カテゴリー「京都芸術劇場春秋座」の6件の記事

2018年12月28日 (金)

観劇感想精選(280) 「なにわバタフライN・V」

2010年3月13日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後4時から、京都芸術劇場春秋座で「なにわバタフライN・V」を観る。三谷幸喜:作・演出の戸田恵子による一人芝居。2004年の初演以来6年ぶりの再演である。N・VはNEW VERSIONの略であり、その通り、観た印象はずいぶんと異なる、といっても初演を観たときの私の記憶はすっかり飛んでしまっていたのだが。

会場に入ると、舞台上に巨大な風呂敷包みがある。初演時のセットは楽屋風のものだったが、今回のニューバージョンではセットらしいセットはなく、背後に幕が下りるだけのものになっていた。

上手袖から戸田恵子がひょっこりと顔を出して上演開始。まず戸田が客席に語りかけ、お客さんに手伝って貰いながら風呂敷を由佳に敷きつめる作業を行う(作業を手伝ったお客さんには握手とお菓子のプレゼントがあった)。

ミヤコ蝶々をモデルにした女芸人の一代記。女芸人が見えない記者に自分の人生を物語るというスタイルで一人芝居が進められていく。

女芸人の人生を彩る男達は折りたたみ式の額縁で表現され、戸田恵子は部分的に例外はあるものの、女芸人一人を演じていく。

照明と音響による場面転換もわかりやすく、三部形式の幕間には戸田が客席に語りかけるなど、親しみやすさが増しているように思えた。

ユーモラスでチャーミングな戸田の演技も素晴らしく、初演時にあったやらずもがなの演出も整理されていて、楽しくも説得力のある芝居になっていたように思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年12月 6日 (木)

「破壊の子ら ―演出家・筒井潤とダンサー4人の野望」

2018年12月1日 京都芸術劇場春秋座にて

午後3時30分から、京都芸術劇場春秋座で、ダンス公演「破壊の子ら ―演出家・筒井潤とダンサー4人の野望}を観る。演出家の筒井潤が、演出と振付を行う公演。企画:山田せつ子。出演:倉田翠(akakilike)、野田まどか、福岡まな実、松尾恵美。

春秋座の舞台上に設けられた仮設席が上手と下手から空間を挟むように設置されている。両サイド(本来の客席側と舞台奥側)からカーテンが下りており、演じるスペースは細長(短冊形)になっている。開演30分前からロビー開場が行われ、客席入場は10分前から整理番号順に行われる。

午後3時30分になると、客席側にダンサー4人の舞台奥側に男性の影絵が現れる。男性がレバーを回すと回り舞台が回転を始め、女性ダンサー達の影が大きくなってから左右に分かれ始める。

ダンサーが1人ずつ回転舞台に運ばれるようにして登場し、ダンスが始まる。

「破壊の子ら」というタイトルに従って物語を読み取ることは前半に関しては出来る。女性しかわからない下ネタは、生殖行為に繋がり、女性に取っては人生で最も大切なことの一つなのだが、リアルに男と女とでは洒落にならない。しかし、女性同士なら笑いになるのである。途中で、稽古中に取られた声が入り、筒井が「何で笑ってるの?」と言っていたりする。
そして突き破って出てくるという行為は「破壊」と見ることも出来るだろう。昔は出産は死に繋がりやすく、3人が横になった1人を担ぎ上げて歩く様を「葬送」に見立てることはたやすい。動きの類似性と象徴性に鑑み「生死」を描いた、そう取ることも可能である。
ただ、後半は特にストーリー性はなく、ダンスの動きそのものに焦点を当てている。前半も物語めいたことはあったが、それも「そう見えた」というだけの可能性も高い。

私自身は、「ダンスは音楽と物語から自由になるべきだ」と考えており、ダンスの独立性を支持しているため、夾雑物になりかねない物語と音楽を排した公演であるということも納得がいく。ただ、動きのみでどれだけ見る者を魅了出来るかということでもあるのだが。


そしてこれを観た後で、「ダンス批評というのは果たして本当に必要か?」という疑問が浮かぶ。私もダンスはそれほど好きではないが、観て感想は書くし、文章として残しておくことも重要だと思っている、記録としてなら。ただダンスそのものを言葉で置き換えることは出来ないし、する意味もないとは思っている。そもそもダンスというのは他者に伝達するために始まったものではないだろう。
ダンス批評なるものを読むと、単なる公開自慰に陥ってるものがあり、薄気味悪かったりするのだが、彼らはダンスを感覚的で自己完結的な文章に置き換えることに対してなんの羞恥心も感じていないように思える。


終演後に、ポスト・パフォーマンス・トークがある。出演者は筒井潤と演劇批評家の高橋宏幸。高橋は名前をひっくり返すとミュージシャンの高橋幸宏と同姓同名になるが、今日も「高橋幸宏さん」と紹介されるも頷いていた。多分、間違えられることがかなり多いのだろう。

筒井潤は、コンテンポラリーダンスで「強度」が求められることに対して疑問を抱いたそうで、それとは違うダンスを指向したという。コンテンポラリーダンスにおける「強度」という言葉の用い方は人によって違うだろうが、動きのシャープさや迫力などを指していることが多いだろう。そうした密なものに対するある種の緩さを求めたそうだ。

筒井はダンスの経験はほとんどないため、振付自体も変なものになるそうで(本格的なダンスはしたことがないので身体的な発想が出来ない)、4人のダンサーが独自に変えたり進化させたりという作業が必要になる。ただ、そうした一種の翻訳作業を演出家である自分には教えないよう筒井は求めたそうで、そこに一種の化かし合いが起こることになる。

いわゆる「境界」にあるダンス作品である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月13日 (火)

コンサートの記(450) 春秋座オペラ第9弾 「蝶々夫人」2018楽日

2018年11月4日 京都芸術劇場春秋座にて

午後2時から、京都芸術劇場春秋座で、春秋座オペラ第9弾、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」を観る。例年通りNPO法人ミラマーレ・オペラによる上演。指揮は樋本英一(ひもと・ひでかず)、演奏はミラマーレ室内管弦楽団。

これまでの春秋座オペラではエレクトーン入りの編成でオーケストラピットに入っていたミラマーレ管弦楽団であるが、今回はピット内下手端、花道の下にグランドピアノを置いた編成である。第1ヴァイオリン第2ヴァイオリン共に2人、ヴィオラ、チェロ、コントラバスが1人ずつという配置。管はフルート、クラリネット、ホルン、トランペットが2管編成である。Ettore Panizzaのリダクションによるオーケストレーションでの演奏。
全楽器が生の音ということで、小編成ながら迫力がある。

演出:今井伸昭。公演監督は松山郁雄。松山は字幕翻訳も手掛けている。出演は、藤井泰子(蝶々夫人)、マッシミリアーノ・ピサピア、片桐直樹(シャープレス)、糀谷栄里子(こうじたに・えりこ。スズキ)、大淵基丘(おおふち・もとく。ゴロー)、服部英生(ボンゾ)、萩原泰介(ヤマドリ/神官)、愛知智絵(ケイト)。合唱はミラマーレ・オペラ合唱団。所作指導:井上安寿子。公演プロデューサー:橘市郎。


指揮の樋本英一は、1954年生まれ。都立新宿高校を経て東京芸術大学卒という経歴は坂本龍一と完全に一緒である。東京芸大では声楽科を卒業した後に指揮科を卒業。芸大は中途編入を認めていないため、一から受験し直したのだと思われる。主に声楽の指揮者として活躍しており、母校の芸大を始め、桐朋学園短期大学、二期会オペラ研修所、日本オペラ振興会オペラ歌手育成部などの講師も務めている。
ドラマティックな音楽作りに長けており、耽美的な音も上手く引き出す。

演出の今井伸昭は、日本大学藝術学部写真科中退後、木村光一に演出を学び、更に栗山昌良に師事して演出助手も務めたということで、春秋座では「ラ・ボエーム」の演出を手掛けた岩田達宗の兄弟弟子になるらしい。現在は、東京音楽大学や桐朋学園大学の非常勤講師でもある。


タイトルロールを務める藤井泰子は、私やダブルキャストで蝶々夫人を演じた川越塔子と同じ1974年生まれ。広島県福山市出身。音楽好きの両親の元に生まれ、幼少時からピアノやフルートを習い、高校時代から声楽のレッスンを開始して、慶應義塾大学総合政策学部卒業後に日本オペラ振興会育成部を修了。政府給費にてイタリアのボローニャ元王立音楽院に学び、国際コンクールでの優勝経験もある。イタリアではYasuko名義でクイズバラエティーに出演して人気を博している。なんでも出題者としての登場で、イタリアの曲を日本語で歌ってなんの曲か当てさせるコーナー担当だったらしい。見たことはないので詳細は不明。
オペラデビュー作が「蝶々夫人」だったそうだ。

マッシミリアーノ・ピサピアはイタリアのトリノの生まれ。フランコ・コレッリらに師事し、「蝶々夫人」のピンカートン役でデビューしている。ピンカートンは十八番であるようだ。

回り舞台を使用。最初の場では、背後にアーチ状もしくは太鼓橋状の階段が掛かっており、初めてここに来る人は基本的にこのアーチの上を通る。
蝶々夫人は、親戚一同をあたかも運命のように引き連れながらやって来る。
この場では桜の木が中央で枝を拡げている。
回り舞台を使ったもう一つの場は、蝶々のように羽根を拡げた形の壁がある舞台セットである。この場では影絵が用いられる。特徴的なのは星条旗が見当たらないことである。星条旗が立っていそうな場所にはやはり桜の木があり、常に光を浴びている。

視覚面での特徴は、なんといっても第二幕で蝶々さんが洋装していること。鹿鳴館で山川捨松や陸奥亮子がしていそうな格好である。外見を洋風にするというのは時代の流れの表現でもあるだろうが、やはり気持ちがピンカートンと共にあるということを示しているのだろう。可能性は低いが、あるいはケイトが現れなければ、ピンカートンの横に収まっていたのかも知れない。少なくとも蝶々さんはそう望んだいたわけで、それだけに自分と同じ洋装のケイトが突然現れた衝撃はいや増しに増したことだろう。

今回は、蝶々さんが武家の娘であることが強調されており、親戚達も蝶々さんが芸者に身をやつしたことを嘆いている。ただ、彼女がそのことのプライドを持っていなければ最悪の事態は免れたのかも知れないと思える。
通常の演出なら星条旗のあるべき場所に桜の木があるということは、彼女がアメリカや帝国主義に裏切られたのではなく、日本では美徳とされている精神によって殺されたことを表していると取ることも出来る。潔く散るのをよしとする国でなかったならということである。今回の蝶々さんはピョンピョン跳ぶなど十代相応の幼さが表われているのも特徴であり、若さが招いた悲劇ともいえる。

ラストでは、自らの胸を刺した蝶々さんにピンカートンが抱きつき、蝶々さんが息子がケイトに懐いたのを見て安心しながらピンカートンに口づけしつつ息絶えるという演出がなされている。息子とケイト、そしてそれを見守るスズキの姿は、おそらくいまわの際の蝶々さんが見た幻覚であり希望なのだろう。


ピンカートン役のマッシミリアーノ・ピサピアは、朗々とよく響く歌唱を披露。日本人歌手とは体格や肺活量が違うということも大きいと思われる。

タイトルロールの藤井康子は、良く変わる表情と細やかな表現が魅力的であった。

その他の出演者では、バカ殿ような格好をしたヤマドリ役の萩原泰介が面白く、スズキを演じた糀谷栄里子の丁寧な心理描写も秀でていた。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月21日 (日)

観劇感想精選(262) 京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT 2018 ウースターグループ 「タウンホール事件」

2018年10月14日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後2時から京都芸術劇場春秋座で、ニューヨークの前衛劇団であるウースターグループの「タウンホール事件」(クリス・ヘジダスとD・A・ペネベイガーによる映画「タウン・ブラッディ・ホール」に基づく)を観る。英語上演日本語字幕付。上演時間約65分の中編である。演出:エリザベス・ルコンプト。

1971年にニューヨークのタウンホールで行われたフェミニズムのためのパネルディスカッションの様子を収めたドキュメンタリー映画「タウン・ブラッディ・ホール」の映像を流しながら演劇も同時に上演される。

開演の15分前開場であったが、開演するまでの間、ヘッドホンを装着した若いアジア系スタッフ役の若い女性が舞台と客席の間をうろうろするなど臨場感を演出している。

パネルディスカッション(討論会)出席者の後ろにモニターがあり、そこに1971年のタウンホール内での模様が映し出される。

1971年の討論会に出席したのは、自称フェミニストだが実際は男性至上主義的なノンフィクション作家、ノーマン・メイラー、ウーマン・リブ運動の王道を行くような思想の持ち主である作家のジャーメイン・グリア、レズビアンである作家のジル・ジョンストン、女性という言葉で一括りにされるのを嫌う文芸評論家のダイアナ・トリリングらである。

今回の上演では、アリ・フリアコスとスコット・シェパードという二人の男優がノーマン・メイラーを交互に演じる。どちらかが出演出来なくなる可能性を考えて、二人に台本を送ったのだが、二人とも出演可能になったため二人一役にしたそうである。もっとも、男優一人対複数の女優という構図にした場合、誤解を招く恐れもあったため男優二人システムを採用したとも考えられる。男優二人が取っ組み合いの喧嘩をする挿話(ノーマン・メイラーが手掛けた映画のワンシーンらしい)を入れているが、これも男優二人でないと成立しないことだろう。

女性達はウーマン・リブだのフェミニズムだので一括りにされがちだが、主張や立場はそれぞれ異なる。

芝居はまずジルの一人語りで始まるのだが、これはジルが書いた『レズビアン・ネーション』に出てくるタウンホールでの討論会の記憶に忠実に基づいているようだ。ジルは自分がいかにアピール出来るかに掛けており、最初から場の空気を乱す気満々である。
「女は全員レズビアンだ」という主張を繰り広げる。

ジャーメイン・グリアは『去勢された女』という本で成功を収めたのだが、彼女を引き立てようとしたのが他ならぬノーマン・メイラーだったようである。
男性の詩人と女性の詩人を比較し、男性詩人はその活動が名誉に繋がるが、女性詩人の場合は逆に男性から敬遠されるということで、成功する女性詩人が生まれるためには女性の立場の向上が必須であると考えている。
また女は聖女か侍女のどちらかにしかなれないことを問題視している。

ノーマン・メイラーは、女性の人権を認めてはいるが、それは天賦のものではないと考えているようで、「努力で勝ち取るべき」としている。

ダイアナ・トリリングを演じているのは男優のグレッグ・マーテン。ダイアナは、オーガズムが一人一人違うように同じ女性でも思想が個々に異なるとして、安易に女性の立場を代表するようなスタンスを取ってはならないと考えている。また彼女は左翼思想の持ち主だが、ノーマンは「左翼全体主義は地獄」と考えており、思想面でまず対立している。

俳優のみが見られるモニターが3つほどあり、そこに流れる映像や字幕、俳優がつけているイヤホンなどを通して聞こえるセリフなどの情報の中から俳優が適宜選択をして表現していくという手法を取っている。効果的なのかどうかは見た限りでは判然としない。
ドキュメンタリー映画の映像と目の前にいる俳優が同じ仕草をしたり、声が重なったりするのは視覚的には面白いが、それだけといえばそれだけのような気がする。今目の前で起こっているという感覚にはどうしてもなれなかった。


この作品は基本的にジルの視点を主体に描かれており、女対男、女対女、急進派対伝統主義の構図で争いが起こってる間にもジルは女性同士で愛し合うなど、一人だけ上のステージにいるような立場にあるのは当然ともいえる。ジルにだけは自己愛でない愛があるようだ。実際にどうだったのかはわからないが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月20日 (土)

コンサートの記(440) 「寺内タケシとブルージーンズ キャンパスコンサート」@京都芸術劇場春秋座2009

2009年4月19日 京都芸術劇場春秋座にて

午後2時から、京都芸術劇場春秋座で、「寺内タケシとブルージーンズ キャンパスコンサート」を聴く。

さて、寺内タケシとブルージーンズは、「ハイスクールコンサート」を積極的に行っており(間もなく1500校に達する)、私も高校2年生の時の芸術鑑賞会で、千葉県文化会館において演奏に接している。当時私は17歳、今から18年前のことである。
18年ぶりに聴く寺内タケシ、懐かしい。
18年前と同じく、「ツァラトゥストラはかく語りき」(「テリーのテーマ」ということになっている)に始まり、「涙のギター」、ベンチャーズの「ダイヤモンドヘッド」、加山雄三の「夜空の星」と「君といつまでも」、映画音楽として、「追憶」、「ゴッドファーザー」愛のテーマ、「ひまわり」、「マイウェイ」などが演奏される。
寺内タケシのジョークを交えたMCも楽しい。

最近のヒット曲を奏でるコーナーがあり、寺内タケシとブルージーンズ最年少のバンドシンガー、岩澤あゆみが登場する。この岩澤あゆみ、話す声と歌声が極端に違うのがユニークだ。岩澤あゆみは、小学生の時に寺内タケシに弟子入りし、もう10年も寺内タケシとブルージーンズのメンバーとして活躍しているという。でも私が以前に寺内タケシとブルージーンズの演奏に接したのは18年まえだから、岩澤あゆみを見るのは初めてである。
「もらい泣き」「花」「さくらんぼ」の3曲が歌われる。
ハイスクールコンサートでは、ここ10年ほど、アンケートで演奏して貰いたい曲を調査しているとのことだが、そこで1位になった曲として、ゆずの「栄光の架橋」が岩澤あゆみのヴォーカル、寺内タケシとブルージーンズにより演奏される。
そして、ベートーヴェンの交響曲第5番の編曲、津軽じょんがら節の編曲が演奏された。

アンコールは、「慕情」、そして寺内タケシのヴォーカル曲「青春へのメッセージ」。楽しい2時間であった。

私が高校生の時のコンサートでは、寺内タケシは最後に、「学校の成績ほど当てにならないものはないぞ!」というメッセージを叫んだ。寺内タケシ自身は、中学の時は成績は最底辺。政治家だった父親が寺内タケシのためだけに高校を設立するという荒技を使って寺内を高校に入れる。高校時代はマンドリンに熱中し、マンドリンが盛んだった明治大学の古賀政男の推薦で明治大学に無試験入学するが、勉強のために明大に入ったのではないと知った父親に言われて1週間で退学、やはりマンドリンで誘われた関東学院大学に入り直して、そこではきちんと勉強をしたそうだ。ちなみに関東学院大学の入試では、名前と「へのへのもへじ」しか書かなかったが、推薦なのでそれで通ったという。その寺内が「エレキの神様」と呼ばれ、緑綬褒賞を受けた。説得力がある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年9月12日 (水)

春秋座「志の輔らくご」10周年・立川志の輔独演会「大河への道」―伊能忠敬物語―

2018年9月7日 京都芸術劇場春秋座にて

午後6時から、京都芸術劇場春秋座で、春秋座「志の輔らくご」10周年・立川志の輔独演会「大河への道」―伊能忠敬物語―を観る。

前半と後半に分かれての公演で、前半が「バールのようなもの」、後半が「大河への道」―伊能忠敬物語―の上演である。

まず松永鉄九郎による三味線弾き語りの「三番叟」があり、続いて志の輔が登場する。

実は志の輔は明治大学の先輩なのである。彼は経営学部を卒業しているが、以前、クイズ番組の回答者としてテレビ出演した時に明治大学のサークルがゲストとして出演したことがあった。そこで志の輔が先輩として一言も求められたのだが、「明治大学は卒業論文がなくて楽ですので」と発言、こちらはテレビ向かって、「違う違う! それは経営学部だけ! 他全部ある!」と突っ込むことになった。志の輔は名門として知られる明大落研出身で、トップの高座名である紫紺亭志い朝(しこんていしいちょう)の5代目である。4代目紫紺亭志い朝が三宅裕司、6代目が渡辺正行という黄金期の在籍者なのだが、全員が経営学部出身であるため勘違いしたのだと思われる。三宅裕司も渡辺正行も演劇サークルを兼ねていたということもあり、志の輔も自然と影響を受けて演劇を志し、卒業後は劇団の研修生になる。その後、一時は広告会社のサラリーマンとなるが、30歳を目前に控えた時にラストチャンスとの思いから立川談志に弟子入りしている。
富山県出身であるが、富山県は舞台人の出所であり、現役に限っても、西村まさ彦、室井滋、柴田理恵(明治大学文学部文学科演劇学専攻卒)らが輩出している。

枕として春秋座での10周年を迎えたことを語り、春秋座が2001年オープンで17年目、春秋座が入る京都造形芸術大学も前身である京都芸術短期大学から数えて40年が経過したという話をするのだが、ベトナムでのホーチミン市での公演も毎年行っていて今年で同じく10周年を迎えたことを語り、春秋座での公演では10周年記念として造形大の学生に記念グッズを作って貰ったが、ホーチミンでは「富山出身ですよね?」ということで、全国的に有名な富山民謡「こきりこ節」の歌と踊りを富山の人達を呼んでやって貰うということになった。ホーチミン公演には駐在大使の方も夫妻で駆けつけてくれたのだが、「いやあ、私は落語を観るのは今回が初めてで」と言われたそうで、「初めて? その年で? 日本にいるとき何やってたの? 駐在大使は日本文化を広める役でしょ?」と内心思ったそうである。演目が終わった後、客席背後のドアから富山出身の謡い手踊り手が現れ、客席通路を通って舞台の上までやって来る。志の輔はそれを見て泣くほど感動したのだがそれは、「私、18まで富山に住んでいたんですが、こきりこ節見るのはその時が初めて」だったからということで、「落語を観るのは今日が初めてという方がいらっしゃっても、いっこうに問題ない」

登場人物二人の小咄で知ったかぶりをするものがあるというので、「夏はなんで暑いんだい?」「そりゃあ、冬の間、ずっとストーブを焚いてて、その熱が空に上がって、落ちてくるに連れて暑くなるんだろうよ」「じゃあ、なんで冬は寒いんだい?」「夏の間、ストーブを焚かなかったからだろうよ」などと言ってから、「バールのようなもの」に入る。品川区の宝石店でシャッターがバールのようなものでこじ開けられたというニュースを聞いた大工のはっつぁんが、ご隠居に、「ニュースの意味がわからない」といって内容を教えてくれるように言う。大工なのでバールはわかるのだが、「バールのようなもの」というのが何なのかわからないという。ご隠居は誰も見ていなかったから「ようなもの」としかいえないのだと言うが、「女のようなって女かい? 女のようなってのは男のことだろう」、「ダニのようなってダニかい?」、「ハワイのようなってハワイかい? 違うだろ、宮崎のようなところで言うんだろう」「夢のようなっていったら夢かい?」ということで、「バールのようなものはバールじゃない」という結論に達する。
ところではっつぁんは、昨夜、熊さんのところに行くと言ってバーに行き、そこでママの姪っ子でお手伝いに来ていたというナツミちゃんという女性に一目惚れ。上品で大人しくてそれでいて華があってというナツミちゃんとカラオケでデュエットをしていたのだが、そこに熊さんに連れられて旦那を探しに来た山の神にコテンパンにやられてしまったのだという。
ご隠居の話を聞いたはっつぁんは、奥さんに「あれは妾じゃない。妾のようなものだ」と、言い訳して却って火に油を注ぐ結果になるという展開である。


メインの「大河への道」―伊能忠敬物語―。上演時間約1時間半という長編創作落語である。講釈台を用いての上演。
千葉県を代表する歴史上の偉人の一人である伊能忠敬。今の山武郡九十九里町小関の名主の家に生まれている。志の輔は知っているのかどうかはわからないが、忠敬の父親は富山を拠点としていた豪族・神保氏の流れとされる。明治大学駿河台キャンパスのすぐそばにある神田神保町も神保氏の屋敷があったためにその名がある。その後、佐原(現在の香取市佐原)の豪商・伊能氏の婿養子となり、数字に抜群に強かったことから商才を発揮。名主となってからは正式に苗字を名乗ることを許可され、帯刀も許された。
50歳で隠居の後、忠敬は江戸に出て、幕府天文方の高橋至時に師事。至時は忠敬より19歳年下だったそうだが、志の輔も談志より19歳下、ということで、突然、「おう、弟子にしてくんな!」とあの濁声で言われるようなものだそうで、「自分なら断る」そうだが、忠敬は至時に「地球一周の長さを測りたい」と申し出たそうで、そのために自宅のある深川と学んでいる暦局の間を一定の歩幅で歩く訓練も繰り返す。志の輔はこの時に講釈台の上を指で歩く真似を行った。
学問と修業を重ね、55歳の時に、蝦夷地の観測に出発。子午線1度の距離を割り出し、蝦夷地南部の地図を完成させる。地図の出来に感嘆した幕府のお墨付きを得て、「御用」の文字を掲げることを許され、日本全国六十余州の観測に乗り出すことになる。その後、17年を費やして、測量を終え(北海道北部の観測は間宮林蔵に託された)、その後、病を得て程なく他界。「大日本沿海輿地全図」は本格的な作図作業に入っておらず、その姿を見ることはなかった。1818年、今から丁度200年前である。

志の輔は今から十数年前に、現在は市町村合併で香取市となっている街で公演を行っている。公演終了後、知り合いのコピーライターの運転で東京に帰ることになったのだが、「近くに小江戸として知られる佐原という街があるので寄っていかない?」と誘われ、佐原に行き、伊能忠敬記念館に入ったのだが、そこで、人工衛星がとらえた日本の映像と、忠敬の観測に基づく大日本沿海輿地全図がピタリと重なることに感動し、4年ほど費やして「大河への道」―伊能忠敬物語―を作り上げたそうだ。

大日本沿海輿地全図が完成したのは西暦1821年のこと。ここで話は、完成200周年に当たる2021年に、大河ドラマ「伊能忠敬」の放送を目指す千葉県の職員と、作家として指名した若手の加藤という男を主人公にしたものへと移る。大河ドラマは全50話。しかし、伊能忠敬の功績の大半は測量の場面であり、ドラマとしては著しく起伏に欠けたものとなってしまう。そこで測量者にジャニーズやAKBのメンバーを加えようだとか、毎回変わる風景を撮ろうだとか(「世界の車窓から」のようだとしてボツ)、その土地のグルメを紹介しようだとか(「食いしん坊万歳」と大して変わらないということでボツ)色々と手を加えようとするが、上手くいかず、遂には、大日本沿海輿地全図が完成するまで忠敬の死は極秘事項として伏されたことから、幕府天文方・高橋景保ら関係者による群像劇となるが、その場合は大河ドラマ「高橋景保」になってしまうそうで、最終的には大河ドラマ「伊能忠敬」の企画立案は断念となる。「伊能忠敬の人生はドラマに収まるほど小さなものではない」というのが決めのセリフとなった。

特別にエンドロールが流れる。2010年の初演時に作られたものだそうで、海岸沿いの断崖絶壁のそばを中空から撮影された映像が映されるが、当時はまだドローンというものは存在せず、飛行撮影家の矢野健夫がパラグライダーを使った撮影したものを使用しているそうである。ギターは高中正義のものをセレクトしたそうだ。

最後は三本締めで終えようとした志の輔であるが、座席番号によるプレゼント抽選会がある。10周年記念グッズの中から手ぬぐいが10名に送られるのだが、私も当たる。多分、明大の縁だろう。

語りは老練の領域であり、もう話に身を任せるだけで十分である。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

2346月日 | DVD | YouTube | …のようなもの | いずみホール | おすすめCD(TVサントラ) | おすすめサイト | おすすめCD(クラシック) | おすすめCD(ジャズ) | おすすめCD(ポピュラー) | おすすめCD(映画音楽) | お笑い | びわ湖ホール | アニメ・コミック | アニメーション映画 | アメリカ | アメリカ映画 | イギリス | イギリス映画 | イタリア | ウェブログ・ココログ関連 | オペラ | カナダ | グルメ・クッキング | ゲーム | コンサートの記 | コンテンポラリーダンス | コンビニグルメ | サッカー | ザ・シンフォニーホール | シアター・ドラマシティ | シェイクスピア | シベリウス | ショートフィルム | ジャズ | スタジアムにて | スペイン | スポーツ | ソビエト映画 | テレビドラマ | トークイベント | ドイツ | ドキュメンタリー映画 | ニュース | ノート | ハイテクノロジー | バレエ | パソコン・インターネット | パフォーマンス | パーヴォ・ヤルヴィ | ピアノ | ファッション・アクセサリ | フィンランド | フェスティバルホール | フランス | フランス映画 | ベルギー | ベートーヴェン | ミュージカル | ミュージカル映画 | ヨーロッパ映画 | ラーメン | ロシア | ロームシアター京都 | 中国 | 中国映画 | 交通 | 京都 | 京都コンサートホール | 京都フィルハーモニー室内合奏団 | 京都四條南座 | 京都市交響楽団 | 京都芸術センター | 京都芸術劇場春秋座 | 伝説 | 住まい・インテリア | 余談 | 兵庫県立芸術文化センター | | 動画 | 千葉 | 占い | 台湾映画 | 史の流れに | 哲学 | | 大河ドラマ | 大阪 | 大阪フィルハーモニー交響楽団 | 学問・資格 | 室内楽 | 小物・マスコット・インテリア | 広上淳一 | 心と体 | 意識について | 携帯・デジカメ | 政治・社会 | 教育 | 散文 | 文化・芸術 | 文学 | 文楽 | 旅行・地域 | 日本映画 | 日記・コラム・つぶやき | 映画 | 映画音楽 | 映画館 | | 書店 | 書籍・雑誌 | 書籍紹介 | 朗読劇 | 来日団体 | 東京 | 楽興の時 | 歌舞伎 | 正月 | 歴史 | 海の写真集 | 演劇 | 無明の日々 | 猫町通り通信・鴨東記号 | 祭り | | 笑いの林 | 第九 | 経済・政治・国際 | 絵画 | 美容・コスメ | 美術回廊 | 習慣 | 能・狂言 | 花・植物 | 芸能・アイドル | 落語 | 街の想い出 | 言葉 | 趣味 | 追悼 | 邦楽 | 野球 | 関西 | 雑学 | 雑感 | 韓国 | 韓国映画 | 音楽 | 音楽劇 | 食品 | 飲料 | 香港映画