カテゴリー「来日団体」の52件の記事

2017年4月12日 (水)

コンサートの記(291) クシシュトフ・ウルバンスキ指揮NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2017大阪

2017年3月15日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、「東芝グランドコンサート2017」 NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会を聴く。

NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団は、ギュンター・ヴァントとのコンビで親しまれた北ドイツ放送交響楽団(NDR交響楽団)が、新本拠地ホールであるエルプフィルハーモニーの落成と共に改名した団体である。
一昨年に、北ドイツ放送交響楽団名義で、首席指揮者であるトーマス・ヘンゲルブロックと共に来日し、大阪のザ・シンフォニーホールでも演奏会を行っていて私も聴いているが、新しい名称になってからは初来日である。
今日の指揮者は、ポーランド生まれの俊英、クシシュトフ・ウルバンスキ。NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者である。昨年まで東京交響楽団首席客演指揮者を務めており、大阪フィルハーモニー交響楽団も数度客演していて、日本でもお馴染みの存在になりつつある。ワルシャワのショパン音楽アカデミーでは指揮をNAXOSの看板指揮者として知られるアントニ・ヴィトに師事。2007年にプラハの春国際音楽コンクールで優勝に輝いている。
シャープな指揮姿であるが、時折、ダンスのようなステップも踏む。


曲目は、ベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:アリス=紗良・オット)、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。オール・ドイツ・プログラムである。

ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。フェスティバルホールにはパイプオルガンはないので、「ツァラトゥストラはかく語りき」では、電子オルガンが用いられる。

一度楽譜を見ただけで全て覚えてしまう「フォトグラフメモリー」という特殊能力を持つウルバンスキ。今日も指揮台の前には譜面台はなく、協奏曲も含めて全て暗譜で指揮する。

ウルバンスキ登場。どことなくGACKTに雰囲気が似ている。もっとも、GACKTを生で見たことはないのだけれど。


ベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番。ウルバンスキは情熱を持っているのだろうが、それを表に出すことの少ない指揮をする。
全編、ピリオド・アプローチによる演奏だが、特筆すべきは弱音の美しさ。本当に息を飲むほどに美しい超絶ピアニシモである。そしてラストに向けて盛り上がっていく弦楽のエネルギーの豊かさ。爽快なベートーヴェンである。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。ソリストは日本でもお馴染みになったアリス=紗良・オット。日独のハーフであり、「美しすぎる」という奇妙な形容詞が流行った時には「美しすぎるピアニスト」などと言われた。ピアニストのモナ=飛鳥・オットは実妹。
個性的なピアニストであり、ウルバンスキとは異なって情熱を剥き出しにするタイプである。
「裸足のピアニスト」としても知られているアリス。今日は黒いロングドレスの裾を引きずりながらチョコマカ早歩きで登場したため足下は見えなかったが、ピアノを弾くときは素足でペダルを踏んでいるのが確認出来た。

アリスのピアノは、浮遊感、透明度ともに高く、冒頭ではちょっとした歌い崩しを行うなど、今日も個性がフルに発揮されている。
第1楽章終了後、第2楽章終了後とも、ウルバンスキは腕を下げず、アリスがピアノを弾くことで楽章が始まるというスタイルを採っていた。
第2楽章のリリシズム、第3楽章のパワーなどいずれも感心する水準に達している。アリスは右手片手弾きの場面では左手の掌を上に向けて左肩の付近で止めていた。科を作っていたわけではなく、単に癖なのだろう。

演奏終了後、喝采を浴びたアリス。聴衆からお花も貰う(許可がない場合は聴衆としてのマナー違反になりますので、真似しない方がいいです)。

ウルバンスキ指揮のNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団もピリオド・アプローチながら力強い伴奏を奏でた。

アンコールは2曲。まずは、昨年、「ピーコ&兵動のピーチケ・パーチケ」でも演奏していた、グリーグの抒情小曲集より「こびとの行進」。
20年近く前に、砧(きぬた)にある世田谷美術館講堂で、グリーグのピアノ曲演奏会(世田谷美術館の「ムンク展」関連事業)を聴いたことがある。演奏を行ったのは、グリーグ演奏の大家でNAXOSレーベルに「グリーグ ピアノ曲全集」も録音していたアイナル・ステーン=ノックレベルグ。「グリーグ本人の演奏にそっくり」といわれたピアノを弾く人だ。来日前に交通事故に遭ったそうで万全の体調ではなかったそうだが、ステーン=ノックレベルグは、「抒情の極み」とでもいうべき演奏を披露していた。
アリスの弾く「こびとの行進」は、ステーン=ノックレベルグのそれと比べると若々しいのは当たり前だが、リズム感の良さが際立っている。アリスは普段はクラシックは余り聴かず、ポピュラー音楽の方を好んで聴くそうだが、ポピュラーは「リズムが命」という面があるため、クラシック演奏にもプラスに働くのだろう。
メカニックが抜群なのは今更書くまでもない。

拍手を受けて椅子に腰掛けたアリスは、「皆様、今夜はお越し下さってありがとうございます。もうピアノが伸びてきてしまっていますので、最後にオーケストラのメンバーと皆様のためにショパンのワルツ遺作を弾きたいと思います」と言ってから、ショパンのワルツ19番(遺作)を弾く。テンポの伸縮自在の演奏だが、それが効果的であった。


後半、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。ウルバンスキはやや遅めのテンポでスタートする。冒頭に出てくる3つの音が全曲を支配する「ツァラトゥストラはかく語りき」。ウルバンスキの表現は見通しが良く、リヒャルト・シュトラウスの意図もウルバンスキ自身の意思もよく伝わってくる。
「ツァラトゥストラはかく語りき」は有名曲なので、コンサートで取り上げられることも比較的多いが、これほど楽曲構成の把握がわかりやすく示された演奏を聴くのは初めてである。
NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団であるが、弦も管も技術は極めて高い。この曲は弦楽のトップ奏者がソロを取る場面が何度もあるのだが、全体がそうした室内楽的な緻密さに溢れた好演となっていた。弦の音色は透明度が高く、明るい。輝きに関しては昨日聴いたプラハ交響楽団とは真逆である。管楽器も力強く、音楽性も高かった。
なお、舞台袖での鐘は、グロッケンシュピール奏者が自身のパートを演奏し終えた後で上手袖に下がり、兼任して叩いていた。


アンコール演奏は、ワーグナーの歌劇「ローエングリン」より第3幕への前奏曲。非常に洗練されたワーグナーであり、ドイツの楽団でありながら「ドイツ的」といわれる濃厚な演奏とは一戦を画したものになっていた。

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2017年4月 5日 (水)

コンサートの記(289) ペトル・アルトリヒテル指揮プラハ交響楽団来日演奏会2017京都 スメタナ 「わが祖国」全曲

2017年3月14日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都・プラハ姉妹都市提携20年記念事業であるプラハ交響楽団の来日演奏会を聴く。指揮者は2度に渡ってプラハ交響楽団の首席指揮者を務めたことのあるペトル・アルトリヒテル(Webでは「アルトリフテル」表記の方が情報が多いようだ)。
プラハ交響楽団はプラハ市営のオーケストラである。
なお、入場者には、「京都・プラハ姉妹都市提携20周年」を記念して、京都洛中ロータリークラブからチョコレートが送られた。

スメタナの連作交響詩「わが祖国」全曲の演奏。

1996年4月に姉妹都市となった京都市とプラハ市。共に市営のオーケストラがあるということで(京都市交響楽団はその後、市直営から市の外郭団体による運営に切り替わった)、12年前となる2005年に京都市交響楽団とプラハ交響楽団は姉妹オーケストラの提携を結び、合同演奏会も行ったが、その後は少なくとも「密接な関係」にはなっていない。
プラハ交響楽団は、晩年のサー・チャールズ・マッケラスと名盤を多く残しているが、それ以前には「チェコのカラヤン」と呼ばれたヴァーツラフ・スメターチェクが育てたオーケストラとして知られていた。

指揮者のペトル・アルトリヒテルは、1951年生まれ。生地はモラヴィアにあるフレンシュタード・ポト・ラドシュチェムという長い名前の街である。フレンシュタード・ポト・ラドシュチェムの隣町にあるオストラヴァ音楽院で指揮法とホルンを学び、ブルノにあるヤナーチェク音楽院在学中の1976年にブザンソン指揮者コンクールで2位入賞及び特別賞受賞。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団でヴァーツラフ・ノイマンの助手を務め、1990年にプラハ交響楽団の首席指揮者に就任。この時は1年で退任している。1997年から2001年まではロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者として活躍。1993年に南西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督に就任(2004年まで)。2002年から2009年まではチェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者の職にあった。この時期、ブルノ・フィルとレコーディングを行っており、以前、ザ・シンフォニーホールでブルノ・フィルハーモニー管弦楽団が来日演奏会を行ったとき(指揮者は若手のアレクサンダー・マルコヴィッチであった)にペトル・アルトリヒテル指揮ブルノ・フィルのCD(「新世界」交響曲ほかを収録)を買ったことがある。
というわけで、CDでは聴いたことのあるアルトリヒテルだが、実演に接するのは初めてだ。
アルトリヒテルは、2003年から2006年に掛けて、再度、プラハ交響楽団の首席指揮者を務めている。

ドイツ式の現代配置での演奏。白人は体格がいいため、ウレタン仕様の椅子は二つ重ねて少し高くなるように調整されている。ステージはすり鉢状にしているが、上手下手出入り口付近は邪魔になるために上げずにフラットにしている。そのためなのかどうかはわからないが、最近の京都コンサートホールでの演奏にしては残響は短めであった。

日本人かどうかはわからないが、フォアシュピーラーの女性と、トライアングルを鳴らす打楽器奏者の女性は少なくとも東アジア系であるのは確実と思われ、国際的な面々が揃っているようだ。


演奏が始まる前に、駐日チェコ大使のスピーチがある。「皆様、こんばんは」「ようこそお越し下さいました」「ここからチェコ語に変わってもいいですか」と日本語で挨拶した後で、チェコ語でのスピーチを始める(日本語通訳も多分、チェコ人の女性)。「京都とプラハは姉妹都市であるが、文化のみならず経済なども含めてあらゆる面で姉妹都市である」ということ、「門川大作京都市長とアドリアーナ・クルナーチョバー・プラハ市長(女性である。現在、入洛中)に挨拶に行き、歓迎された」こと、「モルダウ」が日本でもお馴染みの曲になっていることなどを語り、「本当にありがとうございました」と日本語で言って締めた。


スメタナの連作交響詩「わが祖国」全曲。前半に「ヴィシェフラド(高い城)」、「ヴルタヴァ(モルダウ)」、「シャールカ」の3曲が演奏され、休憩を挟んで後半に「ボヘミアの森と草原から」、「ターボル」、「ブラニーク」が演奏される。

アルトリヒテルの指揮は拍を刻むオーソドックスなスタイルだが、かなり情熱的な指揮であり、身振り手振りは大きく、時には唸り声を上げながら指揮をする。膝を曲げて中腰になって指揮したり、片方の足でリズムを踏むもあるが、一番の癖は前髪を息で吹き上げながら指揮することである。

なお、総譜は、「わが祖国」全6曲を纏めたものではなく、交響詩1曲を収めた総譜6冊を利用していた。


第1曲「ヴィシェフラド(高い城)」では、出だしのハープ序奏を二人の奏者(共に金髪の女性である)に任せ、その後、指揮を始める。
プラハ交響楽団は、12年前に聴いたときには、「技術はまあまあ高く、音色は京響よりも豊か」という印象だったが、今日は弦の音は美しいものの、京響のように燦燦と光り輝くというタイプではなく、「渋い音」の部類に入る。勿論、音のパレットは豊かなのだが、基本的には「いかにも東欧のオーケストラらしい」玄人好みの音色である。一方の管は、思い切り吹いてもまろやかな音が出ており、美観は十分である。「やはり日本人とは肺活量が違うな」と思われるところもあった。
アルトリヒテルは音のブレンドに長けているようで、弦と管の音を上手く組み合わせて音楽を作る。

第2曲「ヴルタヴァ(モルダウ)」は、一昨日、高関健指揮京都市交響楽団の演奏で聴いたばかりなので比較が可能である。といっても今日はポディウム席の1列目なので、1階席の18列目真ん中だった一昨日とはコンディションは異なる。
チェコのオーケストラが「モルダウ」の第1主題を演奏すると、どこがどうと詳しく説明することは出来ないのだが、「郷愁(ノスタルジア)」のようなものが強く感じられる。やはり祖国が誇る作曲家の作品であるため、思い入れが違うのだと思われる。
イメージ喚起力に長けた秀演である。

第3曲「シャールカ」は切れ味の鋭さが印象的な演奏であった。

第4曲「ボヘミアの森と草原から」。「わが祖国」の中では「モルダウ」の次に知名度の高い曲である。アルトリヒテルとプラハ響はスケールの大きな演奏を行う。

第5曲「ターボル」では、ホルンが吹き始める音型が、その後、各楽器に移っていくのだが、仄暗い情熱を感じさせつつもとても丁寧な仕上がりとなった。

ラストの「ブラニーク」。この曲には、とても美しいオーボエソロがあるのだが、プラハ響のオーボエ首席奏者のソロもとても美しい。またオーボエソロを受ける形となる首席クラリネット奏者と首席ホルン奏者(彼だけは燕尾服ではなく、ジーンズにジャンパーというラフな格好であった)の技術も極めて高度で、プラハ響の質の高さがまざまざと伝わってくる。まだ若いと思われるティンパニ奏者のノリとリズム感も抜群であった。


アルトリヒテルは、最後に6冊の総譜を掲げて、曲への敬意を表した。


プラハ交響楽団の知名度は日本全国ではそれほど高いとはいえないだろが、実質はともかくとして京都市交響楽団の姉妹オーケストラということもあり、京都コンサートホールは3階席正面の上手下手端、1階席後方の上手下手端を除けば席は埋まっていて、入りも上々といえるだろう。

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2017年3月14日 (火)

コンサートの記(282) 大友直人指揮京都市交響楽団第477回定期演奏会 京都市交響楽団&プラハ交響楽団合同演奏会

2005年6月19日 京都コンサートホールにて
 
京都コンサートホールで、14時30分から京都市交響楽団(京響)の第477回定期演奏会が催される。今回は特別に今年(2005年)5月に京響と姉妹オーケストラ契約を結んだプラハ交響楽団の単独演奏がプログラムに挟まれ、また京響とプラハ響による合同演奏がある。
 
前半の指揮者は京響の常任指揮者・大友直人。演目は芥川也寸志の「交響管弦楽のための音楽」とチャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」。日本音楽とロマンチックな音楽を得意とする大友らしいプログラミングだ。
今日は2階上手後方の席での鑑賞。視覚的には今一つの席だが、音はまずまずだ。前回は前の方に座ったのだが、音が頭の上を素通りするような感じだった。それに比べると遥かに良い音がする。
芥川の「交響管弦楽のための音楽」で大友は見事なオケ捌きを見せる。京響も鋭い音で応える。
チャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」はロマンチックな曲だが音同様構成力もやや甘いためか演奏される回数は意外に少ない。京響はこの曲を演奏するには音の色彩感が不足している。もっともっと音の煌めきが必要だ。

休憩を挟んで後半はまずプラハ交響楽団の単独演奏。35歳の若手指揮者トーマス・ハヌスの指揮でモーツァルトの交響曲第38番「プラハ」が演奏される。中編成での演奏なので、天井が高く音が上に行ってしまいがちな京都コンサートホールでは音量不足は否めない。プラハ交響楽団は一流とは目されていないオーケストラだが音は京響よりも美しい。弦とクラリネットが特に魅力的だ。ハヌスの指揮姿はギクシャクとして機械仕掛けの人形を思わせるところがある。若々しい演奏だが、1925年生まれのサー・チャールズ・マッケラスは60代で録音した「モーツァルト交響曲全集」において更に更に若々しい演奏を繰り広げている。表現に年はあまり関係ないようだ。
 
最後は京響とプラハ響の合同演奏によるレスピーギの「ローマの松」。1996年12月のN響定期公演でデュトワ指揮で聴き、大興奮した曲だ。
大友の表現もデュトワほどではないが色彩感に富み、語り上手である。京都コンサートホールのパイプオルガンも威力抜群だ。
この曲は最後の「アッピア街道の松」で金管のバンダ(舞台以外で演奏する別働隊のようなもの)が活躍する。デュトワの時はバンダはNHKホールの上手にあるパイプオルガンの前で演奏した。今日はどこに登場するのだろうと興味津々だったが普通に2階席後方で演奏していた。あまり心躍る演出ではない。「アッピア街道の松」は迫力抜群ではあるが、舞台とバンダの間の距離が相当あったためにどうしても音にズレが生じてしまい、アンサンブルが崩れたように聞こえてしまっていた。それだけが残念である。

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2017年2月21日 (火)

コンサートの記(276) ゲヴァントハウス弦楽四重奏団来日演奏会2014京都

2014年11月7日 京都府立府民ホールALTIにて

午後7時から、京都府立府民ホールアルティで、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団の来日演奏会を聴く。

ゲヴァントハウス弦楽四重奏団は、その名からもわかる通り、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーから成る弦楽四重奏団であり、1809年結成という世界最古の弦楽四重奏団とされる(当然ながらメンバーは入れ替わっている)。メンバーはいずれも首席奏者から選ばれるようだ。

現在のゲヴァントハウス弦楽四重奏団のメンバーは、コンラート・ズスケ(第2ヴァイオリン。苗字からも分かるとおり、カール・ズスケの息子である)、ユルンヤーコブ・ティム(チェロ)、フランク=ミヒャエル・エルベン(第1ヴァイオリン)、オラフ・ハルマン(ヴィオラ)。

曲目は、モーツァルトの弦楽四重奏曲第15番、メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第6番、モーツァルトの弦楽四重奏曲第19番「不協和音」。

アルティは、残響可動システムを導入しているが、天井が高いということもあって、弦楽四重奏曲を演奏するには余り向いていないように感じた。響かないのでどうしてもスケールが小さく感じられてしまう。

東ドイツであった時代から、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は渋い響きを出すといわれ、一部では「東ドイツはお金がないので安い楽器しか買えないためだ」などといわれたりもしたが、今日もゲヴァントハウス弦楽四重奏曲のメンバーは渋めの音を出しており、伝統的にこうした音を守り抜いてきたのだと思われる。

モーツァルトの弦楽四重奏曲第15番は、第1楽章の哀切な旋律が特徴。アルバン・ベルク・カルテットのCDで愛聴してきたが、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団の音色はアルベン・ベルク・カルテットほどウエットではない。

メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第6番も悲哀に満ちた作風。メンデルスゾーンの姉であるファニーがなくなってから2ヶ月後に着手され、2ヶ月で完成。「ファニーへのレクイエム」となっている。
ゲヴァントハウス弦楽四重奏団も真摯な演奏で、自分達の大先輩であるメンデルスゾーンの音楽を歌い上げる。

モーツァルトの弦楽四重奏曲第19番「不協和音」。第1楽章の冒頭で、調性が定まらないため「不協和音」というタイトルが付いた。今現在「不協和音」と聞いて思い浮かべるようなものではなく、「不安定な音楽だ」程度の感じなのだが、モーツァルトの生前は斬新な作品であったといわれる。

調性が安定してからはいかにもモーツァルトらしいチャーミングな音楽となり、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団も格調の高い演奏を示した。

アンコールは2曲。

まず、ハイドンの弦楽四重奏曲第81番「ロプコヴィッツ四重奏曲」より第2楽章。たおやかな曲と演奏である。

そして最後はモーツァルトのセレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」第1楽章・弦楽四重奏版。颯爽とした演奏であった。

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2017年2月12日 (日)

コンサートの記(274) チェコ・フィルハーモニー・ストリング・カルテット@京都2017 「これが聴きたい~アンコール“超名曲”ベスト20!」

2017年2月3日 京都コンサートホールにて
午後7時から、京都コンサートホールで、チェコ・フィルハーモニー・ストリング・カルテット(チェコ・フィル・ストリングカルテット)の来日演奏会を聴く。

今回は、「これが聴きたい~アンコール“超名曲”ベスト20!」と題した名曲コンサートである。
テレビCMでも使われるような名曲、通俗名曲と呼ばれたりもするが、そうした誰もが耳にしたことのあるクラシック曲というものは、実は実演に接する機会は稀である。
通俗名曲と呼ばれることからも分かるとおり、一段低いものと思われる傾向があるのだ。それでも、ヘルベルト・フォン・カラヤンなどは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して、通俗名曲のアルバムを多く作っているが、マーラーやブルックナーなどの大曲路線が顕著になると、一流の指揮者が通俗名曲を録音することすら皆無に等しくなる。

EMIが、まだ東芝EMIだった頃(東芝も最近、危なくなってきたが)、名曲アルバムが少なくなったのを嘆いて、アンドルー・デイヴィスやウォルフガング・サヴァリッシュを起用して、名曲小品だけのアルバムを作ったことがあったが、それももう30年以上前のことだ。

ポピュラーの名曲は競ってカバーされ、最近ではカバーアルバム供給過多の傾向があるが、クラシックは真逆である。
大阪のザ・シンフォニーホールでは、ブルガリアのソフィア・ゾリステンを招いて名曲コンサートをやっていたり、関西フィルハーモニー管弦楽団が真夏にポップスコンサートをやっていたりするが、京都では京都フィルハーモニー室内合奏団がたまにやるぐらいで、聴く機会は少ない。


曲目は、前半が、モーツァルトのセレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」より第1楽章、J・S・バッハの「G線上のアリア」、モーツァルトの「トルコ行進曲」、ベートーヴェンの「エリーゼのために」、シューマンの「トロイメライ」、ブラームスの「ワルツ」、ショパンの「子犬のワルツ」、ドヴォルザークの「ユモレスク」、ハチャトゥリアンの「剣の舞」。後半が、オッフェンバック(オッフェンバッハ)の歌劇「天国と地獄」序曲より、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」、バダジェフスカの「乙女の祈り」、レハールの「メリー・ウィドゥ・ワルツ」、モンティの「チャールダーシュ」、ピラソラの「リベルタンゴ」、ビートルズの「イエスタデイ」、グレン・ミラーの「ムーンライト・セレナーデ」、ロドリゲスの「ラ・グランパルシータ」、デューク・エリントンの「A列車で行こう」

チェコ・フィルハーモニー・ストリング・カルテットは、その名の通り、東欧随一の名門オーケストラであるチェコ・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーによって組織された弦楽四重奏団。1992年結成され、チェコ・フィルの本拠地であるルドルフィヌムでの室内楽シリーズを行っている。2007年に初来日し、今回が9度目の来日というから、ほぼ毎年来日演奏会を行っていることになる(同じく、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の楽団員からなるチェコ・フィルハーモニー弦楽四重奏団という団体があるがそれとは別の団体である。チェコ・フィルハーモニー弦楽四重奏団の英語表記は、チェコ・フィルハーモニック・カルテットだ)。

メンバーは、マグダレーナ・マシュラニョヴァー(第1ヴァイオリン。チェコ・フィル第2アシスタント・コンサートマスター)、ミラン・ヴァヴジーネク(第2ヴァイオリン。チェコ・フィル第1ヴァイオリン奏者)、ヨゼフ・シュパチェク(チェロ。チェコ・フィル首席代理チェロ奏者)、ヤン・シモン(ヴィオラ。チェコ・フィル・ヴィオラ奏者。プロ・アルテ・アンティクア・プラハのリーダー)。


今日は、前から2列目、真ん真ん中の席である。京都コンサートホールは前の方の席は音が余りよくないのだが、今日は問題なく聴くことが出来た。
京都コンサートホール(大ホール)は、オーケストラ演奏用なので、室内楽向きではない。チェコ・フィルハーモニー・ストリング・カルテットのメンバーが最初の音を出した時には、「音、ちっちゃ!」と思ったのだが、すぐに慣れる。

第1ヴァイオリンのマグダレーナ・マシュラニョヴァーが、マイクを手に、テキストを横目で見ながら、「皆さん、こんにちは(ソワレなので「こんばんは」だが、外国人だからわからなくてもいいだろう)。本日はようこそいらっしゃいました。最後までゆっくりお楽しみ下さい」と日本語で挨拶してから演奏スタート。
名曲が並ぶということもあり、室内楽のコンサートにも関わらず、京都コンサートホールには結構、人が入っている(ポディウム席、ステージサイド席などは販売されていない)。

チェコ人は、ビロードという言葉が好きで、民主化も「ビロード革命」と呼ばれているが、チェコ・フィルの弦の音色も「ビロード」と称される。正直、技術面ではいくつか怪しいところもあったのだが、音色は温かで心地よく、上品でもある。


ブラームスの「ワルツ」の演奏前に、メンバー紹介がある。第2ヴァイオリンのミラン・ヴァヴジーネクが、「日本の食べ物美味しいです」と日本語で言い、ヴィオラのヤン・シモンは、「味噌ラーメン、餃子、寿司、刺身、チャーハン」などと好きな日本食を挙げていく。チェロのヨゼフ・シュパチェクは、「豚骨ラーメン最高!」。マグダレーナ・マシュラニョヴァーは、「やっぱりお酒が美味しいです」と言っていた。

チェコの国民的作曲家であるドヴォルザークの「ユモレスク」の演奏前にもマグダレーナ・マシュラニョヴァーは、「日本語、とっても難しいです」と言い、「Japanese is so difficult for me.」と英語で言って、英語で、「プラハや我が国(our country)へお越し下さい」と述べた後で、日本語で「プラハへお越し下さい」と語る。
チェコ語も日本人が学習するには相当難しいのだろう。そもそもメンバーの名前も舌を噛みそうなものばかりだ。


名曲ばかりなので、演奏について書いてもさほど意味があるとも思えないので、エピソードを連ねていく。

日本では人気のバダジェフスカの「乙女の祈り」。だが、ヨーロッパでは余り知られていない曲である。ということで日本人向けにプログラミングされたもののようだ。

1990年代に、ギドン・クレーメルやヨーヨー・マが演奏してブームになったピアソラ。ブーム沈静後はそれほど演奏されなくなっているが、ヨーヨー・マがCMで弾いていた「リベルタンゴ」は今でもよく取り上げられている。

「イエスタデイ」。ビートルズナンバーというのはやっかいな問題を抱えていて、訳詞をすることがほぼ不可能である。村上春樹がその名も「イエスタデイ」という短編小説で、「イエスタデイ」のパロディ関西弁訳を作り、雑誌に掲載されたが、これも駄目で、短編集『女のいない男たちに』に収録された「イエスタデイ」では、「イエスタデイ」の関西弁訳の冒頭しか載せられていない。「イエスタデイ」は物語のキーになる曲なので残念なのだが。
メロディー自体は、ポール・マッカートニーが、朝、ベッドから転げ落ちた際に、瞬時に出来上がったもので、朝飯前に出来たということから、正式な歌詞がつくまでは「スクランブルエッグ」という仮タイトルがついていた。


グレン・ミラーの「ムーンライト・セレナーデ」はビッグバンドのためのジャズナンバーで落ち着いた曲調であるため、弦楽四重奏でもさほど違和感はないが、デューク・エリントンの「A列車で行こう」はノリノリのナンバーであるため、チェコ人の演奏ということもあってスウィング出来ないムード・ミュージックのようになっていた。スウィング感は黒人のジャズマンでないと上手く出せないのだろう。もともとがクラシックのコンサートであるし、「スウィングしなけりゃ意味がない」ということもない。
アンコール。まずは、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲より“スイスの行進曲”。推進力のある演奏である。
2曲目は、イタリア繋がりで、ニーノ・ロータの「ロミオとジュリエット」。ロマンティックな仕上がりである。

カーテンコールで、マグダレーナ・マシュラニョヴァーは、お辞儀をしてから帰ろうとするのだが、ミラン・ヴァヴジーネクがそれを引き留めてもう1曲。
マグダレーナは、マイクを手に、「ありがとうございました。楽しかったですか?」と日本語で客席に聞き、「最後の曲。これは皆さんもよく知っていると思います」と言って、ヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」が演奏される。ヨゼフ・シュパチェクがホイッスルを吹いて、聴衆の拍手を促す。楽しい演奏であった。


アンコール曲目が、ホワイトボードに書かれて発表されていたのであるが、今日も誤記あり。「ラデツキー行進曲」の作曲者がヨハン・シュトラウスⅡ世になっている。ワルツ王(ヨハン・シュトラウスⅡ世)の作品ではなく、ワルツの父(ヨハン・シュトラウスⅠ世)が書いたものというのはクラシックファンにとっては常識に近いものなのに。

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2017年1月16日 (月)

コンサートの記(267) オリジナルオペラ「鑑真東渡」

2016年12月28日 ロームシアター京都メインホールにて

午後6時30分から、ロームシアター京都メインホールで、オリジナルオペラ「鑑真東渡」を観る。南京を本拠地とする江蘇省演芸集団有限公司による上演。
作曲:唐建平、演出(監督、導演):邢時苗、脚本:憑柏銘&憑必烈。程嘩(「嘩」は正確には「日偏に華」)指揮江蘇省演芸集団交響楽団による演奏。日本箏演奏:松村エリナ。
出演は、田浩江(ニューヨークのメトロポリタン歌劇場所属)、駱洋、柯緑娃、劉雨東、殷桂蘭ほか。合唱:江蘇省演芸集団歌劇舞芸院合唱団。特別ゲスト:仁如法師(中国・大明寺監院)。
主催:日中友好協会ほか。協力:毎日新聞社ほか、後援:外務省、文化庁、中華人民共和国日本大使館、奈良市、奈良県、京都市。

日本に戒律を授けるため、何度も渡海に失敗しながら来日し、唐招提寺を建てて日本で亡くなった鑑真和上の物語である。



天平の世。日本に仏教が渡ってからすでに200年余りが経った。しかし、仏教はすでに乱れており、兵役を逃れるためや権力欲しさにエセ出家するものが後を絶たないという状態だった。仏教による鎮護国家成立にはきちんとした仏教の戒律が必要なのだが、当時の日本には正式な戒壇も戒律もない。そこで、唐の国の高僧を招くことに決める。その際、唐に渡って高僧を招くために尽力した日本の僧侶が栄叡(ようえい)と普照の二人なのだが、今回は栄叡一人に纏められている。

史実では、鑑真の弟子を招こうとするも、日本に渡ってもいいという高僧は一人もいなかったため、鑑真自らが渡ることを決めるのだが、その辺のことはややこしいので、まず鑑真が日本に渡るということは鑑真本人がすでに決めており、弟子達がそれに反対するという展開を取る。

まず、オーケストラピットの下手端に高僧の座る椅子が設けられており、ここに仁如法師が陣取って読経を行い、スタートする。
江蘇省演芸集団歌劇舞芸合唱団のメンバーは木魚を手にしており、その木魚の音で音楽が始まる。唐建平の音楽は調整音楽ではないものの、わかりやすい。新ウィーン学派の音楽、オペラということもあって、就中、アルバン・ベルクの音楽を東洋風にしたものというと通じやすいかも知れない。

今日は3階席の5列目(一番安い席)に陣取ったのだが、開始前にレセプショニストさんから、「もっと前の席に移って頂いても結構です」と言われる。実は3階席の前の方は招待客向けの席だったのだが、招待客がほぼ一人も来なかったという惨状のようだ。私の他にも前に行くよう勧められた人は二人いて、共に3階席の最前列に移ったのだが、私は「取り敢えず見にくかったり、音が悪かったりしたら移ろう」ということで保留。実際に見てみると、3階席の5列目でもよく見えたし、音の通りは素晴らしく、不満はなかった。ということで頑として動かず。思いっきり日本人してしまったぜ。
日本のクラシック界はブランド志向であるため、日本ゆかりの人物のオペラとはいえ、中国の現代作品を観ようという人は、よっぽどのオペラ好きか仏教好き、もの好きに限られる。ちなみに私は全てに該当する。

ロームシアター京都メインホールでオペラを観るのは二度目だが、ここはオペラを聴くには本当に適しているようで、歌手や合唱団の声、オーケストラの音色などがクッキリと聞こえる。オペラ劇場としての音響は最上級。まだ遠い方の席でしか聴いたことはないが、これまでにオペラを聴いたことのあるどのホールよりも音が良いと断言できる。それだけに使い勝手の悪さが残念でもある。
今日はサイド席(バルコニー席)はほとんど使われていなかった。

日本箏の松村エリナを除いて、オール・チャイニーズによる演奏(江蘇省演芸集団交響楽団のメンバーには白人も含まれているようである。また漢民族以外の名前も持つ人もいる)。
私が若い頃は、世界で最も有名なアジア人作曲家は武満徹であったが、武満の死からすでに20年が経過。現役のアジア人作曲家として最も有名なのは中国出身の譚盾であると思われる。中国作曲界のレベルは映画音楽を聴いてもわかる通りかなり高い。


鑑真の渡海の場面からオペラは始まる。上手、下手、奥に白くて細い布が何本も下がっていて、通過可能な壁のようになっており、これが効果的に用いられる。セットは中央に円形のものがあり、これが後に月になったりもするのだが、基本的にセットはシンプルである。細い布はキャットウォークからも何本も下りてくる。
荒れ狂う海(東シナ海であるが、中国人キャストに遠慮して「東中国海」という字幕表示になっている。その代わり、日本を指す差別語の「東夷」は別の表記が用いられている)。波は今にも鑑真らの乗る船を飲む混もうとする。しかし、仏の加護により、波は静まる(ただし日本には行けない)。時系列的には、栄叡が鑑真に渡海するようお願いする場面は、この渡海の後に出てくる。舞台は揚州の大明寺。日本からの留学僧・栄叡(駱洋)が、鑑真(田浩江)に扶桑(日本の別名)に渡り、律宗の戒律を伝えるよう頼む。鑑真の弟子の静空(劉雨東)、尼僧の静海(鑑真の弟子に尼僧はおらず、架空の人物である。柯緑娃)らは渡海は危険だとして鑑真を止めるが、鑑真は海を渡ることこそ最大の修行であり、日本に渡らなければ自分は成仏出来ないとして、渡海を決定する。鑑真は、鳩摩羅什や玄奘(三蔵法師として日本でも有名)の姿を己に照らし合わせていた。
しかし、鑑真の身内に密告者がおり、海賊と通じているとして鑑真一向は捕らえられてしまい、渡海は失敗。密告者は静海であることが発覚。静海は自殺して詫びようとするが、鑑真に仏の道を歩むことこそが贖罪と諭されて思いとどまる。

栄叡の独唱の場面では、舞台上手から着物を着た松村エリナが台車に乗って現れ、箏で伴奏を奏でる。唐関連の人物の場面では、下手から中国箏演奏家の劉星延(女性である)がやはり台車に乗って現れるのだが、共にモーター音が響くため、ちょっと気になった。

江蘇省演芸集団歌劇舞芸院合唱団とダンサー陣の人海戦術も効果的であり、リアルな場面と幻想的なシークエンスの両方で存在感を示していた。


鑑真は渡海失敗を繰り返し、一度などは、南方の異境(振州=現在の海南島とされている)に船が流されてしまい、島の主の憑夫人(殷桂蘭)は、配下の祈祷師による「この島で疫病が流行っているのは、この僧侶達が原因」との言葉を信じ込み、鑑真を柴草で焼き殺そうとするが、鑑真に諭されて思いとどまる。鑑真は部下達に薬草を調合した薬を作らせ、島の疫病を鎮める。憑夫人は己の無知を恥じるが、鑑真に励まされ、島に菩提心を広めることを約束する。

海を渡ることが叶わぬまま、栄叡が唐の地で客死する。この時、鑑真は度々の艱難辛苦のためにすでに失明しており、栄叡の姿を見ることが出来ず、探し回る(字幕では、「栄叡どうしたのだ」とあったが、実際は、「栄叡在[口那]里(栄叡どこにいるのだ)」と歌っており、文字制限による意訳のために日本語では少しわかりにくくなっていた)。栄叡は故郷の難波津を思い出しながら息絶える。
弟子の静空もまた、「西方に浄土がある。私は東に渡るのではなく、西行します」と言って去って行った。
失意の鑑真であったが、「長明燈は常在不滅」という言葉を信じ、再び日本への渡海を試みる。

こうして苦難の末に、天平勝宝4年(754)に鑑真は日本に渡来し、奈良の都に戒律を伝え、東大寺に戒壇を気づき、唐招提寺を建立した後に当寺に於いて入滅するのだった。


東アジアにおける西洋音楽の受容というと、日本が最先端ということはこれまでは当たり前だったし、これからも当分は同じ状況が続くと思われるのだが、日本の国公立で音楽学部を持つ大学は東京芸術大学、愛知県立芸術大学、京都市立芸術大学、沖縄県立芸術大学など数えるほど。演劇や映画の学部は皆無という中にあって、中国は国共内戦後に中央音楽学院、中央戯劇学院、北京電影学院など、北京に国立の音楽大学、演劇大学、映画大学を創設。文化大革命による危機はあったものの、北京だけでなく、上海を始め各所に国立の芸術大学を設置して、国ぐるみで文化を後押ししている。

中国のクラシック音楽事情には私も通じているわけではなかったのだが、劇場付きのオーケストラが存在するというのは衝撃であった(日本では、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団が歌劇場付きの団体であるが、母体である大阪音楽大学のオーケストラという位置づけであり、編成も大きくない。ポピュラーでは宝塚歌劇団のオーケストラが座付きである。新国立劇場創設時に座付き国営オーケストラ設置案も挙がったが実現しなかった)。

以前の中国では、芸術家は国家認定システムであり、国立の芸術大学を卒業していないとプロの芸術家に認定されず、活動も出来なかったのだが、今はどうなっているのかよくわからない。ただ、国を挙げての文化発揚形式は今も力強いものがあるということは、この公演を観てもわかる。


北京語歌詞、日本語字幕による上演であるが、一部、日本語による合唱が行われる場面がある。また、般若心経や「南無阿弥陀仏」が唱えられるのだが、仁如教師は、2005年から2007年に掛けて岐阜県にある正眼短期大学に留学しており、帰国後に鑑真仏教学院で日本語基礎教育に関わったほか、2015年から今年の3月まで和歌山県の高野山専修学院で唐の密教に関する研究を行っており、日本語による読経が可能であり、般若心経が日本語読みで朗唱される場面もあった。
「ギャテイギャテイ ハーラーギャテイ ハーラーソウギャテイ ボダジソワカ」、「色即是空 空即是色」という般若心経のお馴染みの言葉も登場する。

江蘇省演芸集団交響楽団も予想を遙かに上回る優秀なオーケストラであり、仏教好きでなくても十分に楽しめる現代歌劇となっていた。

カーテンコールでは、作曲家の唐建平や脚本家の憑必烈らも登場。出演者達もオーケストラピットの楽団員も嬉々として拍手を送っていた。ロシアのマリインスキー・オペラによる「エフゲニー・オネーギン」を観た時もそうだったが、お国ものということで皆が誇りを持って演奏し、歌い、演じていた。日本ではオペラがまだ「お高くとまったもの」と認識されているためか、こうした光景は余り見られない。日中関係は悪化の一途を辿っているが、自国が生んだ芸術を純粋に愛する心も持つ隣国の人々が羨ましくなった。日本人は西洋音楽に対するコンプレックスが強すぎるようにも思う。

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2016年11月14日 (月)

コンサートの記(257) ヘルベルト・ブロムシュテット指揮バンベルク交響楽団来日演奏会2016

2016年11月5日 京都コンサートホールにて

午後4時から京都コンサートホールで、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮バンベルク交響楽団の来日演奏会を聴く。
オール・ベートーヴェン・プログラムで、前半がヴァイオリン協奏曲ニ長調(ヴァイオリン独奏:諏訪内晶子)、後半が交響曲第5番。


バンベルク交響楽団の来日公演を聴くのは二度目。前回は同じ京都コンサートホールでジョナサン・ノット指揮の演奏会を聴いている。今でこそ東京交響楽団音楽監督として日本でも知名度の高いジョナサン・ノットであるが、当時は日本では無名に近く、CDも輸入盤のみの発売という状態であったため、京都コンサートホールには空席が目立ったが、今回はNHK交響楽団の名誉指揮者として知名度抜群のブロムシュテットの指揮であり、人気ヴァイオリニストの諏訪内晶子も登場とあって、ほぼ満員となった。


人口僅か8万人弱の小都市、バンベルクを本拠地とするバンベルク交響楽団は小さな街のスーパーオーケストラとして有名。「最もドイツ的な音色を奏でる楽団」という評価もある。ヨーゼフ・カイルベルト、ホルスト・シュタインといったNHK交響楽団ゆかりの指揮者が音楽監督を務めていたということもあり、日本でも親しまれている。
ジョナサン・ノットの後任として、東京都交響楽団の首席客演指揮者として知られるヤクブ・フルシャが首席指揮者に就任したばかりだ。


ヘルベルト・ブロムシュテットは、1927年にアメリカのマサチューセッツ州スプリングフィールドで生まれたスウェーデンの指揮者。現在ではアメリカ国籍である。現役の主要指揮者の中ではスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(1923年生まれ)に次ぐ長老指揮者である。両親はスウェーデン人の宣教師であり、布教先のアメリカで生まれている。両親と共に2歳の時にスウェーデンに帰国。北欧最古の大学として知られるウプサラ大学で哲学を専攻すると同時にストックホルム音楽院で学ぶ。その後に渡米し、ジュリアード音楽院で指揮法を修める。タングルウッド音楽祭では9歳年上のレナード・バーンスタインに師事している。
2、3年でコロコロと指揮者を変えることで知られるシュターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン国立歌劇場)の音楽監督を1975年から当時としては異例の10年間務めた後、1985年からサンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就任。同楽団とは「ニールセン交響曲全集」と「シベリウス交響曲全集」を作成し、いずれも好評を受けている。特に「ニールセン交響曲全集」は史上屈指の名盤に数えられる。1995年にサンフランシスコ交響楽団音楽監督を辞任し、同年、北ドイツ放送交響楽団(現・NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団)の音楽監督に就任。3年契約であったが、ブロムシュテットがライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター(楽団長。音楽監督兼首席指揮者を意味する)を受諾することを決めたため2年で契約は打ち切られた。ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターは1998年から2005年まで務めている。
 
現在は、NHK交響楽団名誉指揮者、シュターツカペレ・ドレスデン名誉指揮者、サンフランシスコ交響楽団桂冠指揮者、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団名誉指揮者、スウェーデン放送交響楽団名誉指揮者、バンベルク交響楽団名誉指揮者、デンマーク国立放送交響楽団名誉指揮者の称号を得ている(紛らわしいがNHK交響楽団の名誉指揮者だけ現役ポスト、他の楽団の名誉指揮者は退官もしくは栄誉ポストである)。
端正な造形の内に情熱の奔流を注ぎ込むという音楽スタイルを持つ。
ベートーヴェンとブルックナーの演奏には定評があり、いずれも現役指揮者の中では屈指の実力と認められている名匠である。

NHK交響楽団の名誉指揮者であるため、私も何度も実演に接している。京都に移ってからも、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の大阪公演(於:ザ・シンフォニーホール)やNHK交響楽団の大阪定期演奏会(於:NHK大阪ホール)で聴いているが、京都でブロムシュテット指揮の公演を聴くのは初めて。実は2度、聴く機会があったのだが、最初はインフルエンザのため、2度目も持病が思わしくなく諦めざるを得なかった。


ブロムシュテットは1990年代から基本的に古典配置での演奏を行っているが、今日も当然ながらそれを踏襲している。前半と後半でティンパニの位置が違い、前半は中央よりやや下手寄り、後半は指揮者の真正面にティンパニが配置される。前半のヴァイオリン協奏曲は室内オーケストラ編成、後半の交響曲第5番ではほぼフル編成での演奏。京都コンサートホールは今日もステージを擂り鉢状にしており、残響がかなり長い。

今日のブロムシュテットは全編ノンタクトによる指揮である。


ヴァイオリン協奏曲ニ長調。ソリストの諏訪内晶子は赤と紫を基調にしたドレスで登場。以前はオーソドックスなスタイルで演奏していた諏訪内であるが、数年前から良い意味で日本人的な繊細な味わいを持つヴァイオリンを奏でるようになっている。
今日も磨き抜かれた音を披露。とにかく音が濁らない。濁った場面は第2楽章の1箇所だけで、それ以外は見事な美音を奏で続ける。音は泉が湧き出る瞬間のようなフレッシュさを持つ。ブロムシュテット指揮のバンベルク交響楽団は細部まで明晰な伴奏を奏でたが、諏訪内のヴァイオリンもバンベルク響と一体になり、互いが互いを高め合う演奏となった。高貴にして清々しいベートーヴェンである。
ブロムシュテットとバンベルク交響楽団はかなり徹底したピリオド・アプローチによる演奏を採用。弦楽器がビブラートを掛ける部分はほとんどなかった。

諏訪内はアンコールとして、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番より「アンダンテ」を演奏する。諏訪内のバッハは「崇高」という言葉が最も似合うのだが、今日はそれとは少し違った典雅で聴き手の魂に直接染み通るようなバッハであった。違いを言葉で説明するのは難しい。


後半、交響曲第5番。ここでもピリオド・アプローチによる演奏が展開される。譜面台の上には総譜が閉じたまま置かれていたが、ブロムシュテットがそれを開くことはなかった。

冒頭の運命主題はブロムシュテットがシュターツカペレ・ドレスデンやライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と録音したものに比べてフェルマータが短めである。
テンポは特に速くはないがモダンスタイルとはやはり違う。
ブロムシュテットというと日本では何故か「穏健派」と目されることが多いが、実際はそれとは真逆の音楽性を持っている。今日も弦楽器を目一杯力強く演奏させる。特にヴィオラを強く奏でさせ、これによって全体が安定して聞こえるようになっていた。強奏させても全体のバランスが崩れないのは流石。オーボエをベルアップさせて吹かせることが多いのも特徴である。弦、管ともにクリアであるため、細部がよくわかる。
バンベルク交響楽団のクラリネット奏者は肺活量が日本人とは桁違いのようで長いパッセージも楽々吹いてしまうのに驚かされた。バンベルク交響楽団の首席クラリネットは二人体制のようで、今日のクラリネットがそのどちらなのかは残念ながらわからない。

ブロムシュテットの指揮は指先を少し動かすような細やかな動きがベースだが、ここぞという時には腕を大きく振る。90年代のブロムシュテットは指揮棒をビュンビュン振るという指揮スタイルであった。ここでもやはり「穏健派」とは無縁なのだ。ブロムシュテットが穏健派と見做されるのはジェントルな容貌に加えて、1970年代にブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデンの「ベートーヴェン交響曲全集」をドイツ・シャルプラッテンと共同制作したDENONのプロデューサーのブロムシュテットに対する姿勢に問題があったと思われる。私はブロムシュテットとシュターツカペレ・ドレスデンによる「ベートーヴェン交響曲全集」の国内盤は一切薦めない。輸入盤を聴かないと真髄はわからないと思われるからである。

第4楽章に入ると、弦楽器がビブラートを加えるようになる。第4楽章突入の音型は何度が繰り返されるが、最後にその音型が現れる時にブロムシュテットが少しテンポを落としたのだが印象的であった。楽譜はおそらくベーレンライター版だったと思われるが、ピッコロが浮かび上がったのはラストだけだったため断言は出来ない。
明るめの第5。物語性よりも曲の堅固な構築を詳らかにしており、この曲に相応しい評価なのかどうかはわからないが、とにかく面白いベートーヴェンであった。


アンコールはベートーヴェンの「エグモント」序曲。冒頭の仄暗さから終盤の高揚感まで表出が巧みである。ティンパニの思い切った強打も効果的であった。

全ての演奏が終わった後でも拍手は鳴り止まず、楽団員の多くが退出した後でブロムシュテットが一人再登場し、喝采を浴びた。

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2016年10月12日 (水)

コンサートの記(255) マリインスキー・オペラ「エフゲニー・オネーギン」2016京都

2016年10月8日 ロームシアター京都メインホールにて

午後2時からロームシアター京都メインホールで、マリインスキー・オペラ「エフゲニー・オネーギン」を観る。作曲&台本:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー、台本:チャイコフスキー&コンスタンチン・シロフスキー。

サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場(マリインスキー歌劇場、マリインスキー・オペラ)の引っ越し公演である。ロームシアター京都に海外のオペラ上演団体が来るのはこれが初めてとなる。
指揮はマリインスキー劇場芸術総監督のワレリー・ゲルギエフ。オーケストラはサンクトペテルブルク・マリインスキー歌劇場管弦楽団。演出はアレクセイ・ステパニュクが2014年にマリインスキー劇場と中国国家大劇院との共同制作時に行った演出プランを踏襲する。ロシア語歌唱・日本語字幕付き上演。

出演:スヴェトラーナ・フォルコヴァ(ラーリナ夫人)、マリア・バヤンキナ(タチヤーナ)、エカテリーナ・セルゲイコワ(オルガ)、エレーナ・ヴィトマン(フィリーピエヴナ)、アレクセイ・マルコフ(エフゲニー・オネーギン)、エフゲニー・アフメドフ(レンスキー)、エドワルド・ツァンガ(グレーミン公爵)、ユーリー・ブラソフ(中隊長)、アレクサンドル・ゲラシモフ(ザレツキー)、アレクサンドル・トロフィモフ(トリケ)。オール・ラッシャー・キャストである。

合唱はマリインスキー歌劇場合唱団。


プーシキンの韻文小説をチャイコフスキー自身とコンスタンチン・シロフスキーによって台本化した歌劇の上演。出てくる男達はかなり女々しい部分を持っているのだが、チャイコフスキーが台本を手掛けたことと関係があるのかどうかは不明。

今日は4階席での鑑賞となったが、音は予想よりもずっと良い。4階ということもあってオーケストラは管が勝って聞こえるが、歌手達の声はとても良く通る。オペラ劇場としては音響設計が優秀であることは間違いないだろう。
一方で、ロームシアター京都メインホールの使い勝手の悪さも実感する。敷地面積の狭いところに建てたため、ホワイエも階段も狭い。特に階段は他人とすれ違うのがやっとという狭さ。終演後は階段を2列で降りるしかない。4階にはホワイエはなく、4階席は左右1本ずつの階段(鍵の手に曲がっているため、4階ホール内では左右といってもほぼ隣接状態)で3階ホワイエと通じているだけ。エレベーターで登れるのは3階までである。
飲み物・軽食販売所は2階と3階にあるが大混雑。今日は使わなかったからいいけれど。ホワイエが狭いため、受付の場所が確保出来なかったということはある。自動販売機は劇場内にはないので、一度ホールを出て、ロームシアター京都1階にある自販機コーナーに行く必要がある。大した手間ではないので「取り敢えず何か飲めれば」という人は何分も待つより自販機で買った方が精神的にも良いだろう。

音は合格点だが、ハレの場として相応しいかというと答えは必ずしもイエスではないと思う。


ロシアの片田舎で暮らす地主のラーリナ夫人と夫人の二人の娘(タチヤーナとオルガ)の下に、オルガの恋人であるレンスキーがエフゲニー・オネーギンという青年を連れてきたことから起こる恋愛ドラマである。
出来れば事前に映像で予習したかったのだが、注文した日本語字幕付きのDVDは輸入盤ということもあって今に至るまで届いていない。そこでいきなり本番勝負ということになる。ただストーリーは比較的単純であるため、内容把握にはなんら問題はなかった。

ゲルギエフの指揮するサンクトペテルブルク・マリインスキー歌劇場管弦楽団は立体感のある音楽を生み出す。ゲルギエフの神経は細部に渡るまで行き届いており、音はまろやかでしなやか。
昨日、京都市交響楽団の名演を聴いたばかりだが、マリインスキー歌劇場管弦楽団のようなまろやかでしなやかな音は残念ながら日本のオーケストラにはまだ出せないものだと思う。
サンクトペテルブルク・マリインスキー歌劇場管弦楽団も他のオペラハウス座付きのオーケストラ同様、以前は腕の立つ楽団ではなかったのだが、30年近くにわたってゲルギエフに鍛えられて演奏能力を大幅に向上させることに成功している。

アレクセイ・ステパニュクの演出は映像にインスパイアされたもの。特にエフゲニー・オネーギンが闇へと引き込まれるラストシーンはかなり映画的である。また第2幕や第3幕の導入部にストップモーションの効果(出演者の全員ないし数人が動きを止めている)や第3幕で延々と下手から上手へと移動し続ける舞踏会のカップル達の列、コケティッシュな人形のような動きを続ける女性陣などが、あたかも夢幻世界へと迷い込んでしまったかのような不思議な味わいを生んでいる。
アンドレイ・トロフィモフ演じるフランス人家庭教師・トリケは映画「アマデウス」に登場するようなモーツァルトのような格好で登場。カツラも付けている。異質なものの混入によるコミックリリーフの役割を受け持っていた。

音楽が始まってしばらくするとマリア・バヤンキナ演じるタチヤーナが喪服のようなものを着て現れ、黒い幕の前を下手から上手にゆっくり歩き、上手の窓の下に置かれた林檎(だと思われる遠いので判然とはしなかった。第1幕の舞台は林檎荘園という設定なのでその可能性は高い)を手にしてから上手に退場する。このタチヤーナの下手から上手への移動はその後何度も繰り返される。
「エフゲニー・オネーギン」は、最初は見下していた相手が自分を凌ぐようになるという展開があり、チェーホフの戯曲に通じるところある。あたかも辺境の国と馬鹿にされていたロシアがその後、世界有数の大国となる様が重ねられているかのようだ。


総合して考えると、日本のオペラで一番遅れているのは実は演出なのではないかという答えが出る。オペラの場合、演出家一人いれば何とかなるというものではなく、総合力が鍵になってくるからである。西洋のオペラは突飛な演出も多いが、小手先の演出力で勝負しているわけではなく国の文化水準を反映したものになる可能性が高い。

マリインスキー・オペラ「エフゲニー・オネーギン」

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2016年7月 6日 (水)

コンサートの記(246) 山田和樹指揮 バーミンガム市交響楽団来日公演2016大阪

2016年6月26日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後2時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、山田和樹指揮バーミンガム市交響楽団の来日演奏会を聴く。

イギリスのEU離脱の中で行われる来日公演。時期がたまたま重なってしまった。

バーミンガム市交響楽団(City of Birmingham Symphony Orchestra。略称はCBSO)の来日演奏会を聴くのは通算で3度目。最初は1990年代後半に、東京・初台の東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”で、サー・サイモン・ラトル指揮の演奏会を聴いた。ラトルはすでにベルリン・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督への就任が決まっていたはずだが、前半に現代音楽が並んだということもあり、当日のタケミツホールは半分も入っていないというガラガラ状態。聴衆の現代音楽アレルギーを目の当たりにした格好だった。後半のベートーヴェン交響曲第5番の演奏は刺激的でとても面白かったが、それが「ピリオド・アプローチ」なるものによって演奏されたものだと知るのは少し経ってからのことである。

2度目は、2002年、京都コンサートホールにおいて。私が京都コンサートに初めて足を踏み入れたのがバーミンガム市交響楽団の来日演奏会だったのだ。指揮者は当時、CBSOの音楽監督を務めていたサカリ・オラモ。メインで演奏されたシベリウスの交響曲第2番が清心な出来映えであった。

ただ、前回聴いたのが2002年ということで、実に14年ぶりのバーミンガム市交響楽団体験となる。メンバーも大幅に変わったはずで、ファゴットの女性奏者はクラシックではまだ珍しい黒人である。

曲目は、ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:河村尚子)、ベートーヴェンの交響曲第7番。

日本人若手指揮者界のトップランナーともいうべき山田和樹は、1979年生まれ。東京芸術大学在学中にオーケストラ(トマト・フィルハーモニー管弦楽団。現:横浜シンフォニエッタ)を立ち上げ、2009年には第51回ブザンソン国際コンクールで優勝という経歴から、「リアル千秋真一」と呼ばれたこともある。今年の秋からは先日来日もしたモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督に就任することが決定している。その他に、スイス・ロマンド管弦楽団の首席客演指揮者、日本フィルハーモニー交響楽団の正指揮者、仙台フィルハーモニー管弦楽団とオーケストラ・アンサンブル金沢のミュージックパートナー、横浜シンフォニエッタの音楽監督など多くのポストを牽引している。現在はベルリン在住。

ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲。今日のメインはベートーヴェンの交響曲第7番だが、その初演を聴いて、「ベートーヴェンもついに気が狂ったか」と日記に記しているのが他ならぬウェーバーである。

アメリカ式現代配置での演奏。バーミンガム市交響楽団はラトルの時代から仄暗い響きを特徴としていたが、それは今も守られているようである。
弦はビブラートを抑えたピリオド奏法だが、盛り上がりを見せるようになるとビブラートを盛大に掛けるため折衷様式の演奏である。ティンパニが堅めの音出しているのが古楽風だ。
山田のオーケストラ統率力は極めて高い。

 

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。フェスティバルホールはステージが広いので、予めオーケストラを奥寄りに配置し、ピアノを下手奥から正面へと移動させることで、楽団員が退場しなくても場面転換が可能になっている。

真っ赤なドレスで登場した河村尚子(かわむら・ひさこ)。今、最も注目に値するピアニストの一人である。1981年、兵庫県西宮市生まれ、5歳の時の一家で渡独。ドイツで普通教育と音楽教育を受け、現在もドイツ在住である。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は、超絶技巧が必要なことで知られており、「弾き終わったら気が狂う」といわれるほど難しい。そのため、技巧を見せびらかすためにバリバリと弾くピアニストも多いのだが、河村尚子のスタートは慎重である。何かを探しながらためらいつつ進むという趣。技巧よりもラフマニノフの内面に光を当てたピアノである。
河村の特長であるヒンヤリとした音色を持つエッジの効いたピアノはラフマニノフにピッタリである。山田が指揮するバーミンガム市響も立体的な伴奏を奏でる。山田はスケールの的確さというものを理解しており、徒にスケールを拡げすぎることがない。

第2楽章を煌めきと不安とで彩った河村。その河村が第3楽章に入ると技巧を前面に出して、熱烈な凱歌を奏でる。ベートーヴェン的解釈と読んで良いのかはわからないが、第1楽章や第2楽章での憂鬱が圧倒的な音の波に呑み込まれていく。ラフマニノフの勝利を河村は鍵盤に刻みつける。決して、情熱をまき散らす様な演奏ではなく、今この時に刻印する。ただの「お祭り」に陥らない音楽を河村は創造する。本当に優れたピアニストだ。

山田指揮するバーミンガム市交響楽団の迫力も虚仮威しでなく、良かった。

河村のアンコール曲は、ラフマニノフの前奏曲変ト長調作品23の10。
音楽が底から沸き上がってくるような、不思議な曲であり、演奏であった。

ベートーヴェンの交響曲第7番。山田は以前、大阪フィルハーモニー交響楽団を指揮して同曲を演奏している。
アメリカ式の現代配置ではあるが、ティンパニは指揮者の正面でははく、上手奥に位置する。しかも古楽用のバロックティンパニでの演奏である。

ということで、このベートーヴェンでは徹底したピリオド・アプローチによる演奏が展開された。弦楽器がビブラートを用いることはほとんどない。ホルンはモダン楽器を使用していたが、トランペットは通常のものとはやや違うように見えた。ピストンが着いているようには見えないのである。ナチュラルトランペットにも見えないが、過渡期的な楽器を使ったのだろうか。

ピリオドによって様式は異なるが、演奏の出来不出来に影響はしない。山田の楽曲構造把握は抜群で、マスとしてのスケールをきちんと把握して演奏している。そのため、決して大言壮語のベートーヴェンにはならない。

ベーレンライター版の楽譜を用いてるため、通常とは異なるところがいくつかあったが、特に気にする必要はないだろう。第3楽章のティンパニとトランペットの強奏は意図が余り伝わってこなかったが。

第1楽章と第2楽章で一つの音楽、第3楽章と第4楽章でもう一つの音楽という昨今流行のスタイルでの演奏。
少し軽い気もしたが、爽快な演奏ではある。第3楽章と第4楽章ではジャンプも飛び出すなど、指揮姿も躍動感に溢れていた山田。金管の強奏、ティンパニの強打も効果的で迫力ある第7を生み出した。ただノリが良すぎてベートーヴェン的要素が後退してしまったのはマイナスかも知れない。

アンコール。まず山田のスピーチ。「イギリスではシェイクスピア没後400年ということで、コンサートでシェイクスピアにまつわる様々な楽曲が毎回のように演奏されています。それではウォルトンという作曲家による『ヘンリー五世』より“彼女の唇に触れて別れなん”」。山田がオーケストラの方に向き直って演奏スタート。弦楽合奏のための曲である。映画音楽だそうだが、気高い曲調で、演奏もエレガントであった。

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2016年6月25日 (土)

コンサートの記(245) 西本智実指揮 モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団来日公演2016大阪

2016年5月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

昨日に引き続き今日も大阪・中之島のフェスティバルホールへ。西本智実指揮モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演を聴く。

モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団は前身のモンテカルロ国立歌劇場管弦楽団時代にスヴャトスラフ・リヒテルのピアノ、ロヴロ・フォンマタチッチの指揮でレコーディングされたグリーグとシューマンのピアノ協奏曲の名盤で伴奏を担当していたオーケストラとしてクラシックファンの中では知られている。というよりクラシックファンの間でもそれぐらいしか知られていない。

その名の通り、モナコ公国のリゾート地・モンテカルロに本拠地を置くオーケストラであり、コンサートとオペラの両方で活躍している。
歴代指揮者の中には、先程も名前を出したロヴロ・フォン・マタチッチ(元NHK交響楽団名誉指揮者)やジェイムズ・デプリースト(元・東京都交響楽団常任指揮者)など、日本とゆかりの深い人物がおり、また今年の9月からは日本を代表する若手指揮者である山田和樹がモンテカルロ・フィルの音楽監督に就任する予定である。

というわけで、山田和樹とのコンビとの来日でも良かったのだが、山田がバーミンガム市交響楽団と日本ツアーを行うということもあってかどうかはわからないが、モンテカルロ・フィルの日本ツアーの指揮者は西本智実が務めることになった。

大阪市出身の西本智実。凱旋公演ということになる。

曲目は、ビゼーの「カルメン」組曲、スメタナの連作交響詩『わが祖国』より「モルダウ」、チャイコフスキーの交響曲第5番。

ロシアや東欧で指揮者活動をスタートさせ、幻想交響曲などフランスものも得意にしている西本に相応しいプログラムである。

アメリカ式の現代配置での演奏。ただし、ティンパニは指揮者の正面ではなく、舞台下手奥に陣取る。

実は当初の発表では1曲目がスメタナ、2曲目がビゼーであったが、本番では入れ替えてきた。有料パンフレットにはその旨、記してあったのかも知れないが、私はパンフレットを買わなかったため、1曲目が「モルダウ」だと思っていたら「カルメン」が鳴り始めたのでちょっと驚いた。
入れ替えた意図だが、「モルダウ」はモンテカルロ・フィルのスタイルに合わず、演奏の出来に関しては他のものより落ちるため、まず出来が良いと感じられた「カルメン」を冒頭に持ってきたかったのかも知れない。

モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団を生で聴くのは初めてだが、シックなオーケストラである。モナコ公国は南仏に面しており、南仏のオーケストラは楽器の音色が濃いのであるが、モンテカルロ・フィルの音色は洗練されており、南仏よりもパリのオーケストラに近い。西本はモンテカルロ・フィルから鋭い和音を引き出し、これは全曲でプラスに作用する。

「カルメン」組曲は、勢いの良い「闘牛士」の前奏曲と悲劇的なアンダンテ・モデラートの前奏曲の二つを持ち、アタッカで入ると効果的であるため、西本とモンテカルロ・フィルもアタッカで入ろうとしたが、拍手が起こってしまったため、西本は拍手が鳴り止むのを待ってからアンダンテ・モデラートの前奏曲を振り始めた。いずれもドラマティックな出来である。
面白かったのは3曲目として置かれた「ハバネラ」の演奏。旋律の歌わせ方が極めて蠱惑的であり、妖しげだ。ハバネラの旋律をオーケストラがこれほど艶やかに奏でるのを聴くのは初めて。やはり指揮者が女性の西本智実であるというのは大きいだろう。クラシックの世界では「指揮台に立てば性別は関係ない」といわれており、私もそう思ってきたのだが、どうやらそうではないようだ。「ハバネラ」の旋律をオーケストラでこれほど妖艶に歌うという発想自体が男性の指揮者にはないはずである。
「間奏曲」のリリカルで優しげな雰囲気も素晴らしい。
ラストの「ジプシーの踊り」では西本はモンテカルロ・フィルを煽り、興奮度満点の演奏に仕上げる。

西本の指揮スタイルは基本的には端正なものだが、今日は特に「カルメン」組曲においては左手を効果的に用いていた。

スメタナの連作交響詩『わが祖国』より「モルダウ」。先に書いたとおり出来は今一つ。冒頭のフルート二人の指が十全に動かない上に音が大きめ。ということでイメージ喚起力が不十分である。
主題が弦に移ってからは体勢を立て直すが、どうもモンテカルロ・フィルの音色にスメタナ作品は合わないようで、不思議な「モルダウ」になってしまう。
それでも村の踊りの場面や月夜の描写などには優れたものがあった。

メインであるチャイコフスキーの交響曲第5番。
西本智実はロシアもの、現代音楽、フランスもの、マーラーなどを得意としている一方で、古典派以前の音楽では余り成功していない。兄弟子であるヴァレリー・ゲルギエフも古典を避けているから、ロシアで指揮教育を受けた指揮者の特徴なのかも知れないが、西本の指揮スタイルを見ていると古典派以前を苦手としている理由がなんとなくわかる。
西本はとにかく情熱の人で、情熱が矢と化して体から溢れてホール中に飛び散っていくような激しさが感じられる。チャイコフスキーでもフォルムよりも内容重視で熱い音楽を作る。こういうタイプの指揮者には形式が重要視される古典派以前の音楽には向いていないのである。また西本は典型的なライヴの人であり、スタジオ録音では燃焼度不足に陥っているものの方が多いため、レコーディングアーティストとしては現在までの姿勢では不利である。

冒頭、クラリネットが奏でる「運命の主題」を西本は遅めのテンポで展開。ゲネラルパウゼもかなり長く取り、この主題が特別なものであることを聴く者に印象づけさせる。
その後、弦に比べて管の音の方が大きいという状態が続くのだが、西本が「管は運命、弦はそれに身もだえするチャイコフスキー」という解釈を行っているのではないかということに気づく。そう考えれば効果的でわかりやすく、残酷な音楽と演奏になる。先に書いたとおり西本はフォルムを整えることよりも内容重視。多少外観が崩れようともチャイコフスキーの魂をえぐることを優先させる。

第2楽章のホルンソロも抜群というほどではなかったが上手く、モンテカルロ・フィルの性能の良さが感じられる。

第3楽章は典雅ではあるが、やはり噴き出るような情熱がやがて全てを呑み込む。

第4楽章。西本はこの楽章を凱歌とは捉えない。旋律の歌い方は朗らかではなく、怯えながら手探りで進んでいるかのようである。管に主旋律が移ると西本が弦の音を強め、管が奏でる明るいはずの歌がぼやけるような処理をする。
そして擬似ラスト。今日は残念なことにここで拍手と「ブラボー!」が起こってしまう。せめて「ブラボー!」は止めて貰いたかった。こちらの集中も切れてしまう。
ただ演奏は勿論続く。再度の凱歌調の旋律も西本は「希望はあるかも知れない、希望があったなら」程度のメッセージに留めていたように思う。他の指揮者もそうだが、最近ではこうしたペシミスティックな解釈は流行である。

全ての演奏が終わり、今度は本物の「ブラボー!」が起こる。

アンコールはチャイコフスキーの「花のワルツ」。華やかで愛らしい演奏。モンテカルロ・フィルの音色もこの曲に合っている。

演奏を終えた西本は「感慨無量」という面持ちで客席を長い間見つめていた。

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