カテゴリー「京都コンサートホール」の106件の記事

2019年4月27日 (土)

コンサートの記(549) 秋山和慶指揮 京都市交響楽団第576回定期演奏会

2014年2月23日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第576回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はベテランの秋山和慶。1941年生まれで桐朋学園大学音楽学部を卒業(6歳年上の小澤征爾の時代には桐朋学園に四大はなく、短大しかなかったので、小澤の短大卒業直後に改組が行われたのだと思われる)、東京交響楽団を指揮してデビューし、その後、東響とは音楽監督・常任指揮者として40年以上に渡ってコンビを組むことになる。
一方、北米でも活動を行い、トロント交響楽団副指揮者を皮切りに、アメリカ交響楽団音楽監督、バンクーバー交響楽団音楽監督(現・桂冠指揮者)、シラキュース交響楽団音楽監督(現・名誉指揮者)など、カナダとアメリカで活躍している。
近年は、日本の地方オーケストラの涵養に力を入れており、広島交響楽団音楽監督・常任指揮者を務め(2008年に広島市民賞受賞)、ついこの間まで九州交響楽団の首席指揮者でもあった(現・桂冠指揮者)。中部フィルハーモニー管弦楽団という歴史の浅いオーケストラのアコースティック・ディレクター兼プリンシパル・コンダクターの座にもある。

プログラムは、メルキュールのオーケストラのための「トリプティーク」、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番(ピアノ独奏:児玉桃)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。「春の祭典」はいくつか版があるが、今日は短めの版を使っていたことだけは間違いない。


2時10分から、司会者と秋山和慶によるプレトークがある。映画「ファンタジア」や「オーケストラの少女」などでも知られる指揮者のレオポルド・ストコフスキーが来日して読売日本交響楽団を指揮した時のこと。本番を終えて、ホテルでテレビを見ていたストコフスキーがクラシックの番組に出て指揮をしていた秋山を発見。ストコフスキーは、一目で秋山の素質を見抜き、「こいつは誰だ? アメリカに呼んでこい」とお付きの人に命令したという。秋山はストコフスキーが創設したアメリカ・シンフォニー(アメリカ交響楽団のこと)に2、3度客演し、その後、ストコフスキーの後を襲ってアメリカ・シンフォニーの2代目の音楽監督に就任したという。ストコフスキーが秋山の映像を見て感服したのはわけがあり、秋山は齋藤秀雄の愛弟子であり、齋藤メソッドを本人から直接たたき込まれていて、無駄のない均整の取れた指揮をすることが可能だったのである。齋藤メソッドの教則映像は今でも出ているが、そこに秋山は出演しているそうだ。

 

メルキュールはカナダ人の作曲家である。秋山がバンクーバー交響楽団の音楽監督をしていた時代にその存在を知ったそうで、交通事故により38歳の若さで世を去った作曲家だという。1927年生まれで、現役の音楽家でいうと、ヘルベルト・ブロムシュテットと同い年ということになる。カナダのフランス語圏であるケベック州に生まれ育ち、ケベック音楽院の他にパリ音楽院でも学び(パリの水は合わなかったそうだ)、ニューイングランドのタングルウッドでは十二音技法も学んだが、懐疑的だったのか作曲に取り入れることはなかったという。だからといって保守的な作曲家というわけではなく、秋山によるとオーケストラのための「トリプティーク」は二部構成だが、一部と二部の間に鏡を置いたように、二部は一部の逆構成になっているという。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」について秋山は、「今はオーケストラのメンバーも素知らぬ顔で演奏していますが、初演のえらい騒ぎだった」と音楽史上に残る大スキャンダルについて触れる。「生卵がステージに投げ込まれたそうで、今日は生卵を投げつけられることはないと思いますが」と語る。
ストラヴィンスキー作曲のロシア・バレエ団による「春の祭典」は、セルゲイ・ディアギレフの主催、ヴァーツラフ・フォミッチ・ニジンスキーの振付、ピエール・モントゥーの指揮により、シャンゼリゼ劇場で行われたが、ストラヴィンスキーの音楽が始めると同時に客席がざわつきだし、やがて怒号や口笛、嘲笑などで劇場は満たされたという。ストラヴィンスキーの音楽についてサン=サーンスは「ファゴットの使い方を知らない奴が現れた」と不快感を示しており、音楽的にも型破りで理解されにくかったことがわかるが、音楽以上に原始時代を舞台にした生け贄の儀式を描いたストーリーが問題だったようで、オーケストラ演奏のみによる「春の祭典」初演は成功している。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。渡邊穣がフォアシュピーラーに回る。首席クラリネット奏者の小谷口直子は前後半共に出演。首席フルート奏者の清水信貴と首席オーボエ奏者の髙山郁子は後半のみの出演である。

 

メルキュールのオーケストラのための「トリプティーク」。冒頭は武満徹の作品を思わせる弦楽による美しいハーモニー奏でられ、それから伊福部昭のようなプリミティブな迫力に満ちた音楽となる。いずれも日本人作曲家の名前で例えることが出来るが、それだけ日本人のクラシックファンに取っては受けいれやすい音楽だということである。秋山も「これは日本でも受ける」と思って取り上げたのであろう。第二部は勢いよく始まり、徐々にディミニエンドして、冒頭の弦楽合奏で終わる。本当に鏡を真ん中に置いたような構成である。
秋山の指揮は端正で明快。どの楽器に何を望んでいるのかが手に取るようにわかる。齋藤メソッドの威力は伊達ではないようだ。

 

モーツァルトのピアノ協奏曲第23番。ピアノ独奏の児玉桃は、幼少時にヨーロッパに渡り、現在もパリ在住で、日本生まれで国籍も日本だが中身はヨーロッパ人という、かなりありがちな背景を持つ人である。ただ、近年は日本で演奏することも多く、ここ1年間でも何度も彼女のピアノをコンサート会場で聴いている。
児玉の武器は煌めくようなタッチであり、今日も輝かしいモーツァルト演奏が展開される。孤独感が滲む第2楽章も単にセンチメンタルなだけでなく、思索しながら歩いているような深みのある音楽を生み出していた。
秋山クラスなら、ピリオド・アプローチとは無縁だろうと思っていたが、弦楽の響きは旧来のロマンスタイルではなくタイトであり、秋山であってもピリオドに無関心ではいられないほどピリオドは世界的に広まっているようである。中編成での演奏であったが、ヴァイオリンは第1第2共に10人と多めなのに対し、ヴィオラとチェロは6、コントラバス3など、低弦はかなり刈り込んだ不思議な編成での演奏となった。

 

ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。安定感抜群の演奏が展開される。初演の際に聴衆に衝撃を与えた「春の祭典」も今では現代音楽の中の古典。エンターテインメント音楽である。
秋山は京響の威力を存分に発揮させつつ、力尽くにはならない上品な演奏を繰り広げる。輝かしく、美しく、迫力にも欠けない演奏であった。

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2019年4月25日 (木)

コンサートの記(548) 小林研一郎指揮 京都市交響楽団第575回定期演奏会

2014年1月24日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第575回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は今や日本人指揮者界の大御所的存在になった小林研一郎。熱狂的な信者と異端の指揮者扱いするアンチがいるという、一人AKBのような指揮者である。「炎のコバケン!」のキャッチコピーでお馴染みの情熱的な音楽作りをする人だ。東京藝術大学作曲科を卒業後、同大学指揮科に再入学。東京藝術大学には編入制度はないため、1年間、受験勉強をして一般入試を受けての再入学であった。というわけで、大学卒業時には27歳になっていた。当時は今よりも指揮者コンクールの受験資格が厳しく、25歳以上はお断りだったのだが、1974年に始まることになったブダペスト国際指揮者コンクールは25歳以上でもOKだったため、それを受けて優勝。以後、ハンガリーとは長い付き合いが始まる。ハンガリー国立交響楽団(現・ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)の音楽総監督を長きに渡って務め、1985年から2年間だけだが京都市交響楽団の常任指揮者も務めている(当時は出雲路にある練習場が出来る前で、廃校になった小学校を練習場にしていたのだが、冬になるとすきま風がとても寒かったと、小林は後に記している)、90年代には東京のオーケストラの中で財政的に最も苦しかった日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を引き受け、レベル・アップに貢献している。

プログラムは、ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(通称:メンコン。ヴァイオリン独奏:三浦文彰)、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」(パイプオルガン独奏:長井浩美)。

ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲。個人的には余り好きな曲ではないのだが、何故か京響のプログラムには良く載る曲である。小林は指揮棒を振るのではなく、右手を下からサッと差し出し、ホルンにスタートの合図を送る。
今日の小林は、握る箇所のかなりしっかりとした独自の指揮棒を使用。握る部分だけ見ると、ラケットのそれのようである。
京響は、クリアで立体感のある音を奏でる。まずは上々の滑り出しである。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストの三浦文彰は1994年生まれの若手。両親ともにヴァイオリニストという家庭に生まれ、3歳からヴァイオリンを始める。2006年にユーディ・メニューイン国際ヴァイオリンコンクール・ジュニア部門2位。2009年にはハノーファー国際コンクールに史上最年少で優勝。才能を買われて、NPO法人イエロー・エンジェルからJ.B.Guadagniniという名器を貸与されている。
その三浦のヴァイオリンであるが、音はゴージャスというかジューシーというか、華麗で肉厚でありながら決して重苦しくはならない。まだ頭の中にある楽譜をなぞって弾いている感じで、再創造の領域には達していないが、この若さでこれだけの音楽が生み出せるなら大したものである。
コバケンさんの演奏会には、コバケン信者も当然ながら詰めかけているので、普段の演奏会よりも盛り上がる。
三浦は、ヴュータンの「ヤンキードゥードゥル」を弾く。序奏の後で、「アルプス一万尺」の変奏曲が奏でられるというものである。メンデルスゾーンでは表現面で難しいものがある(メカニック面もそうだが、過去の大ヴァイオリニストが弾いていて録音もしているので、どうしても比較される)が、ヴォータンの作品では技巧一本勝負。三浦は聴衆を圧倒する。

サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」。京都コンサートホールにはパイプオルガンがついているので、この曲に接する機会も多い。
小林と京響は、オルガンなしで、オルガンに近い響きを作り上げる。その後、力強さが加わり、弦は熱演で少し濁るが、代わりに金管が透明感ある音を築く。
第1楽章第2部で、オルガンが入ると、弦も澄んだ感じを取り戻す。小林の歌は良く言うと日本的、悪く言うと演歌調である。彼個人の資質なのか、彼が生まれた年代の影響なのかはよくわからない。
第2楽章の入りも他の指揮者とは違う(第1部では唸り声もかなり聞こえた)。いずれにせよサン=サーンスよりは小林研一郎の存在を強く感じさせる演奏であった。

私の好みとは異なるサン=サーンスではあったが、コバケンさんの力演を堪能することが出来た。

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2019年4月18日 (木)

コンサートの記(545) 井上道義指揮 京都市交響楽団第633回定期演奏会

2019年4月12日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第633回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は井上道義。

オール・プロコフィエフ・プログラムで、組曲「キージェ中尉」、ピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:イリヤ・ラシュコフスキー)、「ロメオとジュリエット」組曲から(井上道義セレクション)が演奏される。

ショスタコーヴィチのライバルだったプロコフィエフ。二人は犬猿の仲であったと伝わるが、基本的にショスタコーヴィチ作品を得意としている演奏家はプロコフィエフ作品でも優れた出来を示すことが多い。

今日のコンサートマスターは客演の石田泰尚。フォアシュピーラーは泉原隆志。今日はチェロ客演首席にNHK交響楽団の首席チェロ奏者である「藤森大統領」こと藤森亮一が入る。第ヴァイオリンの客演首席は大森潤子。武貞茂夫が定年で抜けたテューバには北畠真司が客演で入る。
独自の配置が採用されており、ヴァイオリン両翼だが位置は現代配置のヴィオラと入れ替わり。コントラバスはヴィオラの背後の位置。通常は下手に陣取るホルンは今日は上手に回る。


午後6時30分から井上道義によりプレトークの予定だったが、6時40分からに変更になる。井上が癌の後遺症で唾液が余り出ないので、長い時間喋れないらしい(更にインフルエンザが治ったばかりだったようだ)。
井上はまず、「桜の咲く季節は大嫌いです」。「寒いから」ということなのだが、花見に行くにはということのようで、夜桜を見に行っても井上は「寒いから帰る」という方なので花見がそもそも嫌いらしい。
バレエ「ロメオとジュリエット」のラストをプロコフィエフが「死んだら踊れない」ということでハッピーエンドにしようとしたことを挙げて、「(プロコフィエフ)は希望を抱くロマンティストであったのだが変にリアリスト」であったと語る。
「アンティル諸島の娘たちの踊り」は、百合の花を持って踊られるのだが、百合の花は日本でいうところの菊の花に相当し、葬儀の意味があるのだそうである。


組曲「キージェ中尉」。元々は映画音楽として書かれたものを演奏会用にまとめたものである。映画そのものを観たことはないのだが、実在しないキージェ中尉を皇帝が気に入ってしまったため、周囲が振り回されるという筋書きはよく知られている。録音ではコダーイの組曲「ハーリ・ヤーノシュ」とカップリングされることが多い曲である。

拍手が止んですぐに、舞台袖で西馬健史がコルネットを吹き始めてスタート。プロコフィエフは意欲的な表現に取り組んだことで知られるが、この曲でも相反する要素が同時進行するなど、前衛的な表現が聴かれる(特に目立つ場所に置かれたコントラバスは変わったことをしているのが確認出来る)。
京響自慢のブラスは輝かしく、弦も鋭さと温かさを兼ね備えた優れた表現を聴かせる。
井上は体をくねらせて踊るユーモラスな指揮を見せた。


ピアノ協奏曲第3番。ソリストのイリヤ・ラシュコフスキーは1984年、シベリア・イルクーツク生まれの若手。5歳でピアノを始めて、8歳の時にはイルクーツク室内オーケストラと共演という神童系である。シベリア最大の都市であるノボシビルスクの音楽学校で学び、1995年にイタリアのマルサラ市で行われた国際コンクールで優勝。98年にはウラジミール・クライネフ国際コンクールでも優勝を飾り、2000年にハノーファー音楽学校(ハノーファー演劇音楽大学と同じ学校かどうかは不明)に入学して、そのウラジミール・クライネフに師事している。その後も多くのピアノコンクールで優勝や入賞を経験し、2012年に第8回浜松国際ピアノコンクールで優勝。この時から井上道義に評価されていたがなかなか共演の機会がなく、今日が初共演となるようである。

ラシュコフスキーは、渋みとリリシズムを兼ね備えたピアノを披露。高度な技術が印象的である。
京響はベストな響きではあったが、鋭さと音量共にこの曲の伴奏としては弱めである。それだけプロコフィエフの演奏が難しいということでもあり、プロコフィエフのピアノ協奏曲は演奏家泣かせであることでも知られている。

ラシュコフスキーのアンコール演奏は、ラフマニノフの「楽興の時」第4番。情熱と表現力を兼ね備えた秀演であった。


「ロメオとジュリエット」組曲より(井上道義セレクション)。演奏されるのは、「モンタギュー家とキャピュレット家」「朝の踊り」「ロメオとジュリエット」「情景」「メヌエット」「朝のセレナーデ」「アンティル諸島の娘たちの踊り」「タイボルトの死」「ジュリエットの死」

管楽器の冴えがやはり印象的である。今日は木管の首席は「ロメオとジュリエット」のみの参加であったが、技巧面でも表現面でもハイレベルである。打楽器群の力強い響きも見事だ。
井上の表現も巧みで、強弱や緩急の切り替え、甘美さとシニシズムの対比などプロコフィエフの面白さを十全に表していた。

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2019年4月14日 (日)

コンサートの記(543) 下野竜也指揮京都市交響楽団スプリング・コンサート2019

2019年4月7日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団のスプリング・コンサートを聴く。

曲目は、ヴィヴァルディの2つのトランペットのための協奏曲ハ長調(トランペット独奏:ハラルド・ナエス&西馬健史)、ベートーヴェンのヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲(ヴァイオリン:豊島泰嗣、チェロ:上村昇、ピアノ:上野真)、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」


全席完売だが、今日はポディウム席は発売されていない。
今日は6列目の真ん中で聴く。ステージから近いが、管楽器の奏者は顔がよく見えないため、誰が吹いているのかわからない場合もある。


ヴィヴァルディの2つのトランペットのための協奏曲ハ長調。京都市交響楽団の首席トランペット奏者であるハラルド・ナエスが第1トランペットを、西馬健史が第2トランペットを務める。
日本でも屈指の輝きを誇る京都市交響楽団のトランペット陣。今日も燦燦と輝くような音を響かせる。
京都市交響楽団は小編成での演奏。西脇小百合がチェンバロを奏でる。生き生きとした伴奏であった。
弦楽奏者のビブラートであるが、統一されてはおらず、思い思いに弾いている。


ベートーヴェンの三重協奏曲の演奏前に、下野がマイクを手にして登場。舞台の転換作業の間をトークで繋ぐ。「京都市交響楽団常任しゅせ……、間違えました。なんとか指揮者の下野竜也です」とユーモアと込めた自己紹介した後で、ナエスと西馬をステージに呼び、ヴィヴァルディの2つのトランペットのための協奏曲ハ長調の思い出について語って貰う。二人ともこの曲を演奏するのは人生で2回目だそうだが、ナエスは1回目はパイプオルガンとの共演、西馬もピアノとの演奏があるだけであり、オーケストラをバックに演奏するのは初めてだそうである。


ベートーヴェンのヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲。京都市交響楽団は近年、この曲を取り上げることが多い。
ピアノ三重奏にオーケストラ伴奏が付くという特異な協奏曲。ベートーヴェンがなぜこうした編成の曲を書いたのかは今でも謎であるが、チェロパートの比重が比較的大きく、演奏技術もチェロが最も高度であるため、チェロの名手から委嘱された可能性が高いとされている。
ヴァイオリンの豊島奏嗣、チェロの上村昇(京都市交響楽団首席チェロ奏者)、ピアノの上野真、更に指揮者の下野竜也も京都市立芸術大学の教員である。ということもあってか、室内楽的要素の強い親密な演奏が展開される。
下野指揮の京響であるが、渋めの音でスタートし、かなり豪快に鳴る。京響のパワーと下野のオケを鳴らす技術は想像以上であるようだ。


ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。人気曲だけに実演で聴く機会も多いが、思いのほか名演に当たる確率が低いような気もしている。

下野はベートーヴェンとは真逆の明るい音色を京響から引き出す。流石の手腕だが、第1楽章のクライマックスなどでは全ての音を鳴らし過ぎたため、輪郭や主旋律の把握が難しくなっていた。

第2楽章と第3楽章は秀演で、第2楽章の深々とした歌、第3楽章の覇気に満ちた音楽運びなどが印象的である。

第4楽章も迫力があるが、音が大きい割りには客席に届くエネルギーが必ずしも十分ではないように感じされる。音の密度がそれほど濃いわけではないということも影響しているのかも知れない。京響のブラス陣は優秀で、力強さと浮遊感を兼ね備えた優れた音楽性を示していた。


下野は、「京都市交響楽団史上、最も短いアンコール曲」と語って、ベートーヴェンの「フィデリオ」より行進曲が演奏される。古典的造形美が強調された演奏で、ベートーヴェンの優美な一面を楽しむことが出来た。

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2019年4月 8日 (月)

コンサートの記(542) 広上淳一指揮京都市交響楽団第574回定期演奏会

2013年11月30日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第574回定期演奏会を聴く。今日の指揮は京響常任指揮者の広上淳一。
来シーズンから、京響は、常任指揮者の広上淳一に加えて、首席常任客演指揮者に高関健を、常任客演指揮者に下野竜也を迎えるのだが、偶然であるが、私は今日は広上、昨日は下野、一昨日は高関と来シーズンからの京響指揮者陣の演奏を3日連続で聴くことになった。

曲目は、ショスタコーヴィチの「祝典序曲」、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番(チェロ独奏:エンリコ・ディンド)、ロベルト・シューマンの交響曲第2番。ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番とシューマンの交響曲第2番の、第2番コンビはいずれも暗い作風であり、楽しい音楽が好きな人からは避けられがちである。

唯一の明るい曲であるショスタコーヴィチの「祝典序曲」であるが、ショスタコーヴィチが無理して笑っているような印象を受ける曲である。薬で目一杯テンションを上げたような出だしであるが、次第に「祝典」というタイトルの割りには鋭い音楽となり、ベートーヴェンの俗に言う「運命動機」のようなものも聞こえる。
広上の指揮する京都市交響楽団だが、非常にクリアで、気品溢れる音を出す。

 

ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番。明るくなる場面がほとんどない曲である。ソリストのテクニックは極めて高度なものが求められる。初演が行われたのは1966年、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチのチェロ、エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮ソビエト国立交響楽団によってである。ロストロポーヴィチもスヴェトラーノフも私はよく知っている音楽家であり、スヴェトラーノフは実演にも接している。初演者が知っている人だと不思議と親しみもわく。
3楽章全てがエレジーのような曲であり、ソリストであるディンゴも漆器の輝きのような渋い音を出す。広上の指揮する京響も沈痛な音を奏でる。

ディエゴはアンコールとして、J・S・バッハの「無伴奏チェロ組曲」第6番より“アルマンド”を弾く。今度は明るく、滑らかな音による演奏であった。

 

メインであるシューマンの交響曲第2番。難解とされる曲である。私自身は難解だと思ったことはないのであるが、この曲はシューマンが梅毒が原因で精神を病んでいたときに作曲した作品であり、症状が重く、作業を途中で中断せざるを得ないなど深刻な状況で作曲された。そのため、そういう心理状態を無意識のうちに避けたい人もいるのかも知れない。

第1楽章。広上は通常の演奏よりも更に弱い音でスタート。そして徐々に音の大きさとスケールを膨らましていく。ヴァイオリンが普段より透明な音を出しているので確認すると、やはりビブラートを普段より抑えめにしているのがわかった。

広上の指揮であるが、実に多彩である。普通はある適度型は決まっているものなのだが、広上は同じ旋律がもう一度登場したときも違う振り方をしていることが多い。指揮棒でティンパニに指示を出していたかと思うと、主旋律が他の楽器に移ったために、今度は視線をティンパニに送って目で指揮したりする。指揮の意図が極めて明確な指揮者である。ただ今日はいつもよりオーバーアクション。これにはわけがあることが後にわかる。

第2楽章では、本来は楽譜にないはずのリタルダンドをかけたり、猛烈な加速を見せたりと、即興性溢れる仕上がりとなった。

悲しみと憧れの第3楽章であるが、広上は悲しみを強調する。旋律が憧れに行こうとすると、短調を奏でている楽器を強調して、再び涙色の響きへと戻してしまう。これもまた伏線である。

最終楽章。第3楽章では悲哀を奏でた旋律を長調に変えたものをヴィオラが弾くのだが、それがこれほどわかりやすく浮かび上がる演奏は聴いたことがない。ということで、第3楽章を悲しみ一色にしても良かったのである。広上はダイナミックな指揮で快活な演奏を展開する。シューマンの交響曲第2番が決して暗い曲ではないということを実証してみせたのだ。

 

定期演奏会は普通はアンコールがないのだが(そもそもアンコール曲を用意していない)、今日はヴェルディとワーグナーが今年で生誕200年を迎えるということもあり、ヴェルディの歌劇「椿姫」より第3幕への前奏曲が演奏される。リリカルで哀感に溢れる音楽が時間を刻む。

発見の多い演奏会であった。

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2019年4月 3日 (水)

コンサートの記(540) ジャン=マルク・ルイサダ ピアノ・リサイタル2013京都

2013年11月21日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、ジャン=マルク・ルイサダのピアノ・リサイタルを聴く。

ジャン=マルク・ルイサダは、チュニジア生まれのフランスのピアニスト。自在なピアノ演奏で知られ、特にショパンの演奏には定評がある。今回は、後半にショパンのワルツ12曲が演奏される。


前半は、フォーレの夜想曲第11番(急遽プログラムに追加)とシューベルトのピアノ・ソナタ第21番。後半は、モーツァルトの「グラスハーモニカのためのアダージョ」に続き、ショパンのワルツ12曲が演奏される。前半、後半共に間を置かずに演奏する。つまり、前半はフォーレの夜想曲第11番とシューベルトのピアノ・ソナタ第21番で1曲、後半はモーツァルトの「グラスハーモニカのためのアダージョ」とショパンのワルツ12曲で1曲という解釈のようだ。珍しい解釈である。

演奏されるショパンのワルツの順番は、第1番「華麗なる大円舞曲」、第3番「華麗なる円舞曲」、第4番「華麗なる円舞曲」、第12番、第13番、第14番、第9番「別れのワルツ」、第6番「子犬のワルツ」、第7番、第8番、第11番、第2番「華麗なる円舞曲」

ピアニストは暗譜して弾くのが慣例だが、ルイサダの場合は全曲譜面を見ながらの演奏。譜めくり人(日本人女性)同伴である。ただ、曲を憶えていないわけではなく、ショパンのワルツを弾くときは、「ワルツ集」の楽譜を使っていたが、ワルツ第11番から第2番まで戻る時、譜めくり人がページを繰るのに時間が掛かったため、まだページを戻している最中に弾き始めてしまったりもした。
最近では、指揮者も暗譜を否定して譜面を見ながら指揮する人が多くなったが、ピアニストも同傾向なのかも知れない。必ず譜面を見ながら演奏するピアニストとして有名な人に、ロシア出身で、日本人男性と結婚し、日本在住となったイリーナ・メジューエワがいる。

前半のフォーレとシューベルトでは、ルイサダはウェットで哀感のこもった音をピアノから引き出す。これはフォルテシモであっても、明るい旋律であっても変わることはない。「顔で笑って心で泣いて」という感じである。
フォーレもシューベルトも抒情的な作風であり、間を置かず演奏されても特に違和感はない。
フォーレは高雅であり、シューベルトは右手の若々しい歌と左手で弾かれる低音の不吉な感じの対比が鮮やかだ。


後半の第1曲として弾かれたモーツァルトの「グラスハーモニカのためのアダージョ」は初めて聴く曲だが、チャーミングな作品であり、ルイサダもそれに相応しいロココ風の演奏を展開する。
ショパンのワルツは、緩急、硬軟共に自在の演奏。まろやかな音が奏でられるが、譜面には記されていないはずの強弱を付けたり、リタルダンドにアッチェレランドと、次々に表情を変えていく。その他にも、左手を強く弾いてワルツのリズムを強調したり、「別れのワルツ」では敢えて縦の線を崩し、左手と右手のリズムを別個にすることで即興的な印象を与えるような工夫が施されていた。またこの曲では前半に聴かれた哀愁漂う音色がかなり色濃く出ていた。
極めて表現主義的なショパンであり、ルイサダでなくては弾くことの出来ない個性的な音楽が創造されていく。

アンコールは3曲。ショパンのマズルカ遺作Opus67-1と同Opus67-2。バッハの「フランス組曲」より第5番“サラバンド”である。
まずショパンのマズルカ遺作Op67-1を弾いたルイサダ。おそらく続けてOp67-2を弾く予定だったと思うのだが、ルイサダはいったん袖に引っ込んでしまい、残されてしまった譜めくり人の女性は「え? え? 私どうしたらいいの?」という風に戸惑っている様が聴衆の笑いを誘う。
アンコール2曲目のマズルカ遺作Op57-2を弾く前は、ピアノの譜面台に楽譜が沢山あるので、なかなか弾くべき曲が見つからない。ルイサダは、「ちょっと待って下さい」と日本語で言い、前列にいた聴衆が日本語を話したことに拍手を送る(私は3階席にいたが、ルイサダの言葉は聞こえた)。
3曲目の、J・S・バッハ、「フランス組曲」より第5番“サラバンド”であるが、やはり楽譜が見つからない。ルイサダは右手を上げて、「待って」という仕草をする。それでもまだ見つからないので、今度は手の平を上に上げて「どうなってるんでしょう?」と示して聴衆を笑わせる。

ショパンの2曲はクリアな、バッハの曲は聴いてすぐにバッハの作品だとわかる端正な演奏であった。


終演後にCD購入者限定のルイサダのサイン会がある。ルイサダは全員に「ありがとう」と日本語で言い、握手を求める。ピアニストは手が命なので、握手を求められると逆にヒヤヒヤする。CDの盤面の白く空いたスペースにサインを貰おうとしたのだが、ルイサダ氏はそれでは物足りないようで、盤面一杯に大きくサインを書く。勢い余って、プラスチックケースにもマジックインクが付いてしまうほど大きく書いてくれた。

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2019年3月21日 (木)

コンサートの記(532) 高関健指揮 京都市交響楽団「オーケストラ・ディスカバリー」2013第2回「ジャズ&タンゴ」

2013年9月29日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団「オーケストラ・ディスカバリー」2013第2回を聴く。

「オーケストラ・ディスカバリー」は、広上淳一の発案により、2009年から始められたコンサートで、安い料金、聴きやすい曲で、子供から大人までが楽しめるように工夫されたもの。年4回あり、今回は2013年度の第2回目である。今日の指揮者は高関健(たかせき・けん)。大河ドラマ「風林火山」のオープニングテーマを指揮した人というと通りが良いかも知れない。高関は解説も兼務する。
配布されたパンフレットも漢字に全てルビが振ってあるものだったが、難しい言葉の漢字に読み仮名を振ってもそれで子供が理解出来るかというと微妙である。

今回のテーマは「ジャズ&タンゴ」ということで、前半はタンゴを、後半はジャズをテーマにした曲が並ぶ。前半はタンゴということで、タンゴには欠かせない楽器であるバンドネオンの奏者である三浦一馬(三浦春馬ではありません)が登場し、「ラ・クンパルシータ」を除く、全ての曲で演奏を行う。

曲目は、前半が、ピアソラの「リベルタンゴ」(三浦一馬編曲。「リベルタンゴ」はチェリストのヨーヨー・マが出演したウィスキーのCMで使われて、日本でも有名になった曲である)、ロドリゲスの「ラ・クンパルシータ」(赤堀文雄編曲)、ピアソラの「ブエノスアイレスの四季」より“冬”(長山善洋編曲)、ピアソラのバンドネオン協奏曲「アコンカグア」より第1楽章が演奏される。

今日は1階席と2階席は指定席だったが、3階は自由席である。しかも自由席は指定席より500円安い上に、京都コンサートホールは、構造上、3階席の方が音響が良いという世にも不思議なホールなので、迷わず3階席を買って、前半は、舞台上手上の、後半は3階席正面の席で聴く。3階席とは思えないほど良く響く。視覚的には遠くなるが、音そのものを楽しみたい場合は京都コンサートホールの3階席はお薦めである。

「オーケストラ・ディスカバリー」は、毎回、吉本の芸人がナビゲーターを務ており、今日はガレッジセールが指揮者の高関と共にコンサートを進めていく。吉本芸人がと書いたが、以前は毎回、ロザンだったのが、宇治原が東京での仕事が増えたためか、ガレッジセールも務めるようになったというのがより正確である。吉本芸人が入れ替わり立ち替わりナビゲーターに指名されているわけではない。
京響の今日のコンサートマスターは渡邊穣。泉原隆志は今日は降り番である。クラリネットに前半は首席の小谷口直子。首席フルート奏者の清水信貴も今日は全演目を吹く。一方、小谷口はジャズが得意でないからか、今日は前半のみの演奏という珍しいケースになった。

「リベル・タンゴ」は、ピアソラ本人がオーケストラと共演した時の録音を聴くと、バンドネオンはリズムを刻む楽器として使用されているのがわかるが、三浦一馬の編曲では、リズムは勿論、旋律もバンドネオンが持つ。最初の主題はバンドネオンが弾くことになる。

演奏が終了した後で、ガレッジセールの二人が出てきて、バンドネオンという楽器について聞く。三浦はまず、「タンゴに使われるので、アルゼンチンの楽器だと思われている方も多いと思いますが、実は生まれたのはドイツです」とバンドネオンの発祥について説明し、ボタンがドレミファソラシド順ではなく、バラバラに配列されていることを音を出しながら説明する。なぜそんな配列になったのかというと、三浦の説では、「元はボタンの数が今より少なかったので、タンゴで使われる重要な音は中心部にあるが、ボタンを増やす毎に配列を変えることなく、外側に散らばっていったからではないのか」となるらしい。「よく使うボタンは中央に集まっています」とも三浦は語る。ちなに蛇腹を閉じた状態と開いた状態では同じボタンでも音階は異なるそうで、ゴリが「無茶苦茶難しいじゃないですか」と言い、川田が「三浦さん、もう年取っても、一生、ぼけることないですよ。そんな複雑なことしてたら」と続ける。

ガレッジセールは、高関に「タンゴとは何ですか?」と聞く。高関はリズムのことだという。ガレッジセールのゴリは、「僕らがイメージするタンゴというと、完全に杉本彩さんなんですけど。顔を近づけておいて、キスするようで、しないみたいな」と語ると、高関は「ピアソラのタンゴはコンサート用で、踊るには速いようです」と答える。更に、「いつもとは勝手が違うと思いますが」というガレッジセールの問いかけに対して、高関は「無免許運転をしているような気分」と言って、川田に「無免許運転したらあきませんよ」と突っ込まれる。

2曲目、ロドリゲスの「ラ・クンパルシータ」は、「タッ、タッ、タッタ、タタタタッタ」というリズムと旋律を持つ、聴けば誰でも知っているタンゴの代表曲である。オーケストラのみによる演奏。タンゴといえばアルゼンチンであるが、実はロドリゲスは隣国であるウルグアイの出身である。しかも、「ラ・クンパルシータ」はイタリア語で、「小さな行進」という意味であるらしい。スペイン語が公用語であるアルゼンチンなのに、タンゴで一番有名な曲の作曲者がウルグアイ出身で、タイトルがイタリア語という妙なことになっている。

3曲目は、再び、三浦一馬を迎えての、ピアソラ「ブエノスアイレスの四季」。ピアソラの代表曲であるが、「ブエノスアイレスの四季」は冬から始まる。アルゼンチンは南半球にあるため、季節は日本とは逆で、最低気温を記録するのは7月頃。北半球のように1月1日が冬の場合は、冬から始まっても不思議ではないが(実際、グラズノフの「四季」は1月1日のある冬から始まっている)、なぜ、ピアソラが「ブエノスアイレスの四季」を冬から始まるように書いたのかは謎である。派手さを抑えた曲調だ。

前半のラスト、ピアソラのバンドネオン協奏曲「アコンカグア」より第1楽章。情熱的な曲であり、演奏である。「アコンカグア」というタイトルはピアソラ自身の命名ではなく、出版される際に、「ピアソラが書いた最高峰の作品なので、南米最高峰のアコンカグアというタイトルにしよう」という意向で付けられたものである。そのためか、ピアソラ本人がバンドネオンソロを演奏しているCDには「アコンカグア」の名前はない。

ガレッジセールがアンコールを頼むので、三浦と京響は、ピアソラの「フーガと神秘」(長山善洋編曲)を演奏。バンドネオンが奏でたメロディーを、管楽器、そして弦楽器という順番で追い掛けていくようその名の通りフーガ(遁走曲)である。この曲もラテンの血がたぎるような情熱的なものであるが、それ以上にピアソラの作曲技巧の巧みさが顕著である。


後半、ジャズということで、オール・アメリカ・プログラムである。ルイ・プリマ作曲のというよりベニー・グッドマン・バンドの紹介した方が早い「シング・シング・シング」(ボブ佐久間編曲)、スコット・ジョプリンの「メイプル・リーフ・ラグ」(ピアノ独奏:佐竹祐介)、アメリカ民謡「聖者の行進」(ブラスのみの演奏。福島頼秀編曲)、ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」という曲が並ぶ。

演奏を始める前に、高関健と、ガレッジセールの二人がジャズについての説明を行う。高関はジャズの発祥については諸説あるが、と前置きした上で、「ニューオーリンズという街に黒人が多く、黒人の音楽から発展していったと言われている」と説明した。ニューオーリンズのあるルイジアナ州は始めはフランス系移民が多かったところで、ルイジアナは、ルイ14世やルイ16世などが有名なフランスのブルボン王朝のルイというよくある王名に由来するとされている。ニューオーリンズも最初はニューオルレアンであった。ただ、カナダのケベック州とは違い、フランスからの移民が根付かないうちに、フランスがルイジアナから撤退してしまったために、諸国からの移民が流入。ジャズが生まれた頃にはもうフランス的な面影はどこにも残っていなかったようだ(ちなみにニューヨークも最初に開拓したのはイギリス系ではなく、オランダ人であり、昔はニューアムステルダムと呼ばれた。ウォール街という通りがあるが、あそこにはオランダ人が作った城壁があったためにウォール街という名前が付いたとされる)。

ジャズのうちのブルースは、奴隷制のあったアメリカ南部で、黒人奴隷が仕事を終えた後で、自分達の音楽を酒樽などを叩きながら歌ったのが起源であるとされている。

ゴリが、「即興なんかもあるんですか?」と聞くと、高関は「あります」と答え、「立ち上がるかも知れません」とも語った。
ということで、「シング・シング・シング」。クラリネット奏者が立ち上がって即興のソロを取る。

演奏終了後、高関によると「一箇所振り間違えた」という。曲をよく知っている人にはわかるそうだが、私は気付かなかった。私が気付くのは曲をよく知っている場合のみであり、「シング・シング・シング」も好きであるが、それほど聞き込んでいるというわけでもないし、ジャズのテンポは即興的なので、リズムが狂ったとしても気付かないであろう。

これはその後に語られたことであるが、ゴリが、「背が低くて、警備員に止められた人、誰でしたっけ? ああ、広上さん。ホールに入ろうと思ったら警備員さんに『関係者以外立ち入り禁止です』と言われたという。あの人も、指揮台に上がって、指揮棒を振り上げた時に、楽器を構えた奏者が楽譜に書かれていたものとは違ったので、『あ、曲が違う』と気付いて、腕をスローモーションで降ろして楽譜を持っていったん退場したという」と指揮者の失敗談を上げる。高関は、「広上さんは偉い人、凄い人」というが、自身も曲目を間違えたことがあり、振ってから違うと気がついたので、誤魔化しながら指揮したという。ゴリが「その場合は、オーケストラに対してはどうするんですか」と聞くと、「演奏している最中に謝ります」と高関。

後半2曲目は、スコット・ジョプリンの「メープル・リーフ・ラグ」。この曲は京響は出番なしで、佐竹祐介が一人でピアノを弾く。
ゴリが、「ラグタイムとは何ですか?」と聞くと、佐竹も高関も「ラグタイムはラグタイム」と答え、ゴリは、「え、台本と違う」と驚く。「僕らは台本通り読んでいて、ラグタイムとはなんですかと聞くと、シンコペーションという言葉が出てきて、シンコペーションについて聞くはずだったのですが」と本来の流れを説明した。シンコペーションとは「裏打ち」のことであるが、左手の和音から右手で作る旋律が外れることがあるのが特徴。
佐竹はノリの良い演奏を聴かせる。

次の曲を説明するために出てきた、ガレッジセールのゴリが、ちょっと後ろに下がったときに、第2ヴァイオリンの一番前に置かれた譜面台を倒してしまい、楽譜がバラバラになって床に散らばってしまったため、係の人を呼んで楽譜を直して貰うというシーンがあり、ここで先程の失敗に関する話が行われた。ゴリは「本当に大丈夫ですか? ここの人だけタンゴ弾き始めたりしません?」と失敗もギャグにする。
続く、アメリカ民謡「聖者の行進」はブラスのみによる演奏。3度同じメロディーが繰り返された。ちなみに「聖者の行進」は、黒人が葬儀を終えての帰り道に演奏されることがあり、聖者とは死者を意味することがある。
京響自慢のブラス群は今日も輝かしい音を出す。

プログラムの最後は、ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」。ガーシュウィンは独学で作曲を学んだため、「誰かに弟子入りした方がいいだろう」と考え、パリにいたモーリス・ラヴェルを訪ねて弟子になりたいと志願するが、すでにガーシュウィンの名声を知っていたラヴェルは、「二流のラヴェル(第二のラヴェル、亜流のラヴェル)になるよりも、一流のガーシュウィンになることを目指し給え」と言って、弟子入りを断っている。その時に訪れたパリでの思い出を曲にしたのが「パリのアメリカ人」であるとされる(自作のミュージカル上演のためにヨーロッパを訪れた際に作曲されたという説もある)。

同じタイトルの映画が出来るほどの有名曲であるが、実演に接するのは今回が3度目ぐらい。前回は室内オーケストラ編成である京都フィルハーモニー室内合奏団での演奏だったので、フルオーケストラによる演奏を聴くのは久しぶりである。海外の演奏をCDで聴くと、全編インテンポ(テンポが変わらない)か、ラストでアッチェレランドが掛かるくらいであるが、高関は何度か速度を切り替える。そのことでアメリカ色が薄まったような印象も受けたが、響き自体は立派であり、出来も良い。

ガレッジセールの二人が出てきて、ゴリは譜面台を倒してしまった第2ヴァイオリン奏者に深々と頭を下げる。そしてアンコールを希望。高関は「非常に真面目な人なのですが、ショスタコーヴィチが『二人でお茶を』という曲を編曲していまして」と言い、その曲がアンコールとして演奏されることになる。ゴリは曲目を紹介しようとするが、「ショスタコーヴィチ」という言葉の発音が難しいようで、つっかえてしまう。「(ショスタコーヴィチの発音が)難しいです。きゃりーぱみゅぱみゅと同じくらい難しいです」と言った後で、「それではお聴き下さい。きゃりーぱみゅぱみゅの」とボケを入れてから本当の曲目を読み上げる。ショスタコーヴィチの「タヒチ・トロット」より“Tea For Two(二人でお茶を)”。歌詞付きのオリジナル・ジャズバージョンはテレビCMの音楽に何度も採用されているほどポピュラーなものである。
ショスタコーヴィチはお堅い性格の人で、悲観主義者でもあったが、サッカーが大好きでスタジアムまで応援に行ったり、ジャズにも興味を示したりと、「根暗」というイメージとは異なる面も持つ。「二人でお茶を」もお洒落な編曲によるものだ。演奏も良かった。

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2019年3月10日 (日)

コンサートの記(530) 京都コンサートホール「オムロン パイプオルガンコンサートシリーズ」vol.63 “世界のオルガニスト” アレシュ・バールタ

2019年2月23日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、「オムロン パイプオルガンコンサートシリーズ」vol.63 “世界のオルガニスト”を聴く。今回のオルガニストは、チェコ出身のアレシュ・バールタ。

チケット料金1000円均一。全席時由ということで人気の「オムロン パイプオルガンコンサート」。ステージ上にリモートコントロール装置を置いて演奏することもあるが、今回はパイプオルガンに直についている鍵盤での演奏である。
ポディウム席は今日は席が取り外してあり、オルガニストに近い2階ステージサイド席が一番人気のようで早々に埋まる。私は今日は1階席の23列目、上手になる29番の席である。
京都コンサートホールに限らないが、1階の前の方の席は音が余り降りて来ない上に、今日はパイプオルガンと演奏家を思いっ切り見上げる形になるため、なかなか埋まらず、開演直前や開演に間に合わなかったお客さんがレシェプショニストに誘導されて前の方の席に向かうという光景が見られた。


アレシュ・バールタは、1960年チェコ生まれ。モラヴィアのブルノ音楽院でヨゼフ・ブルクに師事し、プラハ芸術アカデミーではヴァツラフ・ラバスに師事。1982年のアントン・ブルックナー国際オルガン・コンクールに優勝し、翌年のフランツ・リスト国際オルガン・コンクールで2位入賞、更に1984年の「プラハの春」国際音楽コンクール・オルガン部門で優勝している。スプラフォン、ポニー・キャニオン、オクタヴィア・レコードからCDをリリースしており、高い評価を受けている。


曲目は、前半がJ・S・バッハの名曲集で、「トッカータとフーガ」ニ短調、コラール「目覚めよと呼ぶ声あり」、「前奏曲とフーガ」ト長調、コラール「主よ人の望みの喜びよ」、「トッカータとフーガ」ホ長調。後半が、フランクの「前奏曲、フーガと変奏曲」、ボエルマンのゴシック組曲、リストのバッハの名による前奏曲とフーガ。

アシスタントは池田伊津美(いけだ・いずみ)が務める。


パイプオルガンはストップによる音色の変更が可能だが、今日は比較的優しくて柔らかい音が選ばれていたように思う。


バールタのオルガンは正攻法であり、パイプオルガンの音圧で推すことなく、誠実な演奏を聴かせる。高い音楽性で聴かせるタイプだ。
バッハのオルガン曲はオルガニストなら誰でも演奏する曲だが、バールタは己の技量をひけらかすことなくバッハの曲が持つ魅力を丁寧に提示していく。


後半の楽曲はいずれも初めて耳にするものである。

フランクの「前奏曲、フーガと変奏曲」。ロマン的な旋律と大らかな音色が噛み合った魅力的な曲と演奏である。


ボエルマンは、オルガニストの多くがレパートリーに入れている作曲家である。ゴシック組曲は4曲からなる作品であるが、第1曲である序奏―コラールで輝かしく始まり、様々な表情が紡がれていく。途中で、「ゲゲゲの鬼太郎」を思わせるようなパッセージが顔を覗かせるのが面白い。


ピアノのヴィルトゥオーゾとして知られるフランス・リストであるが、晩年には修道院に入るなど信心深く、オルガン曲や宗教曲も数多く手掛けている。
バッハの名による前奏曲とフーガは、「B→A→C→H」というバッハのファミリーネームに基づく音階で始まる前奏曲とフーガである。今日演奏された他の作曲家の作品に比べて音が多いというのがいかにもリストらしい。

前半と後半とではかなり趣が異なったが面白いコンサートであった。


アンコールは、バッハの「今ぞ喜べ、愛するキリストのともがらよ」。いかにもバッハらしい個性に満ちた楽曲であった。

最後は、バールタ自ら京都コンサートホールのパイプオルガンに拍手を送った。



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2019年3月 1日 (金)

コンサートの記(527) 広上淳一指揮京都市交響楽団第571回定期演奏会 ドヴォルザーク 「スターバト・マーテル」

2013年8月11日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第571回定期演奏会に接する。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者の広上淳一。

プログラムは1曲のみ。ドヴォルザークの「スターバト・マーテル」である。総演奏時間が約1時間半という大作である。途中休憩は勿論なし。終演後にはレセプションが行われる。

4人の独唱者と、合唱を伴う宗教音楽。

独唱者は、石橋栄実(ソプラノ)、清水華澄(メゾ・ソプラノ)、高橋淳(テノール。当初は大槻孝志が歌う予定だったが、大槻が声帯疲労のため出演することが出来ず、急遽、高橋が代役に立つことになった。高橋は東京音楽大学の出身であり、現在は同大学の講師を務めている。東京音楽大学の出身で、今は同大学の教授である広上は師であり、先輩であり、同僚でもある)、久保和範(バスバリトン)。
合唱は京響コーラス(アマチュアの団体であるが、井上道義や広上淳一の指導も受けており、よく鍛えられている)。

開演20分前から、広上淳一によるプレトーク。京響は今年の1月からこの8月までの定期公演全てが完売御礼だそうである。今の京響は世界的に見ても高い水準にあり、これほど高いレベルに達している文化団体は京都市には他にないので、当然といえば当然ではあるのだが、京響のレベルをここまで高めた広上淳一の功績は大きいだろう。
それから、京響コーラスの合唱指揮者(たまに勘違いされるが、合唱指揮者とは、合唱のトレーナーのことであり、練習の際に指揮者も務める人のことで、本番でオーケストラとは別に合唱専門の指揮者がいるということではない)である小玉晃が呼ばれ、京響コーラスの歴史などについて語る。京響コーラスは、前身は井上道義が1995年秋に組織した京響第九合唱団であり、第九以外も歌うので京都市合唱団となった。昨年、京響との連結を強めるために京響コーラスと改名。現在、井上道義が創設カペルマイスター、広上淳一がスーパーヴァイザーとしてレベルアップのために尽力している。

ドヴォルザークの最高傑作といわれることもあるが、滅多に演奏されず、CDの数も少ないという「スターバト・マーテル」。生で聴けるだけでも貴重なことである。なお、ライヴ録音が行われ、演奏は後日、NHK-FMで放送されるという。

弦楽による出だし。広上の指揮する京響の弦は清澄を極めており、これほど透明で美しい音色というものはそうそう聴けるものではない。管もまろやかな音を出すが、京都コンサートホールでまろやかな音を出すのは極めて難しいことである。
4人の独唱者の出来も良く、京響コーラスもアマチュアとは思えないほど優れた合唱を聴かせる。
今日の広上は全編ノンタクトで指揮。非常にわかりやすい指揮である。

予習のために、フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮ロイヤル・フランダース・フィルハーモニー管弦楽団&コレギウム・ヴォーカレ・ヘントほかのCDを聴いたが、もし、広上淳一指揮京都市交響楽団&京響コーラスほかの演奏がCDとして発売されたなら、ヘレヴェッヘ盤はもう用なしになる。それほど高水準の演奏であった。広上淳一は音楽の神様に祝福された男である。

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2019年2月24日 (日)

コンサートの記(526) 秋山和慶指揮 京都市交響楽団第631回定期演奏会

2019年2月15日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第631回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は秋山和慶。

曲目はオール・ラフマニノフで、ピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:小山実稚恵)と交響曲第3番。


齋藤メソッドの正統的な継承者として、再評価も高まって来ている秋山和慶。長きに渡って東京交響楽団のシェフとして活躍し、私も1994年に秋山和慶指揮東京交響楽団の演奏を千葉県文化会館で聴いたことがある。
1998年から2017年まで、広島交響楽団の首席指揮者兼ミュージック・アドバイザーとしても活躍しており(現在は同団の終身名誉指揮者である)、広島東洋カープやサンフレッチェ広島とのコラボレーションを行い、カープ・シンフォニーやカープの応援曲の指揮を赤のユニフォーム姿で行っていたりする。
カナダやアメリカでもキャリアを築いてきたが、指揮者としてのポストを追い求めるよりも教育を重視する人であり、音楽大学のオーケストラなども良く指揮している。

今日のコンサートマスターは客演の石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志。第2ヴァイオリン首席も客演で長岡聡季。


ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。小山実稚恵の十八番の一つである。
小山は清冽な音色でキビキビとした音運びを行う。冴えたテクニックによる演奏で抜群の安定感がある。
普段は輝かしい音を奏でる京都市交響楽団だが、今日は荘重な響きによる演奏。渋さの光る美しさである。

小山実稚恵のアンコール演奏は、ラフマニノフのプレリュードト長調作品32の5。丁寧に作り上げた抒情美が胸に染み渡る。


ラフマニノフの交響曲第3番。彼のアメリカ時代の作品である。
3曲あるラフマニノフの交響曲の中では、第2番が飛び抜けて有名でプログラムに載ることも多い、というより第2番以外を聴く機会はほとんどない。
私自身は、シャルル・デュトワ指揮フィラデルフィア管弦楽団によるラフマニノフの交響曲全集を持っているが、交響曲第3番を聴いたことは1回か2回しかないはずである。
というわけでほぼ初体験に近い。

秋山は細かいところを幾つか抽出しては組み上げていくような音楽作り。構造がよく分かる。
第1楽章のロシア民謡のような旋律にラフマニノフのロシアへの望郷の念が浮かび上がり、それが都会的で洗練された響きによって彩られていく。ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」を想起させるような、ハイセンスな場面もある。
京都市交響楽団の奏者達も高度な技術と合奏能力を示し、マジカルな音響を何度も作り出していた。
かなり良い曲と演奏である。


今日はチケット完売御礼。終演後、多くの聴衆が秋山と京響を称えて盛んな拍手を送った。


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