カテゴリー「来日団体」の60件の記事

2017年12月12日 (火)

コンサートの記(331) フィリップ・ジョルダン指揮ウィーン交響楽団来日公演2017名古屋

2017年11月28日 名古屋・金山の日本特殊陶業市民会館フォレストホールにて

午後6時45分から、名古屋・金山の日本特殊陶業市民会館フォレストホールで、フィリップ・ジョルダン指揮ウィーン交響楽団の来日演奏会を聴く。

日本特殊陶業市民会館は、JR金山駅(名鉄と名古屋市営地下鉄も乗り入れており、金山総合駅の総称もある)で降りて北へすぐの所にある。

日本特殊陶業市民会館フォレストホールは、以前の名古屋市民会館大ホール。ネーミングライツによる中京大学文化市民会館オーロラホールを経て現在の名称になっている。1972年竣工というもあって、翌年完成した渋谷のNHKホールに内装がよく似ている。
ということで音響が不安だったのだが、良く聞こえるホールであった。


ベートーヴェンの交響曲第5番とブラームスの交響曲第1番という王道プログラムでの演奏会である。


フィリップ・ジョルダンは、私と同じ1974年生まれの指揮者。父親は名指揮者として知られたアルミン・ジョルダンである。チューリッヒに生まれ、同地で学んだ後、歌劇場のコレペティートル(下稽古のピアニスト)から音楽キャリアをスタートさせるという、叩き上げの王道を経て、若き日のヘルベルト・フォン・カラヤンが君臨したことで知られるウルム市立歌劇場のカペルマイスターに就任。1998年から2001年まではベルリン国立歌劇場でダニエル・バレンボイムの助手を務めている。2001年にグラーツ歌劇場とグラーツ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者となり、2004年まで務める。2006年から2010年まではベルリン国立歌劇場の首席客演指揮者。現在はパリ・オペラ座の音楽監督とウィーン交響楽団の首席指揮者の座にある。2020年からはウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任することがすでに決まっている。

ウィーン交響楽団は、ウィーン・フィルハーモニーに次ぐ、ウィーンの第2オーケストラ的団体として知られている。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団はウィーン国立歌劇場管弦楽団のメンバーからなるオーケストラであり、定期演奏会の数が少ない。「もっと恒常的にオーケストラコンサートを聴きたい」というウィーン市民の声に応える形で結成されたのがウィーン交響楽団である。1900年創設。歴代のシェフには、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ヘルベルト・フォン・カラヤン、ウォルフガング・サヴァリッシュ、ヨーゼフ・クリップス、カルロ・マリア・ジュリーニ、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、ウラディーミル・フェドセーエフ、ファビオ・ルイージというビッグネームが並ぶ。近年では最晩年のジョルジュ・プレートルとの名盤が評判を呼んだ。
一方で、「暴れ馬のようなオーケストラ」という評価もついて回っている。

ヴァイオリン両翼だが、弦楽の配置は下手から時計回りに、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンで、一般的な古典配置のヴィオラとチェロを逆にしたスタイルである。コントラバスは舞台最後部に横一列に並ぶ。ティンパニは舞台下手奥に陣取る。

フィリップは全曲暗譜での指揮。いかにも才人といった風の身のこなしである。


ベートーヴェンの交響曲第5番。
冒頭の運命動機のフェルマータは自然な感じで伸ばす。ピリオド・アプローチを採用しており、弦楽器よりも管楽器において古楽風スタイルが顕著である。旋律のラストは伸ばさずにサッと引っ込む感じで刈り上げる。ティンパニが硬い音を出しているのも特徴。
ウィーン交響楽団は各楽器の音色が濃く、音の情報量が豊かである。
フィリップは、管楽器、特に金管、就中ホルンの浮かび上がらせ方が巧みであり、立体的な音響を生んでいる。
楽章間はほとんど開けず、4楽章を通して1曲という解釈による演奏。ベーレンライター版の譜面をかなり忠実に再現しており、第4楽章の掛け合いでは、通常の「タッター、ジャジャジャジャン、タッター、ジャジャジャジャン」ではなく「タッター、タッター、タッター、タッター」と同音反復を採用。ピッコロの活躍も目立っていた。
フィリップが手を差し伸べた楽器群が光度を増す様は、あたかも手品を見ているかのようである。
一方で、細部は結構粗めで、ウィーン交響楽団の個性が出ている。


ブラームスの交響曲第1番。冒頭は情熱を抑えて、悲哀を強調した解釈。音もブルートーンである。この曲は、ベートーヴェンの運命動機と同じ「ジャジャジャジャン」という音型が何度も出てくるのだが、フィリップはそれを強調することはなかった。ウィーン交響楽団の音の密度はベートーヴェンの時よりも更に濃い。
ウエットな音がラストに向けて輝きを増していくという演奏であり、第4楽章は晴れがましくも輝かしい名演となる。


アンコールとして、まずブラームスの「ハンガリー舞曲」第5番が演奏される。ウィーン的な情趣とハンガリーの民族音楽的味わいが上手くミックスされた演奏である。

フィリップが、「ウィーンからのご挨拶(Greeting from Wien)」と言って、ヨハン・シュトラウス2世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」が演奏され、更に「雷鳴と電光」も続く。両曲とも日本のオーケストラが演奏する機会も多い曲だが、本場・ウィーンの演奏であるだけに、音の切れも輝きも密度も段違いの出来である。ウィーン交響楽団のメンバー全員がオーストリア人というわけではないはずだが、やはり子供の時からウィンナワルツに触れ、誇りとしてきた楽団員が多いだけに、他国のオーケストラの追随を許さないだけのレベルに達することが可能なのだろう。
なお、シンバルと大太鼓は、本編ではティンパニを叩いていた奏者が一人で演奏。かなり楽しそうであった。

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2017年11月17日 (金)

コンサートの記(324) ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 来日公演2017横浜

2017年11月9日 横浜みなとみらいホールにて

午後7時から、横浜みなとみらいホール大ホールにて、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の来日演奏会を聴く。

今年で90歳を迎えたヘルベルト・ブロムシュテット。アメリカのスプリングフィールドでスウェーデン人の宣教師を両親に生まれる。両親が信じていたセブンスデー・アドベンチスト教会の教えを厳格に守り、動物性の栄養は一切口にしないという完全なヴィーガンである(ただし、セブンスデー・アドベンチスト教会が絶対的な菜食主義を推奨しているわけではない。宗教者の子であるため、かなり原典主義的なのだろう)。2歳の時に祖国のスウェーデンに戻り、その後、北欧最古の大学として知られるウプサラ大学とストックホルム音楽院に学ぶ。タングルウッド音楽祭ではレナード・バーンスタインに師事して、最優秀賞であるクーセヴィツキー賞を受賞している。
日本ではNHK交響楽団との演奏で知られており、N響名誉指揮者を経て現在は桂冠名誉指揮者の称号を得ている。
近年はノンタクトで振ることが多く、今日もそうであった。


曲目は、ブラームスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:レオニダス・カヴァコス)とシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」

ブロムシュテットの指揮ということで、今日も当然ながらヴァイオリン両翼の古典派位置。ティンパニは指揮者の正面に来る。


ブラームスのヴァイオリン協奏曲。独奏者であるレオニダス・カヴァコスは、1967年、ギリシャ・アテネ生まれのヴァイオリニスト。5歳でヴァイオリンを始め、17歳の時に開催されたアテネ音楽祭でデビュー。翌年、シベリウス国際コンクール・ヴァイオリン部門で優勝している。1度だけ録音を許された、シベリウスのヴァイオリン協奏曲の原典版演奏では独奏を受け持っており、高い評価を受けた。

ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団であるが、旧東欧のオケらしく音が渋い。独特のコクとシルバー系の輝きがある。今年、ザ・シンフォニーホールで聴いたヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮の香港フィルハーモニー管弦楽団が同傾向の音を出しており、あるいは香港フィルを始めとするアジアのオーケストラはゲヴァントハウス管のような音を理想としているのかも知れない。
ブロムシュテットの作り出す音楽はその瑞々しさが魅力的である。常に節度がある統制の取れた演奏を行うが、そのため、第2楽章でも濃厚なロマンティシズムに溺れることはなく、そこが物足りない人もいたかも知れない。
ソリストのカヴァコスであるが、とにかく切れ味が鋭い。ヴィルトゥオーゾタイプであり、シャープなヴァイオリンである。
第3楽章ではカヴァコスとブロムシュテットによる丁々発止の演奏が展開された。

カヴァコスは、大曲であるブラームスのヴァイオリン協奏曲の後に、アンコールとして、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番より“サラバンド”を弾く。滑らかなバッハであった。だが、この演奏でカヴァコスは疲労困憊となってしまったようで、終演後に予定されていたCD購入者限定のサイン会はキャンセルとなり、CDの返品・払い戻しなども行われていた。


シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」。「偉大な」という意味にも取れる作品だが、実際はシューベルトの交響曲第6番が同じハ長調であるため、スケールの大きな当曲が「ザ・グレート」、交響曲第6番が「ザ・リトル」と呼ばれることになったというのが真相である。
長い間、「ザ・グレート」の世界初演を行ったのはライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団だとされてきた(フェリックス・メンデルスゾーンの指揮)。ただ、最近では「ザ・グレート」がシューベルトが亡くなった直後にウィーンで追悼演奏として私的に初演されたことがわかっている。メンデルスゾーンとライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管によるものは「公的なものとしては初演」ということになる。

譜面台の上には総譜が置かれていたが、ブロムシュテットが表紙を開くことはなく、全編暗譜での指揮となった。1拍目だけを示すことが多い、無駄のない指揮姿である。

冒頭に吹かれるゲヴァントハウス管のホルンの密度が濃い。第1楽章ではまさに意気軒昂でヒロイズムに満ちた演奏が展開される。
ゲヴァントハウス管の特徴は、木管奏者の動きが大きいこと。オーボエ奏者二人もフルート奏者二人も頭をグルングルン回しながら吹いている。ブラームスに比べると音の透明度が増し、端麗なシューベルト演奏となる。

第2楽章での音と孤独感の表出も見事。両翼に配されたヴァイオリンのピッチカートでのやり取りが確認できるなど、視覚面での面白さもある。
第3楽章の沸き上がるような音の生命感も印象的。

第4楽章は、「ヘリオスの疾駆」とでも名付けたくなる痛快な演奏となった。音が光を帯びて輝きを増し、最後は情熱の奔流となる。


演奏が終わり、コントラバスを除く楽団員がステージ上から去った後も拍手は鳴り止まず、ブロムシュテットが一人で登場して多くの「ブラボー!」と拍手を受けた。

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2017年9月15日 (金)

観劇感想精選(220) 演劇集団マウス・オン・ファイア 「ゴドーを待ちながら」京都

2017年9月10日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後2時から京都芸術劇場春秋座で、「ゴドーを待ちながら」を観る。アイルランドのカンパニーである演劇集団マウス・オン・ファイアによる上演。英語上演、日本語字幕付き。作:サミュエル・ベケット、演出:カハル・クイン。出演:ドンチャ・クロウリー、デイビッド・オマーラ、マイケル・ジャッド、シャダーン・フェルフェリ、下宮真周(しもみや・ましゅう)。ラッキーを演じるシャダーン・フェルフェリはインド出身、下宮真周は中学校1年生の少年である。東京・両国のシアターX(カイ)と演劇集団マウス・オン・ファイアの共同製作。
今回は作者であるベケット本人の演出ノートを手がかりに、ベケット自身の演出を忠実に再現することを目指したプロジェクトである。


「ゴドーを待ちながら」を観るのは記憶が正しければ3回目である。最初は2002年に東京・渋谷のシアターコクーンで(正確に書くとシアターコクーン内特設劇場のTHE PUPAで)串田和美演出のもの(串田和美のエストラゴン、緒形拳のウラジーミル)を観ており、京都に移ってからは近畿大学舞台芸術専攻の卒業公演で上演されたものを観ている。


「ゴドーを待ちながら」は初演時に大スキャンダルを巻き起こしたことで有名で、特にアメリカ初演の際は、1幕目終了後に客が列をなして帰ってしまったという話が伝わっている。

セットらしいセットを用いず、出演者は5人だけ。特にドラマらしいことも起こらないまま作品は進んでいく。

舞台上で描かれるのは人生そのものであり、大半の人間の人生がそうであるように、起伏というものがほとんどない。ということで「つまらなければつまらないほど上演としては成功」と考えられる作品である。

今回の上演では、移民や難民の問題に直面する社会を描くということで、ラッキーにインド人のシャダーン・フェルフェリを配役し、木の形をロシア正教のシンボル(八端十字架)に似せ、ポォツォやラッキーの服装に帝国主義を表す「青、赤、白」の要素を取り入れているという(ロシア、イギリス、フランス、アメリカなど帝国主義の国は国旗にこの色を用いている)。エストラゴンとウラジーミルという二人の浮浪者を始めとする現代人を圧迫しているのが帝国主義という解釈である。


行き場のない浮浪者であるエストラゴンとウラジーミル。生きる意味をなくしてしまっているようにも見えるのだが、「ゴドーを待つんだ」というそのためだけに「ここ」で待ち続けている。「救世主」なのか(「ゴドー」とは「ゴッド」のことだという解釈がよく知られている)、あるいは「死神」なのか。それはわからないが、ともかく「最期」にやってくるのがゴドーである。ゴドーが来るまでは我々はどこにも行けず「ここ」にいるしかない。たまに自殺という手段で「ここ」から逃げ出してしまう人もいるが劇中ではそれも封じられている(エストラゴンとウラジーミルの二人が死を望んでいることはそれとなく示されてはいる。一方でウラジーミルがしきりに尿意を催すことは「生きている」ことの象徴でもある)。劇中で行われるのは「退屈極まりない」という人生の属性をいかにして埋めていくかという作業である。時には観客も題材にしたりする。
ポッツォとラッキーの乱入はあるが、その場を掻き乱したり、時間の経過やその厳格さを示すだけであり、生きるということの本質を揺るがしたりはしない。我々はどこにも行けず、ただ「ここ」で来るのかどうかもわからないゴドーを待ち続けているだけである。

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2017年7月27日 (木)

コンサートの記(312) レナード・スラットキン指揮デトロイト交響楽団来日公演2017大阪

2017年7月16日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、デトロイト交響楽団の来日演奏会に接する。指揮はデトロイト交響楽団音楽監督のレナード・スラットキン。

デトロイト交響楽団は、アメリカを代表する工業都市で「自動車の街」としても知られるデトロイトを本拠地とするオーケストラ。1914年の創設。ポール・パレーとのフランスものやアンタル・ドラティとのストラヴィンスキーなどの名盤で日本でもよく知られている。来日は19年ぶりだが、関西で公演を行うのは初となるようである。

レナード・スラットキンは、「史上最もアメリカ的な指揮者」とも呼ばれるアメリカ出身の名匠(ただしWASPではなく、ウクライナ系ユダヤ人の血筋である)。日本でもNHK交響楽団への客演で知られており、NHK交響楽団の初代常任指揮者候補のラスト3人の中の1人となっている(最終的にはシャルル・デュトワに決定。もう一人の候補であるガリー・ベルティーニはその後、東京都交響楽団の指揮者となった)。父親はポップスオーケストラであるハリウッド・ボウルの指揮者であったフェリックス・スラットキン。
1980年代に、音楽監督を務めていたセントルイス交響楽団を全米ランキングの第2位に押し上げて注目される。ワシントンD.C.のナショナル交響楽団やロンドンのBBC交響楽団の音楽監督時代にはレコーディングがなくなったということもあって低迷したと見られていたが、2008年にデトロイト交響楽団の音楽監督に就任するや復活。「全米の音楽監督」との名声を得ている。NAXOSレーベルへの録音も継続中。

MLBの大ファンであり、セントルイス交響楽団音楽監督時代には同地を本拠地とするカージナルスの大ファンであったことで知られる。スラットキンがナショナル交響楽団の音楽監督に転任する際には、「問題はただ一つ、彼がセントルイス・カージナルスのファンからボルチモア・オリオールズのファンに乗り換われるかどうかだ」という記事が書かれたこともある(当時まだワシントン・ナショナルズは存在せず、D.C.最寄りの球団はボルチモア・オリオールズだった)。現在ではデトロイト・タイガースのファンのようである。


曲目は、レナード・バーンスタインの「キャンディード」序曲、シンディ・マクティーの「ダブルプレー」、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」(ピアノ独奏:小曽根真)、チャイコフスキーの交響曲第4番。

アメリカのオーケストラらしく、黒人の奏者が何人もいる。
基本的にドイツ式の現代配置での演奏だが、第2ヴァイオリンとチェロの副首席奏者は指揮者の正面に回り込むという独自の配置。金管はホルンは管楽の最後列に陣取るが、他の楽器は少し離れて、舞台上手奥に斜めに陣取るというロシア式の配置に近いものを採用していた。


レナード・バーンスタインの「キャンディード」序曲。デトロイト交響楽団の音色は美しく、輝きと軽やかさもある。日本のオーケストラも90年代からは考えられないほど成長したが、デトロイト交響楽団に一日の長があるように思う。


シンディ・マクティーの「ダブルプレー」。
シンディ・マクティーは、現代アメリカを代表する女性作曲家であり、レナード・スラットキン夫人でもある人物。
「ダブルプレーは」、チャールズ・アイヴズの「答えのない質問」にインスパイアされた作品で、現代音楽的側面と伝統に基づくそれの両方が上手く息づいているように思う。
演奏終了後、作者のシンディ・マクティーがステージに上がり、夫君でもあるスラットキンと共に喝采を浴びた。


ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」。スラットキン指揮のデトロイト交響楽団はお国ものということもあり、万全の演奏を聴かせる。ノリもリズムも日本のオーケストラとは桁違いで、本場であることの強さが感じられる。
小曽根真のピアノは色彩感豊か。アドリブの場面では、印象派的な響きやエスパニッシュスタイルの旋律を奏でるなど表現が巧みである。

小曽根はアンコールとして自作の「Home」を演奏した。


チャイコフスキーの交響曲第4番。デトロイト交響楽団の弦は合奏を徹底的に整えることで生まれる透明で冷たい響きを発し、チャイコフスキーの楽曲に相応しい雰囲気を作り出す。スラットキンは適度に客観的なアプローチを行い、そのことでチャイコフスキーの苦悩がより把握しやすいようになっていた。管楽器奏者達の腕も達者であり、力強さも万全に発揮されている。
第2楽章と第3楽章はアタッカで繋がれ、曲調のコントラストが強調されている。第4楽章ではスラットキンはそれほどペシミスティックな解釈は行っていないように感じられた。


アンコール演奏。まずは、「悪魔の夢」。演奏前にスラットキンは1階席の方を振り返り、「ファースト、アメリカン・ナンバー(中略)アレンジド バイ マイ ファーザー」と語ってから演奏を始めた。煌びやかなオーケストレーションが印象的である。スラットキンは聴衆に手拍子を求め、手拍子も指揮する。

アンコール2曲目、スラットキンは「サプライズ!」と語り、「六甲おろし(阪神タイガースの歌)」が演奏される。デトロイトにもTIGERSがあるための特別演奏。スラットキンは阪神タイガースのキャップ(黄色のつばに縦縞の入ったウル虎の夏仕様のもの)をかぶっての指揮である。
別の曲のように美しい「六甲おろし」であった。

レナード・スラットキン指揮デトロイト交響楽団大阪公演アンコール

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2017年7月 9日 (日)

コンサートの記(308) シュテファン・ザンデルリンク指揮 ハンブルク交響楽団来日演奏会2017京都

2017年7月3日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、シュテファン・ザンデルリンク指揮ハンブルク交響楽団の来日演奏会を聴く。

ハンブルク交響楽団が来日するのは今回が初めて。

ザンデルリンクファミリーの一人で若い頃からレコーディングなども行っているシュテファン・ザンデルリンク。以前に大阪センチュリー交響楽団(現・日本センチュリー交響楽団)を指揮した演奏会を聴いたことがある。

演目は、ベートーヴェンの「エグモント」序曲、ベートーヴェンの交響曲第5番、ブラームスの交響曲第1番。


チェロを前面に出したアメリカ式の現代配置での演奏。今日のザンデルリンクは全編ノンタクトで指揮する。


今日はステージをすり鉢状にはしていないが、残響は長い。昨日、一昨日とロームシアター京都メインホールでの京都市交響楽団の演奏を聴いたが、残響が短かったため、残響長めのホールで聴くとホッとする。京都コンサートホールがやはり私のホームなのだと確認した。


「エグモント」序曲。ハンブルク交響楽団は渋めの響き。弦は琥珀のような独自の輝きを持っている。
ベーレンライター版の楽譜を使っていたと思われるのだが、ピッコロはさほど目立つ活躍はしていなかった。譜面を改変したのかも知れない。
熱気をそれほど表には出さない端正な演奏である。


ベートーヴェンの交響曲第5番。運命動機のフェルマータは長く伸ばすが、フォルムを自在に変える演奏であり、復古的なスタイルではない。ピリオド・アプローチを援用しており、弦楽はビブラートを控えめにしてボウイングもモダンスタイルとは異なるものだったが、ピリオドスタイルを前面に出したものではない。
ゲネラルパウゼを長めに取ったかと思えば繰り返しでは間を詰めたりと、即興性を重視しているようである。
第4楽章ではベーレンライター版の音型反復を採用(ブライトコプフ版では、「タッター ジャジャジャジャン タッター ジャジャジャジャン)と運命動機の音型で返すところを「タッター タッター タッター タッター」と同音型で返す)。ピッコロの浮かび上がりはラストのみ採用と、様々な版から取捨選択を行っていることが窺える。


ブラームスの交響曲第1番。強靱なフォルムを彫刻することに心を砕いた演奏である。
テンポは中庸であり、ピリオド的な要素もほぼない。渋い音色を生かしたロマン的な演奏だが、作品にのめり込み過ぎることはなく、音像そのものの美しさを生かしたものとなっている。


アンコールはモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲。ティンパニの音が硬めであり、弦楽のビブラートも押さえた演奏。ロココ的な良さが十分に出た演奏だった。

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2017年6月12日 (月)

コンサートの記(304) サントゥ=マティアス・ロウヴァリ指揮フィンランド・タンペレ・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2017大阪

2017年5月25日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、フィンランド・タンペレ・フィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会を聴く。

フィンランド独立100年を記念してのタンペレ・フィルハーモニー管弦楽団の日本ツアー。今日の大阪での公演がトリとなる。
フィンランド人も客席に多く詰めかけており、第2部演奏前と演奏終了後にはフィンランド国旗の小旗が4本ほど振られていた。
フィンランドのタンペレはムーミン美術館があるところだそうで、ホワイエではトーベ・ヤンソン直筆のムーミンシリーズの絵が展示されていた。
日本のクラシックの聴衆はブランド志向であるため、タンペレ・フィルハーモニー管弦楽団のような有名とはいえないオーケストラでは入りが良くない。今日の入りは大体6割程度といったところ。3階席のチケットはそもそも発売していないようだ。

指揮者は、タンペレ・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督兼首席指揮者を務めるサントゥ=マティアス・ロウヴァリ。1985年生まれのフィンランドの若手である。現在は、コペンハーゲン・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者も務め、今年の秋からはスウェーデンのエーテボリ交響楽団の首席指揮者に就任する予定である。シベリウス音楽院で指揮をレイフ・セーゲルスタム、ヨルマ・パヌラ、ハンヌ・リントゥに師事している。

オール・シベリウス・プログラム。交響詩「フィンランディア」、ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:堀米ゆず子)、交響曲第2番。

ドイツ式の現代配置での演奏。首席ティンパニ奏者は女性である。

カーリーヘアの持ち主であるサントゥ=マティアス・ロウヴァリ。頭が膨張して見える上に痩身なので、頭と体のバランスが不思議に見える。手首から先をクルクル回したり、スナップを利かせて振ったりするのが特徴である。
また、見た目だけでなく音楽もかなり個性的だ。


交響詩「フィンランディア」。「フィンランディア」の冒頭は金管を思いっきり咆哮させる演奏が多いのだが、ロウヴァリは冒頭の金管を抑える。急激な加速と減速が特徴であり、一音一音ずつ切って演奏させる部分もある。各パート毎に浮かび上がらせるなど、オーケストラコントロール能力も高い。
弦は北欧のオーケストラらしくウエットで、立体感にも富んでいる。


ヴァイオリン協奏曲。ソリストの堀米ゆず子は白髪頭で登場。1980年のエリーザベト王妃国際音楽コンクールで優勝して注目されてから長い歳月が流れ、見た目はすっかりお婆ちゃんである。
堀米のヴァイオリンは美音だがタイトで広がりはそれほど大きくはない。ただシベリウスのコンチェルトには合っている。
ロウヴァリ指揮のタンペレ・フィルハーモニー管弦楽団は思いの外、豪快なところのある伴奏を聴かせる。ロウヴァリという指揮者は一筋縄ではいかないようだ。

堀米のアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタより“ガヴォット”。軽快な演奏であり、バッハの深遠さはそれほど強くは感じられなかった。


交響曲第2番。ロウヴァリの生み出す音楽は緩急・強弱ともに変幻自在。かなり速いテンポを採ることもある。最終楽章のトランペットによる合いの手には急激なディミヌエンドが用いられる。
第2楽章は、シベリウス本人が「ドン・ファンと死との対決」をイメージしたと語ったとされているようだが、この「ドン・ファン」とは、若い頃は放蕩児だったというシベリウス本人のメタファーなのかも知れない。
交響曲第2番は、「フィンランドの民族的高揚を描いた」と解釈されているが、実際は案外プライベートな内容の交響曲なのかも知れない。第4楽章も凱歌ではなく、苦しみと希望の狭間にあるシベリウスが希望へと手を伸ばそうとする過程なのかも知れない。ロウヴァリは最終楽章で速めのテンポを取ったため、凱歌には聞こえなかったということもある。


アンコールは2曲。まずは「悲しきワルツ」。テンポと強弱を大きく動かす演奏である。ラストの弦楽による3つの音はノンビブラートで1音ずつ音を切って演奏された。
2曲目は、組曲「カレワラ」より“行進曲”。弦の刻み方に特徴があり、迸らんばかりの活気と春の喜びがホールを満たしていた。

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2017年5月11日 (木)

観劇感想精選(210) 日中国交正常化45周年記念「中国国家京劇院 愛と正義と報恩の三大傑作選」

2017年4月2日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて観劇

午後6時30分から、ロームシアター京都メインホールで、日中国交正常化45周年記念「中国国家京劇院 愛と正義と報恩の三大傑作選」を観る。
北京の伝統芸能である京劇。その京劇の総本山ともいうべき中国国家京劇院の来日公演である。中国国家京劇院は中国文化部直属の団体であり、京劇の歴史的名女形の梅蘭芳が設立に関与していて初代院長に就任している。

演目は、「西遊記・金銭豹」、「太真外伝」より抜粋、「鎖麟嚢」の3つ。いずれも上演の前に紗幕に内容を説明する映像が投影される。日本語字幕付きでの上演。

京劇を観るのは今回が2度目。前回は、NHK大阪ホールで観ている。

陳凱歌監督の映画「さらば我が愛 覇王別姫」でも知られる京劇。故レスリー・チャンが女形を演じていたため、現在でも歌舞伎同様、女形が存在していると思われることが多いようだが、清朝時代は女は舞台に上がれなかったものの、その後は徐々に状況が変わり、改革開放以降は、女役は基本的に女優が歌い、演じている(男性が老女役を演じることはある)。
ちなみに、中国の地方演劇の中には京劇よりも早い時代に女優制度を取り入れたものも存在する。

今回の公演では、ロームシアター京都メインホールはバルコニー席(サイド席)は用いられていなかった。
今日は4階席最前列の真ん真ん中の席での観劇。手すりが多少目障りになるが、手すりがないと移動する際に命が危ないのでこれは我慢するしかない。

開演前には中国の民謡などがインストゥルメンタルで流れていたのだが、中国初のロックンローラーとして知られる崔健が中国共産党批判のメッセージを込めてカバーしたとされることでも有名な「南泥湾」も流れていた。


「西遊記・金銭豹」。天竺に向かう途中の三蔵法師(演じるのは陳旭之)の一行、紅梅山という山の麓に差し掛かった時の話である。紅梅山に住む妖怪の金銭豹(張志芳)は、地元の住人である鄧洪(馬翔飛)の娘(劉夢姣)に一目惚れして、鄧洪に娘と結婚させるようせまる。そこに三蔵法師の一行が宿を借りに鄧洪の家にやって来る(京劇は庶民のための娯楽として発展したため、かなりご都合主義の筋書きが多い)。鄧洪の悩みを聴いた孫悟空(馬燕超)は、猪八戒(危佳慶)と共に、鄧洪の娘と娘の侍女(戴忠宇)に化けて金銭豹に近づき、退治しようとする。

アクロバットな要素が多く、孫悟空役の馬燕超はバック転にバック宙と身軽であり、如意棒の捌き方も巧みである。金銭豹役の張志芳も武器とする棒を巧みに操る。

孫悟空役の馬燕超と鄧洪の娘役の劉夢姣、猪八戒役の危佳慶と侍女役の戴忠宇は化けたという設定で入れ替わりながら演技をする。

日本でも有名な『西遊記』であるが、内容が通俗的であるため、「子供のうちは『西遊記』は難しくて読めないが、大人になったら『西遊記』は馬鹿馬鹿しくて読めない」という言葉が中国にはあり、実際、どの層が主に読んでいるのか謎の物語であったりする。

京劇は基本的に歌う劇であり、北京オペラ(もしくはチャイニーズ・オペラ)とも呼ばれている。演劇の台本を戯曲というが、中国では戯曲というと、京劇など古典演劇のことを指す。歌があるので曲という字が入っている。わかりやすい。

高いところにある席には高い音色の直接音が飛んで来やすい。「西遊記・金銭豹」は活劇であるため、銅鑼や鐘がやたらと打ち鳴らされて、かまびすしく感じた。


「太真外伝」より抜粋。楊貴妃(本名:楊玉環。演じるのは朱虹)と玄宗皇帝(本名:李隆基。演じるのは劉塁)のロマンス劇である。喧嘩をした玄宗皇帝と楊貴妃。だが、七夕の夜に織姫と彦星のことを祈る楊貴妃を見た玄宗は再び心惹かれ、二人で鵲の橋(西洋の星座でいうはくちょう座のこと)となり、比翼連理の誓いを結ぶ。
抜粋上演なので、短く、少し物足りなかった。


「鎖麟嚢」。これが最も本格的な上演演目である。山東半島にある登州が舞台。富豪の令嬢である薛湘霊(李文穎)が嫁入りする日。侍女の梅香(載忠宇)がまず登場して状況を説明する。この作品は現代京劇であるためか、聞いていてもセリフの内容がわかりやすい。
薛湘霊というのがまた、わがままな女性で、嫁入り道具のデザインが気に入らないというので、執事の薛良(王宝利)に何度も買いに行かせては「買い直してきて」と命令している。
登州には、嫁入りする娘に鎖麟嚢という袋を持たせることになっている。この袋に宝石などを詰め込んで持たせると娘が子宝に恵まれるというのだ。だが薛湘霊は、鎖麟嚢に書かれた麒麟が「豚や犬に見える」と文句を付けている。薛夫人(張静)は、そんな娘にわがままを言わないよう諭す。

婚礼の一行は、雨に降られたため、春秋亭という東屋で雨宿りをする。そこで薛家の人々は、趙守貞(朱虹)というやはり嫁入りする女性の泣き声を聞く。趙朱貞は貧しい家の娘であり、嫁入りなのにみすぼらしい体裁しか取れないのを嘆いていたのだ。薛湘霊は誰もが自分のように恵まれているのではないということを悟り、趙守貞に鎖麟嚢を与えるのだった。

これまたラストではかなりご都合主義な展開になるのだが、庶民は悲劇よりも予定調和の大団円を好んだのであろう。日本で「水戸黄門」が好まれるのも同じ心理だと思われる。
なお、この劇に出てくる男の子の役は女優(「西遊記・金銭豹」で鄧洪の娘役で出ていた劉夢姣)が演じていた。

元々、京劇の伴奏楽器として発達した胡弓(二胡)の響きも心地よく、楽しめる演目であった。

カーテンコール。出演者達はまず、中国式の拱手で拍手に応え、その後、西洋式の胸に手を当てる形のお辞儀を行った。

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2017年5月 4日 (木)

コンサートの記(296) ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮香港フィルハーモニー交響楽団日本公演2017

2017年4月18日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、香港フィルハーモニー管弦楽団の日本公演を聴く。指揮は香港フィルハーモニー管弦楽団音楽監督のヤープ・ヴァン・ズヴェーデン。

アジアのオーケストラとしてはトップクラスの知名度を誇る香港フィルハーモニー管弦楽団。香港映画や中華ポップの演奏を行っていることでも名高い。だが、この香港フィル、なんと来日演奏会を行うのは実に29年ぶりになるという。そして今回も日本公演は今日の大阪での演奏会のみで、東京での演奏会は予定されていない。ということで、「音楽の友」誌の記者達がザ・シンフォニーホールに乗り込んでいるそうである。

香港フィルの音楽監督を務めるヤープ・ヴァン・ズヴェーデンは、EXTONレーベルへの録音で、日本でも知名度の高い指揮者である。オランダ出身。ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートマスターを経て指揮者に転身している。ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のヴァイオリン奏者やコンサートマスターとしては何度も来日しているが、指揮者としての来日は意外にも今回が初めてになるそうだ。


曲目は、フォン・ラム(Fung LAM 林豊)の「クインテッセ」、バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番(ヴァイオリン独奏:ニン・フェン)、ブラームスの交響曲第1番。


29年前と今とでは同じ香港フィルであっても実態はもう別のオーケストラだと思える。そもそも29年前には香港は中国のものではなく、英領だった。
香港フィルは、1948年の創設。当時はアマチュアオーケストラだった。1973年にプロオーケストラに移行。1989年に本拠地となるアーツセンター・コンサートホールが竣工し、同年、ロンドン・シンフォニエッタの指揮者などを務めていたデイヴィッド・アサートンが音楽監督に就任。1997年に香港は中国に返還され、白人主体だったオーケストラに変化が訪れる。2003年にはエド・デ・ワールトを音楽監督に迎え、2012年にヤープ・ヴァン・ズヴェーデンが後任として音楽監督に就任している。


開場時からステージ上では、木管奏者達が練習を行っており、その後、楽団員達が三々五々ステージに出てきて思い思いに弾き始めるというスタイル。弦楽の首席クラスが開演数分前に出てきて、最後は拍手を受けながらコンサートマスターが登場して全員が揃う。
アメリカ式の現代配置での演奏。ティンパニは指揮台の真っ正面ではなくやや下手寄りに位置する。
管楽器は白人主体、弦楽器はアジア系が大半といった好対照な顔触れ。打楽器は白人とアジア系が半々である。ハープは白人の男性奏者が演奏していた。


ズヴェーデン登場。見事なリンゴ体型である。


フォン・ラムの「クインテッセ」。仏教の五蘊(色、受、想、行、識)を描いた現代曲である。フォン・ラムは、1979年生まれの香港の作曲家で、イギリスで音楽を学び、現在もイギリスと香港の両方を拠点として活躍しているという。
打楽器の強打に、シンバルを弓で弾くなどの特殊奏法がある。一方で、管や弦は神秘的な響きを奏で、独特の雰囲気を生み出している。


バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番。このところ、プログラムに載ることが増えてきた曲である。演奏時間約40分という大作。ズヴェーデンはこの曲はノンタクトで指揮した。
ソリストのニン・フェンは、中国出身のヴァイオリニスト。ベルリンを拠点として活躍しており、ドラゴン四重奏団との共演も重ねているという。

ニン・フェンの音はやや乾いた感じである。ザ・シンフォニーホールでこうした音が出ることは珍しいのだが、香港フィルの弦楽陣もやはりやや乾き気味の音色を出している。日本のオーケストラの弦楽奏者は輝かしい音を追求し、韓国のオーケストラも似た感じであるが、他のアジアのオーケストラ(香港以外に、中国、マレーシア、ベトナムなど)の弦楽パートはそれとは違うものを求めているようにも感じる。
ハンガリー出身のバルトークならではのペンタトニックや、特殊な演奏法などが聴かれるため、どことなくアジアな響きが感じられる演奏になっている(ハンガリーのフン族は元々はアジア系とされる)。
昨年聴いたオーギュスタン・デュメイの同曲演奏のようなスケールの大きさこそ感じられなかったが、ニン・フェンの技術も高く、ハイレベルな演奏を味わうことが出来た。

ニン・フェンのアンコール演奏は、パガニーニの「24のカプリース」より第1番。高度なメカニックを繰り出した演奏であった。


後半、ブラームスの交響曲第1番。
ヤープ・ヴァン・スヴェーデンが日本で知名度を上げたのは、オランダ・フィルハーモニー管弦楽団などを指揮して完成させた「ブラームス交響曲全集」(オランダ・ブリリアント・クラシックス)によってであった。若きズヴェーデンの溌剌とした演奏が評判を呼んだのである。
ということで、ズヴェーデンの十八番ともいえる曲目が演奏される。
ズヴェーデンは、ホルンや木管、ヴィオラといった内声を強く弾かせることで音に立体感を生み出す。特にヴィオラの対旋律を浮かび上がらせるのは効果的で音に厚みと彩りの豊かさが出る。

指揮棒を持って登場したズヴェーデンだが、指揮棒をヴィオラ首席奏者の譜面台に差して、第1楽章と第2楽章はノンタクトで指揮する。
第3楽章に入る前に指揮棒を手にしたズヴェーデン。中間部に入るまでは指揮棒を用いていたが、今度は指揮棒を自身の譜面台の上に置いてノンタクトでの指揮を始める。第4楽章の終盤になってから再び指揮棒を手にして指揮した。ノンタクトで振った方が両手を均等に用いることが出来るために細部まで操りやすいのであろう。

スマートなブラームスである。生まれ出る音楽自体は熱いのだが、弦楽の音色が比較的あっさりしていてまろやかなため、上手く中和されている。各楽器の奏者達の技術も高く、優れたブラームス演奏となった。


アンコールは、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」。ズヴェーデンと香港フィルは、NAXOSレーベルに「ニーベルングの指輪」全曲をレコーディングしている。ズヴェーデンはこの曲でも指揮棒をヴィオラ奏者の譜面台に挟んでノンタクトで指揮した。
トランペット、トロンボーン、ホルンといった金管がパワフルであり、ズヴェーデンの巧みなオーケストラコントロールもあって好演となる。


優れた指揮者とオーケストラによる素晴らしい演奏会であった。

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2017年4月12日 (水)

コンサートの記(291) クシシュトフ・ウルバンスキ指揮NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2017大阪

2017年3月15日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、「東芝グランドコンサート2017」 NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会を聴く。

NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団は、ギュンター・ヴァントとのコンビで親しまれた北ドイツ放送交響楽団(NDR交響楽団)が、新本拠地ホールであるエルプフィルハーモニーの落成と共に改名した団体である。
一昨年に、北ドイツ放送交響楽団名義で、首席指揮者であるトーマス・ヘンゲルブロックと共に来日し、大阪のザ・シンフォニーホールでも演奏会を行っていて私も聴いているが、新しい名称になってからは初来日である。
今日の指揮者は、ポーランド生まれの俊英、クシシュトフ・ウルバンスキ。NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者である。昨年まで東京交響楽団首席客演指揮者を務めており、大阪フィルハーモニー交響楽団も数度客演していて、日本でもお馴染みの存在になりつつある。ワルシャワのショパン音楽アカデミーでは指揮をNAXOSの看板指揮者として知られるアントニ・ヴィトに師事。2007年にプラハの春国際音楽コンクールで優勝に輝いている。
シャープな指揮姿であるが、時折、ダンスのようなステップも踏む。


曲目は、ベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:アリス=紗良・オット)、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。オール・ドイツ・プログラムである。

ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。フェスティバルホールにはパイプオルガンはないので、「ツァラトゥストラはかく語りき」では、電子オルガンが用いられる。

一度楽譜を見ただけで全て覚えてしまう「フォトグラフメモリー」という特殊能力を持つウルバンスキ。今日も指揮台の前には譜面台はなく、協奏曲も含めて全て暗譜で指揮する。

ウルバンスキ登場。どことなくGACKTに雰囲気が似ている。もっとも、GACKTを生で見たことはないのだけれど。


ベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番。ウルバンスキは情熱を持っているのだろうが、それを表に出すことの少ない指揮をする。
全編、ピリオド・アプローチによる演奏だが、特筆すべきは弱音の美しさ。本当に息を飲むほどに美しい超絶ピアニシモである。そしてラストに向けて盛り上がっていく弦楽のエネルギーの豊かさ。爽快なベートーヴェンである。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。ソリストは日本でもお馴染みになったアリス=紗良・オット。日独のハーフであり、「美しすぎる」という奇妙な形容詞が流行った時には「美しすぎるピアニスト」などと言われた。ピアニストのモナ=飛鳥・オットは実妹。
個性的なピアニストであり、ウルバンスキとは異なって情熱を剥き出しにするタイプである。
「裸足のピアニスト」としても知られているアリス。今日は黒いロングドレスの裾を引きずりながらチョコマカ早歩きで登場したため足下は見えなかったが、ピアノを弾くときは素足でペダルを踏んでいるのが確認出来た。

アリスのピアノは、浮遊感、透明度ともに高く、冒頭ではちょっとした歌い崩しを行うなど、今日も個性がフルに発揮されている。
第1楽章終了後、第2楽章終了後とも、ウルバンスキは腕を下げず、アリスがピアノを弾くことで楽章が始まるというスタイルを採っていた。
第2楽章のリリシズム、第3楽章のパワーなどいずれも感心する水準に達している。アリスは右手片手弾きの場面では左手の掌を上に向けて左肩の付近で止めていた。科を作っていたわけではなく、単に癖なのだろう。

演奏終了後、喝采を浴びたアリス。聴衆からお花も貰う(許可がない場合は聴衆としてのマナー違反になりますので、真似しない方がいいです)。

ウルバンスキ指揮のNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団もピリオド・アプローチながら力強い伴奏を奏でた。

アンコールは2曲。まずは、昨年、「ピーコ&兵動のピーチケ・パーチケ」でも演奏していた、グリーグの抒情小曲集より「こびとの行進」。
20年近く前に、砧(きぬた)にある世田谷美術館講堂で、グリーグのピアノ曲演奏会(世田谷美術館の「ムンク展」関連事業)を聴いたことがある。演奏を行ったのは、グリーグ演奏の大家でNAXOSレーベルに「グリーグ ピアノ曲全集」も録音していたアイナル・ステーン=ノックレベルグ。「グリーグ本人の演奏にそっくり」といわれたピアノを弾く人だ。来日前に交通事故に遭ったそうで万全の体調ではなかったそうだが、ステーン=ノックレベルグは、「抒情の極み」とでもいうべき演奏を披露していた。
アリスの弾く「こびとの行進」は、ステーン=ノックレベルグのそれと比べると若々しいのは当たり前だが、リズム感の良さが際立っている。アリスは普段はクラシックは余り聴かず、ポピュラー音楽の方を好んで聴くそうだが、ポピュラーは「リズムが命」という面があるため、クラシック演奏にもプラスに働くのだろう。
メカニックが抜群なのは今更書くまでもない。

拍手を受けて椅子に腰掛けたアリスは、「皆様、今夜はお越し下さってありがとうございます。もうピアノが伸びてきてしまっていますので、最後にオーケストラのメンバーと皆様のためにショパンのワルツ遺作を弾きたいと思います」と言ってから、ショパンのワルツ19番(遺作)を弾く。テンポの伸縮自在の演奏だが、それが効果的であった。


後半、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。ウルバンスキはやや遅めのテンポでスタートする。冒頭に出てくる3つの音が全曲を支配する「ツァラトゥストラはかく語りき」。ウルバンスキの表現は見通しが良く、リヒャルト・シュトラウスの意図もウルバンスキ自身の意思もよく伝わってくる。
「ツァラトゥストラはかく語りき」は有名曲なので、コンサートで取り上げられることも比較的多いが、これほど楽曲構成の把握がわかりやすく示された演奏を聴くのは初めてである。
NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団であるが、弦も管も技術は極めて高い。この曲は弦楽のトップ奏者がソロを取る場面が何度もあるのだが、全体がそうした室内楽的な緻密さに溢れた好演となっていた。弦の音色は透明度が高く、明るい。輝きに関しては昨日聴いたプラハ交響楽団とは真逆である。管楽器も力強く、音楽性も高かった。
なお、舞台袖での鐘は、グロッケンシュピール奏者が自身のパートを演奏し終えた後で上手袖に下がり、兼任して叩いていた。


アンコール演奏は、ワーグナーの歌劇「ローエングリン」より第3幕への前奏曲。非常に洗練されたワーグナーであり、ドイツの楽団でありながら「ドイツ的」といわれる濃厚な演奏とは一戦を画したものになっていた。

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2017年4月 5日 (水)

コンサートの記(289) ペトル・アルトリヒテル指揮プラハ交響楽団来日演奏会2017京都 スメタナ 「わが祖国」全曲

2017年3月14日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都・プラハ姉妹都市提携20年記念事業であるプラハ交響楽団の来日演奏会を聴く。指揮者は2度に渡ってプラハ交響楽団の首席指揮者を務めたことのあるペトル・アルトリヒテル(Webでは「アルトリフテル」表記の方が情報が多いようだ)。
プラハ交響楽団はプラハ市営のオーケストラである。
なお、入場者には、「京都・プラハ姉妹都市提携20周年」を記念して、京都洛中ロータリークラブからチョコレートが送られた。

スメタナの連作交響詩「わが祖国」全曲の演奏。

1996年4月に姉妹都市となった京都市とプラハ市。共に市営のオーケストラがあるということで(京都市交響楽団はその後、市直営から市の外郭団体による運営に切り替わった)、12年前となる2005年に京都市交響楽団とプラハ交響楽団は姉妹オーケストラの提携を結び、合同演奏会も行ったが、その後は少なくとも「密接な関係」にはなっていない。
プラハ交響楽団は、晩年のサー・チャールズ・マッケラスと名盤を多く残しているが、それ以前には「チェコのカラヤン」と呼ばれたヴァーツラフ・スメターチェクが育てたオーケストラとして知られていた。

指揮者のペトル・アルトリヒテルは、1951年生まれ。生地はモラヴィアにあるフレンシュタード・ポト・ラドシュチェムという長い名前の街である。フレンシュタード・ポト・ラドシュチェムの隣町にあるオストラヴァ音楽院で指揮法とホルンを学び、ブルノにあるヤナーチェク音楽院在学中の1976年にブザンソン指揮者コンクールで2位入賞及び特別賞受賞。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団でヴァーツラフ・ノイマンの助手を務め、1990年にプラハ交響楽団の首席指揮者に就任。この時は1年で退任している。1997年から2001年まではロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者として活躍。1993年に南西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督に就任(2004年まで)。2002年から2009年まではチェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者の職にあった。この時期、ブルノ・フィルとレコーディングを行っており、以前、ザ・シンフォニーホールでブルノ・フィルハーモニー管弦楽団が来日演奏会を行ったとき(指揮者は若手のアレクサンダー・マルコヴィッチであった)にペトル・アルトリヒテル指揮ブルノ・フィルのCD(「新世界」交響曲ほかを収録)を買ったことがある。
というわけで、CDでは聴いたことのあるアルトリヒテルだが、実演に接するのは初めてだ。
アルトリヒテルは、2003年から2006年に掛けて、再度、プラハ交響楽団の首席指揮者を務めている。

ドイツ式の現代配置での演奏。白人は体格がいいため、ウレタン仕様の椅子は二つ重ねて少し高くなるように調整されている。ステージはすり鉢状にしているが、上手下手出入り口付近は邪魔になるために上げずにフラットにしている。そのためなのかどうかはわからないが、最近の京都コンサートホールでの演奏にしては残響は短めであった。

日本人かどうかはわからないが、フォアシュピーラーの女性と、トライアングルを鳴らす打楽器奏者の女性は少なくとも東アジア系であるのは確実と思われ、国際的な面々が揃っているようだ。


演奏が始まる前に、駐日チェコ大使のスピーチがある。「皆様、こんばんは」「ようこそお越し下さいました」「ここからチェコ語に変わってもいいですか」と日本語で挨拶した後で、チェコ語でのスピーチを始める(日本語通訳も多分、チェコ人の女性)。「京都とプラハは姉妹都市であるが、文化のみならず経済なども含めてあらゆる面で姉妹都市である」ということ、「門川大作京都市長とアドリアーナ・クルナーチョバー・プラハ市長(女性である。現在、入洛中)に挨拶に行き、歓迎された」こと、「モルダウ」が日本でもお馴染みの曲になっていることなどを語り、「本当にありがとうございました」と日本語で言って締めた。


スメタナの連作交響詩「わが祖国」全曲。前半に「ヴィシェフラド(高い城)」、「ヴルタヴァ(モルダウ)」、「シャールカ」の3曲が演奏され、休憩を挟んで後半に「ボヘミアの森と草原から」、「ターボル」、「ブラニーク」が演奏される。

アルトリヒテルの指揮は拍を刻むオーソドックスなスタイルだが、かなり情熱的な指揮であり、身振り手振りは大きく、時には唸り声を上げながら指揮をする。膝を曲げて中腰になって指揮したり、片方の足でリズムを踏むもあるが、一番の癖は前髪を息で吹き上げながら指揮することである。

なお、総譜は、「わが祖国」全6曲を纏めたものではなく、交響詩1曲を収めた総譜6冊を利用していた。


第1曲「ヴィシェフラド(高い城)」では、出だしのハープ序奏を二人の奏者(共に金髪の女性である)に任せ、その後、指揮を始める。
プラハ交響楽団は、12年前に聴いたときには、「技術はまあまあ高く、音色は京響よりも豊か」という印象だったが、今日は弦の音は美しいものの、京響のように燦燦と光り輝くというタイプではなく、「渋い音」の部類に入る。勿論、音のパレットは豊かなのだが、基本的には「いかにも東欧のオーケストラらしい」玄人好みの音色である。一方の管は、思い切り吹いてもまろやかな音が出ており、美観は十分である。「やはり日本人とは肺活量が違うな」と思われるところもあった。
アルトリヒテルは音のブレンドに長けているようで、弦と管の音を上手く組み合わせて音楽を作る。

第2曲「ヴルタヴァ(モルダウ)」は、一昨日、高関健指揮京都市交響楽団の演奏で聴いたばかりなので比較が可能である。といっても今日はポディウム席の1列目なので、1階席の18列目真ん中だった一昨日とはコンディションは異なる。
チェコのオーケストラが「モルダウ」の第1主題を演奏すると、どこがどうと詳しく説明することは出来ないのだが、「郷愁(ノスタルジア)」のようなものが強く感じられる。やはり祖国が誇る作曲家の作品であるため、思い入れが違うのだと思われる。
イメージ喚起力に長けた秀演である。

第3曲「シャールカ」は切れ味の鋭さが印象的な演奏であった。

第4曲「ボヘミアの森と草原から」。「わが祖国」の中では「モルダウ」の次に知名度の高い曲である。アルトリヒテルとプラハ響はスケールの大きな演奏を行う。

第5曲「ターボル」では、ホルンが吹き始める音型が、その後、各楽器に移っていくのだが、仄暗い情熱を感じさせつつもとても丁寧な仕上がりとなった。

ラストの「ブラニーク」。この曲には、とても美しいオーボエソロがあるのだが、プラハ響のオーボエ首席奏者のソロもとても美しい。またオーボエソロを受ける形となる首席クラリネット奏者と首席ホルン奏者(彼だけは燕尾服ではなく、ジーンズにジャンパーというラフな格好であった)の技術も極めて高度で、プラハ響の質の高さがまざまざと伝わってくる。まだ若いと思われるティンパニ奏者のノリとリズム感も抜群であった。


アルトリヒテルは、最後に6冊の総譜を掲げて、曲への敬意を表した。


プラハ交響楽団の知名度は日本全国ではそれほど高いとはいえないだろが、実質はともかくとして京都市交響楽団の姉妹オーケストラということもあり、京都コンサートホールは3階席正面の上手下手端、1階席後方の上手下手端を除けば席は埋まっていて、入りも上々といえるだろう。

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