カテゴリー「来日団体」の99件の記事

2019年9月 1日 (日)

コンサートの記(588) ソフィア・ヴォーカルアンサンブル京都公演2019

2019年8月22日 京都府立府民ホールアルティにて

午後7時から、御所の西にある京都府立府民ホールアルティで、ソフィア・ヴォーカルアンサンブルの来日公演を聴く。

ソフィア・ヴォーカルアンサンブルは1995年に指揮のベンクト・オレーンによって創設されたスウェーデンの合唱団。ストックホルムのソフィア教会を本拠地としているということでこの団体名を名乗っており、ブルガリア(首都がソフィア)や上智大学(英語名や愛称がソフィア)とは無関係である。

スウェーデンは合唱で知られており、エリック・エリクソン時代のスウェーデン放送合唱団は、「世界最高の合唱団」という賛辞を受けている。ソフィア・ヴォーカルアンサンブルも2012年に、ヨーロッパ・グランプリで優勝している。
今回が初の来日で、軽井沢国際合唱フェスティバルに参加するためにやって来たのだが、東京、広島、京都でもコンサートを行う。

 

曲目は当日になって変更となっており、前半が、伝承歌「No vi eg till Jondalen og fri」(ベンクト・オレーン編曲)、ヤン・サンドストレムの「山風のヨイク」、ポール・ミュラーの「至福の教え」、松下耕の「神よ喜びたたえよ」、プーランクの「7つのシャンソン」。後半が、ベンクト・オレーンの「海の向こうに人を待つ歌」、マシュー・ピーターソンの「カンターテ・ドミノ」、スヴェン=ダーヴィド・サンドレストの「楽園にて」、ダーヴィド・ヴィカンデルの「谷間のゆり王」、アルヴェーンの「そして娘は踊りの輪に加わった」

比較的良く知られた作曲家は、プーランクとアルヴェーンだけという攻めたプログラムである。マシュー・ピーターソンは、ソフィア・ヴォーカルアンサンブルのテノールメンバーであり、今日もステージで歌っていた。

メンバーの男女一人ずつがステージの前方に歩み出て、挨拶や曲目解説を行う(通訳あり)。最新のアルバムが出たばかりだそうで、その宣伝も何度も行っていた。そのためか、後半始めの挨拶の時点で、完売が見えてきたそうである。

オレーンは、タブレット譜を見ながらのノンタクトでの指揮である。タブレット譜には鍵盤のアプリもついているようで、曲の前に最初の音をピアノの音色で小さく出していた。

 

1曲目の伝承曲「No vi eg till Jondalen og fri」では、メンバーが口笛を吹くなど、声だけでない表現を行っていた。
やはり、体格の違いなのか、歴史がものを言うのか、とにかく声が澄んでおり、時にはうねるような生命力と迫力が宿る。

ベンクト・オレーンの作曲である「海の向こうに人を待つ歌」では、男声歌手達が客席に降り、上手と下手に分かれて壁を背後に並ぶ。彼らが主に歌うのは潮騒である。女性歌手達はステージ上に一人か二人ずつで点在。目の上に手をやって遠くを見るような仕草をしながら歌い、シアトリカルな作品となっていた。

スヴェン=ダーヴィド・サンドレストは、ソフィア・ヴォーカルアンサンブルの良き友人であったが、今年の6月に他界したそうである。「楽園にて」は、来世は楽園であるという内容を歌ったものだそうで、最後は「レクイエム」の言葉で閉じられる。

ダーヴィド・ヴィカンデルの「谷間のゆり王」は、ゆりやスズランといった花を擬人化させて歌ったものだそうである。歌詞の内容についてはわからないが、バルザックの『谷間の百合』とは無関係であると思われる。

北欧の作曲家というと、ノルウェーのグリーグ、フィンランドのシベリウス、デンマークのニールセンが国民的作曲家として知られているが、スウェーデンは残念ながら彼らに匹敵するだけの作曲家は生んでいない。そんな中でもアルヴェーンは比較的名前が知られている作曲家。「そして娘は踊りの輪に加わった」は、三拍子の快活な曲である。

 

アンコールは2曲、いずれも初めて聴く曲で、タイトルはわからないが、2曲目では、メンバーが客席に降り、階段状の通路に立って清澄な声を響かせた。

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2019年8月 6日 (火)

コンサートの記(583) ザールブリュッケン室内合唱団京都公演2019

2019年7月29日 京都府立府民ホールアルティにて

午後7時から、京都御苑の西にある京都府立府民ホールアルティで、ザールブリュッケン室内合唱団の京都公演を聴く。

ドイツ西部、フランスとの国境近くにある街、ザールブリュッケン。スタニスラス・スクロヴァチェフスキとのコンビでレコーディングや来日演奏会を行ったザールブリュッケン放送交響楽団によって日本でも知名度が高まった街である。ザールブリュッケン室内合唱団(カンマーコア・ザールブリュッケン)は、1990年にゲオルク・グリュンによって組織された団体で、ドイツ国内を始めヨーロッパ諸国やアメリカ、ロシアなどでも高い評価を受けているという。古楽から現代音楽まで幅広いレパートリーを誇っているようだ。

 

曲目は、前半が、ブラームスの「なぜ、苦しむ人に光があたえられるのか」、松下耕の「慈しみのあるところ」「地上は暗闇となった」「いつまで、主よわたしを忘れておられるのか」「おお、救いのいけにえよ」「深き淵より」「我を救いたまえ」「主よ、わたしを平和の器とならせてください」。後半が、ブラームスの3つの歌(「夕べのセレナード」「ヴィネータ」「ダルトゥラの追悼の歌」)、レーガーの3つの合唱曲(「慰め」「夜に」「夕べの歌」)、マーラー作曲/クリトゥス・ゴットヴァルト編曲「夕映えの中で」(マーラーの交響曲第5番第4楽章アダージェットの編曲)、シェーンベルクの「地上の平和」

全曲、ゲオルク・グリュンの指揮である。多くのメンバーは紙の譜面を手にしているが、タブレットの電子譜を見ながら歌っているメンバーも5人ほどいた。
舞台中央やや下手寄りにグランドピアノが置かれているが、ピアノ伴奏があるのはレーガーの3つの合唱曲のみで、それ以外は女性メンバーが曲が始まる前に音の高さや調を確認するためにいくつか音を出すだけであり、無伴奏での合唱が行われる。
レーガーの3つの合唱曲でピアノを弾くのはメンバーの一人である男性。ザールブリュッケン室内合唱団の最新アルバムには、今回の演奏会とほぼ同じ曲目が収められているが、ピアノはイヴェット・キーファーとある。イヴェットというのは普通は女性のファーストネームなので、彼ではないようだが。

 

1962年生まれの作曲家である松下耕の作品が取り上げられているのが今回のプログラムの特徴である。ザールブリュッケン室内合唱団には日本人の男性歌手がおり、ゲオルク・グリュンの挨拶を日本語に訳していたが、「友人である松下耕の宗教合唱曲を日本で歌うことが出来てとても嬉しい」と語っていた。なお、「深き淵より」と「我を救いたまえ」はザールブリュッケン室内合唱団に贈られた作品のようである。
松下耕の作品であるが、歌に混ざってセリフのようなものが読み上げられたり、男性メンバーがホーミーを模す場面があったり、敢えて不安定な響きを作ったりと、現代音楽的な試みがいくつも見受けられる。

白人のメンバーが多いのだが、やはり体格が良いため声が体全体に響いていて神秘的な色合いや奥行きがあり、ピアニッシモの美しさなどが際立っている。日本人も昔に比べればかなり体格が良くなっているが、本当の意味で世界的に通用した歌手はまだ生まれておらず、白人に比べるとハンデがあるというのが現状のようだ。

 

マーラーのアダージェットをゴットヴァルトが合唱用に編曲した「夕映えの中で」。ゴットヴァルトはマーラーのオーケストレーションを忠実に声に移し替えることを試みたようで、女声パートがヴァイオリンとヴィオラ、男声パートがチェロとコントラバスの旋律を歌い上げる。かなり美しい仕上がりとなっており、ゴットヴァルトのチャレンジは成功したようだ。

 

京都公演ということで、アンコールとして京都府民謡が元となった「竹田の子守唄」が日本語で歌われる。抒情味溢れる合唱であった。

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2019年8月 5日 (月)

コンサートの記(582) 東京2020公認プログラム 大野和士指揮バルセロナ交響楽団ほか プッチーニ作曲 歌劇「トゥーランドット」大津公演

2019年7月28日 びわ湖ホール大ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール大ホールで、東京2020公認プログラム プッチーニ作曲 歌劇「トゥーランドット」を観る。大野和士指揮バルセロナ交響楽団の演奏、バルセロナ・オリンピックの開会式の演出も務めた(ということは坂本龍一が音楽と指揮を務めた時である)アレックス・オリエの演出。出演は、ジェニファー・ウィルソン(トゥーランドット)、デヴィッド・ポメロイ(カラフ)、砂川涼子(リュー)、妻屋秀和(ティムール)、持木弘(アルトゥム皇帝)、森口賢二(ピン)、秋谷直之(パン)、糸賀秀平(ポン)、真野郁夫(ペルシャの王子)、黒澤明子(侍女1)、岩本麻里(侍女2)。合唱は、びわ湖ホール声楽アンサンブル、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部。児童合唱:大津児童合唱団。

来年の東京オリンピックの開催を記念して、東京(東京文化会館、新国立劇場)、びわ湖ホール、札幌文化芸術劇場hitaruで開催される「トゥーランドット」公演。大野和士が手兵であるバルセロナ交響楽団を率いて行うツアーである。

昨日今日と、びわ湖ホールでの公演が行われるのだが、実は昨日は公演中に原因不明の停電があり、約70分に渡る中断があった。
ということで、開演前にびわ湖ホール館長の山中隆が登場して(第一声は「私が登場するとろくなことがないんですが」)、昨日の公演での中断のお詫びと、それでも礼儀正しく鑑賞していただけたことの感謝、そして、停電によって舞台機構に異常が発生したため、演出を変えることの断りを述べていた。

セットは両サイドに階段の伸びる柱状のものが組まれており、中央には一段高くなった舞台があるというシンプルなものだが、本来は背後で色々動く予定だったのかも知れない。

 

プッチーニの遺作となった「トゥーランドット」。中国・北京を舞台にした作品であるが、初演直後に中華民国から「国辱だ!」と抗議が入ったという話がある。中華人民共和国になってからも、「トゥーランドット」の中国での上演は長く行われなかった。
プッチーニはリューの葬送の場面までを書いたのだが、その直後に急死。残されたスケッチなどを基にフランコ・アルファーノが補筆完成させた。初演の指揮はアルトゥーロ・トスカニーニが担当したが、トスカニーニはリューの葬送の場面が終わったところで、「作曲者はここで力尽きたのです」と客席に語って演奏を切り上げてしまっている。公演2日目には、トスカニーニはアルファーノの補作を縮めたバージョンを指揮、これが定着したが、ルチアーノ・ベリオの補作による新バージョンも存在する。私自身は「トゥーランドット」を生で観るのは初めてだが(異なったストーリー展開を見せる宮本亜門演出の音楽劇「トゥーランドット」を生で観たことはある)、映像では本場の紫禁城で行われたズービン・メータ指揮(張芸謀演出)のものと、ベリオの補筆完成版を採用したヴァレリー・ゲルギエフ指揮のものを観ている。

プッチーニがラストを確定させる前に亡くなってしまったということで、まるで取って付けたかのような結末に関する異論は当然あり、今回はアレックス・オリエが用意した悲劇的なラストを迎えるという趣向が取られている(それほと突飛なものではないが)。

 

ベルギーのモネ劇場音楽監督を経て、リヨン国立歌劇場の首席指揮者として世界的に活躍する大野和士。今日もバルセロナ交響楽団と日本が誇る3つの合唱団から、まさに「マッシブ」と呼ぶに相応しい凄絶な音を引き出す。響きだけで聴き手を圧倒出来るレベルである。

 

スペインはオーケストラ大国ではないが、バルセロナ交響楽団は、大植英次や日本でもお馴染みのパブロ・ゴンザレスが音楽監督を務めていたということで、日本でも知名度の高い楽団である。元々はパブロ・カザルスが組織したオーケストラが母体となっており、歴代の音楽監督には、ガルシア・ナバロや京都市交響楽団へも客演したエルネスト・マルティネス・イスキエルドといったスペインを代表する指揮者の名前を見ることが出来る。艶やかで滑らかで多彩な音を繰り出すことの出来るオーケストラである。

「トゥーランドット」というタイトルであるが、タイトルロールがなかなか登場しない(登場しても1幕ではセリフなし)という不思議な構造を持つ。トゥーランドットは冷酷な王女であるが、その性質もあって余りドラマティックな活躍はせず、ヒロインに相応しいのはむしろ女奴隷のリューの方である。私は観たことがないが、実際にリューをヒロインとした補作完成バージョンも存在するようだ。
今回、リューを演じた砂川涼子は見事な歌唱と演技で客席を沸かせ、カーテンコールでの拍手や歓声も一番大きかった。

 

演出のアレックス・オリエは、トゥーランドットやカラフのトラウマを掘り下げ、先祖のトラウマを愛は乗り越えられないという結論へと導く。筋的には納得のいくものである。ただ、個人的には純粋な愛に生きたリューという人物が今回の演出以上に鍵を握っているのではないかという気もする。本来的にはこれはリューの物語なのではないだろうか。氷のトゥーランドットと熱のリューの対比をもっとあからさまに描いてみるのも面白いかも知れない。

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2019年7月 8日 (月)

コンサートの記(571) クリスティアン・アルミンク指揮ベルギー王立リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2019京都

2019年6月29日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、クリスティアン・アルミンク指揮ベルギー王立リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会を聴く。

ベルギー・フランス語圏の中心都市であるリエージュ。リエージュ州の州都である。ベルギーを代表する作曲家であるセザール・フランク、無伴奏ヴァイオリン曲が人気のウジェーヌ・イザイ、「メグレ警部」シリーズで知られる推理作家のジョルジュ・シムノンなどを生んだ街であり、ベルギー名物であるワッフルが誕生した場所でもある。

ベルギー王立リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団は、1960年の創設。近年は、パスカル・ロフェ、フランソワ=グザヴィエ・ロトなどが音楽監督を務め、2011年からクリスティアン・アルミンクを音楽監督に戴いている。
1990年に初来日しているが、今回はそれ以来、実に29年ぶりの来日公演となる。リエージュ・フィルが王立を名乗ることを許されたのは2010年のことなので、現在の名称となってからは初の来日となる。

リエージュ・フィル音楽監督のクリスティアン・アルミンクは、新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を10年間務めており、日本でもお馴染みの存在である。
1971年、ウィーン生まれ。父親はドイツ・グラモフォン・レーベルの重役(のちに社長になる)であり、著名な音楽家が自宅に遊びに来ることもしばしばだったようだ。父親がドイツ・グラモフォン極東部門総責任者を務めた幼少時には、アルミンクも東京・六本木で過ごした経験があるという。その後、ウィーンに戻り、ウィーン国立音楽大学で指揮をレオポルド・ハーガーらに師事。卒業後は、タングルウッドで小澤征爾に学び、2003年には「セイジのオーケストラ」こと新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に迎えられている。若くしてヤナーチェク・フィルを指揮してアルテ・ノヴァ・レーベルに録音を行っており(私はたまたま発売直後に買っている)、ルツェルン歌劇場と交響楽団の音楽監督を経て現職。また、2017年4月からは広島交響楽団の首席客演指揮者も務めている。
この春には、小澤征爾音楽塾の歌劇「カルメン」京都公演の指揮を師である小澤と二人で務めた(小澤は、序曲と記事にはあったが、おそらく前奏曲の第1番と第2番のみを指揮して交代したため、アルミンクがほぼ全編を指揮。小澤はその後病気でリタイアしたため、関東での公演は、完全にアルミンク一人で担当している)。

 

曲目は、ルクーの「弦楽のためのアダージョ」、タン・ドゥン(譚盾)のギター協奏曲「Yi2」(日本初演。ギター独奏:鈴木大介)、ブラームスの交響曲第1番。

 

リエージュ・フィルの登場の仕方は変わっており、開演時間である午後2時の3分ほど前にメンバーがゾロゾロと登場(1曲目が弦楽のための作品なので弦楽器奏者のみの登場)。席に座って各々が攫い、午後2時を過ぎてからコンサートマスターのゲオルク・トゥドラケが一人で登場して、全員で挨拶という形になる。そのためか、開演5分前を告げるチャイムは前後半とも鳴らなかった。

 

ルクーの「弦楽のためのアダージョ」。ギョーム・ルクーは、ベルギー・リエージュ州出身の作曲家。セザール・フランクの弟子である。9歳の時に両親と共にフランスに移住し、その後、パリでフランクとヴァンサン・ダンディに師事。「天才」との評価を得るが、24歳で夭逝している。
「弦楽のためのアダージョ」は、師であるフランク追悼のために書かれたものとされる。

哀感十分の曲調である。一世代上のグリーグや同世代であるシベリウスに繋がるような旋律も登場するため、曲調も把握しやすい。
リエージュ・フィルの弦楽は、渋い輝きを特色としていて、フランス語圏のオーケストラではあるが、どちらかというとオランダやドイツのオーケストラに近い個性を持っているのが面白い。

 

タン・ドゥンのギター協奏曲「Yi2」。現代中国を代表する作曲家であるタン・ドゥン。「題名のない音楽会」などへの出演やNHK交響楽団との共演で日本での知名度も高い。湖南省長沙に生まれ、幼いときから民族音楽などに触れて、二胡奏者として活躍していたが、ベートーヴェンの交響曲第5番を初めて聴いた時に「エイリアンの音楽だ!」と衝撃を受け、クラシック音楽の道に進んでいる。文革の下放後に北京の中央音楽院に入学し、武満徹の音楽などに触れる。卒業後に渡米。ニューヨークのコロンビア大学大学院で前衛的な作曲法を学び、以後もニューヨークを拠点に作曲や指揮者としての活動を続けている。

タイトルの「Yi2」に関しては詳しいことはわからないが、「Yi」は「易」という字のピンイン(中国語版ローマ字)の表記とされ、これまで「Yi0」「Yi1」の2作が発表されていて、これが3つ目の作品になるという。

まず、鈴木大介のギターソロで始まるが、すぐにアルミンクが手を打って応え、というより遮るようにして止まり、再びソロが始まるも、また指揮者による手拍子が加わる。
その後、二拍による音型が「得体の知れない何か」の行進曲のように続く。
ギターのソロであるが、いかにもスペイン的な要素と、タン・ドゥンの祖国である中国の琵琶(ピパ)を意識したトレモロの2つが交互に現れる。琵琶を模した部分であるが、映画音楽に詳しい人には、「映画『ラストエンペラー』の東屋での場面に流れる、コン・スーが作曲した音楽によく似ている」と書くとあるいは通じるかも知れない。
オーケストラにはピアノが加わっているが、ピアニストはピアノの弦を弾いて音を出したり、腕を組む形で鍵盤に押しつけてトーンクラスターにしたりと、変則的な演奏を行う。ストラヴィンスキー的な盛り上がり方をするクライマックスでは、オーケストラのメンバーが、「シー」という言葉を2度ほど発する。

交響詩ではないので具体的な何かを描いているわけではないだろうが、スペインも中国も独裁者が圧政を行った国であり、二拍の不気味な行進曲からは、そうした歴史が想起される。

 

鈴木大介のアンコール演奏は、ビートルズナンバーの「Yesterday」。武満徹による洒落た編曲もいい。

 

ブラームスの交響曲第1番。リエージュ・フィルは第1ヴァイオリン16型で編成は小さくないが、前方に詰めたシフトを敷いているため、ステージの後ろの方が開くという布陣である。
序奏は悲劇性よりも哀感を優先させ、その後、徐々に熱くなっていくという解釈である。リエージュ・フィルはリズム感はそれほどでもなく、アンサンブルの技術も正確性に関してはあるいは京響の方が上かも知れないが、憂いと渋みのあるしっとりとした音色は、あるいは完璧に合わせるのではなくほんのわずかにずらすことで生まれているのかも知れない。ヨーロッパ人の音に対する感覚の鋭さがうかがわれる。

コンサートマスターのゲオルク・トゥドラケはボウイングが大きいが、管楽器が主役の部分などではアルミンクから弦楽器のまとめを託されて協力して演奏していることが見て取れる。
洗練された雅やかなブラームスであるが、第4楽章のクライマックスで突如リタルダンドするのが特徴。他には聴かれない解釈なので、どういう意図があったのか気になる。
アルミンクは、通常はそれほど力まず、ここぞという時に全力を傾注するというスタイルでドラマを引き立てていた。

 

アンコール演奏は、ブラームスのハンガリー舞曲第6番。これも土俗感は余り出さないシャープな演奏であった。

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2019年7月 6日 (土)

コンサートの記(569) ミヒャエル・ザンデルリンク指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2019大阪

2019年6月30日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後1時30分から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、ミヒャエル・ザンデルリンク指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会を聴く。「未完成」「運命」「新世界より」の三大シンフォニープログラム。ミヒャエル・ザンデルリンクとドレスデン・フィルのコンビではブランドとして少し弱いかも知れないが、大阪フィルハーモニー交響楽団なども毎年行っている「未完成」「運命」「新世界」の三大交響曲プログラムはとにかく人気であり、今日もザ・シンフォニーホールの客席は8割以上は埋まっていると思われる。


旧東ドイツを代表する指揮者であったクルト・ザンデルリンクの息子であるミヒャエル・ザンデルリンク。異母兄のトーマスと同母兄のシュテファンも指揮者だが、ミヒャエルは最初にチェリストとしてキャリアを築いてから指揮者に転向したことが他の親族とは異なる。ハンス・アイスラー音楽大学でチェロを専攻し、マリア・カナルス国際コンクール・チェロ部門で優勝。ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席チェロ奏者やソリストとして活動後、30歳を過ぎてから指揮者デビューしている。現在も教育者としてチェロに携わっており、フランクフルト音楽舞台芸術大学教授などを務めている。

ヘルベルト・ケーゲルが残した録音によって知名度が高まったドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団。ドイツのオーケストラでありながらフランスの名匠であるミシェル・プラッソンを首席指揮者に招くなど意欲的な人選でも知られる。2011年よりミヒャエル・ザンデルリンクが首席指揮者を務めてきたが、ミヒャエルはこの6月をもって勇退、後任には以前にもドレスデン・フィル首席指揮者を務めていたマレク・ヤノフスキの再任が決まっており、秋から新時代に入る予定である。


午後1時30分ジャストにドレスデン・フィルのメンバーがステージ上に現れる。時間にかなり正確なのがドイツの楽団らしい。前後半でコンサートマスターとフォアシュピーラーが入れ替わり、前半はHeike Janickeがコンサートミストレスを務め、前半のフォアシュピーラーであるRalf-Carstten Bromselが後半のコンサートマスターとなってHeike Janickeはフォアシュピーラーに回る。ほぼ2年に1度のペースで来日しているドレスデン・フィルであるが、現在は日本人の団員はいない。東洋系の容姿の人はいるが、メンバー表を見ると中華系であることがわかる。


「未完成」と「運命」は、ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。ミヒャエルはノンタクトでの指揮である。

シューベルトの交響曲第7番「未完成」は、LP時代には「運命」とのカップリングが王道といわれた曲だが、CD時代に入るとその組み合わせによる録音は減り、曲が短く、コンサートのメインにしにくということでプログラミングされる機会も減っている。

チェロはビブラートを盛大に使用。その他の弦楽器奏者は思い思いに掛けたり掛けなかったりという折衷タイプの演奏である。シューベルトの毒もかなり出ており、各楽器の美しさも生きた演奏となっていた。楽章間をアタッカで繋いだのも個性的である。


ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。トランペットが古楽器に変わり、ティンパニもバロックタイプのものが用いられる。私の席からはホルンはよく見えなかったが、おそらくナチュラルホルンに変わっていたはずである。

ミヒャエル・ザンデルリンクは、両手を横に広げ、止まったところで運命動機が奏でられる。フェルマータはかなり短めである。
「未完成」とは違って、かなり徹底したピリオドアプローチによる演奏である。弦楽器のボウイングも語尾を伸ばさずに弦から弓を離すというHIP特有のもので、パウゼも短い。
やはりアタッカで入った第2楽章で木管が引っ掛けるなど、技術的には十分とはいえないものだが、切れや力強さ、細やかな表情付けなど、ドイツのオーケストラの美質がよく現れていた。
ピッコロが浮かび上がるのは1カ所だけで、音型がはっきり変わるという場面もなく、譜面の版ははっきりしない。ブライトコプフ版も新版が揃い始めており、「ピリオドといえばベーレンライター」という時代も終わりつつある。


後半のドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」では、ドレスデン・フィルは弦の配置をドイツ式の現代配置に変え、ミヒャエルは指揮棒を手にしていた。
この曲でも木管が音を外すなど、弱点となっているようである。管を浮かび上がらせることを特徴とする演奏であるが、縦の線は正直かなり怪しい。
ミヒャエルは、第1楽章のクライマックスでテンポを上げて迫力を出すが、かなり粗く感じられたのも確かである。
第4楽章でも弦の鋭い音色と、強力だが巧みな和音作りで美観を損なわない金管が効果的だったが、テンポが速過ぎると思えるところがあった。


アンコール演奏は、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第8番。土俗感はなく整った演奏で、フォルムとしての美しさを出していた。

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2019年6月23日 (日)

コンサートの記(565) シャー・シャオタン指揮チャイナ・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2019大阪

2019年6月13日 谷町4丁目のNHK大阪ホールにて

午後7時から、谷町4丁目のNHK大阪ホールでチャイナ・フィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会を聴く。

チャイナ・フィルハーモニー管弦楽団(中国爱乐乐团)は、2000年に発足した北京のオーケストラである。その少し前には北京のオーケストラを統合する形で中国国家交響楽団が生まれており、チャイナ・フィルも中国放送交響楽団を母体に放送系団体を再編成してスタートしている。
メンバー表にピンイン(中国語版ローマ字)表記による氏名が載っているが、香港系の名前が一人いる他は全員が漢民族系の姓名である。
芸術監督兼首席指揮者は中国唯一の世界的指揮者である余隆(YU Long)。百度百科の記事によると首席客演指揮者は世界的な作曲家でもあるクシシュトフ・ペンデレツキが務めているようである。

白人が約半数を占める香港フィルを除けば、中国のオーケストラを聴くのは5回目。コンサートオーケストラに限ると4回目である。一口に「中国のオーケストラ」といっても国土が広いため、レベルには差がある。広州交響楽団のようなアジアを代表する水準に達しているオーケストラもあれば、これまで聴いた中で最低レベルでしかなかった黒竜江・ハルビン交響楽団(朝比奈隆が指揮していた白系ロシア人を中心とした楽団とは別の比較的新しいオーケストラ)のような団体も存在する。アジアで最も長い歴史を誇る上海交響楽団も十数年前に聴いた限りでは日本のアマチュアオーケストラの平均的レベルより下になると思われる。

文化大革命によってクラシック音楽が弾圧の対象となったため、中国のクラシックの水準は世界的に見てそう高いとはいえないが、ソリストでは、ピアニストのランラン、ユンディ・リ、ユジャ・ワン、チェリストのジャン・ワンなど世界的な演奏家が次々に現れている。
オーケストラの方はまだまだこれからであり、90年代に結成されたばかりの中国国家交響楽団にシャルル・デュトワが客演した際に作られたドキュメンタリーでは、中国国家交響楽団のメンバーがどうしてもフランス音楽の音が出せないため、デュトワと共にパートごとに居残り特訓をする様が流されていた。

 

曲目は、ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、チェン・チーガン(陳其鋼)のヴァイオリン協奏曲「苦悩の中の歓喜」(ヴァイオリン独奏:リュー・ルイ)、ベートーヴェンの交響曲第5番。

指揮はチャイナ・フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者のシャー・シャオタン(夏小汤)。1964年生まれ、北京の中央音楽院で学び、現在はチャイナ・フィルの常任指揮者の他、チャイナ・ユース交響楽団の首席指揮者と中央音楽院の指揮科教授を務めている。

当然ながらチケットは全然売れていない。今日は2階席のチケットを取ったのだが、1階席の招待席が全く捌けていないので交換可ということになっており、NHK大阪ホールの1階席は必ずしも音は良くないのだが、「少しでも客席に人がいる方が演奏する側もやりやすいだろう」ということもあって換えて貰う。結局、1階席のそこここに人はいるが間ががら空きという状態での演奏会となる。

ドイツ式の現代配置での演奏。入場の仕方に特徴があり、立って聴衆の拍手を受けるのだが、全員がステージの上に揃わないうちに、コンサートマスターが「この辺でいいよ」と手で示して、弦楽奏者などは座ってしまう。

 

ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」。
最初に発された音から優れたアンサンブルであることが分かる。細部などは割合いい加減だったりするのだが、音に張りと勢いがあり、和音に対する感性が独特であると同時に優れている。内声部の強調なども個性的であり、世界的にマイナーとされるオーケストラの個性を聴く喜びが総身を駆け抜ける。聴くだけで感動するタイプの音である。

 

チェン・チーガンのヴァイオリン協奏曲「苦悩の中の歓喜」。単一楽章による変奏曲である。
世界的に高い評価を受けているチェン・チーガン。上海に生まれ、文化大革命の苦難を経て、再発足したばかりの中央音楽院に入学。34歳で渡仏し、パリでメシアンに師事。現在もフランス在住である。
ヴァイオリン独奏のリュー・ルイ(刘睿。リュー・ルェイの方が原音に近い)は、現在、チャイナ・フィルのアソシエイト・コンサートマスターの地位にある。1983年、四川省成都生まれ。4歳でヴァイオリンを始め、10歳で中央音楽院の小学校部門に入学。2005年に中央音楽院を卒業してチャイナ・フィルに入団し、2014年にアシスタント・コンサートマスターとなっている。

冒頭はいかにもメシアン風の響きであり、薄明の中をただ一人で歩んでいるような孤独な音楽が繰り広げられる。中国風のメロディーと西洋的な旋律が奏でられた後で、クラリネットが甘い歌で誘うが、ヴァイオリンソロが決然と拒否するという印象的な場面が2度続く。予想を裏切る展開であり、ハッとさせられる瞬間である。チャルメラの音色を模したオーボエが同じようにソロを吹く場面があるが、今度はヴァイオリンによって肯定されるようだ。
最後は広がりのある音楽で締めくくられる。

演奏終了後、リュー・ルイは喝采を受けるが、日本のオーケストラとは違い、カーテンコールを長く受けずに、ある程度でさっと切り上げてしまうという光景が珍しい。

 

メインであるベートーヴェンの交響曲第5番。
シャー・シャオタンは一度指揮棒を振り下ろしてから半分ほど上げ、もう一度振り下ろす瞬間に運命動機がスタートする。動きのみならず息づかいも駆使する。
第1楽章は反復あり。転調による警告の場面ではグッとテンポを遅くして文学的な解釈を示す。緩急やタメの作り方が独特であり、他の指揮者や団体がためるところは素通りして、余り例がないところでテンポを緩めたりする。全体的にシャープなフォルムによる演奏であり、トスカニーニやカラヤンが追求したタイプの音像が聴かれる。当然ながらピリオドではない。
物語性も重視しており、ある意味、懐かしいタイプのベートーヴェンになっているといえる。内声のえぐり方も強烈であるが、音で圧するのではなく、様々な音を独自に積み重ねることで生まれる重層性が魅力的な演奏である。

 

アンコール演奏は、菅野よう子の「花は咲く」。優しい編曲と演奏であった。

シャー・シャオタンは、何度目かのカーテンコールで、弦楽器の最前列の奏者と握手を交わすが、弦楽器の他の奏者達はそれと同時に横にいる奏者と握手を始める。管楽器奏者はステージ中央に集まってスマホで記念写真を撮り始める。その後、楽団員達は客席に向かって手を振ったり、投げキッスをしたりしながらステージを後にする。なんだかとってもフリーダムに見える。検閲制度のある国の人々なのだが。
拍手がそれほど長く続いたというわけでもないのだが、最後はシャー・シャオタンが一人でステージ中央に現れ、お辞儀と投げキッスをして手を振りながら帰って行く。
これらは世界的にマイナーなオーケストラの演奏会に行く醍醐味でもある。

 

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2019年6月12日 (水)

コンサートの記(562) ムジークフェストなら2019 ウィーン少年合唱団来日公演

2019年5月31日 奈良県文化会館国際ホールにて

奈良へ。午後7時から奈良公園の北にある奈良県文化会館国際ホールで、ムジークフェストなら2019 ウィーン少年合唱団来日公演を聴く。

1498年創設のウィーン少年合唱団。現在は、ウィーンゆかりの4人の作曲家にちなみ、ハイドン組、モーツァルト組、シューベルト組、ブルックナー組(このうち、ハイドンとシューベルトはウィーン少年合唱団のメンバーであった)の4組に分かれて活動しており、昨年は京都にハイドン組のメンバーがやって来たが、今回はブルックナー組が来日して各所でコンサートを行う。カペルマイスターはマノロ・カニン。

奈良県文化会館は、今年の1月に耐震強度の不足が指摘され、キャンセルも多いそうだが、国際ホールは倒壊の恐れはなく、耐震性不足とされた楽屋部分などを随時補修していく計画のようである。

曲目は、第1部が、オルフのカンタータ「カルミナ・ブラーナ」より“おお、運命の女神よ(運命の女神の歌)”、ヴィアダーナの「正しき者よ、王によって喜べ」、メンデルスゾーンの「羊飼いはよみがえられた」、ハイドンのオラトリオ「天地創造」より“天の神の栄光を語り”、ブラームスの3つの宗教合唱曲より「喜ばしき天の女王」、ブラームスの詩篇13番、ゲーリンガーの「死と愛」、バンキエーリの「3声のカプリース」「動物たちの対位法」。第2部が、ピアソラの「リベルタンゴ」、ディ・カプア/マッズッキの「オー・ソレ・ミオ」、ロジャーズの映画「サウンド・オブ・ミュージック」より“ひとりぼっちの羊飼い”と“エーデルワイス”、瀧廉太郎の「荒城の月」、上皇后陛下御作詞の「ねむの木の子守歌」、岡野貞一の「ふるさと」、ヴィルトの「Peace Within(内なる平和)」、オーストリア民謡「納屋の大戸」、ヴンシュの「今日、天使たちがウィーンにやってくる」、ヨーゼフ・シュトラウスの「水平のポルカ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「雷鳴と稲妻」、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「美しく青きドナウ」

奈良県文化会館国際ホールは改修によって壁や床が吉野杉の木目に改まっているが多目的ホールであり、今回のような中編成の少年合唱団では迫力に欠ける気もするが、ウィーン少年合唱団の美声はよく通り、カペルマイスターであるマノロ・カニンのエンターテインメント性に溢れる展開もあって楽しいコンサートとなる。

そのマノロ・カニンはテキストを手に日本語で長いスピーチを行い(「この5月から令和の新しい時代となりました。おめでとうございます」など)、客席から喝采を受ける。ウィーン少年合唱団もテキストを手に楽曲紹介を行ったり、中には日本語を暗記してスピーチを行う子もいる。日本人のメンバーも2人おり、その中の背は低いが利発そうな顔をした子が大人びたスピーチを行って客席を感心させたりしていた。
「ひとりぼっちの羊飼い」(チラシの背面に書かれたプログラムには載っていなかったため、急遽追加になった曲なのかも知れない)ではメンバーの一人がカニンに代わってピアノ伴奏を担当。「納屋の大戸」ではメンバーがクロマティック・アコーディオンやコルネットを演奏して、手回しオルガンやポストホルンを真似た音を作り、ウィーン情緒を演出する。
「動物たちの対位法」では、メンバーが犬や羊の鳴き声を模倣。少年合唱団だからこそ面白さや愛らしさが引き立つ曲が選ばれており、プログラミングも巧みである。
一方、ヴィルトの「Peace Within(内なる平和)」は現代音楽であり、「少年合唱団だから楽しければいい」という、いい加減な選曲でないこともわかる。


アンコールは3曲。まず「サウンド・オブ・ミュージック」より“ドレミの歌”が冒頭のセリフと演技入りで歌われる。

2曲目は菅野よう子の「花は咲く」。日本公演のために選ばれた曲である。清らかな声によって惻々とした思いと希望が歌われた。

最後はヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」。中央の少年が手拍子の指示を行い、大喝采のうちにコンサートは終了した。

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2019年5月 5日 (日)

コンサートの記(554) パーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア・フェスティバル管弦楽団来日演奏会2019大阪

2019年4月28日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア・フェスティバル管弦楽団の演奏会を聴く。

エストニア・フェスティバル管弦楽団は、パーヴォ・ヤルヴィが創設したオーケストラである。
エストニアの保養地・避暑地であるパルヌで毎年行われる音楽祭のレジデンスオーケストラであり、2011年にパーヴォが父親であるネーメ・ヤルヴィと共にパルヌ音楽祭の指揮マスタークラスを始めた際に結成された。メンバーのうち半分はエストニアの若い音楽家、残りの半分はパーヴォが世界中から集めた優秀な音楽家たちであり、教育的な面と表現拡大の両面を目指しているようである。

 

曲目は、ペルトの「カントゥス ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」、シベリウスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:五嶋みどり)、トゥールの「テンペストの呪文」、シベリウスの交響曲第2番。

 

午後2時15分頃からプレイベントがある。ナビゲーターはソリストの五嶋みどり(MIDORI)。
黄色いTシャツで登場した五嶋みどりは、プレイベントの説明と、エストニア・フェスティバル管弦楽団の簡単な紹介を行った後で、エストニア・フェスティバル管弦楽団の女性ヴァイオリニスト、ミーナ・ヤルヴィと二人でプロコフィエフの2つのヴァイオリンのためのソナタハ長調より第2楽章を演奏する。今日は2階の最後部の席で聴いたのだが、ヴァイオリンの音がかなり小さく感じられ、当然ながらフェスティバルホールが室内楽には全く向いていないことがわかる。

続いて、エストニア・フェスティバル管弦楽団の創設者兼音楽監督で今日の指揮も務めるパーヴォ・ヤルヴィに五嶋みどりが話を聞く。
パーヴォはまずエストニアの紹介をする。人口150万ぐらいの小さな国だが、音楽が重要視されていること、優れた作曲家や音楽家が大勢いること、自分は17歳の時にエストニアを離れてアメリカで暮らしてきたが、人からエストニアについて聞かれるうちに、エストニアの音楽親善大使になる団体を作りたいと思い、エストニア・フェスティバル管弦楽団を創設したことなどを語る。
エストニアの音楽文化のみならず、バルト三国やポーランド、フィンランド、スウェーデン、ロシアなどとも互いに影響し合っており、そのことも表現していきたいとの意気込みも語った。
パルヌはフィンランドの温泉のある保養地で、パーヴォの父親であるネーメもそこに家を持っていて、パーヴォはショスタコーヴィチやロストロポーヴィチなどとパルヌのヤルヴィ家で会っているそうである。

最後は、エストニア・フェスティバル管弦団のヴィオラ奏者である安達真理に五嶋が話を聞く。安達がステージに出ようとする際に誰かとじゃれ合っているのが見えたが、パーヴォが「行かないで」という風に手を引っ張ったそうで、五嶋は「今のはマエストロのエストニアンジョークですか?」と聞いていた。
エストニアの首都タリンについては、安達は「可愛らしい、可愛らしいなんて軽く言っちゃいけない悲しい歴史があるんですが、古き良きヨーロッパが凝縮されているような」街で、ヨーロッパ人からも人気があるそうだ。パルヌ(五嶋みどりは「ペルヌ」と発音。おそらく「パ」と「ペ」の中間の音なのだろう)にはビーチがあるのだが、「サンフランシスコのビーチのようなものではなくて、わびさびというか」と思索に向いた場所らしいことがわかる。
プレイベントの締めくくりは、五嶋と安達によるヴァイオリンとヴィオラの二重奏。モーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲変ロ長調より第1楽章が演奏された。

 

ヴァイオリン両翼の古典配置による演奏である。ティンパニは上手奥に陣取る。

 

ペルトの「カントゥス ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」。
エストニアのみならず世界を代表する現代作曲家の一人であるアルヴォ・ペルト。ロシア正教の信者となってからは強烈なヒーリング効果を持つ作品を生み出し、1990年代にはちょっとしたペルトブームを起こしている。
タイトル通り、ベンジャミン・ブリテンへの追悼曲として作曲された、弦楽オーケストラとベルのためのミニマル風作品である。
冒頭の繊細な弦のささやきから魅力的であり、色彩と輝きと光度のグラデーションを変えながら音が広がっていく。あたかも音による万華鏡を見ているような、抗しがたい魅力のある作品と演奏である。エストニア・フェスティバル管弦楽団の各弦楽器の弓の動き方など、視覚面での面白さも発見した。

 

シベリウスのヴァイオリン協奏曲。
ソリストの五嶋みどりは、ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団と同曲をレコーディングしており、歴代屈指の名盤に数えられている。
五嶋のヴァイオリンであるが、集中力が高く、全ての音に神経が注がれて五嶋独自の色に染まっていることに感心させられる。全ての音を自分のものにするということは名人中の名人でもかなり難しいはずである。
第3楽章における弱音の美しさもそれまで耳にしたことのないレベルに達していた。
パーヴォ指揮のエストニア・フェスティバル管は表現主義的でドラマティックな伴奏を繰り広げる。音の輝きやニュアンスが次々と変わっていくため、シベリウス作品に似つかわしくないのかもしれないが、面白い演奏であることも確かだ。

五嶋みどりのアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番からサラバンド。まさに音の匠による至芸であり、バッハの美しさと奥深さを存分に伝える。

 

トゥールの「テンペストの呪文」
トゥールは1959年生まれのエストニアの作曲家。パーヴォの3つ年上である。1979年にプログレッシブ・ロックバンドバンドIn speで注目を集めており、リズミカルな作風を特徴としている。パーヴォはトゥール作品のCDをいくつか出している。
「テンペストの呪文」は、シェイクスピアの戯曲「テンペスト」に影響を受けて書かれたもので、2015年にヤクブ・フルシャ指揮萬バンベルク交響楽団によって初演されている。煌びやかにしてプリミティブな音楽であり、ストラヴィンスキーの「春の祭典」に繋がるところがある。パーヴォは打楽器出身ということもあってリズムの処理は万全、楽しい演奏に仕上がる。

 

メインであるシベリウスの交響曲第2番。全編を通して透明な音で貫かれる。
パーヴォがかなりテンポを動かし、即興性を生んでいる。パーヴォは音のブレンドの達人だが、この曲ではあたかも鉈を振るって彫刻を行うような力技も目立つ。ゲネラルパウゼが長いのも特徴だ。
「荒ぶる透明な魂の遍歴」を描くような演奏であり、第4楽章も暗さは余り感じさせず、ラストに向かって一直線に、時には驚くほどの速さによる進撃を見せる。
終結部はなんとも言えぬほどの爽快さで、フィンランドと人類の魂の開放が謳われる。

 

アンコールは2曲。まず、パーヴォの定番であるシベリウスの「悲しきワルツ」が演奏される。今日も超絶ピアニシモが聞かれた。

アンコールの2曲目は聴いたことがない作品。アルヴェーンの「羊飼いの娘の踊り」だそうである。弦楽による民族舞踊風の音楽が終わった後で拍手が起こったが、パーヴォは「まだまだ」と首を振って、オーボエがリリカルでセンチメンタルな旋律を歌い始める。
その後、冒頭の民族舞踊調の音楽が戻ってきて、ノリノリのうちに演奏を締めくくる。爆発的な拍手がパーヴォとエストニア・フェスティバル管を讃えた。

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2019年4月20日 (土)

コンサートの記(546) ジョナサン・ノット指揮スイス・ロマンド管弦楽団来日演奏会2019大阪

2019年4月14日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、スイス・ロマンド管弦楽団の来日演奏会に接する。指揮はスイス・ロマンド管弦楽団の音楽・芸術監督で、東京交響楽団の音楽監督として日本でもお馴染みのジョナサン・ノット。

スイス・フランス語圏を意味するスイス・ロマンド管弦楽団。ジュネーヴに本拠地を置くオーケストラだが、最近ではローザンヌにも拠点を持っているようである。
エルネスト・アンセルメによって結成され、英DECCAにフランスものを中心とした録音を行い、一躍名声を得たスイス・ロマンド管弦楽団。ただアンセルメとの来日演奏会は不評で「レコード美人」などと叩かれたこともある。アンセルメの後は、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキの師として知られるパウル・クレツキの時代を経て、ウォルフガング・サヴァリッシュ、ホルスト・シュタインというNHK交響楽団の名誉指揮者が立て続けにシェフとなって日本でも親しまれたが、この時期は同オケの低迷期とされている。ただ、ドイツ人指揮者を続けて招いたことでレパートリーは広がり、演奏能力も大幅にアップしたそうである。
1985年から12年間に及んだスイス人指揮者であるアルミン・ジョルダンとのコンビは評価も高く、録音も数多く発表。アルミンはやや地味だったが、フランスものでの評判を取り戻している。ファビオ・ルイージ、ピンカス・スタインバーグ、マレク・ヤノフスキ、ネーメ・ヤルヴィといういずれも日本で活躍している指揮者の時代を経て2017年からノットの時代に入った。昨年、2018年には結成100周年を迎えている。

特にマーラーの解釈者として評価の高いジョナサン・ノット。ケンブリッジ大学で音楽学を学んだ後、マンチェスターの王立ノーザン音楽院で声楽とフルートを専攻し、ロンドンに出て指揮を学ぶ。ドイツの歌劇場でキャリアをスタートさせ、2000年にはバンベルク交響楽団の首席指揮者に就任し、レコーディングをスタートさせて各国で評判を得ている。
今から15年前になる2005年に、京都コンサートホールで行われたバンベルク交響楽団の来日公演でノットの指揮に接している。当時はCDも輸入盤しか出ていない状態でノットの知名度は低く、京都コンサートホールの客席は半分ぐらいしか埋まっていなかったが、マーラーの交響曲第5番の名演奏で聴衆を圧倒している。東響の指揮者となった今では日本で最も知名度の外国人指揮者の一人だ。


曲目は、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:辻彩奈)とマーラーの交響曲第6番「悲劇的」


弦はヴァイオリン両翼の古典配置を採用。管は現代配置が基本で、ティンパニが指揮者の正面に来るのもモダンスタイルである。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストの辻彩奈は現在売り出し中の若手ヴァイオリニスト。1997年、岐阜県生まれ。2016年のモントリオール国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門で1位となり、一躍有名となったシンデレラガールである。

辻は磨き抜かれた豊穣な音色を聴かせる。一音一音を大切に奏でるが、その分近視眼的になって、全体として一本調子になってしまうのが若さを感じさせる。

ノット指揮のスイス・ロマンド管は、木管を強めに吹かせるということもあって、ロマンティシズムを抑えてすっきりとした伴奏を聴かせた。


辻のアンコール演奏は、バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番よりガボット。同じ音型でも単調にならないよう微妙に表情を変えてくる丁寧な演奏であり、好感が持てた。


メインであるマーラーの交響曲第6番「悲劇的」。ノットの十八番の一つであり、期待が高まる。第2楽章がスケルツォ、第3楽章がアンダンテ・モデラートとなる版での演奏である。

テンポは速め。やはりオーケストラに適度な抑制を利かせた演奏で、大仰な表情になるのを防いでいる。いかなる戦きにも上品さがあり、単なる自己内のドラマに完結させずに人類共通のメッセージとして届けようという姿勢がうかがえる。

スイス・ロマンド管弦楽団の音は輝かしいが、アメリカのオーケストラのようなギラギラした感じとは異なり、やはりノーブルなヨーロッパ的な響きを持ち味としていることがわかる。

マーラーのグロテスクな面を出さず、品の良さを徹底させているだけに、最後の一撃の残酷さがより明確に伝わるという設計の演奏。ノットの演出の上手さが伝わってくる。

終演後、拍手は鳴りやまず、私は途中で帰ったが、楽団員がステージを後にしてからノットが一人で登場して拍手を受けるという、俗にいう「一般参賀」が行われたようであった。

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2019年4月 7日 (日)

コンサートの記(541) パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2013名古屋

2013年11月23日 名古屋の三井住友海上しらかわホールにて

三井住友海上しらかわホールへ。パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴く。
オール・ベートーヴェン・プログラムで、歌劇「フィデリオ」序曲、交響曲第4番、交響曲第3番「英雄」が演奏される。

三井住友海上しらかわホールは前を通ったことはあるのだが、中に入るのは今日が初めてである。

ピリオド・アプローチによる演奏を得意とするドイツ・カンマーフィル。トランペットはピストンのないナチュラルトランペット。二階席下手の席に座っていたので、舞台下手側に座るホルン奏者の姿は見えないが、間違いなくナチュラルホルンであろうと思う。実際に音を聴くとやはりナチュラルホルンであることがわかる。ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。

三井住友海上しらかわホールの内装は、壁が全て木目であり、とても美しい。天井はやや高めであるため、オーケストラが演奏するには残響がやや短い。室内楽やピアノのリサイタルなどでは残響は余り必要でないため、そういう風に音響設計されているのかも知れない。内装、音響共に、大阪の、いずみホールに似ている。


パーヴォ登場。今日は全曲暗譜で指揮をする。

歌劇「フィデリオ」序曲。出だしが実にリズミカルである。パーヴォのバトンテクニックは真に鮮やかで、あたかも指揮棒の先で音符を拾い上げて、オーケストラの方へすっと投げているかのような印象を受ける。本当に動いたとおりに音楽が生まれるのである。少なくとも実演に接したことのある指揮者の中でパーヴォほど高度なバトンテクニックを持っている人は他にいない。サー・サイモン・ラトルやマリス・ヤンソンス、ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団の先代音楽監督であるダニエル・ハーディングの指揮も見ているが、ここまで見事ではなかった。
ナチュラルホルンであるが、モダン楽器のホルンでも「ホルンといえばキークス(音外し)という言葉が思い浮かぶ」と言われるほど演奏が難しい楽器である。そのため、音程を外す場面があった。
交響曲第5番同様、ピッコロが1オクターブ上を吹いて浮き上がる場面があり、ベーレンライター版の楽譜を使っていることがわかる。これまでずっと使われてきたブライトコップ(ブライトコプフ)版の楽譜で演奏された歌劇「フィデリオ」序曲のCDを聴いてもピッコロが浮かび上がる場面に出会ったことはない。
躍動感あふれる演奏であった。


交響曲第4番。私はパーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニーの実演を横浜で聴いている。
今日も密度の濃い演奏である。楽章1つ演奏するだけで、並みの演奏の交響曲1曲分の聴き応えがある。
パーヴォは、CDにおいて、ベートーヴェンの交響曲第4番と第7番の演奏をカップリングでリリースし、アポロ芸術的と思われる交響曲第4番をディオニソス芸術的に、ディオニソス芸術の代表的存在であった交響曲第7番をアポロ芸術的に演奏するという真逆の解釈を示し、私は一聴して驚いたのであるが、パーヴォはそうした楽曲の光が当たらない一面を見つけるのが得意なようである。
緩急、強弱ともに自在な演奏であった。


後半、交響曲第3番「英雄」。同じ名古屋にある愛知県立芸術劇場コンサートホールで、パーヴォとドイツ・カンマーフィルによるこの曲の実演を聴いている。

ベートーヴェンのメトロノーム指示に近い速度を採用。そのためかなり速めの演奏である。ロマンティクな演奏になれている人は「速すぎる」と思うだろうが、20世紀後半の演奏から聴き始めた私などの世代にとっては、意気揚々と進軍する英雄の姿が目に見えるようなフレッシュな解釈である。
パーヴォは音のバランスを取るのが天才的に上手いため、クライマックスで、主旋律がトランペットから木管楽器に移る時にも、主旋律は行方不明にならず、木管が演奏しているのがきちんと聴き取れる。

第2楽章の葬送行進曲も白熱の演奏であり、哀感が強く胸に染み込む。

第3楽章。ティンパニの強奏が凄まじい。弦楽器であるが、各楽器の首席奏者だけが別の旋律を弾く場面が見られる。トリオにおけるナチュラルホルンの演奏も上手い。

最終楽章。序奏でパーヴォは歌い崩しをする。この楽章では、弦楽器の、コントラバスを除く各首席奏者のみが演奏し、弦楽四重奏になる場面がベーレンライター版の楽譜にはある。元々「solo」と書いてはあったようだが、「何かの間違いだろう」ということで採用されていなかったのだ。パーヴォの指揮するベートーヴェンは基本的にベーレンライター版の楽譜を用いているのだ、これが忠実に履行される。憩いの場ともいうべき印象を受ける。そして快速による凱旋行進。心躍る演奏であった。


アンコールは2曲。ブラームスの「ハンガリー舞曲」より第1番と、パーヴォのアンコールピースの定番であるシベリウスの「悲しきワルツ」。

ハンガリー舞曲第1番は、ブラームスがハンガリーの民謡や舞曲を収集して、まずピアノ連弾のための曲として纏められたもので、ブラームス自身もブラームス編曲として出している。舞曲であるため、目まぐるしく緩急が変化するのであるが、パーヴォは魔法のようにテンポを操り、「寄せては返す波のように激し」い演奏になった。

シベリウスの「悲しきワルツ」。超絶ピアニシモが今日も聴かれる。この時は会場内にいる全員が耳を澄ませるため、独特の張り詰めた空気がホール内を占拠する。

全て秀演。名古屋まで聴きに来るだけの価値のある演奏会であった。名古屋の聴衆は非常にマナーが良く、それも嬉しかった。

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