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2019年10月11日 (金)

コンサートの記(596) 原田慶太楼指揮 京都市交響楽団 「THE MUSIC OF JOHN WILLIAMS:STAR WARS AND BEYOND」@ロームシアター京都

2019年9月29日 ロームシアター京都メインホールにて

午後3時から、ロームシアター京都メインホールで、原田慶太楼(はらだ・けいたろう)指揮京都市交響楽団による「THE MUSIC OF JOHN WILLIAMS:STAR WARS AND BEYOND」を聴く。アメリカの映画音楽の巨匠、ジョン・ウィリアムズの音楽を取り上げる演奏会。MCは、有村昆。藤岡幸夫司会の音楽番組「エンター・ザ・ミュージック」の映画音楽特集の回では毎回見かける有村昆だが、生で見るのは初めてである。

原田慶太楼は、今回が京響デビューとなる。1985年東京生まれ。幼少時よりインターナショナルスクールに通い、17歳の時に単身渡米してインターラーケン芸術高校音楽科で指揮を吹奏楽界の巨匠として知られたフレデリック・フェネルに師事。その後、複数の大学で学び、二十歳でジョージア州のメーコン交響楽団のアシスタント・コンダクターに就任。2010年にタングルウッド音楽祭で小澤征爾フェロー受賞。この時からジョン・ウィリアムズのアシスタントを務めるようになる。これまでに指揮をロバート・スパノ、マイケル・ティルソン・トーマス、オリバー・ナッセン、ヘルベルト・ブロムシュテットに師事。今年の夏までシンシナティ交響楽団と同楽団のシンシナティ・ポップス・オーケストラのアシスタントコンダクターを務め、来年からはジョージア州のサヴァンナ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽&芸術監督に就任する予定である。

 

曲目は第1部が、「オリンピック・ファンファーレとテーマ」、「ジョーズ」(The Shrak Theme from Suite from Jaws)、「スーパーマン」(Superman March)、「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」(Raiders March)、「E.T.」(Flying Theme)、「ジュラシック・パーク」(The theme from Jurassic Park)、「シンドラーのリスト」(Theme from SCHINDLER'S LIST for Violin and Orchestra)、「ハリー・ポッターと賢者の石」(Hedwig's Theme)。
第2部では、「スター・ウォーズ」全8作からジョン・ウィリアムズと原田がコンサート用にまとめた音楽全曲が披露される。音源にはなっていないため、コンサートでしか聴けないバージョンだそうである。

 

今週の京都市交響楽団のスケジュールは変則的。昨日、同じロームシアター京都メインホールで「ドラゴンクエスト」の音楽を演奏しており、2日続けての演奏会開催となる。原田とのリハーサルは数日前に行い、原田はその後、東京交響楽団のコンサートを指揮してから京都に戻り、ゲネプロを行って本番ということになるようである。

2日続けての公演ということもあってか、楽団員の顔ぶれも定期演奏会とは異なり、コンサートマスターには客演の「組長」こと石田泰尚。第2ヴァイオリン副首席の杉江洋子、ヴィオラ首席の小峰航一、オーボエ首席の髙山郁子、クラリネット首席の小谷口直子らは降り番である。映画音楽に強いエキストラも何人か参加しているようだ。第1部ではホルンの1番は首席の垣本昌芳が吹いたが、第2部では水無瀬一成に変わった。

 

今日は3階席2列目の真ん真ん中という、音響的には最も良い部類に入ると思われる席である。

開演時間となり、楽団員が登場する。定期演奏会ではないので拍手はどうするのかなと思ったが、全員が客席の方を向いて立っている。だが、拍手が起こらない。なんとも妙な光景である。コンサートマスターの石田泰尚が姿を見せてようやく拍手が起こる。
つまり、定期演奏会に来ているお客さんは今日は客席にはほとんどおらず、拍手のタイミングがわかっていないのだ。別に私一人で拍手しても良かったのだが、複数の人が拍手しないとつられて拍手が起こるということはあり得ないので無駄である。複数のスタッフが袖でサクラの拍手を行うべきだったのかも知れないが。
今日来ているのはあくまでジョン・ウィリアムズの音楽が好きな人が大半で、これを機に京都市交響楽団の定期演奏会に通うようになるという人はほとんど現れないと思われ、また普段、定期演奏会に通っている人は映画音楽には興味がないのであろう。ジャンルの分断が起こっている。

 

日本でも活躍の場を広げている原田慶太楼は、若々しく、スケールの大きな音楽作りが特徴。ただ、ジョン・ウィリアムズの音楽性もあるのだと思われるが、ずっと押しの音楽作りを続けるところがあり、「スター・ウォーズ」の音楽は聴いていてかなり疲れたのも事実である。

有村昆は、映画のエピソードなどを紹介。「E.T.」の自転車が飛ぶシーンでは、ジョン・ウィリアムズが自転車が浮き上がるシーンに合わせて指揮することがどうしても出来なかったため、まずジョン・ウィリアムズに自身が最適と思うテンポで演奏して貰い、スピルバーグの方がそれに合わせて映像を作った(撮影したのか編集したのかは不明。話の流れからいって再度撮影した可能性の方が高いが)という話や実はE.T.が乗っていた自転車は日本製であるということ(大阪にあるKUWAHARAというメーカーのもの)、同じモデルの自転車が最近再発売されたことなどを語る。当時、アメリカの子ども達にはKUWAHARA(桑原商会)のBMX用自転車が大人気であり、撮影のために日本からわざわざKUWAHARAのBMXを取り寄せたそうである。ちなみに復刻版であるが5万円以上するそうでかなり高い。

「ジュラシック・パーク」は、CGの使用によって全世界を驚愕させた作品だが、当時はまだCGの精度は高くなく、実際には7分程度しか使われなかったそうで、それ以外は案外アナログな手法が取られていたそうである。

「シンドラーのリスト」に関しては、原田が「自分の作品の中で一番良くコンプリティリー(満足している)な作品」としてジョン・ウィリアムズがこの曲を挙げていたことを語る。原田は日本にいるときからインターナショナルスクール育ちで、その後、アメリカに拠点を置いているため、日本語よりも英語の方がずっと得意のようで、日本語の発音もそうだが、日本語で上手い言葉が見つからず英語の単語を挙げることが何度かあった。
映画ではユダヤ人であるイツァーク・パールマンが濃厚で思い入れのあるヴァイオリンを奏でるのだが、今回ソロを取る石田泰尚はやはり日本人なのでサラサラしている。

「ハリー・ポッターと賢者の石」のHedwing's Themeでは原作者であるJ・K・ローリングから「子どもを思わせるような楽器を」というリクエストがあったため、ジョン・ウィリアムズはチェレスタを選んだという話が二人から紹介される。ハリー・ポッターシリーズではふくろうが重要なイメージとなっているのだが、ヴィオラを中心とする弦楽がふくろうの羽ばたきを表現していると原田は語った。

 

第2部の「スター・ウォーズ」。演奏が始まる前に、有村昆が、「この中で『スター・ウォーズ』シリーズを1作でも見たことがあるぞという方、拍手をお願いします」と言い、盛大な拍手が返ってくる。それはそうである。「スター・ウォーズ」を観たことがないのにコンサートに来ていたとしていたらその方が変だ。ただ原田が「京響の方々から拍手がない」と言い、「でも楽器を持っていたからでしょう」と自らフォローするも、有村が「ご覧になったことありますよね?」と楽団員に聞く。
有村「反応が薄い」
実は第2ヴァイオリンの三瀬由起子さんが、Twitterで「スター・ウォーズ」を知らないということを明かしており、団員に「フォースを守る話」と聞かされても「ホーシ」と聞き間違え、更に「フォースってなんですか?」という状態なので、多分そんな人も多いのだろう。

先に書いたとおり、通して聴くと疲れるのだが、音の鳴りは完璧で、ジョン・ウィリアムズの実力の高さを知ることが出来るし、各曲の個性やインパクトも強烈である。ある意味、どんなクラシック作品よりもアメリカ的な音楽であるといえるのかも知れない。グスターボ・ドゥダメル指揮ロサンゼルス・フィルハーモニックが全曲ジョン・ウィリアムズによるコンサートを行い、ドイツ・グラモフォンからライブ録音によるCDが出ているが、もうアメリカのクラシック作品と捉えてもいいのではないだろうか。ハリウッド映画の音楽、そして誰もが知っているメロディーということで、まさにアメリカの象徴的なものなのだから。

ただ、そう考える日本人は少ないわけで、だからこそ聴衆の分断が起きているのである。アメリカなどでは映画音楽による定期演奏が行われているのだが、日本では難しそうだ。日本の映画音楽も手掛けるべきなのだが、残念ながら知られている日本映画の音楽はそれほど多くはない。京都市交響楽団は、新たな戦略を募集していて、映画音楽やライトクラシックの音楽会で客層を広げようと考える人も多いと思われるのだが、今日の雰囲気だとそれは大して意味がなさそうである。映画音楽を聴く人はクラシックのコンサートには来ないし、逆もしかり。やはりYouTubeなどによる映像配信が最良の手なのかも知れない。ガリシア交響楽団という、世界的には無名なオーケストラを私はよく知っているのだが、それはなぜかといえばYouTubeチャンネルを持っていて、演奏をよく配信しているからである。「百聞は一見にしかず」というが、映像配信なら百聞と百見が共に可能なのだから、昨日行った霊光殿天満宮の額にあった通り「天下無敵・必勝利運」となるのではないか。

 

アンコールでは「スター・ウォーズ」メインテーマ完全版を原田と有村の二人で指揮する。途中で二人はライトセーバーを取り出して指揮。実は有村はライトセーバーが大好きで、TOKYOSAVERZというライトセーバーを使った殺陣ダンスユニットのプロデュースも行っているそうである。

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2019年9月30日 (月)

コンサートの記(593) 下野竜也指揮京都市交響楽団第638回定期演奏会

2019年9月22日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第638回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、京都市交響楽団常任首席客演指揮者の下野竜也。今回が、首席常任客演指揮者としては下野と京響の最後のステージとなる。

曲目は、ブルックナーの弦楽五重奏曲ヘ長調WAB112から「アダージョ」(スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ編曲)、モーツァルトのピアノ協奏曲第24番(ピアノ独奏:ヤン・リシエツキ)、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」

ヴァイオリン両翼、コントラバスがステージ最後列で横一線に並ぶ形の古典配置での演奏である。コンサートマスターに泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平といういつもの布陣。第2ヴァイオリンの客演首席には瀧村依里が入る。ヴィオラのトップには店村眞積が入り、今日は小峰航一は降り番である。ブルックナーは弦楽のための作品で、モーツァルトから入る管楽器の首席奏者はホルンの垣本昌芳とトランペットのハラルド・ナエス。トランペットはモーツァルト、ベートーヴェン共にハラルド・ナエスと稲垣路子の二人の出演であった。木管楽器の首席は全員、ベートーヴェンのみの出演である。

 

プレトークで下野竜也は、「今日は言ってみれば、普通の曲をやります」と始め、「田園」の楽曲解説に多くの時間を割く。ベートーヴェンの交響曲全9曲の中で「田園」が一番難しいというのが、下野や先輩の指揮者の共通の認識だそうである。考えてみれば「ベートーヴェン交響曲全集」は山のように出ているが、「田園」の名盤として誰もが推すものはワルターとベームぐらいしかない。ということで、下野は「ベートーヴェンの交響曲の中で『田園』が一番得意」という指揮者を信用しないことにしているそうである。高関健が、「僕、『田園』得意だよ」と下野に語ったことがあるそうだが、どうもジョークだったようだ。「運命」や「英雄」にはドラマというか出来事があるが、「田園」にそうしたものはなく、描かれているのは何気ない日常。朝起きて、食事をして、奥さんに「行ってきます」と言って家を出るような何気ない日常の幸せが描かれているそうである。下野も病気をしたことがあり、そんな時には「健康って幸せなことだなあ」と感じたそうだが、ドラマティックではない幸せを表現するのは難しいそうである。ドラマがないから45分だらだら演奏していればいいというわけにはいかない。

「田園」と「運命」とは双子の作品だということについても触れる。同じ日に同じ演奏会で初演されおり、その時は交響曲第5番「田園」で、「運命」こと第5が交響曲第6番として演奏されたのだが、共に少ない音で作曲されているという共通点がある。「運命」は、タタタターの4つの音だけで組み立てられたような作品で、下野が暇なときに数えたところ、第1楽章だけで491回「タタタター」の運命動機が出てきたそうだが、「田園」も第1楽章冒頭の主題が形を変えてコンポーズされているという話をする。
また、ラストではホルンがミュートで音を奏でるのだが、ホルンがミュートを使う時は、夜の描写に限られるそうで、「田園」に夜が来たことを表している。ただその後に「タ、ター」と2つ音がある。下野は「郭公の声かな?」と思っていたそうだが、ウィーンに留学していた問いに疑問が氷解したそうである。あれは、「Oh,God!」と言っているのだそうだ。「アーメン」や郭公の声ではなく、「オー! ゴッド!」で聴いて欲しいと下野は言う。

モーツァルトのピアノ協奏曲第24番は、モーツァルトが残したただ2曲の短調で書かれたピアノ協奏曲の1曲。ソリストのヤン・リシエツキと共演するのは今回が初めてではないようだが、優れたピアニストで一緒にやるのが楽しみだと語る。
ブルックナーの弦楽五重奏曲WAB112から「アダージョ」は、日本でも名指揮者として知られたスタニスラフ・スクロヴァチェフスキが弦楽オーケストラ用に編曲したものである。スクロヴァチェフスキは晩年に読売日本交響楽団の常任指揮者を務めており、読響の正指揮者を務めていた時代の下野の直接の上司に当たる。
下野は、「ブルックナーが嫌いな人は多いと思いますが」と切り出し、「何を描いているのかわかろうとすると難しいけれど、頭で考えるのではなく心で感じて欲しい」と述べた。

下野「『運命』などは当時は現代音楽だったわけで。『どっかおかしいんじゃないか?』と言われていた。それが次第に理解されるようになって200年ぐらいかけて定着した」ということで、今の現代音楽も毛嫌いせずに聴いてみることを勧めていた。終演後にも、「聴いて批判するのはご自由です。ただ聴かないでというのは駄目です」と念を押していた。

 

ブルックナーの弦楽五重奏曲ヘ長調WAB112より「アダージョ」。ブルックナーがウィーン音楽院の院長をしていた時代に、ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヘルメスベルガーから委嘱された弦楽四重奏曲を結果的に弦楽五重奏曲として完成させた作品の第3楽章である。
ブルックナーは、ウィーン音楽院の教師や即興演奏を得意とする当代随一のオルガニストとして評価を得ていたが、作曲家としては生前には数えるほどしか成功を勝ち得ておらず、それが原因なのかどうかはわからないが、強迫性障害などの精神疾患にも苦しんだ。そんなブルックナーが精一杯、人生と世界を肯定したような清澄で優しい旋律と音色を特徴とする。弦楽五重奏曲自体はブルックナーの中期の作品なのだが、スクロヴァチェフスキの編曲もあってか「人生の夕映え」のような雰囲気も感じられる。
下野は細部まで念入りに構築した上で、淀みない流れを生んでいくという理想的なブルックナー演奏を展開。古典配置を採用したため、音の受け渡しも把握しやすい。京響の音色は分厚くて輝かしく、ノスタルジアの表出も素晴らしい。
ちなみに、「田園」の第1楽章に似た音型が登場し、そのためにプログラミングされたのかも知れない。

 

モーツァルトのピアノ協奏曲第24番。
ソリストのヤン・リシエツキは、1995年生まれの若手ピアニスト。ポーランド人の両親の下、カナダのカルガリーに生まれ、9歳でオーケストラとの共演を果たすという神童であった。2008年と2009年に両親の祖国であるポーランド・ワルシャワの「ショパンのそのヨーロッパ国際音楽祭」に招かれ、ショパンのピアノ協奏曲第1番と第2番を演奏している。これらはライブレーコーディングが行われ、フランスのディアパゾン・ドールを受賞。201年には15歳という異例の若さでドイツ・グラモフォンとの専属契約を結んでいる。2013年にはグラモフォン・アワードでヤング・アーティスト・オブ・ザ・イヤーを獲得した。

下野と京響はHIPを援用したアプローチ。弦楽のビブラートも現代風でなくここぞという時に細やかに用い、ボウイングは大きめ。ティンパニはバロックタイプのものではないが、かなり堅めの音で強打する。推進力があり、光と陰が一瞬で入れ替わる。

ヤン・リシエツキのピアノは、仄暗い輝きを奏でる。最近の白人ピアニストに多いが、音が深めである。ちょっと前までモーツァルトのピアノ演奏といえば、「真珠を転がすような」だとか「鍵盤を嘗めるような」と形容されるような美音によるものが多かったが、傾向が変わってきたようである。まだ若いという頃もあるが、いたずらに個性を出すことのない誠実なピアノで技術も高い。
余り指摘されているのを見たことはないが、第2楽章は「フィガロの結婚」のアリア「恋とはどんなものかしら」がこだましているように聞こえる。フィガロとピアノ協奏曲第24番はほぼ同じ時期に書かれており、ピアノ協奏曲第24番の初演の1ヶ月後にフィガロ初演の幕が上がっている。

リシエツキのアンコール演奏は、J・S・バッハの「ゴルトベルク変奏曲」よりアリア。雅やかな祈りが京都コンサートホールを満たしていく。中間部で激しくなるところがあり、余り聴かれない解釈だったが、ロマンを込めようとしたのだろうか。

 

メインであるベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。自然体のスタートを見せる。弦主導の音楽作りであり、第1ヴァイオリン14型ということで迫力があるが、音の輪郭が十分に整わないため、モヤモヤとして聞こえて爽やかさには欠けるところがある。また弦の威力に管が掻き消される場面もあった。
ただ下野は最初から第5楽章に焦点を当てた解釈を行っており、4つの楽章をラストに至るまでの過程として描いている。
第2楽章の音の動きや第3楽章の土俗性などは意識的にブルックナー演奏から培ったものを援用しているようで、ソフィスティケートとは正反対の音の生命力を前面に押し出している。下野も芸風が広い。
第4楽章の嵐では、ティンパニの中山航介のティンパニの強打とコントラバスの轟々とした響きが迫力を生む。なお、トロンボーン奏者二人は、この楽章の途中で登場し、第5楽章で活躍する。
そして第5楽章。単にハイリゲンシュタットやウィーンやオーストリアやドイツ語圏に留まらない地球全体への感謝の思いが瑞々しく語られる。
最後は、プレトークで言っていた通りの「神と大いなる者への賛辞」で締めくくられた。

下野の京都市交響楽団常任首席客演指揮者としての最後のステージということで、門川大作京都市長が花束を持って現れ、下野への感謝を述べ、下野が京都市立芸術大学指揮科の教授として頑張っていることを紹介する。京都市交響楽団と京都市立芸術大学の間で協定が結ばれたそうで、今後、京都市の更なる音楽的発展が期待されているようだ。

昨日は下野は広上淳一から花束を受け取ったようだが、今日は今回のステージを最後に京響を退団する第2ヴァイオリン奏者の野呂小百合に、下野からリレーの形で手渡された。

下野は、自身が広島交響楽団の音楽総監督を務めていること。広島は平和の街で、カタカナでヒロシマと書くとまた別の意味を持つ街であること、その他に客演して回っている札幌、仙台、横浜、名古屋など全ての街に美術館や劇団があって文化が大切に育まれていることを語り、それも全て平和があるからこそで、平和のためにあるものでもあるとして、自身がオーケストラのために編曲したというプーランクの「平和のためにお祈りください」をアンコールとして演奏する。
「京都市交響楽団をこれからもよろしくお願いします」と下野は言って演奏スタート。切実な歌詞と哀感に満ちた旋律を持つ楽曲なのであるが、下野の編曲によって穏やかで安らぎを感じさせる素朴でささやかな祈りへと変わっていた。

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2019年9月 7日 (土)

コンサートの記(591) 高関健指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2019「オーケストラへようこそ!」第2回「オーケストラの楽しみ方」

2019年9月1日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2019「オーケストラへようこそ!」第2回「オーケストラの楽しみ方」を聴く。今日の指揮者は、京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。高関は常任首席客演指揮者としては最後の京響とのステージとなる。ナビゲーターはロザン。

曲目は、スッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲、モーツァルトの交響曲第40番第1楽章、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲第1楽章(ヴァイオリン独奏:松田理奈)、チャイコフスキーのバレエ組曲「眠れる森の美女」から「ワルツ」、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」

京都コンサートホールへの来場者数が600万人に達したそうで、門川市長が出席してセレモニーが行われていた。

 

今日はヴァイオリン両翼、コントラバスがステージ最後列に横一列に並ぶ形の古典配置での演奏である。コンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平といういつもの布陣。第2ヴァイオリンの首席は今日も客演の有川誠が入る。クラリネット首席のコタさんこと小谷口直子が今日は前後半とも入り、フルート首席の上野博昭は後半のみの出番である。

 

スッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲。ショーピースであり、軽く演奏されることも多いが、高関は真っ正面から取り組み、結果、重厚で力強い仕上がりとなる。京響は抜群の鳴りであり、この出来なら世界的にもかなり高い位置にランク出来るはずである。
ただ、短い作品だから持ったというところもあるようで、その後の曲では徐々に力が落ちていったようにも感じられる。

ロザンが登場。まず宇治原が「今日はオーケストラの楽しみ方を教えて下さるそうで」と言い、序曲とは何かを高関に質問する。高関は「オペレッタの前に演奏される曲で、本当はこの後、3時間ほど続く」と序曲について説明する。オペラやオペレッタの前の序曲ではなく、純粋にオーケストラ曲として序曲が書かれる場合もあるが、ややこしくなるので、そちらは高関は話題にしなかった。宇治原が、オペレッタとは何かと聞き、高関は「オペラの軽いやつ」と答える。大衆向けということでもある。ロザンは吉本所属なので、演劇と軽演劇である吉本新喜劇の関係を考えるとわかりやすいかも知れない。

 

続いてモーツァルトの交響曲第40番第1楽章。高関は菅広文に「交響曲って、お分かりになります?」と聞き、菅ちゃんはコンサートマスターの泉原隆志に「交響曲ってなんですか?」と又聞きして、泉原が「オーケストラのために書かれた作品」と答えると、「だそうです」と言って、高関に「ずるい」と言われる。
高関が、ソナタのオーケストラ版という話をすると、菅ちゃんは「『冬のソナタ』のソナタですよね」、宇治原「一番、身近なソナタがそれかい」
高関が、交響曲第40番について「ちょっと暗い」と言うと、菅ちゃんは「暗いんですか、明るい曲やって下さいよ」、高関「途中、ちょっと明るくなる」
ということで、モーツァルトの交響曲第40番第1楽章。高関の個性である、スケールをきっちり形作ってから細部を埋めていくという音楽作りが確認出来る仕上がりである。個人的には音楽を流れで作る指揮者が好きなため、「ちょっと堅い」という印象を受ける。
ファーストヴァイオリン12人という大編成での演奏であるため、モダンスタイルをベースとした演奏であるが、弦のボウイングや音の切り方はHIPを意識しており、折衷スタイルということも出来そうだ。

 

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲第1楽章の演奏の前に、高関による協奏曲の説明。高関が菅ちゃんに、「協奏曲ってどんなイメージがあります?」と聞くと、菅ちゃんは、「そうですね。いつもなにかを競い合っているような感じがします」、宇治原「その競争曲ちゃう。ってこんな滑ることある? これ台本に書いてある奴なんですけど」、菅「僕らが書いたわけじゃないんですよね」
素人が書いたボケなら、いくらロザンが言っても受けるはずはない。
そういうボケはいいとして、高関は「前で滅茶苦茶上手い人が演奏する」、宇治原「じゃあこれから出てくる方は、滅茶滅茶上手いんですね」、菅「皆さん、聞きました? 滅茶苦茶上手い人が出てくるらしいですよ」、宇治原「もう滅茶滅茶上手いんでしょうね」とこれから出てくるソリストの松田理奈に対するハードルをこれでもかと上げる。

松田理奈登場。菅ちゃんが、「滅茶苦茶上手いんですか?」と聞くとずっと笑って誤魔化していた。
ソロを演奏することについては、「アンサンブルの一人として演奏」する気持ちを大切にしているようである。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲に関しては、「バレエとかオペラとか、スケールの大きな総合芸術のための音楽を得意としていた方なので、それを協奏曲にも生かしてスケールが大きく」と語っていた。

その松田理奈によるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲第1楽章。元々超絶技巧の持ち主として注目された松田理奈。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲も十八番としているのだと思われるのだが、難曲として名高いこの作品を、余裕を持って弾きこなしてしまう。技術面に関しては相当高い水準にあるようだ。表現面でも情熱の迸りが感じられる優れた出来。スタイルとしては第3楽章が一番合っていると予想されるが、残念ながら今日は第1楽章のみの演奏である。

 

後半。チャイコフスキーのバレエ組曲「眠れる森の美女」から「ワルツ」。以前にBS「プレミアムシアター」オープニング曲に採用されていたことでも知られている曲である。雄大でうねりを感じさせる演奏で、チャイコフスキーに似つかわしい、華やかで凜とした響きを高関は京響から引き出す。

 

リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」。まず高関が交響詩について説明。「音楽を使って色々描いたりするんですが、物語をやろうと」「リヒャルト・シュトラウスは何でも書けちゃうぞって人だった」、宇治原「物語を音楽で描くのが得意だったと」、高関「この『ティル・オイレンシュビーゲルの愉快ないたずら』は、昔話を音楽で描いています」
ということで、高関は、場面の内容を語ってから、部分部分を短く演奏してみせる。菅ちゃんは、「やるぞって言ってすぐに出来ちゃうものなんですね」と感心し、演奏が終わるごとに「ぽいですね」と言って、宇治原に突っ込まれる。ティル・オイレンシュピーゲルは、最後は絞首刑に処されるのだが、「首がキューと絞まって、意識がピヨピヨピヨとなります」ということで、高関は実際に演奏してみせる。
菅ちゃんは、「こんなの(子ども達の前で)演奏しちゃっていいんですかね?」と語る。ちなみに、昔話の定番で、「う○ちをする場面があります」と高関は言うが、菅ちゃんは、「う○ちはいいですよね。子ども達、大好きですから」
ということで、様々な場面が紹介されてから、通しての演奏が行われる。
高関とリヒャルト・シュトラウスは相性が良く、京響の光を放つような響きも相まって、上質のリヒャルト・シュトラウス演奏が展開される。ただ、私個人は 、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」はそれほど好きではない。

 

アンコールでは、ヨハン・シュトラウスのⅡ世のポルカ「雷鳴と電光」が演奏された。

 

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2019年9月 3日 (火)

コンサートの記(589) ペーター・ダイクストラ指揮 京都市交響楽団第637回定期演奏会 ハイドン 「天地創造」

2019年8月25日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第637回定期演奏会を聴く。指揮はオランダ出身のペーター・ダイクストラ。第九が聴きたくなるような名前の指揮者だが、演目はハイドンのオラトリオ「天地創造」全曲である。8月には定期演奏会を行わないオーケストラが多い中で、京響は奮闘中。毎年8月は合唱付きの宗教音楽を上演するのが恒例となっている。独唱は、盛田真央(ソプラノ)、櫻田亮(さくらだ・まこと。テノール)、青山貴(あおやま・たかし。バス)。合唱は京響コーラスが務める。

ハイドンのオラトリオ「天地創造」は3部からなる作品であり、今日は第1部と第2部の間に休憩が入る。

ペーター・ダイクストラは、1978年生まれ。ハーグ王立音楽院とケルン音楽大学、ストックホルム音楽大学で指揮と声楽を学んだ後、合唱指揮をエリック・エリクソンやトヌ・カリュステらに師事。2003年にエリック・エリクソン・コンクールで優勝している。
合唱指揮者としては、バイエルン放送合唱団の芸術監督を2005年から11年間務め、2007年から2017年まではスウェーデン放送合唱団の音楽監督も兼任している。2015年からは祖国のオランダ室内合唱団の首席指揮者の座にある。
オーケストラの指揮者としては、バイエルン放送交響楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団、スウェーデン放送交響楽団、ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団などと共演。日本では、東京都交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団の指揮台に立った経験がある。

 

今日の京都市交響楽団のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。
第2ヴァイオリンの客演首席は今日は有川誠。チェロの首席には客演のルドヴィート・カンタが入る。指揮者と向かい合う形に置かれたフォルテピアノは西聡美が弾く。クラリネット首席の小谷口直子は降り番(この人は忙しいので、基本、夏のシーズンはいない)、トランペット首席のハラルド・ナエスもいないが、他の管楽器は首席が並ぶ。
ドイツ式の現代配置だが、バロックティンパニを採用した演奏である。

ダイクストラが古楽演奏の本場であるオランダ出身ということもあり、弦はビブラートを極限まで抑えたピリオドアプローチでの演奏である。これによって弦の透明度が増し、第1部第7曲の小川の流れの描写などは胸がすくような清流として聴き手の耳に届く。レナード・バーンスタイン指揮バイエルン放送交響楽団のような超人的スケールの「天地創造」もいいが、今日のようなすっきりとして生命感溢れるという演奏も理想的であるように思う。

ダイクストラはかなりの長身ということもあり、先に「指揮台に立」つと書いたが、実際は指揮台不要でステージにそのまま立って指揮する。指揮台を使うと逆に演奏しにくくなってしまうだろ。拍を刻む明確な指揮をする人で、合唱の部分では一緒に歌って口の形でも指揮する。第1ヴァイオリンの奏者達は、いつも以上に楽しそうな表情を浮かべて演奏していた。

全般を通して分離のくっきりした演奏となっており、楽曲の把握がかなりしやすい。京響コーラスと3人の独唱者も充実した歌唱を聴かせる。アルトが必要(全てのパートが賛歌する必要があるため)なラストは、京響コーラスのメンバーがステージ前方に移動して独唱を担った。
なお、第1部と第2部では指揮のダイクストラを挟んで上手に櫻田亮と青山貴という男性2人、下手に盛田真央という布陣だったが、第3部では盛田と櫻田が席を入れ替えての歌唱となった。

京響のメカニックは強靱であり、合唱は発音がドイツ語圏の人にどう捉えられるのかはわからないが(私はドイツ語を勉強したことがないので判定不可能)、全体としては世界レベルでも十分に通用する出来だと思われる。

 

見通しの良い音楽を作ったダイクストラ。駄洒落でなく本当に第九の指揮に来て欲しくなる。

 

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2019年8月25日 (日)

コンサートの記(587) 下野竜也指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2015~こどものためのオーケストラ入門~「オーケストラ大発見!」第2回「魔法のメロディー」

2015年9月27日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2015 ~こどものためのオーケストラ入門~ 『オーケストラ大発見!』第2回「魔法のメロディー」を聴く。指揮は京都市交響楽団常任客演指揮者の下野竜也。ナビゲーターはガレッジセールの二人。

オーケストラ・ディスカバリーは「~こどものためのオーケストラ入門~」と銘打っている通り、子供でも楽しめるコンサート。ただし、選曲は子供向けとは限らない。今年の第1回目は宮川彬を指揮者に迎えてディズニー作品などの子供向けの演奏会を行ったが、今日のプログラムはどちらかというと通向けである。

曲目は、オッフェンバック(オッフェンバッハ)の喜歌劇「天国と地獄」より“カンカン”、シューベルトの交響曲第7番(第8番)「未完成」より第2楽章、J・S・バッハの「小フーガト短調」(ストコフスキー編曲)、ドヴォルザークのチェロ協奏曲より第1楽章(チェロ独奏:山本裕康)、伴奏クイズ、ラヴェルの「ボレロ」
今日のコンサートマスターは泉原隆志。渡邊穣と尾﨑平は降り番である。クラリネット首席奏者の小谷口直子、フルート首席の清水信貴、オーボエ首席の高山郁子は今日は全編に出演。トランペット首席のハラルド・ナエスは後半のみの出演であった。

今日は1階席中央後方での鑑賞。管楽器のソロがやや細く聞こえるが、マスとしての響きは悪くない。響きがステージ上から客席後方に向かっていく様も確認しやすい。

今日は開演前ロビーコンサートがあり、小峰航一(京響首席ヴィオラ奏者)、多井千洋(たい・ちひろ。京響ヴィオラ奏者)、ドナルド・リッチャー(京響チェロ奏者)、高山郁子(首席オーボエ奏者)、松村衣里(京響ハープ奏者)の5人により、ロスラヴェッツの「ノクターン」が演奏された。幻想的な作風の曲である。
開演前の室内楽演奏というと、NHK交響楽団が行っていることが知られるが(NHKホールの広大な南側ホワイエが会場となる)、N響の場合、降り番の奏者が室内楽演奏を担当することが多いのに対し、京響の室内楽演奏者はこの後の本番にも出演する(N響ほど楽団員が多くないということもある)。ただ、出番が増えるとどうしてもミスは多くなりがちで、名手のはずの高山郁子が今日は珍しく、バッハとドヴォルザークで割れるような音を出していた。

まずは、オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」より“カンカン”。軽快な演奏であったが、途中で京響が主題を抜いた演奏を始める。下野のは客席を振り返って「変でしょ?」というポーズを見せる。結局、主題を奏でる管楽器奏者は最後まで演奏せずに終わった。
ガレッジセールの二人が登場し、ゴリが「今、途中からサボった人達がいましたが給料に不満でもあるんでしょうか?」と聞く。下野は「全員、給料に不満はあると思います」などと言うが、「今日のテーマは『魔法のメロディー』ということで、メロディーを抜いて伴奏だけ演奏してみました」と続ける。ゴリがカラオケを例えに出して「歌抜きの」と言うと下野は「カラオケのオケ(よくわからない表現だが)になります」と答える。ゴリが「それ聞いてなかったら、オーケストラと指揮者が揉めてるのかと思ってしまう」と続けると、下野は「それはしょっちゅうです」と返して笑いを取る。

次の曲はシューベルトの交響曲第7番(新番号。旧番号では8番)「未完成」第2楽章であるが、下野は中間部のクラリネットソロがある部分をまず取り上げる(クラリネットは小谷口直子)。まず練習番号64から普通に演奏を始め、下野は「悲しい。学校が終わってプリンを食べようと楽しみにして帰ってきたらプリンを親に先に食べられていたような」という子供に合わせた例を挙げる。今度は同じ部分を弦楽の伴奏を全てピッチ―カートにして演奏。ゴリと川田は、「全然違う」「嬉しいのか悲しいのかわからない」と言ったが、下野が「あのプリン、腐っていたのでしめしめ」と変な例を挙げたため、ゴリが「それおかしでしょ」と突っ込む。下野は「指揮者なので」と言うが、ゴリは「指揮者なのでって言い訳になってない」と更に突っ込む。下野は「指揮者というのは大抵変な人なので、うちの常任(広上淳一)も変な人です」(私:それは知っています)と答えていた。ゴリは更に下野の学生服風の衣装について「ずっと留年してる高校生みたい」と突っ込み、下野は「高校35年生です」とボケる。
シューベルトの交響曲第7番「未完成」より第2楽章。やや小さく纏まっているきらいはあるが美しい演奏であった。演奏終了後、ガレッジセールの二人は曲調が次々に変わることに触れ、シューベルトの様々な面を知ることが出来るようだと語る。
シューベルトの「未完成」交響曲は確かに傑作だが、第2楽章だけ取り出してみると、歌が多すぎ、構成もくどいところがあり冗長に感じられる。傑作と感じられるのは第1楽章との対比があるからであろう。ちなみに無料パンフレットに演奏時間5分と書かれているが、15分の間違いである。

下野が「今度は伴奏のない曲をやろうと思います」ということで、J・S・バッハの「小フーガト短調」をレオポルド・ストコフスキーが編曲したものを演奏する。元々はオルガンのための曲であるが、指揮者で名アレンジャーでもあったストコフスキーがオーケストレーションを行っている。ストコフスキーはイギリス人であるが、アメリカのフィラデルフィア管弦楽団の指揮者として長く活躍したため編曲はアメリカ人好みのゴージャスなものになっている。日本人が聴くとラスト付近などは「うるさすぎてバッハじゃない」と思うような彩り豊かな編曲だ。まずオーボエソロから入るのだが、先程の書いたようにオーボエの高山郁子は1音だけ音を外した。

ドヴォルザークのチェロ協奏曲第1楽章。チェロ独奏を務めるのは京都市交響楽団の特別客員首席奏者の山本裕康。東京都交響楽団の首席チェロ奏者、広島交響楽団の客演ソロ奏者を経て、1997年からは神奈川フィルハーモニー管弦楽団の首席チェロ奏者を務めている。2014年に神奈川フィルと兼任で京都市交響楽団特別客員首席奏者に就任している。ちなみに2014年に神奈川フィルの常任指揮者に就任した川瀬賢太郎は広上淳一の弟子なので、その縁で兼任となった可能性が高い。
演奏前に下野は客席に向かって、「大作曲家、例えばモーツァルトやベートーヴェンなどはかなり変わった人であることが知られています。モーツァルトは子供の頃やんちゃでしたし、ベートーヴェンは怒りっぽくてすぐ喧嘩になる。ベートーヴェンは朝に飲むコーヒーの豆を必ず60粒と決めて挽いて飲んでいました。しかし、ドヴォルザークの伝記にはそうしたエピソードがないんです(子供の頃に勉強嫌いで、実家の肉屋を継ぐはずが当時のチェコで肉屋になるには必須だったドイツ語が苦手だったために得意とする音楽方面に行ったことや、大の鉄道好きで、音楽院で教師をしていたときに、列車が時間取りに駅に着くのかが気になり、弟子に確認に行かせていたという変人エピソードはある)。音楽史上最も性格の良かった作曲家だと思っていて大好きです」というような解説を行った。「自作のチェロ協奏曲を聴きながら『なんて良い曲だろう』と涙を流した」という話も勿論加えていたが。
山本のチェロ独奏はやや線が細いが、音程はしっかりしている。京響の伴奏も充実したものであった。

休憩を挟んで後半。
まずゴリが指揮棒を片手に現れ(ゴリは左利きなので左手に指揮棒を持っている)、指揮台に上がって指揮を始める。曲はオッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」より“カンカン”。右手で意味のないところを指したりするが一応整った演奏にはなった。ゴリは拍手を受けて得意そうにするが、相方の川田が「いやいや、京響の方々が合わせてくれたんだから」と突っ込む。ゴリは「指示だそうとすると京響の方々が苦笑いするんです」と述べる。

後半は、伴奏クイズで始まる。有名曲の主旋律を抜いて演奏し、その曲がなんというものかをお客さんが当てる。ちなみに下野は指揮を教えているが、部分だけを演奏して学生が曲を当てられないとどつきまわすそうである(本当かどうかは知らない)。
子供向けのコンサートなので、当てるのは当然、子供の役目である。最初の曲はわかりやすく、多くの子供が手を挙げ、「喜びの歌」(ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」第4楽章)と正解を出す。
次の曲も弦楽による伴奏が先に出ることからわかりやすく、「白鳥の湖」(より情景1)と正解が出る。
第3曲は、旋律も対旋律もなしの、内声部なしのもの。なかなか正解が出ないが、「モルダウ」と正解が出る。合唱をやっている高校生のようで、「モルダウ」は合唱曲の定番でもあるため、和音進行でわかったようだ。
最後となる4曲目であるが、そもそも旋律に聞き覚えがない。「ドヴォルザークの交響曲第5番」という人がいて不正解になるが、正解はドヴォルザークの交響曲第4番第1楽章であり、聴いたことはあっても覚えている人はまずいない(覚えたくなるような曲でもない)マニアックな楽曲であった。京響の団員でもこの曲を知っている人はいないそうである(プロのクラシック演奏家よりもクラシック音楽好きの人の方が楽曲知識に関しては広いのが普通であるが)。ドヴォルザークの交響曲第5番と言った人がいたことで、下野は「流石だな」と思ったそうである。ちなみに賞品は、下野が自身の指揮棒に「おざわせいじ」と平仮名でサインしたもので、発表した途端にガレッジセールの二人から「それ駄目ですよ」と突っ込まれていた。下野はドヴォルザークの交響曲第5番と言った人に「小澤征爾先生に見つかると、どつかれるので気をつけて下さい」と注意する(?)

ラストはラヴェルの「ボレロ」。アルトサックスとテナーサックスが加わるのだが、二人とも客演奏者である。チェレスタにはお馴染みの佐竹祐介が加わる。
下野はビートを余り刻まずに指揮していたが、トランペットが加わる直前にアッチェレランドし、盛り上げる工夫をしていた。やや不自然なので私は上手く乗ることが出来なかったが。
ソロパート担当者が立ち上がった拍手を受け、最後に「ボレロ」では最も大変なパートとされるスネアドラムを叩いた福山直子に盛大な拍手が送られる。

アンコール。今度は、ドヴォルザークのチェロ協奏曲でソリストを務めた山本裕康が指揮棒を片手に登場。三度、オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」より“カンカン”が演奏される。山本の指揮であるが、かなりいい加減。普通なら指揮棒を振り下ろすところで逆に振り上げたりしたいる。完全にオーケストラ任せである。下野とガレッジセールの二人はポンポンを手にして登場し、下野はヴィオラ首席奏者の小峰航一にもポンポンを渡し、一緒に脚を上げて踊っていた。

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2019年8月 2日 (金)

コンサートの記(581) ジョン・アクセルロッド指揮 京都市交響楽団第592回定期演奏会

2015年7月19日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都市交響楽団の第592回演奏会を聴く。今日の指揮者はアメリカ出身のジョン・アクセルロッド。

アクセルロッドと京響の共演は3回目。実は最初の客演の時はアクセルロッドが京都に来られないということでキャンセルになり、その約半年後にアクセルロッドが来日して、当初予定されていた定期演奏会と同じ演目で演奏会が行われ、好評を得た。外国人指揮者で京響の指揮台に頻繁に立つ人は稀であり、アクセルロッドが京響のメンバーから支持されていることがわかる。


今日は、「海」をテーマにしたプログラム。ブリテンの歌劇「ピーター・グライムズ」より「4つの海の間奏曲」、ドビュッシーの交響詩「海」、リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」が演奏される。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。今日は3曲ともコンサートマスターによるヴァイオリン独奏があり、泉原は大活躍する。フォアシュピーラーは渡邊穣。オーボエ首席奏者の高山郁子は前後半共に出演。フルート首席の清水信貴、クラリネット首席の小谷口直子は今日も後半のみの出演である。トランペット首席のハラルド・ナエスはドビュッシーの「海」からの出演となったが、「海」ではトランペットではなくコルネットを稲垣路子と共に吹いた。前半のトランペット首席の位置には早坂宏明が座る。後半はハラルド・ナエスが首席の位置に着座して演奏した(早坂は後半は出演せず)。

午後2時10分頃からアクセルロッドによるプレトーク(通訳:尾池博子)がある。アクセルロッドは「今月は特別な月です。祇園祭があり、海の日があり、また台風によるお出迎えがありました」と言って笑いを取る。今日取り上げる3曲にはいずれも嵐の海の描写が登場する。
アクセルロッドは、ブリテンの「4つの海の間奏曲」についてはベートーヴェンの楽曲との類似性を語り、ドビュッシーの「海」については「新しいハーモニーの誕生」と評価し、リムスキー=コルサコフ「の「シェエラザード」についてはハッピーエンドで終わる内容に言及する。ブリテンの「4つの海の間奏曲」は嵐を描いた4つめの間奏曲の後で主人公のピーター・グライムズが死んでしまうため5つ目の曲は登場しないと語り、「シェエラザード」との違いを明確にする。

今日はアクセルロッドは全曲ノンタクトで指揮。譜面台に総譜を置いてめくりながら指揮するが、譜面はたまに確認するだけであり、ほとんどは頭に入っているようである。
指揮姿は拍を刻んだり、手で空中に円を描いたりと多彩。たまにダンスのように体を激しくくねらせ、彼がレナード・バーンスタインの弟子であることを再確認させる。

ブリテンの歌劇「ピーター・グライムズ」から「4つの海の間奏曲」。イギリスが生んだ初の天才作家といわれるベンジャミン・ブリテンの音楽は詩情とマジカルな響きに満ちている。神秘的な音楽であるが、京響はそうした音楽を再現するのに相応しい輝きのある音を奏でる。
アクセルロッドと京響によって生み出される演奏はスケールが大きく、音の潮の中に聴衆を巻き込んでいく。

ドビュッシーの交響詩「海」。フランス語圏のオーケストラで聴くとエスプリに満ちた音が耳を楽しませてくれるが、京響は音に潤いはあるものの、グラデーションに関してはそう多彩ではない。
京響のメカニックは高く、トランペットがちょっと躓くミスがあったが、それも気が付かない人は気が付かない程度であり、質の高い演奏が繰り広げられる。

リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」。この曲は京響常任指揮者の広上淳一が得意としており、彼の常任指揮者就任記念演奏会で演奏され、その数年後に京響の大阪公演でも「シェエラザード」は取り上げられている。
広上指揮の「シェエラザード」はスケール豊かで優雅さと迫力を兼ね備えたものであったが、アクセルロッドの指揮する「シェエラザード」はより切迫感がありダイナミック。たまに音の流れが悪いところが散見されるが、全体としては優れた演奏となる。泉原のヴァイオリンソロはスケールよりも美しさを優先させたものであり、手弱女的なシェエラザードであった。
金管は輝かしく、木管には品がある。弦楽の響きも充実。打楽器奏者達が生む音にも迫力がある。

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2019年7月21日 (日)

コンサートの記(576) 沼尻竜典指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2014(年度)「VIVA!オーケストラ」第4回「オーケストラと指揮者」

2015年2月8日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2014(年度)~こどものためのオーケストラ入門~『VIVA!オーケストラ』第4回「オーケストラと指揮者」を聴く。「こどものためのオーケストラ入門」とあるが、曲目は大人向けである。親子で楽しめるコンサートであるが、子供が楽しむには曲目が難しすぎるかも知れない。

今日の指揮者は沼尻竜典。ナビゲーターはロザンの二人である。

曲目は、ビゼーの「カルメン」組曲第1番、「カルメン」前奏曲の子供による指揮者体験、サン=サーンスの序奏とロンド・カプリチオーソ(ヴァイオリン独奏:黒川侑)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」


今日のコンサートマスターは泉原隆志。渡邊穣は降り番で、フォアシュピーラーは尾﨑平。首席オーボエ奏者は前半後半共に高山郁子が務めるが、首席フルートの清水信貴と首席クラリネットの小谷口直子は、後半のストラヴィンスキーのみの参加である。

天井から舞台の上にスクリーンが降りている。今日は「オーケストラと指揮者」というタイトルなので、指揮者の姿を正面から捉えた映像をスクリーンに映し出して、指揮者が何をしているのか見えるようにするという趣向である。指揮者と対面するP席では居ながらにして指揮者が正面に見えるのでスクリーンを見る必要はない。ただ、スクリーンを降ろした関係上、P席の座席数は通常より少なくなっている。

ビゼーの「カルメン」組曲第1番。第1曲である前奏曲(2つ目の前奏曲である)~アラゴネーズでは、弦は美しい音を出したものの、トランペットなどは能天気な音を出しており、沼尻の音楽の浅さか露わになってしまっていた。
間奏曲では、フルートの息継ぎの仕方が今一つ。前半もフルートが清水信貴であったら、こうはならなかったと思うが。
演奏終了後にロザンの二人が現れ、菅広文が「沼尻さんは楽器を何かされるんですか?」と聞き、沼尻が「ピアノを」と答えると、「沼尻さんが楽器出来ない思ってたんか?」と宇治原史規に突っ込まれる。菅は「指揮者の出演料って高いんですか?」と沼尻に聞く。沼尻は「そんなに高くないです。(コンサートマスターの泉原を指さして)あの人は高いと思います」と言う。ということで菅は泉原に「お給料高いんですか?」と聞き、泉原が首を横に振ると、更に「いくらぐらい?」と聞く。泉原は手を振って「ダメダメ」とやっていた。菅は「横にいる人(尾﨑平)より多く貰っているわけですね」と続ける。
ちなみにロザンは収入は折半制度としているそうで、宇治原のクイズ番組出演料も折半、菅の著書の印税も折半しているという。宇治原がクイズ番組に出演している時は、菅はテレビの前で本気で応援しているそうだ。


続いて、子供による指揮者体験コーナー。手を挙げた9歳の女の子と5歳の男の子が選ばれる。指揮するのは「カルメン」前奏曲(第1の前奏曲)である。沼尻が指揮の仕方を教え、まず9歳女の子がやってみる。4分の2拍子で棒を振ること自体は簡単である。女の子は普通の速さで振ったが、幼児であり背が小さいため、後ろの方の奏者は指揮棒が見えにくいようであった。女の子は合唱をやっているため、指揮者の姿は見慣れているそうだ。

5歳の男の子の指揮。普通の速さで入るが、途中で大幅に減速し、最後で急激に速度を上げる。京響の奏者達はただでさえ指揮棒が見えにくいのに速度までぶれるので大変そうであった。
菅が男の子に「将来何になりたいの?」と聞くと男の子は「お相撲さん」と答える。菅は「場所の間に指揮の仕事も出来ますね」と言い、沼尻も「(力士を)引退してからやってもいいです」と話してた。


サン=サーンスの序奏とロンド・カプリチオーソ演奏のために、弦楽奏者らが退場するが、菅は「皆さん、いなくなりましたけど、これはリストラですか?」とボケる(基本的に面白いことは菅しかいわない)。

ヴァイオリン独奏の黒川侑が現れると、菅は「おぼこいですね」と言う。菅が年齢を聞くと、黒川は「25歳です」と答える。ロザンの二人は「あー、やっぱり若いんだ」と納得する(?)。

黒川のヴァイオリンは音色が美しい。スケールがやや小さく、情熱も不足気味なので、それが今後の課題となるだろう。


ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。演奏前のトークで、沼尻が「春の祭典」の初演時、聴衆の中にこの曲を音楽と認めない人がおり、怒号も飛び交ったという有名なスキャンダルを紹介する。沼尻は、ステージ上手奥に設置された電子ピアノを弾いて、通常の音楽の場合は旋律と和音があるが、「春の祭典」の場合、メロディーが奏でられる楽器をリズム楽器のように使っており、それが反発を招いたのではないかと推測する(なお、一大スキャンダルとなったのはディアギレフのバレエ団による上演であり、その直後に行われたコンサートでの「春の祭典」初演は成功しているため、バレエ初演の失敗が音楽ではなくバーバリズムを題材にした内容や振付にあったのではないかという説もある。一方で、バレエ公演の指揮者を務めたピエール・モントゥーは、事前にストラヴィンスキーと会って、「春の祭典」をピアノで弾いて貰ったが、「一音符も理解出来なかった」と述懐しており、先程曲が演奏されたサン=サーンスは「ファゴットの扱い方を知らない奴が現れた」と日記に怒りをぶちまけており、音楽が理解不能と感じた人も少なくなかったことが察せられる)。

演奏であるが、一定のステールできちんとまとめるといういかにも沼尻らしいものであった。沼尻の演奏は外れは少ないのだが大当たりすることも稀なように感じる。指揮は分かり易いのだが、整えることが目標になっているような気もしてしまう。

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2019年7月15日 (月)

コンサートの記(573) 広上淳一指揮京都市交響楽団大阪特別公演2019

2019年7月7日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで京都市交響楽団大阪特別公演を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

曲目は、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」、ヴェルディの歌劇「運命の力」序曲、ヴェルディの歌劇「仮面舞踏会」序曲、レスピーギの交響詩「ローマの松」という重量級プログラムである。

コンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーは尾﨑平。今日はヴィオラ首席に店村眞積が入る。第2ヴァイオリンの首席は客演の山崎千晶。首席フルート奏者の上野博昭は「英雄」のみの出演である。

 

ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。広上はベートーヴェンを得意としているが、「英雄」を京響で取り上げる機会はこれまでほとんどなかったはずである。
広上の指揮なので最初から飛ばすかと思われたが、最初の二つの和音からして穏やかであり、勢いでなく優美さを優先させるという意外な「英雄」となる。
バロックティンパニを使用しており、思い切った強打が見られるが、それ以外に特段ピリオド的な要素はなし。ただ、リズムの刻み方が独特であり、モダンスタイルともまた異なる個性的な「英雄」である。考えてみれば、モダンオーケストラによるピリオド奏法が本格的に取り入れられてからすで20年以上が経過しており、異なった傾向の演奏が現れたとしても不思議ではない。
第2楽章の葬送行進曲も燃焼度は高いがフォルムの美しさは保たれており、アポロ的な芸術が指向されているようである。
広上は肩を上下させるなど、今日もユニークな指揮姿である。

 

ヴェルディの歌劇「運命の力」序曲ではドラマティックに盛り上げ、歌劇「仮面舞踏会」序曲ではこぼれるような抒情美が目立つ。

 

レスピーギの交響詩「ローマの松」。オルガンの桑山彩子、ピアノの佐竹裕介、チェレスタの塩見亮が加わっての演奏である。
ボルゲーゼ荘の松から、はち切れんばかりの勢いと匂うようなエレガンスが同居しているという独自の演奏となる。
カタコンブ付近の松のほの暗さの描き方と袖から聞こえるハラルド・ナエスのトランペットソロも優れている。ジャニコロの松では、小谷口直子のクラリネットソロが雅趣満点である。
パイプオルガンの両サイドに金管のバンダを配したアッピア街道の松も迫力十分であるが、ザ・シンフォニーホールの空間が小さめであるため、スケールがややオーバー気味でもある。とはいえ、かなり優れた部類に入る「ローマの松」であることは間違いないだろう。浮遊感など、レスピーギが印象派から受けた影響を感じ取れるところも素晴らしい。

 

アンコール演奏は、レスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」第3集からイタリアーナ。今日のスタイルの締めくくりに相応しい典雅な演奏であった。

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2019年7月 9日 (火)

楽興の時(30) 「Kyo×Kyo Today vol.5」

2015年1月30日 京都芸術センター講堂にて

午後7時から、京都芸術センター講堂で、「Kyo×Kyo Today vol.5」を聴く。京都芸術センターで京都市交響楽団のメンバーが室内楽を演奏するという企画。毎年1回、冬の時期に行われていて、今年が5年目で5回目の演奏会になるが、1回から4回まではこうした催しがあることすら知らなかった。昨年、やはり京都芸術センター講堂で、30回有効のパスポートを観たとき、開場前に京都芸術センターのチケット売り場で「Kyo×Kyo Today」のことを知ったのである。

ちなみに京都芸術センターは旧・明倫小学校の校舎を利用しているが、講堂と体育館が別であったことがわかる。講堂は2階にあるが体育館は1階にあり、今はフリースペースとして使われている。体育館が講堂も兼ねているのが普通なので(私が卒業した小学校も、様々な催しが行われる木屋町通沿いの元・立誠小学校もそうである)、旧・明倫小はかなり珍しいケースである。

今日の出演者は、長谷川真弓(ヴァイオリン)、山本美帆(ヴァイオリン)、金本洋子(かなもと・ようこ。ヴィオラ)、木野村望(きのむら・のぞみ。ヴィオラ)、ドナルド・リッチャー(チェロ)、垣本昌芳(ホルン)、小谷口直子(クラリネット)。

オール・モーツァルト・プログラムで、弦楽五重奏第6番、ホルン五重奏曲、クラリネット五重奏曲「シュタードラー」。5回目の公演ということに掛けて全て5重奏の曲が選ばれている。

なお、京都市交響楽団は現在、小学生を対象とした音楽鑑賞教室を京都コンサートホールで行っており(指揮は京都市交響楽団の首席常任客演指揮者の高関健)、今日は午前10時20分からの公演と午後2時からの公演があり、更に夜もこの公演があるということで、弦楽奏者達は今日は一日中弾きっぱなしということになるそうだ。

まず、第1ヴァイオリンを務める長谷川真弓によるマイクを使った挨拶がある。いかにも良家のお嬢さんという感じの声と話し方である(弦楽奏者は楽器が高い上に小さな頃からのレッスン料金もバカにならないので、ほぼ100%、親が金持ちだといわれている。一方、管楽器は中学校の吹奏楽部で初めて楽器に触り、というケースが多く、楽器は学校持ちでレッスンは先輩達が教えてくれるため、必ずしも良家出身とは限らないそうだ。以上は、NHK交響楽団の首席オーボエ奏者である茂木大輔のエッセイによる。茂木によると、N響の場合でも弦楽器奏者と管楽器奏者とでは雰囲気が違うそうである)。

弦楽五重奏曲第6番。第1ヴァイオリン:長谷川真弓、第2ヴァイオリン:山本美帆、第1ヴィオラ:金本洋子、第2ヴィオラ:木野村望、チェロ:ドナルド・リッチャー。
リッチャーが中央に陣取り、下手に長谷川と山本のヴァイオリン奏者、上手に木野村、金本のヴィオラ奏者が並ぶ。
元々小学校の講堂ということで残響はないが、シャンデリアの下がるお洒落な内装の講堂の雰囲気はモーツァルトの音楽に合っている。音の通りも申し分ない。ただ、両サイドは磨りガラスであるため、オーケストラの演奏は無理そうだ。
1956年の創設直後に「モーツァルトの京響」という評判を取った京都市交響楽団。創設当時のメンバーは当然ながらもういないが、モーツァルト演奏時に重要となる緻密なアンサンブルは今も生きている。

 

ホルン五重奏曲。ヴィオラの金本洋子が降り、代わりにホルンの垣本昌芳が加わる編成。舞台下手から、時計回りに、長谷川、山本、リッチャー、木野村、垣本という布陣。
モーツァルトの時代のホルンは、唇と管の中に突っ込んだ手のみによって音程を変える、今ではナチュラルホルンと呼ばれるものだったため超絶技巧が必要とされたが、現代のホルンはピストンが付いているため、ナチュラルホルンよりは演奏がしやすい。このホルン五重奏曲も、ホルン協奏曲4曲を献呈されたホルン奏者、ロイトゲープのための作曲されたとされる。モーツァルトはイタズラ好きであったため、わざとナチュラルホルンでは演奏の困難なメロディーを書いたりしているが、垣本の技術に遺漏はなく、優れた室内楽演奏となる。

 

クラリネット五重奏曲「シュタードラー」。今日演奏される曲の中で一番有名な曲である。喫茶店などのBGMとしてもよく用いられる曲であるため、聴くと「ああ、知ってる」となる人も多いと思われる。

演奏前にクラリネット奏者の小谷口直子がマイクを持って挨拶をする。クラリネットは楽器の歴史の中では比較的若い楽器であり、モーツァルトの晩年になってようやく普及したため、モーツァルトが書いたクラリネットのための曲も多くはないのだが、クラリネット協奏曲と、今日演奏するクラリネット五重奏曲を書いてくれたお陰でクラリネット奏者は至福の時を味わうことが出来ると小谷口は語る。小谷口は2010年より文化庁派遣芸術家在外研修員としてウィーン国立音楽大学に留学したが、「ウィーンは京都によく似たところがある」という。ウィーン市民の排他的なところと京都人の排他性は似ているが、小谷口はそれには触れず(触れたら怒る人もいるだろうし)、芸術と街が一体になった雰囲気や、京都なら御所、ウィーンなら宮殿を中心として発展しているところ、カフェ文化が街に根付いていることなどを挙げる。モーツァルトの音楽というと小谷口はウィーンのメランジュという泡立てコーヒーの味を思い出すそうだ。モーツァルトの曲調を例えるのに「夢のように」という言葉を使いたいという小谷口だが、ウィーンには「悪夢のように甘すぎるケーキ」や「悪夢のように不味い飯」などもあったそうである。「最近はクラリネットを吹くよりも喋る方が得意になった」と言って、客席を笑わせる。

弦楽のメンバーはホルン五重奏曲の時と一緒。垣本と小谷口が入れ替わるが、小谷口は中央に正面を向いて座り、舞台上手に木野村、リッチャーが陣取る。

小谷口のクラリネットは伸びやかで、典雅さにも欠けていない。弦楽奏者4人も緻密なアンサンブルで聴かせ、はんなりとした演奏となる。

アンコールとしてクラリネット五重奏曲の第4楽章よりアレグロの部分が再度演奏された。

客席であるが、オール・モーツァルト・プログラムということもあってか、若い女性も多い。京都堀川音楽高校の生徒だろうか、制服を着た女子高生達もいる。一方で、男性の方は白髪頭の人が目立つ。あるいはクラシックの聴衆の世代交代は女性よりも男性の方が上手くいっていないのかも知れない。

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2019年6月25日 (火)

コンサートの記(566) 下野竜也指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2019「オーケストラへようこそ!」第1回「オーケストラってなあに?」

2019年6月16日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2019 「オーケストラへようこそ!」第1回「オーケストラってなあに?」を聴く。指揮は京都市交響楽団の常任首席客演指揮者の下野竜也。
京都市交響楽団は、広上淳一、高関健、下野竜也のトロイカ体制が続いていたが、少なくとも今の体制は今シーズン限りで終わりとなるようだ。

曲目は、J・S・バッハの「小フーガ」ト短調(ストコフスキー編曲/下野竜也補編。オルガン独奏:桑山彩子)、ヴィヴァルディの「四季」より「冬」第2楽章(ヴァイオリン独奏:泉原隆志)、モーツァルトの交響曲第29番第1楽章、ベートーヴェンの交響曲第5番から第3&第4楽章、ベルリオーズの幻想交響曲から第4楽章「断頭台への行進」、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、ウェーベルンの管弦楽のための6つの小品から第4曲、交響詩「ローマの祭り」から「主顕祭」


開演前にロビーコンサートがある。今回は井幡万友美のチェンバロコンサート。チェンバロの音は小さいので、聴衆に近づいて聴いて欲しいと井幡が言ったため、チェンバロの周りに人々が密集して聴いているという珍しい光景が見られた。


バッハの「小フーガ」ト短調。まずオルガン独奏の桑山彩子が出だしを弾き、第1フーガが終わったところで下野指揮の京響の演奏に交代。その後、再びオルガンソロに戻った後で、オルガンとオーケストラの共演となる。オーケストラはストコフスキー編曲版を演奏するが、オルガンとの交代時の音色が自然であり、ストコフスキーの編曲家としての腕の高さが実感される。

演奏終了後に下野はコンサートマスターの泉原隆志に握手を求めたのだが、下野が小柄ということもあって泉原は下野がそばに来ているということに気がつかず、握手が遅れる。
下野は、「無視されちゃいました。嫌われてるのかなあ」と語り、泉原が首を振る。

ナビゲーターのガレッジセールが登場。ゴリは「オーケストラに疎い二人がやって参りました」と言う。場面転換のため、京響の楽員が席を立ったのだが、ゴリが「ここで一斉に帰り始めましたが、ストライキですか?」、川ちゃん「皆さん、ガレッジセールはお嫌いですか?」

下野はまずオーケストラの語源を二人に説明。オーケストラとは場所の名前が語源であり、古代ギリシャの劇場には、ステージと客席の間にオルケーストラ(踊る場所)と呼ばれる場所があり、そこで歌や踊りが行われていたのだが、主役は舞台上にいる歌手や俳優で、オーケストラは脇役であったと語る。

ヴィヴァルディの「四季」より「冬」第1楽章は、第1ヴァイオリン6人の小編成での演奏。ヴィヴァルディの時代は専業の指揮者がいなかったということで、下野は「目と心で合わせていた」と語る。この曲では指揮なしでの演奏となるため、ゴリ「ヴィヴァルディの時代だと下野さん、失業ですか?」、下野「失業です」というやり取りがある。下野は、「さっき私を無視したコンサートマスターが出てきて、中心にやります」と言ったため、ゴリも「コンサートマスターは人を無視する泉原隆志さん」と紹介する。
登場する泉原と退場する下野がステージ上ですれ違うときに、「冗談きついよ」「いやいや」といった感じで手でやり取りしていた。
桑山彩子のポジティブ・オルガンを加えての演奏。下野がポジティブ・オルガンを紹介した際に、ゴリが「前向きなオルガン」と言って、下野に「そのポジティブじゃない」と返されていた。
温かな音色による親密な演奏である。


モーツァルトの交響曲第29番より第1楽章。モーツァルトの初期の交響曲であるため、管楽器が少ない。モーツァルトがクラリネットを取り入れたのは彼の後期になってから。トロンボーンをオーケストラに加えたのは通説によるとベートーヴェンで、交響曲第5番が最初になると下野は紹介する。ただ、調べるとベートーヴェンより先にトロンボーンを加えた人はいるにはいるそうだ。トロンボーンはそれまでは教会で合唱と共に宗教曲を演奏しており、それが世俗のコンサートにも加わるようになる。

音色はモダンスタイルであるが、ボウイングはHIP風という折衷スタイルでの演奏。スケールは大きくないが典雅なモーツァルトが奏でられる。


ベートーヴェンの交響曲第5番より第3&第4楽章。2つの楽章には切れ目がない。トロンボーンが加わるのは第4楽章の頭からである。
下野は学校の音楽室に飾られた作曲家の肖像画(ちなみに下野によると瀧廉太郎がいるのは何かの間違いらしい)で、バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトと来て、ベートーヴェンから変わることは何かとガレッジセールの二人に聞き、川ちゃんが「夜になると目が動く」と答えて、下野に「それは都市伝説」と一蹴される。答えは「かつらをかぶっていない」である。当時は貴族の前ではかつらをかぶるというのが音楽家の身だしなみであった。ベートーヴェンは貴族に仕える身分でしかなかった音楽家の地位を向上させた人といわれている。
下野指揮のベートーヴェンの5番は、昨年、びわ湖ホールで行われたNHK交響楽団の演奏会で聴いており、しっかりとした演奏であることを確認している。
今回も確かな構築力を感じさせる好演だったが、スケールをかっちり決めた上で細部を整えていくというスタイルの演奏であるため、自在感や奔放さはない。朝比奈隆スタイルのベートーヴェンと書くとクラシックファンにはわかりやすいだろうか。個人的にはもっと暴れまくるベートーヴェンが好きである。


後半。ベルリオーズの幻想交響曲より第4楽章「断頭台への行進」。ベートーヴェンの死からさほど立っていない時期に初演された作品だが、大編成であり、後のロマン派へと繋がっていく楽曲である。
ゴリが、「当時、これだけ入れる会場ってあったんでしょうか?」と聞く。下野は、「当時の会場で演奏している映像(ジョン・エリオット・ガーディナー指揮オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティークのものだろうか)を見たことがあるのですが、ステージ上ぎっしりでした」と答えていた。
幻想交響曲の背景についても下野は語り、「イギリスから来ていた大女優(ハリエット・スミスソン)に恋をしてしまうわけです。凄いと思うのは楽屋に行って『結婚して下さい』と言ったこと」。無名の作曲家であったベルリオーズは当然ながら相手にされず、その時の屈辱感を幻想交響曲への昇華させる。面白いのは、幻想交響曲の初演をスミスソンが聴きに来ており、結果、二人は結婚に漕ぎ着けるということだ。川ちゃんが、「まさに、山ちゃん(蒼井優と結婚した山里亮太)」、ゴリ「山ちゃん、僕らの後輩ですけども」
下野は楽器編成についても語り、「ティンパニの中山(航介)さんはいつもいます。だけど今回は横に宅間(斉)さんが、『宅間さん』って楽器じゃないですよ」と言って、
ゴリ「それぐらいはわかります」
川ちゃん「僕らなんだかんだで47ですので」

下野は、テューバ奏者二人に、「楽器持ち上げてみて、ジャンプ!」と無茶ぶりして、ゴリに「絶対、きついですよね」と言われる。
下野「強権濫用(ママ)」

下野指揮の「断頭台への行進」であるが、極めて上品である。狂気がほとばしるような演奏をする指揮者も多いが、下野の場合は常に節度と美観を保ち、「ノーブル」ともいえるような仕上がりになっている。この曲がノーブルである必要があるのかどうかは意見が分かれるだろうが。


ドビュッシーの交響詩「牧神の午後への前奏曲」。下野はドビュッシーについて、「それまでとは違った和音を使って作曲した、人によっては『それ間違ってるんじゃないの?』と言われそうなギリギリのところを狙った」と語る。「輪郭のはっきりしない、揺れるような朧な」音楽である。下野はモネなど印象派の画家の名前を挙げながら、共通点についても語っていた。
下野の指揮する「牧神の午後への前奏曲」であるが、丁寧で美音を存分に生かしつつ浮遊感も忘れないという理想的なものである。下野というとブルックナーやドヴォルザーク、リヒャルト・シュトラウスなどを得意とするイメージがあるが、それ以上にフランスものが合っているのではないだろうか。少なくともこれほど美しいドビュッシーを生み出せる日本人指揮者は稀である。

下野の指揮した「牧神の午後への前奏曲」についてゴリは、「水の上をグルグル漂っているような」と表現した。


ウェーベルンの管弦楽のための6つの小品から第4曲。管楽器と打楽器のための作品である。下野は、「今日の客席の150%の人が『何これ?』というような曲」と紹介する。
アントン・ウェーベルンについては、「先輩方には叶わない、それよりも新しい音楽を生み出そうというシェーンベルクと一緒に活動してた作曲家」と紹介する。
演奏前に下野は、「最初は恐ろしく小さい音、空調の音が聞こえるような小さな音で始まり、それが……、内緒!」といって指揮を始める。
ドビュッシーは和音を飛躍させたが、ウェーベルンら新ウィーン学派になるともう和音が破壊されてしまっており、それまでの常識では計り知れないような音楽となる。この曲は元々は葬送行進曲として作曲されたといわれており、クライマックスでは破滅的な響きに至る。


レスピーギの交響詩「ローマの祭り」から「主顕祭」。
オーケストレーションの達人として、管弦楽の色彩感を極限まで推し進めたレスピーギ。「ローマの祭り」は、その後の映画音楽にも貢献することになった描写力抜群の音楽である。
下野指揮の京響の表現力はまさに一級品。日本人指揮者と日本のオーケストラによるものとしては最高レベルの演奏である。京響の明るめの音色もこの曲にジャストフィットだ。

アンコール。下野「我々がクラシックしか演奏出来ないと思わないで下さい!」、ゴリ「なんですか突然?」ということで、「ローマの祭り」に掛けた「お祭りマンボ」が演奏される。打楽器とオルガン、トランペットのための編曲(編曲:野本洋介)。楽団員が「ワッショイワッショイ!」とかけ声を出すなど、ノリノリの演奏となった。

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