カテゴリー「大阪フィルハーモニー交響楽団」の50件の記事

2019年10月14日 (月)

コンサートの記(597) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別公演2019

2019年10月6日 京都コンサートホールにて

午後3時から、京都コンサートホールで大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別公演を聴く。指揮は音楽監督の尾高忠明。癌の手術から復帰したばかりである。

曲目は、前半がモーツァルトのフルート協奏曲第2番と尾高尚忠のフルート協奏曲(フルート独奏:エマニュエル・パユ)、後半がチャイコフスキーの交響曲第5番。

今日のコンサートマスターは須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏である。

エマニュエル・パユが登場するためか、男女ともに若い聴衆も多いのが特徴。ただ、大阪フィルのフェスティバルホールでの定期演奏会は、3階が学生限定席に指定されているため、普段はどれほどの入りなのかが把握出来ていなかったりする。

エマニュエル・パユは現役のフルーティストとしては世界中で最も有名だと思われる人物である。長くベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席フルート奏者を務めており、同楽団の顔の一人でもある。実演を聴くのは多分3回目であるが、前回と前々回は共に室内楽のコンサートであったため、オーケストラとの共演を聴くのは初めてになる。

 

モーツァルトのフルート協奏曲第2番。パユのフルートは音色が澄んでいるだけでなく、芳香を発するかのような気品に溢れている。人気があるのも当然である。
大フィルの弦はノンビブラートと音を細かく切る感じのピリオド奏法での演奏を行う。天井の高い京都コンサートホールなので、音が小さく聞こえてしまうが、モーツァルトを演奏するにはやはりピリオドの方が雅やかで合っている。

 

尾高尚忠のフルート協奏曲。
尾高尚忠は、尾高忠明の実父である。1911年生まれ、日本で作曲をスプリングスハイムに師事した後でウィーンに渡り、指揮をワインガルトナーに師事した。帰国後は日本交響楽団(NHK交響楽団の前身)の常任指揮者となり、指揮に作曲に八面六臂の活躍を展開。現在は日本の年末の風物詩となった第九特別演奏会を始めた人物でもある(異説あり)。ただ過労がたたって、39歳の若さで逝去。新聞などには「日響(日本交響楽団)が尾高を殺した」という見出しが躍った。

演奏時間約15分という短い作品だが、目の前の世界を次々と広げつつ天翔るようなフルートの躍動が印象的な第1楽章、ピアノが入ったり、弦がコルレーニョ奏法で日本的なリズムを刻むなど独特の個性が光第2楽章など魅力的な要素に満ちている。
パユの自在感溢れるフルートは、日本の現代作品にも見事に適応。日本人のフルーティストが演奏するとまた違った印象になると思われるが、軽やかさと広がりにおいてはベストの出来を示す。

パユのアンコール演奏は、ニールセンのフルート独奏曲「子供たちが遊んでいる」。ニールセンの一般的イメージとは異なる作風で、聴いている時は古典派の楽曲のように聞こえた。

 

チャイコフスキーの交響曲第5番。尾高の指揮なので、端正な造形を予想し、実際に冒頭はそうだったが、途中で金管を強烈に吹かせる。立体感は出るものの本拠地ホールではないということもあって精度は今ひとつなるが、それよりも内容を重視したような演奏となる。演奏終了後に尾高は、「病上がりで、まだちょっと苦しい」と語っていたが、コントロールする力がまだ戻ってないためにこうした演奏になったのかはわからない。
第2楽章の最高難度で知られるホルンソロも完璧ではなかったがハイレベルであり、チャイコフスキーの憧れを描き尽くす。華やかな中に憂いを宿す第3楽章も美しい演奏であった。
第4楽章は、近年では解釈が変わりつつあるが、尾高は疑似ラストの後の凱歌を逡巡の中で歌い上げる。運命の主題を長調に変えた主旋律は華々しいのだが、実はそれ以外の部分は案外憂いを多分に含んでいるため、無理に笑顔を作っているような悲しさが吹き出してくる。これがチャイコフスキーが望んだ解釈だと思われるのだが、こうした演奏を聴いていると本当に胸が苦しくなる。自らの作曲した運命の主題を長調に変えて乗り切った後で、ベートーヴェンの運命動機で幕を下ろすところなど、ほとんど「悪魔的」を思えるほどだ。

 

アンコール演奏は、チャイコフスキーの「エレジー ~イワン・サマーリンの思い出に」が演奏される。この曲が演奏されるということは最後の凱歌の悲劇的解釈は尾高の体調不良によってなってしまったものではなく意図的になされたものなのだろう。
最後に尾高は、「素晴らしいホールと素晴らしい聴衆の皆様の前で演奏出来る」ことの感謝を述べて、「大阪のフェスも素晴らしいホールです」と宣伝し、「このオーケストラとは関係ないんですが、京都大学の交響楽団も指揮します」とユーモアを交えた告知で明るく終えた。

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2019年9月19日 (木)

コンサートの記(592) 大阪クラシック2019 第2公演&第4公演

2019年9月8日 大阪シティ信用金庫本店2階講堂と大阪市中央公会堂中集会室にて

午後1時から北浜にある大阪シティ信用金庫本店で行われる第2公演に向かう。第2公演は無料である。
大阪クラシックは、普段は演奏が行われない場所が用いられるのが楽しみの一つである。用がないので大阪シティ信用金庫本店には行ったことがないのだが、2階に講堂があり、ここで演奏が行われる。普段はまず入れない場所なので興味深い。

第2公演は、大阪交響楽団のメンバーによる室内楽演奏である。出演は、ホルン:細田昌弘&小曲善子、ヴァイオリン:里屋幸&吉岡克典、ヴィオラ:南條聖子、チェロ:大谷雄一。

曲目は、モーツァルトのディヴェルティメント第15番より第1楽章とベートーヴェンの2つのホルンと弦楽四重奏のための六重奏曲。

チェロの大谷雄一がマイクを手に曲目解説などを行う。弦楽四重奏と2つのホルンという編成のための曲はそれほど多くはないのだが、モーツァルトとベートーヴェンという二人の作曲家がそろってこの編成のための曲を書いているという。

モーツァルトのディヴェルティメント第15番第1楽章。音響設計がされていない会場ということで、弦がかさついて聞こえ、ホルンの不安定さも目立ってしまう。

ただ人間の耳というのは大したもので、ほどなくして環境に馴染んでしまい、音楽が良く聞こえ始める。

ということでベートーヴェンの2つのホルンと弦楽四重奏のための六重奏曲は満足して聴くことが出来た。

2つホルンと弦楽四重奏のための六重奏曲の第2楽章が始まって程なくして、上手の入り口から大植英次がすっと入ってくるのが目に入る。

演奏が終わると、大植英次がマイクを手にステージの前に進み、挨拶と大阪交響楽団の紹介を行う。大谷雄一は演奏が始まる前に「今日はアンコールはありません」と明言していたのだが、大植英次が「アンコール聴きたいですよね」と聴衆に聞いて無茶ぶり。ベートーヴェンの2つのホルンと弦楽四重奏のための六重奏曲より第3楽章がもう一度演奏された。

大植は「ベートーヴェンの年は来年(生誕250)なのだが、我々はいつも先取りして行う」と語っていた。また大阪交響楽団のモットーである「聴くものも、演奏するものも満足できる音楽を!」を絶賛し、「海外ではいつも使わせて貰ってます」「著作権はありませんよね」と語っていた。


第3公演も無料公演なのだが、スケジュールが重なっているため、そちらは聴かずに大阪市中央公会堂中集会室で行われる第4公演へと向かう。大阪フィルハーモニー交響楽団団員達による演奏で、これは1000円の有料公演である。

出演は、宮田英恵(ヴァイオリン)、石田聖子(チェロ)、宮本聖子(ピアノ)によるピアノトリオ。全員がベルリンへの留学経験があるため、ベルリン・トリオという名も名乗っているそうである。まず宮田英恵がスピーチを行うのだが、聖子が二人いたり、「宮」や「田」の字が重なっていて結構ややこしいという話から入って、曲目の解説を行う。

メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番とブラームスのピアノ三重奏曲第1番という、ピアノ三重奏曲第1番を重ねたプログラムである。宮田によるとメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番は、彼が二十歳の時に書かれたもので、二十歳というと普通はまだ若いと思われる年齢だが、メンデルスゾーンは38歳の若さで亡くなってしまうため、作曲家としてはすでに中期に差し掛かっていると見なされるそうである。

メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番は、仄暗い情熱を湛えた曲であり、メンデルスゾーンの早熟ぶりを窺うことが出来る。

ブラームスのピアノ三重奏曲第1番の前には、チェロの石田聖子がスピーチを行う。本来はメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番のみで収めようと思ったのだが、大阪クラシックの持ち時間は45分で、どれだけゆっくり演奏したとしても45分持たないということで、ブラームスのピアノ三重奏曲第1番も演奏することにしたという。ブラームスがピアノ三重奏曲第1番を作曲したのは21歳と若い頃だったのだが、その後に改訂され、今日演奏されるのもその改訂版だという。

スケールの大きな曲だが、ブラームスとしては開放的な曲調を持っており、メンデルスゾーンが「暗」、ブラームスが「陽」という一般的なイメージとは逆の楽曲で構成されているのが面白い。

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2019年8月13日 (火)

コンサートの記(585) グスターボ・ヒメノ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第490回定期演奏会

2015年7月23日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第490回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はスペイン出身の若手、グスターボ・ヒメノ。

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席ティンパニ奏者を経て指揮者となったヒメノ。この秋にはそのロイヤル・コンセルトヘボウ楽団を率いて来日ツアーも行う。
生年などは定かでないか、2001年にロイヤル・コンセルトヘボウの首席ティンパニ奏者に就任。その後、アムステルダム音楽院で指揮法を習い、指揮者としての活動を開始。マリス・ヤンソンスの下でロイヤル・コンセルトヘボウ管の副指揮者を務め、2013年にはクラウディオ・アバドの下でモーツァルト管弦楽団、ルツェルン祝祭管弦楽団、マーラー・チェンバー・オーケストラの各楽団の副指揮者の座を担った。今年の9月からはルクセンブルク・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任する予定である。

曲目は、レブエルタスの「センセマヤ」、アンドレ・プレヴィンのチェロ協奏曲(日本初演。チェロ独奏:ダニエル・ミュラー=ショット)、ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」、レナード・バーンスタインの「ウエストサイド物語」より“シンフォニック・ダンス”
全て20世紀以降に書かれた作品であるが、いわゆる現代音楽の範疇からは外れた作品が並ぶ。アンドレ・プレヴィン、レナード・バーンスタインという指揮者兼作曲家の作品が並ぶのも特徴である。

今日のコンサートマスターは首席コンサートマスターの田野倉雅秋。

今日は1階の前から2列目上手端の席。管楽器の奏者はチェロ奏者達の陰になって顔がほとんど見えない。大抵のホールではステージに近すぎる席だと直接音と残響のバランスが悪くなるのだが、新しくなったフェスティバルホールは音が上に抜けやすいということもあってか、なかなか良い音で聴くことが出来た。

レブエルタスの「センセマヤ」。シルベストレ・レブエルタスはメキシコ生まれの作曲家だそうで、メキシコ・シティでヴァイオリンを学んだ後でアメリカに渡り、テキサスのオーケストラではコンサートマスターも務めたという。その後、祖国に帰り、メキシコの民族色の濃い作品を作曲しているという。「センセマヤ」はスペイン内戦を題材にした作品であり、「殺せ! 殺せ!」というメッセージを込めたというおどろおどろしい作品である。おそらく5拍子が主体だと思われるが独特のテンポの中で熱い音楽が築かれていく。今日の大フィルの音色はスマート。ヒメノの指揮は端正にして知的コントロールの行き届いたものである。
ちなみにレブエルタスの「センセマヤ」の世界的な紹介を行ったのはレナード・バーンスタインだそうである。


アンドレ・プレヴィンのチェロ協奏曲。NHK交響楽団の名誉客演指揮者としても知られるアンドレ・プレヴィン。映画音楽の作曲家としてスタートし、ジャズの作曲家兼演奏家を経てクラシックの指揮者となり、クラシック作品の作曲も手掛けるようになったという多彩な人である。イギリス王室からナイトに叙されているが、ドイツ&アメリカ国籍であるため「サー」を名乗ることは許されていない。
チェロ独奏のダニエル・ミュラー=ショットは、1976年、ミュンヘン生まれの若手チェロ奏者。ハインリヒ・シフやスティーブン・イッサーリスに師事し、世界中でチェリストとして活躍。ミュラー=ショットのチェロを聴いたプレヴィンは強い感銘を受け、ミュラー=ショットのためのチェロ協奏曲を書いた。それが今日演奏される本作である。2011年6月9日に、作曲者指揮ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の伴奏、ミュラー=ショットのチェロ独奏で世界初演が行われている。。今回は世界初演者のチェロによる日本初演である。

3つの楽章からなるが、いずれもまずチェロが飛び出し、それをオーケストラが追うという形になる。ミュラー=ショットのチェロは磨き抜かれた音を発し、琥珀のような独特の輝きで響く。
第1楽章はポピュラー音楽のような快活さを持ち、第2楽章はメランコリック、第3楽章は伸びやかである。良い意味で映画音楽的なメロディアスな旋律を持つ曲である。ヒメノ指揮の大フィルは旋律を良く歌ったが、あるいはもっと渋い音楽作りを持ち味とする指揮者が振ったら全く印象の異なる曲になったかも知れない。

ミュラー=ショットはアンコールを2曲弾く。まずブリテンの無伴奏チェロ組曲第2番より“デクラマート”。ブリテンの無伴奏チェロ組曲はJ・S・バッハのそれの陰に隠れて知名度が上がらないが佳曲揃いであり、“デクラマート”も優れた曲と演奏であった。続いてはツィンツァーゼ(後で調べたところ、ソ連時代のグルジア=現・ジョージアの作曲家だという)の「チョングリ」.。全編ピッチカートによるリズミカルな小品である。


ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」。大フィルのパワーが前面に押し出された力強い演奏。それでいて洗練されている。弦も管も力強いがバランスは取れており、ヒメノの旋律の歌わせ方はお洒落だ。極めて都会的な演奏であり、カオス的な部分を隠すことなくエレガントにまとめ上げるという秀逸な出来だ。アメリカ的な開放感よりも、パリのエスプリがより強く出されており、「『パリ』のアメリカ人」という印象を受ける。


レナード・バーンスタインの「ウエストサイド物語」より“シンフォニック・ダンス”。ショーピースとしてよく取り上げられる曲目であるが、実は大阪フィル事務局次長の福山修氏によると、大フィルがこの曲を演奏するのは意外にも今日が楽団史上初になるのだという。朝比奈隆にレナード・バーンスタインの曲は似合わないのでそれは納得出来るが、晩年のレナード・バーンスタインに最も可愛がられた指揮者の一人であった大植英次も大阪フィルではこの曲を取り上げていないようだ(確かに大植指揮の定期演奏会でこの曲を聴いた覚えはないが)。ちなみに大植英次は、バーンスタイン最後の来日となった1990年のロンドン交響楽団とのツアーに同行しており、東京公演では、体調不良のバーンスタインに代わって「ウエストサイド物語」より“シンフォニック・ダンス”1曲のみを指揮している。しかし指揮者の変更が発表されたのが公演当日。しかも当時の大植は全くの無名の存在。ということで、指揮者の交代を不服とした聴衆が終演後もホールに残ってコンサート主催者であった野村證券をつるし上げるという事件が起こっている(野村・バーンスタイン事件)。コンサートの当日にバーンスタインは吐血したことがわかっており、リズミカルな曲の指揮は不可能であったのだが、それは様々な理由から明らかにされなかった。そのため大植もこの曲に良い思い出がないのかも知れない。
“シンフォニック・ダンス”を演奏するのは始めとだという大フィルであるが、この曲を演奏するのに必要なリズム感とスウィング感は完璧にものにしており、楽しさ抜群の演奏となる。力強さだけではなく、リリカルな部分の表現力にも長けている。

この秋のコンセルトヘボウ管との来日ツアーの名刺代わりとして十分な実力を披露したヒメノであった。

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2019年8月10日 (土)

コンサートの記(584) 大阪新音 三ツ橋敬子指揮大阪フィルハーモニー交響楽団ほか モーツァルト 「レクイエム」(バイヤー版)

2019年7月30日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪新音によるモーツァルトの「レクイエム」を聴く。三ツ橋敬子指揮大阪フィルハーモニー交響楽団、大阪新音フロイデ合唱団の演奏。ソリストは、ソプラノに並河寿美、メゾソプラノに福原寿美枝、テノールに二塚直紀、バリトンに三原剛と関西の実力派が揃った。

前半がグリーグの組曲「ホルベアの時代から」(ホルベルク組曲)、後半がモーツァルトの「レクイエム」というプログラム。モーツァルトの「レクイエム」は、ジュースマイヤー版ではなく、フランツ・バイヤーが1971年に補作したバイヤー版を用いての演奏である。現在では様々な補作のあるモーツァルトの「レクイエム」であるが、バイヤー版はジュースマイヤー版の和声やオーケストレーションを手直しした版であり、他の版のように大きく異なるということはないため、ジュースマイヤー版以外では最も演奏される機会が多く、録音も様々な組み合わせによるものが出ている。


大阪フィルには大植英次が特注で作らせたという、通常よりも高めの指揮台があるのだが、三ツ橋敬子も身長151cmと小柄であるため、大植用の指揮台が用いられる。
今日の大フィルのコンサートマスターである須山暢大は長身であるため、横に並ぶと三ツ橋が余計に小さく見える。


グリーグの組曲「ホルベアの時代から」。北欧の音楽だけに澄み切った響きが欲しいところだが、大フィルの弦楽の響きは渋め。三ツ橋はスプリングの効いた音楽を指向しているように思われたが、弦楽が今ひとつ乗り切れない。
第4曲の「エア」などは敬虔な響きが良かったが、他の曲は重めで、昔からの大フィルの弱点が出てしまっていたように思う。


モーツァルトの「レクイエム」。字幕付きでの上演である。
大阪新音フロイデ合唱団は大編成ということで、大フィルもフルサイズに近いスタイルでの演奏。フェスティバルホールでの演奏ということでピリオドはほとんど意識されていない。ただ時折、モダンスタイルとは違った弦楽の透明な響きが聞こえたため、要所要所ではHIPを援用しているようだ。

大空間のフェスティバルホールでの大編成での合唱ということで、最初のうちは声が散り気味に聞こえたが、そのうちに纏まりが出てくる。臨時編成のアマチュア合唱団による一発本番だけに、最初から上手くはなかなか行かないだろう。メンバーの平均年齢が高めであるため、声が乾き気味でもある。ただ「怒りの日」などでの迫力はなかなかのものだ。

三ツ橋は自分の色を出すよりも音符そのものに語らせるというスタイルを取っており、モーツァルトと弟子のジュースマイヤーの書いた音楽の良さがそのまま伝わってくる。比較的速めのテンポによるキビキビとした演奏であり、モーツァルトの特長である推進力も巧みに表現されていた。大編成の合唱であるが飽和はさせないという手綱さばきも上手い。ドイツものということで、大フィルも最上のスタイルを見せる。

バイヤー版であるが、モーツァルトの絶筆とされる「ラクリモーサ」のその後の展開などに賛否両論がある。ただモーツァルトは「レクイエム」を作曲途中で他界してしまったため(オーケストレーションも含めて完全に仕上げることが出来たのは第1曲のみである)、モーツァルトの真作による「レクイエム」を聴くには、なんとかしてモーツァルトを生き返らせねばならないわけで、それは不可能。ということで、誰が補作しても完全に納得のいく作品になるわけはなく、そういうものとして受け取るしかないであろう。

打率は高いが大当たりは少ないというタイプの三ツ橋であるが、「レクイエム」は大フィルの威力も相まって彼女としても上の部類に入る出来だったと思う。

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2019年7月25日 (木)

コンサートの記(579) ラドミル・エリシュカ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第489回定期演奏会 ドヴォルザーク 「スターバト・マーテル」

2015年6月9日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第489回定期演奏会を聴く。今日の指揮はチェコの名匠、ラドミル・エリシュカ。
ドヴォルザークの大曲、「スターバト・マーテル」1曲勝負である。

滅多に演奏されないドヴォルザークの「スターバト・マーテル」。私も生では一昨年の夏に広上淳一指揮京都市交響楽団ほかの演奏で聴いたことがあるだけである。録音点数も少ない。

4人の独唱者と合唱を伴う大編成の曲である。独唱は、ソプラノ:半田実和子、アルト:手嶋眞佐子(てしま・まさこ)、テノール:望月哲也、バス:青山貴(あおやま・たかし)。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指揮:福島章恭)。
大阪フィルハーモニー合唱団はアマチュアの団体であるが、大阪フィルハーモニー交響楽団専属の合唱団として1973年創立という歴史ある団体であり、朝比奈隆、大植英次らにも鍛えられた高度な合唱力を持つ団体である。客演合唱指揮の福島章恭(ふくしま・あきやす)は東京を本拠地にしている合唱指導者であり、また音楽評論家としても活躍している。

1931年生まれのラドミル・エリシュカ。元々は音楽院での後進育成に重点を置いていた指揮者であるが、札幌交響楽団に客演して大好評。2008年に同楽団の首席客演指揮者に就任し、今年からは札響の名誉指揮者となっている。大阪フィルにも客演して名演を展開。その他にもNHK交響楽団や読売日本交響楽団に客演している。読売日本交響楽団の大阪定期演奏会のタクトも任され、私もザ・シンフォニーホールで聴いたが、大フィルとの方が相性は良さそうであった。
札幌交響楽団とはライブCDも作成しており、スメタナの連作交響詩「わが祖国」やドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」は名盤である。
エリシュカと大フィル、大フィル合唱団はヤナーチェクの「グレゴル・ミサ」を演奏して超名演を展開しただけに期待が高まる。

なお、エリシュカは英語が敵性言語として学ぶことが禁止されていた時代のチェコスロヴァキアで青年期を送っており、英語は話すことが出来ず、チェコ語とドイツ語のチャンポンでリハーサルを行うため、通訳を通す必要があるとのことである。
字幕付きでの演奏。大フィルの今日のコンサートマスターは崔文洙。

大フィルの弦は憂いに満ちた響きを出し、エリシュカの実力の高さが窺われる。エリシュカの音楽作りの特徴として低弦をしっかり弾かせてベースを築くということが挙げられる。ドイツ的な発想であり、音全体の重厚感が増す。木管も快調であったが、金管はちょっとギクシャクした印象。先週、北ドイツ放送交響楽団の金管を聴いたばかりで、無意識に比較してしまうのかも知れない。
独唱者はドラマティックな旋律を受け持っており、4人とも優れた歌唱を聴かせる。大阪フィルハーモニー合唱団も安定感がある。

宗教音楽1曲の演奏会を聴くという行為は、コンサートに行くというより儀式に参加しているというイメージに近い。宗教音楽であるため「とても楽しい」という曲は余りない。楽しい音楽は宗教音楽としては俗にすぎるのだ。
また、聴くというより心や鼓膜が浄められるような気分になる。今回の定期演奏会と大フィルのその他の演奏会とでは趣が異なる。

宗教曲というと、やはり、J・S・バッハが偉大であり、彼の音楽に学んだり影響を受けたりということは避けることが出来ない。「スターバト・マーテル」にも大バッハの音楽のような部分もいくつかある。ドヴォルザークの個性は旋律よりも和音に出ており、「これはチェコ音楽だ」とすぐわかるような響きがしていた。

今日私が座った席からはエリシュカの指揮は余り良く見えなかったのだが(特に右手に持った指揮棒が)、端正で、時に左手で指揮棒を逆さに持ち、右手だけの指揮をする。また、指揮棒を右手に持っている時の左手も雄弁である。ディミヌエンドを左手で操る様は見事であった。指揮棒を譜面台に置いてノンタクトで指揮するときは左手主導という特徴もあった。

演奏終了後、エリシュカは喝采を浴びる。エリシュカはオーケストラメンバーも立たせようとしたが、エリシュカに敬意を払って立とうとせず、エリシュカ一人が指揮台の上で再度拍手を受けた。
エリシュカは独唱者一人一人と握手とハグを交わし、大阪フィルハーモニー合唱団のメンバーにも盛んに拍手を送った。

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2019年7月 7日 (日)

コンサートの記(570) billboard classics 「KOJI TAMAKI PREMIUM SYMPHONIC CONCERT 2019 THE EURASIAN RENAISSANCE “ロマーシカ” into the GOLD」大阪公演 2019.6.27

2019年6月27日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、billboard classics「KOJI TAMAKI PREMIUM SYMPHONIC CONCERT 2019 THE EURASIAN RENAISSANCE "ロマーシカ" Into the GOLD」を聴く。長いタイトルだが、要するに玉置浩二とオーケストラとの共演である。

ゴールデンウィークに、奈良・薬師寺の特設会場で西本智実指揮イルミナート・フィルハーモニーオーケストラと玉置浩二の共演も聴いているが、当日の薬師寺は雨で気温も低め、ということでレインコートを羽織っての参加となったが耐久レース状態でもあった。もっと集中して音楽を聴きたいということでフェスでのコンサートのチケットも取った。指揮が何度も実演に接している湯浅卓雄だったということもある。
大阪公演で共演するのは大阪フィルハーモニー交響楽団。コンサートマスターは田野倉雅秋である。

今回のツアーは、24日に福岡サンパレスでスタート。福岡公演(ビルボードクラシックオーケストラ)と大阪公演、札幌のニューホールであるhitaru(札幌交響楽団の演奏)、東京芸術劇場コンサートホール(東京フィル・ビルボードクラシックオーケストラと東京フィルハーモニー交響楽団が1日ずつ演奏を行う。両者は同一団体)、横浜の神奈川県民ホールでの公演(東京フィルハーモニー交響楽団)は湯浅卓雄が指揮、さいたま市の大宮ソニックシティでの公演(東京フィル・ビルボードクラシックオーケストラ)は円光寺雅彦が指揮を務め、改修を終えたばかりの名古屋・愛知県芸術劇場大ホールでの演奏会(ビルボードクラシックオーケストラ)では柳澤寿男がタクトを執る。その後に特別公演があり、玉置はデイヴィッド・ガルフォース指揮ロシア国立交響楽団《シンフォニック・カペレ》と共演する予定である。メインのタイトルとなる「ロマーシカ」は、ロシアの国花だそうである。

ちなみに、ロシア国立交響楽団《シンフォニック・カペレ》は、スヴェトラーノフ記念となっているいわゆるロシア国立交響楽団のことではなく、かつてロジェストヴェンスキーの手兵として知られたソビエト国立文化省交響楽団の現在の名称である。

今日の指揮者である湯浅卓雄は、1949年大阪府生まれ。枚方市と寝屋川市の境付近に生まれ、区画整理によって寝屋川市になった場所で生まれ育ったが、代々枚方の家系だそうで、枚方への思い入れをコンサート会場で語ったこともある。同志社香里高校卒業後に渡米、シンシナティ大学音楽院で作曲を専攻し、その後、ヨーロッパに渡ってウィーン国立音楽大学で指揮を学ぶ。NHK交響楽団名誉指揮者として知られたロヴロ・フォン・マタチッチのアシスタントとしても活躍。日本では1984年から5年間、群馬交響楽団の指揮者を務めているが、それ以外はヨーロッパでキャリアを築いている。イギリス・北アイルランドのアルスター管弦楽団首席客演指揮者時代にNAXOSレーベルと専属契約を結び、次々と新譜をリリースして日本でも知られるようになり、「頭脳流出」「逆輸入型」とも呼ばれていたマエストロである。21世紀に入ってからは在阪オーケストラへの客演も増え、センチュリー響とはブラームスとロベルト・シューマンの交響曲全集をリリースして好評を得ている。
今月29日にさいたま市大宮で予定されている玉置浩二の公演の指揮は円光寺雅彦に譲り、湯浅は30日に大阪フィルを指揮してベルリオーズの大曲「レクイエム」を上演する予定。フェスティバルホールの2700席はすでに完売である。

湯浅はずっと海外で活動していたため、玉置浩二のことは名前しか知らなかったそうである。

 

今日は2階5列目の24番という中央に近い場所での鑑賞。クラシックなら最上の音のする席の一つだと思われるが、プラグインでの公演なので状況が異なるかも知れない。

 

オーケストラとの共演で聞き映えのする作品ということで、バラードが中心であり、オーケストレーションが必要ということもあってか、薬師寺での公演と重なる曲も多い。

湯浅と大フィルによる「歓喜の歌」(管弦楽版)でスタート。その後、玉置が拍手を受けて登場し、「キラキラニコニコ」で歌が始まる。
「いつもどこかで」、「ぼくらは」、「MR.LONELY」~「プレゼント」~「サーチライチ」のメドレーを挟んで、「ロマン」、「FRIEND」で第1部が終了。
第2部は、湯浅と大フィルによるハチャトゥリアンの「スパルタクス」第2組曲より“スパルタクスとフリーギアのアダージョ”とスタートし、「GOLD」、「行かないで」、「JUNK LAND」、「ワインレッドの心」~「じれったい」~「悲しみにさよなら」のメドレーに続いて「夏の終わりのハーモニー」で本編が終わる。

 

フェスティバルホールでポピュラー音楽を聴くのは久しぶりということもあり、マイクにエコーが掛かりすぎているような気もしたが、ポピュラーとしてはこれが普通の音響なのかも知れない。
クラシック対応のフェスティバルホールということで、玉置が終盤に連続して行ったマイクなしでの歌唱もよく響く。ちなみに薬師寺でも同様のことを行っていたが、野外なので声が余り届かなかった。薬師寺では奉納演奏会の意味もあったが、やはりコンサートは優れた音響を持つ会場で行った方が良い。

「Mr.LONELY」、「FRIEND」、「行かないで」という染みる系の歌を再び聴けたのは嬉しいし、子供の頃に聴いた「ワインレッドの心」や「悲しみにさよなら」をオーケストラ伴奏で再度味わうことが出来たのは貴重な体験である。台風が近づき、大阪はG20でいつもとは違う表情を見せているという状況もあったが、ドラマティックな歌唱が胸に響く。いや、玉置浩二の歌は耳や心だけでなく、全身で聴くものなのだろう。安易に「感動」と言ってしまってはいけないのかも知れないが、体全体が揺さぶられるような感覚に何度も陥った。

玉置浩二は、ゴールドリボン募金の呼びかけ人ということで「夏の終わりのハーモニー」では歌詞の一部を「ゴールドリボンに」に変えて歌う。

 

「夏の終わりのハーモニー」が終わった後、玉置浩二と湯浅卓雄は腕を組んで至近距離で向かい合い、「さあ、これからどうする?」というポーズを見せる。無論、アンコールはあるのだが、ポーズである。

まず、湯浅と大フィルがベートーヴェンの交響曲第6番「田園」第1楽章を演奏。旋律の所々が玉置浩二の「田園」に置き換わる。玉置が登場して、「田園」の熱唱スタート。聴衆も全員が手拍子で盛り上げ、一体となる。玉置浩二は、サビの部分を「愛はここにある。大阪にある」に変えて歌い、1階席は総立ちの聴衆が大歓声を送った。

この曲で終わりでも良かったのだが、アンコール2曲目として「メロディー」が歌われる。玉置はこの曲もラストはマイクなしで歌った。

満面の笑顔を見せた玉置浩二は、最後はエアハグ(なのかな? 自分を抱く格好をする)などを行い、喝采と興奮の中、ステージを後にした。

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2019年7月 1日 (月)

コンサートの記(568) ヨエル・レヴィ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第529回定期演奏会

2019年6月21日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第529回定期演奏会を聴く。今日の指揮はヨエル・レヴィ。

1988年から2000年まで務めたアトランタ交響楽団の音楽監督時代に脚光を浴びたヨエル・レヴィ。21世紀に入ってからはレコーディングの機会に恵まれないということもあって注目度はやや落ちた感じだが、昨年の京都市交響楽団への客演した際の演奏などから確かな実力の持ち主であることが分かる。
現在は韓国のKBS交響楽団の音楽監督兼首席指揮者として活躍している。
大フィルへの客演はこれで3度目となるレヴィ。日本から近い場所に拠点を持っているということもあって今後も日本のオーケストラに客演してくれそうである。東京のトップオーケストラは無理かも知れないが、日本の地方のオーケストラのシェフになればかなりの評判を呼びそうな気もする。

曲目は、モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」、ヤナーチェクの狂詩曲「タラス・ブーリバ」とシンフォニエッタという、チェコ繋がりのプログラムである。

 

今日はいつもと異なり、アメリカ式の現代配置での演奏。京響での演奏会の時もそうだったので、レヴィはこの配置を好むようだ。 今日のコンサートマスターは田野倉雅秋、フォアシュピーラーに須山暢大。

 

モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」。レヴィが持ち込んだ譜面での演奏だそうである。バロック・ティンパニを使用し、大きめの編成ながらHIPを駆使した演奏だが、序奏の部分はかなり遅め。ピリオドはテンポを速めにするのが特徴の一つなので、それに反した個性的な演奏である。主部に入るとアッチェレランドしていき、爽快さが加わる。
弦の音がとにかく美しいのが印象的。レヴィはユダヤ人だが、ユダヤ人は昔から美音を特徴とする弦楽奏者を数多く輩出している。また、ユダヤ人のメンバーが多いイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団も結成当初から弦楽の美しさを最大の売りとしてきた。そうしたことから考えると、やはり、ユダヤ人は弦楽の音への感度が他の民族に比べて高いのだと思われる。あたかも往時のプラハの街の空気まで運んできたかのような雅やかな美演であった。

 

ヤナーチェクの狂詩曲「タラス・ブーリバ」。
1970年代後半から1980年代前半に掛けて、チャールズ・マッケラスが行ったレコーディングの数々によって世界的な知名度が上がったレオシュ・ヤナーチェク。ボヘミアではなくモラヴィアの出身であり、モラヴィアの民族音楽研究に取り組み、人生の大部分をモラヴィアの中心地であるブルノで過ごしたというローカルな背景もあって個性的な作風で知られる。マッケラス以外では、やはりチェコの指揮者達が多くの録音を残している。

狂詩曲「タラス・ブーリバ」は、ゴーゴリの小説を元にした管弦楽曲である。
レヴィ指揮の大阪フィルは、描写力に富んだ演奏を展開。力強さ鋭さなどが印象的である。チェコの作曲家の中でも異色とされるヤナーチェクだが、英雄を題材にした楽曲ということもあって、スメタナやドヴォルザークの交響詩に似た部分もある。

 

ヤナーチェクのシンフォニエッタは、村上春樹の小説『1Q84』によって有名となった(書店の『1Q84』売り場ではシンフォニエッタのファンファーレの部分が延々と流れていたりした)が、それ以前からヤナーチェクの楽曲の中では最も取り上げられる機会の多い作品であった。多くの金管奏者を必要とする特殊な編成の楽曲であり、今日もフェスティバルホールのステージ最後部に金管奏者が横一列に並ぶという、抜群の視覚効果を生み出している。
フェスティバルホールも再建なってから6年が経ったが、当初に比べて音の通りが良くなっているようであり、シンフォニエッタでも優れた音響が聴かれる。
レヴィの生み出す音楽はスケールが大きく音圧も高いが、程良い抑制が効いており、最大音響でもうるさくなることはない。
弦の響きの美しさに加え、管楽器の輝かしさも加わり、大フィルの現時点での最高レベルの音楽が鳴り響く。
ヤナーチェクだけでなく、スメタナやドヴォルザークもそうだが、チェコの音楽は意図的に格好悪い要素を加えたり、洗練度を敢えて下げることによって生まれる「味」のようなものを重視している部分が演歌に通じているように思う。スメタナの「モルダウ」の合唱版やドヴォルザークの「家路」などが日本で好んで歌われるのもそうした理由なのかも知れない。

 

実は先月のデュトワ指揮の定期演奏会が満員になった揺り戻しがあるそうで、今日は空席が目立っていたが、レヴィと大フィルを盛大な拍手が称える。最後はレヴィがコンサートマスターの田野倉の手を引いて退場し、演奏会はお開きとなった。

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2019年6月10日 (月)

コンサートの記(561) シャルル・デュトワ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第528回定期演奏会1日目&2日目

5月23日と24日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

5月23日

午後7時から、大阪・中之島のフェルティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第528回定期演奏会を聴く。今回の指揮者はシャルル・デュトワ。現在、NHK交響楽団の名誉音楽監督の称号を得ているが、例の騒動によって恒例になっていたNHK交響楽団の12月定期への出演などが流れ、結果として大フィルへの客演が実現したのだと思われる。

シャルル・デュトワは1936年生まれ。ズービン・メータやエリアフ・インバルと同い年となり、この年は指揮者の当たり年のようだ。小澤征爾は1935年生まれで1つ年上、ネーメ・ヤルヴィが1937年生まれで1つ年下という世代である。
スイス・フランス語圏のローザンヌで生まれ育ち、生地とジュネーヴの音楽院でアンセルメらに学ぶ。タングルウッド音楽祭ではシャルル・ミュンシュにも師事している。1964年にベルン交響楽団を指揮してデビュー。ヘルベルト・フォン・カラヤンに認められ、ウィーン国立歌劇場のバレエ専属指揮者に指名されるが、コンサート指揮者になりたいという希望があったため断っている。
1970年に読売日本交響楽団を指揮して日本デビュー。会場は当時のフェスティバルホールであり、聴衆からも楽団員からも極めて高い評価を受けている。
1977年にモントリオール交響楽団の音楽監督に就任。当初はさほど期待されていなかったようだが、瞬く間に同交響楽団を世界レベルにまで押し上げて関係者をあっといわせる。1996年にNHK交響楽団の常任指揮者に就任。1998年には初代音楽監督に昇進し、2003年まで務めている。1991年から2001年まではフランス国立管弦楽団の音楽監督も兼務し、北米、アジア、ヨーロッパの三大陸にポストを持つなど多忙を極めた。1996年のゴールデンウィークにフランス国立管弦楽団を率いてサントリーホールで公演を行っているが、それが私にとって初の来日オーケストラに接する機会となった。

 

演目は、ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲、ベルリオーズの幻想交響曲。デュトワの十八番を並べたプログラムとなっている。
デュトワ指揮の「ダフニスとクロエ」は、NHK交響楽団の定期演奏会で全曲を聴いている。上演中に震度3の地震が起こったことでも思い出深い演奏会である。

 

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。第2ヴァイオリンは今日も客演を含めて全員女性奏者となっている。

 

ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」。フェルティバルホールという大型の空間であるため、祝祭的な爆発感は感じにくかったが、音の色彩感と縁取りの鮮やかさが見事な演奏である。

 

ラヴィルの「ダフニスとクロエ」第2組曲は、今日一番の出来と思えるハイレベルな演奏。上品だが痛切な音が奏でられ、音楽というものが確実に皮膚から染みこんでくる。
私にとって音楽はなくてはならないものだと確認出来ると同時に、世界にとって必要なものであると確信することが出来た。
「ダフニスとクロエ」第2組曲はオーケストラだけの演奏でも可能だが、今回は合唱入りでの演奏。大阪フィルハーモニー合唱団が美しい声を届ける。
「全員の踊り」のラストの高揚感も流石であった。

 

メインであるベルリオーズの幻想交響曲。基本的にデュトワの演奏はエスプリ・クルトワ路線であり、エスプリ・ゴーロワではない。ということでおどろおどろしさや狂的な要素を表に出すことは余りない(1階席20列45番という席で、直接音が余り届かなかったということもそう感じさせる要因だろうが)が、音に宿るドラマと生命力の表出は見事。フランス音楽のスペシャリストとしての全世界に名を轟かせたデュトワの実力は並みではない。

客席は最初の「ローマの謝肉祭」演奏終了後から爆発的に盛り上がり、「ダフニスとクロエ」第2組曲演奏終了後は、客席が明るくなっても拍手が鳴り続けてデュトワが再登場。幻想交響曲演奏終了後も「ブラボー!」が各所から聞こえ、最後はデュトワがお馴染みとなった「バイバイ」の仕草を行って、演奏会はお開きとなった。

 

5月24日

今日も午後7時からフェスティバルホールでシャルル・デュトワ指揮の大阪フィルハーモニー管弦楽団の第528回定期演奏会を聴く。

今日も1階20列目だが、52番という右端の席。すぐそこが壁であり、反射が良いので音の輪郭がクッキリと聞こえる。そのため、音の迫力がわかり、序曲「ローマの謝肉祭」の狂騒がよりはっきりと把握出来る。一方で、「ダフニスとクロエ」第2組曲では音がはっきりしてるため、昨日に比べると神秘的な雰囲気は感じにくいかも知れない。全てが理想的な席というのはなかなかないものである。

幻想交響曲では、デュトワはアゴーギクを多用。即興性もあり、いつものデュトワとはちょっと違う演奏である。音にはステージの底から沸き起こってくるような迫力があり、昨日感じた蒸留水的な美しさとは少し異なる印象を受けた。今日の演奏の方が私の好みに合っている。

今日は演奏終了後にバンダの鐘奏者を紹介したデュトワ。第2ヴァイオリンの女性奏者が感激の表情を浮かべており、大フィル初登場は大成功であった。

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2019年5月16日 (木)

コンサートの記(555) 尾高忠明指揮 大阪フィル×ザ・シンフォニーホール「ソワレ・シンフォニー」

2014年7月31日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時30分から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大阪フィル×ザ・シンフォニーホール「ソワレ・シンフォニー」というコンサートを聴く。途中休憩なし、上演時間約1時間という、通常のハーフサイズのコンサートで、井上道義が首席指揮者になったこの4月から大阪フィルがザ・シンフォニーホールで始めたシリーズである。今シーズンは有名作曲家の交響曲第1番をメインにしたプログラムが組まれている。今日の交響曲第1番はエルガー作曲のもの。ショーピースとして先に同じエルガーの行進曲「威風堂々」第1番が演奏される。指揮は日本におけるイギリス音楽演奏の第一人者といっても過言ではない尾高忠明。今日の大阪フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターは田野倉雅秋。フォアシュピーラーは渡辺美穂。

演奏開始前に尾高忠明によるプレトークがある。「7時30分開演。皆さん、不思議でしょう。でもヨーロッパではこれが普通なんです。午後8時開演、スペインなどでは午後11時開演というコンサートもあります。午後11時開演だと終わるのが翌日の午前1時。で、そこからレクチャーを行ったりしまして、午前6時に終わってそのまま移動という大変なことになったりするのですが」と話し始める。
「私は桐朋学園大学というところで齋藤秀雄先生に指揮を習いまして、齋藤先生は今から40年前に亡くなりましたので若い方はご存じないかも知れませんが。齋藤先生が仰ったのは、『指揮者は余り喋っちゃ駄目だよ』」と語って笑いを取る。

「日本指揮者協会というものがありまして、二代目の会長が齋藤秀雄先生。そして三代目の会長が大阪フィルの朝比奈隆先生でした。朝比奈先生が会長をされていた頃に、『みんなで何かやろうじゃないか』という話が持ち上がりまして、その時、日本指揮者協会には70人ほどが参加していたのですが、70人で指揮しても仕方がない。そこで、みんなでオーケストラをやろうという話になりました。朝比奈先生はヴァイオリン、私もヴァイオリンをやっておりまして、井上道義君はコントラバスです。指揮者はなしで演奏しようということになりました。で、モーツァルトの『フィガロの結婚』序曲、オッフェンバックの『天国と地獄』序曲、最後に『カステラ一番』と出てくる奴ですね。『天国と地獄』には美しいヴァイオリンソロがありまして、これを誰がやるのがいいか、そこで、江藤俊哉先生、彼はヴァイオリニストでありましたが指揮者もしていまして指揮者協会にも入っていた。で、江藤さんがいいだろうと。次は『越天楽』(近衛秀麿編曲のオーケストラ版である)ですが、これは指揮するのも難しいが、演奏するのも難しい(雅楽はクラシックとは異なり、他の奏者と出だしを合わせてはいけないのである。クラシックは合わせるのが基本だが、邦楽、特に雅楽では「音が重なるのは相手に失礼」という正反対の考え方をする)。そこで、江藤先生に『首を振ってくれ』と注文すると上手く合った。じゃあ、これで行こうと。で、指揮者はみんな忙しいので、練習は本番前の2時間だけ。山本直純さんがトランペットを吹いていたのですが、『調子が良い』というので、それで練習を終えまして、大賀典雄さん、ソニーの大賀典雄さんが『フィガロの結婚』のアリアを歌うというので(大賀典雄はソニーの社長として有名だが、東京芸術大学声楽科を卒業しており、ドイツに音楽留学もしていて当初はバリトン歌手志望であり、企業人になる予定はなかった。指揮者としての活動もしており、晩年にはレコーディングも行っている)ちょっと歌って、『良い、良い』というので本当は3分のところを30秒で終わりまして、そうやって本番と。『フィガロの結婚』序曲でもう拍手喝采であります。『天国と地獄』では、『江藤、ブラボー!』と個別にブラボーが掛かりまして。で、それが良くなかったんですね。『越天楽』では、江藤さんが首を振るのを忘れてしまいまして、しっちゃかめっちゃかに。『江藤さん、首振って、首振って』と言ったのですが、江藤先生はブラボーを貰ったものですから良い気分になっていて、もう自分の世界に入ってしまって人の声が聞こえないわけです。客席からは『しっかりしろ!』なんて声も聞こえる。で、山田一雄先生、山田先生はハープが得意だったのですが、山田先生のような偉い方を奥に置いていくわけにはいかないので、ステージの前寄り、私の横ぐらいにハープを置いていたんです。我々はパート譜だけだったのですが山田先生は総譜を持っていまして、『ああ助かった』と思い、『山田先生、今、我々はどこにいますか?』と聞いたところ、山田先生から『我々は今、何の曲をやってるんだい?』と返ってきまして。今日は『しっかりしろ!』などと言われないように演奏したいと思います」と大阪人好みのユーモアを交えた話をした。

今日は前から6列目。ザ・シンフォニーホールはどの席で聴いても良い音はするが、前から6列目だと、直接音が届きすぎて、マスとしての響きは堪能しにくいため、私好みの音を聴くことは残念ながら出来なかった。

行進曲「威風堂々」第1番。重心のしっかりした演奏であり、BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団(ウェールズ人は「自分達はU.K.には含まれるがイングランド人ではない」と考えているかも知れないが)の首席指揮者としての活躍で知られる尾高のイギリスものへの適性がよく示されている。推進力もあり、それでいてノーブルさを失わない。

エルガーの交響曲第1番。
「ブラームスの交響曲第5番」と賞賛された(実は「ブラームスの交響曲第5番」といわれたのには他にもわけがある)スケール豊かな作品である。尾高指揮の大フィルは潤いのある音色で、堂々とした演奏を展開する。この今日はリズム楽器に打楽器ではなくコントラバスを多用するという特徴があるのだが、コントラバスの生かし方も優れている。
弦の俊敏さ、管の力強さが目立ち、弦と管のバランスにも秀でている。「見事」と言う他ないエルガーであった。

演奏終了後、尾高はマイクを持って登場し、「井上(道義)君と僕とは50年来の親友でありまして、(井上道義が癌で入院したということを聞いたときは)ショックを受けましたが、あれから何度もメールのやり取りを致しまして、かなり元気になっているようです。秋には井上君もきっと復帰してくれるだろうと思っております」と語った。尾高忠明は今では見るからに紳士然としているが、桐朋学園大学時代は、井上と共に、「悪ガキ井忠(イノチュウ)」と称されるほどやんちゃであった。井上道義は今もやんちゃであるが。

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2019年4月16日 (火)

コンサートの記(544) クシシュトフ・ウルバンスキ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第474回定期演奏会

2013年12月5日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第474回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は1982年生まれという超若手、ポーランド出身のクシシュトフ・ウルバンスキ。
プログラムは、ペンデレツキの「広島の犠牲者のための哀歌」、ピアノ協奏曲第18番(ピアノ独奏:フセイン・セルメット)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」

ウルバンスキと大フィルの共演は3度目だそうだが、私はウルバンスキの指揮で聴くのは初めてである。ウルバンスキは毎回、祖国ポーランドの作曲家の作品を取り上げているそうだが、ポーランドの作曲家には、ショパン(フランス系であり、パリで活動はしたが)を始め、ペンデレツキにルトスワフスキ、グレツキなどがすぐに思いつく。ピアニストにクリスティアン・ツィマーマン、ラファウ・ブレハッチ、ワンダ・ランドフスカ、ミェチスワフ・ホルショフスキ、エヴァ・ポヴウォツカなどがおり、指揮者もスタニスラフ・スクロヴァチェフスキや、NAXOSに看板指揮者を務めるアントニ・ヴィトなどがいて音楽大国である。
音楽のみならず、映画監督の分野でもアンジェイ・ワイダ、ロマン・ポランスキー、クシシュトフ・キェシロフスキなど世界中の映画監督から尊敬されるほどの大物が輩出しており、芸術大国であるともいえる。
にしても、発音しにくい名前の人が多い。
ペンデレツキもファーストネームはクシシュトフであり、クシシュトフというファーストネームのポーランド人男性は多いことが察せられる。

ペンデレツキの「広島の犠牲者のための哀歌」は、もともとは「8分37秒」という即物的なタイトルの作品であり、その後、「哀歌8分37分」となった。日本初演の際に「広島の犠牲者に捧ぐ哀歌」とされ、その後、そのタイトルは揺るがぬものとなった。純音楽作品であり、広島の原爆を描いた作品ではないが、原爆投下後の広島の惨状を音楽にするとまさにこのようになるのではないかと思えるほどしっくりくる曲である。元のタイトルの「8分37秒」であるが、ジョン・ケージの「4分33秒」とは違い、ラヴェルの「ボレロ」の「17分ほど」という記述と同様、目安として書かれた程度で厳密に守らなければならないものではない。タイトル改訂と同時にタイム指定も外されたはずであり、私はこの曲の音盤を何種か持っているが、即興的な要素も多いこともあって、元のタイトルのタイムジャストで演奏しているものは作曲者自身が指揮した演奏も含めて多くない。アントニ・ヴィト指揮ポーランド国立放送交響楽団による演奏が当初のタイムに一番近いと思われる。詳しいサイトを調べたところ、平均演奏タイムは10分ほどだという。

クシシュトフ・ウルバンスキ登場。長身痩躯、男前、いかにも才子といった感じである。
指揮者と同じ、クシシュトフというファーストネームを持つペンデレツキの「広島の犠牲者に捧ぐ哀歌」。弦楽のための作品である。
トーンクラスターという、現代音楽ではよく使われる技法を特徴とする。近いが微妙に異なる音程の音を一斉に奏でることで、非常に力強く、衝撃的な響きを生むという手法である。ホラーやサスペンスの映画やドラマの、恐怖心を煽る場面での音楽でもトーンクラスターは多用される。というより、クラシック音楽よりも、映画音楽などで多用されている作曲法といった方が適当だろうか。
クラシック音楽の予備知識のない人がこの曲を聴いたら、「なんだこれは? 音楽か?」と思うかも知れない。
いつも通り、指揮者と対面する席に座ったので、弦楽奏者達の譜面を見ることが出来たのであるが、およそ楽譜らしくない譜面が並んでいる。隣接した音を弾くために五線譜が真っ黒になってしまい、あたかも塗り絵のようである。
指揮者の仕事は拍を刻むよりもどの音をどれだけ強調し、どれだけ延ばすか決定することにある。ウルバンスキはノンタクトで、強く響かせたい音に向かって手をかざす。曲が進むにつれて右手で拍を刻むこともあるが、基本的には、速度よりもバランスを取ることを心がけている。
大阪フィルの弦は思ったよりも力強くなかったが、納得のいく水準には達していた。

フセイン・セルメットを独奏者に迎えての、モーツァルト、ピアノ協奏曲第18番。大フィルは典雅な響きを奏でるが、第1楽章では例によってモッサリした感じが出てしまう。大植英次や、優れたベテラン指揮者が振ると、このある種の野暮ったさは顔を潜めるのだが、やはり指揮者が若いということもあって地の部分が出てしまうのであろう。
ただ、ピリオドを意識したのかはわからないが、若干ビブラートを抑え気味にした弦の響きは透明感もあって美しい。
ウルバンスキはこの曲では指揮棒を用い、腕の動きは余り大きくないが、スナップを利かせることで指揮棒は大きく動くという効率的な指揮を行っていた。
セルメットのピアノであるが、落ち着いた男性的なモーツァルトを奏でていく。一音一音を指で丁寧に押さえることでこうしたモーツァルト演奏が可能なのだろう。「タン・タララン」と軽やかに弾くと華やかなモーツァルトにあるが、セルメットはこれを「タン・タラ・ラン」と微妙に変えることで安定感のある音楽を生み出していた。

ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。
現在では屈指の人気曲であるが、初演時はバレエの内容と、斬新な音楽が一大スキャンダルになったことでも知られている。この曲はファゴットが通常では使わないような高い音を出して始まるのだが、これに関してサン=サーンスは「ファゴットの使い方を知らない奴が現れた」と書き記しており、その他にも、「これは音楽ではない」などとする批評もあった。その意味で、「広島の犠牲者のための哀歌」と「春の祭典」を同じ演奏会の曲目に載せたのは上手いと思う。
ウルバンスキは速めのテンポを基調とするが、時折、急激に速度を落としたり、急激な加速をしたりと、即興的な味わいが加わる。大阪フィルの合奏力も高く、たまに技術的に不安定な時もあるが、パワフルな演奏が展開される。
ウルバンスキの指揮は、右手で変拍子を処理しつつ、左手を音を出すべき楽器を掴むような手つきで出したりする。こうしたところはダニエル・ハーディングの指揮姿に似ている。
激しい部分になると、体をくねらせながら、ちょっとナルシストっぽい動きをしたりする。ここはハーディングには似ておらず、なよなよした印象も受けて、見ていてちょっと気にはなったが、音楽的には良いものを生み出していた。

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