カテゴリー「ザ・シンフォニーホール」の9件の記事

2018年12月12日 (水)

コンサートの記(466) 川瀬賢太郎指揮 日本センチュリー交響楽団第231回定期演奏会

2018年12月6日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで日本センチュリー交響楽団の第231回定期演奏会を聴く。今日の指揮は若手の川瀬賢太郎。

今日はオール米英プログラムで、アイヴスの「答えのない質問」、バーバーの「弦楽のためのアダージョ」、マイケル・ナイマンのチェンバロ協奏曲(チェンバロ独奏:マハン・エスファニハ。日本初演)、アイヴスの交響曲第2番が並ぶ。


アメリカを代表する作曲家の一人であるチャールズ・アイヴス。ただ彼は日曜作曲家であった。イエール大学で作曲を学び、大作を書き上げたりしているのだが、卒業後は保険会社に勤務し、作曲はその傍らで行っていた。これについては、「自身の作風を認められるのは難しいと悟り、生活を優先させた」といわれている。売れることを考えなかったために個性的な音楽を作曲することが出来たと考えることも出来るだろう。その後、自身で保険会社を興し、副社長になるなど、ビジネスマンとして有能だったようだ。
アイヴスもまた、レナード・バースタインによるアメリカ音楽の積極的な紹介によって知名度を上げた作曲家の一人である。ただその時にはアイヴスは心臓病を患って作曲からは引退状態であり、複雑な感情を抱いていたようだ。「今更」という思いもあっただろう。アイヴスリバイバルはバーンスタインの弟子に受け継がれ、マイケル・ティルソン=トーマスはアイヴスの交響曲全集を制作している。


今日のコンサートマスターは荒井英治、フォアシュピーラーに松浦奈々。


今日、タクトを振る川瀬賢太郎は、東京音楽大学で指揮を広上淳一らに師事。東京音大における広上の一番弟子的存在である。広上はバーンスタインの弟子であるため川瀬は孫弟子ということになり、師である広上同様、アメリカ音楽にも積極的に取り組んでいる。


アイヴスの「答えのない質問」。バーンスタインが行ったレクチャーのタイトルにも転用されていることで有名である。
神秘的な弦の流れの上を、管が公案的な問いを発していくという展開。舞台裏でのトランペット独奏は水無瀬一成が務め、「弦楽のためのアダージョ」演奏終了後にステージに登場して拍手を受けた。
センチュリーの響きは輪郭がクッキリとしており、合奏能力が高いことがわかる。


バーバーの「弦楽のためのアダージョ」。川瀬は「答えのない質問」とこの曲をアタッカで繋ぎ、単一楽曲の裏表のような表現を行う。

サミュエル・バーバーの「弦楽のためのアダージョ」は、ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された時にバーンスタインが追悼曲の1曲として演奏したことで知名度が増したが、それ以前からラジオの追悼番組のBGMとして流れており、この1曲だけが飛び抜けて有名になってしまったため、バーバー本人は「僕は葬送曲の作曲家じゃないんだけどね」と不満を述べることもあったという。
私自身がこの曲を初めて知ったのは、実はクラシックにおいてではない。坂本龍一が「Beauty」というアルバムで、ピアノと二胡、エレキギターのための編曲で「Adagio」として発表したものを聴いたのが初である(エレキギター演奏は、アート・リンゼイ。二胡は姜建華)。その後、レナード・スラットキン指揮セントルイス交響楽団の来日演奏会の模様がNHKで流れ、第1曲として「弦楽のためのアダージョ」が演奏されたのを視聴している。

川瀬は少し速めのテンポで歌い上げる。クライマックスでのゲネラルパウゼを長めに取ったのも印象的であった。


マイケル・ナイマンのチェンバロ協奏曲(チェンバロと弦楽オーケストラのための)。チェンバロ独奏のマハン・エスファニハはイラン出身のチェンバロ奏者、指揮者。スタンフォード大学に学び、アメリカとイタリアでチェンバロの修行を続けた後で渡英。オックスフォード大学ニュー・カレッジのレジデンス・アーティストに就任している。2015年に30歳でギルドホール音楽演劇学校の教授に就任しているというから、川瀬とは同年代ということになる。

ミニマル・ミュージックの提唱者として知られるマイケル・ナイマン。ピーター・グリーナウェイの映画音楽では自身がチェンバロを弾いて参加しているということもあり、チェンバロを自身の楽器としている(学生時代はバロック音楽の研究も行っていた)。ちなみに、私がザ・シンフォニーホールで初めて聞いた聴いたコンサートはマイケル・ナイマン・バンドの来日公演であった。

単調によるミステリアスな響きによってスタート。その後、長調に転じ、変拍子による音楽が繰り広げられる。繰り返しの快感と開放された時の開放感というナイマンの良さが出ている。面白いのはチェンバロによるカデンツァ。左手のエイトビートのリズムと右手の煌めくような響きは、コンピューターゲームのBGMを連想させる。そうした音楽が多いためだ。リズムもチェンバロ曲としては異例だが、響きがコンピューター音にように聞こえるというのが興味深い。チェンバロの表現の幅が明らかに拡がっている。


アンコール演奏。エスファニハは、”This piece composed by English composer Henry PURCELL.”と英語で紹介。「グラウンド」という曲が演奏される。左手で奏でられる下段の鍵盤の音がギターのように響くのが面白い。ハンマーで弦を叩いて音を出すピアノと違い、ハンマーに付いた爪で弦を弾くというチェンバロならではの音色だ。


メインであるアイヴスの交響曲第2番。初演の指揮を担ったのはレナード・バーンスタインであった。アメリカ民謡やフォスターのメロディーなどが随所に鏤められた曲である。

イギリスの楽曲のようなジェントルな響きで始まるが、アメリカの旋律が加わることによってアメリカ的なローカリズムとユーモラスな味わいが生まれる。更にリヒャルト・シュトラウスにような燦々たる音色の金管が登場して壮大なアマルガム形成、かと思いきや、ラストは「なーんてね」といった感じの不協和音で締めくくられる。一種の冗談への転化である。初演の際に作曲者自身によって改訂されたということだが、大真面目な感じにしたくなかったのだろう。

川瀬指揮のセンチュリー響は中編成ということもあって響きが拡がらない部分もあったが、第5楽章における狂騒感の表出は優れていた。まだ三十代前半の指揮者ということもあって指揮棒も振りすぎで、却ってオーケストラコントロールが行き届かない場面があったりもしたのだが、この年齢でアメリカ音楽をこの出来まで持って行けるのなら大したものである。

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2018年12月10日 (月)

コンサートの記(465) 岡山大学交響楽団第65回記念定期演奏会大阪公演

2018年12月3日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後6時30分から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、岡山大学交響楽団第65回記念定期演奏会大阪公演を聴く。指揮は吹奏楽ではお馴染みの保科洋。

旧制第六高等学校や旧制岡山医科大学などを前身とする岡山大学。旧制第三高等学校である京都大学とは同じナンバースクールで、更に岡山医科大学(現在の岡山大学医学部)は元々は第三高等学校の医学部だったということで、京都大学と交流があり、5年ごとに京都大学交響楽団とのジョイントコンサートを行うのが恒例だそうで、今回も第1曲目であるワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲は岡山大学交響楽団と京都大学交響楽団の合同演奏となる。


曲目は、前記ワーグナー作品の他に、保科洋の「饗宴 Deux Paysanges Sonores Ⅰ,Ⅱ」とブルックナーの交響曲第7番。


岡山大学交響楽団(通称:岡大オーケストラ、岡大オケ)はその名の通り岡山大学の交響楽団なのだが、オフィシャルホームページの「岡大オケ概要」にもある通り「岡山大学の学生、及び周辺の大学の学生で構成されるオーケストラ」であり、岡山理科大学、ノートルダム清心女子大学、川崎医療福祉大学、就実大学の大学生、更に岡山理科大学専門学校と岡山科学技術専門学校の専門学校生も入っている。今回の公演だけなのかどうかはわからないが、岡山大学のOBやOGも参加してことがわかる。
京都大学交響楽団も俗にいうインカレは多いようで、メンバー表を見ると、同志社大学、京都工芸繊維大学、京都産業大学、京都薬科大学、京都女子大学、京都府立大学、龍谷大学、立命館大学、滋賀大学の学生が加入していることがわかる。

大学オーケストラと一口に言っても、早稲田大学交響楽団のようにカラヤン・コンクールで何度も優勝している本格志向の楽団から単なるオーケストラサークルに至るまで幅広いが、岡山大学交響楽団の場合は約半数が入団時初心者であるものの、個別指導やプロの指導、保科洋による「岡大オケ・システム」という独自の養成方法の確立などもあり、かなり本格的に取り組んでいることがうかがえる。


岡山大学交響楽団常任指揮者の保科洋は、1936年生まれ。小澤征爾の1つ下、シャルル・デュトワやズービン・メータ、エリアフ・インバルと同い年ということになる。東京芸術大学作曲科出身。卒業作品で第29回毎日音楽コンクール作曲部門(管弦楽)で1位を受章。その後、東京音楽大学、愛知県立芸術大学、兵庫教育大学で教鞭を執ると同時に作曲活動を続け、特に吹奏楽曲では日本の第一人者と目されるまでになっており、「風紋」は最も有名な吹奏楽曲の一つとなっている。
保科は、昨年の4月に脳出血で入院。6月に退院したが、健康上の不安はあるようで、今日は杖をついて登場。ブルックナーの交響曲第7番では指揮台上に椅子が置かれ、楽章間にそれほど長い間ではないが腰を下ろして休憩を取っていた。

ワーグナーとブルックナーは保科が指揮するが、保科作曲の「饗宴」は秋山隆がタクトを執る。
秋山隆は保科洋の弟子で、現在は川崎医科大学病理学教室に勤務する現役の病理専門医である。中学時代に吹奏楽を始め、岡山一宮高校時代には学生指揮者として賞を得ている。岡山大学医学部入学と同時に岡山大学交響楽団にトランペット奏者として入部し、保科の指導の下で演奏。学生指揮者としても活動を始め、岡大オケを第2回全日本大学オーケストラコンクール1位獲得に導いている。卒部後は、岡山大学交響楽団サブコンダクターとして保科を支えている。


ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲。京都大学交響楽団との合同演奏で、コンサートマスターは京都大学農学部4年のM君が務める。
弦楽の輪郭がクッキリとせず、主旋律がどこに行ったのかわからなくなるなど、混沌とした演奏であるが、臨時特別編成の学生オーケストラということもあり、こんなものだろうとも思う。


保科の「饗宴」以降は岡山大学交響楽団の単独演奏で、コンサートミストレスは教育学部4年のNさんが担う。無料パンフレットを読むとNさんのニックネームが「ラムエル」らしいことがわかるのだが、何の説明もないため由来は不明。執筆者は新日本フィルハーモニー交響楽団のヴァイオリン奏者で岡大オケ第1ヴァイオリントレーナーの篠原英和であるが、聴きに来るのは全員身内という前提で書かれていると思われ、端折ったのであろう。

「饗宴」は、下野竜也指揮広島ウインド・オーケストラによる吹奏楽版のCDは出ているが、管弦楽曲版の音源はないようで、貴重な体験となる。岡大オケのメンバーも保科の作品ということもあってか全身全霊での演奏。繊細な味わいのある見事な仕上がりとなった。下手側の席で聴いていた保科は演奏終了後に秋山に促されて立ち上がり、喝采を受けた。


ブルックナーの交響曲第7番。ワーグナーと保科作品はチェロが上手手前に来るアメリカ式の現代配置での演奏であったが、ブルックナーはドイツ式の現代配置で演奏される。

パート別では木管楽器が最も安定しており、冴え冴えとした音を響かせる。弦楽器はやはり輪郭がやや曖昧であり、金管もずれが目立つ場面があるが、アマチュアオーケストラとしてはまずまずの水準に達しているように思われる。ブルックナーの交響曲はそのまま演奏してもブルックナーの音楽にならないところがあり、難度は高いのだが、交響曲第7番はメロディー主体ということもあり、ブルックナーを得手としていない指揮者やオーケストラでも聴かせる演奏を行うことは可能である。音楽を聴く喜びを感じることが出来た。

こうしてブルックナーの交響曲を聴いてみると、ブルックナーが誰よりもキリスト教的な音楽を書いているということがわかり、その点で最もヨーロッパ的な作曲家だということが確認出来る。

思い出されるのは、朝比奈隆と大阪フィルハーモニー交響楽団が、ブルックナーの眠る聖フローリアン教会で交響曲第7番を演奏しようとした際、本番前に現地の老人が朝比奈の楽屋を訪れて、「キリスト教徒でない者にブルックナーが演奏出来るはずがない」と抗議のようなものを行ったという、比較的よく知られた話である。ブルックナーがキリスト教の精神そのものを音楽に昇華したというわけではないため、キリスト教徒でもない日本人でもブルックナーの交響曲を見事に再現することは可能であるように思われるのだが、楽曲から受け取るものはヨーロッパ人とは大きく異なるのも事実であるように思われる。ブルックナーは日本人にとって奥の院の音楽だ。

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2018年12月 5日 (水)

コンサートの記(463) ミハイル・プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団来日公演2009大阪

2009年7月11日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、ザ・シンフォニーホールで、ミハイル・プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団の来日公演を聴く。曲目は、リムスキー=コルサコフの歌劇「雪娘」組曲、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:川久保賜紀)、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」というオール・ロシア・プログラム。

ロシア・ナショナル管弦楽団は、1990年にプレトニョフが興したロシア初の民間オーケストラ。結成する際に、既成のオーケストラから人材が流れるなどして問題となったこともある。


リムスキー=コルサコフの歌劇「雪娘」組曲は、知名度は低いが愛らしい作品。ロシア・ナショナル管弦楽団は管楽器の音のエッジが立っており、中でも金管の輝かしい音は日本のオケのそれとは別次元にある。


チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のソリストを務めるのは川久保賜紀。2002年のチャイコフスキー国際コンクールのヴァイオリン部門で1位なしの2位に輝いた逸材である。
プレトニョフとロシア・ナショナル管のゆったりとした序奏に続いて、川久保のソロが始まる。線の太さはないが、音は磨き抜かれ、気品すら漂う。技術も高く、評判に違わぬ優れたヴァイオリニストであることがわかる。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、この1年の間に何度か生で聴く機会があり、木嶋真優、南紫音ともに今一つであったが、川久保賜紀はさすがというか、格の違いは明らかである。

川久保はアンコールにJ・S・バッハの無伴奏パルティータ第3番より“ブーレ”を演奏する。


チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。冒頭はゆっくりとしたテンポで始まるがすぐに加速し、オーケストラの機能美を発揮した演奏が展開される。第1楽章の第2主題を歌わずに流したり、第2楽章を速めのテンポで駆け抜けたりと、即物的な印象を受ける。

第3楽章も健康優良児的演奏。しかし、ここまでが伏線であった。
第4楽章は一転して、繊細な表情で嘆きの歌を歌い上げる。第3楽章までは第4楽章とのコントラストをつけるために敢えて暗い表情を抑えた演奏をしていたのである。第3楽章までで表現された凛凛たる英雄像が第4楽章で打ち崩される。プレトニョフ、意外に演出が巧みである。
葬送の雰囲気すら漂う打4楽章が終わった後、長い沈黙があり、やがて拍手が起こる。優れた解釈による演奏であった。

悲劇的な解釈による演奏でプログラムが終わったためか、アンコールはなし。これもまたプレトニョフの巧みな演出であり、こちらも不満はなしである。

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2018年11月27日 (火)

コンサートの記(453) 小松長生指揮 関西フィルハーモニー管弦楽団第211回定期演奏会

2009年5月21日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、関西フィルハーモニー管弦楽団の第211回定期演奏会を聴く。上からのお達しで(注・前日に東京と川崎で新型インフルエンザの感染が報告されたため)、ホールスタッフは全員マスク着用、聴衆もマスク姿が目立つという中でのコンサート。さすがに楽団員はマスクはつけていない。というより管楽器奏者はマスクはつけられない。

今日の指揮者は小松長生。関西フィルの指揮台には久々の登場とのことだが、以前は関西フィルの正指揮者をしていたこともある。東京大学で美学を学んだ後、イーストマン音楽院で指揮法を勉強したという異色の経歴の持ち主。現在はコスタリカ国立交響楽団の芸術監督の座にある。コスタリカ国立交響楽団に着任早々、現地で路上強盗に遭ったことが話題になったりもした。

「オリエンタリズム」と題された今日のコンサート。プログラムは、今年が生誕100年となる夭逝の作曲家、貴志康一の大管弦楽のための「日本組曲」から“春雨”“祈り”“道頓堀”、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調(ピアノ独奏:河村尚子)、バルトークの「中国の不思議な役人」組曲、コダーイのガランタ舞曲。

日本人として初めてベルリン・フィルを指揮した人物としても知られる貴志康一は、1909年、大阪府吹田市に生まれ、兵庫県芦屋市で育った作曲家。神戸の甲南高等学校(旧制)を中退してヨーロッパに渡り、ジュネーブ音楽院とベルリン音楽院でヴァイオリンと作曲、指揮法を学んでいる。ヨーロッパでの作曲、指揮活動を行った後、帰国し、日本での活動をスタートさせるが、帰国から2年後の1937年、心臓麻痺により28歳の若さで他界している。
大管弦楽のための「日本組曲」は、1935年、貴志康一の「帰朝記念作品発表音楽会」で初演された作品。いかにも日本的なメロディーと東洋的な雰囲気に満ちた楽しい曲だ。ただ、この手の曲はどうしてもテレビドラマの音楽に聞こえてしまうのが難点。

ラヴェルのピアノ協奏曲のソリスト、河村尚子は、1981年、西宮市生まれの若手ピアニスト。父親の仕事の都合で、5歳の時にドイツ・デュッセルドルフに渡り、その後ずっとドイツで音楽教育を受けた。現在はハノーファー音楽芸術大学のソリスト課程に在学中。いつも楽しそうに演奏するピアニストである。
薄いオレンジ色のドレスで登場した河村は、立ち振る舞いがこれまでより堂々としている。自信をつけてきたのだろう。
今日は私は3階席のレフト側に座ったので河村の表情は見えなかったが、オーケストラだけの部分では首を振りながら音楽に浸っている河村は今日も楽しそうであった。
河村の技巧は凄い。ピアノを弾いている手を見ていると、人間業とは思えないほどだ。第1楽章、第3楽章の冴えはこれ以上を望めないほどである。
第2楽章のような緩徐楽章では、もっと洒落た表情をつけても良かった。とはいえ、まだ20代。これだけ弾ければ十分だろう。

バルトークの「中国の不思議な役人」組曲は同名のバレエ音楽をコンサート用組曲にまとめたもの。バレエの方は売春をテーマとした作品であり、非道徳的であるとして、1日で上演が打ち切られたという曰く付きの作品である。スラム街を舞台とした作品だけに、おどろおどろしい音楽となっている。
小松長生はスナップを利かせて指揮棒をブンブン振る。動きにキレがあり、オーケストラコントロールも抜群だ。
なお、演奏途中、小松の指揮棒が手から離れて後ろの客席に飛んでいくというシーンがあった。こうしたハプニングはそう珍しいことではないようで、本などにはよく書かれているが、私は生で見るのは初めて。指揮棒をなくした小松は、しばらくノンタクトで振ってから予備の指揮棒を取り出して指揮を続けた。
関西フィルは弦の音がやや鈍いが、それでも健闘した方だと思う。

コダーイのガランタ舞曲もノリの良い演奏で、オーケストラを聴く醍醐味を十分に味わわせてくれた。

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2018年10月17日 (水)

コンサートの記(438) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第427回定期演奏会

2009年4月16日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第427回定期演奏会に接する。指揮は音楽監督の大植英次。

曲目は、ブラームスの交響曲第3番、レナード・バーンスタインの組曲「キャンディード」、ストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」(1919年版)。
開演時間に、すっかり痩せた大植英次が登場する。痩せたとは元気そうではある。

ブラームスの交響曲第3番は、古典配置を基本に、コントラバスだけを最後列に並べたスタイルでの演奏。
第1楽章と第4楽章の熱気を帯びたドラマティックな演奏と、第2楽章、第3楽章のしっとりとした弦の音色を引き出した抒情的な部分との対比が素晴らしく、まずは名演といっていいだろう。第4楽章でホルンがこけたのが惜しいといえば惜しかった。
なお、大植は、第1楽章の後は休止を入れたが、第2、第3、第4楽章は間を置かずに演奏した。おそらく、スタイル的に第1楽章は独立したような形になっているとの解釈なのだろう。

後半の、組曲「キャンディード」と組曲「火の鳥」は、ドイツ式の現代配置での演奏であった。
レナード・バーンスタイン(愛称:レニー)の組曲「キャンディード」は、レニーが弟子である大植のためにオペラ(若しくはミュージカル)「キャンディード」の音楽を演奏会組曲に組み直すことを許可したものである。
師が自身のために編曲を許してくれた作品の指揮ということで、大植は思い入れタップリの演奏を聴かせる。特に“Make Our Garden Grow”の部分は、「神々しい」と形容したくなるような秀演。レニーの音楽に「神々しい」という言葉は合わないが、他に適当な表現が思いつかない。

ストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」も、威力のある金管と立体感ある弦が素晴らしい。音符の一つ一つに翼が生えて飛び立っていくような、音楽の生命力も圧倒的。
ブラームスも名演だが、バーンスタインとストラヴィンスキーはそれを上回る文句なしの名演。大植はロマン派が得意だと思っていたが、近現代ものはそれ以上に得意としているようである。

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2018年9月27日 (木)

コンサートの記(429) パスカル・ロフェ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第426回定期演奏会

2009年3月12日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時開演の大阪フィルハーモニー交響楽団第426回定期演奏会に接する。今日の指揮者はフランス人のパスカル・ロフェ。プログラムもオール・フランスものである。
指揮者のパスカル・ロフェは、指揮活動と同時に、パリ音楽院指揮科のマスタークラスを受け持って、教育に力を入れている人とのこと。

ドビュッシーの交響組曲「春」、1955年生まれの現役の作曲家であるパスカル・デュサパンの「エクステンソ」(日本初演)、ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲が演奏される。
ロフェは全編ノンタクトで振る。

ドビュッシーの交響組曲「春」は、ドビュッシーの初期作品のためか、それともドイツものに長年取り組んできた大阪フィルの個性ゆえか、その両方が相まってか、ドビュッシーというよりワーグナー作品に近い響きがする。金管の響きがリアルな、ユニークな演奏であった。

デュサパンの「エクステンソ」。「エクステンソ」とは「引き延ばす」という意味だという。蜂の羽音のようなヴァイオリンの響きに始まり、各楽器がそれぞれの音を奏でるが、各楽器群を個々に追うのではなく、全体の響きを俯瞰するように聴くと、巨大な一つの流れのようなものを感じることが出来る。「エクステンソ」は、「オーケストラのためのソロ」というタイトルの作品群の中の一作だが、巨視的に眺める(巨聴的に聴き取る?)とオーケストラを使って巨大な単一旋律のようなものが奏でられているのがわかる。パイプオルガン的な発想で書かれたのだろうか。

ラヴェルの「ダフニスとクロエ」全曲。この曲には思い出がある。NHK交響楽団の定期演奏会でこの曲が演奏された時のことである。渋谷のNHKホールにて、指揮はシャルル・デュトワ。土曜のマチネーだった。第2部の途中で合唱のみの部分があるのだが、そこに差し掛かった時に地震が起こったのだ。震度3であったが、かなり揺れた。それでもデュトワは曲を止めずに最後まで演奏した。もし揺れたのがオーケストラパートの時であったらどうなっていたのだろう。動揺した楽団員が演奏を止めていただろうか。その日のコンサートマスターのYさんは、地震の発生と同時に身をかがめていたし。

さて、ロフェの大フィルの「ダフニスとクロエ」。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団が受け持つ。

大フィルのサウンドにもっと立体感があると良かったのだが、第3部のラストなどは白熱した演奏であり、大阪フィルハーモニー合唱団もまずまずの仕上がりであった。
今日は金管の精度が今一つ。音ももっと洗練されたものが欲しくなる。

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2018年9月 7日 (金)

コンサートの記(420) 広上淳一指揮京都市交響楽団大阪特別公演2018

2018年9月2日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、広上淳一指揮京都市交響楽団の大阪特別公演を聴く。

オール・ロシア・プログラムで、プロコフィエフの組曲「3つのオレンジへの恋」から行進曲&スケルツォ、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:小林美樹)、チャイコフスキーの交響曲第4番が演奏される。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。第2ヴァイオリン首席には客演の有川誠が入る。チェロ首席にも客演のルドヴィート・カンタが入った。

プロコフィエフの組曲「3つのオレンジへの恋」より行進曲&スケルツォ。
京響は燦々と輝くような音色を発し、広上のキビキビとしたリードが生きる。鋼のように強靱なフォルムとメカニックがプロコフィエフの面白さを際立たせる。

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲ニ長調。
ソリストの小林美樹(みき)は、1990年生まれの若手ヴァイオリニスト。アメリカのサンアントニオに生まれ、4歳の時にヴァイオリンを習い始める。2006年にレオポルド・モーツァルト国際ヴァイオリンコンクールで審査員特別賞を受賞。2011年にはポーランドのヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクールで2位になっている。桐朋女子高校音楽科を経て桐朋学園大学ソロディプロマコースを卒業。その後、ロームミュージックファンデーションの全額奨学金により、ウィーン私立音楽大学でも学んでいる。

ピンク色のドレスを着て登場した小林は長身の女性である。小柄な広上は、彼女の肩の部分までの身長しかない。

小林のヴァイオリンはスケールが大きく、技術力も確かである。少し単調なヴァイオリンなのが気になるところだ。時折、海老反りになってヴァイオリンを弾く小林。見せ方を知っているという印象を受ける。
広上指揮の京響も堂々としたシンフォニックな伴奏を聴かせる。

小林のアンコール演奏は、バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番よりジーク。華麗な演奏だったが、案外、記憶に残りにくい類いのものだったようだ。

チャイコフスキーの交響曲第4番。第1楽章では、チャイコフスキーの嘆きにさほどのめり込まず、俯瞰的なアプローチを展開する。客観視された悲劇性が音によって描かれることで却って深刻さが増す。
第2楽章でも第3楽章でも音色は明るめだが、その背後に陰鬱な表情があることを示唆させる演奏である。ちなみに広上は第3楽章をノンタクトで振り、応援団長がやる「フレーフレー」のような仕草をしていた。
第4楽章も音の見通しが良く、グロテスクなサーカスのような音楽が舞台上で繰り広げられる。あたかもロシア版の幻想交響曲のような描き方である。ラストで広上はギアを上げ、悪魔の高笑いのような音像を築く。文字通りデモーニッシュな解釈である。

演奏終了後、広上は、「一つだけ。皆様のご健康とご多幸を祈っております」と言って、モーツァルトのディヴェルティメントニ長調 K.136から第2楽章の演奏を行う。
広上と京響が共に十八番としているモーツァルト、の割には演奏会にプログラムに乗る機会は決して多くないが、透明で雅やかでチャーミングな理想的な出来となった。

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2018年8月16日 (木)

コンサートの記(411) 広上淳一指揮 大阪シンフォニカー交響楽団(現・大阪交響楽団)第129回定期演奏会

2008年11月7日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から大阪のザ・シンフォニーホールで大阪シンフォニカー交響楽団の第129回定期演奏会に接する。今日の指揮は広上淳一。

オール・メンデルスゾーン・プログラムで、序曲「静かな海と楽しい航海」、「ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲」(ヴァイオリン独奏:米元響子、ピアノ独奏:河村尚子)、交響曲第1番という無名曲が揃う。広上の指揮でなかったら客はまず入らないだろう。
広上の指揮でも客席は満員にならなかったが、超絶的に地味なプログラムの割には入りはそこそこ。ただし、パイプオルガン側の席は発売されていない。

モーツァルトと並ぶ神童作曲家として知られる、フェリック・メンデルスゾーン=バルトルディ。幼き日にはゲーテから「君に比べればモーツァルトでも子供同然」と絶賛を受けた(ただし当時は今とは違い、モーツァルトの評価はそれほど高くなかったことは意識しておく必要はある)。
38歳と、早世ながらモーツァルトよりは3年長く生きたメンデルスゾーンだが、作曲家としてはモーツァルトには遠く及ばず、多作だったにも関わらず、今でもコンサートプログラムに頻繁に乗るのは、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第3番「スコットランド」、交響曲第4番「イタリア」、序曲「フィンガルの洞窟」、「真夏の夜の夢」序曲と劇付随音楽「真夏の夜の夢」、弦楽八重奏曲、ピアノ曲「無言歌」集、オラトリオ「エリア」などで十指にも満たない。いずれも名旋律を持ち、メンデルスゾーンが旋律の人だったことがわかる。
今日のプログラムの曲も、序曲「静かな海と楽しい航海」はいくつか録音が出ている程度。ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲はこれまで私はその存在すら知らなかった。交響曲第1番も「メンデルスゾーン交響曲全集」には入っているが、全集にするために録音がされたものがほとんどで、単体でのCDは発売されていないはずである。発売されたとしても買う人はいないだろう。

無名曲を広上がどう聴かせるのかが注目である。

序曲「静かな海と楽しい航海」は、演奏が始まってすぐに弦楽パートの絶妙のハーモニーにより別世界に連れて行かれる。大阪シンフォニカー交響楽団の演奏会にはこれまで何度か接しているが、これまでに聴いてきた指揮者とは広上は格が違うのがわかる。
ただ、曲自体はやはり出来が良くない。聴いている間は引き込まれるのだが、曲が終わると途端に醒めてしまう。

ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲。米元響子は2008年度の出光音楽賞を受賞した若手ヴァイオリニスト。ピアノの河村尚子は2007年にクララ・ハスキル国際コンクールで優勝したこちらも将来を期待される若手である。
河村尚子の実演には、小林研一郎指揮京都市交響楽団の定期演奏会で接したことがある。モーツァルトのピアノ協奏曲の演奏だったが、河村が実に楽しそうにピアノを弾くのが印象的だった。
今日も河村は楽しそう。ソロが始まるまでのオーケストラのパートが長かったのだが、その間、河村は微笑みながら音楽に浸っている。ソロが始まってからも、顔の表情は豊かであり、全身もノリノリで、この人が本当に音楽好きだということがわかる。
ヒンヤリとした独自の音色が個性的。技術も高い。時に勢い任せの演奏になるのが玉に瑕である。
河村は、演奏開始前にコンサートマスターだけでなく、フォアシュピーラー(コンサートマスターの隣で弾く人のこと。次席奏者とも訳される)とも握手をし、演奏終了後には、譜めくりの人の肩にそっと手を乗せて労うなど、心配りの出来る人であることがわかる。音楽家も人間なので、河村のような人とはまた共演したくなるだろう。
ヴァイオリン、ピアノと弦楽のための協奏曲の弦楽パートは、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番のそれとよく似た開始を見せる。というよりは、メンデルスゾーンは、おそらくモーツァルトを意識している。第1楽章は悲劇的な色彩が強く、広上はオーケストラから悲しげな音色をよく引きだしていた。
しかし、この曲はやはり駄作だと思う。曲全体が色々なところから楽想を引っ張ってきた借り物のようであるし、第3楽章のピアノパートは音がただ上下行を繰り返しているだけで、スケール練習のよう。河村も暗譜はせずに、譜めくり人を置いていたが、この曲のピアノパートを暗記するのは時間と労力の無駄なので賢明な選択だと思う。
ヴァイオリンの米元響子は全ての音が磨き抜かれていた。個性が弱いのが今後の課題だろう。

メインである交響曲第1番。コンサートステージに上がることはほとんどない曲で、やはりその程度の曲ではあるが、広上が振ると、演奏している間は「イタリア」交響曲に匹敵する作品に聞こえる。
第1楽章の情熱、第2楽章の青春の息吹、第3楽章の熱いダンス、第4楽章の勢いなど、いずれも曲の弱さは補って余りある出来。メンデルスゾーンの交響曲第1番でこれほど聴かせるのだから、さすがは広上といったところか。
広上は右手を高く突き上げるなど、時に外連も見せるが、それさえも音楽と一体化しているため、外連であっても外連のみとは感じられない。
シンフォニカーもチェロのゴウゴウとした鳴りなどは普段とはまるで異なり、全体の響きも情熱的でありながら爽やか。情熱的で爽やかという両極端にあるものを同時に出した響きと、こうして文章にしてもうまく伝わらないと思われるが、広上はそうした響きを出す。言葉や概念を超越した響きが今日はホールを満たしていた。

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2018年7月30日 (月)

コンサートの記(408) ユッカ=ペッカ・サラステ指揮 N響「夏」2018 大阪公演

2018年7月21日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後4時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、N響「夏」2018 大阪公演を聴く。指揮はフィンランドを代表する指揮者の一人であるユッカ=ペッカ・サラステ。

1956年生まれのユッカ=ペッカ・サラステ。三つ年上のオスモ・ヴァンスカや二歳年下のエサ=ペッカ・サロネンと共に、フィンランド指揮界のアラ還世代(フィンランドには還暦もなにもないわけだが)を代表する人物である。ヴァイオリン奏者として世に出た後でシベリウス音楽院でヨルマ・パヌラに指揮法を師事。クラリネット奏者として活躍していたヴァンスカやホルン奏者としてキャリアをスタートさせたサロネンとは同じ時期に指揮を学んでいる。パヌラの教育方針として「オーケストラの楽器に精通すること」が重要視されており、指揮とピアノ以外の楽器を学ぶことはプラスになったようである。
1987年から2001年までフィンランド放送交響楽団の指揮者を務め、「シベリウス交響曲全集」を二度制作。フィンランディア・レーベルに録音した二度目の全集は今でも屈指の高評価を得ている。その後、スコットランド室内管弦楽団(スコティッシュ・チェンバー・オーケストラ)の首席指揮者、トロント交響楽団の音楽監督、BBC交響楽団の首席客演指揮者、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者と、主に北欧、イギリス、北米での指揮活動を行い、現在はケルンのWDR交響楽団の首席指揮者の地位にある。

曲目は、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」、シベリウスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:バイバ・スクリデ)、ブラームスの交響曲第1番。
無料パンフレットに寄稿している中村孝義は、シベリウスとブラームスの両者に奥手で思慮深く、自罰的という共通項を見いだしている。

N響配置ことドイツ式の現代配置での演奏。今日のコンサートマスターは伊藤亮太郎。
NHK交響楽団も若返りが進み、90年代後半に学生定期会員をしていた頃にも在籍していたメンバーは少なくなっている。有名どころでは第2ヴァイオリンの今では首席奏者になった大林修子、オーボエ首席の茂木大輔(『楽器別人間学』が大幅に手を加えて本日復刊である)、ティンパニ(打楽器首席)の久保昌一らがいるのみである。

シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。フィンランディアに録音した「シベリウス交響曲全集」では辛口の演奏を行ったサラステ。この「アンダンテ・フェスティーヴォ」でも痛切なほどに磨き上げられた弦の音色が印象的である。ただ単にツンとしているだけの演奏ではなく、彩りを自由自在に変え、さながらオーロラの揺らめきのようの趣を醸し出す。そうした音色で旋律を優しく歌い上げるという相反する要素を包含し共存させたかのような演奏である。
サラステの指揮は比較的振り幅を抑えた合理的なものであった。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲。ソリストのバイバ・スクリデは、1981年、ラトヴィアの首都リガ生まれのヴァイオリニスト。音楽一家に生まれ育ち、ドイツのロストック音楽演劇大学でヴァイオリンを専攻。2001年にエリーザベト王妃国際コンクール・ヴァイオリン部門で1位を獲得している。

N響の音は「アンダンテ・フェスティーヴォ」と同傾向である。輪郭のクッキリした音であり、アンサンブルの精度の高さが感じられる。
スクリデのヴァイオリンは優雅で色彩豊か。シベリウスを演奏するのに最適の音楽性を持ったヴァイオリニストである。

スクリデのアンコール演奏は、ヨハン・パウル・フォン・ウェストホフのヴァイオリン・ソナタ第3番より「鐘の模倣」。ヴィヴァルディにも共通したところのあるバロック期の技巧的一品。スクリデの優れた技巧が光る。

ブラームスの交響曲第1番。サラステは序奏を快速テンポで駆け抜ける。また表情を抑え、暑苦しくなるのを防いでいる。タクトはシベリウスを指揮するときよりも大きく振るし、情熱的な盛り上がりも見せるが、あくまで一音一音を丁寧に積み上げている演奏。N響の威力のある音と渋い音色もプラスに作用する。
第3楽章演奏後、ほとんど間を置かずに第4楽章に突入。この楽章ではパウゼの部分も詰めて演奏しているのが印象的であった。
フィンランドを代表する指揮者であったパーヴォ・ベルグルンドがヨーロッパ室内管弦楽団を指揮してブラームス交響曲全集の名盤を録音しているが、フィンランド人指揮者の分析的アプローチはブラームスに合っているのだと思われる。

アンコールとして、シベリウスの「クオレマ」より鶴のいる情景が演奏される。透明感に満ちた優れたシベリウスであった。



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