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2018年4月24日 (火)

コンサートの記(375) ローム ミュージック フェスティバル 2018 二日目(楽日)

2018年4月22日 左京区岡崎のロームシアター京都にて

今日も、ローム ミュージック フェスティバル 2018を聴くためにロームシアター京都に出向く。昨日も今日もロームシアターのある左京区岡崎までは歩いて往復した。

 

今日最初に行われるコンサートは林美智子らメゾ・ソプラノ歌手達の共演であるリレーコンサートCであるが、これはチケットを買わずにパスして、午後3時30分開演のリレーコンサートDから聴く。

ロームシアターに着いたのはローム・スクエアで行われる立命館高校吹奏楽部の演奏が準備に入っているところで、何の音もしていないという時間帯であった。サウスホールからはリレーコンサートCを聴き終えた人々が続々と出てくるのが見える。

 

午後3時30分から、ロームシアター京都サウスホールで、リレーコンサートD 朗読劇「兵士の物語」~彼の運命や如何に!?を聴く。

曲目は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番(ヴァイオリン独奏:玉井菜採)、ブーレーズの「ドメーヌ」(クラリネット独奏:亀井良信)、ストラヴィンスキーの「兵士の物語」(朗読:西村まさ彦、ヴァイオリン:玉井菜採、コントラバス:佐野央子、クラリネット:亀井良信、ファゴット:佐藤由起、トランペット:三澤慶、トロンボーン:今込治、打楽器:西久保友広)。西村まさ彦(本名である西村雅彦から改名)が登場するという、ある意味、今回のローム ミュージック フェスティバル最大の目玉ともいうべき公演である。

まずは、玉井菜採(たまい・なつみ)の独奏によるJ・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番。
関西では聴く機会も多い玉井菜採。京都市生まれ、大津市育ちのヴァイオリニストである。母親は京都市交響楽団のヴァイオリン奏者であった。桐朋学園大学在学中にプラハの春国際コンクール・ヴァイオリン部門で優勝。桐朋学園大学卒業後にアムステルダム・スヴェーリンク音楽院、ミュンヘン音楽大学に学ぶ。ミュンヘン音楽大学在学中にローム・ミュージック・ファウンデーションの奨学生となっている。J・S・バッハ国際コンクール最高位獲得、エリザベート王妃国際コンクールやシベリウス国際コンクールで入賞と、コンクール歴も華麗である。

玉井のヴァイオリンは艶があり、歌も淀みがない。演奏スタイルやスケールもバッハに合っており、上質の演奏を繰り広げた。

ピエール・ブーレーズが書いたクラリネット独奏のための作品である「ドメーヌ」。6片の楽譜からなるが演奏する順番は決まっておらず、楽譜は縦から読んでも横から読んでもOKという、ブーレーズらしい尖った作品である。縦からも横からも読める楽譜がどういうものを指すのかはわからないが、五線譜に書かれたものではないであろう。

クラリネットの亀井良信は、桐朋女子高校音楽科(共学)卒業後に渡仏。パリ市12区立ポール・デュカ音楽院とオーベルヴィリエ・ラ・クールヌーヴ地方国立音楽院をいずれも1位で卒業。ブーレーズに認められて、騎馬オペラ団ZINGAROのソリストに起用されたこともある。現在はソリストとしての活動の他、桐朋学園大学准教授も務める。

暗闇の中、亀井が忍び足で登場。6つある譜面台の内、上手奥の譜面から演奏を始める。6つとも当然ながら現代的曲調だが個性は様々。「怒りのブーレーズ」と呼ばれ、様々な権威に挑戦して先鋭的な作品を生み出して来たブーレーズだが、今聴くと案外わかりやすい音楽であることがわかる。思いのほかメロディアスであり、少なくともブーレーズよりも後に登場した現代音楽作曲家の作品に比べると把握のしやすい内容である。思えば現在では「傑作」として誰もが認める作品が初演時に「メロディーがない」と批評されたという事実がある。

様々な特殊奏法が駆使されるが、亀井は余裕を持ってこなしていく。

10分間の休憩を挟んで、メインであるストラヴィンスキーの「兵士の物語」。ロシア革命の翌年である1918年に書かれた作品だが、ストラヴィンスキーもご多分に漏れずロシア革命に巻き込まれて財産を失い、人が雇えないので小編成で演奏可能な舞台上演用作品を、ということで書かれたのがこの曲である。
テキスト日本語訳は新井鷗子。

物語は、許嫁のいる故郷に帰る途中の兵士・ジョセフが悪魔と出会い、愛用しているヴァイオリンを手放す代わりに未来が読める本を得たということから始まる。ジョセフは文盲であったが、悪魔から渡された本は読むことが出来た。悪魔のお屋敷で2日を過ごしたジョセフだが、実際の世の中では3年が過ぎていた。故郷に帰ったジョセフであるが、人々はジョセフはもう死んだものだと思い込んでおり、「幽霊が出た」と思って門扉を堅く閉ざしてしまう。許嫁ももう他の男と結婚しており、子どもまでいた。失意の内に隣国にやって来たジョセフは未来が読める本のお陰で巨万の富を得るが友達はゼロになり、女にももてず、食欲も減退して心は全く満たされない。そんな時、その国の王様がお触れを出す。お姫様がどんな名医でも治すことの出来ない病気に罹患しており、治すことが出来る者が現れたらその者に姫をやろうというものであった。どう治療すればいいか知っていたジョセフは王宮へと向かうのだが、再び悪魔が現れ……、というもの。人間の幸福と芸術の問題が語られる寓話である。

朗読担当の西村まさ彦は、テレビや映画、舞台でお馴染みの俳優。出世作はエキセントリックな指揮者を演じた「MAESTRO(マエストロ)」である。富山商業高校卒業後、東洋大学に進学するが高校時代の失恋を引きずったままであり、ほとんどキャンパスに通うことなく中退。出身地である富山市の写真専門学校に入り、この時に文化祭のようなもので演劇(専門学校のM先生が書いた坂本龍馬を主役にしたオリジナル作品だったという)に初めて触れている。一時、カメラマンの助手になるが、地元のアマチュア劇団で演劇の面白さに触れ、俳優を目指して再び上京。劇団文化座に所属しつつ、様々な劇団に客演を重ねていた(文化座は無断外部出演がばれたら首だったらしい)。知り合いを通じて三谷幸喜が主宰していた東京サンシャインボーイズに入団し、看板俳優となる。1990年代前半にはすでに、佐々木蔵之介、堺雅人、升毅、古田新太らと並んで小劇場のエース的存在として注目を浴びていた。彼らの中で一番最初にお茶の間での人気を得たのが西村である。
現在では俳優業の他に、出身地である富山市などでの演劇ワークショップ講師を務めるほか、大正大学表現学部の特任客員教授として後進の育成にも当たっている。
舞台俳優としては演劇の新たなる可能性を探究しており、劇作家ではなく構成作家など演劇畑以外の作家を起用した公演を行っている。

玉井と亀井以外の演奏メンバーを紹介していく。
佐野央子(さの・なかこ)は東京藝術大学および同大学院出身のコントラバス奏者。小澤征爾音楽塾塾生などを経験し、現在は東京都交響楽団のコントラバス奏者である。
佐藤由起(さとう・ゆき)は桐朋学園大学卒業後、シドニー大学大学院修士課程を修了したファゴット奏者。シドニー大学大学院時代にシドニー交響楽団契約奏者として活動している。小澤征爾音楽塾などを経て現在はNHK交響楽団のファゴット奏者を務めている。
三澤慶は東京音楽大学卒業後にフリートランペッターとして活躍。現在は東京室内管弦楽団トランペット奏者でもある。東京音楽大学在学中に京都・学生フェスティバルに参加。
今込治(いまごめ・おさむ)は大友良英ビッグバンドなどで活躍するトロンボーン奏者。東京藝術大学卒業後、ロストック音楽演劇大学も卒業。横浜シンフォニエッタのシーズンメンバーでもある。東京藝大在学中に京都・学生フェスティバルに参加している。
打楽器の西久保友広は東京音楽大学卒業同大学院修了。在学中にKOBE国際学生音楽コンクール打楽器部門の最優秀賞および兵庫県教育委員会賞を受賞。JILA音楽コンクール打楽器部門1位、神戸新聞文化財団松方ホール音楽賞大賞などを受賞している。小澤征爾音楽塾に参加。現在は読売日本交響楽団打楽器奏者を務める。

西村は全身黒の衣装で登場。朗読を始める前に何度も咳き込んで、客席のみならず演奏者からも笑いが起こる。
語りであるが、いかにも西村まさ彦らしい味のあるものである。ジョセフという兵士の朴訥な感じもよく伝わってくる。

ストラヴィンスキーの音楽であるが、ファゴットが「春の祭典」を想起させる旋律を吹いたりはする。ただ、後年、「カメレオン作曲家」と呼ばれる傾向は見えており、多彩な音楽語法が使用されている。

 

午後6時から、ローム ミュージック フェスティバル 2018の最終公演であるオーケストラ コンサート Ⅱ 天才と英雄の肖像を聴く。メインホールでの上演である。演奏は下野竜也指揮の京都市交響楽団。

曲目は、天才・モーツァルトのピアノ協奏曲第20番(ピアノ独奏:小林愛実)とリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」

昨日に引き続き、朝岡聡がナビゲーターを務めて、前半後半とも演奏開始前に一人で現れて楽曲の紹介と解説を行った。

コンサートマスターに泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平という布陣は昨日と同様である。

モーツァルトのピアノ協奏曲第20番。ソリストの小林愛実(こばやし・あいみ)は1995年、山口県宇部市生まれの若手。5歳でピアノ全国大会の決勝に進出、9歳で国際デビューを果たし、14歳でEMIからCDデビュー、サントリーホールでのリサイタル日本人および女性演奏家最年少記録保持者という神童系ピアニストである。桐朋女子高校音楽科に全額奨学金特待生として入学。現在はローム奨学生としてフィラデルフィアのカーティス音楽院で学んでいる。

下野と京響はピリオドスタイルを採用。音色も旋律の歌い方もモダンスタイルとは明らかに異なる。今日は昨日とは違って3階席正面5列目で聴いたのだが、メインホールの3階席でピリオドスタイルの演奏を聴くのはやはり厳しいように思う。音が小さすぎる。

小林のピアノは冒頭から仄暗さと輝きという相反する要素を止揚した極めて優れたものである。孤独の告白の部分は勿論だが、第2楽章のような一見典雅な曲調であっても常に涙を滲ませている。第1楽章と第3楽章のカデンツァは聴き慣れないものだったが、誰のものを使用したのかは不明である。

今の日本人若手ピアニストはまさに多士済々。技術面で優れているだけでなく極めて個性的な逸材が顔を揃えている。ピアニストが書いた本を読むと、今はもうバリバリ弾けるのは前提条件で、和音を作る際にどの指に最も力を入れるかなど、かなり細かい解釈と計算を行っていることがわかる。技巧面で完璧なら問題なしという時代はとっくに終わったようだ。20世紀スタイルのピアノを弾いている人は段々仕事が減っていくかも知れない。

小林のアンコール演奏は、ショパンの夜想曲第20番(遺作)。冒頭は遅めのテンポで痛切な感じを出し、主部は立体感を出しと孤独と悲しみを歌う。そのままのスタイルでいくのかと思ったが、舞曲風の場面では快活さを前面に出すなど一筋縄ではいかないピアノであった。相当な実力者と見て間違いないだろう。

リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。リヒャルト・シュトラウスは下野の得意レパートリーの一つである。京響の機能面での充実が感じられる好演となった。
ステージ上をびっしりと埋めるオーケストラ。メインホールの音響は残響こそ1秒もないほどだが音の通りは良く、個々の楽器の音がクッキリと聞こえる。これにより、下野の肺腑を衝く高い音楽性が明らかになっていく。ヴァイオリン群と低弦群、管楽器群の対話の明確さなど、リヒャルト・シュトラウスの意図が手に取るようにわかる。
惜しむらくは終盤が一本調子になってしまったことだが、日本を代表する存在とはいえまだ50歳にもならない指揮者による演奏であるため、完璧を望むのは酷だろう。音の充実だけを取ればヨーロッパの第一級のオーケストラに匹敵する水準に達していたように思う。



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2018年4月23日 (月)

コンサートの記(374) ローム ミュージック フェスティバル 2018 初日

2018年4月21日 左京区岡崎のロームシアター京都にて

左京区岡崎にあるロームシアター京都で開催される、ローム ミュージック フェスティバル 2018を聴きに行く。今日はホール内で行われる全ての公演、サウスホールで行われるリレーコンサートA「成田達輝×萩原麻未デュオ・コンサート」、リレーコンサートB「ザ・スピリット・オブ・ブラス」、オーケストラ コンサートⅠ「にっぽん」と「ジャポニズム」~我が故郷の調べに接する。ローム・スクエア(中庭)では中学高校の吹奏楽部の演奏が合間合間に行われており、今日は、京都市立桂中学校吹奏楽部、龍谷大平安高校吹奏楽部、大阪桐蔭高校吹奏楽部の演奏が行われていた。桂中学校や龍谷大平安の吹奏楽部はオーソドックスな演奏だったのだが、大阪桐蔭高校はとにかく個性的。まず吹奏楽部員が歌う。更にダンスが始まり、今度はミュージカル、ラストでは女子生徒が空箱に入って串刺しにするというマジックまで披露。もはや吹奏楽部ではなくエンターテインメント部である。やはり大舞台である甲子園の常連校(今春も選抜制覇)はやることが違う。無料パンフレットに記載された部の紹介も他の学校は挨拶程度だが、大阪桐蔭高校吹奏楽部だけは全国大会や海外コンクールでの華々しい成績が並んでいる。


サウスホールで行われるリレーコンサートA「成田達輝×萩原麻未デュオ・コンサート」は、午後1時開演。曲目は、アルベニスの「タンゴ」、ファリア作曲(フリッツ・クライスラー編曲)「スペイン舞曲」、ラヴェルのヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番、ラヴェルの「ツィガーヌ」、ドビュッシーのヴァイオリンとピアノのためのソナタ、クロールの「バンジョーとフィドル」、リムスキー=コルサコフの「熊蜂の飛行」、サラサーテの「カルメン幻想曲」

たびたびデュオ・コンサートを行っている成田達輝と萩原麻未。萩原の方がYouTubeに載っていた成田の演奏を見て共演を申し込んだそうである。萩原は最近ではソロよりも室内楽の方に興味があるようだ。ただ、今年の7月には奈良県の大和高田市や出身地である広島市などでソロ・リサイタルを開く予定がある。萩原は昨年の10月にピアノ・リサイタルツアーを行っており、私もいずみホールでの公演のチケットを取ったのだが、風邪のために行けなかった。

技巧派の成田と個性派の萩原の組み合わせ。スペインものとフランスものを軸にしたプログラムだが、ラヴェルやドビュッシーを弾いた時の萩原麻未が生み出す浮遊感が印象的。重力に逆らうような音であり、やはりセンスがないとこうした音を奏でることは出来ないと思う。

成田のヴァイオリンは情熱的で骨太。男性的なヴァイオリンである。伸び上がるように弾いたり、床の上を少しずつ滑るように体を動かすのも個性的だ。構築感にも長けた萩原のピアノをバックに成田が滑らかな歌を奏でていく。理想的なデュオの形の一つである。

今日は、例えはかなり悪いが発狂した後のオフィーリアのようなドレスで登場した萩原麻未。純白のドレスであるが、ロングスカートや腕にスリットが入っている。演奏を始める時に、成田の方を振り返って上目遣いで確認を行うのも魅力的だったりする。

開演前に背後の方で、「萩原さんのお母さんにご挨拶して、似てらっしゃいますよねえ」と語っている男性がいたので、誰かと思ったら作曲家の酒井健治氏だった。その萩原麻未のお母さんは結構有名人のようで、色々な人に挨拶を受けていた。


間の時間に平安神宮に参拝する。


午後4時からは、サウスホールで行われるリレーコンサートB「ザ・スピリット・オブ・ブラス」。ローム ミュージック フェスティバルの参加者は、ほぼ全員ローム ミュージック ファンデーションの奨学生や在外研究生、ロームが主催する京都・国際音楽学生フェスティバル出演者や小澤征爾音楽塾塾生なのだが、「ザ・スピリット・オブ・ブラス」は、ロームに援助を受けた12人の金管奏者と打楽器奏者1名による団体である。メンバーは、菊本和昭(NHK交響楽団首席トランペット奏者、元京都市交響楽団トランペット奏者。元ローム奨学生)、伊藤駿(新日本フィルハーモニー首席トランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、杉木淳一郎(元新星日本交響楽団トランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、新穂優子(にいぼ・ゆうこ。Osaka Shion Wind Orchestraトランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、堀田実亜(ほった・みつぐ。ドルトムント・フィルハーモニー管弦楽団トランペット奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、日橋辰朗(にっぱし・たつろう。読売日本交響楽団首席ホルン奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、太田涼平(山形交響楽団首席トロンボーン奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、風早宏隆(かぜはや・ひろたか。関西フィルハーモニー管弦楽団トップトロンボーン奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)、古賀光(NHK交響楽団契約トロンボーン奏者。次期首席トロンボーン奏者就任見込み。元小澤征爾音楽塾塾生)、辻姫子(東京フィルハーモニー交響楽団副首席トロンボーン奏者。京都・国際学生フェスティバル出演)、藤井良太(東京交響楽団バストロンボーン奏者。京都・国際学生フェスティバル出演)、宮西淳(元台湾国家交響楽団首席テューバ奏者。京都・国際学生フェスティバル出演)、黒田英実(くろだ・ひでみ。女性。NHK交響楽団打楽器奏者。元小澤征爾音楽塾塾生)

曲目は、J・S・バッハの「小フーガト短調」(竹島悟史編曲)、パーセルの「トランペットチューン&エア」(ハワース編曲)、クラークの「トランペット、トロンボーンと金管アンサンブルのための『カズンズ』」(井澗昌樹編曲)、ドビュッシーの「月の光」(井澗昌樹編曲)、ハチャトゥリアンの「剣の舞」(井澗昌樹編曲)、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲より“スイス軍楽隊の行進”(竹島悟史編曲)、ガーデの「ジェラシー」(アイヴソン編曲)、「ロンドンデリーの歌」(アイヴソン編曲)、リチャーズの「高貴なる葡萄酒を讃えて」よりⅣ.ホック、カーマイケルの「スターダスト」(アイヴソン編曲)、マンシーニの「酒とバラの日々」(アイヴソン編曲)、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」(井澗昌樹編曲)

菊本和昭がマイク片手に進行役を務める。それぞれの奏者が入れ替わりでソロを取るスタイルだが、皆、楽団の首席級の奏者だけに腕は達者である。
ハチャトゥリアンの「剣の舞」では、打楽器奏者の黒田英実が木琴の他に、小太鼓、スネア、シンバルなどを一人で担当。リハーサルで他のメンバー全員が圧倒されたという超絶技巧を繰り広げた。

ちなみに、多くの曲の編曲を手掛けた井澗昌樹(いたに・まさき)は客席に来ており、菊本に呼ばれて立ち上げって拍手を受けていた。

「ラプソディ・イン・ブルー」は短めの編曲かなと思っていたが、かなり本格的なアレンジが施されており、聴き応えがあった。

アンコールは、バリー・グレイ作曲・竹島悟史編曲による「サンダーバード」。格好いい編曲であり、演奏であった。


午後7時からは、メインホールでオーケストラ コンサートⅠ「にっぽん」と「ジャポニズム」~我が故郷の調べを聴く。下野竜也指揮京都市交響楽団の演奏。
昨年のローム ミュージック フェスティバルの京都市交響楽団演奏会の指揮を務めたのは三ツ橋敬子、一昨年は阪哲朗であったが、いずれも出来は今ひとつ、ということもあったのか、今年は京都市交響楽団常任首席客演指揮者である実力者、下野竜也が起用された。下野もまたウィーン国立音楽大学在学中にローム奨学生となっている。

曲目は、前半に、外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」、武満徹の「3つの映画音楽」、酒井健治の「日本民謡によるパラフレーズ~オーケストラのための~」(オーケストラ版世界初演)という日本の音楽が並び、後半は日本が舞台となるプッチーニの歌劇「蝶々夫人」スペシャルハイライト版が上演される。
ナビゲーターとして、昨年のローム ミュージック フェスティバルにも参加した朝岡聡が起用されており、前半では楽曲の解説を、後半の「蝶々夫人」ではストーリーテラーを務める。

コンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。

外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」。
今日は1階席22列22番での鑑賞。残響は短いが直接音は良く聞こえる。良い席だと思える。下野の指揮は立体感の表出が見事。各楽器のメロディーの彫刻が丁寧であり、だからこそ優れた音響をオーケストラから引き出すことが出来るのであろう。音に宿る生命感も平凡な指揮者とは桁違いだ。

武満徹の「3つの映画音楽」。「ホゼー・トレス」「黒い雨」「他人の顔」の3つの映画の音楽を作曲者である武満本人がコンサート用に纏めたもの。「他人の顔」における苦み走ったワルツはショスタコーヴィチにも繋がる深さを持っている。下野の各曲の描き分けは流石の一言である。音の輪郭がクッキリとしていて迷いがない。

酒井健治の「日本民謡によるパラフレーズ~オーケストラのための~」。酒井がローム奨学生でもあった京都市立芸術大学在学中の1999年に、京都・国際音楽学生フェスティバル委嘱作品として発表したチェロとピアノのための曲を新たにオーケストラ用に編曲したものである。「箱根八里」や「さくらさくら」という民謡・童謡が用いられている。叙情的な楽曲であるが、酒井作品の本来の味わいはもっと先鋭的であり、酒井が終演後に「ああいう曲を書く人だと思われると困るな」と話しているのが耳に入った。

このコンサートは客席に有名人が多い。開演5分前に、「えー? 席どこ?」という感じで席を探している可愛らしい顔のお嬢さんがいるなと思ったら、萩原麻未さんであった。萩原さんはやはりというかなんというか成田君の隣の席だったようだ。なお、二人とも新幹線で今日中に帰る必要があるようで、前半が終わると帰って行った。
休憩時間にロビーに出ていると、井上道義がふらふら歩いているのが目に入る。その後、オペラ歌手と思われる女性を相手になにやら熱く語っていた。

後半、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」スペシャル・ハイライト版。演出:田尾下哲(たおした・てつ)、構成:新井鷗子、衣装:半田悦子、映像:田村吾郎、絵画:牛嶋直子、照明:西田俊郎。出演:木下美穂子(蝶々夫人)、坂本朱(さかもと・あけみ。スズキ)、宮里直樹(ピンカートン)、大山大輔(シャープレス)

オーケストラスペースの背後に段を置いて二重舞台とし、背景にスクリーン幕が下がる。ここに牛嶋直子の絵が投影される。日本語字幕は使用されず、朝岡聡がストーリーを説明してから場面が演じられる。ただ字幕がないので、詳しいセリフはわからない。「蝶々夫人」は何度も観ているオペラだが、セリフをすぐに思い出せるわけではない。
1時間以内に纏める必要があるということで、ピンカートンが現地妻を持とうという時の傲慢な態度、蝶々夫人とピンカートンの愛の二重唱、「ある晴れた日に」、花びらを撒く蝶々さんとスズキ、蝶々さんの自決と終幕など、駆け足での展開である。
歌手がステージ上のオーケストラより後ろにいるためか、声の通りが今ひとつに思えたところもあったが、全体的に歌唱は安定している。ただ女声歌手はともに声が細めのため、出番の短い男声歌手二人の方が存在感があるように感じた。上演上の制約の結果でもあるだろう。

下野の指揮はドラマティックにして色彩豊かで雄弁。遺漏のない出来であった。



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2018年4月16日 (月)

コンサートの記(372) 「漆原朝子のウィーン紀行」2007

2007年6月7日 大阪・淀屋橋の大阪倶楽部4階ホールにて

大阪へ。午後7時より、大阪倶楽部4階ホールにて、漆原朝子のヴァイオリン、三輪郁のピアノによる室内楽コンサート「漆原朝子のウィーン紀行」を鑑賞。
ヴァイオリンの漆原姉妹の妹である漆原朝子は1966年生まれ。東京藝術大学附属高校、東京藝術大学に学び、ジュリアード音楽院に留学。1988年に東京でデビュー。同年秋にはニューヨークでリサイタルを行い、絶賛されている。
年を取ってもなお……、いやいや、長いキャリアを誇りながらもチャーミングな容姿で人気の漆原朝子だが、得意レパートリーは、シューマン、ブラームス、シューベルトなど渋めである。高音の煌めきよりも、低音の豊かさが魅力のヴァイオリニストである。

「漆原朝子のウィーン紀行」というタイトル通り、ウィーンで活躍した作曲家の作品を並べたプログラム。モーツァルトの「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」K.376(モーツァルトの時代には、ヴァイオリン・ソナタの主役はまだピアノだったのである)、シューベルトのヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第2番、ウェーベルンのヴァイオリンとピアノのための4つの小品、クライスラーの「愛の悲しみ」、シューベルトの「幻想曲」D.934が演奏される。ウェーベルンが入っているというのが渋い。

会場となった大阪倶楽部は、大正13年(1924)竣工の名建築(国登録有形文化財)。大阪倶楽部は、大正時代に英国風の本格的社交クラブとして創設されている。会員制であり、普段は非会員は建物に中に入ることは出来ないのだが、今回は特別に入ることが出来る。ただし2階、3階は立ち入り不可。
4階のホールは、京都芸術センター(旧・明倫小学校)の講堂内によく似た作りである。

漆原のヴァイオリンはモーツァルトには余り向いていないようで、煌びやかなモーツァルトは味わえない。逆に三輪郁のピアノはモーツァルトが演奏が最も良かった。
モーツァルト以外の曲はいずれも優れた演奏。特にシューベルトの2曲は漆原の解釈の深さが感じられる秀演であった。
漆原朝子は可愛らしい顔をしているが、ひとたびヴァイオリンを構えると芸術家の顔に変貌する。それが印象的であった。

アンコールは2曲。いずれもクライスラーの作品で、「ウィーン風小行進曲」と「愛の喜び」が演奏された。

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2018年2月19日 (月)

コンサートの記(346) 京都フィルハーモニー室内合奏団室内楽コンサートシリーズ vol.65「ドラマチック・ロシア」

2018年2月15日 京都府立府民ホールALTIにて

午後7時から、京都府立府民ホールALTI(アルティ)で、京都フィルハーモニー室内合奏団室内楽コンサートシリーズ Vol.65「ドラマチック・ロシア」を聴く。

京都フィルハーモニー室内合奏団は、定期演奏会でも比較的珍しい曲を取り上げることが多いが、室内楽シリーズでは更にマニアックな曲をプログラミングしてくる。今日演奏される曲も実演でもCDでも聴いたことがないものばかりである。

曲目は、バラキレフの八重奏曲、グリンカの悲愴三重奏曲、エワルドの金管五重奏曲第4番、プロコフィエフの五重奏曲。曲目はトランペットの西谷良彦が監修したものだという。

出演メンバーは、岩本祐果(ヴァイオリン)、中野祥世(ヴァイオリン。契約団員)、松田美奈子(ヴィオラ)、佐藤響(チェロ)、金澤恭典(かなざわ・やすのり。コントラバス)、市川えり子(フルート)、岸さやか(オーボエ)、松田学(クラリネット)、小川慧巳(おがわ・えみ。ファゴット)、御堂友美(みどう・ゆみ。ホルン)、西谷良彦(トランペット)、白水大介(しろず・だいすけ。トランペット。客演)、村井博之(トロンボーン)、藤田敬介(チューバ。客演)、初瀬川未雪(はつせがわ・みゆき。ピアノ。客演)

バラキレフの八重奏曲。曲前のトークは中野祥世が受け持つ。バラキレフは早熟であり、この曲も13歳の時に書き始めている。ただバラキレフは遅筆であり、完成までに6年を要したそうである。
フルート、オーボエ、ホルン、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノという編成。
バラキレフは西欧の音楽を真似るのではなくロシアならではの音楽を書くことを目指し、ロシア五人組の頭目となった人物だが、初期作品ということもあり、西欧の古典派からの影響が濃厚である。ただ、木管の旋律などにはバラキレフの個性がすでに現れている。

グリンカの悲愴三重奏。クラリネット、ファゴット、ピアノの編成による曲。グリンカがイタリアに留学していた時代に書いた作品だそうで、松田学のトークによるとオペラ的な要素が感じられる曲だそうである。なお、2月15日はグリンカの命日だそうだが、これは偶然であり、曲目が決まってから会場を押さえるそうなのだがALTIが空いていたのがたまたま2月15日だったようである。
旋律が豊かであるが若書きということもあり、特に魅力的な作品とはなっていないような印象を受ける。

エワルドの金管五重奏曲第4番。トロンボーン奏者の村井博之のトーク。「エワルドという作曲家を知っている人は金管奏者に限られると思います」と語る。
トランペット2、ホルン、トロンボーン、チューバという編成。演奏時間30分の大曲である。
結構、高音を強調する傾向がある。金管の合奏だけに輝かしさがあり、旋律にも魅力がある。

プロコフィエフの五重奏曲。プロコフィエフだけは20世紀に活躍した作曲家である。1891年生まれだがこれはモーツァルトが死んでから丁度100年目に当たる。また逝去したのは1953年3月5日だが、全く同じ日にスターリンが他界している。ということで生年はモーツァルトの影に隠れ、没年月日はスターリンの方に注目が行くという不運の作曲家と見なされることもある。
ヴァイオリンの岩本祐果のトーク。ロシア革命を受けてアメリカへの亡命を決意したプロコフィエフはシベリア鉄道に乗って東へと向かう。アメリカへの途中に日本にも寄っているのだが、京都にも来ており、祇園に行ったそうである。五重奏曲は、オーボエ、クラリネット、ヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバスという編成で演奏されるが、こうした編成による五重奏曲は他にはほとんど例がないそうである。元々は「空中ブランコ」というサーカスのための音楽として書かれたものだが、今では室内楽曲として定着しているようだ。

個性的な音楽を書いたプロコフィエフ。五重奏曲もキュビズムの絵画の中に迷い込んだような趣を持つ。美しさ、崇高さ、野性的な部分、キッチュな要素などが渾然一体となった音世界である。

アンコールとして金澤恭典編曲による、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲より第2楽章が演奏された。

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2018年2月 8日 (木)

コンサートの記(343) 京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ・コンサートシリーズ 小谷口直子 室内楽演奏会 vol.2

2018年2月3日 京都コンサートホール アンサンブルホールムラタにて

午後2時から、京都コンサートホール アンサンブルホールムラタで、「京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ・コンサートシリーズ 小谷口直子 室内楽演奏会 vol.2」を聴く。京都市交響楽団の首席クラリネット奏者である小谷口直子が、京響の仲間達と繰り広げる室内楽シリーズの第2弾。出演は小谷口直子の他に、杉江洋子(ヴァイオリン)、上森祥平(うわもり・しょうへい。チェロ)、塩見亮(しおみ・たすく。ピアノ)。全員、東京藝術大学出身である。

曲目は、湯浅讓二の「クラリネット・ソリテュード」、武満徹の「カトレーンⅡ」、メシアンの「時(世)の終わりのための四重奏曲」。全て20世紀に書かれた作品である。

まずは小谷口直子のクラリネットソロによる湯浅讓二の「クラリネット・ソリテュード(孤独)」。無料パンフレットによると小谷口直子が大学4年生の時に卒業試験の曲として選んだ曲だそうである。演奏後に行われたトークによると、「昔は孤独に酔いしれることが出来た」そうだが、「今は仲間が欲しい」と思うようになったそうだ。
「クラリネット・ソリテュード」は、高い音色が駆使されており、倍音や和音の奏法も用いられている。メロディーラインは尺八で演奏するのに似つかわしいものであり、本当に尺八を念頭に置いて作曲されたのかも知れない。


武満徹の「カトレーンⅡ」。小谷口直子は、武満の著書である『音、沈黙と測りあえるほどに』に書かれた文章を無料パンフレットに載せているが、武満の音楽は本当に沈黙を埋めるように音が敷き詰められており、横への拡がりがある。フランス人から「日系フランス人作曲家」などとも賞された武満であるが、フランスの現代音楽作曲家でメシアンの「時の終わりのための四重奏曲」が音が佇立する傾向にあるのとは対照的である。またメロディーというよりも音の明滅に重点が置かれているようでもある。


オリヴィエ・メシアンの「時の終わりのための四重奏曲」。無料パンフレットに寄せられた小谷口直子の文章には、「“時の(世の)終わり”にあたる言葉が示すものは、戦争で破滅に向かうとか、長い抑留生活から連想されるようなものではなくて《過去や未来という概念の終わり、つまり永遠の始まりを表現したものだ》というメシアン自身の言葉」が紹介されており、おどろおどろしさよりも崇高な側面が強調されている。
小谷口がトークで、「演奏する方よりも聴く方がしんどいプログラムになっております」と発言したが、演奏時間50分、内容は難解ということで、聴きやすい音楽ではない。ただこの音楽の響きの美しさは伝わってくる。特に、クラリネット、チェロ、ヴァイオリンがソロを取る部分でそれは顕著であり、ラストのヴァイオリンとピアノのデュオはキリスト教的な「救い」の美に充ち満ちている。


アンコール演奏はなし。その代わりとして(?)出演者と聴衆による記念撮影がある。写真が後日、小谷口のブログに載せられるとのことだ。

アップされたブログはこちらである。

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2017年11月26日 (日)

楽興の時(17) 「テラの音 圓光寺第10回公演」

2017年11月19日 左京区北白川の真宗大谷派圓光寺にて

午後4時から、北白川にある真宗大谷派圓光寺で、「テラの音(ね) 圓光寺第10回公演」を聴く。今日は弦楽四重奏のコンサートである。
真宗大谷派圓光寺から、北に歩いて20分ほどのところに、紅葉の名所としても知られる臨済宗圓光寺があり、混同されることが多いそうだ。樋口住職によると、真宗大谷派圓光寺は、1970年に西本願寺のそばから北白川に移ってきたそうである。

北白川は、京都大学の教授達が疎水沿いに住んだことに端を発する高級住宅街であるが、真宗大谷派圓光寺があるのは、白川通より東の茶山の裏手であり、「熊出没注意」の看板もある山深いところである。京都の街は少し位置が変わるだけで表情が大きく変わる。

出演は全員、同志社女子大学学芸学部音楽科のOGである、高木玲(第1ヴァイオリン)、牧野貴佐栄(まきの・きさえ。第2ヴァイオリン)、野田薫(ヴィオラ)、桜井裕美(チェロ)の4人。弦楽四重奏曲は第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが並ぶ布陣になることが多いが、今日は下手から時計回りに、第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンと並ぶヴァイオリン両翼のポジショニングである。
トークは、テラの音主催である牧野貴佐栄が受け持ったが、牧野さんは一週間前に風邪を引いてしまったそうで、濁声であった。


曲目は、第1部が、ヴォーン・ウィリアムズの「グリーンスリーブス幻想曲」、モーツァルトのディヴェルティメント K.136、モーツァルトの歌劇「魔笛」より夜の女王のアリア(「復讐の心は炎と燃え」)と「パパパの二重唱」、プッチーニの「菊」、ハイドリヒ名義の「ハッピーバースデー変奏曲」。第2部が、菅野よう子の「おんな城主 直虎」のテーマ、伊福部昭の「ゴジラ」よりメインテーマ、久石譲の「もののけ姫」よりと「いのちの名前」(「千と千尋の神隠し」より)、荒井由実の「ルージュの伝言」(「魔女の宅急便」より)、幸松肇の「日本民謡組曲」(「さんさ時雨」、「ソーラン節」、「五木の子守唄」、「茶切節」)


全員、大学の音楽科卒で、ある程度のレベルは保証されているもののプロの専業演奏家ではないため、感心するほどの出来映えにはやはりならない。ただ、曲目がバラエティに富んでいて楽しめる。

第1部のラストでは、「新たに作曲された」という設定で、「ハッピーバースデー」の変奏曲が3曲演奏される。ハイドリヒ名義であるが、おそらくはメンバーによる編曲で、名義はスティーヴンソンのハイド氏と弦楽四重奏の父・ハイドンに由来するのだろう。3曲目はドヴォルザークの「アメリカ」カルテットを模した編曲であった。


第2部では、スタジオジブリの映画音楽が並ぶ。「もののけ姫」と「千と千尋の神隠し」は観ているが、「魔女の宅急便」はまだ観ていない。ジブリ作品自体、観たことのないものの方が多い。


「日本民謡組曲」。私の好きな「五木の子守唄」が入っている。被差別階級(農奴同然)の子守女の悲哀が歌われている曲であり、演奏も入魂といった感じで良かった。


アンコールとして、さだまさしの作曲で山口百恵の歌唱でも知られる「秋桜」が演奏された。

テラの音(ね) 真宗大谷派圓光寺10回記念公演

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2017年2月26日 (日)

楽興の時(14) 「テラの音 冬のクラシックコンサート」2017

2017年2月16日 京都市北区の真宗大谷派 唯明寺にて

午後7時から大徳寺の東にある真宗大谷派 唯明寺(ゆいみょうじ)で、「テラの音(ね) 冬のクラシックコンサート」を聴く。寺院の場合、神社と違って気軽に入れる施設の方が少ないということもあり(拝殿の前で参拝を終える神社と違って、寺院は建物の中に入らないとお参りも礼拝も出来ないということでセキュリティの問題もある)、普段は檀家しか入れない本堂の中に入れるのも「テラの音」の魅力である。

    
真宗大谷派 唯明寺は現在の住職である亀田晃巖(かめだ・こうがん)のお祖父さんが説法の名手であり、お祖父さんのファンが説法を聴くためのお堂が欲しいというので、80年前に建立した寺院だという。それまではお祖父さんは他の寺院の住職をしていたようだ。亀田晃巖も子供の頃は説法が好きではなかったのだが、今では落語のルーツとされる「節談(ふしだん)説教」に取り組んでおり、私も真宗大谷派岡崎別院で亀田の「節談説教」を聴いたことがある。

コンサートの前に亀田住職のお話。話し好きの人なので、どうしても挨拶や話が長くなってしまう。80年前は北大路から北は全面畑だったそうで、大宮通が北大路通から北に延びて新大宮通が開通し、街が出来ていく過程と唯明寺の歴史は重なっているそうだ。

「テラの音」は出演者はノーギャラだが、開催寺院のために「お志」を頂戴する。お志を投げ入れるための籠を亀田が動かして、その際にキーボードの前に置かれた譜面台が倒れてしまうというアクシデントがあった。

亀田住職は、「喋りすぎたし司会の人はカンカンなんちゃうか」と言って挨拶を終える。ちなみに司会といっても最初と最後に挨拶をするだけの人なのだが、唯明寺の檀家の代表さんで、実は立命館小学校の校長先生という「お偉いさん」だそうである。亀田は「お偉いさんをこき使ってまんねん」と冗談を言う。


今日はソプラノ歌手の加治屋菜美子、「テラの音」企画担当のヴァイオリニスト・牧野貴佐栄、ピアノの山口日向子の3人によるコンサート。
加治屋と牧野は共に同志社女子大学音楽学科の出身。また山口日向子は牧野貴佐栄の名古屋市立菊里高校音楽科時代の同級生だそうである。山口は菊里高校卒業後、東京芸術大学音楽学部器楽科に進学。同大学院音楽研究科修士課程器楽専攻修了。同大学院在学中に渡独してマンハイム音楽大学大学院を満点の成績で修了している。イタリアの第15回ロケッタ市国際音楽コンクールで第1位獲得。ロータリークラブ賞も受賞している。これもイタリアで行われた第23回イブラ国際音楽コンクールでは優秀賞とリスト特別賞を受けている。


今日はピアノはないので、ローランドのキーボードで代用する。
曲目は、第1部が、ヴェルディの「椿姫」から“乾杯の歌”、プッチーニの「ジャンニ・スキッキ」より“ねえ私のお父さん”、ショパンの前奏曲第7番、ヴィヴァルディの協奏曲「四季」から“冬”第2楽章、鈴木鎮一編曲による「キラキラ星変奏曲」、ヨハン・シュトラウスⅠ世「ラデツキー行進曲」、イタリア民謡「オーソレ・ミーオ」。第2部が、中田章の「早春賦」、冬の歌メドレー(「雪」、「かあさんの歌」、「雪の降る街を」、「スキーの歌」)、宮沢賢治作曲・林光の伴奏編曲による「星めぐりの歌」、金子みすゞの詩に石若雅弥が曲をつけた「わたしと小鳥とすずと」、小椋佳作詞・作曲の「愛燦燦」、永六輔作詞・いずみたく作曲の「見上げてごらん夜の星を」

「テラの音」企画者である牧野貴佐栄がマイクを手にトークを行うが、「乾杯の歌」が含まれているオペラのタイトルが浮かんで来なかったり、「ねえ私の父さん」の歌詞に出てくる川の名前を「ヴェッキオ川」と言ったり(ヴェッキオは橋=ポンテの名前。下を流れるのはアルノ川である)、3曲目はショパンの前奏曲第7番なのに、「続いてヴァイオリンの曲をお聴き頂きたいと思います」と言ってしまったりと、板についた感じがしない。

お寺の本堂ということで、音響がプラスに働くということは余りない。加治屋菜美子のソプラノも細く聞こえてしまうが、会場が音楽用の場所ではないため仕方ないだろう。

ショパンの前奏曲第7番。「太田胃散」のCM曲として知られている曲である。山口日向子は、「ある胃腸薬のコマーシャルで使われています」と話してから演奏。聴衆から笑いが起こった。
ちなみに、この曲のラスト近くには、手がかなり大きくないと弾けない和音があり、普通はアルペジオで処理するのだが、山口は音を抜くことで対処したようだ。


スズキメソッドの鈴木鎮一の編曲による「キラキラ星変奏曲」。ヴァイオリンとピアノのための編曲である。モーツァルトが作曲したピアノのための「キラキラ星変奏曲」の編曲。
牧野貴佐栄は、「キラキラ星」を「モーツァルトの作曲」と語ったが、これは間違いで、「キラキラ星」はフランス民謡で作者不詳である。
牧野はヴィオラよりもヴァイオリンの方がやはり合っていると思うが、ハスキーな音色を出したり、音程が上ずったりという難点がある。リハーサルの時間も十分に取れるわけではないので、仕方ないといえば仕方ないのかも知れないが。


ウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサートの掉尾を飾る曲として知られる、ヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」。聴衆も手拍子を入れながら音楽を楽しんだ。

第1部最後の曲は、イタリア民謡「オーソレ・ミーオ」。牧野が、「イタリアの恰幅の良い歌手が歌っているようなイメージがありますが」と語るが、そうしたイメージを作り出したのはおそらくルチアーノ・パヴァロッティだろう。パバロッティは「オーソレ・ミーオ」を十八番としていた。
女声による「オーソレ・ミーオ」は男声による同曲歌唱とは異なる。男声歌手が歌うと、「朗らかな情熱の響き」がするのだが、女声歌手が歌うとどことなく寂しそうだ。歌詞自体が女性が歌うようなものではないということも影響しているだろう。
山口が弾いた「ハバネラ」のリズムを強調した伴奏は面白い。


第2部の第1曲は「早春賦」。加治屋がマイクを手に、「今の季節のピッタリ」として選んだことを語ったのだが、第3番の歌詞では「恋への憧れ」という解釈で歌ったのでそれを意識して欲しいと予め述べる。会場が会場だけに不利だが、伸びやかな声は楽しめる。

冬の歌メドレーでは、「雪」、「かあさんの歌」、「雪の降る街を」、「スキーの歌」の4曲が歌われる。加治屋が、「皆さんも歌って下さい」と言うので、「雪」、「かあさんの歌」、「雪の降る街を」は私も含めて多くの人が口ずさんだが、「スキーの歌」は聴いたことはあってもよく知らないでの歌えない。他の人も同様のようで、「スキーの歌」に入った途端に歌声が止んだ。日本においてフランス音楽の影響を受けた最初期の作曲家である橋本國彦作曲の「スキーの歌」は、おそらく雪国の小学校では教えられているのだろうが、私のように千葉県というスキー場皆無(湾岸スキーヤーと称した「ららぽーとスキードーム」などはあったが)の場所ではまず歌われないだろう。


宮沢賢治作詞・作曲の「星めぐりの歌」。CMでも用いられたことがあり、東北出身の歌手などもこの曲をよく取り上げている。宮沢賢治は、チェロやオルガンが弾けたため、譜面も読めるし、メロディーを作ることも難しくはなかったと思われるが、詞とメロディーだけは作ったものの、伴奏を作曲していないという。武満徹のように「歌い手に任せるために敢えて伴奏を書かなかった」ケースもあるが宮沢賢治は音楽の専門家ではないため、対位法などには通じておらず、伴奏を作曲するだけの技能を持ち合わせていなかったということだと思われる。
今日は、現代音楽の作曲家としては平易な楽曲を多く書いたことで知られる林光作曲の伴奏による演奏。細かなピアノの粒立ちが星々の煌めきを表現しているかのようだ。


金子みすゞの詩「わたしと小鳥とすずと」に石若雅弥がメロディーをつけた楽曲。実は、金子みすゞの童謡にメロディーをつけた作品はとても多い。だが、どれも金子みすゞの言葉に音楽が負けてしまい、「これは」と言った楽曲は生まれていないというのが現状である。そもそも金子みすゞの童謡は読んでこそ魅力が味わえれというもので、音楽に向いていないとも思える。
石若雅弥がメロディーをつけた「わたしと小鳥とすず」も、作品自体が持つ「静謐さ」を音楽は破らざるを得ないため、「悪くはないんだけど」という印象にとどまる。


「愛燦燦」。小椋佳の作詞・作曲で、美空ひばりの歌唱でも知られている。加治屋がこの曲を知ったのは美空ひばりバージョンでも小椋佳バージョンでもなく、美空ひばりの歌真似をしている青木隆治の映像で見て引き込まれたのだという。
「クラシックの歌手が『愛燦燦』を歌うとどうなるか」ということだったが、クラシックの歌唱法は整いすぎて、この曲が持つ良い意味での素朴さを消してしまうように聞こえた。


「見上げてごらん夜の星を」。永六輔作詞・いずみたく作曲、坂本九歌唱による作品である。唯明寺住職の亀田晃巖によると、永六輔は小沢昭一と共に唯明寺に来たことがあるそうである。
この曲はヴァイオリンとピアノの伴奏、ソプラノの独唱にとてもよく合っているように感じた。


アンコールは、「蛍の光」もメロディーを取り入れた歌曲「空より高く」。前半はオリジナルメロディーだが後半「蛍の光」の旋律が挿入されている。

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2017年2月21日 (火)

コンサートの記(276) ゲヴァントハウス弦楽四重奏団来日演奏会2014京都

2014年11月7日 京都府立府民ホールALTIにて

午後7時から、京都府立府民ホールアルティで、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団の来日演奏会を聴く。

ゲヴァントハウス弦楽四重奏団は、その名からもわかる通り、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーから成る弦楽四重奏団であり、1809年結成という世界最古の弦楽四重奏団とされる(当然ながらメンバーは入れ替わっている)。メンバーはいずれも首席奏者から選ばれるようだ。

現在のゲヴァントハウス弦楽四重奏団のメンバーは、コンラート・ズスケ(第2ヴァイオリン。苗字からも分かるとおり、カール・ズスケの息子である)、ユルンヤーコブ・ティム(チェロ)、フランク=ミヒャエル・エルベン(第1ヴァイオリン)、オラフ・ハルマン(ヴィオラ)。

曲目は、モーツァルトの弦楽四重奏曲第15番、メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第6番、モーツァルトの弦楽四重奏曲第19番「不協和音」。

アルティは、残響可動システムを導入しているが、天井が高いということもあって、弦楽四重奏曲を演奏するには余り向いていないように感じた。響かないのでどうしてもスケールが小さく感じられてしまう。

東ドイツであった時代から、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は渋い響きを出すといわれ、一部では「東ドイツはお金がないので安い楽器しか買えないためだ」などといわれたりもしたが、今日もゲヴァントハウス弦楽四重奏曲のメンバーは渋めの音を出しており、伝統的にこうした音を守り抜いてきたのだと思われる。

モーツァルトの弦楽四重奏曲第15番は、第1楽章の哀切な旋律が特徴。アルバン・ベルク・カルテットのCDで愛聴してきたが、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団の音色はアルベン・ベルク・カルテットほどウエットではない。

メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第6番も悲哀に満ちた作風。メンデルスゾーンの姉であるファニーがなくなってから2ヶ月後に着手され、2ヶ月で完成。「ファニーへのレクイエム」となっている。
ゲヴァントハウス弦楽四重奏団も真摯な演奏で、自分達の大先輩であるメンデルスゾーンの音楽を歌い上げる。

モーツァルトの弦楽四重奏曲第19番「不協和音」。第1楽章の冒頭で、調性が定まらないため「不協和音」というタイトルが付いた。今現在「不協和音」と聞いて思い浮かべるようなものではなく、「不安定な音楽だ」程度の感じなのだが、モーツァルトの生前は斬新な作品であったといわれる。

調性が安定してからはいかにもモーツァルトらしいチャーミングな音楽となり、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団も格調の高い演奏を示した。

アンコールは2曲。

まず、ハイドンの弦楽四重奏曲第81番「ロプコヴィッツ四重奏曲」より第2楽章。たおやかな曲と演奏である。

そして最後はモーツァルトのセレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」第1楽章・弦楽四重奏版。颯爽とした演奏であった。

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2017年2月12日 (日)

コンサートの記(274) チェコ・フィルハーモニー・ストリング・カルテット@京都2017 「これが聴きたい~アンコール“超名曲”ベスト20!」

2017年2月3日 京都コンサートホールにて
午後7時から、京都コンサートホールで、チェコ・フィルハーモニー・ストリング・カルテット(チェコ・フィル・ストリングカルテット)の来日演奏会を聴く。

今回は、「これが聴きたい~アンコール“超名曲”ベスト20!」と題した名曲コンサートである。
テレビCMでも使われるような名曲、通俗名曲と呼ばれたりもするが、そうした誰もが耳にしたことのあるクラシック曲というものは、実は実演に接する機会は稀である。
通俗名曲と呼ばれることからも分かるとおり、一段低いものと思われる傾向があるのだ。それでも、ヘルベルト・フォン・カラヤンなどは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して、通俗名曲のアルバムを多く作っているが、マーラーやブルックナーなどの大曲路線が顕著になると、一流の指揮者が通俗名曲を録音することすら皆無に等しくなる。

EMIが、まだ東芝EMIだった頃(東芝も最近、危なくなってきたが)、名曲アルバムが少なくなったのを嘆いて、アンドルー・デイヴィスやウォルフガング・サヴァリッシュを起用して、名曲小品だけのアルバムを作ったことがあったが、それももう30年以上前のことだ。

ポピュラーの名曲は競ってカバーされ、最近ではカバーアルバム供給過多の傾向があるが、クラシックは真逆である。
大阪のザ・シンフォニーホールでは、ブルガリアのソフィア・ゾリステンを招いて名曲コンサートをやっていたり、関西フィルハーモニー管弦楽団が真夏にポップスコンサートをやっていたりするが、京都では京都フィルハーモニー室内合奏団がたまにやるぐらいで、聴く機会は少ない。


曲目は、前半が、モーツァルトのセレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」より第1楽章、J・S・バッハの「G線上のアリア」、モーツァルトの「トルコ行進曲」、ベートーヴェンの「エリーゼのために」、シューマンの「トロイメライ」、ブラームスの「ワルツ」、ショパンの「子犬のワルツ」、ドヴォルザークの「ユモレスク」、ハチャトゥリアンの「剣の舞」。後半が、オッフェンバック(オッフェンバッハ)の歌劇「天国と地獄」序曲より、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」、バダジェフスカの「乙女の祈り」、レハールの「メリー・ウィドゥ・ワルツ」、モンティの「チャールダーシュ」、ピラソラの「リベルタンゴ」、ビートルズの「イエスタデイ」、グレン・ミラーの「ムーンライト・セレナーデ」、ロドリゲスの「ラ・グランパルシータ」、デューク・エリントンの「A列車で行こう」

チェコ・フィルハーモニー・ストリング・カルテットは、その名の通り、東欧随一の名門オーケストラであるチェコ・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーによって組織された弦楽四重奏団。1992年結成され、チェコ・フィルの本拠地であるルドルフィヌムでの室内楽シリーズを行っている。2007年に初来日し、今回が9度目の来日というから、ほぼ毎年来日演奏会を行っていることになる(同じく、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の楽団員からなるチェコ・フィルハーモニー弦楽四重奏団という団体があるがそれとは別の団体である。チェコ・フィルハーモニー弦楽四重奏団の英語表記は、チェコ・フィルハーモニック・カルテットだ)。

メンバーは、マグダレーナ・マシュラニョヴァー(第1ヴァイオリン。チェコ・フィル第2アシスタント・コンサートマスター)、ミラン・ヴァヴジーネク(第2ヴァイオリン。チェコ・フィル第1ヴァイオリン奏者)、ヨゼフ・シュパチェク(チェロ。チェコ・フィル首席代理チェロ奏者)、ヤン・シモン(ヴィオラ。チェコ・フィル・ヴィオラ奏者。プロ・アルテ・アンティクア・プラハのリーダー)。


今日は、前から2列目、真ん真ん中の席である。京都コンサートホールは前の方の席は音が余りよくないのだが、今日は問題なく聴くことが出来た。
京都コンサートホール(大ホール)は、オーケストラ演奏用なので、室内楽向きではない。チェコ・フィルハーモニー・ストリング・カルテットのメンバーが最初の音を出した時には、「音、ちっちゃ!」と思ったのだが、すぐに慣れる。

第1ヴァイオリンのマグダレーナ・マシュラニョヴァーが、マイクを手に、テキストを横目で見ながら、「皆さん、こんにちは(ソワレなので「こんばんは」だが、外国人だからわからなくてもいいだろう)。本日はようこそいらっしゃいました。最後までゆっくりお楽しみ下さい」と日本語で挨拶してから演奏スタート。
名曲が並ぶということもあり、室内楽のコンサートにも関わらず、京都コンサートホールには結構、人が入っている(ポディウム席、ステージサイド席などは販売されていない)。

チェコ人は、ビロードという言葉が好きで、民主化も「ビロード革命」と呼ばれているが、チェコ・フィルの弦の音色も「ビロード」と称される。正直、技術面ではいくつか怪しいところもあったのだが、音色は温かで心地よく、上品でもある。


ブラームスの「ワルツ」の演奏前に、メンバー紹介がある。第2ヴァイオリンのミラン・ヴァヴジーネクが、「日本の食べ物美味しいです」と日本語で言い、ヴィオラのヤン・シモンは、「味噌ラーメン、餃子、寿司、刺身、チャーハン」などと好きな日本食を挙げていく。チェロのヨゼフ・シュパチェクは、「豚骨ラーメン最高!」。マグダレーナ・マシュラニョヴァーは、「やっぱりお酒が美味しいです」と言っていた。

チェコの国民的作曲家であるドヴォルザークの「ユモレスク」の演奏前にもマグダレーナ・マシュラニョヴァーは、「日本語、とっても難しいです」と言い、「Japanese is so difficult for me.」と英語で言って、英語で、「プラハや我が国(our country)へお越し下さい」と述べた後で、日本語で「プラハへお越し下さい」と語る。
チェコ語も日本人が学習するには相当難しいのだろう。そもそもメンバーの名前も舌を噛みそうなものばかりだ。


名曲ばかりなので、演奏について書いてもさほど意味があるとも思えないので、エピソードを連ねていく。

日本では人気のバダジェフスカの「乙女の祈り」。だが、ヨーロッパでは余り知られていない曲である。ということで日本人向けにプログラミングされたもののようだ。

1990年代に、ギドン・クレーメルやヨーヨー・マが演奏してブームになったピアソラ。ブーム沈静後はそれほど演奏されなくなっているが、ヨーヨー・マがCMで弾いていた「リベルタンゴ」は今でもよく取り上げられている。

「イエスタデイ」。ビートルズナンバーというのはやっかいな問題を抱えていて、訳詞をすることがほぼ不可能である。村上春樹がその名も「イエスタデイ」という短編小説で、「イエスタデイ」のパロディ関西弁訳を作り、雑誌に掲載されたが、これも駄目で、短編集『女のいない男たちに』に収録された「イエスタデイ」では、「イエスタデイ」の関西弁訳の冒頭しか載せられていない。「イエスタデイ」は物語のキーになる曲なので残念なのだが。
メロディー自体は、ポール・マッカートニーが、朝、ベッドから転げ落ちた際に、瞬時に出来上がったもので、朝飯前に出来たということから、正式な歌詞がつくまでは「スクランブルエッグ」という仮タイトルがついていた。


グレン・ミラーの「ムーンライト・セレナーデ」はビッグバンドのためのジャズナンバーで落ち着いた曲調であるため、弦楽四重奏でもさほど違和感はないが、デューク・エリントンの「A列車で行こう」はノリノリのナンバーであるため、チェコ人の演奏ということもあってスウィング出来ないムード・ミュージックのようになっていた。スウィング感は黒人のジャズマンでないと上手く出せないのだろう。もともとがクラシックのコンサートであるし、「スウィングしなけりゃ意味がない」ということもない。
アンコール。まずは、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲より“スイスの行進曲”。推進力のある演奏である。
2曲目は、イタリア繋がりで、ニーノ・ロータの「ロミオとジュリエット」。ロマンティックな仕上がりである。

カーテンコールで、マグダレーナ・マシュラニョヴァーは、お辞儀をしてから帰ろうとするのだが、ミラン・ヴァヴジーネクがそれを引き留めてもう1曲。
マグダレーナは、マイクを手に、「ありがとうございました。楽しかったですか?」と日本語で客席に聞き、「最後の曲。これは皆さんもよく知っていると思います」と言って、ヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」が演奏される。ヨゼフ・シュパチェクがホイッスルを吹いて、聴衆の拍手を促す。楽しい演奏であった。


アンコール曲目が、ホワイトボードに書かれて発表されていたのであるが、今日も誤記あり。「ラデツキー行進曲」の作曲者がヨハン・シュトラウスⅡ世になっている。ワルツ王(ヨハン・シュトラウスⅡ世)の作品ではなく、ワルツの父(ヨハン・シュトラウスⅠ世)が書いたものというのはクラシックファンにとっては常識に近いものなのに。

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2016年8月 6日 (土)

ポール・マッカートニー&クロノス・カルテット 「Yesterday」

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