カテゴリー「文化・芸術」の90件の記事

2019年5月11日 (土)

美術回廊(28) 大阪市立美術館 「フェルメール展」2019

2019年5月5日 天王寺の大阪市立美術館にて

大阪へ。天王寺の大阪市立美術館で「フェルメール展」を観る。

オランダ黄金時代を代表する画家、ヨハネス・フェルメール。43年の生涯で完成させた絵は50点ほど、現存するのは35点という寡作の画家であるため、今回の大阪での展覧会のための来日した実物は6点であり、それだけでは絵画展にならないため、同時代に活躍したオランダの画家の作品を多く展示している。

フェルメールの作品6点が一番最後に展示されており、それ以前に他の画家の作品を観て比較出来る面白味があるのだが、今日もフェルメール展は大盛況というわけでじっくり観ていたら日が暮れてしまう。今回の音声ガイドナビゲーターは石原さとみだが、これがかなりの人気で、音声ガイド貸し出し口には長蛇の列が出来ていた。

というわけで、多くの絵は一瞬だけ見て印象を頭に留めるだけで次々に絵を観ていく。

展示されているのは、フランス・ハルス、ワルラン・ヴァイヤン、ヤン・デ・ブライ、ヘンドリック・テル・ブリュッヘン、ヤン・ファン・ベイレルト、アブラハム・ブルーマールト、ニコラス・ベルヘム、ヤン・デ・ヘーム、ニコラス・マース、ヘブリエル・メツー、ヤン・ステーンといった画家の作品である。残念ながら一人も名前を知らない。ただ、これらの画家とフェルメールとでは明らかな違いがある。光の加減である。

多くの画家は暗色の中で中心にだけスポットライトが当たっているという構図なのだが、フェルメールだけ光がおぼろ、どこからか光が漏れているような間接照明的明るさなのである。ターナーや印象派へ繋がるという評価はこのことに由来しているのだと思われる。

展示されているフェルメール作品は、「マルタとマリアの家のキリスト」(1654-55年頃)、「取り持ち女」(1656年)、「手紙を書く婦人と召使い」(1670-71年頃)、「リュートを調弦する女」(1662-63年頃)、「恋文」(1669-70年頃)、「手紙を書く女」(1665年頃)。

長い間埋もれていることのある画家としてはエル・グレコが有名だが、フェルメールも実に1世紀以上埋もれていたことがあるため、フェルメール本人についての情報が十分とはいえない状況になってしまっている。そのため、その絵が何のために描かれたのかは多くが不明なのだが、「手紙を書く婦人と召使い」と「リュートを調弦する女」とでは共に人物が窓の外を眺めており、「これから起こり得る何か」を予感させるものとなっていて、想像を巡らせると楽しい。「手紙を書く婦人と召使い」では直後に何かが起こりそうであり、「リュートを調弦する女」は未来を夢見ているようでもある。

「恋文」は手紙を手渡された女の絵。本当に恋文を渡されたのかどうかはわからないようであるが、事態の急展開がありそうな予感に満ちている。

「手紙を書く女」が書いているのは、ラブレターか何かだろうか。はっきりとはわからないが、この女性の抱く希望が絵全体から溢れ出てくるようでもある。

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2019年4月30日 (火)

観劇感想精選(298)「伝統芸能の今」2014

2014年5月11日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後3時30分から京都芸術劇場春秋座で、「伝統芸能の今」2014を観る。「ゴールドリボン+世界の子どもにワクチンを」チャリティー企画である。今回は三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)に続き、春秋座の二代目芸術監督に就任した四代目市川猿之助によるプログラムである。出演は、市川猿之助の他に、上妻宏光(三味線プレイヤー)、茂山逸平(能楽師狂言方)、亀井広忠(能楽師囃子方)、田中傳次郎(歌舞伎囃子方)ら。

開演前に出演者がホワイエで、パンフレットを売ったり募金を募ったりしている。

まず、上妻宏光による津軽三味線独奏で、「津軽じょんがら節」、上妻の作曲による「紙の舞」(スパニッシュギターからの影響が感じられる曲である)。上妻の津軽三味線であるが、クラシックギター奏者でさえも凌ぐほど左手の動きが大きく、速い。人間の指の動きとは思えないほどに迅速である。
続いて、茂山逸平の舞と上妻宏光、亀井広忠、田中傳次郎によるコラボ奉納舞「三番三(さんばそう)」。茂山逸平の動きは極めてスムースであり、メリハリもくっきりしている。

次は、市川猿之助と上妻宏光、田中傳次郎による舞「空破(くうは)」。猿之助のしなやかな舞を堪能できた。

前半最後は、猿之助が二代目市川亀治郎時代に武田信玄役で出演した大河ドラマ「風林火山」にインスパイアされて、猿之助自身が振付を行った創作舞踊「風林火山」。上妻宏光の津軽三味線生演奏と、オーケストラ演奏の録音による大河ドラマ「風林火山」メインテーマ(作曲は、京都芸術劇場春秋座を持つ京都造形芸術大学の先代の学長だった千住博の実弟・千住明である)に乗せて猿之助が舞う。甲斐武田氏というと騎馬武者軍団が有名であり、荒事を取り入れた勇壮な踊りになるかと予想したが、実際はそれとは正反対のたおやかな舞いであった。

10分の休憩を挟んで、メインの4人によるトーク。福山雅治から贈られた襲名披露記念幕をバックに、会話が行われる。春秋座では、四代目猿之助の芸術監督襲名に当たり、イメージキャラクターを作ろうと企画が立ち上がり、瓜生山学園(京都造形芸術大学+京都芸術デザイン専門学校)の学生が描いたキャラクターの中から事前に11点が選ばれ、観客に投票用紙が配られて、良いと思ったキャラクターに投票して貰い、得票数の多かったキャラクター3つの中から猿之助自身が採用するものを決める。キャラクターというと可愛らしい画が採用されやすいので、造形大のマンガコースの学生が描いたものが多い。

トップ3は、エントリーナンバー1の源九郎狐をキャラクターにしたもの、エントリーナンバー5の鼓に猿の顔を描いたもの、エントリーナンバー10の猿之助が舞う姿をマンガタッチで描いたもの(マンガコースの学生の作品である)であった。
ドラムロール後に猿之助から発表が行われるのであるが、ドラムロールが太鼓によるもので、猿之助は「これじゃお化けだよ」と言う。
選ばれたのは情報デザインコースの女学生二人組の作成によるエントリーナンバー1の源九郎狐をモチーフにしたものであった。人間らしさが一番希薄なキャラクターではあるが、猿之助は「京都には伏見稲荷もあり、これが一番京都らしい」と選定理由を述べた(実際は、京都人の意識としては伏見稲荷はあくまで伏見のもので京都とは別というものも根強いようである)。

邦楽というものは、ミニマルミュージックに近いものがあり、同じ音型が何回も繰り返されるため、演奏する側も舞う側も「どこで終わるんだろう」と勘定を付けるのが難しいという。茂山逸平は笛の音型でどこまで進んだかを把握しているそうだ。上妻宏光は劇伴の経験は少ないが、「三番三」のラスト近くで狂言方が飛び上がる場面があるので、そこから推測しているようである。
ちなみに、チャリティーのために集まった募金額は、初日である昨日が48万円台、今日の第1回目の公演が47万円ちょっとであるが、今日2回目の公演となる今回は26万円程度しか集まっておらず、田中傳次郎は、「あと20万円ぐらい集まらないと、この後、猿之助さん出てきません」と言う(昨日と今日の1回目の公演は、休憩時間と終演後に行われた募金も多いだろうから、この回だけ吝嗇家が集まったというわけではないと思われる)。

後半、歌舞伎と狂言による「石橋(しゃっきょう)」。「石橋」は狂言と歌舞伎の両方であるが、内容は少し違う。今回は前半が茂山逸平による仙人を主人公にした狂言、後半が猿之助による浄土の獅子の舞となる。前半と後半に関連性が余りないが、ストーリーで魅せる作品ではないので特に気にはならない。
天竺から来た仙人(茂山逸平)が、唐の清涼山にある文殊菩薩の浄土の入り口に辿り着く。現世と清涼山の間にあるのが、自然が作り上げた石橋(しゃっきょう)だ。幅は一尺(約30cm)ほどしかなく、橋の上は苔むしていて鳥でさえ滑って留まることは出来ないという。仙人は石橋に挑もうとするが結局諦める。
その後、清涼山に住む獅子(市川猿之助)が現れ、蝶二匹(猿之助の弟子が務める)を従えながら舞う。春秋座は歌舞伎用の劇場なのでセリがあり、今回の「伝統芸能の今」2014ツアーの中で唯一、春秋座でだけ猿之助はセリを使って現れる。「石橋」は「連獅子」のモチーフになった作品だけに、猿之助は首を何度もグルグルと回して観客からの喝采を浴びた(猿之助自身が以前、テレビ番組で話していたことだが、「連獅子」をやると目が回ってしまい、終演後に嘔吐してしまうことも珍しくないという)。

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2019年4月21日 (日)

第70回京おどり 「夢叶京人形」全八景 2019

2019年4月15日 宮川町歌舞練場にて

第70回京おどりを観る。宮川町歌舞練場にて午後4時30分開演の回。
今年のタイトルは「夢叶京人形」全8景。作・演出:北林佐和子、作曲:今藤長十郎、作舞:若柳吉蔵。第1景から第4景までが「不思議の国の京人形」、第5景が「弥栄(いやさか)の春」、第6景が「天下(あめのした)祝い唄」、第7景が「秋の音色」、第8景がお馴染みの「宮川音頭」である。

「不思議の国の京人形」は、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』をベースに歌舞伎「京人形」を組み合わせた舞踊劇であるが、男と女が主人公になることや姿格好などから泉鏡花の『天守物語』(変換したら「店主物語」となった。なんだそりゃ?)を連想させる作品である。関係があるのかどうかは知らないが、第4景では姫路城の天守も現れる。
真夜中。城の中の人形の間で、太夫、藤娘、汐汲、娘道成寺の4人(?)の人形が舞い遊んでいる。そこへお小姓の仙千代がやってくる。仙千代は幼い姫とまりをついて遊んでいたのだが、まりをなくしてしまい、姫は大泣き。まりを見つけられなかった時は切腹と決まったため、この部屋に探しに来たのだ。人形たちは仙千代を哀れに思い、一緒に城内を探し回ることにする。

花札の絵から飛び出してきた小野道風なる人物と加留多遊びをすることになったり、チェシャ猫にあたる猫の君やまぼろし姫たちとまりの奪い合いをするというファンタジックな物語である。
巨大なまりが左右に揺れたり(あさま山荘事件とは無関係だと思われる)、加留多の絵の描かれた戸板返しが行われたりと、趣向も面白い。
物語のある舞は宮川町が本場であり、祇園甲部よりも見せ方が優れているように思われる。

「弥栄の春」では、芸妓たちが鈴を鳴らしながら平成と新元号・令和の御代を祝い、「天下祝い唄」に繋がっていく。日本地図の描かれた襖が現れ、「目出度の若松様よ」と「花笠音頭」の東北、祇園や清水という京名所、義経と静御前ゆかりの吉野の桜などがうたわれる。

舞妓たちが総登場の「秋の音色」。舞では芸妓には及ばないかも知れないが、場内の雰囲気をガラリと変える新鮮な空気が秋に繋がる。

「宮川音頭」。総踊りである。儚さを通り越して悲しさを感じるのは、五花街のおどりの中で京おどりだけかも知れない。
美しいが夢だとわかっている夢を見ているような気分になる。

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2019年4月10日 (水)

南座新開場記念 都をどり 「御代始歌舞伎彩」2019年4月5日

2019年4月5日 京都四條南座にて

午後4時30分から、京都四條南座で都をどりを観る。
祇園甲部歌舞練場が耐震対策工事中ということで閉鎖されており、昨年一昨年は北白川の京都芸術劇場春秋座で公演が行われた都をどり。今年は新開場記念も兼ねた南座での開催となる。南座はロビーが狭いということで、今年はお茶席はなく、お茶菓子の皿プレゼントもないが、その代わりパンフレットは無料で配布されている。

昨年の春秋座での公演では、CGを使ったり「アナと雪の女王」を題材にしたりといった新しい試みを行った都をどり。春秋座が京都造形芸術大学の劇場ということで、京都造形芸大の教授でもある井上八千代が若者の取り込みを図ったのかも知れないが、学生らしき人々の姿は客席には見えず、新演出は常連客から大不評ということもあり、今年は揺り戻しからか保守的な内容になっている。それが全体として平板な印象を生んでいたようにも感じられる。

チケットを取るのが遅かったため、今日は2階の上手サイドの席の2列目。前列はラテン系と思われる外国人の一家である。舞台はそれほど良くは見えないが、花道での踊りは楽しめるため、この席を選んだ。舞台下手端で、ジャケットを着たおじさんが鳴り物に指示を出していたり、鈴を鳴らして演奏しているのが見えるのがシュールで楽しかったりする。

演目は置歌に続き、「初恵美須福笹配」「法住寺殿今様合」「四条河原阿国舞」「藁稭長者出世寿」「桂離宮紅葉狩」「祇園茶屋雪景色」「大覚寺桜比」の計8景。今は会えぬ人を偲ぶ内容の曲がいくつかあり、それが「大覚寺桜比」での華やかさと表裏一体の儚さにも繋がっている。

「大覚寺桜比」は、舞台上に桜の樹が並ぶ、舞台上方からも桜の枝が垂れていて今の季節に相応しい飾りであるが、稽古を重ねることで上半身がぶれずに速足で移動することの出来る芸妓達を見ていると、人間というより桜の精に出会ったかのような不思議な感覚に陥った。

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2019年3月26日 (火)

2346月日(11) 京都文化博物館 「北野天満宮 信仰と名宝」

2019年3月19日 三条高倉の京都文化博物館にて

三条高倉の京都文化博物館で「北野天満宮 信仰と名宝」を観る。
天満宮の総社である北野天満宮。その祭神である菅原道真公と天神の本地である十一面観音などに関する展示である。

学問の神様とされる菅原道真。氏や育ちではなく知力で右大臣にまで上った人物である。知で昇進した先例には吉備真備らがいるが家格を超える昇進を遂げたのは菅原道真が初とされる。その後、藤原時平らの讒言があって太宰府に左遷され、失意の内に亡くなる。だがその後、清涼殿に落雷があったり、藤原氏の有力者が次々に他界するなどの変異があり、雷神と集合して天神として北野の地に祀られることになった。元々、北野の地は都の北西を守る霊地であり、道真は都を守る怨霊として祀られることになる。

 

「北野天神縁起」はパネル展示があるだけだが、文子天満宮や吉祥院天満宮など、北野天満宮より成立が早いとされる天満宮の由来が描かれているのがわかる。

 

道真は、左遷された不遇を漢詩に詠んでいるが、その「去年今夜待清涼 秋思詩編独断腸 恩賜御衣今在此 報持毎日拝余香」は、その後に描かれた天神像にたびたび書き込まれている。
天神像も様々で、一般によく知られているのは憤怒の表情を浮かべた天神像だが、中には道真の失意をそのままに表した憂い顔の天神像も存在する。

道真は漢詩や和歌だけでなく、学者として史書の「類聚国史」編纂の仕事もしており、そのうちの2冊が展示されている。

 

後半は北野天満宮に関する展示である。
北野天満宮は麹造りを支援しており、醸造業者の連盟である麹座に神人の位を与えて保護していたのだが、洛中の酒屋が麹造りを始めたため、独占権を失いそうになる。そこで北野麹座は室町幕府に訴え、独占権の確約を手にする。足利義持の命により、北野麹座以外の麹室は破却されることになった。
足利義持の下知状と一色義範の遵行書状が展示されているが、二人とも「北野」の「北」の字を崩しており「小」に見えるのが特徴である。草書だとそうなるのだと思われる。

その後、北野が生んだ文学とされる連歌(宗祇の肖像などが展示されている)の展示を経て、北野天満宮の祭礼展示となる。上映時間約20分の映像が流されており、北野天満宮で一年の間に行われる祭礼の模様をダイジェストで見ることが出来る。

 

北野天満宮史上最大のハイライトの一つである北野大茶会の展示としては、実際に掲げられた高札の他に大茶会の様子を描いた絵図、またその繋がりで現在の北野天満宮の社殿を築いた豊臣秀頼の筆による御神号などが展示されていた。

 

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2019年2月21日 (木)

京都芸術センター「継ぐこと・伝えること62 『享楽×恍恍惚惚』―男舞・女舞―」 中村壱太郎

2019年2月11日 京都芸術センター講堂にて

午後2時から京都芸術センター講堂で、「継ぐこと・伝えること62 『享楽×恍恍惚惚』―男舞・女舞―」を観る。出演は中村壱太郎(かずたろう)。若手を代表する女方(女形)の一人である。

中村壱太郎は、四代目中村鴈治郎の長男である。1990年生まれ。本名は林壱太郎。
中村鴈治郎家は上方の名跡だが、すでに東京に移住しており、壱太郎も東京生まれの東京育ちである。屋号は成駒屋で、私が観た時には、「小成駒!」という声が掛けられてもいた。2014年に、日本舞踊吾妻流の七代目家元、吾妻徳陽(あづま・とくよう)を襲名している。

プログラムは、創作長唄「藤船頌(とうせんしょう)」、レクチャー・ワークショップ「日本舞踊とは」(中村壱太郎&広瀬依子)、休憩を挟んでレクチャー「日本舞踊の音楽について」(中村壱太郎&中村壽鶴)、長唄「島の千歳」


創作長唄「藤船頌」。歌詞は事前に観客に配られている。唄:杵屋禄三、今藤小希郎。三味線:杵屋勝七郎、今藤長三朗。立鼓:中村壽鶴。笛:藤舎伝三。
主人公はお公家さんだそうである。春の海辺を謳ったもので、藤の紫と海の青が一体となって賛嘆される。

壱太郎は、紋付き袴で登場。強靱な下半身に支えられていると思われるブレのない舞踊を行う。西洋の舞踊は体を大きく見せる方向に行きがちだが、日本舞踊は両手や体を最短距離で動かす無駄のない動きが特徴的であり、好対照である。
扇には表に墨絵の藤、裏に波の絵が描かれている。藤が墨絵なのは、彩色すると「女っぽく見えてしまうから」「藤が面に出過ぎるから」という2つの理由があるらしい。


元「上方芸能」誌の編集長、広瀬依子を進行役としたレクチャー・ワークショップ「日本舞踊とは」。壱太郎は私物だというMacのノートパソコンを使ってスライドを投影し、解説を行う。

まずは歌舞伎の歴史から解説。出雲阿国の阿国歌舞伎から若衆歌舞伎を経て、現在まで続く野郎歌舞伎に至るまでの歴史が簡単に解説される。
歌舞伎の元祖は出雲阿国による阿国歌舞伎で、これは舞踊である。女性が男装をした舞うものだったのだが、「風紀が乱れる」ということで廃止になり、若衆歌舞伎へと移行する。若衆歌舞伎は、壱太郎曰く「ジャニーズ系」のようなもので、「美しいものを見たいが、女性は駄目となると未成年の男性」に目が行くということだったのだが、この時代は同性愛は一般的なことであるため、やはり風紀上よろしくないとのことで禁止され、「成人男性によるちゃんとしたお芝居なら良い」ということで野郎歌舞伎が生まれる。
歌舞伎は江戸の歌舞伎と上方の歌舞伎に分かれるが、江戸が英雄を登場させてポーズで見せるという外連を重視するのに対し、上方歌舞伎は庶民が主人公で日常を主舞台にするという違いがある。

日本舞踊、吾妻流についても解説が行われる。吾妻流は日舞の中では傍系で、元々は女性の歌舞伎踊りとして始まり、現在も門人の99%は女性だそうだ。ただ、その家元となった壱太郎(=吾妻徳陽)が男性ということで複雑なことになっているらしい。
吾妻流は、江戸時代中期に始まっているがいったん途絶えている。再興されたのは昭和に入ってからで、十五代目市村羽左衛門の娘である藤間春枝が吾妻春枝として興したのだが、十五代目市村羽左衛門の実父は白人とされており、壱太郎にも白人の血が流れているかも知れないというロマンがあるそうである。
壱太郎の大叔父に当たる五代目中村富十郎が吾妻徳隆(とくりゅう)を名乗っており、壱太郎の舞踊名も漢字が似たようなものをということで、徳陽になったそうだ。舞踊名にはもう一つ候補があって、壱太郎が慶應義塾出身ということで、「徳応ではどうか」というものだったのだが、壱太郎は「徳応だと偉そうな感じがする」というので徳陽に決まったそうだ。
「陽」の字はご年配の方の名前には余りつかないということで若々しさも感じられる良い名前だと思う。

その後、韓国で収録されたという壱太郎による舞踊「鷺娘」の映像がスクリーンに投影される。女方にとって映像、それも4Kを超えて8Kとなると女ではないことがはっきりわかるので困ったことになってしまうそうだ。
「鷺娘」は衣装の早替えがあるのだが、海外で上演すると拍手が貰えないという。「Wow!」という驚嘆の反応になってしまうそうだ。
女方の理想は、「女になり切って演じるのではなく、女らしさを追求する」というもので、「矛盾した」難しいものである。女らしさを演じるために腰を落とした上で良い姿勢を保つことが肝要なようである。女らしい仕草をするために常に内股であることを心がけてもいるそうだ。


休憩後、立鼓の中村壽鶴と壱太郎によるレクチャー「日本舞踊の音楽について」。壽鶴は鼓をばらしてみせる。普段はばらした形で持ち歩いているそうだ。
鼓の皮は何の皮を使っているかということがクイズ形式で観客に出され、壱太郎が、「土日の新聞をチェックしている人はわかるかも知れません」とヒントを出し、壽鶴も「淀駅に行く方はわかるかも知れません」と続ける。淀駅は京都競馬場の最寄り駅である。ということで正解は馬の皮。往時は馬が最も身近な動物だったようである。ちなみに今日、壽鶴が持っている鼓の胴は江戸時代製、皮の部分は安土桃山時代に作られたもので、かなりの値打ちもののようだ。
鼓は乾燥すると音が高くなるため、息を吹きかけて湿らせ、音を調整するそうである。


長唄「島の千歳」。唄は杵屋禄三と今藤小希郎、三味線が杵屋勝七郎と今藤長三朗、立鼓が中村壽鶴である。
白拍子を主人公とした女舞。白拍子に見せるため、壱太郎は長絹を纏っての登場である。
白拍子も阿国歌舞伎同様、男装した女性が舞を行うものだが、男性である壱太郎が男装した女性を演じるということで、幾重にも転倒した状況を生んでいる。抒情と艶を二つながら生かした典雅で妖しい舞となる。



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2019年2月13日 (水)

美術回廊(22) 京都浮世絵美術館 「将軍の京都 ~御上洛東海道~」

2019年2月8日 四条の京都浮世絵美術館にて

四条にある京都浮世絵美術館で、「将軍と京都 ~御上洛東海道~」などを観る。京都浮世絵美術館は、ビルの2階にある小さな美術館である。

「将軍と京都 ~御上洛東海道~」は、歌川芳艶、歌川芳盛、歌川芳幾、歌川芳宗、三代歌川豊国、二代歌川国貞、歌川貞秀、二代歌川広重の絵が展示されている。いずれも徳川家茂が家光以来、230年ぶりに上洛した時を題材として描いたもの。

浮世絵は西洋の絵画などに比べるとダイナミックで動的な要素が強い。「何か大きな動きをしている瞬間」を切り取っているため、その前後が想像しやすく、結果、映像的な面白さが生まれるのである。藤森神社での走り馬、瀬田の唐橋での行列、四条河原での光景など、音まで聞こえてきそうな臨場感である。静物画や肖像画など、止まった瞬間や乙に澄ましているところを描いている西洋の画家が浮世絵に衝撃を受けたというのももっとものことのように思える。

備前長船(現在の岡山県瀬戸内市)の刀剣二棟が展示されているほか、葛飾北斎の「凱風快晴」、「神奈川沖浪裏」なども展示されている。

初代歌川広重の「京都名所図会」も展示されているが、単なる風景画でなく、人物が必ず入っていて、描かれた名所の規模が推量出来るようになっているという実用性も兼ね備えたものである。「あらし山満花」などは正に粋で、過ぎゆく春を惜しむかのような風情に溢れている。「祇園社雪中」も雪の降る沈黙の響きが聞こえてくるかのようであり、「四条河原夕涼」からは鴨川のせせらぎと往時の人々の息吹が伝わってくる。江戸時代の日常がハレの化粧を施されて絵の中に生き続けているかのようだ。

ラストを飾るのは、歌川(五雲亭)貞秀の「大坂名所一覧」(九枚続)。中空からの視座で、右端に大坂城を置き、左端の難波潟と瀬戸内海に至るまでの大坂の町をダイナミックに描いている。タイトル通り、天満天神、北御堂(西本願寺)、南御堂(東本願寺)、四天王寺、なんばや天王寺の街、天保山(今よりも大分大きい)など名所が多く鏤められており、「天下の台所」の賑わいが伝わってくる。



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2019年2月10日 (日)

観劇感想精選(289) 「ホロヴィッツとの対話」

2013年3月13日 イオン化粧品シアターBRAVA!にて観劇

午後7時から、イオン化粧品シアターBRAVA!で、「ホロヴィッツとの対話」を観る。三谷幸喜:作・演出。出演:渡辺謙、段田安則、和久井映見、高泉淳子。ピアノ演奏:荻野清子。

20世紀最高のピアニストの一人と言われながら、奇行の数々や長期にわたる活動停止、キャンセル魔として、「幻のピアニスト」とも呼ばれたウラディミール・ホロヴィッツ(段田安則)と夫人のワンダ(高泉淳子)、そのピアノ調律師のフランツ・モア(渡辺謙)と妻のエリザベス(和久井映見)による四人芝居である。

1978年のある日、ホロヴィッツはピアノの調律師を務めてくれているフランツ一家の夕食を訪ねることになる。その一夜の物語である。フランツには二人の息子と一人の娘がいるが、息子二人はホロヴィッツの来訪を嫌って他所に行ってしまい、娘のエレンは中耳炎の発作により自室で寝込んでいる。

ホロヴィッツは偏食家で、アルコールは一切受け付けず、エヴィアンしか飲まないのだが、フランツが行った店にはエヴィアンは1本しかなく、仕方が無いので他はボルヴィックにしたという。

ホロヴィッツの妻ワンダは、20世紀前半を代表する大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニであり、父の血を継いだのかかなり強気な性格である。

エリザベスはホロヴィッツとワンダに料理を振る舞おうとするのだが、エリザベスが提案したスパゲティをホロヴィッツは嫌がり、ヴェルミチェッリが食べたいという。更にムール貝を嫌う。
ワンダはワンダで、勝手にフランツの家のリビングの模様替えを始めてしまい……。

「今回は笑わせます」と三谷は宣伝していたが、腹を抱えて笑うような場面はなく、小技でちょっとずつ笑わせるというタイプ。基本的にはコメディではあるが内容はシリアスである。

キーパーソンは、舞台上に登場しない、ホロヴィッツとワンダの娘であるソニア。ホロヴィッツを父に、トスカニーニを祖父に持つ彼女は、早くからピアノやヴァイオリンの稽古を始めたが、ものにならず、絵画や詩作へと分野を広げるが、トスカニーニが亡くなったのと同じ年、22歳の時のバイク事故を起こし(バイクで電柱に激突したのだがブレーキを踏んだ形跡はなかったという)、植物人間状態を経て24歳で亡くなっている。偉大な父と祖父を持つ重圧、苦悩が示されている。同時にそうした無言の圧力を娘に掛けたホロヴィッツは「ソニアは私が殺したようなものだ」と言う。

一方で、フランツの三人の子供はその後、幸せな人生を過ごしている。天才の子と凡才の子の対比がここでなされている。

フランツは第二次大戦で兄と弟を亡くしており、死の影が暗く舞台を覆う。その重苦しさを跳ね返すのがフランツの三人の子供であり、ホロヴィッツという得意なキャラクターだ。

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2019年2月 7日 (木)

観劇感想精選(288) 「テイキングサイド ~ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日~」

2013年2月23日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、「テイキングサイド ~ヒトラーに翻弄された指揮者が裁かれる日~」を観る。「ドレッサー」「想い出のカルテット ~もう一度唄わせて~」の劇作家、ロナルド・ハーウッドの筆による作品。テキスト日本語訳:渾大防一枝、演出:行定勲。出演:筧利夫、福田沙紀、小島聖、小林隆、鈴木亮平、平幹二朗。

20世紀を代表する指揮者、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの第二次大戦中のナチ協力疑惑の取り調べを描いた、クラシックファンにとってはかなり有名な作品である。ただ、クラシックと歴史のことがわからないと内容把握はまず困難だと思われ、そのためか、後ろの方の席は空席が目立った。


ベートーヴェンの交響曲第5番第4楽章が鳴り響く中で劇は始まる。

1945年、第二次大戦後のベルリン。連合国側の米軍少佐、スティーヴ・アーノルド(筧利夫)は、非ナチ化審議に於いて、ドイツを代表する指揮者のヴィルヘルム・フルトヴェングラー(平幹二朗)がナチ党員だったのではないかという疑いを持ち、予備審議を行うことにする。協力者は若いドイツ人のエンミ・シュトラウベ(福田沙紀)。エンミの父親はヒトラー暗殺計画を企んで処刑されたが、ヒトラー亡き今ではドイツ人から英雄視されている。スティーヴは音楽に対する教養はまるでないが、異常な記憶力の持ち主であり、見聞きしたことは全て忘れないという異能者である(どことなくAIを連想させる人物である)。

一方、エンミはドイツ音楽の愛好家であり、フルトヴェングラーを尊敬している。ベートーヴェンが好きで、特に好きなのは交響曲第8番。

フルトヴェングラーに対する取り調べの前に、スティーヴは、フルトヴェングラーが音楽監督を務めていたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第2ヴァイオリン奏者、ヘルムート・ローデ(小林隆)を呼ぶ。ローデは、フルトヴェングラーがナチ嫌いだったと語り、ヒトラーの御前演奏の前に、ヒトラー対する敬礼をしない工夫として、指揮棒を持ったままステージに上がるようフルトヴェングラーに進言したことがあると伝える。指揮棒を持ったまま敬礼をすると、最前列に座ったヒトラーの目を指揮棒の先端が刺してしまう。だから敬礼をしなくていいのだと。
しかし、スティーヴはフルトヴェングラーがヒトラーの御前で演奏したこと、また、ヒトラーとフルトヴェングラーが握手している写真を示し、ヒトラーとフルトヴェングラーが懇意であったのではないかと疑う。ヘルムートは、それはヒトラーが勝手に壇上に上がりフルトヴェングラーの手を取ったまでで、その場にいたカメラマンがそれを撮影したに過ぎないと疑惑を否定する。

エンミもまた、フルトヴェングラーが多くのユダヤ人演奏家(ヨーゼフ・クリップス、アーノルド・シェーンベルクの名が含まれる)の亡命に協力した事実を告げる。

スティーヴの元に新たに赴任した、デイヴィット・ウィルズ(鈴木亮平)は、ハンブルク生まれのユダヤ人で、ユダヤ人迫害を避け、アメリカに亡命。姓もユダヤ風のものからWASP風のウィルズに改姓している。ウィルズは、フルトヴェングラーが世界最高の指揮者であるとし、スティーヴに対してフルトヴェングラーの無実を訴える。

そんな中、タマーラ・ザックスという女性(小島聖)が尋問室にやって来る。タマーラは自身はドイツ人で旧姓はミュラーだが、ワルター・ザックスというピアニストに惚れて結婚。ワルターはピアノの腕をフルトヴェングラーに認められ、パリにザックス夫妻が亡命するための手続きを行ってくれたという。しかし、パリはナチスドイツ軍により陥落、ワルターは収容所に送られ、命を落としたという。だが、タマーラはフルトヴェングラーがかつての夫のためにしてくれたことを深く感謝しており、フルトヴェングラーがいかにユダヤ人に親切で、慈悲深い人であったかを切々と語る。

そしていよいよ本物のフルトヴェングラーが現れる。フルトヴェングラーは自分がナチに協力したことはないと断言し、二度もナチス党員になった若い指揮者(ヘルベルト・フォン・カラヤンのことである)が演奏活動を再開しているのに、なぜ自分が公的な音楽活動が出来ないのかと不満を語る。ヒトラーの御前演奏も、ヒトラーの誕生日の演奏も、ヨーゼフ・ゲッペルスやヘルマン・ゲーリングの根回しがあり、断ることは自分の力では不可能だったのだと告げる。また、ナチスが政権を取った1933年にフルトヴェングラーはナチスへの嫌悪からベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を辞任しており(のちに復帰)、またユダヤ人と結婚したドイツ人作曲家、パウル・ヒンデミットの歌劇「画家マチス」が上演禁止になった際、ヒンデミットの擁護を行い、また新聞に「ヒンデミット事件」を寄稿していることを告げる。
第1回の審議は終わり、フルトヴェングラーは尋問室を去る。エンミは自分の好きな交響曲第8番のSPを掛け、第1幕は終わる。


第2幕。ベルリン・フィルの第2ヴァイオリン奏者であるヘルムート・ローデが実はナチ党員であり、自分がベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の奏者になれたのも在籍していたユダヤ人奏者が追い出されて欠員が出たからだと告白する。またフルトヴェングラーはヘルベルト・フォン・カラヤンを嫌っていたという事実も口にする。フルトヴェングラーはカラヤンを憎む余り、カラヤンと名前で呼ばず、「K」と呼んでいた。差別的な人であったことは事実だと。また、デイヴィットもフルトヴェングラーが「反ユダヤ」であることを知っていたという(フルトヴェングラーはドイツ音楽至上主義者だった)。しかし、同時にデイヴィットは「反ユダヤ発言をしなかった非ユダヤ人はいない」とも発言する。

ベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章アレグレットが流れる中、ナチスの収容所における映像が映し出される。積み重なるユダヤ人の死体。それを押しやるブルドーザー、穴に押し込まれるユダヤ人の遺体。これはスティーヴの夢であった。スティーヴは異常な記憶力の持ち主であったため、このかつて見た嫌な光景を毎晩、夢として見る羽目になっているのである。

フルトヴェングラーに対する二度目の尋問が行われる。ここで、スティーヴは二度もナチ党員になっていながら公的演奏活動(正式には録音のみの活動である)を行っているヘルベルト・フォン・カラヤンの名前を出す。フルトヴェングラーがカラヤンを嫌っていたのは事実であり、カラヤンこと「K」がベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者になることを怖れて、ヒトラーの御前演奏会に臨んだのではないかとスティーヴは考える。そしてそれは実際、真実に最も近いであろう。

スティーヴは、ブルーノ・ワルターやオットー・クレンペラーが1933年に亡命しているのに、なぜフルトヴェングラーは終戦直前まで亡命しなかったのかについて触れる。フルトヴェングラーは「ワルターもクレンペラーもユダヤ人であり、亡命せざるを得なかったのであり、自分は違う。自分はドイツに留まることでナチスと戦ったのだ」と言い張る。しかし、事実としては「K」がドイツ楽壇に君臨するのを怖れていたのではないかという疑惑が浮かぶ(実際、フルトヴェングラーは最晩年に自身の後任になるベルリン・フィルの指揮者について、「私がベルリン・フィルの指揮者としてふさわしくないと思っている男は一人だけ。あの男です」と暗にカラヤンが後任に抜擢されることを拒んでいる。だが、その後、フルトヴェングラーが怖れたことは現実となる。常任指揮者であったルーマニア人指揮者、セルジウ・チェリビダッケとベルリン・フィルが敵対関係になりつつあったことに加え、ベルリン・フィルのアメリカ・ツアーに同行できる独墺系指揮者がカラヤンしかおらず、そのカラヤンが「もし自分をベルリン・フィルの常任にしないならばアメリカ・ツアーには同行しない」と言ったことで、後任はカラヤンに決まった)。

スティーヴはブルックナーの交響曲第7番第2楽章アダージョのSPをエンミに掛けさせる。そしてフルトヴェングラーに聴く。「この曲は何ですか?」「ブルックナーの交響曲第7番アダージョだ」「誰の指揮ですか?」「誰のかって? 私のだよ」「これが流されたのはヒトラーが自殺した日です。追悼の音楽として」

実際問題として、ヒトラーはカラヤンを嫌っていた。理由はカラヤンは暗譜で指揮するのが常だったが、ヒトラーの御前上演となるオペラで、ソプラノがミスし、カラヤンは譜面を置いていなかったため、十分なフォローが出来ず、ヒトラーは「あの、若いのは何故譜面を持っていないんだ!」と激怒。以後、ヒトラーが愛する指揮者はフルトヴェングラーだけとなる。

スティーヴはヒトラーが愛したのはフルトヴェングラーの演奏であったと告げる。それに対してフルトヴェングラーは、「私はナチのために指揮したのではなく、ドイツ国民のために指揮したのだ」「芸術は中でも音楽は人間の内面を豊かにするために必要だ」と音楽論を展開する。
それに対して、スティーヴは「私生児は何人いますか?」と聞く。フルトヴェングラーの女好きは有名であり、自分の子供が何人いるのか自分でも把握できなかったと言われている。今でもフルトヴェングラーという姓の奴がいたら怪しいと言われるほどだ。

フルトヴェングラーは音楽の神聖さを強調し音楽と政治は無関係だとするが、実際はフルトヴェングラー自身は俗人であり、フルトヴェングラーに対しては批判的でカラヤンを「奇跡のカラヤン」と評した音楽評論家を政治力を用いてソビエト戦線に送ったり、ドイツを離れなかったのも、ドイツ国内のあちこちに愛人がいたからなのではないかと詰め寄られる。フルトヴェングラーはそれでも音楽の素晴らしさを強調するが、「1934年に亡命していたなら」と後悔の言葉を口にし、吐き気に襲われる。ヘルムートとエンミに抱えられながら退場するフルトヴェングラー。デイヴィットはフルトヴェングラーを「堕ちた偶像」と言いながらもフルトヴェングラーこそは世界最高の指揮者であり、あのような取り調べを行うべきではなかったのではないかとスティーヴに意見する。

ベートーヴェンの第九第1楽章が流れる中、劇は終わる。


様々な角度から再検討すると、何が正しくて何が間違っているのか、聖と俗とは何なんなのか、音楽は、そして演劇は我々にとって何をもたらすものなのか。人によって答えは違う、そう、人によって答えが違うからこそ、人生とは奥行があり、芸術とは価値があるのだと認識させられた舞台であった。


上演終了後に、演出の行定勲、デイヴィット役の鈴木亮平によるトークがある。司会は関西テレビの山本悠美子アナウンサー。

まず、「テイキングサイド」を上演することになったきっかけを行定勲が語る。行定勲が「テイキングサイド」の本を受け取ったのは、3.11の東日本大震災発生直後のことだったという。行定勲は映画の撮影をしていたのだが、大震災が起こったため、一度、撮影を全面的に中止にしたという。その後、仕事は再開したが、映画の撮影をするのはこの時期には不謹慎なのではないかという思いがこみ上げてきたし、周りも「不謹慎なのでは」という空気になったという。その時、「テイキングサイド」を読んで、戦後に行われた芸術を巡る審議という内容が、今、自分達の置かれている立場にリンクするのではないかと思い、引き込まれていったという。

また配役では、筧利夫と平幹二朗という、普通は舞台上で同時に観ることが想像しにくい組み合わせであるということから敢えてキャスティングしたという。筧利夫が演じるスティーヴ・アーノルドは芸術音痴で早口というクエンティン・タランティーノの映画に良く出てくるようなキャラクターを意識したという。そのことでセリフも聞き取りにくくなるし(筧利夫は普段使わない用語が沢山出てくる脚本に苦しんだのか、珍しく二回噛んだ)、内容も把握しにくくなるが、それも計算の内だという。

鈴木亮平は、今回のキャストの中で唯一オーディションで選ばれたという。オーディションは普通は数ページの台本によって行われるのだが、今回の作品ではデイヴィットのセリフ全てが渡され、それで審査されることになったそうで、鈴木は「うそーん」と思ったそうだ(行定勲の厳しさは映画界では有名である)。鈴木はカラオケボックスにこもってひたすらセリフを覚えてオーディションに臨み、あまり良い感触は得なかったそうだが選ばれたという。また鈴木は関西出身で、明日は両親と祖母と祖母の友人達が見に来る予定だという。

演技では筧利夫は想像通りの出来であり、平幹二朗はフルトヴェングラー役には残念ながら似合わないように思えた。わがままが過ぎて干され気味と噂の福田沙紀はまずまず可憐な演技を見せ、他の俳優も健闘していたように思う。

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2019年1月21日 (月)

観劇感想精選(284) 渡辺徹&水野美紀主演「ゲゲゲの女房」

2011年10月28日 大阪府貝塚市のコスモスシアター大ホールにて観劇

午後6時30分から、大阪府貝塚市にあるコスモスシアター大ホールで、舞台「ゲゲゲの女房」を観る。朝の連続テレビ小説久々の快作として話題になり、映画化もされた、武良布枝(むら・ぬのえ。水木しげる=武良茂の奥さんである)の自伝『ゲゲゲの女房』の舞台化である。


京都から貝塚までは実はかなり距離がある。貝塚市は大阪の中でも泉南という地域、現在の大阪府の南部に当たる旧和泉国の中でも南部にある。南北に長い都市だが、南端は和歌山県と接しているという場所である。すぐ北にあるのが、だんじり祭で有名な岸和田市だ。


さて、舞台「ゲゲゲの女房」は、武良布枝の原作を、東憲司(ひがし・けんじ)の脚本・演出・美術で舞台化したもの。出演:水野美紀、渡辺徹、梅垣義明、篠田光亮(しのだ・みつよし)、大和田獏ほか。今月は大和田獏のお嬢さんである大和田美帆の舞台(「キネマの天地」)も観ているので親娘の演技を同じ月に観ることになる。

東憲司は、「どこかで見たことのある名前だぞ」という認識しかなかったが、「ゲゲゲの女房」が始まってからすぐに、「ああ『夜は短し歩けよ乙女』の人だ」とわかる。舞台転換の技法がそのままだったからである。劇の内容がとても良かったので、幕間にパンフレットを購入して(余程良い劇でないと私はパンフレットは買わない)確認したところ果たしてそうであった。

舞台「ゲゲゲの女房」は笑いの要素もあるものの基本的にシリアスな内容である。劇としての完成度は極めて高いが、実は水木しげる夫妻を演じる渡辺徹と水野美紀を除く、大和田獏や梅垣義明という上手い役者は人生の敗北者を演じている。彼らは価値転換、現代文明の洗礼の犠牲者である。人生では一応成功者のように見える男を演じている篠田光亮も、ある理由で敗北者だということがわかる。水木しげる夫妻も劇の前半では苦難の道を歩んでおり、後半になっても社会の価値観に逆らって生きることの難しさが前面に出されている。人生の成功者は全て端役扱いである。

劇としても「素晴らしい」の一言であるが、それ以上に、現代の資本主義や新自由主義などへのアンチテーゼを示しており、更には価値観とは何かという問いかけで観るものを揺さぶり、そして芸術論、芸術家論として観ることも可能という奥行きのある芝居である。貝塚まで観に行った価値があったどころか大量のおつりまで貰えた気分だ。

水野美紀も渡辺徹も色々言われる人だが、今日の演技は実に細やかで丁寧な名人クラスのもので、掛け値なしの名優である。コスモスシアター大ホールは名前の通り、空間が大きいので耳の横にマイクを付け、PAを使っての演技であったが、負担は増すことにはなるが、PAなしでも全員セリフをホール一杯に響かせることが出来るのではないだろうか。こうした優れた俳優こそきちんと評価されるべきだと思う。この公演は渡辺徹の水木しげる(劇中の本名は村野しげる)と水野美紀の村野布子(武良布枝にあたる)だから成功したのである。

現代の社会は一握りの成功者と圧倒的多数の敗北者から成り立っている。だから「ゲゲゲの女房」のような社会の敗北者や犠牲者達に焦点をあてた舞台はもっと観られてしかるべきで、再演を希望したくなる。大阪公演も貝塚で一日だけということではなく、シアター・ドラマシティで一週間やってもいい。それぐらいの価値はある芝居である。

太宰治の書いた文章がこの劇にピッタリなので、最後に記しておく。「いまの世の中で、一ばん美しいのは犠牲者です」(『斜陽』より)

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