カテゴリー「大阪フィルハーモニー交響楽団」の45件の記事

2019年7月 7日 (日)

コンサートの記(570) billboard classics 「KOJI TAMAKI PREMIUM SYMPHONIC CONCERT 2019 THE EURASIAN RENAISSANCE “ロマーシカ” into the GOLD」大阪公演 2019.6.27

2019年6月27日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、billboard classics「KOJI TAMAKI PREMIUM SYMPHONIC CONCERT 2019 THE EURASIAN RENAISSANCE "ロマーシカ" Into the GOLD」を聴く。長いタイトルだが、要するに玉置浩二とオーケストラとの共演である。

ゴールデンウィークに、奈良・薬師寺の特設会場で西本智実指揮イルミナート・フィルハーモニーオーケストラと玉置浩二の共演も聴いているが、当日の薬師寺は雨で気温も低め、ということでレインコートを羽織っての参加となったが耐久レース状態でもあった。もっと集中して音楽を聴きたいということでフェスでのコンサートのチケットも取った。指揮が何度も実演に接している湯浅卓雄だったということもある。
大阪公演で共演するのは大阪フィルハーモニー交響楽団。コンサートマスターは田野倉雅秋である。

今回のツアーは、24日に福岡サンパレスでスタート。福岡公演(ビルボードクラシックオーケストラ)と大阪公演、札幌のニューホールであるhitaru(札幌交響楽団の演奏)、東京芸術劇場コンサートホール(東京フィル・ビルボードクラシックオーケストラと東京フィルハーモニー交響楽団が1日ずつ演奏を行う。両者は同一団体)、横浜の神奈川県民ホールでの公演(東京フィルハーモニー交響楽団)は湯浅卓雄が指揮、さいたま市の大宮ソニックシティでの公演(東京フィル・ビルボードクラシックオーケストラ)は円光寺雅彦が指揮を務め、改修を終えたばかりの名古屋・愛知県芸術劇場大ホールでの演奏会(ビルボードクラシックオーケストラ)では柳澤寿男がタクトを執る。その後に特別公演があり、玉置はデイヴィッド・ガルフォース指揮ロシア国立交響楽団《シンフォニック・カペレ》と共演する予定である。メインのタイトルとなる「ロマーシカ」は、ロシアの国花だそうである。

ちなみに、ロシア国立交響楽団《シンフォニック・カペレ》は、スヴェトラーノフ記念となっているいわゆるロシア国立交響楽団のことではなく、かつてロジェストヴェンスキーの手兵として知られたソビエト国立文化省交響楽団の現在の名称である。

今日の指揮者である湯浅卓雄は、1949年大阪府生まれ。枚方市と寝屋川市の境付近に生まれ、区画整理によって寝屋川市になった場所で生まれ育ったが、代々枚方の家系だそうで、枚方への思い入れをコンサート会場で語ったこともある。同志社香里高校卒業後に渡米、シンシナティ大学音楽院で作曲を専攻し、その後、ヨーロッパに渡ってウィーン国立音楽大学で指揮を学ぶ。NHK交響楽団名誉指揮者として知られたロヴロ・フォン・マタチッチのアシスタントとしても活躍。日本では1984年から5年間、群馬交響楽団の指揮者を務めているが、それ以外はヨーロッパでキャリアを築いている。イギリス・北アイルランドのアルスター管弦楽団首席客演指揮者時代にNAXOSレーベルと専属契約を結び、次々と新譜をリリースして日本でも知られるようになり、「頭脳流出」「逆輸入型」とも呼ばれていたマエストロである。21世紀に入ってからは在阪オーケストラへの客演も増え、センチュリー響とはブラームスとロベルト・シューマンの交響曲全集をリリースして好評を得ている。
今月29日にさいたま市大宮で予定されている玉置浩二の公演の指揮は円光寺雅彦に譲り、湯浅は30日に大阪フィルを指揮してベルリオーズの大曲「レクイエム」を上演する予定。フェスティバルホールの2700席はすでに完売である。

湯浅はずっと海外で活動していたため、玉置浩二のことは名前しか知らなかったそうである。

 

今日は2階5列目の24番という中央に近い場所での鑑賞。クラシックなら最上の音のする席の一つだと思われるが、プラグインでの公演なので状況が異なるかも知れない。

 

オーケストラとの共演で聞き映えのする作品ということで、バラードが中心であり、オーケストレーションが必要ということもあってか、薬師寺での公演と重なる曲も多い。

湯浅と大フィルによる「歓喜の歌」(管弦楽版)でスタート。その後、玉置が拍手を受けて登場し、「キラキラニコニコ」で歌が始まる。
「いつもどこかで」、「ぼくらは」、「MR.LONELY」~「プレゼント」~「サーチライチ」のメドレーを挟んで、「ロマン」、「FRIEND」で第1部が終了。
第2部は、湯浅と大フィルによるハチャトゥリアンの「スパルタクス」第2組曲より“スパルタクスとフリーギアのアダージョ”とスタートし、「GOLD」、「行かないで」、「JUNK LAND」、「ワインレッドの心」~「じれったい」~「悲しみにさよなら」のメドレーに続いて「夏の終わりのハーモニー」で本編が終わる。

 

フェスティバルホールでポピュラー音楽を聴くのは久しぶりということもあり、マイクにエコーが掛かりすぎているような気もしたが、ポピュラーとしてはこれが普通の音響なのかも知れない。
クラシック対応のフェスティバルホールということで、玉置が終盤に連続して行ったマイクなしでの歌唱もよく響く。ちなみに薬師寺でも同様のことを行っていたが、野外なので声が余り届かなかった。薬師寺では奉納演奏会の意味もあったが、やはりコンサートは優れた音響を持つ会場で行った方が良い。

「Mr.LONELY」、「FRIEND」、「行かないで」という染みる系の歌を再び聴けたのは嬉しいし、子供の頃に聴いた「ワインレッドの心」や「悲しみにさよなら」をオーケストラ伴奏で再度味わうことが出来たのは貴重な体験である。台風が近づき、大阪はG20でいつもとは違う表情を見せているという状況もあったが、ドラマティックな歌唱が胸に響く。いや、玉置浩二の歌は耳や心だけでなく、全身で聴くものなのだろう。安易に「感動」と言ってしまってはいけないのかも知れないが、体全体が揺さぶられるような感覚に何度も陥った。

玉置浩二は、ゴールドリボン募金の呼びかけ人ということで「夏の終わりのハーモニー」では歌詞の一部を「ゴールドリボンに」に変えて歌う。

 

「夏の終わりのハーモニー」が終わった後、玉置浩二と湯浅卓雄は腕を組んで至近距離で向かい合い、「さあ、これからどうする?」というポーズを見せる。無論、アンコールはあるのだが、ポーズである。

まず、湯浅と大フィルがベートーヴェンの交響曲第6番「田園」第1楽章を演奏。旋律の所々が玉置浩二の「田園」に置き換わる。玉置が登場して、「田園」の熱唱スタート。聴衆も全員が手拍子で盛り上げ、一体となる。玉置浩二は、サビの部分を「愛はここにある。大阪にある」に変えて歌い、1階席は総立ちの聴衆が大歓声を送った。

この曲で終わりでも良かったのだが、アンコール2曲目として「メロディー」が歌われる。玉置はこの曲もラストはマイクなしで歌った。

満面の笑顔を見せた玉置浩二は、最後はエアハグ(なのかな? 自分を抱く格好をする)などを行い、喝采と興奮の中、ステージを後にした。

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2019年7月 1日 (月)

コンサートの記(568) ヨエル・レヴィ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第529回定期演奏会

2019年6月21日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第529回定期演奏会を聴く。今日の指揮はヨエル・レヴィ。

1988年から2000年まで務めたアトランタ交響楽団の音楽監督時代に脚光を浴びたヨエル・レヴィ。21世紀に入ってからはレコーディングの機会に恵まれないということもあって注目度はやや落ちた感じだが、昨年の京都市交響楽団への客演した際の演奏などから確かな実力の持ち主であることが分かる。
現在は韓国のKBS交響楽団の音楽監督兼首席指揮者として活躍している。
大フィルへの客演はこれで3度目となるレヴィ。日本から近い場所に拠点を持っているということもあって今後も日本のオーケストラに客演してくれそうである。東京のトップオーケストラは無理かも知れないが、日本の地方のオーケストラのシェフになればかなりの評判を呼びそうな気もする。

曲目は、モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」、ヤナーチェクの狂詩曲「タラス・ブーリバ」とシンフォニエッタという、チェコ繋がりのプログラムである。

 

今日はいつもと異なり、アメリカ式の現代配置での演奏。京響での演奏会の時もそうだったので、レヴィはこの配置を好むようだ。 今日のコンサートマスターは田野倉雅秋、フォアシュピーラーに須山暢大。

 

モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」。レヴィが持ち込んだ譜面での演奏だそうである。バロック・ティンパニを使用し、大きめの編成ながらHIPを駆使した演奏だが、序奏の部分はかなり遅め。ピリオドはテンポを速めにするのが特徴の一つなので、それに反した個性的な演奏である。主部に入るとアッチェレランドしていき、爽快さが加わる。
弦の音がとにかく美しいのが印象的。レヴィはユダヤ人だが、ユダヤ人は昔から美音を特徴とする弦楽奏者を数多く輩出している。また、ユダヤ人のメンバーが多いイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団も結成当初から弦楽の美しさを最大の売りとしてきた。そうしたことから考えると、やはり、ユダヤ人は弦楽の音への感度が他の民族に比べて高いのだと思われる。あたかも往時のプラハの街の空気まで運んできたかのような雅やかな美演であった。

 

ヤナーチェクの狂詩曲「タラス・ブーリバ」。
1970年代後半から1980年代前半に掛けて、チャールズ・マッケラスが行ったレコーディングの数々によって世界的な知名度が上がったレオシュ・ヤナーチェク。ボヘミアではなくモラヴィアの出身であり、モラヴィアの民族音楽研究に取り組み、人生の大部分をモラヴィアの中心地であるブルノで過ごしたというローカルな背景もあって個性的な作風で知られる。マッケラス以外では、やはりチェコの指揮者達が多くの録音を残している。

狂詩曲「タラス・ブーリバ」は、ゴーゴリの小説を元にした管弦楽曲である。
レヴィ指揮の大阪フィルは、描写力に富んだ演奏を展開。力強さ鋭さなどが印象的である。チェコの作曲家の中でも異色とされるヤナーチェクだが、英雄を題材にした楽曲ということもあって、スメタナやドヴォルザークの交響詩に似た部分もある。

 

ヤナーチェクのシンフォニエッタは、村上春樹の小説『1Q84』によって有名となった(書店の『1Q84』売り場ではシンフォニエッタのファンファーレの部分が延々と流れていたりした)が、それ以前からヤナーチェクの楽曲の中では最も取り上げられる機会の多い作品であった。多くの金管奏者を必要とする特殊な編成の楽曲であり、今日もフェスティバルホールのステージ最後部に金管奏者が横一列に並ぶという、抜群の視覚効果を生み出している。
フェスティバルホールも再建なってから6年が経ったが、当初に比べて音の通りが良くなっているようであり、シンフォニエッタでも優れた音響が聴かれる。
レヴィの生み出す音楽はスケールが大きく音圧も高いが、程良い抑制が効いており、最大音響でもうるさくなることはない。
弦の響きの美しさに加え、管楽器の輝かしさも加わり、大フィルの現時点での最高レベルの音楽が鳴り響く。
ヤナーチェクだけでなく、スメタナやドヴォルザークもそうだが、チェコの音楽は意図的に格好悪い要素を加えたり、洗練度を敢えて下げることによって生まれる「味」のようなものを重視している部分が演歌に通じているように思う。スメタナの「モルダウ」の合唱版やドヴォルザークの「家路」などが日本で好んで歌われるのもそうした理由なのかも知れない。

 

実は先月のデュトワ指揮の定期演奏会が満員になった揺り戻しがあるそうで、今日は空席が目立っていたが、レヴィと大フィルを盛大な拍手が称える。最後はレヴィがコンサートマスターの田野倉の手を引いて退場し、演奏会はお開きとなった。

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2019年6月10日 (月)

コンサートの記(561) シャルル・デュトワ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第528回定期演奏会1日目&2日目

5月23日と24日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

5月23日

午後7時から、大阪・中之島のフェルティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第528回定期演奏会を聴く。今回の指揮者はシャルル・デュトワ。現在、NHK交響楽団の名誉音楽監督の称号を得ているが、例の騒動によって恒例になっていたNHK交響楽団の12月定期への出演などが流れ、結果として大フィルへの客演が実現したのだと思われる。

シャルル・デュトワは1936年生まれ。ズービン・メータやエリアフ・インバルと同い年となり、この年は指揮者の当たり年のようだ。小澤征爾は1935年生まれで1つ年上、ネーメ・ヤルヴィが1937年生まれで1つ年下という世代である。
スイス・フランス語圏のローザンヌで生まれ育ち、生地とジュネーヴの音楽院でアンセルメらに学ぶ。タングルウッド音楽祭ではシャルル・ミュンシュにも師事している。1964年にベルン交響楽団を指揮してデビュー。ヘルベルト・フォン・カラヤンに認められ、ウィーン国立歌劇場のバレエ専属指揮者に指名されるが、コンサート指揮者になりたいという希望があったため断っている。
1970年に読売日本交響楽団を指揮して日本デビュー。会場は当時のフェスティバルホールであり、聴衆からも楽団員からも極めて高い評価を受けている。
1977年にモントリオール交響楽団の音楽監督に就任。当初はさほど期待されていなかったようだが、瞬く間に同交響楽団を世界レベルにまで押し上げて関係者をあっといわせる。1996年にNHK交響楽団の常任指揮者に就任。1998年には初代音楽監督に昇進し、2003年まで務めている。1991年から2001年まではフランス国立管弦楽団の音楽監督も兼務し、北米、アジア、ヨーロッパの三大陸にポストを持つなど多忙を極めた。1996年のゴールデンウィークにフランス国立管弦楽団を率いてサントリーホールで公演を行っているが、それが私にとって初の来日オーケストラに接する機会となった。

 

演目は、ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲、ベルリオーズの幻想交響曲。デュトワの十八番を並べたプログラムとなっている。
デュトワ指揮の「ダフニスとクロエ」は、NHK交響楽団の定期演奏会で全曲を聴いている。上演中に震度3の地震が起こったことでも思い出深い演奏会である。

 

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。第2ヴァイオリンは今日も客演を含めて全員女性奏者となっている。

 

ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」。フェルティバルホールという大型の空間であるため、祝祭的な爆発感は感じにくかったが、音の色彩感と縁取りの鮮やかさが見事な演奏である。

 

ラヴィルの「ダフニスとクロエ」第2組曲は、今日一番の出来と思えるハイレベルな演奏。上品だが痛切な音が奏でられ、音楽というものが確実に皮膚から染みこんでくる。
私にとって音楽はなくてはならないものだと確認出来ると同時に、世界にとって必要なものであると確信することが出来た。
「ダフニスとクロエ」第2組曲はオーケストラだけの演奏でも可能だが、今回は合唱入りでの演奏。大阪フィルハーモニー合唱団が美しい声を届ける。
「全員の踊り」のラストの高揚感も流石であった。

 

メインであるベルリオーズの幻想交響曲。基本的にデュトワの演奏はエスプリ・クルトワ路線であり、エスプリ・ゴーロワではない。ということでおどろおどろしさや狂的な要素を表に出すことは余りない(1階席20列45番という席で、直接音が余り届かなかったということもそう感じさせる要因だろうが)が、音に宿るドラマと生命力の表出は見事。フランス音楽のスペシャリストとしての全世界に名を轟かせたデュトワの実力は並みではない。

客席は最初の「ローマの謝肉祭」演奏終了後から爆発的に盛り上がり、「ダフニスとクロエ」第2組曲演奏終了後は、客席が明るくなっても拍手が鳴り続けてデュトワが再登場。幻想交響曲演奏終了後も「ブラボー!」が各所から聞こえ、最後はデュトワがお馴染みとなった「バイバイ」の仕草を行って、演奏会はお開きとなった。

 

5月24日

今日も午後7時からフェスティバルホールでシャルル・デュトワ指揮の大阪フィルハーモニー管弦楽団の第528回定期演奏会を聴く。

今日も1階20列目だが、52番という右端の席。すぐそこが壁であり、反射が良いので音の輪郭がクッキリと聞こえる。そのため、音の迫力がわかり、序曲「ローマの謝肉祭」の狂騒がよりはっきりと把握出来る。一方で、「ダフニスとクロエ」第2組曲では音がはっきりしてるため、昨日に比べると神秘的な雰囲気は感じにくいかも知れない。全てが理想的な席というのはなかなかないものである。

幻想交響曲では、デュトワはアゴーギクを多用。即興性もあり、いつものデュトワとはちょっと違う演奏である。音にはステージの底から沸き起こってくるような迫力があり、昨日感じた蒸留水的な美しさとは少し異なる印象を受けた。今日の演奏の方が私の好みに合っている。

今日は演奏終了後にバンダの鐘奏者を紹介したデュトワ。第2ヴァイオリンの女性奏者が感激の表情を浮かべており、大フィル初登場は大成功であった。

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2019年5月16日 (木)

コンサートの記(555) 尾高忠明指揮 大阪フィル×ザ・シンフォニーホール「ソワレ・シンフォニー」

2014年7月31日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時30分から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大阪フィル×ザ・シンフォニーホール「ソワレ・シンフォニー」というコンサートを聴く。途中休憩なし、上演時間約1時間という、通常のハーフサイズのコンサートで、井上道義が首席指揮者になったこの4月から大阪フィルがザ・シンフォニーホールで始めたシリーズである。今シーズンは有名作曲家の交響曲第1番をメインにしたプログラムが組まれている。今日の交響曲第1番はエルガー作曲のもの。ショーピースとして先に同じエルガーの行進曲「威風堂々」第1番が演奏される。指揮は日本におけるイギリス音楽演奏の第一人者といっても過言ではない尾高忠明。今日の大阪フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターは田野倉雅秋。フォアシュピーラーは渡辺美穂。

演奏開始前に尾高忠明によるプレトークがある。「7時30分開演。皆さん、不思議でしょう。でもヨーロッパではこれが普通なんです。午後8時開演、スペインなどでは午後11時開演というコンサートもあります。午後11時開演だと終わるのが翌日の午前1時。で、そこからレクチャーを行ったりしまして、午前6時に終わってそのまま移動という大変なことになったりするのですが」と話し始める。
「私は桐朋学園大学というところで齋藤秀雄先生に指揮を習いまして、齋藤先生は今から40年前に亡くなりましたので若い方はご存じないかも知れませんが。齋藤先生が仰ったのは、『指揮者は余り喋っちゃ駄目だよ』」と語って笑いを取る。

「日本指揮者協会というものがありまして、二代目の会長が齋藤秀雄先生。そして三代目の会長が大阪フィルの朝比奈隆先生でした。朝比奈先生が会長をされていた頃に、『みんなで何かやろうじゃないか』という話が持ち上がりまして、その時、日本指揮者協会には70人ほどが参加していたのですが、70人で指揮しても仕方がない。そこで、みんなでオーケストラをやろうという話になりました。朝比奈先生はヴァイオリン、私もヴァイオリンをやっておりまして、井上道義君はコントラバスです。指揮者はなしで演奏しようということになりました。で、モーツァルトの『フィガロの結婚』序曲、オッフェンバックの『天国と地獄』序曲、最後に『カステラ一番』と出てくる奴ですね。『天国と地獄』には美しいヴァイオリンソロがありまして、これを誰がやるのがいいか、そこで、江藤俊哉先生、彼はヴァイオリニストでありましたが指揮者もしていまして指揮者協会にも入っていた。で、江藤さんがいいだろうと。次は『越天楽』(近衛秀麿編曲のオーケストラ版である)ですが、これは指揮するのも難しいが、演奏するのも難しい(雅楽はクラシックとは異なり、他の奏者と出だしを合わせてはいけないのである。クラシックは合わせるのが基本だが、邦楽、特に雅楽では「音が重なるのは相手に失礼」という正反対の考え方をする)。そこで、江藤先生に『首を振ってくれ』と注文すると上手く合った。じゃあ、これで行こうと。で、指揮者はみんな忙しいので、練習は本番前の2時間だけ。山本直純さんがトランペットを吹いていたのですが、『調子が良い』というので、それで練習を終えまして、大賀典雄さん、ソニーの大賀典雄さんが『フィガロの結婚』のアリアを歌うというので(大賀典雄はソニーの社長として有名だが、東京芸術大学声楽科を卒業しており、ドイツに音楽留学もしていて当初はバリトン歌手志望であり、企業人になる予定はなかった。指揮者としての活動もしており、晩年にはレコーディングも行っている)ちょっと歌って、『良い、良い』というので本当は3分のところを30秒で終わりまして、そうやって本番と。『フィガロの結婚』序曲でもう拍手喝采であります。『天国と地獄』では、『江藤、ブラボー!』と個別にブラボーが掛かりまして。で、それが良くなかったんですね。『越天楽』では、江藤さんが首を振るのを忘れてしまいまして、しっちゃかめっちゃかに。『江藤さん、首振って、首振って』と言ったのですが、江藤先生はブラボーを貰ったものですから良い気分になっていて、もう自分の世界に入ってしまって人の声が聞こえないわけです。客席からは『しっかりしろ!』なんて声も聞こえる。で、山田一雄先生、山田先生はハープが得意だったのですが、山田先生のような偉い方を奥に置いていくわけにはいかないので、ステージの前寄り、私の横ぐらいにハープを置いていたんです。我々はパート譜だけだったのですが山田先生は総譜を持っていまして、『ああ助かった』と思い、『山田先生、今、我々はどこにいますか?』と聞いたところ、山田先生から『我々は今、何の曲をやってるんだい?』と返ってきまして。今日は『しっかりしろ!』などと言われないように演奏したいと思います」と大阪人好みのユーモアを交えた話をした。

今日は前から6列目。ザ・シンフォニーホールはどの席で聴いても良い音はするが、前から6列目だと、直接音が届きすぎて、マスとしての響きは堪能しにくいため、私好みの音を聴くことは残念ながら出来なかった。

行進曲「威風堂々」第1番。重心のしっかりした演奏であり、BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団(ウェールズ人は「自分達はU.K.には含まれるがイングランド人ではない」と考えているかも知れないが)の首席指揮者としての活躍で知られる尾高のイギリスものへの適性がよく示されている。推進力もあり、それでいてノーブルさを失わない。

エルガーの交響曲第1番。
「ブラームスの交響曲第5番」と賞賛された(実は「ブラームスの交響曲第5番」といわれたのには他にもわけがある)スケール豊かな作品である。尾高指揮の大フィルは潤いのある音色で、堂々とした演奏を展開する。この今日はリズム楽器に打楽器ではなくコントラバスを多用するという特徴があるのだが、コントラバスの生かし方も優れている。
弦の俊敏さ、管の力強さが目立ち、弦と管のバランスにも秀でている。「見事」と言う他ないエルガーであった。

演奏終了後、尾高はマイクを持って登場し、「井上(道義)君と僕とは50年来の親友でありまして、(井上道義が癌で入院したということを聞いたときは)ショックを受けましたが、あれから何度もメールのやり取りを致しまして、かなり元気になっているようです。秋には井上君もきっと復帰してくれるだろうと思っております」と語った。尾高忠明は今では見るからに紳士然としているが、桐朋学園大学時代は、井上と共に、「悪ガキ井忠(イノチュウ)」と称されるほどやんちゃであった。井上道義は今もやんちゃであるが。

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2019年4月16日 (火)

コンサートの記(544) クシシュトフ・ウルバンスキ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第474回定期演奏会

2013年12月5日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第474回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は1982年生まれという超若手、ポーランド出身のクシシュトフ・ウルバンスキ。
プログラムは、ペンデレツキの「広島の犠牲者のための哀歌」、ピアノ協奏曲第18番(ピアノ独奏:フセイン・セルメット)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」

ウルバンスキと大フィルの共演は3度目だそうだが、私はウルバンスキの指揮で聴くのは初めてである。ウルバンスキは毎回、祖国ポーランドの作曲家の作品を取り上げているそうだが、ポーランドの作曲家には、ショパン(フランス系であり、パリで活動はしたが)を始め、ペンデレツキにルトスワフスキ、グレツキなどがすぐに思いつく。ピアニストにクリスティアン・ツィマーマン、ラファウ・ブレハッチ、ワンダ・ランドフスカ、ミェチスワフ・ホルショフスキ、エヴァ・ポヴウォツカなどがおり、指揮者もスタニスラフ・スクロヴァチェフスキや、NAXOSに看板指揮者を務めるアントニ・ヴィトなどがいて音楽大国である。
音楽のみならず、映画監督の分野でもアンジェイ・ワイダ、ロマン・ポランスキー、クシシュトフ・キェシロフスキなど世界中の映画監督から尊敬されるほどの大物が輩出しており、芸術大国であるともいえる。
にしても、発音しにくい名前の人が多い。
ペンデレツキもファーストネームはクシシュトフであり、クシシュトフというファーストネームのポーランド人男性は多いことが察せられる。

ペンデレツキの「広島の犠牲者のための哀歌」は、もともとは「8分37秒」という即物的なタイトルの作品であり、その後、「哀歌8分37分」となった。日本初演の際に「広島の犠牲者に捧ぐ哀歌」とされ、その後、そのタイトルは揺るがぬものとなった。純音楽作品であり、広島の原爆を描いた作品ではないが、原爆投下後の広島の惨状を音楽にするとまさにこのようになるのではないかと思えるほどしっくりくる曲である。元のタイトルの「8分37秒」であるが、ジョン・ケージの「4分33秒」とは違い、ラヴェルの「ボレロ」の「17分ほど」という記述と同様、目安として書かれた程度で厳密に守らなければならないものではない。タイトル改訂と同時にタイム指定も外されたはずであり、私はこの曲の音盤を何種か持っているが、即興的な要素も多いこともあって、元のタイトルのタイムジャストで演奏しているものは作曲者自身が指揮した演奏も含めて多くない。アントニ・ヴィト指揮ポーランド国立放送交響楽団による演奏が当初のタイムに一番近いと思われる。詳しいサイトを調べたところ、平均演奏タイムは10分ほどだという。

クシシュトフ・ウルバンスキ登場。長身痩躯、男前、いかにも才子といった感じである。
指揮者と同じ、クシシュトフというファーストネームを持つペンデレツキの「広島の犠牲者に捧ぐ哀歌」。弦楽のための作品である。
トーンクラスターという、現代音楽ではよく使われる技法を特徴とする。近いが微妙に異なる音程の音を一斉に奏でることで、非常に力強く、衝撃的な響きを生むという手法である。ホラーやサスペンスの映画やドラマの、恐怖心を煽る場面での音楽でもトーンクラスターは多用される。というより、クラシック音楽よりも、映画音楽などで多用されている作曲法といった方が適当だろうか。
クラシック音楽の予備知識のない人がこの曲を聴いたら、「なんだこれは? 音楽か?」と思うかも知れない。
いつも通り、指揮者と対面する席に座ったので、弦楽奏者達の譜面を見ることが出来たのであるが、およそ楽譜らしくない譜面が並んでいる。隣接した音を弾くために五線譜が真っ黒になってしまい、あたかも塗り絵のようである。
指揮者の仕事は拍を刻むよりもどの音をどれだけ強調し、どれだけ延ばすか決定することにある。ウルバンスキはノンタクトで、強く響かせたい音に向かって手をかざす。曲が進むにつれて右手で拍を刻むこともあるが、基本的には、速度よりもバランスを取ることを心がけている。
大阪フィルの弦は思ったよりも力強くなかったが、納得のいく水準には達していた。

フセイン・セルメットを独奏者に迎えての、モーツァルト、ピアノ協奏曲第18番。大フィルは典雅な響きを奏でるが、第1楽章では例によってモッサリした感じが出てしまう。大植英次や、優れたベテラン指揮者が振ると、このある種の野暮ったさは顔を潜めるのだが、やはり指揮者が若いということもあって地の部分が出てしまうのであろう。
ただ、ピリオドを意識したのかはわからないが、若干ビブラートを抑え気味にした弦の響きは透明感もあって美しい。
ウルバンスキはこの曲では指揮棒を用い、腕の動きは余り大きくないが、スナップを利かせることで指揮棒は大きく動くという効率的な指揮を行っていた。
セルメットのピアノであるが、落ち着いた男性的なモーツァルトを奏でていく。一音一音を指で丁寧に押さえることでこうしたモーツァルト演奏が可能なのだろう。「タン・タララン」と軽やかに弾くと華やかなモーツァルトにあるが、セルメットはこれを「タン・タラ・ラン」と微妙に変えることで安定感のある音楽を生み出していた。

ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。
現在では屈指の人気曲であるが、初演時はバレエの内容と、斬新な音楽が一大スキャンダルになったことでも知られている。この曲はファゴットが通常では使わないような高い音を出して始まるのだが、これに関してサン=サーンスは「ファゴットの使い方を知らない奴が現れた」と書き記しており、その他にも、「これは音楽ではない」などとする批評もあった。その意味で、「広島の犠牲者のための哀歌」と「春の祭典」を同じ演奏会の曲目に載せたのは上手いと思う。
ウルバンスキは速めのテンポを基調とするが、時折、急激に速度を落としたり、急激な加速をしたりと、即興的な味わいが加わる。大阪フィルの合奏力も高く、たまに技術的に不安定な時もあるが、パワフルな演奏が展開される。
ウルバンスキの指揮は、右手で変拍子を処理しつつ、左手を音を出すべき楽器を掴むような手つきで出したりする。こうしたところはダニエル・ハーディングの指揮姿に似ている。
激しい部分になると、体をくねらせながら、ちょっとナルシストっぽい動きをしたりする。ここはハーディングには似ておらず、なよなよした印象も受けて、見ていてちょっと気にはなったが、音楽的には良いものを生み出していた。

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2019年3月30日 (土)

コンサートの記(536) レナード・スラットキン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第526回定期演奏会

2019年3月22日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第526回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、「最もアメリカ的な指揮者」と呼んでもいいと思われるレナード・スラットキン。

ハリウッド・ボウルの指揮者として活躍したフェリックス・スラットキンの息子であるレナード・スラットキン。
ロサンゼルスの生まれ、1979年にセントルイス交響楽団の音楽監督に就任すると短期間で同楽団のレベルアップに成功。全米オーケストラランキングでシカゴ交響楽団に次ぐ第2位に入ったことで話題となり、スラットキンとセントルイス響は来日公演を行うまでになっている。その後、スラットキンはワシントンDCのナショナル交響楽団の音楽監督に転身、更にBBC交響楽団の首席指揮者にも就任しているがこの時期は録音にも恵まれず、低迷の印象は拭えなかった。だが、デトロイト交響楽団の音楽監督就任以降は復活し、リヨン国立交響楽団の音楽監督なども務めている。

 

オール・アメリカ・プログラム。レナード・バーンスタインとアーロン・コープランドの楽曲が交互に並ぶ。レナード・バーンスタインのミュージカル「キャンディード」序曲、コープランドの「田舎道を下って」、バーンスタインの「チチェスター詩篇」、コープランドの交響曲第3番の演奏である。

 

今日のコンサートマスターは須山暢大が務める。

 

レナード・バーンスタインのミュージカル「キャンディード」序曲。佐渡裕司会時代の「題名のない音楽会」オープニングテーマとして日本でも知名度が高い曲である。リズム、推進力、豊かな旋律など、アメリカ音楽の要素が凝縮されたような作品であり、日本人の指揮者も取り上げることが多いが、やはりアメリカ人の指揮者であるスラットキンの指揮だけに複数の要素の処理の仕方に手慣れたものが感じられる。

 

バーンスタインの作曲の師としても知られるアーロン・コープランド。二人とも同性愛者であり、師弟関係以上のものがあったといわれている。
「田舎道を下って」は、コープランドが自作のピアノ小品をユースオーケストラのために編曲したものである。描写音楽ではなく、タイトルは作品完成後になんとなくつけられたものらしい。
抒情美と印象派的な冴えた色彩感覚を特徴とする楽曲であり、大フィル弦楽器軍の響きが実に美しい。

 

レナード・バーンスタインの「チチェスター詩篇」。バーンスタインの代表曲であるが、コンサートのメインとするには演奏時間が短く(20分ほど)、合唱とボーイソプラノもしくはカウンターテナーという編成も特異であるため取り上げられることは少なく、大フィルがこの曲を演奏するのは史上初めてになるという。
オーケストラの編成も特殊で、木管楽器は用いられず、トランペットとトロンボーンは3管、打楽器が多数用いられている。ハープは2台編成であるが、今日はハーブが指揮者と向かい合う形で2台置かれるという、普段余り見ない配置となった。
合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。カウンターテナー独唱は藤木大地が務める。

バーンスタインは作曲家デビューが「音楽なんて大嫌い!」という歌曲であり、その後もミュージカルやオペラ、ミサ曲、交響曲第1番「エレミア」にも独唱が入っているなど、声楽入りの作品に力を入れていた。「チチェスター詩篇」はイギリスのチチェスター音楽祭のために書かれた宗教曲である。
第1楽章はバーンスタインらしいリズミカルな楽想だが、第2楽章第3楽章ではバーンスタインのもう一つの側面である危機感と崇高美の対比が奏でられる。
藤木大地が美しい声を聴かせ、大阪フィルハーモニー合唱団も充実した歌声を響かせる。

 

メインであるコープランドの交響曲第3番。今回は原典版での演奏である。この曲が初演された際、バーンスタインが立ち会っていたのだが、終演後にバーンスタインが「少し長い気がします」とコープランドに進言。コープランドがそれを受け入れて8小節分カットした譜面によって再演されたのだが、再演時の楽譜が総譜とした出版されたため、長い間カット版が決定稿とされてきた。だが、スラットキンが初演時の音源をスコアを見ながらCDで聴いた際、数が合わないことを発見。アメリカ公文書館に行ってコープランドの自筆譜を確認したところ、第4楽章が8小節分長かったということがわかったという。

自作の「市民のためのファンファーレ」を取り入れて構成した作品である。非常にエネルギッシュな作品だが、印象派的な響きの美しさやストラヴィンスキー的なマジカルな音響がかなりはっきりと分かるように書かれている。
アメリカ音楽は歴史が短いため作曲家のプライドも欧州に比べれば高くなく、様々な音楽的要素を取り入れて作品を構成することに遠慮やてらいのようなものが少なく、そのことが日本も含めた音楽後進国の作品に繋がる面白さを生んでいるように思われるのだが、コープランドの交響曲第3番もそうしたごちゃ混ぜ的趣向に富んでいる。これはアイヴスやバーンスタインの作品に通じることでもある。

スラットキンは大阪フィルから立体的な音響を引き出す。浮き上がる様子が目に見えるような弦楽などは秀逸であり、管や打楽器も力強い。余りアメリカ音楽に向いたオーケストラでは大フィルだが、スラットキンによって磨き抜かれた音で聴衆を魅了。アメリカ音楽は日本では余り人気がないので、今日は空席が目立ったが、居合わせた人の多くを熱くさせる演奏だったように思う。

 

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2019年2月 8日 (金)

コンサートの記(520) 準・メルクル指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第466回定期演奏会

2013年3月1日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第466回定期演奏会を聴く。今日の指揮はNHK交響楽団への客演で日本でもおなじみの準・メルクル。知らない方のために書いておくと、準・メルクルは1959年、ミュンヘン生まれのドイツの指揮者。父がドイツ人、母が日本人のハーフで、準というファーストネームの漢字は物心ついてから自分で決めたという。

NHK交響楽団には毎年のように客演しており、力があるものしか指揮台に立てない年末の第九を指揮したこともあるし、AltusレーベルにはNHK交響楽団とのレコーディングも行っている。また、最近では廉価盤レーベルの雄NAXOSにリヨン国立管弦楽団と「ドビュッシー管弦楽曲全集」を録音して好評である。


プログラムは、ロベルト・シューマンのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:イングリット・フリッター)、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」抜粋。「ニーベルングの指輪」はロリン・マゼールのように編曲して管弦楽組曲として演奏する場合もあるが、今回はワーグナーのスコアには手をつけず、要所要所を抜き出して繋いだものだという。実際、有名な「ワルキューレの騎行」も結末のある管弦楽曲版ではなく、そのまま「ヴォータンの告別」に繋げていた。


シューマンのピアノ協奏曲。イングリット・フリッターは1973年生まれ、ブエノスアイレス生まれという、マルタ・アルゲリッチを思わせるような出身地を持つ女流である。

そのフリッターの弾くシューマンはリリカルではなくエモーショナル。指よりも心で弾くピアノだ。表現も音の強弱も幅が広い。

メルクル指揮する大阪フィルも情熱的な伴奏でフリッターの演奏に応えた。
フリッターはアンコールとしてショパンの夜想曲第19番を演奏した。センチメンタルな曲調ではあるが、フリッターのピアノには独特の情熱があり、諦観のようなものは窺えない。


メインのワーグナー楽劇「ニーベルングの指輪」抜粋。「ラインの黄金」より序奏、神々のニーベルハイム下降の場の音楽、「ワルキューレ」からワルキューレの騎行、ヴォータンの告別より、「ジークフリート」からジークリートと大蛇ファーフナーの戦い~ファーフナーの死、「神々の黄昏」から夜明けとジークフリートのラインへの旅、ジークフリートの死と葬送行進曲、ブリュンヒルデの自己犠牲(後半)と終曲という構成である。

メルクルは冒頭の序奏の夜明けの場面から音を丁寧に重ね(コントラバス、ファゴット、ホルン、ワーグナーホルン)、暗い音から華々しい金管へと音が移行することで徐々に夜が明けていく部分を丁寧に作る。ドイツの歌劇場で鍛えたメルクルだけに、このあたりの表出力は流石である。大フィルも重厚でかつ洗練された音でメルクルの指揮に応える。有名な「ワルキューレの騎行」は爽快であるが、決して悪のりはしない。「ジークフリートの死と葬送行進曲」も自然な悲しみが滲み出ていた。

全曲を通して50分ほどの版であるが、長さを感じさせない見事な演奏であった。メルクルと大フィルの高い集中力の賜物であろう。

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2019年1月22日 (火)

コンサートの記(510) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第524回定期演奏会

2019年1月17日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第524回定期演奏会を聴く。今日の指揮は大フィル音楽監督の尾高忠明。

曲目は、武満徹の「トゥイル・バイ・トワイライト ~モートン・フェルドマンの追憶に」、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン独奏:神尾真由子)、エルガーの交響曲第1番。


今日のコンサートマスターは崔文洙。今日はエキストラが多い。以前、真宗大谷派圓光寺での「テラの音」にも出演していた一楽恒がチェロに入っている。一楽は大フィルや京響にたびたびエキストラとして加わっている。

武満徹の「トゥイル・バイ・トワイライト ~モートン・フェルドマンの追憶に」。黄昏の光の移ろいを描いた曲である。いつもながらのタケミツ・トーンが聴かれるが、この曲はドビュッシーへのオマージュのような響きがところどころで浮かび上がる。盛り上がる場所は、交響詩「海」の波の描写のようだし、ラストは「牧神の午後への前奏曲」を思わせるようなたおやかな音色である。
武満のよき理解者の一人である尾高の指揮だけに、遺漏のない仕上がりとなっていた。


ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番。

独奏の神尾真由子の演奏には3日前に接したばかりだが、今日は堂々としたスケールと磨き抜かれた音が聴かれる。ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタに苦戦していたヴァイオリニストと同一人物は思えないほどだ。濃厚なロマンティシズムや吸い込まれそうになるほどに強い郷愁の描写など、これまでに聴いてきたブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番の奏者の中でトップに躍り出るのではないだろうか。

尾高指揮の大フィルも、迫力満点で高密度の伴奏を聴かせる。ソリストとオケが丁々発止といった感じで聴きものであった。

拍手に応えて神尾は何度もステージに登場したがアンコールはなし。ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番を弾くのは疲れるだろうからね。


尾高忠明の十八番であるエルガー。尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏によるエルガーの交響曲第1番は、以前、ザ・シンフォニーホールで行われたソワレ・シンフォニーで聴いている。

今日はフェスティバルホールでの演奏ということで、ザ・シンフォニーホールの時の360度全てが音で満たされるような音響には当然ながらならず、スマートな感じである。「会場がザ・シンフォニーホールだったらな」と思わないわけではないが、横幅のあるステージから湧き上がってくるような音も聴いていて悪くはない。
まさにブリリアントでマッシヴな演奏であり、大英帝国の栄耀栄華を描いたような最終楽章のクライマックスでは日本人なのに胸が熱くなるのを感じた。これぞ正真正銘の英国音楽であり、演奏である。



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2019年1月17日 (木)

コンサートの記(507) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第450回定期演奏会

2011年7月15日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団第450回定期演奏に接する。今日の指揮者は音楽監督の大植英次。全曲、ドイツ式現代配置での演奏であった。

曲目は、オットー・クレンペラーの「メリー・ワルツ」(日本初演)、ベートーヴェンの三重協奏曲(ヴァイオリン:長原幸太、チェロ:趙静、ピアノ:デニス・プロシャイエフ)、ラヴェルのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:デニス・プロシャイエフ)、リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」組曲。

今日の大植は、燕尾服ではなく、スキー服というか人民服というか指揮者独特のいでたち。左胸のポケットに汗拭き用のハンカチーフを入れている(舞台上で汗を拭くことはなし。なお、前半は赤、後半はオレンジと色を変えていた)。


「メリー・ワルツ」。20世紀を代表する指揮者の一人、オットー・クレンペラーの作品である。

クレンペラーはマーラーの弟子の一人で、若い頃はベルリンを拠点に現代音楽のスペシャリストとして活躍。ユダヤ系ドイツ人だったため、ナチスの手から逃れるためにアメリカの亡命。その後、脳腫瘍を患い、それが元で演奏のテンポが遅くなり、巨匠風の演奏をするようになっていった。その後、EMIのプロデューサーであったウォルター・レッグがロンドンに創設したフィルハーモニア管弦楽団の指揮者となり、数々の名演を展開、録音にも残している。レッグが越権行為でEMIを去るのと同時にフィルハーモニア管弦楽団も解散されるところだったが、楽団員がクレンペラーを担ぎ上げ、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を創設、自主運営を始める。レッグはフィルハーモニア管弦楽団の名称をよそのオーケストラに売ってしまったが、1970年代後半にニュー・フィルハーモニア管弦楽団はフィルハーモニア管弦楽団の名称を買い戻し、今もフィルハーモニア管弦楽団の名で活動を続けている。

クレンペラーは脳腫瘍の後遺症もあり、数々の奇行で知られたが、フィルハーモニア(ニュー・フィルハーモニア)の楽団員からは音楽の神様と尊敬され、ロンドン市民からも絶大な支持を受けた。
余技として作曲をする指揮者も多いがクレンペラーもその一人。6つの交響曲、9つの弦楽四重奏曲、ミサ曲など多数の曲を書いているが、自身を「指揮もする作曲家だ」と認識していたレナード・バーンスタインなどとは違い、作曲は余技と決めていたため、生前、自らの手で指揮することも、他者に演奏して貰うこともほとんどなかったという。

「メリー・ワルツ」は、クレンペラーが生前演奏した数少ない曲として知られる。演奏会での演奏ではなく、リヒャルト・シュトラウス作品のレコーディングの余白におまけのように挿入された。

今日は大阪フィルハーモニー交響楽団の首席コンサートマスターである長原幸太がソリストを務めるため、コンサートマスターを外れ、客演首席コンサートマスターの崔文洙も他のオーケストラと兼任のため都合が付かなかったようで、特例として田野倉雅秋が客演コンサートマスターを務める。

「メリー・ワルツ」は20世紀を生きた、しかも若い頃に現代音楽の演奏で鳴らした人が作曲したとは思えないほどチャーミングで時代がかったメロディーを持つ。旋律はどこか素人くさい。和音は比較的鋭いものが使われていて、そこだけが20世紀の作品であることを感じさせる。美しいメロディーの第一部、ややせわしくなる第二部、最初のメロディーが戻ってくる第三部の三部構成からなる作品。

大植指揮の大阪フィルの演奏は安定したものだったが、曲自体が魅力的とは思えない。これまで日本で演奏されてこなかったのもわかる気がする。多分、今後もコンサートで聴くことはないだろう。それでも大植は「メリー・ワルツ」を高く評価しているようで、演奏終了後に楽譜を掲げて見せた(大植は全曲暗譜で譜面台も楽譜もないのでコンサートマスターの譜面を使った)。


ベートーヴェンの三重協奏曲。ヴァイオリン、チェロ、ピアノの3人をソリストにするという珍しい作品である。ベートーヴェンがなぜこうした珍しい編成の協奏曲を書いたのかわかっていないが、ソリストの中ではチェロの比重が比較的大きく、チェロの名手を想定して書いた可能性が高い。

チェロの趙静は中国生まれで日本でも教育を受けたことのあるチェリスト。比較的人気も高い。ヴァイオリンの長原幸太は大阪フィルの首席コンサートマスター。ピアノのデニス・プロシャイエフは1978年にベラルーシで生まれ、ウクライナのキエフで音楽を習った後に、ドイツのハノーファー音楽大学でピアノを専攻するが、同時に同大学の終身教授である大植英次に指揮も習っているという。

余り演奏されない曲であるため、ソリスト3人は楽譜を見ながらの演奏であったが、大植は暗譜でノンタクトで指揮する。大植の音楽に関する驚異的な記憶力はよく知られており、これまで楽譜を見て指揮したことはほとんどなし。大阪フィルのリハーサルでは暗譜の上、リハーサル終了後には奏者が間違えた箇所に全て正確に付箋を貼った楽譜を持ってきて、大フィルのメンバーから驚嘆されたという。

大植が大フィルのチェロから暖かな音を引き出して演奏開始。上々のスタートである。チェロの趙静が安定した渋い音色を奏でる。ヴァイオリンの長原幸太は音は艶やかだが、やや線が細く、オーケストラのコンサートマスターがソリストを務める限界を感じさせる。プロシャイエフのピアノは音が丸味を帯びており、コロコロとした独特の響きが特徴的である。


後半、ラヴェルのピアノ協奏曲。もとから人気曲であるが、「のだめカンタービレ」において重要な役割を果たした曲として一層ポピュラーになった。

ピアノソロのプロシャイエフはベートーヴェンの時と同じスタイルで来るかと思いきや、渋くて深みのある音を奏で、芸風の広さを感じさせる。大フィルは冒頭でトランペットが引っかかりそうになるが、何とか上手くごまかす。

ラヴェルの第2楽章は、甘酸っぱい音楽であるが、プロシャイエフが弾くと哀愁たっぷりの音楽に聞こえる。大植指揮の大フィルもプロシャイエフに合わせた演奏を展開。新しい解釈だが、映画音楽そのものに聞こえてしまうのが難点である。

第3楽章はプロシャイエフのテクニックの冴えが印象的であった。


リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」組曲。大植はリヒャルト・シュトラウスを得意としているが、今日も冒頭から思い入れたっぷりの演奏をする。弦も管も音色が美しく、音の一つ一つに生命が宿っている。最近は余り大きな動きをしなくなってきていた大植であるが、今日は指揮台の上で大暴れ。腕が素早く、ダイナミックに動く。
日本人指揮者と日本のオーケストラの組み合わせとしては間違いなくトップクラスの名演であった。

演奏終了後の拍手もいつもよりも大きく、大植と大フィルを讃える。普段は大植が指揮台の上に立って客席をぐるりと見回すと演奏会終了の合図なのだが、それでも拍手は鳴り止まず、大植が再び登場し、コンサートマスターの腕を無理矢理引っ張って一緒に退場させて演奏会の終了を告げた。

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2019年1月16日 (水)

コンサートの記(506) 大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別公演「大植英次スペシャル」2011

2011年4月19日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別公演「大植英次スペシャル」を聴く。

曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノム」(ピアノ独奏:小曽根真)、マーラーの交響曲第1番「巨人」。

本業はジャズピアニストの小曽根真は先週の大植英次指揮大阪フィルの定期演奏会にも出ていたし、日曜には音楽劇にピアニストとして出演(セリフはないがちょっとした演技はあり)、そして今日は大阪フィルの京都演奏会に登場と忙しい。

モーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノム」。モーツァルトのピアノ協奏曲というと、アシュケナージのように鍵盤を舐めるような美音を奏でるピアニストも多いが、小曽根のピアノは芯のしっかりしたものだ。この協奏曲には3楽章ともにカデンツァ(オーケストラなしでピアニストが弾く部分。かつてはピアニストが即興演奏を行う部分だった)があり、第1楽章、第2楽章は格調の高いカデンツァだったが、第3楽章のカデンツァ(ここだけはモーツァルト自身が作曲している)は、ジャジーな弾き方に聞こえた。「ジュノム」に関しては数度しか聴いたことがないので、実際はどう弾かれることが多いのか私にはわからない。よって意図的にジャジーな演奏にしたのか結果的にそうなってしまったのかもわからない。

大植指揮の大阪フィルは典雅な演奏を繰り広げるが、京都コンサートホールの音響は、ザ・シンフォニーホールに比べると不利なことは明らかで、モヤモヤとした響きに聞こえてしまう。

演奏終了後、大植英次が、大阪(豊中市)の小曽根小学校の校歌の楽譜を持って登場。小曽根真に歌詞を読ませる。大植は、小曽根小学校のみんなが小曽根真を応援しているとして、小曽根真に小曽根小学校の校歌で即興による変奏曲を弾いて欲しいようで、自らピアノで小曽根小学校の校歌を弾いてみせる。小曽根真は校歌を変奏するのはやはり心情的に憚れるのか、それとも校歌の曲調が即興に合わないとみたのか、校歌を弾くことはせず、代わりにショパンの「子犬のワルツ」の編曲版を弾いた。


マーラーの交響曲第1番「巨人」。

交響曲第6番「悲劇的」の演奏が忘れられない大植のマーラーだが、最近の大植のマーラーは交響曲第5番にしろ第9番にしろ、極端に遅いテンポを採って賛否両論を巻き起こしている。

第1楽章は総体としてテンポは平均的だが、遅いところはかなり遅く、速いところはオーケストラが付いていけないほど速いテンポを採用。かなりメリハリのはっきりした演奏で、やはり異色である。特に終結部の加速はこれまで私が聴いてきた同曲の演奏の中でも間違いなく最速であった。

第2楽章は立体感のある演奏で、情熱にも富み、大植の本領が発揮された演奏である。

第3楽章。大植は、棒を振らず、顔のみで指揮。テンポは真っ先に演奏するティンパニ奏者とコントラバス奏者に完全に任せているようで、主部に入って棒を振るようになってもそのテンポを守った。冒頭がかなり遅いテンポだったので、全体としてもゆっくりとした演奏になった。

最終楽章はなかなかの出来であったが、京都コンサートホールの音響によって、響きが抑制されて聞こえるのが残念である。


終演後、大植は、レナード・バーンスタイン作詞による「キャンディード」(原作はヴォルテール)より“メイク・アワ・ガーデン・グロウ(「自分の畑を耕そう」。出光のCMで流れている曲である)”を朗読した後、その“メイク・アワ・ガーデン・グロウ”(作曲もレナード・バーンスタイン)をアンコールとして演奏した。

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