カテゴリー「京都市交響楽団」の69件の記事

2018年9月16日 (日)

コンサートの記(424) 広上淳一指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2018 「Bravo!オーケストラ」第2回“オーケストラ・スペクタクル”

2018年9月9日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2018 「Bravo!オーケストラ」第2回“オーケストラ・スペクタクル”を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。広上は約1週間の間に3回京都市交響楽団の本番をこなすことになる。
ナビゲーターはロザンの二人。

午後1時半頃に京都コンサートホールの前に着いたのだが、楽屋口で京響シニアマネージャーの柴田さんが腕をグルグル回してタクシーを誘導しているのが眼に入る。タクシーからはロザンの二人が降りてきた。


曲目は、ワーグナーの歌劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲、J・S・バッハの管弦楽組曲第3番から「アリア」(「G線上のアリア」)、ビゼーの「アルルの女」からメヌエット、グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番から“山の魔王の宮殿にて”、ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1919年版)から“カッチェイ王の魔の踊り”、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」(ピアノ独奏:トーマス・エンコ)、チャイコフスキーの交響曲第4番から第4楽章。


今日のコンサートマスターは、客演の寺田史人(てらだ・ふみひと)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。


ワーグナーの歌劇「ローエングリン」から第3幕への前奏曲。ラストに「結婚行進曲」が加わる版での演奏である。
しなやかな弦楽と煌びやかな金管が印象的な演奏である。

広上は演奏が終わると、早速、ロザンの二人をステージ上に招き入れる。予定だと、もう少し経ってからロザンを呼ぶはずだったようだが、広上は、「一人じゃ寂しかったから」と語っていた。

この曲では金管が活躍するということで、広上は金管楽器の紹介を行う。「実は秘密がある」ということで、金管楽器はマウスピースを使うと語り、まずはマウスピースだけで鳴らして貰う。広上は、「ガッキーちゃん、鳴らしてみて」とホルン首席奏者の垣本昌芳に指示。広上は垣本のことを「京響のガッキーちゃん」と紹介する。続いて、トランペットの稲垣路子がマウスピースを鳴らす。広上は稲垣のことを「稲ちゃん」と呼ぶ。菅ちゃんは、「ガッキーちゃんよりいい音がする」とボケる。
ちなみに広上は、トロンボーン首席の岡本哲を「哲ちゃん」、テューバの武貞茂夫のことは「武ちゃん」と呼んでいるようである。


J・S・バッハの管弦楽組曲第3番から「アリア」。京響はこの曲を追悼曲として良く用いている。
ピリオド・アプローチを意識しており、すっきりとした音像の中に多彩な色合いが息づいている。

弦楽器の紹介。客演コンサートマスターの寺田史人は白髪であるため、菅ちゃんが「色々ご苦労が」と言う。広上が、「菅ちゃん、僕(髪)全部抜けちゃった」とボケたところ菅ちゃんが大笑いしたため、「受けすぎ!」と広上は突っ込む。
菅 「広上さん、今日テンション高いですね。ひょっとしてお酒召し上がってます?」
広上 「いや、飲んでませんが、今週はずっとここにいるもので」

弦楽器は楽器が大きくなればなるほど、弓は反比例して短くなるということも語られる。広上は、コントラバス首席の黒ちゃんこと黒川冬貴に「コントラバスは他の弦楽器と少し違うそうですが」と聞く。黒川は横にいた副首席奏者の石丸美佳に聞きつつ答えるが、最終的にはjuviちゃんこと出原修司が「ヴィオール属といって種族が違う」と答える。コントラバスは他の弦楽器より歴史が長いそうだが、広上の「いつ頃からあるの?」という問いに出原は、「ずっと昔から」と答えて、宇治原に「またずいぶんざっくりとした答えですね」と言われる。
広上は、「弦楽器奏者は、無理にと言われればですが、全ての弦楽器を演奏することが出来ます」と言うが、
宇治原「皆さん、首振ってはります」
菅 「ヴァイオリンの方々、『無理、無理』言ってはりました」

ビゼーの「アルルの女」第2組曲よりメヌエット。ハープとフルートが活躍する曲である。広上が「菅ちゃん、ハープ奏者というとどういうイメージ?」と聞く。菅が「人魚が弾いているような」と答える。
広上 「美人が弾いているイメージ?」
菅 「そうですね」
広上 「では京響の美人を紹介しましょう」
ということで、3人でステージ下手奥にいるハープ奏者の松村衣里のところへと歩いて行く。ステージを擂り鉢状にしているので、階段を上る必要がある。
松村によるとハープの弦は47本あり(日本の都道府県の数と一緒なので覚えやすい数字である)、半音は足で7つのペダルを踏んで出すために結構忙しいそうだ。広上は、「一見、優雅に見えても、あれです白鳥と一緒です」と語る。「白鳥は優雅に見えても水面下では必死で足を動かしている」というのはよく言われることであるが、実はあれは真っ赤な嘘である。白鳥はごく自然に浮いていて、足を動かすのは方向転換する時だけである。そもそも水鳥なので、必死で足を動かさないと浮いていられないというのでは、体の構造に欠陥ありということになってしまう。

フルート首席奏者の上野博昭にも話を聞く。フルートは現在では金属製のものを用いることが多いが、元々は木で作られていたため、木管楽器に分類される。
涼やかで通りの良いフルートの音色と、温かみに満ちたハープの音色の対比が心地よい。


グリーグの「ペール・ギュント」より“山の魔王の宮殿にて”。冒頭でファゴットが活躍するため、木管楽器の紹介が行われる。ファゴットは木管楽器の中で一番高値段が張るということである。菅ちゃんはファゴットについて「格好いいですね」というが、「なんど数ある楽器の中でファゴットをやろうと思われたんでしょうね?」と疑問も投げかける。ファゴット首席の中野ちゃんこと中野陽一郎は、純粋にファゴットが格好いいから始めたようだが、吹奏楽部などでは花形であるフルートやクラリネット、トランペットの選抜に落ちたから他の楽器に回るというのはよくあることである。
フルートを除く木管楽器はリードという芦を削ったものを用いるのだが、全て自分で削ったものを用いる。オーボエ首席の髙山郁子(広上は「郁ちゃん」と呼んでいるようだ)によると、1回のコンサートで用いるだけでリード1つが駄目になってしまうそうだ。ファゴットもオーボエほどではないが、リードを替える必要がある。
菅ちゃんが、客席に「ファゴットやってるぞ、という方」と聞く。3階席下手に座っていた高校生の集団の中の女の子が一人、手を挙げる。
菅ちゃんは、「ただでさえ楽器高いのに、リード代もかかる。止めるなら今のうちですよ」とボケていた。

造形がきちんと決まり、迫力、推進力ともに十分な演奏である。


ストラヴィンスキーの「火の鳥」から“カッチェイ王の魔の踊り”。打楽器奏者達が紹介される。広上は「打楽器奏者は打楽器は何でも出来る。例えばティンパニと大太鼓が入れ代わっても問題ない」と言うが、宇治原は「大太鼓の方、首かしげてますよ」

ストラヴィンスキーらしい鮮烈さを前に出しているが、端正さも同時に兼ね備えた演奏。迫力にも欠けていない。


ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」。ピアノ独奏のトーマス・エンコは、1988年、パリ生まれのピアニスト。音楽一家の出身で、3歳でヴァイオリンを始め、6歳でクラシックとジャズのピアノも習い始める。同じ時期には作曲も始めており、「ラプソディ・イン・ブルー」の演奏に必要なインプロヴィゼーション(インプロ。即興演奏)も得意としているようである。

演奏前に広上とロザンのトーク。広上はエンコについて「男前でしょ?」と聞き、宇治原は「楽屋で会ったんですけど、イケメンですね」と述べていた。

エンコのピアノはフランス人らしく無駄を減らしたタイトなものである。ピアノの微細な音色の変化も聞きものだ。


ガーシュウィンとチャイコフスキーの間に場面転換があるため、広上とロザンは再び下手の段上に上がってトークを行う。トーマス・エンコも広上に呼ばれて、広上とロザンの間でトークに加わる。
エンコがフランス出身ということで、菅ちゃんは、「I like エビアン」とボケる。
広上に日本の印象を聞かれたエンコは、「I love Japan」と英語で答えた後で、「日本はとても好きです」と流暢な日本語で話して、ロザンの二人を驚かせる。
京都の印象を広上に聞かれたエンコは、「京都はフェイバリットなプレースで、ウォークやサイクリングで観光をエンジョイしている」と答えていた。
菅ちゃんが、「Do you like ロザン?」とボケ、広上は、「He is very famous comedian in Japan」と紹介していた。


チャイコフスキーの交響曲第4番より第4楽章。広上と京響は丁度一週間前に大阪のザ・シンフォニーホールで全曲を演奏しており、チャイコフスキーの狂気をあぶり出すような解釈によるものであったのだが、今日は第4楽章だけということもあって大阪の時とは大分印象が異なる。弦はロシアものに最適なヒンヤリとした透明な音を出しており、管の煌びやかで抜けが良い。美的なフォルムを優先させたような演奏であった。

演奏終了後、菅ちゃんは例によって右手を掲げながら登場。宇治原に、「いや、あなたのおかげじゃない!」と突っ込まれていた。


アンコールとしてルロイ・アンダーソンの「忘れられた夢」が演奏される。イノセントでチャーミングな小品。オーケストラの中のピアノが活躍する曲で、演奏終了後に、ピアノの沼光絵理佳は単独で拍手を受けた。

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2018年9月10日 (月)

コンサートの記(421) 京響スーパーコンサート「ミッシャ・マイスキー×京都市交響楽団」

2018年9月5日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京響スーパーコンサート「ミッシャ・マイスキー×京都市交響楽団」を聴く。指揮は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

世界最高峰のチェリストの一人であるミッシャ・マイスキーと京都市交響楽団の共演である。マイスキーと京都市交響楽団は下野竜也の指揮によりベートーヴェンの三重協奏曲で共演しているが、それ以来3年ぶりの顔合わせである。

曲目は、いずれもドヴォルザークの作品で、交響曲第8番とチェロ協奏曲ロ短調。

コンサートマスターに泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。フルートが活躍する交響曲第8番では上野博昭が首席に入り、後半のチェロ協奏曲では中川佳子がトップの位置に入る。クラリネット首席の小谷口直子は全編に出演し、オーボエ首席の髙山郁子は後半のみの出演である。チェロ協奏曲の方が編成が小さいので、前半のみの出演者は結構いる。

広上は前半は長めの指揮棒を使って指揮。後半はノンタクトで振る。


まずは交響曲第8番。この曲は高校生の時にジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団によるEMI盤で何度も聴いた思い出がある。「イギリス」というニックネームを持つが、ドヴォルザークがそれまでに多くの自作の出版を委ねていたドイツのジムロック社の条件に納得せず、イギリスの出版社から譜面が出版されたという経緯によるもので(無料パンフレットを書いた竹内直は別の説を唱えている)、内容的にはイギリス的要素はほぼない。ということで「イギリス」という名称は最近では用いられないことが多い。

広上と京響による演奏は情報量が豊かである。音色に様々な風景、動物や鳥の声などが宿っており、想像が無限に拡がっていく。磨き抜かれた音とバランスも絶妙で、格好いいフォルム、叙情味、迫力、祝祭感の表出など、いずれもこのコンビのベストに近い出来である。渋みと華やかさを兼ね備えた演奏は日本では他に余り聴くことが出来ないはずである。
なお、京都コンサートホールは残響が長いため、広上はゼネラルパウゼをたっぷりと取っていた。


後半のチェロ協奏曲。
ソリストのミッシャ・マイスキーは先に書いたとおり世界最高峰のチェリストの一人であることは間違いないが、個性派であるため、好悪を分かつタイプでもある。旧ソ連時代のラトヴィアの生まれ。レニングラード音楽院附属音楽学校でチェロを学びチェリストとして活動を始めるが、ユダヤ系であり、実姉がイスラエルに亡命したために強制収容所送りとなる。その後、兵役にも送られそうになるが、佯狂によって回避。この事実がいらぬ先入観を抱かせることにもなっている。その後、アメリカを経てイスラエルに渡り、カサド音楽コンクールで優勝。西側での名声を得ている。
マイスキーは出だしでいきなりタメを作るが、その後の旋律の歌わせ方に関してはオーソドックス。ただ強弱はかなり細かくつけている。音色は深く、温かな輝きがある。
広上指揮の京響もマイスキー共々ノスタルジックな表出に長け、スケールも豊かである。


アンコール演奏は、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」。チェロ独奏と弦楽オーケストラのための編曲であるが、編曲者が誰かはわからない。マイスキーのチェロが常に主旋律を歌い、弦楽オーケストラがそれを彩るという趣である。ロシア民謡を主題としており、初演を聴いたトルストイが余りの美しさに涙したと伝わる「アンダンテ・カンタービレ」。涙こそ出なかったがトルストイの気持ちがよくわかるような演奏であった。

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2018年9月 7日 (金)

コンサートの記(420) 広上淳一指揮京都市交響楽団大阪特別公演2018

2018年9月2日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、広上淳一指揮京都市交響楽団の大阪特別公演を聴く。

オール・ロシア・プログラムで、プロコフィエフの組曲「3つのオレンジへの恋」から行進曲&スケルツォ、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:小林美樹)、チャイコフスキーの交響曲第4番が演奏される。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。第2ヴァイオリン首席には客演の有川誠が入る。チェロ首席にも客演のルドヴィート・カンタが入った。


プロコフィエフの組曲「3つのオレンジへの恋」より行進曲&スケルツォ。
京響は燦々と輝くような音色を発し、広上のキビキビとしたリードが生きる。鋼のように強靱なフォルムとメカニックがプロコフィエフの面白さを際立たせる。


チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調。
ソリストの小林美樹(みき)は、1990年生まれの若手ヴァイオリニスト。アメリカのサンアントニオに生まれ、4歳の時にヴァイオリンを習い始める。2006年にレオポルド・モーツァルト国際ヴァイオリンコンクールで審査員特別賞を受賞。2011年にはポーランドのヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクールで2位になっている。桐朋女子高校音楽科を経て桐朋学園大学ソロディプロマコースを卒業。その後、ロームミュージックファンデーションの全額奨学金により、ウィーン私立音楽大学でも学んでいる。

ピンク色のドレスを着て登場した小林は長身の女性である。小柄な広上は、彼女の肩の部分までの身長しかない。

小林のヴァイオリンはスケールが大きく、技術力も確かである。少し単調なヴァイオリンなのが気になるところだ。時折、海老反りになってヴァイオリンを弾く小林。見せ方を知っているという印象を受ける。
広上指揮の京響も堂々としたシンフォニックな伴奏を聴かせる。

小林のアンコール演奏は、バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番よりジーク。華麗な演奏だったが、案外、記憶に残りにくい類いのものだったようだ。


チャイコフスキーの交響曲第4番。第1楽章では、チャイコフスキーの嘆きにさほどのめり込まず、俯瞰的なアプローチを展開する。客観視された悲劇性が音によって描かれることで却って深刻さが増す。
第2楽章でも第3楽章でも音色は明るめだが、その背後に陰鬱な表情があることを示唆させる演奏である。ちなみに広上は第3楽章をノンタクトで振り、応援団長がやる「フレーフレー」のような仕草をしていた。
第4楽章も音の見通しが良く、グロテスクなサーカスのような音楽が舞台上で繰り広げられる。あたかもロシア版の幻想交響曲のような描き方である。ラストで広上はギアを上げ、悪魔の高笑いのような音像を築く。文字通りデモーニッシュな解釈である。

演奏終了後、広上は、「一つだけ。皆様のご健康とご多幸を祈っております」と言って、モーツァルトのディヴェルティメントニ長調 K.136から第2楽章の演奏を行う。
広上と京響が共に十八番としているモーツァルト、の割には演奏会にプログラムに乗る機会は決して多くないが、透明で雅やかでチャーミングな理想的な出来となった。

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2018年9月 4日 (火)

コンサートの記(419) エルネスト・マルティネス・イスキエルド指揮 京都市交響楽団第519回定期演奏会

2008年12月7日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第519回定期演奏会を聴く。指揮者は、シーズン始めの予定から変更があり、スペイン人のエルネスト・マルティネス・イスキエルド(変換したら「椅子消えるど」となった)が指揮台に立つ。

イスキエルドは、1962年、バルセロナの生まれ。現代音楽の指揮を得意としており、ブーレーズ率いるアンサンブル・アルテルコンタンポランの副指揮者を務めたこともあるという。2002年から2006年までバルセロナ交響楽団の首席指揮者(大植英次の前任者である)。現在はバルセロナ響の首席客演指揮者であるという。
イスキエルドと京都市交響楽団は、今年4月に大阪のフェスティバルホールで共演しており、互いに好感を持ったとのことである。

曲目は、プロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」より抜粋、ストラヴィンスキーの「火の鳥」組曲(1919年版)、ファリヤのバレエ音楽「三角帽子」第2部。

指揮者のイスキエルドは、左手に指揮棒を持つ。左手に指揮棒を持つ指揮者を生で見るのは私は初めてである。大阪センチュリー交響楽団を指揮したペンデレツキも左手で指揮棒を持つそうだが、私が接したコンサートではペンデレツキはノンタクトで振っていた。
左利きの指揮者でも、普通は指揮棒は右手で持つ。左手で指揮棒を振るとオーケストラが戸惑うというのがその理由である。
左手で指揮棒を振るイスキエルドの指揮姿を見ていると、確かに奇妙な感じを受ける。鏡に映った指揮姿を見ているような、あるいは鏡の国に迷い込んでしまったかのような。

プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」は通常コンサートで演奏される組曲版ではなく、全曲版からイスキエルドが選曲した、演奏時間約45分の抜粋版。
先日、ワレリー・ゲルギエフ指揮のロンドン交響楽団が、同じ京都コンサートホールで、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」組曲第1番と第2番より抜粋を演奏している。比較してみると、京響は弦楽の厚みがないため、音は美しいものの、表面を磨き上げたような印象を受けてしまう。それから、ロンドン響はメンバー全員がスコアに挑みかかるような、一種の獰猛な演奏スタイルがあったが、京響はやはりそれに比べるとかなりあっさりしている。
ロンドン響と京響を比べるのは酷だが、京響も京響としてはベストに近い演奏をしていたと思う。
イスキエルドは、速めのテンポを基調とし、細かい表情や音色の変化が巧みである。

「火の鳥」も縦の線が崩れそうになる場面があったが全体としては好演であり、イスキエルドの祖国であるスペインの作曲家ファリャの「三角帽子」より第2部は明るい音色と溌剌とした響きによる楽しい演奏となった。
イスキエルドは良い指揮者である。

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2018年8月31日 (金)

コンサートの記(416) 高関健指揮京都市交響楽団第626回定期演奏会 ブリテン 「戦争レクイエム」

2018年8月26日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第626回定期演奏を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。
京響の8月定期は宗教曲を演奏することが恒例であり、今年もベンジャミン・ブリテンの「戦争レクイエム」が取り上げられる。
ソプラノ独唱は木下美穂子、テノール独唱:小原啓楼(おはら・けいろう)、バリトン独唱:大西宇宙(おおにし・たかおき)。京響コーラスと京都市少年合唱団も参加する。

編成が独特である。ポディウム席は合唱が入るため今日は販売されていない。ソプラノ独唱の木下美穂子もポディウムに陣取る。オーケストラは指揮台周辺の室内オーケストラのその外郭の大オーケストラに分かれる。室内オーケストラのコンサートマスターは客演の石田泰尚(いしだ・やすなお)。大オーケストラのコンサートマスターは泉原隆志。京都市少年合唱団は3階正面席の下手側に離れて置かれ、指揮は京都市少年合唱団の津幡泰子(つばた・やすこ)が行う。

午後2時から高関健によるプレトークがある。編成の関係か楽屋の位置によるのか、今日は普段と違い、舞台上手から登場した。
ブリテンの「戦争レクイエム」は1962年の初演。高関はこの時代に生まれた音楽の最高傑作と高く評価しており、匹敵する作品はメシアンのトゥーランガリラ交響曲のみであるとする。
高関は、10年前に群馬交響楽団の定期演奏会でこの曲を取り上げており、それ以前に小澤征爾指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏、初演者でもあるディートリヒ・フィッシャー=ディースカウのバリトン独唱で聴いたことがあり、強い感銘を受けたことを語る。
「戦争レクイエム」は初演の際は、室内オーケストラの指揮者と大オーケストラの指揮者、少年合唱団の指揮者の三人体制で演奏されたそうだが、室内オーケストラと大オーケストラが同時にで演奏することはほとんどないのでオーケストラの指揮者は一人でいいということになったそうだ。

イギリスの20世紀を代表する作曲家であるベンジャミン・ブリテン。ドイツ人から「作曲家のいない国」と揶揄されたイギリスが久しぶりに生んだ天才作曲家である。オペラに傑作が多いが、オーケストラ曲や声楽曲の部門でも活躍しており、日本の皇紀2600年記念として書かれたシンフォニア・ダ・レクイエム(鎮魂交響曲)などが有名。皇紀2600年の曲に鎮魂曲を書いたため、物議を醸してもいる。
同性愛者としても知られ、テノール歌手のピーター・ピアーズとパートナーであり、「戦争レクイエム」の初演のテノール歌手はピアーズが務めている。
また指揮者としても活躍しており、「戦争レクイエム」の初演の指揮者を務め、英DECCAへのレコーディングでもタクトを執っている。DECCAの「戦争レクイエム」は日本の第1回レコードアカデミー賞大賞を受賞した。

演奏時間約85分の大作。滅多に上演されない曲であるため、今日の演奏会のチケットは完売である。

高関らしい構築感のしっかりとした演奏である。京響コーラスと京都市少年合唱団のレベルも高い。
「戦争レクイエム」は、一般的な「レクイエム」のラテン語詩の間に、第一次大戦中に25歳で戦死したウィルフレッド・オーウェンの英語詩が挟まれるという構成である。オーウェンの英語詩はテノールのバリトンによって歌われ、戦場の陰惨さと犠牲となる戦士達の悲惨さが独唱と対話の形式を用いて描かれている。イギリス人作曲家らしいというべきか、大仰さは丁寧に封じられており、淡々と、だが深く続く場面が印象的である。

この曲は、サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団ほかのCDでしか聴いたことがないが、ブリテンによる自作自演盤なども聴いてみたくなる。

レセプションで高関の話を聞く。実は、7年前にも「戦争レクイエム」を指揮する機会があったそうだが、上演の予定日は2011年3月12日。東日本大震災発生の翌日である。3月11日には、高関は「戦争レクイエム」を演奏する予定であった東京フィルハーモニー交響楽団と共に千葉県内にいたそうだが、地震で交通網は全て遮断されてしまって東京には帰れない。更に会場となるはずだった新宿文化センター大ホールも地震によって具合の悪いところが発見されたということで演奏会は中止になったという。
プレトークで話そうかとも思ったそうだが、「プレトークが終わってから本番までの間に地震があったら嫌だな」ということで終演後に話すことにしたそうだ。



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2018年8月 1日 (水)

コンサートの記(409) 京都ミューズ クラシック・シリーズ2018 第2回 7月例会 広上淳一指揮京都市交響楽団 フォーレ 「レクイエム」

2018年7月29日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都ミューズ クラシック・シリーズ2018 第2回 7月例会 広上淳一指揮京都市交響楽団によるガブリエル・フォーレの「レクイエム」を聴く。

オール・フランス・プログラムで、サティの「ジムノペディ」第1番と第3番(ドビュッシー編曲。ピアノ版の第1番が第3番、第3番が第1番と入れ替わっている)、ドビュッシーの「小組曲」(ビュッセル編曲)、フォーレの「レクイエム」(ソプラノ独唱:石橋栄実、バリトン独唱:大沼徹。合唱:京都ミューズ・フォーレ・レクイエム合唱団2018)。


今日もコンサートマスターは客演の須山暢大、泉原隆志は降り番でフォアシュピーラーには尾﨑平。

前半は今年没後100年を迎えたドビュッシーをフィーチャーしたものである。「ジムノペディ」において広上は、落ち着いて瀟洒で詩的な演奏を行う。フランスの都会の光景が目に見えるような洒脱な表現だ。

「小組曲」は広上が好んで取り上げる曲の一つ。細部まで神経の行き届いた軽やかで涼やかで儚げで快活で、とにかくありとあらゆる光景を指揮棒の先で描いてみせる。迫力、造形力、音捌き、全てが高い水準にある。


フォーレの「レクイエム」。合唱を担当する京都ミューズ・フォーレ・レクイエム合唱団2018は、今回の公演のために結成された市民団体。声楽経験者でない人も含まれているが、広上の指揮により、「リベラ・メ」での高揚感などは最高レベルのものを示している。プロや常設団体ではないので、声の粒立ちには問題があるが健闘したほうだろう。
広上の巧みな音運びにより、空間が一瞬にして清められるような印象を受ける。京響の発する音は色彩豊かで匂うように上品。管楽器も角の取れたまろやかさで、まさに天上の響きといった趣である。石橋栄実と大沼徹のソリストも優れた歌唱を聴かせ、技術的にはともかく音楽的には「完璧」の領域に達した「レクイエム」となった。

広上淳一は凄い。

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2018年7月29日 (日)

コンサートの記(407) 下野竜也指揮京都市交響楽団第625回定期演奏会

2018年7月22日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第625回定期演奏会を聴く。午後2時30分開演。京都市交響楽団常任首席客演指揮者の下野竜也がタクトを執る。

曲目は、シューマンの「天使の主題による変奏曲」からテーマ(野本洋介編曲)、尾高惇忠のピアノ協奏曲(ピアノ独奏:野田清高)、ブルックナーの交響曲第1番(リンツ稿・ハース版)。
現代音楽とブルックナーの初期交響曲は不入りな演目の両巨頭(?)だが、今日は二つとも入っている。ということでチケットは売れず、下野も京響のFacebookページに載せられた映像でに「チケット売れてません。特に日曜日」と語っていたが、当日券売り場にもそれなりに人が並んでおり、演目からいえば入った方だと思える。

午後2時から下野竜也によるプレトークがある。下野は初演魔と呼ばれた岩城宏之の言葉を引用し、「昔に書かれたものは色々な録音が残っていて聞き比べが出来る。その面白さはあるが、今の時代に書かれたものを演奏することも演奏家の使命である」ということで、一昨年に書かれたばかりの尾高惇忠の曲を取り上げる意義について述べた。

ブルックナーの交響曲第1番は一般的に演奏される機会が比較的多いウィーン稿ではなくリンツ稿を今回は採用。リンツ稿は作曲された当時のスコアを基本にしたものであり、ウィーン稿は初演から四半世紀ほど経過してからブルックナー本人が加筆訂正を加えたものである。下野はスコアを文章に例え、「若い頃書いたものは未熟で文法的間違いがあり、月日が流れてから書き直すというのはよくあること」。ただし、若い頃の勢いで書かれた魅力も捨てがたいとしてリンツ稿を取り上げることにしたそうだ。ブルックナーは、「苦手な作曲家・嫌いな作曲家の1位の常連」と紹介し、同じようなことが繰り返されてドラマもないということで面白くないと取られることがあるが、そうしたものとは別の魅力、日々の細かな幸せが綴られたものというブルックナーの味わい方を説明していく。ハース版とノヴァーク版の違いであるが、ハース版の方がブルックナーのオリジナルの譜面に近く、ノヴァーク版の方が合理的に書かれていて採用する人も多いが、ブルックナー自身のスコアに近づけたいということでハース版を選んだと話した。

今日もコンサートマスターは客演で豊嶋泰嗣が入る。フォアシュピーラーに泉原隆志。第2ヴァイオリン首席も客演の長岡聡季が務める。オーボエの髙山郁子以外の管楽首席奏者はブルックナーのみの出演。

シューマンの「天使の主題による変奏曲」からテーマ。読売日本交響楽団の打楽器奏者である野本洋介の編曲である。下野竜也は読売日本交響楽団の正指揮者(下野のために特別に新設されたポスト。2006年から2013年まで務めた)と首席客演指揮者(2013-2017)を務めており、野本とは旧知ということで、下野が音楽総監督を務める広島交響楽団のために昨年書かれたもののようだ。
3分ほどの小品だが、シューマンらしいロマンティックな味わいがある。

尾高惇忠は、1944年生まれ。実弟は指揮者の尾高忠明、実父は作曲家で指揮者の尾高尚忠である。東京藝術大学作曲科を卒業。作曲を池内友次郎、矢代秋雄、三善晃に師事、ピアノを安川加寿子に師事している。1970年にパリ高等音楽院に留学し、作曲をモーリス・デュリュフレ、アンリー・デュティーユらに師事している。実父を顕彰する尾高賞を2度受賞したほか、別宮賞なども受賞している。
ピアノ協奏曲は、今日のソリストである野田清高のために書き下ろされたものである。
その野田清高は、東京藝術大学および大学院修士課程を修了後、ブラームスと20世紀作品を組み合わせたリサイタルを連続して行い、これが評価されて博士号を授与されている。現在は東京学芸大学准教授を務める。
ピアノ協奏曲は、2016年3月に野田のピアノ、広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団の演奏によりサントリーホールで初演され、同年7月には尾高忠明指揮札幌交響楽団、清水和音の独奏によりKitaraでも演奏されている。

チェレスタやジュ・ドゥ・タンブルなどを使った独特の大編成での演奏。ピアノ協奏曲ではあるが、ピアノも含めた全体の音響で聴かせる作品である。
第1楽章では低音がショスタコーヴィチ、高音がメシアンのような音楽で対比がなされ、第2楽章では武満徹にも通じるような音響とサティの「ジムノペディ第1番」を短調にしたような旋律が特徴的であり、第3楽章では同じ音型を繰り返すパワフルな音像が印象的な楽曲となっている。
ピアノの鍵盤を幅広く使う作品であり、野田清高のシャープな音楽性と力強い打鍵力が発揮されていた。

演奏終了後、客席にいた尾高惇忠がステージ上に呼ばれ、下野や野田と共に拍手を受けた。

ブルックナーの交響曲第1番。この曲のリンツ稿を聴くのはおそらく初めてになるはずである。
ブルックナーは若い頃はオルガン演奏の名手として鳴らし、特に即興演奏を得意としたが、交響曲に取り組んだのは比較的遅く、この第1番が完成したのは彼が42歳になる年であった。初演はその2年後にブルックナー本人の指揮によりリンツのプロアマ混成オーケストラのよってなされた。

ブルックナーというの素朴で野人というイメージであるが、初期の交響曲は当時のオーストリア楽団を意識した端正な趣もある。ただブルックナーの個性が従来の音楽の器をはみ出しており、そのことが如実にわかってしまうため、当時の聴衆に「異様」という印象を抱かれたことも想像される。
ブルックナーと得意とする下野竜也。ただ、今のところ、下野のブルックナーで名演と讃えられる水準に達したものはないように感じられる。堅固の構築力は感じさせるが柔らかさがなく、ミリタリー調になる傾向はある。
ただ今日の第1番は下野の個性に合っており、推進力やスケールの豊かさなどは十分で、秀演の領域には達したように思われる。曲も見通しの悪さはあるがブルックナーならではの発想があちこちで生きており、興味深い。京都市交響楽団の音色とパワーも十二分に発揮され、魅力的であった。

今日は客席にムスリムの女性、白人男性、北京語を話しているカップルなどがおり、国際色豊かである。



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2018年7月19日 (木)

コンサートの記(403) 高関健指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2018「Bravo! オーケストラ」第1回“華麗なるバレエの世界”

2018年7月1日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2018「Bravo! オーケストラ」第1回“華麗なるバレエの世界”を聴く。昨年度までのオーケストラ・ディスカバリーは午後2時開演だったが、今回からマチネーの定期演奏会と同じ午後2時30分開演に改められている。今日の指揮者は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。今回は桧垣バレエ団との共演で、ステージの奥部を上まで上げた二段舞台での上演となる。ということで今日はポディウム席、ステージ横席共に販売されておらず、最前列と2列目も奥で行われるバレエが見えないため空席となっている。ナビゲーターはガレッジセール。

演目は前半が、チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」から「小序曲」~「行進曲」~「子どもたちの小ガロップと親たちの登場」、チャイコフスキーのバレエ「白鳥の湖」から「情景」と第2幕「オデットと王子のグラン・アダージョ」。後半が、プロコフィエフのバレエ「シンデレラ」ハイライト。

桧垣バレエの出演者は、プリマバレリーナの小西裕紀子を始め、今井大輔、林杏香(はやし・きょうこ)、中尾圭子、蘆原絵莉子、中井高人(たかと)、福島元哉、榎本心、和田健太郎、中谷美咲、大久保真貴子ほか。


今年度はチケットの売れ行きが良く、油断して買うのが遅れたため、2階サイド席の最もステージから遠い場所の席になった。以前だったら音の通りが悪い席だったが、舞台をすり鉢状にして後部の反射板代わりにすることで、音響の改善に成功したようである。ステージからは遠いが音には問題はない。

今日もコンサートマスターは客演で、植村太郎が入る。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーは尾﨑平が務める。第2ヴァイオリンの首席も客演の小宮直に託された。


まずは「くるみ割り人形」。京響の好調は続いており、エレガントな響きが聴き手を楽しませてくれる。
桧垣バレエ団は予想していたよりも本格的な上演。後方ステージ上は賑やかで、多彩な踊りが展開された。

上演終了後、マイクを手にしゃがれた声で自己紹介。昨日まで風邪を引いており、今日治ったばかりだという。
ガレッジセールの二人が登場し、ゴリが「今日、お金掛かってるから京響の皆さんの給料が出なくなるなんてことはないでしょうか?」と冗談をいう。
その後、ガレッジセールと高関の3人がいったん退場して後方ステージに上がる。ゴリは「NGKより眺めが良い」といって、川ちゃんに「そんなこと言っちゃ駄目でしょ」とたしなめられていた。その後、小西裕紀子が後部ステージ上に呼ばれ、ガレッジセールの二人からの質問に答えていく。小西、それからその後に登場した小学6年生の団員二人は止まっている時も両つま先を外側に向けたバレエのポーズであり、いつでも踊りに入ることが出来るようこれを常に保つ必要があることを述べる。「オーケストラの皆さんは楽器を使いますが、私たちは体を楽器にして」常に磨き続けることを心がけているそうである。バレリーナは公演中の待ち時間も長いのだが、いつ本番になってもすぐに対応できるよう体を最善の状態に保ち続けているそうだ。

「白鳥の湖」。小西裕紀子と今井大輔のパ・ド・ドゥである。ダイナミックさと華麗さを併せ持ったバレエが展開される。高関指揮の京響も万全の演奏を聴かせた。


後半、プロコフィエフのバレエ「シンデレラ」ハイライト。この曲ではガレッジセールの二人が交互にナレーションを担当する。元々俳優志望だったゴリの方がナレーションは上手い。川ちゃんはちゃんと読もうとする気持ちが強すぎた結果、文を短く切りすぎて却って伝わりにくくなっていた。
物語性が強いということで、小西裕紀子によるユーモア溢れる演出が生きている。舞踏会に妖精が現れるところではストップモーションを採用。意地悪な継母(演じるのは蘆原絵莉子)とその娘達の踊りでは、若い娘達には男達がすぐに支えにくるのに、継母には誰も寄ってこないため、継母が床を踏みならして「誰か来なさい!」と強制する場面が加わっていた。継母はコミックリリーフ的な扱いであり、皆で客席中央通路に出て紙吹雪を撒くシーンでも一人でいつまでも紙吹雪を投げ続けるというわがままぶりを発揮して笑いを誘っていた。バレエのユーモラスなシーンはサイレント映画に通じるところがあり、観ていて、「ああ、チャップリンだ、バスター・キートンだ、ヒッチコックだ」と様々な無声映画を連想した。
高関指揮の京響もシャープで所々にわさびを利かせた演奏を展開し、プロコフィエフを聴く楽しみを十全に味わわせた。

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2018年5月27日 (日)

コンサートの記(390) 広上淳一指揮京都市交響楽団第623回定期演奏会

2018年5月20日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第623回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

演目は、レナード・バーンスタインの交響組曲「波止場」、ショスタコーヴィチの交響曲第9番、バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」(ピアノ独奏:河村尚子)。バーンスタイン生誕100年記念といってもいいプログラムである。

開演30分前から広上淳一と京響シニアマネージャー代行兼チーフマネージャーの柴田智靖によるプレトークがある。4月からオーケストラの登場の仕方が変更になったため、プレトークの開始も10分早くなったそうである。アムステルダム・コンセルトヘボウでバーンスタインの助手を務めたこともある広上淳一。レナード・バーンスタイン(愛称:レニー)の弟子はとても多く、広上も、小澤征爾、大植英次、佐渡裕、大野和士らがレニーの弟子であることを紹介する。

ショスタコーヴィチの交響曲第9番であるが、交響曲第9番というのは作曲家にとって運命の数字でもある。ベートーヴェンが交響曲を9曲書いて他界したが、今では7曲ということになったものの以前の解釈ではシューベルトも9番まで、そしてブルックナーも9番まで書いて亡くなった。ドヴォルザークも今では初期交響曲にも番号が付けられて9曲までとなっている(私が小学生の頃の音楽の教科書には「新世界」交響曲の番号がまだ5番であった)。マーラーは交響曲第9番を書いたら死んでしまうのではないかと怖れ、9番目の交響曲には番号を付けず「大地の歌」とした。だが、結局は交響曲第9番を書くことになり、悪い予感が的中して、第9番が遺作となった。ということで特別な番号であり、ソビエト当局はショスタコーヴィチにベートーヴェンの第九に匹敵する曲を期待したのだが、ショスタコーヴィチはどちらかというとおちゃらけた感じの曲を書いてしまう。先にショスタコーヴィチとリヒテルによるピアノ2台版の試演会が行われ、放送によって世界配信されたのだが、ソビエトのみならず世界的な失望を買ってしまった。それでもエフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団による初演は好評だったが、ジダーノフ批判を受けて、以後しばらくの間はショスタコーヴィチ作品のソビエト国内での演奏が禁じられてしまう。
広上によるとレニーはこの曲をしばしば取り上げていたそうで、その理由を「この世のあらゆるものが含まれているから」と説明していたそうである。なお、バーンスタインはこの曲をウィーン・フィルハーモニーを指揮してドイツ・グラモフォンにライブ録音しているが、今に至るまでこれを凌ぐ録音は出ていないと断言していいほどの名演である。

バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」の解説にはピアノ独奏の河村尚子も加わる。河村はこの曲の性質を「トリッキー」と語り、「常に黄色信号が出ていて、よそ見をしていると落とし穴に嵌まってしまう」と話す。日本人ピアニストの河村だが身振り手振りが大きく、ドイツで育ったことが現れていた。
河村と広上は7年前にオーケストラ・アンサンブル金沢の定期演奏会で、ヒンデミットの「四つの気質」で共演したのだが(私も金沢まで聴きに行った。調べたら6年前だったが、もうそんなになるのか)、バーンスタインはヒンデミットの音楽を高く評価しており、ヒンデミット的な要素をこの曲で取り入れたのではないかと河村は推理していた。

今日のコンサートマスターであるが、客演の須山暢大(大阪フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター)が務める。フォアシュピーラーは泉原隆志。4月から京響のコンサートマスターは泉原の一人体制になったのだが、2度目の定期にして早くも客演コンサートマスターが入ってしまうという異様な事態になってしまっている。

バーンスタインの交響組曲「波止場」。エリア・カザン監督の映画のための音楽として書かれたものをコンサート用に編み直したものである。私が持っているレニー自作自演の「ウエストサイド・ストーリー」全曲版のフィルアップに交響組曲「波止場」自作自演(オーケストラはイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団)が入っているのだが、今もこの組み合わせで出ているのかどうかはわからない。
広上はバーンスタインについてクリーニング屋の息子で余り裕福ではなかったと語ったが、文献に基づくとバーンスタインの父親のサミュエル・バーンスタインは理髪店を営み、パーマネントのための機器を独自に発明した発明家でもあった。サミュエルは特許料で稼ぎ、アメリカン・ドリームの体現者となる。息子にも家業を継がせたいと考えていたサミュエルだが、息子のレナードは意に反して音楽家への道を歩むことになる。ハイスクールを卒業したレナードはカーティス音楽院かジュリアード音楽院に進みたかったのだがサミュエルがそれを許さず、妥協の結果、レナードはハーバード大学音楽学部に進学する。世界最高の大学ともいわれるハーバード大学だが音楽学部に関してはカーティスやジュリアードより格下。レナードは満足出来ずに、その後、カーティス音楽院で学ぶことになる。バーンスタイン親子の関係はその後も複雑であったようだ。
いかにも映画音楽的な楽曲である。最初のホルンで示されるテーマがその後、様々な楽器で繰り返される。盛り上がりの部分はこの楽曲の冒頭部分によく似ているが、偶然だと思われる。
広上と京響のコンビの充実が確認出来る好演であった。

ショスタコーヴィチの交響曲第9番。全曲の演奏時間が5楽章で25分程度と短いこともあり、軽めの楽曲と目されているが、ユーモラスな感じがするのは第1楽章と第5楽章のみであり、他はシリアスな音楽が続く。
古典的な造形といわれることもある。そういえば、ショスタコーヴィチと犬猿の仲といわれたプロコフィエフの交響曲第1番「古典」は古典的造形そのものだが、多分、関係はない。
レニーとウィーン・フィルによる演奏はスケール豊かな、悪くいうと肥大化した音楽であったが、広上と京響はタイトにしてパワフルというこの曲本来のスタイルを採用。推進力にも富んでいたが、この曲の苦み走った面を強調するのが広上らしい解釈である。

バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」。イギリス出身でアメリカに帰化した詩人のW.H.オーデンの長編詩に基づく交響曲である。オーデンの長編詩「不安の時代」は邦訳も出ており(日本語で読むと詩というより完全な物語文という印象を受ける)私も読んでみたことがあるのだが、長い上に余り面白くなかったので途中でリタイアしてしまった。
ピアノ独奏と含む交響曲という比較的珍しいスタイルを取っているが、宗教や思想の影響の強い交響曲第1番「エレミア」や交響曲第3番「カディッシュ」よりはわかりやすく、バーンスタインの交響曲の中ではおそらく最も演奏される機会が多いと思われる。初演はクーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団によって行われ、バーンスタインはピアノソロを受け持った。
この曲は、レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団盤(ピアノ独奏:ルーカス・フォス)、ジェイムズ・ジャッド指揮フロリダ・フィルハーモニー管弦楽団盤(ピアノ独奏:ジャン=ルイ・ストイアマン)などで聴いており、「いかにもアメリカ的な交響曲」という印象を受けたが、広上と京響の生む音色はどちらかといえばヨーロッパのオーケストラに近く、マーラーやショスタコーヴィチとの類似点が確認出来るのが興味深いところである。またそれによってシリアスで痛烈な印象も強まる。

日本の若手としてはトップクラスのピアニストとなった河村尚子(ただし音楽教育は全てドイツで受けている)。ハノーファー国立音楽演劇大学大学院ソリスト課程を修了。ミュンヘン国際コンクールで2位入賞、クララ・ハスキル国際コンクールでは優勝に輝く。今年は出身地の西宮市にある兵庫県立芸術文化センターでベートーヴェン・シリーズを行い、京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタでもオール・ベートーヴェン・プログラムによるリサイタルを行う予定である。現在はドイツ・エッセンのフォルクヴァング芸術大学教授。東京音楽大学ピアノ科の特任講師として現在も大学のホームページに名前があるが、ページ自体が更新されていないので今はどうなっているのかわからない。
今日はピアノは蓋を取り払って指揮者と対峙する位置に据えられている。
色彩感豊かなピアノを弾く人であるが、今日は高音の豊かさに魅せられる。ピアノを弾いたことがある人ならわかると思うが、鍵盤の右端に近い高い音は基本的に痩せた音しか出ない。ただ、今日の河村の弾く高音はボリュームがあって美しいのである。どうやったらああした音を出せるのかわからない。
この曲ではジャズテイストの旋律が登場するのが特徴であるが、その語り口が上手くいっているのかは私にはよくわからない。私もジャズピアノは聴くが、いずれもクラシカルな要素が強いピアニストばかりだ。プレトークでの河村本人のコメントによると「ジャズは好きだがジャズを弾くのは初心者」だそうである。

ちなみに第1部おける変奏曲の主題はグレゴリオ聖歌の「怒りの日」の模倣のように思われるのだが、そういう指摘は今まで行われていないようである。


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2018年5月14日 (月)

コンサートの記(382) 井上道義指揮 第9回「現代日本オーケストラ名曲の夕べ」

2008年4月25日 京都コンサートホールにて

午後7時より京都コンサートホールで、第9回「現代日本オーケストラ名曲の夕べ」というコンサートを聴く。2000年に始まり、毎年開催されているコンサートだが、毎回開催地が異なる。第1回は東京文化会館で行われ、それから大阪、前橋、金沢、名古屋、東京・初台の東京オペラシティコンサートホール、福岡、山形と来て、今年は京都での開催になった。

今回の指揮は井上道義。オーケストラは「京都市交響楽団を中心としたオール・ジャパン・シンフォニー・オーケストラ」。

オール・ジャパン・シンフォニー・オーケストラを名乗るにあたって、宣伝チラシやプログラムにも「京都市交響楽団を中心とした」と枕を入れているが、そこから察せられるように、オーケストラメンバーの大半は京都市交響楽団の団員である。だから、正確に記すなら、「ほぼ京都市交響楽団によるオール・ジャパン・シンフォニー・オーケストラ」になる。米軍が戦争を仕掛けるときに、大半がアメリカ軍でありながら、国×軍や多○籍軍を名乗るのと同じようなものである。他のプロオーケストラからの参加は20名足らず。他のプロオーケストラだって今の時期は定期演奏会を始めとした多くのコンサートを開いているのだから、そこの奏者が大挙ホームグラウンドを離れて京都に押し寄せるということは不可能である。
これまでの開催地も全てプロオーケストラの所在地(群馬交響楽団の本拠地は高崎市だが、前橋市も群馬県の県庁所在地であり、群馬交響楽団の演奏会も数多く開かれている)であり、やはりそこのプロオーケストラを中心にオーケストラが編成されたのだろう。
なぜ単独のオーケストラでコンサートを行わないのかというと、「現代日本オーケストラの夕べ」は、社団法人日本オーケストラ連盟の主催するコンサートなので、やはり連盟に加わっている複数のオーケストラでやらないと意味が薄まるのだと思われる。
とはいえ、私の予想では「関西の楽団か、遠くても名古屋のオケのメンバーしか来ないのかな」と思っていたが、関西圏や名古屋圏のみならず、山形交響楽団や群馬交響楽団、読売日本交響楽団からも複数名が参加し、NHK交響楽団からも一人参加している。


曲目は、芥川也寸志の「オルガンとオーケストラのための『響』」、伊東乾(いとう・けん)の「天涯の碑」、石井眞木の交響詩「祇王」(陰影の譜)、指揮者である井上道義作曲の「メモリーコンクリート」

作曲家の知名度通り、というわけではないけれど、やはり芥川也寸志の作品が一番面白かった。作品名通り、「響」が面白く、またオーケストラが豪快に鳴る。

伊東乾の「天涯の碑」は1992年、京都市交響楽団の委嘱によって作曲された作品。作曲者の伊東乾も会場に来ていて、作品を演奏する前に井上に呼ばれてステージに上がり、話をする。パンフレットに曲の説明(天正少年使節がどうのこうの)が書かれているが、伊東本人によるとそれはポーズで、実際は伊東が子供の頃に他界した父への思いを託した曲とのことである。前半はいかにも日本の現代音楽的な響きが続くが、その響きの中から、チェロとコントラバスによって奏でられた讃美歌の旋律が何かの啓示のように突然現れ、その旋律がヴィオラ、第二ヴァイオリン、第一ヴァイオリンへと受け継がれていく。
初演時は、ベートーヴェンの第九との組み合わせで演奏されたそうで、旋律の受け渡しは第九の第4楽章を意識している。

当初の予定では、3曲目が井上の「メモリー・コンクリート」、4曲目が石井眞木の交響詩「祇王」(陰影の譜)であったが、京都コンサートホール内に曲順が入れ替わったという張り紙がしてあり、3曲目が石井眞木の、トリが井上の作品となった。井上本人も「ゴリ押しして」などとステージ上から語っていたが、井上と井上の作品の性格からいってそうなるだろうと思う。

交響詩「祇王」は、横笛奏者である赤尾三千子のために、赤尾の父親である石井眞木が作曲した作品。赤尾は龍笛、篠笛、能管の三種類の横笛を吹き、今様を唄う。
この手の作品の常として、大河ドラマの音楽を想起させるところがあったが、それなりに面白い。

で、井上道義の「メモリー・コンクリート」なのだが、予想通りというか何というか、井上がこれまで聴いてきた音楽の断片を取り入れるといった趣向の作品であった。「メモリー・コンクリート」について、以前、中瀬宏之さんと、「『これは私が子供の頃に好きだった曲で』、といった風の音楽なんじゃないか」と話したことがあるのだが、それに近いものであった(二人とも単に当てずっぽうで言ったのではなく、ショスタコーヴィチが交響曲第15番でそういったことをしているので、そこからの類推である)

演奏前に井上による解説があり、子供の頃にバレエをやっていた時に踊ったハワイアンや、やはり子供の頃に宝塚歌劇団が好きだったということで「すみれの花咲く頃」などのメロディーはそのまま出てくるということが知らされたが、それ以外にもそのまま出てきたのはショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」第1楽章より。それとわかるように出てきたのはグリーグの「ペール・ギュント」より“朝の気分”とリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」の冒頭。断片として出てきたのは「オー・ソーレ・ミオ」。童謡「故郷」の旋律に似たものも出てきたがはっきりとは確認出来ず。それ以外の旋律もどこかで聴いたもののパロディーが多い。
指揮者として忙しいことを表すために、動悸と息切れの音をオーケストラメンバーが出し、井上は指揮台の上で心臓を抑えて苦しんでみせてりもする。
曲の途中には、「指揮者のためのカデンツァ」なるものがあり、指揮者が音楽以外の何かをする場所とのこと。
そこに差し掛かったときに、井上にピンのスポットライトが当たり、他の照明は落ちる。で、井上がジャケットを脱ぐと、下にスーパーマンのTシャツを着ていることがわかる(「ツァラトゥストラはかく語りき」のパロディーもあったことだし、クラーク・ケントが変身するスーパーマンよりも、ニーチェ的な「超人」という意味に近いかも知れない)。井上はタップダンスを踊り、舞台袖から運ばれてきた花束から花を一本ずつ抜き取って京響以外のメンバーに渡し、舞台の床に隠すようにして置かれていた王冠をかぶってみたり、やはり床に隠すように置かれていた、くたびれた感じの帽子を出して物乞いの真似をしてみたりする。
それまでの3曲と違って、メロディーのはっきりした作品である。その旋律の大半が模倣だったり、オリジナリティに欠けていることもあって音楽としては今一つ。
チラシやパンフレットにはコンサートの副題として「道義の一押し」と書かれていたが、こうなるともう「道義の道義(みちよしのみちよし)」である。
この曲を3番目にやってしまったら、次に真面目な曲を演奏することは出来ないだろう。
個人的な感想を言うと、ショスタコーヴィチの交響曲第11番をそのまま入れてしまったのはまずかった。そこだけが迫真の響きで、他の部分がふやけたように聞こえてしまった。
音楽はともかくとして、やはり井上は自身が主役でありたいのだなということがわかる。井上は出来ることなら俳優にだってなりたいし、ハリウッド映画などにも出てみたいのだ。自身が主役なら指揮者でなくても、更には音楽でなくてもよいのかも知れない。

しかし、同時に、井上のインフェリオリティ・コンプレックスが浮き上がるのも見えた気がした。井上は心から音楽を愛しているわけではなく(インタビューでも本音かどうかはわからないが「指揮者には消去法でなった」と語っている)、それゆえに本気で音楽を愛している音楽家に対してコンプレックスを抱いているのではないか。コンプレックスがないのなら、カラヤンや井上の師であるチェリビダッケのように指揮だけをして堂々と「俺が主役だ」と威張っていたっていいのだ。井上が他のことまでやってしまうのは、「僕って凄いでしょ」と示すと同時に「指揮者になって間違ってなかったでしょ」という承認を聴衆に求めているような気がした。「指揮者になって間違ってなかったでしょ。音楽に何時間でものめり込めて、音楽や指揮をすることに何の疑問も持たない音楽家が出来ないことをするんだから」

もちろん井上には指揮者としての才能がある。だが、才能がある、それも多方面に渡る才能があるゆえに迷い続けている人の寂しさを見てしまったようで、複雑な気持ちになった。

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