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2018年5月15日 (火)

コンサートの記(383) 大和証券グループPresents 佐渡裕指揮トーンキュンストラー管弦楽団 レナード・バーンスタイン生誕100年記念日本ツアー2018京都公演

2018年5月12日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、大和証券グループPresents 佐渡裕指揮トーンキュンストラー管弦楽団レナード・バーンスタイン生誕100年記念日本ツアー2018京都公演を聴く。

京都生まれの佐渡裕の凱旋公演となる。佐渡は2016年にもトーンキュンストラー管弦楽団と日本ツアーを行ったが、その際は関西ではフェスティバルホールでの公演を行っただけであった。今回の日本ツアーは今日が初日で、この後、今月27日まで13箇所での公演を行う。関西では今回もフェスティバルホールでの公演を行うが、佐渡の現在の本拠地である兵庫県立芸術文化センターでの演奏会はない。
有料パンフレットの販売はないが、かなり充実した内容の無料パンフレットが配られており、良心的である。

今日の曲目は、バーンスタインのキャンディード序曲、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」、ブラームスのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:ヴァレリー・アファナシエフ)

今日は3階LB1列2番での鑑賞。偶然だが、LBというのは、Leonard Bernsteinのイニシャルと一緒で嬉しくなる。


ます佐渡が一人で登場し、マイクを手にトークを行う。レナード・バーンスタインとの思い出、更に最初はニューヨークで勉強しようと思っていたところ、バーンスタインに連れられてウィーンに行き、ウィーン国立歌劇場やムジークフェラインザールの立ち見席で演奏を聴いて学んだこと。ウィーンでは立ち見席での時代を経て今では指揮台に立つようになったため、「なかなか座らせてくれない」というお決まりのギャグを繰り出して聴衆を笑わせていた。オーストリアでもバーンスタイン生誕100年ということで今年はバーンスタインの作品が多く取り上げられるそうである。ちなみにウィーンでは指揮の仕事がなかったため、フランスのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝して、ラムルー管弦楽団の首席指揮者に就くなど、指揮としての本格的なキャリアはフランスでスタートさせている。

日本ではウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団と呼ばれることもあるトーンキュンストラー管弦楽団は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン交響楽団、ウィーン放送交響楽団に次ぐ、ウィーン第四のオーケストラ的な扱いをされている団体である。現在はニーダーエースターライヒ州のオーケストラとして州都ザンクトペルテンを本拠地としており、ウィーンムジークフェラインザールでも演奏会を行っている。歴代の首席指揮者の中には、クルト・ヴェス、ハインツ・ワルベルク、ワルター・ウェラー、ファビオ・ルイージといった日本でもお馴染みの指揮者の名前も並んでいる。
ウィーン放送交響楽団でも評価は高くないが、トーンキュンストラー管弦楽団はそれより下ということで、ポピュラー音楽の演奏を手掛けることも多い。
クリスチャン・ヤルヴィ、アンドレス・オロスコ=エストラーダの時代を経て、2015年に佐渡裕が首席指揮者に就任。比較的指揮者をコロコロ変える傾向にある楽団だが、佐渡とは任期延長を行っている。私はクリスチャン・ヤルヴィとの来日公演をザ・シンフォニーホールで聴いており、佐渡とのフェスティバルホールでの演奏会を聴いているため、これが3度目のトーンキュンストラー管弦楽団体験となる。

ドイツ式の現代配置による演奏だが、ティンパニは上手側に置かれている。無料パンフレットに団員の名簿も載っているが、ファーストヴァイオリンにShotaro Tojima、チェロにKanade Oshimaと日本人の名前が見られる。チェロに東洋人風の容貌の奏者は一人しかおらず、Kanade Oshimaさんは女性であることがわかった。ピアノ/チェレスタにKyoko Yoshizawaの名もあるが、今日はピアノとチェレスタが用いられる曲はないため、降り番である。


バーンスタインのキャンディード序曲。出だしに爆発力があり、テンポもリズムも理想的である。語り上手な演奏なのであるが、オーケストラのパワー、特に弦楽の威力が今ひとつなのが玉に瑕である。


ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。佐渡は第九の演奏を多く手掛けており、代名詞のようになっているが、ベートーヴェンは必ずしも得意とはしていない。
弦楽器のビブラートを控えめにして透明な響きを出しているが、ピリオドの影響が感じられるのそこだけで、ピリオドアプローチによる演奏ではない。瑞々しい響きが印象的だが、弦と管のバランスが悪く、時に金管が能天気な強奏を行うことがある。「田園」はベートーヴェンの曲の中でも実は演奏が難しい部類に入るのだが、トーンキュンストラー管弦楽団の力が及ばない場面も見受けられる。
佐渡は第2楽章をノンタクトで振るが、テンポが速過ぎて詩情を欠くところもあった。
第4楽章の嵐は、迫力満点で描写力も高いが、佐渡が今も「爆演の佐渡」から抜け出せていないことも感じられた。
最終楽章も悪くはないのだが、やはり弦と管のバランスは最後まで整わなかった。


後半。ブラームスのピアノ協奏曲第2番。独奏は、1990年代に異色のピアニストとして脚光を浴びたヴァレリー・アファナシエフ。ピアニストであると同時に、詩人、小説家としても活動しており、鬼才として日本でもファンが多い。モスクワ音楽院でエミール・ギレリスに師事。1968年のバッハ国際コンクールと1972年のエリザベート王妃国際コンクールで優勝。1974年に西側に亡命し、ベルギー国籍を得ている。

極端に遅いテンポを採用することなどで知られるアファナシエフであるが、協奏曲ということもあり、それほど個性を前面には現さない。
今日はピアノの鍵盤が良く見える席にいたのだが、アファナシエフは指を余り曲げることなく、鍵盤上に指を置いていくような弾き方をする。日本だったら先生から直されるような弾き方である。
アファナシエフは旋律を切るように弾いたり、立体感を出しながらブラームスの古典的一面を強調しつつ演奏したりするが、特に異端という印象は受けず、充実したブラームス演奏を展開する。
佐渡指揮のトーンキュンストラー管はやはりパワー不足という感は否めないが、自分達の作曲家であるブラームスのロマンティシズムを大切にした演奏を行っていた。第3楽章のチェロのソロも充実の演奏である。


アファナシエフはアンコールとして、ショパンのマズルカ イ短調を演奏する。こちらは協奏曲と違ってかなり個性的な演奏である。ショパンの曲というよりも古典派の作品のように聞こえる。

ラストは佐渡とトーンキュンストラー管によるアンコール演奏、ブラームスのハンガリー舞曲第5番。ノリの良い演奏であった。

ベートーヴェンは少し落ちるが、なかなかの出来の演奏会だったように思う。トーンキュンストラー管弦楽団のレベルであるが、技術面に関しては日本のオーケストラと比べても中堅程度で抜群に良いオーケストラというわけではないようである。いかにも独墺系のオーケストラらしい渋めの響きは魅力的である。

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2018年5月12日 (土)

観劇感想精選(242) 「夢と錯乱」

2018年5月6日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後3時から、京都芸術劇場春秋座で「夢と錯乱」を観る。27歳で夭逝したオーストリアの詩人、ゲオルク・トラークルの散文詩「夢と錯乱」を取り上げる上演。演出:クロード・レジ、テキストフランス語訳:ジャン=クロード・シュネデール&マルク・プティ。出演:ヤン・ブードー。フランス語上演、日本語字幕付き(テキスト日本語訳:中村朝子、字幕:浅井宏美)。特設座席を使っての上演である。

現在93歳のクロード・レジ。フランスの前衛演出家である。1960年代にはマルグリット・デュラスと共に仕事を行い、その後、ヨン・フォッセの「だれか、来る」やサラ・ケインの「4時48分サイコシス」などの演出を行っている。本作が最後の演出作になる予定。

ゲオルク・トラークルは、モーツァルトの街として知られるザルツブルクの生まれ。裕福な商人だった父親と芸術好きな母親の間に生まれた。ゲオルクは、幼少時から文学に興味を示し、音楽的な才能を発揮する。同様の気質を持つ妹が一人おり、彼女は後にピアニストになるのだが、ゲオルクと彼女は近親相姦の関係にあったといわれている。
ギムナジウムで文学仲間と共に同人誌を始めたゲオルクだが、飲酒や薬物に溺れるようになり、二度の落第を経験して学校を中退。その後、薬剤師になるための3年の実習を経てウィーン大学薬学部に入学し、薬剤師の免許を取ったが、薬剤師としての仕事に馴染めず、公務員になるも長続きせず、デカダンスな生活を送る。困窮したゲオルクは第一次大戦に志願。薬剤試官として前線に赴くも繊細な神経が戦場の地獄絵図に耐えられず、精神を病み、ピストルによる自殺未遂を経てコカインの過剰摂取により死亡。自殺とみられている。彼の死から3年後、妹もまたピストル自殺により世を去った。
悲惨な人生を歩んだゲオルクであるが、ヴィットゲンシュタインから「天才」と称されるほどの詩才を持ち、現在ではドイツ表現主義最大の詩人という評価を得ている。

ゲオルク・トラークルの散文詩「夢と錯乱」は、伝記的内容を持つ。

「すべては薄明のなかで」起こる。
闇の中、何かが光っている。その何かが徐々に揺れ出し、移動する。明度が上がると、その何かが俳優のヤン・ブードーであることがわかる。上部にアーチ。その下でブードーは絞り出すような声で、「夢と錯乱」のテキストを語っていく。ゲオルク・トラークルの言葉には「赤」や「青」を始めとする様々な色が散りばめられているのだが、照明は灰色であり、ラスト近くで黄昏の赤が入るほかはモノクロームの世界が展開される。
ゲオルクの後悔の言葉、過去に築き上げた思惟の城、青い色をした妹の影、旅立ちゆく父親と神経質な母親の像。ヤン・ブードーは哀れな狂人としてテキストを読み上げていく。
そして石のように彼は死へと落ちていく。
「呪われた種族」のことを彼は繰り返し語る。ゲオルク、彼の妹、彼の家族、これらは間違いなく呪われた種族に入る。そしてその外、今に至るまでの人間の歴史を呪いとして告発しているようでもある。

死の淵にある彼の姿に、演出のクロード・レジはおそらく自身を重ねているのだろう。イエスを始めとする「人類の苦悩を引き受けた」存在の一人として。

上演時間約1時間程度であるが、そこには濃密な時間が流れていた。



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2018年5月 4日 (金)

コンサートの記(376) ウィーン少年合唱団来日公演2018京都

2018年4月29日 京都コンサートホールにて

午後2時からウィーン少年合唱団の来日公演を聴く。

アルトゥーロ・トスカニーニによる「天使の歌声」という賛辞でも知られるウィーン少年合唱団。ハイドン、シューベルト、ブルックナーが在籍したという長い歴史を持ち、現在も10歳から14歳の約100人のメンバーから成る。現在は作曲家名に由来する、ハイドン、モーツァルト、シューベルト、ブルックナーという4つのグループに分かれて活動。今回はハイドン組が来日した。カペルマイスターはジミー・チャン(指揮&ピアノほか)。

ピアノが弾き振りの時の形でセットされており、合唱団のメンバーがピアノを挟んで左右に陣取ることになる。

曲目は、第1部が宗教音楽集として、「グレゴリオ聖歌:あなたに向けてわが魂を」、ハスラーの「主に向かいて歌え」、クープランの「歓喜せよ」、カルダーラの「我は生ける糧なり」、ハイドンの「くるおしく浅はかな心配は」、モーツァルトの「汝により守られ」、メンデルスゾーンの「主をほめたたえよ」、バッハ=グノーの「アヴェ・マリア」(グノー生誕200年記念)、レナード・バーンスタインの「チチェスター詩編」より“主は私の羊飼い”(バーンスタイン生誕100年記念)、ディストラーの「我らに平安を与えたまえ」、ホーキンスの映画「天使にラブソングを2」より“オー・ハッピー・デイ”、第2部が世界各国の音楽というテーマで、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「千夜一夜物語」、ヴェルディの歌劇「マクベス」より“何をしていたの? 教えて”、ウエルナーの「野ばら」、フンパーディンクの歌劇「ヘンゼルとグレーテル」より“私は小さな眠りの精”と“夕べの祈り”、ウズベキスタン民謡の「水の女神」、岡野貞一の「ふるさと」、中国民謡「ひばり」、ロブレスの「コンドルは飛んでいく」、南アフリカ民謡の「ホーヤ・ホー」、ホーナーの映画「タイタニック」より“マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン”、ヨーゼフ・シュトラウスの「水平のポルカ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「美しく青きドナウ」

第1曲であるグレゴリオ聖歌の「あなたに向けてわが魂を」では、メンバー達が客席1階中央通路横の扉から歌いながら登場してステージに上がるという演出がある。拍手が起こっていたが、この場合するのが適当なのかしないことがいいのか判断出来ない。拍手が歌声をかき消してしまう。よくわからないので取りあえずしないでおいた。想像を上回る美声である。今日は3階席レフトサイドの一番せり出した席で聴いたのだが残響も長く、教会の中で聴いているかのような気分になれた。

カペルマイスターのジミー・チャンは音型を描くタイプの指揮。今は拍を刻む指揮は少なくなりつつある。このジミー・チャン、ピアノがとにかく上手く、相当な実力者であることが窺える。少年達を教導するのだから、指揮者として優れているのみならず、いわゆる人格者である必要もあるのだろう。指揮者で且つ人格者という人材は余りいないと思われる。多分、ウィーン少年合唱団のオーディションに受かるよりも合唱団のカペルマイスターになる方が難しいのではないだろうか。
チャンはピアノ他にチェロや打楽器も演奏する。

少年達なので、歌詞の内容把握が十全でなかったり音程が不安定だったりする(そもそも声楽家が一人前扱いされるのは40を過ぎてからである。オペラ歌手の場合、完全に歌詞の中身を把握する頃には声がピークを過ぎてしまっているという悲劇が知られる)のだが、それも含めてのウィーン少年合唱団の味である。

バーンスタインの「チチェスター詩編」より“主は私の羊飼い”では変拍子の連続がある上に旋律も半音ずつ動くようなもので、今日のプログラムの中では一番の高難度だったと思うが、なかなか聴かせてくれる。

指揮のジミー・チャンや少年合唱団のメンバーが、虎の巻を片手に日本語で曲目紹介を行う。ハイドン組には日本人の少年が二人在籍しており、そのうちの一人も楽曲紹介を日本語で行う(当たり前だが日本語が際立って上手い)。多分、オーストリアの人がテキストを日本語訳したのだと思われるが、「国々」を「こくこく」と読み違えたところもある。意味がわかったからいいか。

声が魅力のウィーン少年合唱団。ただ近い将来、この声が失われることになると思うと切なくなったりもする。それだけに今のこの一秒一秒に価値があるとも思える。

アンコールは、久石譲の「となりのトトロ」とヨハン・シュトラウスⅡ世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」。団員達は楽しそうに伸び伸びと歌っていた。



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2018年4月 6日 (金)

コンサートの記(367) サカリ・オラモ指揮フィンランド放送交響楽団来日演奏会2007大阪

2007年2月12日 大阪・中之島の(旧)フェスティバルホールにて

午後2時から大阪・中之島にあるフェスティバルホールで、サカリ・オラモ指揮フィンランド放送交響楽団の来日演奏会を聴く。オラモとフィンランド放送交響楽団の来日公演を聴くのは2度目、前回は京都コンサートホールでの公演に接している。

サカリ・オラモは、1965年生まれの指揮者。シベリウス・アカデミーで、ヨルマ・パヌラに指揮を師事し、加えてヴァイオリニストとしても研鑽を積む。かつてはフィンランド放送交響楽団のコンサートマスターだったということもあるオラモ。指揮者としてのデビュー時の相手もフィンランド放送交響楽団だそうで、楽団員達とは古くからの気心の知れた間柄だ。
オラモは、サー・サイモン・ラトルの後任としてバーミンガム市交響楽団の首席指揮者に任命されて一躍脚光を浴びたが、バーミンガム市響のシェフの座(現在の肩書きは音楽監督)からは近く離れる予定で、今後は首席指揮者の地位にあるフィンランド放送交響楽団と、新たに音楽監督に就任するロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団を主たる活躍の場にするものと思われる。

フィンランドのオーケストラということで、東京などの公演ではシベリウス作品をプログラムに盛り込んでいるフィンランド放送響であるが、大阪公演ではシベリウスの名は演奏曲目にはない。
ブラームスの「悲劇的序曲」、チャイコフスキーの「ロココの主題による変奏曲」(独奏チェロと管弦楽のための作品だが、今回はトランペットを独奏としたバージョンで演奏する。ソリストを務めるのは、人気、実力とも世界最高のトランペッターといわれるセルゲイ・ナカリャコフ)、ベートーヴェンの交響曲第5番というプログラム。

残響の少ないフェスティバルホールの、ステージから遠い天井桟敷に座ったため、音そのものの美しさを楽しむことは出来なかったが、フィンランド放送交響楽団の高い機能と、オラモの雄弁な指揮を楽しむことは出来た。フィンランド放送交響楽団は20年ほど前の来日公演ではオーケストラの技術がボロボロで、評価も同様に散々だったそうだが、技術面では著しい向上を見せており、解像度の高い音楽を繰り広げる。

ブラームスの「悲劇的序曲」では、ひんやりとした弦と、輝かしい金管の音色の対比が鮮やかであり、オラモの指揮もタイトルに込められた悲劇的な雰囲気を的確に引き出している。

「ロココの主題による変奏曲」で、オラモとフィンランド放送響は更に優れた実力を発揮。ロシア風の冷たく拡がりのある音色から、心からの温もりを感じさせるロマンティックで優しい音色まで、自在に操る様は魔術のようだ。
チェロ独奏のための曲をトランペット(正確にはフリューゲルホルンというトランペットとは微妙に違う楽器)で吹いてしまおうという挑戦は無謀にも思えるが、名手ナカリャコフだけに技術的な不満は感じさせない。しかしチェロに比べるとトランペットはどうしても分が悪い。高度なトランペット演奏技術が求められるわりには聴き映えが今ひとつという点でも損だ。

ナカリャコフは、アンコール曲に超絶技巧を思う存分披露できる「ベニスの謝肉祭」(ジャン・パティステュ・アーバン作曲)を選び、神懸かり的な技術を披露。客席を圧倒する。


メインのベートーヴェンの交響曲第5番では、オラモは理知的な演奏を繰り広げる。大編成による演奏だが、弦楽器のビブラートを抑え気味にするなどピリオド奏法の影響も見られ、良い意味で折衷的なスタイルを採用(配置もヴァイオリンが両翼に来る古典的配置を基本としながら、、コントラバスは舞台上手奥に置くという折衷様式であった)。ベートーヴェンが書いた楽譜を客観的に丁寧に音に変えていく。基本のテンポは速めだが伸縮自在であり、表情も多彩。第1楽章と第2楽章をアタッカで繋いだのも個性的だ。
音楽にのめり込むことはないが、その分、曲の効果を十全に発揮させる計算がなされており、第4楽章冒頭の輝かしさにも瞠目させられた。「秀才によるベートーヴェン」という言葉が浮かぶ名演奏。
まだ交響曲第5番を聴いただけだが、オラモのベートーヴェンはかなり期待して良さそうだ。

アンコールはやはりシベリウス。最近はアンコール曲の定番となった感もある「悲しきワルツ」が演奏された。オラモはピアニッシモの部分を聴き取るのが難しいほど弱い音で演奏してみせる。昨年来日したパーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルもアンコール曲として演奏した「悲しきワルツ」で、ピアニッシモを強調していた。この曲のピアニッシモの部分をかなり弱くするというのは流行りなのだろうか。

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2018年3月14日 (水)

コンサートの記(359) ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック来日演奏会2018京都

2018年3月11日 京都コンサートホールにて

午後3時から、京都コンサートホールで、ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮ニューヨーク・フィルハーモニックの来日演奏会を聴く。

アメリカ最古のオーケストラであるニューヨーク・フィルハーモニック。1842年創設。ビッグ5の一角である(ニューヨーク・フィルの他に、ボストン交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団、シカゴ交響楽団、クリーヴランド管弦楽団)。グスタフ・マーラーやヴィレム・メンゲルベルク、アルトゥーロ・トスカニーニを常任指揮者としており、歴史が感じられる。最盛期は今年で生誕100年を迎えるレナード・バーンスタインの時代(1958-1969)。アメリカが生んだ初の大指揮者であるバーンスタインとのコンビは輝けるアメリカの象徴でもあった。
バーンスタインの後を受けたピエール・ブーレーズは、お得意の現代音楽を多く演奏したが人気は低迷。続くズービン・メータはニューヨーク・フィル史上最長となる13年間に渡って音楽監督を務めたが竜頭蛇尾に終わり、離任後に何の肩書きも贈られなかった。その後、11年間音楽監督を務めたクルト・マズアは好評であったが、期待されたロリン・マゼールとは着任早々に不仲が噂されるなど波に乗れなかった。日米ハーフで日本でもお馴染みのアラン・ギルバートの時代を経て、今年の9月からヤープ・ヴァン・ズヴェーデンが音楽監督に就任する予定である。

1960年、オランダ生まれのヤープ・ヴァン・ズヴェーデン。ジュリアード音楽院でヴァイオリンを学び、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートマスターとして活躍。その後、指揮者に転向している。インタビューで語っていたが、指揮者に専念するため今はヴァイオリンを弾くことはないそうだ。
オランダ・フィルハーモニー管弦楽団ほかを指揮した「ブラームス交響曲全集」(ブリリアント・クラシックス)で注目を浴び、その後、日本のEXTONレーベルへの録音を開始。ストラヴィンスキー作品などで高い評価を受けている。現在は香港フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督の座にある。ズヴェーデンと香港フィルは昨年、初来日を果たしている(丁度、サントリーホールなど東京の主要ホールが改修工事で閉鎖されていた時期であり、大阪公演のみが行われた)。
遠目なのではっきりとはわからないのだが、ズヴェーデンはどうやら小柄な人物のようで、身長は女性団員と同じぐらい。指揮台は高めのものを用いていた。


曲目は、ワーヘナールの序曲「シラノ・ド・ベルジュラック」、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:五嶋龍)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」

ニューヨーク・フィルのメンバーは開演まで三々五々ステージに出てきて各々が攫う。開演前になると照明が暗くなってメンバーの楽器演奏が終わり、コンサートマスター(アジア系である)が登場して拍手というシステムである。


ワーヘナールの序曲「シラノ・ド・ベルジュラック」。ワーヘナールという作曲家の名前を聞くのは初めてだが、ズヴェーデンの祖国であるオランダの作曲家だそうである。1862年、ユトレヒト生まれ。ベルリンなどで音楽を学び、ユトレヒト音楽院の教師やユトレヒト大聖堂のオルガニストとして活躍。晩年にはハーグ音楽院の院長も務めている。1941年、ハーグに没す。
序曲「シラノ・ド・ベルジュラック」であるが、どことなくリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」を連想させるような曲調である。後で調べると、やはりワーヘナールはリヒャルト・シュトラウスの作風からかなりの影響を受けたようである。
天才詩人シラノ・ド・ベルジュラックの才気煥発な様子が描かれている。ただ、シラノ・ド・ベルジュラックは色男のドン・ファンとは違い、容貌醜悪で女には全くもてなかった。
ニューヨーク・フィルであるが、弦、管ともに音の輪郭がクッキリしているのが特徴。日本のオーケストラのように音がぼやけるということが一切ない。技術もさることながら、音に対する感度の違いのようでもあり、だとすると日本のオーケストラが欧米の一流のオーケストラに追いつくには相当の困難が予想される。無理して追いつく必要もないわけだが。
弱音の雄弁さも日本のオーケストラにはないものだ。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストの五嶋龍は「題名のない音楽会」の司会などでお茶の間でもお馴染みの存在である。
五嶋のヴァイオリンは一音一音を丁寧に刻んでいく。音も美しいが美音に溺れることなく、音楽の核心を確実について行くスタイルである。ムードに流されずにメンデルスゾーンの造形美に光を当てた演奏とも言える。ズヴェーデン指揮のニューヨーク・フィルも五嶋のスタイルに合わせた堅実な演奏を聴かせた。

喝采を浴びた五嶋だが、最後はヴァイオリンを持たずに登場。アンコール演奏を行わないことを示した。


ズヴェーデンの十八番であるストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。ズヴェーデンの巧みなタクト捌きと豊かな音楽性が光る演奏となった。
ニューヨーク・フィルのクリアな響きが生きており、全ての音に勢いと生命力が宿っている。バランス感覚やリズム感にも秀でており、切っ先の鋭い音が最大レベルの音量になってもうるさく響くことはない。上質の「春の祭典」である。バーバリズムを描いた「春の祭典」であるが、ズヴェーデンが手掛けると迫力十分ながらどことなく上品な音楽になる。ズヴェーデンがコンサートマスターを務めていたコンセルトヘボウ管弦楽団はノーブルな音が特徴だが、繋がるものがあるのかも知れない。


アンコール演奏は、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」。香港フィルと「ニーベルングの指輪」全曲録音を行っているズヴェーデン。十全のワーグナーであった。

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2018年3月10日 (土)

コンサートの記(357) サカリ・オラモ指揮BBC交響楽団来日演奏会2018大阪

2018年3月7日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールでサカリ・オラモ指揮BBC交響楽団の来日演奏会を聴く。

曲目は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:小菅優)とマーラーの交響曲第5番。

BBC交響楽団の配置はヴァイオリン両翼だが、コントラバスが上手の第2ヴァイオリンの後ろに2列で並ぶところが古典配置とは異なる。

サカリ・オラモは、1965年生まれのフィンランドの中堅を代表する指揮者。シベリウス音楽院でヴァイオリンを学び、フィンランド放送交響楽団のコンサートマスターとして活躍。その後、名教師、ヨルマ・パヌラに指揮を師事し、1993年に急病になった指揮者の代役として指揮台に上がって大成功するという「バーンスタイン・ドリーム」の体現者の一人となった。1999年にサー・サイモン・ラトルの後任としてバーミンガム市交響楽団の音楽監督に就任。私が京都に来てから初めて聴いたコンサートがサカリ・オラモ指揮バーミンガム市交響楽団の来日公演であった。
その後、かつて自らが在籍していたフィンランド放送交響楽団の首席指揮者を経て、ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団やBBC交響楽団など複数のオーケストラのシェフを務めている。

プロムスでお馴染みのBBC交響楽団。NHK交響楽団のイギリス版として知名度も高い。ただロンドンの五大オーケストラの中ではずっとBクラスに甘んじている。1930年にエイドリアン・ボールトによって創設され、アンドリュー・デイヴィスが首席指揮者を務めた1990年代に一時代を築くが、21世紀に入ってからのレナード・スラットキンやイルジー・ビエロフラーヴェク時代は相性が今ひとつということもあって低迷気味であった。2013年からはサカリ・オラモが首席指揮者を務めている。オラモとの顔合わせでは初来日となる。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。出だしをアルペジオで開始した小菅優は、しっかりとした構築力と結晶化された音色を生かした正統派の演奏を展開する。デュナーミクの処理も上手い。
オラモ指揮のBBC交響楽団はいかにもイギリスのオーケストラらしい渋めの音色を基調としている。時折、合奏能力を高めて透明な音を出すが、これが効果的である。
オラモの指揮は造形はそれほど重視せず、流れに重きを置いている。管の音の通りが良く魅力的だが、リアルに過ぎる箇所があったのは気になった。

小菅優はアンコールとしてショパンの練習曲作品25の1を演奏。耳が洗い清められるような清冽な演奏であった。

マーラーの交響曲第5番。オラモはこの曲をバーミンガム市交響楽団とライブ録音しており、私も京都コンサートホールでオラモにサインして貰ったCDを持っているのだが、録音、演奏ともに今ひとつであった。
チェロとコントラバスを離しているということもあってか、低弦を強調しない摩天楼型のバランスである。金管がパワフルであるが時にバランスを欠いてうるさく響きこともある。

細部を整序せずむしろ強調することでマーラーの書いた音楽の異様性を明らかにしていくような演奏であり、初めてマーラーの音楽を聴いた聴衆の衝撃が理解出来そうでもある。
第2楽章はアタッカで突入。流れ重視の音楽が効果的である。
第3楽章では一時期、首席ホルン奏者を指揮者の横に立たせてホルン協奏曲のように演奏することが流行ったが、曲の性質から行けばホルン奏者が横一列に並んだ方が効果が上がるように思う。
第4楽章のアダージェットは少し速めのテンポで淡く儚く展開。この楽章だけでなくユダヤ的な濃厚さは抑えた演奏になっており、都会的ですらある。
最終楽章のラストはアンサンブルの精度よりも勢いを重視。熱狂的に締めくくる。
この曲でも、ここぞという時に聴かれる透明な音色が抜群の効果を上げていた。

聴衆の熱狂的な拍手に応えたオラモは、「シベリウス、アンダンテ・フェスティーヴォ」と言ってアンコール演奏が始まる。
これが音色といいテンポといい表情付けといい実に理想的な演奏である。フィンランド出身の指揮者とシベリウスを愛するイギリスのオーケストラの相乗効果であろう。マーラーをはるかに凌ぐ極上の演奏であった。今度があるなら、このコンビによるシベリウスの交響曲を聴いてみたい。



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2017年12月12日 (火)

コンサートの記(331) フィリップ・ジョルダン指揮ウィーン交響楽団来日公演2017名古屋

2017年11月28日 名古屋・金山の日本特殊陶業市民会館フォレストホールにて

午後6時45分から、名古屋・金山の日本特殊陶業市民会館フォレストホールで、フィリップ・ジョルダン指揮ウィーン交響楽団の来日演奏会を聴く。

日本特殊陶業市民会館は、JR金山駅(名鉄と名古屋市営地下鉄も乗り入れており、金山総合駅の総称もある)で降りて北へすぐの所にある。

日本特殊陶業市民会館フォレストホールは、以前の名古屋市民会館大ホール。ネーミングライツによる中京大学文化市民会館オーロラホールを経て現在の名称になっている。1972年竣工というもあって、翌年完成した渋谷のNHKホールに内装がよく似ている。
ということで音響が不安だったのだが、良く聞こえるホールであった。


ベートーヴェンの交響曲第5番とブラームスの交響曲第1番という王道プログラムでの演奏会である。


フィリップ・ジョルダンは、私と同じ1974年生まれの指揮者。父親は名指揮者として知られたアルミン・ジョルダンである。チューリッヒに生まれ、同地で学んだ後、歌劇場のコレペティートル(下稽古のピアニスト)から音楽キャリアをスタートさせるという、叩き上げの王道を経て、若き日のヘルベルト・フォン・カラヤンが君臨したことで知られるウルム市立歌劇場のカペルマイスターに就任。1998年から2001年まではベルリン国立歌劇場でダニエル・バレンボイムの助手を務めている。2001年にグラーツ歌劇場とグラーツ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者となり、2004年まで務める。2006年から2010年まではベルリン国立歌劇場の首席客演指揮者。現在はパリ・オペラ座の音楽監督とウィーン交響楽団の首席指揮者の座にある。2020年からはウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任することがすでに決まっている。

ウィーン交響楽団は、ウィーン・フィルハーモニーに次ぐ、ウィーンの第2オーケストラ的団体として知られている。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団はウィーン国立歌劇場管弦楽団のメンバーからなるオーケストラであり、定期演奏会の数が少ない。「もっと恒常的にオーケストラコンサートを聴きたい」というウィーン市民の声に応える形で結成されたのがウィーン交響楽団である。1900年創設。歴代のシェフには、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ヘルベルト・フォン・カラヤン、ウォルフガング・サヴァリッシュ、ヨーゼフ・クリップス、カルロ・マリア・ジュリーニ、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、ウラディーミル・フェドセーエフ、ファビオ・ルイージというビッグネームが並ぶ。近年では最晩年のジョルジュ・プレートルとの名盤が評判を呼んだ。
一方で、「暴れ馬のようなオーケストラ」という評価もついて回っている。

ヴァイオリン両翼だが、弦楽の配置は下手から時計回りに、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンで、一般的な古典配置のヴィオラとチェロを逆にしたスタイルである。コントラバスは舞台最後部に横一列に並ぶ。ティンパニは舞台下手奥に陣取る。

フィリップは全曲暗譜での指揮。いかにも才人といった風の身のこなしである。


ベートーヴェンの交響曲第5番。
冒頭の運命動機のフェルマータは自然な感じで伸ばす。ピリオド・アプローチを採用しており、弦楽器よりも管楽器において古楽風スタイルが顕著である。旋律のラストは伸ばさずにサッと引っ込む感じで刈り上げる。ティンパニが硬い音を出しているのも特徴。
ウィーン交響楽団は各楽器の音色が濃く、音の情報量が豊かである。
フィリップは、管楽器、特に金管、就中ホルンの浮かび上がらせ方が巧みであり、立体的な音響を生んでいる。
楽章間はほとんど開けず、4楽章を通して1曲という解釈による演奏。ベーレンライター版の譜面をかなり忠実に再現しており、第4楽章の掛け合いでは、通常の「タッター、ジャジャジャジャン、タッター、ジャジャジャジャン」ではなく「タッター、タッター、タッター、タッター」と同音反復を採用。ピッコロの活躍も目立っていた。
フィリップが手を差し伸べた楽器群が光度を増す様は、あたかも手品を見ているかのようである。
一方で、細部は結構粗めで、ウィーン交響楽団の個性が出ている。


ブラームスの交響曲第1番。冒頭は情熱を抑えて、悲哀を強調した解釈。音もブルートーンである。この曲は、ベートーヴェンの運命動機と同じ「ジャジャジャジャン」という音型が何度も出てくるのだが、フィリップはそれを強調することはなかった。ウィーン交響楽団の音の密度はベートーヴェンの時よりも更に濃い。
ウエットな音がラストに向けて輝きを増していくという演奏であり、第4楽章は晴れがましくも輝かしい名演となる。


アンコールとして、まずブラームスの「ハンガリー舞曲」第5番が演奏される。ウィーン的な情趣とハンガリーの民族音楽的味わいが上手くミックスされた演奏である。

フィリップが、「ウィーンからのご挨拶(Greeting from Wien)」と言って、ヨハン・シュトラウス2世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」が演奏され、更に「雷鳴と電光」も続く。両曲とも日本のオーケストラが演奏する機会も多い曲だが、本場・ウィーンの演奏であるだけに、音の切れも輝きも密度も段違いの出来である。ウィーン交響楽団のメンバー全員がオーストリア人というわけではないはずだが、やはり子供の時からウィンナワルツに触れ、誇りとしてきた楽団員が多いだけに、他国のオーケストラの追随を許さないだけのレベルに達することが可能なのだろう。
なお、シンバルと大太鼓は、本編ではティンパニを叩いていた奏者が一人で演奏。かなり楽しそうであった。

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2017年11月17日 (金)

コンサートの記(324) ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 来日公演2017横浜

2017年11月9日 横浜みなとみらいホールにて

午後7時から、横浜みなとみらいホール大ホールにて、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の来日演奏会を聴く。

今年で90歳を迎えたヘルベルト・ブロムシュテット。アメリカのスプリングフィールドでスウェーデン人の宣教師を両親に生まれる。両親が信じていたセブンスデー・アドベンチスト教会の教えを厳格に守り、動物性の栄養は一切口にしないという完全なヴィーガンである(ただし、セブンスデー・アドベンチスト教会が絶対的な菜食主義を推奨しているわけではない。宗教者の子であるため、かなり原典主義的なのだろう)。2歳の時に祖国のスウェーデンに戻り、その後、北欧最古の大学として知られるウプサラ大学とストックホルム音楽院に学ぶ。タングルウッド音楽祭ではレナード・バーンスタインに師事して、最優秀賞であるクーセヴィツキー賞を受賞している。
日本ではNHK交響楽団との演奏で知られており、N響名誉指揮者を経て現在は桂冠名誉指揮者の称号を得ている。
近年はノンタクトで振ることが多く、今日もそうであった。


曲目は、ブラームスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:レオニダス・カヴァコス)とシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」

ブロムシュテットの指揮ということで、今日も当然ながらヴァイオリン両翼の古典派位置。ティンパニは指揮者の正面に来る。


ブラームスのヴァイオリン協奏曲。独奏者であるレオニダス・カヴァコスは、1967年、ギリシャ・アテネ生まれのヴァイオリニスト。5歳でヴァイオリンを始め、17歳の時に開催されたアテネ音楽祭でデビュー。翌年、シベリウス国際コンクール・ヴァイオリン部門で優勝している。1度だけ録音を許された、シベリウスのヴァイオリン協奏曲の原典版演奏では独奏を受け持っており、高い評価を受けた。

ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団であるが、旧東欧のオケらしく音が渋い。独特のコクとシルバー系の輝きがある。今年、ザ・シンフォニーホールで聴いたヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮の香港フィルハーモニー管弦楽団が同傾向の音を出しており、あるいは香港フィルを始めとするアジアのオーケストラはゲヴァントハウス管のような音を理想としているのかも知れない。
ブロムシュテットの作り出す音楽はその瑞々しさが魅力的である。常に節度がある統制の取れた演奏を行うが、そのため、第2楽章でも濃厚なロマンティシズムに溺れることはなく、そこが物足りない人もいたかも知れない。
ソリストのカヴァコスであるが、とにかく切れ味が鋭い。ヴィルトゥオーゾタイプであり、シャープなヴァイオリンである。
第3楽章ではカヴァコスとブロムシュテットによる丁々発止の演奏が展開された。

カヴァコスは、大曲であるブラームスのヴァイオリン協奏曲の後に、アンコールとして、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番より“サラバンド”を弾く。滑らかなバッハであった。だが、この演奏でカヴァコスは疲労困憊となってしまったようで、終演後に予定されていたCD購入者限定のサイン会はキャンセルとなり、CDの返品・払い戻しなども行われていた。


シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」。「偉大な」という意味にも取れる作品だが、実際はシューベルトの交響曲第6番が同じハ長調であるため、スケールの大きな当曲が「ザ・グレート」、交響曲第6番が「ザ・リトル」と呼ばれることになったというのが真相である。
長い間、「ザ・グレート」の世界初演を行ったのはライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団だとされてきた(フェリックス・メンデルスゾーンの指揮)。ただ、最近では「ザ・グレート」がシューベルトが亡くなった直後にウィーンで追悼演奏として私的に初演されたことがわかっている。メンデルスゾーンとライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管によるものは「公的なものとしては初演」ということになる。

譜面台の上には総譜が置かれていたが、ブロムシュテットが表紙を開くことはなく、全編暗譜での指揮となった。1拍目だけを示すことが多い、無駄のない指揮姿である。

冒頭に吹かれるゲヴァントハウス管のホルンの密度が濃い。第1楽章ではまさに意気軒昂でヒロイズムに満ちた演奏が展開される。
ゲヴァントハウス管の特徴は、木管奏者の動きが大きいこと。オーボエ奏者二人もフルート奏者二人も頭をグルングルン回しながら吹いている。ブラームスに比べると音の透明度が増し、端麗なシューベルト演奏となる。

第2楽章での音と孤独感の表出も見事。両翼に配されたヴァイオリンのピッチカートでのやり取りが確認できるなど、視覚面での面白さもある。
第3楽章の沸き上がるような音の生命感も印象的。

第4楽章は、「ヘリオスの疾駆」とでも名付けたくなる痛快な演奏となった。音が光を帯びて輝きを増し、最後は情熱の奔流となる。


演奏が終わり、コントラバスを除く楽団員がステージ上から去った後も拍手は鳴り止まず、ブロムシュテットが一人で登場して多くの「ブラボー!」と拍手を受けた。

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2017年9月15日 (金)

観劇感想精選(220) 演劇集団マウス・オン・ファイア 「ゴドーを待ちながら」京都

2017年9月10日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後2時から京都芸術劇場春秋座で、「ゴドーを待ちながら」を観る。アイルランドのカンパニーである演劇集団マウス・オン・ファイアによる上演。英語上演、日本語字幕付き。作:サミュエル・ベケット、演出:カハル・クイン。出演:ドンチャ・クロウリー、デイビッド・オマーラ、マイケル・ジャッド、シャダーン・フェルフェリ、下宮真周(しもみや・ましゅう)。ラッキーを演じるシャダーン・フェルフェリはインド出身、下宮真周は中学校1年生の少年である。東京・両国のシアターX(カイ)と演劇集団マウス・オン・ファイアの共同製作。
今回は作者であるベケット本人の演出ノートを手がかりに、ベケット自身の演出を忠実に再現することを目指したプロジェクトである。


「ゴドーを待ちながら」を観るのは記憶が正しければ3回目である。最初は2002年に東京・渋谷のシアターコクーンで(正確に書くとシアターコクーン内特設劇場のTHE PUPAで)串田和美演出のもの(串田和美のエストラゴン、緒形拳のウラジーミル)を観ており、京都に移ってからは近畿大学舞台芸術専攻の卒業公演で上演されたものを観ている。


「ゴドーを待ちながら」は初演時に大スキャンダルを巻き起こしたことで有名で、特にアメリカ初演の際は、1幕目終了後に客が列をなして帰ってしまったという話が伝わっている。

セットらしいセットを用いず、出演者は5人だけ。特にドラマらしいことも起こらないまま作品は進んでいく。

舞台上で描かれるのは人生そのものであり、大半の人間の人生がそうであるように、起伏というものがほとんどない。ということで「つまらなければつまらないほど上演としては成功」と考えられる作品である。

今回の上演では、移民や難民の問題に直面する社会を描くということで、ラッキーにインド人のシャダーン・フェルフェリを配役し、木の形をロシア正教のシンボル(八端十字架)に似せ、ポォツォやラッキーの服装に帝国主義を表す「青、赤、白」の要素を取り入れているという(ロシア、イギリス、フランス、アメリカなど帝国主義の国は国旗にこの色を用いている)。エストラゴンとウラジーミルという二人の浮浪者を始めとする現代人を圧迫しているのが帝国主義という解釈である。


行き場のない浮浪者であるエストラゴンとウラジーミル。生きる意味をなくしてしまっているようにも見えるのだが、「ゴドーを待つんだ」というそのためだけに「ここ」で待ち続けている。「救世主」なのか(「ゴドー」とは「ゴッド」のことだという解釈がよく知られている)、あるいは「死神」なのか。それはわからないが、ともかく「最期」にやってくるのがゴドーである。ゴドーが来るまでは我々はどこにも行けず「ここ」にいるしかない。たまに自殺という手段で「ここ」から逃げ出してしまう人もいるが劇中ではそれも封じられている(エストラゴンとウラジーミルの二人が死を望んでいることはそれとなく示されてはいる。一方でウラジーミルがしきりに尿意を催すことは「生きている」ことの象徴でもある)。劇中で行われるのは「退屈極まりない」という人生の属性をいかにして埋めていくかという作業である。時には観客も題材にしたりする。
ポッツォとラッキーの乱入はあるが、その場を掻き乱したり、時間の経過やその厳格さを示すだけであり、生きるということの本質を揺るがしたりはしない。我々はどこにも行けず、ただ「ここ」で来るのかどうかもわからないゴドーを待ち続けているだけである。

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2017年7月27日 (木)

コンサートの記(312) レナード・スラットキン指揮デトロイト交響楽団来日公演2017大阪

2017年7月16日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、デトロイト交響楽団の来日演奏会に接する。指揮はデトロイト交響楽団音楽監督のレナード・スラットキン。

デトロイト交響楽団は、アメリカを代表する工業都市で「自動車の街」としても知られるデトロイトを本拠地とするオーケストラ。1914年の創設。ポール・パレーとのフランスものやアンタル・ドラティとのストラヴィンスキーなどの名盤で日本でもよく知られている。来日は19年ぶりだが、関西で公演を行うのは初となるようである。

レナード・スラットキンは、「史上最もアメリカ的な指揮者」とも呼ばれるアメリカ出身の名匠(ただしWASPではなく、ウクライナ系ユダヤ人の血筋である)。日本でもNHK交響楽団への客演で知られており、NHK交響楽団の初代常任指揮者候補のラスト3人の中の1人となっている(最終的にはシャルル・デュトワに決定。もう一人の候補であるガリー・ベルティーニはその後、東京都交響楽団の指揮者となった)。父親はポップスオーケストラであるハリウッド・ボウルの指揮者であったフェリックス・スラットキン。
1980年代に、音楽監督を務めていたセントルイス交響楽団を全米ランキングの第2位に押し上げて注目される。ワシントンD.C.のナショナル交響楽団やロンドンのBBC交響楽団の音楽監督時代にはレコーディングがなくなったということもあって低迷したと見られていたが、2008年にデトロイト交響楽団の音楽監督に就任するや復活。「全米の音楽監督」との名声を得ている。NAXOSレーベルへの録音も継続中。

MLBの大ファンであり、セントルイス交響楽団音楽監督時代には同地を本拠地とするカージナルスの大ファンであったことで知られる。スラットキンがナショナル交響楽団の音楽監督に転任する際には、「問題はただ一つ、彼がセントルイス・カージナルスのファンからボルチモア・オリオールズのファンに乗り換われるかどうかだ」という記事が書かれたこともある(当時まだワシントン・ナショナルズは存在せず、D.C.最寄りの球団はボルチモア・オリオールズだった)。現在ではデトロイト・タイガースのファンのようである。


曲目は、レナード・バーンスタインの「キャンディード」序曲、シンディ・マクティーの「ダブルプレー」、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」(ピアノ独奏:小曽根真)、チャイコフスキーの交響曲第4番。

アメリカのオーケストラらしく、黒人の奏者が何人もいる。
基本的にドイツ式の現代配置での演奏だが、第2ヴァイオリンとチェロの副首席奏者は指揮者の正面に回り込むという独自の配置。金管はホルンは管楽の最後列に陣取るが、他の楽器は少し離れて、舞台上手奥に斜めに陣取るというロシア式の配置に近いものを採用していた。


レナード・バーンスタインの「キャンディード」序曲。デトロイト交響楽団の音色は美しく、輝きと軽やかさもある。日本のオーケストラも90年代からは考えられないほど成長したが、デトロイト交響楽団に一日の長があるように思う。


シンディ・マクティーの「ダブルプレー」。
シンディ・マクティーは、現代アメリカを代表する女性作曲家であり、レナード・スラットキン夫人でもある人物。
「ダブルプレーは」、チャールズ・アイヴズの「答えのない質問」にインスパイアされた作品で、現代音楽的側面と伝統に基づくそれの両方が上手く息づいているように思う。
演奏終了後、作者のシンディ・マクティーがステージに上がり、夫君でもあるスラットキンと共に喝采を浴びた。


ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」。スラットキン指揮のデトロイト交響楽団はお国ものということもあり、万全の演奏を聴かせる。ノリもリズムも日本のオーケストラとは桁違いで、本場であることの強さが感じられる。
小曽根真のピアノは色彩感豊か。アドリブの場面では、印象派的な響きやエスパニッシュスタイルの旋律を奏でるなど表現が巧みである。

小曽根はアンコールとして自作の「Home」を演奏した。


チャイコフスキーの交響曲第4番。デトロイト交響楽団の弦は合奏を徹底的に整えることで生まれる透明で冷たい響きを発し、チャイコフスキーの楽曲に相応しい雰囲気を作り出す。スラットキンは適度に客観的なアプローチを行い、そのことでチャイコフスキーの苦悩がより把握しやすいようになっていた。管楽器奏者達の腕も達者であり、力強さも万全に発揮されている。
第2楽章と第3楽章はアタッカで繋がれ、曲調のコントラストが強調されている。第4楽章ではスラットキンはそれほどペシミスティックな解釈は行っていないように感じられた。


アンコール演奏。まずは、「悪魔の夢」。演奏前にスラットキンは1階席の方を振り返り、「ファースト、アメリカン・ナンバー(中略)アレンジド バイ マイ ファーザー」と語ってから演奏を始めた。煌びやかなオーケストレーションが印象的である。スラットキンは聴衆に手拍子を求め、手拍子も指揮する。

アンコール2曲目、スラットキンは「サプライズ!」と語り、「六甲おろし(阪神タイガースの歌)」が演奏される。デトロイトにもTIGERSがあるための特別演奏。スラットキンは阪神タイガースのキャップ(黄色のつばに縦縞の入ったウル虎の夏仕様のもの)をかぶっての指揮である。
別の曲のように美しい「六甲おろし」であった。

レナード・スラットキン指揮デトロイト交響楽団大阪公演アンコール

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