったのだが、大阪音楽大学声楽科の教授でもある石橋栄実が「声」をやるなったら「聴きにいかねば」という義務感のようなものを感じてしまったのだ。

数年前に、渋谷のスパイラルホールで三谷幸喜演出、鈴木京香の出演による「声」を観たのだが、三谷幸喜は基本的に陽性のものを生み出す人、鈴木京香も健康美が売りの女優であるため、痛切さには欠けていて、残念な気持ちで会場を後にしている。

 

せっかく音楽祭が行われているのにモノオペラ「声」だけを聴いて帰るというのももったいないので、葵トリオと大西宇宙のリサイタルのチケットも取った。

 

午後1時5分から、びわ湖ホール中ホールで葵トリオのコンサートを聴く。曲目は、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第5番「幽霊」とマルティヌーのピアノ三重奏曲第3番。

葵トリオは、小川響子(ヴァイオリン)、伊東裕(いとう・ゆう。チェロ。男性)、秋元孝介(ピアノ)によって結成されたピアノトリオ。Akimoto、Ogawa、Itoの頭文字を取って葵トリオと命名されており、葵の花言葉である「大望、豊かな実り」にもちなんでいるそうである。昨年のミュンヘン国際コンクールで優勝を飾っており、今最も注目される日本人ピアノトリオである。
全員、東京藝術大学と同大学院の出身。
小川響子(愛称は「おがきょ」のようである)は、東京フィルハーモニー交響楽団のフォアシュピーラーとして活躍し、カラヤン・アカデミーの試験に合格して、現在ではベルリン・フィルで学んでいる。
伊東裕は、東京藝術大学大学院を修了後、ザルツブルク・モーツァルティウム音楽院に進み、現在はラ・ルーチェ弦楽八重奏団と紀尾井ホール室内管弦楽団のメンバーである。
秋元孝介は、東京藝術大学大学院博士課程在籍中。第2回ロザリオ・マルシアーノ国際ピアノコンクールで第2位を受賞している。

中ホールで室内楽を聴くのは初めて。今日は2階席で聴いたが、音の通りが良く、室内楽にも向いているようだ。

葵トリオの演奏であるが、一体感が見事、あたかも三人で一つの楽器を弾いているかのような、あるいは三つの楽器を一人で奏でているかのような自在感と反応の良さに魅せられる。スタイルとしてはシャープであり、モダンスタイルによる演奏だが、時折古楽的な響きも出すなど、スタイルの幅広さが感じられ、現代的である。
昨年、びわ湖ホールで聴いたフォーレ四重奏団もそうだが、アルバン・ベルク・カルテットのスタイルを更に先鋭化させたような切れ味の鋭い表現が室内楽における一つの傾向となっているようである。

アンコール演奏があり、ハイドンのピアノ三重奏曲第27番より第3楽章が演奏された。
ここでも鋭利な表現が聴かれる。

 

続いて、小ホールで大西宇宙(おおにし・たかし)によるバリトンリサイタルを聴く。午後2時開演。葵トリオのアンコールがあったため、小ホールに入るのが遅くなり、開演5分前にようやく席に着く。

曲目は、プロコフィエフの歌劇『戦争と平和』より「輝くばかりの春の夜空だ」、ヴォルフの「メーリケ歌曲集」より「散歩」「少年鼓手」「炎の騎士」、武満徹の「死んだ男の残したものは」、シアーの「アメリカン・アンセム~名もなき兵士に捧ぐ歌」

ピアノ伴奏は、筈井美貴(はずい・みき)。

大西宇宙は、武蔵野音楽大学を経て、ジュリアード音楽院を卒業。シカゴ・リリック歌劇場で研鑽を積み、「エフゲニー・オネーギン」「真珠採り」「カルメン」「リゴレット」「ロメオとジュリエット」などに出演している。

筈井美貴は、武蔵野音楽大学音楽部器楽科を卒業、同大学院修了。第11回メンデルスゾーン・カップ・ヨーロッパ第1位及びルービンシュタイン賞受賞。主に声楽家と共に活動している。

日本人の場合、体格面の問題でバリトンとはいえ声が軽い人が多いのだが、大西は、はっきりとしたバリトンの音程と声質で歌うことの出来る歌手である。

「戦争と平和」を主題としたリサイタル。歌詞対訳などは配られなかったが、大西が曲の内容を解説する。

筈井のピアノは伴奏としては表現が豊かすぎるところがあるような気がしたが、達者なのは確かである。

私の好きな「死んだ男の残したものは」は、全曲ではなく抜粋版での歌唱。もう少し歌い分けが明確な方が良いように思うが、クラシックの歌曲としてはこうした表現の方がしっくりくるのも確かである。

 

 

午後3時から、大ホールで沼尻竜典オペラセレクション プーランクの歌劇「声」を観る。演奏会形式であるが、衣装、演技、セットありでの上演。先に書いたとおり、当初は砂川涼子が主演する予定であったが体調不良により降板、カバーキャストであった石橋栄実が短時間のリハーサルを経て本番に臨む。
原作・脚本:ジャン・コクトー、演出:中村敬一。演奏は沼尻竜典指揮の京都市交響楽団。
コクトーの「声(人間の声)」は心理劇であり、プーランクの音楽によって主人公である女の心理がよりわかりやすいようになっている。繰り返される音が女の落ち気味の心理状態を描写し、木琴による電話のベルが神経症的に響く。女はもう恋人である男にあうことは叶わず、声を聴くことだけで繋がっているのだが、「今の私にはあなたの声だって凶器になるわ!」という言葉が次第に真実味を増していく。

恋愛中毒気味の女を石橋栄実は見事に体現しており、歌唱も演技も万全、沼尻指揮の京響もプーランクの音楽を我が物にしており、アンニュイで痛みのあるオペラに仕上がっていた。

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2019年4月29日 (月)

コンサートの記(551) ローム ミュージック フェスティバル 2019 「オーケストラコンサートⅡ 二大コンチェルトの饗宴~日下紗矢子・反田恭平 with 京都市交響楽団」&「リレーコンサートC 河村尚子ピアノ・リサイタル~偉大なるベートーヴェン~」

2019年4月21日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールおよびサウスホールにて

午後2時30分から、ロームシアター京都メインホールで、ロームミュージックフェスティバル2019 オーケストラコンサートⅡ「二大コンチェルトの饗宴~日下紗矢子・反田恭平 with 京都市交響楽団」を聴く。ロームミュージックフェスティバル2019の2日目にして楽日のオーケストラ公演。指揮は、2016年に行われたロームミュージックフェスティバルのタクトも執っている阪哲朗。ナビゲーターをフリーアナウンサーの朝岡聡が務める。反田恭平人気もあって、チケットは完売である。

曲目は、まずオッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲が演奏され、次いでメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番(原典阪)という二つのコンチェルトが登場する。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は「メンコン」の愛称で知られ、三大ヴァイオリン協奏曲の一つにも数えられる有名作だが、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番は取り上げられる機会が極めて希少な作品である。第1番から第3番までを収めた「チャイコフスキー ピアノ協奏曲全集」はいくつかあって、私はヴィクトリア・ポストニコワが夫君であるゲンナジー・ロジェストヴェンスキーの指揮で録音したものを千葉にいた頃に聴いているが、それでも聴いたのは2回程度、京都に来てからは聴いておらず、曲も忘れている。ということで事実上、初めて接することになる。YouTubeにはいくつか演奏がアップされていると思われるが、敢えて聴かずに出掛ける。


指揮者の阪哲朗は京都市出身。京都市立芸術大学音楽学部で作曲を専攻し、卒業後にウィーン国立音楽大学で指揮をレオポルド・ハーガーらに師事。1995年に第44回ブザンソン指揮者コンクールで優勝して一躍脚光を浴びている。欧州では一貫してオペラ畑を歩き、アイゼナハ歌劇場音楽総監督、レーゲンスブルク歌劇場音楽総監督などを務めている。コンサート指揮者としては客演が主で、これまで特にこれといったポストには就いていなかったが、この4月に山形交響楽団の常任指揮者となっている。


今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏である。どうも第2ヴァイオリンは今日は全員女性のようで、ありそうでなかなかない光景となった。小谷口直子は降り番だったが、それ以外は首席奏者が前半後半ともに顔を揃える。


オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲。阪哲朗はかなり細かな指示を京響に送る。指揮の動きがかなり細やかだ。
阪哲朗は若い頃はスケールが小さいという難点があったが、最近は音楽が徐々にではあるが拡がりを増しているように思われる。ただ、これまで何人もの指揮者を目にしてきたが、指揮棒を動かしすぎる指揮者は得てしてスケールが小さいように感じられる。楽団の自発性を引き出しにくいということが影響しているのだろうか。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストの日下紗矢子は、現在、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の第1コンサートマスターと読売日本交響楽団の特別客演コンサートマスターを務めている。

朝岡聡による楽曲の紹介があり、第1楽章の美しさ、第2楽章の希望、第3楽章の「天使が跳ねるような」快活さが語られる。

一週間前のスイス・ロマンド管弦楽団の来日演奏会で辻彩奈のソロによるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴いたばかりだが、日下のヴァイオリンは辻に比べて旋律を線として捉えることに成功しているように思われる。音色には艶があり、スケールが大きくて音の通りも良いが、ロームシアター京都メインホールは同じ永田音響設計が手がけた兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール同様、オーケストラよりもヴァイオリンの方が聞き取りやすいようである。
日下も京響も音色や曲調の変化の描き方に長けており、京都らしい雅やかな演奏となった。


チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番。まず朝岡聡が楽曲とソリストである反田恭平の紹介を行う。「今更申し上げるまでもないと思いますけれど」と前置きしての「今最も上り調子であるピアニスト」反田の紹介。高校在学中に第81回日本音楽コンクールで1位となり、チャイコフスキー記念モスクワ音楽院に首席で入学。現在はショパン音楽大学(旧ワルシャワ音楽院)で学んでいる。反田がTwitterやInstagramをやっているということで、このコンサートのために反田が書いた文章も朝岡は読み上げた。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番であるが、カデンツァがもの凄く、p(ピアノ)の指示が12個並ぶ。「pが弱く、ppがピアニシモ、pppがピアニシモシモ、12個だとなんと読むんでしょうか」。更にf(フォルテ)も9個並ぶことが紹介される。「このカデンツァを聴くだけでも来た甲斐がある」そうで、全曲を聴き終えたときには、「感動を通り越して衝撃。もしかしたら子孫末代に至るまでの語り草となる」というところで笑い声が起こったので、「いや、大袈裟じゃありません」と続けた。

その反田のピアノであるがとにかく巧い。巧すぎるといってもいいほどで、メカニカルな部分に関しては少なくとも実演に接したことのある日本人ピアニストの中では最高である。韓国人ピアニストのキム・ソヌクを京都市交響楽団の定期演奏会で初めて聴いた時も余りの巧さに驚いたのだが、それに匹敵するほどの超絶技巧の持ち主と見ていい。音にクッキリとした輪郭があり、いかなる時も音に淀みや歪みはなく、あるべき時にあるべき場所に音がはまっていく。シャープな感受性の持ち主であることも察せられ、まさに21世紀スタイルの日本人ピアニストの登場と書いても過言ではないほどだ。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番であるが、第1番とは違い、ニコライ・ルビンシテインから高く評価されている。初演もニコライがピアノを弾く予定だったのだが、それに至る前にニコライは逝去。初演はニコライの死の翌年にセルゲイ・タネーエフのピアノ、ニコライの兄であるアントン・ルビンシテインの指揮によってモスクワで行われ、大成功を収めた。ただ、その後、評価は落ちてしまったようである。
曲調や表情がコロコロと変わるため、作曲者の意図が今ひとつはっきりしないというのも理由の一つだと思われる。第2楽章でヴァイオリンとチェロのソロがピアノをそっちのけにして掛け合いを続けるというのもピアノ協奏曲としては奇妙である(第1楽章のカデンツァなどに超絶技巧が必要とされるため、ピアニストに休む時間を与えたと考えることも出来るように思う)。今日は泉原隆志とチェロの中西雅音(まさお)が情熱的なソロを奏でた。
反田の壮演に会場は沸きに沸き、スタンディングオベーションを行う人が多数。ポピュラー音楽のコンサート並みに盛り上がる。

最後に反田はピアノの蓋を閉じて、京響のメンバーの顔が見えるようにして拍手を送るというパフォーマンスを見せた。


次いで、午後5時30分から、サウスホールでリレーコンサートC「河村尚子ピアノ・リサイタル~偉大なるベートーヴェン~」を聴く。

曲目は、ピアノ・ソナタ第26番「告別」、ピアノ・ソナタ第27番、ピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」

現在、連続してベートーヴェンのピアノ・ソナタの演奏に取り組んでいる河村尚子。CDのリリースも始まっている。

今日は最前列。選んだのではなく、コンピューターが勝手に割り振った席である。クラシックのコンサートでは最前列は演奏者に近いがその割に音が飛んでこないので敬遠されることが多く、余り期待していなかったのだが、かなり音が良い。上からピアノの音が降ってくるような音響である。サウスホールはステージが高めなので、ピアノの蓋に当たった音が直接最前列に降りてきたのだと思われる。

河村尚子の描くベートーヴェンであるが、やはり凄い。壮絶である。反田恭平が天に羽ばたくようなピアノを弾くなら、河村尚子は地上を駆け抜ける駅馬車のような重厚なピアノで勝負する。表現の幅が広く、優れたピアニストが再創造者であることを確認させられるような優れたベートーヴェンであった。

今日はアンコールがある。河村が昨日一昨日とNHK交響楽団との共演で矢代秋雄のピアノ協奏曲を弾いたということで、矢代秋雄が書いた4手のためのピアノ曲「夢の舟」を岡田博美が2手のために編曲したものを弾く。友人であった三善晃の作品にも通じる穏やかな抒情美を讃えた作品であった。
 

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2019年4月27日 (土)

コンサートの記(549) 秋山和慶指揮 京都市交響楽団第576回定期演奏会

2014年2月23日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第576回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はベテランの秋山和慶。1941年生まれで桐朋学園大学音楽学部を卒業(6歳年上の小澤征爾の時代には桐朋学園に四大はなく、短大しかなかったので、小澤の短大卒業直後に改組が行われたのだと思われる)、東京交響楽団を指揮してデビューし、その後、東響とは音楽監督・常任指揮者として40年以上に渡ってコンビを組むことになる。
一方、北米でも活動を行い、トロント交響楽団副指揮者を皮切りに、アメリカ交響楽団音楽監督、バンクーバー交響楽団音楽監督(現・桂冠指揮者)、シラキュース交響楽団音楽監督(現・名誉指揮者)など、カナダとアメリカで活躍している。
近年は、日本の地方オーケストラの涵養に力を入れており、広島交響楽団音楽監督・常任指揮者を務め(2008年に広島市民賞受賞)、ついこの間まで九州交響楽団の首席指揮者でもあった(現・桂冠指揮者)。中部フィルハーモニー管弦楽団という歴史の浅いオーケストラのアコースティック・ディレクター兼プリンシパル・コンダクターの座にもある。

プログラムは、メルキュールのオーケストラのための「トリプティーク」、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番(ピアノ独奏:児玉桃)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。「春の祭典」はいくつか版があるが、今日は短めの版を使っていたことだけは間違いない。


2時10分から、司会者と秋山和慶によるプレトークがある。映画「ファンタジア」や「オーケストラの少女」などでも知られる指揮者のレオポルド・ストコフスキーが来日して読売日本交響楽団を指揮した時のこと。本番を終えて、ホテルでテレビを見ていたストコフスキーがクラシックの番組に出て指揮をしていた秋山を発見。ストコフスキーは、一目で秋山の素質を見抜き、「こいつは誰だ? アメリカに呼んでこい」とお付きの人に命令したという。秋山はストコフスキーが創設したアメリカ・シンフォニー(アメリカ交響楽団のこと)に2、3度客演し、その後、ストコフスキーの後を襲ってアメリカ・シンフォニーの2代目の音楽監督に就任したという。ストコフスキーが秋山の映像を見て感服したのはわけがあり、秋山は齋藤秀雄の愛弟子であり、齋藤メソッドを本人から直接たたき込まれていて、無駄のない均整の取れた指揮をすることが可能だったのである。齋藤メソッドの教則映像は今でも出ているが、そこに秋山は出演しているそうだ。

 

メルキュールはカナダ人の作曲家である。秋山がバンクーバー交響楽団の音楽監督をしていた時代にその存在を知ったそうで、交通事故により38歳の若さで世を去った作曲家だという。1927年生まれで、現役の音楽家でいうと、ヘルベルト・ブロムシュテットと同い年ということになる。カナダのフランス語圏であるケベック州に生まれ育ち、ケベック音楽院の他にパリ音楽院でも学び(パリの水は合わなかったそうだ)、ニューイングランドのタングルウッドでは十二音技法も学んだが、懐疑的だったのか作曲に取り入れることはなかったという。だからといって保守的な作曲家というわけではなく、秋山によるとオーケストラのための「トリプティーク」は二部構成だが、一部と二部の間に鏡を置いたように、二部は一部の逆構成になっているという。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」について秋山は、「今はオーケストラのメンバーも素知らぬ顔で演奏していますが、初演のえらい騒ぎだった」と音楽史上に残る大スキャンダルについて触れる。「生卵がステージに投げ込まれたそうで、今日は生卵を投げつけられることはないと思いますが」と語る。
ストラヴィンスキー作曲のロシア・バレエ団による「春の祭典」は、セルゲイ・ディアギレフの主催、ヴァーツラフ・フォミッチ・ニジンスキーの振付、ピエール・モントゥーの指揮により、シャンゼリゼ劇場で行われたが、ストラヴィンスキーの音楽が始めると同時に客席がざわつきだし、やがて怒号や口笛、嘲笑などで劇場は満たされたという。ストラヴィンスキーの音楽についてサン=サーンスは「ファゴットの使い方を知らない奴が現れた」と不快感を示しており、音楽的にも型破りで理解されにくかったことがわかるが、音楽以上に原始時代を舞台にした生け贄の儀式を描いたストーリーが問題だったようで、オーケストラ演奏のみによる「春の祭典」初演は成功している。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。渡邊穣がフォアシュピーラーに回る。首席クラリネット奏者の小谷口直子は前後半共に出演。首席フルート奏者の清水信貴と首席オーボエ奏者の髙山郁子は後半のみの出演である。

 

メルキュールのオーケストラのための「トリプティーク」。冒頭は武満徹の作品を思わせる弦楽による美しいハーモニー奏でられ、それから伊福部昭のようなプリミティブな迫力に満ちた音楽となる。いずれも日本人作曲家の名前で例えることが出来るが、それだけ日本人のクラシックファンに取っては受けいれやすい音楽だということである。秋山も「これは日本でも受ける」と思って取り上げたのであろう。第二部は勢いよく始まり、徐々にディミニエンドして、冒頭の弦楽合奏で終わる。本当に鏡を真ん中に置いたような構成である。
秋山の指揮は端正で明快。どの楽器に何を望んでいるのかが手に取るようにわかる。齋藤メソッドの威力は伊達ではないようだ。

 

モーツァルトのピアノ協奏曲第23番。ピアノ独奏の児玉桃は、幼少時にヨーロッパに渡り、現在もパリ在住で、日本生まれで国籍も日本だが中身はヨーロッパ人という、かなりありがちな背景を持つ人である。ただ、近年は日本で演奏することも多く、ここ1年間でも何度も彼女のピアノをコンサート会場で聴いている。
児玉の武器は煌めくようなタッチであり、今日も輝かしいモーツァルト演奏が展開される。孤独感が滲む第2楽章も単にセンチメンタルなだけでなく、思索しながら歩いているような深みのある音楽を生み出していた。
秋山クラスなら、ピリオド・アプローチとは無縁だろうと思っていたが、弦楽の響きは旧来のロマンスタイルではなくタイトであり、秋山であってもピリオドに無関心ではいられないほどピリオドは世界的に広まっているようである。中編成での演奏であったが、ヴァイオリンは第1第2共に10人と多めなのに対し、ヴィオラとチェロは6、コントラバス3など、低弦はかなり刈り込んだ不思議な編成での演奏となった。

 

ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。安定感抜群の演奏が展開される。初演の際に聴衆に衝撃を与えた「春の祭典」も今では現代音楽の中の古典。エンターテインメント音楽である。
秋山は京響の威力を存分に発揮させつつ、力尽くにはならない上品な演奏を繰り広げる。輝かしく、美しく、迫力にも欠けない演奏であった。

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2019年4月25日 (木)

コンサートの記(548) 小林研一郎指揮 京都市交響楽団第575回定期演奏会

2014年1月24日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第575回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は今や日本人指揮者界の大御所的存在になった小林研一郎。熱狂的な信者と異端の指揮者扱いするアンチがいるという、一人AKBのような指揮者である。「炎のコバケン!」のキャッチコピーでお馴染みの情熱的な音楽作りをする人だ。東京藝術大学作曲科を卒業後、同大学指揮科に再入学。東京藝術大学には編入制度はないため、1年間、受験勉強をして一般入試を受けての再入学であった。というわけで、大学卒業時には27歳になっていた。当時は今よりも指揮者コンクールの受験資格が厳しく、25歳以上はお断りだったのだが、1974年に始まることになったブダペスト国際指揮者コンクールは25歳以上でもOKだったため、それを受けて優勝。以後、ハンガリーとは長い付き合いが始まる。ハンガリー国立交響楽団(現・ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)の音楽総監督を長きに渡って務め、1985年から2年間だけだが京都市交響楽団の常任指揮者も務めている(当時は出雲路にある練習場が出来る前で、廃校になった小学校を練習場にしていたのだが、冬になるとすきま風がとても寒かったと、小林は後に記している)、90年代には東京のオーケストラの中で財政的に最も苦しかった日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を引き受け、レベル・アップに貢献している。

プログラムは、ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(通称:メンコン。ヴァイオリン独奏:三浦文彰)、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」(パイプオルガン独奏:長井浩美)。

ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲。個人的には余り好きな曲ではないのだが、何故か京響のプログラムには良く載る曲である。小林は指揮棒を振るのではなく、右手を下からサッと差し出し、ホルンにスタートの合図を送る。
今日の小林は、握る箇所のかなりしっかりとした独自の指揮棒を使用。握る部分だけ見ると、ラケットのそれのようである。
京響は、クリアで立体感のある音を奏でる。まずは上々の滑り出しである。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストの三浦文彰は1994年生まれの若手。両親ともにヴァイオリニストという家庭に生まれ、3歳からヴァイオリンを始める。2006年にユーディ・メニューイン国際ヴァイオリンコンクール・ジュニア部門2位。2009年にはハノーファー国際コンクールに史上最年少で優勝。才能を買われて、NPO法人イエロー・エンジェルからJ.B.Guadagniniという名器を貸与されている。
その三浦のヴァイオリンであるが、音はゴージャスというかジューシーというか、華麗で肉厚でありながら決して重苦しくはならない。まだ頭の中にある楽譜をなぞって弾いている感じで、再創造の領域には達していないが、この若さでこれだけの音楽が生み出せるなら大したものである。
コバケンさんの演奏会には、コバケン信者も当然ながら詰めかけているので、普段の演奏会よりも盛り上がる。
三浦は、ヴュータンの「ヤンキードゥードゥル」を弾く。序奏の後で、「アルプス一万尺」の変奏曲が奏でられるというものである。メンデルスゾーンでは表現面で難しいものがある(メカニック面もそうだが、過去の大ヴァイオリニストが弾いていて録音もしているので、どうしても比較される)が、ヴォータンの作品では技巧一本勝負。三浦は聴衆を圧倒する。

サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」。京都コンサートホールにはパイプオルガンがついているので、この曲に接する機会も多い。
小林と京響は、オルガンなしで、オルガンに近い響きを作り上げる。その後、力強さが加わり、弦は熱演で少し濁るが、代わりに金管が透明感ある音を築く。
第1楽章第2部で、オルガンが入ると、弦も澄んだ感じを取り戻す。小林の歌は良く言うと日本的、悪く言うと演歌調である。彼個人の資質なのか、彼が生まれた年代の影響なのかはよくわからない。
第2楽章の入りも他の指揮者とは違う(第1部では唸り声もかなり聞こえた)。いずれにせよサン=サーンスよりは小林研一郎の存在を強く感じさせる演奏であった。

私の好みとは異なるサン=サーンスではあったが、コバケンさんの力演を堪能することが出来た。

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2019年4月18日 (木)

コンサートの記(545) 井上道義指揮 京都市交響楽団第633回定期演奏会

2019年4月12日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第633回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は井上道義。

オール・プロコフィエフ・プログラムで、組曲「キージェ中尉」、ピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:イリヤ・ラシュコフスキー)、「ロメオとジュリエット」組曲から(井上道義セレクション)が演奏される。

ショスタコーヴィチのライバルだったプロコフィエフ。二人は犬猿の仲であったと伝わるが、基本的にショスタコーヴィチ作品を得意としている演奏家はプロコフィエフ作品でも優れた出来を示すことが多い。

今日のコンサートマスターは客演の石田泰尚。フォアシュピーラーは泉原隆志。今日はチェロ客演首席にNHK交響楽団の首席チェロ奏者である「藤森大統領」こと藤森亮一が入る。第ヴァイオリンの客演首席は大森潤子。武貞茂夫が定年で抜けたテューバには北畠真司が客演で入る。
独自の配置が採用されており、ヴァイオリン両翼だが位置は現代配置のヴィオラと入れ替わり。コントラバスはヴィオラの背後の位置。通常は下手に陣取るホルンは今日は上手に回る。


午後6時30分から井上道義によりプレトークの予定だったが、6時40分からに変更になる。井上が癌の後遺症で唾液が余り出ないので、長い時間喋れないらしい(更にインフルエンザが治ったばかりだったようだ)。
井上はまず、「桜の咲く季節は大嫌いです」。「寒いから」ということなのだが、花見に行くにはということのようで、夜桜を見に行っても井上は「寒いから帰る」という方なので花見がそもそも嫌いらしい。
バレエ「ロメオとジュリエット」のラストをプロコフィエフが「死んだら踊れない」ということでハッピーエンドにしようとしたことを挙げて、「(プロコフィエフ)は希望を抱くロマンティストであったのだが変にリアリスト」であったと語る。
「アンティル諸島の娘たちの踊り」は、百合の花を持って踊られるのだが、百合の花は日本でいうところの菊の花に相当し、葬儀の意味があるのだそうである。


組曲「キージェ中尉」。元々は映画音楽として書かれたものを演奏会用にまとめたものである。映画そのものを観たことはないのだが、実在しないキージェ中尉を皇帝が気に入ってしまったため、周囲が振り回されるという筋書きはよく知られている。録音ではコダーイの組曲「ハーリ・ヤーノシュ」とカップリングされることが多い曲である。

拍手が止んですぐに、舞台袖で西馬健史がコルネットを吹き始めてスタート。プロコフィエフは意欲的な表現に取り組んだことで知られるが、この曲でも相反する要素が同時進行するなど、前衛的な表現が聴かれる(特に目立つ場所に置かれたコントラバスは変わったことをしているのが確認出来る)。
京響自慢のブラスは輝かしく、弦も鋭さと温かさを兼ね備えた優れた表現を聴かせる。
井上は体をくねらせて踊るユーモラスな指揮を見せた。


ピアノ協奏曲第3番。ソリストのイリヤ・ラシュコフスキーは1984年、シベリア・イルクーツク生まれの若手。5歳でピアノを始めて、8歳の時にはイルクーツク室内オーケストラと共演という神童系である。シベリア最大の都市であるノボシビルスクの音楽学校で学び、1995年にイタリアのマルサラ市で行われた国際コンクールで優勝。98年にはウラジミール・クライネフ国際コンクールでも優勝を飾り、2000年にハノーファー音楽学校(ハノーファー演劇音楽大学と同じ学校かどうかは不明)に入学して、そのウラジミール・クライネフに師事している。その後も多くのピアノコンクールで優勝や入賞を経験し、2012年に第8回浜松国際ピアノコンクールで優勝。この時から井上道義に評価されていたがなかなか共演の機会がなく、今日が初共演となるようである。

ラシュコフスキーは、渋みとリリシズムを兼ね備えたピアノを披露。高度な技術が印象的である。
京響はベストな響きではあったが、鋭さと音量共にこの曲の伴奏としては弱めである。それだけプロコフィエフの演奏が難しいということでもあり、プロコフィエフのピアノ協奏曲は演奏家泣かせであることでも知られている。

ラシュコフスキーのアンコール演奏は、ラフマニノフの「楽興の時」第4番。情熱と表現力を兼ね備えた秀演であった。


「ロメオとジュリエット」組曲より(井上道義セレクション)。演奏されるのは、「モンタギュー家とキャピュレット家」「朝の踊り」「ロメオとジュリエット」「情景」「メヌエット」「朝のセレナーデ」「アンティル諸島の娘たちの踊り」「タイボルトの死」「ジュリエットの死」

管楽器の冴えがやはり印象的である。今日は木管の首席は「ロメオとジュリエット」のみの参加であったが、技巧面でも表現面でもハイレベルである。打楽器群の力強い響きも見事だ。
井上の表現も巧みで、強弱や緩急の切り替え、甘美さとシニシズムの対比などプロコフィエフの面白さを十全に表していた。

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2019年4月14日 (日)

コンサートの記(543) 下野竜也指揮京都市交響楽団スプリング・コンサート2019

2019年4月7日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団のスプリング・コンサートを聴く。

曲目は、ヴィヴァルディの2つのトランペットのための協奏曲ハ長調(トランペット独奏:ハラルド・ナエス&西馬健史)、ベートーヴェンのヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲(ヴァイオリン:豊島泰嗣、チェロ:上村昇、ピアノ:上野真)、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」


全席完売だが、今日はポディウム席は発売されていない。
今日は6列目の真ん中で聴く。ステージから近いが、管楽器の奏者は顔がよく見えないため、誰が吹いているのかわからない場合もある。


ヴィヴァルディの2つのトランペットのための協奏曲ハ長調。京都市交響楽団の首席トランペット奏者であるハラルド・ナエスが第1トランペットを、西馬健史が第2トランペットを務める。
日本でも屈指の輝きを誇る京都市交響楽団のトランペット陣。今日も燦燦と輝くような音を響かせる。
京都市交響楽団は小編成での演奏。西脇小百合がチェンバロを奏でる。生き生きとした伴奏であった。
弦楽奏者のビブラートであるが、統一されてはおらず、思い思いに弾いている。


ベートーヴェンの三重協奏曲の演奏前に、下野がマイクを手にして登場。舞台の転換作業の間をトークで繋ぐ。「京都市交響楽団常任しゅせ……、間違えました。なんとか指揮者の下野竜也です」とユーモアと込めた自己紹介した後で、ナエスと西馬をステージに呼び、ヴィヴァルディの2つのトランペットのための協奏曲ハ長調の思い出について語って貰う。二人ともこの曲を演奏するのは人生で2回目だそうだが、ナエスは1回目はパイプオルガンとの共演、西馬もピアノとの演奏があるだけであり、オーケストラをバックに演奏するのは初めてだそうである。


ベートーヴェンのヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲。京都市交響楽団は近年、この曲を取り上げることが多い。
ピアノ三重奏にオーケストラ伴奏が付くという特異な協奏曲。ベートーヴェンがなぜこうした編成の曲を書いたのかは今でも謎であるが、チェロパートの比重が比較的大きく、演奏技術もチェロが最も高度であるため、チェロの名手から委嘱された可能性が高いとされている。
ヴァイオリンの豊島奏嗣、チェロの上村昇(京都市交響楽団首席チェロ奏者)、ピアノの上野真、更に指揮者の下野竜也も京都市立芸術大学の教員である。ということもあってか、室内楽的要素の強い親密な演奏が展開される。
下野指揮の京響であるが、渋めの音でスタートし、かなり豪快に鳴る。京響のパワーと下野のオケを鳴らす技術は想像以上であるようだ。


ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。人気曲だけに実演で聴く機会も多いが、思いのほか名演に当たる確率が低いような気もしている。

下野はベートーヴェンとは真逆の明るい音色を京響から引き出す。流石の手腕だが、第1楽章のクライマックスなどでは全ての音を鳴らし過ぎたため、輪郭や主旋律の把握が難しくなっていた。

第2楽章と第3楽章は秀演で、第2楽章の深々とした歌、第3楽章の覇気に満ちた音楽運びなどが印象的である。

第4楽章も迫力があるが、音が大きい割りには客席に届くエネルギーが必ずしも十分ではないように感じされる。音の密度がそれほど濃いわけではないということも影響しているのかも知れない。京響のブラス陣は優秀で、力強さと浮遊感を兼ね備えた優れた音楽性を示していた。


下野は、「京都市交響楽団史上、最も短いアンコール曲」と語って、ベートーヴェンの「フィデリオ」より行進曲が演奏される。古典的造形美が強調された演奏で、ベートーヴェンの優美な一面を楽しむことが出来た。

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2019年4月 8日 (月)

コンサートの記(542) 広上淳一指揮京都市交響楽団第574回定期演奏会

2013年11月30日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第574回定期演奏会を聴く。今日の指揮は京響常任指揮者の広上淳一。
来シーズンから、京響は、常任指揮者の広上淳一に加えて、首席常任客演指揮者に高関健を、常任客演指揮者に下野竜也を迎えるのだが、偶然であるが、私は今日は広上、昨日は下野、一昨日は高関と来シーズンからの京響指揮者陣の演奏を3日連続で聴くことになった。

曲目は、ショスタコーヴィチの「祝典序曲」、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番(チェロ独奏:エンリコ・ディンド)、ロベルト・シューマンの交響曲第2番。ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番とシューマンの交響曲第2番の、第2番コンビはいずれも暗い作風であり、楽しい音楽が好きな人からは避けられがちである。

唯一の明るい曲であるショスタコーヴィチの「祝典序曲」であるが、ショスタコーヴィチが無理して笑っているような印象を受ける曲である。薬で目一杯テンションを上げたような出だしであるが、次第に「祝典」というタイトルの割りには鋭い音楽となり、ベートーヴェンの俗に言う「運命動機」のようなものも聞こえる。
広上の指揮する京都市交響楽団だが、非常にクリアで、気品溢れる音を出す。

 

ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番。明るくなる場面がほとんどない曲である。ソリストのテクニックは極めて高度なものが求められる。初演が行われたのは1966年、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチのチェロ、エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮ソビエト国立交響楽団によってである。ロストロポーヴィチもスヴェトラーノフも私はよく知っている音楽家であり、スヴェトラーノフは実演にも接している。初演者が知っている人だと不思議と親しみもわく。
3楽章全てがエレジーのような曲であり、ソリストであるディンゴも漆器の輝きのような渋い音を出す。広上の指揮する京響も沈痛な音を奏でる。

ディエゴはアンコールとして、J・S・バッハの「無伴奏チェロ組曲」第6番より“アルマンド”を弾く。今度は明るく、滑らかな音による演奏であった。

 

メインであるシューマンの交響曲第2番。難解とされる曲である。私自身は難解だと思ったことはないのであるが、この曲はシューマンが梅毒が原因で精神を病んでいたときに作曲した作品であり、症状が重く、作業を途中で中断せざるを得ないなど深刻な状況で作曲された。そのため、そういう心理状態を無意識のうちに避けたい人もいるのかも知れない。

第1楽章。広上は通常の演奏よりも更に弱い音でスタート。そして徐々に音の大きさとスケールを膨らましていく。ヴァイオリンが普段より透明な音を出しているので確認すると、やはりビブラートを普段より抑えめにしているのがわかった。

広上の指揮であるが、実に多彩である。普通はある適度型は決まっているものなのだが、広上は同じ旋律がもう一度登場したときも違う振り方をしていることが多い。指揮棒でティンパニに指示を出していたかと思うと、主旋律が他の楽器に移ったために、今度は視線をティンパニに送って目で指揮したりする。指揮の意図が極めて明確な指揮者である。ただ今日はいつもよりオーバーアクション。これにはわけがあることが後にわかる。

第2楽章では、本来は楽譜にないはずのリタルダンドをかけたり、猛烈な加速を見せたりと、即興性溢れる仕上がりとなった。

悲しみと憧れの第3楽章であるが、広上は悲しみを強調する。旋律が憧れに行こうとすると、短調を奏でている楽器を強調して、再び涙色の響きへと戻してしまう。これもまた伏線である。

最終楽章。第3楽章では悲哀を奏でた旋律を長調に変えたものをヴィオラが弾くのだが、それがこれほどわかりやすく浮かび上がる演奏は聴いたことがない。ということで、第3楽章を悲しみ一色にしても良かったのである。広上はダイナミックな指揮で快活な演奏を展開する。シューマンの交響曲第2番が決して暗い曲ではないということを実証してみせたのだ。

 

定期演奏会は普通はアンコールがないのだが(そもそもアンコール曲を用意していない)、今日はヴェルディとワーグナーが今年で生誕200年を迎えるということもあり、ヴェルディの歌劇「椿姫」より第3幕への前奏曲が演奏される。リリカルで哀感に溢れる音楽が時間を刻む。

発見の多い演奏会であった。

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2019年4月 1日 (月)

コンサートの記(538) 広上淳一指揮京都市交響楽団 モーツァルト連続演奏会 「未来へ飛翔する精神 克服 ザルツブルク[1776-1781]」第1回「溢れ出る管弦楽の力」@いずみホール

2013年10月31日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、いずみホールで、モーツァルト連続演奏会「未来へ飛翔する精神 克服 ザルツブルク[1776-1781]」第1回「溢れ出る管弦楽の力」という演奏会を聴く。いずみホールで今日から来年1月まで5回に渡って行われるオール・モーツァルト・プログラムによる演奏会の第1回である。トップバッターを務めるのは、広上淳一指揮の京都市交響楽団。

京都市交響楽団は、結成直後は今と違って中編成であり、初代常任指揮者であるカール・チェリウスによりアンサンブルが鍛えられ、緻密なモーツァルト演奏を売りとして、「モーツァルトの京響」と呼ばれたこともある。今は大編成のオーケストラとなり、「モーツァルトの京響」という言葉も半ば死語となりつつあるが、今も京響はオール・モーツァルト・プログラムによるコンサートを京都コンサートホール小ホール「アンサンブルホール・ムラタ」で連続して行っている。

曲目は、ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K.364(ヴァイオリン独奏:泉原隆志、ヴィオラ独奏:店村眞積)と、セレナード第9番「ポストホルン」K.320。

いずみホールは大阪を本拠地とする住友(屋号は泉屋)グループのホールである。住友生命保険相互会社の創立60周年を記念して1990年にオープンした中規模ホール。室内オーケストラや室内楽、ピアノリサイタルに適したホールである。内装は住友のホールらしく豪華。ただ音響はオーケストラ演奏を行うには今一つである。

 

今日は最前列上手寄りの席。演劇なら最前列は良い席なのだが、クラシック音楽の場合、音のバランスが悪くなるため、最前列はホールや演目によってはチケット料金が安くなることもある。

 

ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲のソリストは共に京都市交響楽団の首席奏者。若い泉原隆志(いずはら・たかし)が輝かしく軽やかなヴァイオリンを奏でるのに対し、店村眞積(たなむら・まづみ)は重厚で渋い音色を出す。好対照である。ヴァイオリンとヴィオラ、それぞれの楽器の個性が奏者によってより鮮明になった格好である。
指揮者の広上淳一は、指揮棒を持って登場したが、指揮棒は譜面台に置いたまま取り上げることはなく、結局、この曲はノンタクトで指揮した。
ワイパーのように両手を挙げて左右に振ったり、脇をクッと上げたり、ピョンピョン跳んだりする個性溢れる指揮だが、出てくる音楽はユーモラスな指揮姿とは全く異なる本格化。瑞々しくも力強い音楽が作られ、モーツァルトの音楽を聴く醍醐味を存分に味わわせてくれる。

 

後半のセレナード第9番「ポストホルン」。7つの楽章からなるセレナードであり、第6楽章で駅馬車のポストホルン(小型ホルン)が鳴らされることからタイトルが付いた。
広上はやはり指揮棒を手に登場するが、第1楽章はノンタクトで指揮する。豪華で生命力に満ちたサウンド。広上と京響の真骨頂発揮である。
広上は、第2楽章と第3楽章の冒頭では指揮棒を手に指揮を開始するが、合わせやすくするために指揮棒を使っただけのようで、合奏が軌道に乗ると、すぐに指揮棒を譜面台に置いてしまい、やはりノンタクトで指揮する。楽章全編に渡って指揮棒を使ったのは第5楽章だけで、メランコリックな曲調を潤んだような音色で表現したが、指揮棒を逆手に持って、ほぼノンタクトと同じ状態で指揮する時間も長かった。その前の第4楽章は快活でチャーミング。広上と京響の特性が最も生きたのは、この第4楽章であったように思う。
第6楽章では、ポストホルン奏者が指揮者の横に立ち、ポストホルン協奏曲のような形で演奏される。広上と京響はゴージャスな響きを作り出すが、ポストホルン奏者(ノンクレジットであるが、京響トランペットの紅一点である稲垣路子だと思われる)も負けじと輝かしい音を出す。
最終楽章となる第7楽章は堂々たる威容を誇る快演。非常に聴き応えのある「ポストホルン」セレナードであった。

 

アンコールとして、広上と京響は、「ポストホルン」セレナードの第6楽章を再度演奏した。

 

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2019年3月31日 (日)

コンサートの記(537) 広上淳一指揮京都市交響楽団 「八幡市文化センター開館30周年記念京都市交響楽団特別演奏会」

2013年10月26日 京都府八幡市の八幡市文化センター大ホールにて

午後2時30分から、京都府八幡市にある八幡市文化センター大ホールで、「八幡市文化センター開館30周年記念京都市交響楽団特別演奏会」を聴く。指揮は京都市交響楽団常任指揮者の広上淳一。

京都市の南にある八幡市(やわたし)。石清水八幡宮のある街である。京阪特急で中書島まで行き、そこから各駅停車に乗り換えて二つ目の駅が八幡市駅である。八幡市文化センターは八幡市駅から放生川(ほうじょうがわ)沿いに南下、約1・5キロほどのところ、八幡市役所と同じ敷地内にある。

30周年ということは、1983年の開館ということになり、1973年オープンのNHKホールは勿論、1982年開館のザ・シンフォニーホールよりも新しいホールである。ただエントランスやホワイエ、舞台などは立派であるが、椅子などはすでに木製の肘掛けの黒い塗装がはげてしまっていたり、赤い座席カバーが破れているなど、老朽化が目立つ。稼働率も低そうであり、メンテナンスを十分に行うだけの費用がないのかも知れない。空気もいささかほこりっぽく、家と同じでホールも常に人が入っていないと活性化されず、古びるのが早いのかも知れない。

演目は、ドヴォルザークのチェロ協奏曲(チェロ独奏:宮田大)とブラームスの交響曲第1番であるが、京響の演奏が行われる前に、邦楽の演奏がある。
山本千絵(箏)、川崎貴久(尺八)、山本三千代(三絃)による宮城道雄の「比良」と、山本三千代を除いた二人による沢井忠夫の「上弦の月」である。山本千絵(八幡市在住で、本名は川向千絵とある)と山本三千代は親子ほど年が離れているが、あるいは本当の親子なのかも知れない。同じ邦楽サークルに属しているが、師範が「山本」を名乗るという習慣もないようである。
邦楽も内容自体はそれほど難しくはないのだが、私が普段邦楽を聴き慣れていないということもあって、演奏のレベルも面白さも今一つ伝わってこない。クラシック音楽に接することの少ない人がクラシックコンサートで曲を聴いたときも同じような感想を抱くのかも知れない。

京都市交響楽団の今日のコンサートマスターは渡邊穣。泉原隆志は降り番である。フルート首席奏者の清水信貴も今日は降り番であったが、クラリネット首席奏者の小谷口直子、オーボエ首席奏者の高山郁子は、今日は前後半共に出演する。
広上淳一は、今日も全編ノンタクトで指揮した。

ドヴォルザークのチェロ協奏曲。ソリストの宮田大は、1986年、栃木県宇都宮市生まれの若手チェリスト。両親共に音楽教師という家庭に生まれ、3歳からチェロを学び始め、9歳で初めてコンクールに参加して優勝。その後も参加した全てのコンクールで優勝を果たすという神童系演奏家である。2009年には第9日ロストロポーヴィチ国際チェロコンクールで日本人として初めての優勝に輝いている。桐朋学園音楽大学ソリスト・ディプロマコースとジュネーブ音楽院を卒業。今年、クロンベルク・アカデミーを修了したばかりである。
その宮田のチェロであるが、テクニックは滑らか、音はまろやかである。
伴奏を務める広上淳一指揮の京都市交響楽団であるが、京都コンサートホールで聴く時よりも音の密度が薄い印象を受ける。八幡市文化センター大ホールは多目的ホールであり、残響可動システムがあって、残響2秒までを確保出来るのであるが、やはり音響設計をして残響が2秒あるのと、可動システムで残響2秒を作り出すのとでは違い、響きの評判は今一つではあっても京都市交響楽団が京都コンサートホールの音響から恩恵を受けているのは間違いなさそうである。またこうしたホールで聴くことにより、京都コンサートホールの響きが巷間言われているよりも良いものであることがわかる。
ホールの音響にスポイルされたとはいえ、広上指揮の京都市交響楽団も力強い伴奏で、宮田のソロに応えた。

宮田はアンコールとして、J・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第1番より「ブーレ」を弾く。ドヴォルザークではあれほど達者であったのに、バッハの演奏になると奥行きと造形美がいささか不足勝ちに聞こえる。やはりバッハの曲を十分に聴かせられるようになるには、ある程度年齢を重ねる必要があるのかも知れない。
とはいえ技術は達者であり、演奏終了後、宮田は喝采を浴びた。


後半、ブラームスの交響曲第1番。
冒頭は悲劇性を強調することはなく、音の美しさと確かな構築感を優先させた演奏である。音も明るめだ。だが、曲が進むに従って、演奏は緊迫感を増していく。広上がスロースターターなのではなく、そういう解釈なのであろう。広上はいつも以上に強い音を要求したようで、特に弦楽器奏者は体を揺らしながら激しいボウイングで力強い音を生む。
第1楽章後半の切迫感は聴いていて胸が締め付けられるようであった。
第2楽章の抒情美、第3楽章の機能美ともに優れている。広上の身振り手振りはかなり大きいが、徒に大袈裟に指揮しているわけではなく、それら全てが音楽に反映されているのは流石である。
最終楽章も入りを深々と歌い、主部に入ってからは緩急自在。凱歌は堂々として聴く者の気分を高揚させる。
独自の解釈による秀演であった。

広上と京響はアンコールとして、モーツァルトのディヴェルティメントK.126から第2楽章を演奏する。「典雅」という言葉がピッタリくる出来であった。

クラシックのコンサートは定期演奏なら通常は2時間ほど、特別演奏会でもアンコールを含めて2時間半以内に収まるが、今日は邦楽の演奏もあり、ソリスト、オーケストラともにアンコール演奏があったため、上演時間は20分間の休憩を含めて3時間に達した。

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2019年3月21日 (木)

コンサートの記(532) 高関健指揮 京都市交響楽団「オーケストラ・ディスカバリー」2013第2回「ジャズ&タンゴ」

2013年9月29日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団「オーケストラ・ディスカバリー」2013第2回を聴く。

「オーケストラ・ディスカバリー」は、広上淳一の発案により、2009年から始められたコンサートで、安い料金、聴きやすい曲で、子供から大人までが楽しめるように工夫されたもの。年4回あり、今回は2013年度の第2回目である。今日の指揮者は高関健(たかせき・けん)。大河ドラマ「風林火山」のオープニングテーマを指揮した人というと通りが良いかも知れない。高関は解説も兼務する。
配布されたパンフレットも漢字に全てルビが振ってあるものだったが、難しい言葉の漢字に読み仮名を振ってもそれで子供が理解出来るかというと微妙である。

今回のテーマは「ジャズ&タンゴ」ということで、前半はタンゴを、後半はジャズをテーマにした曲が並ぶ。前半はタンゴということで、タンゴには欠かせない楽器であるバンドネオンの奏者である三浦一馬(三浦春馬ではありません)が登場し、「ラ・クンパルシータ」を除く、全ての曲で演奏を行う。

曲目は、前半が、ピアソラの「リベルタンゴ」(三浦一馬編曲。「リベルタンゴ」はチェリストのヨーヨー・マが出演したウィスキーのCMで使われて、日本でも有名になった曲である)、ロドリゲスの「ラ・クンパルシータ」(赤堀文雄編曲)、ピアソラの「ブエノスアイレスの四季」より“冬”(長山善洋編曲)、ピアソラのバンドネオン協奏曲「アコンカグア」より第1楽章が演奏される。

今日は1階席と2階席は指定席だったが、3階は自由席である。しかも自由席は指定席より500円安い上に、京都コンサートホールは、構造上、3階席の方が音響が良いという世にも不思議なホールなので、迷わず3階席を買って、前半は、舞台上手上の、後半は3階席正面の席で聴く。3階席とは思えないほど良く響く。視覚的には遠くなるが、音そのものを楽しみたい場合は京都コンサートホールの3階席はお薦めである。

「オーケストラ・ディスカバリー」は、毎回、吉本の芸人がナビゲーターを務ており、今日はガレッジセールが指揮者の高関と共にコンサートを進めていく。吉本芸人がと書いたが、以前は毎回、ロザンだったのが、宇治原が東京での仕事が増えたためか、ガレッジセールも務めるようになったというのがより正確である。吉本芸人が入れ替わり立ち替わりナビゲーターに指名されているわけではない。
京響の今日のコンサートマスターは渡邊穣。泉原隆志は今日は降り番である。クラリネットに前半は首席の小谷口直子。首席フルート奏者の清水信貴も今日は全演目を吹く。一方、小谷口はジャズが得意でないからか、今日は前半のみの演奏という珍しいケースになった。

「リベル・タンゴ」は、ピアソラ本人がオーケストラと共演した時の録音を聴くと、バンドネオンはリズムを刻む楽器として使用されているのがわかるが、三浦一馬の編曲では、リズムは勿論、旋律もバンドネオンが持つ。最初の主題はバンドネオンが弾くことになる。

演奏が終了した後で、ガレッジセールの二人が出てきて、バンドネオンという楽器について聞く。三浦はまず、「タンゴに使われるので、アルゼンチンの楽器だと思われている方も多いと思いますが、実は生まれたのはドイツです」とバンドネオンの発祥について説明し、ボタンがドレミファソラシド順ではなく、バラバラに配列されていることを音を出しながら説明する。なぜそんな配列になったのかというと、三浦の説では、「元はボタンの数が今より少なかったので、タンゴで使われる重要な音は中心部にあるが、ボタンを増やす毎に配列を変えることなく、外側に散らばっていったからではないのか」となるらしい。「よく使うボタンは中央に集まっています」とも三浦は語る。ちなに蛇腹を閉じた状態と開いた状態では同じボタンでも音階は異なるそうで、ゴリが「無茶苦茶難しいじゃないですか」と言い、川田が「三浦さん、もう年取っても、一生、ぼけることないですよ。そんな複雑なことしてたら」と続ける。

ガレッジセールは、高関に「タンゴとは何ですか?」と聞く。高関はリズムのことだという。ガレッジセールのゴリは、「僕らがイメージするタンゴというと、完全に杉本彩さんなんですけど。顔を近づけておいて、キスするようで、しないみたいな」と語ると、高関は「ピアソラのタンゴはコンサート用で、踊るには速いようです」と答える。更に、「いつもとは勝手が違うと思いますが」というガレッジセールの問いかけに対して、高関は「無免許運転をしているような気分」と言って、川田に「無免許運転したらあきませんよ」と突っ込まれる。

2曲目、ロドリゲスの「ラ・クンパルシータ」は、「タッ、タッ、タッタ、タタタタッタ」というリズムと旋律を持つ、聴けば誰でも知っているタンゴの代表曲である。オーケストラのみによる演奏。タンゴといえばアルゼンチンであるが、実はロドリゲスは隣国であるウルグアイの出身である。しかも、「ラ・クンパルシータ」はイタリア語で、「小さな行進」という意味であるらしい。スペイン語が公用語であるアルゼンチンなのに、タンゴで一番有名な曲の作曲者がウルグアイ出身で、タイトルがイタリア語という妙なことになっている。

3曲目は、再び、三浦一馬を迎えての、ピアソラ「ブエノスアイレスの四季」。ピアソラの代表曲であるが、「ブエノスアイレスの四季」は冬から始まる。アルゼンチンは南半球にあるため、季節は日本とは逆で、最低気温を記録するのは7月頃。北半球のように1月1日が冬の場合は、冬から始まっても不思議ではないが(実際、グラズノフの「四季」は1月1日のある冬から始まっている)、なぜ、ピアソラが「ブエノスアイレスの四季」を冬から始まるように書いたのかは謎である。派手さを抑えた曲調だ。

前半のラスト、ピアソラのバンドネオン協奏曲「アコンカグア」より第1楽章。情熱的な曲であり、演奏である。「アコンカグア」というタイトルはピアソラ自身の命名ではなく、出版される際に、「ピアソラが書いた最高峰の作品なので、南米最高峰のアコンカグアというタイトルにしよう」という意向で付けられたものである。そのためか、ピアソラ本人がバンドネオンソロを演奏しているCDには「アコンカグア」の名前はない。

ガレッジセールがアンコールを頼むので、三浦と京響は、ピアソラの「フーガと神秘」(長山善洋編曲)を演奏。バンドネオンが奏でたメロディーを、管楽器、そして弦楽器という順番で追い掛けていくようその名の通りフーガ(遁走曲)である。この曲もラテンの血がたぎるような情熱的なものであるが、それ以上にピアソラの作曲技巧の巧みさが顕著である。


後半、ジャズということで、オール・アメリカ・プログラムである。ルイ・プリマ作曲のというよりベニー・グッドマン・バンドの紹介した方が早い「シング・シング・シング」(ボブ佐久間編曲)、スコット・ジョプリンの「メイプル・リーフ・ラグ」(ピアノ独奏:佐竹祐介)、アメリカ民謡「聖者の行進」(ブラスのみの演奏。福島頼秀編曲)、ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」という曲が並ぶ。

演奏を始める前に、高関健と、ガレッジセールの二人がジャズについての説明を行う。高関はジャズの発祥については諸説あるが、と前置きした上で、「ニューオーリンズという街に黒人が多く、黒人の音楽から発展していったと言われている」と説明した。ニューオーリンズのあるルイジアナ州は始めはフランス系移民が多かったところで、ルイジアナは、ルイ14世やルイ16世などが有名なフランスのブルボン王朝のルイというよくある王名に由来するとされている。ニューオーリンズも最初はニューオルレアンであった。ただ、カナダのケベック州とは違い、フランスからの移民が根付かないうちに、フランスがルイジアナから撤退してしまったために、諸国からの移民が流入。ジャズが生まれた頃にはもうフランス的な面影はどこにも残っていなかったようだ(ちなみにニューヨークも最初に開拓したのはイギリス系ではなく、オランダ人であり、昔はニューアムステルダムと呼ばれた。ウォール街という通りがあるが、あそこにはオランダ人が作った城壁があったためにウォール街という名前が付いたとされる)。

ジャズのうちのブルースは、奴隷制のあったアメリカ南部で、黒人奴隷が仕事を終えた後で、自分達の音楽を酒樽などを叩きながら歌ったのが起源であるとされている。

ゴリが、「即興なんかもあるんですか?」と聞くと、高関は「あります」と答え、「立ち上がるかも知れません」とも語った。
ということで、「シング・シング・シング」。クラリネット奏者が立ち上がって即興のソロを取る。

演奏終了後、高関によると「一箇所振り間違えた」という。曲をよく知っている人にはわかるそうだが、私は気付かなかった。私が気付くのは曲をよく知っている場合のみであり、「シング・シング・シング」も好きであるが、それほど聞き込んでいるというわけでもないし、ジャズのテンポは即興的なので、リズムが狂ったとしても気付かないであろう。

これはその後に語られたことであるが、ゴリが、「背が低くて、警備員に止められた人、誰でしたっけ? ああ、広上さん。ホールに入ろうと思ったら警備員さんに『関係者以外立ち入り禁止です』と言われたという。あの人も、指揮台に上がって、指揮棒を振り上げた時に、楽器を構えた奏者が楽譜に書かれていたものとは違ったので、『あ、曲が違う』と気付いて、腕をスローモーションで降ろして楽譜を持っていったん退場したという」と指揮者の失敗談を上げる。高関は、「広上さんは偉い人、凄い人」というが、自身も曲目を間違えたことがあり、振ってから違うと気がついたので、誤魔化しながら指揮したという。ゴリが「その場合は、オーケストラに対してはどうするんですか」と聞くと、「演奏している最中に謝ります」と高関。

後半2曲目は、スコット・ジョプリンの「メープル・リーフ・ラグ」。この曲は京響は出番なしで、佐竹祐介が一人でピアノを弾く。
ゴリが、「ラグタイムとは何ですか?」と聞くと、佐竹も高関も「ラグタイムはラグタイム」と答え、ゴリは、「え、台本と違う」と驚く。「僕らは台本通り読んでいて、ラグタイムとはなんですかと聞くと、シンコペーションという言葉が出てきて、シンコペーションについて聞くはずだったのですが」と本来の流れを説明した。シンコペーションとは「裏打ち」のことであるが、左手の和音から右手で作る旋律が外れることがあるのが特徴。
佐竹はノリの良い演奏を聴かせる。

次の曲を説明するために出てきた、ガレッジセールのゴリが、ちょっと後ろに下がったときに、第2ヴァイオリンの一番前に置かれた譜面台を倒してしまい、楽譜がバラバラになって床に散らばってしまったため、係の人を呼んで楽譜を直して貰うというシーンがあり、ここで先程の失敗に関する話が行われた。ゴリは「本当に大丈夫ですか? ここの人だけタンゴ弾き始めたりしません?」と失敗もギャグにする。
続く、アメリカ民謡「聖者の行進」はブラスのみによる演奏。3度同じメロディーが繰り返された。ちなみに「聖者の行進」は、黒人が葬儀を終えての帰り道に演奏されることがあり、聖者とは死者を意味することがある。
京響自慢のブラス群は今日も輝かしい音を出す。

プログラムの最後は、ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」。ガーシュウィンは独学で作曲を学んだため、「誰かに弟子入りした方がいいだろう」と考え、パリにいたモーリス・ラヴェルを訪ねて弟子になりたいと志願するが、すでにガーシュウィンの名声を知っていたラヴェルは、「二流のラヴェル(第二のラヴェル、亜流のラヴェル)になるよりも、一流のガーシュウィンになることを目指し給え」と言って、弟子入りを断っている。その時に訪れたパリでの思い出を曲にしたのが「パリのアメリカ人」であるとされる(自作のミュージカル上演のためにヨーロッパを訪れた際に作曲されたという説もある)。

同じタイトルの映画が出来るほどの有名曲であるが、実演に接するのは今回が3度目ぐらい。前回は室内オーケストラ編成である京都フィルハーモニー室内合奏団での演奏だったので、フルオーケストラによる演奏を聴くのは久しぶりである。海外の演奏をCDで聴くと、全編インテンポ(テンポが変わらない)か、ラストでアッチェレランドが掛かるくらいであるが、高関は何度か速度を切り替える。そのことでアメリカ色が薄まったような印象も受けたが、響き自体は立派であり、出来も良い。

ガレッジセールの二人が出てきて、ゴリは譜面台を倒してしまった第2ヴァイオリン奏者に深々と頭を下げる。そしてアンコールを希望。高関は「非常に真面目な人なのですが、ショスタコーヴィチが『二人でお茶を』という曲を編曲していまして」と言い、その曲がアンコールとして演奏されることになる。ゴリは曲目を紹介しようとするが、「ショスタコーヴィチ」という言葉の発音が難しいようで、つっかえてしまう。「(ショスタコーヴィチの発音が)難しいです。きゃりーぱみゅぱみゅと同じくらい難しいです」と言った後で、「それではお聴き下さい。きゃりーぱみゅぱみゅの」とボケを入れてから本当の曲目を読み上げる。ショスタコーヴィチの「タヒチ・トロット」より“Tea For Two(二人でお茶を)”。歌詞付きのオリジナル・ジャズバージョンはテレビCMの音楽に何度も採用されているほどポピュラーなものである。
ショスタコーヴィチはお堅い性格の人で、悲観主義者でもあったが、サッカーが大好きでスタジアムまで応援に行ったり、ジャズにも興味を示したりと、「根暗」というイメージとは異なる面も持つ。「二人でお茶を」もお洒落な編曲によるものだ。演奏も良かった。

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