カテゴリー「大阪フィルハーモニー交響楽団」の17件の記事

2018年5月 8日 (火)

コンサートの記(379) 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2018 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 ショスタコーヴィチ 交響曲第5番

2018年5月5日 びわ湖ホール大ホールにて

午後2時30分から、大ホールで、大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏によるショスタコーヴィチの交響曲第5番を聴く。

今年はレナード・バーンスタインの生誕100年に当たるということで、バーンスタインの作品と、指揮者としてのバーンスタインが最も得意としたショスタコーヴィチの交響曲第5番を合わせて取り上げるという演奏会を広上淳一や佐渡裕が行ったり企画したりしているが、この演奏会も同様のものである(大植と大フィルは、昨日、バーンスタインの「ウエストサイド・ストーリー」より“シンフォニック・ダンス”を演奏している)。

今日のコンサートマスターは崔文洙。今日は第4楽章でヴァイオリンの弦が切れるというアクシデントがあり、ヴァイオリンがリレーされて運ばれ、弦が張り替えられて戻ってくるという珍しい場面を目にすることになった。

びわ湖ホール大ホールの音響の効果もあって、鈍重な傾向のある大フィルの音がソフィスティケートされて聞こえる。弦に厚みがあり、管も力強い。
大植は1拍目のみを示すことが多いが、低弦と管には細かな表情付けを行うこともある。この曲のヒロイックな場面は皮相にして、嘆きの部分を丁寧に歌うことで、この曲の一般的な演奏とは別の表情を浮かび上がらせる。ピッチカートの力強さが印象的であり、第3楽章では弦楽器ががなり立てるように歌うところがある。当然、音は汚くなるのだが、それもまた意図したものなのだと思える。


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2018年4月12日 (木)

コンサートの記(370) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第517回定期演奏会「尾高忠明音楽監督就任披露演奏会」

2018年4月8日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第517回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はこの4月から大阪フィルの第3代音楽監督に就任した尾高忠明。「尾高忠明音楽監督就任披露演奏会」と銘打たれている。

4月ということで、プログラムには須山暢大(すやま・のぶひろ)の新コンサートマスター就任が発表されているほか、ホルンの和久田有希、トランペットの高見信行、トロンボーン・トップ奏者の福田えりみの3名の新入団、一方、トップ・クラリネット奏者のブルックス・ストーンが3月31日付けで退団したとの知らせもある。

曲目は、三善晃のオーケストラのための「ノエシス」とブルックナーの交響曲第8番(ハース版)

今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。大編成のブルックナーに特殊な編成の「ノエシス」ということで客演奏者が多い。客演ホルンには名手として知られる安土真弓(あんづち・まゆみ。名古屋フィルハーモニー交響楽団首席ホルン奏者)の名前も見える。

三善晃のオーケストラのための「ノエシス」。丁度40年前の1978年に尾高忠明の指揮によって初演された曲である。
チェロの独奏に始まり、次第にカオスへと発展する、いかにも現代音楽的な曲だが、途中で打楽器が盛大に打ち鳴らされ、熱い響きへと変わっていく。なかなか面白い曲である。

ブルックナーの交響曲第8番。
この曲は最近では第九やマーラーの「復活」などと共に節目で演奏される曲となっている。大植英次が大フィル音楽監督として最後に取り上げたのもこの曲であり、昨年は下野竜也が広島交響楽団音楽総監督就任記念の曲として取り上げている。
朝比奈隆の時代は「大フィルといえばブルックナー」といわれたものだが、第2代音楽監督の大植英次、昨年の3月まで大フィルの首席指揮者を務めた井上道義とマーラー指揮者が大フィルのシェフの座にあり、二人ともブルックナーは得手とはしていなかった。ブルックナーの交響曲第8番は大フィル史上、シェフしか指揮をしていない曲である。井上道義指揮による大フィルのブル8は実演で聴いたことはないが、井上が京響を指揮したブル9の出来から考えれば名演だったとは思えない。下野はブルックナーを得意としているが、広響を指揮した第8や読響を振った第7を聴いた感じでは、後期の交響曲を指揮するにはまだ若い。一方、尾高はブルックナーの交響曲が日本では「わけのわからない曲」「あんなの音楽なのか」と言われていた頃から積極的に取り組んでおり、日本を代表するブルックナー指揮者である。名演の期待が高まる。

ブルックナーの交響曲第8番は、彼の第7番の交響曲が初めて初演での成功を収めた後で書かれ、現在では最高傑作の呼び声も高いのだが、第7初演での成功を味わった後でもブルックナーの生来の気の弱さは変わらず、第8初演の指揮を任せようとしたヘルマン・レーヴィから拒絶されると例によって「楽曲が悪かったからだ」と改訂に取り組んでしまい、複数の版が残されることになった。

ブルックナーの交響曲は楽譜に書かれたことをそのまま鳴らしただけでは音楽にならず、指揮者が再構築する必要があるのだが、尾高は着実に確実に音を積み上げていく。音を野放図に鳴らしてはならず、いかなる大音響でも抑制が必要、ただ抑制しすぎても音が拡がらないという難しさがあるのだがその処理も万全である。
音も瑞々しく純度が高い。弦と管の編み方も巧みである。関西にはブルックナーを得意とする指揮者は少ない。久しぶりに聴くブルックナーらしいブルックナーであった。

尾高新監督、上々の船出である。

響きは置くとして、周辺も含めた雰囲気の良さではフェスティバルホールは日本一だと思う。レッドカーペットの階段はハレの気分を生みだし、天井の高いホワイエも異空間の味わいがある。大阪フィルもホールの鳴らし方を心得つつあり、音響面でも徐々に充実。そして何より中之島と地の利がある。交通の便も文句なしで、土佐堀川を見ながらの行き帰りも心地よい。



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2018年3月15日 (木)

コンサートの記(360) 広上淳一指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第399回定期演奏会

2006年6月15日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪へ。ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会を聴く。今回の指揮者は広上淳一。卓越した表現力が魅力の指揮者である。

プログラムは、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」、グヴァイドゥーリナのフルート協奏曲「希望と絶望の偽りの顔」(フルート独奏:シャロン・ベザリー。日本初演)、ロベルト・シューマンの交響曲第3番「ライン」。

「弦楽のためのレクイエム」はもとから予定されていた曲目だが、先日亡くなった岩城宏之氏と、今朝亡くなった佐藤功太郎氏という二人の指揮者のため、特別に追悼曲として演奏された。純粋なコンサートピースとしてではなく、追悼曲、鎮魂曲として演奏される曲は、前後に拍手をせず、死者の冥福を祈るというのがマナーである。
しかし今回は、プログラムに「弦楽のためのレクイエム」を追悼演奏とする旨が書かれた紙は挟んであったものの、事前のアナウンスがなかったため、広上氏が演奏の主旨を述べて指揮棒を振り始める前と演奏後に拍手が起こってしまった。会場には当然ながらコンサートビキナーもいる。マナーを知らない人のためにも事前のアナウンスは必須のはずなのだが。
10年前の3月。NHK交響楽団の定期演奏会で、その年の2月20日亡くなった武満徹追悼のために、やはり「弦楽のためのレクイエム」演奏された(ハインツ・ワルベルク指揮)。この時はアナウンスがあったため、演奏前にも後にも拍手は起こらず、日本を代表する作曲家の逝去を悼む雰囲気がNHKホールを満たしていた。

グヴァイドゥーリナはロシアの作曲家。現代の女流作曲家としては最も著名な人物である。フルート協奏曲「希望と絶望の偽りの顔」は2005年5月に世界初演が行われたばかりの新曲。今日、フルート独奏を務めるシャロン・へザリーのために書かれている。
フルートは通常のフルートの他に、アルト・フルート、バス・フルートの2本を加えた3本が交代で吹かれる。

まずティンパニを始めとする打楽器群がプリミティブな迫力に満ちた音で会場を満たす。日本人である私の耳にはまるで陣ぶれの太鼓のように聞こえる。そしてフルートの独奏が入るのだが、これも日本人である私には、戦を前にして、武将が一人、瞑想しながら吹いている笛の音に聞こえる。
現代音楽は一回聴いてわかるものは少ないので、こちらで勝手にイメージを膨らまして聴いた方が面白い。

そうするうちに、騎馬が疾駆しているようなリズムが現れる。広上の指揮姿も独特であり(指揮というより何かのスポーツをしているように見える)、こちらのイメージ展開に拍車をかける。

弦楽の響きはあたかも武満作品のよう、というより明らかに武満の影響を受けているのがわかる。広上さんもそれが故に、武満作品とこの曲をセットでプログラミングしたのだろう。

そして音が激しさを増し、あたかも戦いを描いているような音楽世界が拡がっていく。
音楽はその後、内省的になるが、これは夜になって休戦しているようにも聞こえるし、夜討ちの機会を窺っているようでもある。
夜が明け、城攻めが始まる(もちろん、これは私のイメージでしかない)。ラストのチェレスタの独奏は、炎上する天守の上を、地上のことは我関せずとばかりに優雅に舞う鳥を表現しているかのようだ。
と恣意的な想像をしてみた。作曲者の意図は別にあるのだろうが、音楽自体はイメージ喚起力豊かであり、独自の解釈で楽しむことの出来るものだった。映画好きや、小説を読んでイメージを膨らませることに慣れている人はこういう曲は好きだろう。
もちろん、そういう人ばかりではないので、演奏中眠っている人もいたし、演奏終了後にブーイングをする人もいた(奏者にではなく曲に対して起こったブーイングだろう)。

メインであるシューマンの交響曲第3番「ライン」は実に爽快な演奏であった。とにかくオケが良くなる。ロベルト・シューマンの交響曲というと「憂いに満ちた」だとか「神経質な」と形容されることが多いが、広上のシューマンはそんな固定観念をあっさりと打ち破ってみせる。
テンポが速く、音色も明るく、健康的な演奏だ。大阪フィルはいつもホルンがやや弱いのだが、今日のホルンは朗々と響き渡る。
広上の指揮も「ユニーク」という言葉では足りないほど独特だ。指揮棒を溌剌と振り回していたかと思うと、両手を上に上げて喜びの表情を見せたり、空手チョップのような動きをしたり、首を左右に振り、更には指揮棒を手放してダンスのような動きで指揮台でステップを踏む。
ここまでくると指揮とは思えないほどだが、表現力は確かであり、腕のちょっとした動きで音楽のニュアンスを変えてみたり、単純な音型を魅力的なものに昇華したりと、現役日本人指揮者最高峰とも言われる実力をいかんなく発揮してみせる。
何よりも、広上自身が、音楽が面白くて面白くてたまらないという表情を見せるのが良い。見ているこちらの頬も緩む。
広上を見ているうちに、何故か名馬を自在に操る騎手の姿が目に浮かんだ。広上は背が低く、ずんぐりむっくり体型で、燕尾服を着た姿はペンギンを連想させ、騎手からは遠いイメージなのに不思議である。

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2018年3月13日 (火)

コンサートの記(358) 井上道義指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第516回定期演奏会

2018年3月9日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第516回定期演奏会を聴く。指揮は大フィルの前首席指揮者であった井上道義。

曲目は、バーバーのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:アレクサンデル・ガジェヴ)、ショスタコーヴィチの交響曲第2番「十月革命に捧げる」と交響曲第3番「メーデー」。井上道義が得意としているショスタコーヴィチの交響曲が並ぶ。交響曲第2番、3番ともに上演機会は少なく、実演に接するのは初めて。バーバーのピアノ協奏曲を生で聴くのも初となるはずである。

今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。

バーバーのピアノ協奏曲。ソリストのアレクサンドル・ガジェヴは1994年生まれという若いピアニストである。登場したときは少し頼りなげに見えたがピアノに向かうと高度なメカニックを武器とした情熱的な演奏を繰り広げる。
幾何学模様のように不可思議な第1楽章、リリカルな第2楽章、怒濤のように音が押し寄せる第3楽章と、独自の魅力を持った曲である。井上指揮の大フィルも充実した伴奏を聴かせる。

井上に促されるようにしてガジェヴはアンコール演奏を行う。ラフマニノフのエチュード「音の絵」より作品39の5。ペダリングに問題があるのか音が濁り気味であったが、技術は優れている。

後半。大阪フィルハーモニー合唱団のメンバーが入場するのに少し時間がかかるということもあってか、井上がマイク片手にトークを行う。井上道義が大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者就任披露演奏会のメインに選んだのはショスタコーヴィチの交響曲第4番。「その年は、ハイドンの交響曲第44番やブラームスの4番など4の付く曲ばかりやりまして、縁起でもないなあと思っていたら病気になりまして」

井上はバーバー本人に会ったことがあるそうだ。井上が17歳の時、師である齋藤秀雄と共にロサンゼルスに行き、齋藤がバーバーの弦楽のためのアダージョを指揮したところ、演奏終了後に熱心にスタンディングで拍手を送るおじさんがいたそうだが、「あれがバーバーだよ」と説明された井上は、「え? 作曲家で生きている人いるの?!」と驚いたそうである。当時の井上は作曲家というのは全員死んでいるものだと思っていたらしい。

ショスタコーヴィチの交響曲第2番と第3番は共に作曲者が二十代前半の頃に作曲されているのだが、「二十歳の頃は大人が馬鹿に見え」と井上は自身と多くの多くの若者の気持ちを語り、若きショスタコーヴィチのとんがった気持ちを代弁する。とんでもない速度で書かれており、「人間に演奏できるのか?」と思える箇所もあるが、ショスタコーヴィチは自身が天才で出来る人だったため、他の人にも出来ると思い込んでしまったようなところがあると指摘する。「ショスタコーヴィチは、スターリンとかそんなんじゃなく、オーケストラのメンバーに総スカンを食らったのだと思います。オーケストラのメンバーは保守的で、『お前さんのやろうとしていることはわからないよ』」と反発を受けたらしい。ロシア革命からレーニンの死までのソ連はかなり自由な時代であり、ロシアンアバンギャルドが隆盛を誇っていた。
井上道義は交響曲第3番「メーデー」に関して、「マーラーの『大地の歌』やショスタコーヴィチの交響曲第9番の要素などが散りばめられているので、プロの聴き手の方は探してみて下さい」と語る。

交響曲第2番「十月革命に捧ぐ」と交響曲第3番「メーデー」。共に合唱付きの交響曲である。字幕付きでの演奏。

井上が十八番としているショスタコーヴィチだけあって音が生き生きしている。大阪フィルの演奏は力強く、超速で駆け抜ける場所も破綻を来すことなく見事な疾駆を見せる。
交響曲第3番は交響曲第2番の続編として構想されたということもあって2曲とも曲調は似ており、ショスタコーヴィチ的音楽性がすでに刻印されているが、交響曲第3番の方には後に書かれることになるショスタコーヴィチの交響曲の様々な要素の発芽が見られる。今聴いてもかなり先鋭的な交響曲群である。衒学的要素も多分に感じられるが、若い頃はこれほど暴れ回らないと大作曲家にはなれないのかも知れない。
大阪フィルハーモニー合唱団も充実した歌を聴かせ、国内のおけるショスタコーヴィチ演奏としては間違いなく第一線のものとなるだろう。

喝采を浴びた井上。最後はステージ下手でくるりとターンして引き上げるなど、お馴染みの外連を見せていた。

なお、天井からデッカツリーが下がり、舞台上の要所要所にマイクが立っていたため、EXTONによるライブ収録が行われたものと思われる。



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2018年3月 8日 (木)

コンサートの記(355) 下野竜也指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会2006

2006年3月11日 京都コンサートホールにて
 
午後3時から、京都コンサートホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会を聴く。

今日、大阪フィルを指揮するのは下野竜也。1969年、鹿児島生まれの若手指揮者である。2001年にブザンソン指揮者コンクールを制し、一躍注目を浴びた。大阪フィルとはナクソスに大栗裕作品をレコーディングしており、高い評価を受けている。またユニークなblogを書き、彼の文章のファンも多かったが、残念ながらblogは今年の2月をもって更新を停止した。

ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」というポピュラーなプログラムのためか、会場はほぼ満員。

大阪フィルは京都でも開演30分前ごろから団員が思い思いにステージに出て来て楽器をさらいはじめ、ステージ上の団員数が段々増えていき、最後にコンサートマスター(今日のコンサートマスターはロバート・ダヴィドヴィッチ)が出て来るというスタイルを採っていた。こういうスタイルを持つ楽団は、少なくとも私が知る限り大阪フィルだけである。開演直前に楽団員が袖から並んで出てくる、というのが一般的な登場スタイルだ。なぜ大阪フィルだけが一般的でないスタイルを採っているのだろうか。

今日はヴァイオリンが両翼に来る古典的配置が採用されていた。

下野竜也の実演に接するのは今日が初めてである。下野は見た目からして「薩摩隼人」というタイプの指揮者だった。本州の人間とは顔も体つきも違う。

2階のステージ下手後方、もう少しでP席という場所で聴いていたので、下野の指揮姿がよく見える。下野の棒は流麗ではないが非常にわかりやすい。どの楽器にどんな音を要求しているのかすぐにわかる。楽団員も演奏しやすいだろう。
そのためかどうか、普段の大阪フィルの演奏に比べて精度は高く、音も輝かしい。

「魔弾の射手」では、下野は造形重視の指揮を見せる。よく整った演奏だ。だが、単なる優等生的演奏ではなく、クライマックスでは情熱的な指揮ぶりを披露。好感の持てる指揮者だ。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(通称:メンコン)のソリストは玉井菜摘。京都生まれで、世界各国のコンクールを制覇し、現在は東京藝大の助教授も務めているという。
玉井のヴァイオリンは非常にスマートだ。テクニックも完璧。ただ冒頭などはスマートすぎて、憂いに欠けるきらいがあり、最終楽章でももっとチャーミングな表情が欲しいと思った。今のところは、表現よりもテクニック先行の奏者という印象を受けた。

メインの「新世界より」。下野は速めのテンポを基に飛ばす。非常に若々しく魅力的な表現だ。「基に」と書いたのはたまにテンポをぐっと落とすところがあるからだ。この曲での下野は表現重視の指揮を見せる。ただ、ブラスを煽りすぎなのが気になった。第4楽章では、金管を強調する余り、一瞬、音型とバランスが崩れる場面もあった。

アンコールはメンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」から第3楽章という非常に渋い選曲。曲同様、演奏にも派手さはないが、細部まで仕上げが丁寧である。下野竜也という指揮者、今のところカリスマ性は感じないが独特の個性が光っており、将来が楽しみである。

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2018年2月24日 (土)

コンサートの記(349) アンドレア・バッティストーニ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第515回定期演奏会

2018年2月17日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第515回定期演奏会を聴く。指揮は「未来のトスカニーニ」の異名を持つアンドレア・バッティストーニ。

1987年生まれ、まだ30歳という若さのバッティストーニ。「ロミオとジュリエット」の舞台としても知られるイタリア・ヴェローナの出身である。現在、東京フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者を務めており、「題名のない音楽会」に出演するなど、日本でも著名な存在になりつつある。

曲目はレスピーギの「ローマ三部作(交響詩「ローマの噴水」、交響詩「ローマの祭り」、交響詩「ローマの松」)。バッティストーニは東京フィルと「ローマ三部作」を録音しており、評価も高いが、私は今ひとつピンとこなかった。

今日のコンサートマスターは崔文洙。電気オルガンは関西ではお馴染みの桑山彩子が奏でる。

印象派の影響を強く受けているとされる交響詩「ローマの噴水」。音の陰影を微妙に変えていくレスピーギの手法をバッティストーニは巧妙な棒で解き明かしていく。大阪フィルの音色にはもっと洗練も求めたくなるが、音色の移ろいの浮かび上がらせ方などには優れたものを感じる。

映画音楽的な要素を持つ交響詩「ローマの祭り」。バンダは2回下手バルコニー席に陣取る。バッティストーニはオーケストラを鳴らす術に長けており、冒頭の音を目一杯鳴らす。そのためフェスティバルホールが壮大に鳴り、バンダのトランペットが聞こえにくくなっていた。
迫力のある「ローマの祭り」であるが、第4部の「主顕祭」の冒頭で打楽器奏者が一斉に立ち上がるなど、視覚面でも面白さがある。ただ大フィルの音はこの曲を演奏するにはやや重いようである。伝統的にドイツものに強い大フィルだが、ドイツの地方オーケストラが無理矢理イタリアものに挑戦したような感じになっていた。

ローマ三部作の中で飛び抜けて有名な交響詩「ローマの松」。1996年12月のNHK交響楽団定期演奏会で、今なにかと話題のシャルル・デュトワの指揮で聴いた「ローマの松」は実に鮮烈であった。あの不器用なN響が信じられないほど輝かしい音で鳴った。
バッティストーニの指揮する「ローマの松」は若手指揮者らしい瑞々しい音で奏でられる。バッティストーニは見た目もガッチリしているし指揮姿も激しいが、それは一種のフェイクであるように思える。実際は細部に至るまで丁寧に作り上げており、匂うような上品さがある。
いわゆる爆演が好まれる傾向にある「ローマの松」だが、バッティストーニは見た目とは裏腹に無闇な虚仮威しは好まないのだろう。トスカニーニやムーティといったイタリア人指揮者がよくやるような演奏ではなく、フランス系の指揮者が作り上げるような「ローマの松」になっていた。レスピーギがドビュッシーから受けた影響もよく分かる。
バンダは「ローマの祭り」の時と同様に下手バルコニー席と、更に上手の3階BOX席に配され、効果的な音響を生んでいた。


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2018年2月14日 (水)

コンサートの記(344) 大阪フィルハーモニー交響楽団「Enjoy!オーケストラ ~オーケストラで聴く映画音楽の世界!~」

2018年2月9日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団「Enjoy!オーケストラ ~オーケストラで聴く映画音楽の世界!~」を聴く。指揮とお話は大阪フィルハーモニー交響楽団ミュージック・アドヴァイザーの尾高忠明。

大阪フィルハーモニー交響楽団は、フェスティバルホールを本拠地としているが、定期演奏会はフェスティバルホールで行い、その他の企画はザ・シンフォニーホールを使う傾向がある。音響だけとればザ・シンフォニーホールは日本一だと思われるため、使用しないと勿体ない。今回は武満徹とジョン・ウィリアムズという二人の作曲家の作品を取り上げる。

曲目は、第1部が武満徹作曲による、3つの映画音楽(「ホゼ・トレス」、「黒い雨」、「他人の顔」)、「夢千代日記」、「乱」、「波の盆」組曲。「夢千代日記」と「波の盆」はテレビドラマのための音楽である。 第2部がジョン・ウィリアムズ作曲の映画音楽で、「未知との遭遇」メインテーマ、「ハリー・ポッターと賢者の石」メインテーマ、「シンドラーのリスト」メインテーマ、「E.T.」よりフライングシーン、「ジョーズ」メインテーマ、「スター・ウォーズ」メインテーマ。

まず武満の3つの映画音楽。大フィルは元々音量は豊かだが音の洗練については不足気味の傾向がある。初代の音楽監督である朝比奈隆が「愚直」を好み、骨太の演奏を指向したということもある。2代目の音楽監督である大植英次は現代音楽も得意としたが外連を好む傾向にあり、首席指揮者を務めた井上道義に関しても同傾向であったことは言うまでもない。ということで、もっと緻密で繊細な音作りも望みたくなるのだが、洒脱さは出ていたし、まずまずの出来だろう。

演奏終了後、尾高はマイクを手に振り返り、トークを始める。「僕は桐朋学園に学びました。齋藤秀雄という怖い怖い先生に教わりましたが、『尾高! 良い指揮者になりたかったらあんまり喋るな!』」といういつもの枕で笑いを取る。「大阪フィルハーモニー交響楽団は人使いが荒くて、指揮だけでなく話もして欲しい」。ここから武満の思い出となり、「コンピューターゲームが大好きな人でした。うちによく遊びに来てくれて嬉しかったのですが、コンピューターゲームで自分がお勝ちになるまでお帰りにならない」「これは喜ばれると思うのですが阪神タイガースの大ファンでした。阪神が負けた日には話しかけない方が良さそうな」という話をする。雑誌のインタビューで読んだことがあるのだが、尾高はこの話を日本だけではなく海外でも行っており、海外のオーケストラ団員も「タケミツってどんな人?」と興味津々で、この話をすると喜ばれるそうである。

その後、次の「夢千代日記」の話になり、主演した吉永小百合が今でも「バレンタインデーにチョコレートを貰いたい有名人アンケート」で1位を取るという話もする。どちらかというと響きの作曲家である武満徹。世界で彼にしか書けないといわれたタケミツ・トーンは海外、特にフランスで高く評価され、フランス人の音楽評論家から「タケミツは日系フランス人作曲家である」と評されたこともある。ただ武満本人は、「ポール・マッカートニーのような作曲家になりたい」と望んでおり、メロディーメーカーに憧れていた。残念ながらメロディーメーカーとしてはそれほど評価されなかった武満であるが、「夢千代日記」や「波の盆」に登場する美しい旋律の数々は、武満の多彩な才能を物語っている。

「乱」に関しては、監督である黒澤明と武満徹の確執を尾高は話す。黒澤明は武満に作曲を依頼。レコーディングのためにロンドン交響楽団を押さえていた。「ロンドン交響楽団で駄目だったらハリウッドのオーケストラを使ってくれ。ゴージャスにやってくれ」と注文したのだが、武満は岩城宏之指揮の札幌交響楽団を推薦。黒澤は「冗談じゃない!」と突っぱね、ここから不穏な空気が漂うようになる。武満が想定した音楽は黒澤が想像していたものとは真逆だった。
よく知られていることだが、黒澤映画のラッシュフィルムにはクラシック音楽が付いており、黒澤は「これによく似た曲を書いてくれ」というのが常だった。「乱」に関してはマーラーの曲が付いていたことが想像される。黒澤はマーラーのようにど派手に鳴る音楽を求めていたようだ。武満も「強い人だったので」折れず、じゃあ一緒に札幌に行こうじゃないかということになり、札幌市の隣町である北広島市のスタジオで札幌交響楽団に演奏を聴く。黒澤は納得したようで、札幌交響楽団のメンバーに「よろしくお願いします」と頭を下げたそうである。実はこの後、武満と黒澤は更に揉めて、絶交にまで至るのだが、それについては尾高は話さなかった。ただ演奏終了後に、「この音楽はハリウッドのオーケストラには演奏は無理であります」と語った。

武満の映画音楽の最高峰である「乱」。色彩豊かなのだがどこか水墨画のような味わいのある音楽である。巨人が打ち倒されるかのような強烈な悲劇性と群れからはぐれて一人ヒラヒラと舞う紋白蝶のような哀感の対比が鮮やかである。タケミツ・トーンがこれほど有効な楽曲もそうはない。

「波の盆」。尾高は日系ハワイ移民を題材にしたストーリーについて語る。笠智衆、加藤治子、中井貴一が出演。日米戦争に巻き込まれていく姿が描かれている。「あんまり詳しく話すとDVDが売れなくなりますので」と尾高は冗談を言っていた。
叙情的なテーマはよく知られているが、いかにもアメリカのブラスバンドが奏でそうなマーチが加わっていたりと、バラエティ豊かな音楽になっている。武満自身がマニア級の映画愛好者であり、オーケストレーションなどは映画音楽の仕事を通して学んだものである。

ちなみに尾高は子供の頃は指揮者ではなく映画監督に憧れていたそうで、果たせずに指揮者となり「一生を棒に振る」と冗談で笑いを取っていた。


第2部。ジョン・ウィリアムズの世界。最初の「未知との遭遇」メインテーマでは、高校生以下の学生券購入者をステージ上にあげての演奏となった。演奏終了後に子供に話も聞いていたが、今の子供も「未知との遭遇」のテーマは「聴いたことがある」そうである。

尾高は、ジョン・ウイリアムズは武満を尊敬していたということを語る。

ジョン・ウィリアムズは、「ジュリアード音楽院、日本でいうと東京芸大のようなところ」で学び、カステルヌオーヴォ=テデスコに師事した本格派であり、スピルバーグもジョージ・ルーカスも「自分が成功出来たのはジョンの音楽があったから」と語っていることを尾高は紹介する。

「ハリー・ポッターと賢者の石」はスピルバーグ作品でもルーカスフィルムでもなく、クリス・コロンバス監督作品であるが、「ハリー・ポッター」シリーズは、イギリス人の魂そのものだと捉えられているそうである。ミステリアスな曲調を上手く現した演奏であった。そういえば、私が「ハリー・ポッターと賢者の石」を観たのはまだ千葉にいた頃で、富士見町にあるシネマックス千葉での上映を観たのだった。

「シンドラーのリスト」では、今日は客演コンサートマスターに入った須山暢大(すやま・のぶひろ)が独奏を担当。サウンドトラックでソロを受け持ったイツァーク・パールマンのような濃厚さはなかったが技術面ではしっかりした演奏を聴かせる。

「E.T.」よりフライングシーンの音楽。今日取り上げたジョン・ウィリアムズ作品の中で、この曲だけがメインテーマではない。CMでもよく使われる曲で、尾高はピザのCMに使われたものが印象的だったと述べた。大フィルの音楽性には武満よりもジョン・ウィリアムズ作品のようが合っているように思う。

「ジョーズ」メインテーマ。スピルバーグが「28歳ぐらいの時の映画だと思うのですが」「自分より1つか2つ上なだけの人間(尾高は1947年生まれ、スピルバーグは1946年生まれである)がこうした映画を撮るのか」と衝撃受けたそうである。演奏を見ているとかなり高度はオーケストレーションが用いられているのが確認出来る。

今日はチケット完売、補助席まで売り切れという盛況である。尾高によると満員というのが文化の高さの指標になるそうで、以前、新国立でベンジャミン・ブリテンの「ピーター・グライムズ」をやった時、二日とも満員御礼で初日は良かったのだが、二日目に1階席の真ん真ん中2列が空いてしまっていたという。そこはスポンサー関係者用の席で誰も聴きに来なかったようなのだが、2幕の始まりに、ビーター・グライムズ役のイギリス人歌手が尾高の所に飛んできて、「チュウ! チュウというのは僕のことです。『もう歌わない! あそこが空いてるじゃないか!』となりまして」と語った。

さらにチケット完売時の返券(キャンセル)の話になる。尾高がウィーン国立音楽アカデミー(現・ウィーン国立音楽大学)でハンス・スワロフスキーに師事していた時代のこと。ヘルベルト・フォン・カラヤンが毎年夏に自身が主催するザルツブルク音楽祭を開いており、「カラヤン指揮のオペラが聴きたい」と思った尾高はザルツブルク祝祭劇場(カラヤンが大阪の旧フェスティバルホールをモデルに自らも設計に加わって建てさせたもの)まで出掛けた。
帝王カラヤン指揮のオペラなので前売り券は当然ながら完売、尾高は返券を求めて、開場の1時間半ほど前から並ぶことにしたという。午前8時半頃にザルツブルク祝祭劇場の前に着くと、すでに100人ほどが列を作っている。「こりゃ駄目かな」と思いつつ尾高が列に並んでしばらくすると、黒塗りの豪華な車が劇場の前で止まり、いかにも上流階級といった風の男性が降りてきた。男は尾高に、「おい、君は何やってるんだ?」と聞く。尾高が「オペラを聴くために並んでます」と答えると、「そんなことはわかっている。なにをやっていて、どうしてこのオペラを聴こうと思ったのかを聞いている」。尾高がウィーンで指揮を学んでいることを話すと、男性はチケットをくれたという。なんとS席の中でも特等の座席であったそうだ。
男性はカラヤンの知り合いで、毎年、ザルツブルク祝祭劇場でオペラを観ていたのだが、この年はどうしても抜けられない仕事が出来てしまい、「チケットを無駄にしたくないから、音楽を学んでいる奴にやろう」と決めて、目的地に向かう途中で高速道路を下りて、わざわざザルツブルク祝祭劇場に車を横付けしたのだった。

ラストの「スター・ウォーズ」メインテーマ。輝かしい演奏で掉尾を飾った。

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2017年12月 6日 (水)

コンサートの記(328) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第513回定期演奏会 モーツァルト 後期三大交響曲

2017年11月22日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、フェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第513回定期演奏会を聴く。指揮者は、大阪フィルハーモニー交響楽団ミュージック・アドヴァイザーの尾高忠明。尾高は来年4月から大阪フィルの第3代音楽監督に就任予定であり、ミュージック・アドヴァイザーという肩書きでは最初で最後の定期演奏会登場となる。

1947年、神奈川県鎌倉市に生まれた尾高忠明。実父は指揮者で作曲家の尾高尚忠(ひさただ)、実兄は作曲家の尾高惇忠(あつただ)という音楽一家の出身である。
桐朋学園大学で指揮を齋藤秀雄に師事。学生時代は盟友の井上道義と共に「悪ガキ・イノチュウ」と呼ばれるほどやんちゃだった(今は尾高はジェントルな感じだが、井上は相変わらずの悪ガキぶりである)。
長く東京フィルハーモニー交響楽団の常任指揮者を務め、BBCウェールズ交響楽団首席指揮者時代にはレコーディングでも高い評価を得る。読売日本交響楽団常任指揮者、紀尾井シンフォニエッタ東京首席指揮者、札幌交響楽団常任指揮者を歴任。現在では日本におけるシベリウス演奏の泰斗として知られ、札幌交響楽団との「シベリウス交響曲全集」やサントリーホールでの3年越しの「シベリウス交響曲チクルス」は絶賛されている。

大阪フィルハーモニー交響楽団の来年度のプログラムが今日発表になったが、目玉は尾高指揮のベートーヴェン交響曲全曲演奏会である。5月から12月にかけて、作曲された順に5度のべ6回の演奏会が予定されている。その分、尾高の定期登場は2度に限られ、1年を通して他の古典派のプログラムは控えめである。海外の指揮者のビッグネームはレナード・スラットキンのみ。その他の外国人指揮者の顔ぶれは若手ばかりで、あたかも大阪交響楽団の定期のようになっている。NHK交響楽団を指揮した京都での演奏会で好演を聴かせたパスカル・ロフェが登場する10月の定期演奏会が意外に聞き物かも知れない。


曲目は、モーツァルトの後期三大交響曲(交響曲第39番、第40番、第41番「ジュピター」)の一挙上演という意欲的なものである。

今日のコンサートマスターは崔文洙。古典の演奏であるが、今日もいつも通ドイツ式の現代配置での演奏。「ジュピター」では編成も大きめであった。

尾高は全曲ノンタクトで指揮する。たまにピリオドの影響が聞こえる部分もあるが、基本的にはモダンスタイルによる演奏を行う。


交響曲第39番。この曲の演奏は、20年ほど前にNHKホールで聴いた、アンドレ・プレヴィン指揮NHK交響楽団のまろやかな音による演奏が今も印象に強く残っているが、尾高の指揮する39番はシャープで現代的である。速度はやや速め。第3楽章では明るい響きの中にクラリネットの孤独で不安に満ちた旋律を浮かび上がらせるなど、モーツァルトの陰を見事に炙り出す。


交響曲第40番。クラリネットを入れた第2版での演奏である。速度は速めで、第2楽章以降はかなり速くなる。硬質な音による大ト短調で、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の同曲演奏に少しだけ似ている。
尾高は各楽章のラストに重きを置いているようで、演奏は終結部から逆算されているようにも思う。


交響曲第41番「ジュピター」。輝かしい出来となった。大フィルの弦には張りと透明感があり、管は瑞々しい音で鳴る。弦が主役の部分でも尾高は管を強く吹かせることで立体感を生んでいた。以前は大フィルの弱点であったホルンも今はかなり改善され、全ての楽器が高いレベルで統合された好演に仕上がっていた。

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2017年9月22日 (金)

コンサートの記(318) 大阪クラシック2017第81公演 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 チャイコフスキー 交響曲第5番

2017年9月16日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時15分から、大阪クラシック第81公演(最終公演)を聴く。大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団によるチャイコフスキーの交響曲第5番の演奏。

午後7時頃から大植英次のプレトークがある。大植はぎっしり詰まった紙袋を手に登場。これまで大阪クラシックで貰った変わったプレゼントを紹介する。
まずは、「大植さん、もっと背高くしたらどうや」ということで貰った靴の上げ底。髪が乱れている時に貰ったブラシ。更に「大植さん、もって食べえや」ということで貰った551蓬莱の豚まん(の袋)、スタッフから「大植さん、話長い」ということで貰った(?)壁掛け時計。更に「大植さん言ってることがよくわからない(大植は滑舌に難がある)。日本語勉強して」ということで貰った日本語を学ぶおもちゃなどなど。


今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。いつも通りドイツ式の現代配置での演奏である。
今日は1階席の25列目、下手寄りの席に座ったのだが、この席だと音が全部上に行ってしまうのがわかり、音響的に良い席とはいえないようである。


大植英次の解釈であるが、驚いたことにメンゲルベルクやアーベントロートといった19世紀生まれの指揮者の音楽作りを彷彿とさせるものであった。テンポが大きくギアチェンジし、怖ろしく遅くなったかと思いきや極端な加速がある。特に第1楽章ではその傾向が極めて顕著である。どう来るか予想出来ない大植の指揮に大阪フィルも苦闘。今にもフォルムが崩壊しそうな場面が続き、聴いていてハラハラする。

第2楽章でのホルンソロは見事であった。ただ、その後に来る別のホルンの返しでは残念ながらキークスがあった。

チャイコフスキーの交響曲の演奏は、21世紀入ってからペシミスティックなものが流行っているが、大植は交響曲第5番に関してはそうした解釈を取っていないようで、疑似ラストの後の場面では晴れ晴れとした音楽を描く。それまで暴れまくっていたため、朗々と歌われる凱歌に安定感があり、効果的に聞こえる。
ラストを大植はヒロイックに決めた。


毎年恒例となったアンコール。コンサートマスターの田野倉雅秋が指揮を受け持ち、山本直純編曲の「日本の歌メドレー」(「夕焼け小焼け」~「七つの子」~「故郷」)が流れる中、大植が1階席、2階席、3階席を回る。

大ラストは、外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」より八木節。大植は背中に大阪市章の入った赤い法被を着てのノリノリの指揮であった。

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2017年8月13日 (日)

コンサートの記(314) エリアフ・インバル指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第510回定期演奏会

2017年7月27日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第510回定期演奏会を聴く。今日の指揮は日本でもお馴染みのエリアフ・インバル。
マーラーの交響曲第6番「悲劇的」1曲勝負である。

エリアフ・インバルは1936年生まれのイスラエルの指揮者。フランクフルト放送交響楽団(現・hr交響楽団)の首席指揮者として一時代を築き、「マーラー交響曲全集」と「ブルックナー交響曲全集」は共に名盤として知られる。マーラーとブルックナーの両方を得意とする数少ない指揮者でもある。東京都交響楽団の特別客演指揮者を経てプリンシパル・コンダクターとなり、現在は桂冠指揮者の称号を得ている。都響とはマーラーの交響曲全曲演奏会を二度行い、「マーラー交響曲全集」も制作した。

インバル指揮のコンサートは、20年ほど前にNHK交響楽団に客演した土曜マチネーの定期演奏会を聴いたことがあるのだが、もうほとんど記憶に残っていない。それ以来二度目の実演となる。


今日のコンサートマスターは崔文洙。いつもとは異なり、アメリカ式の現代配置での演奏である。曲の特色からいって、アメリカ式現代配置の方が低弦の音の受け渡しがスムーズに思える。
第2楽章がスケルツォ、第3楽章がアンダンテでの演奏。ハンマーが打ち下ろされる回数は2回である。


いつもより編成が大きいとということもあるが、大フィルは良く鳴る。インバルのマーラーは美演の傾向があるが、今日の大フィルも弦は輝き、管も力強い。第3楽章終盤の寄せては返す波のようなエモーショナルな部分などは驚くほど美しく、やはり良い指揮者を迎えた時の大阪フィルはスーパーオーケストラに変貌を遂げるようだ。

大阪フィルというとホルンがアキレス腱だったのだが、世代交代したということもあり、今では段違いのレベルアップを遂げた。

インバルのリズム感も良く、キビキビとした音運びが聴かれる。大フィルの特徴であるしっかりと築かれた低弦がプラスに作用し、マーラーのおどろおどろしい一面も浮き上がる。ハープの特殊奏法なども低弦の厚みとの対比で効果的になる。

大阪フィルによるマーラーの「悲劇的」は大植英次の指揮で二度聴いたことがあるが、楽曲構造の把握しやすさに関していうなら今日のインバル指揮の演奏の方が上のように思う。流石は世界的に認められたマーラー指揮者だけのことはある。

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