カテゴリー「京都コンサートホール」の120件の記事

2019年10月18日 (金)

コンサートの記(598) 第23回京都の秋音楽祭『3つの時代を巡る楽器物語』第1章ショパンとプレイエル(フォルテピアノ:川口成彦)

2019年10月5日 京都コンサートホール アンサンブルホールムラタにて

午後3時から、京都コンサートホール アンサンブルホールムラタで第23回京都の秋音楽祭『3つの時代を巡る楽器物語』第1章ショパンとプレイエルを聴く。今年から足かけ3年に渡る企画の第1回である。ショパンが生きていた時代のプレイエル社製のフォルテピアノを使用してショパン作品を弾くという企画。ピアニストは、第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位入賞者である川口成彦(なるひこ)が登場する。

川口成彦は、1989年盛岡市生まれ、横浜市育ちの若手ピアニスト。先に書いた第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール2位のほか、ブルージュ国際古楽コンクール・フォルテピアノ部門最高位、第1回ローマ・フォルテピアノ国際コンクール優勝という華麗なキャリアを誇っている。東京藝術大学と同大学院修了。二十歳の頃からフォルテピアノに触れるようになり、古楽の本場であるオランダのアムステルダム音楽院古楽科修士課程に進んで古楽を本格的に研究するようになる。現在もアムステルダム在住。フォルテピアノを弾くことが多い様だが、勿論、モダンのピアノフォルテも演奏する。

 

当然ながらオール・ショパン・プログラムである。前半はショパンがジョルジュ・サンドとノアンで過ごした時期に書かれたものを並べ、ワルツ第12番、夜想曲第15番、バラード第3番、前奏曲嬰ハ短調、即興曲第2番、「舟歌」が弾かれる。後半は、ショパンがサンドとマヨルカ島に滞在していた時期を中心に書かれた24の前奏曲の演奏である。

楽器は1843年製のプレイエル マホガニーケース 製造番号No.10456(タカギクラヴィア所有)のフォルテピアノが使用される。フォルテピアノであるが、製作時期が比較的新しいため、モーツァルトやベートーヴェンの時代のフォルテピアノとは響きがやや異なる。近年、ヨーロッパのピアニストを中心に、モダンピアノフォルテを使いながらペダリングやタッチを工夫して古楽風の音色を出すことが流行っているが、その音色に近い。

 

川口はマイクを手にトークを挟みながらの演奏を行う。ショパンは二十歳近辺の頃に(ショパンは正確な生年がわからない人である)ポーランドを離れてウィーンに渡るのだが、タイミングが悪かったのかウィーンでは活躍することが出来ずにパリに移る。そしてパリで出会ったのがフランスのピアノメーカーであるプレイエルのピアノである。プレイエル社もショパンを全面的にサポートし、マヨルカ島にショパンが渡った時にはピアニーノという小型のアップライトピアノをショパンに送っており、ショパンはその楽器で作曲を行ったとされる。また完成した24の前奏曲はその縁でプレイエル社のカミーユ・プレイエルに献呈されている。ノアンのサンドの邸宅にもプレイエル社はピアノを送っており、ショパンが作曲と演奏を行った。
ベートーヴェンやリストは作曲を行う際に虚勢を張るようなところがあるが、ショパンは素直にピアノに向かって音楽を語る人であり、その点でシューベルトに似ていると川口は語る。

残された記録によると、ショパン自身は毎回のように即興を取り入れており、楽譜通りに演奏されたことはほとんどなかったそうだが、川口のピアノも緩急自在であり、たまにであるが音を足すこともある。

モダンのピアノで弾くと、ロマンティシズムが前面に出されることの多いショパンの音楽であるが、フォルテピアノで聴くとある種の親密さが増し、等身大で語りかける音楽へと傾いてくるのが感じられる。ショパンの時代はまだコンサートホールでなくサロンなどで演奏されるのが一般的であったが、その意味では川口が奏でるのはサロン的なショパンともいえるだろう。

夜想曲第15番は、今日弾くフォルテピアノが製作された1843年に作曲された作品だそうである。ショパンは33歳か34歳。青年期を過ぎて、これからが更に期待される年齢であるが、ショパンは生まれつき体が弱く、すでに結核も患っていて、6年後の1849年に若くして他界することになる。

 

メインである24の前奏曲は24の調を使って書かれた意欲作。バッハに倣っての作曲であり、今でもピアノ作品の最高峰の一つに数えられる。一方で、難度や作風、長さなどがバラバラであり、表現が難しい。第2番、第4番、第6番(元々はこの曲が「雨だれ」だったとされる)などは、私も弾いたことがある技巧的には平易な曲であるが、いずれも沈鬱な曲調を持ち、場合によっては不気味だったりする。川口はそうした要素は意識はしているが大袈裟にはならないよう心がけた演奏を行っているように思われた。大時代的なショパン像は巨大ホールが出現した19世紀後半から20世紀初頭に掛けて形作られたもので、ショパンが生きていた頃には目の前の少数の聴衆を相手にしているということもあって、いい意味で抑制された演奏が行われていたのだと思われる。
「太田胃散の曲」として知られる(?)第7番では速めのテンポを採用。CMサイズの演奏とは違った自由感を出していた。
24の前奏曲の中で最も有名なのは「雨だれ」というタイトルのついた第15番だと思われる。この曲も私が弾けるほど技術的には平易なのだが、かなりドラマティックに演奏されることが多い。ショパンの名手として知られたアルフレッド・コルトーなどは、寝た子をあやす母親の前に悪魔が現れて子どもを襲おうとするというおどろおどろしい内容の詩をこの曲につけているが、そうした物語的な演奏をする人はコルトーに限らず多い。ただ川口の場合はショパン本人の声を探ることに徹しているように聞こえる。オーケストラ音楽もそうだったが、ピアノも古楽的な解釈が進むことによって演奏スタイルが今後もどんどん変わっていきそうな気がする。

アンコールは2曲。まずはワルツ第9番「別れのワルツ」。この曲はサンドではなく、ライプツィッヒで出会って一目惚れした女性と別れるときに書かれたとされる曲である。甘口だったり感傷的に弾かれることも多いが、川口の「別れのワルツ」は比較的さっぱりしている。フォルテピアノの音色も大きく影響しているだろう。

2曲目は、歌曲として書かれた「春」ト短調を自らピアノ用に編曲したものが弾かれる。過ぎた春を回顧する趣の楽曲であるが、川口の弾くフォルテピアノからはノスタルジックな音色と音型とイメージが次々と溢れ出てきていた。

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2019年10月14日 (月)

コンサートの記(597) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別公演2019

2019年10月6日 京都コンサートホールにて

午後3時から、京都コンサートホールで大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別公演を聴く。指揮は音楽監督の尾高忠明。癌の手術から復帰したばかりである。

曲目は、前半がモーツァルトのフルート協奏曲第2番と尾高尚忠のフルート協奏曲(フルート独奏:エマニュエル・パユ)、後半がチャイコフスキーの交響曲第5番。

今日のコンサートマスターは須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏である。

エマニュエル・パユが登場するためか、男女ともに若い聴衆も多いのが特徴。ただ、大阪フィルのフェスティバルホールでの定期演奏会は、3階が学生限定席に指定されているため、普段はどれほどの入りなのかが把握出来ていなかったりする。

エマニュエル・パユは現役のフルーティストとしては世界中で最も有名だと思われる人物である。長くベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席フルート奏者を務めており、同楽団の顔の一人でもある。実演を聴くのは多分3回目であるが、前回と前々回は共に室内楽のコンサートであったため、オーケストラとの共演を聴くのは初めてになる。

 

モーツァルトのフルート協奏曲第2番。パユのフルートは音色が澄んでいるだけでなく、芳香を発するかのような気品に溢れている。人気があるのも当然である。
大フィルの弦はノンビブラートと音を細かく切る感じのピリオド奏法での演奏を行う。天井の高い京都コンサートホールなので、音が小さく聞こえてしまうが、モーツァルトを演奏するにはやはりピリオドの方が雅やかで合っている。

 

尾高尚忠のフルート協奏曲。
尾高尚忠は、尾高忠明の実父である。1911年生まれ、日本で作曲をスプリングスハイムに師事した後でウィーンに渡り、指揮をワインガルトナーに師事した。帰国後は日本交響楽団(NHK交響楽団の前身)の常任指揮者となり、指揮に作曲に八面六臂の活躍を展開。現在は日本の年末の風物詩となった第九特別演奏会を始めた人物でもある(異説あり)。ただ過労がたたって、39歳の若さで逝去。新聞などには「日響(日本交響楽団)が尾高を殺した」という見出しが躍った。

演奏時間約15分という短い作品だが、目の前の世界を次々と広げつつ天翔るようなフルートの躍動が印象的な第1楽章、ピアノが入ったり、弦がコルレーニョ奏法で日本的なリズムを刻むなど独特の個性が光第2楽章など魅力的な要素に満ちている。
パユの自在感溢れるフルートは、日本の現代作品にも見事に適応。日本人のフルーティストが演奏するとまた違った印象になると思われるが、軽やかさと広がりにおいてはベストの出来を示す。

パユのアンコール演奏は、ニールセンのフルート独奏曲「子供たちが遊んでいる」。ニールセンの一般的イメージとは異なる作風で、聴いている時は古典派の楽曲のように聞こえた。

 

チャイコフスキーの交響曲第5番。尾高の指揮なので、端正な造形を予想し、実際に冒頭はそうだったが、途中で金管を強烈に吹かせる。立体感は出るものの本拠地ホールではないということもあって精度は今ひとつなるが、それよりも内容を重視したような演奏となる。演奏終了後に尾高は、「病上がりで、まだちょっと苦しい」と語っていたが、コントロールする力がまだ戻ってないためにこうした演奏になったのかはわからない。
第2楽章の最高難度で知られるホルンソロも完璧ではなかったがハイレベルであり、チャイコフスキーの憧れを描き尽くす。華やかな中に憂いを宿す第3楽章も美しい演奏であった。
第4楽章は、近年では解釈が変わりつつあるが、尾高は疑似ラストの後の凱歌を逡巡の中で歌い上げる。運命の主題を長調に変えた主旋律は華々しいのだが、実はそれ以外の部分は案外憂いを多分に含んでいるため、無理に笑顔を作っているような悲しさが吹き出してくる。これがチャイコフスキーが望んだ解釈だと思われるのだが、こうした演奏を聴いていると本当に胸が苦しくなる。自らの作曲した運命の主題を長調に変えて乗り切った後で、ベートーヴェンの運命動機で幕を下ろすところなど、ほとんど「悪魔的」を思えるほどだ。

 

アンコール演奏は、チャイコフスキーの「エレジー ~イワン・サマーリンの思い出に」が演奏される。この曲が演奏されるということは最後の凱歌の悲劇的解釈は尾高の体調不良によってなってしまったものではなく意図的になされたものなのだろう。
最後に尾高は、「素晴らしいホールと素晴らしい聴衆の皆様の前で演奏出来る」ことの感謝を述べて、「大阪のフェスも素晴らしいホールです」と宣伝し、「このオーケストラとは関係ないんですが、京都大学の交響楽団も指揮します」とユーモアを交えた告知で明るく終えた。

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2019年9月30日 (月)

コンサートの記(593) 下野竜也指揮京都市交響楽団第638回定期演奏会

2019年9月22日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第638回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、京都市交響楽団常任首席客演指揮者の下野竜也。今回が、首席常任客演指揮者としては下野と京響の最後のステージとなる。

曲目は、ブルックナーの弦楽五重奏曲ヘ長調WAB112から「アダージョ」(スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ編曲)、モーツァルトのピアノ協奏曲第24番(ピアノ独奏:ヤン・リシエツキ)、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」

ヴァイオリン両翼、コントラバスがステージ最後列で横一線に並ぶ形の古典配置での演奏である。コンサートマスターに泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平といういつもの布陣。第2ヴァイオリンの客演首席には瀧村依里が入る。ヴィオラのトップには店村眞積が入り、今日は小峰航一は降り番である。ブルックナーは弦楽のための作品で、モーツァルトから入る管楽器の首席奏者はホルンの垣本昌芳とトランペットのハラルド・ナエス。トランペットはモーツァルト、ベートーヴェン共にハラルド・ナエスと稲垣路子の二人の出演であった。木管楽器の首席は全員、ベートーヴェンのみの出演である。

 

プレトークで下野竜也は、「今日は言ってみれば、普通の曲をやります」と始め、「田園」の楽曲解説に多くの時間を割く。ベートーヴェンの交響曲全9曲の中で「田園」が一番難しいというのが、下野や先輩の指揮者の共通の認識だそうである。考えてみれば「ベートーヴェン交響曲全集」は山のように出ているが、「田園」の名盤として誰もが推すものはワルターとベームぐらいしかない。ということで、下野は「ベートーヴェンの交響曲の中で『田園』が一番得意」という指揮者を信用しないことにしているそうである。高関健が、「僕、『田園』得意だよ」と下野に語ったことがあるそうだが、どうもジョークだったようだ。「運命」や「英雄」にはドラマというか出来事があるが、「田園」にそうしたものはなく、描かれているのは何気ない日常。朝起きて、食事をして、奥さんに「行ってきます」と言って家を出るような何気ない日常の幸せが描かれているそうである。下野も病気をしたことがあり、そんな時には「健康って幸せなことだなあ」と感じたそうだが、ドラマティックではない幸せを表現するのは難しいそうである。ドラマがないから45分だらだら演奏していればいいというわけにはいかない。

「田園」と「運命」とは双子の作品だということについても触れる。同じ日に同じ演奏会で初演されおり、その時は交響曲第5番「田園」で、「運命」こと第5が交響曲第6番として演奏されたのだが、共に少ない音で作曲されているという共通点がある。「運命」は、タタタターの4つの音だけで組み立てられたような作品で、下野が暇なときに数えたところ、第1楽章だけで491回「タタタター」の運命動機が出てきたそうだが、「田園」も第1楽章冒頭の主題が形を変えてコンポーズされているという話をする。
また、ラストではホルンがミュートで音を奏でるのだが、ホルンがミュートを使う時は、夜の描写に限られるそうで、「田園」に夜が来たことを表している。ただその後に「タ、ター」と2つ音がある。下野は「郭公の声かな?」と思っていたそうだが、ウィーンに留学していた問いに疑問が氷解したそうである。あれは、「Oh,God!」と言っているのだそうだ。「アーメン」や郭公の声ではなく、「オー! ゴッド!」で聴いて欲しいと下野は言う。

モーツァルトのピアノ協奏曲第24番は、モーツァルトが残したただ2曲の短調で書かれたピアノ協奏曲の1曲。ソリストのヤン・リシエツキと共演するのは今回が初めてではないようだが、優れたピアニストで一緒にやるのが楽しみだと語る。
ブルックナーの弦楽五重奏曲WAB112から「アダージョ」は、日本でも名指揮者として知られたスタニスラフ・スクロヴァチェフスキが弦楽オーケストラ用に編曲したものである。スクロヴァチェフスキは晩年に読売日本交響楽団の常任指揮者を務めており、読響の正指揮者を務めていた時代の下野の直接の上司に当たる。
下野は、「ブルックナーが嫌いな人は多いと思いますが」と切り出し、「何を描いているのかわかろうとすると難しいけれど、頭で考えるのではなく心で感じて欲しい」と述べた。

下野「『運命』などは当時は現代音楽だったわけで。『どっかおかしいんじゃないか?』と言われていた。それが次第に理解されるようになって200年ぐらいかけて定着した」ということで、今の現代音楽も毛嫌いせずに聴いてみることを勧めていた。終演後にも、「聴いて批判するのはご自由です。ただ聴かないでというのは駄目です」と念を押していた。

 

ブルックナーの弦楽五重奏曲ヘ長調WAB112より「アダージョ」。ブルックナーがウィーン音楽院の院長をしていた時代に、ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヘルメスベルガーから委嘱された弦楽四重奏曲を結果的に弦楽五重奏曲として完成させた作品の第3楽章である。
ブルックナーは、ウィーン音楽院の教師や即興演奏を得意とする当代随一のオルガニストとして評価を得ていたが、作曲家としては生前には数えるほどしか成功を勝ち得ておらず、それが原因なのかどうかはわからないが、強迫性障害などの精神疾患にも苦しんだ。そんなブルックナーが精一杯、人生と世界を肯定したような清澄で優しい旋律と音色を特徴とする。弦楽五重奏曲自体はブルックナーの中期の作品なのだが、スクロヴァチェフスキの編曲もあってか「人生の夕映え」のような雰囲気も感じられる。
下野は細部まで念入りに構築した上で、淀みない流れを生んでいくという理想的なブルックナー演奏を展開。古典配置を採用したため、音の受け渡しも把握しやすい。京響の音色は分厚くて輝かしく、ノスタルジアの表出も素晴らしい。
ちなみに、「田園」の第1楽章に似た音型が登場し、そのためにプログラミングされたのかも知れない。

 

モーツァルトのピアノ協奏曲第24番。
ソリストのヤン・リシエツキは、1995年生まれの若手ピアニスト。ポーランド人の両親の下、カナダのカルガリーに生まれ、9歳でオーケストラとの共演を果たすという神童であった。2008年と2009年に両親の祖国であるポーランド・ワルシャワの「ショパンのそのヨーロッパ国際音楽祭」に招かれ、ショパンのピアノ協奏曲第1番と第2番を演奏している。これらはライブレーコーディングが行われ、フランスのディアパゾン・ドールを受賞。201年には15歳という異例の若さでドイツ・グラモフォンとの専属契約を結んでいる。2013年にはグラモフォン・アワードでヤング・アーティスト・オブ・ザ・イヤーを獲得した。

下野と京響はHIPを援用したアプローチ。弦楽のビブラートも現代風でなくここぞという時に細やかに用い、ボウイングは大きめ。ティンパニはバロックタイプのものではないが、かなり堅めの音で強打する。推進力があり、光と陰が一瞬で入れ替わる。

ヤン・リシエツキのピアノは、仄暗い輝きを奏でる。最近の白人ピアニストに多いが、音が深めである。ちょっと前までモーツァルトのピアノ演奏といえば、「真珠を転がすような」だとか「鍵盤を嘗めるような」と形容されるような美音によるものが多かったが、傾向が変わってきたようである。まだ若いという頃もあるが、いたずらに個性を出すことのない誠実なピアノで技術も高い。
余り指摘されているのを見たことはないが、第2楽章は「フィガロの結婚」のアリア「恋とはどんなものかしら」がこだましているように聞こえる。フィガロとピアノ協奏曲第24番はほぼ同じ時期に書かれており、ピアノ協奏曲第24番の初演の1ヶ月後にフィガロ初演の幕が上がっている。

リシエツキのアンコール演奏は、J・S・バッハの「ゴルトベルク変奏曲」よりアリア。雅やかな祈りが京都コンサートホールを満たしていく。中間部で激しくなるところがあり、余り聴かれない解釈だったが、ロマンを込めようとしたのだろうか。

 

メインであるベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。自然体のスタートを見せる。弦主導の音楽作りであり、第1ヴァイオリン14型ということで迫力があるが、音の輪郭が十分に整わないため、モヤモヤとして聞こえて爽やかさには欠けるところがある。また弦の威力に管が掻き消される場面もあった。
ただ下野は最初から第5楽章に焦点を当てた解釈を行っており、4つの楽章をラストに至るまでの過程として描いている。
第2楽章の音の動きや第3楽章の土俗性などは意識的にブルックナー演奏から培ったものを援用しているようで、ソフィスティケートとは正反対の音の生命力を前面に押し出している。下野も芸風が広い。
第4楽章の嵐では、ティンパニの中山航介のティンパニの強打とコントラバスの轟々とした響きが迫力を生む。なお、トロンボーン奏者二人は、この楽章の途中で登場し、第5楽章で活躍する。
そして第5楽章。単にハイリゲンシュタットやウィーンやオーストリアやドイツ語圏に留まらない地球全体への感謝の思いが瑞々しく語られる。
最後は、プレトークで言っていた通りの「神と大いなる者への賛辞」で締めくくられた。

下野の京都市交響楽団常任首席客演指揮者としての最後のステージということで、門川大作京都市長が花束を持って現れ、下野への感謝を述べ、下野が京都市立芸術大学指揮科の教授として頑張っていることを紹介する。京都市交響楽団と京都市立芸術大学の間で協定が結ばれたそうで、今後、京都市の更なる音楽的発展が期待されているようだ。

昨日は下野は広上淳一から花束を受け取ったようだが、今日は今回のステージを最後に京響を退団する第2ヴァイオリン奏者の野呂小百合に、下野からリレーの形で手渡された。

下野は、自身が広島交響楽団の音楽総監督を務めていること。広島は平和の街で、カタカナでヒロシマと書くとまた別の意味を持つ街であること、その他に客演して回っている札幌、仙台、横浜、名古屋など全ての街に美術館や劇団があって文化が大切に育まれていることを語り、それも全て平和があるからこそで、平和のためにあるものでもあるとして、自身がオーケストラのために編曲したというプーランクの「平和のためにお祈りください」をアンコールとして演奏する。
「京都市交響楽団をこれからもよろしくお願いします」と下野は言って演奏スタート。切実な歌詞と哀感に満ちた旋律を持つ楽曲なのであるが、下野の編曲によって穏やかで安らぎを感じさせる素朴でささやかな祈りへと変わっていた。

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2019年9月 7日 (土)

コンサートの記(591) 高関健指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2019「オーケストラへようこそ!」第2回「オーケストラの楽しみ方」

2019年9月1日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2019「オーケストラへようこそ!」第2回「オーケストラの楽しみ方」を聴く。今日の指揮者は、京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。高関は常任首席客演指揮者としては最後の京響とのステージとなる。ナビゲーターはロザン。

曲目は、スッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲、モーツァルトの交響曲第40番第1楽章、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲第1楽章(ヴァイオリン独奏:松田理奈)、チャイコフスキーのバレエ組曲「眠れる森の美女」から「ワルツ」、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」

京都コンサートホールへの来場者数が600万人に達したそうで、門川市長が出席してセレモニーが行われていた。

 

今日はヴァイオリン両翼、コントラバスがステージ最後列に横一列に並ぶ形の古典配置での演奏である。コンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平といういつもの布陣。第2ヴァイオリンの首席は今日も客演の有川誠が入る。クラリネット首席のコタさんこと小谷口直子が今日は前後半とも入り、フルート首席の上野博昭は後半のみの出番である。

 

スッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲。ショーピースであり、軽く演奏されることも多いが、高関は真っ正面から取り組み、結果、重厚で力強い仕上がりとなる。京響は抜群の鳴りであり、この出来なら世界的にもかなり高い位置にランク出来るはずである。
ただ、短い作品だから持ったというところもあるようで、その後の曲では徐々に力が落ちていったようにも感じられる。

ロザンが登場。まず宇治原が「今日はオーケストラの楽しみ方を教えて下さるそうで」と言い、序曲とは何かを高関に質問する。高関は「オペレッタの前に演奏される曲で、本当はこの後、3時間ほど続く」と序曲について説明する。オペラやオペレッタの前の序曲ではなく、純粋にオーケストラ曲として序曲が書かれる場合もあるが、ややこしくなるので、そちらは高関は話題にしなかった。宇治原が、オペレッタとは何かと聞き、高関は「オペラの軽いやつ」と答える。大衆向けということでもある。ロザンは吉本所属なので、演劇と軽演劇である吉本新喜劇の関係を考えるとわかりやすいかも知れない。

 

続いてモーツァルトの交響曲第40番第1楽章。高関は菅広文に「交響曲って、お分かりになります?」と聞き、菅ちゃんはコンサートマスターの泉原隆志に「交響曲ってなんですか?」と又聞きして、泉原が「オーケストラのために書かれた作品」と答えると、「だそうです」と言って、高関に「ずるい」と言われる。
高関が、ソナタのオーケストラ版という話をすると、菅ちゃんは「『冬のソナタ』のソナタですよね」、宇治原「一番、身近なソナタがそれかい」
高関が、交響曲第40番について「ちょっと暗い」と言うと、菅ちゃんは「暗いんですか、明るい曲やって下さいよ」、高関「途中、ちょっと明るくなる」
ということで、モーツァルトの交響曲第40番第1楽章。高関の個性である、スケールをきっちり形作ってから細部を埋めていくという音楽作りが確認出来る仕上がりである。個人的には音楽を流れで作る指揮者が好きなため、「ちょっと堅い」という印象を受ける。
ファーストヴァイオリン12人という大編成での演奏であるため、モダンスタイルをベースとした演奏であるが、弦のボウイングや音の切り方はHIPを意識しており、折衷スタイルということも出来そうだ。

 

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲第1楽章の演奏の前に、高関による協奏曲の説明。高関が菅ちゃんに、「協奏曲ってどんなイメージがあります?」と聞くと、菅ちゃんは、「そうですね。いつもなにかを競い合っているような感じがします」、宇治原「その競争曲ちゃう。ってこんな滑ることある? これ台本に書いてある奴なんですけど」、菅「僕らが書いたわけじゃないんですよね」
素人が書いたボケなら、いくらロザンが言っても受けるはずはない。
そういうボケはいいとして、高関は「前で滅茶苦茶上手い人が演奏する」、宇治原「じゃあこれから出てくる方は、滅茶滅茶上手いんですね」、菅「皆さん、聞きました? 滅茶苦茶上手い人が出てくるらしいですよ」、宇治原「もう滅茶滅茶上手いんでしょうね」とこれから出てくるソリストの松田理奈に対するハードルをこれでもかと上げる。

松田理奈登場。菅ちゃんが、「滅茶苦茶上手いんですか?」と聞くとずっと笑って誤魔化していた。
ソロを演奏することについては、「アンサンブルの一人として演奏」する気持ちを大切にしているようである。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲に関しては、「バレエとかオペラとか、スケールの大きな総合芸術のための音楽を得意としていた方なので、それを協奏曲にも生かしてスケールが大きく」と語っていた。

その松田理奈によるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲第1楽章。元々超絶技巧の持ち主として注目された松田理奈。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲も十八番としているのだと思われるのだが、難曲として名高いこの作品を、余裕を持って弾きこなしてしまう。技術面に関しては相当高い水準にあるようだ。表現面でも情熱の迸りが感じられる優れた出来。スタイルとしては第3楽章が一番合っていると予想されるが、残念ながら今日は第1楽章のみの演奏である。

 

後半。チャイコフスキーのバレエ組曲「眠れる森の美女」から「ワルツ」。以前にBS「プレミアムシアター」オープニング曲に採用されていたことでも知られている曲である。雄大でうねりを感じさせる演奏で、チャイコフスキーに似つかわしい、華やかで凜とした響きを高関は京響から引き出す。

 

リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」。まず高関が交響詩について説明。「音楽を使って色々描いたりするんですが、物語をやろうと」「リヒャルト・シュトラウスは何でも書けちゃうぞって人だった」、宇治原「物語を音楽で描くのが得意だったと」、高関「この『ティル・オイレンシュビーゲルの愉快ないたずら』は、昔話を音楽で描いています」
ということで、高関は、場面の内容を語ってから、部分部分を短く演奏してみせる。菅ちゃんは、「やるぞって言ってすぐに出来ちゃうものなんですね」と感心し、演奏が終わるごとに「ぽいですね」と言って、宇治原に突っ込まれる。ティル・オイレンシュピーゲルは、最後は絞首刑に処されるのだが、「首がキューと絞まって、意識がピヨピヨピヨとなります」ということで、高関は実際に演奏してみせる。
菅ちゃんは、「こんなの(子ども達の前で)演奏しちゃっていいんですかね?」と語る。ちなみに、昔話の定番で、「う○ちをする場面があります」と高関は言うが、菅ちゃんは、「う○ちはいいですよね。子ども達、大好きですから」
ということで、様々な場面が紹介されてから、通しての演奏が行われる。
高関とリヒャルト・シュトラウスは相性が良く、京響の光を放つような響きも相まって、上質のリヒャルト・シュトラウス演奏が展開される。ただ、私個人は 、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」はそれほど好きではない。

 

アンコールでは、ヨハン・シュトラウスのⅡ世のポルカ「雷鳴と電光」が演奏された。

 

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2019年9月 3日 (火)

コンサートの記(589) ペーター・ダイクストラ指揮 京都市交響楽団第637回定期演奏会 ハイドン 「天地創造」

2019年8月25日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第637回定期演奏会を聴く。指揮はオランダ出身のペーター・ダイクストラ。第九が聴きたくなるような名前の指揮者だが、演目はハイドンのオラトリオ「天地創造」全曲である。8月には定期演奏会を行わないオーケストラが多い中で、京響は奮闘中。毎年8月は合唱付きの宗教音楽を上演するのが恒例となっている。独唱は、盛田真央(ソプラノ)、櫻田亮(さくらだ・まこと。テノール)、青山貴(あおやま・たかし。バス)。合唱は京響コーラスが務める。

ハイドンのオラトリオ「天地創造」は3部からなる作品であり、今日は第1部と第2部の間に休憩が入る。

ペーター・ダイクストラは、1978年生まれ。ハーグ王立音楽院とケルン音楽大学、ストックホルム音楽大学で指揮と声楽を学んだ後、合唱指揮をエリック・エリクソンやトヌ・カリュステらに師事。2003年にエリック・エリクソン・コンクールで優勝している。
合唱指揮者としては、バイエルン放送合唱団の芸術監督を2005年から11年間務め、2007年から2017年まではスウェーデン放送合唱団の音楽監督も兼任している。2015年からは祖国のオランダ室内合唱団の首席指揮者の座にある。
オーケストラの指揮者としては、バイエルン放送交響楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団、スウェーデン放送交響楽団、ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団などと共演。日本では、東京都交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団の指揮台に立った経験がある。

 

今日の京都市交響楽団のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。
第2ヴァイオリンの客演首席は今日は有川誠。チェロの首席には客演のルドヴィート・カンタが入る。指揮者と向かい合う形に置かれたフォルテピアノは西聡美が弾く。クラリネット首席の小谷口直子は降り番(この人は忙しいので、基本、夏のシーズンはいない)、トランペット首席のハラルド・ナエスもいないが、他の管楽器は首席が並ぶ。
ドイツ式の現代配置だが、バロックティンパニを採用した演奏である。

ダイクストラが古楽演奏の本場であるオランダ出身ということもあり、弦はビブラートを極限まで抑えたピリオドアプローチでの演奏である。これによって弦の透明度が増し、第1部第7曲の小川の流れの描写などは胸がすくような清流として聴き手の耳に届く。レナード・バーンスタイン指揮バイエルン放送交響楽団のような超人的スケールの「天地創造」もいいが、今日のようなすっきりとして生命感溢れるという演奏も理想的であるように思う。

ダイクストラはかなりの長身ということもあり、先に「指揮台に立」つと書いたが、実際は指揮台不要でステージにそのまま立って指揮する。指揮台を使うと逆に演奏しにくくなってしまうだろ。拍を刻む明確な指揮をする人で、合唱の部分では一緒に歌って口の形でも指揮する。第1ヴァイオリンの奏者達は、いつも以上に楽しそうな表情を浮かべて演奏していた。

全般を通して分離のくっきりした演奏となっており、楽曲の把握がかなりしやすい。京響コーラスと3人の独唱者も充実した歌唱を聴かせる。アルトが必要(全てのパートが賛歌する必要があるため)なラストは、京響コーラスのメンバーがステージ前方に移動して独唱を担った。
なお、第1部と第2部では指揮のダイクストラを挟んで上手に櫻田亮と青山貴という男性2人、下手に盛田真央という布陣だったが、第3部では盛田と櫻田が席を入れ替えての歌唱となった。

京響のメカニックは強靱であり、合唱は発音がドイツ語圏の人にどう捉えられるのかはわからないが(私はドイツ語を勉強したことがないので判定不可能)、全体としては世界レベルでも十分に通用する出来だと思われる。

 

見通しの良い音楽を作ったダイクストラ。駄洒落でなく本当に第九の指揮に来て欲しくなる。

 

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2019年8月25日 (日)

コンサートの記(587) 下野竜也指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2015~こどものためのオーケストラ入門~「オーケストラ大発見!」第2回「魔法のメロディー」

2015年9月27日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2015 ~こどものためのオーケストラ入門~ 『オーケストラ大発見!』第2回「魔法のメロディー」を聴く。指揮は京都市交響楽団常任客演指揮者の下野竜也。ナビゲーターはガレッジセールの二人。

オーケストラ・ディスカバリーは「~こどものためのオーケストラ入門~」と銘打っている通り、子供でも楽しめるコンサート。ただし、選曲は子供向けとは限らない。今年の第1回目は宮川彬を指揮者に迎えてディズニー作品などの子供向けの演奏会を行ったが、今日のプログラムはどちらかというと通向けである。

曲目は、オッフェンバック(オッフェンバッハ)の喜歌劇「天国と地獄」より“カンカン”、シューベルトの交響曲第7番(第8番)「未完成」より第2楽章、J・S・バッハの「小フーガト短調」(ストコフスキー編曲)、ドヴォルザークのチェロ協奏曲より第1楽章(チェロ独奏:山本裕康)、伴奏クイズ、ラヴェルの「ボレロ」
今日のコンサートマスターは泉原隆志。渡邊穣と尾﨑平は降り番である。クラリネット首席奏者の小谷口直子、フルート首席の清水信貴、オーボエ首席の高山郁子は今日は全編に出演。トランペット首席のハラルド・ナエスは後半のみの出演であった。

今日は1階席中央後方での鑑賞。管楽器のソロがやや細く聞こえるが、マスとしての響きは悪くない。響きがステージ上から客席後方に向かっていく様も確認しやすい。

今日は開演前ロビーコンサートがあり、小峰航一(京響首席ヴィオラ奏者)、多井千洋(たい・ちひろ。京響ヴィオラ奏者)、ドナルド・リッチャー(京響チェロ奏者)、高山郁子(首席オーボエ奏者)、松村衣里(京響ハープ奏者)の5人により、ロスラヴェッツの「ノクターン」が演奏された。幻想的な作風の曲である。
開演前の室内楽演奏というと、NHK交響楽団が行っていることが知られるが(NHKホールの広大な南側ホワイエが会場となる)、N響の場合、降り番の奏者が室内楽演奏を担当することが多いのに対し、京響の室内楽演奏者はこの後の本番にも出演する(N響ほど楽団員が多くないということもある)。ただ、出番が増えるとどうしてもミスは多くなりがちで、名手のはずの高山郁子が今日は珍しく、バッハとドヴォルザークで割れるような音を出していた。

まずは、オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」より“カンカン”。軽快な演奏であったが、途中で京響が主題を抜いた演奏を始める。下野のは客席を振り返って「変でしょ?」というポーズを見せる。結局、主題を奏でる管楽器奏者は最後まで演奏せずに終わった。
ガレッジセールの二人が登場し、ゴリが「今、途中からサボった人達がいましたが給料に不満でもあるんでしょうか?」と聞く。下野は「全員、給料に不満はあると思います」などと言うが、「今日のテーマは『魔法のメロディー』ということで、メロディーを抜いて伴奏だけ演奏してみました」と続ける。ゴリがカラオケを例えに出して「歌抜きの」と言うと下野は「カラオケのオケ(よくわからない表現だが)になります」と答える。ゴリが「それ聞いてなかったら、オーケストラと指揮者が揉めてるのかと思ってしまう」と続けると、下野は「それはしょっちゅうです」と返して笑いを取る。

次の曲はシューベルトの交響曲第7番(新番号。旧番号では8番)「未完成」第2楽章であるが、下野は中間部のクラリネットソロがある部分をまず取り上げる(クラリネットは小谷口直子)。まず練習番号64から普通に演奏を始め、下野は「悲しい。学校が終わってプリンを食べようと楽しみにして帰ってきたらプリンを親に先に食べられていたような」という子供に合わせた例を挙げる。今度は同じ部分を弦楽の伴奏を全てピッチ―カートにして演奏。ゴリと川田は、「全然違う」「嬉しいのか悲しいのかわからない」と言ったが、下野が「あのプリン、腐っていたのでしめしめ」と変な例を挙げたため、ゴリが「それおかしでしょ」と突っ込む。下野は「指揮者なので」と言うが、ゴリは「指揮者なのでって言い訳になってない」と更に突っ込む。下野は「指揮者というのは大抵変な人なので、うちの常任(広上淳一)も変な人です」(私:それは知っています)と答えていた。ゴリは更に下野の学生服風の衣装について「ずっと留年してる高校生みたい」と突っ込み、下野は「高校35年生です」とボケる。
シューベルトの交響曲第7番「未完成」より第2楽章。やや小さく纏まっているきらいはあるが美しい演奏であった。演奏終了後、ガレッジセールの二人は曲調が次々に変わることに触れ、シューベルトの様々な面を知ることが出来るようだと語る。
シューベルトの「未完成」交響曲は確かに傑作だが、第2楽章だけ取り出してみると、歌が多すぎ、構成もくどいところがあり冗長に感じられる。傑作と感じられるのは第1楽章との対比があるからであろう。ちなみに無料パンフレットに演奏時間5分と書かれているが、15分の間違いである。

下野が「今度は伴奏のない曲をやろうと思います」ということで、J・S・バッハの「小フーガト短調」をレオポルド・ストコフスキーが編曲したものを演奏する。元々はオルガンのための曲であるが、指揮者で名アレンジャーでもあったストコフスキーがオーケストレーションを行っている。ストコフスキーはイギリス人であるが、アメリカのフィラデルフィア管弦楽団の指揮者として長く活躍したため編曲はアメリカ人好みのゴージャスなものになっている。日本人が聴くとラスト付近などは「うるさすぎてバッハじゃない」と思うような彩り豊かな編曲だ。まずオーボエソロから入るのだが、先程の書いたようにオーボエの高山郁子は1音だけ音を外した。

ドヴォルザークのチェロ協奏曲第1楽章。チェロ独奏を務めるのは京都市交響楽団の特別客員首席奏者の山本裕康。東京都交響楽団の首席チェロ奏者、広島交響楽団の客演ソロ奏者を経て、1997年からは神奈川フィルハーモニー管弦楽団の首席チェロ奏者を務めている。2014年に神奈川フィルと兼任で京都市交響楽団特別客員首席奏者に就任している。ちなみに2014年に神奈川フィルの常任指揮者に就任した川瀬賢太郎は広上淳一の弟子なので、その縁で兼任となった可能性が高い。
演奏前に下野は客席に向かって、「大作曲家、例えばモーツァルトやベートーヴェンなどはかなり変わった人であることが知られています。モーツァルトは子供の頃やんちゃでしたし、ベートーヴェンは怒りっぽくてすぐ喧嘩になる。ベートーヴェンは朝に飲むコーヒーの豆を必ず60粒と決めて挽いて飲んでいました。しかし、ドヴォルザークの伝記にはそうしたエピソードがないんです(子供の頃に勉強嫌いで、実家の肉屋を継ぐはずが当時のチェコで肉屋になるには必須だったドイツ語が苦手だったために得意とする音楽方面に行ったことや、大の鉄道好きで、音楽院で教師をしていたときに、列車が時間取りに駅に着くのかが気になり、弟子に確認に行かせていたという変人エピソードはある)。音楽史上最も性格の良かった作曲家だと思っていて大好きです」というような解説を行った。「自作のチェロ協奏曲を聴きながら『なんて良い曲だろう』と涙を流した」という話も勿論加えていたが。
山本のチェロ独奏はやや線が細いが、音程はしっかりしている。京響の伴奏も充実したものであった。

休憩を挟んで後半。
まずゴリが指揮棒を片手に現れ(ゴリは左利きなので左手に指揮棒を持っている)、指揮台に上がって指揮を始める。曲はオッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」より“カンカン”。右手で意味のないところを指したりするが一応整った演奏にはなった。ゴリは拍手を受けて得意そうにするが、相方の川田が「いやいや、京響の方々が合わせてくれたんだから」と突っ込む。ゴリは「指示だそうとすると京響の方々が苦笑いするんです」と述べる。

後半は、伴奏クイズで始まる。有名曲の主旋律を抜いて演奏し、その曲がなんというものかをお客さんが当てる。ちなみに下野は指揮を教えているが、部分だけを演奏して学生が曲を当てられないとどつきまわすそうである(本当かどうかは知らない)。
子供向けのコンサートなので、当てるのは当然、子供の役目である。最初の曲はわかりやすく、多くの子供が手を挙げ、「喜びの歌」(ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」第4楽章)と正解を出す。
次の曲も弦楽による伴奏が先に出ることからわかりやすく、「白鳥の湖」(より情景1)と正解が出る。
第3曲は、旋律も対旋律もなしの、内声部なしのもの。なかなか正解が出ないが、「モルダウ」と正解が出る。合唱をやっている高校生のようで、「モルダウ」は合唱曲の定番でもあるため、和音進行でわかったようだ。
最後となる4曲目であるが、そもそも旋律に聞き覚えがない。「ドヴォルザークの交響曲第5番」という人がいて不正解になるが、正解はドヴォルザークの交響曲第4番第1楽章であり、聴いたことはあっても覚えている人はまずいない(覚えたくなるような曲でもない)マニアックな楽曲であった。京響の団員でもこの曲を知っている人はいないそうである(プロのクラシック演奏家よりもクラシック音楽好きの人の方が楽曲知識に関しては広いのが普通であるが)。ドヴォルザークの交響曲第5番と言った人がいたことで、下野は「流石だな」と思ったそうである。ちなみに賞品は、下野が自身の指揮棒に「おざわせいじ」と平仮名でサインしたもので、発表した途端にガレッジセールの二人から「それ駄目ですよ」と突っ込まれていた。下野はドヴォルザークの交響曲第5番と言った人に「小澤征爾先生に見つかると、どつかれるので気をつけて下さい」と注意する(?)

ラストはラヴェルの「ボレロ」。アルトサックスとテナーサックスが加わるのだが、二人とも客演奏者である。チェレスタにはお馴染みの佐竹祐介が加わる。
下野はビートを余り刻まずに指揮していたが、トランペットが加わる直前にアッチェレランドし、盛り上げる工夫をしていた。やや不自然なので私は上手く乗ることが出来なかったが。
ソロパート担当者が立ち上がった拍手を受け、最後に「ボレロ」では最も大変なパートとされるスネアドラムを叩いた福山直子に盛大な拍手が送られる。

アンコール。今度は、ドヴォルザークのチェロ協奏曲でソリストを務めた山本裕康が指揮棒を片手に登場。三度、オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」より“カンカン”が演奏される。山本の指揮であるが、かなりいい加減。普通なら指揮棒を振り下ろすところで逆に振り上げたりしたいる。完全にオーケストラ任せである。下野とガレッジセールの二人はポンポンを手にして登場し、下野はヴィオラ首席奏者の小峰航一にもポンポンを渡し、一緒に脚を上げて踊っていた。

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2019年8月20日 (火)

コンサートの記(586) 久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ2019京都公演

2019年8月11日 京都コンサートホールで

午後5時から京都コンサートホールで、久石譲&新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラ2019京都公演を聴く。新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラであるが、組織としては新日本フィルハーモニー交響楽団と同一である。コンサートマスターは豊嶋泰嗣。

全曲、久石譲作品が並ぶというプログラム。前半が、組曲「World Dreams」(世界初演)、Deep Ocean。後半が、[Woman]for Piano,Harp,Percussion and Strings(改訂初演)、Kiki's Delivery Service Suite(交響組曲「魔女の宅急便」。世界初演)。全曲、久石譲の指揮。久石譲は、Kiki's Delivery Service Suiteの一部ではピアノも担当する。

全曲、ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏である。


世界初演となる組曲「World Dreams」は久石らしいリリカルな作風である。「ベートーヴェン交響曲全集」なども完成させている久石であるが、指揮者として誰かに師事したということはないはずなので、基本的には拍を刻むオーソドックスな指揮を見せる。なぜか小指を立てて指揮棒を握っているのが妙に印象的である。

今回のツアーにはAプログラムとBプログラムがあり、京都公演ではBプログラムが演奏されるのだが、Aプログラムとの違いは2曲目のみである。
その2曲目のDeep Oceanは、グラハム・フィットキン作品を思わせるミニマルミュージックでこれまた現代音楽家としての久石譲の王道を行く作品である。9曲からなるのだが、5拍子の曲が目立つ。久石は5つの拍を、三角形を描く拍と上下の二つに分けて指揮した。


[Woman]for Piano,Harp,Percussion and Strings。1曲目は「草の想い」、2曲目は「崖の上のポニョ」の旋律を元にした作品である。久石オリジナルの現代音楽を目的に来たのだが、お馴染みの久石メロディーを聴くとやはり楽しい。
3曲目は「Les Aventuriers」の新編曲。久石作品の中では評価が高い曲のようだが、私は本格的に聴くのは初めてだと思う。


ラストとなるKiki's Delivery Service Suite(交響組曲「魔女の宅急便」)。クラリネット奏者、トランペット奏者、トロンボーン奏者が立って演奏するなど、ソロ的な見せ場があり、コンサートマスターの豊嶋泰嗣にもソロが用意されている。マンドリンやアコーディオンを入れた編成で、幼時へのノスタルジアが掻き立てられるような仕上がりとなっていた。「魔女の宅急便」は、架空のヨーロッパを舞台とした映画とされているが、久石が書いた音楽は、スタジオジブリ作品の中でも日本人の琴線に最も触れやすい旋律に満ちている。


アンコールとしてまず久石譲のピアノによる「あの夏へ」が演奏される。懐かしくも切ない思い出も多い今の季節に最も相応しい楽曲である。

アンコール2曲目は、「ハウルの動く城」のために書かれた「Merry-go-round(人生のメリーゴーランド)」。聴き手の想像がどんどん広がっていくような曲と演奏である。


渡邉暁雄によってアメリカのオーケストラを目標に組織された日本フィルハーモニー交響楽団を前身とする新日本フィル。日フィル争議によって小澤征爾と共に日本フィルハーモニー交響楽団を飛び出したメンバーによって結成されているが、残されたメンバーによって市民のための楽団として再スタートした現在の日本フィルよりも新日本フィルの方がよりアメリカ的な音楽スタイルを指向しているように思われる。小澤征爾が長きに渡ってボストン交響楽団の音楽監督を務めていたことと関係があるのかどうかはわからないが、映画音楽をベースとした作品の演奏には、やはりアメリカ的な感性を追求するオーケストラが合っており、今日も艶のある音色と明るい響きによって久石作品に込められた夢を広げていた。


ポピュラー系の聴衆が多いということもあってか、客席はほぼオールスタンディングとなり、新日フィルのメンバーが下がってからも久石譲が一人現れて喝采を受けるという、俗にいう一般参賀も行われた。久石譲は大袈裟に手を振って笑いを誘っていた。

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2019年8月 2日 (金)

コンサートの記(581) ジョン・アクセルロッド指揮 京都市交響楽団第592回定期演奏会

2015年7月19日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都市交響楽団の第592回演奏会を聴く。今日の指揮者はアメリカ出身のジョン・アクセルロッド。

アクセルロッドと京響の共演は3回目。実は最初の客演の時はアクセルロッドが京都に来られないということでキャンセルになり、その約半年後にアクセルロッドが来日して、当初予定されていた定期演奏会と同じ演目で演奏会が行われ、好評を得た。外国人指揮者で京響の指揮台に頻繁に立つ人は稀であり、アクセルロッドが京響のメンバーから支持されていることがわかる。


今日は、「海」をテーマにしたプログラム。ブリテンの歌劇「ピーター・グライムズ」より「4つの海の間奏曲」、ドビュッシーの交響詩「海」、リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」が演奏される。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。今日は3曲ともコンサートマスターによるヴァイオリン独奏があり、泉原は大活躍する。フォアシュピーラーは渡邊穣。オーボエ首席奏者の高山郁子は前後半共に出演。フルート首席の清水信貴、クラリネット首席の小谷口直子は今日も後半のみの出演である。トランペット首席のハラルド・ナエスはドビュッシーの「海」からの出演となったが、「海」ではトランペットではなくコルネットを稲垣路子と共に吹いた。前半のトランペット首席の位置には早坂宏明が座る。後半はハラルド・ナエスが首席の位置に着座して演奏した(早坂は後半は出演せず)。

午後2時10分頃からアクセルロッドによるプレトーク(通訳:尾池博子)がある。アクセルロッドは「今月は特別な月です。祇園祭があり、海の日があり、また台風によるお出迎えがありました」と言って笑いを取る。今日取り上げる3曲にはいずれも嵐の海の描写が登場する。
アクセルロッドは、ブリテンの「4つの海の間奏曲」についてはベートーヴェンの楽曲との類似性を語り、ドビュッシーの「海」については「新しいハーモニーの誕生」と評価し、リムスキー=コルサコフ「の「シェエラザード」についてはハッピーエンドで終わる内容に言及する。ブリテンの「4つの海の間奏曲」は嵐を描いた4つめの間奏曲の後で主人公のピーター・グライムズが死んでしまうため5つ目の曲は登場しないと語り、「シェエラザード」との違いを明確にする。

今日はアクセルロッドは全曲ノンタクトで指揮。譜面台に総譜を置いてめくりながら指揮するが、譜面はたまに確認するだけであり、ほとんどは頭に入っているようである。
指揮姿は拍を刻んだり、手で空中に円を描いたりと多彩。たまにダンスのように体を激しくくねらせ、彼がレナード・バーンスタインの弟子であることを再確認させる。

ブリテンの歌劇「ピーター・グライムズ」から「4つの海の間奏曲」。イギリスが生んだ初の天才作家といわれるベンジャミン・ブリテンの音楽は詩情とマジカルな響きに満ちている。神秘的な音楽であるが、京響はそうした音楽を再現するのに相応しい輝きのある音を奏でる。
アクセルロッドと京響によって生み出される演奏はスケールが大きく、音の潮の中に聴衆を巻き込んでいく。

ドビュッシーの交響詩「海」。フランス語圏のオーケストラで聴くとエスプリに満ちた音が耳を楽しませてくれるが、京響は音に潤いはあるものの、グラデーションに関してはそう多彩ではない。
京響のメカニックは高く、トランペットがちょっと躓くミスがあったが、それも気が付かない人は気が付かない程度であり、質の高い演奏が繰り広げられる。

リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」。この曲は京響常任指揮者の広上淳一が得意としており、彼の常任指揮者就任記念演奏会で演奏され、その数年後に京響の大阪公演でも「シェエラザード」は取り上げられている。
広上指揮の「シェエラザード」はスケール豊かで優雅さと迫力を兼ね備えたものであったが、アクセルロッドの指揮する「シェエラザード」はより切迫感がありダイナミック。たまに音の流れが悪いところが散見されるが、全体としては優れた演奏となる。泉原のヴァイオリンソロはスケールよりも美しさを優先させたものであり、手弱女的なシェエラザードであった。
金管は輝かしく、木管には品がある。弦楽の響きも充実。打楽器奏者達が生む音にも迫力がある。

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2019年7月21日 (日)

コンサートの記(576) 沼尻竜典指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2014(年度)「VIVA!オーケストラ」第4回「オーケストラと指揮者」

2015年2月8日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2014(年度)~こどものためのオーケストラ入門~『VIVA!オーケストラ』第4回「オーケストラと指揮者」を聴く。「こどものためのオーケストラ入門」とあるが、曲目は大人向けである。親子で楽しめるコンサートであるが、子供が楽しむには曲目が難しすぎるかも知れない。

今日の指揮者は沼尻竜典。ナビゲーターはロザンの二人である。

曲目は、ビゼーの「カルメン」組曲第1番、「カルメン」前奏曲の子供による指揮者体験、サン=サーンスの序奏とロンド・カプリチオーソ(ヴァイオリン独奏:黒川侑)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」


今日のコンサートマスターは泉原隆志。渡邊穣は降り番で、フォアシュピーラーは尾﨑平。首席オーボエ奏者は前半後半共に高山郁子が務めるが、首席フルートの清水信貴と首席クラリネットの小谷口直子は、後半のストラヴィンスキーのみの参加である。

天井から舞台の上にスクリーンが降りている。今日は「オーケストラと指揮者」というタイトルなので、指揮者の姿を正面から捉えた映像をスクリーンに映し出して、指揮者が何をしているのか見えるようにするという趣向である。指揮者と対面するP席では居ながらにして指揮者が正面に見えるのでスクリーンを見る必要はない。ただ、スクリーンを降ろした関係上、P席の座席数は通常より少なくなっている。

ビゼーの「カルメン」組曲第1番。第1曲である前奏曲(2つ目の前奏曲である)~アラゴネーズでは、弦は美しい音を出したものの、トランペットなどは能天気な音を出しており、沼尻の音楽の浅さか露わになってしまっていた。
間奏曲では、フルートの息継ぎの仕方が今一つ。前半もフルートが清水信貴であったら、こうはならなかったと思うが。
演奏終了後にロザンの二人が現れ、菅広文が「沼尻さんは楽器を何かされるんですか?」と聞き、沼尻が「ピアノを」と答えると、「沼尻さんが楽器出来ない思ってたんか?」と宇治原史規に突っ込まれる。菅は「指揮者の出演料って高いんですか?」と沼尻に聞く。沼尻は「そんなに高くないです。(コンサートマスターの泉原を指さして)あの人は高いと思います」と言う。ということで菅は泉原に「お給料高いんですか?」と聞き、泉原が首を横に振ると、更に「いくらぐらい?」と聞く。泉原は手を振って「ダメダメ」とやっていた。菅は「横にいる人(尾﨑平)より多く貰っているわけですね」と続ける。
ちなみにロザンは収入は折半制度としているそうで、宇治原のクイズ番組出演料も折半、菅の著書の印税も折半しているという。宇治原がクイズ番組に出演している時は、菅はテレビの前で本気で応援しているそうだ。


続いて、子供による指揮者体験コーナー。手を挙げた9歳の女の子と5歳の男の子が選ばれる。指揮するのは「カルメン」前奏曲(第1の前奏曲)である。沼尻が指揮の仕方を教え、まず9歳女の子がやってみる。4分の2拍子で棒を振ること自体は簡単である。女の子は普通の速さで振ったが、幼児であり背が小さいため、後ろの方の奏者は指揮棒が見えにくいようであった。女の子は合唱をやっているため、指揮者の姿は見慣れているそうだ。

5歳の男の子の指揮。普通の速さで入るが、途中で大幅に減速し、最後で急激に速度を上げる。京響の奏者達はただでさえ指揮棒が見えにくいのに速度までぶれるので大変そうであった。
菅が男の子に「将来何になりたいの?」と聞くと男の子は「お相撲さん」と答える。菅は「場所の間に指揮の仕事も出来ますね」と言い、沼尻も「(力士を)引退してからやってもいいです」と話してた。


サン=サーンスの序奏とロンド・カプリチオーソ演奏のために、弦楽奏者らが退場するが、菅は「皆さん、いなくなりましたけど、これはリストラですか?」とボケる(基本的に面白いことは菅しかいわない)。

ヴァイオリン独奏の黒川侑が現れると、菅は「おぼこいですね」と言う。菅が年齢を聞くと、黒川は「25歳です」と答える。ロザンの二人は「あー、やっぱり若いんだ」と納得する(?)。

黒川のヴァイオリンは音色が美しい。スケールがやや小さく、情熱も不足気味なので、それが今後の課題となるだろう。


ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。演奏前のトークで、沼尻が「春の祭典」の初演時、聴衆の中にこの曲を音楽と認めない人がおり、怒号も飛び交ったという有名なスキャンダルを紹介する。沼尻は、ステージ上手奥に設置された電子ピアノを弾いて、通常の音楽の場合は旋律と和音があるが、「春の祭典」の場合、メロディーが奏でられる楽器をリズム楽器のように使っており、それが反発を招いたのではないかと推測する(なお、一大スキャンダルとなったのはディアギレフのバレエ団による上演であり、その直後に行われたコンサートでの「春の祭典」初演は成功しているため、バレエ初演の失敗が音楽ではなくバーバリズムを題材にした内容や振付にあったのではないかという説もある。一方で、バレエ公演の指揮者を務めたピエール・モントゥーは、事前にストラヴィンスキーと会って、「春の祭典」をピアノで弾いて貰ったが、「一音符も理解出来なかった」と述懐しており、先程曲が演奏されたサン=サーンスは「ファゴットの扱い方を知らない奴が現れた」と日記に怒りをぶちまけており、音楽が理解不能と感じた人も少なくなかったことが察せられる)。

演奏であるが、一定のステールできちんとまとめるといういかにも沼尻らしいものであった。沼尻の演奏は外れは少ないのだが大当たりすることも稀なように感じる。指揮は分かり易いのだが、整えることが目標になっているような気もしてしまう。

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2019年7月16日 (火)

コンサートの記(574) 下野竜也指揮 京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第161回定期演奏会

2019年7月11日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第161回定期演奏会を聴く。指揮は京都市立芸術大学指揮科教授の下野竜也。

曲目は、ベートーヴェンの交響曲第2番、チャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」(チェロ独奏は、音楽学部弦楽専攻4回生の舘野真梨子)、ドビュッシーの交響詩「海」

海の日が来週に迫っているということもあるのか、「海」をメインに持ってきたプログラムである。日本の音楽教育は今もドイツ偏重の嫌いがあるため、フランスものやロシアものもちゃんと弾いていこうという意図もあるのかも知れない。

他の国については具体的には知らないが、日本の音楽教育は高校でも大学でも女子が中心となっている。今日もステージ上は9割以上が女子である。ヴァイオリンやヴィオラで男子学生を見つけるのは「ウォーリーを探せ」状態。管ではトランペットやテューバなどでは男子学生も多いが、その他はやはり女性優位。近年、プロオーケストラのホルン奏者に優秀な女性奏者が目立つが、京都市立芸大オーケストラのホルンパートも大半が女性で占められている。
ただ、客席には男性が多いというのが、クラシックの逆転現象である。もっとも、国を問わず、クラシック音楽ファンは圧倒的に男性が多い。

ホワイエで見覚えのある女の子を見掛けたが、多分、「テラの音(ね)」に出演していた声楽科の子だと思われる。京都市立芸大の学生だけでなく、制服を着た高校生も男女ともに多いのが、今回の演奏会の特徴でもある。

 

ベートーヴェンの交響曲第2番。
第1楽章などは学生オーケストラであるためパワー不足は否めず、内声のホルンが迷走する場面もあったりしたが、若い人達による瑞々しい響きが好感を抱かせる。「ベートーヴェンの青春の歌」ともいわれる第2楽章も爽やかでチャーミングに歌われる。
ヨーロッパの高等音楽機関では、今ではHIP(歴史的演奏法)が必修になっているはずだが、日本はそこまでではないのか、今日も特にHIPらしき要素は見られない。
下野の指揮はリズミカルな音運びが特徴で、第4楽章などは学生達もとても楽しそうに演奏し、ノリノリとなった。

 

チャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」。チェロ独奏の舘野真梨子(たちの・まりこ)はオーディションを勝ち抜いて選ばれたようだ。富山県立呉羽高等学校音楽コース出身。第28回クラシック音楽コンクール大学の部チェロ部門第4位、2019年小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトに参加、2016年ベストオブアンサンブルin金沢合格、2017年ルーマニア国際音楽コンクール・セバスチャン賞受賞などの実績がある。

舘野真梨子であるが、長身で肩幅も広く、音楽家というよりもスポーツ選手のような雰囲気を出している。技術は高く、表現力も豊かで良いチェリストである。
下野指揮の京芸オーケストラはコンサートミストレスもトップの顔ぶれなども変わったが、潤いのある輝かしい音を奏でていた。

場面転換のため、チャイコフスキーとドビュッシーの間に下野のトークが挟まれる。
「ご記憶に新しいと思いますが、先程まで指揮をしていた者です」と冗談でスタート。「ちょっと受けたのが嬉しいです」
下野は京都市立芸術大学の教授になってから3年目だが、「将来、オーケストラに入るかどうかはわかりませんが、入った場合の礎となるように」ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの曲をしっかりやろうという計画を立てており、今日もベートーヴェンの交響曲第2番を入れている。「『英雄』のような派手な曲ばかり注目されますが」もっと若い頃の作品もちゃんとやろうということで、前回は交響曲第1番、今回は第2番を演奏した。チャイコフスキーは、ロシアの中では西洋を向いていた作曲家と見なされており、シューマンやブラームスなども目標としていた、ということでドイツのロココの時代をモチーフにした曲を選んだそうである。ロシア人の指揮者は口を揃えて、「ロシア人以外の指揮者がチャイコフスキーを振るとベタベタし過ぎる」と語るそうだが、下野は「そっちだって結構ベタベタ」と感じているそうだ。
ドビュッシーの「海」は形にするだけでも難しい曲だが、ドビュッシーもやっておかねばならないということで挑戦の意味も込めて選んだようである。

 

そのドビュッシーの交響詩「海」。ハープは学生ではなく、京響ファンにはお馴染みの松村姉妹が務める。学生相手の指揮ということもあってか、下野は主題を浮き上がらせるような音楽作りをする。わかりやすくはある。3つの楽章全てで力尽くの場面が見られたが、プロのオーケストラ相手ではどうなるのか気になる。学生オーケストラということで強引にドライブした方が形にはなりやすいだろうから。
京芸の学生達も技術はかなりあり、フランス音楽的な表現力とは異なるかも知れないがパワーや音の煌めきなどにも長けている。下野の骨格のしっかりした音楽作りもあって、強引さはあっても聴かせる仕上がりにはなっていた。

演奏終了後、一度引っ込んだ下野は抜き足差し足で再登場、コンサートミストレスの肩を後ろから叩き、一人で立たせて拍手を受けさせるなど、茶目っ気を見せていた。

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