カテゴリー「京都市交響楽団」の37件の記事

2017年7月29日 (土)

コンサートの記(313) 広上淳一指揮京都市交響楽団第614回定期演奏会

2017年7月15日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第614回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

チラシなどには「広上淳一のブラームス讃 第1弾」と銘打たれたコンサート。曲目は、ブラームスの大学祝典序曲、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:ピンカス・ズーカーマン)、ブラームスの交響曲第1番。


開演20分前からプレトークがある。お昼の公演なのだが、広上淳一は「こんばんはー」と言ってステージに登場。京都市交響楽団第2ヴァイオリン奏者の後藤良平と京都市交響楽団シニアマネージャー兼チーフマネージャーの柴田智靖も広上に続いて現れる。

まずベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のソリストを務めるピンカス・ズーカーマンの話。後藤良平は、イツァーク・パールマンなどの優れた弦楽奏者と共演したことがあるという話をし、広上と二人で、ズーカーマンは、パールマンやアイザック・スターンと同じユダヤ系ヴァイオリニストだという話になる。ズーカーマンが京響と共演するのは今日が初めてだそうである。

続いて、広上がブラームスの交響曲第3番を指揮するのは今日が3回目だという話をする。難しい曲なので取り上げにくいらしい。広上がまだ駆け出しの頃、受けた指揮者コンクールでブラームスの交響曲第3番が課題曲だったのだが、「ロマンの塊」のようで、「これは難しいぞ」と感じた思い出などを語る。

ブラームスの大学祝典序曲。広上や後藤は「旺文社の大学受験ラジオ講座」のテーマ曲として知ったそうで、広上は大学浪人時代にずっと「旺文社の大学受験ラジオ講座」を聞いていたのだが、テーマ曲がブラームスの大学祝典序曲であるということは知らず、大学に入ってから曲名を知ったそうである。
後藤は、「京都は大学生の比率が日本一多い街、だいたい10人に1人で京都市の人口が150万弱だから14万人」と語り、この曲が京都で演奏するのに相応しい曲だと述べた。
その他、祇園祭の話も出たのだが、広上は幼い頃に父親に連れられて祇園祭を見たものの(山矛巡行だと思われる)人ばかりで何も見えなかったという思い出があるそうだ。


今日のコンサートマスターは客演の豊嶋泰嗣、フォアシュピーラーに泉原隆志。今日はソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積も出演する。管は多くの首席奏者がブラームスの交響曲第3番のみ登場した。


ブラームスの大学祝典序曲。最近では演奏が良くても心揺すられることは余りないのだが、広上のブラームスには感心させられた。明晰で美しく、繊細で上品な演奏。特筆すべきは日本人ならではの細やかな感性が十全に生きていることで、日本人指揮者と日本のオーケストラがなし得るものとしては最上レベルの演奏と書いて間違いないと思う。


ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。
ソリストのピンカス・ズーカーマンはユダヤ系のヴァイオリニストらしく磨き抜かれた美音と高度なメカニックを披露。音に張りがあり、明るい。ステージ上が明るくなったかのように錯覚するほどだ。ポルタメントの使い方も味わい深い。
広上指揮の京都市交響楽団も充実した伴奏を聴かせる。丁寧で構築感抜群の演奏であり、第3楽章のオーケストラのみの演奏場面ではズーカーマンはオーケストラの方を振り向いて満足げな表情を見せる。ズーカーマンは京響のことが大分気に入ってしまったようだ。

大曲であるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ということでアンコール演奏はなし、最後はズーカーマンは手ぶらで現れ、アンコールを演奏しないことを示した。


ブラームスの交響曲第3番。大学祝典序曲同様、日本人の美質が十全に発揮された演奏である。立体感もあり、音色は澄んで、旋律の歌い方にも日本人好みの小粋さがある。各楽器の奏者達の技術も高く、世界中でこのコンビだけが再現できるブラームスであったと思わせる快演であった。

なお、今日と明日の演奏会はハイレゾによる収録が行われ、後日配信される予定である。

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2017年7月25日 (火)

コンサートの記(311) 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2017「魔法のオーケストラ」第1回「踊るリズム」

2017年6月18日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2017 「魔法のオーケストラ」第1回「踊るリズム」を聴く。

新年度のオーケストラ・ディスカバリーの第1回公演である。指揮は京都市常任首席客演指揮者の下野竜也。ナビゲーターを務めるのはロザン。


曲目は、三木稔の「阿波ラプソディー」、チャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」から“ポロネーズ”、ビゼーの「カルメン」第1組曲から「アラゴネーズ」、ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」から“ワルツ”、リチャード・ハイマンの「ポップス・ホウダウン」、シャーマン兄弟(中川英二郎編曲)の「メリー・ポピンズ」から“チム・チム・チェリー”、モンティ(中川英二郎編曲)の「チャルダッシュ」、レナード・バーンスタインの「ウエスト・サイド・ストーリー」からシンフォニック・ダンス。

今日のコンサートマスターは客演の長原幸太(読売日本交響楽団コンサートマスター)。フォアシュピーラーは泉原隆志。


まずは三木稔の「阿波ラプソディー」。三木の出身地である徳島の阿波踊りを管弦楽曲に仕上げたものである。下野は日本的情感を上手く生み出し、ラストに向けての盛り上げも巧みだった。

演奏終了後、下野は、「6月18日、今日はお父さんの日ですね。今日の働くお父さん、下野竜也です」と自己紹介する。

ロザンの二人が呼ばれる。菅広文は、「阿波踊りって、チャンカチャンカってこんな踊りですね」と適当に振りをつけたのだが、下野が「その通りです」と言ったためそれ良いということになってしまった。

拍(拍子)について下野は語る。「阿波ラプソディー」は二拍である。「拍は、周期的に……、そう、周期的ですよ」という風に説明したが二人に伝わったようだ。菅ちゃんが「チャンカチャンカ」は二拍子ですね」と聞き、下野が「そうです」、菅ちゃんが「チャンカチャンカチャンだと三拍子になるわけですか?」、下野「それは違います」
ということで、続くチャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」から“ポロネーズ”。ポーランドの三拍子の楽曲である「ポロネーズ」(4分の3拍子では、8分音符、16分音符2つ、8分音符4つが基本の音型となる)の説明を下野は行った。「エフゲニー・オネーギン」というロシア人の名前はやはり発音が難しいようで、下野は噛み噛みで苦笑いであった。
下野らしい、きちんと組み上げられた演奏。低弦から高音を担う金管まで全ての音が丹念に仕上げられている。

演奏終了後に、ロザンの二人は、モニターに映る下野の指揮姿を見ていると三拍子がよくわかるというようなことを口々に述べる。下野は鹿児島から上京する際に、齋藤秀雄が監修した「指揮法」の映像(秋山和慶が出演しているもの)を何度も見て自己レッスンに励んでいる。言ってみれば齋藤流指揮法の継承者でもあり、指揮はとてもわかりやすい。


ビゼーの「カルメン」第1組曲より“アラゴネーズ”。下野は「少し速めの三拍子」と語る。演奏はフランスの地方のオーケストラのような色彩の濃さを引き出したものであった。


三拍子の王道であるワルツの曲をということで、といってもウィンナ・ワルツではなくハチャトゥリアンのワルツであるところが下野らしい。組曲「仮面舞踏会」から“ワルツ”。
下野は、楽曲について、「自分が死ぬということをまだ知らないで踊るワルツ」と説明する。京響の機能美が十分に発揮された演奏。
演奏終了後、宇治原が「重厚でしたね」、菅ちゃんが「悲劇的な感じ」と感想を述べる。ハチャトゥリアンの曲は硬質であり、ウィンナ・ワルツのような優美さだけを前面に押し出したものではない。

ハイマンの「ポップス・ホウダウン」。リチャード・ハイマン(1920-2014)は、ボストン・ポップス・オーケストラのアレンジャーとして活躍した人であり、ハーモニカ奏者、指揮者としても活躍した。NAXOSレーベルにはルロイ・アンダーソンの楽曲を指揮してレコーディングしている。
2拍子の曲。様々な楽器が登場するのも特徴である。
演奏中に、下手袖から背の低いおじさん(広上淳一)がピアニカを手にひょこひょこと現れ、「わらの中の七面鳥」を吹いて帰って行った。客席からも笑いが起こる。

コンサート本編が終わってから広上はステージ上に呼ばれた(ロザンの二人からは「謎のピアニカおじさん」と呼ばれていた)。また今日は、高関健も京都コンサートホールに来ていて、「ウエスト・サイド・ストーリー」演奏の時には、ステージ下手後方に広上と高関が並んで腰掛けて、譜に目をやりながら音楽を聴いていた。


トロンボーン奏者の中川英二郎をソリストに迎えての「メリー・ポピンズ」から「チム・チム・チェリー」。
中川英二郎は5歳からトロンボーンを始め、6歳の時にはもうステージに上がっていたという、音楽の申し子のような人。トロンボーンに転向以前(5歳の子供に「転向」という言葉を使うのも変だが)は、ピアノやトランペットを習っていたが、トロンボーン奏者が「スウィング・スウィング・スウィング」を吹くのを「かっこいい!」と思い、トロンボーンを選んだそうである。


モンティの「チャルダッシュ」。ヴァイオリンのための曲を中川がトロンボーンソロ用に編曲したものである。ヴァイオリンでも超絶技巧曲であるが、トロンボーンで演奏するにはどれだけの技量が必要とされるのか想像も及ばない。軽々吹いているように見えるが怖ろしく難しいはずである。

中川は、「練習は嫌いな子供だった」そうである。サッカーがやりたいので、トロンボーンの練習には余り重きを置いていなかったそうだが、親から「これだけはするように」と言われた音階練習をなるべく早めに終わらせるためにテンポアップして吹いていたそうで、これが演奏技術をプラスに導く働きをしたという。


レナード・バーンスタインの「ウエスト・サイド・ストーリー」からシンフォニック・ダンス。下野は「ロミオとジュリエット」の世界をウエスト・サイドのギャングに置き換えたものと解説。
「マンボ」の場面では、「お客さんにも言ってもらいたい」というので練習。「振り返ったら“マンボ!”」とのことだったが、下野はふざけて何度も振り返る。宇治原が「前のお客さん(ここではポディウム席に座っている人のこと)はどうしましょうか?」と聞くと、下野は「薄いのが見えたら」と自身の頭頂部をネタに用いていた。
洗練された都会的な演奏である。
先に書いたとおり、広上と高関が下手後方で聴いており、高関さんはマラカスパートも演奏。楽しそうであった。


アンコールは、外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」より“八木節”。広上と高関も小さめの拍子木を手に演奏に参加。ということで、一般的なものよりも打楽器の数が多い演奏である。
下野は指揮台の上でステップを踏み、楽しい演奏となった。

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2017年5月 5日 (金)

コンサートの記(297) 広上淳一指揮京都市交響楽団大阪特別公演2017

2017年4月16日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで京都市交響楽団大阪特別公演を聴く。今日の指揮者は、京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。
曲目は、ベートーヴェンの交響曲第5番、ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」(1919年版)。
今日のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏である。管楽器の首席奏者は前半のベートーヴェンにはほとんど出演せず、ベートーヴェンのオーボエは客演の岡北斗が吹いた。


広上は節目節目でベートーヴェンの交響曲第5番を取り上げており、十八番としている。

今日は二つ指揮棒を軽く振ってから演奏スタート。フェルマータはいつもよりも少しだけ短めにしているようである。ピリオド・アプローチによる演奏であり、音の末尾を伸ばすことはない。
音の密度が高く、弦、管共に充実した演奏を展開する。フルートの浮かび上がらせ方の上手さも目立つ。
第4楽章突入部分の輝かしさは特筆事項で、真の勝利をつかみ取った心の震えまでもが伝わってくるかのようだ。
ベーレンライター版の譜面を使っていたようで、第4楽章ではピッコロの活躍が目立つが、一番浮き上がるところのピッコロは採用しておらず、交ぜて使っているようである。ラストではピッコロを思う存分吹かせていた。
広上は、ジャンプをしたかと思えば、振りかぶって指揮棒を下げ下ろしたり、指揮棒を両手で持って剣道の「面!」のように払い下げたりする。


休憩を挟んで後半。ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」。しなやかにしてソリッドな演奏が展開される。夜想曲やロマンスの可憐さも見事だ。夜想曲ではコンサートマスターの渡邊穣が美しいヴァイオリンソロを奏でた。


ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」(1919年版)。京響の技術の高さと、明るい音色が十全に発揮された演奏である。広上の弦と管のバランスの取り方も最上であり、ティンパニなどの打楽器の思い切った強打も効果的である。音の百貨店のようにどんな音でも出せる万能系の演奏である。
広上のピョンピョンと跳ねる指揮姿も面白かった。


カーテンコール。広上は客席に向かって、「また来ます」と挨拶。「皆さんのご多幸を祈って」ということで、ビゼーの「アルルの女」第1組曲よりアダージェットがアンコールとして演奏される。瑞々しい出来であった。

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2017年3月31日 (金)

コンサートの記(288) 高関健指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2016(年度)「オーケストラ・ミステリー」第4回“大作曲家の秘密~音楽家の真実”

2017年3月12日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2016(年度)「オーケストラ・ミステリー」第4回“大作曲家の秘密~音楽家の真実~”を聴く。
今日の指揮者は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。ナビゲーターはロザンの二人。

京都市交響楽団のポストは現在は3人体制で、常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一、常任首席客演指揮者の高関健、常任客演指揮者の下野竜也(来月から常任首席客演指揮者に昇格の予定)であるが、どういうわけか全員小柄である。高関健も公称162cmの菅弘文と同じぐらいの身長しかない。


曲目は、ストラヴィンスキーの「サーカス・ポルカ」、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」より第1楽章、ジョゼフ・ジョンゲンのオルガンと管弦楽のための協奏交響曲第3楽章と第4楽章(オルガン:福本茉莉)、スメタナの連作交響詩「わが祖国」より「モルダウ」、ショスタコーヴィチの交響曲第5番第4楽章。
ストラヴィンスキーとジョンゲンの作品を聴くのは初めて。ジョンゲンに至っては名前すら知らなかった。


今日のコンサートマスターは渡邊穣、フォアシュピーラーは尾﨑平。フルートは上野博昭が首席奏者に就任し、前半、後半共に登場した。オーボエ首席奏者の髙山郁子も全編に渡って出演したが、年度末ということもあって教職などに就いている人は忙しいようで、他の管楽器パートの首席奏者はいずれも顔を見せなかった。
第2ヴァイオリンの客演首席奏者は上敷領藍子。ヴィオラの客演に灘儀育子という奏者が入っているが、なだぎ武と関係があるのかは不明である。調べてみると灘儀氏は全国に30名から40名ほどしかいない珍しい姓のようである。
ドイツ式の現代配置による演奏であるが、指揮者の正面はティンパニの中山航介ではなく、スネアやトライアングルを演奏する福山直子で、ティンパニはその下手隣という陣立てである。


まずはストラヴィンスキーの「サーカス・ポルカ」。アメリカ時代の作品である。1942年に、50頭のゾウと50人のダンサーによって、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたサーカス公演のために書かれた曲である。「ペトルーシュカ」や「春の祭典」のような変拍子と鮮烈にしてカオスな感覚は残しつつ、寄り洗練された音楽に仕上げた作品。ラストにはシューベルトの「軍隊行進曲」のパロディーがあり、ゾウがそれに合わせてのんびり動いたであろうことが想像される。

演奏終了後、高関がマイクを手に挨拶を行い、早速、ナビゲーターのロザンの二人を呼んで、トークを始める。高関は「この曲はゾウには不評だったようです。どう聞こえていたのかはわかりませんが」と話す。

高関は「サーカス・ポルカ」の変拍子の話をするが、菅ちゃんは、「変拍子は難しいです」と知ったかぶりをする。

高関は、「春の祭典」の話をし、「初演時は、バレエの上演だったのですが、大不評でして、ステージのトマトが投げ込まれたという話もあります」と説明する。宇治原史規が「なんでトマトを持ってきてたんでしょうね?」と言い、菅ちゃんも「投げるために持ってきていたとしか思えない」と続ける。

続く、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」であるが高関は、「これも初演の時に『春の祭典』と同じ目に遭っている」と語る。高関は、「当時は長すぎたし、全体では三拍子なのですが、変拍子の部分もあって、聴衆には難しいと感じられた」と説く。菅ちゃんは、「変拍子だけは(僕には)出来ない」と言って、宇治原に、「変拍子だけって(変拍子だけちゃうやろ)」と突っ込まれる。

「英雄」というタイトルについては、高関は「表紙だけ残っていて、そこに『ボナパルトに捧ぐ』と書かれていて、ナポレオンだったのは間違いない。ただ、その上に思いっきり書き殴って消してある」と話した。


そのベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」より第1楽章。ピリオド・アプローチによる演奏。弦楽奏者はビブラートを抑えめにして右手のボウイングがかなり多い。テンポも速めである。
高関はこの曲はノンタクトで指揮。細部を丁寧に整えた演奏であった。クライマックスのトランペットは当然ながら途中で消え、木管がそれを受け継いだ。

出てきた菅ちゃんは、変拍子について「ちゃんと出来てました」と述べる。


ジョンゲンのオルガンと管弦楽のための協奏交響曲。ジョゼフ・ジョンゲン(1873-1953)は、ベルギー出身のオルガニスト兼作曲家で、この曲はアメリカ・フィラデルフィアのデパートに設置された巨大パイプオルガンのために作曲されたものだという。ただ、オーケストラがなかなかデパートに行く機会がなく、デパートで初演されたのはジョンゲンの死から半世紀以上が経過した2006年になってからだそうで、地元の名門オーケストラであるフィラデルフィア管弦楽団を招いて演奏が行われたという。

パイプオルガン奏者の福本茉莉が紹介される。今日はポディウム席は真ん中は前2列だけ、上手下手は前3列だけを残して取り払われている。
福本茉莉は1987年生まれのオルガニスト。まだ二十代の若い演奏家である。東京都出身。東京藝術大学卒、同大学院修了。2011年に渡独し、ハンブルク音楽演劇大学でヴォルフガング・ツェーラーに師事し、翌2012年には武蔵野市国際オルガンコンクールに日本人として初めて優勝。昨年、オルガンのドイツ国家演奏家資格を栄誉付き最高点にて取得したばかりである。NAXOSからCDをリリース。予告のチラシではNAXOSのCDジャケットに使われた厚化粧のものが使われたが、やはりそれではまずいのか、今回の無料パンフレットには一転して可愛い系の写真が用いられている。
福本は東京生まれの東京育ちだが、性格はトークから受けた印象による限りは、「大阪のよくいそうな姉ちゃん」である。
文化庁新進芸術家海外派遣研修員として現在もハンブルク在住。

宇治原が福本に、「どこで練習してはるんですか?」と聞き、菅ちゃんが「夜中に(ホールに)忍び込んで?」とボケる。福本も「(練習は)しません」とボケ返した後で、「クラーヴィアというものがあって、それで練習します。後はドイツなので教会が一杯あるので、鍵を借りて練習したり」と答える。「オールナイトで練習することもある」そうだが、「あんまりうるさいと警察が来ちゃうので」と思いっきり演奏することは出来ないということも語る。

パイプオルガンの説明。福本は、「リコーダーはご存じだと思いますが、あれが何本も立っているような感じ」「全部で7155本」と語る。高関が「リコーダーは穴を指でふさいで演奏するけれど、オルガンだとふさげる人がいないので」と補足する。福本は「音を組み合わせることで、7155よりも多い音を生み出すことが出来ます」と語った。

ジョンゲンのオルガンと管弦楽のための協奏交響曲。第3楽章は雅やかな旋律をオーケストラが奏で、フランス音楽のように響きの美しさを優先させた神秘的な音楽がパイプオルガンと管弦楽によって演奏される。
第4番は、一転して映画音楽のようなど派手な音楽。オーケストラもパイプオルガンも盛大に鳴り響いて、爽快な演奏となった。
休憩を挟んで後半。スメタナの「モルダウ」。
高関がロザンの二人に、「スメタナはチェコで初めてオーケストラ曲を書いたと言ってもいい人物なのですが、『モルダウ』は知ってますよね」と聞き、宇治原は「それはもう」と答え、菅ちゃんは第一主題を鼻歌で歌い、「モルダウよ」と合唱版での歌詞も歌う。宇治原が「音楽の教科書にも載ってる」と補う。
高関は、「『モルダウ』と言いますが、チェコでは実際は、ヴァルタヴァなんです」と言って、総譜の表紙を見せる。宇治原が「本当だ。ヴァルタヴァと書いてあります。vltava」と答える。
高関は、「小さな流れが、二つに合わさるのですが大きくなって、お祭りで結婚式が行われて、夜になって妖精が出てきたりして、流れて、ずっと流れてるんですが激しい流れになって、プラハのお城これは『わが祖国』の第1曲に主題が出てくるのですが、お城が見えて、プラハの街を過ぎ去って、チャンチャンで終わる」と解説する。
「わが祖国」については高関は、「全部で6曲からなっていて、一晩のコンサートがそれで終わるぐらいなのですが、その2曲目が『モルダウ』です」と言って、宇治原が「全曲やるわけではないということで」と聞くと、「別に全曲やってもいいんですよ」と答える。宇治原は「オーケストラの方達、イヤイヤしてます」と言う。
スメタナについて、宇治原が「聴力を亡くした」と台本にあることを聞き、高関が、「耳鳴りが酷かったそうです。『モルダウ』を書いた頃には、もう何も聞こえないぐらいに」。スメタナはその後、精神を病み、精神病院にて60歳の生涯を閉じた。

「モルダウ」。精緻なアンサンブルを京響は聴かせる。音色は明るく、高関の指揮も見通しが良い。

演奏終了後、菅ちゃんは、あの「ティララティラララというところが好きなんです」と冒頭のフルートの旋律を口ずさんだ。
宇治原が、「最後の曲となりました」と言うと、菅ちゃんは「『モルダウ』ですか?」とボケて、宇治原に「後で聴け。家帰って聴け。録音で」と突っ込まれる。


最後の曲であるショスタコーヴィチの交響曲第5番より第4楽章。
高関は、「ショスタコーヴィチは天才少年だったわけです。作曲だけではなく、ピアニストとしても優れていて、自作自演の録音が残っていて優れたピアニストだったということがわかるわけですが、若い頃はやんちゃな曲も書いていたそうです」、宇治原「やんちゃというと?」、高関「わざと汚い和音を出してみたり、とんがった音を出したり。交響曲第4番という曲を書いたのですが、それは引っ込めまして20年以上経ってから初演された。彼が10歳の時にロシア革命が起きまして、ソ連の不自由な社会がやってきたわけです」、宇治原「スターリンの音楽家にとっては良くない時代」、高関「はい。変なこと出来ない」、宇治原「したら捕まると」、高関「告げ口されますので(ソ連では密告が奨励されていた)」、菅「じゃあわからないように『ソ連アホ』と」

実は、ショスタコーヴィチはこの曲でも反抗を行っているのだが、高関は「言えない」と語る。

通常のテンポで演奏がスタートするが、その後加速する。高関は猛々しい部分には余り気を配らず、悲しみに溢れた場面は丁寧に演奏することで凱歌には聞こえないよう工夫する。

演奏終了後、菅ちゃんは前回同様、やはり自分が演奏の立役者でもあるかのように右手を挙げ、宇治原に制される。
菅ちゃんは、「格好いい曲ですね!」と絶賛した後で、「わかりました。シンバルです。叩く間に『ソ連アホ』とつぶやく」と言う。高関は左手の人差し指を左右に振って、「NO」と告げていた。


アンコールはショスタコーヴィチの「タヒチ・トロット(二人でお茶を)」。高関は、「天才少年ショスタコーヴィチに、『君、そんなに天才少年だっていうんなら40分あげるから曲を書きなさい』と言う人がいて、本当に40分で書いた曲」だと説明する。既成のジャズ曲をアレンジしたもの。高関は「二人でお茶を」の旋律を口ずさむが、宇治原から「小さくて聞こえない」、菅ちゃんから「後ろめたいことでもあるんですか?」と言われてしまう。
ソ連風とは一線を画した洒落た演奏。京響の明るめの音色もプラスに作用した。

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2017年3月14日 (火)

コンサートの記(282) 大友直人指揮京都市交響楽団第477回定期演奏会 京都市交響楽団&プラハ交響楽団合同演奏会

2005年6月19日 京都コンサートホールにて
 
京都コンサートホールで、14時30分から京都市交響楽団(京響)の第477回定期演奏会が催される。今回は特別に今年(2005年)5月に京響と姉妹オーケストラ契約を結んだプラハ交響楽団の単独演奏がプログラムに挟まれ、また京響とプラハ響による合同演奏がある。
 
前半の指揮者は京響の常任指揮者・大友直人。演目は芥川也寸志の「交響管弦楽のための音楽」とチャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」。日本音楽とロマンチックな音楽を得意とする大友らしいプログラミングだ。
今日は2階上手後方の席での鑑賞。視覚的には今一つの席だが、音はまずまずだ。前回は前の方に座ったのだが、音が頭の上を素通りするような感じだった。それに比べると遥かに良い音がする。
芥川の「交響管弦楽のための音楽」で大友は見事なオケ捌きを見せる。京響も鋭い音で応える。
チャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」はロマンチックな曲だが音同様構成力もやや甘いためか演奏される回数は意外に少ない。京響はこの曲を演奏するには音の色彩感が不足している。もっともっと音の煌めきが必要だ。

休憩を挟んで後半はまずプラハ交響楽団の単独演奏。35歳の若手指揮者トーマス・ハヌスの指揮でモーツァルトの交響曲第38番「プラハ」が演奏される。中編成での演奏なので、天井が高く音が上に行ってしまいがちな京都コンサートホールでは音量不足は否めない。プラハ交響楽団は一流とは目されていないオーケストラだが音は京響よりも美しい。弦とクラリネットが特に魅力的だ。ハヌスの指揮姿はギクシャクとして機械仕掛けの人形を思わせるところがある。若々しい演奏だが、1925年生まれのサー・チャールズ・マッケラスは60代で録音した「モーツァルト交響曲全集」において更に更に若々しい演奏を繰り広げている。表現に年はあまり関係ないようだ。
 
最後は京響とプラハ響の合同演奏によるレスピーギの「ローマの松」。1996年12月のN響定期公演でデュトワ指揮で聴き、大興奮した曲だ。
大友の表現もデュトワほどではないが色彩感に富み、語り上手である。京都コンサートホールのパイプオルガンも威力抜群だ。
この曲は最後の「アッピア街道の松」で金管のバンダ(舞台以外で演奏する別働隊のようなもの)が活躍する。デュトワの時はバンダはNHKホールの上手にあるパイプオルガンの前で演奏した。今日はどこに登場するのだろうと興味津々だったが普通に2階席後方で演奏していた。あまり心躍る演出ではない。「アッピア街道の松」は迫力抜群ではあるが、舞台とバンダの間の距離が相当あったためにどうしても音にズレが生じてしまい、アンサンブルが崩れたように聞こえてしまっていた。それだけが残念である。

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2017年2月11日 (土)

コンサートの記(273) 下野竜也指揮京都市交響楽団第608回定期演奏会

2017年1月21日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第608回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任客演指揮者の下野竜也。下野はこの4月から、高関健と並んで、京都市交響楽団の常任首席客演指揮者に昇格し、常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーである広上淳一と共にトロイカ体制をより強固なものにさせていくことが決まっている。

曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第25番(ピアノ独奏:パスカル・ロジェ)とブルックナーの交響曲第0番。
有名とはお世辞にも言えない曲が並び、今日と明日の2日公演なので入りが心配されたが、満員には遠かったものの、案外入りは良い。

モーツァルトのピアノ協奏曲第25番は、モーツァルトの20番台のピアノ協奏曲の中では取り上げられる回数が極端に少ない曲である。下野竜也もプレトークで、20番台のピアノ協奏曲のうちで第25番と第22番は余り取り上げられないと語っていたが、ピアノ協奏曲第22番は第3楽章が、映画「アマデウス」で流れていたため、聴いたことがある人は多いかも知れない。
一方、ピアノ協奏曲第25番は、ライブで聴くのは今日が多分初めてになる。実は、大友直人が京都市交響楽団の常任指揮者を退いてすぐの頃なので大分前になるのだが、大友直人指揮京都市交響楽団の定期演奏会でモーツァルトのピアノ協奏曲第25番がプログラミングされたことがあったのである。しかし、なんとソリストが演奏する曲目を間違えており、演奏会の直前になって大友直人に電話をしてきたそうで、暗譜しているポピュラーなピアノ協奏曲第21番に急遽変更という出来事があった。


開演20分前から下野竜也によるプレトーク。ラフな格好で登場した下野は、「こんにちは」と「遅ればせながら、あけましておめでとうございます」の挨拶を行った後で、曲目の紹介を行う。モーツァルトが好きな人も多いし、ブルックナーが好きな人も多いけれども、今日取り上げる曲は共に演奏される回数が少ないと言って、「だからといって悪い曲ではない」ということを強調する。

モーツァルトのピアノ協奏曲第25番はハ長調で書かれたピアノ協奏曲であるが、「悲しさ」を感じさせる曲だと下野は語る。ティンパニとトランペットが入っており、普通はこうした編成による曲はお祭りの曲なのであるが、モーツァルトは敢えて捻っているという。「人に寄っては」と下野自身の解釈ではないことを示しつつ、「戦後の不況、またモーツァルト自身がフリーメイソンに入れあげて問題になったという背景があるのではないかとも言われています」と下野は述べる。パスカル・ロジェのことを「世界屈指のピアニスト」と褒めたたえ、ロジェの演奏にも乞うご期待の旨を述べる。


ブルックナーの交響曲第0番は、特殊な曲である。普通は交響曲の番号に0などという数字は入らない。実は元々は交響曲第2番として書かれたのだが、後にブルックナーはタイトルをに「無効」と筆を入れ、習作として取り消してしまい、新たな交響曲第2番が書かれた。破棄された方の交響曲第2番であるが、ブルックナーはスコアを捨てずに終生持っていたそうで、死後に交響曲第0番として出版された。ブルックナーにはそれ以前に書かれたとされる交響曲第00番も存在する(プロ野球チームの背番号みたいだ)。下野がこの曲を知ったのは中学生の頃だそうで、テレビを見ていてたまたま知ったのだという。
作曲された時期であるが、当初は交響曲第2番とされていたことから、交響曲第1番より後に書かれたものだというのは確実で、「交響曲第1番より前に書かれたから第0番というわけではありません」と下野も言う。
「ブルックナーというと後期の交響曲が有名です。ドヴォルザークも『新世界』、第8番、第7番。第6番当たりになるとマニアックになります。ベートーヴェンは交響曲第1番から傑作でしたが、他の作曲家の場合、若い頃の交響曲というと未熟な場合が多いです。若い頃は、書きたいことは沢山あっても方法もわからなければ手段もわからない。ただ、若いが故の魅力というのもあるのです」と下野は語り、「ブルックナーの後期の交響曲を演奏するようには今日は演奏しません。ウィーンで学んでいた頃、先生から教わったのですが、後から書かれた曲をイメージしつつ演奏するということは私もしないことにします」と続ける。下野は、「この曲がシューベルトの時代のすぐ後に書かれたということに注目してください」とも語った。


今日のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーに尾﨑平。今日はフルートには首席客演奏者として榎田雅祥(えのきだ・まさよし)が入り、後半のみ出演した。トランペットはモーツァルトが稲垣路子と西馬健史、ブルックナーがハラルド・ナエス(首席トランペット奏者)と早坂宏明である。ホルンに見慣れぬ女性奏者がいたが、客演の中橋慶子のようだ。
第2ヴァイオリンにも今日は首席客演奏者として水鳥路が入る。


モーツァルトのピアノ協奏曲第25番。ピアノ独奏のパスカル・ロジェはフランスを代表するピアニスト。パリ国立音楽院を卒業後、英DECCAの専属アーティストとなり、ラヴェル、サティ、ドビュッシー、プーランク、フォーレなどのフランスものを次々に発表して売れっ子となる。シャルル・デュトワと多くの仕事を行っており、サン=サーンスのピアノ協奏曲全集や、プーランクのピアノ協奏曲などをレコーディングしている。
今世紀に入ってからも「ドビュッシー ピアノ曲全集」をonyxから発表し、話題となった。

モーツァルトのピアノ協奏曲というと、長調の曲にしろ短調の曲(2曲しかないが)にしろ、まろやかなピアノが奏でられるのが王道だが、ロジェはフランスのピアニストということもあってかシャープ且つタイトである。結晶化された美しい音色を奏で、いわゆるモーツァルト弾きといわれる人達とは別の魅力がある。

下野指揮の京響は輝かしい演奏を展開。ピリオド・アプローチを援用しているが、弦のビブラートを掛ける場所が奏者によって異なるなど(ノンビブラートの人もいた)、自然な感じを表に出していたように思う。

この曲は勢いよく始まるが、弦が不吉な印象を受けるメロディーを奏で、それを管楽器が明るい調に変えて演奏する。そのため不安定な印象を受け、モーツァルトの孤独が一瞬よぎるような印象を受ける。
第2楽章でもピアノは明るい音を出しているのに、管楽器が痛烈な音を出す場面がある。
そうした不安定な要素が好悪を分かつ要因なのかも知れない。
ロジェはアンコールとして、サティの「グノシエンヌ第5番」を弾く。実はこの曲は、私が千葉にいた頃、最も好んで良く弾いた曲の一つである(「グノシエンヌ第1番」や第3番もよく弾いた)。技巧的には平易であり、楽譜が読めれば初心者でも弾けるはずである(楽譜が読める時点で初心者ではない気もするが)。
世界で初めて「エリック・サティ ピアノ曲全集」を作成した故アルド・チッコリーニの2種類の演奏を良く聴いたものだが、チッコリーニはフランス国籍になったとはいえ元々はイタリア人であり、そのため甘い旋律を慈しむかのようなカンタービレを聴かせていたのだが、ロジェの弾く「グノシエンヌ第5番」はそれとは異なり、甘さも余り感じさせずスマートである。ロジェの弾く「グノシエンヌ第5番」は録音でも聴いたことがあるのだが、スタイルは全く変わっていない。他のフランス人ピアニストもロジェのようなサティを弾くので、フランスではロジェのようなスタイルが正統派なのかも知れない。

アンコール曲はホワイトボードに手書きで発表されるのだが、何の手違いか、「グノシエンヌ第3番」と発表されている。そこでスタッフさんに言って、正しい番号に訂正して貰った。
サティのグノシエンヌは第1番から第6番まであるのだが、サティの生前に出版されたのは第3番までである。「グノシエンヌ第1番」が最も有名であり、北野武初監督作品である「その男、凶暴につき」で、電子音などに編曲されたものがメインテーマとなっていた。
「グノシエンヌ第5番」も90年代に菊池桃子が出演していたCM(なんのCMかは忘れてしまった)で使われ、最近もまた別のCMで使われている。



ブルックナーの交響曲第0番。
野達也は大阪フィルハーモニー交響楽団とこの曲を録音しており、京都コンサートホールでも同曲を大阪フィルと演奏している。確か、それが下野の京都コンサートホールデビューであったはずである。
下野も大フィルとこの曲を京都コンサートホールで演奏した時は今よりも二回りぐらい巨漢だった。

ブルックナー初期の楽曲とはいえ、ブルックナーらしさは十分に発揮されている。第2楽章の澄み渡る空が目に浮かぶような音楽は、彼の交響曲第8番第3楽章を連想させる。ただブルックナーの後期の交響曲、特に第8番と第9番は「響き」と「音の構築感」に重きが置かれているのに対して、初期はまだメロディーで繋ごうという意図が強いように思う。下野はプレトークでシューベルトの名前を出していたが、旋律や構築感にはシューベルトの交響曲第4番「悲劇的」や交響曲第5番に相通じるものが感じられる。

大阪フィルを指揮した演奏では渋い独特の演奏を聴かせた下野だが、京都市交響楽団は大フィルに比べて音色が明るいため、趣がかなり異なる演奏となった。大フィルとの演奏はもう詳しくは覚えていないのだが、今日のような見通しの良さが感じられなかったのは確かなので、今日の方がより咀嚼された分かり易い演奏であったように思う。

カーテンコールで、下野は総譜を掲げて、曲への敬意を表した。

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2017年1月29日 (日)

コンサートの記(269) 高関健指揮京都市交響楽団第607回定期演奏会

2016年11月26日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第607回定期演奏会を聴く。今日の指揮は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。


メシアンのトゥーランガリラ交響曲1曲勝負である。
オンド・マルトノが用いられるということで、開演前にステージに近寄って、オンド・マルトノを物珍しげに眺めているお客さんも多い。

開演20分ほど前から高関健によるプレトーク。楽曲解説を行う。

メシアンのトゥーランガリラ交響曲は20世紀に書かれたの作品の中では演奏会プログラムに載ることが比較的多いが、分かり易い作品とはいえないと思う。

高関は、まずメシアンが京都賞の第1回の受賞者であると述べる。メシアンは1985年に京都賞を受賞しており、授賞式出席のために来日して、秋の京都を楽しんだそう。
メシアンはティンパニが余り好きでなく、今日のような大編成の曲でもティンパニは入っていないと語る(メシアンに影響を受けた武満徹もティンパニという楽器が好きではなかった)。更にハープも好きではなかったそうで、今日の編成にも入っていない。
トゥーランガリラ交響曲の日本初演は、1962年7月に小澤征爾指揮のNHK交響楽団によって行われている。小澤・N響事件が起こる半年ほど前のことだ。メシアンは日本初演のために来日し、作曲者兼監修としてリハーサルにも立ち会ってアドバイスを送ったという。
「今日も、これなんだろう? と珍しそうに見ている方がいらっしゃったようですが」と、オンド・マルトノについて語り始める。オンド・マルトノは電子楽器である。この楽器が使われている最も有名な曲が、このトゥーランガリラ交響曲なのだが、他に有名曲は思い浮かばない。高関は、「シンセサイザーの元のようなもの」と語り始め、「スピーカーの中にシンバルのようなものが入っている」、「鍵盤のようなものを弾いたり、弦を伸ばして引っ張る」といったような解説を行う。

更に今日はずらりと並ぶ鍵盤楽器群についても触れる。ピアノ、チェレスタ、ジュ・ドゥ・タンブル、そして打楽器になるがヴィブラフォン。
ピアノについては、「主役のような役割」「ピアノ協奏曲と取ることも出来る」と語り、チェレスタ、ジュ・ドゥ・タンブル(鍵盤式グロッケンシュピール)、ヴィブラフォンについては、「メシアンは、『ガムラン楽器群』と呼んでいた」と語り、ガムランからの影響を受けていたことを述べる。ガムランに関してはよく知られているように、初めて影響を受けた西洋の作曲家はドビュッシーである。ドビュッシーは、1900年のパリ万国博覧会において、本場のガムランの演奏を聴き、西洋音楽が絶対ではないことを知って衝撃を受けている。メシアンは音楽的にはドビュッシー直系の作曲家である。

高関は、チェレスタを弾きながら、無料パンフレットに記された「移調の限られた旋律」について説明する。まずハ調のドレミファソラシドを奏でた後で、別の調のドレミ音型を奏で、半音も含めた十二音の音型も奏でる。調の変化により、同じような音型でも違うことはわかる。この複数の音型が同じ時間に奏でられるために不協和音になるのだが、「最初の頃は違和感があるかも知れませんが、すぐに耳が慣れます」と語る。
その後、主要なテーマである「彫刻の主題」(金管。高関は、「偉そうに吹くのですぐわかる」と解説)と「花の主題」(主にクラリネット)をチェレスタで奏で、「愛の主題」も弾こうとするが、やはり二本の腕では難しいようで、「ゆっくり歌われるのでわかると思います」と述べた。
それから、独特のリズムについても語り、ある特徴的なリズムの後に譜面を逆さまにして眺めたようなリズム音型が来るという。丁度、真ん中に鏡を置いたような形であり、J・S・バッハがフーガで行ったことをメシアンはリズムで行ったと語る。リズムは主にウッドブロックによって明確に示される。

高関は以前はこの曲の良さが全くわからず、メシアンについても「山師なんじゃないか」と疑っていたそうだが、楽曲の緻密さに気づくことで大好きになったそうである。


ピアノ独奏:児玉桃、オンド・マルトノ独奏はこの楽器の第一人者として知られる原田節(はらだ・たかし)。
今日のコンサートマスターは渡邊穣、フォアシュピーラーに尾﨑平。普段はティンパニを叩くことが多い中山航介は大太鼓を担当する。今日のヴィオラ首席には店村眞積が入る。


同じ、児玉桃のピアノ独奏、原田節のオンド・マルトノ独奏による井上道義指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の実演を聴いたことがあり、エモーショナルな演奏であったと記憶しているが、高関の音楽はきちんと組み立てた音楽の隙間から喜びが溢れ出てくるような趣のある演奏である。この曲の数学的一面も巧みに表出されていた。

京都市交響楽団の音は輝かしく、金管の威力、木管の浮遊感、弦の艶、打楽器群の迫力などいずれも申し分ない出来である。京都コンサートホールの残響も長く、美しい響きを十分に堪能することが出来た。

 

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2016年12月29日 (木)

コンサートの記(263) 京響プレミアム「岸田繁 交響曲第一番初演」

2016年12月4日 ロームシアター京都メインホールにて

午後4時から、ロームシアター京都メインホールで、京響プレミアム「岸田繁 交響曲第一番初演」を聴く。京響プレミアムはこれまで京都コンサートホールで行われて来たが、今回はロームシアターで行われる。

立命館大学出身のバンド、くるりの岸田繁がクラシックの楽曲に挑戦した演目である。岸田はかなりのクラシック通だそうだ。

指揮は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。広上はピアニカ独奏も行う。

曲目は、「Quruliの主題による狂詩曲」と、交響曲第一番。交響曲第一番のオーケストレーションは三浦秀秋によって行われている。

今日のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーに尾﨑平。「Quruliの主題による狂詩曲」は、室内オーケストラを少し大きくした規模で演奏され、管楽器はホルンやフルートを除いて単管編成。オーボエ:髙山郁子、クラリネット:小谷口直子、トランペット:稲垣路子、トロンボーン:岡本哲である。


今日は2階席正面での鑑賞。ロームシアター京都メインホールの2階正面席は傾斜も緩やかでステージが見やすい。弦楽器の音が直接飛んでくる角度にあるため、今日は京都市交響楽団の磨き抜かれた弦の音を堪能することが出来た。残響こそ短いが(多分、1秒もない)、音の通りは良い。


「Quruliの主題による狂詩曲」。岸田は広上と共に登場。曲のラストでは歌が入るため、ステージの中央に立つのだが、それまでは第一ヴァイオリンの最後部の後ろの席に腰掛けて演奏を聴く。
「Quruliの主題による狂詩曲は、くるりが発表したポップソングの数々をクラシックコンサート用に纏めたもので、完全な調性音楽である。古典的構築の中に現代らしさを吹き込むという、ストラヴィンスキーの「プルチネルラ」のような趣がある。「幻想曲」「名も無き作曲家の少年」「無垢な軍隊」「京都音楽博覧会のためのカヴァティーナ」の4作からなる組曲。「京都音楽博覧会のためのカヴァティーナ」に歌(「宿はなし」)が入る。歌詞は日本情緒とノスタルジアに溢れたもの。余り詳しくは言えないことだけれど、メロディーは桑田佳祐作曲のとある楽曲に少しだけ似ている。「京都音楽博覧会のためのカヴァティーナ」はまず導入部を広上がピアニカで奏でる。この歌入りの曲はアンコール2曲目としてもう一度演奏された。
ポピュラーが元とはいえ、そこはクラシック通の岸田。グリーグの「ホルベアの時代から」や、マーラーの交響曲第1番「巨人」第2楽章を思わせるような場面が出てくる。
交響曲第一番。この曲はフル編成で演奏される。管は三管編成になり、トランペットは、ハラルド・ナエス、早坂宏明、西馬健史の三人に変わる。他は人員が増えただけである。この曲も基本的には調性音楽で、響きの美しさを優先させている。
ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、ミニマル・ミュージック(スティーヴ・ライヒに一番近いかな?)、シャンソン、黛敏郎などの影響が感じられ、アカデミックな作風という印象を受ける。岸田がクラシック音楽にかなり精通していることがわかる。

舞台上方にデッカツリーが下がり、舞台上にもマイクが乱立、というほどではないが各所に配置されているため、ライブ収録が行われることがわかる。岸田繁の交響曲第一番は録音されてリリースされることがわかっているため、そのためのレコーディングだと思われるが、放送用、記録用の可能性があるためレセプショニストさんに確認する。「記録用」とのことだった。明後日、東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”でも同一演目の演奏会が行われるため、出来いかんによっては京都での録音が採用されない可能性もある。ただ今日も素晴らしい演奏が展開されたため、不採用ということはないと思われる。


演奏終了後、岸田がステージ上に呼ばれ、広上に促されて感想を述べる。「いっぱいいっぱいで感想を述べる余裕がないのですが、広上淳一先生と京都市交響楽団によって素晴らしい演奏になりました。ありがとうございます」「沢山の方にお聴き頂き、嬉しく思います」「私も小学生の頃から京都市交響楽団の演奏会を見ていたのですが、京都市の皆さん、京都市に京都市交響楽団があって本当に良かったですね」というスピーチを行った。


アンコールは2曲。2曲目は先程紹介したが、1曲目は、岸田の「管弦楽のためのシチリア風舞曲」。この曲は、岸田繁自身がオーケストレーションを行っているようである。「グリーンスリーブス」に少し似た旋律が登場するが意識したものではないと思われる。この曲は会場限定でCDが700円で発売されていた。

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2016年11月23日 (水)

コンサートの記(259) 広上淳一指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2016 「オーケストラ・ミステリー」第3回「名曲の秘密~とっておきの名曲ミステリー~」

2016年11月13日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、「京都市交響楽団オーケストラ・ディスカバリー ~こどものためのオーケストラ入門~ オーケストラ・ミステリー」第3回「名曲の秘密      ~とっておきの名曲ミステリー~」を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。ナビゲーターはロザンの二人。

「こどものためのオーケストラ入門」というサブタイトルが付いているが、「子供連れ歓迎」という風な意味であり、実際は大人だけで来ている人の方が多い。曲目自体がそもそも子供向けではない。


曲目は、前半が、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」(ヴァイオリン独奏:三浦文彰)、ムソルグスキー作曲(ラヴェル編曲)の組曲「展覧会の絵」から「キエフの大きな門(キエフの大門)」、後半がドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」から第2楽章とチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」から第4楽章。


今日のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーに尾﨑平。木管楽器の首席奏者は今日は全編に出演。フルートのみは現在も首席不在である。トランペットは、前半が西馬健史と稲垣路子、後半がハラルド・ナエス(首席トランペット奏者)と早坂宏明であった。


まず、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」の演奏がある。広上は今日は老眼鏡を掛けて、総譜を見ながらの指揮である。
主部に入ってからはテンポを落として優雅さを強調する演奏。後半はテンポをしっかり刻んで更に雅やかになる。

演奏が終わってから、広上がマイクを手にしてトークとなる。広上は、「昨日は浜松で、この『オーケストラ・ディスカバリー』をやったのですが、私、色々話過ぎて自己紹介をするのを忘れていまして、ロザンの二人に紹介して頂きました。今日は忘れないうちに言います。指揮、広上淳一です」と自己紹介する。そしてロザンの二人が登場。宇治原史規は広上に、「今日、ちゃんと名前言えましたね」と言う。
広上は、「宇治原ちゃん、菅さん。この曲聴いたことある?」と聞き、宇治原は「あります」と返すが、菅広文は「昨日、聴きました」とボケる。広上は、「お正月の番組はどうしてるの?」と聞き、宇治原が「お正月の番組は事前に収録しているので、元日は普通にテレビ見てたりします」答える。広上は、「この曲は、ヨハン・シュトラウスのⅡ世、お父さんが同じ、ヨハン・シュトラウスという名前だったのでⅡ世、私の父親が広上淳一という名前だったら私は広上淳一Ⅱ世ということになるわけですが、ヨハン・シュトラウスの子供の方が作曲しまして、元日に衛星中継でやるニューイヤーコンサートのアンコールで必ず演奏されます。ただ、実は、この曲は最初はおじさん達の合唱団に書かれた曲だったんです」、宇治原「僕らはウィーン少年合唱団のメンバーが歌っているイメージがありますが」、広上「はい、ただ、依頼したのは平均年齢が50歳から70歳ぐらいのおじさん達でして、ヨハン・シュトラウスⅡ世も作曲に余り乗り気じゃなかったそうです。『若い女の子からじゃないのか。嫌だな』と思ったのかどうかはわかりませんが、おじさん合唱団のメンバーとメロディーを口ずさみながら嫌々作曲したそうです」、宇治原「あの曲が嫌々作曲されたわけですか」、広上「歌詞も、幕末に『ええじゃないか』というのがありましたが、あんな感じで、ステージではいえないような下品な歌詞だったそうです。オーストリアが戦争に負けたので、無理矢理盛り上げようというので」
広上は、出だしの歌詞を関西弁で、「どうでもええやん、どうでもええやん、わしらもうちょい頑張ろうやないか」とメロディーなしで口にする。
ちなみに、広上は自身の身長について、「164cmです」と語ったことがあるが、おそらくそれは若い頃の数字であって、最近は身長を測っていないのだと思われる。今日も、公称162cmの菅ちゃんよりも広上が小柄であることは見てわかった。


2曲目、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」。ソリストの三浦文彰が現れると、ロザンの二人は口を揃えて、「イケメンですね」と言うが、菅ちゃんは、「僕と同じぐらい」とボケる。宇治原に突っ込まれるが、菅ちゃんは、「宇治原とは比較にならない」と続ける。
広上が、「今日、8時からの『真田丸』のソリスト」と紹介すると、菅ちゃんは、「皆さん、分かりますか? あの『パッパッパ』ってやつ」と言い、宇治原に、「このステージでよくそんないい加減な紹介できるな」と突っ込まれる。

三浦はまずパガニーニの曲を演奏する。メロディーを奏でながら左手でピッチカートの旋律を奏でるという見るからに難しそうな曲である。ラストではピッチカートの連続になるのだが、その間、広上はずっと頭を左右に振っておどけていた。

菅ちゃんが例によって、「楽器はおいくらぐらい?」と聞くので、三浦は乗り気ではなかったが、「億は行くと思います。自分のものではないので詳しくはわからないのですが」と答える。広上が、「名器は財団などが所有していて、『この楽器は三浦さんだったら貸すよ』というので、貸与されることが多いです」と補足する。
菅ちゃん「この楽器で煙草が何箱買えますか?」
三浦・広上「…………」
宇治原「なんで煙草やねん!」

三浦は演奏の準備のためにいったん退場。広上がピアニカを取り出して、「ツィゴイネルワイゼン」の出だしは、ソドレミなのですが、ソドレミで始まる曲はヒット曲が多い」というので、宇治原に楽譜を渡して、「千の風になって」、「この道」、「ドラゴンクエスト」のテーマ(ロザンの二人は、「ドラクエ?」と驚いていた)、SMAPの曲(曲名はわからず)、中島みゆきの「地上の星」(二度ほど間違える)の出だしを演奏する。
菅ちゃんが、「ピアニカってそんなにいきなり吹き始めるものなんですか?」とボケるが、広上は「柔らかい音色だから、本番前に吹くのに良い」と語る。「手元が見えないので楽譜を見ながら吹くので良い」と続け、菅ちゃんが、「あ、手が見えないんだ。それでさっき間違えたんですね」返し、広上は「欠点は間違えやすい」と述べる。

「ツィゴイネルワイゼン」本番。三浦は高音は磨き抜かれた輝かしい音を出すが、全般としては年に似合わず、渋い音楽を奏でる。
広上は途中、体を左右に振るだけで指揮し続けるなど、相変わらずユーモラスである。

三浦君は、後半は客席でコンサート聴いていた。


ムソルグスキー作曲、ラヴェル編曲の組曲「展覧会の絵」から「キエフの大門」。
広上は、「『展覧会の絵』というのは、実は元々はピアノ曲でして、ムソルグスキー先生本人も、オーケストラで華々しく演奏されるとは予想していませんでした」、「作曲から50年ほど経ってからラヴェル先生がオーケストラ用に編曲しまして、それでムソルグスキー先生のピアノ曲も有名になった」、「ムソルグスキー先生というのは、元々、陸軍士官学校を出まして、軍人をやっていました。音楽は趣味で勉強していました。その後、今でいう官吏、国家公務員になりまして、休みの日に作曲をしていました」、「『展覧会の絵』は友人の亡くなった画家を偲んで書かれたものです」と説明する。
宇治原「言ってみれば、官僚が休みの日に作曲したのが『展覧会の絵』だと」、広上「そういうことです。ムソルグスキー先生はオーケストラによる『展覧会の絵』は聴いたことがないんです」、菅「作曲者が聴いたことがない音楽を今から聴けると」、広上「はい。ムソルグスキー先生は、オペラも作曲していまして、『ボリス・ゴドノフ』、それから『ダッタン人の踊り』なども作曲しています」(おーい、広上さん、「ダッタン人の踊り」を作曲したのは、ムソルグスキーじゃなくてボロディンだぞ)

ということで、組曲「展覧会の絵」より「キエフの大門」の演奏。通常は前曲である「バーバー・ヤーガ」が盛り上がってからアタッカで入るのだが、前曲の部分は演奏せずに「キエフの大門」の冒頭から入る。ということで多少唐突な印象は受ける。
スケール雄大で、輝かしい演奏。今日もステージを擂り鉢状にしているが、チューブラーベルやグロッケンシュピールの音などは天井から降り注いでくるようで、理想的な音響である。


後半。広上とロザンの二人が揃って登場。宇治原が、「『キエフの大門』でしたね」と言い、広上は、「ごめんなさい、『展覧会の絵』の話ばかりして、肝心の曲名を言うのを忘れていました」と続ける。菅ちゃんが、「『展覧会の絵』は組曲ですね」と言い、広上は、「そうです。10曲ぐらいからなる組曲でして、『キエフの大門』は最後の曲です」と答える。
宇治原「でもお客さんも全曲やるとは思ってなかったでしょう?」
広上「いや、思っていた人もいたかも知れません。『《展覧会の絵》全曲やるの? 40分ぐらい掛かる』って。別にやってもいいのですが」
ということで(?)、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」から第2楽章。
広上「宇治原ちゃん、この曲はご存じ?」
宇治原「学校から帰る時の音楽ですね」
広上「そう、『家路』という曲がありまして、私も最初は、この曲は『家路』というタイトルだと思っていたのですが、ドヴォルザーク、彼はチェコの作曲家なのですが、晩年に2年ほどアメリカで音楽大学の校長先生をしていた時に、祖国であるチェコのことを思って作曲したのがこの曲です」
宇治原「学校の音楽の教科書にも載ってますね」
広上「そう、『家路』というタイトルがピッタリの。故郷を思う気持ちは万国共通ということだと思います」
宇治原「この『新世界から』の新世界というのはアメリカのことですね。アメリカとチェコの旋律を取り入れつつ故郷を思うという」
広上「そうです。アメリカでもチェコでも日本でも同じイメージが浮かぶ。私などは夕方に、カレーライスの匂いがしたり、おでんの匂いがしたり、豆腐屋さんの、チャルメラ、じゃないか。プーと音のする。そういうイメージです。宇治原ちゃんは?」
宇治原「僕は、小学校が山の上にあったので、放課後、坂を下るイメージが」
広上「夕日が差して?」
宇治原「そうです」
広上「菅ちゃんは?」
菅「僕は、団地に住んでいたので、団地のエレベーターに乗っている時のイメージが」
広上「え? エレベーターあったの? 当時? じゃあマンションだ。私は団地族だったもので、団地というと4階建てぐらいで階段のみのイメージが」
菅「うちは7階建ての6階でした」
広上「6階? じゃあマンションだ」
宇治原「もうええわ! 団地・マンション論争いらん!」

広上は速めのテンポを採用。スッキリとした出来である。ノスタルジアよりも音の美しさが印象に残る。


チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」より第4楽想。
宇治原は、チャイコフスキーについて、「バレエ音楽を沢山書いているイメージがあります」と述べる。広上は、「『くるみ割り人形』、それから『白鳥の湖』などを作曲しています。『くるみ割り人形』は(クリスマスが舞台なので)、ヨーロッパでは毎年、12月に必ず上演されます。バレエ音楽が有名なので明るくて元気なイメージがあるかも知れませんが、これから演奏する曲は重いです。初演から9日後に作曲者が死去するという」、宇治原「それは本当にミステリーですね」

広上はチャイコフスキーの死因について、「色々な説があって、今、研究が進んでいることです。チャイコフスキーの日記には、『死を意識する』という意味深なことが書かれています。それから、『自分は同性愛者なので、王朝から追われているかも知れない』と書かれていたりします」と述べる。菅ちゃんが「追われている?」と聞くと、広上「宇治原ちゃん、(高校時代の)専攻は世界史?」、宇治原「僕は日本史です」、広上「私も余り詳しくないのですが」というやり取りがあった後で、「当時、同性愛は重い罪で、死に値するかも知れないということです」と説明する。

しかし、子供に、「どうせいあいってなあに?」と聞かれても返答に困るな。

広上は楽曲について、「最後にコントラバスが、宇治原ちゃんの心臓のように、トントンと鳴って止まる」、宇治原「広上さん、縁起悪いですよ」、「あ、間違えました。トントンじゃなくてトクトクでした」というどちらでもいいような会話があった後で演奏スタート。

清澄な弦が印象的な演奏である。この楽曲も過去を回想するような趣があるのだが、それはとても良く出ている。ゲネラル・パウゼのところで拍手をしたお客さんが2名ほどいたのが謎だったが。
盛り上げ方も上手く、全曲の演奏が聴きたくなる。
今日は、ドイツ式の現代配置での演奏だったので、冒頭の旋律を第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが交互に弾くというステレオプレゼンツは分からなかった。

演奏終了後、菅ちゃんは自分が演奏の立役者のように右手を挙げて登場。宇治原に仕草で「お前ちゃう」と突っ込まれる。

宇治原が、「重かったのでアンコールを。ブラームスのハンガリー舞曲第5番だそうで」と言い、広上がブラームスの「ハンガリー舞曲」について説明する。「この曲は、ブラームスがお金を稼ぐために書いたの(文字だけだとお姉口調に感じられるが実際はそういう響きではない)。連弾のための曲として書いて、ドンドン売れたという」
宇治原「当時は、CDの代わりに楽譜が売れるのがベストセラーだったと」、広上「そういうこと」

ハンガリー舞曲第5番。広上は出だしは平均的なテンポで演奏するが、中間部ラストで速度をぐっと落とす。また弦楽は一音ごとに音を切って演奏する。
再現部は出だしはかなり遅く、その後、急速にテンポアップするということが繰り返される。舞曲ということが強調された面白い演奏であった。

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2016年11月17日 (木)

コンサートの記(258) 広上淳一指揮 「京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2013(年度)」 第4回「ポップス?クラシック!」

2014年3月23日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都府立植物園の東隣にある京都市コンサートホールで京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2013 第4回「ポップス?クラシック!」を聴く。2013-2014のシーズンに4回行われるオーケストラ・ディスカバリーの2013年度最後の公演である。

今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者の広上淳一。

オーケストラ・ディスカバリーは、子供から大人まで楽しめるコンサートを念頭に置いたプログラムで構成されており、ホワイエには今日は、「クラシック博士」という子供向けのクイズパネルが並んでいた。その中に「これは誰の手形でしょう?」というパネルがあり、「A.京都交響楽団指揮者の広上淳一さん、B.ピアノの詩人ショパン、C.京都市交響楽団のコンサートマスター渡邊穣さん」という選択肢があった。手の大きさを私のものと比べてみると私の手と大きさがさほど変わらない。私は身長に比べて手がかなり小さい方なので、手形が小柄な人物のものであることがわかる。それに紙に直接押した手形なのでショパンは絶対にあり得ない。終演後に張り出された正解にはやはり広上淳一の手形であると記されていた。ちなみに私も広上も、手を思いっ切り広げてもピアノの1オクターブがやっとという大きさである。
オーケストラ・ディスカバリーには、ナビゲーターとして吉本の芸人が呼ばれるのだが、今日は出演回数最多のロザンの二人が登場する。ちなみにオーケストラ・ディスカバリーは始まった当初は毎回ロザンがナビゲーター役を務めていたのだが、その後、ガレッジセールの二人も加わり、2014年度には、ぐっさんこと山口智充も参加することが決まっている。

曲目は、前半が、ハチャトゥリアンのバレエ組曲「ガイーヌ」より“剣の舞”、モーツァルトのホルン協奏曲第1番から第1楽章&第2楽章(ホルン独奏:垣本昌芳)、プロコフィエフのバレエ組曲「ロメオとジュリエット」より“モンタギュー家とキャピュレット家”、そして当初は後半に演奏される予定だったワーグナーの「ワルキューレの騎行」も前倒しで演奏される。

後半は、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲、ブラームスの交響曲第1番より第4楽章。

「剣の舞」は、やや遅めのテンポで堂々と演奏される。広上の踊るような指揮姿も特徴的だ。なお、「剣の舞」と「モンタギュー家とキャピュレット家」ではサックスが演奏されるので、岩田瑞和子が客演奏者として参加している。今日のコンサートマスターは渡邊穣であるが、泉原隆志は降り番で、アシスタント・コンサートマスターの尾崎平がフォアシュピーラーを務める。フルート首席奏者の清水信貴は前半、後半ともに出演。クラリネット首席奏者の小谷口直子は前半のみ参加。オーボエは、前半がフロラン・シャレール、後半は首席オーボエ奏者の高山郁子が吹いた。

「剣の舞」の演奏が終わり、広上がマイクを手に聴衆に挨拶した後で京響のTシャツの上にグレーのジャケットを羽織ったロザンの二人が登場。広上が「ちゃんと京響のTシャツを着て」と言うと、宇治原史規が、「ちゃんとってなんですか。好きで着てきてるんですから」と突っ込んだ。
広上が「運動会で聴いたことあるでしょ?」というと二人とも同意し、管広文が「玉入れの時に使ったような記憶がある」と述べた。

ハチャトゥリアンは1963年に来日し、同年2月に京都市交響楽団の第52回定期演奏会で指揮をしたことが無料パンフレットに書かれているのだが、広上もそのことを紹介する。

広上は、「AKBやSMAPも100年経てばクラシックになる」と語る。菅ちゃんが「『ヘビーローテーション』なんかも100年後にはオーケストラで演奏されてるんでしょうか?」と聞くと、「オーケストラの演奏スタイルも変わっているかも知れない」と広上は返す。菅ちゃんは「おじさん達が足を上げながら弾いてるんでしょうか」と語る。

次はモーツァルトのホルン協奏曲第1番より第1楽章&第2楽章。ホルン独奏は京都市交響楽団首席ホルン奏者の垣本昌芳。垣本はプロのソリストではなく京響の楽団員であることから、ロザンに「大丈夫ですか?」と心配される。

そのホルン協奏曲第1番からであるが、室内オーケストラ編成で演奏される。その他の曲は第1ヴァイオリン12名のフルサイズであったが、モーツァルトは第1ヴァイオリン6名で、約半分の人数である。

垣本は安定したソロを聴かせ、京響も雅やかな音色を奏でる。広上はピリオド・アプローチも得意としているが、今日はピリオドの影響は余り感じられなかった。なお、広上はこの曲だけはノンタクトで指揮した。

演奏が終わり、菅ちゃんが「良かったですね。AKBでいうとセンターですね。大島優子のような」というと広上さんは「(大島優子は)もうすぐ辞めるでしょ」と応える。広上さん、AKBに詳しすぎである。ちなみに2014年度のオーケストラ・ディスカバリーの案内パンフレットに広上さんは「オーケストラもAKBと同じように楽しいよ!」と書いている。

続いて、プロコフィエフのバレエ組曲「ロメオとジュリエット」から“モンタギュー家とキャピュレット家”。
広上淳一は、「ソフトバンクのCMでお馴染みの曲」と紹介する。

広上「今は堺雅人が、『なんで犬が喋ってるんだ』というコマーシャルですが」
菅「今、(堺雅人の)物真似したでしょ!」
広上「いや、してません(実際はしていた)。以前に、みんなが集まって、犬のお父さんが『何をやってるんだ!』という場面で」
菅「今、(北大路欣也の)物真似したでしょ!」

というやり取りの後で、「モンタギュー家とキャピュレット家」が演奏される。広上の巧みなオーケストラドライブが発揮され、弦も管も威力十分で透明感もあり、ノリの良い演奏が展開された。
 

ワーグナーの楽劇「「ワルキューレ」から“ワルキューレの騎行”。
広上はワルキューレという「肉食女性」について語り、「大学で教えていても、元気のあるのはみんな女の子」だという。女性が活躍する時代と景気とは連動しているという説もあるそうですと広上は語る。
楽劇というのは、ワーグナーが独自に発展させたオペラのことである。同じ舞台でも演劇はあらすじが複雑で書き記すのに時間が掛かるが、オペラというのはあらすじが基本的に単純である。セリフを話すのではなく歌うので時間が掛かり、複雑な展開になると何時間かかっても終わらないという羽目になってしまう。「ワルキューレ」も上演時間約4時間の大作であるが、あらすじは簡単に書くことが出来る。「まず夫婦げんかをして、次に親子げんかをする」。これだけで大体合っている。
広上は、「ワルキューレの騎行」について、「車を運転している時に聴くと必ず事故を起こす曲」と紹介する。「興奮するので、カーブでも150キロ、160キロ出るほどアクセルを踏み込んでしまうらしい」とのこと。

その「ワルキューレの騎行」であるが、堂々として扇情的であり、広がり豊かな演奏となる。京響の金管群はやはり関西のプロオーケストラの中でナンバーワンであろう。

後半、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲。
広上は、オペラについて「90%以上が悲劇」と述べ、「『白夜行』というのがあるでしょう。テレビでは綾瀬はるかが主演して、映画では堀北真希がやった」、宇治原「ああ、東野圭吾の」、広上「ああいったドロドロの劇がオペラには多いんです。今日は若いお子さんも多いので大きな声では言えませんが、不倫ですとか、三角関係ですとか」、菅「不倫。子ども達の中で不倫って知ってる人。不倫というのはね、お父さんとお母さんの他に」などというやり取りがある。なお、「カヴァレリア・ルスティカーナ」の原作はかなり短い短編小説であり、岩波文庫から出ているので日本語で読むことも出来る。どってことない小説である。ロルカの戯曲「血の婚礼」も同じような事件を題材にしているが、ロルカはやはり天才。「血の婚礼」と「カヴァレリア・ルスティカーナ」では比較にさえならない。

歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲で広上は、速めのテンポによる、過度の甘さを避けたすっきりとした演奏を行う。
演奏終了後に、広上とロザンの二人が、この曲が様々な映画やドラマに使われているという話になる。故十八代目中村勘三郎が襲名披露公演でも行った歌舞伎「野田版・研辰の討たれ」では、ラストで邦楽器が「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲を奏でていたりした。

ラストはブラームスの交響曲第1番より第4楽章。
広上はロザンの二人に「ブラームスという作曲家をご存じですか?」と聞くと、宇治原が「ドイツ三大Bの」と答えて、広上から「流石、クイズ王!」と誉められる。宇治原によると「ドイツ三大Bという問題が出たら、答えは絶対にブラームス。バッハやベートーヴェンが答えになることはない」と言う。確かにブラームスは有名作曲家であるが、大バッハやベートーヴェンほどではない。「バッハやベートーヴェンが書いたメロディーを口ずさんで下さい」と聞くと、バッハなら「トッカータとフーガニ短調」(「タラリー、鼻から牛乳!」というやつである)や「G線上のアリア」、「小フーガト短調」など、ベートーヴェンなら「運命」こと交響曲第5番の冒頭「ジャジャジャジャーン!」や第九の「歓喜の歌」などを歌える人は多いが、ブラームスの作品を口ずさめる人は少数派であると思われる。ただ、「ドイツ三大Bの中で交響曲を最も沢山書いたのは誰でしょう?」(答え:ベートーヴェン。バッハ0曲、ベートーヴェン9曲、ブラームス4曲)や、「ドイツ三大Bの中で唯一結婚したのは?」(答え:バッハ。バッハは子供20人という子だくさんでもある。ベートーヴェンは醜男であったがピアノの演奏技術が抜群だったため若い頃はモテモテで、女遊びも盛んだったらしいが、耳の疾患が進むにつれて人付き合いを避けるようになり、生涯独身であった。ブラームスは若い頃は美青年で、やはり女にもてたようだが、シューマンの妻・クララに恋をし、シューマンの没後も付かず離れずの関係を続けた結果、誰とも結婚することはなかった)などの変則問題が出題されることも十分に考えられる。
ブラームスが交響姉弟1番を書くのに20年以上掛けたと広上が話すとロザンの二人が驚く。

ブラームスの交響曲第1番第4楽章は、歓喜の主題がベートーヴェンの第九の「歓喜の歌」のメロディーに似ていることが指摘されている作品である。ブラームスも敢えて似せたようである。
広上と京都市交響楽団は重厚且つ推進力に富んだ演奏を展開する。今日は京都コンサートホールの3階席に座ったのだが、京都コンサートホールの3階席は音が良いということもあり、昨年、八幡市文化会館で同コンビが演奏したブラームスの交響曲第1番よりも味わい深かった。

アンコール演奏は、クラウス・バテルト&ハンス・ジマー作曲による映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」のテーマ曲。今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」のオープニングテーマ曲も指揮している広上だけに、映像のために書かれた音楽の指揮にも強い。

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