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2019年7月21日 (日)

コンサートの記(576) 沼尻竜典指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2014(年度)「VIVA!オーケストラ」第4回「オーケストラと指揮者」

2015年2月8日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2014(年度)~こどものためのオーケストラ入門~『VIVA!オーケストラ』第4回「オーケストラと指揮者」を聴く。「こどものためのオーケストラ入門」とあるが、曲目は大人向けである。親子で楽しめるコンサートであるが、子供が楽しむには曲目が難しすぎるかも知れない。

今日の指揮者は沼尻竜典。ナビゲーターはロザンの二人である。

曲目は、ビゼーの「カルメン」組曲第1番、「カルメン」前奏曲の子供による指揮者体験、サン=サーンスの序奏とロンド・カプリチオーソ(ヴァイオリン独奏:黒川侑)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」


今日のコンサートマスターは泉原隆志。渡邊穣は降り番で、フォアシュピーラーは尾﨑平。首席オーボエ奏者は前半後半共に高山郁子が務めるが、首席フルートの清水信貴と首席クラリネットの小谷口直子は、後半のストラヴィンスキーのみの参加である。

天井から舞台の上にスクリーンが降りている。今日は「オーケストラと指揮者」というタイトルなので、指揮者の姿を正面から捉えた映像をスクリーンに映し出して、指揮者が何をしているのか見えるようにするという趣向である。指揮者と対面するP席では居ながらにして指揮者が正面に見えるのでスクリーンを見る必要はない。ただ、スクリーンを降ろした関係上、P席の座席数は通常より少なくなっている。

ビゼーの「カルメン」組曲第1番。第1曲である前奏曲(2つ目の前奏曲である)~アラゴネーズでは、弦は美しい音を出したものの、トランペットなどは能天気な音を出しており、沼尻の音楽の浅さか露わになってしまっていた。
間奏曲では、フルートの息継ぎの仕方が今一つ。前半もフルートが清水信貴であったら、こうはならなかったと思うが。
演奏終了後にロザンの二人が現れ、菅広文が「沼尻さんは楽器を何かされるんですか?」と聞き、沼尻が「ピアノを」と答えると、「沼尻さんが楽器出来ない思ってたんか?」と宇治原史規に突っ込まれる。菅は「指揮者の出演料って高いんですか?」と沼尻に聞く。沼尻は「そんなに高くないです。(コンサートマスターの泉原を指さして)あの人は高いと思います」と言う。ということで菅は泉原に「お給料高いんですか?」と聞き、泉原が首を横に振ると、更に「いくらぐらい?」と聞く。泉原は手を振って「ダメダメ」とやっていた。菅は「横にいる人(尾﨑平)より多く貰っているわけですね」と続ける。
ちなみにロザンは収入は折半制度としているそうで、宇治原のクイズ番組出演料も折半、菅の著書の印税も折半しているという。宇治原がクイズ番組に出演している時は、菅はテレビの前で本気で応援しているそうだ。


続いて、子供による指揮者体験コーナー。手を挙げた9歳の女の子と5歳の男の子が選ばれる。指揮するのは「カルメン」前奏曲(第1の前奏曲)である。沼尻が指揮の仕方を教え、まず9歳女の子がやってみる。4分の2拍子で棒を振ること自体は簡単である。女の子は普通の速さで振ったが、幼児であり背が小さいため、後ろの方の奏者は指揮棒が見えにくいようであった。女の子は合唱をやっているため、指揮者の姿は見慣れているそうだ。

5歳の男の子の指揮。普通の速さで入るが、途中で大幅に減速し、最後で急激に速度を上げる。京響の奏者達はただでさえ指揮棒が見えにくいのに速度までぶれるので大変そうであった。
菅が男の子に「将来何になりたいの?」と聞くと男の子は「お相撲さん」と答える。菅は「場所の間に指揮の仕事も出来ますね」と言い、沼尻も「(力士を)引退してからやってもいいです」と話してた。


サン=サーンスの序奏とロンド・カプリチオーソ演奏のために、弦楽奏者らが退場するが、菅は「皆さん、いなくなりましたけど、これはリストラですか?」とボケる(基本的に面白いことは菅しかいわない)。

ヴァイオリン独奏の黒川侑が現れると、菅は「おぼこいですね」と言う。菅が年齢を聞くと、黒川は「25歳です」と答える。ロザンの二人は「あー、やっぱり若いんだ」と納得する(?)。

黒川のヴァイオリンは音色が美しい。スケールがやや小さく、情熱も不足気味なので、それが今後の課題となるだろう。


ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。演奏前のトークで、沼尻が「春の祭典」の初演時、聴衆の中にこの曲を音楽と認めない人がおり、怒号も飛び交ったという有名なスキャンダルを紹介する。沼尻は、ステージ上手奥に設置された電子ピアノを弾いて、通常の音楽の場合は旋律と和音があるが、「春の祭典」の場合、メロディーが奏でられる楽器をリズム楽器のように使っており、それが反発を招いたのではないかと推測する(なお、一大スキャンダルとなったのはディアギレフのバレエ団による上演であり、その直後に行われたコンサートでの「春の祭典」初演は成功しているため、バレエ初演の失敗が音楽ではなくバーバリズムを題材にした内容や振付にあったのではないかという説もある。一方で、バレエ公演の指揮者を務めたピエール・モントゥーは、事前にストラヴィンスキーと会って、「春の祭典」をピアノで弾いて貰ったが、「一音符も理解出来なかった」と述懐しており、先程曲が演奏されたサン=サーンスは「ファゴットの扱い方を知らない奴が現れた」と日記に怒りをぶちまけており、音楽が理解不能と感じた人も少なくなかったことが察せられる)。

演奏であるが、一定のステールできちんとまとめるといういかにも沼尻らしいものであった。沼尻の演奏は外れは少ないのだが大当たりすることも稀なように感じる。指揮は分かり易いのだが、整えることが目標になっているような気もしてしまう。

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2019年7月16日 (火)

コンサートの記(574) 下野竜也指揮 京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第161回定期演奏会

2019年7月11日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第161回定期演奏会を聴く。指揮は京都市立芸術大学指揮科教授の下野竜也。

曲目は、ベートーヴェンの交響曲第2番、チャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」(チェロ独奏は、音楽学部弦楽専攻4回生の舘野真梨子)、ドビュッシーの交響詩「海」

海の日が来週に迫っているということもあるのか、「海」をメインに持ってきたプログラムである。日本の音楽教育は今もドイツ偏重の嫌いがあるため、フランスものやロシアものもちゃんと弾いていこうという意図もあるのかも知れない。

他の国については具体的には知らないが、日本の音楽教育は高校でも大学でも女子が中心となっている。今日もステージ上は9割以上が女子である。ヴァイオリンやヴィオラで男子学生を見つけるのは「ウォーリーを探せ」状態。管ではトランペットやテューバなどでは男子学生も多いが、その他はやはり女性優位。近年、プロオーケストラのホルン奏者に優秀な女性奏者が目立つが、京都市立芸大オーケストラのホルンパートも大半が女性で占められている。
ただ、客席には男性が多いというのが、クラシックの逆転現象である。もっとも、国を問わず、クラシック音楽ファンは圧倒的に男性が多い。

ホワイエで見覚えのある女の子を見掛けたが、多分、「テラの音(ね)」に出演していた声楽科の子だと思われる。京都市立芸大の学生だけでなく、制服を着た高校生も男女ともに多いのが、今回の演奏会の特徴でもある。

 

ベートーヴェンの交響曲第2番。
第1楽章などは学生オーケストラであるためパワー不足は否めず、内声のホルンが迷走する場面もあったりしたが、若い人達による瑞々しい響きが好感を抱かせる。「ベートーヴェンの青春の歌」ともいわれる第2楽章も爽やかでチャーミングに歌われる。
ヨーロッパの高等音楽機関では、今ではHIP(歴史的演奏法)が必修になっているはずだが、日本はそこまでではないのか、今日も特にHIPらしき要素は見られない。
下野の指揮はリズミカルな音運びが特徴で、第4楽章などは学生達もとても楽しそうに演奏し、ノリノリとなった。

 

チャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」。チェロ独奏の舘野真梨子(たちの・まりこ)はオーディションを勝ち抜いて選ばれたようだ。富山県立呉羽高等学校音楽コース出身。第28回クラシック音楽コンクール大学の部チェロ部門第4位、2019年小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトに参加、2016年ベストオブアンサンブルin金沢合格、2017年ルーマニア国際音楽コンクール・セバスチャン賞受賞などの実績がある。

舘野真梨子であるが、長身で肩幅も広く、音楽家というよりもスポーツ選手のような雰囲気を出している。技術は高く、表現力も豊かで良いチェリストである。
下野指揮の京芸オーケストラはコンサートミストレスもトップの顔ぶれなども変わったが、潤いのある輝かしい音を奏でていた。

場面転換のため、チャイコフスキーとドビュッシーの間に下野のトークが挟まれる。
「ご記憶に新しいと思いますが、先程まで指揮をしていた者です」と冗談でスタート。「ちょっと受けたのが嬉しいです」
下野は京都市立芸術大学の教授になってから3年目だが、「将来、オーケストラに入るかどうかはわかりませんが、入った場合の礎となるように」ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの曲をしっかりやろうという計画を立てており、今日もベートーヴェンの交響曲第2番を入れている。「『英雄』のような派手な曲ばかり注目されますが」もっと若い頃の作品もちゃんとやろうということで、前回は交響曲第1番、今回は第2番を演奏した。チャイコフスキーは、ロシアの中では西洋を向いていた作曲家と見なされており、シューマンやブラームスなども目標としていた、ということでドイツのロココの時代をモチーフにした曲を選んだそうである。ロシア人の指揮者は口を揃えて、「ロシア人以外の指揮者がチャイコフスキーを振るとベタベタし過ぎる」と語るそうだが、下野は「そっちだって結構ベタベタ」と感じているそうだ。
ドビュッシーの「海」は形にするだけでも難しい曲だが、ドビュッシーもやっておかねばならないということで挑戦の意味も込めて選んだようである。

 

そのドビュッシーの交響詩「海」。ハープは学生ではなく、京響ファンにはお馴染みの松村姉妹が務める。学生相手の指揮ということもあってか、下野は主題を浮き上がらせるような音楽作りをする。わかりやすくはある。3つの楽章全てで力尽くの場面が見られたが、プロのオーケストラ相手ではどうなるのか気になる。学生オーケストラということで強引にドライブした方が形にはなりやすいだろうから。
京芸の学生達も技術はかなりあり、フランス音楽的な表現力とは異なるかも知れないがパワーや音の煌めきなどにも長けている。下野の骨格のしっかりした音楽作りもあって、強引さはあっても聴かせる仕上がりにはなっていた。

演奏終了後、一度引っ込んだ下野は抜き足差し足で再登場、コンサートミストレスの肩を後ろから叩き、一人で立たせて拍手を受けさせるなど、茶目っ気を見せていた。

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2019年7月 8日 (月)

コンサートの記(571) クリスティアン・アルミンク指揮ベルギー王立リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2019京都

2019年6月29日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、クリスティアン・アルミンク指揮ベルギー王立リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会を聴く。

ベルギー・フランス語圏の中心都市であるリエージュ。リエージュ州の州都である。ベルギーを代表する作曲家であるセザール・フランク、無伴奏ヴァイオリン曲が人気のウジェーヌ・イザイ、「メグレ警部」シリーズで知られる推理作家のジョルジュ・シムノンなどを生んだ街であり、ベルギー名物であるワッフルが誕生した場所でもある。

ベルギー王立リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団は、1960年の創設。近年は、パスカル・ロフェ、フランソワ=グザヴィエ・ロトなどが音楽監督を務め、2011年からクリスティアン・アルミンクを音楽監督に戴いている。
1990年に初来日しているが、今回はそれ以来、実に29年ぶりの来日公演となる。リエージュ・フィルが王立を名乗ることを許されたのは2010年のことなので、現在の名称となってからは初の来日となる。

リエージュ・フィル音楽監督のクリスティアン・アルミンクは、新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を10年間務めており、日本でもお馴染みの存在である。
1971年、ウィーン生まれ。父親はドイツ・グラモフォン・レーベルの重役(のちに社長になる)であり、著名な音楽家が自宅に遊びに来ることもしばしばだったようだ。父親がドイツ・グラモフォン極東部門総責任者を務めた幼少時には、アルミンクも東京・六本木で過ごした経験があるという。その後、ウィーンに戻り、ウィーン国立音楽大学で指揮をレオポルド・ハーガーらに師事。卒業後は、タングルウッドで小澤征爾に学び、2003年には「セイジのオーケストラ」こと新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に迎えられている。若くしてヤナーチェク・フィルを指揮してアルテ・ノヴァ・レーベルに録音を行っており(私はたまたま発売直後に買っている)、ルツェルン歌劇場と交響楽団の音楽監督を経て現職。また、2017年4月からは広島交響楽団の首席客演指揮者も務めている。
この春には、小澤征爾音楽塾の歌劇「カルメン」京都公演の指揮を師である小澤と二人で務めた(小澤は、序曲と記事にはあったが、おそらく前奏曲の第1番と第2番のみを指揮して交代したため、アルミンクがほぼ全編を指揮。小澤はその後病気でリタイアしたため、関東での公演は、完全にアルミンク一人で担当している)。

 

曲目は、ルクーの「弦楽のためのアダージョ」、タン・ドゥン(譚盾)のギター協奏曲「Yi2」(日本初演。ギター独奏:鈴木大介)、ブラームスの交響曲第1番。

 

リエージュ・フィルの登場の仕方は変わっており、開演時間である午後2時の3分ほど前にメンバーがゾロゾロと登場(1曲目が弦楽のための作品なので弦楽器奏者のみの登場)。席に座って各々が攫い、午後2時を過ぎてからコンサートマスターのゲオルク・トゥドラケが一人で登場して、全員で挨拶という形になる。そのためか、開演5分前を告げるチャイムは前後半とも鳴らなかった。

 

ルクーの「弦楽のためのアダージョ」。ギョーム・ルクーは、ベルギー・リエージュ州出身の作曲家。セザール・フランクの弟子である。9歳の時に両親と共にフランスに移住し、その後、パリでフランクとヴァンサン・ダンディに師事。「天才」との評価を得るが、24歳で夭逝している。
「弦楽のためのアダージョ」は、師であるフランク追悼のために書かれたものとされる。

哀感十分の曲調である。一世代上のグリーグや同世代であるシベリウスに繋がるような旋律も登場するため、曲調も把握しやすい。
リエージュ・フィルの弦楽は、渋い輝きを特色としていて、フランス語圏のオーケストラではあるが、どちらかというとオランダやドイツのオーケストラに近い個性を持っているのが面白い。

 

タン・ドゥンのギター協奏曲「Yi2」。現代中国を代表する作曲家であるタン・ドゥン。「題名のない音楽会」などへの出演やNHK交響楽団との共演で日本での知名度も高い。湖南省長沙に生まれ、幼いときから民族音楽などに触れて、二胡奏者として活躍していたが、ベートーヴェンの交響曲第5番を初めて聴いた時に「エイリアンの音楽だ!」と衝撃を受け、クラシック音楽の道に進んでいる。文革の下放後に北京の中央音楽院に入学し、武満徹の音楽などに触れる。卒業後に渡米。ニューヨークのコロンビア大学大学院で前衛的な作曲法を学び、以後もニューヨークを拠点に作曲や指揮者としての活動を続けている。

タイトルの「Yi2」に関しては詳しいことはわからないが、「Yi」は「易」という字のピンイン(中国語版ローマ字)の表記とされ、これまで「Yi0」「Yi1」の2作が発表されていて、これが3つ目の作品になるという。

まず、鈴木大介のギターソロで始まるが、すぐにアルミンクが手を打って応え、というより遮るようにして止まり、再びソロが始まるも、また指揮者による手拍子が加わる。
その後、二拍による音型が「得体の知れない何か」の行進曲のように続く。
ギターのソロであるが、いかにもスペイン的な要素と、タン・ドゥンの祖国である中国の琵琶(ピパ)を意識したトレモロの2つが交互に現れる。琵琶を模した部分であるが、映画音楽に詳しい人には、「映画『ラストエンペラー』の東屋での場面に流れる、コン・スーが作曲した音楽によく似ている」と書くとあるいは通じるかも知れない。
オーケストラにはピアノが加わっているが、ピアニストはピアノの弦を弾いて音を出したり、腕を組む形で鍵盤に押しつけてトーンクラスターにしたりと、変則的な演奏を行う。ストラヴィンスキー的な盛り上がり方をするクライマックスでは、オーケストラのメンバーが、「シー」という言葉を2度ほど発する。

交響詩ではないので具体的な何かを描いているわけではないだろうが、スペインも中国も独裁者が圧政を行った国であり、二拍の不気味な行進曲からは、そうした歴史が想起される。

 

鈴木大介のアンコール演奏は、ビートルズナンバーの「Yesterday」。武満徹による洒落た編曲もいい。

 

ブラームスの交響曲第1番。リエージュ・フィルは第1ヴァイオリン16型で編成は小さくないが、前方に詰めたシフトを敷いているため、ステージの後ろの方が開くという布陣である。
序奏は悲劇性よりも哀感を優先させ、その後、徐々に熱くなっていくという解釈である。リエージュ・フィルはリズム感はそれほどでもなく、アンサンブルの技術も正確性に関してはあるいは京響の方が上かも知れないが、憂いと渋みのあるしっとりとした音色は、あるいは完璧に合わせるのではなくほんのわずかにずらすことで生まれているのかも知れない。ヨーロッパ人の音に対する感覚の鋭さがうかがわれる。

コンサートマスターのゲオルク・トゥドラケはボウイングが大きいが、管楽器が主役の部分などではアルミンクから弦楽器のまとめを託されて協力して演奏していることが見て取れる。
洗練された雅やかなブラームスであるが、第4楽章のクライマックスで突如リタルダンドするのが特徴。他には聴かれない解釈なので、どういう意図があったのか気になる。
アルミンクは、通常はそれほど力まず、ここぞという時に全力を傾注するというスタイルでドラマを引き立てていた。

 

アンコール演奏は、ブラームスのハンガリー舞曲第6番。これも土俗感は余り出さないシャープな演奏であった。

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2019年6月25日 (火)

コンサートの記(566) 下野竜也指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2019「オーケストラへようこそ!」第1回「オーケストラってなあに?」

2019年6月16日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2019 「オーケストラへようこそ!」第1回「オーケストラってなあに?」を聴く。指揮は京都市交響楽団の常任首席客演指揮者の下野竜也。
京都市交響楽団は、広上淳一、高関健、下野竜也のトロイカ体制が続いていたが、少なくとも今の体制は今シーズン限りで終わりとなるようだ。

曲目は、J・S・バッハの「小フーガ」ト短調(ストコフスキー編曲/下野竜也補編。オルガン独奏:桑山彩子)、ヴィヴァルディの「四季」より「冬」第2楽章(ヴァイオリン独奏:泉原隆志)、モーツァルトの交響曲第29番第1楽章、ベートーヴェンの交響曲第5番から第3&第4楽章、ベルリオーズの幻想交響曲から第4楽章「断頭台への行進」、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、ウェーベルンの管弦楽のための6つの小品から第4曲、交響詩「ローマの祭り」から「主顕祭」


開演前にロビーコンサートがある。今回は井幡万友美のチェンバロコンサート。チェンバロの音は小さいので、聴衆に近づいて聴いて欲しいと井幡が言ったため、チェンバロの周りに人々が密集して聴いているという珍しい光景が見られた。


バッハの「小フーガ」ト短調。まずオルガン独奏の桑山彩子が出だしを弾き、第1フーガが終わったところで下野指揮の京響の演奏に交代。その後、再びオルガンソロに戻った後で、オルガンとオーケストラの共演となる。オーケストラはストコフスキー編曲版を演奏するが、オルガンとの交代時の音色が自然であり、ストコフスキーの編曲家としての腕の高さが実感される。

演奏終了後に下野はコンサートマスターの泉原隆志に握手を求めたのだが、下野が小柄ということもあって泉原は下野がそばに来ているということに気がつかず、握手が遅れる。
下野は、「無視されちゃいました。嫌われてるのかなあ」と語り、泉原が首を振る。

ナビゲーターのガレッジセールが登場。ゴリは「オーケストラに疎い二人がやって参りました」と言う。場面転換のため、京響の楽員が席を立ったのだが、ゴリが「ここで一斉に帰り始めましたが、ストライキですか?」、川ちゃん「皆さん、ガレッジセールはお嫌いですか?」

下野はまずオーケストラの語源を二人に説明。オーケストラとは場所の名前が語源であり、古代ギリシャの劇場には、ステージと客席の間にオルケーストラ(踊る場所)と呼ばれる場所があり、そこで歌や踊りが行われていたのだが、主役は舞台上にいる歌手や俳優で、オーケストラは脇役であったと語る。

ヴィヴァルディの「四季」より「冬」第1楽章は、第1ヴァイオリン6人の小編成での演奏。ヴィヴァルディの時代は専業の指揮者がいなかったということで、下野は「目と心で合わせていた」と語る。この曲では指揮なしでの演奏となるため、ゴリ「ヴィヴァルディの時代だと下野さん、失業ですか?」、下野「失業です」というやり取りがある。下野は、「さっき私を無視したコンサートマスターが出てきて、中心にやります」と言ったため、ゴリも「コンサートマスターは人を無視する泉原隆志さん」と紹介する。
登場する泉原と退場する下野がステージ上ですれ違うときに、「冗談きついよ」「いやいや」といった感じで手でやり取りしていた。
桑山彩子のポジティブ・オルガンを加えての演奏。下野がポジティブ・オルガンを紹介した際に、ゴリが「前向きなオルガン」と言って、下野に「そのポジティブじゃない」と返されていた。
温かな音色による親密な演奏である。


モーツァルトの交響曲第29番より第1楽章。モーツァルトの初期の交響曲であるため、管楽器が少ない。モーツァルトがクラリネットを取り入れたのは彼の後期になってから。トロンボーンをオーケストラに加えたのは通説によるとベートーヴェンで、交響曲第5番が最初になると下野は紹介する。ただ、調べるとベートーヴェンより先にトロンボーンを加えた人はいるにはいるそうだ。トロンボーンはそれまでは教会で合唱と共に宗教曲を演奏しており、それが世俗のコンサートにも加わるようになる。

音色はモダンスタイルであるが、ボウイングはHIP風という折衷スタイルでの演奏。スケールは大きくないが典雅なモーツァルトが奏でられる。


ベートーヴェンの交響曲第5番より第3&第4楽章。2つの楽章には切れ目がない。トロンボーンが加わるのは第4楽章の頭からである。
下野は学校の音楽室に飾られた作曲家の肖像画(ちなみに下野によると瀧廉太郎がいるのは何かの間違いらしい)で、バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトと来て、ベートーヴェンから変わることは何かとガレッジセールの二人に聞き、川ちゃんが「夜になると目が動く」と答えて、下野に「それは都市伝説」と一蹴される。答えは「かつらをかぶっていない」である。当時は貴族の前ではかつらをかぶるというのが音楽家の身だしなみであった。ベートーヴェンは貴族に仕える身分でしかなかった音楽家の地位を向上させた人といわれている。
下野指揮のベートーヴェンの5番は、昨年、びわ湖ホールで行われたNHK交響楽団の演奏会で聴いており、しっかりとした演奏であることを確認している。
今回も確かな構築力を感じさせる好演だったが、スケールをかっちり決めた上で細部を整えていくというスタイルの演奏であるため、自在感や奔放さはない。朝比奈隆スタイルのベートーヴェンと書くとクラシックファンにはわかりやすいだろうか。個人的にはもっと暴れまくるベートーヴェンが好きである。


後半。ベルリオーズの幻想交響曲より第4楽章「断頭台への行進」。ベートーヴェンの死からさほど立っていない時期に初演された作品だが、大編成であり、後のロマン派へと繋がっていく楽曲である。
ゴリが、「当時、これだけ入れる会場ってあったんでしょうか?」と聞く。下野は、「当時の会場で演奏している映像(ジョン・エリオット・ガーディナー指揮オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティークのものだろうか)を見たことがあるのですが、ステージ上ぎっしりでした」と答えていた。
幻想交響曲の背景についても下野は語り、「イギリスから来ていた大女優(ハリエット・スミスソン)に恋をしてしまうわけです。凄いと思うのは楽屋に行って『結婚して下さい』と言ったこと」。無名の作曲家であったベルリオーズは当然ながら相手にされず、その時の屈辱感を幻想交響曲への昇華させる。面白いのは、幻想交響曲の初演をスミスソンが聴きに来ており、結果、二人は結婚に漕ぎ着けるということだ。川ちゃんが、「まさに、山ちゃん(蒼井優と結婚した山里亮太)」、ゴリ「山ちゃん、僕らの後輩ですけども」
下野は楽器編成についても語り、「ティンパニの中山(航介)さんはいつもいます。だけど今回は横に宅間(斉)さんが、『宅間さん』って楽器じゃないですよ」と言って、
ゴリ「それぐらいはわかります」
川ちゃん「僕らなんだかんだで47ですので」

下野は、テューバ奏者二人に、「楽器持ち上げてみて、ジャンプ!」と無茶ぶりして、ゴリに「絶対、きついですよね」と言われる。
下野「強権濫用(ママ)」

下野指揮の「断頭台への行進」であるが、極めて上品である。狂気がほとばしるような演奏をする指揮者も多いが、下野の場合は常に節度と美観を保ち、「ノーブル」ともいえるような仕上がりになっている。この曲がノーブルである必要があるのかどうかは意見が分かれるだろうが。


ドビュッシーの交響詩「牧神の午後への前奏曲」。下野はドビュッシーについて、「それまでとは違った和音を使って作曲した、人によっては『それ間違ってるんじゃないの?』と言われそうなギリギリのところを狙った」と語る。「輪郭のはっきりしない、揺れるような朧な」音楽である。下野はモネなど印象派の画家の名前を挙げながら、共通点についても語っていた。
下野の指揮する「牧神の午後への前奏曲」であるが、丁寧で美音を存分に生かしつつ浮遊感も忘れないという理想的なものである。下野というとブルックナーやドヴォルザーク、リヒャルト・シュトラウスなどを得意とするイメージがあるが、それ以上にフランスものが合っているのではないだろうか。少なくともこれほど美しいドビュッシーを生み出せる日本人指揮者は稀である。

下野の指揮した「牧神の午後への前奏曲」についてゴリは、「水の上をグルグル漂っているような」と表現した。


ウェーベルンの管弦楽のための6つの小品から第4曲。管楽器と打楽器のための作品である。下野は、「今日の客席の150%の人が『何これ?』というような曲」と紹介する。
アントン・ウェーベルンについては、「先輩方には叶わない、それよりも新しい音楽を生み出そうというシェーンベルクと一緒に活動してた作曲家」と紹介する。
演奏前に下野は、「最初は恐ろしく小さい音、空調の音が聞こえるような小さな音で始まり、それが……、内緒!」といって指揮を始める。
ドビュッシーは和音を飛躍させたが、ウェーベルンら新ウィーン学派になるともう和音が破壊されてしまっており、それまでの常識では計り知れないような音楽となる。この曲は元々は葬送行進曲として作曲されたといわれており、クライマックスでは破滅的な響きに至る。


レスピーギの交響詩「ローマの祭り」から「主顕祭」。
オーケストレーションの達人として、管弦楽の色彩感を極限まで推し進めたレスピーギ。「ローマの祭り」は、その後の映画音楽にも貢献することになった描写力抜群の音楽である。
下野指揮の京響の表現力はまさに一級品。日本人指揮者と日本のオーケストラによるものとしては最高レベルの演奏である。京響の明るめの音色もこの曲にジャストフィットだ。

アンコール。下野「我々がクラシックしか演奏出来ないと思わないで下さい!」、ゴリ「なんですか突然?」ということで、「ローマの祭り」に掛けた「お祭りマンボ」が演奏される。打楽器とオルガン、トランペットのための編曲(編曲:野本洋介)。楽団員が「ワッショイワッショイ!」とかけ声を出すなど、ノリノリの演奏となった。

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2019年6月22日 (土)

コンサートの記(564) エリック・ル・サージュ ピアノ・リサイタル2019京都

2019年5月10日 京都コンサートホール アンサンブルホールムラタにて

午後7時から、京都コンサートホール アンサンブルホールムラタでエリック・ル・サージュのピアノ・リサイタルを聴く。

エリック・ル・サージュは、1964年生まれのフランスのピアニスト。エクサン・プロヴァンスに生まれ、パリ国立高等音楽院を17歳で卒業。その後、ロンドンに渡り、マリア・クルチオに師事。1985年のポルト国際ピアノコンクールと1989年のロベルト・シューマン国際ピアノコンクールで優勝し、1990年のリーズ国際ピアノコンクールでは3位に入賞している。
プーランクの室内楽全集のピアニストとして注目され、シューマンのピアノ曲と室内楽曲の全集、フォーレの室内楽作品全集にも参加している。

曲目は、シューマンの「子供の情景」、フォーレの夜想曲第6番、ドビュッシーの「子供の領分」、シューマンの「謝肉祭」
前半に子供時代を描いたピアノ曲として知られる2つの組曲が並ぶという意欲的なプログラムである。

 

シューマンの「子供の情景」は、1曲目の「見知らぬ国から」の3連音を崩し気味に弾くなど、即興性が強い。ドイツ人や日本人のピアニストだったら思い入れたっぷりに弾くであろう「トロイメライ」も速めのテンポで流すように歌う。文学性や物語性よりも響きを重視しているのもフランスのピアニストらしいところである。

シューマンのスペシャリストとしても知られるル・サージュだが、フォーレの夜想曲第6番における音の煌めきを聴くと、やはりフランス音楽の方が合っているということに気づく。なお、この曲だけは譜めくり人をつけて楽譜を見ながら演奏を行った。

 

ドビュッシーの「子供の領分」。ジャズの影響なども受けているドビュッシーであるが、ル・サージュの演奏を聴いているとそのことがよく分かる。全体的に洒脱で愛らしい演奏であり、フレンチジャズも演奏出来そうなリズム感の良さやもよく表れている。

 

ドビュッシーの「喜びの島」。色彩感豊かで、ワクワクが枠から溢れ出て来るような「喜びの島」である。

 

後半、メインであるシューマンの「謝肉祭」。スケールが大きく、透明感溢れる音色に支えられた端正な演奏をル・サージュは展開する。
今日は5列目の22番という、一般的な小ホールなら一番良い音がするはずの位置に座っていたのだが、アンサンブルホールムラタは内部が六角形という、珍しいというほどではないが近年は少なくなった設計であり、この曲の演奏中には反響した音が右後ろから聞こえてくるなどハウリングが起こっていた。だが演奏そのものは聴き応えがある。ラストの第20曲「ペリシテ人とたたかうダヴィッド同盟員」はノリノリの演奏となり、演奏終了後に盛んな拍手と「ブラボー!」がル・サージュを讃えた。

アンコール。まずシューマンの「ダヴィッド同盟」舞曲集より第14曲が演奏され、最後のドビュッシーの「映像」より「水の反映」が演奏される。
シューマンも優れた出来だったが、ドビュッシーの「水の反映」は描写力といい詩情といい最高クラスの逸品で、やはり聴衆を沸かせた。

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2019年6月 9日 (日)

コンサートの記(560) カーチュン・ウォン指揮 京都市交響楽団第634回定期演奏会

2019年5月18日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第634回定期演奏会を聴く。今日の指揮はシンガポール出身の若手、カーチュン・ウォン。

曲目は、吉松隆の「鳥は静かに…」、シベリウスのヴァイオリン協奏曲ニ短調(ヴァイオリン独奏:ラグンヒル・ヘムシング)、フランクの交響曲ニ短調。

午後2時から、カーチュン・ウォンによるプレトークがある。カーチュン・ウォンのトークは日本語を交えたり、旋律を口ずさんだりするもので、才気が感じられる。
「シンガポール出身ですが、ニュルンベルク交響楽団の首席指揮者をしています」と自己紹介する。

カーチュン・ウォンは、1986年、シンガポール生まれの指揮者。シンガポール国立大学ヨン・シュトウ音楽院で作曲を、ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学で指揮を学ぶ。2016年に第5回グスタフ・マーラー国際指揮者コンクールで優勝して注目を浴びるようになっている。
クルト・マズア、グスターボ・ドゥダメル、ベルナルト・ハイティンク、ハインツ・ホリガー、エサ=ペッカ・サロネンらの薫陶を受け、コンクール優勝後は急病のヘスス・ロペス=コボスの代役として中国フィルハーモニー管弦楽団、上海交響楽団、広州交響楽団の指揮台に立ち、ロサンゼルス・フィルハーモニックのドゥダメルのフェローとして指名され、昨年9月にニュルンベルク交響楽団の首席指揮者に就任している。

ウォンによると指揮者コンクール優勝前から仕事をいただいていたのが日本のオーケストラだったそうで、新日本フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、大阪交響楽団、広島交響楽団、九州交響楽団を指揮した経験があり、最近は東京佼成ウィンドオーケストラを始めとする吹奏楽団とも多くの仕事をしている。

今回の演奏会では、吉松隆の「鳥は静かに…」とシベリウスのヴァイオリン協奏曲ニ短調が連続して演奏される。鳥を愛する吉松隆と白鳥などからインスピレーションを受けたシベリウスの「鳥繋がり」で選ばれた曲なのだが、「鳥は静かに…」の最後の和音からシベリウスのヴァイオリン協奏曲の最初の弦の刻みの音の響きへの移行に意味があるそうである。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲と同じ調性であるフランクの交響曲ニ短調であるが、今から40年ほど前にはよく演奏されたものの、ここ20年ほどは演奏される回数が減ってしまっているとウォンは述べる。
京都市交響楽団は比較的良くフランクの交響曲を取り上げているが、録音に限ると、21世紀に入ってからはこれといったものが出ていない。40年ほど前には、当時の両巨頭であるカラヤンとバーンスタインが共にフランスのオーケストラを指揮して名盤を生み出しているのだが、20世紀終盤にはフランス人指揮者の才能払底が叫ばれるようになっており、今、世界的に活躍しているフランス人指揮者は、ベルトラン・ドゥ・ビリーやパスカル・ロフェなど数人だけ、また録音不況でもあり、90年代にシャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団の録音が高く評価されたのを最後にフランクの交響曲の録音が減ってしまっている。サー・サイモン・ラトルなどはフランスものを得意としているが、フランクは録音していないはずである。
フランクの交響曲はフランスを代表する交響曲と見なされることが多いが、ウォンはむしろブルックナーとの共通点に注目して欲しいと語った。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。今日も客演首席チェロ奏者としてNHK交響楽団の藤森亮一が入る。第2ヴァイオリン首席は客演の山﨑千晶。ヴィオラのトップには店村眞積。テューバには客演の川浪浩一。今日は木管の首席指揮者はフランクのみの出演である。
ヴァイオリン両翼、コントラバスはステージ最後部に横一列に並ぶという、古典配置の中でも最も古い形での演奏となる。

 

吉松隆の「鳥は静かに」。弦楽のための繊細な曲である。シベリウスのヴァイオリン協奏曲と連続して演奏されるため、管楽器奏者もスタンバイしての演奏である。
今日は全曲暗譜で指揮するウォンは、透明で緻密な弦の音を引き出し、静謐の美を生む。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲ニ短調。独奏のラグンヒル・ヘムシングはソロが始まる直前に下手袖に現れ、弾きながらステージ中央へと歩み寄る。
ラグンヒル・ヘムシングは、1988年生まれのノルウェーのヴァイオリニスト。ノルウェーの民族音楽に親しみながら育ち、今も民族音楽とクラシック音楽の両方で活躍している。
5歳でヴァイオリンを始め、オスロのバラット・ドゥーエ音楽院に学び、ウィーンに留学してクシュニールに師事している。14歳でグリーグの街のあるベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団にデビューし、翌年にはオスロ・フィルハーモニー管弦楽団とも共演を果たした。
そのヘムシングのヴァイオリンであるが、スケールがかなり大きい。音色が比較的ドライなのも特徴である。第1楽章後半になると磨き抜かれた音も出すが、素朴な音も生み出せるのが特徴といえそうだ。
ウォンの指揮する京響であるが、極めてクリアな伴奏を聴かせる。従来のシベリウスのヴァイオリン協奏曲とは明らかに異なる伴奏である。

 

ヘムシングは、アンコールとしてノルウェーの民謡「Springar」&「Halling」を奏でる。演奏前のヴァイオリンの説明。糸巻きが5つほどもある独特のヴァイオリンであり、調弦もクラシックのヴァイオリンとは異なるようである。
ヘムシングは足踏みを加えながらの演奏。ノルウェーの民謡であるが、日本でも人気のあるアイルランドの民族音楽にも通じるものがあるような気がした。

 

フランクの交響曲ニ短調。特筆事項の多い秀演である。
とにかく全てのパートが明確に浮かび上がる。従来の演奏だったら溶け合う部分もはっきりと分離しており、音が細やかに立体として聞こえてくる。第3楽章での強奏の部分であってもそれが変わることがない。
暗譜ということでオーケストラのメンバーを確認するのではなく上方を見つめて指揮することもあるカーチュン・ウォン。デジタルな感性で音楽を組み立てていく指揮者だ。
これは面白い指揮者を見つけてしまった。
京都市交響楽団も燦々と輝くような音色と力強さでウォンの指揮に応え、演奏終了後、聴衆は沸き、「ブラボー!」が連呼された。

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2019年4月27日 (土)

コンサートの記(549) 秋山和慶指揮 京都市交響楽団第576回定期演奏会

2014年2月23日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第576回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はベテランの秋山和慶。1941年生まれで桐朋学園大学音楽学部を卒業(6歳年上の小澤征爾の時代には桐朋学園に四大はなく、短大しかなかったので、小澤の短大卒業直後に改組が行われたのだと思われる)、東京交響楽団を指揮してデビューし、その後、東響とは音楽監督・常任指揮者として40年以上に渡ってコンビを組むことになる。
一方、北米でも活動を行い、トロント交響楽団副指揮者を皮切りに、アメリカ交響楽団音楽監督、バンクーバー交響楽団音楽監督(現・桂冠指揮者)、シラキュース交響楽団音楽監督(現・名誉指揮者)など、カナダとアメリカで活躍している。
近年は、日本の地方オーケストラの涵養に力を入れており、広島交響楽団音楽監督・常任指揮者を務め(2008年に広島市民賞受賞)、ついこの間まで九州交響楽団の首席指揮者でもあった(現・桂冠指揮者)。中部フィルハーモニー管弦楽団という歴史の浅いオーケストラのアコースティック・ディレクター兼プリンシパル・コンダクターの座にもある。

プログラムは、メルキュールのオーケストラのための「トリプティーク」、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番(ピアノ独奏:児玉桃)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。「春の祭典」はいくつか版があるが、今日は短めの版を使っていたことだけは間違いない。


2時10分から、司会者と秋山和慶によるプレトークがある。映画「ファンタジア」や「オーケストラの少女」などでも知られる指揮者のレオポルド・ストコフスキーが来日して読売日本交響楽団を指揮した時のこと。本番を終えて、ホテルでテレビを見ていたストコフスキーがクラシックの番組に出て指揮をしていた秋山を発見。ストコフスキーは、一目で秋山の素質を見抜き、「こいつは誰だ? アメリカに呼んでこい」とお付きの人に命令したという。秋山はストコフスキーが創設したアメリカ・シンフォニー(アメリカ交響楽団のこと)に2、3度客演し、その後、ストコフスキーの後を襲ってアメリカ・シンフォニーの2代目の音楽監督に就任したという。ストコフスキーが秋山の映像を見て感服したのはわけがあり、秋山は齋藤秀雄の愛弟子であり、齋藤メソッドを本人から直接たたき込まれていて、無駄のない均整の取れた指揮をすることが可能だったのである。齋藤メソッドの教則映像は今でも出ているが、そこに秋山は出演しているそうだ。

 

メルキュールはカナダ人の作曲家である。秋山がバンクーバー交響楽団の音楽監督をしていた時代にその存在を知ったそうで、交通事故により38歳の若さで世を去った作曲家だという。1927年生まれで、現役の音楽家でいうと、ヘルベルト・ブロムシュテットと同い年ということになる。カナダのフランス語圏であるケベック州に生まれ育ち、ケベック音楽院の他にパリ音楽院でも学び(パリの水は合わなかったそうだ)、ニューイングランドのタングルウッドでは十二音技法も学んだが、懐疑的だったのか作曲に取り入れることはなかったという。だからといって保守的な作曲家というわけではなく、秋山によるとオーケストラのための「トリプティーク」は二部構成だが、一部と二部の間に鏡を置いたように、二部は一部の逆構成になっているという。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」について秋山は、「今はオーケストラのメンバーも素知らぬ顔で演奏していますが、初演のえらい騒ぎだった」と音楽史上に残る大スキャンダルについて触れる。「生卵がステージに投げ込まれたそうで、今日は生卵を投げつけられることはないと思いますが」と語る。
ストラヴィンスキー作曲のロシア・バレエ団による「春の祭典」は、セルゲイ・ディアギレフの主催、ヴァーツラフ・フォミッチ・ニジンスキーの振付、ピエール・モントゥーの指揮により、シャンゼリゼ劇場で行われたが、ストラヴィンスキーの音楽が始めると同時に客席がざわつきだし、やがて怒号や口笛、嘲笑などで劇場は満たされたという。ストラヴィンスキーの音楽についてサン=サーンスは「ファゴットの使い方を知らない奴が現れた」と不快感を示しており、音楽的にも型破りで理解されにくかったことがわかるが、音楽以上に原始時代を舞台にした生け贄の儀式を描いたストーリーが問題だったようで、オーケストラ演奏のみによる「春の祭典」初演は成功している。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。渡邊穣がフォアシュピーラーに回る。首席クラリネット奏者の小谷口直子は前後半共に出演。首席フルート奏者の清水信貴と首席オーボエ奏者の髙山郁子は後半のみの出演である。

 

メルキュールのオーケストラのための「トリプティーク」。冒頭は武満徹の作品を思わせる弦楽による美しいハーモニー奏でられ、それから伊福部昭のようなプリミティブな迫力に満ちた音楽となる。いずれも日本人作曲家の名前で例えることが出来るが、それだけ日本人のクラシックファンに取っては受けいれやすい音楽だということである。秋山も「これは日本でも受ける」と思って取り上げたのであろう。第二部は勢いよく始まり、徐々にディミニエンドして、冒頭の弦楽合奏で終わる。本当に鏡を真ん中に置いたような構成である。
秋山の指揮は端正で明快。どの楽器に何を望んでいるのかが手に取るようにわかる。齋藤メソッドの威力は伊達ではないようだ。

 

モーツァルトのピアノ協奏曲第23番。ピアノ独奏の児玉桃は、幼少時にヨーロッパに渡り、現在もパリ在住で、日本生まれで国籍も日本だが中身はヨーロッパ人という、かなりありがちな背景を持つ人である。ただ、近年は日本で演奏することも多く、ここ1年間でも何度も彼女のピアノをコンサート会場で聴いている。
児玉の武器は煌めくようなタッチであり、今日も輝かしいモーツァルト演奏が展開される。孤独感が滲む第2楽章も単にセンチメンタルなだけでなく、思索しながら歩いているような深みのある音楽を生み出していた。
秋山クラスなら、ピリオド・アプローチとは無縁だろうと思っていたが、弦楽の響きは旧来のロマンスタイルではなくタイトであり、秋山であってもピリオドに無関心ではいられないほどピリオドは世界的に広まっているようである。中編成での演奏であったが、ヴァイオリンは第1第2共に10人と多めなのに対し、ヴィオラとチェロは6、コントラバス3など、低弦はかなり刈り込んだ不思議な編成での演奏となった。

 

ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。安定感抜群の演奏が展開される。初演の際に聴衆に衝撃を与えた「春の祭典」も今では現代音楽の中の古典。エンターテインメント音楽である。
秋山は京響の威力を存分に発揮させつつ、力尽くにはならない上品な演奏を繰り広げる。輝かしく、美しく、迫力にも欠けない演奏であった。

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2019年4月25日 (木)

コンサートの記(548) 小林研一郎指揮 京都市交響楽団第575回定期演奏会

2014年1月24日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第575回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は今や日本人指揮者界の大御所的存在になった小林研一郎。熱狂的な信者と異端の指揮者扱いするアンチがいるという、一人AKBのような指揮者である。「炎のコバケン!」のキャッチコピーでお馴染みの情熱的な音楽作りをする人だ。東京藝術大学作曲科を卒業後、同大学指揮科に再入学。東京藝術大学には編入制度はないため、1年間、受験勉強をして一般入試を受けての再入学であった。というわけで、大学卒業時には27歳になっていた。当時は今よりも指揮者コンクールの受験資格が厳しく、25歳以上はお断りだったのだが、1974年に始まることになったブダペスト国際指揮者コンクールは25歳以上でもOKだったため、それを受けて優勝。以後、ハンガリーとは長い付き合いが始まる。ハンガリー国立交響楽団(現・ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)の音楽総監督を長きに渡って務め、1985年から2年間だけだが京都市交響楽団の常任指揮者も務めている(当時は出雲路にある練習場が出来る前で、廃校になった小学校を練習場にしていたのだが、冬になるとすきま風がとても寒かったと、小林は後に記している)、90年代には東京のオーケストラの中で財政的に最も苦しかった日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を引き受け、レベル・アップに貢献している。

プログラムは、ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(通称:メンコン。ヴァイオリン独奏:三浦文彰)、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」(パイプオルガン独奏:長井浩美)。

ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲。個人的には余り好きな曲ではないのだが、何故か京響のプログラムには良く載る曲である。小林は指揮棒を振るのではなく、右手を下からサッと差し出し、ホルンにスタートの合図を送る。
今日の小林は、握る箇所のかなりしっかりとした独自の指揮棒を使用。握る部分だけ見ると、ラケットのそれのようである。
京響は、クリアで立体感のある音を奏でる。まずは上々の滑り出しである。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストの三浦文彰は1994年生まれの若手。両親ともにヴァイオリニストという家庭に生まれ、3歳からヴァイオリンを始める。2006年にユーディ・メニューイン国際ヴァイオリンコンクール・ジュニア部門2位。2009年にはハノーファー国際コンクールに史上最年少で優勝。才能を買われて、NPO法人イエロー・エンジェルからJ.B.Guadagniniという名器を貸与されている。
その三浦のヴァイオリンであるが、音はゴージャスというかジューシーというか、華麗で肉厚でありながら決して重苦しくはならない。まだ頭の中にある楽譜をなぞって弾いている感じで、再創造の領域には達していないが、この若さでこれだけの音楽が生み出せるなら大したものである。
コバケンさんの演奏会には、コバケン信者も当然ながら詰めかけているので、普段の演奏会よりも盛り上がる。
三浦は、ヴュータンの「ヤンキードゥードゥル」を弾く。序奏の後で、「アルプス一万尺」の変奏曲が奏でられるというものである。メンデルスゾーンでは表現面で難しいものがある(メカニック面もそうだが、過去の大ヴァイオリニストが弾いていて録音もしているので、どうしても比較される)が、ヴォータンの作品では技巧一本勝負。三浦は聴衆を圧倒する。

サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」。京都コンサートホールにはパイプオルガンがついているので、この曲に接する機会も多い。
小林と京響は、オルガンなしで、オルガンに近い響きを作り上げる。その後、力強さが加わり、弦は熱演で少し濁るが、代わりに金管が透明感ある音を築く。
第1楽章第2部で、オルガンが入ると、弦も澄んだ感じを取り戻す。小林の歌は良く言うと日本的、悪く言うと演歌調である。彼個人の資質なのか、彼が生まれた年代の影響なのかはよくわからない。
第2楽章の入りも他の指揮者とは違う(第1部では唸り声もかなり聞こえた)。いずれにせよサン=サーンスよりは小林研一郎の存在を強く感じさせる演奏であった。

私の好みとは異なるサン=サーンスではあったが、コバケンさんの力演を堪能することが出来た。

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2019年4月18日 (木)

コンサートの記(545) 井上道義指揮 京都市交響楽団第633回定期演奏会

2019年4月12日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第633回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は井上道義。

オール・プロコフィエフ・プログラムで、組曲「キージェ中尉」、ピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:イリヤ・ラシュコフスキー)、「ロメオとジュリエット」組曲から(井上道義セレクション)が演奏される。

ショスタコーヴィチのライバルだったプロコフィエフ。二人は犬猿の仲であったと伝わるが、基本的にショスタコーヴィチ作品を得意としている演奏家はプロコフィエフ作品でも優れた出来を示すことが多い。

今日のコンサートマスターは客演の石田泰尚。フォアシュピーラーは泉原隆志。今日はチェロ客演首席にNHK交響楽団の首席チェロ奏者である「藤森大統領」こと藤森亮一が入る。第ヴァイオリンの客演首席は大森潤子。武貞茂夫が定年で抜けたテューバには北畠真司が客演で入る。
独自の配置が採用されており、ヴァイオリン両翼だが位置は現代配置のヴィオラと入れ替わり。コントラバスはヴィオラの背後の位置。通常は下手に陣取るホルンは今日は上手に回る。


午後6時30分から井上道義によりプレトークの予定だったが、6時40分からに変更になる。井上が癌の後遺症で唾液が余り出ないので、長い時間喋れないらしい(更にインフルエンザが治ったばかりだったようだ)。
井上はまず、「桜の咲く季節は大嫌いです」。「寒いから」ということなのだが、花見に行くにはということのようで、夜桜を見に行っても井上は「寒いから帰る」という方なので花見がそもそも嫌いらしい。
バレエ「ロメオとジュリエット」のラストをプロコフィエフが「死んだら踊れない」ということでハッピーエンドにしようとしたことを挙げて、「(プロコフィエフ)は希望を抱くロマンティストであったのだが変にリアリスト」であったと語る。
「アンティル諸島の娘たちの踊り」は、百合の花を持って踊られるのだが、百合の花は日本でいうところの菊の花に相当し、葬儀の意味があるのだそうである。


組曲「キージェ中尉」。元々は映画音楽として書かれたものを演奏会用にまとめたものである。映画そのものを観たことはないのだが、実在しないキージェ中尉を皇帝が気に入ってしまったため、周囲が振り回されるという筋書きはよく知られている。録音ではコダーイの組曲「ハーリ・ヤーノシュ」とカップリングされることが多い曲である。

拍手が止んですぐに、舞台袖で西馬健史がコルネットを吹き始めてスタート。プロコフィエフは意欲的な表現に取り組んだことで知られるが、この曲でも相反する要素が同時進行するなど、前衛的な表現が聴かれる(特に目立つ場所に置かれたコントラバスは変わったことをしているのが確認出来る)。
京響自慢のブラスは輝かしく、弦も鋭さと温かさを兼ね備えた優れた表現を聴かせる。
井上は体をくねらせて踊るユーモラスな指揮を見せた。


ピアノ協奏曲第3番。ソリストのイリヤ・ラシュコフスキーは1984年、シベリア・イルクーツク生まれの若手。5歳でピアノを始めて、8歳の時にはイルクーツク室内オーケストラと共演という神童系である。シベリア最大の都市であるノボシビルスクの音楽学校で学び、1995年にイタリアのマルサラ市で行われた国際コンクールで優勝。98年にはウラジミール・クライネフ国際コンクールでも優勝を飾り、2000年にハノーファー音楽学校(ハノーファー演劇音楽大学と同じ学校かどうかは不明)に入学して、そのウラジミール・クライネフに師事している。その後も多くのピアノコンクールで優勝や入賞を経験し、2012年に第8回浜松国際ピアノコンクールで優勝。この時から井上道義に評価されていたがなかなか共演の機会がなく、今日が初共演となるようである。

ラシュコフスキーは、渋みとリリシズムを兼ね備えたピアノを披露。高度な技術が印象的である。
京響はベストな響きではあったが、鋭さと音量共にこの曲の伴奏としては弱めである。それだけプロコフィエフの演奏が難しいということでもあり、プロコフィエフのピアノ協奏曲は演奏家泣かせであることでも知られている。

ラシュコフスキーのアンコール演奏は、ラフマニノフの「楽興の時」第4番。情熱と表現力を兼ね備えた秀演であった。


「ロメオとジュリエット」組曲より(井上道義セレクション)。演奏されるのは、「モンタギュー家とキャピュレット家」「朝の踊り」「ロメオとジュリエット」「情景」「メヌエット」「朝のセレナーデ」「アンティル諸島の娘たちの踊り」「タイボルトの死」「ジュリエットの死」

管楽器の冴えがやはり印象的である。今日は木管の首席は「ロメオとジュリエット」のみの参加であったが、技巧面でも表現面でもハイレベルである。打楽器群の力強い響きも見事だ。
井上の表現も巧みで、強弱や緩急の切り替え、甘美さとシニシズムの対比などプロコフィエフの面白さを十全に表していた。

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2019年4月14日 (日)

コンサートの記(543) 下野竜也指揮京都市交響楽団スプリング・コンサート2019

2019年4月7日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団のスプリング・コンサートを聴く。

曲目は、ヴィヴァルディの2つのトランペットのための協奏曲ハ長調(トランペット独奏:ハラルド・ナエス&西馬健史)、ベートーヴェンのヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲(ヴァイオリン:豊島泰嗣、チェロ:上村昇、ピアノ:上野真)、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」


全席完売だが、今日はポディウム席は発売されていない。
今日は6列目の真ん中で聴く。ステージから近いが、管楽器の奏者は顔がよく見えないため、誰が吹いているのかわからない場合もある。


ヴィヴァルディの2つのトランペットのための協奏曲ハ長調。京都市交響楽団の首席トランペット奏者であるハラルド・ナエスが第1トランペットを、西馬健史が第2トランペットを務める。
日本でも屈指の輝きを誇る京都市交響楽団のトランペット陣。今日も燦燦と輝くような音を響かせる。
京都市交響楽団は小編成での演奏。西脇小百合がチェンバロを奏でる。生き生きとした伴奏であった。
弦楽奏者のビブラートであるが、統一されてはおらず、思い思いに弾いている。


ベートーヴェンの三重協奏曲の演奏前に、下野がマイクを手にして登場。舞台の転換作業の間をトークで繋ぐ。「京都市交響楽団常任しゅせ……、間違えました。なんとか指揮者の下野竜也です」とユーモアと込めた自己紹介した後で、ナエスと西馬をステージに呼び、ヴィヴァルディの2つのトランペットのための協奏曲ハ長調の思い出について語って貰う。二人ともこの曲を演奏するのは人生で2回目だそうだが、ナエスは1回目はパイプオルガンとの共演、西馬もピアノとの演奏があるだけであり、オーケストラをバックに演奏するのは初めてだそうである。


ベートーヴェンのヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲。京都市交響楽団は近年、この曲を取り上げることが多い。
ピアノ三重奏にオーケストラ伴奏が付くという特異な協奏曲。ベートーヴェンがなぜこうした編成の曲を書いたのかは今でも謎であるが、チェロパートの比重が比較的大きく、演奏技術もチェロが最も高度であるため、チェロの名手から委嘱された可能性が高いとされている。
ヴァイオリンの豊島奏嗣、チェロの上村昇(京都市交響楽団首席チェロ奏者)、ピアノの上野真、更に指揮者の下野竜也も京都市立芸術大学の教員である。ということもあってか、室内楽的要素の強い親密な演奏が展開される。
下野指揮の京響であるが、渋めの音でスタートし、かなり豪快に鳴る。京響のパワーと下野のオケを鳴らす技術は想像以上であるようだ。


ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。人気曲だけに実演で聴く機会も多いが、思いのほか名演に当たる確率が低いような気もしている。

下野はベートーヴェンとは真逆の明るい音色を京響から引き出す。流石の手腕だが、第1楽章のクライマックスなどでは全ての音を鳴らし過ぎたため、輪郭や主旋律の把握が難しくなっていた。

第2楽章と第3楽章は秀演で、第2楽章の深々とした歌、第3楽章の覇気に満ちた音楽運びなどが印象的である。

第4楽章も迫力があるが、音が大きい割りには客席に届くエネルギーが必ずしも十分ではないように感じされる。音の密度がそれほど濃いわけではないということも影響しているのかも知れない。京響のブラス陣は優秀で、力強さと浮遊感を兼ね備えた優れた音楽性を示していた。


下野は、「京都市交響楽団史上、最も短いアンコール曲」と語って、ベートーヴェンの「フィデリオ」より行進曲が演奏される。古典的造形美が強調された演奏で、ベートーヴェンの優美な一面を楽しむことが出来た。

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