カテゴリー「兵庫県立芸術文化センター」の6件の記事

2018年12月26日 (水)

観劇感想精選(279) 野村萬斎主演&演出 「国盗人(くにぬすびと)」2009@兵庫県立芸術文化センター

2009年12月16日 兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後7時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「国盗人(くにぬすびと)」を観る。シェイクスピアの「リチャード三世」を河合祥一郎が日本を舞台に翻案した、現代狂言ともいえる舞台。主演&演出:野村萬斎。出演は他に、白石加代子、山野史人、泉陽二、小田豊、大森博史、石田幸雄、若松力、中村美貴、じゅんじゅん等。

「国盗人」は2年前にやはり兵庫県立芸術文化センター中ホールで行われた初演版を観ている。その時は、今井朋彦が重要な役割を演じていたが、今回は今井が出演しないということもあって、テキストも大幅に書き換えての再演となった。
ヨーク家とランカスター家の戦いである薔薇戦争を背景にした「リチャード三世」を、白薔薇一族と赤薔薇一族との戦に置き換え、登場する主要な4人の女性を白石加代子が一人四役で演じ分ける。


白薔薇一族と赤薔薇一族との戦いが白薔薇一族の勝利に終わり、殺害された白薔薇一族の長の長男である一郎(山野史人)が王座に着く。しかし、三男の悪三郎(野村萬斎)は自身が王の座に就くことを密かに狙っていた。次兄の善二郎が入牢した機を狙って善二郎を暗殺し、長兄の一郎も心労によって崩御すると、次の王になるはずだった一郎の王子を退けて、悪三郎が戴冠する。更に悪三郎は自らの地位を盤石のものとするために一郎の王子を自ら殺害するなど悪事を重ねていく……。


初演の際にはあった笑いの部分が少し削られて、スッキリとした台本になっている。本がより整ったといえばいえるし、笑いが少なくなって物足りなくなったともいえる。
初演の時のインパクトが、こちら側の慣れにより薄まってしまったのも確かだ。
それでも現代狂言として「リチャード三世」を再現する試みとしては大変優れたものであることに違いはない。


主演の野村萬斎の演技は、劇の始まりこそ狂言の言い回し的なセリフが大仰に思われたが、劇が進むにつれてそれも気にならなくなり、生来の気品と、子供の頃から鍛え上げられた表現力で、魅力的な悪役である悪三郎を見事に演じきる。

萬斎による演出もスピード感があり、能の囃子方を使った音楽も効果的で、見応え十分であった。

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2018年12月21日 (金)

コンサートの記(472) パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2018西宮

2018年12月15日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後2時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会を聴く。名古屋公演と同一プログラムである。
今日は1階席で聴くことになる。ただ、1階席とはいえ、補助席の前の最後列であり、頭の上に2階席が張り出しているため、音響的には余り良くない場所である。

兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール(兵庫芸文大ホール)でパーヴォ指揮の演奏を聴くのは2度目。前回は、シンシナティ交響楽団の来日演奏会を聴いている。


曲目は、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」、シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」

同一演目を聴くということで、ホールの音響の違いがよくわかる。


モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲は、名古屋で聴いたときよりも濃い陰影が感じられたが、愛知県芸術劇場コンサートホールはもともと響きが明るいため、ホールの響きで生まれた印象の違いであろう。もっとも、演奏者もホールの音響に合わせて演奏を微妙に変えるのが普通である。


モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」。独奏者のヒラリー・ハーンは、兵庫芸文大ホールがお気に入りのようで、関西公演時にはここを使うことが多い。

音響の影響もあり、オーケストラのデュナーミク、パースペクティブ共に名古屋の時よりも狭く感じられ、第1楽章の優しい終わり方なども視覚ではわかるのに、音として十分に捉えられない憾みがある。第3楽章でも音が余り飛んでこない。
一方で、ヴァイオリンの響きは良く届く。過ぎていく今この時を愛でては儚むような、日本人の琴線に触れるヴァイオリンである。純度は高く、歌には淀みがない。これぞヴァイオリンの「至芸」である。


アンコール演奏が今日は2曲ある。まず、ヒラリー・ハーンが「バッハのプレリュードです」と日本語で言って演奏開始。自在感溢れる才気煥発のバッハである。
続いて、「バッハのサラバンドです」とやはり日本語で告げてからスタート。今度は精神的な深みを感じさせる「祈り」のようなバッハであった。


シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」。兵庫芸文大ホールでは、ジャナンドレア・ノセダが兵庫芸術文化センター管弦楽団を指揮した「ザ・グレイト」を聴いたことがある。

残響は短めであるため、ゲネラルパウゼなどには間が感じられるが、全体的に速めのテンポであり、一瀉千里に駆け抜ける。「天国的な長さ」と評される曲であり、演奏によってはしつこさを感じさせるものなのであるが、パーヴォとドイツ・カンマーフィルの演奏は、そうしたものを一切感じさせない爽快感溢れるものである。
速いだけなら味気ないものになってしまうが、パーヴォの抜群のコントロールによって各声部が浮き上がるために楽曲の構造把握が容易になり、発見が多く、新鮮な息吹をこの曲に与えている。
兵庫芸文大ホールの響きは愛知県芸よりも広がりと潤いがないが、その分、スケールが大きく感じ取れたように思う。ただ、細部に関してはステージと私の席との間に目に見えない巨大なカーテンが下りているような感じで、臨場感を欠きがちではあった。悪い音ではないのだが。

同じコンビによる「ザ・グレイト」を2度聴いたことになるが、実演に接した「ザ・グレイト」の中ではパーヴォとドイツ・カンマーフィルのものが総合力で1位になるだろう


アンコール演奏は、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。シベリウス・ファンに「好きなシベリウスのアンコール曲」を聞いたら1位になると思われる曲である。どこまでも清澄で優しい「親愛なる声」に接しているかのような演奏であった。



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2018年12月16日 (日)

観劇感想精選(275) KAAT神奈川芸術劇場プロデュース 「セールスマンの死」

2018年12月8日 兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後5時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「セールスマンの死」を観る。アーサー・ミラーの代表作の上演。テキスト日本語訳:徐賀世子、演出:長塚圭史。出演は、風間杜夫、片平なぎさ、山内圭哉(やまうち・たかや)、菅原永二、伊達暁(だて・さとる)、加藤啓(かとう・けい)、ちすん、加治将樹、菊池明明(きくち・めいめい)、川添野愛(かわぞえ・のあ)、青谷優衣(あおや・ゆい)、大谷亮介、村田雄浩。

プロローグ的に、主人公のウィリー・ローマン(ウィリアム・ローマン。風間杜夫)の家族と友人が喪服を来て横一列に並ぶというシーンがある。一同が振り返ると、後ろからウィリーが大きな鞄を提げて歩いてくる。全編が追憶ということになっているようだ。

若い頃は敏腕セールスマンとして、ニューイングランド中で尊敬を勝ち得ていたウィリーだが、60を過ぎた今では、かつてのお得意様がすでに鬼籍に入るなどして売り上げが激減。全く売れないことも珍しくはない。
妻のリンダ(片平なぎさ)との間に二男を設けたウィリーだが、期待していた長男のビフ(山内圭哉)は、稼げる職に就けておらず、自立もしていない。次男のハッピー(本名はハロルド。菅原永二)も仕事の不満ばかり言っているつまらない男にしかなれていないのだが、全員、プライドだけは高く、他の人間を「カス」呼ばわりする。

ビフは、ハイスクール時代はアメリカンフットボールの名選手としてクラスの英雄であり、名門大学3校から誘いが来て、ヴァージニア大学を選択するも、数学のテストで落第点を取り、進学どころか卒業にすら辿り着けなかった。通信教育を受けるもどれもものにならず、仕事も転々。直前までは、安月給ではあるが牛飼いの仕事に就いていたが、それも辞めて家に戻って来ている。

ハッピーは、女癖が悪く、社会的な信用を勝ち得ていない。

ビフは、数学のテストで65点取れば良いところを61点で失格。それでもサマースクールでの補講を受ければ卒業は間違いなかったのだが、ビフは出席を拒否していた。その原因はウィリーにあり、ウィリーはビフが自分を恨んでいるに違いないと思っているのだが……。


1949年の初演、アメリカンドリームの終焉の時期に発表された本作は、ピューリッツァー賞を受賞している。

「セールスマンの死」は、ハヤカワ演劇文庫の第1巻(第1回発売)だったはずで、私も大分以前に読んでいる。
成功者が時の流れに置いていかれ、失墜する様を冷徹な筆致で描いた作品なのであるが、読んだ時と、実際に舞台を観た時とでは印象が異なるのも事実である。悲劇は悲劇なのだが、それは死ではなく理解し合えないことにあるのではないだろか。そしてそれは単純な破滅よりももっと深刻で悲しいことなのではないかと思える。

自分自身が最大の売りものというセールスマンの特徴は、そのまま現代人、就中、俳優に当てはまるものがある。出演者達は当然それは自覚しながら演じているだろう。その哀感が胸に迫ったりもする。


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2018年11月11日 (日)

観劇感想精選(264) 白井晃&長塚圭史 「華氏451度」

2018年11月3日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後3時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで「華氏451度」を観る。レイ・ブラッドベリの有名小説を長塚圭史の上演台本、白井晃の演出で舞台化したもの。出演は、吉沢悠(よしざわ・ひさし)、美波、堀部圭亮、粟野史浩、土井ケイト、草村礼子、吹越満。ガイ・モンターグ役の吉沢悠を除いて、全員が複数の役を演じる。
長塚圭史の上演台本は、基本的に原作小説をパラフレーズしたもので、セリフやト書きも原作に忠実であることを心がけたそうである。

レイ・ブラッドベリの原作に関しては、個人的な思い出がある。1999年の秋に、藤沢と小田原に一泊ずつする神奈川県への小旅行に出たのだが、二泊目の小田原で『華氏451』を読了したことをなぜか覚えているのである。多分、感動したのだろう。その日は、藤沢のホテルを出て鎌倉文学館に行き、文学館前の公衆電話で小田原の宿を取り(まだ携帯電話を持っていない時代の話だ)、小田原文学館を訪ねた(近くに旧岸田国士邸の門あり)後で小田原駅前のビジネスホテルに泊まり。翌日は関白農道を上って石垣山一夜城を訪れてから静岡県の熱海と伊東を回りというコースであった。一連の旅の思い出と『華氏451度』が一体となっている。

ちなみに、「華氏451度」とは紙が発火する温度である(摂氏だと233度)。
『1984年』と『華氏451度』はディストピア小説の両輪ともいうべき有名作だが、今年は2本とも舞台化されることになった。

舞台上手下手奥の三方向にびっしり本で埋まった書棚が浮いている。役者はこの本棚のすぐ後ろでいて、出番が来るまで待機しているというスタイルである。
舞台が始まると、奥から出てきたファイアマン達が本を燃やし始める。近未来、建物の火事は最早なくなり、ファイアマンは消火ではなく焚書を仕事としている。近未来に於いては読書は有害なものとして禁止、思考力を働かせることすら忌避されている。「インテリ」というのは蔑称である。

ファイアマンの一人であるガイ・モンターグは本を燃やす仕事をしていることに何の疑いも持たず、「本が燃えるのは楽しかった」と述べ、本の発見と焼却に無邪気な誇りを持っていた。実は、モンターグの上司であるベイティー(吹越満)は、本の怖ろしさについて知悉していたようなのだが。
ある日、モンターグは、クラリスという少女(美波)と出会う。本の価値について語るクラリスにモンターグは戸惑う。帰宅したモンターグは妻のミルドレッド(美波二役)にクラリスのことを話すが、ミルドレッドは本を有害なものとしか思っていない。家庭内にはモニターが数台あり、そこに映り続ける「友達」の言うことを聞くのがコミュニケーションであり友情とされていた。「みな平等」という美名の下に、均質的な人間像が理想化され、異端者は静かに迫害されていた。そしてそれは「皆が望んだこと」なのだ。上や遠方から来るのではなく内側にいたものなのである。
ある老女(草村礼子)の自宅から本が発見され、ファイアマン達は焚書に向かう。ところが老女が本と共に焼かれることを選択したためにモンターグは困惑し……。

洗脳が常態化された世界にあって、知識と思考の有効性を述べた作品である。

フランソワ・トリュフォーが同作を映画化しており、私も観てはいるのだが、場面場面は思い出せても全体としての印象は忘却の彼方にある。ただ、小説はまあまあ覚えているということもあり、舞台としての「華氏451」を詳細まで楽しむことが出来た。

知識と思考と想像力を後世に伝えることの重要性と主体的な知者であり続けることの一種の義務が観客へと語られていく。

「1984年」と「華氏451度」の2作品が1年のうちに上演されるのは面白いことなのだが、演劇人達がそれほど切迫感を抱いているということでもあり、歓迎される状況ではないのかも知れない。

今日は、吉沢悠、美波、吹越満によるアフタートークがある。
開演前にホワイエでアフタートーク参加者への質問を募集しており、私も「本以外で記憶して語り継いでいきたいものはありますか?」と紙に書いており、質問として採用されたのだが、吉沢は「そんな立派なこと考えたことない」と戸惑い、色よい返事を貰うことは出来なかった。吉沢は初めて台本を貰ったときは何が書いてあるのかさっぱりわからなかったそうで、今も深くは理解していないのかも知れない。まあ、質問自体が悪かったのかも知れないが、そうご大層に捉えなくても、「記憶して語る」という行為はメタ的に考えれば演劇そのものであり、だからこそ長塚圭史もなるべく原作を尊重という姿勢を取ったのであろうし、演出の白井晃もそれを理解していてわかりやすい表現を意図的に避けたのだろう。白井は「抽象的な話なんだから具象的にやるな」とダメ出ししていたそうである。
意図は伝達の妨げと考えられる。意図はあるがままのものを認めずに歪め、誘導するのだ。
美波はその場では記憶と伝達には答えなかったが、アフタートークを締める最後のメッセージとして、舞台作品を記憶することと舞台経験の豊穣性について語り、一応は私の質問と呼応した形となった。


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2018年8月20日 (月)

観劇感想精選(253) 「大人のけんかが終わるまで」

2018年8月10日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時30分から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで「大人のけんかが終わるまで」を観る。作:ヤスミナ・レザ、テキスト日本語訳:岩切正一郎、上演台本:岩松了、演出:上村聡史(かみむら・さとし)。出演:鈴木京香、北村有起哉、板谷由夏、藤井隆、麻実れい。

「偶然の男」、「アート」などで知られるヤスミナ・レザ。ペルシャ系ユダヤ人の父親とハンガリー系ユダヤ人の母親との間に、パリに生まれ、育った女性劇作家である。マクロン大統領も学んだパリ第10大学(ナンテール大学)で演劇と社会学を専攻した後、ジャック・ルコックの演劇学校で学び、舞台俳優としてキャリアをスタート。俳優としては大成しなかったが、1987年に初めての戯曲である「埋葬後の会話」でフランス最高の戯曲賞であるモリエール賞最優秀劇作家賞を受賞。1994年に発表した「アート」で世界的な名声を得ている。翌年、「偶然の男」を発表。「大人のけんかが終わるまで」は、2015年にベルリンで初演され、現時点ではレザの最新作となっている。原題は「Bella Figura(ベラ・フィギュラ」。「表向きはいい顔をする」「取り繕う」「毅然としている」という意味だそうだ。

開演前には、ヴィヴァルディの「四季」のピアノ編曲版が流れており、本編でもヴィヴァルディの音楽が要所要所で用いられる。

フランスの地方のレストランとその前の駐車場が舞台である。薬剤師助手のアンドレア(鈴木京香)と鏡の製造会社の社長であるボリス(北村有起哉)は不倫関係にある。ボリスはパトリシアという妻との間に二子がいて、一人は音楽院に入ったが、もう一人はフリーター(フランスにはアルバイトという概念がなく、パートタイムであっても正社員なので、日本のフリーターとは違ってフラフラしているだけなのだろう。フランスの若年失業率は極めて高い)である。アンドレアには9歳になるソフィーという娘がいるが、離婚しており、シングルマザーである。同じ薬局に勤める26歳の男性ともいい仲になろうとしているそうだ。
アンドレアとのデートにボリスが妻が薦めるレストランを選んだために、アンドレアは不機嫌である。レストランの駐車場でいがみ合う二人。更にボリスが事業を拡げようとして失敗し、間もなく破産することが判明する。

ボリスが車を出そうとバックした時に、誤って老婦人のイヴォンヌ(麻実れい)をはねてしまう。幸い、怪我はなかったが、今日が誕生日だというイヴォンヌと、イヴォンヌの息子であるエリック(藤井隆)、そしてエリックの妻のフランソワーズ(板谷由夏)と共にレストランに戻ることになる。フランソワーズとボリスの妻であるパトリシアとが幼い頃からの友人ということで、イヴォンヌの誕生日祝いである食事につきあうことにしたのだ。エリックとフランソワーズはまだ籍は入れておらず、いわゆるフランス婚状態である。イヴォンヌは認知症を患っており、言動が子供のようである(ただ観察眼は鋭い。ボリス曰く「三人の中で一番まとも」)。少しだけ同席してすぐに帰るつもりだったボリスとアンドレアだが、ヘリコプター会社の法務で働いているというエリックに破産回避の方法を聞いたりしているうちについつい帰りそびれてしまい……。

エリックはロマンティストで人は良いのだが単純で鈍いところがある。一方のフランソワーズはアンドレアがボリスの愛人であることをすぐに見抜き、親友のパトリシアのためにアンドレアに喧嘩を吹っかける。アンドレアは、薬局に勤めているのをいいことに(?)多数の薬を持ち歩いており、特に精神安定剤は何かあるごとに口にするという沙粧妙子状態(わかるかな?)で、心理的に危ういことがわかる。

「偶然の男」や「アート」でもそうだったが、ヤスミナ・レザの本はとにかくセリフが多い。登場人物が全員、饒舌で細かいところまで語る。ただ核心の部分は皆、明言を避けるのである。
時間が経つごとに、皆の心が安定し、今ある状況を受け入れるようになる。己の弱さに関しても、恋愛に関しても。素直にハッピーエンドになりそうな展開だったのだが、ラストは生きることの不安と人間存在の不安定さに関するセリフで締められる。単なる色恋沙汰を描いているわけではない。考えれば、脳天気なエリックを除けば、登場人物全員が危機に面している。

鈴木京香出演の舞台を観るのは3度目。野田秀樹の「カノン」は渋谷のシアターコクーンで、ジャン・コクトー作・三谷幸喜演出の「声」は同じく渋谷のスパイラルホールで観ているため、関西での舞台を観るのは初めてになる。今年で50歳を迎えた鈴木京香。この世代でアンドレアを演じられる女優としてはベストの配役であるように思う。事実婚状態が伝えられながら、いつまで経っても結婚しないというところもフランス的である。鈴木京香にはある意味、ジャンヌ・モローにも通じるセンスの持ち主であるように感じる。

私と同い年の北村有起哉。2002年に新国立劇場小劇場で観た「かもめ」のトレープレフ役が今も印象的だが、色気のある男の役も様になるようになってきた。

コミカルなイヴォンヌ役を演じる麻実れい。アンドレアやボリスよりもある意味重要な役であり、麻実の貫禄の演技が生きている。

いい人なのだがどこか抜けているエリックを演じた藤井隆、夫と義母の間で疲弊しているところのあるフランソワーズを演じた板谷由夏も持ち味を発揮した演技であった。



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2018年8月 2日 (木)

観劇感想精選(249) 市村正親主演「キーン」

2008年10月23日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター中ホールにて観劇

西宮の兵庫県立芸術文化センター中ホールまで、「キーン」を観に行く。午後6時30分開演。
ジャン・ポール・サルトルのテキストを小田島恒志が新たに訳したものを使用。演出は今年29歳の若手イギリス人演出家であるウィリアム・オルドロイド。タイトルロールを演じるのは市村正親。出演は他に、須藤理彩、高橋惠子、鈴木一真、西牟田恵ほか。
須藤理彩や西牟田恵の舞台を観るのは久しぶりである。

18世紀から19世紀にかけて活躍した、実在の英国人名俳優、エドマンド・キーンを主人公としたサルトルの代表的戯曲。
天下の名優でありながら、実生活では破綻者であったキーン。女ったらしで、派手好きで、金もないのに豪華なことを好み、巨額の借金を重ねていた。

狂気の名優、キーンの演技と実生活の境界線はぼやけており、それを出すために、テキストは幾層にも別れたリアルの間(意識的演技と無意識的演技と意識的日常と無意識的日常)を行き来し、役者と役の関係を引き離す演出が試みられていて、最後はセットが取り除かれ、役者達も衣装ではなく稽古着でカーテンコールに登場する。
私も、観客の役を観劇の間中続け、上演終了後に個人に戻るような感覚を味わった。

役者では市村正親と須藤理彩が良かった。市村正親の破滅的性格描写、須藤理彩の愛らしさ、ともに期待を裏切らない出来だった。

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