カテゴリー「京都市交響楽団」の138件の記事

2019年7月21日 (日)

コンサートの記(576) 沼尻竜典指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2014(年度)「VIVA!オーケストラ」第4回「オーケストラと指揮者」

2015年2月8日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2014(年度)~こどものためのオーケストラ入門~『VIVA!オーケストラ』第4回「オーケストラと指揮者」を聴く。「こどものためのオーケストラ入門」とあるが、曲目は大人向けである。親子で楽しめるコンサートであるが、子供が楽しむには曲目が難しすぎるかも知れない。

今日の指揮者は沼尻竜典。ナビゲーターはロザンの二人である。

曲目は、ビゼーの「カルメン」組曲第1番、「カルメン」前奏曲の子供による指揮者体験、サン=サーンスの序奏とロンド・カプリチオーソ(ヴァイオリン独奏:黒川侑)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」


今日のコンサートマスターは泉原隆志。渡邊穣は降り番で、フォアシュピーラーは尾﨑平。首席オーボエ奏者は前半後半共に高山郁子が務めるが、首席フルートの清水信貴と首席クラリネットの小谷口直子は、後半のストラヴィンスキーのみの参加である。

天井から舞台の上にスクリーンが降りている。今日は「オーケストラと指揮者」というタイトルなので、指揮者の姿を正面から捉えた映像をスクリーンに映し出して、指揮者が何をしているのか見えるようにするという趣向である。指揮者と対面するP席では居ながらにして指揮者が正面に見えるのでスクリーンを見る必要はない。ただ、スクリーンを降ろした関係上、P席の座席数は通常より少なくなっている。

ビゼーの「カルメン」組曲第1番。第1曲である前奏曲(2つ目の前奏曲である)~アラゴネーズでは、弦は美しい音を出したものの、トランペットなどは能天気な音を出しており、沼尻の音楽の浅さか露わになってしまっていた。
間奏曲では、フルートの息継ぎの仕方が今一つ。前半もフルートが清水信貴であったら、こうはならなかったと思うが。
演奏終了後にロザンの二人が現れ、菅広文が「沼尻さんは楽器を何かされるんですか?」と聞き、沼尻が「ピアノを」と答えると、「沼尻さんが楽器出来ない思ってたんか?」と宇治原史規に突っ込まれる。菅は「指揮者の出演料って高いんですか?」と沼尻に聞く。沼尻は「そんなに高くないです。(コンサートマスターの泉原を指さして)あの人は高いと思います」と言う。ということで菅は泉原に「お給料高いんですか?」と聞き、泉原が首を横に振ると、更に「いくらぐらい?」と聞く。泉原は手を振って「ダメダメ」とやっていた。菅は「横にいる人(尾﨑平)より多く貰っているわけですね」と続ける。
ちなみにロザンは収入は折半制度としているそうで、宇治原のクイズ番組出演料も折半、菅の著書の印税も折半しているという。宇治原がクイズ番組に出演している時は、菅はテレビの前で本気で応援しているそうだ。


続いて、子供による指揮者体験コーナー。手を挙げた9歳の女の子と5歳の男の子が選ばれる。指揮するのは「カルメン」前奏曲(第1の前奏曲)である。沼尻が指揮の仕方を教え、まず9歳女の子がやってみる。4分の2拍子で棒を振ること自体は簡単である。女の子は普通の速さで振ったが、幼児であり背が小さいため、後ろの方の奏者は指揮棒が見えにくいようであった。女の子は合唱をやっているため、指揮者の姿は見慣れているそうだ。

5歳の男の子の指揮。普通の速さで入るが、途中で大幅に減速し、最後で急激に速度を上げる。京響の奏者達はただでさえ指揮棒が見えにくいのに速度までぶれるので大変そうであった。
菅が男の子に「将来何になりたいの?」と聞くと男の子は「お相撲さん」と答える。菅は「場所の間に指揮の仕事も出来ますね」と言い、沼尻も「(力士を)引退してからやってもいいです」と話してた。


サン=サーンスの序奏とロンド・カプリチオーソ演奏のために、弦楽奏者らが退場するが、菅は「皆さん、いなくなりましたけど、これはリストラですか?」とボケる(基本的に面白いことは菅しかいわない)。

ヴァイオリン独奏の黒川侑が現れると、菅は「おぼこいですね」と言う。菅が年齢を聞くと、黒川は「25歳です」と答える。ロザンの二人は「あー、やっぱり若いんだ」と納得する(?)。

黒川のヴァイオリンは音色が美しい。スケールがやや小さく、情熱も不足気味なので、それが今後の課題となるだろう。


ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。演奏前のトークで、沼尻が「春の祭典」の初演時、聴衆の中にこの曲を音楽と認めない人がおり、怒号も飛び交ったという有名なスキャンダルを紹介する。沼尻は、ステージ上手奥に設置された電子ピアノを弾いて、通常の音楽の場合は旋律と和音があるが、「春の祭典」の場合、メロディーが奏でられる楽器をリズム楽器のように使っており、それが反発を招いたのではないかと推測する(なお、一大スキャンダルとなったのはディアギレフのバレエ団による上演であり、その直後に行われたコンサートでの「春の祭典」初演は成功しているため、バレエ初演の失敗が音楽ではなくバーバリズムを題材にした内容や振付にあったのではないかという説もある。一方で、バレエ公演の指揮者を務めたピエール・モントゥーは、事前にストラヴィンスキーと会って、「春の祭典」をピアノで弾いて貰ったが、「一音符も理解出来なかった」と述懐しており、先程曲が演奏されたサン=サーンスは「ファゴットの扱い方を知らない奴が現れた」と日記に怒りをぶちまけており、音楽が理解不能と感じた人も少なくなかったことが察せられる)。

演奏であるが、一定のステールできちんとまとめるといういかにも沼尻らしいものであった。沼尻の演奏は外れは少ないのだが大当たりすることも稀なように感じる。指揮は分かり易いのだが、整えることが目標になっているような気もしてしまう。

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2019年7月15日 (月)

コンサートの記(573) 広上淳一指揮京都市交響楽団大阪特別公演2019

2019年7月7日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで京都市交響楽団大阪特別公演を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

曲目は、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」、ヴェルディの歌劇「運命の力」序曲、ヴェルディの歌劇「仮面舞踏会」序曲、レスピーギの交響詩「ローマの松」という重量級プログラムである。

コンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーは尾﨑平。今日はヴィオラ首席に店村眞積が入る。第2ヴァイオリンの首席は客演の山崎千晶。首席フルート奏者の上野博昭は「英雄」のみの出演である。

 

ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。広上はベートーヴェンを得意としているが、「英雄」を京響で取り上げる機会はこれまでほとんどなかったはずである。
広上の指揮なので最初から飛ばすかと思われたが、最初の二つの和音からして穏やかであり、勢いでなく優美さを優先させるという意外な「英雄」となる。
バロックティンパニを使用しており、思い切った強打が見られるが、それ以外に特段ピリオド的な要素はなし。ただ、リズムの刻み方が独特であり、モダンスタイルともまた異なる個性的な「英雄」である。考えてみれば、モダンオーケストラによるピリオド奏法が本格的に取り入れられてからすで20年以上が経過しており、異なった傾向の演奏が現れたとしても不思議ではない。
第2楽章の葬送行進曲も燃焼度は高いがフォルムの美しさは保たれており、アポロ的な芸術が指向されているようである。
広上は肩を上下させるなど、今日もユニークな指揮姿である。

 

ヴェルディの歌劇「運命の力」序曲ではドラマティックに盛り上げ、歌劇「仮面舞踏会」序曲ではこぼれるような抒情美が目立つ。

 

レスピーギの交響詩「ローマの松」。オルガンの桑山彩子、ピアノの佐竹裕介、チェレスタの塩見亮が加わっての演奏である。
ボルゲーゼ荘の松から、はち切れんばかりの勢いと匂うようなエレガンスが同居しているという独自の演奏となる。
カタコンブ付近の松のほの暗さの描き方と袖から聞こえるハラルド・ナエスのトランペットソロも優れている。ジャニコロの松では、小谷口直子のクラリネットソロが雅趣満点である。
パイプオルガンの両サイドに金管のバンダを配したアッピア街道の松も迫力十分であるが、ザ・シンフォニーホールの空間が小さめであるため、スケールがややオーバー気味でもある。とはいえ、かなり優れた部類に入る「ローマの松」であることは間違いないだろう。浮遊感など、レスピーギが印象派から受けた影響を感じ取れるところも素晴らしい。

 

アンコール演奏は、レスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」第3集からイタリアーナ。今日のスタイルの締めくくりに相応しい典雅な演奏であった。

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2019年7月 9日 (火)

楽興の時(30) 「Kyo×Kyo Today vol.5」

2015年1月30日 京都芸術センター講堂にて

午後7時から、京都芸術センター講堂で、「Kyo×Kyo Today vol.5」を聴く。京都芸術センターで京都市交響楽団のメンバーが室内楽を演奏するという企画。毎年1回、冬の時期に行われていて、今年が5年目で5回目の演奏会になるが、1回から4回まではこうした催しがあることすら知らなかった。昨年、やはり京都芸術センター講堂で、30回有効のパスポートを観たとき、開場前に京都芸術センターのチケット売り場で「Kyo×Kyo Today」のことを知ったのである。

ちなみに京都芸術センターは旧・明倫小学校の校舎を利用しているが、講堂と体育館が別であったことがわかる。講堂は2階にあるが体育館は1階にあり、今はフリースペースとして使われている。体育館が講堂も兼ねているのが普通なので(私が卒業した小学校も、様々な催しが行われる木屋町通沿いの元・立誠小学校もそうである)、旧・明倫小はかなり珍しいケースである。

今日の出演者は、長谷川真弓(ヴァイオリン)、山本美帆(ヴァイオリン)、金本洋子(かなもと・ようこ。ヴィオラ)、木野村望(きのむら・のぞみ。ヴィオラ)、ドナルド・リッチャー(チェロ)、垣本昌芳(ホルン)、小谷口直子(クラリネット)。

オール・モーツァルト・プログラムで、弦楽五重奏第6番、ホルン五重奏曲、クラリネット五重奏曲「シュタードラー」。5回目の公演ということに掛けて全て5重奏の曲が選ばれている。

なお、京都市交響楽団は現在、小学生を対象とした音楽鑑賞教室を京都コンサートホールで行っており(指揮は京都市交響楽団の首席常任客演指揮者の高関健)、今日は午前10時20分からの公演と午後2時からの公演があり、更に夜もこの公演があるということで、弦楽奏者達は今日は一日中弾きっぱなしということになるそうだ。

まず、第1ヴァイオリンを務める長谷川真弓によるマイクを使った挨拶がある。いかにも良家のお嬢さんという感じの声と話し方である(弦楽奏者は楽器が高い上に小さな頃からのレッスン料金もバカにならないので、ほぼ100%、親が金持ちだといわれている。一方、管楽器は中学校の吹奏楽部で初めて楽器に触り、というケースが多く、楽器は学校持ちでレッスンは先輩達が教えてくれるため、必ずしも良家出身とは限らないそうだ。以上は、NHK交響楽団の首席オーボエ奏者である茂木大輔のエッセイによる。茂木によると、N響の場合でも弦楽器奏者と管楽器奏者とでは雰囲気が違うそうである)。

弦楽五重奏曲第6番。第1ヴァイオリン:長谷川真弓、第2ヴァイオリン:山本美帆、第1ヴィオラ:金本洋子、第2ヴィオラ:木野村望、チェロ:ドナルド・リッチャー。
リッチャーが中央に陣取り、下手に長谷川と山本のヴァイオリン奏者、上手に木野村、金本のヴィオラ奏者が並ぶ。
元々小学校の講堂ということで残響はないが、シャンデリアの下がるお洒落な内装の講堂の雰囲気はモーツァルトの音楽に合っている。音の通りも申し分ない。ただ、両サイドは磨りガラスであるため、オーケストラの演奏は無理そうだ。
1956年の創設直後に「モーツァルトの京響」という評判を取った京都市交響楽団。創設当時のメンバーは当然ながらもういないが、モーツァルト演奏時に重要となる緻密なアンサンブルは今も生きている。

 

ホルン五重奏曲。ヴィオラの金本洋子が降り、代わりにホルンの垣本昌芳が加わる編成。舞台下手から、時計回りに、長谷川、山本、リッチャー、木野村、垣本という布陣。
モーツァルトの時代のホルンは、唇と管の中に突っ込んだ手のみによって音程を変える、今ではナチュラルホルンと呼ばれるものだったため超絶技巧が必要とされたが、現代のホルンはピストンが付いているため、ナチュラルホルンよりは演奏がしやすい。このホルン五重奏曲も、ホルン協奏曲4曲を献呈されたホルン奏者、ロイトゲープのための作曲されたとされる。モーツァルトはイタズラ好きであったため、わざとナチュラルホルンでは演奏の困難なメロディーを書いたりしているが、垣本の技術に遺漏はなく、優れた室内楽演奏となる。

 

クラリネット五重奏曲「シュタードラー」。今日演奏される曲の中で一番有名な曲である。喫茶店などのBGMとしてもよく用いられる曲であるため、聴くと「ああ、知ってる」となる人も多いと思われる。

演奏前にクラリネット奏者の小谷口直子がマイクを持って挨拶をする。クラリネットは楽器の歴史の中では比較的若い楽器であり、モーツァルトの晩年になってようやく普及したため、モーツァルトが書いたクラリネットのための曲も多くはないのだが、クラリネット協奏曲と、今日演奏するクラリネット五重奏曲を書いてくれたお陰でクラリネット奏者は至福の時を味わうことが出来ると小谷口は語る。小谷口は2010年より文化庁派遣芸術家在外研修員としてウィーン国立音楽大学に留学したが、「ウィーンは京都によく似たところがある」という。ウィーン市民の排他的なところと京都人の排他性は似ているが、小谷口はそれには触れず(触れたら怒る人もいるだろうし)、芸術と街が一体になった雰囲気や、京都なら御所、ウィーンなら宮殿を中心として発展しているところ、カフェ文化が街に根付いていることなどを挙げる。モーツァルトの音楽というと小谷口はウィーンのメランジュという泡立てコーヒーの味を思い出すそうだ。モーツァルトの曲調を例えるのに「夢のように」という言葉を使いたいという小谷口だが、ウィーンには「悪夢のように甘すぎるケーキ」や「悪夢のように不味い飯」などもあったそうである。「最近はクラリネットを吹くよりも喋る方が得意になった」と言って、客席を笑わせる。

弦楽のメンバーはホルン五重奏曲の時と一緒。垣本と小谷口が入れ替わるが、小谷口は中央に正面を向いて座り、舞台上手に木野村、リッチャーが陣取る。

小谷口のクラリネットは伸びやかで、典雅さにも欠けていない。弦楽奏者4人も緻密なアンサンブルで聴かせ、はんなりとした演奏となる。

アンコールとしてクラリネット五重奏曲の第4楽章よりアレグロの部分が再度演奏された。

客席であるが、オール・モーツァルト・プログラムということもあってか、若い女性も多い。京都堀川音楽高校の生徒だろうか、制服を着た女子高生達もいる。一方で、男性の方は白髪頭の人が目立つ。あるいはクラシックの聴衆の世代交代は女性よりも男性の方が上手くいっていないのかも知れない。

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2019年6月25日 (火)

コンサートの記(566) 下野竜也指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2019「オーケストラへようこそ!」第1回「オーケストラってなあに?」

2019年6月16日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2019 「オーケストラへようこそ!」第1回「オーケストラってなあに?」を聴く。指揮は京都市交響楽団の常任首席客演指揮者の下野竜也。
京都市交響楽団は、広上淳一、高関健、下野竜也のトロイカ体制が続いていたが、少なくとも今の体制は今シーズン限りで終わりとなるようだ。

曲目は、J・S・バッハの「小フーガ」ト短調(ストコフスキー編曲/下野竜也補編。オルガン独奏:桑山彩子)、ヴィヴァルディの「四季」より「冬」第2楽章(ヴァイオリン独奏:泉原隆志)、モーツァルトの交響曲第29番第1楽章、ベートーヴェンの交響曲第5番から第3&第4楽章、ベルリオーズの幻想交響曲から第4楽章「断頭台への行進」、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、ウェーベルンの管弦楽のための6つの小品から第4曲、交響詩「ローマの祭り」から「主顕祭」


開演前にロビーコンサートがある。今回は井幡万友美のチェンバロコンサート。チェンバロの音は小さいので、聴衆に近づいて聴いて欲しいと井幡が言ったため、チェンバロの周りに人々が密集して聴いているという珍しい光景が見られた。


バッハの「小フーガ」ト短調。まずオルガン独奏の桑山彩子が出だしを弾き、第1フーガが終わったところで下野指揮の京響の演奏に交代。その後、再びオルガンソロに戻った後で、オルガンとオーケストラの共演となる。オーケストラはストコフスキー編曲版を演奏するが、オルガンとの交代時の音色が自然であり、ストコフスキーの編曲家としての腕の高さが実感される。

演奏終了後に下野はコンサートマスターの泉原隆志に握手を求めたのだが、下野が小柄ということもあって泉原は下野がそばに来ているということに気がつかず、握手が遅れる。
下野は、「無視されちゃいました。嫌われてるのかなあ」と語り、泉原が首を振る。

ナビゲーターのガレッジセールが登場。ゴリは「オーケストラに疎い二人がやって参りました」と言う。場面転換のため、京響の楽員が席を立ったのだが、ゴリが「ここで一斉に帰り始めましたが、ストライキですか?」、川ちゃん「皆さん、ガレッジセールはお嫌いですか?」

下野はまずオーケストラの語源を二人に説明。オーケストラとは場所の名前が語源であり、古代ギリシャの劇場には、ステージと客席の間にオルケーストラ(踊る場所)と呼ばれる場所があり、そこで歌や踊りが行われていたのだが、主役は舞台上にいる歌手や俳優で、オーケストラは脇役であったと語る。

ヴィヴァルディの「四季」より「冬」第1楽章は、第1ヴァイオリン6人の小編成での演奏。ヴィヴァルディの時代は専業の指揮者がいなかったということで、下野は「目と心で合わせていた」と語る。この曲では指揮なしでの演奏となるため、ゴリ「ヴィヴァルディの時代だと下野さん、失業ですか?」、下野「失業です」というやり取りがある。下野は、「さっき私を無視したコンサートマスターが出てきて、中心にやります」と言ったため、ゴリも「コンサートマスターは人を無視する泉原隆志さん」と紹介する。
登場する泉原と退場する下野がステージ上ですれ違うときに、「冗談きついよ」「いやいや」といった感じで手でやり取りしていた。
桑山彩子のポジティブ・オルガンを加えての演奏。下野がポジティブ・オルガンを紹介した際に、ゴリが「前向きなオルガン」と言って、下野に「そのポジティブじゃない」と返されていた。
温かな音色による親密な演奏である。


モーツァルトの交響曲第29番より第1楽章。モーツァルトの初期の交響曲であるため、管楽器が少ない。モーツァルトがクラリネットを取り入れたのは彼の後期になってから。トロンボーンをオーケストラに加えたのは通説によるとベートーヴェンで、交響曲第5番が最初になると下野は紹介する。ただ、調べるとベートーヴェンより先にトロンボーンを加えた人はいるにはいるそうだ。トロンボーンはそれまでは教会で合唱と共に宗教曲を演奏しており、それが世俗のコンサートにも加わるようになる。

音色はモダンスタイルであるが、ボウイングはHIP風という折衷スタイルでの演奏。スケールは大きくないが典雅なモーツァルトが奏でられる。


ベートーヴェンの交響曲第5番より第3&第4楽章。2つの楽章には切れ目がない。トロンボーンが加わるのは第4楽章の頭からである。
下野は学校の音楽室に飾られた作曲家の肖像画(ちなみに下野によると瀧廉太郎がいるのは何かの間違いらしい)で、バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトと来て、ベートーヴェンから変わることは何かとガレッジセールの二人に聞き、川ちゃんが「夜になると目が動く」と答えて、下野に「それは都市伝説」と一蹴される。答えは「かつらをかぶっていない」である。当時は貴族の前ではかつらをかぶるというのが音楽家の身だしなみであった。ベートーヴェンは貴族に仕える身分でしかなかった音楽家の地位を向上させた人といわれている。
下野指揮のベートーヴェンの5番は、昨年、びわ湖ホールで行われたNHK交響楽団の演奏会で聴いており、しっかりとした演奏であることを確認している。
今回も確かな構築力を感じさせる好演だったが、スケールをかっちり決めた上で細部を整えていくというスタイルの演奏であるため、自在感や奔放さはない。朝比奈隆スタイルのベートーヴェンと書くとクラシックファンにはわかりやすいだろうか。個人的にはもっと暴れまくるベートーヴェンが好きである。


後半。ベルリオーズの幻想交響曲より第4楽章「断頭台への行進」。ベートーヴェンの死からさほど立っていない時期に初演された作品だが、大編成であり、後のロマン派へと繋がっていく楽曲である。
ゴリが、「当時、これだけ入れる会場ってあったんでしょうか?」と聞く。下野は、「当時の会場で演奏している映像(ジョン・エリオット・ガーディナー指揮オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティークのものだろうか)を見たことがあるのですが、ステージ上ぎっしりでした」と答えていた。
幻想交響曲の背景についても下野は語り、「イギリスから来ていた大女優(ハリエット・スミスソン)に恋をしてしまうわけです。凄いと思うのは楽屋に行って『結婚して下さい』と言ったこと」。無名の作曲家であったベルリオーズは当然ながら相手にされず、その時の屈辱感を幻想交響曲への昇華させる。面白いのは、幻想交響曲の初演をスミスソンが聴きに来ており、結果、二人は結婚に漕ぎ着けるということだ。川ちゃんが、「まさに、山ちゃん(蒼井優と結婚した山里亮太)」、ゴリ「山ちゃん、僕らの後輩ですけども」
下野は楽器編成についても語り、「ティンパニの中山(航介)さんはいつもいます。だけど今回は横に宅間(斉)さんが、『宅間さん』って楽器じゃないですよ」と言って、
ゴリ「それぐらいはわかります」
川ちゃん「僕らなんだかんだで47ですので」

下野は、テューバ奏者二人に、「楽器持ち上げてみて、ジャンプ!」と無茶ぶりして、ゴリに「絶対、きついですよね」と言われる。
下野「強権濫用(ママ)」

下野指揮の「断頭台への行進」であるが、極めて上品である。狂気がほとばしるような演奏をする指揮者も多いが、下野の場合は常に節度と美観を保ち、「ノーブル」ともいえるような仕上がりになっている。この曲がノーブルである必要があるのかどうかは意見が分かれるだろうが。


ドビュッシーの交響詩「牧神の午後への前奏曲」。下野はドビュッシーについて、「それまでとは違った和音を使って作曲した、人によっては『それ間違ってるんじゃないの?』と言われそうなギリギリのところを狙った」と語る。「輪郭のはっきりしない、揺れるような朧な」音楽である。下野はモネなど印象派の画家の名前を挙げながら、共通点についても語っていた。
下野の指揮する「牧神の午後への前奏曲」であるが、丁寧で美音を存分に生かしつつ浮遊感も忘れないという理想的なものである。下野というとブルックナーやドヴォルザーク、リヒャルト・シュトラウスなどを得意とするイメージがあるが、それ以上にフランスものが合っているのではないだろうか。少なくともこれほど美しいドビュッシーを生み出せる日本人指揮者は稀である。

下野の指揮した「牧神の午後への前奏曲」についてゴリは、「水の上をグルグル漂っているような」と表現した。


ウェーベルンの管弦楽のための6つの小品から第4曲。管楽器と打楽器のための作品である。下野は、「今日の客席の150%の人が『何これ?』というような曲」と紹介する。
アントン・ウェーベルンについては、「先輩方には叶わない、それよりも新しい音楽を生み出そうというシェーンベルクと一緒に活動してた作曲家」と紹介する。
演奏前に下野は、「最初は恐ろしく小さい音、空調の音が聞こえるような小さな音で始まり、それが……、内緒!」といって指揮を始める。
ドビュッシーは和音を飛躍させたが、ウェーベルンら新ウィーン学派になるともう和音が破壊されてしまっており、それまでの常識では計り知れないような音楽となる。この曲は元々は葬送行進曲として作曲されたといわれており、クライマックスでは破滅的な響きに至る。


レスピーギの交響詩「ローマの祭り」から「主顕祭」。
オーケストレーションの達人として、管弦楽の色彩感を極限まで推し進めたレスピーギ。「ローマの祭り」は、その後の映画音楽にも貢献することになった描写力抜群の音楽である。
下野指揮の京響の表現力はまさに一級品。日本人指揮者と日本のオーケストラによるものとしては最高レベルの演奏である。京響の明るめの音色もこの曲にジャストフィットだ。

アンコール。下野「我々がクラシックしか演奏出来ないと思わないで下さい!」、ゴリ「なんですか突然?」ということで、「ローマの祭り」に掛けた「お祭りマンボ」が演奏される。打楽器とオルガン、トランペットのための編曲(編曲:野本洋介)。楽団員が「ワッショイワッショイ!」とかけ声を出すなど、ノリノリの演奏となった。

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2019年6月 9日 (日)

コンサートの記(560) カーチュン・ウォン指揮 京都市交響楽団第634回定期演奏会

2019年5月18日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第634回定期演奏会を聴く。今日の指揮はシンガポール出身の若手、カーチュン・ウォン。

曲目は、吉松隆の「鳥は静かに…」、シベリウスのヴァイオリン協奏曲ニ短調(ヴァイオリン独奏:ラグンヒル・ヘムシング)、フランクの交響曲ニ短調。

午後2時から、カーチュン・ウォンによるプレトークがある。カーチュン・ウォンのトークは日本語を交えたり、旋律を口ずさんだりするもので、才気が感じられる。
「シンガポール出身ですが、ニュルンベルク交響楽団の首席指揮者をしています」と自己紹介する。

カーチュン・ウォンは、1986年、シンガポール生まれの指揮者。シンガポール国立大学ヨン・シュトウ音楽院で作曲を、ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学で指揮を学ぶ。2016年に第5回グスタフ・マーラー国際指揮者コンクールで優勝して注目を浴びるようになっている。
クルト・マズア、グスターボ・ドゥダメル、ベルナルト・ハイティンク、ハインツ・ホリガー、エサ=ペッカ・サロネンらの薫陶を受け、コンクール優勝後は急病のヘスス・ロペス=コボスの代役として中国フィルハーモニー管弦楽団、上海交響楽団、広州交響楽団の指揮台に立ち、ロサンゼルス・フィルハーモニックのドゥダメルのフェローとして指名され、昨年9月にニュルンベルク交響楽団の首席指揮者に就任している。

ウォンによると指揮者コンクール優勝前から仕事をいただいていたのが日本のオーケストラだったそうで、新日本フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、大阪交響楽団、広島交響楽団、九州交響楽団を指揮した経験があり、最近は東京佼成ウィンドオーケストラを始めとする吹奏楽団とも多くの仕事をしている。

今回の演奏会では、吉松隆の「鳥は静かに…」とシベリウスのヴァイオリン協奏曲ニ短調が連続して演奏される。鳥を愛する吉松隆と白鳥などからインスピレーションを受けたシベリウスの「鳥繋がり」で選ばれた曲なのだが、「鳥は静かに…」の最後の和音からシベリウスのヴァイオリン協奏曲の最初の弦の刻みの音の響きへの移行に意味があるそうである。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲と同じ調性であるフランクの交響曲ニ短調であるが、今から40年ほど前にはよく演奏されたものの、ここ20年ほどは演奏される回数が減ってしまっているとウォンは述べる。
京都市交響楽団は比較的良くフランクの交響曲を取り上げているが、録音に限ると、21世紀に入ってからはこれといったものが出ていない。40年ほど前には、当時の両巨頭であるカラヤンとバーンスタインが共にフランスのオーケストラを指揮して名盤を生み出しているのだが、20世紀終盤にはフランス人指揮者の才能払底が叫ばれるようになっており、今、世界的に活躍しているフランス人指揮者は、ベルトラン・ドゥ・ビリーやパスカル・ロフェなど数人だけ、また録音不況でもあり、90年代にシャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団の録音が高く評価されたのを最後にフランクの交響曲の録音が減ってしまっている。サー・サイモン・ラトルなどはフランスものを得意としているが、フランクは録音していないはずである。
フランクの交響曲はフランスを代表する交響曲と見なされることが多いが、ウォンはむしろブルックナーとの共通点に注目して欲しいと語った。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。今日も客演首席チェロ奏者としてNHK交響楽団の藤森亮一が入る。第2ヴァイオリン首席は客演の山﨑千晶。ヴィオラのトップには店村眞積。テューバには客演の川浪浩一。今日は木管の首席指揮者はフランクのみの出演である。
ヴァイオリン両翼、コントラバスはステージ最後部に横一列に並ぶという、古典配置の中でも最も古い形での演奏となる。

 

吉松隆の「鳥は静かに」。弦楽のための繊細な曲である。シベリウスのヴァイオリン協奏曲と連続して演奏されるため、管楽器奏者もスタンバイしての演奏である。
今日は全曲暗譜で指揮するウォンは、透明で緻密な弦の音を引き出し、静謐の美を生む。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲ニ短調。独奏のラグンヒル・ヘムシングはソロが始まる直前に下手袖に現れ、弾きながらステージ中央へと歩み寄る。
ラグンヒル・ヘムシングは、1988年生まれのノルウェーのヴァイオリニスト。ノルウェーの民族音楽に親しみながら育ち、今も民族音楽とクラシック音楽の両方で活躍している。
5歳でヴァイオリンを始め、オスロのバラット・ドゥーエ音楽院に学び、ウィーンに留学してクシュニールに師事している。14歳でグリーグの街のあるベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団にデビューし、翌年にはオスロ・フィルハーモニー管弦楽団とも共演を果たした。
そのヘムシングのヴァイオリンであるが、スケールがかなり大きい。音色が比較的ドライなのも特徴である。第1楽章後半になると磨き抜かれた音も出すが、素朴な音も生み出せるのが特徴といえそうだ。
ウォンの指揮する京響であるが、極めてクリアな伴奏を聴かせる。従来のシベリウスのヴァイオリン協奏曲とは明らかに異なる伴奏である。

 

ヘムシングは、アンコールとしてノルウェーの民謡「Springar」&「Halling」を奏でる。演奏前のヴァイオリンの説明。糸巻きが5つほどもある独特のヴァイオリンであり、調弦もクラシックのヴァイオリンとは異なるようである。
ヘムシングは足踏みを加えながらの演奏。ノルウェーの民謡であるが、日本でも人気のあるアイルランドの民族音楽にも通じるものがあるような気がした。

 

フランクの交響曲ニ短調。特筆事項の多い秀演である。
とにかく全てのパートが明確に浮かび上がる。従来の演奏だったら溶け合う部分もはっきりと分離しており、音が細やかに立体として聞こえてくる。第3楽章での強奏の部分であってもそれが変わることがない。
暗譜ということでオーケストラのメンバーを確認するのではなく上方を見つめて指揮することもあるカーチュン・ウォン。デジタルな感性で音楽を組み立てていく指揮者だ。
これは面白い指揮者を見つけてしまった。
京都市交響楽団も燦々と輝くような音色と力強さでウォンの指揮に応え、演奏終了後、聴衆は沸き、「ブラボー!」が連呼された。

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2019年5月 2日 (木)

コンサートの記(552) 近江の春 びわ湖クラシック音楽祭2019初日 葵トリオ&大西宇宙バリトンリサイタル&沼尻竜典オペラ・セレクション プーランク 歌劇「声」

2019年4月27日 びわ湖ホールにて

今日から明日までの二日間、びわ湖ホールで「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭2019」が開催される。今年は昨年とは違ってそれほど興味を惹かれなかったのだが、プーランクのモノオペラ「声」に出演予定だった砂川涼子が数日前、体調不良のために降板、急遽カバーキャストだった石橋栄実が代役として本番に挑むことを知り、聴きたくなったのである。砂川涼子も良い歌手で聴いてみたくはあったのだが、大阪音楽大学声楽科の教授でもある石橋栄実が「声」をやるなったら「聴きにいかねば」という義務感のようなものを感じてしまったのだ。

数年前に、渋谷のスパイラルホールで三谷幸喜演出、鈴木京香の出演による「声」を観たのだが、三谷幸喜は基本的に陽性のものを生み出す人、鈴木京香も健康美が売りの女優であるため、痛切さには欠けていて、残念な気持ちで会場を後にしている。

 

せっかく音楽祭が行われているのにモノオペラ「声」だけを聴いて帰るというのももったいないので、葵トリオと大西宇宙のリサイタルのチケットも取った。

 

午後1時5分から、びわ湖ホール中ホールで葵トリオのコンサートを聴く。曲目は、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第5番「幽霊」とマルティヌーのピアノ三重奏曲第3番。

葵トリオは、小川響子(ヴァイオリン)、伊東裕(いとう・ゆう。チェロ。男性)、秋元孝介(ピアノ)によって結成されたピアノトリオ。Akimoto、Ogawa、Itoの頭文字を取って葵トリオと命名されており、葵の花言葉である「大望、豊かな実り」にもちなんでいるそうである。昨年のミュンヘン国際コンクールで優勝を飾っており、今最も注目される日本人ピアノトリオである。
全員、東京藝術大学と同大学院の出身。
小川響子(愛称は「おがきょ」のようである)は、東京フィルハーモニー交響楽団のフォアシュピーラーとして活躍し、カラヤン・アカデミーの試験に合格して、現在ではベルリン・フィルで学んでいる。
伊東裕は、東京藝術大学大学院を修了後、ザルツブルク・モーツァルティウム音楽院に進み、現在はラ・ルーチェ弦楽八重奏団と紀尾井ホール室内管弦楽団のメンバーである。
秋元孝介は、東京藝術大学大学院博士課程在籍中。第2回ロザリオ・マルシアーノ国際ピアノコンクールで第2位を受賞している。

中ホールで室内楽を聴くのは初めて。今日は2階席で聴いたが、音の通りが良く、室内楽にも向いているようだ。

葵トリオの演奏であるが、一体感が見事、あたかも三人で一つの楽器を弾いているかのような、あるいは三つの楽器を一人で奏でているかのような自在感と反応の良さに魅せられる。スタイルとしてはシャープであり、モダンスタイルによる演奏だが、時折古楽的な響きも出すなど、スタイルの幅広さが感じられ、現代的である。
昨年、びわ湖ホールで聴いたフォーレ四重奏団もそうだが、アルバン・ベルク・カルテットのスタイルを更に先鋭化させたような切れ味の鋭い表現が室内楽における一つの傾向となっているようである。

アンコール演奏があり、ハイドンのピアノ三重奏曲第27番より第3楽章が演奏された。
ここでも鋭利な表現が聴かれる。

 

続いて、小ホールで大西宇宙(おおにし・たかし)によるバリトンリサイタルを聴く。午後2時開演。葵トリオのアンコールがあったため、小ホールに入るのが遅くなり、開演5分前にようやく席に着く。

曲目は、プロコフィエフの歌劇『戦争と平和』より「輝くばかりの春の夜空だ」、ヴォルフの「メーリケ歌曲集」より「散歩」「少年鼓手」「炎の騎士」、武満徹の「死んだ男の残したものは」、シアーの「アメリカン・アンセム~名もなき兵士に捧ぐ歌」

ピアノ伴奏は、筈井美貴(はずい・みき)。

大西宇宙は、武蔵野音楽大学を経て、ジュリアード音楽院を卒業。シカゴ・リリック歌劇場で研鑽を積み、「エフゲニー・オネーギン」「真珠採り」「カルメン」「リゴレット」「ロメオとジュリエット」などに出演している。

筈井美貴は、武蔵野音楽大学音楽部器楽科を卒業、同大学院修了。第11回メンデルスゾーン・カップ・ヨーロッパ第1位及びルービンシュタイン賞受賞。主に声楽家と共に活動している。

日本人の場合、体格面の問題でバリトンとはいえ声が軽い人が多いのだが、大西は、はっきりとしたバリトンの音程と声質で歌うことの出来る歌手である。

「戦争と平和」を主題としたリサイタル。歌詞対訳などは配られなかったが、大西が曲の内容を解説する。

筈井のピアノは伴奏としては表現が豊かすぎるところがあるような気がしたが、達者なのは確かである。

私の好きな「死んだ男の残したものは」は、全曲ではなく抜粋版での歌唱。もう少し歌い分けが明確な方が良いように思うが、クラシックの歌曲としてはこうした表現の方がしっくりくるのも確かである。

 

 

午後3時から、大ホールで沼尻竜典オペラセレクション プーランクの歌劇「声」を観る。演奏会形式であるが、衣装、演技、セットありでの上演。先に書いたとおり、当初は砂川涼子が主演する予定であったが体調不良により降板、カバーキャストであった石橋栄実が短時間のリハーサルを経て本番に臨む。
原作・脚本:ジャン・コクトー、演出:中村敬一。演奏は沼尻竜典指揮の京都市交響楽団。
コクトーの「声(人間の声)」は心理劇であり、プーランクの音楽によって主人公である女の心理がよりわかりやすいようになっている。繰り返される音が女の落ち気味の心理状態を描写し、木琴による電話のベルが神経症的に響く。女はもう恋人である男にあうことは叶わず、声を聴くことだけで繋がっているのだが、「今の私にはあなたの声だって凶器になるわ!」という言葉が次第に真実味を増していく。

恋愛中毒気味の女を石橋栄実は見事に体現しており、歌唱も演技も万全、沼尻指揮の京響もプーランクの音楽を我が物にしており、アンニュイで痛みのあるオペラに仕上がっていた。

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2019年4月29日 (月)

コンサートの記(551) ローム ミュージック フェスティバル 2019 「オーケストラコンサートⅡ 二大コンチェルトの饗宴~日下紗矢子・反田恭平 with 京都市交響楽団」&「リレーコンサートC 河村尚子ピアノ・リサイタル~偉大なるベートーヴェン~」

2019年4月21日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールおよびサウスホールにて

午後2時30分から、ロームシアター京都メインホールで、ロームミュージックフェスティバル2019 オーケストラコンサートⅡ「二大コンチェルトの饗宴~日下紗矢子・反田恭平 with 京都市交響楽団」を聴く。ロームミュージックフェスティバル2019の2日目にして楽日のオーケストラ公演。指揮は、2016年に行われたロームミュージックフェスティバルのタクトも執っている阪哲朗。ナビゲーターをフリーアナウンサーの朝岡聡が務める。反田恭平人気もあって、チケットは完売である。

曲目は、まずオッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲が演奏され、次いでメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番(原典阪)という二つのコンチェルトが登場する。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は「メンコン」の愛称で知られ、三大ヴァイオリン協奏曲の一つにも数えられる有名作だが、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番は取り上げられる機会が極めて希少な作品である。第1番から第3番までを収めた「チャイコフスキー ピアノ協奏曲全集」はいくつかあって、私はヴィクトリア・ポストニコワが夫君であるゲンナジー・ロジェストヴェンスキーの指揮で録音したものを千葉にいた頃に聴いているが、それでも聴いたのは2回程度、京都に来てからは聴いておらず、曲も忘れている。ということで事実上、初めて接することになる。YouTubeにはいくつか演奏がアップされていると思われるが、敢えて聴かずに出掛ける。


指揮者の阪哲朗は京都市出身。京都市立芸術大学音楽学部で作曲を専攻し、卒業後にウィーン国立音楽大学で指揮をレオポルド・ハーガーらに師事。1995年に第44回ブザンソン指揮者コンクールで優勝して一躍脚光を浴びている。欧州では一貫してオペラ畑を歩き、アイゼナハ歌劇場音楽総監督、レーゲンスブルク歌劇場音楽総監督などを務めている。コンサート指揮者としては客演が主で、これまで特にこれといったポストには就いていなかったが、この4月に山形交響楽団の常任指揮者となっている。


今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏である。どうも第2ヴァイオリンは今日は全員女性のようで、ありそうでなかなかない光景となった。小谷口直子は降り番だったが、それ以外は首席奏者が前半後半ともに顔を揃える。


オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲。阪哲朗はかなり細かな指示を京響に送る。指揮の動きがかなり細やかだ。
阪哲朗は若い頃はスケールが小さいという難点があったが、最近は音楽が徐々にではあるが拡がりを増しているように思われる。ただ、これまで何人もの指揮者を目にしてきたが、指揮棒を動かしすぎる指揮者は得てしてスケールが小さいように感じられる。楽団の自発性を引き出しにくいということが影響しているのだろうか。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストの日下紗矢子は、現在、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の第1コンサートマスターと読売日本交響楽団の特別客演コンサートマスターを務めている。

朝岡聡による楽曲の紹介があり、第1楽章の美しさ、第2楽章の希望、第3楽章の「天使が跳ねるような」快活さが語られる。

一週間前のスイス・ロマンド管弦楽団の来日演奏会で辻彩奈のソロによるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴いたばかりだが、日下のヴァイオリンは辻に比べて旋律を線として捉えることに成功しているように思われる。音色には艶があり、スケールが大きくて音の通りも良いが、ロームシアター京都メインホールは同じ永田音響設計が手がけた兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール同様、オーケストラよりもヴァイオリンの方が聞き取りやすいようである。
日下も京響も音色や曲調の変化の描き方に長けており、京都らしい雅やかな演奏となった。


チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番。まず朝岡聡が楽曲とソリストである反田恭平の紹介を行う。「今更申し上げるまでもないと思いますけれど」と前置きしての「今最も上り調子であるピアニスト」反田の紹介。高校在学中に第81回日本音楽コンクールで1位となり、チャイコフスキー記念モスクワ音楽院に首席で入学。現在はショパン音楽大学(旧ワルシャワ音楽院)で学んでいる。反田がTwitterやInstagramをやっているということで、このコンサートのために反田が書いた文章も朝岡は読み上げた。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番であるが、カデンツァがもの凄く、p(ピアノ)の指示が12個並ぶ。「pが弱く、ppがピアニシモ、pppがピアニシモシモ、12個だとなんと読むんでしょうか」。更にf(フォルテ)も9個並ぶことが紹介される。「このカデンツァを聴くだけでも来た甲斐がある」そうで、全曲を聴き終えたときには、「感動を通り越して衝撃。もしかしたら子孫末代に至るまでの語り草となる」というところで笑い声が起こったので、「いや、大袈裟じゃありません」と続けた。

その反田のピアノであるがとにかく巧い。巧すぎるといってもいいほどで、メカニカルな部分に関しては少なくとも実演に接したことのある日本人ピアニストの中では最高である。韓国人ピアニストのキム・ソヌクを京都市交響楽団の定期演奏会で初めて聴いた時も余りの巧さに驚いたのだが、それに匹敵するほどの超絶技巧の持ち主と見ていい。音にクッキリとした輪郭があり、いかなる時も音に淀みや歪みはなく、あるべき時にあるべき場所に音がはまっていく。シャープな感受性の持ち主であることも察せられ、まさに21世紀スタイルの日本人ピアニストの登場と書いても過言ではないほどだ。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番であるが、第1番とは違い、ニコライ・ルビンシテインから高く評価されている。初演もニコライがピアノを弾く予定だったのだが、それに至る前にニコライは逝去。初演はニコライの死の翌年にセルゲイ・タネーエフのピアノ、ニコライの兄であるアントン・ルビンシテインの指揮によってモスクワで行われ、大成功を収めた。ただ、その後、評価は落ちてしまったようである。
曲調や表情がコロコロと変わるため、作曲者の意図が今ひとつはっきりしないというのも理由の一つだと思われる。第2楽章でヴァイオリンとチェロのソロがピアノをそっちのけにして掛け合いを続けるというのもピアノ協奏曲としては奇妙である(第1楽章のカデンツァなどに超絶技巧が必要とされるため、ピアニストに休む時間を与えたと考えることも出来るように思う)。今日は泉原隆志とチェロの中西雅音(まさお)が情熱的なソロを奏でた。
反田の壮演に会場は沸きに沸き、スタンディングオベーションを行う人が多数。ポピュラー音楽のコンサート並みに盛り上がる。

最後に反田はピアノの蓋を閉じて、京響のメンバーの顔が見えるようにして拍手を送るというパフォーマンスを見せた。


次いで、午後5時30分から、サウスホールでリレーコンサートC「河村尚子ピアノ・リサイタル~偉大なるベートーヴェン~」を聴く。

曲目は、ピアノ・ソナタ第26番「告別」、ピアノ・ソナタ第27番、ピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」

現在、連続してベートーヴェンのピアノ・ソナタの演奏に取り組んでいる河村尚子。CDのリリースも始まっている。

今日は最前列。選んだのではなく、コンピューターが勝手に割り振った席である。クラシックのコンサートでは最前列は演奏者に近いがその割に音が飛んでこないので敬遠されることが多く、余り期待していなかったのだが、かなり音が良い。上からピアノの音が降ってくるような音響である。サウスホールはステージが高めなので、ピアノの蓋に当たった音が直接最前列に降りてきたのだと思われる。

河村尚子の描くベートーヴェンであるが、やはり凄い。壮絶である。反田恭平が天に羽ばたくようなピアノを弾くなら、河村尚子は地上を駆け抜ける駅馬車のような重厚なピアノで勝負する。表現の幅が広く、優れたピアニストが再創造者であることを確認させられるような優れたベートーヴェンであった。

今日はアンコールがある。河村が昨日一昨日とNHK交響楽団との共演で矢代秋雄のピアノ協奏曲を弾いたということで、矢代秋雄が書いた4手のためのピアノ曲「夢の舟」を岡田博美が2手のために編曲したものを弾く。友人であった三善晃の作品にも通じる穏やかな抒情美を讃えた作品であった。
 

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2019年4月27日 (土)

コンサートの記(549) 秋山和慶指揮 京都市交響楽団第576回定期演奏会

2014年2月23日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第576回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はベテランの秋山和慶。1941年生まれで桐朋学園大学音楽学部を卒業(6歳年上の小澤征爾の時代には桐朋学園に四大はなく、短大しかなかったので、小澤の短大卒業直後に改組が行われたのだと思われる)、東京交響楽団を指揮してデビューし、その後、東響とは音楽監督・常任指揮者として40年以上に渡ってコンビを組むことになる。
一方、北米でも活動を行い、トロント交響楽団副指揮者を皮切りに、アメリカ交響楽団音楽監督、バンクーバー交響楽団音楽監督(現・桂冠指揮者)、シラキュース交響楽団音楽監督(現・名誉指揮者)など、カナダとアメリカで活躍している。
近年は、日本の地方オーケストラの涵養に力を入れており、広島交響楽団音楽監督・常任指揮者を務め(2008年に広島市民賞受賞)、ついこの間まで九州交響楽団の首席指揮者でもあった(現・桂冠指揮者)。中部フィルハーモニー管弦楽団という歴史の浅いオーケストラのアコースティック・ディレクター兼プリンシパル・コンダクターの座にもある。

プログラムは、メルキュールのオーケストラのための「トリプティーク」、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番(ピアノ独奏:児玉桃)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。「春の祭典」はいくつか版があるが、今日は短めの版を使っていたことだけは間違いない。


2時10分から、司会者と秋山和慶によるプレトークがある。映画「ファンタジア」や「オーケストラの少女」などでも知られる指揮者のレオポルド・ストコフスキーが来日して読売日本交響楽団を指揮した時のこと。本番を終えて、ホテルでテレビを見ていたストコフスキーがクラシックの番組に出て指揮をしていた秋山を発見。ストコフスキーは、一目で秋山の素質を見抜き、「こいつは誰だ? アメリカに呼んでこい」とお付きの人に命令したという。秋山はストコフスキーが創設したアメリカ・シンフォニー(アメリカ交響楽団のこと)に2、3度客演し、その後、ストコフスキーの後を襲ってアメリカ・シンフォニーの2代目の音楽監督に就任したという。ストコフスキーが秋山の映像を見て感服したのはわけがあり、秋山は齋藤秀雄の愛弟子であり、齋藤メソッドを本人から直接たたき込まれていて、無駄のない均整の取れた指揮をすることが可能だったのである。齋藤メソッドの教則映像は今でも出ているが、そこに秋山は出演しているそうだ。

 

メルキュールはカナダ人の作曲家である。秋山がバンクーバー交響楽団の音楽監督をしていた時代にその存在を知ったそうで、交通事故により38歳の若さで世を去った作曲家だという。1927年生まれで、現役の音楽家でいうと、ヘルベルト・ブロムシュテットと同い年ということになる。カナダのフランス語圏であるケベック州に生まれ育ち、ケベック音楽院の他にパリ音楽院でも学び(パリの水は合わなかったそうだ)、ニューイングランドのタングルウッドでは十二音技法も学んだが、懐疑的だったのか作曲に取り入れることはなかったという。だからといって保守的な作曲家というわけではなく、秋山によるとオーケストラのための「トリプティーク」は二部構成だが、一部と二部の間に鏡を置いたように、二部は一部の逆構成になっているという。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」について秋山は、「今はオーケストラのメンバーも素知らぬ顔で演奏していますが、初演のえらい騒ぎだった」と音楽史上に残る大スキャンダルについて触れる。「生卵がステージに投げ込まれたそうで、今日は生卵を投げつけられることはないと思いますが」と語る。
ストラヴィンスキー作曲のロシア・バレエ団による「春の祭典」は、セルゲイ・ディアギレフの主催、ヴァーツラフ・フォミッチ・ニジンスキーの振付、ピエール・モントゥーの指揮により、シャンゼリゼ劇場で行われたが、ストラヴィンスキーの音楽が始めると同時に客席がざわつきだし、やがて怒号や口笛、嘲笑などで劇場は満たされたという。ストラヴィンスキーの音楽についてサン=サーンスは「ファゴットの使い方を知らない奴が現れた」と不快感を示しており、音楽的にも型破りで理解されにくかったことがわかるが、音楽以上に原始時代を舞台にした生け贄の儀式を描いたストーリーが問題だったようで、オーケストラ演奏のみによる「春の祭典」初演は成功している。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。渡邊穣がフォアシュピーラーに回る。首席クラリネット奏者の小谷口直子は前後半共に出演。首席フルート奏者の清水信貴と首席オーボエ奏者の髙山郁子は後半のみの出演である。

 

メルキュールのオーケストラのための「トリプティーク」。冒頭は武満徹の作品を思わせる弦楽による美しいハーモニー奏でられ、それから伊福部昭のようなプリミティブな迫力に満ちた音楽となる。いずれも日本人作曲家の名前で例えることが出来るが、それだけ日本人のクラシックファンに取っては受けいれやすい音楽だということである。秋山も「これは日本でも受ける」と思って取り上げたのであろう。第二部は勢いよく始まり、徐々にディミニエンドして、冒頭の弦楽合奏で終わる。本当に鏡を真ん中に置いたような構成である。
秋山の指揮は端正で明快。どの楽器に何を望んでいるのかが手に取るようにわかる。齋藤メソッドの威力は伊達ではないようだ。

 

モーツァルトのピアノ協奏曲第23番。ピアノ独奏の児玉桃は、幼少時にヨーロッパに渡り、現在もパリ在住で、日本生まれで国籍も日本だが中身はヨーロッパ人という、かなりありがちな背景を持つ人である。ただ、近年は日本で演奏することも多く、ここ1年間でも何度も彼女のピアノをコンサート会場で聴いている。
児玉の武器は煌めくようなタッチであり、今日も輝かしいモーツァルト演奏が展開される。孤独感が滲む第2楽章も単にセンチメンタルなだけでなく、思索しながら歩いているような深みのある音楽を生み出していた。
秋山クラスなら、ピリオド・アプローチとは無縁だろうと思っていたが、弦楽の響きは旧来のロマンスタイルではなくタイトであり、秋山であってもピリオドに無関心ではいられないほどピリオドは世界的に広まっているようである。中編成での演奏であったが、ヴァイオリンは第1第2共に10人と多めなのに対し、ヴィオラとチェロは6、コントラバス3など、低弦はかなり刈り込んだ不思議な編成での演奏となった。

 

ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。安定感抜群の演奏が展開される。初演の際に聴衆に衝撃を与えた「春の祭典」も今では現代音楽の中の古典。エンターテインメント音楽である。
秋山は京響の威力を存分に発揮させつつ、力尽くにはならない上品な演奏を繰り広げる。輝かしく、美しく、迫力にも欠けない演奏であった。

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2019年4月25日 (木)

コンサートの記(548) 小林研一郎指揮 京都市交響楽団第575回定期演奏会

2014年1月24日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第575回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は今や日本人指揮者界の大御所的存在になった小林研一郎。熱狂的な信者と異端の指揮者扱いするアンチがいるという、一人AKBのような指揮者である。「炎のコバケン!」のキャッチコピーでお馴染みの情熱的な音楽作りをする人だ。東京藝術大学作曲科を卒業後、同大学指揮科に再入学。東京藝術大学には編入制度はないため、1年間、受験勉強をして一般入試を受けての再入学であった。というわけで、大学卒業時には27歳になっていた。当時は今よりも指揮者コンクールの受験資格が厳しく、25歳以上はお断りだったのだが、1974年に始まることになったブダペスト国際指揮者コンクールは25歳以上でもOKだったため、それを受けて優勝。以後、ハンガリーとは長い付き合いが始まる。ハンガリー国立交響楽団(現・ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)の音楽総監督を長きに渡って務め、1985年から2年間だけだが京都市交響楽団の常任指揮者も務めている(当時は出雲路にある練習場が出来る前で、廃校になった小学校を練習場にしていたのだが、冬になるとすきま風がとても寒かったと、小林は後に記している)、90年代には東京のオーケストラの中で財政的に最も苦しかった日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を引き受け、レベル・アップに貢献している。

プログラムは、ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(通称:メンコン。ヴァイオリン独奏:三浦文彰)、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」(パイプオルガン独奏:長井浩美)。

ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲。個人的には余り好きな曲ではないのだが、何故か京響のプログラムには良く載る曲である。小林は指揮棒を振るのではなく、右手を下からサッと差し出し、ホルンにスタートの合図を送る。
今日の小林は、握る箇所のかなりしっかりとした独自の指揮棒を使用。握る部分だけ見ると、ラケットのそれのようである。
京響は、クリアで立体感のある音を奏でる。まずは上々の滑り出しである。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストの三浦文彰は1994年生まれの若手。両親ともにヴァイオリニストという家庭に生まれ、3歳からヴァイオリンを始める。2006年にユーディ・メニューイン国際ヴァイオリンコンクール・ジュニア部門2位。2009年にはハノーファー国際コンクールに史上最年少で優勝。才能を買われて、NPO法人イエロー・エンジェルからJ.B.Guadagniniという名器を貸与されている。
その三浦のヴァイオリンであるが、音はゴージャスというかジューシーというか、華麗で肉厚でありながら決して重苦しくはならない。まだ頭の中にある楽譜をなぞって弾いている感じで、再創造の領域には達していないが、この若さでこれだけの音楽が生み出せるなら大したものである。
コバケンさんの演奏会には、コバケン信者も当然ながら詰めかけているので、普段の演奏会よりも盛り上がる。
三浦は、ヴュータンの「ヤンキードゥードゥル」を弾く。序奏の後で、「アルプス一万尺」の変奏曲が奏でられるというものである。メンデルスゾーンでは表現面で難しいものがある(メカニック面もそうだが、過去の大ヴァイオリニストが弾いていて録音もしているので、どうしても比較される)が、ヴォータンの作品では技巧一本勝負。三浦は聴衆を圧倒する。

サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」。京都コンサートホールにはパイプオルガンがついているので、この曲に接する機会も多い。
小林と京響は、オルガンなしで、オルガンに近い響きを作り上げる。その後、力強さが加わり、弦は熱演で少し濁るが、代わりに金管が透明感ある音を築く。
第1楽章第2部で、オルガンが入ると、弦も澄んだ感じを取り戻す。小林の歌は良く言うと日本的、悪く言うと演歌調である。彼個人の資質なのか、彼が生まれた年代の影響なのかはよくわからない。
第2楽章の入りも他の指揮者とは違う(第1部では唸り声もかなり聞こえた)。いずれにせよサン=サーンスよりは小林研一郎の存在を強く感じさせる演奏であった。

私の好みとは異なるサン=サーンスではあったが、コバケンさんの力演を堪能することが出来た。

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2019年4月18日 (木)

コンサートの記(545) 井上道義指揮 京都市交響楽団第633回定期演奏会

2019年4月12日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第633回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は井上道義。

オール・プロコフィエフ・プログラムで、組曲「キージェ中尉」、ピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:イリヤ・ラシュコフスキー)、「ロメオとジュリエット」組曲から(井上道義セレクション)が演奏される。

ショスタコーヴィチのライバルだったプロコフィエフ。二人は犬猿の仲であったと伝わるが、基本的にショスタコーヴィチ作品を得意としている演奏家はプロコフィエフ作品でも優れた出来を示すことが多い。

今日のコンサートマスターは客演の石田泰尚。フォアシュピーラーは泉原隆志。今日はチェロ客演首席にNHK交響楽団の首席チェロ奏者である「藤森大統領」こと藤森亮一が入る。第ヴァイオリンの客演首席は大森潤子。武貞茂夫が定年で抜けたテューバには北畠真司が客演で入る。
独自の配置が採用されており、ヴァイオリン両翼だが位置は現代配置のヴィオラと入れ替わり。コントラバスはヴィオラの背後の位置。通常は下手に陣取るホルンは今日は上手に回る。


午後6時30分から井上道義によりプレトークの予定だったが、6時40分からに変更になる。井上が癌の後遺症で唾液が余り出ないので、長い時間喋れないらしい(更にインフルエンザが治ったばかりだったようだ)。
井上はまず、「桜の咲く季節は大嫌いです」。「寒いから」ということなのだが、花見に行くにはということのようで、夜桜を見に行っても井上は「寒いから帰る」という方なので花見がそもそも嫌いらしい。
バレエ「ロメオとジュリエット」のラストをプロコフィエフが「死んだら踊れない」ということでハッピーエンドにしようとしたことを挙げて、「(プロコフィエフ)は希望を抱くロマンティストであったのだが変にリアリスト」であったと語る。
「アンティル諸島の娘たちの踊り」は、百合の花を持って踊られるのだが、百合の花は日本でいうところの菊の花に相当し、葬儀の意味があるのだそうである。


組曲「キージェ中尉」。元々は映画音楽として書かれたものを演奏会用にまとめたものである。映画そのものを観たことはないのだが、実在しないキージェ中尉を皇帝が気に入ってしまったため、周囲が振り回されるという筋書きはよく知られている。録音ではコダーイの組曲「ハーリ・ヤーノシュ」とカップリングされることが多い曲である。

拍手が止んですぐに、舞台袖で西馬健史がコルネットを吹き始めてスタート。プロコフィエフは意欲的な表現に取り組んだことで知られるが、この曲でも相反する要素が同時進行するなど、前衛的な表現が聴かれる(特に目立つ場所に置かれたコントラバスは変わったことをしているのが確認出来る)。
京響自慢のブラスは輝かしく、弦も鋭さと温かさを兼ね備えた優れた表現を聴かせる。
井上は体をくねらせて踊るユーモラスな指揮を見せた。


ピアノ協奏曲第3番。ソリストのイリヤ・ラシュコフスキーは1984年、シベリア・イルクーツク生まれの若手。5歳でピアノを始めて、8歳の時にはイルクーツク室内オーケストラと共演という神童系である。シベリア最大の都市であるノボシビルスクの音楽学校で学び、1995年にイタリアのマルサラ市で行われた国際コンクールで優勝。98年にはウラジミール・クライネフ国際コンクールでも優勝を飾り、2000年にハノーファー音楽学校(ハノーファー演劇音楽大学と同じ学校かどうかは不明)に入学して、そのウラジミール・クライネフに師事している。その後も多くのピアノコンクールで優勝や入賞を経験し、2012年に第8回浜松国際ピアノコンクールで優勝。この時から井上道義に評価されていたがなかなか共演の機会がなく、今日が初共演となるようである。

ラシュコフスキーは、渋みとリリシズムを兼ね備えたピアノを披露。高度な技術が印象的である。
京響はベストな響きではあったが、鋭さと音量共にこの曲の伴奏としては弱めである。それだけプロコフィエフの演奏が難しいということでもあり、プロコフィエフのピアノ協奏曲は演奏家泣かせであることでも知られている。

ラシュコフスキーのアンコール演奏は、ラフマニノフの「楽興の時」第4番。情熱と表現力を兼ね備えた秀演であった。


「ロメオとジュリエット」組曲より(井上道義セレクション)。演奏されるのは、「モンタギュー家とキャピュレット家」「朝の踊り」「ロメオとジュリエット」「情景」「メヌエット」「朝のセレナーデ」「アンティル諸島の娘たちの踊り」「タイボルトの死」「ジュリエットの死」

管楽器の冴えがやはり印象的である。今日は木管の首席は「ロメオとジュリエット」のみの参加であったが、技巧面でも表現面でもハイレベルである。打楽器群の力強い響きも見事だ。
井上の表現も巧みで、強弱や緩急の切り替え、甘美さとシニシズムの対比などプロコフィエフの面白さを十全に表していた。

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