カテゴリー「兵庫県立芸術文化センター」の11件の記事

2019年8月17日 (土)

観劇感想精選(313) オフィス3○○ 音楽劇「私の恋人」

2019年8月9日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後7時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、オフィス3○○(さんじゅうまる)の音楽劇「私の恋人」を観る。原作:上田岳弘(たかひろ)、脚本・演出・衣装・出演:渡辺えり。出演:小日向文世、のん、多岐山壮子、松井夢、山田美波、那須野恵。ミュージシャン:三枝伸太郎。歌唱指導:深沢敦。

のんはこれが初舞台。兵庫県出身ということで(そもそも能年という苗字は兵庫県固有のものである)凱旋公演となる。東京の東大和市でプレビュー公演が行われたが、本編の上演は今日が初日となる。

3○○にちなみ、主演俳優3人が30の役を演じるという音楽劇である。

まず、下手客席入り口から小日向文世と渡辺えりが登場。小日向文世は、「歌なんか歌いたくないよ」と文句を言い、「ミュージカルみたいに突然歌い出すの? 変だよ、みっともないよ」と続ける。渡辺えりが、「それは偏見」と言うべきところを「それは先見」と言ってしまって言い直す。初日ということでまだセリフが完全にものになっていないようで、小日向文世も中盤の「おやじが死んで」と言うべきセリフを「俺が死んで……、俺は死んでないよな」と言い直していた。

冒頭に戻るが、小日向文世がぐずるので渡辺えりが一人で歌おうとするが、まさに第一声を発しようとした瞬間にのんが上手から駆け込んできて、奪うようにして歌い始めてしまう。のんは渡辺えりに譲りそうな気配を見せるも、結局、全編歌う。渡辺えりが、「あんた誰?」と聞くと、のんは「まだ誰でも」と答える。
その場に歌いたい女が二人、歌いたくない男が一人でということで、のんが「ならば、踊ろう!」と提唱してダンスが始まる。

 

メインとなるのは、井上由祐(のん)と主治医の高橋(小日向文世)の物語である。井上は前世ではナチ圧制下のドイツで過ごしたユダヤ人、ハインリッヒ・ケプラーであり、そのまた前世は10万年前のクロマニヨン人であった。由祐は10万年前の前前世から「私の恋人」を探しているのだが、まだ見つかってはいない。

一方、由祐の主治医でありながらどう見ても精神を病んでいそうな高橋は、二度の行き止まりを迎えた人類の旅を切実に体験するため、絶滅した優秀なタスマニア人が見た景色を求めてオーストラリアに旅に出る。道中、高橋はキャロライン(キャリー)という女性と出会うが、のちに由祐は彼女こそが「私の恋人」であると見なすことになる。

由祐の双子の弟である時生(渡辺えり)は、子供の頃からずっと引きこもりであり、良い大学から良い企業へと就職した兄に劣等感を抱いていた。二人の父親(小日向文世)は東北で時計屋を営んでいる。時生は「断捨離」を提唱するのだが、父親が残してきた雑多なものは断捨離などしなくても東日本大震災の津波で全て失われてしまうことになる(渡辺えり独自の視点だと思われるが、日本に於ける一度目の行き止まりが敗戦で、二度目が東日本大震災とされているようである)。

やがて老境に達した由祐(小日向文世)の下(もと)に未来の由祐(のん)がやって来る。小日向文世が演じる由祐は今もまだ「私の恋人」に出会えていないが、それは実は未来の由祐が未来からの操作を行っていたことが原因であった。

なぜ、過去を操ろうとするのか?

ラストでは、高橋が神の視点からの発言も行う。看護師の川上(渡辺えり)は、「狂っている」と一蹴するが、高橋は「神は狂っている」と断言する。

 

のんは初舞台の初日ということで、セリフが舞台に馴染んでいない印象を受ける。想像通りの演技をする人で才気を感じるタイプではなく、よく言えば等身大の演技をする人だが、元々が女優としては特別美人でも飛び抜けて可愛いというわけでもなく、同級生にいそうなタイプというポジションにいた人だけにこうした演技があるいは彼女の真骨頂なのかも知れない。「のんはのんだった」ということである。
歌手としても活動しているのん。歌は特段上手いということはないが、美声である。

 

2016年の大河ドラマ「真田丸」放送時に、若い頃の写真が堺雅人に似ていると話題になった小日向文世。今日は様々なかつらをかぶって色々な役をこなしていたが、髪があると今でも小日向文世は堺雅人に似ている。骨格が似ているということもあってか、声も同じ系統であるようだ。

 

カーテンコールで、渡辺えりから、初舞台の初日を地元の兵庫で迎えた感想を聞かれたのんは、「素直に嬉しいです」と答えていた。

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2019年7月22日 (月)

コンサートの記(578) サー・ネヴィル・マリナー指揮 兵庫芸術文化センター管弦楽団第79回定期演奏会

2015年5月15日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後3時から、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、兵庫芸術文化センター管弦楽団の第79回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、この4月に91歳を迎えたサー・ネヴィル・マリナー。

兵庫芸術文化センター管弦楽団は、月に1度同一演目3回の定期演奏会を行っており、今日は初日である。
曲目は、ハイドンの交響曲第96番「奇蹟」、ティペットの2つの弦楽オーケストラのための協奏曲、メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」。イギリスを共通項としたプログラムである(スコットランドがイギリスから独立していたら演目も変わっていたのだろうか?)。

指揮のサー・ネヴィル・マリナーは日本でもお馴染みの存在。1924年、イングランド・リンカーン生まれ。映画「アマデウス」の音楽監督を務めたことでも知られる。フィリップス、DECCA、EMIなどに膨大な量の録音を行っており、「史上最もレコーディングの多い指揮者」といわれたこともあるが、90年代の世界的不況以降は録音には恵まれているとはいえない。フィリップス・レーベルにはモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、ブラームスの交響曲全集を録音しているが、フィリップスは現在ではDECCAに吸収合併され、レーベルとしては消滅している。
マリナーは当初はヴァイオリニストとして音楽活動をスタート。ロンドン王立音楽院とパリ音楽院でヴァイオリンを学び、マーティン弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者、ロンドン交響楽団の第2ヴァイオリン奏者として活躍。イートン校でヴァイオリン教師をしていた時に指揮者のピエール・モントゥーと知り合い、師事する。1959年にアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(アカデミー室内管弦楽団)を組織し、指揮者兼コンサートマスターとして活動を開始。のちに指揮に専念する。指揮者としてロサンジェルス室内管弦楽団とミネソタ管弦楽団の音楽監督、シュトゥットガルト放送交響楽団の首席指揮者などを務めた。レパートリーはバロック以前から現代音楽まで幅広いが、特にモーツァルトには定評がある。

今日の兵庫芸術文化センター管弦楽団のゲスト・コンサートマスターは田野倉雅秋(大阪フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター、名古屋フィルハーモニー交響楽団コンサートマスター)。コントラバスにNHK交響楽団の吉田秀が、ファゴットに京都市交響楽団の中野陽一郎が参加する。チェロにはゲスト・トップ・プレーヤーとしてマーティン・スタンツェライト(広島交響楽団首席チェロ奏者)が参加しているため、六人いる奏者の中で純粋な日本人は一人だけである(ハーフの奏者が一人いる)。

マリナー登場。91歳と高齢だけにゆったりとした歩みであるが元気そうである。

ハイドンの交響曲第96番「奇蹟」。
今日は前から2列目、上手の端に近い席であるが、KOBELCO大ホールはオペラ対応であるため天井が高く反響板もない。ということでステージに近い割りにはさほど音が良く聞こえないし(音が上に行ったまま帰ってこないため)、バランスも悪い。弦楽奏者で演奏中に顔がはっきり見えるのはコンサートマスターの田野倉雅秋だけ。アメリカ式現代配置であるためチェロ奏者は背中しか見えない(ティペットの弦楽オーケストラのための演目があるためティンパニは指揮者の正面ではなく上手奥)。管楽器奏者で顔がはっきり見えるのはファゴットの中野陽一郎だけ。その代わり、マリナーの指揮は良く見える。

そのマリナーの指揮であるが、指示がかなり細かい。通常の演奏なら指揮者がオーケストラのある程度任せることもあるのだが、今日のマリナーは100%、自身の棒で操ろうとする。兵庫芸術文化センター管弦楽団は日本で唯一の育成型オーケストラであるが、そのこととマリナーの棒捌きに関係があるのかわからない。ただ、伝統ある強者揃いのオーケストラを一人で完全に制御しようとすれば反発を受ける可能性があり、下手をすると喧嘩になる怖れもある。育成型オーケストラなら平均年齢が若く、メンバーが入れ替わるため伝統のようなものも築かれない。
格調が高く、明るめの音色による演奏。ピリオド奏法が話題になる前からピリオド的なアプローチを行っていたマリナーであるが、他の指揮者による流線型の演奏に比べると表情は穏健であり、刺激には乏しい。

ティペットの2つの弦楽オーケストラのための協奏曲。ヴァイオリンが両翼配置に変わり、ヴィオラがそれに挟まれる形になる。その背後に横一列にチェロ、更に後ろにコントラバスが並ぶ。シンメトリーの構図である。
颯爽とした演奏である。マリナーの指揮は相変わらずかなり細かい。第2楽章では左手でビブラートの長さも指示する。

音が良いとは言えない席ということもあって、前半は音楽を聴いたというよりもマリナーの指揮棒の細やかさを見たという印象が強い。

メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」。音色が明るめであり、特にトランペットの音が輝かしいが、音の重心が全体的に高めであり、音が軽い印象を受けるため、この曲が持つ荘重な一面が余り出ない。マリナーの採ったテンポがかなり速めということもあり、曲の魅力が十全に引き出されたとは言えない演奏である。
ただ弦のハーモニーは美しく、マリナーがヴァイオリン奏者出身、それもオーケストラに所属していたということがプラスに作用したのかも知れない。

今日はアンコールがある。メンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」より第3楽章。この曲の演奏は渋みがあって良かった。
マリナーは曲が終わる毎にガッツポーズをしてみせ、最後はコンサートマスターである田野倉の手を取って一緒に退場した。

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2019年7月20日 (土)

コンサートの記(575) 佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2019 レナード・バーンスタイン ミュージカル「オン・ザ・タウン」西宮公演

2019年7月14日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後2時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2019 ミュージカル「オン・ザ・タウン」を観る。佐渡の師であるレナード・バーンスタインが初めて作曲した舞台作品であり、某有名ドラマシリーズのタイトルの由来となったミュージカル映画「踊る大紐育」の原作としても知られている。

佐渡裕指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ)の演奏。演出・装置・衣装デザインは、イギリス出身で佐渡プロデュースオペラの「魔笛」と「真夏の夜の夢」でも演出を担当したアントニー・マクドナルド。合唱は特別編成である、ひょうごプロデュースオペラ合唱団(合唱指揮:矢澤定明)。
佐渡プロデュースオペラは、外国人キャストと邦人キャストの日が交互に来ることが多いが、今回はミュージカル作品でダンスも多いということで、ロンドンで行われたオーディションで選ばれた白人中心のキャストでの上演である。出演は、チャールズ・ライス(ゲイビー)、アレックス・オッターバーン(チップ)、ダン・シェルヴィ(オジー)、ケイティ・ディーコン(アイヴィ)、ジェシカ・ウォーカー(ヒルディ)、イーファ・ミスケリー(クレア)、スティーヴン・リチャードソン(ピトキン判事&ワークマン1)、ヒラリー・サマーズ(マダム・ディリー)、アンナ・デニス(ルーシー・シュミーラー)、フランソワ・テストリー(ダイアナ・ドリーム、ドロレス・ドロレス、老女)ほか。このほかにもアンサンブルダンサーとしてバレエやコンテンポラリーのダンサーが数多く出演している。振付はアシュリー・ペイジが担当。

ブルックリンの海軍造船所に停泊した船に乗る、ゲイビー、チップ、オジーの3人の水兵が初めて訪れたニューヨークでの24時間の休暇を楽しむべく、様々な観光地を巡る計画を立てている。今回のセットは全面にマンハッタン島を中心としたニューヨークのガイド地図が描かれたものだ。ゲイビーはニューヨークの女の子とデートがしたいと語る。
キャットウォークから様々なボードが降りてきたり、左右から地下鉄の車両内のセットや登場人物のアパートメントの部屋などが出てくるなど、コミック調の演出と舞台美術が特徴である。またニューヨーク市タクシー(通称:イエローキャブ)は実際に舞台上を走り回る。

ニューヨークの地下鉄の乗り込んだ3人の水兵。ゲイビーは車両内に飾られた「6月のミス改札口」に選ばれたアイヴィ・スミスのポスターを見て一目惚れ。ニューヨークに住んでいるはずのアイヴィを探し出そうとチップやオジーに提案。ポスターに書かれた情報を手がかりに3人で手分けしてアイヴィを探すことになる。
イエローキャブに乗ったチップは、女性運転手のヒルディ(本名はブルンヒルド・エスターハージ)に惚れられ、ポスターにあった「アイヴィはミュージアムで写生の勉強をするのを好む」という情報を頼りにミュージアムに向かったオジー(勘違いして美術館ではなく自然史博物館に行ってしまう)は、文化人類学者のクレアと出会い、恋に落ちる。そしてゲイビーは「アイヴィはカーネギーホールでオペラのレッスンをしている」という記述に従い、カーネギーホール(ゲイビーは「カニーギホール」と誤読している)のレッスン室でアイヴィを探し出す。

地下鉄内でゲイビーが「6月のミス改札口」のポスターを剥がすのを見とがめた老女がその後も執拗に水兵達を追いかけようと登場するのが特徴。「統一感を与えるため」らしいのだが、この老女はクロノスの象徴なのではないかと思われる。実際に24時間ひいては人生や青春の短さが登場人物によって何度も歌われており、若者達の行方を遮る時間がつまりはクロノスとして現れているのであろう。

「オン・ザ・タウン」が初演されたのは、1944年(大戦中である)。レナード・バーンスタインはまだ二十代。ブルーノ・ワルターの代役としてニューヨーク・フィルハーモニックの指揮台に急遽上がって社会現象を巻き起こした翌年である。登場人物達とさほど変わらぬ年齢だったことになる。

 

兵庫芸術文化センター管弦楽団は、任期3年の育成型オーケストラであり、独自の色は出せない団体だが、若いメンバーが多いということもあってかアメリカものやミュージカルには最適の熱く迫力のある音を奏でる。なお、今回のゲストコンサートマスターはベルリン・ドイツ交響楽団の第1コンサートマスターであるベルンハルト・ハルトーク、第2ヴァイオリン客演首席に元ウィーン・フィルハーモニー第2ヴァイオリン首席のペーター・ヴェヒター、ヴィオラ客演首席にウィーン室内管弦楽団首席のシンシア・リャオ、チェロ客演首席にウィーン室内管弦楽団首席のヨナス・クレイッチ、トランペット首席にジャズトランペッターの原朋直という強力な布陣である。

 

日本人も食生活の変化で体格がかなり良くなったが、やはり平均値では白人の方がスタイルは上で、ミュージカルには栄える。以前、劇団四季が上演した本場ブロードウェイと同じ振付による「ウエストサイド・ストーリー」を京都劇場で観たことがあるが、体操のお兄さん風になっており、まだ歴然とした差があるようだ。

台本と作詞を担当したベティ・コムデンとアドルフ・グリーンのコンビも当時二十代で、これが初ブロードウェイ作品ということで、アメリカ的ご都合主義があったりするのだが、パワフルでユーモアに富んだ流れが実に良い。

 

カーテンコールでは、佐渡裕がイエローキャブに跨がって登場。爆発的に盛り上がり、幕が下りてはまた上がるが繰り返された。

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2019年6月16日 (日)

観劇感想精選(303) リーディング・シアター「レイモンド・カーヴァーの世界」兵庫公演2日目 「菓子袋」「収集」&「愛について語るときに我々の語ること」

2019年5月26日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後2時から西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、リーディング・シアター「レイモンド・カーヴァーの世界」を観る。
1980年代に村上春樹が多くの小説を翻訳したことで知られる存在になったレイモンド・カーヴァー(レイ・カーヴァー)。労働者の街で育ち、16歳で結婚。地方大学の大学院を出て大学の文芸創作の教員となるが、アイビーリーグに代表される名門私立大学出身者が大勢を占めるアメリカ文壇では異端視される。短編の名手であり、自身が書いた短編小説を更に短くリライトすることも度々で、小説に関しては「短ければ短いほど良い」というポリシーを持っていたようである。1988年に50歳の若さで死去。日常に潜んだ歪みや波立ちを描き、チェーホフにも例えられた。
1993年にレイモンド・カーヴァーの複数の短編小説で構成されたロバート・アルトマン監督の映画「ショート・カッツ」が制作され、私も観てはいるのだが、正直好きになれなかったのを覚えている。

昨日今日と2日間の公演である。昨日は手塚とおるのリーディングによる「ダンスしないか?」と「もうひとつだけ」、仲村トオルのリーディングによる「コンパートメント」が上演され、今日は矢崎広が「菓子袋」と「収集」を、平田満が「愛について語るときに我々の語ること」を読み上げる。村上春樹翻訳によるテキストを使用。演出は谷賢一。作曲&ピアノ演奏は阿部篤志。

朗読劇は演劇の中でも特別で、演じ手がほとんど動かないため、観る側にも言葉からの想像力と設定を頭に入れつつ追うための記憶力と集中力が必要となる。とはいえ動的な要素がないため面白い上演になる可能性が高いとはいえず、今日も平田満が出るというのに阪急中ホールの1階席は前半分しか埋まっていない。


矢崎広朗読による「菓子袋」と「収集」。矢崎広に関してはよく知らなかったが、なかなか良い俳優であり、引きつけられる。
「菓子袋」は、シカゴ在住の出版社のセールスマンが生まれ故郷であるカリフォルニア州サクラメントの空港で長い間会っていなかった実父に会うという話である。仕事でロサンゼルスに出向き、そのついでにカリフォルニア州の州都であるサクラメントにも寄るという設定なのだが、久しぶりに会った父親は主人公に向かって、かつての浮気の話を打ち明け始める。
その浮気が原因で両親は離婚することになるのだが、主人公は詳しいいきさつは知らされておらず、親の性的な面を詳しく知りたいと思う人は余りいない、ということで久しぶりの再会にも関わらず親子の隙間はむしろ広がることになり、父親が主人公の妻と娘のためにとくれた菓子袋も空港に置き忘れてきてしまうが、特に惜しいとも思わない。
歩み寄ろうとして却って傷口を広げてしまう人間存在の愚かしさが告発調でなく描かれているという、カーヴァーらしい作品である。


「収集」の主人公は失業中であり、雨の日に自宅で北から来る手紙を待っている。ところがやって来たのは郵便配達夫ではなく、奇妙な老人。以前に住んでいた人が懸賞に当たったということで、無料での掃除サービスを行い始める。主人公は一種の押し売りかと思ったのだが、そうでもないらしい。老人は「体の一部が毎日落ちていっている」ということで、その体の一部の染みこんだ枕だのカーペットだのを掃除していく。

どうやら老人は「過去」を収集しているようであるが、主人公が特に重要だと思う過去でもないため、結局、なにがなんだかわからないまま二人は別れることになる。
これは過去に限らないのだが、忘れてしまったものの中に、あるいは特に重要視されていないものの中に、実は大切な何かが潜んでいる可能性があり、にも関わらず気にとめていないという日常の死角が示されているようにも思える。
ひょっとしたら致命的な何かが起こっているのかも知れないが、知覚出来ないという不気味さ。こうした捉え方とすると、村上春樹の短編小説「納屋を焼く」にも繋がるように思う。


平田満の朗読による「愛について語るときに我々の語ること」。二組のカップルによる会話を描いた小説である。
語り手の「僕」とローラは付き合い始めてそれほど時間が経っていない。一方、医師であるメルと妻のテリは夫婦だが共にバツイチ。テリは前夫のエドからDVを受けていたが、それは愛ゆえだとの確信を語り、メルは否定する。メルは精神的な愛について語るのだが、実は別れた前妻とその再婚相手のために多額の資金援助をする羽目になっており、前妻を愛したかつての自分の鑑識眼について疑いを持っていた。

自身が理想とする精神的な愛に裏切られ、否定すべき暴力的愛にすら勝てない悲惨な人間像が描かれているのだが、カーヴァーの特徴として感傷的な要素は極力排されている。


終演後に、谷賢一、平田満、矢崎広によるアフタートークがある。村上春樹による直訳的な翻訳についても語られたのだが(谷賢一は翻訳家でもある)、これらの作品は日常の些細なズレなどを描いており、翻訳者の体と心を通した翻訳ではそうした要素が伝わりにくくなってしまうために敢えて素材の文章に余り手を加えずに訳しているのではないかと私は想像するのだが、カーヴァーの小説を英語で読んだことはないため、仮説とせざるを得ない。
平田満は、「僕が配役されるとしたらエドだろうな」と語り、やはり駄目で一途で人間くさい男をやりたいようである。矢崎は配役されるとしたら「僕」ではないかと平田は言うのだが、確かにそんな感じではある。

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2019年5月 4日 (土)

観劇感想精選(299) 野村萬斎構成・演出・主演「マクベス」2014西宮

2014年7月1日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後7時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、野村萬斎構成・演出・主演の「マクベス」を観る。シェイクスピアの四大悲劇の一つ「マクベス」を出演者5人のみで上演するというもの。
野村萬斎は、シェイクスピアの「リチャード三世」を基にした「国盗人」で優れた出来を示していただけに期待が高まる。
出演:野村萬斎、秋山菜津子、高田恵篤(たかた・けいとく)、福士惠二、小林桂太。野村萬斎がマクベスを、秋山菜津子がマクベス夫人を演じる。他の三人は、魔女役とされているが、バンクォーやマクダフなどの主要登場人物も兼任する。
「国盗人」では、舞台を日本に移していた野村萬斎であるが、「マクベス」ではスコットランドのままである。ただ着物に日本刀、長刀など、様式は全て和風である。今回の上演では能の謡や笛、鼓の音などが要所要所で流れる。上演時間90分、途中休憩なしである。上演終了後に野村萬斎によるポストトークがある。

舞台中央には、〇がくり抜かれた衝立が一つ。〇は地球を表現していると野村萬斎はポストトークで打ち明けた。
「きれいは汚い、汚いはきれい」という魔女達の言葉が有名な「マクベス」であるが、登場人物が現れる前に、「森羅万象」という言葉で始まる役者達によるセリフが流れる。「地球の屑、屑の地球、大地のゴミ、ゴミの大地、空気の澱(おり)、澱の空気、人間のクズ、クズの人間」という、逆にすると意味の変わる言葉で、「きれいは汚い、汚いはきれい」を模したものである。この世界が持つ両義性を表現しようという意図のようだ。
野村萬斎の演出は、幕を効果的に使ったもので、日本の伝統演劇を良い形で取り入れており、オリジナリティのある「マクベス」に仕上がっている。今回のツアーでは日本で上演する前にルーマニアやフランスなどを回ったというが、当地での評価はかなり高かったようだ。
バンクォーの亡霊の場では、血糊の付いた能面を使っており、狂言師である野村萬斎ならではの効果を上げている。
マクベスとマクベス夫人が即位する場以降、背後の幕には蜘蛛の巣を描いたものが用いられるが、これは「マクベス」を基にした黒澤明の映画「蜘蛛巣城」へのオマージュであろう。

 

運命に操られているのか、運命を切り開いているのか、どうとも取れる「マクベス」という作品は人間という存在の矛盾というものを描いているようでもある。恐妻として知られるマクベス夫人も最後は精神を侵されて自殺することになるという強いのか弱いのかわからない女性である。マクベスも王の座を勝ち取ったようでありながら、実際は魔女の手の上で転がされているだけのように思える。

 

高田恵篤、福士惠二、小林桂太らは、寺山修司の天井桟敷などで活躍していた俳優達で、アングラ第一世代。還暦越えの役者もいる。その世代の特性を生かして、暗黒舞踏などを披露。魔女の持つ異様さを表現する。

 

野村萬斎の演技は、狂言をイメージした形式的なものだが、相手役の秋山菜津子が新劇スタイルの優れた演技をしているということもあっていささか不自然さが目立つのが難。大河ドラマの「軍師官兵衛」で片岡鶴太郎が、暗君・小寺政織をかなりデフォルメして演じていたが、丁度あれに似た印象である。だが、構成力と演出力は確かなものがあった。

 

大量の紙吹雪などを用いた耽美的な演出であり、絵になる芝居であった。「国盗人」の方が出来はずっと上であるが、「マクベス」もなかなか見応えがある。

 

ポストトークで、野村萬斎は、まず今回の「マクベス」が朗読劇スタイルに始まり、今回の形に仕上がるまで大分時間を要したことを語る。上演スタイルの初演時には、萬斎は地球をイメージした球形のセットを組ませたそうだが、大掛かりな装置であったため東京でしか上演出来なかったという。海外で上演したいという希望を持っていた萬斎は、狂言のような簡素な舞台装置にすれば簡単に持って行けるということで、再演時からは布を主体にした今回のようなスタイルに変えたという。そして、ルーマニアで上演することが決まった今回の再々演では、東欧は電気が不安定だということで照明効果の代わりに、能の謡いなどを入れることで場の雰囲気を変えることにしたという。
マクダフ一家皆殺しの場はカットされていたが、これについて萬斎は「マクベスを悪人と決めつけたくなかったから」と述べる。
最後に萬斎は、「パリで上演を行ったので、次回はもうドーバー海峡を越えて、本場であるイギリスに討ち入るだけじゃないかと、舞台になったスコットランドのエディンバラ演劇祭でやってみたいなと思っております」という抱負を語って締めた。

 

野村萬斎構成・演出・主演「マクベス」2016西宮

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2018年12月26日 (水)

観劇感想精選(279) 野村萬斎主演&演出 「国盗人(くにぬすびと)」2009@兵庫県立芸術文化センター

2009年12月16日 兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後7時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「国盗人(くにぬすびと)」を観る。シェイクスピアの「リチャード三世」を河合祥一郎が日本を舞台に翻案した、現代狂言ともいえる舞台。主演&演出:野村萬斎。出演は他に、白石加代子、山野史人、泉陽二、小田豊、大森博史、石田幸雄、若松力、中村美貴、じゅんじゅん等。

「国盗人」は2年前にやはり兵庫県立芸術文化センター中ホールで行われた初演版を観ている。その時は、今井朋彦が重要な役割を演じていたが、今回は今井が出演しないということもあって、テキストも大幅に書き換えての再演となった。
ヨーク家とランカスター家の戦いである薔薇戦争を背景にした「リチャード三世」を、白薔薇一族と赤薔薇一族との戦に置き換え、登場する主要な4人の女性を白石加代子が一人四役で演じ分ける。


白薔薇一族と赤薔薇一族との戦いが白薔薇一族の勝利に終わり、殺害された白薔薇一族の長の長男である一郎(山野史人)が王座に着く。しかし、三男の悪三郎(野村萬斎)は自身が王の座に就くことを密かに狙っていた。次兄の善二郎が入牢した機を狙って善二郎を暗殺し、長兄の一郎も心労によって崩御すると、次の王になるはずだった一郎の王子を退けて、悪三郎が戴冠する。更に悪三郎は自らの地位を盤石のものとするために一郎の王子を自ら殺害するなど悪事を重ねていく……。


初演の際にはあった笑いの部分が少し削られて、スッキリとした台本になっている。本がより整ったといえばいえるし、笑いが少なくなって物足りなくなったともいえる。
初演の時のインパクトが、こちら側の慣れにより薄まってしまったのも確かだ。
それでも現代狂言として「リチャード三世」を再現する試みとしては大変優れたものであることに違いはない。


主演の野村萬斎の演技は、劇の始まりこそ狂言の言い回し的なセリフが大仰に思われたが、劇が進むにつれてそれも気にならなくなり、生来の気品と、子供の頃から鍛え上げられた表現力で、魅力的な悪役である悪三郎を見事に演じきる。

萬斎による演出もスピード感があり、能の囃子方を使った音楽も効果的で、見応え十分であった。

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2018年12月21日 (金)

コンサートの記(472) パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2018西宮

2018年12月15日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後2時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会を聴く。名古屋公演と同一プログラムである。
今日は1階席で聴くことになる。ただ、1階席とはいえ、補助席の前の最後列であり、頭の上に2階席が張り出しているため、音響的には余り良くない場所である。

兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール(兵庫芸文大ホール)でパーヴォ指揮の演奏を聴くのは2度目。前回は、シンシナティ交響楽団の来日演奏会を聴いている。


曲目は、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」、シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」

同一演目を聴くということで、ホールの音響の違いがよくわかる。


モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲は、名古屋で聴いたときよりも濃い陰影が感じられたが、愛知県芸術劇場コンサートホールはもともと響きが明るいため、ホールの響きで生まれた印象の違いであろう。もっとも、演奏者もホールの音響に合わせて演奏を微妙に変えるのが普通である。


モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」。独奏者のヒラリー・ハーンは、兵庫芸文大ホールがお気に入りのようで、関西公演時にはここを使うことが多い。

音響の影響もあり、オーケストラのデュナーミク、パースペクティブ共に名古屋の時よりも狭く感じられ、第1楽章の優しい終わり方なども視覚ではわかるのに、音として十分に捉えられない憾みがある。第3楽章でも音が余り飛んでこない。
一方で、ヴァイオリンの響きは良く届く。過ぎていく今この時を愛でては儚むような、日本人の琴線に触れるヴァイオリンである。純度は高く、歌には淀みがない。これぞヴァイオリンの「至芸」である。


アンコール演奏が今日は2曲ある。まず、ヒラリー・ハーンが「バッハのプレリュードです」と日本語で言って演奏開始。自在感溢れる才気煥発のバッハである。
続いて、「バッハのサラバンドです」とやはり日本語で告げてからスタート。今度は精神的な深みを感じさせる「祈り」のようなバッハであった。


シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」。兵庫芸文大ホールでは、ジャナンドレア・ノセダが兵庫芸術文化センター管弦楽団を指揮した「ザ・グレイト」を聴いたことがある。

残響は短めであるため、ゲネラルパウゼなどには間が感じられるが、全体的に速めのテンポであり、一瀉千里に駆け抜ける。「天国的な長さ」と評される曲であり、演奏によってはしつこさを感じさせるものなのであるが、パーヴォとドイツ・カンマーフィルの演奏は、そうしたものを一切感じさせない爽快感溢れるものである。
速いだけなら味気ないものになってしまうが、パーヴォの抜群のコントロールによって各声部が浮き上がるために楽曲の構造把握が容易になり、発見が多く、新鮮な息吹をこの曲に与えている。
兵庫芸文大ホールの響きは愛知県芸よりも広がりと潤いがないが、その分、スケールが大きく感じ取れたように思う。ただ、細部に関してはステージと私の席との間に目に見えない巨大なカーテンが下りているような感じで、臨場感を欠きがちではあった。悪い音ではないのだが。

同じコンビによる「ザ・グレイト」を2度聴いたことになるが、実演に接した「ザ・グレイト」の中ではパーヴォとドイツ・カンマーフィルのものが総合力で1位になるだろう


アンコール演奏は、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。シベリウス・ファンに「好きなシベリウスのアンコール曲」を聞いたら1位になると思われる曲である。どこまでも清澄で優しい「親愛なる声」に接しているかのような演奏であった。



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2018年12月16日 (日)

観劇感想精選(275) KAAT神奈川芸術劇場プロデュース 「セールスマンの死」

2018年12月8日 兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後5時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「セールスマンの死」を観る。アーサー・ミラーの代表作の上演。テキスト日本語訳:徐賀世子、演出:長塚圭史。出演は、風間杜夫、片平なぎさ、山内圭哉(やまうち・たかや)、菅原永二、伊達暁(だて・さとる)、加藤啓(かとう・けい)、ちすん、加治将樹、菊池明明(きくち・めいめい)、川添野愛(かわぞえ・のあ)、青谷優衣(あおや・ゆい)、大谷亮介、村田雄浩。

プロローグ的に、主人公のウィリー・ローマン(ウィリアム・ローマン。風間杜夫)の家族と友人が喪服を来て横一列に並ぶというシーンがある。一同が振り返ると、後ろからウィリーが大きな鞄を提げて歩いてくる。全編が追憶ということになっているようだ。

若い頃は敏腕セールスマンとして、ニューイングランド中で尊敬を勝ち得ていたウィリーだが、60を過ぎた今では、かつてのお得意様がすでに鬼籍に入るなどして売り上げが激減。全く売れないことも珍しくはない。
妻のリンダ(片平なぎさ)との間に二男を設けたウィリーだが、期待していた長男のビフ(山内圭哉)は、稼げる職に就けておらず、自立もしていない。次男のハッピー(本名はハロルド。菅原永二)も仕事の不満ばかり言っているつまらない男にしかなれていないのだが、全員、プライドだけは高く、他の人間を「カス」呼ばわりする。

ビフは、ハイスクール時代はアメリカンフットボールの名選手としてクラスの英雄であり、名門大学3校から誘いが来て、ヴァージニア大学を選択するも、数学のテストで落第点を取り、進学どころか卒業にすら辿り着けなかった。通信教育を受けるもどれもものにならず、仕事も転々。直前までは、安月給ではあるが牛飼いの仕事に就いていたが、それも辞めて家に戻って来ている。

ハッピーは、女癖が悪く、社会的な信用を勝ち得ていない。

ビフは、数学のテストで65点取れば良いところを61点で失格。それでもサマースクールでの補講を受ければ卒業は間違いなかったのだが、ビフは出席を拒否していた。その原因はウィリーにあり、ウィリーはビフが自分を恨んでいるに違いないと思っているのだが……。


1949年の初演、アメリカンドリームの終焉の時期に発表された本作は、ピューリッツァー賞を受賞している。

「セールスマンの死」は、ハヤカワ演劇文庫の第1巻(第1回発売)だったはずで、私も大分以前に読んでいる。
成功者が時の流れに置いていかれ、失墜する様を冷徹な筆致で描いた作品なのであるが、読んだ時と、実際に舞台を観た時とでは印象が異なるのも事実である。悲劇は悲劇なのだが、それは死ではなく理解し合えないことにあるのではないだろか。そしてそれは単純な破滅よりももっと深刻で悲しいことなのではないかと思える。

自分自身が最大の売りものというセールスマンの特徴は、そのまま現代人、就中、俳優に当てはまるものがある。出演者達は当然それは自覚しながら演じているだろう。その哀感が胸に迫ったりもする。


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2018年11月11日 (日)

観劇感想精選(264) 白井晃&長塚圭史 「華氏451度」

2018年11月3日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後3時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで「華氏451度」を観る。レイ・ブラッドベリの有名小説を長塚圭史の上演台本、白井晃の演出で舞台化したもの。出演は、吉沢悠(よしざわ・ひさし)、美波、堀部圭亮、粟野史浩、土井ケイト、草村礼子、吹越満。ガイ・モンターグ役の吉沢悠を除いて、全員が複数の役を演じる。
長塚圭史の上演台本は、基本的に原作小説をパラフレーズしたもので、セリフやト書きも原作に忠実であることを心がけたそうである。

レイ・ブラッドベリの原作に関しては、個人的な思い出がある。1999年の秋に、藤沢と小田原に一泊ずつする神奈川県への小旅行に出たのだが、二泊目の小田原で『華氏451』を読了したことをなぜか覚えているのである。多分、感動したのだろう。その日は、藤沢のホテルを出て鎌倉文学館に行き、文学館前の公衆電話で小田原の宿を取り(まだ携帯電話を持っていない時代の話だ)、小田原文学館を訪ねた(近くに旧岸田国士邸の門あり)後で小田原駅前のビジネスホテルに泊まり。翌日は関白農道を上って石垣山一夜城を訪れてから静岡県の熱海と伊東を回りというコースであった。一連の旅の思い出と『華氏451度』が一体となっている。

ちなみに、「華氏451度」とは紙が発火する温度である(摂氏だと233度)。
『1984年』と『華氏451度』はディストピア小説の両輪ともいうべき有名作だが、今年は2本とも舞台化されることになった。

舞台上手下手奥の三方向にびっしり本で埋まった書棚が浮いている。役者はこの本棚のすぐ後ろでいて、出番が来るまで待機しているというスタイルである。
舞台が始まると、奥から出てきたファイアマン達が本を燃やし始める。近未来、建物の火事は最早なくなり、ファイアマンは消火ではなく焚書を仕事としている。近未来に於いては読書は有害なものとして禁止、思考力を働かせることすら忌避されている。「インテリ」というのは蔑称である。

ファイアマンの一人であるガイ・モンターグは本を燃やす仕事をしていることに何の疑いも持たず、「本が燃えるのは楽しかった」と述べ、本の発見と焼却に無邪気な誇りを持っていた。実は、モンターグの上司であるベイティー(吹越満)は、本の怖ろしさについて知悉していたようなのだが。
ある日、モンターグは、クラリスという少女(美波)と出会う。本の価値について語るクラリスにモンターグは戸惑う。帰宅したモンターグは妻のミルドレッド(美波二役)にクラリスのことを話すが、ミルドレッドは本を有害なものとしか思っていない。家庭内にはモニターが数台あり、そこに映り続ける「友達」の言うことを聞くのがコミュニケーションであり友情とされていた。「みな平等」という美名の下に、均質的な人間像が理想化され、異端者は静かに迫害されていた。そしてそれは「皆が望んだこと」なのだ。上や遠方から来るのではなく内側にいたものなのである。
ある老女(草村礼子)の自宅から本が発見され、ファイアマン達は焚書に向かう。ところが老女が本と共に焼かれることを選択したためにモンターグは困惑し……。

洗脳が常態化された世界にあって、知識と思考の有効性を述べた作品である。

フランソワ・トリュフォーが同作を映画化しており、私も観てはいるのだが、場面場面は思い出せても全体としての印象は忘却の彼方にある。ただ、小説はまあまあ覚えているということもあり、舞台としての「華氏451」を詳細まで楽しむことが出来た。

知識と思考と想像力を後世に伝えることの重要性と主体的な知者であり続けることの一種の義務が観客へと語られていく。

「1984年」と「華氏451度」の2作品が1年のうちに上演されるのは面白いことなのだが、演劇人達がそれほど切迫感を抱いているということでもあり、歓迎される状況ではないのかも知れない。

今日は、吉沢悠、美波、吹越満によるアフタートークがある。
開演前にホワイエでアフタートーク参加者への質問を募集しており、私も「本以外で記憶して語り継いでいきたいものはありますか?」と紙に書いており、質問として採用されたのだが、吉沢は「そんな立派なこと考えたことない」と戸惑い、色よい返事を貰うことは出来なかった。吉沢は初めて台本を貰ったときは何が書いてあるのかさっぱりわからなかったそうで、今も深くは理解していないのかも知れない。まあ、質問自体が悪かったのかも知れないが、そうご大層に捉えなくても、「記憶して語る」という行為はメタ的に考えれば演劇そのものであり、だからこそ長塚圭史もなるべく原作を尊重という姿勢を取ったのであろうし、演出の白井晃もそれを理解していてわかりやすい表現を意図的に避けたのだろう。白井は「抽象的な話なんだから具象的にやるな」とダメ出ししていたそうである。
意図は伝達の妨げと考えられる。意図はあるがままのものを認めずに歪め、誘導するのだ。
美波はその場では記憶と伝達には答えなかったが、アフタートークを締める最後のメッセージとして、舞台作品を記憶することと舞台経験の豊穣性について語り、一応は私の質問と呼応した形となった。


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2018年8月20日 (月)

観劇感想精選(253) 「大人のけんかが終わるまで」

2018年8月10日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時30分から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで「大人のけんかが終わるまで」を観る。作:ヤスミナ・レザ、テキスト日本語訳:岩切正一郎、上演台本:岩松了、演出:上村聡史(かみむら・さとし)。出演:鈴木京香、北村有起哉、板谷由夏、藤井隆、麻実れい。

「偶然の男」、「アート」などで知られるヤスミナ・レザ。ペルシャ系ユダヤ人の父親とハンガリー系ユダヤ人の母親との間に、パリに生まれ、育った女性劇作家である。マクロン大統領も学んだパリ第10大学(ナンテール大学)で演劇と社会学を専攻した後、ジャック・ルコックの演劇学校で学び、舞台俳優としてキャリアをスタート。俳優としては大成しなかったが、1987年に初めての戯曲である「埋葬後の会話」でフランス最高の戯曲賞であるモリエール賞最優秀劇作家賞を受賞。1994年に発表した「アート」で世界的な名声を得ている。翌年、「偶然の男」を発表。「大人のけんかが終わるまで」は、2015年にベルリンで初演され、現時点ではレザの最新作となっている。原題は「Bella Figura(ベラ・フィギュラ」。「表向きはいい顔をする」「取り繕う」「毅然としている」という意味だそうだ。

開演前には、ヴィヴァルディの「四季」のピアノ編曲版が流れており、本編でもヴィヴァルディの音楽が要所要所で用いられる。

フランスの地方のレストランとその前の駐車場が舞台である。薬剤師助手のアンドレア(鈴木京香)と鏡の製造会社の社長であるボリス(北村有起哉)は不倫関係にある。ボリスはパトリシアという妻との間に二子がいて、一人は音楽院に入ったが、もう一人はフリーター(フランスにはアルバイトという概念がなく、パートタイムであっても正社員なので、日本のフリーターとは違ってフラフラしているだけなのだろう。フランスの若年失業率は極めて高い)である。アンドレアには9歳になるソフィーという娘がいるが、離婚しており、シングルマザーである。同じ薬局に勤める26歳の男性ともいい仲になろうとしているそうだ。
アンドレアとのデートにボリスが妻が薦めるレストランを選んだために、アンドレアは不機嫌である。レストランの駐車場でいがみ合う二人。更にボリスが事業を拡げようとして失敗し、間もなく破産することが判明する。

ボリスが車を出そうとバックした時に、誤って老婦人のイヴォンヌ(麻実れい)をはねてしまう。幸い、怪我はなかったが、今日が誕生日だというイヴォンヌと、イヴォンヌの息子であるエリック(藤井隆)、そしてエリックの妻のフランソワーズ(板谷由夏)と共にレストランに戻ることになる。フランソワーズとボリスの妻であるパトリシアとが幼い頃からの友人ということで、イヴォンヌの誕生日祝いである食事につきあうことにしたのだ。エリックとフランソワーズはまだ籍は入れておらず、いわゆるフランス婚状態である。イヴォンヌは認知症を患っており、言動が子供のようである(ただ観察眼は鋭い。ボリス曰く「三人の中で一番まとも」)。少しだけ同席してすぐに帰るつもりだったボリスとアンドレアだが、ヘリコプター会社の法務で働いているというエリックに破産回避の方法を聞いたりしているうちについつい帰りそびれてしまい……。

エリックはロマンティストで人は良いのだが単純で鈍いところがある。一方のフランソワーズはアンドレアがボリスの愛人であることをすぐに見抜き、親友のパトリシアのためにアンドレアに喧嘩を吹っかける。アンドレアは、薬局に勤めているのをいいことに(?)多数の薬を持ち歩いており、特に精神安定剤は何かあるごとに口にするという沙粧妙子状態(わかるかな?)で、心理的に危ういことがわかる。

「偶然の男」や「アート」でもそうだったが、ヤスミナ・レザの本はとにかくセリフが多い。登場人物が全員、饒舌で細かいところまで語る。ただ核心の部分は皆、明言を避けるのである。
時間が経つごとに、皆の心が安定し、今ある状況を受け入れるようになる。己の弱さに関しても、恋愛に関しても。素直にハッピーエンドになりそうな展開だったのだが、ラストは生きることの不安と人間存在の不安定さに関するセリフで締められる。単なる色恋沙汰を描いているわけではない。考えれば、脳天気なエリックを除けば、登場人物全員が危機に面している。

鈴木京香出演の舞台を観るのは3度目。野田秀樹の「カノン」は渋谷のシアターコクーンで、ジャン・コクトー作・三谷幸喜演出の「声」は同じく渋谷のスパイラルホールで観ているため、関西での舞台を観るのは初めてになる。今年で50歳を迎えた鈴木京香。この世代でアンドレアを演じられる女優としてはベストの配役であるように思う。事実婚状態が伝えられながら、いつまで経っても結婚しないというところもフランス的である。鈴木京香にはある意味、ジャンヌ・モローにも通じるセンスの持ち主であるように感じる。

私と同い年の北村有起哉。2002年に新国立劇場小劇場で観た「かもめ」のトレープレフ役が今も印象的だが、色気のある男の役も様になるようになってきた。

コミカルなイヴォンヌ役を演じる麻実れい。アンドレアやボリスよりもある意味重要な役であり、麻実の貫禄の演技が生きている。

いい人なのだがどこか抜けているエリックを演じた藤井隆、夫と義母の間で疲弊しているところのあるフランソワーズを演じた板谷由夏も持ち味を発揮した演技であった。



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