カテゴリー「大阪フィルハーモニー交響楽団」の21件の記事

2018年7月27日 (金)

コンサートの記(405) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 ベートーヴェン交響曲全曲演奏会第3回

2018年7月20日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団によるベートーヴェン交響曲全曲演奏会Ⅲを聴く。Ⅰは聴いたが、Ⅱは同日にロームシアター京都で行われた田中泯のダンス公演を優先させたため接していない。

交響曲第6番「田園」と交響曲第5番という王道の組み合わせ。であるが、この時期に聴くにはちょっと重い。

今日のコンサートマスターは崔文洙。大フィルのスタンダードであるドイツ式の現代配置による演奏であるが、今日は第2ヴァイオリンが客演も含めて全員女性という、ありそうでなかなかない構成になっている。第1ヴァイオリン15名、第2ヴァイオリン14名というモダンスタイルでの演奏。


交響曲第6番「田園」。テンポもスタイルも中庸で、音の瑞々しさを優先させた演奏。空間の広いフェスティバルホールだが、編成が大きく、モダンスタイルということで良く響く。
優れた演奏ではあるが、特筆事項はこれといってないように思う。


交響曲第5番。出だしの運命動機ではフェルマータを短めに取り、流線型のフォルムを作り上げる。出だしで第2ヴァイオリンがわずかにフライングしたほか、クラリネット、ピッコロなどにミスがある。
面白いのは第4楽章のクライマックスの音型で、金管群が耳慣れない和音を築く。そういう譜面があるのかどうか。またクラリネットが二本ともベルアップによる演奏を行っている部分があった。ピリオドアプローチによる演奏で目にするが、そうではない演奏で見かけるのは初めてである。
尾高はラストも流さずにカッチリとした止めを行い、個性を刻印した。

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2018年7月11日 (水)

コンサートの記(401) オリバー・ナッセン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第442回定期演奏会

2010年10月14日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の442回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は作曲家としても著名なオリバー・ナッセン。

曲目は、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、バルトークにピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:ピーター・ゼルキン)、ナッセンの自作自演となる交響曲第3番とドビュッシーの交響詩「海」。
現代音楽がプログラムに入っているためか、空席が目立つ。特に1階席の前の方はガラガラだった。
ナッセンは極端に太っており、歩くのが難儀そうだった。
今日は普段と違い、アメリカ式の現代配置による演奏である。

ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。ナッセンは細部まで目を配り、隅々まで良く彫刻された瑞々しい音を大フィルから引き出す。

バルトークのピアノ協奏曲第3番。ピーター・ゼルキンは譜面と譜めくり人をおいての演奏である。ゼルキンのテクニックは一流だが超一流というほどではない。しかし、クッキリとした音で、味わい深い音を奏でる。ナッセン指揮の大フィルも好演である。

ナッセンの交響曲第3番。指揮台の前に、チェレスタとハープ、ギター奏者が並ぶという独特の配置。神秘的な雰囲気で始まり、途中で巨大な音の塊と化した後で、再び神秘的で静かな音楽に戻っていく。

ドビュッシーの「海」。やはり細部まで配慮の行き届いた演奏であった。弦も管も洗練され、テンポも中庸で聴きやすい。

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2018年6月 3日 (日)

コンサートの記(392) ダニエーレ・ルスティオーニ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第518回定期演奏会

2018年5月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第518回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はイタリアの若手、ダニエーレ・ルスティオーニ。

1983年生まれ、現在34歳のダニエーレ・ルスティオーニ。アンドレア・バッティストーニ、ミケーレ・マリオッティと共にイタリア若手三羽烏の一人に数えられる。昨年9月に大野和士の後任としてリヨン国立歌劇場の首席指揮者に就任したばかり。2014年からはイタリアのトスカーナ管弦楽団の首席指揮者も務めている。
日本では東京フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者を務めるバッティストーニの評価が高いが、イタリア国内ではルスティオーニの方が現時点では評価が上のようだ。
ミラノのジュゼッペ・ヴェルディ音楽院で学んだ後、シエナのキジアーナ音楽院でジャンルイジ・ジェルメッティに師事。ロンドンの王立音楽院でジャナンドレア・ノセダにも学ぶ。英国ロイヤル・オペラでサー・アントニオ・パッパーノのアシスタントを経て、サンクトペテルブルクのミハイロフスキー劇場の首席客演指揮者を2年間務めている。

曲目は、メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」とマーラーの交響曲第4番(ソプラノ独奏:小林沙羅)という4並びである。

今日のコンサートマスターは崔文洙。今日はフォアシュピーラーに須山暢大が入る。

メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」。冒頭から各楽器の分離が明瞭であり、大変見通しが良い。ジャンプを繰り出すなど若々しい指揮姿のルスティオーニだが、音捌きの腕は抜群。大フィルから輝かしくも生き生きとした音を引き出していく。熱さを感じさせつつ上品という理想的な演奏となった。

マーラーの交響曲第4番でも上質の音楽が展開される。マーラー独特のおどろおどろしさは後退し、チャーミングな音色による愛らしいマーラー像が描かれていく。第3楽章などは正に天国的というに相応しい気品溢れる美演であった。バッティストーニが「未来のトスカニーニ」ならルスティオーニは「未来のクラウディオ・アバド」であろう。
小林沙羅はリリカルソプラノではないので、この曲の独唱に合っているかどうかは微妙だったが、安定感のある歌声を聴かせてくれた。



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2018年5月24日 (木)

コンサートの記(388) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団  ベートーヴェン交響曲全曲演奏会第1回

2018年5月17日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団によるベートーヴェン交響曲全曲演奏会第1回を聴く。大阪フィルが朝比奈時代から何度も繰り返し行って来たベートーヴェン交響曲チクルスの新シリーズである。

札幌交響楽団時代にもベートーヴェン交響曲全曲演奏を行っている尾高忠明。大阪フィルのシェフに就任してまず大フィルの看板企画に挑むことに決めた。

今日の演目は、バレエ音楽「プロメテウスの創造物」序曲、交響曲第1番、劇音楽「エグモント」序曲、交響曲第2番。

今日のコンサートマスターは崔文洙。ベートーヴェンの初期交響曲であるが、第1ヴァイオリン14型と大きな編成での演奏。ピリオド・アプローチを採用しているが、スケールは大きく、ベートーヴェンの初期作品ではあっても大交響曲として演奏していることがわかる。

今日もノンタクトで指揮する尾高忠明。やや速めのテンポでの演奏。エネルギー放出量は大きいが、弦楽にHIPを取り入れているためか暑苦しくはならない。
フォルムの堅固さも特徴であり、朝比奈以来のDNAが保たれているのが確認出来た。
時折、音像が雑になるところもあったが、第1回の演奏としては上出来だったように思う。

全曲演奏終了後、尾高は、「あと7曲ありますので、よろしくお願いします」と言い、最後は「おやすみなさい」のポーズをして指揮台を後にした。


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2018年5月 8日 (火)

コンサートの記(379) 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2018 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 ショスタコーヴィチ 交響曲第5番

2018年5月5日 びわ湖ホール大ホールにて

午後2時30分から、大ホールで、大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏によるショスタコーヴィチの交響曲第5番を聴く。

今年はレナード・バーンスタインの生誕100年に当たるということで、バーンスタインの作品と、指揮者としてのバーンスタインが最も得意としたショスタコーヴィチの交響曲第5番を合わせて取り上げるという演奏会を広上淳一や佐渡裕が行ったり企画したりしているが、この演奏会も同様のものである(大植と大フィルは、昨日、バーンスタインの「ウエストサイド・ストーリー」より“シンフォニック・ダンス”を演奏している)。

今日のコンサートマスターは崔文洙。今日は第4楽章でヴァイオリンの弦が切れるというアクシデントがあり、ヴァイオリンがリレーされて運ばれ、弦が張り替えられて戻ってくるという珍しい場面を目にすることになった。

びわ湖ホール大ホールの音響の効果もあって、鈍重な傾向のある大フィルの音がソフィスティケートされて聞こえる。弦に厚みがあり、管も力強い。
大植は1拍目のみを示すことが多いが、低弦と管には細かな表情付けを行うこともある。この曲のヒロイックな場面は皮相にして、嘆きの部分を丁寧に歌うことで、この曲の一般的な演奏とは別の表情を浮かび上がらせる。ピッチカートの力強さが印象的であり、第3楽章では弦楽器ががなり立てるように歌うところがある。当然、音は汚くなるのだが、それもまた意図したものなのだと思える。


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2018年4月12日 (木)

コンサートの記(370) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第517回定期演奏会「尾高忠明音楽監督就任披露演奏会」

2018年4月8日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第517回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はこの4月から大阪フィルの第3代音楽監督に就任した尾高忠明。「尾高忠明音楽監督就任披露演奏会」と銘打たれている。

4月ということで、プログラムには須山暢大(すやま・のぶひろ)の新コンサートマスター就任が発表されているほか、ホルンの和久田有希、トランペットの高見信行、トロンボーン・トップ奏者の福田えりみの3名の新入団、一方、トップ・クラリネット奏者のブルックス・ストーンが3月31日付けで退団したとの知らせもある。

曲目は、三善晃のオーケストラのための「ノエシス」とブルックナーの交響曲第8番(ハース版)

今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。大編成のブルックナーに特殊な編成の「ノエシス」ということで客演奏者が多い。客演ホルンには名手として知られる安土真弓(あんづち・まゆみ。名古屋フィルハーモニー交響楽団首席ホルン奏者)の名前も見える。

三善晃のオーケストラのための「ノエシス」。丁度40年前の1978年に尾高忠明の指揮によって初演された曲である。
チェロの独奏に始まり、次第にカオスへと発展する、いかにも現代音楽的な曲だが、途中で打楽器が盛大に打ち鳴らされ、熱い響きへと変わっていく。なかなか面白い曲である。

ブルックナーの交響曲第8番。
この曲は最近では第九やマーラーの「復活」などと共に節目で演奏される曲となっている。大植英次が大フィル音楽監督として最後に取り上げたのもこの曲であり、昨年は下野竜也が広島交響楽団音楽総監督就任記念の曲として取り上げている。
朝比奈隆の時代は「大フィルといえばブルックナー」といわれたものだが、第2代音楽監督の大植英次、昨年の3月まで大フィルの首席指揮者を務めた井上道義とマーラー指揮者が大フィルのシェフの座にあり、二人ともブルックナーは得手とはしていなかった。ブルックナーの交響曲第8番は大フィル史上、シェフしか指揮をしていない曲である。井上道義指揮による大フィルのブル8は実演で聴いたことはないが、井上が京響を指揮したブル9の出来から考えれば名演だったとは思えない。下野はブルックナーを得意としているが、広響を指揮した第8や読響を振った第7を聴いた感じでは、後期の交響曲を指揮するにはまだ若い。一方、尾高はブルックナーの交響曲が日本では「わけのわからない曲」「あんなの音楽なのか」と言われていた頃から積極的に取り組んでおり、日本を代表するブルックナー指揮者である。名演の期待が高まる。

ブルックナーの交響曲第8番は、彼の第7番の交響曲が初めて初演での成功を収めた後で書かれ、現在では最高傑作の呼び声も高いのだが、第7初演での成功を味わった後でもブルックナーの生来の気の弱さは変わらず、第8初演の指揮を任せようとしたヘルマン・レーヴィから拒絶されると例によって「楽曲が悪かったからだ」と改訂に取り組んでしまい、複数の版が残されることになった。

ブルックナーの交響曲は楽譜に書かれたことをそのまま鳴らしただけでは音楽にならず、指揮者が再構築する必要があるのだが、尾高は着実に確実に音を積み上げていく。音を野放図に鳴らしてはならず、いかなる大音響でも抑制が必要、ただ抑制しすぎても音が拡がらないという難しさがあるのだがその処理も万全である。
音も瑞々しく純度が高い。弦と管の編み方も巧みである。関西にはブルックナーを得意とする指揮者は少ない。久しぶりに聴くブルックナーらしいブルックナーであった。

尾高新監督、上々の船出である。

響きは置くとして、周辺も含めた雰囲気の良さではフェスティバルホールは日本一だと思う。レッドカーペットの階段はハレの気分を生みだし、天井の高いホワイエも異空間の味わいがある。大阪フィルもホールの鳴らし方を心得つつあり、音響面でも徐々に充実。そして何より中之島と地の利がある。交通の便も文句なしで、土佐堀川を見ながらの行き帰りも心地よい。



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2018年3月15日 (木)

コンサートの記(360) 広上淳一指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第399回定期演奏会

2006年6月15日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪へ。ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴く。今回の指揮者は広上淳一。卓越した表現力が魅力の指揮者である。

プログラムは、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」、グヴァイドゥーリナのフルート協奏曲「希望と絶望の偽りの顔」(フルート独奏:シャロン・ベザリー。日本初演)、ロベルト・シューマンの交響曲第3番「ライン」。

「弦楽のためのレクイエム」はもとから予定されていた曲目だが、先日亡くなった岩城宏之氏と、今朝亡くなった佐藤功太郎氏という二人の指揮者のため、特別に追悼曲として演奏された。純粋なコンサートピースとしてではなく、追悼曲、鎮魂曲として演奏される曲は、前後に拍手をせず、死者の冥福を祈るというのがマナーである。
しかし今回は、プログラムに「弦楽のためのレクイエム」を追悼演奏とする旨が書かれた紙は挟んであったものの、事前のアナウンスがなかったため、広上氏が演奏の主旨を述べて指揮棒を振り始める前と演奏後に拍手が起こってしまった。会場には当然ながらコンサートビキナーもいる。マナーを知らない人のためにも事前のアナウンスは必須のはずなのだが。
10年前の3月。NHK交響楽団の定期演奏会で、その年の2月20日亡くなった武満徹追悼のために、やはり「弦楽のためのレクイエム」演奏された(ハインツ・ワルベルク指揮)。この時はアナウンスがあったため、演奏前にも後にも拍手は起こらず、日本を代表する作曲家の逝去を悼む雰囲気がNHKホールを満たしていた。

グヴァイドゥーリナはロシアの作曲家。現代の女流作曲家としては最も著名な人物である。フルート協奏曲「希望と絶望の偽りの顔」は2005年5月に世界初演が行われたばかりの新曲。今日、フルート独奏を務めるシャロン・へザリーのために書かれている。
フルートは通常のフルートの他に、アルト・フルート、バス・フルートの2本を加えた3本が交代で吹かれる。

まずティンパニを始めとする打楽器群がプリミティブな迫力に満ちた音で会場を満たす。日本人である私の耳にはまるで陣ぶれの太鼓のように聞こえる。そしてフルートの独奏が入るのだが、これも日本人である私には、戦を前にして、武将が一人、瞑想しながら吹いている笛の音に聞こえる。
現代音楽は一回聴いてわかるものは少ないので、こちらで勝手にイメージを膨らまして聴いた方が面白い。

そうするうちに、騎馬が疾駆しているようなリズムが現れる。広上の指揮姿も独特であり(指揮というより何かのスポーツをしているように見える)、こちらのイメージ展開に拍車をかける。

弦楽の響きはあたかも武満作品のよう、というより明らかに武満の影響を受けているのがわかる。広上さんもそれが故に、武満作品とこの曲をセットでプログラミングしたのだろう。

そして音が激しさを増し、あたかも戦いを描いているような音楽世界が拡がっていく。
音楽はその後、内省的になるが、これは夜になって休戦しているようにも聞こえるし、夜討ちの機会を窺っているようでもある。
夜が明け、城攻めが始まる(もちろん、これは私のイメージでしかない)。ラストのチェレスタの独奏は、炎上する天守の上を、地上のことは我関せずとばかりに優雅に舞う鳥を表現しているかのようだ。
と恣意的な想像をしてみた。作曲者の意図は別にあるのだろうが、音楽自体はイメージ喚起力豊かであり、独自の解釈で楽しむことの出来るものだった。映画好きや、小説を読んでイメージを膨らませることに慣れている人はこういう曲は好きだろう。
もちろん、そういう人ばかりではないので、演奏中眠っている人もいたし、演奏終了後にブーイングをする人もいた(奏者にではなく曲に対して起こったブーイングだろう)。

メインであるシューマンの交響曲第3番「ライン」は実に爽快な演奏であった。とにかくオケが良くなる。ロベルト・シューマンの交響曲というと「憂いに満ちた」だとか「神経質な」と形容されることが多いが、広上のシューマンはそんな固定観念をあっさりと打ち破ってみせる。
テンポが速く、音色も明るく、健康的な演奏だ。大阪フィルはいつもホルンがやや弱いのだが、今日のホルンは朗々と響き渡る。
広上の指揮も「ユニーク」という言葉では足りないほど独特だ。指揮棒を溌剌と振り回していたかと思うと、両手を上に上げて喜びの表情を見せたり、空手チョップのような動きをしたり、首を左右に振り、更には指揮棒を手放してダンスのような動きで指揮台でステップを踏む。
ここまでくると指揮とは思えないほどだが、表現力は確かであり、腕のちょっとした動きで音楽のニュアンスを変えてみたり、単純な音型を魅力的なものに昇華したりと、現役日本人指揮者最高峰とも言われる実力をいかんなく発揮してみせる。
何よりも、広上自身が、音楽が面白くて面白くてたまらないという表情を見せるのが良い。見ているこちらの頬も緩む。
広上を見ているうちに、何故か名馬を自在に操る騎手の姿が目に浮かんだ。広上は背が低く、ずんぐりむっくり体型で、燕尾服を着た姿はペンギンを連想させ、騎手からは遠いイメージなのに不思議である。

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2018年3月13日 (火)

コンサートの記(358) 井上道義指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第516回定期演奏会

2018年3月9日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第516回定期演奏会を聴く。指揮は大フィルの前首席指揮者であった井上道義。

曲目は、バーバーのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:アレクサンデル・ガジェヴ)、ショスタコーヴィチの交響曲第2番「十月革命に捧げる」と交響曲第3番「メーデー」。井上道義が得意としているショスタコーヴィチの交響曲が並ぶ。交響曲第2番、3番ともに上演機会は少なく、実演に接するのは初めて。バーバーのピアノ協奏曲を生で聴くのも初となるはずである。

今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。

バーバーのピアノ協奏曲。ソリストのアレクサンドル・ガジェヴは1994年生まれという若いピアニストである。登場したときは少し頼りなげに見えたがピアノに向かうと高度なメカニックを武器とした情熱的な演奏を繰り広げる。
幾何学模様のように不可思議な第1楽章、リリカルな第2楽章、怒濤のように音が押し寄せる第3楽章と、独自の魅力を持った曲である。井上指揮の大フィルも充実した伴奏を聴かせる。

井上に促されるようにしてガジェヴはアンコール演奏を行う。ラフマニノフのエチュード「音の絵」より作品39の5。ペダリングに問題があるのか音が濁り気味であったが、技術は優れている。

後半。大阪フィルハーモニー合唱団のメンバーが入場するのに少し時間がかかるということもあってか、井上がマイク片手にトークを行う。井上道義が大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者就任披露演奏会のメインに選んだのはショスタコーヴィチの交響曲第4番。「その年は、ハイドンの交響曲第44番やブラームスの4番など4の付く曲ばかりやりまして、縁起でもないなあと思っていたら病気になりまして」

井上はバーバー本人に会ったことがあるそうだ。井上が17歳の時、師である齋藤秀雄と共にロサンゼルスに行き、齋藤がバーバーの弦楽のためのアダージョを指揮したところ、演奏終了後に熱心にスタンディングで拍手を送るおじさんがいたそうだが、「あれがバーバーだよ」と説明された井上は、「え? 作曲家で生きている人いるの?!」と驚いたそうである。当時の井上は作曲家というのは全員死んでいるものだと思っていたらしい。

ショスタコーヴィチの交響曲第2番と第3番は共に作曲者が二十代前半の頃に作曲されているのだが、「二十歳の頃は大人が馬鹿に見え」と井上は自身と多くの多くの若者の気持ちを語り、若きショスタコーヴィチのとんがった気持ちを代弁する。とんでもない速度で書かれており、「人間に演奏できるのか?」と思える箇所もあるが、ショスタコーヴィチは自身が天才で出来る人だったため、他の人にも出来ると思い込んでしまったようなところがあると指摘する。「ショスタコーヴィチは、スターリンとかそんなんじゃなく、オーケストラのメンバーに総スカンを食らったのだと思います。オーケストラのメンバーは保守的で、『お前さんのやろうとしていることはわからないよ』」と反発を受けたらしい。ロシア革命からレーニンの死までのソ連はかなり自由な時代であり、ロシアンアバンギャルドが隆盛を誇っていた。
井上道義は交響曲第3番「メーデー」に関して、「マーラーの『大地の歌』やショスタコーヴィチの交響曲第9番の要素などが散りばめられているので、プロの聴き手の方は探してみて下さい」と語る。

交響曲第2番「十月革命に捧ぐ」と交響曲第3番「メーデー」。共に合唱付きの交響曲である。字幕付きでの演奏。

井上が十八番としているショスタコーヴィチだけあって音が生き生きしている。大阪フィルの演奏は力強く、超速で駆け抜ける場所も破綻を来すことなく見事な疾駆を見せる。
交響曲第3番は交響曲第2番の続編として構想されたということもあって2曲とも曲調は似ており、ショスタコーヴィチ的音楽性がすでに刻印されているが、交響曲第3番の方には後に書かれることになるショスタコーヴィチの交響曲の様々な要素の発芽が見られる。今聴いてもかなり先鋭的な交響曲群である。衒学的要素も多分に感じられるが、若い頃はこれほど暴れ回らないと大作曲家にはなれないのかも知れない。
大阪フィルハーモニー合唱団も充実した歌を聴かせ、国内のおけるショスタコーヴィチ演奏としては間違いなく第一線のものとなるだろう。

喝采を浴びた井上。最後はステージ下手でくるりとターンして引き上げるなど、お馴染みの外連を見せていた。

なお、天井からデッカツリーが下がり、舞台上の要所要所にマイクが立っていたため、EXTONによるライブ収録が行われたものと思われる。



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2018年3月 8日 (木)

コンサートの記(355) 下野竜也指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会2006

2006年3月11日 京都コンサートホールにて
 
午後3時から、京都コンサートホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会を聴く。

今日、大阪フィルを指揮するのは下野竜也。1969年、鹿児島生まれの若手指揮者である。2001年にブザンソン指揮者コンクールを制し、一躍注目を浴びた。大阪フィルとはナクソスに大栗裕作品をレコーディングしており、高い評価を受けている。またユニークなblogを書き、彼の文章のファンも多かったが、残念ながらblogは今年の2月をもって更新を停止した。

ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」というポピュラーなプログラムのためか、会場はほぼ満員。

大阪フィルは京都でも開演30分前ごろから団員が思い思いにステージに出て来て楽器をさらいはじめ、ステージ上の団員数が段々増えていき、最後にコンサートマスター(今日のコンサートマスターはロバート・ダヴィドヴィッチ)が出て来るというスタイルを採っていた。こういうスタイルを持つ楽団は、少なくとも私が知る限り大阪フィルだけである。開演直前に楽団員が袖から並んで出てくる、というのが一般的な登場スタイルだ。なぜ大阪フィルだけが一般的でないスタイルを採っているのだろうか。

今日はヴァイオリンが両翼に来る古典的配置が採用されていた。

下野竜也の実演に接するのは今日が初めてである。下野は見た目からして「薩摩隼人」というタイプの指揮者だった。本州の人間とは顔も体つきも違う。

2階のステージ下手後方、もう少しでP席という場所で聴いていたので、下野の指揮姿がよく見える。下野の棒は流麗ではないが非常にわかりやすい。どの楽器にどんな音を要求しているのかすぐにわかる。楽団員も演奏しやすいだろう。
そのためかどうか、普段の大阪フィルの演奏に比べて精度は高く、音も輝かしい。

「魔弾の射手」では、下野は造形重視の指揮を見せる。よく整った演奏だ。だが、単なる優等生的演奏ではなく、クライマックスでは情熱的な指揮ぶりを披露。好感の持てる指揮者だ。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(通称:メンコン)のソリストは玉井菜摘。京都生まれで、世界各国のコンクールを制覇し、現在は東京藝大の助教授も務めているという。
玉井のヴァイオリンは非常にスマートだ。テクニックも完璧。ただ冒頭などはスマートすぎて、憂いに欠けるきらいがあり、最終楽章でももっとチャーミングな表情が欲しいと思った。今のところは、表現よりもテクニック先行の奏者という印象を受けた。

メインの「新世界より」。下野は速めのテンポを基に飛ばす。非常に若々しく魅力的な表現だ。「基に」と書いたのはたまにテンポをぐっと落とすところがあるからだ。この曲での下野は表現重視の指揮を見せる。ただ、ブラスを煽りすぎなのが気になった。第4楽章では、金管を強調する余り、一瞬、音型とバランスが崩れる場面もあった。

アンコールはメンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」から第3楽章という非常に渋い選曲。曲同様、演奏にも派手さはないが、細部まで仕上げが丁寧である。下野竜也という指揮者、今のところカリスマ性は感じないが独特の個性が光っており、将来が楽しみである。

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2018年2月24日 (土)

コンサートの記(349) アンドレア・バッティストーニ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第515回定期演奏会

2018年2月17日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第515回定期演奏会を聴く。指揮は「未来のトスカニーニ」の異名を持つアンドレア・バッティストーニ。

1987年生まれ、まだ30歳という若さのバッティストーニ。「ロミオとジュリエット」の舞台としても知られるイタリア・ヴェローナの出身である。現在、東京フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者を務めており、「題名のない音楽会」に出演するなど、日本でも著名な存在になりつつある。

曲目はレスピーギの「ローマ三部作(交響詩「ローマの噴水」、交響詩「ローマの祭り」、交響詩「ローマの松」)。バッティストーニは東京フィルと「ローマ三部作」を録音しており、評価も高いが、私は今ひとつピンとこなかった。

今日のコンサートマスターは崔文洙。電気オルガンは関西ではお馴染みの桑山彩子が奏でる。

印象派の影響を強く受けているとされる交響詩「ローマの噴水」。音の陰影を微妙に変えていくレスピーギの手法をバッティストーニは巧妙な棒で解き明かしていく。大阪フィルの音色にはもっと洗練も求めたくなるが、音色の移ろいの浮かび上がらせ方などには優れたものを感じる。

映画音楽的な要素を持つ交響詩「ローマの祭り」。バンダは2回下手バルコニー席に陣取る。バッティストーニはオーケストラを鳴らす術に長けており、冒頭の音を目一杯鳴らす。そのためフェスティバルホールが壮大に鳴り、バンダのトランペットが聞こえにくくなっていた。
迫力のある「ローマの祭り」であるが、第4部の「主顕祭」の冒頭で打楽器奏者が一斉に立ち上がるなど、視覚面でも面白さがある。ただ大フィルの音はこの曲を演奏するにはやや重いようである。伝統的にドイツものに強い大フィルだが、ドイツの地方オーケストラが無理矢理イタリアものに挑戦したような感じになっていた。

ローマ三部作の中で飛び抜けて有名な交響詩「ローマの松」。1996年12月のNHK交響楽団定期演奏会で、今なにかと話題のシャルル・デュトワの指揮で聴いた「ローマの松」は実に鮮烈であった。あの不器用なN響が信じられないほど輝かしい音で鳴った。
バッティストーニの指揮する「ローマの松」は若手指揮者らしい瑞々しい音で奏でられる。バッティストーニは見た目もガッチリしているし指揮姿も激しいが、それは一種のフェイクであるように思える。実際は細部に至るまで丁寧に作り上げており、匂うような上品さがある。
いわゆる爆演が好まれる傾向にある「ローマの松」だが、バッティストーニは見た目とは裏腹に無闇な虚仮威しは好まないのだろう。トスカニーニやムーティといったイタリア人指揮者がよくやるような演奏ではなく、フランス系の指揮者が作り上げるような「ローマの松」になっていた。レスピーギがドビュッシーから受けた影響もよく分かる。
バンダは「ローマの祭り」の時と同様に下手バルコニー席と、更に上手の3階BOX席に配され、効果的な音響を生んでいた。


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