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2018年7月20日 (金)

観劇感想精選(247) 広田ゆうみ+田中遊 「耳で楽しむ古事記」上巻連続上演

2018年7月8日 京都・松原京極商店街のカフェギャラリー ときじくにて観劇

今日は特に予定はなかったのだが、松原京極商店街にあるカフェギャラリー ときじくで「耳で楽しむ古事記」というイベントをやっているのでそれに行くことにする。

「耳で楽しむ古事記」は、京都で活躍している田中遊と広田ゆうみによる朗読劇。「古事記」は原文は「漢文+万葉仮名」で書かれているのだが、そのままでは読めないので、書き下し文が読まれ、更に現代語訳が朗読される。適宜映像や小道具などを加えての上演である。今回は5部に分けての上演であり、この世の成り立ちから天孫降臨までを描いた上巻が朗読される。

記紀と呼ばれることもある「古事記」と「日本書記」。正史である「日本書紀」に対して、「古事記」は皇統の正当性を説く歴史物語であり、歴史そのものではなく様々な彩りのあるロマン溢れる物語となっているのが特徴である。まだ小説や物語文といった観念のない時代に生まれており、リアリズムからは外れた(後世から見ると)大胆な展開が見られる。地方の伝承なども多く取り入れているため、後代では何を指しているのか分からない部分も多く、「古事記伝」の本居宣長を始めとする多くの国学者や国文学者、日本史学者、民俗学者が訓詁注釈に挑む日本最古にして最大のミステリー書とも捉えられる。

失われた歴史書である「帝紀」と「旧辞(くじ)」の内容を諳んじている稗田阿礼という人物が暗唱したものを太安万侶が書き取ることで成り立ったと伝わる「古事記」。稗田阿礼は猿女(さるめ)氏の出身とされ、大和郡山の稗田環濠集落にある売太(めた)神社に主祭神として祀られているが、生没年も性別もわかっておらず架空の人物説もある。舎人なので男であると中世から近世に掛けては思われていたが、阿礼というのが女性の名前であること、稗田氏は代々女官が輩出する家だったこと、また暗唱するだけで自ら書き記さなかったのは読み書き教育を受けていない女だったからではないのかという理由により、国学隆盛期以降は女性とされることも多い。
売太神社には2012年に行ったが、古事記成立1300年ということで記念の幟が沢山立っていた。

太安万侶は奈良市内に陵墓が発見されており、実在の人物と見られている。

日本の歴史の面白いことは天地創造がないことで、天地は始めから存在し、「神」も性別も正体もよくわからないものであるが最初からいる。

イザナギとイザナミが柱の周りを巡り、この時、母系社会が父系社会に入れ替わった象徴的に描かれるのだが、描かれただけで、そう簡単に社会は変わらない。日本はアジアにおいては極めて異例というほど女性が活躍しており、女帝も何人もいる(中国王朝史においては女帝は則天武后ただ一人、朝鮮王朝史上は新羅時代に三人である)。日本の場合は連続して女帝が生まれたり、重祚した人までいる。

男女が入れ替わっているのではないかというケースも存在し、それを象徴するように、中巻においては日本武尊が熊襲を騙すために女装するシーンがある。更に下巻には史実とは逆に「女摂政が立った」という記述が存在する。

上巻は黛敏郎のドイツ語オペラ「古事記」で、中巻の神武東征は信時潔の交声曲(カンタータ)「海道東征」で描かれており、音楽との相性も良い。

2部ずつの上演であり、途中に1時間ほどの休憩がある。

様々な神が生まれるうちに、天照大神、月読命、素戔嗚尊の三姉弟が生まれる。それぞれ、昼間、夜、海を支配する神様である。月読命(ツクヨミ)だけは影が薄いが、太古の夜は今と違って真っ暗。何も出来ないし怖れの対象であるため、神としてドラマティックはエピソード生まれにくかったのかも知れない。それでも暦などは月を基本に設定されたため、重要な神様(性別不明)である。月が海に影響を及ぼすということも太古からわかっていたのだろう。読み方から「着く黄泉」と取れるのも面白い。伊勢神宮内宮から近鉄五十鈴川駅に向かう途中に月読宮があり、京都にも松尾大社の近くに月読神社がある。
ただ、この中に陸地の神様はいない。陸地の神様は大国主命だと考えられるが、この時点では大国主命は異朝の神であったと思われる。かつて出雲を中心とした地域に朝鮮渡来の民族が一大勢力を誇っており、吉備などを従えていた。大和王朝には青銅の剣しかなかったが、出雲王朝は大陸由来の鉄の精製技術を持っており、古代日本のヒッタイト状態で圧倒的に強い。というわけで、出雲王朝を倒すべく、古代の国盗り物語が始まる。神々に寿命がない時代にあって、大国主命だけは何度も死んでは甦っているが、大国主命の正体が何度が入れ替わっていることを暗示しているように思う。

大国主命が主人公となる第三部では行灯社による伴奏が加わり、終了後には行灯社によるミニコンサートがある。フルートとアイリッシュ・ハープによる女性デュオ、歌も唄う。イギリスと北欧の民謡を中心としたプログラム。いわゆる耳コピーで曲を覚えられるようだ。アイリッシュ・ハープを使っているからかどうかはわからないが、どことなくケルティックな印象を受ける。エンヤが加わって歌を歌い始めても違和感がないような。
アンコールは予定していなかったようだが、「1万マイル」という曲の弾き語りを行う。「500マイル」でも遠いのに「1万マイル」は比較にならない。メートル法に直すと1万6093キロ。地球の半径が約1万3000キロ、地球1周が約4万キロだからいかに遠いかがわかる。

第4部に少名彦命が登場する。その名の通り、名を問われても名乗らない神様である(言葉が通じなかったのかも知れない)。おそらく日本と朝鮮半島の間で通信のようなことをしていた部族が神格化されたものだと思われる。少名彦命の招待を当たる「山田のかかし」は、日本で最も有名な山田という地名に何があるかを思い浮かべるとわかる。伊勢山田には伊勢神宮外宮があり、ここの神官の家だった山田氏の本家は日本屈指の名家である。ということで豊受大神らしいことがわかるのだが、かかしとは何かという謎がある。「足が不自由だった」とあり、他の神のように動き回れないことがわかる。伊勢神道ではこれをもって天之御中主神と同一視しているのだが、果たしてそうか。天照大神はよく卑弥呼なのではないかという説が唱えられるが、だとすれば豊受大神は、すでに名前に「トヨ」という読みが入っていることからも分かる通り、台与ということになるのだが。
国譲りでは、鹿島神(タケミカヅチ)が大活躍する。藤原氏の氏神である春日大社では、タケミカヅチは藤原氏を補佐する軍神で東方よりやって来たとしている。ということは名付けるなら征北狄将軍的役割をしていたのは藤原氏の祖の中臣氏ということになる。中臣氏の根拠地は現在の京都・山科で、関門海峡から瀬戸内海、淀川、宇治川、琵琶湖(当時はまだ日本海側に通じている)を経て、北陸、丹後に至る「天安河ライン」の中枢に位置している。

「古事記」では、兄が政治を受け持つが上手くいかず、弟に位を譲ると大成功となるケースが執拗に語られている。これが何を意味するのかは、「古事記」の編纂を命じたのが天武天皇であることを考えれば明々白々で、「自分(天武)が兄である天智天皇の子である大友皇子を滅ぼして天皇となったのは皇位簒奪には当たらない」と主張したかったからに他ならない。「日本書紀」に天武天皇は天智天皇より6歳年上とあることを根拠に天智と天武は実の兄弟ではないとする説もあるが、「古事記」でここまで愚兄賢弟を描いていることを考えれば、天智と天武は実の兄弟で間違いないと思われる。
さて、最初の男兄弟同士の争いが海彦、山彦の間で起こる。日本のカインとアベルともいうべき存在だが、二人の間にもう一人、正体がよく分からない男の神がいる。正体不明ということを軸に考えると、聖徳太子のモデルになった人の可能性が浮かび、とすれば海彦・山彦は蘇我と物部という飛鳥時代の二大勢力に例えられる。ちなみに蘇我氏については渡来系氏族説の他に、有力皇族説もある。

そしていよいよニニギノミコトによる天孫降臨があり、猿田彦が登場し、天鈿女命が猿女に名を変え(猿女氏の子孫が稗田氏である)、玉依姫(下鴨神社の祭神)が登場し、日本の初代天皇である神武天皇が生まれる。この神武天皇家来というのが徹底して愚兄賢弟なのだが、それは中巻でのお話である。ちなみに太安万侶は神武天皇の子孫である多(おお)氏の出であるとされる。

正午にスタートして全てが終わったのは午後8時近く。帰る時にようやく広田さんにご挨拶。途中で「古事記」解釈の話をしてしまうとよろしくないので、意図的に話掛けなかったのである。


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2018年4月24日 (火)

コンサートの記(375) ローム ミュージック フェスティバル 2018 二日目(楽日)

2018年4月22日 左京区岡崎のロームシアター京都にて

今日も、ローム ミュージック フェスティバル 2018を聴くためにロームシアター京都に出向く。昨日も今日もロームシアターのある左京区岡崎までは歩いて往復した。

 

今日最初に行われるコンサートは林美智子らメゾ・ソプラノ歌手達の共演であるリレーコンサートCであるが、これはチケットを買わずにパスして、午後3時30分開演のリレーコンサートDから聴く。

ロームシアターに着いたのはローム・スクエアで行われる立命館高校吹奏楽部の演奏が準備に入っているところで、何の音もしていないという時間帯であった。サウスホールからはリレーコンサートCを聴き終えた人々が続々と出てくるのが見える。

 

午後3時30分から、ロームシアター京都サウスホールで、リレーコンサートD 朗読劇「兵士の物語」~彼の運命や如何に!?を聴く。

曲目は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番(ヴァイオリン独奏:玉井菜採)、ブーレーズの「ドメーヌ」(クラリネット独奏:亀井良信)、ストラヴィンスキーの「兵士の物語」(朗読:西村まさ彦、ヴァイオリン:玉井菜採、コントラバス:佐野央子、クラリネット:亀井良信、ファゴット:佐藤由起、トランペット:三澤慶、トロンボーン:今込治、打楽器:西久保友広)。西村まさ彦(本名である西村雅彦から改名)が登場するという、ある意味、今回のローム ミュージック フェスティバル最大の目玉ともいうべき公演である。

まずは、玉井菜採(たまい・なつみ)の独奏によるJ・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番。
関西では聴く機会も多い玉井菜採。京都市生まれ、大津市育ちのヴァイオリニストである。母親は京都市交響楽団のヴァイオリン奏者であった。桐朋学園大学在学中にプラハの春国際コンクール・ヴァイオリン部門で優勝。桐朋学園大学卒業後にアムステルダム・スヴェーリンク音楽院、ミュンヘン音楽大学に学ぶ。ミュンヘン音楽大学在学中にローム・ミュージック・ファウンデーションの奨学生となっている。J・S・バッハ国際コンクール最高位獲得、エリザベート王妃国際コンクールやシベリウス国際コンクールで入賞と、コンクール歴も華麗である。

玉井のヴァイオリンは艶があり、歌も淀みがない。演奏スタイルやスケールもバッハに合っており、上質の演奏を繰り広げた。

ピエール・ブーレーズが書いたクラリネット独奏のための作品である「ドメーヌ」。6片の楽譜からなるが演奏する順番は決まっておらず、楽譜は縦から読んでも横から読んでもOKという、ブーレーズらしい尖った作品である。縦からも横からも読める楽譜がどういうものを指すのかはわからないが、五線譜に書かれたものではないであろう。

クラリネットの亀井良信は、桐朋女子高校音楽科(共学)卒業後に渡仏。パリ市12区立ポール・デュカ音楽院とオーベルヴィリエ・ラ・クールヌーヴ地方国立音楽院をいずれも1位で卒業。ブーレーズに認められて、騎馬オペラ団ZINGAROのソリストに起用されたこともある。現在はソリストとしての活動の他、桐朋学園大学准教授も務める。

暗闇の中、亀井が忍び足で登場。6つある譜面台の内、上手奥の譜面から演奏を始める。6つとも当然ながら現代的曲調だが個性は様々。「怒りのブーレーズ」と呼ばれ、様々な権威に挑戦して先鋭的な作品を生み出して来たブーレーズだが、今聴くと案外わかりやすい音楽であることがわかる。思いのほかメロディアスであり、少なくともブーレーズよりも後に登場した現代音楽作曲家の作品に比べると把握のしやすい内容である。思えば現在では「傑作」として誰もが認める作品が初演時に「メロディーがない」と批評されたという事実がある。

様々な特殊奏法が駆使されるが、亀井は余裕を持ってこなしていく。

10分間の休憩を挟んで、メインであるストラヴィンスキーの「兵士の物語」。ロシア革命の翌年である1918年に書かれた作品だが、ストラヴィンスキーもご多分に漏れずロシア革命に巻き込まれて財産を失い、人が雇えないので小編成で演奏可能な舞台上演用作品を、ということで書かれたのがこの曲である。
テキスト日本語訳は新井鷗子。

物語は、許嫁のいる故郷に帰る途中の兵士・ジョセフが悪魔と出会い、愛用しているヴァイオリンを手放す代わりに未来が読める本を得たということから始まる。ジョセフは文盲であったが、悪魔から渡された本は読むことが出来た。悪魔のお屋敷で2日を過ごしたジョセフだが、実際の世の中では3年が過ぎていた。故郷に帰ったジョセフであるが、人々はジョセフはもう死んだものだと思い込んでおり、「幽霊が出た」と思って門扉を堅く閉ざしてしまう。許嫁ももう他の男と結婚しており、子どもまでいた。失意の内に隣国にやって来たジョセフは未来が読める本のお陰で巨万の富を得るが友達はゼロになり、女にももてず、食欲も減退して心は全く満たされない。そんな時、その国の王様がお触れを出す。お姫様がどんな名医でも治すことの出来ない病気に罹患しており、治すことが出来る者が現れたらその者に姫をやろうというものであった。どう治療すればいいか知っていたジョセフは王宮へと向かうのだが、再び悪魔が現れ……、というもの。人間の幸福と芸術の問題が語られる寓話である。

朗読担当の西村まさ彦は、テレビや映画、舞台でお馴染みの俳優。出世作はエキセントリックな指揮者を演じた「MAESTRO(マエストロ)」である。富山商業高校卒業後、東洋大学に進学するが高校時代の失恋を引きずったままであり、ほとんどキャンパスに通うことなく中退。出身地である富山市の写真専門学校に入り、この時に文化祭のようなもので演劇(専門学校のM先生が書いた坂本龍馬を主役にしたオリジナル作品だったという)に初めて触れている。一時、カメラマンの助手になるが、地元のアマチュア劇団で演劇の面白さに触れ、俳優を目指して再び上京。劇団文化座に所属しつつ、様々な劇団に客演を重ねていた(文化座は無断外部出演がばれたら首だったらしい)。知り合いを通じて三谷幸喜が主宰していた東京サンシャインボーイズに入団し、看板俳優となる。1990年代前半にはすでに、佐々木蔵之介、堺雅人、升毅、古田新太らと並んで小劇場のエース的存在として注目を浴びていた。彼らの中で一番最初にお茶の間での人気を得たのが西村である。
現在では俳優業の他に、出身地である富山市などでの演劇ワークショップ講師を務めるほか、大正大学表現学部の特任客員教授として後進の育成にも当たっている。
舞台俳優としては演劇の新たなる可能性を探究しており、劇作家ではなく構成作家など演劇畑以外の作家を起用した公演を行っている。

玉井と亀井以外の演奏メンバーを紹介していく。
佐野央子(さの・なかこ)は東京藝術大学および同大学院出身のコントラバス奏者。小澤征爾音楽塾塾生などを経験し、現在は東京都交響楽団のコントラバス奏者である。
佐藤由起(さとう・ゆき)は桐朋学園大学卒業後、シドニー大学大学院修士課程を修了したファゴット奏者。シドニー大学大学院時代にシドニー交響楽団契約奏者として活動している。小澤征爾音楽塾などを経て現在はNHK交響楽団のファゴット奏者を務めている。
三澤慶は東京音楽大学卒業後にフリートランペッターとして活躍。現在は東京室内管弦楽団トランペット奏者でもある。東京音楽大学在学中に京都・学生フェスティバルに参加。
今込治(いまごめ・おさむ)は大友良英ビッグバンドなどで活躍するトロンボーン奏者。東京藝術大学卒業後、ロストック音楽演劇大学も卒業。横浜シンフォニエッタのシーズンメンバーでもある。東京藝大在学中に京都・学生フェスティバルに参加している。
打楽器の西久保友広は東京音楽大学卒業同大学院修了。在学中にKOBE国際学生音楽コンクール打楽器部門の最優秀賞および兵庫県教育委員会賞を受賞。JILA音楽コンクール打楽器部門1位、神戸新聞文化財団松方ホール音楽賞大賞などを受賞している。小澤征爾音楽塾に参加。現在は読売日本交響楽団打楽器奏者を務める。

西村は全身黒の衣装で登場。朗読を始める前に何度も咳き込んで、客席のみならず演奏者からも笑いが起こる。
語りであるが、いかにも西村まさ彦らしい味のあるものである。ジョセフという兵士の朴訥な感じもよく伝わってくる。

ストラヴィンスキーの音楽であるが、ファゴットが「春の祭典」を想起させる旋律を吹いたりはする。ただ、後年、「カメレオン作曲家」と呼ばれる傾向は見えており、多彩な音楽語法が使用されている。

 

午後6時から、ローム ミュージック フェスティバル 2018の最終公演であるオーケストラ コンサート Ⅱ 天才と英雄の肖像を聴く。メインホールでの上演である。演奏は下野竜也指揮の京都市交響楽団。

曲目は、天才・モーツァルトのピアノ協奏曲第20番(ピアノ独奏:小林愛実)とリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」

昨日に引き続き、朝岡聡がナビゲーターを務めて、前半後半とも演奏開始前に一人で現れて楽曲の紹介と解説を行った。

コンサートマスターに泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平という布陣は昨日と同様である。

モーツァルトのピアノ協奏曲第20番。ソリストの小林愛実(こばやし・あいみ)は1995年、山口県宇部市生まれの若手。5歳でピアノ全国大会の決勝に進出、9歳で国際デビューを果たし、14歳でEMIからCDデビュー、サントリーホールでのリサイタル日本人および女性演奏家最年少記録保持者という神童系ピアニストである。桐朋女子高校音楽科に全額奨学金特待生として入学。現在はローム奨学生としてフィラデルフィアのカーティス音楽院で学んでいる。

下野と京響はピリオドスタイルを採用。音色も旋律の歌い方もモダンスタイルとは明らかに異なる。今日は昨日とは違って3階席正面5列目で聴いたのだが、メインホールの3階席でピリオドスタイルの演奏を聴くのはやはり厳しいように思う。音が小さすぎる。

小林のピアノは冒頭から仄暗さと輝きという相反する要素を止揚した極めて優れたものである。孤独の告白の部分は勿論だが、第2楽章のような一見典雅な曲調であっても常に涙を滲ませている。第1楽章と第3楽章のカデンツァは聴き慣れないものだったが、誰のものを使用したのかは不明である。

今の日本人若手ピアニストはまさに多士済々。技術面で優れているだけでなく極めて個性的な逸材が顔を揃えている。ピアニストが書いた本を読むと、今はもうバリバリ弾けるのは前提条件で、和音を作る際にどの指に最も力を入れるかなど、かなり細かい解釈と計算を行っていることがわかる。技巧面で完璧なら問題なしという時代はとっくに終わったようだ。20世紀スタイルのピアノを弾いている人は段々仕事が減っていくかも知れない。

小林のアンコール演奏は、ショパンの夜想曲第20番(遺作)。冒頭は遅めのテンポで痛切な感じを出し、主部は立体感を出しと孤独と悲しみを歌う。そのままのスタイルでいくのかと思ったが、舞曲風の場面では快活さを前面に出すなど一筋縄ではいかないピアノであった。相当な実力者と見て間違いないだろう。

リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。リヒャルト・シュトラウスは下野の得意レパートリーの一つである。京響の機能面での充実が感じられる好演となった。
ステージ上をびっしりと埋めるオーケストラ。メインホールの音響は残響こそ1秒もないほどだが音の通りは良く、個々の楽器の音がクッキリと聞こえる。これにより、下野の肺腑を衝く高い音楽性が明らかになっていく。ヴァイオリン群と低弦群、管楽器群の対話の明確さなど、リヒャルト・シュトラウスの意図が手に取るようにわかる。
惜しむらくは終盤が一本調子になってしまったことだが、日本を代表する存在とはいえまだ50歳にもならない指揮者による演奏であるため、完璧を望むのは酷だろう。音の充実だけを取ればヨーロッパの第一級のオーケストラに匹敵する水準に達していたように思う。



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2017年3月27日 (月)

しんらん交流館大谷ホール 山城地区同朋大会 節談説教「親鸞聖人御一代記」より

2017年3月11日 真宗大谷派東本願寺(真宗本廟) しんらん交流館大谷ホールにて

午後2時から、しんらん交流館にある大谷ホールで、節談(ふしだん)説教「親鸞聖人御一代記」よりを拝聴。大徳寺の東にある唯明寺の住職で、真宗大谷派山城第2組組長、元立命館常務理事である亀田晃巖(こうがん)による節談説教が行われる。節談説教は落語のルーツといわれ、江戸時代から昭和初期に掛けては積極的に行われたようだが、現在、真宗大谷派で行っているのは亀田晃巖のみであるようだ。山城地区同朋大会の中で行われるため、ポスターには「一般来聴歓迎」と書かれている。入場無料である。
以前、岡崎別院で亀田晃巖の節談説教を聞いたことがあり、内容はその時と同じである。

まず、真宗宗歌を皆で歌うのであるが、一応、真宗の歌はCDで買って聴いてはいるものの、伴奏が安っぽいので繰り返しては聴いていない。ということで歌えない。ただ音の進行は大概の楽曲においては決まっているので、適当に誤魔化すことも可能であり、そうした。

まず、関係者による挨拶があった後で、亀田晃巖による講義となるが、亀田は「講義なんてそんなものはしません」と言って、話を始める。今日はしんらん交流館に来る前に、以前に学校法人立命館の常務理事だったことから、立命館宇治高校に行ってきて挨拶もしたそうだが、その時とは「見える風景が違う」という話から始まる。若い人達は「前途洋々」「未来はこの手の中に」といった風で生き生きしているが、しんらん交流館大谷ホールにいる面々は、年を召した方が中心で、「老病死」の苦を十分に味わった人ばかりである。ただそういう方々も若者に「そう上手くはいかんよ」と教える必要があると亀田は語る。
東本願寺(現在の正式名称は真宗本廟)は、江戸時代に大火で4度も焼失している。徳川将軍家の保護を受けていたため、3度までは徳川将軍家が再建のための費用を負担してくれたが、4度目の大火は幕末の禁門の変による「どんどん焼け」によるもので、再建に取りかかろうとした時には徳川幕府の時代は終わっており、徳川将軍家そのものが亡くなっていた。ということで、門徒の協力によって再建された。亀田は「今、そんなことやろうと思っても出来ませんよ」と言う。今は熱心な門徒が減ってしまっている。

その後、節談説教についての説明。落語は新京極六角にある浄土宗西山深草派総本山誓願寺の安楽庵策伝が「醒睡笑」を表したのが始まりといわれ、安楽庵策伝という人はとにかく話の巧い人だったそうで、しかも話の最後に必ず落ちをつける(落ちをつけるので落語である)人だったそうだ。こうして落語の元となる節付説教と呼ばれるものが生まれ、真宗においては節談説教と呼ばれるようになる。ここから落語の他にも講談、説教浄瑠璃、説教節などが派生していく。
亀田晃巖の祖父である亀田千巖という人が節談説教の名人であり、元日と正月2日以外は説教師として日本中を飛び回っていて、追っかけがいるほどの大人気だったそうだ。
そして節談説教のために唯明寺が場所を移して再興され(東本願寺の近くにあったが、禁門の変で全焼。明治、大正を通して存在せず、昭和になって再興)、評判を聞きつけた小沢昭一や永六輔らが唯明寺にやって来て、小沢昭一は「節談説教」を覚えて録音し、レコードを残しているという。


休憩を挟んで、節談説教「親鸞聖人御一代記」より。亀田晃巖は高座に上がって語る。
まず「やむこをば預けて帰る旅の空 心はここに残しこそすれ」という和歌で入る。
京都へ帰ることを決めた親鸞。だが、親鸞を慕う関東の人達が京へと向かう親鸞の後をずっと付いてくる。次の村まで、次の村までと思うのだが、思い切れず、結局、箱根山まで付いてしまう。ここから先は関東ではない。ということで、親鸞も人々とお別れを言う。箱根山を下りたところで人々は「今生の別れ」とむせび泣く。そこで、親鸞は一番弟子の性信(しょうしん。性信坊という名で登場する)に関東に留まるよう告げる。親鸞は性信坊に道中仏を託し、「あの同行(どうぎょう。門徒のこと)の中から鬼の下に走る者が出ないよう、教えを貫くよう性信坊に伝える。涙ながらに関東に戻った性信は、関東での布教に励む。だが、その30年後、本尊である阿弥陀如来の顔が汗まみれになっているのを見て驚く。考えてみれば師の親鸞も齢すでに90。親鸞の身に何かあったに違いないと悟った性信は慌てて京に上るのだった。


最後は、「恩徳讃Ⅱ」を皆で歌って閉会となる。

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2016年12月25日 (日)

観劇感想精選(195) 朗読劇「芽吹きの雨」

2016年12月18日 河原町通今出川下ルのP-actにて観劇

午後3時から、河原町通今出川下ルにある、小空間「P-act」で、イストワールhistoire第5話 朗読劇「芽吹きの雨」を観る。飛鳥井かゞりと得田晃子の二人による軽い動きを付けた朗読劇である。元々はラジオドラマのために書かれた作品の舞台上演。原作は、Grace      N Fletcher作の「The Bridge of Love」を平松隆円が監訳した「メレル・ヴォーリズと一柳満喜子 愛が架ける橋」。作・演出:高橋恵、企画制作:虚空旅団、協力:P-act。音楽&キーボード演奏:三木万侑加。
「『イストワール』は、後世に語り継がれる力のある作品づくりを目指し、関西に実在した人物や実際に起こった事件などを題材とするシリーズ」であるという。

建築家、実業家として知られる、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(日本名:一柳米来留)の夫人、一柳満喜子(ひとつやなぎ・まきこ)を主人公とした朗読劇。

近江八幡が舞台。ヴォーリズと結婚した一柳満喜子(ヴォーリズ満喜子。飛鳥井かゞり)は、華族出身ということもあり、近江八幡の人々から敬意の眼差しを向けられているのだが、クリスチャンであり、「皆平等」という価値観を持つ満喜子はそれが不満だった。満喜子は、近江八幡の農家の出である、たま子(得田晃子)に、近江ミッション(のちの近江兄弟社)の土地に「Play Ground」を作りたいと語る。子供達が自由に遊べて学べる場所だ。たま子もそれに賛成するが、満喜子が「向こうの長屋の子達も通わせたい」というと強く反対する。向こうの長屋に住むのは売春婦とその子供達だ。しかし満喜子は、「富める者も貧しき者も、聖職者でも売春婦の子でも、皆平等に、Play Groundに集えるのが理想」だと語る。Play Groundの創設は近江ミッションから「黙認」という形で認められる。

かくして発足した学び舎。しかし、乱暴な子供もいて、たま子は手を焼く。障子は全て破られてしまうそうで、「紙を貼らずに格子戸にしたどうか」などと提案する。ある14歳の男の子などは体格も良くて、たま子も恐怖を感じて叱るに叱れない。「聖書には、『右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ』とあるけれど、それは難しい」と嘆くたま子。だが、満喜子は「左の頬を差し出しましょう」と提案。男の子20人全員は無理だけど、15人なら自宅に呼べると言って、招待することにする。15人の男の子達は、満喜子の自宅に来ると、案の定、暴れまくり、家具を壊すなどしたが、満喜子が根気強く子供達に話しかけ続けた結果、男の子達は大人しくなり、満喜子の言うことを聞くことになった。実は満喜子も本当に成功するのかどうか不安であったのだが上手くいった。
ここまでが実は最初の小さな主題であり、これが後に変奏されていくというパターンの台本である。


満喜子の母親は、満喜子が9歳の時に亡くなった。敬虔なクリスチャンであり、「汝の敵を愛せ」という言葉を信念としていた。満喜子の父親は大名家の出身(城持ちではなく、陣屋を政庁とする小大名である)であったが、江戸時代の大名さながら、妾を沢山こしらえ、侍女にまで手を出したそうで、満喜子と満喜子の母親は妾やその子供達と共に暮らさなければならないという境遇に耐えてきたという。封建制の時代ならともかく、新しい世では正妻にとってそんな生活は苦辱でしかなかった。母にとっては満喜子とキリスト教だけが心の支え。満喜子は母親の心を受け継ぎ、キリスト教精神に基づく愛のある平等な学び舎を築こうとしていたのだ。

ヴォーリズは、英語教師と赴任していた滋賀県立商業学校(現・滋賀県立八幡商業高校。野球部が強いことで知られ、有名OBに東北楽天ゴールデンイーグルスのエースである則本昂大がいる)で聖書研究のサークルを作ったことが問題視され、学校を馘首されていた。当時、ヴォーリズは初設計建築となる近江八幡のYMCA(現在はYMCAではないが、建物自体は外面が改修されているものの現存する)の落成を目の前にしていた頃だった。その後、ヴォーリズは建築に本格的に取り組む。朝の連続テレビ小説「あさが来た」の主人公のモデルとなった広岡浅子は、一柳満喜子の兄である恵三を娘婿に迎えており、ヴォーリズと満喜子は広岡浅子を通して知り合ったようである。広岡浅子のことはこの朗読劇には出てこない。

のちに清友園(現・ヴォーリズ学園。昨年、近江兄弟社学園から名称変更したようである)となる学びの場に、マサコとハマコという姉妹が入ってくる。マサコは下肢障害があり、ハマコは聴覚障害者である。たま子は二人の扱いに困ると言うが、満喜子は、アメリカ留学時代に聴覚障害のあるフローレンスという子と同室だったという話をする。フローレンスは生まれつき耳が聞こえず、話すのにも不自由していたが、その分、甘やかされており、髪をとかすのも人にやって貰って当然という態度であった。満喜子はフローレンスの面倒を見るのを拒否してフローレンスからなじられるが、後にフローレンスから、「一人で生きていけるようにしてくれてありがとう」とお礼の手紙を受け取ったそうである。障害者であってもこの世界で十分に生きていけるように育てる。それが満喜子の目標となった。
寄付金を受けて、ヴォーリズは清友園のための学舎(現・ハイド記念館)を設計。光を多く取り込めるように窓は大きく、音楽が学べるようパイプオルガンも着いていた。

冬の終わりから春の初めにかけて降る雨を近江八幡では、「芽吹きの雨」というのだと、たま子は満喜子に語る。満喜子は、「神は草木が育つのも助けてくれるのだ」と解釈する。

90人もの生徒を抱えるまでに成長した清友園。だが、ヴォーリズと満喜子の間には子供がいない。ヴォーリズは建築家としての仕事と実業家との仕事の他に、寄付金などを集めるために世界中を飛び回る必要があり、家を空けることが多かったのだが、大正12年9月1日に関東大震災が発生し、その際、ヴォーリズが設計した建物は崩れ落ちなかったということで建築家としての仕事が殺到し、夫婦の時間を過ごすことが難しくなっていた。ヴォーリズと満喜子は結婚1周年の日(紙婚式)も別々に過ごしており、満喜子は「多忙な夫だから仕方がない」と受け入れていた。だが、夫にも父のように他の女がもしいたら、と不安になる。

1941年12月8日、日米開戦。アメリカ人であるヴォーリズは敵国の人間として留置される可能性も出てきた(ロシア出身のヴィクトル・スタルヒンも敵性外国人として、軽井沢での拘留生活を送っている)。そこで、ヴォーリズが日本に帰化し、ヴォーリズと満喜子は一時的に離婚して、ヴォーリズが一柳家の戸主となり、名を一柳米来留(ひとつやなぎ・めれる)と改め、満喜子と再婚するという離れ業を使うことになる(満喜子は、ヴォーリズ満喜子から元の名である一柳満喜子に戻る)。米来留という漢字には、「米国から来て日本に留まる」という意思が込められていた。それでもヴォーリズと満喜子を見る近江八幡の人の視線に満喜子は冷たいものを感じる。そんな折、米来留が心臓発作を起こして倒れる。近江兄弟社の結核療養所(現・ヴォーリズ記念病院)が軍に接収され、結核の患者は家に戻るよう命令が下されたということもあり、夫妻は軽井沢の山荘(ヴォーリズ山荘。現・浮田山荘)で療養することに決める。その後、米来留は東京帝国大学の職を得ることが出来たが、健康状態が不安定なため、満喜子は心配する。
近江兄弟社は軍により、全ての部屋に神社の写真と裕仁天皇の写真を飾るよう強要される。

困窮生活の中、満喜子は一緒に来て欲しいと頼んだたま子に、軽井沢でも学園を生み出したいという希望を語り、それは成功する。

米来留が自伝を著す。タイトルは『失敗者の自叙伝』。理想が高いため、思う通りに行かない自分を失敗者と見做すという屈折した本である。だが、満喜子は、『失敗者の自叙伝』に書かれた新婚時代の米来留の心境を知り、安心を得るのだった。
そして満喜子は米来留の心境を思う。満喜子も米国留学の際、レストランで店員に「ホットドッグ」を勧められるも、本当に「温めた犬」のことだと勘違いして、「そんなものいりません!」と言ってしまい、そのため空腹のまま列車に乗る羽目になり、途中の駅で降りて何か食べようと思ったものの焦っていたために英語が出てこなくなり、日本語でしか話せなくなってしまう。モタモタしているうちに列車は発車してしまって満喜子はパニックに……、実は発車してしまったというのは満喜子の勘違いで、向きを変えるために一時的にホームを離れただけだったのだが、そうした異国での孤独を思い出し、夫もまたそうだったのだろうと気づく。

軽井沢での芽吹きの雨の季節。たま子は満喜子に、「戦争もまた芽吹きの雨なのか」と問いかける。この戦争は神が望んだものなのかと。満喜子は、「神は人間に自由意志を与え給うた。だから自由になった人間は他人を愛さなくてはいけない」と語る。人間が神の意志に背いたと見るのだ。

米来留は、元首相である近衛文麿公爵に手紙を送り、その後、帝国ホテルでの近衛とマッカーサーによる会談を仲介し、裕仁天皇に有利な条件で話を進めることに成功する。実は後の研究により、ヴォーリズは幼少時にマッカーサーとニアミスしていたらしいことがわかっているのだが、本人同士も知らなかったことのようなので、そのこととは別に関係がないと思われる。

チフスで倒れた満喜子だったが、近江八幡の人達が満喜子に卵などの食料を送ってくれる。近江八幡の人々は二人を敬遠していたわけではなかったのだ。

舞台は再び近江八幡。琵琶湖に面した場所で、満喜子とたま子が語る。満喜子は近江八幡を初めて訪れた時はこの街が好きになれなかったと言う。満喜子は留学したアメリカのスタイルが性に合っていると感じ、本当は帰国したくなかったのだが、横浜に帰港する際に見えた富士の頂に、日本人としての誇りを感じたのだ。ヴォーリズが書いた近江兄弟社の「湖畔の声」発刊の辞を朗読することで劇は終わる。


ウィリアム・メレル・ヴォーリズ本人は登場しないが、建築や日本近現代史が好きな人にはとても楽しめる朗読劇である。また、「主題と変奏」による劇作法にも惹かれる。
ヴォーリズは音楽好きで、作詞作曲なども手掛けていたため、音楽を入れるのも良い。オリジナル曲の他に、賛美歌「いつくしみ深き(「星の世界」というタイトルでも知られる)」も演奏された。

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