カテゴリー「京都市交響楽団」の100件の記事

2019年3月21日 (木)

コンサートの記(532) 高関健指揮 京都市交響楽団「オーケストラ・ディスカバリー」2013第2回「ジャズ&タンゴ」

2013年9月29日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団「オーケストラ・ディスカバリー」2013第2回を聴く。

「オーケストラ・ディスカバリー」は、広上淳一の発案により、2009年から始められたコンサートで、安い料金、聴きやすい曲で、子供から大人までが楽しめるように工夫されたもの。年4回あり、今回は2013年度の第2回目である。今日の指揮者は高関健(たかせき・けん)。大河ドラマ「風林火山」のオープニングテーマを指揮した人というと通りが良いかも知れない。高関は解説も兼務する。
配布されたパンフレットも漢字に全てルビが振ってあるものだったが、難しい言葉の漢字に読み仮名を振ってもそれで子供が理解出来るかというと微妙である。

今回のテーマは「ジャズ&タンゴ」ということで、前半はタンゴを、後半はジャズをテーマにした曲が並ぶ。前半はタンゴということで、タンゴには欠かせない楽器であるバンドネオンの奏者である三浦一馬(三浦春馬ではありません)が登場し、「ラ・クンパルシータ」を除く、全ての曲で演奏を行う。

曲目は、前半が、ピアソラの「リベルタンゴ」(三浦一馬編曲。「リベルタンゴ」はチェリストのヨーヨー・マが出演したウィスキーのCMで使われて、日本でも有名になった曲である)、ロドリゲスの「ラ・クンパルシータ」(赤堀文雄編曲)、ピアソラの「ブエノスアイレスの四季」より“冬”(長山善洋編曲)、ピアソラのバンドネオン協奏曲「アコンカグア」より第1楽章が演奏される。

今日は1階席と2階席は指定席だったが、3階は自由席である。しかも自由席は指定席より500円安い上に、京都コンサートホールは、構造上、3階席の方が音響が良いという世にも不思議なホールなので、迷わず3階席を買って、前半は、舞台上手上の、後半は3階席正面の席で聴く。3階席とは思えないほど良く響く。視覚的には遠くなるが、音そのものを楽しみたい場合は京都コンサートホールの3階席はお薦めである。

「オーケストラ・ディスカバリー」は、毎回、吉本の芸人がナビゲーターを務ており、今日はガレッジセールが指揮者の高関と共にコンサートを進めていく。吉本芸人がと書いたが、以前は毎回、ロザンだったのが、宇治原が東京での仕事が増えたためか、ガレッジセールも務めるようになったというのがより正確である。吉本芸人が入れ替わり立ち替わりナビゲーターに指名されているわけではない。
京響の今日のコンサートマスターは渡邊穣。泉原隆志は今日は降り番である。クラリネットに前半は首席の小谷口直子。首席フルート奏者の清水信貴も今日は全演目を吹く。一方、小谷口はジャズが得意でないからか、今日は前半のみの演奏という珍しいケースになった。

「リベル・タンゴ」は、ピアソラ本人がオーケストラと共演した時の録音を聴くと、バンドネオンはリズムを刻む楽器として使用されているのがわかるが、三浦一馬の編曲では、リズムは勿論、旋律もバンドネオンが持つ。最初の主題はバンドネオンが弾くことになる。

演奏が終了した後で、ガレッジセールの二人が出てきて、バンドネオンという楽器について聞く。三浦はまず、「タンゴに使われるので、アルゼンチンの楽器だと思われている方も多いと思いますが、実は生まれたのはドイツです」とバンドネオンの発祥について説明し、ボタンがドレミファソラシド順ではなく、バラバラに配列されていることを音を出しながら説明する。なぜそんな配列になったのかというと、三浦の説では、「元はボタンの数が今より少なかったので、タンゴで使われる重要な音は中心部にあるが、ボタンを増やす毎に配列を変えることなく、外側に散らばっていったからではないのか」となるらしい。「よく使うボタンは中央に集まっています」とも三浦は語る。ちなに蛇腹を閉じた状態と開いた状態では同じボタンでも音階は異なるそうで、ゴリが「無茶苦茶難しいじゃないですか」と言い、川田が「三浦さん、もう年取っても、一生、ぼけることないですよ。そんな複雑なことしてたら」と続ける。

ガレッジセールは、高関に「タンゴとは何ですか?」と聞く。高関はリズムのことだという。ガレッジセールのゴリは、「僕らがイメージするタンゴというと、完全に杉本彩さんなんですけど。顔を近づけておいて、キスするようで、しないみたいな」と語ると、高関は「ピアソラのタンゴはコンサート用で、踊るには速いようです」と答える。更に、「いつもとは勝手が違うと思いますが」というガレッジセールの問いかけに対して、高関は「無免許運転をしているような気分」と言って、川田に「無免許運転したらあきませんよ」と突っ込まれる。

2曲目、ロドリゲスの「ラ・クンパルシータ」は、「タッ、タッ、タッタ、タタタタッタ」というリズムと旋律を持つ、聴けば誰でも知っているタンゴの代表曲である。オーケストラのみによる演奏。タンゴといえばアルゼンチンであるが、実はロドリゲスは隣国であるウルグアイの出身である。しかも、「ラ・クンパルシータ」はイタリア語で、「小さな行進」という意味であるらしい。スペイン語が公用語であるアルゼンチンなのに、タンゴで一番有名な曲の作曲者がウルグアイ出身で、タイトルがイタリア語という妙なことになっている。

3曲目は、再び、三浦一馬を迎えての、ピアソラ「ブエノスアイレスの四季」。ピアソラの代表曲であるが、「ブエノスアイレスの四季」は冬から始まる。アルゼンチンは南半球にあるため、季節は日本とは逆で、最低気温を記録するのは7月頃。北半球のように1月1日が冬の場合は、冬から始まっても不思議ではないが(実際、グラズノフの「四季」は1月1日のある冬から始まっている)、なぜ、ピアソラが「ブエノスアイレスの四季」を冬から始まるように書いたのかは謎である。派手さを抑えた曲調だ。

前半のラスト、ピアソラのバンドネオン協奏曲「アコンカグア」より第1楽章。情熱的な曲であり、演奏である。「アコンカグア」というタイトルはピアソラ自身の命名ではなく、出版される際に、「ピアソラが書いた最高峰の作品なので、南米最高峰のアコンカグアというタイトルにしよう」という意向で付けられたものである。そのためか、ピアソラ本人がバンドネオンソロを演奏しているCDには「アコンカグア」の名前はない。

ガレッジセールがアンコールを頼むので、三浦と京響は、ピアソラの「フーガと神秘」(長山善洋編曲)を演奏。バンドネオンが奏でたメロディーを、管楽器、そして弦楽器という順番で追い掛けていくようその名の通りフーガ(遁走曲)である。この曲もラテンの血がたぎるような情熱的なものであるが、それ以上にピアソラの作曲技巧の巧みさが顕著である。


後半、ジャズということで、オール・アメリカ・プログラムである。ルイ・プリマ作曲のというよりベニー・グッドマン・バンドの紹介した方が早い「シング・シング・シング」(ボブ佐久間編曲)、スコット・ジョプリンの「メイプル・リーフ・ラグ」(ピアノ独奏:佐竹祐介)、アメリカ民謡「聖者の行進」(ブラスのみの演奏。福島頼秀編曲)、ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」という曲が並ぶ。

演奏を始める前に、高関健と、ガレッジセールの二人がジャズについての説明を行う。高関はジャズの発祥については諸説あるが、と前置きした上で、「ニューオーリンズという街に黒人が多く、黒人の音楽から発展していったと言われている」と説明した。ニューオーリンズのあるルイジアナ州は始めはフランス系移民が多かったところで、ルイジアナは、ルイ14世やルイ16世などが有名なフランスのブルボン王朝のルイというよくある王名に由来するとされている。ニューオーリンズも最初はニューオルレアンであった。ただ、カナダのケベック州とは違い、フランスからの移民が根付かないうちに、フランスがルイジアナから撤退してしまったために、諸国からの移民が流入。ジャズが生まれた頃にはもうフランス的な面影はどこにも残っていなかったようだ(ちなみにニューヨークも最初に開拓したのはイギリス系ではなく、オランダ人であり、昔はニューアムステルダムと呼ばれた。ウォール街という通りがあるが、あそこにはオランダ人が作った城壁があったためにウォール街という名前が付いたとされる)。

ジャズのうちのブルースは、奴隷制のあったアメリカ南部で、黒人奴隷が仕事を終えた後で、自分達の音楽を酒樽などを叩きながら歌ったのが起源であるとされている。

ゴリが、「即興なんかもあるんですか?」と聞くと、高関は「あります」と答え、「立ち上がるかも知れません」とも語った。
ということで、「シング・シング・シング」。クラリネット奏者が立ち上がって即興のソロを取る。

演奏終了後、高関によると「一箇所振り間違えた」という。曲をよく知っている人にはわかるそうだが、私は気付かなかった。私が気付くのは曲をよく知っている場合のみであり、「シング・シング・シング」も好きであるが、それほど聞き込んでいるというわけでもないし、ジャズのテンポは即興的なので、リズムが狂ったとしても気付かないであろう。

これはその後に語られたことであるが、ゴリが、「背が低くて、警備員に止められた人、誰でしたっけ? ああ、広上さん。ホールに入ろうと思ったら警備員さんに『関係者以外立ち入り禁止です』と言われたという。あの人も、指揮台に上がって、指揮棒を振り上げた時に、楽器を構えた奏者が楽譜に書かれていたものとは違ったので、『あ、曲が違う』と気付いて、腕をスローモーションで降ろして楽譜を持っていったん退場したという」と指揮者の失敗談を上げる。高関は、「広上さんは偉い人、凄い人」というが、自身も曲目を間違えたことがあり、振ってから違うと気がついたので、誤魔化しながら指揮したという。ゴリが「その場合は、オーケストラに対してはどうするんですか」と聞くと、「演奏している最中に謝ります」と高関。

後半2曲目は、スコット・ジョプリンの「メープル・リーフ・ラグ」。この曲は京響は出番なしで、佐竹祐介が一人でピアノを弾く。
ゴリが、「ラグタイムとは何ですか?」と聞くと、佐竹も高関も「ラグタイムはラグタイム」と答え、ゴリは、「え、台本と違う」と驚く。「僕らは台本通り読んでいて、ラグタイムとはなんですかと聞くと、シンコペーションという言葉が出てきて、シンコペーションについて聞くはずだったのですが」と本来の流れを説明した。シンコペーションとは「裏打ち」のことであるが、左手の和音から右手で作る旋律が外れることがあるのが特徴。
佐竹はノリの良い演奏を聴かせる。

次の曲を説明するために出てきた、ガレッジセールのゴリが、ちょっと後ろに下がったときに、第2ヴァイオリンの一番前に置かれた譜面台を倒してしまい、楽譜がバラバラになって床に散らばってしまったため、係の人を呼んで楽譜を直して貰うというシーンがあり、ここで先程の失敗に関する話が行われた。ゴリは「本当に大丈夫ですか? ここの人だけタンゴ弾き始めたりしません?」と失敗もギャグにする。
続く、アメリカ民謡「聖者の行進」はブラスのみによる演奏。3度同じメロディーが繰り返された。ちなみに「聖者の行進」は、黒人が葬儀を終えての帰り道に演奏されることがあり、聖者とは死者を意味することがある。
京響自慢のブラス群は今日も輝かしい音を出す。

プログラムの最後は、ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」。ガーシュウィンは独学で作曲を学んだため、「誰かに弟子入りした方がいいだろう」と考え、パリにいたモーリス・ラヴェルを訪ねて弟子になりたいと志願するが、すでにガーシュウィンの名声を知っていたラヴェルは、「二流のラヴェル(第二のラヴェル、亜流のラヴェル)になるよりも、一流のガーシュウィンになることを目指し給え」と言って、弟子入りを断っている。その時に訪れたパリでの思い出を曲にしたのが「パリのアメリカ人」であるとされる(自作のミュージカル上演のためにヨーロッパを訪れた際に作曲されたという説もある)。

同じタイトルの映画が出来るほどの有名曲であるが、実演に接するのは今回が3度目ぐらい。前回は室内オーケストラ編成である京都フィルハーモニー室内合奏団での演奏だったので、フルオーケストラによる演奏を聴くのは久しぶりである。海外の演奏をCDで聴くと、全編インテンポ(テンポが変わらない)か、ラストでアッチェレランドが掛かるくらいであるが、高関は何度か速度を切り替える。そのことでアメリカ色が薄まったような印象も受けたが、響き自体は立派であり、出来も良い。

ガレッジセールの二人が出てきて、ゴリは譜面台を倒してしまった第2ヴァイオリン奏者に深々と頭を下げる。そしてアンコールを希望。高関は「非常に真面目な人なのですが、ショスタコーヴィチが『二人でお茶を』という曲を編曲していまして」と言い、その曲がアンコールとして演奏されることになる。ゴリは曲目を紹介しようとするが、「ショスタコーヴィチ」という言葉の発音が難しいようで、つっかえてしまう。「(ショスタコーヴィチの発音が)難しいです。きゃりーぱみゅぱみゅと同じくらい難しいです」と言った後で、「それではお聴き下さい。きゃりーぱみゅぱみゅの」とボケを入れてから本当の曲目を読み上げる。ショスタコーヴィチの「タヒチ・トロット」より“Tea For Two(二人でお茶を)”。歌詞付きのオリジナル・ジャズバージョンはテレビCMの音楽に何度も採用されているほどポピュラーなものである。
ショスタコーヴィチはお堅い性格の人で、悲観主義者でもあったが、サッカーが大好きでスタジアムまで応援に行ったり、ジャズにも興味を示したりと、「根暗」というイメージとは異なる面も持つ。「二人でお茶を」もお洒落な編曲によるものだ。演奏も良かった。

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2019年3月 6日 (水)

コンサートの記(529) 広上淳一指揮京都市交響楽団大阪特別公演2013

2013年9月21日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて


午後2時から、ザ・シンフォニーホールで、京都市交響楽団大阪特別公演に接する。指揮するのは京響常任指揮者の広上淳一。今日も全曲ノンタクトでの指揮である。


デュカスの交響詩「魔法使いの弟子」、ラフマニノフの「パガニーニの主題による変奏曲」(ピアノ独奏:山本貴志)、リムスキー=コルサコフの「スペイン奇想曲」、ラヴェルの「ボレロ」というプログラム。フランスものがロシア音楽を挟むという格好になっている。


今日の京響コンサートマスターは泉原隆志。渡邊穣がフォアシュピーラーに回るという形である。今日も首席フルート奏者の清水信貴と首席クラリネット奏者の小谷口直子は後半のみの登場。首席オーボエ奏者の高山郁子は今日は降り番のようで、「ボレロ」では実質的な京響次席オーボエ奏者扱いのフロラン・シャレールが首席の位置に陣取った。


 


デュカスの交響詩「魔法使いの弟子」。ゲーテのユーモア溢れる詩をモチーフにした交響詩で、ディズニー映画「ファンタジア」ではミッキーマウスがこの曲をバックに魔法使いの弟子役を務めたことでも有名である。


比較的遅めのテンポで入る。ザ・シンフォニーホールの音響を考慮に入れたためか、広上は「魔法使いの弟子」と「スペイン奇想曲」ではゆったりとした演奏をした。神秘感の強調こそないが、丁寧な仕上げが印象的であり、弦楽の透明感溢れる響きも心地よい。ただ、京都コンサートでも響く演奏になれてしまったためか、「ザ・シンフォニーホールなら素晴らしく響くに違いない」と考えていたほどには音は鳴らず、そこは拍子抜けであった。


 


ピアニストの山本貴志をソリストに迎えての、ラフマニノフ「パガニーニのための変奏曲」。山本貴志のピアノを聴くのは二度目。前回は山田和樹指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏会で、山本はラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を弾く予定だったが、体調不良のため、超絶技巧が必要とされるラフマニノフを弾くだけの余裕がないとして、急遽、曲目を変更し、モーツァルトのピアノ・コンチェルトを弾いている。


 


今日こそは得意のラフマニノフを決めてみせると、山本も気合い十分なはずだ。


山本の演奏は独特で、グレン・グールドに影響を受けたのかどうかは知らないが、猫背になり、鍵盤に顔を近づけてピアノを弾く。超絶技巧が必要とされる場面では背を伸ばして力強く弾くが、抒情的な部分ではペダルを駆使して、淡いトーンのピアノを奏でる。音の引き出しは多い。


広上指揮する京響の伴奏は彩り豊か。変幻自在の伴奏であり、特にラストの浮遊感は奇術か何かのようだった。


 


後半。リムスキー=コルサコフの「スペイン奇想曲」。前述通り、遅めのテンポで堂々と且つ華やかに始まる。


ソロを弾く場面もあるコンサートマスターの泉原隆志の技巧は優れており、クラリネットの小谷口直子やフルートの清水信貴もやはり上手い。二人の演奏を後半だけにしか聴けないというのは惜しい。


情熱的でパワフルな演奏に、聴衆も沸く。


 


ラヴェルの「ボレロ」。クラシックファンには大人気の曲であるが、演奏する側は「出来れば避けたい」と思っている曲の筆頭でもある。二つのメロディーを繰り返す曲であり、ちょっとでも失敗すれば目立ってしまうため、奏者達は怖れるのである。「スペイン狂詩曲」でもスネアドラムは使われたが、「ボレロ」ではより指揮者に近い位置にスネアドラム奏者は陣取る。


平均的は演奏時間は約15分であるが、広上が採ったのはそれよりやや遅めのテンポである。作曲家の指示通りインテンポであり、後半にアッチェレランドをかけるというようなことはしなかった。この曲では、最初のうちは広上は手を使わず、体をくねらせたり頭を振ったりして指揮をする。トロンボーン奏者がソロを取るときには、広上はトロンボーンとは正反対の方向を見て頭で指揮していた。オーケストラ奏者は指揮者と正対すると自然に大きな音を出す傾向があるようなので(NHK交響楽団首席オーボエ奏者の茂木大輔の証言による)、トロンボーンに強く吹かせないために敢えて視線をそらしたのだと思われる。


ヴァイオリンが主題を奏でるところから、広上は本格的に腕を振って指揮するようになり、トランペットが朗々と第1主題を演奏する部分で広上は大きく手を広げ、これまで溜めてきたエネルギーを一気に放出する。作為的ではあるが、そうした印象を上回る程の快感と開放感と興奮とが私の胸に押し寄せ、巻き込んでいく。広上は優れた指揮者であると同時に最高のエンターテイナーであり、千両役者である。


演奏終了後、興奮した多くの聴衆から「ブラボー!」の賞賛を受けた広上。広上はまずスネア奏者を讃えた後で、演奏順に奏者を立たせ、拍手を送る。いったん退場してから再度現れた広上はオーケストラメンバーを立たせようとしたが、奏者達も拍手をして立とうとしない。広上は一人、指揮台に上がり、喝采を浴びた。


 


広上は、「『半沢直樹』は明日が最終回です」と、今日もまたお気に入りのドラマである「半沢直樹」の話をした後で、「拍手への10倍返しということで」と、アンコール曲を演奏する。15日にも京都コンサートホールでアンコールとして取り上げた、ブラームスの「ハンガリー舞曲」第6番である。同一曲を同一コンビが違う場所で演奏するため、ホールの音響の違いがよくわかるのだが、ザ・シンフォニーホールは全ての楽器の音が京都コンサートホールよりも明らかに良く通る。流石は全世界のアーティストが憧れる名ホールである。

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2019年3月 1日 (金)

コンサートの記(527) 広上淳一指揮京都市交響楽団第571回定期演奏会 ドヴォルザーク 「スターバト・マーテル」

2013年8月11日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第571回定期演奏会に接する。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者の広上淳一。

プログラムは1曲のみ。ドヴォルザークの「スターバト・マーテル」である。総演奏時間が約1時間半という大作である。途中休憩は勿論なし。終演後にはレセプションが行われる。

4人の独唱者と、合唱を伴う宗教音楽。

独唱者は、石橋栄実(ソプラノ)、清水華澄(メゾ・ソプラノ)、高橋淳(テノール。当初は大槻孝志が歌う予定だったが、大槻が声帯疲労のため出演することが出来ず、急遽、高橋が代役に立つことになった。高橋は東京音楽大学の出身であり、現在は同大学の講師を務めている。東京音楽大学の出身で、今は同大学の教授である広上は師であり、先輩であり、同僚でもある)、久保和範(バスバリトン)。
合唱は京響コーラス(アマチュアの団体であるが、井上道義や広上淳一の指導も受けており、よく鍛えられている)。

開演20分前から、広上淳一によるプレトーク。京響は今年の1月からこの8月までの定期公演全てが完売御礼だそうである。今の京響は世界的に見ても高い水準にあり、これほど高いレベルに達している文化団体は京都市には他にないので、当然といえば当然ではあるのだが、京響のレベルをここまで高めた広上淳一の功績は大きいだろう。
それから、京響コーラスの合唱指揮者(たまに勘違いされるが、合唱指揮者とは、合唱のトレーナーのことであり、練習の際に指揮者も務める人のことで、本番でオーケストラとは別に合唱専門の指揮者がいるということではない)である小玉晃が呼ばれ、京響コーラスの歴史などについて語る。京響コーラスは、前身は井上道義が1995年秋に組織した京響第九合唱団であり、第九以外も歌うので京都市合唱団となった。昨年、京響との連結を強めるために京響コーラスと改名。現在、井上道義が創設カペルマイスター、広上淳一がスーパーヴァイザーとしてレベルアップのために尽力している。

ドヴォルザークの最高傑作といわれることもあるが、滅多に演奏されず、CDの数も少ないという「スターバト・マーテル」。生で聴けるだけでも貴重なことである。なお、ライヴ録音が行われ、演奏は後日、NHK-FMで放送されるという。

弦楽による出だし。広上の指揮する京響の弦は清澄を極めており、これほど透明で美しい音色というものはそうそう聴けるものではない。管もまろやかな音を出すが、京都コンサートホールでまろやかな音を出すのは極めて難しいことである。
4人の独唱者の出来も良く、京響コーラスもアマチュアとは思えないほど優れた合唱を聴かせる。
今日の広上は全編ノンタクトで指揮。非常にわかりやすい指揮である。

予習のために、フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮ロイヤル・フランダース・フィルハーモニー管弦楽団&コレギウム・ヴォーカレ・ヘントほかのCDを聴いたが、もし、広上淳一指揮京都市交響楽団&京響コーラスほかの演奏がCDとして発売されたなら、ヘレヴェッヘ盤はもう用なしになる。それほど高水準の演奏であった。広上淳一は音楽の神様に祝福された男である。

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2019年2月24日 (日)

コンサートの記(526) 秋山和慶指揮 京都市交響楽団第631回定期演奏会

2019年2月15日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第631回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は秋山和慶。

曲目はオール・ラフマニノフで、ピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:小山実稚恵)と交響曲第3番。


齋藤メソッドの正統的な継承者として、再評価も高まって来ている秋山和慶。長きに渡って東京交響楽団のシェフとして活躍し、私も1994年に秋山和慶指揮東京交響楽団の演奏を千葉県文化会館で聴いたことがある。
1998年から2017年まで、広島交響楽団の首席指揮者兼ミュージック・アドバイザーとしても活躍しており(現在は同団の終身名誉指揮者である)、広島東洋カープやサンフレッチェ広島とのコラボレーションを行い、カープ・シンフォニーやカープの応援曲の指揮を赤のユニフォーム姿で行っていたりする。
カナダやアメリカでもキャリアを築いてきたが、指揮者としてのポストを追い求めるよりも教育を重視する人であり、音楽大学のオーケストラなども良く指揮している。

今日のコンサートマスターは客演の石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志。第2ヴァイオリン首席も客演で長岡聡季。


ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。小山実稚恵の十八番の一つである。
小山は清冽な音色でキビキビとした音運びを行う。冴えたテクニックによる演奏で抜群の安定感がある。
普段は輝かしい音を奏でる京都市交響楽団だが、今日は荘重な響きによる演奏。渋さの光る美しさである。

小山実稚恵のアンコール演奏は、ラフマニノフのプレリュードト長調作品32の5。丁寧に作り上げた抒情美が胸に染み渡る。


ラフマニノフの交響曲第3番。彼のアメリカ時代の作品である。
3曲あるラフマニノフの交響曲の中では、第2番が飛び抜けて有名でプログラムに載ることも多い、というより第2番以外を聴く機会はほとんどない。
私自身は、シャルル・デュトワ指揮フィラデルフィア管弦楽団によるラフマニノフの交響曲全集を持っているが、交響曲第3番を聴いたことは1回か2回しかないはずである。
というわけでほぼ初体験に近い。

秋山は細かいところを幾つか抽出しては組み上げていくような音楽作り。構造がよく分かる。
第1楽章のロシア民謡のような旋律にラフマニノフのロシアへの望郷の念が浮かび上がり、それが都会的で洗練された響きによって彩られていく。ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」を想起させるような、ハイセンスな場面もある。
京都市交響楽団の奏者達も高度な技術と合奏能力を示し、マジカルな音響を何度も作り出していた。
かなり良い曲と演奏である。


今日はチケット完売御礼。終演後、多くの聴衆が秋山と京響を称えて盛んな拍手を送った。


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2019年2月11日 (月)

コンサートの記(522) 広上淳一指揮京都市交響楽団第566回定期演奏会

2013年3月24日 京都コンサートホールにて

午後2時30分より、京都市交響楽団の第566回定期演奏会に接する。今日の指揮者は常任指揮者の広上淳一。

プレトークでは坊主頭にした広上が司会を担当し、京響の女性ヴァイオリン奏者二人にヴァイオリンについて語って貰うという形式を取っていた。広上によるとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団はコンサートマスター以外の奏者は、その日によってバラバラであり、昨日前列で弾いていた奏者が今日は後列で弾くということもあるらしい。ただ普通のオーケストラは座る位置は大体決まっていて、京響もそうだという。
ヴァイオリンというと前列の前の方が腕利きというイメージがあるが、ヴァイオリン奏者によると、後列の方が音を合わせるのが難しいため、腕利きが後列になることも多いという。


ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲ニ長調(ヴァイオリン独奏:クララ=ジュミ・カン、プロコフィエフの交響曲第7番というプログラム。


ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」では、諧謔と歪んだエスプリに満ちた音楽を広上は存分に引き出す。変拍子を2回トントンと跳ねることで処理するなど指揮姿は今日も独特だ。フォルテシモは京都コンサートを揺るがさんばかりに響き渡る。


コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。コルンゴルトがアメリカに渡り、映画音楽を手掛けるようになってからの作品で、映画音楽からの引用が各所に散りばめられているという。

ヴァイオリン独奏のクララ=ジュミ・カンは韓国系ドイツ人。わずか4歳でマンハイム音楽院に入学し、5歳でハンブルグ交響楽団と共演したという神童系ヴァイオリニストである。
カンのヴァイオリンの音色は太からず細からず中道を行く。技術は非常に優れている。
ハリウッド風のやや大袈裟な伴奏を広上と京響はスケール豊かに奏でる。

アンコール。カンはバッハの無伴奏パルティータ第2番よりサラバンドでしっとりとした演奏を聴かせ、パガニーニの24の奇想曲より第17番で超絶技巧を披露する。


メインの交響曲第7番。冒頭の抒情的なヴァイオリンの歌の美しさから惹き付けられる。その後もプロコフィエフ特有のユニークでパワフルな音楽を広上と京響はクッキリとした輪郭で奏で続けた。文句なしの名演である。

定期演奏が9月から始まるのは日本ではNHK交響楽団などいくつかの団体だけで、大抵のオーケストラは3月でシーズンが終了する。ということで、今年も卒団者を送り出す。37年間、ヴィオラ奏者として在籍した北村英樹の退団式があり、北村は花束を受け取った。

その後、プロコフィエフの交響曲第7番のラストをアンコール演奏してコンサートはお開きとなった。

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2019年2月 5日 (火)

コンサートの記(517) 広上淳一指揮京都市交響楽団第564回定期演奏会

2013年1月25日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第564回定期演奏会に接する。今日の指揮者は常任指揮者の広上淳一。

ハイドンのトランペット協奏曲(トランペット独奏:ルベン・シメオ)とベルリオーズの幻想交響曲というプログラム。

開演前のプレトークでは、緑色の京響のTシャツを着た広上淳一が、京響トランペット副首席奏者である早坂宏明と共に登場。広上本人がトランペットの専門家ではないので、早坂を連れてきたという。

ハイドンの時代は、今ではナチュラルトランペットと呼ばれる。バルブのない、マウスだけで音程を取る演奏至難なトランペットが当たり前であったが、ウィーンのトランペッターであるアントン・ヴァイディンガーが有鍵トランペットを開発。これに触発されたハイドンは、それまでは演奏不可能だった音を出せるようになったトランペットのための協奏曲を作曲したとしう。

トランペット協奏曲の独奏者であるルベン・シメオはスペイン出身。正真正銘の弱冠、二十歳である。20世紀最高のトランペッターといわれたモーリス・アンドレがその最高に惚れ込み、ただ一人の直系の弟子として育てたという。

シメオのトランペットは輪郭がクッキリしており、力強い。音は輝かしいというより渋めであるが、メカニックは抜群だ。これで深みが出たらいうことなしだが、二十歳で深みを出されたら、それはちょっと出来すぎなので、演奏を楽しむ分には今のままで何の文句もない。

広上指揮の京響は温かく、優しい音楽を奏でる。

演奏終了後、クラリネット奏者や打楽器奏者がバタバタと出てきて、京響とシメオによるアンコール演奏。チャールズ・コーファーの「マカレナ」(ルベンの父親であるホセ・シメオの編曲)。シメオのトランペットはハイドンの時よりも音が鋭く、超絶技巧も難なくこなして聴衆を沸かせた。


ベルリオーズの幻想交響曲。
第1楽章の木管による序奏のあと、主旋律は弦楽に移るのだが、この時点で弦楽の音は妖気に満ちていて不気味であり、背筋がゾッとする。京響の技術は高いが、第1ヴァイオリンの出が一瞬遅くなる場面があった。指揮者と奏者の意思が合わなかったのだろう。

第2楽章の舞踏会でも音に毒があり、ベルリオーズの狂気を至るところで炙り出して、明るく華やかな音楽には終わらせない。

第3楽章では寂寥感の表出が抜群である。ティンパニの思い切った強打も効果的である。

第4楽章「断頭台への行進」はベルリオーズの狂気を全開にした強烈な演奏。弦も管も屈強であり、音響が悪い京都コンサートホールを楽器として鳴らす。終結部に向かう場面での広上のアッチェレランドの容赦のなさには息を呑む。

第5楽章。鐘はステージの後方。パイプオルガンの横に置かれている。激しく熱狂的な演奏であり、この曲の異常さをも同時に表出する。音楽を聴いていて「怖い」と感じたのは久しぶりである。

演奏終了後に、広上は「あけましておめでとうございます」と言って聴衆を笑わせ、京都市交響楽団をこれからもよろしくお願いしますと告げた。

そしてアンコール演奏。定期演奏会には普通はアンコール演奏がないものだが、広上は定期演奏会であってもアンコール演奏をすることがままある。正月ということで、「ピッチカート・ポルカ」を演奏。ベルリオーズの毒を中和するのに効果的な楽しい演奏であった。

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2019年2月 4日 (月)

コンサートの記(516) 広上淳一指揮京都市交響楽団大阪特別公演2012

2012年4月8日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、ザ・シンフォニーホールで、京都市交響楽団大阪特別公演に接する。今日の指揮者は京響常任指揮者の広上淳一。


曲目は、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第1番、ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:パヴェル・シュポルツル)、リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」。

今日の広上は全編ノンタクトで指揮する。


ドヴォルザークのスラヴ舞曲第1番。安定感のある演奏である。京響は弦も管も好調。興奮を煽るような演出こそないが、シャープな演奏である。


ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲。ソリストのパヴェル・シュポルツルはチェコ出身の若手。青いヴァイオリンを用いている。

シュポルツルのヴァイオリンはとても滑らか。技術も高い。天翔るようなヴァイオリンだ。
広上指揮の京響も立体感と重厚感のある立派な伴奏を聴かせる。

シュポルツルは「素晴らしい聴衆」、「みんな優しい」と言い、アンコールとして、ドヴォルザークの「ユモレスク」(オーケストラ伴奏版)、パガニーニの24のカプリースより第5番、J・S・バッハの「ガヴォット」を演奏する。チャーミングな出来映えであった。

メインであるリムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」。広上淳一が京都市交響楽団の常任指揮者に就任して最初の定期演奏会でメインとして取り上げた曲目である。

京響の響きは堂々としており、且つ美しい。フルートの清水信貴、クラリネットの小谷口直子、オーボエの高山郁子、コンサートマスターの渡邊穣ら奏者達の健闘が目立つ。広上の指揮姿は相変わらずユニークだが、音楽は正統派。立派な「シェエラザード」を聴かせてくれた。


アンコールはドヴォルザークのスラヴ舞曲第3番。楽しい演奏であった。

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2019年1月27日 (日)

コンサートの記(513) 広上淳一指揮京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」2011

2011年12月28日 京都コンサートホールにて

午後7時より、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」を聴く。指揮は京響常任指揮者の広上淳一。ソプラノ独唱:小川里美、メゾ・ソプラノ独唱:手嶋眞佐子、テノール独唱:吉田浩之、バリトン独唱:黒田博。合唱:京響市民合唱団&京都市立芸術大学音楽学部合唱団。

ソプラノの小川里美は、クラシックの歌手とは思えないほど細身である。


第九の前に、モーツァルトのフルートとハープのための協奏曲ハ長調が演奏される。フルート独奏は、京響首席フルート奏者の清水信貴、ハープ独唱は京響ハープ奏者の松村衣里。室内管弦楽団編成での演奏である。

清水のフルートは伸びやかで、松村のハープは温かい音色を奏でる。広上はノンタクトで指揮。踊るような自在な指揮だが、「これぞモーツァルト」というべき典雅な音を京響から引き出す。ハープの松村衣里はピンク色のドレスを着ていたが、そのこともあってか、花園を行くイメージが浮かぶような幸福な音楽と演奏である。


メインの第九こと、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」。名演であった。

第1楽章から、広上の棒が作り出す音楽の密度が濃い。情報量が豊富で、京響の奏者達も熱演である。スケールは大きく、あたかも音楽で宇宙を描いたかのよう。いや、第5では人間ドラマを書き上げたベートーヴェンも第9にたどり着く頃にはすでに宇宙規模の音楽を作り上げるまでになっていたのだろう。第九は人間讃歌であるが、同時に神の領域にも達している音楽なのだ。

広上の指揮は情熱的かつユニーク。ティンパニを思いっ切り叩かせるのが個性的だが、その際に、ボクシングのパンチのように、左右の腕を交互に突き出す。更には何度もジャンプ。普段は陽気なおじさんの広上であるが、指揮している時の表情は険しく、まさに芸術家の顔である。

第4楽章の「歓喜の歌」になると広上は一転して笑顔で、歌を一緒に歌う。独奏者は歌いにくいかも知れないが、現役の日本人指揮者でこれだけの第九を振れるのは広上と大野和士ぐらいなので、あるいは一緒に歌って貰えて光栄と思うべきなのかも知れない。

広上と京響の第九は前にも一度聴いているが、それを遥かに上回る演奏。生でこれだけの第九を聴いたのは初めてかも知れない。

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2019年1月14日 (月)

コンサートの記(503) 広上淳一指揮京都市交響楽団第544回定期演奏会

2011年3月26日 京都コンサートホールにて

午後2時30分より、京都市交響楽団の第544回定期演奏会に接する。今回は東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)があったため、一時は演奏会を中止しようかと検討されたこともあったようだが、通常通り行うことで意見がまとまったようだ。

午後2時30分の開演に先立ち、今日の指揮者である広上淳一(京都市交響楽団常任指揮者)によるプレトークがある。まず、4月からのシーズンの出演者と曲目の紹介があり、それから今日の演奏曲目とソリストの話題に触れる。


今日のプログラムは、ショスタコーヴィチのバレエ組曲第1番、ブルッフのスコットランド幻想曲(ヴァイオリン独奏:シン・ヒョンス)、ヒンデミットの交響曲「画家マチス」。


ショスタコーヴィチのバレエ組曲第1番は、第二次大戦後に、ショスタコーヴィチの友人であるレヴォン・アトヴミヤンがショスタコーヴィチの「明るい小川」を題材に編んだものである。「明るい小川」はプラウダ批判(1936年)の標的となり、長い間演奏禁止になっていた曲で、それをアトヴミヤンが復活させたのだという。

引きつった笑顔のような美しさを持つ作品群で、時に哀感に満ち、時に耽美的で、時に前衛的だ。
広上と京響は、音響がお世辞にもいいとはいえない京都コンサート-ホール大ホールを響きすぎにならない程度に盛大に鳴らす。鳴らないホールだから大きな音を出すのではなく、ホールの特性を把握して逆に生かしているのである。これまでの経験が生かされていることが実感される。滑らかな弦、パワフルな管楽器、いずれも好調だ。


ブルッフのスコットランド幻想曲。幻想曲という名が付いているが実態はヴァイオリン協奏曲である。ソリストのシン・ヒョンスは1987年生まれの韓国の若手女流ヴァイオリニスト。プレトークで広上さんが紹介していたが、日本、韓国、中国問わず、東アジアの国々の演奏家は欧米に留学することが多いが、シン・ヒョンスは一貫して韓国で音楽教育を受けた珍しいヴァイオリニストとのこと。現在も韓国国立芸術大学大学院にて研鑽を積んでいるそうだ。2008年、ロン=ティボー国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門優勝。その他のコンクールではパガニーニ国際コンクールで第3位(2004年)、チャイコフスキー国際コンクールヴァイオリン部門で5位入賞(2007年)などの成績を修めている。

そのシン・ヒョンスのヴァイオリンは、音に太さがあり。独特の艶を持つ。

広上指揮の伴奏も見事。音が沸いて出る瞬間が見えるかのようだ。


シン・ヒョンスはアンコールで、京響のヴァイオリン群にピッチカートの伴奏を頼んで、パガニーニの「ヴェニスの謝肉祭変奏曲」よりを披露。この時はスコットランド幻想曲とは違い、音の太さよりも軽やかさが目立つ。曲調によってスタイルを変える器用さも持ち合わせているようだ。


ヒンデミットの交響曲「画家マチス」。マチスとは有名なアンリ・マチスではなく、16世紀に活躍したマティアス・グリューネヴァルトのこと。ドイツ農民運動にも参加したこの画家を題材に、ヒンデミットが台本と音楽を手掛けた歌劇「画家マチス」の紹介として編まれたのが今日演奏される交響曲「画家マチス」である。ヒンデミットはその作風およびユダヤ人との気兼ねのない交際(奥さんはユダヤ人である)をヒトラーに嫌われており、交響曲「画家マチス」も非難。これを受けて立ったのが、交響曲「画家マチス」の初演指揮者であったヴィルヘルム・フルトヴェングラーで、新聞に論文「ヒンデミットの場合(ヒンデミット事件)」を寄稿。これが元でドイツ楽壇は騒然となり、危機を感じたヒンデミットは亡命した。フルトヴェングラーはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とベルリン国立歌劇場の音楽監督を辞任することになるが、その後もドイツ国内に留まり、数年後にはベルリン・フィルの指揮者に戻っている。しかし、それがフルトヴェングラーがナチス寄りだとの誤解を生むことにもなった(フルトヴェングラーは一貫してナチスには否定的であり、ベルリン陥落の2ヶ月前にスイスに亡命しているが、亡命するのが遅すぎるとみなされ、戦後にナチ加担者として尋問を受けることになる。処分は2年間の演奏活動禁止であった)。

それはともかくとして、今日演奏された交響曲「画家マチス」はとにかく音が美しかった。ステージ上で楽器が鳴らしているというよりも、地の底から浮かび上がってくるかのような豊潤な音色。弦も管も絶好調で、広上の棒の通りに音楽が彩られていく様は、まるで魔法を見ているかのようだった。そしてこの曲でも京都コンサートホール大ホール自体を楽器として鳴らせることに成功する。京都コンサートホール大ホールの音響を知らない方には上手く伝わらないだろうが、京都コンサートホール大ホールを楽器として鳴らすことは、楽器を手にしたばかりの三歳児がヴァイオリンをスラスラと奏でるほど難しいことなのだ(2011年時点での音響の感想)。


終演後に、卒団するトロンボーン奏者の間憲司と、異動によって京響から外れる山岸吉和に花束が渡される。

そして、被災地の祈りを込めた、J・S・バッハの「アリア(G線上のアリア)」が演奏された。

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2019年1月12日 (土)

コンサートの記(501) 井上道義指揮 京都市交響楽団第543回定期演奏会

2011年2月13日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第543回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は元・京響音楽監督の井上道義。

オール・モーツァルト・プログラムで、歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、セレナード第10番「グラン・パルティータ」より、交響曲第41番「ジュピター」の3曲が演奏される。

今回も、舞台奥のセリを一番上まで上げてしまっているが、二段だけなので、ステージが狭くなったという感じはそれほどしない。

井上は最近、ピリオドアプローチに凝っているので、今回もピリオドで来るかと思われたが、全体的にスッキリとしたスタイルではあったものの、弦はビブラートを思い切りかけていたし、ティンパニの音も柔らかく、大時代的な演奏では全くないが、ピリオドでもなかった。配置もドイツ式の現代配置。ティンパニは「ドン・ジョヴァンニ序曲」では上手奥に、「ジュピター」では下手奥に置かれた。

今日は、井上は指揮台を用いず、全曲、ノンタクトで指揮をする。


歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲は冒頭から迫力があり、怖ろしげな雰囲気作りが上手い。主部に入ってからの活気も見事で、特に第1ヴァイオリンが美しい。バランスも見事で、「流石、井上」である。


セレナード第10番「グラン・パルティータ」は、管楽器とコントラバスのためのセレナード。今回は第1、3、6、7の4つの楽章が演奏された。演奏者は、オーボエ:高山郁子(首席)、土井恵美/ファゴット:中野陽一郎(首席)、首藤元/クラリネット:小谷口直子(首席)、筒井祥夫/バゼットホルン:鈴木祐子、玄宗哲/ホルン:垣本昌芳(首席)、小椋順二、澤嶋秀昌、中川慎一/コントラバス:星秀樹(首席客演)。

管楽器によるアンサンブルは見事で、特にステージ下手最前列に座ったオーボエ首席の高山郁子と、ステージ上手最前列に座ったクラリネット首席の小谷口直子が素晴らしい。井上の指揮は、腕をぐるぐる回して踊ったり、腹を叩いたりするユーモラスなもので、「やはり、井上」である。


メインの交響曲第41番「ジュピター」。やはり第1ヴァイオリンが美しく、一番ものをいっている。第1楽章は柔らかな迫力があり、第2楽章や第3楽章は典雅で、最終楽章は緻密なアンサンブルが見事。「これぞ、井上」である。

管楽器は世界レベルでも通用し、弦も音にもっと強さと張りと透明感があれば、世界クラスに届くのではないだろうか。いずれにせよ見事なモーツァルトであった。


演奏終了後に、井上道義が、京都市交響楽団の発展に尽力したことにより京都市功労賞を授与した旨が、事務局の方から伝えられ、コンサートマスターの渡邊穣から井上に花束が贈られる。井上は花束を客席に投げ入れる真似だけしてスピーチ。「『こうろうしょう』ということで老人の「老」の字が入るので嫌だなと思っていたら別の漢字の賞でした」と冗談を言い、「『グラン・パルティータ』の管楽器は素晴らしい。ニューヨークでもミラノでも世界中どこに行っても通用すると思います」と喋ったあとで、「ここのオーケストラ(京都市交響楽団)には広上君という指揮者がいます。ハチャメチャなイメージがありますが、彼は私より人格者です。功労賞を受けるときも『そんなものいらないなんて言っちゃ駄目だよ』とアドバイスしてくれました」と語った。最後に「私はオーケストラ・アンサンブル金沢という40人ぐらいの小さなオーケストラの指揮者をしているのですが、もっと大きなオーケストラをやりたいということで、オーケストラ・アンサンブル・金沢の定期演奏会に京都市交響楽団を呼びました。逆はまだないので、是非お願いしたいと思います」と述べた。

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