カテゴリー「来日団体」の72件の記事

2018年9月22日 (土)

コンサートの記(426) 吉田裕史指揮ボローニャフィルハーモニー管弦楽団特別演奏会@京都コンサートホール2018

2018年9月10日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールでボローニャフィルハーモニー管弦楽団の特別演奏会を聴く。指揮はボローニャフィルハーモニー管弦楽団芸術監督の吉田裕史(ひろふみ)。

北海道生まれ、千葉県育ちの吉田裕史。市川市にある千葉県立国府台高校を卒業後、東京音楽大学と同研究科で指揮を広上淳一らに師事し、ウィーン国立大学のマスターコースではハンス・グラーフらに師事してディプロマを取得。イタリア・シエナのキジアーナ音楽院でも学んでいる。ドイツやスウェーデンの歌劇場でも研鑽を積んでいるが、21世紀に入ってからはイタリアの歌劇場を中心とした活動を続けている。

昨年も同じ時期に京都コンサートホールでの演奏会を吉田の指揮で行っているボローニャフィルハーモニー管弦楽団。ボローニャ市立歌劇場管弦楽団のメンバーから構成されている。現在、名古屋城本丸天守前での「トスカ」野外上演を行っており、上演の合間を縫って京都にやって来ている。京都へは名鉄バスに乗って移動して来たようだ。


明治150年と京都府庁開庁150年を記念した演奏会。曲目は、第1部がオール・ロッシーニ・プログラムで、「泥棒かささぎ」序曲、「絹のはしご」序曲、「マティルデ・ディ・シャブラン」序曲、「ウィリアム・テル」序曲、第2部がプッチーニのオペラ「トスカ」ハイライトである。


ドイツ式の現代配置での演奏。ボローニャフィルは昨年もコンサートの前半にオーケストラ曲を演奏しているが、アンサンブルの精度や魅力は今ひとつであった。
今回も「泥棒かささぎ」序曲の冒頭ではスケールが小さいように感じられたが、徐々に調子を上げていく。管楽器はソロの技術が高い。ただユニゾンやハーモニーになると何故か雑になってしまう。イタリア人には個人プレーの方が合っているのかも知れない。弦の上品さと管の抜けの良さは昨年の演奏では聴けなかったもので、やはりボローニャ出身であるロッシーニの楽曲には思い入れがあるのであろう。
「マティルデ・ディ・シャブラン」序曲は聴き慣れない曲だが、吉田の発言によると、今回がおそらく日本初演になるだろうとのことだった。


第2部のオペラ「トスカ」ハイライト。現在、名古屋で上演を続けているということもあってか、第1部とは音への敏感さや反応が違う。しなやかに歌い、情熱的に盛り上がる。オペラの序曲よりもオペラ本編の演奏の方を何倍も得意としているようだ。

まず、ソプラノのアマリッリ・ニッツァとバリトンのジョヴァンニ・メオーニによるデュオ「マリオ、マリオ、マリオ」。ステージ前方で演技をつけながら歌う。
京都コンサートホールの特性なのか、ソプラノの張り上げた声は余り響かない。ピアニシモは通るのだが、オペラ的発声には向いていないようである。

テノールのカルロ・ヴェントレの独唱による「テ・デウム」。ヴェントレは南米ウルグアイ出身で、新国立劇場オペラの常連でもあるそうだ。良い歌い手である。

アマリッリ・ニッツァの独唱による「歌に生き愛に行き」。やや線の細さはあるが、透明感のある安定した歌声で聴かせる。

ジョヴァンニ・メオーニ独唱による「星は光ぬ」。ドラマティックで熱のこもった歌声であり、「見事」であった。


演奏終了後に、吉田がマイクを片手に登場。「イタリアではアンコールをやるかどうかを最初から決めているわけではないんです。お客さんの反応が良かった時だけ、アンコールを、BISというのですが、それでは」「恐ろしく美しい曲、天国的に美しい曲です。おそらく日本初演になると思います。マルトゥッチという作曲家の『夜曲』という曲を」
マルトゥッチの「夜曲」は叙情的且つ繊細な作風で、秋の空のような高雅さを持っている。演奏も匂うような上品さを保っていた。


ラストは、ボローニャ出身のロッシーニの曲をボローニャ出身のレスピーギが編曲したという「風変わりな店」より“タランテラ”。吉田は演奏前に「浅田真央ちゃんが使って有名になった曲」と事前に説明を行う。イタリアの情熱的な舞曲を指す言葉である「タランテラ」(毒蜘蛛のタランチュラと語源が一緒である)。イタリア南部の熱気が溢れ出すような曲と演奏であった。

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2018年9月15日 (土)

コンサートの記(423) 吉田裕史指揮ボローニャフィルハーモニー管弦楽団特別演奏会2017@京都コンサートホール

2017年9月8日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、Kyoto Opera Festival 2017 ボローニャフィルハーモニー管弦楽団特別演奏会を聴く。指揮はボローニャフィルハーモニー管弦楽団芸術監督およびボローニャ歌劇場首席客演指揮者の吉田浩史(よしだ・ひろふみ)。

ボローニャを州都とするイタリア・エミリア・ロマーニャ州と京都府が交流を深めているそうで、今年7月に山田啓二京都府知事の親書を携えた「響の都オペラの祭典」財団一行ががエミリア・ロマーニャ州を訪問し、エミリア・ロマーニャ州知事やボローニャ工業会会長、ボローニャ大学学長らと会談したという。ということで開演前の挨拶では山田啓二知事もステージに上がり、スピーチを行った。山田知事によるとボローニャ市とエミリア・ロマーニャ州は、映画産業、自動車などの製造業、食産業が盛んで、大学都市でもあるということで京都市や京都府と共通点が多いという。
来年はエミリア・ロマーニャ州の行政・産業・大学関係者らが京都府を訪問する予定だという(後記:予定が1年延びたようである)。
私の出身地である千葉県はアメリカのウィスコンシン州と姉妹県州の関係を結んでいるが、京都府もエミリア・ロマーニャ州と姉妹関係になれれば色々な意味で嬉しい。


指揮者の吉田浩史は、1968年生まれの中堅。東京音楽大学指揮科および同研究科を修了後、ウィーン国立音楽大学マスターコースでディプロマを取得。イタリア・シエナのキジアーナ音楽院マスターコースでも学ぶ。2010年にイタリアのマントヴァ歌劇場の音楽監督に就任。2014年にボローニャフィルハーモニー管弦楽団の芸術監督となっている。ボローニャフィルとの来日では、京都国立博物館野外ステージで歌劇「道化師」を、奈良の平城宮で歌劇「トゥーランドット」を上演している。


曲目はいくつか変更になっており、第1部がヴェルディの歌劇「ナブッコ」序曲、ジョルダーノの歌劇「フェードラ」間奏曲、プッチーニの交響的前奏曲、ヴェルディの歌劇「椿姫」前奏曲、ヴェルディの歌劇「オテロ」よりバレエ音楽。第2部が「椿姫」よりハイライトとなっている。


ドイツ式の現代配置での演奏。コンサートマスターは第1部と第2部で異なる。


クラシック音楽の祖国であり、多くの名指揮者、演奏家、歌手を生んできたイタリアであるが、ことオーケストラとなると「名門オーケストラはあるが一流オーケストラは存在しない」という状態。ローマ聖チェチーリア国立アカデミー管弦楽団やミラノ・スカラ座管弦楽団(スカラ・フィルハーモニー管弦楽団)は紛う事なき名門であるが、世界的な一流団体と認識する人はほとんどいないと思われる。
いい加減な人が多いことで知られるイタリア人が大人数での合奏を得意としないというのは、いかにもありそうな話ではある。

ボローニャフィルハーモニー管弦楽団も第1部では実力不足を露呈。弦には独特の艶があるが厚みや輝きに欠けており、管は粗さが目立つ。
吉田はボローニャフィルに細やかな指示を出すが、少なくとも「上手く応えれた」とは言えないと思う。

第2部の「椿姫」ハイライトには、歌手3人が出演。登場順にソプラノのヌンツィア・デファルコ、バリトンのヴィットリオ・プラート、テノールのマッティオ・ファルチエであるが、ヌンツィア・デファルコは声が余り通らず、オーケストラに埋もれてしまったりする。ホールの響きが影響したのかと思われたが、バリトンのプラート、テノールのファルチエの声量に不足は感じられなかったため、単純に声量が足りなかったのかも知れない。京都コンサートホールはステージ上での音響がかなり良いといわれているため抑えたのかも知れないが真相は不明である。
ボローニャフィルはボローニャ市立歌劇場管弦楽団を母体としているが、手慣れたオペラ伴奏だからか、あるいはコンサートマスターが変わったからか、第1部に比べるとはるかに生き生きとした演奏を展開。チェロを始めとする弦のエッジがキリリと立つ。ピッチカートは精度不足で団子になって聞こえたりしていたけれども。

プログラムに入っていなかった「乾杯の歌」がアンコールで演奏された。

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2018年9月 1日 (土)

コンサートの記(417) ローマ・イタリア管弦楽団 「映画音楽名曲選」@京都コンサートホール

2018年8月22日 京都コンサートホールにて

午後6時30分から京都コンサートホールで、ローマ・イタリア管弦楽団の「映画音楽名曲選」コンサートを聴く。

ローマ・イタリア管弦楽団は、1990年創設のオーケストラである。クラシックと映画音楽の演奏を両輪として活動しており、室内楽や小編成のアンサンブルでの公演も行っているという。映画音楽に関しては多くのサウンドトラックのレコーディングを手掛けており、エンリオ・モリコーネ作品のほか、「ライフ・イズ・ビューティフル」や「イル・ポスティーノ」などの映画本編の演奏を担当している。

以前は、ローマ室内管弦楽団の名義で日本ツアーを行っていたが、今回はローマ・イタリア管弦楽団として日本中を回る。これまでに関東各地と愛知県日進市、静岡県浜松市で演奏会を行っており、今後は、呉、山口、福岡県、熊本、宮崎、大分、鹿児島を経て関東に戻り、長野、静岡、楽日となるてつくば市のノバホールまで計24会場を回るという大型ツアーである。このうち、鹿児島市文化第1ホール、東京オペラシティコンサートホール、ノバホールでの3公演は吉俣良特別プロデュース公演であり、「篤姫」や「江~姫たちの戦国~」で知られる吉俣良が出演して自作を中心としたコンサートを行う。

曲目は、ジョルジュ・オーリックの「ローマの休日」メインテーマ、ヘンリー・マンシーニの「ティファニーで朝食を」より“ムーンリバー”と「ピンクパンサー」のテーマ、ジョン・ウィリアムズの「シンドラーのリスト」よりテーマ、マックス・スタイナーの「風と共に去りぬ」より“タラのテーマ”、ピエトロ・マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲(ゴッド・ファーザー」パートⅢ)、ニーノ・ロータの「ゴッド・ファーザー」より“愛のテーマ”、「ロミオとジュリエット」よりテーマ、「山猫」より“愛のテーマ”、「フェリーニのアマルコムド」よりテーマ、「道」よりテーマ、「8 1/2(はっかにぶんのいち)」よりテーマ、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの交響曲第25番第1楽章(「アマデウス」)と歌劇「フィガロの結婚」序曲(「アマデウス」)、ニコラ・ピオヴァーニの「ライフ・イズ・ビューティフル」メインテーマ、フランシス・レイの「ある愛の詩」テーマ、「白い恋人たち」テーマ、「男と女」よりテーマ、ミシェル・ルグランの「シェルブールの雨傘」より“愛のテーマ”、エンリオ・モリコーネの「海の上のピアニスト」より“愛を奏でて”、「ニュー・シネマ・パラダイス」より“愛のテーマ”、「ミッション」よりメインテーマ、「続・夕日のガンマン」よりテーマ。当日になって曲順を大幅に入れ替えている。

今日はステージからは遠いが音は良い3階正面席で聴く。なおポディウム席、2階ステージ横席、3階サイド席は発売されていない。


イタリアはクラシック音楽の祖国ではあるが、名門オーケストラはあっても一流オーケストラはないというのが現状である。指揮者に関してはアルトゥーロ・トスカニーニに始まり、カルロ・マリア・ジュリーニ、クラウディオ・アバド、リッカルド・ムーティ、リッカルド・シャイー、ジュゼッペ・シノーポリ、最近話題のダニエレ・ガッティに至るまで、オーケストラビルダーとしても名高い多くの逸材が生まれているが、イタリア国内はオーケストラコンサートよりもオペラが盛んということもあってオーケストラ自体の名声が上がらない。名門よりもむしろ最近出来たミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団やアルトゥーロ・トスカニーニ・フィルハーモニー管弦楽団の方が高い評価を得ていたりする。

というわけで、機能に関しては余り期待していなかったのだが、想像していたよりもはるかに優れたオーケストラであった。透明な音と朗らかなカンタービレが特徴。管の抜けも良いが、弦はそれ以上に優れており、流石は「弦の国」のオーケストラと感心させられる出来であった。今後も日本でハイレベルな演奏を聴かせてくれそうである。

今回のツアーの指揮を務めるのは、ニコラ・マラスコ。フォッジア・ウンベルト・ジョルダーノ音楽院とペスカーラ音楽院で指揮をピエロ・ベルージやヨルマ・パヌラ、リッカルド・ムーティらに師事。2005年にはジュゼッペ・パターネ指揮コンクールで優勝している。マラスコは曲によってはピアノ独奏も担当しており、多才であるようだ。
「シンドラーのリスト」、「ニュー・シネマ・パラダイス」などではヴァイオリン独奏も務めたコンサートマスターのアントニオ・ペッレグリーノは、ローマ・イタリア管弦楽団の創設者の一人で、ローマ歌劇場第2ヴァイオリン奏者を経て同楽団のコンサートマスターも務めたという経歴の持ち主である。1999年から2003年まではフェーデレ・フェナローリ音楽院やアブルッツォ・ユース・オーケストラでオーケストラ演奏法指導者としても活躍していたそうだ。

ローマ・イタリア管弦楽団は、室内オーケストラより一回り大きめの編成。メンバー表を見たが、ほぼ全員がイタリア人のようである。アメリカ式の現代配置を基本としているが、ティンパニを舞台上手、ヴィオラの隣に置くなど独自性が見られる。「ティファニーで朝食を」より“ムーンリバー”では、出だしがサティの「ジムノペディ」第1番を意識した編曲だったりとアレンジにも凝っている。エレキ音はギターなどは用いず、全てキーボード(赤毛のミレラ・ヴィンチゲラという女性奏者が担当)で出しているようだ。

映画音楽だけでなく、マスカーニやモーツァルトの演奏も優れている。特にマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲はイタリアのオーケストラでないと出せないような絶妙の彩りが特徴である。
指揮のニコラ・マラスコは強弱のコントラストを大きくつけた音楽作りをする。パースペクティヴの作り方も上手い。


アンコールは、ペッレグリーノのヴァイオリン独奏による「愛の賛歌」、更にオーリックの「ローマの休日」メインテーマが再度演奏される。豊かな歌と輝かしい音が印象的であった。


20世紀のクラシック音楽がどんどん歌から離れていく一方で、劇伴やポップスはよりメロディアスなものへと発展を遂げていく。音楽史的には、12音楽を始めとして響きの音楽へと転換していくクラシック部門に耳目を奪われがちになるが、ポピュラー部門に関していうなら20世紀ほど旋律が追求された時代はこれまでなかったように思う。録音技術やマスメディアの発達で世界各国の音楽をいながらにして聴くことが出来るようになったことも大きいだろう。望めば24時間音楽が聴ける環境が整ったことでメロディーの世界は広大無辺は大げさにしても一個人や国家の壁を越えて広がるようになっている。
というわけで、クラシックのコンサートホールでは例がないほど甘い旋律に酔うことが出来た。


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2018年8月22日 (水)

スペイン国立ダンスカンパニー 「ロミオとジュリエット(ロメオとジュリエット)」@びわ湖ホール大ホール

2008年11月29日 びわ湖ホール大ホールにて

午後3時から、大津市のびわ湖ホール大ホールで、ナチョ・ドゥアト芸術監督率いるスペイン国立ダンスカンパニーの公演、バレエ「ロミオとジュリエット」(音楽:セルゲイ・プロコフィエフ、振付:ナチョ・ドゥアト)を鑑賞。プロコフィエフの音楽を演奏するのは、ペドロ・アルカルデ指揮の関西フィルハーモニー管弦楽団。

ペドロ・アルカルデは作曲家でもあり、近年は1年に1作ずつバレエ音楽作品を発表しているようだ。
スペイン国立ダンスカンパニーは、1979年にスペイン国立クラシックバレエとして創設。その後、「クラシック・バレエを否定することなく、より現代的なスタイルを取り入れた」団体となり、名称も現在のものに変更された。

スペイン国立ダンスカンパニー芸術監督のナチョ・ドゥアトは、バレンシア地方の生まれ。ベルギーでモーリス・ベジャールに師事し、その後、ニューヨークに渡って更なる研鑽を積んで、1990年にスペイン国立ダンスカンパニーの芸術監督となる。コンテンポラリーダンスに主軸を置いていて、クラシック・バレエの全曲作品の振付を手掛けたのは、「ロミオとジュリエット」が唯一だそうだ。

スペイン国立ダンスカンパニーは、さいたま市でも公演を行ったが、その時は、演奏してくれるプロオーケストラが確保できなかったのか、テープ録音によって音楽を流したとのこと。
今日の公演は生演奏で音楽が聴ける。もちろん、その場でオーケストラが演奏した方がずっと感動的である。

幕が開くと、ロミオ(ゲンティアン・ドダ)がベンチで休んでいる。やがて、友人のマキューシオ(フランシスコ・ロレンツォ)らがやってきてロミオと戯れるが、ロミオは、たまたまそばを通り過ぎた女性の後についていってしまう。どうも、今回のバレエでのロミオは遊び人という解釈のようだ。シェークスピアの原作でもロミオはいい加減な奴なので、こういうのもありだろう。

一方のジュリエット(ルイサ・マリア・アリアス)はというと、ピョンピョン跳びはねながら口うるさそうな婆やから逃げ回っている。かなりお転婆なジュリエットである。

さて、イタリア・ヴェローナの名門、モンタギュー家とキャピュレット家の争いというのが、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」の枠組みであるが、今日のバレエでは、モンタギュー家の人々は男女ともに庶民のような格好で、広場で踊るなどして楽しんでいる。そこへ正装のキャピュレット家の男達がやってきて、楽しんでいるモンタギューの人々にちょっかいを出し、剣を抜く。モンタギューの人々は鋤で応戦。ということは、スペイン国立ダンスカンパニーのバレエではモンタギュー家の人々はどうやら本当に庶民で、キャピュレット家が貴族であり、原作の権門争いではなく、階級闘争に設定が変えられているようだ。

キャピュレット家での舞踏会に、ロミオやマキューシオは仮面を付けて、道化に化けて忍び込み、手品をしたり悪ふざけをしたりしている。
そして、ジュリエットに一目惚れしてしまうロミオ。ジュリエットも無理矢理結婚相手に決められたパリス(アモリー・ルブラン)やジュリエットの親戚であるティボルト(クライド・アーチャー)ではなく、仮面のままのロミオと踊りたがる。露骨に悔しがるティボルト。
やがて、ジュリエットが一人になったところにロミオが現れ、仮面を取る。瞬く間に恋におちる二人……。

モンタギューの人々が広場で車座になり、中央で踊っているマキューシオが乗ってくると皆で同時に手を打つところなどは、まさに「オーレー!」で、スペイン的味わいが出ている。
モンタギューの人々の踊りがダイナミックで、マスゲームのように良く計算されているのも印象的。
幕、布、旗などの使い方も効果的である。

ラスト。仮死状態になったジュリエットを見て本当に死んでしまったと思い、短剣で胸を突くロミオ。ロミオが崩れ落ちるのとほぼ同時にジュリエットが目を覚ます。何てずるい演出なんだ。ストーリーを知っていても、「あー、ロミオがもっと迷っていれば上手くいっていたのに」と悔しくなる。
そして、ロミオが死んだことを知って自らも死を選ぶジュリエット。ここは音楽だけでも十分に美しくて悲しいのに、ジュリエットの動きが加わると、もう卑怯なほど美しくて悲しい。
こういうものを見てしまうと、それを言葉で語るのが馬鹿らしくなる。言葉なんてもう余計なものだ。プロコフィエフの音楽だけで十分である。
といいながら言葉で書いてしまっているけれど。

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2018年8月18日 (土)

観劇感想精選(252) オックスフォード・シェイクスピア・プレイヤーズ(オックスフォード大学演劇協会) 「十二夜」

2018年8月11日 京都劇術劇場春秋座にて観劇

午後3時から、京都芸術劇場春秋座で、オックスフォード・シェイクスピア・プレイヤーズ(オックスフォード大学演劇協会)の来日公演「十二夜」を観る。
オックスフォード・シェイクスピア・プレイヤーズは、オックスフォード大学のドラマ・ソサエティであるオックスフォード大学演劇協会のメンバーからなるシェイクスピア作品に特化したツアーカンパニーである。メンバーはスタッフも含めて全員オックスフォード大学の学生で構成されており、出身者には、「Mr.ビーン」のローワン・アトキンソン、「ブリジット・ジョーンズの日記」のヒュー・グラント、「博士と彼女のセオリー」のフェリシティ・ジョーンズらがいるそうだ。

オックスフォード・シェイクスピア・プレイヤーズは20年前から来日公演を行うようになっており、来日時には毎回、蜷川幸雄の出迎えを受けていたそうで、今回は蜷川没後としては初めての来日となるようだ。

イギリス最古にして最高の大学として知られるオックスフォード大学。日本でいう大学とは違い、オックスフォード大学という単一の大学があるわけではなく、39あるカレッジの集合体がオックスフォード大学という総称を名乗っている。オックスフォードの学生は、二つの分野を専攻するのが一般的である。

今回の演出は、セント・ヒューズ・カレッジで英語学と英文学を学ぶフレッド・ウィーナンドが担当。ウィーナンドは物語の舞台を光と影が一体になった1960年代に変更するという読み替えを行っている。日本でもジョン・ケアードが「お気に召すまま」の時代設定をアメリカの1960年代に変えた上演が行われたが、発想自体は完全に一緒である。イギリス人やアメリカ人にとっては60年代は特別な時代であるようだ。

今回の上演の特徴は、道化のフェステを女優(マートン・カレッジで英語学と英文学を学ぶスザンナ・タウンゼント)が演じるということ。ボーイッシュな雰囲気を出しているが、女性が道化役というのは珍しい(ただ史実はともかくとしてくオリヴィアの道化であるため、同性であったとしてもおかしくはないように思える)。

英語上演、日本語字幕付き。字幕は新たに作ったのではなく、白水社から出ている小田島雄志訳のものを使用している。小田島雄志の翻訳は映画の字幕とは違って文字制限ありの中で訳されたものではないため、字幕はめまぐるしく切り替えられ、中には0コンマ何秒で切り替わって読めないということもあった。

ギリシャのイリリアを舞台に、セバスチャンとヴァイオラの双子が嵐に遭ったことから起こるスラップスティックな喜劇が繰り広げられる。
音月圭が主演した「十二夜」では、ヴァイオラとその男装版のシザーリオ、そしてセバスチャンの三役を音月一人で演じる演出が施されていたが、今回はヴァイオラ&シザーリオとセバスチャンは別の俳優が演じている。

嵐に遭い、兄のセバスチャン(リンカーン・カレッジで考古学と古代史を学ぶローレンス・ベンチャーが演じる)とはぐれてしまったヴァイオラ(ユニバーシティ・カレッジで英語とロシア語を学ぶデイジー・ヘイズが演じる)は、生活のために男装して名をシザーリオと変え、土地の実力者であるオーシーノ公爵(セント・ピーターズ・カレッジで神学と東洋学を学ぶマーカス・ナイト=アダムズが演じる)に小姓として使えることにする。シザーリオとことヴァイオラはオーシーノ公爵に恋をする。そのオーシーノ公爵は伯爵令嬢であるオリヴィア(マグダレン・カレッジでスペイン語とイタリア語を学ぶクロエ・ディラニーが演じる)に夢中であり、シザーリオを恋の伝令としてオリヴィアのもとに使わすのだが、オリヴィアはシザーリオを本物の男だと思い込んで恋してしまう。恋の一方通行である。

一方、オリヴィアの叔父であるサー・トービー(クィーンズ・カレッジで歴史と英語を学ぶジョー・ピーテンが演じる)とサー・アンドリュー(セント・ジョンズ・カレッジで歴史と政治学を学ぶヒュー・タッピンが演じる)は、オリヴィアに執事として使えるマルヴォーリオ(クライスト・チャーチでイタリア学を専攻するジョニー・ワイルズが演じる))の態度が大きいため、反感を抱いている。トービーとアンドリューは侍女のマライア(キーブル・カレッジで古典考古学と古代史を学ぶケイト・ウエアが演じる)や召使いのフェービアン(ハートフォード・カレッジで英語学を専攻するアダム・グッドボディが演じる)を巻き込んで、マルヴォーリオにぎゃふんと言わせようと画策する。更には道化のフェステも仲間に加わり……。

今日は桟敷席と2階席は用いられていない。1階席の後ろの方にイギリス人の若者が固まっていて、普通のシーンでもドッカンドッカン受けているのだが、日本人の客は私も含めてどこが笑えるのかよくわからず、温度差がある。ドタバタのシーンや意図的なオーバーアクションの演技では国籍の差なく笑いが起こる。
衣装や装置も1960年代をイメージしたサイケデリックなものを使用。一般的なシェイクスピア上演とは異なる格好をしているが、若者達のエネルギーを表すのに効果的であったように思う。

英語の台詞回しに関しての巧拙は私には全くわからないが、動きや身のこなしについては一定の水準に達している。日本の俳優の場合、演技中の両手の置き方が上手くいかない場合が多いが、イギリス人でも若者達が演じる場合は同じ傾向があることがわかる。向こうは話しながら身振り手振りをつけるのが一般的なので、日本人俳優ほどには目立たないけれども。
道化のフェステ役のスザンナ・タウンゼントは美しい歌声の持ち主であり、これを聴くと、「フェステ役を女性にするのも悪くない」と思える。



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2018年7月 5日 (木)

コンサートの記(400) 京都岡崎音楽祭 2018 OKAZAKI LOOPS タンブッコ・パーカッション・アンサンブル コンサート

2018年6月24日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて

午後1時から、左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールで、京都岡崎音楽祭 2018 OKAZAKI LOOPS タンブッコ・パーカッション・アンサンブル コンサートを聴く。

タンブッコ・パーカッション・アンサンブルは、1993年に結成されたメキシコの打楽器アンサンブル。アメリカのグラミー賞に4度ノミネートされるなど評価が高い。日本では2011年に国際文化交流基金賞を受賞しており、「題名のない音楽会」にも出演経験がある。

芸術監督のリカルド・ガヤルドが英語でのトークを行いながら演奏を進めていく。メンバーはリカルドと、アルフレッド・ブリンガス、ミゲル・ゴンザレス、ラウル・トゥドンの4人。

曲目は、グリフィンの「過去の化学作用の持続」、パーカーの「石の歌、石の踊り」、ラウル・トゥドンの「風のリズム構造」、ライヒの「マレット・クァルテット」、インファンソンの「エマトフォニア(あざのできる音楽)」、ブリンガスの「バランコ」
タイトルからわかる通り、現代音楽を中心とした演目である。

現代音楽といっても難解なものは少なく、ポップで心地よい作品が並ぶ。グリフィンの「過去の化学作用の持続」やライヒの「マレット・クァルテット」などは洗練されており、今日は演奏されなかったがグラハム・フィットキンなどが好きな人にも薦められる。

パーカーの「石の歌、石の踊り」は二つの石を打ち合わせたり、擦ったりして音を出す音楽。芸術監督のリカルド・ガヤルドが石を叩いて、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の冒頭を奏でたり、「石(ロック)を使ったから、これはロックコンサートだよ」と冗談を言うなど、ユーモアのセンスにも富んでいる。

メンバーの一人であるラウル・トゥドンの「風のリズム構造」には、先週、タンブッコ・パーカッション・アンサンブルのメンバーがワークショップを行った京都市立錦林小学校の児童が参加。録音された音楽が流れる中、様々な打楽器が空間を埋めるように打ち鳴らされる。偶然性の高い音楽であり、同じ演奏は二度と出来ないということで瞬間瞬間が貴重となる。

ライヒの「マレット・クァルテット」が演奏される前に、リカルドはマリンバでiPhoneの着信音を奏で、グロッケンシュピールでは新幹線の「間もなく」の時に流れるチャイムを再現する。

インファンソンはメキシコのジャズの作曲家だそうだが、彼が書いた「エマトフォニア(あざのできる音楽)」は、ボディーパーカッションによる音楽。体を叩くので、思わぬ所に痣が出来ることがあるという。各メンバーがソロを取るが、ラウル・トゥドンは頬を叩いて音を出し続けたため、顔が真っ赤になる。この曲では、聴衆も出演者に促されて手拍子をしたりタンギングを行ったりした。

ブリンガスの「バランコ」は、フラメンコなどで用いられるカホンをフィーチャーした作品。今日は東福寺の塔頭内にある遼天Cajon工房で作られたカホンを4人が用いるということで、遼天Cajon工房の石原守宏住職も客席に来ており、リカルドに紹介された立ち上がった。
この曲ではリカルド・ガヤルドが、「パーカッションではないんだけど」と前置きした上で導入部と中間部でギターを演奏していた。

アンコールとしてまず2台のマリンバでメキシコ民謡「泣き女」が演奏され、ラストにはライヒの「木片のための音楽」が演奏される。「泣き女」はメロディアス、「木片のための音楽」はノリノリで、客席も大いに盛り上がった。


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2018年5月15日 (火)

コンサートの記(383) 大和証券グループPresents 佐渡裕指揮トーンキュンストラー管弦楽団 レナード・バーンスタイン生誕100年記念日本ツアー2018京都公演

2018年5月12日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、大和証券グループPresents 佐渡裕指揮トーンキュンストラー管弦楽団レナード・バーンスタイン生誕100年記念日本ツアー2018京都公演を聴く。

京都生まれの佐渡裕の凱旋公演となる。佐渡は2016年にもトーンキュンストラー管弦楽団と日本ツアーを行ったが、その際は関西ではフェスティバルホールでの公演を行っただけであった。今回の日本ツアーは今日が初日で、この後、今月27日まで13箇所での公演を行う。関西では今回もフェスティバルホールでの公演を行うが、佐渡の現在の本拠地である兵庫県立芸術文化センターでの演奏会はない。
有料パンフレットの販売はないが、かなり充実した内容の無料パンフレットが配られており、良心的である。

今日の曲目は、バーンスタインのキャンディード序曲、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」、ブラームスのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:ヴァレリー・アファナシエフ)

今日は3階LB1列2番での鑑賞。偶然だが、LBというのは、Leonard Bernsteinのイニシャルと一緒で嬉しくなる。


ます佐渡が一人で登場し、マイクを手にトークを行う。レナード・バーンスタインとの思い出、更に最初はニューヨークで勉強しようと思っていたところ、バーンスタインに連れられてウィーンに行き、ウィーン国立歌劇場やムジークフェラインザールの立ち見席で演奏を聴いて学んだこと。ウィーンでは立ち見席での時代を経て今では指揮台に立つようになったため、「なかなか座らせてくれない」というお決まりのギャグを繰り出して聴衆を笑わせていた。オーストリアでもバーンスタイン生誕100年ということで今年はバーンスタインの作品が多く取り上げられるそうである。ちなみにウィーンでは指揮の仕事がなかったため、フランスのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝して、ラムルー管弦楽団の首席指揮者に就くなど、指揮としての本格的なキャリアはフランスでスタートさせている。

日本ではウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団と呼ばれることもあるトーンキュンストラー管弦楽団は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン交響楽団、ウィーン放送交響楽団に次ぐ、ウィーン第四のオーケストラ的な扱いをされている団体である。現在はニーダーエースターライヒ州のオーケストラとして州都ザンクトペルテンを本拠地としており、ウィーンムジークフェラインザールでも演奏会を行っている。歴代の首席指揮者の中には、クルト・ヴェス、ハインツ・ワルベルク、ワルター・ウェラー、ファビオ・ルイージといった日本でもお馴染みの指揮者の名前も並んでいる。
ウィーン放送交響楽団でも評価は高くないが、トーンキュンストラー管弦楽団はそれより下ということで、ポピュラー音楽の演奏を手掛けることも多い。
クリスチャン・ヤルヴィ、アンドレス・オロスコ=エストラーダの時代を経て、2015年に佐渡裕が首席指揮者に就任。比較的指揮者をコロコロ変える傾向にある楽団だが、佐渡とは任期延長を行っている。私はクリスチャン・ヤルヴィとの来日公演をザ・シンフォニーホールで聴いており、佐渡とのフェスティバルホールでの演奏会を聴いているため、これが3度目のトーンキュンストラー管弦楽団体験となる。

ドイツ式の現代配置による演奏だが、ティンパニは上手側に置かれている。無料パンフレットに団員の名簿も載っているが、ファーストヴァイオリンにShotaro Tojima、チェロにKanade Oshimaと日本人の名前が見られる。チェロに東洋人風の容貌の奏者は一人しかおらず、Kanade Oshimaさんは女性であることがわかった。ピアノ/チェレスタにKyoko Yoshizawaの名もあるが、今日はピアノとチェレスタが用いられる曲はないため、降り番である。


バーンスタインのキャンディード序曲。出だしに爆発力があり、テンポもリズムも理想的である。語り上手な演奏なのであるが、オーケストラのパワー、特に弦楽の威力が今ひとつなのが玉に瑕である。


ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。佐渡は第九の演奏を多く手掛けており、代名詞のようになっているが、ベートーヴェンは必ずしも得意とはしていない。
弦楽器のビブラートを控えめにして透明な響きを出しているが、ピリオドの影響が感じられるのそこだけで、ピリオドアプローチによる演奏ではない。瑞々しい響きが印象的だが、弦と管のバランスが悪く、時に金管が能天気な強奏を行うことがある。「田園」はベートーヴェンの曲の中でも実は演奏が難しい部類に入るのだが、トーンキュンストラー管弦楽団の力が及ばない場面も見受けられる。
佐渡は第2楽章をノンタクトで振るが、テンポが速過ぎて詩情を欠くところもあった。
第4楽章の嵐は、迫力満点で描写力も高いが、佐渡が今も「爆演の佐渡」から抜け出せていないことも感じられた。
最終楽章も悪くはないのだが、やはり弦と管のバランスは最後まで整わなかった。


後半。ブラームスのピアノ協奏曲第2番。独奏は、1990年代に異色のピアニストとして脚光を浴びたヴァレリー・アファナシエフ。ピアニストであると同時に、詩人、小説家としても活動しており、鬼才として日本でもファンが多い。モスクワ音楽院でエミール・ギレリスに師事。1968年のバッハ国際コンクールと1972年のエリザベート王妃国際コンクールで優勝。1974年に西側に亡命し、ベルギー国籍を得ている。

極端に遅いテンポを採用することなどで知られるアファナシエフであるが、協奏曲ということもあり、それほど個性を前面には現さない。
今日はピアノの鍵盤が良く見える席にいたのだが、アファナシエフは指を余り曲げることなく、鍵盤上に指を置いていくような弾き方をする。日本だったら先生から直されるような弾き方である。
アファナシエフは旋律を切るように弾いたり、立体感を出しながらブラームスの古典的一面を強調しつつ演奏したりするが、特に異端という印象は受けず、充実したブラームス演奏を展開する。
佐渡指揮のトーンキュンストラー管はやはりパワー不足という感は否めないが、自分達の作曲家であるブラームスのロマンティシズムを大切にした演奏を行っていた。第3楽章のチェロのソロも充実の演奏である。


アファナシエフはアンコールとして、ショパンのマズルカ イ短調を演奏する。こちらは協奏曲と違ってかなり個性的な演奏である。ショパンの曲というよりも古典派の作品のように聞こえる。

ラストは佐渡とトーンキュンストラー管によるアンコール演奏、ブラームスのハンガリー舞曲第5番。ノリの良い演奏であった。

ベートーヴェンは少し落ちるが、なかなかの出来の演奏会だったように思う。トーンキュンストラー管弦楽団のレベルであるが、技術面に関しては日本のオーケストラと比べても中堅程度で抜群に良いオーケストラというわけではないようである。いかにも独墺系のオーケストラらしい渋めの響きは魅力的である。

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2018年5月12日 (土)

観劇感想精選(242) 「夢と錯乱」

2018年5月6日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後3時から、京都芸術劇場春秋座で「夢と錯乱」を観る。27歳で夭逝したオーストリアの詩人、ゲオルク・トラークルの散文詩「夢と錯乱」を取り上げる上演。演出:クロード・レジ、テキストフランス語訳:ジャン=クロード・シュネデール&マルク・プティ。出演:ヤン・ブードー。フランス語上演、日本語字幕付き(テキスト日本語訳:中村朝子、字幕:浅井宏美)。特設座席を使っての上演である。

現在93歳のクロード・レジ。フランスの前衛演出家である。1960年代にはマルグリット・デュラスと共に仕事を行い、その後、ヨン・フォッセの「だれか、来る」やサラ・ケインの「4時48分サイコシス」などの演出を行っている。本作が最後の演出作になる予定。

ゲオルク・トラークルは、モーツァルトの街として知られるザルツブルクの生まれ。裕福な商人だった父親と芸術好きな母親の間に生まれた。ゲオルクは、幼少時から文学に興味を示し、音楽的な才能を発揮する。同様の気質を持つ妹が一人おり、彼女は後にピアニストになるのだが、ゲオルクと彼女は近親相姦の関係にあったといわれている。
ギムナジウムで文学仲間と共に同人誌を始めたゲオルクだが、飲酒や薬物に溺れるようになり、二度の落第を経験して学校を中退。その後、薬剤師になるための3年の実習を経てウィーン大学薬学部に入学し、薬剤師の免許を取ったが、薬剤師としての仕事に馴染めず、公務員になるも長続きせず、デカダンスな生活を送る。困窮したゲオルクは第一次大戦に志願。薬剤試官として前線に赴くも繊細な神経が戦場の地獄絵図に耐えられず、精神を病み、ピストルによる自殺未遂を経てコカインの過剰摂取により死亡。自殺とみられている。彼の死から3年後、妹もまたピストル自殺により世を去った。
悲惨な人生を歩んだゲオルクであるが、ヴィットゲンシュタインから「天才」と称されるほどの詩才を持ち、現在ではドイツ表現主義最大の詩人という評価を得ている。

ゲオルク・トラークルの散文詩「夢と錯乱」は、伝記的内容を持つ。

「すべては薄明のなかで」起こる。
闇の中、何かが光っている。その何かが徐々に揺れ出し、移動する。明度が上がると、その何かが俳優のヤン・ブードーであることがわかる。上部にアーチ。その下でブードーは絞り出すような声で、「夢と錯乱」のテキストを語っていく。ゲオルク・トラークルの言葉には「赤」や「青」を始めとする様々な色が散りばめられているのだが、照明は灰色であり、ラスト近くで黄昏の赤が入るほかはモノクロームの世界が展開される。
ゲオルクの後悔の言葉、過去に築き上げた思惟の城、青い色をした妹の影、旅立ちゆく父親と神経質な母親の像。ヤン・ブードーは哀れな狂人としてテキストを読み上げていく。
そして石のように彼は死へと落ちていく。
「呪われた種族」のことを彼は繰り返し語る。ゲオルク、彼の妹、彼の家族、これらは間違いなく呪われた種族に入る。そしてその外、今に至るまでの人間の歴史を呪いとして告発しているようでもある。

死の淵にある彼の姿に、演出のクロード・レジはおそらく自身を重ねているのだろう。イエスを始めとする「人類の苦悩を引き受けた」存在の一人として。

上演時間約1時間程度であるが、そこには濃密な時間が流れていた。



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2018年5月 4日 (金)

コンサートの記(376) ウィーン少年合唱団来日公演2018京都

2018年4月29日 京都コンサートホールにて

午後2時からウィーン少年合唱団の来日公演を聴く。

アルトゥーロ・トスカニーニによる「天使の歌声」という賛辞でも知られるウィーン少年合唱団。ハイドン、シューベルト、ブルックナーが在籍したという長い歴史を持ち、現在も10歳から14歳の約100人のメンバーから成る。現在は作曲家名に由来する、ハイドン、モーツァルト、シューベルト、ブルックナーという4つのグループに分かれて活動。今回はハイドン組が来日した。カペルマイスターはジミー・チャン(指揮&ピアノほか)。

ピアノが弾き振りの時の形でセットされており、合唱団のメンバーがピアノを挟んで左右に陣取ることになる。

曲目は、第1部が宗教音楽集として、「グレゴリオ聖歌:あなたに向けてわが魂を」、ハスラーの「主に向かいて歌え」、クープランの「歓喜せよ」、カルダーラの「我は生ける糧なり」、ハイドンの「くるおしく浅はかな心配は」、モーツァルトの「汝により守られ」、メンデルスゾーンの「主をほめたたえよ」、バッハ=グノーの「アヴェ・マリア」(グノー生誕200年記念)、レナード・バーンスタインの「チチェスター詩編」より“主は私の羊飼い”(バーンスタイン生誕100年記念)、ディストラーの「我らに平安を与えたまえ」、ホーキンスの映画「天使にラブソングを2」より“オー・ハッピー・デイ”、第2部が世界各国の音楽というテーマで、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「千夜一夜物語」、ヴェルディの歌劇「マクベス」より“何をしていたの? 教えて”、ウエルナーの「野ばら」、フンパーディンクの歌劇「ヘンゼルとグレーテル」より“私は小さな眠りの精”と“夕べの祈り”、ウズベキスタン民謡の「水の女神」、岡野貞一の「ふるさと」、中国民謡「ひばり」、ロブレスの「コンドルは飛んでいく」、南アフリカ民謡の「ホーヤ・ホー」、ホーナーの映画「タイタニック」より“マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン”、ヨーゼフ・シュトラウスの「水平のポルカ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「美しく青きドナウ」

第1曲であるグレゴリオ聖歌の「あなたに向けてわが魂を」では、メンバー達が客席1階中央通路横の扉から歌いながら登場してステージに上がるという演出がある。拍手が起こっていたが、この場合するのが適当なのかしないことがいいのか判断出来ない。拍手が歌声をかき消してしまう。よくわからないので取りあえずしないでおいた。想像を上回る美声である。今日は3階席レフトサイドの一番せり出した席で聴いたのだが残響も長く、教会の中で聴いているかのような気分になれた。

カペルマイスターのジミー・チャンは音型を描くタイプの指揮。今は拍を刻む指揮は少なくなりつつある。このジミー・チャン、ピアノがとにかく上手く、相当な実力者であることが窺える。少年達を教導するのだから、指揮者として優れているのみならず、いわゆる人格者である必要もあるのだろう。指揮者で且つ人格者という人材は余りいないと思われる。多分、ウィーン少年合唱団のオーディションに受かるよりも合唱団のカペルマイスターになる方が難しいのではないだろうか。
チャンはピアノ他にチェロや打楽器も演奏する。

少年達なので、歌詞の内容把握が十全でなかったり音程が不安定だったりする(そもそも声楽家が一人前扱いされるのは40を過ぎてからである。オペラ歌手の場合、完全に歌詞の中身を把握する頃には声がピークを過ぎてしまっているという悲劇が知られる)のだが、それも含めてのウィーン少年合唱団の味である。

バーンスタインの「チチェスター詩編」より“主は私の羊飼い”では変拍子の連続がある上に旋律も半音ずつ動くようなもので、今日のプログラムの中では一番の高難度だったと思うが、なかなか聴かせてくれる。

指揮のジミー・チャンや少年合唱団のメンバーが、虎の巻を片手に日本語で曲目紹介を行う。ハイドン組には日本人の少年が二人在籍しており、そのうちの一人も楽曲紹介を日本語で行う(当たり前だが日本語が際立って上手い)。多分、オーストリアの人がテキストを日本語訳したのだと思われるが、「国々」を「こくこく」と読み違えたところもある。意味がわかったからいいか。

声が魅力のウィーン少年合唱団。ただ近い将来、この声が失われることになると思うと切なくなったりもする。それだけに今のこの一秒一秒に価値があるとも思える。

アンコールは、久石譲の「となりのトトロ」とヨハン・シュトラウスⅡ世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」。団員達は楽しそうに伸び伸びと歌っていた。



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2018年4月 6日 (金)

コンサートの記(367) サカリ・オラモ指揮フィンランド放送交響楽団来日演奏会2007大阪

2007年2月12日 大阪・中之島の(旧)フェスティバルホールにて

午後2時から大阪・中之島にあるフェスティバルホールで、サカリ・オラモ指揮フィンランド放送交響楽団の来日演奏会を聴く。オラモとフィンランド放送交響楽団の来日公演を聴くのは2度目、前回は京都コンサートホールでの公演に接している。

サカリ・オラモは、1965年生まれの指揮者。シベリウス・アカデミーで、ヨルマ・パヌラに指揮を師事し、加えてヴァイオリニストとしても研鑽を積む。かつてはフィンランド放送交響楽団のコンサートマスターだったということもあるオラモ。指揮者としてのデビュー時の相手もフィンランド放送交響楽団だそうで、楽団員達とは古くからの気心の知れた間柄だ。
オラモは、サー・サイモン・ラトルの後任としてバーミンガム市交響楽団の首席指揮者に任命されて一躍脚光を浴びたが、バーミンガム市響のシェフの座(現在の肩書きは音楽監督)からは近く離れる予定で、今後は首席指揮者の地位にあるフィンランド放送交響楽団と、新たに音楽監督に就任するロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団を主たる活躍の場にするものと思われる。

フィンランドのオーケストラということで、東京などの公演ではシベリウス作品をプログラムに盛り込んでいるフィンランド放送響であるが、大阪公演ではシベリウスの名は演奏曲目にはない。
ブラームスの「悲劇的序曲」、チャイコフスキーの「ロココの主題による変奏曲」(独奏チェロと管弦楽のための作品だが、今回はトランペットを独奏としたバージョンで演奏する。ソリストを務めるのは、人気、実力とも世界最高のトランペッターといわれるセルゲイ・ナカリャコフ)、ベートーヴェンの交響曲第5番というプログラム。

残響の少ないフェスティバルホールの、ステージから遠い天井桟敷に座ったため、音そのものの美しさを楽しむことは出来なかったが、フィンランド放送交響楽団の高い機能と、オラモの雄弁な指揮を楽しむことは出来た。フィンランド放送交響楽団は20年ほど前の来日公演ではオーケストラの技術がボロボロで、評価も同様に散々だったそうだが、技術面では著しい向上を見せており、解像度の高い音楽を繰り広げる。

ブラームスの「悲劇的序曲」では、ひんやりとした弦と、輝かしい金管の音色の対比が鮮やかであり、オラモの指揮もタイトルに込められた悲劇的な雰囲気を的確に引き出している。

「ロココの主題による変奏曲」で、オラモとフィンランド放送響は更に優れた実力を発揮。ロシア風の冷たく拡がりのある音色から、心からの温もりを感じさせるロマンティックで優しい音色まで、自在に操る様は魔術のようだ。
チェロ独奏のための曲をトランペット(正確にはフリューゲルホルンというトランペットとは微妙に違う楽器)で吹いてしまおうという挑戦は無謀にも思えるが、名手ナカリャコフだけに技術的な不満は感じさせない。しかしチェロに比べるとトランペットはどうしても分が悪い。高度なトランペット演奏技術が求められるわりには聴き映えが今ひとつという点でも損だ。

ナカリャコフは、アンコール曲に超絶技巧を思う存分披露できる「ベニスの謝肉祭」(ジャン・パティステュ・アーバン作曲)を選び、神懸かり的な技術を披露。客席を圧倒する。


メインのベートーヴェンの交響曲第5番では、オラモは理知的な演奏を繰り広げる。大編成による演奏だが、弦楽器のビブラートを抑え気味にするなどピリオド奏法の影響も見られ、良い意味で折衷的なスタイルを採用(配置もヴァイオリンが両翼に来る古典的配置を基本としながら、、コントラバスは舞台上手奥に置くという折衷様式であった)。ベートーヴェンが書いた楽譜を客観的に丁寧に音に変えていく。基本のテンポは速めだが伸縮自在であり、表情も多彩。第1楽章と第2楽章をアタッカで繋いだのも個性的だ。
音楽にのめり込むことはないが、その分、曲の効果を十全に発揮させる計算がなされており、第4楽章冒頭の輝かしさにも瞠目させられた。「秀才によるベートーヴェン」という言葉が浮かぶ名演奏。
まだ交響曲第5番を聴いただけだが、オラモのベートーヴェンはかなり期待して良さそうだ。

アンコールはやはりシベリウス。最近はアンコール曲の定番となった感もある「悲しきワルツ」が演奏された。オラモはピアニッシモの部分を聴き取るのが難しいほど弱い音で演奏してみせる。昨年来日したパーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルもアンコール曲として演奏した「悲しきワルツ」で、ピアニッシモを強調していた。この曲のピアニッシモの部分をかなり弱くするというのは流行りなのだろうか。

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