カテゴリー「京都四條南座」の10件の記事

2018年12月11日 (火)

観劇感想精選(273) 「南座発祥四百年 南座新開場記念 白井松次郎 大谷竹次郎追善 當る亥歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部

2018年12月4日 京都四條南座にて観劇

午後4時50分から、京都四條南座で、「南座発祥四百年 南座新開場記念 白井松次郎 大谷竹次郎追善 當る亥歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部を観る。

演目は、「義経千本桜」より“木の実”“小金吾討死”“すし屋”、「面かぶり」、「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ」“浜松屋見世先”より“稲瀬川勢揃い”まで、「三社祭」


「義経千本桜」より“木の実”“小金吾討死”“すし屋”は、「いがみの権太」として知られる作品である。“すし屋”が最も有名で且つ上演時間も長いため単独で上演されることも多いが、今回は3つの場が上演される。

まず“木の実”。壇ノ浦で討死したと思われていた三位中将維盛が生きており、吉野山に潜んでいるという設定である。
維盛の御台所である若葉の内侍(片岡孝太郎)と維盛の家来である主馬(しゅめの)小金吾(片岡千之助)が維盛の幼い子を連れて大和国下市村にやって来る。維盛の行方を尋ねに来たのだ。
峠の茶屋の女房・小せん(片岡秀太郎)が出掛ける間、若葉の内侍一行は木の実拾いに興じている。
そこに通りかかった権太(片岡仁左衛門)は、石を投げて木の実を次々に落としていく。そうして立ち去る権太だったが、実は小金吾の荷物と自分の荷物をわざと入れ替える。
荷物が自分のものではないと気づいた小金吾は、権太が盗人だと思うが、そこに権太が戻ってくる。荷物を間違えたと言って取り替える権太であったが、自分が行李に入れておいた20両がなくなったと騒ぎ始め、小金吾に金を返せと詰め寄る。

いがみの権太には、江戸の演出法と上方の演出法とがあるそうだが、今回は片岡仁左衛門の権太ということで、上方の演出となる。語り口調も上方言葉であり、江戸の粋(いき)よりも上方の粋(すい)が強く感じられる。ちなみに上方では権太の悪党ぶりを強調するようだ。

“小金吾討死”は、その名の通り小金吾の討死がだんまりを交えて演じられ、ラストで弥左衛門(市川左團次)が登場する。

“すし屋”は、吉野の釣瓶鮓屋の一杯飾りで演じられる。鮓屋の看板娘であるお里(中村扇雀)は、下男の弥助(市川時蔵)と祝言を挙げることが決まっている。弥助はお里を目上として扱うが、実はその正体は平維盛。お里の父親である弥左衛門は維盛の父親である小松内府平重盛に恩があり、維盛を下男と偽って匿っていたのだ。お里はそのことを知らない。
やがて、お里に兄である権太が帰ってくるのだが……。

寿司桶の取り違えが見せ場となり、前半は喜劇路線なのだが、ラストで心を入れ替えた権太の忠義話となる。
お里を演じる扇雀が実に可愛らしい。リアリズムで考えるとおかしなところが多々あるのだが、作品の魅力の前にはリアリズムなどはただのでくの坊である。


「面かぶり」。中村鴈治郎による長唄舞踊である。初演は明和4年(1767) に江戸の市村座で行われている。名刀鬼切丸の精霊が踊る様を描いたもの。
衣装や仕掛けが鮮やかであり、強靱な足腰を感じさせる鴈治郎の舞も一つ一つが決まっている。


「弁天娘女男白浪」。「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」(「白浪五人男」)の“浜松屋見世先”と“稲瀬川勢揃い”のみを上演する場合はこの名になるという。

“浜松屋見世先”。鎌倉雪の下にある呉服屋・浜松屋の見世先が舞台。二階堂家家臣・早瀬主水の娘(片岡愛之助)が四十八(市川右團次)に連れられて浜松屋にやって来る。娘と四十八が去ろうとした時に浜松屋の番頭である与九郎(中村梅蔵)が娘の万引きを見とがめる。番頭は娘の額を算盤でしたたかに打ち付けて傷を負わせるのだが、娘が万引きしたと思われた布は実は山形屋という店で買ったものだった。結局、弁償ということになる。だが実は娘の正体は白浪・弁天小僧菊之助、四十八は同じく南郷力丸であった。そこへ店の奥から二階堂家家臣を名乗る玉島逸当なる人物(中村芝翫)が現れ、二人を白浪と見抜くのだが……。

歌舞伎の演目の中で最も有名なセリフの一つである「知らざあ言って聞かせやしょう」が出てくるのがこの“浜松屋見世先”である。元々は尾上菊之助のために書かれたセリフであり、弁天小僧菊之助の名は尾上菊之助に掛けたもの。その他にも、「寺島」(尾上菊之助の本名)、「音羽屋」(尾上菊之助の屋号)がセリフに登場する。愛之助の「知らざあ言って聞かせやしょう」は義太夫節の影響の薄い、自然なもの。やはり江戸と上方の俳優とでは異なるのであろう。
ちなみに、中村梅蔵が、「南座の顔見世が初日から満員御礼続き」というネタをやる時に愛之助の屋号を何故か「高嶋屋」と言い間違えていた(最初は自身の屋号である「高砂屋」と言おうとして嶋だけ戻したのだが間に合わず)。本職でも屋号を言い間違えることはあるようだ。

“稲瀬川勢揃い”はその名の通り、白浪五人男(中村芝翫演じる日本駄右衛門、片岡愛之助演じる弁天小僧菊之助、中村鴈治郎演じる忠信利平、片岡孝太郎演じる赤星十三郎、市川右團次演じる南郷力丸)が「志ら浪」と書かれた傘を持ったいなせな格好で勢揃いし、捕り方の前で掛詞を使った名乗りを上げるというものである。それだけで歌舞伎として実に絵になる演目である。


「三社祭」は、若手の中村鷹之資(たかのすけ)と片岡千之助による歌舞伎舞踊。
若い二人の持つエネルギーがはち切れんばかりに躍動する。一方で、若さが余って軸がぶれることもあるが、今日最後の演目としては二人の持つ力強さは好ましく思われた。


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2018年11月21日 (水)

観劇感想精選(268) 南座発祥四百年 南座新開場記念 當る亥歳「吉例 顔見世興行 東西合同大歌舞伎 二代目松本白鸚 十代目松本幸四郎 八代目市川染五郎襲名披露」夜の部

2018年11月11日 京都四條南座にて観劇

午後4時30分から、新装なった京都四條南座で、南座發祥四百年新開場記念「當る亥歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎 二代目松本白鸚 十代目松本幸四郎 八代目市川染五郎襲名披露」夜の部を観る。

耐震対策工事のため閉鎖されていた南座の新規オープン公演であり、今年は特別に2ヶ月続けて顔見世公演が行われる。11月の顔見世は、高麗屋3代の襲名披露公演でもある。

工事を終えてから初めて入る南座であるが、内装はいうほど変化はなし。椅子は替えたようだが、いうほど大きくなっておらず、少なくとも3階席は前後の座席間も詰まったままで、エコノミークラス症候群を避けるために幕間に歩いて血の巡りを良くする必要がある。
トイレはかなり綺麗になったが、それ以外は余り代わり映えしておらず、幕間には「がっかり」という声も聞こえてきた。「特別席も悪くなった」という話をしている人もいる。


演目は、「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」、「勧進帳」、「雁(かり)のたより」。「寿曽我対面」と「勧進帳」の間に、高麗屋3代の襲名披露口上が設けられている。


「寿曽我対面」。江戸歌舞伎では、毎年正月に曽我狂言を行っていたことから選ばれた縁起の良い演目(寿狂言)である。纏めたのは河竹黙阿弥。
出演は、片岡仁左衛門(松嶋屋)、片岡孝太郎(松嶋屋)、片岡愛之助(松嶋屋)、上村吉弥(美吉屋)、中村壱太郎(かずたろう。成駒屋)、中村亀鶴(八幡屋)、澤村宗之助(紀伊国屋)、片岡秀太郎(松嶋屋)ほか。

工藤左衛門祐経(仁左衛門)の屋敷が舞台ということで、工藤氏の定紋として知られる庵木工の家紋が背景の金箔の中に鏤められている。
源頼朝に味方して出世と遂げた工藤祐経に館に、宿敵だった河津三郎祐康の子である曽我十郎祐成(孝太郎)と曽我五郎時致(愛之助)の兄弟が対面を願い出てくる。

時致に扮した愛之助がかなりの外連を用いているのが印象的である。先日、びわ湖ホールで観た時とは違い、祝祭の場であるということを意識しているのだろう。


高麗屋3代による襲名披露口上。坂田藤十郎(山城屋)と片岡仁左衛門が引き立てを行う。
松本白鸚は2代目であるが、初代は南座の舞台に立ったことはなく、「松本白鸚」のまねきが上がるのは、今回が史上初となるそうである。
2代目白鸚は、67年前に南座でフィルムに収めるための上演に参加したそうだが、「流石にその時の演目を観たことがあるという方はこの場にいらっしゃらないと思います」と述べる。
松本幸四郎に関しては、仁左衛門が6年前の奈落墜落事故からの復活を称える紹介を行った。
市川染五郎は14歳ということで中学生なのだが、幸四郎が「学校を1ヶ月休んだ」ことを明かし、染五郎は、「(この後の『勧進帳』の義経役を)人生最大の緊張で」誠心誠意演じることを誓った。


「勧進帳」。歌舞伎の演目の中で一二を争う有名作である。
出演は、松本幸四郎(高麗屋)、市川染五郎(高麗屋)、大谷友右衛門(明石屋)、高麗蔵(高麗屋)、澤村宗之助、松本錦吾(高麗屋)、松本白鸚(高麗屋)。

加賀国安宅の関を舞台に、関守である富樫左衛門(白鸚)と東大寺大仏再興のための勧進を行う山伏に扮した武蔵坊弁慶(幸四郎)の丁々発止のやり取りが見物である。
すでに源義経(染五郎)と弁慶らの一行が山伏に扮しているという情報を富樫は得ており、何人もの山伏が処刑されている。
弁慶らが現れた時点で、富樫は怪しいと睨んでいるはずだが、弁慶の振る舞いの見事さに打たれて通すことに決める。
剛の者である弁慶と戦の天才義経をもってすれば、関を押し通ることも可能なはずで、それが武士の本道なのだが、その場合は鎌倉方に北陸路を行っているという情報が漏れてしまうため、技芸を持って堂々と通るという、ある意味、歌舞伎役者の姿そのものを描いている筋立てとなっている。弁慶は比叡山で修行したこともあるため、白紙の勧進帳読み上げや、山伏の装束や仏法に関する知識もあり、その場での思いつきではなく積み上げてきたものを披露しているという点でも伝統芸能的である。

染五郎は若いということもあり、役が体に染み込んでいない。14歳で大当たりを取ったら史上最高の天才レベルなので、これはこれで良い。
幸四郎の弁慶も「見事」と言える水準ではあるのだが、父親に比べるとまだまだである。白鸚の富樫は「見られるだけで嬉しい」類いのものである。


「雁のたより」。上方狂言である。出演は、中村鴈治郎(成駒屋)、中村亀鶴、中村壱太郎、片岡秀太郎、中村寿治郎(成駒屋)、松本幸四郎、片岡市蔵(松嶋屋)ほか。

有馬温泉が舞台である。さる大名の若殿である前野佐司馬(亀鶴)は、元新橋の傾城で今は側室としている司(壱太郎)を伴っているのだが、司は佐司馬につれない態度を取る。佐司馬は、司に「気に入った者に盃を差すよう」言うのだが、司は裏町にある髪結の三二五郎七(鴈治郎)に盃を与えたいと言い出し……。

三二五郎七の一人語りが役者の腕の見せ所である。一人語りは現代劇では「リアルでない」として避けられる傾向にあるのだが、伝統芸能の一場で役者が魅せるものと考えれば悪くはない。
ラストはとってつけたようなもので、これまでの過程から考えても不自然に思われるのだが、「理屈となんとかはどこにでもつく」ため、それも三二五郎七の演技の一つだったと考えることも出来る。あくまで「出来る」であって、現代人の目にはご都合主義に映るのは確かである。
面白いのはむしろ、鴈治郎と幸四郎のやり取りで、互いを贔屓の役者として褒め合うシーンなどは存分に笑うことが出来る。

夜の部は演目的はさほど魅力的ではなかったといえるだろう。勿論、役者は粒ぞろいなので、そこは見応え十分である。



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2018年2月 8日 (木)

松竹 「南座新開場ご紹介」映像ご紹介

松竹による京都四條南座の新開場公式案内映像です。

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2015年11月14日 (土)

観劇感想精選(169) 「喜劇 有頂天旅館」

2015年7月12日 京都四條南座にて観劇

午後3時30分から、京都四条南座で、「喜劇 有頂天旅館」を観る。北條秀司の「比叡颪し」を“現代の戯作者”といわれる齋藤雅文が演出。劇中に出てくる方言は北條が指定したものとは違い、出演者の出身地のものであり、そのため設定もわずかに違う。出演:渡辺えり、村田雄浩、徳井優、曽我廼家文童(そがのや・ぶんどう)、綾田俊樹、森本健介(京言葉方言指導兼任)、二反田真澄、椿真由美、水月舞、新納慎也(にいろ・しんや)、キムラ緑子ほか。

滋賀県大津市の琵琶湖沿いにある老舗料理旅館、魚吉楼(うおよしろう)が舞台である。巡査・溝呂木を演じる徳井優が口上役と狂言回しを務める。溝呂木は魚吉楼で事件が起こり、その容疑者を紹介するという形で主要キャストが花道から出てきて横一列に並び、自己紹介をして劇は始まる。

魚吉楼の主である直三郎(村田雄浩)は、東京の大学を出て実家の魚吉楼を継いだが、自らが「髪結いの亭主」と名乗るとおり、旅館の運営は妻で女将のおかつ(渡辺えり)に任せっきりであり、女遊びに現を抜かしていた。おかつは山形の芸者だったが(渡辺えりが山形県出身なので設定を変えてある)、山形に出張に来た直三郎に見初められ、恋仲となる。直三郎には妻がいたが、病気で入院しており、余命幾ばくもないということで、直三郎が妻と籍を抜く前におかつは直三郎と一緒になってしまい、大津に出てきて魚吉楼を任されたのだ。

おかつは遣り手の女将であるが、欠点は新宗教に溺れていること。いかがわしい宗教の教祖を盲信しており、何をするにも教祖が決めた暦通りにしたり、教祖・光尊(椿真由美)の神託を真に受けたりしている。

魚吉楼はおかつと、女中頭の信代(キムラ緑子)が両輪となって動いている。信代は「~だす」という独特の語尾表現をするが、これはキムラ緑子の出身地である淡路島の方言であるようだ。

実は女好きの直三郎は信代とも男と女の仲である。

魚吉楼の板前が、三井寺の階段から転げ落ちて足を痛め、魚吉楼に通えなくなってしまう。そこで新たな板前、島吉(新納慎也)が呼ばれる。島吉は女形のような身なりと言葉遣い、というのは見せかけで、事件を起こして追われている犯罪者だった。そして島吉の女房が他ならぬ信代であった。信代は魚吉楼の乗っ取りを企んでいたのである。時あたかも東京オリンピック前夜、名神高速道が魚吉楼の敷地内を通る計画があり、信代は高額が予想される立ち退き料をもせしめる魂胆であった。

魚吉楼の従業員であるが、ギャンブル狂いの男衆・国松(綾田俊樹)、好色な番頭・善助(曽我廼家文福)、手癖の悪い飯炊き・おたき(森本健介)、不器用な下女の千代(水月舞)など、頼りない面々が並んでいる。千代は直三郎から特別に小遣いを貰うなど可愛がられており、信代は直三郎と千代の関係を疑うが、直三郎は千代は実は自分の実の娘と打ち明ける。

教祖・光尊がおかつにお告げを下す。「そちはこの家に縁薄き女」といわれたおかつは、直三郎が気に入りそうな下女を全員追い出し、芸者も入れないことに決める。だが実は光尊と信代はグルであり、逆に信代がおかつを追い出しやすくするよう仕向けていたのだった。信代は千代と直三郎の間が怪しいとして千代も追い出すことに成功。

だが、隣の家に空き巣が忍び込み、魚吉楼の人間全員に疑いが掛かる。隣家で事件があった日は、おかつが「日が悪い」として全員に魚吉楼から出ないように命じ、自分は逢坂山の光尊の家で託宣を授かり、その後、京都の円山公園にある連れ込み旅館で千代が働いているという情報を受け、千代の身を引き受けに出向いていた。

魚吉楼から出てはいけないはずであったが、直三郎は「山科に行く」と言って出ていき、島吉は「石山にいる親戚の容態が急変」と嘘を付いて魚吉楼を出る。信代もまた出掛け、男衆の国松は集金のために店まで出向く。直三郎や信代から口止め料を貰った番頭の善助も出掛けてしまう。つまり、アリバイがない人が大勢いたのだ。アリバイを洗っていくうちに事実が明らかになる……

誰が観ても分かりやすいように、少し開かれた形の上演となっている。登場人物の性格も表と裏の二つだけであり、重層的に入り組んでいるわけではない。ただ、そのままでも十分に分かりやすい戯曲であるため、音楽や照明が説明的に過ぎるのはやはり気になった。

日本を代表する舞台女優である渡辺えりとキムラ緑子であるが、意外にも二人とも南座の舞台を踏むのは初めてだという。キムラ緑子は同志社女子大学出身で、京都で活動を始めた劇団M.O.P.の看板女優であっただけに余計に意外という印象を受ける。ちなみにキムラは渡辺が主宰していた劇団3○○(さんじゅうまる)の大ファンだったそうである。

渡辺えりは自身の持ち味を前面に押し出した演技。対するキムラ緑子は二つ(数え方によっては三つ)の顔を持つため、硬軟自在の演技を披露する。村田雄浩は時折かなり面白い演技をする俳優であるが、今日は正攻法であった。

主要キャストはそれほど多くないが、幾つもの役を掛け持つ端役は新劇の台本の常として大勢いる。名前を挙げた人を除いて全17名の大所帯である。多い人は一人で六役を演じ分ける。

ラストが浪花節なのが好悪を分かちそうだが、謎解きも含めた楽しさに関しては万全の仕上がりである。

なお、大津が舞台ということで、南座の1階売店横には近江牛や近江米を始めとする滋賀県の名産品発売ブースが設けられていた。

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2015年11月 4日 (水)

観劇感想精選(167) 新作歌舞伎「あらしのよるに」

2015年9月24日 京都四條南座にて観劇

午後4時から、京都四条南座で、新作歌舞伎「あらしのよるに」を観る。実は観る予定のなかった劇なのであるが、真宗大谷派東本願寺(真宗本廟)に礼拝に行った時、ブックストアで戸次公正の『親鸞の詩(うた)が聞こえる エッセンス・正信解』(東本願寺出版部)という本を買い、その本の最初の章に絵本『あらしのよるに』の話が出ているのだ。「『あらしのよるに』は、今、南座でやってるじゃないか!」ということで、チケットを取って観に行くことに決めたのである。偶然なのか回向なのか。それはおくとして、「あらしのよるに」は、歌舞伎としても現代劇としても面白い出来であった。

原作:きむらゆういち、脚本:今井豊茂、演出・振付:藤間勘十郎。出演:中村獅童、尾上松也、中村梅枝、中村萬太郎、市川橘太郎、市川竹松、市川月乃助、尾上徳松、片岡千壽、河原崎権十郎、市川萬次郎ほか。

狼たちと山羊たちの世界の話である。

まず狼たちの兄貴分である“ぎろ”(市川月乃助)らが山羊の群れを襲う計画を立てている。狼“ばりい”を演じる片岡千壽は何故かセリフが関西弁である。
狼たちの踊りは荒々しい荒事で、益荒男ぶりを見せつける。

今度は山羊たちの群れ。“おじじ”(市川橘太郎)、みい姫(市川梅枝)、“たぷ”(市川萬太郎)、“はく”(市川竹松)らが群れに加わり、舞が始まる。こちらは和事で、手弱女ぶりを発揮、と書きたいところなのだが、後ろの方の人達は明らかに稽古不足で、踊りがバラバラであり、優雅さが出ていない。セリフのほとんどないアンサンブルキャストが多いということもあるのだろうが、まがりなりにも歌舞伎俳優を名乗っているのだから舞はせめて見せられるものにして貰わないと。

山羊たちの群れを狼たちが襲う。逃げ遅れた雌山羊の“まつ”(尾上徳松)は、ぎろと一騎打ち。当然、敵うはずはないが、まつは不意を突いてぎろ右耳を食いちぎり、一矢報いて倒れる。右耳を失ったぎろは怒り心頭に発するが、そこの狼たちの長(おさ。お頭とも呼ばれる。澤村大蔵)が戦況を見舞いに来る。長と二人きりになったぎろは千載一遇のチャンスと思いつき、長を槍で突いて殺し、駆けつけた狼たちには、「長は山羊に殺された」と嘘を付く。そして、自身失われた右耳を山羊に襲われた証拠としてしまうのである。しかし、長の遺体のそばに落ちていた槍の穂先がぎろのものであることに気付いた“がい”(河原崎権十郎)は、ぎろに疑いの目を向け……。ここまでが「発端」とされる部分である。

主役である狼の“がぶ”(中村獅童)が登場するのは「発端」から長い月日が経ってからのことである。がぶはぎりに殺された狼の長の息子なのだが、出来が悪く、狼のみんなから馬鹿にされていた。父親は、がぶに「己を信じ、自分らしく生きていれば、必ず自分を信じて認めてくれる友達が出来る」と言い聞かせてきた。だが、今もがぶははぐれ狼である。

山羊の“めい”(尾上松也)が、嵐の夜に、風雨と雷を避け、粗末な小屋に閉じこもっている。めいは山羊たちが襲われる悪夢を見て、バッと跳ね起きる。夢だと気付いて一息ついたところで、やはり嵐を避けて小屋に飛び込んできた者がいる。狼のがぶなのであるが、小屋の中は真っ暗闇、がぶもめいも風邪を引いていて嗅覚ゼロ、ということでめいは相手が同じ山羊だと思っているし、がぶも先客は狼だと思い込んでいる。めいが「さわさわ山に住んでいる」と言うと、がぶは「あそこは良い食べ物が一杯あるでやんす」(語尾を「~でやんす」とするのが、がぶの口調の特徴である)と答える。めいは食べ物が「草」だと思っており、がぶは「山羊」のつもりで言ったのであるが、相手の正体がわからないため、誤解を誤解と気づけないまま話は進む。そして共に「風の歌」という歌が好きだということがわかり、意気投合。明日また会おうということになる。この小屋の前で、合言葉は「あらしのよるに」

暗闇の中で物事が進行する様子を見て、私は夏樹静子の傑作ミステリー小説『第三の女』を連想した。

翌日、小屋の前へとやって来ためい。台風一過で青空が広がっている。めいは相手へのプレゼントにするための四つ葉の幸福草(クローバー)を探しに行く。その直後にがぶが小屋の前にやって来る。相手への贈り物としてやはり四つ葉の幸福草を手にしている。しかし、「あらしのよるに」の合言葉で顔を合わせた二人は吃驚仰天。まさか相手が敵であるとは思いもしていなかったのだ。

がぶは山羊を食べるのが大好きなのであるが、めいとの昨日のやり取りを思い出し、「山羊は食べたことがない」と嘘を付いて、言葉を交わす。ちなみにめいはがぶの手土産である四つ葉の幸福草を食べてしまう(草食であるため)。その後、豊かな草場へとめいを案内したがぶは、めいを食べたいという気持ちを持ちつつもそれを抑えて、友達と接する。

なお、がぶの内面の声は謡(浄瑠璃:竹本蔵太夫、竹本司太夫)が担当するのだが、謡が「食べたい、食べたい」と繰り返すところで、獅童が「うるせーよ! いい加減にしろ!」と毒づき、謡は謡で獅童をおちょくるというシーンがある(今日は簾はなく、相手の姿がはっきりと見えるようになっている。ここは役者の入り口としても使われる)。歌舞伎というものを相対化してみせる面白いやり方である。

「発端」でも、狼や山羊が一階の客席通路が使って舞台に上がったが、がぶの中村獅童とめいの尾上松也も1階客席に降り、通路を使い、その後、おそらく通路ではなく客席と客席の間(南座は古い劇場なのでかなり狭い)を通って花道に戻る。私は今日も三階席に座っていたので、一階で何が起こっていたのかは正確にはわからないのだが、尾上松也が中村獅童に「迷惑なんじゃないですか」と言っていたため、客席と客席の間を通り抜けたと予想される。

ちなみに、中村獅童はたまにであるが、感情を切り替える場面などで、野田秀樹のような喋り方をする。おそらく意図的に野田の演技スタイルを参考にしているのだと思われる。

その後、話は暴君となった狼の新首領ぎろと、羊たちとの戦いへと発展していく。舞台奥の幕は細長い幕を縦に吊したものだが、これが狼たちが奥へと退場する時にくるりと回り、戸板返しの代わりになっている。その他にも、囃子方が上手と下手に分かれ、下手からは邦楽器だけではなく、シンバルなども盛大に鳴らされている。

山羊たちの集会の場面では散開の場面で、囃子方が「メリーさんの羊」を演奏し、「僕ら羊じゃなくて山羊なんですけど」と博学の山羊であるはくに突っ込まれる。

立場が違い、生まれ落ちた時点で天敵という「宿命」をどう乗り越えていくかという「人間」の物語でもある。中村獅童がバリバリにアドリブを入れるなど、コメディー的な要素が満載であり、重くなりすぎないよう、最後までファルスの精神は貫かれているが、テーマ自体は重いものである。

個々のあり方から国家間のスケールまで、我々は「わかり合えない」という業をほとんど生まれながらにして背負っている。もし異質でわかり合えないはずのもの同士が手に手を取って笑顔になれる日が来るとするのなら、そのために最も必要なのは……、存在というものを認めて一対一で対応していくしかないのかも知れない。一対組織、個対集団になってしまった場合、我々は永遠の誤解を繰り返すことになるであろうから。

演出としては、吹雪や雪崩に巨大な白幕を何枚も使うなど、迫力を出す事に成功していた。また役者がポールを伝って降りてくるという場面があり、古典歌舞伎にはまずないことなので、視覚的に面白かった。外連も多いが、歌舞伎とはそもそも外連を競うものであり、そこにはリアリズムを超えた「確固たるもの」が存在していた。

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2015年8月16日 (日)

観劇感想精選(160) 市川海老蔵特別舞踊公演「道行初音旅」&「身替座禅」

2015年4月24日 京都四條南座にて観劇

午後6時から、京都四条南座で、市川海老蔵 特別舞踊公演「道行初音旅(みちゆきはつねのたび)」&「身替座禅」を観る。四代目・市川九團次(変換したら「一渇く男児」と出た)の襲名披露を兼ねた公演である。四代目市川九團次は、坂東竹三郎の芸養子となり、四代目坂東薪車を襲名したが、その後に市川海老蔵門下となって市川道行を名乗り、このたび、市川九團次を名乗ることになった。市川海老蔵門下であるが、九團次は市川左團次系の名跡であるため、屋号は成田屋ではなく高島屋となる。

本当は観に行く予定はなかったのであるが、九團次が知り合いの知り合いであったため、観に行くことになった。今日は先程とは別の知り合いとも南座の1階売店前で幕間にたまたま出会う。南座で行われる海老蔵の公演なので、知り合いに出会ったとしても何の不思議もない。

今日も大向うに座る。考えてみれば歌舞伎で大向う以外に座ったことはないような気がする。歌舞伎がそれほど好きというわけではないからかも知れないが。

「道行初音旅」。『義経千本桜』の四段目、ラストの「四の切り」で知られる段であるが、その口に当たるのが「道行初音旅」である。「吉野山」の通称でも知られる。市川九團次は元・市川道行であり、本名も道行であるため、知り合いが「名前が道行やから、こんなん選ばれたんちゃうん?」と聞いたそうだが、九團次によるとたまたまだそうである。九團次の知らないところで、掛詞でこの演目が選ばれた可能性もあるが。

出演は、市川九團次(屋号:高島屋。狐忠信)と上村吉弥(かみむら・きちや。屋号:三吉屋。静御前)

初音の鼓を抱えて吉野山を行く静御前。同行していた佐藤忠信の姿が見えないので、鼓を鳴らす。鼓を鳴らすと忠信はどこからともなく現れるのである。実は現れた佐藤忠信は本物ではなく、初音の鼓の皮にされた狐の子供が化けて出たものだったのだ。

舞が中心の演目である。市川九團次は、初役ということもあり、舞はダイナミックだが手足の振りが大きすぎるという難点もある。狐歩きも例えば市川猿之助(先代及び当代)に比べると様になっていない様子である(家が違うと演じ方も異なるので単純に比較は出来ないのだが)。

20分の休憩の後で、四代目市川九團次襲名を兼ねた口上。出演は、市川海老蔵、市川九團次、片岡市蔵(屋号:松島屋)。海老蔵や市蔵はユーモアを交えて楽しそうに口上を述べるが、九團次はやはり緊張しているようである。ただ、襲名の口上なので、少し緊張しているくらいの方が良いかも知れない。

25分の休憩を挟んで、狂言「身替座禅」。原作は狂言「花子(はなご)」を歌舞伎の演目にしたもので、歌舞伎俳優も狂言師のように自分の身分を説明してから演技に入る。

市川海老蔵扮する山蔭右京が、「洛外に住まいいたす者でござる」と自分のことを語るが、「洛外」に住んでいると述べる役は狂言には少ないようで、ここから洛外・修学院離宮に隠棲している後水尾上皇が山蔭右京のモデルと推察され、そのため狂言「花子」は秘曲扱いになっているようである。

右京は東国へ下った際、美濃国で、花子(はなご)という女性と出会い、逢瀬を交わす。その後、洛外に戻った右京であるが、花子がやはり洛外の北白川(現在の京都市左京区北白川。修学院離宮からは歩いて30分ほどである)に移り住み、右京に文を送ってきたため、右京は会いに行きたいところなのだが、右京の山の神(奥さん)である玉の井(片岡市蔵)というのが夫を束縛するタイプで、花子にすんなり会いに行けそうにない。そこで、右京は「夢見が悪いので仏参に出掛けたい」と言い、「1年ほど」と申し出るのだが、そんなことを玉の井が許すはずもなく、結局、邸の持仏堂の中で一晩座禅をするだけにされてしまう。そこで、右京は太郎冠者(九團次)を呼び、持仏堂の中で衾(ふすま。大きめの頭巾)を被らせて、あたかも右京が座禅をしているように見せかけ、その間に邸を抜けて、北白川の花子の下へと向かう。だが、玉の井はお節介な奥さんであり、衾を被って座禅をしている人物に菓子や茶を勧める。座禅をしている人物が衾を取らないため、侍女の千枝(大谷廣松。屋号:明石屋)と小枝(中村京蔵)に衾をはぎ取るよう命じる。衾の下から現れたのはもちろん太郎冠者。太郎冠者は右京が花子に会いに出掛けたことを白状してしまう。「花子に会いに行きたいと正直に仰ったなら、一晩ぐらいなら許したものを」という玉の井であるが、仕返しをするため、今度は自分が衾をかぶり、帰ってきた右京に自分のことを太郎冠者だと思い込ませ、探ろうとする。

酔っ払って帰ってきた右京は、玉の井の目論見通り衾を被っているのが太郎冠者だと思い込み、花子とのあれやこれやを語り始める。遂には玉の井の悪口まで語り始めてしまうのだが、玉の井が衾の下から姿を現し……

海老蔵も市蔵も遊び心に溢れた演技で、観る者の笑いを誘う。ただ、他の歌舞伎俳優達による「身替座禅」より優れていたかというとそれは別の話である。

なお、鳴り物であるが、邦楽器の他に、グロッケンシュピール(鉄琴)の響きが混じっていた。海老蔵のアイデアなのかどうかはわからないが、新鮮に感じたことは確かである。

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2015年7月 7日 (火)

第22回京都五花街合同公演「都の賑い」

2015年6月28日 京都四条南座にて

午後2時30分から京都四條南座で第22回京都五花街合同公演「都の賑い」を観る。京都にある五つの花街(祇園甲部、祇園東、宮川町、先斗町、上七軒)の芸妓と舞妓が合同で行う公演。以前は京都会館で行われていたが、京都会館のリニューアルに伴い、3年前から南座で行われるようになっている。「都の賑い」は今後も南座を会場に行われる予定だが、来年1月に京都会館の後継劇場となるロームシアター京都の杮落とし公演として、京都の五花街に加えて東京の新橋、金沢の三茶屋街、博多の券番の三つの花街から芸者を招いて「八花絢爛」という公演が開催されることになっている。

まずはお膝元である祇園甲部の公演、常磐津「常磐の老松」。立方は、そ乃美、孝鶴。地方は、浄瑠璃が豆千代、芳豆、小桃。三味線が恵美二、小恵美、君鶴。

菅原道真伝説を題材にしたものであるが、菅原道真自身は出てこず、文殊菩薩の浄土が仄めかされ、連獅子を使った舞が行われる。祇園甲部の舞は京舞の代表格である井上流であり、オーソドックスな舞である。

続いて、こちらも南座のすぐそばの宮川町の公演。長唄「菊の泉」。立方は、ふく紘、富美苑、ふく愛、ふく恵、君綾。地方は、唄が、ふく葉、富美祐、ちづる、弥千穂。三味線が敏祐、千賀福、小扇。上調子が、ふく佳。

五花街の中で最も多くの舞妓・芸妓を抱えるという宮川町。京おどりは五花街の踊りの中で最も華やかなことで知られる。
愛らしい踊りが特徴。なお、今日は下手3階サイド席に座ったのだが、この席からは芸妓達が花道の上に出てきて行う舞を観ることは出来ない。

南座の向かい側にある祇園東。元々は祇園乙部と名付けられたのだが、祇園甲部より劣るという扱いが嫌であるため祇園東に改名している。実際は祇園の北にあるのだが、北だと敗北に繋がるので東を採用したのだろうか。五花街の中では一番苦戦している花街である。立方は、つね有、満彩美、雛菊、美晴。地方は唄が美弥子、つね和、まりこ。三味線は豊壽、つね桃、上調子は弘子。
演目は清元「六玉川(むたまがわ)」。日本国内に6つある玉川を読み込んだ清元である。六玉川のうち、山城・井出の玉川、紀伊・高野の玉川、近江・野路の玉川、攝津・玉川、そして多摩川の表記でも有名な武蔵・玉川の五つが出てくる。武蔵の玉川は『万葉集』の東歌に出てくる「多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき(かなしき)」という有名な歌が取り入れられ、武蔵・調布(東京都調布市)が歌詞にも出てくる。
着物の色は地味だが、囃子に鈴の音を取り入れるなど、音も踊りも美しい。

上七軒の長唄「座敷舞道成寺」。京都の花街のうち4つは鴨川のそばにあるご近所さんだが、上七軒だけが遠く離れた北野にある。
立方は尚子(なおこ)一人で、他の花街とはスタイルが違う。地方は唄が、尚ひろ、梅智賀、市桃、玉幸。三味線は尚鈴、勝也、尚そめ、里の助。男みたいな名前の人もいるが全員女性である。
舞うのが一人だけということもあり、他の花街とは違ったスター性に富んだ舞となる。
歌詞には、日本全国の花街が登場する。江戸の吉原、京の嶋原、伏見の墨染(現存せず)と撞木町(大石内蔵助が遊んだことで知られるが現存せず)、大坂の難波四筋(新町、堀江、南地、北新地。いずれも往時の面影なし)、奈良の木辻(今は廃れている)、長崎の円山(丸山。ここは今でも栄えている)などである。

ラストは先斗町。演目は常磐津「扇獅子」。五台山の文殊菩薩の浄土に向かう途中にあるとされる「石橋(しゃっきょう)」を踏まえた内容となっている。立方は、朋ゆき、光菜、もみ壽。地方は語りが久ろく、豆千佳、市穂、市真芽。三味線がミヨ作、かず美、もみ蝶、市菊。
ラストでは牡丹の花飾りが用いられる。視覚的効果も十分な華やかな舞である。また、この舞でも鈴の音が使われる。

花街の謡であるが、写真帳に歌詞が載っていたからよくわかったものの、節回しが独特な上に選ばれる言葉も古典調なので、慣れないとなかなかすんなりとは耳に入らない。歌詞もそれほど内容重視ではないので、意味が分からなくても舞自体を楽しむことは可能であるが。

舞であるがどの花街も舞がきちんと揃っているのは当然として、動きに無駄が全くない。流石は舞のプロ達である。

続いて「舞妓の賑い」として、五花街合同による舞妓の演舞がある。ステージの中央に宮川町、上手手前に祇園甲部、上手奥に先斗町、下手手前に上七軒、下手奥に祇園東の舞妓各4名ずつが陣取り、「京を慕いて」に合わせて踊る。ただ、五花街は踊りの流儀は全て異なり、宮川町が若柳流、祇園甲部が井上流、先斗町が尾上流、上七軒は花柳流、祇園東が藤間流である。そのため振付はバラバラであり、それぞれに個性がある。祇園甲部は写実的な舞があり、祇園東は「舞扇」という言葉が歌詞に出てきたときに実際に扇子を懐から取り出して舞う。「京を慕いて」は1番から4番まであるのだが、1つ番が終わる毎に舞妓達が時計回りにポジショニングを変更する。今回は上七軒だけがセンターポジションに来ることがなかった。
各番の終わりは「京の月」で終わるのだが、ここだけはどの花街も振付が一緒である。4番が終わるとステージ上にいる全員が同じ振付で舞い、ラストとなる。
なお、地方は今回は先斗町が担当した。

最後は「祇園小唄」に合わせて出演者の勢揃い。袖から順次出てきて、舞台中央奥で二人一組となり、一緒に前に出てきてポーズを決め、拍手を貰った。

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2007年6月24日 (日)

観劇感想精選(14) 「もとの黙阿弥 浅草七軒界隈」

2005年9月6日 京都・四条南座にて観劇

四条南座で、井上ひさし:作、木村光一:演出による、「もとの黙阿弥 浅草七軒界隈」を観る。天井桟敷(別名:大向こう)での鑑賞。
出演は、筒井道隆、田畑智子、高畑淳子、辻萬長、池端慎之介、柳家花緑、横山めぐみ、村田雄浩ほか。
井上ひさし版「間違いの喜劇」とも言うべき作品。

明治20年の浅草。閉鎖になっている劇場、大和座が舞台。よその劇場の演目(河竹黙阿弥の作品)のパクリばかりを上演し続けたため、警視庁により閉鎖されてしまった大和座の座頭・坂東飛鶴(高畑淳子)は、日舞、漢文、三味線、西洋舞踏などを教えて生計を立てている。
そこへ、河辺隆次男爵(筒井道隆)が、後日開催される鹿鳴館での舞踏会の席でお見合いすることになったので、西洋舞踏(つまりダンス)を教えて欲しいと言ってくる。ところが同じ日にお見合いの相手である、武器商・長崎屋の一人娘お琴(田畑智子)もダンスを習いたいと飛鶴のもとに。男爵とお見合いするので、彼の人となりをこっそり観察したいと、女中のお繁(横山めぐみ)と身分を入れ替えることを企んでいるというお琴。しかし河辺男爵も全く同じことを考えており、住み込みの書生である久松(柳家花緑)を男爵に仕立て、自分は入れ替わって久松を演じていた。
ダンスレッスンの当日、ニセの男爵、ニセのお嬢さん、ニセの書生、ニセの女中によるお見合いが始まってしまったことから、事態はこんがらがり始め…。

井上ひさし一流の大嘘だらけの喜劇。展開は読めるのだが、それでも笑える。途中、劇中劇を挟み、軽歌劇あり、歌舞伎と新劇の一騎打ちのシーンがあり、音楽あり、で実に賑やかで楽しいエンターテインメントに仕上がっている。新劇寄りの台本なので、説明過多の部分もあるのだが、別にいいじゃないか。もともとこの本は大衆向けに「役者を見せる」ために書かれた本なのだから(初演時のキャストは、河辺男爵:片岡孝夫(現・片岡仁左右衛門)、お琴:大竹しのぶ、お繁:水谷良重(現・水谷八重子)、等々豪華な顔ぶれであった)。
筒井道隆は例によって素朴さを生かし、世間知らずの男爵を等身大で描いてみせる。
田端智子は仕草や声が可憐。彼女は京都出身であり、客席から「智ちゃん!」と声が掛かる。
結末は不思議で哀しいものなのだが、悲劇という感じはせず、むしろ来るべき未来を生きることへの力強い意志が漲っている。

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2007年5月24日 (木)

観劇感想精選(11) 風間杜夫ひとり芝居三部作

2006年7月30日 京都・四条南座にて観劇

午後1時から四条南座で、「風間杜夫ひとり芝居三部作」を観る。水谷龍二が風間杜夫のために書き下ろした一人芝居、「カラオケマン」、「旅の空」、「一人」の連続上演。演出も水谷龍二が手がける。

三谷幸喜作のテレビドラマ「古畑任三郎」に間抜けな犯人役で出てからというもの、すっかりどこか抜けたイメージが定着してしまった風間杜夫だが、今日上演する一人芝居はいずれも、その「どこか抜けたイメージ」を生かしたものだ。
ちなみに余り知られていないが、水谷龍二は三谷幸喜の師である。

1997年にまず「旅の空」が書かれ、東京で初演。98年、99年に再演された。そして2000年に「カラオケマン」が書かれて、スペインのバルセロナで初演される。「カラオケマン」はこれまで中国の北京、杭州、上海、韓国のソウルでも上演されている。
2003年に「一人」が書かれ、「カラオケマン」、「旅の空」とセットで「風間杜夫ひとり芝居三部作」として上演されて、高い評価を受けた。

まずは「カラオケマン」。風間杜夫演じる牛山明は花道のせりからど派手な衣装を纏って登場。観客の喝采を浴びる。

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2006年11月 4日 (土)

観劇公演パンフレット(3) 「謎の変奏曲」

「謎の変奏曲」パンフレット イギリスの作曲家、エドワード・エルガーの管弦楽曲『エニグマ(謎の)変奏曲』からタイトルを取った、エリック=エマニュエル・シュミットの戯曲『謎の変奏曲』が2004年に翻訳上演された時の公演パンフレットを紹介します。京都・四条南座で購入したもの。

『謎の変奏曲』は、杉浦直樹と沢田研二による二人芝居。演出は宮田慶子。テキスト日本語訳は高橋啓。

エリック=エマニュエル・シュミットは、1960年、フランス第2の都市・リヨンに生まれた劇作家・小説家。
『謎の変奏曲』は1996年にパリで初演。アベル・ズノルコを演じたのは、アラン・ドロンであった。

「あらすじ」
ノルウェーの孤島。ノーベル賞作家であるアベル・ズノルコ(杉浦直樹)は、この孤島に家を構え、一人で暮らしている。ある日、ズノルコの家を一人の男が訪ねてくる。男の名はエリック・ラルセン(沢田研二)。新聞記者のラルセンはズノルコの最新作である『未完の愛』という小説について取材に来たのだという。交流書簡形式の小説である『未完の愛』には謎が多く、ラルセンの質問はその謎をつくものだった。
ズノルコはエルガーの『謎の変奏曲』のレコードをかけ、エルガーがこの曲について残した謎の言葉をラルセンに語る。「この曲には決して演奏されることのない隠された主題がある」と。そして、自らの小説『未完の愛』にも実は隠された主題があることを示唆するのだった…。

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