カテゴリー「びわ湖ホール」の8件の記事

2019年1月13日 (日)

観劇感想精選(283) 紺野美沙子の朗読座「新春公演2019 源氏物語の語りを愉しむ ―紫のゆかりの物語」@びわ湖ホール

2019年1月5日 びわ湖ホール中ホールにて観劇

午後2時30分から、びわ湖ホール中ホールで、紺野美沙子の朗読座の公演「新春公演2019 源氏物語の語りを愉しむ ―紫のゆかりの物語」を観る。出演は、紺野美沙子(朗読とおはなし)、陣野英則(解説。早稲田大学文学学術院教授)、中井智弥(二十五絃箏、箏)、相川瞳(パーカッション)。演出は篠田伸二。

『源氏物語』から、第一ヒロイン的存在である紫の上(紫式部という通称の由来とされている)を中心とした恋物語のテキスト(早稲田大学名誉教授である中野幸一による現代語訳である『正訳 源氏物語』を使用)を用いた朗読公演である。


まずオープニング「新春を寿ぐ」と題した演奏がある。中野智弥作曲・演奏による箏曲「プライムナンバー」という曲が演奏され、その後、主役である紺野美沙子が現れて、中野とトークを行う。紺野美沙子は『源氏物語』ゆかりの帯を締めて登場。その写真が後方のスクリーンに映される。昨日、西宮の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで公演を行ったのだが、「もっと近くで帯の柄を見たい」という声があったため、今日は写真をスクリーンに投影することにしたそうである。前側が「浮舟」、後ろ側がおそらく葵祭の車争いの場面の絵柄である。着物の柄も平安時代を意識したもので、貝合の貝を入れる貝桶の絵が鏤められている。紺野は、『源治物語』の現代語訳を多くの人が行っているという話をするが、瀬戸内寂聴の紹介は物真似で行っていた。
中野が、「プライムナンバー」という曲名の解説を行う。「プライムナンバー」は「素数」という意味で(紺野美沙子はにこやかに、「素数。ありましたね」と語る)、4分の2拍子、4分の3拍子などの2や3が素数であると語り、素数の拍子を用いたこと、また箏は13弦で13は素数であることなどを語る。

ちなみに、『源氏物語』の主人公である光源氏は箏の名手であり、演奏を聴いた女性達が涙を流して感動したという話を中野がすると、紺野は、「あら? じゃあ、中野さんは、平成の光源氏?」と冗談を言い、中野も「そうだと嬉しいんですが。ローラースケートを履いてる方(光GENJI)じゃなく」と冗談で返す。紺野は、「次の時代もご活躍を」と更に畳みかけていた。

それから、二十五絃箏の紹介。邦楽は通常はペンタトニック(五音階)であるが、二十五絃箏は西洋のドレミの十二音階を奏でることが出来るそうである。

その後、パーカッショニストの相川瞳も登場。今日は25種類の打楽器を使うそうで、日本生まれの打楽器として木魚と鳥笛を紹介していた。

紺野美沙子は、有閑マダム層が使うような言葉遣いであったが、意識していたのかどうかはわからない。


その後、第1部のトークセッションに移る。ゲストは早稲田大学文学学術院教授の陣野英則。今日使用するテキストの現代語訳を行った中野幸一の弟子だそうである。
陣野は、『源氏物語』を長編大河小説と位置づける(紺野美沙子 「橋田壽賀子もびっくり」)。1000年前にこれほど大部の恋愛フィクションが書かれた例は海外にも存在せず、しかも作者が女性というのが凄いという話になる。海外ではこの時代、歴史書や叙事詩、戦争物や回顧録、エッセイ、日記文学などは書かれていたが、大部のフィクションの名作が現れるのはずっと後になってからである。

『源氏物語』がわかりにくいのは、古文ということもあるが、人間関係が入り組んでいるということを上げる。登場人物は450名ほどに上り、主人公の光源氏があちらと関係を持ち、こちらとも契りを結びということをやっているため、男女関係が滅茶苦茶になっている。ただ、陣野によると光源氏が素晴らしいのは、関係を持った全ての女性の面倒を見ることだそうで、ドン・ファンなど他の好色家には見られないことだとする。
スクリーンに人物関係図や男女関係図を投影しての説明。わかりやすい。
紺野美沙子は、「私、慶應義塾大学文学部国文科卒ということで、色々わからないといけないんですが、資料が多いもので、大和和紀先生の漫画『あさきゆめみし』で読んだ」と伝えると、陣野は、「今の学生は、ほぼ全員、『あさきゆめみし』から入っています」と答えていた。


第2部が今日のメインとなる「朗読と演奏」になる。

二十五絃箏の中井智弥は、東京藝術大学音楽学部邦楽科卒。伝統的な箏や地歌三絃の演奏も行いつつ、二十五絃箏の演奏をメインに行っている。2016年には三重県文化奨励賞を受賞。

パーカッションの相川瞳も東京藝術大学音楽学部出身。2007年にブルガリアで開催されたプロヴディフ国際打楽器コンクールDuo部門で2位入賞(1位なし)。大友良英 with あまちゃんスペシャルビッグバンドのメンバーとして紅白歌合戦に出場したこともあり、2019年の大河ドラマ「いだてん」オープニングテーマの演奏にも加わっている。

「いづれのおんときか女御更衣あまたさぶらいける中に、いとやんごとなききわにはあらねど、すぐれてときめきたもふありけり」の出だしからスタート。
光源氏と紫の上の出会い(といっていいのかな?)である「若紫」、光源氏と紫の上との初枕が出てくる「葵」、光源氏が須磨へと下り、紫の上と離ればなれになる「須磨」、源氏と結ばれた明石の君と、明石の姫君が大堰へと上る「松風」、光源氏と帝の娘である女三の宮が結婚することになるという「若菜上」、紫の上がみまかる「御法」と光源氏の死が暗示される「幻」の各帖から選ばれた文章が読まれ、和歌とその現代語訳が読み上げられる。映像も多用され、想像力の補完を行う。

紺野美沙子の朗読に凄みはないが、的確な読み上げは流石は一流女優の技である。テキストの背後にある心理をもさりげなく炙り出してみせる。

紫の上という女性の「女であることの哀感」と、光源氏の紫の上への愛と、愛するが故の切なさがありありと伝わってくる朗読であり、聞いていて一途に悲しくなったりもする。これが大和心の真髄の一つである「もののあはれ」だ。
哀しみと同時に、日本という国で生まれ育ったことの喜びが胸を打つ公演でもあった。


バラ色に彩られた雲が覆う琵琶湖の湖畔を歩いて帰途に就く。


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2018年11月26日 (月)

観劇感想精選(269) こまつ座第124回公演「母と暮せば」

2018年11月17日 びわ湖ホール中ホールにて観劇

午後2時から、びわ湖ホール中ホールで、こまつ座第124回公演「母と暮せば」を観る。山田洋次監督の同名映画の舞台化。原案:井上ひさし、作:畑澤聖悟(はたさわ・せいご)、演出:栗山民也。出演:富田靖子、松下洸平。

上演時間約80分の一幕もの二人芝居。舞台転換、休憩共になしである。


1948年8月9日の長崎。助産婦をしている母・伸子(富田靖子)が食事をしていると、亡くなったはずの息子・浩二(松下洸平)が現れる。幽霊と知りながら息子に接する母は、浦上にある官立長崎医科大学に通っていた息子の最期の様子などを知る。実は母は助産婦を辞めていた。その理由を息子に言い当てられ……。

戦争の悲惨さと、原子爆弾の残虐さを照射する作品である。戦争が終わり、長崎にやって来た米兵達は、被爆者を標本としてしか扱わず、自らの行いを虐殺とは思っていない。クリスチャンである信子は、原爆を運命だと受け入れようとするシスター達に反発を覚える。

世界から取り残されつつある母親に寄り添う息子、そして生きることと、生を司る助産婦として命のバトンを受け継ぐことを決意する母親の姿に心温まるものや清々しさを感じるのだが、「その後」を想像するとやりきれない思いも感じる(映画とはラストが異なる)。
長崎で起こったことを風化させないという意思が感じられる物語であり、被害者であるにも関わらず虐げられる被爆者達が、キリシタンの姿と重ね合わされ(親子は「耶蘇はおくんちにも精霊流しにも出るな!」と差別された経験があるそうだ)、人間の業を告発する。
そんな中にあって、母親役の富田靖子の声や雰囲気の温かさに心が和らいだ。


本編上演後にポストパフォーマンストークがある。出演は、こまつ座代表の井上麻矢(井上ひさしの三女)、富田靖子、松下洸平の3人。東京ではアフタートークという名称だったそうでで、松下は「パフォーマンスって、なんか踊ったり歌ったりしなきゃいけないみたい」と言っていた。

松下は琵琶湖を見るのは今回が初めてとなるそうで、大津港に大噴水があり、夜にはライトアップされている姿を見て「シンガポールみたい」と思ったそうである。
富田靖子は、舞台出演が7年ぶりということで、「次に舞台の仕事が来たらどんな舞台でも受けよう」と思っていたそうだ。
実は、前の公演からびわ湖ホール公演まで2週間開いたそうで、母と息子が久しぶりに会うという設定にピッタリだったのだが、松下は気がせいて、登場シーンから一気に語りかけてしまい、今回の上演が今までの最短上演記録となったそうだ。
松下は富田の第一印象について、「話しかけやすそう」と感じたそうだが、富田もそれは自覚しているそうで、よく道を聞かれるらしい。
富田は「母と暮せば」の物語について、「どうぞしっかり受け取って下さい」と観客に訴えかけていた。



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2018年11月19日 (月)

観劇感想精選(267) 「野村万作・野村萬斎狂言公演『舟渡聟』『小傘』」@びわ湖ホール

2018年11月10日 びわ湖ホール中ホールにて観劇

午後5時から、びわ湖ホール中ホールで「野村万作・野村萬斎狂言公演 『舟渡聟(ふなわたしむこ)』 『小傘(こがらかさ)』」夜の部を観る。

野村万作と萬斎の親子がびわ湖ホールで毎年行っている狂言公演。今回は萬斎の長男である野村裕基(ゆうき)が参加し、三世代揃い踏みとなる。


舞台の上に背面が松の木の能舞台が再現されている。午後5時を過ぎると野村萬斎が一人で登場し、初心者でもわかるようにとプレトークを行う。萬斎が「ありがたいことに。びわ湖ホールがオープンしてから毎年来させて頂いております。ひょっとして毎回来ているという方いらっしゃいますか?」と聞くと手を挙げる猛者がいた。


まず、能舞台の紹介を行った(「こちらが橋懸りというものでして、こちらがミニステージのようなもの。“Bridge and Mini Stage.”、英語で言っただけです何も変わりません」)後で「舟渡聟」の解説。大津が舞台の曲であり、他の狂言では「この辺りに住まいいたす者でござる」というのが一般的だが、この曲では「これは矢橋の浦に住まいいたす船乗りでござる」と具体的な自己紹介を行うのが特徴である。ちなみに萬斎は、「この8月には北京で、9月にはパリで『この辺りに住まいいたす者でござる』と言ってのけた」そうである。
その他に、「狂言で座っている人は無視していい」などの約束事を解説する。
舟の操縦についてだが、「エア」という言葉を萬斎は強調。午後1時からの昼の部の公演でプレトークを行っている間に、「エアでもエアプレインとエアボートは違う」と思いついたそうで、「ハイジャックはパイロットを揺するが、エアボートは船頭が率先して揺する」ことを述べていた。
京都を拠点にしている狂言大蔵流にも「舟渡聟」はあるのだが、展開が違い、シチュエーションの面白さには乗らないものになっているそうで、「『舟渡聟』は和泉流の方が面白い」という。

「小傘」は、博打に溺れて一文無しになった男がニセ僧侶になるという話である。「僧侶になれば食えるんじゃないか」という発想で安易に僧になり済ましたところ、折良く堂守を募集している人と出くわす。往事はインターネットも何もないので、街道に出て目に付いた人をスカウトするのが一般的である。運の要素が今よりも強い。
僧侶になり済ましたはいいが、経典は読めない。そこで、男は賭場で覚えた「傘の小唄」をいかにも経を読んでいるように唱えることでやり過ごそうとするのである。
「そんな無教養な人でも念仏は知っている」ということで、「なーもーだー」という念仏を萬斎が謡い、
萬斎 “Repeat after me.”
で観客が後を追うというワークショップのようなものを行う。萬斎は、「歌に自信がある人は一緒に謡って欲しい」と言ったが、本編では謡うよりも観ている方が楽しいという類いのものだったので、謡う人はほとんどいなかったように思う。


「舟渡聟」。聟を演じるのが野村裕基である。公文式のCMで親子共演も果たしているので、お馴染みの存在になりつつある。見るからに「才子」といった感じの萬斎とは違って優男風であるが、声は父親によく似ている。
まだ19歳ということもあって狂言方としては駆け出しですらなく、「舟渡聟」も初役だそうである。
潜在能力はともかくとして、現時点では演じるどころか役に振り回されている感じだが、持って生まれた品の良さが強く感じられ、今後が楽しみな存在である、というより萬斎の息子なのだから将来の狂言界を背負って立つのは当たり前という世の認識もあるだろう。プレッシャーも凄まじいだろうな。

船頭を演じるのは祖父の野村万作。やはり芸の深さが違う。


「小傘」。野村萬斎は、僧の小唄を思いっ切りユーモラスに謡う。普通はばれそうなのに、疑うということを知らない田舎者達の素直さと滑稽さも見物となる。
学生時代はバンドを組んでいたこともあるという野村萬斎。踊り念仏の場面でのリズム感の良さは、そうした経験が生きているのかも知れない。知らんけど。
ちなみに、ニセ僧侶が言うことには、「小傘こそ最高の仏具」だそうで、後光を表しているのだという。勿論、口から出任せである。


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2018年10月16日 (火)

コンサートの記(437) フォーレ四重奏団来日演奏会2018大津

2018年10月7日 びわ湖ホール小ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール小ホールでフォーレ四重奏団の来日演奏会を弾く。

フォーレを名乗っているが、ドイツ・カールスルーエ音楽大学出身者のドイツ人達によって結成された団体であり、弦楽四重奏団ではなくピアノ四重奏団である。常設のピアノ四重奏団は世界的にもかなり珍しい。

マルタ・アルゲリッチを始めとする多くの音楽家から高く評価されており、2006年には名門ドイツ・グラモフォン・レーベルと契約し、リリースしたCDはいずれも好評を得ている。

メンバーは、エリカ・ゲルトゼッツアー(ヴァイオリン)、サーシャ・フレンブリング(ヴィオラ)、コンスタンティン・ハイドリッヒ(チェロ)、ディルク・モメルツ(ピアノ)。

曲目は、フォーレのピアノ四重奏曲第1番、シューマンのピアノ四重奏曲変ホ長調、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(グレゴリー・グルズマン&フォーレ四重奏団編曲)。

びわ湖ホールは大ホールにも中ホールにも何度も来ているが、小ホールに入る機会は余り多くない。幸田浩子のソプラノリサイタルと、平田オリザやペーター・コンヴィチュニーが参加したオペラに関するシンポジウムで訪れたことがある程度である。

フォーレのピアノ四重奏曲第1番。フォーレ四重奏団が自らの団体名に選んだ作曲家であり、思い入れも強いと思われる。
ディルク・モメルツのフォーレによくあったピアノの響きが印象的である。フォーレというと「ノーブル」という言葉が最も似合う作曲家の一人であるが、それ以外の影の濃さなども当然ながら持ち合わせている。フォーレ四重奏団は音の輪郭がシャープであり、音楽の核心を炙り出す怜悧さを持っているが、アルバン・ベルク・カルテットに4年間師事していたそうで、「道理で」と納得がいく。

シューマンのピアノ四重奏曲変ホ長調。ノスタルジックな曲調であり、フォーレ四重奏団の叙情味溢れる演奏を行う。ヴァイオリンとヴィオラがハーディ・ガーディを模したような音型を奏でるところがあるのだが、少年時代の憧れが蘇ったような、なんともいえない気持ちになる。

メインであるムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」。ピアノ奏者のディルク・モメルツが、師であるグレゴリー・グルズマンによる同曲のピアノ三重奏版を再編曲したものである。
ピアノのパートもムソルグスキーの原曲とは異なるが、かなり意欲的な編曲となっている。ピアノ独奏による「プロムナード」が雄々しく奏でられ、「こんなに意気揚々と美術館に向かう人などいるのだろか?」と思うが、ある意味、自身の編曲に対する自信の表れなのであろう。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロなどが一音ずつ奏でられたり、ピッチカートの多用、コルレーニョ奏法、ヴァイオリンをミュートにしてのノンビブラート演奏で奏でることで弦楽器らしからぬ響きを出させるなど、特異奏法やヴィルトゥオーゾ的要素、諧謔精神に富んだものとなっている。時代が変わったということもあり、クラシック界でも音楽だけでなくユーモアの精神などで楽しませることの出来る人が多くなった。良い傾向であると思う。頑固な職人タイプの音楽家には逆に生きにくい時代かも知れないけれど

アンコール演奏。まずはフーベルト作曲の「フォーレタンゴ」。弦を強く止めることでギロような音を出すという特殊奏法が用いられている。演奏もノリノリである。

最後は、N.E.R.Oの「ワンダフルプレイス」。チェロのコンスタンティン・ハイドリッヒが英語で客席に話しかけ、口笛で演奏に加わることを聴衆に求める。まずフォーレ四重奏団が4小節ほどの短いメロディーを奏で、聴衆に口笛で吹いて貰う。ハイドリッヒは「僕が左足を上げたら口笛スタートでもう一度左足を上げたらストップね」ということで演奏スタート。私も口笛は得意なので参加。吹けない人は当然ながら聴くことしか出来ない。ハイドリッヒが左足を上げて、聴衆の口笛スタート。良い感じである。ハイドリッヒがもう一度左足を上げて口笛ストップ。良い感じである、と思ったが、なぜか一人だけ吹き続ける人がいて、ハイドリッヒも苦笑いである。終盤になるとハイドリッヒがマイクを持ってボイスパーカッションも披露。ラストは聴衆達の口笛を何度もリピートさせて終わる。

とても楽しいコンサートであった。



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2018年10月15日 (月)

コンサートの記(436) 沼尻竜典オペラセレクション NISSAY OPERA 2018 モーツァルト 歌劇「魔笛」@びわ湖ホール

2018年10月6日 びわ湖ホール大ホールにて

午後3時から、びわ湖ホール大ホールでモーツァルトの歌劇「魔笛」を観る。指揮はびわ湖ホール芸術監督の沼尻竜典。日本センチュリー交響楽団の演奏、佐藤美晴の上演台本と演出で、歌はドイツ語歌唱で日本語字幕付き。セリフは日本語で語られる。今年の6月に日生劇場で行われた公演のキャストを一部変更しての上演である。

元々高校生のためのオペラ作品として作成されたものであり、びわ湖ホールでもまず高校生限定公演が行われ、今日は一般向けの上演となる。

出演は、伊藤貴之(ザラストロ)、山本康寛(タミーノ)、砂川涼子(パミーナ)、角田祐子(夜の女王)、青山貴(パパゲーノ)、今野沙知惠(パパゲーナ)、小堀勇介(モノスタトス)、田崎尚美(侍女Ⅰ)、澤村翔子(侍女Ⅱ)、金子美香(侍女Ⅲ)、盛田麻央(童子Ⅰ)、守谷由香(童子Ⅱ)、森季子(童子Ⅲ)、山下浩司(弁者&僧侶Ⅰ)、清水徹太郎(僧侶Ⅱ)、二塚直紀(武士Ⅰ)、松森治(武士Ⅱ)。合唱はC.ヴィレッジシンガーズ。
ドラマトゥルク:長島確、衣装:武田久美子。

演出の佐藤美晴は、慶應義塾大学大学院修了後、ウィーン大学劇場学科に留学し、シュトゥットガルトオペラ、アン・デア・ウィーン劇場、イングリッシュ・ナショナル・オペラで研鑽を積んでいる。ハンブルク歌劇場で演出助手を務め、現在は東京藝術大学社会連携センター特任准教授と東京大学先端科学技術センター人間支援工学客員研究員を務めている。 第23回五島記念文化オペラ新人賞(演出)を受賞。最近は、東京芸術劇場と石川県立音楽堂の「こうもり」、NHK交響楽団の「ドン・ジョヴァンニ」の演出を担当した。

開演前にオーケストラピットを確認し、バロックティンパニが用いられることを知る。

ピリオド・アプローチを用いた演奏である。びわ湖ホール大ホールは空間が大きいので、ピリオドだと弦楽が弱く感じられ、序曲などは聞こえにくいという難点があったが、オペラの場合は声が主役であるため、全般的には問題なしである。バロックティンパニの強打はかなり効果的であった。

幕が上がる前、舞台の最前列にグランドピアノの小型模型が置かれている。序曲の途中で、三人の童女が次々に幕から顔を覗かせ、五線紙に羽根ペンで音符を書き込みながら戯れる。モーツァルトの化身のようであり、音楽そのものの擬人化のようでもある。

タミーノがスマートフォンを使って今いる場所を検索しようとしたり、「ヘイトやデマ」など、最近はやりのものが色々と登場する。

日本語でのセリフであるが、やはりオペラ歌手達は日本語の演技に慣れていないため、ストレートプレーやミュージカルの俳優に比べると言い回しに拙さは感じられてしまう。またセリフと歌の声のギャップがみな結構凄い。歌のレベルは日本人のみによるオペラとしては高く、満足のいく出来である。

ザラストロの館は、女人禁制のフリーメイソンを露骨に描写したものといわれるだけに、男性キャストしかいないのが普通だが、今回の演出では女性もかなり大勢いるという設定になっている。教団というよりは大企業という感じであり、そのために女性もいてタミーノと引き離されるパミーナにの肩に手を置いて同情的な仕草も見せるのであるが、朝の始業前の掃除をするのは女性だけ、第2幕冒頭に設けられた会議の場で机に座って参加しているのは男性だけで、女性は後ろの方に立ちっぱなしで雑用係(もしくは非正規社員)のようであり、発言権もないようだ。

男と女の対比は、「魔笛」においては重要なので、ザラストロとその配下の男という強者とその他の弱者という対比で行くのかと思われたが、それほど徹底してはいないようであった。音楽そのものが主役という解釈を取っているようなところがあるのだが、「音楽」という言葉は基本的に西洋の言語では女性名詞であることが多く、そこをザラストロと対比させるのも面白いとも思ったが、観念的なことは敢えて避けたのかも知れない。

ただ、倒された夜の女王と三人の侍女の亡骸が幕が下りるまで打ち捨てられたままだったり、やはり倒されたモノスタトスが後方へと去って行くザラストロににじり寄ろうとして力尽きるところなどは、女性や有色人種が置かれている状況を冷徹に描いているともいえる

沼尻の作り出す音楽はいつもながらややタイトであり、モーツァルトだけにもっと膨らみのある音が欲しくなるが、日本センチュリー響のアンサンブルの精度も高く、歌手達の魅力も十分に引き出していた。


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2018年10月 1日 (月)

観劇感想精選(256) 松竹大歌舞伎「義経千本桜」“道行初音旅”&“川連法眼館” 片岡愛之助、中村壱太郎、市川猿弥ほか@びわ湖ホール

2018年9月23日 びわ湖ホール中ホールにて観劇

午後5時から、びわ湖ホール中ホールで、松竹大歌舞伎「義経千本桜」“道行初音旅”&“川連法眼館”(通称:四の切)を観る。

「仮名手本忠臣蔵」、「菅原伝授手習鑑」と並び、歌舞伎の三大演目の一つに数えられる「義経千本桜」。中でも「川連法眼館」は四段目の終わりということで「四の切」の別名でも呼ばれ、単独で上演されることも多い。今回はその前段である「道行初音旅」と続けての上演が行われる。

出演は、片岡愛之助、中村壱太郎(かずたろう)、市川猿弥、中村寿治郎、上村吉弥(かみむら・きちや)、中村松江、市川門之助ほか。

愛之助の佐藤忠信&狐忠信である。

「道行初音旅」は舞踊が中心になるが、愛之助の忠信は動きに無駄がなく、指先に至るまで神経が宿っている。要所要所で飛ばされる「気」のようなものも効果的で、流石は花形歌舞伎俳優である。
静御前を演じる中村壱太郎も細やかな仕草が印象的で、女形としての実力を感じさせる。
三枚目、トリックスターである逸見藤太を演じる市川猿弥の味も良い。「こんなところで愛之助」、「とっとと寄こせば猿弥」という駄洒落も笑える。

「川連法眼館」。歌舞伎対応劇場ではないということもあってか、川連法眼を演じる中村寿治郎のセリフが少し聞き取りにくかったが、進行の上で支障があるというほどではない。愛之助演じる佐藤忠信の凜々しさと、狐忠信の怪しさとコミカルな部分の演じ分けが見物である。

先代と当代の猿之助が演じる宙乗りありの澤瀉屋バージョンが有名だが、今回は別の版(音羽屋版だと思われる)での上演。途中で佐藤忠信が屋敷の奥に姿を見せる場面はなく、ラストも宙乗りではない。愛之助の狐詞も先代と当代の猿之助ほどではないかも知れないが、ユーモラスで愛嬌があり、惹かれる。親を慕う哀切な場面での表現も巧みであり、外連で見せる澤瀉屋版とここで差別化を図っているように思われる。

壱太郎演じる静御前の仕草も美しく、愛らしい。

義経を演じる市川門之助も堂々としており、貫禄と迫力と存在感があった。

ラストでは狐忠信は宙乗りの代わりに舞台中央やや上手側に聳える桜の木に登る。桜の名所である吉野の、今が盛りと咲く華やかさとすぐに散るという儚さを併せ持つ桜と一体になる忠信の構図が、義経を中心とする登場人物達の運命を象徴しているようでもある。

今日は歌舞伎専用の劇場での上演ではないということもあってか、大向からの声はほとんど掛からず、いつもとは違った雰囲気の中での歌舞伎見物となった。



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2018年9月28日 (金)

コンサートの記(430) びわ湖ホール オペラへの招待 モーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」

2018年9月16日 びわ湖ホール中ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール中ホールでモーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」を観る。台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ。園田隆一郎指揮大阪交響楽団の演奏。園田はチェンバロも兼ねる。出演は全員びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバー。ダブルキャストで、今日は、迎肇聡(むかい・ただとし。ドン・ジョヴァンニ)、松森治(騎士長)、飯嶋幸子(いいじま・ゆきこ。ドンナ・アンナ)、坂東達也(ドン・オッターヴィオ)、益田早織(ドンナ・エルヴィーラ)、内山建人(レポレッロ)、宮城島康(みやぎしま・こう。マゼット)、熊谷綾乃(くまがい・あやの。ゼルリーナ)、蔦谷明夫、溝越美詩(みぞこし・みう)、吉川秋穂。合唱指導:大川修司。殺陣:岸本英幸、舞踏振付:樋口裕子。
演出:伊香修吾(いこう・しゅうご)。
原語であるイタリア語での上演、日本語字幕付きである。

初心者でも楽しめる「びわ湖ホール オペラへの招待」としての上演である。第1幕、第2幕共にカットがあり、字幕も子供でも読めるようルビが振られている。子供が観るようなオペラではないと思うが。

演出の伊香修吾は、将来が期待されるオペラ演出家。岩手県生まれ、県立盛岡第一高等学校を経て、東京大学経済学部と同大学大学院経済学研究科修士課程を修了。その後、イギリスのミドルセックス大学大学院舞台演出科修士課程を修了している。これまでにザルツブルク音楽祭、ウィーン国立歌劇場、ウィーン・フォルクスオーパ―、英国ロイヤル・オペラなどの公演に参加。平成20年に五島記念文化賞オペラ新人賞を受賞している。

八百屋飾りの舞台。床も壁もタイル状の外観になっている。これがクライマックスで効果的に用いられる。

モーツァルトの三大オペラの一つに数えられる「ドン・ジョヴァンニ」。「フィガロの結婚」や「魔笛」のような明るさ、煌びやかさこそないが、音楽の充実に関してはトップに位置するのではないかと思われるほどの傑作である。これまで、「フィガロ」も「魔笛」も複数回観ているが、「ドン・ジョヴァンニ」を生で観るのは今回が初めてである。上演数が二作ほど多くないというのもあるが、巡り合わせも大きい。

上演前に演出の伊香修吾のトークがある。ドン・ジョヴァンニは、希代の好色家としれ知られるドン・ファンのイタリアでの名前で、ドンはスペイン語で貴族のこと、ドンナが女性の貴族であると説明し、タイトルロールであるドン・ジョヴァンニ以外の人物にも注目して観ていただけると新しい発見があるかも知れないということを話す。

園田隆一郎指揮の大阪交響楽団はピリオド・アプローチを採用。バロックティンパニが硬めの音を発し、弦楽が透明な音を奏でるキビキビとした音運び。強弱もハッキリつけられており、古典的な美が生きている。

歌手も充実。中ホールでの上演ということもあり、声量も十分で、声にも魅力がある。

映画「アマデウス」の「ドン・ジョヴァンニ」が上演される場面で、F・マリー・エイブラハム演じるサリエリが、「私にはわかった。わかったのは私だけだ。あの男(モーツァルト)は自分自身を告発したのだ」と心の声で話すシーンがあるが、ドン・ジョヴァンニことドン・ファンは希代の好色家、「ドン・ジョヴァンニ」の台本を描いたダ・ポンテも女にもてたことで有名で、またカザロヴァが台本に協力したらしいことがわかっており、モーツァルト本人も女好きで知られていて、全員がドン・ジョヴァンニに自身の姿を重ねているであろうことは明白と思える。
他の登場人物は一途な愛に生きているが、ドン・ジョヴァンニは「スカートをはいていれば誰でも口説く」男である。ただドン・ジョヴァンニ自身は、「他の男は一人の女しか愛さないが、俺は全ての女を愛す」と博愛の精神の持ち主であることを強調している。これが単なる言い訳と見るかどうかによってドン・ジョヴァンニ像が変わってきそうである。
「自由、万歳」の曲には当然、掛かっているだろ。

舞台の左右からバルコニーが出てくるという舞台セットであり、これが効果的に用いられる。
そして、ドン・ジョヴァンニが騎士長の石像によって地獄に引きずり込まれる場面では、壁にはめられたタイル状のものが次々を落ち、床に当たる音がおどろおどろしさを増す仕掛けとなっている。
なお、石像そのものは出てこず、影が投影されることで処理されているが、これによって騎士長の石像が実在するものなのか、レポレッロとドン・ジョヴァンニ、ドンナ・エルヴィーラが見た幻影なのかがおぼろになる効果が出ている。

ドン・ジョヴァンニであるが、やりたい放題やっても女からもてる。3日で捨てたドンナ・エルヴィーラからも思慕されているということで、魅力的な人物であることは間違いない。この作品を単なるピカレスクロマンと見ていいのか。
「悪党」と言われるのも、騎士長を殺したこととマゼットをのしたことが原因で、女漁りばかりしたこと自体は必ずしも悪行とは見なされていないようでもある。

ラストのナンバーである「悪人の末路はこの通り」では、「悪人の死に様はその生き様と同じ」と歌われるのだが、その意味するところがなんなのかが気になる。「殺した相手に殺される」女を騙して地獄に落とし続けた報いと見るべきか。だが、少なくとも登場人物の中にはドン・ジョヴァンニによって地獄に落とされたといえるような女性はいない。これ以外に、生き様と死に様がクロスしそうなことはないように思える。敢えて挙げるなら「ドラマティック」であるということで、これはメタ的な歌劇「ドン・ジョヴァンニ」論にもなっていそうだ。これなら、ダ・ポンテ、カザロヴァ、モーツァルトの全員が肯定されるようでもある。


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2018年9月 2日 (日)

コンサートの記(418) 下野竜也指揮 NHK交響楽団大津公演2018

2018年8月24日 びわ湖ホール大ホールにて

午後7時から、びわ湖ホール大ホールで、下野竜也指揮NHK交響楽団の大津公演を聴く。N響の近畿公演は全3回、明日は奈良市で、明後日は西宮市で公演を行う。

曲目は、ニコライ(Ⅱ世じゃないですよ)の歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:リーズ・ドゥ・ラ・サール)、ベートーヴェンの交響曲第5番。
「西郷どん」のメインテーマを演奏しているコンビだけに、ひょっとしたらアンコールで演奏されるのかなとも思ったが、それはなかった。

今日のコンサートマスターは、ウィーン・フィルのコンサートマスターとしてお馴染みだったライナー・キュッヒルが客演で入る。第2ヴァイオリン首席は大林修子、チェロ首席は大統領こと藤森亮一。それ以外の首席は私が学生定期会員だった頃にはまだいなかった人である。オーボエ首席が青山聖樹、フルート首席が甲斐雅之、トランペット首席が京都市交響楽団出身の菊本和昭。第1ヴァイオリンの横溝耕一は横溝正史の家系の方だろうか。私が学生定期会員だった頃にはまだ黒柳徹子の弟さんが在籍していた。
ステージマネージャーの徳永匡哉は、どうやら徳永二男の息子さんのようである。

オットー・ニコライの歌劇「ウィンザーの陽気な女房」序曲。「タタタタン」というリズムがモチーフになっており、それ故に選ばれたのかも知れない。下野は快活な音色をN響から引き出し、スケールの大きな演奏を展開する。たまに交通整理が行き届かない場面もあるが、総体的には優れた出来である。

リーズ・ドゥ・ラ・サールをソリストに迎えた、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。

フランスの若手であるリーズ・ドゥ・ラ・サール。以前、京都市交響楽団の定期演奏会で聴いたことがある。その時、CDも買っている。雨傘で有名な(?)シェルブールの生まれ。4歳でピアノを始め、11歳の時にパリ国立高等音楽院に入学。2004年にニューヨークのヤング・コンサートで優勝し、以後、世界各地で活躍している。
スペルからいってサールが苗字なのだが、サールという苗字のフランス人は冠詞のように前に必ずドゥ・ラが付く。世界で初めて教室での教育を行ったジャン=バティスト・ドゥ・ラ・サール(鹿児島のラ・サール学園の由来となった人)もそうである。下野が鹿児島出身だからというのでラ・サールという人がソリストに選ばれたわけでもないだろうが。

ドゥ・ラ・サールは冒頭のピアノ独奏をかなり遅いテンポで弾き始める。オーケストラが入ると中庸のテンポになるが、第2楽章ではまたテンポを緩めてじっくりと演奏する。
打鍵が強く、和音を確実にとらえるようなピアノである。
下野指揮のN響は渋い音での伴奏を聴かせる。濃厚なロマンティシズムの表出が光っている。

ドゥ・ラ・サールは、「メルシー、サンキュー、ありがとうございます」と3カ国語でお礼を言う。アンコール演奏は、ドビュッシーの24の前奏曲から第1曲「デルフィの舞姫たち」。色彩感豊かなピアノである。

ベートーヴェンの交響曲第5番。下野は指揮棒を振り下ろしてから止め、そこでオーケストラが運命動機を開始、フェルマータの音で下野は指揮棒を右に払う。これによってフェルマータを思い切り伸ばすという指揮法である。
ピリオド・アプローチを採用しており、弦楽はビブラートをかなり抑えていたが編成は大きいのでピリオド的には聞こえない。ただこれによって細部まで音が聞き取れるようになり、第4楽章では大いにプラスに作用する。
ベーレンライター版の楽譜を使用。ベーレンライター版は第4楽章が旧ブライトコプフ版とは大きく異なるが、掛け合いの場所の音型を、「タッター、ジャジャジャジャン、タッター、ジャジャジャジャン」ではなく、「タッター、タッター、タッター、タッター」と同音でのやり取りを採用し、ピッコロも大いに活躍。
この曲でも整理が上手くいっていない場面があったが、全体的には密度の濃い優れた演奏である。日本人指揮者の日本のオーケストラによるベートーヴェンとしては相当なハイクラスと見ていいだろう。

基本的にN響は日本人指揮者の場合はベートーヴェンがきちんと振れる人でないと評価しない。下野がN響から気に入られているのもベートーヴェンが良いからだろう。

アンコール演奏はベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」より行進曲。朗らかな演奏であった。



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