カテゴリー「文化・芸術」の81件の記事

2019年1月21日 (月)

観劇感想精選(284) 渡辺徹&水野美紀主演「ゲゲゲの女房」

2011年10月28日 大阪府貝塚市のコスモスシアター大ホールにて観劇

午後6時30分から、大阪府貝塚市にあるコスモスシアター大ホールで、舞台「ゲゲゲの女房」を観る。朝の連続テレビ小説久々の快作として話題になり、映画化もされた、武良布枝(むら・ぬのえ。水木しげる=武良茂の奥さんである)の自伝『ゲゲゲの女房』の舞台化である。


京都から貝塚までは実はかなり距離がある。貝塚市は大阪の中でも泉南という地域、現在の大阪府の南部に当たる旧和泉国の中でも南部にある。南北に長い都市だが、南端は和歌山県と接しているという場所である。すぐ北にあるのが、だんじり祭で有名な岸和田市だ。


さて、舞台「ゲゲゲの女房」は、武良布枝の原作を、東憲司(ひがし・けんじ)の脚本・演出・美術で舞台化したもの。出演:水野美紀、渡辺徹、梅垣義明、篠田光亮(しのだ・みつよし)、大和田獏ほか。今月は大和田獏のお嬢さんである大和田美帆の舞台(「キネマの天地」)も観ているので親娘の演技を同じ月に観ることになる。

東憲司は、「どこかで見たことのある名前だぞ」という認識しかなかったが、「ゲゲゲの女房」が始まってからすぐに、「ああ『夜は短し歩けよ乙女』の人だ」とわかる。舞台転換の技法がそのままだったからである。劇の内容がとても良かったので、幕間にパンフレットを購入して(余程良い劇でないと私はパンフレットは買わない)確認したところ果たしてそうであった。

舞台「ゲゲゲの女房」は笑いの要素もあるものの基本的にシリアスな内容である。劇としての完成度は極めて高いが、実は水木しげる夫妻を演じる渡辺徹と水野美紀を除く、大和田獏や梅垣義明という上手い役者は人生の敗北者を演じている。彼らは価値転換、現代文明の洗礼の犠牲者である。人生では一応成功者のように見える男を演じている篠田光亮も、ある理由で敗北者だということがわかる。水木しげる夫妻も劇の前半では苦難の道を歩んでおり、後半になっても社会の価値観に逆らって生きることの難しさが前面に出されている。人生の成功者は全て端役扱いである。

劇としても「素晴らしい」の一言であるが、それ以上に、現代の資本主義や新自由主義などへのアンチテーゼを示しており、更には価値観とは何かという問いかけで観るものを揺さぶり、そして芸術論、芸術家論として観ることも可能という奥行きのある芝居である。貝塚まで観に行った価値があったどころか大量のおつりまで貰えた気分だ。

水野美紀も渡辺徹も色々言われる人だが、今日の演技は実に細やかで丁寧な名人クラスのもので、掛け値なしの名優である。コスモスシアター大ホールは名前の通り、空間が大きいので耳の横にマイクを付け、PAを使っての演技であったが、負担は増すことにはなるが、PAなしでも全員セリフをホール一杯に響かせることが出来るのではないだろうか。こうした優れた俳優こそきちんと評価されるべきだと思う。この公演は渡辺徹の水木しげる(劇中の本名は村野しげる)と水野美紀の村野布子(武良布枝にあたる)だから成功したのである。

現代の社会は一握りの成功者と圧倒的多数の敗北者から成り立っている。だから「ゲゲゲの女房」のような社会の敗北者や犠牲者達に焦点をあてた舞台はもっと観られてしかるべきで、再演を希望したくなる。大阪公演も貝塚で一日だけということではなく、シアター・ドラマシティで一週間やってもいい。それぐらいの価値はある芝居である。

太宰治の書いた文章がこの劇にピッタリなので、最後に記しておく。「いまの世の中で、一ばん美しいのは犠牲者です」(『斜陽』より)

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2019年1月17日 (木)

2346月日(6) 龍谷ミュージアム 「仏教の思想と文化 ―インドから日本へ― 特集展示・仏教美術のいきものがかり」

2019年1月9日 龍谷ミュージアムにて

龍谷ミュージアムで今日から始まった「仏教の思想と文化 ―インドから日本へ― 特集展示・仏教美術のいきものがかり」を観る。
生き物を描いた仏画などを特集展示したものだが、それは3階展示スペースの半分ほどに留まり、ガンダーラ周辺の仏教美術が主となる。

2階展示室の、第1部「アジアの仏教」では、仏立像、仏坐像などの仏像、碑文やサンスクリット語の経典、仏画、中国仏教などの展示があり、3階展示室では第2部の「日本の仏教」と題した日本仏教関連の美術が並んでいる。面白いのは、室町時代や江戸時代に描かれた聖徳太子絵伝に出てくる人々の格好が平安時代風(国風)であることだ。まだ衣装の研究が進んでおらず、往時の装束がわかっていなかったのだと思われる。

龍谷ミュージアムは、浄土真宗本願寺派の龍谷大学の美術館。ということで、浄土宗や浄土真宗の展示が幅を占めている。中でもお家芸である浄土真宗の展示は充実していて、親鸞聖人の坐像(真如苑真澄寺像)や、蓮如筆による「南無阿弥陀仏」の六字名号が展示されていた。

午後3時から、映像スペースで、西本願寺の障壁画に関する約12分の映像が上映される。安土桃山時代に建てられた西本願寺。当初描かれた狩野派の障壁画を、江戸時代中期に円山派が修復した絵が映される。一方、修復されることなく、今ではほとんど判別が出来なくなってしまった「竹虎図」をコンピューター処理で解析し、往時の姿を復活させるプロジェクトも進んでいる。現在は「竹虎図」は修復中で、その姿はCGでしか見られないようだが、今後も作業は進んで、全てが復活する日も来るようである。

特集展示「仏教美術のいきものがかり」。桃山時代に描かれた涅槃図では多くの動物が釈迦の最期を看取っていることが確認出来る。



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2019年1月13日 (日)

観劇感想精選(283) 紺野美沙子の朗読座「新春公演2019 源氏物語の語りを愉しむ ―紫のゆかりの物語」@びわ湖ホール

2019年1月5日 びわ湖ホール中ホールにて観劇

午後2時30分から、びわ湖ホール中ホールで、紺野美沙子の朗読座の公演「新春公演2019 源氏物語の語りを愉しむ ―紫のゆかりの物語」を観る。出演は、紺野美沙子(朗読とおはなし)、陣野英則(解説。早稲田大学文学学術院教授)、中井智弥(二十五絃箏、箏)、相川瞳(パーカッション)。演出は篠田伸二。

『源氏物語』から、第一ヒロイン的存在である紫の上(紫式部という通称の由来とされている)を中心とした恋物語のテキスト(早稲田大学名誉教授である中野幸一による現代語訳である『正訳 源氏物語』を使用)を用いた朗読公演である。


まずオープニング「新春を寿ぐ」と題した演奏がある。中野智弥作曲・演奏による箏曲「プライムナンバー」という曲が演奏され、その後、主役である紺野美沙子が現れて、中野とトークを行う。紺野美沙子は『源氏物語』ゆかりの帯を締めて登場。その写真が後方のスクリーンに映される。昨日、西宮の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで公演を行ったのだが、「もっと近くで帯の柄を見たい」という声があったため、今日は写真をスクリーンに投影することにしたそうである。前側が「浮舟」、後ろ側がおそらく葵祭の車争いの場面の絵柄である。着物の柄も平安時代を意識したもので、貝合の貝を入れる貝桶の絵が鏤められている。紺野は、『源治物語』の現代語訳を多くの人が行っているという話をするが、瀬戸内寂聴の紹介は物真似で行っていた。
中野が、「プライムナンバー」という曲名の解説を行う。「プライムナンバー」は「素数」という意味で(紺野美沙子はにこやかに、「素数。ありましたね」と語る)、4分の2拍子、4分の3拍子などの2や3が素数であると語り、素数の拍子を用いたこと、また箏は13弦で13は素数であることなどを語る。

ちなみに、『源氏物語』の主人公である光源氏は箏の名手であり、演奏を聴いた女性達が涙を流して感動したという話を中野がすると、紺野は、「あら? じゃあ、中野さんは、平成の光源氏?」と冗談を言い、中野も「そうだと嬉しいんですが。ローラースケートを履いてる方(光GENJI)じゃなく」と冗談で返す。紺野は、「次の時代もご活躍を」と更に畳みかけていた。

それから、二十五絃箏の紹介。邦楽は通常はペンタトニック(五音階)であるが、二十五絃箏は西洋のドレミの十二音階を奏でることが出来るそうである。

その後、パーカッショニストの相川瞳も登場。今日は25種類の打楽器を使うそうで、日本生まれの打楽器として木魚と鳥笛を紹介していた。

紺野美沙子は、有閑マダム層が使うような言葉遣いであったが、意識していたのかどうかはわからない。


その後、第1部のトークセッションに移る。ゲストは早稲田大学文学学術院教授の陣野英則。今日使用するテキストの現代語訳を行った中野幸一の弟子だそうである。
陣野は、『源氏物語』を長編大河小説と位置づける(紺野美沙子 「橋田壽賀子もびっくり」)。1000年前にこれほど大部の恋愛フィクションが書かれた例は海外にも存在せず、しかも作者が女性というのが凄いという話になる。海外ではこの時代、歴史書や叙事詩、戦争物や回顧録、エッセイ、日記文学などは書かれていたが、大部のフィクションの名作が現れるのはずっと後になってからである。

『源氏物語』がわかりにくいのは、古文ということもあるが、人間関係が入り組んでいるということを上げる。登場人物は450名ほどに上り、主人公の光源氏があちらと関係を持ち、こちらとも契りを結びということをやっているため、男女関係が滅茶苦茶になっている。ただ、陣野によると光源氏が素晴らしいのは、関係を持った全ての女性の面倒を見ることだそうで、ドン・ファンなど他の好色家には見られないことだとする。
スクリーンに人物関係図や男女関係図を投影しての説明。わかりやすい。
紺野美沙子は、「私、慶應義塾大学文学部国文科卒ということで、色々わからないといけないんですが、資料が多いもので、大和和紀先生の漫画『あさきゆめみし』で読んだ」と伝えると、陣野は、「今の学生は、ほぼ全員、『あさきゆめみし』から入っています」と答えていた。


第2部が今日のメインとなる「朗読と演奏」になる。

二十五絃箏の中井智弥は、東京藝術大学音楽学部邦楽科卒。伝統的な箏や地歌三絃の演奏も行いつつ、二十五絃箏の演奏をメインに行っている。2016年には三重県文化奨励賞を受賞。

パーカッションの相川瞳も東京藝術大学音楽学部出身。2007年にブルガリアで開催されたプロヴディフ国際打楽器コンクールDuo部門で2位入賞(1位なし)。大友良英 with あまちゃんスペシャルビッグバンドのメンバーとして紅白歌合戦に出場したこともあり、2019年の大河ドラマ「いだてん」オープニングテーマの演奏にも加わっている。

「いづれのおんときか女御更衣あまたさぶらいける中に、いとやんごとなききわにはあらねど、すぐれてときめきたもふありけり」の出だしからスタート。
光源氏と紫の上の出会い(といっていいのかな?)である「若紫」、光源氏と紫の上との初枕が出てくる「葵」、光源氏が須磨へと下り、紫の上と離ればなれになる「須磨」、源氏と結ばれた明石の君と、明石の姫君が大堰へと上る「松風」、光源氏と帝の娘である女三の宮が結婚することになるという「若菜上」、紫の上がみまかる「御法」と光源氏の死が暗示される「幻」の各帖から選ばれた文章が読まれ、和歌とその現代語訳が読み上げられる。映像も多用され、想像力の補完を行う。

紺野美沙子の朗読に凄みはないが、的確な読み上げは流石は一流女優の技である。テキストの背後にある心理をもさりげなく炙り出してみせる。

紫の上という女性の「女であることの哀感」と、光源氏の紫の上への愛と、愛するが故の切なさがありありと伝わってくる朗読であり、聞いていて一途に悲しくなったりもする。これが大和心の真髄の一つである「もののあはれ」だ。
哀しみと同時に、日本という国で生まれ育ったことの喜びが胸を打つ公演でもあった。


バラ色に彩られた雲が覆う琵琶湖の湖畔を歩いて帰途に就く。


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2019年1月 6日 (日)

観劇感想精選(282) シアターコクーン・オンレパートリー2018 「民衆の敵」

2018年12月30日 森ノ宮ピロティホールにて観劇

12時30分から、森ノ宮ピロティホールで「民衆の敵」を観る。ヘンリック・イプセンの代表作の一つの上演。テキスト翻訳:広田敦郎(シャーロット・バースランドの英語逐語訳による)。演出:ジョナサン・マンビィ。出演:堤真一、安蘭けい、谷原章介、大西礼芳(おおにし・あやか)、赤楚衛二(あかそ・えいじ)、外山誠二、大鷹明良(おおたか・あきら)、木場勝己、段田安則ほか。

ノルウェー南部の港町が舞台。市長のペテル・ストックマン(段田安則)と弟で医師兼科学者のトマス・ストックマン(堤真一)の兄弟は、街を温泉保養地として栄えさせることに成功しつつある。トマスが提案し、ペテルが計画を推進しているものだ。ペテルは上流階級の人々を湯治客として招くべく、更なる宣伝を進めようとしている。
しかし、弟のトマスは、温泉が汚染されていることを突き止める。湯治客の間で、感染症が流行ったのだが、その原因が、工場からの廃液が原因である水質汚濁であることがわかったのだ。
トマスは、源泉から湯治場までの配管を変えるよう提案するのだが、ペテルはそのために要する莫大な費用と風説を恐れ、工事そのものに反対する。

トマスは、真実を伝えるべく、新聞社の「民衆の声」編集長であるホヴスタ(谷原章介)に話を持ち込む。貧しい農家の出であるホヴスタは、トマスが持ち込んだ報告書を新聞に掲載し、自らを蔑む上流階級に一泡吹かせてやろうと乗り気だったのだが、配管変更工事のための費用に税金が使われると知ると、勝ち目はないと見て身を翻す。一見、正義の徒と思えるホヴスタだが、実は民衆に取り入るための工作に熱心であることにトマスの娘であるペトラ(大西礼芳)は気づく。

自分には「絶対的な多数派」が味方になるはずだと考えていたトマスだが、形勢不利だと気づく。トマスは民衆相手に真実を訴えるための集会を開くのだが……。


多数派の危うさに切り込む作品である。
温泉の水質汚濁は深刻な問題のはずなのだが、それよりも街の経済状態や評判が優先される。人々は保身第一で動き、生活を優先させ、利他的な行動に出ようとはしない。「家庭の幸福は諸悪の本」という太宰治の言葉が浮かぶ。

民衆は流されやすいが、理性がないのではない。理性があるからこそ打算的になるのだ。集会の場で、酔っ払って判断力をなくした男一人が他人とは異なる行動に出る場面が必要以上に丁寧に描かれるのは、それを暗示しているのだと思われる。

今回の上演は、1960年代に舞台を移して行われる。1960年代は日本においては公害が問題視された時代である。
水俣病を例に取る。水俣病は、チッソ水俣工場が排水を水俣湾に流していたことが原因で起こった人災である。しかし、原因がチッソが流した排水にあるとわかっても、工場責任者は公表を禁じている。更に大学によって原因が発表されてからもチッソは反論、別の説を出し、結論が出るのが遅れてしまう(水俣病が確認されたのは1956年、公害認定は1968年)。会社は勿論、チッソの恩恵を受けた地域住民も保身に走っており、また社会自体も企業利益を優先させる風潮があり、「民衆の敵」そのままの状態が生まれてしまっている。「民衆の敵」自体もノルウェーで実際の起こったコレラ発生事件が元になっているといわれている。
また、公害とは認識されていないものの、福島での原発事故にも演出のジョナサン・マンビィはパンフレットで触れており、見えないフリをして突き進みたい現代の日本の群集心理も投影されていることがうかがえる。そもそも今の時代の日本で「民衆の敵」を上演するのなら、それを避けることは出来ない。


終演後、拍手は鳴り止まず、上演終了のアナウンスが流れても拍手は続き、総立ちの観客が出演者を称えた。



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2018年12月30日 (日)

コンサートの記(486) 「Chidoriya Rocks 69th」

2018年12月26日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後6時から、ロームシアター京都メインホールで、「Chidoriya Rocks 69th」を聴く。
芸舞妓ご愛用の化粧品、和小物、美容雑貨などを扱う、京都ちどりやの創立69年目を祝うライブ。伝統芸能を体現している芸舞妓とミュージシャンのコラボレーションが行われており、2009年からの不定期開催で、今回で4度目の公演となる。

出演は、屋敷豪太、奥田民生、Mannish Boys(斉藤和義×中村達也)、KenKen、佐藤タイジ、小原礼、佐橋佳幸、西慎嗣、斎藤有太、山本拓夫、宮川町舞妓・芸妓。


4部構成からなっており、1部が宮川町の芸舞妓の舞披露、第2部が屋敷豪太のニューアルバム全曲演奏会、第3部がMannish Boysのライブ、第4部が奥田民生のライブである。


開演前に、今年の災害で亡くなった方のための黙祷が捧げられる。


宮川町の舞妓と芸妓の舞からスタート。粋で儚げな「宮川音頭」に始まり、春夏秋冬それぞれの舞を披露する。


屋敷豪太のニューアルバム全曲演奏。アルバムタイトルは、「Made in Kyoto」で、黒谷和紙による生産限定版も出る予定であり、現在、予約を受け付けていて、先行で会場でも手に入る。
英語を中心とした歌詞であり、ボーカルは数人が担当。背後のスクリーンに映像も投影される。なかなか良い音楽である。


15分の休憩を挟んで第3部、Mannish Boysのライブ。斉藤和義は、ロームシアター京都メインホールでのコンサートを行ったことがあり、中村達也もサウスホールで行われた田中泯のダンス公演にドラマーとして参加していた。

斉藤和義のファンはやはり多いようで、それまでとは客席の空気が異なる。

新曲の披露があり、「ヒッチハイク」という曲が歌われた。


第4部の前に、京都ちどりや代表取締役で、屋敷豪太夫人である屋敷朋美が舞妓を引き連れて登場し、挨拶を行う。更に屋敷豪太の出身地で、台風災害などに遭った綾部市の農家向けの募金も呼び掛けていた。


第4部、奥田民生ライブ。
サングラスを掛けた奥田民生は、「あー、どうも奥田民生です」と挨拶する。それから「待ち時間が、」と言って、トリだけに待ち時間が長く、楽屋で時間を潰すのに苦労した「地獄のような」待ち時間だったことを述べる。

「マシマロ」でスタート。その後、「奥田民生の歌をうたいます。結構有名な曲だと思います。比較的」と言って、「イージューライダー」が歌われる。生で聴くと疾走感が出て格好良い。

屋敷豪太の新曲も披露される。舞妓のことを歌ったもので、舞妓達も特別にステージ上に現れて手拍子を行う。舞妓達の登場はサプライズで、屋敷以外のメンバーは本番まで知らなかったそうだ。

屋敷豪太が、中学生の頃に福知山までキャンディーズのコンサートを聴きに行き、紙テープを投げたら、当時、キャンディーズのバックでギターを弾いていた西慎嗣の頭に当たったという話から、西が所属していたスペクトラムというバンドでギターを回していたという話になり、奥田民生が、「YouTubeに載っているよ。今日、帰ったら(お客さん)全員、YouTube見るよ」と言う。

更に、屋敷豪太からのリクエストで、レッド・ツェッペリンの「ロックンロール」が歌われる。高音が連続するため、歌うのに体力がいりそうであるが、奥田民生は「lonely」が連続する歌詞をソウルを込めて歌い切る。


アンコール。奥田民生と斉藤和義のツートップ布陣というかなり豪華なものだが、まず宮川町の芸舞妓による「祇園小唄」の演奏と舞があり、左右に分かれて踊る芸舞妓をミュージシャン達が近くに突っ立ってボーッと見ているというシュールな光景に笑いが起こる。
2番からは、ミュージシャン達の演奏と歌による舞が行われる。最後は上手側の芸舞妓3人だけの踊りとなり、可憐さと幻想的な美しさに溢れる。

屋敷豪太の提案で、ステージ上でのお座敷遊び「とらとら」が行われる。衝立が運ばれ、まず、一番興味を示したというKenKenと芸妓さんの「とらとら」。芸妓さんが「とらとら」のルールを説明する。要はジャンケンなのだが、体を使ったジャンケンで、グーチョキパーではなく、「虎」「槍」「老婆」の三すくみとなる。「虎」と「槍」では「槍」が勝ち、「虎」と「老婆」では「虎」が勝つが、「槍」を持った若者は実は「老婆」の息子ということで、「槍」と「老婆」では「老婆」の勝利となる。

KenKenと芸妓さんとでは、KenKenが「老婆」で引き分けの後、「槍」で勝つが、勝った方が罰ゲームということで、奥田民生が持ってきていた朝鮮人参酒の一気飲みをする。コールは芸妓さんが行う。

更に、斉藤和義が芸妓さんと行って「老婆」で負け、負けの罰ゲームで一気飲み。斉藤は「まずい」と言い、奥田に「健康には良いから」「馬鹿! これ高いんだぞ!」と言われる。

その後、奥田も「とらとら」を行って「老婆」で、勝って罰ゲーム。自分が持ってきた朝鮮人参酒だが、「自分で飲むのと飲まされるのとでは違う」と語っていた。


奥田民生と斉藤和義のツインボーカルによる、「さすらい」と「ずっと好きだった」というヒット曲が立て続けに歌われ、客席もステージ上も大いに盛り上がる。


最後は、出演者全員が客席をバックに集合写真を撮ってお開きとなった。

なお、「Chidoriya Rocks」は、今年から毎年開催される予定だそうである。



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2018年12月27日 (木)

コンサートの記(480) 第54回 全同志社メサイア演奏会 山下一史指揮同志社交響楽団ほか

2018年12月24日 京都コンサートホールにて

午後6時から、京都コンサートホールで、第54回全同志社メサイア演奏会を聴く。

ホワイエでは、同志社グリークラブと同志社交響楽団弦楽メンバーによるオープニングコンサートがあった。


ヨーロッパなどでは、クリスマスに演奏されることが慣例となっている、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(ジョージ・フレデリック・ハンデル)の「メサイア」。神の予言とキリストの降誕、キリストの受難と人々の贖罪、キリストの復活と永遠の生命を描いた宗教曲であり、第45曲の「ハレルヤ」コーラスが特に有名な作品である。台本作成は、チャールズ・ジェネキンズ。ヘンデルのイギリス移住後の作品で、英語のテキストが用いられており、初演は1742年にアイルランドのダブリンで慈善演奏会として行われている。
私は、この曲のCDをチャールズ・マッケラス指揮イギリス室内管弦楽団ほかによるEMI盤1枚しか持っていない。全曲を生で聴くのは今回が初めてとなる。

同志社交響楽団は、同志社大学と同志社女子大学の学生を主体としたオーケストラだが、 他大学からの参加、いわゆるインカレも多く、京都大学、京都女子大学、京都学園大学、京都外国語大学、立命館大学、関西学院大学、京都工芸繊維大学の学生もメンバーとして加わっている。コンサートミストレスは同志社女子大学のTさんである。同志社女子大学は音楽専攻があるため、技術的には他大学の学生よりも上なのかも知れない。

同志社グリークラブは、同志社大学の男声合唱団。インカレはいないようで、規定があるのかも知れない。
メサイアシンガーズは、年末の「メサイア」上演のために結成された女性合唱団で、こちらは所属を問わないようである。指導には、同志社女子大学声楽科出身の歌手や音楽トレーナーが中心となって当たっているようだ。


指揮は、千葉交響楽団の音楽監督でもある山下一史。関西で山下指揮の演奏を聴くのはこれがおそらく3度目となるはずである。山下は、関西では、大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団の音楽監督として2002年から2008年まで活躍していた。
桐朋学園大学卒業後にベルリン芸術大学に留学。1986年にニコライ・マルコ国際指揮者コンクールで優勝。晩年のカラヤンのアシスタントとして活動しており、急遽、ジーンズのままベルリン・フィルの本番の指揮台に上がったこともある。現在は東京藝術大学指揮科招聘教授も務めている。
全曲、ノンタクトでの指揮である。

ソプラノ独唱は松下悦子(同志社音楽大学声楽専攻卒)、アルト独奏は渡辺敦子(同志社女子大学音楽科卒)、テノール独唱は小貫岩夫(同志社大学OB。卒業後に大阪音楽大学に進んで首席卒業)、バス独唱は井原秀人(同志社女子大学教授)。

チェンバロは井幡万友美(同志社女子大学チェンバロ専攻卒)、パイプオルガンは大代恵(同志社女子中学校、高校を経てエリザベト音楽大学オルガン専攻卒)。

オーケストラトレーナーは元京都市交響楽団団員の後藤良平。後藤は第1部では第2ヴァイオリンの、第2部と第3部では第1ヴァイオリンのいずれも最後列で演奏に加わる。
合唱トレーナーは伊東恵司。


同志社総長・理事長の八田英二(はった・えいじ)による開会の辞の後で、まず、オーケストラと合唱のみによる「同志社カレッジ・ソング」が演奏され、その後、指揮の山下と独唱4人が登場して、「メサイア」の上演となる。

同志社交響楽団は、学生団体ということもあってややパワー不足だが、曲に相応しい典雅で精緻な演奏を聴かせる。学生オーケストラとしてはかなり上質の団体である。

同志社グリークラブとメサイアシンガーズの歌唱は見事。声のコントロールの行き届いた充実した出来映えであった。京都コンサートホールは残響が長いということもあり、宗教曲の上演にはかなり向いている。毎年8月に京都市交響楽団が宗教曲の演奏を行うことが恒例化した理由の一つでもあるだろう。

山下の強弱を丁寧につけた指揮も素晴らしく、全同志社の恒例行事に相応しい優れた「メサイア」演奏となる。

「ハレルヤ」コーラスは、初演時に王がこの曲の演奏終了後にスタンディングオベーションを行ったという史実にちなみ、聴衆も立ち上がって合唱に参加するのが全同志社メサイアの慣例となっている。ヴォーカルスコアはパンフレットに挟んである。毎年、「ハレルヤ」コーラスに加わるのを楽しみにやって来ていると思われるお年寄りの姿も見られた。

コンサートパンフレットは上質の紙を使った豪華なもの。同志社がこの演奏会に力を入れていることがうかがえる。


「メサイア」演奏終了後に、「きよしこの夜」のキャンドルサービスがある。毎年、恒例のようである。全ての照明が落ち、合唱団とオーケストラ団員全員が電子キャンドルを灯して、「きよしこの夜」を歌い始める。指揮者と独唱者4人もそれに加わり、その後、一人ずつステージを去って行く。ハイドンの「告別」交響曲的趣向である。

最後は、弦楽カルテットが残り、「アーメン」音型が演奏されて終了となった。



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2018年12月26日 (水)

観劇感想精選(279) 野村萬斎主演&演出 「国盗人(くにぬすびと)」2009@兵庫県立芸術文化センター

2009年12月16日 兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後7時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「国盗人(くにぬすびと)」を観る。シェイクスピアの「リチャード三世」を河合祥一郎が日本を舞台に翻案した、現代狂言ともいえる舞台。主演&演出:野村萬斎。出演は他に、白石加代子、山野史人、泉陽二、小田豊、大森博史、石田幸雄、若松力、中村美貴、じゅんじゅん等。

「国盗人」は2年前にやはり兵庫県立芸術文化センター中ホールで行われた初演版を観ている。その時は、今井朋彦が重要な役割を演じていたが、今回は今井が出演しないということもあって、テキストも大幅に書き換えての再演となった。
ヨーク家とランカスター家の戦いである薔薇戦争を背景にした「リチャード三世」を、白薔薇一族と赤薔薇一族との戦に置き換え、登場する主要な4人の女性を白石加代子が一人四役で演じ分ける。


白薔薇一族と赤薔薇一族との戦いが白薔薇一族の勝利に終わり、殺害された白薔薇一族の長の長男である一郎(山野史人)が王座に着く。しかし、三男の悪三郎(野村萬斎)は自身が王の座に就くことを密かに狙っていた。次兄の善二郎が入牢した機を狙って善二郎を暗殺し、長兄の一郎も心労によって崩御すると、次の王になるはずだった一郎の王子を退けて、悪三郎が戴冠する。更に悪三郎は自らの地位を盤石のものとするために一郎の王子を自ら殺害するなど悪事を重ねていく……。


初演の際にはあった笑いの部分が少し削られて、スッキリとした台本になっている。本がより整ったといえばいえるし、笑いが少なくなって物足りなくなったともいえる。
初演の時のインパクトが、こちら側の慣れにより薄まってしまったのも確かだ。
それでも現代狂言として「リチャード三世」を再現する試みとしては大変優れたものであることに違いはない。


主演の野村萬斎の演技は、劇の始まりこそ狂言の言い回し的なセリフが大仰に思われたが、劇が進むにつれてそれも気にならなくなり、生来の気品と、子供の頃から鍛え上げられた表現力で、魅力的な悪役である悪三郎を見事に演じきる。

萬斎による演出もスピード感があり、能の囃子方を使った音楽も効果的で、見応え十分であった。

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2018年11月24日 (土)

2346月日(5) レクチャー「ポーランド演劇の歴史と現在~独立回復から100年」

2018年11月12日 ロームシアター京都パークプラザ会議室2にて

午後7時から、ロームシアター京都のパークプラザ会議室2で行われるレクチャー「ポーランド演劇の歴史と現在~独立回復から100年」に参加する。

芸術大国として知られるポーランド。音楽ではショパンを始め、現代音楽の両巨頭であるクシシュトフ・ペンデレツキとヴィトルト・ルトスワフスキ、「悲歌のシンフォニー」で知られるヘンリク=ミコワイ・グレツキ、指揮者のスタニスラフ・スクロヴァチェフスキにピアニストのアルトゥール・ルービンシュタイン、クリスティアン・ツィメルマン、ピアニストから首相にまでなったイグナツィ・パデレフスキという異色の人までいる。映画ではアンジェイ・ワイダ(「和井田」と変換されたがどなたですか?)、ロマン・ポランスキー、クシシュトフ・キィシェロフスキ、画家にモイズ・キスリング、ズジスワフ・ベクシンスキーなど、大物が多数輩出している。
団体としても、ポーランド国立ワルシャワ室内歌劇やワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団などがたびたび来日公演を行っており、なじみ深い国の一つである。

旧東側の国であり、往事は国内情勢などはなかなか伝わってこなかったが、近年では交流が活発になりつつある。

昨日、2018年11月11日がポーランド独立100年に当たるということで、ポーランド関連のイベントが国内でもいくつか行われている。


登壇者は、クラクフのヤギェウォ大学舞台芸術学部教授のダリウス・コシニスキと、俳優で演出家でプロデューサー業もこなすフィリップ・フロントチャクの二人。通訳はパヴェウ・パフチャレクが務める。パフチャレクは舞台関係にそれほど通じているわけではないようで、訳された日本語をこちらで脳内解析する必要がある。ちなみにエスペラントの生みの親であるザメンホフはポーランド出身の眼科医であるが、英語の文法が簡単なことに驚いて(日本人にしてみれば英語の文法も十分難しいが)エスペラントを作り始めたというから、ポーランド語というのはかなり複雑な言語のようである。


本当は作品作りの哲学のようなものを知りたかったのだが、今回はポーランド演劇史の概要と、補助金と劇場の現状が中心に語られる。


ダリウス・コシニスキの話。コシニスキの所属するヤギェウォ大学があるクラクフはポーランドの古都であり、「ポーランドの京都」によく例えられる街である。

独立前の分断統治時代はポーランド語による演劇の上演さえほぼ不可能だったというが、独立後はロマン主義の演劇と近代演劇のミックスされたものが主に上演されていたという。Leon Schiller演出によるシェイクスピアの「冬物語」の写真がプロジェクターを使って映し出されるが、キュビズムの影響を受けたセットに古典的様式を確保した上での上演だったそうである。「冬物語」にキュビズムは合わないような気がするのだが、そういう時代もあったということである。

モニュメンタル劇場が開設されてからは、ロマン主義を脱した新時代の演劇が指向されるようになり、その後、前衛劇の台頭があって、1933年にはワルシャワのzeromskeシアターが前衛の拠点となる。戦中はロマン主義よりもアバンギャルドが優位となったそうで、日本でも知られているタデウシュ・カントルなどが生まれる下地となった。ポーランドの前衛演劇を代表する人物にもう一人、ユージー・グロトフスキがいる。
カントルは、貧乏劇場を創設し、「世界と人間の関係の追求」を行っている。

その次の世代を代表するのがクリスティアン・ルーパ。ルーパはカントルの影響を強く受けているが、グロトフスキとは不仲で手厳しく批判したりもしているそうだ。ニーチェの「ツァラトゥストラ」を舞台化したり、マリリン・モンローを題材にした作品と作るなど、後進への影響力大だったようだ。
その下が今の若者達の世代になるのだが、彼らはポップカルチャーや映画のモンタージュ理論を取り込んだ新しい作品に取り組んでいるという。

ポーランドではシェイクスピア作品の上演も盛んなようで、ワリコフスキ演出の「ハムレット」の上演写真などが紹介される。一方で、サラ・ケインなども高く評価されているようで、幅が広い。

最も新しい演劇では政治問題も盛んに盛り込まれており、ヤン・クラタ、マヤ・クレチェフスカなどが代表格だという。クレチェフスカは恐怖を題材にした演劇を得意としているそうだ。
その他では、カバチェフスキの「ハムレット」の換骨奪胎作品が高く評価されたという。シェイクスピアの原典ではなく、「ハムレット」について書かれたテキストを編み込んでの上演だったという。

また、音楽を積極的に取り入れているのも特徴で、クラシックのみならずロックやポップス、コンテンポラリーダンスの要素なども取り入れている。

Michal Starkiewiczの「Come True」はステージ上が無人で、声のみを頼りとする演劇であり、評判になったそうだ。


休憩を挟んで、フィリップ・フロントチャクの話。ポーランドの劇場史が中心である。

1982年に、ポーランド政府によって「全ての劇場は国立とする」という決定がなされ、演目も政府が決定し、インディペンデント系の上演が極めて困難になったという。劇場はプロパガンダの場所となり、そのため経済的には潤沢で、大量採用を行っていたそうだ。その分、自由にものは言えず、比喩的手法に留まっていたという。俳優や劇場関係者のステイタスは高く、自由がない代わりに生活は豊かだったそうだ。
1989年に民主化がなされ、劇場にも変化が訪れる。政治利用の場所でなくなった劇場は表現の自由を得たが、政府の後ろ盾がなくなったため、観客動員は下降線となる。

1989年には、ポーランドにある劇場は全て国立だったが、その後数年で、州立、県立、市立、地方立のものが圧倒的となり、国立劇場は全体の3%にまで減った。文化への寄付も減る。共産時代は文化大臣による一括助成というシステムだったが、助成のシステムが多様化した。

ポーランドは旧東側であるため、芸術家になるのも認定制度であり、1989年以前は、国立の演劇映画学校が4つ(ウッチ映画大学など)、美術学校(ウッチ美術アカデミーなど)と音楽院(ショパン音楽院など)が共に9つ、高等バレエ学校が5つという体制であった。昔は大量採用を行っていたため、卒業後は多くの学生が芸術関係の職に就くことが出来たが、今はそうではないという。定員や卒業生の数はさほど変わっていないので、オフシアターに流れたり、新たに創設したりする人もいるようだ。

助成金に関してはEUから最も多く貰っており、その他にノルウェー、アイスランド、リヒテンシュタイン、オーストリア、ハンガリーからの助成、LOTOによる資金などもあるという。
政府からのものとしては、文化省大臣からのもの、文化省プログラムに基づく劇場からのもの、国立文化センターからのものなどがあり、地方からの助成金、各州の名誉基金、国際基金、私的基金、クラウドファンディングなども利用されているという。ちなみにフロントチャクは、アダム・ミツキェビッチ大学芸術学部の基金を利用して来日したという。
芸術の高等教育を受けた若者達の多くが基金を受けて仕事を探すそうである。

その後、芸術関連の様々なプログラムの写真が投影される。ポーランド独立100周年プログラムも勿論あり、子ども向け、若者向け、実験演劇など様々な試みがある。

その他に、女優のクリスティーナ・ヤンダが所有する劇場では、前衛演劇が盛んに行われており、政府の援助が受けられたなかった人々も非正規の団体を組織して地方を中心に活動しているようである。

また、マルタ・フェスティバルという演劇祭があり、「街のアカデミー」という名のワークショップやコンサート、パペット人形劇の上演などが行われているそうだ。

現在、ポーランドには支援を受けて運営されている劇場が309あり、674のNGOシアターがある。私立が117劇場と最も多く、次いで多いのが市立の70劇場。国立は現在は3劇場しかない。

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2018年11月18日 (日)

観劇感想精選(266) 第15回明治大学シェイクスピアプロジェクト(MSP)「ヴェニスの商人」

2018年11月9日 東京・神田駿河台の明治大学駿河台キャンパス・アカデミーコモン3階アカデミーホールにて観劇

午後5時30分から、明治大学アカデミーコモン3階にあるアカデミーホールで、第15回明治大学シェイクスピアプロジェクト「ヴェニスの商人」を観る。一休さんのとんち的な解決が有名な作品。

アカデミーコモンは、私の在学中にはなかった建物である。明治大学の旧5号館(ゼミ棟)、6号館(文学部が主に使用)、7号館(政治経済学部が主に使用)、大学院棟の跡地に建てられている。地下にある明治大学博物館や阿久悠記念館には入ったことがあるが、上階に入るのは今日が初めてとなる。
私が卒業してからの明治大学に関してはそれほど多くを知っているわけではないのだが、講義は主にリバティタワーで行っており、アカデミーコモンは生涯学習の拠点になっているらしい。

明治大学は、文学部文学科に演劇学専攻があるが、ここはあくまでも学問としての演劇を研究する専攻であり、実践は演劇サークルに任せられていた。ただ、ライバルである早稲田大学の演劇専修が実技方面にも力を入れ出していたということもあり、アカデミーコモン竣工と同時に遅ればせながら追随を始めた結果始まったのが明治大学シェイクスピアプロジェクト(MSP)である。
毎年1回、明治大学の学生のみの出演、演出、制作でシェイクスピア作品を上演するというもので、今回も原書テキストの日本語訳から学生が手掛けている。

監修に明治大学文学部兼任講師の青木豪、コーディネーターに文学部准教授の井上優、各部門の指導にはプロがスタッフが入るが、実際の上演に携わるのは学生のみである。

演出は文学部4年の山﨑心(女性)さん。プロデューサーは文学部2年の関口果穂さん。
テキスト日本語訳を手掛けているのはコラプターズという学生翻訳チーム。19名からなる団体で、既卒生や大学院生のメンバーも含まれる。今年度は、やはり文学部生が11名と圧倒的に多いが、国際日本学部(現在は中野キャンパス)、理工学部や農学部(いずれも生田キャンパス)、法学部の学生も名を連ねている。「ヴェニスの商人」では法律用語も重要になるので、法学部生の協力も必要になるだろう。
下訳チームと検討会チームに分かれて作業を行ったそうで、下訳に約半年掛け、その後、本公演のテキストを仕上げたそうである。シェイクスピアのセリフには掛詞が多いのだが、英語の掛詞を日本語に直訳しても単語が違うために掛詞にならない。ということで、かなり苦労したであろうことが察せられる。

バンドメンバーも全員明大生。楽器を演奏するということで、ここは所属学部がばらけている。オーケストラで使われる楽器を担当しているのは明治大学交響楽団のメンバーなのかも知れないが、パンフレットには書かれていないためよくわからない。

出演者は文学部在学生が最大派閥。そのほかの分野でも文学部在学生はやはり目立つ。所属専攻に関しては書かれていないためわからない。


舞台中央に一際高い台が設けられており、真ん中から階段が降りている。下手の高い場所はバンドスペース、上手の台はバルコニーに擬されている。セットは比較的シンプルだ。エリザベス朝演劇を意識しているのだと思われる。

舞台通路なども使った演出である。

まずは、バンドがエリザベス朝風の音楽を奏でる中、出演者全員のダンスでスタート。

アカデミーホールであるが、多目的の講堂であるため、声が通りにくかったり響きすぎて発声が不明瞭になったりするが、次第にこちらの耳も慣れてくる。
内観はロームシアター京都サウスホールの客席をやや多くしたようなものである。天井が高いため、出演者が声を飛ばすのは難しそうに感じた。

出演者であるが、俳優志望ではない学生達であるということを考えれば十分レベルは高い。配役に関してであるが、「見る目があるな」という印象を受ける。役が各々の演技にちゃんと合っている。
演技に関しては仕草が説明的すぎるところがあったり、漫画のキャラクター的動きになってしまっていることがあるが、無料公演でこれだけの仕上がりのものが出来上がるのだから大したものだ。明治大学というのはやはり凄い大学だと思う。客席には制服を着た高校生も多くいたが(女子ばかりだよね、やっぱり。高校時代は女子の方が優秀だから)、この人達にも是非明治大学に入ってMSPに参加して貰いたいと思う。

喜劇なので、ラストも大団円で本来は終わるのだが、今回の演出ではラストに悪夢のシーンが設けられている。
ユダヤ人の高利貸しシャイロックが悪役として有名な「ヴェニスの商人」であるが、シェイロックの憎悪を生んだのは他ならぬアントーニオの行いと、ヴェニスの人々による苛烈なユダヤ人差別であり、これを告発する意味があったと思われる。正直、やり過ぎだとは思うが、若いんだからこれぐらい暴れてくれるのは頼もしいとも思える。


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2018年11月17日 (土)

美術回廊(19) 「ムンク展 ―共鳴する魂の叫び」@東京都美術館

2018年11月10日 東京・上野の東京都美術館にて

JR総武線と山手線を乗り継いで、上野へ。

東京都美術館で行われている「ムンク展 ―共鳴する魂の叫び」を観る。

「叫び」で知られるノルウェーの画家、エドヴァルド・ムンク。日本でも特に人気の高い画家の一人である。

ということで、多くの人が押しかけたため、ゆっくりと観る時間は残念ながらない。観ようと思えば観られないこともないのだが、今日は午後5時前に大津のびわ湖ホールに着いていなければならない。ということで、気に入った作品を重点的に観ていくことにする。

展覧会は冒頭と最後にムンクの自画像が置かれている。1枚目はモノクロの写実的なものだが、2枚目からはすでムンクらしい沈んだ雰囲気が出ている。北欧ノルウェーは冬が長く暗い。そうした地理的気候的な影響もあると思われるが、幼くして亡くなった姉の影響も無視出来ないだろう。「病める子」という連作からは死へ向かう幼子への悲哀が面に出ている。グリーグの「オーセの死」(オーセは幼子ではないが)が聞こえて来そうな絵である。
一方で、晩年の自画像は平明で色彩もシンプル。心境の変化が表れている。

「叫び」は有名なので説明は不要だと思われる。日本文学に例えると晩年の芥川龍之介作品的な世界である。

実は同じ構図による「不安」というこれまた有名な作品も横に飾られているのだが、そちらは余り注目されていない。


不吉さはその他の作品にも表れていて、生と死の境にいるような「マドンナ」、異世界へ旅立つ人を描いたかのような「二人、孤独な人々」などが挙げられる。

恋人の別れを描いた作品では、瀕死の表情を浮かべた男と平然としている女の対比が描かれているが、これはムンク自身が愛人に殺されそうになったという事件を背景にしている。
この事件を題材にした作品の中で最もよく知られているのが、「マラーの死」である。フランスのジャコバン派の領袖であったマラーと「暗殺の天使」ことシャルロット・コルデーを描いた作品は様々な画家が手掛けているが、多くの画家がシャルロット・コルデーは「暗殺は行ったが天使」というコンセプトに基づいているのに対し、ムンクは「天使だかなんだか知らないが暗殺者だ!」と告発している。そばで観ると分厚く塗られた絵の具が立体的であり、ある種の威圧感と異様さが観る者に迫ってくる。絵画作品が持つパワーを再認識させられる作品である。

代表作の一つである「生命のダンス」には人生の諸相が一気に迫ってくるような「邯鄲の夢」的テイストがある。


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