カテゴリー「京都コンサートホール」の92件の記事

2019年1月16日 (水)

コンサートの記(506) 大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別公演「大植英次スペシャル」2011

2011年4月19日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別公演「大植英次スペシャル」を聴く。

曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノム」(ピアノ独奏:小曽根真)、マーラーの交響曲第1番「巨人」。

本業はジャズピアニストの小曽根真は先週の大植英次指揮大阪フィルの定期演奏会にも出ていたし、日曜には音楽劇にピアニストとして出演(セリフはないがちょっとした演技はあり)、そして今日は大阪フィルの京都演奏会に登場と忙しい。

モーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノム」。モーツァルトのピアノ協奏曲というと、アシュケナージのように鍵盤を舐めるような美音を奏でるピアニストも多いが、小曽根のピアノは芯のしっかりしたものだ。この協奏曲には3楽章ともにカデンツァ(オーケストラなしでピアニストが弾く部分。かつてはピアニストが即興演奏を行う部分だった)があり、第1楽章、第2楽章は格調の高いカデンツァだったが、第3楽章のカデンツァ(ここだけはモーツァルト自身が作曲している)は、ジャジーな弾き方に聞こえた。「ジュノム」に関しては数度しか聴いたことがないので、実際はどう弾かれることが多いのか私にはわからない。よって意図的にジャジーな演奏にしたのか結果的にそうなってしまったのかもわからない。

大植指揮の大阪フィルは典雅な演奏を繰り広げるが、京都コンサートホールの音響は、ザ・シンフォニーホールに比べると不利なことは明らかで、モヤモヤとした響きに聞こえてしまう。

演奏終了後、大植英次が、大阪(豊中市)の小曽根小学校の校歌の楽譜を持って登場。小曽根真に歌詞を読ませる。大植は、小曽根小学校のみんなが小曽根真を応援しているとして、小曽根真に小曽根小学校の校歌で即興による変奏曲を弾いて欲しいようで、自らピアノで小曽根小学校の校歌を弾いてみせる。小曽根真は校歌を変奏するのはやはり心情的に憚れるのか、それとも校歌の曲調が即興に合わないとみたのか、校歌を弾くことはせず、代わりにショパンの「子犬のワルツ」の編曲版を弾いた。


マーラーの交響曲第1番「巨人」。

交響曲第6番「悲劇的」の演奏が忘れられない大植のマーラーだが、最近の大植のマーラーは交響曲第5番にしろ第9番にしろ、極端に遅いテンポを採って賛否両論を巻き起こしている。

第1楽章は総体としてテンポは平均的だが、遅いところはかなり遅く、速いところはオーケストラが付いていけないほど速いテンポを採用。かなりメリハリのはっきりした演奏で、やはり異色である。特に終結部の加速はこれまで私が聴いてきた同曲の演奏の中でも間違いなく最速であった。

第2楽章は立体感のある演奏で、情熱にも富み、大植の本領が発揮された演奏である。

第3楽章。大植は、棒を振らず、顔のみで指揮。テンポは真っ先に演奏するティンパニ奏者とコントラバス奏者に完全に任せているようで、主部に入って棒を振るようになってもそのテンポを守った。冒頭がかなり遅いテンポだったので、全体としてもゆっくりとした演奏になった。

最終楽章はなかなかの出来であったが、京都コンサートホールの音響によって、響きが抑制されて聞こえるのが残念である。


終演後、大植は、レナード・バーンスタイン作詞による「キャンディード」(原作はヴォルテール)より“メイク・アワ・ガーデン・グロウ(「自分の畑を耕そう」。出光のCMで流れている曲である)”を朗読した後、その“メイク・アワ・ガーデン・グロウ”(作曲もレナード・バーンスタイン)をアンコールとして演奏した。

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2019年1月14日 (月)

コンサートの記(503) 広上淳一指揮京都市交響楽団第544回定期演奏会

2011年3月26日 京都コンサートホールにて

午後2時30分より、京都市交響楽団の第544回定期演奏会に接する。今回は東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)があったため、一時は演奏会を中止しようかと検討されたこともあったようだが、通常通り行うことで意見がまとまったようだ。

午後2時30分の開演に先立ち、今日の指揮者である広上淳一(京都市交響楽団常任指揮者)によるプレトークがある。まず、4月からのシーズンの出演者と曲目の紹介があり、それから今日の演奏曲目とソリストの話題に触れる。


今日のプログラムは、ショスタコーヴィチのバレエ組曲第1番、ブルッフのスコットランド幻想曲(ヴァイオリン独奏:シン・ヒョンス)、ヒンデミットの交響曲「画家マチス」。


ショスタコーヴィチのバレエ組曲第1番は、第二次大戦後に、ショスタコーヴィチの友人であるレヴォン・アトヴミヤンがショスタコーヴィチの「明るい小川」を題材に編んだものである。「明るい小川」はプラウダ批判(1936年)の標的となり、長い間演奏禁止になっていた曲で、それをアトヴミヤンが復活させたのだという。

引きつった笑顔のような美しさを持つ作品群で、時に哀感に満ち、時に耽美的で、時に前衛的だ。
広上と京響は、音響がお世辞にもいいとはいえない京都コンサート-ホール大ホールを響きすぎにならない程度に盛大に鳴らす。鳴らないホールだから大きな音を出すのではなく、ホールの特性を把握して逆に生かしているのである。これまでの経験が生かされていることが実感される。滑らかな弦、パワフルな管楽器、いずれも好調だ。


ブルッフのスコットランド幻想曲。幻想曲という名が付いているが実態はヴァイオリン協奏曲である。ソリストのシン・ヒョンスは1987年生まれの韓国の若手女流ヴァイオリニスト。プレトークで広上さんが紹介していたが、日本、韓国、中国問わず、東アジアの国々の演奏家は欧米に留学することが多いが、シン・ヒョンスは一貫して韓国で音楽教育を受けた珍しいヴァイオリニストとのこと。現在も韓国国立芸術大学大学院にて研鑽を積んでいるそうだ。2008年、ロン=ティボー国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門優勝。その他のコンクールではパガニーニ国際コンクールで第3位(2004年)、チャイコフスキー国際コンクールヴァイオリン部門で5位入賞(2007年)などの成績を修めている。

そのシン・ヒョンスのヴァイオリンは、音に太さがあり。独特の艶を持つ。

広上指揮の伴奏も見事。音が沸いて出る瞬間が見えるかのようだ。


シン・ヒョンスはアンコールで、京響のヴァイオリン群にピッチカートの伴奏を頼んで、パガニーニの「ヴェニスの謝肉祭変奏曲」よりを披露。この時はスコットランド幻想曲とは違い、音の太さよりも軽やかさが目立つ。曲調によってスタイルを変える器用さも持ち合わせているようだ。


ヒンデミットの交響曲「画家マチス」。マチスとは有名なアンリ・マチスではなく、16世紀に活躍したマティアス・グリューネヴァルトのこと。ドイツ農民運動にも参加したこの画家を題材に、ヒンデミットが台本と音楽を手掛けた歌劇「画家マチス」の紹介として編まれたのが今日演奏される交響曲「画家マチス」である。ヒンデミットはその作風およびユダヤ人との気兼ねのない交際(奥さんはユダヤ人である)をヒトラーに嫌われており、交響曲「画家マチス」も非難。これを受けて立ったのが、交響曲「画家マチス」の初演指揮者であったヴィルヘルム・フルトヴェングラーで、新聞に論文「ヒンデミットの場合(ヒンデミット事件)」を寄稿。これが元でドイツ楽壇は騒然となり、危機を感じたヒンデミットは亡命した。フルトヴェングラーはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とベルリン国立歌劇場の音楽監督を辞任することになるが、その後もドイツ国内に留まり、数年後にはベルリン・フィルの指揮者に戻っている。しかし、それがフルトヴェングラーがナチス寄りだとの誤解を生むことにもなった(フルトヴェングラーは一貫してナチスには否定的であり、ベルリン陥落の2ヶ月前にスイスに亡命しているが、亡命するのが遅すぎるとみなされ、戦後にナチ加担者として尋問を受けることになる。処分は2年間の演奏活動禁止であった)。

それはともかくとして、今日演奏された交響曲「画家マチス」はとにかく音が美しかった。ステージ上で楽器が鳴らしているというよりも、地の底から浮かび上がってくるかのような豊潤な音色。弦も管も絶好調で、広上の棒の通りに音楽が彩られていく様は、まるで魔法を見ているかのようだった。そしてこの曲でも京都コンサートホール大ホール自体を楽器として鳴らせることに成功する。京都コンサートホール大ホールの音響を知らない方には上手く伝わらないだろうが、京都コンサートホール大ホールを楽器として鳴らすことは、楽器を手にしたばかりの三歳児がヴァイオリンをスラスラと奏でるほど難しいことなのだ(2011年時点での音響の感想)。


終演後に、卒団するトロンボーン奏者の間憲司と、異動によって京響から外れる山岸吉和に花束が渡される。

そして、被災地の祈りを込めた、J・S・バッハの「アリア(G線上のアリア)」が演奏された。

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2019年1月12日 (土)

コンサートの記(501) 井上道義指揮 京都市交響楽団第543回定期演奏会

2011年2月13日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第543回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は元・京響音楽監督の井上道義。

オール・モーツァルト・プログラムで、歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、セレナード第10番「グラン・パルティータ」より、交響曲第41番「ジュピター」の3曲が演奏される。

今回も、舞台奥のセリを一番上まで上げてしまっているが、二段だけなので、ステージが狭くなったという感じはそれほどしない。

井上は最近、ピリオドアプローチに凝っているので、今回もピリオドで来るかと思われたが、全体的にスッキリとしたスタイルではあったものの、弦はビブラートを思い切りかけていたし、ティンパニの音も柔らかく、大時代的な演奏では全くないが、ピリオドでもなかった。配置もドイツ式の現代配置。ティンパニは「ドン・ジョヴァンニ序曲」では上手奥に、「ジュピター」では下手奥に置かれた。

今日は、井上は指揮台を用いず、全曲、ノンタクトで指揮をする。


歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲は冒頭から迫力があり、怖ろしげな雰囲気作りが上手い。主部に入ってからの活気も見事で、特に第1ヴァイオリンが美しい。バランスも見事で、「流石、井上」である。


セレナード第10番「グラン・パルティータ」は、管楽器とコントラバスのためのセレナード。今回は第1、3、6、7の4つの楽章が演奏された。演奏者は、オーボエ:高山郁子(首席)、土井恵美/ファゴット:中野陽一郎(首席)、首藤元/クラリネット:小谷口直子(首席)、筒井祥夫/バゼットホルン:鈴木祐子、玄宗哲/ホルン:垣本昌芳(首席)、小椋順二、澤嶋秀昌、中川慎一/コントラバス:星秀樹(首席客演)。

管楽器によるアンサンブルは見事で、特にステージ下手最前列に座ったオーボエ首席の高山郁子と、ステージ上手最前列に座ったクラリネット首席の小谷口直子が素晴らしい。井上の指揮は、腕をぐるぐる回して踊ったり、腹を叩いたりするユーモラスなもので、「やはり、井上」である。


メインの交響曲第41番「ジュピター」。やはり第1ヴァイオリンが美しく、一番ものをいっている。第1楽章は柔らかな迫力があり、第2楽章や第3楽章は典雅で、最終楽章は緻密なアンサンブルが見事。「これぞ、井上」である。

管楽器は世界レベルでも通用し、弦も音にもっと強さと張りと透明感があれば、世界クラスに届くのではないだろうか。いずれにせよ見事なモーツァルトであった。


演奏終了後に、井上道義が、京都市交響楽団の発展に尽力したことにより京都市功労賞を授与した旨が、事務局の方から伝えられ、コンサートマスターの渡邊穣から井上に花束が贈られる。井上は花束を客席に投げ入れる真似だけしてスピーチ。「『こうろうしょう』ということで老人の「老」の字が入るので嫌だなと思っていたら別の漢字の賞でした」と冗談を言い、「『グラン・パルティータ』の管楽器は素晴らしい。ニューヨークでもミラノでも世界中どこに行っても通用すると思います」と喋ったあとで、「ここのオーケストラ(京都市交響楽団)には広上君という指揮者がいます。ハチャメチャなイメージがありますが、彼は私より人格者です。功労賞を受けるときも『そんなものいらないなんて言っちゃ駄目だよ』とアドバイスしてくれました」と語った。最後に「私はオーケストラ・アンサンブル金沢という40人ぐらいの小さなオーケストラの指揮者をしているのですが、もっと大きなオーケストラをやりたいということで、オーケストラ・アンサンブル・金沢の定期演奏会に京都市交響楽団を呼びました。逆はまだないので、是非お願いしたいと思います」と述べた。

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2019年1月 8日 (火)

コンサートの記(498) 広上淳一指揮 「京都の秋 音楽祭開会記念コンサート」2010

2010年9月12日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサート-ホールで、京都の秋音楽祭開会記念コンサート、広上淳一指揮京都市交響楽団の演奏を聴く。


開演時、ホール内の照明が全て消され、パイプオルガンの横のボックス席に横一列に並んだ金管楽器奏者達がスポットライトを浴びて、デュカスの「ラ・ペリ」よりファンファーレを奏でて、京都の秋音楽祭が開幕。その後、門川大作京都市長の開会宣言と挨拶があった。


プログラムは、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:野原みどり)とドヴォルザークの交響曲第8番。


チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のソリストである野原みどりは派手さこそないが、堅実な技術で弾き進めていく。バックの京響も冒頭で金管がやや不安定になった他は盤石の出来であった。


ドヴォルザークの交響曲第8番。密度の濃い、緊張感溢れる演奏であった。弦も管も熟した音で鳴り、広上と京響のコンビがいよいよ成熟期に入ったことが実感される。

第4楽章のラストの追い込みは実にスリリング。世界のどこに出しても恥ずかしくない演奏であったように思う。


アンコールとして、ドヴォルザークの「スラブ舞曲」より第14番が演奏された。

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2019年1月 7日 (月)

コンサートの記(496) 広上淳一指揮京都市交響楽団第537回定期演奏会

2010年7月17日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第537回定期演奏会に接する。今日の指揮は常任指揮者の広上淳一。

曲目は、シベリウスの交響詩「フィンランディア」、グリーグのピアノ協奏曲イ短調(ピアノ独奏:アリス=紗良・オット)、レナード・バーンスタインの交響曲第1番「エレミア」(ソプラノ独唱:富岡明子)。

「フィンランディア」は京響のブラスの強さが生きた好演であった。

グリーグのピアノ協奏曲イ短調。ソリストのアリス=紗良・オットのピアノは清冽でテクニックも申し分ない。広上指揮の京響も清々しい演奏を示した。

レナード・バーンスタインの交響曲第1番「エレミア」。滅多に演奏されない曲だが、今年はバーンスタイン没後20年ということもあってか取り上げられた。バーンスタイン指揮の自作自演盤でも聴いているが、こうして実演で聴くと、CDで聴いた以上に優れた作品に聞こえる。富岡明子のソプラノも声量豊かで優れた演奏であった。今日のような演奏が各所で行われるのなら、今後この曲が演奏会の定番になる日もいつの日か来るのではないだろうか。

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コンサートの記(495) 井上道義指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2010「吹奏楽VSオーケストラ」

2010年6月13日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団「オーケストラ・ディスカバリー ~こどものためのオーケストラ入門」というコンサートに接する。基本的には子供のためのコンサートであるが、指揮が井上道義であり、プログラムが魅力的なので聴きに来てみた。

そのプログラムは、ジョン・ウィリアムズの「オリンピック・ファンファーレ」、スーザの「星条旗よ永遠なれ」、リードの「アルメニアン・ダンス パートⅠ」(吹奏楽)、ショスタコーヴィチの「祝典序曲」の吹奏楽版とオーケストラ版、モーツァルトのセレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」よりから第3楽章と第1楽章、レスピーギの交響詩「ローマの松」というもの。


「吹奏楽VSオーケストラ」がテーマの演奏会であり、京都市交響楽団のほかに、京都市ジュニアオーケストラの選抜メンバーと京都府吹奏楽連盟高校生選抜メンバーが参加する。ナビゲーターはロザン。

時折、おふざけも交えながら、井上はオーケストラから華麗なサウンドを引き出す。ちなみに井上は「吹奏楽は好きではない」そうで、オーケストラの弦楽器は人間に例えると背骨に当たり、管楽器は顔や服装に該当する。吹奏楽だと背骨がないような気がするのだそうだ。

モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」では、弦楽の各パート毎に演奏させたり、管楽器でのアンサンブルを行ったりとレクチャーコンサート的な一面も見せた。

レスピーギの「ローマの松」は京都市ジュニアオーケストラの選抜メンバーを交えての演奏。だからかどうか、演奏は一定水準に達していたが、ホルンが弱かったり、普段の京響の演奏に比べると音の彩りは幾分減退気味であった。「ローマの松」ではバンダをどこに配するかも興味を引かれるところだが、普通にパイプオルガンの前に横一列になって吹いていた。視覚的な面白さがもっと欲しくなる。

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2019年1月 4日 (金)

コンサートの記(493) 広上淳一指揮京都市交響楽団第535回定期演奏会

2010年5月21日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第535回定期演奏会に接する。今日の指揮は常任指揮者の広上淳一。

曲目は、シューマンの交響曲第3番「ライン」、チャイコフスキーの幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」、ブラームスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:ボリス・ベルキン)。


午後6時40分頃から、広上淳一によるプレトークがある。グリーンの地に「京響」と白文字の染め抜かれたTシャツで広上さんは登場、シューマンの交響曲第3番「ライン」が、京都市交響楽団定期演奏会史上初めてプログラムに載る曲だということを告げる。交響曲第3番「ライン」は、かなりポピュラーな交響曲だが、それがなぜか京都市交響楽団の定期演奏会の演目には載ってこなかったのだそうだ。


その交響曲第3番「ライン」。広上の「ライン」は大阪フィル(大フィル)を指揮した演奏を生で聴いており、燦々と輝くような演奏であったことを記憶している。
今日の「ライン」は大フィルを指揮した時とは一味違い、やや渋めの音色を基調とし、構造を重視した演奏になっていた。第1楽章からパワーはあるが、それを爆発させることなく抑え気味にした大人の演奏である。爽やかな第2楽章、厳かな美しさのある第4楽章なども印象的。第5楽章はテンポの良い演奏であったが、いささかスポーティーであったのが残念なところだ。


休憩後の、「フランチェスカ・ダ・リミニ」。大編成による曲だが、広上の統率力は抜群であり、オケが朗々と鳴り響く。完成度の高い演奏であった。


ブラームスのヴァイオリン協奏曲のソリストであるボリス・ベルキンは、旧ソ連の出身。7歳でデビューしたという神童で、1973年にソヴィエト連邦ヴァイオリンコンクールで優勝。翌1974年に西側に移住し、活躍を続けている。広上淳一曰く、「世界で五本の指に入る」ヴァイオリニストである。

そのベルキンのヴァイオリンは、雄々しく、スケール雄大でありながら音は大変甘く美しいという、独特のもの。テクニックは抜群であり、歌も素晴らしく伸びやかだ。

広上指揮の京都市交響楽団の充実も特筆もので、世界レベルでも通じるような、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の演奏であった。

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2019年1月 3日 (木)

コンサートの記(490) 大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会「大植英次スペシャル」2010

2010年4月20日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールでの、大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会「大植英次スペシャル」を聴く。指揮はもちろん大植英次である。午後7時開演。

曲目は、ロッシーニの「泥棒かささぎ」序曲、ショパンのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:菊池洋子)、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。

古典的配置での演奏である。


ロッシーニの「泥棒かささぎ」序曲では舞台の両袖にスネアドラムをおいての演奏。大植はほとんど手を振らなかったり、背もたれに手を置いて目だけで指揮したり、かと思えば大袈裟に腕を振り回したりと、変幻自在の指揮ぶり。音楽も極端に音を引き延ばす箇所があるなど自在な作りであった。


ショパンのピアノ協奏曲第2番。ソリストの菊池洋子のピアノはマイルドな音が特徴。第2楽章のリリシズムも印象的だが、強奏の部分に少々乱暴さが感じられたのが玉に瑕だった。

大植に促され、菊池はアンコールとして、「子犬のワルツ」を弾いた。


チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。コントラバスを最後列に横一線に並べるという配置である。ゆったりとした冒頭は、真横に並べられたコントラバスが効果的。そこから加速するが、金管の精度がいかにも低い。第2主題も熱を帯びてはおらず、大植は相変わらずエンジンのかかりが遅いようだ。

最強音の部分に達してようやく大植にもエンジンが掛かり、巧みなオケ捌きが繰り広げられる。

第2楽章はたびたびテンポが変わるという、ロマン的な解釈だったが、不自然な感じはしなかった。

第3楽章は熱い演奏。今日は金管の出来が悪いが、それでも盛り上がる演奏で、楽章の終わりに拍手が起こった。

第4楽章も金管の精度の低さが気になったが、それなりに熱い演奏が展開される。ただ、大植ならもっと熱い演奏をするかと思ったが、案外、冷静さが保たれていた。最後のコントラバスのピッチカートは、コントラバス群が横一列に並んでいるだけに視覚的にも効果的であった。


アンコールとして、レナード・バーンスタインの「管弦楽のためのディヴェルティメント」より“ワルツ”が演奏された。

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2019年1月 2日 (水)

コンサートの記(489) 漆原朝子&ベリー・スナイダー ロベルト・シューマン ヴァイオリン・ソナタ全3曲と3つのロマンス

2018年12月21日 京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタにて

午後7時から、京都コンサートホール小ホール・アンサンブルホールムラタで、漆原朝子とベリー・スナイダーによるロベルト・シューマンのヴァイオリン・ソナタ全3曲と3つのロマンスを聴く。

漆原姉妹の妹さんである漆原朝子。以前、大阪倶楽部4階ホールで室内楽の演奏会を聴いたことがある。茂木大輔のエッセイに飛行機を止めたという話が載っていたっけ。

ベリー・スナイダーは、1966年にヴァン・クライバーン国際コンクールで3つの賞を獲得したことがあるというピアニスト。1970年よりイーストマン音楽院ピアノ科教授を長年に渡って務めたほか、マンチェスターのロイヤル・ノーザン・カレッジ・オブ・ミュージック、ロンドンのトリニティ・カレッジとギルドホールスクール、ポーランドのアカデミー・オブ・ミュージック、フライブルク音楽学校、ニューヨークのマンハッタンスクール・オブ・ミュージック、ミシガン大学、ヒューストン大学でマスタークラスを行っている。


曲順は、ヴァイオリン・ソナタ第1番、ヴァイオリン・ソナタ第3番、3つのロマンス、ヴァイオリン・ソナタ第2番。


ヴァイオリン・ソナタ第1番。ムラタホールの音響がシューマンをやるにはや乾き気味なのが難点だが、その後は耳も慣れて特に気にならなくなる。
最終楽章のドラマティックな展開が印象的である。


ヴァイオリン・ソナタ第3番。この曲では、漆原の高音の美しさが特に気に入った。


3つのロマンス。オーボエあるいはクラリネットもしくはヴァイオリンと伴奏ピアノのために書かれた作品である。ロマンスと聞いて想像するような愛らしさよりも深い思索を感じされる作品であるが、漆原は丁寧な演奏で聴かせた。


ヴァイオリン・ソナタ第2番。シューマンのヴァイオリン・ソナタの中では最もスケール豊かな作品である。第3楽章冒頭ではピッチカートが連続する部分があるなど、表現の幅も広い。漆原のヴァイオリンはスケールの大きさを感じさせ、展開も巧みである。

ベリー・スナイダーは、ソリストとしても活躍しているようだが、伴奏ピアニストとしてかなりの実力者のようで、上手く漆原を立てて丸みのある音できちんとした設計を行っていく。

音で読む叙事詩のような演奏会であった。


アンコール演奏。漆原は、「今日はお越し下さってありがとうございました。クララ・シューマンの3つのロマンスから第1曲」と言って演奏を始める。可憐な作品で、ロベルトとの作風の対比がよい効果を生む。

その後、「リーダークライス」第2集から第1曲と第12曲の編曲版が演奏された。

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2018年12月30日 (日)

コンサートの記(487) 下野竜也指揮 京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」2018

2018年12月27日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」を聴く。今日の指揮者は、京都市交響楽団常任首席客演指揮者の下野竜也。

シェーンベルクの「ワルシャワの生き残り」(語り:宮本益光)との組み合わせである。ホワイエには、曲間の拍手を控えるよう、張り紙がしてある。

独唱は、吉原圭子(ソプラノ)、小林由佳(メゾソプラノ)、小原啓楼(テノール)、宮本益光(バリトン)。合唱は、京響コーラス。

今日のコンサートマスターは、客演の西江辰郎(新日本フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。
第2ヴァイオリンの客演首席には瀧村依里が入る。


「ワルシャワの生き残り」が上演されるということで、ポディウムの左右端には日本語字幕表示装置が据えられている。


「ワルシャワの生き残り」は、アーノルト・シェーンベルクのアメリカ時代の作品である。ユダヤ人であったシェーンベルクは、ナチス・ドイツの台頭により、プロイセン芸術アカデミー教授の座を追われ、アメリカへと亡命することになったのだが、その後のナチスの動向は把握出来ず、戦後になってからユダヤ人虐殺の実態を知ることになる。ワルシャワのゲットーから生還し、アメリカに渡った男性の体験談を聞いたシェーンベルクは、ワルシャワでの話を英語のテキストとして、語りと男声合唱のための曲として発表。これが「ワルシャワの生き残り」である。

ワルシャワのゲットーで意識を失ったユダヤ人の男は、朧気な意識の中で軍曹の罵声や殺害命令を聞くことになる。

鮮烈な響きによる音像が上手く纏められているのが下野らしい。宮本による語りもドラマティックだ。ガス室に送られていくユダヤ人達の合唱を担う京響コーラス男声合唱も迫力ある声を発する。


ほぼ間を開けずに、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」に突入。速めのテンポでスタート。一貫してテンポは速く、部分によっては特快となる。指揮者のプロポーションとは対照的な(?)スマートでアポロ芸術的な第九である。

第2楽章のラストを羽根のようにふわっと柔らかくするのは、広上と広上の弟子達の特徴であり、下野もそれを踏襲する。

例えるならパールのような、乳白色の優しい輝きを持つ音色も特徴。純度も高く、ティンパニの強打も特徴だが、それをも包み込むような柔らかさがある。癒やし系の第九というべきか。

「歓喜の歌」も速め。登場の拍手が起こらないよう、独唱者達はオーケストラが奏でる歓喜の主題が第2ヴァイオリンに移る頃に、舞台上手奥側からおもむろに現れる。

「ワルシャワの生き残り」と繋げることで、殺した側と殺された側とに引き裂かれた(テキストを引用すると「世の流れに厳しく分けられていた」)人類の和解と救済の「歓喜の歌」となった。


清々しい気分で、京都コンサートホールを後にする。



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