カテゴリー「フェスティバルホール」の11件の記事

2018年11月23日 (金)

コンサートの記(451) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会Ⅳ」

2018年11月15日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団による「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会 Ⅳ」を聴く。今日演奏されるのは、交響曲第8番と第7番。

今日のコンサートマスターは、須山暢大。大フィルの基本ポジションであるドイツ式現代配置での演奏。第1ヴァイオリン16型という大編成である。ちなみに第2ヴァイオリンは客演5名を含めて今日も全員が女性となった。

交響曲第8番。ベートーヴェン自身が出来に自信を持っていた曲であるが、世間的な人気はベートーヴェンの交響曲の中でも下の方となっている。全編を通して明るい曲調であり、洒落っ気にも満ちている。

ピリオド・アプローチを援用した演奏で、弦のノンビブラートと独特のボウイングが確認出来る。ただ大編成であるため音が痩せることはなく、輝かしくも重厚というベートーヴェンに似つかわしい音が奏でられる。

尾高と大フィルは「等身大」という言葉がピッタリくる演奏。大風呂敷を広げることなく誠実な再現芸術が展開される。音色が明るいため、躍動感も生き生きと伝わってくる。もっと野性味があっても良いと思うが、これが尾高のスタイルなのだろう。


交響曲第7番。ベートーヴェンの交響曲の中で、初演時から今に至るまで一貫して高い評価を受けているという珍しい作品である。リズムを強調した、当時として斬新な曲想なのだが、一聴して「血湧き肉躍る」という言葉が浮かぶ作品であるため、受け入れられやすかったのだろう。

大フィルは金管パートがやや弱いが、弦の力強さがそれを補って余りあるだけの魅力となる。リズムを特に強調はしていないが、キレ味は鋭く、全楽章を通して端正なフィルムが耳を奪う。硬めの音によるティンパニの強打も効果的で、幅広い客層に訴えかける演奏になっていたと思う。

最後は尾高が指揮台の上から「あと1曲、お聴き下さい」と語ってお開きとなった。


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2018年10月31日 (水)

コンサートの記(447) パスカル・ロフェ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第522回定期演奏会

2018年10月26日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第522回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はフランス出身のパスカル・ロフェ。

日本のオーケストラへの客演も多いパスカル・ロフェ。現在はフランス国立ロワール管弦楽団の音楽監督である。パリ国立音楽院を卒業後の1988年にブザンソン国際指揮者コンクールで2位入賞。1992年からはアンサンブル・アンテルコンタンポランの指揮者として活躍。ピエール・ブーレーズの影響からなのかノンタクトで指揮する。経歴からわかる通り現代音楽の演奏を得意としており、NHK交響楽団の京都公演でチャイコフスキーの交響曲第4番を指揮した時には現代音楽仕込みの明晰なアプローチによってチャイコフスキーの苦悩を炙り出す名演を繰り広げている。


曲目は、フォーレの「レクイエム」(1893/1984 ラター版)とストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」全曲(1910年原典版) 。


フォーレの「レクイエム」は人気曲であり、大阪フィルは今年の夏に大友直人の指揮で演奏したばかりであるが、重複を避けるためか、イギリスの指揮者で宗教音楽の作曲家としても知られるジョン・ラターがフォーレの第2稿をまとめたラター版の楽譜を用いての演奏となる。
フォーレの「レクイエム」は元々はフォーレが両親を悼むための私的な楽曲として作られている。その後にフォーレ自身が手を加えた第2稿が完成。今回はこれを基にした楽譜で演奏される。
今日一般的に演奏されるのはその後に改訂された第3稿である。フォーレ自身はこの改訂に乗り気ではなく、作業も弟子のジャン・ロジェ=デュカスに任せている。第3稿は1900年のパリ万博で初演されている。というより、パリ万博で披露するために校訂されたのであろう。

まだ大阪フィルがザ・シンフォニーホールを定期演奏会の会場にしていた頃、大植英次指揮の演奏会の前半のプログラムがフォーレの「レクイエム」だったのだが、開演直前に大植英次がドクターストップによって緊急降板となり、合唱指揮者である三浦宣明が急遽代役を務めたことがあった。大フィルによるフォーレの「レクイエム」を聴くのはそれ以来である。

ラター版は第2稿に基づいているが、フォーレの自筆譜が散逸してしまったため、ラターが研究によって復元している。弦楽はヴァイオリンがなく、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの編成。通常、ヴァイオリンが陣取る舞台下手側にヴィオラが並び、コンサートマスター(でいいのかな?)はヴィオラの井野邉大輔。今日の演奏会全体のコンサートマスターである田野倉雅秋は、この曲ではヴァイオリンソロとして「サンクトゥス」と「イン・バラディスム」で演奏に加わる。田野倉はヴィオラ陣の背後に控え、「サンクトゥス」ではその場で立って、「イン・バラディスム」では更に後ろ、ハープの横に下がって演奏した。歌手の配置も独特で、バリトン独唱の萩原潤は指揮台の上手横だが、ソプラノ独唱の市原愛は、下手側、田野倉の最初の持ち場の一つ後ろに座って出番を待つ。

管楽器の編成も特殊で、金管は普通だが、木管のフルート、オーボエ、クラリネットといった花形は出番なしでファゴットのみが登場する。

ロフェは音の輪郭をクッキリと浮かび上がらせた立体的な音響を築く。やはりロフェという指揮者は相当な実力の持ち主のようである。

ホワイエで行われたプレトークで、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局次長の福山さんが語っていたが、フォーレの意図をロフェに聴いたところ、「合唱を生かすために高音の楽器を除いたのだろう」という答えが返ってきたそうだが、実際に耳にすると音色が渋く、普段聴いている第3稿とはかなり印象が異なる。大阪フィルはドイツ的な低弦の強さが売りの一つだが、この印象は大フィルだからではないだろう。フォーレがイメージした元々の響きが渋めのものだったのだと思われる。一般にフォーレというとノーブル、ザ・フレンチテイストの音楽家で、「レクイエム」はその中でもフランス的というイメージがあるが、それはフォーレが乗り気でなかった第3稿によって作られたものだったようだ。異国からの来訪者が集うパリ万博でのお披露目ということで、意図的にフランス的な響きが加えられたのだろう。作曲者が望まない形が後世に残ってしまうというのは良くあることである。

ソプラノは最も有名な「ピエ・イエス」が唯一の出番なのだが、市原愛の歌唱は歌い出しの音程が不安定であった。1曲勝負であるため後で取り返せないのがこの曲の怖いところである。

大阪フィルハーモニー合唱団の水準は高い。


ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」全曲(1910年原典版)。演奏会用に編まれたものや組曲版が演奏されることが多いが、今回はパリ・オペラ座で初演された時のバレエ全曲の演奏である。とはいえ、初めて生で聴いた「火の鳥」の演奏も全曲版だった記憶がある。1994年の春に、千葉県文化会館で行われた東京交響楽団のマチネーの演奏会。指揮は秋山和慶で、その時は朗読付きの上演であり、ナレーションを裕木奈江が務めていた。当時、東京交響楽団は「ぴあ」での表示をTOKYO SYMPHONYにしていたんだっけ。懐かしい。

「火の鳥」でもロフェは、優れた聴覚バランスと巧みな音楽設計を生かした秀演を描く。冒頭の金管のソロが散らかった感じだったのは残念だが、ソロでは今一つでも合奏になると力を発揮するのが日本のオーケストラの良さで、その後は安定、輝かしい音を出す。
弦楽は最初から最後まで煌めきのあるマジカルな音色を奏でる。ここぞという時の力強さは大フィルの真骨頂だ。

今回が大フィルとの3回目の共演となるパスカル・ロフェ。もっと聴きたくなる指揮者である。京響にも客演して欲しい。


 

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2018年9月30日 (日)

コンサートの記(432) アリス=紗良・オット ピアノリサイタル「Nightfall」@フェスティバルホール

2018年9月18日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、アリス=紗良・オットのピアノリサイタル「Nightfall」を聴く。

曲目は、前半が、ドビュッシーの「ベルガマスク」組曲、ショパンのノクターン第1番、第2番、第13番、バラード第1番。後半が、ドビュッシーの「夢想(夢)」、サティのグノシェンヌ第1番、ジムノペディ第1番、グノシェンヌ第3番、ラヴェルの「夜のガスパール」
フランス人作曲家の作品と、フランス系ポーランド人でパリで活躍したショパンの楽曲を並べるという準オール・フランス・プログラムである。

フェスティバルホールでピアノのリサイタルを聴くのは初めてとなるはずである。約2700席のキャパシティーがあり、空間の大きなフェスティバルホールで純然たるピアノソロがどう響くのか興味があったが、音の通りが良いだけに3階席でもピアノの音が間近に聞こえる。音響はやはり優れている。問題は客の入りだが、人気ピアニストのアリス=紗良であるだけに上々であった。

黒のドレスで登場したアリス=紗良。まずマイクを片手に、椅子に腰掛けながら挨拶を行う。「こんばんは。本日は、こんな大きなホールで沢山の方々を前に弾くことが出来て幸せです」と語り、最新アルバムのタイトルでもある「Nightfall」については、「太陽が沈んでからしばらく経った時間(マジックアワー、黄昏時、逢魔が時である)のことで、色々なものがごっちゃになる。人間、誰でも良い部分と悪い部分があると思うんですが、そうしたものがはっきりとは分かれていない存在」であることを念頭にプログラムを組んだことを明かす。今年の2月には父親が病気で倒れ、今は快復したのだが、死が遠くにあるわけではないということを実感したともいう。

前半は、照明をピアノの周りだけに絞っての演奏。アリスは前半と後半で演奏スタイルを意図的に変えているようである。

ドビュッシーの「ベルガマスク」組曲。4曲からなる組曲で、第3曲の「月の光」がことのほか有名な楽曲である。
アリスは色彩を余り出さす、フォルムを重視した演奏を行う。個性あるピアノを弾くアリスだが、前半の曲目では端正な演奏を心がけているように思われた。

ショパンでも同傾向。スケールが大きく、文学性や心理的な側面を意図的に排したような演奏を聴かせる。ノクターン第1番などは痛切な表現を行っていた萩原麻未とは正反対のアプローチで、別の曲を弾いているかのように聞こえる。ただ、今日のアリスはこうした演奏を行うにはミスタッチが目立ち、必ずしも万全の表現にはなっていなかったようだ。
4曲演奏したショパンの曲の中では、堅牢な構築力を感じさせたバラード第1番の演奏が良かった。

後半はメインの照明を鍵盤付近だけに更に絞るが、その代わりに舞台の左右奥に青色の照明を光らせて、幻想的な演出を施す。
表現もアリスならではの個性的なものに変化。ドビュッシーの「夢想(夢)」では一音一音を際立たせるように弾き、立体感を出すような工夫がなされる。

サティのグノシェンヌ第1番、ジムノペディ第1番、グノシェンヌ第3番。今年はドビュッシーの没後100年に当たるが、気むずかしい性格が災いして友人の少なかったドビュッシーを親友として慕っていたのがサティである。フランス六人組に反ドビュッシーの旗頭ように担ぎ出されたこともあるサティだが、ドビュッシーが亡くなるまでその才能を愛し続けた。
北野武の映画監督デビュー作である「その男、凶暴につき」で印象的な使われ方をしたこどでも知られる。グノシェンヌ第1番。アリスは遅めのテンポを取り、引きずるような独特の歌い方をする。
ジムノペディ第1番とグノシェンヌ第3番ではアリスは、時の経過と音の明滅を感じさせる俳句のような表現を行っていた。日独のハーフだが、日本的な感性に秀でていることが感じられる。

ラヴェルの「夜のガスパール」。最高難度のピアニズムが要求される曲である。
第1曲「オンディーヌ」では瑞々しいピアノの響きが印象的。水の精(「みずのせい」と打ち込んだら「ミズノ製」と出たんですけど。確かにグローブはミズノ製のものを使っているけれど)を描いた曲であるが、水のしずくが飛び跳ねたり水紋になって広がっていくイメージが浮かぶような演奏である。
第2曲「絞首台」でも音の透明度の高さは目立ち、第3曲「スカルボ」では技巧の冴えと確かな楽曲分析能力と表現力も相まって秀逸な出来となる。
感性的には20世紀の演奏家とは異なり、ベルトランの詩のイメージをCGで描いて見せたようなデジタルな音楽性が発揮されているが、そうしたものの中では最上位に位置するようなラヴェルである。

アンコール演奏は、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。優しさと温もりのある音で奏でられ、哀愁とは一線を画しつつもウエットであるという独自性が光っていた。


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2018年9月29日 (土)

コンサートの記(431) NHKスペシャル 映像の世紀コンサート@フェスティバルホール

2018年9月17日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、NHKスペシャル 映像の世紀コンサートを聴く。音楽&ピアノ:加古隆、岩村力指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏。ナレーションを元NHKアナウンス室長の山根基世が受け持つ。

1990年代に放送され、大反響を呼んだNHKスペシャル「映像の世紀」。21世紀に入ってからは「新・映像の世紀」も制作され、2016年3月に放送を終えている。「映像の世紀」では加古隆の音楽も話題になったが、加古の音楽と番組からのダイジェスト映像で行われるコンサートである。

ホール上方に巨大スクリーンが下がり、そこに映像が投影される。映像は、アメリカ、フランス、ドイツ、イギリス、ロシアのテレビ局とNHKが制作したものである。

加古隆は大阪府出身である。府立豊中高校を経て、東京藝術大学音楽学部および大学院作曲研究室を修了。三善晃らに師事した。その後、フランス政府給費留学生としてパリ国立高等音楽院でオリヴィエ・メシアンに作曲を師事。パリで現代音楽を学ぶと同時にフリージャズのピアニストとしてもデビューしている。1976年に高等音楽院を最高位で卒業して帰国。以後は映画音楽を始めとする映像音楽を中心に作曲活動を行っている。

指揮の岩村力は、早稲田大学理工学部電子通信学科卒業後に桐朋学園大学音楽学部演奏学科に入学。マスタープレイヤーズ指揮者コンクール優勝後、2000年から2007年までNHK交響楽団のアシスタントコンダクターを務め、現在は兵庫芸術文化センター管弦楽団のレジデント・コンダクターでもある。

今日の大阪フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターは崔文洙。

プログラムは、「パリは燃えているか」のショートバージョン(ピアノオクターブ上げての演奏がないもの)に始まり、第1部から第7部に分けられた映像と音楽の饗宴が繰り広げられる。

第1部「映像の始まり」では、リュミエール兄弟の映画の発明に始まれ、ロシア、オーストリア、大英帝国などの王室の映像が流れる。大津事件で知られ、後に殺害されることになるニコライⅡ世の姿も映っている。演奏されるのは「時の刻印」「シネマトグラフ」「はるかなる王宮」

第2部「第一次世界大戦」。世界で初めて全編が映像に収められた戦争である。その時代の若者は、戦争にロマンティックな幻想を抱いており、進んで募兵に応じたそうだが、映像は戦争の現実を冷徹にとらえており、多くの人々が戦場のリアルに気づいたとされる。
演奏されるのは「神のパッサカリア」「最後の海戦 パート1、2」「パリは燃えているか」

第3部「ヒトラーの野望」。大戦による景気の回復により、アメリカは黄金の20年代を迎える。一方、ドイツは敗戦から立ち直れなかったが、そこにアドルフ・ヒトラーという男が登場。ドイツ経済を好転させ、90%という高い支持率を得る。ドイツ国外でもその手腕は高く評価されたが、ヒトラーの野望にはまだ多くの人が気づいていなかった。
1929年10月24日、のちに「暗黒の木曜日」と称されるこの日に世界恐慌が発生。世界情勢がめまぐるしく変わる中で、ヒトラー率いるナチスドイツは1938年にヒトラーの祖国でもあるオーストリアを併合。翌39年にポーランドへ侵攻し、英国がこれに宣戦を布告。当初は中立の立場にあったアメリカも1941年12月8日に日本の真珠湾攻撃を受けて参戦する。

休憩後、加古隆のピアノ・ソロによる「パリは燃えているか」が演奏されてから第4部に入る。
第4部「第二次世界大戦」。演奏されるのは「大いなるもの東方より」「最後の海戦 パート2」「神のパッサカリア」「狂気の影」。ナチスドイツのソビエト戦、そしてアメリカが撮影した日本の神風特攻隊の映像からカラーに変わる。

第5部「冷戦時代」。ジョン・F・ケネディ米国大統領、ソ連のニキータ・フルシチョフ書記長、チューバのフィデル・カストロ議長らによるキューバ危機があり、核戦争への恐怖が人々の心を波立たせる。演奏は「パリは燃えているか」「シネマトグラフ」「最後の海戦 パート1」「黒い霧」。核実験は当時は健康被害はないという嘘の報道がなされ、それを信じた人々が間近で核実験の見物を行ったりしている。

第6部「ベトナム戦争、若者達の反乱」。アメリカはアジアの共産化を恐れ、当時南北に分かれていたベトナムに介入。共産国である北ベトナムへの攻撃(北爆)を開始、米ソの代理戦争が始まった。当初はベトナムで行われているのは戦争ではないとしていたが、戦況悪化により多くのアメリカの若者がベトナムに兵士として派遣されるようになり、国際的にも問題視されるようになる。ベトナムではスパイ掃討のために民家を燃やしたり無差別虐殺
行うといった蛮行が現地民の怒りを買って戦況は泥沼化。結果として南ベトナムの首都サイゴンが陥落し、アメリカは史上初の敗戦を喫することになる。アメリカの蛮行に怒ったのはベトナム人だけではなく、アメリカ国内を始め、イギリス、フランス、ドイツ、日本などで若者達による反戦運動が繰り広げられ、ヒッピームーヴメントを始めとするカウンターカルチャーを生んだ。
1969年、アポロ11号が月面に着陸。月から見た地球には国境はなく、憤りの声も届いてこない。ただ青と白の二つがあるだけである。
演奏されたのは、「パリは燃えているか」、「ザ・サード・ワールド」「睡蓮のアトリエ」。元々はクロード・モネが映った映像のために書かれた「睡蓮のアトリエ」であるが、ここでは地球の姿が睡蓮に例えられている。

第7部「現代の悲劇、未来への希望」。9.11、フランスでの自爆テロなど21世紀に入ってからの悲劇の映像が流れる。だが、宗教や人種、思想を超えた人類としての愛を追い求める人々も存在している。
「愛と憎しみの果てに」が演奏される。

ラストは「パリは燃えているか」のフルバージョンである。歴史を彩った有名人達の姿と、名もなき人々の笑顔を見ることが出来る。

朝比奈隆の時代には不器用なオーケストラというイメージがあった大阪フィルハーモニー交響楽団であるが、今はアンサンブルの精度も表現力も上がり、持ち前のコクとまろやかさのある音を生かした味わい深い演奏を行う。岩村力の指揮も的確なスケールのフォルムを描くことに長けており、ハイレベルな音楽作りに貢献している。加古隆のピアノもフランス的な色彩に溢れており、上質である。

アンコールとして、加古隆のピアノ・ソロによる「黄昏のワルツ」が演奏された。


 

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2018年7月27日 (金)

コンサートの記(405) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 ベートーヴェン交響曲全曲演奏会第3回

2018年7月20日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団によるベートーヴェン交響曲全曲演奏会Ⅲを聴く。Ⅰは聴いたが、Ⅱは同日にロームシアター京都で行われた田中泯のダンス公演を優先させたため接していない。

交響曲第6番「田園」と交響曲第5番という王道の組み合わせ。であるが、この時期に聴くにはちょっと重い。

今日のコンサートマスターは崔文洙。大フィルのスタンダードであるドイツ式の現代配置による演奏であるが、今日は第2ヴァイオリンが客演も含めて全員女性という、ありそうでなかなかない構成になっている。第1ヴァイオリン15名、第2ヴァイオリン14名というモダンスタイルでの演奏。

交響曲第6番「田園」。テンポもスタイルも中庸で、音の瑞々しさを優先させた演奏。空間の広いフェスティバルホールだが、編成が大きく、モダンスタイルということで良く響く。
優れた演奏ではあるが、特筆事項はこれといってないように思う。

交響曲第5番。出だしの運命動機ではフェルマータを短めに取り、流線型のフォルムを作り上げる。出だしで第2ヴァイオリンがわずかにフライングしたほか、クラリネット、ピッコロなどにミスがある。
面白いのは第4楽章のクライマックスの音型で、金管群が耳慣れない和音を築く。そういう譜面があるのかどうか。またクラリネットが二本ともベルアップによる演奏を行っている部分があった。ピリオドアプローチによる演奏で目にするが、そうではない演奏で見かけるのは初めてである。
尾高はラストも流さずにカッチリとした止めを行い、個性を刻印した。

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2018年7月 1日 (日)

コンサートの記(399) 非破壊検査 Presents コルネリウス・マイスター指揮読売日本交響楽団第20回大阪定期演奏会

2018年6月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで読売日本交響楽団の第20回大阪定期演奏会を聴く。今日の指揮者は読響首席客演指揮者のコルネリウス・マイスター。マーラーの交響曲第2番「復活」1曲勝負である。

コルネリウス・マイスターは、1980年、ドイツ・ハノーファー生まれの若手指揮者。ハノーファー音楽演劇大学でピアノと指揮を学び、21歳でハンブルク国立歌劇場にデビュー。2005年には24歳の若さでハイデルベルク市立歌劇場の音楽総監督に就任し、2012年まで務める。2010年からはウィーン放送交響楽団の首席指揮者兼芸術監督の座にある。2014年に読響と初共演。今年9月からはシルヴァン・カンブルランの後任としてシュトゥットガルト市立歌劇場の音楽総監督に就任する予定である。

以前はザ・シンフォニーホールで大阪定期演奏会を行っていた読売日本交響楽団だが、よりキャパの大きなフェスティバルホールに会場を移している。来年の3月でシルヴァン・カンブルランが常任指揮者を退任することになり、次期常任指揮者にセバスティアン・ヴァイグレの就任が決まった読響。今年の4月に新練習場が神奈川県川崎市内に完成し、前練習場閉鎖以来の稽古場ジプシー状態が終わりを告げ、より充実した演奏活動が期待される。

今日のコンサートマスターは、長原幸太。ソプラノ独唱:ニコール・カベル、メゾ・ソプラノ独唱:アン・ハレンベリ。合唱は新国立劇場合唱団。

近年、セレモニアルな機会に演奏されることが増えたマーラーの交響曲第2番「復活」。大阪では大植英次が、大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督就任時(ザ・シンフォニーホール)と現在のフェスティバルホールこけら落とし演奏で同曲を取り上げており(いずれも接していない)、東京ではパーヴォ・ヤルヴィがNHK交響楽団首席指揮者記念として渋谷のNHKホールで演奏している。ただ、大編成による複雑な交響曲であるため、しょっちゅう聴けるというわけではない。

今日は1階席最後列で聴く。1階席は前の方でしか聴いたことがないが、直接音が飛んでこないという印象を受けた。今日も2階席が頭上にせり出しているため、残響を感じにくい。オペラをやると響きすぎて壁がビリビリいうフェスティバルホールだが、今日も合唱が壁を振るわせ、軋むような音が混じる。

コルネリアス・マイスターであるが、北部ドイツの出身らしい端正な音楽を作る。パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団の演奏では、パーヴォはオーケストラの威力を前面に出していたが、マイスターは音楽のフォルムを重視。だがそのため却ってマーラーの音楽の異質さがダイレクトに伝わってくるような印象を受ける。

マーラーの交響曲第2番「復活」は、交響詩「葬礼」を基とする第1楽章と第2楽章以降では性格が異なるとして、マーラー自身が第1楽章終了後に「最低5分の休憩」を挟むようスコアに書き込んでいるのだが、実演ではほとんど採用されていない。今日も少し間を開けだだけであった。

これまで、空間の広いフェスティバルホールを鳴らせていないように感じた読売日本交響楽団だが、今日は大編成による演奏ということで、納得のいく音響を作り出していたように思う。独唱、合唱ともに整っており、美しいマーラーが築かれていた。鳴らせたという点で、これまで接した読響大阪定期の中でも最上の部類に入ると思う。



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2018年6月 3日 (日)

コンサートの記(392) ダニエーレ・ルスティオーニ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第518回定期演奏会

2018年5月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第518回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はイタリアの若手、ダニエーレ・ルスティオーニ。

1983年生まれ、現在34歳のダニエーレ・ルスティオーニ。アンドレア・バッティストーニ、ミケーレ・マリオッティと共にイタリア若手三羽烏の一人に数えられる。昨年9月に大野和士の後任としてリヨン国立歌劇場の首席指揮者に就任したばかり。2014年からはイタリアのトスカーナ管弦楽団の首席指揮者も務めている。
日本では東京フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者を務めるバッティストーニの評価が高いが、イタリア国内ではルスティオーニの方が現時点では評価が上のようだ。
ミラノのジュゼッペ・ヴェルディ音楽院で学んだ後、シエナのキジアーナ音楽院でジャンルイジ・ジェルメッティに師事。ロンドンの王立音楽院でジャナンドレア・ノセダにも学ぶ。英国ロイヤル・オペラでサー・アントニオ・パッパーノのアシスタントを経て、サンクトペテルブルクのミハイロフスキー劇場の首席客演指揮者を2年間務めている。

曲目は、メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」とマーラーの交響曲第4番(ソプラノ独奏:小林沙羅)という4並びである。

今日のコンサートマスターは崔文洙。今日はフォアシュピーラーに須山暢大が入る。

メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」。冒頭から各楽器の分離が明瞭であり、大変見通しが良い。ジャンプを繰り出すなど若々しい指揮姿のルスティオーニだが、音捌きの腕は抜群。大フィルから輝かしくも生き生きとした音を引き出していく。熱さを感じさせつつ上品という理想的な演奏となった。

マーラーの交響曲第4番でも上質の音楽が展開される。マーラー独特のおどろおどろしさは後退し、チャーミングな音色による愛らしいマーラー像が描かれていく。第3楽章などは正に天国的というに相応しい気品溢れる美演であった。バッティストーニが「未来のトスカニーニ」ならルスティオーニは「未来のクラウディオ・アバド」であろう。
小林沙羅はリリカルソプラノではないので、この曲の独唱に合っているかどうかは微妙だったが、安定感のある歌声を聴かせてくれた。



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2018年5月24日 (木)

コンサートの記(388) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団  ベートーヴェン交響曲全曲演奏会第1回

2018年5月17日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団によるベートーヴェン交響曲全曲演奏会第1回を聴く。大阪フィルが朝比奈時代から何度も繰り返し行って来たベートーヴェン交響曲チクルスの新シリーズである。

札幌交響楽団時代にもベートーヴェン交響曲全曲演奏を行っている尾高忠明。大阪フィルのシェフに就任してまず大フィルの看板企画に挑むことに決めた。

今日の演目は、バレエ音楽「プロメテウスの創造物」序曲、交響曲第1番、劇音楽「エグモント」序曲、交響曲第2番。

今日のコンサートマスターは崔文洙。ベートーヴェンの初期交響曲であるが、第1ヴァイオリン14型と大きな編成での演奏。ピリオド・アプローチを採用しているが、スケールは大きく、ベートーヴェンの初期作品ではあっても大交響曲として演奏していることがわかる。

今日もノンタクトで指揮する尾高忠明。やや速めのテンポでの演奏。エネルギー放出量は大きいが、弦楽にHIPを取り入れているためか暑苦しくはならない。
フォルムの堅固さも特徴であり、朝比奈以来のDNAが保たれているのが確認出来た。
時折、音像が雑になるところもあったが、第1回の演奏としては上出来だったように思う。

全曲演奏終了後、尾高は、「あと7曲ありますので、よろしくお願いします」と言い、最後は「おやすみなさい」のポーズをして指揮台を後にした。


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2018年4月12日 (木)

コンサートの記(370) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第517回定期演奏会「尾高忠明音楽監督就任披露演奏会」

2018年4月8日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第517回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はこの4月から大阪フィルの第3代音楽監督に就任した尾高忠明。「尾高忠明音楽監督就任披露演奏会」と銘打たれている。

4月ということで、プログラムには須山暢大(すやま・のぶひろ)の新コンサートマスター就任が発表されているほか、ホルンの和久田有希、トランペットの高見信行、トロンボーン・トップ奏者の福田えりみの3名の新入団、一方、トップ・クラリネット奏者のブルックス・ストーンが3月31日付けで退団したとの知らせもある。

曲目は、三善晃のオーケストラのための「ノエシス」とブルックナーの交響曲第8番(ハース版)

今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。大編成のブルックナーに特殊な編成の「ノエシス」ということで客演奏者が多い。客演ホルンには名手として知られる安土真弓(あんづち・まゆみ。名古屋フィルハーモニー交響楽団首席ホルン奏者)の名前も見える。

三善晃のオーケストラのための「ノエシス」。丁度40年前の1978年に尾高忠明の指揮によって初演された曲である。
チェロの独奏に始まり、次第にカオスへと発展する、いかにも現代音楽的な曲だが、途中で打楽器が盛大に打ち鳴らされ、熱い響きへと変わっていく。なかなか面白い曲である。

ブルックナーの交響曲第8番。
この曲は最近では第九やマーラーの「復活」などと共に節目で演奏される曲となっている。大植英次が大フィル音楽監督として最後に取り上げたのもこの曲であり、昨年は下野竜也が広島交響楽団音楽総監督就任記念の曲として取り上げている。
朝比奈隆の時代は「大フィルといえばブルックナー」といわれたものだが、第2代音楽監督の大植英次、昨年の3月まで大フィルの首席指揮者を務めた井上道義とマーラー指揮者が大フィルのシェフの座にあり、二人ともブルックナーは得手とはしていなかった。ブルックナーの交響曲第8番は大フィル史上、シェフしか指揮をしていない曲である。井上道義指揮による大フィルのブル8は実演で聴いたことはないが、井上が京響を指揮したブル9の出来から考えれば名演だったとは思えない。下野はブルックナーを得意としているが、広響を指揮した第8や読響を振った第7を聴いた感じでは、後期の交響曲を指揮するにはまだ若い。一方、尾高はブルックナーの交響曲が日本では「わけのわからない曲」「あんなの音楽なのか」と言われていた頃から積極的に取り組んでおり、日本を代表するブルックナー指揮者である。名演の期待が高まる。

ブルックナーの交響曲第8番は、彼の第7番の交響曲が初めて初演での成功を収めた後で書かれ、現在では最高傑作の呼び声も高いのだが、第7初演での成功を味わった後でもブルックナーの生来の気の弱さは変わらず、第8初演の指揮を任せようとしたヘルマン・レーヴィから拒絶されると例によって「楽曲が悪かったからだ」と改訂に取り組んでしまい、複数の版が残されることになった。

ブルックナーの交響曲は楽譜に書かれたことをそのまま鳴らしただけでは音楽にならず、指揮者が再構築する必要があるのだが、尾高は着実に確実に音を積み上げていく。音を野放図に鳴らしてはならず、いかなる大音響でも抑制が必要、ただ抑制しすぎても音が拡がらないという難しさがあるのだがその処理も万全である。
音も瑞々しく純度が高い。弦と管の編み方も巧みである。関西にはブルックナーを得意とする指揮者は少ない。久しぶりに聴くブルックナーらしいブルックナーであった。

尾高新監督、上々の船出である。

響きは置くとして、周辺も含めた雰囲気の良さではフェスティバルホールは日本一だと思う。レッドカーペットの階段はハレの気分を生みだし、天井の高いホワイエも異空間の味わいがある。大阪フィルもホールの鳴らし方を心得つつあり、音響面でも徐々に充実。そして何より中之島と地の利がある。交通の便も文句なしで、土佐堀川を見ながらの行き帰りも心地よい。



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2013年12月17日 (火)

コンサートの記(114) 井上道義指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 コンサートオペラ バルトーク 歌劇「青ひげ公の城」

2013年9月27日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

大阪・中之島にあるフェスティバルホールで、バルトーク作曲によるコンサートオペラ「青ひげ公の城」を聴く。演奏するのは井上道義指揮する大阪フィルハーモニー交響楽団。歌劇「青ひげ公の城」に登場する歌手は二人だけ。今回はいずれもバルトークと同じハンガリー・出身のイシュトヴァーン・コヴァーチ(青ひげ公。バス)とアンドレア・メラース(ユーディト。メゾ・ソプラノ)が歌う。

井上は、東京と大阪の二都市でコンサートオペラ「青ひげ公の城」の上演を企画。先に東京芸術劇場で東京フィルハーモニー交響楽団を指揮した公演が行われた。歌手は二人とも大阪公演と同じ。吟遊詩人は東京では俳優の仲代達矢が演じたが、大阪ではバリトン歌手の晴雅彦(はれ・まさひこ)が務める。

昨日、9月26日が命日だったハンガリー出身のべーラ・バルトーク(ハンガリーはアジア系のフン族の末裔といわれており、姓名も東洋同様、苗字+名前の順で表記され、呼ばれる。ただ、ハンガリー人は他の国に行くときは、他のヨーロッパ諸国に倣って、ファースネーム+ファミリーネームの順に改める。バルトークもハンガリー国内ではバルトーク・べーラと呼ばれているが、晩年にアメリカに渡ったため、他の国ではアメリカ風にべーラ・バルトークと書かれるのが一般的である)。ソルターン・コダーイ(ハンガリーではコダーイ・ゾルターン)と共にハンガリーの国民楽派を代表する作曲家であり、管弦楽のための協奏曲、「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」、バレエ音楽「中国の不思議な役人」(全曲版と組曲版がある)などはコンサートで取り上げられることが多い。また子供のための易しくて面白いピアノ曲をいくつも書いている他、ハンガリーの民謡採集にも熱心に取り組んだ。
性格は残念ながら最悪の部類に入る人だったようで、自己中心的、傲岸不遜、無神経などと評される。ただ音楽的才能は誰もが認めるものだった。

歌劇「青ひげ公の城」はフランスの伝承を基にシャルル・ペローやグリム兄弟などが童話化したものを、バラージュ・べーラ(ハンガリー風表記。西洋風表記だとべーラ・バラージュ)が戯曲化して上梓したものにバルトークが曲を付けて完成させたもので、1幕のみの中編オペラである。残忍なことで知られる王様、青ひげ公に嫁いだユーディトという女性が青ひげ公の内面を解き明かしていくという心理劇である。ただ、出演者は二人のみで、場面転換があるわけでもなく、心理劇であって大きな事件が起こるわけでもないので、上演される回数は少ない。バルトークの代表作であり、20世紀に書かれたオペラとしては知名度も高い方であるが、現在、日本語字幕入りの映像作品は発売されておらず、国内盤歌詞対訳付きのCDも数枚しか発売されていない。

今回は、歌劇「青ひげ公の城」には場面転換がないので、セット転換もいらないが、ならばいっそのことセットもなしでやろうというステージ・オペラ形式での上演となる。オペラの上演も可能なフェスティバルホールの広い舞台を生かした演出による演奏がなされる。

歌劇「青ひげ公の城」は上演時間約1時間ほどの中編なので、これ1曲だけでは演奏時間が短い。ということで、前半はオッフェンバック作曲、ローゼンタール編曲によるバレエ音楽「パリの喜び」が演奏される。

大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者に就任することが発表され、今日の演奏が期せずして首席指揮者就任記念演奏会となった井上道義。もっとも、今日、井上道義が大阪フィルを振ることは事前にわかってたので、今日の演奏会に合わせて就任が発表された可能性の方が高い。

新しくなったフェスティバルホールでの演奏会を聴くのは私は今日で二度目。初コンサートは坂本龍一の「Playing the Orchestra 2013」であり、東京フィルハーモニー交響楽団が演奏していたが、PAを使っていたため、アンプを通さない、ホールそのものの響きを聴くのは今日が初めてとなる。

坂本龍一のコンサートを聴いたときには開演5分前を告げる音は無機質なブザー音であったが、今日は以前のフェスティバルホールと同じ「鳥のさえずり音」という風雅なものに戻っていた。大阪フィルの団員も「鳥のさえずり音」に変更されたことは今日、初めて知ったようで、オーボエ奏者二人が音の出るスピーカーのある上方を見た後で顔を見合わせていた。

井上道義登場。大阪フィルハーモニー交響楽団のシェフになることは会場にいるほとんどの聴衆が知っており、いつも以上に大きな拍手で迎えられる。

オッフェンバック作曲、ローゼンタール編曲によるバレエ音楽「パリの喜び」。
オッフェンバックはドイツ生まれでパリで活躍した作曲家。ドイツ名であるオッフェンバックと表記されることもある。歌劇「天国と地獄」(フレンチカンカンの音楽が有名である)、歌劇「ホフマン物語」(作曲者の死去により未完成となったが、エルンスト・ギローが補筆・完成させて初演。その後、初稿が火災により焼失してしまうという事件があったため、様々な人が再現を試みており、版が複数存在する。現在でも人気のあるオペラである。“ホフマンの舟歌”が特に有名)などが代表作。「青ひげ公」と同じ題材による「青ひげ」という作品も書いており、それも「パリの喜び」の中には入っている。
マニュエル・ローゼンタールはフランス人の指揮者だが、オッフェンバックが書いた音楽から有名どころをチョイスし、オーケストレーションを施してバレエ音楽「パリの喜び」として再編した。よく知られている「天国と地獄」よりフレンチカンカン、「ホフマンの舟歌」などは終わりの方になってやっと出てくるが、それに到るまでの音楽も面白いものである。

「パリの喜び」は、ローゼンタールが最晩年に自身の指揮者でNAXOSに録音しており、またシャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団による演奏がDECCAから出ていて、デュトワ盤は決定盤といっても差し支えないほどの出来を示している。

子供の頃からガキ大将で、桐朋学園大学時代には、尾高忠明と共に「悪ガキ・イノチュウ」と言われた井上道義。尾高さんはその後、大分丸くなったが、井上の方は依然として破天荒なイメージがある。ただ、一方で、指揮や作る音楽はオーソドックスなものが多く、時折、大見得を切ることもあるが、安心して聴ける指揮者である。広上淳一のように、「どんな音楽になるのか蓋を開けてみるまではわからない」ということは少ない。

意外にも器用である井上。ドイツものもフランス音楽も得意であり、ショスタコーヴィチの演奏に関しては日本における第一人者でありながら、シベリウスの交響曲も不得手とはしていない。

「パリの喜び」でも、井上は正攻法による演奏を展開。洒落っ気もあり、楽曲の描き分けも巧みである。フレンチカンカンの場面では、右足を二度上げて見せて、客席からの笑いを誘う(といってもクラシック音楽の演奏中なので爆笑とはならずに、「ふふふ」という忍び笑いが聞こえた程度だったが)。「ホフマンの舟歌」で抒情的な歌と雰囲気作りで聴衆を魅了した井上。演奏終了後、喝采を受ける。井上はサムアップしてそれに応えた。

フェスティバルホールであるが、素直でクリアな響きのするホールである。ザ・シンフォニーホールほどではないが残響も長い(ザ・シンフォニーホールは、残響がフェードアウトしていく感じだが、フェスティバルホールは京都コンサートホールと同じで、音が高いところに結構長いこと留まっている)。

 

後半、バルトークの歌劇「青ひげ公」。オーケストラがチューニングを終えたところで、突然、全ての照明が落ち、会場は真っ暗になる。笑い声が聞こえ、やがて、吟遊詩人(晴雅彦)の姿が浮かび上がる。吟遊詩人は「全部の照明を落とすことはないのに」と笑い、「これから繰り広げられるのは愛の物語」だと告げる(吟遊詩人による前口上はべーラ・バージュの戯曲にも書かれているが、今回はその翻訳とは違う、井上道義オリジナルのものである)。吟遊詩人が少し動いたところに青ひげ公の椅子があり、吟遊詩人は「これは地獄を表しているのかな」などと言う。吟遊詩人は自分の正体が「この物語の作者だ」と明かして、中央に作られた通路を歩いて去って行く。入れ替わるようにして井上が指揮台に上がり、演奏開始、青ひげ公(イシュトヴァーン・コヴァーチ)が、新妻となったユーディト(アンドレア・メラース)を城に招く場面から始まる。井上は前半もそうだったが、譜面台に総譜を置いて、指揮棒も場面によって使ったり使わなかったりする。ハンガリー語歌唱、日本語字幕スーパー付きでの上演である。
ユーディトは舞台奥から歩いて現れる。演奏会形式とも普通のオペラ形式とも違う、セットはなしだが、衣装・演技ありというステージ・オペラ形式での上演。青ひげ公は黒の、ユーディトは白い衣装を着ている。元々、観客の想像力に委ねる部分の多いオペラだが、今回はセットもないので、背景などは全て聴く者に任せることになる。7つある青ひげ公の部屋(7つというのはキリスト教の「7つの大罪」に由来するものであろう)。「拷問部屋」、「武器庫」、「宝石の間」、「庭園」、「国土」、「湖」と部屋を経る毎にユーディトの青ひげ公に対する疑惑は深まっていく。そして7つ目の部屋。そこに拡がるのは意外な光景であった…

ペローやグリム兄弟の童話では残忍さばかりが強調されている青ひげ公であるが、バージュの台本とバルトークの曲は、青ひげ公とユーディトの間にある愛情や葛藤などを描き出している。今回、台本、演出を手掛けた井上道義は、前口上などを変更することにより、これが愛の物語であることを強調する。井上指揮する大フィルは透明でパワフルな音を奏で、歌手二人も優れていて、特筆すべき完成度になっていたと思う。ただ、私自身はラストに関しては井上とは完全に異なる解釈をしているため(井上も断定はせずにぼかしている)、「この演出は違う」とも思った。

とはいえ、完成度は抜群の公演。大阪フィルの井上時代のプロローグともいうべき演奏会は大成功であった。

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