カテゴリー「京都市交響楽団」の77件の記事

2018年11月 5日 (月)

コンサートの記(448) 平成30年度 新国立劇場 高校生のためのオペラ鑑賞教室・関西公演 モーツァルト 歌劇「魔笛」

2018年10月29日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後1時から、ロームシアター京都メインホールで、平成30年度 新国立劇場 高校生のためのオペラ鑑賞教室・関西公演 「魔笛」を観る。

今年で3年連続となるロームシアター京都メインホールでの高校生のためのオペラ鑑賞教室・関西公演。今年は29日の公演の4階席のみ一般向け前売り券が発売されたため行ってみた。4階席ということもあって舞台が見えやすくはないが、チケット料金は全体的に安い。


今年はオペラ史上最高のヒット作といえる、モーツァルトの「魔笛」が上演される。もともとはアン・デア・ウィーン劇場の劇場主となったシカネイダー脚本のジングシュピール(音楽劇)として書かれたものであるが、現在は歌劇「魔笛」という表記と認識が一般的である。絵本の中の世界のような作品展開と、モーツァルトの魔術のような音楽は今も世界中の人々を魅了し続けている。

東京・初台の新国立劇場オペラの新作プログラムとして上演された公演の関西引っ越し版。指揮者とオーケストラは変更になり、園田隆一郎指揮の京都市交響楽団がオーケストラピットに入る。演出は南アフリカ出身のウィリアム・ケイトリッジ。再演演出は澤田康子が担当する。
出演は、長谷川顕(はせがわ・あきら。ザラストロ)、鈴木准(タミーノ)、成田眞(なりた・まこと。弁者・僧侶Ⅰ・武士Ⅱ)、秋谷直之(あきたに・なおゆき。僧侶Ⅱ・武士Ⅰ)、安井陽子(夜の女王)、林正子(パミーナ)、増田のり子(侍女Ⅰ)、小泉詠子(侍女Ⅱ)、山下牧子(侍女Ⅲ)、前川依子(童子Ⅰ)、野田千恵子(童子Ⅱ)、花房英里子(はなふさ・えりこ。童子Ⅲ)、九嶋香奈枝(パパゲーナ)、吉川健一(パパゲーノ)、升島唯博(ますじま・ただひろ。モノスタトス)。
合唱は新国立劇場合唱団。


ドローイングの映像を全編に渡って使用したことで話題となった演出である。


園田隆一郎は、びわ湖ホール中ホールで大阪交響楽団との上演である「ドン・ジョヴァンニ」を指揮したばかりだが、今回もモーツァルトのオペラということでピリオド・アプローチを採用。音を適度に切って演奏する弦楽と、硬めの音によるティンパニの強打が特徴である。また今回は雷鳴などを効果音を流すのではなく、鉄板を揺らすことで出している。
ピアノが多用されるのも印象的で(ピアノ演奏:小埜寺美樹)、オーケストラ演奏の前に、アップライトピアノの独奏が入ることが多い。

メインホールの4階席では、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場の引っ越し公演であるチャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」を観ており、独特の艶のあるオーケストラの響きに感心したものだが、それはオペラ経験豊かなゲルギエフとマリインスキーだからこそ聴けた音で、今日の京響の場合は音の密度がやや薄めに聞こえる。4階席は反響板のすぐ近くにあるため、舞台から遠いが音自体はよく聞こえるはずであり、これが現時点の京響のオペラでの実力ということになるのだろう。

序曲の演奏が始まると、紗幕に光の線が映り始める。紗幕はたまに透けて、三人の侍女がストップモーションで立っているのが見え、絵画的な効果を上げている。

数段になった舞台を使用し、前から2段目にはベルトコンベアが搭載されていて、上に乗った歌手などが運ばれるのだが、モーター音が少し気になる。

冒頭に出てくる蛇は、腕の影絵で表される。

ドローイングを使うことで、光と影の対比がなされたと話題になった公演であるが、そもそもが光と影の対比を描いた台本であるため、それを視覚面でも表現する必要があるのかどうかは意見が分かれるだろう。

視覚面では、光と影よりもむしろ火と水の対比がわかりやすく表現されていたように思う。この作品中で最も有名なアリアである夜の女王の「復讐の心は炎と燃え」で代表されるように、夜の女王側の人々は火のように燃えさかる心を持っている。ザラストロ側の人々は水のように平穏で豊かな心でもって火を鎮めるというのが一応の筋書きである(拝火思想の「ゾロアスター」とは対照的だ)。火は揺らめく影絵で効果的に、また水はドローイングと録音された水滴の音によってはっきりとわかるように表されている。ただ、日本のように水害の多い国では水が脅威であることは知られており、東日本大震災では映像に捉えられた津波の恐怖が世界中で話題になっている。ということで、水だから安全というわけではない。

もう一つは音楽の言葉に対する優位が挙げられる。実際、三人の侍女が魔法の笛を「宝石よりも大事」と歌い、タミーノ王子とパパゲーノは魔法の笛と三人の童子の歌声によってザラストロの城にたどり着くことが出来ている。タミーノとパミーナは笛が奏でる音楽によって恋路へと導かれ、パパゲーノも音楽の鳴る鈴によってパパゲーナと再会を果たした。
一方で、夜の女王の繰り出す言葉の数々はザラストロによって否定的に語られ、ザラストロの言葉もまた胡散臭く見えるよう演出がなされている。タミーノが吹く笛の音にサイの映像はウキウキと踊り出すが、ザラストロの語る言葉の背景に映るサイは悲惨な目に遭うのである。

不満だったのは夜の女王と三人の侍女、モノスタトスの最期で、余りにもあっさりとやられてベルトコンベアで運ばれてしまうためギャグのようにしか見えず、引いてはその存在自体が軽く見えてしまう。もうちょっとなんとかならんのか。

歌手陣は充実している。パミーナ役の林正子はパミーナよりも夜の女王が似合いそうな存在感だが、解釈としても元々そうした役と捉えられていたようであり、世間知らずの可憐なお嬢さんというより「夜の女王の娘」であるという事実に重きが置かれていたように見える。
ムーア人のモノスタトスを演じた升島唯博は、外見で差別される存在であることのやるせなさを上手く演じていたように思う。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月28日 (日)

コンサートの記(445) 「時の響」2018楽日 大ホール第2部 広上淳一指揮京都市交響楽団 広上淳一リクエスツ「思いをはせた『西洋』の音楽文化」

2018年10月21日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールで行われている「時の響」2018の楽日。大ホールでの第2部は、広上淳一リクエスツ「思いをはせた『西洋』の音楽文化」というタイトルのコンサート。日本の幕末明治維新期に初演された曲2曲を並べる。広上淳一指揮京都市交響楽団の演奏。司会も引き続き慶元まさ美が務める。午後2時開演。

演目は、岸田繁の「ほんの小さな出来事のためのファンファーレ」(管弦楽版)、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲)


まず、くるりの岸田繁の新曲が演奏される。昨日、同曲の吹奏楽版が西村友指揮オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラによって初演され、今日は管弦楽版の初演である。

「大脱走」のテーマを連想させる作品。広上も楽しげな音響を築く。
演奏終了後、広上は客席の方に向かって「作曲者の岸田さん、いらっしゃいますか?」と聞き、岸田繁が立ち上がって拍手を受けた。


ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。京響首席フルート奏者の上野博昭の妙技が披露される。
広上は見通しの良いクリアな音作りと、おぼろげでアンニュイな雰囲気の両方を上手く出し、理想的なドビュッシー演奏となった。


ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」。演奏前に、慶元が、「『プロムナード』が流れる時に、スクリーンに京都市内各所の今と昔の映像が流れます」と説明。三条大橋、新京極、堀川通、四条通、烏丸通、八坂の塔(法観寺)、大原道(鯖街道)などの現在と1910年代の映像が対比される形で投影された。八坂の塔だけは東山に近く景観保存がなされているため今とほとんど変わらない。

演奏は素晴らしい。ハラルド・ナエスの吹く冒頭のトランペットから抜群の造形美を誇り、美しさとパワーの両方を兼ね備えた演奏が繰り広げられる。

広上指揮京都市交響楽団の演奏による「展覧会の絵」は以前にも聴いたことがあるが、より引き締まりつつも柔軟性のある演奏が行えるようになっている。
ラストの「キエフの大門」の迫力も圧倒的。小柄な広上が京響から豊かなスケールを引き出すのも面白い。小さなものが大きな力を生み出す様は、視覚的にも効果的だ。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月27日 (土)

コンサートの記(444) 「時の響」2018楽日 大ホール第1部 広上淳一指揮京都市交響楽団 広上淳一リクエスツ「音楽維新 NHK大河ドラマテーマ音楽で聴く歴史の波形」

2018年10月21日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールで行われている「時の響き」2018。大ホールでの第1部と第2部の出演は、広上淳一指揮京都市交響楽団。
コンサートマスターは今日も渡邊穣で、第1部の木管楽器の首席奏者はオーボエの髙山郁子のみ、第2部では勢揃いという顔触れである。

午前11時開演の第1部は、広上淳一リクエスツ「音楽維新 NHK大河ドラマテーマ音楽で聴く歴史の波形」と題されたコンサートで、幕末を舞台とした大河ドラマのメインテーマ曲を中心にした曲目が編まれており、

谷川賢作の「その時歴史が動いた」エンディングテーマ、坂本龍一の「八重の桜」、川井憲次の「花燃ゆ」(ヴォーカル:平野雅世&迎肇聡)、湯浅譲二の「徳川慶喜」、吉俣良の「篤姫」、佐藤直紀の「龍馬伝」(ヴォーカル:平野雅世)、林光の「花神」、富貴晴美の「西郷どん」が演奏される。

司会は、FM京都 a-stasionのDJである慶元まさ美(けいもと・まさみ)が務める。

NHK職員の息子であり、子どもの頃から大河ドラマを見ていて、自称「大河フェチ」の広上淳一の解説も聞き物である。


現在は「歴史秘話ヒストリア」となっている枠で流れていた「その時歴史が動いた」。詩人の谷川俊太路の息子で、作曲家の谷川賢作の作品である。
広上によると、「ラストで、取り上げられた人物の金言といいますか、箴言、まあ金言ですね。それが松平さん(松平定知アナウンサー)のアナウンスで流れて、最後にトランペットが鳴るところで涙を流す」と「自分自身の体験なってしまいましたが」語る。広上はよく泣く人のようである。

午前中にスタートするということで、広上は「おはようございます」と挨拶していた。


「八重の桜」。慶元が、同志社大学の創設者である新島襄の妻となった新島八重(山本八重)を紹介し、広上は「私の頭の中では綾瀬はるかになっています」と語る。
八重の兄である山本覚馬が西郷隆盛と仲良くなり、御所の北にあった二本松の薩摩藩邸跡地を安値で譲られて、新島襄の同志社が出来たという話を広上はする。

「八重の桜」のテーマ曲は、放送中であった2013年に、坂本龍一のピアノと栗田博文指揮東京フィルハーモニー交響楽団の演奏で聴いてことがある。新しくなったフェスティバルホールで聴いた初のコンサートであった。
尾高忠明指揮NHK交響楽団による本編用の音源でも、坂本龍一&栗田指揮東京フィルの演奏でも最初から壮大でドラマティックな展開となっていたが、今日の広上はそれらとは違い、一瞬一瞬の光の明滅を描いたかのような儚げなものであった。尾高や坂本&栗田が咲き誇る桜を描いたのとは対照的に、散りゆく花びらを音の変えたかのような演奏である。


「花燃ゆ」。吉田松陰の妹である杉文を主人公にした作品。広上は「私にとっては井上真央」。井上真央もこの作品の低視聴率があだとなったのか、最近はいい噂が聞こえてこない。
本編で指揮を行っていたのは、広上の弟子である下野竜也。下野竜也はNHKに気に入られているようで、その後も何度も大河ドラマのテーマ曲指揮を手掛けており、「真田丸」では謎の商人役(真田信之役の大泉洋に「誰?」と言われる)で出演までしてしまっている。「RAMPO」などの作曲家である川井憲次のメインテーマはドラマティックで良かったのだが、本編自体は脚本家を4人も注ぎ込むも音楽に負ける出来となってしまっていた。


「徳川慶喜」。作曲は20世紀の日本を代表する作曲家の一人であった湯浅譲二。現代音楽の要素を取り入れており、大河ドラマのメインテーマの中では取っつきやすい方ではない。広上は、徳川慶喜については「昔は余り好きじゃなかった」と語り、「軍事力は負けないだけのものを持っていたのに、兵を見殺しにして逃げて謹慎しちゃって情けない人だと思っていた」
ただ、「当時の列強に日本を乗っ取られる」危険性を避けるためと知ってからは見る目が変わったようである。
演奏前に、大政奉還の舞台となった二条城のCGがスクリーンに映る。
本編でもオープニングタイトルは個性的であり、江戸の写真や絵と共に縦書きの字幕が左から右へと流れていくという絵巻物手法が取られていたのを覚えている。


吉俣良の「篤姫」。21世紀に入ってからの大河の中では平均視聴率が最高を記録した作品である。広上は、「まさか岡田准一と結婚するとは思わなかった」と宮﨑あおいについて語る。
ちなみに影の脚本家を巡る噂のある作品でもある。
広上は、「地味だけど」と前置きしつつ、曲に関して褒める。
本編での指揮は井上道義で、耽美的な演奏を行っていたが、広上の指揮する「篤姫」は井上のものに比べるとスタイリッシュである。


佐藤直紀の「龍馬伝」。本編を指揮したのも広上淳一である。
佐藤直紀は、広上の東京音楽大学の後輩であり、教え子でもあるそうだが、「彼は私の授業には出ませんで」と広上は語る。「龍馬伝」のレコーディングの時に、佐藤は「あの時はお世話になりました」と言いに来たそうだが、広上が「そんなにお世話したっけ?」と返すと、「いや、最初の1回しか授業に出ていませんで、それで、『単位あげるよ』と言われたので、もう出ませんで」だそうである。広上は単位はあげたが、大学から授業に出ない学生に単位をあげたのが問題視されたそうで、翌年からは当該授業からは外されてしまったそうである。
佐藤は、インドやネパールなどの南アジアの「エキゾチックな」民族音楽を学ぶのが好きな人だそうである。

本編ではオーストラリアのミュージシャンであるリサ・ジェラルドがヴォーカルを担当していたが、今回は平野雅世がマイクなしのソプラノで歌う。
ただこの曲は、マイクありのヴォーカルで歌った方が効果的なように思えた。


林光の「花神」。大村益次郎こと村田蔵六を主人公にした作品である。「花神(かしん)」は「花咲か爺さん」の中国での呼称。自分は去ってしまうけれど咲かせた花は残るという姿を司馬遼太郎が花神に例えたものである。

広上は林光について「大天才」と最大級の賛辞を送る。林光は尾高尚忠の弟子であり、十代の頃からすでに尾高に認められていて鞄持ちなどをしており、東京芸大に入るも学ぶものが何もないため1年で中退して作曲活動に入ったという早熟ぶりについても話す。
基本的にオプティミスティック人であり、どんな時でも明るかったという。

「花神」は、現在は総集編のVTRのみが残っている。私も総集編のみDVDで見た。
林光は、作風が比較的平易なことでも知られ、どの作品でも明快な旋律を一番大事にしている。曲と広上の相性も良いようだ。


現在放送中の大河ドラマ「西郷どん」のオープニングテーマ。一昨日、岩村力指揮京都市交響楽団の演奏で聴いているため、聞き比べが出来る。
広上の指揮する「西郷どん」は、岩村のそれと比べて重層的であり、より多くの音が聞こえる。劇伴としては主題が明確に浮かぶ演奏が好まれる傾向にあるのだが、広上の解釈はクラシック作品に対するのと変わらないスタイルが貫かれているようだ。

全般を通していえることだが、広上の奏でる大河のメインテーマはどこか儚げで移ろいやすく、どんなに明るいメロディーや和音にも憂いが影に潜んでいるという日本人的美質が聴き取れる。まるで「桜」の美意識だ。

広上の大河指揮デビュー作も幕末ものの「新選組!」なのだが、残念ながら演奏はなし。「時の響」は時間の関係でアンコール演奏も一切なしのようである。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月24日 (水)

コンサートの記(441) 「時の響」2018 前夜祭コンサート

201810月19日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、「時の響」2018 前夜祭コンサートを聴く。

昨年から始まった「時の響」。もっとも昨年は、1日2回公演の特別コンサートで、音楽祭形式になったのは今年からである。京都コンサートホールでは現在「京都の秋音楽祭」が行われており、音楽祭内音楽祭という位置づけになる。今日明日明後日の3日間に渡って行われ、京都市交響楽団のみならず、大阪シオン・ウィンド・オーケストラ、オーケストラ・アンサンブル金沢の各オーケストラのコンサートが大ホールで、京都フィルハーモニー室内合奏団と室内楽による演奏会とサイレント映画の上映会がアンサンブルホールムラタで行われる。


前夜祭に当たる今日は、ソワレのコンサート。明日明後日は午前中から演奏会が行われる。


出演は、岩村力指揮の京都市交響楽団。ヴォーカル&ヴァイオリンソロはサラ・オレイン。

曲目は、第1部「明治期の世界の音楽 ジャポニズム・クラシック」が、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」よりハミングコーラス、ラヴェルの「海原の小舟」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」。第2部「明治期の思想が描かれたドラマ、生まれたミュージカル作品」が、ロイド=ウェッバーの「オペラ座の怪人」セレクション、シェーンベルクの「レ・ミゼラブル」より“夢破れて”と“オン・マイ・オウン”(ヴォーカル:サラ・オレイン)、サラ・オレインの「ANIMAS」(ヴァイオリン独奏:サラ・オレイン)、久石譲のオーケストラのための「坂の上の雲」、久石譲のオーケストラのための「スタンド・アローン」~「坂の上の雲」より(ヴォーカル:サラ・オレイン)、富貴晴美の「西郷どん」オープニングテーマ曲。


通常のホワイエでは他に催し物があるため、チケットのもぎりは客席に入る直前で行われる。

今日と明日は、ホワイエで鍵盤男子によるオープニングアクトがあり、今日は、「ツァラトゥストラはかく語りき」&「ラプソディ・イン・ブルー」、ラヴェルの「ボレロ」や鍵盤男子によるオリジナル曲がピアノ連弾で行われた。


フェスティバルホールでの「映像の世紀」コンサートでもタクトを任されていた岩村力。クロスオーバーものは得意なようで、瞬発力の高いアスリート系音楽作りを見せる(いわゆる古典ではこのスタイルが足枷になっている可能性もある)。岩村はトークも達者であり、やはり今の時代は「話せる指揮者」が有利なようだ。

今日は1階席のみの発売。パイプオルガンの前にはスクリーンが下がっており、明治以来150年の歴史を語る国内外の写真、20世紀の画家による絵画作品、小説家や芸術家が残した言葉などが投影される。


明治150年、パリ市と京都市の友情盟約60周年を祝い、日本とフランスをテーマにした音楽とイベントが中心になる。

今日は特別に渡邊穣がコンサートマスターに入る。


1曲目はワーグナーの作品だが、岩村によると、第2回パリ万博が行われた1867年に「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が初演されたというで選ばれたそうだ。岩村は「日本史が苦手」だったそうで、事前に知識を入れてきたそうなのだが、「あれ? 明治の前なんでしたっけ? 慶応?(慶応で合っている) ケイなんとか」と楽団員に聞くも、楽団員も知らなかったりする(今は芸術大学の音楽学部や音大受験に地歴の知識は必要ない)。

マスカーニの「イリス」も同じ頃に初演されたというが、「イリス」を演奏するわけにもいかないので、「マスカーニといえば」の作品である「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲を演奏したそうだ。

日本を舞台にしたオペラということで「蝶々夫人」、葛飾北斎の富嶽三十六景より「神奈川沖浪裏」に影響された作品としてラヴェルの「海原の小舟」、祝祭的な雰囲気をということでヨハン・シュトラウスⅡ世の「美しく青きドナウ」が演奏される。ウィーン人の気質は京都人のそれに似ているとはよく言われることだが、ウィーンは残念ながら京都の姉妹都市ではない。

「蝶々夫人」のハミングコーラスではヴィオラダモーレがソロを取るため、演奏前に首席ヴィオラ奏者の小峰航一がヴィオラダモーレの紹介を行った。


第2部に出演するサラ・オレインは、オーストラリアの出身。シドニー大学を卒業後、東京大学に留学。2012年にメジャーデビューを果たしている。英語、日本語に堪能で、ヴァイオリニストや作曲家としても活躍。現代の日本における才女列伝のトップクラスに数えられる人である。今日は白のドレスで登場。
フランス語は話せはしないが読みは結構出来るそうである。なお、現在使っている楽器はフランス製で、オーストラリア生まれであるが「メイド・イン・パリ」だそうで、「余り深くは掘り下げないで下さい」とのことだった。坂本美雨が青森生まれながらロンドン生まれも名乗っているのと一緒だと思われる。

ちなみにサラ・オレインは、京都には留学生時代から何度も来ているそうで、「街並みが美しい」と感じており、そもそも日本に留学するきっかけとなったのは、「三島由紀夫の『金閣寺』を読んで感動して」だそうである。

「レ・ミゼラブル」からの2曲は低めの声、英語歌唱で行う。英語圏出身ということもあって、歌詞の内容を十全に把握した歌唱。歌い崩しも様になっている。
「スタンド・アローン」は一転して高めのシルキーヴォイスで歌う。とても心地よい声だ。

サラ・オレインが作曲し、ヴァイオリン独奏も務める「ANIMAS」。ドラマティックな作風で、劇伴作曲家としても成功出来そうである。ヴァイオリンの腕であるが、聴く分には申し分ないといったところ。協奏曲のソリスト達に比べるとダイナミックレンジの幅や細部の表現力で及ばないが、朝から晩まで攫っている人達と他の仕事もこなしながらヴァイオリン独奏もする人とでは違いが出るのは仕方ない。

現在放送中の大河ドラマ「西郷どん」オープニングテーマが演奏された後、アンコールとしてサラ・オレインのスキャット、オーケストラ伴奏による「西郷どん」より“わが故郷”が演奏される。
サラ・オレインの声からは、高い空、白い雲、川のせせらぎ、子どもの頃の声、田園の広がりといった日本の原風景が浮かんでくる。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月19日 (金)

コンサートの記(439) ヨエル・レヴィ指揮 京都市交響楽団第628回定期演奏会

2018年10月12日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第628回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はヨエル・レヴィ。

曲目は、モーツァルトの交響曲第32番、ブラームスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏;ヴィヴィアン・ハーグナー)、バルトークの管弦楽のための協奏曲。


ヨエル・レヴィはルーマニア生まれ、イスラエル出身の指揮者。テル・アヴィヴ音楽院を経てエルサレム音楽院でも学ぶ。イタリアに留学し、シエナとローマでフランコ・フェッラーラに師事。その後、オランダでキリル・コンドラシンに師事し、ロンドンのギルドホール音楽院でも学んでいる。1978年にブザンソン国際指揮者コンクールで第1位を獲得し、クリーヴランド管弦楽団でロリン・マゼールのアシスタントと常任指揮者を務めている。

レヴィの名が一躍上がったのは、アトランタ交響楽団の音楽監督時代である。1988年に就任後、アメリカ国内外で評判となり、日本でも音楽誌に「アトランタの風」というタイトルの音楽エッセイが連載された。ただそれが良くなかったのか、その後は「風と共に去りぬ」状態となり、ヨエル・レヴィの名を聞くことすら日本ではなくなった。ところで今日のソリストのファーストネームがヴィヴィアンなのはわざとなのか? 冗談だけど。

21世紀に入ってからは、ブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団と、イル・ド・フランス国立管弦楽団の首席指揮者を務め、2014年からは韓国のKBS交響楽団の音楽監督兼首席指揮者となっている。韓国版NHK交響楽団ともいうべきKBS交響楽団は、かつてのN響のように「知名度は今ひとつだが実力派」の指揮者を見つけるのが上手いため、期待出来るのかも知れない。


プレトークでは、レヴィは自分のことを話すのではなく、聴衆から質問を受けてそれに答えるという形を取る。「ルーマニア生まれ」に関してだが、生まれてから1ヶ月でイスラエルに転居してしまい、それ以降は今に至るまでルーマニアを訪れたことはないので何も知らないそうだ。ただ生まれたのはルーマニアとハンガリーの国境付近で、母親はハンガリー系、イスラエル時代に師事したのもハンガリー系の音楽家ばかりだったそうで、音楽的ルーツには繋がっているかも知れないとのこと。
「なぜ指揮者の道に進もうと思ったのか?」という質問には、「これは自分で決めたのではないのです。両親とも音楽好きで私も幼い頃から音楽好き。私を見た両親が『才能あるんじゃないのか?』と気づいて」レールに載せてくれたようだ。才能に関しては、「上の方から降りてきた」ようだという。
「京響に日本的な要素を何か感じますか?」には、「ジャパニーズテイストが何かわからない」
今日のプログラムに関しては、京都市交響楽団の年間プログラムを見てバルトークの管弦楽のための協奏曲をレヴィが選び、ブラームスのヴァイオリン協奏曲はソリストのヴィヴィアン・ハーグナーが選んだそうだ。


今日はいつもと違い、チェロが上手手前に来るアメリカ式の現代配置(ストコフスキーシフト)での演奏である。
コンサートマスターは客演の豊嶋泰嗣。フォアシュピーラーに泉原隆志。チェロの客演首席にはルドヴィート・カンタが入る。


モーツァルトの交響曲第32番は、3つの部分からなる8分程度の作品で、実際に交響曲として書かれたのかはわかっていない。モーツァルトの交響曲全集では録音されることが多いが、後期交響曲集になると省かれることが多い。舞台作品の序曲だったという説もある。
モダンスタイルによる演奏。鋭さこそないが、豊穣なモーツァルトを聴くことが出来る。

レヴィの指揮は拍を刻むことが多いオーソドックスなものだ。


ブラームスのヴァイオリン協奏曲。
スカーレット(ん?)のドレスで登場したヴィヴィアン・ハーグナーは、ミュンヘン生まれのヴァイオリニスト。12歳で国際デビューしている。2013年からはマンハイム音楽・舞台芸術大学の教授職を務めている。

ハーグナーの音であるが、今まで聴いたことのない種類のものである。水も滴るような美音で、表現の幅も広い。どうやってこの音を出しているのかは見ていてもよくわからない。

レヴィ指揮の京都市交響楽団は、金管がばらつく場面があったが、全般的には充実した伴奏を奏でる。


ハーグナーのアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番よりアダージョ。染みる系の演奏であった。


バルトークの管弦楽のための協奏曲。レヴィが摩天楼型のバランスを取ったこともあり、都会的な演奏となる。
構造表出に長けている、聴き手にも内容把握が容易となり聴きやすい。
民族楽器的な響き、民謡的な旋律と音楽理論の対比が鮮やかに表出され、力強くも華麗な音絵巻を描き上げた。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月14日 (日)

コンサートの記(435) 「京響プレミアム スピンオフ ラジオタイムス ~ことばが結ぶシンフォニー~ 西川貴教×大島こうすけ オーケストラコンサート」

2018年10月5日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、「京響プレミアム スピンオフ ラジオタイムス ~ことばが結ぶシンフォニー~ 西川貴教×大島こうすけ オーケストラコンサート」を聴く。
指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

日本を代表するシンガーの一人である西川貴教と作曲家・編曲家・ピアニストの大島こうすけが、ラジオDJのようにクラシックとポップスをミクスチャーさせるという趣向のコンサート。
一番高いところまで上げた舞台下手奥の段の上にラジオブースに見立てたものを置き、西川と大島がそこでトークを行う。

曲目は前半が、ラジオタイムスのオープニングテーマである「Timeless Journey」(大島こうすけ作曲)、ホルストの組曲「惑星」より“木星”、西川貴教が歌う「awakening」と「Roll The Dice」のオーケストラ伴奏版。後半が、菰口雄矢のギターソロとオーケストラによる「熊蜂の飛行」(リムスキー=コルサコフ)、そして西川貴教がヴォーカルと務める「Prisoner」、「さよならのあとで」(原曲はヘンデルの「私を泣かせてください」)、「インスタント・アンサー」(モーツァルトの交響曲第25番第1楽章による)の3曲である。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。今日はクラリネット首席の小谷口直子が降り番だったようだが、その他の管楽器首席奏者の多くは前後半ともに出演していた。
なお、ニコニコ動画での生配信があるようで、舞台上に本格的なマイクセッティングが施され、テレビカメラも何台も回っている。ポディウムは発売されておらず、2階ステージサイド席の後ろ半分もスピーカーを設置するために空けられている。スピーカーはステージ両脇にも本格的なものが置かれている。

まず「timeless Journey」。余り京響が演奏しないタイプの楽曲であるが、それだけに新鮮ともいえる。

ホルストの組曲「惑星」より“木星”。大島こうすけのリクエスト曲だそうである。宇宙を描いた曲ということで大島は興味を持ったそうだ。中間の部分は平原綾香が「Jupiter」という曲として歌っていることでも有名だが、「ご存じない方のために」とまず西川貴教が「Jupiter」のカバーを歌い。それから「木星」の演奏が行われる。
井上道義の指揮で「木星」を演奏したばかりの京響だが、曲全体の美しさ見通しの良さ、そしてバランスと典雅な雰囲気全て広上の方が上である。
ホルストの組曲「惑星」について広上は、「『土星』という曲があるのですが、暗くて重くて後で鬱になる」と語る。

「awakening」と「Roll The Dice」。「awakening」は西川が以前に出したシングルのカップリング曲だそうだが、「Roll The Dice」は今年の11月に発売される予定の曲だそうで、

西川 「オリジナル発表の前にオーケストラ版を歌う」
大島 「豪華ですね」
ということだそうだ。

「awakening」(作詞:神前暁、作曲:毛蟹)は、三拍子を基調にした楽曲で、広上は例によって指揮台の上でステップを踏んでいた。この曲では、ギタリストの菰口雄矢が参加したのだが、緊張のため、現れてすぐに着座してしまい、西川貴教から「ソリストなので普通は指揮者の方と握手したりするものなんですが」と突っ込まれる。更に広上の方から指揮台を降りて握手することになったため、「馬鹿ですね」と西川に言われていた。演奏終了後もすぐに下手にはけてしまったため、客席から笑いが起こる。
「Roll The Dice」は、ロックナンバーということで、打楽器群が大活躍する編曲となっている。

後半。リムスキー=コルサコフの「熊蜂の飛行」は、西川がリクエストした曲である。ちなみに、今日の客層は西川貴教が出ると言うことで、いつもの京都コンサートホールとは異なり、30歳前後の女性がメイン。西川が「熊蜂の飛行を知ってる人」と聞いても反応がなく、クラシックファンはほとんど来ていないことがわかる。
「熊蜂の飛行」の早弾きを菰口雄矢のギターソロと京響とで競うことになるのだが、西川は菰口について、「出来ますかね? 前半の段取り、全て忘れた男ですよ?」
ちなみに、菰口には一度間違うことに千円の罰金が科せられるという。
大島による独特の編曲で演奏が行われる。広上が下手から登場し、指揮台に上がる前に自分から菰口と握手をして笑いが起こる。
西川と大島は舞台袖のモニターで確認していたそうだが、菰口は4回間違えたということで四千円の罰金となるそうである。演奏を終えた菰口に西川が感想を聞くと、「緊張で口の中がパサパサになりました」と返ってきた。

「Prisoner」は大島こうすけが今回の演奏会のために書き下ろした新作。歌詞は山崎あおいが担当しているが、大島は、「悪い女を描いている」と紹介する。作曲に当たっては楽曲の再構築という手法を取ったそうだ。

ヘンデルのアリア「私を泣かせてください」を日本語歌詞にした「さよならのあとで」。山崎あおいの歌詞は、ヘンデルのアリアとは全く違ったものになっている。通常はソプラノによって歌われる曲であり、西川は男性としては声が高い方だがソプラノ同様に歌うには無理なため、メロディーも少しいじっているようだ。

プログラム最後の曲である「インスタント・アンサー」。モーツァルトの交響曲第25番第1楽章をモチーフにしたものである。まずはモーツァルトの交響曲第25番第1楽章を広上と京響が演奏する。カットありの演奏だったが、水準としては見事なもの。ただ、演奏終了後に広上が語ったところでは、全曲を演奏したことは1回しかないそうで、この曲を演奏することも生まれて2度目。モーツァルトの交響曲第25番について広上は「暗い」とだけ語ったが、「モーツァルトという人は、人を楽しませることが大好きな人だったと思うんです。西川さんのように(西川は「???」という顔)。ただとても繊細だった。短調の交響曲は2曲しかないんですが、人を楽しませる心遣いの出来る人が書いた本音のような部分。といっても会ったことないんですけどね」というようなことを言う。
「インスタント・アンサー」は、交響曲第25番第1楽章とは調が違うようである。ト短調という調性は歌いにくいだろう。メロディーも特にモーツァルトをなぞっているわけではない大島独自のものである。昔、シルヴィ・ヴァルタンがモーツァルトの交響曲第40番ト短調を伴奏にした曲を歌っており、それを参考にしたのかと思っていたが、この曲はモーツァルト作曲の部分もかなり変えているため、そういうわけではなさそうである。

西川は、「皆様、本日はこの曲をもって終わり、というわけには参りません」と言って、このコンサートのために作った「Hikari」という曲をアンコールとして歌うことを客席に伝える。西川は広上にも「Hikari」のリハーサルを行った時の感想を聞き、広上は「とても良い曲。美しい。曲だけじゃなくて歌詞も良い。ヒットしそう」というが西川に「ヒットもなにも発売するかどうかも決まってないんですが」と突っ込まれていた。
広上によると、このコンサートのリハーサル中に自身の弟子がとんでもない粗相をしたそうで激怒し、「もうクビだ!」宣言をしたのだが、この曲を聴いている内に気分が落ち着いて許すことにしたそうである。ただ、そのお弟子さんは会場に残ることは出来なかったようで、「今、動画を見てると思います」とのことだった。
歌詞がいいのかどうかは一度聴いただけではわからなかったが、メロディーは優しくて良い感じだったと思う。
拍手は鳴り止まず、最後はオールスタンディングとなる。もっともオールとは書いたが私自身は最後まで立たなかったのだけれど。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月 5日 (金)

コンサートの記(433) 準・メルクル指揮 京都市交響楽団第627回定期演奏会

2018年9月22日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第627回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は準・メルクル。

日独ハーフの準・メルクル。NHK交響楽団を始め日本各地のオーケストラに客演しており、お馴染みの存在である。1959年、ミュンヘン生まれ、ハノーファー音楽院でヴァイオリン、ピアノ、指揮を学び、セルジュ・チェリビダッケ、グスタフ・マイヤーらに師事する。1986年にドイツ音楽評議会の指揮者コンクールで優勝。その後、タングルウッド音楽祭でレナード・バーンスタインと小澤征爾に師事。ザールラント州立劇場とマンハイム国立劇場の音楽監督を務める。
リヨン管弦楽団音楽監督の時代には、NAXOSレーベルに「ドビュッシー管弦楽曲全集」を録音。ライプツィッヒのMDR交響楽団(中部ドイツ放送交響楽団。旧ライプツィッヒ放送交響楽団)の首席指揮者としても活躍した。
1997年にNHK交響楽団を指揮して日本デビュー。N響の年末の第九でおそらく初めてピリオド・アプローチを用いた指揮者である。N響とは「シューマン交響曲全集」を作成。現在は国立音楽大学の招聘教授も務めている。2012年にフランス芸術文化勲章・ジュヴァリエを受章。

曲目は、ワーグナーの歌劇「タンホイザー」から序曲とヴェヌスベルクの音楽、グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番、ブラームスの交響曲第4番。

今日もコンサートマスターは客演で、豊嶋泰嗣が入る。フォアシュピーラーに泉原隆志。ヴィオラの首席には店村眞積。今日は木管楽器の首席奏者は大半がブラームスのみの出演である。

ワーグナーの歌劇「タンホイザー」から序曲とヴェヌスベルクの音楽。
メルクルはワーグナーを得意としており、豊かなスケール、堂々とした音楽作り、各楽器のバランスの妙など、いずれも感服に値するレベルの音楽を聴かせる。ヴェヌスベルクの音楽のマジカルな味わいも最上級だ。

グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番。リリカルな「朝」、厳しく重い「オーセの死」、蠱惑的な「アニトラの踊り」、怒濤の迫力を見せる「山の魔王の宮殿で」、全ての曲で表情豊か且つ詩情にも富んだ音楽作りで聴く者を魅了する。

メインであるブラームスの交響曲第4番。管楽器に首席奏者が揃っただけあって、音圧と音の厚みが加わり、ドイツ的な味わいの濃いブラームスとなる。ブラームスの感傷性には流されず、暑苦しくなりすぎないよう音の流れを丹念に追った演奏。京響の響きも輝かしさと渋さを併せ持ち、オーケストラ演奏の王道を行く佳演となった。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年9月26日 (水)

コンサートの記(428) 井上道義指揮 京都市交響楽団 第22回 京都の秋 音楽祭開会記念コンサート

2018年9月16日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、第22回 京都の秋音楽祭開会記念コンサートを聴く。演奏は京都市交響楽団、指揮は元京都市交響楽団音楽監督兼常任指揮者の井上道義。

前半はホルストの組曲「惑星」、後半がショスタコーヴィチの交響曲第12番「1917年」というプログラム。

今日のコンサートマスターは客演の男性奏者。誰なのかはわからない。わかった書くことにする(東京交響楽団のコンサートマスターである水谷晃だったようである)。泉原隆志は降り番でフォアシュピーラーに尾﨑平。
今日は両曲共に実力の高い奏者が必要ということで、管楽器は前後半とも多くの首席奏者が顔を揃えていた。

まず、門川大作京都市長による開会宣言がある。門川市長は今年の夏がことのほか暑かったこと、3日続きの豪雨に地震、3つの台風が京都を襲ったことに触れ、日本の各地でも地震が水害が起こったことも述べて、「鎮魂と復興の祈り」を捧げる演奏会にしたいと語った。

ホルストの組曲「惑星」。オーケストラピースとして人気の曲で、録音では次々と名盤が生まれているが、コンサートで取り上げられる回数も増加中である。
近年の京都市交響楽団に於いては、ジェームズ・ジャッドが定期演奏会で演奏している。

井上登場。ポディウム側と正面に向かって手を振る。相変わらずキザである。

輝きと迫力に溢れる音を響かせる京都市交響楽団にピッタリの曲である。ただ、合奏は良いのだが、ソロになると実力を発揮出来ていないように感じられることも多く、イタリアのオーケストラと真逆である。サッカーでのスタイルも一緒なので国民性なのだろう。
「火星」の迫力、「金星」の美的センス、「水星」の浮遊感、「土星」での奥行き、「天王星」での神秘感の表出などいずれも長けているが、「木星」では造形の端正さをもっと望みたくなる。なお、「海王星」の女声合唱はシンセサイザーを使用。演奏終了後に井上が女性奏者を連れてステージに登場し、ジェスチャーで「彼女が弾いたの」と示した。

ショスタコーヴィチの交響曲第12番「1917年」。
演奏の前に井上がマイクを手に「少しお話しして良いですか?」と言いながら現れる。
「市長はもう帰っちゃったかな?」と下手袖を振り返り、「京都の秋音楽祭開会記念コンサート、おかげさまで完売だそうで、切符安かったからね」
「今日のコンサートは僕の歴史を振り返るプログラムにしてみました。京都コンサートホールが出来る前、僕が(小学校2年生ぐらいの少年が最前列を通るのを見て)これぐらいだった時、京都市交響楽団とホルストの『惑星』を録音しまして」と語る。井上道義指揮京都市交響楽団による「惑星」のCDは、今では手に入らないようだが、発売当時話題になったものである。同時期にNHK教育テレビ(現在のEテレ)で、京都会館でだったと思うが、井上と京都市交響楽団の演奏による「惑星」演奏の模様も放送されている。今と違って京響はそれほど上質のアンサンブルを誇っていたわけではなかった。

井上が就任した当時は、京響は旧京都会館を本拠地としていたのだが、「とにかく響きが悪くてねえ」。定期演奏会での集客も振るわず「がらんどう状態」。とにかく響く曲はないかと色々やってみたのだが全て駄目。ショスタコーヴィチをやった時は良く聞こえるような演奏が出来たのだが、「皆さん、ショスタコーヴィチお嫌いでしょう?」
ショスタコーヴィチには、「ソビエトの思想のようなもの」が込められていると勘違いしているというのがその理由だと語り、ロシアでもサンクトペテルブルクとモスクワ以外ではショスタコーヴィチの交響曲はほとんど取り上げられていない、取り上げられたとしても5番だけという状態が今も続いているそうだ。否定されたソビエトを代表する作曲家だと誤解されているのがその理由らしい。

その後、井上は交響曲第12番「1917年」におけるトロンボーンのメロディーがスターリンを象徴しているという話を始めたのだが、ただでさえ京都コンサートホールのスピーカーは音が聞き取りにくい上に、私の席のすぐそばでチケットをめぐる問題(前半、私の席の隣2席が空いていたのだが、その横にいた二人が、もう人が来ないものだと思い込んで休憩中に席を詰めたところ、その席の人が来てしまった)があってレセプショニストさんとお客さんとでやり取りがあったためよく聞こえなかった。ただ、どこでどうなるのかは想像出来る。

ショスタコーヴィチの交響曲第12番「1917年」は冒頭で響く英雄的で悲劇的なメロディーと、その後に現れる「歓喜の歌」にオマージュを捧げたブラームスの交響曲第1番第4楽章のパロディーのようなチョイダサの旋律の二つが軸となる。他の要素も勿論あるが、この2つの歌は全編を通して循環形式のように何度も繰り返される。
悲劇的な旋律にチョイダサ歓喜的歌が勝って凱歌になりかけるのだが、突如としてメロディーが消え去れ、茫漠とした弱音が響く場面は、「勝利の白昼夢が破られたかのような衝撃」があり、印象的である。
トロンボーンが活躍した後で、弦楽が恐ろしげな音を出す場面があるのだが、井上が語っていたのはここだと思われる。
悲劇的旋律はその後も同じ形で登場するのだが、チョイダサ歓喜の歌はその後、音が分散されたり、短調に変貌したりしながら現れる。全楽合奏の中でホルンだけが異質のことをしている場面もあるのだが、やがてトロンボーンがチョイダサ歓喜の歌を挽歌のように演奏。凄絶なラストへとなだれ込むのだが、勝利のための旋律が二つ合わさるのに破滅の音楽のように響くのが印象的である。

井上道義は大阪フィルハーモニー交響楽団ともこの曲を演奏しているが、京都市交響楽団は各楽器の音の輪郭がクッキリしているため、より分析的に聞こえる良さがあったように思う。

演奏終了後、井上はガッツポーズを見せ、最後は「俺じゃなくて京響を称えよ!」というジェスチャーをしていた。

ショスタコーヴィチの交響曲第12番「1917年」には駄作説も多く、音楽的にはショスタコーヴィチの他の交響曲に比べると皮相な印象で充実感に欠けるかも知れないが、聴きながら仕掛けられた謎を解き明かしていくという、ミステリー小説を読むような面白さがある。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年9月16日 (日)

コンサートの記(424) 広上淳一指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2018 「Bravo!オーケストラ」第2回“オーケストラ・スペクタクル”

2018年9月9日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2018 「Bravo!オーケストラ」第2回“オーケストラ・スペクタクル”を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。広上は約1週間の間に3回京都市交響楽団の本番をこなすことになる。
ナビゲーターはロザンの二人。

午後1時半頃に京都コンサートホールの前に着いたのだが、楽屋口で京響シニアマネージャーの柴田さんが腕をグルグル回してタクシーを誘導しているのが眼に入る。タクシーからはロザンの二人が降りてきた。

曲目は、ワーグナーの歌劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲、J・S・バッハの管弦楽組曲第3番から「アリア」(「G線上のアリア」)、ビゼーの「アルルの女」からメヌエット、グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番から“山の魔王の宮殿にて”、ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1919年版)から“カッチェイ王の魔の踊り”、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」(ピアノ独奏:トーマス・エンコ)、チャイコフスキーの交響曲第4番から第4楽章。

今日のコンサートマスターは、客演の寺田史人(てらだ・ふみひと)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。

ワーグナーの歌劇「ローエングリン」から第3幕への前奏曲。ラストに「結婚行進曲」が加わる版での演奏である。
しなやかな弦楽と煌びやかな金管が印象的な演奏である。

広上は演奏が終わると、早速、ロザンの二人をステージ上に招き入れる。予定だと、もう少し経ってからロザンを呼ぶはずだったようだが、広上は、「一人じゃ寂しかったから」と語っていた。

この曲では金管が活躍するということで、広上は金管楽器の紹介を行う。「実は秘密がある」ということで、金管楽器はマウスピースを使うと語り、まずはマウスピースだけで鳴らして貰う。広上は、「ガッキーちゃん、鳴らしてみて」とホルン首席奏者の垣本昌芳に指示。広上は垣本のことを「京響のガッキーちゃん」と紹介する。続いて、トランペットの稲垣路子がマウスピースを鳴らす。広上は稲垣のことを「稲ちゃん」と呼ぶ。菅ちゃんは、「ガッキーちゃんよりいい音がする」とボケる。
ちなみに広上は、トロンボーン首席の岡本哲を「哲ちゃん」、テューバの武貞茂夫のことは「武ちゃん」と呼んでいるようである。

J・S・バッハの管弦楽組曲第3番から「アリア」。京響はこの曲を追悼曲として良く用いている。
ピリオド・アプローチを意識しており、すっきりとした音像の中に多彩な色合いが息づいている。

弦楽器の紹介。客演コンサートマスターの寺田史人は白髪であるため、菅ちゃんが「色々ご苦労が」と言う。広上が、「菅ちゃん、僕(髪)全部抜けちゃった」とボケたところ菅ちゃんが大笑いしたため、「受けすぎ!」と広上は突っ込む。
菅 「広上さん、今日テンション高いですね。ひょっとしてお酒召し上がってます?」
広上 「いや、飲んでませんが、今週はずっとここにいるもので」

弦楽器は楽器が大きくなればなるほど、弓は反比例して短くなるということも語られる。広上は、コントラバス首席の黒ちゃんこと黒川冬貴に「コントラバスは他の弦楽器と少し違うそうですが」と聞く。黒川は横にいた副首席奏者の石丸美佳に聞きつつ答えるが、最終的にはjuviちゃんこと出原修司が「ヴィオール属といって種族が違う」と答える。コントラバスは他の弦楽器より歴史が長いそうだが、広上の「いつ頃からあるの?」という問いに出原は、「ずっと昔から」と答えて、宇治原に「またずいぶんざっくりとした答えですね」と言われる。
広上は、「弦楽器奏者は、無理にと言われればですが、全ての弦楽器を演奏することが出来ます」と言うが、
宇治原「皆さん、首振ってはります」
菅 「ヴァイオリンの方々、『無理、無理』言ってはりました」

ビゼーの「アルルの女」第2組曲よりメヌエット。ハープとフルートが活躍する曲である。広上が「菅ちゃん、ハープ奏者というとどういうイメージ?」と聞く。菅が「人魚が弾いているような」と答える。
広上 「美人が弾いているイメージ?」
菅 「そうですね」
広上 「では京響の美人を紹介しましょう」
ということで、3人でステージ下手奥にいるハープ奏者の松村衣里のところへと歩いて行く。ステージを擂り鉢状にしているので、階段を上る必要がある。
松村によるとハープの弦は47本あり(日本の都道府県の数と一緒なので覚えやすい数字である)、半音は足で7つのペダルを踏んで出すために結構忙しいそうだ。広上は、「一見、優雅に見えても、あれです白鳥と一緒です」と語る。「白鳥は優雅に見えても水面下では必死で足を動かしている」というのはよく言われることであるが、実はあれは真っ赤な嘘である。白鳥はごく自然に浮いていて、足を動かすのは方向転換する時だけである。そもそも水鳥なので、必死で足を動かさないと浮いていられないというのでは、体の構造に欠陥ありということになってしまう。

フルート首席奏者の上野博昭にも話を聞く。フルートは現在では金属製のものを用いることが多いが、元々は木で作られていたため、木管楽器に分類される。
涼やかで通りの良いフルートの音色と、温かみに満ちたハープの音色の対比が心地よい。

グリーグの「ペール・ギュント」より“山の魔王の宮殿にて”。冒頭でファゴットが活躍するため、木管楽器の紹介が行われる。ファゴットは木管楽器の中で一番高値段が張るということである。菅ちゃんはファゴットについて「格好いいですね」というが、「なんど数ある楽器の中でファゴットをやろうと思われたんでしょうね?」と疑問も投げかける。ファゴット首席の中野ちゃんこと中野陽一郎は、純粋にファゴットが格好いいから始めたようだが、吹奏楽部などでは花形であるフルートやクラリネット、トランペットの選抜に落ちたから他の楽器に回るというのはよくあることである。
フルートを除く木管楽器はリードという芦を削ったものを用いるのだが、全て自分で削ったものを用いる。オーボエ首席の髙山郁子(広上は「郁ちゃん」と呼んでいるようだ)によると、1回のコンサートで用いるだけでリード1つが駄目になってしまうそうだ。ファゴットもオーボエほどではないが、リードを替える必要がある。
菅ちゃんが、客席に「ファゴットやってるぞ、という方」と聞く。3階席下手に座っていた高校生の集団の中の女の子が一人、手を挙げる。
菅ちゃんは、「ただでさえ楽器高いのに、リード代もかかる。止めるなら今のうちですよ」とボケていた。

造形がきちんと決まり、迫力、推進力ともに十分な演奏である。

ストラヴィンスキーの「火の鳥」から“カッチェイ王の魔の踊り”。打楽器奏者達が紹介される。広上は「打楽器奏者は打楽器は何でも出来る。例えばティンパニと大太鼓が入れ代わっても問題ない」と言うが、宇治原は「大太鼓の方、首かしげてますよ」

ストラヴィンスキーらしい鮮烈さを前に出しているが、端正さも同時に兼ね備えた演奏。迫力にも欠けていない。

ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」。ピアノ独奏のトーマス・エンコは、1988年、パリ生まれのピアニスト。音楽一家の出身で、3歳でヴァイオリンを始め、6歳でクラシックとジャズのピアノも習い始める。同じ時期には作曲も始めており、「ラプソディ・イン・ブルー」の演奏に必要なインプロヴィゼーション(インプロ。即興演奏)も得意としているようである。

演奏前に広上とロザンのトーク。広上はエンコについて「男前でしょ?」と聞き、宇治原は「楽屋で会ったんですけど、イケメンですね」と述べていた。

エンコのピアノはフランス人らしく無駄を減らしたタイトなものである。ピアノの微細な音色の変化も聞きものだ。

ガーシュウィンとチャイコフスキーの間に場面転換があるため、広上とロザンは再び下手の段上に上がってトークを行う。トーマス・エンコも広上に呼ばれて、広上とロザンの間でトークに加わる。
エンコがフランス出身ということで、菅ちゃんは、「I like エビアン」とボケる。
広上に日本の印象を聞かれたエンコは、「I love Japan」と英語で答えた後で、「日本はとても好きです」と流暢な日本語で話して、ロザンの二人を驚かせる。
京都の印象を広上に聞かれたエンコは、「京都はフェイバリットなプレースで、ウォークやサイクリングで観光をエンジョイしている」と答えていた。
菅ちゃんが、「Do you like ロザン?」とボケ、広上は、「He is very famous comedian in Japan」と紹介していた。

チャイコフスキーの交響曲第4番より第4楽章。広上と京響は丁度一週間前に大阪のザ・シンフォニーホールで全曲を演奏しており、チャイコフスキーの狂気をあぶり出すような解釈によるものであったのだが、今日は第4楽章だけということもあって大阪の時とは大分印象が異なる。弦はロシアものに最適なヒンヤリとした透明な音を出しており、管の煌びやかで抜けが良い。美的なフォルムを優先させたような演奏であった。

演奏終了後、菅ちゃんは例によって右手を掲げながら登場。宇治原に、「いや、あなたのおかげじゃない!」と突っ込まれていた。

アンコールとしてルロイ・アンダーソンの「忘れられた夢」が演奏される。イノセントでチャーミングな小品。オーケストラの中のピアノが活躍する曲で、演奏終了後に、ピアノの沼光絵理佳は単独で拍手を受けた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年9月10日 (月)

コンサートの記(421) 京響スーパーコンサート「ミッシャ・マイスキー×京都市交響楽団」

2018年9月5日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京響スーパーコンサート「ミッシャ・マイスキー×京都市交響楽団」を聴く。指揮は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

世界最高峰のチェリストの一人であるミッシャ・マイスキーと京都市交響楽団の共演である。マイスキーと京都市交響楽団は下野竜也の指揮によりベートーヴェンの三重協奏曲で共演しているが、それ以来3年ぶりの顔合わせである。

曲目は、いずれもドヴォルザークの作品で、交響曲第8番とチェロ協奏曲ロ短調。

コンサートマスターに泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。フルートが活躍する交響曲第8番では上野博昭が首席に入り、後半のチェロ協奏曲では中川佳子がトップの位置に入る。クラリネット首席の小谷口直子は全編に出演し、オーボエ首席の髙山郁子は後半のみの出演である。チェロ協奏曲の方が編成が小さいので、前半のみの出演者は結構いる。

広上は前半は長めの指揮棒を使って指揮。後半はノンタクトで振る。

まずは交響曲第8番。この曲は高校生の時にジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団によるEMI盤で何度も聴いた思い出がある。「イギリス」というニックネームを持つが、ドヴォルザークがそれまでに多くの自作の出版を委ねていたドイツのジムロック社の条件に納得せず、イギリスの出版社から譜面が出版されたという経緯によるもので(無料パンフレットを書いた竹内直は別の説を唱えている)、内容的にはイギリス的要素はほぼない。ということで「イギリス」という名称は最近では用いられないことが多い。

広上と京響による演奏は情報量が豊かである。音色に様々な風景、動物や鳥の声などが宿っており、想像が無限に拡がっていく。磨き抜かれた音とバランスも絶妙で、格好いいフォルム、叙情味、迫力、祝祭感の表出など、いずれもこのコンビのベストに近い出来である。渋みと華やかさを兼ね備えた演奏は日本では他に余り聴くことが出来ないはずである。
なお、京都コンサートホールは残響が長いため、広上はゼネラルパウゼをたっぷりと取っていた。

後半のチェロ協奏曲。
ソリストのミッシャ・マイスキーは先に書いたとおり世界最高峰のチェリストの一人であることは間違いないが、個性派であるため、好悪を分かつタイプでもある。旧ソ連時代のラトヴィアの生まれ。レニングラード音楽院附属音楽学校でチェロを学びチェリストとして活動を始めるが、ユダヤ系であり、実姉がイスラエルに亡命したために強制収容所送りとなる。その後、兵役にも送られそうになるが、佯狂によって回避。この事実がいらぬ先入観を抱かせることにもなっている。その後、アメリカを経てイスラエルに渡り、カサド音楽コンクールで優勝。西側での名声を得ている。
マイスキーは出だしでいきなりタメを作るが、その後の旋律の歌わせ方に関してはオーソドックス。ただ強弱はかなり細かくつけている。音色は深く、温かな輝きがある。
広上指揮の京響もマイスキー共々ノスタルジックな表出に長け、スケールも豊かである。

アンコール演奏は、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」。チェロ独奏と弦楽オーケストラのための編曲であるが、編曲者が誰かはわからない。マイスキーのチェロが常に主旋律を歌い、弦楽オーケストラがそれを彩るという趣である。ロシア民謡を主題としており、初演を聴いたトルストイが余りの美しさに涙したと伝わる「アンダンテ・カンタービレ」。涙こそ出なかったがトルストイの気持ちがよくわかるような演奏であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

2346月日 | DVD | YouTube | …のようなもの | おすすめCD(TVサントラ) | おすすめサイト | おすすめCD(クラシック) | おすすめCD(ジャズ) | おすすめCD(ポピュラー) | おすすめCD(映画音楽) | お笑い | びわ湖ホール | アニメ・コミック | アメリカ | アメリカ映画 | イギリス | イギリス映画 | イタリア | ウェブログ・ココログ関連 | オペラ | カナダ | グルメ・クッキング | ゲーム | コンサートの記 | コンテンポラリーダンス | コンビニグルメ | サッカー | ザ・シンフォニーホール | シアター・ドラマシティ | シェイクスピア | シベリウス | ショートフィルム | ジャズ | スタジアムにて | スペイン | スポーツ | ソビエト映画 | テレビドラマ | トークイベント | ドイツ | ドキュメンタリー映画 | ニュース | ノート | ハイテクノロジー | バレエ | パソコン・インターネット | パフォーマンス | パーヴォ・ヤルヴィ | ピアノ | ファッション・アクセサリ | フィンランド | フェスティバルホール | フランス | フランス映画 | ベルギー | ベートーヴェン | ミュージカル | ミュージカル映画 | ヨーロッパ映画 | ラーメン | ロシア | ロームシアター京都 | 中国 | 中国映画 | 交通 | 京都 | 京都コンサートホール | 京都市交響楽団 | 京都芸術劇場春秋座 | 伝説 | 余談 | 兵庫県立芸術文化センター | | 動画 | 千葉 | 占い | 台湾映画 | 史の流れに | 哲学 | | 大河ドラマ | 大阪 | 大阪フィルハーモニー交響楽団 | 学問・資格 | 室内楽 | 小物・マスコット・インテリア | 広上淳一 | 心と体 | 意識について | 携帯・デジカメ | 政治・社会 | 教育 | 散文 | 文化・芸術 | 文学 | 文楽 | 旅行・地域 | 日本映画 | 日記・コラム・つぶやき | 映画 | 映画音楽 | 映画館 | | 書店 | 書籍・雑誌 | 書籍紹介 | 朗読劇 | 来日団体 | 東京 | 楽興の時 | 歌舞伎 | 正月 | 歴史 | 海の写真集 | 演劇 | 無明の日々 | 猫町通り通信・鴨東記号 | 祭り | | 笑いの林 | 第九 | 経済・政治・国際 | 絵画 | 美容・コスメ | 美術回廊 | 習慣 | 能・狂言 | 花・植物 | 芸能・アイドル | 落語 | 街の想い出 | 言葉 | 趣味 | 追悼 | 邦楽 | 野球 | 関西 | 雑学 | 雑感 | 韓国 | 韓国映画 | 音楽 | 音楽劇 | 食品 | 飲料 | 香港映画