カテゴリー「フェスティバルホール」の23件の記事

2019年8月13日 (火)

コンサートの記(585) グスターボ・ヒメノ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第490回定期演奏会

2015年7月23日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第490回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はスペイン出身の若手、グスターボ・ヒメノ。

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席ティンパニ奏者を経て指揮者となったヒメノ。この秋にはそのロイヤル・コンセルトヘボウ楽団を率いて来日ツアーも行う。
生年などは定かでないか、2001年にロイヤル・コンセルトヘボウの首席ティンパニ奏者に就任。その後、アムステルダム音楽院で指揮法を習い、指揮者としての活動を開始。マリス・ヤンソンスの下でロイヤル・コンセルトヘボウ管の副指揮者を務め、2013年にはクラウディオ・アバドの下でモーツァルト管弦楽団、ルツェルン祝祭管弦楽団、マーラー・チェンバー・オーケストラの各楽団の副指揮者の座を担った。今年の9月からはルクセンブルク・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任する予定である。

曲目は、レブエルタスの「センセマヤ」、アンドレ・プレヴィンのチェロ協奏曲(日本初演。チェロ独奏:ダニエル・ミュラー=ショット)、ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」、レナード・バーンスタインの「ウエストサイド物語」より“シンフォニック・ダンス”
全て20世紀以降に書かれた作品であるが、いわゆる現代音楽の範疇からは外れた作品が並ぶ。アンドレ・プレヴィン、レナード・バーンスタインという指揮者兼作曲家の作品が並ぶのも特徴である。

今日のコンサートマスターは首席コンサートマスターの田野倉雅秋。

今日は1階の前から2列目上手端の席。管楽器の奏者はチェロ奏者達の陰になって顔がほとんど見えない。大抵のホールではステージに近すぎる席だと直接音と残響のバランスが悪くなるのだが、新しくなったフェスティバルホールは音が上に抜けやすいということもあってか、なかなか良い音で聴くことが出来た。

レブエルタスの「センセマヤ」。シルベストレ・レブエルタスはメキシコ生まれの作曲家だそうで、メキシコ・シティでヴァイオリンを学んだ後でアメリカに渡り、テキサスのオーケストラではコンサートマスターも務めたという。その後、祖国に帰り、メキシコの民族色の濃い作品を作曲しているという。「センセマヤ」はスペイン内戦を題材にした作品であり、「殺せ! 殺せ!」というメッセージを込めたというおどろおどろしい作品である。おそらく5拍子が主体だと思われるが独特のテンポの中で熱い音楽が築かれていく。今日の大フィルの音色はスマート。ヒメノの指揮は端正にして知的コントロールの行き届いたものである。
ちなみにレブエルタスの「センセマヤ」の世界的な紹介を行ったのはレナード・バーンスタインだそうである。


アンドレ・プレヴィンのチェロ協奏曲。NHK交響楽団の名誉客演指揮者としても知られるアンドレ・プレヴィン。映画音楽の作曲家としてスタートし、ジャズの作曲家兼演奏家を経てクラシックの指揮者となり、クラシック作品の作曲も手掛けるようになったという多彩な人である。イギリス王室からナイトに叙されているが、ドイツ&アメリカ国籍であるため「サー」を名乗ることは許されていない。
チェロ独奏のダニエル・ミュラー=ショットは、1976年、ミュンヘン生まれの若手チェロ奏者。ハインリヒ・シフやスティーブン・イッサーリスに師事し、世界中でチェリストとして活躍。ミュラー=ショットのチェロを聴いたプレヴィンは強い感銘を受け、ミュラー=ショットのためのチェロ協奏曲を書いた。それが今日演奏される本作である。2011年6月9日に、作曲者指揮ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の伴奏、ミュラー=ショットのチェロ独奏で世界初演が行われている。。今回は世界初演者のチェロによる日本初演である。

3つの楽章からなるが、いずれもまずチェロが飛び出し、それをオーケストラが追うという形になる。ミュラー=ショットのチェロは磨き抜かれた音を発し、琥珀のような独特の輝きで響く。
第1楽章はポピュラー音楽のような快活さを持ち、第2楽章はメランコリック、第3楽章は伸びやかである。良い意味で映画音楽的なメロディアスな旋律を持つ曲である。ヒメノ指揮の大フィルは旋律を良く歌ったが、あるいはもっと渋い音楽作りを持ち味とする指揮者が振ったら全く印象の異なる曲になったかも知れない。

ミュラー=ショットはアンコールを2曲弾く。まずブリテンの無伴奏チェロ組曲第2番より“デクラマート”。ブリテンの無伴奏チェロ組曲はJ・S・バッハのそれの陰に隠れて知名度が上がらないが佳曲揃いであり、“デクラマート”も優れた曲と演奏であった。続いてはツィンツァーゼ(後で調べたところ、ソ連時代のグルジア=現・ジョージアの作曲家だという)の「チョングリ」.。全編ピッチカートによるリズミカルな小品である。


ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」。大フィルのパワーが前面に押し出された力強い演奏。それでいて洗練されている。弦も管も力強いがバランスは取れており、ヒメノの旋律の歌わせ方はお洒落だ。極めて都会的な演奏であり、カオス的な部分を隠すことなくエレガントにまとめ上げるという秀逸な出来だ。アメリカ的な開放感よりも、パリのエスプリがより強く出されており、「『パリ』のアメリカ人」という印象を受ける。


レナード・バーンスタインの「ウエストサイド物語」より“シンフォニック・ダンス”。ショーピースとしてよく取り上げられる曲目であるが、実は大阪フィル事務局次長の福山修氏によると、大フィルがこの曲を演奏するのは意外にも今日が楽団史上初になるのだという。朝比奈隆にレナード・バーンスタインの曲は似合わないのでそれは納得出来るが、晩年のレナード・バーンスタインに最も可愛がられた指揮者の一人であった大植英次も大阪フィルではこの曲を取り上げていないようだ(確かに大植指揮の定期演奏会でこの曲を聴いた覚えはないが)。ちなみに大植英次は、バーンスタイン最後の来日となった1990年のロンドン交響楽団とのツアーに同行しており、東京公演では、体調不良のバーンスタインに代わって「ウエストサイド物語」より“シンフォニック・ダンス”1曲のみを指揮している。しかし指揮者の変更が発表されたのが公演当日。しかも当時の大植は全くの無名の存在。ということで、指揮者の交代を不服とした聴衆が終演後もホールに残ってコンサート主催者であった野村證券をつるし上げるという事件が起こっている(野村・バーンスタイン事件)。コンサートの当日にバーンスタインは吐血したことがわかっており、リズミカルな曲の指揮は不可能であったのだが、それは様々な理由から明らかにされなかった。そのため大植もこの曲に良い思い出がないのかも知れない。
“シンフォニック・ダンス”を演奏するのは始めとだという大フィルであるが、この曲を演奏するのに必要なリズム感とスウィング感は完璧にものにしており、楽しさ抜群の演奏となる。力強さだけではなく、リリカルな部分の表現力にも長けている。

この秋のコンセルトヘボウ管との来日ツアーの名刺代わりとして十分な実力を披露したヒメノであった。

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2019年8月10日 (土)

コンサートの記(584) 大阪新音 三ツ橋敬子指揮大阪フィルハーモニー交響楽団ほか モーツァルト 「レクイエム」(バイヤー版)

2019年7月30日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪新音によるモーツァルトの「レクイエム」を聴く。三ツ橋敬子指揮大阪フィルハーモニー交響楽団、大阪新音フロイデ合唱団の演奏。ソリストは、ソプラノに並河寿美、メゾソプラノに福原寿美枝、テノールに二塚直紀、バリトンに三原剛と関西の実力派が揃った。

前半がグリーグの組曲「ホルベアの時代から」(ホルベルク組曲)、後半がモーツァルトの「レクイエム」というプログラム。モーツァルトの「レクイエム」は、ジュースマイヤー版ではなく、フランツ・バイヤーが1971年に補作したバイヤー版を用いての演奏である。現在では様々な補作のあるモーツァルトの「レクイエム」であるが、バイヤー版はジュースマイヤー版の和声やオーケストレーションを手直しした版であり、他の版のように大きく異なるということはないため、ジュースマイヤー版以外では最も演奏される機会が多く、録音も様々な組み合わせによるものが出ている。


大阪フィルには大植英次が特注で作らせたという、通常よりも高めの指揮台があるのだが、三ツ橋敬子も身長151cmと小柄であるため、大植用の指揮台が用いられる。
今日の大フィルのコンサートマスターである須山暢大は長身であるため、横に並ぶと三ツ橋が余計に小さく見える。


グリーグの組曲「ホルベアの時代から」。北欧の音楽だけに澄み切った響きが欲しいところだが、大フィルの弦楽の響きは渋め。三ツ橋はスプリングの効いた音楽を指向しているように思われたが、弦楽が今ひとつ乗り切れない。
第4曲の「エア」などは敬虔な響きが良かったが、他の曲は重めで、昔からの大フィルの弱点が出てしまっていたように思う。


モーツァルトの「レクイエム」。字幕付きでの上演である。
大阪新音フロイデ合唱団は大編成ということで、大フィルもフルサイズに近いスタイルでの演奏。フェスティバルホールでの演奏ということでピリオドはほとんど意識されていない。ただ時折、モダンスタイルとは違った弦楽の透明な響きが聞こえたため、要所要所ではHIPを援用しているようだ。

大空間のフェスティバルホールでの大編成での合唱ということで、最初のうちは声が散り気味に聞こえたが、そのうちに纏まりが出てくる。臨時編成のアマチュア合唱団による一発本番だけに、最初から上手くはなかなか行かないだろう。メンバーの平均年齢が高めであるため、声が乾き気味でもある。ただ「怒りの日」などでの迫力はなかなかのものだ。

三ツ橋は自分の色を出すよりも音符そのものに語らせるというスタイルを取っており、モーツァルトと弟子のジュースマイヤーの書いた音楽の良さがそのまま伝わってくる。比較的速めのテンポによるキビキビとした演奏であり、モーツァルトの特長である推進力も巧みに表現されていた。大編成の合唱であるが飽和はさせないという手綱さばきも上手い。ドイツものということで、大フィルも最上のスタイルを見せる。

バイヤー版であるが、モーツァルトの絶筆とされる「ラクリモーサ」のその後の展開などに賛否両論がある。ただモーツァルトは「レクイエム」を作曲途中で他界してしまったため(オーケストレーションも含めて完全に仕上げることが出来たのは第1曲のみである)、モーツァルトの真作による「レクイエム」を聴くには、なんとかしてモーツァルトを生き返らせねばならないわけで、それは不可能。ということで、誰が補作しても完全に納得のいく作品になるわけはなく、そういうものとして受け取るしかないであろう。

打率は高いが大当たりは少ないというタイプの三ツ橋であるが、「レクイエム」は大フィルの威力も相まって彼女としても上の部類に入る出来だったと思う。

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2019年7月25日 (木)

コンサートの記(579) ラドミル・エリシュカ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第489回定期演奏会 ドヴォルザーク 「スターバト・マーテル」

2015年6月9日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第489回定期演奏会を聴く。今日の指揮はチェコの名匠、ラドミル・エリシュカ。
ドヴォルザークの大曲、「スターバト・マーテル」1曲勝負である。

滅多に演奏されないドヴォルザークの「スターバト・マーテル」。私も生では一昨年の夏に広上淳一指揮京都市交響楽団ほかの演奏で聴いたことがあるだけである。録音点数も少ない。

4人の独唱者と合唱を伴う大編成の曲である。独唱は、ソプラノ:半田実和子、アルト:手嶋眞佐子(てしま・まさこ)、テノール:望月哲也、バス:青山貴(あおやま・たかし)。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指揮:福島章恭)。
大阪フィルハーモニー合唱団はアマチュアの団体であるが、大阪フィルハーモニー交響楽団専属の合唱団として1973年創立という歴史ある団体であり、朝比奈隆、大植英次らにも鍛えられた高度な合唱力を持つ団体である。客演合唱指揮の福島章恭(ふくしま・あきやす)は東京を本拠地にしている合唱指導者であり、また音楽評論家としても活躍している。

1931年生まれのラドミル・エリシュカ。元々は音楽院での後進育成に重点を置いていた指揮者であるが、札幌交響楽団に客演して大好評。2008年に同楽団の首席客演指揮者に就任し、今年からは札響の名誉指揮者となっている。大阪フィルにも客演して名演を展開。その他にもNHK交響楽団や読売日本交響楽団に客演している。読売日本交響楽団の大阪定期演奏会のタクトも任され、私もザ・シンフォニーホールで聴いたが、大フィルとの方が相性は良さそうであった。
札幌交響楽団とはライブCDも作成しており、スメタナの連作交響詩「わが祖国」やドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」は名盤である。
エリシュカと大フィル、大フィル合唱団はヤナーチェクの「グレゴル・ミサ」を演奏して超名演を展開しただけに期待が高まる。

なお、エリシュカは英語が敵性言語として学ぶことが禁止されていた時代のチェコスロヴァキアで青年期を送っており、英語は話すことが出来ず、チェコ語とドイツ語のチャンポンでリハーサルを行うため、通訳を通す必要があるとのことである。
字幕付きでの演奏。大フィルの今日のコンサートマスターは崔文洙。

大フィルの弦は憂いに満ちた響きを出し、エリシュカの実力の高さが窺われる。エリシュカの音楽作りの特徴として低弦をしっかり弾かせてベースを築くということが挙げられる。ドイツ的な発想であり、音全体の重厚感が増す。木管も快調であったが、金管はちょっとギクシャクした印象。先週、北ドイツ放送交響楽団の金管を聴いたばかりで、無意識に比較してしまうのかも知れない。
独唱者はドラマティックな旋律を受け持っており、4人とも優れた歌唱を聴かせる。大阪フィルハーモニー合唱団も安定感がある。

宗教音楽1曲の演奏会を聴くという行為は、コンサートに行くというより儀式に参加しているというイメージに近い。宗教音楽であるため「とても楽しい」という曲は余りない。楽しい音楽は宗教音楽としては俗にすぎるのだ。
また、聴くというより心や鼓膜が浄められるような気分になる。今回の定期演奏会と大フィルのその他の演奏会とでは趣が異なる。

宗教曲というと、やはり、J・S・バッハが偉大であり、彼の音楽に学んだり影響を受けたりということは避けることが出来ない。「スターバト・マーテル」にも大バッハの音楽のような部分もいくつかある。ドヴォルザークの個性は旋律よりも和音に出ており、「これはチェコ音楽だ」とすぐわかるような響きがしていた。

今日私が座った席からはエリシュカの指揮は余り良く見えなかったのだが(特に右手に持った指揮棒が)、端正で、時に左手で指揮棒を逆さに持ち、右手だけの指揮をする。また、指揮棒を右手に持っている時の左手も雄弁である。ディミヌエンドを左手で操る様は見事であった。指揮棒を譜面台に置いてノンタクトで指揮するときは左手主導という特徴もあった。

演奏終了後、エリシュカは喝采を浴びる。エリシュカはオーケストラメンバーも立たせようとしたが、エリシュカに敬意を払って立とうとせず、エリシュカ一人が指揮台の上で再度拍手を受けた。
エリシュカは独唱者一人一人と握手とハグを交わし、大阪フィルハーモニー合唱団のメンバーにも盛んに拍手を送った。

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2019年7月 7日 (日)

コンサートの記(570) billboard classics 「KOJI TAMAKI PREMIUM SYMPHONIC CONCERT 2019 THE EURASIAN RENAISSANCE “ロマーシカ” into the GOLD」大阪公演 2019.6.27

2019年6月27日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、billboard classics「KOJI TAMAKI PREMIUM SYMPHONIC CONCERT 2019 THE EURASIAN RENAISSANCE "ロマーシカ" Into the GOLD」を聴く。長いタイトルだが、要するに玉置浩二とオーケストラとの共演である。

ゴールデンウィークに、奈良・薬師寺の特設会場で西本智実指揮イルミナート・フィルハーモニーオーケストラと玉置浩二の共演も聴いているが、当日の薬師寺は雨で気温も低め、ということでレインコートを羽織っての参加となったが耐久レース状態でもあった。もっと集中して音楽を聴きたいということでフェスでのコンサートのチケットも取った。指揮が何度も実演に接している湯浅卓雄だったということもある。
大阪公演で共演するのは大阪フィルハーモニー交響楽団。コンサートマスターは田野倉雅秋である。

今回のツアーは、24日に福岡サンパレスでスタート。福岡公演(ビルボードクラシックオーケストラ)と大阪公演、札幌のニューホールであるhitaru(札幌交響楽団の演奏)、東京芸術劇場コンサートホール(東京フィル・ビルボードクラシックオーケストラと東京フィルハーモニー交響楽団が1日ずつ演奏を行う。両者は同一団体)、横浜の神奈川県民ホールでの公演(東京フィルハーモニー交響楽団)は湯浅卓雄が指揮、さいたま市の大宮ソニックシティでの公演(東京フィル・ビルボードクラシックオーケストラ)は円光寺雅彦が指揮を務め、改修を終えたばかりの名古屋・愛知県芸術劇場大ホールでの演奏会(ビルボードクラシックオーケストラ)では柳澤寿男がタクトを執る。その後に特別公演があり、玉置はデイヴィッド・ガルフォース指揮ロシア国立交響楽団《シンフォニック・カペレ》と共演する予定である。メインのタイトルとなる「ロマーシカ」は、ロシアの国花だそうである。

ちなみに、ロシア国立交響楽団《シンフォニック・カペレ》は、スヴェトラーノフ記念となっているいわゆるロシア国立交響楽団のことではなく、かつてロジェストヴェンスキーの手兵として知られたソビエト国立文化省交響楽団の現在の名称である。

今日の指揮者である湯浅卓雄は、1949年大阪府生まれ。枚方市と寝屋川市の境付近に生まれ、区画整理によって寝屋川市になった場所で生まれ育ったが、代々枚方の家系だそうで、枚方への思い入れをコンサート会場で語ったこともある。同志社香里高校卒業後に渡米、シンシナティ大学音楽院で作曲を専攻し、その後、ヨーロッパに渡ってウィーン国立音楽大学で指揮を学ぶ。NHK交響楽団名誉指揮者として知られたロヴロ・フォン・マタチッチのアシスタントとしても活躍。日本では1984年から5年間、群馬交響楽団の指揮者を務めているが、それ以外はヨーロッパでキャリアを築いている。イギリス・北アイルランドのアルスター管弦楽団首席客演指揮者時代にNAXOSレーベルと専属契約を結び、次々と新譜をリリースして日本でも知られるようになり、「頭脳流出」「逆輸入型」とも呼ばれていたマエストロである。21世紀に入ってからは在阪オーケストラへの客演も増え、センチュリー響とはブラームスとロベルト・シューマンの交響曲全集をリリースして好評を得ている。
今月29日にさいたま市大宮で予定されている玉置浩二の公演の指揮は円光寺雅彦に譲り、湯浅は30日に大阪フィルを指揮してベルリオーズの大曲「レクイエム」を上演する予定。フェスティバルホールの2700席はすでに完売である。

湯浅はずっと海外で活動していたため、玉置浩二のことは名前しか知らなかったそうである。

 

今日は2階5列目の24番という中央に近い場所での鑑賞。クラシックなら最上の音のする席の一つだと思われるが、プラグインでの公演なので状況が異なるかも知れない。

 

オーケストラとの共演で聞き映えのする作品ということで、バラードが中心であり、オーケストレーションが必要ということもあってか、薬師寺での公演と重なる曲も多い。

湯浅と大フィルによる「歓喜の歌」(管弦楽版)でスタート。その後、玉置が拍手を受けて登場し、「キラキラニコニコ」で歌が始まる。
「いつもどこかで」、「ぼくらは」、「MR.LONELY」~「プレゼント」~「サーチライチ」のメドレーを挟んで、「ロマン」、「FRIEND」で第1部が終了。
第2部は、湯浅と大フィルによるハチャトゥリアンの「スパルタクス」第2組曲より“スパルタクスとフリーギアのアダージョ”とスタートし、「GOLD」、「行かないで」、「JUNK LAND」、「ワインレッドの心」~「じれったい」~「悲しみにさよなら」のメドレーに続いて「夏の終わりのハーモニー」で本編が終わる。

 

フェスティバルホールでポピュラー音楽を聴くのは久しぶりということもあり、マイクにエコーが掛かりすぎているような気もしたが、ポピュラーとしてはこれが普通の音響なのかも知れない。
クラシック対応のフェスティバルホールということで、玉置が終盤に連続して行ったマイクなしでの歌唱もよく響く。ちなみに薬師寺でも同様のことを行っていたが、野外なので声が余り届かなかった。薬師寺では奉納演奏会の意味もあったが、やはりコンサートは優れた音響を持つ会場で行った方が良い。

「Mr.LONELY」、「FRIEND」、「行かないで」という染みる系の歌を再び聴けたのは嬉しいし、子供の頃に聴いた「ワインレッドの心」や「悲しみにさよなら」をオーケストラ伴奏で再度味わうことが出来たのは貴重な体験である。台風が近づき、大阪はG20でいつもとは違う表情を見せているという状況もあったが、ドラマティックな歌唱が胸に響く。いや、玉置浩二の歌は耳や心だけでなく、全身で聴くものなのだろう。安易に「感動」と言ってしまってはいけないのかも知れないが、体全体が揺さぶられるような感覚に何度も陥った。

玉置浩二は、ゴールドリボン募金の呼びかけ人ということで「夏の終わりのハーモニー」では歌詞の一部を「ゴールドリボンに」に変えて歌う。

 

「夏の終わりのハーモニー」が終わった後、玉置浩二と湯浅卓雄は腕を組んで至近距離で向かい合い、「さあ、これからどうする?」というポーズを見せる。無論、アンコールはあるのだが、ポーズである。

まず、湯浅と大フィルがベートーヴェンの交響曲第6番「田園」第1楽章を演奏。旋律の所々が玉置浩二の「田園」に置き換わる。玉置が登場して、「田園」の熱唱スタート。聴衆も全員が手拍子で盛り上げ、一体となる。玉置浩二は、サビの部分を「愛はここにある。大阪にある」に変えて歌い、1階席は総立ちの聴衆が大歓声を送った。

この曲で終わりでも良かったのだが、アンコール2曲目として「メロディー」が歌われる。玉置はこの曲もラストはマイクなしで歌った。

満面の笑顔を見せた玉置浩二は、最後はエアハグ(なのかな? 自分を抱く格好をする)などを行い、喝采と興奮の中、ステージを後にした。

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2019年7月 1日 (月)

コンサートの記(568) ヨエル・レヴィ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第529回定期演奏会

2019年6月21日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第529回定期演奏会を聴く。今日の指揮はヨエル・レヴィ。

1988年から2000年まで務めたアトランタ交響楽団の音楽監督時代に脚光を浴びたヨエル・レヴィ。21世紀に入ってからはレコーディングの機会に恵まれないということもあって注目度はやや落ちた感じだが、昨年の京都市交響楽団への客演した際の演奏などから確かな実力の持ち主であることが分かる。
現在は韓国のKBS交響楽団の音楽監督兼首席指揮者として活躍している。
大フィルへの客演はこれで3度目となるレヴィ。日本から近い場所に拠点を持っているということもあって今後も日本のオーケストラに客演してくれそうである。東京のトップオーケストラは無理かも知れないが、日本の地方のオーケストラのシェフになればかなりの評判を呼びそうな気もする。

曲目は、モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」、ヤナーチェクの狂詩曲「タラス・ブーリバ」とシンフォニエッタという、チェコ繋がりのプログラムである。

 

今日はいつもと異なり、アメリカ式の現代配置での演奏。京響での演奏会の時もそうだったので、レヴィはこの配置を好むようだ。 今日のコンサートマスターは田野倉雅秋、フォアシュピーラーに須山暢大。

 

モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」。レヴィが持ち込んだ譜面での演奏だそうである。バロック・ティンパニを使用し、大きめの編成ながらHIPを駆使した演奏だが、序奏の部分はかなり遅め。ピリオドはテンポを速めにするのが特徴の一つなので、それに反した個性的な演奏である。主部に入るとアッチェレランドしていき、爽快さが加わる。
弦の音がとにかく美しいのが印象的。レヴィはユダヤ人だが、ユダヤ人は昔から美音を特徴とする弦楽奏者を数多く輩出している。また、ユダヤ人のメンバーが多いイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団も結成当初から弦楽の美しさを最大の売りとしてきた。そうしたことから考えると、やはり、ユダヤ人は弦楽の音への感度が他の民族に比べて高いのだと思われる。あたかも往時のプラハの街の空気まで運んできたかのような雅やかな美演であった。

 

ヤナーチェクの狂詩曲「タラス・ブーリバ」。
1970年代後半から1980年代前半に掛けて、チャールズ・マッケラスが行ったレコーディングの数々によって世界的な知名度が上がったレオシュ・ヤナーチェク。ボヘミアではなくモラヴィアの出身であり、モラヴィアの民族音楽研究に取り組み、人生の大部分をモラヴィアの中心地であるブルノで過ごしたというローカルな背景もあって個性的な作風で知られる。マッケラス以外では、やはりチェコの指揮者達が多くの録音を残している。

狂詩曲「タラス・ブーリバ」は、ゴーゴリの小説を元にした管弦楽曲である。
レヴィ指揮の大阪フィルは、描写力に富んだ演奏を展開。力強さ鋭さなどが印象的である。チェコの作曲家の中でも異色とされるヤナーチェクだが、英雄を題材にした楽曲ということもあって、スメタナやドヴォルザークの交響詩に似た部分もある。

 

ヤナーチェクのシンフォニエッタは、村上春樹の小説『1Q84』によって有名となった(書店の『1Q84』売り場ではシンフォニエッタのファンファーレの部分が延々と流れていたりした)が、それ以前からヤナーチェクの楽曲の中では最も取り上げられる機会の多い作品であった。多くの金管奏者を必要とする特殊な編成の楽曲であり、今日もフェスティバルホールのステージ最後部に金管奏者が横一列に並ぶという、抜群の視覚効果を生み出している。
フェスティバルホールも再建なってから6年が経ったが、当初に比べて音の通りが良くなっているようであり、シンフォニエッタでも優れた音響が聴かれる。
レヴィの生み出す音楽はスケールが大きく音圧も高いが、程良い抑制が効いており、最大音響でもうるさくなることはない。
弦の響きの美しさに加え、管楽器の輝かしさも加わり、大フィルの現時点での最高レベルの音楽が鳴り響く。
ヤナーチェクだけでなく、スメタナやドヴォルザークもそうだが、チェコの音楽は意図的に格好悪い要素を加えたり、洗練度を敢えて下げることによって生まれる「味」のようなものを重視している部分が演歌に通じているように思う。スメタナの「モルダウ」の合唱版やドヴォルザークの「家路」などが日本で好んで歌われるのもそうした理由なのかも知れない。

 

実は先月のデュトワ指揮の定期演奏会が満員になった揺り戻しがあるそうで、今日は空席が目立っていたが、レヴィと大フィルを盛大な拍手が称える。最後はレヴィがコンサートマスターの田野倉の手を引いて退場し、演奏会はお開きとなった。

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2019年6月10日 (月)

コンサートの記(561) シャルル・デュトワ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第528回定期演奏会1日目&2日目

5月23日と24日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

5月23日

午後7時から、大阪・中之島のフェルティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第528回定期演奏会を聴く。今回の指揮者はシャルル・デュトワ。現在、NHK交響楽団の名誉音楽監督の称号を得ているが、例の騒動によって恒例になっていたNHK交響楽団の12月定期への出演などが流れ、結果として大フィルへの客演が実現したのだと思われる。

シャルル・デュトワは1936年生まれ。ズービン・メータやエリアフ・インバルと同い年となり、この年は指揮者の当たり年のようだ。小澤征爾は1935年生まれで1つ年上、ネーメ・ヤルヴィが1937年生まれで1つ年下という世代である。
スイス・フランス語圏のローザンヌで生まれ育ち、生地とジュネーヴの音楽院でアンセルメらに学ぶ。タングルウッド音楽祭ではシャルル・ミュンシュにも師事している。1964年にベルン交響楽団を指揮してデビュー。ヘルベルト・フォン・カラヤンに認められ、ウィーン国立歌劇場のバレエ専属指揮者に指名されるが、コンサート指揮者になりたいという希望があったため断っている。
1970年に読売日本交響楽団を指揮して日本デビュー。会場は当時のフェスティバルホールであり、聴衆からも楽団員からも極めて高い評価を受けている。
1977年にモントリオール交響楽団の音楽監督に就任。当初はさほど期待されていなかったようだが、瞬く間に同交響楽団を世界レベルにまで押し上げて関係者をあっといわせる。1996年にNHK交響楽団の常任指揮者に就任。1998年には初代音楽監督に昇進し、2003年まで務めている。1991年から2001年まではフランス国立管弦楽団の音楽監督も兼務し、北米、アジア、ヨーロッパの三大陸にポストを持つなど多忙を極めた。1996年のゴールデンウィークにフランス国立管弦楽団を率いてサントリーホールで公演を行っているが、それが私にとって初の来日オーケストラに接する機会となった。

 

演目は、ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲、ベルリオーズの幻想交響曲。デュトワの十八番を並べたプログラムとなっている。
デュトワ指揮の「ダフニスとクロエ」は、NHK交響楽団の定期演奏会で全曲を聴いている。上演中に震度3の地震が起こったことでも思い出深い演奏会である。

 

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。第2ヴァイオリンは今日も客演を含めて全員女性奏者となっている。

 

ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」。フェルティバルホールという大型の空間であるため、祝祭的な爆発感は感じにくかったが、音の色彩感と縁取りの鮮やかさが見事な演奏である。

 

ラヴィルの「ダフニスとクロエ」第2組曲は、今日一番の出来と思えるハイレベルな演奏。上品だが痛切な音が奏でられ、音楽というものが確実に皮膚から染みこんでくる。
私にとって音楽はなくてはならないものだと確認出来ると同時に、世界にとって必要なものであると確信することが出来た。
「ダフニスとクロエ」第2組曲はオーケストラだけの演奏でも可能だが、今回は合唱入りでの演奏。大阪フィルハーモニー合唱団が美しい声を届ける。
「全員の踊り」のラストの高揚感も流石であった。

 

メインであるベルリオーズの幻想交響曲。基本的にデュトワの演奏はエスプリ・クルトワ路線であり、エスプリ・ゴーロワではない。ということでおどろおどろしさや狂的な要素を表に出すことは余りない(1階席20列45番という席で、直接音が余り届かなかったということもそう感じさせる要因だろうが)が、音に宿るドラマと生命力の表出は見事。フランス音楽のスペシャリストとしての全世界に名を轟かせたデュトワの実力は並みではない。

客席は最初の「ローマの謝肉祭」演奏終了後から爆発的に盛り上がり、「ダフニスとクロエ」第2組曲演奏終了後は、客席が明るくなっても拍手が鳴り続けてデュトワが再登場。幻想交響曲演奏終了後も「ブラボー!」が各所から聞こえ、最後はデュトワがお馴染みとなった「バイバイ」の仕草を行って、演奏会はお開きとなった。

 

5月24日

今日も午後7時からフェスティバルホールでシャルル・デュトワ指揮の大阪フィルハーモニー管弦楽団の第528回定期演奏会を聴く。

今日も1階20列目だが、52番という右端の席。すぐそこが壁であり、反射が良いので音の輪郭がクッキリと聞こえる。そのため、音の迫力がわかり、序曲「ローマの謝肉祭」の狂騒がよりはっきりと把握出来る。一方で、「ダフニスとクロエ」第2組曲では音がはっきりしてるため、昨日に比べると神秘的な雰囲気は感じにくいかも知れない。全てが理想的な席というのはなかなかないものである。

幻想交響曲では、デュトワはアゴーギクを多用。即興性もあり、いつものデュトワとはちょっと違う演奏である。音にはステージの底から沸き起こってくるような迫力があり、昨日感じた蒸留水的な美しさとは少し異なる印象を受けた。今日の演奏の方が私の好みに合っている。

今日は演奏終了後にバンダの鐘奏者を紹介したデュトワ。第2ヴァイオリンの女性奏者が感激の表情を浮かべており、大フィル初登場は大成功であった。

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2019年5月28日 (火)

観劇感想精選(301) トム・ストッパード&アンドレ・プレヴィン 俳優とオーケストラのための戯曲「良い子はみんなご褒美がもらえる」

2019年5月12日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて観劇

午後1時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、俳優とオーケストラのための戯曲「良い子はみんなご褒美がもらえる」の上演を観る。作:トム・ストッパード、作曲:アンドレ・プレヴィン、テキスト日本語訳:常田景子、演出:ウィル・タケット、音楽監督・指揮:ヤニック・パジェ。出演:堤真一、橋本良亮(A.B.C-Z)、小手伸也(こて・しんや)、シム・ウンギョン、外山誠二、斉藤由貴。ダンサーとしての出演:川合ロン、鈴木奈菜、田中美甫、中西彩加、松尾望(まつお・のぞみ。女性)、中林舞、宮河愛一郎。

初演は1976年にロンドンで行われている。作曲のアンドレ・プレヴィンが今年の2月28日に亡くなっているが、追悼のために企画された上演ではなく、この時期に上演が行われるのはたまたまである。

1970年代のソビエト・レニングラードが舞台である。ソビエト共産党の意向に合わない人間が思想犯として精神病院に送り込まれている。アレクサンドル・イワノフ(以後アレクサンドルとする。堤真一)はそのことをプラウダなどに寄稿したため、精神病院送りとなる。精神病院となっているが、実際は政治犯を収容するための刑務所以外の何ものでもないのだが、体制派の医師(小手伸也)はそのことを否定し、ここはあくまで精神病院だと言い切る。医師はアレクサンドルに向かって「思考すること自体が病気だ」と断言する。ちなみに、医師はアマチュアオーケストラにヴァイオリニストとして参加しているようだ。アレクサンドルと同居することになった同姓同名の精神病者であるアレクサンドル・イワノフ(以後イワノフとする。橋本良亮)は、自身が指揮者としてオーケストラは率いていると思い込み、トライアングルを叩きながら空に向かって指揮を行っている。オーケストラのメンバーをかなり口汚く罵っており、独裁者タイプの指揮者として君臨しているつもりのようである。医師はイワノフに「オーケストラは実在しない」と繰り返し唱えて、想像を止めるよう忠告する。
アレクサンドルにはサーシャという息子がいる(韓国人女優であるシム・ウンギョンが演じている)。教師(斉藤由貴)は「父親が思想犯として逮捕された」というサーシャの言葉を信じず、そうした不自由なスターリン体制は過去のものになっていると教え込もうとしていた。

 

「転向」を描いた上演時間約1時間15分の中編である。アレクサンドルは精神病院内にトルストイの『戦争と平和』を持ち込んでおり、ナポレオン戦争の場面ではオーケストラがチャイコフスキーの序曲「1812年」の一部を奏でたりする。オーケストラは「象徴」のように常にステージ上にいて、軍服姿のヤニック・パジェの指揮で演奏を行う。
アンドレ・プレヴィンの音楽は意図的にショスタコーヴィチ作品を模したものである。偶然だが、ショスタコーヴィチは「良い子はみんなご褒美がもらえる」が初演された1976年に死去している。

「良い子はみんなご褒美がもらえる」は、「Every Good Boy Deserves Favour」の邦訳であるが、「Every Good Boy Deserves Favour」とは、「EGBDF」という五線譜の音階を覚えるための言葉である。サーシャが譜読みを正確に行わなかったために、教師からたしなめられる場面もある。

ストーリー自体は全くの架空のディストピアものではなく、ソビエトでは反体制派の政治犯や思想犯として精神病院送りということで事実上の牢獄に押し込めることがよく行われており、実はロシアに戻った今でもある。弾圧された文化人としては、作家のソルジェニーツィンが有名であり、音楽家の中でも例えばラトヴィア出身のミッシャ・マイスキーは思想犯として精神病院に幽閉された経験を持っている。トム・ストッパードは、1968年のプラハの春反対デモに参加して精神病院に送られた経験のあるヴィクトル・フェーンベルクと1976年の春に出会い、一気に戯曲を書き上げたそうである。

 

トルストイの『戦争と平和』は、私も二十代前半の頃に読み、大方は忘れてしまったが、トルストイが繰り返し説いた歴史観、つまりナポレオン戦争はナポレオン一人が起こしたものではなく、大きな流れの中で起こったものであり、ナポレオンはその中の一人に過ぎないという考えは納得出来るし、今でもよく覚えている。おそらくこの作品におけるオーケストラは「大きな流れ」、「大衆」や「群集心理」の喩えなのだろう。
アレクサンドルはサーシャを守る必要性もあって(ご褒美がもらえる)、ラストではオーケストラに向かい、指揮棒を振り上げることになる。

 

実力派の堤真一が見事な演技を見せる一方で、同姓同名の人物を演じる橋本良亮は台詞回しも弱く、存在感も今ひとつである。今日はジャニーズが出るということで、客席にはいかにもそれらしい若い女性の姿が目立ったが、納得させられる出来だったのかどうかわからない。
余り出番の多くない教師役に斉藤由貴はもったいない気がするが、リアルな人物像に仕上げてきたのは流石である。

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2019年5月 5日 (日)

コンサートの記(554) パーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア・フェスティバル管弦楽団来日演奏会2019大阪

2019年4月28日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア・フェスティバル管弦楽団の演奏会を聴く。

エストニア・フェスティバル管弦楽団は、パーヴォ・ヤルヴィが創設したオーケストラである。
エストニアの保養地・避暑地であるパルヌで毎年行われる音楽祭のレジデンスオーケストラであり、2011年にパーヴォが父親であるネーメ・ヤルヴィと共にパルヌ音楽祭の指揮マスタークラスを始めた際に結成された。メンバーのうち半分はエストニアの若い音楽家、残りの半分はパーヴォが世界中から集めた優秀な音楽家たちであり、教育的な面と表現拡大の両面を目指しているようである。

 

曲目は、ペルトの「カントゥス ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」、シベリウスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:五嶋みどり)、トゥールの「テンペストの呪文」、シベリウスの交響曲第2番。

 

午後2時15分頃からプレイベントがある。ナビゲーターはソリストの五嶋みどり(MIDORI)。
黄色いTシャツで登場した五嶋みどりは、プレイベントの説明と、エストニア・フェスティバル管弦楽団の簡単な紹介を行った後で、エストニア・フェスティバル管弦楽団の女性ヴァイオリニスト、ミーナ・ヤルヴィと二人でプロコフィエフの2つのヴァイオリンのためのソナタハ長調より第2楽章を演奏する。今日は2階の最後部の席で聴いたのだが、ヴァイオリンの音がかなり小さく感じられ、当然ながらフェスティバルホールが室内楽には全く向いていないことがわかる。

続いて、エストニア・フェスティバル管弦楽団の創設者兼音楽監督で今日の指揮も務めるパーヴォ・ヤルヴィに五嶋みどりが話を聞く。
パーヴォはまずエストニアの紹介をする。人口150万ぐらいの小さな国だが、音楽が重要視されていること、優れた作曲家や音楽家が大勢いること、自分は17歳の時にエストニアを離れてアメリカで暮らしてきたが、人からエストニアについて聞かれるうちに、エストニアの音楽親善大使になる団体を作りたいと思い、エストニア・フェスティバル管弦楽団を創設したことなどを語る。
エストニアの音楽文化のみならず、バルト三国やポーランド、フィンランド、スウェーデン、ロシアなどとも互いに影響し合っており、そのことも表現していきたいとの意気込みも語った。
パルヌはフィンランドの温泉のある保養地で、パーヴォの父親であるネーメもそこに家を持っていて、パーヴォはショスタコーヴィチやロストロポーヴィチなどとパルヌのヤルヴィ家で会っているそうである。

最後は、エストニア・フェスティバル管弦団のヴィオラ奏者である安達真理に五嶋が話を聞く。安達がステージに出ようとする際に誰かとじゃれ合っているのが見えたが、パーヴォが「行かないで」という風に手を引っ張ったそうで、五嶋は「今のはマエストロのエストニアンジョークですか?」と聞いていた。
エストニアの首都タリンについては、安達は「可愛らしい、可愛らしいなんて軽く言っちゃいけない悲しい歴史があるんですが、古き良きヨーロッパが凝縮されているような」街で、ヨーロッパ人からも人気があるそうだ。パルヌ(五嶋みどりは「ペルヌ」と発音。おそらく「パ」と「ペ」の中間の音なのだろう)にはビーチがあるのだが、「サンフランシスコのビーチのようなものではなくて、わびさびというか」と思索に向いた場所らしいことがわかる。
プレイベントの締めくくりは、五嶋と安達によるヴァイオリンとヴィオラの二重奏。モーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲変ロ長調より第1楽章が演奏された。

 

ヴァイオリン両翼の古典配置による演奏である。ティンパニは上手奥に陣取る。

 

ペルトの「カントゥス ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」。
エストニアのみならず世界を代表する現代作曲家の一人であるアルヴォ・ペルト。ロシア正教の信者となってからは強烈なヒーリング効果を持つ作品を生み出し、1990年代にはちょっとしたペルトブームを起こしている。
タイトル通り、ベンジャミン・ブリテンへの追悼曲として作曲された、弦楽オーケストラとベルのためのミニマル風作品である。
冒頭の繊細な弦のささやきから魅力的であり、色彩と輝きと光度のグラデーションを変えながら音が広がっていく。あたかも音による万華鏡を見ているような、抗しがたい魅力のある作品と演奏である。エストニア・フェスティバル管弦楽団の各弦楽器の弓の動き方など、視覚面での面白さも発見した。

 

シベリウスのヴァイオリン協奏曲。
ソリストの五嶋みどりは、ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団と同曲をレコーディングしており、歴代屈指の名盤に数えられている。
五嶋のヴァイオリンであるが、集中力が高く、全ての音に神経が注がれて五嶋独自の色に染まっていることに感心させられる。全ての音を自分のものにするということは名人中の名人でもかなり難しいはずである。
第3楽章における弱音の美しさもそれまで耳にしたことのないレベルに達していた。
パーヴォ指揮のエストニア・フェスティバル管は表現主義的でドラマティックな伴奏を繰り広げる。音の輝きやニュアンスが次々と変わっていくため、シベリウス作品に似つかわしくないのかもしれないが、面白い演奏であることも確かだ。

五嶋みどりのアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番からサラバンド。まさに音の匠による至芸であり、バッハの美しさと奥深さを存分に伝える。

 

トゥールの「テンペストの呪文」
トゥールは1959年生まれのエストニアの作曲家。パーヴォの3つ年上である。1979年にプログレッシブ・ロックバンドバンドIn speで注目を集めており、リズミカルな作風を特徴としている。パーヴォはトゥール作品のCDをいくつか出している。
「テンペストの呪文」は、シェイクスピアの戯曲「テンペスト」に影響を受けて書かれたもので、2015年にヤクブ・フルシャ指揮萬バンベルク交響楽団によって初演されている。煌びやかにしてプリミティブな音楽であり、ストラヴィンスキーの「春の祭典」に繋がるところがある。パーヴォは打楽器出身ということもあってリズムの処理は万全、楽しい演奏に仕上がる。

 

メインであるシベリウスの交響曲第2番。全編を通して透明な音で貫かれる。
パーヴォがかなりテンポを動かし、即興性を生んでいる。パーヴォは音のブレンドの達人だが、この曲ではあたかも鉈を振るって彫刻を行うような力技も目立つ。ゲネラルパウゼが長いのも特徴だ。
「荒ぶる透明な魂の遍歴」を描くような演奏であり、第4楽章も暗さは余り感じさせず、ラストに向かって一直線に、時には驚くほどの速さによる進撃を見せる。
終結部はなんとも言えぬほどの爽快さで、フィンランドと人類の魂の開放が謳われる。

 

アンコールは2曲。まず、パーヴォの定番であるシベリウスの「悲しきワルツ」が演奏される。今日も超絶ピアニシモが聞かれた。

アンコールの2曲目は聴いたことがない作品。アルヴェーンの「羊飼いの娘の踊り」だそうである。弦楽による民族舞踊風の音楽が終わった後で拍手が起こったが、パーヴォは「まだまだ」と首を振って、オーボエがリリカルでセンチメンタルな旋律を歌い始める。
その後、冒頭の民族舞踊調の音楽が戻ってきて、ノリノリのうちに演奏を締めくくる。爆発的な拍手がパーヴォとエストニア・フェスティバル管を讃えた。

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2019年3月30日 (土)

コンサートの記(536) レナード・スラットキン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第526回定期演奏会

2019年3月22日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第526回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、「最もアメリカ的な指揮者」と呼んでもいいと思われるレナード・スラットキン。

ハリウッド・ボウルの指揮者として活躍したフェリックス・スラットキンの息子であるレナード・スラットキン。
ロサンゼルスの生まれ、1979年にセントルイス交響楽団の音楽監督に就任すると短期間で同楽団のレベルアップに成功。全米オーケストラランキングでシカゴ交響楽団に次ぐ第2位に入ったことで話題となり、スラットキンとセントルイス響は来日公演を行うまでになっている。その後、スラットキンはワシントンDCのナショナル交響楽団の音楽監督に転身、更にBBC交響楽団の首席指揮者にも就任しているがこの時期は録音にも恵まれず、低迷の印象は拭えなかった。だが、デトロイト交響楽団の音楽監督就任以降は復活し、リヨン国立交響楽団の音楽監督なども務めている。

 

オール・アメリカ・プログラム。レナード・バーンスタインとアーロン・コープランドの楽曲が交互に並ぶ。レナード・バーンスタインのミュージカル「キャンディード」序曲、コープランドの「田舎道を下って」、バーンスタインの「チチェスター詩篇」、コープランドの交響曲第3番の演奏である。

 

今日のコンサートマスターは須山暢大が務める。

 

レナード・バーンスタインのミュージカル「キャンディード」序曲。佐渡裕司会時代の「題名のない音楽会」オープニングテーマとして日本でも知名度が高い曲である。リズム、推進力、豊かな旋律など、アメリカ音楽の要素が凝縮されたような作品であり、日本人の指揮者も取り上げることが多いが、やはりアメリカ人の指揮者であるスラットキンの指揮だけに複数の要素の処理の仕方に手慣れたものが感じられる。

 

バーンスタインの作曲の師としても知られるアーロン・コープランド。二人とも同性愛者であり、師弟関係以上のものがあったといわれている。
「田舎道を下って」は、コープランドが自作のピアノ小品をユースオーケストラのために編曲したものである。描写音楽ではなく、タイトルは作品完成後になんとなくつけられたものらしい。
抒情美と印象派的な冴えた色彩感覚を特徴とする楽曲であり、大フィル弦楽器軍の響きが実に美しい。

 

レナード・バーンスタインの「チチェスター詩篇」。バーンスタインの代表曲であるが、コンサートのメインとするには演奏時間が短く(20分ほど)、合唱とボーイソプラノもしくはカウンターテナーという編成も特異であるため取り上げられることは少なく、大フィルがこの曲を演奏するのは史上初めてになるという。
オーケストラの編成も特殊で、木管楽器は用いられず、トランペットとトロンボーンは3管、打楽器が多数用いられている。ハープは2台編成であるが、今日はハーブが指揮者と向かい合う形で2台置かれるという、普段余り見ない配置となった。
合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。カウンターテナー独唱は藤木大地が務める。

バーンスタインは作曲家デビューが「音楽なんて大嫌い!」という歌曲であり、その後もミュージカルやオペラ、ミサ曲、交響曲第1番「エレミア」にも独唱が入っているなど、声楽入りの作品に力を入れていた。「チチェスター詩篇」はイギリスのチチェスター音楽祭のために書かれた宗教曲である。
第1楽章はバーンスタインらしいリズミカルな楽想だが、第2楽章第3楽章ではバーンスタインのもう一つの側面である危機感と崇高美の対比が奏でられる。
藤木大地が美しい声を聴かせ、大阪フィルハーモニー合唱団も充実した歌声を響かせる。

 

メインであるコープランドの交響曲第3番。今回は原典版での演奏である。この曲が初演された際、バーンスタインが立ち会っていたのだが、終演後にバーンスタインが「少し長い気がします」とコープランドに進言。コープランドがそれを受け入れて8小節分カットした譜面によって再演されたのだが、再演時の楽譜が総譜とした出版されたため、長い間カット版が決定稿とされてきた。だが、スラットキンが初演時の音源をスコアを見ながらCDで聴いた際、数が合わないことを発見。アメリカ公文書館に行ってコープランドの自筆譜を確認したところ、第4楽章が8小節分長かったということがわかったという。

自作の「市民のためのファンファーレ」を取り入れて構成した作品である。非常にエネルギッシュな作品だが、印象派的な響きの美しさやストラヴィンスキー的なマジカルな音響がかなりはっきりと分かるように書かれている。
アメリカ音楽は歴史が短いため作曲家のプライドも欧州に比べれば高くなく、様々な音楽的要素を取り入れて作品を構成することに遠慮やてらいのようなものが少なく、そのことが日本も含めた音楽後進国の作品に繋がる面白さを生んでいるように思われるのだが、コープランドの交響曲第3番もそうしたごちゃ混ぜ的趣向に富んでいる。これはアイヴスやバーンスタインの作品に通じることでもある。

スラットキンは大阪フィルから立体的な音響を引き出す。浮き上がる様子が目に見えるような弦楽などは秀逸であり、管や打楽器も力強い。余りアメリカ音楽に向いたオーケストラでは大フィルだが、スラットキンによって磨き抜かれた音で聴衆を魅了。アメリカ音楽は日本では余り人気がないので、今日は空席が目立ったが、居合わせた人の多くを熱くさせる演奏だったように思う。

 

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2019年1月22日 (火)

コンサートの記(510) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第524回定期演奏会

2019年1月17日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第524回定期演奏会を聴く。今日の指揮は大フィル音楽監督の尾高忠明。

曲目は、武満徹の「トゥイル・バイ・トワイライト ~モートン・フェルドマンの追憶に」、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン独奏:神尾真由子)、エルガーの交響曲第1番。


今日のコンサートマスターは崔文洙。今日はエキストラが多い。以前、真宗大谷派圓光寺での「テラの音」にも出演していた一楽恒がチェロに入っている。一楽は大フィルや京響にたびたびエキストラとして加わっている。

武満徹の「トゥイル・バイ・トワイライト ~モートン・フェルドマンの追憶に」。黄昏の光の移ろいを描いた曲である。いつもながらのタケミツ・トーンが聴かれるが、この曲はドビュッシーへのオマージュのような響きがところどころで浮かび上がる。盛り上がる場所は、交響詩「海」の波の描写のようだし、ラストは「牧神の午後への前奏曲」を思わせるようなたおやかな音色である。
武満のよき理解者の一人である尾高の指揮だけに、遺漏のない仕上がりとなっていた。


ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番。

独奏の神尾真由子の演奏には3日前に接したばかりだが、今日は堂々としたスケールと磨き抜かれた音が聴かれる。ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタに苦戦していたヴァイオリニストと同一人物は思えないほどだ。濃厚なロマンティシズムや吸い込まれそうになるほどに強い郷愁の描写など、これまでに聴いてきたブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番の奏者の中でトップに躍り出るのではないだろうか。

尾高指揮の大フィルも、迫力満点で高密度の伴奏を聴かせる。ソリストとオケが丁々発止といった感じで聴きものであった。

拍手に応えて神尾は何度もステージに登場したがアンコールはなし。ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番を弾くのは疲れるだろうからね。


尾高忠明の十八番であるエルガー。尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏によるエルガーの交響曲第1番は、以前、ザ・シンフォニーホールで行われたソワレ・シンフォニーで聴いている。

今日はフェスティバルホールでの演奏ということで、ザ・シンフォニーホールの時の360度全てが音で満たされるような音響には当然ながらならず、スマートな感じである。「会場がザ・シンフォニーホールだったらな」と思わないわけではないが、横幅のあるステージから湧き上がってくるような音も聴いていて悪くはない。
まさにブリリアントでマッシヴな演奏であり、大英帝国の栄耀栄華を描いたような最終楽章のクライマックスでは日本人なのに胸が熱くなるのを感じた。これぞ正真正銘の英国音楽であり、演奏である。



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