カテゴリー「京都市交響楽団」の61件の記事

2018年5月27日 (日)

コンサートの記(390) 広上淳一指揮京都市交響楽団第623回定期演奏会

2018年5月20日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第623回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

演目は、レナード・バーンスタインの交響組曲「波止場」、ショスタコーヴィチの交響曲第9番、バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」(ピアノ独奏:河村尚子)。バーンスタイン生誕100年記念といってもいいプログラムである。

開演30分前から広上淳一と京響シニアマネージャー代行兼チーフマネージャーの柴田智靖によるプレトークがある。4月からオーケストラの登場の仕方が変更になったため、プレトークの開始も10分早くなったそうである。アムステルダム・コンセルトヘボウでバーンスタインの助手を務めたこともある広上淳一。レナード・バーンスタイン(愛称:レニー)の弟子はとても多く、広上も、小澤征爾、大植英次、佐渡裕、大野和士らがレニーの弟子であることを紹介する。

ショスタコーヴィチの交響曲第9番であるが、交響曲第9番というのは作曲家にとって運命の数字でもある。ベートーヴェンが交響曲を9曲書いて他界したが、今では7曲ということになったものの以前の解釈ではシューベルトも9番まで、そしてブルックナーも9番まで書いて亡くなった。ドヴォルザークも今では初期交響曲にも番号が付けられて9曲までとなっている(私が小学生の頃の音楽の教科書には「新世界」交響曲の番号がまだ5番であった)。マーラーは交響曲第9番を書いたら死んでしまうのではないかと怖れ、9番目の交響曲には番号を付けず「大地の歌」とした。だが、結局は交響曲第9番を書くことになり、悪い予感が的中して、第9番が遺作となった。ということで特別な番号であり、ソビエト当局はショスタコーヴィチにベートーヴェンの第九に匹敵する曲を期待したのだが、ショスタコーヴィチはどちらかというとおちゃらけた感じの曲を書いてしまう。先にショスタコーヴィチとリヒテルによるピアノ2台版の試演会が行われ、放送によって世界配信されたのだが、ソビエトのみならず世界的な失望を買ってしまった。それでもエフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団による初演は好評だったが、ジダーノフ批判を受けて、以後しばらくの間はショスタコーヴィチ作品のソビエト国内での演奏が禁じられてしまう。
広上によるとレニーはこの曲をしばしば取り上げていたそうで、その理由を「この世のあらゆるものが含まれているから」と説明していたそうである。なお、バーンスタインはこの曲をウィーン・フィルハーモニーを指揮してドイツ・グラモフォンにライブ録音しているが、今に至るまでこれを凌ぐ録音は出ていないと断言していいほどの名演である。

バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」の解説にはピアノ独奏の河村尚子も加わる。河村はこの曲の性質を「トリッキー」と語り、「常に黄色信号が出ていて、よそ見をしていると落とし穴に嵌まってしまう」と話す。日本人ピアニストの河村だが身振り手振りが大きく、ドイツで育ったことが現れていた。
河村と広上は7年前にオーケストラ・アンサンブル金沢の定期演奏会で、ヒンデミットの「四つの気質」で共演したのだが(私も金沢まで聴きに行った。調べたら6年前だったが、もうそんなになるのか)、バーンスタインはヒンデミットの音楽を高く評価しており、ヒンデミット的な要素をこの曲で取り入れたのではないかと河村は推理していた。

今日のコンサートマスターであるが、客演の須山暢大(大阪フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター)が務める。フォアシュピーラーは泉原隆志。4月から京響のコンサートマスターは泉原の一人体制になったのだが、2度目の定期にして早くも客演コンサートマスターが入ってしまうという異様な事態になってしまっている。

バーンスタインの交響組曲「波止場」。エリア・カザン監督の映画のための音楽として書かれたものをコンサート用に編み直したものである。私が持っているレニー自作自演の「ウエストサイド・ストーリー」全曲版のフィルアップに交響組曲「波止場」自作自演(オーケストラはイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団)が入っているのだが、今もこの組み合わせで出ているのかどうかはわからない。
広上はバーンスタインについてクリーニング屋の息子で余り裕福ではなかったと語ったが、文献に基づくとバーンスタインの父親のサミュエル・バーンスタインは理髪店を営み、パーマネントのための機器を独自に発明した発明家でもあった。サミュエルは特許料で稼ぎ、アメリカン・ドリームの体現者となる。息子にも家業を継がせたいと考えていたサミュエルだが、息子のレナードは意に反して音楽家への道を歩むことになる。ハイスクールを卒業したレナードはカーティス音楽院かジュリアード音楽院に進みたかったのだがサミュエルがそれを許さず、妥協の結果、レナードはハーバード大学音楽学部に進学する。世界最高の大学ともいわれるハーバード大学だが音楽学部に関してはカーティスやジュリアードより格下。レナードは満足出来ずに、その後、カーティス音楽院で学ぶことになる。バーンスタイン親子の関係はその後も複雑であったようだ。
いかにも映画音楽的な楽曲である。最初のホルンで示されるテーマがその後、様々な楽器で繰り返される。盛り上がりの部分はこの楽曲の冒頭部分によく似ているが、偶然だと思われる。
広上と京響のコンビの充実が確認出来る好演であった。

ショスタコーヴィチの交響曲第9番。全曲の演奏時間が5楽章で25分程度と短いこともあり、軽めの楽曲と目されているが、ユーモラスな感じがするのは第1楽章と第5楽章のみであり、他はシリアスな音楽が続く。
古典的な造形といわれることもある。そういえば、ショスタコーヴィチと犬猿の仲といわれたプロコフィエフの交響曲第1番「古典」は古典的造形そのものだが、多分、関係はない。
レニーとウィーン・フィルによる演奏はスケール豊かな、悪くいうと肥大化した音楽であったが、広上と京響はタイトにしてパワフルというこの曲本来のスタイルを採用。推進力にも富んでいたが、この曲の苦み走った面を強調するのが広上らしい解釈である。

バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」。イギリス出身でアメリカに帰化した詩人のW.H.オーデンの長編詩に基づく交響曲である。オーデンの長編詩「不安の時代」は邦訳も出ており(日本語で読むと詩というより完全な物語文という印象を受ける)私も読んでみたことがあるのだが、長い上に余り面白くなかったので途中でリタイアしてしまった。
ピアノ独奏と含む交響曲という比較的珍しいスタイルを取っているが、宗教や思想の影響の強い交響曲第1番「エレミア」や交響曲第3番「カディッシュ」よりはわかりやすく、バーンスタインの交響曲の中ではおそらく最も演奏される機会が多いと思われる。初演はクーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団によって行われ、バーンスタインはピアノソロを受け持った。
この曲は、レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団盤(ピアノ独奏:ルーカス・フォス)、ジェイムズ・ジャッド指揮フロリダ・フィルハーモニー管弦楽団盤(ピアノ独奏:ジャン=ルイ・ストイアマン)などで聴いており、「いかにもアメリカ的な交響曲」という印象を受けたが、広上と京響の生む音色はどちらかといえばヨーロッパのオーケストラに近く、マーラーやショスタコーヴィチとの類似点が確認出来るのが興味深いところである。またそれによってシリアスで痛烈な印象も強まる。

日本の若手としてはトップクラスのピアニストとなった河村尚子(ただし音楽教育は全てドイツで受けている)。ハノーファー国立音楽演劇大学大学院ソリスト課程を修了。ミュンヘン国際コンクールで2位入賞、クララ・ハスキル国際コンクールでは優勝に輝く。今年は出身地の西宮市にある兵庫県立芸術文化センターでベートーヴェン・シリーズを行い、京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタでもオール・ベートーヴェン・プログラムによるリサイタルを行う予定である。現在はドイツ・エッセンのフォルクヴァング芸術大学教授。東京音楽大学ピアノ科の特任講師として現在も大学のホームページに名前があるが、ページ自体が更新されていないので今はどうなっているのかわからない。
今日はピアノは蓋を取り払って指揮者と対峙する位置に据えられている。
色彩感豊かなピアノを弾く人であるが、今日は高音の豊かさに魅せられる。ピアノを弾いたことがある人ならわかると思うが、鍵盤の右端に近い高い音は基本的に痩せた音しか出ない。ただ、今日の河村の弾く高音はボリュームがあって美しいのである。どうやったらああした音を出せるのかわからない。
この曲ではジャズテイストの旋律が登場するのが特徴であるが、その語り口が上手くいっているのかは私にはよくわからない。私もジャズピアノは聴くが、いずれもクラシカルな要素が強いピアニストばかりだ。プレトークでの河村本人のコメントによると「ジャズは好きだがジャズを弾くのは初心者」だそうである。

ちなみに第1部おける変奏曲の主題はグレゴリオ聖歌の「怒りの日」の模倣のように思われるのだが、そういう指摘は今まで行われていないようである。


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2018年5月14日 (月)

コンサートの記(382) 井上道義指揮 第9回「現代日本オーケストラ名曲の夕べ」

2008年4月25日 京都コンサートホールにて

午後7時より京都コンサートホールで、第9回「現代日本オーケストラ名曲の夕べ」というコンサートを聴く。2000年に始まり、毎年開催されているコンサートだが、毎回開催地が異なる。第1回は東京文化会館で行われ、それから大阪、前橋、金沢、名古屋、東京・初台の東京オペラシティコンサートホール、福岡、山形と来て、今年は京都での開催になった。

今回の指揮は井上道義。オーケストラは「京都市交響楽団を中心としたオール・ジャパン・シンフォニー・オーケストラ」。

オール・ジャパン・シンフォニー・オーケストラを名乗るにあたって、宣伝チラシやプログラムにも「京都市交響楽団を中心とした」と枕を入れているが、そこから察せられるように、オーケストラメンバーの大半は京都市交響楽団の団員である。だから、正確に記すなら、「ほぼ京都市交響楽団によるオール・ジャパン・シンフォニー・オーケストラ」になる。米軍が戦争を仕掛けるときに、大半がアメリカ軍でありながら、国×軍や多○籍軍を名乗るのと同じようなものである。他のプロオーケストラからの参加は20名足らず。他のプロオーケストラだって今の時期は定期演奏会を始めとした多くのコンサートを開いているのだから、そこの奏者が大挙ホームグラウンドを離れて京都に押し寄せるということは不可能である。
これまでの開催地も全てプロオーケストラの所在地(群馬交響楽団の本拠地は高崎市だが、前橋市も群馬県の県庁所在地であり、群馬交響楽団の演奏会も数多く開かれている)であり、やはりそこのプロオーケストラを中心にオーケストラが編成されたのだろう。
なぜ単独のオーケストラでコンサートを行わないのかというと、「現代日本オーケストラの夕べ」は、社団法人日本オーケストラ連盟の主催するコンサートなので、やはり連盟に加わっている複数のオーケストラでやらないと意味が薄まるのだと思われる。
とはいえ、私の予想では「関西の楽団か、遠くても名古屋のオケのメンバーしか来ないのかな」と思っていたが、関西圏や名古屋圏のみならず、山形交響楽団や群馬交響楽団、読売日本交響楽団からも複数名が参加し、NHK交響楽団からも一人参加している。


曲目は、芥川也寸志の「オルガンとオーケストラのための『響』」、伊東乾(いとう・けん)の「天涯の碑」、石井眞木の交響詩「祇王」(陰影の譜)、指揮者である井上道義作曲の「メモリーコンクリート」

作曲家の知名度通り、というわけではないけれど、やはり芥川也寸志の作品が一番面白かった。作品名通り、「響」が面白く、またオーケストラが豪快に鳴る。

伊東乾の「天涯の碑」は1992年、京都市交響楽団の委嘱によって作曲された作品。作曲者の伊東乾も会場に来ていて、作品を演奏する前に井上に呼ばれてステージに上がり、話をする。パンフレットに曲の説明(天正少年使節がどうのこうの)が書かれているが、伊東本人によるとそれはポーズで、実際は伊東が子供の頃に他界した父への思いを託した曲とのことである。前半はいかにも日本の現代音楽的な響きが続くが、その響きの中から、チェロとコントラバスによって奏でられた讃美歌の旋律が何かの啓示のように突然現れ、その旋律がヴィオラ、第二ヴァイオリン、第一ヴァイオリンへと受け継がれていく。
初演時は、ベートーヴェンの第九との組み合わせで演奏されたそうで、旋律の受け渡しは第九の第4楽章を意識している。

当初の予定では、3曲目が井上の「メモリー・コンクリート」、4曲目が石井眞木の交響詩「祇王」(陰影の譜)であったが、京都コンサートホール内に曲順が入れ替わったという張り紙がしてあり、3曲目が石井眞木の、トリが井上の作品となった。井上本人も「ゴリ押しして」などとステージ上から語っていたが、井上と井上の作品の性格からいってそうなるだろうと思う。

交響詩「祇王」は、横笛奏者である赤尾三千子のために、赤尾の父親である石井眞木が作曲した作品。赤尾は龍笛、篠笛、能管の三種類の横笛を吹き、今様を唄う。
この手の作品の常として、大河ドラマの音楽を想起させるところがあったが、それなりに面白い。

で、井上道義の「メモリー・コンクリート」なのだが、予想通りというか何というか、井上がこれまで聴いてきた音楽の断片を取り入れるといった趣向の作品であった。「メモリー・コンクリート」について、以前、中瀬宏之さんと、「『これは私が子供の頃に好きだった曲で』、といった風の音楽なんじゃないか」と話したことがあるのだが、それに近いものであった(二人とも単に当てずっぽうで言ったのではなく、ショスタコーヴィチが交響曲第15番でそういったことをしているので、そこからの類推である)

演奏前に井上による解説があり、子供の頃にバレエをやっていた時に踊ったハワイアンや、やはり子供の頃に宝塚歌劇団が好きだったということで「すみれの花咲く頃」などのメロディーはそのまま出てくるということが知らされたが、それ以外にもそのまま出てきたのはショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」第1楽章より。それとわかるように出てきたのはグリーグの「ペール・ギュント」より“朝の気分”とリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」の冒頭。断片として出てきたのは「オー・ソーレ・ミオ」。童謡「故郷」の旋律に似たものも出てきたがはっきりとは確認出来ず。それ以外の旋律もどこかで聴いたもののパロディーが多い。
指揮者として忙しいことを表すために、動悸と息切れの音をオーケストラメンバーが出し、井上は指揮台の上で心臓を抑えて苦しんでみせてりもする。
曲の途中には、「指揮者のためのカデンツァ」なるものがあり、指揮者が音楽以外の何かをする場所とのこと。
そこに差し掛かったときに、井上にピンのスポットライトが当たり、他の照明は落ちる。で、井上がジャケットを脱ぐと、下にスーパーマンのTシャツを着ていることがわかる(「ツァラトゥストラはかく語りき」のパロディーもあったことだし、クラーク・ケントが変身するスーパーマンよりも、ニーチェ的な「超人」という意味に近いかも知れない)。井上はタップダンスを踊り、舞台袖から運ばれてきた花束から花を一本ずつ抜き取って京響以外のメンバーに渡し、舞台の床に隠すようにして置かれていた王冠をかぶってみたり、やはり床に隠すように置かれていた、くたびれた感じの帽子を出して物乞いの真似をしてみたりする。
それまでの3曲と違って、メロディーのはっきりした作品である。その旋律の大半が模倣だったり、オリジナリティに欠けていることもあって音楽としては今一つ。
チラシやパンフレットにはコンサートの副題として「道義の一押し」と書かれていたが、こうなるともう「道義の道義(みちよしのみちよし)」である。
この曲を3番目にやってしまったら、次に真面目な曲を演奏することは出来ないだろう。
個人的な感想を言うと、ショスタコーヴィチの交響曲第11番をそのまま入れてしまったのはまずかった。そこだけが迫真の響きで、他の部分がふやけたように聞こえてしまった。
音楽はともかくとして、やはり井上は自身が主役でありたいのだなということがわかる。井上は出来ることなら俳優にだってなりたいし、ハリウッド映画などにも出てみたいのだ。自身が主役なら指揮者でなくても、更には音楽でなくてもよいのかも知れない。

しかし、同時に、井上のインフェリオリティ・コンプレックスが浮き上がるのも見えた気がした。井上は心から音楽を愛しているわけではなく(インタビューでも本音かどうかはわからないが「指揮者には消去法でなった」と語っている)、それゆえに本気で音楽を愛している音楽家に対してコンプレックスを抱いているのではないか。コンプレックスがないのなら、カラヤンや井上の師であるチェリビダッケのように指揮だけをして堂々と「俺が主役だ」と威張っていたっていいのだ。井上が他のことまでやってしまうのは、「僕って凄いでしょ」と示すと同時に「指揮者になって間違ってなかったでしょ」という承認を聴衆に求めているような気がした。「指揮者になって間違ってなかったでしょ。音楽に何時間でものめり込めて、音楽や指揮をすることに何の疑問も持たない音楽家が出来ないことをするんだから」

もちろん井上には指揮者としての才能がある。だが、才能がある、それも多方面に渡る才能があるゆえに迷い続けている人の寂しさを見てしまったようで、複雑な気持ちになった。

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2018年5月 9日 (水)

コンサートの記(380) 沼尻竜典指揮 京都市交響楽団 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2018 クロージングガラコンサート

2018年5月5日 びわ湖ホール大ホールにて

午後5時30分から、メインホールで、沼尻竜典指揮京都市交響楽団ほかによる「クロージングガラコンサート」を聴く。ガラコンサートというと正装が必要な場合がある。音楽祭の一環としてのガラコンサートなので、ドレスコードはないはずだが、今日はこちらも特別にネクタイは締めて行った。たまには正装して臨むのもいいだろう。

大ホール外のメインロビーでも無料演奏会が行われており、午後4時40分からは、日本センチュリー交響楽団のクラリネット奏者である吉岡奏絵が、ピアノの寺嶋千紘と共にチャイコフスキーの「くるみ割り人形」を基にした変奏曲(A・シャボー編曲)の演奏で聴衆を沸かせていた。

クロージングガラコンサートの曲目は、ロッシーニ没後150年を記念した歌劇「ウィリアム・テル」序曲より“スイス軍の行進”と同じく歌劇「ウィリアム・テル」よりアリア“暗い森、寂しい荒野”(ソプラノ独唱:森谷真理)、ウェーバーのクラリネット・コンチャルティーノとドビュッシーのクラリネットのための第1狂詩曲(クラリネット独奏:マイケル・コリンズ)、プッチーニの歌劇「トスカ」よりアリア“星は光りぬ”(テノール独唱:市原多朗)、ラヴェルの「ボレロ」

京響の男声楽団員達は蝶ネクタイを着けての登場。指揮者の沼尻竜典も蝶ネクタイ姿である。
沼尻は今日も全曲ノンタクトでの指揮である。

「ウィリアム・テル」序曲より“スイス軍の行進”は京響の金管群の輝かしい響きが印象的な演奏である。

演奏終了後、沼尻はマイクを片手に挨拶。「私の世代ですと、この曲は『俺たちひょうきん族』のテーマというイメージなのですが、若い人はピンとこないようで」と語る。
沼尻はロッシーニについての解説を行う。「ウィリアム・テル」はロッシーニ最後のオペラであるが、37歳の時にこの作品を書いて以降はオペラの作曲家を辞めて美食評論家になったということなどについて。

ロッシーニは、ベートーヴェンと同時代人であり、ロッシーニオペラの人気はベートーヴェンを震撼させたのだが、あっさりとリタイアし、悠々自適の生活を送るという、珍しい経歴を持つ。本人が余り音楽に執着がなかったのかも知れないが、ロッシーニのオペラは作曲者の死後には上演される機会がほとんどなくなってしまい、序曲だけが名曲として演奏会で取り上げられるということが続いている。一方で、アルベルト・ゼッダなどロッシーニのスペシャリストとされる演奏家も何人かいる。

歌劇「ウィリアム・テル」よりアリア“暗い森、寂しい荒野”。独唱の森谷(もりや)真理は栃木県小山市出身。武蔵野音楽大学を卒業後、同大学院を首席で修了。渡米してマネス音楽院に留学し、プロフェッショナルコースを修了。現在はウィーン在住である。第5回ヴェロニカ・ダン国際声楽コンクールなどで優勝し、パームビーチオペラの「魔笛」夜の女王役でオペラデビュー。2014年には、びわ湖ホールの「リゴレット」で日本デビューを果たしている。

声のコントロールが巧みであり、表情も細かい。本当に自由自在という印象を受ける。

続いて、マイケル・コリンズが登場する、ウェーバーのクラリネット・コンチャルティーノとドビュッシーのクラリネットのための第1狂詩曲。
マイケル・コリンズは、1962年イギリス生まれ。8歳でクラリネットを始め、16歳の時にBBCヤング・ミュージシャン・オブ・ジ・イヤーに輝いている。フィルハーモニア管弦楽団の首席クラリネット奏者を経て現在は指揮者としても活躍しており、シティ・オブ・ロンドン・シンフォニアの首席指揮者も務めている。

ウェーバーもベートーヴェンの同時代人で、いかにもドイツロマン派の作曲家らしい作風を示している。これに比べるとドビュッシーの作品は明らかに異質であり、ドビュッシーの登場が音楽史上におけるエポックメイキングであったことがわかる。

マイケル・コリンズは技巧難度最高レベルのソロを楽々と吹いていく。ドビュッシーの演奏終了後、沼尻はマイケル・コリンズについて「難しいはずなのに余裕を持って吹いているのが凄い。しかも目を合わせてくれる。私どもの伴奏もとても難しいので、こちらも余裕を持って、と言いたいところなんですが」と語った。

プッチーニの「トスカ」より“星は光りぬ”。テノール独唱の市原多朗は日本テノール界の大御所的存在である。「本間様には及びもせぬが」で有名な山形県酒田市出身。東京芸術大学及び同大学院修了。
沼尻は、かなり前にNHKニューイヤーオペラで市原と「星は光りぬ」をやったことがあるそうである。その時の苦労話も話したのだが、「ここだけの話ということで」「Twitterに書かないで下さい」と話していた。沼尻も喋りは達者である。指揮者の場合、トークが苦手だと仕事が減りそうな傾向がある。

市原は貫禄の歌唱を披露。とにかくドラマティックである。アンコールもあり、「オー・ソレ・ミオ」が朗々と歌われた。

ラヴェルの「ボレロ」。沼尻は「ボレロ」について、「変奏曲、メロディーを変えるのではなく、音色を変えていくという、まあ何と斬新な」と語る。その後、珍しい楽器が用いられているというので、オーボエ・ダモーレやソプラノサックス、テノールサックスなどが紹介される。
ラヴェルはバレエ音楽として「ボレロ」を作曲。ラヴェル本人は手慰みのつもりで書いたといわれているが、作曲者の意図に反して、現在では最も有名なラヴェル作品として認知されている。

やや速めのテンポを採用。「ボレロ」の場合、指揮者が楽団に委ねてしまう場合もあるのだが、沼尻は最初から最後まで指揮を続けた。


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2018年5月 7日 (月)

コンサートの記(377) 沼尻竜典指揮 京都市交響楽団 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2018 オープニングコンサート

2018年5月4日 びわ湖ホール大ホールにて

今年から始まった「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」まずは大ホールで、沼尻竜典指揮京都市交響楽団によるオープニングコンサートがある。午前11時15分開演。

びわ湖ホールの音楽監督である沼尻竜典は、近江の春 びわ湖クラシック音楽祭2018のプロデューサーでもある。昨年まではびわ湖ホールでラ・フォル・ジュルネの大津公演が行われていたが、金沢に次いで大津も独立、新たにびわ湖ホールを中心とした音楽祭を立ち上げた。今年は沼尻指揮京都市交響楽団と大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団が軸となり、有名ソリスト達が独自色の濃いリサイタルを散りばめていくという構成である。

オープニングコンサートの曲目は、ソプラノの中村恵理が独奏を務めるグノーの「ロメオとジュリエット」より“私は夢に生きたい”とジーツィンスキーの「ウィーン、わが夢の町」、そしてドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」である。上演時間約1時間の公演。

独唱者の中村恵理は、近年ヨーロッパでの評価を高めている歌手。兵庫県出身。大阪音楽大学、同大学院、新国立劇場オペラ研修所を経てオランダでも学ぶ。2008年にイギリスのロイヤル・オペラにデビュー。2010年からはウォルフガング・サヴァリッシュが長年総監督を務めたことでも知られるバイエルン国立歌劇場の専属歌手として6年に渡って活躍。2016年にはウィーン国立歌劇場デビューも果たしている。


グノーの「ロメオとジュリエット」より“私は夢に生きたい”。響きが良いことで知られるびわ湖ホール大ホール。京都市交響楽団の立体感をともなった緻密なアンサンブルを聴き取ることが出来る。中村恵理の歌声はパワフル。残響が長いので耳にはビリビリとした感じで伝わってくるが、声の美質はよくわかる。

演奏終了後、沼尻は、マイクを片手に「おはようございます」の挨拶(コンサートで聴衆に向かって「おはようございます」を使うことは稀である)の後で、音楽祭のタイトルが覚えにくいというのでお客さんと共に唱和。「これで覚えて貰ったと思います」と語る。『私は夢に生きたい』は、音楽祭の今年のテーマとなっているが、「昨今、『そんなこと言ってないで稼げることをしなさい』という風潮があるように感じますが、そこに逆らうように敢えて付けた」そうである。今日の沼尻は全曲ノンタクトでの指揮であった。


ジーツィンスキーの「ウィーン、わが夢の町」。近年、聴く機会が増えている曲でもある。中村の朗らかな歌唱と、京響のグラデーション豊かな伴奏が耳を楽しませてくれる。


ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」は、最近では新たなる旅立ちの折によく取り上げられる。今回も「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」の船出を祝っての演奏である。
午前中から聴くような曲ではないように思えて、余り集中出来なかったが、きちんと整った演奏であることは聴き取れた。ただ、沼尻竜典の指揮ということで特別な面白さを感じるということはない。沼尻はそうしたタイプの音楽家ではない。

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2018年4月24日 (火)

コンサートの記(375) ローム ミュージック フェスティバル 2018 二日目(楽日)

2018年4月22日 左京区岡崎のロームシアター京都にて

今日も、ローム ミュージック フェスティバル 2018を聴くためにロームシアター京都に出向く。昨日も今日もロームシアターのある左京区岡崎までは歩いて往復した。

 

今日最初に行われるコンサートは林美智子らメゾ・ソプラノ歌手達の共演であるリレーコンサートCであるが、これはチケットを買わずにパスして、午後3時30分開演のリレーコンサートDから聴く。

ロームシアターに着いたのはローム・スクエアで行われる立命館高校吹奏楽部の演奏が準備に入っているところで、何の音もしていないという時間帯であった。サウスホールからはリレーコンサートCを聴き終えた人々が続々と出てくるのが見える。

 

午後3時30分から、ロームシアター京都サウスホールで、リレーコンサートD 朗読劇「兵士の物語」~彼の運命や如何に!?を聴く。

曲目は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番(ヴァイオリン独奏:玉井菜採)、ブーレーズの「ドメーヌ」(クラリネット独奏:亀井良信)、ストラヴィンスキーの「兵士の物語」(朗読:西村まさ彦、ヴァイオリン:玉井菜採、コントラバス:佐野央子、クラリネット:亀井良信、ファゴット:佐藤由起、トランペット:三澤慶、トロンボーン:今込治、打楽器:西久保友広)。西村まさ彦(本名である西村雅彦から改名)が登場するという、ある意味、今回のローム ミュージック フェスティバル最大の目玉ともいうべき公演である。

まずは、玉井菜採(たまい・なつみ)の独奏によるJ・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番。
関西では聴く機会も多い玉井菜採。京都市生まれ、大津市育ちのヴァイオリニストである。母親は京都市交響楽団のヴァイオリン奏者であった。桐朋学園大学在学中にプラハの春国際コンクール・ヴァイオリン部門で優勝。桐朋学園大学卒業後にアムステルダム・スヴェーリンク音楽院、ミュンヘン音楽大学に学ぶ。ミュンヘン音楽大学在学中にローム・ミュージック・ファウンデーションの奨学生となっている。J・S・バッハ国際コンクール最高位獲得、エリザベート王妃国際コンクールやシベリウス国際コンクールで入賞と、コンクール歴も華麗である。

玉井のヴァイオリンは艶があり、歌も淀みがない。演奏スタイルやスケールもバッハに合っており、上質の演奏を繰り広げた。

ピエール・ブーレーズが書いたクラリネット独奏のための作品である「ドメーヌ」。6片の楽譜からなるが演奏する順番は決まっておらず、楽譜は縦から読んでも横から読んでもOKという、ブーレーズらしい尖った作品である。縦からも横からも読める楽譜がどういうものを指すのかはわからないが、五線譜に書かれたものではないであろう。

クラリネットの亀井良信は、桐朋女子高校音楽科(共学)卒業後に渡仏。パリ市12区立ポール・デュカ音楽院とオーベルヴィリエ・ラ・クールヌーヴ地方国立音楽院をいずれも1位で卒業。ブーレーズに認められて、騎馬オペラ団ZINGAROのソリストに起用されたこともある。現在はソリストとしての活動の他、桐朋学園大学准教授も務める。

暗闇の中、亀井が忍び足で登場。6つある譜面台の内、上手奥の譜面から演奏を始める。6つとも当然ながら現代的曲調だが個性は様々。「怒りのブーレーズ」と呼ばれ、様々な権威に挑戦して先鋭的な作品を生み出して来たブーレーズだが、今聴くと案外わかりやすい音楽であることがわかる。思いのほかメロディアスであり、少なくともブーレーズよりも後に登場した現代音楽作曲家の作品に比べると把握のしやすい内容である。思えば現在では「傑作」として誰もが認める作品が初演時に「メロディーがない」と批評されたという事実がある。

様々な特殊奏法が駆使されるが、亀井は余裕を持ってこなしていく。

10分間の休憩を挟んで、メインであるストラヴィンスキーの「兵士の物語」。ロシア革命の翌年である1918年に書かれた作品だが、ストラヴィンスキーもご多分に漏れずロシア革命に巻き込まれて財産を失い、人が雇えないので小編成で演奏可能な舞台上演用作品を、ということで書かれたのがこの曲である。
テキスト日本語訳は新井鷗子。

物語は、許嫁のいる故郷に帰る途中の兵士・ジョセフが悪魔と出会い、愛用しているヴァイオリンを手放す代わりに未来が読める本を得たということから始まる。ジョセフは文盲であったが、悪魔から渡された本は読むことが出来た。悪魔のお屋敷で2日を過ごしたジョセフだが、実際の世の中では3年が過ぎていた。故郷に帰ったジョセフであるが、人々はジョセフはもう死んだものだと思い込んでおり、「幽霊が出た」と思って門扉を堅く閉ざしてしまう。許嫁ももう他の男と結婚しており、子どもまでいた。失意の内に隣国にやって来たジョセフは未来が読める本のお陰で巨万の富を得るが友達はゼロになり、女にももてず、食欲も減退して心は全く満たされない。そんな時、その国の王様がお触れを出す。お姫様がどんな名医でも治すことの出来ない病気に罹患しており、治すことが出来る者が現れたらその者に姫をやろうというものであった。どう治療すればいいか知っていたジョセフは王宮へと向かうのだが、再び悪魔が現れ……、というもの。人間の幸福と芸術の問題が語られる寓話である。

朗読担当の西村まさ彦は、テレビや映画、舞台でお馴染みの俳優。出世作はエキセントリックな指揮者を演じた「MAESTRO(マエストロ)」である。富山商業高校卒業後、東洋大学に進学するが高校時代の失恋を引きずったままであり、ほとんどキャンパスに通うことなく中退。出身地である富山市の写真専門学校に入り、この時に文化祭のようなもので演劇(専門学校のM先生が書いた坂本龍馬を主役にしたオリジナル作品だったという)に初めて触れている。一時、カメラマンの助手になるが、地元のアマチュア劇団で演劇の面白さに触れ、俳優を目指して再び上京。劇団文化座に所属しつつ、様々な劇団に客演を重ねていた(文化座は無断外部出演がばれたら首だったらしい)。知り合いを通じて三谷幸喜が主宰していた東京サンシャインボーイズに入団し、看板俳優となる。1990年代前半にはすでに、佐々木蔵之介、堺雅人、升毅、古田新太らと並んで小劇場のエース的存在として注目を浴びていた。彼らの中で一番最初にお茶の間での人気を得たのが西村である。
現在では俳優業の他に、出身地である富山市などでの演劇ワークショップ講師を務めるほか、大正大学表現学部の特任客員教授として後進の育成にも当たっている。
舞台俳優としては演劇の新たなる可能性を探究しており、劇作家ではなく構成作家など演劇畑以外の作家を起用した公演を行っている。

玉井と亀井以外の演奏メンバーを紹介していく。
佐野央子(さの・なかこ)は東京藝術大学および同大学院出身のコントラバス奏者。小澤征爾音楽塾塾生などを経験し、現在は東京都交響楽団のコントラバス奏者である。
佐藤由起(さとう・ゆき)は桐朋学園大学卒業後、シドニー大学大学院修士課程を修了したファゴット奏者。シドニー大学大学院時代にシドニー交響楽団契約奏者として活動している。小澤征爾音楽塾などを経て現在はNHK交響楽団のファゴット奏者を務めている。
三澤慶は東京音楽大学卒業後にフリートランペッターとして活躍。現在は東京室内管弦楽団トランペット奏者でもある。東京音楽大学在学中に京都・学生フェスティバルに参加。
今込治(いまごめ・おさむ)は大友良英ビッグバンドなどで活躍するトロンボーン奏者。東京藝術大学卒業後、ロストック音楽演劇大学も卒業。横浜シンフォニエッタのシーズンメンバーでもある。東京藝大在学中に京都・学生フェスティバルに参加している。
打楽器の西久保友広は東京音楽大学卒業同大学院修了。在学中にKOBE国際学生音楽コンクール打楽器部門の最優秀賞および兵庫県教育委員会賞を受賞。JILA音楽コンクール打楽器部門1位、神戸新聞文化財団松方ホール音楽賞大賞などを受賞している。小澤征爾音楽塾に参加。現在は読売日本交響楽団打楽器奏者を務める。

西村は全身黒の衣装で登場。朗読を始める前に何度も咳き込んで、客席のみならず演奏者からも笑いが起こる。
語りであるが、いかにも西村まさ彦らしい味のあるものである。ジョセフという兵士の朴訥な感じもよく伝わってくる。

ストラヴィンスキーの音楽であるが、ファゴットが「春の祭典」を想起させる旋律を吹いたりはする。ただ、後年、「カメレオン作曲家」と呼ばれる傾向は見えており、多彩な音楽語法が使用されている。

 

午後6時から、ローム ミュージック フェスティバル 2018の最終公演であるオーケストラ コンサート Ⅱ 天才と英雄の肖像を聴く。メインホールでの上演である。演奏は下野竜也指揮の京都市交響楽団。

曲目は、天才・モーツァルトのピアノ協奏曲第20番(ピアノ独奏:小林愛実)とリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」

昨日に引き続き、朝岡聡がナビゲーターを務めて、前半後半とも演奏開始前に一人で現れて楽曲の紹介と解説を行った。

コンサートマスターに泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平という布陣は昨日と同様である。

モーツァルトのピアノ協奏曲第20番。ソリストの小林愛実(こばやし・あいみ)は1995年、山口県宇部市生まれの若手。5歳でピアノ全国大会の決勝に進出、9歳で国際デビューを果たし、14歳でEMIからCDデビュー、サントリーホールでのリサイタル日本人および女性演奏家最年少記録保持者という神童系ピアニストである。桐朋女子高校音楽科に全額奨学金特待生として入学。現在はローム奨学生としてフィラデルフィアのカーティス音楽院で学んでいる。

下野と京響はピリオドスタイルを採用。音色も旋律の歌い方もモダンスタイルとは明らかに異なる。今日は昨日とは違って3階席正面5列目で聴いたのだが、メインホールの3階席でピリオドスタイルの演奏を聴くのはやはり厳しいように思う。音が小さすぎる。

小林のピアノは冒頭から仄暗さと輝きという相反する要素を止揚した極めて優れたものである。孤独の告白の部分は勿論だが、第2楽章のような一見典雅な曲調であっても常に涙を滲ませている。第1楽章と第3楽章のカデンツァは聴き慣れないものだったが、誰のものを使用したのかは不明である。

今の日本人若手ピアニストはまさに多士済々。技術面で優れているだけでなく極めて個性的な逸材が顔を揃えている。ピアニストが書いた本を読むと、今はもうバリバリ弾けるのは前提条件で、和音を作る際にどの指に最も力を入れるかなど、かなり細かい解釈と計算を行っていることがわかる。技巧面で完璧なら問題なしという時代はとっくに終わったようだ。20世紀スタイルのピアノを弾いている人は段々仕事が減っていくかも知れない。

小林のアンコール演奏は、ショパンの夜想曲第20番(遺作)。冒頭は遅めのテンポで痛切な感じを出し、主部は立体感を出しと孤独と悲しみを歌う。そのままのスタイルでいくのかと思ったが、舞曲風の場面では快活さを前面に出すなど一筋縄ではいかないピアノであった。相当な実力者と見て間違いないだろう。

リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。リヒャルト・シュトラウスは下野の得意レパートリーの一つである。京響の機能面での充実が感じられる好演となった。
ステージ上をびっしりと埋めるオーケストラ。メインホールの音響は残響こそ1秒もないほどだが音の通りは良く、個々の楽器の音がクッキリと聞こえる。これにより、下野の肺腑を衝く高い音楽性が明らかになっていく。ヴァイオリン群と低弦群、管楽器群の対話の明確さなど、リヒャルト・シュトラウスの意図が手に取るようにわかる。
惜しむらくは終盤が一本調子になってしまったことだが、日本を代表する存在とはいえまだ50歳にもならない指揮者による演奏であるため、完璧を望むのは酷だろう。音の充実だけを取ればヨーロッパの第一級のオーケストラに匹敵する水準に達していたように思う。



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2018年4月23日 (月)

コンサートの記(374) ローム ミュージック フェスティバル 2018 初日

2018年4月21日 左京区岡崎のロームシアター京都にて

左京区岡崎にあるロームシアター京都で開催される、ローム ミュージック フェスティバル 2018を聴きに行く。今日はホール内で行われる全ての公演、サウスホールで行われるリレーコンサートA「成田達輝×萩原麻未デュオ・コンサート」、リレーコンサートB「ザ・スピリット・オブ・ブラス」、オーケストラ コンサートⅠ「にっぽん」と「ジャポニズム」~我が故郷の調べに接する。ローム・スクエア(中庭)では中学高校の吹奏楽部の演奏が合間合間に行われており、今日は、京都市立桂中学校吹奏楽部、龍谷大平安高校吹奏楽部、大阪桐蔭高校吹奏楽部の演奏が行われていた。桂中学校や龍谷大平安の吹奏楽部はオーソドックスな演奏だったのだが、大阪桐蔭高校はとにかく個性的。まず吹奏楽部員が歌う。更にダンスが始まり、今度はミュージカル、ラストでは女子生徒が空箱に入って串刺しにするというマジックまで披露。もはや吹奏楽部ではなくエンターテインメント部である。やはり大舞台である甲子園の常連校(今春も選抜制覇)はやることが違う。無料パンフレットに記載された部の紹介も他の学校は挨拶程度だが、大阪桐蔭高校吹奏楽部だけは全国大会や海外コンクールでの華々しい成績が並んでいる。


サウスホールで行われるリレーコンサートA「成田達輝×萩原麻未デュオ・コンサート」は、午後1時開演。曲目は、アルベニスの「タンゴ」、ファリア作曲(フリッツ・クライスラー編曲)「スペイン舞曲」、ラヴェルのヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番、ラヴェルの「ツィガーヌ」、ドビュッシーのヴァイオリンとピアノのためのソナタ、クロールの「バンジョーとフィドル」、リムスキー=コルサコフの「熊蜂の飛行」、サラサーテの「カルメン幻想曲」

たびたびデュオ・コンサートを行っている成田達輝と萩原麻未。萩原の方がYouTubeに載っていた成田の演奏を見て共演を申し込んだそうである。萩原は最近ではソロよりも室内楽の方に興味があるようだ。ただ、今年の7月には奈良県の大和高田市や出身地である広島市などでソロ・リサイタルを開く予定がある。萩原は昨年の10月にピアノ・リサイタルツアーを行っており、私もいずみホールでの公演のチケットを取ったのだが、風邪のために行けなかった。

技巧派の成田と個性派の萩原の組み合わせ。スペインものとフランスものを軸にしたプログラムだが、ラヴェルやドビュッシーを弾いた時の萩原麻未が生み出す浮遊感が印象的。重力に逆らうような音であり、やはりセンスがないとこうした音を奏でることは出来ないと思う。

成田のヴァイオリンは情熱的で骨太。男性的なヴァイオリンである。伸び上がるように弾いたり、床の上を少しずつ滑るように体を動かすのも個性的だ。構築感にも長けた萩原のピアノをバックに成田が滑らかな歌を奏でていく。理想的なデュオの形の一つである。

今日は、例えはかなり悪いが発狂した後のオフィーリアのようなドレスで登場した萩原麻未。純白のドレスであるが、ロングスカートや腕にスリットが入っている。演奏を始める時に、成田の方を振り返って上目遣いで確認を行うのも魅力的だったりする。

開演前に背後の方で、「萩原さんのお母さんにご挨拶して、似てらっしゃいますよねえ」と語っている男性がいたので、誰かと思ったら作曲家の酒井健治氏だった。その萩原麻未のお母さんは結構有名人のようで、色々な人に挨拶を受けていた。


間の時間に平安神宮に参拝する。


午後4時からは、サウスホールで行われるリレーコンサートB「ザ・スピリット・オブ・ブラス」。ローム ミュージック フェスティバルの参加者は、ほぼ全員ローム ミュージック ファンデーションの奨学生や在外研究生、ロームが主催する京都・国際音楽学生フェスティバル出演者や小澤征爾音楽塾塾生なのだが、「ザ・スピリット・オブ・ブラス」は、ロームに援助を受けた12人の金管奏者と打楽器奏者1名による団体である。メンバーは、菊本和昭(NHK交響楽団首席トランペット奏者、元京都市交響楽団トランペット奏者。元ローム奨学生)、伊藤駿(新日本フィルハーモニー首席トランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、杉木淳一郎(元新星日本交響楽団トランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、新穂優子(にいぼ・ゆうこ。Osaka Shion Wind Orchestraトランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、堀田実亜(ほった・みつぐ。ドルトムント・フィルハーモニー管弦楽団トランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、日橋辰朗(にっぱし・たつろう。読売日本交響楽団首席ホルン奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、太田涼平(山形交響楽団首席トロンボーン奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、風早宏隆(かぜはや・ひろたか。関西フィルハーモニー管弦楽団トップトロンボーン奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、古賀光(NHK交響楽団契約トロンボーン奏者。次期首席トロンボーン奏者就任見込み。元小澤征爾音楽塾塾生)、辻姫子(東京フィルハーモニー交響楽団副首席トロンボーン奏者。京都・国際学生フェスティバル出演)、藤井良太(東京交響楽団バストロンボーン奏者。京都・国際学生フェスティバル出演)、宮西淳(元台湾国家交響楽団首席テューバ奏者。京都・国際学生フェスティバル出演)、黒田英実(くろだ・ひでみ。女性。NHK交響楽団打楽器奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)

曲目は、J・S・バッハの「小フーガト短調」(竹島悟史編曲)、パーセルの「トランペットチューン&エア」(ハワース編曲)、クラークの「トランペット、トロンボーンと金管アンサンブルのための『カズンズ』」(井澗昌樹編曲)、ドビュッシーの「月の光」(井澗昌樹編曲)、ハチャトゥリアンの「剣の舞」(井澗昌樹編曲)、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲より“スイス軍楽隊の行進”(竹島悟史編曲)、ガーデの「ジェラシー」(アイヴソン編曲)、「ロンドンデリーの歌」(アイヴソン編曲)、リチャーズの「高貴なる葡萄酒を讃えて」よりⅣ.ホック、カーマイケルの「スターダスト」(アイヴソン編曲)、マンシーニの「酒とバラの日々」(アイヴソン編曲)、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」(井澗昌樹編曲)

菊本和昭がマイク片手に進行役を務める。それぞれの奏者が入れ替わりでソロを取るスタイルだが、皆、楽団の首席級の奏者だけに腕は達者である。
ハチャトゥリアンの「剣の舞」では、打楽器奏者の黒田英実が木琴の他に、小太鼓、スネア、シンバルなどを一人で担当。リハーサルで他のメンバー全員が圧倒されたという超絶技巧を繰り広げた。

ちなみに、多くの曲の編曲を手掛けた井澗昌樹(いたに・まさき)は客席に来ており、菊本に呼ばれて立ち上げって拍手を受けていた。

「ラプソディ・イン・ブルー」は短めの編曲かなと思っていたが、かなり本格的なアレンジが施されており、聴き応えがあった。

アンコールは、バリー・グレイ作曲・竹島悟史編曲による「サンダーバード」。格好いい編曲であり、演奏であった。


午後7時からは、メインホールでオーケストラ コンサートⅠ「にっぽん」と「ジャポニズム」~我が故郷の調べを聴く。下野竜也指揮京都市交響楽団の演奏。
昨年のローム ミュージック フェスティバルの京都市交響楽団演奏会の指揮を務めたのは三ツ橋敬子、一昨年は阪哲朗であったが、いずれも出来は今ひとつ、ということもあったのか、今年は京都市交響楽団常任首席客演指揮者である実力者、下野竜也が起用された。下野もまたウィーン国立音楽大学在学中にローム奨学生となっている。

曲目は、前半に、外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」、武満徹の「3つの映画音楽」、酒井健治の「日本民謡によるパラフレーズ~オーケストラのための~」(オーケストラ版世界初演)という日本の音楽が並び、後半は日本が舞台となるプッチーニの歌劇「蝶々夫人」スペシャルハイライト版が上演される。
ナビゲーターとして、昨年のローム ミュージック フェスティバルにも参加した朝岡聡が起用されており、前半では楽曲の解説を、後半の「蝶々夫人」ではストーリーテラーを務める。

コンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。

外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」。
今日は1階席22列22番での鑑賞。残響は短いが直接音は良く聞こえる。良い席だと思える。下野の指揮は立体感の表出が見事。各楽器のメロディーの彫刻が丁寧であり、だからこそ優れた音響をオーケストラから引き出すことが出来るのであろう。音に宿る生命感も平凡な指揮者とは桁違いだ。

武満徹の「3つの映画音楽」。「ホゼー・トレス」「黒い雨」「他人の顔」の3つの映画の音楽を作曲者である武満本人がコンサート用に纏めたもの。「他人の顔」における苦み走ったワルツはショスタコーヴィチにも繋がる深さを持っている。下野の各曲の描き分けは流石の一言である。音の輪郭がクッキリとしていて迷いがない。

酒井健治の「日本民謡によるパラフレーズ~オーケストラのための~」。酒井がローム奨学生でもあった京都市立芸術大学在学中の1999年に、京都・国際音楽学生フェスティバル委嘱作品として発表したチェロとピアノのための曲を新たにオーケストラ用に編曲したものである。「箱根八里」や「さくらさくら」という民謡・童謡が用いられている。叙情的な楽曲であるが、酒井作品の本来の味わいはもっと先鋭的であり、酒井が終演後に「ああいう曲を書く人だと思われると困るな」と話しているのが耳に入った。

このコンサートは客席に有名人が多い。開演5分前に、「えー? 席どこ?」という感じで席を探している可愛らしい顔のお嬢さんがいるなと思ったら、萩原麻未さんであった。萩原さんはやはりというかなんというか成田君の隣の席だったようだ。なお、二人とも新幹線で今日中に帰る必要があるようで、前半が終わると帰って行った。
休憩時間にロビーに出ていると、井上道義がふらふら歩いているのが目に入る。その後、オペラ歌手と思われる女性を相手になにやら熱く語っていた。

後半、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」スペシャル・ハイライト版。演出:田尾下哲(たおした・てつ)、構成:新井鷗子、衣装:半田悦子、映像:田村吾郎、絵画:牛嶋直子、照明:西田俊郎。出演:木下美穂子(蝶々夫人)、坂本朱(さかもと・あけみ。スズキ)、宮里直樹(ピンカートン)、大山大輔(シャープレス)

オーケストラスペースの背後に段を置いて二重舞台とし、背景にスクリーン幕が下がる。ここに牛嶋直子の絵が投影される。日本語字幕は使用されず、朝岡聡がストーリーを説明してから場面が演じられる。ただ字幕がないので、詳しいセリフはわからない。「蝶々夫人」は何度も観ているオペラだが、セリフをすぐに思い出せるわけではない。
1時間以内に纏める必要があるということで、ピンカートンが現地妻を持とうという時の傲慢な態度、蝶々夫人とピンカートンの愛の二重唱、「ある晴れた日に」、花びらを撒く蝶々さんとスズキ、蝶々さんの自決と終幕など、駆け足での展開である。
歌手がステージ上のオーケストラより後ろにいるためか、声の通りが今ひとつに思えたところもあったが、全体的に歌唱は安定している。ただ女声歌手はともに声が細めのため、出番の短い男声歌手二人の方が存在感があるように感じた。上演上の制約の結果でもあるだろう。

下野の指揮はドラマティックにして色彩豊かで雄弁。遺漏のない出来であった。



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2018年4月19日 (木)

コンサートの記(373) 下野竜也指揮 京都市交響楽団第505回定期演奏会

2007年10月12日 京都コンサートホールにて

午後7時より、京都コンサートホールで、京都市交響楽団(京響)の第505回定期演奏会に接する。今日の指揮者は下野竜也。ソリストとして、若手ピアニストの小菅優(こすげ・ゆう)が登場する。
曲目は、J・S・バッハ作曲、レスピーギ編曲の「パッカサリアとフーガハ短調」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、フランクの交響曲ニ短調。

前にも何度か書いたが、下野竜也は1969年生まれの若手指揮者。鹿児島に生まれ、県下有数の進学校である甲南高校を卒業。ここで普通なら大都市にある音大を目指すところだが、下野は地元の鹿児島大学教育学部音楽科に入っている。鹿児島大学の音楽科にも指揮専攻はあるが、有名指揮者が教えているわけではない。あるいは下野はこの時点ではプロの音楽家を目指していなかったのかも知れない。鹿児島大学卒業後、桐朋学園大学音楽学部付属指揮教室で本格的に指揮の勉強を始め、イタリア・シエナのキジアーナ音楽院でチョン・ミョンフンに師事している。ちなみに、先日、名古屋フィルを指揮してシベリウスの名演を聴かせたハンヌ・リントゥもキジアーナ音楽院でチョン・ミョンフンに師事しており、二人は同門ということになる。
大阪フィルハーモニー交響楽団(大フィル)の指揮研究員となり、1999年に大フィルを指揮してデビュー。2001年のブザンソン国際指揮者コンクールに優勝して脚光を浴びる。昨年、読売日本交響楽団の正指揮者に就任している。

西郷さんのような体格で、ニコニコと笑みを浮かべながら棒を振る様は、クマのぬいぐるみが指揮しているようで可愛らしいが、実力は確かである。


指揮者はみな、自分自身の音色を持っているが、下野の音は若手にしては渋め。「パッカサリアとフーガハ短調」は、弦の渋い音色と、管の華やかな色彩をともに生かした演奏だった。
ポディウム席で聴いていたのだが、パイプオルガンを使う曲だったので、ポディウム席の真後ろにあるパイプオルガンの低音が床を小刻みに揺らす。音楽とは振動であり、振動で音を感じるというのも私自身は好きである。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。ソリストの小菅優は1983年生まれ。9歳の時に渡欧し、以後、ずっとヨーロッパで音楽教育を受け、活動を続けている。日本人の若手女流ピアニスト(といってもヨーロッパでの生活の方が長いので、正真正銘の日本人ではないのかも知れないが)の中で最も脚光を浴びている一人である。

小菅は立体的な音を奏でる。一音一音が美しく、また音に風景が宿っているような、想像を喚起する力がある。
下野の指揮も小菅に合わせて非常に爽やか。ベートーヴェンではなく、モーツァルトのピアノ協奏曲を聴いているのではないか、と錯覚するほどであった。
渋い第2楽章では、小菅、下野ともに落ち着いた音色で演奏。曲想の描き分けが鮮やかだ。

ソリストにも様々なタイプがあって、完全に自分の世界に入ってしまう人もいるが、小菅はそれとは正反対。下野の指揮棒を常に意識し、オーケストラだけが演奏する場面では、京響の団員とアイコンタクトを図っていた。オーケストラにも好まれるタイプのピアニストである。

アンコールは2曲。いずれもショパンの「24の前奏曲」より第3番と第7番。なお、京都コンサートホールの、今日のアンコール曲目を知らせるホワイトボードには、なぜか「ショパン 前奏曲第3番、第5番」と書かれていた。
ちなみにショパンの前奏曲第7番は、世間では太田胃散のCM曲として認知されているあの曲である。

小菅優が出演する割には客の入りは少なかったが、若い人が多く聴きに来ており、休憩時間や終演後に、「(小菅優と)同世代だし応援したいよね」という話がそこかしこで聞こえたのが心強い。


フランクの交響曲ニ短調。尻上がりの演奏であった。京響は、金管が極めて優秀。輝かしい音色で鳴り渡る。下野の指揮は全般的には良かったが、切迫感が欲しい場面での迫力が今一つ。下野も、コンサートマスターのグレブ・ニキティンも顔を真っ赤にしての力演なのだが、その割には出る音に緊張感が足りない。
一方、優雅な曲想のところでは、丁寧な演奏で魅せる。どちらかというと淡彩の演奏で、もっと濃い音を出しても良いと思うのだが、あっさりしている方が日本人には合っているのかも知れない。

第2楽章演奏終了後、誰かの時計のアラームが鳴り始める。しかも長い間止まない。下野はアラーム音が消えるのを待っている。ようやくアラーム音が消え、下野はニコリと微笑んで指揮棒を振り始める。第3楽章(最終楽章)は金管の大活躍もあって素晴らしい演奏となった。


指揮者としてのポストは東京で得た下野だが、大阪フィルとの繋がりも強く、来年4月から京響の常任指揮者となる広上淳一に師事したこともあるようなので、今後も関西で指揮活動を行っていくことだろう。というより絶対に行って欲しい。

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2018年4月15日 (日)

コンサートの記(371) ダミアン・イオリオ指揮 京都市交響楽団第622回定期演奏会

2018年4月13日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第622回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は初来日となるダミアン・イオリオ。

イタリア人とイギリス人の間に生まれたダミアン・イオリオ。曲目は、彼が生まれ育ったイタリアを代表する作曲家であるレスピーギのローマ三部作。ローマ三部作を一度に演奏する場合は、最もドラマティックな「ローマの松」をトリに置くことが多いのだが、今回は、作曲されたのと同じ「ローマの噴水」、「ローマの松」、「ローマの祭」の順で演奏される。

イオリオはイギリスのロイヤル・ノーザン・カレッジ・オブ・ミュージックとアメリカのインディアナ大学で音楽を学び、ヴァイオリン奏者としてキャリアをスタート。デンマーク国立放送交響楽団のヴァイオリン奏者を務めた後、サンクトペテルブルク国立音楽院で指揮を学び、欧米各地のオーケストラに客演、オペラでも活躍。オペラ指揮者としては出自をたどるようにイギリス、イタリア、ロシアの作品を得意としているようである。ロシアのムルマンスク・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督兼首席指揮者を経て、現在は英国のナショナル・ユース・ストリング・オーケストラの音楽監督とミルトン・キーンズ・シティ・オーケストラの音楽監督を務めている。ポストから見ると特筆すべきことはないようである。今後は、パリ・オペラ座でムソルグスキーの歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」を指揮する予定があるようだ。

プレトークに登場したイオリオは、自分がローマで育ち、現在はイタリア北部に住んでいること、ローマ三部作で描かれた場所によく行ったことなどを話す。更にレスピーギの特徴として若い頃にサンクトペテルブルクの劇場(現在のマリインスキー劇場の前身)でヴィオラ奏者として働いており、ロシアの音楽に影響を受けたということを挙げる。そのためレスピーギの音楽にはロシア音楽の影響が感じられるという。「どこかは明かしませんが」とイオリオは言ったが、例えば「ローマの祭」の主顕祭にストラヴィンスキーからの影響を聴き取るのは簡単である。
イオリオは独特の編成についても語り、マンドリンやラチェット(ガラガラと鳴る楽器)、特殊な打楽器、ピアノしかも連弾であることなどを紹介する。

レスピーギは1879年生まれであるが、1880年前後の生まれのイタリアの器楽作曲家はイタリア国内で特別視されているという。レスピーギの他にカゼッラやマリピエロなどがいるが、レスピーギ以外は忘れられた人が多いとイオリオは語る。イタリアではなんといってもオペラ作曲家が重視されるということも大きいが、政治的な問題もあり、ムッソリーニと対立したマリピエロなどは作品自体が抹消されたような状態になったそうである。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。今期の京都市交響楽団は、少なくとも今のところはコンサートマスターは泉原一人体制で行くようで、尾﨑もアシスタント・コンサートマスターから変更なしである。第2ヴァイオリンの首席も空位のままで今日は首席客演として白井篤が入る。
今日は編成が特別ということで客演奏者が多い。打楽器に7人が加わった他、ホルンには元京響奏者で現在は日本センチュリー交響楽団首席ホルン奏者の水無瀬一成が参加し、オルガンには関西ではお馴染みの桑山彩子が加わる。「ローマの祭」のマンドリン独奏は大西功造。

交響詩「ローマの噴水」。ローマ三部作は今年に2月にフェスティバルホールでアンドレア・バッティストーニ指揮大阪フィルハーモニー交響楽団による演奏を聴いたばかりだが、レスピーギを演奏するには明るい音色を発する京響の方がずっと向いている。イオリオは明快なだけでなく洒落た音色を京響から引き出す。立体感も抜群であり、京都コンサートホールの音響も演奏にプラスに働く。

交響詩「ローマの松」。イオリオは輝きよりも浮遊感を重視。レスピーギが印象派の影響を受けていることがよくわかる。京響は音の輝き、迫力、バランス全てが上質。レスピーギを演奏するには理想的な響きを奏でていた。

「ローマの松」を聴いたらコンサートが終わりというイメージがあるので、続きがあるのが不思議だが、トリは交響詩「ローマの祭」。イオリオと京響は情感豊かな演奏を展開。ベルリオーズやリムスキー=コルサコフと並んで三大オーケストレーションの名手に数えられるレスピーギだが、本当に情景が目に見えるような巧みな描写が音によって繰り広げられた。

ローマ三部作は3曲通してもCD1枚に収まってしまうため、それだけで演奏会を行うと少し短い。ということでなのかどうか今回はアンコール演奏がある。同じくイタリアの作曲であるポンキエッリの「ジョコンダ」より“時の踊り”。愛らしさ、荘重さ、熱さを兼ね備えた演奏であった。



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2018年3月29日 (木)

コンサートの記(366) 広上淳一指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2017(年度)「魔法のオーケストラ」第4回“音楽の魔法”

2018年3月25日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2017(年度)「魔法のオーケストラ」第4回“音楽の魔法”を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。ナビゲーターはガレッジセールの二人。

本番に先駆けてロビーコンサートがある。京響の各奏者が自分たちのパート以外の楽器に挑戦していたが、ラストに登場する出雲路橋カルテットのメンバーとして広上淳一が登場、モンティの「チャルダッシュ」でピアニカ(鍵盤ハーモニカ)でソロを取る。アゴーギク使いまくりのユーモラスな演奏。京響のメンバーもロビーにいて演奏を聴いており、私の近くには中山航介君(この間、出原さんに付き合って女装してコンサートに参加したらしい。京響も最近は飛んでるなあ)がいたのだが、ずっと笑いっぱなしだった。
スマホで映像を撮っている熱心な人がいるなあと思ってよく見たら大阪フィルハーモニー交響楽団の福山修事務局次長であった。大阪フィルでもこうした試みは行いたいだろう。


今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。京響の二人いるコンサートマスターのうちの一人である渡邊穣はこの3月で卒団。泉原も指の怪我から復帰して半年ほどで調子は十全ではないと思われる。尾﨑平のアシスタント・コンサートマスターからの昇格もなさそうである。ということで、新たにコンサートマスターを連れてくる必要がある。泉原が怪我で1年ほど抜けていた間に何人か客演のコンサートマスターが試されたが、合格者がいたのかどうかはまだわからない。


今日の演目は、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」よりメインタイトル、ベートーヴェンの交響曲第5番より第1楽章、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲より第1楽章(ヴァイオリン独奏:辻彩奈)、ブラームス(シュメリング編曲)のハンガリー舞曲第5番、チャイコフスキーの交響曲第5番より第4楽章。


先日、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団への客演で大成功を遂げた上淳一。すでに次回の客演も決まったという。


ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」よりメインタイトル。スケール豊かなシンフォニックな演奏であり、映画音楽というよりクラシックの音楽作品と捉えたような立派な出来である。リズムと響きのバランスにも広上らしい明晰さが見られた。

演奏終了後、ガレッジセールの二人が登場。ゴリが「あそこの窓から見てたんですが、広上さんがだんだんヨーダに見えてきた」と言うと広上は「ヨーダのようだ」と冗談を言って、ゴリに「先生、今日、最初から飛ばしますね!」と言われる。

広上が、「ゴリちゃん、川ちゃん、二人はなんで漫才師やってるの?」と聞き、川田が「僕らは楽しいからやってます」と言うもゴリが「正直、お金になるから」と言って、川田に「最低だな、お前!」と突っ込まれる。広上は、「舞台に出るのが楽しいからやってるんでしょ。僕らもそうなんです」と言う。

続いて、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」の楽曲解説。ベートーヴェンの父親がDVを行っていたという話から始まる。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの父親であるヨハン・ヴァン・ベートーヴェンは有能なテノール歌手だったのだが、「ここぞという時にいつも失敗してしまう」ということでうだつが上がらず(酷い上がり症だったという説もある)その不満を息子にぶつけていた。ベートーヴェンの祖父は同じ名前のルートヴィヒでボン市の音楽長を務めた名音楽家。そのためベートーヴェンの母親は息子がDVに遭うたびに祖父の話をして慰めたと広上は語る。ヨハンにしてみれば父親も名音楽家、息子も名音楽家でそのために余計ストレスが溜まったという話もあったりする。
「運命」の冒頭のジャジャジャジャーンは父親との決別を描いたものという説を広上は明かす。

ベートーヴェンの交響曲第5番は広上の十八番の一つであり、京響でも何度も取り上げているが、今日の演奏は三連符を強調するような、これまでに聴いたことのない解釈であった。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストの辻彩奈は、1997年生まれの新進ヴァイオリニスト。岐阜県大垣市に生まれ、2009年の第63回全日本学生音楽コンクールヴァイオリン部門小学校の部で全国1位を獲得。2013年の第82回日本音楽コンクールヴァイオリン部門でも1位を獲得。2015年の第11回ソウル国際音楽コンクールで第2位(最高位)、2016年のモントリオール国際音楽コンクールで優勝と若くして華々しいキャリアを誇っている。現在は東京音楽大学に特別特待奨学生として在学中。1年後にアンサンブルホールムラタでのリサイタル開催も決まっている。

真っ赤なドレスで登場した辻彩菜。話すのは余り得意ではないようで、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲に関しても、「誰でも一度は聴いたことあります。よね?」と広上に聞いて、ゴリに「なんで一々、広上先生を頼るんですか?」と突っ込まれていた。ゴリは辻を「恥ずかしがり屋さんですね」と評したが、広上は「ヴァイオリンはそうじゃない」と答える。

辻のヴァイオリンであるが、高音の切れ味と輝かしい音色、きっぱりとした歌い方が特徴である。二十歳にしてはかなり音楽性が高い。パウゼの取り方も独特である。


後半。ブラームスのハンガリー舞曲第5番。広上はガレッジセールの二人を指揮台のそばに立たせたまま序盤を指揮。ゆったりとしたテンポからアッチェレランドしていく演奏である。広上は左手でゴリの顔を撫でるように指揮しておどける。続いて、「ブラームス先生が書いたとおりに」ということでインテンポの演奏を行う。楽譜に全てが書けるわけではなく、解釈の余地があるということを示したのであるが、全曲演奏することなく次のチャイコフスキーの曲に進んでしまおうとする。京響の楽団員達は顔を見合わせていた。
実際にブラームスがどんな演奏を望んでいたかを知る術は最早なく、ブラームスがタイムマシーンに乗ってここにやって来たら、「広上! なに勝手なことやってんだよ!」と言われるかも知れないし、「よく理解してくれた」と褒められるかも知れないと語る。「我々はブラームス先生の思いを『忖度』して演奏するだけ」
ハンガリー舞曲第5番全曲の演奏であるが、まずは自然体でスタートし、再現部でタメにタメてアッチェレランドというスタイルであった。


チャイコフスキーの交響曲第5番第4楽章。広上は鞄を持ってきており、中から別のジャケットやらカツラやらサングラスやらを取り出す。まずは金髪アフロのカツラを被り、サングラスをしてロシア人指揮者「ヒロカミンスキー」に扮して疑似ラスト付近の部分を演奏する。本編の疑似ラストで拍手が起こるのを防ぐ狙いもあるだろう。だがサングラスをしたため楽譜が見えず、練習番号を確認していたりする。カツラやサングラスは昨日、LOFTで買ってきたそうだ。
ヒロカミンスキーの演奏。新即物主義的な解釈であり、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団の前身であるレニングラード・フィルハーモニー交響楽団に半世紀に渡って君臨したムラヴィンスキーを意識した演奏を行っていることがわかる(チャイコフスキーの交響曲第5番はエフゲニー・ムラヴィンスキーの十八番である)。
今度は、茶髪でロン毛のカツラを被り、「日本人指揮者、名前は言いませんが、こういう髪型をした」ということでコカミを名乗り、濃厚な演奏を行う。明かされることはなかったが、どう考えてもコバケンこと小林研一郎の物真似である(チャイコフスキーの交響曲第5番は小林研一郎の十八番でもある)。
同じ曲でもイメージが大きくことなることを示した後で、広上指揮京響のオリジナルの演奏。今日はどこかを強調するということはなく比較的端正な演奏であった。


アンコールはチャイコフスキーの「白鳥の湖」より「スペインの踊り」。比較的短い曲だが、曲調の変化を丁寧に描き分けた演奏となった。

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2018年3月21日 (水)

コンサートの記(363) ジャンルイジ・ジェルメッティ指揮 京都市交響楽団第621回定期演奏会

2018年3月17日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第621回定期演奏会を聴く。今回の指揮者はイタリアの名匠、ジャンルイジ・ジェルメッティ。

1945年ローマ生まれのジェルメッティ。イタリア国内でセルジュ・チェリビダッケ、フランコ・カラーラに学び、ウィーンではハンス・スワロフスキーに師事。シュトゥットガルト放送交響楽団の常任指揮者時代に注目される。特にロッシーニのオペラを得意としており、若い頃はレコーディングも行っていてソニーに録音したロッシーニの歌劇「泥棒かささぎ」などは絶賛された。ただ、その後はチェリビダッケの弟子ということもあってかレコーディングには消極的である。シエナのキジアーナ音楽院とローマ・サンタ・チェリーチア・アカデミーで教師としても活躍。門下に三ツ橋敬子や園田隆一郎がいる。

曲目は、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲、ドヴォルザークのチェロ協奏曲(チェロ独奏:ルイジ・ピオヴァノ)、ラヴェルの「道化師の朝の歌」、「亡き王女のためのパヴァーヌ」、「ボレロ」。ラヴェル作曲の3曲は途中で拍手をしないで欲しい旨がアナウンスされている。

プレトークでジェルメッティは「こんにちは」と日本語で挨拶をする。京都コンサートホールのスピーカーはアナウンス用のものしかなく、今日は通訳の方が早口だったので、何を言っているのか上手く聞き取れない。ただ、ラヴェルの3曲は組曲的な解釈で演奏することはわかった。

コンサートマスターは渡邊穣。渡邊穣は今回の定期演奏会をもって退任予定である。フォアシュピーラーは泉原隆志。第2ヴァイオリンの客演首席としてザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団コンサートミストレスの赤松由夏が入る。

ジェルメッティの十八番であるロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲。この曲では京響の各奏者の技術の高さが光った。ジェルメッティの設計が適切であるため、京響の奏者も存分に力を発揮出来るのだろう。

ドヴォルザークのチェロ協奏曲。ソリストのルイジ・ピオヴァノは、ローマ・サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団の首席チェロ奏者でもある。イタリアのペスカーラ生まれ。スイスのメニューイン国際音楽アカデミーで学び、パリのヨーロピアン音楽院でも学位を取得。イタリアのフレンターノ夏の音楽祭の芸術監督を務めるほか、自身が結成したカンパニア室内オーケストラの指揮者としても活動しているという。

ピオヴァノはイタリア人だけに朗々としたチェロを予想したのだが、思いのほか渋くタイトなチェロを奏でる。
ジェルメッティの指揮はエネルギー重視。縦の線が合っているのかどうか微妙な場面も比較的多いのだが、それを補って余りある情報と音楽のパワーに溢れている。

ピオヴァノのアンコール演奏は、「イタリア・アヴルッツォ地方の子守歌」。途中からピオヴァノの歌(ヴォカリーズ)も飛び出した。

ラヴェルの「道化師の朝の歌」、「亡き王女のためのパヴァーヌ」、「ボレロ」。「ボレロ」は通常とは異なり、スネアドラムを3台使用しての演奏である。
ジェルメッティの音楽性が持つ活気と情熱、鮮やかな色彩感が発揮された演奏となる。ラヴェルの情熱と狂気が炙り出された「道化師の朝の歌」、上品な歌と響きが印象的な「亡き王女のためのパヴァーヌ」、そしてアタッカで開始された「ボレロ」ではラヴェルの音楽の多彩さと斬新性がくっきりと浮かび上がる。なお上手に置かれた2台目のスネアはヴァイオリンが入るところから、下手の3台目のスネアはトランペットの開始と同時に鳴り始め、ハイな状態をいや増しに増す。ジェルメッティの演出力も光る演奏会となった。



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