カテゴリー「朗読劇」の2件の記事

2017年3月27日 (月)

しんらん交流館大谷ホール 山城地区同朋大会 節談説教「親鸞聖人御一代記」より

2017年3月11日 真宗大谷派東本願寺(真宗本廟) しんらん交流館大谷ホールにて

午後2時から、しんらん交流館にある大谷ホールで、節談(ふしだん)説教「親鸞聖人御一代記」よりを拝聴。大徳寺の東にある唯明寺の住職で、真宗大谷派山城第2組組長、元立命館常務理事である亀田晃巖(こうがん)による節談説教が行われる。節談説教は落語のルーツといわれ、江戸時代から昭和初期に掛けては積極的に行われたようだが、現在、真宗大谷派で行っているのは亀田晃巖のみであるようだ。山城地区同朋大会の中で行われるため、ポスターには「一般来聴歓迎」と書かれている。入場無料である。
以前、岡崎別院で亀田晃巖の節談説教を聞いたことがあり、内容はその時と同じである。

まず、真宗宗歌を皆で歌うのであるが、一応、真宗の歌はCDで買って聴いてはいるものの、伴奏が安っぽいので繰り返しては聴いていない。ということで歌えない。ただ音の進行は大概の楽曲においては決まっているので、適当に誤魔化すことも可能であり、そうした。

まず、関係者による挨拶があった後で、亀田晃巖による講義となるが、亀田は「講義なんてそんなものはしません」と言って、話を始める。今日はしんらん交流館に来る前に、以前に学校法人立命館の常務理事だったことから、立命館宇治高校に行ってきて挨拶もしたそうだが、その時とは「見える風景が違う」という話から始まる。若い人達は「前途洋々」「未来はこの手の中に」といった風で生き生きしているが、しんらん交流館大谷ホールにいる面々は、年を召した方が中心で、「老病死」の苦を十分に味わった人ばかりである。ただそういう方々も若者に「そう上手くはいかんよ」と教える必要があると亀田は語る。
東本願寺(現在の正式名称は真宗本廟)は、江戸時代に大火で4度も焼失している。徳川将軍家の保護を受けていたため、3度までは徳川将軍家が再建のための費用を負担してくれたが、4度目の大火は幕末の禁門の変による「どんどん焼け」によるもので、再建に取りかかろうとした時には徳川幕府の時代は終わっており、徳川将軍家そのものが亡くなっていた。ということで、門徒の協力によって再建された。亀田は「今、そんなことやろうと思っても出来ませんよ」と言う。今は熱心な門徒が減ってしまっている。

その後、節談説教についての説明。落語は新京極六角にある浄土宗西山深草派総本山誓願寺の安楽庵策伝が「醒睡笑」を表したのが始まりといわれ、安楽庵策伝という人はとにかく話の巧い人だったそうで、しかも話の最後に必ず落ちをつける(落ちをつけるので落語である)人だったそうだ。こうして落語の元となる節付説教と呼ばれるものが生まれ、真宗においては節談説教と呼ばれるようになる。ここから落語の他にも講談、説教浄瑠璃、説教節などが派生していく。
亀田晃巖の祖父である亀田千巖という人が節談説教の名人であり、元日と正月2日以外は説教師として日本中を飛び回っていて、追っかけがいるほどの大人気だったそうだ。
そして節談説教のために唯明寺が場所を移して再興され(東本願寺の近くにあったが、禁門の変で全焼。明治、大正を通して存在せず、昭和になって再興)、評判を聞きつけた小沢昭一や永六輔らが唯明寺にやって来て、小沢昭一は「節談説教」を覚えて録音し、レコードを残しているという。


休憩を挟んで、節談説教「親鸞聖人御一代記」より。亀田晃巖は高座に上がって語る。
まず「やむこをば預けて帰る旅の空 心はここに残しこそすれ」という和歌で入る。
京都へ帰ることを決めた親鸞。だが、親鸞を慕う関東の人達が京へと向かう親鸞の後をずっと付いてくる。次の村まで、次の村までと思うのだが、思い切れず、結局、箱根山まで付いてしまう。ここから先は関東ではない。ということで、親鸞も人々とお別れを言う。箱根山を下りたところで人々は「今生の別れ」とむせび泣く。そこで、親鸞は一番弟子の性信(しょうしん。性信坊という名で登場する)に関東に留まるよう告げる。親鸞は性信坊に道中仏を託し、「あの同行(どうぎょう。門徒のこと)の中から鬼の下に走る者が出ないよう、教えを貫くよう性信坊に伝える。涙ながらに関東に戻った性信は、関東での布教に励む。だが、その30年後、本尊である阿弥陀如来の顔が汗まみれになっているのを見て驚く。考えてみれば師の親鸞も齢すでに90。親鸞の身に何かあったに違いないと悟った性信は慌てて京に上るのだった。


最後は、「恩徳讃Ⅱ」を皆で歌って閉会となる。

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2016年12月25日 (日)

観劇感想精選(195) 朗読劇「芽吹きの雨」

2016年12月18日 河原町通今出川下ルのP-actにて観劇

午後3時から、河原町通今出川下ルにある、小空間「P-act」で、イストワールhistoire第5話 朗読劇「芽吹きの雨」を観る。飛鳥井かゞりと得田晃子の二人による軽い動きを付けた朗読劇である。元々はラジオドラマのために書かれた作品の舞台上演。原作は、Grace      N Fletcher作の「The Bridge of Love」を平松隆円が監訳した「メレル・ヴォーリズと一柳満喜子 愛が架ける橋」。作・演出:高橋恵、企画制作:虚空旅団、協力:P-act。音楽&キーボード演奏:三木万侑加。
「『イストワール』は、後世に語り継がれる力のある作品づくりを目指し、関西に実在した人物や実際に起こった事件などを題材とするシリーズ」であるという。

建築家、実業家として知られる、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(日本名:一柳米来留)の夫人、一柳満喜子(ひとつやなぎ・まきこ)を主人公とした朗読劇。

近江八幡が舞台。ヴォーリズと結婚した一柳満喜子(ヴォーリズ満喜子。飛鳥井かゞり)は、華族出身ということもあり、近江八幡の人々から敬意の眼差しを向けられているのだが、クリスチャンであり、「皆平等」という価値観を持つ満喜子はそれが不満だった。満喜子は、近江八幡の農家の出である、たま子(得田晃子)に、近江ミッション(のちの近江兄弟社)の土地に「Play Ground」を作りたいと語る。子供達が自由に遊べて学べる場所だ。たま子もそれに賛成するが、満喜子が「向こうの長屋の子達も通わせたい」というと強く反対する。向こうの長屋に住むのは売春婦とその子供達だ。しかし満喜子は、「富める者も貧しき者も、聖職者でも売春婦の子でも、皆平等に、Play Groundに集えるのが理想」だと語る。Play Groundの創設は近江ミッションから「黙認」という形で認められる。

かくして発足した学び舎。しかし、乱暴な子供もいて、たま子は手を焼く。障子は全て破られてしまうそうで、「紙を貼らずに格子戸にしたどうか」などと提案する。ある14歳の男の子などは体格も良くて、たま子も恐怖を感じて叱るに叱れない。「聖書には、『右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ』とあるけれど、それは難しい」と嘆くたま子。だが、満喜子は「左の頬を差し出しましょう」と提案。男の子20人全員は無理だけど、15人なら自宅に呼べると言って、招待することにする。15人の男の子達は、満喜子の自宅に来ると、案の定、暴れまくり、家具を壊すなどしたが、満喜子が根気強く子供達に話しかけ続けた結果、男の子達は大人しくなり、満喜子の言うことを聞くことになった。実は満喜子も本当に成功するのかどうか不安であったのだが上手くいった。
ここまでが実は最初の小さな主題であり、これが後に変奏されていくというパターンの台本である。


満喜子の母親は、満喜子が9歳の時に亡くなった。敬虔なクリスチャンであり、「汝の敵を愛せ」という言葉を信念としていた。満喜子の父親は大名家の出身(城持ちではなく、陣屋を政庁とする小大名である)であったが、江戸時代の大名さながら、妾を沢山こしらえ、侍女にまで手を出したそうで、満喜子と満喜子の母親は妾やその子供達と共に暮らさなければならないという境遇に耐えてきたという。封建制の時代ならともかく、新しい世では正妻にとってそんな生活は苦辱でしかなかった。母にとっては満喜子とキリスト教だけが心の支え。満喜子は母親の心を受け継ぎ、キリスト教精神に基づく愛のある平等な学び舎を築こうとしていたのだ。

ヴォーリズは、英語教師と赴任していた滋賀県立商業学校(現・滋賀県立八幡商業高校。野球部が強いことで知られ、有名OBに東北楽天ゴールデンイーグルスのエースである則本昂大がいる)で聖書研究のサークルを作ったことが問題視され、学校を馘首されていた。当時、ヴォーリズは初設計建築となる近江八幡のYMCA(現在はYMCAではないが、建物自体は外面が改修されているものの現存する)の落成を目の前にしていた頃だった。その後、ヴォーリズは建築に本格的に取り組む。朝の連続テレビ小説「あさが来た」の主人公のモデルとなった広岡浅子は、一柳満喜子の兄である恵三を娘婿に迎えており、ヴォーリズと満喜子は広岡浅子を通して知り合ったようである。広岡浅子のことはこの朗読劇には出てこない。

のちに清友園(現・ヴォーリズ学園。昨年、近江兄弟社学園から名称変更したようである)となる学びの場に、マサコとハマコという姉妹が入ってくる。マサコは下肢障害があり、ハマコは聴覚障害者である。たま子は二人の扱いに困ると言うが、満喜子は、アメリカ留学時代に聴覚障害のあるフローレンスという子と同室だったという話をする。フローレンスは生まれつき耳が聞こえず、話すのにも不自由していたが、その分、甘やかされており、髪をとかすのも人にやって貰って当然という態度であった。満喜子はフローレンスの面倒を見るのを拒否してフローレンスからなじられるが、後にフローレンスから、「一人で生きていけるようにしてくれてありがとう」とお礼の手紙を受け取ったそうである。障害者であってもこの世界で十分に生きていけるように育てる。それが満喜子の目標となった。
寄付金を受けて、ヴォーリズは清友園のための学舎(現・ハイド記念館)を設計。光を多く取り込めるように窓は大きく、音楽が学べるようパイプオルガンも着いていた。

冬の終わりから春の初めにかけて降る雨を近江八幡では、「芽吹きの雨」というのだと、たま子は満喜子に語る。満喜子は、「神は草木が育つのも助けてくれるのだ」と解釈する。

90人もの生徒を抱えるまでに成長した清友園。だが、ヴォーリズと満喜子の間には子供がいない。ヴォーリズは建築家としての仕事と実業家との仕事の他に、寄付金などを集めるために世界中を飛び回る必要があり、家を空けることが多かったのだが、大正12年9月1日に関東大震災が発生し、その際、ヴォーリズが設計した建物は崩れ落ちなかったということで建築家としての仕事が殺到し、夫婦の時間を過ごすことが難しくなっていた。ヴォーリズと満喜子は結婚1周年の日(紙婚式)も別々に過ごしており、満喜子は「多忙な夫だから仕方がない」と受け入れていた。だが、夫にも父のように他の女がもしいたら、と不安になる。

1941年12月8日、日米開戦。アメリカ人であるヴォーリズは敵国の人間として留置される可能性も出てきた(ロシア出身のヴィクトル・スタルヒンも敵性外国人として、軽井沢での拘留生活を送っている)。そこで、ヴォーリズが日本に帰化し、ヴォーリズと満喜子は一時的に離婚して、ヴォーリズが一柳家の戸主となり、名を一柳米来留(ひとつやなぎ・めれる)と改め、満喜子と再婚するという離れ業を使うことになる(満喜子は、ヴォーリズ満喜子から元の名である一柳満喜子に戻る)。米来留という漢字には、「米国から来て日本に留まる」という意思が込められていた。それでもヴォーリズと満喜子を見る近江八幡の人の視線に満喜子は冷たいものを感じる。そんな折、米来留が心臓発作を起こして倒れる。近江兄弟社の結核療養所(現・ヴォーリズ記念病院)が軍に接収され、結核の患者は家に戻るよう命令が下されたということもあり、夫妻は軽井沢の山荘(ヴォーリズ山荘。現・浮田山荘)で療養することに決める。その後、米来留は東京帝国大学の職を得ることが出来たが、健康状態が不安定なため、満喜子は心配する。
近江兄弟社は軍により、全ての部屋に神社の写真と裕仁天皇の写真を飾るよう強要される。

困窮生活の中、満喜子は一緒に来て欲しいと頼んだたま子に、軽井沢でも学園を生み出したいという希望を語り、それは成功する。

米来留が自伝を著す。タイトルは『失敗者の自叙伝』。理想が高いため、思う通りに行かない自分を失敗者と見做すという屈折した本である。だが、満喜子は、『失敗者の自叙伝』に書かれた新婚時代の米来留の心境を知り、安心を得るのだった。
そして満喜子は米来留の心境を思う。満喜子も米国留学の際、レストランで店員に「ホットドッグ」を勧められるも、本当に「温めた犬」のことだと勘違いして、「そんなものいりません!」と言ってしまい、そのため空腹のまま列車に乗る羽目になり、途中の駅で降りて何か食べようと思ったものの焦っていたために英語が出てこなくなり、日本語でしか話せなくなってしまう。モタモタしているうちに列車は発車してしまって満喜子はパニックに……、実は発車してしまったというのは満喜子の勘違いで、向きを変えるために一時的にホームを離れただけだったのだが、そうした異国での孤独を思い出し、夫もまたそうだったのだろうと気づく。

軽井沢での芽吹きの雨の季節。たま子は満喜子に、「戦争もまた芽吹きの雨なのか」と問いかける。この戦争は神が望んだものなのかと。満喜子は、「神は人間に自由意志を与え給うた。だから自由になった人間は他人を愛さなくてはいけない」と語る。人間が神の意志に背いたと見るのだ。

米来留は、元首相である近衛文麿公爵に手紙を送り、その後、帝国ホテルでの近衛とマッカーサーによる会談を仲介し、裕仁天皇に有利な条件で話を進めることに成功する。実は後の研究により、ヴォーリズは幼少時にマッカーサーとニアミスしていたらしいことがわかっているのだが、本人同士も知らなかったことのようなので、そのこととは別に関係がないと思われる。

チフスで倒れた満喜子だったが、近江八幡の人達が満喜子に卵などの食料を送ってくれる。近江八幡の人々は二人を敬遠していたわけではなかったのだ。

舞台は再び近江八幡。琵琶湖に面した場所で、満喜子とたま子が語る。満喜子は近江八幡を初めて訪れた時はこの街が好きになれなかったと言う。満喜子は留学したアメリカのスタイルが性に合っていると感じ、本当は帰国したくなかったのだが、横浜に帰港する際に見えた富士の頂に、日本人としての誇りを感じたのだ。ヴォーリズが書いた近江兄弟社の「湖畔の声」発刊の辞を朗読することで劇は終わる。


ウィリアム・メレル・ヴォーリズ本人は登場しないが、建築や日本近現代史が好きな人にはとても楽しめる朗読劇である。また、「主題と変奏」による劇作法にも惹かれる。
ヴォーリズは音楽好きで、作詞作曲なども手掛けていたため、音楽を入れるのも良い。オリジナル曲の他に、賛美歌「いつくしみ深き(「星の世界」というタイトルでも知られる)」も演奏された。

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