カテゴリー「ザ・シンフォニーホール」の25件の記事

2019年4月16日 (火)

コンサートの記(544) クシシュトフ・ウルバンスキ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第474回定期演奏会

2013年12月5日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第474回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は1982年生まれという超若手、ポーランド出身のクシシュトフ・ウルバンスキ。
プログラムは、ペンデレツキの「広島の犠牲者のための哀歌」、ピアノ協奏曲第18番(ピアノ独奏:フセイン・セルメット)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」

ウルバンスキと大フィルの共演は3度目だそうだが、私はウルバンスキの指揮で聴くのは初めてである。ウルバンスキは毎回、祖国ポーランドの作曲家の作品を取り上げているそうだが、ポーランドの作曲家には、ショパン(フランス系であり、パリで活動はしたが)を始め、ペンデレツキにルトスワフスキ、グレツキなどがすぐに思いつく。ピアニストにクリスティアン・ツィマーマン、ラファウ・ブレハッチ、ワンダ・ランドフスカ、ミェチスワフ・ホルショフスキ、エヴァ・ポヴウォツカなどがおり、指揮者もスタニスラフ・スクロヴァチェフスキや、NAXOSに看板指揮者を務めるアントニ・ヴィトなどがいて音楽大国である。
音楽のみならず、映画監督の分野でもアンジェイ・ワイダ、ロマン・ポランスキー、クシシュトフ・キェシロフスキなど世界中の映画監督から尊敬されるほどの大物が輩出しており、芸術大国であるともいえる。
にしても、発音しにくい名前の人が多い。
ペンデレツキもファーストネームはクシシュトフであり、クシシュトフというファーストネームのポーランド人男性は多いことが察せられる。

ペンデレツキの「広島の犠牲者のための哀歌」は、もともとは「8分37秒」という即物的なタイトルの作品であり、その後、「哀歌8分37分」となった。日本初演の際に「広島の犠牲者に捧ぐ哀歌」とされ、その後、そのタイトルは揺るがぬものとなった。純音楽作品であり、広島の原爆を描いた作品ではないが、原爆投下後の広島の惨状を音楽にするとまさにこのようになるのではないかと思えるほどしっくりくる曲である。元のタイトルの「8分37秒」であるが、ジョン・ケージの「4分33秒」とは違い、ラヴェルの「ボレロ」の「17分ほど」という記述と同様、目安として書かれた程度で厳密に守らなければならないものではない。タイトル改訂と同時にタイム指定も外されたはずであり、私はこの曲の音盤を何種か持っているが、即興的な要素も多いこともあって、元のタイトルのタイムジャストで演奏しているものは作曲者自身が指揮した演奏も含めて多くない。アントニ・ヴィト指揮ポーランド国立放送交響楽団による演奏が当初のタイムに一番近いと思われる。詳しいサイトを調べたところ、平均演奏タイムは10分ほどだという。

クシシュトフ・ウルバンスキ登場。長身痩躯、男前、いかにも才子といった感じである。
指揮者と同じ、クシシュトフというファーストネームを持つペンデレツキの「広島の犠牲者に捧ぐ哀歌」。弦楽のための作品である。
トーンクラスターという、現代音楽ではよく使われる技法を特徴とする。近いが微妙に異なる音程の音を一斉に奏でることで、非常に力強く、衝撃的な響きを生むという手法である。ホラーやサスペンスの映画やドラマの、恐怖心を煽る場面での音楽でもトーンクラスターは多用される。というより、クラシック音楽よりも、映画音楽などで多用されている作曲法といった方が適当だろうか。
クラシック音楽の予備知識のない人がこの曲を聴いたら、「なんだこれは? 音楽か?」と思うかも知れない。
いつも通り、指揮者と対面する席に座ったので、弦楽奏者達の譜面を見ることが出来たのであるが、およそ楽譜らしくない譜面が並んでいる。隣接した音を弾くために五線譜が真っ黒になってしまい、あたかも塗り絵のようである。
指揮者の仕事は拍を刻むよりもどの音をどれだけ強調し、どれだけ延ばすか決定することにある。ウルバンスキはノンタクトで、強く響かせたい音に向かって手をかざす。曲が進むにつれて右手で拍を刻むこともあるが、基本的には、速度よりもバランスを取ることを心がけている。
大阪フィルの弦は思ったよりも力強くなかったが、納得のいく水準には達していた。

フセイン・セルメットを独奏者に迎えての、モーツァルト、ピアノ協奏曲第18番。大フィルは典雅な響きを奏でるが、第1楽章では例によってモッサリした感じが出てしまう。大植英次や、優れたベテラン指揮者が振ると、このある種の野暮ったさは顔を潜めるのだが、やはり指揮者が若いということもあって地の部分が出てしまうのであろう。
ただ、ピリオドを意識したのかはわからないが、若干ビブラートを抑え気味にした弦の響きは透明感もあって美しい。
ウルバンスキはこの曲では指揮棒を用い、腕の動きは余り大きくないが、スナップを利かせることで指揮棒は大きく動くという効率的な指揮を行っていた。
セルメットのピアノであるが、落ち着いた男性的なモーツァルトを奏でていく。一音一音を指で丁寧に押さえることでこうしたモーツァルト演奏が可能なのだろう。「タン・タララン」と軽やかに弾くと華やかなモーツァルトにあるが、セルメットはこれを「タン・タラ・ラン」と微妙に変えることで安定感のある音楽を生み出していた。

ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。
現在では屈指の人気曲であるが、初演時はバレエの内容と、斬新な音楽が一大スキャンダルになったことでも知られている。この曲はファゴットが通常では使わないような高い音を出して始まるのだが、これに関してサン=サーンスは「ファゴットの使い方を知らない奴が現れた」と書き記しており、その他にも、「これは音楽ではない」などとする批評もあった。その意味で、「広島の犠牲者のための哀歌」と「春の祭典」を同じ演奏会の曲目に載せたのは上手いと思う。
ウルバンスキは速めのテンポを基調とするが、時折、急激に速度を落としたり、急激な加速をしたりと、即興的な味わいが加わる。大阪フィルの合奏力も高く、たまに技術的に不安定な時もあるが、パワフルな演奏が展開される。
ウルバンスキの指揮は、右手で変拍子を処理しつつ、左手を音を出すべき楽器を掴むような手つきで出したりする。こうしたところはダニエル・ハーディングの指揮姿に似ている。
激しい部分になると、体をくねらせながら、ちょっとナルシストっぽい動きをしたりする。ここはハーディングには似ておらず、なよなよした印象も受けて、見ていてちょっと気にはなったが、音楽的には良いものを生み出していた。

| | コメント (0)

2019年4月 2日 (火)

コンサートの記(539) オーギュスタン・デュメイ指揮関西フィルハーモニー管弦楽団第252回定期演奏会

2013年11月8日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、関西フィルハーモニー管弦楽団の第252回定期演奏会に接する。今日の指揮は、関西フィルハーモニー管弦楽団音楽監督のオーギュスタン・デュメイ。

デュメイは世界最高峰のヴァイオリニストとして知られているが、指揮者としての腕は未知数。2011年から関西フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任しているのだが、巡り合わせが悪く、指揮者デュメイの演奏を生で聴くのは私は今日が初めてである。
「レコード芸術」11月号の付属CDに、デュメイと関西フィルの演奏によるモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲と交響曲第35番「ハフナー」の演奏が収録されてる。それを聴いた限りでは、オーケストラの力はともかくとして、デュメイのオーケストラコントロールに問題はないようだった。
器楽の名演奏家でも、指揮者としては二流となってしまう人は多い。ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(本職はチェリスト)がその典型であったし、ウラディーミル・アシュケナージ(本職はピアニスト)も一流指揮者と認識している人は少ないのではないだろうか。もっとも、ロストロポーヴィチもアシュケナージも得意なレパートリー(ロストロポーヴィチであればショスタコーヴィチ、アシュケナージであればラフマニノフ)では高い評価を得ている。

演目は、J・S・バッハのヴァイオリン協奏曲第1番(デュメイによるヴァイオリン弾き振り)、ハイドンの交響曲第49番「受難」、シェーンベルクの「浄められた夜(浄夜)」(1943年版)。

アメリカ式の現代配置での演奏。日本ではドイツ式の現代配置を行ってる楽団が多いが、関西フィルだけは徹底してアメリカ式の現代配置を採用している。

今日も招待客が多いようである。


J・S・バッハのヴァイオリン協奏曲。バロック音楽だけにピリオド・アプローチは当然のように生かされる。ソリストであるデュメイもビブラートは抑え気味であるし、オーケストラ奏者もビブラートはほとんど用いない。テンポは普通で、ピリオドだからといって速めのテンポを採用したりはしないようだ。
長身から繰り出されるスケール豊かな音楽を武器とするデュメイであるが、今日はバッハの音楽だけに徒にスケールを拡げることなく、雅やかな音楽を奏でる。


ハイドンの交響曲第49番「受難」。
デュメイは身長が高いため、指揮台を用いる必要はなく、そのまま舞台上に立って指揮する。
指揮姿であるが、身長に比べると腕の動きはやや小さめ。またしっかりと拍を刻み、大きな音が欲しい時は振りを大きくし、特定の楽器の音を大きくしたいときにはその楽器に向かって手をかざしたり、その楽器の方を向いたりする。極めてオーソドックスな指揮である。ただ、分かりやすいと同時に面白味がない指揮姿ともいえる。デュメイは特定の人物に指揮を師事したことはなく、見様見真似で指揮を覚えたのだろう。だから、個性溢れる指揮は期待出来ないのかも知れない。レナード・バーンスタインが生きていて、今日のデュメイの指揮姿を見たらデュメイをどやしつけそうである。

ピリオド・アプローチを徹底した演奏。チェンバロを通奏低音として用いる。
ピリオド・アプローチを行うのは良いのだが、それが手段ではなく目標になってしまっている印象を受ける。ピリオドのために豊かな表情を殺しているような印象も受け、特に第2楽章では「疾風怒濤」期の交響曲と呼ばれるに相応しい悲劇的な旋律が押し殺されてしまったようで実に惜しい。全体としても殻を破れないもどかしさを感じた。


後半、シェーンベルクの「浄められた夜」。
バッハやハイドンのそれとは一転したエモーショナルな演奏で聴かせる。
関西フィルの弦楽は大阪フィルや日本センチュリー響などに比べるとあっさりしているが、今日はドイツ的な渋い音色を出すことに成功。それが曲が進みに従って、慈愛に満ちた柔らかな音色、救済を意味する明るい音色へと変化していく。
デュメイの指揮自体は特別な動きはしていないのだが、オーケストラから多様な音色を引き出す術には卓越したものがある。あたかも指揮棒を弓とし、関西フィルを巨大なヴァイオリンとして操るかのようだ。

名ヴァイオリニストであるオーギュスタン・デュメイ。指揮者としても名指揮者かというと、今日一回のコンサートだけでは判断できないが、少なくとも凡庸な指揮者でないことだけは確かなようである。

定期演奏会であるが、「浄められた夜」はメインプログラムとするには少し曲が短いということもあってか、アンコール演奏がある。ビゼーの「アルルの女」第1組曲より“アダージェット”。しなやかで優しさ溢れる佳演であった。

| | コメント (0)

2019年3月24日 (日)

コンサートの記(533) 矢崎彦太郎指揮 大阪交響楽団第180回定期演奏会

2013年10月18日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで大阪交響楽団の第180回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はフランスものの日本におけるスペシャリスト矢崎彦太郎。

オール・ドビュッシー・プログラム。「牧神の午後への前奏曲」、「ピアノと管弦楽のための幻想曲」(ピアノ独奏:児玉麻里)、バレエ音楽「遊戯」、交響詩「海」~3つの交響的スケッチ、という演目。「牧神の午後への前奏曲」、交響詩「海」以外は滅多に演奏されない曲である。楽譜は「牧神の午後への前奏曲」がジョベール版、他の3曲はデュラン新全集版を使用している。

今日は3階ステージ上手上方の席。補助席で、一つ前の普通の席は1000円高いはずだが、誰も座っていない。
在阪4つのプロオーケストラの中で、唯一自前の練習所を持っていない大阪交響楽団。本拠地は大阪府堺市であるが、元々私営の楽団だけあって、堺市からの補助も受けにくいのであろう。練習会場は演奏会毎に異なり、演劇でいう稽古場ジプシーのような状態だという。

「牧神の午後への前奏曲」。指揮者の矢崎はこの曲だけノンタクトで振った。あっさりした音を持つ大阪交響楽団であるが、矢崎が指揮すると洒落っ気のある音色に変わる。ハーモニーの作り方も美しく、いかにもドビュッシーらしい、たおやかな演奏になった。
「ピアノと管弦楽のための幻想曲」。この曲は「ドビュッシー管弦楽曲全集」のCDにも入っていないことが多い珍しいもの。ピアノの児玉麻里は同じくピアニストの児玉桃の実姉であり、日系アメリカ人の指揮者であるケント・ナガノ夫人でもある。
背中の大きく開いた、オレンジのロングドレスで登場した児玉麻里は、それこそ真珠を転がすような、まろやかで輝かしいピアノを奏でる。矢崎指揮の大阪響もエスプリに富んだ伴奏を聴かせる。


後半。バレエ音楽「遊戯」。CDにはよく収録されている曲だが、実演で聴く機会は稀である。和声の築き方がドビュッシーならではであり、響きの美しさを楽しむ曲である。メロディーなどは特に印象に残るものはなく、そこが演奏会のプログラムに余り載らない理由であろう。矢崎と大阪響は神秘的且つ美的なハーモニーを構築していた。

メインの交響詩「海」~3つの交響的素描。標題交響曲と呼んでも差し支えない構造を持つ作品であるが、ドビュッシーはこの曲を敢えて交響曲とは名付けなかった。矢崎は弦には繊細なエスプリ・クルトワを求める一方で管には思いっ切り吹くというエスプリ・ゴーロワを要求。パリ在住が長い矢崎ならではの解釈である。だからといって野放図に強く吹かせる訳ではなく、音のバランス感覚にも長けている。
個性がないのが個性ともいうべき大阪交響楽団であるが、今日の演奏会では矢崎の求めるフランス的な色彩に的確に反応していた。「海」も緩急強弱ともに自在の演奏であり、優れた出来を示す。

演奏終了後、矢崎はオーケストラメンバーを立たせようとするが、大阪響のメンバーは矢崎に敬意を表して立とうとしない。矢崎一人が拍手を受ける。
矢崎は再びオーケストラメンバーを立たせようとするが、楽団員はまだ拍手を送り続けているので、コンサートマスターの手を取って立たせ、ここでようやく楽団員全員が立ち上がって、客席からの喝采を受けた。

| | コメント (0)

2019年3月 6日 (水)

コンサートの記(529) 広上淳一指揮京都市交響楽団大阪特別公演2013

2013年9月21日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて


午後2時から、ザ・シンフォニーホールで、京都市交響楽団大阪特別公演に接する。指揮するのは京響常任指揮者の広上淳一。今日も全曲ノンタクトでの指揮である。


デュカスの交響詩「魔法使いの弟子」、ラフマニノフの「パガニーニの主題による変奏曲」(ピアノ独奏:山本貴志)、リムスキー=コルサコフの「スペイン奇想曲」、ラヴェルの「ボレロ」というプログラム。フランスものがロシア音楽を挟むという格好になっている。


今日の京響コンサートマスターは泉原隆志。渡邊穣がフォアシュピーラーに回るという形である。今日も首席フルート奏者の清水信貴と首席クラリネット奏者の小谷口直子は後半のみの登場。首席オーボエ奏者の高山郁子は今日は降り番のようで、「ボレロ」では実質的な京響次席オーボエ奏者扱いのフロラン・シャレールが首席の位置に陣取った。


 


デュカスの交響詩「魔法使いの弟子」。ゲーテのユーモア溢れる詩をモチーフにした交響詩で、ディズニー映画「ファンタジア」ではミッキーマウスがこの曲をバックに魔法使いの弟子役を務めたことでも有名である。


比較的遅めのテンポで入る。ザ・シンフォニーホールの音響を考慮に入れたためか、広上は「魔法使いの弟子」と「スペイン奇想曲」ではゆったりとした演奏をした。神秘感の強調こそないが、丁寧な仕上げが印象的であり、弦楽の透明感溢れる響きも心地よい。ただ、京都コンサートでも響く演奏になれてしまったためか、「ザ・シンフォニーホールなら素晴らしく響くに違いない」と考えていたほどには音は鳴らず、そこは拍子抜けであった。


 


ピアニストの山本貴志をソリストに迎えての、ラフマニノフ「パガニーニのための変奏曲」。山本貴志のピアノを聴くのは二度目。前回は山田和樹指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏会で、山本はラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を弾く予定だったが、体調不良のため、超絶技巧が必要とされるラフマニノフを弾くだけの余裕がないとして、急遽、曲目を変更し、モーツァルトのピアノ・コンチェルトを弾いている。


 


今日こそは得意のラフマニノフを決めてみせると、山本も気合い十分なはずだ。


山本の演奏は独特で、グレン・グールドに影響を受けたのかどうかは知らないが、猫背になり、鍵盤に顔を近づけてピアノを弾く。超絶技巧が必要とされる場面では背を伸ばして力強く弾くが、抒情的な部分ではペダルを駆使して、淡いトーンのピアノを奏でる。音の引き出しは多い。


広上指揮する京響の伴奏は彩り豊か。変幻自在の伴奏であり、特にラストの浮遊感は奇術か何かのようだった。


 


後半。リムスキー=コルサコフの「スペイン奇想曲」。前述通り、遅めのテンポで堂々と且つ華やかに始まる。


ソロを弾く場面もあるコンサートマスターの泉原隆志の技巧は優れており、クラリネットの小谷口直子やフルートの清水信貴もやはり上手い。二人の演奏を後半だけにしか聴けないというのは惜しい。


情熱的でパワフルな演奏に、聴衆も沸く。


 


ラヴェルの「ボレロ」。クラシックファンには大人気の曲であるが、演奏する側は「出来れば避けたい」と思っている曲の筆頭でもある。二つのメロディーを繰り返す曲であり、ちょっとでも失敗すれば目立ってしまうため、奏者達は怖れるのである。「スペイン狂詩曲」でもスネアドラムは使われたが、「ボレロ」ではより指揮者に近い位置にスネアドラム奏者は陣取る。


平均的は演奏時間は約15分であるが、広上が採ったのはそれよりやや遅めのテンポである。作曲家の指示通りインテンポであり、後半にアッチェレランドをかけるというようなことはしなかった。この曲では、最初のうちは広上は手を使わず、体をくねらせたり頭を振ったりして指揮をする。トロンボーン奏者がソロを取るときには、広上はトロンボーンとは正反対の方向を見て頭で指揮していた。オーケストラ奏者は指揮者と正対すると自然に大きな音を出す傾向があるようなので(NHK交響楽団首席オーボエ奏者の茂木大輔の証言による)、トロンボーンに強く吹かせないために敢えて視線をそらしたのだと思われる。


ヴァイオリンが主題を奏でるところから、広上は本格的に腕を振って指揮するようになり、トランペットが朗々と第1主題を演奏する部分で広上は大きく手を広げ、これまで溜めてきたエネルギーを一気に放出する。作為的ではあるが、そうした印象を上回る程の快感と開放感と興奮とが私の胸に押し寄せ、巻き込んでいく。広上は優れた指揮者であると同時に最高のエンターテイナーであり、千両役者である。


演奏終了後、興奮した多くの聴衆から「ブラボー!」の賞賛を受けた広上。広上はまずスネア奏者を讃えた後で、演奏順に奏者を立たせ、拍手を送る。いったん退場してから再度現れた広上はオーケストラメンバーを立たせようとしたが、奏者達も拍手をして立とうとしない。広上は一人、指揮台に上がり、喝采を浴びた。


 


広上は、「『半沢直樹』は明日が最終回です」と、今日もまたお気に入りのドラマである「半沢直樹」の話をした後で、「拍手への10倍返しということで」と、アンコール曲を演奏する。15日にも京都コンサートホールでアンコールとして取り上げた、ブラームスの「ハンガリー舞曲」第6番である。同一曲を同一コンビが違う場所で演奏するため、ホールの音響の違いがよくわかるのだが、ザ・シンフォニーホールは全ての楽器の音が京都コンサートホールよりも明らかに良く通る。流石は全世界のアーティストが憧れる名ホールである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年2月 8日 (金)

コンサートの記(520) 準・メルクル指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第466回定期演奏会

2013年3月1日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第466回定期演奏会を聴く。今日の指揮はNHK交響楽団への客演で日本でもおなじみの準・メルクル。知らない方のために書いておくと、準・メルクルは1959年、ミュンヘン生まれのドイツの指揮者。父がドイツ人、母が日本人のハーフで、準というファーストネームの漢字は物心ついてから自分で決めたという。

NHK交響楽団には毎年のように客演しており、力があるものしか指揮台に立てない年末の第九を指揮したこともあるし、AltusレーベルにはNHK交響楽団とのレコーディングも行っている。また、最近では廉価盤レーベルの雄NAXOSにリヨン国立管弦楽団と「ドビュッシー管弦楽曲全集」を録音して好評である。


プログラムは、ロベルト・シューマンのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:イングリット・フリッター)、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」抜粋。「ニーベルングの指輪」はロリン・マゼールのように編曲して管弦楽組曲として演奏する場合もあるが、今回はワーグナーのスコアには手をつけず、要所要所を抜き出して繋いだものだという。実際、有名な「ワルキューレの騎行」も結末のある管弦楽曲版ではなく、そのまま「ヴォータンの告別」に繋げていた。


シューマンのピアノ協奏曲。イングリット・フリッターは1973年生まれ、ブエノスアイレス生まれという、マルタ・アルゲリッチを思わせるような出身地を持つ女流である。

そのフリッターの弾くシューマンはリリカルではなくエモーショナル。指よりも心で弾くピアノだ。表現も音の強弱も幅が広い。

メルクル指揮する大阪フィルも情熱的な伴奏でフリッターの演奏に応えた。
フリッターはアンコールとしてショパンの夜想曲第19番を演奏した。センチメンタルな曲調ではあるが、フリッターのピアノには独特の情熱があり、諦観のようなものは窺えない。


メインのワーグナー楽劇「ニーベルングの指輪」抜粋。「ラインの黄金」より序奏、神々のニーベルハイム下降の場の音楽、「ワルキューレ」からワルキューレの騎行、ヴォータンの告別より、「ジークフリート」からジークリートと大蛇ファーフナーの戦い~ファーフナーの死、「神々の黄昏」から夜明けとジークフリートのラインへの旅、ジークフリートの死と葬送行進曲、ブリュンヒルデの自己犠牲(後半)と終曲という構成である。

メルクルは冒頭の序奏の夜明けの場面から音を丁寧に重ね(コントラバス、ファゴット、ホルン、ワーグナーホルン)、暗い音から華々しい金管へと音が移行することで徐々に夜が明けていく部分を丁寧に作る。ドイツの歌劇場で鍛えたメルクルだけに、このあたりの表出力は流石である。大フィルも重厚でかつ洗練された音でメルクルの指揮に応える。有名な「ワルキューレの騎行」は爽快であるが、決して悪のりはしない。「ジークフリートの死と葬送行進曲」も自然な悲しみが滲み出ていた。

全曲を通して50分ほどの版であるが、長さを感じさせない見事な演奏であった。メルクルと大フィルの高い集中力の賜物であろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年2月 4日 (月)

コンサートの記(516) 広上淳一指揮京都市交響楽団大阪特別公演2012

2012年4月8日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、ザ・シンフォニーホールで、京都市交響楽団大阪特別公演に接する。今日の指揮者は京響常任指揮者の広上淳一。


曲目は、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第1番、ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:パヴェル・シュポルツル)、リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」。

今日の広上は全編ノンタクトで指揮する。


ドヴォルザークのスラヴ舞曲第1番。安定感のある演奏である。京響は弦も管も好調。興奮を煽るような演出こそないが、シャープな演奏である。


ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲。ソリストのパヴェル・シュポルツルはチェコ出身の若手。青いヴァイオリンを用いている。

シュポルツルのヴァイオリンはとても滑らか。技術も高い。天翔るようなヴァイオリンだ。
広上指揮の京響も立体感と重厚感のある立派な伴奏を聴かせる。

シュポルツルは「素晴らしい聴衆」、「みんな優しい」と言い、アンコールとして、ドヴォルザークの「ユモレスク」(オーケストラ伴奏版)、パガニーニの24のカプリースより第5番、J・S・バッハの「ガヴォット」を演奏する。チャーミングな出来映えであった。

メインであるリムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」。広上淳一が京都市交響楽団の常任指揮者に就任して最初の定期演奏会でメインとして取り上げた曲目である。

京響の響きは堂々としており、且つ美しい。フルートの清水信貴、クラリネットの小谷口直子、オーボエの高山郁子、コンサートマスターの渡邊穣ら奏者達の健闘が目立つ。広上の指揮姿は相変わらずユニークだが、音楽は正統派。立派な「シェエラザード」を聴かせてくれた。


アンコールはドヴォルザークのスラヴ舞曲第3番。楽しい演奏であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月28日 (月)

コンサートの記(514) 藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団第235回定期演奏会

2012年2月3日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで関西フィルハーモニー管弦楽団の第235回定期演奏会を聴く。今日の指揮は首席指揮者の藤岡幸夫(ふじおか・さちお)。
「藤岡幸夫のシベリウス・チクルス第1夜」と銘打たれた公演である。藤岡幸夫は、日本におけるシベリウス演奏の権威であった渡邉暁雄(わたなべ・あけお)の弟子であり、シベリウスを得意としている。


曲目は、ブラームスのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏・小山実稚恵)、吉松隆の「朱鷺(トキ)によせる哀歌」、シベリウスの交響曲第7番。


午後6時40分頃から藤岡幸夫によるプレトークがある。
普段は関西フィルの事務局員の人が出てきて、指揮者と二人でプレトークを行うのだが、今回から指揮者一人によるプレトークとなったようである。藤岡も「普段なら横に暴走を止めてくれる人がいるのですが」と言って笑わせる。

藤岡は、演奏会が「藤岡幸夫のシベリウス・チクルス第1夜」と書かれているのに、年に交響曲1曲の演奏ペースであることについて、「(まとめて)チクルスでやってもいいのですが、それだとシベリウス好きの人しか聴きに来ないので、お客が入らない」と説明する。音盤においてはシベリウスの交響曲全集はリリースラッシュであるが、それが演奏会のプログラムに反映されるまでには時間がかかる。マーラーやブルックナーも何だかんだで30年ぐらいかかっているから、シベリウスの交響曲が演奏会の王道になるのは今世紀の中頃になるだろうか。ただ、東京ではピエタリ・インキネン指揮によるシベリウス交響曲チクルスがある。東京ではこれまでも何度もシベリウス交響曲チクルスは行われており、シベリウスの交響曲がプログラムの定番として根付くのは関西よりも東京の方が早くなるだろう。

吉松隆について藤岡は「イギリスに留学する時に(藤岡は慶應義塾大学卒業後、英国の王立ノーザン音楽大学指揮科で学んでいる)、日本の現代音楽のCDを沢山持っていきまして、それまで吉松隆という名前さえも知らなかったのですが、『朱鷺によせる哀歌』を聴いて、この人に音楽人生の全部を捧げるのは勿体ないけれども(客席からささやかな笑いあり)、半分ぐらいは捧げていいのではないか」と惚れ込んだことを語る。また吉松隆が「シベリウスの交響曲第6番を聴いて作曲家になりたいと思った人」であることも紹介する。

アメリカ式の現代配置による演奏である。


ブラームスのピアノ協奏曲第1番。ソリストの小山実稚恵は、情熱的なピアノ演奏を展開する人。今日も出だしこそクールであったが、次第に高揚していき、情熱を鍵盤に叩きつけるような激しい演奏になる。それでいて乱暴に感じさせないところが流石でもある。日本人の「ピアノの女王」といえば、現時点では、海外生活の長い内田光子は別格として、中村紘子や仲道郁代ではなく小山実稚恵であろう。
藤岡の指揮する関西フィルもしっかりとした伴奏を行うが、弦の音色がブラームスをやるにはあっさりしすぎており、オーケストラとしての機能にも問題が感じられる。


弦楽とピアノによる、「朱鷺によせる哀歌」。この曲でも関西フィルの弦楽器には「非力」を感じたが、音色は美しく磨かれ、なかなか充実した演奏になっていたと思う。


メインである、シベリウスの交響曲第7番。いいところと悪いところが混在した出来であった。藤岡の指揮にあっさり流しすぎの所と、各楽器を丁寧に塗り重ねた部分との差があったし、関西フィルの音色も「神秘」を感じさせるまでには至らなかった。ただ優れた箇所はいくつもあり、ホール上方にオーロラが揺れる場面が現出したような、抜群の雰囲気作りを見せたパッセージがあったのも事実である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月17日 (木)

コンサートの記(507) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第450回定期演奏会

2011年7月15日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団第450回定期演奏に接する。今日の指揮者は音楽監督の大植英次。全曲、ドイツ式現代配置での演奏であった。

曲目は、オットー・クレンペラーの「メリー・ワルツ」(日本初演)、ベートーヴェンの三重協奏曲(ヴァイオリン:長原幸太、チェロ:趙静、ピアノ:デニス・プロシャイエフ)、ラヴェルのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:デニス・プロシャイエフ)、リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」組曲。

今日の大植は、燕尾服ではなく、スキー服というか人民服というか指揮者独特のいでたち。左胸のポケットに汗拭き用のハンカチーフを入れている(舞台上で汗を拭くことはなし。なお、前半は赤、後半はオレンジと色を変えていた)。


「メリー・ワルツ」。20世紀を代表する指揮者の一人、オットー・クレンペラーの作品である。

クレンペラーはマーラーの弟子の一人で、若い頃はベルリンを拠点に現代音楽のスペシャリストとして活躍。ユダヤ系ドイツ人だったため、ナチスの手から逃れるためにアメリカの亡命。その後、脳腫瘍を患い、それが元で演奏のテンポが遅くなり、巨匠風の演奏をするようになっていった。その後、EMIのプロデューサーであったウォルター・レッグがロンドンに創設したフィルハーモニア管弦楽団の指揮者となり、数々の名演を展開、録音にも残している。レッグが越権行為でEMIを去るのと同時にフィルハーモニア管弦楽団も解散されるところだったが、楽団員がクレンペラーを担ぎ上げ、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団を創設、自主運営を始める。レッグはフィルハーモニア管弦楽団の名称をよそのオーケストラに売ってしまったが、1970年代後半にニュー・フィルハーモニア管弦楽団はフィルハーモニア管弦楽団の名称を買い戻し、今もフィルハーモニア管弦楽団の名で活動を続けている。

クレンペラーは脳腫瘍の後遺症もあり、数々の奇行で知られたが、フィルハーモニア(ニュー・フィルハーモニア)の楽団員からは音楽の神様と尊敬され、ロンドン市民からも絶大な支持を受けた。
余技として作曲をする指揮者も多いがクレンペラーもその一人。6つの交響曲、9つの弦楽四重奏曲、ミサ曲など多数の曲を書いているが、自身を「指揮もする作曲家だ」と認識していたレナード・バーンスタインなどとは違い、作曲は余技と決めていたため、生前、自らの手で指揮することも、他者に演奏して貰うこともほとんどなかったという。

「メリー・ワルツ」は、クレンペラーが生前演奏した数少ない曲として知られる。演奏会での演奏ではなく、リヒャルト・シュトラウス作品のレコーディングの余白におまけのように挿入された。

今日は大阪フィルハーモニー交響楽団の首席コンサートマスターである長原幸太がソリストを務めるため、コンサートマスターを外れ、客演首席コンサートマスターの崔文洙も他のオーケストラと兼任のため都合が付かなかったようで、特例として田野倉雅秋が客演コンサートマスターを務める。

「メリー・ワルツ」は20世紀を生きた、しかも若い頃に現代音楽の演奏で鳴らした人が作曲したとは思えないほどチャーミングで時代がかったメロディーを持つ。旋律はどこか素人くさい。和音は比較的鋭いものが使われていて、そこだけが20世紀の作品であることを感じさせる。美しいメロディーの第一部、ややせわしくなる第二部、最初のメロディーが戻ってくる第三部の三部構成からなる作品。

大植指揮の大阪フィルの演奏は安定したものだったが、曲自体が魅力的とは思えない。これまで日本で演奏されてこなかったのもわかる気がする。多分、今後もコンサートで聴くことはないだろう。それでも大植は「メリー・ワルツ」を高く評価しているようで、演奏終了後に楽譜を掲げて見せた(大植は全曲暗譜で譜面台も楽譜もないのでコンサートマスターの譜面を使った)。


ベートーヴェンの三重協奏曲。ヴァイオリン、チェロ、ピアノの3人をソリストにするという珍しい作品である。ベートーヴェンがなぜこうした珍しい編成の協奏曲を書いたのかわかっていないが、ソリストの中ではチェロの比重が比較的大きく、チェロの名手を想定して書いた可能性が高い。

チェロの趙静は中国生まれで日本でも教育を受けたことのあるチェリスト。比較的人気も高い。ヴァイオリンの長原幸太は大阪フィルの首席コンサートマスター。ピアノのデニス・プロシャイエフは1978年にベラルーシで生まれ、ウクライナのキエフで音楽を習った後に、ドイツのハノーファー音楽大学でピアノを専攻するが、同時に同大学の終身教授である大植英次に指揮も習っているという。

余り演奏されない曲であるため、ソリスト3人は楽譜を見ながらの演奏であったが、大植は暗譜でノンタクトで指揮する。大植の音楽に関する驚異的な記憶力はよく知られており、これまで楽譜を見て指揮したことはほとんどなし。大阪フィルのリハーサルでは暗譜の上、リハーサル終了後には奏者が間違えた箇所に全て正確に付箋を貼った楽譜を持ってきて、大フィルのメンバーから驚嘆されたという。

大植が大フィルのチェロから暖かな音を引き出して演奏開始。上々のスタートである。チェロの趙静が安定した渋い音色を奏でる。ヴァイオリンの長原幸太は音は艶やかだが、やや線が細く、オーケストラのコンサートマスターがソリストを務める限界を感じさせる。プロシャイエフのピアノは音が丸味を帯びており、コロコロとした独特の響きが特徴的である。


後半、ラヴェルのピアノ協奏曲。もとから人気曲であるが、「のだめカンタービレ」において重要な役割を果たした曲として一層ポピュラーになった。

ピアノソロのプロシャイエフはベートーヴェンの時と同じスタイルで来るかと思いきや、渋くて深みのある音を奏で、芸風の広さを感じさせる。大フィルは冒頭でトランペットが引っかかりそうになるが、何とか上手くごまかす。

ラヴェルの第2楽章は、甘酸っぱい音楽であるが、プロシャイエフが弾くと哀愁たっぷりの音楽に聞こえる。大植指揮の大フィルもプロシャイエフに合わせた演奏を展開。新しい解釈だが、映画音楽そのものに聞こえてしまうのが難点である。

第3楽章はプロシャイエフのテクニックの冴えが印象的であった。


リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」組曲。大植はリヒャルト・シュトラウスを得意としているが、今日も冒頭から思い入れたっぷりの演奏をする。弦も管も音色が美しく、音の一つ一つに生命が宿っている。最近は余り大きな動きをしなくなってきていた大植であるが、今日は指揮台の上で大暴れ。腕が素早く、ダイナミックに動く。
日本人指揮者と日本のオーケストラの組み合わせとしては間違いなくトップクラスの名演であった。

演奏終了後の拍手もいつもよりも大きく、大植と大フィルを讃える。普段は大植が指揮台の上に立って客席をぐるりと見回すと演奏会終了の合図なのだが、それでも拍手は鳴り止まず、大植が再び登場し、コンサートマスターの腕を無理矢理引っ張って一緒に退場させて演奏会の終了を告げた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月15日 (火)

コンサートの記(505) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第447回定期演奏会

2011年4月15日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪まで出かける。大阪フィルハーモニー交響楽団の第447回定期演奏会があるのだ。午後7時開演。今日の指揮者は音楽監督の大植英次。大阪フィルの音楽監督としてのラストシーズン、定期初登場である。

曲目はレナード・バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」(ピアノ独奏:小曽根真)とシベリウスの交響曲第2番。


演奏前に、大植英次がマイクを持って登場して東日本大震災に哀悼の意を示し、災害の時に音楽を奏で続けて亡くなった例があり、それがタイタニック号沈没の時の楽士達だったと述べる。大植はコンサートマスターの長原幸太に指示して、指揮者なしでタイタニック号沈没の際に楽士達が弾いていたという「讃美歌320 主よみもとに近づかん」を最初は弦楽四重奏で、次いで弦楽全員で奏でる。


レナード・バーンスタインは大植英次の師。佐渡裕が「レナード・バーンスタイン最後の弟子」を自認していて、実際、その通りなのだが、レナード・バーンスタインの最晩年にアシスタントをしていたのは実は佐渡ではなくて大植である。

最近、急速に再評価が進んでいるレナード・バーンスタイン(愛称:レニー)の作品。レニーは交響曲を3曲残しているが、純粋な器楽交響曲はこの「不安の時代」のみ。ただ、「不安の時代」は交響曲でありながら、ピアノ協奏曲的な面も強い。

私自身は、「不安の時代」をCDで何度か聴いており、一部を佐渡裕指揮京都市交響楽団の演奏で聴いているが、今日は体調が悪いということもあって音楽が自然に体に入ってこない。ただ演奏がいいというのはわかる。小曽根のピアノは技術も表現も見事だし、大植指揮の大フィルも熱演であった。ただやはりホルンは今日も問題ありだし、今日はファゴットも不調だった。

小曽根はアンコールに応えて1曲弾く。最初は何の曲かわからなかったが、次第にレニーの「ウェストサイド物語」より「トゥナイト」のメロディーが浮かび上がってくる。ラストは同じく「ウェストサイド物語」の「クール」をアレンジした旋律で締めくくる。


シベリウスの交響曲第2番。本質的にはマーラー指揮者である大植のシベリウスということで興味深い(ちなみにシベリウスとマーラーは仲が悪かった)。

第1楽章。自然な感じで入る指揮者が多いが、大植は大きめの音でスタート。続くオーボエの音も明るく朗々としている。シベリウス指揮者の演奏で聴くと自然に理解できるところでも大植の指揮だと難渋に聞こえるところがあり、やはり大植とシベリウスは余り相性が良くないようだ。

第2楽章は、シベリウスの音楽よりも、その悲劇性を際立たせたような演奏。

勢いのある第3楽章を経て、最終楽章では大植らしいヒロイズムが勝った演奏になる。朗々とした凱歌(大植が振ると凱歌以外の何ものにも聞こえない)と、それまでの忍従を思わせる旋律の対比も上手く、交響曲第2番だけにこうした演奏もありだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月12日 (土)

コンサートの記(502) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第445回定期演奏会

2011年2月18日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪のザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第445回定期演奏会に接する。今日の指揮は音楽監督の大植英次。
大植英次が、大阪フィルの音楽監督を辞任することを発表してから初の定期演奏会出演である。

曲目は、ショスタコーヴィチの交響曲第9番と、ブルックナーの交響曲第9番という二つの第九が並ぶ意欲的なプログラミングである。

大植さんが大阪フィルを辞任されるということで、大植&大フィルの時代を偲ぶよすがとして、大植人形(小)を購入する。辞任した後ではもう手に入らないから。
今日は、コントラバスを舞台後方に一列に並べる、変則古典配置での演奏であった。


ショスタコーヴィチの交響曲第9番。交響曲第9番はベートーヴェンに代表されるように特別なナンバーの交響曲とされ、ベートーヴェンを始め、シューベルト(現在では8曲までが定説になりつつある)、ブルックナー、マーラーが交響曲第9番まで書いて亡くなっている。ソビエト当局もショスタコーヴィチが交響曲第9番を書くというので、特別な交響曲を期待していたそうだが、ショスタコーヴィチはその裏を掻き、おどけた感じの小さな交響曲を書いた。ソビエト幹部にはそれを怒った人もいたという。

大植はスロースターターなので、最初のうちは「大人しいなあ」という印象だったが、トロンボーンの二度目の吹奏の後から、エンジンに火がつき、堂々とした立派なショスタコーヴィチの演奏となる。おどけた風の金管の旋律も、大植の手にかかると誰かへの抗議のように聞こえてくるから不思議だ。

第2楽章は、クラリネットのソロに始まり、クラリネットのハーモニー、フルートとオーボエの合奏と、木管楽器が旋律を引き継ぐのだが、その手際が見事。大阪フィルがここまでのアンサンブルに成長しているとは正直言って思っていなかった。これも大植のトレーニングの賜物だろう。

第3楽章以降は、情熱全開の演奏が続く。弦にも管にも威力があり、異常なほど集中力の高い大植と大フィルによって、喜怒哀楽全てがない交ぜになった音楽が適切な表現で語られていく。ピアニッシモからフォルテシモへの変換の場面などは、鳥が大きく翼を拡げて羽ばたく姿が目に浮かぶかのよう。これだけ立派なショスタコーヴィチの交響曲第9番を日本人の指揮者とオーケストラで聴ける機会は滅多にないだろう。


ブルックナーの交響曲第9番。楽譜はノヴァーク版を使用。

大阪フィルのブルックナーというと、前任者である、御大こと朝比奈隆が看板としていたことで有名である。大植も以前に、定期以外でブルックナーの交響曲第9番を指揮したことがあり、録音されてCDにもなっているが、音楽評論家で生前の朝比奈と親交のあった宇野功芳氏から酷評されている。

弦の刻みによるブルックナー開始でスタート。最初はホルンだが、このホルンの音がやや大きい上に音色がリアルに過ぎる。続く、アッチェレランドも徒にスケールを小さくしているだけ。最初の強奏も、音が大きいだけでスケールが広がらない。ここで私は、朝比奈のブルックナーと大植のブルックナーを比較することをやめる。シカゴ交響楽団のマネージャーから目をかけられ、客演指揮者として招待されたブルックナーのスペシャリストである朝比奈隆と、指揮者としてはまだ中堅でどちらかといえばマーラー指揮者の大植英次を比較しても、勝負にならない。

そこで、朝比奈のブルックナーは頭から追い払い、大植の演奏だけに集中することに決める。そうすると、短調から長調に変わる場面で、青空が眼前にパッと広がるように思えたり、峻険な山道を思わせるような厳しい表情など、優れたところが聞こえるようになる。

朝比奈隆のことを思わないように決めたということもあってか、二度目の強奏はスケールが広がったように聞こえた。

第2楽章。神秘感こそないが、アンサンブルは見事。中間部ではブルックナー・ユニゾンが威力満点。特に弦の響きが素晴らしい。再現部における大植と大フィルの集中力はやはり尋常でないレベルに達している。

第3楽章は冒頭の第1ヴァイオリンにやや濁りが生じたのが残念。それから再現部に入る直前のホルンのアンサンブルに覇気が感じられなかった。ホルンは更にもう一度、気の抜けた音を出し、ラストでも音をやや外した上に、息も続かないなど問題がある。朝比奈時代から大フィルのホルンは弱さが目立ったが、大植の特訓でも向上は難しいようだ。

一方で大フィルの弦楽群の音色は素晴らしい。日本のオーケストラとしてはこれ以上は無理なほど美しい音を響かせる。

朝比奈隆に比べなければ、大植のブルックナーも十分に名演であった。これほどの指揮者が大阪フィルから去ってしまのはやはり惜しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

2346月日 DVD YouTube …のようなもの いずみホール おすすめCD(TVサントラ) おすすめサイト おすすめCD(クラシック) おすすめCD(ジャズ) おすすめCD(ポピュラー) おすすめCD(映画音楽) お笑い その日 びわ湖ホール アニメ・コミック アニメーション映画 アメリカ アメリカ映画 イギリス イギリス映画 イタリア ウェブログ・ココログ関連 オペラ カナダ グルメ・クッキング ゲーム コンサートの記 コンテンポラリーダンス コンビニグルメ サッカー ザ・シンフォニーホール シアター・ドラマシティ シェイクスピア シベリウス ショートフィルム ジャズ スタジアムにて スペイン スポーツ ソビエト映画 テレビドラマ トークイベント ドイツ ドキュメンタリー映画 ニュース ノート ハイテクノロジー バレエ パソコン・インターネット パフォーマンス パーヴォ・ヤルヴィ ピアノ ファッション・アクセサリ フィンランド フェスティバルホール フランス フランス映画 ベルギー ベートーヴェン ミュージカル ミュージカル映画 ヨーロッパ映画 ラーメン ロシア ロームシアター京都 中国 中国映画 交通 京都 京都コンサートホール 京都フィルハーモニー室内合奏団 京都四條南座 京都市交響楽団 京都芸術センター 京都芸術劇場春秋座 伝説 住まい・インテリア 余談 兵庫県立芸術文化センター 動画 千葉 占い 台湾映画 史の流れに 哲学 大河ドラマ 大阪 大阪フィルハーモニー交響楽団 学問・資格 室内楽 小物・マスコット・インテリア 広上淳一 心と体 恋愛 意識について 携帯・デジカメ 政治・社会 教育 散文 文化・芸術 文学 文楽 旅行・地域 日本映画 日記・コラム・つぶやき 映画 映画音楽 映画館 書店 書籍・雑誌 書籍紹介 朗読劇 来日団体 東京 楽興の時 歌舞伎 正月 歴史 海の写真集 演劇 無明の日々 猫町通り通信・鴨東記号 祭り 笑いの林 第九 経済・政治・国際 絵画 美容・コスメ 美術回廊 習慣 能・狂言 花・植物 芸能・アイドル 落語 街の想い出 言葉 趣味 追悼 邦楽 野球 関西 雑学 雑感 韓国 韓国映画 音楽 音楽劇 食品 飲料 香港映画