カテゴリー「フェスティバルホール」の18件の記事

2019年6月10日 (月)

コンサートの記(561) シャルル・デュトワ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第528回定期演奏会1日目&2日目

5月23日と24日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

5月23日

午後7時から、大阪・中之島のフェルティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第528回定期演奏会を聴く。今回の指揮者はシャルル・デュトワ。現在、NHK交響楽団の名誉音楽監督の称号を得ているが、例の騒動によって恒例になっていたNHK交響楽団の12月定期への出演などが流れ、結果として大フィルへの客演が実現したのだと思われる。

シャルル・デュトワは1936年生まれ。ズービン・メータやエリアフ・インバルと同い年となり、この年は指揮者の当たり年のようだ。小澤征爾は1935年生まれで1つ年上、ネーメ・ヤルヴィが1937年生まれで1つ年下という世代である。
スイス・フランス語圏のローザンヌで生まれ育ち、生地とジュネーヴの音楽院でアンセルメらに学ぶ。タングルウッド音楽祭ではシャルル・ミュンシュにも師事している。1964年にベルン交響楽団を指揮してデビュー。ヘルベルト・フォン・カラヤンに認められ、ウィーン国立歌劇場のバレエ専属指揮者に指名されるが、コンサート指揮者になりたいという希望があったため断っている。
1970年に読売日本交響楽団を指揮して日本デビュー。会場は当時のフェスティバルホールであり、聴衆からも楽団員からも極めて高い評価を受けている。
1977年にモントリオール交響楽団の音楽監督に就任。当初はさほど期待されていなかったようだが、瞬く間に同交響楽団を世界レベルにまで押し上げて関係者をあっといわせる。1996年にNHK交響楽団の常任指揮者に就任。1998年には初代音楽監督に昇進し、2003年まで務めている。1991年から2001年まではフランス国立管弦楽団の音楽監督も兼務し、北米、アジア、ヨーロッパの三大陸にポストを持つなど多忙を極めた。1996年のゴールデンウィークにフランス国立管弦楽団を率いてサントリーホールで公演を行っているが、それが私にとって初の来日オーケストラに接する機会となった。

 

演目は、ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲、ベルリオーズの幻想交響曲。デュトワの十八番を並べたプログラムとなっている。
デュトワ指揮の「ダフニスとクロエ」は、NHK交響楽団の定期演奏会で全曲を聴いている。上演中に震度3の地震が起こったことでも思い出深い演奏会である。

 

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。第2ヴァイオリンは今日も客演を含めて全員女性奏者となっている。

 

ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」。フェルティバルホールという大型の空間であるため、祝祭的な爆発感は感じにくかったが、音の色彩感と縁取りの鮮やかさが見事な演奏である。

 

ラヴィルの「ダフニスとクロエ」第2組曲は、今日一番の出来と思えるハイレベルな演奏。上品だが痛切な音が奏でられ、音楽というものが確実に皮膚から染みこんでくる。
私にとって音楽はなくてはならないものだと確認出来ると同時に、世界にとって必要なものであると確信することが出来た。
「ダフニスとクロエ」第2組曲はオーケストラだけの演奏でも可能だが、今回は合唱入りでの演奏。大阪フィルハーモニー合唱団が美しい声を届ける。
「全員の踊り」のラストの高揚感も流石であった。

 

メインであるベルリオーズの幻想交響曲。基本的にデュトワの演奏はエスプリ・クルトワ路線であり、エスプリ・ゴーロワではない。ということでおどろおどろしさや狂的な要素を表に出すことは余りない(1階席20列45番という席で、直接音が余り届かなかったということもそう感じさせる要因だろうが)が、音に宿るドラマと生命力の表出は見事。フランス音楽のスペシャリストとしての全世界に名を轟かせたデュトワの実力は並みではない。

客席は最初の「ローマの謝肉祭」演奏終了後から爆発的に盛り上がり、「ダフニスとクロエ」第2組曲演奏終了後は、客席が明るくなっても拍手が鳴り続けてデュトワが再登場。幻想交響曲演奏終了後も「ブラボー!」が各所から聞こえ、最後はデュトワがお馴染みとなった「バイバイ」の仕草を行って、演奏会はお開きとなった。

 

5月24日

今日も午後7時からフェスティバルホールでシャルル・デュトワ指揮の大阪フィルハーモニー管弦楽団の第528回定期演奏会を聴く。

今日も1階20列目だが、52番という右端の席。すぐそこが壁であり、反射が良いので音の輪郭がクッキリと聞こえる。そのため、音の迫力がわかり、序曲「ローマの謝肉祭」の狂騒がよりはっきりと把握出来る。一方で、「ダフニスとクロエ」第2組曲では音がはっきりしてるため、昨日に比べると神秘的な雰囲気は感じにくいかも知れない。全てが理想的な席というのはなかなかないものである。

幻想交響曲では、デュトワはアゴーギクを多用。即興性もあり、いつものデュトワとはちょっと違う演奏である。音にはステージの底から沸き起こってくるような迫力があり、昨日感じた蒸留水的な美しさとは少し異なる印象を受けた。今日の演奏の方が私の好みに合っている。

今日は演奏終了後にバンダの鐘奏者を紹介したデュトワ。第2ヴァイオリンの女性奏者が感激の表情を浮かべており、大フィル初登場は大成功であった。

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2019年5月28日 (火)

観劇感想精選(301) トム・ストッパード&アンドレ・プレヴィン 俳優とオーケストラのための戯曲「良い子はみんなご褒美がもらえる」

2019年5月12日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて観劇

午後1時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、俳優とオーケストラのための戯曲「良い子はみんなご褒美がもらえる」の上演を観る。作:トム・ストッパード、作曲:アンドレ・プレヴィン、テキスト日本語訳:常田景子、演出:ウィル・タケット、音楽監督・指揮:ヤニック・パジェ。出演:堤真一、橋本良亮(A.B.C-Z)、小手伸也(こて・しんや)、シム・ウンギョン、外山誠二、斉藤由貴。ダンサーとしての出演:川合ロン、鈴木奈菜、田中美甫、中西彩加、松尾望(まつお・のぞみ。女性)、中林舞、宮河愛一郎。

初演は1976年にロンドンで行われている。作曲のアンドレ・プレヴィンが今年の2月28日に亡くなっているが、追悼のために企画された上演ではなく、この時期に上演が行われるのはたまたまである。

1970年代のソビエト・レニングラードが舞台である。ソビエト共産党の意向に合わない人間が思想犯として精神病院に送り込まれている。アレクサンドル・イワノフ(以後アレクサンドルとする。堤真一)はそのことをプラウダなどに寄稿したため、精神病院送りとなる。精神病院となっているが、実際は政治犯を収容するための刑務所以外の何ものでもないのだが、体制派の医師(小手伸也)はそのことを否定し、ここはあくまで精神病院だと言い切る。医師はアレクサンドルに向かって「思考すること自体が病気だ」と断言する。ちなみに、医師はアマチュアオーケストラにヴァイオリニストとして参加しているようだ。アレクサンドルと同居することになった同姓同名の精神病者であるアレクサンドル・イワノフ(以後イワノフとする。橋本良亮)は、自身が指揮者としてオーケストラは率いていると思い込み、トライアングルを叩きながら空に向かって指揮を行っている。オーケストラのメンバーをかなり口汚く罵っており、独裁者タイプの指揮者として君臨しているつもりのようである。医師はイワノフに「オーケストラは実在しない」と繰り返し唱えて、想像を止めるよう忠告する。
アレクサンドルにはサーシャという息子がいる(韓国人女優であるシム・ウンギョンが演じている)。教師(斉藤由貴)は「父親が思想犯として逮捕された」というサーシャの言葉を信じず、そうした不自由なスターリン体制は過去のものになっていると教え込もうとしていた。

 

「転向」を描いた上演時間約1時間15分の中編である。アレクサンドルは精神病院内にトルストイの『戦争と平和』を持ち込んでおり、ナポレオン戦争の場面ではオーケストラがチャイコフスキーの序曲「1812年」の一部を奏でたりする。オーケストラは「象徴」のように常にステージ上にいて、軍服姿のヤニック・パジェの指揮で演奏を行う。
アンドレ・プレヴィンの音楽は意図的にショスタコーヴィチ作品を模したものである。偶然だが、ショスタコーヴィチは「良い子はみんなご褒美がもらえる」が初演された1976年に死去している。

「良い子はみんなご褒美がもらえる」は、「Every Good Boy Deserves Favour」の邦訳であるが、「Every Good Boy Deserves Favour」とは、「EGBDF」という五線譜の音階を覚えるための言葉である。サーシャが譜読みを正確に行わなかったために、教師からたしなめられる場面もある。

ストーリー自体は全くの架空のディストピアものではなく、ソビエトでは反体制派の政治犯や思想犯として精神病院送りということで事実上の牢獄に押し込めることがよく行われており、実はロシアに戻った今でもある。弾圧された文化人としては、作家のソルジェニーツィンが有名であり、音楽家の中でも例えばラトヴィア出身のミッシャ・マイスキーは思想犯として精神病院に幽閉された経験を持っている。トム・ストッパードは、1968年のプラハの春反対デモに参加して精神病院に送られた経験のあるヴィクトル・フェーンベルクと1976年の春に出会い、一気に戯曲を書き上げたそうである。

 

トルストイの『戦争と平和』は、私も二十代前半の頃に読み、大方は忘れてしまったが、トルストイが繰り返し説いた歴史観、つまりナポレオン戦争はナポレオン一人が起こしたものではなく、大きな流れの中で起こったものであり、ナポレオンはその中の一人に過ぎないという考えは納得出来るし、今でもよく覚えている。おそらくこの作品におけるオーケストラは「大きな流れ」、「大衆」や「群集心理」の喩えなのだろう。
アレクサンドルはサーシャを守る必要性もあって(ご褒美がもらえる)、ラストではオーケストラに向かい、指揮棒を振り上げることになる。

 

実力派の堤真一が見事な演技を見せる一方で、同姓同名の人物を演じる橋本良亮は台詞回しも弱く、存在感も今ひとつである。今日はジャニーズが出るということで、客席にはいかにもそれらしい若い女性の姿が目立ったが、納得させられる出来だったのかどうかわからない。
余り出番の多くない教師役に斉藤由貴はもったいない気がするが、リアルな人物像に仕上げてきたのは流石である。

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2019年5月 5日 (日)

コンサートの記(554) パーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア・フェスティバル管弦楽団来日演奏会2019大阪

2019年4月28日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア・フェスティバル管弦楽団の演奏会を聴く。

エストニア・フェスティバル管弦楽団は、パーヴォ・ヤルヴィが創設したオーケストラである。
エストニアの保養地・避暑地であるパルヌで毎年行われる音楽祭のレジデンスオーケストラであり、2011年にパーヴォが父親であるネーメ・ヤルヴィと共にパルヌ音楽祭の指揮マスタークラスを始めた際に結成された。メンバーのうち半分はエストニアの若い音楽家、残りの半分はパーヴォが世界中から集めた優秀な音楽家たちであり、教育的な面と表現拡大の両面を目指しているようである。

 

曲目は、ペルトの「カントゥス ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」、シベリウスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:五嶋みどり)、トゥールの「テンペストの呪文」、シベリウスの交響曲第2番。

 

午後2時15分頃からプレイベントがある。ナビゲーターはソリストの五嶋みどり(MIDORI)。
黄色いTシャツで登場した五嶋みどりは、プレイベントの説明と、エストニア・フェスティバル管弦楽団の簡単な紹介を行った後で、エストニア・フェスティバル管弦楽団の女性ヴァイオリニスト、ミーナ・ヤルヴィと二人でプロコフィエフの2つのヴァイオリンのためのソナタハ長調より第2楽章を演奏する。今日は2階の最後部の席で聴いたのだが、ヴァイオリンの音がかなり小さく感じられ、当然ながらフェスティバルホールが室内楽には全く向いていないことがわかる。

続いて、エストニア・フェスティバル管弦楽団の創設者兼音楽監督で今日の指揮も務めるパーヴォ・ヤルヴィに五嶋みどりが話を聞く。
パーヴォはまずエストニアの紹介をする。人口150万ぐらいの小さな国だが、音楽が重要視されていること、優れた作曲家や音楽家が大勢いること、自分は17歳の時にエストニアを離れてアメリカで暮らしてきたが、人からエストニアについて聞かれるうちに、エストニアの音楽親善大使になる団体を作りたいと思い、エストニア・フェスティバル管弦楽団を創設したことなどを語る。
エストニアの音楽文化のみならず、バルト三国やポーランド、フィンランド、スウェーデン、ロシアなどとも互いに影響し合っており、そのことも表現していきたいとの意気込みも語った。
パルヌはフィンランドの温泉のある保養地で、パーヴォの父親であるネーメもそこに家を持っていて、パーヴォはショスタコーヴィチやロストロポーヴィチなどとパルヌのヤルヴィ家で会っているそうである。

最後は、エストニア・フェスティバル管弦団のヴィオラ奏者である安達真理に五嶋が話を聞く。安達がステージに出ようとする際に誰かとじゃれ合っているのが見えたが、パーヴォが「行かないで」という風に手を引っ張ったそうで、五嶋は「今のはマエストロのエストニアンジョークですか?」と聞いていた。
エストニアの首都タリンについては、安達は「可愛らしい、可愛らしいなんて軽く言っちゃいけない悲しい歴史があるんですが、古き良きヨーロッパが凝縮されているような」街で、ヨーロッパ人からも人気があるそうだ。パルヌ(五嶋みどりは「ペルヌ」と発音。おそらく「パ」と「ペ」の中間の音なのだろう)にはビーチがあるのだが、「サンフランシスコのビーチのようなものではなくて、わびさびというか」と思索に向いた場所らしいことがわかる。
プレイベントの締めくくりは、五嶋と安達によるヴァイオリンとヴィオラの二重奏。モーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲変ロ長調より第1楽章が演奏された。

 

ヴァイオリン両翼の古典配置による演奏である。ティンパニは上手奥に陣取る。

 

ペルトの「カントゥス ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」。
エストニアのみならず世界を代表する現代作曲家の一人であるアルヴォ・ペルト。ロシア正教の信者となってからは強烈なヒーリング効果を持つ作品を生み出し、1990年代にはちょっとしたペルトブームを起こしている。
タイトル通り、ベンジャミン・ブリテンへの追悼曲として作曲された、弦楽オーケストラとベルのためのミニマル風作品である。
冒頭の繊細な弦のささやきから魅力的であり、色彩と輝きと光度のグラデーションを変えながら音が広がっていく。あたかも音による万華鏡を見ているような、抗しがたい魅力のある作品と演奏である。エストニア・フェスティバル管弦楽団の各弦楽器の弓の動き方など、視覚面での面白さも発見した。

 

シベリウスのヴァイオリン協奏曲。
ソリストの五嶋みどりは、ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団と同曲をレコーディングしており、歴代屈指の名盤に数えられている。
五嶋のヴァイオリンであるが、集中力が高く、全ての音に神経が注がれて五嶋独自の色に染まっていることに感心させられる。全ての音を自分のものにするということは名人中の名人でもかなり難しいはずである。
第3楽章における弱音の美しさもそれまで耳にしたことのないレベルに達していた。
パーヴォ指揮のエストニア・フェスティバル管は表現主義的でドラマティックな伴奏を繰り広げる。音の輝きやニュアンスが次々と変わっていくため、シベリウス作品に似つかわしくないのかもしれないが、面白い演奏であることも確かだ。

五嶋みどりのアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番からサラバンド。まさに音の匠による至芸であり、バッハの美しさと奥深さを存分に伝える。

 

トゥールの「テンペストの呪文」
トゥールは1959年生まれのエストニアの作曲家。パーヴォの3つ年上である。1979年にプログレッシブ・ロックバンドバンドIn speで注目を集めており、リズミカルな作風を特徴としている。パーヴォはトゥール作品のCDをいくつか出している。
「テンペストの呪文」は、シェイクスピアの戯曲「テンペスト」に影響を受けて書かれたもので、2015年にヤクブ・フルシャ指揮萬バンベルク交響楽団によって初演されている。煌びやかにしてプリミティブな音楽であり、ストラヴィンスキーの「春の祭典」に繋がるところがある。パーヴォは打楽器出身ということもあってリズムの処理は万全、楽しい演奏に仕上がる。

 

メインであるシベリウスの交響曲第2番。全編を通して透明な音で貫かれる。
パーヴォがかなりテンポを動かし、即興性を生んでいる。パーヴォは音のブレンドの達人だが、この曲ではあたかも鉈を振るって彫刻を行うような力技も目立つ。ゲネラルパウゼが長いのも特徴だ。
「荒ぶる透明な魂の遍歴」を描くような演奏であり、第4楽章も暗さは余り感じさせず、ラストに向かって一直線に、時には驚くほどの速さによる進撃を見せる。
終結部はなんとも言えぬほどの爽快さで、フィンランドと人類の魂の開放が謳われる。

 

アンコールは2曲。まず、パーヴォの定番であるシベリウスの「悲しきワルツ」が演奏される。今日も超絶ピアニシモが聞かれた。

アンコールの2曲目は聴いたことがない作品。アルヴェーンの「羊飼いの娘の踊り」だそうである。弦楽による民族舞踊風の音楽が終わった後で拍手が起こったが、パーヴォは「まだまだ」と首を振って、オーボエがリリカルでセンチメンタルな旋律を歌い始める。
その後、冒頭の民族舞踊調の音楽が戻ってきて、ノリノリのうちに演奏を締めくくる。爆発的な拍手がパーヴォとエストニア・フェスティバル管を讃えた。

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2019年3月30日 (土)

コンサートの記(536) レナード・スラットキン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第526回定期演奏会

2019年3月22日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第526回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、「最もアメリカ的な指揮者」と呼んでもいいと思われるレナード・スラットキン。

ハリウッド・ボウルの指揮者として活躍したフェリックス・スラットキンの息子であるレナード・スラットキン。
ロサンゼルスの生まれ、1979年にセントルイス交響楽団の音楽監督に就任すると短期間で同楽団のレベルアップに成功。全米オーケストラランキングでシカゴ交響楽団に次ぐ第2位に入ったことで話題となり、スラットキンとセントルイス響は来日公演を行うまでになっている。その後、スラットキンはワシントンDCのナショナル交響楽団の音楽監督に転身、更にBBC交響楽団の首席指揮者にも就任しているがこの時期は録音にも恵まれず、低迷の印象は拭えなかった。だが、デトロイト交響楽団の音楽監督就任以降は復活し、リヨン国立交響楽団の音楽監督なども務めている。

 

オール・アメリカ・プログラム。レナード・バーンスタインとアーロン・コープランドの楽曲が交互に並ぶ。レナード・バーンスタインのミュージカル「キャンディード」序曲、コープランドの「田舎道を下って」、バーンスタインの「チチェスター詩篇」、コープランドの交響曲第3番の演奏である。

 

今日のコンサートマスターは須山暢大が務める。

 

レナード・バーンスタインのミュージカル「キャンディード」序曲。佐渡裕司会時代の「題名のない音楽会」オープニングテーマとして日本でも知名度が高い曲である。リズム、推進力、豊かな旋律など、アメリカ音楽の要素が凝縮されたような作品であり、日本人の指揮者も取り上げることが多いが、やはりアメリカ人の指揮者であるスラットキンの指揮だけに複数の要素の処理の仕方に手慣れたものが感じられる。

 

バーンスタインの作曲の師としても知られるアーロン・コープランド。二人とも同性愛者であり、師弟関係以上のものがあったといわれている。
「田舎道を下って」は、コープランドが自作のピアノ小品をユースオーケストラのために編曲したものである。描写音楽ではなく、タイトルは作品完成後になんとなくつけられたものらしい。
抒情美と印象派的な冴えた色彩感覚を特徴とする楽曲であり、大フィル弦楽器軍の響きが実に美しい。

 

レナード・バーンスタインの「チチェスター詩篇」。バーンスタインの代表曲であるが、コンサートのメインとするには演奏時間が短く(20分ほど)、合唱とボーイソプラノもしくはカウンターテナーという編成も特異であるため取り上げられることは少なく、大フィルがこの曲を演奏するのは史上初めてになるという。
オーケストラの編成も特殊で、木管楽器は用いられず、トランペットとトロンボーンは3管、打楽器が多数用いられている。ハープは2台編成であるが、今日はハーブが指揮者と向かい合う形で2台置かれるという、普段余り見ない配置となった。
合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。カウンターテナー独唱は藤木大地が務める。

バーンスタインは作曲家デビューが「音楽なんて大嫌い!」という歌曲であり、その後もミュージカルやオペラ、ミサ曲、交響曲第1番「エレミア」にも独唱が入っているなど、声楽入りの作品に力を入れていた。「チチェスター詩篇」はイギリスのチチェスター音楽祭のために書かれた宗教曲である。
第1楽章はバーンスタインらしいリズミカルな楽想だが、第2楽章第3楽章ではバーンスタインのもう一つの側面である危機感と崇高美の対比が奏でられる。
藤木大地が美しい声を聴かせ、大阪フィルハーモニー合唱団も充実した歌声を響かせる。

 

メインであるコープランドの交響曲第3番。今回は原典版での演奏である。この曲が初演された際、バーンスタインが立ち会っていたのだが、終演後にバーンスタインが「少し長い気がします」とコープランドに進言。コープランドがそれを受け入れて8小節分カットした譜面によって再演されたのだが、再演時の楽譜が総譜とした出版されたため、長い間カット版が決定稿とされてきた。だが、スラットキンが初演時の音源をスコアを見ながらCDで聴いた際、数が合わないことを発見。アメリカ公文書館に行ってコープランドの自筆譜を確認したところ、第4楽章が8小節分長かったということがわかったという。

自作の「市民のためのファンファーレ」を取り入れて構成した作品である。非常にエネルギッシュな作品だが、印象派的な響きの美しさやストラヴィンスキー的なマジカルな音響がかなりはっきりと分かるように書かれている。
アメリカ音楽は歴史が短いため作曲家のプライドも欧州に比べれば高くなく、様々な音楽的要素を取り入れて作品を構成することに遠慮やてらいのようなものが少なく、そのことが日本も含めた音楽後進国の作品に繋がる面白さを生んでいるように思われるのだが、コープランドの交響曲第3番もそうしたごちゃ混ぜ的趣向に富んでいる。これはアイヴスやバーンスタインの作品に通じることでもある。

スラットキンは大阪フィルから立体的な音響を引き出す。浮き上がる様子が目に見えるような弦楽などは秀逸であり、管や打楽器も力強い。余りアメリカ音楽に向いたオーケストラでは大フィルだが、スラットキンによって磨き抜かれた音で聴衆を魅了。アメリカ音楽は日本では余り人気がないので、今日は空席が目立ったが、居合わせた人の多くを熱くさせる演奏だったように思う。

 

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2019年1月22日 (火)

コンサートの記(510) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第524回定期演奏会

2019年1月17日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第524回定期演奏会を聴く。今日の指揮は大フィル音楽監督の尾高忠明。

曲目は、武満徹の「トゥイル・バイ・トワイライト ~モートン・フェルドマンの追憶に」、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン独奏:神尾真由子)、エルガーの交響曲第1番。


今日のコンサートマスターは崔文洙。今日はエキストラが多い。以前、真宗大谷派圓光寺での「テラの音」にも出演していた一楽恒がチェロに入っている。一楽は大フィルや京響にたびたびエキストラとして加わっている。

武満徹の「トゥイル・バイ・トワイライト ~モートン・フェルドマンの追憶に」。黄昏の光の移ろいを描いた曲である。いつもながらのタケミツ・トーンが聴かれるが、この曲はドビュッシーへのオマージュのような響きがところどころで浮かび上がる。盛り上がる場所は、交響詩「海」の波の描写のようだし、ラストは「牧神の午後への前奏曲」を思わせるようなたおやかな音色である。
武満のよき理解者の一人である尾高の指揮だけに、遺漏のない仕上がりとなっていた。


ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番。

独奏の神尾真由子の演奏には3日前に接したばかりだが、今日は堂々としたスケールと磨き抜かれた音が聴かれる。ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタに苦戦していたヴァイオリニストと同一人物は思えないほどだ。濃厚なロマンティシズムや吸い込まれそうになるほどに強い郷愁の描写など、これまでに聴いてきたブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番の奏者の中でトップに躍り出るのではないだろうか。

尾高指揮の大フィルも、迫力満点で高密度の伴奏を聴かせる。ソリストとオケが丁々発止といった感じで聴きものであった。

拍手に応えて神尾は何度もステージに登場したがアンコールはなし。ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番を弾くのは疲れるだろうからね。


尾高忠明の十八番であるエルガー。尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏によるエルガーの交響曲第1番は、以前、ザ・シンフォニーホールで行われたソワレ・シンフォニーで聴いている。

今日はフェスティバルホールでの演奏ということで、ザ・シンフォニーホールの時の360度全てが音で満たされるような音響には当然ながらならず、スマートな感じである。「会場がザ・シンフォニーホールだったらな」と思わないわけではないが、横幅のあるステージから湧き上がってくるような音も聴いていて悪くはない。
まさにブリリアントでマッシヴな演奏であり、大英帝国の栄耀栄華を描いたような最終楽章のクライマックスでは日本人なのに胸が熱くなるのを感じた。これぞ正真正銘の英国音楽であり、演奏である。



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2019年1月 9日 (水)

コンサートの記(499) プラハ国立劇場オペラ モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」@フェスティバルホール

2019年1月3日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、プラハ国立劇場オペラによる公演、モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」を観る。

モーツァルトが愛し、またモーツァルトを愛した街・プラハを代表する劇場の来日公演。プラハ国立劇場オペラ(The Estate Theatre)は、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」を初演したスタヴォフスケー劇場で公演を行う名門である(プラハ国立劇場とは同一運営で、プラハ国立歌劇場とは別団体)。歴史あるスタヴォフスケー劇場は手狭ということもあって大規模オペラは他に譲り、現在はモーツァルトのオペラを中心とした上演を行っているようだ。


指揮はエンリコ・ドヴィコ、演奏・合唱はプラハ国立劇場管弦楽団・プラハ国立劇場合唱団、演出はマグダレーナ・シュヴェツォヴァー、舞台装置はアンドレイ・ドゥリーク、衣装はカテリーナ・シュテフコヴァー、照明デザインはプシュミスル・ヤンダと現地のスタッフが中心である。舞台監督や技術スタッフは日本人が担っているようだ。

主要登場人物はダブルキャストやトリプルキャストで、今日の出演は、ミロシュ・ホラーク(フィガロ)、ヤナ・シベラ(スザンナ)、ロマン・ヤナール(伯爵)、エヴァ・メイ(伯爵夫人)、アルジュベータ・ヴォマーチコヴァー(ケルビーノ)、ヤナ・ホラーコヴァー・レヴィツォヴァー(マルチェッリーナ)、ヤン・シュチャーヴァー(バルトロ)、ヤロスラフ・ブジェジナ(バジリオ)、ヴィート・シャントラ(ドン・クルツィオ)、ラジスラフ・ムレイネク(アントニオ)、エヴァ・キーヴァロヴァー(バルバリーナ)ほか。
世界的な名声を得ているエヴァ・メイのみ客演で、他はプラハ国立劇場とプラハ国立歌劇場の所属メンバーが中心のようである。

今回の指揮者であるエンリコ・ドヴィコは、現在、ウィーン・フォルクスオーパーの首席客演指揮者を務めている。ライン・ドイツ・オペラ、ベルリン国立歌劇場で定期的に指揮を務めるほか、ヘッセン州立歌劇場の第一楽長を務めていたこともあるそうだ。現在はプラハ国立劇場とプラハ国立歌劇場で継続的に活動を行っている。

演出のマグダレーナ・シュヴェツォヴァーは、ウィーンとプラハでヴァイオリンを専攻した後で、ブルノのヤナーチェク音楽アカデミーなどで演出を学び、プラハとブルノを中心にチェコ国内のオペラ演出で活動。現在は、ピルゼン音楽学校で演技指導なども行っているそうだ。

今回の上演では、ケルビーノ役が二人おり、歌のある場面はアルジュベータ・ヴォマーチコヴァーが務めるが、それ以外の場面は男優が演じる。男優が演じている方が道化的な部分が強調されるように感じた。


今日も3階席で、オーケストラピット内がよく見えるが、プラハ国立劇場管弦楽団は室内オーケストラ編成である。そしてピリオド・アプローチで演奏するため、序曲などは音が弱く聞こえたが、本編になると生き生きとした音楽を奏で始める。硬めの音によるティンパニの強打や、うなるような金管の響きが功を奏し、脈打つような音楽が生まれる。

歌手達も素晴らしく、全てのものがあるべき場所に嵌まっていくようなジャスト・フィットなモーツァルトである。これは長年に渡って毎日のようにオペラを上演し続けてきた団体だから生み出せる味わいであり、日本のように単発上演のみの環境では紡ぐことが出来ない響きである。

セットもシンプルながら効果的であり、上演のちょっとしたところに高雅さや上品さが窺える。超一流ではないかも知れないが、欧州の一流の品質の高さと幅広さが随所に感じられる上演であった。

売れっ子のエヴァ・メイだけでなく、全ての歌手がチャーミングな歌と演技を披露。漫画的な動きも様になっていた。

多分、プラハの人々は今でもモーツァルトのことを親友のように感じているのだろう。素晴らしい街である。


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2018年12月31日 (月)

コンサートの記(488) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会Ⅴ」第九

2018年12月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後5時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会Ⅴ」を聴く。年末の第九が、今年はチクルスの一環を兼ねての演奏となる。

今日は1階席7列6番という席。ステージ上に合唱が乗るためせり出し舞台となり、前5列は潰れたため、前から2列目である。
フェスティバルホールの前の方の席は音が上に行ってしまうため音響は余り良くない。まだ3階席の方が良いくらいである。下手側であるため、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの直接音が強く聞こえ、バランスも悪く、全体としての音像を把握しにくい。更に第1ヴァイオリンの陰に隠れて指揮者である尾高忠明の姿はほとんど見えない。10年前の旧フェスティバルホール最終公演となった大植英次指揮大阪フィルの第九を最前列で聴いた時も丁度こんな感じだった。

今日のコンサートマスターは田野倉雅秋、フォアシュピーラーに須山暢大。
独唱者は、安藤赴美子(ソプラノ)、加納悦子(メゾソプラノ)、福井敬(テノール)、与那城敬(バリトン)。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。

昨年のミュージックアドヴァイザーを経て、今年の4月から大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽監督となった尾高忠明。カリスマ性のあるタイプではないが、大フィルとの相性はかなり良く、ずっしりとした大フィルの音響に見通しの良さが加わった。


全般を通してテンポは中庸。ところどころ遅くなったり速くなったりでインテンポではないが、大言壮語しない堅実な第九という印象を受ける。ある意味、最もドイツ的なスタイルである。

昨年の尾高指揮の第九では、ホルンが第2楽章のソロを一度もまともに吹けないという惨状を呈していたが、今日もホルンはキークスが多い。元々、音を外しやすい楽器ではあるが、他の楽器が好調だっただけによりいっそう目立つ。

「光輝満つ」といった感じの弦楽と冴え冴えとした木管の響きが印象的な第九である。

第2楽章の緻密なアンサンブルによって浮かび上がる音楽は、あたかも「歓喜の歌」に出てくる天体の動きの描写のように感じられる(実際は、ベートーヴェンは第2楽章を作曲時には、第4楽章には別の音楽を入れる予定だったとされ、直接的な繋がりがあるわけではないと思われる)。壮大な音楽と演奏だ。

バリトンの与那城敬は調子が今一つのようにも感じされたが、独唱者と大フィル合唱団も力強い歌を披露する。

前の方で聴いていると、全曲のラストが天井へと吸い込まれていく音楽のように聞こえる。これは前の方に座った者だけが味わえる興趣だったかも知れない。


尾高と大フィルによる「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会」には、第2回の交響曲第3番「英雄」と第4番の演奏会を除く全てに参加したことになる。余り達成感はなし。皆勤だったら違った気分になったのだろうけれど。


今年も恒例の「蛍の光」の合唱がある。指揮は福島章恭。溶暗した中で、指揮者と合唱団がペンライトを手にしての歌である。過ぎゆく月日と平成の時代をしみじみと感じる。


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2018年11月23日 (金)

コンサートの記(451) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会Ⅳ」

2018年11月15日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団による「ベートーヴェン交響曲全曲演奏会 Ⅳ」を聴く。今日演奏されるのは、交響曲第8番と第7番。

今日のコンサートマスターは、須山暢大。大フィルの基本ポジションであるドイツ式現代配置での演奏。第1ヴァイオリン16型という大編成である。ちなみに第2ヴァイオリンは客演5名を含めて今日も全員が女性となった。

交響曲第8番。ベートーヴェン自身が出来に自信を持っていた曲であるが、世間的な人気はベートーヴェンの交響曲の中でも下の方となっている。全編を通して明るい曲調であり、洒落っ気にも満ちている。

ピリオド・アプローチを援用した演奏で、弦のノンビブラートと独特のボウイングが確認出来る。ただ大編成であるため音が痩せることはなく、輝かしくも重厚というベートーヴェンに似つかわしい音が奏でられる。

尾高と大フィルは「等身大」という言葉がピッタリくる演奏。大風呂敷を広げることなく誠実な再現芸術が展開される。音色が明るいため、躍動感も生き生きと伝わってくる。もっと野性味があっても良いと思うが、これが尾高のスタイルなのだろう。


交響曲第7番。ベートーヴェンの交響曲の中で、初演時から今に至るまで一貫して高い評価を受けているという珍しい作品である。リズムを強調した、当時として斬新な曲想なのだが、一聴して「血湧き肉躍る」という言葉が浮かぶ作品であるため、受け入れられやすかったのだろう。

大フィルは金管パートがやや弱いが、弦の力強さがそれを補って余りあるだけの魅力となる。リズムを特に強調はしていないが、キレ味は鋭く、全楽章を通して端正なフィルムが耳を奪う。硬めの音によるティンパニの強打も効果的で、幅広い客層に訴えかける演奏になっていたと思う。

最後は尾高が指揮台の上から「あと1曲、お聴き下さい」と語ってお開きとなった。


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2018年10月31日 (水)

コンサートの記(447) パスカル・ロフェ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第522回定期演奏会

2018年10月26日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第522回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はフランス出身のパスカル・ロフェ。

日本のオーケストラへの客演も多いパスカル・ロフェ。現在はフランス国立ロワール管弦楽団の音楽監督である。パリ国立音楽院を卒業後の1988年にブザンソン国際指揮者コンクールで2位入賞。1992年からはアンサンブル・アンテルコンタンポランの指揮者として活躍。ピエール・ブーレーズの影響からなのかノンタクトで指揮する。経歴からわかる通り現代音楽の演奏を得意としており、NHK交響楽団の京都公演でチャイコフスキーの交響曲第4番を指揮した時には現代音楽仕込みの明晰なアプローチによってチャイコフスキーの苦悩を炙り出す名演を繰り広げている。


曲目は、フォーレの「レクイエム」(1893/1984 ラター版)とストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」全曲(1910年原典版) 。


フォーレの「レクイエム」は人気曲であり、大阪フィルは今年の夏に大友直人の指揮で演奏したばかりであるが、重複を避けるためか、イギリスの指揮者で宗教音楽の作曲家としても知られるジョン・ラターがフォーレの第2稿をまとめたラター版の楽譜を用いての演奏となる。
フォーレの「レクイエム」は元々はフォーレが両親を悼むための私的な楽曲として作られている。その後にフォーレ自身が手を加えた第2稿が完成。今回はこれを基にした楽譜で演奏される。
今日一般的に演奏されるのはその後に改訂された第3稿である。フォーレ自身はこの改訂に乗り気ではなく、作業も弟子のジャン・ロジェ=デュカスに任せている。第3稿は1900年のパリ万博で初演されている。というより、パリ万博で披露するために校訂されたのであろう。

まだ大阪フィルがザ・シンフォニーホールを定期演奏会の会場にしていた頃、大植英次指揮の演奏会の前半のプログラムがフォーレの「レクイエム」だったのだが、開演直前に大植英次がドクターストップによって緊急降板となり、合唱指揮者である三浦宣明が急遽代役を務めたことがあった。大フィルによるフォーレの「レクイエム」を聴くのはそれ以来である。

ラター版は第2稿に基づいているが、フォーレの自筆譜が散逸してしまったため、ラターが研究によって復元している。弦楽はヴァイオリンがなく、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの編成。通常、ヴァイオリンが陣取る舞台下手側にヴィオラが並び、コンサートマスター(でいいのかな?)はヴィオラの井野邉大輔。今日の演奏会全体のコンサートマスターである田野倉雅秋は、この曲ではヴァイオリンソロとして「サンクトゥス」と「イン・バラディスム」で演奏に加わる。田野倉はヴィオラ陣の背後に控え、「サンクトゥス」ではその場で立って、「イン・バラディスム」では更に後ろ、ハープの横に下がって演奏した。歌手の配置も独特で、バリトン独唱の萩原潤は指揮台の上手横だが、ソプラノ独唱の市原愛は、下手側、田野倉の最初の持ち場の一つ後ろに座って出番を待つ。

管楽器の編成も特殊で、金管は普通だが、木管のフルート、オーボエ、クラリネットといった花形は出番なしでファゴットのみが登場する。

ロフェは音の輪郭をクッキリと浮かび上がらせた立体的な音響を築く。やはりロフェという指揮者は相当な実力の持ち主のようである。

ホワイエで行われたプレトークで、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局次長の福山さんが語っていたが、フォーレの意図をロフェに聴いたところ、「合唱を生かすために高音の楽器を除いたのだろう」という答えが返ってきたそうだが、実際に耳にすると音色が渋く、普段聴いている第3稿とはかなり印象が異なる。大阪フィルはドイツ的な低弦の強さが売りの一つだが、この印象は大フィルだからではないだろう。フォーレがイメージした元々の響きが渋めのものだったのだと思われる。一般にフォーレというとノーブル、ザ・フレンチテイストの音楽家で、「レクイエム」はその中でもフランス的というイメージがあるが、それはフォーレが乗り気でなかった第3稿によって作られたものだったようだ。異国からの来訪者が集うパリ万博でのお披露目ということで、意図的にフランス的な響きが加えられたのだろう。作曲者が望まない形が後世に残ってしまうというのは良くあることである。

ソプラノは最も有名な「ピエ・イエス」が唯一の出番なのだが、市原愛の歌唱は歌い出しの音程が不安定であった。1曲勝負であるため後で取り返せないのがこの曲の怖いところである。

大阪フィルハーモニー合唱団の水準は高い。


ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」全曲(1910年原典版)。演奏会用に編まれたものや組曲版が演奏されることが多いが、今回はパリ・オペラ座で初演された時のバレエ全曲の演奏である。とはいえ、初めて生で聴いた「火の鳥」の演奏も全曲版だった記憶がある。1994年の春に、千葉県文化会館で行われた東京交響楽団のマチネーの演奏会。指揮は秋山和慶で、その時は朗読付きの上演であり、ナレーションを裕木奈江が務めていた。当時、東京交響楽団は「ぴあ」での表示をTOKYO SYMPHONYにしていたんだっけ。懐かしい。

「火の鳥」でもロフェは、優れた聴覚バランスと巧みな音楽設計を生かした秀演を描く。冒頭の金管のソロが散らかった感じだったのは残念だが、ソロでは今一つでも合奏になると力を発揮するのが日本のオーケストラの良さで、その後は安定、輝かしい音を出す。
弦楽は最初から最後まで煌めきのあるマジカルな音色を奏でる。ここぞという時の力強さは大フィルの真骨頂だ。

今回が大フィルとの3回目の共演となるパスカル・ロフェ。もっと聴きたくなる指揮者である。京響にも客演して欲しい。


 

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2018年9月30日 (日)

コンサートの記(432) アリス=紗良・オット ピアノリサイタル「Nightfall」@フェスティバルホール

2018年9月18日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、アリス=紗良・オットのピアノリサイタル「Nightfall」を聴く。

曲目は、前半が、ドビュッシーの「ベルガマスク」組曲、ショパンのノクターン第1番、第2番、第13番、バラード第1番。後半が、ドビュッシーの「夢想(夢)」、サティのグノシェンヌ第1番、ジムノペディ第1番、グノシェンヌ第3番、ラヴェルの「夜のガスパール」
フランス人作曲家の作品と、フランス系ポーランド人でパリで活躍したショパンの楽曲を並べるという準オール・フランス・プログラムである。

フェスティバルホールでピアノのリサイタルを聴くのは初めてとなるはずである。約2700席のキャパシティーがあり、空間の大きなフェスティバルホールで純然たるピアノソロがどう響くのか興味があったが、音の通りが良いだけに3階席でもピアノの音が間近に聞こえる。音響はやはり優れている。問題は客の入りだが、人気ピアニストのアリス=紗良であるだけに上々であった。

黒のドレスで登場したアリス=紗良。まずマイクを片手に、椅子に腰掛けながら挨拶を行う。「こんばんは。本日は、こんな大きなホールで沢山の方々を前に弾くことが出来て幸せです」と語り、最新アルバムのタイトルでもある「Nightfall」については、「太陽が沈んでからしばらく経った時間(マジックアワー、黄昏時、逢魔が時である)のことで、色々なものがごっちゃになる。人間、誰でも良い部分と悪い部分があると思うんですが、そうしたものがはっきりとは分かれていない存在」であることを念頭にプログラムを組んだことを明かす。今年の2月には父親が病気で倒れ、今は快復したのだが、死が遠くにあるわけではないということを実感したともいう。

前半は、照明をピアノの周りだけに絞っての演奏。アリスは前半と後半で演奏スタイルを意図的に変えているようである。

ドビュッシーの「ベルガマスク」組曲。4曲からなる組曲で、第3曲の「月の光」がことのほか有名な楽曲である。
アリスは色彩を余り出さす、フォルムを重視した演奏を行う。個性あるピアノを弾くアリスだが、前半の曲目では端正な演奏を心がけているように思われた。

ショパンでも同傾向。スケールが大きく、文学性や心理的な側面を意図的に排したような演奏を聴かせる。ノクターン第1番などは痛切な表現を行っていた萩原麻未とは正反対のアプローチで、別の曲を弾いているかのように聞こえる。ただ、今日のアリスはこうした演奏を行うにはミスタッチが目立ち、必ずしも万全の表現にはなっていなかったようだ。
4曲演奏したショパンの曲の中では、堅牢な構築力を感じさせたバラード第1番の演奏が良かった。

後半はメインの照明を鍵盤付近だけに更に絞るが、その代わりに舞台の左右奥に青色の照明を光らせて、幻想的な演出を施す。
表現もアリスならではの個性的なものに変化。ドビュッシーの「夢想(夢)」では一音一音を際立たせるように弾き、立体感を出すような工夫がなされる。

サティのグノシェンヌ第1番、ジムノペディ第1番、グノシェンヌ第3番。今年はドビュッシーの没後100年に当たるが、気むずかしい性格が災いして友人の少なかったドビュッシーを親友として慕っていたのがサティである。フランス六人組に反ドビュッシーの旗頭ように担ぎ出されたこともあるサティだが、ドビュッシーが亡くなるまでその才能を愛し続けた。
北野武の映画監督デビュー作である「その男、凶暴につき」で印象的な使われ方をしたこどでも知られる。グノシェンヌ第1番。アリスは遅めのテンポを取り、引きずるような独特の歌い方をする。
ジムノペディ第1番とグノシェンヌ第3番ではアリスは、時の経過と音の明滅を感じさせる俳句のような表現を行っていた。日独のハーフだが、日本的な感性に秀でていることが感じられる。

ラヴェルの「夜のガスパール」。最高難度のピアニズムが要求される曲である。
第1曲「オンディーヌ」では瑞々しいピアノの響きが印象的。水の精(「みずのせい」と打ち込んだら「ミズノ製」と出たんですけど。確かにグローブはミズノ製のものを使っているけれど)を描いた曲であるが、水のしずくが飛び跳ねたり水紋になって広がっていくイメージが浮かぶような演奏である。
第2曲「絞首台」でも音の透明度の高さは目立ち、第3曲「スカルボ」では技巧の冴えと確かな楽曲分析能力と表現力も相まって秀逸な出来となる。
感性的には20世紀の演奏家とは異なり、ベルトランの詩のイメージをCGで描いて見せたようなデジタルな音楽性が発揮されているが、そうしたものの中では最上位に位置するようなラヴェルである。

アンコール演奏は、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。優しさと温もりのある音で奏でられ、哀愁とは一線を画しつつもウエットであるという独自性が光っていた。


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