カテゴリー「京都市交響楽団」の40件の記事

2017年9月25日 (月)

コンサートの記(319) 広上淳一指揮京都市交響楽団 「第21回京都の秋音楽祭開会記念コンサート」2017

2017年9月17日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで「第21回京都の秋音楽祭開会記念コンサート」を聴く。広上淳一指揮京都市交響楽団による演奏。
天候不良の場合は公演中止もあり得るということだったが、台風もまだ遠いということでGOサインが出た。なお、京都コンサートホールは今月の頭からTwitterとFacebookを始めており、公演決行はTwitterで確認することが出来た。

曲目は、すぎやまこういちの序奏MIYAKO、ショパンのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:ルーカス・ゲニューシャス)、ラフマニノフの交響曲第2番。
広上淳一と京都市交響楽団は2015年にサントリー音楽賞を受賞しており、明日はサントリーホールで受賞記念コンサートを行う予定である。


演奏開始前に門川大作京都市長による京都の秋音楽祭の開会宣言がある。門川市長は文化庁の京都移転に触れ、サントリー音楽賞については、「明日、京響は台風と共に東京・サントリーホールに向かいます」と冗談も言っていた。


客演コンサートミストレスとして会田莉凡(あいだ・りぼん)を起用。フォアシュピーラーは泉原隆志。


すぎやまこういちの序奏MIYAKOはいかにもすぎやまこういちらしい明快な調性音楽である。途中、スネアが雅楽のリズム(「越天楽」がモチーフのようだ)を奏でるのも楽しい。


ショパンのピアノ協奏曲第2番。ソリストのルーカス・ゲニューシャスは、1990年モスクワ生まれの若手ピアニスト。祖母はモスクワ音楽院の高名な教育者であったヴェーラ・ゴルノスターエワで、ゲニューシャスは幼少時から祖母についてピアノを習う。ジーナ・バッカウアー国際コンクールで優勝後、ショパン国際コンクールとチャイコフスキー国際コンクールで共に2位に入って頭角を表している。
ゲニューシャスはプロフィール写真とは違うひげもじゃ姿で登場。かなり大柄なピアニストである。

ゲニューシャスのピアノであるが、硬質にしてリリカル。美音家である。音の粒立ちを優先させた演奏で、若き日のショパンのメランコリーは余り感じられないが、甘美で冴えたピアノを奏でた。
ショパンのピアノ協奏曲の伴奏は、彼が管弦楽法を習熟していなかったということもあり、「響かない」というのが定評であるが、広上指揮の京響はそれでも立派な響きを生み出していた。

ゲニューシャスのアンコール演奏は、デジャトニコフの「エコーズ フロム ザ・シアター」より「Chase Rondo」。マジカルな曲であり演奏であった。


メインのラフマニノフの交響曲第2番。極めてハイレベルな演奏であった。
音の密度が濃く、渋さ、甘美さ、輝き、ボリュームどれをとっても最高レベルである。あたかも10年以上前に同じ京都コンサートホールで聴いたロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏を聴いているかのような気分にさせられる。
広上の神経は細部まで行き渡っており、あるべき場所にあるべき音が理想的な形でしっかりと填まっていく。見事というほかない。
推進力抜群で、京響の楽団員も乗りに乗っており、威力も十分。広上の音のデザイン力も卓越している。
広上と京響の9年の歴史の中で「ベスト」と呼べる出来となった。実演で聴いたラフマニノフの交響曲第2番の中でも間違いなくナンバーワンである。


拍手はなかなか鳴り止まず、最後は広上が客席に向かって、「アンコールありませんので」と言ってお開きとなった。

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2017年9月12日 (火)

コンサートの記(317) ジョン・アクセルロッド指揮 京都市交響楽団第616回定期演奏会

2017年9月3日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第616回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はアメリカ出身のジョン・アクセルロッド。

京響の他にもNHK交響楽団などに客演しているジョン・アクセルロッド。ハーバード大学音楽学部で指揮をレナード・バーンスタインとイリヤ・ムーシンに師事し、現在はスペイン王立セビリア交響楽団音楽監督とミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団の首席客演指揮者を務めている。


曲目は、武満徹の「死と再生」(映画「黒い雨」より)、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「死と変容」、ベルリオーズの幻想交響曲。

プレトークでアクセルロッドは今日のプログラムが「死とその後」というテーマに基づくことを解説する。死を描いた作曲家としてアクセルロッドは他に、マーラー、ショスタコーヴィチ、サミュエル・バーバーを挙げる。3人ともアクセルロッドの師であるレナード・バーンスタインが得意としていた作曲家だ。


今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーは渡邊穣で、久しぶりに京響のコンサートマスター二人が揃う。チェロの客演首席としてNHK交響楽団首席チェロ奏者の「藤森大統領」こと藤森亮一が入る。


アクセルロッドは、武満とシュトラウスでは老眼鏡を掛けてスコアをめくりながらの指揮であったが、幻想交響曲では眼鏡なしで暗譜で指揮。譜面台も取り払われていた。


武満徹の「死と再生」(映画黒い雨」より)。京響の弦がいつもより洗練度が乏しく聞こえ、武満作品に十分な繊細がないようにも思えたが、今日も私はポディウム席で聴いており、弦楽群と距離があったためにそう感じられただけかも知れない。
アクセルロッドの指揮は細部を丁寧に重ねていくもので、構造をきちんと明らかにするものだったが、日本人演奏家による武満と比べるとタメの作り方に違いが見られた。スラスラ進みすぎてしまうように感じられた場面もあり。


リヒャルト・シュトラウスの交響詩「死と変容」。京響は弦も管も輝かしい音を出し、ボリュームも十分で好演となる。
アクセルロッドの指揮棒も巧みであり、途中、「見通しが悪いな」「雑然としてるな」と感じさせるところもあったが、中盤からは彼岸を見つめるようなたおやかな音色による音楽で語りかけ、陶然とした雰囲気を作り出す。


ベルリオーズの幻想交響曲。第2楽章にコルネットを入れた版での演奏である(コルネット独奏:ハラルド・ナエス)。
アクセルロッドの息が多少気になるが、冒頭から色彩豊かな音色を京響から引き出す。アクセルロッドは京都コンサートホールの長い残響を意識しているようで、パウゼを長めに取る。
迫力、色彩感、パースペクティブ、どれを取っても及第点だが、第5楽章に下手で打ち鳴らされる鐘はいくらなんでも音が大きすぎる。またラストに向かってはおどろおどろしさを協調したためかテンポが重々しく、エスプリに関してはクルトワ、ゴーロワの両方で欠けていたように思う。

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2017年8月18日 (金)

コンサートの記(315) 川瀬賢太郎指揮 京都市交響楽団第615回定期演奏会

2017年8月13日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第615回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は若手の川瀬賢太郎。京都市交響楽団とは何度か共演しているが、定期演奏会への登場は初めてである。

ヴェルディの「レクイエム」1曲勝負。京都市交響楽団は8月の定期演奏会は宗教曲を演奏するのが恒例である。合唱は京響コーラス。独唱は、小川里美(ソプラノ)、福原寿美枝(メゾソプラノ)、藤田卓也(テノール)、妻屋秀和(バス)

京響は昨年7月にもロームシアター京都メインホールで、西本智実指揮によるヴェルディの「レクイエム」を演奏しているが、残響豊かな京都コンサートホールでの演奏の方がやはり聴きやすい。


開演20分前から、指揮者の川瀬賢太郎によるプレトーク。川瀬は京響首席打楽器奏者である中山航介と共に登場。二人は私立八王子高校芸術コースの同級生だそうである。川瀬は常任指揮者を務めている神奈川フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会でもプレトークを行っているのだが、「一人では心細い」と思い、「京響の常任指揮者で私の師でもある広上淳一先生が複数でプレトークを行っていると小耳に挟みまして」ということで中山を連れてプレトークを行うことにしたと語る。
川瀬は、ヴェルディの「レクイエム」について、「弱音の指定が細かい。ピアニシモシモシモシモぐらいの指定がある」、「オペラの作曲家なので、音の響いていないところが雄弁」と述べる。
中山は川瀬について、「こいつ、こっち(ティンパニの方)見ないんですよ。信用してるからだと思うんですけど」、「目が合わないと思っていたら、リハーサルが終わってから『あそこのところだけどさあ』と言われて、『ああ、ちゃんと聴いてるんだ』とわかった」と語った。


今日はポディウム席の5列目の席で、「いつもよりステージから遠いなあ」と思ったが、今日はポディウムは1列目と2列目は販売しておらず、3列目からの使用であった。別にチケットが売れるのが早かったから後ろの席になったのではなかったことがわかった。


今日のコンサートマスターは客演の石田泰尚(いしだ・やすなお)。渡邊穣は降り番で、フォアシュピーラは泉原隆志。第2ヴァイオリンの首席も客演の西尾恵子が入る。独唱者はステージ前方ではなく、オーケストラと合唱の間に立つ。


京響の弦は輝かしく、金管も力強い。川瀬はジャンプを立て続けに繰り出すなど若々しい指揮であり、「怒りの日」などは打楽器を強調して大迫力の演奏を行ったが、低弦を強調しないタイプであるためか、音の重心が高く聞こえ、好き嫌いが分かれるかも知れない。「怒りの日」のトランペットのバンダは3階席のステージから遠い場所で吹かれた。
京響コーラスは充実。厚みもあり、見事な合唱を聴かせていた。独唱者の歌唱も優れていた。

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2017年7月29日 (土)

コンサートの記(313) 広上淳一指揮京都市交響楽団第614回定期演奏会

2017年7月15日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第614回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

チラシなどには「広上淳一のブラームス讃 第1弾」と銘打たれたコンサート。曲目は、ブラームスの大学祝典序曲、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:ピンカス・ズーカーマン)、ブラームスの交響曲第3番。


開演20分前からプレトークがある。お昼の公演なのだが、広上淳一は「こんばんはー」と言ってステージに登場。京都市交響楽団第2ヴァイオリン奏者の後藤良平と京都市交響楽団シニアマネージャー兼チーフマネージャーの柴田智靖も広上に続いて現れる。

まずベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のソリストを務めるピンカス・ズーカーマンの話。後藤良平は、イツァーク・パールマンなどの優れた弦楽奏者と共演したことがあるという話をし、広上と二人で、ズーカーマンは、パールマンやアイザック・スターンと同じユダヤ系ヴァイオリニストだという話になる。ズーカーマンが京響と共演するのは今日が初めてだそうである。

続いて、広上がブラームスの交響曲第3番を指揮するのは今日が3回目だという話をする。難しい曲なので取り上げにくいらしい。広上がまだ駆け出しの頃、受けた指揮者コンクールでブラームスの交響曲第3番が課題曲だったのだが、「ロマンの塊」のようで、「これは難しいぞ」と感じた思い出などを語る。

ブラームスの大学祝典序曲。広上や後藤は「旺文社の大学受験ラジオ講座」のテーマ曲として知ったそうで、広上は大学浪人時代にずっと「旺文社の大学受験ラジオ講座」を聞いていたのだが、テーマ曲がブラームスの大学祝典序曲であるということは知らず、大学に入ってから曲名を知ったそうである。
後藤は、「京都は大学生の比率が日本一多い街、だいたい10人に1人で京都市の人口が150万弱だから14万人」と語り、この曲が京都で演奏するのに相応しい曲だと述べた。
その他、祇園祭の話も出たのだが、広上は幼い頃に父親に連れられて祇園祭を見たものの(山矛巡行だと思われる)人ばかりで何も見えなかったという思い出があるそうだ。


今日のコンサートマスターは客演の豊嶋泰嗣、フォアシュピーラーに泉原隆志。今日はソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積も出演する。管は多くの首席奏者がブラームスの交響曲第3番のみ登場した。


ブラームスの大学祝典序曲。最近では演奏が良くても心揺すられることは余りないのだが、広上のブラームスには感心させられた。明晰で美しく、繊細で上品な演奏。特筆すべきは日本人ならではの細やかな感性が十全に生きていることで、日本人指揮者と日本のオーケストラがなし得るものとしては最上レベルの演奏と書いて間違いないと思う。


ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。
ソリストのピンカス・ズーカーマンはユダヤ系のヴァイオリニストらしく磨き抜かれた美音と高度なメカニックを披露。音に張りがあり、明るい。ステージ上が明るくなったかのように錯覚するほどだ。ポルタメントの使い方も味わい深い。
広上指揮の京都市交響楽団も充実した伴奏を聴かせる。丁寧で構築感抜群の演奏であり、第3楽章のオーケストラのみの演奏場面ではズーカーマンはオーケストラの方を振り向いて満足げな表情を見せる。ズーカーマンは京響のことが大分気に入ってしまったようだ。

大曲であるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ということでアンコール演奏はなし、最後はズーカーマンは手ぶらで現れ、アンコールを演奏しないことを示した。


ブラームスの交響曲第3番。大学祝典序曲同様、日本人の美質が十全に発揮された演奏である。立体感もあり、音色は澄んで、旋律の歌い方にも日本人好みの小粋さがある。各楽器の奏者達の技術も高く、世界中でこのコンビだけが再現できるブラームスであったと思わせる快演であった。

なお、今日と明日の演奏会はハイレゾによる収録が行われ、後日配信される予定である。

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2017年7月25日 (火)

コンサートの記(311) 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2017「魔法のオーケストラ」第1回「踊るリズム」

2017年6月18日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2017 「魔法のオーケストラ」第1回「踊るリズム」を聴く。

新年度のオーケストラ・ディスカバリーの第1回公演である。指揮は京都市常任首席客演指揮者の下野竜也。ナビゲーターを務めるのはロザン。


曲目は、三木稔の「阿波ラプソディー」、チャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」から“ポロネーズ”、ビゼーの「カルメン」第1組曲から「アラゴネーズ」、ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」から“ワルツ”、リチャード・ハイマンの「ポップス・ホウダウン」、シャーマン兄弟(中川英二郎編曲)の「メリー・ポピンズ」から“チム・チム・チェリー”、モンティ(中川英二郎編曲)の「チャルダッシュ」、レナード・バーンスタインの「ウエスト・サイド・ストーリー」からシンフォニック・ダンス。

今日のコンサートマスターは客演の長原幸太(読売日本交響楽団コンサートマスター)。フォアシュピーラーは泉原隆志。


まずは三木稔の「阿波ラプソディー」。三木の出身地である徳島の阿波踊りを管弦楽曲に仕上げたものである。下野は日本的情感を上手く生み出し、ラストに向けての盛り上げも巧みだった。

演奏終了後、下野は、「6月18日、今日はお父さんの日ですね。今日の働くお父さん、下野竜也です」と自己紹介する。

ロザンの二人が呼ばれる。菅広文は、「阿波踊りって、チャンカチャンカってこんな踊りですね」と適当に振りをつけたのだが、下野が「その通りです」と言ったためそれ良いということになってしまった。

拍(拍子)について下野は語る。「阿波ラプソディー」は二拍である。「拍は、周期的に……、そう、周期的ですよ」という風に説明したが二人に伝わったようだ。菅ちゃんが「チャンカチャンカ」は二拍子ですね」と聞き、下野が「そうです」、菅ちゃんが「チャンカチャンカチャンだと三拍子になるわけですか?」、下野「それは違います」
ということで、続くチャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」から“ポロネーズ”。ポーランドの三拍子の楽曲である「ポロネーズ」(4分の3拍子では、8分音符、16分音符2つ、8分音符4つが基本の音型となる)の説明を下野は行った。「エフゲニー・オネーギン」というロシア人の名前はやはり発音が難しいようで、下野は噛み噛みで苦笑いであった。
下野らしい、きちんと組み上げられた演奏。低弦から高音を担う金管まで全ての音が丹念に仕上げられている。

演奏終了後に、ロザンの二人は、モニターに映る下野の指揮姿を見ていると三拍子がよくわかるというようなことを口々に述べる。下野は鹿児島から上京する際に、齋藤秀雄が監修した「指揮法」の映像(秋山和慶が出演しているもの)を何度も見て自己レッスンに励んでいる。言ってみれば齋藤流指揮法の継承者でもあり、指揮はとてもわかりやすい。


ビゼーの「カルメン」第1組曲より“アラゴネーズ”。下野は「少し速めの三拍子」と語る。演奏はフランスの地方のオーケストラのような色彩の濃さを引き出したものであった。


三拍子の王道であるワルツの曲をということで、といってもウィンナ・ワルツではなくハチャトゥリアンのワルツであるところが下野らしい。組曲「仮面舞踏会」から“ワルツ”。
下野は、楽曲について、「自分が死ぬということをまだ知らないで踊るワルツ」と説明する。京響の機能美が十分に発揮された演奏。
演奏終了後、宇治原が「重厚でしたね」、菅ちゃんが「悲劇的な感じ」と感想を述べる。ハチャトゥリアンの曲は硬質であり、ウィンナ・ワルツのような優美さだけを前面に押し出したものではない。

ハイマンの「ポップス・ホウダウン」。リチャード・ハイマン(1920-2014)は、ボストン・ポップス・オーケストラのアレンジャーとして活躍した人であり、ハーモニカ奏者、指揮者としても活躍した。NAXOSレーベルにはルロイ・アンダーソンの楽曲を指揮してレコーディングしている。
2拍子の曲。様々な楽器が登場するのも特徴である。
演奏中に、下手袖から背の低いおじさん(広上淳一)がピアニカを手にひょこひょこと現れ、「わらの中の七面鳥」を吹いて帰って行った。客席からも笑いが起こる。

コンサート本編が終わってから広上はステージ上に呼ばれた(ロザンの二人からは「謎のピアニカおじさん」と呼ばれていた)。また今日は、高関健も京都コンサートホールに来ていて、「ウエスト・サイド・ストーリー」演奏の時には、ステージ下手後方に広上と高関が並んで腰掛けて、譜に目をやりながら音楽を聴いていた。


トロンボーン奏者の中川英二郎をソリストに迎えての「メリー・ポピンズ」から「チム・チム・チェリー」。
中川英二郎は5歳からトロンボーンを始め、6歳の時にはもうステージに上がっていたという、音楽の申し子のような人。トロンボーンに転向以前(5歳の子供に「転向」という言葉を使うのも変だが)は、ピアノやトランペットを習っていたが、トロンボーン奏者が「スウィング・スウィング・スウィング」を吹くのを「かっこいい!」と思い、トロンボーンを選んだそうである。


モンティの「チャルダッシュ」。ヴァイオリンのための曲を中川がトロンボーンソロ用に編曲したものである。ヴァイオリンでも超絶技巧曲であるが、トロンボーンで演奏するにはどれだけの技量が必要とされるのか想像も及ばない。軽々吹いているように見えるが怖ろしく難しいはずである。

中川は、「練習は嫌いな子供だった」そうである。サッカーがやりたいので、トロンボーンの練習には余り重きを置いていなかったそうだが、親から「これだけはするように」と言われた音階練習をなるべく早めに終わらせるためにテンポアップして吹いていたそうで、これが演奏技術をプラスに導く働きをしたという。


レナード・バーンスタインの「ウエスト・サイド・ストーリー」からシンフォニック・ダンス。下野は「ロミオとジュリエット」の世界をウエスト・サイドのギャングに置き換えたものと解説。
「マンボ」の場面では、「お客さんにも言ってもらいたい」というので練習。「振り返ったら“マンボ!”」とのことだったが、下野はふざけて何度も振り返る。宇治原が「前のお客さん(ここではポディウム席に座っている人のこと)はどうしましょうか?」と聞くと、下野は「薄いのが見えたら」と自身の頭頂部をネタに用いていた。
洗練された都会的な演奏である。
先に書いたとおり、広上と高関が下手後方で聴いており、高関さんはマラカスパートも演奏。楽しそうであった。


アンコールは、外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」より“八木節”。広上と高関も小さめの拍子木を手に演奏に参加。ということで、一般的なものよりも打楽器の数が多い演奏である。
下野は指揮台の上でステップを踏み、楽しい演奏となった。

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2017年5月 5日 (金)

コンサートの記(297) 広上淳一指揮京都市交響楽団大阪特別公演2017

2017年4月16日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで京都市交響楽団大阪特別公演を聴く。今日の指揮者は、京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。
曲目は、ベートーヴェンの交響曲第5番、ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」(1919年版)。
今日のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏である。管楽器の首席奏者は前半のベートーヴェンにはほとんど出演せず、ベートーヴェンのオーボエは客演の岡北斗が吹いた。


広上は節目節目でベートーヴェンの交響曲第5番を取り上げており、十八番としている。

今日は二つ指揮棒を軽く振ってから演奏スタート。フェルマータはいつもよりも少しだけ短めにしているようである。ピリオド・アプローチによる演奏であり、音の末尾を伸ばすことはない。
音の密度が高く、弦、管共に充実した演奏を展開する。フルートの浮かび上がらせ方の上手さも目立つ。
第4楽章突入部分の輝かしさは特筆事項で、真の勝利をつかみ取った心の震えまでもが伝わってくるかのようだ。
ベーレンライター版の譜面を使っていたようで、第4楽章ではピッコロの活躍が目立つが、一番浮き上がるところのピッコロは採用しておらず、交ぜて使っているようである。ラストではピッコロを思う存分吹かせていた。
広上は、ジャンプをしたかと思えば、振りかぶって指揮棒を下げ下ろしたり、指揮棒を両手で持って剣道の「面!」のように払い下げたりする。


休憩を挟んで後半。ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」。しなやかにしてソリッドな演奏が展開される。夜想曲やロマンスの可憐さも見事だ。夜想曲ではコンサートマスターの渡邊穣が美しいヴァイオリンソロを奏でた。


ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」(1919年版)。京響の技術の高さと、明るい音色が十全に発揮された演奏である。広上の弦と管のバランスの取り方も最上であり、ティンパニなどの打楽器の思い切った強打も効果的である。音の百貨店のようにどんな音でも出せる万能系の演奏である。
広上のピョンピョンと跳ねる指揮姿も面白かった。


カーテンコール。広上は客席に向かって、「また来ます」と挨拶。「皆さんのご多幸を祈って」ということで、ビゼーの「アルルの女」第1組曲よりアダージェットがアンコールとして演奏される。瑞々しい出来であった。

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2017年3月31日 (金)

コンサートの記(288) 高関健指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2016(年度)「オーケストラ・ミステリー」第4回“大作曲家の秘密~音楽家の真実”

2017年3月12日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2016(年度)「オーケストラ・ミステリー」第4回“大作曲家の秘密~音楽家の真実~”を聴く。
今日の指揮者は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。ナビゲーターはロザンの二人。

京都市交響楽団のポストは現在は3人体制で、常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一、常任首席客演指揮者の高関健、常任客演指揮者の下野竜也(来月から常任首席客演指揮者に昇格の予定)であるが、どういうわけか全員小柄である。高関健も公称162cmの菅弘文と同じぐらいの身長しかない。


曲目は、ストラヴィンスキーの「サーカス・ポルカ」、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」より第1楽章、ジョゼフ・ジョンゲンのオルガンと管弦楽のための協奏交響曲第3楽章と第4楽章(オルガン:福本茉莉)、スメタナの連作交響詩「わが祖国」より「モルダウ」、ショスタコーヴィチの交響曲第5番第4楽章。
ストラヴィンスキーとジョンゲンの作品を聴くのは初めて。ジョンゲンに至っては名前すら知らなかった。


今日のコンサートマスターは渡邊穣、フォアシュピーラーは尾﨑平。フルートは上野博昭が首席奏者に就任し、前半、後半共に登場した。オーボエ首席奏者の髙山郁子も全編に渡って出演したが、年度末ということもあって教職などに就いている人は忙しいようで、他の管楽器パートの首席奏者はいずれも顔を見せなかった。
第2ヴァイオリンの客演首席奏者は上敷領藍子。ヴィオラの客演に灘儀育子という奏者が入っているが、なだぎ武と関係があるのかは不明である。調べてみると灘儀氏は全国に30名から40名ほどしかいない珍しい姓のようである。
ドイツ式の現代配置による演奏であるが、指揮者の正面はティンパニの中山航介ではなく、スネアやトライアングルを演奏する福山直子で、ティンパニはその下手隣という陣立てである。


まずはストラヴィンスキーの「サーカス・ポルカ」。アメリカ時代の作品である。1942年に、50頭のゾウと50人のダンサーによって、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたサーカス公演のために書かれた曲である。「ペトルーシュカ」や「春の祭典」のような変拍子と鮮烈にしてカオスな感覚は残しつつ、寄り洗練された音楽に仕上げた作品。ラストにはシューベルトの「軍隊行進曲」のパロディーがあり、ゾウがそれに合わせてのんびり動いたであろうことが想像される。

演奏終了後、高関がマイクを手に挨拶を行い、早速、ナビゲーターのロザンの二人を呼んで、トークを始める。高関は「この曲はゾウには不評だったようです。どう聞こえていたのかはわかりませんが」と話す。

高関は「サーカス・ポルカ」の変拍子の話をするが、菅ちゃんは、「変拍子は難しいです」と知ったかぶりをする。

高関は、「春の祭典」の話をし、「初演時は、バレエの上演だったのですが、大不評でして、ステージのトマトが投げ込まれたという話もあります」と説明する。宇治原史規が「なんでトマトを持ってきてたんでしょうね?」と言い、菅ちゃんも「投げるために持ってきていたとしか思えない」と続ける。

続く、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」であるが高関は、「これも初演の時に『春の祭典』と同じ目に遭っている」と語る。高関は、「当時は長すぎたし、全体では三拍子なのですが、変拍子の部分もあって、聴衆には難しいと感じられた」と説く。菅ちゃんは、「変拍子だけは(僕には)出来ない」と言って、宇治原に、「変拍子だけって(変拍子だけちゃうやろ)」と突っ込まれる。

「英雄」というタイトルについては、高関は「表紙だけ残っていて、そこに『ボナパルトに捧ぐ』と書かれていて、ナポレオンだったのは間違いない。ただ、その上に思いっきり書き殴って消してある」と話した。


そのベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」より第1楽章。ピリオド・アプローチによる演奏。弦楽奏者はビブラートを抑えめにして右手のボウイングがかなり多い。テンポも速めである。
高関はこの曲はノンタクトで指揮。細部を丁寧に整えた演奏であった。クライマックスのトランペットは当然ながら途中で消え、木管がそれを受け継いだ。

出てきた菅ちゃんは、変拍子について「ちゃんと出来てました」と述べる。


ジョンゲンのオルガンと管弦楽のための協奏交響曲。ジョゼフ・ジョンゲン(1873-1953)は、ベルギー出身のオルガニスト兼作曲家で、この曲はアメリカ・フィラデルフィアのデパートに設置された巨大パイプオルガンのために作曲されたものだという。ただ、オーケストラがなかなかデパートに行く機会がなく、デパートで初演されたのはジョンゲンの死から半世紀以上が経過した2006年になってからだそうで、地元の名門オーケストラであるフィラデルフィア管弦楽団を招いて演奏が行われたという。

パイプオルガン奏者の福本茉莉が紹介される。今日はポディウム席は真ん中は前2列だけ、上手下手は前3列だけを残して取り払われている。
福本茉莉は1987年生まれのオルガニスト。まだ二十代の若い演奏家である。東京都出身。東京藝術大学卒、同大学院修了。2011年に渡独し、ハンブルク音楽演劇大学でヴォルフガング・ツェーラーに師事し、翌2012年には武蔵野市国際オルガンコンクールに日本人として初めて優勝。昨年、オルガンのドイツ国家演奏家資格を栄誉付き最高点にて取得したばかりである。NAXOSからCDをリリース。予告のチラシではNAXOSのCDジャケットに使われた厚化粧のものが使われたが、やはりそれではまずいのか、今回の無料パンフレットには一転して可愛い系の写真が用いられている。
福本は東京生まれの東京育ちだが、性格はトークから受けた印象による限りは、「大阪のよくいそうな姉ちゃん」である。
文化庁新進芸術家海外派遣研修員として現在もハンブルク在住。

宇治原が福本に、「どこで練習してはるんですか?」と聞き、菅ちゃんが「夜中に(ホールに)忍び込んで?」とボケる。福本も「(練習は)しません」とボケ返した後で、「クラーヴィアというものがあって、それで練習します。後はドイツなので教会が一杯あるので、鍵を借りて練習したり」と答える。「オールナイトで練習することもある」そうだが、「あんまりうるさいと警察が来ちゃうので」と思いっきり演奏することは出来ないということも語る。

パイプオルガンの説明。福本は、「リコーダーはご存じだと思いますが、あれが何本も立っているような感じ」「全部で7155本」と語る。高関が「リコーダーは穴を指でふさいで演奏するけれど、オルガンだとふさげる人がいないので」と補足する。福本は「音を組み合わせることで、7155よりも多い音を生み出すことが出来ます」と語った。

ジョンゲンのオルガンと管弦楽のための協奏交響曲。第3楽章は雅やかな旋律をオーケストラが奏で、フランス音楽のように響きの美しさを優先させた神秘的な音楽がパイプオルガンと管弦楽によって演奏される。
第4番は、一転して映画音楽のようなど派手な音楽。オーケストラもパイプオルガンも盛大に鳴り響いて、爽快な演奏となった。
休憩を挟んで後半。スメタナの「モルダウ」。
高関がロザンの二人に、「スメタナはチェコで初めてオーケストラ曲を書いたと言ってもいい人物なのですが、『モルダウ』は知ってますよね」と聞き、宇治原は「それはもう」と答え、菅ちゃんは第一主題を鼻歌で歌い、「モルダウよ」と合唱版での歌詞も歌う。宇治原が「音楽の教科書にも載ってる」と補う。
高関は、「『モルダウ』と言いますが、チェコでは実際は、ヴァルタヴァなんです」と言って、総譜の表紙を見せる。宇治原が「本当だ。ヴァルタヴァと書いてあります。vltava」と答える。
高関は、「小さな流れが、二つに合わさるのですが大きくなって、お祭りで結婚式が行われて、夜になって妖精が出てきたりして、流れて、ずっと流れてるんですが激しい流れになって、プラハのお城これは『わが祖国』の第1曲に主題が出てくるのですが、お城が見えて、プラハの街を過ぎ去って、チャンチャンで終わる」と解説する。
「わが祖国」については高関は、「全部で6曲からなっていて、一晩のコンサートがそれで終わるぐらいなのですが、その2曲目が『モルダウ』です」と言って、宇治原が「全曲やるわけではないということで」と聞くと、「別に全曲やってもいいんですよ」と答える。宇治原は「オーケストラの方達、イヤイヤしてます」と言う。
スメタナについて、宇治原が「聴力を亡くした」と台本にあることを聞き、高関が、「耳鳴りが酷かったそうです。『モルダウ』を書いた頃には、もう何も聞こえないぐらいに」。スメタナはその後、精神を病み、精神病院にて60歳の生涯を閉じた。

「モルダウ」。精緻なアンサンブルを京響は聴かせる。音色は明るく、高関の指揮も見通しが良い。

演奏終了後、菅ちゃんは、あの「ティララティラララというところが好きなんです」と冒頭のフルートの旋律を口ずさんだ。
宇治原が、「最後の曲となりました」と言うと、菅ちゃんは「『モルダウ』ですか?」とボケて、宇治原に「後で聴け。家帰って聴け。録音で」と突っ込まれる。


最後の曲であるショスタコーヴィチの交響曲第5番より第4楽章。
高関は、「ショスタコーヴィチは天才少年だったわけです。作曲だけではなく、ピアニストとしても優れていて、自作自演の録音が残っていて優れたピアニストだったということがわかるわけですが、若い頃はやんちゃな曲も書いていたそうです」、宇治原「やんちゃというと?」、高関「わざと汚い和音を出してみたり、とんがった音を出したり。交響曲第4番という曲を書いたのですが、それは引っ込めまして20年以上経ってから初演された。彼が10歳の時にロシア革命が起きまして、ソ連の不自由な社会がやってきたわけです」、宇治原「スターリンの音楽家にとっては良くない時代」、高関「はい。変なこと出来ない」、宇治原「したら捕まると」、高関「告げ口されますので(ソ連では密告が奨励されていた)」、菅「じゃあわからないように『ソ連アホ』と」

実は、ショスタコーヴィチはこの曲でも反抗を行っているのだが、高関は「言えない」と語る。

通常のテンポで演奏がスタートするが、その後加速する。高関は猛々しい部分には余り気を配らず、悲しみに溢れた場面は丁寧に演奏することで凱歌には聞こえないよう工夫する。

演奏終了後、菅ちゃんは前回同様、やはり自分が演奏の立役者でもあるかのように右手を挙げ、宇治原に制される。
菅ちゃんは、「格好いい曲ですね!」と絶賛した後で、「わかりました。シンバルです。叩く間に『ソ連アホ』とつぶやく」と言う。高関は左手の人差し指を左右に振って、「NO」と告げていた。


アンコールはショスタコーヴィチの「タヒチ・トロット(二人でお茶を)」。高関は、「天才少年ショスタコーヴィチに、『君、そんなに天才少年だっていうんなら40分あげるから曲を書きなさい』と言う人がいて、本当に40分で書いた曲」だと説明する。既成のジャズ曲をアレンジしたもの。高関は「二人でお茶を」の旋律を口ずさむが、宇治原から「小さくて聞こえない」、菅ちゃんから「後ろめたいことでもあるんですか?」と言われてしまう。
ソ連風とは一線を画した洒落た演奏。京響の明るめの音色もプラスに作用した。

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2017年3月14日 (火)

コンサートの記(282) 大友直人指揮京都市交響楽団第477回定期演奏会 京都市交響楽団&プラハ交響楽団合同演奏会

2005年6月19日 京都コンサートホールにて
 
京都コンサートホールで、14時30分から京都市交響楽団(京響)の第477回定期演奏会が催される。今回は特別に今年(2005年)5月に京響と姉妹オーケストラ契約を結んだプラハ交響楽団の単独演奏がプログラムに挟まれ、また京響とプラハ響による合同演奏がある。
 
前半の指揮者は京響の常任指揮者・大友直人。演目は芥川也寸志の「交響管弦楽のための音楽」とチャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」。日本音楽とロマンチックな音楽を得意とする大友らしいプログラミングだ。
今日は2階上手後方の席での鑑賞。視覚的には今一つの席だが、音はまずまずだ。前回は前の方に座ったのだが、音が頭の上を素通りするような感じだった。それに比べると遥かに良い音がする。
芥川の「交響管弦楽のための音楽」で大友は見事なオケ捌きを見せる。京響も鋭い音で応える。
チャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」はロマンチックな曲だが音同様構成力もやや甘いためか演奏される回数は意外に少ない。京響はこの曲を演奏するには音の色彩感が不足している。もっともっと音の煌めきが必要だ。

休憩を挟んで後半はまずプラハ交響楽団の単独演奏。35歳の若手指揮者トーマス・ハヌスの指揮でモーツァルトの交響曲第38番「プラハ」が演奏される。中編成での演奏なので、天井が高く音が上に行ってしまいがちな京都コンサートホールでは音量不足は否めない。プラハ交響楽団は一流とは目されていないオーケストラだが音は京響よりも美しい。弦とクラリネットが特に魅力的だ。ハヌスの指揮姿はギクシャクとして機械仕掛けの人形を思わせるところがある。若々しい演奏だが、1925年生まれのサー・チャールズ・マッケラスは60代で録音した「モーツァルト交響曲全集」において更に更に若々しい演奏を繰り広げている。表現に年はあまり関係ないようだ。
 
最後は京響とプラハ響の合同演奏によるレスピーギの「ローマの松」。1996年12月のN響定期公演でデュトワ指揮で聴き、大興奮した曲だ。
大友の表現もデュトワほどではないが色彩感に富み、語り上手である。京都コンサートホールのパイプオルガンも威力抜群だ。
この曲は最後の「アッピア街道の松」で金管のバンダ(舞台以外で演奏する別働隊のようなもの)が活躍する。デュトワの時はバンダはNHKホールの上手にあるパイプオルガンの前で演奏した。今日はどこに登場するのだろうと興味津々だったが普通に2階席後方で演奏していた。あまり心躍る演出ではない。「アッピア街道の松」は迫力抜群ではあるが、舞台とバンダの間の距離が相当あったためにどうしても音にズレが生じてしまい、アンサンブルが崩れたように聞こえてしまっていた。それだけが残念である。

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2017年2月11日 (土)

コンサートの記(273) 下野竜也指揮京都市交響楽団第608回定期演奏会

2017年1月21日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第608回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任客演指揮者の下野竜也。下野はこの4月から、高関健と並んで、京都市交響楽団の常任首席客演指揮者に昇格し、常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーである広上淳一と共にトロイカ体制をより強固なものにさせていくことが決まっている。

曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第25番(ピアノ独奏:パスカル・ロジェ)とブルックナーの交響曲第0番。
有名とはお世辞にも言えない曲が並び、今日と明日の2日公演なので入りが心配されたが、満員には遠かったものの、案外入りは良い。

モーツァルトのピアノ協奏曲第25番は、モーツァルトの20番台のピアノ協奏曲の中では取り上げられる回数が極端に少ない曲である。下野竜也もプレトークで、20番台のピアノ協奏曲のうちで第25番と第22番は余り取り上げられないと語っていたが、ピアノ協奏曲第22番は第3楽章が、映画「アマデウス」で流れていたため、聴いたことがある人は多いかも知れない。
一方、ピアノ協奏曲第25番は、ライブで聴くのは今日が多分初めてになる。実は、大友直人が京都市交響楽団の常任指揮者を退いてすぐの頃なので大分前になるのだが、大友直人指揮京都市交響楽団の定期演奏会でモーツァルトのピアノ協奏曲第25番がプログラミングされたことがあったのである。しかし、なんとソリストが演奏する曲目を間違えており、演奏会の直前になって大友直人に電話をしてきたそうで、暗譜しているポピュラーなピアノ協奏曲第21番に急遽変更という出来事があった。


開演20分前から下野竜也によるプレトーク。ラフな格好で登場した下野は、「こんにちは」と「遅ればせながら、あけましておめでとうございます」の挨拶を行った後で、曲目の紹介を行う。モーツァルトが好きな人も多いし、ブルックナーが好きな人も多いけれども、今日取り上げる曲は共に演奏される回数が少ないと言って、「だからといって悪い曲ではない」ということを強調する。

モーツァルトのピアノ協奏曲第25番はハ長調で書かれたピアノ協奏曲であるが、「悲しさ」を感じさせる曲だと下野は語る。ティンパニとトランペットが入っており、普通はこうした編成による曲はお祭りの曲なのであるが、モーツァルトは敢えて捻っているという。「人に寄っては」と下野自身の解釈ではないことを示しつつ、「戦後の不況、またモーツァルト自身がフリーメイソンに入れあげて問題になったという背景があるのではないかとも言われています」と下野は述べる。パスカル・ロジェのことを「世界屈指のピアニスト」と褒めたたえ、ロジェの演奏にも乞うご期待の旨を述べる。


ブルックナーの交響曲第0番は、特殊な曲である。普通は交響曲の番号に0などという数字は入らない。実は元々は交響曲第2番として書かれたのだが、後にブルックナーはタイトルをに「無効」と筆を入れ、習作として取り消してしまい、新たな交響曲第2番が書かれた。破棄された方の交響曲第2番であるが、ブルックナーはスコアを捨てずに終生持っていたそうで、死後に交響曲第0番として出版された。ブルックナーにはそれ以前に書かれたとされる交響曲第00番も存在する(プロ野球チームの背番号みたいだ)。下野がこの曲を知ったのは中学生の頃だそうで、テレビを見ていてたまたま知ったのだという。
作曲された時期であるが、当初は交響曲第2番とされていたことから、交響曲第1番より後に書かれたものだというのは確実で、「交響曲第1番より前に書かれたから第0番というわけではありません」と下野も言う。
「ブルックナーというと後期の交響曲が有名です。ドヴォルザークも『新世界』、第8番、第7番。第6番当たりになるとマニアックになります。ベートーヴェンは交響曲第1番から傑作でしたが、他の作曲家の場合、若い頃の交響曲というと未熟な場合が多いです。若い頃は、書きたいことは沢山あっても方法もわからなければ手段もわからない。ただ、若いが故の魅力というのもあるのです」と下野は語り、「ブルックナーの後期の交響曲を演奏するようには今日は演奏しません。ウィーンで学んでいた頃、先生から教わったのですが、後から書かれた曲をイメージしつつ演奏するということは私もしないことにします」と続ける。下野は、「この曲がシューベルトの時代のすぐ後に書かれたということに注目してください」とも語った。


今日のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーに尾﨑平。今日はフルートには首席客演奏者として榎田雅祥(えのきだ・まさよし)が入り、後半のみ出演した。トランペットはモーツァルトが稲垣路子と西馬健史、ブルックナーがハラルド・ナエス(首席トランペット奏者)と早坂宏明である。ホルンに見慣れぬ女性奏者がいたが、客演の中橋慶子のようだ。
第2ヴァイオリンにも今日は首席客演奏者として水鳥路が入る。


モーツァルトのピアノ協奏曲第25番。ピアノ独奏のパスカル・ロジェはフランスを代表するピアニスト。パリ国立音楽院を卒業後、英DECCAの専属アーティストとなり、ラヴェル、サティ、ドビュッシー、プーランク、フォーレなどのフランスものを次々に発表して売れっ子となる。シャルル・デュトワと多くの仕事を行っており、サン=サーンスのピアノ協奏曲全集や、プーランクのピアノ協奏曲などをレコーディングしている。
今世紀に入ってからも「ドビュッシー ピアノ曲全集」をonyxから発表し、話題となった。

モーツァルトのピアノ協奏曲というと、長調の曲にしろ短調の曲(2曲しかないが)にしろ、まろやかなピアノが奏でられるのが王道だが、ロジェはフランスのピアニストということもあってかシャープ且つタイトである。結晶化された美しい音色を奏で、いわゆるモーツァルト弾きといわれる人達とは別の魅力がある。

下野指揮の京響は輝かしい演奏を展開。ピリオド・アプローチを援用しているが、弦のビブラートを掛ける場所が奏者によって異なるなど(ノンビブラートの人もいた)、自然な感じを表に出していたように思う。

この曲は勢いよく始まるが、弦が不吉な印象を受けるメロディーを奏で、それを管楽器が明るい調に変えて演奏する。そのため不安定な印象を受け、モーツァルトの孤独が一瞬よぎるような印象を受ける。
第2楽章でもピアノは明るい音を出しているのに、管楽器が痛烈な音を出す場面がある。
そうした不安定な要素が好悪を分かつ要因なのかも知れない。
ロジェはアンコールとして、サティの「グノシエンヌ第5番」を弾く。実はこの曲は、私が千葉にいた頃、最も好んで良く弾いた曲の一つである(「グノシエンヌ第1番」や第3番もよく弾いた)。技巧的には平易であり、楽譜が読めれば初心者でも弾けるはずである(楽譜が読める時点で初心者ではない気もするが)。
世界で初めて「エリック・サティ ピアノ曲全集」を作成した故アルド・チッコリーニの2種類の演奏を良く聴いたものだが、チッコリーニはフランス国籍になったとはいえ元々はイタリア人であり、そのため甘い旋律を慈しむかのようなカンタービレを聴かせていたのだが、ロジェの弾く「グノシエンヌ第5番」はそれとは異なり、甘さも余り感じさせずスマートである。ロジェの弾く「グノシエンヌ第5番」は録音でも聴いたことがあるのだが、スタイルは全く変わっていない。他のフランス人ピアニストもロジェのようなサティを弾くので、フランスではロジェのようなスタイルが正統派なのかも知れない。

アンコール曲はホワイトボードに手書きで発表されるのだが、何の手違いか、「グノシエンヌ第3番」と発表されている。そこでスタッフさんに言って、正しい番号に訂正して貰った。
サティのグノシエンヌは第1番から第6番まであるのだが、サティの生前に出版されたのは第3番までである。「グノシエンヌ第1番」が最も有名であり、北野武初監督作品である「その男、凶暴につき」で、電子音などに編曲されたものがメインテーマとなっていた。
「グノシエンヌ第5番」も90年代に菊池桃子が出演していたCM(なんのCMかは忘れてしまった)で使われ、最近もまた別のCMで使われている。



ブルックナーの交響曲第0番。
野達也は大阪フィルハーモニー交響楽団とこの曲を録音しており、京都コンサートホールでも同曲を大阪フィルと演奏している。確か、それが下野の京都コンサートホールデビューであったはずである。
下野も大フィルとこの曲を京都コンサートホールで演奏した時は今よりも二回りぐらい巨漢だった。

ブルックナー初期の楽曲とはいえ、ブルックナーらしさは十分に発揮されている。第2楽章の澄み渡る空が目に浮かぶような音楽は、彼の交響曲第8番第3楽章を連想させる。ただブルックナーの後期の交響曲、特に第8番と第9番は「響き」と「音の構築感」に重きが置かれているのに対して、初期はまだメロディーで繋ごうという意図が強いように思う。下野はプレトークでシューベルトの名前を出していたが、旋律や構築感にはシューベルトの交響曲第4番「悲劇的」や交響曲第5番に相通じるものが感じられる。

大阪フィルを指揮した演奏では渋い独特の演奏を聴かせた下野だが、京都市交響楽団は大フィルに比べて音色が明るいため、趣がかなり異なる演奏となった。大フィルとの演奏はもう詳しくは覚えていないのだが、今日のような見通しの良さが感じられなかったのは確かなので、今日の方がより咀嚼された分かり易い演奏であったように思う。

カーテンコールで、下野は総譜を掲げて、曲への敬意を表した。

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2017年1月29日 (日)

コンサートの記(269) 高関健指揮京都市交響楽団第607回定期演奏会

2016年11月26日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第607回定期演奏会を聴く。今日の指揮は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。


メシアンのトゥーランガリラ交響曲1曲勝負である。
オンド・マルトノが用いられるということで、開演前にステージに近寄って、オンド・マルトノを物珍しげに眺めているお客さんも多い。

開演20分ほど前から高関健によるプレトーク。楽曲解説を行う。

メシアンのトゥーランガリラ交響曲は20世紀に書かれたの作品の中では演奏会プログラムに載ることが比較的多いが、分かり易い作品とはいえないと思う。

高関は、まずメシアンが京都賞の第1回の受賞者であると述べる。メシアンは1985年に京都賞を受賞しており、授賞式出席のために来日して、秋の京都を楽しんだそう。
メシアンはティンパニが余り好きでなく、今日のような大編成の曲でもティンパニは入っていないと語る(メシアンに影響を受けた武満徹もティンパニという楽器が好きではなかった)。更にハープも好きではなかったそうで、今日の編成にも入っていない。
トゥーランガリラ交響曲の日本初演は、1962年7月に小澤征爾指揮のNHK交響楽団によって行われている。小澤・N響事件が起こる半年ほど前のことだ。メシアンは日本初演のために来日し、作曲者兼監修としてリハーサルにも立ち会ってアドバイスを送ったという。
「今日も、これなんだろう? と珍しそうに見ている方がいらっしゃったようですが」と、オンド・マルトノについて語り始める。オンド・マルトノは電子楽器である。この楽器が使われている最も有名な曲が、このトゥーランガリラ交響曲なのだが、他に有名曲は思い浮かばない。高関は、「シンセサイザーの元のようなもの」と語り始め、「スピーカーの中にシンバルのようなものが入っている」、「鍵盤のようなものを弾いたり、弦を伸ばして引っ張る」といったような解説を行う。

更に今日はずらりと並ぶ鍵盤楽器群についても触れる。ピアノ、チェレスタ、ジュ・ドゥ・タンブル、そして打楽器になるがヴィブラフォン。
ピアノについては、「主役のような役割」「ピアノ協奏曲と取ることも出来る」と語り、チェレスタ、ジュ・ドゥ・タンブル(鍵盤式グロッケンシュピール)、ヴィブラフォンについては、「メシアンは、『ガムラン楽器群』と呼んでいた」と語り、ガムランからの影響を受けていたことを述べる。ガムランに関してはよく知られているように、初めて影響を受けた西洋の作曲家はドビュッシーである。ドビュッシーは、1900年のパリ万国博覧会において、本場のガムランの演奏を聴き、西洋音楽が絶対ではないことを知って衝撃を受けている。メシアンは音楽的にはドビュッシー直系の作曲家である。

高関は、チェレスタを弾きながら、無料パンフレットに記された「移調の限られた旋律」について説明する。まずハ調のドレミファソラシドを奏でた後で、別の調のドレミ音型を奏で、半音も含めた十二音の音型も奏でる。調の変化により、同じような音型でも違うことはわかる。この複数の音型が同じ時間に奏でられるために不協和音になるのだが、「最初の頃は違和感があるかも知れませんが、すぐに耳が慣れます」と語る。
その後、主要なテーマである「彫刻の主題」(金管。高関は、「偉そうに吹くのですぐわかる」と解説)と「花の主題」(主にクラリネット)をチェレスタで奏で、「愛の主題」も弾こうとするが、やはり二本の腕では難しいようで、「ゆっくり歌われるのでわかると思います」と述べた。
それから、独特のリズムについても語り、ある特徴的なリズムの後に譜面を逆さまにして眺めたようなリズム音型が来るという。丁度、真ん中に鏡を置いたような形であり、J・S・バッハがフーガで行ったことをメシアンはリズムで行ったと語る。リズムは主にウッドブロックによって明確に示される。

高関は以前はこの曲の良さが全くわからず、メシアンについても「山師なんじゃないか」と疑っていたそうだが、楽曲の緻密さに気づくことで大好きになったそうである。


ピアノ独奏:児玉桃、オンド・マルトノ独奏はこの楽器の第一人者として知られる原田節(はらだ・たかし)。
今日のコンサートマスターは渡邊穣、フォアシュピーラーに尾﨑平。普段はティンパニを叩くことが多い中山航介は大太鼓を担当する。今日のヴィオラ首席には店村眞積が入る。


同じ、児玉桃のピアノ独奏、原田節のオンド・マルトノ独奏による井上道義指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の実演を聴いたことがあり、エモーショナルな演奏であったと記憶しているが、高関の音楽はきちんと組み立てた音楽の隙間から喜びが溢れ出てくるような趣のある演奏である。この曲の数学的一面も巧みに表出されていた。

京都市交響楽団の音は輝かしく、金管の威力、木管の浮遊感、弦の艶、打楽器群の迫力などいずれも申し分ない出来である。京都コンサートホールの残響も長く、美しい響きを十分に堪能することが出来た。

 

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